ナチスの亡霊


紹介 : 橋下大阪市長の行動をどう見るか。歴史的な国政改革とヒトラー誕生を振り返ることにより、何が恐ろしいのかが見えてくる。

目 次

1. 国政改革の事例  サッチャー/小泉/まとめ

2. ヒトラー  背景/ヒトラーの出現/独裁体制

3. 悪しきもの 暴力/経済悪化/恐怖/劇場型政治

4. 社会改革 手遅れ/改革の必要性/何が今必要か

5. 最後に

何が問題なのか
橋下行政に懐疑的な方は、その独善的な手法とファシズムの再来を恐れているように、私には思える。この二つの切り口で、検討を進める。一つは内外の国政改革の事例から、その指導者の行動と功罪、その社会背景を振り返る。もう一つはヒトラーの生きたドイツ、独裁を生んだ社会背景を考察し、日本の現状との相違を実感出来るようにしたい。そこから何かが見えてくるはずです。
1. 国政改革の事例
英国のサッチャーと日本の小泉を取り上げる。両者は保守政党に属しながら大胆な改革を行った。先進国は大概二大政党で、支持基盤がそれぞれ富裕層と労働者層に分かれ、前者が保守政党(自由)で後者が革新政党(民主)の色分けになる。本来、革新政党が現状打破を狙って大幅な国政改革を担うように思えるのだが、ここ半世紀、先進国で記憶にあるのは保守側のもので、革新側のものは目立たないようだ。米国は両政党が拮抗しており、大統領交代期に左右に若干揺れ戻すだけで大きな変化が困難なようだ。

(ア) サッチャー首相

時代背景  英国は19世紀を通して我が世の春を歌い世界経済を牽引していたが、20世紀に入る直前から米国にトップの座を明け渡し、ドイツからは猛追を受け、英国病と揶揄される長い凋落を味わっていた。第二次世界大戦後から立ち直った70年代の世界は経済危機の時代で、オイルとドルの両ショックが引き金となり、ECCで見ると最大インフレ率が74年の15%、失業率が70年の2.5%から82年の10%へと漸進的に上昇していった。この混乱から欧州では、英国も含めて野党が政権を取ったが、おのずと政治選択の幅は限られていた。伊独仏英の中で、英国の70年代は一人当たりGDPが最低に落ち込み、消費者物価上昇率は74年26%になった。この英国病の原因は端的に言うと、強い労組と金融投資家の存在になる。74年の賃上げは24%になり、公共部門の賃金が民間を引っ張った。帝国主義時代の残滓として、実業では無く海外投資などで稼ぐ富裕層が国内投資を見限っていた。次の80年代は、その反動としてそれまでの20年間の政治的・社会的民主化路線から逆に振れ、保守化傾向を強め、厳しい競争を奨励する自由主義経済へと向かった。その先頭を切ったのがサッチャー(保守党、1979年就任)であった。同時代の国政を担った保守系では米国レーガン(共和党、1981年就任)、日本中曽根(自民党、1982年就任)であり、革新系ではソ連ゴルバチョフ(共産党、1985年就任)、仏ミッテラン(社会党、1981年就任)がいた。独コール(キリスト教民主同盟、1982年就任)は中間的であった。

事績   79年の選挙で経済復活、小さな政府へを掲げ、6年間続いた与党労働党を破り保守党を大勝に導き、女性初の首相になった。79~90年を「鉄の女」の異名をとり、政治・経済・外交を牽引した。国有企業の民営化、規制緩和、所得税・法人税の大幅引き下げ、一方消費税を8から15%へ引き上げ、国内改革を強行した。法人税等の引き下げは、長期低迷の主因の一つであった資本の大幅流出を食い止めるためだったろう。しかし政権当初は大きな景気後退もあり、支持率は低下した。しかし82年、フォークランド紛争を終結させた彼女の支持率は73%に上昇した。これにより2度目の総選挙も制し、より保守的・急進的な改革を行った。この結果、英国経済は独仏米を尻目に財政赤字から黒字に転じ、インフレ抑制に向かった。しかし終盤の人頭税導入、欧州統合に懐疑的姿勢が国民や財界から嫌われ、辞職することになった。

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功罪  私が以前、欧州教科書による戦争の教え方を知った時、その深い反省に立脚した姿勢に、いたく感動したことがあった(「戦争の教え方」別枝著)。しかし彼女は、88年にそれを自虐的と見なし、また教育機関の独自性を否定した。その後欧州教科書の記述は逆方向に変容していったらしい。一方で、私が努めていた航空機部品加工会社にも世界標準の認証制度が浸透しつつあったが、これを最初に推し進めたのが彼女の政権であった。英国の輸出競争力の低下を挽回するために世界標準を英国から立ち上げたのだ。評判の悪いものを列記すると、金持ち優遇、医療制度崩壊、地方経済不振、競争型の教育制度が挙げられる。特に初期の強引なやり方で失業者が巷に溢れた。86年失業率は欧米先進6ヶ国で最も高く12%になりその後若干低下した。その後の労働党によって、これら政策の行き過ぎた部分が修正され、資本主義と社会主義の折衷が進められた(第三の道)。一人当たりGDPを伊独仏と比べると、73から97年まで最下位、特にサッチャー政権下で悪くなった。しかし2004から07年までは最上位となった。このことはサッチャーの失敗を97~07年労働党ブレア首相がカバーしたことを示すのか、彼女の経済基盤固めと産業活性化が15年後に効いたのか、私にはわからない。

考察 彼女の施策は保守派からも伝統の破壊者として、革新派からも大衆の権利の破壊者として批判される。しかし低迷と混乱から抜け出すべく80年代、世界に先駆けて大胆に国政改革を成し遂げたのは彼女であり、それにレーガンと中曽根が続くことになった。彼女の父は市長経験者であったが、彼女は日本の政界に多い三バン(地盤、看板、鞄)に支えられた政治家ではない。敬虔なプロテスタントの家に生まれ、大学では化学と経済学に没頭し、企業に化学者として勤めた。政界入りし後に弁護士資格を取得し、女権拡張を訴えた。ここに彼女の強さがあったと思う。彼女の初期の政策で失業率が最悪になったにも関わらず、11年にも及ぶ政権を担えたことに驚く。

年月は肥やし 実は英国の政党政治には羨ましいものがある。それは二大政党が十年前後で与野党を後退し、首相の在籍期間は4~10年である。これならじっくり腰を据えて改革が出来る。日本のように首相が1年ぐらいで飽きられるようでは、何もなすことが出来ない。改革が如何に長期間を要するかを見る。米国でレーガンが華々しく、強いアメリカの再生を訴えて81~89年の間、大統領を務めた。彼の唱えたレーガノミックスは当時脚光を浴び、景気は良くなったが、予想とは逆に設備投資低下と財政赤字、対外債務の増大を招いた。しかし彼が掲げた財政赤字削減は15年後のクリントン時代にやっと成し遂げられた。

