連載 北欧3ヵ国を訪ねて

北欧3ヵ国を訪ねて 90: 最後に


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今日で北欧の旅行記を終えます。

最後の思いを記します。

 

 

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12日間の北欧旅行は発見、冒険、感動の素晴らしい日々でした。

春が訪れたばかりの北欧では、自然と人々が正に輝いていました。

 

北欧は閉塞感漂う日本とは別世界だが、だからと言って高層ビルが乱立し大発展を遂げているわけではない。

しかし心の豊かさが彼らの表情や態度から伝わって来る。

 

30年ぶりの訪問で北欧の新しい側面も見た。

自然に優しい自転車社会と、国境で人を峻別しない移民受け入れが進んでいた。

 

この旅行は私にとって、初めての海外一人旅でした。

英会話、旅行手配、現地の移動とトラブル対処もすべて自己責任でした。

緊張と歩き疲れはありましたが、かけがえのない旅となりました。

 

 

旅行のアドバイス

 

私の全旅費は28万円です。

私は中華航空を利用し、朝食以外の大半はコンビニで購入し、ホテル・航空券・鉄道・フェリーの手配は日本からインターネットで半年前から直接した(不安ではあったが、まったく問題は起きなかった)。

 

少し後悔しているのは、各首都のシテイパス購入です。

これは便利なのですが、多くの観光を詰め過ぎて、現地の人との交流のチャンスを逃してしまった。

交通パスは便利でお薦めです(シテイパスと一緒の首都もある)。

 

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皆さんにお願い

 

早いうちに北欧を訪れ、自分自身と幸福について見つめ直して欲しい。

 

日本人の多くは井の中の蛙で満足している。

当然、彼らは諸外国が如何に苦労して平和、幸福、豊かさを手に入れたかを知らない。

我々よりも遥かに心豊かに暮らしている国々が世界には多くある。

 

世界は多くの事を教えてくれる。

例えば、中国の秦帝国はそれまでの大量の奴隷の殉葬を俑(人形)に替えた。

続く漢帝国の初期、奴隷制は後退し、繁栄を始めた。

しかし漢帝国が亡国を迎える頃には、奴隷制は拡大していた。

 

また世界中に前世紀まで原始的な生活を続けていた先住民族を考えてみよう。

彼らの多くは1万年間も原初生活を続けていたのではない。

彼らは数百年前、他の部族との抗争から、僻地に活路を求めて移り住んだ人々です。

そして文明との接触を断って安全を得たが、失ったものも多かった。

 

これらの事例は、今の日本を暗示している。

 

日本はがむしゃらに働き一度は欧米に追いついたが、30年前から衰退を始めた。

目標とした米国は、今や金融とIT以外、国民にとって魅力的とは言えない(安全、福祉、格差で)。

 

今の日本は凋落の中で彷徨い、見果てぬ夢を負い続けている。

 

 

今後について

 

理想とすべき北欧を訪れた。

しかし、まだ二つの重要な国が残っている。

 

一つは、今後覇権を握るだろう隣国、中国です。

中国は既に最大のビジネスパートナーであり、異なる体制を持つ軍事大国で因縁もある。

今年、私は中国を一周旅行し、この目で発展、暮らし、歴史を確認して来ます。

 

その次は、最大の同盟国で覇権国でもある米国です。

現在、米国は内部で所得階層と人種で分裂し、もっとも格差が拡大し、軍事的な危険性も増している。

出来れば、3年以内に米国と幸福度の高いカナダを共に訪れたい。

 

これにより模範の国、急成長の隣国、反面教師の大国の三つを見終えることになる。

そして何かしらの日本の進むべき道が見えることを願っています。

 

 

永らく私の旅行記をお読み頂きありがとうございました。

 

これで終わります。

 

しばらくブログを休みます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 89: 北欧の旅を終えて 10 : 北欧の人々の声 3


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< 1.平均的なスウェーデン人の顔 >

 

 

今回はスウェーデンの白人男性を紹介します。

 

 

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帰国時、彼はストックホルム空港で乗り継ぎの待合室で会った人です(私の帰国ルートとは別)。

これが最後のインタビューになった。

彼とも英語でやり取りし、英語のアンケートを見せて

英語で記入してもらった。

 

 

彼の回答を紹介します。

 

  •  あなたの国で最も素晴らしいものは何だと思いますか?

 

答え: People, Sweden is very clean.(訳: 人々と綺麗な国 )

 

  •  現在、あなたの国や生活で不安や不満はありますか?

 

答え: Politicians, creating problems.

( 訳: 政治家達、問題が多い)

 

  •  何があなたの国を良くしていると思いますか?

 

答え: Improvement of Swedish system: it was much better before.

( 訳: スウェーデン社会の改革力、昔の方が良かった)

 

  •  日本について知っていること、または感じていることはありますか?

 

答え: Orderly, beautiful, friendly people, great food, Sake, and Japanese Beer.

( 訳: 秩序正しい、美しい、親切な人々、素晴らしい食べ物、酒とビール)

 

5. 大半の日本人は北欧について無知で、暗いイメージを持っています。

何にか一声お願いします。

 

答え: very high tax, less entertainment

( 訳: 重税、娯楽がない)

 

 

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解説と感想

 

彼は白人の40歳代のスウェーデン人です。

彼はおそらくビジネスマンで、空港で待ち時間を過ごしていた。

 

彼が指摘するように、北欧は国民(経済界と労働界、政治家と国民)が一体になって改革を続けることが出来る。

 

世界で初めて高度な福祉政策を取り入れたが、高齢福祉で老人の孤独や財政負担が問題になると、大胆な修正を行った。

初期は自宅から離れた新設の老人ホームが目玉であったが、現在は子供達が住んでいる街で老人が自立出来るようにコミュニティ全体で支援するシステムに変更した。

(これが日本の介護システムの原型になった)

今でも男子の育児休暇取得の奨励と期間延長で北欧三ヵ国は試行錯誤を続けている。

 

また世界の金融資本主義の荒海にもまれながら、自国の格差拡大を抑制し、且つ競争力向上を図り、経済成長を続けている。

これは経済界と労働界が共に、成長産業への移行と経済システムの刷新を行っているから出来ることです。

 

教育は、学校教育方針の素晴らしさだけでなく転職時の教育も充実している。

また個人でも生涯教育やスキルアップに熱心です(日本は先進国最下位か)。

 

まさに北欧の発展は高い政治意識とチャレンジ精神のある国民の賜物と言える。

 

彼の指摘から、スウェーデンの苦悩が伺える。

1991年以降、経済(金融)重視か福祉優先かで幾たびか政権が交代しており、経済成長の鈍化と格差の拡大が進んでいる。

スウェーデンは他の北欧ほど経済は良くない。

 

彼は5番の回答で、私が例として書いたおいた「重税と娯楽がない」をそのまま書いている。

私は彼が自国の状況を批判的に見ているのか確認していなかった。

 

彼の言動から察するに、日本に来たことがあるか、日本に非常に好感を持ってる。

 

ストックホルムでも最近、ナイトスポットが出来ているようだが、依然として日本の歓楽街とは比べようもないはずです。

日本の赤ちょうちんや夜の街などは男性天国です。

これを知れば、北欧の男性と言えども・・・・

 

やはり重税を避け、お金を自由に使い、男性優位に暮らせることを望むのかと思ったりもする。

 

 

北欧を旅行して、北欧人の日本へのイメージの良さは格別で、気分が良かった。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 88: 北欧の旅を終えて 9 : 北欧の人々の声 2


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< 1.Älvsjöでは移民が多い >

 

 

今回はスウェーデンの移民男性を紹介します。

 

 

既に電車内でスウェーデン人の若者から声を掛けられ、少し話をしたことはあったが、これが北欧での最初のインタビューでした。

彼はストックホルム近郊の都市Älvsjöのホテルでフロント係をしている。

初めて見た時、彼はインド人の移民に見え、英語が使えると思い、また優しそうなので声を掛けました。

彼とは片言の英語でやり取りし、英語のアンケートを見せて英語で記入してもらった。

彼は英語で質問して来るので、上手く対応できない自分に苛立った。

 

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< 2. Älvsjöのホテル >

 

 

彼の回答を紹介します。

 

1. あなたの国で最も素晴らしいものは何だと思いますか?

 

答え:  the Swedes (people)(スウェーデン人)

 

2. 現在、あなたの国や生活で不安や不満はありますか?

 

答え: the laws and orders belong to 20years ago, when here were not so many immigrants.

Many immigrants need to be trained as Swedes so, they can obey the rules.

( 訳: 法や秩序が20年前のもので、移民が少なかった頃のもので古い。移民はスウェーデン人としての教育を受け、この国の規則に従うことが出来る)

 

3. 何があなたの国を良くしていると思いますか?

 

答え: The older type of raising on educating children!  Not the new style of raising children.

( 訳: 古いタイプの子供教育で、子育てのスタイルは新しくない)

 

4. 日本について知っていること、または感じていることはありますか?

 

答え: Peaceful and orderly people, Judo, Kodokan and Yasuhiro Yamashita, Ryunosuke Haga.

