Series: The society and the information

The society and the information 49: news media has fought 6


社会と情報 49: 戦った報道 6

 

 1 沖縄上陸戦   

< 1. Okinawa landing operation by USA in 1945 >

< 1. 沖縄上陸戦 >

 

There was a portent of a military superpower in the shadow of the Meiji restoration success.

However, news media in those days was not able to play own role at last.

Then we shall think about the relation between Japanese society and news media.

 

 

明治維新成功の影には、軍事大国の萌芽がありました。

しかし、当時の報道はその役割をついに果たせなかった。

ここで戦前の日本社会と報道の関係について考えます。

 

Role of news media

When we think about role of news media, there are two big points.

One from within, what kind of role should news media play for prevention of deterioration in social functioning.

Another, how should news media tackle the organization culture of Japan?

 

Deterioration in social functioning

If I point out that the Asian Pacific War (1941-45) has occurred because Japanese society has deteriorated, someone will feel hostile toward me.

However, 3 million of Japanese public and 19 million in all war areas were dead in this war.

And Japanese public of those days never knew there would be this kind of outcome, and then didn’t have means to stop the war.

If we consider such a society normal and don’t think to need the improvement, this discussion is meaningless.

 

報道の役割

報道の役割を考える時、大きく二つのポイントがあります。

一つは、報道は社会の劣化防止にどのような役割を果たすべきか?

いま一つは、報道は日本固有の社会風土に対してどうあるべきか?

 

社会の劣化

日本の社会が劣化していたからアジア太平洋戦争(1941~45)に至ったとするなら、反発する方もおられるでしょう。

しかし、この戦争の結果を見るなら300万人の国民と全戦域で1900万人の死者が出ました。

そして当時の国民はこのような結果を招くとはつゆほども知らず、また戦争を止める手段を持っていなかった。

このような社会を正常と見なし改善の必要が無いとするなら議論は無意味です。

 

2 戦犯

< 2. Prime ministers in those days of the Asian Pacific War >

< 2. アジア太平洋戦争時の首相 >

 

Responsibility that pushed the war

Historian sometimes may point out that the Japanese leaders were irresponsible in the war process.

This was that the leaders haven’t a responsibility to the failure because the Emperor of Japan decided only by agreeing to policy proposals of the leaders.

Therefore, the leaders could have big authority.

The emperor rarely commanded refusal and correction, but the basis of the decision was agreement.

In such a political system, it is difficult for leaders oneself to prevent the prolonged war.

 

 

戦争を推し進めた責任とは

歴史家は戦争に至る過程で日本の首脳が無責任だったと指摘することがあります。

それは、首脳の政策提言に対して天皇が同意の決裁を行うことで、首脳には失敗の責任が無く、かつ大きな権能が生まれていたことです。

天皇は希に拒否や修正を命じることもあったのですが、基本は同意です。

このような政治体制にあっては、泥沼化した戦争を首脳自ら阻止することは困難です。

彼らにとって、良く言えば皇国と英霊に恥じないようにした、悪く言えばなるようになれでした。

 

3満州事変と首謀者

< 3.Manchurian Incident and ringleader >

< 3. 満州事変と首謀者 >

 

Then, what kind of thing is that leaders take responsibility?

As often happen with the world, is it good to only execute a dictator?

Fortunately or unfortunately, it is difficult to find a dictator in Japan of those days.

Even if people give them punishment such as a compensation responsibility or a purge from public service, it is too late.

 

There are many situations where leaders make the country or the organization hazardous regardless of malice or misstep.

Many problems that we learned from history is that if a leader has begun to go in wrong direction once, he often went more deeply into it in an attempt to recover a loss behind a veil of secrecy.

Particularly, the more war damage is bigger, the more the tendency becomes stronger.

This has happened frequently even in democracy nation.

The Vietnam War was also typical example.

 

The human being brought about various political structures and limitations to prevent this.

The one is press freedom, and it is a minimum role of news media to communicate the truth.

An important thing is to communicate necessary information to people so that the people can judge appropriately whether the government selects proper direction.

Often, the more adverse information is important for the highest functionaries of nation, the more they conceal the information.

News media breaks open it, and have to communicate precise information to people appropriately.

This can keep the damage of nation at a minimum.

 

それでは首脳が責任を取るとはどのようなことなのでしょうか?

よくあるように独裁者を死刑にすれば良いのでしょうか?

幸か不幸か、当時の日本で独裁者を見つけることは困難です。

例え彼らに公職追放や賠償責任などの罰を与えても、所詮、後の祭りです。

 

国や組織の首脳が悪意であれ過失であれ進路を危うくすることは多々あります。

歴史から見える多くの問題は、一度間違った方向に進み始めると首脳は秘密裏に挽回を画策し、往々にして深入りしてしまうことです。

それは特に絶大な被害を生む戦争ほどその傾向が強くなります。

これは民主国家でさえ頻繁に起こっています。

ベトナム戦争もその典型例でした。

 

これを防止する為に人類は各種の政治機構や制約を生みだして来ました。

その一つが報道の自由であり、真実を報道することが報道の最小限度の役割です。

大事なことは、政府が適正な進路選択を行っているかを国民が適切に判断できるように、国民に必要な情報を伝えることです。

国家の上層部は往々にして都合の悪い情報を隠蔽します、それが重大であればあるほど。

そこを報道がこじ開けて、適切に適確な情報を国民に与えることが重要です。

これでこそ国の被害を最小限度に留めることが出来ます。

 

4内部告発

< 4. trouble concealment in Japanese companies, and American whistle blower  > 

< 4.日本の東電や東芝のトラブル隠蔽と米国の内部告発者 >

 

Knowing the characteristics of Japanese society

It is important to know the characteristics of Japanese society that deteriorate oneself.

News media can prevent the deterioration by acting on the bad characteristics of Japanese society well.

 

For example, the bad characteristics are systematic cover-up, undeveloped whistle-blowing, and individual right or law is considered less serious than the continuation of the organization.

Those are the flip side of the characteristics that have a stabilizing influence on society, and make to strengthen a solidarity power, but it is likely to give rise to corruption and reckless things.

This is a remarkable characteristic of Japanese culture, and is common to the present.

Japanese recognize this bad patch and should watch for our news media.

This helps prevent the deterioration in social functioning.

 

From the next time, I introduce the activity of newspapers in those days.

 

 

社会の特性を知ること

次いで重要なことは日本の社会の陥りやすい特性を知ることです。

日本の社会が陥り易い特性に報道が上手く機能してこそ、社会の劣化が防止出来ます。

 

例えば、その特性とは組織ぐるみの隠蔽体質や未発達な内部告発、また個人の権利や法の遵守が組織の存続よりも軽視されることなどです。

これらは社会を安定させ団結力を強固にする特性の裏返しですが、その一方、組織の腐敗と暴走が起きやすい。

これらは日本文化の顕著な特徴であり現在にも通じています。

国民はこの欠点を認識し、報道を見守るべきです。

このことが社会の劣化を防止する一助になります。

 

次回から、当時の新聞の活躍を紹介していきます。

 

 

 

 

 

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社会と情報 48: 戦った報道 5


   1  

*1

 

前回に続いて、明治維新後の社会で重要な2点を見ておきます。

 

 

 2教育勅語

< 2. 天皇が下賜された教育勅語 >

 

 

明治維新に見る日本的な心理

明治維新後、素早く先進国の諸制度を取り入れ、憲法制定も行った。

しかし、「仏を作って魂入れず」だったのかもしれない。

1890年、教育勅語を憲法発布の翌年に発布している。

これは儒教道徳と愛国心を鼓舞する短い文書だが、これには欧米の近代国家が生みの苦しみを味わった憲法の理念「国民の権利を守るために根本の統治機構を規定し、国家権力を制限する」と相容れないものがある。

取り急ぎ西洋の制度を真似たが、すぐに日本古来の思考に戻っている。

組織優先とトップに依存する心理、例えば、天皇を戴くことで国がまとまると期待することです。

この心理は社会の混乱を防ぎ団結力を生むかもしれないが、一方で衰退と暴走を生み易い。

これが弾圧や軍事国家への道をより加速させたのだろう。

天皇への絶対服従を強調する軍人勅諭(1882年下賜)も大戦終了まで軍人の心得として陸軍では全員暗誦させられていた。

 

何でもあることだが、良いと思える国民性が一方で災いすると自覚することが我々には必要です。

 

3西南の役

< 3. 西南の役、1877年 >

 

なぜ戦争へと突き進んだのか

王政復古は世界中で見られる政変劇であり、明治維新は西欧で起こった市民革命とは異なる。

明治維新は軍事クーデターとも言えるが、各藩の改革を担った下級武士達が協働で主導したことが重要でした。

 

しかし、軍事クーデターの主役である武士団が政権を担うと、その出身である薩長閥の専横が始まった。

このことが、富国強兵に始まり軍事独裁から侵略へと進む運命にあったのかもしれない。

解雇され不平を持つ40万の士族を抑える為に征韓論が沸騰し、西南の役で鎮圧せなければならなかった。

結局、徴兵制による大きな直轄軍を編成しなければならず、旧来の武士団は近代的な軍隊に置き換えられた。

 

当時、世界は大国に蹂躙されていた。

日本にとって、欧米、特に隣国のロシアは脅威だった。

食うか食われるかにあって、日本は先手を打った。

そして、弱体化した中国、革命で混乱していたロシアに勝利し、さらに第一次世界大戦で戦うこと無しに中国の領土を得た。

ここまでは順調に見えたが、やがて泥沼にはまり込んで行くことになる。

 

4日露戦争

< 4. 日露戦争、1904~1905年 >

 

日本は一度も侵略されなかったが、次から次へと派兵を繰り返し、広大な領土を手に入れた。

一方で、莫大な戦費は経済の足枷となり、この苦境を脱するには新たな領土と権益が必要になった。

結局、軍首脳は問題解決に外交や平和的手段を省みず軍事的手段に頼った。

 

戦争は侵略国があってこそ起こると信じられているが、戦史を振り返ると往々にして、自ら敵を作っていることが多い。

ベトナム戦争やイラク戦争は、その分かりやすい例です。

 

5満州事変

< 5. 満州事変、1931年 >

 

この過去の戦争が現在に尾を引いているのが隣国への蔑視感情です。

既に政府首脳にはあったかもしれないが、地方の民衆には無縁な感情だった。

この起源はそう古いものでは無く、主に日清戦争以降と言える。

大陸侵攻の過程で、戦地での親族の戦死が郷里に伝わるにつれて、隣国への憎しみが深まっていく様子が、当時の一東北新聞の調査により判明している。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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社会と情報 47: 戦った報道 4


   1日本 

< 1. 日本の位置 >

 

明治維新後の社会変動で重要なポイントを見ておきます。

そこから報道の役割が見えてきます。

今回は、明治維新成功の背景を簡単に見ます

 

2戦艦

< 2. 日本は1910年代に巨大戦艦を建造できるようになった >

 

明治維新が成功した理由

なぜ日本は資本主義国家への転換を素早くこなし、半世紀ほどで日米英仏四カ国条約(1921年)を締結するほどの大国になり得たのだろうか。

 

混乱なく明治維新が進んだ理由

江戸時代末期、幕府と各藩は莫大な累積赤字を抱え、民衆は海外交易による急激なインフレに困窮し、抜本的な改革を望んでいた。

また西国(薩長土肥の4藩)は古来より海外接触の先進地域であり、海外交易の重要性や欧米の脅威と先進技術を最も身近に感じていた。

いち早く西国の各藩は、先進の知識を得た者を登用し革新的な藩政改革を行った。

特に薩摩はいち早く赤字財政を脱却し、欧米の最新産業技術を導入していた。

 

初めこそ、西国はパニックになり幕府の対応を批難し攘夷論を唱えたが10年ほどでこれを取り下げた。

この間、西国は攘夷実行と敗戦を経験し、一方で海外視察と長崎での情報収集を通じて方針を転換していった。

特に、開国で対応を誤ったアジア諸国、特に大国中国の教訓は大きかった。

この若き改革者達がやがて西国の連合による幕府打倒を主導していった。

この4藩の連合軍は最新式の兵器を有し、さらに商人や民衆の協力も得られた。

この時、欧米の参戦が無かったことで内戦の拡大が起き無かった。

これは、南北戦争を抱えていたように欧米各国の事情もあったが、おそらく幕府と西国の連合軍が共に海外勢参入を望まなかったこともあるだろう。

 

3出島

< 3. 長崎の出島は唯一海外との窓口だった >

 

維新後の改革が素早く進んだ理由

なぜ日本はこれほど素早く外国の文物の受け入れが出来たのだろうか。

元来、日本は他国の高度文明(中国やオランダ)を吸収し続けており、受容への抵抗はない。

この時の西国各藩の改革者達が、維新後の改革を主導したことは幸いした。

 

維新後の10年以内に、江戸時代の藩主と武士団はすべて解雇されたが、下級武士団出身の改革者達にとって失うものは少なく、利害関係も希薄だったろう。

外国の革命では、多くの場合、流血と破壊によって過去の支配層を葬ることになるが、日本では徹底的な破壊を避けつつ、大きな転換を成し遂げた。

 4高杉晋作

< 4. 明治維新の完成を見ずにこの世を去った功労者達 >

左から、土佐の坂本竜馬、長州の高杉晋作、薩摩の西郷隆盛。

 

さらに日本には好条件が揃っていた。

江戸時代後期、幕府は貨幣経済への対応で遅れたが、多くの地方都市において勤勉で近代的な経済活動が既に定着していた。

 

また空前絶後の改革が皆に共有出来たのは、日本列島の長年の安定で一体感のある文化が育まれていたからだろう。

このことは一重に、大陸の端にあり、適度に狭い海峡を隔てた島国で、大国から適切な距離にあったことが大きい。

それは侵略されず、文化の受容が可能な距離だった。

さらにこの島は大きな人口を、皆が自制することにより養える規模の豊かな自然(畑、森、海)を有していたことに尽きる。

 

さらに、第一次世界大戦の勃発は、日本を一気に経済大国に押し上げることになった。

当時、膨大な軍需物資を賄えたのは米国と発展途上の日本だけであった。

 

 

この成功の影に次の問題が萌芽しつつあった

国内の士族の反乱を押さえる為、徴兵制による直轄軍が誕生し、征韓論の過熱を経て台湾出兵へと繋がる。

最終的に明治政府首脳は4藩の内、薩長閥の軍人が握るようになり、軍主導によるアジア侵攻に繋がっていくことになった。

 

今一つは、この地理的な長所が問題でもあった。

それは国民が隣国の状況を、新聞と政府からの間接情報によってしか知ることが出来なかったからです。

このことが、後に災いをもたらし、いまだに日本を閉鎖的にしている。

 

次回に続きます。

 

 

 

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The society and the information 46: news media has fought 3


社会と情報 46: 戦った報道 3

1 治安維持法

< 1. the Public Order and Police Law was established in 1925 >

< 1. 治安維持法、1925年成立 >

 

This time, we look at an overview of those days that public opinion became uniformly a mood of war because the newspapers had remained silent on the truth.

