culture+society

何か変ですよ 69: 日本の問題、世界の問題 5: バブル崩壊 3


1 

*1

 

 

前回、バブル崩壊のメカニズムと被害についてみました。

これが繰り返されることにより先進国社会の深部が蝕まれています。

今回、この状況を確認します。

 

 

 2

*2

 

 

第一章 はじめに

これまで3回にわたり、世界各国が如何に経済的な破綻に見舞われて来たかをみました。

お読みになった皆さんは、おそらく世界が金融的な破綻に益々晒されつつあると感じたはずです。

先進国、資本主義国に何か変調が起きているとも感じられたことでしょう。

 

一方で、一気に世界を巻き込むバブル崩壊は必然だとも思ったに違いない。

 

そうであればこそ、バブルが過熱しないようにするしかない。

この為にはバブルを過熱させる要因を世界から取り除くしかない。

この要因は各国政府が、ここ40年ほどで作り出して来たものです。

所詮、作り出したものですから取り止めることが出来るはずです。

 

傍観している内に、我々の世界は大きな濁流に飲み込まれるはずです。

 

 

 

 

3

< 3. 米国のマネーサプライと負債 >

 

上のグラフ: 青線はマネーサプライM2の推移、左目盛り、10億ドル。

マネーサプライが急伸しているのがわかる。

(マネーサプライは中央銀行(FRB、日銀など)や金融部門全体から経済に対して供給される通貨の量で、一般の事業会社や個人、地方公共団体などが保有するお金の量を示し、国や金融機関が持っている現金は除きます。)

黒の破線は下のグラフの合計負債額/GDPの推移、右目盛り、%。

 

 

下のグラフ: 家計(青色)、非金融(赤色)、金融(緑色)の部門毎の債務残高/GDPの推移、%。

金融の負債がサブプライムローン危機の折に威勢よく上昇している。

しかも三部門の合計額は優にGDPの2.5倍になっていた。

この合計額がGDP(100%)を超えたのは、規制緩和とマネタリズムが隆盛になった1980年後半以降で、その後急伸している。

 

 

第二章 現在、バブル崩壊時に繰り返されている事

ここ40年ほど、先進国はバブル崩壊時に、金融危機の拡大を防ぐために莫大な救済金を金融機関に拠出して来ました。

 

この救済を行わない選択肢もあるのですが、しなければ1929年のウォール街大暴落に始まる世界大恐慌のようになります。

この時、米国の一人当たりの国民所得は最大35%低下し、元に戻るのに10年を必要としました。

失業率は一時約25%まで上昇した。

これがドイツや日本を経済的な窮地に追い込み、第二次世界大戦の引き金にもなりました。

 

 

 

4

< 4. 世界大恐慌時の米国 >

 

上の写真: 当時の取り付け騒ぎ。

下のグラフ: 米国民一人当たりのGDP推移。

 

 

それまでの恐慌では多くの場合、政府は銀行の倒産を放置し、不良な銀行を淘汰することが良策と考えていた。

しかし、この放置策では恐慌による傷が深まるので、現在は政府と中央銀行が、大規模な金融機関を集中的に救済するようになった。

 

このことは、当初、国民から反発があったものの、現在では受け入れられるようになった。

しかし、これが二つの深刻な問題を引き起こし、社会を歪める大きな要因になってしまった。

 

このポイントは二つある。

 

一つには、この救済資金が政府の累積財政赤字の急伸を招いている。

これを前回、見ました。

 

いずれこの負債を国民が広く負担せざるを得なくなります。

言い換えれば、バブルで救済される一部の大規模金融機関と大資産家を、犠牲になった国民が等しく救済することになる。

 

 

注意すべき事!!

リフレ策(アベノミクスなど)によって、累積財政赤字が霧散すると断言するエコノミストもいるが、私にはむしろ大きな破綻を呼び込む可能性があると考える。

世界のどこかでバブル崩壊(金融危機)が起きてしまうと、金余り(緩和マネー、溢れるマネーサプライ)が多ければ多いほど崩壊の被害は甚大になる。

つまり、ヘリコプターマネーによる膨大な金余り状態が最も危険だと言える。

現在、日本では、行き場を失った緩和マネーが株式投資、不動産投資、サラリーマン金融に向かっている。

 

 

 

5

< 5. 日本の不動産の値上がり >

 

上のグラフ: 値上がりは東京だけでなく全国に広がりつつある。

下右のグラフ: 銀行の不動産向け貸し出しの増加が値上がりに繋がっている。

 

 

二つには、救済されるのが大規模な金融機関に限られていることです。

 

救済される金融機関ほど、バブルの中核であったとも言える。

一方、救済対象から外されるのは圧倒的に大多数の被害者です。

かつて日本では自己責任が声高に叫ばれたことがあるが、これは真逆です。

 

崩壊と救済が繰り返される内に、以下のことが慢性化し深刻さを増しています。

特に米国において。

 

金融機関や資産家、特に大規模であればあるほど「モラル・ハザード」(倫理感の欠如)が浸透しています。

救済されることが分かっている彼らは悪辣な手で暴利を貪り食うことを厭わなくなりました。

金融機関は更なる大規模化を目指し合併を繰り返し、大資産家もこれに群がります。

 

大規模金融機関と大資産家は、バブル崩壊で失業し賃金低下に苦しむ大多数の人々をしり目に、救済策で破産を逃れます。

しかしそれだけではない。

 

景気刺激と金融安定化の為の大規模な金融緩和策で、崩壊後いち早く所得を増大させることになります。

これが繰り返されることにより顕著な所得格差が生み出されました。

これは米国の所得格差拡大の要因の一つに過ぎないが、根は一緒で、次回説明します。

 

 

さらに富を蓄え政治力を持つようなった大規模金融機関と大資産家は、国際競争と経済活性化と称する金融の規制緩和を政府に実行させて来ました。

1929年の世界大恐慌への反省から制定された規制が、なし崩しに廃止されて来ました。

 

こうしてここ40年ほどの間に、金融セクターが世界の繁栄を掌中に収めるようになったのです。

例えば、1950~1980年の間、米国の金融セクターは総企業収益の10~20%であったが、2001年には46%に成長している。注釈1.

その後、サブプライムローン危機で平均32%に低下している。

 

 

これが所得格差の元凶であり、結果であり、今後もバブル崩壊が繰り返さずを得ない理由なのです。

 

 

 

第三章 データーで確認します

 

 

6

< 6. 米国の所得の推移 >

 

上のグラフ: トップ1%の所得(赤)と平均賃金(青)の推移。

平均賃金は生産性(緑線)よりも伸びが低い、つまり正当な分配とは言えない。

一方、トップ1%の所得は鰻登りで、バブル崩壊の度にその差は開いていく。

 

下のグラフ: 年収5分位の年収推移。

上位になればなるほど上昇し、下位になればなるほど伸びなくなり、両者の差は開くばかり。

この格差は規制緩和とバブル崩壊のみで起こっているのではなく、逆累進課税や労働組合の衰退、法人優遇なども影響している。

 

 

 

 

7

< 7. 日本のマネーサプライと所得階層別の所得推移 >

 

上のグラフ: 緑線がマネーサプライ(マネーストック)、青線がマネタリーベース、赤線が名目GDP、紺色線が東証時価総額です。

 

通常、マネーサプライを増やせば、インフレや景気刺激を可能にし、抑えれば逆効果となります。

しかし不思議なことに、マネーサプライが続伸しているにも関わらず、GDPは増えず、停滞を続けている。

このGDPとマネーサプライのギャップ(緩和マネーの増大)が気になります、米国で起きたサブプライムローンの前兆を感じさせる(図3のグラフ)。

 

日銀が金融緩和などでコントロールするのはマネタリーベース(民間の金融機関が預金準備率に従って中央銀行に預けた貨幣総額)で、その何倍かが市中に出回るマネーサプライになる。

中央銀行がマネタリーベースをコントロールしたからと言って、マネーサプライを確実に調整することは出来ない。

 

ただここ数年の日銀のマネタリーベースは各段に多いので、株価を押し上げている。

株価上昇は日銀や政府機関が株購入していることも影響している。

 

 

下のグラフ: 赤線が下位90%の所得の推移で、橙色線は最上位0.01%の所得です。

下位90%の所得は3回のバブル崩壊で低下していったが、最上位0.01%の所得はバブルの度に上昇している。

米国ほどではないが、同じ傾向が見て取れる。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

注釈1.

スティグリッツ著、「これから始まる『新しい世界経済』の教科書」2016年刊、p75より。

 

Advertisements
Categories: culture+society, <japanese language, opinion, politics, Series: Something is strange | Tags: , , | Leave a comment

フランスを巡って 34: パリからモンサンミッシェルへ


1DSC05514-1

*1

 

 

今回は、パリからモンサンミッシェルまでの車窓の風景を紹介します。

これから待望のモンサンミッシェルに向かいます。

また2日後にはパリに戻って来ます。

 

 

2

< 2. 走行ルート、上が北です >

このルート通りに走ったかは定かではありません。

 

移動したのは旅行8日目、5月24日(水)でした。

(前回紹介した「ランスからパリへ」の日時の記入が間違っていました。正しくは5月23日でした。)

今回、走行する7割ほどの地域はノルマンディーです。

今回の旅行中、二つの観光地間の移動としては最も長い距離を走りました。

 

朝8:00にパリのホテルを出発し、途中トイレ休憩し、モンサンミッシェルのホテルに着いたのは13:00でした。

その後、荷物をホテルに入れると、すぐ観光に出発しました。

 

出発時はあいにくの空模様で終始雲が空を覆い、走行中、小雨がぱらつくことがありました。

しかし、モンサンミッシェルを観光している途中から素晴らしい青空が出現しました。

今回の旅行は、好天に恵まれていました。

 

写真は撮影順に並んでいます。

 

 

3

< 3. パリを抜けて行く >

 

 

4

*4.

 

 

 

5

*5.

 

 

6

*6.

 

ノルマンディーは酪農が盛んなので牛を見かけることが多かった。

 

下の写真: 住宅らしいのですが、この地方は一階建てが多いようです。

庭先にキャンピングカーが見えますが、フランスでは観光地や自然豊かな所ではたくさんのキャンピングカーを見かけました。

フランス人はキャンピングカーライフを楽しむようです。

 

 

7

*7.

 

 

 

8

*8.

 

天気が悪い為か、今まで通って来た地域と異なり、すこし裏寂しいように思えた。

南仏のようなカラフルな家屋をほとんど見かけることはなく、ノルマンディーも中ほどを過ぎると、屋根瓦はくすんだ灰色が多く、スレートのようでした。

道路沿いの疎らな農家には痛んだ家屋が目立った。

 

やはり、このノルマンディーはヴァイキング(ノルマン人)の移住の地らしく、他のフランス地方とは異なる風土があるようです。

 

今回のようにフランスのほぼ3/4の走り抜けると、地方の特色がバスの車窓からでもよく見えて来て面白い。

 

 

 

9

*9.

 

 

10

*10.

 

下の写真: 中央の遠方に三角形のモンサンミッシェルが霞んで見えた。

この地域は海風が強いのか、防風林らしきものが耕作地の境界や家屋の周囲に多く見られる。

 

 

 

11

*11.

 

上の写真: ホテル到着まで10分ほどの道路沿いから見えた家屋。

時刻が12:50だったので、家族で昼食中かもしれません。

 

下の写真: 中央遠方に小さくモンサンミッシェルが見えます。

 

 

次回に続きます。

Categories: culture+society, 連載中 フランスを巡って, travel+photo | Tags: , , | Leave a comment

何か変ですよ 67: 日本の問題、世界の問題 3: バブル崩壊 1


 1

*1

 

 

前回、金融的な破綻、デフォルトが世界で無数に繰り返されていることを知りました。

これから、バブル崩壊の問題点を見て行きます。

今回は、天才が引き起こす間抜けなバブル崩壊を見ます。

 

 

 2

*2

 

 

第一章 はじめに

多くの人はほぼ10年ごとに起きるバブル崩壊が資本主義の宿命だと諦めているようです。

ひょっとすると竹森教授のようにバブルを成長の肥やしと考えているかもしれません。

 

バブル崩壊(恐慌)は、必ず起きる金融危機によって経済が深く傷つけられ、その後、不景気が数年から10年も続くことになる。

 

このことが繰り返されているにも関わらず、バブル途上では多くの人が浮かれ、また我先に利益を貪ろうと必死です。

かく言う私もかつては熱心な小口投資家の一人でした。

 

バブルの利益に預かる金融家や投資家だけでなく、もてはやされるエコノミストや企業家、政治家までが、この好況は未来永劫続くと称賛しているのが常です。

 

この不思議で滑稽な様はガルブレイス著「バブルの物語」(17から20世紀まで)に詳しい。

ガルブレイス曰く、「暴落の前に天才がいる」。

この天才達は画期的なシステム(経済、金融から事業モデルまで)を創造するが、一方で希代の詐欺師、妄想家、情熱家、独りよがりの無責任男とも言える。

 

 

3

< 3. LTCMの総資産の推移 >

 

第二章 あるヘッジファンドの凋落

最近の事例として、1998年に破綻した米国のヘッジファンドLTCM(1994年創業)が特徴的です。

 

ノーベル経済学賞受賞者らが開発した画期的なプログラムで、様々な金融取引を自動で行わせ、数年間は驚異的な成績を叩き出した。

これにはFRB元副議長やソロモン・ブラザーズの元トレーダーも参画しており、人気はうなぎ上りで、各国から14兆円(レート110円/ドルで計算)の資金を集めていた。

しかしアジア通貨危機(1997年)、次いでロシアのデフォルト(1998年)で約5000億円の損失を出して破綻した。

 

ここから現代の病巣、米国が先導し世界に蔓延している金融の闇が見えて来る。

 

先ず、FRB(議長グリーンスパン)はLTCMの取引銀行に4000億円を融資させ、かつ市中銀行間での資金融通のフェデラル・ファンド金利を素早く大胆に下げて、金融不安の鎮静化を図った。

なぜ、こここまでして一企業を救済しなければならないのか?

 

放置すれば、被害が甚大だからです。

LTCMが実際に集めた資金は5200億でしたが、25倍のレバレッジをかけて、14兆円の資金(借金)を運用し、さらには世界の金融機関と138兆円の取引契約をしたからです。

(レバレッジとは、最大限の利益を得ようとして、手持ち資金の何十倍もの借金をすることです。国が規制緩和でこの率を許可している。)

 

 

4

< 4. 米国の金融機関のレバレッジ率 >

 

 

ここで皆さんに、肝に銘じて欲しいことがあります。

それは世界の金融セクターでは、当方もなく貪欲な人々が、金の為なら無責任・無節操になり、あらゆる危険な手段に手を染めることです。

そして先進国はあらゆるかつての禁じ手(高率のレバレッジなど)を解禁し、私達の知らない闇の中でそれらが日々行われているのです。

これら禁じ手の多くは、1980年代以降に解禁されて来たのです。

 

 

またノーベル賞クラスの天才が、なぜ失敗したかを知っておくことも有意義です。

LTCMは「ロシアが債務不履行を起こす確率は100万年に3回だと計算していた」。

つまり想定外なのです。

これは前回の竹中平蔵会長やかつての福島原発事故での東電社長の言辞にもみられました。

この手のとんでも確率論は、原発事故の発生確率のように原発推進の米国著名学者が堂々と発し、また信じられて来たのと同じです。

どうやら想定外とは「当事者にとって将来起きてほしくない巨大な災厄」を意味するようです。

 

 

5

< 5. 危機の後、証券化市場は壊滅した >

 

 

第三章 バブル崩壊を防ぐと信じられた夢の保証制度

当然、政府や中央銀行の当局者までもが、バブル絶頂期になっても崩壊が近いと気づかないことが多い。

 

サブプライム住宅ローン危機当時(2008年のリーマン・ショックから世界金融危機に発展)、「金融の神様」と呼ばれたグリーンスパンFRB議長はまったく安心していた。

彼は、当時構築されたばかりの世界に張り巡らされた画期的で高度な金融システム、見方を変えれば、複雑で誰が最終の責任を取るのかがまったく見えない様々なシステムに信頼を置いていたのです。

 

その一つが、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)と呼ばれる損害保険の金融商品で、これが急拡大し、2007年末に6800兆円に急拡大した。

 

簡単に言えばCDSは、A銀行がB企業に融資し、その貸し倒れリスクを避ける為に、A銀行が別のC銀行に保証料(例えば、融資額の0.3%)を払うことです。

もしB企業が倒産すれば、C銀行はA銀行にその融資額を支払うことになる。

もし倒産しなければ、C銀行は保証料が儲かる。

当時、CDSで保障すべきネットの金額は500兆円であった。

面白いのは、不安な融資元は平均して14倍も重複して保証させていた。

実はこれだけでも毎年の保証料は20兆円(保証額の0.3%として)にもなります。

 

グリーンスパン前議長は自叙伝で当時のシステムへの信頼をこう述べている。

「高率のレバレッジを効かせている貸し手からリスクを移転する金融商品は、グロバールな環境では、経済の安定に決定的に重要になる。・・・。

インターネット・バブル(2001年崩壊)がはじけて、・・・企業がかなりの割合で債務不履行に陥ったが、その結果、経営危機に陥った大手金融機関は一つもなかった。

最終的に損失を被ったのは、・・・CDSの主な売り手であった。

これらの機関は十分に損失を吸収することができた。・・・。」

 

結局、信頼はあっけなく崩壊した。

サブプライム住宅ローン危機では、三つの大規模金融機関(リーマンブラザースなど)が破綻し、金融危機は世界に広がった。

 

こんなカラクリは充分に破綻の危険があると、素人の私には思えるのだが。

  • 保証料を決めるデフォルト(破綻)の確率を読めるはずがない。

もっとも、当時、破綻の危険が読めないように信頼の低いサブプライムローンと他の金融商品を巧みに組み合わせ債務担保証券(CDO)を仕組んだのだろうが。

 

最大の問題は、緩和マネーが巨大であればあるほど市場はパニックになってバブル崩壊を急激で甚大なものにする。

つまり、CDSは小さな保証(自動車ローンの個人破産など)は出来ても、世界を巻き込む巨大なバブル崩壊、世界中の銀行の連鎖倒産などを止めることは出来ないはずです。

(緩和マネーとは、中央銀行が金融緩和により実体経済を凌ぐ莫大な資金を市場に投入した資金のことで、この行く先の無い資金が株などの投機に注がれることになる。)

 

 

6

< 6. 世界の債務は急拡大中 >

 

繰り返すバブル崩壊とその救済策の強固なメカニズムによって世界は衰亡に向かうのだろうか?