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(イ) 小泉首相

時代背景 戦後復興期の60年代に12%もあった経済成長率が他国の追い上げもあり減速し始めた。70年代になると賑わいに陰りが見え始め、公害などの負の遺産が目立つようになった。さらに91年のバブル崩壊により、過去15年間の平均4%の経済成長率が、以降平均1%以下に落ち、現在まで続いている。小泉政権誕生までに、先進国に例がない46年におよぶ一党独占状態に陥り、あらゆるマンネリが進んだ。この間、選挙制度が少しずつ改革され、96年の小選挙区比例代表制実施、衆院の一票の格差が72年の5.0から96年の2.3までに低下していた(これでも地方の票は2倍の価値があった)。これにより都市部の票がやっと反映し、96年頃より野党(民主党)が徐々に勢力を増していった。この間に自民党内の派閥が小選挙区制により弱体化し、選挙権限が派閥から党中央に移った。これにより派閥の領袖の影が薄くなって調整(密約)が効かなくなり、逆に人気に頼る政局になっていたのではないか。経済の低迷、積年の自由化による批判票、政治のマンネリ化(癒着)などで与党支持率の凋落が鮮明な中、選挙の顔として小泉待望論が急浮上することになった。

事績  小渕首相急死後、密室談合で森政権が誕生したが、イメージの悪さと失言が祟り、支持率の悪化を招き森は1年で退陣した。小泉は主婦に人気がある田中真紀子と組み、清新なイメージを武器に「自民党をぶっ壊す!」「私の政策を批判する者はすべて抵抗勢力」と熱弁を振るい、党内だけでなく大衆に圧倒的な支持を得た。2001年7月に控えた参院選の「選挙の顔」として4月に総裁に選ばれ首相に就任し、06年までの5年半を務めた。最大の特徴は、自身のキャラクターや発言によりマスコミに頻出し劇場型政治を行い、その真価は、与野党含めて多大な利権が絡む郵政民営化を反対の大合唱の中で成立させたことにある。政策で際立つのは、91年のバブル崩壊の後処理、財政再建(公共事業と国債発行抑制など)、規制緩和、拉致被害者救出、自衛隊の海外派遣などであった。終盤になると支持率の低下と、彼の責任とは言えない社会問題(構造計算偽造、ライブドア事件など)の頻出が重なり、総裁任期満了と共に、人気が上昇していた安部が後継となった。

功罪    政治を面白くさせ、改革の夢を最初に与えてくれた人物かもしれない。変人で非主流、一匹狼的存在でありながら大きく政治の向きを一度は変えた。せっかく国債発行額をそれまでの増加傾向から横這いに抑えはしたが、彼の退任後、景気悪化が重なり08年(麻生)からまた大幅な国債発行で財政悪化の道に戻った。これは小泉の公共投資抑制の付けが溜まった結果とも見なせるが、限界消費性向の低い(金が回らない)現在、従来の土建投資では財政赤字を増大させるだけかもしれない。評判の悪いものを列記すると医療制度や年金制度を後退させ、競争力強化のために非正規雇用を拡大させ、靖国や派兵でタカ派ぶりを示し近隣諸国と物議を醸したことだろう。

考察  小泉改革を見る時、二つの側面があり、一つは小泉個人の際立った才覚、今一つは長期政権の弊害が表面化し、あだ花が咲き乱れる前触れだったことである。彼は三代にわたる政治家の家系で、彼の子も政界で活躍している。彼は政治屋として類い希な才能をその家系から学んだが、先進国から見ると異常である。自民党の世襲議員は40%、民主党で20%(元自民党を含む為か)、日本に迫るのは縁故世界のイタリアぐらいで、米国は5%である。ちなみに小泉後、首相になったのは安部、福田、麻生、民主党になって鳩山へと続いたが、全て1年交代の世襲議員であった。それは血統と見映えは良いが結果の出せない世襲議員に頼る政局を露呈した。グラフ「内閣支持率・・」の赤・青の矢印を見ると、首相交代前後の支持率の落差がそれを物語っている。さらにそれが繰り返す毎に低下しているのも明瞭だ。まさにイースター島で12部族(派閥)が競い合うようにして麓から山林を伐採し始め、頂きに最後の数本を残すことになった状態である。それを切ってしまえば、薪は無くなり海洋に逃げ出すカヌーも造れない。分かってはいるが、今を生き延びなければ未来も無い。そして絶滅した。しかし最後の状況だけを責めるわけにはいかない。そこ至るまで放置した人々と社会に責任がある。

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結果が出ない  歴代首相に結果が出せない理由は二つの側面がある。一つは日本の閉塞した経済状況だろう。大幅な円高更新、産業の空洞化、失業率高止まり、膨大な財政赤字、労働者人口減と急速な高齢社会到来で身動き取れず、残る自由化と金融対策にも決め手は見つからない。ドルショックの71年以降、先進国の自国通貨の実質実効為替レート(インフレ調整後)は横這いか下降(安い)であるが、日本は逆に3倍も上昇した。ドル換算の円は4.5倍に達した。失業率(2010年米国9.6、日本5.1%)を除いて他の項目は先進国で最悪の状態であり、急速に悪化している。既に天然資源の半分を輸入に依存しているにも関わらず島国であるために、自給にまだ拘っている(ヒトラーも自給自足経済を謳い、東方進出の根拠にした)。これらに対する処方箋について多くのエコノミストは、それぞれ逆のことを言っている。

肥大化  ここにもう一つの閉塞した政治状況が重なる。日本が戦後経済の復興を成し遂げ得た大きな理由は、財政投融資(96年最大40兆円)と公共投資(95年最大42兆円)、通産省の長期的な産業育成、財務省の銀行の護送船団方式にあった。これらによって少ない資金を大局的見地から集中させ、効果を発揮した。60~90年代、先進主要国が公共事業のGDP比率を平均3.5から2%に低下させている間も、日本は4.3~6.3%を維持した。これが失業率の大幅悪化を防いでことも事実だろう。しかし低経済成長が固定化した現在、それらは空回りし赤字を垂れ流し大きな負債を積み重ねる最大の原因となった(厚生年金資金の運用など)。皆さんも知っての通り、それらを一手に賄うのが中央官庁と特殊法人である。特殊法人は財投のほとんどを扱う隠れ蓑になっている(96年財投30兆円を扱う)。その利権、おこぼれにあずかるのが族議員である。原子力や農業行政で見たようにがっちりと官吏と議員、産業、学者は組んでいた。これだけの利権にあずかる人々と組織は今も健在である。工事費4600億円の無駄とわかっている八ッ場ダム一つみても、既得権益と疎開住民問題がネックとなり、再開を余儀なくされた。社会には惰性のようなものがある。日本の傷の深さは、あまりにも官僚主導で経済復興を上手くやり遂げてしまったことにある。日本の公務員と政治家の腐敗度は世界で良い方から17番目である(腐敗認識指数より)。良いか悪いかは・・・。


