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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 32: ワルシャワ2


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今日は、快晴の旧市街を紹介します。

前回紹介した早朝歩いた場所と幾分重なりますが、ガイドの説明を聞くと印象はがらっと変わりました。

 

 

 

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< 2. 地図 >

 

上の地図: 早朝歩いたルートです。上が東側です。

緑線が行きのルートで、青線が行きと異なる帰りのル-トです。

緑字のSはホテルで、赤字のSはツアーの徒歩観光の起点です。

赤字のDは城壁で囲まれた旧市街の中心に位置するマーケット・プレイスです。

上の川はポーランド最長のヴィスワ川です。

 

中央の地図: ツアーの徒歩観光のルートです。上が東側です。

S:起点。 A:ワルシャワ・ゲットの記念碑。 B: キュリー博物館。 C:城門バルバカン。 D: 旧市街のマーケット・プレイス。 E: 展望台。 F:聖ヨハネ大聖堂。

 

下の地図: ポーランドとワルシャワを示す。上が北側です。

 

 

 

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< 3. クランシスキ宮殿とワルシャワ蜂起記念碑 >

 

上の写真: 左にクランシスキ宮殿、右に最高裁判所。

 

下の写真: 最高裁判所の前のワルシャワ蜂起記念碑。

ワルシャワ蜂起については後で解説します。

地図のS地点から撮影。

 

 

 

 

 

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< 4. ワルシャワ・ゲットの記念碑 >

 

上の写真: 最高裁判所の横。

 

下の写真: ワルシャワ・ゲットの境界跡と記念碑。

地図のA地点で撮影。

ワルシャワ・ゲットの解説は次回行います。

 

 

 

 

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< 5. 新市街 >

 

上の写真: 北側を見ている。

地図のB地点で撮影。

すぐ右手の白い建物はキュリー博物館です。

彼女は放射能の研究で最初のノーベル賞をもらった。

彼女はここで生まれ、青春時代を過ごし、学業と研究の為にポーランドを出てパリに移り住んだ。

当時、ポーランドは帝政ロシアに併合されており、教育者だった両親ら知識層は行動を制約されていた。

 

下の写真: 南側を見ている。

ここを真っすぐ行くと旧市街の城門に至る。

 

 

 

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< 6. 旧市街の城門 >

 

上の写真: 旧市街の城門バルバカン。

最初は16世紀に造られたが、第二次世界大戦で破壊され、1952年に17世紀の様式で再現された。

地図のC地点で撮影。

 

下の写真: 旧市街の広場に向かう通路。

 

 

 

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< 7.マーケット・プレイス  >

 

上下の写真: マーケット・プレイス。

18世紀末までワルシャワの中心でした。

1944年のワルシャワ蜂起に対するドイツ軍の報復で完全に破壊されたが、1950年代に再建された。

地図のD地点で撮影。

 

 

 

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< 8. 旧市街のたたずまい >

 

上の写真: ハトが青空に舞い上がる。

この地は幾度も強国ロシア(ソ連)とドイツに交互に、または同時に蹂躙されて来た。

今度こそは平和が長く続きますように祈ります。

 

下左の写真: これは何の変哲もない古い民家の門に見えるのですが、再建時、瓦礫となった石材や美術記録など頼りに忠実に再現されたものです。

戦火の傷跡が生々しい。

 

下左の写真: 屋根に取り付けられたドラゴン。

 

 

 

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< 9. 展望台 >

 

上の写真: マーケット・プレイスの裏手にある展望台からヴィスワ川を望む。

地図のE地点で撮影。

 

中央の写真: 展望台から聖ヨハネ大聖堂の裏手に行く途中。

バルコニーの支えの部分に銃弾の跡が見える。

これはワルシャワ蜂起の激戦の痕跡です。

 

下の写真: 聖ヨハネ大聖堂の裏手。

地図のF地点付近。

 

 

 

 

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< 10. 聖ヨハネ大聖堂周辺 >

 

上左の写真: 右のレンガ建築が聖ヨハネ大聖堂の側壁です。

塔の下のトンネルを抜けると聖ヨハネ大聖堂の正面の通路に出ます。

地図のF地点付近。

 

上右の写真: 指さしているのはポーランド抵抗の印です。

上述のトンネルの中ほどにありました。

至る所に見られます。

 

下の写真: 上述の聖ヨハネ大聖堂の側壁に埋め込まれた軽戦車のキャタピラ。

ワルシャワ蜂起のものです。

 

 

 

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< 11. 聖ヨハネ大聖堂の正面 >

 

すぐ右が聖ヨハネ大聖堂の正面です。

この通路を行くとマーケット・プレイスに出ます。

地図のF地点付近。

 

 

 

