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中国の外縁を一周して 49: 雲南民俗村を楽しむ 3


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今回で、雲南民俗村の紹介は最後になります。

最後に、巨大な湖、滇池に面した海埂公园を紹介します。

 

 

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< 2.散策ルート、上が北 >

 

上: 雲南民俗村と海埂公园

3回にわたって紹介した散策ルートを赤、茶、黒、橙色の線で示します。

右上から始め、中央の下で終わります。

 

下: 今回の雲南民俗村の散策ルート

前回に続いてSから始め、Rで昼食をとり、出口Eで場外に出ます。

 

 

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< 3. 今回紹介する少数民族の衣装 >

 

Hui= 回族(カイ族)、man=满族(マン族)、bai=白族(ペイ族)

Naxi=纳西族(ナシ族)、meng=蒙古族

 

これらの衣装は、何処までが正式な伝統衣装かは不明です。

今、中国の若い人は民族衣装をコスプレとして楽しみ、ネットで様々にアレンジされたものが多く販売されている。

 

man=满族(マン族)の冠は、清朝の皇女の大きなカツラを連想させる。

 

bai=白族(ペイ族)の冠には白い羽飾りが付いている。

これは未婚女性のもので、民族名の由来だそうです。

 

Naxi=纳西族(ナシ族)の装束では、タスキがどうやら特徴のようです。

 

meng=蒙古族は人口が多く、部族が異なると衣装もかなり異なる。

 

 

 

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< 4.回族のモスク(清真寺) >

 

蘭州で、立派なモスクを見ました。

 

 

* 回族について

 

中国最大のムスリム(イスラム教徒)民族集団で、言語・形質等は漢民族と同じです。

中国全土に広く散らばって住んでおり、人口は約1000万人で、中国に住むムスリム人口のおよそ半数を占める。

 

回族の起源は、対外交易が盛んであった唐から元の時代に、中央アジアやインド洋を経由して渡ってきたアラブ系・ペルシア系の外来ムスリムと、彼らと通婚し改宗した在来の中国人(主に漢族)にあると言われている。

 

同じイスラム教徒でも、問題になっているウイグル族との違いは何か?

 

彼らは、遊牧民のテュルク系遊牧民族(トルコ系)でウイグル語を話す。

彼らは新疆ウイグル自治区やカザフスタン・ウズベキスタン・キルギスなど中央アジアに暮らし、人口約1千万人です。

彼らの宗派はイスラム教スンナ派です。

 

一方、回族の宗派もスンナ派だが古いタイプのHanafi派です。

恐らくは、イスラム教では宗派が異なると交流が進まないので、言語・形質も異なる回族ではウイグル族の影響を受けないのだろう。

 

成都や蘭州で回族を多く見ました。

 

 

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< 5. 満族の家 1 >

 

* 満族(満洲族)について

 

ツングース系民族で、古くは女真族と呼ばれ、狩猟と簡単な遊牧・農耕も行っていた。

17世紀に清朝を興した。

現在、中国全土に1000万人、雲南に1万人程いるが、これは清の時代に来た人々です。

漢人との交流が長いので、漢民族に同化してしまっているようだ。

どこまで生活や住まいに、満州民族の伝統を残しているかは分からない。

 

面白い現象がある。

ここ十年ほどで満族の人口が3.5倍に増加している。

これは中国が少数民族を優遇しているので、優遇措置を受ける為だそうです。

 

* 中国の少数民族の優遇政策について

 

漢民族に適用されていた「一人っ子政策」は少数民族には適用されていなかった(現在、中国全体で廃止)。

少数民族の学生は進学で優遇され、例えば学費減免や奨学金、入学試験の加点などがある。

少数民族の家庭に支給される一人っ子手当てが漢民族家庭の2倍であったり、職場内で昇進しやすいこともあるようです。

 

実は、このような少数者の立場向上を図る優遇政策は他でも見られる。

例えば、共産党以外の政党が認められているが、共産党以外の党に属している者には官吏採用の優先枠がある。

米国やインドのアファーマティブ・アクションに似た事が行われている。

 

私達、日本人は、マスコミから中国の悪い面だけを印象付けれているが、実は内部では、様々な融和策や弱者対策が広く行われている。

 

日本はこれに比べてどうでしょうか?

国連からも非難されていたアイヌの旧土人保護法が廃止されたのは、やっと1997年でした。

 

 

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< 6. 満族の家 2 >

 

 

 

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< 7. 満族の家 3 >

 

 

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< 8. 昼食のレストラン 1 >

 

ここは民族餐厅(民族村北路店)で、最も大きくて、ほぼ中央にあります。

ビュフェ形式の食事があり、写真奥の方でやっています。

私は単品料理を注文しました。

品数は多く無く、料理は手軽なものが多いようでした。

 

上: 店内

 

下: 写真に見えるレジで注文します。

 

 

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< 9. レストラン 2 >

 

上: 厨房です。

 

下: 注文した料理。

特段に美味しいわけではないが、日頃食べない味を楽しめた。

 

 

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< 10. 白族の村 >

 

上: 大理のシンボルと言われる崇聖寺の三塔のレプリカ。

そこそこの大きさがあります。

これで大理に行かずとも見ることが出来た。

 

下: 白族の村

立派な造りの家が並ぶ。

さすが一時、今の雲南の領域に大理国を建国しただけはある。

残念ながら13世紀に元(モンゴル帝国)に滅ぼされた。

 

* 白族について

 

雲南省大理を中心に住むチベット系民族。

約人口190万人の内、約120万人はシナ・チベット語族チベット・ビルマ語派のペー語を話し、残りは主に中国語を使用している。

かつては大理国を作っていたが、漢族との交流の歴史も長く、漢語をペー語に取り入れている。

牧畜の歴史が長く、乳製品を作っており、中国語で乳扇と呼ばれているチーズが知られている。

漢族の雲南料理同様に、トウガラシで辛く味付けした料理が多い。

米を主食にしたり、ワサビを食用にするなど、日本人と共通する文化も見られる。

 

以前、福建省で客家料理を食べた時、日本の醤油味に似ており、美味しく食べたことがある。

 

 

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< 11. 纳西族の家  >

 

麗江で宿泊したホテルがこのような造りだったので驚きはなかった。

しかし他の少数民族の家屋に比べると立派な事に気が付いた。

これも茶葉古道の要衝として栄えたからだろう。

 

 

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< 12.麻栏式民居 >

 

この建物は中国南部(雲南など)に多い様式で、木や竹で造られた2階建です。

2階に人が住み、1階は動物小屋になる。

桂林の山岳民族にも似た家屋があった。

恐らくは湿気を避けるための工夫でしょう。

 

纳西族については「中国の外縁を一周して 33: 东巴文化博物馆から麗江古陳まで」などで紹介しています。

 

 

* 蒙古族について

 

四川省・雲南省のモンゴル族は、元朝以降に移住した人々です。

遊牧民から稲作を中心にした農業に転換した一方で、習俗などはモンゴル族のものを残している。

蒙古族の人口は約600万あり、モンゴル国の人口が約300万人なので、中国国内の方が多い。

 

 

* 中国旅行の少数民族について感じたこと

 

今回の「中国の外縁を一周して」の旅で、知りたかったことの一つが、中国の少数民族の今の暮らしと歴史でした。

 

中国政府は、チベットとウイグル族の扱いで、世界から人権蹂躙を非難されている。

また今回、私が旅行しようとしたら、突如として香港が騒乱状態となり、迂回しなけらばならなくなった。

中国は、香港や台湾に対しても高圧的な態度をとり続けている。

 

これらは、いつか暴発する可能性があり、内乱から経済混乱へと至り、日本などに多大な影響を与えるかもしれない。

この事が気になり、少数民族問題が起きそうな「中国の外縁近辺」を旅先に選んだ。

そして新疆ウイグル自治区に近く回族が多い蘭州、多くの少数民族が暮らす麗江と昆明を旅した(歴史的・文化的な興味もあり)。

 

今、私が感じている事は、中国は想像以上に弱者(少数民族など)に配慮し優遇政策を行い、融和を図っていることです。

そして、困難な少数民族の生活向上と意識向上を上手くやり遂げているようでした。

世界の多くの国では、少数民族の扱いに苦労している。

 

翠湖公園で見た、様々な少数民族衣装を身にまとい楽しく踊っている人々の表情を見て、私の懸念は雲散霧消した。

むしろ満足な暮らしぶりと言えるでしょう。

 

中国では少数民族だけでなく共産党以外の党人、高齢者への優遇政策が進んでいる。

 

あらゆる都市で出会った高齢者(50から60歳で退職)は男女の区別なくたくさん旅行しており、公園では日長、孫や友人と寛ぎ、趣味を楽しんでいた。

彼らは年金や退職金でのんびりと暮らしている(その額は企業規模や都市戸籍と農民戸籍で差はあるだろうが)。

 

この様子は北欧三ヵ国を歩いて感じた、勤労世代からリタイア後の余裕ある暮らしを彷彿とさせた。

60歳過ぎてもあくせくと働かなければならない日本と比べれば優雅でした。

また多くの中国の観光施設や公共施設の入場料が60歳から70歳で、半額から無料となっている。

 

米国の黒人や移民への扱いは、今の大統領になってから一層酷くはなっているが、長年の人種差別や融和政策の欠如が亀裂と混迷を深めている。

日本も、益々弱者に対して苛烈になっている。

 

中国は懸命に問題解決に取り組んでおり、北欧が成し遂げた移民や少数民族との融和を成し遂げる時が来るかもしれない。

中国は後進的な経済から急激な経済発展を成し遂げつつあるので、舵取りは難しいだろう。

北欧も、今の素晴らしい経済力と社会・政治力は、ほぼ大戦後に成し遂げた。

中国は強権をもって改革を断行出来るが、良い場合もあり、悪い場合もある。

 

日本人は、隣国の言語を理解出来ず、隣国に友人や知人もいないので、甚だ情報が偏りがちで、ステレオタイプの見方に陥りやすい。

 

 

今回、外縁を見て回ったことにより、中国の民族移動の歴史を理解する切っ掛けになった。

雲南省と四川省は、民族的にもチベットと深い関係があることがわかった。

やはり現地を訪れて初めて実感できるものがあり、成果に満足している。

 

 

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< 13. 蒙古族の村 >

 

上: モンゴルの家、ゲル。

かなり痛んでおり、中に入ることは出来なかった。

 

下: 雲南民俗村を出て、湖岸に出た。

そこは海埂公园で、右手にこれから行く巨大な崖が見える。

あの崖に岩窟の寺がある。

 

 

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< 14.海埂公园 >

 

 

次回に続きます。

 

 

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福知山の神代から戦国時代の息吹を感じる 4: 福知山の城下町


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今回は、福知山の城下町を紹介します。

これで福知山の紹介を終わります。

 

 

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< 2.町歩きマップ、上が北 >

 

この地図は「ふくちやま まちあるきマップ 城下町歴史探訪編」を利用しています。

私は右下の福知山城から赤線に沿って北上し、No11で折り返し、No12からは黒線で城の横の駐車場に戻りました。

城を出たのが13:40、駐車場に戻ったのが15:10でした。

 

地図の番号について

1 福知山城、前回紹介

2 旧松村家住宅、前回紹介

3 京口門

4 明覚寺

5 明智藪、前回紹介

6 由良川堤防

7 広小路商店街

8 久昌寺

9 金毘羅神社、丹後口

10 高良厄除け神社

11 梅干し半十郎観音

12 御霊神社

 

 

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< 3. 城下町図、上が北 >

 

江戸時代のものでしょう。

上の白矢印は丹後口を示す、

濃紺の線は、川と堀です。

右下の薄緑で囲まれた範囲が当時の城でした。

現在は右端のほんの一角が天守閣として再現されている。

 

 

 

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< 4. 由良川堤防を行く >

 

