ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 33: ワルシャワ3


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今日は、王宮広場からクラクフ郊外通りを紹介します。

紺碧の空に映える建物や通りを歩き、ショパンの関わりある場所を巡りました。

 

 

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< 2. 王宮広場 >

 

上の写真: 奥が、既に紹介した旧市街で、右手が旧王宮です。

中央に立っているのはジグムント3世の像です。

この王がポーランド・リトアニア共和国(1569-1795年間、現在のポーランド、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナを含む大国)を継承し、1596年に首都をクラクフからワルシャワに移した。

 

下の写真: 旧市街を見ています。

建物の間の通りを行くと旧市街広場に戻ります。

 

 

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< 3.旧王宮 >

 

上の写真: 現在博物館になっている旧王宮。

ジグムント3世の居城だっただけでなく国会などしても使用された。

第二次世界大戦で完全に破壊されたが再建された。

 

中央の写真: 旧王宮の中庭。

 

下の写真: 中庭のポスター。

これらは1956年のポーランドのポズナン暴動とハンガリー動乱を扱っているようです。

この事件はソ連でフルシチョフがスターリン批判をしたことに端を発して、両国の民衆がソ連と自国の共産政権への不満から暴動となった。

ポーランドは自国で鎮圧し死傷者は百名ほどであった。

しかしハンガリーはソ連軍によって鎮圧され2万人近くが死に、20万人が難民となった。

 

 

 

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< 4.王の道を行く >

 

上の写真: 今回紹介するコース。

Sは王宮広場で、Eは徒歩観光の終点で、この間はクラクフ郊外通りです。

この通りを右側(南)に真っすぐ行くと、中心市街地の新世界通りを抜け、後に紹介するワジェンキ水上宮殿公園に至り、この道は「王の道」の一部です。

Aは大統領官邸、Bは道を挟んでチャプスキ宮殿とワルシャワ大学、Cは聖十字架教会、Hは私達のホテル。

 

中央の写真: 王宮広場からクラクフ郊外通りを見ている。

 

下の写真: クラクフ郊外通りから王宮広場の方を見ている。

 

 

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< 5.クラクフ郊外通り  >

 

上の写真: 王宮広場の方を見ている。

 

中央の写真: ポーランドの国民的詩人の像。

彼はショパンと同時期に活躍した。

 

下の写真: ”Kościół seminaryjny w Warszawie”

17世紀に造られ始め18世紀のファサードを持つカトリック教会。

詩人の像と大統領官邸の間にある。

 

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< 6.大統領官邸 >

 

上の写真: クラクフ郊外通りの中頃から南側を見ている。

 

中央の写真: 大統領官邸の前に立つポーランドの英雄像。

彼は19世紀始め、ナポレオンに従って祖国ポーランドの為に戦い、戦死した。

彼は池田理代子の漫画『天の涯まで ポーランド秘史』の主人公となっている。

 

奥の大統領官邸はかつて貴族の館で、18世紀に一部劇場として開放され、ここでショパンが初めてのピアノ演奏会を行った。

 

下の写真: 18世紀に建てられた後期バロック様式のヴィジトキ教会。

学生のショパンがこの教会の日曜ミサでオルガニストをしていた。

 

 

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< 7. ワルシャワ大学 >

 

上二つの写真: ワルシャワ大学。

かつてショパンはこの大学内の中・高等学校で学んだことがあった。

 

下の写真: クラクフ郊外通りの中頃から北側を見ている

 

 

 

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< 8.ショパンのゆかりの地 >

 

上の写真: ユニークな像が入り口を飾る建物。

 

下左の写真: かつてのチャプスキ宮殿、現在は美術アカデミー。

写真は正面左側の建物で、ショパン一家は1827~1830年までこの3階で暮らした。

1830年、彼がウィーン滞在中にワルシャワでロシアからの独立を求めて「十一月蜂起」が勃発し、帰国を断念し、パリに赴いた。

ショパンにとっては、ポーランドで最後の家となった。

 

下右の写真: これはショパンのベンチで、ショパンゆかりの地に幾つも置かれている。

ベンチには説明が書かれており、ボタンを押すとショパンの曲が流れてくる。

 

 

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< 9.聖十字架教会 >

 

上の写真: 鐘楼はクラクフ郊外通りのほぼ北の端に建つ聖十字架教会。

下二枚の写真: 聖十字架教会の内部。

ショパンの心臓が右の柱に埋められている。

彼は39歳の若さで肺結核でパリに死すが、彼は埋葬を嫌い、遺言に従いこの教会に眠ることになった。

 

 