 

今回は、新聞が真実に沈黙し、国論が戦争一色になって行く時代を概観します。

 

 2 満州事変

< 2. Manchurian Incident in 1931 >

< 2. 満州事変、1931年勃発 >

 

Since 1930

A Japanese detached unit acted arbitrarily on site, and Manchurian Incident broke out in 1931.

On the other hand, in Japan, military coups happened in succession such as 5.15 incident in 1932 and 2.26 incident in 1936.

From long ago, there was that important persons of the government and business community were assassinated by lone murderer, but many assassinations by armed forces that rose in revolt happened at last.

This backdrop to this is that there was people’s despair due to a gap between the rich and the poor and a political corruption that accelerated in 1930s of a financial crisis.

 

 

1930年以降

1931年に日本の現地派遣部隊が独走し満州事変が勃発した。

一方、国内では、1932年に5・15事件、1936年に2・26事件と相次いで軍事クーデターが起こった。

以前から単独犯による財界や政府の要人の暗殺はあったが、ここに至って軍隊蜂起による多数の要人暗殺が行われた。

この背景に、金融恐慌後の1930年代に加速した貧富の差と政治腐敗による国民の絶望があった。

 

3 グラフ

< 3. In those days, the income gap increased remarkably in Japan. by “Capital in Twenty-First Century” >

< 3. 当時、日本で所得格差が著しく高まった。ピケティ「21世紀の資本」より >

 

4 2・26事件

< 4.  2.26 incident in 1936 >

< 4. 2・26事件、1936年 >

 

After this, the military authorities led Japan by the bayonet and the regulation, and continued to rush until the war defeat.

There wasn’t a dictator in this military dictatorship, but this was caused by a more Japanese style of political culture, and remains ingrained still in now.

In simple terms, the fate of Japan was decided without anyone taking responsibility in the name of Imperial Japan.

 

Many newspapers still had criticized the reckless war, but went down to the pressure of the government at last, and they not only did not convey to people the truth, but also encouraged the people after that.

This treachery of newspapers was same as other journalism.

 

 

これ以降、軍部が銃剣と統制によって日本を牽引し、敗戦まで突き進むことになった。

この軍部独裁には独裁者がいないのですが、これは実に日本らしい社会風土に起因しており、今も根付いている。

端的に言えば、皇国の名の下に誰も責任を取らずに国の運命を決めて来たことです。

具合的には軍部首脳が統帥権干犯問題や軍部大臣現役武官制、御前会議を利用して行われた。

 

まだ多くの新聞は無謀な戦争を非難していたが、ついに政府の圧力に屈服し真実を伝えないばかりか、後には、むしろ国民を戦争へと鼓舞するようになった。

この新聞の変節は他の言論界も同様でした。

 

5 御前会議

< 5. the Imperial Council and an announcement of the military government >

< 5. 御前会議と大本営発表 >

 

In this way, the people took part in the expansion of the war without doubting about the war accomplishment due to the disinformation and the brainwashing by the military authority’s leadership and furthermore the chain of hatred added it.

We had to wait the end of the announcement of disinformation till the war defeat.

 

こうして国民は軍部主導による虚報と洗脳により、戦争遂行に疑念を持つこと無く、憎しみの連鎖もあって、戦争の拡大に加担して行くことになる。

この虚偽報道に終止符が打たれるのは敗戦まで待たなければならず、国民が戦争の真実を知るのは極東裁判以降になる。

 

About the treachery of newspapers

This treachery of newspapers was not at all simple.

 

The biggest factor that newspapers didn’t convey the truth was the pressure of the government, but people could not know it because of the very skillful measures.

The factor of the treachery was not only external pressure such as political pressure and oppression, and the violence of right wing.

There was also own turnabout.

Newspaper company was sensitive about the tastes of readers and the management stability, and as the result of some company overly concerned with the politics, it often chose a wrong path.

Reporter animated by a patriotic spirit may lose his own because he also is a son of man.

This was seen among war correspondents of the United States in the Vietnam War.

 

 

新聞の変節について

この新聞の変節は決して単純なものではなかった。

 

新聞が真実を伝えなくなる最大の要因は政府の圧力だが、それは非常に巧みであり国民から見えないことが多い。

変節の要因は政治圧力や弾圧、右翼の暴力などの外圧だけではなかった。

自らの変節もあった。

新聞社は読者の嗜好や経営安定に敏感であり、時には政治に関わり過ぎて道を誤ることもあった。

また記者も人の子、愛国心をたぎらせ我を見失うこともある。

これはベトナム戦争時の米国の従軍記者にも見られた。

記者は真実を伝えようとするのだが、歪んだ価値判断が入ってしまうことになる。

この連載で、そのいくつの事例を明らかにします。

 

An important thing is the treachery of newspapers is common to every society of the world as well as Japan of those days.

We should think that it is not one-off incident and is repeated many times.

It is important that we understand this process.

This is a main theme of this serialization ” The society and the information”.

 

On the next time, I describe the thing to note about the society after the Meiji Restoration.

 

重要なことは、新聞が変節するのは日本だけでなくあらゆる社会に共通すると我々は銘記すべきです。

けっして一度限りのものではなく、幾度も繰り返すと考えるべきです。

この経緯を理解することは重要です。

これは、この連載「社会と情報」の主要なテーマでもあります。

 

次回、明治維新後の社会で注視すべきポイントを記します。

 

 

 

 

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The society and the information 45: news media has fought 2


社会と情報 45: 戦った報道 2

   1 第一次世界大戦  

< 1. First World War, 1914-1918 >

< 1. 第一次世界大戦、1914~1918年 >

 

This time, we look at an overview of the final period that journalists braced themselves up.

今回は、報道が最後の頑張りを見せた時代を概観します。

 

 

2風景

< 2. the change from Edo Period to Meiji Period >

< 2. 江戸時代から明治時代への変化 >

Upper two photos: the houses along a main road and farmhouse of local at about the end of Edo Period.

Lower two photos: Yokohama landing bridge and Ginza Tokyo in Meiji Period.

 

上2枚: 江戸時代末期と思われる地方の街道町と農家。

下2枚: 明治時代の横浜桟橋と東京銀座。

 

What happened during 1910s and 1920s?

The Imperial Diet was initiated, but qualified voter was only 450000 of a wealthy class in the nation due to the limited election.

Veteran statesmen of the Meiji Restoration still held the initiative of the politics, before long, it would be held by the army and navy of two political factions that resulted from them.

This situation led up to political sleaze and gigantic war expenditures.

The government had repeated the huge issuance of the paper currency and a tax increase to serve the huge cost by repeated war.

 

 

The development of trade and munitions industry made national power increase, but it caused an unbalance among industries, and a birth of company syndicate.

Farmers and low-income workers became poor because of an accelerated inflation due to an improper financial policy additionally, on the other hand much upstarts were born.

Thus, the gap in income between rich and poor increased remarkably, and the people’s complaint increased.

 

On the other hand, urbanization advanced, and a livelihood of city inhabitants very improved.

Thus, literary arts and labor movement became popular in the urban area.

However, because the government assumed this movement the principal cause of uprising, the government oppressed it thoroughly, and executed the many leaders in 1916.

In this situation, Taisho democracy that aimed at the enforcement of universal suffrage and the establishment of party politics began from about 1916.

 

1910年から1920年代に、何が起きたのか?

帝国議会は開催されたが、制限選挙により投票の有権者は全国で裕福層45万人に過ぎなかった。

政治の主導権はまだ維新の元勲が握り、やがて薩長閥の陸軍と海軍に握られて行くことになる。

これが政治の腐敗と軍事費の巨大化に繋がって行く。

政府は相次ぐ巨大戦費をまかなう為に既に貨幣増発と増税を繰り返していた。

貿易と軍需産業の発展は国力を増大させたが、産業間のアンバランスと財閥誕生を招いた。

不適切な金融政策も加わりインフレが亢進し、農民と低所得層が困窮する一方で成金が誕生した。

こうして貧富の差が著しく高まり、国民の不平不満は増大した。

 

一方で、都市化が進み、都市住民の生活は向上した。

こうして都市部で文芸や労働運動が盛んになった。

しかし政府はこれら運動を社会騒乱の元凶とし、1910年の大逆事件で徹底的に弾圧を加え、運動家の処刑を行った。

この状況下、普通選挙の実施と政党政治の確立を求める大正デモクラシー(1916年頃から)が花開くことになった。

 

 

3映画

< 3. this two films describes the harshness of worker at the time  >

< 3.この時代の労働者の過酷さを描いた映画 >

 

4勢力図2010年ごろ

< 4.area of influence by Japan in about 1910 is red parts >

< 4.1910年頃の日本の勢力範囲、赤色部 >

 

Overseas circumstances

At last, World War I (1914 -1918) happened because of one bullet.

After this, Japan entered a war boom, and easily obtained a Chinese part (a brown part of this map).

 

Japan already had possessed Taiwan, Korean Peninsula and northeastern China, and had got the foothold toward the continent.

This gave people economical benefit and hope, but made people bear each other a grudge and created an explosive situation.

The abandonment of Liaodong Peninsula due to The Triple Intervention in 1895 made Japan people very angry.

Because the people strongly were eager to get the territory that had been gotten by bloodshed, people became to diminish opposition to continuing war.

 

On the other hand, revolutions happened in succession in the world, in China of 1912, in Russia of 1917, and in Germany of 1918.

This heightened the motivation of reformation in Japan, but the government that was afraid of it came to aggrandize the oppression.

 

 

海外の状況

ついに、一発の銃弾から第一次世界大戦(1914~18年)が勃発した。

これを機に、日本は軍需景気に沸き、また中国の一部(山東半島、地図の茶色部)を苦もなく手に入れることになった。

既に日本は台湾、朝鮮半島、満州を掌中に納め大陸への足がかりを得ていた。

これは国民に経済的恩恵と希望を与えたが、相互に遺恨を深めさせ一触即発を招くことになる。

三国干渉(1895年)による遼東半島の放棄は国民を憤慨させ、国民は血であがなった領土への執念を高め、続く戦争への抵抗を無くしていった。

 

一方、1912年中国、17年ロシア、18年ドイツと世界で相次いで革命が起きた。

これは国内に改革への希望を与えたが、恐れた政府は弾圧を強化していくことになる。

弾圧は残念ながら国民が選んだ政党内閣でも強化された。

 

5 関東大震災

< 5. the Great Kanto Earthquake in 1923 >

< 5. 関東大震災、1923年 >

 

As the result, what happened?

Japan experience some critical moments in succession, rice riots in 1918, the Great Kanto Earthquake in 1923, the financial crisis in 1927, and the Great Depression in 1929.

Thus, Japan deepened economic aggravation and political uncertainty.

In this situation, the movement to ask for the democracy gained steam from about 1921.

Newspapers and the press supported this movement, then Universal Manhood Suffrage Act was proclaimed in 1925, and the qualified voters became 12,400,000.

 

However, the enforcement of the universal Manhood suffrage caused corruption due to plutocracy than establishment of party politics.

Thus, Japan had suffered the great depression and the political corruption, and before long assassination and oppression came to rage.

Japan has come to find a little brightness for overseas invasion.

 

Turning point of the press was caused by a proclamation of the Public Order and Police Law.