上: 右に明智藪の一部、その奥に音無瀬橋が見えます。

 

中央: 堤の右側に明覚寺の屋根、その右奥に天守閣が見えます。

 

下: 由良川の下流を望む。

堤の左側に城下町が広がる。

 

光秀が由良川の流れ変え堤を造成し、城下町を整備してから、由良川の川湊を使って水運が発達した。

光秀築城以前の由良川は城下町を突き抜けて大きく右に曲がっていた。

 

 

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< 5. 広小路商店街 >

 

堤を左側に降りて、広い商店街、広小路商店街に出た。

コロナ危機の関係でか、閉まっている店が多かった。

 

上: 西側、突当りに御霊神社がある。

下: 逆方向を望む、音無瀬橋が見える。

 

 

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< 6. 広小路から右に折れる >

 

特に城下町の雰囲気はない。

やがて道が合流すると、寺町通りに入る。

 

 

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< 7.寺町通りに入る >

 

主に通り長さ300mほどの堤側に、大小の神社仏閣が並んでいる。

南側から祇園社、常照寺、法鷲寺、祇園牛頭天王社、久昌寺、金刀比羅神と並んでいる。

寺はすべて立派で、宗派が異なる。

今なら各社コンビニが競い合ってサービスを提供しているようなものか。

 

上: 常照寺、日蓮宗

江戸時代、福知山城主松平家の時に現在地に移転して来た。

 

下: 法鷲寺、浄土宗

江戸時代、福知山藩主朽木家の位牌所として重んじられた。

 

光秀の後、福知山藩主の家系は7回替わり、朽木家が13代と重ね、明治維新まで続いた。

 

 

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< 8. 久昌寺 >

 

上下: 久昌寺の山門と本堂、曹洞宗

もっとも立派で、福知山城主朽木家の菩提寺でした。

山門の右側にある小さな社が祇園牛頭天王社で久昌寺の鎮守社です。

 

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< 9. 久昌寺の棟鬼瓦 >

 

上: 久昌寺の棟鬼瓦

これが寺の屋根に載っていたそうです。

今まで気にしていなかったが、寺の本堂や山門、釣鐘堂の屋根をよく見ると鬼瓦だけでなく鯱まで乗っている。

 

下: 地図で見ると金毘羅神社が堤の横にあるので、今一度、堤に出た

 

 

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<  10. 金毘羅神社 >

 

上: 金毘羅神社、ここはかつて丹後口でした。

ここには水運の神が祀らており、水運が盛んだったことを物語っている。

写真の鳥居右横の井戸の辺りに番所があった。

 

旧山陰街道は、地図2のNo3京口門から城下に入り、川に沿って進んで、No9金毘羅神社(丹後口)から城下を出た。

 

この場所は、寺町道りから右に折れて、狭い道に入らなければならない。

当初、不思議に思ったのですが、旧山陰道から城下町が見通せな無いように意図されていたことが後で分かった。

 

下: 「なわむしろ」と書かれた看板

この辺り、寺町道りを過ぎて厄除け神社までのこの道の堤側は鋳物師町です。

特段、歴史を偲ばせる家屋は見当たらない。

 

 

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< 11. 高良厄除け神社 >

 

境内が広い立派な神社で、今も毎年2月、市民が厄除けの輪をくぐる厄除け大祭が行われています。

江戸幕府成立の年、福知山藩主になった有馬家が、この地に鋳物師町を新設した。

この鋳物師町は低地の為に、由良川の氾濫の度に被害を受け、江戸末期に安心立命を願い厄除け神社が創建され、明治末期にこの地に移設された。

残念ながら光秀の治水工事だけでは、由良川の自然の猛威を防ぎきることが出来なかった。

 

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< 12. 梅干し半十郎観音 >

 

新興住宅街の一角にポツリと、昔ながらの祠があり、義賊が祀られていた。

話が面白いので要約します。

 

江戸時代末、全国的な凶作があり、福知山藩は財政が大変苦しくなって、町民・百姓に厳しい倹約令を敷いた。

 

福知山の町に親分の用人棒、松岡半十郎がいました。

彼は藩にひとあわふかせてやろうと、統制売買し巨利を得ていた藩制定の問屋に押し入り、男二人を殺害して金を奪い、そのお金を生活に困っている人に施して逃げました。

 

しかしあえなく捕えられた半十郎は打首となった。

その際、辞世の歌として「三味線の糸より細きわが命 引き廻されて撥(バチ罰)は目の前」と残したそうです。

 

処刑に際し、半十郎は肌身離さず持っていた、約5cmの観音様を飲み込んで「私の好物の梅干しを墓に供えて願掛けに参ってくれるなら、首から上の病気は必ず治してあげよう」と言い残してこの世を去った。

 

その後、祠が建てられ、梅干しが絶えないそうです。

 

 

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< 13. 御霊神社 >

 

光秀が祀られている。

元々、光秀は先に紹介した常照寺に祀られていた。

一方、この地には稲荷社があった。

江戸中期、町民たちが藩主に合祀を願い、この地に創建された。

光秀は没後120年を経ても人気だったようです。

10月の御霊大祭は三丹一の大祭と呼ばれている。

 

 

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< 14. 御霊神社を出る >

 

上: 神社境内から前の広場を望む、奥に音無瀬橋が見える。

 

下: 広場の横にある公園。

コロナによる休校のせいか、多くの小中高生が遊んでいた。

 

 

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< 15. 新町商店街から福知山城へ >

 

上: コロナ危機の為か、ほとんど店が閉まっていた。

とは言っても、おそらくシャッター通りになりつつあるようです。

 

下: お城通りから福知山城を見上げる。

この道を進み、駐車場に向かう。

 

 

* 感想 *

 

今回、一番の好印象を得たのが、人の温もりでした。

まさにコロナ危機の最中なので、観光地をぶらつくことを非難されるかもしれないと思っていた。

当然、三密を避け、館内や店舗内に入るのを避けてはいたが。

 

寺町通りを歩いていると、わざわざ自転車を止め、私に話かける地元の年配者がいた。

彼は「どこに行かれるのですか?」と聞いてくれた。

彼は親切に教えてくれて、激励までしてくれた。

 

またさらに進むと、訪問販売中らしい男性がまた声を掛けてくれた。

彼は「ここは寺町と言うのですよ!」と教えてくれた。

 

実にありがたい。

文句では無く、歓迎してくれている。

 

もっとも私達夫婦は目立っていた、この城下町散策ではまったく観光客を見なかったので(城を除いて)。

 

 

各地を旅行していると、古い街並みを持つ町に地元愛を持っている人に出会うことがある。

 

しかし、一方で、どこも寂れて行く町の姿が目に焼き付く。

山陽地域、明石から広島までの山間や海岸沿いを電車で旅した時、北関東を車で旅した時もそうでした。

 

日本経済が地盤沈下し、世界経済から取り残されつつある中で、ふと足元を見ると、地方都市はどこも衰退し、再生の兆しはない。

 

一方、北欧や中国を巡っていると、とてつもなく広い国土で再生が進んでいる。

北欧も中国も、半世紀から30年ほどの間に活性化し、ほぼすべての町並みが急速に新たになっている。

 

日本と世界のギャップに唖然とする日々です。

 

 

次回から、徳島の漁村を巡りを紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

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福知山の神代から戦国時代の息吹を感じる 3: 福知山城


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今回から、福知山の中心部、福知山城と城下町を紹介します。

今回は主に福知山城です。

 

 

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< 2. ドライブルートと由良川、上が北 >

 

上: ドライブルート

元伊勢内宮を出発して、福知山城横の駐車場までのドライブルートです。

ほとんど宮川と由良川沿いを走ります。

 

下: 由良川、太い青線、赤矢印が福知山。

 

京都府、滋賀県、福井県の府県境に源を発し、西向きに流れ、福知山で急激に折れて、北東に向きを変え、若狭湾に注ぐ。

 

福知山は東の綾部に続く盆地にあるが、標高の低い所では10mに過ぎない。

しかし福知山城から由良川が注ぐ若狭湾まで直線で30kmもある。

この事と折れ曲がっている事で、福知山の城下は幾度も洪水に襲われていた。

 

 

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< 3. 由良川の眺め >

 

由良川の東岸から撮影。

上から順に、下流側、真横、上流(福知山城方面)を見ている。

 

 

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< 4. 旧山陰街道と明智の丹波攻め、上が北 >

赤矢印が福知山。

 

上: 旧山陰街道

京都から亀山、福知山を抜け、山陰側の鳥取、米子を通り、次いで山陽側に向かい津和野、最終、山口小郡に辿り着く。

福知山から若狭湾に出て丹後に近い旧宮津街道もあった。

福知山は交通の要衝だった。

 

下: 明智の丹波攻め

福知山が発展する端緒は明智光秀がここに「福智山城」を造ったことにある。

 

16世紀後半、明智は信長に命じられ、丹波攻略を始める。

最初、福知山城(旧横山城)の南にある強敵の黒井城を攻める。

しかし背後から八上城の裏切りに遭い苦戦し、信長の命で石山本願寺との戦いに向かいます。

再度、亀山城の攻略から始め、西に順次、城を落とし、最後に黒井城を攻め落とし、丹波攻略を3年かけて終えます。

 

そして亀山城と福知山城を築城し、光秀は亀山城を丹波攻めの拠点とし、娘婿に福知山城を与えた。

光秀は福知山城築城の際、大規模な治水工事を行い、善政を敷いたことでで住民から慕われ、今に「福知山音頭」に唄われ続けている。

 

福知山音頭(江戸時代に出来た)

「 福知山出て 長田野越えて 駒を早めて亀山へ

明智光秀丹波を拡め ひろめ丹波の福知山

お前見たかや お城の庭を 今が桔梗の花ざかり

・・・・・・・・               」

 

その二年も経たない内に、近畿一円を任されていた光秀は本能寺の変を起こし、滅亡した。

 

江戸時代、福知山城は福知山藩の居城でした。

 

 

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< 5. 福知山城に到着 >

 

上: 城のすぐ横にある無料駐車場。

売店やレストラン、トイレもあります。

 

下: 駐車場から太鼓橋を渡って城に向かう。

 

 

 

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< 6. 太鼓橋の頂点から >

 

上: 太鼓橋の頂点からの眺め

 

下: 城壁の坂道に来た。

これを登って、天守閣に向かい直ぐに着いた。

 

 

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< 7.天守閣 >

 

天守閣にはコロナの関係で入場出来ませんでした。

この天守閣は1986年に再建されたものです。

構造は鉄筋コンクリート造ですが、外観は忠実に再現されているとのことです。

木張りの外壁が美しく、優しさすら感じる。

 

 

 

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< 8. 転用石 >

 

天守台と本丸の石垣は当時のもので、「野面積み」「乱石積み」「穴太積み」と呼ばれる自然石をそのまま利用している。

また寺などの石造物が大量に使用されており、「転用石」とも呼ばれている。

下の写真の所々に見られる。

 

私は天主台の石積みにある小さな自然石に触ってみたが、今にも抜けそうで不安に感じた。

逆に言えば、素晴らしい石積み技術と言える。

 

 

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< 9.表側 >

 

 

 

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< 10. 豊磐井 >

 

上: 井戸の深さは50mあり、海面下7mに達する。

 

 

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< 11. 天守閣の敷地から望む >

見ている方向は、次の地図の矢印通り。

 

上: 黒矢印、ほぼ東を望む。

中央: 赤矢印、由良川の上流を望む。

下: 茶色矢印、城下町を望む。

遠くに由良川の堤が見える。

私が散策するのは、主にこの写真の右半分です。

 

 

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< 12. 福知山の中心部、上が北 >

 

矢印の中心に福知山城があり、東側から来た由良川が急激に折れ曲がって北上し、さらに土師川(ハゼ)が南側から合流している。

 

 

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< 13. これから城下町を散策 >

 

