culture+society

北欧3ヵ国を訪ねて 46: オスロ 5: ノルウェー民族博物館 3


1dsc02490-3

*1

 

今回は、ノルウェー民族博物館の最後の紹介です。

後半で、19世紀のオスロの街並みを紹介します。

 

 

2

< 2. 19世紀の農家 >

 

上の写真の一群の農家の説明書きは次の写真にあります。

これらは19世紀に建てられていた家屋で、その場所はオスロの南方の峡谷でした。

 

下の写真の小屋は同じ場所にあった14~15世紀の倉庫です。

上の写真の左側に見えます。

 

3dsc02439-3

< 3. 上記、一群の農家の説明書き >

 

 

4

< 4. 上記の農家の内部 >

 

中央の大きな農家に入ることが出来ました。

中に入ると、写真のスタッフが訪問者に横の桶の用途を説明していました。

豆を貯蔵し、その後何かをする為の容器らしい。

少し質問をしたのですが、残念ながら理解出来ませんでした。

でも彼女は丁寧に対応してくれて、写真撮影にも快く応じてくれました。

 

5

< 5.倉庫類 >

 

上: ノルウェー南部にあった1754年の倉庫です。

扉両側の模様が良い。

 

下: 同じノルウェー南部にあった1800~1850年の乾燥小屋。

乾燥するものが、木材なのか穀物なのかがわかりません。

ノルウェーでは木材は重要な産業ですが、これは窓が小さ過ぎるので穀物用なのでしょうか。

 

 

6

< 6. オスロの古い街並み 1 >

 

この6と7の写真は19世紀後半のオスロの古い建物と通りを再現したものです。

オスロは10世紀頃から重要な都市ではあったが、その木造の古い街並みは幾度も大火災に遭っており、残っていない。

1814年以降、この地が首都になり、今のオスロの都市景観を形作るようになった。

 

 

7

< 7. オスロの古い街並み 2 >

 

 

8

< 8. オスロ郊外の家屋 1 >

 

1840年に建てられたオスロ北部の郊外の住居。

家屋は大きく無いが、幾つもの部屋が有り、郊外で自然を楽しみながら暮らしていた様子が窺える。

此処にきて初めて、農業や林業を生業としない暮らしの住まいを見ることが出来た。

 

 

9

< 9. オスロ郊外の家屋 2 >

 

 

10

< 10. オスロ郊外の家屋 3 >

 

写真の女性はスタッフです。

シンプルなデザインで、無垢の木材を生かした家具が印象的でした。

 

この住居が使われた時期は明治維新の30年前にあたり、今まで見て感じていた素朴で簡素な暮らしのノルウェーは一転、進んだヨーロッパ文化の香りがするようになった。

この時期の市民の暮らしが見えると、今の北欧の躍進を理解するヒントが得られるように思う。

つまり北欧の今の躍進は、半世紀あまりの急激な改革で勝ち取ったのか、それとも徐々に築き上げて来たものなのか?

残念ながら、この野外博物館だけでは分からない。

 

 

次回には巨大なヴァイキング船を紹介します。

 

 

 

 

Advertisements
Categories: culture+society, 連載 北欧3ヵ国を訪ねて, history+evolution, <japanese language, travel+photo, uncategorized | Tags: , | Leave a comment

北欧3ヵ国を訪ねて 45: オスロ 4: ノルウェー民族博物館 2


1dsc02339-1

< 1. スターヴ(木造)教会の内部 >

 

今回は、ノルウェー民族博物館の2回目です。

最初に、スターヴ教会の内部を紹介します。

この野外博物館の家屋はノルウェーの自然の厳しさを教えてくれました。

 

 

2

< 2. スターヴ教会 1 >

内部の写真はすべてフラッシュ撮影です。

 

左上: 正面玄関。

右上: 正面玄関の次にある入口。

この両側の柱の模様は北欧ヴァイキング時代からあったものでしょう。

これはツタと長身の獣が絡まった図柄で、スウェーデンのルーン石碑にも見られた。

 

左下: 内部、壁から天井を望む。

 

右下: 正面玄関を望む全景。

屋根が黒いのは防腐の為に塗布したタールの為です。

 

 

3

< 3. スターヴ教会 2 >

 

入って最初に感じたのは、非常に暗く、小さく、そして天井が高いことでした。

西欧の古い教会、ロマネスク建築の教会は、暗い堂中にガラス窓からの光が差し込み、荘厳さがある。

この木造教会にも幾つもの小さな明り取りの穴があるのだが、暗闇に圧迫されそうな感じがする。

逆に言えば、燭台の明かりが一層引き立つのかもしれない。

この空間には、西欧の教会には無い、古代信仰に根差した神域のイメージが引き継がれているのだろうか。

この感覚はスペイン、アルハンブラ宮殿の石材で覆われた薄暗い部屋に入った時にもあった。

 

 

上の写真: 祭壇を正面から見ている。

最後の晩餐らしい絵が正面に飾られている。

非常に質素です。

 

下の写真: 壁と屋根が接する柱の上にそれぞれ人面の彫刻がある。

私には王冠を被った王のように見えるが、不明。

 

4

< 4. スターヴ教会 3、Wikipediaより >

 

左: 別の木造教会の平面図。

今訪れている教会と同じで室内は十字架の形をしていない。

 

右: 今訪れている教会の構造図です。

柱上部に人面が見えます。

 

 

5

< 5.小屋 >

 

上: 屋根瓦を見てください。

北欧三ヵ国で見た屋根瓦が非常に日本の瓦と形が似ています。

親しみを感じます。

 

下: 野外展示場の丘から見下ろしている。

 

 

6

< 6. 農家 >

 

下の写真は大きな農家、大きな牛舎を持っています。

一方、上の写真は素朴な感じの農家です。

 

 

7

< 7.農家と水力小屋 >

 

上の写真の左側に水力小屋が見えます。

それを撮ったのが下の写真です。

この小屋はノルウェーの南部西海岸、ノルウェー海に面するフィヨルドにあったものを再現中のようです。

本来、水車が内蔵されており、動力となる水はこの小屋の左側から右側に流れ落ちるようです。

小屋の作りが面白いので取り上げました。

 

 

8

< 8. オスロ郊外北部の農家 >

 

建築が1845年の農家で、内部を見ることが出来ました。

この野外展示場では、内部に入れる家屋は多い。

下の写真はその内部で、左にベッドがあります。

 

 

9

< 9. 少し広い所に出た >

 

上: ここで驚いたのは、中国からの観光ツアーの一団です。

この展示場はストックホルムのスカンセンと違って遊戯施設が無く、民俗家屋の歴史を学ぶ所に特化している。

従って、すれ違う人々の多くは北欧のティンエイジャーを連れた家族や学校の小学生以上の団体でした。

このような場所に、中国の団体観光客が来ているのに驚かされました。

もっとも都市部での観光地で、アジア人の観光ツアーで断トツに多いのが中国で、次いで韓国、そしてわずかに日本かインドでしょう(見た感じ)。

 

下: 畑を囲んでいる柵が見えますが、この斜めに木を並べる形は、ストックホルムのスカンセンと同じでした。

 

 

10

< 10. パン焼き小屋 >

 

上: 表示にはパン焼き小屋とありました。

しかし中に入ることが出来なかったので、よくわかりません。

小屋の大きさの割に煙突が大きい。

 

下: これは別の小屋の内部です。

民族衣装を着たスタッフが、暮らしぶりを再現しています。

北欧で共通するようですが、暖炉と竈、暖房と料理は同じ場所で、非常に巨大なものが多い。

場合によっては一戸の家に複数ある。

その割には、この時代の壁の作りは断熱効果が乏しいように思える。

内壁となる丸太の木組みと外壁の板組の間に、断熱材が入れられているかどうかが分からない。

 

 

11

< 11. 作業中のスタッフ >

 

私がこの野外展示場で感心したのは、スタッフの親しみ易さです。

作業中の所を背後から撮影すると、二人は振り返り、笑顔で答えてくれました。

この対応は、他の小屋のスタッフにも共通していました。

 

一方、ストックホルムのスカンセンでは、どちらかと言うと冷たい感じがしました。

オスロでは小屋内部のフラッシュ撮影はOKなのですが、ストックホルムでは禁止でした。

 

ストックホルムとオスロを旅していて、国民性の違いを感じた。

オスロの人はノンビリしており優しい感じがしました。

一方、ストックホルムではお年寄りは親切なのですが、概ね就業中の人はピリピリしているようです。

これはアジア人に対してだけの対応なのか、それえともシビアに作業をしているからなのかわかりませんでした。

さらに言えば北欧の中で、スウェーデンは移民問題と格差問題を多く抱えているからもしれません。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

Categories: culture+society, 連載 北欧3ヵ国を訪ねて, history+evolution, <japanese language, travel+photo, uncategorized | Tags: , | Leave a comment

連載中 何か変ですよ 215: 辺野古埋め立て中止の請願に協力願います!


1

*1

 

 

今、請願は勢いをまして、署名がもうすぐ21万に達しようとしています。

もうすぐ、ホワイトハウスでの順位が4位になるでしょう。

世界中の人々が沖縄に温かい眼差しを向け、署名を呼び掛けてくれています。

 

2

< 2. 辺野古の位置 >

 

 

前回、私が署名をお願いした時は14万でした。

今、世界の人々は沖縄の人々の思いに共感し、順調に署名数が伸びています。

 

現在、ハワイ在住の請願発起人は、ホワイトハウス前でデモをしています。

日本の数少ない芸能人の呼びかけに始まり、今は米英の著名ミュージシャンがこの署名を呼び掛けてくれています。

 

皆さん、このブログに立ち寄られた方はどうか、今一度家族や友人に署名をお願いして頂きたい。

 

3

*3

 

  • なぜこの署名が重要なのか?

私の考えを述べます。

 

この請願の主目的は「沖縄の綺麗な海を守ろう」だと思う。

しかし、これ以上に大事なことがある。

それは日本の民主主義を守ることです。

 

日本の政治は長期に腐敗劣化していたが、遂に右翼化の波に乗って危うい方向に大きく舵を切り始めた。

その現われに、沖縄の民意を踏みにじる辺野古埋め立て強行と軍事大国化がある。

これらはいずれも個人の権利よりも、国の威信や国益が重視されている。

ここでは、この民権か国権の議論をしません。

 

問題は政府が腐敗の極致(森友・加計での隠蔽・改ざんなど)にあるのに、これ以上、独裁化を許すことはあまりにも危険です。

歴史的に権力者が独裁を進める為に敵意を煽る(右翼化)ことは繰り返されて来た。

 

この状況下で、この署名はほぼ唯一、良心の声を誇張も削減されることもなく表明することが出来る。

さらに、沖縄の意思だけでなく、日本全県さらに世界の声援も集まる。

 

結果はどうであれ、世界の民意が沖縄の心に届くのです。

ここから次のステップが始まれば良いのです。

 

4

*4

5

*5

 

*        署名方法について

「Stop the landfill of Henoko / Oura Bay until a referendum can be held in Okinawa」

「国民投票が沖縄で開催されるまで、辺野古/大浦湾の埋め立てをやめる」(グーグル翻訳)

 

1.        この署名は、沖縄県の国民投票2019年2月24日までの埋め立て中止を求めています。

2.        これを発起したのは米国人(沖縄県4世)で、ホワイトハウスに届きます。

3.        請願が始まったのは2018年12月8日で、21日現在14万人以上が参加しています。

4.        手続きは非常に簡単で、三ヵ所の記入と返信メールをクリックするだけです。

(ア)        請願書 https://petitions.whitehouse.gov/petition/stop-landfill-henoko-oura-bay-until-referendum-can-be-held-okinawa

 

 

 

 

よろしくお願いします。

 

Categories: culture+society, <japanese language, opinion, Series: Something is strange, uncategorized | Tags: , | 2 Comments

連載中 何か変ですよ 214: 何がより良い選択なのか? 5


1

*1

 

今回が連載の最後です。

長期衰退の元凶を解き明かします。

 

2

*2

 

 

*先ず元凶を示し、それがどのように日本を蝕んで来たかを説明します。

 

元凶は「戦後の米国による傀儡化と、その後の自民党と官僚の寄生関係」です。

 

この自民党と官僚の関係は時と共に深まり、やがて日本の教育・司法・メディア・経済界・学会・軍事を包括する巨大な既得権益体制が生まれ、国民は蚊帳の外に置かれてしまった。

残念なことに、日本の国民性がこの政治劣化をさらに強め、社会と経済は再生を困難なほどに歪められ、長期衰退に陥った。注釈1.

