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記事が日本語で書かれているか、英語との併記の両方の場合があります。

福知山の神代から戦国時代の息吹を感じる 4: 福知山の城下町


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今回は、福知山の城下町を紹介します。

これで福知山の紹介を終わります。

 

 

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< 2.町歩きマップ、上が北 >

 

この地図は「ふくちやま まちあるきマップ 城下町歴史探訪編」を利用しています。

私は右下の福知山城から赤線に沿って北上し、No11で折り返し、No12からは黒線で城の横の駐車場に戻りました。

城を出たのが13:40、駐車場に戻ったのが15:10でした。

 

地図の番号について

1 福知山城、前回紹介

2 旧松村家住宅、前回紹介

3 京口門

4 明覚寺

5 明智藪、前回紹介

6 由良川堤防

7 広小路商店街

8 久昌寺

9 金毘羅神社、丹後口

10 高良厄除け神社

11 梅干し半十郎観音

12 御霊神社

 

 

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< 3. 城下町図、上が北 >

 

江戸時代のものでしょう。

上の白矢印は丹後口を示す、

濃紺の線は、川と堀です。

右下の薄緑で囲まれた範囲が当時の城でした。

現在は右端のほんの一角が天守閣として再現されている。

 

 

 

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< 4. 由良川堤防を行く >

 

上: 右に明智藪の一部、その奥に音無瀬橋が見えます。

 

中央: 堤の右側に明覚寺の屋根、その右奥に天守閣が見えます。

 

下: 由良川の下流を望む。

堤の左側に城下町が広がる。

 

光秀が由良川の流れ変え堤を造成し、城下町を整備してから、由良川の川湊を使って水運が発達した。

光秀築城以前の由良川は城下町を突き抜けて大きく右に曲がっていた。

 

 

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< 5. 広小路商店街 >

 

堤を左側に降りて、広い商店街、広小路商店街に出た。

コロナ危機の関係でか、閉まっている店が多かった。

 

上: 西側、突当りに御霊神社がある。

下: 逆方向を望む、音無瀬橋が見える。

 

 

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< 6. 広小路から右に折れる >

 

特に城下町の雰囲気はない。

やがて道が合流すると、寺町通りに入る。

 

 

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< 7.寺町通りに入る >

 

主に通り長さ300mほどの堤側に、大小の神社仏閣が並んでいる。

南側から祇園社、常照寺、法鷲寺、祇園牛頭天王社、久昌寺、金刀比羅神と並んでいる。

寺はすべて立派で、宗派が異なる。

今なら各社コンビニが競い合ってサービスを提供しているようなものか。

 

上: 常照寺、日蓮宗

江戸時代、福知山城主松平家の時に現在地に移転して来た。

 

下: 法鷲寺、浄土宗

江戸時代、福知山藩主朽木家の位牌所として重んじられた。

 

光秀の後、福知山藩主の家系は7回替わり、朽木家が13代と重ね、明治維新まで続いた。

 

 

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< 8. 久昌寺 >

 

上下: 久昌寺の山門と本堂、曹洞宗

もっとも立派で、福知山城主朽木家の菩提寺でした。

山門の右側にある小さな社が祇園牛頭天王社で久昌寺の鎮守社です。

 

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< 9. 久昌寺の棟鬼瓦 >

 

上: 久昌寺の棟鬼瓦

これが寺の屋根に載っていたそうです。

今まで気にしていなかったが、寺の本堂や山門、釣鐘堂の屋根をよく見ると鬼瓦だけでなく鯱まで乗っている。

 

下: 地図で見ると金毘羅神社が堤の横にあるので、今一度、堤に出た

 

 

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<  10. 金毘羅神社 >

 

上: 金毘羅神社、ここはかつて丹後口でした。

ここには水運の神が祀らており、水運が盛んだったことを物語っている。

写真の鳥居右横の井戸の辺りに番所があった。

 

旧山陰街道は、地図2のNo3京口門から城下に入り、川に沿って進んで、No9金毘羅神社(丹後口)から城下を出た。

 

この場所は、寺町道りから右に折れて、狭い道に入らなければならない。

当初、不思議に思ったのですが、旧山陰道から城下町が見通せな無いように意図されていたことが後で分かった。

 

下: 「なわむしろ」と書かれた看板

この辺り、寺町道りを過ぎて厄除け神社までのこの道の堤側は鋳物師町です。

特段、歴史を偲ばせる家屋は見当たらない。

 

 

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< 11. 高良厄除け神社 >

 

境内が広い立派な神社で、今も毎年2月、市民が厄除けの輪をくぐる厄除け大祭が行われています。

江戸幕府成立の年、福知山藩主になった有馬家が、この地に鋳物師町を新設した。

この鋳物師町は低地の為に、由良川の氾濫の度に被害を受け、江戸末期に安心立命を願い厄除け神社が創建され、明治末期にこの地に移設された。

残念ながら光秀の治水工事だけでは、由良川の自然の猛威を防ぎきることが出来なかった。

 

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< 12. 梅干し半十郎観音 >

 

新興住宅街の一角にポツリと、昔ながらの祠があり、義賊が祀られていた。

話が面白いので要約します。

 

江戸時代末、全国的な凶作があり、福知山藩は財政が大変苦しくなって、町民・百姓に厳しい倹約令を敷いた。

 

福知山の町に親分の用人棒、松岡半十郎がいました。

彼は藩にひとあわふかせてやろうと、統制売買し巨利を得ていた藩制定の問屋に押し入り、男二人を殺害して金を奪い、そのお金を生活に困っている人に施して逃げました。

 

しかしあえなく捕えられた半十郎は打首となった。

その際、辞世の歌として「三味線の糸より細きわが命 引き廻されて撥(バチ罰)は目の前」と残したそうです。

 

処刑に際し、半十郎は肌身離さず持っていた、約5cmの観音様を飲み込んで「私の好物の梅干しを墓に供えて願掛けに参ってくれるなら、首から上の病気は必ず治してあげよう」と言い残してこの世を去った。

 

その後、祠が建てられ、梅干しが絶えないそうです。

 

 

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< 13. 御霊神社 >

 

光秀が祀られている。

元々、光秀は先に紹介した常照寺に祀られていた。

一方、この地には稲荷社があった。

江戸中期、町民たちが藩主に合祀を願い、この地に創建された。

光秀は没後120年を経ても人気だったようです。

10月の御霊大祭は三丹一の大祭と呼ばれている。

 

 

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< 14. 御霊神社を出る >

 

上: 神社境内から前の広場を望む、奥に音無瀬橋が見える。

 

下: 広場の横にある公園。

コロナによる休校のせいか、多くの小中高生が遊んでいた。

 

 

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< 15. 新町商店街から福知山城へ >

 

上: コロナ危機の為か、ほとんど店が閉まっていた。

とは言っても、おそらくシャッター通りになりつつあるようです。

 

下: お城通りから福知山城を見上げる。

この道を進み、駐車場に向かう。

 

 

* 感想 *

 

今回、一番の好印象を得たのが、人の温もりでした。

まさにコロナ危機の最中なので、観光地をぶらつくことを非難されるかもしれないと思っていた。

当然、三密を避け、館内や店舗内に入るのを避けてはいたが。

 

寺町通りを歩いていると、わざわざ自転車を止め、私に話かける地元の年配者がいた。

彼は「どこに行かれるのですか?」と聞いてくれた。

彼は親切に教えてくれて、激励までしてくれた。

 

またさらに進むと、訪問販売中らしい男性がまた声を掛けてくれた。

彼は「ここは寺町と言うのですよ!」と教えてくれた。

 

実にありがたい。

文句では無く、歓迎してくれている。

 

もっとも私達夫婦は目立っていた、この城下町散策ではまったく観光客を見なかったので(城を除いて)。

 

 

各地を旅行していると、古い街並みを持つ町に地元愛を持っている人に出会うことがある。

 

しかし、一方で、どこも寂れて行く町の姿が目に焼き付く。

山陽地域、明石から広島までの山間や海岸沿いを電車で旅した時、北関東を車で旅した時もそうでした。

 

日本経済が地盤沈下し、世界経済から取り残されつつある中で、ふと足元を見ると、地方都市はどこも衰退し、再生の兆しはない。

 

一方、北欧や中国を巡っていると、とてつもなく広い国土で再生が進んでいる。

北欧も中国も、半世紀から30年ほどの間に活性化し、ほぼすべての町並みが急速に新たになっている。

 

日本と世界のギャップに唖然とする日々です。

 

 

次回から、徳島の漁村を巡りを紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 23: 映画「太陽の蓋」を紹介


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福島原発事故を今一度教訓として欲しい!

無料動画「太陽の蓋」を紹介します。

また私の想いを詩にしました。

 

 

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* 「太陽の蓋」を見た感想 *

 

なぜ日本は、いまだに危機に上手く対応出来ないかが良くわかる。

それは体制が麻痺しているからに尽きる。

 

数人の首脳が全身全霊であがいても・・・

そんな虚しさの中にも光明を感じることがあった。

身を挺して原発の残った人々と陣頭指揮を執られた人が居たことを。

そして突然の巨大な災厄にもめげず、立ち向かった多くの人々がいたことを。

 

 

*「憂いの詩」 私の想いを託しました *

 

 

何を恐れるのか

 

座して逡巡する君よ

 

持して朽ち果てる故国こそ恐れよ

 

いま船出する時

 

渇きや荒波を恐れるな

 

出でて求めよフロンティアを

 

闇の中、頼れるのは己一人と覚悟して

 

家族を愛し、友と手を携え

 

いざ立ち上がれ

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 34: 夜の四方街を愉しむ


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今回は、麗江古陳の中心、四方街の夜を紹介します。

なかなか味わえない雰囲気があります。

飛んでエキゾチック・チャイナ! 