 

 

 

第四章 バブルと向き合う

バブル崩壊は人間の性「貪欲」が招いたとも言えるし、これが繰り返されるのは「今度は前回とは違う」という期待と逃避の心理によるとも言える。

 

しかし、バブル崩壊を人類の悪癖だからと簡単に納得してしまってはならない。

 

一つには、バブル崩壊が確実に繰り返され、被害がより深刻化しているからです。

 

今一つは、バブル崩壊を生み出すシステムが益々強固になっているからです。

これによって莫大な富が一部の人々に集中し、さらに彼らがこのシステムを強化しているからです。

 

上記二つのことを理解できれば、我々がこれから何をしてはいけないのか、また何をすべきが見えてくるはずです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

Categories: culture+society, economy, <japanese language, politics, Series: Something is strange | Tags: , , | Leave a comment

何か変ですよ 66: 日本の問題、世界の問題 2: 金融の罠


1

*1

 

 

前回、日本企業の繁栄と労働者の衰退を確認しました。

これからバブル崩壊などの金融がもたらす災厄をみます。

これら三つは世界的な根で繋がっています。

 

 

2

*2

 

 

はじめに

実は、バブル崩壊など金融がもたらす災厄や善処策について語るのは厄介なのです。

 

その理由を以下に記します。

 

一つ目、日本において、学者から政府、国民に至るまで金融がもたらす災厄に対して無関心に近い。

 

二つ目、金融がもたらす災厄を研究する経済学者は少ない(特に日本)。

 

三つ目、現在、最も収益を上げている業界は金融業界で、かつ加速度的に巨大化している(特に米国)。

 

少し解説します。

 

ここ半世紀の間に、主に金融家による富の集中が起きた為、彼らは莫大な銭をばら撒き議員や政府、研究や広報を手玉に取るようになった。

ここで言う金融家とは、生産行為より資金を動かすことで利益を得る人々を指す。

これを米国が先導している

 

すると優秀な経済学者や研究所は自身が稼げる金融テクニックの開発か、金融家に都合の良い研究と報告書作成に躍起になります。

こうして金融行為で生じた社会の損害に目を向ける学者は少なくなります。

議員達は莫大な選挙資金を求めて、金融家に都合の良い規制緩和に積極的となり、政府も同様となります。

 

こうなると国民は金融行為による莫大な損失から目を逸らされ、政府は金融家がより繁栄する政策を推し進めることになった。

 

国民は当然の如く、バブル崩壊などの発生メカニズムに疎くなり、これによる巨大な災厄を運命の悪戯と捉え、泣き寝入りすることになる。

これが先進国中、とりわけ日本の現状でしょうか。

 

 

ここで金融がもたらす災厄を簡単に見ておきます

国民に大きな被害をもたらす金融的な破綻としては、銀行危機や高インフレ、通貨暴落、デフォルトがあります。

これらは経済的な災厄なのですが、現状では金融の罠とも言えるメカニズムが大きく関わっています。

 

3

*3

 

 

  •  銀行危機

これはバブル崩壊、金融危機、恐慌とほぼ同義語です。

最初に産品や株価、不動産などの価格暴落が起こり、次いで破産や失業が広がり、経済は急激に落ち込むことになる。

 

これが起きる前、銀行を介して貨幣流通量の増大(信用創造)が起きており、価格暴落を切っ掛けに、一気に貨幣の回収(信用収縮)が始まる。

この回収が出来ずに多くの企業や銀行が倒産し、失業者が大量発生し、消費の急減が起こり、この悪循環が一国の経済をどん底に突き落とすことになる。

 

 

4

*4

 

 

  •  高インフレ

インフレは物価が上昇し続ける状態で、貨幣価値の下落が起こっているとも言える。

 

インフレがおおよそ年率5~10%を越え、さらに大きくなればなるほど社会にダメージを与える。

高インフレが起きる場合、以下の弊害が起きる。

金融資産(預金や保険満期金、現金)は見る見るうちに減価していくことになる。

(10%のインフレが20年続くと、100万が15万円に目減する。)

通常、物価上昇が先行し賃上げが遅れるので、労働者の生活は苦しくなる。

インフレに乗じて、投機で儲けることも可能だが、多くはバブル崩壊で自滅することになる。

スタグフレーションと呼ばれるインフレと景気後退が同時に起ることもある。

 

 

  •  通貨暴落

通貨の対外的な価値(ドル/円などの為替相場)が急激に下がることです。

 

国や経済への信用不安が起きると、海外の投資家はこの国から資金を引き上げる為に通貨を売り急ぎ、通貨安を加速させる。

 

国内の発展を支えていた外資が途絶えることにより経済が急停止することになる。

また通貨安になることで外貨建て海外債務の元利払いは急増することになる。

(例えば日本国内の企業がドルで借金し、円/ドルが100円から120円への円安になると、この企業の1億ドルの借金は100億円から120億円へと増加する)

こうなると国の経済は大打撃を受けることになる。

 

 

 

5

*5

 

 

  • デフォルト(債務不履行)

ここでは国が国内外の債権者に元利の返済が出来なくなったことを指す。

 

債務は地方自治体や民間、個人にもあるが、ここでは中央政府が発行した債券(国債、ソブリン債)や銀行からの借入金について問題にする。

多くの場合、国はまったく返済しないのではなく、協議の上で返済条件の緩和を行い、返済し続けることになる。

 

デフォルトが起きる切っ掛けは様々だが以下のものがある。

累積債務の増大による信用不安が発生し、海外からの資金引揚げ(債務国が発行した外債の売りなど)が集中し、国は返済不能になる。

また発展途上国が産品輸出の好調などによる好景気時に、先進国の金融業から高金利で融資を受けていたが、産品価格暴落や先進国連動の金利高騰などにより、返済不能となる場合です。

 

この結果、さらなる債権発行や借り入れが困難になり、経済発展に必要な資金が枯渇することになる。

また信用低下により借り入れ金利が高騰し、新規・既発債権の負担が重く圧し掛かる。

こうして国は急激な信用収縮と急激な経済低下を起こし、さらに緊縮財政(福祉切り捨てなど)と増税が国民を襲うことになる。

 

 

6

*6

 

 

日本の著名な経済学者の認識

政府に近い経済学者は金融がもたらす災厄をどのように見ているのでしょうか?

 

 

1.以前、実業家兼経済学者の竹中平蔵がこのような趣旨の事をテレビのインタビューでが言っていったと思う。

 

「累積債務が巨大になったからと言って国家が破綻したことはかってない。」

 

 

 

2.経済学者の竹森俊平が2008年刊「資本主義は嫌いですか」でバブルについて書いている。

 

「その結論を要約すれば、『バブルの頻発』は世界経済全体の高い成長率を維持する為に、経済システムの『自動制御装置』が働いた結果であった。

高成長率の維持が難しくなる局面に来ると、民間や政府が、様々な手段を動員して高成長の維持を図る。

そのことが繰り返され、結果としてバブルが生まれた。・・・・

 

・・・。

バブルの発生に歯止めをかけるということに重点を置いた調整がなされるのである。

その結果、バブルの頻発もさすがにストップする。

その代わり、世界経済の成長率は低下する。・・・。」p4~5.

 

著者は、この一冊で長々とサブプライム危機を語っているが、私の見たところ、「バブルは調整の失敗に過ぎず、経済に必要不可欠なもの」とみなしている。

 

 

3.日銀総裁黒田東彦が2005年刊「通貨の興亡」でアジア通貨危機について書いている。

 

「・・・・・。

 

短期の外貨を取り入れて、それを為替ヘッジも十分せずに、内貨で長期貸しをしていたということも問題であった。

ジョージ・ソロスが為替投機を行ったといって批判されたが、為替投機は確かにあったかもしれない。

しかし、やはり本質的には、タイを中心に、経済にいろいろな問題がたまっていて、それが一挙に爆発したということだと思う。」p.78.

 

著者は、3頁ほどでこの通貨危機の原因と過程を簡明に述べているが、この危機がもたらした甚大な被害は念頭になく、当然、問題意識はないようである。

 

 

この三人の認識には、経済主体の一方である国民への眼差しが欠如しているようです。

彼らの念頭にあるのは経済成長などの成果であって、必ず起きている副作用(バブル崩壊の後遺症や格差など)には無関心なようです。

後に紹介する世界的に著名な学者に比べれば、彼らは本分を置き去りにした学者に思える。

さらに感じるのは、1980年代から米国の政治経済を支配している概念(今後説明予定)に憑りつかれ、まったく疑いを持っていないようである。

 

国民にとって重要なことは、国民が被る災厄への問題意識が欠如している人物が行う改革では、けっして良い結果は生まれないと言うことです。

 

 

 

7

*7

 

 

それでは皆さんに質問があります

過去200年間、世界の国々がデフォルト(債務不履行)をどれぐらい行ったかを想像して下さい。

 

答えは10回、50回、300回のいずれでしょうか?

 

「1800年から2009年にかけて、ソブリン・デフォルトは対外債務について少なくとも250回、国内債務でも68回はあった。」

 

つまり318回以上あった。

この記述はカーメン・M・ラインハート&ケネス・S・ロゴフ著の「国家は破綻する」(2011年刊)p.77にあります。

 

この事実は常識とはかなり異なるはずです。

まだ、これは金融的な破綻の一部に過ぎないのです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

Categories: culture+society, <japanese language, opinion, politics, Series: Something is strange | Tags: , , | Leave a comment

フランスを巡って 31: ランスの大聖堂 3


 1DSC05061-1

*1

 

 

今日は、大聖堂の内部を紹介します。

様々なステンドグラスが私達を魅了します。

なぜランスが聖なる街になったかも見ます。

 

 

 

2

< 2.ファサードの内側 1 >

 

これらは正面中央の門を内側から見上げた写真。

 

上の写真: バラ窓。

 

下の写真: 扉の直ぐ上の円形のステンドグラス。

 

 

 

 

3

< 3.ファサードの内側 2 >

 

上左の写真: 身廊の正面側(拝廊)から主祭壇(内陣)を望む。

 

上右の写真: 身廊の中央からバラ窓を振り返る。

 

下左の写真: 身廊の正面側(拝廊)からバラ窓を見上げる。

 

下右の写真: 正面の北側の門の上のステンドグラス。

 

 

 

 

4

< 4.内部 >

 

 

5

< 5.側廊 >

 

上左の写真: 側廊。

 

上右の写真: 聖人ジャンヌ・ダルクの像。

 

下の写真: 側廊のステンドグラス。

 

 

 

6

< 6. 翼廊 >

 

北側翼廊の内外の写真。

 

上左の写真: 翼廊の三つの門の内、最も西側にある門を中央から見ている。

 

上右の写真: 上記の門を外から見たもの。

 

下の写真: 翼廊の三つの門の中央にあるバラ窓。

 

 

 

 

7

< 7.ステンドグラス 1 >

 

様々なステンドグラスを紹介します。

多くはフランス革命の動乱、第一次世界大戦で失われました。

中世からの残っていますが、私にはわかりませんでした。

 

上左の写真: 翼廊南側のバラ窓を見上げる。

 

上右の写真: 身廊中央から見た内陣の奥上部にあるステンドグラス。

 

下左と右の写真: 内陣を囲むようにして並ぶ礼拝堂のステンドグラス。

右はドイツ人芸術家による2011年制作のステンドグラス。

 

 

 

 

8DSCF0802-1

< 8.ステンドグラス 2 >

 

シャガールの1974年作の青色を基調としたステンドグラス。

 

9DSC05055-1

< 9.ステンドグラス 3 >

 

 

 

フランスの起源とランスについて

 

 

 

10あ

< 10.フランク王国の誕生 >

 

5世紀、ゲルマン系諸集団がフン族に追われるようにして東方から西ローマ帝国に進入して来た。

451年、オランダ南部からベルギー辺りに住んでいたフランク族はローマ軍に徴用されフン族とカタラウヌムで戦った。

西ローマ帝国はフランク族や他の諸部族を傭兵とし戦わせ、彼らにロ―マ軍の装備や戦略を与えた。

これにより彼らは力を持ち王国を形成するようになった。

 

476年、西ローマ帝国はロ―マが蛮族に略奪されてことにより滅亡する。

482年、フランク族の王になったクロヴィス1世は領土拡大に向けて侵略を開始し、諸部族を併合していった。

511年、彼が死去した時には、現在のフランスとドイツの一部までを掌中にした。

 

 

 

11

< 11.クロヴィス1世のフランク王国 >

 

クロヴィス1世が掌中に収めたフランク王国の全領土は濃い緑色部と「Conquests of Clovis」の範囲です。

 

 

12

< 12.クロヴィス1世 >

 

左の絵: ランスでのクロヴィス1世の聖別戴冠式。

右の絵: クロヴィス1世。

 

 

13

< 13.ランスとクロヴィス1世 >

 

一方、ランス(Reims)はローマ時代に遡る古い町で、レミ族(Remis)の中心的城市で、この名が訛ったものです。

ランスは3世紀には司教区となっており、8世紀に大司教区となった。

481年当時のフランク王国の支配地は地図の青色部であった。

しかし、486年、クロヴィス1世は紫色部のローマ滅亡後も残っていたローマ帝国の軍司令官区に侵攻し、奪い取った。

 

こうして498年、クロヴィス1世は新たに手に入れたランスで、司教による聖別戴冠式を行った。

次いで508年、フランク王国(メロヴィング朝)はパリに遷都した。

 

ここにフランスのおおまかな形が出来た。

フランク族の語義は「自由な人」「勇敢な人」を意味し、英語で率直な性格を表す「フランク」の語源となった。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

Categories: culture+society, 連載中 フランスを巡って, <japanese language, travel+photo | Tags: , , | Leave a comment

Something is strange! 63: Why don’t they teach evolution theory


何か変ですよ 63: 進化論を教えないこと

 

1

*1

 

Turkey don’t teach evolution theory in high school, so our world begins retreating more.
With this, evolution theory is kept away not only in Christianity but also in Islam.
We briefly look at harmful results of not teaching evolution theory.

 

世界がまた一つ後退し始めた、トルコが高校で進化論を教えなくなるからだ。
これでキリスト教圏だけでなくイスラム教圏でも進化論が遠ざけられる。
進化論を教えない事の弊害について考えます。

 

2

*2

Introduction
The evolution theory Darwin advocated is widely recognized as science in the world.
On the other hand, many religions have individual creation myths about human birth, so they conflict with the evolution theory.
And people who believe that the scriptures are correct one by one is stubbornly opposed to introducing the evolution theory into their school education.

Is it a problem if the public can’t learn about evolution theory ?
It surely expose the advancement and peace of the world to risk, If the public can’t understand the key point of the evolution theory.
I will briefly explain this.

 

はじめに
ダーウィンらが唱えた進化論は世界で科学として広く認められている。
しかし、多くの宗教は独自の人間誕生の創造神話を持っており、これが進化論と衝突することになる。
そして聖典を一字一句正しいとする人々は、頑なに進化論を学校教育に導入することに反対する。

国民が進化論を教わらないことは問題でしょうか?
国民が進化論の要点を理解しないことは世界の発展と平和にマイナスになるはずです。
このことを簡単にみます。

 

Education Controversy about the evolution theory in the United States
In states that many Christian conservatives live in, from the 1920 ‘s, state laws prohibiting teaching the evolution theory at schools were established one after another.
On the other hand, liberal people disputed it and these ban laws were brought to the US Supreme Court and contested.

Finally, in 1987, these ban laws were considered unconstitutional and the contest of the evolution theory got determined.
During that time, conservative wing and liberal wing intensely controverted and had a PR war about ” Is the evolution theory a science? Is the Creation in the Bible a historical fact?”

Even now, about half of the Americans believe that ” God created humans about 10,000 years ago.”

 

 

米国での進化論教育論争
米国において、キリスト教保守派が多い州では1920年代から、進化論を学校で教えることを禁止する州法を次々と成立させた。
一方で、リベラルな人々がこれに異論を唱え、幾つものこれら禁止法が連邦最高裁判所まで持ち込まれ争われた。
そして遂に、1987年、禁止法は違憲であるとされ進化論裁判は決着した。
この間、保守派とリベラル派で「進化論は科学か? 聖書の天地創造は歴史的事実か?」を巡って激しい論争と広報合戦があった。

米国民は今でも、約半数の人が、「神が1万年ほど前に、人間を想像した」と考えている。

 

3

*3

 

Reason why the evolution theory is denied
“God made the heavens and earth. ….. God made a man in the image of God.”
This is at the beginning of the Bible, Genesis.
That’s why this God’s word contradicts the evolution theory.

On the other hand, the evolution theory explains as follows.
“Very simple primitive organisms had repeated various mutations, only things adapted to the environment remained, and various creatures were born by the natural selection. One kind of them became humanity.”

The evolution theory doesn’t require existence of God.
And, the natural selection theory gives people an image of the jungle law.
Furthermore, mankind that is only product of chance hasn’t greatness being due to be chosen by God.

Therefore, Christian conservatives (annotation 1) that think the Bible absolute are sure not to admit this.

 

 

進化論が否定される理由
「神が天と地をつくった。・・・。神は神に似せた人をつくった」
これが聖書、創世記の冒頭にあり、この神の言葉が進化論と矛盾するからです。

一方、進化論は以下のように説く。
「極めて単純な原始生物が様々な変異を繰り返し、環境に適応したものだけが残る自然淘汰によって様々な生物が生まれた。その一つが人類です。」

進化論は神の存在を必要としません。
また自然淘汰説は弱肉強食をイメージさせます。
さらに偶然の産物に過ぎない人類には神に選ばれた偉大さがありません。

これでは聖書を絶対と考えるキリスト教保守派(注釈1)は認めたくないはずです。

 

 

Other religions and the evolution theory
Since ancient times, there were creation myths in each place, the origins of heavens and earth, people, royal family etc. were explained in them.
And many religions, Judaism, Islam and Hinduism were incorporating them (annotation 2).

Naturally, the evolution theory was also unacceptable for Muslims.
Turkey, which was most advanced in secularization, finally removes the evolution theory from the curriculum following Saudi Arabia. (keep teaching at university)

 

 

他の宗教と進化論
古来より、各地に創造神話があり、天地や人、王家などの起源が説明されています。
そして多くの宗教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教はそれを取り込んでいました(注釈2)。

当然、イスラム教にも進化論は受け入れがたいものでした。
世俗化が最も進んでいたトルコが、ついに厳格主義のサウジアラビアに次いで進化論を教育課程から外します(大学では教える)。

 

4

*4

What is the problem?
The greatest harm to deny the evolution theory to protect myths in the scripture is that people lose scientific mind.

Importance of the scientific mind is obvious from human progress, development of medicine and living environment.
The importance of the scientific mind is to know the limits that human can understand (annotation 3), and the theory is constantly being improved through actual proof.
People can keep superstitions and delusions away by knowing this.

Also, admitting only their creation myths will deepen the conflict between the religious believers and the other religious believers

There are other reasons why the evolution theory is important.

Human evolution theory – human beings born in Africa spread to the world and we are the descendants, and if we knew this fact, we easily can realize that mankind is one.

