連載 中国の外縁を一周して

中国の外縁を一周して 28: 五泉山公园から蘭州空港まで


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今回は、商店街、五泉山公园、大型ス―パー、蘭州空港を紹介します。

また中国でお世話になった現地ツアー会社も紹介します。

これで蘭州の紹介は終わります。

 

 

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< 2.五泉下広場近くの商店街 >

 

ここは前回紹介した五泉下広場を山側に歩いて直ぐの商店街です。

歩いたのは1時半頃でしたが、買い物客はそこそこいました。

売っているものは野菜や果物が多く、衣類、葬式で燃やす紙銭もありました。

中国らしく、店先が道路まで大きくはみ出している。

中国にはスーパーがたくさん出来ているが、このような昔ながらの商店街も市民に利用されている。

 

 

 

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< 3. 五泉山公园 >

 

上: 商店街の続き。

 

下: 五泉山公园の前の広場。

 

蘭州の観光名所の一つで、北側の山裾にある旧跡を中心とした公園です。

総敷地面積27万㎡の中に、5つの泉、数多くの仏教建築や仏像群、動物園まであります。

ここには明代に遡る仏教建築があるそうです。

 

 

 

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< 4. 五泉山公园 >

 

上: 五泉山公园の前の広場。

 

下: 北門を抜け、五泉山公园内に入った。

中央の奥に霍去病の銅像が見える。

紀元前120年、漢の将軍霍去病が匈奴遠征中、ここで泉を見つけ、軍隊の水不足を救った伝説が残っています。

霍去病は若くて勇猛な将軍と史記に記されています。

 

 

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< 5. 五泉の一つ >

 

園内の所々で銀杏が黄金色に輝いていました。

私が歩いたのは、ほんの一部に過ぎません。

 

下: 五泉の一つ。

 

 

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< 6. 浚源寺 >

 

上: 前述の泉の右手(西側)に浚源寺が見える。

 

下: 浚源寺に入る。

 

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< 7. 浚源寺の境内 >

 

上: 入って来た門を振り返った。

 

下: 本殿。

この日は、毎年行われる仏教信者の集まりがありました。

多くは年配の女性信者ですが僧侶姿の男性も見られました。

 

共産主義国家で仏教の行事に多くの信者が集まることに少し驚きました。

けっこう信仰の自由があります。

 

 

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< 8. 北門を出た所 >

 

上: 本殿の仏像。

 

下: 北門側から広場を望む。

この右手の小綺麗な店で、孫への土産、可愛い毛糸の手袋を買いました。

ガイド曰く、この店は日本に輸出する品質と同等の物を置いているそうです。

若い現地の女性も買いに来ていました。

 

 

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< 9. 大型スーパー >

 

上: 五泉山公园の広場。

 

公園内や広場に居る人に少し違和感を感じた。

ここを通ったのは2019年10月23、水曜日の2時半頃でした。

観光シーズンが終わり、平日でもあり、観光客はほとんど見られなかった。

孫や子供を連れた家族、若いカップル、年寄りが少ない。

しかし中年の男性が多い。

服装から言って、市民なのだが、なぜこれだけの人がここにいるのか?

分からない。

定年を迎えた人々なのか?

 

下: 大型スーパーの华润万家(天水路店)。

蘭州大学の前にある大きなスーパーです。

土産を買いたいと頼んだら、現地ガイドがここに連れて来てくれた。

蘭州名物としてワインと干した果実や氷砂糖が入ったお茶を買いました。

 

妻は安いバッグを買いました。

バッグは安いのですが、妻の好みのデザインでは無かった。

おそらく日本で日本人向けの中国製バックを買う方が、無難で価格も同じぐらいだと思う。

妻は中国で二つバッグを買ったが、結局、日本で安い中国製を買い直しました。

 

 

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< 10. エアポートバスで空港へ向かう車窓から 1 >

 

中心街の眺め。

 

先ほどの大型スーパーから700m離れた所に民航售票处(城关区东岗西路588号)があり、ここからエアポートバス(兰州机场大巴 1号线)に乗って、空港に行きます。

30分毎に出発し、乗車時間は1時間15分ほどです。

料金は30元で安い。

 

 

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< 11. エアポートバスで空港へ向かう車窓から 2 >

 

上: 高速道路に入る。

 

中央: 黄河を渡り、北に向かう。

 

下: 黄河を渡ると、間もなく荒涼とした低い山並みが続きます。

 

 

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< 12.エアポートバスで空港へ向かう車窓から 3 >

 

上: 山肌はすべて、今にも土が崩れそうで、それを防ぐ為に植林が行われているが、カバー仕切れないようです。

このような景色が延々と続く。

山は手を抜くと今にも砂漠の山になってしまいそうです。

 

中央: バスの車内。

左の窓ガラスは砂塵を受けて曇っている。

空港近くになると、かなりの間、砂嵐が吹き荒れ、視界がかなり不良になった。

バスはそれでも走り続けたが。

 

この砂塵舞う山岳地帯を、かつて遊牧民や騎馬民族が隆盛を極め、往来していた。

万里の長城はここよりも北側にあって、さらに1000kmも西側まで延びていた。

 

 

下: 写真のように、今は高速道路がこの地帯を縦貫している。

他にも工事中の道路があった。

 

 

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< 13. 蘭州中川空港に到着 >

 

上: 私は進行方向左の席、つまり西側しか写真を撮っていない。

 

しかし空港に近づくと東側に驚くべき光景を見た。

砂塵が舞う高原(ここの高度は2000mぐらいか)に、突如として巨大な都市が出現したのです。

建築中らしい高層ビルが幾層にも連なる光景が砂塵の向こうに十数分も続いた。

後で調べると、その範囲は長さ15km、幅5kmもあり、高層ビルだけで1000棟は優に超えるでしょう。

中国のエネルギー、開発力を見せつけられた。

これが今回のコロナ対策で、巨大な隔離病棟を10日ほどで幾つも建築してしまうことに現れている。

 

衛星写真を調べるにあたって気付いたことがあった。

この地域は百度地図の衛星写真が不鮮明になっている。

おそらく、この地域に中国軍の基地があるためだろう。

グーグルマップの衛星写真は鮮明だが、残念ながら中国では不正確で経路案内には使えない。

 

 

下: 向かいに見えるのが、蘭州中心部と往来する列車の駅でしょう。

 

 

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< 14. 現地ツー会社 >

 

左上: エアポートバスを最初に降りて直ぐのターミナル入口。

この空港には二つのターミナルがあるのですが、私が乗る中国東方航空は第二ターミナルにあり、その前に降りた。

 

右上: カウンターに向かう。

無事、Eチケットから搭乗券の手続きが出来た。

このフロアで夕食をとりました。

 

 

下: 蘭州、成都、麗江で使った現地ガイドの「CHINA8」ホームページ。

https://china8.jp/

 

これまでの私の中国旅行はほとんどがツアー観光でした。

今回初めて、現地ガイドを利用することにし、インターネットで調べた。

するとこの会社が、最も安くて、各地のツアーが希望通りに出来ることが分かった。

この「CHINA8」は各地ツアー会社の連盟です。

 

長所

  • 日本語表示のホームページ。
  • 旅程の希望や変更を日本語のメールで事前に交渉できる。但しすぐに返事が来ないこともある。対応の丁寧さは各会社で異なる。
  • 価格設定が分かり易く、また安くできる。
  • 現地ツアーの選択幅が広い。例えば、車と日本語ガイド、ガイドだけ、車だけ、時間や行く先も自由に選べる。
  • ツアー後の支払いが明朗会計。予想通りで超過はなかった。但し、多くは中国元の現金払い(事前に通知有)。
  • 概ね親切で、土産物屋に強引に連れて行かれることはなかった。

 

気になるところ

  • 年寄りに気を使った案内が出来ないようだ。歩行距離が少ないように駐車場を選ぶとか。
  • ガイドにより、日本語の習熟度が異なり、また現地の歴史の知識にも差がある。

 

全体の感想

  • 普通に現地を観光するには、この会社を使うのが良いでしょう。
  • 観光地、地元の生活、買い物を知りたいなら充分でしょう。
  • 親切に対応してくれるのがうれしい。

 

最後に

彼らガイドの話によると、現在の日中関係を反映して、日本の観光客が激減しているそうです。

どうか皆さんも中国に旅行し、彼らガイドを利用してください。

彼らが失業してしまうと、今後不便になりますよ。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 27: 兰州西关清真大寺と蘭州牛肉麺


 

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今回は、イスラム寺院と蘭州ラーメンを紹介します。

 

 

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< 2. イスラム寺院に向かう >

 

イスラム寺院が見える通りで車を降り、ここから歩いて行きます。

上下の写真は、この通りの東西方向を撮ったものです。

今まさに、地下鉄工事がこの通りで進んでいます。

 

下の写真に、兰州西关清真大寺が見えます。

 

 

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< 3. 大病院が見えた >

 

歩いて行くと、人混みが増えて来ました。

大病院でした。

病院の入り口は、人で一杯でした。

まだコロナウイルスが始まっていませんでしたが。

 

 

 

 

 

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< 4.兰州西关清真大寺 >

 

おそらく蘭州市で最大のモスクでしょう。

夜はライトアップされ綺麗だそうです。

言い伝えでは明時代まで遡るらしいが、清の時代、1687年に創建され、1729年に再建された。

甘粛省には回族が5%おり、東の端になる蘭州にも同率ぐらい暮らしているでしょう。

回族は言語・形質的には漢民族でイスラム教を信仰する民族です。

回族は中国ムスリム2000万人の半分を占める。

 

私が町を観光している間、思ったよりムスリムの服装(つばなしの帽子、へジャブなど)の人を見かけなかった。

 

 

 

 

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< 5. 兰州西关清真大寺に入る >

 

門をくぐり、前庭に入る。

前庭に数人の信者らしき老人が椅子に座り、のんびりと過ごしていた。

 

今まで、トルコやモロッコ、エジプト、ボスニアヘルツェゴビナなどでモスクを見て来たが、建築様式や配置が異なる。

尖塔と半球ドームのモスクの組み合わせはおなじであっても、モスクへの階段が如何にも中国王宮風でした。

面白いのは、階段に盆栽が並んでいることです。

今回、中国の寺院を巡っているとホントに多くの盆栽を見ました。

 

モスクの中には入れませんでした。

特に女性はダメなようです。

 

 

 

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< 6. 兰州西关清真大寺のモスク >

 

下の写真は、モスクの階段前から入り口の方を見下ろした。

 

 

今回の中国旅行の目的の一つに、地方の少数民族の状況を知りたかったことがありました。

中でも回族には、強制収容所(中国側発表で職業訓練所)の問題や、過去にテロと弾圧のニュースがありました。

蘭州のある甘粛省は、暴動のニュースがよく知られた新疆ウイグル自治区の東隣にあります。

 

私が日中一日、観光した分には異常さや緊張感はまったくありませんでした。

警察官が警備の為に街中に立っている姿をまったく見かけませんでした。

現地の人の感想では、取り締まりをしたおかげで、安心出来るようになったとのことです。

もともとこの地は平穏だったのかもしれませんが。

日本で治安を危惧していたが、まったくの杞憂に過ぎなかったようです。

 

日本人とって、蘭州は砂漠に隣接する山間の都市、かつてのシルクーロードの古い街ぐらいのイメージしかない。

しかし、ここも中国の大躍進を受けて、間違いなく発展していた。

将来、この地が世界のレアメタルや石油生産を担うようになるかもしれない。

けして無縁ではいられない。

 

 

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< 7. 五泉山公園の前 >

 

イスラム寺院を離れ、五泉山公園の前に来ました。

車を降りて、昼食のレストランまで歩きます。

この辺りも高層のビルはあるが、少し古い感じがします。

 

下: 五泉山公園の前の広場が見える。

私が立っている所は陸橋の上です。

下は幹線道路と列車の線路です。

 

 

 

 

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< 8. 五泉山公園の前の陸橋 >

 

陸橋を渡り、五泉下広場に向かいます。

 

 

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< 9. 五泉下広場 >

 

大きい広場ですが、少し殺風景な気がしました。

広場を様々な店舗が囲んでいます。

この広場の北端の角にあるラーメン店に行きます。

 

 

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< 10. 金强牛肉面 >

 

現地ガイドが昼食にこの店を選んでくれた。

13:00過ぎに入ったのですが、広い店内のテーブルは勤め人などでほぼ満席でした。

メニューは何種類かあり、妻と私の分で二種類注文した。

スープの味はさっぱりしていて、ほど良く、辛い分も私にはぎりぎりセイフでした。

麺も違和感はなく、美味しかった。

驚いたのは、スープの量が多く、肉が少ないことでした。

ガイドの話では、元々蘭州牛肉麺の肉の量は多く無いそうです。

一番驚いたのは、一杯100円以下だったことです。

他のメニューを加えても、一人150~200円ぐらいで済みます。

今回の中国旅行で、最も安く、美味しく、腹一杯になった料理でした。

 

この店は、現在5~10万元(75~150万円)で加盟店を募集しており、急拡大中です。

繁盛間違いなしです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 26: 敦煌艺术馆と蘭州博物館


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今回は、二つの博物館を紹介します。

珍しい物を見ることが出来ました。

 

 

当初、蘭州に行く最大の目的は炳霊寺石窟で、それがダメなら甘粛省博物館と思っていたのですが、両方とも訪れることが出来なかった。

しかし中国旅行直前に現地ガイドと観光地の選定をメールでしていると、敦煌艺术馆が急浮上しました。

この博物館は最近出来て、ガイドブックにも載っていない。

ここで敦煌の莫高窟を紹介している。

かつて莫高窟に憧れていたが、見学は諦めていました。

しかし今回、雰囲気を味わうことが出来、ラッキーでした。

 

甘粛省博物館はシルクロード、漢民族と西方・北方民族が織りなす文化と歴史を知るには恰好の巨大な博物館です。

有名な展示物は「馬踏飛燕」でしょうか、これは「汗血馬」が空を駆ける姿を表現したものです。

漢民族の馬は北方騎馬民族の馬に比べ貧弱でした。

漢の時代、シルクロードの西方に優れた馬「汗血馬」がいることがわかった。

その後、蘭州で馬の飼育が盛んに行われた時代があった。

 

 

 

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< 2. 仏教美術―壁画と仏像の宝庫、巨大な石窟群 >

 

左からシルクロード沿いにある敦煌の莫高窟、蘭州の炳霊寺石窟、天水の麦積山石窟です。

洛陽の龍門石窟は、シルクロード沿いにはなく王朝の首都近郊に造営された。

私は龍門石窟だけを以前見学している。

これら石窟の壁面には仏画が描かれ、仏像が掘り出されている。

中に僧侶らが修行や祈りの生活を続けた痕跡が残っている。

 

なぜこの地には数百もの石窟群からなる仏教遺跡が幾つもあるのでしょうか?