 

 

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< 2.麗江古陳の散策ルート、上が北 >

 

黄色線が前回紹介したホテルから黑龙潭のルートです。

赤線が今回紹介するルートです。

玉河広場から四方街までは460mほどです。

白の四角枠はホテルです。

今回の写真は夜6:00から8:30までの撮影です。

 

 

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< 3. 銀細工の店 >

 

銀細工の店が多かった。

銀細工の飾りは、中国南方の少数民族にとって非常に重要でした。

かつての花嫁姿は豪華な銀製の冠、胸飾り、ブレスレットで覆われていました。

特に有名なのが貴州省のミャオ族で、今でも祭式で女性が身に着けます。

銀飾りは婚資であり、移動可能な財産、身分の象徴でした。

 

 

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< 5. 四方街 1 >

 

四方街から幾本もの通りが放射状に延び、その両側には店が並んでいます。

そして観光客で溢れています。

 

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< 6. 四方街 2 >

 

人が増えて来ました。

 

 

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< 7. 大石橋 1 >

 

下: 大石橋が見えます。

この川の両側にはレストランがひしめき、どこも客で一杯でした。

この一角の雰囲気は、他の通りとは異なります。

レストランが、フランスの洒落たテラス席のように、川に沿って開放的になっています。

ちょうど菊が満開で、さらに夜の明かりが華やかさを増しています。

 

ただ私としては少し残念だったのですが、流れる音楽が中国ポップと言うか、けたたましいのです。

ライブハウス付きレストランとでも言えるのでしょうが、落ち着かない。

しかし中国の人は、当然楽しんでいるのですが。

 

 

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< 8. 大石橋 2 >

 

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< 9. 大石橋 3 >

 

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< 10. フードコート 1 >

 

大石橋の近くにあるフードコートです。

前回紹介したフードコートと造りは似ていますが、こちらは二階もあります。

ここで2回目の夕食です。

いつも通り、妻に注文を任せて、私は撮影です。

 

 

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< 11. フードコート 2 >

 

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< 12.フードコートでの料理 >

 

味は絶品とはいかないが、様々な味付けと食材を愉しめれば満足です。

 

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< 13. 四方街に戻って来た >

この夜景を綺麗に撮りたかったのですが、うまく行きませんでした。

写真はスマホによるものです。

凄い人だかりです。

中国人の観光熱と雰囲気を味わって下さい。

 

 

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< 14. ホテルに戻って来た >

 

このホテルは古風な木造風2階建てで、丘の端の広い敷地に建っています。

 

上: 入り口。

下: 二階から丘の南側を望む。

ライトアップされた木造風のホテルが並んでいる。

 

 

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< 15. ホテルのテラス席から >

 

ホテル内の東側、丘の上に喫茶店風のテラス席があり、そこから玉河広場の賑わいを撮影した。

ここでも音楽がけたたましく鳴り、多くの人が夜を楽しんでいた。

 

 

* 感じたこと *

 

30年以上前、大都会の台北や広州の夜を歩いたことがあるが、隔世の感がある。

当時、人々は平日、夜遅くまで働き、週末の夜になると家族で街に繰り出す。

人々は通りを埋め尽くし、レストランや小さな食堂に流れて行った。

その熱気は凄かった。

そこには麗江のような華やかさはなく、只々、一時の休息と憩いを得ようとする人々の姿があった。

 

ここは実に楽しく、高揚感のあるエキゾチックな観光地です。

日本の皆さんにお薦めです。

 

昔は、なかなか行けなかったのですが、今は昆明まで飛行機、そこから新幹線で麗江に時間を掛けずに行けます。

安い正規割引の航空券があり、新幹線も高くありません。

(航空券=関空-昆明、一人片道21500円、4時間。新幹線=麗江-昆明、一人2等3300円、3時間。空港-昆明はリムジンバス、40分間、一人400円)

 

また飛行機で成都まで行き、そこから麗江に飛ぶことも出来ます。

65歳以上なら、多くの観光地の入場料は半額または無料になります。

ホテルも欧米に比べれば、中国の朝食付き二人の宿泊料金は1/4~1/2ほどです。

ちなみに二泊した嵌雪楼客栈は朝食付き二人で一泊6000円でした。

このホテルの評価はTrip.coで4.5/5で良い方です。

さらに地元の食事は安い(高級店は別だが)。

 

是非とも、皆さんに中国の今の活気を感じて欲しい。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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福知山の神代から戦国時代の息吹を感じる 3: 福知山城


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今回から、福知山の中心部、福知山城と城下町を紹介します。

今回は主に福知山城です。

 

 

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< 2. ドライブルートと由良川、上が北 >

 

上: ドライブルート

元伊勢内宮を出発して、福知山城横の駐車場までのドライブルートです。

ほとんど宮川と由良川沿いを走ります。

 

下: 由良川、太い青線、赤矢印が福知山。

 

京都府、滋賀県、福井県の府県境に源を発し、西向きに流れ、福知山で急激に折れて、北東に向きを変え、若狭湾に注ぐ。

 

福知山は東の綾部に続く盆地にあるが、標高の低い所では10mに過ぎない。

しかし福知山城から由良川が注ぐ若狭湾まで直線で30kmもある。

この事と折れ曲がっている事で、福知山の城下は幾度も洪水に襲われていた。

 

 

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< 3. 由良川の眺め >

 

由良川の東岸から撮影。

上から順に、下流側、真横、上流(福知山城方面)を見ている。

 

 

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< 4. 旧山陰街道と明智の丹波攻め、上が北 >

赤矢印が福知山。

 

上: 旧山陰街道

京都から亀山、福知山を抜け、山陰側の鳥取、米子を通り、次いで山陽側に向かい津和野、最終、山口小郡に辿り着く。

福知山から若狭湾に出て丹後に近い旧宮津街道もあった。

福知山は交通の要衝だった。

 

下: 明智の丹波攻め

福知山が発展する端緒は明智光秀がここに「福智山城」を造ったことにある。

 

16世紀後半、明智は信長に命じられ、丹波攻略を始める。

最初、福知山城(旧横山城)の南にある強敵の黒井城を攻める。

しかし背後から八上城の裏切りに遭い苦戦し、信長の命で石山本願寺との戦いに向かいます。

再度、亀山城の攻略から始め、西に順次、城を落とし、最後に黒井城を攻め落とし、丹波攻略を3年かけて終えます。

 

そして亀山城と福知山城を築城し、光秀は亀山城を丹波攻めの拠点とし、娘婿に福知山城を与えた。

光秀は福知山城築城の際、大規模な治水工事を行い、善政を敷いたことでで住民から慕われ、今に「福知山音頭」に唄われ続けている。

 

福知山音頭(江戸時代に出来た)

「 福知山出て 長田野越えて 駒を早めて亀山へ

明智光秀丹波を拡め ひろめ丹波の福知山

お前見たかや お城の庭を 今が桔梗の花ざかり

・・・・・・・・               」

 

その二年も経たない内に、近畿一円を任されていた光秀は本能寺の変を起こし、滅亡した。

 

江戸時代、福知山城は福知山藩の居城でした。

 

 

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< 5. 福知山城に到着 >

 

上: 城のすぐ横にある無料駐車場。

売店やレストラン、トイレもあります。

 

下: 駐車場から太鼓橋を渡って城に向かう。

 

 

 

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< 6. 太鼓橋の頂点から >

 

上: 太鼓橋の頂点からの眺め

 

下: 城壁の坂道に来た。

これを登って、天守閣に向かい直ぐに着いた。

 

 

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< 7.天守閣 >

 

天守閣にはコロナの関係で入場出来ませんでした。

この天守閣は1986年に再建されたものです。

構造は鉄筋コンクリート造ですが、外観は忠実に再現されているとのことです。

木張りの外壁が美しく、優しさすら感じる。

 

 

 

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< 8. 転用石 >

 

天守台と本丸の石垣は当時のもので、「野面積み」「乱石積み」「穴太積み」と呼ばれる自然石をそのまま利用している。

また寺などの石造物が大量に使用されており、「転用石」とも呼ばれている。

下の写真の所々に見られる。

 

私は天主台の石積みにある小さな自然石に触ってみたが、今にも抜けそうで不安に感じた。

逆に言えば、素晴らしい石積み技術と言える。

 

 

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< 9.表側 >

 

 

 

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< 10. 豊磐井 >

 

上: 井戸の深さは50mあり、海面下7mに達する。

 

 

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< 11. 天守閣の敷地から望む >

見ている方向は、次の地図の矢印通り。

 

上: 黒矢印、ほぼ東を望む。

中央: 赤矢印、由良川の上流を望む。

下: 茶色矢印、城下町を望む。

遠くに由良川の堤が見える。

私が散策するのは、主にこの写真の右半分です。

 

 

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< 12. 福知山の中心部、上が北 >

 

矢印の中心に福知山城があり、東側から来た由良川が急激に折れ曲がって北上し、さらに土師川(ハゼ)が南側から合流している。

 

 

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< 13. これから城下町を散策 >

 

上: 城を下って、北側に進みます。

写真の奥に見える小さな陸橋を渡り、由良川の堤に向かいます。

 

下: 旧松村家邸宅。

これは堤から迫り出した土地に建っています。

明治時代以降、大規模な築堤工事を請け負った松村組が、堤防の安全性を証明するために、この地に家を建てたそうです。

 

 

 

 

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< 14. 明智藪(蛇ヶ端御藪) >

 

光秀が福知山城を築城する際、由良川の向きを変え、巨大な築堤を行い、

城下を洪水から守ろうとした。

さらに堤防の前に、この竹藪を造り、由良川の水流の衝撃を和らげるようにした。

 

これだけでも、光秀はなかなかの知恵者だったと思った。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 33: 东巴文化博物馆から麗江古陳まで


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今回は、ナシ族の文化・宗教が分かる东巴文化博物馆を紹介します。

その後、黑龙潭の東岸から玉河广场へ戻り、さらに丽江古陳の中心部、四方街へと向かいます。

途中、1回目の夕食場所も紹介します。

 

 

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< 2.东巴文化博物馆 >

 

ここは黑龙潭の北側の門を出た所にあります。

小さな建物ですが、納西族(ナシ)、東巴教(トンパ)、トンパ文字の資料が丁寧に展示されています。

 

上: 入り口。

 

左下: 納西族の民族衣装。

庶民の普段着のようです。

町で見かけましたが、今は観光用に着ている。

 

右下: 火葬罐(缶なら金属容器のはずだが、土器のようだ)

説明文が読めないので定かではないのですが、これは火葬後の骨や灰などを収めた壺でしょう。

実は、この壺にナシ族の特徴が現れています。

 

中国は古来より土葬で、特に儒教によって強まりました。

(現在は衛生上の理由で禁止されています)

火葬の風習は、火葬が盛んであったインドで誕生した仏教が中国にもたらしました。

この地はチベットに隣接し、茶葉街道による交流も盛んだったので、チベット仏教の影響を受けていた。

 

 

ナシ族の人口は30万人で、雲南省の西北部から四川省西南部にかけての山間丘陵部や山間低盆地に住んでいる。

麗江古陳はかつて少数民族のナシ族の王都で、現在でもナシ族の人々が多く居住している。

またナシ族のほかに幾つかの少数民族が居住し、漢族より少数民族人口の多い地域となっている。

現在、麗江市の人口は110万人で、観光地、リゾート地として発展しており、外部からの人口流入が多いようです。

 