足を引っ張る
 しかし、これだけならまだ傷は浅かったが、さらに世襲議員が絡む。世襲が政界に災いをもたらす理由は、三バン(票田、知名度、選挙資金)を有する利益集団との密着にある。議員が国会に行けるのは能力や主張ではなく、その集団と派閥の支援如何で決まり、その後はその集団と派閥の利権の守護者とならざるを得ない。これを端的に示す例が、議員への呼称である。日本では「先生」であるが、英国では「仲間」である。期待しているものに違いがある。確かに議員家系には巧みな政治家が時折出るかも知れない、歌舞伎役者のように。しかし弊害の方が大きい、真に能力があるなら三バンと絶縁して他の選挙区で出馬すれば良い、他の新人がやって来たように。甚だしく不公正な競争の下では優秀な人材は出ない。同様に役人の天下りなどでも対応は甘い。

長々と説明したが、現代の政局は身動きが取れない状態にあり、並大抵の人材では経済と政治の病を根治することは無理である。皆さんが上記の経済と社会問題を考えるなら、その困難さを理解してもらえるはずです。その上で首相の首をすげ替え、政局の大転換の繰り返しを望むなら許されるかもしれない。国民は政治を今少し冷静に見守り、政治家を育てる気概が必要だと思う。

(ウ) まとめ
英国のサッチャーの改革を概観し、日本と比べると日本の政治は貧弱だ。結局、悲観的な見方かもしれないが、日本での国政改革を可能にする者は、基盤(三バン、派閥、官僚、経済界のコネクション)を持ち、マスコミ(人気)に乗じる政治家だけかも知れない。それも短期間の寿命しかない、国民が熱しやすく冷めやすいからである。古代ギリシャの末期、紀元前413年に劇場型の政治によりアテネは無謀なシチリア遠征を行い、4万人の戦死者を出し壊滅した。これを煽動したのが名望高い政治家系のアルキビアデスで、彼は才能、容姿、弁舌に卓越し、悪徳も兼ね備えていた。彼はこの戦いで悪運強く唯一生き残りもした。これと同じ現在の状態は崩壊の危険と背中合わせである。政治の貧弱さは、単純に日本特有の縁故重視(内集団ひいき)に尽きるのかもしれないが、それでは悲しい。民主主義が未成熟なのか、ディベート(討論)による政策論議不在なのか、何かが育っていないように思える。これらから脱却するには、国政は二大政党で切磋琢磨するか、知事経験者がディベートの末に勝ち進み大統領になる方向に向かうべきである。前者は英国、後者は米国である。

人気 英国と日本でも共通していたことは、人気(支持率)が政権維持には不可欠であった。それでは人気の発信源は何処だろうか? マスコミが片棒を担いでいることは間違いない。ここでマスコミによって世論が煽られ暴走する現象を確認しておく。日本が太平洋戦争に突入する時、マスコミを牽引していたのがシェアトップの朝日新聞と続く毎日新聞であった。当初、戦争に反対の立場を取っていた朝日であったが、政府の検閲、軍部の介入が深まるに連れて、抵抗への諦めが上層部に生まれた。また戦場での情報取得や新聞紙供給、ニュースの配信(航空便)で軍部への協力無しでは報道力を高めることは出来なかった。これはイラク戦争における米軍頼みの報道に見られる。新聞に戦争報道を乗せると、売上げは他社も同様に鰻登りに上がった。記者達にもお国のために貢献しなければならないと考える者が出てきた。朝日はトップの座を生かし、戦争博覧会(戦闘機、戦車の展示会)などを大々的に行い、国民は狂喜した。一方、長野で戦争を批判する記事を書いた新聞社は圧力をかけられ、民衆からボイコットも食らった。ついには爆弾三銃士などの美談が、命令されることなく伝言ゲームの状態で捏造されるようになった。こうして新聞と国民はいつしか軍部と一体となって狂奔することになった。それは新聞と大衆の共鳴現象(ハウリング=スピーカにマイクを近づけると起こる)であった。その様な方向へと新聞社を向かわせた原因の半分は、記事が民衆を惹きつけるかどうかで新聞社の命脈が決まることにある。まるで水商売か太鼓持ちのようである。これは現在も日常的に起きており、平和な時代では広告主の影響が大きくなる(原発賛成記事への転向など)。米国の新聞が廃刊に追い込まれる理由は広告が減っているからであり、存続するために低俗化(買収、系列化)する新聞が増えている。

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報道の悪癖
  ここで政治家などの人気(好感度や関心度)がマスコミにどのように影響されているかを確認する。先ず我々の関心度はどうだろうか。マスコミ報道には議題効果があって、内容如何に関わらず取り上げる回数が多いことだけで、視聴者の関心はそれに向かう傾向がある。日頃、死亡をテレビニュースで知るのは、残虐な殺人や少年の自殺、多重衝突の自動車事故、芸能人の病死などである。年間死亡者数の多い順にガン35万人(疾病で最大)、自殺3万、交通事故5千、他殺4百で、尚10~19歳の自殺は5百である。我々は統計数字を大数で認識しているわけではない。記事につられ世情への認識に偏りが生じ、テレビを多く見る人ほど社会が悪化していると感じる傾向にある(米国の心理学調査)。マスコミは事件性のもの取り上げ、平和に終始するものは扱わない傾向がある。乱闘のデモと粛々と進むデモではテレビ局はどちらをより取り上げるだろうか。

煽り  現代社会が不安にさいなまれているとしたら、私達はマスコミに何を求めるだろうか。社会が混乱し失望感が増すと、日本国民は非常な不安に襲われ藁にもすがる危ない心性を持つと指摘されている(心理学者山岸俊男)。私達の感情(情動)は複数の脳内ホルモン物質(アドレナリンなど)分泌の組合せによって生成されている。不安は期待と恐れ、二つの基本情動の組合せである(心理学者プルチック)。したがって現状に恐れを感じさせるニュースには敏感になり、期待を持たせる記事にはすがるようになる。するとマスコミはそれにいち早く反応し、それらを多く取り上げるようになる。例えば東北大震災の後、今までにない大地震や大津波の予測記事が頻出するようになった。以前は無用の刺激を避ける為か、原発恐怖を招かせない為にか、そのようなことはなかった。我々が無意識に求める事件や混乱がより現出することになる。フロイトの指摘する「夢」の機能を「報道」がまさに担っている。マスコミ各社は視聴者獲得競争で躍起である。当然、政局報道も同様で、こうなると共鳴現象が始まり、人気や支持率は短期間で乱高下することになる。私達は不安やガセネタに煽られない胆力と見識が必要である。はかない希望かもしれないが。