上: 城を下って、北側に進みます。

写真の奥に見える小さな陸橋を渡り、由良川の堤に向かいます。

 

下: 旧松村家邸宅。

これは堤から迫り出した土地に建っています。

明治時代以降、大規模な築堤工事を請け負った松村組が、堤防の安全性を証明するために、この地に家を建てたそうです。

 

 

 

 

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< 14. 明智藪(蛇ヶ端御藪) >

 

光秀が福知山城を築城する際、由良川の向きを変え、巨大な築堤を行い、

城下を洪水から守ろうとした。

さらに堤防の前に、この竹藪を造り、由良川の水流の衝撃を和らげるようにした。

 

これだけでも、光秀はなかなかの知恵者だったと思った。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 13: 旅を終えて


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今回で、この旅行記を終えます。

この旅行を通して感じたことを記します。

 

 

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< 2. 旅行のルート >

 

茨城空港からレンターカーで草津温泉と鬼怒川温泉に宿泊した2泊3日の旅でした。

赤線が航空路で、茶色線がドライブコース、赤四角が宿泊地です。

2019年11月17日から19日に旅行しました。

 

快晴に恵まれ、多くを見聞し、充実した旅になりました。

温泉に浸かり、紅葉を愛で、歴史遺産や絶景を堪能しました。

ただ、一人でこのコースをすべて運転するのはきつかった。

 

 

 

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< 3. 史跡足利学校と富岡の祭り >

 

足利の山裾に最古の学校があり、その発展保存の経緯から北関東の歴史が見えたような気がした。

 

富岡の祭りに偶然出会えて感激した。

その土地の温もりを直に感じられる良い機会だった。

 

 

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< 4. 草津温泉と吹割の滝 >

 

夜の湯畑は凄い賑わいで、寒さも忘れてしまいました。

念願が叶った一時でした。

 

吹割の滝は、予想外の素晴らしさでした。

紅葉に包まれた川縁を散策していると、別世界にいるようでした。

 

 

 

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< 5. 中禅寺湖と日光東照宮 >

 

噂にたがわぬ建築でした。

さらに紅葉と晴天が、さらに美しさを惹き立ててくれました。

 

 

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< 6. 弘道館と予科練平和祈念館 >

 

弘道館では水戸藩徳川斉彬・慶喜の親子の意気込みを知ることが出来た。

 

予科練平和祈念館と雄翔館では、予科練と特攻の関わりを知ることが出来た。

また、当時追い立てられるように散っていた若者の気持ちに少しは寄り添えた。

 

 

 

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< 7. 赤城山と榛名山 >

 

ドライブをしながら北関東の街並みと山河を見ることが出来ました。

平野部の高速道路を走り、山に入り林間の道を抜け、川沿いを進み、雪が微かに残る峠を越して来た。

 

平野に点在する林と小山、急峻な山肌を持つ山々、火山の多い北関東。

建築物にしても中世、江戸時代、そして明治初期のものまで見ることが出来た。

 

いままでぼやけていた北関東のイメージが、やっと纏まって来たようだ。

奈良時代に遡る歴史を持ち、繁栄を得ていた北関東の姿が。

 

 

訪問して頂きまことにありがとうございました。

これで終わります。

 

 

 

 

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平成の哀しみ 45: 日本経済に何が起きているのか 11: 何を間違ったのか 2


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なぜ経済は衰退したのか

 

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日本(青)は成長しなくなった。

 

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図3

日本(赤)は年を追うごとに順位を下げた。

 

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図4

日本は73年で高度経済成長を終えたが、74~90年もまだ好調だった。
『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と世界から称され、日本企業がニューヨークの不動産を買占め、国内ではゴルフ場が乱立した。

 

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図5
しかし91年にバブルが弾けた。

 

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図6

巨大バブルは、米国が戦争と大減税で双子の赤字を抱え日本に円高の協調介入を要求した事に始まる(85年プラザ合意)。

成長の牽引力だった輸出企業は円高で業績を落とした。
そこで日銀は貨幣供給量(赤枠)を大幅に増やした為、株や土地への投機が過熱した。

そして崩壊し、多くの金融機関と企業は巨額の負債を抱えた。
国が約100兆円をつぎ込んでも、経済は萎縮し続けた。

 

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図7

さらに1995年から生産年齢人口が急減した。
いわゆる少子高齢化です。

これが致命的なのは、例え需要を喚起してもそれに応える労働者がいなくなり、確実に経済は縮小します。

一方高齢者増は介護従事者を必要とし就業者を増やすのですが、国内総生産が縮小し社会保障が破綻することになる。
こうして日本は悲惨な末路が・・
次に続く

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お知らせ! ブログを少し休みます


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申し訳ありませんが、ブログの投稿を少しの間休みます。

6月中旬より北欧訪問記を始める予定です。

 

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現状に危機感を持って記事を書いて来ましたが、目指す社会像が見えない。

そこでスウェーデン、ノルウェー、デンマークを自分の目で確かめることにしました。

 

私は1984年、視察旅行でスウェーデンとデンマークを訪れ、大きなカルチャーショックを受けました。

 

もう一度、34年後の変化を今度はじっくりと自分の目で確認したい。

この旅行は老人一人で、主に首都を中心に各国4日間の計12間で巡ります。

 

私は皆さんが北欧を身近に感じてもらえるような訪問記を書けることを願っています。

 

英語が出来ないので、これから1ヵ月猛特訓し、迷子にならないように準備します。

 

それでは失礼します。

 

 

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岡山と広島を訪れました 8: 広島を発つ


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< 1.広島焼き >

 

 

今日は、広島駅と呉線の前半を紹介します。

広島焼きとローカル線の旅の醍醐味を味わいました。

 

 

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< 2. 呉線の地図、上が北 >

 

地図の赤丸が今回紹介する呉線(広島―三原)の広島駅―広駅の区間です。

呉線の中ほどにある広駅で電車を乗り換えます。

東西から、電車がこの広駅まで来て、乗客は乗り換えます。

海岸線を走るローカル線のイメージは次回の広駅から三原駅までの区間が似合っています。

今回の区間は、造船の街、呉がある為か郊外の通勤電車のイメージでした。

 

 

 

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< 3. 栄橋 >

 

上の写真: 縮景園かえら広島駅に向かう途中、京橋川に掛かるこの橋を渡ります。

左側奥の高いビル辺りが広島駅で、下流を見ている。

 

下の写真: 京橋川の上流を望む。

左側の森が縮景園側です。

 

 

 

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< 4. 広島駅周辺 >

 

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< 5. 昼食のレストラン街 >

 

広島駅ビルのASSE(アッセ)の東エリア2階に、写真の広島風お好み焼きの店が並んでいます。

本当はネット上で人気のある店に行きたかったのですが、2回とも行列が多かったので、席が空いている店に入りました。

 

写真はこの時の注文したものです。

初めて食べましたが、まあまあ美味しかった。

それよりも、ビジネスマン姿の人でどの店も一杯で驚きました。

日頃、田舎暮らしをしている私としては珍しい、懐かしい光景でした。

 

 

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呉線に乗り、始めて海が見えた(坂駅付近か)。

 

 

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この辺りが広駅までで、最も海沿いを走った。

他は住宅街などが多く、代わり映えしなかったので写真を取らなかった。

 

 

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< 8. 呉に近づいた >

 

奥の山を背した海岸沿いには重機のクレーンや工場の煙突がたくさん見える。

 

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< 9.呉を離れる >

 

呉を過ぎると、電車は山が海に迫る狭い地域を走リ始めた。

また短いトンネルが増えだした。

 

 

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< 10. 広駅に着 >

 

上の写真: ホームに出て、進行方向を見る。

待ち時間が長いので電車を降りて、駅から出ることにした。

 

下の写真: 広島から乗って来た電車、阪神間でよく見る通勤快速と同じです。

 

 

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< 11. 広駅を発 >

 

上の写真: 広駅を出て、駅前広場の端から駅舎を望む。

残念ながら何も無い!

特に珍しいものはなかった。

 

下の写真: これから三原に向かって乗って行く電車です。

先ず、乗って来た電車との外観の差に驚きました。

古い汚れている!

中に入ると、さらに昔し懐かしい風情がそこにはありました。

 

 

次回紹介します。

 

 

 

 

 

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岡山と広島を訪れました 3: 車窓からの眺め、広島まで


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今日は、倉敷から広島まで、車窓からの眺めを紹介します。

JR在来線でのんびりと旅をしました。

 

 

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< 2. 乗車ルート、上が北 >

 

上の地図: 赤線が乗ったJR線のルート。

 

下の地図: 赤線が広島駅から原爆ドームまで乗った路面電車のルート。

 

 

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< 3.尾道から三原の間 >

 

上の写真: 左奥に見える橋はしまなみ海道のいずれかの橋(因島大橋?)でしょう。

あの橋を渡り右手に行くと幾つもの島を越え、四国まで車で行くことが出来ます。

 

 

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< 4.乗った電車 >

 

 

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< 5. 電車進行方向の眺め >

 

平行して走る山陽新幹線はトンネルが多くて景色を楽しめないが、在来線は狭い曲がりくねった谷合を走るので、存分に山陽地方を味わうことが出来た。

それにしても大都市を離れると、一気に民家も疎らな町や寒村になるのには驚いた。

 

もっとも私も寒村に住んでいるのですが。

 

 

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< 6. 駅構内に入っていく >

 

 

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< 9.広島駅に到着 >

 

 

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< 10. 路面電車に乗る >

 

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広島駅から原爆ドーム前まで乗り継ぎ無しで行けました。

着いた時は、6時を少し過ぎてかなり陽が西に傾いていました。

 

 

この3月22日、木曜日の朝、明石から姫路間の電車では通勤時間と多少重なった為、初め座れなかった。

しかし、その後の姫路→岡山→倉敷→糸崎→広島→原爆ドームの電車はすべて座れました。

青春18きっぷでの在来線の普通や快速で乗り継いで行く旅は、座れるかどうか不安でした。

しかし通勤時間であっても出社や退社の流れ(都市と地方)と反対方向に電車を乗る場合は座れます。

 

良かったことは、車内には旅行客で無く、地元の人が通勤や通学で使っている人が多いので、地元の雰囲気や暮らしが見えてくることです。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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何か変ですよ! 94: 今、国民が問われていること


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ついに懸念していた森友問題で役人が犠牲になった。

いつものように命じた上層部は安穏としている。

 

これを看過すれば失われた命、彼の無念が無駄になる。

国民は、憂うべき事態を真摯に受け止めるべきだ。

 

 

 

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< 2. 何が起きているのか >

 

* 何が問われているのか

 

与党は政権を死守し、野党は政権転覆に必死だ!

しかし、最も重要なことは今の政治を国民が正しく見極め、良識を持って是非の判断を下すことです。

 

この機を逃せば、二度と国民の望む政治への刷新は不可能になるでしょう。

なぜなら、政権主導で国民の権利が軽んじられ、全体主義(情報隠蔽、恣意的な行政、言論統制など)に大きく舵を切っているからです。

 

この状況が進んでしまえば、政治は一部の人々に握られ、多くの国民は蚊帳の外に置かれることになる。

 

 

 

* 憂うべき事態

 

ここ数年の社会経済の悪化を概観します。

 

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< 3.国民の資産がバブル崩壊で・・・>

 

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< 4.バブルが崩壊すれば経済はさらなる・・・ >

 

 

長期与党の政策により悪化と困窮が進行している

 

* 経済悪化: 賃金低下、非正規拡大、円安・・・

* 生活困窮: 格差拡大、貧困率の増大、エンゲル係数上昇・・・

* 将来不安: 進みつつある年金、福祉のカット。

* 財政破綻: 迫る累積赤字増大によるデフォルト。

 

現政権によって急速に悪化したもの

 

* 失われた報道の自由: 放送局への圧力、御用新聞以外への威嚇・・・

* 軍事優先で先鋭化: 対立を扇情、米国との軍事同盟強化、軍事大国化・・・

* 行政の腐敗: 露骨な便宜供与、審議拒否(否定・隠蔽・拒否・改ざんなど)・・・

* 政治家の劣化: 強行、腐敗、私物化(縁故者の優遇・免責)、傲慢・・・

* バブル崩壊: 日銀と年金基金による株式運用の巨大損失、金融危機後に来る長期停滞と高失業率・・・

* 日銀の後始末: 国債500兆円の市場への放出による弊害、損失。

 

 

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< 5.何が起きようとしているのか >

 

 

現政権の存続が招く最大の危機

 

* 民主主義の崩壊: 三権分立や議会制を破壊、批判勢力を抑圧・・・

* 前近代への回帰: 緊急事態条項や1世紀前の体制復帰をもくろむ憲法改正、人権や自由を軽視・・・

 

ここ数年の日本の悪化を数えればきりがない。

 

 

 

* 体制擁護派の弁護について

 

巷で言われるように現政権によって本当に社会と経済は良くなったのだろうか?