これら四つの石窟群は4~5世紀に造営が始まり、石窟によっては元から清の時代まで造営や改修が続き数百から千近くまで増えた。

 

当時、南下していた北方遊牧民族(匈奴、鮮卑ら)は中国の北半分からシルクロード一帯を占拠し分立していた。

彼らは漢民族の文化、特に仏教を積極的に受容し石窟の造営を始めた。

 

仏像は主にこのシルクロードを通じて中国に伝わり、既に中国でも製作は始まっていた。

インドでは仏像誕生後、一度廃れていたが、5世紀になるとヒンドゥー教と競うように、巨大な石窟群を開窟するようになった。

こうしてシルクロードの石窟にも、インドの様式が取り入れられるようになった。

 

 

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< 3.蘭州の街 >

 

白塔山から敦煌艺术馆まで。

 

 

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< 4. 敦煌艺术馆に到着 >

 

下: 中央に見える1階の建物が博物館です。

入口が中央に見える。

 

 

 

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< 5.石窟内の壁画 1 >

 

それぞれ石窟の一部の壁画を再現している。

様々な年代の様式が見られる。

 

上: 天井の壁画。

中央: 側壁。

この二つは初期の物でしょう。

 

下: これはどうやら西夏(11~13世紀)のものでしょう。

この作風は遼時代(10~13世紀)のものに似ている。

前者はチベット系で後者は北方系(契丹)だが、南北で境界を接していた。

 

 

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< 6. 石窟内の壁画 2 >

 

中央: チベット仏教の影響がみられる。

 

 

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< 7. 仏像 >

 

上: 初唐時代の彩色塑像。

下: 北魏時代の塑像。

造営初期の4~6世紀の仏像で、顔の形が細長い。

衣の表現はマトゥラー仏に似て薄く襞が少ない。

 

 

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< 8. インド風の石窟 >

 

北魏時代のもので、石窟全体を再現している。

この原型はインドの石窟群に見られるもので、礼拝者が仏像の安置された祠を周回出来るようになっている。

祠は掘り出されているので天井は繋がっている。

私はレプリカであっても初めて見ることが出来たので嬉しかった。

 

 

全体の感想

展示のコンセプトは石窟の部分的な再現にあるようで、全体の雰囲気を容易に掴むことが出来る。

この便利な地、蘭州で手軽に敦煌莫高窟を楽しめるのは有難い。

 

少し残念なのは、少しレプリカが雑なように思う。

表記は中国語だけです。

今後増えるかもしれないが、現時点で展示が少なめです。

 

 

 

 

 

 

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< 9. 蘭州博物館 >

 

上: 入り口。

省都の博物館でありながら、小さい。

それでも見る価値はあると思います。

 

中央: 半山類型(馬家窯文化)の彩陶鼓。

左に写っている土器が太鼓です。

土器の下部に皮などを被せ、紐で無数の突起に縛ったらしい。

5000~4000年前のものらしい。

西安から遠く離れたこの乾燥した地に、人々が文化を育んでいたとは思いもよらなかった。

 

下: これは浮橋で、前回紹介した中山橋(黄河第一橋)の前進にあたるものです。

黄河の両岸にそれぞれ二本の鉄の杭を打ち、縄を張り、小舟を繋いだ。

 

 

 

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< 10. 金城 >

 

蘭州が初めて行政区になったのは前漢の時代(紀元前1世紀)で、金城県と呼ばれた。

この城の模型は、初期の金城県の城を示しているのでしょう。

今の蘭州中心部より西側にあった。

 

 

 

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< 11. 発展した蘭州 >

 

 

何時から今の蘭州中心地に移ったかはわかりませんが、黄河に面して巨大な城砦となった。

下の写真の左下に水車が見える。

 

玄奘三蔵などはこの城を通って、西域を目指したのでしょう。

 

 

全体の感想

 

写真を載せていませんが、遊牧民の文化が中国初期の土器に影響を与えた袋状の三本足の土器もありました。

展示品は少ないが、西域と接する文化を少しは感じることが出来た。

 

見学途中、突如、蘭州のテレビ局のインタビューを受けた。

蘭州の感想を尋ねられたが、適当に褒めるだけで終わった。

なにせ来たばかりなので。

最近は日本人の観光客が少ないようで、驚いていた。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 25: 蘭州到着と白塔山公園


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今回から、蘭州を紹介します。

今回は蘭州西駅到着時のエピソードと、

翌日、最初の観光地、白塔山公園を紹介します。

 

 

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< 2. 観光スポット、上が北 >

 

上: 赤線は新幹線、紺色線は成都への飛行ルートです。

 

中央: 私が訪れた所を赤枠で、行けなかった所を黒枠で示します。

ここが蘭州の中心地です。

1: 中山桥

2: 白塔山公园

3: 敦煌艺术馆

4: 兰州西关清真大寺

5: 兰州市博物馆

6: 华润万家(天水路店)、大型スーパー

7: 五泉山公园と近くにある人気の蘭州牛肉麺店

8: 蘭州西駅(新幹線到着駅)

9: ホテル、兰州金地名庭酒店

順次紹介して行きます。

 

行けなかった所

10: 甘粛省博物館

長期の改修工事に入っていたので入館できなかった。

 

11: 正宁路小吃夜市(と张掖路步行街)

到着日の夕方から行くつもりだったが、妻の体調が悪くなり断念した。

 

炳霊寺石窟

時間的に無理だった。

理由を前回紹介しています。

 

下: シルクロードの全体像を示します。

右端が西安で少し進んで蘭州になります。

 

 

 

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< 3. 蘭州西駅 >

 

蘭州西駅は非常に大きいので迷って無駄に歩くことになりました。

タクシー乗り場が分からなかったからです。

 

上: 赤矢印がおおよそのタクシー乗り場です。

左の白い矢印は西安、蘭州中心部の方向、東側を示します。

 

下: この写真(借用)は上図の青矢印の方向から撮影されたものです。

タクシー乗り場を赤矢印で示しています。

この乗り場は蘭州中心部行きかもしれません、反対方向(西側)にもそれらしい乗り場が見えます。

 

私は新幹線を降りて、ホームから階下に降りて、出口(北側)に向かって進み、出た所で左側に曲がりエスカレータで上に出ました。

そこがこの写真で示されている広大な階上の広場でした。

 

間違いに気づき構内に戻って、警官にタクシー乗り場を聞きました。

乗り場は、先ほどの出口を出ずに右に曲がって行くとありました。

そこは天井は覆われ分かり難い所にありました。

タクシー乗り場では少し並びましたが、次から次へとタクシーが来ますので、直ぐ乗れました。

 

しかし、ここでもまた問題が発生しました。

運転手に漢字表記のホテル名を示したのですが、分からないと言う。

取り敢えず、ホテルのある中心部に向かいました。

街中をぐるぐる巡ったのですが、分からない。

ついに運転手は、歩道を行く青年に声を掛け聞きました。

彼はホテルを知っていたので、タクシーに乗り込み道案内をしてくれました。

こうして無事に着きました。

 

私は、彼に謝礼を渡そうとしたのですが、彼は受け取りませんでした。

彼は終始笑顔で親切な青年でした。

今回の中国では、多くの人に親切にしてもらった。

 

この運転手は、憤慨し当たり散らすことなく、真摯に対応してくれた。

中国では、スマホの百度地図の画面などで行先を見せないと駄目なようです。

 

 

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< 4. ホテルを朝出発 >

 

下: 宿泊したホテル。

 

一晩宿泊した翌日は、初めて日本語ガイドに案内してもらいます。

車1台をチャーターし、スーツケースも載せて、1日観光の後は直接空港行きのバスに乗ります。

次回、現地ガイド会社を紹介します。

 

 

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< 5. 中山桥 >

 

朝8時半でしたが、団体の中国人ツアー客が橋の前にけっこういました。

中国で人気があるようで、橋と黄河の夜景写真がインターネット上に沢山ありました。

本来は、夜市に行く時にこちらも見たかったのですが。

 

上: 橋が見えます。

これから橋を渡り、白塔山に向かいます。

 

下: 橋の反対側に延びる通りです。

 

 

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< 6.橋を渡る >

 

この橋は黄河第一橋とも呼ばれます。

この地は黄河が縦断しており、内陸と北西を繋ぐ交通の要衝でした。

目の前の黄河を渡河することは一大事でした。

 

14世紀、明の時代、多数の小舟を繋いだ浮橋が造られました。

1907年、清朝は30万両の大金をつぎ込みドイツ企業に依頼し鉄橋を建設しました。

これが全長6000kmの黄河に架かった最初の固定式の橋でした。

 

さらに日本軍が中国に侵攻した時、中国側の北部(ソ連?)からの物資輸送を断つために、この橋を爆破しようとした。

しかし間違った橋を爆撃したので、この橋が残ったのです。

 

後で知ったのですが、今回私が旅をした蘭州、成都、麗江、昆明は毛沢東の長征のルートの逆回りでした。

私は外縁を巡ろうとし、毛沢東は劣勢の中、山岳戦で外縁部を転戦したのです。

 

下: 黄河上流、西側を望む。

人口300万の蘭州市なので、高いビルが連なる。

こちらは中心部でないのですが。

この地が、かつてシルクーロードのオアシス都市で、漢民族と西方民族との境界になった辺境の地だったとは思えない。

 

 

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< 7. 白塔山公园が見える >

 

上: 黄河の下流、東側を望む。

右手が中心部になります。

 

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< 8. 白塔山公园に入る >

 

何処に行っても、太極拳やダンスに興じている姿を見ることが出来る。

人々は新しいものを取り入れているようです。

 

 

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< 9. 階段はきつい >

 

 

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< 10.法雨寺 >

 

 

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< 11. 法雨寺に入る >

 

上: 仏教寺院だが、左手にチベット仏教特有のマニ車が見える。

 

下: 三尊仏は日本でもよく見かける様式だと思います。

この手の仏像の顔を見るとほっとする。

 

 

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< 12. 蘭州中心部の眺め >

 

上: 蘭州中心部の眺め

下: 山頂の塔が見える。

 

 

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< 13. 山頂 >

 

左下: 白塔と呼ばれる七重の塔。

 

右下: 塔の前で線香をあげる所。

ここでは、お賽銭や線香をスマホで買う為のQRコードが表示されていました。

 

この塔の起源は、元の時代に遡ります。

チンギスハンは西域、チベット地域を平和的に統一することを望んだ。

それに応えてチベット仏教のラマ僧がモンゴルに向かわされたが、彼は蘭州で死んだ。

後に、元は西夏王国を統一し蘭州を領土とした。

そしてこのラマ僧を祭るために白亜の仏舎利をここに建立した。

現在の塔は、崩壊後、明時代に再建されたものです。

 

 

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< 14. 裏山 >

 

上: 黄土高原ではつい最近まで、穴居生活をする人々がいた。

現在は禁止されているようですが。

、山肌に見える住居は、はっきりは分からないがその痕跡を残しているように思える。

 

下二枚: 元来た道を下る途中。

 

 

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< 15. 筏のアクティビティ >

 

歩いて橋を戻ると、羊の皮に空気を入れた筏に乗る人々が見えた。

河岸から川の中央まで、手漕ぎで進んで来た。

多くの人が楽しんでいた。

 

中央: 南側の河岸から出発している。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 24: 新幹線で西安から蘭州まで


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今回は、前回に続いて新幹線からの車窓風景を紹介します。

この西安から蘭州までは、かつてのシルクロードで、

おおよそ漢民族の支配の限界地でした。

少し西域の雰囲気を味わうことができます。

 

 

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< 2. 新幹線のルート >

 

下: 赤線が今回の車窓風景の範囲です。

写真はすべて撮影順に並んでおり、線路の北側を撮っています。

写真の左側が進行方向になります。

 

西安は広い盆地ですが、やがて剥き出しの山々の間を列車は進みます。

幾つもの黄河の支流、渭河(渭水)などが曲がりくねり、深い谷間が行方を遮ります。

列車は幾度もトンネルを抜け、河を渡り、時折、谷間の盆地を通過します。

そして山を越える度に空は澄んでいきます。

 

 

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< 3. 西安駅を出て >

 

写真は西安の都市部から外れまでです。

高層マンションが林立しています。

 

下から2番目の写真: 今から20年ほど前まで見られた煉瓦積みの農家は沿線でほぼ見られなくなった。

今は、新しい造りの2か3階建ての家か、高層マンションに替わった。

 

一番下: 前回も合わせて6時間、車窓から墓を探していたのですが、撮影できたのはこれだけでした。

肉眼では他にも一つか二つ見たのですが。

畑の中央に、白い墓石らしきものがポツリ、ポツリと左右に見えます。

ここでも墓が集約されておらず、一つづつ独立しています。

もしかしたら井戸の設備かもしれませんが。

 

 

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< 4.杨陵南站付近 >

 

ここもまだ西安を中心とした広大な盆地の一角です。

 

一番下: 珍しいキリスト教会。

現在、中国ではキリスト教が普及しており、政府が警戒しているとの話を耳にしました。

共産主義国家で宗教が認められていることが不思議ですが。

 

もう一つ、不思議な光景があります。

それはここから西に進むとブドウ畑が増えてくることでした。

 

 

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< 5. 岐山の辺り >

 

下から1番と2番: 岐山站前後の風景です。

ここもまだ広大な盆地の中です。

 

この岐山辺りには歴史的な魅力があります。

一つは、周王朝の発祥の地であり、紀元前7百年前頃まで、周王朝(西周)の中心地でした。

秦の始皇帝の時代は、これより東側、今の西安西の咸阳に首都が造られた。

秦の時代も、盆地北側にある岐山を神聖視していた。

 

いま一つは、三国志で最後の舞台となる五丈が原もこの辺りです。

諸葛孔明と司馬仲達が戦った所です。

その台地は、おそらく線路の南側にあるので確認できませんでした。

 

 

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< 6. 宝鸡南站 >

 

この駅に停車したのは13:10です。

ここで盆地と別れ、列車は山岳部の谷間に入って行きます。

 

ここでも高層建築群の建設中が目立ちます。

今回、特に印象深かったのは、高層マンションの建築は数棟ではなく百棟を越える規模で同時進行していることです。

しかも、いたるところで、奥地でも。

 

これまで30年ほどの間に、7回ほど中国を旅行したが、益々中国全土の津々浦々まで、開発が及んでいることに驚かされた。

 

下の写真: 建築工事の様子。

今から10年以上前までは、建物は煉瓦積み、高層建築でも工事現場の足組に竹を使用していたのを見た。

様変わりしている。

 

 

 

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< 7. 宝鸡南站と天水南站の間 1 >

 

宝鸡南站を出ると、直ぐ山間に入り、長いトンネルを抜けると、少し視野が広がって来た。

明らかに空の様子が異なる。

今までのどんよりとしたぶ厚い雲ではなく、湧き上がる雲の間に微かに青空が見えるようになった。

 

それでもこの辺りの平野部は、曲がりくねった渭水の両側に幅1~2kmの幅しかない。

山肌は荒れて、草木で完全に覆われている所はない。

河はどこでも泥流だった。

 

 

 

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< 8. 宝鸡南站と天水南站の間 2 >

 

天水南站に近づくと、平野部が少し大きくなり、高層のビル群が増えた。

またブドウ畑も多い。

 

 

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< 9. 天水南站を過ぎて >

 

天水南站に着いたのは13:57です。

この辺りが、西安と蘭州のほぼ中間地点になります。

益々、周辺の山々は深くなっていきます。

この天水から東南約50kmの所に麦積山石窟(世界遺産)があります。

 

上から二番目の写真: 山の頂上に寺院らしい建物が見える。

その右側の急斜面には、この地方特有の民家群が段々状に連なっている。

 

 

10

< 10. 秦安站辺り >

 

一番上の写真: はじめて山頂に狼煙台らしいものを見た。

ここは秦安站の手前になります。

この駅には停まりません。

 

他の三枚の写真: 秦安站を過ぎてから。

 

 

11

< 11. 通渭站に至る >

 

この駅に停車したのは14:28です。

蘭州までは後1時間弱で、これが最後の停車駅です。

 

上: また狼煙台を見つけた。

唐代まで遡るのだろうか?