( 訳: 平和を愛し秩序正しい人々、柔道、講道館、柔道の山下と羽賀選手)

 

5. 大半の日本人は北欧について無知で、暗いイメージを持っています。

何にか一声お願いします。

 

答え:  good image. (良いですよ)

 

 

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< 3. ロスキレの校庭にて >

 

 

解説と感想

 

彼はイランからの移民で、およそ20年ほど経っており、英語が充分使えるようです。

彼は40歳代で温和で冷静沈着な人柄です。

知識と体格から見て柔道をやっていたのだろう。

 

彼は移民を問題視している。

都市によれば30%を超える移民が暮らしており、年々増加している。

北欧での移民への教育や待遇は進んでおり、スウェーデン語か英語が出来れば、賃金は平等(業種毎)に扱われる(教育機会は与えらえれる)。

これは日本とは真逆の発想です(企業が儲かれば良い)。

賃金の平等化は非常に重要な政策で、労働者全体の賃金低下を防ぎ、また移民の生活悪化による社会不安を無くす効果がある。

そうは言っても街中で見る移民(有色人種)は清掃などに多いように思えた。

なぜ移民を多く受け入れのだろうか?

察するに北欧は人道や平和で世界貢献すべし考えているからだろう。

(PKOや和平の仲介などに熱心)

 

また彼も先述の日本女性のように教育の良さを強調している。

 

私も日本の衰退を止めるには教育が重要だと考える。

一番の癌は惰性に過ぎる経済と政治だが、これを看過する国民が大勢を占めている。

これは長きにわたる愚民教育(政治から目をそらせる)のせいとも言えるが、この教育を正す手立てがない(北欧は真逆)。

なぜなら中央政府が教育行政を握っているからであり、政治を替えなければ良くすることが出来ない。

私は、この不毛な悪循環を断つ手立てを思いつかない。

 

彼は私ともう少し話したがっていたようだが、英語が出来ないので私は逃げるばかりだ。

声を掛けた北欧のほとんど人は英語が出来た、特に年配者は100%。

私が日本人とわかると、親切だけでなく、親しみと好感を持ち、挨拶や案内、会話をしたがる人が多くいた。

しかし何人かの若い人は、道を聞いても会話が進まなかった(理由が分からない)。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 87: 北欧の旅を終えて 8 : 北欧の人々の声 1


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これから数回に分けて

北欧に暮らす人々の声を紹介します。

 

 

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< 2. 王立図書館にて >

 

 

コペンハーゲンにて

 

コペンハ-ゲンの王立図書館で二組の日本母子に出会いました。

彼女らは、日本生まれのお母さんと小学生の男子一人づつです。

彼女らは毎週一度、ここで子供に日本語を教えている。

 

一組の母子は数年前、転勤でご主人、子供と一緒にコペンハーゲンに来た。

全員日本生まれです。

彼女は子供に軽い障害があって、学校の対応に不満を持ち、異国の地で苦労していた。

彼女とはあまり話が出来なかった。

 

もう一組の母子は、日本生まれの女性がデンマーク人と日本で職場結婚し、11年前にこちらに移り、男の子(ハーフ)を産んだ。

私は主に彼女と話した。

 

 

私が用意したアンケートに記入してもらいました。

アンケートの内容と彼女の答えです。

 

1. あなたの国で最も素晴らしいものは何だと思いますか?

 

答え: 福祉政策、子供の環境。

 

2. 現在、あなたの国や生活で不安や不満はありますか?

 

答え: 移民政策。

 

3. 何があなたの国を良くしていると思いますか?

 

答え: 教育、自然。

 

4. 日本について知っていること、または感じていることはありますか?

 

答え:なし。

 

  •  大半の日本人は北欧について無知で、暗いイメージを持っています。

何にか一声お願いします。

 

答え: 家庭を一番に考える。子供を育てるのにとても良い環境が揃った国。

 

 

彼女は、デンマークの暮らし、社会、政治を高く評価し、現地のニュースで耳にする日本の異常さに失望していた。

幾つか紹介します。

 

日本では国会議員の腐敗は当たり前だが、こちらではまったく考えられない。

日本で酷い強姦事件(早稲田大学)が起こっているが、こちらでは考えられない、情けない。

 

日本の女性はこちらの男性に人気があるが、主人の友人で結婚に失望している人が多い。

それは彼女らがまったく政治に関心が無く、会話が出来ないことです。

 

私が話した彼女は知的で、あらゆる事について話し合え、意見をはっきり言う。

国際結婚も、さもありなんと納得した。

 

 

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驚いたのは、彼女の子供が、既にデンマーク語、日本語、英語が話せて、小学生の終わりまでにはドイツ語を学び始めるとのことでした。

英語は必須、ドイツ語は選択科目で、学校教育の一環です。

 

彼女らを見ていると、異国で暮らすことは一筋縄では行かないと感じた。

一方の女性は満喫しているが、他方は苦労している。

如何に素晴らしい国であっても移住するとなれば文化や言語の壁は大きい。

 

様々な事に気付かせてくれた素晴らしい一時でした。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 86: 北欧の旅を終えて 7 : 北欧の国民性 2


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< *1 かつての日本人の海外移住 >

 

ヴァイキングが教えてくれたこと

 

 

日本のある著名人は、心優しい日本民族が虐殺などするはずが無いから、隣国からの非難は嘘だと言う。

そして多くの国民も溜飲を下げる。

 

私はヴァイキングの子孫の国、北欧を訪れたが、彼らが凶悪だと感じたことはなく、むしろ非常に親切です。

 

一方で、900年前のヴァイキングによる虐殺や略奪は真実です。

彼らはヴァイキングの冒険家と交易者の側面を誇りにしているが、その一方、かつての悪行も認めている。

前回見たように国民性はなかなか変わらないので、上述の説は辻褄が合わない。

 

この稚拙な説を採り上げるのは気が引けるのですが、残念ながら多くの人が真に受けている。

 

これも戦史や心理学、人類学を少し学べば、人は容易に状況に支配され異常行動をとること、またその程度は国民性によって左右されることが理解出来るはずです。

 

日本の国民性には著しい特徴があり、良くも悪くも大きく作用して来た歴史がある(ドイツと似ている)。

 

良い例としては、明治維新や戦後復興などを国民が一丸となって行ったことです。

悪い例としては、日清日露戦役から太平洋戦争に至る道でした。

心配な点はヒトラーのような独裁者が居なくても、一丸となって闇雲に突き進んでしまうことです。

現在も、省みることなく惰性のまま進んでいる。

 

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なぜ日本は閉鎖的なのか

 

北欧と日本は同じように海で囲まれ大陸の端にある細長い国土に住みながら、なぜかくも異なってしまったのか。

 

一つは語族です。

デンマークは同じゲルマン民族であるドイツと陸続きで、北欧三ヵ国は同じゲルマン語族です。(フィンランドは異なる)

後に新旧教徒の違いはあるが同じキリスト教を受容し、大陸との繋がりは深い。

 

一方、日本は隣国と言語を異にし、宗教も異なる。

 

もう一つは生業です。

日本は稲作農耕民のお陰で食料が豊富で、また南北に伸びる列島の産物が自給を可能にし、巨大都市を出現させた。

 

日本にも、かつて遠洋航海の交易民、倭寇がいた。

彼らはヴァイキングに3世紀ほど遅れ数世紀間活躍した。

しかし彼らは海流・海風に恵まれた北西九州の島嶼部を拠点にしたに過ぎない。

海賊は日本各地に多数存在したが、その活動は近海に限られていた。

幸か不幸か、日本では危険な遠洋航海で生計を立てる必要がなかった。

 

これらの違いが大きい。

 

 

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閉鎖性が招く衰退

 

現在、海外志向を持つ日本の若者が減っている。

1ヵ月程度の語学留学は増えているが、長期海外留学は減っている。

一方、日本の政府や経済界は巨大なインフラ輸出(原発など)を次世代の産業に育成しようとしている。

おそらく多くの国民は、この政策に夢を抱くかもしれない。

残念ながら、この二つの現象は表裏一体であり日本をさらに衰退へと向かわせる。

 

日本が活況であるなら、若者が日本に残ることも良いだろうが、現在急速に衰退している。

所得低下が災いしているので同情するが、かつて大正時代に前後して100万人以上が日本から海外移住したこともあった。

 

またインフラ輸出は聞こえが良いが、産業の空洞化を加速させ、後に日本国民が発展途上国のカントリーリスクを長期に背負うことになる(原発事故の補償など)。

(実はこのパターンは西欧が帝国主義に邁進した結果、国民が税負担と命を投げ出すことになったのと同じです)

 

二つに共通していることは日本が惰性に流れ、世界から目を背けていることから起こっている。

やはり海外との差、特に衰退を自覚することが出来ないのが問題です。

またインフラ輸出の問題は、日本が諸外国の実情と世界史に関心がないことから気づかない。

 

明らかに我々は閉鎖的な民族であって、余程意識して海外に目を向けていないと、同じ轍を踏むことになる。

我々には、この自覚が必要です。

 

このことをヴァイキングが教えてくれた。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 85: 北欧の旅を終えて 6 : 北欧の国民性 1


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なぜ北欧は成功したのか

 

 

彼らの国民性が幸いしている

 

経済的側面から見ると、旺盛な海外志向が大きい。

これは多言語教育や、規模を問わず海外進出を図る企業や個人の姿勢に見られる。

 

社会的側面から言うと、高い政治と社会意識が大きい。

これはほぼ全員のボランティア参加や高い投票率に見られる。

 

この淵源はどこにあるのだろうか?

