フランスを巡って 30: ランスの大聖堂 2


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< 1.微笑みの天使、右端 >

 

 

今日は、大聖堂の外観を詳細に紹介します。

これはゴシック様式の傑作であり、由緒ある教会です。

 

 

2s

< 2.大聖堂の外観、左がほぼ北方向 >

 

数字と線は以下の写真のおおよその撮影位置と方向を示します。

 

 

 

 

3

< 3. 正面、地図番号1 >

上左の写真: 正面、ほぼ西側。

 

上右の写真: バラ窓の上に並ぶ像の中心がクロヴィス王と思われる。

クロヴィス王はフランスの礎を造ったフランク王国の初代国王です。

5世紀末、クロヴィス王はこの地でキリスト教に改宗し、戴冠式を行った。

これにより、この地はフランス王家の聖なる都市とされ、歴代国王の戴冠式が行われた。

 

下の写真: 中央門の上部(切妻屋根の内側)で、王らしき人物が左側の女性に王冠を載せている彫像は「聖母戴冠」を表している。

このノートルダム大聖堂は聖母マリア(ノートルダム)に奉じられている。

 

 

 

4

< 4. 北側 >

 

上左の写真: 地図番号2.

正面左側(北側の鐘楼。

 

上右の写真: 地図番号3.

ゴシック建築の高さを生み出すため、側壁を補強しているフライング・バットレス(飛梁)のアーチが並ぶ。

 

下左の写真: 地図番号4.

翼廊(十字架の横木に相当)の北側。

ここには門が三つあるが、写真では右側の門が写っていない。

 

下右の写真: 地図番号5.左側の門を拡大。

中央の像は「美しい神」で、その上部のレリーフは「最後の審判」です。

 

 

 

5

< 5. 後端部、東側、地図番号6 >

 

上の写真: 後端部から南側面を望む。

 

下の写真: 工事が無ければ放射状に配されたフライング・バットレスと礼拝堂が美しいのだろうが、残念です。

 

 

 

 

 

6

< 6. 屋根 >

 

上左の写真: 地図番号8.北側の鐘楼。

 

上右の写真: 地図番号7.翼廊の南側の屋根の上を望む。

頂上に射手座が見える。

 

下の写真: 地図番号9.正面右から翼廊の南側の屋根を望む。

 

 

 

7

< 7. 正面、左側(北側)の門。地図番号10. >

 

上の写真: 正面、左側の門。

 

下左の写真: 門に向かって左側の彫刻。

右にあるのがゴシック彫刻の傑作「微笑みの天使」です。

 

下右の写真: 門の右側の彫刻。

 

 

 

8

< 8. 正面、右側(南側)の門。地図番号11. >

 

 

 

9s

< 9.ジャンヌ・ダルク >

 

上の写真: このジャンヌ・ダルク像は大聖堂の正面広場の北西にある。

 

右の地図: ジャンヌ・ダルクが活躍する直前の逼迫したフランスの状況(灰色部)。

ブルゴーニュ公国(紫部)は英国(赤部)と同盟しており、フランスの敵国であった。

 

下の絵: 1429年、この大聖堂でフランス国王シャルル7世が戴冠式を行った。

右手の女性がジャンヌ・ダルクでしょう。

 

ジャンヌ・ダルクはシャルル7世の戴冠式の最大の功労者であった。

彼女は百年戦争(1337-1453年)で劣勢をかこっていたフランス軍を一気に活気づけ、形勢を逆転させた。

 

英国軍による半年にわたるロワール川沿いのオルレアン包囲戦に、彼女が参戦すると9日間でフランスに勝利をもたらした。

その後、フランス軍の連戦連勝が続き、2ヶ月後にはシャルル7世は前述の戴冠式を行うことが出来た。

 

戴冠式の2年後、ジャンヌ・ダルクは戦闘中に敵軍(ブルゴーニュ公国軍)に捉えられ、異端者として火刑に処された。

 

その後フランスは、英国と同盟していたブルゴーニュを離反させ、自国との同盟を成功させ、英国軍をフランス国土から完全に追い出し、百年戦争は終結した。

 

なぜかシャルル7世は、百年戦争の好転を招来した彼女を助けることはなかった。

彼女はこのシャンパニューの小村の農家で生まれ、神の啓示を受け、そして戦い死んだ。

彼女はカトリックから異端者にして、聖人にも列せられている。

 

 

大聖堂の歴史

 

 

 

10

< 10. 大聖堂の歴史、ウイキペディアより >

 

上の絵: 19世紀初頭の大聖堂。

下の絵: 第一次世界大戦で燃える大聖堂。

 

 

現在の大聖堂は13世紀始め、火災で焼失した教会の代わりとして、建設が開始された。

13世紀中頃、建設費の重税に苦しんだ民衆が反乱を起こしたり、14世紀中頃、英仏の百年戦争で工事が中断したりした。

ようやく完成したのは二つの鐘塔が完成した15世紀後半だった。

 

その後、フランス革命時の動乱で大聖堂の彫像が多く破壊されたが、国が彫像の多くを修復した。

しかし、第一次世界大戦中のドイツ軍の空襲や砲撃を受けたことで、彫像や約半数のステンドグラスが失われ、特に空襲により発生した火災は屋根の全てを覆い尽くし、大聖堂は壊滅的な被害を受けた。

 

終戦後、再建が開始され、1938年に竣工した後に一般に開放されたが、現在も一部修復作業が行われている。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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