The other is to know the background that various human mentalities, deep affection, mutual respect, hatred, anxiety, etc. were born.
Because of this, many prejudices will be lost and understanding to others will deepen.

Much of the human mentalities grew for Animals’s survival through the process of evolution.
For example, our brain has an organ that secretes hormones enhancing romantic feeling, and this operation is determined by genes and individual growth processes.
But, because it has varied, some person may feel love the same sex.

 

 

何が問題なのか?
聖典の創造神話を守る為に進化論を否定する一番の弊害は、人々が科学的な視点を失うことです。

科学的な視点がなぜ重要かは、人類の進歩、医学や生活環境の発展を見れば一目瞭然です。
科学的な視点で重要な事は、人間の理解出来る限界を知り(注釈3)、その理論が絶えず実証を経て改良されていることです。
これを知ることで人々は迷信や妄信を遠ざけることが出来る。

また自分たちの創造神話だけしか認めないことは、どうしてもそれを信じる教徒と他の宗教徒の対立を深めることになる

進化論が重要な理由が他にもあります。

人類の進化論-アフリカで誕生した人類が世界に拡散し、我々はその子孫であることを知れば、我々は人類が一つであることを実感出来るはずです。

今一つは、人類の心性―深い愛情、助け合う心、憎しみ、不安感、などが生まれた経緯を知れば、多くの偏見が無くなり、他者への理解が深まることでしょう。

心性の多くは、進化の過程で動物がより生き残る為に育まれた。
例えば、男女の恋愛感情を高めるホルモンを分泌する器官が脳にあり、この働きは遺伝子と生育過程によって制約されている。
これにバラツキがあるので、同性にも愛を感じることがあるのです。

 

5

*5

At the end
I am really sad.
Although it can be said that many religions left a great footprint to mankind.

But, now also, for coming back to the source of the religion, the world invites conflict and seems to proceed in a nonscientific direction.

 

 

最後に
実に悲しいことです。
宗教は人類に偉大な足跡を残したと言えるが、今また、宗教の原点回帰と称して、世界は対立を招き、非科学的な方向に進むように思える。

 

 

注釈1.
キリスト教保守派とはプロテスタントの中でもキリスト教原理主義者などを言います。

注釈2.
仏教と儒教の宗祖、釈迦や孔子は宗教的・神話的なものを避けようとして、天地や人間の起源の説明に深入りしませんでした。

注釈3.
人間は宇宙や社会を完全には理解出来ないが、絶え間ない努力により、その限界を広げることが出来る。
人間は知を求めるものですが、知について謙虚であるべきです。

 

Categories: culture+society, <english language, <japanese language, politics, science, Series: Something is strange | Tags: , , , | Leave a comment

デマ、偏見、盲点 20: 衆愚政治の恐ろしさ


1

*1

 

 

今日は、今、世界を席巻しつつある衆愚政治についてみます。

これは大衆迎合、ポピュリズム、右傾化、全体主義とも重なります。

世間ではこれを肯定する人々がまだ多数おり、危険な状態が続いている。

 

 

 

はじめに

皆さんはヒトラー総統やトランプ大統領は衆愚政治やポピュリズムを象徴する人物と思いますか?

 

言葉の厳密な定義は、学者でも意見が分かれていますので、気にしないでください。

イメージで結構です。

例えばヒトラーとトランプの似ている所はどのようなところでしょうか。

 

先ず、演説時の壇上のパフォーマンス、特に表情、手の扱いなどが似ています。

共に一貫性のある思想や政策がない(ヒトラーは適宜変節していった、トランプは支離滅裂か自由奔放)。

既存のエリート層、政治家、大企業、マスコミ、知識人を徹底的に否定する。

一方、我こそが大衆、労働者の味方で、雇用と労働条件向上を実現すると宣言する。

その達成手段は、自民族(ゲルマンかホワイト)だけの繁栄、他者(ユダヤかムスリム)を排除、そして力の行使(軍事力か経済力)で共通する。

 

二人は大変似ており、ヒトラーが衆愚政治によって生まれたのだから、トランプもも衆愚政治の産物と言えます。

それではなぜ、悲惨な歴史を知っているはずの人々が、未だにトランプを評価するのでしょうか?

 

トランプを肯定的に見る識者達の見解を要約すると以下のようになるでしょう。

一つは、彼らの多くは米国の共和党寄りのようで、単に民主党嫌いが理由のようです。

もう一つは、トランプが優れたトップの可能性を秘めいていると言うものです。

 

実は、ここに問題があるのです。

歴史的に見て、衆愚政治でトップになった人物は、その大言壮語なスローガンと破壊的な行動力が大衆から絶大な期待を集めていたのです。

 

衆愚政治のトップに共通する特徴があります。

彼らのほとんどは徳が無く下劣な品性の持ち主ですが、敵をやり込める口汚さなどの攻撃能力や大衆受けする芝居がかった振る舞いが前者の欠点を帳消しにして余りあるのです。

ヒトラーの場合は、クーデター未遂事件での収監時の態度が潔しとされ、トランプは身銭を切って選挙を戦ったことで好感されたように。

また共に、敵を徹底的に打ちのめします。

ヒトラーがスパイ紛いの汚い仕事をしていようが、トランプが税金を払わず、幾度も倒産して事業を拡大していようが人々は問題にしないのです。

 

衆愚政治の真の恐ろしさは、このようなトップを待ち望む人々がたくさん存在することなのです。

人々の期待を実現すると大風呂敷を広げ、行動力があると思わせれる人物が、衆愚政治のトップになるのです。

その結果、多くは破局に向かうのです。

 

破局に至る理由は簡単で、その手の行動力があると思われる人物は道理を顧みず、未来を深慮せず、他者を害することを厭わないからです。

社会が閉塞状態になったり、外からの脅威に晒されたと大衆が強く感じると、このような人物こそが、現状を打開できる人物と見なされ易くなるのです。

このことは米国で行われた心理学の泥棒洞窟実験が良く説明しています。

 

国が軍事的脅威に晒されると、粗野であっても、こわもてのトップが選ばれるのが常です。

衆愚政治から生まれたトップがいつも不幸をもたらすとは限らないが、社会が危険になる確率は高まる。

 

 

 2

*2

 

 

衆愚政治の代表例

実は、世界史に名だたる衆愚政治の極め付きが2400年前にあった。

これは有名な古代ギリシャの都市国家アテナイで起きた。

この実に馬鹿げた悲惨な事件は、衆愚政治の愚かさをよく物語っています。

 

時は、紀元前415年、アテナイは200隻の軍船と数万の漕ぎ手と兵士をシチリアに向け出撃させた。

そして全滅するか、捕虜になってすべてが死んでいった。

 

戦史家トゥキュディデスはこの戦いを「ギリシャ史において、これ以上なく悲惨な敗北を喫し、完膚無きまでに打ち負かされた」と語っている。

 

 

3

*3

 

この戦いはなぜ始まったのか。

古代ギリシャとアテナイの絶頂期はペルシア軍を撃退した紀元前5世紀前半でした。

盟主アテナイは軍事力と軍事遠征で巨大な富を手に入れることに味を占め、やがてギリシャ全土が戦いに明け暮れるようになった。

その大きな戦争の一つがスパルタとアテネが勢力を二分して戦ったペロポネソス戦争(B.C.431-B.C.404)で、これが衰退の始まりでした。

 

アテナイは絶え間ない戦争で疲弊していたが、降ってわいたシチリアからの救援要請に、世論は慎重派と積極派に分かれた。

慎重派はアテナイの国力が前回の戦いから充分回復していない状況で、兵力が充分な手強いシチリアへの遠征は無謀だとした(これは的確な情報分析だった)。

 

すると、若い煽動家アルキビアデスは、シチリアは大きいとは言え、烏合の衆であり、気概のある相手ではなく、この際、支配権を拡大する絶好の機会だと訴えた。

そして大勢は決し、しかも大編成で行うことになり、彼は遠征軍の三人の司令官の一人に任命された。

 

ところが出撃すると、彼は神像破壊の容疑者としてアテナイから召喚を命じられます。

彼は日頃から傲慢で放埓であった為、敵が多く疑いがかけられたのです。

すると彼は敵国スパルタに亡命し、アテナイの情報を漏らし、スパルタにシチリア遠征を薦め、遂にアテナイ軍は殲滅されることになった。

 

なぜこんな裏切り者の軽薄なアルキビアデスの言をアテナイ市民は信じたのだろうか?

彼は名門貴族の出で、ソクラテスの弟子であり、演説家、政治家で、その美貌と才能によって市民に絶大な人気があった。

また彼は野心家で、それまでも遠征を焚き付けており、今回、成功すれば自分の名声と富が一層高まることをもくろんでいた。

彼の演説を聞いたアテナイの若者達は、昔の栄光の再来を夢見て、遠征に熱狂していったのです。

その後、アルキビアデスは各地で問題を起こし、ついには暗殺された。

 

この話には更に落ちがあります。

始め、アテナイはシチリアでの敗北を信じず、やがてパニックになった。

慎重派があれほど無謀だと指摘していたにも関わらず、現実逃避していたのです。

 

その後、アテナイの同盟国が次々と反旗を翻した。

その混乱の中、アテナイは民主政を捨て暴政にのめり込み、あらゆる面で衰退が加速していった。

ちょうどこの頃(B.C.399)、皮肉屋のソクラテスは濡れ衣を着せられ毒殺されることになった。

その後、アテナイはスパルタに占領され、さらに半世紀後(B.C.338)にはマケドニア王国に屈服し、ついに命脈は尽きた。

 

 

4ソクラテスにシケリア遠征の中止を説かれるアルキビアデス

< 4. ソクラテスがアルキビアデスにシチリア遠征の中止を説く >

 

 

何が問題なのか

まさに、アテナイのこの一連の事件には「はじめに」で紹介した衆愚政治のパターンが凝縮されている。

 

閉塞状態に陥っていたアテナイ市民は、アルキビアデスの欠点には目もくれず、途方もない夢だからこそ飛びついたと言える。

彼は野心家で、大言壮語し、責任を取るどころか裏切りすら平気な人物でした。

そんな人物に振り回され、あれだけ栄華を誇り、民主政を生み出した国家が無惨な結末を迎えたのです。

 

もしアテナイの市民が煽動家アルキビアデスを信じなければ、または彼が生まれていなければアテナイは繁栄を続けることが出来たのだろうか?

この文章でアルキビアデスをヒトラーに替えたら・・・・。

 

大なり小なり、代わりの人物がこのトップの役を担うことになるでしょう。

もっとも、アルキビアデスやヒトラーほど優秀(極悪)ではなく、損失はまだ少なくて済んだかもしれませんが。

つまり、最も恐ろしいのはこのような人物をトップに崇める人々、偏向したマスコミ、権益擁護者の存在なのです。

 

 

5

*5

 

 

現在、あなた国のトップは、このアルキビアデスのような人物ではありませんか?

その人物は家柄が良く人気があり、大言壮語し、力に頼り、敵を激しく罵り、簡単に辞めたり、方針転換したり、都合が悪くなれば逃げ回る人物ではありませんか?

 

もし居るとすれば、衆愚政治を支える人々が多く居ることの証であり、それが減らない限り、同じようなことが続くことになる。

とりあえず、そんなトップは居ない方が良いのですが。

 

 

皆さん、くれぐれも注意願います。

 

 

 

 

Categories: culture+society, <japanese language, Series: False rumor, prejudice, blind spots | Tags: , , , | 2 Comments

フランスを巡って 27: アルザスに想う


1DSC04472-1

*1

 

 

今回で、アルザス地方と諸都市の紹介を終わります。

私はこの地を旅して強く印象付けられたことがある。

この地の人々の暮らしに私は平和な世界が来ることを確信した。

 

 

 

2a

< 2. アルザスの地図、上が真北です >

 

上の地図: アルザスは赤線と東側の国境線で囲まれたところです。

フランスの東端にあり、ドイツとスイスに国境を接している。

赤丸はストラスブールとコルマールです。

 

ドイツとの国境を流れるライン川は交易を発展させ、その流域に石炭や鉄鋼の産地が連なり、産業を発展させた。

一方で、このことが絶え間ない国境紛争をもたらした。

 

下の地図: 赤丸はストラスブール、リグヴィル、コルマールを示す。

今回紹介する写真は、すべてストラスブール、リグヴィル、コルマール間のバスの車窓からの景色です。

 

 

3

*3

 

 

4

*4

 

 

5

*5

 

 

6

*6

 

 

 

7

*7

 

 

 

8DSC04465-1

< 8. リクヴィル近くの村 >

 

 

 

9

< 9.ヴォージュ山脈の裾野からドイツ側を望む >

 

この三枚の写真はリクヴィルを発って直ぐのストラスブールに向かう時のもので、東側を見ている。

遠くに黒い森(シュヴァルツヴァルト)が見える。

これはライン川に沿ったドイツ側に160kmほど続く森です。

 

 

 

アルザスの運命

今まで紹介したストラスブールやリグヴィル、コルマールは実に平和そのものでした。

ストラスブールを朝夕散策しても、治安の悪さや、何らかの戦争や憎しみの傷痕などを見ることはなかった。

また多くの人種や移民が共に暮らしている。

 

しかし、かつてのアルザスは際限なく戦乱に巻き込まれ、領主や宗主国が交代した。

簡単に、大きな戦乱と国境の変化を紹介します。

 

 

 

10

< 10. 9世紀から11世紀の国境 >

赤の矢印はストラスブールを指す。

 

上の地図: 中部フランク王国(黄着色部)を示す。

紀元前1世紀にはローマ帝国が支配していたが、やがてゲルマン人がやって来てフランク王国を築きました。

そして9世紀に、フランク王国が三つに分割され、アルザスはライン川に沿う南北に延びる中部フランク王国の一部になった。

 

下の地図: 神聖ローマ帝国(赤線で囲まれた紫着色部)を示す。

10世紀になると中部フランク王国は東部フランク王国に吸収され、それが神聖ローマ帝国になり、16世紀まで続くことになった。

 

 

英仏による百年戦争(1337~1453年)の戦場はアルザスとは無縁だった。

しかし、休戦期に解雇された傭兵や敗残兵がアルザスに侵入し略奪した時期が幾度かあった。

 

 

 

11

< 11. 宗教改革 >

 

16世紀初頭に始まる宗教改革は全ヨーロッパ、さらには世界に影響を与えた。

しかしその展開は複雑で、多くの戦争を生んだ。

一般には、これはドイツ中部で生まれたキリスト教聖職者ルターが教皇を痛烈に非難したことから始まるとされている。

しかし、その萌芽はヨーロッパ各地で以前から見られた。

 

アルザスが宗教改革と関わるのは、最初期の農民一揆からでした。

上の地図の灰色の部分はアルザスの北方(当時はアルザス)を指し、ここで15世紀末から農民一揆が起こっていた。

1524年になるとドイツの南西部(赤色)でドイツ農民戦争(~1525年)が起こり、瞬く間に、地図の茶色部分に広がり、ストラスブールを含むアルザスも騒乱状態になった。

立ち上がった彼らは、ルターの宗教改革思想を拠り所にしていた。

この2年間で30万人が蜂起し10万人が戦死し虐殺され、アルザスでも10万人が蜂起し3万人が死んだ。

 

この戦乱で、ドイツは疲弊し、帝国自由都市や小領主が衰退し、領邦国家が力もつようになり、領邦国家が次のプロテスタントとカトリック間の戦争を開始した。

これが神聖ローマ帝国内で始まり、やがてヨーロッパを巻き込んだ三十年戦争(1618-1648年)になった。

 

下の地図は1650年における、宗派間の色分けです。

ストラスブールを含む橙色はルター派のプロテスタント、周りを囲む草色はカトリック、下側の肌色はカルヴァン派のプロテスタントです。

 

実は、この後、アルザス一体(フランス東部)の領有権は細切れになり錯綜し、複雑な状況が1634年から1697年まで続きます。

 

一つ目は、1634年、スウェーデンがフランスにアルザスを全委譲した。

これは三十年戦争の間、アルザス(ストラスブールなど)はプロテスタントの雄スウェーデンから軍事援助を受けていたことによる。

 

二つ目は、1648年、三十年戦争の講話条約でアルザスが神聖ローマ帝国内からフランスに割譲された。

 

三つ目は、フランスのルイ14世が領土拡大に乗り出し、1673年、コルマールを奇襲し要塞を解体、1681年、ストラスブールを占拠し、1697年にはアルザス全域がフランス領となった。

 

 

12

< 12.フランス革命戦争、1792~1802年 >

 

フランスで1789年に革命が起きると、周辺の王国はフランス王家を守る為に介入も辞さないと宣言した。

これを受けてフランスはオーストリアに宣戦布告し、ついには12ヵ国を相手に戦争することになった。

初期は劣勢であったが、義勇兵の参加と国家総動員などが功を奏し、やがて東方に領土を広げる侵略戦争へと変貌した。

 

上の絵: 初期の闘いでフランス軍が勝利したヴァルミーの戦い。

 

下の地図: フランス革命戦争による領土拡大図の一部。

赤矢印がストラスブール、白矢印がヴァルミー、黄矢印がパリです。

 

この革命と戦争によって、ストラスブールは略奪され、アルザスは荒廃し、数万人が難民となってドイツに流れた。

また軍人が力を持ち、ナポレオンの帝政を招くことになった。

 

 

 

13

< 13. 普仏戦争、1870~1871年 >

 

三十年戦争後、神聖ロ―マ帝国は300以上の小国と帝国自由都市の集合体に解体されていたが、19世紀後半にはプロイセン王国がドイツの北方を占め、さらなる領土拡大を目指していた。

フランスはこの挑発に乗って、準備万端のプロイセンに宣戦布告し、一時はパリも占領されるほどの大敗を期した。

こうしてアルザスは隣のロレーヌと共にまたドイツ(プロイセン)に併合された。

 

上の絵: リヒテンベルクへの攻撃。

プロイセンの連合軍がストラスブール近郊の山城を攻撃している。

 

中央の地図: アルザスとロレーヌでの普仏軍の対陣を示す。

赤がフランス軍、灰色の丸がプロイセン連合軍です。

黄矢印がリヒテンベルクです。

 

下の地図: 1871年の領土。

水色がプロイセン連合軍の領土で、アルザスとロレーヌが含まれている。

 

 

 

 

14

< 14. 西部戦線、1914~1918年 >

 

第一次世界大戦での西部戦線を示す。

赤線が塹壕のラインで、多くの死者を出したが、ドイツ軍の攻勢を英仏軍がここで防いだ。

ドイツ領であったストラスブールは戦火を免れたと思われる。

 

第一次世界大戦でのドイツの敗戦を受けて、1919年よりアルザスとロレーヌは再びフランス領となった。

 

 

 

15

< 15. 第二次世界大戦、1939~1945年 >

 

上の地図: フランス国境の青線がマジノ線です。

これはフランスが対独防衛のため築いた大要塞線で、国境地帯に約400km にわたり建設された。

しかし1940年、赤の矢印の防衛ラインを独軍に突破された。

この時、フランス軍はストラスブールを無人状態で放棄した為、ナチスドイツが占領した。

黄矢印がストラスブール。

 

1945年、敗戦と共に、占領されていたアルザスとロレーヌはまたフランスに戻った。

 

下の写真: ストラスブール北側にあるマジノ線を見る連合軍兵士。

 

 

 

今、想うこと

団体の観光旅行ではあるが、ストラスブールやアルザスの他の町も出来る限り見て廻ったつもりです。

しかし、戦争の爪痕やフランスとドイツ両民族の軋轢を感じるものはなかった。

 

この地をよく案内している添乗員と日本人の現地ガイドに、ストラスブールやアルザスでの両民族の仲違いについて聞いた。

しかし二人共、まったくそんな事は聞いたことが無いと明言した。

まったく私の質問が的外れだった。

 

既に見たように、アルザスとストラスブールは数多くの戦火、混乱、破壊、略奪、殺戮に苛まれ、その後は民族や言語が異なる国家に組み込まれて来た。

特にドイツ圏とフランス圏とは幾度も入れ替わった。

 

アルザスは17世紀中頃までドイツ圏に属していたので、ドイツ圏の文化(家屋)や言語(アルザス語を併用)が根付いている。

おそらく食事もだろう。

 

それにしても、ドイツへの帰属願いや分離独立、ドイツ系とフランス系の人々にいがみ合いの無いのが不思議です。

傍から見る分には、年月が互いの不和を洗い流したゆえか、はたまたフランスが適切な融和策を執ったゆえか、どちらか分からない。

ストラスブールには欧州議会、欧州評議会、欧州人権裁判所、欧州合同軍の本部が置かれており、欧州統合の象徴であり中心と言える。

 

少なくとも言えることは、これだけの憎しみを生んだ苦難を経験しても、何事もなかったように平和に暮らせることです。

 

ただ心残りは、市民がどのように平和を紡いで来たのが分からなかったことです。

それでも私は、一つの大きな旅行の目的を果たしてほっとしている。

旅は素晴らしい!!