兆し  しかし一方で明るい兆しが見えて来た。国民は現状を打破したいと意思表示を明確に行った。それは未熟な反応のようにも見えるが、これから学ぶ可能性もある。またそれに応える可能性のある人物もちらほら出てきたようだ。昔は芸能人や著名人を立候補させ、最近は何々チルドレンと呼ばれて担ぎ出される議員が多かった。これらが議員になれるのは一重に国民の支援の賜である。しかし法曹界や経済界で活躍した人、自治体で頭角を現す人が目立つようになった。これは重要である。以前の人物に比べれば、橋下は極端ではあるが、社会の本質を見抜いているように思える。したがって反応が早く鋭い。またマスコミで鍛えられ、大衆の反応をよく心得ている。今の時代を切り開く為には、多少の危険性はあるが我々の方が清濁併せ呑むべきかもしれない。あれだけ民主主義に長けた古代ギリシャが滅びた一つの理由は、軍事、官吏、法律などの専門家を養成しなかったからである。要職を、持ち回りや抽選で選び、独占や独裁を極度に嫌ったからである。現在の欧州法規の基礎はローマ法にあるが、これは、映画で憎まれ役の元老院(名家)が育てたことに始まる。

リーダー 私の悩みは、社会を大改革するリーダーには独裁的なタイプが多いことです。米国で期待された民主的なリーダー、草の根運動などにより支えられた大統領、日本の革新系の自治体首長など、彼らの事績を見ると腰砕けが多い。むしろ保守的、右翼的な人物の方が行き過ぎを否めないが、混乱を突破する力があるようである。それは社会に根を張った巨大な力(保守勢力)を背景にしているとも言えるが、必ずしもそれだけではないようにも思える。やり遂げる統率者の性格と能力に、公正、判断力、統率力以外に独裁、独断、親分肌、攻撃性がついて回っているようである。社会が混乱と不安に陥れば、政策の取捨選択に豪腕を振るうリーダーを、大衆は望むことになりそうである。私にはこの兼ね合いへの回答がない。社会は民主的に漸次改革される方が良いが、なかなか社会には慣性のようなものがあって、行くところまで行かないと反省出来ず、大概手遅れになりやすい。社会が大きくなるほどその傾向が強い。こうなると益々、民主制から遠ざかるように思えてならない。これでは矛盾を孕んだままである。独裁については、ヒトラーで検討します。

2. ヒトラー 
独裁者ヒトラーは第二次世界大戦を勃発させた張本人で、大戦による世界の死者は軍人民間人を合わせて5千万人、さらにナチスの大虐殺によりユダヤ人を含む1千万人が死んだ。ここで肝に銘じるべきは、イタリアと日本、スペインでも同様のファシズム(全体主義)が時間をかけて同時に進行し、前者二つが最後に合体したという事実である。つまり狂気のヒトラーが偶然生まれたのではなく、それを望んだ大衆と社会が存在した。

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生みだす社会  私達が独裁者の誕生を恐れるなら、そのような社会が存在しているかを問題にすべきである。その社会は、独裁者を待望し、良識を捨て彼に全権を委任する、そのような切羽詰まった状況にあったはずである。もっとも初めから、ファシズム国家になろうと考えて邁進するのではないだろうが。少なくとも最初の時代背景が最も重要である。2例を参考に挙げる。泥棒洞窟(米国の地名)の心理実験では、無作為抽出の二つ青年グループがスポーツ対抗で対立し始めると、そのリーダーには攻撃的な人物が選ばれた。平穏であればその様な非社会的な青年は見向きもされなかっただろう。第二次世界大戦終了後のフランス首相にド・ゴール将軍がなっていたが、独裁的な彼はもめごとがあって引退していた。しかし対岸でアルジェリア独立運動が勃発し、地中海からフランス本土に侵攻されそうになると、小党乱立によって機能不全を起こしていたフランス政府はド・ゴールに再登板を要請した。ド・ゴールはこれ幸いと、大統領に強権を与える新憲法を制定した。自ら初代大統領となり11年に及ぶ強権的な政策運営を行った。

(ア) 時代背景 
潮流 ヨーロッパを中心にして見る。19世紀末から第一次世界大戦(1914~18年)、そして第二次世界大戦(1939~45年)の開始まで、大きな胎動と混乱の時だった。産業革命の成熟と人口増により、先ず帝国主義が吹き荒れ、英仏露が植民地と交易ルート拡大に乗り出し、勢いを増す独が割り込んだ。この結果、ヨーロッパ全域と周辺で、各国は同盟離反を繰り返しながら国境で戦争を多発させた。こうした中で小さな暗殺事件から戦時体制を取って同盟していた国々は自動的に戦火を交えることになり、第一次世界大戦が始まった。一方、産業都市の発展は労働者意識を高揚させ、共産主義思想を開花させた。この思想を受けて共産党一党独裁によるソヴィエト連邦が生まれ、農民を収奪しながら強国になりつつあった。これは欧州に取って恐怖の政体であった(特にカソリック側)。さらに民族独立の動きがあった。欧州帝国は植民地で、ロシアはバルカン半島で、民族独立を餌に味方に引き入れ戦わせた。米国の大統領は理想論としてそれを唱えもした。結局、この時代のヨーロッパは、戦争と戦時体制、共産主義、民族運動が沸騰していた。これが次の第二次世界大戦を招く要因になった。

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ドイツの混乱  第一次世界大戦中、ドイツはフランスとロシアに挟撃されて、まさに総力戦で食料、兵士、兵器が際限なく注ぎ込まれた。工業生産は開始前の半分に落ち、死者は180万人に達した。1918年に反戦運動からドイツ革命が起き、停戦し帝政は崩壊し、19年に社会主義政党によるワイマール共和国が誕生した。経済は戦後処理と産業停滞でどん底、さらに莫大な賠償金が課せられた。またフランス、ベルギー、ポーランドから東西国境の鉱山地帯や重工業地帯を一部占領と割譲させられた。新生の共和国による金融政策の誤りもあって、インフレ率は19年から23年にかけて3000億倍になり、失業率は30%になった。20年代は英国と米国の賠償金削減や支援もあり、好況になり28年の失業率は5%に回復した。しかし29年に米国発の世界恐慌が起こると、またドイツ経済は落ち込み始め、32年に国民総生産は28年の23%減、失業率は30%と最悪となり、その後は回復を始めた。この経緯の中で、共和国政権は経済的混迷と屈辱的な降伏を招いた当事者として、国民から無能で弱腰と非難され、支持を失っていった。

