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北欧3ヵ国を訪ねて 34: ストックホルム中世博物館


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< 1.謎の彫像 >

 

 

今回は、ストックホルム中世博物館を紹介します。

ここでガムラ・スタンの歴史がわかるはずです。

 

 

 

 

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< 2. 徒歩ルート、上が北 >

 

ドロットニングホルム宮殿からの戻りのボートを降りて、ストックホルム中世博物館まで歩いたルートを示します。

矢印がボート下船位置、四角印が博物館、青の破線が徒歩ルートです。

 

写真は2018年6月3日、12:20~13:00に撮影したものです。

 

 

 

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< 3. 右手にガムラ・スタン >

 

進行方向右手、川向かいにガムラ・スタンの大聖堂の鐘楼が見えます。

 

 

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< 4. 左手にクララ教会 >

 

進行方向左手、通りの奥にクララ教会の鐘楼が見えます。

 

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< 5. 国会議事堂が見える >

 

上の写真: 国会議事堂。

 

下の写真:国会議事堂前の幅の狭い川を東に見ている。

ガムラ・スタンへ北側から渡るには5本の橋があり、写真の橋はちょうど真中にあります。

 

 

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< 6. 国会議事堂に行く橋の前 >

 

上の写真: 後方右手を少し振り返ると、リッダーホルメン島の教会が見える。

 

下の写真: この橋を渡ると、国会議事堂を抜けて、ガムラ・スタンに入る。

 

実は、巻頭写真の彫像は、この撮影地点の右手、交差点の角にあります。

これはどうやら物乞いをする狐のようです。

意味不明だが、ユニークです。

 

 

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< 7. グスタフ・アドルフ広場 >

 

上の写真:  グスタフ2世アドルフの像が見える。

三十年戦争を戦ったスウェーデン王国最盛期の国王。

右手奥に、王立オペラ劇場。

 

下の写真: この広場の前から橋を渡って、ヘランズホルメン島に入ります。

その橋の上から東側を望む。

 

 

 

 

 

 

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< 8. 中世博物館へ向かう >

 

上の写真: 橋を渡りきって、島の中央に来るまでに、道の左側から階段を降ります。

 

下の写真: この階段を下ります。

 

 

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< 9. ストックホルム中世博物館 >

 

上の写真: 降りたら左手に公園があります。

 

下の写真: 降りて道路下の右側を見ると、目立たない入口が見ました。

これが博物館で、ここは入場無料です。

 

 

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< 10.博物館の展示物 >

 

上の写真: 借用した写真。

これはストックホルムの遺跡そのもののようです。

それを保存する形で、このような道路下の博物館になったようです。

展示館としては大きくありませんが、ストックホルム(ガムラスタン)の中世の変遷や人々の暮らしを下の写真のように再現しています。

 

 

 

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< 11. ガムラ・スタンの変遷 >

 

 

私はこの一連の模型と絵に最も興味を持ちました。

 

上の写真: 中世のガムラ・スタンの再現模型、左手が北です。

 

真中の2枚の写真: 島の中世時代の変遷模型。上が北側です。

実は模型は合計5体あって、変遷がわかるようになっていますが、その内、二つを抜粋しました。

左側が最も古く、13世紀半ばの砦の誕生期を示しているようです。

 

右手は新しい方のものです。

共に島の右上方に砦が見え、その左下に建物が見えます。

これは現在の王宮と大聖堂の位置に相当するのでしょう。

初期、島の中央部だけが壁らしいもので覆われており、その外には砂浜と桟橋があった。

桟橋が南側に多いのは、鉄の広場(荷上場)が南側にあるためでしょう。

 

時が経つにつれ人口が増え、等間隔に櫓が配された城壁が島全体を囲むようになった。

さらに白線で描かれているような現在の大きさにまで周辺が埋めらていった。

この間、博物館にあったのレンガ積みの遺跡のように、当時のものは地下3mほどに埋もれてしまった。

 

下の写真: 中世ガムラ・スタンの再現図。右手が北側です。

 

 

ストックホルムはヴァイキング時代後200年を経て、このメラーレン湖の東端に、ドイツのハンザ同盟と結びつきながらバルト海交易に乗り出した(ヴァイキング時代後期はハンザ同盟と競合し交戦相手でもあったのだが)。

これがストックホルムがここに誕生した理由なのでしょう。

ガムラ・スタンがバルト海から数十km内陸部にあることは、模範としたハンザ同盟の盟主リューベックが河口から10km内陸部にあることと不思議に似ている(北ヨーロッパの交易都市は川を遡上した所に多いようです)。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 28: ガムラ・スタンを歩く


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今回は、ストックホルムで最も楽しみにしていた旧市街ガムラ・スタンを紹介します。

この街は戦争による破壊を逃れた為、中世の街並みが残っています。

 

 

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< 2. ガムラ・スタンの散策ルート、上が北 >

 

今回紹介するのは王宮入り口のSから地下鉄駅SlussenのEまでです。

赤線が歩いた路で、黄色線は入館したことを示します。

Cは大聖堂、Mは大広場、Pは小さな広場です。

 

写真は2016年6月2日(土)14:30~16:20のものです。

 

この島は直径600~700mほどの大きさで、私が歩いたところはその中心部に過ぎません。

それにしても、かつてのスウェーデン帝国(17世紀)の首都の中心部にしては小さ過ぎる。

ここにスウェーデンの歴史が凝縮されているはずです。

 

 

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< 3. 王宮に入る >

 

私は王宮の南側の坂道に面した入り口から、王宮に入りました。

中に入ると左右に2階に上る階段があり、右(東側)に上るとチャペル(下の写真)、左(西側)に上ると大きな会議室に行きます。

 

上の写真: チャペルの入口側から会議室の入口を見ています。

その下の階には宝物庫がありますが、入りませんでした。

会議室に入り、右に進むと王族の居室に入って行きます。

 

 

 

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< 4.王族の居室 >

 

下の写真: 2階から1階に下りる階段。

ここから正面玄関(西側)に出ました。

 

 

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< 5. 王宮の玄関前より >

 

下の写真: 大聖堂の鐘楼が見える。

 

 

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< 6. 大聖堂 1 >

 

上の写真: 大聖堂の前から西側を望む。

 

下の写真: 大聖堂の内部。

奥に祭壇と説教壇が見える。

 

 

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< 7. 大聖堂 2 >

 

上の写真: 正面入口側。

 

中央の写真: 木彫りの像「セント・ジョージと龍」。

 

これは素晴らしい像ですがそれだけではなく、ストックホルムと北ヨーロッパとの関わりを教えてくれます。

 

この像の作者はハンザ同盟が最盛期を迎えた14~15世紀に活躍したバーント・ノトケ(1435?-1509)で、この時代の北ヨーロッパで最も活躍したドイツの画家・彫刻家でした。

彼の作品で有名なものは、この像と髑髏が描かれた絵「死の舞踏」で

リューベックとタリンの教会にあった。

これら作品がある三つの都市は、すべてハンザ同盟に属す港湾都市で、リューベックはそのリーダーで北ドイツにあります。

 

つまり、ガムラ・スタン(スウェーデン)はハンザ同盟(ドイツが中心)と深く関わることによってバルト海・ボスニア湾・フィンランド湾の交易を通じて経済発展を成し得たのです。

その前のヴァイキング時代の東方交易が役立ってはいたのですが。

 

 

下の写真: タリンにあるノトケの「死の舞踏」。

この絵は黒死病に見舞われたヨーロッパの絶望をよく現わしており、この心情がやがて宗教改革に向かう原動力の一つになった。

北欧も黒死病に見舞われている。

 

 

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< 8. 大広場 1 >

 

西欧の大都市の広場、さらに他の小国の首都と比べてもやはりこの広場は小さい。

この旧市街は海と湖に挟まれた小さな島に、13世紀、城壁を持った都市として始まった。

 

「北欧3ヵ国を訪ねて 13: 戦争と平和」で書いたように、この大広場で起きた16世紀初めの「ストックホルムの血浴」を契機にして、スウェーデンはデンマークからの独立と帝国への道を歩み始めることになる。

 

小さいながらも、この地はやはり政治の中枢だった。

 

 

 

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< 9. ストックホルムの変遷 >

 

上の写真: 1570-1580年頃。

中央に王宮と大聖堂が見える。

この絵は北側からガムラ・スタンを見ているのだろう。

つまり左側がバルト海に通じる。

この時期、島以外はまだ未発展だった。

 

中央の写真: 1690年頃。

現在のストックホルム中心部が右側で、左側はセーデルマルム島でしょう。

つまり手前がバルト海に通じる。

 

この時期、スウェーデン帝国は繁栄の頂点にあったが、1700年から大北方戦争に突入し、ロシアに敗れ、1721年から没落が始まった。

 

二つの絵から百年の間にガムラ・スタンの両側は大きく発展していることがわかる。

 

 

下の写真: 時期は不明。

上の絵とちょうど逆の方向、西から見ているようです。

手前側がメーラレン湖側です。

 

 

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< 10. 大広場 2 >

 

下の写真: 奥に大聖堂の鐘楼が見えます。

右手の建物はノーベル博物館で、ノーベル賞の歴史などの展示があります。

 

 

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< 11. 小路 >

 

大広場からドイツ教会周辺の小道。

右下の鐘楼はドイツ教会のもので、ハンザ同盟の商人(多くはドイツ人)が1634から1648年にかけて建てたものです。

ハンザ同盟の各港湾都市では、ドイツ商人がその都市内に自らの社会を築き、教会を作った。

 

 

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< 12. 憩いの場>

 

これは地図のPで示され、二つの小路が交わって出来た三角形の広場です。

この賑わう旧市街にあって、ここは住民が憩う場所になっている。

 

石畳の広場に植えられた大きな木が木陰を作り、風が今にも吹き抜けていきそうです。

ヨーロッパの旧市街、例えばスペインのトレド、南仏のエクサンプロバンス、エストニアのタリンにもあるような片隅の広場なのですが、実に良いですね。

 

実は、ここは火災で建物が壊れた折、馬車の旋回スペースとして空き地にされたようです(1728年)。

 

 

 

 

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< 13. さらに南下する >

 

 

 

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< 14. 鉄の広場 >

 

ここは南の端にある広場で、昔、港に運ばれた鉄をこの広場に保管しておいたことからこの名前が付いた。

 

実は、この鉄こそがスウェーデンの産業発展を促し、またガムラ・スタンを首都にすることになった。

 

今もスウェーデン鋼は有名ですが、この国の鉄採掘の歴史は古く、鉱山はストックホルムの北西100から300kmの範囲に広がっていました。

そして鉄は広大なメーラレン湖を通じて国内外と交易されました。

ヴァイキング時代が終わりバルト海が安全になった13世紀頃、ハンザ商人が鉄を求めてストックホルムに多く寄港するようになりました。

 

これに呼応してスウェーデン王は、それまでの内陸部の首都から、バルト海への輸送に適したガムラ・スタンに拠点を移したのです。

 

旅行前、なぜ防衛上脆弱なガムラ・スタンが首都になったのか、私には不思議でした。

これが外国勢力から急襲されればひとたまりもないこんな小さな島に、わざわざ内陸部から拠点を移した理由だったのです。

 

そして一時はハンザ同盟と繁栄を共有したのでした。

 

 

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< 15. ガムラ・スタンの眺め >

 

上の写真: ガムラ・スタンを南側から見ている。

 

下の写真: 中央に地下鉄駅Slussenが見える。

 

私はこの駅から真直ぐホテルに戻りました。

疲れた1日でした。

 

 

* 6月1日と2日、ストックホルムとガムラ・スタンを歩いて

 

当初はガムラ・スタンをもう少し丁寧に見る予定でしたが、疲れもあり、真直ぐ南北を歩き抜けただけでした。

それでもおおよそ半分以上は見ました。

 

街並みは思っていたより古さ、郷愁のようなものを感じませんでした。

修復が良く行われているようです。

また街並みの建築には特別なデザインや目立つもの(バロック、アールヌーボー、北欧独特の様式など)を見かけることもなく、少し拍子抜けでした(あれば良いわけでもないが)。

 

それでも1日のシグツーナとストックホルム郊外、2日のストックホルム中心部、ユールゴーデン島、ガムラ・スタンと歩き、また自然歴史博物館、歴史博物館、北方民族博物館、ヴァーサ―号博物館、スカンセンを見学して、少しはスウェーデンの歴史や自然、社会や人々が見えて来たようです。

 

この2日間は驚きと発見の連続で、また様々なハプニングの洗練を受けた。

これがまた楽しいのですが、観光予定はズレるばかりです。

 

まだまだこの旅で最強のトラブルと発見の喜びを味わうことになります。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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沼島を訪ねて 3


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今回は、沼島一番の観光名所、上立神岩への道を紹介します。

この岩は国生み神話と深く結びついています。

 

 

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< 2. 散策マップ、上が北 >

 

赤線が前回紹介した沼島庭園から上立神岩までの道です。

右側二つの赤丸が上立神岩を見るポイントです。

黄色矢印の上側は上立神岩で、下側は平バエ(岩礁)です。

ピンク線と黄線は沼島八十八霊場巡りの一部で、今回歩いた道です。

 

今回紹介するのは赤線とピンク線です。

左側の赤丸はおのころ神社です。

茶色線は漁港沿いの道で、左の黒丸は海水浴場、右の黒丸は昼食をとった食事処「水軍」です。

 

 

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< 3. 谷間の一本道を行く >

 

正面と左側に見えるのは沼島中学校と小学校です。

道に沿って小川があり、その流れは奥の池から始まっていました。

 

 

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< 4. 沼島緑地おのころ公園 >

 

ここに池があります。

この辺りはちょうど二つの山が寄り添い、その間の一本道が反対側の海岸にある上立神岩まで導いてくれます。

 

 

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< 5. 上立神岩の見晴台 >

 

上の写真: 今、登って来た1本道を振り返った。

 

下の写真: 見晴台。

左に延びる小道をさらに上ると上立神岩を見下ろす別の見晴台に行けます。

それが次の上の写真です。

 

 

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< 6. 上立神岩と下り坂 >

 

下の写真: 見晴台を最高地点にして、後は急な坂を海岸まで下って行きます。

遠くの海上に平たい岩礁が小さく見えます。

これが平バエです。

 

 

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< 7. 険しい海岸 >

 

 

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< 8. 降りた海岸線から >

 

上立神岩は高さ30mあり、国生み神話の大地を掻き混ぜた天沼矛(あめのぬぼこ)や天の御柱とも見立てられている。

 

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< 9. 沼島八十八霊場巡り 1 >

 

先ほどの見晴台までの一本道を少し戻り、枝分かれした道を左に入ると、山の稜線を進むことになります。

これが沼島八十八霊場巡りの道です。

 

上の写真: あまり人が通らない道のようです。

始めは鬱蒼とした森の中の坂道を上ることになりました。

 

下の写真: 道沿いにあずまやが造られています。

休憩は出来ますが、木立が延びて見晴らしはあまり良くなかった。

 

 

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< 10. 沼島八十八霊場巡り 2 >

 

このような見晴らしの良い道もありますが、繁茂した木々が両側から覆いかぶさるようなところもあります。

この道で人に出くわすことはなかった。

 

下の写真: 遠くの山影は紀伊半島でしょうか。

 

 

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< 11. 眼下に平バエが見える >

 

この平らな岩礁の平バエで毎年、旧暦の3月3日に沼島の漁船が大漁旗を立てて終結する平バエ祭りがあります。

海上安全と大漁を祈願する祭りです。

 

下の写真: 平バエ祭りの様子。

写真左隅に上立神岩が見えます。

http://nushima-yoshijin.jp/festivalから借用しました。

 

 

* 上立神岩と平バエについて

 

古事記に

「イザナギとイザナミは天の浮橋から矛を降ろして地を求めた。 」

・・・

「イザナギとイザナミはそのオノコロ島に降り立って、大きな神殿(八尋殿ヤヒロドノ)を作り、柱(天の御柱)を立てました。」

とあります。

 

