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北欧3ヵ国を訪ねて 58: オスロ17: 陸軍博物館からフェリー乗船まで


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今回は、アーケシュフース城の横にある陸軍博物館を紹介します。

またコペンハーゲン行きのフェリーの乗船も紹介します。

これでオスロとお別れです。

 

 

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上: アーケシュフース城(右側の城壁)を出た所。

海側を見ている。

通りを隔てた広い敷地(写真左側)に現代美術館や陸軍博物館などがあります。

 

下: この敷地からアーケシュフース城を望む。

 

 

 

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< 3. 陸軍施設 >

 

上: 建物の表側。

手前のコンテナには「国際派遣の為のノルウェー団体」との記載があります。

 

下: 上記写真の建物の右側を通って、振り返った所。

先ほどの裏側を見ている。

私の立っている背中側に陸軍博物館がある。

 

 

 

 

 

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< 4. 陸軍博物館 >

 

世界各地での平和維持活動や派兵の実績を展示。

 

上: この建物の右正面に入り口がある。

左の木の手前の木陰に砲台をこちらに向けた戦車が置いてある。

 

下: これはおそらく中東、ベイルートなど高原に建てられた見張り台のようです。

 

 

 

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< 5. 平和維持活動の展示 1 >

 

上: アフガンの多国籍軍派兵かもしれない。

 

 

ノルウェーは小さい国ながら、20世紀以来、ずっと世界の平和と紛争調停に積極的に関わって来た。

 

以前紹介した探検家ナンセンは初代難民高等弁務官として活躍し、難民の父と呼ばれている。

国連安保理立案者の一人で初代国連事務総長になったのはノルウェーの外務大臣でした(前回紹介したドイツ占領時の亡命政府)。

ノルウェーがノベール平和賞の選定と授与を行っている。

 

ノルウェーは数多くの紛争調停に関わっているが、オスロ合意が最も有名でしょう。

当時絶望的であったイスラエルとアラブとの紛争にあって、突如、光明が射したことを覚えています。

1993年、犬猿の仲であったイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間で合意がなった。

残念ながらイスラエルの侵攻で無に帰したが。

この時、クリントン大統領が全面に出ていたが、実はそこに至るお膳立てはノルウェー政府と民間人によってなされていたのです。

またクラスター爆弾の禁止条約の立役者でもあります。

 

北欧のスウェーデンとノルウェーは世界平和への貢献が素晴らしい。

大国が身勝手な戦争をする傍らで、両国の政府、軍、民間NGO、研究機関が世界各地に出て、平和と紛争解決に尽力している。

 

なぜ彼らが我が身を惜しまずにここまでやるのか、おそらく日本人の理解を越えているだろう。

ここ数世紀の小国の悲哀、プロテスタント、スカンジナビアの地政学的な背景が関わっているのか?

ひょっとしたらヴァイキング時代からの世界志向が、そうさせているのかもしれない。

 

 

 

 

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< 6. 平和維持活動の展示 2 >

 

上: ノルウェーは実に多くの地域で活躍している。

 

下: これから乗るフェリーが見える。

荷物をホテルに取りに帰る為に、バス停に行く途中。

 

 

 

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< 7. ホテルに戻る >

 

上: バス停。

もし、この付近に荷物を預ける場所があれば、ホテルに戻らず、このままフェリーに乗ることが出来たのですが。

事前にインターネットで探したが見つからなかった。

フェリー会社に、ターミナルにロッカーが有るかとメールで尋ねたのですが、無いとの返事でした。

 

荷物(スーツケース)の扱いが、旅行の自由度をかなり制限します。

 

下: バスでもう一度中央駅付近に戻り、トラムに乗り換え、ホテルに行きます。

 

 

 

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< 8. フェリーDFDSに乗船 >

 

上: 乗るフェリーが見えます。

同じバス停に戻って来た。

手前にターミナルがあります。

 

下: ターミナルの検札を無事通過して、振り返った所です。

実はターミナルに入った所にロッカーがあったのですが、スーツケースが入るかは不明です。

 

私は係員から、ここで注意を受けました。

それはインターネットでの予約書(印刷物)で通過しようとしたら、発券機でチケットを発券しなさいとのことでした。

私が躊躇していると、今回初めてだから良いが、次回から自分でやりなさいと言い、その場で発券してくれました。

感謝!

 

 

簡単にフェリーを紹介します。

 

当然、初めて乗ったのですが、大変お薦めです。

便利で快適、コストパフォーマンスが良く、景色が良く、さらに夕食も素晴らしい。

オスロ発16:30でコペンハーゲン着翌日の9:45で、一日一便です。

料金は全部で146ユーロ(19600円)です。

 

明細を記します

Transportation Oslo – Copenhagen  0.00 EUR

2-bed inside cabin with bunk beds  88.00 EUR

(部屋の種類が多いが安い方の一部屋の料金。一人で使う)

7 Seas Restaurant 18:00 CET 7 Seas Dinner Buffet incl 1 drink 7 Seas Dinner Buffet incl 1 Drink      43.60 EUR

(ビール一杯付きの夕食料金。オプションから時間などを指定する)

 

Transfer bus: DFDS terminal – Nørreport St. 

Transfer bus: DFDS Terminal – Nørreport station 3.00 EUR

(コペンハーゲンのターミナルから地下鉄駅近くまでの送迎バス料金)

 

Booking Fee   10.00 EUR

Credit card fee 1.51 EUR

 

事前に日本からインターネットで申し込んだのですが、非常に細かくオプションを指定しなけらばならない。

後日予約内容を変更したが無事問題無く、予約は出来ました。

 

オスロとコペンハーゲン間の移動は、他に鉄道と航空機が有りますが、ターミナルがオスロ市街地に近いこと、夜の移動で時間短縮になり、ホテル代込み運賃としては安いのが魅力です。

予想以上に良かったのは食事とオスロ湾とヘルシングボリの海峡の景色でした。

 

フェリー内には、このバイキングのビュフェ以外にレストランが有りますが安くはない。

もっとも、北欧のまともなレストランは私には高いのですが。

 

パンとコーヒーを販売している小さなストアはあります。

もしかしたら、外から弁当を持ち込んでも良いのではないでしょうか。

荷物のチェックはありませんでしたから。

 

 

 

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< 9.ターミナルから船内へ >

 

上: ターミナル側の渡り廊下。

地中海クルーズで利用したMSCのクルーズ船と違って、乗船はあっけないものでした。

検札などの大渋滞はなく、荷物チェックもなく、ターミナル内部も簡素で迷うことは無い。

 

下: 通路から最初に乗船したフロア。

この上の階にインフォメーションがあります。

 

 

 

 

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< 10. 船内 >

 

上: 船室。

何の手続きも必要なく、自分の船室に入ることが出来ます。

ただ清掃の関係か、船内で定められた入室時間まで待つことになりました。

この様子だと早く行く必要はないかもしれない。

もっともチェックイン15:15~16:15で、私が検札を通ったのが14:15でした。

 

私が乗船した時の乗船客は、アジア系やヒスパニックが多く、数人のグループが多かった。

気楽に利用している感じがした。

 

下: インフォメーション。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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平成の哀しみ5: 深まる亀裂 3: なぜ軍備を増強するのか


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隣国はなぜ軍拡に走るのか?

 

 

北朝鮮は建国以来、ソ連援助の下で核開発を行っていた。

ソ連崩壊後、この庇護が無くなり、核兵器こそが米国への抑止力とみなされた。

 

一方、米国はそれまでの宥和策から強硬策に転じ、北朝鮮を悪の枢軸と名指した。

これに呼応するように北朝鮮はミサイル発射と2006年から核実験を繰り返した。

 

この米国の転換は子ブッシュ大統領(2001~2009)と取り巻きのネオコン(新保守主義)による。

彼らは米国の覇権を守るためには武力行使も辞さないとし、対外戦争と軍事費増大を図った。

これは彼らが軍産複合体で収入を得ていたことと、同時多発テロも影響している。

 

 

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1980年代、中国経済は躍進を始め、歴史的に貧弱だった海軍力をシーレーン確保の為に増強する。

その後、台湾の領有を巡り米国との間で緊張が生じ、ロシアと協力し欧米を牽制した。

2010年頃から、南シナ海への侵出を強めた。

これは米国の核攻撃と海空軍の中国本土攻撃に対抗する目的で、核ミサイル原潜の深い航路と空軍の滑走路確保と考えられている。

 

現在、中国の軍事力は世界第3位になり、米国海軍艦艇の大半が太平洋に配されている。

 

 

次回、米国の戦争を見ます。

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北欧3ヵ国を訪ねて 57: オスロ16: ノルウェー抵抗運動博物館


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今回は、アーケシュフース城内にあるノルウェー抵抗運動博物館を紹介します。

ここには第二次世界大戦の抵抗運動の様子が展示されています。

小国の悲哀と独立への強い思いが錯綜する中で、希望へと導いた国王の行動が光ります。

 

 

 

 

 

 

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< 2. 博物館と関連映画 >

 

上: ノルウェー抵抗運動博物館の外観。

地下に展示室が広がり、狭いながらも十分に当時の状況を感じることが出来ます。

観光客は少ないが、学生や夫婦の見学者が少なからずいた。

 

左下: 抵抗運動の象徴になったノルウェー王ホーコン7世の肖像画。

 

右下: この抵抗運動が始まった三日間を描いた映画「ヒトラーに屈しなかった国王」のポスターです。

 

映画の主人公はホーコン7世です。

私は偶然、旅行に行く前にこの映画を見ることが出来ました。

これはノルウェー製でハリウッド製のような派手さはないが、当時の緊迫感と揺れる首脳陣の思いが伝わってくる良作でした。

 

 

 

 

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< 3. 展示物 1 >

 

左上: この地図はドイツ軍がノルウェーに侵攻した状況を示しているようです。

 

右下のオスロ湾に一群のドイツ艦隊が侵入しているのが分かります。

当時の政府首脳と国王はオスロにいました。

抵抗のドラマはオスロから始まりました。

 

ドイツ軍は雪が残る1940年4月にノルウェー各地に同時に侵攻した。

ドイツは前年、ポーランドに侵攻を開始し大戦が始まっていた。

破竹の勢いで進軍したドイツ軍は1940年6月にパリを陥落させた。

この5月にはチャーチルが英国首相となり、英国は和平から臨戦体制に転換した。

 

左下: おそらく左がホーコン7世のようです。

 

右で威張っているのが悪名高いクヴィスリング首相でしょう。

ノルウェー軍人の彼はナチスを信奉しており、前年にヒトラーにノルウェー侵攻を要請していた。

実は、彼はナチス主体の「北海帝国」を妄想していた。

いつの世にもこのような人物は出るようです。

彼はドイツ軍侵攻の混乱に乗じ、全権掌握を宣言し、自ら傀儡政権を任じます。

しかし彼はノルウェー首脳と国民からは疎んじられ、ヒトラーを除いてドイツ側も信用していなかった。

彼は戦後、裁判によって銃殺刑に処せられた。

彼の名は今でも「売国奴」と同義語として使用されている。

 

右下: おそらくドイツ軍に占拠されたオスロ港でしょう。

 

 

 

 

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< 4. 映画のシーン 1 >

 

上: 映画は冒頭、闇夜から始まった。

 

それはオスロ湾で最も狭いドレーバク水道にあるオスカシボルグ要塞の守備隊が舞台になります。

この要塞の島をフェリーか眺めることができました。

 

闇夜に乗じてドイツの戦艦が迫って来たので、守備隊長は王宮に判断を仰ごうとするのですが連絡が取れません。

ここで彼は砲撃の命令を独断で下し、戦艦を撃沈します。

(私には出来なかったでしょうが)

 

この彼の行動が国王に逃亡の時間を与え、後の抵抗運動に繋がった。

後に彼は勲章を授与されます。

 

 

下: 右はドイツ公使で左はドイツ将校です。

 

この映画で国王に次いで、心打たれた人物がノルウェー駐在ドイツ公使Curt Bräuerです。

 

映画の舞台は翌日のオスロに移ります。

彼はドイツ軍による支配を極力穏便に済まそうと調整に努めます。

ヒトラーとも直談判し、また侵攻して来たドイツ将校相手に孤軍奮闘します。

しかしホーコン7世はヒトラーから条件(傀儡政権を認める)を呑むことが出来ず、家族と政府首脳と共にオスロを去り列車で北部へ逃亡します。

 

大使の仲介の労は無に帰し、彼は任を解かれソ連への前線に送られ、9年間のソ連での捕虜生活に耐えることになる。

このような身の危険を顧みない他国を思う外交官がいたことに感動した。

 

 

 

 

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< 5. 映画のシーン 2 >

 

上: ホーコン7世と王子、そして政府首脳がドイツ軍の追撃から逃れているシーンです。

 

下: 国王一行を守る兵士は少なく、少年兵も参加している。

 

ホーコン7世は逃亡しながらドイツの降伏要求を拒否し続け、2か月後に国外脱出を果たすることになる。

この時「独立を取り戻すための戦い」の声明を残し、王家、政府と軍の要人500名と共に船で英国に亡命します。

ロンドンで亡命政府を樹立し、連合軍と共に戦うことを宣言し、ノルウェー国内の抵抗運動への指示と支援を続けます。

 

そして国民は一丸となって統率の取れた抵抗をおこなった。

初めは非協力・非暴力で抵抗し、地下に潜伏し、ドイツ軍の劣勢が伝わると武力闘争に切り替えっていった。

 

戦後、国王は帰国を国民の大歓迎で迎えられ、再び独立を取り戻した。

そして現在、世界で一番豊かで幸福な国と言われる。

 

 

 

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< 6. 展示物 2 >

 

ドイツ軍の侵略を模型で示したものです。

 

 

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< 7. 展示物 3 >

 

抵抗運動の主役たちと様々な抵抗の様子が展示されていました。

 

 

 

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< 8.展示物 4 >

 

これはどうやら抵抗運動側によるオスロでの破壊指令のようです。

 

指令書の地名は地図の黄色の破裂マークで、前回紹介したアーケシュフース城に至る道で、右側にオスロ中央駅があります。

指令書の目標名は、ドイツが創設したノルウェー内のナチス党組織です。

日時は終戦の前年の1944年です。

 

 

* 感想

 

この抵抗運動と映画も含めて感想を記します。

 

一番印象深いのは、劇中でのホーコン7世が語る言葉です。

 

彼は「私は国民から選ばれた王だから、もっとも尊重すべきは国民の声である」として、安易にドイツの言いなりなることは出来ないと悩みます。

ドイツに屈服して王家と国民の命を守るべきか、それとも半世紀前にやっと手に入れた独立を守るべきか。

 

