連載 晩秋の北関東

晩秋の北関東をドライブしました 13: 旅を終えて


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今回で、この旅行記を終えます。

この旅行を通して感じたことを記します。

 

 

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< 2. 旅行のルート >

 

茨城空港からレンターカーで草津温泉と鬼怒川温泉に宿泊した2泊3日の旅でした。

赤線が航空路で、茶色線がドライブコース、赤四角が宿泊地です。

2019年11月17日から19日に旅行しました。

 

快晴に恵まれ、多くを見聞し、充実した旅になりました。

温泉に浸かり、紅葉を愛で、歴史遺産や絶景を堪能しました。

ただ、一人でこのコースをすべて運転するのはきつかった。

 

 

 

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< 3. 史跡足利学校と富岡の祭り >

 

足利の山裾に最古の学校があり、その発展保存の経緯から北関東の歴史が見えたような気がした。

 

富岡の祭りに偶然出会えて感激した。

その土地の温もりを直に感じられる良い機会だった。

 

 

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< 4. 草津温泉と吹割の滝 >

 

夜の湯畑は凄い賑わいで、寒さも忘れてしまいました。

念願が叶った一時でした。

 

吹割の滝は、予想外の素晴らしさでした。

紅葉に包まれた川縁を散策していると、別世界にいるようでした。

 

 

 

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< 5. 中禅寺湖と日光東照宮 >

 

噂にたがわぬ建築でした。

さらに紅葉と晴天が、さらに美しさを惹き立ててくれました。

 

 

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< 6. 弘道館と予科練平和祈念館 >

 

弘道館では水戸藩徳川斉彬・慶喜の親子の意気込みを知ることが出来た。

 

予科練平和祈念館と雄翔館では、予科練と特攻の関わりを知ることが出来た。

また、当時追い立てられるように散っていた若者の気持ちに少しは寄り添えた。

 

 

 

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< 7. 赤城山と榛名山 >

 

ドライブをしながら北関東の街並みと山河を見ることが出来ました。

平野部の高速道路を走り、山に入り林間の道を抜け、川沿いを進み、雪が微かに残る峠を越して来た。

 

平野に点在する林と小山、急峻な山肌を持つ山々、火山の多い北関東。

建築物にしても中世、江戸時代、そして明治初期のものまで見ることが出来た。

 

いままでぼやけていた北関東のイメージが、やっと纏まって来たようだ。

奈良時代に遡る歴史を持ち、繁栄を得ていた北関東の姿が。

 

 

訪問して頂きまことにありがとうございました。

これで終わります。

 

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 12: 予科練平和祈念館


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今回は最後の訪問地、予科練平和祈念館を紹介します。
ここで太平洋戦争で散った若人達の生きざまを知ることが出来ます。
霞ヶ浦の淵、自衛隊駐屯地の脇に記念館はあります。

 

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< 2.予科練平和祈念館の位置、上が北 >

赤の四角が、記念館の位置です。
この土浦の阿見町には、大正時代から霞ケ浦海軍航空隊が置かれ、第二次世界大戦開始共に、ここに予科練が移転し、全国の予科練教育の中心となった。
戦時中の爆撃で施設は壊滅したが、現在、跡地に陸上自衛隊の駐屯地があり、その中に予科練戦没者の遺書や・遺品を収めた雄翔館がある。
この駐屯地に隣接して広大な公園があり、その中に近代的な記念館がある。

私は雄翔館を見てから記念館を訪れました。

 

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< 3. 雄翔館を目指す >

私は予科練平和祈念館の前の駐車場に車を置き、雄翔館に向かう。
ここに行くには駐屯地に入らなければならず、衛兵に挨拶して向かった。
雄翔館は16:30に閉館します。

上: モダンな建物が祈念館。
下: 駐屯地に並ぶ戦車群(現役ではないようです)。

 

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< 4. 雄翔館 >

上: 雄翔館の正面。

下: 雄翔館の入口から駐屯地を望む。

建物は大きくはない。

 

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< 5. 雄翔館、遺書の展示 >

彼らの遺書を見て目頭を熱くしたが、以前訪れた鹿児島の知覧特攻平和会館でも同様でした。
予科練と言えば颯爽とした若き航空兵と言うイメージだったが、彼らも多くは特攻兵になった。
終戦までの15年間で24万人が入隊し、うち2万4千人が戦地に赴き、特攻に進んだものも多く、戦死者は8割にのぼった。

 

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< 6. 雄翔館、遺品の展示 >

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< 7. 山本五十六連合艦隊司令長官の書簡 >

これは彼がこの予科練の司令官に送ったもの。
彼はこの書簡を書いた18日後に撃墜されている。

文面は予科練司令官に、ガダルカナル島撤退以降の日本の苦境を吐露しながらも、米軍の物量優位に勝るには、「立派に死ねる闘士を育てることが肝要」と訴えている。
当時、真珠湾攻撃からほぼ1年が経ち、ミッドウェー海戦からガダルカナル島撤退へと日本の敗戦色は濃厚になっていた。
当然、国民は真実を知らず、まだ勝利に酔いしれていた。

理知的で知られる最高指揮官の彼ですら、精神論を振りかざすしか手がないのが如何にも口惜しい。
もし国民が真実を知らされていたなら、違った国の舵取りが行われただろう。
そして若い人々は、死に急ぐことはなかった。

いつも思う。
彼らの国に殉じる思いは尊い、当然命も。
しかし、殉じることで国は救えず、圧倒的な物量の前では無駄な死と言えるだろう。
何も知らない若者をそんな境遇に追い込んだ時代が悲しい。