これはヴァイキング時代に遡るだろう。

 

ヴァイキングの大遠征(北米への航海など)は先駆を成すもので、危険極まりないものでした。

当初は、作物が採れない冬期の交易の為で、スカンジナヴィア半島内を行き来するものでした。

やがて航海術の向上、西欧の発展による交易のメリット、西欧からの侵略への対抗策として、逆に遠洋航海による交易と侵攻に向かったのだろう。

そして彼らが非キリスト教だったことが暴力行為への抵抗を弱めた。

 

もう一つの側面は共同体の有り様でした。

ヴァイキングが作った国、アイスランドは直接民主主義でした。

遠征時のヴァイキングのリーダーも仲間によって選ばれた。

このことは出港地の村落共同体でも同じでした。

 

 

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ヴァイキング精神は今も生きているのか?

 

逆に、国民性は何百年も経てば特徴を無くしてしまうのでしょうか?

実は、国民性を育む文化、特に生業と家族形態が存続していれば、国民性は生き続けます。

 

ヴァイキング精神はゲルマン文化と氷河後退地の地形と気候が育んだと言える。

言語や法意識(村の掟)は、農耕と牧畜を生業としたゲルマン文化を受け継いだ。

一方、寒冷気候と痩せた土壌、平らな大地を縦横に貫く遠浅の湖や河川、また荒海から深く入った良港のフィヨルドは、北欧の生業と交通手段を規定した。

それは水際の小さな村落で漁労、農業、牧畜を細々と兼業していくことでした。

そして喫水の浅いボートで遠くまで交易することで不足の資材を補った。

 

このことにより、アジアのような大規模な農耕地と大都市の出現が遅れ、

かつての地中海の海洋都市国家のように、植民都市開拓や交易に重きをおくようになった。

このことが、後に誕生した王や貴族への権力への集中が遅れた理由でしょう。

 

 

この背景になっている状況は、それほど変わらなかったと思う。

ノルウェーなどはむしろ海上運輸や海洋資源を生かし続けている。

 

おそらくは国民性を育む最も重要な家族制度にも変化はなかっただろう。

 

 

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ストックホルムとオスロの巨大な墓苑を見たが、多くはシンプルな墓石で装飾にあまり差が無く、大きさにも差がなかった。

そして区画ごとに整然と並んだ墓石群、森林に囲まれた様子を見て、今なお、かつての国民性は健在だと感じた。

(新しい一部の墓石には大きなものや華美なものもあったが)

 

人は墓に最も保守的な側面、自然や社会への意識を遺すものです。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 84: 北欧の旅を終えて 5


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北欧の歴史的意義とは?

 

 

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< 2.2019年の世界幸福度ランニング、北欧青矢印 >

赤矢印の日本は低下し続けている(2015年は46位だった)。

 

 

不思議な北欧

 

北欧三ヵ国の人口は530~990万人と少ない、当然経済大国ではない。

寒冷地の為、農作物は期待出来ない(自給出来るようになったが)。

ノルウェーを除いて豊かな資源国とは言えない。

しかし日本のGDPに占める貿易額(輸出と輸入の計)の比率が30%に比べてスウェーデンは60%もある。

これが経済の強みの一つです。

 

 

北欧三ヵ国は福祉国家を目指している。

簡単に言えば、国が人権(健康・安全・生活)を手厚く保障している。

日本の通念では、国民の権利保護の行き過ぎが経済の自由を奪い、経済失速を招くはずです(米国に沿った主張)。

北欧は試行錯誤しながら隣国同士が切磋琢磨しながら国民の権利保護と経済成長を両立させ来た。

 

この試みは20世紀半ばに始まったに過ぎない。

なぜ彼らは画期的な挑戦を始め、成功させているのだろうか?

社会主義と目指す所は同じようだが、独裁と官僚主導を排し、経済効率も手に入れている。

 

 

北欧はバルト三国ほどではないが、侵略の苦渋をなめて来た。

両地域には似た宿命がある。

大国(ドイツやソ連)に侵攻され、また互いに争うこともあった。

助け合うこともあるが強固な同盟を結ぶわけでもない。

 

弱小国だけに、独立は武力ではなく世界の信任に頼らざるを得なかった。

現在、北欧三ヵ国は西欧(EUやNATO)との絆を強め、1世紀前の中立政策から距離を置いているようだ。

 

北欧三ヵ国は過去の軋轢を乗り越え、同じゲルマン民族として、よく似た政体(立憲君主制、福祉国家)を保持している。

 

 

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< 3.小さな国土ながら世界に打って出た国々、赤の星印 >

 

小さいが一味違う北欧

 

小国が世界をリードしたことはあっただろうか?

ユダヤ王国、古代アテネ、古代ローマ、リトアニア、ポルトガル、オランダ、イギリス、日本などはどうだろうか?

これらの国は初期こそ国土は小さいが、やがて周辺から世界に君臨したことがあった。

但し、武力を背景にしていたが。

 

かつて日本は西欧の覇者イギリス、フランス、ドイツに政治・産業・軍事を学んだ。

 

しかし、これからの時代、最大の軍事力や経済力ではなく、国民が最高の幸福と所得を共に得ている北欧から学ぶべきではないだろうか。

 

米国は同じ資本主義である北欧に比べ国民の幸福と平和において遥かに及ばない。

(米国の平均所得は高いが、90%の国民は低い)

 

北欧はこれまで世界を席巻した文明国とは一線を画している。

この国々は今が旬かもしれない。

遠く小さいからと侮ることは避けたいものです。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 83: 北欧の旅を終えて 4


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日本にとって北欧とは?

 

 

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< 2. 両国にとって天国とは? >

 

 

北欧は遠い

 

北欧は寒くて荒海に閉ざされ、人口は少なく、作物は乏しく、小国ばかり。

まして大阪からストックホルムまで直線距離で8000km、航空機で12時間と遠い。

(エアチャイナの北京経由であれば時間はかかるが往復7万円台で可能)

 

北欧では収入の半分以上が税や保険料として徴収される、いくら教育・医療・福祉が無料だとしても、日本の現状から想像するに生活なんぞ出来ないぞ!

ましてそんな巨大政府の下では官僚や役人が横暴で、また平等が押し付けれ生活の隅々まで制約され息苦しいはずだ!

 

確かに日本の中央集権化しマンネリ化した政治状況で暮らす国民にとっては、議員や官吏の腐敗、汚職、非効率は当然に思えるかもしれない。

 

しかし、まったく違うのです。

日本の政治家は年3000万円貰っても賄賂を要求し汚職をするが、北欧の議員は手弁当であり、汚職がニュースになることは無いそうです。

共産圏のように一党独裁ではなく多党制です。

当然、日本のように世襲議員が50%越える党などないし、女性議員は5割近いのです。

 

日本にどっぷり浸かっていると、どうしても日本の悪弊から抜け出せない。

思考が停滞してしまう。

 

 

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< 3. 日本と北欧の政治家の違い >

 

 

少し海外を知るだけで

北欧の政治や経済システムがわからなくても、自らの足で北欧を1週間ほど巡ると、日本との差異に気付くはずです。

それも大きな違いに!

 

郊外の都市であれ首都であれ、午後4時半を過ぎる頃には、市民は仕事から解放されて至る所で寛いでいる(6月初旬)。

夫婦や子供らと、そして恋人や友人と、街の中の公園や海岸・湖畔・河畔やレストランで過ごしている。

 

逆に、日本の飲み屋街や赤ちょうちん、くだを巻く男性の集団を見ることはなかった(35年前はそうだった、今回、夜遅く出歩いていない)。

 

また男性が乳母車を押している姿を如何に多く見たことか。

北欧では男女同権が浸透し、家事や育児の分担が進み、制度的にも支援が行き届いている(女性の8割以上は勤めている)。

 

 

さらに

このような少ない労働時間でも北欧の一人当たりの国民所得は日本の2倍弱あるのです。

(女性の高い就労率と賃金差の無いことも大きいのだろう)

しかも主要な出費は無料です。

(私には円安も加わり物価は高かった)

浮き沈みはあるが、概ね日本よりも高い経済成長率が続いている。

 

不思議に思いませんか?

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 82: 北欧の旅を終えて 3


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かつて日本は異国から数多くを学んで来た。

今もその時です。

 

 

これまでの日本

 

日本列島は古来より大陸の影響を受け、多くの技術、文化、制度、思想を受容して来た。

江戸時代までは中華文明、明治維新以降は西欧文明、敗戦後は米国と、柔軟に対応して来た。

 

しかし気になることがある。

それは受容が中央政府からのトップダウンになりがちだと言うことです。

残念ながら日本列島は海と異言語によって周辺国から閉ざされている。

どうしても政府の都合で、受容すべきものが選択され、入手出来る情報も偏ってしまう。

 

このことは現在のようなIT社会でもあまり変わらない。

やはり日本語使用が世界で1ヵ国だけであり、さらに海外に無関心な日本の国民性が大きい。

その上、マスコミやインターネットで政府追従によるネガティブ・キャンペーンやフェイクの発信が続くと防ぐ手立てがない。

 

 

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それでも

例えば、日本の現状が成熟か凋落かを知るにはどうすれば良いのでしょうか?