実は、彼は1905年のノルウェー独立に伴い、国民投票でデンマークの王子からノルウェー王になっていたのです。

 

一方ドイツ侵攻で政府首脳はうろたえ、王は「君たちは国民から選ばれたのだから、国を率いる責務があるのだ」と諭します。

しかし彼らは答えを出しません。

 

王は象徴的な存在であって、政治に口出すべきでないとホーコン7世

は考えていた。

彼への国民の信頼は絶大で、ノルウェー政府も王の言葉を待ちで、ドイツも彼を条約調印の相手と見做していた。

 

彼は一人悩み「降伏拒否」を宣言することになる。

映画はここに至る3日間を描いている。

 

 

私が北欧に惹かれ、政治社会経済の良さを知りたいと願い、今回の旅にでました。

 

北欧三ヵ国に共通するのは立憲君主制ですが、大いに英国や日本と異なるものがある。

ここ数百年の歴史を見ると、北欧三ヵ国は王家の力が弱く、貴族と対抗させ、国民がまとまるため、国民が王家に国の統率を依頼するようなところがある。

これはヴァイキングが隆盛した社会背景と共通しているように思える。

 

ともかく議会制民主主義が国民と王家の信頼によってより強固になっている。

不思議な国です。

 

抵抗運動が分裂せず、スムーズに行われたのもこの国王への人気の賜物かもしれない。

 

 

実は、この館を退出する時、事務所の男性職員が目を合わせ「ありがとう」と言ってくれた。

 

 

次回に続く。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 48: オスロ 7: 冒険家達の足跡


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< 1.フラム号博物館 >

 

 

今回はビィグドイ地区の住宅街と三つの博物館を紹介します。

これら博物館はノルウェーが如何に海と深く関わり、偉大な海洋冒険家を頻出したかを教えてくれます。

 

 

 

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< 2. ビィグドイ地区の散策ルート、上が北 >

 

1: ノルウェー民族博物館、既に紹介。

2: ヴァイキング博物館、既に紹介。

3: フラム号博物館、今回紹介。

4: ノルウェー海洋博物館、今回紹介。

5: コンチキ号博物館、訪問していませんが紹介。

 

黄線、ピンク線が博物館への徒歩ルートです。

ヴァイキング博物館からフラム号博物館までは約1.5kmで徒歩20分以内です。

 

 

 

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< 3. ヴァイキング博物館のロッカー >

 

蛇足ながら博物館のロッカー事情を簡単に紹介します。

これまでスウェーデンとノルウェーの博物館を数多く訪れ、多くはバックなどを預ける必要がありました。

預けるべき場合は、すべて上記写真のような小さなロッカーがあり、無料でした。

小さなリュックは入るが、それ以上大きいものはどこのロッカーにも入れることが出来ません。

扱い方法は様々で、貸与してくれるコインやロッカー付属の鍵などを使う場合が多い。

分からなければ係員が近くに居て教えてくれます。

 

しかし、ここは少し違っていました。

ここだけはロッカールームが館外にありました。

この写真のように任意の番号を入力し、レバーを倒す方法もここだけでした。

少し戸惑ったが、扉の裏に英語で取り扱いが書かれています。

 

 

 

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< 4. ヴァイキング博物館とお別れ >

 

上: ヴァイキング博物館。

下: 住宅街を歩き始める。

 

 

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< 5. 高級住宅街 >

 

大きな住宅が並び、新築や改装中の建物も見ました。

平等の国のイメージがあるのですが、ここに富裕層が集まっているのか、それとも皆が裕福なのか、疑問に思いながら歩いた。

 

 

 

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< 6. フラム号博物館が見えた >

 

下: 右手奥の三角屋根がフラム号博物館。

歩いている間に公共交通機関のバスの行き来を1回ぐらいしか見なかったように思う。

離れた三か所の博物館を繋ぐ便利な公共交通機関は無いようです。

 

 

 

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< 7. フラム号博物館に入る >

 

上: 三角屋根がフラム号博物館。

右手にノルウェー海洋博物館。

 

下: 中に入ると、巨大な船体がすぐそこにあった。

 

 

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< 8.甲板上  >

 

上: 船外の階段を登って甲板上に渡る。

 

下: 甲板中央から船首の方を見ている。

甲板の左右と前方を囲むように巨大なスクリーンがあり、フラム号が氷山の流れる荒海を航海している状況を再現している。

さらに音響とライトによる稲妻が臨場感を盛り上げていた。

 

 

 

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< 9.フラム号の探検航路 >

 

上: 甲板中央から船尾を望む。

下: フラム号の3度の探検ルート。

左が二回行われた北極海の探検。

このフラム号による最初の探検は右側のルートで、ナンセンによるものです。

左側は二回目の別人による探検ルートです。

 

右が南極探検。

これは1910~1912年に行われたアムンセンによるもので、彼は人類史上初めての南極点への到達に成功した。

 

 

* ナンセンによる北極探検とノーベル平和賞受賞

ナンセンは科学者であり探検家でしたが、後に自国の独立と世界平和に貢献することになる。

 

彼は北極海を横断する海流を調査するために、このフラム号で漂流し確認しようとした。

この為に、彼は8年分の燃料と6年分の食料を積み込み、1983年に出港し、シベリア沖まで行き、そこで氷に閉じ込められ、3年間の漂流(地図中の下降)の後に寄港し、この調査探検は成功した。

 

一躍有名になった彼は、当時熱を帯びていた「ノルウェーのスウェーデンからの独立」に外交官として駆り出されることになる。

そして彼はロンドンで国際世論に訴え、独立の理解を求めた。

ついに1905年、ノルウェーは国民投票により無血で独立を勝ち得た。

 

第一次世界大戦後、彼は国際連盟の難民高等弁務官に就任した。

彼はソ連と交渉し、ロシア革命で共産政府と対立し海外移住を望んだロシア人に初めて国際的な身分証を発行した。

これにより140万人が難民移住出来ることになり、彼はノーベル平和賞を受賞した。

 

彼に続いてノルウェーから多数の海洋冒険家が出た。

また国として紛争仲介やノーベル平和賞授与などを通じて世界の平和に貢献し続けている。

 

 

 

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< 10. ノルウェー海洋博物館 >

 

私にとって興味深かったのは数々の古い漁港のジオラマや木造船の模型でした。

 

 

 

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< 11. コンチキ号博物館 >

 

ここは訪問していません。

上: 洋上のコンチキ号。

下: 航海ルート。

 

1947年、ノルウェーの文化人類学者ヘイエルダ―ルは自作の筏「コンチキ号」で南米からタヒチ島近くまで漂流航海を行った。

彼はイースター島のモアイ像がぺルーの像に似てるとして、ポリネシア人(南太平洋)は南米からの移住者と想定し、南米から航海が可能だったことを証明したかったのです。

 

彼の漂流航海は一応可能性を示せたのですが、残念ながら遺伝子分析でポリネシア人はモンゴロイドが主に台湾から航海移住によって拡散したことが現在わかっています。

 

それにしてもノルウェー人の冒険心を併せ持つ探求心には関心させられました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 47: オスロ 6: ヴァイキング船博物館


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< 1.ヴァイキング船博物館の入口 >

 

 

今日はヴァイキング船の実物を紹介します。

その巨大さに圧倒されます。

後半で、北欧ヴァイキングについて語ります。

 

 

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< 2. 博物館まで歩く >

 

ノルウエー民俗博物館からヴァイキング船博物館まで歩きました。

この間、およそ450m、歩いて10分以内です。

 

上: 途中の住宅街。

下: ヴァイキング船博物前の駐車場。

観光バスと観光客で一杯でした。

 

 

* オスロのヴァイキング船博物館について

ここにはオスロ・フィヨルドに面したオーセベリ「Oseberg」、ゴクスタ「Gokstad」、トゥーネ「Tune」で発掘された三隻のヴァイキング船と埋葬品が展示されている。

この発掘地の三ヵ所を写真6の地図に頭文字で示している。

発掘品を修復し展示している。

展示のヴァイキング船越しの壁に、フィヨルドから旅立つ遠征航海の迫力ある映像を上映していた。

 

オーセベリの発掘

834年に、この船と共に女王が古墳に埋葬された。

船はオーク材で出来ており、全長22m、幅5mで、9mほどのマストを持ち、帆を張って航行できた。

左右にオール穴が30あり、漕ぐことも出来た。

舵取りオール、鉄の錨を備えている。

船首と船尾は同じ形をしており、船は前後同じように進むことが出来た。

船首と船尾の模様は馴染みのある細長い獣が絡まっているものです。

この船は沿岸航行用らしい。

 

ゴクスタの発掘

これも埋葬船で、王かもしれない男性の遺体があった。

船はオーク材で出来ており、全長24m、幅5mで、マストを持ち、オーセベリよりも大きく遠洋航海もできた。

船の建造は890年頃。

 

トゥーネの発掘

これも埋葬船で、もっとも不完全な形で発見された。

全長は22m程度で、900年頃の建造。

 

 

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< 3. オーセベリのヴァイキング船 1 >

 

上: 入口を入って直ぐに巨大なヴァイキング船が見えた。

 

下: 中央の階段上から同じ船を見た。

 

大きさに圧倒される。

これらの船でノルウエー・ヴァイキングは1000年頃には北米まで到達していた。

これはコロンブスよりも500年も早かった。

彼らの航海能力と旺盛な冒険心が、様々な探検家を生み出し、そしてノルウェーは20世紀中頃には世界の商船隊の10%を保有するまでになった。

 

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< 4. オーセベリのヴァイキング船 2 >

 

船腹のオール穴、舵取りオール、埋葬品の別のヴァイキング船の船首。

 

 

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< 5. オーセベリの副葬品のソリと車 >

 

上: 馬二頭で引かれたこのソリは実際に使用されていた。

本体はブナ材、滑る底板はオーク材です。

 

下: この車も馬で引くことが出来たが、実用的ではなく宗教儀式だけに使われたらしい(キリスト教以前の北欧神への祭儀)。

 

 

 

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< 6. 展示物の補足説明 >

 

上: オスロ・フィヨルドを示す。

赤の文字は遺跡オーセベリ「Oseberg」、ゴクスタ「Gokstad」、トゥーネ「Tune」の頭文字を示す。

この辺りはノルウエー・ヴァイキング発祥の地です。

 

茶色の線は、後に私がフェリーでコーペンハーゲンに向かう航路です。

後にオスロ・フィヨルドの景色を紹介します。

 

中: オーセベリ古墳の発掘。

 

下: ゴクスタ船の再現模型。

 

 

 

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< 7. ヴァイキングの姿 >

 

ヴァイキングは金属製の兜、鉄製の鎖帷子、木製の盾、大型の斧などで武装した。

 

 

 

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< 8. ヴァイキングの暮らし >

 

上: ヴァイキングの暮らし(フェロー諸島)。

農耕を行い、家畜を飼い、石を積み上げ土と草で屋根を覆った家屋に住み、小舟を使う様子が描かれている。

(スカンジナビアの大陸側では木製の家屋)

 

下: ヴァイキングの航海の様子。

 

 

 

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< 9.ヴァイキングの遠征 >

 

如何に広範囲に遠征し、交易していたかがわかる。

 

 

* ヴァイキングとは何か

 

私が35年前、スウェーデンとデンマークを訪れた時、豊かでゆったりと暮らす彼らがかつて荒れ狂ったヴァイキングの末裔とはとても思えなかった。

そして今回、私は三ヵ国のヴァイキング博物館と故地を訪れ、ヴァイキングとは何か、またその末裔とは何かを知ろうとした。

 

ヴァイキングは破壊と略奪を常習とする海賊だったのか?

それとも交易者であり冒険家、はたまた移住者だったのか?

 

スカンジナビアのヴァイキングは農民、漁民であり、この地に多い湖や川、入り江の近くに住んだ。

そして喫水の浅いボートで各地と行き交った。

この地は寒冷で氷河地形の為、作物栽培に適さず、人口の集中が起こらず村が散在するだけでした。

 

やがて彼らは9世記頃から、武装集団化しヴァイキング船に乗り、交易と略奪を始めるようになる。

最初、彼らは海が荒れる冬までに帰って来た。

西に向かったヴァイキングは幾たびもイングランド、パリ、ノルマンディーなどに侵攻し、ヨーロッパを恐怖に陥れた。

やがて遠くはグリーンランド、東に行ってロシアからイスタンブールまで遠征した。

 

彼らは季節的な移動から越年、そして定住した。

11世紀中頃にはヨーロッパへの植民が完了し、後にヨーロッパ王朝の一翼を担うことになった。

この間、スカンジナビア内では国家が誕生し初め、そしてヴァイキングの侵略は鳴りを潜めた。

 

 

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< 10. 倭寇 >

上: 17世紀、倭寇と明官兵(左)の戦い

下: 倭寇の航路。

 

 

 

* なぜヴァイキングが始まったのか

 

実は日本にも東アジアに悪名を轟かした海賊がいた。

北九州西部はかつて倭寇の拠点だった。

倭寇は14世紀から16世紀にかけて朝鮮半島と中国、沖縄などで交易と略奪を行った。

 

倭寇の活動は前半と後半で異なるが、元々彼らは海での交易を生業とした。

やがて朝鮮半島の争乱や中国(宋)の海上交易の禁止で、彼らは密貿易、争い、略奪するようにもなった。

倭寇は日本人だけでなく中国人を含む多民族の集団になっていた。

彼らの子孫から大商人や台湾を奪還する中国側の将軍(鄭成功)が誕生した。

 

なぜ長崎の諸島が、倭寇の拠点になったのか?

それはこの地は朝鮮半島に近く、対馬海流に接するからです。

 

 

それではなぜヴァイキングの遠征が始まったのだろうか?

幾つかの説があり定かではありませんが、倭寇と似ているところがある。

 

紀元前から、スカンジナビアの人々は細長い船を作り、移動と交易を行っていた。

豊富な木材を利用し堅牢な船を作る技術を培っていた。

やがてマスト装備した帆船での遠洋航海が可能になった。

 

一方、8世紀末、ヨーロッパではカール大帝がキリスト教布教を口実に異教の地(バルト海沿岸)への征服を拡大していた。

スカンジナビアの人々は、これに対抗し、また混乱に乗じて略奪するようになったのだろう。

 

 

* なぜヴァイキングは終息したのか

 

一番大きく影響したのは、彼らによるアイスランドや西欧各地への大量の定住化が進んだことだろう(デンマークとノルウェー・ヴァイキング)。

彼らはキリスト教に改宗し、現地で王朝を作り、溶け込んでいった。

 

同時に、スカンジナビアに誕生した王朝もキリスト教に改宗し、西欧と同胞となっていった。

バルト海から東方で活躍したスウェーデン・ヴァイキングは、ドイツの港湾都市を中心としたハンザ同盟の力に押され、その後協調するようになった(この12世紀頃、北ヨーロッパは中世の経済停滞を脱し始めていた)。

 

 

ヴァイキングの末裔を語る時、彼らに残虐性が受け継がれていると言えるのだろうか?

