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湖北・湖東の紅葉を訪ねて 5: 永源寺 2


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今回で、湖北・湖東の紅葉の紹介を終わります。

小雨と薄暮にあっても幻想的な紅葉を楽しむことが出来ました。

これも山里やお寺のお世話があっての事だと感謝しています。

 

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日が暮れると共にライトアップの光が目立つようになって来ました。

 

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薄暮の中の紅葉はけっして鮮やかではないが、深みを感じさせる。

 

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上: 本堂。

 

下: 鐘楼。

この写真は11月22日、16:40のものですが、周囲はかなり暗くなっていました。

ISO1600で、手持ちで撮影し編集で明度を上げてこの状態です。

 

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この2枚の写真は、前回紹介した禅堂前を撮ったものです。

同じ所でも20分ぐらい時間が経つと、ライトアップの効果が際立つようになりました。

まるで豪華な日本らしい舞台のセットを見ているようです。

 

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薄暮から夕闇にかけて、ライトアップやフラッシュで撮影した光景。

 

右下: 最初の石段沿いにある16羅漢(岩壁に石像が彫られている)。

 

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1時間後に戻って来た時は、真っ暗になっていた。

橋の近くの広場には数軒の屋台が並んでいた。

 

 

  • 今回の紅葉巡りで感じたこと

これら紅葉は総合芸術、日本で洗練された文化だとつくづく実感した。

 

北欧やロシア、北米には雄大な一大紅葉地帯がある(一部しか見ていないが)。

それと比べると日本の場合、数百本程度の広葉樹が密集ではなく最適な位置に配されている。

また日本の紅葉の樹は高く伸びた大木と言うより、背が低く枝が横に広がる木が好まれているようだ。

境内の赤や黄色の広葉樹は苔むした岩や石灯篭、小さな池や建物の間に配される。

石畳や地面に積み上がり、池や小川、手水鉢に浮かぶ落ち葉すら重要な背景になる。

人々は境内の参道や回廊を巡る内に、様々に形を変え黄色や朱色の木々と様々な背景色の組み合わせの妙を楽しむことになる。

 

 

人類は原初来、赤色に神秘性を感じ、多くの宗教は聖なるものとして取り入れた。

そして特に東アジアは、今でも赤(朱色)を宮殿、神社仏閣に使用している。

中でも紅葉が広く見られる日本(韓国も)では、なぜか寺院の境内に紅葉が重視されるようになった

元来インド起源の仏教には朱色を愛でる習慣は無かったと思うのだが。

 

推測に過ぎないが、朱色に対する無意識の神聖感と、大乗仏教特有の死生観―末世に至る滅びと冬の到来を告げる紅葉が結びつけられ、広く受け入れられるようになったのだろう。

 

一方、キリスト教では、死後の世界は仏教と異なり希望溢れるものなので、落ち葉や冬を連想する紅葉は聖なる場所には不向きと見られたのだろう。

キリスト教圏では、宮殿に大規模な紅葉を取り入れるところはあっても、教会には無いように思う。

どちらかと言うと、春や誕生をイメージさせる花が多いように思う。

 

こんなことを感じながら、楽しい1日を過ごして来ました。

 

 

それでは終わります。

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 10: 出会った素敵な人々 2


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今日も次回に続いて旅行中、親切にして下さった方々とのエピソードを紹介します。

北欧の人々の心の温かさに感動です。

また日本に好印象を抱いている人の多さに驚きです。

 

 

* オスロにて

 

 

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< 2. オスロで >

 

朝、オスロのナショナルテアトレット駅に入って行くと、早々にどちらに行くべきかわからなくなりました。

この駅は地下鉄と郊外電車が入っており、ちょうど通勤時間でもあり沢山の人が足早に通りり過ぎて行きます。

私が立ちすくんでいると、一人の中年女性が近寄って来て、どうしたんですかと聞いてくれました。

私が行先を伝えると、乗るべきホームへの行き方を教えてくれました。

 

お陰で、スムーズに予定通りの地下鉄に乗れました。

 

 

この地下鉄に乗っていると、乳母車を押した男性が私の向かいに座り、「あなたは日本人ですか?」聞いて来ました。

私がイエスと答えると、彼は親し気に喋り始めました。

 

彼は数年前、長男を連れて奥さんと日本を1ヵ月旅行し、京都観光や富士山登頂をしたそうです。

写真の子は次男のようです。

彼は日本旅行のことが懐かしく、色々と話をしたいようでした。

私も1984年の前回と今回の北欧旅行について話をしました。

彼は私に多くの質問して来たのですが、私が答えあぐねている間に、彼の降りる駅に来てしまった。

私は英語の未熟さに腹立たしくなり、申し訳ない気持ちで一杯になりました。

 

彼は別れる少し前に、「あなたの今日の日程はどうなっていますか?」と聞いて来たので、私の日程表を見せると驚いていました。

それもそのはずで、この日は30分から1時間刻みで12カ所を巡る予定だったからです。

彼はこれから私が行くSognsvann Lakeは良い所ですよ、また次に訪れるコペンハーゲンは素晴らしと言ってくれた。

 

今思えば、予定を変更して、彼ともっと話しをすれば良かったと後悔しています。

 

なぜ北欧の人は、こうも私を日本人だと分かり、日本に好印象を持っているのだろうか?

この謎は解けないまま帰国することになった。

 

ここでも日本との違いに気づかされることになった。

それは彼が平日の午前中にも関わらず育児をしていること、また家族で1ヵ月間も海外旅行していることです。

北欧では年間5週間の有給休暇を取らなければならず、この内4週間の連続休暇が許されるのです。

これが長期の旅行を可能にしているのです。

 

既に述べましたが、女性だけでなく男性も育児休暇を取らなければならず、男性の取得すべき日数は増える傾向にあります。

これらのことが、北欧諸国の出生率を高め、労働者の意欲向上に繋がっているのです。

 

日本にはこの発想が欠落しています。

 

 

 

* デンマークにて

 

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< 3. オスキレ駅のバス停にて >

 

バイキング博物館行きのバスが分からず、バスターミナルに座っている若い女性に聞きました。

彼女は答えることが出来なくて、横にいた高齢の男性が代わりに教えてくれました。

教えられたターミナル番号に行き、来たバスに乗り、運転手に確認すると大丈夫とのことでした。

 

運転手の近くに座りたかったのですが、空きが無かったので奥の方に座りました。

発車してから私は車窓の景色を追い、どこで降りるか迷っていました。

すると前の方の女性が降りる時、こちらを向いて笑顔で「バイキング博物館、次ですよ」と教えてくれました。

 

皆、実に温かく迎えてくれた人々でした。

 

 

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< 4.野外博物館とヒレロズ駅で >

 

広い野外博物館内を巡っていると、出なければならない予定時間が近づきました。

私は出口への道に確信が持てず、かなり疲れて来たこともあり、ちょうど博物館の高齢の職人が目に入り、出口を尋ねました。

 

二言三言言葉を交わす内に、またもや彼は「あなたは日本人ですか?」と聞いて来ました。

わたしがそうですと答えると、「あなたはバスに乗るのですね?」と聞いて来たので、そうですと答えた。

すると彼はこちらに来なさいと言い、車両用のゲートまで一緒に行き、鍵を外しゲートを開けてくれました。

彼は終始笑顔でした。

 

そこから直ぐに広い道路に出て野外博物館前のバス停に迷わず辿りつくことが出来た。

 

 

ヒレロズ駅を降りて、フレデリクスボー城行きのバス停がわからず、近くを歩いている老齢の女性に尋ねました。

彼女は足腰が弱いにも関わらず、数十メートルを一緒に歩いてくれたが、結局わからないと残念そうに言った。

この時、運よく男性が通りがかり、彼女は彼に私を託して去りました。

彼はバスターミナルが見える所まで私を案内し、くどいほど302の番号を連呼し、私の理解を確認して去りました。

ここからバスに乗り、無事に目的地い着くことが出来ました。

 

旅行も2/3を終える頃には、私は迷う前に手当たり次第に誰かに聞くようになっていました。

私は図々しくなっている自分に驚きました。

 

 

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< 5. コペンハーゲンの王宮付近で >

 

上の写真は朝、クリスチャンスボー城の横の広場に行った時の事でした。

上の写真の広場で、骨董市が行われている予定でしたが、誰も居ません。

 

諦めて別の所に行こうとした時、一人の若い男性がわざわざ近づいて来て私に声をかけました。

私は不安になって無視して去ろうとしたのですが、彼は怪しいものではないと、申しわけなさそうに話しかけて来ました。

彼は私に手助けしたいと言っているようでした。

 

私は彼にここで骨董市があるはずだがと尋ねました。

すると彼はスマホを取り出し、調べて事情が分かったようでした。

彼は私に「あなたは英語が話せますか?」と聞き、私は「少し」と答えました。

彼は無い理由を説明したいようでしたが、私は聞くことを諦めました。

 

私は残念そうにしている彼に別れを告げて去りました。

他の観光を終えて、寄ってみると骨董市はやっていました。

始まる時間が異なっていたようです。

彼には悪いことをしてしまった。

 

 

下の写真は、王立図書館内のロビー付近です。

図書館に来れば、私のアンケートに答えてくれる人が居るかもしれないと思い訪れました。

すると喫茶の前に、二組の日本人の母子が座っていました。

 

話を聞くと、二人のお母さんは日本出身で、デンマークに来て暮らしているとの

ことでした。

二人からは貴重なデンマークの情報や感想を聞くことが出来ました。

後日、紹介します。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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デマ、偏見、盲点 26: 何がバブル崩壊と戦争勃発を引き起こすのか? 5


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今回はまとめになります。

世紀末の呪縛から脱する手立てはあるのか?

未来を変えるには・・・

 

 

* はじめに

 

結局、多くの人は豊かさと平和に慣れてしまい緊張感を無くしている。

 

日本が大戦後、無一文の焼け跡から未来を信じ全員が一生懸命働き、画期的な復興を成し遂げた。

この時、人々は希望を持ちながらも将来の不安に備え、少ない稼ぎに関わらず貯蓄を行った。

この資金が国土建設や設備投資に向かい高成長を実現させた。

 

今はどうでしょうか。

日々、今を楽しむと言えば聞こえは良いが、夢に向かって挑戦し続ける若者は激減している。

あり余る資金は国内投資や賃金上昇に向かわず海外証券に向かうだけになった。

若者の海外志向の低下や資金の海外流出は英国没落時の正に再来です。

 

本当に刹那的な社会になってしまった。

 

これでは身も蓋もないが、回生の手立てはあるのだろうか。

 

 

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* 日本には素晴らしい歴史がある

 

かつて日本は長期的な展望を持つ民族だった。

この平野の少ない国土に1億以上の人間が暮らせる不思議がそれを物語っている。

 

これを可能にしたのが、共に社会や資源を守る文化です。

特筆に値するのは乱獲や乱伐を規制した漁業や林業の資源保護です。

世界にはこれらの枯渇を経験した地域が数多くありました。

 

また日本は海外の変化に素早く適応する力を持っていた。

明治維新では、それまでの中華文明一色から、攘夷すべきとした欧米に対し一転して、この文明を積極的に取り入れた。

地球上で、これほど遠方にある異文化の強国、しかも名うての侵略国相手にほぼ無傷で通商を結んだ国は、日本とタイぐらいでしょう。

 

また富国強兵の中で、初期には大英帝国に組し、ドイツが隆盛してくれば英国と手を切り、一度負かしたドイツと早々と軍事同盟を結んだ(二つの大戦で)。

この変わり身の早さは特筆ものです(親米も変わるかも)。

 

まして今は北欧と言う、素晴らしい次世代の社会モデルが存在する。

日本は真似るのが得意なのだから、今の疲弊と劣化から抜け出し、新たな道を進むことが出来るはずです。

 

しかし留意すべきことが一つある。

それは大陸の端にあり、巨大な人口を有する島国ゆえの宿命か、常軌を逸し無謀に走り易いことです(注釈1)。

 

 

 

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* 人類の素晴らしい足跡

 

人類は幾度も破局を乗り越えて来た。

破局とは、外敵や自然の驚異ではなく、社会が内包し放置すれば遂には崩壊に至るものです。

破局の最たるものに、既に述べた感情(貪欲と敵愾心)の暴走がある。

 

人類は如何にして社会の破局を未然に防いで来たのだろうか?