 

国内に立ち止まり、昔を振返っても分からない。

残念なことに、国が隆盛期を過ぎて衰退している時、往々にして内に籠り易くなる(かつての英国の保守化と帝国主義化)。

 

 

やはり思い切って、日本を外から俯瞰するしかない。

 

二つの方法がある。

一つは、国際機関が発表する経済や社会指標の推移を見ることです。

一目瞭然ですが、発表機関の偏りを見抜く必要があります。

 

例えば米国の体制寄りの機関であれば米国や日本に高評価を与えます。

国際的または西欧の機関の多くは、北欧などを高評価し日本を低評価しているが、西欧や自国への評価も低いことがあるのです。

つまり公平に扱っているようです。

 

今一つは、特色ある国を知ることです。

例えば、高福祉国家の北欧、発展を続ける共産主義中国、資本主義先進国だが分裂著しい米国などです。

知る方法としては、やはり訪問するのが手っ取り早い。

 

あたりまえだが、やはり海外を訪れる以外に道はない。

「人の振り見て我が振り直せ」でしょうか。

 

 

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*3

 

 

とは言っても

やはり上記の手段を取れる人は少ない。

 

そうであっても、国民が海外事情に疎いことで大きな失敗を招いた歴史があったことを忘れないで欲しい(太平洋戦争への道)。

日頃から、心地よい情報を疑い、時には自ら真贋を確認するようにして下さい。

 

私は北欧の旅行記を通じて真の姿を伝え、微力だがネガティブ・キャンペーンに抵抗したい。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 81: 北欧の旅を終えて 2


 

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なぜ北欧に暗いイメージを持つ人が多いのか?

以前から気になっていた。

 

 

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偏見の正体

 

これは日本に蔓延るプロバガンダと乏しい国際感覚に起因している。

 

北欧に関して人々は、せいぜいフィヨルド観光か、稀にアイスランドの直接民主主義ぐらいを知っているぐらい。

 

北欧のイメージはかなりステレオタイプです。

それは福祉国家による重税で、息苦しく活力が無いイメージです。

実体とかけ離れたイメージがなぜ蔓延しているか?

 

ある時、この謎が解けた。

暗いイメージを持つ人の中に、意外にもスウェーデンの高い税率や自殺率などを知っている人がいたのです。

(自殺率の高さは社会の息苦しさもあるが、文化や尊厳死との兼ね合いもあり一律には論じられない)

 

日本の改革派(野党)は時折、北欧を理想国家に挙げることがある。

一方、保守派(自民党・経済界)は米国主導の自由放任経済に突き進んでいる。

これを受けて日本の御用マスコミは、自由放任経済の対極にある巨大政府に繋がる福祉国家へのネガティブ・キャンペーンを続けている。

(だから無関心なはずの北欧について負の側面だけ詳しい)

 

 

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< 3. 米国でニュデイール政策が貶められるのも同じ理由から >

 

 

こうして国民は北欧を敬遠し、素晴らしさに触れることはない。

これでは日本が衰退を極め、取り残されていることに気が付けない。

まさに体制の思う壺です。

 

 

それにしても、なぜ日本人は大失敗を招くプロバガンダに安易に陥ってしまうのだろうか?

 

日本国民は80年ほど前、政府・軍部に洗脳され、極悪ヒトラーを信頼し、強大な米国を過小評価し敵視し、さらには隣国を蔑視した。

そして敗戦によって間違いは明らかになった。

 

しかし反省することはなかった。

最近、特にこの数年、米国追従は極まり、隣国への過小評価や敵意を煽られても疑うことがない。

 

やはり国民は海外に閉鎖的な為、簡単に流されてしまうのか。

そうとするなら大陸の反対にある国の真の姿など知ることは不可能だ。

 

日本の閉鎖性やガラパゴス化は政府、それとも国民性によるものなのか?

 

 

これに関して、私が北欧を巡って得た答えは絶望的なものでした。

 

確かに日本の政府や経済界、教育に問題は多いが、国民性の違いが大きい。

 

北欧の人々は昔から海外志向で、今も幼い頃から多言語を学び、家族から海外勇躍は当然とみなされている。

 

このことが高付加価値、そして経済成長を生み、高福祉の高負担を可能にしている一因です。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 80: 北欧の旅を終えて 1


 

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< 1. 1984年訪問時のスウェーデン郊外1 >

 

 

私が北欧を訪れたいと思ったのは、日本の進むべき道を知りたかったからです。

そして北欧への羨望と日本への哀惜の念はさらに深まった。

それでも日本への愛着が衰えることはないが。

これから北欧と日本への想いを語ります。

 

 

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< 2. 2018年の北欧旅行のルート >

 

 

はじめに

私が北欧に初めて関心を持ったのは40年ほど前でした。

当時、日本は高度経済成長のピークを過ぎ、その余韻を残してはいたが、先が見えなかった。(今の方がより見えなくなっているが)

一方、北欧は高度福祉国家として名声を博していた。

 

当時、日本でスウェーデンに関してよく知られていたのはダンスミュージックのABBAとフリーセックスぐらいでした。

一方、数社のスウェーデン・メーカーは日本で今より活躍していた。

 

 

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< 3.1984年11月訪問時のスウェーデン郊外2 >

 

1984年にスウェーデンとデンマークを視察し、現地の企業経営、福祉政策、人々のライフスタイルに深い感銘を受けた。

この1週間ほどの訪問で、私は日本と北欧二ヵ国の差異をつぶさに見聞した。

 

大きなカルチャーショックを受けたが、一言で言えば「家族と日々おおらかに楽しむ北欧」と「がむしゃらに走り続ける日本」の違いでした。

当時、北欧の暮らしに憧れたが、まだ日本の未来に希望を抱いていた。

 

 

 

 

 

 

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< 4.1984年訪問時のコペンハーゲン >

 

 

それから35年経った現在、両者間には更なるギャップが生じていた。

 

日本の経済や社会の水準は概ね世界の30位前後まで低下し、一部の指標では100位前後も増えた。

一方、北欧4ヵ国は概ねほとんどの指標で5位以内を占め、希に10位内もあるが。

 

私は日本の現状を憂う中で、「北欧は手本になりうるのか」また「日本に欠けているものは何か。経済、政治、社会、国民性のどこに問題があるのか」の答えが無性に知りたくなった。

そして自ら北欧を訪れるしかないと決意した。

 

しかも観光ではなく、北欧三ヵ国の社会の実情と文化歴史を直に体得する必要がある。

この為に、一人で公共交通機関を使い、自分の足と口で、人々に接しながら北欧の首都と地方都市を巡ることでした。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 79: コペンハーゲン 5 : 国立美術館を最後に別れを告げて


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今回で、北欧観光の紹介を終えます。

始めにコペンハーゲン大学植物園と国立美術館、次いでホテルの部屋とコペンハーゲン空港を紹介します。

 

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< 2. 散策ルート、上が来た>

 

ローゼンボー城Sを出て、赤線に沿って植物園を歩き、一周を終えたらピンク線に沿って国立博物館に行きました。

植物園と美術館を訪問したのは、2018年6月9日(土)15:00から16:30まででした。

 

その後、Nørreport駅から電車に乗り、中央駅まで行き、ホテルに戻りました。

 

翌日は、午前中、ホテル周辺を観光してから午後の飛行機で帰国するはずでした。

しかし、疲れと帰国便の搭乗手続きに不安があり、観光を省き空港には9時頃には到着していました。

 

 

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< 3.植物園内1 >

 

敷地は非常に大きく、植物園と言うよりは自然な公園が市民の憩いの場になっている。

 

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温室でしょうか。

中には入っていません。

 

 

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< 6.国立美術館の建物 >

 

上: 正面。

中央が入り口。

 

下: 前庭の噴水。

 

 

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< 7. 風景画 >

 

上: Johan Christian Clausen Dahlの絵

彼は19世紀のノルウェーの画家で、コペンハーゲンで絵画を学び、デンマーク王の支援を受けた。

後に『ノルウェー風景画の父』と称されるようになった。

 

下: L.A. Ringの絵

象徴主義と社会的現実主義の両方を開拓した20世紀のデンマーク画家。

 

 

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< 8. 人物画と現代美術 >

 

左上: Ejnar Nielsenの絵

20世紀のデンマーク画家で、象徴主義絵画の中心的人物でした。

 

右上: L.A. Ringの絵

先ほどの風景画も書いているが、人物画が多い。

 

 

この美術館は非常に大きく、西欧の美術品も所蔵していますが、私は北欧の美術と現代美術だけを見ました。

現代美術の展示も沢山ありました。

 

今回の北欧旅行で、各国の王宮内の絵画を見ることは出来ましたが国立美術館に訪れたのはノルウェーとデンマークだけでした、。

 

スウェーデンの美術館を見ていないので、はっきりは言えないのですが、北欧三ヵ国の絵画には大きな発展や特色が無いように思えた。

文化はドイツやオランダの影響を大きく受けているが、模倣を越えて、異彩を放ち有名になったようなものはないようです、ノルウェーのムンクを除いて。

 

このことはスペインを旅行した時にも感じたのですが、地理的に辺境、大陸の端になる国々は、中央の西欧から隔絶されている感がある。

ヨーロッパ美術史にしても、中央の西欧が中心で、他の地域は割愛される傾向が強い。

スカンディナヴィア半島やイベリア半島は距離的にそんなに離れていないにも関わらず。

中世美術のゴヤやエル・グレコの絵画に特色はあるが、何か主流から外れている感がある。

 

現在の北欧は、経済と暮らしの豊かさで世界のトップにあるが、美術ではそうでは無かった。

北欧の文化が成熟していないとは思えない。

かつての美術の発展は、国の経済力、特にパトロンとなる王侯貴族らの経済力が影響したのかもしれない。

さらに西欧の中心的な王家との血縁や宗派の繋がりが重要だったのかも知れない。

 