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< 3. トンパ教 >

 

トンパ教はナシ族の宗教で、当地のシャーマニズムとアニミズムを起源に、チベット仏教などの影響を受けて出来た。

宗教儀式を司るトンパ(シャーマン)のみが、象形文字のトンパ文字を使い教義や伝承を代々伝えて来た。

したがって一般に使われる文字ではなかった。

 

左上: シャーマンの衣装だろう。

 

右上: ナシ族の兵装だろう。

この装束は、横山光輝の「三国志」、孔明の南征(雲南北東部)のシーンで、描かれたいたような気がする。

 

左中央: 仏教で言う卒塔婆のようなものでしょう。

トンパ文字が記されています。

 

右中央: トンパ文字が書かれた書物、おそらくトンパ教の経典でしょう。

 

下: 降魔杵

おそらくシャーマンが使う魔除けの道具でしょう。

 

 

 

 

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< 4. シャーマンと儀式 >

 

上: トンパ教の祭式場を再現。

これから言うとトンパ教の寺院らしいものは無く、必要に応じて庭先などで行われたのだろう。

 

左下: 代々のシャーマン。

冠の形がチベットの仏像のものとよく似ている。

 

右下: 儀式の一つ。

 

 

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< 5. 湖の東岸を戻って行きます >

 

 

 

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< 6. 古楽器を演奏する人々 >

 

上: アンプを使用しているので、絶えなる音色が湖面を渡って広がっていた。

 

下: 麗江で紅葉を期待していたのですが、あまりなかった。

 

 

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< 8.锁翠桥 >

 

上: この橋の下が、湖から麗江古陳へと流れる川の始まり。

 

 

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< 9. 玉河广场に戻った >

 

上: 広場の人だかりは出発時よりも増えていた。

 

下: 玉河广场のすぐ横にある中国風のフードコート。

日本の大型スーパーのフードコートと形態は似ているが、木造なのが良い。

 

 

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< 10. 軽く夕食 >

 

出来るだけ色々食べ歩きたかったので、この日はここも含めて夕食を3ヶ所で食べた。

夕方5時頃でしたが、客は少なかった。

料理の種類は多いが、多くの食材が不明、味も分からない。

それでも妻が翻訳機を使い、色々注文してくる。

数皿食べたが、美味いと言うより、珍しく面白いに尽きる。

 

 

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< 11. 玉河广场から四方街への通り >

 

この通りがメインで、道幅が広い。

菊が盛大に飾られており、実に綺麗です。

ツアー客が、どんどん増えて来た。

どうやら夜が、四方街観光の愉しみのようです。

 

 

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< 12. 通りの両側は売店で埋め尽くされている >

 

民族衣装、宝飾品、食べ物、民芸品など多彩です。

ショッピング好きにはたまらないでしょうね。

ここでは中国製だから安いと言うことはない。

 

 

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黑龙潭からの川の流れです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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福知山の神代から戦国時代の息吹を感じる : 神秘的な元伊勢内宮


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今回は、宮津街道沿いにある元伊勢内宮皇大神社、日室ヶ嶽遥拝所、天岩戸神社を紹介します。

そこには山岳信仰の神髄が集約されているように思える。

 

 

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< 2. 散策マップ、上が北 >

 

ピンク線が散策コースで、黒四角の駐車場から半時計周りに、赤四角で示す元伊勢内宮皇大神社、日室ヶ嶽遥拝所、天岩戸神社を順番に巡りました。

茶色線が大江山から下って来た宮津街道です。

 

元伊勢内宮は小高い山の中腹部、そこを西側に少し下って遥拝所、さらに宮川まで降りて天岩戸に辿り着きます。

この宮川は前回紹介した「日本の鬼の交流博物館」の横から流れています。

 

地図に見える神社の左にある城山が、日室ヶ嶽遥拝所から望む山のはずですが、その名称がおかしい。

この城山は日室ヶ嶽や岩戸山と呼ばれているらしく、グーグルマップでは日室ヶ嶽は別にある。

 

散策時間は、途中で弁当を食べて1時間と少しかかりました。

 

 

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< 3. 駐車場から歩き始める >

 

参拝口の近くに大小駐車場が2ヶ所あります。

門前町らしいものはなく、村の端の階段から登って行きます。

 

 

 

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< 4. 京都丹後鉄道宮福線の車両が走って行く >

 

静かな所なので、列車の音が谷間に響いていました。

また宮川の流れも、発電所があるためか、よく聞こえました。

 

 

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< 5. 森の静寂に包まれた階段を登る >

 

おそらく高低差100m以内の、緩い傾斜の階段が巨木の杉の森の中を進む。

境内が見え始めた。

 

 

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< 6. 本殿が見えた >

 

広い境内に幾つかの伝統的な神社の建物が建っている。

訪れている人は私達以外に一組の夫婦だけでした。

 

上: 奥に見えるのが元伊勢内宮皇大神社の本殿です。

 

下: 本殿の内部。

 

 

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< 7. 参拝を終え、日室ヶ嶽遥拝所に向かう >

 

少し下るが、道は広く勾配も少なく歩きやすい。

 

上: 至る所に巨木の盛り上がった根があり、それらが苔むしている。

深い森、群生するシダ、せせらぎの音、木漏れ日の道、実に、深山幽谷の神社を訪ねる趣がある。

それも手軽に味わえるのが良い。

 

下: やがて三角形の山頂が見えて来た。

これが日室ヶ嶽(城山、岩戸山)です。

 

 

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< 8. 日室ヶ嶽遥拝所 >

 

上: 遥拝所より日室ヶ嶽を望む。

この山が元伊勢内宮皇大神社の御神体です。

頂上付近には岩の祭祀跡があるとされる。

夏至の日には日室ヶ嶽の山頂に太陽が沈む神秘的な光景も見られるそうです。

実に、この展望台は日本人好みの山がちょうど西側にあると言う好立地です。

 

下: 遥拝所から天岩戸神社までは、急な下り坂が折り返しながら続きます。

 

 

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< 9. 宮川に辿り着いた >

 

上: 宮川沿いの道に出た。

右奥に見える小さな社は、龍燈明神です。

 

左下: 宮川に降りる階段が見える。

 

右下: 途中の踊り場から階段を見上げた。

 

 

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< 10. 踊り場からさらに下る >

 

上: 踊り場にある鳥居。

この鳥居を抜けてさらに、急な階段を川まで降りる。

 

左下: 降りる階段を見下ろしている。

 

右下: 階段を降り切った所から上流側を望む。

残念ながら水嵩が増しており、道が冠水して天岩戸神社の下まで行けない。

 

 

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< 11. 天岩戸神社 >

 

上: 降り切ったところから下流を望む。

 

左下: 同じ場所から天岩戸神社を見上げる。

身を乗り出して何とか見ることが出来た。

社殿は岩盤の上に建てられており、裏手に御座石がある。

参拝するためには備え付けの鎖で登る必要がある。

私達が弁当をここで食べている間に、一人の若者が熱心に礼拝に来ていまっした。

 

右下: 踊り場に戻ると、小さな参拝所があり、そこから天岩戸神社を撮影。

 

 

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< 12. 踊り場から谷を望む >

 

上: 谷底を見下ろす。

 

下: 目の前の木立の新緑に目を奪われた。

生命力を感じさせる素晴らしい淡い緑が谷を覆っている。

 

きっと紅葉の時は美しいだろう。

 

 

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< 13. 駐車場までの戻り道 >

 

緩やかな道が1km弱はど続きます。

但し、車でここに入って来ると、対向車を交わすのが困難だと思います。

 

この元伊勢神宮はお薦めです。

豊かな自然の中にある神秘的な三つの場所、大きな神宮、山を見上げる展望台、渓谷の社が素晴らしい。

日本の神道、山岳信仰をコンパクトに体験できます。

 

 

* 元伊勢内宮について *

 

なぜこの地が伊勢神宮と関りがあるのだろうか?

これが福知山に惹かれた理由の一つです。

 

調べてみると天照大御神を祭る元伊勢内宮は、中部地方から山陽までに数十ヶ所もあります。

それは、崇神天皇がそれまで居所内に祀っていた天照大御神の神霊を娘に託し、約1世紀かけて遷座を繰り返し、今の伊勢神宮に落ち着くことなった神話と関りがあります。

それは約2000年前の事とされています。

 

そして遷座の位置は説によって異なり、その一つがここなのです。

この宮津街道を南に3km行った所に元伊勢外宮がありますが、これも同じような理由で遷座しています。

元伊勢外宮は神体が異なります。

 

 

次回に続きます。

 

 

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中国の外縁を一周して 32: 少数民族と歴史の町、麗江に到着


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これから数回にわたり、世界遺産の麗江を紹介します。

標高2400mの秘境に明清代の町並みが、疏水と共に今も息づいています。

かつて麗江古城のナシ族は、ここを通る茶葉古道で繁栄していた。

ここは本物の歴史の町と言えるでしょう。

 

 

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< 2. 麗江の位置、上が北 >

 

上: 赤四角が麗江で、黒線が550km離れた成都からの航路です。

麗江が属する雲南省は東南アジア各国と国境を接し、西でチベット自治区とも接しています。

 

下: 麗江三義国際空港に着陸(借用写真)

成都から1時間半の飛行で空港に到着した10時半頃は晴れていたのですが、だんだん曇って来ました。

 

 

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< 3. 麗江三義国際空港 >

 

上: 空港全景(借用写真)

手前が国内線ターミナル、奥が国際線用。

 

中央: 上の写真で黄矢印の方向から見ている(借用写真)

丽江三义机场国内航站楼の2階が見えている

私はエアチャイナで国内線ターミナルに到着。

ターミナルは2階建で、到着したら1階に降りる。

小さな空港なので分かり易い。

 

下: エアポートバス(借用写真)

私が乗ったのは机场巴士市区线(民航蓝天宾馆(福慧路方向)行き)。

上の写真でピンク矢印辺りが、ターミナルの1階を出た所にあるバス乗り場です。

ここから麗江の中心部まで約50分で着きます。

バスの発車は飛行機到着に合わせて発車します。

エアポートバスの切符売り場(小屋)はターミナルを出た所にあります。

 

 

 

 

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< 4.麗江の俯瞰図、上が北 >

 

麗江は険しい山岳地帯の小さな盆地にあり、近くを長江が大きく蛇行しながら流れています。

お目当ては麗江古城と呼ばれる町並み保存区で、大きさは約1km四方です。

 

上: 赤矢印が今回のホテル、黒矢印が民航蓝天宾馆、赤丸が空港です。

 