それこそが法制史であり、宗教だったと言えます。

要点をみます。

 

 

法制史の代表例を見ます。

 

古くはハンムラビ法典に同害同罰(同害報復法)が規定されていました。

これは貧富の差による罰則の不公平を是正し、民衆を公平に扱うことを目指した(紀元前2000年頃)。

 

仇討ちを禁止し、復讐の連鎖を防止した。

本来、限定された仇討ちは偶発的な殺人から部族間への戦闘拡大を避ける手段でした。

しかし、これを刑法で裁き決着させることにより殺人と憎悪の連鎖を断ち切った。

 

私有権が認められたことにより財産の侵害が明確化され、犯罪として禁止することが出来た。

 

税の徴収により公共投資が行われ、社会の安全、快適、衛生などの公共政策が進んだ。

 

三権分立により、政治の独裁や腐敗を抑制した。

 

国民が憲法を制定し、政治制度を規定することにより独裁を防止した。

 

化学兵器の禁止条約や不戦条約が結ばれるようになった。

 

 

こうして人類は長い年月をかけて因習や既成概念を打破し、社会の平和と幸福の為に法制度を発展させて来た。

さらに国家間、次いで世界が協働するようにもなった。

 

決して人類は規制緩和を進め、公共政策を縮小して来たのではない。

今の逆行―エゴや欲望の放任―は単に既得権益層の私腹を肥やすゆえの口実に過ぎない(すでに根を張っている)。

これら法制度がなかったら今の世界はなかったでしょう。

 

 

こうして破局を誘発する行為(犯罪)を制限するようになったが、法律だけでその欲望や心理を抑えることは困難です。

それを担ったものの一つが宗教でした。

 

世界宗教の多くは欲望の自制を促し、より大きい隣人愛を奨励して来た。

 

キリスト教を例にみます。

キリスト教は愛の対象を隣人から異民族まで拡大させ、暴力を否定した(パウロの貢献大)。

(ユダヤ教の旧約を引き継いでいるので一部暴力を肯定しているが、全体としては暴力よりも隣人愛を優先している)

しかも、政治を忌避しなかったことで、中世まで政治と強く繋がり大きな影響力を与えた(後に政教分離)。

(原始仏教は政治を忌避し、精神修行に重きを置いたので、政治力が弱くなった)

ヨーロッパ史には、キリスト教の暗黒面も目立つが、熱心な信徒によって奴隷解放などの人道的な革新や平和構築が多く行われた。

 

こうして見ると、人類は法制度と宗教を通じて、本能や欲望をコントロールし、社会の破局を防止して来たと言える。

 

我々は、その気になりさえすればまた豊かな道を進むことが出来るはずです。

 

 

 

* 最後の望み

 

今の日本を一言で言えば「無知、無関心、惰性、そして敵意」が社会を覆い尽くしている。

 

無知: 歴史を学ぼうとせず、都合の悪い歴史事実を無視する。

 

無関心: 未来を展望せず、現状の国際状況や国内の政治社会の動きを表面的に見るだけでメカニズムを理解しようとしない。

 

惰性: 不満や不安があっても現状維持からの脱却(改善さえ)に臆病になっている。

社会経済のメカニズムを理解しようとしないので、見栄が良ければ何ら中身の無い政策でも歓迎してしまう(注釈2)。

 

敵意: 既に解説しました。

 

この風潮を正さないといけない。

 

 

結論は、これ以上の悪化を食い止め、そして世界が手を握り、感情の暴走などの破局を防止する規制(法や条約)を始めることです。

 

その為には、惰眠を貪っている日本の大半(中間層)が覚醒し、政治を変え始めることです。

 

今なら政治の劣化は一部の過激な人々と煽るマスコミに留まっている。

しかし放置すれば、いずれ偶発的で小さな衝突事件を切っ掛けに破局へと進むでしょう(既に仕掛けられた歴史がある)。

 

 

 

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そこで期待出来る人々がいる。

年老いたと言え、団塊世代は青春時代、国家や戦争を論じデモに加わり篤い血潮をたぎらせた。

どうか日本の為、最後に人肌脱いでいただき、周囲に清風を吹き込み、改革に立ち上がる雰囲気を盛り上げていただきたい。

どうか団塊の世代は未来を生きる子供や孫の為に率先していただきたい。

 

東京裁判(~1948年)でインドのパール判事が願ったように世界が共同して戦争を裁き、平和を構築出来る日が来ることを望みます。

 

後退ではなく、一歩でも改革に踏み出そうではありませんか。

 

 

終わります。

 

 

 

注釈1

 

この列島は、古くは中華文明から程よい距離にあったことで文明を摂取出来るが侵略を逃れることが出来た。

次いで、欧米から遠く、魅力的な産物に乏しく、軍事的に重要で無い孤立した列島であったことが、帝国主義の災禍を受け難くした。

 

こうして巨大な人口を抱える日本は、一度世界の覇者を夢見ることなった。

もし当時の人口が数百万人以下であれば、敢えて帝国主義に対する自衛と称して大陸進攻を企てることはなかっただろう。

 

 

 

注釈2

 

ふるさと納税は、結果的に富裕者の税金逃れを加速させ、課税の逆進性をもたらす。

これは寄付行為に多額の返礼品があるからですが、これは当初予想された。

政権はこの指摘を無視し、見栄えさえ良ければ後先考えず施行した。

多くの人は、楽しみが増え、景気上昇に繋がると感じているが、必要な税収が減り、それを他の国民の税収で補っているだけです。

景気を良くする為なら他の有効な手段は幾らでもある。

 

日本の公共投資と言えば、政治屋の地元の土建屋が潤うものでしかないが、福祉(人件費など)などの投資の方が社会的に有意義であり、かつ経済効果は同じです。

日本では話題に上らないが、北欧の公共投資とは後者なのです。

 

現在、日本では低所得の非正規雇用が増えているが、これを加速させているのがこの度の「働き方改革」など、これまでの与党の一連の政策です(米が主導し1980年代から始まった)。

 

難しい理屈は不要です。

実際に、悪化し続けている事実に目を向ければ納得できるはずです。

 

極論すれば、流動性の高い労働者の存在はあっても良いのです。

問題は補償の無い首切り、特に論外は同一労働同一賃金が無視されていることです。

政府はこれを野放にし、国民も嘆くだけで政権に拒否の態度を示さない。

北欧ではこれらが守ら、かつ最も幸福な国であり経済成長も続けているのです。

 

国民が目を覚ます以外に道はないのです。

 

 

 

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 57: when religions were born 5: Confucianism


中東に平和を! 57: 宗教が誕生する時 5: 儒教

 

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<1. Confucius>
< 1. 孔子 >

This time, I investigate the birth of Confucianism.

今回は儒教の誕生を追います。

 

The times when Confucius was born
A first Chinese dynasty was born in the 17th century B.C., but it was divided in approximately 200 countries since the 8th century B.C., and the unification of a country was completed after wars for 500 years.
Since the middle period, the farming had advanced by ironware and the trade had developed, and many city states grew up.
At that time, the wars among nations and the internal trouble of royal families continued, and it occurred frequently that a person of lower rank overthrew a superior either politically or militarily, and then supplanted the superior’s position in society.
On the other hand, the royalty and the aristocracy employed a talented and wise person than a blood relative and tried to get predominance .
Under such circumstances, various thinker groups “The Various Masters of the 100 Schools” having an independent opinion were born.
Most of them serve the royalty and the aristocracy, and proposed a policy and an stratagem.
The Confucius was born in such situation in China in the sixth century B.C.

 
孔子が生まれた時代
中国の最初の王朝は黄河中流域に紀元前17世紀に生まれていたが、紀元前8世紀には二百カ国ほどに分裂し、五百年間の戦争を経て統一に至る。
この中期頃から、鉄器による農耕と交易が進み、都市国家は成長していった。
国家間の戦争と王家の内紛は絶えることなく、下位の者が上位の者を脅かす下剋上がはびこっていた。
一方で、王侯貴族は血縁よりも才能や知恵ある者を採用し強勢を計るようになった。
こうした中、独自の主張を持つ多様な思想家集団「諸子百家」が生まれた。
彼らの多くは王侯貴族に仕官し政策や術策を提言した。
このような紀元前6世紀に孔子は生まれた。

 

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< 2. The Confucius traveling on foot >
< 2. 孔子の遊説行脚 >

The act of the Confucius
He worked his way through school, served a historic state ”Lu”and became a prime minister.
However, he was balked of his hope and opened a private school to common people.
After that, he visited states in each places with disciples, preached his ideal politics, and requested to get into the government service.
After all, he couldn’t realize his dream, came back to his hometown, and devoted myself to organize old documents that had been handed down to the state, and to educate people.

 
孔子の行い
孔子は苦学して由緒ある王家(魯)に仕え、宰相まで登りつめた。
しかし、彼は夢破れ職を辞し、民衆相手に私塾を開いた。
その後、弟子達と共に各地の王家を訪ね、理想の政治を説いて回り、仕官を願った。
結局、夢叶わず故郷に戻り、王家に伝わる古文献の整理と教育に専念した。

 
Afterwards
After the death of Confucius, his teaching was spread out by disciples, it was as popular to common people as Bokka at that time.
Bokka advocated a love of humanity, pacifism, faith, and a simplification of rites
, and conflicted with a scholar of Confucianism, after that it was ruined.
The Confucianism became the state religion of the Han empire in the second century B.C., and existed as an indispensable for the most of governments afterwards.
It was introduced into Korean Peninsula and Japan before long, and the Confucianism took root in the East Asia as morality to keeping social order.
Sacred books of Confucianism(the Four Books and Five Classics of Confucianism) consisted about old documents on the history and formality of the states that Confucius imitated.
“The Analects of Confucius” is one of the sacred books, and is a book that his disciples wrote down the words and acts of Confucius in.
Mental attitude and how to get along in life are written in the book.

 
その後
孔子の死後、その教えは弟子達によって広まり、民衆の人気を墨家と二分した。
墨家は人類愛、戦争反対、信心、祭儀の簡素化を訴え儒家と対立し、後に滅んだ。

紀元前2世紀、儒教は漢帝国の国教となり、その後も国政に不可欠なものとして存続した。
やがて朝鮮半島や日本に伝わり、儒教は東アジアに社会秩序をもたらす道徳として定着した。

儒教の経典(四書五経)は孔子が模範とした王家の歴史や儀礼や易(占い)の古文献が集められたものです。
論語ものその一つで、弟子達が孔子の問答や言行を記したものです。
そこには心構えや処世術が書かれている。

 

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< 3. a Confucian temple >
< 3. 孔子廟 >

Thought of the Confucius
He thought policymakers must become better to end the turbulent age.
Therefore, he said it was important that the policymaker doesn’t depend on strict penalty and machinations, treats people with a good heart, and must be worshiped by people.
He thought that the model for this is a dynasty ” Zhou ” approximately 500 years ago.