では倭寇の末裔はどうだろうか?

 

結局は、交易を生業とする人々が混乱の中で密貿易や、異教徒や異民族間の対立で抗争に走ったのだろう。

やがて両者は略奪では無く、対等で自由な交易こそが最善策と知ることになった。

 

 

* ヴァイキングが遺したもの

 

現在の北欧、ここ半世紀余りの経済発展と福祉国家への大変身は、ヴァイキングと関りがあるのだろうか?

 

同様に、日本が明治維新後、西洋化を急速に成し遂げ、大発展を遂げたこと侍(サムライ)と関りがあるのだろうか?

結論から言うと、名誉と順応のサムライ文化と言うより、江戸時代に培われた組織労働を大切にする農民文化が、工場労働への以降をスムーズにさせたと言えるのではないか(注釈1)。

 

 

今の北欧を語る時、衰退一方の日本と大きく異なる社会文化があることに気づく。

それは個人を尊重する一方で、法遵守によって社会の維持を図ることです。

逆に日本では、個を犠牲にし、広範な社会に通用する規範を無視してまで首領ドンに従うことです(ヤクザ社会と同じ)。

 

北欧には特徴的な直接選挙の文化があります。

これはノルウェー・ヴァイキングが植民したアイスランドにかつて見られた。

元々、この文化はスカンジナビアに通じるものでした。

既にみたように、大規模な農業社会が出現しなかったことで中央集権化が遅れ、人々は権力者に依存しない社会文化を育てた。

 

その一例が、アイスランドに伝わるサガ(口承文学)に遺されている。

村で犯罪を犯した者が、共同体の集会で「平和喪失」を宣言されることがあった(ゲルマン社会に共通)。

これによりこの犯罪者は共同体を追われるだけでなく、さらに誰が彼に危害を加え、殺しても良いことになる。

 

こうして警察などの権力機構に頼らず、共同体で社会を統制した。

日本では村八分や恥の文化で対応したと言える。

 

これらが今の国民全員によるボランティア参加、高い政治意識、汚職の少ない政治、そして産業界と労働界の協調にも繋がっているのです。

 

また北欧のチャレンジ精神も優れたものの一つです。

 

ヴァイキングが交易を重視した理由の一つに、奢侈品の入手があった。

有力者は航海後、村人に奢侈品などを配った。

これは南太平洋や北米などにもみられる文化です。

異郷の地に大遠征することは彼の名誉を高めることだった。

この精神は今も息づいており、北欧の人々は海外に出ることを厭わず、家族も喝采を送るのです。

 

このことが世界を市場にするオンリーワン企業の多さ、科学技術と教育の重視、IT化(キャシュレス化)の先取りなどに繋がっている。

また半世紀前、西欧では社会主義離れが進んでいる中で、逆に福祉国家へ大きく舵を切ったことにも現れているように思える(他の要因が大きいだろうが)。

 

* あとがき

 

北欧を巡って来て、暮らしやさと生きやすさを肌身で感じた。

だからと言って、精神文化の違いを無視して北欧の体制をそのまま導入することは無理だろう。

 

例えばIT化の為のマイナンバー制度は社会や政府への不信感があり、日本では成功しない。

またスウェーデンでは自殺が多いが、これは尊厳死が多く、日本のように追い込まれての自殺ではない。

これに関連して、北欧の高齢者は福祉制度が整っていても、出来るかぎり自立して暮らそうとする。

 

このような違いを乗り越える方法が、私には見えて来ない。

だからと言って、このまま日本の没落を座視して待つわけにも行かないのだが・・・

 

次回に続きます。

 

 

 

注釈1

「名誉と順応のサムライ文化」は「名誉と順応」著者池上英子より拝借。

 

「組織労働を大切にする農民文化・・」のくだりは「日本社会史における伝統と創造」著者トマス・C・スミスより拝借。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 46: オスロ 5: ノルウェー民族博物館 3


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*1

 

今回は、ノルウェー民族博物館の最後の紹介です。

後半で、19世紀のオスロの街並みを紹介します。

 

 

2

< 2. 19世紀の農家 >

 

上の写真の一群の農家の説明書きは次の写真にあります。

これらは19世紀に建てられていた家屋で、その場所はオスロの南方の峡谷でした。

 

下の写真の小屋は同じ場所にあった14~15世紀の倉庫です。

上の写真の左側に見えます。

 

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< 3. 上記、一群の農家の説明書き >

 

 

4

< 4. 上記の農家の内部 >

 

中央の大きな農家に入ることが出来ました。

中に入ると、写真のスタッフが訪問者に横の桶の用途を説明していました。

豆を貯蔵し、その後何かをする為の容器らしい。

少し質問をしたのですが、残念ながら理解出来ませんでした。

でも彼女は丁寧に対応してくれて、写真撮影にも快く応じてくれました。

 

5

< 5.倉庫類 >

 

上: ノルウェー南部にあった1754年の倉庫です。

扉両側の模様が良い。

 

下: 同じノルウェー南部にあった1800~1850年の乾燥小屋。

乾燥するものが、木材なのか穀物なのかがわかりません。

ノルウェーでは木材は重要な産業ですが、これは窓が小さ過ぎるので穀物用なのでしょうか。

 

 

6

< 6. オスロの古い街並み 1 >

 

この6と7の写真は19世紀後半のオスロの古い建物と通りを再現したものです。

オスロは10世紀頃から重要な都市ではあったが、その木造の古い街並みは幾度も大火災に遭っており、残っていない。

1814年以降、この地が首都になり、今のオスロの都市景観を形作るようになった。

 

 

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< 7. オスロの古い街並み 2 >

 

 

8

< 8. オスロ郊外の家屋 1 >

 

1840年に建てられたオスロ北部の郊外の住居。

家屋は大きく無いが、幾つもの部屋が有り、郊外で自然を楽しみながら暮らしていた様子が窺える。

此処にきて初めて、農業や林業を生業としない暮らしの住まいを見ることが出来た。

 

 

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< 9. オスロ郊外の家屋 2 >

 

 

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< 10. オスロ郊外の家屋 3 >

 

写真の女性はスタッフです。

シンプルなデザインで、無垢の木材を生かした家具が印象的でした。

 

この住居が使われた時期は明治維新の30年前にあたり、今まで見て感じていた素朴で簡素な暮らしのノルウェーは一転、進んだヨーロッパ文化の香りがするようになった。

この時期の市民の暮らしが見えると、今の北欧の躍進を理解するヒントが得られるように思う。

つまり北欧の今の躍進は、半世紀あまりの急激な改革で勝ち取ったのか、それとも徐々に築き上げて来たものなのか?

残念ながら、この野外博物館だけでは分からない。

 

 

次回には巨大なヴァイキング船を紹介します。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 45: オスロ 4: ノルウェー民族博物館 2


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< 1. スターヴ(木造)教会の内部 >

 

今回は、ノルウェー民族博物館の2回目です。

最初に、スターヴ教会の内部を紹介します。

この野外博物館の家屋はノルウェーの自然の厳しさを教えてくれました。

 

 

2

< 2. スターヴ教会 1 >

内部の写真はすべてフラッシュ撮影です。

 

左上: 正面玄関。

右上: 正面玄関の次にある入口。

この両側の柱の模様は北欧ヴァイキング時代からあったものでしょう。

これはツタと長身の獣が絡まった図柄で、スウェーデンのルーン石碑にも見られた。

 

左下: 内部、壁から天井を望む。

 

右下: 正面玄関を望む全景。

屋根が黒いのは防腐の為に塗布したタールの為です。

 

 

3

< 3. スターヴ教会 2 >

 

入って最初に感じたのは、非常に暗く、小さく、そして天井が高いことでした。

西欧の古い教会、ロマネスク建築の教会は、暗い堂中にガラス窓からの光が差し込み、荘厳さがある。

この木造教会にも幾つもの小さな明り取りの穴があるのだが、暗闇に圧迫されそうな感じがする。

逆に言えば、燭台の明かりが一層引き立つのかもしれない。

この空間には、西欧の教会には無い、古代信仰に根差した神域のイメージが引き継がれているのだろうか。

この感覚はスペイン、アルハンブラ宮殿の石材で覆われた薄暗い部屋に入った時にもあった。

 

 

上の写真: 祭壇を正面から見ている。

最後の晩餐らしい絵が正面に飾られている。

非常に質素です。

 

下の写真: 壁と屋根が接する柱の上にそれぞれ人面の彫刻がある。

私には王冠を被った王のように見えるが、不明。

 

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< 4. スターヴ教会 3、Wikipediaより >

 

左: 別の木造教会の平面図。

今訪れている教会と同じで室内は十字架の形をしていない。

 

右: 今訪れている教会の構造図です。

柱上部に人面が見えます。

 

 

5

< 5.小屋 >

 

上: 屋根瓦を見てください。

北欧三ヵ国で見た屋根瓦が非常に日本の瓦と形が似ています。

親しみを感じます。

 

下: 野外展示場の丘から見下ろしている。

 

 

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< 6. 農家 >

 

下の写真は大きな農家、大きな牛舎を持っています。

一方、上の写真は素朴な感じの農家です。

 

 

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< 7.農家と水力小屋 >

 

上の写真の左側に水力小屋が見えます。

それを撮ったのが下の写真です。

この小屋はノルウェーの南部西海岸、ノルウェー海に面するフィヨルドにあったものを再現中のようです。

本来、水車が内蔵されており、動力となる水はこの小屋の左側から右側に流れ落ちるようです。

小屋の作りが面白いので取り上げました。

 

 

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< 8. オスロ郊外北部の農家 >

 

建築が1845年の農家で、内部を見ることが出来ました。

この野外展示場では、内部に入れる家屋は多い。

下の写真はその内部で、左にベッドがあります。

 

 

9

< 9. 少し広い所に出た >

 

上: ここで驚いたのは、中国からの観光ツアーの一団です。

この展示場はストックホルムのスカンセンと違って遊戯施設が無く、民俗家屋の歴史を学ぶ所に特化している。

従って、すれ違う人々の多くは北欧のティンエイジャーを連れた家族や学校の小学生以上の団体でした。

このような場所に、中国の団体観光客が来ているのに驚かされました。

もっとも都市部での観光地で、アジア人の観光ツアーで断トツに多いのが中国で、次いで韓国、そしてわずかに日本かインドでしょう(見た感じ)。

 

下: 畑を囲んでいる柵が見えますが、この斜めに木を並べる形は、ストックホルムのスカンセンと同じでした。

 

 

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< 10. パン焼き小屋 >

 

上: 表示にはパン焼き小屋とありました。

しかし中に入ることが出来なかったので、よくわかりません。

小屋の大きさの割に煙突が大きい。

 

下: これは別の小屋の内部です。

民族衣装を着たスタッフが、暮らしぶりを再現しています。

北欧で共通するようですが、暖炉と竈、暖房と料理は同じ場所で、非常に巨大なものが多い。

場合によっては一戸の家に複数ある。

その割には、この時代の壁の作りは断熱効果が乏しいように思える。

内壁となる丸太の木組みと外壁の板組の間に、断熱材が入れられているかどうかが分からない。

 

 

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< 11. 作業中のスタッフ >

 

私がこの野外展示場で感心したのは、スタッフの親しみ易さです。

作業中の所を背後から撮影すると、二人は振り返り、笑顔で答えてくれました。

この対応は、他の小屋のスタッフにも共通していました。

 

一方、ストックホルムのスカンセンでは、どちらかと言うと冷たい感じがしました。

オスロでは小屋内部のフラッシュ撮影はOKなのですが、ストックホルムでは禁止でした。

 

ストックホルムとオスロを旅していて、国民性の違いを感じた。

オスロの人はノンビリしており優しい感じがしました。

一方、ストックホルムではお年寄りは親切なのですが、概ね就業中の人はピリピリしているようです。

これはアジア人に対してだけの対応なのか、それえともシビアに作業をしているからなのかわかりませんでした。

さらに言えば北欧の中で、スウェーデンは移民問題と格差問題を多く抱えているからもしれません。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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連載中 何か変ですよ 214: 何がより良い選択なのか? 5


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*1

 

今回が連載の最後です。

長期衰退の元凶を解き明かします。

 

2

*2

 

 

*先ず元凶を示し、それがどのように日本を蝕んで来たかを説明します。

 

元凶は「戦後の米国による傀儡化と、その後の自民党と官僚の寄生関係」です。

 

この自民党と官僚の関係は時と共に深まり、やがて日本の教育・司法・メディア・経済界・学会・軍事を包括する巨大な既得権益体制が生まれ、国民は蚊帳の外に置かれてしまった。

残念なことに、日本の国民性がこの政治劣化をさらに強め、社会と経済は再生を困難なほどに歪められ、長期衰退に陥った。注釈1.

 

さらに安倍一党が煽るウヨ化で一層分断が進み、日本は衰退から暴走へと大きく舵を切る。

保守重鎮の西尾や西部は最近になって安倍批判を強め、彼を保守の裏切り者と見做している。

 

劣化していく過程を説明します。

 

  • 敗戦後、戦犯だった岸は米国に拾われ、左派勢力弱体化を条件に米国の資金援助と庇護を受け、自民党をまとめて国政を牽引して行きます。

この日本政府の傀儡化は少なくとも1970年代まで続いたことは米国のCIA公開文書で明らかです。

 

  • 岸と佐藤首相は数度にわたる密約で、国民の目を欺きながら米軍基地と核配備を米国に無条件で提供した(ノーベル賞をもらった佐藤は岸と兄弟で、岸は安倍の祖父で皆同じ血筋)。

この提供は日本の防衛負担を減らすように見えるが、逆に米国と共産圏との最前線、しかも国内にありながら日本が介入出来ない軍事拠点になったことを意味する。

 

  • この後、自民党内閣と官僚は国民と野党の追求を逃れる為に、虚偽発言と公文書隠蔽・改ざんに深入りしていく。

 

ここまでが自民党のボスを通じて日本が傀儡化した前段です(現在も日米合同員会は月2回継続)。

この後、この傀儡化を隠蔽する過程で自民党と官僚の寄生関係は深まり、巨大な権力を握っていきます。

 

先ず米国の指示と援助を受けて自民党の長期支配は盤石になった。

次いで、密約を隠蔽するために自民党と官僚は結束を深めることになる。

この後も米国CIAはリベラル野党潰しの為に資金援助を継続した。

まるで松本清張「日本の黒い霧」で描かれているGHQ時代の闇です。

 

やがて官僚は、ぬるま湯で育った2世3世の自民党議員相手に優位に立ち、政策や予算などを支配し、自省の権益拡大に奔走していく(自民党議員も口利きで噛む)。

こうなると大臣は答弁書を読むだけの飾りになり、行政への責任は無きに等しくなる。

まるで戦中の陸軍と海軍の権益争いが無責任な軍事拡大を招いたのと同じです。

 

3

< 3.沖縄基地、原子爆弾、GDP成長率、政治腐敗度 >

 

*ここまでが安倍政権までの長い劣化の歴史です。

 

現在、安倍の人気は景気堅調もあるが、リベラル嫌悪と排他的愛国(ウヨ)の煽動が功を奏している。

日本のウヨ化は長期衰退への不満が、かつての自民党と官僚への批判から、植民地だった中国と朝鮮半島への反発にすり替えられたことで政府批判は掻き消され、安倍支持は強化された。注釈2.