この件については既に説明して来ましたが、ここでは要点だけ触れます。

 

* 大多数の国民、労働者、社会保障の対象者にとって悪化の方が勝る。

 

* 経済(株価、GDP、企業利益、失業率)は良くなった。

これは幾多の要因が重なってのことだが現政権の役割も大きい。

しかしバブルが弾け、世界同時金融危機ともなれば、今回の政権と日銀政策が災いとなり、今までに無い巨大損失と長期景気後退を招くことになる。

下手をすれば100兆円を越える財政赤字の上乗せが起きるかもしれない。

 

* 敵対的で派手なパフォーマンスは、北朝鮮問題でも役に立つことはなかった。

今回の転機は中国の経済封鎖と中国と韓国の対話姿勢が生んだものです。

大盤振舞の海外援助も内実は資金や生産の海外移転で、大手が海外で儲けるだけです。

 

* 政権は現実的な政策を矢継ぎ早に行い、安定感があるように見える。

しかし内実は既存政策の焼き直しに過ぎず、緻密さや公平性に欠け、ほとんどが財界や富裕層優遇で早晩格差拡大が深刻化する。

原発推進が好例です。

 

よくよく注視すれば問題点が見てくるのですが、残念ながら有力な経済紙や御用マスコミの影響が目隠しになっている(そうでない経済紙「東洋経済」もある)。

 

 

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* 今回の事件が教えてくれること

 

森友問題は1年前に朝日新聞が報じ、政府と与党そして御用新聞の執拗な攻撃を受けながらも、やっと今日の解明にこぎ着けた。

 

政府と官庁の徹底した情報隠蔽、非協力(証人喚問)で解明は困難を極めた。

 

私も含め多くの国民は、一連の首相近辺で起こる下劣な事件に嫌悪感を持ってはいたが、野党の進まぬ解明と追及にもうんざりしていた。

 

だが、ついに二大新聞の良心と執念が突破口を開いた。

おそらくは、命を賭けた内部告発こそが最大の功労者だった。

出来ることなら死なずに名乗り出て白日の下に罪業を明らかにして欲しかった。

そして、彼は国民から讃えられながら家族共に末永く生きて欲しかった。

 

しかし、日本の組織文化(部下が責任を被り、内部告発者が虐げられる社会)にあってこれを望むことは無理だろう。

おそらくは、今回の朝日新聞の報道姿勢はこの内部告発者を守る為だったのでしょう。

 

 

今回の事件は、大きな教訓を示してくれた。

 

A: 日本には悪政を批判し、不正を暴くマスコミが不可欠です(御用新聞ではない)。

 

B: 政府や官庁の独走を牽制し、腐敗を未然に防ぐには野党が不可欠です。

 

これらを目障りとする体制側の抑圧が進み、もし本当にマスコミや野党が潰されていたらと考えると背筋が凍る。

 

今回の事件は、腐敗政治の危機を救った一撃として日本史に残るでしょう。

 

 

もう一つ、今後、野党が中心になって取り組むべきことがある。

 

C: 官僚と内閣の腐敗構造を断ち切る制度確立と、腐敗の再発を常時監視するオンブズマン制度が不可欠です。

おそらく、他の首相周辺の事件も同様に暴かれていき、国民はさらなる腐敗の広がりに驚くことになるだろう。

 

先ずは、この困難な解明を成し遂げた快挙に祝杯を!

 

 

* 良識ある国民は立ち上がって欲しい

 

このまま現政権が突き進むと、日本は早晩、戦火と破局を迎えるか、衰退と混乱を味わうことになっただろう。

 

この事件の解明が進んだことにより、想像を絶する暗黒面が浮き彫りになった。

首相の絶大な人気と官僚人事の掌握によって、中央官庁に腐敗と劣化が短期間に広範囲に及んでしまった。

 

首相の絶大な人気に、与党議員は完全に一色に染め上げられ、首相の常軌を逸した言動に異論を唱えるものはなくなり、おべっかが目立つようになった。

さらに御用新聞、放送局、記者、コメンテーター、学者の多くが政府による飴と鞭により、体制批判から擁護へと舵を切った。

 

このまま事件が暴露されることがなかったら、この全体主義に比肩できる悪化は留まることが無かっただろう。

 

巷では、公文書改ざんは単に書類の書き換えに過ぎないと指摘する声がある。

おそらく、手をこまねいていると尻尾切りによって一見落着となるだろう。

今の隠蔽体質と、自己責任など感じないトップの下ではその可能性が高い。

また現状ではトップに法的な責任を取らすことは困難だろう。

 

しかし、既に見たように今の状況を放置すれば日本の将来はない。

 

思い出して欲しい。

第二次世界大戦の切っ掛けとなったナチスの台頭は、いみじくも麻生大臣が指摘したように最も民主的な憲法下の議会で、国民の熱烈な支持によって始まったのです。

民主主義で平和な日本だから安心とは言えないのです。

少しでも気を許すと、独裁者ヒトラーを生んでしまうのです。

 

今はその危険が迫っており、社会はまさに激情化し沸騰しつつあるのです。

例えば、ツイッターでは扇情的で右翼的な暴言が、正論で穏やかな発言よりも100倍ほど拡散しています(維新の足立議員のツイートなどは超人気)。

 

国民が無関心を決め込んでいる間に、このような扇情され易い人々が政権を支え、政治が悪化していくのです。

ナチスが台頭する初期、過激な若者が「突撃隊」などに参加し、ヒトラーを支える力となった。

 

国民は良識を持って現政権続行に対して是非の判断を下して欲しい。

法で裁くことは出来なくても、世論や選挙でノーを突き付けることは出来る。

 

 

 

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* 大事な気付き

 

ここ数年で起きた、森友だけでなく一連のアベ友に関わった事件、首相の横柄で下卑た言動、官僚やマスコミの尻尾振り、ネットウヨの大合唱、世界の嫌われ大統領との親密な交友・・・。

 

これらはけっして首相の人気低下には繋がらなかった。

与党や御用新聞の援護もあるが、やはり首相の強権的な言動と目立つパフォーマンスが人気を博したからです。

 

翻って考えて欲しい。

多くの国民の安易な期待、無関心と傍観が、このトップの驕りを増長させ、怪物(独裁)を生んでしまったことです。

このことがやがて政治や社会をかつてのような地獄に追い込むことになるかもしれなかったのです。

 

この手の激情がドイツでヒトラー、日本で東条内閣を生み育てたのです。

これは一度加速すると、後戻りは出来ないことを歴史が示しています。

しかし、今なら間に合うでしょう。

 

冷静で客観的な対応こそが社会の悪化を留めるのです。

 

 

終わります。

 

 

 

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フランスを巡って 58: 目次と感想


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旅行記の最後に目次と感想を記します。

この旅行で念願の南仏、アルザス地方、モンサンミッシェル、幾つかのゴシック大聖堂を訪れることが出来ました。

またフランスのお国柄を肌で感じ、また歴史が身近なものになりました。

 

 

旅行の概要

トラピックスのツアー「13日間のフランス夢の大周遊」

期間:2017年5月17日(水)~29日(月)

 

関空深夜発、ドバイ経由でニースに着き、旅行が始まりました。

フランスを9日間宿泊し、移動はすべて観光バスでした。

帰国は午後パリ発、ドバイ経由で関空に着きました。

 

ニースの朝だけ小雨になった以外はすべて快晴に恵まれ、最高の観光日和になりました。

一方で、最高気温が予想外の30℃近くにもなりました。

 

 

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< 2. 旅行ルート >

 

数字は観光地を示し、観光はその順に進みました。

黒い数字は観光のみ、赤い数字は観光した宿泊地を示す。

赤字のTは宿泊だけのトゥールです。

茶色の線は観光バスでの移動を、赤線は航空路を示す。

 

 

* 目 次

 

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写真は記事の巻頭写真で、写真番号は記事の番号です。

 

 

1 はじめに

旅行の概要と各地の代表的な写真を紹介しました。

 

2 モンサンミッシェルの朝昼晩

モンサンミッシェル全景をほぼ一昼夜撮影しました。

陽に輝く雄姿、夕陽に浮かぶシルエット、朝霧に霞む遠景など。

 

3 セーヌ川クルーズ

休日のセーヌ川クルーズは夕陽と歓喜に包まれました。

両岸で憩う市民が手を振り、クルーズ船を温かく迎えてくれた。

 

4 古都ボーヌ

ワインと修道会創立で有名なブルゴーニュにある中世の古都ボーヌを尋ねました。

街と周辺の風景を紹介しました。

 

最も感動した上記2~4を最初に紹介しました。

次からは、訪問順に紹介しています。

 

5 鷲の巣村エズ

地中海を望む険しい山頂に鷲の巣村と呼ばれるエズがあります。

この要塞化した村は長い戦乱を生き延びる為でした。

 

6 小国モナコ

モナコは争いを経て、また小国として活路を見出さなければならなかった。

それが断崖絶壁の王宮であり、高級リゾート地への道でした。

 

7 旅行2日目のまとめ

ニース空港からエズとモナコ、そして宿泊地のニースまでの景色とフランス最初の食事を紹介しました。

 

8 大リゾート地のニース

ニースの海岸と旧市街で露店が並ぶサレヤ広場を紹介しました。

 

 

 

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9 ニースからエクス・アン・プロヴァンスまでの眺め

バスの車窓から見たブドウ畑とセザンヌが愛したサント・ヴィクトワール山を紹介しました。

 

10 古都エクス・アン・プロヴァンス

ここは陽光溢れる粋なプロヴァンスの古都、セザンヌの生誕の地であり晩年を過ごした地でもありました。

 

11 古都アルル

古代ローマの遺跡が残り、ゴッホが愛し傷つき去った古都アルルを紹介しました。

ローヌ川の突風を遮るための糸杉がゴッホの思いを彷彿とさせます。

 

12 要塞都市アヴィニョン 1

巨大な宮殿が聳える中世の宗教都市は巨大でした。

衰え始めていたはずなのに、教皇の権力がまだ絶大だったことに驚いた。

 

13 要塞都市アヴィニョン 2

アヴィニョン旧市街と市場の自由散策を紹介しました。

 

 

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14 ポン・デュ・ガールの水道橋

山間の川に架かる巨大なロ―マ時代の水道橋を訪れました。

この近くの山に氷河期の人類最古の洞窟壁画(ショーヴェ)がありましたが、行くことは出来ませんでした。

 

15 ポン・デュ・ガールからリヨンへ

ローヌ川沿いの平野を眺めながらリヨンに向かいました。

 

16 大都市リヨン 2

フランス第2の都市リヨンの大聖堂とその展望台、そして旧市街を紹介しました。

 

17 大都市リヨン 3

新市街のベルクール広場と、その後の自由散策、夕食を食べたレストランの光景を紹介しました。

 