 

 

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< 9. 現代美術 >

 

上: 展示室を見て回っていると、突如として白い病室に行き当たりました。

良く見ると、病人は蝋人形でした。

 

下: 左右二つの映像に分かれて、同時進行し、語りかけてくる声が聞こえて来るのですが、意味は不明でした。

 

 

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< 10.Nørreport駅 >

 

 

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< 11. ホテル、CABINN City >

 

上: 中庭

 

下: 私の部屋。

この部屋は二人まで宿泊できるタイプで、当然、一人で使用しました。

使用にまったく問題はなかった。

学生の集団や労働者、若い旅行客が多かった。

 

ここは中央駅に近く、中央駅内にスーパーやコンビニがあり便利です。

朝食は安さ相応でした。

 

 

 

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< 12. コペンハーゲン空港 >

 

上: コペンハーゲン空港駅。

ホームのすぐ隣が空港ロビーです。

この駅には中央駅から直通で来れます。

 

下: ロビーは大きくない。

 

 

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< 13. チケットカウンター >

 

上: 右手中央から右手に数多くの発券機が並んでいる。

下: 右手奥がチケットカウンターです。

 

 

私は帰国の飛行機でトラブルに遭うことになりました。

これから北欧旅行される方は参考にして下さい。

 

トラブルの概要

この日、私はエアチャイナ運行のコペンハーゲン空港発、ストックホルム空港乗り継ぎ、さらに北京国際空港乗り継ぎ、関西空港着の飛行機に乗ります。

トラブルはストックホルム空港で北京行きの飛行機に乗せて貰えない状況になったことでした。

 

トラブルの発端

コペンハーゲン空港では航空チケットは全員が発券機で行うようになっていた。

それをチケットカウンターに持って行き、受託荷物を託す必要があった。

(自分で受託荷物を処理することも出来るようですが)

私は発券機の操作が上手く出来なかったので、一か所だけあるサービスカウンター(チケットカウンターの反対側)に並び、お願いしてEチケットを見せて発券してもらった。

しかし、発券されたチケットを見ると二つのフライトが一枚に印刷されていただけでした。

(私の予想では、帰りのフライト三便が三枚に印刷されるはずでした)

 

そこで係員に疑問を投げ掛けたのですが、問題無いと言う。

さらにチケットカウンターの係員も、そのチケットで処理してくれたので安心した。

 

そしてストックホルム空港で北京行きの飛行機に乗り込もうとしたら、搭乗ゲートでストップになった。

 

搭乗出来ない状況から

私を止めたのはスカンジナヴィア航空の白人男性係官でした。

私が航空チケットを見せると彼は「乗るな」と言い、私を脇に寄せて、「英語を話せるか」と聞き、私は「ノー」と声た。

すると彼は軽蔑するような素振りをし、私をそこに立たせ、終始無視した。

 

他の乗客がほとんど乗り終えた頃、エアチャイナの中国人男性の搭乗ゲート責任者が私に「どうしたのか」と聞いて来た。

私は「あの白人からストップと言われている」と答えた。

彼はどうやら私を搭乗させたいようでした。

 

私は女性の係員に私の機内の席はまだ空いているのかと聞いた。

空いているとの返事だったので、意を決して、急いで搭乗口に向かった。

もう誰にも止められなかった。

 

こうして無事、北京空港に着いた。

空港内の乗り継ぎ通路の途中で、税関の係官に関空行きの発券が出来る場所を聞いたら、近くにあると教えてくれた。

指示された方向に行くと臨時の発券カウンターがあり、中国人係員が日本語と英語で対応してくれた。

 

かくして無事に関空に辿り着くことが出来た。

 

 

感じた事

三ヵ国の中でスウェーデンが外人、ひょっとしたら東アジア人か中国人に対して悪感情を持っているなと感じた。

 

三ヵ国とも、何処に行っても市民は親切なのですが、スウェーデンでの公共機関や商業施設などでは冷たい応対に遭うことがあった。

 

三ヵ国の中で、スウェーデンは経済的に低迷しており、移民が多く、格差も拡大している。

また中国人観光客も多く、トラブルが頻発しているように思う。

これらのことが私への対応になったのかもしれない。

 

それにしても旅先での中国人、空港での係員の温かい対応には助かった。

いつのまにかエアチャイナに親しみを感じていた。

 

 

次回から、北欧旅行全体について語って行きます。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 78: コペンハーゲン 4 : ローゼンボー離宮


 

 

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今回は、こじんまりした建物だが豪華な宮殿を紹介します。

私がコペンハーゲンで訪れた宮殿はここを含めて二ヵ所だけです。

 

 

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< 2. 散策ルート、上が北 >

 

上: ピンク線が今回の徒歩ルートです。

左端の労働者博物館からローゼンボー離宮(ピンク枠)まで歩きました。

緑枠は、次回紹介する所です。

 

下: ローゼンボー離宮の拡大図。

左上の道路側から敷地内に入り、黄色矢印の建物で手続きをして、建物の北側(緑の矢印)の入り口に並んで、入場を待ちました。

赤線は建物を出てから、外観写真を撮るために歩いたところです。

 

 

 

 

 

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< 3. 自転車の街 >

 

ここは公共交通機関が交差しコペンハーゲンで最も賑やかな通りで、行き交う市民の姿を多く見た。

首都なのに車の数より自転車の方が多い。

さすが「持続可能な社会」を目指す国だけはある。

健康的で環境に優しい。

私の記憶では、30年ほど前にコペンハーゲンを訪れた時、このように自転車が多い印象はなかった。

この間に意識改革が起こった。

羨ましい限りです。

 

 

 

 

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< 4. ローゼンボー離宮に入る >

 

下: 敷地内に入ると、正面に2階の建物が見える。

その向こうに宮殿が見える。

真中から入って左側に宮殿の入場料を支払うカウンターがあります。

係りの人は英語で丁寧に話してくれたが、今一つ意味が分からないまま無事終了した。

 

入城の為に宮殿入口で並んでいる時に気が付いたのですが、入場時間が決まっており、係りの人は私にこの了解を得ようとしていたのでした。

もう一つ、注意することは荷物入れのロッカーが小さかったように思います。

大きなバッグは預けられないでしょう。

 

 

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< 5. ローゼンボー離宮 1 >

 

 

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小さいが内部は非常に豪華でした。

暗いのが私にとっては困りものでした、写真の関係で。

この建物は17世紀初めの建設で、クリスチャン4世の熱烈な愛を成就した新居だった。

さもありなんと納得した。

 

 

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< 8. 庭園 1 >

 

下: 宮殿周辺の巨大な庭園。

 

 

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上: 地図の赤線の端(西側)から撮影。

下: 北側からの撮影。

 

次回に続きます。

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 77: コペンハーゲン 3 : フードマーケットと労働者博物館


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これからローゼンボ―離宮周辺を紹介します。

今回はフードマーケットTorvehallerneと労働者博物館の紹介です。

コペンハーゲン市民の今の暮らしと100年前の暮らしが見えて来ます。

 

 

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< 2. 散策ルート、上が北 >

 

上: 今回紹介する全体図。

下側のスロッツホルメン島を後にして、徒歩で地下鉄駅Kongens Nytorvに行き、Nørreport駅で地下鉄を降ります。

 

下: 地下鉄駅の降り口Sから歩いてすぐにフードマーケットがあります。

赤線に沿って、最終、労働者博物館Eに行きました。

 

 

 

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< 3.クリスチャンスボー城とお別れ >

 

上: 国立博物館を出て、クリスチャンスボー城を後にしながら。

 

下: ストロイエ通りに向かう。

 

 

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< 4. 地下鉄駅Kongens Nytorv >

 

下: 地下鉄駅Kongens Nytorvの地上部分。

 

 

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< 5. 地下鉄の様子 >

 

上: 地下鉄駅Kongens Nytorvの地下部分。

 

 

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< 6. Torvehallerne >

 

訪れたのは2018年6月9日(土)で、13時を過ぎていました。

建物は新しい。

 

 

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< 8. おいしいそう >

 

今回の旅行では、スウェーデンの海辺のレストランで落ち着いてシーフードを食べるチャンスを逃した。

別の場所で写真に似たものは食べましたが、残念!