沼島では古くから、上立神岩はこの矛か御柱で、平バエは神殿と見做されており、このことが沼島こそが「おのころ島」だとする根拠になっているようです。

 

実にロマン溢れる素晴らしい自然の造形です。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 25: スカンセン(野外博物館) 1


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これから数回に分けて、スカンセン(スウェーデンの伝統的な建物を移築した巨大なテーマパーク)を紹介します。

多くの家族連れや観光客で賑わっていました。

写真は2018年6月2日(土)、11時半から12時までの撮影で、快晴に恵まれました。

 

 

 

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< 2.スカンセンの地図、上が北 >

 

黒線はトラム、赤線は今回紹介する徒歩ルート、緑線はエスカレーター、オレンジ枠は今回紹介する農家です。

 

 

* スカンセンについて

 

1981年に開園した世界初のこの野外博物館には、スウェーデン全土から移築された160以上もの代表的な家屋や農園が点在しています。

広大な園内(直径600mの木々に覆われた丘)には動物園や水族館、様々な工房街やミュージアムショップもあり、大人も子供も楽しめるテーマパークです。

 

私はここで北欧文化の基層、昔の生活の一端を見ることを楽しみにしていました。

私はスウェーデンだけでなく、ノルウェーとデンマークにある同様の博物館も訪れたました。

それらから3ヵ国の相違、建物の構造や生活、展示方法などの違いに気づくことも出来ました。

 

 

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< 3.停留所Nordiska Museet/VasamuseetからSkansenまで >

 

ヴァーサ―号博物館を出てもう一度、北方民族博物館の前に出てトラムに乗り、スカンセンで降りた。

この間、バスもあります。

実は記憶が定かでは無いのですが、降りたのは大通りにある下の写真のトラム停留所だったと思う。

スカンセンのゲート前にも停留所(バスやトラム)はあったと思うのだが。

 

 

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< 4. スカンセンの入場ゲート >

 

上の写真: 入場ゲート。

 

下の写真: ゲートから入場して、少し上った平坦部から振り返ったところ。

 

 

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< 5. いよいよ野外展示場へ >

 

上の写真: 平坦部を奥に進むと大きな岩をくり貫いた入り口が見えます。

中にあるエスカレーターに乗り、さらに丘の上に行きます。

 

下の写真: 丘の上に出て、今来たゲート側(南側)を見下ろしている。

 

 

 

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< 6. 伝統家屋 1 >

 

最初に見た伝統家屋群。

この辺りは下り坂の周囲に当時の民家やショップが集まっている。

家庭菜園も再現されている。

 

 

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< 7. 伝統家屋 2 >

 

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< 8. 伝統家屋 3 >

 

ちょうどショップから出てきた女性。

この方は係員なのでしょう。

この野外博物館には、所々に説明や作業の模擬の為、また店員としてこのような衣装を着ている女性がいました。

 

 

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< 9. 伝統家屋 4 >

 

この二つは屋敷や公的な建物などで、民家ではないようです。

 

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< 10. 伝統家屋 5 >

 

これら建物には入れるものとそうでないものがあります。

また入れても、デモや説明をしている建物は限られています。

建物には、建築年代や建築地、使用目的などが書かれた看板がある場合もあります。

 

下の写真: 1810年代に建てられた商人の邸宅です。

北欧の赤壁の家を見るのを楽しみにしていましたが、ここにはたくさんありました。

 

 

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< 11. 農家 1 >

 

上の写真: 邸宅の庭園だろう。

 

下の写真: 中で説明が行われていた農家。

地図でオレンジ枠のあるところです。

 

この境界を囲む柵の形は北欧3ヵ国に共通していました。

 

 

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< 12. 農家 2 >

 

この一群の建物は、ノルウェーとの国境に近いスウェーデン中央部Härjedalen、ストックホルムから北西に約400km行った標高500mの高原地帯にある農場を再現しています。

この地の主な生業は牛の繁殖で、土壌は貧弱だったので大麦を栽培し、林業も重要でした。

周囲の森には熊、狼、ヘラジカが生息しており、冬は雪に覆われます。

 

建築材は全てが木材と言えます。

壁は構造体であり、いわゆる木組みのログハウスです。

屋根材も分厚い木材を縦に並べ、その下に白樺の樹皮らしいものが敷いてありました。

断熱の為のレンガや土壁の使用は無かったが、室内にある竈は大きく、暖炉も兼ねているようです。

 

 

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< 13. 農家 3 >

 

これらは牛などの厩舎なのでしょう。

今考えれば不思議なのですが、周辺に狼がいるのに、上の写真の厩舎の入り口は簡単な柵だけでした。

 

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< 14. 農家 4 >

 

建材から家具、生活用品なども多くは木製です。

北欧の人々が、木工製品に優れている理由がわかります。

 

下の写真: この左端にほぼ天井に迫る大きな暖炉があります。

ここは食堂兼居間なのでしょう。

 

 

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< 15. 農家 5 >

 

上の写真: 部屋に入ると、観光客の前で写真の女性が何かの家事作業のデモをちょうどしているところでした。

この部屋は煮炊きが出来る竈があるので作業場兼台所なのでしょうか?

しかし調理場らしいものが見当たらなかった。

この竈の右横に薪が積み上げられていた。

このメインの一軒の数部屋の内、二つの部屋に暖炉(竈)があった。

 

私は知らずにフラッシュを使い、彼女から禁止だと注意を受けて、一瞬笑いが起きました。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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沼島を訪ねて 2


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今回は沼島の中心部、漁村にある神社を紹介します。

なぜか小さい島に神社が多い、そこには沼島ならではの歴史があります。

 

 

 

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< 2. 散策ルート、上が北 >

 

下の地図: 赤線が今回紹介する散策ルートで、Sは高速艇乗り場です。

赤丸は上から厳島神社、沼島八幡神社、梶原五輪塔、沼島庭園を示します。

 

 

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< 3. 厳島神社 >

 

別名弁天さんと呼ばれ、また戎神社も祀られている。

立派な石組みや石段、巨大な松がありました。

漁師たちが安全を祈願する神社として、当時は岬の先端に建てられていたのでしょう。

 

 

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< 4. 港に沿って歩く >

 

上の写真: 遠くに厳島神社が見える。

 

下の写真: 進行方向を見ている。

 

 

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< 5.沼島八幡神社 1 >

 

上の写真: 村のほぼ中央、山の裾野の小高い丘の上に神社が見える。

これが沼島八幡神社です。

 

下の写真: 石段を上り切った境内から。

 

 

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< 6. 沼島八幡神社 2 >

 

上の写真: 境内から見下ろす。

港と漁村が一望できます。

遠くの山影は淡路島、右下に神宮寺が見えます。

 

下の写真: 境内にある本殿です。

 

 

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< 7. 沼島八幡神社の本殿 >

 

上の写真: 沼島八幡神社の本殿内側正面に掛けられている大きな絵。

この絵は「賤ケ岳合戦」(1583年)を描いており、これが淡路島、沼島の歴史と深く関わっているのです。

 

この合戦で秀吉は柴田勝家との雌雄を決した。

この合戦で活躍した賤ヶ岳の七本槍の一人、猛将脇坂甚内安治は秀吉から淡路島を与えられます。

 

淡路島と沼島は古くから、大阪湾の守りの要であり、瀬戸内海に往来する海路の要衝でした。

またこの海峡沿いには由良水軍、鳴門水軍、そして沼島には沼島水軍が存在しました。

後に朝鮮出兵で、脇坂は水軍を束ねる三人の将の一人となります。

 

淡路島は奈良王朝の時代から天皇家の直轄地で、海水産物を献上する御食国でした。

実は、淡路島、沼島には海人族(海運や漁労を生業とする外来の集団)がいたのです。

このことが漁労や水軍の発展に結びついたのです。

沼島には縄文人の土器が見つかっており、古くから人々は暮らしていた。

 

古事記の国生み神話に出てくる「おのころ島」の候補地の一つとして、沼島が挙げらています(候補は淡路島島内と周辺の島を含めて11ヵ所)。

この国生み神話の原型は中国の長江流域の稲作文化にあります。

おそらくは大陸から、(対馬)、九州、瀬戸内を経て淡路島に到達した海人族が神話を伝承し、それを天皇家が自らの創世神話に拝借したのでしょう。

 

沼島と淡路島は、大陸と日本の古代を結ぶ架け橋の一つだったのです。

 

 

下の写真: 梶原五輪塔を示す看板。

漁村特有の密集する民家の路地を奥まで進むと、右手にこの看板がありました。

この右手に空き地があり、村人に聞くと、昨日ここで地蔵盆を行っていたとのことでした。

 

 

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< 8. 梶原五輪塔 >

 

下の写真: 右手に二基ある五輪塔の右側が梶原景時の墓と言われています。

 

梶原景時は源頼朝に仕え、今の明石から広島までの山陽道の守護に任じられ、幕府宿老まで上り詰めていた。

しかし後に義経と対立し、幕府から追放され一族は滅ぼされた(1200年)。

彼は後世、義経の判官びいきとは逆に大悪人と見なされて来た。

 

梶原景時の墓と呼ばれるものは鎌倉にもあるが、真贋は如何に。

 

「梶原一族と沼島水軍」によると、以下のように説明されています。

http://www.minamiawaji.ed.jp/jimuken/11sougou/2002/13saihakken/13kagetoki/kajiwara.htm

 

滅ぼされた年に梶原景時の一族が、沼島城主になった。

これは水軍つながりだそうです。

後に梶原家が沼島八幡宮を創建した。

1521年、足利十代将軍義植が流浪の末、沼島に来て梶原の庇護を受ける。

この将軍が梶原家に後に紹介する沼島庭園を贈呈した。

神宮寺は梶原家の菩提寺でした。

しかし16世紀末、滅ぼされて梶原の治世は終わる。

 

こうしてみるとこの小さな漁村に、多くの神社仏閣、沼島八幡宮、神宮寺、蓮光寺(居城)、西光寺があることが理解できる。

これらはすべて梶原家の創建によるものだそうです。

墓がここに建立された可能性はあるが、景時が討たれたのは静岡でした・・・。

 

 

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< 9. 沼島庭園 1 >

 

上の写真: 路地を奥まで進むと看板が見えた。

この看板には「伊藤庭(沼島庭園)」と記されていた。

右手に入って行くと、雑草が生い茂る空き家があった。

 

 

下の写真: この空き家を迂回して裏に回る。

ここは個人宅の庭です。

 

 

 

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< 10. 沼島庭園 2 >

 

すると打ち捨てられた石組みの小さな庭が見えた。

鬱蒼と茂る木々の陰になって、庭はいっそう暗く侘しい佇まいでした。

 

これが室町時代、戦乱と内紛を逃れた10代将軍が過ごした場所であり、庭だと思うと虚しさを感じる。

 

一方で、淡路島と沼島に不思議な存在感を感じた今回の散策となった。

 

 

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< 11. 沼島庭園 3 >

 

久しぶりに見たサワガニです。

昔は、淡路島の小川では至る所で見られたのですが、ついぞ見なくなりました。

私があまり外出しなくなったからもしれないが。

 

沼島を散策して不思議に思ったのが、こんな小さな島なのに沢をよく見かけたことです。

水が豊富なようです。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 5: ヴァイキングの故地


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* 1

 

 

今日は、ヴァイキングの三つの故郷を簡単に紹介します。

ヴァイキングは今回して北欧三国から誕生しました。

それらが趣が異なれば、海岸や湖岸から生まれたことで共通しています。

 

 

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<2。ヴァイキングの航路>

 

赤丸が今回にされた場所で、ここにヴァイキングの有名な遺跡があります。

 

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<3。スウェーデン>

 

私が訪れたのは赤丸印のシグツーナSigtunaです。

ここはヴァイキング時代末期に栄えました。

実は、赤三角印のビルカBirkaの方がヴァイキングの遺跡としては有名なのですが、旅程の都合で省けました。

 

赤の線は、ヴァイキングの航路を想定しています。

スウェーデンの主なヴァイキングはこのメレンレン湖からバルルト海を中心に東方のロシアに向かい果ては黒海を抜け、イスラム圏と交易を行っていました。

 

 

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<4。シグツーナのルーン石碑>

 

上の写真:ルーン石碑。

ヴァイキング時代の8〜11世紀に良く作られた石碑の一つで、墓碑や旅に出た個人を讃える文などが刻まれていることが多い。

スカンディナヴィアの人々は、このような碑文以外に文字を残していたので中世以前の歴史は口述の神話に頼って得ることなく。

 

 

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<5、シグツーナの湖岸の港>

 

かつてはここからヴォイキングが船出していったのです。

 

 

 

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<6。ノルウェー>

 

私が訪れたのはオスロのビ​​グドイ地区にあるヴァイキング船博物館です。

この博物館には発掘された2艘のヴァイキング船があります。

このヴァイキング船が発掘された場所を赤丸で示しています。

 

赤の線は、ヴァイキングの航路を想定しています。

彼らは北海を抜け主に西方に進んだ、英国に侵入して北米大陸にしていました。

 

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<7。ヴァイキング船博物館>

 

上の写真:発掘された9世紀初頭のバイキング船。

この非常に大きな船を見ると、ノルウェーのヴァイキングが荒波を乗り越え、遠洋航海を成せたことがよく理解出来ます。

 

下の写真:地図の黒三角印鳥のフェリーから後部(北側)を見ている。

おそらくの南の島嶼部がヴァイキングの故地(発掘地)なのはしょ。

 

 

 

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<8。デンマーク>

 

私が訪れたのはロスキレのヴァイキング船博物館です。

この博物館には発掘された数艘のヴァイキング船があります。

このヴァイキング船はロスキレの湾から発見されました。

 

赤の線は、ヴァイキングの航路を想定しています。

デンマークのヴァイキングの有名な遺跡は他にユラン半島に2ヵ所ありますが、今回は遠かったの行っていません。

デンマークのヴァイキングは北海から英国、またはフランスの海岸や河川から大陸に侵入しました。

 

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<9。ロスキレのヴァイキング船博物館周>

 

上の写真:ヴァイキング船の造船技術が使えた船が数多く停留されていた。

 

下の写真:ロスキレ湾。

かってこの地にはヴァイキングの村があり、彼らは春になるとここから出撃していった。

 

 

いずれ博物館をもっと紹介します。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 3: 北欧の歴史的建築物


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<1.ガムラ・スタンス>

ストックホルムの旧市街に向かって坂を上がる。

王宮が右手に見える。

 

 

今日は北欧3カ国の歴史的な建築を紹介します。

各地の王宮、旧市街、教会、城塞または役所などです。

 

 

*スウェーデン

 

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<2。ガムラ・スタンス>

 

上の写真:王宮、13世紀に建築されたが火災に会い、18世紀中頃完成。

下の写真:大広場、左に大聖堂の鐘楼が見える。

 

 

3DSC00673-1

<3。ガムラ・スタントンのドイツ教会>

 

17世紀半ばに建築された。

旧市街にドイツ教会があることが、北欧の歴史のドイツとの深い繋がりを物語っている。

 

 

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<4。郊外の建築>

 

共にメレンレン湖に面して建てです。

上の写真:スカンジナビアで最も小さいシグツーナの市庁舎。

 

下の写真:ドローニングホルム宮殿。

16世紀初め、すみに城はあったが、現在の姿になったのは18世紀半ばです。

 

 

*ノルウェー

 

 

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<5。スタヴ教会(釜板教会)>

 

この種の木造教会は、かごで北欧にたくさん存在していました石造りに建て替えられています、今は30棟ほどがノルウェーに残っているだけになった。

これは13世紀に建てられたが、ノルウェー民族博物館に移築されたものです。

以前はフィヨルドの奥の丘の上に立てていた。

 

 

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<6。オスロ市内>

 

上の写真:現在も国王が暮らしている王宮。

19世紀半ばに完成。

 