The basics are “Ren” and “Li”.
“Ren” means benevolence or humaneness, and then it was necessary that policymakers seek after virtue and common people have morals.
“Li” means formality or rites, and then it aimed at the succession of the social order (patriarchy, ancestor worship).

He reproved that disciples depended on God, on the other hand, he thought succeeding to the rites make sense.
He didn’t deny royal politics, avoided religious things, advocated the revival of traditional mind and norm daringly in the turbulent age.

 
孔子の思想
彼は、この戦乱の世を終わらせるには為政者が良くならなければならないと考えた。
その為には、為政者は厳格な罰則や謀略に頼るのではなく、善良な心で民に接し、民から敬われることが重要とした。
その手本は、五百年ほど前の周王朝にあるとした。

基本は「仁」と「礼」です。
「仁」とは、自己抑制と思いやりを指し、為政者には「徳」、民には「道徳」を求めた。
「礼」とは、礼儀や祭儀を指し、社会秩序(家父長制、祖先崇拝)の継承を目指した。

彼は、弟子に神を頼ることをたしなめたが、一方で、祭儀を守ることは天の意志に叶うとした。
彼は王家を否定せず、宗教的なものを避け、戦乱の世に敢えて伝統的な精神と規範の復活を訴えた。

 

Point of the Confucianism
Confucius disfavored the politics that puts emphasis on law of punishment and reward, and put emphasis on conscience.
On the other hand, he thought that policymaker (king) with virtue was indispensable for good politics.
This thought was not accepted in the times of the war, but the situation changed when a unified country appeared.
In other words, the doctrine that taught people to have to obey morality, succession of social order, and politics (King), administered to national stability rightly.

This continues the next time.

 
儒教のポイント
孔子は、人々を功利的にさせる法重視(信賞必罰)の政治を嫌い、良心を重視した。
一方で、良い政治には徳を持った王こそが不可欠と考えた。
この考えは、戦乱の時代には受け入れられなかったが、統一国家が出現すると状況は変わった。
つまり、人々に道徳や社会秩序の継承、政治(王)に従うべきと説く教義は、国家の安定にまさに合致するものでした。

 
次回に続く。

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Bring peace to the Middle East! 55: when religions were born 3: Christianity


中東に平和を! 55: 宗教が誕生する時 3: キリスト教

 

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< 1. Jesus carrying a cross on his back >
< 1.十字架を背負うイエス >

This time, I investigate the birth of Christianity.

今回はキリスト教の誕生を追います。

 

The times when Jesus was born
Foreign rulers, Alexander the Great and the Roman Empire respected Judaism, and it was able to remain.
In fact, it was in name only.
The priests in the temple were connected to royalty and titled nobility, cooperated with the Rome Empire, and pushed forward Hellenization.
On the other hand, a religious community aimed to back to the source and advocated an emphasis on the Low, and they strongly opposed the former.

In addition to this opposition, a dissatisfaction toward a rule of the Rome and an expanding disparity in wealth blew up, and Palestine in the first century entered the period of war.
Radical religious communities and independent factions rose in arms, and robber bands came to frequently appear in each place.
In addition, a lot of persons who represented themselves as a savior in each place appeared.

 
イエスが生まれた時代
異国の支配者、アレクサンダー大王もローマ帝国もユダヤ教に敬意を表し、ユダヤ教は存続出来た。
だが、その内実は形骸化していた。
神殿の祭司達は王侯貴族と繋がり、ローマに協力しギリシャ化を進めた。
それに対して原点回帰を目指し、律法重視を訴える教団などが勃興し強く対立した。

この対立に加えて、ローマの支配、貧富の差拡大への不満が爆発し、紀元1世紀のパレスチナは争乱へと突き進んだ。
過激な教団や独立派が武装蜂起し、各地で盗賊団も跋扈するようになった。
また各地で救世主を自称する者が多数出現した。

 

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< 2. People in the fort of Masada died a heroic death >
< 2. 壮絶な最期を遂げたマサダの砦 >

 

In 66 A.D., the Jewish radicals caused a riot, and the revolt spread through the whole land.
The Roman forces devoted so many troops to it and exterminated the rebel army and destroyed the Jerusalem thoroughly.
At last, the Jewish people was ousted from the Palestine, and completely lost their own country.
The Judaism could escape from the ban of their religion, but came to be not able to operate in the Jerusalem.

 

紀元66年、ユダヤの過激派が暴動を起こし、反乱は全土に広がった。
ローマ軍は大軍を投じて反乱軍を殲滅しエルサレムを徹底的に破壊した。
ついにユダヤ民族はパレスチナから追放され、完全に国を失った。
ユダヤ教は禁教を逃れたが、エルサレムで活動が出来なくなった。

 
The act of Jesus
Jesus strictly criticized the priests and corruption of the temple and objected to the emphasis on the Low of the reformist.
He went around to teach and preach for two years and got ardent believers and the Apostles.
I think he did not deny the Judaism but appealed the reform.

However, the priests and authorities regarded the Jesus as dangerous, and executed him.

 

イエスの行い
イエスはユダヤ教の祭司や神殿の腐敗を厳しく非難し、また改革派の律法重視にも反対した。
彼は2年間ほど民衆に宣教して回り、熱烈な信者や使徒を得た。
彼はユダヤ教を否定したのではなく、改革を訴えたのだと思う。
しかし、ユダヤ教の祭司と権力者層はイエスを危険視し処刑した。

 

%ef%bc%93

< 3. apostle Paul >
< 3. 使徒パウロ >

 
Afterwards
After the death of Jesus, the teaching expanded to the west by the activity of the Apostles.
Apostle Paul claimed that a revival of the Jesus would soon happen while he had promoted the propagation to pagans.
He said that the subordination to an emperor did not contradict your faith in the one God.
His activity and guidance became a cornerstone which developed Christianity into a world religion.

After intense oppression, in A.D. 313, the Roman Empire assumed the Christianity the state religion.

 
その後
イエスの死後、使徒などの活躍によって教えは西方に広まった。
使徒パウロは、異教徒への布教を推し進める中で、イエスの復活が近いうちに起こると訴えた。
彼はまた唯一神への信仰と皇帝への従属は矛盾しないとした。
彼の活躍と先導がキリスト教を世界宗教へと発展させる礎となった。

激しい弾圧の後、ローマ帝国は紀元313年にキリスト教を国教とした。

 
Birth of the Bible
After the half of a century when Jesus died, the New Testament was made by the letters of Apostles that were edited to convey the words and acts and the teaching of the Jesus.
The Old Testament took a role of a prophecy that Jesus is a savior.

 
聖書の誕生
新約聖書は、イエスの死後半世紀を経て、イエスの言行と教えを伝える為に使途達の手紙などが編纂され誕生した。
旧約聖書はイエスが救世主だとする預言書の役割を担うことになった。

 
Point of the Christianity
The most epoch-making doctrine seems to be “Repent” and “Love neighbors”.
This means that the important point moved to “mind” of each person from “law” imposed on the person.
This viewpoint was common among religions and thoughts that was born in the world around 500 B.C., such as Confucianism, Buddhism, and Greek philosophy.
The Christianity had been affected by the Greek thought from the early days to the Middle Ages.
During the process of Christianity’s developing in Rome, Christianity compromised with the emperor (politics), but the Pope had almost separated from the emperor.
The Christianity had law, but the Rome already had developed the state law, and the both laws were applied at the same time, too.

This continues the next time.

 
キリスト教のポイント
この教義で画期的なのは「悔い改め」や「隣人を愛せよ」でしょう。
これは、課せられた「律法」から、各自の「心」に重点が移ったことを意味します。
この視点は、儒教、仏教、ギリシャ哲学などのように紀元前500年頃に世界で誕生した宗教や思想に共通するものでした。
キリスト教は初期から中世までギリシャ思想の影響を受けた。

キリスト教はローマで発展する過程で皇帝(政治)と妥協していくことになったが、概ね教皇と皇帝とは分立した。
キリスト教も法を有したが、既にローマは独自に法を発展させており、これも並立することになる。

 

次回に続く。

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Bring peace to the Middle East! 30: about terrorism 10 : fight of believer


中東に平和を! 30: テロについて 10: 信者の戦い

 

1

< 1. Japanese-Russo War >
< 1.日露戦争 >

We can understand “God and heaven” that a suicide bomber of the Middle East wrote, by knowing how believers confronted own massacre.

信者が殺戮とどう向きあったかを知ると、中東の自爆テロ犯が語る「神と天国」が見えて来ます。

 

2 ドロヘダ攻城戦
< 2. Siege of Drogheda >
< 2.ドロヘダ攻城戦 >

Certain Christian
“I believe firmly that this is a righteous judgement of God on these barbarous wretches, who had imbrued their hands with so much innocent blood.”

This is a sentence of the report at when British Cromwell (1599-1658) suppressed rebel armies in Ireland. (Siege of Drogheda in 1649)
At this time, the citizens and monks in the city were almost slaughtered as well as combatants.
He justifies own act as Protestant provided justice to Catholic.

The example of such a justification is also seen in the Crusades.
This increased participants in the Crusade, and on the other hand, it caused plunder and massacre to increase.

 
あるキリスト教徒

「これは、無実な人々の血でその手を染めた野蛮な恥知らずどもへの、神の正しき裁きであると私は確信する。」

これは英国のクロムウェル(1599-1658)がアイルランドで反乱軍を鎮圧した時の報告書の一文です。(ドロヘダ攻城戦、1649年)
この時、戦闘員だけでなく、ある都市の市民や修道士などがほぼ全員虐殺された。
彼はプロテスタントがカトリックに裁き(復讐)を与えたとして、自らの行為を正当化している。

このような正当化の事例は十字軍遠征にも見られる。
参加した者には免責が与えられ、戦闘で死んだ者は殉教者になるとされた。
これは十字軍への参加者を増大させた一方、略奪や殺戮を横行させる結果となった。

 

3

< 3. armed priest >
< 3. 僧兵 >

Certain Buddhists
At previous night of all-out attack of the Russo-Japanese War (1904), a Japanese army Buddhist priest told to believers.
“This war doesn’t contradict Sessho-kai (a Buddhist precept of the prohibition of killing living things.), and rather this is a battle for peace.”
And soldiers of the believer charged ahead with saying “Namuamidabutsu (Buddha in paradise)” all together.

In the Russo-Japanese War, this denomination (Jodo Shinshu sect of Buddhism) thought a national feeling of unity is necessary, and encouraged the believers to accepts military service.
Since a long time ago, the believers of the denomination performed against samurai groups fierce fights with weapon of farming implements on several occasions, and they kept self-government.

 

ある仏教徒

日露戦争の旅順総攻撃の前夜(1904年)、日本の従軍僧が信者らに「この戦争は仏教の殺生戒に矛盾せず、平和の為の戦いである」と語った。
そして、信者の兵士らは一斉に「南無阿弥陀仏」と唱えて突撃していった。

日露戦争において、この宗派(浄土真宗)は挙国一致であるべきとして、兵役に積極的に応じている。
古くからこの教団信徒は農具を武器に武士団と壮絶な戦いを行い、自治を守り通したこともある。(福井県の吉崎御坊など)

 

4

< 4. the yellow turban rebellion >
< 4.黄巾の乱 >

Originally, the Buddhism had a prohibition of indiscriminately killing living things and a non-war.
But Japanese large temples had employed armed priests since a long time ago.
The Buddhist fought in Korean Peninsula, China, and Southeast Asia.
In Goguryeo (kingdom of Korea), armed priests in the Korean Peninsula had fought against a great number of invaders of China and nomads with a weapon for defending own country.
In China, a certain school of Taoism caused the yellow turban rebellion, and the Three Kingdoms period began(184 – ).
Next a certain school of Buddhism caused a rebellion, and it led the birth of the Ming (1368 – ).
In China, a large group of farmers that were led by religious organizations caused many revolutions many times.