 

ここで少し注意点があります。

 

エアポートバスが到着した民航蓝天宾馆(小さなバスターミナル)には、タクシーが数台停車していた。

ホテルまで500mぐらいしかないが、タクシーに依頼すると快諾してくれた。

ところがホテルは麗江古城内にあり、車が入れない為、手前で下ろされ、歩いて行くことになった。

これは仕方がないのですが、私のホテル、嵌雪楼客栈は小高い丘の上にあります。

 

そこに登る階段がきつく、とてもスーツケースを持って上がれない。

仕方なく、ホテルまで手ぶらで行き、フロントに荷物の運搬を頼んだ。

フロントは英語が喋れて、快諾してくれた。

やがて屈強な男が出て来て、二人分のスーツケースをホテルまで運んでくれた。

 

私は、事前にメールでホテルが高台にあるので、近くまでタクシーで行けるかと問い合わせしたら、「問題ない」との返事で安心していた。

何とか事なきを得たが、通じないものです。

 

 

下: 俯瞰した衛星写真(グーグルアース)

奥の白い山が標高5596mの玉龍雪山です。

赤矢印が麗江古陳で、赤丸が空港方面です。

 

全長6300kmの長江は麗江の左(西)20kmまで近づいた後、北上し玉龍雪山の後を回り、また南下し、東に流れて太平洋に注ぎます。

長江の源流はまだ2千kmほど先で、玉龍雪山の遥か左奥に始まる。

長江を麗江から遡って120kmほど先の、ちょうど玉龍雪山の裏の方向に、香格里拉(シャングリラ)のチベット仏教の巨大寺院、松赞林寺がある。

茶葉古道は雲南省南部の普洱茶の産地から麗江と香格里拉を通り、最終ラサに至ります。

 

 

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< 5. 今回紹介する所、上が北 >

 

左: 赤丸1がホテルで、麗江古陳(古城)のほぼ北の端になる。

ピンク枠がおおよその麗江古陳の観光範囲。

赤枠が黑龙潭景区(玉泉公园)。

赤線が黑龙潭までの徒歩ルート。

 

右: 今回紹介する黑龙潭の散策ルート、赤線です。

 

 

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< 6. 嵌雪楼客栈 >

 

上: 入口の一つ。

 

下: 入口の前から玉河广场を見下ろす。

 

麗江に数あるホテルの中から、ここを選んだのは、ここが高台にあり古陳を見渡せることが一番でした。

それに造りが納西族(ナシ)の重厚な館風で、場所が古陳の北端にあるので便利だと考えたからです。

スーツケースの持ち運び以外は、予想以上に良かった。

 

 

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< 7. ホテルから黑龙潭に向かう >

 

左上: 階段上の右側がホテル。

 

右上: 階段下の細い通りから別のホテル入口を望む。

この通りの高台側にはホテル、谷側には売店が多い。

 

下: 同じ通りから玉河广场を見ている。

この通りの左側に小さな小屋があり、そこで麗江古陳保護費を支払う。

黑龙潭への入場は、麗江古陳保護費の領収書があれば良い。

保護区の麗江、束河、黑龙潭に入るには80、40元が必要ですが、私達は65歳と70歳以上なので、パスポートの提示で無料になります。

 

 

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< 8. 玉河广场 >

 

広場は観光客、ツアー客で一杯だ。

日本人の団体観光客を見ることは無かったが、日本人観光客らしい一組の夫婦を見た。

 

下: 右上にホテル嵌雪楼客栈が見える。

 

 

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< 9. 川に沿って黑龙潭に向かう >

 

上: 水は透き通り、川藻が揺れている。

この水は黑龙潭から流れている。

 

下: 川の右側は、古風な建物や売店が並んでいる。

川の左側は、モダンな店らしい建物の建設ラッシュでした。

私には興覚めですが。

 

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< 10. 川沿いの散策 2 >

 

 

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< 11. 入口が見えて来た >

 

黑龙潭は、18世紀、清のの乾隆帝によって玉泉龍王廟として作られたのが始まりです。

 

 

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< 12. 得月楼 >

 

上: 湖の端に辿り着いたら、対岸に有名な得月楼が見えた。

右手前に五孔橋が見える。

 

実は、天気が良ければ、得月楼の左奥に雪を被った玉龍雪山が聳え立ち、この湖面に雄姿を映すはずでした。

この写真を一番撮りたかったのですが、残念無念!

 

 

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< 13. 途中、出会った人々 >

 

上: 中国の女性三人組

今回、中国を観光していて北京と麗江の観光地で漢服を着ている若い女の子をよく見かけた。

今、流行のようです。

それで記念と思い、一緒に写真をお願いしたら、快諾してくれた。

 

下: 散歩しているナシ族のお婆さんと孫がいたので、写真をお願いした。

喜んで被写体になってくれた。

お婆さんの服が民族衣装です。

 

散策していると観光している東南アジアの若い男女グループを見たので不思議に思い、声をかけました。

彼らはベトナムから来たとのことでした。

なにせ雲南省はベトナムと国境を接していますので近い。

写真はありません。

 

 

 

 

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*14.

 

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< 15. 得月楼を反対側から見ている >

 

下: 奥が麗江古陳の方向です。

 

 

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< 16. 公園内でゲーム楽しむ人々 >

 

下: ここから折り返し、湖の反対側を周ります。

 

ここで一度、后门を出て直ぐ前にある丽江东巴文化博物馆に行きます。

 

これは次回、紹介します。

 

 

 

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福知山の神代から戦国時代の息吹を感じる : 大江山の自然とロマン


 

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今回は、京都府福知山市の歴史と自然を訪ねました。

大江山にまつわる神代の伝説と平安歌人の想いを紹介します。

また大江山八合目から宮津街道の自然を紹介します。

 

 

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< 2. 今回の訪問地、上が北 >

 

上: 太い線は宮津街道を示します。

私が訪れたのは赤枠の大江山周辺と矢印4の福知山の城下町です。

城は明智光秀が造りました。

訪問地は、いずれも宮津街道に接しています。

訪問したのは2020年4月15日です。

 

宮津街道は江戸時代、宮津藩が参勤交代で使った宮津と福知山を繋ぐ道でした。

古代より、大江山近くの峠を越える道は丹後方面を結ぶ主要な街道でした。

現在は両地点を舞鶴若狭自動車道と京都縦貫自動車道で結んでいます。

 

下: 上の地図の赤枠を拡大した地図。

太線が今回紹介するドライブルートです。

 

矢印1とG: 大江山山頂近くの鬼嶽稲荷神社。

矢印2: 日本の鬼の交流博物館。

矢印3: 元伊勢内宮と天岩戸神社。

S:  京都丹後鉄道宮福線の大江山口内宮駅。

 

私は福知山から宮津街道をドライブし、鬼の交流博物館を見学の後、頂上に向かいました。

それから折り返し元伊勢内宮までドライブしました。

この時の写真がGからSまで順番に並んでいます。

 

途中の茶色の矢印は、分岐して北上する宮津街道です。

 

 

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< 3. 百人一首と鬼伝説 >

 

上: 和泉式部の娘の小式部内侍の歌です。

私は当初、平安貴族がこんな山奥について歌う理由が分からなかった。

理由は、母の和泉式部が夫の赴任地の丹後で暮らしており、その寂しさを天の橋立に通じる宮津街道に思いを馳せて詠ったからでした。

生野は福知山よりも京都よりの地名です。

 

下: 源頼光による鬼退治、酒天童子伝説。

なぜ大江山は鬼退治で有名なのか?

それは鬼の交流博物館に入って分かりました。

 

 

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< 4. 日本の鬼の交流博物館 >

 

上: 日本の鬼の交流博物館の外観

左の大きな鬼瓦のモニュメントが、駐車場がある入口側です。

この博物館は酒天童子の里にあり、周囲には多くの野外レクリエーション施設があります。

 

下: 内部

 

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< 5. 鬼瓦と鬼の面 >

 

如何におおくの寺院の屋根に鬼瓦が使われていたがよく分かりました。

また日本全国の民俗芸能や神事、能で使われた鬼の面が展示されています。

 

 

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< 6. 日本の鬼、世界の鬼 >

上: 岩手県の山村に今も伝承されている鬼の人形。

この男女のシンボルは、天明の飢饉以降、災いから村を守ってもらいたいと鬼に願を掛けて作っているものです。

 

下: 世界中の鬼の面。

写真には中国や韓国、南アジアの面が見えます。

 

 

* 大江山の鬼退治伝説 *

 

この初出は古事記の土蜘蛛退治で、次いで聖徳太子の弟による土熊討伐、最後に源頼光の酒天童子征伐があります。

実は、この「酒天童子の里」は銅鉱山の跡地に作られています。

この大江山一帯には古くから銅などの鉱物が産出していた。

 

そこで二つの説があります。

一つに、村人は鉱山から流れる鉱毒を恐れ、鉱山の職人集団を恐れた。

今一つに、朝廷が北辺の恭順しない部族を討伐し、さらには鉱山を奪う為に鬼退治と称した。

 

どちらにしても鉱山が重要な役割を果たしていたようです。

 

 

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< 7. 鬼嶽稲荷神社 >

 

上: 展望台から望む東側

ここは標高832mの大江山の八合目にあり、東側に視界が広がっています。

秋の早朝の雲海が絶景だそうです。

写真中央に見える三角錐の山は日室ケ嶽(標高427m)だと思います。

実は、後に元伊勢内宮に行きますが、そこの日室ヶ嶽遥拝所から逆方向にこの山を見上げることになります。

 

下: 鬼嶽稲荷神社

 

この前で達者な老人と出会いました。

彼は私達を見ると、寄って来て話しかけて来ました。

「これから頂上に行くのは良いが、クマザサには入らないように」

私がなぜかと聞くと。

「熊が出るから」

納得してしまった、それで熊笹と書くのかなと(?)。

 

彼がカメラをぶら下げていたので聞くと。

彼はブナの花の撮影に行くと言って、一人で急峻な山道を登って行きました。

次の写真の山道です。

今が季節のようです。

 

 

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< 8. これから元伊勢内宮を目指してドライブです >

 

上: 山頂に向かう道。

下: 麓から鬼嶽稲荷神社まで車で行ける道路。

 

 

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< 9. 酒天童子の里までの道 >

 

桜の多くは終わりでしたが、まだ見頃のものもありました。

 

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< 10. 酒天童子の里 >

 

ここには多くの施設がありますが、コロナの関係でほとんど閉まっていた。

私はトイレを探して日本の鬼の交流博物館に借用に行ったのですが、入館できますよと言われて入りました。

コロナ危機以降、出来るだけ入館せず、店にも寄らず、ハイキングとドライブだけにしようと心掛けていましたが。

入館して良かった。

 