下の写真:アーケシュフス城。

オスロ湾を見下ろす岬の岩の上に立っている。

建築は13世紀に始まり、幾度も戦火をくぐり抜けて来た。

 

 

*デンマーク

 

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<7。コペンハーゲン中心部>

 

上の写真:ローゼンボ – 離宮。

17世紀初頭に完成した。

 

下の写真:クリスチャンボー城。

この地が12世紀半ばに始まるコペンハーゲン発祥の地。

現在の建物は20世紀初頭のものです。

 

 

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<8。救世主教会>

 

鐘楼の螺旋階段がユニーク。

17世紀末の完成。

 

 

9DSC03812-1

<9.古都ロスキレの教会>

 

12世紀にデンマーク初の大聖堂として建立された。

 

 

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<10。コペンハーゲン郊外の城>

 

上の写真:フレデリスクボー城。

湖に浮かぶ島に建つこの城はかつて王城でした。

16世紀には建築されていたが、17世紀初頭に現在の形になった。

 

下の写真:クロンボー城。

この城はスウェーデンとその間の海峡に睨みを利かすように海岸に建てる。

この城はバルート海交易で幾何も係争の種になり、シェイクスピアの「ハムレット」の舞台にもなっている。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 1: はじめに


 1DSC09818-1

< 1. ストックホルム空港に到着 >

 

 

私はスカンジナビア3ヵ国を12日間旅行して来ました。

今回はまったく旅行会社に頼らず、初めて一人で海外旅行をしました。

旅行の概要を紹介します。

 

 

旅行の概要

期間: 2018年5月31日(木)~6月11日(月)

訪問先: スウェーデン、ノルウェー、デンマークの首都を中心に。

移動手段: 空路は北京経由のエアチャイナで往復、首都間の移動は列車とフェリー、観光はパス(公共交通機関乗り放題)と徒歩。

ホテル: 交通が便利でほぼ最安値のホテルに連泊した。

観光地: 主だったものは一通り見ました。

 

 

旅行を終えた感想

詳しい見聞や感想は今後紹介していきます。

 

・ 以前に比べ移民が非常に多くなり、また食文化や服装などに大きな変化があった。

 

・ スマホなどのIT技術による省力化が進み、また都市の再開発が進行中。

 

・ やはり経済と幸福度で優れていると感じた。但し、物価は高い。

 

・ 毎日のようにアクシデントがあり、毎日10時間の徒歩観光で疲れた。

 

・ 事前の予約と調査が役に立ち、拙い旅行用の英会話でも役に立った。

 

・ 毎日快晴で日が長いので良い旅行季節だった。

 

・ フリーならではのハプニングや人々の出会いを経験し、郊外や住宅街を散策し、人々の暮らしを直に知ることが出来た。

 

 

 

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< 2.旅行ルート、上が北、地図の縦の距離600km >

 

図の表示: 赤枠が観光範囲。黒線は鉄道。茶色線はフェリー。

 

空路でスウェーデンに入り、4泊した。

次いで、鉄道でオスロに向かう途中、カールスタートで下車し、1時間半ほど散策。

オスロで2連泊後、オスロ港から一泊するフェリーでコペンハーゲン港に着いた。

コペンハーゲンでは3連泊し、空路で帰国。

 

 

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< 3. ストックホルムと郊外 >

 

 

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< 4. ストックホルムの郊外 >

 

 

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< 5. カールスタート >

 

 

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< 6. ストックホルムの観光、上が北、地図の縦の距離50km >

 

図の表示: 赤枠が観光範囲。黒線は鉄道。緑線はバス。茶色線は船。黒四角はホテル、Aで1泊、Bで3連泊。ピンク四角は空港。

 

主な訪問地

1 シグツーナ : バイキング時代からの古い町、湖に面した景勝地。

2 ストックホルム大学と自然史博物館

3 ドロットニングホルム宮殿: 大きな庭園と湖に囲まれた宮殿。

4 スクーグシェルコゴーデン: 世界遺産「森の墓地」。間違って隣の墓地を見学した。

5 ストックホルム中心: ガムラ・スタン(旧市街)、ユールゴーデン島(スカンセン、博物館2か所)、歴史博物館など。

6 Nynäshamn: サイクリングとシーフードを楽しみにしていた南端の漁港に向かったが、鉄道が不通の為行けなかった。

 

 

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< 7. オスロの郊外 >

 

 

 

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< 8. オスロ湾 >

 

 

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< 9. オスロの観光、上が北、地図の縦の距離15km >

 

図の表示: 赤枠が観光範囲。黒線は鉄道。緑線はバス。茶色線は船。黒四角のホテルで2連泊。茶色四角はフェリー港。

 

主な訪問地

1 Sognsvann: 美しい湖。

2 ヴィーゲラン公園: 広い公園にユーモラスな人体彫刻群が並んでいる。

3 ビィグドイ地区: ノルウェー民族博物館、ヴァイキング船博物館、他の博物館2か所。

4 Ulvøya: 郊外にある二つの島を路線バスに乗ったまま訪ねた。

5 オスロ中心: ノーベル平和センター、オスロ市庁舎、アーケシュフース城、ノルウェー抵抗運動博物館、陸軍博物館、歴史博物館、国立美術館、王宮庭園など。

 

 

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< 10.コペンハーゲンの郊外 >

 

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< 11. コペンハーゲン >

 

 

 

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< 12. コペンハーゲンの観光、上が北、地図の縦の距離65km >

 

図の表示: 赤枠が観光範囲。黒線は鉄道。茶色線はフェリー。黒四角のホテルで3連泊。茶色四角はフェリー港。ピンク四角は空港。

 

主な訪問地

1 クロンボー城: ハムレットの舞台。

2 フレデリクスボー城: 湖に面した美しい城。

3 野外博物館: 広大な敷地にデンマークの古民家を移築。ノルウェー民族博物館、スカンセンと同種。

4 ロスキレ: 古都。大聖堂とヴァイキング博物館

5 コペンハーゲン中心: 国立博物館、クリスチャンボー城、骨董市、王立図書館、救世主教会、ローゼンボー離宮、国立美術館、植物園、運河クルーズ、労働者博物館、トーベヘルネ(マーケット)など。

 

 

 

この旅行で目指したもの

1984年に一度、スウェーデンとデンマークを訪問し、この時、この国の企業の経営姿勢、福祉政策、人々のライフスタイルに感銘を受けていた。

現在も、北欧5ヵ国(アイスランド、フィンランドも)は経済や国民の幸福度などで世界をリードし続けている。

自分の目で確認し、日本の現状の打開策を探りたかった。

 

 

 

この旅行記でお伝えしたいこと

・ フリーの旅行者に役立つ、実際に経験した役立ち情報、トラブル、観光情報を紹介します。

 

・ 北欧の人々の暮らしを写真で紹介します。

 

・ 北欧の社会・経済と歴史、ヴァイキングなどを解説予定。

 

・ 現地で出会った人々やアンケ―ト結果を紹介します。

 

どうか皆さん、特に若い人は北欧を旅して欲しい。

幸福で豊かな暮らしを手に入れている国があることを知って頂きたい。

そこでは日本と何が違うかを肌で感じることが出来るはずです。

 

国民全員が政治を担い、常に教育改革を行い、労働環境を整え、国際競争力を高めることにより良い生活を手に入れている姿がそこにはある。

 

 

次回に続きます。

 

 

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何か変ですよ! 119: 目次と検索


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目次は「何か変ですよ!」と「デマ、偏見、盲点」の分です。

記事は2018年1月16日から4月26日までに投稿したものです。

 

 

各表示は以下の順です。

* 番号: タイトル

記事の要約

・キーワードや項目

 

 

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** 目 次 「何か変ですよ!」 **

2018年3月5日~4月26日投稿分

 

*118: 救いはあるのか?3

日本の再生に不可欠な「米国の呪縛からの解放」と「野党に望むこと」。

・軍事と外交、経済と米国、経済界とのタイアップ

 

*117: 救いはあるのか? 2

先進国ではありえない日本女性の地位、だからこそ女性が改革に立ち上がるべき。

・衆院選結果、セクハラ、利用された拉致被害者、沖縄返還時の密約

 

*116: 救いはあるのか? 1

絶望の状況を脱する為に誰が立ち上がるべきか。

・長期低迷、幸福な社会、政治不信、島国根性、明治維新、野党、労働組合

 

*115: 誰の責任? 4

絶望の状況を生み、放置しているのは誰か、それは国民なのか。

・低い政治意識、放棄された政治教育、低い投票率、低い労働組合組織率

 

*114: 誰の責任? 3

安倍政権を倒閣することがゴールではない、悪循環を断つことこそ重要。

・米国三代大統領の教訓、自公政権継続、野党政権奪取

 

*113: 4/14神戸デモに参加して

デモ体験の報告。

 

*112: 誰の責任? 2

暴政を止める為に今国民がすべきこと、デモなど。

・内部告発、政治に無頓着な人々、安倍政権の問題点

 

*111: 誰の責任? 1

日本の衰退と腐敗の責任は安倍にあるのか、それとも国民にあるのか。

・行政の長として責任痛感、福島の原発事故、ヒトラー

 

 

 

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*110: 未来の壁 8

国政を武力を用いずに国民の手に戻した世界のデモを見ます。

・バルト三国の人間の鎖、ベトナム戦争反対、ベルリンの壁崩壊、女性リベリア大衆行動、米国のバス・ボイコット

 

*109: 未来の壁 7

海外に無関心で海外の歴史を知ろうとしない日本人。

・歴史修正主義、南京虐殺事件、アイヒマン、監獄実験、文化心理学

 

*108: 未来の壁 6

視野狭窄で身勝手な言動がまかり通り、日本の若者は海外への意欲を無くしている。

・貧困問題、国民主権、自衛戦争、世界のニュース、海外留学減少

 

*107: 未来の壁 5

なぜ日本では「報道の自由」が無視されるのか。

・証拠隠滅、隠蔽、記者クラブ、組織文化(村社会)、信頼される新聞、御用新聞

 

*106: 未来の壁 4

報道の自由が高い国ほど国民は幸福だが、北欧と日本の違いは・・・。

・北欧、報道の自由度ランキング、民主主義、経済民主主義、格差、幸福度

 

*105: 未来の壁 3

日本の報道の自由は危機的状況にある。

・NHK番組改ざん事件、特定秘密保護法、放送法改革、自民党が作ったネットウヨ、電波停止

 

*104: 未来の壁 2

自民党の根深い男尊女卑意識とその絶大な悪影響。

・セクハラ発言、原発賛成、出生率低下、賃金格差、社会進出遅れ

 

*103: 未来の壁 1

安倍政権が煽る古い労働観が国民を不幸にしている。

・働き方改革、渡邉美樹、労働時間、育児・有給休暇、北欧のライフスタイル

 

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*102: これからどうする 3

日本は益々成熟社会から取り残されつつあり、これは国際的な指標で明らか。

・世界幸福度、人間開発指数、報道の自由度、各紙比較、貧困率

 

*101: これからどうする 2

主婦が望む政策において安倍は百害あって一利なし。

・介護、平和、失業、地球温暖化、累積財政赤字、日本会議、再生可能エネルギー

 

*100: これからどうする 1

安倍政権による日本沈没、特に経済悪化の状況。

・賃金低下、企業利益増、世界株価高、バブル崩壊、日銀操作

 

 

 

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*5

 

*99: 大活躍する???応援団

ひんしゅくを買う安倍友応援団の活躍は報道の劣化をよく示している。

・百田尚樹、青木、足立、高橋、山口、三浦、会食

 

*98: 恐ろしい腐敗力

安倍政権下での底なしの政治腐敗。

・中央省庁、安倍縁者、否定し続ける政府官僚、深刻な電凸、言論弾圧

 

*97: 何が最優先か?

麻生と自民国対委員長の発言から分かる正論が通じない政治。

・世襲、森友文書改ざん、佐川証人喚問、マイナンバー、朝日の証明義務、国政の腐敗防止策

 

*96: どちらが大事か?

国政の腐敗を無視するウヨは安倍しかいないと言うが、信用出来ない人物は危険極まりない。

・廃棄文書の発見、忖度、腐敗、バブル崩壊、戦争、連立政権

 

*95: 今、何かが崩れようとしている

森友文書改ざんから見える政府腐敗の深刻度。

・便宜供与、財務省、朝日新聞、政争の具、内閣人事局、安倍明恵

 

*94: 今、国民が問われていること

国民は悪化し続ける状況から目を逸らず、立ち上がるべきだ。

・経済衰退、格差拡大、財政赤字、行政の腐敗、バブル崩壊、政治家の劣化

 

*93: 怒れ、立ち上がれ公僕よ!

国民は独善的な首脳と加担する官僚に怒れ、公僕は立ち上がれ!

・森友・加計問題、レイプ事件もみ消し、働き改革の資料隠蔽、公害問題

 

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** 目 次 「デマ、偏見、盲点」 **

2018年2月6日~3月9日投稿分

 

 

*30: 暮らしのカラクリ 4: 煽られた競争

経済活性化に必要な競争力とは、完全な自由競争と規制の狭間で。

・国際競争力、間違った規制緩和、生産性と賃金、北欧の国際競争力

 

*29: 暮らしのカラクリ 3: カラクリを支える日本文化

ある日本文化が先進国への脱皮を困難にしており、国民はこれに気づくことが重要。

・忖度、自己責任、村社会、長子相続、独裁指向、個人軽視

 

*28: 暮らしのカラクリ 2: 賃上げは国を滅ぼす・・

労働者の賃金を上げると、国の経済力が落ちてしまうと言う妄言。

・賃金上昇は消費増、企業利益増でも貿易額増えない、為替が調整

 

*27: 暮らしのカラクリ 1: 少ない稼ぎは・・

賃金水準は社会的要因、主に生産性と労働界の結束力で決まる。

・ケインズ、労働組合、自己責任、首切り、夕暮れ社会

 

*26: 何がバブル崩壊と戦争勃発を引き起こすのか? 5

この世紀末から脱出する手立ては、かつての日本や世界にヒントがある。

・法制史、世界宗教、「無知、無関心、惰性、敵意」を克服

 

*25: 何がバブル崩壊と戦争勃発を引き起こすのか? 4

世紀末に駆り立てる貪欲、恐怖心、疑心暗鬼が蔓延る理由とは。

・脳内ホルモン、愛国心、格差拡大、大戦を知らない首脳、文明の衝突、政財界癒着、中間層が保守的

 

 

 

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*24: 何がバブル崩壊と戦争勃発を引き起こすのか? 3

失敗して来た戦争予防策とバブル崩壊に共通する感情の暴走。

・経済封鎖、軍拡競争、抜け駆けの心理、賭博、自由放任主義

 

*23: 何がバブル崩壊と戦争勃発を引き起こすのか? 2

ここ1世紀半ほどの主な戦争について、勃発の経緯を集約。

・ヒトラー、日本帝国、中立国

 

*22: 何がバブル崩壊と戦争勃発を引き起こすのか? 1

バブル崩壊のメカニズムを考えます。

・投機家、高率のレバレッジ、中央銀行、巨大な金融緩和、早急な資金回収

 

*21: 抑止力と規制緩和に共通する危さ

この二つの概念は単純で受け入れ易く利用され易いが、不完全で危険でもある。

・規制が無くて亡んだ文明、悪化する国民生活、核開発競争と銃蔓延は抑止力失敗例

 

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** 目 次 「何か変ですよ!」 **

2018年1月16日~1月26日投稿分

 

*92: 何が問題か? 15: なぜ改革から逃げるのか?

所得水準、幸福度、経済力が低下し続けているのに、なぜ改革を避けるのか。

・内部留保、対外資産、賃金、非正規雇用、ワーキングプア、パトロネージ、北欧

 

*91: 何が問題か? 14: 英国はなぜ衰退したのか?