ワルシャワ蜂起

第二次大戦末期に起こったポーランド地下軍とワルシャワ市民によるドイツ占領軍に対する蜂起。

ソ連軍によるワルシャワ解放が目前と思われた1944年7月下旬に一斉蜂起した。

8月1日、ほとんどの市民が蜂起に参加し市の中心部が解放された。

ソ連は進軍するかに見えたが、ヴィスワ川対岸で停止して、いっさいの援助をしなかった。

ようやく9月10日以降、ポーランド人部隊の渡河作戦を許したが、蜂起を救うには遅すぎた。

孤立した蜂起軍と市民はドイツ軍によって徹底的に全市を破壊され20万の死者を出した。

ついにワルシャワ蜂起は10月2日の降伏で無惨に終わった。

 

この時のソ連(スターリンがトップ)の行動は、反ソ感情の強いポーランドが衰弱してから占領する方が得策と考えたからでした。

 

 

 

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< 12. ワルシャワ蜂起 >

 

A: 赤枠はポーランド地下軍が蜂起した場所。

黒の四角は私達のホテル、黒の円枠は旧市街の城壁。

 

B: ドイツ軍が占領しているビルを銃撃するポーランド兵士。

 

C: ワルシャワ蜂起62周年の再現シーン。

 

D: 当時の若いポーランド兵士。

 

E: 旧市街で戦うポーランド兵士。

写真9や10で見た戦闘の傷跡はこの時のものです。

 

F: ドイツ軍によって破壊され炎上する旧市街。

 

G: 完全に破壊されたワルシャワ。

 

 

現在のワルシャワの人はこの蜂起をどのように見ているのだろうか?

直接、一人のポーランド女性と日本語で話すことが出来ましたので、質疑を要約します。

 

質問1:

「皆さんはドイツとロシアについてどう思っているのでしょうか?」

 

答え:

「ポーランド人にとって両国は長年の侵略国であるが、ロシアを嫌っています。

ドイツは戦後、謝罪したが、ロシアはその事実を否定しているからです。」

 

参考:

<カチンの森事件>不誠実な一例として。

1940年、ソ連軍はポーランド侵攻時、ポーランド将兵らの捕虜を2万人以上銃殺した。

ソ連は事件発覚後もドイツの犯行としていたが、ゴルバチョフが再調査し、1990年、事実を認め遺憾の意を示した。

 

 

質問2:

「皆さんはワルシャワ蜂起をどう見ているのですか?」

 

答え:

「毎年、議論されているが評価が分かれています。

 

悪いとする意見

将来ある多くのインテリゲンチャが若死にし、生き残った青年では将来を担うには力不足であった。

また関係のない多くの人が巻き添えになって死んだ。

 

良いとする意見

戦う伝説が作られた。

人々は、これからも他国の理不尽に対し戦う勇気を持つことが出来るだろう。」

 

 

私の感想

リトアニアでも同様でしたが、大国の侵略に対し蜂起したことに自画自賛だけで終わらない姿勢が素晴らしい。

 

ワルシャワ蜂起は、結局、ソ連に支配され続けただけなので、私には無駄死に思える。

しかし、今回巡って来た東欧四ヵ国の異民族支配への強い抵抗に、私は想像以上の篤い想いを見た。

だからと言って、私達日本人は経験したことのないこの想いをたやすく理解出来るとは思えない。

 

私達が、この想いを少しでも理解しょうとするなら、他国を戦争で侵略した後に取るべき態度とは何かが自ずと解るはずです。

それはこの女性が言った「謝罪したドイツを許している」からも明白です。

 

残念ながら日本は島国で平和に暮らして来たことが、他者への理解で災いしているように思える。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 62: Religion and Politics 2


中東に平和を! 62: 宗教と政治 2

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*1

 
Last time, we thought about religion and politics.
We think about contemporary relationship between religion and law this time.

前回、宗教と政治について考えました。
今回は現代の宗教と法の関係について考えます。

 

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*2

 

About Holy War (Jihad)
The problem that we are most concerned about the Islam of the Middle East seems to be jihad.

Extremism advocating jihad is abnormal beliefs from a standpoint of moderate beliefs being the overwhelming majority of Muslim.
However, the extremism (rigorism) continues to live historically, and then is in Saudi Arabia now.
Although, biased beliefs such as fundamentalism are also in other religions.

What is the problem?
First of all, currently, it is to admonish the jihad ( fatwa for starting an armed struggle) very easily.
Furthermore, there is no end to the number of men who participate in it with indignation and support it.
In the past, there were many cases that voluntary armies contributed in the world, but the current state of the Middle East is a lawlessness without controlling, and the some groups may be a group of thieves.

 

聖戦(ジハード)について
私達が中東のイスラム教で一番気になる問題はジハードでしょう。

ジハードを唱える過激思想は、穏健なムスリム全体から見れば異常なものです。
しかし、過激思想(厳格派)は歴史上も、現在のサウジアラビアにも生き続けています。
もっとも、他の宗教でも原理主義など偏向した思想は存在します。

何が問題なのでしょうか。
先ず、現在、ジハード(武力闘争開始のファトワー)がいとも簡単に発せられていることです。
さらに、それに義憤を感じて参加する人、また支援する組織が後を絶たないことです。
かつて世界には義勇軍が貢献した例は多々ありますが、中東の現状は統率なしの無法状態で、盗賊団になり下がている場合もある。

 

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<3. Father of liberation of Algeria >
< 3. アルジェリア解放の父 >

Jihad is one of the obligations for Muslim, and means “effort” and “struggle”.
Once, it was declared at a defense of their community and an attack on enemy, and it is something they can’t do without.
However, the current jihads only expand many conflicts and deepen cracks between people.

