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中国の外縁を一周して 23: 新幹線で開封から西安まで


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今回は、2回目の新幹線からの車窓風景を紹介します。

開封から蘭州まで行ったのですが、西安までを紹介します。

開封のホテルと開封北駅も簡単に紹介します。

 

 

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< 2. 新幹線のルート、上が北 >

 

赤線が今回の新幹線乗車ルートで、黒線が前回の北京―開封間ルートです。

今回の走行距離は約1200kmで乗車時間は6時間3分、乗り継ぎはありません。

この高速の直行便G2023は1日1回で、朝9:17発、15:20蘭州西着です。

この間を在来の直行列車で行くと、14~18時間かかり、夜行が多い。

蘭州まで新幹線が行けるようになったのは2017年からです。

現在、中国は凄い勢いで新幹線ネットワークを整備しています。

 

飛行機は早くて良いのですが、空港が不便な位置にあるので、移動が数百km以内なら新幹線の利用がお薦めです。

概ね、新幹線料金の方が航空運賃よりも安いことが多い。

今回、新幹線を選んだのは、車窓の景色を楽しみたいのと、両都市から空港が遠いためでした。

 

 

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< 3.开封银祥酒店(开封鼓楼广场清明上河园店) >

 

私達が2泊したホテルを紹介します。

今回の中国旅行で、最もフロントスタッフが素晴らしかった。

建物が少し古く、正面玄関が少し路地に入った所にあるのが残念だが、後はまったく問題なかった。

鼓楼通りに面しているので夜市も直ぐに行け、バスの利用も交差点から何処へでも行けます。

 

私は最後の日、朝早く出発して新幹線に乗るのが不安だったので、フロントに色々相談した。

彼女らは、数人がかりでタブレットの自動翻訳を使い、笑顔で親切に対応してくれた。

タクシーを呼ぶ時間も決めてくれ、当日の朝、予定通りにタクシーは来た。

他のホテルではここまで親切ではなく、大きなホテルほど愛想がなかった。

 

開封に行かれる方には、このホテルはお薦めです。

 

 

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< 4. 開封北駅にて >

 

この駅は新幹線の駅で、私が北京から到着した駅です。

幾つかのエピソードと利用について紹介します。

 

乗車について

ここは北京西駅と異なり、入場口は一つしかなく、パスポートを見せなければならない外国人は、数ヵ所のゲートの内、係員が立っている所に行けばよい。

ここで切符とパスポートを見せ、荷物検査を受けて入場する。

切符売り場はこの入場口から外側を右に行った所にある。

次いで、直ぐエスカレーターで2階に上がる。

これは蘭州行き、西側行きの列車に乗る場合の事です。

反対行きの場合は、おそらく1階の待合室で待ち、改札を経て反対側の2階ホームに上がるのでしょう。

 

写真3枚: すべて2階待合室の様子。

広いので立って待つことは無いようです。

売店、トイレもあります。

 

中央: この電子掲示板はホーム側に面した中央上部にあります。

この下が改札口になります。

列車到着の前になると、数ヵ所の改札口に人が並び始め、私はここでも係員のいる所に並び、ホームに入りました。

 

 

助けられたエピソードを紹介します。

 

入場時の荷物検査で、妻は係員に止められ、中国語の厳しい口調で注意された。

私達は訳が分からず立ち往生していると、並んでいた40代前半の男性が英語で「ナイフがあるので、出してください」と教えてくれた。

妻がスーツケースを開け、小型の万能ナイフを取り出し、係員に見せた。

これで無事、取り上げられることもなく通過出来た。

 

今一つは、私は「停車中の列車にスムーズに乗れるか?」が不安でした。

そこで待合室で、近くいる若い女性に切符を見せながら「私の乗る車両はホームの何処に着くでしょうか?」と尋ねた。

すると彼女は快く、「教えましょう」と言ってくれた。

 

私が改札を抜けると、彼女は私達をホームのある場所に案内し、ここで待ちなさいと教えてくれた。

周辺には何の表示もなく、他の乗客は皆、何故か私と違うところに並んでいた。

不安な時が流れたが、停車した列車の乗車口はぴったりと合っていた。

彼女は違う車両に乗った。

 

不思議な女性でした。

彼女は旅行客ではなく、新幹線を日常的に利用しているようでした。

しかし親切な人がいるものです。

 

実は、開封でタクシーを計4回利用したのですが、良いものも悪いものもあった。

開封北駅のタクシー乗り場からとホテルで予約したタクシーは、親切で問題はなかった。

しかし街中で流しのタクシーを拾った2回については、少し問題があった。

一つは、目的地の手前数百メートルで降ろして、後は歩いて行けと言い、きちっと料金は取られた。

どこかに急いで行く途中だったのだろう。

もう一つは、料金を高めに取られたことです。

もっとも高いと言っても額は小さいが。

 

 

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< 5. 開封から洛陽龍門へ >

 

車窓風景の写真は時間の順に並んでいます。

この4枚は開封から洛陽龍門までの約1時間ほどの景色です。

私は進行方向右、つまりいつも北側を見ています。

途中、鄭州東と他に一つの駅で停車しています。

 

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< 6. 洛陽龍門周辺 >

 

この4枚の写真は、洛陽龍門駅に入る所から、15分間ほど走った景色です。

ここは歴史的に有名な古代王朝の宮殿が幾たびも造営されたところです。

今はその面影はないが。

 

黄土高原が迫って来た。

 

 

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< 7. 渑池南站まで >

 

洛陽龍門駅から25分のところにある駅で、停車しません。

 

一番下の駅が渑池南站です。

 

 

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< 8. 幾度も黄河に出会う >

 

一番下の写真は黄河だと思います。

この辺の走行では、曲がりくねった黄河を幾度も渡って行くことになります。

ここを過ぎれば黄河は大きく曲がり、北上していきます。

巨大な山脈の谷間を流れる黄河沿いのこの地域、洛陽からこの辺りまでは、古来より西安にとって要衝の地でした。

詩に謳われた函谷関を既に過ぎたようです。

これから中原ではなく、関中に入って行きます。

 

残念ながらガス(黄砂?)がかかり、小雨が降りそうな天気、さらに窓ガラスも汚れていて遠くが見えず、良い写真が撮れなかった。

 

 

 

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< 9. 渭南北駅 >

 

この辺りは西安のある広大な盆地で、高層ビルが乱立するようになった。

上から二枚目の写真は、停車した渭南北駅だと思います。

 

 

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< 10. 西安北駅に到着 >

 

今回の移動の約半分を来た。

3時間弱の乗車でした。

 

この駅が今回のルートでは鄭州東と並んで最も大きい駅です。

西安には数々の遺跡がありますが、以前観光しているので、今回は省きました。

 

下2枚: 車内の写真。

これは2等席です。

シートの幅、前後が狭いとは思いません。

ただ横方向に2席と3席が並ぶので、夫婦で旅行する時は、2席の所に座りたい。

今回、そのようにしました。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 2: 兆候はあるのだが


 

 

 

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これまで多くの危機を乗り越えて来たのだから、

これからも大丈夫と人は信じたい。

しかし、単に偶然だったかもしれない。

これからは制御不能で、逃げる場所がなくなるかもしれない。

 

 

乗り越えられない危機などあるだろうか?

 

今回のコロナウイルスで分かったはずです。

世界は益々に繋がりを強めており、病原体が瞬く間に世界に広がっていくことを。

 

例えば中国経済が崩壊すればどうなるか?

中国との輸出入第一位の日本経済は大打撃を受け、また世界も金融危機から逃れられない。

さらに難民が大挙して押し寄せてくるかもしれない。

 

もし核戦争が起きれば、地球上の生命は根絶やしになり、何十万年も蘇ることは無い。

原発事故は恐ろしいが、その比ではない。

 

しかしまだまだ危機はある。

資源枯渇と地球温暖化が迫っている。

この深刻さを人々はまだ理解しようとしない。

 

さらに複雑で分かり難く、深刻化している危機もあります。

それは経済・社会・政治の危機で、これがもっとも根源的と言えます。

例えば金融崩壊、格差拡大、社会分断、金権腐敗でしょうか。

 

 

この危機の一端を見ます。

 

なぜ日本の賃金が下がり続けているのでしょうか?

