古代の戦場では勇者の一騎打ちが見せ場となっています。スペクタクル映画において、背後に控える大軍団を代表して二人の将軍が単騎で雌雄を決します。このことはギリシャのトロイ攻防ではアキレスと王子ヘクトール、三国志では関羽と顔良、今昔物語では源宛と平良文などで、世界中に広く伝わっています。現在の戦場からは想像出来ないことです。
今から3200、1800、1000年前頃のことです。たとえ作り話としても、なぜ伝承されているのでしょうか。そこには何かがあるはずです。一騎打ちは武将の見栄、それとも果たし合いと同じなのか、はたまた旗下兵士の闘志鼓舞だったのでしょうか。古代ギリシャの戦いでは盾と槍を持った市民ががっしりとスクラムのような縦隊を組み、押し合う形で勝敗を決めました。しかし20世紀初めの第一次世界大戦以降、国家総動員の総力戦が戦いの姿となりました。社会の変化が戦闘スタイルを変貌させたのです。
実は先住民の紛争処理に同様な習俗が見られるのです。集団間の争いが始まった場合、それぞれ代表者が格闘して決着をつけたり、敵対する男性達が対峙し一定のルールに則って、蹴ったり殴ったりし、一方が降参することにより決着をつける方法がイヌイットやニューギニアに見られます。これらには復讐の連鎖と抗争拡大を防止する意図があり、広くかつ歴史的にも見られます。
このようにして古くは被害を拡大させない社会規制として定着した時代があったのでしょう。その名残が伝説や神話に語り継がれたと言えそうです。