 
本来、仏教は殺生を禁じ非戦のはずですが、古くから日本の大寺院は武装した僧兵を養っていた。
朝鮮半島や中国、東南アジアでも仏教徒は戦った。
高句麗時代、朝鮮半島の僧兵は中国や騎馬民族の侵略に対し武器を持って戦い、国を守った。
中国では、道教の一派(太平道)が反乱(黄巾の乱)を起こし三国時代(184年~)が始まり、また仏教の一派(白蓮教)が反乱(紅巾の乱)を起こし明(1368年~)の誕生に至る。
この白蓮教は清の時代にも反乱を起こしている。

 

5
< 5. Crusade >
< 5. 十字軍 >

Fight of believer
Looking around the world, it may be said that there was not the religion that did not ever fight.
The enemy was a pagan (sect), devil, unbeliever, in addition an invader and plunderer.
Many widely accepted religion universally has Love and mercy in the doctrine, and infrequently includes the abstinence from taking life.

Why do these believers perform fierce fights in violation of the fundamental creed?
At many fact pattern, religious organizations greatly had influenced it.
It may be said there was a result that the sense of unity and infallibility of the religion was raised by the organizations.

It isn’t a problem usually, but when our society begins to become confused and corrupt, it will bring a bad habit.
信者の戦い
世界を見まわして、かつて戦わなかった宗教はなかったと言えます。
その敵は異教徒(分派)、悪魔、不信仰者に始まり、侵略者、略奪者であった。
広く受け入れられている宗教の教義には愛と慈悲が普遍であり、稀に不殺生も含まれます。

なぜ信者は根本教義に反して壮絶な戦いを行うのでしょうか?
その多くは教団の力が大きく影響しており、宗教がもたらす一体感と無謬性が高度に高められた結果と言えます。

通常、問題にならないが、社会が混乱し疲弊しだすと悪弊が生じることになる。

 

Is there a thing you can understand?
The Palestinian suicide bomber wrote about “God and heaven” in his farewell note.
Because he can go to heaven, did he practice the terror?

As those facts of the world show, first there were necessity for the fight, and the people alleviated a conflict of own death and murder with resorting to God and Buddha.

In world history, many religious organizations have permitted fighting, but Jesus and Buddha will grieve at this.
Probably, I think that Mohammed points out the mistake if he see the present confusion of the Middle East, too.

It isn’t limited to Islam that suicide bombers talk about “God and heaven”.
It is only one of the light and shade that religion brings.

 

This continues the next time.

 
通じるものはあるのか
パレスチナの自爆テロ犯は遺書で「神と天国」を語っていました。
彼らは天国に行けるから自爆を行ったのでしょうか?

世界の例からわかるように、先ず戦う必要に迫られ、次いで死や殺人への葛藤を神や仏が和らげることになるのです。

歴史上、多くの宗教教団は戦いに免罪符を与えることがありますが、イエスや釈迦はこれを嘆いたことでしょう。
おそらくマホメッドも、今の中東の混乱を見れば間違いを指摘したことでしょう。

自爆テロ犯が「神と天国」を語るのは、イスラムに限ったことではないのです。
宗教がもたらす明暗の一つに過ぎないのです。
次回に続きます。

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Bring peace to the Middle East! 29: about terrorism 9 : Two combatants


中東、戦争と平和 29: テロについて 9: 二人の戦闘員

 

1

< 1. Kamikaze Special Attack Units >
< 1. 神風特別攻撃隊 >

 

Today, we approach the difference from the terrorism of the Middle East, through confessions of two combatants.

今日は、二人の戦闘員の告白を通じて、中東のテロとの差異に迫ります。

 

 

2

< 2. Kaiten Special Attack Units >
< 2. 回天特別攻撃隊 >

 

Farewell note of a suicide attacker
“Mother, please forgive me .
I think about the sadness of my family.
However, it must be an importance for me, but I can’t think seriously so.
Now, I am thinking of me as a child of this country more than as a child of mother, because I know that my small life even become a big key of the enemy destruction.
But surely I think to be able to die with having pride that I am a child of father and mother.
(annotation 1)

This is a farewell note of a dead youth at Kaiten Special Attack Units in the end stage of the Pacific War.
They had to enter the navy while he was still in college.
One day, they were said from a senior officer suddenly.
“The person who wants to enter the special attack units should apply by tomorrow morning”
In the result, 40 out of 400 people applied for it, and he was one of then.
Though, after all, the remaining youths also were assigned to the special attack units.
(annotation 2)

This note indicates this young man’s thought, “ As much as possible, I want to stop the crisis of our country destroyed by own life.”
I see a dignity (self-sacrifice) common to all humankind to the youth who applied for it.
This suicide attack was a brave act from Japanese side, but the U.S.A. (enemy country) viewed it as an insane action and seemed to be afraid of it.

This was a desperate measure that the Navy brass created on the occasion of an approaching defeat.
But there were many youths who responded it by own life.
This background had a factor of Japanese culture including Bushido, but the most important was the war situation being continuous for half a century such as creating many war heroes.

This is a thing to be connected with a Palestinian suicide bomber mentioned above, except at “killing private citizens” and ” blessing”.

 

 

ある自爆攻撃者の遺書

「母さんお許しください。
私は家の人々の嘆きを考える。
けれどもこれほど私に重大に思えるくせに、何でもないことはないのだ。
お母さんの子がひとたび戦争に出て、そしてそこに敵撃滅の大きな鍵を私の小さな命であがなえることを知った時、やっぱり、私だってお母さんの子としてよりも、祖国の子としての自分を顧みるようになるのです。
でも私は、きっと私がお父さんの子であり、お母さんの子供だったことを叫んで死んでゆけることと思います。」注釈1.

これは太平洋戦争末期、人間魚雷「回天」で死んだ若者の遺書です。
彼は大学在学中に学徒出陣で海軍に入ることになった。
彼らはある日、突然、上官から「特別攻撃隊に入隊したい者は明日朝までに志願すること」と言われた。
その結果、400人中40名が志願し、彼はその一人でした。
もっとも残りの若者も後日、強制的に特攻に配属された。
注釈2.

この遺書から若者の「亡国の危機を自らの命で少しでも食い止めたい」との思いが伝わってくる。
私は、志願した若者に人類共通の尊厳、自己犠牲を見る。

この自爆攻撃は日本から見れば勇敢な行為だが、米国(敵国)から見れば狂気の沙汰と恐れられただろう。
これは軍上層部が迫る敗戦で生み出した苦肉の策でしたが、自らの命でそれに応える若者が多くいたのです。
これには日本文化(武士道など)の素因もあるが、数々の軍神を生んだようにやはり半世紀にわたる戦争の常態化が引き起こしたと言える。

これは前述したパレスチナの自爆テロ犯の遺書と「民間人殺害」、「神への祈り」で異なるものの、通じるものがある。

 

3 首都グロスヌイ、2000年
<3. Terrible sight of the capital of Chechnya in 2000>
< 3. チェチェンの首都の惨状、2000年 >

 

Explanation of a bomb terrorist
Chechen Islamic militant caused a bomb terror in Russia, and the criminal was arrested.
He spoke like this to the authorities.
“I murdered tens of people, but, the Russia killed tens of thousands people of our citizens.”

He thinks his act is nothing more than insufficient retaliation.

 
ある爆破テロ犯の弁明
チェチェンのイスラム武装勢力がロシアで爆破テロを起こし、犯人が逮捕された。
彼は当局に対してこう述べた。

「私は数十人を殺したが、ロシアは我々市民を数万人殺したではないか。」

彼は、自分の行為を不十分な報復でしかないと捉えている。

 
Difference from the terrorism of Palestine
Thing being common to two examples mentioned above and the terrorism of Palestine is a response a small armaments does against huge armaments.

I pick up this example from the world.
Guerrilla is subtly different from the terrorism, but these are used in the similar situation.

パレスチナのテロとの相違
上記二つの例とパレスチナのテロで共通していることは、巨大な軍事力に対する弱小側の対応だと言うことです。

この例を世界から拾ってみます。
テロとゲリラは微妙に違うのですが、共によく似た状況で用いられています。

 

 

4
< 4. Spanish independence war by Goya >
< 4. ゴヤが描いたスペイン独立戦争 >

 

Guerrilla in wartime.
The Spanish guerrilla against Napoleon forces in Spanish independence war.
The Chinese guerrilla against Japanese military in the Japan-China War.
The Yugoslav Partisan against German military in the World War II.
The guerrilla of Viet Cong against the U. S. Armed Forces in the Vietnam War.
These were mainly fights local citizen performed against the invading army.

Terrorism during a conflict
The terrorism having aimed at abolition of Apartheid in South Africa.
The terrorism by the IRA having aimed at independence of Ireland in the U.K.
The terrorism aiming at independence of Palestine in Israel.
The terrorism by Islamic extremist advocating anti-western idea all over the world.
It is said that these aim at giving the authority fear mainly.

A difference of killing combatants is outstanding between these terrorism and these guerrillas, but it is only difference in situation.

In fact, there are many private citizens massacred by regular army in the war, such as Dresden bombing, Chongqing bombing, atom bomb on Hiroshima and Nagasaki, retaliation to guerrilla (Nanjing Incident and My Lai Massacre).

 
戦時下のゲリラ。
スペイン独立戦争でのナポレオン軍に対するスペインのゲリラ。
日中戦争での、日本軍に対する中国のゲリラ。
第二次世界大戦での独軍に対するユーゴスラビアのパルチザン。
ベトナム戦争での米軍に対するベトコンのゲリラ。
これらは主に現地の市民が侵略軍に対して行ったものです。

 

5

<5. Former IRA>
< 5. かつてのIRA >

 

紛争中のテロ。
南アフリカでのアパルトヘイト撤廃を目指したテロ。
英国でのアイルランド独立を目指したIRAのテロ。
イスラエルでのパレスチナ独立を目指すテロ。
世界中で反欧米を唱えるイスラム過激派によるテロ。
これらは主に権力側に恐怖を与えることを狙っていると言えます。

これらゲリラとテロでは戦闘員殺害の差が目立つが、状況の違いでしかない。
実は、戦争において正規軍が民間人を殺戮することは、ドレスデン爆撃、重慶爆撃、広島長崎の原爆投下、ゲリラへの報復(南京事件、ソンミ村事件)など数多くの大量殺戮があった。

 

Important thing
Terrorism is a crime that we should hate.

However, there were lots of villainy before then, such as discrimination, destruction and slaughter.
Originally, it should be brought to justice as war crimes together.
Unfortunately it is difficult to punish rulers, and it is usual that the information is deflected by these rulers.

The important thing is we don’t look away from the background that the terrorism occurs on.

Mutual understanding was indispensable for the end of bloody conflict that happened in the world.
When there was not it, there only was submission or erasure.

On the next time, I approach a relation of religion and terrorism.

 

 
重要なこと
テロは憎むべき犯罪です。
しかし、多くはそれまでに数多くの非道(差別、破壊、虐殺)があったのです。
本来は共に戦争犯罪として裁かれるべきものです。
残念なことに支配者を罰することは困難で、さらにその情報は支配者によって偏向させられるのが常です。

重要な事は、私達がテロが生まれる背景から目をそらさないことです。

世界で起きた血みどろの紛争の終結には、必ず相互理解が不可欠でした。
それが無い時は、忍従か抹殺しかありませんでした。

 
次回は、テロと宗教の関係を追います。

 

 
注釈1
本「特攻隊だった僕がいま若者に伝えたいこと」p40より。

注釈2
日本の特別攻撃の航空(神風)・海中(回天)・海上を合わせて約6000名が死んだ。
冥福をお祈りします。

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何か変ですよ 41: 今、何が重要なのか?