二度と馬鹿げた軍事国家を作ってはいけないと唇を噛み締める。

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< 8. 人間魚雷、回天 >

 

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< 9. 予科練平和祈念館 >

上: 外観。
下: フロア図。
内部は撮影禁止なので、ホームページから写真を借用しました。

展示室は7カ所に分かれています。
この番号に従って、次の写真にテーマ紹介があります。

 

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< 10. 展示室のテーマ >

記念館は大きくなく、見学時間はそうかかりません。
斬新な展示だが、今一つ要領を得ていない。
史実を分かり易く伝えると言う意味では中途半端だと感じた。
それでもこの手の展示は必要だと思う。

 

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< 11. 当時の全国予科練の設置状況 >

 

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< 12. 霞ヶ浦の夕陽 >

一度は訪れて見たかった霞ヶ浦だったが、記念館の閉館(17:00)共に外に出ると辺りは暮れていた。
直ぐ裏手の淵に辿り着くと、正に夕陽が沈む所でした。

雲に覆われ、微かに赤い西の空が予科練生の生きざまを象徴しているようでした。
悲しくも美しい生き様がここにはあった。

次回に続きます。

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晩秋の北関東をドライブしました 11: 水戸の弘道館


 

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今回は、明治維新の立役者、水戸徳川家の弘道館を紹介します。

その建物の大きさと気概に感銘しました。

 

 

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< 2.弘道館MAP、方角は矢印通り >

 

上: 水戸城と弘道館を示す。

現代の地図に江戸時代の配置を重ねている。

白色部分の右が水戸城、左が弘道館で、濃い茶色が堤、橙色が空堀。

弘道館の大きさに驚くばかりです。

 

赤線が見学したルートで、Sからスタートした。

 

 

下: 弘道館の拡大図で、上と向きが違います。

下側の茶色い部分が講道館の中心的な建物、正庁で創建当時からのものです。

黒線が見学したルートでSからスタートし、茶色線で戻った。

 

写真は見学した順番に並んでいます。

 

 

 

 

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< 3. 弘道館の駐車場と入口 >

 

上: この広い道路を挟んで、向かいに水戸城の大手門があります。

この日、ちょうど大手門の復元整備完了に合わせて見学会が行われていました。

 

 

 

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< 4. 正門 >

 

上: 藩主が来館する際などに使用した正門。

 

下: 見学者はその右手にあるこの門から出入りします。

 

 

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< 5. いよいよ正庁に入る >

 

上: 門をくぐると正庁が見えた。

 

下: 成長の玄関。

見学者は右手の小さな玄関から出入りする。

 

 

 

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< 6. いよいよ正庁内を歩く >

 

 

上: 玄関を内側から見た。

 

下: 来館者控えの間、諸役会所。

「尊攘」の掛け軸は、1856年、斉昭の命で書かれたもの。

 

江戸末期、180年前の建物がほぼ無傷で残っている。

素晴らしい!

この廊下や部屋から徳川斉昭や慶喜の息遣いを感じることが出来るような気がした。

 

 

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< 7. 対試場に面した廊下 >

 

上: 廊下から正門を見る。

 

下: 対試場に面した廊下。

左の広場で武術の試験などが行なわれ、藩主は廊下右手の正庁正席の間から見た。

 

 

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< 8. 正庁正席の間 >

 

上: 正庁正席の間。

藩主が臨席して、正席の間や二の間で学問の試験や対試場で武術試験が行われた。

 

 

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< 9. 至善堂御座の間 >

 

上: 至善堂御座の間。

大政奉還後の明治元年(1868年)、慶喜は水戸へ下り、幼少時代を過ごしたこの至善堂にこもり、静岡に移るまでの約4ヶ月間、厳しい謹慎生活を送りました。

 

NHKの大河ドラマ「西郷どん」の徳川慶喜のシーンが蘇ります。

 

 

 

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< 10. これで一周しました >

 

 

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< 11. 正庁を出て >

 

 

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< 12. 孔子廟 >

 

上: 孔子廟の門。

 

下: 鹿島神社。

 

 

弘道館について

 

水戸藩の藩校である弘道館は、藩主徳川斉昭が推進した藩政改革の重要施策のひとつとして開設されました。

弘道館建学の精神は、「神儒一致」「忠孝一致」「文武一致」「学問事業一致」「治教一致」とされていました。

弘道館は、1857年に開館されました。

藩校当時の敷地面積は約10.5haで、藩校としては全国一の規模でした。

敷地内には、正庁・至善堂・文館・武館・医学館・天文台・鹿島神社・八卦堂・孔子廟などが建設され、馬場・調練場・矢場・砲術場なども整備され、総合的な教育施設でした。

弘道館では藩士とその子弟が学び、入学年齢は15歳で40歳まで就学が義務づけられ、生涯教育といえます。

学問と武芸の両方が重視され、多彩な科目が教えられていました。

また、医者を養成する医学館では、種痘や製薬なども実施されていました。

 

https://www.ibarakiguide.jp/kodokan/about.html

を要約

 

感じた事

 

藩校の弘道館と名のつくものが、江戸時代に10校造られた。

また足利学校のように儒学の学校に併設されていた孔子廟は、今も各地に10ヶ所ほど残っている。

栃木県の足利学校と言い、この弘道館と言い、孔子の儒学、朱子学は長期に渡り武家教育で重要な位置を占めていたことを実感した。

 