 

アベノミクスも加担しているが、真因は単純だが根は深い。

バブル崩壊が繰り返される度に、景気の谷がより深くなっている。

益々、経済界は賃金を抑え内部留保を高め、政府に人員削減の容易化を要望する。

政府は景気刺激策と称して超金融緩和と労働規制の緩和を繰り返す。

この悪循環は世界を否応なく巻き込む。

 

こうして経済悪化と所得格差拡大が蔓延して行く。

これは高々40年前から始まったが、国民の主権が無視されている国ほど酷い。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 1: はじめに


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今、世界は急激に悪化しています。

突如として破局が訪れる可能性もあります。

私達の家族とその未来を守るにはどうすれば良いのでしょうか?

事実を集めながら検討します。

 

 

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< 2. 緊急情報です! 拡散願います >

https://www.youtube.com/watch?v=W3X3RSmf7ds

 

 

はじめに

 

皆さんは世界が崩壊すると思いますか?

何か予兆を感じることはありますか?

 

地球の生命38億年、人類300万年、新人類10万年、文明5千年間で似た事はあったでしょうか?

 

いや待てよ、これまで無数の予言はあったが、どれも事なきを得たではないか?

聖書の予言(ハルマゲドン)、ノストラダムスの大予言、核戦争勃発、資源枯渇(ローマクラブが警鐘)、中国崩壊など・・・。

 

しかし様々な民族が故郷を捨て大移動し、時には戦い、遂には姿を消してしまったことは限りなくあった。

その切っ掛けの多くは乾燥や寒冷化などの気候変動によるものでした。

例えば紀元前2千年紀の気候変動が、ナイル川の水位低下と西アジアの難民を生み、エジプト王国の衰退とユダヤ王国の誕生に繋がった。

 

また自ら環境を破壊し、衰退した文明もあった。

例えば古代ギリシャ人の入植地(港湾)やイースター島の放棄は、河川上流や島全体の森林破壊が原因でした。

 

現在はこれが巨大化している。

例えばチェルノブイリや福島などの原発事故です。

危機を脱することは出来たが、フロンガスによるオゾン層破壊もありました。

 

こうして振り返ると、あることが見えて来る。

 

生物や人類の進化は、地球の大規模な気候変動(多くは寒冷化)が切っ掛けでした。

やがて人類が地球を覆うようになると、気候変動は多くの民族や文明の盛衰の切っ掛けになりました。

しかし遂には、人類が自ら地球の自然(システム)を破壊し、行き場を失う可能性が高まって来ました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 19: 開封の夜市


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今回は開封の夜市を紹介します。

妻と二人で食べ歩いた。

実に楽しかった。

 

 

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< 2. ホテルから見下ろした夜市 >

 

上: ホテルの部屋から見下ろした夜市。

夜市は東西に延びる鼓楼通りで毎日あります。

中央に鼓楼が建っています。

 

下 : ホテルを出て、通りの反対側からホテルを見上げている。

奥の背の高い建物がホテルです。

 

ホテルを出たのは夜の6時45分頃でした。

この日は2019年10月20日の日曜日でした。

 

 

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< 3. 夜市へ向かう >

 

上: ホテルを出て直ぐの通りの反対側を見ている。

左側の櫓のような舞台で一人の女性が朗々と謳いあげていた。

韓国のパンソリに似ていると思った。

 

下: 夜市がある鼓楼通りの地下街。

服飾や雑貨の店が多く、店舗は皆飾り気がなく小さい。

庶民向けのショッピング街と言ったところでしょうか。

安い品物もあった。

 

 

 

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< 4. 夜市に出た >

 

写真の左右に鼓楼の建物が見える。

ここは夜市の中心で、大きな広場を囲むように所狭しと屋台が並んでいた。

すべて飲食を提供する屋台だけのようです。

屋台で注文して、自由にテーブルに座って食べます。

来ている人々は、すべて地元の人のようでした。

少なくとも団体の観光客を見ることはなかった。

食べ物の種類は豊富で、ゲテモノから定番の中華料理、得体の知れない料理までありました。

比較的、海鮮や串焼きが多いように思った。

 

今まで、台湾や中国などの夜市を観光で訪れたが、今回はじっくり楽しめた。

時間に制約されず、テーブルに座れるのが良かった。

 

 

 

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< 5. 様々な屋台 1 >

 

 

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< 6. 私達が食べたもの >

 

下: 私が食べたもの。

私は胃腸が弱いので、結局、ありきたりの料理、材料が分かる料理を頼んだ。

歩き回り、色々選んで合計6品を妻と分けて食べました。

概ね温かく美味しかった。

 

私達夫婦が注文で困っていると、近くにいた若いカップルの男性が助言してくれた。

彼は開封外から来た人で、彼女と今ここにいるようでした。

後で、北欧でもやったアンケートの記入を依頼したら、快く受けてくれ、二人は相談しながら記入してくれた。

 

一つ教訓を得た。

直ぐ食べたいので客が並んでいない屋台で買ったら、美味しくなった。

これからは少し客が並んでいる屋台で買うべきだと!

 

 

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< 7. 色々な食材 >

 

 

 

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< 8. 一番人気の店 >

 

上: この店には長い行列が出来ており、次から次と売れて行きました。

近くで見ても材料が分からなかった。

半透明の泥っとしたあんかけの中に細切れの食材が入っていました。

 

中: 鼓楼です。

 

 

 

 

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< 9. 一番のお気に入り >

 

上と中: ここの串焼きが実に美味しかった。

この手の店は多いのですが、何人かが並んでおり、ここで一本注文しました。

この兄ちゃんは見かけによらず、非常に丁寧に胡椒やタレを塗り、時間を掛けて焼いてくれる。

この兄ちゃんに、「好吃!好吃!」(美味しい)と言っても、表情を変えず、また別の物を焼き続けた。

 

この隣の屋台は彼のお父さんがやっていました。

彼らはどうやら回族なのでしょうか、帽子からそのように思うのですが。

料理もそうだと思います。

 

 

下: 買い物の屋台。

食事が終わって、鼓楼通りから雑貨を扱う屋台が並んでいる脇道に入った。

ここも人は一杯でした。

驚くほど安い品物があり、いくつか土産を買いました。

 

 

異文化の夜の町に漂いながら、ふと旅の楽しみを満喫している自分に気付いた。

親切な人々に出会い、地元の人々の暮らしぶりに接することも出来た。

そして何事もなくホテルに戻った。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 13: 旅を終えて


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今回で、この旅行記を終えます。

この旅行を通して感じたことを記します。

 

 

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< 2. 旅行のルート >

 

茨城空港からレンターカーで草津温泉と鬼怒川温泉に宿泊した2泊3日の旅でした。

赤線が航空路で、茶色線がドライブコース、赤四角が宿泊地です。

2019年11月17日から19日に旅行しました。

 

快晴に恵まれ、多くを見聞し、充実した旅になりました。

温泉に浸かり、紅葉を愛で、歴史遺産や絶景を堪能しました。

ただ、一人でこのコースをすべて運転するのはきつかった。

 

 

 

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< 3. 史跡足利学校と富岡の祭り >

 

足利の山裾に最古の学校があり、その発展保存の経緯から北関東の歴史が見えたような気がした。

 

富岡の祭りに偶然出会えて感激した。

その土地の温もりを直に感じられる良い機会だった。

 

 

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< 4. 草津温泉と吹割の滝 >

 

夜の湯畑は凄い賑わいで、寒さも忘れてしまいました。

念願が叶った一時でした。

 

吹割の滝は、予想外の素晴らしさでした。

紅葉に包まれた川縁を散策していると、別世界にいるようでした。

 

 

 

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< 5. 中禅寺湖と日光東照宮 >

 

噂にたがわぬ建築でした。

さらに紅葉と晴天が、さらに美しさを惹き立ててくれました。

 

 

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< 6. 弘道館と予科練平和祈念館 >

 

弘道館では水戸藩徳川斉彬・慶喜の親子の意気込みを知ることが出来た。

 

予科練平和祈念館と雄翔館では、予科練と特攻の関わりを知ることが出来た。

また、当時追い立てられるように散っていた若者の気持ちに少しは寄り添えた。

 

 

 

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< 7. 赤城山と榛名山 >

 

ドライブをしながら北関東の街並みと山河を見ることが出来ました。

平野部の高速道路を走り、山に入り林間の道を抜け、川沿いを進み、雪が微かに残る峠を越して来た。

 

平野に点在する林と小山、急峻な山肌を持つ山々、火山の多い北関東。

建築物にしても中世、江戸時代、そして明治初期のものまで見ることが出来た。

 