 

さらに安倍一党が煽るウヨ化で一層分断が進み、日本は衰退から暴走へと大きく舵を切る。

保守重鎮の西尾や西部は最近になって安倍批判を強め、彼を保守の裏切り者と見做している。

 

劣化していく過程を説明します。

 

  • 敗戦後、戦犯だった岸は米国に拾われ、左派勢力弱体化を条件に米国の資金援助と庇護を受け、自民党をまとめて国政を牽引して行きます。

この日本政府の傀儡化は少なくとも1970年代まで続いたことは米国のCIA公開文書で明らかです。

 

  • 岸と佐藤首相は数度にわたる密約で、国民の目を欺きながら米軍基地と核配備を米国に無条件で提供した(ノーベル賞をもらった佐藤は岸と兄弟で、岸は安倍の祖父で皆同じ血筋)。

この提供は日本の防衛負担を減らすように見えるが、逆に米国と共産圏との最前線、しかも国内にありながら日本が介入出来ない軍事拠点になったことを意味する。

 

  • この後、自民党内閣と官僚は国民と野党の追求を逃れる為に、虚偽発言と公文書隠蔽・改ざんに深入りしていく。

 

ここまでが自民党のボスを通じて日本が傀儡化した前段です(現在も日米合同員会は月2回継続)。

この後、この傀儡化を隠蔽する過程で自民党と官僚の寄生関係は深まり、巨大な権力を握っていきます。

 

先ず米国の指示と援助を受けて自民党の長期支配は盤石になった。

次いで、密約を隠蔽するために自民党と官僚は結束を深めることになる。

この後も米国CIAはリベラル野党潰しの為に資金援助を継続した。

まるで松本清張「日本の黒い霧」で描かれているGHQ時代の闇です。

 

やがて官僚は、ぬるま湯で育った2世3世の自民党議員相手に優位に立ち、政策や予算などを支配し、自省の権益拡大に奔走していく(自民党議員も口利きで噛む)。

こうなると大臣は答弁書を読むだけの飾りになり、行政への責任は無きに等しくなる。

まるで戦中の陸軍と海軍の権益争いが無責任な軍事拡大を招いたのと同じです。

 

3

< 3.沖縄基地、原子爆弾、GDP成長率、政治腐敗度 >

 

*ここまでが安倍政権までの長い劣化の歴史です。

 

現在、安倍の人気は景気堅調もあるが、リベラル嫌悪と排他的愛国(ウヨ)の煽動が功を奏している。

日本のウヨ化は長期衰退への不満が、かつての自民党と官僚への批判から、植民地だった中国と朝鮮半島への反発にすり替えられたことで政府批判は掻き消され、安倍支持は強化された。注釈2.

これにより隣国との協調を唱えるリベラル野党と右傾化を強めた自民党の間の亀裂は強まり、多数を占めた自民党はなりふり構わず無視と強行を続けることになった。

 

安倍内閣は、ついに開き直って堂々と白を切るようになった。

既に大半のメデイアが御用化し、既得権益体制が総がかりで政権を擁護するなら、国民の目を眩ますことは容易です(トランプのようにフェイクを数多く流せば真実は見え難い)。

 

このような権益維持に奔走する自民党と官僚の政治が続く限り、真に国民の為の政治が行われるはずもなく、国民は米国友好と見せかけのパフォーマンスでごまかされることになる。

 

 

*ここで政治の劣化による具体的な弊害を見ておきます。

 

  • 学校教育は自主性のない、政治に関心を持たない生徒を育てた。

これが現状の不毛な政治を助長している。

かつて西欧の植民地でもこの手の教育が行われたが、現在、北欧の学校では生徒は政治や社会に積極的に関わり、当然、政治腐敗はなく、労使協力が得られ経済の好循環が生まれている。

 

  • 地方自治は中央頼みで自ら活性化出来ない。

これはシャウプ勧告が発端だが、中央官庁が地方の税の分配権を握っていることによる。

一度手に入れた権益を中央官僚も国会議員も手放さない。

 

  • 日本の裁判所は憲法判断を避け、政府寄りの判決を行う。

この発端は戦後直ぐの砂川事件(米軍基地訴訟)だが、その後原発などでも繰り返されている。

 

  • 政府・官僚に忖度するマスコミ。

これは記者クラブなどの取材慣行もあるが、最近の自民党からの露骨な圧力が一層酷くしている。

 

  • 極め付きは官僚が支配する巨額の特別会計451兆円(2018年度)で一般予算98兆円を遥かに上回る。

この実態は掴めないが、3000社もある天下り先、かつて年金福祉事業団のリゾート施設が二束三文で売られたこと、GDPが550兆円であることを考えれば如何に巨大で危ういものかかがわかる。

 

 

*結び

見てきたように日本は先進国の体を成していない。

民意がフィードバックされることもない(選挙制度と三ばんが歪めている)。

経済政策はせいぜい議席確保につながる既得権益擁護と米国の圧力か模倣に過ぎない。

軍事は米国の意向に逆らうことが出来ない。

 

これでも皆さんは、現政権にすがるしかないと考えるのでしょうか。

少なくとも政権の嘘・隠蔽と腐敗を見過ごすことだけは止めるべきです。

 

来訪に深く感謝します。

これで、この連載を終わります。

 

 

注釈1.

ここで災いとなった国民性は主に村社会-古い農耕民族に残る、組織への盲目的な忠誠心、によるものです。

この国民性は権力者の腐敗・専横の阻止、個人の権利と法の理念(正義)の順守よりも、組織の利益と権力者の意向を重視します、例え後ろめたさを感じていても。

 

注釈2.

本来保守は母国への愛(現体制への執着)が強いことにより、過去や歴史を礼賛(盲愛)することになる。

しかし、そのことが周辺諸国を敵視することに直結しない(西欧の極右は移民を敵視するが、隣国を敵視していない)。

 

今の日本のウヨは、歴史上繰り返された浅薄なポピュリズム(ファシズム、ナチス、現在西欧の極右、トランプ)と同じです。

社会に不満が鬱積し、かつ解決策が断たれたと感じた人々は、安易に単純明快な解決策に飛びつく。

そして強権的なカリスマ指導者の登場、そして彼は憎むべき敵を明示し、支持者の団結と闘争心を煽る。

まさに、今これが再来している。

 

少し考えれば、可笑しいことはわかるはずです。

日本の保守は、かつての日本の戦争は正義だとし、自尊心を満足させます。

その根拠に、よく「米国が仕掛けた罠に日本がはまり開戦せざるを得なかった」が挙げられます。

憲法も押し付けだから、自主憲法が当然だと言います。

これほど米国をコケにしておきながら、一方でまったく米国追従なので自尊心のかけらもない。

過去の南ベトナム政府よりも酷くは無いが、初期の自民党政権の傀儡化を知っていながら皆口をつぐみ、治外法権を許す地位協定(国家主権放棄)をいまだに後生大事に守っているのですから。

 

またウヨの言う中国と朝鮮半島憎しにどんなメリットがあるのでしょうか?

確実に攻めて来るのなら冷静に防衛策か懐柔策を講じれば良いだけです。

過去を批判されるから腹いせに罵る、これでは互いに敵愾心を煽るだけで、これこそ何かを切っ掛けに戦争が始まらないとも限らない(数々の戦史が示しています)。

結局、米国の思う壺であり、憎しみが権力集中に利用されているとしか思えない。

 

 

参考文献

 

日本関係

  1. 「日本が自滅する日」石井 紘基著。
  2. 「知ってはいけない1と2」2冊、矢部 宏治著。
  3. 「日米同盟のリアリズム」小川 和久著。
  4. 「どこへ行くのか、この国は」村田 良平著。
  5. 「戦後史の正体」孫崎 享著。
  6. 「没落するキャリア官僚――エリート性の研究」中野 雅至著
  7. 「国家の命運」藪中 三十二著。

 

米国関係

  1. 「暴露 スノーデンが私に託したファイル」グレン・グリーンウォルド著。
  2. 「CIA秘録上と下」2冊、ティム・ワイナー著。
  3. 「日本は略奪国家アメリカを棄てよ―グローバリゼーションも共同幻想も必要ない」ビル・トッテン著。

 

隣国関係

  1. 「中国 新たな経済大革命」肖 敏捷著。
  2. 「韓国人に生まれなくてよかった」武藤 正敏著。

 

戦争関係

  1. 「逆転の大戦争史」オーナ・ハサウェイ共著。
  2. 「文明の衝突」サミュエル・ハンチントン著。

 

北欧関係

  1. 「世界政治叢書3 北欧・南欧・ベネルクス」津田 由美子共著。
  2. 「エリア・スタディーズ デンマーク、スウェーデン、ノルウェーを知るための・・章」3冊、明石書店刊。
  3. 「北欧モデル」翁百合共著。

 

経済関係

  1. 「国家債務危機」ジャック・アタリ著。
  2. 「ドイツ帝国の正体」イエンス・ベルガー著。
  3. 「国家はなぜ衰退するのか上と下」2冊、ダロン・アセモグル共著。
  4. 「世界を破綻させた経済学者たち」ジェフ・マドリック著。
  5. 「世界経済を破綻させる23の嘘」ハジュン・チャン著。
  6. 「金融政策の誤解」早川英男著。
  7. 「1970年体制の終焉」原田 泰著。
  8. 「日本国債入門」永野 学著。
  9. 「国家は破綻する 金融危機の800年」カーメン・M・ラインハート共著。

 

 

Categories: culture+society, economy, history+evolution, <japanese language, opinion, politics, Series: Something is strange, uncategorized | Tags: , , , | Leave a comment

連載中 何か変ですよ 213: 何がより良い選択なのか? 4


1

*1

 

「何が長期衰退を起こしているのか?」

「それはなぜ見えないのか?」

この謎に迫ります。

 

2

*2

 

 

4. 何が日本の長期衰退を招いているのか?

 

ヒントになる幾つかの社会現象を拾ってみます。

 

  1. ネットウヨは中国、韓国、朝日新聞が嫌いで、安倍政権を熱烈支持。
  2. 10代20代の若者は安倍政権に期待。
  3. 野党は毎回、無様に敗退する。
  4. 官僚は情報隠蔽・改ざんを日常的に行い、安倍政権を支える。
  5. メディアは改憲のCMの量的規制を行わず、安倍政権を支える。

 

少し説明します。

 

  1. ネットウヨは・・・。

戦前の右翼は下心があったとは言え「東アジアの五族協和」を唱道しており、今のウヨとは真逆です。

一方、当時も朝日・毎日は戦争反対の急先鋒であった為に右翼と軍部から嫌われた。

 

中身が乏しいとしても、ネットウヨの破壊力は侮れない(かつてのナチスの突撃隊のように)。

 

  1. 10代20代の若者は・・・。

この世代は10年前のリーマンショックの悲哀を知らず、その後の巨大金融緩和による世界的な経済好調下で暮らし、現状に満足し期待さえしている。

しかし、今月までの日本の景気回復6年を米国の9年8ヵ月と比べると経済好調の実態を推測できるはずです。

また戦争を知らない彼らは欧米のポピュリズム(極右)と同調する日本のウヨ(排他的愛国心)に共感し易い。

 

この世代は当然かもしれないが経験が乏しく視野が狭い、その上、自ら疑念を持ち思考する力に欠けている。

実は、彼らは被害者であり、今後加害者に加担することにもなるでしょう。

 

  1. 野党は・・・。

前回、民主党が政権についたのは、国民がそれまでの長期低迷が官僚と自民党の腐敗にあると理解し、民主党に託したからでした。

しかし、東北大震災と官僚のサボタージュで敢え無く下野した。

 

一方、これまで米国に逆らう中国友好策や沖縄基地撤去を唱えた政治家達、田中、小沢、鳩山は足をすくわれ失脚している(スキャンダル暴露、情報漏洩など)。

また戦後、暗殺された政治家は二人とも野党で、浅沼、そして官僚支配の実態を暴こうとした矢先に刺殺された石井(民主党)がいる(共に犯人は右翼)。

 

何か恐ろしい陰謀の匂いが・・・・。

 

  1. 官僚は・・・・

官僚による情報隠蔽・改ざんは安倍政権になってから急増したように見える。

またそれに対する官邸の説明は実に不誠実で、かつ虚言が多い。

この為、追及が困難で確かな証拠は得られないが、官邸・官僚・自民党議員の不正(捏造、口利き、収賄)が横行していることが伺える。

 

真実を知る鍵は、この専横と腐敗が安倍政権で始まったのか、それともかなり以前から腐敗が進行しており、遂に露骨になったのかを見極めることです(数々の疑獄事件、金丸の佐川急便事件などを思い出してください)。

 

  1. メディアは・・・。

当然、先進国は報道の公正を担保するためにCMを規制する。

 

原発反対に優勢であった世論が、電気事業連合会の毎年250億円以上(1990年より)のCM攻勢で賛成に替わったことでわかるように、CMの力は絶大です(テレビ各局だけでなく朝日新聞すら加担)。

米国の報道は規制緩和により娯楽と一体化した右傾化が進み、トランプ誕生に繋がった。

また安倍政権で、NHK会長に不公正な人物を選任、大臣が電波法を盾に放送局への脅し、自民党に雇われたウヨによる電凸攻勢(メディアへ大量の非難電話)などのメディアへの圧力が強まった。

 

報道の御用化は安倍政権になってから一気に進んだが、その下地は既にあった(戦前と瓜二つ)。

 

 

皆さんは、これらの現象に何か共通する素因があると思いますか?