19世紀後半に始まる英国の衰退は今の日本と同じです。

・工業生産高シェア、資本輸出、中産階級が豊かさを享受し保守化

 

*90: 何が問題か? 13: 過去・現在・未来に生きる

なぜ人々は経済の行く末を楽観するのか、これは5つの虚構に踊らされているから。

・インフレ、成長要因、金融緩和とバブル、日銀政策と財政破綻、所得格差

 

 

 

終わります。

 

 

 

 

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何か変ですよ! 114: 誰の責任? 3


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前回、政治意識の低い多数の人々に非があると言いました。

彼らは腐敗政治を招いた間接的な加害者だが、一方で被害者でもある。

倒閣は重要ですが、この視点は不幸を繰り返さない為に必要です。

 

 

はじめに

 

腐敗の極にある安倍政権の倒閣は絶対です。

 

しかし、例え倒閣が成っても社会・政治状況が今のままでは、また暴虐な首相の再来を招くことになる(直ぐには起こらないが)。

もっとも放置していも、暴虐になって行くだけですが。

つまり、私達は絶望の淵に立っている。

 

ほとんどの方は否定するはずです。

 

それではオバマ大統領誕生の後に、なぜハイエナのような不動産屋、それも政治の素人が大統領になったのでしょうか?

極論すれば、国民の冷静な思いが選挙に反映されなくなっているからです。

ブッシュへの失望から国民は沸騰し、今度こそはと期待したが失望し、次は真逆の人物(ブッシュより酷い)を大統領に選んだのです。

 

この背景は複雑ですが、日本が教訓にすべきことがあります。

 

 

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*2

 

 

* 米国に見る悪循環

 

A: オバマ政権下では共和党が議会を占めていた。

 

オバマは議会の反対や妥協の為に、思うように改革が出来なかった。

これが大いなる希望から失望に代わり、また保守勢力の必死の巻き返しが起こった。

 

B: 既に格差が拡大し、低所得層の不満が社会の分断を生んでいた。

 

90%の国民は30年以上所得が増えず、繰り返すバブル崩壊で長期失業者が増えていた。

改善されない状況に業を煮やし、白人労働者は黒人や移民に不満をぶつけ、分断が生まれた。

 

 

C: 超富裕層の資金力と保守的なマスコミが選挙を支配するようになっていた。

 

格差拡大の結果、少数の超富裕層による政治支配が進み、経済重視の規制緩和が加速し、さらなる格差拡大とバブル崩壊、財政悪化の悪循環を生んでいる。

規制緩和で保守化(娯楽化)した巨大マスコミの影響で、国民は真実を見定めることが出来ず、さらに資金力が選挙を左右するようになっていった。

 

このような状況で社会の分断が煽られ、大半の国民は本来の敵を見失い、むしろ敵側についてしまった(よりによって正すべき相手に権力を与えた)。

これが、今の幼稚で自称天才の大統領を生んだのです。

 

驚くべきことに世界の評価は、この米国の状況はまだ日本よりかなり良好なのです(大統領の事ではない)。

日本は米国に比べ政治腐敗度が同程度、民主度と報道の自由度はかなり低い(安倍の数年で急激に悪化)。

 

 

私達は何を学ぶべきか?

 

例え、首相の首が代わっても、国政の腐敗を後押した自民公明両党が過半数を占めている限り、腐敗から脱することは出来ない。

 

日本の経済格差と社会分断は米国ほど酷くはないが、別の分断が深刻です。

それは経済界と労働界、右派と左派との対立で、労働界と左派は完全に弱体化している。

 

圧倒的にマスコミ報道が政権側に加担しており、選挙は自民党に有利になっている。

 

 

つまり日本の状況は安倍が去っても悪循環を繰り返しながら、手本である米国より先に奈落の底に向かうことになる。

 

安倍の継続はあり得ないので、安倍が去ったとしてシュミレーションします。

 

 

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< 3.2018年4月14日 >

 

 

* 安倍が辞めて自公が政権継続する

 

与党(自公)が首相の首を挿げ替え新政権が発足し、何が変わると思いますか?

 

前回、取り上げた問題は払拭されるでしょうか?

 

A: 「官僚は国民を欺き、国民を完全に無視するようになった」

B: 「経済政策は基本的にバブル頼りと短期成果狙いで、ほとんどの国民は長期的に所得と福祉の低下に見舞われ、さらに国の財政破綻を早めるだけに過ぎない」

 

C: 「弾圧されて真実を伝えなくなったマスコミ、シビリアンコントロールが効かない自衛隊、米国追従と隣国敵対外交、日本の先進国を示す指標が軒並み低下など」

 

Aは一時、良く見えてもすぐに元に戻る。

 

理由は、長年与党の自民党は官僚と一連托生(相互補完)の関係にあり、決して抜け出すことが出来ないから。

自民党は政策立案(法案作成)、議員の選挙対策としての便宜供与(加計や森友事件、注釈1)、選挙資金確保(補助金などの還流)で官僚に依存せざるを得ない。

 

官僚も、今回の安倍政権のように逆らわない限り自由放任で、かつ忖度すれば出世させてくれるなら異存はない(誇りは既に消滅)。

 

 

Bについては悪くなるばかり。

 

理由は、米国流の自由放任経済とマネタリズムから抜け出せないから。

金融業偏重と企業優先の規制緩和、富裕層と企業への減税路線を変えることはない。

これは自民党が経済界と癒着しているだけでなく、米国から離脱出来ないことにある。

経済政策のポリシーも米国一辺倒で、西欧や北欧は同じ資本主義国でありながら別のポリシーで成功しているにも関わらず。

 

 

Cについて、右翼の安倍が去ると最悪の状況は一端去るが、また悪くなる可能性がある。

 

自民党議員の旧態以前とした体質(世襲制に代表される強い保守傾向)が致命傷です。

世論の圧力で、一時はカムフラージュ出来ても、化けの皮は直ぐ剝がれる。

 

それは議員の民主主義意識の低さ、後進国並みの女性差別観、報道の自由度の低下に満足している異常さに見られる。

要職にある自民党議員の発言に、「国民に主権があることがおかしい」「友達に国境はないと言う嘘を教えるな」「強姦するぐらい元気な青年の方がいい」など。

 

つまり、一時しのぎに過ぎない。

 

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< 4.バブル崩壊に御用心 >

 

 

* 野党が政権奪取する

 

解散総選挙によって野党が政権を奪還したとし、どこまで良くなるでしょうか?

 

Aはかなり良くなるはずだが、困難が待ち受けています。

 

先ず、正そうとすれば官僚の猛烈な造反に合い、さらに保守系マスコミの反キャンぺーンの大合唱に晒されます。

 

政権経験の少ない野党が官僚の造反に対抗するには国会議席の過半数が必要です。

さらに野党は報道の自由を保証するので、現状の偏向したマスコミの餌食になる可能性が高い。

この二点について安倍は楽勝でした(放任と弾圧で)。

 

この間、国民が冷静に見守ることが出来れば良いのですが・・・。

 

 

Bについては、悪化を一時止めることは出来ても継続が困難です。

 

日本の経済は、米国流の自由放任経済とマネタリズムが学界、経済界、官僚、与党の一貫体制で運営され、さらに米国との繋がりが強固です。

この米国流経済の欠点は現象面でも理論的にも明らかにされ、対策も提唱されている。

しかし、既述のように多くの欧米諸国は抜本的な対策が取れず、抜け出せないでいる。

 

この状況で先進国の物真似しか出来ない日本が単独で米国を振り切り、新たな経済システムを構築するには、時間とさらに国民と各層の協力が不可欠です。

現時点でこれはかなり困難です。

ここでも安倍の短期決戦の目玉政策が喜ばれる(先はどうであれ)。

 

しかしドイツや北欧などは地道に独自路線を模索し、同じ資本主義経済でありながら豊かな経済造りに成功している(これを真似ることは出来る)。

 

 

Cはかなり良くなる可能性がある一方、致命傷がある。

 

過半数の議席を確保さえできれば、マスコミの正常化、日本の先進国を示す指標(幸福、民主度、経済)の上昇が可能になるでしょう。

 

しかし、大きな致命傷がある。

それは、隣国との独自外交を望み米国からの離脱を目指した時に被ることになる。

米国は軍事上、東アジアの橋頭堡になる日本を絶対に離したくないので、あらゆる手を使い野党を壊滅させる(継続中)。

 

この時、国民が米国の干渉を撥ね退ける自立心を持てれば良いのだが・・・。

 

 

5

< 5. あなたが望むものは >

 

 

* まとめ

 

残念ながら、私の見たててでは日本はどうあがいても、政治腐敗と没落から抜け出せないことになります。

1世紀半前の英国より没落は確実と思われる。

 

正に「行くも地獄戻るも地獄」です。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

注釈1

自民党の強さは、アフリカ後進国並みのパトロネ―ジュと縁故主義で守られている。

 

良く知られている三バン(地盤=組織、看板=知名度、カバン=資金)は民主度劣化の元凶です。

現在のパトロン(後援者、支援者)の役割は、従来の金銭援助もあるが広報宣伝効果も大きい。

例えば首相や妻の贔屓で世間から認められたパトロン(教育者、コメンテーター、芸能人)が世間やマスコミで首相擁護に精を出すような関係です。

これに加え、規制緩和枠の便宜供与や補助金提供が加われば、鬼に金棒です。

 

 

 

 

 

 

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岡山と広島を訪れました 6: 縮景園 1


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*1

 

 

今日は広島最後の観光になった、素晴らしい庭園を紹介します。

絶賛です!

日本の景観が凝縮されています。

 

 

 縮景園について

 

この名称は林羅山が「海山をその地に縮め 風景をこの楼に集めた」の意で名付けたとも言われている。

2年後に築庭400年になる。

広島藩主浅野家の別邸として広島城から800m東の京橋川沿いに造られた。

当時の築山は今と違ってほとんど芝生で覆われていた(侵入者発見の為)。

 

江戸時代、広島の大火で多くが焼失した後に、京都の庭師により現在のような様々な橋、建物、小川が設けられ池泉回遊式庭園が完成した。

戦前、この庭は浅野家から広島県に寄贈された。

 

しかし、これがまた原爆によって完全に破壊され、戦後の復旧によって今があります。

この隣地にある広島県立美術館は、浅野家の私立美術館「観古館」の跡に拡幅されて建てられた。

 

 

私達が訪問した日は素晴らしい快晴で、朝一番9時に入園したので空気も冷たく爽やかな散策を楽しめた。

65才以上は入園料と美術館入場料が無料で、両方を楽しみました。

ちょうどこの日から夜桜の鑑賞会が始まるところで、庭の桜が咲き始めていました。

 

 

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< 2. 庭園マップ、上が北 >

 

私は地図上の赤矢印の方向に歩いており、写真もほぼその順に並んでいます。

今回は、Sから始めMまでを紹介します。

 

 

東西300mほどの敷地に日本の美観を代表する小山、林、せせらぎ、池、さらにそれらを愉しむ茶室、望楼、橋が、またそれらが逆に景観となるように織り込まれている。

 

この庭園を歩いていて最も驚嘆したのは、数m進むに従って山、川、池の景観が千変万化することです。

それは庭園中央の池の北側に造られている、うねるように続く小山を歩いている時に最高潮になる。

私は機械設計者でしたが、当時の庭師がここまで三次元の造形を完璧に成し得たことに驚嘆しました。

この驚きを写真で再現出来ないのが残念です。

 

また庭の管理者が数多く働いておられ、実に丁寧な作業をしておられました。

是非とも皆さんも一度行かれることをお薦めします。

 

 

 

 

 

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< 3.入り口 >

 

 

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*4

 

 

 

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< 5. 最大の茶室、清風館(せいふうかん) >

 

 

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< 6. 中央の池、濯纓池(たくえいち) 1 >

 

下の写真: 跨虹橋(ここうきょう)。

中心的な橋で、花崗岩で出来ており数少ない戦前からの建造物です。

この日はアスリート風の西欧系の若者達で橋が埋め尽くされ、遂に渡らず仕舞いでした。

 

 

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< 7. 中央の池、濯纓池(たくえいち) 2 >

 

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< 8. 池の西側を行く >

 

上の写真: 右の望楼、超然居は小橋で渡る小島に建っています。

この辺りも楽しめます。

 

下の写真: パノラマ写真。

 

 

 

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< 9. 梅林 >

 

上の写真: 梅林とその後ろに美術館。

 

下の写真: 北側の起伏のある小山に入る。

 

この辺りで、最初に築山の造形美を思い知らされることになった。

 

 

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< 10. せせらぎ 1 >

 

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< 11.せせらぎ 2 >

 

少し小山を登り降りするだけで、何処かから導水されたせせらぎが池に何条も流れるのが見られ、その趣がまたそれぞれ違います。

 

 

 

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< 12. 茶室、明月亭 >

 

上の写真: 明月亭は北側の小山の頂上にある。

 

下の写真: その頂上から東側を望む。

右側は庭園側で、左側は京橋川の堤になる。

 

 

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< 13. 様々な景観 >

 

このように木々に囲まれた入り江のような池や、植栽が異なる起伏に富んだ林が散策道に連なる。

 

 

 

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*14.

 

 

次回は、縮景園の後半です。

 

 

 

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何か変ですよ! 112: 誰の責任? 2


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*1

 

 

前回失礼ながら、今の政治の腐敗と混乱の責任は国民にあると言いました。

これは自浄作用がなく暴走し続ける安倍政権には責任能力がないからです。

しかし私達には国を正常にする責任があります。

家族、伴侶、子供、孫たちの為に。

 

 

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*2

 

はじめに

 

最も指摘したいことは、「国政トップの責任を云々する場合、事態が深刻なほど既に手遅れになっている」と言うことです。

 

既に見て来ましたが、ドイツ、日本、米国でトップが世論を操作し、開戦に持ち込んだ状況を思い出して下さい。

戦争が始まれば、まず破滅に近い状態まで進んでしまいます。

それを後になってトップの責任を問い刑に服させても後の祭りです(罪に問えない方が多いが)。

 

重要なことは、政治腐敗と権力者の暴走を国民の手で即座にストップすること、さらには未然に防止することです。

 

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*3

 

 

* 今、直ぐに国民が果たすべき責任

 

暴走する安倍政権に責任能力はないので、先ずは何としてでも辞めさせる事が必要です。

残念ながら、政権与党に国会の議席を圧倒的多数与えてしまっているので、通常の手段(選挙)で倒閣は無理です。

しかし遅れれば遅れるほど暴走と権力集中が進み、取返しがつかなくなる。

 

ここは倒閣の世論を高め、各地で行われているデモに参加し、直接行動するしかない。

 

放送局の多くは政府の圧力に屈し安倍擁護に廻っていますが、幾つかの新聞や雑誌は安倍政権の虚構を暴露し続けています。

朝日、毎日、東京新聞、日刊ゲンダイ、東洋経済は、幾ら政府・与党・右翼から攻撃されてもジャーナリズムの責任を果たしている。

 

しかし、安倍擁護の放送局、新聞、雑誌、インターネットサイトは絶大な物量を誇っています。

ほとんど多勢に無勢と言うところです。

 

しかし今回の京都知事選では共産推薦の立候補者が敗れたとは言え44%の得票を得た。

これは政権与党(自民党)への批判が大きい。

倒閣の兆しは熟しつつある。

 

 

ここで、少し留意していただきたいことがあります。

 

・ デモは政治改革に残された正当な最後の手段です。

 

このことは「何か変ですよ! 110: 未来の壁 8」で説明しています。

日本人は市民意識が未だに成熟しておらず、諸外国に比べデモなどの集団的な示威行動が苦手です。

もっともデモを軽蔑する政府と与党の意識は後進国以下ですが。

 

 

・ 紳士的な行動をとるべきです。

 

安倍首相は自分(日本会議、ウヨ)の事を棚に上げて、よく「左派は人権無視」と言っているらしいが、右翼の挑発に乗って過激になることは避けたい。

政府はこれを取り締まり強化の口実にする(議席が多数)。

戦前、このことが治安維持法など民衆取り締まりの法案成立に繋がった。

 