これにより隣国との協調を唱えるリベラル野党と右傾化を強めた自民党の間の亀裂は強まり、多数を占めた自民党はなりふり構わず無視と強行を続けることになった。

 

安倍内閣は、ついに開き直って堂々と白を切るようになった。

既に大半のメデイアが御用化し、既得権益体制が総がかりで政権を擁護するなら、国民の目を眩ますことは容易です(トランプのようにフェイクを数多く流せば真実は見え難い)。

 

このような権益維持に奔走する自民党と官僚の政治が続く限り、真に国民の為の政治が行われるはずもなく、国民は米国友好と見せかけのパフォーマンスでごまかされることになる。

 

 

*ここで政治の劣化による具体的な弊害を見ておきます。

 

  • 学校教育は自主性のない、政治に関心を持たない生徒を育てた。

これが現状の不毛な政治を助長している。

かつて西欧の植民地でもこの手の教育が行われたが、現在、北欧の学校では生徒は政治や社会に積極的に関わり、当然、政治腐敗はなく、労使協力が得られ経済の好循環が生まれている。

 

  • 地方自治は中央頼みで自ら活性化出来ない。

これはシャウプ勧告が発端だが、中央官庁が地方の税の分配権を握っていることによる。

一度手に入れた権益を中央官僚も国会議員も手放さない。

 

  • 日本の裁判所は憲法判断を避け、政府寄りの判決を行う。

この発端は戦後直ぐの砂川事件(米軍基地訴訟)だが、その後原発などでも繰り返されている。

 

  • 政府・官僚に忖度するマスコミ。

これは記者クラブなどの取材慣行もあるが、最近の自民党からの露骨な圧力が一層酷くしている。

 

  • 極め付きは官僚が支配する巨額の特別会計451兆円(2018年度)で一般予算98兆円を遥かに上回る。

この実態は掴めないが、3000社もある天下り先、かつて年金福祉事業団のリゾート施設が二束三文で売られたこと、GDPが550兆円であることを考えれば如何に巨大で危ういものかかがわかる。

 

 

*結び

見てきたように日本は先進国の体を成していない。

民意がフィードバックされることもない(選挙制度と三ばんが歪めている)。

経済政策はせいぜい議席確保につながる既得権益擁護と米国の圧力か模倣に過ぎない。

軍事は米国の意向に逆らうことが出来ない。

 

これでも皆さんは、現政権にすがるしかないと考えるのでしょうか。

少なくとも政権の嘘・隠蔽と腐敗を見過ごすことだけは止めるべきです。

 

来訪に深く感謝します。

これで、この連載を終わります。

 

 

注釈1.

ここで災いとなった国民性は主に村社会-古い農耕民族に残る、組織への盲目的な忠誠心、によるものです。

この国民性は権力者の腐敗・専横の阻止、個人の権利と法の理念(正義)の順守よりも、組織の利益と権力者の意向を重視します、例え後ろめたさを感じていても。

 

注釈2.

本来保守は母国への愛(現体制への執着)が強いことにより、過去や歴史を礼賛(盲愛)することになる。

しかし、そのことが周辺諸国を敵視することに直結しない(西欧の極右は移民を敵視するが、隣国を敵視していない)。

 

今の日本のウヨは、歴史上繰り返された浅薄なポピュリズム(ファシズム、ナチス、現在西欧の極右、トランプ)と同じです。

社会に不満が鬱積し、かつ解決策が断たれたと感じた人々は、安易に単純明快な解決策に飛びつく。

そして強権的なカリスマ指導者の登場、そして彼は憎むべき敵を明示し、支持者の団結と闘争心を煽る。

まさに、今これが再来している。

 

少し考えれば、可笑しいことはわかるはずです。

日本の保守は、かつての日本の戦争は正義だとし、自尊心を満足させます。

その根拠に、よく「米国が仕掛けた罠に日本がはまり開戦せざるを得なかった」が挙げられます。

憲法も押し付けだから、自主憲法が当然だと言います。

これほど米国をコケにしておきながら、一方でまったく米国追従なので自尊心のかけらもない。

過去の南ベトナム政府よりも酷くは無いが、初期の自民党政権の傀儡化を知っていながら皆口をつぐみ、治外法権を許す地位協定(国家主権放棄)をいまだに後生大事に守っているのですから。

 

またウヨの言う中国と朝鮮半島憎しにどんなメリットがあるのでしょうか?

確実に攻めて来るのなら冷静に防衛策か懐柔策を講じれば良いだけです。

過去を批判されるから腹いせに罵る、これでは互いに敵愾心を煽るだけで、これこそ何かを切っ掛けに戦争が始まらないとも限らない(数々の戦史が示しています)。

結局、米国の思う壺であり、憎しみが権力集中に利用されているとしか思えない。

 

 

参考文献

 

日本関係

  1. 「日本が自滅する日」石井 紘基著。
  2. 「知ってはいけない1と2」2冊、矢部 宏治著。
  3. 「日米同盟のリアリズム」小川 和久著。
  4. 「どこへ行くのか、この国は」村田 良平著。
  5. 「戦後史の正体」孫崎 享著。
  6. 「没落するキャリア官僚――エリート性の研究」中野 雅至著
  7. 「国家の命運」藪中 三十二著。

 

米国関係

  1. 「暴露 スノーデンが私に託したファイル」グレン・グリーンウォルド著。
  2. 「CIA秘録上と下」2冊、ティム・ワイナー著。
  3. 「日本は略奪国家アメリカを棄てよ―グローバリゼーションも共同幻想も必要ない」ビル・トッテン著。

 

隣国関係

  1. 「中国 新たな経済大革命」肖 敏捷著。
  2. 「韓国人に生まれなくてよかった」武藤 正敏著。

 

戦争関係

  1. 「逆転の大戦争史」オーナ・ハサウェイ共著。
  2. 「文明の衝突」サミュエル・ハンチントン著。

 

北欧関係

  1. 「世界政治叢書3 北欧・南欧・ベネルクス」津田 由美子共著。
  2. 「エリア・スタディーズ デンマーク、スウェーデン、ノルウェーを知るための・・章」3冊、明石書店刊。
  3. 「北欧モデル」翁百合共著。

 

経済関係

  1. 「国家債務危機」ジャック・アタリ著。
  2. 「ドイツ帝国の正体」イエンス・ベルガー著。
  3. 「国家はなぜ衰退するのか上と下」2冊、ダロン・アセモグル共著。
  4. 「世界を破綻させた経済学者たち」ジェフ・マドリック著。
  5. 「世界経済を破綻させる23の嘘」ハジュン・チャン著。
  6. 「金融政策の誤解」早川英男著。
  7. 「1970年体制の終焉」原田 泰著。
  8. 「日本国債入門」永野 学著。
  9. 「国家は破綻する 金融危機の800年」カーメン・M・ラインハート共著。

 

 

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連載中 何か変ですよ 211: 何がより良い選択なのか? 2


無題2

*1

 

 

「日本国民は何を信じ、何を待っているのか?」

好景気か、はたまた福祉社会か?

それとも果てない繁栄か?

私には見えない。

 

無題5

< 2. 1年前と今の株価はどのように見えるのか? >

 

 

皆さんはどう思いますか?

 

2.    どうしたら暮らしは良くなるのか?

 企業に溢れるほどのお金を回すべき

賛成: 企業が潤ってこそ、設備投資と給料支給が出来る。

反対: 労働者(国民)は給料が無いと企業の商品を買うことが出来ない。

 

注釈

まるで「鶏が先か、卵が先か」の問答です。

一見難解に見えるが現状起きていることは単純で、むしろその先が問題です。

 

それでは日本政府は何をして、その結果何が起きているのか簡単に見ます。

本来、20年も続くデフレが解消され、インフレと好景気が訪れるはずでした。

 

1.日銀は、この5年間で市中銀行から国債を購入し、政府発行残高の40%440兆円を買った。

 

A.これによって銀行にだぶついた低金利のお金に、企業が飛びつき設備投資を行い、国内の生産を増加させる。

しかし日銀の供給したお金の多くは投機に回り、株価や不動産価格の上昇に繋がっただけで設備投資はここ数年少し増えただけ(欧米も似たもの)。

 

B.国内のだぶついたお金は円安を招き、輸出企業の業績を向上させる(円安は他の要因が大きい)。

円安で輸出企業(大手)は潤い、海外の観光客も増えたが、逆に輸入物価の上昇で輸入企業、国民の台所、企業の原料調達は苦しくなった(原油安だけが救い)。

 

C.同時にインフレが起き始め、国民は消費を前倒しさせ景気が勢いづく。

しかしインフレは起きなかった。

 

 

2.政府は予算増額(軍備)と規制緩和(労働)、一部の減税(富裕層)と支出カット(福祉)を行い、日銀と一緒になって株購入を行った。

( )は特に目立った部分。

 

 

全体の狙い: 最大の狙いはお金のばら撒き(財政出動と金融緩和)、次いで自由競争を促して景気を良くすることで、借金体質の改善も少しある。

 

総合結果: 円安と株価上昇、減税、規制緩和で主に大手輸出メーカーと投資家、富裕層は潤った。

また失業率が低下し、かろうじてGDP成長率零から脱した。

 

しかし、この間にマイナス面も際立つようになった(予想通りでした)。

D.国民(労働者)の賃金と家計消費支出は長期に低下している。

E.格差拡大(再配分前のジニ係数、貧困率)、家庭の食費増大(エンゲル係数)、低賃金の非正規割合の高止まり。

F.現在バブル崩壊が起きつつあり、場合によってはリーマンショックを上回る金融危機に見舞われる。

 

皆さんはどう評価しますか?

 

現状を好感し、将来に期待する人はプラスに評価するでしょう。

一方、現状をプラスマイナスゼロと見なし、悪化に危機感を抱く人はマイナスに評価するでしょう。

 

一つ明確なことは、バブル崩壊が始まれば、過去半世紀の経緯から見て巨大な金融危機が起こり、これまで10年間の繁栄が吹っ飛ぶだけでなく、むしろ深刻な不況が長く続くことになる。

前回のリーマンショックに比べると、日中米英の貨幣供給量が並外れて大きく、中国経済の崩壊、支離滅裂なトランプが加わり、危機を最大化させる可能性がある。

特に日本は世界初レベルの金融緩和を行い、米中経済と関りが深い為、これまでにない不況に陥る可能性がある。

 

 

一言

ここで「鶏が先か、卵が先か」に答えます。

 

ケインズがそれまでの供給から需要を優先すべきとして成功した20世紀前半の米英の政策転換がヒントです。

鶏は企業、供給であり、卵は労働者、消費需要だと理解すれば答えは明瞭です。

つまり、この数年間のアベノミクスは1980年代以降の世界をデフレ、高失業率、格差拡大に陥れた金融優先と自由放任主義の物真似に過ぎない。

 

見え難いが将来禍根を残す問題とは何か?

 

一つは円安で旧態産業の延命を図ったこと。

その上で、離職時の支援と賃金低下の歯止めを行わず、労働者の流動性だけを高めたこと。

本来、経済先進国は自国通貨高に応じて、産業構造の革新とそれに並行して労働者の流動性を高めるべきでした(かなり困難だが北欧は成し遂げた)。

移民の問題も同様に片手落ちで、欧米のように将来禍根を残すことになる。

 

結局、このままでは日本では既得権層が優遇され、多くの国民は疲弊して行く末路にある。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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連載中 何か変ですよ 210: 何がより良い選択なのか?


 

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*1

 

 

「日本国民は何に不安を感じ、何を頼りにしているのか?」

私には見えてこない。

戦争か平和か、または繁栄か金融危機か、左右から罵り合う。

何が国民にとってより良い選択なのか?

 

 

無題

*2

 

 

皆さんはどう思いますか?

 

  1. どうしたら戦争や侵略を防げるのか?

軍備を増強するべき

賛成: 小国は侵攻され易い。

反対: 大国と軍拡競争をしても無駄、むしろ敵愾心を煽る。

 

注釈 

繰り返される米ロ(ソ連)の軍事侵攻を見ていると、小国の悲哀は今なお現実です。

これら侵攻の多くは、民族や宗教対立で混乱している小国への大国の領土・資源・覇権争いと言えるでしょう。

また軍拡競争と軍事同盟の果ての大戦が二度も続き、これも深刻です。

 

一方で、不戦条約締結(1929年)以降、世界が一緒になって暴虐な国々の世界制覇を多大な犠牲を払って食い止めました(米国の力は大きいが、その後変節している)。

 

日本にとって確実な戦争回避策はあるのか?

 

例えば沖縄の基地をどう評価するのか?