This law had been proclaimed at the same time as the universal Manhood suffrage Act, after that it was extended, and it perfectly suppressed the press and newspapers.

Thus, the newspapers finished the activity of half a century since the Meiji period, and the revival had to wait for our defeat in war.

 

This continues next time.

 

 

その結果、何が起きたのか

日本は、1918年の米騒動、1923年の関東大震災、1927年の金融恐慌、1929年の世界大恐慌に相次いで見舞われ、経済悪化と政情不安を深めて行くことになった。

こうした中、民主主義を求める運動(1921年頃から)が盛り上がった。

この運動を新聞や言論界が援護し、やがて1925年の普通選挙法公布へと結実させ、有権者は1240万人となった。

但し、女性が選挙権を得るのは、太平洋戦争後のGHQの命令を待たなければならなかった。

 

しかし、この普通選挙実施は政党政治の確立よりも金権政治による腐敗を招いた。

こうして恐慌と政治腐敗が日本を覆い、やがて暗殺と弾圧が吹き荒れた。

日本は海外侵攻に数少ない明るさを見出していくことになる。

 

報道の転換点は治安維持法でした。

これは普通選挙法と抱き合わせで成立し、後に拡大適用され報道と言論を封殺した。

こうして新聞は明治以来半世紀にわたる活躍に終止符を打ち、復活は敗戦を待たなければならなかった。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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The society and the information 44: news media has fought 1


社会と情報 44: 戦った報道 1

 

1 徳富蘇峰

< 1. this journalist played an active part in newspapers since the Meiji period >

< 1.明治初期から新聞で活躍した言論人 >

 

So far, we have looked at the problem of Japanese newspaper.

But, if you look at a little the past, you will find many journalists devoted themselves life to news report and changed the society.

We chase up the behavior of their fight from now on.

 

今まで、日本の新聞の問題点を見てきました。

しかし、過去に目を移せば、報道に体を張り、社会を変えた人々がいた。

これから彼らの戦いの様を追っていきます。

 

 2 明治維新

< 2. the eve of the Meiji Restoration, and the five persons that played a huge role in the Restoration. >

< 2.明治維新前夜と維新の元勲達 >

 

Preface

Japanese newspapers began to take an important role since the Meiji Restoration.

The period that I focus on is 1910s and 1920s, and in this period, the politics and society changed suddenly and became confused.

This almost overlaps with the Taisho period (1912 -1926).

In Japan at the period, there were an increase of national power, an elevation of consciousness of people, and a change of the international situation.

Many journalists aimed at the reformation of society, and ran through this period at full power.

 

Their action let popular rights spread, and it can be said to be a victory of news media, but was swallowed into a big flow at the end.

After this, military authorities pulled Japan, and people and news media together progressed to a path of military superpower.

 

The thing that I want everyone to know is a truth that many Japanese newspapers fought taking people’s side, and were defeated at last.

What kind of role did newspapers at the period play?

How did the people behave?

As the result, how did the society change?

After that, what happened to the newspapers?

We will be able to know these through this serialization.

 

Before that, we shall see the summary of this period.

 

 

はじめに

日本の報道、特に新聞は明治維新と共に重要な役割を担い始めました。

私が注目する時代は1910~20年代で、政治と社会が激変し、また混乱した時代でした。

これは大正時代(1912~1926年)とほぼ重なります。

そこには日本の国力増大と国民の意識高揚、国際情勢の変化とがありました。

新聞や雑誌の人々が社会変革を目指し、全力で駆け抜けた。

 

彼らの行動は国民の権利を拡大させ、報道の勝利と言えましたが、最後には大きな流れに飲み込まれてしまった。

この後、日本は軍部に牽引され国民と報道も一体となって軍事大国の道を歩むことになった。

 

皆さんに知って頂きたいことは、かつて新聞が国民の側に立ち戦ったこと、そして破れたことです。

当時の新聞がどのような役割を果たしたのか?

民衆はどのように振舞ったのか?

その結果、社会はどのように変わったのか?

その後、新聞に何が起きたのか?

この連載で、これらが見えて来るはずです。

 

その前に、この時代の概要を見ておきます。

 

3 自由民権運動

< 3. the Freedom and People’s Rights Movement and the oppression >

< 3. 自由民権運動と弾圧 >

 

The passage from the Meiji Restoration to 1910

Japan accomplished the Meiji Restoration in 1869, steered to the capitalist society from the feudal society, and promoted the wealth and military strength and the encouragement of new industry.

Japanese government was grasped by samurai groups that played a huge role in the Meiji Restoration.

The government was far from people because there was the friction of the social reformation, too.

The Freedom and People’s Rights Movement happened in order to defeat this system, and became big movement, due partly to the activity of newspapers and journalists.

As this result, the government that had been unwilling to open the Imperial Diet promulgated the Constitution of the Empire of Japan in 1889, and opened it the next year at last.

On the other hand, the government has begun to suppress people’s social movement by various laws (the libel and the newspaper regulations).

At a major depression, this people’s social movement intensified to armed uprisings, and the government oppressed it by military power.

 

 

明治維新から1910年までの流れ

日本は明治維新を1869年に成し遂げ、封建社会から資本主義社会へと舵を取り、富国強兵と殖産興業を推し進めた。

政府は武士団の薩長閥に握られ、大変革の軋轢もあり、国民から遠い存在であった。

この体制打破を目指して自由民権運動が起こり、新聞と言論人の活躍もあって大きな力となった。

この結果、渋る政府は1889年大日本帝国憲法発布、翌年の帝国議会開催を行った。

一方、政府は各種の法規制(名誉毀損罪の原形、新聞紙条例等)により国民運動を抑圧し始めた。

大不況時、この国民運動が一部の武装蜂起へと激化し、政府は武力でこれを弾圧した。

 

4 帝国議会

< 4. the Imperial Diet >

< 4. 帝国議会 >

 

5 日露戦争

< 5. a scene of Japanese-Russo War and an irony of the Anglo-Japanese Alliance >

< 5. 日露戦争の戦闘場面と日英同盟の風刺 >

 

In those days, while major nations had scrambled for colonies everywhere in the world, each European countries and Russia repeated alliance, and were antagonistic with splitting in two big groups.

By this, Japan concluded the Anglo-Japanese Alliance in 1902, and repeated to conclude a treaty between major nations after that.

Japan won the Japanese-Sino and Japanese-Russo Wars in 1905, performed Annexation of Korea in 1910, and enlarged the colony in the East Asia.

 

On the other hand, a new trend of thought was spreading in Japan.

It was a labor movement and democracy.

This had advanced in Western countries, and the storm of the revolution would rage before long in Eurasia.

 

This continues next time.

 

 

当時、大国は世界各地で植民地を奪い合い、欧州各国とロシアは同盟を繰り返し二大陣営に分かれ反目していた。

この流れで、1902年に日本は日英同盟を締結し、以後、大国との同盟を繰り返すことになる。

日本は日清・日露戦争(1905年)で勝利し、韓国併合(1910年)を行い、東アジアに植民地を拡大していった。

 

一方で日本に新しい思潮が浸透しつつあった。

それは労働運動と民主主義でした。

一言で言えば、それは国民の権利が保障される社会へと国民が民主的に改革することでした。

これは欧米各国において進んでおり、やがてユーラシアで革命の嵐が吹き荒れることになる。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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社会と情報 43: 新聞と検察、相克と癒着 4


 

1ベトナム戦争

< 1. ベトナム戦争 >

記者クラブは誰にとって利益なのだろうか? 

新聞か検察か、それとも国民か・・

 

 

記者クラブは政府や官僚にとって都合がよいか?

記者クラブの加盟社が特権を手放したくないのは当然と言えますが、情報発信側にも利益があります。

外国の例を見ます。

第二次世界大戦当時、米国は戦争報道のすべての記事を徹底的に検閲していました。

一方、ベトナム戦争において、検閲ではなく現地で記者クラブのような「アメリカ合同広報局」が戦局報告を毎日行い、他からの情報収集を不可能にして管理しました。

フィリップ・ナイトリー著「戦争報道の内幕」において、後者の方が戦争報道を阻害したとしている。

その理由は、概ね以下の通りです。

大戦時の記者は情報収集が比較的自由で、記事を工夫することにより検閲官を出し抜くことが出来た。

しかしベトナム戦争では、広報局からだけの隠蔽された一律の情報を待つ記者達は、工夫も意欲も無くしてしまった。

他にも、報道を歪曲する力がホワイトハウスから働いていたが、この「記者クラブ」の悪影響は大きかった。

一方、テレビ報道は新たな役割を果たし、戦争の真実を伝え始めていた。

連載16~18:報道特派員の苦悩1~3、に詳しい。

2裁判所

< 2. 裁判所 >

 

なぜ癒着が蔓延し、自律回復が困難なのか?

これまでの説明でも、納得出来ない方はおられるかもしれません。

例え新聞に期待出来なくても、他に救いがあるはずだと。

  • 裁判官や弁護士は、なぜ問題を明らかにしないのか?

これについて、「検察が危ない」で著者は明快に「出来ない」と述べています。

著者は例外ですが(笑い)。

この公僕達は実態を知ってはいるのですが、職業的に繋がっているため(転職しあう仲間だから)、互いに傷付け合うことは避けているのです。

  • なぜ検察は横暴になっていくのか?

これについて著者は、検察の不甲斐なさを責め立てる新聞(世論)が一端になったことを挙げています。

政界を大きく巻き込む疑獄事件があって、それを検察がうまく暴けない時などがそうです。

このような時、検察は被告側が弱ければ生贄(冤罪)にし、被告側が巧みであれば法の適用を逃してしまいます。

郷原氏は、これについて、検察はセクショナリズムに陥っており、法適用が旧態依然だからと指摘しています。

こうなると、次の事件で名誉挽回に躍起となり、検察一丸となり軍隊式の白兵突撃を敢行することになる。

そして、特捜部が快挙(被告有罪)を成せば、検察上層部は出世に繋がると指摘する人もいます。

最後に

一番重要なことは、こと検察と新聞の癒着だけの問題ではなく、社会全体が網の目が張り巡らされたように癒着を起こし停滞し、やがて腐敗していくのです。

このような、官僚化=官僚制の逆機能(責任回避、秘密主義、権威主義、セクショナリズムなど)はいつの世にも起こります。

しかし、それを見張り、国民に知らせる立場の新聞(マスコミ)が、癒着してしまえば自力回復は不可能です。

これを打破するには、新聞(マスコミ)が本来の機能を果たせるように、何が重要であるかを国民が正しく認識することから始めないといけない。

 

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社会と情報 42: 新聞と検察、相克と癒着 3


1ドラマ事件記者

< 1. かつての人気ドラマ「事件記者」 >

今回と次回で、新聞と検察の癒着の要「記者クラブ」の意味を探ります。

記者クラブが強固になっていく様子を追います。

 2官僚たちの夏

< 2. 経済官僚が頑張った時代を描いた小説「官僚たちの夏」 >

検察が仕掛けた記者クラブ支配

この記事はHP「法と経済のジャーナル」「特捜部など検察と司法記者クラブの記者たちの関係の真実」2014/12/12から抜粋要約しました。

 

1965年秋、司法クラブが検察に牛耳られる切っ掛けになった事件が起きました。

当時、毎日新聞が独り気を吐き特ダネを連発していた。

毎日は、「夜討ち朝駆け」を必死で行い、早合点の誤報もあり、記者クラブの自主協定なんのそので、検察と他社の反発を買っていた。

ある時、「・・正副総裁を検察が聴取した」と毎日はスッパ抜きました。

これで毎日は、記者クラブから「登院停止」、後に「除名」処分を受けます。

理由は、記者クラブ内で「これを報道しない」との自主協定があったからです。

一方、特捜の次席検事は、情報管理を厳しくする機会を狙っていました。

これ幸いと、彼は「検察は記者クラブの加盟社だけを相手にし、除名社とは会わない」と毎日に制裁を加えた。

同時に、検察と記者クラブの間で、次席検事が会見で情報を発信するので、記者は他の検事や事務官への情報収集を行わないとのルールも出来た。

こうして閉め出された毎日は、特報だけでなく日々のニュースの第一報を逃し、遂に検察と記者クラブに前面降伏した。

こうして、両者の一体化が完成し、記者クラブ以外は排除され、検察の望み通りなった。

この経緯を見ると、記者クラブの加盟社は既得権益を守るために為に、検察の意向に沿う形で村八分を行った。

本来、記者クラブは報道の自由を確保する為に、協力し権力に対峙するはずだが、本末転倒です。

補足します

記者クラブの自主協定は、例示のように「検察と記者クラブ」両者にとって有利であって恣意的なものが多く、人権擁護の見地は二の次と考えられます。

連載39話:新聞は誰の味方か3、「津山主婦行方不明事件」の協定が参考になります。

また、実は日本の新聞記事の特ダネは、「夜討ち朝駆け」によって捜査の展開を一手早く(数時間前に)予測し、報道するだけのものが多いのです。

したがって、当時の毎日の特ダネと誤報も、予測が早いか外れた程度のものだったのでしょう。

本人達は、寝食を忘れ取材に没頭し満足しているのですが、米国の新聞業界に少しでも身を置いた記者達は、その後進性に嫌気が差して辞めていくのです。

それが既に紹介した上杉隆、牧野洋、烏賀陽弘道らでした。

これが日本の新聞報道の悲しさです。

 