おそらくわからないと思います。

それほど深く隠れており、かつ日本のあらゆる面に浸透しているからこそ上記の現象が起きているのです。

 

次回に続きます。

 

 

 

Categories: culture+society, <japanese language, opinion, politics, Series: Something is strange, uncategorized | Tags: , | Leave a comment

連載中 何か変ですよ 212: 何がより良い選択なのか? 3


1-1

< 1. ある日のコペンハーゲンと大阪 >

 

 

「日本国民は何が見えて何が見えないのか?」

良い所と悪い所、共に見えているのか?

先は見えているのか?

私はわからない。

 

2

*2

 

 

皆さんはどう思いますか?

 

3. 日本の暮らしを良くするにはどうすれば良いのか?

 

今のまま政府に任せておけば良い。

賛成: 日本の潜在力は高いので、もう一押しで良くなる。

反対: ここ半世紀、日本は悪化するばかりなので一度膿を出さなければならない。

 

注釈

それでは日本の高い潜在力を確認してみましょう。

 

経済指標からみると、経済成長率、労働人口、設備投資、賃金、生産性、労働分配率、非正規割合、物価、国の累積債務など全て1990年代から悪化または横ばい基調です。

これを他の先進国と比べると日本の悪化、ランキング低下は驚くべきものがあります(昔2~10位、今は20から30位で、さらに年々低下しています)

ここ2年、世界経済の好調で指標は一部改善したが、バブル崩壊になれば確実に一層悪化する(世界も良くなっているのでランキング低下は止まらない)。

日本で良いのは失業率と企業の内部留保ぐらいです(但し賃金を上げれば、両方とも悪化)。

 

それでは政治と社会の実態はどうでしょうか。

国際的な指標で世界ランキングをみると、幸福度、人間開発、男女格差、貧困度、所得格差、報道の自由度など主なものは長期低下が顕著です。

特に安倍政権になってから急降下したものが多く、報道の自由度や男女格差は著しく低下し、遂には67位/180ヵ国中、111位/135ヵ国中になり、多くの中後進国よりも低くなった。

日本で良いのは犯罪率ぐらいです(但し今後、移民の受け入れを無原則に拡大すれば、悪化は確実)。

 

日本の劣化を信じたくない気持ちは理解出来るが、世界と比べると日本の経済・政治・社会の長期に亘る劣化と衰退は確実です。

現体制を擁護したい人々はこれら指標を否定し、まったく問題ないと必死に言い募るが、これら指標は世界的な機関が国の改善の目安として算出しているものです。

実際訪れてみればわかるのですが、北欧などこれらランキング上位の国々は国民にとって素晴らしい国です(日本と違った問題、一部に移民問題などを抱えているが)

 

 

ここで最大のミステリーが立ちはだかる。

なぜ多くの人々はこれだけ社会経済の基盤が悪化しているのに危機感を持たず、政府のなすがままで安穏としていられるのだろうか?

 

先ず思いつくのは、国民は政府や社会の不都合な真実を知らないのかもしれない。

秘密特定保護法や内部告発者保護法(公務員適用除外)などが情報流出を止めているのか。

(戦前の大本営発表や新聞検閲に至らないことを望む)

それにしても、一部マスコミは官邸と官庁で行われた公文書の隠避・改ざんを暴露しており、少しは情報が国民に届いているはずです。

 

次に思いつくのは、政府や政治に対する国民の無力感です。

かつて幾度も原発建設反対の訴訟が市民により起こされた。

しかし政府、学会、業界、そして裁判所までが一丸となってすべて否定して来た。

(この事は今も変わらない)

市民が疑念や反対意見を持っても、沖縄基地問題と同様に体制は門前払いして来た。

 

そうではなく日本人の従順な国民性が、この状況を招いているのかもしれない。

日本人は体制(政府や権力者)に盲従する心理特性を持っている(帰属意識が高い、村社会)。

このことにより人々は多少疑念を持っても行動を起こさず耐えて偲んでいるのだろうか。

 

だが、これらは表面的な要因で、もっと深刻で抜き難い要因が隠れている。

 

次回に続きます。

 

 

 

Categories: culture+society, economy, <japanese language, Series: Something is strange, uncategorized | Tags: , | Leave a comment

連載中 何か変ですよ 210: 何がより良い選択なのか?


 

1

*1

 

 

「日本国民は何に不安を感じ、何を頼りにしているのか?」

私には見えてこない。

戦争か平和か、または繁栄か金融危機か、左右から罵り合う。

何が国民にとってより良い選択なのか?

 

 

無題

*2

 

 

皆さんはどう思いますか?

 

  1. どうしたら戦争や侵略を防げるのか?

軍備を増強するべき

賛成: 小国は侵攻され易い。

反対: 大国と軍拡競争をしても無駄、むしろ敵愾心を煽る。

 

注釈 

繰り返される米ロ(ソ連)の軍事侵攻を見ていると、小国の悲哀は今なお現実です。

これら侵攻の多くは、民族や宗教対立で混乱している小国への大国の領土・資源・覇権争いと言えるでしょう。

また軍拡競争と軍事同盟の果ての大戦が二度も続き、これも深刻です。

 

一方で、不戦条約締結(1929年)以降、世界が一緒になって暴虐な国々の世界制覇を多大な犠牲を払って食い止めました(米国の力は大きいが、その後変節している)。

 

日本にとって確実な戦争回避策はあるのか?

 

例えば沖縄の基地をどう評価するのか?

沖縄は米国の中国への前進基地として防波堤の役割を担うのか、それとも最初の激戦地となり、日本も火の海になるのか?(沖縄は、以前より米国のアジア侵攻の発進地として使われているので、最初に攻撃されるだろう)

沖縄よりもグアムやハワイの方が、米国や日本にとっても戦略上優位なのではないか?(あまりにも日本と米国の本土から離れている)

 

北朝鮮の軍事緊張にしても、今回の一連の動きで判明したように米中次第であって、日本の役割は少ない(蚊帳の外で騒ぐだけだった)。

北朝鮮に睨みを利かすのは空母などの機動部隊がいる佐世保が最重要です。

 

結局、回避策は日本と米国、中国、ロシアの状況を的確に評価出来るかにかかっている(日本は過去に大きな見誤りを繰り返しており、いまだに反省していない。今度こそ島国を言い訳にしないでほしい)。

 

要は侵略する国、軍事同盟、抑止力、日本の立場―国際的と地政学上(大陸に近い島国)、をどう評価するかです。

少なくとも日本は小国では無く、今後米中の覇権争いは熾烈を極め、中国経済は益々巨大になり、やがて日本は米国依存一辺倒ではすまなくなるだろう。

 

ここ1世紀半の世界の流れを振り返ると日本の動きが見えてくる。

19世紀後半以降、英国の覇権は衰えて、米国はやがて断トツ一位の経済大国になって行く。

第一次世界大戦はドイツの経済が英国を抜きヨーロッパで一位になる時期と重なった。

また第二次世界大戦は、日本が経済の規模こそ及ばないが急伸し、軍事同盟先を英国からドイツに替えて始まった。

この間、米国は軍事でも世界第一位となり、日本は敗戦占領を期に米国に完全に追従することになった。

 

 

一言

ここ半世紀あまりの世界の戦争をみると、幼児帰りしているように思える(不戦条約締結以前に戻る)。

侵攻される小国に紛争や混乱などの火種があることもあるが、大国は一方的な口実を持って侵攻する。

その口実を、かって世界平和の為だったが、今は戦争の芽を摘むとして自己防衛と称している。(初期には当事者に大量の武器を売る一方で、やがて都合の悪い政府を潰し、それを傀儡政権に替え、挙句に侵攻して破壊する。特に米国。)

これはかっての戦争と何ら変わらない、いつの間にか中世から原始社会に戻ったようです。

 

 

次回に続きます。

 

 

Categories: culture+society, economy, history+evolution, <japanese language, opinion, politics, Series: Something is strange, uncategorized | Tags: , , , , , | Leave a comment

北欧3ヵ国を訪ねて 44: オスロ 3: ノルウェー民族博物館 1


1DSC02319-1

< 1.スターヴ(木造)教会 >

 

 

これからノルウェー民族博物館を紹介します。

私は3ヵ国の野外博物館で民俗家屋を見比べることが出来ました。

最も楽しみにしていたのが、このスターヴ(木造)教会です。

 

 

  • ノルウェー民族博物館、Norwegian Folk Museum

ノルウェー民俗博物館は、屋内の博物館と野外の展示スペースに150 軒以上の歴史的建造物を展示しています。

ここにある建物はノルウェー中のさまざまな地域から移築され、改修されたものです。

フィヨルドの丘に建つ木造の教会から、ノルウェーのさまざまな時代の農場や山小屋などを直に触れ見ることが出来ます。

過去 600 年の人々の暮らしを、民族衣装を着て実演するスタッフを通じて知ることが出来ます(言葉はわからないが)。

園内を巡って行くうちに北欧の自然の厳しさをひしひしと感じることになりました。

 

 

2mapd

< 2. 地図 >

 

上の地図: ビィグドイ半島、上が北。

黄色三角がノルウェー民族博物館、赤丸がヴァイキング船博物館、白丸がフラム号博物館で、順次紹介して行きます。

上部ピンク線は乗って来たバスルート、半島内の灰色線は徒歩ルート、緑線は帰りの連絡船ルートです。

 

下の地図: ノルウェー民族博物館、上が西。

下側のゲートから入り、左側でオスロパスを見せてチケットを貰い、赤線に沿って園内に入った。

赤矢印がスターヴ(木造)教会です。

 

 

3

< 3. 民族博物館入り口 >

 

上の写真: 入り口。

 

下の写真: 入り口をくぐってすぐの所から無人の改札口(中央、4本の金属筒)を見ている。

切符は撮影位置の直ぐ左の建物で取得します。

 

 

4

< 4. いよいよ野外展示へ進む >

 

上の写真: ここは改札口を抜けたところの広場。

この広場を囲むようにして屋内展示館やレストランはありますが、私は入りませんでした。

 

下の写真: 広場から野外展示へ進むと、そこは森でした。

進んだルートはNo2の地図の赤線です。

英語表記の標識が助かります。

 

 

5

*5

 

第一印象は、スウェーデンのスカンセンと違って派手さが無い事です。

一周してわかるのですが、娯楽施設や遊具などを置かず、北欧の古い民家が大自然と如何に調和しているかを見せている。

スカンセンの方が観光的には有名ですが、こちらの方が北欧の民俗や風俗を知るには良い。

 

 

6

< 6. 草ぶき屋根 >

 

実は、スウェーデンと比べるとノルウェーの方が古くて貧弱な民家が多いようです。

スカンセンでは白樺の皮で屋根を葺いていた小屋があったが、こちらでは写真のようなものが結構ありました。

これには断熱効果があるでしょうが、むしろ自然の厳しさ、建築材料の乏しさを連想させます。

正解はわからないが。

 

下の写真: これは19世紀半ばから使用された学校で、キリスト教団が運営したものです。

戸口に立つ女性はおそらくスタッフで、当時の教師の服装をしているのでしょう。

小学生の郊外学習なのでしょうか、これから入って行くところです。

 

7

< 7. 夏期用の小屋、ログハウス >

 

上の写真は外観で、下の写真はその内部で、囲炉裏が見える。

この小屋の正面には次の写真のNo185の標識が掛かっていました。

場所はSetesdal(ノルウェー最南端)で、建築年代は1500~1600、用途はSummer cottageと書かています。

 

 

8

< 8. 様々な解説と標識 >

 

英語表記で建物の場所、用途、年代、利用当時の写真が添えられています。

親しみを感じます。

 

左上の解説板: これは前述のNo6下の写真の学校の説明です。

 

右上の解説板: 木こり用小屋らしい。

1600年頃から使用されたオスロの北方の山中の小屋。

当時、木材が重要な資源となり、写真のような寝起きの為の仮の山小屋が作られた。

煙突が見えるので中に囲炉裏などがあるのでしょう。

 