 

・ リーク(内部告発)を守ろう。

 

最近とみに官庁サイドからリークが多くなり、安倍政権の虚構が次々と暴露されるようになったが、政権はこれに公然と圧力をかけ始めた。

本来、組織内の不正を暴く内部告発(リーク)は歓迎されてしかるべきで、これに圧力を掛けることは先進国では犯罪です(内部告発者保護プログラムがある)。

残念ながら民主主義が未発達な日本では政府が公然と取り締まりを宣言しても、奇妙な事に国民は怒りを示さない。

日本では公務員の内部告発が法的に守らていない(今回の腐敗を想定してか、骨抜きになっている、巧み)。

 

国民はこのことを理解し、リスクを冒して行ってくれるリークを温かく見守ってあげてほしい。

 

 

これらの努力が報われて安倍政権の倒閣が無事なったとしましょう。

 

 

 

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*4

 

 

* 次なる責任とは

 

倒閣したから成功ではない、それはほんの始まりに過ぎない。

 

実は、今回の破局を招いた国民の責任には三つある。

 

A: 安倍を支えた自民党支持者、そして強固な右派や保守派です。

 

B: 安倍政権を危惧し、倒閣に立ち上がった人々。

 

C: 政治に無頓着な人々。

 

 

Aは確信犯であり、世界の右翼化や衰退に脅威を感じた人々と既得権益層です。

 

当然、今の政治腐敗と暴走を助長した彼らの責任が最も重い。

しかし、彼らは未整備な法や規制の目をくぐり抜けて行っているので、罪に問うことは困難です。

まして、彼らは自発的に非を認めたり、自ら行動を抑制することをしないだろう。

つまり、彼らに責任を問うことは無理なのです。

 

このタイプの人は己の行動原理が日本のかつての戦争を押し進めたことに戦後70年経っても未だに気がついていない。

彼らの暴走は、ドイツのように法による規制か、大きな世論による抑制でしか止めることは出来ない。

 

 

Bの人々に責任が無いとは言えないが、安倍批判を訴え続けた貢献は認めるべきです。

 

彼らがいなければ、日本はそれこそ世界200ヵ国中、最下位から数十番の低劣位国に早晩なっていたことでしょう。

 

 

 

Cの人々の責任が最も大きい。

 

これは奇妙に聞こえ、また怒りを感じ方もいるでしょう。

 

例えて言うと、まさに沈没しつつある船で多くの人が助かる為には、常軌を逸した人(A)や訓練された乗務員(B)よりは、多数の乗客(C)が如何に冷静に振る舞えるかにかかっています。

 

Cの人々は、悪意を持っていないが社会人として無自覚であり、人口が最も多い。

彼らが現状の危機に目覚め、社会人として政治的責任を果たさない限り、日本の衰退は止まらず、再生は潰える。

 

国民多数の自覚が得られない限り、例え安倍が政界から退場しても、いずれトランプを凌ぐ危険人物を生むことになる(日本の民主度、報道の自由度は既に米国よりも低いので)。

 

5

*5

 

 

* 政治に無頓着な人々に望むこと

 

彼らは、現実社会はこのまま何事もなく過ぎていくと感じている。

 

少し深入りしてみても、せいぜい官僚がサボり、社会が少し右傾化しているが、株価は上昇しているからいいじゃないかと思うぐらいでしょう。

 

 

ここで安倍政権をこのまま放置してはならない理由を簡単に要約します。

彼らが以下の事をどれだけ理解するかに掛かっている。

 

・ 官僚は国民を欺き、国民を完全に無視するようになった。

 

彼らは政権首脳の利権(縁故主義)、経済界優先の政策実行、そして失政隠しや擁護の為には、あらゆる隠蔽、文章・データー捏造、虚言を行うようになった。

 

今回、腐敗が暴かれていなければ、国民は騙されたままあらゆる便宜供与、格差拡大を招く政策、言論弾圧、経済破綻危機、国際緊張などが亢進しただろう。

 

このようになったのは安倍政権が官庁を恣意的に操り、監督を怠ったと言うより国民に奉仕すべき官庁に手抜きや倫理崩壊を促した結果と言える(ずさんな文書管理、繰り返す虚言)。

さらに、批判的なマスコミを裏で弾圧し、御用新聞・論者・議員による露骨な擁護キャンペーン、さらに内部告発を妨げる法施行などで、国民に真実が見えなくなったことが大きい。

これらすべてが安倍政権下で益々強力に押し進められいる。

 

 

・ 経済政策は基本的にバブル頼りと短期成果狙いで、ほとんどの国民は長期的に所得と福祉の低下に見舞われ、さらに国の財政破綻を早めるだけに過ぎない。

 

安倍政権の政策の要は米国流の自由放任経済とマネタリズムの踏襲で、巨大バブルの来襲と長期的な格差拡大が必然です。

日本は人口減が大きい為、米国のような経済成長は期待できず、米国でここ30年間で起きた90%の国民の所得減だけが実現するでしょう。

 

さらに日本は米国以上の未知の危険な領域に踏み込んでしまった。

それは世界に類を見ない財政悪化状態で行われている、急激で巨大な貨幣供給、日銀の膨大な国債引き受けと大量の株購入です。

これらにより、今進みつつあるバブル崩壊次第で甚大な被害が出る。

 

 

・ 他の問題の一部

 

弾圧されて真実を伝えなくなったマスコミ、シビリアンコントロールが効かない自衛隊、米国追従と隣国敵対外交、日本の先進国を示す指標が軒並み低下など。

 

 

おそらく無自覚な人々は、これらの問題を気に掛けていない。

彼らも、少し疑って調べれば恐ろしさを理解できるはずです。

人気の学者が太鼓判を押しているから経済は大丈夫と考えるのは危険です。

絶えず繰り返されたバブル時にはいつもこのような泡沫学者は居たのです。

 

既に述べて来たように、世界に目をやり、世界の歴史を知り、未来を予測するようになればわかります。

 

そして、彼らが社会的・政治的責任を自覚し選挙行動を行えば、日本は衰退と破綻から免れ、再生を促す可能性が出てくるのです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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何か変ですよ! 110: 未来の壁 8


1

 

 

今回は、海外の歴史から日本の現状を打開するヒントを紹介します。

それは世界で感動を呼んだ数々のデモです

 

 

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< 2. デモの地 >

 

 

* デモが社会を変える時

 

人々が集団で意思表示し、政治を変えた例を見ます。

 

通常、国民は議員や大統領の選挙公約を選択し、政策転換や政治刷新を実現します。

しかし、政治が国民を向かず、惰性に流され、腐敗まみれになって、通常の手段では埒が明かない時、国民に残された手段は直接行動しかない。

国民は、国家(警察、軍)に対して無力なだけに、出来る限り大きな集団で体を張って訴えます。

 

 

* 世界の例

  

力の無い人々が知恵と情熱、そして団結することにより国を変えた行動には感動があります。

事例はかなりデフォルメし単純なストーリーにしています。

 

 3

3 「A」

 

 

A: 独立を勝ち取った人間の鎖

 

1991年、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)はソ連からの独立をほぼ戦火を交えずに果たした。

これはソ連のペレストロイカが幸いしたのですが、民族を異にする三国が共に手を携えたことが大きい。

 

これは三国の首都を結ぶ600kmを、各国の600万人国民が手を繋いだ人間の鎖でした。

 

当時、各国政府は徐々にソ連の支配から脱しつつあったが、いつソ連軍が侵攻してくかを恐れていた(実際2ヵ国は短期間の侵攻を受けた)。

これら小国は数世紀にわたり、大国に支配され続け、独立抵抗の辛酸を舐めて来た。

 

1989年、彼らは世界に人間の鎖をアピールすることにより、2年後の西欧諸国のいち早い独立承認を得ることが出来た。

 

こうして彼らは平和裏に独立を勝ち得た。

 

ポイント

・ 小国が大国から独立する為に、彼らは武力ではなく国民の強い意志を世界にアピールする方法を選んだ。

・ 彼らは世界中に散らばった移民と協力しながら事を進めた。

 

 

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4 「銃反対デモ」

 

 

B: 戦争を終わらせたデモ

 

米国は米ソ対立下で次第にベトナムで戦火を拡大させ、21年間で全死者800万人を出すに至った(爆撃量は大戦を上回った)。

米国の大統領が三代にわたり、のめり込んだ泥沼の戦争はなぜ終戦を迎えることが出来たか?

 

その転機は、学生らが中心になって全米各地で反戦デモを展開したことにある。

1967年と69年にワシントンで大規模デモを行い、71年まで続き、1回に最大30万人が参加し、総勢100万は越えただろう。

1968年には報道番組においてジャーナリストのクロンカイトが戦争継続に反対を表明した。

 

1969年、「名誉ある撤退」を掲げる相手候補を負かして大統領になったニクソンは、その後も戦線を拡大させていったが、一方で和平交渉を開始していた。

 

1971年、ホワイトハウスが隠蔽していたベトナム戦争の虚構を「ペンタゴン・ペーパーズ」が暴露し、反戦ムードはさらに広がった。

 

こうして1973年、和平協定が結ばれ、米軍はベトナムから撤退した。

 

ポイント

・ 議会や大統領は戦争拡大を容認し続けた(負けたままで止められない)。

・ 国民の反戦世論とデモが圧力になった。

・ ホワイトハウスに抵抗し戦争の真実を伝え続けた報道と内部告発は不可欠でした(今は規制緩和で力を失ったが、まだ日本よりは良い)。

 

蛇足ながら。

あれほど米国が恐れ、排除しようとした共産国家北ベトナムは無害だった。

彼らは米国の傀儡、腐敗した南ベトナム政権を打倒するのが主目的だった(戦後のマクナマラの会談で判明)。

この戦争は日本が防衛と称して朝鮮半島から満州に侵攻し、傀儡政権を擁立した状況によく似ている。

 

5

5 「C」

 

 

C: 東西を融合させた行進

 

今のドイツがかって壁やバリケードによって遮られていた国だったことは嘘のようです。

大戦後、ソ連と欧米によって分断させられた一つの民族が、なぜ半世紀後に再統合が出来たのか。

 

その契機は、東ドイツの都市ライプチヒの教会にあった。

 

東ドイツの共産政権時代、この教会は毎週月曜に平和のあり方を考える「平和の祈り」を細々と続けていた。

やがて言論・政治活動の自由を求める人々によって規模は拡大し、粛々とした行進を教会外で行うようになっていた。

彼らは警官隊の暴力に耐えながら、「自分たちの手で自由な国を創ろう」と訴え続けた。

 

1989年8月、数千人の東ドイツ国民がハンガリーの協力によりオーストリア国境を越えて西側に亡命を果たすピクニック事件が起きた。

 

この年の10月7日、東ベルリンで建国40周年記念式典に参加していたゴルバチョフは、上記の状況を無視し改革に背を向けるホーネッカー書記長を否定し、書記長は失脚した。

 

この2日後、ライプチヒで7万人の参加者が「我々こそが主権者たる国民だ」と叫びながらデモ行進を行った。

 

そして同年11月10日、東ドイツ政府は通行の自由を認め、ベルリンの壁は崩壊し、1年後に東西ドイツが統一された。

 

ポイント

・ 弾圧を受けながらも自由を求める非暴力の行進が大規模になり、国民の意思を政府に見せつけた。

 

 

6

6 「D」

 

 

D: 女性達の歌声が内戦に終止符

 

アフリカ西岸のリベリアは内戦で血まみれでした。

大統領も近隣のアフリカ諸国もこの内戦の停止を望むが、各地の武装勢力が入り乱れ交渉は決裂するばかりでした。

この内戦で25万人が死に、100万人の難民が生まれていた。

 

2002年、一人の女性レイマ・ボウィがキリスト教徒、ムスリムを問わず平和を訴える非暴力の「平和のための女性リベリア大衆行動」を組織します。

彼女達は白いTシャツを着て大統領の行列の前で歌い踊り、プラカードで停戦を訴え続けます。

 

やがて、彼女らは大統領との会見に成功し、ガーナでの和平交渉への参加を確約させた。

しかし、男達の交渉はいっこうに進展しなかった。

 

そこで彼女達は、ガーナの会議場に座り込み、交渉成立を迫った。

彼女らの強制排除が始まると、レイマは服を脱ぎはじめた。

アフリカでは、自分の母親の全裸を見ると不幸になるという言い伝えがあり、男達はようやく重い腰を上げた。

 

この結果、翌年に内戦は終結し、国連の平和維持軍が到着し、2006年のアフリカ初の女性大統領誕生に繋がった。

 

ポイント

・ 続く内戦で荒んだ社会にあって、女性の熱情が武装集団の深刻な対立を制した。

 

実は、彼女らは戦う夫への性交拒否と言う数少ない武器を使ってはいたが。

彼女はノーベル平和賞をもらった。

 

 

7

7 「E」

 

 

E: 一人の女性の「ノー」から始まった運動

 

米国がベトナム戦争に深入りし始めた1955年、南部の州都モンゴメリーで一人の女性ローザ・パークスがバスの席を譲らない事件が起きた。

彼女はバス内で警察官に逮捕され1日収監の後、罰金刑を課せられた。

これが後に米国を揺るがす大運動に繋がった。

 

これは黒人の彼女が白人専用の席に座り、人種分離法に違反したからでした。

この地に1年前赴任していたルーサー・キング牧師(26歳)がこの事件を知ると、彼はモンゴメリーのすべての黒人にバス・ボイコット運動を呼び掛けた。

 

利用者の75%以上を占めていた黒人が歩いたりして、バスを利用しなくなったのでバス路線を運営する市は経済的に大きな打撃を被った。

ローザ側は、人種分離の条例を違憲として訴え、翌年、連邦最高裁は違憲とし、公共交通機関における人種差別は禁止された。

ボイコット運動は1年以上続き、この違憲判決の翌日に収束した。

 

キング牧師はこの後、全米各地で公民権運動を指導し、非暴力と不服従を掲げて1963年にワシントン大行進で25万人を集めた抗議集会を開催した。

 

翌年、公民権法が成立した。

 

ポイント

・ 一人の冷静で勇気ある行動が、優れたリーダーの下に非暴力の大衆運動に結実し、選挙で変えることの出来なかった差別を突き崩すことになった。

 

 

8

8 「I」

 

 

他の歴史的なデモ

 

F: 1913年、日本で民衆数万が護憲を叫び国会包囲。

G: 1930年、インドのガンジーによる塩の行進。

H: 1993年、マンデラのサッカー競技場での演説。

I: 2016年、韓国で5ヵ月間、朴槿恵大統領の退陣求める100万人デモ。

 

 

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* 最後に

 

日本の政府首脳と与党はデモを非常識な行動と非難し、さらに国民の非暴力の行進とアピールに対して、大量の警官隊が国会周辺を取り囲み封鎖し威圧している。

 

世界には非暴力のデモが、しばしば腐れきった政府や強権を発動する体制を刷新して来た。

これは人類が生み出した民主主義の重要な一発現です。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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岡山と広島を訪れました 4: 原爆ドームと夕食


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今日は原爆ドームと広島での名物料理を紹介します。

 

 

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< 2. 観光ルート、上が北 >

 

No.1は原爆ドームで、赤線は広島駅からの路面電車です。

原爆ドームを見学後、黄線を歩いてホテルNo.3に行きました。

No.2の料理屋「かなわ」で夕食をとりました。

 

翌日、23日の朝、ホテルを出て、No.4の広島城、No.5の縮景園と広島県立美術館を訪れました。

この縮景園は本当に素晴らしい、後日紹介します。

 

 

 

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< 3. 原爆ドーム >

 

私達は初めて訪れました。

幾度もテレビで見ていることもあり、実はあまり感動しなかった。

しかし日暮れ近く、原爆ドームの背景が薄くピンク色に染まるのを見て、何かが私にチャンスを与えてくれたようでした。

この出会いを無駄にしたくないと思った。

 