 

下から二番目の写真: 風力発電機の製造。

こんな奥地に、金属加工の製造メーカーがあることに驚いた。

他にもいくつか見た。

 

実は、天水から蘭州、敦煌を含む甘粛省は中国最大の石油埋蔵量があり、、また鉱産物が豊富で、多くの希少金属の埋蔵量でも中国第一位です。

この細長い盆地に中国10大工業都市があるのです。

 

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< 12.定西北站まで >

 

 

13

< 13. 定西北站 >

 

ここは通過するだけです。

 

 

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< 14. 蘭州に到着 >

 

蘭州西駅に到着したのは15:20です。

さすが甘粛省の省都だけあって、高層ビル群がさらに増した。

 

追記

やはり新幹線は車窓の景色が楽しめるので良かった。

 

西安(長安)から蘭州もシルクロードの一部なのですが、蘭州から以西の敦煌までが、黄河を渡って進むので河西回廊と呼ばれた。

地図で見ると、大きく北に迂回していた黄河が、一気に南に遡上しこの蘭州を横切る。

黄河を渡河しなければならないことが、境界となり、旅人の逗留地となり、蘭州の役割を高めたのだろう。

 

今回、西安から蘭州までの道のりで既に緑が少なく険しいことを知った。

かつての交易商人や西域に仏典を求めた僧らが、この険しく長い道のりを行き来したのだと感慨深かった。

 

シルクロードを少しでも味わってみたいと思い、今回の旅行に蘭州を組み込んだ。

中国旅行でビザを必要としない限度の15日間で、中国の外縁部一周、廈門、北京、(開封)、西安以西のシルクロードの一都市、成都、麗江、昆明、

広州)、香港を一周しようとしたら、蘭州までが精一杯でした。

香港と広州は、香港の騒乱で直前に取止めました。

蘭州には新幹線で入り、一泊して次の夜には航空機で成都に飛ぶ強行軍でした。

列車で成都に向かうのは時間が掛かり過ぎるので止めました。

 

残念だったのは、世界遺産の炳霊寺(へいれいじ)石窟に行けなかったことです。

本来、丸1日(約7時間)で観光出来るのですが、観光シーズンが終わっており、ボートでの渡河時間が読めず、夜の飛行機に乗るのが無理だったからです(高額でも良ければ可能なのですが)。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 23: 新幹線で開封から西安まで


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今回は、2回目の新幹線からの車窓風景を紹介します。

開封から蘭州まで行ったのですが、西安までを紹介します。

開封のホテルと開封北駅も簡単に紹介します。

 

 

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< 2. 新幹線のルート、上が北 >

 

赤線が今回の新幹線乗車ルートで、黒線が前回の北京―開封間ルートです。

今回の走行距離は約1200kmで乗車時間は6時間3分、乗り継ぎはありません。

この高速の直行便G2023は1日1回で、朝9:17発、15:20蘭州西着です。

この間を在来の直行列車で行くと、14~18時間かかり、夜行が多い。

蘭州まで新幹線が行けるようになったのは2017年からです。

現在、中国は凄い勢いで新幹線ネットワークを整備しています。

 

飛行機は早くて良いのですが、空港が不便な位置にあるので、移動が数百km以内なら新幹線の利用がお薦めです。

概ね、新幹線料金の方が航空運賃よりも安いことが多い。

今回、新幹線を選んだのは、車窓の景色を楽しみたいのと、両都市から空港が遠いためでした。

 

 

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< 3.开封银祥酒店(开封鼓楼广场清明上河园店) >

 

私達が2泊したホテルを紹介します。

今回の中国旅行で、最もフロントスタッフが素晴らしかった。

建物が少し古く、正面玄関が少し路地に入った所にあるのが残念だが、後はまったく問題なかった。

鼓楼通りに面しているので夜市も直ぐに行け、バスの利用も交差点から何処へでも行けます。

 

私は最後の日、朝早く出発して新幹線に乗るのが不安だったので、フロントに色々相談した。

彼女らは、数人がかりでタブレットの自動翻訳を使い、笑顔で親切に対応してくれた。

タクシーを呼ぶ時間も決めてくれ、当日の朝、予定通りにタクシーは来た。

他のホテルではここまで親切ではなく、大きなホテルほど愛想がなかった。

 

開封に行かれる方には、このホテルはお薦めです。

 

 

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< 4. 開封北駅にて >

 

この駅は新幹線の駅で、私が北京から到着した駅です。

幾つかのエピソードと利用について紹介します。

 

乗車について

ここは北京西駅と異なり、入場口は一つしかなく、パスポートを見せなければならない外国人は、数ヵ所のゲートの内、係員が立っている所に行けばよい。

ここで切符とパスポートを見せ、荷物検査を受けて入場する。

切符売り場はこの入場口から外側を右に行った所にある。

次いで、直ぐエスカレーターで2階に上がる。

これは蘭州行き、西側行きの列車に乗る場合の事です。

反対行きの場合は、おそらく1階の待合室で待ち、改札を経て反対側の2階ホームに上がるのでしょう。

 

写真3枚: すべて2階待合室の様子。

広いので立って待つことは無いようです。

売店、トイレもあります。

 

中央: この電子掲示板はホーム側に面した中央上部にあります。

この下が改札口になります。

列車到着の前になると、数ヵ所の改札口に人が並び始め、私はここでも係員のいる所に並び、ホームに入りました。

 

 

助けられたエピソードを紹介します。

 

入場時の荷物検査で、妻は係員に止められ、中国語の厳しい口調で注意された。

私達は訳が分からず立ち往生していると、並んでいた40代前半の男性が英語で「ナイフがあるので、出してください」と教えてくれた。

妻がスーツケースを開け、小型の万能ナイフを取り出し、係員に見せた。

これで無事、取り上げられることもなく通過出来た。

 

今一つは、私は「停車中の列車にスムーズに乗れるか?」が不安でした。

そこで待合室で、近くいる若い女性に切符を見せながら「私の乗る車両はホームの何処に着くでしょうか?」と尋ねた。

すると彼女は快く、「教えましょう」と言ってくれた。

 

私が改札を抜けると、彼女は私達をホームのある場所に案内し、ここで待ちなさいと教えてくれた。

周辺には何の表示もなく、他の乗客は皆、何故か私と違うところに並んでいた。

不安な時が流れたが、停車した列車の乗車口はぴったりと合っていた。

彼女は違う車両に乗った。

 

不思議な女性でした。

彼女は旅行客ではなく、新幹線を日常的に利用しているようでした。

しかし親切な人がいるものです。

 

実は、開封でタクシーを計4回利用したのですが、良いものも悪いものもあった。

開封北駅のタクシー乗り場からとホテルで予約したタクシーは、親切で問題はなかった。

しかし街中で流しのタクシーを拾った2回については、少し問題があった。

一つは、目的地の手前数百メートルで降ろして、後は歩いて行けと言い、きちっと料金は取られた。

どこかに急いで行く途中だったのだろう。

もう一つは、料金を高めに取られたことです。

もっとも高いと言っても額は小さいが。

 

 

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< 5. 開封から洛陽龍門へ >

 

車窓風景の写真は時間の順に並んでいます。

この4枚は開封から洛陽龍門までの約1時間ほどの景色です。

私は進行方向右、つまりいつも北側を見ています。

途中、鄭州東と他に一つの駅で停車しています。

 

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< 6. 洛陽龍門周辺 >

 

この4枚の写真は、洛陽龍門駅に入る所から、15分間ほど走った景色です。

ここは歴史的に有名な古代王朝の宮殿が幾たびも造営されたところです。

今はその面影はないが。

 

黄土高原が迫って来た。

 

 

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< 7. 渑池南站まで >

 

洛陽龍門駅から25分のところにある駅で、停車しません。

 

一番下の駅が渑池南站です。

 

 

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< 8. 幾度も黄河に出会う >

 

一番下の写真は黄河だと思います。

この辺の走行では、曲がりくねった黄河を幾度も渡って行くことになります。

ここを過ぎれば黄河は大きく曲がり、北上していきます。

巨大な山脈の谷間を流れる黄河沿いのこの地域、洛陽からこの辺りまでは、古来より西安にとって要衝の地でした。

詩に謳われた函谷関を既に過ぎたようです。

これから中原ではなく、関中に入って行きます。

 

残念ながらガス(黄砂?)がかかり、小雨が降りそうな天気、さらに窓ガラスも汚れていて遠くが見えず、良い写真が撮れなかった。

 

 

 

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< 9. 渭南北駅 >

 

この辺りは西安のある広大な盆地で、高層ビルが乱立するようになった。

上から二枚目の写真は、停車した渭南北駅だと思います。

 

 

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< 10. 西安北駅に到着 >

 

今回の移動の約半分を来た。

3時間弱の乗車でした。

 

この駅が今回のルートでは鄭州東と並んで最も大きい駅です。

西安には数々の遺跡がありますが、以前観光しているので、今回は省きました。

 

下2枚: 車内の写真。

これは2等席です。

シートの幅、前後が狭いとは思いません。

ただ横方向に2席と3席が並ぶので、夫婦で旅行する時は、2席の所に座りたい。

今回、そのようにしました。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 22: 鉄塔公園とショッピングセンター


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今回は、北宋時代の物が残っている鉄塔公園と

ショッピングモールを紹介します。

 

 

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< 2. 観光ルート、上が北 >

 

S(大相国寺の前)からバス(赤線)に乗り、途中1回乗り継ぎ、鉄塔公園の前まで行きました。

1の鉄塔公園内を散策した後、またバス(オレンジ線)に乗り、2のショッピングモールの前まで行きました。

歩いたところは茶色線で示します。

このモールで夕食を済まし、またバスに乗り、黒四角のホテルに戻りました。

茶色枠は今回紹介する所、緑枠は既に紹介した所です。

 

 

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< 3.大相国寺近くのバス停から >

 

 

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< 4. 乗り継いだバス停から >

 

この通りは鼓楼街の近くの解放路で、メイン通りの一つのようです。

 

 

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< 5. 鉄塔公園の前 >

 

上: バスを降りて、鉄塔公園までの途中にあった果物屋。

小さい店ですが、果物は豊富でした。

大きなザクロがあったので買いました。

 

 

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< 6.鉄塔公園に入った >

 

私は公園内を鉄塔に向かって中央の道を行き、見学後また引き返した。

従って公園の半分も見ていないと思います。

 

 

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< 7. 接引殿 >

 

公園のほぼ中央にある最も大きな建物です。

中には仏像があり、壁には極彩色の絵がありました。

この銅像は宋金代(約11~12世紀)のもので、絵は「西方極楽世界図」のようです。

 

 

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< 8. 鉄塔の全景  >

 

スリムながら堂々とした塔です。

名前の由来の通り、表面は光沢のある褐色のタイルで覆われている。

建造されたのは北宋時代(1049年)で、宋が最も栄光に包まれ開封が栄えていた頃でしょう。

 

やっと当時の開封を偲ばせるものに出会えた。

 

 

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< 9. 拡大 >

 

下の写真の入り口から鉄塔の中に入ることが出来き、螺旋階段を登ることが出来る。

そして上の写真の窓から外が見える。

私は疲れるのを避けて入らなかった。

 

 

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< 10. 塔の外壁 >

 

見える限りの壁面は、仏像の浮彫で覆われていました。

 

下: 入口。

 

 

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< 11. 宋都御街 >

 

上: 南側から宋都御街を望む。

中央の門の向こう側が宋都御街で、この道を行くと龍亭公園に至る。

この公園の地に、かつて王宮があった。

現在の建築群は70年ほど前に再建されたもので、テーマ―パークに成っている。

 

下: ショッピングモールの万博时代广场。

中には大型のスーパーやショッピング街、飲食街がある。

 

 

 

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< 12. 夕食を食べた所 >

 

私がここに来た時、飲食店はどこも準備中でした。

それで看板に惹かれて、この店に入り、何時から始まるのかと聞くと、店員は今からでもOKと言ってくれた。

私は適当にセット料理を注文したのですが、今回の旅行で唯一おいしくなかった料理でした。

 

加熱されたタレの入った鍋に、串に刺した食材を入れて食べる料理でした。

期待していた肉類は少なく、ほとんどが乾瓢(かんぴょう)のような食材でした。

慌てて、失敗した。

 

中国では、様々な地域の料理が組み合わされ、新しいものが生まれているようです。

西安料理や韓国料理、寿司などが見られた。

 

私がこの店の席に座ったのは、定刻の30分前でしたが、柔軟な対応に驚いた。

また食べながらフロアの通りを見ていると、他店の前では店員が10名ほど並び、朝礼のような事をしている所もあった。

この朝礼のような事は、他の地域でもちらほら見たし、中には全員で復唱させられている場面もあった。

日本を思い出した。

 

右上: この店の前に従業員募集の看板があった。

店長の月給は64000~128000円のようです。

皿洗いで37000~42000円らしい。

他の地域でもこの手の看板を見たが、賃金の相場は同じだった。

 

私の感じでは、職能により差はあるが給与は意外に高く、地域による差が少ないようだった(訪問した都市では)。

 

 

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< 13. 夜の宋都御街 >

 

ショッピングモールを出ると、外は暗かった。

 

下: 宋都御街の南に延びる通り。

 

この通りの両側には様々な店舗が開いていた。

 

 

 

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< 14. バス停 >

 