 

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< 11. 宮津街道と二瀬川渓流 >

 

上: 中央を左に延びる道が9号線で、左に行くと宮津に出ます。

私達はこの9号線を三叉路で右に曲がり、二瀬川渓流沿いに元伊勢に向かいます。

現在は舗装された幅の広い道ですが、当時の旧宮津街道は細い山道で、石畳の道などが山林を抜け、峠を越えながら現在の道と並行したり重なったりしており、今でも残っているようです。

 

下: 三叉路を曲がって9号線を福知山に向かって走る。

左は二瀬川渓流です。

 

 

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< 12. 二瀬川渓流沿いを走る >

 

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< 13. 京都丹後鉄道宮福線の大江山口内宮駅 >

 

上: ここも三叉路で、ここを奥に進むと毛原の棚田に行くと看板があります。

私はここを右に進みます。

 

下: 京都丹後鉄道宮福線の大江山口内宮駅。

 

元伊勢内宮は直ぐです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 21: コロナは我々日本の弱点を教えてくれた 6


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今回は、大きな視点からコロナ危機を見ます。

歴史的に見れば、この災厄は古い体質を打破する好機です。

 

 

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* ペストと宗教改革 *

 

人類は誕生以来、病の克服に悪戦苦闘して来た。

病は、人の負の心理に深く作用し、宗教やタブーなどの形成に大きく関わって来た。

そして最悪のペストが、逆に宗教に大打撃を与え社会に転機をもたらした。

 

ペスト菌による伝染病は14世紀から16世紀にかけて、幾度も猛威を振るい、ヨーロッパの多くの町を全滅させ、全人口の30%以上の命を奪った。

 

当時、人々はどう対応したのか?

 

当然、まだ病因が菌だとは知らなかった。

多くは怪しげな行為、毒蛇の肉、香草、便所の悪臭などで避けようとした。

信仰心の篤い人は、これを神の怒りと捉え、身体に鞭打つ行者集団も現れた。

またユダヤ人が毒を撒いたとのデマが流れ、多くが虐殺された。

 

有効な処置は、発症者の隔離、渡航者の約1ヵ月の隔離、村の通行遮断ぐらいでした。

 

こうして人々は悲惨な状況が好転しないのを見て、神と教会への信仰に疑いを持ち始めた。

 

一方、ヨーロッパでは幾つかの要因が引き金となって、聖書を客観的に見る風潮(人文主義)や医学(外科)の萌芽が起きていた。

 

こうした中、神学者ルターが1517年、ローマ教皇を正面切って批判した。

 

これが当時、体制に不満を抱いていた農民や諸侯に火を付けた。

農民は一揆を起こし、暴利を貪っていた修道院などを襲い、また諸侯は守旧派(カソリック)の領地を奪った。

こうして百年に及ぶ戦争がヨーロッパに拡大し宗教改革も拡大した。

 

その結果、キリスト教はプロテスタントとカソリックの二派に分かれた。

 

プロテスタントの聖書の原点に戻る姿勢は、1500年もの間に巨大で強固になっていた教会制度と信仰形態(ミサ)を拒否し、また皇帝の上に立つ教皇の存在も否定した。

これは人々の意識に大変革をもたらした。

 

宗教改革後、欧米の人々は、より自由な生き方を求め、さらに理想の政体を求めるようになった。、

これがフランス革命や共産主義思想の誕生などに繋がった。

 

人々は伝染病に敗れはしたが、何が真実で何が無意味かに気付き、さらなる進歩を手に入れたのです。

 

 

一方、日本はどうでしょうか?

 

実は、日本は大きな変革のチャンスを失ってしまった。

大戦突入と言う大きな失敗に対して真摯に反省しなかった。

 

問題の要点を例えで説明します。

ブラック企業は勤める人にとっては悪夢ですが、まだ辞める手もあるし、告発することも可能です。

しかし、国の軍事独裁を一端許すと、逃げる手も正す手もありません。

 

つまり問題は敗戦より、何が独裁化と戦争突入を招いたかを理解することが重要です。

これなくしてはまた悲劇が再来することになる。

 

 

私達が力を合わせてコロナ危機を乗り越えた暁には、より良い社会を目指して政治を変えて行きましょう。

 

 

次回から、また本来の課題に戻ります。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 31: 麻婆豆腐、武侯祠、その他情報


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今回は、老舗中華料理店と武侯祠、夕食のレストランを紹介します。

また成都旅行と空港の情報も記します。

これで成都の紹介は終わります。

 

 

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< 2. 陈麻婆酒楼(金沙店) >

 

ガイドの説明では元祖麻婆豆腐の店です。

落ち着いた格調ある内装で、ゆったり食事が出来ました。

 

 

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< 4. 料理の数々 >

 

左上が麻婆豆腐です。

辛さはそれほどなくて、山椒が効いて深みのある味でした。

今回の中国旅行で、もっとも中華料理らしいものでした。

フリーでレストランに入り、はらはらドキドキしながら料理を注文し、新しい味を発見した時の喜びも良いが、ガイドの薦めで代表的な料理を食べるのも良いものです。

 

 

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< 5.武侯祠 >

 

上: 武侯祠の地図。

三国志で有名な諸葛孔明の廟です。

3世紀に孔明が仕えた蜀王の劉備の廟が創建され、後に孔明の廟と一緒にされた。

清代に再建された建物が並んでいる。

 

この見学時、最も雨が酷くなり、詳しく見ることも写真撮影も出来ませんでした。

感じたのは、諸葛孔明の方が劉備玄徳より圧倒的に人気があり、中心的な配置になっていました。

 

 

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< 6. 孔明を中心に蜀で活躍した人物の像 >

 

 

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< 8. 錦里古街 >

 

上: 武侯祠の中。

 

下二枚: 錦里古街。

武侯祠のすぐ隣にある、明や清時代の建物が再現された飲食店や土産物店の通りです。

この日は寒く、雨に濡れたせいもあり体調を崩してしまったので、ここは素通りした。

 

 

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< 9.鲍师傅糕点(春熙路店) >

 

土産と夕食の為に、ガイドに頼んで一番の繁華街、春熙路に連れて行ってもらった。

この店は人気だそうで、日本への土産に買いました。

小さな店内で10種類ほどのお菓子を大量に作って販売していました。

饅頭、パイ、シュークリームのようなもので、新しい味で美味しかった。

 

一番驚いたのは、雨の中、多くの客が列をなして並び、次から次へと売れて行くのですが、客は無くなりません。

またその間にも、頻繁に様々なバイク便のドライバーが注文品を大量に引き取って行きます。

彼らは店員にスマホを見せ、素早く受取ります。

ここでも中国の新しい業態(バイク便による宅配業)の浸透を見た。

 

 

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< 10. 春熙路の百貨店内のレストラン >

 

地下鉄駅春熙路の近くには多くの百貨店や大型スーパーがひしめき合っています。

中に、イトーヨーカ堂と伊勢丹もあります。

私達は、この中に入って土産を買い夕食をとりました。

 

 

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< 11. モンゴル料理店 >

 

なぜかこの百貨店のレストランフロアはすべてが新装開店でした。

珍しいのでモンゴル料理を選びました。

 

上の写真: 店の前に置かれていた骨付き肉の塊が鍋の蒸気で蒸されており、食欲をそそります。

妻が注文しようとしたら、大きいままで小分けが出来無いと言うことで、諦めました。

結局、普通の中華料理を注文しました。

 

この後、地下鉄を乗り継いで、空港からタクシーでホテルに帰りました。

次の日は、8:50の飛行機で麗江に飛びます。

 

 

 

* タクシーの利用について *

 

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< 12. 金沙遗址博物馆前から >

 

成都観光では、8時間の日本語ガイドを雇い、蘭州と違って車をチャーターしませんでした。

移動は地下鉄とタクシーを使い、効率よく回れると想定していたのですが、上手くいかなかった。

てっきりガイドは滴滴出行などのライドシェア(配車サービス)を使うと思っていたのですが、まったく使わなかった。

写真のように通りに出て、タクシーを拾うのですが、タクシーが通らなかったり、先に別の客に取られたりと散々でした。

 

ここで面白いことがありました。

ガイド曰く、最初、タクシーを待った場所には監視カメラがあるので、タクシーは寄って来ないと言い、次へと歩いて移動することになった。

 

ガイドがライドシェアを使わない理由は分からないが、1日で成都を観光する場合は、車もチャーターする方が良いでしょう。

 

 

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< 13.空港とホテル間の移動について >

 

上: 成都双流国际机场(赤矢印)と成都空港商务酒店(黒矢印)の地図。

赤矢印は第2ターミナルで私が蘭州(中国東方航空)からと麗江(エアチャイナ)への両方で使いました。

ターミナルは3階建てです。

成都空港商务酒店が宿泊したホテルで便利で問題もなく、高くないので良かった。

 

中央: ストリートビュー。

上記地図の赤星印、高架道路上から成都双流国际机场(赤矢印)と成都空港商务酒店(黒矢印)を見ている。

 

下: タクシー乗り場の雰囲気(借用写真)。

 

蘭州から空港に到着したのは23:00でした。

当初、深夜の到着でタクシーが拾えるかと心配したのですが、無事に乗ることが出来ました。

しかし、嫌な経験をすることになった。

 

深夜であっても、非常に多くのタクシーが待機しており、配車係の指示でスムーズに乗れます。

タクシー乗り場は第二ターミナル1階を出た所にあるので分かり易いです。

タクシーに乗って行先を伝えるのですが、運転手は困惑し、分からないと繰り返します。

しかたなく、私がスマホを見ながら道案内することになりました。

 

翌日、成都観光を終えて、空港第2ターミナルの地下鉄駅を降りて、また同じ所からタクシーに乗ったのですが、また運転手がけたたましく抗議する。

無事ホテルには着いたのですが、どうやらホテルまで歩いて行けと言っているらしい。

 

結局、さらに翌日早朝の出発はホテルから空港まで1km弱を歩きました。

中国で乗車拒否には遭わなかったが、うるさいのにはうんざりした。

 

 

* 成都観光の感想 *

 

丸1日で成都の中心部を観光するのは無理でした。

四川博物院や青羊宮に行くことが出来なかった。

事前の打ち合わせで無理とはわかっていたのですが、残念でした。

 