沖縄は米国の中国への前進基地として防波堤の役割を担うのか、それとも最初の激戦地となり、日本も火の海になるのか?(沖縄は、以前より米国のアジア侵攻の発進地として使われているので、最初に攻撃されるだろう)

沖縄よりもグアムやハワイの方が、米国や日本にとっても戦略上優位なのではないか?(あまりにも日本と米国の本土から離れている)

 

北朝鮮の軍事緊張にしても、今回の一連の動きで判明したように米中次第であって、日本の役割は少ない(蚊帳の外で騒ぐだけだった)。

北朝鮮に睨みを利かすのは空母などの機動部隊がいる佐世保が最重要です。

 

結局、回避策は日本と米国、中国、ロシアの状況を的確に評価出来るかにかかっている(日本は過去に大きな見誤りを繰り返しており、いまだに反省していない。今度こそ島国を言い訳にしないでほしい)。

 

要は侵略する国、軍事同盟、抑止力、日本の立場―国際的と地政学上(大陸に近い島国)、をどう評価するかです。

少なくとも日本は小国では無く、今後米中の覇権争いは熾烈を極め、中国経済は益々巨大になり、やがて日本は米国依存一辺倒ではすまなくなるだろう。

 

ここ1世紀半の世界の流れを振り返ると日本の動きが見えてくる。

19世紀後半以降、英国の覇権は衰えて、米国はやがて断トツ一位の経済大国になって行く。

第一次世界大戦はドイツの経済が英国を抜きヨーロッパで一位になる時期と重なった。

また第二次世界大戦は、日本が経済の規模こそ及ばないが急伸し、軍事同盟先を英国からドイツに替えて始まった。

この間、米国は軍事でも世界第一位となり、日本は敗戦占領を期に米国に完全に追従することになった。

 

 

一言

ここ半世紀あまりの世界の戦争をみると、幼児帰りしているように思える(不戦条約締結以前に戻る)。

侵攻される小国に紛争や混乱などの火種があることもあるが、大国は一方的な口実を持って侵攻する。

その口実を、かって世界平和の為だったが、今は戦争の芽を摘むとして自己防衛と称している。(初期には当事者に大量の武器を売る一方で、やがて都合の悪い政府を潰し、それを傀儡政権に替え、挙句に侵攻して破壊する。特に米国。)

これはかっての戦争と何ら変わらない、いつの間にか中世から原始社会に戻ったようです。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 34: ストックホルム中世博物館


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< 1.謎の彫像 >

 

 

今回は、ストックホルム中世博物館を紹介します。

ここでガムラ・スタンの歴史がわかるはずです。

 

 

 

 

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< 2. 徒歩ルート、上が北 >

 

ドロットニングホルム宮殿からの戻りのボートを降りて、ストックホルム中世博物館まで歩いたルートを示します。

矢印がボート下船位置、四角印が博物館、青の破線が徒歩ルートです。

 

写真は2018年6月3日、12:20~13:00に撮影したものです。

 

 

 

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< 3. 右手にガムラ・スタン >

 

進行方向右手、川向かいにガムラ・スタンの大聖堂の鐘楼が見えます。

 

 

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< 4. 左手にクララ教会 >

 

進行方向左手、通りの奥にクララ教会の鐘楼が見えます。

 

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< 5. 国会議事堂が見える >

 

上の写真: 国会議事堂。

 

下の写真:国会議事堂前の幅の狭い川を東に見ている。

ガムラ・スタンへ北側から渡るには5本の橋があり、写真の橋はちょうど真中にあります。

 

 

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< 6. 国会議事堂に行く橋の前 >

 

上の写真: 後方右手を少し振り返ると、リッダーホルメン島の教会が見える。

 

下の写真: この橋を渡ると、国会議事堂を抜けて、ガムラ・スタンに入る。

 

実は、巻頭写真の彫像は、この撮影地点の右手、交差点の角にあります。

これはどうやら物乞いをする狐のようです。

意味不明だが、ユニークです。

 

 

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< 7. グスタフ・アドルフ広場 >

 

上の写真:  グスタフ2世アドルフの像が見える。

三十年戦争を戦ったスウェーデン王国最盛期の国王。

右手奥に、王立オペラ劇場。

 

下の写真: この広場の前から橋を渡って、ヘランズホルメン島に入ります。

その橋の上から東側を望む。

 

 

 

 

 

 

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< 8. 中世博物館へ向かう >

 

上の写真: 橋を渡りきって、島の中央に来るまでに、道の左側から階段を降ります。

 

下の写真: この階段を下ります。

 

 

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< 9. ストックホルム中世博物館 >

 

上の写真: 降りたら左手に公園があります。

 

下の写真: 降りて道路下の右側を見ると、目立たない入口が見ました。

これが博物館で、ここは入場無料です。

 

 

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< 10.博物館の展示物 >

 

上の写真: 借用した写真。

これはストックホルムの遺跡そのもののようです。

それを保存する形で、このような道路下の博物館になったようです。

展示館としては大きくありませんが、ストックホルム(ガムラスタン)の中世の変遷や人々の暮らしを下の写真のように再現しています。

 

 

 

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< 11. ガムラ・スタンの変遷 >

 

 

私はこの一連の模型と絵に最も興味を持ちました。

 

上の写真: 中世のガムラ・スタンの再現模型、左手が北です。

 

真中の2枚の写真: 島の中世時代の変遷模型。上が北側です。

実は模型は合計5体あって、変遷がわかるようになっていますが、その内、二つを抜粋しました。

左側が最も古く、13世紀半ばの砦の誕生期を示しているようです。

 

右手は新しい方のものです。

共に島の右上方に砦が見え、その左下に建物が見えます。

これは現在の王宮と大聖堂の位置に相当するのでしょう。

初期、島の中央部だけが壁らしいもので覆われており、その外には砂浜と桟橋があった。

桟橋が南側に多いのは、鉄の広場(荷上場)が南側にあるためでしょう。

 

時が経つにつれ人口が増え、等間隔に櫓が配された城壁が島全体を囲むようになった。

さらに白線で描かれているような現在の大きさにまで周辺が埋めらていった。

この間、博物館にあったのレンガ積みの遺跡のように、当時のものは地下3mほどに埋もれてしまった。

 

下の写真: 中世ガムラ・スタンの再現図。右手が北側です。

 

 

ストックホルムはヴァイキング時代後200年を経て、このメラーレン湖の東端に、ドイツのハンザ同盟と結びつきながらバルト海交易に乗り出した(ヴァイキング時代後期はハンザ同盟と競合し交戦相手でもあったのだが)。

これがストックホルムがここに誕生した理由なのでしょう。

ガムラ・スタンがバルト海から数十km内陸部にあることは、模範としたハンザ同盟の盟主リューベックが河口から10km内陸部にあることと不思議に似ている(北ヨーロッパの交易都市は川を遡上した所に多いようです)。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 28: ガムラ・スタンを歩く


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今回は、ストックホルムで最も楽しみにしていた旧市街ガムラ・スタンを紹介します。

この街は戦争による破壊を逃れた為、中世の街並みが残っています。

 

 

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< 2. ガムラ・スタンの散策ルート、上が北 >

 

今回紹介するのは王宮入り口のSから地下鉄駅SlussenのEまでです。

赤線が歩いた路で、黄色線は入館したことを示します。

Cは大聖堂、Mは大広場、Pは小さな広場です。

 

写真は2016年6月2日(土)14:30~16:20のものです。

 

この島は直径600~700mほどの大きさで、私が歩いたところはその中心部に過ぎません。

それにしても、かつてのスウェーデン帝国(17世紀)の首都の中心部にしては小さ過ぎる。

ここにスウェーデンの歴史が凝縮されているはずです。

 

 

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< 3. 王宮に入る >

 

私は王宮の南側の坂道に面した入り口から、王宮に入りました。

中に入ると左右に2階に上る階段があり、右(東側)に上るとチャペル(下の写真)、左(西側)に上ると大きな会議室に行きます。

 

上の写真: チャペルの入口側から会議室の入口を見ています。

その下の階には宝物庫がありますが、入りませんでした。

会議室に入り、右に進むと王族の居室に入って行きます。

 

 

 

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< 4.王族の居室 >

 

下の写真: 2階から1階に下りる階段。

ここから正面玄関(西側)に出ました。

 

 

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< 5. 王宮の玄関前より >

 

下の写真: 大聖堂の鐘楼が見える。

 

 

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< 6. 大聖堂 1 >

 

上の写真: 大聖堂の前から西側を望む。

 

下の写真: 大聖堂の内部。

奥に祭壇と説教壇が見える。

 

 

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< 7. 大聖堂 2 >

 

上の写真: 正面入口側。

 

中央の写真: 木彫りの像「セント・ジョージと龍」。

 

これは素晴らしい像ですがそれだけではなく、ストックホルムと北ヨーロッパとの関わりを教えてくれます。

 

この像の作者はハンザ同盟が最盛期を迎えた14~15世紀に活躍したバーント・ノトケ(1435?-1509)で、この時代の北ヨーロッパで最も活躍したドイツの画家・彫刻家でした。

彼の作品で有名なものは、この像と髑髏が描かれた絵「死の舞踏」で

リューベックとタリンの教会にあった。

これら作品がある三つの都市は、すべてハンザ同盟に属す港湾都市で、リューベックはそのリーダーで北ドイツにあります。

 

つまり、ガムラ・スタン(スウェーデン)はハンザ同盟(ドイツが中心)と深く関わることによってバルト海・ボスニア湾・フィンランド湾の交易を通じて経済発展を成し得たのです。

その前のヴァイキング時代の東方交易が役立ってはいたのですが。

 

 

下の写真: タリンにあるノトケの「死の舞踏」。

この絵は黒死病に見舞われたヨーロッパの絶望をよく現わしており、この心情がやがて宗教改革に向かう原動力の一つになった。

北欧も黒死病に見舞われている。

 

 

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< 8. 大広場 1 >

 

西欧の大都市の広場、さらに他の小国の首都と比べてもやはりこの広場は小さい。

この旧市街は海と湖に挟まれた小さな島に、13世紀、城壁を持った都市として始まった。

 

「北欧3ヵ国を訪ねて 13: 戦争と平和」で書いたように、この大広場で起きた16世紀初めの「ストックホルムの血浴」を契機にして、スウェーデンはデンマークからの独立と帝国への道を歩み始めることになる。

 

小さいながらも、この地はやはり政治の中枢だった。

 

 

 

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< 9. ストックホルムの変遷 >

 

上の写真: 1570-1580年頃。

中央に王宮と大聖堂が見える。

この絵は北側からガムラ・スタンを見ているのだろう。

つまり左側がバルト海に通じる。

この時期、島以外はまだ未発展だった。

 

中央の写真: 1690年頃。

現在のストックホルム中心部が右側で、左側はセーデルマルム島でしょう。

つまり手前がバルト海に通じる。

 

この時期、スウェーデン帝国は繁栄の頂点にあったが、1700年から大北方戦争に突入し、ロシアに敗れ、1721年から没落が始まった。

 

二つの絵から百年の間にガムラ・スタンの両側は大きく発展していることがわかる。

 

 

下の写真: 時期は不明。

上の絵とちょうど逆の方向、西から見ているようです。

手前側がメーラレン湖側です。

 

 

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< 10. 大広場 2 >

 

下の写真: 奥に大聖堂の鐘楼が見えます。

右手の建物はノーベル博物館で、ノーベル賞の歴史などの展示があります。

 

 

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< 11. 小路 >

 

大広場からドイツ教会周辺の小道。

右下の鐘楼はドイツ教会のもので、ハンザ同盟の商人(多くはドイツ人)が1634から1648年にかけて建てたものです。

ハンザ同盟の各港湾都市では、ドイツ商人がその都市内に自らの社会を築き、教会を作った。

 

 

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< 12. 憩いの場>

 

これは地図のPで示され、二つの小路が交わって出来た三角形の広場です。

この賑わう旧市街にあって、ここは住民が憩う場所になっている。

 

石畳の広場に植えられた大きな木が木陰を作り、風が今にも吹き抜けていきそうです。

ヨーロッパの旧市街、例えばスペインのトレド、南仏のエクサンプロバンス、エストニアのタリンにもあるような片隅の広場なのですが、実に良いですね。

 

実は、ここは火災で建物が壊れた折、馬車の旋回スペースとして空き地にされたようです(1728年)。

 

 

 

 

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< 13. さらに南下する >

 

 

 

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< 14. 鉄の広場 >

 

ここは南の端にある広場で、昔、港に運ばれた鉄をこの広場に保管しておいたことからこの名前が付いた。

 

実は、この鉄こそがスウェーデンの産業発展を促し、またガムラ・スタンを首都にすることになった。

 

今もスウェーデン鋼は有名ですが、この国の鉄採掘の歴史は古く、鉱山はストックホルムの北西100から300kmの範囲に広がっていました。

そして鉄は広大なメーラレン湖を通じて国内外と交易されました。

ヴァイキング時代が終わりバルト海が安全になった13世紀頃、ハンザ商人が鉄を求めてストックホルムに多く寄港するようになりました。

 

これに呼応してスウェーデン王は、それまでの内陸部の首都から、バルト海への輸送に適したガムラ・スタンに拠点を移したのです。

 

旅行前、なぜ防衛上脆弱なガムラ・スタンが首都になったのか、私には不思議でした。

これが外国勢力から急襲されればひとたまりもないこんな小さな島に、わざわざ内陸部から拠点を移した理由だったのです。

 

そして一時はハンザ同盟と繁栄を共有したのでした。

 

 

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< 15. ガムラ・スタンの眺め >

 

上の写真: ガムラ・スタンを南側から見ている。

 

下の写真: 中央に地下鉄駅Slussenが見える。

 

私はこの駅から真直ぐホテルに戻りました。

疲れた1日でした。

 

 

* 6月1日と2日、ストックホルムとガムラ・スタンを歩いて

 

当初はガムラ・スタンをもう少し丁寧に見る予定でしたが、疲れもあり、真直ぐ南北を歩き抜けただけでした。

それでもおおよそ半分以上は見ました。

 

街並みは思っていたより古さ、郷愁のようなものを感じませんでした。

修復が良く行われているようです。

また街並みの建築には特別なデザインや目立つもの(バロック、アールヌーボー、北欧独特の様式など)を見かけることもなく、少し拍子抜けでした(あれば良いわけでもないが)。

 

それでも1日のシグツーナとストックホルム郊外、2日のストックホルム中心部、ユールゴーデン島、ガムラ・スタンと歩き、また自然歴史博物館、歴史博物館、北方民族博物館、ヴァーサ―号博物館、スカンセンを見学して、少しはスウェーデンの歴史や自然、社会や人々が見えて来たようです。

 

この2日間は驚きと発見の連続で、また様々なハプニングの洗練を受けた。

これがまた楽しいのですが、観光予定はズレるばかりです。

 

まだまだこの旅で最強のトラブルと発見の喜びを味わうことになります。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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沼島を訪ねて 3


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今回は、沼島一番の観光名所、上立神岩への道を紹介します。

この岩は国生み神話と深く結びついています。

 

 

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< 2. 散策マップ、上が北 >

 

赤線が前回紹介した沼島庭園から上立神岩までの道です。

右側二つの赤丸が上立神岩を見るポイントです。

黄色矢印の上側は上立神岩で、下側は平バエ(岩礁)です。

ピンク線と黄線は沼島八十八霊場巡りの一部で、今回歩いた道です。

 