 

9DSC02317-11

*9

 

10

< 10. ゴール村から移築したスターヴ教会 >

 

この建築は1200年代です。

急こう配の屋根、鱗上の屋根板、龍の飾りが特徴的です。

東南アジアやタイの寺院の屋根を連想させる(最も蛇の象徴でしたが)

 

この手の木造教会は北ヨーロッパで11~12世紀に多く建てられ、最盛期には1000棟以上あった。

現在、最も多く残っているノルウェーでも、わずか28棟になった。

 

11

< 11. スターヴ教会の外観 >

 

12

< 12.ウルネスの木造教会、すべて借用 >

 

ここに写真を載せたのは、ノルウェーの教会建築と自然、大地の繋がりを感じてもらいたいからです。

 

上の写真: ルストラフィヨルドの高さ120mの崖の上にある教会で、建築は1130年とされている。

ヴァイキング建築とキリスト教会建築が結びついた教会で世界遺産です。

 

 

次回に続きます。

 

 

Categories: culture+society, 連載 北欧3ヵ国を訪ねて, <japanese language, travel+photo, uncategorized | Tags: , | Leave a comment

連載中 何か変ですよ 209: あなたも「辺野古署名」に一票


 

1

 

この署名は辺野古埋め立ての中止を願うものです。

沖縄の思いが、今、世界に響こうとしています。

あなたの一票で、共にあることを沖縄の人々に示そうではありませんか。

 

 

  • 署名について

「Stop the landfill of Henoko / Oura Bay until a referendum can be held in Okinawa」

「国民投票が沖縄で開催されるまで、辺野古/大浦湾の埋め立てをやめる」(グーグル翻訳)

 

 

 

 

  • 私が署名に託したこと

 

私はこれまで辺野古基地建設反対に賛同し寄付したこともありましたが、今回署名したのは昨日21日で遅かった。

私は諦めかけていましたが、この盛り上がりに背中を押された。

 

現在、沖縄県の民意の高まりに反して政府は徹底的に無視し、むしろいっそう強行しています。

私が一番危惧するのは、140万県民の思いを踏みにじる国の全体主義姿勢の強まりです。

 

日本の国民にとって何が大事なのでしょうか?

 

  • 国防が一番大事

「中国の侵略に備えるためには米国との同盟強化と沖縄の基地が何よりも優先されるべき」は本当でしょうか?

 

中国が攻撃する可能性は? 沖縄基地の重要性は? まして辺野古基地の重要性は?

日米同盟が中ロとの戦火から完全に防いでくれる可能性は?

 

これまでの沖縄基地の代替え案の存在や、歴史的に見て抑止力と軍事同盟に頼った数多くの失敗例を知ると、これら防衛策がまったく無駄であったり、戦端開始を早めたりすることもある。

 

一言で云えば、防衛は必要だが沖縄に米軍基地を集中させる合理性は低い、むしろ弊害が大きい。

 

 

  • 国民が一番大事

「沖縄県民の大多数の民意を国が踏みにじることは国を危うくする」について考えます。

 

沖縄県民は我慢し続ければ良い。 人口の百分の一ほどの民意など取るに足らない。 国民によって選ばれた政府(官邸)の意向に逆らうべきではない。

 

沖縄と日本の20世紀の戦争の時代を振り返ると、政府が独走始める時、先ず政府に都合の悪い一部の国民が非国民と罵られ従わされ、遂には全国民に犠牲を強いることになった。

 

実は、事は単純なのです。

日本では、往々にして個人の権利がトップの意向による集団目標の為にないがしろにされるのです。

今が、その時なのです(日本は家族や社会文化にファシズムの芽を絶えず持っている)。

 

結論を言えば、先の不安(国や米国、右翼が煽る危機)よりも、現在進行中の政治社会の悪化を食い止めることです。

 

その為の、残された数少ない意思表示の一つなのです。

 

 

  • 最後に

 

様々な流言飛語が飛び交い、沖縄を見る目が曇りがちです。

是非とも本土の皆さん自身が、沖縄の歴史を知り、沖縄を歩き、沖縄の苦しみに思いを馳せていただきたい。

 

本土の人間も、原発で誤った道を進んだ苦い経験があります(もっともまだ反省していない人もいるが、不思議に太平洋戦争も同様に反省しない)。

かつて国民は原発に反対でした、しかし政府と電力会社の宣伝攻勢により、数十年かけて容認が支配的になりました。

一部の人が警鐘を鳴らしても政府、財界、学会、司法の圧倒的な力と財力で原子力村は増えて行きました。

 

そして事故が起こりました。

しかし想定外のこととして喧伝した側の人間は誰も責任を取らず、原子力村に暮らしていた人々が犠牲を払うことになった。

 

このような馬鹿げたことを、まだ繰り返そうとしている政府にNOと言えるのは、恐らく地に足を着けて暮らしている女性でしょう。

女性がより聡明になり、立ち上がらなければ日本は良くならない。

 

 

健闘を祈ります。

 

 

 

 

 

Categories: culture+society, <japanese language, opinion, politics, Series: Something is strange, uncategorized | Tags: , | 2 Comments

北欧3ヵ国を訪ねて 43: オスロ 2: Songnsvann湖からビィグドイ半島まで


1DSC02233-1

*1

 

今回は、美しい湖から興味津々のビィグドイ半島までを紹介します。

湖畔を少し歩いた後、地下鉄とバスを乗り継いで半島まで行きます。

ちょうど市内の中心部を通過することになります。

 

2map1

< 2. 行程マップ、上が北 >

 

上から始まります。

Songnsvann湖の茶色線を散策し、その後、黒線の地下鉄でオスロ駅に隣接するJernbanetorgetまで行きます。

それから少し歩き、駅前のバスターミナルJernbanetorget停に行き、赤線のバス№30に乗り、ビィグドイ半島内のFolkmusetで降ります。

 

写真は2018年6月5日8:38~10:01で撮影したもので、撮影順に並んでいます。

 

 

3

< 3. 湖  >

 

 

4

< 4. 湖を楽しむ人々 >

 

私が湖畔を散策したのは20分ほどなのですが、写真のように湖畔の遊歩道や広場で楽しむ多くの人々を見かけました。

多くは一人から三人までの一組で、ジョギングやウオークを始めた。

湖畔一周は約3.5kmあり、きっと冬は雪のクロスカントリースキーが素敵でしょう。

また女性が広場のベンチに腰掛けている姿も見た。

 

本当に、北欧の人は自然を大切にし、自然と共に暮らすことを大切にしている。

 

 

5

< 5. Songnsvann駅に向かう途中 >

 

下の写真: 途中、ローラ―式クロスカントリースキーを行っている二組のグループを見た。

この建物はノルウェースポーツ科学学校で、この手前にオリンピックの名を関したスポーツホテルがある。

この一帯はどうやら冬のスポーツを楽しみ、訓練する場所のようです。

 

6

< 6. 地下鉄からの眺め 1 >

 

上の写真: 遠くにオスロ湾の海面が見える。

地下鉄と言っても、私が乗ったほとんどは地上を走行した。

 

 

7

< 7. 地下鉄からの眺め 2 >

 

北欧三ヵ国の電車はほとんど、いつ乗っても空いている。

ラッシュアワーでも、立つことはほとんど無かった。

どこでも車内はゆったりした独立シートで、人を詰め込むと言う発想が無いようだ。

但し、市中の路面電車は観光客も含め、人で一杯になることはある。

 

 

8

< 8. オスロ駅に隣接するJernbanetorget駅 >

 

 

9

< 9. オスロ駅の前を歩く >

 

上の写真: オスロ駅の東側にあるオスロ大聖堂が見える。

 

下の写真: どうやらリサイクルと環境保護を訴える廃品で造られた恐竜のようです。

さすが「持続可能性を追求する先進国」と納得した。

どこにもケバケバシイ看板や客引きのパフォーマンスを見ることはなかった。

陽光溢れる清々しい通りです。

 

 

10

< 10. 駅前のバスターミナルJernbanetorget >

 

上の写真: 写真の赤いバスに乗って目的地に向かいます。

ここには幾つものバス停が並んでおり、同じバス№30でも、行先が違うので注意してください。

結局、私は待っている人にどのバスに乗るべきか確認しました。

バスの乗車に、何らパスなどの提示は必要ありません。

これは地下鉄と路面電車にも通じます、もちろん無料ではありませんが。

 

 

11

< 11. 市内をバスで行く 1 >

 

下の写真: ここはウオータフロントで、右手にノーベル平和センターが見えます。

昼過ぎに再び訪れた時は、この一帯はたくさんの観光客や市民で溢れていました。

 

 

12

< 12. 市内をバスで行く 1 >

 

この首都オスロは大火災と首都移転により、400年以内の歴史しかないので目立って古い建築物は無い。

その中で、これは目を惹いた教会でした。

 

 

13

< 13. バスはビィグドイ半島に入っていく >

 

ほんとうに北欧の港にはヨットやボートが多い。

 

 

次回は、珍しいノルウェーの木造教会がある民族博物館を紹介します。

 

 

Categories: culture+society, 連載 北欧3ヵ国を訪ねて, <japanese language, travel+photo, uncategorized | Tags: , | Leave a comment

北欧3ヵ国を訪ねて 42: オスロ 1


1DSC02073-1

*1

 

これから二つ目の北欧の国、ノルウェーを紹介します。

初めて訪れたオスロは輝く海と深い森に囲まれた美しい都市でした。

私はこの小さな首都を2日間見て回りました。

 

 

2map2a

< 2. ノルウェーとオスロの地図、上が北 >

 

上の地図: 赤丸がオスロ、黒四角がカールスタッド、オレンジ線が乗って来た国際列車の路線、黄色線がこれから乗るコペンハーゲン行きのフェリーの航路です。

 

下の地図: この範囲(南北約2km)が首都オスロの中心部です。

赤丸が宿泊したホテル、茶色四角がオスロ中央駅、青色四角がフェリー乗り場です。

 

 

3map3a

< 3. 私が観光したオスロ、上が北 >

 

私がオスロを観光したのは2018年6月5日(火)と6日(水)です。

赤枠は私が訪れた所です。

地図の南北の長さは約14kmです。

 

今日紹介するのは、一番上の、湖がある自然公園Songnsvannです。

主な訪問地を示します。

Aは様々な博物館があるビィグドイ半島です。

Bは観光地ではないが、海沿いの暮らしが見たいと訪れたUlvøya islandです。

Cは中心部で、王宮、博物館、中央駅周辺、発展が著しいウオーターフロント、オスロ湾を望む古城などがあります。

Dは彫刻の公園と巨大な墓地があります。

 

以下の写真は撮影順に並んでいます。

撮影は5日の7:45~8:35です。

 

 

4

< 4. ホテルからいざ出発 >

 

先ず、地下鉄に乗るために国立劇場駅まで歩きます

上の写真は駅の方向、下の写真は振り返った所。

 

素晴らしい朝、綺麗な青空が広がっています。

身が引き締まる冷気と温かい陽射しが気持ち良い。

 

 

5

< 5. 王宮とカールヨハン通り >

 

上の写真: 広大な庭園の奥に王宮が見える。

 

下の写真: 反対方向を見ると、中央駅に向かうカールヨハン通りが見える。

 

 

6

< 6. 国立劇場駅と国立劇場 >

 

上の写真: 交差点の向かい、写真中央に国立劇場駅が見える。

この駅には鉄道と地下鉄が通っている。

右手は王宮庭園です。

 

下の写真: 進行方向、左手に国立劇場が見える。

至る所、街路で花が咲き誇り、清々しい気分になる。

 

 

7

< 7. 国立劇場駅 >

 

上の写真: 交差点から東側(進行方向左)、中央駅側を望む。

今回、幾度もこの手のトラムにお世話になりました。

 

下の写真: 右側が国立劇場駅。

 

 

8

< 8. 国立劇場駅内部  >

 

上の写真: 中に入ると構内は意外に大きくて、また朝の通勤ラッシュで、多くの人が足早に通り過ぎて行った。

私がどちらに行くべきか思案していると、一人の女性が寄って来て、どうしたのですかと尋ねてくれた。

行先を伝えると、どのホームに行くべきか詳しく教えてくれた。

今回の旅行では、本当に多くの人に助けて頂いた。

特に北欧の年配女性の心遣いがうれしい。

一方で、なぜか若い女性は、道を聞いても知らない場合が多々あった。

 

 

9

< 9. 地下鉄に乗って >

 

短い乗車時間だったが、貴重な体験をした。

途中の駅から乗って来たベビーカーを押している男性が、私に何やら親しげな表情を見せる。

やがて私の前の席が空くと、彼は子供(次男)を抱き上げ座った。

彼から声を掛けて来た。

 

彼の話では、数年前、奥さんと長男の三人で日本を1~2ヵ月旅行したとのことでした。

そして富士山登山もやり、日本の食べ物も気に入り、どうやら日本の大ファンのようです。

私は、これが二度目の北欧旅行で、前回、オスロに行っていないので、今回の訪問を楽しみにしていますと伝えた。

その後も話を続けたが、彼は急に今日の私の予定を聞いて来たので、私は今日の日程表を見せた。

そこには、朝8時から夕方7時まで、12ヵ所の訪問予定がびっしりと書き込まれていた。

彼はそれを見て残念そうに別れの挨拶をして途中の駅で下車した。

 

後で気付いたのだが、私は他の訪問を減らして、彼と共に下車して話し合いを続けるべきだったと悔やんだ。

 

 

彼との会話で感じたことがある。

彼は、スウェーデンのストックホルムよりもデンマークのコペンハーゲンに親しみを持っているようでした。

ノルウェーとスウェーデンは同じ自然風土を持ち、隣国同士なのになぜなのか?