一番感銘を受けたのは、弘道館の広さが、水戸城の御城とほぼ同じだと言うことです。

江戸末期、徳川斉昭が武家屋敷の地に、この弘道館を建てた意気込みに感じ入りました。

それほど日本の危機を感じとり、そして改革の中心に教育を持ってきたことが素晴らしい。

 

いいものを見学しました。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 10: 日光東照宮


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今回紹介するのは日光東照宮です。

今回の旅行のハイライトの一つがこの陽明門です。

 

 

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< 2.日光山の地図、上が北 >

前回と同じ地図。

 

上: 日光東照宮、日光荒山神社、日光山輪王寺、大猷院霊廟などがある。

右側S(駐車場)から赤線に沿って進み、輪王寺三仏堂1を見て、参道2に出た。

参道を北上し、東照宮の境内3に入り、拝殿4に入館した。

そこを出て青線に沿って進み鳴竜5を見て、元の駐車場に戻った。

 

下: 私が訪れた日光東照宮。

赤線は往路、青線は復路です。

 

写真はほぼ散策順に並んでいます。

 

 

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< 3. 鐘楼 >

 

私が気に入ったのは、陽明門の右手前にある鐘楼のある風景でした。

 

上: 左手に極彩色の花鳥の透かし彫りが施された回廊と石灯篭が連なり、右手に鐘楼、そして奥に、朝陽を浴びて今が盛りと輝く一本の銀杏、青空に映えて実に美しい。

 

陽明門の左手に鼓楼があり、さらに奥に薬師堂(本地堂)があり、そこに鳴き龍があります。

 

 

下: 逆方向から見た。

 

 

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< 4. 鐘楼と回廊 >

 

 

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< 5. 念願の陽明門 >

 

上: 階段下から見上げた陽明門。

無数の龍と獅子が門に群がり、そこに住み着いているようです。

目を見開き、牙をむき恐ろしい顔をしているようにも見えるが、不思議に愛くるしい。

 

日光東照宮は徳川家康の霊廟ですが、神様として祀られている。

家康は、この地に質素な社殿を建てるように遺言したが、後の1636年に、家光が現在の豪華絢爛たる社殿にすべて作り替えた。

そして昭和の大修理を終え、今また平成の大修理が進んでいる。

 

 

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< 6. 陽明門 1 >

 

陽明門を飾る彫刻は500を越える。

 

 

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< 7. 陽明門 2 >

 

 

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< 8. 陽明門の裏側 >

 

 

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< 9. 拝殿と唐門 >

 

上: 手前に唐門とその両側に透塀が見える。

その奥に最重要の御本社の拝殿が見える。

 

下: 唐門は胡粉で白く塗られ、上部の彫刻群は中国の故事を表している。

 

 

 

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< 10. 拝殿に入る >

 

上:  唐門の左側を望む。

左に祈祷殿、右に神楽殿が見える。

この中央を進むと有名な左甚五郎作の「眠り猫」がある。

ここは別料金で、私は行かなかった。

 

祈祷殿の手前を左に入り、靴を脱ぎ、回廊を歩き拝殿に入る。

拝殿の座敷に入ると、一人の巫女が、大勢の観光客に前に詰めて座るように促した。

ここでひとしきり拝殿の説明があった。

 

私はちょうど一番前に座ることが出来た。

目の前には、飾り気のない大きくもない暗い空間が広がるだけでした。

しかし、かつて私が座っている場所に家光などの歴代の将軍家が座り、その後ろには譜代大名が続いていたとは・・・。

不思議な感覚でした。

 

その後、その巫女はお守りの売り込みを始めました。

私もその気になり、妻に買うように促しました。

 

 

下:  神輿舎(しんよしゃ)。

唐門に向かって左手にある、祈祷殿の反対側。

 

 

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< 11. 鳴き龍 >

 

上: 薬師堂(本地堂)の天井に描かれた鳴き龍。

写真は借用です。

 

後に家康は薬師如来の生まれ変わりと信じられ、ここに薬師瑠璃光如来が祀られているのですが、すっかり鳴き龍が有名になった。

 

私達が列を作って堂内に入ると、一人の僧が、鳴き龍の下を囲むように並ばせ、拍子木を打ち始めた。

最初は部屋の端で鳴らしたが普通の音だった。

しかし中央で叩くと、甲高い鈴の音が余韻を残し鳴り響いた。

これが鳴き龍だと納得し、造営者の左甚五郎は凄いと思った。

 

その後、かの僧もまた新たな御守りを薦めた。

それは先ほどのものより更に御利益があると言う。

妻はまたここでも買った。

 

天井の鳴き龍の顔の辺りが凹んでいることで反響し鳴くようです。

この現象は1905年に偶然発見されたものでした。

左甚五郎が計画的に作ったものか、経年変化かどうかは不明です。

 

 

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< 12. 美しい紅葉 >

 

これで日光とはお別れです。

 

次回に続きます。

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 9: 日光山輪王寺


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今回と次回で、日光山を紹介します。

素晴らしい天気と鮮やか紅葉に恵まれました。

訪れたのは2019年11月19日、9:00~11:00です。

 

 

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< 2.日光山の地図、上が北 >

 

上: 日光東照宮、日光荒山神社、日光山輪王寺、大猷院霊廟などがある。

右側S(駐車場)から赤線に沿って進み、輪王寺三仏堂1を見て、参道2に出た。

参道を北上し、東照宮の境内3に入り、拝殿4に入館した。

そこを出て青線に沿って進み鳴竜5を見て、元の駐車場に戻った。

 