 

 

次回に続きます。

 

 

 

Categories: culture+society, 連載中 フランスを巡って, <japanese language, travel+photo | Tags: , , , , , , , | Leave a comment

デマ、偏見、盲点 19: 既成概念を打破する


 

1*1

 

 

世の中が保守的になってくると、人々は益々既成概念に囚われることになる。

必ずしも革新が良いわけではないが、発展が阻害されることになる。

今回は、既成概念を疑い打破することをお薦めします。

世の中を良くするヒントが見つかるかもしれません。

 

 

はじめに

人類は、長年信じられて来た既成概念を打破し、新しい取り組みを続けてこそ進歩を遂げることが出来た。

一方で大失敗をしたこともある。

 

既成概念を捨て新概念を生み出し成功している例を挙げます。

 

私有権(所有権)、訴訟権、仇討ち禁止、拷問禁止、商業手形発行、憲法制定、宗教改革、企業の無限責任から有限責任へ、<< 家族間の弁済責任(親の借金を子が弁済)の禁止 >>、三権分立、特許制度、奴隷制廃止、議会制民主主義、年金制度、所得税、累進課税、国連創設、普通選挙、金本位制離脱、軍の文民統制、労働基本権、化学兵器禁止条約・・・、ときりがない。

 

ひとつひとつに長期間にわたる生みの苦しみがあった。

既得権益層と新興勢力の対立、権力者と民衆の対立、国家間の対立などを乗り越え、平和や繁栄、安全、生活向上を求め大いなる決断と合意を繰り返して来た。

 

一方、新しい主義やシステムを過信し苦渋をなめた例を挙げます。

これは明確に失敗とは認識されていないが、人々に大きな損失をもたらしたと言える。

帝国主義、共産主義、ファシズム、2007年の世界金融危機を招いた金融手法が大きなものでしょうか。

 

既に見たように人類史は改革の積み重ねであり、既成のものから脱皮し続ける歴史でもありました。

その過程で失敗があっても、多くは改良し、稀に廃止することにより乗り越えて来たのです。

新規の技術や生産物は無数に生み出され、不要になったものや危険なものは使わなくなった。

 

それでは現実に常識として受け入れられている概念を一つ取り上げてみましょう。

 

 

2

*2

 

 

莫大な国の累積財政赤字

著名な政治家や経済学者の中には、財政健全化の為に増税するのは愚の骨頂で、むしろ赤字を拡大させてでも大幅な財政出動で、景気を浮揚させるべきだと言う。

これにより景気が良くなれば税収増となり、問題は解決すると言う。

 

既に日本が長年やって来た公共投資(土木・建築事業が無駄だっのかも)で赤字を増大させて来たのだが、まだ足りたいないと言う。

 

また、リフレ策が成功することにより経済成長とインフレの相乗効果で、いつしか累積債務が減少し、危険水域を脱すると言う。

現在、アベノミクスに、これらの良い兆しが見えていないが、成功は疑いないと言う。

 

ここで落とし穴があるか探ってみましょう。

 

当面、日本の累積財政赤字はGDPの250%程度になり、仮に危険水域は300%だとします。

アベノミクスが期待出来る一つのポイントは、インフレによって数十年後の累積財政赤字額が今の数分の1になることです。

これは単純な理屈で、順調に理想的な経済成長が実現さえすれば可能でしょう。

 

少し先のことを考えましょう。

 

今後、経済成長率よりもインフレ率が高くなると、未来の生活水準が今よりも低下することになる。

例えば経済成長率1%、インフレ率3.5%が30年続くと、生活水準は1/2になる。

この数値が逆転すれば生活水準は2倍になり、累積財政赤字額は1/3以下の可能性もある(通常、金利も上がるので赤字額の減り方は少なくなる。)。

 

しかしまだ以下の危険が存在する。注釈1.

 

*累積財政赤字の更なる増大はいつか取り付け騒ぎを起こす。

赤字はすべて国内債務で、国民は従順で国を信任し続けるはずだから取り付け騒ぎは起こらないと言う。

確率は低いが、株式や土地の暴落のパターンを見ると、信任の崩れる時が来る可能性はある。

 

*恐慌の影響が大きい。

日本自身でなくても中国や米国、EUで恐慌が起きる可能性を無視してはならない。

ほぼ10年毎に起きているので、繰り返す可能性は高い。

アベノミクスにより日本の経済と金融の体質(恐慌への耐性)が悪化しており、他国発の恐慌にさらに脆くなって行くと予想される。

 

*リフレ策で財政赤字を解消させる姿勢は、健全財政への意欲を低下させる。

政府は無駄遣いと赤字国債発行を続け、さらに日銀による国債直接引き受けが常習化することによりハイパーインフレを招くだろう。

 

つまり、仮に現役世代には良策であっても、未来の世代には愚策かもしれない。

私の推測では、日本の所得の推移は現役世代で横ばいか若干恩恵を受けるかもしれない。

しかし、その一方で未来世代は横ばいか悪化を経験するかも知れない。

今より国の財政・金融の体質が劣化していく可能性が高いからです。

 

私の推測通りに事が進むとは断言出来ないが、起こりうる不幸を考えると、以下の事が重要になる。

 

 

3

*3

 

 

我々は如何にすべきなのか

この問題の本質は、現役世代が借金で消費(浪費)して、その弁済を未来世代に押し着けていることです。

実は、このことを既成概念として我々は受容してしまっているのです。

 

既に見たように、人類は親の借金を子供に返済させることを禁止するようになって久しい。

数十年先の人々が文句を言わないからと言って、未来世代に弁済義務を押し付けることは、時代に逆行している。

 

ここでもきっと為政者達は経済の永続的な発展の為には、エゴを捨てるべきだと言うでしょう。

しかし、これを受け入れれば入れるほど、政府のモラルハザード「倫理の欠如」は劣化するでしょう。

 

この悪い例が、金融恐慌の度に、放埓三昧で暴利を貪った巨大金融業や金融家を数兆円から数十兆円の税金で毎回救済しなければならなかったことです。

残念なことに、現状では救済せずに倒産させると被害は更に拡大してしまいます。

これを知っているからこそ、彼らは幾度も繰り返す常習犯になってしまったのです。

 

当然、世代間の弁済義務を放棄する権利があっても良いはずです。

政府が行政改革をせず、湯水のように税金をばら撒き、赤字を増やし続けるなら、国民は泣き寝入りするべきではない。

本来は選挙で政策変更を勝ち取るべきですが、議員達はしがらみがあり真剣には考えない(既得権益や選挙地盤との慣れ合い、惰性など)。

 

4

*4

 

されば国民は、一点突破で国に直接猛省を促すべきです。

その方法は、皆さんが貯金を下ろすことです(本当は保険の解約も必要なのですが)。

 

政府が赤字国債を発行できるのは、国民の貯金が銀行や農協にあるからです。

現状では市中銀行が政府が発行する国債を引き受ける為には国民の預金が必要なのです。

これに抵抗する為に行うのです。

しかし政府発行の国債を日銀が直接引き受け続けるならば、国民の抵抗は無駄になります。

従って早く事を起こさないと、日本の将来は益々危険なものになるでしょう。注釈2.

以下のグラフにその兆候が現れています。

 

 

5

*5

 

 

現在、1年定期の利率など知れています。

まして前回の金融恐慌が2007年なのですから、どこかで恐慌がそろそろ起きても不思議ではありません。

貯金を1年ぐらい下ろしても痛くも痒くもないでしょう。

皆が一斉に1年ぐらい解約するだけで良いのです。

 

これによって政府は国債発行の危さを実感し、真剣に税の無駄使いと適正な税制(累進制のある所得税など)を目指し、赤字国債の発行を抑えるようになるかもしれません。

それが皆さんの孫やひ孫を救うことになるでしょう。

 

尚、国債解約の取り付け騒ぎは起こらないでしょう、著名な経済学者が太鼓判を押しているのですから。

 

 

大事なことは、現状を疑い、未来を真摯に憂うことです。

いつも社会の悪化は、振り返れば小さな兆しが既にあったのです。

その芽を見つけて前もって摘むことが必要なのです。

 

 

 

注釈1.

私はアベノミクス(リフレ策と大規模な財政出動)がまったくの愚策だとは思わない。

しかし、たとえ国民は一度好転を味わったとしても、挙げた三つの問題が発生し、従来より窮地に追い込まれる可能性が高いと考えます。

今の政府はこのことを厳密に検討せず、人気取りの為に猪突猛進しているように思える。

 

その典型的な悪例の一つに、幾度も指摘している「ふるさと納税」がある。

政府内で現状の返礼品競争と急増する額を施行前に予想出来る人、議員は無理でも官僚などにいたはずです。

それを官邸が抑え込んだのでしょう。

これを決断と実行の内閣と考えるのは早計です。

国民が地方自治体や民間企業を潤す良い施策と信じていることを良いことに、弊害には知らぬ振りです。

この手の姿勢、決断力と実行力をひけらかし、その実、稚拙であることが多い。

もしうまくいかなければ事実を隠蔽し、嘘をつき、過大に他を責め立てることが目立つ。

 

おそらくこの姿勢が続く限り、施策全体が信用出来ないものとなるでしょう。

 

 

 

注釈2.

本来、中央銀行(日銀)は中央政府から独立した機関であり、物価と金融システムの安定を図ることにより国民経済の発展に貢献するものです。

この目的の為に日銀は国の中で唯一紙幣(通貨)の発行が許されているのです。

 

通常であれば、日銀は景気刺激策の一環として市中銀行から国債の一部を買取り、通貨を銀行に供給し、間接的に国内の通貨流通量を増加させることをしてきました。

しかし、現在、上記グラフのように日銀は間接に、また政府から直接に国債を大量購入しています。

 

これが進むと、政府の財政規律が緩み、いつかは好きなだけ国債を発行するようになり、後にハイパーインフレが襲うことになります。

 

歴史的な反省から、これを避ける為に、世界では中央銀行を政府から独立した機関としたのです。

現状では、政府と日銀が一体となっているため、政府は国債発行と言うより、むしろ紙幣(通貨)を直接発行していると変わらない。

大規模な財政出動を増税無しにするには、手っ取り早い手のなのですが。

 

これは危険なことなのです。

単に1強では済まされない問題です。

 

 

 

Categories: culture+society, economy, <japanese language, Series: False rumor, prejudice, blind spots, uncategorized | Tags: , , | Leave a comment

フランスを巡って 26: ストラスブール最後の夜


 1DSC04553-1

*1

 

 

今回は、ストラスブールの最後の夜の散策と出来事を紹介します。

わずかに夕陽の赤味を帯びた旧市街の様子、二つのレストラン、そして大型スーパーについて記します。

 

 

2

< 2. 散策の概要 >

 

散策したのは、旅行日6日目、5月22日(月)、17:00~21:00です。

私達は最初にスーパーへ買い物に行き、一度ホテルに戻って荷物を置き、折り返し、旧市街に向かいました。

 

上の地図: 今回の散策ルート。上が真北です。

茶色線は大型スーパーSMに行った往復ルートです。

赤線は予約したレストランL1を目指して散策したルートで、黒線は代わりのレストランL2を経て帰ったルートです。

CAは大聖堂です。

 

下左の写真: 大型スーパーに行く途中で見かけたガンジーの像。

ストラスブールが幾多の紛争を乗り越え平和を獲得したことを如何にも象徴している像でした。

 

下右の写真: ガンジー像の周囲の花々の左奥に見えるのがショッピングモールで、このずーと奥に大型スーパーがあります。

 

大型スーパーはワンフロアですが非常に大きく、商品を探すのに苦労するほどでした。

ここでは主にお菓子とチーズを物色し、旅の途中なので少なめに購入したのですがミスをした。

帰国後、知ったのですが、ほとんどのチーズの正味期限が短いのです。

短いものでは1週間以内のがありました。

バルト三国でも買ったことがあり、柔らかいチーズは帰国までに形が崩れることは知っていたのですが、これには驚いた。

何種類も買って、帰国後が存分に楽しめたのですが、焦りました。

 

フランスを巡っていると、フランス人にとってワインとチーズは食事に本当に欠かせないものだと知りました。

 

 

 

 

3

< 3. ホテルの裏手を行く >

 

瀟洒なアパート群が目を引きます。

運河にはボートを楽しむ人々と、のんびり泳ぐ白鳥の姿があった。

 

 

 

4

< 4. 運河を渡る >

 

朝な夕なに、ジョキングや散歩する人の姿が見られた。

この都市は空気が綺麗です。

 

 

 

5

< 5. 大聖堂が見える >

 

800年の長きにわたり、この鐘楼は市民の熱気と血なまぐさい闘争の歴史を見て来たことだろう。

 

下右の写真: ひょっとすると城門の跡かもしれない。

 

 

 

6

< 6. 南側のイル川を渡る >

 

 

 

7

< 7. イル川の堤を散策 1 >

 

 

 

8

< 8. イル川の堤を散策 2 >

 

堤のそこかしこに、夕暮れの川風を楽しむ人々の姿を多く見かけた。

 

 

 

9

< 9. プチット・フランス 1 >

 

下の写真: 右奥に船の上下用の堰(閘門)が見える。

 

 

 

10

< 10. プチット・フランス 2 >

 

 

 

11

< 11. レストランL2にて >

 

今回の旅行での私達夫婦の楽しみの一つは、日本でフランスのレストランを予約しておき、その地の雰囲気と食事を愉しむことでした。

1回目のリヨンでは成功しましたが、2回目のストラスブールではトラブルに合いました。

 

事前にメールで予約確認のやり取りを済ませて、予約時間に地図のレストランL1の前に行きました。

すると青年6~8人のグループが、店の前にたむろしており、店はクローズしているようでした。

彼らの人相は悪くは無かったのですが、周囲に人通りはなく、一瞬不安がよぎりました。

意を決して、彼らをかき分けるようにして、店のドアの前に進みました。

すると彼らは残念そうに「店は閉まっています」と教えてくれました。

彼らも予約客だったようです。

おそらく私の顔はこわばっていたことでしょう。

 

私達は、仕方なく店から直ぐに立ち去りました。

帰国後、この店から、この前日にメールがパソコンに入っていたのがわかりました。

「申し訳ありません。急にキッチンの水道が故障したので、予約当日は閉店させて頂きます。後日、予約を頂ければ幸いです。」

後の祭りでした。

それでも、このレストランはトリップアドバイザーで人気のある地元料理(ドイツ系)の店だったので残念でした。

 

その後、気を取り直し、メインの通りでレストランを探し、写真の店L2に入りました。

実はこの店はスペイン料理、タパスを出すバール「BAR」です。

スペインのバルセロには2回行ったのですが、憧れのバールに入ったことが無かったので、衝動的に入ったのです。

 

しかし、ここでもハップニングがありました。

先ず失敗だと分かったのは、メニューを見た時です。

フランス料理のメニューは下調べしていたのですが、フランス語のスペイン料理はチンプンカンプでした。

困り果てていると、たまたま空いていた隣の席にアジア系の男性二人が座りました。

 

なんと彼らは日本語を話しだしました。

すかさず私は、彼らに救いを求めました。

すると一人はドイツ語なら自信があるのですが、フランス語も少しは使えるとのことで、私達の注文を手伝って頂きました。

 

この二人はある国立大学の先生と院生で、次の日に太陽電池の研究発表があると言うことでした。

その後、彼らと太陽電池の将来などについて話が弾み、楽しい一時を過ごしました。

 

旅行先での人との触れ合いは実に刺激的で楽しい。

 

 

 

 

12

< 12. メインの通り >

 

時刻は8:30前後でした。

月曜日は多くの店が閉まるのですが、夕時を愉しく過ごす人々が通りに溢れていた。

 

 

 

13

< 13. ストラスブールとのお別れ >

 

この大聖堂の姿を見ることが、ここ5年ほどの夢でした。

ヨーロッパの宗教革命の始まりや、ここ数世紀のストラスブールの苦難の歴史を調べているうちに、是非とも行きたくなっていた。

そして国境の町ストラスブールとアルザス地方を駆け足ながら直に見て感じることが出来ました。

 

 

次回は、アルザスとストラスブールについて語るつもりです。

 

 

Categories: culture+society, 連載中 フランスを巡って, travel+photo, uncategorized | Tags: , | Leave a comment

フランスを巡って 25: 「ブドウ畑の真珠」と呼ばれるリクヴィル


1DSCF0785-1

*1

 

まるで中世そのままの町がブドウ畑の中にある。

さらにアルザスワインのワイナリーが数多くある。

私達は小さな村の散策を愉しみ、ワイナリーで試飲しました。

 

 

 

リクヴィルについて

この町はコルマールの北方12kmほどの処にあります。

 