次回は、記者クラブの弊害を外国の例から見ます。

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社会と情報 41: 新聞と検察、相克と癒着 2


1著書

*1

 

前回に続いて、著書「検察が危ない」から記者クラブの状況を見ます。

 

 2霞ヶ関の司法記者クラブでの

< 2. 霞ヶ関、司法記者クラブでの原告団記者会見 >

 

「一心同体の司法クラブ」(P154~155)から抜粋引用します 

前回からの続きになります。

 

「 被疑者の逮捕、起訴等の節目で地検次席、特捜部長が記者に対して行う会見には、司法クラブの記者だけが参加できる権利を与えられる。しかも、そこではカメラで撮影することも許されないし、録音することも許されない。そこで配られた資料を外部に出すことも禁止される。

それは記者会見ではなく、公式リークと言った方がいい。要するに、自分たちのお仲間にまとめて情報提供して、説明しているだけに過ぎない。

このように、実際に検察の内実を多少なりとも知り得るのは、この閉鎖的な空間にいる司法クラブの記者か、その出身者というごく限られた人間達であり、それ以外の“よそ者”はこの世界に入ってくることは出来ない。

このように、司法クラブの現場記者は恒常的「従軍記者」的な立場で、検察翼賛報道を続けるが、その一方で、新聞等は政治的に検察を利用しようとする動きを見せることもある。

いずれにしても、現役の司法クラブ記者であれ、司法クラブ経験者の社会部遊軍記者であれ、デスクや部長であれ、司法クラブでの経験を基に、検察関係者との人的なつながりを持っている記者にとって、その人的つながり自体が記者としての貴重な財産になっている。

それは、検察が正義であり、社会的に、政治的に大きな影響力を持っているからこそ、財産であり続けるのであり、検察の威信が地に墜ちてしまうと財産価値がなくなってしまう。

こうして、メディアが検察をほとんど批判することなく、一方的に賞賛する報道のなかで、世の中の「検察の正義」に対する信頼はほとんど信仰に近いもになっていく。 」

 

 

明確になったこと

上記の記述は、両者の一体化、特に新聞社が検察に寄り添う状況をうまく説明しています。

 

  • 1.冤罪を生む体質

これまでに紹介した事件は、検察・警察・国税庁と新聞社が暴走し冤罪に繋がったと説明しました。

これについても、著者は両者の一体化に原因があるとしています。

連載37~39話:新聞は誰の味方か 1~3、に詳しい。

 

これほどまでに記者クラブは問題を孕んでおり、海外や「国境無き記者団」、国内からも批判されていながら、大手新聞社は既得権益にしがみついています。

 

3証拠改竄の被告検事

< 3. 郵便不正事件での証拠改竄の被告検事たち >

 

  • 2. 日本の新聞社は権力を監視することが困難 

「原発事故で官僚が情報隠蔽」や「郵便不正事件」などの報道から、あることが見えてきました。

記者クラブに属する新聞社が権力を批判することは困難でした。

しかし記者クラブに属さない雑誌やフリーランスにはそれが期待出来ます。

残念ながら、まだまだその力は弱い、記者クラブの壁が立ちはだかっているからです。

 

多くは追従していると言えるが、時に権力に逆らい、その悪行を暴露する新聞社もまだ健在している。

これは長年、国民が新聞社に権力の監視を期待しているからで、これが無くなると危険な状態になる。

このことが、官僚化の弊害に染まっている朝日を幾分なりとも救っているのでしょう。

連載37話:新聞は誰の味方か1、に詳しい。

 

次回に続きます。

 

 

 

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社会と情報 40: 新聞と検察、相克と癒着 1


1特捜部の強制捜査

< 1. 特捜部の強制捜査 >

 

前回まで、検察と大手新聞が一体となって如何に傍若無人に振る舞ってきたかを見ました。

この両者の一体化は記者クラブを介して起こっています。

今回から、このメカニズムの説明を元検事の著作から見ます。

 

 2郷原

< 2. 著者郷原信廊 >

 

著書: 「検察が危ない」

著者: 郷原信廊。地検検事を歴任後、弁護士、大学教授。

出版社:KKベストセラーズ、ベスト新書。2010年刊。

補足: アマゾンのカスタムレビューの評価(21件)は4.5。

 

 

「一心同体の司法クラブ」(P152~154)から抜粋引用します 

「 ・・・

司法クラブ記者が検察と一体化していく原因の一つに、特捜部と「司法クラブ」(記者クラブ)との「軍隊的体質」という面での共通性がある。

特捜部の共同捜査では、主任検事と担当副部長が事件全体の情報を独占し、末端の取り調べ担当検事は、事件の全体像を知らされないまま、主任検事の意向通りの自白を取ることを求められる。・・

それと同様に、司法クラブの記者も、事件の全体像や意味もわからず、ただただ連日深夜まで、取材先の特捜部の幹部などへ「夜回り」をするということに「耐える」生活を強いられる。

また取材窓口が特捜部の部長、副部長に一本化され、ヒラ検事からの取材が禁止されて厳しい情報統制が行われているため、司法クラブの記者は取材先である部長、副部長の機嫌を損ねないように最大限に配慮しながら記事を書かざるを得ない。捜査に批判的な記事でも書こうものなら、特捜部の幹部が相手にしてくれなくなるという恐怖が待ち受けている。

各社の記者は、特捜幹部からは得られない捜査情報をヒラ検事から得ようとして、他社に感づかれないように深夜物陰に潜んではヒラ検事の帰宅を待ち伏せすることもしばしばである。こういうことをつづけているうちに、・・記者は、事件が展開し、強制捜査着手にこぎ着ける日を心待ちにしながら、・・・生活が当たり前になっていく。

このように、もともと組織の体質が共通しているのに加えて、特捜幹部による報道の締め付けが行われることで、大部分の記者は、盲目的に特捜部の捜査の動きを追いかけることになる。こういう記者の仕事の中からは、捜査に対して批判的な観点など、出てくるわけがない。

強制捜査着手という段階になったとき、検察の捜査は社会的な注目を集めることとなる。・・それは司法クラブの記者にとって最も輝かしい日々である。

こうして、特捜部と司法クラブの記者との利害は完全に合致することとなる。・・司法記者の多くは、日々特捜部の動きを追いかけ、捜査の展開を予測することのみに心を奪われ、事件の社会的背景の分析、摘発された側の実情などを独自に掘り下げて取材することはほとんど無い。

このため、特捜部が強制捜査に着手したとなると、ほとんど「従軍記者」の記事のような提灯記事が社会面を飾ることになる。 」

3夜討ち朝駆け

< 3. 夜討ち朝駆け >

 

明確になったこと

上記の記述は、これまで取り上げてきた問題がなぜ起きたかをうまく説明しています。

 

  • 1. 徒弟制度のような陳腐化した体制

元朝日の著者烏賀陽氏は、朝日の「夜討ち朝駆け」に見られる体質を陳腐極まりないと指摘しました。

結局、その体質は、検察と新聞社の軍隊的体質であり、すべてに言えるわけです。

この体質が良くないのは当然ですが、新聞社によれば、このような厳しい社内批判を徹底的に封殺するところがあります。

後日、扱います。

連載36話:著書「『朝日』ともあろうものが」、に詳しい。

 

  • 2. 記者は事件の被告や背景を取材しない

「山口組絡みの資金洗浄事件」の報道で、新聞社が被告道傳側をまったく取材していないことがありました。

この理由も検察と記者クラブの一体化から説明しています。

また烏賀陽氏は、周りの記者には自ら問題を探し、掘り下げる意識がまったくないとも指摘していましたが、これも同様な理由です。

連載38話:新聞は誰の味方か、に詳しい。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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社会と情報 39: 新聞は誰の味方か 3


   1運命の人 

< 1. 西山事件を扱ったドラマ、山崎豊子原作  >

 

前回に続いて、主要新聞の事件報道を追います。

記者が見た新聞業界の内実は今回で一端終了します。

 

 

以下の四つの事件報道から見えるもの

はじめに、三つの事件で検察の横暴と暴力、マスコミが加担する例を見ます。

最後に、地方で起きた一事件を巡る加熱報道がもたらす悲劇を見ます。

今回は様々な資料を使いました。

大手新聞二社については仮称AとBで扱い、後に種明しします。

 

2不撓不屈

< 2. 飯塚事件を扱った映画 >

 

  • 「飯塚事件」

1963年、会計事務所の4人の職員が脱税教唆の容疑で逮捕され、7年後に無罪。

この無罪獲得までの闘いが小説「不撓不屈」になり映画化もされた。

 

問題は、検察と国税庁が一緒になって、この会計事務所の顧客先に顧問契約の打ち切り、はては脱税証言をすれば税務調査に手心を加える等の卑劣な手段を使い立件を図ったことです。

結果は、会計事務所所長の粘り勝ちで、国会議員が国税庁の横暴を追及し、手打ちとなった。

 

  • 「西山事件」

1972年、日米間の沖縄返還協定をめぐる密約を毎日の西山記者がスクープした。

しかし彼は首相が米国と裏取引した密約を暴露したことにより、執行猶予1年の有罪判決を受けた。

 

判決では報道機関が適正な手段を使うならばこの秘密文書の告発は問題ないとし、彼の卑劣な行為だけを問題にした。

その判決主旨は、密約情報を持ち出した外務省の女性事務官を彼がたぶらかし、彼女の人格を傷つけたことだとしている。

 

検察は政府上層部(首相?)の意向を受け、「不倫関係による卑怯な入手」を前面に出し彼を追いつめた。

裁判では密約の有無に触れず、マスコミを通じて、彼は破廉恥な記者として社会に印象づけられた。

おかげで、首相と政府は密約の追及をはぐらかすことが出来た(密約はあった)。

 

この手の個人攻撃に対して、個人が独りで大組織に立ち向かうのはほぼ不可能です。

米国でも似たことは起きるが、マスコミが国や大企業の脅し(裁判)に抗して告発者を保護し、報道することになる。

 

もう一つの問題は、毎日がこのスクープを大きく扱わず、焦って西山記者が議員に依頼し国会で追及した。

しかし、それが仇となり告発者が特定されてしまったことです。

新聞社が告発していれば匿名が可能だったはず。

 

3村上

  • * 3

 

*「村上ファンド事件」 (著書「官報複合体」を参考)

2006年、村上ファンドがニッポン放送株でインサイダー取引したとして逮捕され有罪確定。

 

彼は逮捕される数時間前、日頃、取材で顔見知りになっていた著者に電話を掛けて来た。

 

村上:「きょう、生まれて初めて公の場でウソをつきます」

著者:「えっ? どういうことですか?」

村上:「罪を認めるということです。・・記者会見をしますので、ぜひ来て下さい」

著者:「インサイダー取引をやったのですか?」

村上:「新聞を見たでしょう? 罪を認めなければ、僕のほかにも幹部が逮捕をされてしまう。・・本当のところをわかってくださいね」

 

検察から流された「徹底した逮捕起訴は確実」の情報が躍る新聞を見て、彼は仲間と会社を守ろうとした。

 

ポイント: この三つの事例から、検察の横暴と恐ろしさ、個人の抵抗が如何に困難か、それに加えてマスコミが如何に無力で、むしろ同調し弱者を追い込んでいるかがわかる。

 

4主婦行方不明

  • * 4

 

  • 「津山主婦行方不明事件」の報道 (私が直に聞いた話)

2002年、岡山で医師(高橋幸夫)の妻が行方不明となり、口座から大金が引き出され、いまだ犯人と妻が見つからない未解決事件です。

 

2013年、私は講演会でこの医師(「全国犯罪被害者の会」幹事)の悲痛な訴えを聞いた。

彼は、当時の過剰で被害者を踏みにじるマスコミ取材に怒りを露わにし、11年経っても治まらないトラウマに苦しんでいた。

 

事件当時、彼は度重なる取材の自粛を県警通じて「記者クラブ」に訴えた。

A社を幹事会社とする県警記者クラブは、直ぐに反応して以下の申し合わせを行った。

 

「妻の妙子さんが行方不明という状況の中、幸夫さんの肉体的・精神的疲労もピークに達していて、度重なる取材に対し、『これ以上の取材はやめてほしい』と悲痛な声を上げているということです。

・・・

以下の事を申し合わせました。

1. ・・・

2.本人以外への取材に関しても、良識を持って取材活動を行う。

3.幸夫さんに対して、会見を開いてもらえるよう、クラブとして交渉を行い、出来る限り早期の実現に向けて努力する。

・・・

『本人への過熱取材の背景には、県警からの情報の過小さがある』という認識もあり、県警に対して、・・情報の提供を強く要望する・・・ 」

 

しかし、この申し入れの11日後、容疑者に近い人物が自殺し、これにより手掛かりは断たれた。

以前から警察はこの人物の身辺捜査を行っていたのだが、A社が自殺の前日に、この人物を2回電話取材していた。

この取材が原因で未解決事件になったとまでは断定できないが、被害者の医師は、当時の過熱取材と報道が事件解決の道を閉ざしたと訴えた。

 