18 リヨンからボーヌまでの景色

リヨンからボーヌまでの車窓からの景色を紹介しました。

 

19 中世の施療院オテル・デュ

ボーヌ旧市街にある中世の施療院オテル・デュを紹介しました。

医術史に関心がある方には特に興味深いものがあるでしょう。

 

 

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20 ボーヌからストラスブールまで

共にワインで有名なブルゴーニュからアルザスの風景を車窓から眺めました。

 

21 ストラスブール 夕刻と朝に

夕刻のストラスブール旧市街と朝のホテル周辺を紹介しました。

この地を訪れるのは長年の夢で、その上二泊も出来て大満足でした。

 

22 ストラスブール旧市街1

朝、いよいよ待ちに待った旧市街、プチットフランスと大聖堂を観光しました。

この都市は交易で栄え、活版印刷誕生の地になった。

この豊かな都市民の熱意が数百年をかけて大聖堂を作り続けた。

一方で周辺の貧しい農民の不満が宗教改革の起爆剤となった。

 

23 ストラスブール旧市街2

主に大聖堂の雄姿と内部を紹介します。

 

24 可愛い町、コルマール

川縁に並ぶ木骨組み家屋が、まるで中世の御伽の国に迷い込んだような感じにさせる町でした。

 

25 「ブドウ畑の真珠」と呼ばれるリクヴィル

ここはワイン畑の丘陵地にある小さな村、アルザスワインのワイナリーでも有名な所です。

実は、かつてこの村は城壁で囲まれた要塞でした。

 

 

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26 ストラスブール最後の夜

ストラスブールの最後の日、夕方から自由散策を始めました。

ホテル近くの大型スパー、川沿いの旧市街、夕食のレストランでのハプニングを紹介しました。

 

27 アルザスに想う

アルザスの風景を紹介しながら、この地が大国の狭間で如何に戦火に見舞われ続けたかを紹介しました。

そして今、人々は何も無かったように平和に暮らしています。

 

28 ストラスブールからランスへ

フランスの東北部、ロレーヌ地方からシャンパーニュ―地方の景色を紹介しました。

この地はフランスの源流、フランク王国誕生期の中心に位置し、このことが後にジャンヌ・ダルクを生み、ランス大聖堂の名声へと繋がった。

 

29 ランスの大聖堂 1

大聖堂を取り囲む町の景観を紹介しました。

 

30 ランスの大聖堂 2

大聖堂の外周を一周し雄姿を紹介しました。

 

31 ランスの大聖堂 3

大聖堂の内部を紹介しました。

 

 

 

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32 サン・レミ聖堂

同じランスにあるロマネスク様式で建てられたサン・レミ聖堂を紹介しました。

 

33 ランスからパリへ

ランスからイルドフランスの景色、パリとホテルから見た夕陽を紹介しました。

パリには3泊するのですが、この日はモンサンミッシェルに行くために途中一泊した。

 

34 パリからモンサンミッシェルへ

モンサンミッシェルがあるノルマンディー地方の景観を紹介しました。

バスで走行した午前中は曇りだったこともあり、物悲しい雰囲気が漂っていた。

 

35 モンサンミッシェル 1

対岸のホテルからモンサンミッシェル入口近くまでの景色を紹介しました。

 

36 モンサンミッシェル 2

歩いたモンサンミッシェルの城壁を紹介しました。

巨大さに圧倒されました。

 

37 モンサンミッシェル 3

城内のメインストリートとその先にある修道院までを紹介しました。

 

 

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38 モンサンミッシェル 4

巨大で打ち捨てられた修道院の中を紹介しました。

 

39 モンサンミッシェル 5

修道院を出て外周を廻り、村の暮らしを感じさせる裏道を下りました。

 

40 モンサンミッシェルからロワールへ

王侯貴族が愛したロワール地方までの景色を紹介しました。

 

41 シュノンソー城 1

女性城主達が住み続けた優美な城の外観と庭園を紹介しました。

 

42 シュノンソー城 2

城内を紹介しました。

 

43 シャンポール城に向かう

ロワール地方のもう一つのシャンポール城に向かい、ロワール川沿いを走りました。

 

 

 

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44 シャンボール城

こちらは巨大で複雑な形をした城で、庭園と言うか森が巨大でした。

外観を見るだけでした。

 

45 トゥールへ

宿泊と夕食の為にトゥールに向かいました。

 

46 シャルトルへ

ロワール渓谷からイル・ド・フランスの大穀倉地帯の景観を紹介しました。

 

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シャルトルの町と初期ゴシック建築のシャルトル大聖堂の外観を紹介しました。

 

48 シャルトル大聖堂の内部

シャルトル大聖堂の内部、特にステンドグラスが美しかった。

 

49 ベルサイユ宮殿へ

シャルトルからベルサイユ宮殿の入口までの景色を紹介しました。

 

 

 

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50 ベルサイユ宮殿

ベルサイユ宮殿の内部を紹介しました。

 

51 前衛都市ラ・デファンスに泊まって

パリの宿泊地ラ・デファンスの2日間を紹介しました。

近代的なビル、広場での交流、大型スパーを紹介しました。

 

52 ルーブル美術館

車窓からのパリとルーブル美術館の代表的な美術品を紹介しました。

ルーブル美術館は三度目の訪問になり、ミロのヴィーナスは京都も含めて思い出深い対面となりました。

 

53 パリ散策 1

5回に分けて地下鉄で巡ったパリの下町を紹介しました。

この回は、アンファン・ルージュの市場が主になります。

 

54 パリ散策2

パリ誕生期を偲ばせるサン・ジェルマン・デ・プレ教会の紹介でした。

 

55 パリ散策3

大学の街カルチエ・ラタンからシテ島までの散策を紹介しました。

アラブ世界研究所からの眺めが良かった。

 

 

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56 パリ散策4

パリ最古の通りで、様々な飲食店が並ぶ庶民のムフタール通りを紹介しました。

 

57 パリ散策5

ムフタール通りの人々との触れ合い、地下鉄の風景を紹介しました。

 

これで目次は終了です。

 

 

*フランスを旅して思うこと

海外旅行は高揚の連続です。

旅では好奇心が旺盛になり、建築や景観を見て、文化や人に触れ、多くのことを学ぶことが出来ます。

そして旅行前に抱いていた疑問の多くに、それなりの答えが得られます。

中には、より深い疑問が生まれることもありますが、これも励みになります。

また以前から抱いてたイメージの多くは覆され、多くは好印象を得ることになる。

今回もそんな連続でした。

 

 

南仏に始まり、アルザス、ノルマンディー、パリは長年の戦火に見舞われた来た。

印象派の画家達が好んだ太陽と緑豊かな地中海沿いの南欧、ライン川沿いに開けたワイン畑が広がる丘陵地のアルザスは幾度も戦火をくぐり抜けた。

アルザスは第二次世界大戦まで争いが続いていた。

この間、南仏とアルザスでは国や領主が頻繁に変わった。

そして今は言葉や文化が混じり合い、かつての憎しみは消えており、観光客が訪れる平和な地域となった。

 

私はこのアルザスの歴史に「戦争と平和」の答えがあるように思えた。

残念ながら、今回の旅行では納得のいく答えを得ることが出来なかった。

しかし、一つの確信を持つことが出来た。

それは隣国同士が融和策を主導すればアルザス、ストラスブールのように安寧と平和が訪れるのだと!

 

 

ノルマンディー(フランス北西部)の屋根瓦や家の作りに他のフランス地域との違いがあり、かつてヴァイキングがここに住み着いたことを連想させる。

また、パリは幾度もヴァイキングの侵略を受けていた。

フランスを建国したフランク人も、植民し攻撃したヴァイキングも元をただせば同じゲルマン人だ。

また英仏戦争を戦い続けた英国もゲルマン人(アングロサクソン)とヴァイキングの作った国だ。

そして、今は英仏で異なった国造りを行い、フランスでは両者は溶け込んでいるように見える。

 

ヨーロッパの歴史は、日本から見れば民族の衝突が繰り替えされた悲愴なものに思える。

その一方、この民族や宗教の違いを乗り越え、仲良く暮らす工夫が成功している唯一の地域だろう。

 

今回、ゴシック建築の歴史を身近に感じることが出来た。

シャルトルでゴシック建築が生まれたのは、フランスの初代王朝がパリを首都にしたことに起因しているいたことを実感できた。

 

 

一番の収穫は、多くの楽しくて温かいフランス人に接したことでした。

セーヌ川クルーズでの歓迎、様々場面でカメラを向けた時に返してくれる笑顔が忘れられない。

中には機嫌を悪くする人もいたが。

 

エクス・アン・プロヴァンスで飛び入りした昼食レストランでの親近感溢れるウエイター、リヨンの地下鉄で道を教えてくれた移民家族の親切な青年、日本から予約していたストラスブールのレストランでのハプニング、ムフタール通りの魚屋のユーモア溢れる青年、プラス・モンジュの公園で会った喜びを隠さない女性、ラ・デファンス広場の親子の親しみ易さなど、良い思い出が多い。

 

様々な地で、キャンピングカーや自然が残る河畔で余暇を楽しむ家族の多いのに驚いた。

人生の楽しみ方が日本と異なり、羨ましく思った。

 

大都市では肌の色が異なる多くの人々が仲良く暮らし、結婚もしていることに感銘を受けた。

移民を受け入れることは分裂や社会の停滞を生み出す恐れがあると不安もあったが、むしろこれを乗り越えているフランスを力強く思えた。

 

こうして多くのことを体験し学び、フランスと旅行に感謝し旅行記を終えます。

長きにわたりお読み頂きありがとうございました。

 

 

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フランスを巡って 57: パリ散策5


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今日でパリ散策とフランス各地の紹介を終わります。
今回は、道行く人々や公園で出会った人を紹介します。
次回は紀行のまとめになります。

 

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< 2. 散策マップ >

今回紹介するのは、前回につづいてムフタール通りです。
場所は地図の番号4の青枠部分です。
この通りを出て、地図の赤矢印5から地下鉄を乗り継いで、ホテルのある左上のラ・デファンスに戻りました。

 

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< 7.公園でダンスする一団 >

地下鉄駅のすぐ近くの公園でダンスをするグループが目についた。
奇抜な衣装に身を包んだ女性ばかりが踊り、二人の男性はリズムを取っているようでした。
実に楽しそうでした。

何かカーニバルでもあるのかと思い尋ねると、違うとの答えが返って来た。
すると一人の女性が躍り出て「結婚!!」と言って、満面の笑みを浮かべた。
どうぞお幸せに!!