 1

  • * 1

 

 

今、日本政府は経済を好転させる努力をしています。

今の政策を加速させるべきだと言うエコノミストもいます。

今日は、この事を考察します。

 

私の経験から

私は30年以上、株にはじまり不動産や金、ファンドに投資して来ました。

そして色々失敗し、勉強した末に悟っていることがあります。

それは、エコノミストの画期的な理論や予測が、いとも簡単に外れることです。

また長いスパンで見ると先進国の経済には大きな底流があるように思えます。

 

現状はどうなっているのか

安部政権の誕生は2012年の12月でした。

そこで2012年度から2016年6月までの経済データーを見ます。

 

2a

< 2. 代表的な日本経済の指数の推移、「世界経済のネタ帳」より >

青枠は2012年から2016年の期間を示す。

 

グラフA: ドル円為替レートは約80円から最高124円をつけ、現在106円になった。

グラフB: 日経平均株価は約9000円から最高20600円をつけ、現在16700円に下落。

グラフC: インフレ率は約0%から最高2.8%をつけ、今年の予測―0.2%に低下。

グラフD: 実質GDP成長率は1.7%で始まり、その後低下し、今年の予測0.5%。

グラフCとDの予測値は2016年4月のIMFの値。

 

安部政権になってから、株高と円安は一度進んだが、現在、足踏みか反転傾向にも見える。

実質GDP成長率とインフレ率は、なかなか期待通りに行かないようです。

 

失業率は4.3%から徐々に低下し現在3.3%になっている。

これは前回説明した高齢者(団塊世代)の大量退職が続く為で、今後も続くことにより日本経済の足を引っ張ることになる。(グラフFで説明します)

 

 

現状をどう見るのか

株価上昇は起こせても、円安とインフレの定着、さらに経済成長させることは困難なようです。

以前にも書きましたが、2012年の日本の株高と円安への反転は、ヨーロッパの金融危機が去ったことが引き金になっている。

 

以前、私は構造改革が出来ず、相変わらず公共投資に頼るだけなら、リフレ策の方がまだましだと言いました。

リフレ策にはマイナス面もあるが、もしうまくいけば、デフレを脱却し景気回復と莫大な累積赤字の拡大を防ぐ可能性があった。

 

現状を見ると、今の経済政策を失敗とまで断定出来ないが、このまま過度な金融緩和を続けると重大な副作用を招く可能性がある。

 

 

何が問題なのか

一番、重要なことは将来の経済悪化を招くかもしれないことです。

 

一つのケースは、実体経済が良くならないで、だぶついた資金が金融資産(株などの投機資金)に集中し、やがてバブルが弾けることです。

他にも、災いをもたらすケースは幾通りもありますが。

 

3

< 3. 日本の一般会計税収の推移、「アダム・スミス2世の経済解説」より >

ピンク枠は2012~2014年の期間。

黒線は日経平均、赤線は名目GDP(インフレ率込み)、青棒は税収を示す。

 

グラフEから、現在、税収が増えてプライマリーバランス(基礎的財政収支)が良くなっていることがわかります。

このまま続ければ、税収が増え続け、構造改革や増税をしなくてもやがて赤字は無くなると政府は言います。

 

実は、これは幾度も繰り返して来た夢想です。

このグラフの2007年(リーマンショックの前年)も税収が増えていますが、その後は極端に減っています。

つまり、株価上昇(黒線)によって株価総額が数百兆円増加し税収が増えても、バブルが弾けると激減するのです。

結局、実体経済(赤線)は良くなるどころか、悪くなりました。

 

ここで本質的なことは、日本経済に潜在的な成長力があるのか、またその成長力の根源は何かを知ることです。

もし成長力が無いのに、金融だけで刺激すると既に指摘した問題が発生します。

 

 

 

日本に潜在的な成長力はあるのか

 

4b

< 4. 日本の人口と生産性の推移、「総務省」と「文部科学省」より >

 

人口構造と人口が一定であれば、生産性(労働、資本、技術)が上昇することにより経済は成長します。

しかしグラフFが示すように、1995年から生産年齢人口割合(一番上の折れ線)が減少の一途です。

つまり今後、数十年間、生産年齢人口(青棒)が減ることにより、生産性が一定でも経済は減速を強いられます。

このことはグラフGの生産性寄与度の合計よりも、GDP成長率(青線)が下がっていることでも確認できます。

(グラフ内の全要素生産性寄与度は、様々な経済指標から他の二つの寄与度を計算した残余で、この生産性による分析は不明瞭な所があります。)

 

それでは、なぜ生産性が長期に衰退傾向にあるのでしょうか?

実は、別の人口要因が生産性を低下させている可能性があるのです。

 

 

5a

< 5.平均寿命増加率とGDP成長率の関係、グラフIは厚生省のデーター使用 >

 

グラフHによれば、平均寿命は1950年から急激に伸び始め、2010年以降、その伸びは急速に鈍化している。

 

グラフIは、グラフHの平均寿命から増加率を計算しグラフにしたものです。

これによると、平均寿命の増加が戦後の1960~70年代の経済成長を呼び込み、その後の日本経済の長期低迷も説明しているように見える。

青枠は、敗戦後からベビーブームの高校生が就職し始めるまでの期間で、彼らが生産に関与していない時期です。

 

平均寿命が急速に延びる時、生活環境の好転と健康増進が起きており、人々は将来に希望を抱き、労働意欲に燃え、老後に備えて貯蓄します。

この高い貯蓄率が投資に向けられ、経済成長の好循環が起きると考えられます。

この相関は一部の経済学者によって確認されているが、まだ解明途上のように思います。

私は、文明史や人口学、社会学、心理学の視点から言って、もっともうまく説明していると思います。

 

もしこれが真実なら、今後、日本経済は容易に成長しないことになる。

 

 

結論

折に触れてブログに書いているが、現在の欧米の経済政策では、益々景気不景気の波が高くなり、国内と国家間の貧富の差が拡大し続け、破綻の可能性があると私は懸念しています。

 

真実に目を背け、行き過ぎた夢想に期待することは危険です。

真実に目を向け、対策を立てるなら、必ず道は開けるはずです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 10: Seeing the Middle East and Arab world in films 3: Schindler’s List


中東に平和を! 10: 映画に見る中東とアラブ世界 3: シンドラーのリスト

 

1

  • * 1

 

Today, I introduce the masterpiece “Schindler’s List”.

This describes a Jewish genocide (the Holocaust) that happened during World War II.

You will get a flash of anger and feel tears welling up.

 

今日は、名作「シンドラーのリスト」を取り上げます。

第二次世界大戦中に起こったユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)を扱っています。

涙と怒りが込み上げてくる映画です。

 

 

2
< 2. Setting of the film, 1939-1945 >

< 2. 映画の舞台、1939-1945年 >

Upper map:   Beginning the World War II, Germany invaded the east mainly.

Lower map:   A map of the Holocaust during the World War II.

Star mark is city with ghetto, skeleton mark is extermination camp, and black mark is concentration camp (prison or forced-labor camp).

Red arrow shows Krakow where a factory of Schindler was in Poland.

There is Auschwitz extermination camp near that.

 

For a long time, Jewish people of Europe have emigrated to Eastern Europe and America for escaping from persecution, but the situation turned worse since when Nazi began autocracy in 1933.

Besides, when German military invaded Eastern Europe, Jewish people were forcibly shut in by ghetto and camp, and their escape and emigration became mostly impossible.

 

 

上の地図: 第二次世界大戦が始まると、ドイツは主に東方に侵攻した。

下の地図: 大戦中のホロコースト地図。

星印はゲットー(居住地)、ドクロ印は絶滅収容所、黒四角は他の収容所(監獄、強制労働所)です。

赤矢印は、シンドラーの工場があったポーランドのクラクフです。

近くにアウシュヴィッツ絶滅収容所があります。

 

以前から西欧のユダヤ人は迫害を逃れ東欧や新大陸などに移住していたが、ナチスが独裁を始めた1933年頃から状況は悪化した。

しかもドイツ軍が東欧に侵攻してくると、ユダヤ人は強制的にゲットーや収容所に閉じ込められ、ほとんどが逃亡や移住が不可能になった。

 

Summary of the film

― Production ―

It was made in The U.S.A. in 1993.

The director is Steven Spielberg, and Liam Neeson is playing the role of Schindler.

 

― Contents ―

It is a fictionalization of true-life story.

The setting is Poland under German military occupation during World War II.

A German businessman Schindler aimed at making a profit in the war, and came over here from Germany.

He bought a deceased company and employed Jews from ghetto as cheap laborer and entrusted a Jewish accountant with the management.

Because he was a playboy and a member of Nazi party, he ingratiated himself to Schutzstaffel (SS), and his company accomplished rapid growth as a munitions factory, by being provided with the benefit of the military.

 

However, since a coldhearted man was assigned a new post of the head chief at near Płaszów Concentration Camp, the massacre and cruelty to Jews became widespread.

When the danger approaches Jewish workers of his factory before long, he has a change of heart, and begins to devote himself to Jewish relief.

 

Furthermore, he plans harboring Jews as the personnel necessary for his munitions factory, for preventing Jews from being sent to extermination camp.

Therefore, he makes “List”, corrupts and deceives the Schutzstaffel (SS) by himself almost, and succeeds in their rescue.

He became penniless at last.

 

More than 1100 Jews were able to survive after the war in this way.

 

 

映画の概要

―制作―

米国、1993年、スティーヴン・スピルバーグ監督、リーアム・ニーソン主演(シンドラー役)。

 

―内容―

この映画は実話を題材にしています。

舞台は第二次世界大戦中のドイツ軍占領下のポーランドで、ドイツ人実業家シンドラーは戦争で一儲けを狙いドイツからやって来た。

彼は潰れた工場を買い取り、安価な労働力としてゲットーのユダヤ人を雇い、ユダヤ人会計士に経営を任せていた。

彼は遊び人でナチ党員でもあったので、ナチス親衛隊にうまく取り入り、軍需工場として便宜を図ってもらいながら急成長を遂げる。

 

しかし、近くのプワシュフ強制収容所に冷酷な所長が赴任してくると、ユダヤ人への虐待や殺戮が横行するようになる。

やがて工場に働くユダヤ人にも危険が迫って来ると、彼の心境に変化が現れ、ユダヤ人の救援に心砕くようになる。

 

さらに、彼はユダヤ人が絶滅収容所に送られるの防ぐ為に、ユダヤ人を軍需工場要員として匿うことを企てる。

その為に「リスト」を作り、ほぼ彼一人で親衛隊員らを買収し騙し、見事救出に成功する。

ついに彼は無一文になった。

 

こうして、1100人以上のユダヤ人が戦後も生き残ることが出来た。

 

 

Story

ストーリー

 

3

< 3. Storm of persecution >

< 3.迫害の嵐 >

 

Poland occupied by the German military became a hell for Jews.

They were discriminated against by the citizen, too.

 

ドイツ軍に占領されたポーランドはユダヤ人にとって地獄になった。

彼らは市民からも差別された。

 

4

< 4. Schindler >

< 4. シンドラー >

Central photo: A Jewish accountant and Schindler.

 

真中の写真: ユダヤ人会計士とシンドラー。

 

5

< 5. A new head chief of Concentration Camp >

< 5.新しい収容所所長 >

 

The head chief described by this film despised Jews abnormally and massacred them without hesitating.

He, Amon Göth was actual person and was executed in the war criminals after the war.