この感情が、1世紀前までの長いスウェーデン支配とノルウェー王家がデンマーク王家の血筋によるものかどうかはわからない。

後にノーベル平和センターを訪問して、これへの理解が少し深まることになる。

 

彼の日本旅行とベビーカーから言えることがある。

それは育児と休暇の制度が日本より遥かに進んでいることです。

彼だけでなく男性がベビーカーを押している光景を北欧でよく見かけた。

これは男性が1年ほど女性に替わって育児を行うことが普及していることを示す。

当然前半の1年は女性が育休を取得するのだろうが。

また彼らは本当に長期休暇を楽しみ海外旅行に出かけているようだ。

年に1ヵ月は休暇を取らなければならない制度になっている(分割も可能だろうが)。

 

まことに羨ましい。

明らかに日本は遅れている。

北欧は生活エンジョイの先進国、日本は働き放題の後進国だと感じた。

 

 

10

< 10. Songnsvann駅 >

 

この終着駅に降りて驚いたのは、改札も垣根も何にも無いことでした。

粗末なバス停と何ら変わらない。

車掌が改札をするわけでもない。

省人化が進んでおり、交通システムのコンセプトがまったく日本と異なる。

私はこれの方が良いと感じた。

 

 

11

< 11. 湖が見えて来た >

 

 

12

< 12. ノルウェーの森と湖 >

 

朝の8時半頃、学生の課外授業のようだ。

北欧を旅すると、このように自然の中での課外授業によく出くわした。

 

多くの水鳥が羽を休めていた。

 

 

13DSC02080-19

< 13. 湖 >

 

これまで見て来たスウェーデンの湖とはまた一味違う。

一つには山に囲まれていることと砂浜があることでしょうか。

木々は寒冷地特有の背の高いものが多いように思う。

正にこれがノルウェーの森かもしれない。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

Categories: culture+society, 連載 北欧3ヵ国を訪ねて, <japanese language, travel+photo, uncategorized | Tags: , , | Leave a comment

北欧3ヵ国を訪ねて 41: カールスタッド 2


 

*11DSC01995-1

 

 

今回はカールスタッド紹介の後半です。

パレードを見終わり、公園を散策し、次の列車に乗るために駅に戻りました。

私はここで大きなトラブルを経験することになりました。

 

 

2

*2

 

パレードを見終わって公園内を散策し始めたのは17:00頃でした。

掲載写真は撮影順に並んでいます。

次に乗る列車は18:30発なので、18:00までに駅に戻らなければならない。

 

3

*3

 

公園の至る所で卒業生と両親らが集い、記念写真を撮っていました。

 

4

*4

 

この公園は両側を川に挟まれた広い芝生で、所々に木々が植えられている。

人はまばらで、カップルがのんびりと日光浴を楽しむ姿が印象的でした。

 

下の写真: 若い女性グループが水着姿になり、川にせり出したウッドデッキで日光浴を楽しみ始めた。

 

スウェーデンでは飲酒が抑制されているらしく、パリで見たような多くの人がアルコール(シャンパン)片手に談笑する姿はほとんど見なかった。

 

 

5

*5

 

上の写真: 中央に見える橋は私が渡って来た橋です。

 

6

*6

 

先ほどの橋のたもとにある小さな公園。

 

7

*7

 

駅に向かって、大通りを戻る。

多くの市民が歩行者天国に出ていた。

この時刻は17:40です。

 

8

< 8. 駅に戻る >

 

駅に戻ったのは17:45分頃でした。

待合室のロッカー(クレジットカード払い)から荷物を出し、駅舎のコンビニでサンドイッチとドリンクを買い、夕食とした。

 

後は、列車が来るのを待つだけです。

18:00になると、駅舎の切符窓口は閉まり、駅員は帰った。

私は特に用事が無いのだが、少し不安になった。

 

 

9

< 9。 ホームに立つ >

 

この駅のホームは一つだが、番線は4ヶ所あり、長手方向で左右に分かれていた。

 

 

10

< 10. やがて不安が現実のものになった >

 

 

到着予定の時間になっても列車が来ない。

周囲の旅行客が落ち着きをなくし始めた。

放送はあるが、私にはまったく理解できないし、駅員も居ないので確認も出来ない。

 

上の写真: 上に電光掲示板が見えます。

やがて電光掲示板に乗るべき列車の到着予定時刻が表示されているのが分かった。

しかし、その時刻が時と共に遅れて行く。

予定通りに行ってもオスロ駅到着は21:23で、この調子では日付が変わるだろう。

 

下の写真: 21:22の撮影です。

この列車は別の列車でした。

 

11

< 11. 夜は更けていく >

 

上の写真: 9:26撮影。

空はまだ明るいが、夕陽が迫っている。

 

下の写真: 時計の針は既に私のオスロ到着時刻を過ぎていることを示していた。

昼はあれほど温かったのだが、夜は冷え込んで来た。

 

中央に乗客らが集まり情報交換をし始めたようです。

その内の一組の老夫婦のご主人が私に温かく声を掛けてくれたのだが、私は言葉が分からずその場を離れた。

言葉の通じないのが無性に悲しくなった。

 

オスロのホテルに、到着時間が大幅に遅れることを連絡しようとしたが、これまたなぜか電話を掛けることが出来なかった。

ホテルの電話番号の前に付ける国別などの番号に誤りがあったようだ。

私はなす術がなく、ただ時間の過ぎるのを待つばかりでした。

 

やっと4時間以上遅れて列車が到着した。

乗客は皆、急いで車両に駆け寄った。

一人の若い乗客がタラップで私に乗車と譲ってくれた。

非常にうれしかった。

 

この時、どこにも駅員や係員は一切居なかった。

省人化が進み、ボデイや荷物、チケットの確認が無く気楽なのだが、海外からの旅行客の私には少し不安だ。

 

12DSC02024-22

< 12. 白夜。車窓から21:52撮影 >

 

この光景はご褒美かもしれない。

 

列車内は満席でした。

ほっと一息付いたのですが、今度は列車の速度が非常に遅く、時折、途中で停車する始末で焦るばかりでした。

皆、疲れた様子ですが、不平で騒ぎ立てる人もいなかった。

もっとも文句を言いたい車掌も巡回に来ないのですが。

 

けっこうなお年寄りが一人で乗車しているのが見られた。

日本と違って、北欧のお年寄りは自立が当然で、国際列車での移動も一人で行うようです。

これは福祉政策の発展とは別の、ヴァイキング精神の名残り、個人の尊厳を大事にすることの現れかもしれません。

 

数時間かけてオスロ中央駅に着いたのですが、夜中の2時を過ぎていた。

 

真夜中に放送が大きな駅舎に鳴り響き、乗客にタクシーの利用を薦めているようでした。

駅員をほとんど見かけることもなく、最終駅から乗客は蜘蛛の子を散らすように出て行った。

私は駅から少し歩き、途中、真っ暗な大通りでタクシーを拾い、ホテルに無事着いた。

 

ホテルが24時間フロント対応であることを事前に確認しておいたが、若干不安はあった。

フロントの対応は良く、手短に手続きを終え、朝食予約とオスロパス購入を済ませた。

後は寝るだけ・・・・

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

Categories: culture+society, 連載 北欧3ヵ国を訪ねて, travel+photo | Tags: , , | Leave a comment

北欧3ヵ国を訪ねて 40: カールスタッド 1


1DSC01914-1

*1

 

これから2回に分けて、スウェーデンの湖畔の都市カールスタッドを紹介します。

訪れたのは2018年6月4日(火)の午後で、快晴の中をしばし散策しました。

アクシデントが歓喜溢れるパレードに巡り合わせてくれました。

 

 

  • カールスタッドに向かう

この都市を訪問すると決めたのはまったくの偶然でした。

それは列車の手配ミスが始まりでした。

 

当初、ストックホルムからオスロまで国際列車1本で行くつもりでしたが、5ヵ月前、予約する段になって、予定(正午前)の出発便が満席だとわかりました。

そこで私は慌ててしまい、列車を何処かで乗り継ぐことにした。

先ず地方鉄道のカールスタッド行きを予約し、次いでカールスタッドからオスロ行きの国際列車を予約した。

後で直ぐ気が付いたのですが、ストックホルムを午前早く出発する便か、この乗り継ぎの列車を始発から予約しておけば安く短い時間でオスロまで行けたのです。

 

もっともスウェーデンの別の都市をもう一つ訪問したい気持ちもありましたので、これで良かったのですが、オスロ訪問が短くなった。

 

カールスタッドはスウェーデン一の大湖ヴェーネルン湖北岸のデルタ地帯にある小島の上に建設された人口9万人ほどの都市です。

この都市はストックホルムとオスロの中間に位置し、その名は歴史的に幾度か出て来ます。

最近では、ある女性大臣が子供の養育の為に週の半分をこちらで執務し、残りをストックホルムに行くそうで、日本では考えられないことです。

 

ここを乗り継ぎ駅と決めた最大の理由は、駅にロッカーがあることが事前に分かっていたことと、近くに公園Mariebergsskogenがあることでした。

この公園には家族が楽しめる遊戯施設やネイティブ動物の動物園、そして湿地の動植物の観察所があります。

ここに是非とも行きたくなったからでした。

 

しかし、ここで1回目のアクシデントに見舞われて予定を変更することになりました。

列車のカールスタッド到着予定16:09が30分ほど遅れ、次の列車の発車予定が18:30なので滞在時間が2時間を切ってしまったからです。

駅からこの公園まで徒歩で往復40分ほどかかり、バスで行く事は切符購入やルート、運行間隔で不便でした。

仕方なく、町の中心部らしい方、北側を散策することにしました。

 

これが幸運を呼びました。

 

 

2map

< 2. カールスタッドの地図、共に上が北 >

 

上の地図: 地図の南北の範囲は約7km。

茶色マークがカールスタッド駅で、赤線が散策ルートです。

駅の左下に公園Mariebergsskogenがある。

 

下の地図: 地図の南北の範囲は1・3km。

矢印が駅、黄色線が行きの徒歩ルートで、オレンジ線は折り返して戻るルートです。

赤丸はビジターセンターです。

 

以下の写真は16:38から17:01に撮影したもので、ほぼ順番に並んでいます。

 

 

3

< 3. カールスタッド駅 >

 

駅の敷地は広いのですが、駅舎は大きくありません。

しかし外観は伝統らしいものを感じさせます。

 

下の写真: 駅の北側にある大きい道路の中央分離帯に立ち、東側を望む。

 

4

< 4. カールスタッド駅前 >

 

上の写真: 同じ中央分離帯から西側を望む。

 

下の写真: 駅前から北側に伸びる大通り。

ここを進むことになります。

 

5

< 5。 大通りを進む >

 

上の写真: 最初に不思議に思ったのが、平日の16時半頃なのにテラス席で多くの人が寛いでいることです。

 

6

< 6. やがて大きな川に出合う >

 

上の写真: 少し橋を渡りかけて西側を望む。

川面も照らす日差しはまるで夏のようでしたが、空気は清々しかった。

それでも歩き続けると汗が出て来ます。

 

下の写真: 橋を渡らず、少し戻り右に曲がると川沿いに沢山のテラス席が見えました。

レストランのようです。

もう既にお客で一杯でした。

平日のこの時間にレストランにこれだけの人が入っているとは驚きだ!