 

 

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< 10. 労働者博物館を目指して >

 

上: Torvehallerneを振り返って

 

下: 赤い旗のある下側に、入口があります。

私は気付かずに通り過ぎてしまい、地元の人に聞いてやっとわかりました。

博物館と言うより、古いアパートを改造した建物です。

 

 

 

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< 11. 労働者博物館、Arbejdermuseetの入り口 >

 

上: 入り口に掲げてあった標識。

The Workers Museumと大きく表示していないので注意してください。

 

下: 一つゲートをくぐると、中庭の奥にアパートの入り口のようなものが見えます。

これが労働者博物館の入り口です。

半世紀から1世紀前の暮らしを感じさせてくれることになる。

 

 

 

 

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< 12. 展示 1 >

 

建物は大きくないが、1から3階まであります。

私の館内見学は30~40分ぐらいでした。

展示内容は19世紀から20世紀中頃までの工場や作業場、そして19世紀末から20世紀中頃の都市家庭の室内などの再現模型が主です。

 

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< 14. 19世紀末以降の労働者家庭のアパートらしい >

 

 

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私は、北欧三カ国の文化歴史博物館や野外博物館を通じて、おおよそ2世紀前からの北欧の地方と都市部の暮らしを知ることが出来ました。

 

全体を通じて感じたことは、現在の北欧の豊かさや繁栄の萌芽がそれら建物には見られず、現在の豊かさと先進性はその後急激に起きたらしいと言うことです。

 

都市部の建物では一部で生活に余裕を感じたが、都市化が遅れていた北欧では例外だろう。

地方の農村、漁村、山村では木材資源こそ豊かで、住居は大きいが生活は質素だった。

おそらく産業と経済がまだ未成熟だったのだろう。

 

私が得た結論は、北欧の発展はここ百年以内、それも第二次世界大戦以降の政治経済の変革こそが重要だったと言うことです。

但し、それを可能にした文化、特に精神文化が既に根付いていたことが重要であったことは間違いない。

さらにドイツに侵攻されたが、中立政策を貫き、戦争の被害を最小にしたことも大きい。

加えて戦後、大国ロシア、西欧、米国の外縁にあったことも幸いしている。

 

普通、人口が少ないと自国の市場が小さいので経済的に不利になるが、これを逆手に取って、ヴァイキング以来の海外志向を生かして人々や企業は最初から海外展開を目指したことが、企業や経済に好循環をもたらした。

日本のように高度経済成長期に人件費を抑えて大量に出現し下請けに甘んじた中小企業が、今となっては足枷になっている。

 

半世紀ほどの間に、北欧と日本の選んだ道が、かくも大きな違いを招いてしまったようです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 75: コペンハーゲン 1 : 国立博物館


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今回は、デンマークの国立博物館を紹介します。

デンマークの歴史と文化が広範囲に深く紹介されています。

日本も含む世界の展示もあります。

 

 

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< 2. 国立博物館について >

正式名称: Nationalmuseet, National Museum of Denmark

 

上: 上が北。黒い屋根の建物が東西に延びているのが国立博物館。

矢印が入り口で、運河を隔てた右にクリスチャンスボー城が見えます。

長さ170m、幅80mほどあり、大きくて2時間で全てを見ることは出来ませんでした。

 

下: 入り口は簡素です。

 

 

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< 3. ルーン石碑とオーロックス >

 

上: ルーン石碑はヴァイキング時代9~11世紀に造られ立てられた。

多くはルーン文字で死者を称える文が書かれ、独特の装飾もされている。

 

下: 紀元前8600年、氷河期のデンマーク、シェラン島北部で鏃が刺さったオーロックスの骨が見つかっている。

おそらくスカンジナビア半島で最も古い大型獣の狩猟の痕跡でしょう。

絵はヨーロッパ大陸の洞窟壁画でしょう。

 

 

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< 4. 琥珀と葬祭 >

 

上: 琥珀は石器時代を通じてユトランド半島北部の海岸で取集され、宝石として使われた。

思っていたより古くから使われていた。

 

下: 紀元前4000年以前、石器時代の祭式小屋と石組みの墓。

左上部が祭式小屋遺跡の平面図と再現図。

中央から下が墓の遺跡。

 

これらはユトランド半島のものらしい。

 

 

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< 5.横穴式石室と大規模な祭式場 >

 

上: 紀元前3200年頃の横穴式墓室、デンマークのロラン島。

 

下: 紀元前3400年の大規模な葬祭場、墓や祭壇が連なっている、デンマークのフュン島。

 

 

 

 

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< 6. 青銅剣とフリント製短剣 >

 

上: 青銅製の曲がった剣。

青銅器時代は紀元前1700~500年。

 

下: フリント製の短剣。

この短剣の普及のピークは金属時代の始まりまで達した。

地図によるとこれはユトランド半島から大陸とスカンジナビア半島に広がった。

 

 

 

 

 

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< 7. 青銅器時代の絵と神聖なもの >

 

 

上: 石刻の絵。

剣を腰に差して踊っている。

この絵はスウェーデン南西部、氷河期末期には海岸であった巨石に彫られた絵でしょう。

今は陸地です。

 

下: サン・ホルダーと呼ばれる神聖な道具。

左は神聖な道具と祭式を行う様子が描かれている。

右の青銅製のホルダーに赤い琥珀が嵌められている。

サン・ホルダーを見た時は、遥か昔のミステリアスな場所に来たように感じた。

発掘場所は不明。

 

 

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< 8. 青銅器時代の遺物  >

 

上: 太陽の馬車(サン・チャリオト)。

全長60cmの青銅像に金箔が張られていた。

シェラン島西部で紀元前1350年頃のもの。

この地では馬が飼育されていたのでしょう。

 

下: 青銅製のヘルメット。

ヘルメットに角に似たものが見えるが、ヴァイキング時代より遥か昔のもです。

これもシェラン島のもの。

 

 

 

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< 9. 青銅器時代と鉄器時代の遺物  >

 

上: 青銅器時代、手前の物は盾に思えたのですが、そうではないようです。

後の展示ケースに治まっている曲がった物は青銅器のホルンです。

 

下: 代表的な展示品の一つ、グンデストルップの大釜。

ユトランド島北部で発見された直径70cmの銀器で紀元前1世紀のものです。

ヨーロッパの鉄器時代の銀器としては最大で、彫像が素晴らしい。

 

 

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< 10. 鉄器時代からヴァイキング時代 >

 

上: 2世紀末から3世紀のかけて新しい部族がスカンジナビアとドイツ北部に勢力を持った。

彼らはローマ人と同盟を図り、ローマの道具を使用した。

 

この後、ゲルマン民族の大移動に伴って、デンマークの祖先となるデーン人がスウェーデン南部からデンマークに南下して来た。

 

下: 9世紀から11世紀のヴァイキング時代の航海ルートと定住地。

 

 

 

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< 11. 世界各地の紹介 >

 

エジプト文明に始まり、東南アジア、中国、日本まで紹介されている。

ここでも他の北欧の博物館と同様に北方民族のサミー、イヌイット、アイヌなどが紹介されていた。

 

 

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< 12. 興味を惹いた展示 >

 

上: 型で造形された煉瓦や瓦など。

私が北欧を歩いて驚いたのは、屋根瓦が日本とよく似ていることでした。

フランスとはかなり違いました。

この博物館でまじかに見ると、益々その意を強くした。

 

左下: デンマークが一時、世界中に植民地を持っていた事を知りませんでした。

 

 

 

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< 13. その他 >

 

上: 博物館内から東側を望む。

クリスチャンスボー城が見える。

 

中央: おそらく百年程前の暮らしを紹介しているのでしょう。

 

下: わざわざ一室を設けて、日本のコスプレとプリクラが展示されていました。

何か誇らしくもあり嬉しいものです。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 75: コペンハーゲン 1 : スロッツホルメン


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今回は、コペンハーゲン発祥の地、スロッツホルメン島を紹介します。

私はクリスチャンスボー城、王立図書館、蚤の市を訪れました。

訪問したのは2018年6月9日(土)8:00~10:30です。

 

 

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< 2.散策ルート、上が北 >

 

赤線が徒歩、ピンク線がバス。

Sからチボリ公園横のバス停まで行き、バス下車後、蚤の市のあるAまで行った。

まだ蚤の市はやっていなかった。

Bクリスチャンスボー城もまだ開城していなかったので、周辺を少し歩いて、Cの王立図書館に行った。

 

王立図書館入館後、クリスチャンスボー城に入場し、その後、蚤の市を見た。

 

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< 3.チボリ公園とバス停 >

 

 

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< 4. クリスチャンスボー城の外観 1 >

 

西側から見ている。

 

 

 

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< 5. クリスチャンスボー城の外観 2 >

 

南側から見ている。

上の写真、中央に見えるのはクリスチャン9世の像です。

 

下の写真の中央が入り口になる。

 

 

6

< 6. 王立図書館 1 >

 

別名ブラック・ダイヤモンドと呼ばれる。

3枚の写真はほぼ同じ位置から見ている。

上の写真は、東側の図書館、中央の写真は西側、下の写真は運河を隔てた南側を望む。

 

私は二日前にこの運河をクルーズし、この小さな島スロッツホルメンを一周していた。

 

 

7

< 7.王立図書館 >

 

私がここに着いた時はまだ開館しておらず、運河側の広場で休憩していると、興味ある光景を目にすることになりました。

 

一人の恰幅のいい中年男性が上半身裸でベンチに腰掛け、お菓子をぱくつきながらビールを飲み、日光浴を楽しんでいました。

また若い男女のカップルが来て、服を脱ぎ始め、二人は水着姿になり、タオルケットを敷き、日光浴を始めました。

さすがに私のすぐ横ではなく、それは少し離れたところでしたが。

 

それでも驚きの一瞬でした。

彼らが一番乗りで、後には大勢の人が訪れることでしょう。

既にクルーズ船からその光景を見ていましたので、想像できます。

 

 

図書館に入ると、予想もしない展開が待っていました。

私は海外旅行では必ず書店に入るのですが、今回はこの図書館だけでした。

 

下の写真、1階を入って右側に休憩所と喫茶がありました。

そこを見やると日本人がいましたので、これ幸いと話掛けました。

閲覧室や自習室は2階のようです。

 

彼女らは二組の母子で、お母さんは共に日本から来た人で、数年と10年、コペンハーゲンに暮らしています。

ここで毎週、子供達に日本語の勉強をさせているとのことでした。

 

彼女らと30分以上、デンマークと日本の社会、教育、政治の違いについて話し合うことが出来ました。

内容は後に紹介します。

 

 