ここは小高い山が途切れ、それに続くなだらかな斜面に広がるブドウ畑にあります。

この町は縦断するメインの通りが350mほどの長さしかない小さな町です。

しかし、第二次世界大戦の爆撃を幸いにも免れたことにより、16世紀以降の家並みが町全体に残っています。

 

また多くのワイナリー、アルザス最大手のワイナリーなどが町の中や周囲にあり、観光客を楽しませてくれます。

 

ここを訪れたのは旅行6日目、5月22日(月)、14:10~15:30です。

この日も快晴でした。

 

 

 

 

 

 

2

< 2. リクヴィルの地図、右が真北です >

 

下の写真: 黄線はリクヴィルの散策ルートを示します。

駐車場Sに到着し、東西に延びるメインの通りをポート・オートGまで行き、少し戻ってワイナリーWに入った。

試飲が終わると、自由時間となり、私は教会Cの前を通り、村の外周の一部を歩いた。

その後、駐車場Sからストラスブールに戻った。

 

 

 

3

< 3. 市役所と噴水 >

 

駐車場から最初に出会うのがこの市役所です。

この市役所のまえから西にメインの通りが伸びている。

 

 

 

 

 

 

4

< 4. メインの通りを行く >

 

上の写真: 緩やかに上っているメインの通りを西に向かって進む。

 

下右の写真: 1561年に切妻壁の建物をつなげて造られた6階建ての家屋で、アルザス地方で一番背の高い木組みの家の一つです。

 

 

 

5

< 5. 通りに面した店の顔 >

 

下二つの写真: アンシ作の看板。

 

この通りに面してアンシ美術館があります。

 

 

 

 

 

6

< 6. ドルダー・タワー >

 

ドルダータワーは13世紀に壁に沿って建てられた望楼で、中には鐘がある。

非常時の警報用です。

 

上左の写真: メインの通りからドルダータワーを見た。

上右の写真: ドルダータワーをくぐり抜け振り返った。

 

 

 

7

< 7. ポート・オート >

 

この門はドルダータワーの直ぐ外側に1500年に建てられた。

二重の重たい木からなる扉、ヨーロッパ一古いとされる落とし格子が備えられていた。

 

上の写真: 村の中側から見た。

 

下の写真: 村の外側から見た。

門の左側に壁らしいものが見える。

 

 

 

 

 

8

< 8. ワイナリーで試飲 >

 

上左の写真: 試飲したワイナリーの入口。

 

 

 

 

 

9

< 9. 教会と路地 >

 

ワイナリーの後は自由時間なので、私はこの路地を抜けて村の外に出ました。

 

下の写真: 路地から外に出るには、この写真右に見える民家にあるトンネルをくぐり抜けなければなりませんでした。

 

 

 

10

< 10. 村の北側外周 >

 

村の外に出てから、外周に沿って市役所の方に回り込みました。

 

この時、私はやっと気が付きました、この村は単に古いワイン作りの村ではなく、堅固な城塞都市ではなかったのかと。

上の写真に見える村を囲む城壁のような家屋、下の写真に見える噴水は堀の跡ではないかと。

 

それであれば、既に見た二重の門、城壁のような壁の名残が合点出来る。

この最後に、リクヴィルの歴史と城塞の種明かしをします。

 

 

 

11

< 11. メインの通り >

 

至るところに噴水が見られる。

 

 

12

< 12. 村の南側 >

 

南側には、ブドウ畑の中に現代の住宅が広がっている。

この駐車場からこの村とはお別れです。

 

 

 

リクヴィルの歴史

この町はローマ時代に遡る。

11世紀、この地一体を寄付された修道院がブドウ畑とリクヴィールを所有した。

1269年、神聖ローマ皇帝がここに城を建設し、アルザスで一番最初に要塞化された町となった。

その後、城主は幾度も替わり、公爵の城下町として栄えた。

16世紀に住民の多くがプロテスタントへと改宗した。

1796年、フランス革命軍との戦いの結果、公爵家はリクヴィルを含むアルザスの所領を放棄し、ここはフランスに併合された。

そして第二次世界大戦中、この一帯で戦禍を免れた数少ない町となった。

 

 

 

 

 

13

< 13. 城塞化の経緯 >

 

この地図から、1291年の城壁、さらに1500年、その外側に城壁が造られたのがわかる。

このことがドルダー・タワーとポート・オートの二重門が存在する理由でした。

 

 

 

14 1644

< 14. 1644年のリクヴィルの俯瞰図 >

 

これは町を東側から見たもので、手前が現在の市役所側になる。

二重の城壁と堀が見える。

 

 

私は、こののどかなアルザスの地にこれほど要塞化した村や都市が多いとは思わなかった。

今回訪れた、アルザスの三つの地がすべて要塞化されていた。

コルマールの要塞化については説明していませんでしたが、かつて城壁で囲まていた。

ストラスブールとコルマールは自由都市になっていた。

 

このアルザスはライン川が流れ、ドイツ(神聖ローマ帝国)とフランスの間にあって、交易上有利であったが戦火が絶えない地であったのだろう。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

Categories: culture+society, 連載中 フランスを巡って, travel+photo | Tags: , , | 2 Comments

何か変ですよ! 63: 近視眼的


1

*1

 

 

今、行われている施策が如何に近視眼的な術かを見ます。

これらは愚策ではあるが、繰り返される故に一層悲しい。

 

 

はじめに

ふるさと納税や核兵器禁止条約反対、気候変動取り組みのパリ協定離脱には共通するものがある。

これらは疑わない人々にとって喜ばしいことかもしれない。

 

実は、これらに共通するものがある。

これら施策は人々に手っ取り早く利益や安心、繁栄をもたらすと思わせる効果がある。

ほんとうにそうだろうか?

 

2

*2

 

 

*ふるさと納税

今、凄い勢いで寄付額が増えています。

2015年の寄付総額1700億円で、ここ数年は毎年3から4倍と加速度的に増大しています。

この理由は、この制度に高額所得者優遇の構造があるからです。

 

これを放置すれば、数年後には総額数兆円を越え、景気刺激策として良策ではない上に二つの問題を引き起こします。

 

一番の問題は、この寄付が高額所得者の消費増大ではなく節税策として使われ、その不足分を国民が広く負担しなければならいことにあります。

言い換えれば、唯でさえ税収が少ないのに、高額所得者の贅沢品(返礼品)購入費を皆の税金で補填し、税金が必要な所に届かないことです。

もう一つは、確実にゆっくり進む格差拡大です。

 

残念ながら、多くの人は気づかないままです。

 

この悪弊は高率の返礼品と節税効果(寄付)のセットにあります。

どちらかが無くなれば、弊害は無くなるのですが。

 

この問題のポイントは、一見、即効性のある経済浮揚策に見えるものの、効果は薄く、長期的には社会に歪をもたらすことです。

実は、この手の施策は日本、特に米国で半世紀の間にわたり積み重ねられ、これが今回のトランプを生んだ一つの要因になっています(注釈1)。

 

 

3

*3

 

*核兵器禁止条約の不参加

核兵器禁止条約は、核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用及び威嚇としての使用の禁止ならびにその廃絶に関するものです。

この条約は2017年7月7日、国連で122ヵ国により採択された。

核保有国やそれに連なる38ヵ国が反対し、16ヵ国が棄権している。

当然、日本政府は米国の核の傘に入っているので反対した。

 

これに対する主な意見。

米国の核兵器によって日本が守られている以上、米国を裏切ることは出来ない。

唯一の被爆国が、核兵器廃絶への道を主導するどころか、裏切っている。

核保有国が参加していない条約なんか実効性がない。

 

例えれば、この条約は強盗団が銃放棄を拒否しているのに、一般の人が率先して銃の不使用を宣言しているようなものです。

それなのになぜ、多数の国がこの無謀で無益と思える条約に尽力したのでしょうか?

彼らは、なぜ日本のように全人類の数倍を瞬時に抹殺できる最強の核兵器で守ってもらうことを考えないのでしょうか?(笑い)

 

だが、一方で不安もある。

核拡散防止条約(核保有を5ヶ国に限る条約、1968年発行)以来、核保有国は9ヶ国になり、更に増えるでしょう。

米国の核兵器で、北朝鮮の核攻撃から日本を守れるでしょうか?

守ってくれるのは迎撃ミサイルなどであって核兵器ではない。

もし核兵器に抑止力が期待出来るとするなら、米国内の銃所持は抑止力とならず、なぜ殺人の増大を招いているのでしょうか?

北朝鮮はこの条約に賛成しており、まさに張本人が抑止力を否定している。

まさに軍拡競争への皮肉です。

 

こうしてみると、現状を放置することは核戦争の危機を一層の深めることになると考える国があっても不思議ではない。

彼らは最強の核兵器で守られることよりも、最悪の核兵器を無くすことで、人類の安全を守ろうしたのです。

それでもなぜ核保有国などの参加が見込めない条約を成立させようとしたのでしょうか?

 

歴史にヒントがあります。

第二次世界大戦後の国連憲章制定時、米ソの離脱を引き留める為に、悪弊が予想された集団安全保障と拒否権の採用に多くの中小国は妥協しなければなりませんでした。

その結果、機能しない国連になったと言えるでしょう。

もっとも、米ソの離脱の方がさらに悪い結果を招いた可能性はある。

その点、今回の核兵器禁止条約ではそのようなことにならない(注釈2)。

 

この122ヶ国の行為、多数の中小国が大国に「ノー」を突き付けたことは、歴史上の画期と言えるでしょう。

私は、これに人類が憲法を生み出した契機となった1215年の英国でのマグナカルタを想起する。

これはほんの一歩に過ぎないが、こうして人類はより民主的な社会を推し進めてきたのです。

 

現状維持では改善を望めない状況で、とりあえず米国追従で条約反対に回った日本の行為は、世界が団結して平和を掴む気運を削いでしまった。

日本は唯一の被爆国なのだから、なおさらです。

 

この問題のポイントは、一見、平和の為と映るものの、むしろ不安要因を増大させ、さらには平和と世界の協同化を後退させていることです。

 

 

4

*4

 

 

*気候変動取り組みのパリ協定離脱

これはいつか来た道であり、また始まったのか大国のエゴと言わざるを得ない。

 

「米国と市民を守るという重大な義務を果たすため」

「我々は、よその指導者や国にもう笑われたくない」

「私はパリではなくピッツバーグの市民を代表するために選ばれた」

「パリ協定によって米国は国内総生産(GDP)3兆円と650万人の雇用を失う」

 

これはパリ協定離脱時のどこかの大統領の発言です。

この発言には、前回見た視野の狭さと狭い仲間意識が露骨に表れています。

 

南太平洋の島々の水没、南極やアルプスの氷河の融解は現実です。

例えば、30年後に地球の温暖化を認めてから、クーラーで地球を冷房しようとでも言うのでしょうか?

またパリ協定に合意した197ヶ国は自国の経済や雇用への影響を無視したのでしょうか?

日本を考えれば、一部の産業にデメリットはあっても全体では乗り越えて来たことがわかります。

 

かつての大統領や議会も自国の産業、石油・石炭産業を守る為に批准しなかったことがあった。

選挙での人気取りの為とは言え、欧米が身勝手な論拠を振りかざして大国のエゴを剥き出しにすることは今に始まった事ではないが、今の米国は世界一の経済大国だけに影響が甚大です。

単に協力しないと言うより、世界を苦境に陥れるものです。

 

 

この問題のポイントは、一見、雇用の為と見せかけるものの、実際は一部産業の保護でしかなく、世界を取返しのつつない危機へと陥れる軽挙妄動にすぎないのです。

 

 

おわりに

実に残念なことなのですが、これらの施策は国民に絶大な人気を博した国のトップが推し進めて来たことなのです。

 

それでは、事が失敗すれば、誰が責任を取るのでしょうか?

国のトップの軽挙妄動を断罪するのですか?

それともトップを信じた国民が断罪されるべきなのでしょうか?

 

 

皆さんならどうしますか?

 

 

 

注意1

米国で景気浮揚策と謳われ、半世紀の間に積み上げられた施策―金融規制緩和、課税の累進性排除、セーフティーネットの停滞、により格差が拡大し、白人労働者の状況が悪化した。

これがすべての原因ではなく、欧米先進国が共に進めて来た一連の施策の結果と言える、ただ米国が主導して来たとは言える。

これが今回の大統領選でのポピュリズムの台頭に繋がった。

 

日本も遅ればせながら歩調を合わせていたが、今や加速度的に追従している。

 

 

注釈2

この条約は既にある核拡散防止条約に影響を及ぼさず、また平和のための原子力を放棄している訳では無い。

 

 

Categories: culture+society, <japanese language, Series: Something is strange, uncategorized | Tags: , , , | Leave a comment

フランスを巡って 24: 可愛い町、コルマール


1DSCF0759-1

*1

 

 

今回は、アルザスワインの産地の中央に位置するコルマールを訪れ、木骨組み家屋の街並みを楽しみます。

ここはストラスブールから南に70kmの所にあり、ヴォージュ山脈の麓にあります。

訪問したのは、旅行6日目、5月22日(月)、11:30~13:40です。

この日も快晴に恵まれました。

 

 

 

2map

< 2.コルマールでの徒歩観光ルート、上が真北です >

 

写真下側の橋のSから観光を始め、黄線の道を上側のレストランRまで行きました。

このレストランで昼食をとり、次の観光地へと移動しました。

番号1~12は写真で紹介するスポットです。

 

 

 

3

< 3.バスから見たコルマール >

 

バスで郊外からコルマールの中心部に入って行った時の車窓からの眺め。

 

下の写真: Place Rapp。

フランス革命で活躍したコルマール生まれの軍人Rappの像が立っている。

 

 

 

4

< 4. プチットベニス >

 

上と下左の写真: 地図番号1。

小舟の遊覧船が発着していた。

 

 

 

 

5

*5

 

 

 

6

< 6. 運河沿い >

 

下の写真: 地図番号2。

右手の建物は市場ですが、この時は閉まっていた。

 

 

 

7

< 7.旧税関 >

 

上の写真: 15世紀に建てられた旧税関。

シュウェンデイの噴水の広場に面している。

屋根にはボーヌで見た釉薬瓦による模様が見られるが、こちらはアルザスの鱗状瓦です。

 

下の写真: シュウェンデイの噴水。地図番号3.

シュウェンディは、神聖ローマ帝国の将軍で、像の右手に掲げるのはぶどうの苗木。この像はコルマール出身で自由の女神の作者、バルトルディが製作したものです。

 

 

8

< 8. バルトルディ美術館 >

 

左上の写真: バルトルディ美術館。地図番号6.

 

右上の写真: コルマールの入口のラウンドアバウト(環状交差点)に立っている自由の女神。

 

左下の写真: 通りで見かけた店舗の飾りつけ。

 

右下の写真: 店の看板。地図番号10.

アルザス地方(コルマール、リクヴィルなど)の多くの店にこのような看板が架かっている。

これはコルマール生まれの絵本作家アンシの絵です。

 

 

 

 

 

 

9

< 9. 商人通り >

 

上の写真: 旧税関建物をくぐり抜けたら直ぐ見える商人通りの建物。

地図番号4.

 

左下の写真: 15世紀のプフィスタの家。地図番号5.

 

右下の写真: 13世紀のドミニカン教会。地図番号8.

 

 

 

10

< 10. サン・マルタン大聖堂 >

 

上の写真: 13世紀のサン・マルタン大聖堂。

これはゴシック建築で、建築は1234年に始まり1365年に完成している。

 

ところでコルマールも1226年に自由都市になっている。

つまり、この大聖堂の建設は自由都市になってから始めたことになる。

ストラスブールの大聖堂に比べ、これは建築工期が半分で規模も小さい。

両都市を見て、大聖堂のある広場が共に小さいことがわかる。

これは自由都市が、聖域としての広場を重視しなくなったからかもしれない。

 

下の写真: 通りの左側の手前近くに三階建てのアンシ博物館が見える。

 

 

11

*11

 

上の写真: Têtes 通りの商人の家。地図番号10.

 

下の写真: 元修道院で現在は美術館。地図番号11.

私は修道院が人里離れた所に建てられるものと思っていたが、修道会によっては村や町に造られ、地域の発展と共にあったのだろう。

 

 

 

12

< 12. 運河、地図番号12. >

 

上の写真: 遠くに大聖堂の尖塔が見える。

 

 

 

13

< 13. レストラン >

 

上の写真: 中央の3階建の建物が昼食を食べたレストランです。

コルマール観光はここで終えて、食事後、駐車場まで行き、バスで次のリクヴィルに向かった。

 

下の写真: レストランに置かれていたアンシの絵皿。

 

 

次回に続きます。

 

Categories: culture+society, 連載中 フランスを巡って, history+evolution, <japanese language, travel+photo | Tags: , , , , | 2 Comments

何か変ですよ! 60: 残念なこと


 1

*1

 

 

私は、日本の野党が残念でしかたがない。

日本が良くなるためには、健全な野党が是非とも必要です。

それが叶えられそうにない。

 

 

はじめに

今、現政権に憤慨している方は少なからずおられるでしょう。

しかし、現政権が倒れても、次に誰が日本のトップになるのか?

9分9厘、与党の中から少し見栄えの違う人物がトップになるだけだろう。

母体が何ら変わらない限り、結果は五十歩百歩と思いませんか?

 

野党は森友や加計の不正暴露に全精力を注ぎ込んで、トップを引きずり降ろそうとしているが、与党が引き続き政権を担うなら、それこそ元の木阿弥ではありませんか。

では、野党が政権を担えるのですか?

おそらく国民の大半は、今の野党にそれを望まないでしょう。

これでは、結局、今までと変わらない堂々巡でしょう。

 

今、我々にとって最重要課題は経済と平和であり、希望の未来を手に入れることです。

その足場を作る時です。

 

今日は、この問題を考えます。

 

 

残念な野党

多くの国民が政治に期待することは、景気が良くなることでしょう。

他に近隣諸国との軋轢とか、軍事的なこと、憲法改正もあるでしょうが、大多数はこれらを差し迫った問題とは捉えていない。

 

それでは野党に経済政策を託して良いと思う人がどれだけいるでしょうか?