いままでぼやけていた北関東のイメージが、やっと纏まって来たようだ。

奈良時代に遡る歴史を持ち、繁栄を得ていた北関東の姿が。

 

 

訪問して頂きまことにありがとうございました。

これで終わります。

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 18: 開封博物館と開封


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これから数回に分けて八大古都の一つ開封を紹介します。

この地は日本が平安時代の頃に世界最大の都市になっていた。

私は当時の面影を求めてやって来ました。

ちょうど開封市挙げての菊花展が行われていました。

 

 

開封について

ここは宋(北宋)の首都(東京開封府と呼ばれた)でした。

宋は日本人にとってあまり馴染みが無いかもしれません。

しかし宋時代には興味の尽きないものがたくさんあり、この開封で宋時代の全盛期が生まれました。

 

宋時代の代表的なもの

文治主義による統治、中国最長の王朝。

商業と海外貿易、貨幣経済の発達。

三大発明、火薬・羅針盤・印刷術が生まれた。

朱子学や浄土宗が誕生した。

 

実は、私達に身近な物語「水滸伝」は宋時代を題材としたものです。

この時代に庶民文化が花開き、「三国志演義」の元となる講談が人気を博していた。

(この二つの物語が完成したのは明時代)

 

 

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< 2. 宋時代の人気者 >

 

これらは人気テレビドラマのタイトルで、下二つは日本でも放映され、私も見ました。

水滸伝、岳飛、包拯が中国では絶大な人気を博しています.

 

水滸伝は多くの好達が梁山泊に集い、国の為に戦う物語です。

岳飛は南宋時代、異民族の侵略を食い止めた勇猛な武将でしたが、宰相に謀殺され悲劇の人となった。

包拯は北宋時代、清廉潔白で名裁判官と評され、大岡越前と似ている。

 

 

 

 

 

 

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< 3. 北宋の開封 >

 

なぜ開封なのか?

 

上: 北宋時代(960~1127年)の領域。

黒四角が開封(東京開封府)です。

この後、北方騎馬民族の金が南下し、宋は開封を捨てた。

その領域(南宋)はおおよそ長江流域から南側とし、勢力は衰えた。

 

下: これは当時の水運ルートを示した地図(博物館より)。

青線が自然の川で、赤線が運河です。

このことにより北部(北京や西安、洛陽)と南部(上海、南京)が黄河と長江を介して直結されていた。

隋王朝が大運河を造ったことが画期となった。

 

開封は黄河沿いにあったので古くから発展していたが、唐が滅んだ後の1世紀は内乱が続き、かっての首都長安や洛陽は荒廃していた。

そして運河を利用出来た開封が宋王朝の首都になったのでしょう。

 

 

 

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< 4. 開封城 >

 

上: 開封城。

この図が何時の時代を表しているかは不明。

現在、開封の城壁や城門の一部が残っているのは内城のものです。

この地は幾たびも戦火と黄河の氾濫に遭い、遺跡は地下に眠っています。

現在見られる城郭は清代に建設されたものです。

 

下: 梁山泊の位置を示したもの。

開封を赤四角、梁山泊を赤矢印で示す。

 

 

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< 5. 開封博物館の位置 >

 

上: 赤四角が開封の位置。

左(西)に鄭州、洛陽、西安、右に商丘、徐州がある。

これらは古代より名を馳せた地でした。

 

中: 今回、私が訪れた所です。

Sが開封北駅、Mが開封博物館、赤枠が開封の内城です。

多くの観光スポットがこの赤枠内にあります。

赤枠内の三つの黄色の円が、私の観光した所です。

Hが二泊したホテルです。

 

開封博物館へは開封北駅からタクシーに乗りました。

博物館からホテルまでは、公共バスを一度乗り継いで行きました。

黒線がそのおおよそのルートです。

 

下: 開封北駅の全景(借用)。

ここも相変わらず駅前広場が広すぎて、タクシ―乗場に向かうのが一苦労でした。

タクシー乗場は広場前方にあり、標識で分かります。

タクシーは次から次とやって来るのですぐ乗れました。

 

 

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< 6. 開封博物館 >

 

ここは数年前に出来たようで、それまでの開封の内城内からこちらに移転して来た。

実に、巨大です。

この日は2019年10月20日の日曜日でもあり、見学者は多かった。

ここはパスポートを見せれば無料です。

 

上: この写真は博物館の西側を撮影したものです。

タクシーがこの西側で下ろしてくれた。

 

この入り口の右側の建物に入り、パスポートを見せてチケットをお貰いました。

私達は大きなスーツケースを持っていたので、別のカウンターに行き、荷物預けを頼みました。

カウンターの若い女性係員の一人と英語でやり取りが出来き、こころよく預かってくれた。

 

下: 荷物を預けて、一度建物(チケット窓口)をでて、本館の入り口に向かう途中。

外側を見ている。

 

 

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< 7. 館内へ >

 

上: 入館したばかりの所。

至るところで工事中か模様替えを行っていた。

 

中: 当時の開封の街並みを描いた絵。

眼下に街並みの賑わいが伺える。

 

下: 唐三彩。

 

 

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< 8. 開封城の復元模型 >

 

上: おそらく外城、内城、王宮の全体を復元したものでしょう。

何時の時代かは不明。

内城、中央の奥に王宮らしきものがあり、その右手前に大相国寺らしいものが見える。

 

当時、この狭い城内に百万人が暮らし、凄い人口密度だった。

内城の一辺は約4kmです。

 

下: 内城の時代ごとの変遷図。

 

 

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< 9. 開封の賑わい >

 

上: 当時の夜市が描かれている。

当時の開封の賑わいを知るには『清明上河図』が良いのですが、博物館にこの絵がありました。

 

実は、夜市は宋時代から始まり、この絵のような街並みも宋時代からなのです。

それ以前、例えば唐時代では市(商取引)は城内の限られた広場で限られた時間に行われ、官吏が厳重に監視していました。

しかし宋時代になると、商取引は通りで常時行われ、更に夜市も許されるようになりました。

これにより通りの様式が様変わりしました。

 

唐の長安では門を抜け大通りを行くと、左右は屋敷の壁で囲まれていた。

しかし、開封ではこのように町家の軒先が通りに面し、人が自由に往来出来たのです。

柳が町や湖畔を植えられるようになったのも宋時代からだそうです。

 

こうして経済が発展し、大衆文化が花開いたのです。

 

 

中: オペラの舞台のようなものです。

開封の夜市に行った時、道路に面したこのような舞台で一人の女性が朗々と歌っていました。

 

下: 店舗。

 

 

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< 10. その他の展示 >

 

上: 薬屋でしょうか。

 

下: このような近代の街並みも再現されています。

 

写真は撮っていないのですが、驚いた展示もありました。

それは日中戦争に関わるものでした。

日本軍がこの地に侵攻していたのです。

1937年に盧溝橋事件が勃発し日本軍が南京を占領した後、徐州作戦で開封を占領したのはその1年後でした。

 

中国人に交じって一人、侵略する日本軍の状況を見るのは嫌なものです。

とは言っても、中国や朝鮮半島各地を観光していると大概、戦禍を知ることになりますが。

 

旅行先で色々知ることができました。

桂林のような山奥でも日本軍が進攻していました。

北京の盧溝橋の傍にある中国人民抗日戦争紀念館では、日本軍の残虐行為を示す写真が並んでいます。

蘭州でも日本軍が鉄橋を爆撃したと聞いた。

これらはすべて日中戦争での出来事です。

 

また廈門の奥、山間部にある客家土楼では、かつて倭寇が攻めて来たと書かれていた。

この倭寇は日本人が主体ではないかもしれないが。

 

 

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< 11. バスで開封の中心部に向かう >

 

上: 開封博物館の全景。

 

中: 開封博物館の西側。

この奥の方に開封北駅がある。

 

下: 開封博物館の横を東西に走る道路。

道は非常に広いが車は少ない。

 

タクシーとバスから外を見ていると開封の発展に驚かされました。

開封北駅から開封の中心部(内城)までは高々ここ数年間の大規模な都市開発で出来たようです(開封北駅の開業は2016年)。

原野のようなところに忽然と高層のマンションが林立し、また途切れます。

その規模の壮大さに圧倒されます。

実は、これから巡る奥地でも同様かそれ以上でした。

 

 

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< 12. 途中の景観 1 >

 