 

この時、前を歩く男性二人に声を掛け、「ビジターセンターに行きたいのですか?」と聞くと、彼らは笑顔で、詳しく道を教えてくれた。

その二人は、このレストランに入って行った。

 

 

 

 

7

< 7. さらに進む >

 

上の写真: 来た道を振り返る。

 

下の写真: 道順を聞いたときに教えてくれた公園の端に来た。

ここで左に曲がる。

 

8

< 8. 図書館(ビジターセンター)の前の通りを行く >

 

下の写真: 通りに面したショップの前で、楽しそうに糸を紡ぐ女性に出会った。

彼女に断って写真を撮らせて頂いた。

ストックホルムでもそうだったが、女性は高齢になってもオシャレを楽しんでいる。

 

 

9

< 9。 何やら騒がしい >

 

上の写真: 通りの奥の方からボリュームを上げた賑やかな音楽が聞こえて来た。

 

下の写真: 右手の建物が図書館で、この中にビジターセンターがある。

なぜか多数のクラシックカーが行列を作り、ゆっくり進んでいる。

周囲の観客は嬉々として見ている。

 

取り敢えず私はビジターセンターに入り、数部の観光パンフレットを貰い、そこを出た。

 

 

10

< 10. パレード 1 >

 

初めはまったく意味が分からなかった。

モデルのように着飾った若い男女が乗ったクラシックカー、そしてラフな格好の年配の運転手。

 

観客に聞いてみると、これは何と高校生の卒業パレードでした。

これが高校生!

特に女性は大人びて見えた。

 

 

11

< 11. パレード 2 >

 

やっと理解出来た、運転手は親父なのだと。

それにしてもこのクラシックカーの数には驚かされた。

 

 

12DSC01933-16

< 12. パレードが終わって >

 

これから左手に広がる公園を散策します。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

Categories: culture+society, 連載 北欧3ヵ国を訪ねて, <japanese language, travel+photo, uncategorized | Tags: , | Leave a comment

湖北・湖東の紅葉を訪ねて 5: 永源寺 2


1DSC05610-1

*1

 

 

今回で、湖北・湖東の紅葉の紹介を終わります。

小雨と薄暮にあっても幻想的な紅葉を楽しむことが出来ました。

これも山里やお寺のお世話があっての事だと感謝しています。

 

2

*2

 

3

*3

 

日が暮れると共にライトアップの光が目立つようになって来ました。

 

4

*4

 

薄暮の中の紅葉はけっして鮮やかではないが、深みを感じさせる。

 

5

*5

 

上: 本堂。

 

下: 鐘楼。

この写真は11月22日、16:40のものですが、周囲はかなり暗くなっていました。

ISO1600で、手持ちで撮影し編集で明度を上げてこの状態です。

 

6

*6

 

この2枚の写真は、前回紹介した禅堂前を撮ったものです。

同じ所でも20分ぐらい時間が経つと、ライトアップの効果が際立つようになりました。

まるで豪華な日本らしい舞台のセットを見ているようです。

 

7

*7

 

薄暮から夕闇にかけて、ライトアップやフラッシュで撮影した光景。

 

右下: 最初の石段沿いにある16羅漢(岩壁に石像が彫られている)。

 

8

*8

 

9DSC05690-13

*9

 

1時間後に戻って来た時は、真っ暗になっていた。

橋の近くの広場には数軒の屋台が並んでいた。

 

 

  • 今回の紅葉巡りで感じたこと

これら紅葉は総合芸術、日本で洗練された文化だとつくづく実感した。

 

北欧やロシア、北米には雄大な一大紅葉地帯がある(一部しか見ていないが)。

それと比べると日本の場合、数百本程度の広葉樹が密集ではなく最適な位置に配されている。

また日本の紅葉の樹は高く伸びた大木と言うより、背が低く枝が横に広がる木が好まれているようだ。

境内の赤や黄色の広葉樹は苔むした岩や石灯篭、小さな池や建物の間に配される。

石畳や地面に積み上がり、池や小川、手水鉢に浮かぶ落ち葉すら重要な背景になる。

人々は境内の参道や回廊を巡る内に、様々に形を変え黄色や朱色の木々と様々な背景色の組み合わせの妙を楽しむことになる。

 

 

人類は原初来、赤色に神秘性を感じ、多くの宗教は聖なるものとして取り入れた。

そして特に東アジアは、今でも赤(朱色)を宮殿、神社仏閣に使用している。

中でも紅葉が広く見られる日本(韓国も)では、なぜか寺院の境内に紅葉が重視されるようになった

元来インド起源の仏教には朱色を愛でる習慣は無かったと思うのだが。

 

推測に過ぎないが、朱色に対する無意識の神聖感と、大乗仏教特有の死生観―末世に至る滅びと冬の到来を告げる紅葉が結びつけられ、広く受け入れられるようになったのだろう。

 

一方、キリスト教では、死後の世界は仏教と異なり希望溢れるものなので、落ち葉や冬を連想する紅葉は聖なる場所には不向きと見られたのだろう。

キリスト教圏では、宮殿に大規模な紅葉を取り入れるところはあっても、教会には無いように思う。

どちらかと言うと、春や誕生をイメージさせる花が多いように思う。

 

こんなことを感じながら、楽しい1日を過ごして来ました。

 

 

それでは終わります。

 

Categories: culture+society, <japanese language, mind, travel+photo, uncategorized | Tags: , , | 3 Comments

連載中 何か変ですよ 204: 「人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか」を読んで 1


 

1m

< 1.経済図書ベストワン >

 

 

この本を読んで期待は裏切られ、益々日本の将来に不安を抱いた。

これだけの学者が集い論考しているが、まったく不毛です。

日本はガラパゴス化し、大勢や大国に迎合するだけに成り下がったかのようです。

 

2

< 2. この本が解明しようとした課題 >

 

*著書「人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか」について

2017年刊、玄田有史編、慶応義塾大学出版会。

22名の労働経済学者やエコノミストが多方面から表題の課題を現状分析している。

この本は、日本経済新聞にて「エコノミストが選ぶ経済図書ベスト10」の第1位に選ばれている。

 

それだけに私は期待して読んだ。

しかし1/3ほど読むと、期待は失望に変わった。

我慢して読み進めば進むほど賃金問題どころではなく、日本の経済学の覇気のなさを知らされた。

これではお茶を濁す経済政策しか出ず、日本経済の将来に期待できないだろう。

 

この本は私のような経済の素人にも読める体裁をとっている。

しかし、使用されている労働経済用語から言って初心者に懇切丁寧な説明を目指したものではなく、啓蒙書の類ではない。

これはエコノミスト向けに書かれたもので安易な推測や断定を排除し、分析に重きを置いた本だろう。

それはそれで良いのだが、今の賃金問題に疑問を持つ国民からすると、すこぶる難がある。

 

それは、「労働需給」「行動」「制度」「規制」「正規雇用」「能力開発」「年齢」などの様々な論点から論者が個々に分析していることにある。

これが矛盾した分析結果を含め羅列するだけになり、全体としてまとまりのない方向性の乏しいものにしている。

よしんば理解が進んだ読者でさえ、多岐にわたる要因が今の賃金問題を招いていると納得するだけで、多くは現状を追認するだけに終わるだろう。

あわよくば賃金が今後上昇するだろうと期待する向きもあるかもしれない。

 

一方で、多方面からの問題提起は素人が見逃しがちな労働経済に関わる様々な要因を気づかせてくれる良さもある。

以下のものが目につきました。

 

  • 高齢者の定年退職後の再雇用は、彼らの大幅な賃金低下によって賃金全体を低下せ、労働需給を緩和させてしまう(数人の論者はむしろ高齢者の高賃金を問題にしている節がある)。

 

  • 繰り返されるバブル崩壊は、その都度に生じる就職氷河期に就労した者が生涯にわたり低賃金で苦しむことになり、また経営サイドもこの期に賃金カットを出来なかった反動として好景気になっても賃金アップに慎重で有り続けることになる。

 

  • 介護職の賃金が国の規制によって低く抑えられている為に、対人サービス全体の賃金を抑制することになる(一方、バス会社の規制緩和が賃金上昇を生じなかった事例もある)。

 

他にも様々な知識が挙げられているが、上記の3点だけの指摘にすら、論者が見落としている不都合な真実が隠れている(敢えて指摘しないのかもしれないが)。

 

この本には大きな弱点が潜んでおり、私にはそれが日本経済の将来を救いがたいものにするように思える。

どれだけの人がこの点に気づいているのだろうか?

多くの人が気づいてくれれば日本の将来は救われると思えるのだが。

 

 

次回に続きます。

 

 

Categories: book+ film+drama, culture+society, economy, <japanese language, Series: Something is strange, uncategorized | Tags: , , | Leave a comment

北欧3ヵ国を訪ねて 37: Älvsjö駅周辺を散策


1 DSC01510-3

*1

 

 

今回は、早朝にホテルのあるÄlvsjö駅周辺を歩きました。

ここは都市通勤に便利な閑静な住宅街です。

北欧の人々の暮らしが見えて来ます。

 

2amap

< 2. 散策ルート。上が北 >

 

上の写真: 写真の横幅2km、赤いバルーンがÄlvsjö駅です。

黄色の枠は下の写真の範囲を示します。

 

下の写真: 写真の横幅600m、赤枠が駅で、赤丸が私の宿泊したホテルです。

ホテルを出て、黄線に沿って歩き、森に入ってから、ピンク線に沿って折り返して来ました。

写真は2018年6月4日(月)7:10~8:10に撮影したものです。

写真は撮影順に並んでいます。

 

 

3

< 3. 図書館 >

 

上の写真: 駅の直ぐ西側にある図書館。

私が行った時は閉まっていました。

 

扉にサービス時間が記されており、この建物の役割が見えて来ます。

図書館の開館時間

月火 12:00-19:00、17:00

水木金10:00-18:00、17:00

土  11:00-15:00

日曜日 閉館

ここに行政の出先機関があり、月~金の開館は概ね8:00-16:00で、土日閉館になっている。

 

日本と違って、図書館の開館時間が遅く、一方で閉館時間がやや遅くなっている。

これは住民サービスよりも雇用者の勤務時間を考えているのだろう。

当然、土曜日は短く日曜日は休館になっている。

 

私が北欧を旅行して困った事の一つは、店やビジターセンター、観光施設の開館が遅く、閉館が早いことです。

私としては朝早くから夕方遅くまで、多くを見学したいのだが、思うようにはかどらない。

 

 

4

< 4. 閑静な住宅街と広い道路 >

 

通勤時間だと思うのだが、自動車の数は少ない。

 

 

5

< 5. 寿司店 >

 

上の写真: 道路沿いにSushiの看板を掲げた店があった。

働いている人は東南アジア系のようだ。

 

6

< 6. 大きな交差点 >

 

上の写真: 西側を望む。奥の方に広大な住宅街が広がる。

 

下の写真: 交差点から東側を望む。駅側に向かっていく人々。

自転車に乗っている人からローラースケート、バス、徒歩など多種多様な手段で通勤通学をしている。

 

7

< 7. 建設ラッシュ >

 

非常に大規模な建設です。

 

8

< 8. 通学の様子 >

 

上の写真: 建設中のプロジェクトを示す看板。

巨大な住宅開発が進んでいる。

写真を見ると、バラエティーに富んだ中層のアパート群が一帯を埋め尽くしています。

この不動産デベロッパーのHPを見ると、一戸の売り出し価格が2千万から9千万円でした。

北欧の一人当たり所得は日本の約2倍あり、更に夫婦共稼ぎで、日本のように男女の賃金格差が無いので、この購入価格は高くないと思う(円安で高くなっている)。

 

ここÄlvsjö駅からストックホルム中心まで、電車で9分と非常に便利です。

また周辺には緑もあり、住宅環境は良い。

 

下の写真: 父親が子供を連れている。

北欧ではベビーカーを押している育メンを多く見かけた。

 

 

9

< 9.公的サービス >

 

上の写真: これは中層アパートの1階にある公的サービスセンターです。

看板の表記をHPで調べると、ここには自治体が運営する介護センター、学童・幼児用センター、レストランがあるようです。

 

下の写真: プランナーが工事担当者と植栽工事の打ち合わせをしているようでした。

至る所、街並みはさりげない植栽が施されており、気持ちの良い街づくりがなされている。

 

10

< 10. 邸宅 >

 

上の写真: 古いが立派な邸宅が珍しく一軒ありました。

 

 

11

< 11. 低層アパートの団地に入る >

 

上の写真: これは低層アパートの一階にある保健センターのようです。

表示によれば医院もあります。

この保健センターでは住民の心身の健康相談、予防接種、糖尿病のサポートなども行っているようです。

 

 

12

< 12. 低層アパート団地を抜けて森に向かう >

 

上の写真: アパートの個々のベランダが憩いの場にしつらえられている。

椅子とテーブルがあり、簡素だが飾りつけもされている。

住人は自宅でも自然と触れる暮らしを大事にしている。

 