 

映画で描かれている所長は、異常なまでにユダヤ人を蔑視し、殺戮を躊躇せずに行った。

彼、アーモン・ゲートは実在の人物で、戦後、戦争犯罪人で死刑になった。

 

6

< 6. Rescure >

< 6.救出 >

 

Schindler makes “List” and negotiates with Göth head chief or other soldiers.

The rescue from freight trains protected by many German soldiers is very dramatic.

 

シンドラーはリストを作成し、ゲート所長ら軍人らと交渉する。

ドイツ兵に守られた貨物列車からの救出劇はハラハラドキドキの連続です。

 

 

7

< 7. The last >

< 7. ラスト >

Upper photo: He is presented a gold ring by Jews saved by him.

Lower photo: By his will, his grave was made in Israel.

The bereaved families of the people he rescued gathered around it.

 

上の写真: 救ったユダヤ人から、金歯から作った指輪をプレゼントされる。

下の写真: 彼の遺言により、墓はイスラエルに設けられた。

その周りに、彼が救った人々の遺族が集まった。

 

 

What was running on in this time?

この時代に何が起きていたのか

 

 8c

< 8. Jewish emigration before the world war >

< 8.大戦までのユダヤ人の移住 >

From the late 19th century, Jews immigrated to the East Coast (mainly New York) of the American for escaping from persecution.

It was continued after when Hitler began autocracy in Germany in 1933.

Later, they come to have political ability to move the United States and are supporting Israel strongly.

 

19世紀後半から、ユダヤ人は迫害を逃れ、米国の東海岸(ニューヨーク)へと多くが移住していた。

それはドイツでヒットラーが独裁を始めた1933年以降も続いた。

後に、彼らは米国を動かす政治力を持つようになり、強力にイスラエルを支援することになる。

 

 

 

 

9

< 9. Jewish emigration after the world war  >

< 9.大戦後のユダヤ人の移住 >

 

Jews who lived in Palestine in 1917 was approximately 50,000 people, but the population was increased by the emigration such as people expelled from Nazis, following the British mandatory administration times,

After the forming of the Israeli state in 1948, the population increased rapidly and became 8 million at the present day.

 

1917年、パレスチナの地に住むユダヤ人は5万人ほどだったが、英国の委任統治時代を経て、ナチスに追われた人達などの移住で増加した。

1948年のイスラエル建国以降は、その数は急速に膨れ上がり、現在800万人となった。

 

 

Lesson of the history

The Jew that was despised so much is a strong people like supporting Israel and the United States now.

At this moment, it is hard to imagine the persecution for 2000 years by Christian in Europe.

 

The people that had been persecuted seem to have begun new persecution.

It seems to be difficult to cut off the persecuted fear.

The prohibition to the doctrine violation that every religion has may cause justification of persecution.

 

This continues next time.

 

 

歴史の教訓

あれほど蔑視されたユダヤ人は、現在、イスラエルや米国を支える強力な民族となった。

欧州のキリスト教徒による2千年の迫害はまるで嘘のようです。

 

迫害された人々は新たな迫害を始めたようです。

迫害された恐怖を、断ち切ることは難しいようです。

あらゆる宗教が持つ教義違反への戒めは迫害の正当化を招くことがある。

 

次回に続きます。

 

 

 

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I visited colored leaves of Nara prefecture 2


奈良の紅葉を訪ねて 2

 

1-DSC05550

< 1. A main hall in the right side and A main gate in the left >

< 1. 右が本堂、左が楼門 >

 

I introduce Chogakuji temple of Nara prefecture.

I went to see colored leaves, but our sightseeing time was over by an explanation by a picture of hell almost.

However, this was very good.

 

今日は奈良県天理市の長岳寺を紹介します。

紅葉を見に行ったのですが、ほとんど大地獄絵の絵解き説法で観光時間が終わりました。

これが非常に良かった。

 

 2DSC05561

< 2. the main gate >

< 2. 楼門 >

 

This is the oldest main gate with bell house that a bell once was set up the upper part of, and was built in the last of the 12th century of the Heian era.

 

日本最古の鐘楼門で、上層に鐘を吊った遺構があり、平安時代末期頃(12世紀頃)の建築です。

 

 

3DSC05514

< 3. a view of prayer hall from the main hall >

< 3. 本堂前から拝堂側を見る >

 

4DSC05531

< 4. a view of a pond from the main hall >

< 4. 本堂の縁側から放生池を望む >

 

5DSC05540

< 5. a view of the main hall from the pond >

< 5. 放生池から本堂を望む >

 

7

< 6. Amida Triad statue in the main hall >

< 6. 本堂にある本尊の阿弥陀三尊像 >

 

Zocho-ten that was one of the Four Guardian Kings is seen to the left, and there is Tamon-ten that was one of the same in the right side.

 

向かって左に増長天が見え、その右には写っていないが多聞天がある。

 

About Chogakuji temple

This temple was built in 824, and there were as many as 48 sub-temples and about 300 Buddhist monks at the peak.

Amida Triad statue was made in the last of the Heian era (about the 12th century),

And Zocho-ten and Tamon-ten was older than it.

Now, this temple became little, but seasonal flowers in the vast precincts seem to be famous.

 

I was surprised that I can look near the 5 statues being National Important Cultural Property.

 

長岳寺について

ここは真言宗の寺で、創建は824年と古く、盛時には48の建物、僧侶300名ほどを要したそうです。

阿弥陀三尊像は平安末期(12世紀頃)、増長天・多聞天は平安中期と更に古い。

今は寂れた寺だが、境内12000坪の花が有名だそうです。

 

私が驚いたのは、国指定重要文化財の5体の仏像を間近でじっくり味わえることでした。

 

6ssDSC05527

< 7. the left is the Amida statue, and the right is Tamon-ten >

< 7. 左が阿弥陀如来像、右が多聞天像 >

 

When I sat near front of Tamon-ten and I heard the explanation by a chief priest about a picture of hell along with seeing it, I was overcome by deep emotion.

The exposition of the picture of hell is limited at this time of year.

Once, Many believers would feel an intimate connection with a crime and the Pure Land by seeing a similar picture of hell, and they would be assured of Buddha’s help with seeing gentle Amida Buddha and rageful Tamon-ten.

 

多聞天の直ぐ前に座り、壁に掛かった地獄絵を見ながら住職の絵解き説法を聞いていると

感慨深いものがあった。

大地獄絵の御開帳はこの時期に限定されています。

かつて、多くの信徒が地獄絵で罪と浄土を身近に感じ、憤怒の多聞天と柔和な如来に接して救いを確信したことだろう。

 

8地獄絵1

< 8. large picture of hell >

< 8. 大地獄絵 >

 

The main story of this picture: After cremation, dead persons go through Hades in numerical order, and it judged whether they are sent to hell or the Buddhist paradise at the last.

 

地獄絵のストーリー: 死者は火葬された後、番号順に冥界を進み、最後に地獄か極楽行きかが決まる。

 

About large picture of hell 

This was drawn in the early of the Edo era (the 16-17th century), the mean size of 9 hanging pictures is about 90 cm in width, and about 250 cm in length.

The story of this picture originates in Buddhist scripture “Ojoyoshu” of the 10th century, and furthermore its origin is from the Pure Land Faith birthed in India in about the first century.

 

この大地獄絵について

これは江戸時代初期(16~17世紀)の作で、一つ掛け軸の巾約90cm、縦約250cmで9幅の連作です。

地獄絵のストーリーは10世紀の源信の仏書「往生要集」が元になり、さらにその起源は1世紀頃に生まれたインドの浄土信仰(大乗仏教の経典「阿弥陀経」など)に遡る。

 

9地獄絵

< 9. the main points of the large picture of hell >

< 9. 大地獄絵の要点 >

Upper picture: In upper part of No. 5, Emma Daio judges merits and demerits of a dead parson.

Central picture: In central part of No.6, person having had crime gets dropped into the blaze hell.

Lower picture: In central part of No.9, Buddha comes to pick up good person to the Buddhists’ paradise.

 

“ Keep on doing good deeds” of Buddhism and “devote to own parents” of Confucian still are living teachings in our mind.

 

 

上図: 掛け軸5番の上部。閻魔大王が、死者の功罪を審判している。

中央図: 掛け軸6番の中央部。 罪ある者は火焔地獄などに堕とされる。

下図: 掛け軸9番の中央部。 善行ある者は如来が極楽浄土へと迎えに来てくれる。

 

今も日本人の心に、仏教の「善行を積む」と儒教の「孝徳を尽くす」の教えが息づいている。

 

10念仏

< 10. A sacred book and Buddhist invocation >

< 10. 経典と念仏 >

 

Very roughly speaking, the Japanese Buddhism was divided into popular religion of believers chanting the Nenbutsu (Buddhist invocation) and Zen Buddhism of samurai attaching importance to discipline own mind.

I think the Nenbutsu became very popular among the common people under favor of the picture of hell and “Ojoyoshu”.  

The Pure Land Faith preached the Nenbutsu as means to go to the Buddhists’ paradise.

On the other hand, sacred books of Buddhism had been written in Chinese character, and many people were not able to read.

Thus, the explanation by a picture of hell became very popular across the whole country by street performers and priests in the Edo era.

 

Afterword

Accidentally, I was surrounded by Buddhist statues of the Heian Period and could hear the explanation of a picture of hell.

I could contact a Japanese culture descending from ancient times.

 

 

日本の仏教は大雑把に言って、念仏を唱える民衆の宗教と、精神修養を重視する武士の禅宗に別れました。

南無阿弥陀仏など、仏の名前を唱える念仏が広まったのは、「往生要集」と「地獄絵」のおかげとも言えます。

浄土信仰は、極楽浄土に行く手段として念仏を説いていた。

一方、仏教の経典は中国の漢字で書かれており、多くの民衆は読むことが出来なかった。

こうして地獄絵の絵解き説法は江戸時代には大道芸人や僧侶によって全国に普及するようになっていた。

 

 

あとがき

私は偶然にも、平安時代の仏像に囲まれて地獄絵の絵解き説法を聞くことが出来ました。

いにしえからの日本の文化に触れる思いがしました。

 

 

 

 

 

 

 

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New fables of Aesop 12: a rabbit and a mole


平成イソップ物語 12: ウサギとモグラ

 

1谷

  • * 1

 

Once upon a time, a rabbit and a mole lived in a valley.

Beautiful transparent crystals came out of the valley.

The rabbit and the mole gathered it and sold to villagers.

 

昔々、ある谷にウサギとモグラが住んでいました。

その谷からは美しい透明な水晶が採れました。

ウサギとモグラはこれを採って村人に売っていました。

 

 2ウサギ

  • * 2

 

Before long, the transparent crystals began to decrease and the crystals that impurities mingled with came to remain in plenty.

In this situation, the crystals to sell would have disappeared soon.

 

やがて透明な水晶は減っていき、不純物が混じった水晶が多く残りました。

このままでは売れる水晶が無くなってしまいます。

 

3水晶

  • * 3

 

One day the rabbit said to a villager.

“You will be able to see brilliant things in this crystal, and this is popular just now.”

Thus, the rabbit sold crystals more than ever.

 

On the other hand, the mole had sold only transparent crystals like always.

Because the numbers of sold crystals decreased, the mole’s living became hard.

 

 

ある日、ウサギが村人に言いました。

「この水晶の中にキラキラしたものが見えるでしょう。今、これが人気ですよ。」

こうしてウサギはこれまで以上にたくさん水晶を売りました。

 

一方、モグラは今まで通り透明な水晶だけを売っていました。

モグラは売れる数が減ってきたので暮らしは苦しくなるばかりでした。

 

4水晶悪い

  • * 4

 

Time passed, one day, a villager visited the rabbit.

” Rabbit! This crystal that you sold is imitations.”