下: 私が訪れた日光東照宮。

赤線は往路、青線は復路です。

 

写真はほぼ散策順に並んでいます。

 

 

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< 3. 輪王寺三仏堂 1 >

 

周囲の紅葉が青空に映えて実に美しかった。

 

 

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< 4.輪王寺三仏堂 2 >

 

上: 日光三所権現本地仏(右から千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)。

撮影禁止なので借用。

制作年代等は不明。

2019年修復されたばかりの金色が眩い、高さ7.5mの三体の仏像は暗い堂内を圧倒していた。

大きな堂内が狭く思えた。

 

下: 輪王寺三仏堂から大護摩堂を見る。

右手の紅葉がまた素晴らしかった。

 

この輪王寺の歴史は古く、奈良時代、勝道上人がここに輪王寺を開山した。

彼は今の栃木県辺りで活躍し、中禅寺も創建した。

平安時代あたりから天台宗寺院として歩み始める。

江戸時代になると、家康の側近として活躍した天海(天台宗の高層)が貫主となり復興が進んだ。

そして徳川家康の霊を神として祀る東照宮が設けられた。

 

後に徳川家光の霊廟になる輪王寺大猷院には、時間が無かったので行きませんでした。

 

 

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< 5. 輪王寺三仏堂と参道 >

 

上: 右が輪王寺三仏堂、左が大護摩堂。

 

下: 参道の下り方向を望む。

 

 

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< 6. 石鳥居 >

 

1618年、筑前(福岡県)藩主黒田長政が奉納した。

 

上: 東照宮側を望む。

 

下: 反対側を望む。

 

 

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< 7.五重塔 >

 

右: 五重塔。

1650年、小浜藩主酒井忠勝によって奉納された。

後に焼失したが再建された。

 

左: 表門。

仁王像が安置されている東照宮最初の門です。

ここで入場券を確認します。

 

 

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< 8. 表門を抜ける >

 

上: 表門の反対側。

 

下: 少し境内に入って進行方向を望む。

 

 

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< 9.神厩舎・三猿 >

 

上: 神厩舎・三猿。

ここは御神馬をつなぐ厩で、猿は馬を守るとされ、人生を風刺した猿の彫刻が上面に飾らている。

中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」が有名。

 

下: 階段の奥に陽明門が見えて来た。

 

 

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< 10. 御水舎 >

 

心身を清める為の建物で、水盤が見える。

 

 

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< 11. 輪蔵 >

 

上: 階段を上がると陽明門の前に至る。

 

下: 階段の手前、左側にある経典の蔵。

経典の棚が回転式の為、この名がついた。

 

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< 12. 階段を昇った所 >

 

次回に続きます。

 

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晩秋の北関東をドライブしました 8: 中禅寺湖から鬼怒川温泉へ


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今回は、中禅寺湖と華厳の滝、

一泊してからの鬼怒川温泉の朝と日光への途中の景色を紹介します。

 

 

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< 2.中禅寺湖 >

 

素晴らしい青空でした。

しかし日が陰り始め、湖面を渡る風は冷たく、少し晩秋のわびしさを感じました。

 

写真は中禅寺湖の東側、歌ヶ浜第一駐車場から撮影しました。

この駐車場は無料で広いです。

 

 

 

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< 3. 中禅寺 >

 

上: 中禅寺が見えます。

同じ場所から写す。

 

下: 県営華厳の滝第1駐車場にて。

華厳の滝を見に行く為に停めました。

 

 

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< 4. 華厳の滝 >

 

華厳の滝エレベーターに乗って、滝つぼ近くの展望台に行きました。

写真はすべてこの展望台からです。

 

 

 

 

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華厳の滝を見終えて、いろは坂を下ったのですが、完全に紅葉は終わっていました。

2019年11月18日のことでした。

 

 

 

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< 7. 鬼怒川温泉のホテルから >

 

一夜明けた朝6時半頃、部屋から川の上流、北側を望む。

この方向、直線距離70kmほどで猪苗代湖に至ります。

北関東の端に来た思いがした。

 

 

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奥の山が朝陽に輝き始めました。

 

 

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< 9. 鬼怒川温泉から日光東照宮に行く途中 >

 

おそらく広域農道の原宿辺りです。

 

上: 来た道を振り返っている。

 

 

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< 10. 日光東照宮を目指す >

 

遠方、左の山は恐らく男体山でしょう。

手前の小山を越し右に折れ、川を少し遡上すると日光東照宮に出会える。

 

次回に続きます。

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 7: 戦場ヶ原まで


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今回は、吹割の滝から戦場ヶ原までを紹介します。

高度が上がるに連れ、紅葉は散り、枯れ山になって行きました。

雪がわずかに残る道を走り、峠を越えた時はホットしました。

 

 

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< 2. ドライブルート >

 

上: 今回のドライブルート、上が北。

赤線がドライブルート、SからスタートしEで終わりです。

矢印のAは「道の駅 尾瀬かたしな」です。

矢印のCは金精トンネルを抜けた標高1840mほどの峠です。

黒の矢印は、山の日陰で道路脇に雪が残っていたところです。

 

下: 道の駅 尾瀬かたしな。

 

 

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< 3. 道の駅 尾瀬かたしな >

 

下: 見晴らしの良いテラスがあります。

左側の谷間を真直ぐ進むと、尾瀬に行きます。

私は右側の谷間を進みます。

 

写真は撮影順に並んでいます。

 

 

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この辺りまでは紅葉が散っていないい限界で、進むに連れ、無数の白い幹だけが山を覆うようになっていきました。