ポイント: 新聞は、往々にして事件解決や人権を無視してまでも執拗な取材と報道を行い、犯罪を扇情的に扱う傾向がある。

それが視聴者の耳目を集め、新聞の発行部数増につながると信じるからです。

新聞社によって犯罪を扇情的に扱う度合いは異なる。

また犯罪の主体が、国家や企業等による組織的ものか、また与党側か野党側か、はたまた周辺で起きる利己的なものかでも、新聞社によって対応は異なる。

 

 

最後に

3回の連載で取り上げた8件の事例を見ると、日本の主要新聞が如何に本来の姿から逸脱しているかがわかります。

つまり権力(「記者クラブ」を有する大組織)との繋がりを優先するあまり、本来、第四の権力となって国民の為に監視すべき立場を放棄しています。

結局、このことが弱者や人権を無視することに繋がっています。

 

このことは新聞社によって多少異なっていました。

また新聞社の官僚体質とは異なる次元で起きていることもわかりました。

この違いを生む原因については別に取り上げます。

 

私が残念に思うのは、「記者クラブ」等の官公庁と新聞社の癒着構造が、常々、世界や良識ある記者達に批判されているにも関わらず、平然と続けられていることです。

 

 

次回から、新聞と検察が、どのように泥沼にはまっていったかを見ます。

 

種明し、A社は読売です。

 

 

 

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社会と情報 38: 新聞は誰の味方か 2


   1本

  • * 1

 

前回に続いて、主要新聞の事件報道を追います。

 

 

事件報道から見えるもの

今回も、前回に続き著書「官報複合体」から記事を引用します。

大手新聞二社については仮称AとBで扱い、後に種明しします。

 

2道伝

< 2. 下記事件の無罪記事の扱い >

 

*「山口組絡みの資金洗浄事件」の報道

2004年、クレディ・スイス元行員道傳(どうでん)篤が逮捕され、2007年無罪。

 

「一連の手法は、金融のプロで元クレディ・スイス行員道傳容疑者が考案し、自ら実行していた。海外を舞台にしたブラックマネー洗浄の手口の全容が明らかになったのは始めて」

「年間数十億のノルマがあり、・・スイスに送金すれば、自分の実績も上がると考えた」

A社は起訴の翌日、こう報じた。

翌年もA社は、この事件を特集し被告を犯人扱いし責めた。

 

それでは無罪判決後、A社は犯人扱いした記事を訂正し謝罪しただろうか。

A社も含め主要紙は、無罪確定を知らせるベタ記事(図2)以外には報じていない。

 

道傳によれば、新聞は彼や親族、彼を支持する人々に一切取材せず、警察・検察ばかり取材していた。

「約十ヶ月に及ぶ拘留を含め、逮捕から三年三ヶ月が経過し、その間に失ったものはあまりに大きく、無罪判決を受けたからといって率直に喜べる状況ではありません。・・捜査機関が私の話に耳を傾けてくれていれば・・」

道傳は無罪判決後、これを記者クラブに配布し、毎日と日経だけが紹介記事を載せた。

 

ポイント: A社は検察の意向を汲んだ報道に終始し、被告を犯人扱いした。

無罪確定後、A社は犯人扱いした誤報を批難されないようにその報道を小さく扱った。

これは他社も同様ですが。

 

新聞は容疑者を犯人に仕立て扇情的に書くことに熱心でも、正義が正しく行われているかには関心が低い。

検察の誤認が発覚(無罪確定)すると新聞社は検察を責めても、被告に誤報を謝罪し名誉回復に務めるよりは知らぬ存ぜぬを決め込む。

 

記者クラブ所属の新聞は、検察を疑い調査することで検察に嫌われたくない。

これでは正義の最高権力(検察)が冤罪起こしたり腐敗したりしても暴かれず、改善されることはない。

これでは「記者クラブ」を持つ官庁や団体の退廃を食い止めることを新聞に期待出来ない。

一度、被告になった弱者は、味方が失われ孤独の内に冤罪を受け入れるか、例え無罪になっても名誉回復がおぼつかない。

 

 

次に検察に葬られた例を見ます。

 

 3三井

  • * 3

 

  • 三井環事件」の報道

2002年、大阪高検元部長三井が詐欺容疑で逮捕され懲戒免職、上告するも2008年最高裁で実刑確定。

 

毎日「明治以来の不祥事」。

A社「今回の事件ほど、国民の検察に対する信頼を損なったものはない」

B社「日本の検察官の信頼を著しく失墜」

日経「歴代の検察首脳の責任は極めて重い」

いずれも逮捕から2ヶ月以内の記事で、「悪徳検事三井」と名指しした。

 

実はこの事件には裏があった。

三井はかねてより、水面下でマスコミに接触し、「検察内部で調査活動費が裏金として職員の私的な飲食代やゴルフ代に消えている」と訴えていた。

しかしマスコミは内部告発者には冷淡で、やっと彼は実名を条件にテレビB社「ザ・スクープ」の取材を取り付けた。

しかし、その当日、彼は些細な別件で逮捕され、6年間も検察とマスコミを敵に回し、ついに闘い敗れた。

 

後日、彼は振り返り語った。

「逮捕された時に、いかにひどく報道されていたかを知って驚愕。マスコミにも怒りが湧いてきた」

 

ポイント: この事件には二つの問題があります。

一つは、日本のマスコミが内部告発者を信用せず避ける傾向にあることです。

既にこの連載「社会と情報 2~9と27」で取り上げたように、米国での内部告発は企業や国家の大規模な不正を暴き社会を救い、評価されています。

 

しかし日本では、いまだに内部告発が組織の裏切りや犯罪と見なされる。

さらに告発には実名が要求され、それが知れると告発者は以後冷遇され続ける。

多くの記事が匿名扱いなのに、なんと不条理なことか。

 

これは日本の国民性に「強い村意識」があり、良く言われる「社会人でなく会社人」になってしまうことを指します。

これは心理学で言う「帰属意識が高い」ことによる悪い面が出たからです。

当然、良い面もあります。

 

しかしもう一つ重要なことは、新聞が大組織(「記者クラブ」を有する官公庁や団体、企業

)に損害をもたらす内部告発に関わらないことで、今後の情報提供を円満に続けようとの意図が働くからです。

 

さらに問題なのは、大組織の横暴を暴露しないだけでなく、同調あるいは傍観し続けていることです。

この場合、内部告発を企てた途端、被告人は些細な罪で起訴され、検察とマスコミから徹底的に名誉を傷つけられ、その告発の信憑性を奪われたことです。

これは大組織が内部告発者を潰す常套手段です。

よく使われる例に、告発者の異常な性癖や不倫、使い込みなどの悪評流布、さらに家族や協力者への脅迫があります。

この手段を大組織は影響力と資金力を駆使して行うことが可能で、これは万国共通で連載いくつか紹介しました。

マスコミ(新聞も)が、悪意の有無は別にして、これに加担する結果になっているのです。

 

 

次回、弱者を追い詰める大組織とそれに同調し傍観する新聞の姿勢を追います。

 

種明し、A社は読売、B社は朝日です。

 

 

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社会と情報 37: 新聞は誰の味方か 1


    1官報複合体

< 1. 著書 >

 

主要な新聞の事件報道を追うことにより、ある問題が浮かび上がってきます。

この問題を元日経記者の著作から見ます。

 

著書 : 「官報複合体」

著者 : 牧野洋。日経新聞と雑誌「日経ビジネス」の記者、海外駐在員、編集委員を経てフリーランス。現在、米在住。

出版社: 講談社。2012年刊。

補足 : アマゾンのカスタマーレビューの評価(23件)は4。

 

2記者クラブ

< 2. 記者クラブ >

 

はじめに

前回見た朝日の官僚臭さは願い下げだが、主要各社の報道記事を見ると、どれも同じ穴のむじなであることがわかる。

結論から言えば、共通の根がより大きな災いを生み、さらに別の問題も見えてくる。

3回にわたってみていきます。

 

共通の根とは著書が「官報複合体」と呼ぶ、日本が百年も引きずって来た悪習「記者クラブ」(全国に約800存在)が代表的なものです。

この著書から、各社の記事要約を引用し検討します。

簡潔にするため、私は引用文を大幅にカット&ペーストを行っていますので、ご了承下さい。

この著作を読んだ限りでは、著者は日本の新聞業界全般を批判しており、不偏不党であると思われます。

 

各社の事件報道から見えるもの

大手新聞二社については仮称AとBで扱い、後で種明しします。

 

3speedi 

< 3. SPEEDIデーターの扱い >

 

 「原発事故で官僚が情報隠蔽」の報道

これは2011年3月11日の福島原発事故でのSPEEDIデーター公開が遅れた件です。

時を逆に追っていきます。

 

2011年8月、ニューヨーク・タイムズが報じた。

「日本は原発事故のデーターを隠蔽し、住民を危機に陥れた」

「拡散予測データーは中央官僚の判断で公開されなかった」

 

日本の報道はどうだったのだろうか?

遡って6月、「情報提供に及び腰な政府の姿勢が目立った」とA社が報じ、主要各紙も政府を批判した。

 

5月27日、B社が報じた。

「放射線測定値、バラツキなぜ、・・・、自治体任せ」

 

5月16日発売の週刊現代が最初に情報隠蔽を暴露した。

「あなたの町の『本当』の放射線量は実はこんなに高い―」

 

6月14日、この暴露を受けて文科省は都合の悪いデーター(各地の地上1mの放射線量)の公表を始めた。

 

ポイント: 主要新聞は、情報発信側(政府、省庁、団体)の情報を疑わず、虚偽を暴くことに消極的です。

しかし記者クラブに属さない雑誌各社は、時にその欺瞞を暴くことになる。

これは「記者クラブ」が情報発信側(この場合、文科省)と馴れ合い、癒着している為に起こる。

 

4村木 

< 4. 村木被告と証拠改竄の検察官 >

 

*「郵便不正事件」の報道

2009年5月、厚労省村木元局長が逮捕され、翌年無罪、さらに大阪地検の証拠改竄発覚。

 

「キャリア官僚の逮捕にまで発展し、事件は組織ぐるみの様相を見せている。なぜ不正までして便宜を図ったのか。・・疑いを持たれてしまった事実は重い」

B社は逮捕1ヶ月後に社説でこう書いた。

 

2010年9月、村木に無罪判決。

B社はその11日後、主任検事の証拠改竄疑惑をスクープ、これにより最高検察庁が動き、上告されず冤罪事件を免れた。

 

ポイント: 逮捕当時、B社は検察の思惑をそのまま報じ、自ら調査報道せず被告を犯人扱いした。

 

この手の記事の多くは、誰(検察)の思惑かを明示せず、信頼できそうな噂話(笑い)として書かれる。

これだと誤報であっても責任逃れし易く、記者は取材努力をせずに又聞き情報などを容易に取り上げることが出来る。

さらに意図的な情報、例えば検察に都合の良い思惑を流して恩を売ることも可能になる。

これが匿名の情報発信元や記事が多い理由です。

しがって、TVで以下のセリフをよく使うコメンテーターはむしろ眉唾だと言える。

「私は情報筋から内々(匿名)でよく情報が貰えるので・・・」

 

B社は後に証拠改竄スクープで彼女の名誉挽回に貢献したとはいえ、汚点は消えない。

他社も同様であるが。

もし彼女が検察と徹底抗戦しなければ、また改竄事実が発覚していなければ、冤罪になっていたかもしれない。

日本は有罪確定率が非常に高いが、この官報複合体(警察・検察と記者クラブ)に一因があるのだろう。

 

次回、無罪でもハッピーエンドにならなかった例を紹介します。

 

種明し、A社は読売、B社は朝日です。

 

 

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社会と情報 36: 著書「朝日ともあろうものが」から見えてくるもの


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< 1. 著書 >

 

今日は、真相に迫る本を紹介します。

著者は朝日の記者でしたが、朝日を陳腐極まりないと吐き捨てます。

新聞社の日常が暴かれます。

 

著書 : 「『朝日』ともあろうものが」

著者 : 烏賀陽弘道。朝日と雑誌「アエラ」の記者を17年経てフリーランス。

出版社: 徳間書店。2005年刊。

補足 : アマゾンのカスタマーレビュー(33件)の評価が4.5と高い。

 

はじめに

著者は朝日の旧態依然とした官僚的な体質に幻滅し、「幻想を捨てろ」「変えるしかない」と言います。

それは著者が実際に体験したもので偽りはない。

 

私はこの本を読み終え暗澹たる気持ちになった。

この先、どうして民主主義を支えていけば良いのか?

「第四の権力(行政・立法・司法に並ぶ)」と「ウォッチドッグジャーナリズム(権力監視型報道)」をどこが担うのか?