The problem is not interpretation of the jihad (holy war) or the extremism beliefs.
The essence is “Islamic law can not punish jihad involving violence as a crime”.
Looking back on legal history of the world, most society has been advancing the concept of justice in time with the change, and unifying it in time with the unity of countries.
Then, people has been creating a social system for achieving the justice.
In conclusion, it is necessary to move away from the Islamic law to go to the national law.
In other words, the society has to be controlled by a legal system built by a democratic regime (separation of the three branches of government),
ジハードはムスリムにとって「努力」「奮闘」の意味で義務の一つです。
かつて、共同体の防衛や進攻に際し宣言され、共同体に無くてはならないものでした。
しかし、現状のジハードは紛争を拡大させ、亀裂を深めるだけです。

問題はジハード(聖戦)の解釈や過激思想にあるのではない。
本質は「イスラム法では暴力を伴うジハードを犯罪として処罰出来ない」ことにあると考えます。
世界の法制史を振り返ると、社会は発展と統合に合わせて正義の概念を変え、かつ統一し、それを実現する社会体制を造り挙げて来たのです。

結論を言うと、イスラム法から国法への脱皮、つまり民主的な政体(三権分立)で築かれた法制度に社会を委ねることです。

 

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< 4. Radhabinod Pal >
< 4. パール判事 >

Indian Pearl Judge who advocated Japan’s innocence in the Tokyo Tribunal of War Criminals said as below.

“The law is a dynamic human force that allows to survive our human society”

He said that the law must express “truth” (Hindu law), but to keep the social order, and it is essential that humans continue to improve the law.

There is a possibility that current Islamic legal system(the relationship between Sharia and national law)can not adapt successfully to real society.
Especially as for violence involving people in conflict, it is necessary to apply strict law, and it can’t be said that it is merely the difference of interpretation.
For this purpose, people have got to consolidate the democratic administrative body that has a consistent legislation, judicature, and section getting tough on crime.

This is a secular politics.

However, it may not be necessary to accomplish this at a stroke.
Even in Iran of a Islamic Republic, the status of women is improving.
I think lots of Ulema widely cooperate and should begin from improving application of jihad.

I start another theme from next time.

 

東京裁判で日本無罪論を唱えたインドのパール判事はこう述べています。

「法は人間社会の存続を可能とする動的な人間力である」注釈1.

彼は、法は「真理」(ヒンドゥー法)を表現しなければならないが、社会秩序を保持する為に、人間が法を改善し続けることこそが必要不可欠と言っている。

現在のイスラム圏の法制度、シャリーアと国法の関係は、現実社会に対応出来なくなっている可能性があります。
特に社会を紛争に巻き込む暴力に対しては、厳格な法の適用が必要で、解釈の違いで済まされないのです。
この為には民主的で一貫性のある立法、裁く司法、犯罪を取り締まる行政が整備されなければならない。

これは政教分離と言えるでしょう。

但し、これを一気呵成に成し遂げるこ必要はないかもしれません。
イスラム共和制のイランでさえ、女性の地位は向上しつつある。
広くウラマーが協力し、ジハードの適用から改善していくべきだと思います。
次回からは別のテーマで始めます。

 
注釈1.
この文は1984年の東京裁判研究会からの引用です。
彼はヒンドゥー法を専攻し、インドの法学部教授や裁判所判事、国連国際法委員長を歴任した。
彼の日本無罪論は、日本に戦争や虐殺に対する責任はあるが、法的に侵略罪を問うことが出来ないと言うものです。

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 11: サンクトペテルブルグ 5


 

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今日は、黄葉真っ盛りの公園を紹介します。

前回に続いて、ピュートル大帝の夏の宮殿の下の公園を散策します。

 

 

 

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< 2. 散策マップ >

 

赤線が散策ルートで、Sがスタート、Eが終わりを示します。

散策は2016年9月29日17:00~18:00で、雲が厚く覆っていました。

 

 

 

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風が少なかったこともあり、寒さはあまり感じませんでした。

こちらの秋の色は真っ赤ではなく黄金色というところでしょうか。

 

 

 

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< 4. アダムの噴水 >

 

上の写真: この噴水は放射状に延びる8本の道の交差部にある。

下の写真: これは海岸に近い方です。

 

 

 

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< 5.モン・プレジール宮殿 >

 

上の写真: モン・プレジール宮殿の庭先から、フィンランド湾を望む。

右端の突き出した部分は、噴水群から延びる運河の先になります。

 