ここからホテル近くまで行くバスに乗り、ホテルに帰った。

明日早朝には新幹線に乗ってこの地を去ります。

 

 

これで三つの都市、廈門、北京、開封を見終えた。

廈門は風光明媚な地にある発展した都市、北京は歴史もある巨大都市で、二ヵ所共、二度目の訪問でした。

15年ぶりの訪問だが、二つの都市は再開発が進み、古く汚い町並みは消えているようでした。

 

初めて訪れた古都開封には、予想通りと言うか、本当の歴史を感じさせるものが少ない。

それでも中原と呼ばれる地、黄河中流域の古代から発展した地に立ってことはうれしい。

以前、観光した洛陽とは異なり、こちらはどこまでも平坦でした。

 

驚いたのは、陸の孤島のような古都開封の郊外がどんどん開発されている事でした。

北京から開封までずーと窓の景色を見ていると、開発可能な途方もなく大きな大地が有り余っている、そんな気がした。

これ以上、人口が増えると中国だけでなく世界も困るが。

 

 

次回に続きます。

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中国の外縁を一周して 21: 大相国寺


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今回は、開封にある大相国寺を紹介します。

今も昔も開封で一番大きい寺です。

 

 

 

大相国寺について

この寺の始まりは北斉時代の555年ですが、その後廃れ、唐の時代に復活しました。

宋時代(960年-1127年)になると大相国寺(禅寺)として首都最大の寺となります。

その後、黄河の氾濫や兵火に遭い廃れました。

清朝時代の1766年になって大修復が行われ、現在まで続いています。

 

弘法大師(空海)は唐の時代にこの寺に立ち寄ったそうで、立像があります。

また水滸伝の舞台の一つです。

梁山泊第十三位の好漢、魯智深(花和尚)はこの寺の菜園の番人だった。

境内に彼の怪力を示す像があります。

 

 

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< 2. 大相国寺の地図 >

 

右上: 百度地図から。

左側で上下(南北)に細長いのが大相国寺の境内です。

右上の少し離れた所に鼓楼広場があります。

散策は南側の山門Sから入り、ほぼ赤線の通りに真ん中を進み、左に折れて、出口Eから出ました。

他に出入り口は無いように思います。

 

右下: 寺にあった配置図。

SとEは同じで、途中、右側の鼓楼に寄っています。

 

 

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< 3.山門と広場 >

 

上: 山門。

 

下: 山門側から南側を望む。

 

延慶観からここまではタクシーを使いました。

こちらは観光客が多かった。

 

 

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< 4. 菊が綺麗でした >

 

開封では例年この時期に菊花展が行われます。

多くの観光地では菊が盛大に飾られていました。

 

 

 

 

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< 5. 鼓楼 >

 

上: 外観。

 

下: 1階の入った正面にある像。

地蔵王菩薩と記されているが、冠にはチベット仏教の様式が伺える。

この寺を復興した清の皇帝はチベット仏教を推進していた。

 

 

 

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< 6. 天王殿 >

 

上: 外観。

 

下: 内部の像。

中央に1体、それを囲む4体の像は四天王像のようだが、所持品が異なるので、日本でおなじみの組み合わせ(持国天、増長天、広目天、多聞天)と異なるようです。

通常、四天王像は山門と本殿の間にあります。

 

北宋の時代、北方の遼の像や四川省の石窟では日本人好みの尊さや思慮深さを感じさせる仏像が造られていたが、ここで見るものはかなり作風が異なり、粗雑な感じさえする。

これらは寺が復興された後、ここ三百年以内に造られたものでしょう。

韓国の比較的新しい四天王像の顔もこれらに似ていたように思う。

 

なぜこのように凡庸な姿になってしまったのか。

中国の仏像彫刻が日本に影響を与え、また素晴らしく感じられるのは概ね唐代まででしょう。

中国の宗教としては仏教熱は唐代までで、やはり儒教が中心で、そして道教が勢い付き、仏教は衰退していった。

 

権力者の庇護がなくなり、仏師の技術が衰え、制作費も乏しかったのだろう。

さらに仏教は道教などと混淆し世俗化して行く中で、仏像の顔は崇高なものから親しみ易いものになったのだろう。

不思議なことに、韓国でも中国でも日本に馴染みのある端麗な顔の仏画が残されているのだが。

 

この謎はまだ解けない。

 

 

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< 7.  大雄宝殿 >

 

上: 外観。

 

下: 中国式の太くて長い線香。

ほとんどは観光客だが、数本の線香を捧げて黙々と祈願している女性がいた。

黄色い服を着ているのは僧侶か、寺の使用人のようです。

 

 

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< 8. 大雄宝殿の三世仏 >

 

上: 三世仏。

仏像三体の組み合わせで、仏様の過去・現在・未来を表す。

中央は釈迦如来で左右に薬師如来、阿弥陀如来だそうです。

 

下: 三世仏の裏側。

日本やタイなどの仏像(光背)の裏側に多くの小さな仏像が集められていることがあるが、ここでは派手に飾らている。

ここでも祈りを捧げている人がいた。

 

 

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< 9. 羅漢堂 >

 

上: 外観。

有名な千手観音が見られる堂です。

中央に千手観音がある八角堂があり、それを囲むように別棟の八角形の回廊があり、中に五百羅漢像が並べられている。

 

 

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< 10. 千手観音と羅漢像 >

 

上: 千手観音。

同じ形をした4面の千手観音からなる。

銀杏の一木彫りで、高さ7m、金箔貼りの像です。

18世紀、復興後の作品です。

 

下: 回廊の羅漢像。

 

 

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< 11. 蔵経楼と資聖閣 >

 

上: 手前が蔵経楼で、奥の高い塔が資聖閣です。

 

下: 蔵経楼内部の像。

中国で玉の像を見かけることはあるが、緑色をした像はタイで見かける様式でした。

 

 

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< 12. 出口に戻る >

 

上: 蔵経楼の前を振り返る。

 

下: 出口に向かう途中で、振り返ると資聖閣が見えた。

 

 

 

想像していたものより大きな境内でした。

宋時代の面影がほとんど無いのは残念ですが、中国では古い物が完全に残っていることは稀なので仕方ない。

それでも多くの仏像や、三百年前の姿を見れたことは有難い。

開封府のテーマパークよりは、少しは本当の歴史に触れられた気がする。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 20: 開封府と道観


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「武汉加油!武汉加油!」

 

今回は、テーマパークの開封府と道教の延慶観を紹介します。

開封府は思っていたより楽しむことが出来ました。

道教の寺を見る念願が叶いました。

 

 

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< 2. 散策マップ、上が北 >

 

上: この地図は借用しました。

二つの赤矢印が今回紹介する所です。

中央の赤四角がホテルです。

ホテルから開封府まで2kmぐらいです。

行きは路線バスで行き、少し歩きました。

スマホの百度地図で簡単にルートがわかります。

 

下: 開封府内の地図。

おおよその散策ルートを赤線で示しています。

Sから入り、数字の順番に歩き、最後はEから外に出ました。

 

 

 

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< 3. 朝、ホテルから >

 

上: 昨日、夜市を見下ろした同じ位置から撮影した。

中央に鼓楼が見え、その左に大相国寺の四重の塔が見ます。

 

下: 開封府の門です。

この門の左側に入場券売り場と入場口があります。

さっそく入場し城壁の上まで登り、写真の大きな櫓の左側に行きました。

すると広場でちょうど朝9時からの催しがありました。

後で紹介します。

 

このテーマパークへの入場料は通常大人75元ですが、60歳以上半額、70歳以上免除です。

パスポートを見せればOKで、今回の旅行では多くの入場料が半額か免除だったので助かりました。

 

このテーマパークの開場時間は7:30-19:00(春、夏、秋)です。

9時から30分毎に、演舞などの催しが各場所で行われています。

演目と場所は入場券の裏に書かれています。

 

 

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< 4. 城壁の上から内側を眺める >

 

写っている古風な建物はすべてテーマパークのものです。

 

 

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< 5. 銅鑼を叩きながら行進が始まりました >

 

どうやら裁判のワンシーンが始まるようです。

 

 

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< 6. 包拯 >

 

上: 広場の主役の額には三日月がありました。

包拯のトレードマークは色黒と額の三日月です。

 

下: これはどうやら生家を示しているようです。

包拯は長江の北側の合肥で生まれました。

 

 

 

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< 7. 様々な復元物 >

 

このテーマパークは北宋時代の首都開封の宮城を再現したものだそうです。

下の写真には如何にも中国歴史ドラマに出て来そうな奇岩が見えます。

 

 

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< 8. 先ほどの奇岩の上部に登りました、番号2 >

 

奇岩はまったくの張りぼてでした。

それでも池と柳、折れ曲がった橋、それらを囲む建物、どれも中国らしい風情です。

 

 

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< 9. 裁判所、番号3 >

 

ここは敷地のほぼ中心にあります。

中に入ると、ドラマで良く見た裁判シーンに出て来る部屋でした。

 

 

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< 10. 番号4と5の建物で >

 

下: 庭先で、簡単な剣舞の後、この踊りが催された。

 

 

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< 11. 番号6に向かう >

 

上: 古楽器の演奏。

中央の楽器はハンガリー(ブタペスト)で見たジプシーの楽器に似ていた。

 

下: 多くの時代装束を着た一行が集まって来ました。

何か楽しいことが始まる予感!

 

 

 

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< 12. 抱腹絶倒の劇、番号6 >

 

上: 観客がどんどん中に入って行くので、私も中に入り最前列に並び、見学しました。

 

下: どうやら飛び入りさせられた男性が、結婚式の新郎役を務めるようです。

 

左でマイクを持った人が、新郎役をいじりながら、観衆に語りかけ、笑いの渦に巻き込みます。

言葉は分から無いのですが、実に面白い。

彼は名司会者でした。

 

あっと言う間に開封府の2時間が過ぎました。

催しが一番良かった。

展示物や建物に興味を惹くものはほとんど無かったが、宮城全体の雰囲気を感じられて良かった。

ただどこまで忠実に再現したものかは疑わしい。

不思議に思ったのは、宮城にも関わらず皇帝に関連するものが非常に少ないことでした。

 

あまりにも包拯一色でした。

 

この開封中心部には様々な歴史テーマパークがあり、近くに包公祠、清明上河园、龙亭公园があります。

私は時間の都合で、中規模のこの開封府だけにしました。

 

 

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< 13. 開封府から延庆观へ >

 

出口から北に200mほど行った所にこの道教の寺はあります。

 

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< 14. 延庆观 >

 

私は今回、中国の仏教寺院、道観(道教の寺)、チベット仏教寺院、イスラム寺院を見比べたいと思っていました。

この延庆观が今回唯一見た道観です。

 

上: 中央にある玉皇閣。

珍しい様式です。

 

この延慶観は中国三大名観の一つです(他に北京の白雲観(白云观)、四川の常道観常道观)。

この道観は、道教の二大宗派の一方を創始した金時代の人物を記念して建造された。

 

下: 玉皇閣を取り囲む建物の一つ。

中には道教の様々な神々が祀られている。

 

ここには観光客は居らず、所々で熱心な信者が座って祈りを捧げていました。

 

 

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< 15. 道教の神々 >

 

概ね3体が並び、中央が最も高位の神です。

しかし道教の神は非常に数多く(百を超えるか)、見るたびに名前が異なります。

また仏像と違って仙人か皇帝、または武人の姿をし、椅子らしきものに座っていることが多い。

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 19: 開封の夜市


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今回は開封の夜市を紹介します。

妻と二人で食べ歩いた。

実に楽しかった。

 

 

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< 2. ホテルから見下ろした夜市 >

 

上: ホテルの部屋から見下ろした夜市。

夜市は東西に延びる鼓楼通りで毎日あります。

中央に鼓楼が建っています。

 

下 : ホテルを出て、通りの反対側からホテルを見上げている。

奥の背の高い建物がホテルです。

 

ホテルを出たのは夜の6時45分頃でした。

この日は2019年10月20日の日曜日でした。

 

 

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< 3. 夜市へ向かう >

 

上: ホテルを出て直ぐの通りの反対側を見ている。

左側の櫓のような舞台で一人の女性が朗々と謳いあげていた。

韓国のパンソリに似ていると思った。

 

下: 夜市がある鼓楼通りの地下街。

服飾や雑貨の店が多く、店舗は皆飾り気がなく小さい。

庶民向けのショッピング街と言ったところでしょうか。

安い品物もあった。

 

 

 

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< 4. 夜市に出た >

 

写真の左右に鼓楼の建物が見える。

ここは夜市の中心で、大きな広場を囲むように所狭しと屋台が並んでいた。

すべて飲食を提供する屋台だけのようです。

屋台で注文して、自由にテーブルに座って食べます。

来ている人々は、すべて地元の人のようでした。

少なくとも団体の観光客を見ることはなかった。

食べ物の種類は豊富で、ゲテモノから定番の中華料理、得体の知れない料理までありました。

比較的、海鮮や串焼きが多いように思った。

 

今まで、台湾や中国などの夜市を観光で訪れたが、今回はじっくり楽しめた。

時間に制約されず、テーブルに座れるのが良かった。

 

 

 

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< 5. 様々な屋台 1 >

 

 

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< 6. 私達が食べたもの >

 

下: 私が食べたもの。

私は胃腸が弱いので、結局、ありきたりの料理、材料が分かる料理を頼んだ。

歩き回り、色々選んで合計6品を妻と分けて食べました。

概ね温かく美味しかった。

 

私達夫婦が注文で困っていると、近くにいた若いカップルの男性が助言してくれた。

彼は開封外から来た人で、彼女と今ここにいるようでした。

後で、北欧でもやったアンケートの記入を依頼したら、快く受けてくれ、二人は相談しながら記入してくれた。

 

一つ教訓を得た。

直ぐ食べたいので客が並んでいない屋台で買ったら、美味しくなった。

これからは少し客が並んでいる屋台で買うべきだと!