バスの乗車で注意すべき事を一つ。

今回、途中で1回バスを乗り替えたのですが、バス停の名前が紛らわしい。

バスの路線によって乗り換えるバス停の名前が違うのですが、実は同じバス停に違う二つの名前がついていたのです。

スマホの百度地図アプリを使用しGPSで位置確認していたので間違うことは無かったが、バスが来るまでは不安でした。

バス停の名前には注意してください。

 

 

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< 13. 途中の景観 2 >

 

 

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< 14. 開封の中心部 >

 

鼓楼通りと交わる交差点に降り立ちました。

ここからホテルは直ぐです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 12: 予科練平和祈念館


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今回は最後の訪問地、予科練平和祈念館を紹介します。
ここで太平洋戦争で散った若人達の生きざまを知ることが出来ます。
霞ヶ浦の淵、自衛隊駐屯地の脇に記念館はあります。

 

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< 2.予科練平和祈念館の位置、上が北 >

赤の四角が、記念館の位置です。
この土浦の阿見町には、大正時代から霞ケ浦海軍航空隊が置かれ、第二次世界大戦開始共に、ここに予科練が移転し、全国の予科練教育の中心となった。
戦時中の爆撃で施設は壊滅したが、現在、跡地に陸上自衛隊の駐屯地があり、その中に予科練戦没者の遺書や・遺品を収めた雄翔館がある。
この駐屯地に隣接して広大な公園があり、その中に近代的な記念館がある。

私は雄翔館を見てから記念館を訪れました。

 

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< 3. 雄翔館を目指す >

私は予科練平和祈念館の前の駐車場に車を置き、雄翔館に向かう。
ここに行くには駐屯地に入らなければならず、衛兵に挨拶して向かった。
雄翔館は16:30に閉館します。

上: モダンな建物が祈念館。
下: 駐屯地に並ぶ戦車群(現役ではないようです)。

 

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< 4. 雄翔館 >

上: 雄翔館の正面。

下: 雄翔館の入口から駐屯地を望む。

建物は大きくはない。

 

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< 5. 雄翔館、遺書の展示 >

彼らの遺書を見て目頭を熱くしたが、以前訪れた鹿児島の知覧特攻平和会館でも同様でした。
予科練と言えば颯爽とした若き航空兵と言うイメージだったが、彼らも多くは特攻兵になった。
終戦までの15年間で24万人が入隊し、うち2万4千人が戦地に赴き、特攻に進んだものも多く、戦死者は8割にのぼった。

 

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< 6. 雄翔館、遺品の展示 >

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< 7. 山本五十六連合艦隊司令長官の書簡 >

これは彼がこの予科練の司令官に送ったもの。
彼はこの書簡を書いた18日後に撃墜されている。

文面は予科練司令官に、ガダルカナル島撤退以降の日本の苦境を吐露しながらも、米軍の物量優位に勝るには、「立派に死ねる闘士を育てることが肝要」と訴えている。
当時、真珠湾攻撃からほぼ1年が経ち、ミッドウェー海戦からガダルカナル島撤退へと日本の敗戦色は濃厚になっていた。
当然、国民は真実を知らず、まだ勝利に酔いしれていた。

理知的で知られる最高指揮官の彼ですら、精神論を振りかざすしか手がないのが如何にも口惜しい。
もし国民が真実を知らされていたなら、違った国の舵取りが行われただろう。
そして若い人々は、死に急ぐことはなかった。

いつも思う。
彼らの国に殉じる思いは尊い、当然命も。
しかし、殉じることで国は救えず、圧倒的な物量の前では無駄な死と言えるだろう。
何も知らない若者をそんな境遇に追い込んだ時代が悲しい。

二度と馬鹿げた軍事国家を作ってはいけないと唇を噛み締める。

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< 8. 人間魚雷、回天 >

 

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< 9. 予科練平和祈念館 >

上: 外観。
下: フロア図。
内部は撮影禁止なので、ホームページから写真を借用しました。

展示室は7カ所に分かれています。
この番号に従って、次の写真にテーマ紹介があります。

 

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< 10. 展示室のテーマ >

記念館は大きくなく、見学時間はそうかかりません。
斬新な展示だが、今一つ要領を得ていない。
史実を分かり易く伝えると言う意味では中途半端だと感じた。
それでもこの手の展示は必要だと思う。

 

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< 11. 当時の全国予科練の設置状況 >

 

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< 12. 霞ヶ浦の夕陽 >

一度は訪れて見たかった霞ヶ浦だったが、記念館の閉館(17:00)共に外に出ると辺りは暮れていた。
直ぐ裏手の淵に辿り着くと、正に夕陽が沈む所でした。

雲に覆われ、微かに赤い西の空が予科練生の生きざまを象徴しているようでした。
悲しくも美しい生き様がここにはあった。

次回に続きます。

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晩秋の北関東をドライブしました 11: 水戸の弘道館


 

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今回は、明治維新の立役者、水戸徳川家の弘道館を紹介します。

その建物の大きさと気概に感銘しました。

 

 

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< 2.弘道館MAP、方角は矢印通り >

 

上: 水戸城と弘道館を示す。

現代の地図に江戸時代の配置を重ねている。

白色部分の右が水戸城、左が弘道館で、濃い茶色が堤、橙色が空堀。

弘道館の大きさに驚くばかりです。

 

赤線が見学したルートで、Sからスタートした。

 

 

下: 弘道館の拡大図で、上と向きが違います。

下側の茶色い部分が講道館の中心的な建物、正庁で創建当時からのものです。

黒線が見学したルートでSからスタートし、茶色線で戻った。

 

写真は見学した順番に並んでいます。

 

 

 

 

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< 3. 弘道館の駐車場と入口 >

 

上: この広い道路を挟んで、向かいに水戸城の大手門があります。

この日、ちょうど大手門の復元整備完了に合わせて見学会が行われていました。

 

 

 

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< 4. 正門 >

 

上: 藩主が来館する際などに使用した正門。

 

下: 見学者はその右手にあるこの門から出入りします。

 

 

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< 5. いよいよ正庁に入る >

 

上: 門をくぐると正庁が見えた。

 

下: 成長の玄関。

見学者は右手の小さな玄関から出入りする。

 

 

 

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< 6. いよいよ正庁内を歩く >

 

 

上: 玄関を内側から見た。

 

下: 来館者控えの間、諸役会所。

「尊攘」の掛け軸は、1856年、斉昭の命で書かれたもの。

 

江戸末期、180年前の建物がほぼ無傷で残っている。

素晴らしい!

この廊下や部屋から徳川斉昭や慶喜の息遣いを感じることが出来るような気がした。

 

 

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< 7. 対試場に面した廊下 >

 

上: 廊下から正門を見る。

 

下: 対試場に面した廊下。

左の広場で武術の試験などが行なわれ、藩主は廊下右手の正庁正席の間から見た。

 

 

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< 8. 正庁正席の間 >

 

上: 正庁正席の間。

藩主が臨席して、正席の間や二の間で学問の試験や対試場で武術試験が行われた。

 

 

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< 9. 至善堂御座の間 >

 

上: 至善堂御座の間。

大政奉還後の明治元年(1868年)、慶喜は水戸へ下り、幼少時代を過ごしたこの至善堂にこもり、静岡に移るまでの約4ヶ月間、厳しい謹慎生活を送りました。

 

NHKの大河ドラマ「西郷どん」の徳川慶喜のシーンが蘇ります。

 

 

 

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< 10. これで一周しました >

 

 

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< 11. 正庁を出て >

 

 

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< 12. 孔子廟 >

 

上: 孔子廟の門。

 

下: 鹿島神社。

 

 

弘道館について

 

水戸藩の藩校である弘道館は、藩主徳川斉昭が推進した藩政改革の重要施策のひとつとして開設されました。

弘道館建学の精神は、「神儒一致」「忠孝一致」「文武一致」「学問事業一致」「治教一致」とされていました。

弘道館は、1857年に開館されました。

藩校当時の敷地面積は約10.5haで、藩校としては全国一の規模でした。

敷地内には、正庁・至善堂・文館・武館・医学館・天文台・鹿島神社・八卦堂・孔子廟などが建設され、馬場・調練場・矢場・砲術場なども整備され、総合的な教育施設でした。

弘道館では藩士とその子弟が学び、入学年齢は15歳で40歳まで就学が義務づけられ、生涯教育といえます。

学問と武芸の両方が重視され、多彩な科目が教えられていました。

また、医者を養成する医学館では、種痘や製薬なども実施されていました。

 

https://www.ibarakiguide.jp/kodokan/about.html

を要約

 