今回紹介するのは赤線とピンク線です。

左側の赤丸はおのころ神社です。

茶色線は漁港沿いの道で、左の黒丸は海水浴場、右の黒丸は昼食をとった食事処「水軍」です。

 

 

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< 3. 谷間の一本道を行く >

 

正面と左側に見えるのは沼島中学校と小学校です。

道に沿って小川があり、その流れは奥の池から始まっていました。

 

 

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< 4. 沼島緑地おのころ公園 >

 

ここに池があります。

この辺りはちょうど二つの山が寄り添い、その間の一本道が反対側の海岸にある上立神岩まで導いてくれます。

 

 

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< 5. 上立神岩の見晴台 >

 

上の写真: 今、登って来た1本道を振り返った。

 

下の写真: 見晴台。

左に延びる小道をさらに上ると上立神岩を見下ろす別の見晴台に行けます。

それが次の上の写真です。

 

 

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< 6. 上立神岩と下り坂 >

 

下の写真: 見晴台を最高地点にして、後は急な坂を海岸まで下って行きます。

遠くの海上に平たい岩礁が小さく見えます。

これが平バエです。

 

 

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< 7. 険しい海岸 >

 

 

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< 8. 降りた海岸線から >

 

上立神岩は高さ30mあり、国生み神話の大地を掻き混ぜた天沼矛(あめのぬぼこ)や天の御柱とも見立てられている。

 

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< 9. 沼島八十八霊場巡り 1 >

 

先ほどの見晴台までの一本道を少し戻り、枝分かれした道を左に入ると、山の稜線を進むことになります。

これが沼島八十八霊場巡りの道です。

 

上の写真: あまり人が通らない道のようです。

始めは鬱蒼とした森の中の坂道を上ることになりました。

 

下の写真: 道沿いにあずまやが造られています。

休憩は出来ますが、木立が延びて見晴らしはあまり良くなかった。

 

 

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< 10. 沼島八十八霊場巡り 2 >

 

このような見晴らしの良い道もありますが、繁茂した木々が両側から覆いかぶさるようなところもあります。

この道で人に出くわすことはなかった。

 

下の写真: 遠くの山影は紀伊半島でしょうか。

 

 

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< 11. 眼下に平バエが見える >

 

この平らな岩礁の平バエで毎年、旧暦の3月3日に沼島の漁船が大漁旗を立てて終結する平バエ祭りがあります。

海上安全と大漁を祈願する祭りです。

 

下の写真: 平バエ祭りの様子。

写真左隅に上立神岩が見えます。

http://nushima-yoshijin.jp/festivalから借用しました。

 

 

* 上立神岩と平バエについて

 

古事記に

「イザナギとイザナミは天の浮橋から矛を降ろして地を求めた。 」

・・・

「イザナギとイザナミはそのオノコロ島に降り立って、大きな神殿(八尋殿ヤヒロドノ)を作り、柱(天の御柱)を立てました。」

とあります。

 

沼島では古くから、上立神岩はこの矛か御柱で、平バエは神殿と見做されており、このことが沼島こそが「おのころ島」だとする根拠になっているようです。

 

実にロマン溢れる素晴らしい自然の造形です。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 25: スカンセン(野外博物館) 1


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これから数回に分けて、スカンセン(スウェーデンの伝統的な建物を移築した巨大なテーマパーク)を紹介します。

多くの家族連れや観光客で賑わっていました。

写真は2018年6月2日(土)、11時半から12時までの撮影で、快晴に恵まれました。

 

 

 

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< 2.スカンセンの地図、上が北 >

 

黒線はトラム、赤線は今回紹介する徒歩ルート、緑線はエスカレーター、オレンジ枠は今回紹介する農家です。

 

 

* スカンセンについて

 

1981年に開園した世界初のこの野外博物館には、スウェーデン全土から移築された160以上もの代表的な家屋や農園が点在しています。

広大な園内(直径600mの木々に覆われた丘)には動物園や水族館、様々な工房街やミュージアムショップもあり、大人も子供も楽しめるテーマパークです。

 

私はここで北欧文化の基層、昔の生活の一端を見ることを楽しみにしていました。

私はスウェーデンだけでなく、ノルウェーとデンマークにある同様の博物館も訪れたました。

それらから3ヵ国の相違、建物の構造や生活、展示方法などの違いに気づくことも出来ました。

 

 

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< 3.停留所Nordiska Museet/VasamuseetからSkansenまで >

 

ヴァーサ―号博物館を出てもう一度、北方民族博物館の前に出てトラムに乗り、スカンセンで降りた。

この間、バスもあります。

実は記憶が定かでは無いのですが、降りたのは大通りにある下の写真のトラム停留所だったと思う。

スカンセンのゲート前にも停留所(バスやトラム)はあったと思うのだが。

 

 

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< 4. スカンセンの入場ゲート >

 

上の写真: 入場ゲート。

 

下の写真: ゲートから入場して、少し上った平坦部から振り返ったところ。

 

 

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< 5. いよいよ野外展示場へ >

 

上の写真: 平坦部を奥に進むと大きな岩をくり貫いた入り口が見えます。

中にあるエスカレーターに乗り、さらに丘の上に行きます。

 

下の写真: 丘の上に出て、今来たゲート側(南側)を見下ろしている。

 

 

 

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< 6. 伝統家屋 1 >

 

最初に見た伝統家屋群。

この辺りは下り坂の周囲に当時の民家やショップが集まっている。

家庭菜園も再現されている。

 

 

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< 7. 伝統家屋 2 >

 

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< 8. 伝統家屋 3 >

 

ちょうどショップから出てきた女性。

この方は係員なのでしょう。

この野外博物館には、所々に説明や作業の模擬の為、また店員としてこのような衣装を着ている女性がいました。

 

 

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< 9. 伝統家屋 4 >

 

この二つは屋敷や公的な建物などで、民家ではないようです。

 

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< 10. 伝統家屋 5 >

 

これら建物には入れるものとそうでないものがあります。

また入れても、デモや説明をしている建物は限られています。

建物には、建築年代や建築地、使用目的などが書かれた看板がある場合もあります。

 

下の写真: 1810年代に建てられた商人の邸宅です。

北欧の赤壁の家を見るのを楽しみにしていましたが、ここにはたくさんありました。

 

 

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< 11. 農家 1 >

 

上の写真: 邸宅の庭園だろう。

 

下の写真: 中で説明が行われていた農家。

地図でオレンジ枠のあるところです。

 

この境界を囲む柵の形は北欧3ヵ国に共通していました。

 

 

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< 12. 農家 2 >

 

この一群の建物は、ノルウェーとの国境に近いスウェーデン中央部Härjedalen、ストックホルムから北西に約400km行った標高500mの高原地帯にある農場を再現しています。

この地の主な生業は牛の繁殖で、土壌は貧弱だったので大麦を栽培し、林業も重要でした。

周囲の森には熊、狼、ヘラジカが生息しており、冬は雪に覆われます。

 

建築材は全てが木材と言えます。

壁は構造体であり、いわゆる木組みのログハウスです。

屋根材も分厚い木材を縦に並べ、その下に白樺の樹皮らしいものが敷いてありました。

断熱の為のレンガや土壁の使用は無かったが、室内にある竈は大きく、暖炉も兼ねているようです。

 

 

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< 13. 農家 3 >

 

これらは牛などの厩舎なのでしょう。

今考えれば不思議なのですが、周辺に狼がいるのに、上の写真の厩舎の入り口は簡単な柵だけでした。

 

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< 14. 農家 4 >

 

建材から家具、生活用品なども多くは木製です。

北欧の人々が、木工製品に優れている理由がわかります。

 

下の写真: この左端にほぼ天井に迫る大きな暖炉があります。

ここは食堂兼居間なのでしょう。

 

 

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< 15. 農家 5 >

 

上の写真: 部屋に入ると、観光客の前で写真の女性が何かの家事作業のデモをちょうどしているところでした。

この部屋は煮炊きが出来る竈があるので作業場兼台所なのでしょうか?

しかし調理場らしいものが見当たらなかった。

この竈の右横に薪が積み上げられていた。

このメインの一軒の数部屋の内、二つの部屋に暖炉(竈)があった。

 

私は知らずにフラッシュを使い、彼女から禁止だと注意を受けて、一瞬笑いが起きました。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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沼島を訪ねて 2


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今回は沼島の中心部、漁村にある神社を紹介します。

なぜか小さい島に神社が多い、そこには沼島ならではの歴史があります。

 

 

 

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< 2. 散策ルート、上が北 >

 

下の地図: 赤線が今回紹介する散策ルートで、Sは高速艇乗り場です。

赤丸は上から厳島神社、沼島八幡神社、梶原五輪塔、沼島庭園を示します。

 

 

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< 3. 厳島神社 >

 

別名弁天さんと呼ばれ、また戎神社も祀られている。

立派な石組みや石段、巨大な松がありました。

漁師たちが安全を祈願する神社として、当時は岬の先端に建てられていたのでしょう。

 

 

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< 4. 港に沿って歩く >

 

上の写真: 遠くに厳島神社が見える。

 

下の写真: 進行方向を見ている。

 

 

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< 5.沼島八幡神社 1 >

 

上の写真: 村のほぼ中央、山の裾野の小高い丘の上に神社が見える。

これが沼島八幡神社です。

 

下の写真: 石段を上り切った境内から。

 

 

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< 6. 沼島八幡神社 2 >

 

上の写真: 境内から見下ろす。

港と漁村が一望できます。

遠くの山影は淡路島、右下に神宮寺が見えます。

 

下の写真: 境内にある本殿です。

 

 

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< 7. 沼島八幡神社の本殿 >

 

上の写真: 沼島八幡神社の本殿内側正面に掛けられている大きな絵。

この絵は「賤ケ岳合戦」(1583年)を描いており、これが淡路島、沼島の歴史と深く関わっているのです。

 

この合戦で秀吉は柴田勝家との雌雄を決した。

この合戦で活躍した賤ヶ岳の七本槍の一人、猛将脇坂甚内安治は秀吉から淡路島を与えられます。

 

淡路島と沼島は古くから、大阪湾の守りの要であり、瀬戸内海に往来する海路の要衝でした。

またこの海峡沿いには由良水軍、鳴門水軍、そして沼島には沼島水軍が存在しました。

後に朝鮮出兵で、脇坂は水軍を束ねる三人の将の一人となります。

 

淡路島は奈良王朝の時代から天皇家の直轄地で、海水産物を献上する御食国でした。

実は、淡路島、沼島には海人族(海運や漁労を生業とする外来の集団)がいたのです。

このことが漁労や水軍の発展に結びついたのです。

沼島には縄文人の土器が見つかっており、古くから人々は暮らしていた。

 

古事記の国生み神話に出てくる「おのころ島」の候補地の一つとして、沼島が挙げらています(候補は淡路島島内と周辺の島を含めて11ヵ所)。

この国生み神話の原型は中国の長江流域の稲作文化にあります。

おそらくは大陸から、(対馬)、九州、瀬戸内を経て淡路島に到達した海人族が神話を伝承し、それを天皇家が自らの創世神話に拝借したのでしょう。

 

沼島と淡路島は、大陸と日本の古代を結ぶ架け橋の一つだったのです。

 

 

下の写真: 梶原五輪塔を示す看板。

漁村特有の密集する民家の路地を奥まで進むと、右手にこの看板がありました。

この右手に空き地があり、村人に聞くと、昨日ここで地蔵盆を行っていたとのことでした。

 

 

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< 8. 梶原五輪塔 >

 

下の写真: 右手に二基ある五輪塔の右側が梶原景時の墓と言われています。

 

梶原景時は源頼朝に仕え、今の明石から広島までの山陽道の守護に任じられ、幕府宿老まで上り詰めていた。

しかし後に義経と対立し、幕府から追放され一族は滅ぼされた(1200年)。

彼は後世、義経の判官びいきとは逆に大悪人と見なされて来た。

 

梶原景時の墓と呼ばれるものは鎌倉にもあるが、真贋は如何に。

 

「梶原一族と沼島水軍」によると、以下のように説明されています。

http://www.minamiawaji.ed.jp/jimuken/11sougou/2002/13saihakken/13kagetoki/kajiwara.htm

 

滅ぼされた年に梶原景時の一族が、沼島城主になった。

これは水軍つながりだそうです。

後に梶原家が沼島八幡宮を創建した。

1521年、足利十代将軍義植が流浪の末、沼島に来て梶原の庇護を受ける。

この将軍が梶原家に後に紹介する沼島庭園を贈呈した。

神宮寺は梶原家の菩提寺でした。

しかし16世紀末、滅ぼされて梶原の治世は終わる。

 

こうしてみるとこの小さな漁村に、多くの神社仏閣、沼島八幡宮、神宮寺、蓮光寺(居城)、西光寺があることが理解できる。

これらはすべて梶原家の創建によるものだそうです。

墓がここに建立された可能性はあるが、景時が討たれたのは静岡でした・・・。

 

 

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< 9. 沼島庭園 1 >

 

上の写真: 路地を奥まで進むと看板が見えた。

この看板には「伊藤庭(沼島庭園)」と記されていた。

右手に入って行くと、雑草が生い茂る空き家があった。

 

 

下の写真: この空き家を迂回して裏に回る。

ここは個人宅の庭です。

 

 

 

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< 10. 沼島庭園 2 >

 

すると打ち捨てられた石組みの小さな庭が見えた。

鬱蒼と茂る木々の陰になって、庭はいっそう暗く侘しい佇まいでした。

 

これが室町時代、戦乱と内紛を逃れた10代将軍が過ごした場所であり、庭だと思うと虚しさを感じる。

 

一方で、淡路島と沼島に不思議な存在感を感じた今回の散策となった。

 

 

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< 11. 沼島庭園 3 >

 

久しぶりに見たサワガニです。

昔は、淡路島の小川では至る所で見られたのですが、ついぞ見なくなりました。

私があまり外出しなくなったからもしれないが。

 

沼島を散策して不思議に思ったのが、こんな小さな島なのに沢をよく見かけたことです。

水が豊富なようです。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 5: ヴァイキングの故地


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今日は、ヴァイキングの三つの故郷を簡単に紹介します。

ヴァイキングは今回して北欧三国から誕生しました。

それらが趣が異なれば、海岸や湖岸から生まれたことで共通しています。

 

 

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<2。ヴァイキングの航路>

 

赤丸が今回にされた場所で、ここにヴァイキングの有名な遺跡があります。

 

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<3。スウェーデン>

 