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< 4. 太田川 >

 

上の写真: 上流側(北)を望む。

下の写真: 下流側(南)。

 

 

5

*5

 

来訪者は少なかったが、西欧系の外人の姿が目立った。

 

 

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< 6. ホテルに向かって歩く >

 

下の写真: 夕食で訪れる「かなわ」。

 

 

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< 7.夕食のイメージ、HPから借用 >

 

これらは私達がこの旅行で最も張り込んだ食事、牡蠣料理です。

私が現役だった20年以上前、広島に出張したらご馳走になるのが牡蠣料理でした。

 

有名店なので期待していたのですが、私はガッカリした。

牡蠣が小さく、想像した半分以下の大きさだった。

ここ数年、赤穂やフランスで食べた牡蠣の大きさが脳裏に焼き付き、かつて広島で食べた牡蠣が私のイメージの中で巨大化していたのです。

店員にそれとなく聞くと、生食用に瀬戸内海沖近くの島の清浄海域で採取しているとのことでした。

 

しかし私はまだ納得できませんでが、翌日、ひょんなことからこの疑問は氷解することになります。

 

帰路、呉線に乗っていると、海岸線に牡蠣の筏を多く見ました。

近くに座っている旅慣れた中年男性に筏のことを聞くと、彼はこう言いました。

 

「ここの牡蠣は大きいが加熱用で、赤穂などと同じく栄養分が多い河口近くで育っ為に短期間で大きくなるが、生食には向かない。従って広島の生食用は小さい。」

 

私はこれを聞いて始めて納得した。

 

ここでもう一つ牡蠣の話。

1960年代の終わりから76年代にかけて、フランスの牡蠣が病気になり、全滅しかけたことがあった。

この危機を救ったのが日本のマガキの稚貝の輸入だったのです。

 

私が食べた牡蠣は・・・・

 

 

 

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< 8. 原爆の被害 >

 

上の写真: 原爆投下前の広島。

星印が原爆ドームの位置。

 

中央の写真: 原爆投下1時間後の原爆のキノコ雲。

下側に瀬戸内海が見える。

 

下の写真: 被爆後の原爆ドーム。

 

* 広島市への原子爆弾投下について

 

第二次世界大戦末期の1945年8月6日、アメリカ軍が日本の広島市に世界で初めて核兵器を実戦使用した。

 

爆心地周辺の地表面の温度は摂氏4000度にもなり、人口35万のうち14万人ほどが4ヵ月以内に死亡した。

 

原爆投下後の入所被爆者も含め56万人が被爆したとされ、原爆死没者名簿には31万の名がある。

心より冥福を祈ります。

 

私の友人に長崎市の原子爆弾投下による被爆者がいます。

この悲惨で唯一の経験を世界平和の礎にしたいものです。

 

次回に続きます。

 

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何か変ですよ! 109: 未来の壁 7


1 

*1

 

 

前回、海外への無関心と無知が偏狭を生むことを見ました。

今回は歴史、特に海外の歴史を理解しない弊害を見ます。

 

 

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 *2

 

 

はじめに

 

つくづく歴史を見ない人が多いことに溜息します。

 

私の周囲にはたくさん本を読む人がいる。

彼らの読書の嗜好は千差万別ですが、概ね日本の歴史に関心を持っておられます。

それでも多くは歴史ミステリーの謎解き(邪馬台国、聖徳太子など)が中心です。

 

そして彼らは自論を篤く語るか、多くは本の一節を読み上げることが多い。

彼らは自論が如何に見栄えするかに関心があるようです。

 

歴史を語る彼らに共通することは、自論に反する本は読まない、愛読する本に疑問を持たない、また本の引用が多く、自分なりの言葉で語ることが少ないなどです。

自論に関して知識は深いが、他の日本史に関心が薄く、まして中国を除く世界史にほとんど関心が無い。

 

これは以下のように解釈できる。

 

さして真偽の確認をせず一度自論が固まると、その後はまったく疑いを持たなくなる。

多くは好みの論調(左派右派)の受け売りで、ここでも村意識(帰属集団で安心を求める)が影響している。

 

また歴史のメカニズム(因果関係)に興味がなく、その知見を社会の理解に生かそうとしない。

例えば世界の古代都市の誕生パターン(メカニズム)を理解することは邪馬台国誕生の検証に役立ちます。

 

読書量の多い人でさえこれですから、本を読まない人に歴史を理解することなど期待できない。

学校では歴史の年号を記憶させても、そのメカニズムを識るように教育していない(かつて植民地では国民の覚醒を妨げる為、歴史や政治教育を行わなかった)。

 

狭い範囲での私の見立てですが、これが現状です。

 

このような状況で、前回取り上げた日本会議(保守派)の日本を美化する説は、多くの人を魅了することになる。

 

この歴史、特に世界の歴史を理解しないことが、未来への大きな第5の壁になる。

 

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*3

 

 

* 私と歴史

 

もともと私は歴史が嫌いでした。

なぜ嫌いかと言えば、暗記が弱かったからです。

私は自然科学が好きで技術者として働いて来ました。

 

しかし、自然科学だけでは、疑問や問題の解決に役立たないことを痛感するようなった。

なぜ人は戦争を始め残虐になるのか、平和をどうして構築すべきか、なぜ国は衰退するのか、などの答えを私は探し続けている。

結局、日本史、中国史、世界史、人類史、進化論に広がり、美術史、法制史、医術史、宗教史、戦争史などにも手を広げました。

 

海外旅行に行くようになると、これまでの疑問―社会問題、美術、戦争と平和、宗教など、を解くために各国史を調べるようになりました。

これを繰り返して行く内に、少しづつ視界が晴れて行くことを実感するようになった。

 

 

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*4

 

 

* なぜ歴史への理解が必要なのでしょうか?

 

一番は社会で起きている現象を正しく理解する為です。

 

技術者はトラブルを解決する為に、ある仮説を立て、これを実験で確認することが出来ます。

実は、これはこれでかなり困難なのですが、それでも対策を実施する前に正否を確認できます。

 

しかし、現実の社会問題ではそうは行かない。

一つは、自分で直接、現地調査もありうるでしょうが、ほとんど無理です。

結局は、新聞や論説、書籍などで調査することになる。

 

ここで問題は、相反する論説や報道の取捨選択です。

 

例えば南京虐殺事件に関して、日本の左派右派の肯定否定論が完全に対立しています(私は両論を計15冊ほど読んだ)。

こうなると自信を持ってどちらが正しいかを言い切ることは難しい。

 

 

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< 5.南京城、赤線に注視! >

 

 

そこで中国側の資料(翻訳)に目を通してみる。

眉唾が多いかもしれないが、注意して読むと膨大な死体がなぜ消えたが分かってくる(ヒント、南京城の直ぐ横の長江の流量は1秒間に2万トン)。

 

また世界の虐殺史を調べると、人は置かれた境遇によって、平常時には想像出来ないような惨いことを犯すことがわかる(「殺人百科」など)。

 

アウシュヴィッツ収容所所長アイヒマンの裁判を傍聴したハンナ・アーレントは彼を極悪人ではなく普通の小心者と評した。

後に、このことをスタンフォード監獄実験(1971年)が実証した。

これは、一般の正常な人を被験者にした心理学実験で、誰でも凶暴になることが確認された(危険な為、途中で中止された)。

 

つまり日本人は善良な民族だから、捏造と決めつけるのは短慮に過ぎる。

 

むしろ世界の戦史から見れば、他国に深く侵攻し欠乏する兵站に喘ぐ日本軍、さらには村意識(旅の恥はかき捨て)が強い日本兵の心境を考えると、何が起きるかは容易に予想がつく。

その例はアフリカ植民地での英仏兵、大戦時のドイツ兵やソ連兵、ベトナム戦争での米兵などに見られる。

 

さらに日本の文化(村意識)が、この事件の真相解明を困難にしている。

日本軍は証拠を残さない、また帰還兵は仲間を裏切る真実の吐露を行わない。

(佐川長官の在職時の日程記録はすべて破棄していた、注釈1)

当時、報道は完全に軍がコントロールし、まして一般人が直接現地を知ることは不可能でした。

 

 

結局、私達が平和を構築する為に、隣国との相互理解を妨げている事件や問題を理解するには、日本だけの狭く偏向した報道や論説だけで判断出来ないのです。

 

間接的ではあるが、世界史から人間の行動や社会のメカニズムを理解し、出来るだけ客観的に真実に近づかなればならいのです。

 

これが歴史、世界史を理解することの重要性です。

 

 

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* 歴史を理解するために

 

以前、私のブログ記事を批難した方が、その根拠に歴史は繰り返さないので歴史的説明は無意味だと指摘されたことがありました。

この論調は、ウヨの方に多いように見受けられるが、ある意味、ポイントを突いています。

 

この指摘を簡単に反証しておきます。

 

前述の南京事件の解説で読者は気づかれたかもしれないが、日本人が中国で起こした事に対して、私はポーランドやアメリカ、それこそ世界各地でドイツ人、米兵などあらゆる民族が関わった事件を援用して説明して来ました。

それこそ起きた時代も違います。

 

ベストセラーになった「銃・病原菌・鉄」「文明の衝突」「21世紀の資本」に始まり、各種スポーツの解説書に至るまで、世界各地、あらゆる民族と時代を扱っています。

私達読者は、そこに普遍性を当然のように見出して理解しています。

つまりウヨの方が言われることは、普遍性を非常に厳密に定義しているか、単に都合の悪い歴史を無視したいだけかもしれません。

 

 

* 大事なこと

 

繰り返しになりますが、日本人はどうしても狭量になり易い。

これを自覚し、自ら世界に向かって視野を広げることで、皆さんは日本の衰退に気付き、かつ対策を諸外国から学ぶことが出来ます。

さらに平和を構築する方法や近隣諸国との理解も得られるでしょう。

 

最後に、朗報を一つ。

文化心理学で東アジア人(中国、韓国、日本人)は西欧人に比べ、木より森を見る傾向があることがわかっています。

これは被験者に魚が泳ぐ水槽を見せた後で何を見たかを聞く実験です。

この時、西欧人は一番大きな魚の特徴を主に語り、東アジア人は背景の水草や小さな魚等を含めた全体を語るそうです。

つまり東アジア人は空間的には全体的な捉え方をするのです。

 

 

次回は、今を理解するヒントを歴史から紹介します。

 

 

 

注釈1

もし在職時の全日程記録があれば佐川の行動や面会の記録から、森友問題の解決に役立っと考えたNPO法人が情報公開請求を行った。

しかし国税庁からの回答は1日分の簡単な日程1枚で他は廃却したでした。

現代ビジネスの4月5日の記事。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55100

 

 

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何か変ですよ! 108: 未来の壁 6


 

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< 1.桜井、慰安婦めぐる訴訟で敗訴 >

 

 

 

前回、「報道の自由」について語りました。

今回は、日本人が他者に対して偏狭になり易いことも見ます。

 

 

 

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はじめに

 

前回、世界や言葉や文化が異なる海を隔てた隣国の理解が困難なことを見ました。

これが往々にして視野狭窄で身勝手な言動を生み出します。

 

自分の属する社会だけに通じる主義主張を唱え、他者と通じ合える主義主張を模索するどころか、否定までします。

このことは幸福で平和な国を作るには大きな第四の壁になります。

 

 

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* 様々な珍発言

 

巷に溢れる視野狭窄で身勝手な言動を紹介します。

 

A: 「世界中が憧れるこの日本で『貧困問題』などを曰う方々は余程強欲か、世の中にウケたいだけ。」

 

桂春蝶がネットで発信。二代目落語家。

 

 

B: 「国民主権、基本的人権、平和主義、この三つをなくさなければ本当の自主憲法にはならない」

 

長勢甚遠が大会で発言。「安倍晋三さんを支える会」の中心メンバー、日本会議富山県会長。

 

 

C: 「先の大戦において祖国と同胞のために一命を捧げられたあまた英霊・・。 この英霊への感謝の念こそ、・・歴史認識の第一であるべきである。

大東亜戦争は、米英等による経済封鎖に抗する自衛戦争としてわが国は戦ったのであり、後にマッカーサー連合国軍最高司令官自身もそのことを認めている。」

 

日本会議のHP、歴史認識より抜粋。日本最大の保守(右翼)団体で自民党国会議員246人、安倍内閣19人中15人が入会か賛同している。

 

 

この三つの意見のどこが可笑しいのでしょうか?

 

例えば日本会議の役員には神社関係者が多いが、大会社のトップ、有名大学の教授も少なくない。

彼らが流言飛語の拡散に熱心・・。

 

世界は、彼らを世界を見ず、歴史を自己都合で解釈する時代遅れな人々と見るでしょう。

 

 

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*4

 

 

* 何が偏狭なのか

 

A: 「『貧困問題』を言う人は余程強欲」について

 

この誤解は世界と日本を比較出来ていないことによる。

 

日本が優れて幸せな国と思っている人が多いのは事実で、国政調査結果で明らかです。

日々満足して暮らすことは素晴らしいことです。

 

しかしこれまで、世界に共通する指標を使って日本が如何に退歩し続けているかを見て来ました。

この事実さえ、日本は別格であり、指標にこそ問題があるとして無視する人がいる。

しかし無視できないことがある。

それは、多くの指標が年々日本の社会・経済・人権の劣化を示し、多くの途上国が日本を抜いて行くことです。

 

なぜこのような誤解が平然と語られるのでしょうか?

多くの人は海外の状況に関心がなく、政府や御用マスコミを信じて疑わないからです。

 

海外に目を向けて真実を知ろうとする人はごく少数に過ぎない。

日本が大戦に突入する時も、米国との経済力の差を正しく評価出来た人は一握りで、彼らは卑怯者と罵倒された。

 

海外への無知が悲劇を生む状況は変わらない。

 

 

 

B: 「憲法から国民主権、基本的人権、平和主義を削除」について

 

このアピールは王政復古を想わせ、近代史を冒涜している。

 

これを説く長勢は東大法学部出で、労働省を経て自民党議員になり、法務大臣にまでなっている(代々議員の家系)。

この彼が世界の憲法史の流れを無視している。

 

近代以降、欧米先進国はたとえ立憲君主制を取り入れる場合であっても国民主権と基本的人権を最重視して来た。

平和主義については、日本は最先端(理想)を走っている。

 

おそらくは日本会議の中心的テーマ、天皇の御世への回帰に沿って憲法を変えるには、国民主権は邪魔だろう。

基本的人権と平和主義は、君主(天皇)に統率された麗しい社会では混乱要因でしかない。

 

日本会議の台頭は、深まる日本の衰退と高まる世界の右傾化に触発されたのでしょう。

さらには天皇の存在、長期与党政権、さらに世襲議員の台頭が後押ししたのだろう。

 

 

相変わらず保守派リーダーは海外の歴史や情勢を無視して国民に自説を吹聴している。

これが可能なのは、多くの国民が海外に興味が無く、まして日々進化している諸外国の理念や政策に疎いからです。

これからは米国ではなく、幸福度が高い西欧数カ国と北欧5ヵ国の知見が有用です。

 

 

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*5

 

 

C: 「英霊への感謝が歴史認識の第一、大東亜戦争は自衛戦争」について

 

このドグマは、強い自己愛ゆえの歴史の改ざんと言える。

これは単に稚拙な歴史認識に留まらず、外交に悪影響を与え、強いては平和を脅かす。

 

 

日本会議の言う「先の戦争は経済封鎖による自衛戦争だから日本に非は無い」は世界に通じるでしょうか?

 

簡単に反証します。

 

・ もし北朝鮮が経済封鎖に対抗してミサイルを発射した場合、世界は自己防衛とし見做すでしょうか?

 

・ 欧米の経済封鎖の35年前から日本軍は既に東アジアに侵攻していたので、世界は単に日本が戦争拡大を続けたと見るだけです。

 

・ 日本はロシアの脅威に対して東アジアに侵攻し、他の帝国主義国と同じであり、日本だけを責めるは片手落ちであると侵害国に言えるだろうか?