感じた事

 

藩校の弘道館と名のつくものが、江戸時代に10校造られた。

また足利学校のように儒学の学校に併設されていた孔子廟は、今も各地に10ヶ所ほど残っている。

栃木県の足利学校と言い、この弘道館と言い、孔子の儒学、朱子学は長期に渡り武家教育で重要な位置を占めていたことを実感した。

 

一番感銘を受けたのは、弘道館の広さが、水戸城の御城とほぼ同じだと言うことです。

江戸末期、徳川斉昭が武家屋敷の地に、この弘道館を建てた意気込みに感じ入りました。

それほど日本の危機を感じとり、そして改革の中心に教育を持ってきたことが素晴らしい。

 

いいものを見学しました。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 16: 琉璃廟大街から西単大街へ


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今回は、書道関連品や骨董品の店が並ぶ通りと大きなショッピング街を紹介します。

ショッピング街で夕食をとりました。

今回で二日間の北京観光が終えます。

 

 

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< 2. 散策マップ、上が北 >

 

概略のルート

上のS、故宮站で下記の観光バス(赤線)に乗り、天壇の西横、Eの天桥站で降りました。

本当は天壇に行くつもりでしたが、元の両替に時間がかかり行けなくなりました。

次いでタクシー(ピンク線)を拾ってCの琉璃廟古文化街に行きました。

ここを西の方に散策(茶色線)し、大通りに出てバス(黒線)に乗り、Dの西単で降りました。

 

 

 

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< 3. 北京观光1线公交线について >

 

このバスは写真のようなレトロな1階バスです。

このバスの走行ルートは、上記地図の青線で下側の永定門内站からスタートし戻って来ます。

バス停名は上記の通りです。

 

 

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< 4. 北京观光1线公交线に乗る >

 

上: 私が乗ったバス停は故宮と景山公園の間にあり、ちょうど景山公園の入り口が見えています。

 

 

下: バスの内部。

ここで一つハプニングが起きました。

このバスには女性の車掌が乗っています。

その車掌が、立っている妻の前で座っている男性を、突然きつい口調で注意しました。

男が立って席を空けてくれたので、妻は座ることが出来ました。

 

年配者のマナーが良くないことは多いが、他のバスでも車掌が注意して正すことがあった。

この辺りが独特です。

 

 

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< 5. 天安門広場を望む >

バスの車窓からの眺め。

 

上: 地図のAから毛主席記念堂を望む。

もの凄い人だかりです、故宮に行く為でしょうか。

 

下: 地図のBから正阳门を望む。

この門が昔の内城(紫禁城をさらに取り囲む)の南側の門でした。

左が正阳门で右が正阳门(箭楼)で、500年の歴史があります。

 

この観光バスを天桥站で降りたのですが、手持ちの元が少なくなったので、両替出来る銀行を探しました。

近くにはあったのですが、二軒目が両替可能でした。

ところが中に入って、係員の説明に従って書面を記入するまでは何とか出来たのですが、窓口で順番を待つ時間が非常に長い。

合計1時間以上かかってしまい、天壇には行けずじまいでした。

これは開封の銀行でも同様でした。

 

中国はスマホでのIT金融は非常に進んでいるのですが、従来の金融、銀行業は旧態依然としているようでした。

もっともこんなところで両替するのが間違いなのですが。

スマホ決済出来ない方々は十分に現金を持っておいてください。

 

 

 

 

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< 6. 琉璃廟古文化街に到着 >

 

上: 古文化街はこの道路を東西に横切る形で延びている。

 

下: 後に中央の通りを西に進むことになります。

 

 

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< 7.東側の琉璃廟古文化街 >

 

上: 道路の東横にあるこの広場の北側に古物店が並ぶ海王村古玩市場があります。

入ってみましたが、安い土産品を買うような所ではないようです。

 

下: 通りを東側に行く。

しかし、次のバス停が西側なので、直ぐ折り返した。

 

 

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< 8. 西側の琉璃廟古文化街に入る >

 

書道関連品の紙や筆などの店が軒を並べている。

何軒か古物店に入ったが、値札を見ると高価であり、関心を惹くものは無かった。

ただ書画用の絵図(印刷された花鳥風月、人物、風景画)は非常に見ていて楽しかったが、荷物になるので買わなかった。

 

 

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< 9. 琉璃廟古文化街を抜ける >

 

中国はどこに行っても建設ラッシュであり工事中です。

 

 

 

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< 10. 西単大街に来た >

 

上: 西単大街には、王府井に比べ団体の観光客が少なく、若い人が多かった。

 

下: 王府井でもそうだったが、バラ売りお菓子の個包装がけばけばしい色をしている。

 

 

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< 11. ショッピングセンターの一つに入る >

 

 

 

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< 12. レストラン街を目指す >

 

ビルに入りエスカレーターで上がると、これまたドギツイほどのカラフルな内装とけたたましい音楽が迎えてくれた。

このワンフロアがレストラン街になっており、火鍋のレストランに入りました。

以前、北京で食べたオーソドックスな火鍋ではなく、肉とそれ以外の食材が豊富でした。

鍋の汁も異なっていた。

しかし美味しく、また楽しめた。

セットメニューを選んだのですが、選択肢が多く、店員とのやり取りではかなり苦労した。

 

私は中華料理が好きですが、本当にバラエティーに富んでおり、今回の旅行では本当に食事を楽しむことが出来た。

 

 

 

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< 13. 西単の地下鉄駅を目指して歩く >

 

地下鉄を乗り継いでホテルに戻ります。

これで北京最後の夜を終えました。

明日は、新幹線に乗り開封に向かいます。

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 10: 日光東照宮


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今回紹介するのは日光東照宮です。

今回の旅行のハイライトの一つがこの陽明門です。

 

 

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< 2.日光山の地図、上が北 >

前回と同じ地図。

 

上: 日光東照宮、日光荒山神社、日光山輪王寺、大猷院霊廟などがある。

右側S(駐車場)から赤線に沿って進み、輪王寺三仏堂1を見て、参道2に出た。

参道を北上し、東照宮の境内3に入り、拝殿4に入館した。

そこを出て青線に沿って進み鳴竜5を見て、元の駐車場に戻った。

 

下: 私が訪れた日光東照宮。

赤線は往路、青線は復路です。

 

写真はほぼ散策順に並んでいます。

 

 

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< 3. 鐘楼 >

 

私が気に入ったのは、陽明門の右手前にある鐘楼のある風景でした。

 

上: 左手に極彩色の花鳥の透かし彫りが施された回廊と石灯篭が連なり、右手に鐘楼、そして奥に、朝陽を浴びて今が盛りと輝く一本の銀杏、青空に映えて実に美しい。

 

陽明門の左手に鼓楼があり、さらに奥に薬師堂(本地堂)があり、そこに鳴き龍があります。

 

 

下: 逆方向から見た。

 

 

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< 4. 鐘楼と回廊 >

 

 

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< 5. 念願の陽明門 >

 

上: 階段下から見上げた陽明門。

無数の龍と獅子が門に群がり、そこに住み着いているようです。

目を見開き、牙をむき恐ろしい顔をしているようにも見えるが、不思議に愛くるしい。

 

日光東照宮は徳川家康の霊廟ですが、神様として祀られている。

家康は、この地に質素な社殿を建てるように遺言したが、後の1636年に、家光が現在の豪華絢爛たる社殿にすべて作り替えた。

そして昭和の大修理を終え、今また平成の大修理が進んでいる。

 

 

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< 6. 陽明門 1 >

 

陽明門を飾る彫刻は500を越える。

 

 

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< 7. 陽明門 2 >

 

 

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< 8. 陽明門の裏側 >

 

 

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< 9. 拝殿と唐門 >

 

上: 手前に唐門とその両側に透塀が見える。

その奥に最重要の御本社の拝殿が見える。

 

下: 唐門は胡粉で白く塗られ、上部の彫刻群は中国の故事を表している。

 

 

 

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< 10. 拝殿に入る >

 

上:  唐門の左側を望む。

左に祈祷殿、右に神楽殿が見える。

この中央を進むと有名な左甚五郎作の「眠り猫」がある。

ここは別料金で、私は行かなかった。

 