 

幾日が経って、あることに気づいた。

著者は多くの切実な問題をさらけ出してくれた。

そして、多くの問題は朝日だけでなく横並びの新聞業界にも当てはまり、むしろ指摘されていない部分は朝日の良さと言えるのでは・・。

 

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< 2. 著者 >

 

著者が訴えること

著者は新米記者として地方と大都市で苦労するようすを累々描き、その苦労を馬鹿げているとする。

著者の業績については控え目で、目につくのは上役の横暴と横領、無能さ、そして組織の腐敗と捏造、癒着体質です。

6年後に雑誌記者に転籍となり、その後10年間、著者は活躍の場を得て才能を発揮した。

途中、2年間の米国留学を自ら勝ち取り、果たす。

その後、落ち目の他の雑誌編集に回され、冷や飯を食わされ退職する。

 

全編、悪態に尽きるが、朝日の記者と新聞社の問題点が実感を持って伝わって来る。

日本企業にありがちな年功序列と官僚化による弊害が蔓延している。

それは有能で意欲ある若い人材を殺し、セクショナリズムと自己目的化した取材姿勢を蔓延らせた。

これが天下の新聞社だと言うのだから悲しくなる。

 

しかしそれだけではなく、新聞業界共通の問題も見えてくる。

「記者クラブ」に端を発する、情報発信元(政府、警察、自治体、企業、業界団体など)との癒着がある。

記者クラブの横並び体質は各社を意味の無いスクープ合戦に向かわせる(どうせ発表される情報を他者に抜け駆けて取ること)。

それゆえ真の取材力が育たず、昼夜にわたる個人的な繋がり(家庭訪問、恩の貸し借り)による取材を最良とし、その結果、匿名報道や個人的な癒着が横行する。

記者のエネルギーと論功行賞は、これに集中することになる。

さらに悪いことに、記者クラブの情報待ち姿勢は、自ら問題点を掘り起こす意欲を失わせてしまった。

 

もう一つが「新聞の再販制度(特定の不公正な取引方法)」による業界の過保護で、これが自らに甘い官僚的体質の温床にもなっている。

 

これらは「報道を麻痺させている最大の理由」ですが、私達読者はどっぷり浸かってしまって自覚出来ない。

実は、この事を強く自覚するには米国でのマスコミ経験が必要だったようです。

この著者の烏賀陽弘道や上杉隆、牧野洋などは米国駐在の後、確信を深め新聞社を退職しています。

 

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< 3.朝日新聞珊瑚記事捏造事件、1989年 >

 

この本から学んだこと

1980年代後半のこととは言え、朝日が如何に官僚化したエリート組織であることがわかった。

さらに記事の捏造が小さなものから常態化していることもわかった。

 

しかし面白いことに気がついた。

著述から読み取れる著者は意欲と創意に溢れ、良い記者になることだけを望み、出世や警世には無欲だと言うことです(無色透明、中庸と言える)。

その著者が希に指摘する、数は少ないが優秀で清廉潔白な記者が非主流(政治部・経済部・社会部)の出世コースから外れた所におり、またペンで世の中を変えたいと望む人(警世の記者)が少なからずいると。

 

私はこの本を読む前、朝日の左派傾向(革新)に不安があった。

しかし著者は、特段その偏向を指摘していなかった。

読み取れるのは、空回りはしているが反権力気質の社風が朝日にはあることです。

それが社会悪や反権力の姿勢を際立たせる捏造記事に繋がるようです。

しかし記者達を洗脳するシステムや権力構造(トップダウン)は見あたらない。

朝日のエリート官僚臭さは大いに問題だが、著者の言う「悪平等意識」が蔓延していることにより独裁者の存在を許さないのかもしれない。

 

 

最後に

朝日の欠陥はよくわかった。

しかし日本の報道、「社会と情報システム」、はさらに多岐にわたる大きな問題を抱えている。

逐次明らかにしていきますが、未だほんの一部しか見ていません。

 

著者がさらに活躍されることを期待し、日本の報道が良くなること切に望みます。

 

 

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社会と情報 35: 著書「歪曲報道」から見えてくるもの


  1 

 

今日は、痛快な本を紹介します。

著者は主に朝日の報道を卑怯で偏狭だと批判しています。

その巧みな語り口から、保守革新の精神構造が見えてきます。

 

 

著書 : 『歪曲報道 巨大メディアの「騙しの手口」』

著者 : 高山正之。産経の社会部デスクを経て帝京大教授を務めながら、雑誌に投稿。

出版社 : PHP研究所。2006年刊。

補足 : アマゾンのカスタマーレビュー7件の平均評価4.5と高い。

 

はじめに

現在、朝日新聞の記事捏造問題、大手新聞を去ってフリーで活躍する記者達の増加、また保守系マスコミが扇動し多発するヘイトスピーチなどがあります。

そこで私は手当たり次第、国内(日経、読売、朝日、産経、雑誌)と海外の記者の著作を読んでいます。

 

中でも、この本は非常にインパクトがあります。

先ず、著者は舌鋒鋭く論旨が明確で、ぐいぐい引き込まれていきます。

いつの間にか私は保守本流の中州に立っているようでした。

かつて読んだ右翼(街宣車を出す団体の総長)の著作に比べ説得力は卓越しています。

ところが読み進むうちに、強引な解釈と間違いの多さに気づきました。

 

内容の特徴

内容は雑誌連載の再録ですからまとまりはありませんが、主に新聞報道の問題点を手当たり次第、大胆に切り捨てます。

主な攻撃対象は朝日、弁護士、裁判所、共産主義、労働組合、野党、人権団体、左派系文人、中国、朝鮮半島です。

産経は米国と財閥追従だと聞いていたのですが、著者は米国も嫌っているようです。

逆に、信頼しているのは自民党や軍、警察、保守系文人、台湾、ミャンマー(軍政)のようです。

批難で埋め尽くされていますので、何が好感されているのかは掴みにくい。

 

2

< 2. 著者高山正之 >

 

著者の論調の特徴

批難の論法は非常に単純明快で、批難すべき相手と違う証拠(信頼出来るかは不明)を取り上げて、それもって結語します。

大局的な解説はなく、多くは一つの証拠の善悪だけで論じている。

多くの証拠は真逆にあるので、それが事実なら、批難が正しいように思えてきます。

 

幾つかの例

*「大安売りされるPTSD」の章

ここで著者は敬愛する曾野綾子と一人の臨床心理士の言を借りて、PTSDはまやかしで、金をせびる手段だとこき下ろす。

著者の一部の指摘は正しいと思うが、これでは誤解を招き悪影響が大だろう。

ベトナムやイラクからの米国帰還兵がどれほどPTSDに苦しんでいるか。

医学書にはPTSDの生涯有病率は男性5%、女性10%と書かれている。

心の理解がこの程度なので、随所に強者への信頼と弱者(嫌う者)への蔑視が染みこんでいる。

ひょっとしたらデスクにもなった人物だから、煽りが上手いだけかもしれないが。

 

3

 

*「『沖縄タイムス』を除名すべきでは」の章

著者は、大江健三郎が「日本軍が住民に沖縄戦で集団自決を命令した」と書いたこと、その記事を載せた沖縄タイムスに怒り心頭で、謝罪と除名を訴えている。

こんな詐欺まがいの大江を使う「朝日」は最低だと飛び火する。

反論の証拠はここでも曾野氏の著書です。

沖縄戦も含めて日本の戦争行為を全体的に見れば、充分起こり得るだろうことはわかるはずだが。

名誉毀損で訴えられた大江・岩波書店沖縄戦裁判は、2011年に大江の主張が認められて結審した。

著者の愛国心には頭が下がるが、気にくわない結果が出れば裁判官と弁護士を馬鹿呼ばわりで、いかにも稚拙にすぎる。

 

*「北朝鮮と気脈の通じた『朝日』」、「人権派は被害者に謝罪せよ」の章など

著者は随所で朝鮮半島の人々を罵り、擁護する人々も同罪だと言います。

一つの例が、今の在日は勝手に日本に来た人々でいい目をしていると言う指摘です。

著者は戦後、GHQが日本政府に命令し、強制連行した在日をすべて半島に帰還したはずだと言います。

 

おおまかに状況を説明すると、当時、日本には在日朝鮮人だけで200万人が暮らしており、その多くは強制連行ですが、もちろん自由意志、密航もあったでしょう。

戦後、帰還事業が始まりますが、約60万人が残ります。

その理由は、積極的な事業でなかったこと、既に日本生まれの在日が多く、朝鮮半島が混乱状態であったこと、千円以上の財産を持ち帰ることが出来なかったことにあります。

1948年12月の公務員の給与は1ヶ月6370円で、さらにインフレで紙屑同様になっていった。

 

著者は、日本は朝鮮半島を併合し産業振興を行い、民衆を大切に扱ったのであり、植民地化し侵略したことはないと言い切る。

どうも依怙贔屓が極端過ぎるようです。

 

この著者だけでなく、乱造されている社会問題や歴史認識の本は、往々にして大局的な理解を求めず、一方的で受け狙いが多いようです。

 

 

偏った思考とは何か?

この本を読んで感じたことは、右派(保守)と左派(革新)の隔たりです。

著者にとって、容疑者や弱者、それを擁護し現状に文句を言い、政府を批判する人々が大悪人に映るようです。

悪を憎む姿勢には痛快さを感じるのですが、なぜか悪人が存在しない彼がひいきの国や党、歴史が存在するのです。

それは、おそらく産経で鍛えられたものだけでなく、彼の天性からきているのでしょう。

 

彼の意識にある最大の特徴は、混乱、未知の世界や社会、異民族への非常な恐れであり、それを脅かす勢力には敢然と戦う姿勢です。

当然の帰結として、強烈な愛国心と体制維持への執着があります。

 

この意識は、人類が持ち合わせている脳機能の偏り(保守脳)によるものなので、一概に悪いと切り捨てるわけにはいきません。

しかし、これでは対立の溝が深まるだけでしょう。

 

 

 

 

 

 

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The society and the information 34: Information crosses the border 8


社会と情報 34: 国境を越える情報 8

 1原発2   

< 1. Chernobyl nuclear power plant disaster >

< 1チェルノブイリ原発事故 >

 

Following on from the last time, I consider about the report of ”Chernobyl nuclear power plant disaster” in 1986.

This time, we look how the government and media of Europe and America utilized this nuclear power plant disaster.

If you formerly read “The society and the information 32,33”, you may more understand.

 

前回に続いて、1986年のチェルノブイリ原発事故の報道について考察します。

今回は、欧米の政府やマスコミがこの原発事故を如何に利用したかを見ます。

「社会と情報 32、33」を先に読んで頂くと判り易いです。

 

Insistence and report of Europe and America

“ If Gorbachev has already lost the trust of neighboring countries in the peaceful uses of nuclear energy, nobody believes the statement that he reduces the nuclear weapon toward the world” by New York Times in America

 “ The level of the safety management was very low in nuclear energy of the Soviet Union, and, as a result, the risk of the nuclear power disaster has increased extraordinarily” by The Times of the Union

 “ Our nuclear power generation technology is fundamentally different from the thing of the Soviet Union, and many safety measures severalfold are provided” by spokesperson of the White House

 “ The atomic energy will be “good thing” in future for many countries. The nuclear power plant of this Soviet Union is “evil”. But it is not good that you assume all atomic energy to be bad” by a presidential assistant of the White House

 “ Everywhere is graves. The dead 15,000 seemed to have been buried in the job site of the nuclear power plant accident? ” by The New York Post of America

 “ Chernobyl nuclear power plant isn’t the structure that shuts away the fissionable material leaking from the furnace. But all American nuclear power plants are covered with the safety shield of concrete and steel” by Atomic Industrial Forum

 

 

欧米の主張と報道

「ゴルバチョフが核エネルギーの平和利用の分野で、すでに近隣諸国の信頼を失っているとすれば、核兵器を減らしますと世間に向かって喧伝したところで、そんなものは誰も信じない」米国のニューヨーク・タイムズ

 

「ソ連の原子力は安全管理の水準が並外れて低い。その結果、原子力災害を起こす危険性は並外れて高まってしまった」英国のタイムズ

 

「我々の原子力発電技術は、ソ連のものとは根本的に違っており、数多くの安全対策が幾重にも備え付けてあります」ホワイトハウスの報道官

 

「原子力は今後も多くの国にとって“善き事”であり。・・今回のソ連の原発が“悪”だからと言って、それを理由に原子力を十把一からげにダメだと決めつけては、ならないのであります。」ホワイトハウスの主席補佐官

 

「どこもかしこも墓だらけ、原発事故現場に死者1万5000体を埋葬か・・」米国のニューヨク・ポスト

「チェルノブイリ原子力発電所は、炉から漏れ出た核分裂物質を封じ込めておく構造にはなっていない。しかし米国のすべての原子力発電所は、ソ連ではほとんど装備されていない鋼鉄とコンクリートの防護壁で覆い包まれている」原子力産業フォーラム

 

2新聞

< 2. a newspaper report >

< 2. 新聞報道 >

 

The main point and the aim of the report

“ The Soviet Union is a barbarian slave nation to hardly mind the preciousness of the human life”

 

“ The industrial technology of the Soviet Union is retreating year by year”

 

“The Soviet Union does not tell the truth and is untrustworthy in liars”

 

In the announcement of the Soviet Union, the dead by the accident were 2 at first, after that it became 32.

However, Europe and America reported that the dead were from thousands to the tens of thousands.

If the rumor that the Soviet Union is liar and cannot manage itself spread, the U.S. government is advantaged in the nuclear disarmament.