 

ドイツは侵害国に徹底して謝罪し、虐殺を認め、これを否定することを禁止した。

このことが今の信頼を生んでいる。

 

・ マッカーサー司令官が自衛戦争を認めたと言うが、安倍の祖父岸信介は戦後のインタビューで「あれは侵略だった」と発言している。

彼は戦犯になったほど深くこの戦争と植民地支配に関わっていた。

 

ざっと見ても彼らの歴史認識の狭量さがわかります。

彼らは世界や世界史を意図的に無視し、歴史を捏造している。

 

問題は人々がこれに簡単に踊らされてしまう下地(文化と報道)が日本に存在することです。

 

実はこの偏狭さが日本を窮地に陥れるとしたら。

 

 

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< 6. 世界のニュース1 >

 

上: Khmer Times(カンボジア新聞)、March 26, 2018.

「安倍は縁故主義のスキャンダルの渦中で謝罪」

 

下: U.S. News & World Report(米国雑誌)、March 26, 2018.

「日本国民の半分は安倍が土地取引スキャンダルで辞任すべきと考えている」

 

 

* 身の周りで起きていること

 

私達は、真実を隠そうとする多くの報道に取り囲まれていると疑うべきです。

もっと世界に目を開いて下さい。

世界のニュースサイトとグーグル翻訳で、世界の動きが見えて来ます。

 

上の二つのニュースは日本の政治腐敗を的確に伝えている。

 

 

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< 7.世界のニュース2 >

 

上: CNN(米国のテレビ局)の日本版、2018年3月30日。

「日本も北朝鮮との首脳会談を模索、取り残される不安募らせ」

 

下: Business Insider (米国のウェブサイト)の英国版、March 29, 2018.

「外交の転換、日本の安倍はスキャンダル災難から話題を替えることを狙っている」

 

この二つのニュースはアベが外交で人気回復を狙っているのを的確に伝えている。

 

日本の外交は、米国との同盟に束縛され東アジアと敵対的にならざるを得ない。

これで人気を得て来たが、内政と外交で共に窮地に陥ると、新たな目玉外交を模索し始めた。

 

御用マスコミやアベ友応援団の話だけを聞いていると真実が見えなくなり、国民は益々馬鹿にされることになる。

 

 

ここで日本の若者と経済を見てみましょう。

 

 

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< 8.海外留学 >

 

上のグラフ: 日本の海外留学生は2004年から低下し続けている。

真ん中のグラフ: 日本での外国人留学生はアジアからが多い。

 

下のグラフ: 日本を除くアジア人留学生が増加している。

 

残念ながら、豊かになった日本の若者はチャレンジ精神を無くしつつある。

これは英国が19世紀半ばから衰退した時と同じ状況です。

 

 

 

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< 9. 企業と若者の動向 >

 

上のグラフ: 若者は海外で働く意欲を年々無くしている。

 

中央の表とグラフ: 日本の競争力は年々低下し、政府の効率性と外国語のスキル

が大きな弱点になっている。

 

下のグラフ: 企業にとって東アジアは重要になったが、企業はグローバル化を担う人材確保で困っている。

 

この政治の混迷と社会の衰退からどうすれば抜け出せるのだろうか?

 

 

* まとめ

 

少なくとも日本会議の言う憲法改正―天皇中心、道徳や旧来の家族の復活、懺悔ではなく誇りを取り戻す、で日本の再興や平和構築は無理です。

明らかに外交や経済、若者の覚醒には逆効果になる。

最悪、戦前に戻るだけだろう。

 

皆さん、どうか世界から取り残されることを恐れて欲しい。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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岡山と広島を訪ました 2: 倉敷美観地区


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今日は、白壁屋敷が並ぶ倉敷美観地区を紹介します。

伝統家屋でも他の宿場町や門前町、商人町とは異なる趣があります。

晴れ間がのぞき始め、散策日和となりました。

 

 

 

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< 2.散策ルート、上が北 >

 

上の地図: 岡山と倉敷、瀬戸内海の位置関係が分かります。

下の地図: 倉敷美観地区の散策ルート。

JR倉敷駅から徒歩で美観地区入口まで歩きました。

S点から始めて赤線を歩き、途中、倉敷アイビースクエアと大原美術館(黒丸)に立ち寄り、黒線を通って駅まで戻った。

 

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< 3. 倉敷駅前 >

 

 

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< 4. 美観地区入口 >

 

 

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< 5. 倉敷川の橋を渡る >

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右手の赤レンガの壁は、倉敷アイビースクエアの一角です。

ここにはかつて代官所、続いて倉敷紡績所があった。

 

 

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< 8.倉敷川に戻った >

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< 11. 観光川船 >

 

上の写真: 海外から観光客がたくさん来ており、アジア系が多かった。

川船には中国系の団体さんが乗っていました。

 

下の写真: 塀の造りが目を惹きました。

土壁の下半分を板で覆い、さらに下には大きな石組がある。

板の下部は石組に合わせて凹凸を付けている。

 

 

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< 12. 大原美術館 >

 

展示物を知らずに入ったのですが、素晴らしい美術品が収集されていました。

 

 

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< 13. 主要収蔵物 >

 

エル・グレコ、モロー、ロートレック、ルノワール、ゴーギャン、中国最初期の三尊像(仏像)が目を楽しませてくれました。

美樹館内で歓喜の声を挙げて、職員に叱られました。

 

建物正面の両脇にはロダンの作品が立っています。

これも嬉しかった。

右側はカレーの市民ジャン・ダールです。

拡大写真を左下に載せました。

 

 

* 倉敷の町並みに想う

 

予備知識を持たずに散策していると、ある疑問が湧きました。

なぜこれほどまでに白壁土蔵や大きな屋敷が多いのだろう。

ここは街道でもないし、まして海からは十数kmも離れている。

 

かってこの地は海に接しており、藩の玄関港として物資の集積地・中継地と発展し、後に江戸幕府の直轄領として栄えた。

こうして多くの豪商が集まり、やがて埋め立てが進み、海は遠のいた。

そして明治21年に、旧倉敷紡績所が完成した。

 

 

 

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< 14. 倉敷の歴史、黄矢印が倉敷美観地区 >

 

上の古地図の左: 中世は、まだ阿智神社の丘は広い干潟の島に過ぎなかった。

共に上が北を示す。

上の古地図の右: 江戸時代、干潟は田んぼに代わっていった。

 

下の古地図: 1850年、江戸時代の大洪水の様子を示す。

赤い矢印は北を示す。

青矢印は4kmほど離れた一級河川の高梁川で、この一部が決壊し、倉敷美観地区は水没した。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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何か変ですよ! 107: 未来の壁 5


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今日は、なぜ日本では「報道の自由」が無視されるかを考えます。

これが正しく機能することは国政の最低条件のはずです。

この意識が低い限り未来は無い。

 

 

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はじめに

 

日本では組織の不正、特に上層部の不正に非常に甘い。

組織内の人は影で不平を言うが、外部に告発せず泣き寝入りするだけです。

これは海外のジャーナリストがよく指摘するところです。

 

今回のアベ政権下での酷い腐敗、事実の隠蔽と誤魔化しは目に余る。

以前であれば、政権側は野党とも協力したが、今は堂々と究明を拒否している(福島原発事故の調査委員会)。

さらに御用新聞以外も煮え切らず、数で圧倒するアベ友応援団とネットウヨが跋扈している。

 

そして大半の国民は、声が大きい「北朝鮮問題」か、ありきたりの「政治腐敗を正す」かの選択を迫られ、結局、あやふやに済ますことになりそうです。

 

世界から見れば、「北朝鮮問題」は日米が煽ったもので、急に危機的になったわけではない。

一方、アベによる「政治腐敗」は、世界から見れば一大腐敗事件です。

 

残念ながら、日本では虚実が入り交じり、ここ数年は捏造された事実が大手を振るようになり、国民は益々正しい判断が出来ないでいる。

 

 

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* 何が「真実を語らせない」のか

 

残念ながら、元来、日本の組織は記録を残さない、情報を外部に出さない。

 

かつて、日本軍は撤退時、徹底的に証拠文書を隠滅しました。

大本営発表は、まったく嘘と扇情で固められていました。

あまたの帰還兵も、仲間が不利になるような戦争体験をまったく語ろうとしません。

大戦中、多くの国が似た事をしたが、これほど酷いのドイツと日本だけでした。

 

戦後の公害問題から原発事故、今回の財務省の改ざんに至るまで、同じことが繰り返されている。

もし稀に内部告発者が出ても産官学と御用新聞は彼らを徹底的に潰しにかかり、組織からも制裁を受けることになる(官僚では佐藤優、前川喜平)。

 

すでに虚偽答弁と隠蔽だけでは済まなくなり、戦前を思わせる状況に突入した。

 

なぜこのようなことが日本で起きるのだろうか。

 

 

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* 何が「報道の自由」を阻害するのか

 

アべは「報道の自由」を破壊しようとしているが、その下地は以前からある。

 

日本人は世界的に新聞をよく購読しているのですが、実は中身が問題です。

 

外国のジャーナリストは日本の報道の後進性を指摘している。

・ 記者クラブの存在。

・ 調査報道が少ない。

・ 速報重視、夜討ち朝駆け、ニューソース名が無い(青山繁晴が好例)など。

 

このことが「報道の自由」を阻害しているのです。

 

記者クラブは簡単に言うと、記者の抜け駆けを防止するために政府や官庁が造ったものです。

記者はクラブ員で居る限り棚ぼた式に情報が入って来るので安泰です。

 

しかし、これでは新規参入が出来ず、切磋琢磨を生む競争が起きない(規制緩和が必要だが・・)。

さらに、これが記者と政治家の癒着を引き起こす。

未だに記者は徒弟奉公のような政治家への夜討ち朝駆けでネタを取ることになる。

こうして他社より数時間でも早くスクープを聞き出すことに狂奔し、調査報道に手間を割かない。

 

この状況を一人で打破しようとしているのが東京新聞の望月記者で、その徹底した追及姿勢は菅官房長官の定例会見に現れています。

これは記者クラブにとって迷惑であり、政府側も他の記者も無視しようとしている。

彼女は棚ぼたの情報を貰えない為に今後の取材が苦しくなる。

しかしこれが世界に通じる記者スタイルです。

 

残念ながら日本の報道は旧態依然としており、「報道の自由」はもともと低いのです。

しかし、今は最悪を更新中。

 

 

 

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< 5.マスメディアへの信頼度 >

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/10/post-4034_2.php

 

 

* まぜ日本は事実を重視しないのか

 

理由は最古層の農耕文化と孤島が災いしているからです。

 

東アジアは概ね稲作農耕文化ですが、海で隔離された日本列島は更に古いタイプの家族形態を有しています。

これは長子相続と父親の絶対的な権限に要約されます。

同じ稲作地帯の東アジアでも、日本ほどには長子相続は徹底していません(遊牧民の文化が流入した為か)。

 

私の推測が正しければ、日本はこの文化からの脱皮が困難です。

 

 

日本の組織文化「村社会」の影響が大きい。

この文化の問題点は既に、「デマ、偏見、盲点 29: 暮らしのカラクリ 3: カラクリを支える日本文化」で解説しています。

 

要は、人は属している社会が最重要で、他の社会にほとんど無関心です。

属している社会内ではトップ(父親)への忠誠を誓い従順で、仲間には親切だが、他の社会には不信を抱き、まったく異なる言動をとりさえする。

 

人々は幾つかの社会に共通する行動規範や情報よりも、属している社会で重視されているものだけで充分なのです。

つまりこれがダブルスタンダード(建前と本音)になるわけです。

 

極論すれば、すべての社会で認められる客観的なものは不要であり邪魔なのです。

当然、長年国政を支配している政治家や官僚にとっても。

もっとも口に出して言うことははばかれますが。

 

 

日本の新聞購読者は一度購入を決めたら、ほとんどが生涯変更しません。

日本の大手新聞は保守と革新に分かれ、発行部数は二分しています。

世界的に見て、図表5のように日本人はマスコミに非常に信頼を置いています。

 

こうなると、読者は全国で保守と革新に各1000万家庭に分かれ、一方の主張に染まることになる(保守の方が多い)。

当然、テレビや雑誌も同系統のものを好み、益々、両サイドに分裂を極めることになる。

一度でも一方のマスコミに属してしまうと、比較して真贋を確認することなく信じじ切ってしまう(比較すれば判る)。

 

こうして情報発信側も受信側も事実は二の次で、閉鎖的で偏狭な虚構に陥ってしまうのです。

 

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* さらなる問題

 

さらに孤島であることが日本を不幸にしている。

 

日本語は独自に発展したので、日本と隣国との間で自然な意思の疎通は不可能です。

まして海を隔ている。

この状況で「報道の自由」が奪われ、一方の政府や御用新聞が敵意を煽リ始めると、互いの国民の激情はエスカレートするばかりです(繰り返されて来た)。

 

西欧では戦争を繰り返した過去があっても、言語と宗教で共通するものがあり、他国の情報を共有することが可能です。

その好例は東欧と西欧(共産圏と自由主義圏)の雪解け、中国と台湾や香港の間にもあった。

 

この問題では、日本政府はリーダーシップをとって交流を進める以外に改善の余地はない。

だが残念なことに米国追従の自民党にあっては、隣国、特に中国との関係改善が不可能で、共通の歴史認識を作るチャンスを自ら放棄している(小泉政権時)。

ヨーロッパでは西欧共通歴史教科書を編纂している。

 

この結果、日本は隣国と亀裂を深めるばかりです。

米国との同盟から上手く離脱出来れば前に進めるだろうが望み薄です。

 

こうして見ると、日本の「報道の自由」も、隣国同士との正常な理解も不可能なように思える。

 

 

 

* 日本に未来はないのか

 

日本が政治腐敗から無縁になるためには「報道の自由」、さらに平和であり続けるには積極的な隣国との交流が必要です。

そして今、これは危機的状況にあります。

 

しかし、皆さんが現状を正しく認識出来ればまだチャンスはある。

 

・ 日本の報道の欠点と現状を知ってください。

 

日本の報道水準は完全に先進国以下になり、さらに悪化を続けています。

先ずは最大の元凶であるアベを早急に辞めさせ、続いて自民党、中央官庁、記者クラブ等の悪弊を正さなければならない。

 

 

・ 日本の組織文化と孤島の欠点を自覚してください。

 

これが戦前のファシズムや現在の企業・官庁の腐敗蔓延を生み出している。

また自浄作用をもたらす情報公開や内部告発も期待出来ない。

これは息長く教育と法整備で改善するしかない。

 

 

・ かつて日本の御用新聞は微力だったことを知ってください。

 

明治以降、薩長軍閥主導の政治を民主制に引っ張ったのは反政府新聞だった。

満州事変までは毎日や朝日などが政府と対決して政党政治を切り開いた(失敗したが)。

 

当時、御用新聞の読売は国民から相手にされていなかった(部数極小)。

しかし、軍部が政権を担い始めると、一気に形勢は逆転した。

今はその延長線上にあると言えるでしょう。

 

 

 

これで終わります。

 

 

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何か変ですよ! 106: 未来の壁 4


 

1q

< 1. 嘘の国と真実の国 >

下の写真は北欧5ヵ国の首相。

 

 

前回、かつて日本は報道の自由が無くなり自滅したことを見ました。

同じ状況がアベの下で進んでいることも確認しました。

今回は、報道の自由が高い国ほど国民が幸福であることを見ます。

 

 

はじめに

 

日本の報道の自由度ランキングはかつて11位(民主党政権下)が最高でしたが、2回のアベ内閣で下がり、現在はついに180ヵ国中72位まで下がりました。

西欧諸国で日本より低い所は無く、既にアフリカのボツワナ48位やニジェール61位よりも低いのです。

とても先進国とは言えない状況です。

 

このままアベ政権が続くと、国連の勧告を拒否したことでもわかるように、さらに報道の自由を制限し、国政を私物化することになるでしょう。

恐ろしいことに、既にNHK始め、多くのマスコミが真実を報道しなくなり、官僚は事実を捻じ曲げるようになったので、益々国民は蚊帳の外に置かれることになる(3月29日、NHKの報道統制が国会で暴露)。

 

しかし、今なら政権交代で良くなる可能性があります。

かつて第一次アベ内閣の後は良くなったのですから(この時は短期だった)。

 

 

ここで視点を変えてみましょう。

報道の自由が脅かされると、国家が暴走したり国が権力者に私物化されることを皆さんは理解したとしましょう。

しかし、一方で報道の自由を手に入れてもメリットが無いと思われるかもしれません。

 

そこで、報道の自由度が高い国ほど国民に幸福をもたらしていることを見ます。

 

 

 2

< 2. 報道の自由度が高い国 >

 

上記表はすべて2017年の180ヵ国中の「報道の自由度」「一人当たり名目GDP」「男女平等」の上位ランキングです。

橙、緑、茶色の線が相互の繋がりを示しています。

 

 

* 報道の自由度が高い国では何が起きているのか?