もう一つ残念だったのは、劉備玄徳が蜀の国に拠点を置いた理由を実感出来なかったことです。

蜀の国が肥沃な広大な盆地で、かつ険しい山岳に囲まれていることを自分の目で確認したかった。

私は成都の出入りを両方とも飛行機にしたのですが、どちらか一方を列車にしておくと自然の景観が分かった。

 

もっとも蘭州ー成都ー麗江を鉄道で行くのはかなり遠回りで、それぞれ10時間以上かかり、夜行になるので採用できなかったのですが。

さらに麗江行きの飛行機便が予約後、航空会社より午後発が朝発に変更されたことで成都滞在が短くなったのも痛かった。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 19: コロナは我々日本の弱点を教えてくれた 4


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今回は、コロナ危機で感じた悲哀について記します。

 

 

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* クラスター班の活躍と苦悩 *

 

先日、NHKのドキュメンタリーで、日本の新型コロナウイルスのクラスター対策班の奮闘を見ました。

 

2ヵ月が経ち、これからも続く疲労困憊の中での東北大学押谷教授と北大西浦教授らの熱意と誠意には感動を覚え、感謝してもし切れない。

 

西浦氏は感染の第一波をクラスター分析と隔離で抑えたが、第二波を防止出来なかったと言い、言外に我々は絶望の淵に立っていることを示唆していた。

確かに、3月中旬までの少ない感染者数と3密を避ける提案は、この班の業績かもしれない。

一方で彼らは、人形浄瑠璃の黒衣(くろご)のようで目立たず、今は非難もされている。

 

 

何点か残念に思ったことがある。

 

彼は、第二波は空港での検閲と隔離が上手くいっていないからだと言葉すくなく指摘していた。

また人員不足で寝る暇も無いクラスター班への増員が無く、政府の無理解に一言嘆いていた。

 

さらに不思議なのはドキュメンタリーで、NHKが上部機関(新型コロナ対策本部、厚生省、政府)との連携や対応をほとんど描いていなかったことです。

 

常識で考えて、感染対策の執行機関の協力なしでは彼ら対策班の苦労は報われず、それこそ孤軍奮闘で終わってしまう。

むしろ私には彼らは人身御供として晒されているように思えた。

それでも彼らは実に謙虚で他者をまったく非難しない。

 

 

もう一つは、西浦氏はまだCR検査の制限に拘っていることです。

 

明らかに状況が変わっているのに手法を変えない事には無理がある。

この件の説明では、急に歯切れが悪くなった。

 

本来なら、第二波の状況悪化に備えて、政府がPCR検査の拡大や空港の検疫体制の強化を行うべきで、西浦氏がその評価を語ってこそ対策班と言える。

ここでも、何か他者への遠慮が働いているように感じた。

 

結局、コロナ危機に対して、重要な役割(感染対策の立案)を果たすべき班が、協力も支援もなく孤軍奮闘していることが露呈した。

 

まさに80年前の日本の再現です。

戦況全体を俯瞰し指揮する最高責任者がおらず、各指揮所(天皇、政府、海軍、陸軍、現地派遣軍)がバラバラに行動し、長期視点が無く、遂には補給が途絶え、玉砕で有終の美を飾ることが国民に求められた。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 18: コロナは我々日本の弱点を教えてくれた  3


 

 

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今回は、発想の転嫁が出来ない不幸を見ます

 

 

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< 3.摩訶不思議な批判潰し >

 

孫氏がTwitter上で休業補償のアンケートを行うと、当初賛成が圧倒的に優勢でしたが、深夜の間に反対票が30万入り、呆気なく反対に逆転した。

ここまで酷い操作を私は知らない。

 

 

* 休業補償をしない件 *

 

今、感染爆発を防ぐには人との接触を80%減らす必要がある。

そこで都道府県の首長は国に休業補償を要求するが、政府は前例が無いとし頑なに拒否している(噂では財務省が許さないらしい)。

 

国が休業への強制力を持たないことや、補償をやり始めると政府が破綻すると言う論点ずらしもある。

ここでは、この二点への反論と、日本の先進国からの周回遅れについては触れない。

 

日本で感染爆発が起きれば重篤患者は30万人になる可能性がある。

そうなると医療介護費・経済損失も含めた彼らの生命価値を一人3億円として90兆円の損失が出る。

さらに膨大な数の感染軽症者、失業する非正規や新卒が生涯に亘り、その累計経済損失は数百兆円になるだろう。

 

ここで休業補償総額20兆円(=GDPの内の年間民間消費300兆/12ヵ月X80%)で全国民に1ヵ月休業してもらい、感染爆発が起きないとする。

すると差し引き70兆円が浮くことになる。

実施は一部の都市で可能だから10兆円で済むかもしれず、前述の失業者の莫大な被害も抑えられるので、さらにメリットは巨大になる。

 

発想を転換すれば、国民は救われる。

 

実は、我が国は様々な名目で金をばら撒いて来ている。

農家への米の減反費用、様々な助成金、輸入関税も周り回って同様の結果になる(農産品だけでも年間8兆円)。

箱ものなどの土建投資も然り(年数兆円~十数兆円)。

法人減税は30年間の累計で300兆円になり、消費増税分はほぼ消える。

首相は短期間で諸外国に60兆円をばら撒いた。

日銀はこの10年間で国債を400兆円、ETF(上場投資信託)を30兆円買った(これが政府の財政支出の足枷になるかも)。

 

これでも国民の命を守る為に微々たる金しか出せないのなら・・・。

 

こんな試算もあった。

かつての米国の南北戦争で80万人が死亡し、甚大な被害が出た。

後に、南北戦争を回避する方法として、ある経済学者は事前の補償を提案している。

「北部側が、南部の奴隷所有者から奴隷開放による損害補償を提案すべきだったと」

 

双方で膨大な軍事費を使い、町を破壊し、死傷者を出し、結局、南部は奴隷も失った。

結果から見れば、補償での戦争回避が良策です。

 

冷静になって先を読むことが出来れば、危機の被害を少なく出来るのです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 17: コロナは我々日本の弱点を教えてくれた 2


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今回は、日米首脳に共通する問題を取り上げます。

 

 

* 「武漢ウイルス」発言 *

 

両首脳の他国を毛嫌いする態度が、コロナ危機で失策を招き、国民は大きな災厄を被ることになった。

 

日本は、マスクの8割をほとんど中国から輸入している。

コロナ危機で中国はマスクを増産し、ここ1ヵ月で38億枚を世界に輸出した。

政府は増産と言いながら、「中国産は使わない」と言う閣僚の発言に忖度した担当官は3月に中国からの追加輸入を断念していた。

https://dot.asahi.com/aera/2020041300020.html?page=2

 

 

米国の疾病対策センター所長は「トランプ政権のメッセージは『中国に協力するな。彼らは敵だ』ということだ」と語っていた。

これで両国間の防疫協力関係は完全に切れてしまった。

米国は中国のコロナの詳細情報を手に入れることが出来ず、感染症対策の初動の遅れに輪をかけることになった。

https://www.asahi.com/articles/ASN4F7DKGN4DUHBI003.html?ref=hiru_mail_topix1

 

必需品から医療情報まで、グローバル化社会では一時の断絶が致命傷になる。

将来、中国でほとんど産出されているレアアースの報いは桁違いになる。

 

 

* もう一つの厄介な性癖 *

 

このタイプの首脳は、敵を峻別する傾向にあるので、直ちに国境閉鎖やクルーズ船寄港拒否などで解決を図ろうとする。

これがすべて悪いとは言えないが、問題はその後の対応がお粗末になる事です。

 

たとえ閉鎖を実施しても、侵入を防げず、感染者は国内に広がって行きます。

米国は閉鎖を素早く行ったが、初動で遅れ、感染爆発を招いた。

 

このタイプの首脳は、科学的な重要性を理解出来ず、目立たない緻密な政策を疎かにするようです。

 

 

 

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< 2. 米国の二人の大統領の違い >

 

現在、米国は国連安保理で「武漢ウイルス」を宣言に入れることに拘り、紛糾し宣言が骨抜きになっている。

これが以前の大統領なら、エイズ対策で国連が一致して対策を執ることが出来た。

 

トランプの下で国際保健分野は冷遇され、CDCの予算も削減されつつある。

エボラ出血熱時に設けられた国家安全保障会議のパンデミック担当チームは18年に解体された。

さらに米中の通商対立が加速し、米国は防疫情報で孤立するようになった。

 

 

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< 3.2015年、ビルゲイツのTEDでの発表 >

 

ゲイツは今後、戦争よりもパンデミックで大量の死者が発生するかもしれないと警告していた。

 

今の両国政府は国家安全保障を歪めている。

安全保障は軍備だけでなく、伝染病、資源の枯渇、災害などから国民の健康と安全を守る事も範疇にあるのです。

 

不安、不穏な社会ではタカ派的な言動を売りにする首脳は非常に人気を得る。

この態度は、大国が他国から利益を奪う時には有効かもしれないが、伝染病のような世界的な危機に際して国民に大きなダメージを与える。

このような日米の首脳は、百害あって一利なしと言える。

 

重要な事は、国民が人気だけでトップを選ぶ愚を避けることです。

 

 

次回の続きます。

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 16: コロナは我々日本の弱点を教えてくれた 1


 

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数回に分けて、コロナ危機への政府の対応を採り上げて、問題点を明らかにします。

そして、来るべき世界的な危機を回避するヒントを探ります。

 

「全国の医師・看護師・病院、そしてコロナ危機に対応しておられ方々に感謝と敬意を表します」

 

 

 

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< 2.自民党コロナ対策本部のメンバー >

 

 

* 国が布マスク2枚を国民に配布する件 *

 

無いよりは良いとの意見もあるが、布製なら各自が洗濯と手作りで、不織布なら蒸気消毒(蒸し器)で、難なく解決できる。

まして布マスクは不織布マスクより感染防止能力が低い。

 

マスク調達を担当した官僚が世間の悪評に耐えらえず、

「医療用マスクの枯渇を防ぐ最良の手段なのに、広報が悪くて国民に理解してもらえない」との嘆きを発信した。

 

私が驚くのは、2ヵ月半の期間と466億円をかけて、これしか出来ずに平然と他人のせいにしていることです。

(政府は1月28日にマスク増産に動き、2月12日に菅官房長官が来週以降、不足は緩和されると発言した。そして首相が4月1日に「マスク2枚配布」を表明し、4月12日以降順次届けるらしい。)

 

現場を知る者なら、不織布マスク製造機を35台発注し、1か月後には月産3億枚の生産を開始していただろう。

(製造機は日本製で、設計図もあるので制作費は総額30億円ほど、納期1ヵ月で可能だろう。日本でもマスクと不織布を製造しているから、空き工場を使い生産出来るだろう。)