 

下の写真: 左手に遊戯施設のある公園が見える。

 

13

< 13. 森の奥へ >

 

この道を歩いていると、駅の方に向かう人、逆に向かう人がいた。

朝の散歩をする人や通勤の人がいたが、人数は多くはなかった。

 

14

< 14. 折り返す >

 

上の写真: 折り返し点で、来た道を振り返る。

折り返さず先に行くと、森の中に学校がありました。

 

下の写真: アパートの団地を抜けたところ。

 

 

15

< 15. 駅とホテルに戻って来た >

 

上の写真: ホテルの建物が見えた。

 

下の写真: 駅前広場に出た。

 

少し街を散策するだけで、公共サービスや通勤通学の様子、朝の動きが見えて来ました。

中国のように大勢が一緒に体操している様子はなく、静かで落ち着いた暮らしがそこにはありました。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

Categories: culture+society, 連載 北欧3ヵ国を訪ねて, <japanese language, travel+photo | Tags: , , | Leave a comment

北欧3ヵ国を訪ねて 35: Hop On Hop Off Bus に乗って


1DSC01274-2

*1

 

 

今回は、ストックホルム中心部を観光バスで巡ります。

初めてホップ・オン・ホップ・オフ・バスに乗りました。

バスの利用と車窓からの眺めを紹介します。

 

 

2StockholmPass_map2018

< 2. Hop On Hop Off Busのルート、上が北 >

 

私が乗車したのは地図の赤線の番号1から17までです。

乗車した時間は2018年6月3日(日)13:25~14:50です。

 

*利用について

気づいたことを記します。

 

はじめに、このエリアの観光バスとしてはパノラマ(バス)とホップ・オン・ホップ・オフ(バスとボート)があります。

わたしが利用したのはホップ・オン・ホップ・オフ・バスです。

 

二つのバスは巡回ルートが若干異なり、前者は75分、後者は90分です。

料金は、前者で1回300SEK、後者で1日乗り放題SEK320です。

どちらもストックホルムパスで無料乗車出来ます。

前者(パノラマ)は季節によって異なりますが1日数回の定刻発車で、後者は日中の時間内で頻繁に発車しています。

前者は乗車降車位置が一か所で決まっていますが、後者は地図の番号19か所で乗り降り自由です。

両車両とも複数言語(日本語も)の観光案内の音声がイヤホーンで聞けます。

 

前者は、乗車前にSTROMMA.COMのブースでチケットの発行が必要になるでしょう。

私は王立オペラハウス横のStromgatan 通り、番号1から乗りました。

写真3のバスストップで受付嬢にストックホルムパスを見せるだけで乗れました。

前者のバス乗り場は、少し西のグスタブ・アドルフ広場からです。

 

前日にパノラマバスを利用するつもりでしたが、ストックホルム・マラソンで運行していなかったので、時間の制約がないホップ・オン・ホップ・オフを使うことにしました。

まったく問題ありませんでした、

 

 

 

 

 

3

< 3. いよいよ乗車です >

 

受付の黒人女性がチャーミングで笑顔が印象的でした。

 

上の写真: バスの2階に座り、撮影。

 

下の写真: 通りに沿って東側を見ている。

 

 

4

< 4. バスの様子 >

 

下の写真: バスに乗る時、運転席横にあるイヤホーンを貰い、これを写真の接続口に差し込み、日本語の番号を選択する。

 

 

5

< 5. 国会議事堂 >

 

いざ観光です。

これから巡る場所の多くは、歩いており既に紹介していますが、おさらいです。

 

上の写真: 地図の番号2の手前辺り。

右手の建物は国会議事堂の一部です。

 

下の写真: ちょうど地図の番号2の辺り。

陸続きの西隣の島にあるリッダーホルム教会が見えている。

 

 

 

6

< 6. 旧市街の西側 >

 

上の写真: 地図の番号3の辺り、Kornhamnstorg。

 

下の写真: 南側にあるセーデルマルム島に渡る途中。

 

 

 

7

< 7.セーデルマルム島 1>

 

地図の番号5か6の辺り。

 

 

8

< 8.セーデルマルム島 2 >

 

上の写真: 地図の番号4と5の間。

大きなクルーズ船が、二隻接岸していた。

 

この島の北側(走った所)は、最近整備が進み、ショッピングや観光地として注目されているようです。

 

 

 

 

 

9

< 9. 折り返して >

 

上の写真: 地図の番号8。

王宮前の坂を下った岸壁近くに立つグスタブⅢ世の像。

 

下の写真: 地図の番号10の手前。

ベルツェリー公園から東南方向を望む。

 

 

10

< 10.Strandvägen 通り >

 

地図の番号10の通りからの両サイドの眺め。

前日、ここでマラソンの熱戦が繰り広げられた。

 

 

11

< 11.ユールゴーデン島に入る >

 

地図の番号11の手前から12まで。

 

下の写真: Gröna Lund、テーマパーク。

 

 

 

 

12

< 12.ユールゴーデン島から出る >

 

上の写真: 地図の番号13。

スカンセンの前。

 

 

 

13

< 13. 歴史博物館の近く >

 

地図の番号14の周辺。

 

 

14

< 14.Karlavägen 通り辺り >

 

地図の番号14から15の間。

 

 

15

< 15. フムレ公園 >

 

下の写真。 地図の番号15の手前にある大きなフムレ公園。

 

 

16

< 16. もうすぐストックホルム中央駅 >

 

この巡回バスに乗って再確認したのは、北欧の首都の落ち着きです。

日本のようなけばけばし繫華街、飲み屋街を見かけないことです。

バスがたまたま行かない可能性もありますが、バスの観光案内や、30年前の訪問時の経験を踏まえて、ほぼ間違いないでしょう。

男性だけがたむろして夜遊びする生活スタイルが北欧には少ないのでしょう。

 

 

17DSC01394-28

< 17. 降車 >

 

地図に番号17。

 

次の目的地に行くためにここで降り、地下の駅からストックホルム南部の海岸を目指す。

ここで、この日最大のハプニングに出くわすことになりました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

Categories: culture+society, 連載 北欧3ヵ国を訪ねて, <japanese language, travel+photo | Tags: , | Leave a comment

北欧3ヵ国を訪ねて 30: ストックホルムの墓地を訪ねて


1DSC00779-1-1

*1

 

 

今回は、北欧の墓地を紹介します。

当初、私は世界遺産のSkogskyrkogårdenを訪れるつもりでしたが、間違ってSandsborgskyrkogårdに入りました。

おかげで北欧の死生観がわかりました。

 

 

2まp2

< 2.二つの墓地の地図 >

 

上の写真: 二つの墓地を示す。左が北。

赤枠がSkogskyrkogårdenで、その左がSkogskyrkogårdenです。

私が歩いたルートは黄線、そしてスタート地点をSで示します。

世界遺産の墓地Skogskyrkogårdenと隣りの墓地Sandsborgskyrkogårdの大きさの違いがよくわかります。

黄色の矢印から撮影した写真が中央の写真(拝借)です。

 

下の写真: 墓地Skogskyrkogårdenの入り口にあった地図です。上が北。

歩行ルートを赤線で示し、SからEまでを歩きました。

バスを降りたのがS地点で、通り抜けて墓地を出た所がEです。

 

 

この日のハプニングの一つは、この墓地を間違えたことです。

間違ったのは、ここには世界遺産の墓地だけだと私が思い込んでおり、たまたま左手に入り口が見えたからでした。

看板の文字が異なることや、予め調べておいた方角とも異なっていたのですが。

間違っていると確信したのは、ほぼ真ん中まで行ってからでした。

 

 

3

< 3. 墓地内 1 >

 

この墓地を歩いたのは7:30から8:00です。

写真はほぼ撮影順に並んでいます。

 

 

4

< 4. 墓地内 2 >

 

5あ

< 5. 墓地内 3 >

 

多彩なデザインの墓石の中から幾つか紹介します。

右下の写真は大きな樹木と墓石の組み合わせが印象的でしたので、取り上げました。

 

全体を見て感じた第一印象は、他を圧倒するような大きな墓石や目立つ墓がほとんど無い事です。

どちらかと言えば、シンプルな一枚の墓石、シグツーナで見たルーン石碑の小型判が整然と並んでいます。

そうは言っても画一的ではなく、それぞれの墓石には個性や主張が感じられる。

 

私がこの墓地内を歩いている内に、北欧の心を感じ取ることが出来ました。

 

他のキリスト教圏との違いの一つは、十字架の扱いです。

先ず、石造の十字架が無く、希にあっても墓石に十字架が小さく彫られている程度です。

これは北欧がプロテスタントだからかもしれませんが。

 

墓石は墓地全体でみると同じ方向を向いていませんが、区画ごとに同じ向きに並び整然としています。

どうやら墓石はすべて通り道に沿って正面を向き、奥であってもそれに合わしているようです。

 

世界中の墓地では、隣り同士であっても墓の大きさや向きがバラバラな所があります。

また大きな集団墓地にせず、畑や山の中に家族だけの墓地を設けるところがあります。

この二つの形態は東アジアと東南アジアで見ました。

ヨーロッパや日本の墓地では墓は概ね整然と並び、特に日本では墓石のデザインがは画一化されることが多い。

 

私が一番感銘を受けたのは、墓が多くの大きな樹木に囲まれていることです。

スペースは広いが、日陰になるほど樹木が配されている。

これは死後、人々は自然、つまり北欧の森に帰ることをイメージさせます。

堅牢な石でもなく、美しい草花でもなく、正に深い森に包まれることこそが、安らぎなのです。

 

この墓地は、北欧人の社会性(規範遵守)と個人尊重(尊厳)のバランス感覚を良く示しており、さらに自然感を反映しているように思う。

これと比べると日本の墓地は社会性が目立つ。

 

 

 

 

 

6

< 6. 墓地内 4 >

 

 

7

< 7. 墓地内 5 >

 

墓地の中央に教会があります。

 

 

 

8

< 8. 墓地内 6 >

 

ここでもうすぐ墓地の端になります。

墓地の外側直ぐに地下鉄駅があり、ここから地下鉄に乗り次の観光に向かいました。

この墓地を見たことで旅行前の疑問が解けたので、世界遺産の墓地を訪問することを止めました。

 

 

* 世界遺産の「森の墓地、スコーグスシュルコゴーデン」について

 

 

9

< 9. Skogskyrkogården、左が北 >

SkogskyrkogårdenのHPより借用。

赤丸がバスを降りた所です。

 

同国ではじめて火葬を前提とした葬祭場と墓地が計画され、設計コンペティションが行われた。

当時まだ無名であった若い二人の建築家が選ばれ、25年の歳月をかけ松の木が生い茂った古い砂利の採石場に火葬場が完成したのは1940年でした。

二人の建築家の死後も墓地の工事は現在まで断続的に続けられている。

1994年に、ユネスコの世界遺産に登録された。

20世紀以降の建築作品としては、世界で最も早い登録でした。

(この説明はWikipediaから引用要約)

 

 

10

< 10. Skogskyrkogårdenの写真 >

 

写真はすべて借用しました。

 

旅行前、私はこのような新しく造られた墓地が世界遺産になっていることが不思議でした。

その理由は、概ね建築家はデザインに新規性を追求するものなので、文化的価値が乏しいと予想していたからです。

 

しかし、墓地Sandsborgskyrkogårdを見ていると、世界遺産の墓地のコンセプトに共通するものがあるとわかりました(写真で判断)。

この墓地Sandsborgskyrkogårdは1895年に出来ていたので、このコンセプトはスウェーデン本来のものだったと言うことです。

 

このことは後にオスロの墓地も見て、北欧に共通するものだと確信するようになりました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

Categories: culture+society, 連載 北欧3ヵ国を訪ねて, travel+photo | Tags: , | Leave a comment

北欧3ヵ国を訪ねて 29: 世界遺産の墓地へ


1DSC00734-1

*1

 

 

今回は、ホテルのあるÄlvsjö駅から世界遺産の墓地までの郊外を紹介します。

この日は2018年6月3日(日)で北欧訪問の4日目でした。

実は、この日も二つのハプニングに見舞われました。

 

 

2map2

< 2.バスのルート、上が北 >

 

青線がバスのルートで、左のÄlvsjöから出発し右のSkogskyrkogårdenで降りました。

今回、紹介するのは主にバスの車窓から見た郊外の住宅地です。

 

実は、私は間違って隣りの墓地に入ってしまい、世界遺産を見ずじまいでした。

これがまた貴重な経験になりました。

 

地図の緑枠が、今回間違って入った墓地で、上の黒点は後にストックホルムに向かう為に乗った地下鉄(黒線)の駅です。

私が入った墓地は南北600mで、その南側にある世界遺産のSkogskyrkogårdenは南北に1800mもあります。

 