 

 

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< 7. 色々な食材 >

 

 

 

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< 8. 一番人気の店 >

 

上: この店には長い行列が出来ており、次から次と売れて行きました。

近くで見ても材料が分からなかった。

半透明の泥っとしたあんかけの中に細切れの食材が入っていました。

 

中: 鼓楼です。

 

 

 

 

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< 9. 一番のお気に入り >

 

上と中: ここの串焼きが実に美味しかった。

この手の店は多いのですが、何人かが並んでおり、ここで一本注文しました。

この兄ちゃんは見かけによらず、非常に丁寧に胡椒やタレを塗り、時間を掛けて焼いてくれる。

この兄ちゃんに、「好吃!好吃!」(美味しい)と言っても、表情を変えず、また別の物を焼き続けた。

 

この隣の屋台は彼のお父さんがやっていました。

彼らはどうやら回族なのでしょうか、帽子からそのように思うのですが。

料理もそうだと思います。

 

 

下: 買い物の屋台。

食事が終わって、鼓楼通りから雑貨を扱う屋台が並んでいる脇道に入った。

ここも人は一杯でした。

驚くほど安い品物があり、いくつか土産を買いました。

 

 

異文化の夜の町に漂いながら、ふと旅の楽しみを満喫している自分に気付いた。

親切な人々に出会い、地元の人々の暮らしぶりに接することも出来た。

そして何事もなくホテルに戻った。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 18: 開封博物館と開封


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これから数回に分けて八大古都の一つ開封を紹介します。

この地は日本が平安時代の頃に世界最大の都市になっていた。

私は当時の面影を求めてやって来ました。

ちょうど開封市挙げての菊花展が行われていました。

 

 

開封について

ここは宋(北宋)の首都(東京開封府と呼ばれた)でした。

宋は日本人にとってあまり馴染みが無いかもしれません。

しかし宋時代には興味の尽きないものがたくさんあり、この開封で宋時代の全盛期が生まれました。

 

宋時代の代表的なもの

文治主義による統治、中国最長の王朝。

商業と海外貿易、貨幣経済の発達。

三大発明、火薬・羅針盤・印刷術が生まれた。

朱子学や浄土宗が誕生した。

 

実は、私達に身近な物語「水滸伝」は宋時代を題材としたものです。

この時代に庶民文化が花開き、「三国志演義」の元となる講談が人気を博していた。

(この二つの物語が完成したのは明時代)

 

 

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< 2. 宋時代の人気者 >

 

これらは人気テレビドラマのタイトルで、下二つは日本でも放映され、私も見ました。

水滸伝、岳飛、包拯が中国では絶大な人気を博しています.

 

水滸伝は多くの好達が梁山泊に集い、国の為に戦う物語です。

岳飛は南宋時代、異民族の侵略を食い止めた勇猛な武将でしたが、宰相に謀殺され悲劇の人となった。

包拯は北宋時代、清廉潔白で名裁判官と評され、大岡越前と似ている。

 

 

 

 

 

 

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< 3. 北宋の開封 >

 

なぜ開封なのか?

 

上: 北宋時代(960~1127年)の領域。

黒四角が開封(東京開封府)です。

この後、北方騎馬民族の金が南下し、宋は開封を捨てた。

その領域(南宋)はおおよそ長江流域から南側とし、勢力は衰えた。

 

下: これは当時の水運ルートを示した地図(博物館より)。

青線が自然の川で、赤線が運河です。

このことにより北部(北京や西安、洛陽)と南部(上海、南京)が黄河と長江を介して直結されていた。

隋王朝が大運河を造ったことが画期となった。

 

開封は黄河沿いにあったので古くから発展していたが、唐が滅んだ後の1世紀は内乱が続き、かっての首都長安や洛陽は荒廃していた。

そして運河を利用出来た開封が宋王朝の首都になったのでしょう。

 

 

 

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< 4. 開封城 >

 

上: 開封城。

この図が何時の時代を表しているかは不明。

現在、開封の城壁や城門の一部が残っているのは内城のものです。

この地は幾たびも戦火と黄河の氾濫に遭い、遺跡は地下に眠っています。

現在見られる城郭は清代に建設されたものです。

 

下: 梁山泊の位置を示したもの。

開封を赤四角、梁山泊を赤矢印で示す。

 

 

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< 5. 開封博物館の位置 >

 

上: 赤四角が開封の位置。

左(西)に鄭州、洛陽、西安、右に商丘、徐州がある。

これらは古代より名を馳せた地でした。

 

中: 今回、私が訪れた所です。

Sが開封北駅、Mが開封博物館、赤枠が開封の内城です。

多くの観光スポットがこの赤枠内にあります。

赤枠内の三つの黄色の円が、私の観光した所です。

Hが二泊したホテルです。

 

開封博物館へは開封北駅からタクシーに乗りました。

博物館からホテルまでは、公共バスを一度乗り継いで行きました。

黒線がそのおおよそのルートです。

 

下: 開封北駅の全景(借用)。

ここも相変わらず駅前広場が広すぎて、タクシ―乗場に向かうのが一苦労でした。

タクシー乗場は広場前方にあり、標識で分かります。

タクシーは次から次とやって来るのですぐ乗れました。

 

 

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< 6. 開封博物館 >

 

ここは数年前に出来たようで、それまでの開封の内城内からこちらに移転して来た。

実に、巨大です。

この日は2019年10月20日の日曜日でもあり、見学者は多かった。

ここはパスポートを見せれば無料です。

 

上: この写真は博物館の西側を撮影したものです。

タクシーがこの西側で下ろしてくれた。

 

この入り口の右側の建物に入り、パスポートを見せてチケットをお貰いました。

私達は大きなスーツケースを持っていたので、別のカウンターに行き、荷物預けを頼みました。

カウンターの若い女性係員の一人と英語でやり取りが出来き、こころよく預かってくれた。

 

下: 荷物を預けて、一度建物(チケット窓口)をでて、本館の入り口に向かう途中。

外側を見ている。

 

 

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< 7. 館内へ >

 

上: 入館したばかりの所。

至るところで工事中か模様替えを行っていた。

 

中: 当時の開封の街並みを描いた絵。

眼下に街並みの賑わいが伺える。

 

下: 唐三彩。

 

 

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< 8. 開封城の復元模型 >

 

上: おそらく外城、内城、王宮の全体を復元したものでしょう。

何時の時代かは不明。

内城、中央の奥に王宮らしきものがあり、その右手前に大相国寺らしいものが見える。

 

当時、この狭い城内に百万人が暮らし、凄い人口密度だった。

内城の一辺は約4kmです。

 

下: 内城の時代ごとの変遷図。

 

 

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< 9. 開封の賑わい >

 

上: 当時の夜市が描かれている。

当時の開封の賑わいを知るには『清明上河図』が良いのですが、博物館にこの絵がありました。

 

実は、夜市は宋時代から始まり、この絵のような街並みも宋時代からなのです。

それ以前、例えば唐時代では市(商取引)は城内の限られた広場で限られた時間に行われ、官吏が厳重に監視していました。

しかし宋時代になると、商取引は通りで常時行われ、更に夜市も許されるようになりました。

これにより通りの様式が様変わりしました。

 

唐の長安では門を抜け大通りを行くと、左右は屋敷の壁で囲まれていた。

しかし、開封ではこのように町家の軒先が通りに面し、人が自由に往来出来たのです。

柳が町や湖畔を植えられるようになったのも宋時代からだそうです。

 

こうして経済が発展し、大衆文化が花開いたのです。

 

 

中: オペラの舞台のようなものです。

開封の夜市に行った時、道路に面したこのような舞台で一人の女性が朗々と歌っていました。

 

下: 店舗。

 

 

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< 10. その他の展示 >

 

上: 薬屋でしょうか。

 

下: このような近代の街並みも再現されています。

 

写真は撮っていないのですが、驚いた展示もありました。

それは日中戦争に関わるものでした。

日本軍がこの地に侵攻していたのです。

1937年に盧溝橋事件が勃発し日本軍が南京を占領した後、徐州作戦で開封を占領したのはその1年後でした。

 

中国人に交じって一人、侵略する日本軍の状況を見るのは嫌なものです。

とは言っても、中国や朝鮮半島各地を観光していると大概、戦禍を知ることになりますが。

 

旅行先で色々知ることができました。

桂林のような山奥でも日本軍が進攻していました。

北京の盧溝橋の傍にある中国人民抗日戦争紀念館では、日本軍の残虐行為を示す写真が並んでいます。

蘭州でも日本軍が鉄橋を爆撃したと聞いた。

これらはすべて日中戦争での出来事です。

 

また廈門の奥、山間部にある客家土楼では、かつて倭寇が攻めて来たと書かれていた。

この倭寇は日本人が主体ではないかもしれないが。

 

 

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< 11. バスで開封の中心部に向かう >

 

上: 開封博物館の全景。

 

中: 開封博物館の西側。

この奥の方に開封北駅がある。

 

下: 開封博物館の横を東西に走る道路。

道は非常に広いが車は少ない。

 

タクシーとバスから外を見ていると開封の発展に驚かされました。

開封北駅から開封の中心部(内城)までは高々ここ数年間の大規模な都市開発で出来たようです(開封北駅の開業は2016年)。

原野のようなところに忽然と高層のマンションが林立し、また途切れます。

その規模の壮大さに圧倒されます。

実は、これから巡る奥地でも同様かそれ以上でした。

 

 

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< 12. 途中の景観 1 >

 

バスの乗車で注意すべき事を一つ。

今回、途中で1回バスを乗り替えたのですが、バス停の名前が紛らわしい。

バスの路線によって乗り換えるバス停の名前が違うのですが、実は同じバス停に違う二つの名前がついていたのです。

スマホの百度地図アプリを使用しGPSで位置確認していたので間違うことは無かったが、バスが来るまでは不安でした。

バス停の名前には注意してください。

 

 

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< 13. 途中の景観 2 >

 

 

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< 14. 開封の中心部 >

 

鼓楼通りと交わる交差点に降り立ちました。

ここからホテルは直ぐです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 17: 新幹線で開封へ


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今回は、中国の新幹線乗車を紹介します。

北京西駅から開封北駅までの車窓の景色も紹介します。

乗車したのは2019年10月20日の朝でした。

 

 

 

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< 2. 北京西駅の紹介 >

 

北京には幾つかの鉄道と新幹線駅があります。

中国の高速鐵路、高鐵が日本の新幹線に相当します。

北京西駅は地上二階が鉄道駅で、地下には地下鉄が直交するように入っています。

日本のように構内を相互に自由に行き来出来ません。

 

主な手順

私が新幹線に乗車した経路を赤線と黒線で示します。

先ず、1階南側(下のS)の入口から入場し、次いで手荷物検査を受けます。

それが終わったら、エスカレーターで2階に上がります。

表示されている番号の待合室に入り、改札を待ちます。

ここまでは赤線のルートで、待合室は黄色枠の11室でした。

 

改札が始まると改札口を通り、表示されている番号のホームに降ります。

座席指定になっているので、切符に記載されている号車と座席に従って乗り込みます。

 

この間、特に問題がなくスムーズに進みました。

幾つかの注意は、以降写真に従って説明します。

 

 

私の乗る列車

高速鉄道G801、商丘行き、1等、座席指定

北京西駅9:15発―鄭州東12:03着―開封北12:26着

一度だけ鄭州東駅で停車だけで、乗り継ぎの必要はありません。

開封北まで行くにはこの列車以外では鄭州などで乗り継ぎが必要になります。

 

乗車券はインターネットで「中国鉄路」と「Trip.com」で購入出来ます。

日本語表記で買いやすいのは「Trip.com」です。

今回、ほとんどのホテルと一部の航空券は「Trip.com」で購入しました。

しかし、Trip.comでの高鐵の予約は、座席指定なのに、指定はコンピューターの自動振り分けです。

また中国国内を優先するのでせっかく前もって予約しても購入出来ないことがあるようです。

従って、私は中国の友人に購入を依頼し、現地で乗車券を貰った。

 

「中国鉄路」サイト

https://kyfw.12306.cn/otn/leftTicket/init?linktypeid=dc&fs=%E4%B8%BD%E6%B1%9F,LHM&ts=%E6%98%86%E6%98%8E,KMM&date=2018-12-16&flag=N,Y,Y

 

「Trip.com」

https://jp.trip.com/trains/china/list?DepartureStation=%E5%8C%97%E4%BA%AC&ArrivalStation=%E9%96%8B%E5%B0%81%E5%8C%97&DepartDate=2020-02-03&TrainNumber=

 

 

 

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< 3. 入場から2階へ >

 

上: これは前日の夜に撮影したものです。

中国人以外は写真の右端のゲートから入って下さい。

外国人(私)はパスポートと乗車券を、係官に見せて確認してもらいます。

中国人は証明書を機械に通して自動で入場しますので、「人工」から入場します。

つまり外国人は係員がチェックするゲートから入ることがポイントです。

 

中央: 二階から1階の手荷物検査場を撮影。

 

下: 二階に上がった所。

 

 

 

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< 4. 2階フロア >

 

広い通路の両側に売店や待合室が並んでます。

 

 

上と中央: 先ずは大きな表示板で、乗車券の列車番号(私の場合、G801)の待合室と発車時間を確認します。

 

下: 待合室の表示があります。

 

 

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< 5. 待合室 >

 

今回、待合室内の座る位置は特定されていなかった。

以前、別の新幹線駅では列車と1等、2等の別で座る場所が決まっていたことがあった。

この部屋では、二ヵ所の改札があり、電光掲示板で改札する列車が表示された。

 

ここでも、外国人はパスポートと乗車券を係員に見せる。

つまり係員が立っている改札口に並ぶこと。

改札口を抜けると、皆同じホームに行くのでついて行けば良い。

 

 

一つだけ注意があります。

待合室のトイレにトイレットペーパーの常備が無く、購入するにはスマホ決済でなければならないことです。

自分のトイレットペーパーの持参が必要です。

 

 

ここである情景を見ることが出来ました。

 

待合室の座席に若い女性と老夫婦が並んで腰かけていました。

老夫婦は若い女性の両親のようで、どうやら両親は田舎から娘の働く北京見物に来たようです。

そして別れの時が迫って来ました。

娘は土産を両親に持って帰るように促すが、両親は娘こそがそれを持つべきだと拒否しているようでした。

娘さんは、ちょうど一人子政策による一人娘なのでしょう。

篤くなるものがありました。

中国語が分からないので、推測ですが。

 

今回の旅行では、このような親子の温かい触れ合いを幾度か見ることがありました。

日本と違って、このような親子の触れ合いを外でも、ためらうことが無いようです。

イスラム圏(トルコやモロッコ)でも同様でした。

 

 

 

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< 6.北京とお別れ >

 

下: 中国では平気で自然を大改造し、植林のスケールが広大です。

 

 

 

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< 7. 走り出して10分ぐらいまでの所 >

 

茫漠たる原野に無数の高層ビルが建ち、真新しい道路が突っ切る。

 

 

 

 

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< 8. 走り出して30分から1時間30分の所 >

 

二十から三十年前に見た煉瓦を積み上げただけの殺風景な家屋は見当たらない。

 

 

 

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< 9. 走り出して1時間45分から2時間の所 >

 

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< 10. 走り出して2時間15分から2時間30の所 >

 

上と下: この二つには、3時間余りの乗車でやっと見ることが出来たものが写っています。

 

それはお墓です(明確ではありません)。

上の写真では、畑の奥の中央に7基ほどの墓石が見えます。

下の写真では、畑の中央に1基だけ見えます。

このよう田畑の中に島のように墓があるのはベトナムでも見ましたが、中国では非常に数が少なく、墓石の規模も小さいようです。

韓国では木立に覆われた山の斜面を少し切り開き、日当たりの良い所に数基単位で墓が造らていることが多い。

 