新生共和国は労働者による社会建設を目指したが、国民の反共産、栄光への復権、戦勝国への憎悪が根深く、それらに対抗できる保守勢力と資産の温存を図ることになった。したがって徹底改革を回避し、かつての戦時体制を支えた軍部、独占資本家、領主貴族(ユンカー)などは温存された。彼らの後援による極右勢力と右翼軍人の勢力、一方で革命を目指す共産主義勢力、政権を担った社会主義勢力が激しく対立した。極右と極左が各地でクーデターや義勇軍を起こし、テロ、暗殺、武力衝突を繰り返した。国内には軍縮で減らされた正規軍を越える総計何十万と言う義勇軍が無数に発生しては分裂集合を繰り替していた。それらの命令系統はバラバラであった。この背景には、後に説明する群雄割拠の温床と軍事力による復権を政権から国民までが望んだことによる。大概の政治団体は労働者主体と言いながら、大農家、知識人、資本家、軍人、キリスト教徒、高級官僚の我欲に振り回されていた。イデオロギーも右翼(資本家、軍部など)、社会主義、共産主義、民族主義(国粋主義者)、全体主義が入り乱れ対立し、都市や村落で血生臭い暴力が溢れていた。

ドイツは長らく神聖ローマ帝国と言う名声を博し、広大な領地を所有した誉れがあり、右翼にとっては懐古の対象であった。また帝国時代に多くのドイツ人が中欧や東欧に移民し、根を張っていた。これらが民族自決の風潮によって弾き出され、後に豊かなドイツへの統合を声高に叫ぶようにもなる(チェコ、オーストリア、ポーランド併合の呼び水)。この帝国時代は小国連合であって強力な統一体ではなかった。これが共和国時代のバイエルン、ザクセンなどのいくつかの邦国独立による混乱を生んだ。さらにドイツには二つの恐怖を煽る存在が東方から押し寄せていた。一つは共産主義政体で、第一次大戦後の独立と共に革命が頻発していた。もう一つはユダヤ人で、遙か昔に西欧から東欧や中欧に逃げのびていたが、民族問題のあおりを受け逆流しつつあった(人数は少ないが)。また資本主義を牛耳るユダヤ教徒とにも憎しみの矛先は向けられた。これらが国民をして軍事大国、領地拡大、反共産、反ユダヤのスローガンに奮い立たせることになった。帝国の再興を賭けて絶望的な混乱に終止符を打つには、国民を一点に集中さすことの可能な指導者の到来が必要だった。その結果、狂気のファシズムが誕生することになった。一方、西隣りのフランスは、このドイツのファシズムに備えて、社会主義と共産主義勢力による合体が急速に進んだ。

(イ) ヒトラーの出現
ヒトラーは第一次世界大戦中、ドイツ帝国内のバイエルン王国の兵隊として戦った。終戦後、すぐに中央政府から独立した共産政権のバイエルン邦国内で政治家を目指した。この共産政権は中央政府とバイエルン右翼(国粋主義)によって一年後に転覆させられ、この後、バイエルンは社会主義政権のベルリン政府とドイツ中部の共産政権2邦国に対抗する最大の右翼政権として先鋭巨大化することになる。この政変劇の中でヒトラーは後のナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)に加入し頭角を現すことになる。バイエルンはイタリアのムッソリーニのローマ進軍を真似て、ベルリン政府への武力討伐に沸き立っていた。23年、彼はバイエルンの首都ミュンヘンで中央政府に対するクーデター未遂事件を起こし、逮捕後裁判を受けるはめになった。これはバイエルン政府幹部の稚拙な計画によりヒトラーが見切り発車で立ち上がったものであった。しかし彼は裁判において責任逃れをする最高幹部を尻目に、自らがドイツの為に立ち上がり、その目的を高らかに宣言した。また獄中での謙虚な態度などもあり、彼は個人的な野望がなく、高潔で愛国心が真剣なことが知られ、脇役から一躍有名になった。

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このことが全国的な党へと紆余曲折を経ながら拡大させる契機となった。29年の世界恐慌による急激な悪化は、ナチス党躍進を促し、30年の得票率18%で第二党に踊り出た。これは共産革命を恐れる保守層(財界や富裕層、大農場主)が恐る恐るナチスの援助に回ったことによる。ヒトラーは大統領選に敗れたものの、32年にナチス党は大一党に躍り出た。この年に独裁に突き進む事件、国会議事堂放火が起きた。これを共産主義者蜂起とでっち上げ、共産議員の逮捕と権利剥奪を行うことにより、国会議席の2/3を占め、一党独裁へと憲法改正を行った。続く年、ナチス発足当初から論争相手を暴力とテロで押さえ込んで来た突撃隊をヒトラーが親衛隊を使って粛正することになる。これはナチス政権の安定を図るには、過激行動を嫌う保守層の協力が不可欠であったことによる。この後、ヒトラー率いる第三帝国はヨーロッパから世界へと第二次世界大戦に巻き込むことになる。この過程でも英仏露米は外交・軍事上、互いに牽制する為、また経済上の思惑が働き、初期のヒトラー政権を容認する態度をとった。同様に開戦当時、英国の保守層もヒトラーに好意的であった。これらが独裁を増長させることにもなった。

(ウ) ヒトラーの役割
第一次世界大戦以降、彼の最大の武器は大衆を虜にする演説であった。しかし演説の内容は学識経験者にはお粗末なものとして見られていた。彼は通常の社会では評価が低く、戦争やスパイ活動などの非常態勢の中で能力を買われた。彼は暴力沙汰の組織抗争の中で、右翼や保守陣営の盟主に取り入り、自らの地位を向上させ、大衆への演説により組織拡大を成功させた。彼は聴衆の望むままに嘘と大洞を言い放てた。彼の演説を記す。ナチスの初期の大集会(20年)において。「現在の政府は我々人民の困窮に対してなにもしてくれない。・・・平和条約の結果、たえず新しい苦しみがドイツにもたらされ、・・・。かつてはドイツの官僚は、信用できる点と買収出来ない点で有名であった。・・・国内には腐敗行為が横行している。・・・その男を処罰するが、・・・ユダヤ人に対しては手も足も出せないありさまだ。」 ミュンヘン一揆時、突撃隊指導者への発言。「バイエルンには三つの道がある。一、・・マルクス主義化される道。二、・・反ベルリン闘争の継続、・・。三、・・ミュンヘンでドイツ政府を樹立してドイツ自由軍を結成する。」