私は、野党の個々の政策、大企業より国民優先、教育や育児負担の軽減などの施策は良いと思うが、大きなものが欠けていると思う。

それは景気を良くする金融と財政の一貫した施策です。

 

私は、野党に格差拡大と金融危機を招かない着実な成長戦略を持って欲しいのです。

今まで、野党はまったくこの姿勢が欠如していた。

只々、与党の政策を批難し、あわよくば国民の批難が高まるのを望んでいる節がある。

左翼系のマスコミも同様です。

この繰り返しでは、日本の政治は旧態依然のままです。

 

とは言っても、野党が与党の悪い政策を批難することには意味がある。

日本の与党(保守)は米国の保守(共和党)などに比べ、大きな政府の政策(福祉重視など)を取り入れており、良い結果を出している。

これが野党のおかげだと言い切れないが、批難していなければ、こうはならなかっただろう。

ここはやはり、二大政党の実現が不可欠です。

 

重要なことは、国民が野党に政権を担わせても良いと思えるように野党が変わることです。

与党を批難するだけでは、先はない。

 

 

2

*2

 

 

現政権の経済政策を考える

当然、与党には長期政権に付き物の弊害や、現政権の目に余る危さもある。

しかし、野党が反省すべき点を現政権から見出すことが出来る。

 

アベノミクス―インフレ目標、円安誘導、金融緩和、財政出動について見ます。

 

*インフレ誘導はインフレが安定し金利高騰が起きなければ、景気は良くなり、膨大な累積赤字が減ることになる。

先を予測することは難しいが、インフレ目標がいつまでも達成出来ないのは何か決定的なマイナス要因があるのだろう。

 

*円安誘導は、輸出を増やす効果を出している。

しかし一方で物価を上げ、結果的に賃金低下になるので、もう少し様子を見ないと分からない。

私が期待していなかったのは米国が円安誘導を許さないと考えたからでしたが、これは免れたようです(米国追従で)。

 

*金融緩和をかなりやっているが、効果が出ていない。

現時点では問題もなさそうだが、他国発の金融危機が日本に大惨事をもたらさないか心配です。

 

*財政出動は景気刺激に必要だが、相変わらず土建屋優先なのが問題です。

野党が唱えている人やサービスにもっと費やすべきです。

 

個々に長所短所はあるが、全体としてみれば米国の経済学者クルーグマンが唱える論理的な景気浮揚策に近いと思う。

たしかに、財政赤字の増大や大企業と土建屋優先は気になるが、狙いは良いと思う。

 

 

消費増税を見送ったことは良かったのか?

平気で嘘をつくことは許せないが、景気を交代させないためには良かった。

ただ、国の累積赤字は増えるばかりで止まる気配がないのが心配です。

本来なら無駄な出費を減らし、増税するなら累進性のある所得税が良い。

 

アベノミクスは、現状、効果が乏しく、目立ったマイナスも無いと言ったところでしょうか。

現状の経済指標の良し悪しには海外要因(石油、米国の景気)が大きく関わっている。

また日本では、高齢労働者の退職がピークを迎え、今後、労働者人口の減少を加速させていることが、失業率の低下と経済成長率鈍化を招くことになる。

 

ざっと現政権の経済・金融政策を振り返りました。

これほど大胆に景気浮揚を目指したことが国民の人気を得た大きな要素でしょう。

しかし、これら経済・金融政策で抜け落ちている重要な事がある。

 

 

与党に出来ない経済政策を目指せ

たとえ与党の経済政策が一時上手くいったとしても将来に大いに不安がある。

 

それは繰り返す金融危機と経済格差の拡大、増大する累積赤字です。

現状の欧米が進めて来た資産家・金融業優遇策が続く限り、被害が深刻になる一方の金融危機と拡大し続ける経済格差が大問題になる。

この為に既に欧米で火が付き、世情は不安になっており、やがて日本にも及ぶでしょう。

これらは規制緩和と税制改悪が招いたもので、また野放しのグローバル化によって世界中が巻き込まれ、競合するように悪化を深めている。

米国はこの推進の主役で、良くなる兆候はまったくない。

 

累積赤字の問題は、景気拡大が永続すれば薄らぐでしょう。

しかし、ほぼ10年ごとに繰り返している金融危機によって、その効果は打ち消される可能性がある。

またインフレが高進するだけなら、累積赤字の目減りと同時に庶民の生活は苦しくなる。

この問題はリフレ策をもっと検証しないと判断出来ない。

 

 

少し話題を変えましょう。

国民が経済面で望むものとは何か?

おそらく働き続けられること、低賃金からの脱出、将来の年金・社会保障制度の確保でしょう。

 

このためには経済成長が欠かせません。

 

安直な非正規雇用や首切りを規制することは必要ですが、現状のグローバル化した経済では、企業がすんなりと認めないでしょう。

年金・社会保障制度の確保には、当然、政府支出の見直しは必要ですが、これも持続的な経済成長が前提となります。

 

確かに、これからの時代は経済成長やGDP一辺倒ではなく、精神面重視に転換すべしとの意見があり、私もそうあるべきだと思います。

だからと言って、経済が低迷して良いわけではありません。

 

例えば、精神的な充足に必要なサービスを豊かにするにはその業界を支える経済成長が必要です。

例えば育児や教育のサービスを充実させるには、その産業の発展拡大が必要です。

つまり、箱物ではないサービス重視に移行すれば良いのです。

 

これらのことを野党は真剣に取り組み、実施可能な論拠を国民に示して欲しい。

 

 

3

*3

 

 

なぜ今の与党に期待できないのか?

与党が上記問題を解決する可能性はあるのか?

ゼロでは無いが、ほぼ無理でしょう。

 

東京都の選挙、米国やフランスの選挙からわかるように、国民は長く政権を担っていた政党を見限っている。

これには大きな潮流があるように思う。

 

この潮流とは何か?

私の見る限り、これは1980年代に始まった欧米の変革が発端でした。

これはサッチャー、レーガン、中曽根らによる大きな政策転換でした。

中でも大きいのは国営企業の解体とマネタリズムの採用でした。

この政策自身が悪いとは言えないが、これらにより労働組合の衰退、金融の規制緩和が進み、巨大な金融資産家が頻出した。

こうして金融資産家らのモラルハザード(節度を失った非道徳的な利益追求)と莫大な資金を使った政界支配と世論操作が常態化した。

これは米国において圧倒的な経済格差を生み出し、米国主導のグローバル化によって、世界と日本に伝染することになった。

 

こうなると国民の声は政治に届かず、やがて政治と政党に失望した国民は新しいものに飛びつくことになる。

これが現状です。

 

特に日本の場合、与党はまったくの米国追従なので、米国発の伝染病―経済・金融の悪弊による格差拡大と繰り返す金融危機、に罹患せざるを得ない。

これを打破できるのは、しがらみのない与党外と言える。

当然、官僚も同様ではあるが、官僚を排除してはならない。

 

大きな政策転換は可能なのだろうか?

19世紀末から米英を筆頭に労働運動が盛り上がり、労働者や女性の権利が向上した。

これが賃金上昇と格差拡大の是正に向かわせた。

そしてルーズべルトによるニューディール(ケインズ的な経済政策)が追い風となった。

残念ながら、国民が等しく経済成長を享受出来たのは1970年代までとなったが。

 

言えることは、良くも悪くも国と国民が、ここ百年の間に2回、政策転換を図ったのです。

今は、3回目の時なのです。

 

 

4

*4

 

野党が頑張るしかない

現状、日本は失業率が低く、格差も少なく、安全で福祉制度に大きな欠点はない。

 

今の与党の姿勢を放置すれば、金融危機を深め、格差を拡大させ、さらに浪費が続けば年金・社会保障制度の存続が脅かされる。

 

最大の経済低下の要因は労働者人口の長期減少でしょう。

これを補うには与党の箱物中心の財政出動ではなく人材・育児・移民への投資が不可欠です。

 

したがって野党は、与党に対抗して景気浮揚策を真剣に練り上げ、国民優先の政策に向かうべきだ。

それでなければ、いつまで経っても反対だけの野党で終わってしまう。

せっかく小選挙区にして、二大政党に向けた改革を行って来たのです。

今回の安部一強も、前向きに解釈したら、これまでのころころ替わる首相の状況から脱したとも言える。

 

どうか国民の皆さんも、二大政党を育て、まともな議論が国会で出来るような世の中にしようではありませんか。

 

 

どうもお読み頂きありがとうございました。

 

 

 

Categories: culture+society, economy, <japanese language, opinion, politics, Series: Something is strange | Tags: , , | 2 Comments

フランスを巡って 19: 中世の施療院オテル・デュ


 1DSC03207-1

*1

 

 

今日は、ボーヌ旧市街にある中世の施療院オテル・デュを紹介します。

中庭から見た施療院の建物と屋根が青空に映えて美しかった。

私にとって、ヨーロッパ医術史の一端を見れたことは、うれしい誤算でした。

 

 

 

 

 2a17070101a

< 2. オテル・デュのパンフレット >

 

この見取り図は下が北になっています。

青の矢印が入口、出口です。

 

私達は一階部分のほぼすべてを見学しました。

ここを見学したのは旅行5日目、5月21日(日)、10:40~11:30でした。

この日も快晴で爽やかでした。

 

 3

< 3. オテル・デュの外観と中庭 >

 

左上の写真: 中央の灰色の屋根がオテル・デュ。

入口は建物の中央にある。

 

右上の写真: 中庭の隅から入口側を見ている。

 

下の写真: 中庭の端から北側を見ている。

 

 

 

 4

< 4. 中庭から 1 >

 

 

陽に照り映えるニシキヘビの肌を思わせる模様の瓦と、たくさんの三角屋根の窓は、病院と思えない。

派手な作りにも見えるが、豪奢ではなく、美しくもあり陽気にさせる建物だ。

この瓦は釉薬瓦で、4色(淡黄色、濃いグリーン、赤色、茶褐色)からなっている。

 

「フランスを巡って4: 古都ボーヌ」でも紹介しましたが、この地域に入ると屋根の雰囲気がプロヴァンスと異なります。

 

プロヴァンスの屋根は緩い傾斜になっており、瓦はオレンジ色の丸瓦が敷き詰められている。

その輝くような町の眺めが、さらにプロヴァンスを太陽が降り注ぐ地中海のイメージを一層盛り上げていた。

これからフランスを巡って行くと分かるのですが、各地に特有の屋根があり、

この屋根は南仏特有のもので、ローマ時代の名残なのでしょう。

 

一方、ボーヌの町の屋根は急な傾斜になっており、平瓦かスレートが引き詰められている。

多くの色は灰色、茶色が多く、鮮やかさはない。

ただ、旧市街の幾つかの屋根には、このオテル・デュと同様の模様の釉薬瓦が見られた。

この瓦は元々、ブルゴーニュ公国が姻戚により手に入れたフランドル地方のもので、ブルゴーニュの各地に見られるそうです。

 

 

 

 5

< 5. 中庭で 2 >

 

 6

< 6. 看護室  >

 

上の写真: 看護室。

パンフレットの番号4辺りからの撮影です。

両側に並んでいる赤い天幕で覆われているのが患者のベッドです。

 

下の写真: 当時の看護の様子を伝える絵。

 

 

 

 7

< 7. 礼拝室と厨房 >

 

上の写真: 礼拝室。

パンフレットの番号6を看護室側から撮影。

 

下の写真: 厨房。

パンフレットの番号13.

写真がうまく撮れなかったのですが、右側の暖炉には機械仕掛けの丸焼き器のようなものが据えられていました。

また、お湯が出る白鳥の首形状の蛇口が、このマネキンの後ろにありました。

厨房は広く、清潔そうでした。

 

 

 

 8

< 8. 調剤所と薬局 >

 

上の写真: 調剤所。

部屋の左側に銅製のタンクとそこに注ぐ管が見えます。

これはおそらく蒸留器で植物から薬効成分を抽出するものでしょう。

 

下の写真: 薬品棚。

かなり多様な薬品が、ガラスや陶器の容器に入れらて置いてありました。

薬品は外部にも販売されたようです。

 

 

 

 

 9

< 9. 美術品の展示 >

 

左上の写真: 暖炉。パンフレットの番号20.

右上の写真: パンフレットの番号19.

下の写真: オークションの間。パンフレットの番号26.

この病院の機能が移転するまでは、ここでワインのオークションが行われていたらしい。

この売り上げが病院の運営費に充てられた。

おそらく、当時、壇上の燭台に蝋燭が置かれ、燃え尽きると競りの終わりを告げるようになっていたらしい。

 

 

 

 10

< 10.特別な展示室  >

 

ほぼ暗室で厳重な管理がされた部屋に、二つの祭壇画とタペストリーがありました。

 

 

上の写真:  この展示室のメインの絵で、フランドル派の画家(ベルギー)による「最後の審判」。

ウィキペディアより借用。

 

下の写真: フランドル派による「宰相ロランの聖母」。

ルーブル美術館蔵。ウィキペディアより借用。

 

左の人物が、1443年にこのオテル・デュを創設したブルゴーニュ公国の宰相ニコラ・ロラン。

彼がこの絵を発注した。

 

当時、ブルゴーニュ公国は領土を拡大し、騎士道文化が最盛期を迎えていた。

中でも、この宰相が権勢を誇っていた。

しかし、一方で英仏の百年戦争が続き、この地は貧困と飢餓に苦しむ人々で溢れていた。

彼は妻の薦めにより、私財を投じてこの病院を建てた。

病院の運営費は、ブドウ畑から出来るワインの売り上げで賄われた。

病院の機能は1971年に近代的な病院に移転した。

 

 

 

 11

< 11. 栄光の三日間、写真は借用 >

 

「栄光の三日間」はブルゴーニュで最も有名なワイン祭りです。

 

上の写真: ワインのオークション。

ワイン競売のシーンで、毎年11月の日曜日に行われる。

この場所はオテル・デュの向かいにある広場に面した大ホールでしょう。

このホールは写真番号3の左上の写真、左側に少し見えます。

 

下の写真: 栄光の三日間で盛り上がるボーヌの人々。

 

 

 

オテル・デュに想う

現在、私は連載「病と医術の歴史」を休止していますが、いずれ西洋の部分を書くつもりです。

この連載で望んでいることは、人類があらゆる因果の解釈を宗教的のものから一様に科学的なものへと変化させたこと、もう一つは、なぜ西洋医学だけが他の地域の医学を凌いで発展したかを知る為です。

この意味で、西洋の古代から中世にいたる医学史を理解することは非常に重要でした。

 

かつて、ドブロブニクなどで中世の薬局を見たことはあったが、中世の看護施設を見たことがなかった。

今回、実物を見れたことは幸いでした。

 

このボーヌのオテル・デュは施療院としては新しいもので、古くはキリスト教の修道院で、6世紀頃から看護や治療行為が始まっていた。

このオテル・デュは「神の館」と言う意味で、教会との繋がりを示す。

それではキリスト教が西洋医学を発展させたかと言うと、そうとも言えない。

 

世界中、病気、特に皮膚病は過去の罪や業(ごう)、祟りの現れと見なされ、忌み嫌われることが多かった。

また疫病患者は隔離され、このオテル・デュでも扱われることはなかった。

ほとんどの宗教は、人体を聖なるものと見なし、解剖を禁止し、キリスト教も同様でした。

12世紀始め、第2ラテラン公会議で、修道士が医学を学ぶことを禁止した。

 

キリスト教も含め、多くの宗教は、病人を治すよりは慈悲を施すことに意を用い、初期には遠ざけることが多かった。

 

ただキリスト教圏では、聖書に記載があるようにライ病患者は救済されるべきとされた。

不思議なことに日本でも中世の一時期、ライ病患者が敬われることがあった。

 

西洋では、ローマ時代の医術の残滓、さらに後のイスラム文化の流入によって、医学が開花していくことになりました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

Categories: culture+society, 連載中 フランスを巡って, history+evolution, <japanese language, travel+photo | Tags: , , , , | Leave a comment

デマ、偏見、盲点 18: 左翼と右翼の戦争


1

*1

 

 

今回は、右翼と左翼が思い描く戦争を通して、戦争の危うさを考えます。

ここで指す右翼とは、右翼寄りの人、右傾化した人も含み、左翼も同様です。

 

 

はじめに

先日、私がトランプ大統領の指南役スティーブン・バノンのことを話していたら、思わぬ問がありました。

 

今回のトランプ大統領誕生の最大の功労者はバノンで、彼がいなくては大統領は人気を博すスピーチも政策立案もままならなかったでしょう。

このバノンは政治に強い関心を持ち、右翼のオンラインニュースを立ちあげていた。

彼が目指したの、ホワイトハウスとエスタブリッシメント(支配層)を破壊することで一種のクーデターであり、実現の為にトランプを祭り上げた。

その理由は、現状の腐敗し体たらくなホワイトハウスでは第三次世界大戦を凌ぐことが出来ないと考えたからでした。

 

ここまで説明すると、ある人が「右翼は戦争をしたがる筈なのに?」と言って腑に落ちないようでした。

 

この問には、右翼と戦争に対する誤解がある。

 

それでは皆さん、右翼と左翼どちらが戦争をするのでしょうか? 注釈1.

 

左翼は、右翼こそが軍隊と戦争を望むと信じているようです。

逆に右翼は、左翼こそが暴力を容認し、一方で負け犬になると信じているようです。

 

 

 

2

*2

 

この見方は正しいのでしょうか?

右翼の中には、ヒトラーが社会主義者だから、極悪な戦争を始めたと信じている人がいる。

一つには、ナチスが「国家社会主義ドイツ労働者党」の略称だからでしょう。

歴史を知れば、彼は国粋主義者(ファシスト)で右翼だとわかるはずです。

 

それでは日本が満州事変へと突き進んだ1930年代、この大陸進攻を牽引したのは社会主義者か国粋主義者のどちらでしょう。

牽引した多くは軍人でした。

 

これらの解釈に混同があるのは、偏ったマスコミや言論などの影響が大きい。

端的な例として、満州事変が始まる前、売り上の上位は朝日と毎日で、読売はかなり少なかった。

しかし、事変が始まると他社より遥かに売上を急伸させたのは読売新聞でした。

朝日や毎日も売り上げを伸ばしてはいたが。

これは読売が最も戦争に反対していたからでしょうか?

 

この手の勘違いは、熟慮せずに心地良い説に飛びついたからなのですが、実は、ここに右翼の心性があるのです。

当然、左翼の心性もあります。

後に、両者の心性について解説します。

 

 

3

*3

 

 

米国の戦争を振り返り、右翼と左翼の違いをみます

軍事大国の米国で、民主党と共和党のどちらがより戦争をしていると思いますか?

 

主な戦争を始めた政党と大統領を挙げます。

開戦には複雑な経緯があるのですが簡略化しています。

 

南北戦争はリンカーン(共和党)。

第一次世界大戦(ウイルソン)と第二次世界大戦(ルーズベルト)は民主党。

朝鮮戦争は民主党。

ベトナム戦争はケネディー(民主党)。

コソボ紛争への介入はクリントン(民主党)。

湾岸戦争とイラク戦争はブッシュ親子(共和党)。

 

こうして見ると、ハト派と見做されている民主党の方が、大きな戦争に加担し、多くの死者を出している。

 

皆さんは、民主党と共和党の戦争に違いがあると思いますか?