下の写真: モン・プレジール宮殿の海側。

ピュートル大帝が最も初期に建てたもので、お気に入りだったそうです。

非常に小さな建物でした。

 

 

 

 

 

 

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< 6.モン・プレジール宮殿の庭  >

 

上の写真: モン・プレジール宮殿の庭。

下の写真: この道を真っすぐ行くとチェスの山の滝に行く。

 

 

 

 

 

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< 7. 太陽の噴水 >

 

上の写真: 太陽の噴水。

下の写真: いたずらの噴水。

中央に数個の小さな噴水があるのですが、その脇を通ろうとすると両側の木立の中から突然、何本もの噴水が噴出します。

それも無事な人もいれば、かなり濡れる人もいて、笑いの渦でした。

何処かで操作しているのでしょうが、わかりませんでした。

 

 

 

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< 9. ローマの噴水 >

 

上の写真: 鴨が泳いでいる池もありました。

下の写真: ローマの噴水。

右手の階段上のものが、チェスの山の滝です。

 

 

 

 

 

 

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< 10.チェスの山の滝 >

 

上の写真: チェスの山の滝を横から見ている。

下の写真: 坂道を上る途中に見えたレストラン。

昔は宮殿でした。

 

 

次回は、これまた壮麗なエカテリーナ宮殿を紹介します。

 

 

 

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 44: What is the cause ? 3


中東に平和を! 44: 何が原因か? 3

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< 1. the Baltic Way joined three Baltic countries in 1989 >
< 1.1989年のバルト三国の人間の鎖 >

 

Last time, I considered the sparks of the Middle East that have caused wars and terrorism frequently.
This time, I investigate causes of the sparks furthermore.

前回、戦争とテロが頻発する中東社会の火種を考察しました。
今回は、さらにその原因を探ります。

 
Preface
In the Middle East, why can’t people join together ?
And why do they shut out the world by themselves?
There are scholars who obstinately insisted that it is a backwardness rooted in Islam.
They have a intention to justify their religion with despising Islam now, as with having despised Judaism once.

 

These causes, sparks, are deeply rooted in former colonial rule and poverty, but I think that these causes can be solved by the Middle East’s own.

 

はじめに
なぜ中東では大同団結が出来ず、自ら世界を閉ざしてしまうのでしょうか?
それをイスラム教に根差す後進性だと強弁する学者もいました。
彼らは、かつてユダヤ教、今はイスラム教を侮蔑することで自分の宗教を正当化すする意図を持っています。

 

これら火種は、かつての植民地支配や困窮が大きく影響しており、根は深いのですが、中東が自ら対処することで解決可能な原因と思われます。

 

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< 2. a village and mosque of Upper Egypt >
< 2.上エジプトの村とモスク >

 
What is the cause to produce the sparks?
I think that three causes are big.

 

A : close nature
The range where people can sympathize is limited to small range such as a village or a tribe.
This tendency is strong in countryside in particular.

 

For example, when the Arab Spring happened in Egypt, the people were positive toward democratization at first, but became conservative after all.

 

In January, 2011, a large-scale demonstration occurred in Egypt by the aftermath of the Arab Spring, and the President Mubarak being a dictator left.
This revolution was mainly triggered by the young of the urban areas.
They demanded democratization and thought that it was the most important to stop military organization return and moneyed election by the local influential person.
However, when the parliamentary elections finished in November, 2011, the Islamic movement scored an emphatic victory as distinct from the pro-democracy movement.
This reason was such political party had not grown up, not only that but also people of countryside returned back to conservative. Annotation 1.

 

It is supposed that this was because people join together only within each village, tribe, and mosque (denomination).

 
火種を作る原因とは何か?
三つの原因が大きいと思います。

 

A: 閉鎖性
人々の共感出来る範囲が村や部族などの小さな範囲に限られている。
特に地方ではこの傾向が強い。

 

例えば、エジプトでアラブの春が起きた時、人々は一度は民主化に前向きになっていたが、結局は保守的になってしまった。

 

2011年1月、アラブの春の余波でエジプトに大規模なデモが発生し、独裁者のムバーラク大統領が辞めた。
これを主に担ったのは都市部の若者で、彼らは民主化を求め、そのためには軍制復帰と地方の有力者による金権選挙の阻止が最重要だと考えていた。
しかし、2011月11月、人民議会選挙が蓋を開けると、民主化勢力ではなくイスラム勢力が圧勝した。
これは政党が育っていない事もあるが、地方が保守に回帰してしまったことが大きい。注釈1.

 

この背景に、人々が村や部族、モスク(宗派)毎にまとまってしまうことが大きいと推測される。

 
B: low literacy rate

 

When the literacy rate being closely related to the above problem rises, the people can share same sense of values in more larger area. Annotation 2.
In addition, more people can adopt many success examples and get universal judgments of all of the world.
Thus, the people can perform a shift to democracy smoothly.

 

The literacy rate of some nations being stable comparatively, such as Turkey, Iran, Tunisia, and Egypt, early had increased relatively among the Middle East. Annotation 3.