(エ) 独裁体制
既に見たように、ヒトラーの果たした役割はあらゆる分裂と混乱が蔓延し、暴力が渦巻く状況を独裁と軍隊により終息させることであった。それには民衆の怨念をすくい上げ、一点に向かって収束させる力が必要であった。ヒトラーを支えたのは資本家、軍人、貴族と労働者であった。彼らが求めたものは民族主義(国粋主義)、広大な領土を持つ軍事帝国への回帰であった。逆に嫌ったのが共産主義であり、巨額な賠償を課した戦勝国、ユダヤ人であった。

ヒトラーの時代は、古代中国の漢の劉邦と楚の項羽が競いながら長安へ進軍し、秦帝国を滅ぼした時代と似ている。つまり軍事で勝敗を決める時代だったのだ。日本が急速にファシズムへと進んだのは、第一次世界大戦前後からだろう。軍隊による中国領土の拡大、腐敗にまみれ混乱した政党政治への失望が背景にある。この中で、数度のクーデターが発生し、軍部に政治を握られ、天皇の命を受ける戦時体制へと収斂していった。ここにも長年の軍事体制と経済恐慌、飢饉が大きく影響している。

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3. 悪しきもの
ここ百年間に起きた政治改革の代表例を見てきました。そこでは正常な政治行為を妨げる悪しきものが介在し災いをもたらしました。いくつかの真因を簡単に見ます。

(ア) 暴力 
暴力が社会を覆っているとき、その社会は正常に機能しませんでした。社会にとっての害悪で見るなら、暴力が持つ封殺、連鎖、利得が最大の問題です。政敵など相手の意見や意志を暴力で封殺することが悪いことは誰だって異論がない。一度、暴力社会が誕生すると、ほとんど連鎖の泥沼にはまってしまいます。これを平和に戻すことは甚だ困難です。短期的に見れば暴力は容易に利得を得る手段です。

封殺は暴力や軍隊、秘密警察の専売特許ではない。暴力以外に、言論抑圧や公言をはばからせる差別語、信仰者の盲信、イデオロギーなどがあります。これらはすべて基本的な認知、ステレオタイプ(紋切り型)に根ざしています。暴力の連鎖は最悪の憎しみをもたらすことにより強力に継続し、増殖します。社会に暴力が最初に生みだされる状況で最大のものは、現代社会では経済的困窮と恐怖でしょう。古くは人口増と資源枯渇で、それが経済悪化に代わった。恐怖はいつの世にもあります。国家暴力が外部社会から容易に利得を得ようとした状況は、帝国主義とファシズムが明快に物語っています。これは概ね二つの結果を国家にもたらします。一つは最後にすべての利得が灰燼に帰し、むしろ収支合計では赤字かもしれません。もう一つは、暴力依存が国家政体を麻痺させます。古代アテネは軍事遠征による略奪と同盟国の警備と称する上納金で栄華を誇った。市民社会に暴力は無かったが、外部に対してはいつも暴力を振るい続けており、ギリシャ諸国家はいつも戦争状態でした。第三帝国も大日本帝国も結末は同じでした。

(イ) 経済悪化 
社会に暴力を呼び覚ます最大要因は経済悪化です。それは第二次世界大戦へと突き進んだドイツと日本に見られますが、歴史的にいつも繰り返されたことでした。私達は平和時において、このことを怠らず注視しなければなりません。どうしてもここ数年に目を囚われがちですが、もう少し長いスパンでものを見ないと、イースター島のように繰り返されて来た文明崩壊へと堕ちていくことになります。そうなると気づいた時は手遅れだってあります。それを防ぐのは国民の文化と知性ですが、既にその大方は風土と歴史によって育まれたものです。これを防ぐ第一歩は自己認識から始めることかもしれません。

経済から全体主義の側面をみましょう。米国のニューディール政策は、大規模な公共事業や産業界への統制により失業者救済と経済復興を図り、のちには社会保障制度や労働者保護の制度改革を進めることにつながった。また連邦政府権力を強め政府資金による資本主義経済の安定を目指す方向へと進ませた。これを全体主義国家とは言わないが、このような社会体制が必要な時代もある。すこし補足すると、この政策はまったく効果がなく、第二次世界大戦の軍需品需要で米国は甦ったと言われることがある。その側面もあるかもしれないが、もう一つの側面もある。米国の各州は独立財政を有していた為、国家が莫大な資金を注ぎ込んでも、各州は緊縮政策をとっていたことが経済効果を鈍らせたと言える。一方、皮肉な事だが、ヒトラーが政権をとってからの経済運営は国民を魅了した。アウトバーンなどの軒並み打った国家的な大プロジェクトは失業を減らし経済を上昇させた。これと逆効果を生んだのが、10年ほど前のワイマール共和国が行った失策だった。フランス・ベルギーがルール地方を占領すると、炭坑労働者にサボタージュを奨励し、政府が紙幣を増刷しその給与支払いに当てた。これが既に紹介した超超インフレだった。米国の大統領選挙で共和党に人気が傾く時は不況期に多い。経済運営の巧拙はいつも国民の最大関心事だ。

(ウ) 恐怖
恐怖のあるなしは社会の正常化を左右する。逆に言えば、恐怖の程度が低ければその社会は正常に運営される条件を一つ確保していることになる。恐怖の恐ろしさは、不思議な事だが、実体とかけ離れることにある。恐怖は対象以上に膨れあがり、集団心理が働くとさらに倍加する。もう一つの問題は容易に煽られるところにある。ある社会が正常に機能しうるかを判断する材料としては、暴力蔓延、経済悪化、巣くう恐怖があるかどうかである。ただこれらは容易に瞬時にして起こりうる可能性もあり、隠れた意図を持って引き起こされることもある。ヒトラーの国会議事堂放火事件のように。

(エ) 大衆迎合主義、劇場型政治、衆愚政治
既に掲げた三つの要因が存在していても、最後の砦としての民主主義が機能していれば、大きな間違いを起こすことはないだろう。もっとも多くは上記三つの理由で民主主義を捨てて独裁や狂気に支配されるファシズムに陥るのだろうが。適正な民主主義政体とそれ以外の表題のような政体の区別は理念的には意味が無いように思える。歴史を振り返ると、いつも民主主義がワンステップ進む時に、保守層から侮蔑の評価がなされた。選挙権は税金の多寡つまり、資産家や名士のみの時代、平民に許されるようになった時代、女性にも与えられた時代へと変わっていた。このことが日本であたりまえと思われるようなったのは、つい最近のことである。先進国で原発反対の世論が高いのは、女性の社会進出が高い国である。韓国の歴史ドラマのように女性や下層民が成功する姿を感動的に描く国では、未だその地位が低く、原発も賛成となるようである。表題のマイナスイメージの社会を払拭する簡単な解決方法は見あたらない。強いて言えば、人気や風潮に流されず、正論を尊重し、政治家を育て、政局を見守る基本的な視点を持つことから始めるべきである。