The most important was that they get the national to believe that this nuclear plant accident never occurs in Europe and America

In those days, OECD (Europe and America) was increasingly depending on the nuclear energy.

And the U.S. did not get an order entry of the nuclear power plant since a nuclear power plant accident of Three Mile Island in 1979.

 

 

報道の要点と狙い

「ソ連は人命の尊さなどはほとんど気にかけない野蛮な奴隷国家である」

 

「ソ連の工業技術力は年々歳々後退している」

 

「ソ連は真実を告げず、嘘つきで信用できない」

 

ソ連は事故による死者が当初2名で、後に32名と公表しており、欧米は数千から数万の死者が出たと報道していた。

米国政府は、ソ連が嘘つき国家、管理が出来ない国家として流布されれば、核軍縮の場で有利になる。

一番重要なことは、この原発事故が欧米の原発では絶対起きないことを国民に印象づけることでした。

当時、OECD(欧米)は原子力エネルギーに頼りつつあり、かつ米国は79年のスリーマイル島の原発事故以来、原発の受注が1台もなかった。

 

During about three weeks after the accident, the government and media of Europe and America spread to the national the false rumor and the blame of the sort.

 

However, the truth became known before long, and the report was revised inconspicuously.

But the government and the atomic energy group were able to achieve the purpose enough.

 

こうして事故後の3週間ほどの間に、欧米の政府とマスコミは異口同音に、批難とデマを流した。

しかしやがて真実が知れ、その論調は目立たないよう修正されたが、政府や原子力団体は十分に目的を果たすことが出来た。

 

3レーガン

< 3. Reagan and Gorbachev >

< 3. レーガンとゴルバチョフ大統領 >

 

Inspection of the false rumor

“ As for the number of the casualties, the number of nuclear reactors that encountered a fire, and fire extinguishing, after all, the contents which the Soviet Union announced first were almost right. Journalists that truly received the information of Reagan government reported directly, but after all, it wasn’t right” by Scientist publication of atomic era

 

“ Even the government of our country was tricking the national concerning the purpose and the safety of development business of American nuclear energy in the various levels in recording from time to time, and was doing the information hiding” by Bernstein of American reporter

 

The Chernobyl disaster happened in April 1986, but two furnaces being the same type of the Soviet Union had operated in the United States in those days.

Furthermore the more dangerous nuclear reactor for the nuclear weapon production without the bulkhead had operated, and amazingly it was four.

The Soviet Union had learnt lessons from Three Mile Island accident, and executed the remodeling of the safety shield.

 

In other words, the United States was telling a falsehood

 

 

デマの検証

「死傷者の数とか、火災に遭った原子炉の数とか、火災鎮火などの重大な問題に関して、結局、ソ連が当初発表した内容のほうが、概ね正しかった。一方、レーガン政権が流した情報は、ジャーナリストたちが真に受けて報道したものの、結局、正しくなかった」原子力時代の科学者広報

 

「我が国の政府だって、米国の原子力開発事業の目的や安全性をめぐって、時に応じて様々なレベルで自国民を騙したり、情報隠しを行ってきたのだ」米国記者のバーンスタイン

 

チェルノブイリ原発事故は86年4月に起きたが、当時、米国ではソ連と同型炉が2基稼働していた。

防護壁の無い核兵器製造用の危険な原子炉がさらに4基稼働していた。

ソ連はスリーマイル島事故の教訓を生かし、防護壁を備える改造を行っていた。

 

つまり、米国が嘘を言っていた。

 

4原発事故

< 4. nuclear power plant accident of Fukushima >

< 4. 福島の原発事故 >

 

Afterward

The Japanese public opinion had increased in an opposition to nuclear power generation, because of a spate of nuclear power plant accidents, too.

The electricity industry that had trouble by it came to pay away annual advertisement to costs 100 billion after this, and the public opinion increased in the agreement since after four years.

 

Since when the ash of Chernobyl disaster fluttered to the ground, the handling of the nuclear power generation came to divide between Germany and France.

Germany regarded this situation as dangerous and the scientist published it, and the public opinion changed to an opposition to the nuclear power plant.

France hid this situation, and the opposition movement did not become lively.

 

Such groundless rumor and agitation are performed repeatedly, and before long the truth isn’t seen in darkness.

 

 

その後

日本の世論も相次ぐ原発事故で原発反対に傾いていった。

さしも困った電力業界は、これ以降、年間広告費を1000億にし、4年後から世論は賛成へと向かっていった。

 

チェルノブイリ原発事故の灰が舞い降りた、ドイツとフランスでは対応が別れることになった。

ドイツは、この事態を危険とし科学者は公にし、原発反対へと路線を切り替えた。

フランスでは、この事態を隠し、反対運動は盛り上がらなかった。

 

面白いことに、日本科学未来館がフランスの原発優位について、以下のように語っています。

フランスは、政府によるリスクコミュニケーションが成功した好例にも挙げられます。フランスの国民は、・・原発にともなうリスクを理解した上で、経済効果などの利点や安全対策をふまえ、原発に賛成しています。」2011年5月18日(東北大震災の2ヶ月後)

この団体には日本原子力学会がいます。

 

こうしたデマや煽動が繰り返し行われ、やがて真実は闇の中に見えなくなってしまうのです。

 

 

 

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The society and the information 33:  Information crosses the border 7


 Kremlin

< 1. Kremlin >

 

This time also, following the last time, I see how the Soviet Union reported the nuclear plant accident that happened in Ukraine.

    今回は、前回に続いてウクライナで起きた原発事故をソ連がどう報道したかを見ます。

 

 Gorbachev and Reagan

< 2. Gorbachev and Reagan >

 

In 1985, Gorbachev advocated perestroika (reform), and was inaugurated as the supreme leader of the Soviet Union.

This was just a year before the nuclear plant accident.

He developed the following opinions about this nuclear plant accident at home and abroad and corresponded.

 

1985年、ゴルバチョフがペレストロイカ(改革)を唱えてソ連の最高指導者に着いた。

これは原発事故のちょうど1年前のことでした。

彼はこの原発事故に対して以下の主張を国内外に展開し、対応した。

 

A. The atomic energy is the original sin of the human civilization, and the accident is the wrath of Heaven.

Taking this opportunity, he appealed for the menace of the nuclear weapon and stopping the nuclear test within the country, and then progressed the agreement of the nuclear weapon reduction between the United States.

It proceeded to the conclusion of the Cold War in 1989 year before long.

Probably, the nuclear plant accident was used for an excuse of stopping the arms race that had weakened the national power.

 

A 原子力は人類文明の原罪であり、事故は天罰である。

彼はこれを機に国内に核兵器の脅威を訴え、核実験停止、米国との核兵器削減合意を進めた。

やがて89年の東西冷戦終結へと向かう。

おそらくは国力を削ぐ軍拡競争中止の口実に原発事故が利用されたのだろう。

 

 B.  The western media discharge falsehood reports, and are trying to trample us.

“Thousands of casualties appeared one after another, and all around became full of graves. The whole land of Ukraine was polluted by the radioactivity, and the capital became the wasteland where the trees and plants would not grow.”

He said that he demanded the confidence in the government to the people, because the west had been reporting such lie.

The people will be always exposed to such news that truth and falsity were mixed in, and were different at home and abroad.

 

B 西側メディアは虚偽報道を垂れ流し、我々を踏みにじろうとしている。

「何千もの死傷者が出て、辺り一面は墓だらけになっている。ウクライナ全土が放射能で汚染され、首都は草木も生えぬ荒れ地になった。」

こんな嘘が西側では報道されているとし、国民に政府への信任を求めた。

国民はこの手の内外で対立する真偽が混じった報道にいつも曝されることになる。

 

.  Outskirts city of the Chernobyl nuclear plant became ruins 

< 3. Outskirts city of the Chernobyl nuclear plant became ruins >

 

C. This accident is a maximum example of the bad effect of the old regime.

This accident brought the new government two help.

One thing made the accident liability the incompetence of the local administrative organ (Ukraine) of the Communist Party, and the bad effect of the central old regime.

This made the unskillful handling of the new administration less noticeable.

On the other hand, the government announced that the scientists of the Soviet Union had shut away the radioactivity of the accident and the measures were perfect.

 

C この事故は、旧体制の弊害の最たるものである。

この事故は新政権に二つの救いをもたらした。

一つは、事故責任は共産党の地方機関(ウクライナ)の無能さと中央の旧体制の弊害とした。

これに応じて組織刷新と処罰が進められ、新政権の対応の拙さは目立たなくなった。

一方で政府はソ連の科学者達が事故による放射能を封じ込め、処置は完璧であるとした。

 

Shevardnadze 

< 4. Shevardnadze >

 

The other was a good opportunity to infiltrate the information disclosure at home and abroad.

Shevardnadze that was appointed the foreign minister carried out already the information disclosure partly in Republic of Georgia and had shown the results.

The government showed the details of the accident and the damage, accepted the inspection of the American Nuclear Regulatory Commission, and promoted the nuclear power accident coverage taken by the domestic media organization.

The image of the new government that will sweep away the bad effect due to the secretiveness was able to spread at home and abroad.

 

In those days a chief editor of newspaper “Pravda” talked of complaint that the information disclosure had not really advanced toward.

This newspaper was continuing revealing a lack of a plan of the government about the accident against the governmental bureaucrat-ism and the secretiveness.

 

今一つは、グラスノッチ(情報公開)を国内外に浸透させる絶好の機会となった。

情報公開は外相に抜擢されたシェワルナゼが、既にグルジア統治時代に一部実施し成果を挙げていた。

政府は、事故と被害の詳細を公開し、米国の原子力規制委員会の査察受け入れ、国内報道機関による原発事故の取材を推し進めた。

それまでの秘密主義による弊害を一掃する新政府のイメージを国内外に浸透させることが出来た。

 

当時、新聞「プラウダ」の編集長は、実際には情報公開が一向に進んでいないと愚痴を語っていた。

この新聞は、政府の官僚主義や秘密主義に対抗して、事故をめぐる政府の無能無策を暴き続けていた。

 

Summary

This big accident became the big favorable wind for the new Gorbachev Administration.

On the other hand, in Japan, the nuclear plant accident became a factor that condemned the new government for.

 

まとめ

大きな事故がゴルバチョフ新政権にとっては、またとない追い風となった。

一方、日本において、原発事故は新政権を断罪する要因になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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The society and the information 32: information crosses the border 6


.  Chernobyl nuclear power plant disaster

< 1. Chernobyl nuclear power plant disaster   >

 

From this time, we look about the negative side of the information running over the world.

As we have already seen, when the information was true, human-rights abuse was stopped, and conflict was suppressed, and also democratization was possible by inspiring people.

However, if that information were distorted, what would have happened?

The news of Chernobyl nuclear power plant disaste    r was typical example of manipulation of information, and the eeriness was remarkable.

 

今回より、世界を巡る情報がもたらす負の側面について見ていきます。

今まで見てきたように、その情報が真実であれば、人権侵害を食い止め、紛争を抑え、さらには国民を奮起させ民主化を可能にしました。

しかし、それらの情報が歪曲されていればどうなったでしょうか?

チェルノブイリ原発事故報道は情報操作の典型例であり、その不気味さが顕著です。

 

 Pollution range

< 2. Pollution range   >

 

The outline of the Chernobyl nuclear power plant disaster

In 1986, the nuclear power plant disaster of the worst level 7 (it is the same as the Fukushima nuclear power plant disaster) happened in the Ukraine of the Soviet Union.

The origin of the accident was this: when conditions of low output power had occurred at the time of a stress test, because the operating staff was panicked by it, they canceled the safeguard and tried to return it normally.

However, the nuclear reaction adversely was runaway, and several seconds afterward, the reactor core melted down and exploded.

The accident cause depends on the test having been just carried out in a structural unstable condition (defect).

But also it may be said that it was not generated if the judgment and the handling of the control officer are right (it is always the same).

 

チェルノブイリ原発事故の概要

1986年、ソ連のウクライナで最悪のレベル7(福島原発事故と同じ)の原発事故が起こった。

切っ掛けは、ストレステスト時に予想外の低出力状態になり、運転員がそれに慌てて安全装置を解除して平常に戻そうとしたことによる。

しかし逆に核反応が暴走し、数秒後に炉心が溶融し爆発した。

事故原因は、そのテストが構造上の不安定条件(欠陥)でちょうど行われたことによるが、運転の監督官の判断や対応が正しければ起こらなかったとも言える(いつも同じ)。

 

.  Worker after the nuclear power plant disaster

< 3. Worker after the nuclear power plant disaster >

The burst size of the radioactive material was 400 times the atomic bomb of Hiroshima.

After one day, it arrived at Sweden on the wind, and was observed throughout the Northern Hemisphere after half a month.

At first, the Soviet Union government did not respond to the situation seriously, and concealed the accident at home and abroad.

Therefore, with being defenseless, a lot of persons that had been sent to fire fighting or restoration work got heavily bombed.