 

実際に、既に台湾はマスクを7倍の月産3億枚に増産し、孫正義氏は日本の為に中国に月産3億枚を発注し、アイリスオーヤマは国内増産用の設備を発注している。

 

マスク配布にどんな意図があるか知らないが、この件は政府や官僚に、「最も必要な事を適切に施す能力が無い」ことを示している。

恐らくは、内閣に危機が無いか、政策立案者ら(官僚や大臣)に広い領域亘る専門家が揃っていないことの表れだろう(現場を知らない)。

 

残念ながら日本の中枢を占める官僚は法科出が占め、最近は忖度や誤魔化しの能力だけが目立ち、国民目線の欠落が酷い。

 

さらに加えて自民党コロナ対策本部の議員には、テレビやツイッターでウヨに人気があり、安倍人気を盛り上げた功績で参加した人物が目立つ。

 

当然、主要なポストに専門性など期待できない。

これでは今後繰り返し訪れる世界的な危機に対処できないだろう。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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桜舞い散る城下町、龍野を散策 2


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今回は、満開の桜が生み出す日本の風景を楽しんでもらいます。

龍野神社の前から聚遠亭、龍野城の隅櫓までを紹介します。

 

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< 2.龍野神社の境内 >

 

上: 右下に駐車場、遠方に龍野の町が見える。

階段は遥か下まで続いている。

 

下: 右手に駐車場がある。

 

 

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< 3.聚遠亭に入る >

 

この庭園は神社のすぐ横、北側にある。

この日は開園していた。

無料です。

ここは脇坂家ゆかりの江戸時代の建物と庭があります。

 

上: 茶室。

 

 

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< 4. 御涼所 >

上: 御涼所。

龍野藩主脇坂家の武家屋敷。

 

 

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< 5.聚遠亭の全景 >

 

下: 出口側から見た全景。

 

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< 6. 神社の階段にて >

 

上: 聚遠亭から眼下を見下ろす。

 

下: 聚遠亭を出て、神社の階段を見上げた。

小学校の入学式を終えた子供を連れた家族が見えた。

実に華やかで希望に満ちた門出だろう。

おめでとう!!

 

 

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< 7.聚遠亭の下の道から >

 

上: 神社を見上げる。

 

下: 道の左側の高台が聚遠亭の庭。

 

 

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< 8. 紅葉谷 >

 

下: 紅葉谷が奥に続く。

 

 

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< 9.三木露風の旧邸跡 >

 

上: 左の階段を昇ると龍野神社に達する。

 

下: 右手に三木露風の旧邸跡を示す看板があった。

 

 

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< 10. 龍野城の隅櫓 >

 

 

次回に続きます。

 

 

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世界が崩壊しない前に 15: 18歳少女の戦い 2


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グレタさんは何故一人で立ち上がったのか?

彼女は世界に何を訴えたいのか?

 

 

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グレタさんの影響力

 

彼女の表情と言及は実に厳しく妥協がない。

現状の地球温暖化の取り組みには「希望がない」と言い、楽観論を否定する。

進まず後退さえする各国首脳の態度を非難する。

 

マスコミでよく取り上げられているのは、彼女の肉食拒否と航空機利用の否定「飛び恥」です。

このせいで、飛行機から鉄道や船に切り替える人が増え、航空会社の売り上げが目に見えて減った。

 

 

彼女は何を指摘しているのか!

 

地球の温暖化を抑制するには、二酸化炭素排出量を2030年までに世界全体で約30%減らさなければならないとされています。

2016年、一人当たりの二酸化炭素の年間排出量は日本9トン、米国15トン、中国7トン、アフリカ平均1トンでした。

 

米国の場合、一人の年間肉食量は100kgだから年間CO2排出は1.4トンになる(牛肉で計算)。

牛肉をすべて鶏肉に替えると排出量は1.2トン減り8%減となる。

また米国の航空旅客の一人年間平均排出量は3トンです(国民の平均ではない)。

確かに航空機を止めれば、利用者は20%減らすことが出来る。

 

私は節約する方なのでCO2排出が少ないのですが、年1回海外旅行をしているので航空機で約2トン増やしてしまっている。

弁解すると、鉄道と船ならCO2排出はかなり減るのだが、鉄道は不可能だし、船は日数と金額の点で無理です。

 

彼女の指摘は的を得ているが、生活や経済活動への影響が大きいので、彼女に反感を持つ人もいる。

 

しかし彼女のメッセージ発信によって世界は動き始めた。

航空会社(北欧)は鉄道との連携やCO2排出削減に取り組み始めた。

また2019年以降、世界の機関投資家や銀行の主要団体は、パリ協定の目標が不十分として、目標の引き上げと具体策を提言し、各国に迫るようになった。

 

実に、彼女一人の行動が世界危機への突破口を開いたと言える。

 

 

私には後悔がある。

 

彼女が一人で最初にストを行ったのは、ストックホルムの国会議事堂前で、2018年8月20日でした。

私はその頃、北欧を一人旅しており、少し前の6月1日、国会議事堂の付近を歩いていた。

残念なのは、つい最近まで彼女のストの場所を知らなかったことです。

 

是非とも、一人の決起が世界を目覚めさせた瞬間に立ち合いたかった。

 

 

次回に続きます。

 

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桜舞い散る城下町、龍野を散策 1


 

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これから数回に分けて龍野を紹介します。

ちょうど桜が満開で、快晴にも恵まれました。

訪れたのは2020年4月7日でした。

 

 

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< 2. 散策ルート、上が北 >4

 

上: 黄色の枠が今回紹介する龍野の城下町です。

揖保川がこの城下町のすぐ横を流れ播磨灘に注ぎます。

龍野市はこの城下町を中心にして、南は海岸に達し、東に姫路市、西に相生市で接しています。

 

下: 散策ルート。

歩いたのは概ね1km角の範囲で、歩行距離は約6km、標高差は100mぐらいです。

 

黒線が散策ルートで、下の駐車場Sから始め、番号順に進み、また駐車場に戻って来ました。

赤枠の観光スポット

 

S : 龍野(川原町)観光駐車場

1: 常照寺、片しぼ竹

2: 龍野動物公園、市民グランド

3: 赤とんぼ歌碑、三木露風立像

4: 野見宿禰神社、展望台

5: 龍野神社

6: 聚遠亭

7: 龍野城、龍野歴史文化博物館

8: 三木露風生家

9: 醤油の郷、大正ロマン館

10: 圓光寺

 

 

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< 3.龍野(川原町)観光駐車場を出発 >

 

上: 右が駐車場、左が揖保川の下流です。

駐車場は二三十台分のスペースがあり無料です。

道路から入り易く、トイレもあります。

コロナの関係で観光客が少ないのか、駐車場は空いていました。

 

ただ注意が必要なのは、駐車場探しです。

始め、町の中に入って中心部に停めようとしたのですが、道が狭いので戻り、ここにしました。

散策していると他にも駐車場がありましたので、十分に道を調べた上で行って下さい。

 

下: 揖保川の上流方向です。

 

 

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< 4. 十文字(どじ)川に沿って進む >

 

下: 右が十文字川、左に片しぼの看板が見える。

片しぼ竹はマダケの変種で、国の天然記念物に指定さている。

私は見ていませんが。

 

 

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< 5. 常照寺 >

 

上: 常照寺。

入口の桜が綺麗でした。

これを見て、この先で素晴らしい桜が見られると期待が膨らみました。

 

下: 古い門構えの塀の上に鯉の置物が見えました。

 

 

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< 6.龍野動物園に来ました >

 

上: 十文字川から左に外れ、住宅地を抜けて公園に入り、さらに登って行くと動物園が見えた。

公園には数組の子供連れのお母さんがいたが、動物園には夫婦やカップルがちらほらいた。

花見や散歩のようです。

 

 

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< 7. 桜 >

 

ほぼ満開のピークを過ぎ、風が吹くたびに花吹雪が舞っていました。

まさに日本の風情を感じることが出来ました。

 

 

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< 8. 赤とんぼ歌碑 >

 

上: 三木露風が作詞した「赤とんぼ」の歌碑です。

彼はこの城下町で生まれ、東京の大学に行くまでここで暮らした。

 

下: 三木露風の立像です。

 

 

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< 9. 野見宿禰神社に向かう >

 

上: 野見宿禰神社に向かって登り始めた道から下を振り返る。

三木露風の像を過ぎて直ぐ、小川沿いに登る道があった。

 

下: ここは国有林で、檜皮葺(ひわだぶき)の檜皮を採集する林だそうです。

周囲の林は、比較的整備されているようでした。

 

 

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< 10. 野見宿禰神社が見えた >

 

上: 登坂中に上を望む。

 

下: 稜線に出た所から、神社を見上げた。

露風の像から、ここまで標高差は90mぐらいでしょうか。

この階段を昇る気がしませんでした。

反対方向に展望台があり、ここで弁当を食べた。

 

 

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< 11. 展望台から >

 

上: 揖保川の上流側を望む。

木立で見難いが、この中央下側に、お城や聚遠亭がある。

 

下: 霞んで見えないが播磨灘が見える方向です。

 

 

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< 12.「力水」と書かれている >

 

上: 展望台から下った途中で、振り返った。

 

下: 「第四十四代 横綱栃錦清隆 直筆「力水」」と記された看板が見える。

中央の石に「力水」と彫られている。

 

 

* 野見宿禰と龍野市の因縁 *

 

野見宿禰は日本書紀に出て来る怪力の持ち主で相撲の始祖と言われる。

出雲の人で天皇に仕えたとされる。

宿禰を祭る神社や墳墓は、関西から山陰に数多くある。

 

彼は出雲への帰郷途中でこの地で没した。

すると人々が川原からリレー式に石を運んで墓を作った。

その様が「一面の野原に人が立つ」から「立野」、そして「龍野」になったと言われている。

歴代の横綱が、神社に玉垣を奉納している。

 

なぜ野見宿禰がこの地に来たのだろうか?

それはこの地が奈良時代に遡る因幡街道上にあったからです。

この道は、山陰と上方を結ぶ重要な街道でした。

この道は姫路を出発して、龍野市の揖保川沿いの二つの宿場町を過ぎてから西に折れて、佐用町、美作、古い町並みを残す智頭宿を通り、鳥取に出た。

実は、美作の大原宿が宮本武蔵の出生地とされており、この龍野にも足跡を残している。

 

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< 13. 「力水」からさらに下る >

 

上: 「野見宿禰塚」と書かれた石碑がある。

こちらの階段の方が、正式なようです。

 

下: 龍野神社。

上の階段を下ると、この神社の横に出た。

 

この神社には、江戸時代の脇坂家の始祖が祀られている。

 

 

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< 14.龍野神社  >

 

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龍野神社の中段から眼下を見下ろす。

桜の花が輝いていました。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 14: 18歳少女の戦い 1


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今回は、地球温暖化を強烈に訴えるグレタさんを紹介します。

 

 

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彼女は2018年末の「国連COP24」で訴えた。

 

「私は希望を語りません。

何にもしないこのままではだめ!