The crystal that the rabbit sold came to include more impurities, so the transparency disappeared at last.

 

The mole said proudly to the villager.

“Only my crystal is genuine.”

The villager

” I do not need it, because I cannot trust the stone that came out of this valley.”

 

Then, all villagers never bought stones of this valley.

 

 

年月が経ったある日、村人がウサギのところにやって来ました。

「うさぎさん、あなたの売る水晶は偽物ですね。」

ウサギの売る水晶は混じり物が増え、ついに透明さが無くなっていたのです。

 

モグラがその村人に自慢げに声をかけました。

「私の水晶だけが本物ですよ。」

村人

「いらないよ。この谷で採れる石は信用出来ないからね。」

 

すべての村人はこの谷の石を買わなくなりました。

 

 

The rabbit

” I think Crystal that included impurities is not bad. This villagers have a hard head.”

 

The mole

“If I was right, I thought it would be enough. I was stupid”

They muttered in this way, and left this valley at last.

 

 

ウサギ

「水晶に不純物があっても良いではないか。村人は頭が固い。」

モグラ

「私は自分が正しければ良いと考えていた。私は馬鹿だった。」

こうつぶやいて、ついにウサギもモグラも谷を去りました。

 

 

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New fables of Aesop 11: White snakes and black snakes


平成イソップ物語 11: 白蛇と黒蛇

 

1

  • * 1

 

Once upon a time, white snakes and black snakes had lived in grassland.

White snakes hadn’t poison, but black snakes had it.

 

昔々、ある草原に白蛇と黒蛇が住んでいました。

白蛇には毒がありませんが黒蛇は毒を持っていました。

 

2

  • * 2

 

White snakes once gathered and talked.

“ If we have poisonous fang, we also become stronger”

“ We need to get poisonous fang”

 

They went in front of God.

“ God! We want to get poisonous fang”

 

God answered.

“ I can fulfill your wish, but you surely will regret. Therefore you should wait”

Some white snakes that didn’t assent to it transformed oneself into black color by sinking their body’s into tar pond.

 

ある時、白蛇達は集まって相談しました。

「毒牙があれば我々も強くなれるぞ!」

「我々も毒牙が必要だ!」

 

皆は神様の所に行きました。

「神様、我々にも毒牙を下さい」

 

神様は答えました。

「皆の望みを叶えても良いが、きっと後悔することになるから、待っていなさい」

 

納得できない白蛇達は、タールの池に体を浸け、真っ黒に変身しました。

「これで我々も身を守れるぞ!」

 

3

  • * 3

 

A few years later, human beings came to this grassland.

 

The snakes that transformed oneself into black color became panic.

“Human beings randomly kill black snakes having poisonous fang”

“If this goes on, we also are killed”

“We hastily must take off our black hide”

 

それから月日が流れ、人間達が草原にやって来ました。

 

黒く変身した白蛇達は慌てました。

「人間達は、毒牙を持った黒蛇を手当たり次第に殺しているぞ!」

「このままじゃ我々も殺されるぞ!」

「皆、黒くなった皮を早く脱ごう!」

 

4

< 4. Molting, 脱皮 >

 

All black snakes were dead, and white snakes that couldn’t take off the black hide in time also were dead.

 

A surviving white snake murmured.

“What does protect us?   We can’t know the answer unless we look at the future as long as possible”

 

 

黒蛇は皆、殺されてしまい、黒い皮を脱ぐのが間に合わなかった白蛇も殺されてしまいました。

 

生き残った白蛇がつぶやきました。

「何が身を守るかは、先の先まで読まないとわからないね」

 

 

 

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Capital of Piketty 23: a difficile mentality hiding in our mind


ピケティの資本論 23: 私達の心に潜む厄介な心理 1 

 

  1 

*1

Piketty says that a global taxation is indispensable for rectifying economic disparities.

However, a certain mentality will disturb it.

We consider the difficile mentality that disturbs us when we must embark on rectifying disparities.

 

ピケティは格差の是正に世界的な課税が不可欠としています。

しかし、ある心理が邪魔をすることになります。

これから数回にわたり、格差是正に踏み出せない厄介な心理について考察します。

 

Preface

Probably, one of bigger walls that people cannot embark on rectifying disparities may be consciousness towards “future”.

 

There isn’t a problem in future.

The problem is that people are split into persons having hope in the future, persons already no having it, and having it until now, but persons that will be not able to have it eventually.

Under the consciousness of “future” of each class remaining far apart, the core of this problem hinges on how middle class acknowledges the future.

 

 

はじめに

人々が格差是正に踏み出せない最大の壁の一つは、おそらく「未来」に対する意識でしょう。

未来に問題があるのではありません。

問題の始まりは、未来に希望がある人と、既に希望がない人、今は感じていないがいずれ希望が断たれる人に分かれることにあります。

この問題の核心は、「未来」に対する各層の意識が大きく隔たる中で、社会の中核を担う層が「未来」をどう認識するかにかかっています。

Can our society handle properly on the future?

If same two accidents happen in the present and in the future, the mentality of person tends to emphasize the present more than.

Conversely, person tends to ignore accident that will happen in the far-off future.

This may be called natural mentality.

On the other hand, the human got a mentality “anxious mind” (by secretion of some hormone) that contradicted this, during the process of evolution.

Though the human works on new things by curiosity, this is a big reason that the human can avoid misfortune in the future.

Then, could our society handle properly future misfortunes?

There is a point that we should look out for.

In democratic society, it becomes a point that the middle class that occupies majority considers what shape is a maladjuative society (a sign of future misfortunes).

In fact, a middle class made a mistake in the social innovative changes in history.

 

社会は未来に適正な対処が出来るのか?

人の心理は、現在と未来に同じ事が起きるとしたら、現在を重視する傾向があります。

逆に言えば、人は遠い未来に起きる災厄を無視する傾向があります。

これは自然の心理と言えます。

一方、人類はこれと相反する心理、「心配性」(ホルモンの分泌)を進化の過程で得ました。

これこそは人類が好奇心によって新しい事に取り組みながらも未来で災厄を免れ得る大きな理由です。

それでは、社会は未来の災厄にうまく適応出来ているのでしょうか。

ここで一つ注意すべきポイントがあります。

民主的な社会において、大多数を占める中間層が、社会の不適応状態(未来で起きる災厄の兆候)をどう捉えるかがネックになります。

実は歴史上、中間層が社会の適応を誤らせることがあります。

2

< 2. income inequality of countries, by “Capital in Twenty-First Century” >

< 2.各国の所得格差、「21世紀の資本」より >

Explanation: a line “-◆-”shows Germany.  

A yellow zone shows the Weimar Republic era, and a red zone shows the era from the beginning of the Nazis autocracy till starting the war.

The income inequality decreased in the Weimar Republic era, but suddenly increased in the Nazis era.

 

解説: ドイツを-◆-で示す。黄帯はヴァイマル共和政時代、赤枠はナチス独裁開始から大戦開始までを示す。ヴァイマル共和政時代は格差が低下したが、ナチス時代は急激に悪化した。

One historical example

What kind of people supported the Nazis that have begun the Second World War?

The political party had been finely divided between the left wing and right wing in those days.

Emboldened young men participated in armed battle groups such as the storm troops, but the strong support of the middle class was necessary in order that the Nazis become the top party.

This middle class consists of white-collars, merchants and traders, doctors, public employees.

It is said that they supported the Nazis because of the character of the middle class that is conservative and authoritarian.

In other words, the middle class of that time feared to lose own livelihood, refused the reform in progress, and depended on iron-fist rule for sorting out the confusion.

Thereby, it is a well-known fact to have caused a miserable result.

歴史上の例を一つ挙げます。

第二次世界大戦を始めたナチスを支えたのはどのような人々だったのでしょうか?

当時、政党は左派と右派で細かく分裂していました。

突撃隊のような武闘集団には血気盛んな青年が参加しましたが、ナチスが国会で第一党になるには中産階級の強い支持が必要でした。

この中産階級とはホワイトカラー、商工自営業者、医者、公務員などを指します。

彼らがナチスを支持した理由は、中産階級の保守的で権威主義的な性格からだとされています。

当時の中間層が生活基盤を失うことを恐れ、進行中の改革を拒否し、また混乱を収拾する為に強権に頼ったからでした。

そのことで、逆に悲惨な結果を招いたことは周知の事実です。

3

*3

Summary

In democratic society, even if a problem is taking place in a part, it sometimes happens that the majority including the middle class ignores it, and the problem is left.

It may be said that this is because they were not able to forecast their future precisely.

A level of knowledge of the middle class is high, but they seem to not perform a breakthrough unless the situation comes to the boil.

 

This continues next time.

まとめ

民主的な社会において、一部に問題が起きていても、中間層を含めた過半数がそれを無視し、その問題が放置されることはあります。

さらに、社会が不適応を起こしていても、中間層は現状維持か過去への復帰に固執し、改革に対して積極的に阻止の行動をとることもあります。

これは、彼らが未来を適確に予想出来なかったからとも言えます。

中間層の知識水準は高いのですが、よほど事態が切迫しない限り、彼らは現状打破へと腰を上げないようです。

次回、具体的に格差の進行を例に中間層の立場を考察します。

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ピケティの資本論 21: よくある偏見 1


   1

*1

今までの20話で、格差に直接関わる問題を見てきました。

これから2回にわたり、警世の書に対するよくある偏見について考えます。

 

 

はじめに

皆さんの中には、ピケティの本にこんなイメージをお持ちの方がいるかもしれません。

「警世の書なんか当たったためしが無い!」

「こんな煽動の手には乗らないぞ!」

このことについて考えます。

2

  • * 2

警世の書

1970年に立ち上げられた「ローマクラブ」による報告書「成長の限界」の内容は鮮烈でした。

そこには地球の地下資源が早いものでは30年後には無くなると言うものでした。

現在、既にその期限が過ぎていますが、まだ資源は枯渇していません。

しかし、予測の基本は外れていませんし、そのおかげで世界は枯渇に向けて対策を打って来ました。

水産資源(漁獲)の自然の生産力は1980年代末にピークとなり、その後は養殖により増産を可能にしています。

希少金属や枯渇エネルギーの代替を既に進めています。

このような信憑性の高い報告書が世に出ず、また無視されていたら、おそらく悲惨な結果になっていたでしょう。

オゾン層の破壊の重大さが警告されたことによりフロンガスの使用が禁止され、地球温暖化防止の為に炭酸ガス排出の削減に世界は協力して取り組むようになりました。

人類が長らく嗜好して来たタバコの禁煙運動も然りです。

このような将来の健康や環境、資源を守る為にグロバールな規制を人類は初めて半世紀前から行うことが出来るようになったのです。

3

< 3. ローマクラブが発表した地球の未来像 >

煽動はあるのか

「21世紀の資本」において、ピケティの指摘は鋭いが経済的事実だけを述べるに留まり、歯痒いぐらい非難することを避けている。

一方、「格差はつられた」において、クルーグマンは多くの事例を挙げ政治を食いものにする人々の良心を問うている。

確かにピケティもクルーグマンも保守的ではない。

ピケティはフランスの社会党寄り、クルーグマンは米国の民主党寄りだろう。

しかし、彼らを煽動家と言うなら、彼らの挙げている経済データーや説明が虚偽かを問うべきでしょう。

私は、彼らの提示している経済データーや説明に間違いを見つけることが出来ない、不明なところや仮定に確信を持てない部分はあっても。

彼らの指摘は、概ね正鵠を射ていると思うのだが。

もし彼らを煽動家と言うなら、もっと強大な煽動集団が存在する。

マスコミ、学者、研究機関、政府が結託して煽動している状況は世界で進行している。

これは欧米先進国の中では、米国の国防や経済について最も悪化しているように思える。

巨大企業と超富裕層は、多くの研究機関や研究者を要し、都合の良い学説や調査結果を、豊富な資金力で広告や記事として流している。

実際、二大政党寄りのマスコミや研究機関の数には大きな開きがある。

日本でも、つい最近まで原子力産業において産官学やマスコミとの癒着があったことは周知の事実です。

それは非常に簡単な理由で、皆「金」に弱いのです。

これらについて、いずれ連載「社会と情報」で扱う予定ですが。

次回に続きます。

 

 

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People who passed through the hardest wall 2: Mandela and apartheid


穿つ者 2: マンデラとアパルトヘイト

Mandela who made a speech in 1993

< 1.  Mandela who made a speech in 1993 >

< 1. 1993年、演説するマンデラ >

 

From now on, I introduce a miracle that happened in South Africa in installments.

