国境の島、対馬を訪ねて 2: 厳原の街を歩く 1


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これから対馬の中心地、厳原の街を紹介します。

数回に分けて紹介しますが、今回は街の南側、中心から港までです。

この街には一千年を越える歴史があります。

< 2. 対馬 >

左上: 対馬全体図、上が北

赤線が航空路、黒線がバス、赤矢印が厳原を示す。

対馬の地形は南北82km、東西18kmと細長く、ほとんどリアス式海岸で囲まれ、山がちです。

かつて中央部は地峡で繋がっていたが、運河が開削され分離した。

また対馬は朝鮮半島まで50km、博多湾まで120kmだが、壱岐までなら50kmに過ぎない。

こうして対馬は特に古代において海上交通で重要な役割を果たすことになった。

右上: 厳原全体図、上が北

赤枠が今回紹介する範囲で、厳原の一部に過ぎない。

下: 伊丹から福岡空港に着陸

< 3. 対馬に至る >

上: 福岡空港でプロペラ機に乗るところ

離島への旅に、期待感が盛り上がる。

中央: 対馬空港に到着

下: 空港から厳原に向かう車窓風景

内陸部を走っている為か、あまり本土の風景と代り映えしない。

* 対馬の歴史は古い

対馬北部(上対馬)の西海岸に、対馬最古の遺跡があり、縄文早期末(約1万年前)の遺物(土器た石器)が見つかっている。

これら遺物には北九州と対馬、朝鮮半島との交流の跡が見られる。

一方、厳原の歴史は飛鳥時代に遡る。

朝廷が対馬の厳原に国府(行政庁)を置いたとされている。

厳原は鎌倉時代から江戸時代まで、宋氏の居館、対馬藩の城下町として発展した。

< 4. 厳原に到着 >

上: 厳原の中心地、観光情報館、ふれあい処つしま、の前から望む

中央(西側)に旧金石城庭園の楼門、左に市役所が見える。

下: 茶色枠が今回紹介する範囲、上が西

散策は、観光情報館の前から下り、川に沿って船溜まり跡まで行き、また戻りました。

< 5. 観光情報館の辺り >

上: 向かいにあるショッピングセンター(1階)

下: ショッピングセンター側から観光情報館、ふれあい処つしまを望む。

ここには観光案内所、土産物屋、レストラン、展示・催事場があります。

今回、GO TOトラベルのクーポン券を貰ったが、使える場所はここだけだったので、昼食と土産品購入をここで済ませた。

観光案内所の人は親切で、滞在中、合計3人の方と対馬について詳しく伺うことが出来た。

観光パンフレットも揃っていた。

< 6. 大町通り >

上: 大町通りの北側を望む

左に、武家屋敷風外観のふれあい処つしまの建物が見える。

これから右側、東側に進む。

下: 今屋敷公園横の通り(横町通り)、防火壁美観地区

この辺りには、至る所にこのような石積みの壁が通りに沿って見える。

これは江戸時代、しばしば大火に見舞われた為、延焼を防ぐ為に作られたものが遺っている。

どうやら海峡を吹き抜ける風が強いのでしょう。

< 7. 川端通り >

横町通りを真直ぐ進むと川にぶつかり、この川沿いの道が川端通りです。

上: 来た道を振り返った。

下: 進行方向(東)を見ている。

この東西の盆地の距離は400mに過ぎない。

< 8. 二つの川 >

上: 川端通りの北側を望む

川の左側の高い建物がホテル対馬で、今回二泊しました。

下: 上の川と別の川です

古い町並みが残っている。

この川の左側の通りの対馬醤油の向こうに村瀬家土蔵がある。

< 9.村瀬家土蔵 >

通りから撮った写真ではよく見えないが、2階の窓の左右に絵があります。

これは漆喰で練り上げて立体的に描かれた龍と虎だそうです。

明治時代に描かれたものです。

背伸びをして写真を撮っていると、通りすがりの高齢の女性が、すまなそうに、これは大したものではありませんがと労をねぎらってくれた。

< 10. 地蔵さん >

私が歩いた範囲は、厳原の中でも地蔵さんが多い。

狭い範囲に20ヶ所はありそうです。

私が見た数ヵ所の地蔵さんには、お茶や衣が捧げられていた。

< 11. 中矢来と漂民屋跡 >

上: 中矢来(なかやらい)

中世からの船溜まり。

かつてはここに朝鮮通信使が上陸したのだろう。

下: 漂民屋跡

石積みのある所が漂民屋跡です。

その右にある建物が自衛隊の支所で、この横を通って行けるはずなのですが、案内の標識が破損していて分からなかった。

駐在の自衛官に聞いてやっと分かりました。

この場所は、海に注ぐ二つの川に挟まれた先端部にある。

* 漂民屋について

この漂民屋に、国境の島、大陸と関わる苦難の一端が見える。

この漂民屋に江戸時代、海難事故で遭難した日本と朝鮮の漂着民が一時的に収容された。

対馬藩は脱走や住民とのトラブルなどを恐れてこの地を選んだのだろう。

漂民屋の建物は戦後まで残り近隣の住民から「朝鮮長屋」と呼ばれていたらしい。

朝鮮の船が遭難し日本に漂着した場合、各藩は幕府の長崎奉行所に移送した。

取り調べの後、対馬藩の長崎藩邸から対馬に送られ、「漂民屋」に収容された。

ここから船便を待って釜山の対馬藩の倭館に送られ、朝鮮側の役人に引き渡し落着した。

日本の船が朝鮮で遭難した場合は、逆ルートで行われた。

この優れた難民送還策は一朝一夕に出来たものではない。

この遥か以前から対馬は、大陸・朝鮮半島との間で捕虜や略奪された民の奪還や返還に悪戦苦闘して来た歴史がある。

対馬は、大陸の騒乱に幾度も巻き込まれ、逆に日本の覇者が朝鮮半島侵攻の足掛かりとした地だったから。

対馬は、日本において戦争と平和を紡いだ稀有な地だった。

次回に続きます。

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