 

B: 低い識字率
上記と密接に関わっている識字率が上昇してこそ、人々はより広い地域で価値観を共有出来るようになる。注釈2.
またより多くの人が世界の成功例や普遍的な見識を取り入れることが出来る。
こうして、人々は民主主義への移行をスムーズに行うことが可能になる。

 

安定しているトルコ、イラン、チュニジア、エジプトなどは比較的識字化が早かった。注釈3.

 

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< 3. Koran >
< 3. コーラン >

 

C: an application of the Islamic law
I think that certain application have a problem.

 

Ulama (Islamic scholars) pronounces a fatwa (proclamation) for each occasion.

 

I understand the importance of having been pronounced the fatwa of jihad by paramount Ulama against invader once. Annotation 4.
However, I feel confused about Osama bin Laden pronounced “kill people of the United States and the ally” as a fatwa.
This problem is that various Muslims have pronounced a fatwa of starting a battle that will embroil the country and a large number of the citizens.
Naturally there are Ulama criticizing the behavior of the Islamic State.

 
C: イスラム法の適用
私は、一部の適用に問題があると考えます。

 

ウラマー(イスラム法学者)はファトワー(布告、裁断)を時に応じて発します。
過去に、最高位のウラマーが侵略者に対してジハードを発したことの重要性は理解します。注釈4.
しかし、ウサーマ・ビン・ラーディンがファトワー「アメリカと同盟国の国民を殺害せよ」を発したことに困惑します。
問題は、国や大勢の市民を巻き添えにする戦闘開始のファトワーを様々なムスリマが発していることにある。
当然、イスラム国の所業を非難するウラマーもいる。

 

In addition, an American Islamic law researcher indicated that the rigorism of Islam grows in strength in certain cases than the moderatism, in his book.
And he explains that most of Islamic extremists were poisoned by it. Annotation 5.

 

What is the problem?
In the Islamic world, the law of the country and religion law that based on the Koran are one in the same.
It should be usually one system of law in one country.
We think that personal rule, creed, and belief are free.
However, if things implicated in violence and armaments become free because of religion creed, the society clearly become conflict situation.
I think Muslims must limit the application of jihad for using violence, establish it as Islamic Sharia law, and it is necessary to disseminate it to Muslims widely.

 

The resolution of these causes can’t possibly be achieved overnight, but there would be not true solution unless doing so.
I ask your forgiveness as a outsider points out the problem.

 

This continues the next time.

 

また米国のイスラム法研究者が、その著書でイスラム教には穏健主義に対して厳格主義が勢力を持つことがあり、過激派はそれに毒されていると言う。注釈5.

 

何が問題なのでしょうか。
イスラム世界は国法とコーランを中心とした宗教法が混然一体となっています。
通常、一つの国には一つの法体系であるべきです。
私達からすれば、個人の規範や信条、信仰は自由であって良いのです。
しかし、暴力や軍事力に関わることまで宗教信条だとして放任すれば、社会は紛争状態になるのは明らかです。
ジハードの暴力的な適用について限定を設け、シャーリア(イジュマーなど)として定め、広くムスリマに周知させる必要があると思います。

 

これら原因は一朝一夕に解決出来ないが、これを放置して真の解決はないと思います。
部外者の私が問題を指摘することをお許しください。
次回に続きます。

 

注釈1.
この間の事情は加藤博・岩崎えり奈共著「現代アラブ社会」に詳しい。
注釈2.
エジプトの15~24歳の識字率は、1976年で51%であったものが、2006年で85%に上昇している。
これがアラブの春を呼び込んだと言える。
しかし、エジプトの地方(上エジプトなど)の文盲率(非識字率)は40%(2006年)を越える所があり、特に高齢者や女性に多い。
エジプト全体で若者の27%が義務教育を修了していない。
上記「現代アラブ社会」より。

これが民主化への阻害要因の一つになっていると考えられる。
注釈3.
この間の事情はエマニュエル・トッド著「アラブ革命はなぜ起きたか」に詳しい。
注釈4.
1830年、フランスがアルジェリアに侵略し始めると、イスラム教の指導者であったアブド・アルカーディールはジハードを宣言し、自ら軍を率いて戦った。
注釈5.
カリード・アブ・エル・ファドル著「イスラムへの誤解を超えて」に詳しい。

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 42: What is the cause ?


中東に平和を! 42: 何が原因のか? 1

 

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< 1. Palestinian girls collecting drinking water in 1938 >
< 1.パレスチナの水汲みの少女達、1938年 >
These four photos are in the era of British Mandate for Palestine, and borrowed from http://flashbak.com/photos-of-palestine-and-israel-1930-1949-24753/.