This is a tale of one leader who accomplished democratic system peacefully by following through on nonviolence in a state of overwhelming racial discrimination.

This time, I explain apartheid and talk about Mandela from the next time.

 

これから、数回にわたり南アフリカで起きた奇跡を紹介します。

これは圧倒的な差別支配の中で、非暴力を貫き、平和的に民主制を勝ち取った一人の指導者の話です。

今回は、アパルトヘイトを説明し、次回からマンデラ氏について語ります。

 

 シャープビル事件  ,Sharpeville massacre in 1960 

< 2.  Sharpeville massacre in 1960 >

< 2. 1960年、シャープビル虐殺事件 >

 

Apartheid

This means the whole system and the policy of extreme racial separation and discrimination in South Africa.

Whites less than 10% curtailed the human rights of the remaining black people, colored races (mixed blood) and Asian (emigrant), and then performed the confiscation of economy and the isolation.

Black people consisting of many tribes were pursued their land by whites that settled in several hundred years ago, were imposed on every tax such as capitation, and were employed as slave of the farm or the family.

They were restricted from freedom such as marriage, residence and movement, and were not given any reward.

They perfunctorily were given a part of the autonomy of existing village or right to vote, but they couldn’t use the right after all.

When they took action of a complaint for whites, they were suppressed violently with law of white’s government, and became imprisonment.

This was during last half a century, before that, their houses were burnt and they were killed by white’s armed group and armed forces.

 

 

アパルトヘイト

これは南アフリカ共和国の極端な人種隔離・人種差別の政策と制度全体をさす。

1割に満たない白人が残りの黒人、カラード(混血)、アジア人(移民)の人権を奪い、経済的収奪と隔離を行った。

多くの部族からなる先住民の黒人は、数百年前から入植して来た白人に土地を追われ、人頭税などあらゆる税をかけられ、家内や農場の奴隷として使役された。

結婚や居住、移動などの自由が制限された彼らに見返りはなかった。

彼らは、形式的には旧来の村落の自治権や、選挙権を一部与えられこともあったが、結局はその権利が使えないようになっていた。

彼らが白人に不平を訴える行動を起こせば、白人政府の法に従って暴力的に鎮圧され収監された。

これはここ半世紀のことで、それ以前は、白人の武装集団や軍隊によって住居は焼かれ、殺された。

 

Mandela was a human rights activist and a lawyer in 1959

< 3. Mandela was a human rights activist and a lawyer in 1959 >

< 3. 1959年、弁護士、人権活動家のマンデラ >

 

デモ Student demonstration appealed for democratization in 1976

< 4. Student demonstration appealed for democratization in 1976 >

< 4. 1976年、民主化を訴える学生デモ >

 

Origin of apartheid

In ancient times, this place was a land where indigenous people carried on hunting-gathering or cattle breeding.

From the middle of the 17th century, Dutchman gradually began to settle in here, and to plunder.

These whites were called Afrikaner.

At the end of the 18th century, in turn, the United Kingdom in place of the Netherlands being weak began to rule this place.

The U.K. abolished the slavery in the early days, but changed big before long.

At the middle of the 19th century, the excavation of diamond and gold began here, and the U.K. took control of it.

The Afrikaner started the recapture of the economic special privilege, further colony acquisition, and began to war with the U.K. at last, and defeated.

A handful of Britons backed with the power of own country took control of the politics, the economy, and the industry, and a number of Afrikaners bore the farm management and the factory labor.

Before long, the both cooperated with plundering black people.

Current South Africa was born in 1910, and broke away from the British federation.

In 1948, this discrimination system was established as apartheid.

 

 

アパルトヘイトの起源

古くは、この地は先住民が狩猟採集、牧畜を営む土地だった。

17世紀半ば、オランダ人が入植を初め、徐々に収奪が始まった。

この白人をアフリカーナーと呼ぶ。

18世紀末、今度は英国が弱体化したオランダに替わって統治を始めた。

英国は、初めこそ奴隷制度の廃止を行ったが、やがて豹変していく。

19世紀半ば、この地でダイヤモンドと金の発掘が始まり、英国が牛耳った。

アフリカーナーは経済特権の奪還と、さらなる植民地獲得に乗り出し、遂に英国と戦争を始め、敗北を喫した。

少数の英国人は本国の力を背景に政治と経済・産業を握り、多数のアフリカーナーは農場経営や工場労働を担った。

やがて両者は黒人達を収奪することで折り合うことになる。

1910年、現在の南アが誕生し、英国連邦からも離脱し、1948年、差別制度はアパルトヘイトとして確立した。

収監時代のマンデラ , Mandela in jail 

< 5. Mandela in jail >

< 5. 収監中のマンデラ >

 

Beginning of apartheid end

Black people rose up together to ask for democratization, and in 1962, its leader Mandela was imprisoned.

From this time, the world and the United Nations criticized apartheid and the confinement of Mandela, and began to perform every blockade (economy, diplomacy, and arms).

Black people came to repeat the demonstration.

 

In addition, South Africa was warring with the neighboring countries, had fallen into a difficult situation in the inside and outside.

South Africa decided to release Mandela, and abolish the related bills of apartheid at last in 1990.

 

From the next time, I chase the achievement of Mandela.

 

 

アパルトヘイト終焉の始まり

黒人が民主化を求めて立ち上がり、1962年、その指導者マンデラは収監された。

この頃から世界と国連がアパルトヘイトとマンデラ収監を批難し、あらゆる封鎖(経済、外交、武器)を行い始めた。

黒人達はデモを繰り返すようになった。

また南アは近隣諸国とも戦争をしており、内外で苦境に陥り、遂に1990年、マンデラ釈放、アパルトヘイト関連法案の廃止に踏み切った。

 

 

次回から、マンデラ氏の事績を追います。

 

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私達の戦争 31: 摩訶不思議な解釈3


1右翼

  • * 1

 

今回は、対立する左派と右派の不思議を見ていきます。

ここにも紛争の種が見え隠れします。

 

2全人代3能

  • * 2、3

 

幾つかの不思議

例えば、今の中国で革命を目指す人々は左派でしょうか右派でしょうか?

恐らく中国政府はそれを右派、資本主義に毒された不穏分子と見なすことでしょう。

しかし、それは左派、少数民族弾圧や不平等を正す改革派かもしれません。

何か、おかしいですね。

 

例えば、15世紀に能を大成した世阿弥は左派か右派、どちらでしょうか?

本来、左派・右派は政治的な立場を指すのですが、ここでは所属集団での革新派・保守派を意味しています。

彼は、伝統的な猿楽を脱して、新たな演出(幽玄世界)を盛り込んだ革新派と言えるでしょう。

このような事例は現在の歌舞伎や伝統工芸に始まり、相続した大企業経営者にも見られます。

しかし、その多くの人は、立場上、保守的にならざるをえないでしょう。

 

 

 

ポイント

A.社会には、保守的な立場が、または革新的な立場が得策である集団・階層が存在し、大半の人々はどちらにも属さない。

B.一方、そのどちらかの集団に属していても、革新的な性向を持つ人と保守的な性向を持つ人が存在する。

 

社会や集団には、体制側と一体となり体制を堅持することが得策な保守的な立場が存在します。

現状に不満を持つ人々は、体制の変革を望むことになりますが、変革には労苦と危険が伴うので、すべてが革新的な立場とはなりません。

ここで重要なことは、通常、断固として体制堅持を望む立場は一部であり、多くは労苦と危険を共はない限り、より良い社会への変革を望む立場になる(貧富の差拡大期や、経済停滞時は特に)。

 

保守的か革新的な性向(脳機能)を持った人々は正規分布の両端の一部でしょう。

多くは中庸な性向を持っているでしょう。

一般的に保守的な性向は、社会変化を嫌い、容易に新しい主義や制度を信じないようです。

革新的な性向はこれと逆になります。

 

この結果

個人の保守・革新への態度の強弱は、それぞれの所属集団による立場と個人の性向の組合せで、それこそ十人十色となる。

例えば、保守的な性向を有する人が大企業と莫大な遺産を所有した場合は、最も保守的態度をとりやすくなるでしょう。

逆の場合も然りです。

 

 

何が問題なのでしょうか

上記の現象は自然な成り行きで、問題は恣意的な操作による偏りと対立です。

 

体制堅持を図る人々は、その目的の為に教宣活動を行うことになります。

その教宣は中庸な人々も含め、保守的な心情を奮い立たせることになります。

特に、保守的な性向を有する人はそれに乗りやすくなります。

当然、体制の変革を図る側も同様の試みを行う。

しかし通常、資金力・影響力に優れる体制堅持側が有利になります。

 

4原発反対5田母神

  • * 4、5

 

これは何を意味するのでしょうか?

右派・左派(保守・革新)の教宣活動は、目的達成こそが重要であって、その言説の論理や事実は重要でははないのです。

こんなことを言えば、立派な先生方にお叱りを受けるかもしれませんが。

 

例えば、他国の脅威は無視出来ないが原発事故の脅威は無視出来る日本の右派がいます。

世論調査の分析によれば、原発を嫌う人は科学に不信感を抱く傾向が強い(他の要因もある)。

普通に考えれば、科学に不振感を持ちやすい人は保守的な性向に多いはずです(推測)。

なぜこのようなことになるのでしょうか。

それは原発政策が米国の国益と一致したからで、その起源は敗戦時、政府が再建を全面的にGHQに委ねたことにあります(善悪を問わず)。

もし米国が石炭政策を取っていたら、現状は変わっていたでしょう(円高も同様)。

昔はいざ知らず、現状の共産大国が原発を否定し、日本の左派に反対の圧力をかけているとは思えません。

すると原発労組を抱える左派が原発反対になる理由は、科学的根拠か右派(長期与党政権)への反発からでしょう。

このような例、理論、心情すらも食い違う例はいくらでもあります。

例えば、米国の共和党はリンカーンの時代、革新派でしたが現在は保守派です。

 

 

まとめ

本来、革新的な性向(脳機能)と保守的な性向は釣り合っており、社会は適切な進歩と安定を手に入れることが出来るのです。

 

右派と左派の論争が噛み合わないのは、一方の論理が未熟からではないのです。

元々、保守派と革新派が作り上げた言説は一貫性や論理など疑わしいのです。

所詮、辻褄合わせの産物なのです。

そのあやふやな言説に、中庸な人々までが踊らされ、左右に大きく振れ対立することが問題なのです。

 

現在は、別の不安定な状況が世界の先進国で進行しています。

それは各国で政治への不信感亢進により政党離れが進んでいることと、貧富の差が拡大していることです。

この状況は、歴史的にみて、何かの不足の事態を切っ掛けにして、世論が大きく振れる危険性を孕んでいることです。

 

大事なことは、皆さん一人一人が、確かな視点を持たないと、振り回され悲劇を見ることになるかもしれないと言うことです。

 

 

 

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