それが下の写真です。

この公園には様々な肌の色の人々が見える。
これがフランスの素晴らしさであり、強さなのかもしれない。

 

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< 8. 地下鉄駅 1 >

上の写真: 7号線の「Place Mongue」から乗車した。
下の写真: 「Place d’italie」で6号線に乗り換えた。

 

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< 9. 地下鉄の眺め >

上の写真: 車内の光景。
様々な人々が隣合い、そこには談笑と緊張が隣り合っている。

私が30年以上前、パリの地下鉄に乗ろうとした時、人種か何かの区別で安心できる後端の車両に乗るように勧められたことがあった。
時は過ぎ、至る所で様々な人種が自由に暮らすようになっているようだ。

下の写真: 地下鉄6号線を選んだのは、セーヌ川を越えながらエッフェル塔を眺めたかったからでした。

 

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< 10. 地下鉄駅 Charles de Gaulle >

ここで地下鉄6号線から1号線に乗り換えた。
ここはちょうど凱旋門の下になります。

 

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< 11. ラ・デファンスに戻った >

ラ・デファンスに戻ったのは午後8時半を過ぎていた。
まだ明るく、「グランド・アルシュ」の下の階段には多くの市民が寛いでいた。

 

こうして私達は半日のパリ散策と13日間のフランス旅行に幕を閉じました。

次の日、2017年5月28日の午後、パリ発の航空機で帰国の途に着きました。
半年以上にわたる私のフランス紀行にお付き合いくださり、ありがとうございました。

次回は、旅行記の目次とまとめを記します。

 

 

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フランスを巡って 56: パリ散策4


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今日はパリ最古の通り、市民に人気のムフタール通りを紹介します。

この通りには多くの小さなマルシェや多国籍のレストランが並んでいます。

私達も1時間の間につい2回も食事してしまいました。

 

 

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< 2. 散策マップ >

 

上の地図: 上が北。

赤矢印4のシテ駅から地下鉄に乗り、途中オデオン駅とジュシュー駅で乗り換え、黒矢印5のプラス・モンジュ駅で降車しました。

 

下の地図: 左が北。

プラス・モンジュ駅を出て、Sから歩き始め赤線を右端まで行き、折り返して黄線のEで、往復1.2kmの散策を終えた。

散策したのは2017年5月27日(土)の18:00から19:30です。

Fは生牡蠣を食べた魚屋、Rはタルトを食べたレストラン、Pは楽しい人々と出会った公園です。

 

 

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< 3. 地下鉄駅 >

 

上の写真: 乗車したシテ駅。

 

下の写真: 乗り換えたオデオン駅。

 

 

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< 4. ムフタール通りに出た >

 

上の写真: 乗り換えたジュシュー駅。

 

下の写真: プラス・モンジュ駅を出た時は人出が少なかったが、ムフタール通りに出て、時間が経つうちに人が増えて来た。

 

 

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< 5. 楽しい! >

 

下の写真: このおじさんが手回しで管楽器を鳴らし、名調子の高い声で歌っていました。

笑顔と笑い声が素敵な人でした。

 

 

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< 6.教会 >

 

下の写真: 地図の右端付近にある教会。

 

 

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< 7. 折り返し付近 >

 

この辺りで散策を折り返しました。

通りや広場のテラスでは多くの人が食事と会話を楽しんでいました。

 

 

 

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< 8. 様々な店先 >

 

 

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< 9. 牡蠣を食べた魚屋 1 >

 

 

 

 

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< 10. 牡蠣を食べた魚屋 2 >

 

最初この前を通った時、この店でカップルが牡蠣を食べていたのを見ていました。

戻る途中、無性に食べたくなり意を決して店に飛び込みました。

 

声をかけると若い店員がメニューを持って来ました。

私達はわけも分からず、中間の値段のものを注文しました。

 

そして出て来たのが、この写真の生牡蠣とワインでした。

牡蠣は冷えていて実に美味しかった。

さらにワインがびっくりするほど美味しかった。

 

この日より、私達はシャルドネの虜になりました。

帰国後はフランス産やチリ産などの安いシャルドネを何本か買っては飲みましたが、二度と同じ味に出会うことはなかった。

 

このように美味しいものに出会うのも旅の楽しみです。

 

 

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< 11. メニュー >

 

これは注文時のメニューです。

帰国後、内容を調べました。

 

一番上のオレンジの下線は生牡蠣のフランス内の名産地を示し、「Hunters」は牡蠣を意味する。

オイスターの表示はどこにもなかった。

次の下線は牡蠣の等級を示すようです。

三番目の下線はワインのグラス売りで、4番目の下線はワインの種類「シャルドネ」を示す。

シャルドネは「白ワインの女王」と呼ばれ、シャルドネはブドウ品種の名前です。

 

この時、面白いエピソードがありました。

注文を受けた青年が、ワインのボトルを持って来てテーブルに置き、私達が驚いたのを見ると彼は笑みを浮かべ、さっと引き下がり、二つのグラスワインをもって来ました。

これは彼の冗談(ユーモア)で、私達を精一杯歓待してくれたのです。

 

実は、この青年はどうやら写真9の夫婦の息子のようで、このお父さんは私達観光客なんか相手にするなと言う態度を取っていました。

今回のフランス旅行では、幾度も若い人達の好意を感じることがありました。

 

海外で個人的にレストランなどに入るのは不安で失敗もしてきましたが、そこには束の間の出会いがあり、実に楽しいものとなります。

 

 

 

 

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< 12. タルトを食べた店 >

 

写真のように道路に面したショーケースにたくさんのタルトが並んでいます。

東南アジア系の女性が一人で店を切り盛りしていました。

非常に小さな店ですが、結構、お客さんが途切れず買いに来ていました。

私達は中に入って食べました。

焼き立てではない為か、特に美味しいとは思いませんでした。

 

 

次回はムフタール通りの残りとラ・デファンス到着までを紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

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フランスを巡って 55: パリ散策3


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今日はカルチエ・ラタンからシテ島までの散策を紹介します。

ルートは大学街を抜けアラブ世界研究所からノートルダム大聖堂までです。

 

 

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< 2. 散策ルート、上が北 >

 

赤線が散策ルートで、地下鉄駅M1「クリュニー・ラ・ソルボンヌ」から歩き始め、地下鉄駅M2「シテ」まで行きました。

Sはソルボンヌ大学、Cは立ち寄ったカフェ、Aはアラブ世界研究所、Caはノートルダム大聖堂です。

私が歩いたパリ大学横の通りはエコール通りです。

 

このセーヌ川左岸のエコール通り一帯はカルチェ・ラタンと呼ばれ、ここはパリ誕生期からキリスト教の中心地で、やがて神学教育の場から現在の大学の街となりました。

シテ島はパリの起源となった所で、古くは様々な侵入者、バイキングなどを迎え撃つために要塞化した島でした。

 

 

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< 3. 地下鉄駅から地上に出る >

 

「クリュニー・ラ・ソルボンヌ」駅を出て、サン・ミシェル大通りを少し行き、左に曲がりエコール通りに入った。

 

 

 

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< 4.パリ3・4大学(ソルボンヌ) >

 

2枚の写真は共にパリ大学(地図S)ですが、この一帯にはパリ大学の13校が集中しており、ソルボンヌの名が冠せられている大学は上記含め3校だけです。

 

 

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< 5. エコール通りの光景 >

 

下の写真: 通り沿いにある公園。

 

途中、本屋や人通りが少ないので気が付いたのですが、私は散策ルートを間違っていました。

私が行きたかった所は学生街のあるラ・ソルボンヌ広場で、サン・ミシェル大通りを一筋早く左に曲がってしまっていた。

結局は、このまま歩いて行きました。

 

 

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< 6. カフェ >

 

上の写真: エコール通りの突き当りにパリ6・7大学が見える。

下の写真: パリ6・7大学の手前を左に曲がるとカフェ(地図C)があった。

カフェにカメラを向けると、テラス席の青年がピースサイン(V字の指)で応えてくれた。

トイレ休憩をするために中に入り、ドリンクを注文した。

 

 

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< 7. アラブ世界研究所 >

 

上の写真: カフェの中。

下の写真: アラブ世界研究所(地図A)。

 

当初、私がここに来たのはアラブの情報、アラブ料理、屋上からの眺望が目的でした。

中に入るとたくさんの人がおり、特別展が開催されていて、アラブ関係の書店もありました。

しかし、結局は屋上からの眺望を楽しむだけにしました。

 

 

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< 8. アラブ世界研究所からの眺め >

 

上の写真: 眼下にセーヌ川、左手にノートルダム大聖堂が見えます。

 

下の写真: 北方向を中心にパノラマ撮影した。

中央はサン・ルイ島です。

 

この屋上からの眺望は北方向には開けているのですが、南方向には障害の建物があります。

入場は無料です。

 

 

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< 9. セーヌ川の左岸 1 >

 

アラブ世界研究所を出て、セーヌ川沿いを行きました。

 

 

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< 10. セーヌ川の左岸 2 >

 

 

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< 11. シテ島に入る 1 >

 

多くの市民がそれぞれの楽しみ方でセーヌ川で憩っていました。

 

 

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< 12. シテ島に入る 2 >

 

上の写真: 橋の上からサン・ルイ島、東側を望む。

 

下の写真: ノートルダム大聖堂の正面。

中に入ろうと思ったのですが、大勢の人が行列をなしていたので止めました。

 

皆さんに注意を一つ!

大聖堂横を歩いていると南西アジア系の数人の若い女性が「アンケートをお願いします」としつこく寄って来ました。

恐らくはアンケート用紙に記入している間に財布をスルのが目的だと思います。

新手のスリでしょう。

 

 

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< 13. シテ島中央 >

 

下の写真: 最高裁判所。

 

 

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< 14. 花市 >

 

中央に緑が一杯の場所があり、ここが常設の花市でした。

 

 

次回に続く。

 

 

 

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France, Félicitations! France, Congratulations! フランス、おめでとう! 


 

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I am honestly happy about the birth of President Macron.
Above all, this exploit was the victory of the conscience of France.
Moreover, this is also a moment that France protected a light of world peace.

 

マクロン大統領の誕生を心からお祝い申し上げます。
この快挙は、何よりもフランスの良心の勝利です。
さらにはフランスが世界平和の灯を守ってくれた瞬間でもあります。

 

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Now, the world is being bombarded with disasters that has been scattered by human action, people are increasing hatred and the society is deepening antipathy.
It is eroding Japan, the United States, the UK, China, the Soviet Union, and the EU.
Also in France, people that are hostile to globalization enlarging terrorism, immigrants, and inequality is increasing.

However, the French people may have kept in mind that former conflicts and divisions caused major disasters (a panic and war).
And the people stopped the rightward tilt.

France added one more glory to the honor of the world’s first citizen revolution.
Congratulations from Japan in a corner of Asia.
Thank you from the bottom of my heart.

 
今、世界は人類自ら招いた災厄に翻弄され、憎しみを増し、対立を深めつつあります。
それは日本、アメリカ、英国、中国、ソ連、そしてEUを蝕みつつあります。
そしてフランスにもテロと移民、格差拡大などのグローバル化を敵視する人々が増大していた。

しかし、ここに来てもフランス国民は、かつての対立や分裂が大きな災厄(恐慌や戦争)を起こしたことを肝に銘じたのでしょう。
そして国民は右傾化にノーを突き付けた。

フランスは世界初の市民革命の誉れにまた一つ、栄光を加えた。
アジアの片隅の日本から、お祝いし、心から感謝します。

 

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There is only one wish.
In both Japan and the United States, there was a time when we entrusted hope for political renewal ten years ago.
However, now the back action has begun to grow.
New president and citizens should beware of it.

I am going to visit France for the next couple of weeks and I want to share this joy with you.

 
一つだけ、お願いがあります。
日本もアメリカも、10年前は政治刷新に希望を託した時期がありました。
しかし、今はその反動が押し寄せている。
どうか、新しい大統領も国民もくれぐれも注意してください。
尚、私はフランスをこれから2週間巡って、共に喜びを味わいと思っています。

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平成イソップ物語 16: 蜘蛛と花


 

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ある所に花々が咲き誇る谷がありました。

 

 

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花たちが悲鳴を上げています。

 

「キャー、私の体(葉っぱ)が青虫に食べられている。」

 

花たちが困っていると、隣の木立の中から声が聞こえました。

 

「私達が助けてあげましょうか?」

 

「蜘蛛の巣であなた方を覆ってあげれば、青虫が蝶になって飛んで行くとき、捕まえることが出来ます。」

 

「もうこれで青虫はあなた方に着くことが出来ない。」

 

 

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花たちは言いました。

 

「蜘蛛さん、ありがたいのですが、一つお願いがあります。」

 

「蜘蛛の巣の目を大きくして、小さな蝶は通れるようにしてください。」

 

 

蜘蛛は答えました。

 

「それは簡単なことです。それではさっそく蜘蛛の巣を張りましょう。」

 

 

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その後、大きな蝶と大きな青虫の姿が消え、替わって小さな蝶たちが受粉してくれたので花は咲き続けることができました。

 

しかしさらに月日が経つと、その谷から花は消え、蜘蛛の巣が野原を覆うようになりました。

 

それは蜘蛛たちが増え、蜘蛛の巣の目を小さくした為に、小さな蝶も捕まえてしまったからだとさ・・・・

 

 

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おわり。

 

 

注釈1.