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< 10.広場や通りの人々 1 >

 

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< 11. 広場や通りの人々 2 >

 

下の写真: 先ほど紹介した美術アカデミー(チャプスキ宮殿)の奥の建物。

 

 

ワルシャワ・ゲットについて

前回紹介した最高裁判所の脇にワルシャワ・ゲットーの境界跡と記念碑がありました。

その位置は下の地図の黒の矢印で、黒の楕円枠は城壁で囲まれた旧市街、黒の四角枠は私達のホテルです。

赤枠が第二次世界大戦中に設置したワルシャワ・ゲットーで、如何に巨大かがわかります。

 

私達はポーランドがホロコーストの主な舞台だったことを知っています。

一つには悪名高きアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所がポーランドにあったからでしょう。

ナチス・ドイツが殺戮したユダヤ人約600万の内、300万人はポーランドに暮らすユダヤ人でした。

 

 

 

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< 12.ワルシャワ・ゲットー >

 

これらの地図と写真は1939年から1945年までのワルシャワ・ゲットーに関するものです。

*当時のワルシャワ・ゲットーが赤枠で示されています。

*1942年、ゲットーのユダヤ人の絶滅収容所への移送。

*1940年、ゲットーの壁建設

*1943年、ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人が武装蜂起した報復にドイツ軍は街を焼き払い掃討した。

*1943年、ワルシャワ・ゲットー蜂起の鎮圧戦の最中に連行される人々。

 

 

私はユダヤ人で気になっていたことを、前回のポーランド女性に聞いてみた。

 

質問1:

「映画『シンドラーのリスト』では、ポーランド人がユダヤ人迫害に同調したように描かれているが、どう思いますか?」

 

答え:

「監督はユダヤ系アメリカ人なので迫害を際立ったさせるために、ポーランド人を悪く描いているのでしょう。

ポーランド人は、多くのユダヤ人を受け入れた国であり、他の場面ではユダヤ人を助けている」

 

質問2:

「リトアニアではユダヤ人がソ連の手先になって裏切り、ユダヤ人が嫌われたが、ポーランドではどうだったのか?」

 

答え:

答えは明瞭ではなかったが、ポーランド人はユダヤ人を嫌っていないと言いたいようでした。

 

 

ポーランドのユダヤ人 注釈1

ユダヤ人は中世より西欧での迫害を逃れて東欧への移住を進めていた。

西欧では、例え住むことが許されても、限られた町で職業と人数に制限があり、多くのユダヤ人の暮らしは劣悪で人数も少なかった。

 

ユダヤ人は15世紀にはすでにワルシャワで暮らしていた。

民族的に寛容なポーランドでは、ユダヤ人はごく一部の大都市の旧市街を除いて、基本的にどこでも自由に住むことができた。

18世紀末以降、緩和が進み、旧市街にユダヤ人が住むようになった。

19世紀半ばより、キリスト教徒もユダヤ教徒も比較的裕福な人々は近代市街地やその郊外へと居を移していき、旧市街などには貧困層が集中して住むようになった。

この状態は20世紀のはじめまで続いた。

この時代、ワルシャワのユダヤ人人口は急増し、ユダヤ人の自治共同体が急成長した。

第二次世界大戦直前のワルシャワ市には全人口の30%にあたる38万人のユダヤ人が暮らしていた。

ワルシャワは、ニューヨークに次いでユダヤ人人口の多い都市だった。

 

ワルシャワ・ゲットーの歴史

1939年、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、ワルシャワは占領された。

ユダヤ人居住区でチフスが流行していた為、1940年、隔離の為にゲットーが建設され、その中に45万人が詰め込まれ封鎖された。

このユダヤ人は強制労働に駆り出され、食料配給は必要摂取カロリーの10分の1に過ぎなかった。

 

1942年7月、ユダヤ人の絶滅収容所への移送が始まるが、この時までに8万人が飢えと病で死亡していた。

これに抵抗してユダヤ人は暗殺を手始めに武装蜂起し、ワルシャワ・ゲットー蜂起を起こした。

しかしドイツ軍による1か月の鎮圧で、全住民は移動させられゲットーは破壊された。

住民は瓦礫で圧死し、捕虜は銃殺され、残りは強制収容所で死んだ。

 

1945年、ソ連軍が到着するまでにワルシャワで生き残ったユダヤ人は約200人だった。

 

次回に続く。

 

 

 

注釈1

説明は主にウィキペディアによる。

 

 

 

 

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Categories: culture+society, 連載中: ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅, history+evolution, <japanese language, travel+photo | Tags: , , , , | Leave a comment

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