4枚の写真はイギリス委任統治領パレスチナ時代のもので、すべてHPから借用しました。
So far, we have looked at a chain of the retaliation that happened in the Middle East.
From now on, I consider why the war and terrorism frequently has risen up in the Middle East.
いままで、中東で起きた報復の連鎖を見て来ました。
これから、何が中東で戦争とテロを頻発させているかを考察します。

 

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< 2. Jerusalem viewed from the olive mountain in 1938 >
< 2. オリーブ山から見たエルサレム、1938年 >
Preface
This present miserable condition was caused as the result of a chain of retaliation that had happened everywhere and it spread.
It is compared to that some sparks are blasted by strong wind on dry grassland, and become big fire before long.
I compare the cause to three elements, dry grassy grassland and sparks, strong wind.

 

はじめに
悲惨な現状は、報復の連鎖が至るところで起こり、拡大したことにありました。
乾燥し切った草原で、幾つかの小さな火種が強風に煽られ、やがて燎原の火のごとくとなった。
ここで原因を三つの要素、乾燥した草原と火種、強風に例えて考えます。

 

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< 3. Jewish demonstration in 1939 >
< 3. ユダヤ人のデモ、1939年 >
Main flow of the conflicts in the Middle East
The problem of Palestine dates back to the time when Jew colonized in large quantities in the era of British Mandate for Palestine (1920-48) .
The biggest cause was Jew-baiting and colonial policy by Europe.

 

Taking this opportunity, the Middle East war began, it expanded the Lebanon War (1982), and the intifada (1987-2000) led to endless conflict between Palestine and Israel.
During the Middle East war (1948-73), Egypt and Syria mainly fought with Israel, Egypt became impoverished, and Syria came to do military intervention against Lebanon.
At this time, these wars expanded because Europe and America and the Soviet Union competed for hegemony and interests (including petroleum) in the Middle East.

 

When Islamic Revolution (1979) happened in Iran, neighbor Iraq performed Iran-Iraq war (1980-88) with support of the Europe and America, and then recklessly rushed to the Gulf War (1991).
In the background of the Iranian Revolution, there was a hatred for Europe and America and disappointment with previous secularization.
This is attributed to the fact that the U. S. crushed the democratization of Iran (1953), the Arab countries became impoverished by the Middle East war that Europe and America took part in, and in the result, pan-Arab nationalism under Nasser (secularization and modernization) collapsed.

 

When Soviet–Afghan War (1978-89) broke out, the U. S. strengthened Islamic militia of Arab to an armed group to oppose the Soviet Union, and al Qaeda was born.
However, when the US forces were stationed in Saudi Arabia at the time of the Gulf War, al Qaeda converted to anti-Americanism as it violated the sacred place of Islam, and performed the terrorist attacks on September 11 (2001).
The U. S. was angry at it and started the Iraqi War (2003).
As a result, Iraq was wasted, and al Qaeda expanded the power in the Iraq under the confusion, and the Islamic State separated from it.

 

After that, an momentum for democracy was growing in the Arab world, and the Arab Spring (2010-) happened.
This brought most Arabic countries anti-government demonstration, and Syria thoroughly oppressed it by military power and developed into civil war.
Taking advantage of this confusion, the Islamic State entered neighbor Syria, outwitted many other radicals, extended the power, and it still exist today.

 

中東アラブの紛争の大きな流れ
パレスチナ問題はイギリスの委任統治時代(1920-48)にユダヤ人が大量に植民したことで始まった。
この最大の原因は欧州のユダヤ人迫害と植民地政策でした。

 

これが中東戦争からレバノン戦争(1982)、ヨルダン内戦と戦火を拡大させ、インティファーダー(1987-2000)でパレスチナとイスラエルの紛争は泥沼化した。
中東戦争(1948-73)で、主にエジプトとシリアがイスラエルと交戦し、エジプトは疲弊し、シリアはレバノンに軍事干渉するようになった。
この時、欧米とソ連が中東で覇権と権益(石油など)を争ったことが戦火を拡大させた。

 

イランでイスラム革命(1979)が起きると、隣接するイラクは欧米支援の下、イラン・イラク戦争(1980-88)を行い、その余勢を駆って湾岸戦争(1991)へと暴走した。
イラン革命の背景に欧米への憎悪と世俗化への失望があった。
これは、かつて米国がイランの民主化を粉砕(1953)し、欧米が加担した中東戦争でアラブが疲弊し、またナセルのアラブ民族主義(世俗化)が潰えたことにある。

 

アフガニスタン紛争(1978-89)が勃発すると、米国はソ連に対抗するためにアラブのイスラム義勇兵を武装集団に強化し、アルカイダが誕生した。
しかし、湾岸戦争時、米軍がサウジアラビアに駐屯すると、アルカイダはイスラムの地を穢すとして反米に転じ、アメリカ同時多発テロ(2001)を行った。
これに怒った米国はイラク戦争(2003)を主導した。
この結果、イラクは荒廃し、アルカイダはその混乱に乗じてイラクで勢力を拡大し、ここからイスラム国が分派した。

 

その後、民主化運動の気運がアラブ世界に高まりを見せ、アラブの春(2010-)が起こった。
これがほとんどのアラブ諸国に反政府デモをもたらし、シリアはこれを武力で徹底的に弾圧し内戦状態に陥った。
この混乱に乗じて、イスラム国は隣国のシリアに乗り込み、幾多の過激派を出し抜き、勢力を拡大し現在に至る。

 

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< 4. King David Hotel bombing in 1946 became a turning point >
< 4.転機となったキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件、1946年 >

 

What are the dry grassland and strong wind?
People of all countries except Palestine were under the rule of puppet kings of the Europe and America about half a century ago, and had suffered the autocracy and severe rich-poor gap, and then desired to transcend this condition.