 

 

3

< 3.朝のÄlvsjö駅 >

 

今回紹介する写真は6:50~7:30の撮影です。

 

上の写真: 駅舎の直ぐ横にバス停が並んでいる。

 

下の写真: バス停での出勤風景。

如何に移民が多いかがわかります。

 

 

 

4

< 4. バスの情報、掲示物 >

 

乗るバスは事前にグーグルマップで調べていて、161番のバスで目的地、世界遺産のSkogskyrkogården ( Woodland Cemetery)を目指します。

 

上の掲示物: 茶色の丸が乗るバスの表示です。

 

下の提示物: 赤丸が乗車停留所と降車停留所です。

赤の矢印は曜日を示します。

 

 

 

5

*5

 

写真は時間順に並んでいます。

 

 

 

6

*6

 

 

7

*7

 

 

8

*8

 

 

9

*9

 

10

*10

 

 

* 住宅街を通って感じたこと

 

この地域は非常に緑が多く、少し起伏はあるが概ね平坦な土地です。

バスが急に減速したと思ったら、鹿が道路を横切っていました。

 

住宅は広い庭を確保し、木々で囲っている一戸建てが多い。

米国の郊外住宅のようにオープンではなく、少し閉鎖的なようだ。

豪邸や由緒ある建物は見えなかった。

割合は少ないが中層マンションのような建物もある。

 

全体的に新しい住宅が多く、比較的新しい街並みのようです。

ストックホルム全体を通して感じたのだが、建設ラッシュとは言えないまでも、発展中との印象を受けた。

Älvsjö駅周辺もそうなのですが、住宅回りや公共地の植栽が丁寧に行われている。

 

意外だったのは、一戸建て住宅の外観が多種多様で、あまり伝統に興味がないことです。

おそらくはこの地は新興の通勤圏であり、海外からの移住者が多い為に、このような形態になったと想像できる。

 

 

11

< 11. バス停Skogskyrkogårdenで降車した >

 

上の写真: Sockenvägen通りの西側を望む。

 

下の写真: 右手の高架はメトロ18番線です。

ここでは地上を走り、ストックホルム手前で地下に潜ります。

私が撮影している側に地下鉄の駅があります。

 

 

 

12

< 12. Sockenvägen通り >

 

共に通りの東側を見ている。

私が入ったのは左側(北側)の墓地Sandsborgs kyrkogårdで、右側(南側)がSkogskyrkogårdenでした。

 

 

13

< 13. Skogskyrkogårdenに入る >

 

 

私は海外旅行をした折、出来るだけ墓地を見るようにしています。

そこには必ず、その国に根深く生き続ける精神、文化の保守的な面が表れるからです。

 

 

次回は墓地を紹介します。

 

 

 

 

 

Categories: culture+society, 連載 北欧3ヵ国を訪ねて, <japanese language, travel+photo | Tags: , | Leave a comment

北欧3ヵ国を訪ねて 28: ガムラ・スタンを歩く


1DSC00657-1

*1

 

 

今回は、ストックホルムで最も楽しみにしていた旧市街ガムラ・スタンを紹介します。

この街は戦争による破壊を逃れた為、中世の街並みが残っています。

 

 

2maps

< 2. ガムラ・スタンの散策ルート、上が北 >

 

今回紹介するのは王宮入り口のSから地下鉄駅SlussenのEまでです。

赤線が歩いた路で、黄色線は入館したことを示します。

Cは大聖堂、Mは大広場、Pは小さな広場です。

 

写真は2016年6月2日(土)14:30~16:20のものです。

 

この島は直径600~700mほどの大きさで、私が歩いたところはその中心部に過ぎません。

それにしても、かつてのスウェーデン帝国(17世紀)の首都の中心部にしては小さ過ぎる。

ここにスウェーデンの歴史が凝縮されているはずです。

 

 

3

< 3. 王宮に入る >

 

私は王宮の南側の坂道に面した入り口から、王宮に入りました。

中に入ると左右に2階に上る階段があり、右(東側)に上るとチャペル(下の写真)、左(西側)に上ると大きな会議室に行きます。

 

上の写真: チャペルの入口側から会議室の入口を見ています。

その下の階には宝物庫がありますが、入りませんでした。

会議室に入り、右に進むと王族の居室に入って行きます。

 

 

 

4

< 4.王族の居室 >

 

下の写真: 2階から1階に下りる階段。

ここから正面玄関(西側)に出ました。

 

 

5

< 5. 王宮の玄関前より >

 

下の写真: 大聖堂の鐘楼が見える。

 

 

6

< 6. 大聖堂 1 >

 

上の写真: 大聖堂の前から西側を望む。

 

下の写真: 大聖堂の内部。

奥に祭壇と説教壇が見える。

 

 

7

< 7. 大聖堂 2 >

 

上の写真: 正面入口側。

 

中央の写真: 木彫りの像「セント・ジョージと龍」。

 

これは素晴らしい像ですがそれだけではなく、ストックホルムと北ヨーロッパとの関わりを教えてくれます。

 

この像の作者はハンザ同盟が最盛期を迎えた14~15世紀に活躍したバーント・ノトケ(1435?-1509)で、この時代の北ヨーロッパで最も活躍したドイツの画家・彫刻家でした。

彼の作品で有名なものは、この像と髑髏が描かれた絵「死の舞踏」で

リューベックとタリンの教会にあった。

これら作品がある三つの都市は、すべてハンザ同盟に属す港湾都市で、リューベックはそのリーダーで北ドイツにあります。

 

つまり、ガムラ・スタン(スウェーデン)はハンザ同盟(ドイツが中心)と深く関わることによってバルト海・ボスニア湾・フィンランド湾の交易を通じて経済発展を成し得たのです。

その前のヴァイキング時代の東方交易が役立ってはいたのですが。

 

 

下の写真: タリンにあるノトケの「死の舞踏」。

この絵は黒死病に見舞われたヨーロッパの絶望をよく現わしており、この心情がやがて宗教改革に向かう原動力の一つになった。

北欧も黒死病に見舞われている。

 

 

8

< 8. 大広場 1 >

 

西欧の大都市の広場、さらに他の小国の首都と比べてもやはりこの広場は小さい。

この旧市街は海と湖に挟まれた小さな島に、13世紀、城壁を持った都市として始まった。

 

「北欧3ヵ国を訪ねて 13: 戦争と平和」で書いたように、この大広場で起きた16世紀初めの「ストックホルムの血浴」を契機にして、スウェーデンはデンマークからの独立と帝国への道を歩み始めることになる。

 

小さいながらも、この地はやはり政治の中枢だった。

 

 

 

9

< 9. ストックホルムの変遷 >

 

上の写真: 1570-1580年頃。

中央に王宮と大聖堂が見える。

この絵は北側からガムラ・スタンを見ているのだろう。

つまり左側がバルト海に通じる。

この時期、島以外はまだ未発展だった。

 

中央の写真: 1690年頃。

現在のストックホルム中心部が右側で、左側はセーデルマルム島でしょう。

つまり手前がバルト海に通じる。

 

この時期、スウェーデン帝国は繁栄の頂点にあったが、1700年から大北方戦争に突入し、ロシアに敗れ、1721年から没落が始まった。

 

二つの絵から百年の間にガムラ・スタンの両側は大きく発展していることがわかる。

 

 

下の写真: 時期は不明。

上の絵とちょうど逆の方向、西から見ているようです。

手前側がメーラレン湖側です。

 

 

10

< 10. 大広場 2 >

 

下の写真: 奥に大聖堂の鐘楼が見えます。

右手の建物はノーベル博物館で、ノーベル賞の歴史などの展示があります。

 

 

11

< 11. 小路 >

 

大広場からドイツ教会周辺の小道。

右下の鐘楼はドイツ教会のもので、ハンザ同盟の商人(多くはドイツ人)が1634から1648年にかけて建てたものです。

ハンザ同盟の各港湾都市では、ドイツ商人がその都市内に自らの社会を築き、教会を作った。

 

 

12

< 12. 憩いの場>

 

これは地図のPで示され、二つの小路が交わって出来た三角形の広場です。

この賑わう旧市街にあって、ここは住民が憩う場所になっている。

 

石畳の広場に植えられた大きな木が木陰を作り、風が今にも吹き抜けていきそうです。

ヨーロッパの旧市街、例えばスペインのトレド、南仏のエクサンプロバンス、エストニアのタリンにもあるような片隅の広場なのですが、実に良いですね。

 

実は、ここは火災で建物が壊れた折、馬車の旋回スペースとして空き地にされたようです(1728年)。

 

 

 

 

13

< 13. さらに南下する >

 

 

 

14

< 14. 鉄の広場 >

 

ここは南の端にある広場で、昔、港に運ばれた鉄をこの広場に保管しておいたことからこの名前が付いた。

 

実は、この鉄こそがスウェーデンの産業発展を促し、またガムラ・スタンを首都にすることになった。

 

今もスウェーデン鋼は有名ですが、この国の鉄採掘の歴史は古く、鉱山はストックホルムの北西100から300kmの範囲に広がっていました。

そして鉄は広大なメーラレン湖を通じて国内外と交易されました。

ヴァイキング時代が終わりバルト海が安全になった13世紀頃、ハンザ商人が鉄を求めてストックホルムに多く寄港するようになりました。

 

これに呼応してスウェーデン王は、それまでの内陸部の首都から、バルト海への輸送に適したガムラ・スタンに拠点を移したのです。

 

旅行前、なぜ防衛上脆弱なガムラ・スタンが首都になったのか、私には不思議でした。

これが外国勢力から急襲されればひとたまりもないこんな小さな島に、わざわざ内陸部から拠点を移した理由だったのです。

 

そして一時はハンザ同盟と繁栄を共有したのでした。

 

 

15

< 15. ガムラ・スタンの眺め >

 

上の写真: ガムラ・スタンを南側から見ている。

 

下の写真: 中央に地下鉄駅Slussenが見える。

 

私はこの駅から真直ぐホテルに戻りました。

疲れた1日でした。

 

 

* 6月1日と2日、ストックホルムとガムラ・スタンを歩いて

 

当初はガムラ・スタンをもう少し丁寧に見る予定でしたが、疲れもあり、真直ぐ南北を歩き抜けただけでした。

それでもおおよそ半分以上は見ました。

 

街並みは思っていたより古さ、郷愁のようなものを感じませんでした。

修復が良く行われているようです。

また街並みの建築には特別なデザインや目立つもの(バロック、アールヌーボー、北欧独特の様式など)を見かけることもなく、少し拍子抜けでした(あれば良いわけでもないが)。

 

それでも1日のシグツーナとストックホルム郊外、2日のストックホルム中心部、ユールゴーデン島、ガムラ・スタンと歩き、また自然歴史博物館、歴史博物館、北方民族博物館、ヴァーサ―号博物館、スカンセンを見学して、少しはスウェーデンの歴史や自然、社会や人々が見えて来たようです。

 

この2日間は驚きと発見の連続で、また様々なハプニングの洗練を受けた。

これがまた楽しいのですが、観光予定はズレるばかりです。

 

まだまだこの旅で最強のトラブルと発見の喜びを味わうことになります。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

Categories: culture+society, 連載 北欧3ヵ国を訪ねて, history+evolution, <japanese language, travel+photo | Tags: , | 2 Comments

Blog at WordPress.com.

PEMBANGUNAN MENERANGI DAN MENCERDASKAN

Jln Gereja Moria RT25 RW06 Kelurahan Liliba Kupang NTT

Crazartt

I was created to create@Mehakkhorana

フラワーエッセンスの不思議

フラワーエッセンスのエネルギーで皆さんを神秘の世界へと誘います。

...

love each other like you are the lyric and they are the music

大森酒屋

名酒をアナタに。

1日1日記 タイトル未定

すごくすごいわけではない人

My RICOH GRⅡ Photo

RICOH GRⅡで世界が広がる。見えていなかった世界を見たい。The world spreads out in RICOH GRII. I want to see the world that I did not see.

Moda-Creative thinking

Moda-Creative thinking

おっきな男に

アウトプットしよう

sisir ghosh search for value to enlighten life

Always learn from the curiosity within and around myself.

it rains in my heart

Just another WordPress.com site

Blog do Bittencourt

BRASIL: O ESTADO É LAICO!

Elin's Era

Life under the thinking tree

The Guide to being eco friendly

Mainly about eco friendly tips like gardening and being vegan

frangipani flower wearing tropical lady drinking jasmine green tea

Explored arranged marriage proposals lead to releasing what no longer serves my radiant life.

Stockresearch52's Blog

Just another WordPress.com weblog