後に分かるのですが、西安近辺では墓の様子が変わって来ます。

 

 

中央: これは黄河なのでしょう。

あまり川幅が広くないので驚いた。

後に訪れる蘭州で黄河の上流を見ることになります。

 

 

 

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< 11.鄭州東に到着 >

 

この駅は大きく、東西の線=商丘―蘭州と南北の線=北京―香港が交差している重要な交通の要所にある。

 

この地は黄河の南側にあり、中原と呼ばれ、古代から中国の中心でした。

多くの先史文化や王朝の首都が置かれ、西に洛陽と東に開封がある。

 

 

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< 12. 鄭州東から開封北へ >

 

上: 鄭州を過ぎて開封に向かうと、養殖池らしいのが目につくようになった。

 

下: 開封北駅に到着。

乗っていた列車とお別れです。

 

 

 

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< 13. 列車の室内 >

 

1等の車両です。

左右に2列シートで、前後の間隔も広く、十分すぎるぐらい広い。

2等は2列+3列シートになりますが、私としては2等で充分でした。

席を指定できない場合、夫婦水入らずで座るには1等が良いかもしれませんが。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 16: 琉璃廟大街から西単大街へ


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今回は、書道関連品や骨董品の店が並ぶ通りと大きなショッピング街を紹介します。

ショッピング街で夕食をとりました。

今回で二日間の北京観光が終えます。

 

 

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< 2. 散策マップ、上が北 >

 

概略のルート

上のS、故宮站で下記の観光バス(赤線)に乗り、天壇の西横、Eの天桥站で降りました。

本当は天壇に行くつもりでしたが、元の両替に時間がかかり行けなくなりました。

次いでタクシー(ピンク線)を拾ってCの琉璃廟古文化街に行きました。

ここを西の方に散策(茶色線)し、大通りに出てバス(黒線)に乗り、Dの西単で降りました。

 

 

 

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< 3. 北京观光1线公交线について >

 

このバスは写真のようなレトロな1階バスです。

このバスの走行ルートは、上記地図の青線で下側の永定門内站からスタートし戻って来ます。

バス停名は上記の通りです。

 

 

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< 4. 北京观光1线公交线に乗る >

 

上: 私が乗ったバス停は故宮と景山公園の間にあり、ちょうど景山公園の入り口が見えています。

 

 

下: バスの内部。

ここで一つハプニングが起きました。

このバスには女性の車掌が乗っています。

その車掌が、立っている妻の前で座っている男性を、突然きつい口調で注意しました。

男が立って席を空けてくれたので、妻は座ることが出来ました。

 

年配者のマナーが良くないことは多いが、他のバスでも車掌が注意して正すことがあった。

この辺りが独特です。

 

 

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< 5. 天安門広場を望む >

バスの車窓からの眺め。

 

上: 地図のAから毛主席記念堂を望む。

もの凄い人だかりです、故宮に行く為でしょうか。

 

下: 地図のBから正阳门を望む。

この門が昔の内城(紫禁城をさらに取り囲む)の南側の門でした。

左が正阳门で右が正阳门(箭楼)で、500年の歴史があります。

 

この観光バスを天桥站で降りたのですが、手持ちの元が少なくなったので、両替出来る銀行を探しました。

近くにはあったのですが、二軒目が両替可能でした。

ところが中に入って、係員の説明に従って書面を記入するまでは何とか出来たのですが、窓口で順番を待つ時間が非常に長い。

合計1時間以上かかってしまい、天壇には行けずじまいでした。

これは開封の銀行でも同様でした。

 

中国はスマホでのIT金融は非常に進んでいるのですが、従来の金融、銀行業は旧態依然としているようでした。

もっともこんなところで両替するのが間違いなのですが。

スマホ決済出来ない方々は十分に現金を持っておいてください。

 

 

 

 

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< 6. 琉璃廟古文化街に到着 >

 

上: 古文化街はこの道路を東西に横切る形で延びている。

 

下: 後に中央の通りを西に進むことになります。

 

 

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< 7.東側の琉璃廟古文化街 >

 

上: 道路の東横にあるこの広場の北側に古物店が並ぶ海王村古玩市場があります。

入ってみましたが、安い土産品を買うような所ではないようです。

 

下: 通りを東側に行く。

しかし、次のバス停が西側なので、直ぐ折り返した。

 

 

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< 8. 西側の琉璃廟古文化街に入る >

 

書道関連品の紙や筆などの店が軒を並べている。

何軒か古物店に入ったが、値札を見ると高価であり、関心を惹くものは無かった。

ただ書画用の絵図(印刷された花鳥風月、人物、風景画)は非常に見ていて楽しかったが、荷物になるので買わなかった。

 

 

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< 9. 琉璃廟古文化街を抜ける >

 

中国はどこに行っても建設ラッシュであり工事中です。

 

 

 

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< 10. 西単大街に来た >

 

上: 西単大街には、王府井に比べ団体の観光客が少なく、若い人が多かった。

 

下: 王府井でもそうだったが、バラ売りお菓子の個包装がけばけばしい色をしている。

 

 

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< 11. ショッピングセンターの一つに入る >

 

 

 

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< 12. レストラン街を目指す >

 

ビルに入りエスカレーターで上がると、これまたドギツイほどのカラフルな内装とけたたましい音楽が迎えてくれた。

このワンフロアがレストラン街になっており、火鍋のレストランに入りました。

以前、北京で食べたオーソドックスな火鍋ではなく、肉とそれ以外の食材が豊富でした。

鍋の汁も異なっていた。

しかし美味しく、また楽しめた。

セットメニューを選んだのですが、選択肢が多く、店員とのやり取りではかなり苦労した。

 

私は中華料理が好きですが、本当にバラエティーに富んでおり、今回の旅行では本当に食事を楽しむことが出来た。

 

 

 

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< 13. 西単の地下鉄駅を目指して歩く >

 

地下鉄を乗り継いでホテルに戻ります。

これで北京最後の夜を終えました。

明日は、新幹線に乗り開封に向かいます。

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 15: 観光バスで巡る北京


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今日は、北京の観光バス3号線からの眺めを紹介します。

約1時間、北京中心部の北西部にある幾つかの観光地を車窓から見ました。

 

 

 

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< 2. 観光バス3号線について >

 

上: 「北京城市观光3线公交车」の情報とバスの外観。

私が乗ったのは「下行」で、頤和園の北門から紫禁城の神武门(北門)まで行きます。

下の地図の青線が、そのルートです。

バス停は合計12箇所です。

サービスは何もないが、ゆったりしたシートに座りバスの2階から景色を楽しめます。

料金は大人20元、一卡通提示で15元です。

 

下: 走行ルート、上が北。

乗車のバス停は頤和園の北門の東側直ぐにある大きなバス駐車場の道路沿いにあります。

降車のバス停は紫禁城の北側、景山公園南門の前の道路沿いにあります。

ここは、この戻りのバスや他の観光バスの発車場所になっていますので、多くのバス停があり非常に込んでいました。

 

このルートで私が楽しみにしていたのは、中関村(北京のシリコンバレー)、鳥の巣(オリンピックのメインスタジアム)、鼓楼と城門(德胜门箭楼)でした。

 

私は途中一度も降車しませんでした。

 

 

 

 

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< 3. 観光バス3号線の内部 >

 

上: 観光バス3号線の2階。

 

下: 圆明园、最初の観光地です。

 

 

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< 4. 精華大学 >

 

上: 精華大学の門が見える。

 

下: 通りを示す看板に「中関村」とある。

バスからは確認できなかったが、近くに中関村サイエンス・パークと呼ばれるところがある。

 

この周辺には世界有数の精華大学、北京大学、国家の研究機関などが集まっており、また日本を含む海外のIT代表企業が研究所を建ている。

IMB、Microsoft、Apple、Intel、Nokiaや富士通など。

中国と海外企業がここに毎年数兆円をつぎ込み、200を越える研究所、参加企業数は4万社を越える。

ここは中国の科学技術と産業発展をリードしている重要な地域の一つです。

北京には他にもこのような場所があり、当然、深圳や天津、蘇州など各地にも多数ある。

 

これらが、中国が幾つかの先端分野で米国を抜く特許件数を出す理由の一つだろう。

国を挙げての取り組みと、それに乗る海外企業の多さに驚くばかりです。

 

ここでも旧態依然とし、乗り遅れることに無頓着な日本を思ってしまう。

 

 

 

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< 5. 北京大学 >

 

上: 北京大学。

 

 

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< 6. 鳥の巣 >

 

上: 鳥の巣が左側に見える。

中国らしく、全てが巨大で広大、歩く気になれない。

 

下: バスはこの一帯を一周した。

斬新な建物が目を惹く。

 

 

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*7

 

スモッグらしいが、視界が悪い。

 

 

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< 8. 德胜门(徳勝門 ) >

 

これはかつての内城(北京)の北側の門の一つで元朝、15世紀に建てられた。

 

 

 

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< 9. 鼓楼と钟楼(鐘楼) >

 

上: 右が鼓楼、左が钟楼(鐘楼)。

鼓楼は13世紀に始まり、大太鼓と角笛で時を知らせていた。

鼓楼は他の古都でもよく見かける。

钟楼は15世に始まり、63トンの銅製の鐘があった。

この二つは紫禁城を南北に貫く中心線上にある。

 

下: 鼓楼。

西安で見たことがあり、今回、開封でも見ることになる。

 

 

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< 10.終点に近づいた >

 

上: 鼓楼を過ぎた什刹海の辺り。

前日訪問した場所です。

 

下: 遠くの山頂に景山公園の建物が見える。

ここも前日訪問した場所です。

あの反対側に着くと、バス観光は終わります。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 14: 北京、頤和園の後半


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今回は、頤和園の後半を紹介します。

登りがあるので疲れますが、変化があり楽しめました。

撮影は2019年10月19日10:50~12:30です。

 

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< 2.散策ルート、上が北 >

 

赤線が散策ルートで、Sから始め、駐車場Eで終わります。

駐車場からは、北京の観光周遊バスに乗って北京中心部まで戻ります。

 

 

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< 3. 排云殿から登り始める >

 

標高差60mほどの急な階段を昇ります。

 

 

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< 4. 仏香閣の前からの眺め >

 

上: 登って行く時に、右側に見える奇岩と建物。

手前から敷华(奇岩群と思われる)、转轮藏(一群の建物)です。

 

下: 昆明池が広がる。

ガスっていなければ絶景なのですが。

 

 

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< 5. 仏香閣 >

 

上と左下: 仏香閣

 

右下: 1階に安置されている南无大悲观世音菩萨。

高さ5mで、明朝の1574年に銅で鋳造された。

ここは1860年の英仏連合軍によって焼かれたが、後に西太后が改修した。

後の文化大革命にも、この像は残った。

それは管理局がこの仏香閣の正面に毛沢東像を置いたからだそうです。

中国を旅行していて、本物の古い物が博物館以外で見られることは少ない。

ありがたいことです。

 

今回、頤和園を是非とも見たかったのは、ここが西太后との因縁が深かったからでした。

西太后はこの頤和園を愛でる為に、莫大な費用をかけて改装した。

本来、日清戦争の軍備に回すべき資金を使い果たした。

敗戦を招く愚かな行為の代償がここに残っている。

 

 

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< 6. 仏香閣から >

 

上: 仏香閣を出て、敷华と转轮藏を見下ろす。

 

左下: 众香界(門のような建物)を見上げる。

 

右下: 仏香閣を見る。

 

 

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< 7. 四大部洲 >

 

私は仏香閣を抜けるとすぐ万寿山の峰に出て、北側に下山し始めました。

すると異様な光景が目に入って来ました。

私は訪れたことは無いのですが、眼下にチベット仏教様式の建物群が広がっていました。

 

なぜチベット仏教なのか?

そう言えば映画「ラストインペラー」で、西太后が死去した時、宮殿内をチベット僧らしき人が行き来するシーンがあった。

 

帰国後、調べました。

「四大部洲」とは、仏教で須弥山(しゅみせん)の四方の海の中にあるという四つの大陸を指します。

どうやら須弥山を中心にして、4大陸を象徴する建物が配されているとのことです。

 

それにしてもチベット様式でなくても良いはずなのだが。

金や元の時代に、中国の仏像がチベット仏教の影響を受けたことはあったが、一時期だけのものと思っていた。

しかし後に清朝は苦戦を強いられながらもチベットを征服した。

この事で、ここに四大部洲を再現するためにチベット様式を取り入れたのか?