一般には以下のように言われている。

民主党は、世界の平和や人権を守る為に、他国に介入し戦争も行う。

共和党は、他国への介入を避けるが、自国の主義や権益擁護の為には断固戦う。

 

それではこれら戦争を簡単に検討します。

*南北戦争で決着をつけたからこそ、国の分裂を防いだと信じらている。

*二度の世界大戦と朝鮮戦争への参戦、コソボ紛争介入がなければ、より酷い状況になった可能性がある。

*ベトナム戦争とイラク戦争は誤解に基づいた開戦で、より酷い結果を招いたと言える。

*湾岸戦争は予防的な開戦で、不要だった可能性がある。

(これら戦争には、参戦や開戦、介入の是非を巡りいまだに賛否両論がある。)

 

これらの戦争は、2度の世界大戦以外、自国が攻撃されたから反撃したのではなかった。

つまり、自己防衛ではなく、同盟傘下の保護または予防的な戦争と言える。

これには放置すればいつか自国に悪影響が及ぶかもしれないので、早めに叩かなければならないとの思惑がある。

当然、米国は世界や自国の安全保障の為に戦争を始めたと言うでしょうが。

 

つまり、右翼(共和党)も左翼(民主党)も戦争を行うのです。

どうしても軍事大国になると安易に戦争を始めやすい。

 

 

4

*4

 

予防的な戦争について知っておくことがあります

予防的な戦争が許されないのは当然ですが、実は無視してはならない歴史的教訓があります。

 

ヒトラーがドイツで台頭し始めた時、周辺国では宥和策をとりました。

(日本はドイツと共に戦ったので別です。)

目立つのは米国のケネディ―大使(大統領の父)、英国のチェンバレン首相、そして隣国フランスです。

彼らは戦争を避ける手段として相手を刺激しない、または同じ独裁者ならスターリンを倒してくれるヒトラーを選んだのです。

しかしこれは間違いでした。

 

やがて英国で、軍人出身のチャーチルがヒトラーとの抗戦を表明した。

さらに米国のルーズベルトは米国民の厭戦気分を押して、参戦に持っていった。

こうして多大な犠牲を払ったが、世界が協力してドイツと日本の進攻を挫くことが出来た。

 

このことから、侵略軍を撃退出来る体制作り(軍備など)や心づもりは必要だと言えます。

とは言え、それほど単純ではなく、周辺諸国との軍拡競争を招く危険があります。

 

これと逆のケースがベトナム戦争です。

朝鮮戦争を経験した米国は、共産勢力を恐れ、南ベトナムで過剰防衛(予防的な戦争)に走り、ベトナム戦争に踏み切ったと言える。

 

この二つのケースは、過去の悲惨な戦争の経験や恐怖が尾を引き、リーダーや世論が選択を誤った例です。

 

ハト派的な宥和策もタカ派的な強硬策も共に巨大な戦争を招いたのです。

 

 

5

*5

 

 

右翼と左翼の心性とは何か?

右翼の心性には、見知らぬに他者への著しい恐怖心があるようです。

私が外国旅行をすると言えば、右翼の人ほど、現地(イスラム圏や韓国など)に不安を感じるようです。

これは彼らが偏見を煽るマスコミに影響されていることもあるが、やはり未知のものや他人に強い恐怖心や不安感を持つことにある。

 

一方、左翼の心性には、他者への不安感が少なく友情すら築けると思うようです。

一見、良いように聞こえるが、うがった見方をすれば甘い理想家とも言えます。

 

この両極端の心性が社会の変化に感応し、真逆のマスコミや言論界に共鳴し、益々偏りを深めることになる。

 

本来、この二つの心性は一人一人の脳内に共存しています。

 

未知のものに楽天的で、チャレンジする心性と、未知のものを恐れ、慎重に対処する心性は、人類が進化する過程で獲得したもっとも重要な相反する二つの能力です。

この二つの心性が、各人の生育過程で脳内ホルモンの分泌や左脳右脳の連携機能の発達具合により、人類の平均値よりそれぞれ一方に偏ってしまうのです。

 

願わくは、両方がうまく相乗効果を発揮すれば良いのですが。

もしかすると、この心性が年齢や男女差で異なり、ばらついていることが人類の発展と安全を生み出しているのかもしれません。

安心はできませんが。

 

ここで注意が必要なのは、左翼や右翼と呼ばれる人々が、本当にこの心性を有しているとは限らないことです。

例えば、一方に属すことにより得失がある場合などです。注釈2.

 

 

ここで簡単なシミュレーションをしてみましょう 注釈3.

敵対しつつある二つの軍事大国を考えます。

 

ここでは両者の心性の動きを中心に考えます。

それぞれの国が極端な右翼や左翼に支配されていればどうなるでしょうか?

 

一番分かり易いのは、両国が極端な左翼(ハト派)に支配されている場合でしょう。

おそらく宥和策が図られ、軍事衝突は遠のくでしょう。

 

次いで、両国が極端な右翼(タカ派)に支配されている場合はどうでしょうか。

これも単純明快でしょう。

互いに猛烈な恐怖心を抱き、宥和策を取れず疑心暗鬼に陥り、ついには軍拡競争、衝突に進むでしょう。

 

最後に、右翼が支配する国と左翼が支配する国が対峙している場合はどうでしょうか。

うぅ・・・・・・、難しい。

 

ヒントは、それぞれの国に左翼寄りと右翼寄りの心性を持った国民が同数いることです。(小さな集団は別にして、人類全体で見ると心性をもたらす能力は正規分布している)

右翼支配の国は不安を感じないが、左翼支配の国にやがて変化が起きるでしょう。

左翼支配の国民と言えども、右翼支配の国に恐怖心を抱き、急速に右傾化していくことになります。

こうなると結局、両国は共鳴するように軍拡競争を始め、衝突の可能性が高まるでしょう。

 

戦史を見ると、適切な政治文化と優れたリーダーに恵まれない多くの国が、この悲惨な状態に陥るのです。

 

元来、相手が本当にハト派だとか、タカ派だとか、軍事力が同等かを見定めるのは困難です。

現在は、地球全体が監視され、また以前に比べて互いの国情をより知ることが出来るようになっている。

しかし、それでも自国の政府やマスコミに報道の制限や偏向があるので、正しい情報が国民に伝わるとは言い難い。

 

 

要点はこうです。

 

一つは、互いが疑心暗鬼になり牽制を始めると、益々、亀裂は深まり、やがて軍拡競争、衝突につながる。

単純に、一国の過大な軍備は危険因子になる。

 

一つは、上記の過程が、外界に対する恐怖心の高まりを受けて、一気に加速する。

この恐怖心を強く抱き、牽制すべしと行動させるのが右翼の心性です。

 

一つは、互いの国情と内情を正確に把握できない為に、疑心暗鬼が増幅される。

これを防ぐにはひとえに国民の知る権利が守られることであり、特に為政者にとって都合の悪い情報を捏造・隠ぺいする政府と偏向したマスコミの存在が危険です。

 

 

 

6

*6

 

まとめ

これまで検討して来たことを整理しましょう。

 

*過大な軍事力は戦争を招きやすい。

 

*侵略に対する備えは必要ですが、軍拡競争や軍事大国化への注意が必要。

説明は省きますが、今後、世界は新たな防衛体制に進むことになるでしょう。

 

*極端な宥和策も強硬策も戦争を招きやすい。

 

*恐怖が高まると右傾化が興り、疑心暗鬼、軍拡競争へと進み、戦争を招きやすい。

だからと言って単純に左翼だから安全、右翼だから危険とは言えいない。

 

*国内外の情報が正確に素早く伝わることで疑心暗鬼を抑え、戦争の誘発を避けることが出来る。

 

 

追記

上記のことを踏まえれば、右翼を自認し挙動不審な現首相に憲法改正や軍事を任せることは、戦争の危機を高めることになるでしょう。

 

 

 

注釈1.

左翼と右翼の明確な区別や定義は複雑ですが、ここでは簡単に、左翼は革新、リベラル、ハト派で、右翼は保守、ナショナリズム、タカ派としておきます。

 

元来、左翼と右翼の意味は時代や社会で変化します。

各人が左翼的か右翼的となるのは、個人の心理的、文化的、政治的、社会的、思想的な背景、それに加えてマスコミ、言論界など多彩な影響によります。

一言で言えば、多くの人は属している社会とムードで両端に振れることになる。

 

注釈2.

共産主義の中国上層部や軍部には右翼の心性を持った人が多いはずです。

特に保守的な傾向を持つからこそ出世出来るはずです。

例えば、右翼的な教育を目指す学校建設を謳えば政府からの支援があるような場合などです。

 

注釈3.

この説明は、「互いを牽制することが如何に状況を悪化させるか」の社会学的実験の結果、脳科学の知見を参考に書いています。

 

 

 

 

Categories: culture+society, history+evolution, <japanese language, politics, Series: False rumor, prejudice, blind spots | Tags: , , , , , | Leave a comment

何か変ですよ! 59:  惜しい人


 1

*1

 

 

私は今の首相の豪胆さに感服しています。

端的にはアベノミクスと憲法改正です。

ここまでやれる人物は他にいないでしょう。

事の良し悪しは別ですが。

 

 

 2

*2

 

 

まえがき

私はアベノミクスの意気込みを評価します。

 

成功すれば首相は日本史に燦然と輝いたことでしょう。

それまでの日本の金融トップ―官僚、エコノミスト、日銀とは真逆の施策をぶち上げた。

彼は著名なクルーグマンが唱えた政策を即刻2013年から実施した。

狙い通りに行くと、苦労無く莫大な累積債務は消え失せ、経済は復活するのですから、私も成功を願ったものでした。

 

円安は確かに輸出大手企業を潤してはいるが、いまだに目標インフレ値は達成できず、好況の実感はない。

後5年じっと我慢すれば景気は好転すると信じたいが、当のクルーグマンが2015年秋に異次元緩和は失敗だったと言っている。

 

もともと、私はすんなりとは行かず、行ってもより大きなバブル崩壊を招くだけだと推測していた。

実際、アベノミクス(リフレ策など)の多くは欧米先進国が既に実施している施策で、その結果、欧米の状況は良くなったと言えるでしょうか。

アベノミクス前の日本の経済状況(失業率など)でも経済成長率を除いて欧米より良かったと言える。

今の状況を見ると、クルーグマンの後の指摘が正しいのでしょう。

 

それでも私は首相の豪胆さに感心する。

ひょっとすると自信過剰か無鉄砲なだけかもしれないが。

もに一つ気になるのは、せっかく恵まれた家系や政治基盤を持ちながら、従わない人に対して下品なところです。

惜しいような気がする

 

 

 

3

*3

 

彼の行動パターンに不安がある

国民が望んでもいない憲法改正に、自分の歴史観を前面に押し出し、突き進む姿勢には驚かされます。

 

これに関連し、憲法改正について御贔屓の読売新聞を読んでくれと国会で答弁する神経は凄い。

正に、お友達(加計学園)や右翼の同志(森友学園)への身びいきは強烈だ。

かつて品格ある首相はたとえ思っていても、ここまで贔屓を露骨に言い募ることは避けるでしょう。

明らかに、これは国のトップが自ら公明正大で無いことを吹聴しているのですから。

 

もっとも、彼にとっては自分に付き従うものこそが正義であり、反対するものは偏向している悪なのでしょう。

だが、世界の報道マンは読売新聞を、日本の新聞の中でどう評価しているのでしょうか?

決して上位には見られていません。

 

しかし、ここで一考が必要です。

なぜ現首相は、このようなことが出来るのでしょうか?

よく一強だと言われます。

それはそれで間違いはないのですが。

それは小選挙区制や与党が取り組んできた官邸支配の結果とも言えますが、やはり一番はポピュリズムでしょう。

 

先の民主党の失敗、長い経済低迷、ころころ変わるトップ、さらに加えて先進国の同様の状況があります。

端的な例は、現首相がポピュリズムの権化トランプ大統領と気が合い、さらに大統領はタカ派ルペン党首と気が合うことで、正に右翼ポピュリズムの大合唱です。

 

一番のポイントは、現首相が圧倒的な人気を保持していることに尽きる。

人気があれば、与党議員は当然付き従う。

また官僚も民主党のように敵と見なさいのであれば組みやすい。

 

 

4a

*4

 

しかし、ここに問題があります

結論から言うと、国民は真実を知ることが出来ずに、国家が暴走することを防げなくなることです。

既にこのことを危惧している方もいるでしょうが、安心している方に何が問題かを示します。

 

視点は三つあります。

A: 国会審議での政府や官僚の答弁に難点あり。

 

つまらない森友学園や加計学園の問題です。

日本の国家予算は100兆円ほどあり、この両者による無駄な出費は自治体分を入れても200億円以下でしょう。

首相にすれば、たかだか1/5000のロスに過ぎない。

 

そんな小さなことでも政府はまともに答弁せず、また官僚も記録が無いとか、全面黒塗りの資料を出す始末です。

つまり、政府や官僚にとって都合の悪い情報は一切出さなくて良いと開き直っている。

特定秘密保護法がこれに加わるのですから鬼に金棒です。

要は、国民が真実を知る権利より、首相の面子が重要なのでしょう。

 

これがまかり通れば今後、為政者は国民を偽って思いがままに振る舞うことが出来る。

 

 

5a

*5

 

B: さらに日本の組織文化が災いを生む。

 

日本人は村意識が強く、トップや集団の意向に盲従し易い。

俗に言う、忖度や気配りで人は動き、悪く言えば「赤信号、皆で渡れば怖くない」に陥る。

企業で働いた経験のある方は、このことに納得できるでしょう。

 

もっとも、これにも良い所があり、組織が一丸となって秩序を維持し、また事に当たることです。

しかし、これがまた問題を生む。

それは、社会正義に基づいた内部告発であっても、組織やトップへの裏切りと見なされることです。

この意識は日本では根深く、加計学園の前前川事務次官でも激しい。

 

つまり、この組織文化は良いこともあるが、トップや組織が悪い方向に向かっているのに是正する力が働かず、大きな災いを生むことになる。

原発や食品偽装の内部告発などにもその例があった。

 

 

C: この問題は幾度も不幸な歴史を生み続けて来た。

 

日本の組織は都合の悪い情報や記録を残さない、出さない傾向が強い。

大戦時、米英は日本より遥かに戦場の情報を国民に流すように努めた。

日本はドイツほどではないが、偽情報を意図的に流した。

また軍部は徹底して記録隠滅を図った。

 

米国政府は政策決定過程を記録し保存し、後に為政者の判断が正しいかを検証する歴史があるが、日本には乏しい。

日本には、お上のやることに口出ししない雰囲気が残っている。

隠蔽状況は、現政権により強化され、昔に逆戻りしている。

 

 

 

 

6a

*6

 

 

今後、何が起きるのだろうか?

このような場合、歴史上、一番起きやすいのは戦争でしょう。

 

世界の戦史を見ると、本当に敵国が一方的に攻めてくることもある。

だが往々にして自ら口火を切った戦争や、小競合いから始まり、互いに戦火を拡大させた戦争もある。

 

後者の場合、国民が些細な戦闘などの事実でもスピーデイに入手出来れば、早期に為政者や軍隊の暴走を防ぐことができる。

当然、マスコミが御用新聞でないことも重要ですが。

しかし、これが政府により捻じ曲げられたり、伝わらなけらばどうなるのでしょうか?

今回の二つの問題や南スーダンの自衛隊日報のような政府答弁では・・・。

 

その先に来るものは80年前に歩んだ道であり、今まだ御存命の戦争経験者の悲願を無にすることになるかもしれない。

歴史は、大惨事に至る道が準備されていることを教えてくれています。

 

 

今、私達に求められているのは先の大惨事を予見することです。

 

 

 

Categories: culture+society, <japanese language, opinion, politics, Series: Something is strange | Tags: , , , | Leave a comment

フランスを巡って 17: 大都市リヨン 3


1DSC02923-1

*1

 

 

今回は、リヨンの今、新市街のベルクール広場とレストラン街を紹介し、街の人々の表情をお伝えします。

この日は、この旅行最初の個人予約したレストランで食事をした。

 

 

2map

< 2. 地図、右が真北です >

 

Hは今回のホテル「ベスト・ウエスタン サフィール」です。

Pはツアー観光で訪れたベルクール広場です。

Sは旧市街をツアー観光した時の始まりと終わりの場所です。

黄色の線は、夕方に自由散策した通りです。

Rは予約したレストランです。

M1、M2、M3は地下鉄駅で、夕食後、ホテルまで帰るのに寄りました。

 

赤矢印はフルヴィエールの丘です。

こうして見ると、この丘がローマ時代から戦略上、交易上需要な拠点だと言うことが推察できる。

この丘は直ぐ下を流れるソーヌ川から標高差130mほどの高さにあり、川を掘りとした堅固な要塞と見なせる。

ソーヌ川は真っすぐ北に延びる河谷を抜け、フランス中部の平野へと至る。

この地はローマ軍がガリア支配の拠点にするには打って付けだったろう。

その下の川はローヌ川で、この地から東に進路を変え、スイスのアルプス山脈に至る。

この地は温暖で、南北と東への交易の交差点だった。

 

 

3

< 3. 旧市街からベルクール広場まで >

 

これらは地図のS地点からバスに乗り、ベルクール広場までの景観です。

この川はソーヌ川です。

 

 

4

< 4.ベルクール広場 1 >

 

上の写真: 広場の南西端から中央に向かう。

 

中央の写真: 広場中央のルイ14世像(太陽王)

 

下の写真: 広場の中央北端からフルヴィエールの丘の大聖堂を望む。

 

この日は土曜日で市民らの人出が多かった。

 

 

5

< 5. ベルクール広場 2 >

 

広場の南縁に延びる公園でくつろぎ、遊ぶ人々。

 

フランス各地を訪れて行くうちに、様々な人種や民族が違和感なく暮らしていることを知ることになった。

旅行に行く前、マスコミ報道や何冊かのフランス事情の本から得た知識により、移民や人種間に気まずい雰囲気があるように思っていたのですが、どうやら思い過ごしのようでした。

 

 

6

< 6. ベルクール広場からホテルへ >

 

上の写真: 広場南西端にあるサンテグジュペリの像。

小説「星の王子様」で有名な彼はリヨンで生まれた。

 

下の写真: ホテル近くのバス停。地図番号M3。

この下に地下鉄駅がある。

夜、ここからホテルまで道を迷った。

 

 

自由散策を始める

自由散策は旅行4日目、5月20日(土)の夕方から夜までです。

この日の夕食はツアーにないので、オプションか自由になっていました。

 

ツアー観光が終わり、皆がホテルに入ったのは18:00を過ぎていました。

私達は一度部屋に入り、直ぐ出ました。

ホテルでタクシーを呼んでもらい、ホテルから予約したレストラン近くまで10分程で着き、時刻は19:00でした。

まだ外は十分明るく、少し暖かった。

 

予約時間まで時間があったので、大型スーパーの「Monoprix」(地図番号M1)まで歩きました。

たしか3階まである大きなスーパーでしたが、この時は何も買わずに出ました。

その後、レストランに向かいました。

 

 

7

< 7.証券取引所まで散策 >

 

下右の写真: 証券取引所の建物。地図番号M1。

この前に大型スーパー「Monoprix」、タクシー乗り場、地下鉄駅がある。

 

