国境の島、対馬を訪ねて 3: 厳原の街を歩く 2


*1

今回は、厳原の二つの城跡と御船江を紹介します。

安土桃山時代から江戸時代の対馬の姿が蘇ります。

< 2. 厳原の地図、上が北 >

上: 厳原の中心部

赤枠が御船江跡で、黄色枠が金石城跡と清水山城跡のエリアです。

下: 赤矢印が御船江跡

四つの突堤が見える。

赤線が徒歩ルートです。

< 3. 御船江跡 1 >

上と中央: 湾岸を通る道路上から海側と御船江側を望む。

上の写真の左奥に厳原の金石城跡がある。

中央写真の右が御船江、左は川。

下: 御船江の奥の方を見ている

右に少し突堤が見えるが、思ったより浅い。

< 4. 御船江跡 2 >

上: 突堤が見える

ここは対馬藩の御用船を係留した船溜まりです。

現在の遺構は寛文3年(1663)に造られました。

築堤の石積みは当時の原形を保ち、正門、倉庫、休息の建物跡が残っている。

満潮時には木造の大船が出入でき、干潮時には干上がるように出来ている。

現在これほど原形を遺している所は全国でも珍しい。

中央: 御船江から湾に出る水路

水路の幅は最小約7mで、上の写真の小舟がある突堤間の広さは奥行きが約30m、幅が約8mです。

これから言うと船は最大で長さ27m、幅5mぐらいだったかもしれない。

この大きさの船で江戸や朝鮮半島まで行ったのだろう。

下: 御船江から出た湾側

< 5. 当時を偲ばせるもの >

上: 他の藩で使われた御座船の模型

これと似た船が対馬藩で使われたことだろう。

下: 1800年頃の厳原の古地図

左下に御船江が見える。

中央の一文字の堤が見える所が中矢来で、漂民屋も見える。

朝鮮通信使は、ここに着岸して広い通り(馬場筋通り)を北上し、直ぐ左に折れて金石城に入った。

< 6. 金石城と清水山城 >

上: 黄線が山頂に沿って築かれた清水山城、赤枠が金山城(かねいし)です。

清水山城は三つの曲輪からなり、左から一の丸で始まる。

上部の黄矢印の方向、金山城から北に馬場筋通りを1.7km行った高台にかつて浅原城(さじきばら)があり、現在は自衛隊駐屯地になっている。

青矢印が宗氏菩提寺の万松院(ばんしょういん)、ピンク矢印が歴代藩主の墓所です。

これら造営はすべて歴代宋氏による。

私達はピンク線に沿って右から左に進みました。

下: 金石城の古絵図、1804~1817年

赤矢印が櫓門、青矢印が「からめ手門」、茶色矢印が心字池のある金石城庭園です。

私達は黄色線に沿って右から左へと進みました。

< 7. 金石城の楼門 >

この門は1990年に再現されたものです。

上: 右の山頂に、わずかに石積みが見えているのが清水山城の一部です。

下: 左の道を真直ぐ進むと万松院に着く。

< 8. 万松院が見えた >

上: 奥に万松院の正門が見えた

川沿いに真っ赤な彼岸花が今を盛りとたくさん咲いていた。

下: からめ手門の石垣が見える

万松院の前の広場の右側にある。

< 9.からめ手門 >

上: 小川を渡る橋の上から万松院を望む。

この橋が金石城の南西の端になる。

下: 基礎になる石垣しか残っていない。

櫓門から「からめ手門」まで凡そ250mです。

10万石の対馬藩としては堅牢さを感じさせない平城です。

1665年、朝鮮通信使を迎える為に、戦国時代16世紀はじめに造営された金石屋形を城郭に改造した。

対馬藩は石高の割に、農地が少なく実際の石高が遥かに少なかったので、豪勢な城を造る事は出来なかっただろう。

宗氏は前述の浅原城を造り居館としていた。

< 10. 資料、すべて拝借した写真 >

上: 心字池のある金石城庭園

上から二つ目: 清水山城の「一の丸」

標高208mの峰に三つある曲輪の最も西のもの。

明や朝鮮の軍が、ここまで侵入することを想定していたのだろう。

上から三つ目: 18世紀の釜山浦草梁倭館図

対馬藩は朝鮮との交易を一手に引き受けており、朝鮮半島で三つの倭館を運営していた。

釜山の倭館は長崎出島の25倍以上の広さを有し、常時400~500人が滞在していた。

幕府は鎖国をしてはいたが、この交易は別だった。

下: 朝鮮通信使の船

全長三十数mはあったらしい。

* 宋氏、対馬藩と城について

宋氏は、代々朝鮮半島との交易と日本の中央政府との外交交渉を一手に引き受けて来た。

多くの朝鮮半島との紛争に巻き込まれ、また紛争の調停に重要な役割を果たしてきた。

この重要な役割があればこそ、関ヶ原で西軍に付きながらも宗氏は改易を逃れた。

対馬の宗氏の歴史は古く、渡来系の秦家の末裔で12世紀に遡る。

実は、宗氏は途中から平家の末裔と称し、厳原の西部に安徳天皇御霊墓地がある。

南北朝時代、一度、守護から外されたが、直ぐに再任され明治維新まで存続した。

前述の清水山城は、秀吉が朝鮮出兵に際し、中継拠点として宗氏に造営を命じたものだが、撤退後はすぐに廃城となった。

この時、第一軍出兵では小西軍の7000人に次いで対馬軍は5000人が駆り出された。

人口の少ない対馬では健康な男は、ほとんどいなくなっただろう。

(現在の人口は日本12000万、対馬3万で、1600年頃で日本2000万人とするなら、当時対馬は5000人となる)

戦争により主要な収入源である貿易が絶たれる一方、朝鮮語を話せる対馬の人が通訳として駆り出された。

対馬はこのような苦渋を幾度もなめることになった。

次回に続きます。

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