 

Egypt, Iraq, and Syria repeated a bloody coup d’etat, became the military dictatorship, and aimed at the secularization (modernization) .
Iran let a revolution succeed by only demonstration against the government and returned to Islam.
The oil-producing countries continue old-fashioned Imperial rule like Saudi Arabia.
It may be said that the aftereffects of these colonies are dry grassland.

 

The military nations that were debt-laden public finance from the colony times had to depend on large countries for vast cost of development and war.
However, because of the Cold War of the U.S. and Russia, the nations irresistibly had to decide to go under the umbrella of either, and had to fight in the proxy war like Israel and Arab.
The tragedy of the proxy war is that the both countries must continue fighting for a balance that these large countries expect.
It may be said that this external military intervention is strong wind.

 

However, the sparks are still left.

 

This continues the next time.

 

乾燥した草原や強風とは何か?
パレスチナを除くすべての国々は、半世紀前には欧米の傀儡の王政下にあり、独裁と酷い貧富の差に喘ぎ、脱却を目指していた。

エジプトやイラク、シリアは血みどろのクーデターを繰り返し軍事独裁国家となり、世俗化を目指した。
イランは民衆のデモで革命を成功させ、イスラムに回帰した。
産油国は欧米と結びつき、サウジアラビアのように旧態依然とした王政を続けている。
これら植民地の後遺症が乾燥した草原と言えます。

植民地時代から借金漬けであった軍事国家は、開発費用と戦費を大国に頼らざるを得なかった。
しかし米ソの冷戦が災いし、否応なしにどちらかの傘下に峻別され、イスラエルとアラブのように代理戦争を戦うはめになった。
代理戦争の悲劇は、大国が望む均衡の為に戦い続けなけらばならないことでした。
このような域外の大国の軍事干渉が強風と言えます。

まだ火種に相当するものが残っています。

次回に続きます。

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 1: はじめに


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< 1. 霧に包まれたビルニュス歴史地区 >

 

私達はバルト海に面する国々を訪れました。

大国ロシアとヨーロッパの端にある小国バルト3国、ポーランドを巡りました。

サンクトペテルブルグの黄葉と黄金に輝く宮殿、世界遺産の中世の街並み、ユーラシア大陸の自然を愉しみました。

今日は、この旅行の概要を紹介します。

 

旅行の概要

旅行の日程は2016年9月28日から10月5日です。

(株)ジャンボツアーズのツアーに参加しました。

モスクワに飛び、地図の赤丸の各都市に6泊し、黒丸を含めて7箇所を観光し、ワルシャワを発ちました。

添乗員が同行し、各地では現地ガイドの説明を受けました。

 

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< 2. 訪問地の地図 >

モスクワとサンクトペテルブルグの間は新幹線で移動しました。

サンクトぺテルブルグからワルシャワまでは観光バスで移動しました。

総距離は2200kmを越えます。

 

この旅行の目玉

丸印の観光地について

No1: クレムリンを中心にモスクワ観光。

No2: 2つの宮殿とエルミタージュ美術館を含むサンクトペテルブルグ観光。

No3: 国境の河岸に立つナルヴァ城観光。

No4: エストニアの首都タリン、バルト海の交易で栄えた旧市街地を徒歩観光。

No5: ラトビアの首都リガ、ロシアとヨーロッパの中継貿易で栄えた旧市街地を徒歩観光。

No6: リトアニアの首都ビリニュス、苦難の歴史を生き抜いた旧市街地を徒歩観光。

No7: ポーランドの首都ワルシャワ、破壊から蘇った旧市街地を徒歩観光。

 

秀逸だったこと

至る所で黄葉が見頃を迎えていた。

新幹線と観光バスの車窓から眺めは、ユーラシア大陸の大平原を堪能させてくれた。

5つの都市で、一つの巨大デパート、3つの大型スパー、一つの中央市場を訪問し、買い物をした。

現地ガイドとの説明や対話を通じて、この国の歴史を身近に感じることが出来た。

 

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< 3. モスクワ >

上の写真: クレムリン。

下の写真: 赤の広場近くの通り。

 

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< 4. サンクトペテルブルグ >

上の写真: エルミタージュ美術館。

下の写真: エカテリーナ宮殿。

 

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< 5. ペテルゴーフとナルヴァ >

上の写真: ペテルゴーフにあるピュートル大帝の夏の宮殿。

下の写真: エストニア側のナルヴァ城から見た対岸のロシア側の要塞。

 