 

8

< 8. 大型スーパー「Monoprix」からレストランへ >

 

上の写真: 左のガラス壁面が大型スーパー「Monoprix」。

 

下の写真: 予約レストランのある通り。

レストランは通りの右側中ほどにある。

この辺り、特に突き当りの左右に延びる通りは著名なレストラン街としてガイドブックに載っている。

 

 

9

< 9. レストラン「La Maison Marie」 >

 

上の写真: 予約していたレストラン。

下の写真: 向かいのレストラン。

 

La Maison Marie での食事について

このレストランはトリップアドバイザーで探しました。

ここはリヨンのレストラン2837軒中35位と人気がある店で、コースの値段が手頃で、新市街の便利な所にあったので決めました。

予約はトリップアドバイザーのオンライン予約で19:30を希望し、後に確認メールが届きました。

 

私達は室内よりテラス側を選んで座った。

ウエイターの対応は爽やかで丁寧でした。

料理は店に入ってから注文した。

初めからコース料理「Menu Printanier」を考えていました。

 

 

10

< 10. コースメニュー >

 

コースメニューはこれだけで他はすべて単品注文です。

金額は29ユーロです。

どうやらこの料理の組み合わせは数か月間同じようです。

このコースメニューは前菜2種類、メイン2種類、デザートかチーズから選ぶようになっています。

私達二人は、それぞれ前菜とメインで異なるものを注文し、シエアし、最後は同じデザートを注文しました。

上記メニュー内の「ou」は英語の「or」です。

 

今思えば、一人はチーズを注文すれば良かったと少し後悔しています。

フランス人は食事の最後に結構、チーズ「Fromages」を食べるようです。

 

 

 

11

< 11.コース料理 >

 

上から前菜、メニュー、デザートと並んでいます。

 

今回の旅行で最もおいしく味わいのある料理でした。

ただ一つ残念なことは、スープが冷製で体が冷えたことです。

テラスに座った頃はまだ外は温かったのだが、日が暮れるにしたがってどんどん涼しくなった行きました。

私達が食事を終える21:00頃には、他の客は皆、室内で食事をしていました。

 

サービスも問題なく、豊かな時間を過ごせました。

 

 

12

< 12.食事中の通りの様子 >

 

やはりテラスでの食事は楽しい。

通りを行きかう人や、向かいで飲食し談笑する人を眺めることは興味が尽きない。

ただ、あまり繁々と見ていると、誤解を招くので注意が必要です。

ここでも、またポルトガルのポルトでも少し嫌な思いをさせたようです。

 

一つ楽しい出会いがありました。

食事をしていると、通りの向こうから同じツアーの夫婦が歩いて来ました。

聞くとレストランを探しているとのことで、このレストランを薦め、隣の席で一緒に食事することになりました。

この広い、リヨンで出会えるとは驚きです。

他のツアー客のほとんどはオプションか、ホテル近辺で食事をとっていたのですから。

 

実は、後の観光地でも、夕方以降の自由散策でばったり出会うことになります、

この夫婦は好奇心が旺盛でチャレンジを厭わないようです。

 

 

13

< 13.いよいよホテルに帰る >

 

 

来るときは時間を無駄にしたくないことと夜の地下鉄利用が不安だったこともあり、タクシーを利用した。

もっとも、来るときは明るかったが。

タクシーの運転手のマナーに問題はなかった。

 

しかし、先ほどの夫婦は地下鉄で来ており、地下鉄は便利だと教えてくれた。

それで私達も地下鉄で帰ることにした。

レストランから証券取引所まで歩き、そこの自動販売機で切符を買い、地下鉄に乗った。

地下鉄はベルクール広場の駅で一度外に出て、乗り継ぎをしなければならない。

切符はそのまま使えます。

 

この時、地下鉄のホームで、どちらに進むべきかわからず、同じく乗車していた地元の家族に尋ねました。

すると若い男性は、ほんとうに親切に笑顔で答えてくれて、不安そうに私達が行く方向を見届けてくれていた。

これ以降、フランス人の親切と愛想の良さに幾度も出会うことになる。

 

下の写真は、この時、一度ベルクール広場まで出た時、撮ったものです。

この時、9:35でした。

 

この後、ホテル近くの地下鉄駅(地図番号3)で降りて、地上に出たのですが、土地勘がなく、暗かったので道がわからなくなった。

ここでも、近くにいた男性を呼んで、看板の地図で道を聞いた。

この時も、親切に教えてもらえた。

 

その後、幾分道を迷いながらもホテルに無事に辿りついて、やっと1日が終わった。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

Categories: culture+society, 連載中 フランスを巡って, <japanese language, travel+photo | Tags: , , | Leave a comment

フランスを巡って 4: 古都ボーヌ


 1DSC03277-1

*1

 

 

今日は、中世の施療院オテル・デュ―観光に立ち寄ったボーヌの町を紹介します。

ここには思わぬ中世の町の風情が残っていました。

この地の風景はワインとブルゴーニュ公国、修道院によって作られたと言えます。

 

 

 

2mapb

< 2。 ボーヌの旧市街地図 >

 

上が真北です。

城壁で囲まれたボーヌの旧市街は直径約800mと小さい。

私達が歩いた範囲は赤線で、ほんの一部です。

黒の矢印は観光のメインである施療院オテル・デュ―を示している。

青線は観光後、昼食の為に丘の上のレストランに行った時のバスルートで、この時、撮った写真も紹介しています。

 

 

ボーヌの町

 

3

*3

 

上の写真: バスのフロントガラス越しに。

ボーヌの旧市街に向かっている。

 

下の写真: 駐車場から施療院オテル・デュ―に向かう途中。

 

 

4

*4

 

上の写真: 施療院オテル・デュ―。

下の写真: 施療院オテル・デュ―の前の広場から。

この町の建物の屋根や瓦組に特徴がある。

 

 

 

 

5

*5

 

この写真からNo8の上の写真までは自由散策で歩いた時の写真です。

No.2の地図の赤線部分です。

 

 

6

*6

 

 

7

*7

 

8

*8

 

下の写真: 観光後、城壁の外側をバスで通過した際に撮った写真。

No.2の地図の青線上で撮影。

 

 

 

9

*9

 

No.8の下の写真と同様。

古い堡塁や城壁、門が残っている。

 

10

*10

 

丘の上のレストランに向かう途中の風景。

旧市街を離れると、直ぐにブドウ畑が広がった。

ここはブルゴーニュ・ワイン産地の真っ直中です。

 

 

ボーヌとブルゴーニュ

後にボーヌの施療院オテル・デュ―を紹介しますが、この施療院設立には興味ある歴史的背景があります。

この地の歴史はワインとブルゴーニュ公国、修道院と深く関わっている。

 

 

11map

< 11. ボーヌの歴史 >

 

 

左上の地図: フランスのワイン産地。

 

右の地図: ブルゴーニュ・ワインとボージョレ・ワイン産地を拡大。

一番上に黒丸で示した都市ディジョン、次いでボーヌ、一番下にリヨンがあります。

二つの修道会発祥の地を赤枠で示しています。

上からシトー会、下ってクリュニー会です。

 

左下の地図: 15世紀に最大版図を誇ったブルゴーニュ公国。

 

 

 

12

*12

 

A: ブルゴーニュ公国の紋章。

B: イエスとワイン。

C: この地にクリュニー修道院が最初に建てられた。

D: この地にシトー修道院が最初に建てられた。

 

 

ボーヌは古代ローマ時代からの足跡を残し、11世紀にデイジョンが首都になるまで、ブルゴーニュ公の居所だった。

フランス王家と連なるブルゴーニュ公国(843-1477年)はフランドル(注釈1)を手に入れてフランス王家に次ぐ勢力を誇るようになった。

一方、フランス王家は英国と百年戦争(1337-1453年)を戦っており、弱体化していた。

 

ブドウ栽培はローマ時代、地中海沿岸に広がり、アンフォラ(素焼きの壷)でヨーロッパ各地に供給されていた。

しかし2世紀以降、寒冷地用の品種が作り出され、ブドウの栽培はローヌ川からソーヌ川を北上していった。

 

さらに二つの修道会がこの地域の発展に貢献した。

10世紀初め、ブルゴーニュ公の寄進により荒地のクリュニーにクリュニー修道院が創建された。

これは12世紀の最盛期には1200もの修道院を管轄下に置いた。

だが、この繁栄は堕落を生んだ。

 

11世紀末、これに異議を唱え、徹底した禁欲と難行苦行を行う一人の修道士が葦の原に小修道院(No.11の右地図のシトー会)を作った。

これがシトー修道会となり、ブルゴーニュ公や多くの人々から尊敬を集めるようになった。

 

これら修道院は寄進された多くの土地を自ら開墾し、農作物栽培とワイン醸造の改良を行い、農民を指導した。

キリスト教徒にとってワインは聖餐においてイエスの血であり、修道院にとっては旅人や訪問客をもてなす重要な飲料であった。

 

こうして、ブルゴーニュは三つの要素が組み合わさり、その景観と歴史を形作って行った。

そしてボーヌはその中心に位置し、ワインと公国の歴史を背負っているのです。

 

 

いずれ施療院オテル・デュ―を紹介します。

 

 

 

注釈1

フランドルはオランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域。

中世に毛織物業を中心に商業、経済が発達し、ヨーロッパの先進的地域として繁栄した。

 

 

Categories: culture+society, 連載中 フランスを巡って, history+evolution, <japanese language, travel+photo | Tags: , , | Leave a comment

フランスを巡って 1: はじめに


 1aa DSC06379-1

*1

 

 

私はフランスを13日間旅行して来ました。

これから撮った写真でフランス各地の観光と私の体験を紹介します。

今回は旅行の概要を記します。

 

旅行の概要

トラピックスのツアーに参加しました。

ツアー名:「13日間のフランス夢の大周遊」

期間:2017年5月17日(水)~29日(月)

 

総勢39名の大所帯で、関空深夜発、ドバイ経由でニースに着き、旅行が始まりました。

フランスを9日間宿泊し、移動はすべて観光バスでした。

帰国は午後パリ発、ドバイ経由で関空に夕刻無事戻って来ました。

 

ニースの朝だけ小雨になった以外はすべて快晴に恵まれ、最高の観光日和になりました。

一方で、最高気温が予想外の30℃近くにもなった為、服装に困りました。

 

毎日の観光と散策で足腰に疲れが溜まった事を除けば、絶景鑑賞と素晴らしい体験をすることが出来き、大満足でした。

 

1bb map5

< 2. 旅行ルート >

 

数字は観光地を示し、観光はその順に行いました。

黒い数字は観光のみ、赤い数字は観光した宿泊地を示す。

赤字のTは宿泊だけのトゥールです。

茶色の線は観光バスでの移動を、赤線は航路を示す。

 

 

観光地の概要と写真

写真の番号は地図の番号を示す。

 

 

3

< 3.2日目、3日目の観光 >

 

No1. エズ: 車窓からエズ村を遠望。

尖った山頂の村を徒歩で登り、山頂から地中海の展望を満喫した。

 

No2. モナコ: 王宮広場から湾を見下ろす。

断崖絶壁の台地にある王宮周辺の徒歩観光と、湾岸に設営されたばかりのカーレース場を車窓見学。

 

No3. ニース: 小雨が降った後の海岸。

朝、高級別荘地の海岸と旧市街の花市場を徒歩観光。

 

 

4

< 4. 3日目、4日目の観光  >

 

No4. エクス・アン・プロヴァンス: 並木道から噴水を望む。

画家セザンヌの所縁の地を徒歩観光した後、洒落た通りを自由散策し、レストランで昼食を愉しんだ。

 

No5. アルル: ゴッホが描いた跳ね橋。

画家ゴッホが作品に描いた三カ所と古代ローマ時代の円形闘技場を観光した。

 

南仏の陽射しと緑が、二人の画家の想像力を与えてたように思えた。

 

 

No6. アヴィニヨン: 法王庁宮殿。

サンベネゼ橋を見て法王庁宮殿周辺を徒歩観光し、自由時間は旧市街にある市場で買い物をした。

 

 

 

 

5

< 5.4日目、5日目の観光 >

 

No.7 ポン・デエ・ガール: ローマ時代の水道橋。

水道橋を渡り、河岸のレストランで昼食。

 

No.8 リヨン: 旧市街から丘の上の大聖堂を見上げる。

大聖堂のあるフルビェールの丘と旧市街を徒歩観光。

夕方から市街を自由散策し、個人で予約したレストランで食事。

 

No.9 ボーヌ: オテル・デュ―の中庭。

中世の施療院オテル・デュ―の見学と旧市街の自由散策。

 

私にとっては初めて見るヨーロッパ中世医術のリアリテイでした。

 

 

 

6

< 6. 6日目の観光 >

 

No.10 ストラスブール: 大聖堂の正面。

旧市街の大聖堂とプチットフランスを徒歩観光。

 

この大聖堂とアルザス地方は私にとって、この旅行の最大の目玉でした。

ここは宗教改革の開戦の地であり、ここ数百年間に及ぶ独仏争奪の地でした。

ここで私は歴史や社会、平和の理解につながるヒントがあるような気がしていた。

 

No.11 コルマール: プチットベニス。

プチットベニスを徒歩観光し、旧市街のレストランで昼食。

 

 

 

7

< 7. 6日目、7日目の観光 >

 

No.12 リクヴィル: 村のメインストリート。

アルザスワインの産地の村を徒歩観光し、ワインナリーで試飲。

 

5日目と6日目はストラスブール旧市街近くのホテルに連泊。

夕方からの自由時間で、ホテル近くの大型スーパーで買い物をし、その後、プチットフランスまで徒歩で行き、散策を楽しんだ後に飛び入りのレストランで食事をした。

ここでハプニングがあった。

 

No.13 ランス: 大聖堂の正面。

ノートル大聖堂とサン・レミ聖堂を入場観光。

 

7日目はパリ市内で宿泊したが、夜遅く到着した為、隣接する大型スーパーで買い物のみをした。

 

この教会からフランス、いやヨーロッパが始まったと言えるかもしれない。

 

 

 

8

< 8.8日目、9日目の観光 >

 

No.14 モンサンミッシェル: モンサンミッシェルの全景。

モンサンミッシェルに昼頃から入場観光し、自由散策の後、対岸のホテルに宿泊した。

おかげで日の入り、日の出のモンサンミッシェルを撮影することが出来た。

 

この光景を見ることは長年の夢でした。

それも素晴らしい天候の下で叶えられて、幸いでした。

 

No.15 シュノンソー城: シュノンソー城の全景。

シュノンソー城の庭園内レストランで昼食後、城に入場観光し、少し庭園を散策した。

 

No.16 シャンボール城(写真省く)

外観の写真撮影のみ。

 

 

 

 

9

< 9. 10日目観光 >

 

No.17 シャルトル大聖堂: 正面。

大聖堂を入場観光。

 

No.18 ベルサイユ宮殿: 正面。

宮殿の駐車場横のレストランで昼食後、宮殿内を入場観光した。

 

この後、パリのレストランで夕食をとり、セーヌ川をクルーズし、パリ市隣接地区のホテルに2連泊した。

 

10

< 10. 11日目、12日目観光 >

 

No.19 パリ: 凱旋門

11日目の午前中、観光バスで市内観光した後、ルーブル美術館に入場観光した。

昼からの自由時間で、私達夫婦は夜9時ごろまで地下鉄と徒歩で市内を縦横に散策し、昼食と夕食を愉しんだ。

 

下の写真: ホテル近くのラ・デファンスの新凱旋門下から凱旋門を遠望。

12日目は、直ぐ横にある大型スーパーで最後の買い物をした。

 

こうして昼前にはホテルを出て、パリから帰路に着いた。

 

 

 

旅の楽しみ

 

 

 

11

< 11. 旅の楽しみ 1 >

 

上の写真: セーヌ川クルーズ。

船が進むと川風が心地良く、建物は夕陽で黄金色に変わっていった。

川岸には大勢の人が夕暮れを楽しんでいて、私達を大いに歓迎してくれた。

至福の時が流れていきました。

 

中央の写真: パリの自由散策で訪れた市場で昼食。

ここは移民が多く暮らす街にあり、各国の料理店が賑わっていた。

 

下の写真: パリの自由散策で訪れた商店街。

ここでは観光客をほとんど見なかった。

 

12

< 12. 旅の楽しみ 2 >

 

上の写真: 先ほどの商店街の魚屋の軒先で新鮮な貝とワインを味わった。

 

中央の写真: 何回も乗り継いだパリの地下鉄。

30年ほど前に訪れた地下鉄と雰囲気は変わっていた。

 

下の写真: ルーブル美術館の絵。

 

旅で様々な人と出会い、共感し、親切を受けることは喜びです。

特にリヨンやストラスブール、パリでの自由散策では様々な笑顔に出会いました。

 

また少しのチャレンジを通じて、異文化に触れることが出来ました。

各地の町や教会を巡って、ガイドさんと話していると、よりフランスとパリの歴史、そして社会への理解が深まった。

 

ゴシック建築やセザンヌとゴッホの絵がより身近になりました。

 

この旅行記では、様々な感動と歴史や芸術についても語って行きます。

 

 

バスの車窓から

私は車窓から全行程の景色を撮影しています。

全行程約2800kmに及ぶ数々の自然や街並みの写真からは、フランスの自然や文化、各地の違いが見えて来ます。

そこには何がフランスを生み育てているかが見えてくるかもしれません。

以下の写真はニースからパリに至る景観の変化を順番に示しいます。

 

 

 

13

< 13. バスの車窓から 1 >

 

 

 

14

< 14. バスの車窓から 2 >

 

 

 

次回から、詳しく紹介していきます。

 

 

 

Categories: culture+society, 連載中 フランスを巡って, <japanese language, travel+photo | Tags: , | 3 Comments

Blog at WordPress.com.

Yellingrosa's Weblog

Poetry, Visual Arts, Music and IT Tech

鉄のパンツ❤️

国際別居婚 London-Japan

Sai Raj Krishna

Because, every moment of life is a story worth living and sharing!! 😊

Manić Teodora

Jer ono u šta ljudi poveruju, to će vremenom i postati.❤ Because in what people belive, that's who they will become as the time passes by. ❤

Lifetrap

End The Cycle Of Negativity

Growing Pains

This girl still has a lot of growing to do

Inside That Japanese Book

Learning japanese, reading in japanese and taking notes

Instaology

notes from a Swedish amateur photographer

SI SUPIERAS LO QUE PIENSO

Lo que uno desecha otro lo aprovecha

Travelling around the world

Traveller, photography

konleeblog

We learn the most interesting and exciting things in the whole world especially for you

Having a ball in Japan

Football as the catalyst to travel Japan

Schnippelboy

Ein Tagebuch unserer Alltagsküche-Leicht nachkochbar

Elli in Japan

Working Holiday in Japan