 

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< 5.うら寂しい山 >

 

高度が上がるにつれ、葉の落ちた白樺だけの森が続き、寂しさが増して行きました。

走っているの私の車だけでした。

 

そしてついに恐れていた雪が道路脇に見え始め、路面も濡れているようでした。

スタッドレスタイヤに替えて来たとは言え、私には初めての経験でした。スピードを落とし、びくびくしながら通過しました。

 

 

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< 6. トンネルを抜けると >

 

トンネルを抜けると道路は下り始め、それこそ危険は峠を越えたようで、安堵しました。

遠くに見える山は男体山で、中禅寺湖にその裾野を落としている。

その手前の湖は湯ノ湖で、その少し向こうに戦場ヶ原の平地が微かに見える。

 

 

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< 7. 戦場ヶ原のパーキング >

 

上: 男体山が見える。

 

下: 遊歩道。

 

 

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< 8. 戦場ヶ原の眺め >

 

ここで歴史的な戦いがあったわけではなく、周りの二つの山が戦ったと言う神話に基づくネーミングだそうです。

 

 

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< 9. 遊歩道を行く >

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 6: 吹割の滝


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今回は、吹割の滝を紹介します。

渓谷、滝、紅葉が別世界を造り出していました。

訪れたのは2019年11月18日12時でした。

 

 

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< 2. 散策ルート >

 

茶色線は渓谷に行き来した道で、Sからスタートしました。

赤線が渓谷に沿った遊歩道で、下流(南側)から上流に向かいました。

遊歩道を歩いた時間は30分ほどでした。

 

上: 上が北。

下: 右が北。

 

 

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< 3. 鱒飛びの滝 >

 

上: 下流を望む。

 

下: 鱒飛びの滝。

 

 

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< 4.鱒飛びの滝から上流へ >

 

 

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< 5. 吹割の滝 1 >

 

両側から岩盤が迫って川幅が狭くなった所を進むと、急に視界が開けた。

そして広い川の中央で、まるで川底が抜けたように水が勢いよく吸い込まれていくのが見えた。

 

 

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< 6. 吹割の滝 2 >

 

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< 7. 吹割の滝 3 >

 

渓谷を覆うすべての山肌が赤や黄色に紅葉し、青空を映す川面が緩やかに流れていく、それが急に無数の白い筋となって流れ落ち、水飛沫をあげる。

素晴らしい景観です。

紅葉のピークは過ぎているかもしれないが、素晴らしい景観に出会えたことに感謝します。

 

 

 

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< 8. 吹割の滝 4 >

 

上 : 浮島に架かる吊り橋が見える。

 

下2枚 : 上流から吹割の滝を望む。

滝の直ぐ傍まで行けるので、迫力を感じることも出来るが、危険です。

安全の為にロープが張ってあります。

 

 

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< 9. 浮島と吊り橋 >

 

 

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< 10. 吊り橋からの眺め >

 

上: 上流側。

 

下: 下流側。

川の左側に、今やって来た遊歩道が見える。

 

 

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< 11. 渓谷とお別れ >

 

上の国道に行く坂道から見えた紅葉。

 

 

次回に続きます。

 

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晩秋の北関東をドライブしました 5: 草津温泉から吹割まで


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今回は、草津温泉から吹割の滝までの景色を紹介します。

紅葉と谷間の風景を堪能しました。

 

 

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< 2. ドライブコース、上が北 >

 

左の草津温泉から右の吹割の滝までのルートです。

赤いダイヤマークが停車し撮影した場所です。

約80km、2時間半のドライブです。

 

実は途中、沼田を通過している時に、あるミスに気が付きました。

それは、ここに真田家の拠点となった沼田城があったことで、それも近くに。

ここが北関東の要衝の地、上杉・北条・武田氏が争奪戦の地だったとは・・・。

 

この日は予定が詰まっていましたので寄ることが出来ませんでした。

 

 

 

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< 3. 道の駅 六合 >

 

ここは草津温泉から10km以内の292号線上です。

産地直売所などがありました。

 

上: 来た道を振返る。

 

下: 進行方向。

 

 

 

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< 4.上沢渡川沿い >

 

ここは草津温泉から25kmほど来た55号線上です。

旧大岩学校(牧水学校)を過ぎた辺りのはずです。

かつて若山牧水が立ち寄り、詩を読んだことにちなんで、学校に牧水と名付けた。

 

上: 進行方向(東)、中央に有笠山(標高888m)らしいものが見える。

クライミングやボルダリングで人気があるそうです。

北関東ではこのような岩肌が露出した急峻な山を多く見かけた。

 

下: 真右横の眼下に上沢渡川が流れる。

 

 

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< 5. 来た道を振り返る >

 

上記と同じ場所から。

 

 

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< 6. 中之条町大字横尾辺り >

 

草津温泉から35kmほど来た145号線上です。

 

上: 進行方向

 

下: 進行方向左に、切り立った嵩山(たけやま、標高798m)らしきものが見える。

 

 

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< 7. 遠景に榛名山 >

 

来た道を振り返ると榛名山が見えた。

榛名山は円錐形と思っていたのですが、違うようです。

今回のドライブでは、赤城山と榛名山の麓を遠回りで一周することになりました。

 

 

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< 8. 吹割の滝に到着 >

 

走っていると120号線沿いに多くの食堂や駐車場が見えて来た。

呼び込みが賑やかです。

私は沼田方面から来て最初の無料駐車場(進行方向右手)に車を止めました。

ここは道の駅 吹割です。

滝の降り口までは、さらに道路を150mほど進むと左手にあります。

 