世界のシステムを変えなければならない。」

 

これに対してトランプやプーチンら首脳は、彼女の異常さを指摘し、操られていると嘲笑る。

日本にも同様の発言をする人はいる。

 

 

グレタさんについて

 

彼女は環境問題に関心を持つと自分で勉強を始め、やがてSNSで温暖化懐疑派に討論を挑むようになった。

感化された両親は、彼女に温暖化の現地調査や気候学者との対話の機会を与えた。

 

そして満を持して彼女はストックホルムの国会議事堂前で、一人でストライキを始めた。

彼女は幼少期より自閉症、強迫神経症があり、両親はストを始めるまで発作の再発を恐れていた。

 

彼女には始めるにあたり戦略があった。

先ず、SNSで実況中継を発信し続けた。

さらに緊張に耐えながら多くのメディアによるインタビューに答えた。

 

これらにより彼女の期待以上に、ストは世界に急速に知られ、彼女のメッセージの真意が世界に伝わった。

9月には161ヵ国で400万人が参加した地球温暖化ストップのストライキが行われた。

その後、彼女は数々の世界的な温暖化対策会議に引っ張り出されるようになった。

 

彼女の姿勢を示すエピソードがある。

 

ストライキ中に、ある男がベジタリアン用のバーガーを差し入れた。

(肉牛の飼育には多くの炭酸ガス排出が伴うので)

スト仲間は食べたが彼女は食べなかった。

彼女は、「あなたが差し入れを望むなら、次回から別の店のものを提供して下さい」と提案し、彼は二度と来なかった。

彼は便乗して自社製品を宣伝しようとしていた。

 

 

元々、北欧では小学校から環境問題を学習させ、中学校から政治の学習だけでなく政策についても討議させている。

国民のほとんどはボランティア活動を通じて、地域社会と密接に繋がり、政治意識が高い。

 

また北欧各国は「持続可能な社会」の実践で先行しているが、市民レベルでも取り組まれている。

 

つまり、スウェーデン、北欧から彼女のような警鐘を鳴らす人物が出ることは当然なのです。

おそらく日本からは望めないでしょうが。

 

 

次回に続きます。

 

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中国の外縁を一周して 30: 唐へ誘う杜甫草堂


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< 1. 杜甫(左?)と李白 >

 

 

今回は、唐の詩人杜甫(とほ)にゆかりの地を訪ねます。

杜甫は戦乱を逃れ、成都に4年間暮らしました。

当時の住まいが再現されている杜甫草堂を紹介します。

 

 

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< 2. 杜甫の漢詩「春望」 >

 

杜甫(712―770年)は詩聖と呼ばれ、詩仙と称された李白と並ぶ唐を代表する詩人でした。

「春望」は、彼が長安で使えていた時、安禄山の乱に巻き込まれ軟禁されていた折に詠ったものです。

唐は誕生から百年が経ち絶頂期を迎えていたが、反乱でいとも簡単に、都の長安(西安)は陥落し、皇帝玄宗は蜀(四川省)に逃げた。

杜甫は妻と離れて暮らさざるを得ず、世の無常をこの詩に込めた。

杜甫は「春望」にも見られるように社会情勢や政治への思いを五言八行に込めました。

 

 

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< 3.杜甫草堂 >

 

上: 入り口

下: 地図

とても広いので周り切れない。

この杜甫草堂は、木々で覆われた一辺500mの庭園内に数々の建物が散在している歴史テーマパークのようなものです。

杜甫がかつて住んでいた住まいが再現されています。

 

 

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雨がかなり降っていたので、写真を撮るのが難しかった。

広い敷地を、傘とカメラを持ち、多くの観光客を避けながらガイドについて行くのがやっとでした。

 

 

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< 6.少陵草堂碑亭  >

 

上: 中央の三角形屋根が少陵草堂碑亭

少陵は杜甫の号です。

 

下: 茅屋故居

杜甫の像らしき石像の左奥に見えるあばら家が、杜甫の再現された住まいです。

 

 

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< 7. 茅屋故居  >

 

この狭い家屋内に多くの観光客が入っていたので、写真を撮るのに苦労しました。

机や台所が有り、他の部屋もありましたが、かなりみすぼらしい感じがした。

もっとも1300年前の話ですから、こんなものかとも思った。

 

実際、杜甫は科挙に失敗し、仕官も上手くいかず、さらに戦乱に巻き込まれ、流転と貧困に明け暮れた一生でした。

彼が悪いと言うより、隆盛ではあったが腐敗が進んでいた唐王朝において、彼の低い出自では出世が出来なかったのだろう。

 

 

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今回の中国旅行で、盆栽の起源は中国だとの意を強くした。

至る所で鉢植えの木の多いことに驚いた。

 

 

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< 9.万佛楼 >

 

上: 漢詩の書が展示されている建物。

残念ながら読めないので、通り過ぎるだけでした。

 

下: 万佛楼が木立の向こうに見える。

 

 

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< 10. 杜甫と唐 >

 

上: 右から玄宗、楊貴妃、安禄山。

中: 安禄山と唐の行軍。

赤線が安禄山の南下した侵攻経路、青線が唐軍の敗走経路。

玄宗は成都へ敗走し、皇太子は霊武に北伐を行い、後に長安を奪還する。

 

下: 太い黒線が杜甫の生涯の行路で、ほぼ当時の主要都市を巡っている。

Aは出生地鄭州、Bは長安、Cは成都、Dは逝去の地

 

私には「国破れて山河在り」は他人事とは思えない。

まさに今の日本を見ているようです。

杜甫の人生は、唐が絶頂期から崩壊に向かう時代と重なりました。

 

唐誕生から百年、玄宗皇帝の善政で唐は絶頂期を迎えます。

しかし彼は絶世の美女楊貴妃に溺れ、政治をないがしろにした。

政治は悪辣な宰相が握り、その死後、楊貴妃の血縁者が政治を牛耳った。

この血縁者は北辺を任されていた傭兵軍の総指揮官安禄山が反乱を起こす火種を作った。

そして755年、安禄山は蜂起し、1か月後には洛陽を、その半年後には長安も陥落させた。

玄宗は成都に逃げ、楊貴妃に死を命じ、北伐に向かった皇太子が皇位継承を勝手に宣言した。

唐は安禄山側の内紛や異民族の力を得て、どうにか切り抜けることが出来た。

この後、唐は中興の祖によって命脈を保ち、誕生から約300年後、内乱によって滅ぶことになる。

 

杜甫は、今の鄭州で地方官の子として生まれ、科挙を目指す。

各地を旅し、洛陽では李白と意気投合した後、長安に仕官を求める。

何とか一時、仕官は叶うが、安禄山の乱に巻き込まれ、逃避行を繰り返すことになる。

杜甫は蜀(成都)に逃れ、蜀の有力者が彼を支援した。

この時の住まいが杜甫草堂です。

支援者が死去すると、彼は家族を連れて南下し、かの地で死去した。

才能に恵まれ彼ではあったが放浪、逃避、貧困の内に人生を終えた。

 

 

広い庭園の為、1時間以内では、ほんの一部を覗くだけで、じっくり見ることは出来なかった。

それでも歴史的な佇まいを全体的にうまく再現しているので、見る価値は十分にあります。

もっとも時代考証が正しいかは分からないが。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 13: コロナ危機対応で見えて来るもの 4


 

タイトルなし

*1

 

コロナ対応から見える日本の危うさ

問題点を整理します。

 

 

主要な問題ではないが、今の日本の危うさを象徴する事例を紹介します。

 

最近、コロナ新規感染者に外国籍が含まれるグラフが出回っている。

 

2a

< 2. 恐怖心がデマのグラフを作らせた >

 

これに添えて「病床は日本人の物であって、外国から逃げて来た奴などに与えるな!」と記されている。

また「外国人にコロナの現金給付は問題!」との発言もある。

これらの発言はウヨや与党議員から発せられた。

 

海外移入が増えているのは、空港での水際対策の不手際です。

実は、厚労省は国籍を区別していないので、これは誤解を基に意図的に作られたグラフです。

 

どちらにしても、今の政府を熱烈に支援する人々や、コロナ対策の要職を務める人には、この類の人が目立つ。

 

 

 

* 政府の何が問題か *

 

基本的な問題

  • 感染症対策の不備(パンデミックを想定せず、病床を減らし続けた)。
  • 上記前提で対策を講じた(検査をせず、一斉休校のみ)。
  • この間、感染爆発への対策を怠った(感染症病床などの増設)。

 

さらに加えて

  • 日頃の隣国敵視政策が災いし、中韓の成功例を受け入れられず、中韓の協力も得られず必需品の調達に支障をきたした。

こんな時ほど世界が連携しなければならないのだが。

 

  • 対策は、データーによる論理的な説明もなく検証もない。

これまでの野党による国会追求での逃げと同じ。

 

 

* 何が最悪か *

 

危機を乗り越えるには、科学的で論理的な状況認識と不断の変革が不可欠だが、これが出来ない。

 

対応の拙さは福島原発事故と同じで、膠着した体制に根源があり、一人首脳の不出来だけに帰することは出来ない。

それは半世紀に及ぶ政治屋・官僚・産業と大半の学者・マスコミによる癒着にある。

この体制は、既得権益の維持と拡大に邁進し、時代の変化には閉じ籠り、危機に対しては想定外と言い放ち、事なかれを繰り返す。

 

これは日本が大戦に突き進んだパターンとも酷似する。

半世紀に及ぶ軍部による政治掌握、それを支える陸大出の参謀本部、軍令部のエリート、強硬派の陸軍から東条が首相に選ばれ、日米開戦と突き進む。

最優秀な知性と見識を備えた中枢は、いとも簡単に危険を冒し、途中、冷静に省みることなく敗北まで突き進んだ。

 

結局、日本は、幾度も同じ事を繰り返している。

今回、おそらく壮絶な結果になるでしょう。

 

日本が再生出来ることを願うばかりです。

今はコロナだが、これからは更にあらゆる世界的な危機が待ち受けている。

 

 

次回からは視点を変えて続けます。

 

 

 

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