祈祷殿の手前を左に入り、靴を脱ぎ、回廊を歩き拝殿に入る。

拝殿の座敷に入ると、一人の巫女が、大勢の観光客に前に詰めて座るように促した。

ここでひとしきり拝殿の説明があった。

 

私はちょうど一番前に座ることが出来た。

目の前には、飾り気のない大きくもない暗い空間が広がるだけでした。

しかし、かつて私が座っている場所に家光などの歴代の将軍家が座り、その後ろには譜代大名が続いていたとは・・・。

不思議な感覚でした。

 

その後、その巫女はお守りの売り込みを始めました。

私もその気になり、妻に買うように促しました。

 

 

下:  神輿舎(しんよしゃ)。

唐門に向かって左手にある、祈祷殿の反対側。

 

 

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< 11. 鳴き龍 >

 

上: 薬師堂(本地堂)の天井に描かれた鳴き龍。

写真は借用です。

 

後に家康は薬師如来の生まれ変わりと信じられ、ここに薬師瑠璃光如来が祀られているのですが、すっかり鳴き龍が有名になった。

 

私達が列を作って堂内に入ると、一人の僧が、鳴き龍の下を囲むように並ばせ、拍子木を打ち始めた。

最初は部屋の端で鳴らしたが普通の音だった。

しかし中央で叩くと、甲高い鈴の音が余韻を残し鳴り響いた。

これが鳴き龍だと納得し、造営者の左甚五郎は凄いと思った。

 

その後、かの僧もまた新たな御守りを薦めた。

それは先ほどのものより更に御利益があると言う。

妻はまたここでも買った。

 

天井の鳴き龍の顔の辺りが凹んでいることで反響し鳴くようです。

この現象は1905年に偶然発見されたものでした。

左甚五郎が計画的に作ったものか、経年変化かどうかは不明です。

 

 

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< 12. 美しい紅葉 >

 

これで日光とはお別れです。

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 15: 観光バスで巡る北京


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今日は、北京の観光バス3号線からの眺めを紹介します。

約1時間、北京中心部の北西部にある幾つかの観光地を車窓から見ました。

 

 

 

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< 2. 観光バス3号線について >

 

上: 「北京城市观光3线公交车」の情報とバスの外観。

私が乗ったのは「下行」で、頤和園の北門から紫禁城の神武门(北門)まで行きます。

下の地図の青線が、そのルートです。

バス停は合計12箇所です。

サービスは何もないが、ゆったりしたシートに座りバスの2階から景色を楽しめます。

料金は大人20元、一卡通提示で15元です。

 

下: 走行ルート、上が北。

乗車のバス停は頤和園の北門の東側直ぐにある大きなバス駐車場の道路沿いにあります。

降車のバス停は紫禁城の北側、景山公園南門の前の道路沿いにあります。

ここは、この戻りのバスや他の観光バスの発車場所になっていますので、多くのバス停があり非常に込んでいました。

 

このルートで私が楽しみにしていたのは、中関村(北京のシリコンバレー)、鳥の巣(オリンピックのメインスタジアム)、鼓楼と城門(德胜门箭楼)でした。

 

私は途中一度も降車しませんでした。

 

 

 

 

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< 3. 観光バス3号線の内部 >

 

上: 観光バス3号線の2階。

 

下: 圆明园、最初の観光地です。

 

 

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< 4. 精華大学 >

 

上: 精華大学の門が見える。

 

下: 通りを示す看板に「中関村」とある。

バスからは確認できなかったが、近くに中関村サイエンス・パークと呼ばれるところがある。

 

この周辺には世界有数の精華大学、北京大学、国家の研究機関などが集まっており、また日本を含む海外のIT代表企業が研究所を建ている。

IMB、Microsoft、Apple、Intel、Nokiaや富士通など。

中国と海外企業がここに毎年数兆円をつぎ込み、200を越える研究所、参加企業数は4万社を越える。

ここは中国の科学技術と産業発展をリードしている重要な地域の一つです。

北京には他にもこのような場所があり、当然、深圳や天津、蘇州など各地にも多数ある。

 

これらが、中国が幾つかの先端分野で米国を抜く特許件数を出す理由の一つだろう。

国を挙げての取り組みと、それに乗る海外企業の多さに驚くばかりです。

 

ここでも旧態依然とし、乗り遅れることに無頓着な日本を思ってしまう。

 

 

 

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< 5. 北京大学 >

 

上: 北京大学。

 

 

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< 6. 鳥の巣 >

 

上: 鳥の巣が左側に見える。

中国らしく、全てが巨大で広大、歩く気になれない。

 

下: バスはこの一帯を一周した。

斬新な建物が目を惹く。

 

 

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スモッグらしいが、視界が悪い。

 

 

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< 8. 德胜门(徳勝門 ) >

 

これはかつての内城(北京)の北側の門の一つで元朝、15世紀に建てられた。

 

 

 

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< 9. 鼓楼と钟楼(鐘楼) >

 

上: 右が鼓楼、左が钟楼(鐘楼)。

鼓楼は13世紀に始まり、大太鼓と角笛で時を知らせていた。

鼓楼は他の古都でもよく見かける。

钟楼は15世に始まり、63トンの銅製の鐘があった。

この二つは紫禁城を南北に貫く中心線上にある。

 

下: 鼓楼。

西安で見たことがあり、今回、開封でも見ることになる。

 

 

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< 10.終点に近づいた >

 

上: 鼓楼を過ぎた什刹海の辺り。

前日訪問した場所です。

 

下: 遠くの山頂に景山公園の建物が見える。

ここも前日訪問した場所です。

あの反対側に着くと、バス観光は終わります。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 9: 日光山輪王寺


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今回と次回で、日光山を紹介します。

素晴らしい天気と鮮やか紅葉に恵まれました。

訪れたのは2019年11月19日、9:00~11:00です。

 

 

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< 2.日光山の地図、上が北 >

 

上: 日光東照宮、日光荒山神社、日光山輪王寺、大猷院霊廟などがある。

右側S(駐車場)から赤線に沿って進み、輪王寺三仏堂1を見て、参道2に出た。

参道を北上し、東照宮の境内3に入り、拝殿4に入館した。

そこを出て青線に沿って進み鳴竜5を見て、元の駐車場に戻った。

 

下: 私が訪れた日光東照宮。

赤線は往路、青線は復路です。

 

写真はほぼ散策順に並んでいます。

 

 

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< 3. 輪王寺三仏堂 1 >

 

周囲の紅葉が青空に映えて実に美しかった。

 

 

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< 4.輪王寺三仏堂 2 >

 

上: 日光三所権現本地仏(右から千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)。

撮影禁止なので借用。

制作年代等は不明。

2019年修復されたばかりの金色が眩い、高さ7.5mの三体の仏像は暗い堂内を圧倒していた。

大きな堂内が狭く思えた。

 

下: 輪王寺三仏堂から大護摩堂を見る。

右手の紅葉がまた素晴らしかった。

 

この輪王寺の歴史は古く、奈良時代、勝道上人がここに輪王寺を開山した。

彼は今の栃木県辺りで活躍し、中禅寺も創建した。

平安時代あたりから天台宗寺院として歩み始める。

江戸時代になると、家康の側近として活躍した天海(天台宗の高層)が貫主となり復興が進んだ。

そして徳川家康の霊を神として祀る東照宮が設けられた。

 

後に徳川家光の霊廟になる輪王寺大猷院には、時間が無かったので行きませんでした。

 

 

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< 5. 輪王寺三仏堂と参道 >

 

上: 右が輪王寺三仏堂、左が大護摩堂。

 

下: 参道の下り方向を望む。

 

 

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< 6. 石鳥居 >

 

1618年、筑前(福岡県)藩主黒田長政が奉納した。

 

上: 東照宮側を望む。

 

下: 反対側を望む。

 

 

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< 7.五重塔 >

 

右: 五重塔。

1650年、小浜藩主酒井忠勝によって奉納された。

後に焼失したが再建された。

 

左: 表門。

仁王像が安置されている東照宮最初の門です。

ここで入場券を確認します。

 

 

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< 8. 表門を抜ける >

 

上: 表門の反対側。

 

下: 少し境内に入って進行方向を望む。

 

 

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< 9.神厩舎・三猿 >

 

上: 神厩舎・三猿。

ここは御神馬をつなぐ厩で、猿は馬を守るとされ、人生を風刺した猿の彫刻が上面に飾らている。

中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」が有名。

 