これは日本政府が米国家安全保障局(NSA)に協力して、国民を監視している状況を揶揄したものでは決してありません。

純粋に自然界の摂理を謳いあげたものです。

他意はありません。

どうかこのブログも監視されていないことを切に望みます。

 

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平成イソップ物語 14: 津波とモグラ


 

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昔々、ある所にモグラがたくさん住んでいました。

そこは山と海に囲まれた平和な所でした。

しかしある日から事態は急変しました。

 

 

 

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モグラ達がたくさん集まっています。

 

一匹の白いモグラが大声で皆に訴えています。

「皆、聞いてくれ!

津波が来たら、我々の住んでいる所は海に沈んでしまうぞ!」

 

誰かが聞きました。

「そんなことが起きたら大変だ。 どうすれば良いのですか?」

 

 

白いモグラが答えました。

「それは海岸に堤を作るしかない。

そうすれば海からやって来る大きな波を防ぐことが出来る。

私達は土を掘って集めることが出来る。

今やらなくて何時やるのだ!」

 

 

皆は騒ぎ始めた。

「この話は本当かな?」

「しかし万が一、津波が来たら終わりだぞ。」

 

 

この時、一匹の子供モグラが母さんに言いました。

「以前、僕は地中を深く掘っていた時、底の方で水が流れているのを見たことがある。」

 

お母さんは言いました。

「山にたくさん雨が降れば、洪水になるかもしれないね。」

 

母さんは周りのモグラに危惧を伝えましたが、皆は口を揃えて言いました。

「お前は津波の恐ろしさを無視するのか。話にもならない。」

 

 

やがて皆は力を合わせて堤を造ることにしました。

 

そんなある日、その親子はこの浜を去り、離れた高台に住み始めました。

 

やがて数年が過ぎて、雨が降る日が多くなりました。

 

ついに川が増水を始め、堤で囲まれた浜は水没してしまいました。

 

とうとう津波は来ませんでした。

 

 

 

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平成イソップ物語 13: 熊と狐


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ある所に、秋になると鮭がたくさん遡上してくる川がありました。

そこでは熊と狐と多くの動物が仲良く暮らしていました。

しかし鮭の量が減り始めていました。

 

 

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熊以外の動物達が鮭の漁について話し合っています。

 

「皆、熊だけに鮭の漁を任しておいて良いのだろうか?」

「しかし、我々は熊が採ってくれた残り物を貰って暮らしている。」

「我々が鮭を漁することは難しいし、第一、熊が我々の漁を許さないだろう。」

「しかし、このままでは鮭が減っていくのは確実だ。」

 

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狐と他の動物達は熊の所に話しに行きました。

すると熊は皆を威嚇しながら言いました。

 

「お前たちは、これから鮭が遡上してくる川に近づいてはならない。」

 

皆は仕方なく引き下がりました。

 

 

 

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やがて月日は流れました。

 

熊の数が増え、また密漁する動物も増えて鮭の数はどんどん減っていました。

 

皆は危機感を持ち、対策を話し合いました。

 

「やはり、我々がこの川を守るべく鮭の漁を規制すべきだ。」

「皆を集めて、熊の所へ行こう!」

 

 

 

 

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この時、狐のリーダーが言いました。

 

「今、熊を怒らすのはまずい。ここはやはり熊に従うべきです。」

 

この狐は熊とこっそり話をしました。

 

「どうか我々狐にだけは鮭の残り物を確保して下さい。」

 

それを聞いた狐達はリーダーに大変感謝しました。

 

一方、足並みの乱れた他の動物達は規制を諦めざるを得ませんでした。

 

 

そして、また月日が流れました。

 

とうとうこの川に鮭が遡上しなくなり、熊も狐も、他の動物も死に絶えてしまった。

 

 

 

追記

これは核兵器禁止条約と核拡散防止条約における日米の姿勢を揶揄したものではありません。

 

 

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 4: モスクワ 3


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< 1.マネージ広場の電飾 >

 

 

今日は、モスクワの赤の広場を紹介します。

 

 

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< 2. クレムリンと赤の広場の地図、地図の上が南 >

 

前回に続いて、アレクサンドロフスキー庭園を出た番号5以降を紹介します。

赤線はグム百貨店の自由散策と夕食のレストランEへの道筋です。

 

 

 

 

 

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< 3. マネージ広場 >

2枚の写真は地図の番号5から写した。

時刻は18:20頃です。

 

上の写真: 国立歴史博物館。

この後ろが赤の広場です。

 

下の写真: 国立歴史博物館の前から見たマネージ広場。

たくさんの屋台が出ていた。

 

 

 

 

 

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< 4.いよいよ赤の広場へ >

 

上の写真: ヴァスクレセンスキー門。

手前に小さな礼拝堂があり、門を抜けると赤の広場です。

 

下の写真: 赤の広場に入って最初に出会うのが左側のカザンの聖母聖堂です。

この教会は1612年のポーランド軍の侵攻を防いだことを記念して建設された。

しかし、この聖堂もヴァスクレセンスキー門も共に、スターリンによって破壊されたが、1990年代に再建された。

 

 

 

 

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< 5.赤の広場 >

 

上の写真: 左がグム百貨店、中央はワシリー寺院、右がクレムリンです。

クレムリンの城壁でライトアップされている塔はスパスカヤ塔で、その手前にレーニン廟がある。

 

ワシリー寺院はモンゴルとの戦勝を記念してイワン雷帝によって1560年に建てられた。

 

中央の写真: ワシリー寺院と対峙するように国立歴史博物館がある。

 

下の写真: レーニン廟。

その左手に並ぶ像の内の一つがスタ-リンの墓です。

スターリンは初めレーニンと並んで安置されたが、1961年、スターリン批判の折に現在の場所に移された。

レーニン廟のひな壇は赤の広場で国家的行事が行われる際、首脳が観閲し演説する場所です。

 

 

 

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< 6. グム百貨店 >

 

広い石畳の広場に電飾で光輝き、夕闇に浮かび上がる堂々としたグム百貨店は感動ものでした。

 

 

 

 

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< 7.グム百貨店の内部 1 >

 

百貨店は三階建てで、中は三つのアーケードが並び巨大です。

全体にゆったりとしており、清潔で落ち着いた店が並んでいます。

ブランド店、土産物店、食品店などがあります。

 

 

 

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< 8.グム百貨店の内部 2 >

 

様々な店があり商品は豊富ですが、価格は高めです。

飲食出来る店は少ないようです。

 

 

 

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< 9. グム百貨店の内部 3 >

 

私はマンウオッチングをしていました。

 

訪問したのは水曜日の夜7時頃なので、観光客もいたが、近所の人や通勤帰りの買い物客が多かったようです。

結構、モスクワの人はスタイリッシュでスマートでした。

下の写真のような服装の人達はむしろ珍しい。

 

西欧と比べて、百貨店内では観光客を除いて黒人やアジア系、中東系の人をほとんど見なかった。

少ない観光客で、多かったのは東アジア、それも中国系(大陸か台湾)でした。

後に困惑することになるのですが。

 

 

 

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< 10. 二コリスカヤ通り >

 

この通りは、地図の番号9です。

 

上の写真: クレムリンを振り返ったところ。

左がグム百貨店、右がカザンの聖母聖堂です。

 

下の写真: 上の写真と反対側を見ている。

ここをまっすぐ行くと旧KGB本部ビルがある。

 

 

感想

当初想像したいた以上に豊かな生活がそこにはありました。

ソ連崩壊後、テレビで見た品不足で並ぶ市民の姿は嘘のようです。

プーチン大統領になって、生活は良くなっているのでしょう。

 

訪問前、私はロシアのスラブ人男性は巨体で屈強なイメージを抱いていましたが、そのような人も見かけますが、全体としてはそうではなかった。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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地中海クルーズとカナリヤ諸島クルーズ 22: クルーズ船での愉しみ


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< 1. レセプション・ホール >

 

今日は、クルーズ船内の楽しみ方を紹介します。

私達は初めて経験したのですが、大いに愉しみました。

詳しく奉公します。

 

 

 

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< 2.エンタテイメント >

上の写真: 2000名収容のシアター。

中央の写真: たくさんのバーやカフェ、レストランで演奏が行われている。

下の写真: レセプション・ホールでのクラシック演奏。

 

私達夫婦は、ほぼ毎日、シアターで約90分のショーを見ました。

ショーは夜2回あり、夕食の前後で見れるようになっています。

入場は無料で、入退出も自由です。

ショーは歌(オペラのダイジェスト、ポップスなど)とダンス、アクロバットを融合させたもので、人気歌手の物真似もあります。

英語かイタリア語で行われますが、言葉を理解出来なくても楽しめます。

出演者は毎回同じで、新鮮味は欠けますがイタリアのショーを楽しめるのが一番です。

 

小編成のバンド演奏や歌は、毎夜、船内の6か所以上で無料で行われています。

多くの客が連れだってペッボトル(水)持参で、会話と音楽を楽しんでいました。

 

 

 

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< 3. ダンスレッスン >

https://www.youtube.com/watch?v=NpDaW_FGH3k

ダンスレッスンの18秒間のビデオです。

 

毎日数回、何処かで30分以上のダンスレッスンが行われています。

自由に参加出来ます。

私は社交ダンスを期待していたのですが、多くはスピーディーでリズミカルなダンスが多い。

インストラクターは男女二人で、すべてを指導していました。

彼らは、チークダンス、フォークダンス、コミカルなダンス、はては太極拳まで教えてくれました。

 

私はステップについていくのがやっとでしたが、多くの参加者は楽しんでいました。

ダンスを愉しみにしている日本人客が多かったのには驚いた。

ダンスフロアーのあるバーが数か所あり、夜になるとダンスを楽しむことが出来ます。

外国の方と混じって、ダンスをするのも楽しいものです。

 

 

 

4

< 4. ゲーム >

毎日、何らかのゲームがあり、うまくやれば簡単な賞品がもらえます。

自由に参加できます。

私は一つだけ参加しました。

 

 

 

 

5

< 5. コンテスト >

コンテストも色々ありますが、これは料理コンテストです。

コックの手本を見聞きしてから、三人の参加者が競いました。

脇でいつも場を盛り上げる若いアシスタント達(メキシカンスタイル)が楽しい。

イタリア語が主で、英語も少し喋れるようです。

 

 

 

6

< 6. クラフト >

 

これは台紙と紙のリボンを使って作るクラフトです。

私達は3回ほど参加しましたが、直ぐに外国の人と親しくなれます。

日本人は概して器用なようです。

写真はイタリアの親子です。

 

 

 

 

7

< 7. ちょっと贅沢 >

上の写真: 多くのお客さんは、このようなカフェやバーでくつろいでいます。

中央の写真: 私たちも、フォーマルデイナーにはそれなりの恰好で・・・

下の写真: 船内には常設のショップがあるのですが、クルーズも終わりかけると臨時の売店が並びます。

 

 

 

 

 

 

8

< 8. ジャグジー >

上の写真: 船首側から中央を眺める。

3月中旬なのですが天気が良い日には、デッキは人で一杯になる。

風が無ければ寒くありません。

 

下2枚の写真: 屋根付きプール。

 

私たちは終日クルーズの時に、ジャグジーに2回入りました。

湯温は少し低めですが、写真のような屋根付きジャグジーなら寒くはありません。

部屋で水着を着ておき、サンダルを履いてバスタオルを持って行きます。

何人かと一緒に入るのですが、嫌な思いをすることはありませんでした。

むしろ、世界中の人と気安く声をかけるチャンスでした。

イタリア?やドイツ?、シンガポールの人に声かけ、中には大変喜んでくれる人もいました。

 