 

これから幾つかの客観的な指標を使って、「報道の自由度」が高い国は世界と比べて何が優れているかを見ます。

 

上の表の「報道の自由度」上位にある北欧、1位ノルウェー、2位スウェーデン、4位デンマークを見ます。

この三ヵ国は隣国同士で、かつてバイキングの国であり、同じ民族圏に属します。

 

するとどうでしょう、この三カ国は「一人当たり名目GDP(USドル)」は上位12位まで、「男女平等」は上位14位に入っているのです。

ちなみに日本は22位、114位で、経済高く、人権低いでしょうか。

 

3

< 3.民主主義指数 >

 

これはイギリスのエコノミスト誌傘下の研究所エコノミスト・インテリジェンス・ユニットが世界167ヶ国を対象に2年おきに発表しているものです。

上位にあるほど民主主義度が高い。

 

黄色マークは北欧5ヵ国を示し、国名右側の順位は「報道の自由度」の順位を示す。

当然ですが、「報道の自由度」が高いほど「民主主義指数」は高い。

日米は「報道の自由度」が低いので、当然、欠陥のある民主主義と言うわけです。

 

 

4

< 4. 経済民主主義指数 >

 

英グラスゴー大学の教授が2017年に発表したもので、OECD加盟国のうちトルコやメキシコを除く32カ国を対象に「経済民主主義指数」を算出した。

 

重視した調査項目は「職場および労働者の権利」、「経済に関する決定権の分配」、「マクロ経済政策における決定権の透明性と民主化度」です。

これは金融セクターの強さや徴税権の中央集権化の度合い、また腐敗、説明責任、中央銀行の透明性、政策決定の過程に社会の多様な構成員が関与しているかどうかも調査した結果が含まれている。

 

上表の上位6位までに北欧4ヵ国(青線)が入っている。

ちなみに米国は最下位から2位、日本は4位になっている(赤線)。

 

 

 

5

< 5. ジニ係数 >

 

ジニ係数は所得の不平等度を示す指標で、所得が完全に均等に分配されている場合は0となり、1に近づくほど不平等度が高いことを意味する。

 

上のグラフ: 2008年の再分配後のジニ係数を示す。

北欧4ヵ国は上位から11位に入っている。

ここでも米国は30ヵ国中下位から4位、日本も下位から11位、つまり所得格差が大きいことを示す。

 

下のグラフ: 北欧を含めて概ね世界の主要国でジニ係数が上昇し、所得格差が拡大している。

 

これは世界が自由貿易で繋がっており、北欧も資本主義で貿易依存度が高い為に、どうしても悪貨が良貨を駆逐するようにな状況にある。

これは世界が一緒になって対処しなければ格差が拡大し続けることを示している。

対策としては1980年代から始まった自由放任経済に終止符を打つことであり、具体的にはピケティやスティグリッツらが対策を提案している。

 

6

< 6. 世界幸福度報告 >

 

これは国際連合の持続可能開発ソリューションネットワークが発行する幸福度調査のレポートです。

2016年、157ヵ国が対象になっている。

 

表の青印は北欧5ヵ国で、その内の丸印は北欧3ヵ国を示し、幸福度は上位10位に入っている。

一方、赤丸の日本は53位に過ぎない。

ちなみに報道の自由度ランキング43位の米国は幸福度で14位です。

 

 

* 報道の自由度が高い国は国民にとって良い国と言える

 

上記の結果をまとめます。

 

「報道の自由度」が世界トップレベルの国(北欧5ヵ国)は、「一人当たり名目GDP」、「男女平等」「民主主義」「経済の民主主義」「所得格差(ジニ係数)の低さ」、さらに「幸福度」もトップレベルでした。

7つの指標を見る限り、疑義を挟む余地はなさそうです。

つまり国民にとって良い国なのです。

 

一方、「報道の自由度」が低い日本は、とても先進国とは言えない。

「報道の自由度」が低い米国も似たようなものです。

しかし日本は、これから「報道の自由度」の劣化がボディブローのように効き、さらに上記指標が悪化していくことでしょう。

 

これで「報道の自由度」が国民にとって重要であることを感じていただけたでしょう。

 

しかし、まだ信じられない方もいるでしょう、疑いは当然です。

北欧5ヵ国の大戦の被害、天然資源の豊富さ、大国との関係、民族と歴史など様々に異なります。

それでもここまで似通った結果が出ることは驚きです。

 

 

* なぜこのような結果が生まれたのか

 

「報道の自由度」がなぜ国民に幸福をもたらすのか。

 

もしあなたが誰かと交渉する時、相手が嘘つきで騙すことが平気な人物であればどうでしょうか。

善良なあなたでも、この人物を避けることが出来なければ、家族を守る為にはったりや嘘もつくことになるでしょう。

どちらにしても協力し合える仲にはならない。

 

私達の社会では、あらゆる集団(様々な力の異なる場合も)が関わりながら共に暮らしています。

主要なものとして政府と国民、企業家と労働者があります。

もし一方が真実を伝えず嘘をつくようであれば結果は明らかで、互いに反発し協力することは無い。

 

実は、北欧の政治社会が上手く機能しているのは、政府と国民、企業家と労働者が協力し合えるからなのです。

 

その為には互いに嘘と隠し事がないように、「報道の自由度」を高くし、いつでも真実を知ることが出来るようにしているのです。

逆に、これが脅かされると国民や労働者は激しく抗議し、是正を求めるのです。

 

こうして「報道の自由度」が確保された社会では、話し合いを通じて互いに協力し合えるのです。

そして弱者や様々な人権を守りながら、国際競争力を高める為に、必要な競争も受け入れることが出来るのです。

このことがスウェーデンのマイナンバー100%や労働組合組織率70%に結び付くのです。

ちなみに日本ではそれぞれ8%と18%です。

 

残念ながら、「報道の自由度」「男女平等」「民主主義」「経済の民主主義」「所得格差」が劣る国では、政府と国民、財界と労働界、男性と女性、与党と野党は対立するばかりで、共に協力して社会を発展させることが出来ない。

 

だから日本の政権のように、国民に真実を告げて批判に晒されるより、虚偽発言や文書改ざん、そして報道を弾圧して事を進めようとするのです。

 

特にアベのように、極端に右傾化する場合、「報道の自由度」がないがしろにされてしまうのです。

始めこそ悪意が無くても、協力が得られず事が順調に進まなくなり、やがて嘘に嘘を重ねるようになり、更に酷い状況に落ちるのが歴史の常でした。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

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何か変ですよ! 105: 未来の壁 3


 1s

*1

 

 

 

今回は、深刻な政治の暴走を招く要因を取り上げます。

それは国民に真実が伝わらないこと、つまり報道の自由が奪われることです。

多くの場合、真実が隠されていても国民は気づかない。

しかし一番の問題は、国民が「報道の自由」を気にかけないことです。

 

 

* 「報道の自由」の何が問題なのか?

 

これから数回に分けて以下の問題を明らかにします。

 

A: 「報道の自由」が無くなると、政府が独善的になり暴走を始め、遂には国家の破綻や破滅を招く。

 

B: 政府は都合の悪い情報流失を制限し、また国民に知られずに報道の自由を制限することが出来る。

 

C: 逆に自由が確保されていると国は幸福で豊かになる。

 

D: 日本に固有の危険要因があり、これが災いをより深刻にする。

 

E: 一度、報道の自由が低下すると正常に戻すことはほぼ不可能です。

 

今日はAとBの問題を取り上げます。

 

 

 

 2

< 2. NHK番組改ざん事件と報道ステーション >

 

 

* 今、報道の自由が危機に晒されている

 

現在、アベらがやっている報道の自由を脅かす圧力(批判封じ込め、情報隠蔽)を列挙します。

 

 

A: 2001年、安倍官房副長官がNHK放送局長を呼びつけ、制作済み番組を大幅に改変させた。

2005年、朝日新聞がこの「NHK番組改ざん事件」を暴露した。

 

B: 2013年、アベ内閣が特定秘密保護法を成立させた。

日本の安全保障に関する秘密情報の漏えいに罰則などを定めた。

 

C: 2015年、古賀茂明が報道ステーションで安倍首相のイスラム国問題への対応を批判すると、菅義偉官房長官の秘書官が「古賀は万死に値する」とメールを送りつけた。

さらに、後に菅は放送法(電波停止)を楯に恫喝を加え、この後、古館と古賀は番組を去ることになった。

 

D: 2016年、高市早苗総務相は衆院予算委員会で、放送局が政治的な公平性に欠ける放送を繰り返した場合の電波停止の可能性に言及した。

 

E: 2016年の池上彰の暴露によると、アベが政権に着くと、自民党からニュース報道への毎日のような抗議、そして自民党が作ったネットウヨから番組スポンサーへの抗議電話が殺到するようになった(一次、二次共)。

 

F: 2017年なら2018年にかけて、政府と官僚らが国会での追及を逃れる為に、証拠書類の隠蔽、破棄、機密扱い(黒塗り)、そして虚偽答弁を繰り返している。

自衛隊、厚労省、財務省など多くの中央官庁が事実を隠し、公文書改ざんまで行っている。

 

G: 2018年2月、自民党文部科学部会長の赤池議員が文科省を通じて、政府批判を繰り返す前川前事務次官に講演を依頼した学校に圧力(検閲)をかけた。

 

H: 2018年2月、アベは予算委員会で放送法改革を匂わせ、3月、共同通信が「政治的公平」(放送法第4条第1項第2号)の規制を撤廃するという政府の方針案をスッパ抜いた。

これについて野田聖子総務相 「放送法4条を撤廃した場合、事実に基づかない報道が増加する可能性」があるとして慎重な態度をとった。

 

 

これら政府と官僚、自民党の動きを見れば、一貫した意図が見えて来る。

それは政府批判の封じ込めであり、その為に国民には真実が隠され捏造されて来た。

 

現政権は歴代政権の中でも非常に露骨であり、裏では一層複雑巧妙に行っている。

 

 

 

* 政府批判の封じ込め策は繰り返されて来た

 

今の凄い封じ込め手口は、これまでの自民党さえ実施したことはなかったはずです。

 

アベ政権の手口をまとめます。

 

A: 育成されたネットウヨが批判的な報道機関に嫌がらせを行い、報道自粛に追い込ませた(個人攻撃も)。

 

実際、放送各局は批判的な報道を抑制し、今回の森友事件での「改ざん」用語さえなかなか使用せず、国会前のデモも放送しなかった。

 

実は、この手法は、戦前の反権力新聞(朝日、毎日)への抗議や不買運動を煽った在郷軍人会と一緒です。

つまり、軍部(政府)が裏で在郷軍人会を操っていた。

 

米国のティーパーティー運動(保守派ポピュリスト運動)は今や共和党を支えるまでになったが、これとネットウヨが似ている。

ティーパーティー運動の初期、オバマに反感を持つ実業家や企業が資金を提供し、人々のまとまりのない不安や敵意を煽り、大きな運動へと組織化していった。

 

 

B: 放送局への電波停止を匂わせる恫喝は、戦前の新聞紙条例と同じです。

 

当時の手口は、政府の検閲に従わない場合は新聞紙を供給しないと言う脅迫だった。

これは世間から隠れて行われたので、国民は知らず知らずの内に、検閲されたものだけしか読めなくなっていた。

 

 

C: 特定秘密保護法は1925年の治安維持法の再現を思わせる。

 

治安維持法成立以降、特高や警察によって手当たり次第に政府批判者が捉えられ、多くが国家転覆罪や天皇侮辱罪で獄死し、闇に葬られることになり、社会は急速に沈黙していった。

この結果、政府(軍部)の暴走を止めるものが無くなり、1931年の満州事変で大陸進出の口火が切られることになった。

 

治安維持法は当初、共産主義革命への恐れから制定されたが、すぐに政府批判を封じ込める手段として猛威を振るうことになった。

 

 

D: アベの露骨で執拗なマスコミ支配。

 

アベ首相による読売絶賛と朝日批難の大合唱、政府や自民党らが裏で行う報道機関への執拗な圧力、政権批判者への執拗な嫌がらせ、「政治的公平」の規制撤廃案などがある。

 

これらは先進国から見れば常軌を逸した行為とみなされる。

しかし日本の国民はこれらにあまり違和感を感じない。

 

これこそが第三の未来の壁なのです。

 

この露骨な支配について米国を例にみましょう。

 

 

 

* 米国のマスコミから見えるもの

 

ベトナム戦争時、1960年代の米国でホワイトハウスとマスコミは対立していたが、マスコミはこの干渉をはねつけた。

そして米国民はこのマスコミの姿勢に信頼を置いていた。

 

 

3

< 3. クロンカイト >

 

CBS「イヴニング・ニュース」の有名キャスターのクロンカイトは仕事を終えると、度々大統領から電話(干渉)を受けることがあった。

戦争終結の5年前の1968年、彼はベトナム戦争でアメリカは勝利しないとニュースで宣言した。

ジョンソン大統領は、「クロンカイトを失えば、アメリカの中核を失う」とその影響力を高く評価し、圧力を加えることが出来ず、撤退を考えざるを得なかった。

 

当時の米国のジャーナリズムは健在だった。

 

しかし、今は違います。

それは、1980年代に始まった規制緩和の流れの中で、報道にも規制緩和が進んだことによる。

 

巨大企業によるマスコミの買収、グループ化したマスコミの娯楽優先姿勢、政治的公平の規制撤廃、さらにインターネット普及による新聞(特に地方紙)の衰退などが、米国のマスコミ・報道の自由を蝕んでいる。

 

その結果、日米の報道の自由度は低下し続けている。

 

 

 

4

< 4.主要国の報道の自由度ランキング >

 

ちなみに、報道の自由度ランキングでは、2002年、米国は上位から17位、日本28位でした。

しかし2017年には米国43位、日本72位へと大幅に下げている。

一方で、北欧4カ国はこの15年間、上位4位から10位で安定している。

 

つまり、政府が報道の自由を守る気がないから低下しているのです。

 

 

 

 5

< 5. 日本の報道の自由度ランキング >

 

 

* まとめ

 

報道の自由が圧迫されると、国民は真の問題が見えなくなり、政府はやがて都合の良い方向に国民をリードする。

多くの場合、政府は政策の失敗をごまかそうとして嘘で塗り固めて行く内に取返しのつかないことになる。

よくあるのは、政府が国民の不満を逸らす為に戦争を始め、また経済不調を他国や移民のせいにして来た。

 

この結末はいずれも悲惨なものでした。

 

よく保守論客は、報道の自由度ランキングの算定がいかがわしいので信じるに足らないと言う。

しかし、このランキングを時系列で見、海外と比べ、かつ現実の手口を見ると、概ね評価が間違っていないことがわかる。

 

次回は別の視点から「報道の自由」を見ます。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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