下: 階段の奥に陽明門が見えて来た。

 

 

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< 10. 御水舎 >

 

心身を清める為の建物で、水盤が見える。

 

 

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< 11. 輪蔵 >

 

上: 階段を上がると陽明門の前に至る。

 

下: 階段の手前、左側にある経典の蔵。

経典の棚が回転式の為、この名がついた。

 

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< 12. 階段を昇った所 >

 

次回に続きます。

 

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人はなぜ愚行を繰り返すのか? 34: 最後に


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< すばらしい主役たち >

 

ここまで読まれた方は、既に理解している。

日本の何が問題で、どうすれば良いかを。

簡単にまとめます。

 

1 安倍政権を存続さてはいけない

 

日本の衰退を止めるどころか、大きな破綻の後、間違いなく衰退途上国になる。

当然、与党が続けて政権を担うなら同じでしょう。

結局は米国隷属・財界従属・官僚専横・汚職政治から抜け出せない。

 

 

3 野党を育てる以外に道はない

 

野党は未熟だが、再度野党に政権を担わせ、転換を図るしかない。

腐敗を断ち切り、独立を果たし、再生に向かうにはこれ以外にない。

 

 

4 どの道を進むべきか

 

残念ながら日本を再起させる確実な理論はなさそうだ。

しかし北欧や中国は、米国流と異なった手法で成功を手に入れている。

必ず衰退から脱する道はある。

 

5 何を変えるべきか

 

* 教育

後進国並みの政治風土が政治の劣化を生んでいる。

だから北欧のように政治意識を育てる教育が必要です。

男女平等も。

 

* 財界と労働界が協議し、新規産業育成を方向付ける。

様々な特権を無くし、無駄な規制・指導を止める。

 

* 官僚の特権を崩す(特別会計、天下り)。

最有力のIPS細胞の援助を減らそうとする官僚は不要だ。

 

* 中央から地方自治へ(北欧では進んでいる)

中央が膨大な予算を握っていることが、腐敗、専横、意欲減退を生んでいる。

 

* 米国追従からの独立

多くの経済凋落のきっかけは米国の圧力でした。

立ち位置が難しいが、米国の過去の振る舞いを見るなら戦争の危機は確実に増す。

 

 

私が望むのは、北欧のように国民の一人一人が社会・政治・経済に目を向け、希望を持って進み、豊かさと安寧を手に入れることです。

少なくともこのまま愚行を繰り返さないことを願うばかりです。

 

これまで読んで頂きありがとうございました。

 

 

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人はなぜ愚行を繰り返すのか? 33: 凄い安倍さん


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< 茶目っ気たっぷりな >

 

安倍さんの凄い点を語ります。

ウヨも必見。

 

 

* 果敢さ

 

一番は日銀総裁の任命でしょう。

リフレ策は他国で実施済みとは言え、日銀の主流は反対でした。

大抜擢された黒田総裁は躊躇なく次々と世界初を敢行していく。

彼のお陰で株価は上がったが、公言していた効果は何年経っても無い、残ったのは不安だけ。

 

NHK籾井会長の就任も同様で、この会長は公共放送のトップでは考えられない発言をして世界を驚かせた。

 

実に剛腕であり、これも広く人気を生む。

 

 

 

* 最高のパフォーマー

 

隣国への強硬な外交姿勢の一方で発展途上国への莫大な貢納、派手なJアラート、芸能人やアスリートとのツーショット、野党攻撃、トランプとの派手な親交、どれをとっても歴代首相を遥かに凌いで目立っている。

 

なぜか歴代首相はここまでやらなかった(忙しいのか恥ずかしいからなのかは不明)。

 

実に見栄えが良く、これも広く人気を生む。

 

 

* 稀に見る優しさ

 

首相夫人が何をしでかしても、政府が一丸となって尻拭いをする。

夫婦愛と共に、同僚議員や官僚の失敗にも寛大で優しさは群を抜く。

 

優しいのは身内や支援者に限り、他は無関心なようです。

批判する者には異常なまでに敵意を示し、裏からでも徹底的に潰しにかかる。

 

実に微笑ましく、支援者とウヨから絶大な人気を得る。

 

 

* 気前の良さ

 

1兆円を越える兵器やトウモロコシの購入、イバンカの基金に57億円など、トランプ大統領の為なら惜しみなく使う。

そうそう桜を見る会も。

さらには企業や富裕層への減税も大盤振る舞いだ。

 

下々には増税なのにと、つい愚痴てしまう下級市民であることが情けない。

よく考えると、どれも彼の金ではない。

そう言えば、安倍事務所がヤクザを選挙に使い、報酬をケッチて火炎瓶を投げ込まれたことがある。

自分の金にシビアな所はさすが大物!

 

確かに豪快で、トランプ好きな人や恩恵を受けている人には絶大な人気がある。

 

 

* 変わり身の早さ

 

アベノミクスは従来からの金融緩和策と財政政策がてんこ盛りだが、うまく行かなくなると、次々にテーマや呼び名を変えて、新鮮味を出す。

外交や演説でも、「やるぞ!」と高らかぶち上げて、ダメならささっと宗旨替え、特にトランプが変わると。

 

この手際の良さも歴代首相では群を抜いている。

 

彼の素晴らしさには切りがないのでこれぐらいで終えます。

 

最後に、彼は日本史に名を残すでしょう。

彼を支援した人々も同時に、この時代を象徴するものとして。

 

それがこの連載で採り上げた「愚行を繰り返す人」のテーマでもありました。

 

 

次回で終わります。

 

 

 

 

 

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人はなぜ愚行を繰り返すのか? 32: 見たくない危機 7


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< 放置すればやがて現実に、歴史は知っている >

 

見たくない危機ほど恐ろしいものはない。

まとめます。

 

 

なぜ人は甚大な被害が出る危機に関心を持たないのか?

 

これら甚大な被害をもたらす危機は10年から数十年に一度しか起きない。

そうすると、その人の立場や年齢により実感することがないこともある。

さらに歴史を無視していては、過去の危機から教訓を得ることもない。

 

さらに厄介なのは、政府や体制側が推進している原発や金融緩和などでは危機感を薄められる。

毎回、バブル崩壊や年金不安、経済政策の不発などで御用マスコミや御用学者などが楽天的なキャンペーンを盛大に張ります。

危機到来後は平気で手のひらを返すのですが。

 

おおくの人は幾度も騙され続けます。

 

今の日本の哀しみは社会がマンネリ化し、さらに右翼化してしまったことです。

人々は煽られ真実が見なくなり、危機感から解放され安堵すら覚えている。

 

 

皆さんにお願いがあります。

 

どうか世界を見、歴史を理解し、曇りのない目で日本の現状を見つめて下さい。

 

きっと私の指摘したことが、嘘でないことが分かるはずです。

 

「後悔は先に立たず」と言います。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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人はなぜ愚行を繰り返すのか? 31: 見たくない危機 6


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< いつか来た道、そこかしこに >

 

もっとも現実的な危機が皆さんに迫っています。

それは白色テロの恐怖です。

こんなこと聞いたことがないぞ!

 

 

平たく言えば、白色テロは警察や検察が腐敗し暴走し、権力・体制側の手先になり暴力を振る事です(半世紀前の台湾、今の中国)。

 

現実を見てみましょう。

大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件は検察が手柄を立てる為に、厚生省村木元局長を強引に冤罪に仕立てた事件でした(冤罪は多い)。

 

ゴーン被告の国外逃亡にも同様の背景がある(冤罪かは不明)。

弁護士が被告との会話で「日本では人質司法がまかり通り、公正な裁判が期待できない」と発言していた。

 

あまり知らていないが伊藤詩織事件では、強姦犯(民事で認定)に出ていた逮捕状が逮捕直前に執行が停止された(普通ありえない)。

容疑者は首相に非常に近い人物で、政府側が停止を指示したとされている。

 

正に、腐敗と暴走から権力者の手先になりつつある。

 

今までも議員が犯罪(交通違反など)を握りつぶすことは日常茶飯事だが、ここまで首相側によって白昼堂々と行われることはなかった。

まさにパトロネージュ、縁故主義がここに極まれりです(まるでアフリカの独裁国家並)。

 

政府と官僚(検察・警察)らがグルになって隠蔽している現状では真実を明らかにすることは出来ない。

 

ここで知って頂きたいことは、今後何が起きるかです。

 

当然、正常に戻ることは考えられません。

世の常ですが、益々悪化する。

 