上: この左手の店は、滝を見て道路120号線に戻ってから、昼食を食べた所です。

ここから300m下ると道の駅です。

 

下: 降りて行くと紅葉が迫って来た。

 

 

 

 

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< 9. 眼下に鱒飛の滝 >

 

 

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< 10.鱒飛の滝 >

 

紅葉に期待が膨らむ。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 4: 草津温泉の夜と朝


 

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< 1. 湯が二人の心を・・ >

 

今回は、草津温泉のロマンチックな景観を紹介します。

ライトアップされた湯畑と朝陽に輝く森が素晴らしかった。

 

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< 2.草津温泉の地図、上が北 >

 

上: 赤い四角の右が足利、左が富岡です。

赤い三角が草津温泉です。

 

下: 矢印が草津温泉での宿泊ホテルです。

深い山の谷間にある巨大な温泉街です。

 

 

 

これらは湯畑を一周して撮影した写真です。

ライトアップが幻想的でした。

冷気の中、硫黄の微かな匂いと湯煙が温かく体を包んでくれました。

寒いにも関わらず、多くの人が湯畑を訪れていました。

 

 

 

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これらは翌日の早朝、ホテル周辺で撮影した写真です。

 

裏山を歩くと落ち葉が地面を埋め尽くし、木々には紅葉の名残りがありました。

 

 

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上: ホテルの部屋からの眺め。

おそらく高い山は草津白根山でしょう。

 

 

 

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草津の湯に浸かり、そしてロマンチックな湯畑と晩秋の森を堪能しました。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 3: 富岡から草津温泉まで


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今回は、富岡製糸場のある富岡と草津までの道のりを紹介します。

写真は2019年10月17日14:30~16:30に撮ったものです。

偶然、富岡で秋祭りに出会いました。

 

 

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< 2.富岡の散策ルートと周遊観光バス >

 

 

上: 富岡製糸場へのルート、上が北。

私は上州富岡駅近くの富岡市市営無料駐車場から徒歩で富岡製糸場(赤枠)まで歩きました。

 

どちらかと言うと製糸場よりは、その町の雰囲気を見たいと思っていましたが、偶然にも祭りの最中に来ました。

この日が2年に一度の秋祭りの当日(12:00~16:00)で、駅前と市役所前は祭り一色でした。

それで祭りの様子を見たり、話を聞いていると、製糸場を見る時間が無くなりました。

 

本当は2年に一度、来年の今頃、富岡どんとまつりが行われます。

こちらは山車が本格的に飾られ、2日かけて練り歩くそうです。

 

 

下: 富岡市市営無料駐車場と富岡製糸場の間を周遊しているバス。

https://tomiokaseisi.com/entry69.html

 

製糸場の門まで行って、写真のバスがすぐやって来たので、これに乗って駐車場まで帰りました。

私は門を覗くだけで終わりました。

このバス(片道100円)は非常にお薦めです。

 

予想していなかったのですが、バスはくねくね曲がりながら、そして女性の車掌さんが通り過ぎるかつてのは繫華街をガイドしてくれたのです。

話を聞いていると、何の変哲も無い寂れた建物や狭い通りが、明治初期、富岡製糸場華やかりし頃にタイムスリップするようでした。

歩いて来た路地が、かっては何軒もの映画館がある歓楽街に、数十人の芸者がいた置屋通りだったりするのです。

 

 

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< 3. 秋祭り 1 >

 

 

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< 4.秋祭り 2 >

 

山車の屋根の上に人形などが見えますが、無いものもあります。

これらが富岡どんとまつりの時には、完璧に飾られるそうです。

間の年(今年)は、飾りつけが手抜きになるそうです。

 

 

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< 5. 富岡製糸場に向かう >

 

メインの通りのようです。

 

 

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< 6. 富岡製糸場 >

 

赤い星印が入場門で、周遊観光バスの停留所もあります。

富岡製糸場の大きさは280mx200mほどあり、一面は川に面しています。

非常に大きい印象を受けました。

 

 

 

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< 7. 周遊バスからの眺め >

 

上: 富岡製糸場の北側の塀が左側に見える。

 

下: この通りは当時、置屋街だったと説明されていたように思う。

 

 

* なぜ富岡製糸場がここに出来たのか?

 

気になり、バスの車掌さんに聞きました。

 

彼女の答え:

1 大量の水を使うが、良い川が横にあった。

2 周辺に養蚕農家が多かった(遥か昔から)。

3 近くに石炭の産地があった。

4 空き地が江戸時代から代官所用地として残っていた。

5 日本初の外国技術導入の工場建設だったが、住民は同意した。

 

当時、政府に建設を委嘱された人物は、長野県、群馬県、埼玉県を視察し、上記の理由でこの地に決定したようです。

近くに桐生があり、既に奈良時代からここら一帯は養蚕や絹織物で有名だった。

 

 

 

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< 8. 草津温泉までのルート >

 

上: 上が北。

茶色線: 足利学校から富岡まで75km。

 

黒線: 富岡から草津温泉まで94km。

この道は、軽井沢を抜け、見晴らしの良い有料道路から浅間山を見ながら走り、その後は林間を抜けて草津に向かう道です。

 

 

 

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< 9. 六里ヶ原休憩所より >

上: 東側から見た浅間山。

南側からは山頂付近で噴煙が昇っているのが見えた。

 

下: 進行方向の北側を見ている。

向こうは新潟で、白根山、苗場山や谷川岳のある方向です。

薄暗くなって来たので、これからあの山裾に向かうと思うと心細くなってきた。

 