 

放射性物質の放出量は広島の原爆の400倍で、1日後には風に乗ってスウエーデンに届き、半月後には北半球全域で観測された。

ソ連政府は、当初、事態を深刻に受け止めず、国内外に事故を秘匿した。

為に、消火活動や復旧工事に大量の人を送り込んだが、彼らは無防備で大量被爆することになった。

 

changes in thyroid disease person of neighboring country Belarus

< 4. changes in thyroid disease person of neighboring country Belarus, yellow = adult, blue = young man, red= child, vertical axis = number of patient /100000 people >

 

The clear damage were 33 worker’s deaths at the first stage, people’s migration of 130,000, and the pollution area of 130,000㎢.

However, a large number of the diseases and the deceased persons that were doubted of radiation exposure increased rapidly afterwards among the associated workers or the local inhabitants.

It is assumed that the deceased persons by the accident are from several hundred to hundreds of thousands of people.

But, because the causal relationship cannot be proved, the formal announcement is nothing (it is always the same).

 

明確な被害は、初期に対応した33名の死亡、13万人の移住、汚染地域13万k㎡でした。

しかしその後も関連した作業者、地域住民から多数の死者や放射線被曝を疑われる病気が急増した。

事故による死者は数百から数十万人が想定されているが、因果関係を証明することが出来ず、正式な発表には至っていない(いつも同じ)。

 

newspaper report 

< 5. newspaper report >

 

How would the world report it?

Originally, although the truth should have been reported, the reports were written with respective strong speculation.

For the Soviet Union, the accident was the biggest catastrophe.

This nuclear reactor was an independent developmental technique, and also government management.

The world was in the middle of the U.S. and Russia Cold War.

Moreover, many European and American advanced nations were promoting the nuclear power plant industry, and nuclear power plant industry had grown in greatness.

Once, a prominent American nuclear reactor scholar repeated theoretical calculation, and concluded, “A nuclear power plant disaster is lower than the probability that a meteorite will fall to Yankee Stadium.”

 

Next time, I look at the reports in East and West.

 

世界はどのように報道したのだろうか?

本来、真実が報道されるべきでしょうが、それぞれに大きな思惑が働きました。

この事故はソ連にとって動天驚地の大惨事であり、この原子炉は自前の開発技術で、国営でもありました。

世界は米ソ冷戦の最中でもありました。

また多くの欧米先進国は原発を推進しており、原発産業は巨大化していました。

かつて米国の著名な原子炉学者は理論的な確率計算を積み重ね「原発事故はヤンキースタジアムに隕石が落ちる確率よりも低い」と結論づけていました。

 

次回から、東西の報道を見ていきます。

 

 

 

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The society and the information 31 : Information crosses the border 5


 Pro-democracy demonstration of East Germany in 1989   

< 1. Pro-democracy demonstration of East Germany in 1989  >

     

Following the last article, I investigate the cause of having led the collapse of the Berlin Wall.

This was a information that apprised people about their being supported by many people, and it scattered seeds of hope on the their heart.

 

前回に続いて、ベルリンの壁崩壊を導いた要因を探ります。

それは人々の心に希望の種を撒き、皆に支えられていることを知らしめた情報でした。

 

.  Berlin Wall construction in 1961

< 2. Berlin Wall construction in 1961 >

 

John Paul II

< 3. John Paul II >

 

What gave people a supportive push?

“All the worker has a right of labor union formation, in order to protect a social right and human rights. “ Solidarity” is a precious mental inheritance in not only the Polish people but the world” (summary)

The pope from Poland, at the New Year’s greeting in 1981, blamed it strongly to Poland government for oppressing the people by the martial law.

Those days, Western countries also blamed the high-handed policy of East European country’s government.

Christianity was ardently believed by people in East Europe and East Germany.

And the church had taken sides with the people and came to strongly request a conversation to the government.

In East Germany too, from about 1982, a peaceful march was performed at the church in Leipzig every week.

And in first, the march that had begun at about 100 people became 200,000 people and spread in the whole country.

 

 

何が人々の背中を推したのか?

「すべての勤労者は、社会的権利と人権を守る為に、労働組合結成の権利を有する。「連帯」はポーランド国民だけでなく、世界の貴重な精神遺産である」(要約)

81年、ポーランド出身のローマ教皇が新年の挨拶で、戒厳令で国民を抑圧するポーランド政府に対し、これを強く非難した。

当時、西側諸国も東欧諸国政府の高圧的な政策を非難していた。

東欧や東ドイツはキリスト教が篤く信仰されており、その教会が国民の側に立ち、政府に対話を強く要請するようになっていた。

東ドイツでも、82年頃から、ライプチヒの教会で毎週、平和行進が行われ、百名程で始まったものが、最後には20万人規模になり、全土に広がった。

 

.    a movie film of Katyn massacre  

< 4.   a movie film of Katyn massacre  >

 

In addition, by Gorbachev’s information disclosure, some truths of the past disgusting incident in which the Soviet Union or communism system were concerned came to light.

And the history was reviewed, and the people had confidence in the direction of their aim at increasingly.

 

However, biggest thing that influenced people was probably that the people have shared the wave of East European democratization, and first-hand information from Western Europe.

In Hungary, people’s trip to Europe was liberalized completely in the beginning of 1988.

In East Germany, the television broadcasting from West Germany could be easily received from long ago, and acquisition of foreign newspapers or books was also easy.

In Romania, in order to restrict the information, the duty of the possession report of a typewriter had been imposed, but it could not interrupt the wave.

In this way, the wave had spread to Poland, Hungary, East Germany, Czechoslovakia, and Romania in no time.

 

またゴルバチョフの情報公開により、ソ連や共産体制が関わった過去の忌まわしい事件の真相が明るみに出て歴史が見直され、益々、人々は目指す方向に自信を持った。

 

しかしおそらく最も大きな影響を与えたのは、西欧の生の情報と東欧の民主化の波を、人々が共有出来たことだった。

ハンガリーでは、88年初めに、西欧への旅行が全面的に自由化された。

東ドイツでは、以前から西ドイツのテレビ放送を簡単に受信出来、外国の新聞や本の入手も容易になっていた。

ルーマニアでは情報を制限する為に、タイプライターの保有届けを義務づけていたが、その波を遮ることは出来なかった。

こうしてポーランド、ハンガリー、東ドイツ、チェコスロバキア、ルーマニアへと燎原の火のように気運は高まった。

 

People of East Germany traversing a Hungary border 

< 5. People of East Germany traversing a Hungary border >

 

What was the last push?

In September 1989, Hungary government permitted the departure to Austria East German citizens asking for exile.

Thereby, a lot of East German citizens flowed into West Germany through both countries.

At this time, the wall of East-West division came to make no sense.

In East Germany, although there had been a quiet movement asking for their freedom from long ago, the demonstrations expanded at a stretch.

In October, Gorbachev who had visited to the East Germany encouraged the democracy movement of the people, in disregard of embarrassment of the East Germany government.

The government collapsed and the Berlin Wall was destroyed by citizens on November 9.

 

最後の一撃は何だったのか?

89年9月、ハンガリーは亡命を求める東ドイツ国民に、西欧のオーストリアへの出国を解禁した。

これにより、大量の東ドイツ国民は両国を経由して、西ドイツに流れ込んだ。

この瞬間、東西分断の壁は意味を成さなくなった。

東ドイツでは、以前から自由と統一を求める静かな運動はあったが、一気にデモが拡大した。

10月、来訪していたゴルバチョフは、東ドイツ政府の困惑をよそに、国民の民主化運動を激励した。

さしもの政府も瓦解し、11月9日、壁は市民によって破壊された。

 

Summary

As crossing a border, the first-hand information that was transmitted by the exchange of economy or people taught the truth to the people, and also the support from abroad gave them courage.

In this way, the liberalization and the democratization that seemed to be impossibility became possible without bloodshed depending on the courage and the wise decision of many people aiming at the reform.

 

まとめ

国境を越え、経済や人々の交流、生きた情報が人々に真実を知らせ、さらに国外からの支援が彼らに勇気を与えた。

こうして不可能と思われた自由化と民主化は、改革を目指した多くの人々の勇気と英断により、無血で起こりえたのです。

 

 

 

 

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The society and the information 30: information crosses the border 4


  the collapse of the Berlin Wall    

< 1. the collapse of the Berlin Wall >

 

This time, I watch a story of how the collapse of the Berlin Wall happened in 1989.

It was like that a stormy blew above the Soviet Union, East Europe, and defunct East Germany.

Just like a spring storm, after going away, the people would taste joy of the liberation.

 

今回は、1989年のベルリンの壁崩壊が起こった経緯を見ます。

それはソ連と東欧、東独を巻き込んだ嵐でした。

まるで春の嵐のように、去った後、人々は解放の喜びを味わうことになった。

 

 both the Presidents of Reagan and Gorbachev

< 2. both the Presidents of Reagan and Gorbachev >

 

Summary

After the collapse of the Berlin Wall, East-West Germany was unified.

And East European countries such as Poland, Hungary, and Czechoslovakia converted from the single-party regime subordinated to the Soviet Union to a democracy nation.

Now, many have participated in EU and the people get freedom and economic development.

The people seem to enjoy fully the freedom of a movement, a habitation, a finding employment, and speech in the EU area.

However, ten years ago, there was no freedom in those countries, the people suffered economic stagnation, and their complaint was suppressed by the security police and the army.

 

概要

ベルリンの壁崩壊後、東西ドイツは統一され、ポーランドやハンガリー、チェコスロバキアなどの東欧諸国は、ソ連従属の一党独裁体制から民主制国家へと転換した。

現在、多くはEUに参加し、人々は自由と経済発展を手に入れました。

人々はEU域内の移動、居住、就職、言論の自由を満喫しているように見える。

しかしほんの10年前、それらの国では自由が無く、経済低迷に喘ぎ、不平不満は治安警察や軍隊によって圧殺されていた。

 

Hungarian capital of Budapest and Danube

< 3. Hungarian capital of Budapest and Danube >

 

What became a trigger?

While the Soviet Union economy had become weak, in 1985, the President Gorbachev appeared with advocating perestroika (reform) and glasnost (information disclosure).

He thought it indispensable for people facing directly the problem and talking frankly for escaping from the slump.

In the federation, he aimed at the democratization and promoted a market economy from a planned economy.

As for the diplomacy, he promoted a nuclear disarmament between the U.S., and declared the military nonintervention to East Europe, or recognizing the independent of the republic in the federation.

In the backdrop, there was a failure of the planned economy, the high burden of military expansion expenses, and a detente among the U.S., Republic of China, and the Soviet Union.

In addition, the disaster of Chernobyl nuclear power plant in 1986 raised an importance of people’s information disclosure, and awareness about the politics.

Under one-party regime that was assumed to have been decayed strongly, I was amazed that the reform had advanced without big resistance.

 

 

何が引き金になったのか?

ソ連は経済が弱体していく中で、85年、ゴルバチョフ大統領がペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を掲げて登場しました。

彼は低迷を脱するには国民が問題を直視し、率直に語り合うことが不可欠と考えた。

彼は連邦内では、民主化を目指し、計画経済から市場経済を推し進めた。

外交では米国との核軍縮を進め、連邦内の共和国の独立容認、東欧への軍事不介入を宣言した。

この背景には、計画経済の失敗、軍拡費の高負担、米中ソ間の緊張緩和があった。

また86年のチェルノブイリ原発事故は、国民が情報開示の重要性、政治への関心を高めることになった。

あれほど腐敗し強固に見えた一党独裁体制下で、大きな抵抗もなく改革が進むことに私は驚嘆した。

 

"Prague Spring" incident in Czechoslovakia

< 4. “Prague Spring” incident in Czechoslovakia   >

 

What had been occurring in East Europe?

Although East European people appealed for the reform of economy and politics many times with performing the demonstration and the strike, people were strangled after bloodletting always.

In Czechoslovakia, “Prague Spring” which aimed at liberalization in 1968 collapsed by the Soviet Union having led the army, and the dark long time came to continue.

However, in Poland, the trade union “Solidarity” of 1 million people affiliation was formed in 1980 and pressed the government for the reform.

Hungary was closest to Europe historically, borrowed much money from Europe, and the economic exchange advanced.

And then the democratization momentum of the people had been rising.

In 1985, the party that the trade union having been born one after another recommended won congressional seat for the first time in the general election finally.

And one-party dictatorship was broken.

As for this, other East Europe and East Germany were similar.

 

東欧で何が起きていたのか?

東欧の人々は、幾度も経済と政治の改革を訴えデモやストを行ったが、その都度、流血の末、封殺された。

68年、チェコスロバキアで自由化を目指した「プラハの春」はソ連率いる軍隊により潰え、長く暗い時代が続くことになる。

しかしポーランドでは、80年に百万人加盟の自主労組「連帯」が結成され政府に改革を迫った。

またハンガリーは、歴史的に西欧に最も近く、西欧から多くの融資を受け、経済交流も進み、民主化気運が高まっていた。

85年、次々に誕生した自主労組の推す党が、ついには総選挙で議席を初めて占め、一党独裁は破られた。

これは他の東欧や東ドイツも同様でした。

 

.   Chairman Walesa of “Solidarity” in Poland

< 5.   Chairman Walesa of “Solidarity” in Poland >

 

Next time, I look at what made the people challenging.

 

次回は、何が人々の背中を推したのかを見ます。

 

 

 

 

 

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