4. 社会改革

(ア) 手遅れ
今改革の好機を逃すと大きな混乱が5~10年後に日本を襲うことになる。長期的には既に社会・経済・政治の膿が溢れんばかりに溜まっているのだが、財政赤字がその時期に暴発することになる(私の予言が当たらなければよいが)。経済状況が急変する可能性を拭えない。国民の貯蓄率の漸減、低迷する税収額、続く大幅国債発行、さらに黒字だった経常収支の赤字転落、すべて国債の債務不履行につながる材料である。日本国債は国民が買っているから安心と言われるが、銀行の取付け騒ぎやバブル崩壊を見れば、突如として市場が国債を売り始めることを否定出来ないはずである。あれだけの原発推進が突如として反対になったように(原発自身に変化はなかった)。そうなれば国債の金利を大幅に上げねばならず、現在0.2%の金利がギリシャの7%で止まれば良いのだが。1%金利が上がるだけで膨大な国債を持つ国内金融機関は1年間の利益が吹っ飛ぶ。政府は借換償還や新規発行による負担が増大し、さらに巨額であるために債務不履行になる可能性が高い。1千兆円の金利6%増は年間60兆円増で、これは国債費を除いた国家予算に匹敵する。債務不履行になれば、政府支出は大幅に削減され、急激で深い景気後退が起き、失業者が巷に溢れ、社会保険制度は崩壊し、海外資金が流入せず輸入も途絶える。しかし徐々に進行すれば円安で輸出にメリットが生まれるだろうが。日本はこれまで他の先進国が実施して来た社会の長期安定化対策をとってこなかった。人口問題(移民と少子対策)、財政赤字(増税)、高齢化社会(年金制度改革)、肥大化した公共投資と保護政策(財投、農業政策、関税など)への是正である。遅らせるほど打つ手がなくなる。イースター島において、山の森林が半分でも残っておれば再生の手も打てるが、残り数本であれば、早く逃げ出す方が得策である、これを実行出来る人は少ないが。

(イ) 改革の必要性
現在、貧富の差が拡大している。これが何をもたらしているのかを考えてみる。米国の所得を例にとる。商務省の階層別実質世帯所得資料によると80年からの20年間に、上位5%に属する階層の所得は2倍、5分割した最上位で1.6倍、残り4段階(つまりほとんど)は1.2倍しか伸びなかった。経済学者クルーグマンによると、70年代以降、最高位1%の階層しか所得は伸びておらず、さらに上位0.01%の人は73年に比べ7倍所得を増やした(「格差はつくられた」)。07年、最高位1%が全所得の23.5%を得ている。米国の国民総所得は09年14兆ドル、金融資産45兆ドルでした。これらの数字を使い簡単な計算で米国の問題点をあぶりだします。

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*使用数値 : 二つのグラフから、1980から2010年、30年間の所得伸びは80%の人で1.2倍、20%で1.6倍、これの平均1.28倍となる。30年間の所得シェア変化は、1%の人が10%~24%に増大。2010年の総所得14兆$。

*計算結果1 : 最高位1%の所得は0.9兆$から3.4兆$。残り99%で8.3兆から$10.6兆$に上昇している。

*計算結果2 : 30年間の累積金融資産は、最高位1%が毎年非課税分60%貯蓄し37兆$、残り99%が可処分65%の貯蓄率3%を貯蓄し5.5兆$、合計42兆$になる。

*計算結論3 : 1%の人が全金融資産の87%を所有していることになる。

上記計算は30年前、資産零から始めているので、スタート時に格差があるともっと差は開く。結果は、一握りの超富裕層が米国経済を牛耳る方向に進み加速していることを示している。さらに30年間放置すれば、最上位1%が95%以上を所有することになるだろう。米国の格差について、クルーグマンは経済や産業の変化が起こしたものではなく、右翼化(保守化)し、政治制度(税制)に抜け穴が設けられた為と指摘している。統計資料から、日本では上位10%の世帯が42%の貯蓄を保有している。封建制農耕社会において、少しの貧富の差が年月と共に、小農が小作から農奴に転落することとこれは酷似している。

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所得格差が大きくなると、大半を占める低所得層は節約するだけになるが、高所得層は巨額の余裕資金を投機に回し、ケイマン諸島やスイスに預ける。前者の行為はデフレ圧力になるが、後者の資金は手荒いファンド運用(為替、途上国投機、企業買収)や石油、小麦、金等の商品相場の価格上昇を招く。この状態は百年前の英国に酷似し、英国病を生んだ理由の一つでもあった。世界、特に米国はほぼ十年毎にバブル崩壊を起こしている。グラフが示すように、10年毎のバブルで高額所得層の所得が上昇し崩壊で下降するが、結局長期上昇傾向にある。バブル体質を容認すると泣きを見るのは誰か、得するのは誰か、その体制を維持したいのは誰か。答えは明確である。株で運用していた年金基金の減額を国民は補填してもらっただろうか(企業は別格かな)、住宅ローンの担保価値が減った分を補ってもらっただろうか。それはあり得ない、自己責任だから。しかし投資銀行と役員は責任と額が大きければ大きいほど国民の身銭で助けられることになる。金融の動脈が切れるからこれは欠かせない。何か釈然としない。ギリシャの哲学者ゼノンのパラドックス、「俊足アキレスはいくらがんばってものろまな亀を追い越すことが出来ない」、この論理への戸惑いと同じである。間違っていると直感出来るが、銀行の救済を否定出来ない。答えは、バブルが起きる原因を取り除かない限り、繰り返し、益々酷い状況に転落していくことである。

29年の大恐慌後は、良い意味で全体主義なニューディール政策で富みの偏在を無くし、民主的な世界を目指した。しかしインフレ、経済停滞が社会を覆うと右翼的・保守的な政策により自由化が推し進められた。これはまた次の破局への序章かもしれない。これらは歴史上、王朝や文明の崩壊に繰り返し見られる。不思議に気づかないのか手を打てないようだ。これを防ぐ為には、改革が定常状態であることが望ましい。そのための政治制度の構築が急務である。長期低成長時代にあっても日本の企業で生き残っているのは、そのようなところである。