8

< 8.  クリスチャンスボー城 1 >

 

この城はかつて王宮として使用され、現在は国会議事堂などに使われている。

この城の歴史は古く、12世紀にアブサロン大司教が建てた城塞が最初で、その後幾度も戦火や火災に遭い、18世紀に現在の形になった。

 

興味を惹いたのが、アブサロン大司教です。

彼は後にデンマーク王になる人物の弟で、司教としてキリスト教の布教に貢献するのですが、それだけではない。

兄と共に王位争いの暗殺を逃れ、戦いに勝利し政治権力を握ると、バルト海の海賊掃討に注力し、また教会建築と学校設立などで国の文明化にも貢献した。

実に文武両道の人物でした。

 

 

 

 

9

< 9. クリスチャンスボー城 2 >

 

やはり宮殿内は立派でした。

 

10

< 10. 宮殿横の蚤の市 >

 

10:30頃に行くと、既に始まっていました。

それほど規模大きくはない。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 74: シェラン島北東部を巡る 6: クロンボー城


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*1

 

 

今日は、半島の突端にあるハムレットの舞台で知られている城を紹介します。

城の地下にあるダンスク像や港町ヘルシンオアも紹介します。

 

 

2map

< 2.散策ルート、上が北 >

 

上の衛星写真: 赤線がヘルシンオア駅から徒歩で右上のクロンボ―城までの徒歩ルートです。

ピンク線は帰路、城を出てヘルシンオアの町を歩いたルートです。

 

下2枚: 電車の車窓から見たヘルシンオア近くの住宅です。

 

 

3

< 3.ヘルシンオア駅 >

 

ここは終点です。

外観に趣はあるが、中はコンビニと待合室があるだけです。

私が訪れた北欧の地方の駅舎は概ね合理化されて無人に近く、コンビニとトイレ、場合によってロッカーがあるぐらいです。

 

 

 

4

< 4. 駅前の広場から >

 

駅舎からクロンボ―城に向かう。

 

上: 町の方を望む。

中: 右手が海峡で、フェリーが着岸している。

対岸のスウェーデンの町ヘルシンボリまで5kmしかない。

スウェーデンはアルコール類(規制があり)が高いので、安いデンマークに買いに来るようです。

 

下: 左が駅舎です。

 

 

5

< 5. クロンボ―城の堀に来た >

 

 

6

< 6. いよいよ入城 >

 

上: 左のゲートを抜けると巻頭写真1の入り口が見え、ここでチケットの確認がある。

 

下: 城の中庭。

 

 

 

7

< 7. 内部 >

 

下:大広間。

城の内部には豪華な装飾や特筆すべきものは無いように思う。

ハムレットを演じた俳優などのパネルがあった。

異国でシェイクスピアの作品の舞台に触れることはなぜか興奮させる。

ただシェイクスピアはこの城を訪問してはいないのだが。

 

この城の建設はデンマークが力を持ち始めた時期の13世紀に重なる。

この城は通行税を徴収する為のものでした。

当時、ヨーロッパによるバルト海東方との交易が盛んになっており、ここは唯一の海路であり、この城の前の海峡が最も狭い。

通行税によってデンマークは財政的に潤うことになる。

 

その後この城は幾度も戦火や火災に遭い、また軍事基地として使用された。

 

 

 

8

< 8. いよいよ地下に入る >

 

左上: ハムレットの寸劇を中庭でやっていた。

言葉が分からないので、残念。

 

右上: 地下への入口。

 

左下: 地下通路。

 

右下:ホルガ―・ダンスク像

この像はデンマークの伝説上の英雄で、フランク王国のカール大帝と戦った人物です。

この英雄像は第二次世界大戦時ドイツに占領された時、デンマークのレジスタンスの象徴でもあった。

 

 

9

< 9. 地下道 >

 

地下は非常に暗く、足元はほとんど見えない。

非常に広いようです。

地下牢や兵舎があったようです。

 

 

 

 

10

< 10. 城外に出る >

 

上: 海峡側を歩くと砲台があった。

対岸ヘルシンボリが見える。

1日前にこの海峡をフェリーで通りました。

 

中: 海峡側から見た城。

 

下: ヘルシンオアの街側から今来た道を振り返る。

途中、地下に航海博物館がある。

手前左に近代的な建物のカルチャーセンター、博物館、レストランがある。

最近出来たようです。

手前に単線の線路があるが、ヘルシンオア駅からこの左側に駅があり、ここまで路面電車で来ることも出来る。

 

 

 

 

 

11

< 11. ヘルシンオアの街 1 >

 

歩いたのは2019年6月8日(金)16:30頃です。

 

 

 

 

12

< 12. ヘルシンオアの街 2 >

 

帰りに町の通りを歩いていると、所々で子供達が集まっており、大人が何かを説明したり、スタンプを押したり、ジュースを与えたりしていました。

 

この日はイベントが催されていた。

右上の写真に横断幕が見えます。

何か歴史的なイベントで、英雄ダンスクとも関りがあるようです。

 

左下: レストランに入ると、今日は祭りで料理はこれしかないとのことでした。

今回の旅行で幾度か食べた手軽な料理、上等なサンドイッチのようなものです。

 

右下: なぜか日本の着物が売られていました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 73: シェラン島北東部を巡る 5: フレデリクスボー城


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*1

 

 

今回は湖畔の古城を紹介します。

中規模の洗練された宮殿でした。

 

 

2

< 2.散策マップ、上が北 >

 

上: Lyngby駅から電車を20分ほど乗って Hillerød駅に着きました。

Hillerød駅に到着したのが12:00頃で、散策後この駅に戻ったのは14:00頃でした。

 

右の上下の線が電車の線路で、No1がHillerød駅で下側(赤線)から来ました。

上側(オレンジ線)が、後にクロンボ―城に向かう線路です。

No2までの黄色線は普通の路線バスで、駅の北側のバスターミナルから乗り、城の近くで降りました。

ピンク線は徒歩ルートです。

城内と城館内を観光した後、北側の公園No3に行き、No4から遊覧ボートに乗りました。

No5の桟橋に着岸後、広場を抜け、No6から路線バスに乗り、駅に戻りました。

 

 

下: お城の立体図。

左側のSから入場し赤線を歩き、Bからボートに乗りました。

 

 

 

3

< 3. Hillerød駅 >

 

上: Hillerød駅のホーム。

 

下: バスターミナル。

表示板の直ぐ右奥に見える屋根が、駅舎です。

路線番号302に乗り、301は戻りの路線だと思います。

 

 

私は駅を降りてバスターミナルが見当たらず困っていました。

 

近くを歩く高齢のお婆さんに聞くと、私を先導してくれました。

少し歩くと、このお婆さんは若い男性に声を掛け、私を目的の所まで案内してくれるように頼んだようでした。

お婆さんは歩行が少し困難ようで、私は礼を言って別れました。

 

この男性は、私を大きなバスターミナルまで案内し、さらにバスの停留位置まで付き添い、乗るべき路線番号まで丁寧に教えてくれた。

 

北欧三ヵ国を巡って、人々が本当に親切なことに驚きました。

概ね、若い人よりも年配者の方が丁寧で親切でした。

また、女性は高齢であっても一人で長距離列車に乗ったり、散歩していたりと行動的で、自立しているように思えた。

 

 

4

*4

 

 

5

< 5.フレデリクスボー城 >

 

城の最も古い部分は1560年のものですが、現在の宮殿の大部分は、1602年から1620年にかけてデンマーク=ノルウェーの王(在位:1588年 – 1648年)クリスチャン4世が作らせたものです。

この城はスカンディナヴィアで最も大きなルネサンス様式の宮殿となっている。

クリスチャン4世が死去すると、宮殿は主に王家の公式行事に使用されるようになり、特に絶対王政下、宮殿の教会で聖別式や戴冠式が行われていた。

1859年に大火に遭い、ビール王と呼ばれた事業家が再建に尽力し、現在は国立博物館となっている。

 

 

 

6

*6

 

 

7

< 7.城内の教会 >

 

煌びやかで落ち着いた教会です。

 

 

 

8

*8

 

この部屋には多くの絵画が飾られていた。

 

9

< 9. 掛かっていた絵画 >

 

中央の絵の左側に救世主教会の螺旋状の屋根が見える。

上二枚の絵はコペンハーゲン、17世紀頃を描いているのでしょう。

下の絵にデンマークの国旗が見えます。

 

後で知ったのですが、この城にはイエス・キリストの絵『山上の垂訓』を描いたデンマークの画家カール・ハインリッヒ・ブロッホの作品が多く所蔵されている。

 

 

 

10

< 10. 庭園に向かう >

 

 

11

< 11. ボートからの眺め >

 

上: この位置からボートに乗りました。

 

下二枚はボート上からの写真です。

 

 

 

12

< 12. 桟橋に面した広場 >

 

上: ボートを降りたところ。

 

下2枚: 桟橋は大きな広場に面していました。

ここでも市民らしい人々が寛いでいました。

 

 

 

 

13

< 13.次の目的地へ >

 

上: 帰りのバスに乗るために出た通り。

 

下: この電車に乗って、次の目的地 Helsingør駅に向かいます。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 72: シェラン島北東部を巡る 4: 野外博物館 2


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*1

 

 

今回は野外博物館の後半です。

三ヵ国の民俗家屋の野外博物館を見た感想も記します。

 

 

 

 

2

< 2.No.544 の建物 1 >

 

