歎異抄を巡って


「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。・・・」 歎異抄第三章

紹介 : 歎異抄には逆説的な教義が目立つが、その親鸞の思想にはキリスト教誕生前やヨーロッパの宗教改革に通じるものがある。それを簡単に見てみる。

1. ルターの目指したこと  宗教改革の思想的牽引者
宗教改革三原則 (久米博著作から引用、プロテスタント系神学大学教授)

ア)信仰のみ 「神の救いは善行を積むことによるのではなく、神の恵みを信じることにより与えられる。」

イ) 聖書のみ 「カトリック教会がその伝統、教義、偏った聖書解釈を権威づけ、根拠のないマリア崇拝、煉獄、秘蹟を生み出したが、これを排する。」
このカソリック教会の聖書逸脱を問題視したことがラテン語聖書から自国語への翻訳に向かわせた。

(ウ)万人祭司 「信徒は、神の前にひとしく祭司であり、教皇を頂点とする位階制度を排する。キリストの贖罪死によって、仲介を必要とせず贖いを信じて救われるのである。」
ルターは選挙による牧師職は必要と考えた。

エ)彼の生き方
16世紀初め、ルターは幼い頃より神を罰する存在として恐れており、厳しい修道僧になった。煉獄の観念を植え付けたのは教会であり、免罪符で資金を集め贅沢しているのは教皇達であることに憤慨します。この思いへの到達には1世紀前のルネッサンスより始まった聖書の再解釈の運動が下敷きにあった。

彼は徹底した改革意思を持った宗教家であったが革命家ではなかった。旧教団・教皇に対して徹底的に議論を挑み、彼の著作と教説により宗教改革の思想は一気に広まった。改革者が宗教裁判により刑死させられていたことを知りつつも彼は最後まで説を曲げず、領主に保護されながら生き延びた。当時勃興し始めていた新興勢力(領主、都市市民、農民)は宗教改革を権力闘争の旗印とし、2世紀に亘る全欧を巻き込む宗教戦争へと突き進んだ。彼は農民の武力蜂起には徹底して反対し敵視さえした。彼は宗教生活を守りながら著述活動を行い、妻帯し子供を設けて平和に暮らした。
2. 親鸞の目指したこと  浄土真宗開祖
三原則 (橋爪大三郎著作から援用、社会学大学教授)

ア) 絶対他力 「一切の自力、善行、計らいによる救いを求めず、阿弥陀仏にすがるのみ。」
以前の念仏宗(浄土宗等)には念仏行為そのものを重視する傾向があり、また一般通念として善行の積み重ねや修行重視の観念が根深かった。大乗仏教は本来他力を意図したものだが、一切の自力や善行を否定していない。しかし親鸞は他力を追求することこそが阿弥陀の本願に叶うと考えた。この他力の一つの典型である悪人正機説への理解は民衆、さらには教団にとっても困難であった。

イ)念仏  「阿弥陀仏が救われると信じ念仏を唱える時が成仏するときである。」
救いの唯一の方法を念仏とし、経典は浄土三部教のみとし、礼拝対象を「名号」(南無阿弥陀仏など)に据えた。彼は贅肉を削ぎ落とした信仰を目指した。

イ) 平等 「念仏を唱えようと沸き起こる信心すらも仏の御心によると考える絶対他力においては、社会の一切のしがらみ、哀しみ、不遇さえも、人々等しく受け入れるはずのものとなる。したがってすべての人は等しいのであり、信心において師弟もなければ、特定の人を慈しむべきでもない。」

このことは歎異抄の第三章「善人なおもて・・」、第五章「親鸞は、父母の孝養とて・・」、第六章「親鸞は弟子一人も・・」に通観出来る。

(エ)彼の生き方
彼は教団の礎を残した人であったが徹底した求道者で実践家でもあった。自らの求道生活、高邁な教義(天台宗等)を猛省し、浄土教(専修念仏)から新たな道を切り開いた。念仏という手段を借りて、それを一層洗練させた。既存勢力との徹底対決や保護によらず、救われるべき民衆と同じ立ち位置で信仰を広めることのみ専念した。彼は妻帯し、子をもうけ、肉食すら行った。彼の絶対他力の理念そのものは民衆になじまなかったが、そこから生まれ育まれることになった「平等観」と「現世に浄土を造る」思想は後に「一向一揆」というとてつもない民衆エネルギーを生むことになりました。