その内、身内の逮捕を見逃すだけでなく、政敵や邪魔者を冤罪逮捕し、遂には暴力排除も起こりうるでしょう。

ついに、安倍首相の街頭演説をやじった人が警察に強制排除された(札幌と東京で、独裁国家並)。

 

この行き着くところは、かつての治安維持法制定で警察が暴走し、政府に異を唱える者を根絶やしにし(虐殺も)、軍事独裁が進み、突き進んだ大戦でしょうか。

 

安倍首相が強く望んでいる憲法に緊急事態条項を加えることが成れば、上記に加えて、完全に日本はアウトになるでしょう。

 

この条項はヒトラーが密かに命じて国会議事堂に放火させ、これをテロ攻撃と断じて全権委任法を制定し、独裁を可能にした経緯を彷彿とさせる(民主的な憲法でしたが、これを許す条項があった)。

 

 

政府が隠蔽する社会的危機ほど恐ろしいものはない。

 

是非とも愚行を繰り返さないために、皆さん世界の歴史を知って下さい。

出来れば自ら学び理解してください。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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人はなぜ愚行を繰り返すのか? 30: 見たくない危機 5


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<  世界に引導を >

 

これから二つの危機について考察します。

くれぐれも騙されないように留意してください。

 

 

地球温暖化を考えてみよう。

 

多くの科学者や極致に住む人々(氷河地帯や南海の小さな島)は温暖化が迫っていることを訴えている。

しかし大半の人は意に介さない。

 

不思議な事にウヨも否定している、愛国心からか、科学に疎いためなのか?

理由は簡単、体制側(米国と経済界べったり)に付くからです。

 

体制側は原発安全を喧伝するが地球温暖化には声を上げない。

原発を進めたいなら地球温暖化に反対でも良いのだが、これは過去の誇大広告がまだ国民の記憶にあるからバツが悪い。

一番は欧州で主流の再生可能エネルギーの利用に切り替える気が無いからです。

また米国大統領が温暖化を否定しているので追従するしかない。

 

こうして多くの国民は地球温暖化の危機に疎くなる。

 

しかし、本当だったら取り返しのつかないことになるのは明白です。

 

ここ1万年ほどの人類史を見れば、地球平均気温の2度程度の違いが、各地に乾燥・多雨・冷夏などを招いた。

これがもとで民族大移動と争いが繰り返された。

 

一番の問題は、温度上昇が起きてしまえば防ぐ手立てが無いことです。

今の科学技術で、地球全体を1℃でも冷やすことは出来ない。

(太陽の不活発期、地球寒冷期の到来が温暖化を緩和する説は当てに出来ない、眉唾がバレたら終わりです)

 

皆さんは体制側の発する巧みなデマを見分ける眼力が必要です、益々。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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人はなぜ愚行を繰り返すのか? 29: 見たくない危機 4


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< もう一歩のところで >

 

 

危機の最後の特徴について考えます。

 

C 被害が見え難い。

 

二つの理由がある。

 

* 立場によって被害の影響に違いがある。

 

例えば、金融危機により必ず就職氷河期が起こり、被害は求職者に集中する。

日本では学校卒業時に一度、就職機会を逃すと生涯不利益を被る。

 

一方、危機後の景気浮揚策により、投機家は多くを失っても大資産家ほど更に増え、低所得層ほど低下したままとなる(浮揚策の偏り)。

 

原発事故は原発周辺の人に甚大な被害を与えるが、他の地域はそれほどではない。

 

社会保障の低下は富裕層には影響しない。

 

このように全体としては被害が甚大であっても、人によっては異なる。

 

 

* 多くは政府の失策を隠す為や産業側のエゴの為に、政府・体制側や産業・企業は事実を隠蔽し、被害を軽微に見せる。

 

例えば、原発事故や金融危機において、パニックや不評被害を避けるためと称して、深刻なダメージを隠し続ける。

かつての太平洋戦争、公害問題、薬害エイズ、福島原発事故など、当事者が事実を隠蔽し、全容を知るのが遅れた。

また因果関係をあやふやにし、人災ではなく天災に見せかける。

最後には、国民に不可抗力だから諦めろ、打つ手はないと納得させる。

 

こうして国民は甚大な被害を受けた危機の正体を知ることなく、懲りずに繰り返すことに甘んじることになる。

 

政府や体制側が隠蔽・カモフラジューしないか、日頃から注視する必要がある。

つまり愚行を繰り返さないためには、国民が聡明にならなければならない。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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人はなぜ愚行を繰り返すのか? 28: 見たくない危機 3


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< 責任を取る人は >

 

人々が見たくなくても危機は迫る。

歴史はこれを示しているが、それでも知らぬふりをする。

 

 

毎年来る台風に対して、人は被害を想定し対策を立てる。

しかし人々はいつ起きるかは分からないことは無視できる。

例えば数年先の危機、また向こう30年以内の発生確率30%と言われればさらに非現実となる。

その被害の程度が不明瞭であればなおさらです。

 

ここで是非とも知って頂きたいことがある。

 

それは社会・経済・安全保障の危機は台風災害や交通事故と大きく異なることです。

 

例えば、香港のデモ、伊藤詩織事件、移民問題、金融危機、社会保障の低下、戦争勃発、地球温暖化などです。

いわゆる天災ではなく人災です。

 

これら危機の三つの主要な特徴について説明します。

 

A 被害が甚大で広範囲に及び、逃れることが出来ず、その後遺症は数十年以上も続くことがある。

 

前回の日本のバブル崩壊によるダーメージは20年を越え、経営者達を完全に委縮させた。

被害が巨大な原発事故や大震災も含まれる(天災だけではない)。

 

 

B 危機の到来が確実だとしても発生日を特定できず、ほとんどが手遅れになる。

 

多くは火種がマグマのように社会内部に溜まり、ある日突然爆発するか、手遅れを知ることになる

一方で政府などが根本的な対策を実施することにより危機を回避できる場合がある。

 

世界が協力し、半世紀を経て石油など地下資源の枯渇を遅らせることが出来たように(オゾン層破壊のフロンでも)。

日本のように無策では移民拡大から20年後に問題が噴出するかもしれないが、北欧やカナダは30~40%の移民人口でも問題は起きない。

 

金融危機は、好況時の金利操作でバブル崩壊を抑えようとするが、毎回発生している。

未だに暴落日を予想できず、数か月後しか分からず、バブル崩壊から逃れることが出来ない。

日本では毎回250兆円近くを失って来た。

一度投機家は儲けるが、暴落後の景気刺激策で国民がそれを税金と国債で穴埋めし続けている。

 

この手の危機は政府次第で回避できるかもしれないが、無能で隠蔽する政府では事が悪化し、泣きを見ることになる、必ず国民が。

 

つまり愚かな政府を支援した人々はきちっと責任を取らせるのです、反対した人々を巻き添えにして。

これも愚行と言えるでしょう。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

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人はなぜ愚行を繰り返すのか? 27: 見たくない危機 2


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< やがて来る危機 >

 

人は社会や経済、安全保障の危機を知りたくないようだ。

しかし危機はいつもそこにあった。

 

 

* 社会の危機

一例として、香港で起きている百万人を越えるデモがある。

社会に不安や不満が蓄積し、政府が対応出来ず押さえつける時に起きる。

その結果、多くは血生臭い経緯を辿り、悲惨な結果に至ることが多い。

 

日本では、低賃金で受け入れる移民労働者の拡大が、全体の賃金低下と将来の治安悪化を招く。

もう一つ、日本の水面下で進んでいるのが白色テロの恐れです(後に検討)。

 

 

* 経済の危機

金融資本主義により、益々酷くなる金融危機が最大です。

必ず起きます。

 

加えて日本の場合、年金支給額の大幅な低下、医療費負担の大幅な増加、貧困率の増大は確実に進行中です。

 

 

* 安全保障

今、米国と中国のパワーバランスが逆転しつつあり、歴史はこのような時に戦争が勃発することを教えてくれる。

 

日本は非常に危険な位置にあり、選択次第では多大な戦火を被るだろう。

例えば、秀吉が行った備中高松城の水攻めのようことが起きるかもしれない。

破竹の勢いの織田軍とかつての大国毛利軍の間で板挟みとなったように。

 

地球温暖化は、経済と安全保障上、多大な損害をもたらす切実な危機です(後に検討)。

 

 

次回に続きます。

 

 

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