もう一つ釈然としない。

 

それにしても巨大だったこともあり、突如異国に来たような感覚に囚われた。

 

 

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< 8.四大部洲の下側 >

 

 

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< 9.苏州街(蘇州街)に入る >

 

上: 四大部洲を見上げた。

 

下: 四大部洲から真直ぐ北に下ると、石橋の欄干が見えて来た。

ここが蘇州街です。

 

 

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< 10. 橋の上から両側を見下ろす >

 

今回、楽しみにしていた所です。

ここは江南の水鎮を模した売店が並んでいます。

乾隆帝の時代に造られ、様々な品物を扱う店が並び、宮廷の宦官や宮女が店員に扮して皇帝を迎えたそうです。

唯一の宮市の名残りだそうです。

ここも戦火に遭い、1986年に再建された。

 

 

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< 11. 苏州街の西の端 >

 

上: 西の端から中央を望む。

中央の石橋が見える。

 

下: 同じ場所から反対方向を望む。

こちらを進むと昆明湖に出る。

 

 

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< 12. 中央の石橋 >

 

 

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< 13. 東の端付近 >

 

それぞれの店は小さく、ほとんど売店です。

川と売店の間の道幅は非常に狭い。

私は上の写真の奥辺りの店で昼食をとった。

手軽だったので入ったが料理は即席で興覚めでした。

 

 

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< 14. 出口を抜ける >

 

頤和園は後半の方が、変化に富んで面白かった。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 13: 北京、北京西駅から頤和園


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今回は、北京西駅から頤和園までのバス乗車と、

頤和園の半部ほどを紹介します。

写真は2019年10月19日8時~11時頃の撮影です。

 

 

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< 2. ルート地図、上が北 >

 

上: 公共バス、394路(韩家川南站方向)による北京西站から西苑站までのルートです。

濃い緑がバス、薄い緑が徒歩です。

地下鉄を乗り継いでも行けるのですが、都市の風景を見たかったのでバスにしました。

バスなら乗り継ぎはありません。

 

 

下: 頤和園入場までと頤和園内のルート。

緑線が徒歩のルートで、右側のバス停から入場ゲートを通り、そして西側にある石舫までを示す。

今回の紹介は昆明湖に面した頤和園の南側だけになります。

次回は中央の丘を登り、北側を紹介します。

 

 

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< 3.ホテルの部屋からの眺め >

 

駅の北側を望む。

大きなバスターミナル、北京西站が真下に見える。

 

上: ほぼ真北を望む。

 

下: 少し東寄りを見ている。

並んでいる銀色と青色の屋根がターミナルです。

 

 

 

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< 4.バスに乗って >

 

上: バスターミナルとホテル。

バスターミナルへはホテルから直ぐに行くことが出来ず、迂回して大通りまで出なければならない。

予めバスの路線番号を調べていたので、乗車のバス停は直ぐわかった。

 

ターミナルの後ろが宿泊したホテル瑞爾威飯店(北京西鉄道駅)です。

便利な位置にありながら安かった。

朝食は別料金で、チェックイン時に払った。

特に問題はなかった。

すぐ横の北京西駅から朝9:15の新幹線に乗らなければならなかったのでここを選びました。

 

 

旅のヒント

新幹線で北京から開封と開封から蘭州に行く場合、1日の本数は結構あるのですが、朝の1本(9時前半発)を除いてみな巨大駅(鄭州や西安)で乗り換えになります。

乗り換えには不安があり、時間ロスもあるので避けた。

 

今回、様々な予約に初めてTrip.comを使いました。

中国のホテルのすべてと一部の航空券に使用。

新幹線は、事前に行っても予約を確約出来ないとのことで、友人に依頼しました。

新幹線も、旅程に余裕があるなら日本語で予約できるTrip.comはお薦めです。

 

航空券の多くは、中国の航空会社で買う方が安かったので直接購入した。

しかし航空会社のサイトは英語や中国語表記であり、トラブルがあると苦労します。

いずれ紹介しますが、結局、中国の友人にトラブルを解消してもらいました。

Trip.comは、日本語で質問を受けるコールセンターがあり、メールや電話でホテルの事などで幾度も確認することが出来た。

但し、オペレーターは日本語を喋る中国人です。

 

Trip.comでのホテル予約で、実害はないのですが少し違和感がありました。

それは予約完了と同時にクレジットカードで料金を支払っておいたのですが、ホテルチェックイン時にまた支払を請求された。

フロントマンはそれはデポジットだったと言ったが、英語や中国語でのやり取りなので納得できず、異議を唱えたが、結局支払った。

 

帰国後、調べると私達がホテルチェックインする前にはTrip.comから返金があった。

またすべてのホテルで、このような形で支払ったわけではなく、様々でした。

北京の1泊を除いて数日前までのキャンセルが無料なのは良かった。

鉄道や航空機、観光拠点などの都合で日程を幾度も組み替え、キャンセルをかなりしたので。

 

結論、Trip.comは中国旅行にはお薦めです。

なお来年、米国を周遊する予定ですが、数は多くは無いが米国でもTrip.comの方が安い場合があります。

 

 

下: 乗車したバス。

このバスは2階建てでした。

中国のバスは降車を知らせる押しボタンが無いので、2階に登ってしまうと、降車に間に合わないと思い上がりませんでした。

後に慣れて来て、降車の停留所が事前に分かるようになると、2階に上がりました。

 

このバスで驚いたのは、警備員が一人、初めから乗車していたことです。

彼はずーと立ったままで、適宜、乗客にマナーを注意しているようでした。

彼はちょうど私の横にいたので、びくびくしたのですが、何も注意されませんでした。

警備員の添乗は北京のこのバスだけでした。

 

 

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< 5. 頤和園までの車窓の眺め >

 

三日間の滞在中、北京の空はこのような感じでした。

中心部から離れているのか、渋滞は酷くはなかった。

 

やはりレンタルバイクをよく見かけました。

 

 

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< 6.バス停から頤和園の入場口まで >

 

上: バス停を降りて西(進行方向)に少し進むと、道路の左側に洒落た飲食街があります。

さらに進み分岐を左に行くと、写真のような広く静かな並木道に出ます。

次いでまた分岐を左に進みます。

この辺りは表示がないし、あまり人が歩いていないので危うく迷うところでした。

途中、人に聞いたのでわかりました。

 

中央: やがてたくさん人がいる所に着きました。

ほとんどの人は観光バスの団体のようです。

進んで右側が東門で、さらに右側に切符売り場があります。

 

下: 入場ゲートは人で一杯です。

ゲートの数が多いので、それほど待ちません。

 

バス停から東門まで1km強でした。

 

 

 

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< 7. 仁寿殿 >

 

上: 仁寿殿の庭にて

中央に麒麟の銅像が見える。

 

下: 玉澜堂の前から浮島の知春亭を望む。

左は文昌阁。

遊覧船が沢山繋がれている。

 

 

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< 8. 乐寿堂 >

 

上: 先ほどの写真撮影の位置から万寿山を望む。

山の手前の右側に逆さのU字型が見えますが、その向こうに乐寿堂があります。

 

下: 乐寿堂。

清朝の乾隆帝が母の皇后に建てた住まいです。

ここには頤和園最大の太湖石があり、写真の左側に一部が見える。

重量は20トンを越える。

 

 

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< 9. 長廊 >

 

上: 長廊と昆明湖の間。

人が多くて、とてもじゃないが散策を楽しむどころではない。

 

下: 長廊。

全長700mを越える木造の外廊。

梁に桁に14000もの絵が描かれている。

座ることは出来たが、鑑賞出来る雰囲気ではない。

 

 

 

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< 10. 昆明湖 >

 

上: 先ほど通って来た文昌阁や玉澜堂が見える。

 

下: 遠くの島は南湖岛。

この湖は南北と東西にそれぞれ1.7kmほどある。

 

この湖の名前がなぜ昆明湖なのか?

後に、私は雲南の巨大な湖、滇池を訪れるのですが、なぜこの名前がついたのか。

北京から昆明まで直線で2100kmも離れているのに。

 

起源前、漢の武帝は雲南征服を果たしたが、この時、長安に滇池に模して昆明池を掘らせ水軍を訓練した。

これにちなんで乾隆帝はそれまでの西湖の名を昆明湖に代えた。

この湖は昔は水運、この時は貯水池として使われた。

 

 

 

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< 11.>

 

上: 長廊。

 

下: 云辉玉宇牌楼。

この門のような建物は、千寿山の中央建築群の中心軸の出発点で昆明湖側にある。

 

 

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< 12. 石舫 >

 

上: 石舫。

船体部分は石で上部建物は木造。

乾隆帝の建築物が焼失後、光緒帝が外国の遊覧船に真似て再建した。

伯母の西太后は夏になるとここでよく休憩したそうです。

 

 

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< 13.排云殿 >

 

写真中央の排云殿を抜け、一気に千寿山を上って、頂上の佛香阁を目指す。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 12: 北京、中国国家博物館と北京西駅


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今回は、北京の中国国家博物館と新幹線駅の北京西駅を紹介します。

ここでもハップニングに見舞われ、あたふたしました。

中国を旅行される方の参考に顛末を紹介します。

 

 

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< 2.中国国家博物館 >

 

 

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< 3. 博物館の展示 >

 

非常に大きな博物館です。

色々な展示があったのですが、一番のお薦めは、中国の歴史を全体通して見れる展示です。

それこそ中国大陸の1万年の歴史、石器、土器、青銅器に始まり、玉器、兵馬俑、唐三彩、仏像、白磁に至るまでが揃っています。

それも各文明、王朝を代表するような国宝級の文物が時代を追って並べられています。

 

上記の写真は、特に私が気に入ったものです。

 

左上: 北宋時代の菩薩像。10世紀頃。

この時代の観音像や菩薩像は女性を思わせ、衣のひだがリアルで、身体と表情が実に艶めかしい。

 

他の三つ: 三星堆遺跡の青銅器。起源前二千年以上前。

今回の旅行で、成都の三星堆に通じる遺跡を訪れるつもりでしたが、ここで現物を見れたことは幸いでした。

大きな目と耳が特徴です。

 

 

 

 

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< 4. 天安門広場 >

 

中国国家博物館を16:30頃出た時の、天安広場の様子です。

広い広場はまだ人々で一杯でした。

 

上: 天安門広場を挟んで中国国家博物館の向かいにある人民大会堂です。

右側では、中国建国70周年にちなんだ展示が行われていました。

 

下: 中央に毛沢東記念館、その奥に正阳门、前门も見える。

正阳门はかつての宮城、内城の南側の門でした。

 

 

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< 5. 天安門 >

 

上: 天安門に向かう観光客がまだ列をなしている。

道路の手前にあるパイプ柵は警備用のもので、人々が天安門広場や博物館に入ろうとすると、ここで長い行列を待ち手荷物とパスポート(身分証)の検査を受けることになる。

威圧されるようなことは無いが、なにせ時間がかかる。

 

 

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< 6. ホテル天安大厦、八角形の屋根が見える建物 >

 

天安門広場から歩いてホテルに戻って来た。

この後、北京西駅横のホテルに移動する予定でした。

しかし、ここで思わぬトラブルに見舞われることになつた。

 

結論から言うと車に乗ったは良いが、行先を間違い、現金の支払いを拒否されてしまったことです。

 

切っ掛けは、ホテルのフロントでタクシーを依頼したことから始まりました。

若いフロントウーマンは、数ヵ所電話したうえで、タクシーは来ませんと答えた。

私は食い下がり、再度お願いした。

地下鉄を乗り継いで行くことは出来たのですが、疲れていたので。

 

すると彼女は、私のスマホでウィチャットや滴滴出行を使いタクシーを呼べますかと聞いた(そのような感じでした)。

私が使えないと言うと、彼女は自分のスマホを操作し、タクシーを呼んでくれた。

 

私は心配になり、「現金払いが出来るのですか?」と確認した。

通常、ウィチャット(スマホ)で支払うと聞いていたので。

彼女は「OK」と言った。

やがて車が来たので、手間を掛けた親切な彼女に礼を言って、出発した。

 

ところが走っていると、車は私がスマホで確認しているホテルへの道から段々外れて来た。

運転手にホテルが違うようだと言ったら、車を止めてくれ、行先を修正して再出発した。

 

やっとホテルの前に着いたので、皆ホットした。

そこで現金を支払おうとすると、彼はスマホ決済でないとだめだと断る。

私は出来ないと言うと、彼は嘆いて、怒ってまくしたてた。

 

仕方なく、中国の友人に電話をした。

友人は運転手と話してくれて、支払いは後で何とかすると言うことで話はおさまり、私は支払いをせずに車から降りた。

 

何が問題だったのか?

推測だが、一つはホテルウーマンが間違ったホテル名を入力した。

次いで途中で行先を変更したことで、支払方法設定でミスが出たのではないか。

現金払いもあるようです。

乗った車はタクシーではなく、普通乗用車でした。

 

今でも、不思議なのは、運転手が現金の受取を拒否したことです。

運賃は30元ぐらいでした。

これは恐らく、運転手は滴滴出行などによる評価やインセンティブ獲得の為に、スマホ決済を完了させたかったのだろう。

 

私は、ここに中国のIT利用の神髄を見た気がした(推測)。

 

つまり、普通のタクシーは大渋滞をしている北京中心部のホテルへの呼び出しを嫌うが、滴滴出行などは、乗客の信頼を得るために運転手にインセンティブを与えて、配車を可能にしている。

滴滴出行などのシェアビジネスはこのようなサービスを積み重ね人気を得ているのだろう。

 

これもこのトラブルで実感できたことでした。

 

 

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< 7.スマホの配車アプリ >

 

参考に借用しました。

 

 

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< 8. 北京西駅北側の地下街 >

 

スペースは広いが、店は多くはない。

上の写真の店で夕食をとりました。

安かった。

鉄道員の女性グループが来ていました。

 

 

 

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< 9. 北京西駅北側 >

 

私達のホテルはこの建物の直ぐ左隣、東側にあります。

二日後の朝、ここから初めて新幹線に乗るので下見に来ました。

夜8時を過ぎていました。

 

この駅前の広場や地下街には荷物を持った多くの人がいました。

30前の中国(広州駅)と60年前の大阪駅の状況を思い出します。

昔抱いた旅の高揚感が思い出されます。

 

 

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< 10. ゲートの確認 >

 

中国の新幹線は10年以上前に2回ほど乗っているのですが、自分で乗るのは今回が始めてでした。

友人が切符を買ってくれていたので助かりました。

後は、駅舎に入るゲート、待合室、改札、ホームの事が不安でした。

この日は、ゲートだけを確認しに来ました。

 

ゲートには数が多い「人工」と二ヵ所の「愛心□道」がありました。

「人工」の方では、人々は機械にカード(中国の身分証?)をかざして入場していきました。

「愛心□道」の方では、係官が身分証をチェックをしていました。

 

手空きの係員にパスポートを見せて、英語で「どのゲートから入れば良いか」と聞くと、「愛心□道」と指差して教えてくれた。

英語を使える人にはほとんど合わなかったが助かった。

 

このゲートを通過するためには、左側の切符売り場などで切符を買ってからでなければならないようです。

ゲートを通過すると、荷物検査があります。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 11: 北京、景山から什刹海まで


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今回は、紫禁城の北側にある二つの公園を紹介します。

景山の頂上から紫禁城が見下ろせます。

什刹海は古い街並みとお店が並ぶ今流行りの場所です。

 

 

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< 2.散策マップ、上が北 >

 

上: 今回の散策ルート。

赤線が徒歩、茶色の線がバスです。

この図は下図の青線の範囲になります。

 

最初、紫禁城を出ると(下のSから)、直ぐに景山を登りました。

次いで、頂上から西側に降り、ここで公共のバスに乗り、什刹海(E)辺りで降車しました。

ここから西側に向かい、湖に沿って歩き、右に折れて烟袋斜街に行きました。

戻って橋のたもとで昼食をとり、橋を渡った後、Rで折り返し、Eに戻り、バスで次の観光に向かいました。

 

写真は概ね、歩いた順に並んでいます。

 

 

下: 昔の宮城の範囲。

南北の長さは9kmほどありました。

 

紫禁城の始まりは、13世紀、モンゴル帝国が冬の都として大都を建設したことに始まります。

それは図の内城とさらに北側まで延びていました。

14世紀、北京が明の首都になり図のような大きさになり、清朝滅亡まで続きました。

 

景山は、明の時代、堀の残土で風水に基づいて造られた山です。

昔、什刹海周辺は皇族の住まい、その南にある北海公園は皇族の庭園でした。

 

 

 

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< 3. 景山公園へ向かう >

 

上: 明時代の宮城のイメージ(中国サイトから借用)。

 

下: 紫禁城北口を出て、景山公園に向かう。

頂上の真ん中と左の建物を目指します。

 

 

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< 4. 頂上まで >

 

上: 急な階段を昇って行きます。

 

左下: 最初に見える山の裾にある建物。

 

右下: 頂上の建物:

この日は建物で写真撮影が行われており、入ることが出来ませんでした。

 

 

 

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< 5. 頂上から >

 

上: 南側に紫禁城を見下ろす。

残念ながらガスていました。

これは黄砂なのか、スモッグなのか、霧なのか・・・。

黄砂の時期ではないはずなのですが。

この後、南の開封から西安までの間、同じような空模様が続きました。

空気が悪いと感じなかったし、マスクをしている人をほとんど見かけなかった。

 

下: 中央のオレンジ色の屋根の建物の遥か向こうに鼓楼が見えます。

正に紫禁城、景山と鼓楼は南北の中心線上に並んでいます。

 

 

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< 6. 頂上から下る >

 

左上: 辑芳亭。

頂上から西に向かって最初に見える建物。

 

右上: 富览亭。

峰上にある最も西側の建物。

 

下: 山を下った所、直ぐ西門があります。

鬱蒼とした森林です。

南に少し行くとトイレがあります。

 

 

 

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< 7. 什刹海に着きました >

 

上: バス停の鼓楼で降りた。

通りの奥に鼓楼が見えます。

 

下: 西に向かって進むと湖が見えました。

市民の憩いの場と聞いていたのですが、観光客で一杯でした。

時間帯が違うのでしょう。

 

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< 9. 烟袋斜街 >

 

私には風情ある街並みと言うより、単に土産物屋街に思えた。

買い物を楽しむ人には良いと思うが。

 

 

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< 10. 胡同(フートン) >

 

烟袋斜街の隣には、狭い路地に面して元統治時代の名残りの伝統的家屋が続く。

本当は壁の向こうの四合院を覗いて見たかったが、チャンスは無かった。

 

 

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< 11. 昼食のレストラン >

 

橋のすぐ前にある李记串吧(烟袋斜街店)に入りました。

ここはどうやら羊肉をメインにあらゆる料理(火鍋、麺、串焼きなど)を出している。

私達は麺と肉料理の一皿を頼みました。

味は良く、価格も手頃でした。

 

右下の写真は常連さんのようで、骨付き肉の火鍋を豪快に食べていました。

普通火鍋はスライスした薄肉を食べるようですが。

それにしても中国何処でも火鍋は人気なようです。

 

この度の旅行で、中華料理のイメージが変わりました。

昔からの八角などの香辛料だけでなく、味付けは非常に多岐にわたります。そして人々はあらゆる地方の料理を楽しみ、多くの飲食店は新しいアレンジを取り入れていました。

上記の店も、西域のムスリム料理をアレンジしたものでしょう。

 

 

 

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< 12. 橋の上から >

 

中国の湖畔や川端には柳が良く似合います。

 

 

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< 13. 風情のある湖 >

 

ビルが見えなければ、数百年前の風景を連想させます。

 

水面を覗くと、意外に透明度が高い。

水質向上に取り組んでいるようです。

 

 

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< 14. 人力車の大群 >

 

当初、人力車に乗って見たいと思ったのですが。

調べてみると、料金でトラブルことがあるみたいなので躊躇していました。

 

湖畔を歩いていると、二十台ほどの人力車が一団の観光客を乗せて列をなしていました。

風情があると言うより、壮観というか、ご苦労さんと言う感じでした。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 10: 北京、紫禁城


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今回は、北京観光初日に訪れた故宮、紫禁城を紹介します。

私の紫禁城への入場は2019年10月18日(金)9:00~11:00でした。

今回は2度目の見学で、前回見逃した所も見ました。

 

 

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< 2. ホテル天安大厦から >

 

上: ホテルの部屋から南河沿大街を見下ろす。

 

朝6:30、外が騒がしいので窓から外を見た。

すると多くの中国人の観光ツアー客が、次から次へと観光バスに乗って出発して行きました。

凄いバイタリティ!!

 

北京初日のホテル天安大厦は、紫禁城と王府井のちょうど真中にあり、価格もリーズナブルです。

設備が古く、エアコンの調子は悪かったが、朝食ビュッフェが良く、若いフロント係が非常に親切で良かった。

しかし、夕刻、ここから別のホテルに移動する時に、思わぬトラブルに遭うことになった。

 

下: 大通り、東長安街の東側を望む。

ホテルを8時過ぎに出て、歩いて紫禁城へ向かう。

道路は既に車で一杯でした。

空はガスっている。

 

 

 

 

 

3 mapa

< 3. 紫禁城の地図、上がほぼ北 >

 

赤線が私の見学ルートで、写真もこの順に並んでいます。

 

 

 

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< 4.いざ紫禁城へ >

 

上: 右に天安門、左に天安門広場の人民大会堂が見える。

 

東長安街を西に向かっているのですが、天安門に近づくと凄い人で道は埋まって行きました。

歩いて20分以内の距離なのですが、開場の8:30に間に合わない。

人の少ない朝一番を狙ったのですが、出鼻をくじかれた。

 

下: 午門。

この右手で入場券を販売している。

それは目立たない小さな窓口でした。

私達以外にこの窓口で購入する人はいなかった。

皆、事前にインターネットで買っているようでした。

圧倒的に団体客なので、添乗員などが手配しているようです。

 

天安門から午門の間は広いのですが、至る所に団体のツアー客が集合しており、ほぼ人で一杯でした。

 

 

5

< 5.午門をかえり見る >

 

上: 午門をくぐり、いよいよ入場。

 

下: 太和門側から午門を見る。

門と門の間で、この広さ!

 

 

6

< 6.太和殿 >

 

上: 太和門から太和殿を望む。

太和殿は宮廷で最重要な建物で、重大な式典ではこの広場に官吏がずらっと並びました。

今は観光客で一杯です。

 

ここで気が付き始め、中国を周っている間に確信したことがありました。

それは中国のおばちゃんの多くが深紅の服を着ていることです。

日本では恥ずかしくて着れないと思うのですが。

 

始め共産党礼賛だと思ったのですが、男性は少ないので、おそらく日本で言う還暦を迎えたら赤いちゃんちゃんこを着るようなものなのでしょう。

 

 

下: 太和殿から太和門。

 

 

 

 

 

 

7

< 7. 中和殿と保和殿 >

 

上: 中央奥に后右門。

中和殿と保和殿の西側にあり、ほとんど観光客は行かない。

 

下: 手前から中和殿、保和殿。

太和殿に続く建物です。

この二つの建物は、太和殿での式典の折、皇帝が休憩したり、更衣したりした場所です。

 

前回の20年ほど前と比べ、人が多く、建物の中を覗くのは困難でした。

この辺りでは人に押されて流されて行きました。

 

 

 

 

 

 

8

< 8. 乾清門 >

 

上: 左(西側)に隆宗门。

この広場から北側、西側、東側が内廷と呼ばれる。

この領域で皇帝が政務を行い、皇帝、皇太子や皇后などが暮らした。

 

下: 広場中央の乾清門。

この奥に乾清宮が見える。

 

 

 

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< 9.乾清門と保和殿の間の広場 >

 

上: 奥(東側)に景运门。

 

下: 景运门側から広場を見ている。

左が保和殿、右が乾清門。

 

私は隆宗门と景运门の両方に入りました。

特に興味を惹くものがありませんでしたが、景运门を入って右手に休憩所があり、入りました。

小綺麗なレストランでした。

 

 

 

10

< 10.後三宮 >

 

上: 乾清宮。

歴代皇帝の寝所、または日常の政務を執り行う場所だった。

 

下: 交秦殿と坤寧宮。

手前が交秦殿で、皇帝や皇后の冊立の儀式が行われた場所であった。

奥の坤寧宮は皇后の寝所であった。

 

 

 

 

 

11

<  11. 御花園 >

 

上: 御花園。

ここは紫禁城にあって唯一無機質ではなく、木々の緑がある庭園です。

しかし狭い所に集約されており、奇岩の太湖石がデンと据えられており、不思議に想う。

なぜこんなに広大な宮殿なのに・・・。

 

太湖石とは、中国の蘇州付近にある太湖周辺の丘陵から切り出されたものです。

私には美しいとは思えないのですが、中国の歴史的名園には必ずと言っていいほどあります。

文化と歴史が美感に与える影響を、毎回気付かせてくれる。

 

下: 西六宮の通り。

妃たちは西六宮に居住していた。

 

 

 

 

 

 

12

< 12. 儲秀宮 >

 

ここは西六宮の一つ、儲秀宮です。

偶然、入ってみると、ここで西太后が居住していたと書かれていた。

部屋は清朝時代の様子を再現しており、ドラマ「蒼穹の昴」や中国の宮廷劇のワンシーンが浮かびました。

しかし、思ったより小さな建物でした。

 

今回の旅行では、北京が初めての妻に名所を見せたかったのと、私としては西太后ゆかりの所に行きたかった。

このような后の住まいを見たかったが、今回は願いが叶った。

 

 

13

< 13. 御花園を出る >

 

左: ここ順貞門を左側に抜けると御花園から出て神武門に向かうことになる。

 

右: 北門、神武門です。

ここを出る前にオーディオガイドの返却所が、左側にあります。

私は、知らずにこの門をくぐると、警備員の手持ちのセンサーが異常音を発し、止められてやっと気付きました。

借りたのは、午門の前だったように思う。

 

 

 

14

< 14. 見学終了 >

 

上: 順貞門を北側から見る。

 

下: 神武門を出た所から景山公園を見る。

 

 

 

 

 

15

< 15. 神武門 >

 

上: 北側から神武門を見る。

 

下: お堀。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 9: 廈門から北京へ


1DSC08318-1

*1

 

 

今回は、最後の廈門と北京の初日です。

廈門の暮らしと北京の夜、

そして廈門と北京の両空港でのトラブルを紹介します。

 

 

 

2

< 2. 宿泊した部屋 >

上: ホテルの部屋から見た朝焼け。

 

下: 杏林湾大酒店の一室。

 

 

3

< 3. ある億ションの一室から >

 

高速エレベータ―に乗って、最上階近くの一戸を訪れました。

窓からの眺めは絶景です。

この一戸は、一億近い評価額らしい。

ここには数多くの部屋があり、立派な家具調度品で埋まっていました。

退職した夫婦一組が住んでいます。

毎日、ここで孫一人を預かり微笑ましい時を過ごされており、部屋はおもちゃで一杯でした。

 

このような暮らしをしている人は私の周辺にはいない。

 

このご主人は大企業を10年以上前に退職し、このマンションを買ったようです。

大企業であれば年金は多いし、購入時、銀行から多額の借金が可能だろう。さらに退職前に企業から住居を安く支給され、多額の売買益を得ることも出来ただろう(かつて公務員の特権だった)。

それに加え、購入後に不動産が急騰しているのだからラッキーです。

 

このことが、代々都会暮らしで大企業にいた人と、地方から来てその日暮らしをする人の間に、ここ20年ほどで大きな格差を生んでいる。

 

実は、この眼下の干潟はやがて消えるそうです。

政府が近い将来、全部砂浜に変えるからです。

中国ならやるでしょうね・・・

 

 

4DSC08324-14

< 4. 厦门高崎国际机场 >

 

ここで最初の洗礼を受けました。

それは国内線に乗るために税関で手荷物検査を受けている時でした。

 

突然、女性係官が私にいぶかしげにまくしたて、ストップをかけました。

まったく中国語が分からないのですが、状況からして北京へ何しに行くのかを尋ねているようでした。

 

そこで、私の中国旅行の15日間の日程表を彼女に見せました。

すると彼女は、それを取り上げて何処かに消えてしまいました。

しばらくすると現れ、無表情でもう行けと私達夫婦に促した。

 

事の経緯は分かりませんが、移民などを警戒していると感じました。

 

フリーの旅では、言葉が通じなくても、必ず自分でトラブルを処理しなけらばならない。

運か、経験か、機転か、他人の助けか、冷静さ、かが救いになり、北欧でも無事に旅行を終えた。

 

これも旅の醍醐味と言えるかもしれません。

 

 

 

5

< 5. 北京首都国際空港にて >

 

私達は廈門航空を使ったので、北京首都国際空港の第2ターミナルに着きました。

上記写真は参考に借用したもので、他のターミナルのものでしょう。

 

ここで簡単に、第2ターミナルから北京中心部に行く方法について触れておきます。

 

リムジンバス(机场大巴・・・线)、エアポートエクスプレス(机场线)とタクシーがあります。

リムジンバスは何種類もあり、タクシー乗り場のレーンの奥にあるようです。

リムジンバスで行っても、その後、ホテルまでタクシーや地下鉄に乗らなければならない(タクシーを拾えるかどうか不安)。

エアポートエクスプレスは階下にあり頻繁に出ているのですが、これまた他の交通機関の利用が必要です。

 

中国のタクシーは安いので使いたいが、長い待ち時間とトラブルに遭わないかが心配でした。

 

先ずはタクシー乗り場を見に行きました。

確かに写真のように長い行列はあるのですが、もの凄い数のタクシーが次々とやって来るので待ち時間は少なく、使うことにしました。

 

中国の幾つかの空港でタクシー乗り場を利用しましたが、すべてに差配する係員が一人はいるので安心です。

 

 

 

6

< 6. ホテルに向かうタクシーにて >

これらはすべて参考に借用した写真です。

 

ところが、ここでまた問題が発生しました。

 

私がタクシーの助手席に乗って、行先のホテル名と住所を書いたメモを見せました。

ところが、これが分からないのです。

この年配の運転手は近くにいた知り合いの運転手に聞いて、相手は大体の場所が分かるようなのですが、彼は分からない。

 

結局、この運転手は上の写真のようにスマホを操作して、やっと行き先を見つけて発進することが出来ました。

私も、自分のスマホでタクシーがホテルに向かっているのを横で、ずーっとチェックしていました。

 

結局は、無事着いたのですが、かなり時間がかかりました。

一つは、聞きしに勝る大渋滞がありました。

料金は妥当だったようです。

 

中国で乗ったタクシーはすべてスマホで音声ナビゲーションを使っていました。

おそらく百度マップなどでしょう。

 

どうやらスマホのアプリにホテル名を上手く入力出来ないようでした。

この問題は、北京だけでなく成都や蘭州などでも起きました。

最後には色々やり取りがあって何とか解決しました。

 

結局、私自身がスマホの百度を使えて、百度マップにホテル名を入力しておいて見せることが出来れば良かったかもしれない。

 

 

 

7

< 7. 王府井にて >

 

ホテルに着いてから、王府井へ夕食に行きました。

もう9時近かった。

小雨も少しあり、人はあまり多くは無いようでした。

 

ここで感心したのは高齢者の団体ツアー客です。

地方から来た観光客のようですが、夜にも関わらず、老人達が元気に買い物と食事へと走り回っていた。

 

私が入った食堂でも、彼らは賑やかでした。

本当に沢山の人が、旅行を楽しんでいました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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