軽井沢での渋滞もあり、草津に着いた時は真っ暗でした。

別のルートの方が良かったと思う。

 

 

北関東を走っていると、近畿とはかなり異なる山々が多い。

これまで見えていた赤城山、榛名山、浅間山、白根山など、ほとんどが火山で、碓氷峠のように鋭く立ち上がった崖を持つ山もある。

 

二つの大陸プレートがぶつかり、日本列島が折れ曲がり、険しい山並みが行く筋も隆起した所が北関東の群馬と言えるかもしれない。

 

走りながら百万年に及ぶ日本の成り立ちに思いを馳せた。

 

 

 

 

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< 10. 富岡に来て気が付いたこと >

 

なぜ、富岡や足利に歴史的なトピックがあるのか?

 

私には、北関東のこの二つの地はやはり東京から遠く、辺鄙な所に思える。

しかし、一方でこの地は奈良時代から既に発展していた土地とも言える。

 

上記、地図を見ると足利や新田の荘園があった所は、奈良時代(律令制時代)より東山道(奈良や京都から北の奥羽地方まで連なる道)上にあったことがわかる。

実は富岡も中山道や東山道の宿場町から10kmも離れていなかった。

 

更に、関東平野が最後に陸地になったのは縄文海進後の6千年前に過ぎない。

 

これらが重なって、この富岡と足利を結ぶラインが、関東では歴史的に重要な所になったのかもしれない。

そのようなことに気付かせてくれるドライブでした。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 2: 史跡足利学校


 

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今回は、旅行の最初に訪れた史跡足利学校を紹介します。
当初、期待していなかったのですが、見応えのあるものでした。
さらに素晴らしい秋晴れと紅葉が迎えてくれました。
また北関東の歴史を少し知ることが出来ました。

 

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< 2.地図、概ね上が北 >

上:  足利市大観、鳥瞰図
南側の西から東に渡良瀬川が流れており、その北側中央に足利学校があります。
中央の山の奥、北側に宇都宮、日光があり、昔は日光街道、さらには奥州街道に至り、逆に向かえば江戸に至る。

下: 足利学校の地図。
現在の姿は平成2年に復元されたものです。
堀に囲まれた、凡そ一辺120mの敷地に様々な建物があります。
ここは日本遺産、近世日本の教育遺産群として全国で4カ所、内関東で二ヵ所の水戸の弘道館と共に足利学校が認定されています。

 

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< 3.足利学校の全景 >

下: 学校を陸橋から見下ろした。

 

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< 4. 同じ陸橋から南北を望む >

上: 北側を見ている。
左に足利学校、さらに奥に足利氏館跡・鑁阿寺(ばんなじ)がある。

下: 南側を見ている。
直ぐ手前、大きな銀杏の木がある所が無料駐車場です。
さらに向こうには渡良瀬川が流れている。

 

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< 5. 足利学校に入る >

上: 最初の門、入徳門です。
ここを入ると右手に料金所があります。

下: 次いで学校門です。

 

 

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< 6. 中に入った >

上: 学校門を内側から見た。
この反対側には孔子廟があり、その前に杏壇門(きょうだんもん)があるのですが、工事中でした。
実はこの孔子廟が重要な役割を果たしていたのです。

下: 上と同じ撮影場所から方丈(ほうじょう)と庫裡(くり)を望む。
方丈とは禅寺の本堂です。

 

 

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< 7. 方丈と築山のある庭 >

庭の銀杏が黄色に輝いて美しかった。

 

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< 8. 庫裡から中に入る >

庫裡は竈のある土間と板敷きの台所がある所ですが、館内見学はここから入ります。
入って左側に方丈の大広間が見える。

 

 

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< 9. 真直ぐ進むと書院に至る >

上: ちょうど市民による論語の書写体験が行われていました。

下: 書院の外観。
庫裡から書院にかけて、足利学校の歴史が展示されています。

 

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< 10. 書院の景観 >

 

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< 11. 方丈の大広間と庭先 >

上: 大広間ではちょうどかるた会が行われていました。

市民が文芸に関心を持ち、ここを利用していることに感銘を受けました。
歴史の重みを感じます。
*足利学校に想う
16世紀、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と称したのが足利学校です。

なぜここに日本最古と言われる学校があるのか?

このような北関東のさらに北部の山裾にあり、中山道や日光街道からも少し外れているこの地に、なぜ。

ここのボランティアの説明員に問うと、幾つか理由を挙げてくれた。
その中で気になったのが、この地は足利氏発祥の地であり、交通の要衝だった、また昔から文芸を大事にする土地柄との答えでした。

ここは源氏姓足利家発祥の地であり、後に将軍家足利尊氏が出ることになる(生誕の地は異なるが)。
足利学校誕生の経緯は定かではないが、大まかに言うと以下のようでしょう。

古くは平安時代、足利家がここに学校を建てたらしい。
後に将軍家に連なることが存続に幸いしたことでしょう。

室町時代に転機が訪れます。
関東管領の上杉氏が、この学校の再興に尽力し、孔子の儒学を中心とした教育を行います。
彼は金沢文庫も再興している。
この後、学徒三千といわれる事実上日本の総合大学、最高学府となって行きます。
しかし江戸時代には既に足利家が滅んでいたこと、また学問が時代遅れになっていたことで衰微していった。