上: 建物の説明書き。

この建物は、スカンジナヴィア半島南西部の海峡に面した所(現在スウェーデン)に17世紀建てられた。

この地域は数世紀にわたり、デンマーク領でした。

右上に示されているように住人は8人で多くの家畜がいた。

この農家はforest farmと書かれており、森林を利用して家畜を育て、穀物は家庭用に栽培された。

18世紀、この地域の木材は対岸のデンマークに小型ボートで輸出され、ユトランド半島東部の穀物と交換された。

 

下: 外側から見た。

中央に入り口が見える。

 

 

3

< 3.No.54 の建物 2 >

 

外観は古くてみすぼらしいが、中庭を囲むように四方に家屋が建っている。

二枚とも、中庭から見た写真。

 

 

4

< 4.No.54 の建物 3 >

 

古いが貧しい暮らしとは言えないようです。

内壁の板が縦方向で、外壁は横方向に並んでいるので、間に断熱の工夫がされているのだろう。

 

 

5

< 5.No.55 の建物 >

 

上: 建物の説明書き。

この建物も、スカンジナヴィア半島の最南端の(現在スウェーデン)に17世紀後期に建てられた。

この地域も数世紀にわたり、デンマーク領でした。

右上に示されているように住人は8人と7人の2家族です。

彼らは穀物栽培農家でした。

大きな家で、中庭を囲むように四方に家屋が建っている。

 

 

 

6

< 6.No.37-40 の建物 >

 

ここにはユトランド半島東側、デンマークの南端にあった4棟が集めらている。

皆、17から18世紀の農家です。

 

 

7

< 7.No.40 の建物 1 >

 

6人家族の農家で、豊かな暮らしをしていたようです。

外壁と竈兼暖炉はレンガ造りです。

 

 

 

8

< 8.No.40 の建物 2 >

 

多くの建具や家具は幅の広い板材が使用され、塗装もされている。

 

 

 

 

9

< 9. No.34の建物 >

 

上: 建物の説明書き。

ユトランド半島西側、ワッデ海のレモ島に1750年に建てられた建物。

この島は砂地で荒地です。

この島の多くの少年は水夫になり、大人になってオランダ捕鯨船のキャップテンになる者もいる。

この地では農業より漁業と航海が重要で、18~19世紀に繁栄をもたらした。

 

下: 左側の建物。

 

 

 

10

< 10. No.31の建物 >

 

 

上: 建物の説明書き。

ユトランド半島西側の南端に17世紀に建てられた建物。

此の農家は、最初オランダ商人が建て、賃貸されていた。

 

下: 特異な形をしている。

大きく高い屋根、小さな扉と窓が目立ちます。

中は暗いが大きな居間、納屋、家畜小屋がありました。

 

 

三ヵ国の野外博物館を見て

 

多くの農家は、木材が多用されていた。

ノルウェーは巨木が生かされていたが、他の建築材料に乏しい。

デンマークは木材に乏しく、豊富な土や草が補っている。

スウェーデンは両者の中間と言ったところでしょうか。

 

三ヵ国共に寒冷地なので、居間や寝室には大きな造り付けの大型の暖炉兼竈があった。

デンマークのように外壁レンガと内部は木張りにし、間に断熱効果を持たせれば、暖房効果は上がるでしょう。

その点、他の二ヵ国ではログハウスのような造りが見られるが、暖房に難点があるように思えた。

 

三ヵ国共に展示家屋の家族構成を見ていると、数世代にわたる大家族はなかった。

使用人や親族とは限らないような住人が共に暮らすことがあるようです。

デンマークでは家畜が多い。

 

これら野外博物館では農家の畑の様子、特に大きさと水源管理が分からない。

農地は穀物栽培の畑を柵で囲うだけのもので、東アジアの水田のような手間暇のかかるものではない。

また家畜も森林で飼育するようなので、人口密度の低いこれらの国では放牧地の維持に気をあまり使わないのではと感じた。

 

 

日本と比べて

 

 

氷河後退地の為、土壌が貧弱でさらに寒冷地なので、農業、特に集約農業が発展しなかった。

農業は麦などの穀物栽培なので、水管理も重要ではなかったようです。

生業としては日本のように農業中心ではなく林業、漁業、水運による交易などに多様化した。

 

これが東アジアとの家族制度の違いを生んだのだろう。

生業を多くの子供達に助けてもらう必要もなく、土地はどこにもあるので土地の相続でもめることもなく、親の権威が強化されることがなかったのだろう。

 

この結果として、貧弱な土地への執着がなく、水運を利用した移動と交易が相俟って、人々は外界への転出に抵抗がなかった。

むしろ発展と捉えたのだろう。

これは中国南部の山地に暮らす客家等の人々が、東南アジアや海外に進出することが飛躍だと考えているのに似ている。

古代ギリシャの植民にも似たところがある。

 

以下は、まったく私の感想です。

おそらく、親の権威が高まらなかった家族観、外界への転出意欲、土地への低い執着が、ヴァイキングを生み出した。

さらに千年の後の北欧の福祉国家の成功、短期間で貧しい国からの飛躍を可能にしたのだろう。

 

一方、日本の現状を見ると、山腹や小さな渓谷沿いの狭い土地を先祖伝来の地として守る姿が痛ましい。

美しい日本の原風景ではあるが、社会の変革を妨げる頑な姿に思えてしまう。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 71: シェラン島北東部を巡る 3: 野外博物館 1


 

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*1

 

 

2回に分けて野外博物館を紹介します。

これでスカンジナビア3ヵ国の民俗家屋をすべて見ることが出来ました。

訪問したのは2018年6月8日10:00~11:00で、

ちょうど1年前でした。

 

 

2mapa

< 2.野外博物館の地図 >

 

上: ホームページにあった地図。

https://en.natmus.dk/museums-and-palaces/frilandsmuseet/practical-information/

本当は大きな地図で、展示家屋に番号があるが説明はデンマーク語です。

ホームページは英語表記が可能です。

 

下: 全景写真、上が北。

南北の長さは約1.4kmあり、黄色線が博物館の敷地です。

赤矢印の建物から入場し、ピンク線を徒歩で巡りました。

速足で一割ほどの家屋を見るだけで一時間掛かりました。

 

次の訪問地に急ぐ為、職員に頼んで黒矢印のゲートから特別に出してもらった。

 

 

野外博物館、Frilandsmuseet(The Open Air Museum)について

 

開設されたのは1897年と古い。

1650~1950年に建てられた主に農家100軒以上が、広い草原や森林に移築され再現されています。

出来るだけ自然な保存を心がけているようです。

 

平地なので歩き易いが広大です。

またスウェーデンのスカンセン野外博物館のようなレジャー施設はないようです。

参加できる催しはあるようですが、学生が民俗を学ぶ場所に特化しているようです。

また他の2ヵ国と違って、家屋内に説明員はいませんでした。

お陰で気兼ねなしに見学出来ました。

 

スウェーデンやノルウェーの野外博物館と違ってほとんど学生だけで、家族連れや海外の観光ツアー客には出会いませんでした。

コペンハーゲンから離れていることもあるかもしれない。

 

 

3

*3

 

 

4

< 4.No1の建物 >

 

上: 建物の説明書き。

ユトランド半島の北西部、北海に面した砂地に18世紀建てられた。

家族6人と家畜が右上に表示されている。

住人は農業と漁業を行っていた。

 

デンマークは大陸から突き出たユトランド半島と数多くの島からなる。

この半島の西側、北海に面したエリアは氷河後退により土壌が貧しく、高木が育たない。

なので、このような屋根は草ぶき、外壁は石やレンガなどになったのでしょう。

他の二ヵ国は圧倒的に巨木をふんだんに使い、屋根を樹皮で拭くこともあった。

 

 

5DSC04179-6

< 5.No1の室内 >

 

室内の床、天井は木材、壁は木材と漆喰のようです。

良く分からないのですが、木材を燃やす暖炉(鉄製ストーブのような物も)などが室内にはあるのですが、

この建物には煙突が無かったようです。

ひょっとすると白川郷の合掌造りのように、排気を屋根裏を通しているのかもしれません(暖房の為か)。

 

 

 

 

6

< 6.No2の建物 >

 

上: 建物の説明書き。

ユトランド半島の中央西部、北海に面した所に18世紀建てられた。

住人は船長で、大半を海で過ごし、この農家を手に入れた。

住人は9人と家畜が右上に表示されている。

収入はアイスランドとの航海で得ていた。

 

 

 

 

7

< 7.No2の建物 >

 

内装、調度品、食器などから前の家よりは良い暮らしぶりがうかがえる。

 

下: これは暖炉と竈の兼用らしい。

 

 

 

8

*8

 

全体に長方形の大きい家屋が多いようです。

 

 

9DSC04197-14

< 9. 風車 >

 

この敷地内には三基の風車があった。

 

 

10

< 10. No6の家屋 >

 

上: 建物の説明書き。

二番目に大きい島、フュン島の農業に適した森林に18世紀建てられた。

住人は代々製粉業者として成功し、二基の水車を所有していた。

住人8人と馬などの家畜が右上に表示されている。

 

森林に囲まれた敷地内の三方に長い家屋が配されている。

一方の裏が小川で水車がある。

 

中央: 今から敷地内に入って行く。

 

 

 

 

11

< 11. No6の水車 >

 

確か、室内は入れなかった思う。

水車の横軸が家屋内に入っており、これが製粉機を回していたのだろう。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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