私が訪れたのは赤丸印のシグツーナSigtunaです。

ここはヴァイキング時代末期に栄えました。

実は、赤三角印のビルカBirkaの方がヴァイキングの遺跡としては有名なのですが、旅程の都合で省けました。

 

赤の線は、ヴァイキングの航路を想定しています。

スウェーデンの主なヴァイキングはこのメレンレン湖からバルルト海を中心に東方のロシアに向かい果ては黒海を抜け、イスラム圏と交易を行っていました。

 

 

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<4。シグツーナのルーン石碑>

 

上の写真:ルーン石碑。

ヴァイキング時代の8〜11世紀に良く作られた石碑の一つで、墓碑や旅に出た個人を讃える文などが刻まれていることが多い。

スカンディナヴィアの人々は、このような碑文以外に文字を残していたので中世以前の歴史は口述の神話に頼って得ることなく。

 

 

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<5、シグツーナの湖岸の港>

 

かつてはここからヴォイキングが船出していったのです。

 

 

 

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<6。ノルウェー>

 

私が訪れたのはオスロのビ​​グドイ地区にあるヴァイキング船博物館です。

この博物館には発掘された2艘のヴァイキング船があります。

このヴァイキング船が発掘された場所を赤丸で示しています。

 

赤の線は、ヴァイキングの航路を想定しています。

彼らは北海を抜け主に西方に進んだ、英国に侵入して北米大陸にしていました。

 

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<7。ヴァイキング船博物館>

 

上の写真:発掘された9世紀初頭のバイキング船。

この非常に大きな船を見ると、ノルウェーのヴァイキングが荒波を乗り越え、遠洋航海を成せたことがよく理解出来ます。

 

下の写真:地図の黒三角印鳥のフェリーから後部(北側)を見ている。

おそらくの南の島嶼部がヴァイキングの故地(発掘地)なのはしょ。

 

 

 

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<8。デンマーク>

 

私が訪れたのはロスキレのヴァイキング船博物館です。

この博物館には発掘された数艘のヴァイキング船があります。

このヴァイキング船はロスキレの湾から発見されました。

 

赤の線は、ヴァイキングの航路を想定しています。

デンマークのヴァイキングの有名な遺跡は他にユラン半島に2ヵ所ありますが、今回は遠かったの行っていません。

デンマークのヴァイキングは北海から英国、またはフランスの海岸や河川から大陸に侵入しました。

 

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<9。ロスキレのヴァイキング船博物館周>

 

上の写真:ヴァイキング船の造船技術が使えた船が数多く停留されていた。

 

下の写真:ロスキレ湾。

かってこの地にはヴァイキングの村があり、彼らは春になるとここから出撃していった。

 

 

いずれ博物館をもっと紹介します。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 3: 北欧の歴史的建築物


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<1.ガムラ・スタンス>

ストックホルムの旧市街に向かって坂を上がる。

王宮が右手に見える。

 

 

今日は北欧3カ国の歴史的な建築を紹介します。

各地の王宮、旧市街、教会、城塞または役所などです。

 

 

*スウェーデン

 

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<2。ガムラ・スタンス>

 

上の写真:王宮、13世紀に建築されたが火災に会い、18世紀中頃完成。

下の写真:大広場、左に大聖堂の鐘楼が見える。

 

 

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<3。ガムラ・スタントンのドイツ教会>

 

17世紀半ばに建築された。

旧市街にドイツ教会があることが、北欧の歴史のドイツとの深い繋がりを物語っている。

 

 

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<4。郊外の建築>

 

共にメレンレン湖に面して建てです。

上の写真:スカンジナビアで最も小さいシグツーナの市庁舎。

 

下の写真:ドローニングホルム宮殿。

16世紀初め、すみに城はあったが、現在の姿になったのは18世紀半ばです。

 

 

*ノルウェー

 

 

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<5。スタヴ教会(釜板教会)>

 

この種の木造教会は、かごで北欧にたくさん存在していました石造りに建て替えられています、今は30棟ほどがノルウェーに残っているだけになった。

これは13世紀に建てられたが、ノルウェー民族博物館に移築されたものです。

以前はフィヨルドの奥の丘の上に立てていた。

 

 

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<6。オスロ市内>

 

上の写真:現在も国王が暮らしている王宮。

19世紀半ばに完成。

 

下の写真:アーケシュフス城。

オスロ湾を見下ろす岬の岩の上に立っている。

建築は13世紀に始まり、幾度も戦火をくぐり抜けて来た。

 

 

*デンマーク

 

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<7。コペンハーゲン中心部>

 

上の写真:ローゼンボ – 離宮。

17世紀初頭に完成した。

 

下の写真:クリスチャンボー城。

この地が12世紀半ばに始まるコペンハーゲン発祥の地。

現在の建物は20世紀初頭のものです。

 

 

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<8。救世主教会>

 

鐘楼の螺旋階段がユニーク。

17世紀末の完成。

 

 

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<9.古都ロスキレの教会>

 

12世紀にデンマーク初の大聖堂として建立された。

 

 

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<10。コペンハーゲン郊外の城>

 

上の写真:フレデリスクボー城。

湖に浮かぶ島に建つこの城はかつて王城でした。

16世紀には建築されていたが、17世紀初頭に現在の形になった。

 

下の写真:クロンボー城。

この城はスウェーデンとその間の海峡に睨みを利かすように海岸に建てる。

この城はバルート海交易で幾何も係争の種になり、シェイクスピアの「ハムレット」の舞台にもなっている。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 1: はじめに


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< 1. ストックホルム空港に到着 >

 

 

私はスカンジナビア3ヵ国を12日間旅行して来ました。

今回はまったく旅行会社に頼らず、初めて一人で海外旅行をしました。

旅行の概要を紹介します。

 

 

旅行の概要

期間: 2018年5月31日(木)~6月11日(月)

訪問先: スウェーデン、ノルウェー、デンマークの首都を中心に。

移動手段: 空路は北京経由のエアチャイナで往復、首都間の移動は列車とフェリー、観光はパス(公共交通機関乗り放題)と徒歩。

ホテル: 交通が便利でほぼ最安値のホテルに連泊した。

観光地: 主だったものは一通り見ました。

 

 

旅行を終えた感想

詳しい見聞や感想は今後紹介していきます。

 

・ 以前に比べ移民が非常に多くなり、また食文化や服装などに大きな変化があった。

 

・ スマホなどのIT技術による省力化が進み、また都市の再開発が進行中。

 

・ やはり経済と幸福度で優れていると感じた。但し、物価は高い。

 

・ 毎日のようにアクシデントがあり、毎日10時間の徒歩観光で疲れた。

 

・ 事前の予約と調査が役に立ち、拙い旅行用の英会話でも役に立った。

 

・ 毎日快晴で日が長いので良い旅行季節だった。

 

・ フリーならではのハプニングや人々の出会いを経験し、郊外や住宅街を散策し、人々の暮らしを直に知ることが出来た。

 

 

 

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< 2.旅行ルート、上が北、地図の縦の距離600km >

 

図の表示: 赤枠が観光範囲。黒線は鉄道。茶色線はフェリー。

 

空路でスウェーデンに入り、4泊した。

次いで、鉄道でオスロに向かう途中、カールスタートで下車し、1時間半ほど散策。

オスロで2連泊後、オスロ港から一泊するフェリーでコペンハーゲン港に着いた。

コペンハーゲンでは3連泊し、空路で帰国。

 

 

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< 3. ストックホルムと郊外 >

 

 

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< 4. ストックホルムの郊外 >

 

 

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< 5. カールスタート >

 

 

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< 6. ストックホルムの観光、上が北、地図の縦の距離50km >

 

図の表示: 赤枠が観光範囲。黒線は鉄道。緑線はバス。茶色線は船。黒四角はホテル、Aで1泊、Bで3連泊。ピンク四角は空港。

 

主な訪問地

1 シグツーナ : バイキング時代からの古い町、湖に面した景勝地。

2 ストックホルム大学と自然史博物館

3 ドロットニングホルム宮殿: 大きな庭園と湖に囲まれた宮殿。

4 スクーグシェルコゴーデン: 世界遺産「森の墓地」。間違って隣の墓地を見学した。

5 ストックホルム中心: ガムラ・スタン(旧市街)、ユールゴーデン島(スカンセン、博物館2か所)、歴史博物館など。

6 Nynäshamn: サイクリングとシーフードを楽しみにしていた南端の漁港に向かったが、鉄道が不通の為行けなかった。

 

 

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< 7. オスロの郊外 >

 

 

 

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< 8. オスロ湾 >

 

 

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< 9. オスロの観光、上が北、地図の縦の距離15km >

 

図の表示: 赤枠が観光範囲。黒線は鉄道。緑線はバス。茶色線は船。黒四角のホテルで2連泊。茶色四角はフェリー港。

 

主な訪問地

1 Sognsvann: 美しい湖。

2 ヴィーゲラン公園: 広い公園にユーモラスな人体彫刻群が並んでいる。

3 ビィグドイ地区: ノルウェー民族博物館、ヴァイキング船博物館、他の博物館2か所。

4 Ulvøya: 郊外にある二つの島を路線バスに乗ったまま訪ねた。

5 オスロ中心: ノーベル平和センター、オスロ市庁舎、アーケシュフース城、ノルウェー抵抗運動博物館、陸軍博物館、歴史博物館、国立美術館、王宮庭園など。

 

 

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< 10.コペンハーゲンの郊外 >

 

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< 11. コペンハーゲン >

 

 

 

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< 12. コペンハーゲンの観光、上が北、地図の縦の距離65km >

 

図の表示: 赤枠が観光範囲。黒線は鉄道。茶色線はフェリー。黒四角のホテルで3連泊。茶色四角はフェリー港。ピンク四角は空港。

 

主な訪問地

1 クロンボー城: ハムレットの舞台。

2 フレデリクスボー城: 湖に面した美しい城。

3 野外博物館: 広大な敷地にデンマークの古民家を移築。ノルウェー民族博物館、スカンセンと同種。

4 ロスキレ: 古都。大聖堂とヴァイキング博物館

5 コペンハーゲン中心: 国立博物館、クリスチャンボー城、骨董市、王立図書館、救世主教会、ローゼンボー離宮、国立美術館、植物園、運河クルーズ、労働者博物館、トーベヘルネ(マーケット)など。

 

 

 

この旅行で目指したもの

1984年に一度、スウェーデンとデンマークを訪問し、この時、この国の企業の経営姿勢、福祉政策、人々のライフスタイルに感銘を受けていた。

現在も、北欧5ヵ国(アイスランド、フィンランドも)は経済や国民の幸福度などで世界をリードし続けている。

自分の目で確認し、日本の現状の打開策を探りたかった。

 

 

 

この旅行記でお伝えしたいこと

・ フリーの旅行者に役立つ、実際に経験した役立ち情報、トラブル、観光情報を紹介します。

 

・ 北欧の人々の暮らしを写真で紹介します。

 

・ 北欧の社会・経済と歴史、ヴァイキングなどを解説予定。

 

・ 現地で出会った人々やアンケ―ト結果を紹介します。

 

どうか皆さん、特に若い人は北欧を旅して欲しい。

幸福で豊かな暮らしを手に入れている国があることを知って頂きたい。

そこでは日本と何が違うかを肌で感じることが出来るはずです。

 

国民全員が政治を担い、常に教育改革を行い、労働環境を整え、国際競争力を高めることにより良い生活を手に入れている姿がそこにはある。

 

 

次回に続きます。

 

 

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何か変ですよ! 119: 目次と検索


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目次は「何か変ですよ!」と「デマ、偏見、盲点」の分です。

記事は2018年1月16日から4月26日までに投稿したものです。

 

 

各表示は以下の順です。

* 番号: タイトル

記事の要約

・キーワードや項目

 

 

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** 目 次 「何か変ですよ!」 **

2018年3月5日~4月26日投稿分

 

*118: 救いはあるのか?3

日本の再生に不可欠な「米国の呪縛からの解放」と「野党に望むこと」。

・軍事と外交、経済と米国、経済界とのタイアップ

 

*117: 救いはあるのか? 2

先進国ではありえない日本女性の地位、だからこそ女性が改革に立ち上がるべき。

・衆院選結果、セクハラ、利用された拉致被害者、沖縄返還時の密約

 

*116: 救いはあるのか? 1

絶望の状況を脱する為に誰が立ち上がるべきか。

・長期低迷、幸福な社会、政治不信、島国根性、明治維新、野党、労働組合

 

*115: 誰の責任? 4

絶望の状況を生み、放置しているのは誰か、それは国民なのか。

・低い政治意識、放棄された政治教育、低い投票率、低い労働組合組織率

 

*114: 誰の責任? 3

安倍政権を倒閣することがゴールではない、悪循環を断つことこそ重要。

・米国三代大統領の教訓、自公政権継続、野党政権奪取

 

*113: 4/14神戸デモに参加して

デモ体験の報告。

 

*112: 誰の責任? 2

暴政を止める為に今国民がすべきこと、デモなど。

・内部告発、政治に無頓着な人々、安倍政権の問題点

 

*111: 誰の責任? 1

日本の衰退と腐敗の責任は安倍にあるのか、それとも国民にあるのか。

・行政の長として責任痛感、福島の原発事故、ヒトラー

 

 

 

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*110: 未来の壁 8

国政を武力を用いずに国民の手に戻した世界のデモを見ます。

・バルト三国の人間の鎖、ベトナム戦争反対、ベルリンの壁崩壊、女性リベリア大衆行動、米国のバス・ボイコット

 

*109: 未来の壁 7

海外に無関心で海外の歴史を知ろうとしない日本人。

・歴史修正主義、南京虐殺事件、アイヒマン、監獄実験、文化心理学

 

*108: 未来の壁 6

視野狭窄で身勝手な言動がまかり通り、日本の若者は海外への意欲を無くしている。

・貧困問題、国民主権、自衛戦争、世界のニュース、海外留学減少

 

*107: 未来の壁 5

なぜ日本では「報道の自由」が無視されるのか。

・証拠隠滅、隠蔽、記者クラブ、組織文化(村社会)、信頼される新聞、御用新聞

 

*106: 未来の壁 4

報道の自由が高い国ほど国民は幸福だが、北欧と日本の違いは・・・。

・北欧、報道の自由度ランキング、民主主義、経済民主主義、格差、幸福度

 

*105: 未来の壁 3

日本の報道の自由は危機的状況にある。

・NHK番組改ざん事件、特定秘密保護法、放送法改革、自民党が作ったネットウヨ、電波停止

 

*104: 未来の壁 2

自民党の根深い男尊女卑意識とその絶大な悪影響。

・セクハラ発言、原発賛成、出生率低下、賃金格差、社会進出遅れ

 

*103: 未来の壁 1

安倍政権が煽る古い労働観が国民を不幸にしている。

・働き方改革、渡邉美樹、労働時間、育児・有給休暇、北欧のライフスタイル

 

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*102: これからどうする 3

日本は益々成熟社会から取り残されつつあり、これは国際的な指標で明らか。

・世界幸福度、人間開発指数、報道の自由度、各紙比較、貧困率

 

*101: これからどうする 2

主婦が望む政策において安倍は百害あって一利なし。

・介護、平和、失業、地球温暖化、累積財政赤字、日本会議、再生可能エネルギー

 

*100: これからどうする 1

安倍政権による日本沈没、特に経済悪化の状況。

・賃金低下、企業利益増、世界株価高、バブル崩壊、日銀操作

 

 

 

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*99: 大活躍する???応援団

ひんしゅくを買う安倍友応援団の活躍は報道の劣化をよく示している。

・百田尚樹、青木、足立、高橋、山口、三浦、会食

 

*98: 恐ろしい腐敗力

安倍政権下での底なしの政治腐敗。

・中央省庁、安倍縁者、否定し続ける政府官僚、深刻な電凸、言論弾圧

 

*97: 何が最優先か?