ポイントは、当時から足利氏の荘園が関東で優勢であったこと、またこの地が文芸に造詣が深い関東管領上杉氏の領地になったことが大きいようです。
さらに中山道と日光街道から離れているとは言え、江戸時代、その両街道を結ぶ日光例幣使街道が足利を通っていた。
つまり、ここは渡良瀬川もあり古くから交通の要衝だったのでしょう。

 

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< 12. 昼食 >

足利学校の門前にある「麦とろ銀丸本店」で昼食をとりました。
ここを選んだのは、足利学校内でボランティアの説明員の方に、足利の名物と聞くと、蕎麦だと言われ、この店を薦めてくれました。

 

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< 13. 二人が頼んだ蕎麦のセット >

かなり待たされたが、手の込んだ美味しい料理でした。
店の作りと雰囲気も良かった。

 

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< 14. 渡良瀬川の上流を望む >

川の上流に赤城山が見える。
その遥か遠くに、今日の宿泊地、草津温泉がある。

茨木空港から足利に来るまでの高速道路沿いの紅葉は綺麗だったのですが、自分が運転しているものですから写真が撮れなくて残念でした。

次回に続きます。

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晩秋の北関東をドライブしました 1: はじめに


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念願の草津温泉と日光東照宮を訪れ、

二十数年ぶりの北関東をドライブしました。

時は晩秋で、爽やかな快晴の中、絶景と美しい紅葉に出会えました。

これから数回に分けて紹介します。

 

 

*旅行の概要

 

トラピックスのホテル+航空券+レンタカーのセットを申し込みました。

宿泊は草津温泉と鬼怒川温泉です。

飛行機で神戸と茨木空港の往復です。

レンタカーは丸三日間利用で、総走行距離は730kmぐらいでしょうか。

 

訪れたのは2019年11月17日(日曜日)から19日です。

少し曇った時もあったが、全般に快晴で風が心地よかった。

 

今回の狙いは、観光としては温泉と紅葉、日光東照宮です。

また北関東の街並みや山野の風景、そして歴史遺産を訪問し、北関東をよく知りたかったからです。

 

 

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< 2. 旅行のルート、上が北 >

 

上: 赤線が飛行機、茶線がドライブルート、赤線の四角が宿泊地です。

 

下: 拡大図。

地図の番号に従って訪問地を紹介します。

 

  •  史跡足利学校: 最も古い学校として知られ、平安時代の足利家に由来する。

 

  •  富岡製糸場: 日本初の官営製糸場で世界遺産。

 

  •  草津温泉: 「にっぽんの温泉100選」で第一位。

 

  •  吹割の滝: 知名度は高くないが、川床が割れた滝で、渓谷が紅葉で覆われ美しかった。

 

この間、標高1840mほどの峠を越える時、道路脇の日陰に雪が残っていたのでヒヤリとしました。

 

  •  戦場ヶ原: 中禅寺湖の上にある湿原、この時期は枯れ野に過ぎないが。

 

  •  中禅寺湖と華厳滝: いろは坂も紅葉は過ぎていた、残念!

 

  •  鬼怒川温泉: 「にっぽんの温泉100選」で第二十一位。

 

  •  弘道館: 水戸藩の藩校で、藩校の中では最大規模。

水戸学発祥の地であり、徳川斉彬・慶喜との因縁が深い。

 

  •  予科練平和祈念館と雄翔館: 海軍航空隊での活躍を目指した若者が、時代に翻弄され特攻隊員として散っていた。これを記録展示している。

 

  • 日光東照宮と輪王寺: 徳川家康と家光の霊廟があり、世界遺産です。

 

1~7までは番号順に訪問しましたが、日光は鬼怒川温泉宿泊の翌日、朝一番に訪れ、その後、8,9と訪れました。

 

 

 

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< 3. 足利学校と富岡製糸場 >

 

足利学校は地元の人によって今も文化と教育の場としての伝統が守られていました。

 

富岡製糸場には入らなかった。

元々時間が足らなかったが、駐車場のある駅前で秋祭りをやっていて、祭りのだんじりを見たからです。

 

 

 

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< 4. 草津温泉の湯畑 >

 

非常に多くの観光客が、夜にも関わらず訪れていました。

ライトアップされた湯畑は、冷気もあってか、身震いするほど素晴らしかった。

 

 

 

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< 5. 吹割の滝と戦場ヶ原 >

 

吹割の滝は想像以上にスケールが大きく、紅葉も最高潮でした。

 

高度が高い戦場ヶ原の周辺は既に紅葉が完全に終わり、広大な枯れ野は冬の到来を待つだけのようです。

 

 

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< 6. 中禅寺湖 >

 

正に晩秋の湖、失恋の詩が似合う景色でした。

 

 

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< 7. 華厳滝 >

 

到着した時は陽が沈みかけており、色合いが残念でした。

 

 

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< 8. 鬼怒川温泉 >

 

朝、温泉の湯船に浸かっていると至福の時が流れます。

 

 

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< 9. 東照宮の陽明門 >

 

さすがに豪華絢爛の陽明門!

大修理が終わった後なので、ラッキーでした。

境内は紅葉の盛りで、これまた幸いでした。

 

 

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< 10. 水戸の弘道館と霞ヶ浦の予科練平和祈念館 >

 

弘道館は江戸時代の建物がそのまま残っており、尊王攘夷の志士や慶喜などの息遣いが伝わってくるようでした。

 

予科練平和祈念館と雄翔館は、かつてあった霞ヶ浦に面しています。

若者の壮絶な死に涙し、出た頃には霞ヶ浦は真っ赤な夕陽に包まれていました。

 

 

次回に続きます。

 

 

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