(ウ) 改革へのおそれ

民間企業においてコスト低減への改革は待ったなしで、日常のことである。企業内改善には大きく二つの問題がある。一つは、旧来の作業形態を否定された作業者は実害を被ることになる。今一つは、改善の先が見えず、苦労の果てに良い結果が得られかということである。前者の成功は、全社の競争力と利益がアップし、その作業者に恩恵が返ってくるという信頼感に依っている。これは企業風土にかかっている。後者の成功には改善推進者の能力が不可欠である。大概、長く行っていると改善のネタが少なくなり、それを見つけ出すには、対象作業をシステム的に捉える能力が必要となる。おそらく社会改革も基本は同じだろう。この二つが欠けていれば、改革は不安であり拒否したくなるだろう。

今の日本とヒトラーの時代(1919~33年)を比べてみよう。現在の日本は暴力社会ではない。経済は低迷しているが、失業率は先進国では良い方である。問題はこれが多額の国債発行によって底上げされ見えなくなっていることである。つまり借金で給与を出している状態である。議員や二大政党制が未熟だが、一応の民主主義が保たれている。現実に民族主義や軍部による全体主義は吹き荒れていない。ただこれも事件が勃発すれば数年で大転換してしまう可能性は否定出来ないが。日本の恐怖とは何だろうか。それは原発事故、北朝鮮の核、中国の強大化、資源枯渇、社会保障の先細り、巨額の財政赤字などだろう。原発は現実にある恐怖であるが、選択可能である。他は将来起こる可能性が高いが、国民が等しく認識しているわけではない。煽られれば大きく振れるだろうが。社会には停滞感が満ちているが、満足しているとも言える。むしろ下手な改革などを行って堕ちることを恐れている。一番の問題は政局の混迷である。心配するのは小党分裂してしまうと歴史が示すように、最後の手段として独裁に頼ることである。日本はドイツと同じ国民性を持っているので心配である。それでもクーデターが起きるほどには逼迫していないしその土壌があるわけでもない。そこに至までにはまだまだ年数がかかるだろう。私はヒトラーの時代の報道を確認出来ていないが、彼は嘘で固めるのが平気で、開戦後も報道をプロパガンダに利用した。現在の日本の報道自由度は先進国において平均的である(国境無き記者団の評価)。ヒトラーの時代は、大衆の人気が影響したのは間違いないが、彼を支えた軍部、資本家、保守勢力(革命前の旧帝国体制派、大農・富裕層)を見逃してはならない。これは現在の日本に、露骨な形で現れていない。

ヒトラーの時代  1919~1933年

暴力蔓延/最悪の経済/民族主義と軍国主義/現実にある恐怖/絶望と憎悪/政局大混迷/クーデターで政府転覆

今の日本  2000~2012年

暴力否定/経済低迷 /一応の民主主義   /将来の恐怖  /失望と停滞感/政局混迷 /選挙で政治転換
ドイツのファシズムと1915~41年の日本と比較してみる。当時の日本は上記表の右欄とまったく同じであることがわかる。違いだけを述べる。日本は、領土を失ったドイツと異なり朝鮮、台湾を領有し、満州へとそれを拡大し経済的希望はまだあった。また海外の脅威(侵略、イデオロギー、異民族)はまだ現実味を帯びていないソ連ぐらいだろう。つまり日本はドイツに比べ、経済悪化と恐怖の点で良かったと言える。しかしファシズムは起きた。

結論は、現時点では多少のミスを冒しても不安を乗り越えて改革の火を灯し続けることである。行き過ぎは民主的な手段を確保していれば元に戻せる。このことが将来、必ず良い結果を生むことになるだろう。

(エ) 今、何が必要か 
世界恐慌から第二次世界大戦以降の国家主導の改革、それに対して70年代の自由化を目指した改革は逆向きと言える。前者は全体主義の観念を背景に国民全体を国が支え、経済を強制・規制した。後者はその歪みを取り除く為に、国民(労働者)と経済に自由競争を取り入れた。前者の担い手はルーズベルト(民主党)であり、後者ではサッチャー(保守党)であった。この結果、30~40年の間隔で、社会と経済には異なった弊害が生じた。前者には大きな政府と公共事業、後者には経済格差拡大と繰り返しながら巨大化するバブルである。20世紀の始めは、過去数百年の膿が噴出し、それまでの殺戮から世界が共に助け合い、民主的な方向を目指した。後半においては、その閉塞状態を抜け出すための自由競争によってかつてない富裕層とその固定化がはびこった。問題は今後である。歴史が示すところでは、その差が広がり、不満が充満し、やがて暴力でしか解決出来ない事態に陥ることになる。

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これを防ぐなら日頃から小さな改革を行い続け、完璧な改革を望まず、試行錯誤を恐れないことである。さらには民主主義の根幹を維持するシステムを維持し育て守ることである。特に選挙制度と報道システムは重要である。第二次世界大戦の英仏独の戦争報道には相反する姿勢があった。英仏は軍部が厳重な幾重もの検閲と報道規制をかけたので、時間遅れで何も伝わらない戦争報道がなされた。一方、独はプロの映画プロデューサーや作家を重用し即時にニュースを流した。ただしそれらは報道と言うより宣伝用に作られたもので、国民は沸き立った。最後に一番大事なことは、国民の社会、政治、経済への見識を育てることである。単純に言えば、歴史に学べ、より広い世界へに視線を向けよと言うことになるだろうか。

5. 最後に
私達はどうしてもステレオタイプの考えに囚われやすい。それが日常暮らして行く上で必要なことではあるが、また間違いも生みやすい。例えば暴力革命は左翼の専売特許だから、ヒトラーを危険な左翼だったと見なす現代人もいる。ヒトラーがミュンヘン一揆後、逃げ込んだのは右翼の最大支援者の一人で資本家だった。一方、フランス革命の混乱を制圧したナポレオンを英雄と見なした当時の人々もいる。それは偉大な哲学者ヘーゲルと音楽家べートーヴェンである。確かに、現在起きていること、ましてこれから起きることを正しく評価し推測することは難しい。しかし文明崩壊の瀬戸際に臨んでいると自覚するなら、自ずと優先順位を定めて動き始めるべきである。少なくとも静観は良くない。ましてやハルマゲドン(聖書にある神がサタンを滅ばす日)に託すことは間違いである。

履歴 : 2012/2/20作成、読書会で使用、2012/04/15コピーで投稿。

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Categories: history+evolution, <japanese language, politics | Tags: | 1 Comment

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One thought on “ナチスの亡霊

  1. WordsFallFromMyEyes

    Ugh! I will look at your ‘English’ tab – see what’s there. Love your colours, though. A very bright site 🙂

    And Merry Christmas, while I’m here! I really hope you have a lovely Christmas.

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