麻生と自民国対委員長の発言から分かる正論が通じない政治。

・世襲、森友文書改ざん、佐川証人喚問、マイナンバー、朝日の証明義務、国政の腐敗防止策

 

*96: どちらが大事か?

国政の腐敗を無視するウヨは安倍しかいないと言うが、信用出来ない人物は危険極まりない。

・廃棄文書の発見、忖度、腐敗、バブル崩壊、戦争、連立政権

 

*95: 今、何かが崩れようとしている

森友文書改ざんから見える政府腐敗の深刻度。

・便宜供与、財務省、朝日新聞、政争の具、内閣人事局、安倍明恵

 

*94: 今、国民が問われていること

国民は悪化し続ける状況から目を逸らず、立ち上がるべきだ。

・経済衰退、格差拡大、財政赤字、行政の腐敗、バブル崩壊、政治家の劣化

 

*93: 怒れ、立ち上がれ公僕よ!

国民は独善的な首脳と加担する官僚に怒れ、公僕は立ち上がれ!

・森友・加計問題、レイプ事件もみ消し、働き改革の資料隠蔽、公害問題

 

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** 目 次 「デマ、偏見、盲点」 **

2018年2月6日~3月9日投稿分

 

 

*30: 暮らしのカラクリ 4: 煽られた競争

経済活性化に必要な競争力とは、完全な自由競争と規制の狭間で。

・国際競争力、間違った規制緩和、生産性と賃金、北欧の国際競争力

 

*29: 暮らしのカラクリ 3: カラクリを支える日本文化

ある日本文化が先進国への脱皮を困難にしており、国民はこれに気づくことが重要。

・忖度、自己責任、村社会、長子相続、独裁指向、個人軽視

 

*28: 暮らしのカラクリ 2: 賃上げは国を滅ぼす・・

労働者の賃金を上げると、国の経済力が落ちてしまうと言う妄言。

・賃金上昇は消費増、企業利益増でも貿易額増えない、為替が調整

 

*27: 暮らしのカラクリ 1: 少ない稼ぎは・・

賃金水準は社会的要因、主に生産性と労働界の結束力で決まる。

・ケインズ、労働組合、自己責任、首切り、夕暮れ社会

 

*26: 何がバブル崩壊と戦争勃発を引き起こすのか? 5

この世紀末から脱出する手立ては、かつての日本や世界にヒントがある。

・法制史、世界宗教、「無知、無関心、惰性、敵意」を克服

 

*25: 何がバブル崩壊と戦争勃発を引き起こすのか? 4

世紀末に駆り立てる貪欲、恐怖心、疑心暗鬼が蔓延る理由とは。

・脳内ホルモン、愛国心、格差拡大、大戦を知らない首脳、文明の衝突、政財界癒着、中間層が保守的

 

 

 

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*24: 何がバブル崩壊と戦争勃発を引き起こすのか? 3

失敗して来た戦争予防策とバブル崩壊に共通する感情の暴走。

・経済封鎖、軍拡競争、抜け駆けの心理、賭博、自由放任主義

 

*23: 何がバブル崩壊と戦争勃発を引き起こすのか? 2

ここ1世紀半ほどの主な戦争について、勃発の経緯を集約。

・ヒトラー、日本帝国、中立国

 

*22: 何がバブル崩壊と戦争勃発を引き起こすのか? 1

バブル崩壊のメカニズムを考えます。

・投機家、高率のレバレッジ、中央銀行、巨大な金融緩和、早急な資金回収

 

*21: 抑止力と規制緩和に共通する危さ

この二つの概念は単純で受け入れ易く利用され易いが、不完全で危険でもある。

・規制が無くて亡んだ文明、悪化する国民生活、核開発競争と銃蔓延は抑止力失敗例

 

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** 目 次 「何か変ですよ!」 **

2018年1月16日~1月26日投稿分

 

*92: 何が問題か? 15: なぜ改革から逃げるのか?

所得水準、幸福度、経済力が低下し続けているのに、なぜ改革を避けるのか。

・内部留保、対外資産、賃金、非正規雇用、ワーキングプア、パトロネージ、北欧

 

*91: 何が問題か? 14: 英国はなぜ衰退したのか?

19世紀後半に始まる英国の衰退は今の日本と同じです。

・工業生産高シェア、資本輸出、中産階級が豊かさを享受し保守化

 

*90: 何が問題か? 13: 過去・現在・未来に生きる

なぜ人々は経済の行く末を楽観するのか、これは5つの虚構に踊らされているから。

・インフレ、成長要因、金融緩和とバブル、日銀政策と財政破綻、所得格差

 

 

 

終わります。

 

 

 

 

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何か変ですよ! 114: 誰の責任? 3


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前回、政治意識の低い多数の人々に非があると言いました。

彼らは腐敗政治を招いた間接的な加害者だが、一方で被害者でもある。

倒閣は重要ですが、この視点は不幸を繰り返さない為に必要です。

 

 

はじめに

 

腐敗の極にある安倍政権の倒閣は絶対です。

 

しかし、例え倒閣が成っても社会・政治状況が今のままでは、また暴虐な首相の再来を招くことになる(直ぐには起こらないが)。

もっとも放置していも、暴虐になって行くだけですが。

つまり、私達は絶望の淵に立っている。

 

ほとんどの方は否定するはずです。

 

それではオバマ大統領誕生の後に、なぜハイエナのような不動産屋、それも政治の素人が大統領になったのでしょうか?

極論すれば、国民の冷静な思いが選挙に反映されなくなっているからです。

ブッシュへの失望から国民は沸騰し、今度こそはと期待したが失望し、次は真逆の人物(ブッシュより酷い)を大統領に選んだのです。

 

この背景は複雑ですが、日本が教訓にすべきことがあります。

 

 

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* 米国に見る悪循環

 

A: オバマ政権下では共和党が議会を占めていた。

 

オバマは議会の反対や妥協の為に、思うように改革が出来なかった。

これが大いなる希望から失望に代わり、また保守勢力の必死の巻き返しが起こった。

 

B: 既に格差が拡大し、低所得層の不満が社会の分断を生んでいた。

 

90%の国民は30年以上所得が増えず、繰り返すバブル崩壊で長期失業者が増えていた。

改善されない状況に業を煮やし、白人労働者は黒人や移民に不満をぶつけ、分断が生まれた。

 

 

C: 超富裕層の資金力と保守的なマスコミが選挙を支配するようになっていた。

 

格差拡大の結果、少数の超富裕層による政治支配が進み、経済重視の規制緩和が加速し、さらなる格差拡大とバブル崩壊、財政悪化の悪循環を生んでいる。

規制緩和で保守化(娯楽化)した巨大マスコミの影響で、国民は真実を見定めることが出来ず、さらに資金力が選挙を左右するようになっていった。

 

このような状況で社会の分断が煽られ、大半の国民は本来の敵を見失い、むしろ敵側についてしまった(よりによって正すべき相手に権力を与えた)。

これが、今の幼稚で自称天才の大統領を生んだのです。

 

驚くべきことに世界の評価は、この米国の状況はまだ日本よりかなり良好なのです(大統領の事ではない)。

日本は米国に比べ政治腐敗度が同程度、民主度と報道の自由度はかなり低い(安倍の数年で急激に悪化)。

 

 

私達は何を学ぶべきか?

 

例え、首相の首が代わっても、国政の腐敗を後押した自民公明両党が過半数を占めている限り、腐敗から脱することは出来ない。

 

日本の経済格差と社会分断は米国ほど酷くはないが、別の分断が深刻です。

それは経済界と労働界、右派と左派との対立で、労働界と左派は完全に弱体化している。

 

圧倒的にマスコミ報道が政権側に加担しており、選挙は自民党に有利になっている。

 

 

つまり日本の状況は安倍が去っても悪循環を繰り返しながら、手本である米国より先に奈落の底に向かうことになる。

 

安倍の継続はあり得ないので、安倍が去ったとしてシュミレーションします。

 

 

3

< 3.2018年4月14日 >

 

 

* 安倍が辞めて自公が政権継続する

 

与党(自公)が首相の首を挿げ替え新政権が発足し、何が変わると思いますか?

 

前回、取り上げた問題は払拭されるでしょうか?

 

A: 「官僚は国民を欺き、国民を完全に無視するようになった」

B: 「経済政策は基本的にバブル頼りと短期成果狙いで、ほとんどの国民は長期的に所得と福祉の低下に見舞われ、さらに国の財政破綻を早めるだけに過ぎない」

 

C: 「弾圧されて真実を伝えなくなったマスコミ、シビリアンコントロールが効かない自衛隊、米国追従と隣国敵対外交、日本の先進国を示す指標が軒並み低下など」

 

Aは一時、良く見えてもすぐに元に戻る。

 

理由は、長年与党の自民党は官僚と一連托生(相互補完)の関係にあり、決して抜け出すことが出来ないから。

自民党は政策立案(法案作成)、議員の選挙対策としての便宜供与(加計や森友事件、注釈1)、選挙資金確保(補助金などの還流)で官僚に依存せざるを得ない。

 

官僚も、今回の安倍政権のように逆らわない限り自由放任で、かつ忖度すれば出世させてくれるなら異存はない(誇りは既に消滅)。

 

 

Bについては悪くなるばかり。

 

理由は、米国流の自由放任経済とマネタリズムから抜け出せないから。

金融業偏重と企業優先の規制緩和、富裕層と企業への減税路線を変えることはない。

これは自民党が経済界と癒着しているだけでなく、米国から離脱出来ないことにある。

経済政策のポリシーも米国一辺倒で、西欧や北欧は同じ資本主義国でありながら別のポリシーで成功しているにも関わらず。

 

 

Cについて、右翼の安倍が去ると最悪の状況は一端去るが、また悪くなる可能性がある。

 

自民党議員の旧態以前とした体質(世襲制に代表される強い保守傾向)が致命傷です。

世論の圧力で、一時はカムフラージュ出来ても、化けの皮は直ぐ剝がれる。

 

それは議員の民主主義意識の低さ、後進国並みの女性差別観、報道の自由度の低下に満足している異常さに見られる。

要職にある自民党議員の発言に、「国民に主権があることがおかしい」「友達に国境はないと言う嘘を教えるな」「強姦するぐらい元気な青年の方がいい」など。

 

つまり、一時しのぎに過ぎない。

 

4

< 4.バブル崩壊に御用心 >

 

 

* 野党が政権奪取する

 

解散総選挙によって野党が政権を奪還したとし、どこまで良くなるでしょうか?

 

Aはかなり良くなるはずだが、困難が待ち受けています。

 

先ず、正そうとすれば官僚の猛烈な造反に合い、さらに保守系マスコミの反キャンぺーンの大合唱に晒されます。

 

政権経験の少ない野党が官僚の造反に対抗するには国会議席の過半数が必要です。

さらに野党は報道の自由を保証するので、現状の偏向したマスコミの餌食になる可能性が高い。

この二点について安倍は楽勝でした(放任と弾圧で)。

 

この間、国民が冷静に見守ることが出来れば良いのですが・・・。

 

 

Bについては、悪化を一時止めることは出来ても継続が困難です。

 

日本の経済は、米国流の自由放任経済とマネタリズムが学界、経済界、官僚、与党の一貫体制で運営され、さらに米国との繋がりが強固です。

この米国流経済の欠点は現象面でも理論的にも明らかにされ、対策も提唱されている。

しかし、既述のように多くの欧米諸国は抜本的な対策が取れず、抜け出せないでいる。

 

この状況で先進国の物真似しか出来ない日本が単独で米国を振り切り、新たな経済システムを構築するには、時間とさらに国民と各層の協力が不可欠です。

現時点でこれはかなり困難です。

ここでも安倍の短期決戦の目玉政策が喜ばれる(先はどうであれ)。

 

しかしドイツや北欧などは地道に独自路線を模索し、同じ資本主義経済でありながら豊かな経済造りに成功している(これを真似ることは出来る)。

 

 

Cはかなり良くなる可能性がある一方、致命傷がある。

 

過半数の議席を確保さえできれば、マスコミの正常化、日本の先進国を示す指標(幸福、民主度、経済)の上昇が可能になるでしょう。

 

しかし、大きな致命傷がある。

それは、隣国との独自外交を望み米国からの離脱を目指した時に被ることになる。

米国は軍事上、東アジアの橋頭堡になる日本を絶対に離したくないので、あらゆる手を使い野党を壊滅させる(継続中)。

 

この時、国民が米国の干渉を撥ね退ける自立心を持てれば良いのだが・・・。

 

 

5

< 5. あなたが望むものは >

 

 

* まとめ

 

残念ながら、私の見たててでは日本はどうあがいても、政治腐敗と没落から抜け出せないことになります。

1世紀半前の英国より没落は確実と思われる。

 

正に「行くも地獄戻るも地獄」です。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

注釈1

自民党の強さは、アフリカ後進国並みのパトロネ―ジュと縁故主義で守られている。

 

良く知られている三バン(地盤=組織、看板=知名度、カバン=資金)は民主度劣化の元凶です。

現在のパトロン(後援者、支援者)の役割は、従来の金銭援助もあるが広報宣伝効果も大きい。

例えば首相や妻の贔屓で世間から認められたパトロン(教育者、コメンテーター、芸能人)が世間やマスコミで首相擁護に精を出すような関係です。

これに加え、規制緩和枠の便宜供与や補助金提供が加われば、鬼に金棒です。

 

 

 

 

 

 

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