(オ)親鸞とルターの違い
ルターは圧倒的な権勢を誇るローマ教皇の逸脱に抗議挑戦しながらも、神聖ローマ帝国の一選定候であるザクセン候と領内教団という既成勢力を拠り所にしていました。一方、親鸞は既成の教団に挑戦することなく、既成の権力にも頼らず新興の下層民(町人、農民、漁民)に直接受け入れられることで道を切り開きました。ルターは聖書の再解釈(贅肉を削ぎ落とすこと)により、正しいイエスの言葉に従うだけで事足りるとした。一方、親鸞は数ある経典の中から浄土教経典のみを選び、それに新しい解釈を付与したのです。前者はキリスト教を新旧二分するプロテスタントの草分けとなり、後者は日本仏教を新旧二分する鎌倉仏教で大教団へと成長することになりました。社会背景の違いがあって大きく異なる所もありますが、不思議なほど思想に共通しているところがあります。

3.ヨブ記は何を語っているのか  旧約聖書(知恵文学)
前5~3世紀にかけてパレスチナで創作されたもので古いヨブ聖徒伝説を下敷きにしたと考えられる。荒筋は義人ヨブと呼ばれる富豪が神とサタンから試され、財産も息子も失い、体も害されてしまうことから始まります。友人達は常識的な因果応報説を挙げて彼に悔い改めを忠告します。心当たりのない彼はやがて神に疑念を抱き始めます。すると神が声をかけ威圧的に彼を責めます。彼の「過ち」は、たかだか人間が全能の神を推論し理解出来ると考えたことにあったと気づき、悔い改めます。そのことを悟ったことにより、ヨブは神から以前より多くの幸福を与えられることになりました。

(ア)どう読むか
ヨブ記は契約と戒律を重んじる旧約聖書にあって異色の存在なはずです。それは教条的な訓話ではなく巧みな臨場感あるドラマ仕立てで多くの思索を網羅して語られているのです。それは微力な個人の計らい(自力や善行による奢り)を捨て、全能で創造者たる神に身を委ねるしか道(他力)はなく、すべて(幸、不幸)を受け入れる覚悟(信心)が重要だと受け取れます。これは歎異抄第二章「たとえ法然上人にだまされて地獄に堕ちても、親鸞何の後悔もないのだ。」に見て取れます。ユダヤ教(契約、創造主が重要)と大乗仏教(個人の心構えが大事)とは本質的に教義が異なりますが、当時のイスラエルと鎌倉時代の社会状況に呼応するように、懐疑的な思索を通して新たな展開が生まれた。それも遙か離れた場所で1600年の時を越えて二人の作者と親鸞の脳に同じ問題意識が宿ったのです。

イ)ヨブ記が誕生した時代  (聖書歴史年表と加藤隆著作から抜粋)
前5~3世紀のイスラエルを見てみましょう。前538年、バビロン捕囚が解かれ、ユダヤ人がエルサレムに帰還し始めます。かつてアッシリアに破壊され荒廃し、異民族に占拠された故地で神殿を再建させます。前450年、ユダヤ人(ネヘミヤ)が総督として国家再建を緒につけます。前420年頃に初期ユダヤ教時代が始まります。前333年、アレクサンダー大王のパレスチナ併合により、また長く苦しい抑圧の時代に逆戻りします。

4.不思議なこと
ア)親鸞の絶対他力
親鸞の教えは、人類誕生以来の基本通念である因果応報に反している。親鸞も釈迦も厳しい行を行い、そこには救いはないと悟ったが、民衆にはその論理が馴染めないはずだった。当時、「いわんや悪人をや」は誤解されたのも当然と言える。極論すれば「信じ、念仏を唱えるだけで救われる」のような安易な教義は禅宗の道元からみれば最悪の民衆への迎合だろう。それでも民衆は疑わず、なぜかくも浸透したのだろうか。それは論理よりも、親鸞の人柄や後の蓮如達の活躍が重要だったのかもしれない。実際、熱心な真宗門徒達にとっては「念仏」と「善行の積み重ね」「清い心」は共に不可欠ではなかったろうか。

(イ)「神にすがり、信じるのみ」
私も絶体絶命になれば、「神よ、お助けください」と祈るでしょう。しかし私のような不信心は日常この唱い文句を無視している。原始宗教の段階では因果応報の通念が強く働いていたので、神にすがる時は供物を献げ、心身を浄めることが不可欠だった。経典が成立する時代になると、贖罪と戒律遵守が絶対条件となった。さらに時代が進むと、信心と慈愛が重要になった。これは大概の世界宗教が辿った道である。さらに並行して起きた重要な思想があります。それは皆平等だとする考えです。ルターも親鸞もそれに至っています。ここに神や仏の道と人類の道はどうやら同じ方向を向いていることがわかります。
履歴 :  2009/11/12作成、読書会で使用、2012/05/14修正。

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