 

 

 

9

< 9. デッキを散歩 >

上2枚の写真: 船首側から中央を眺める。

 

下の写真: 船尾側のプールがあるデッキ。

 

このデッキで写真撮影や散歩を楽しみました。

船尾側デッキは、船首側と違って広い視界が得られる。

 

 

 

10

< 10. 出会い >

上の写真: 早朝、写真撮影の為にデッキに出ていると、後ろから声をかける人がいました。

彼は、娘さんが日本人と結婚したことを私達に嬉しそうに話してくれました。

彼はイタリア人ですが、我々と片言の英語と日本語で歓談した。

 

ビュッフェやエレベーターなどでも、幾度が外国の方と言葉をかけ合うことがあった。

概ね気安く応対してくれるのはドイツ人のようです。

これはドイツ人が遠方からクルーズに来ることで客層が異なっているからかもしれません。

 

下の写真: 彼はレストランのボーイで、家族を残して出稼ぎに来ている。

彼の故郷はモーリシャスで、いつか帰って観光業で働くのが夢のようです。

日本人担当のボーイの多くは、東南アジアや南米の人でした。

 

クルーズ旅行とバス旅行の大きな違いは、外国の方と何日間も一緒に暮らすことで、思わぬ出会いがあるかもしれません。

 

 

感想

今回のツアー参加の動機は、大げさに言えば一生に一度、クルーズ旅行をしておきたかったからです。

初めての経験なので、色々不安があり、充分に準備しました。

結果は、スリに2回あった以外は、すべて予想以上の満足が得られました。

 

一方で、三つの事に気付きました。

やはり英語の出来ないことは残念でしたが、たとえ英語が出来ても、世界の人達(イタリア、フランス、スペイン、中国)と交流出来ないことを思い知りました。

もっとも遠方からクルーズに来る外国人は英語が話せる人もいるようでしたが。

 

イタリア人などヨーロッパのクルーズ客の様子を見ていると、寄港地での観光や、船内の楽しみ方に日本人と大きな違いがある。

彼らは日本人のように個人や夫婦がパック旅行で観光を楽しむのではなく、特に地元イタリア人は子連れの家族や親類縁者が大勢一緒に休暇を楽しむようです。

彼らは寄港地でも、徒歩かシャトルバスなどで現地に向かい、自由に街歩きを楽しむようです。

彼らにとってクルーズは贅沢な観光と言うより、皆でのんびり楽しむ船旅のようです。

 

私達夫婦にとってクルーズ旅行は合わないと感じた。

やはり好奇心を満足させる為には、バスで観光地を巡り、朝夕、ホテル周辺を精一杯歩き回り、探索する旅が私達には必要でした。

クルーズ旅行は異なる自然や国を一度に見れるメリットはあるのですが、バス旅行は地域全体の繋がり、自然や歴史、文化を全体で捉えることが出来る。

 

人によっては、食事などでツアー参加者との接触時間が長くなり、面倒臭くなるかもしれません。

結局、クルーズは余暇を楽しむ余裕があり、足腰が弱ってから参加すべきだと思った。

日本からのツアー同行者の多くは、私達よりも高齢でクルーズの常連さんでした。

 

今回は4回の終日クルーズがあり、色々参加して得難い経験をした。

これもまた楽しい旅だった。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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Cruise of the Mediterranean Sea and Canary Islands 10: Barcelona 1


地中海とカナリヤ諸島クルーズ 10: バルセロナ 1

 1

< 1.  Passeig de Gracia >

< 1. グラシア大通り >

 

We freely enjoyed walking around Barcelona a half day.

I introduce the way of personal trip that we started from our cruise ship, and one episode.

 

私達は、半日、自由にバルセロナの町歩きを楽しみました。

クルーズ船からの個人行動の仕方とエピソードを紹介します。

 

 

 2あ

< 2. We just enter Barcelona port >

< 2. いよいよバルセロナに寄航 >

Upper photo: Whole view of Barcelona.

Central photo: Our ship is stopping at the terminal of MSC Cruises where a big ship is in the left side.

Lower photo: “Excursion” is a ticket office of local optional tour in our ship.

 

Our ship stopped at the port at 13:00, and left at 18:00, March 4, 2016.

We refused a city sightseeing of our tour because we had come once, and got the free trip.

So, in the Excursion, I purchased the ticket of shuttle bus connecting our ship and the city (1-2 in map).

When our ship stopped at a port, the Excursion in the morning was always crowded and we tired with confirming the contents of ticket and purchasing it with poor English.

There is not person who can speak Japanese in the Excursion, and probably Italian and English seem to be mainly used.

 

There was a woman crew who can speak Japanese in our ship, but she is not helpful immediately all the time.

 

上の写真: バルセロナの遠景。

真中の写真: 左側で大きな船が着岸している所がMSCクルーズのターミナルです。

下の写真: エクスカーション、船内の現地オプショナルツアーのチケット発売所。

 

船は2016年3月4日(金)、13:00に寄航し(下船開始)、18:00に出航した。

私達は一度訪れているので、ツアー会社の市内観光を断り、自由散策にしました。

その為に、上記エクスカーションで、市内までの往復バス(地図、1~2間)のチケットを購入しました。

ここは寄航日の朝、いつも混雑しており、下手な英語での内容確認や購入は疲れます。

この受付には日本語が出来る人はおらず、おそらくイタリア語と英語などが主のようです。

 

日本語の出来る人が船内に一人いるが、いつも直ぐ役立つわけではない。

 

 

 

3

< 3. Map of Barcelona >

< 3. バルセロナ地図 >

Upper photo: Map shows our ship and the route of walking for sightseeing.

A blue mark indicates our ship, and a yellow mark indicates Casa Batllo being in the distance.

The number 1-2 is the route of the shuttle bus, 2-3 is it of walking, and 3-4 is it of metro we used.

 

Lower photo: The route of walking for sightseeing.

After getting off the metro, we went from No.4 to No.2 while doing sightseeing, and came back by the shuttle bus.

In the shuttle bus, the first train and the last train were decided, and it did shuttle service during it.

This kind of shuttle bus varies in the service contents and running by each port of call.

Please confirm it with newspaper “Daily program” (Japanese edition) of the ship in the night before sightseeing.

 

上の地図: クルーズ船から町歩きまでの道筋。

青丸は私達のクルーズ船、黄丸は最も遠い観光地カサ・バトリョです。

番号1~2は往復バス、2~3は徒歩、3~4は地下鉄の利用です。

 

下の地図: 町歩きの道筋。

地下鉄下車後は徒歩で、4から途中観光しながら2まで歩き、また往復バスに乗って帰りました。

往復バスは始発と終発が決まっていて、ピストン運転でした。

この種類の往復バスは、寄港地で運行内容や催行の有無が異なります。

前日の夜に届く船内新聞「デイリープログラム」(日本語版)で確認してください。

 

 

 

 

4あ

< 4. Monument a Colom >

< 4. コロンブスの塔 >

 

We got off the shuttle bus, and started to walk.

It was fine weather, and the wind felt good.

 

往復バスを降りて、いよいよ歩き始めます。

快晴で、風は心地よく、素晴らしい日和でした。

 

5

< 5. Metro >

< 5. 地下鉄 >

 

We arrived at an entrance of street Las Rambles.

Then, we get on Metro running through the underground of this street, and go to station Passeig de Gracia.

I had a hard time for a while to buy the ticket.

 

ランブランス通りの入り口に来ました。

ここで両替所を見つけて入ったのですが、先客二人を待つだけで大変な時間がかかりました。

船内で、両替をしておくべきだった。

 

次いで、この通りの下を走る地下鉄に乗り、バセイジ・デ・グラシア駅まで行きます。

切符を買うのにひとしきり苦労し、地下鉄に乗り込んだ。

 

Trouble!!

We got off at the objective station, and were walking on the platform.

Then a young woman asked us from our backside.

“ Now, I think something has been stolen from you. ”

When I saw my waist porch, the zipper had been opened.

That reminds me, two Asians surrounded me in the inside of the train,

And one man of them stared at a station nameplate of the upper part, and called a station name repeatedly.

I was preoccupied with it.

In the opportunity, one woman of them would try to steal.

 

After all, I had nothing stolen, because I hadn’t valuables and money.

Actually, on previous day, my wife had her wallet stolen from her shoulder-back while the sightseeing in Genoa.

So I handed her my wallet.

Our couple suffered pickpocket damage for the two day in a row.

 

We thanked the young woman and parted.

 

トラブル発生!!

そして、目的の駅で降り、ホームを歩いていました。

すると若い女性が後ろから、何か盗まれていませんかと私に尋ねてきた。

私のウエストポーチを見ると、チャックが開いていました。

そう言えば、車内で、アジア系の男女二人が私を囲み、しきりに上側の駅名表示板を指差し、駅名を連呼していた。

私もつられて、その表示板に気を取られていた。

その隙に、女がすろうとしたのでしょう。

 

結局は、何も取られていませんでした。

そこには貴重品とお金が無かったからです。

実は、前日、妻がジェノバで市内観光の折、ショルダーバックから財布をすられ、現金などを無くしていた。

それで私の財布を妻に渡していたのです。

 

私は、前年、リスボンで未然にスリを防止していたので、盗まれないと自負していたのですが、2日続けて、夫婦がスリ被害にあった。

 

その若い女性に感謝して別れました。

 

 

 

 

 

6

< 6. Casa Batllo and street Passeig de Gracia >

< 6.カサ・バトリョとグラシア大通り >

Upper photo: Gaudi refurbished Casa Batllo in 1906.

Central photo: A view toward the sea side on street Passeig de Gracia.

Lower photo: A view toward the mountain side on street Passeig de Gracia.

 

上の写真: ガウディが1906年に改修したカサ・バトリョ。

真中の写真: Passeig de Gracia グラシア大通りで海側を望む。

下の写真: グラシア大通りで山側を望む。

 

 

 

 

7

< 7. Placa del Catalunya 1 >

< 7.カタルーニャ広場 1 >

Central photo: The fountain of Placa del Catalunya.

Lower photo: A department store facing the Placa del Catalunya.

We entered in here for a purpose of restroom, but there was not it.

But there was a big supermarket in the underground of it, and we bought foodstuffs as a souvenir.

 

真中の写真: カタルーニャ広場の噴水。

下の写真: カタルーニャ広場に面したデパート。

ここにはトイレが目的で入ったのですが無かった。

地下に大きなスーパーが有り、土産用に食品等を購入しました。

 

 

 

8あ

< 8. Placa del Catalunya 2 >

< 8. カタルーニャ広場 2 >

 

Many citizen were relaxing in Placa del Cataluny

カタルーニャ広場では多くの人々が寛いでいました。

 

 

9

< 9. Street Las Rambles 1 >

< 9. ランブラス通り 1 >

Upper photo: An entrance of street Las Rambles where we just entered from Placa del Catalunya.

 

上の写真: カタルーニャ広場からランブラス通りに入った所。

 

 

10

< 10. Street Las Rambles 2 >

< 10. ランブラス通り 2 >

Various human events on the street.

 

通りで見かけた人間模様。

 

Impression

One thing that I expected for this Cruise trip is to contact with people of the world.

We visited 3 countries in Europe and 1 country in Africa, and had contact with the people of over a dozen countries in our ship.

 

After experienced this trouble, our trip became a challenging trip that we had contact with the people of the world.

 

This continues next time.

 

感想

今回のクルーズ旅行に期待したものに、世界中の人々との触れ合いがあります。

ヨーロッパ3ヵ国とアフリカ一ヵ国を訪問し、そして船内で十ヵ国以上の人々と交流することになります。

 

トラブルも経験したが、世界中の人との出会いにチャレンジする旅行になりました。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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