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< 6. 丘から見下ろしたタリンの旧市街 >

街の向こうにバルト海が広がり、その先にフィンランドの首都ヘルシンキがある。

 

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< 7. リガ >

上の写真: アールヌーヴォーの街並み(ユーゲントシュティール建築群)。

下の写真: ブラックヘッドの会館。

 

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< 8. ショッピング >

上の写真: サンクトペテルブルグのホテル近くの大型スーパー。

下の写真: リガの中央市場。

 

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< 9. ビリニュスの夜景 >

上の写真: 大聖堂。

下の写真: 旧市街地への散策の帰り道。

 

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< 10. ビリニュス >

上の写真: 聖アンナ教会。

下の写真: 聖ペテロ・パウロ教会。

 

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< 11. ワルシャワ 1 >

上の写真: 旧市街地の王宮広場。

下の写真: ワジェンキ宮殿。

 

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< 12. ワルシャワ 2 >

上の写真: ランドマークの文化科学宮殿。

下の写真: 旧市街で出会った笑顔が素敵なグループ。

 

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< 13. 車窓からの眺め 1 >

上の写真 : 新幹線から。

中央の写真: 観光バスからペテルゴーフ近郊。

下の写真 : ペテルゴーフとナルヴァの間。

 

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< 14. 車窓からの眺め 2 >

上の写真 : ナルヴァからタリンの間。

中央の写真: タリンからリガの間。

下の写真 : ビリニュスからワルシャワの間。

 

思ったこと

バルト3国とポーランドの旧市街の街並みに、かつての繁栄と苦難の歴史が刻まれていた。

それはこの地域がロシアとドイツに挟まれたバルト海沿岸であったことによる。

さらにこの地域の自然とスカンジナビア半島の影響が民族形成を複雑にした。

 

旧市街を歩き、バスの車窓の景色を眺めながらこれらの国々の成り立ちに思いを巡らした。

 

次回より、この旅行記の連載を始めます。

 

 

 

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南信州を訪ねて 3: 阿智村


 

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< 1. 馬の背から北側を見た >

中央の高い峰は標高2841mの南駒ヶ岳で、手前一帯が阿智村の範囲です。

馬の背は下の地図の番号5です。

 

 

今日は、長野県南部にある阿智村を紹介します。

私達は、ここで様々な感動に巡り合えました。

 

 

 

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< 2. 阿智村 >

両地図共、上が北側です。

 

上の地図: 阿智村と訪問地を示します。

阿智村の境界は茶色の折れ線です。

赤い点や丸が訪問地です。

黄色い線は中央自動車道で、左端は恵那山トンネルになります。

 

番号1: 満蒙開拓平和記念館。

番号2: 宿泊地の昼神温泉。朝市も楽しみました。

番号3: 阿智神社奥宮。古代のロマンを感じました。

番号4: 高原「ヘブンスそのはら」で星空を堪能した。

番号5: 治部坂高原近くの「馬の背」から眺望を楽しんだ。

 

下の地図: 黄色の枠が阿智村。

中央遠方の雪を頂いた峰々は、最高峰の奥穂高岳3190mを含む北アルプスです。

その手前右側は、最高峰の駒ヶ岳を含む中央アルプスです。

その右側に伊那盆地が広がっています。

 

 

阿智村について

阿智村は長野県の南、伊那盆地の南の端に位置し、山深い谷間にあります。

ここはちょうど中央自動車道の高架下のような所で目立ちません。

 

ここを訪問した主な目的は、園原高原から「日本一の星空」を見ることでした。

そして昼神温泉を中心に観光し、この山深い所ならではの自然、作物、歴史を感じることが出来ました。

 

 

 

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< 3. 阿智村の中心部 >

国道153号線から阿智村役場の方を見下ろす。

 

上の写真: 東側を望む。ここを行くと塩尻です。

中央の写真: 眼下の盆地に阿智村役場と満蒙開拓平和記念館がある。

下の写真: 西側を望む。この山間を行くと昼神温泉、左に折れると山越えで名古屋に至ります。

 

 

 

 

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< 4. ある農家 >

 

治部坂高原に行く途中、私達は観光農園を探して、この農家を訪問しました。

残念ながら観光農園はもう止めていました。

 

このような山深い畑で多くの野菜を育てておられました。

中央の写真には、トウモロコシ畑があり、この地方の名産です。

この高地の寒暖の差が甘味のあるトウモロコシを造るのだそうです。

帰りに、たくさんのキュウリを貰いました。

 

この山深い村だからこそ、担う歴史の重みがあり、また必死に村起こしに挑んでいる。

そんな人々の心意気を感じる旅でもありました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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地中海クルーズとカナリヤ諸島クルーズ 21: テネリフェ島 3


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今日は、テネリフェ島の最大都市、州都のサンタ・クルス・デ・テネリフェの街歩きを紹介します。

雨も上がり素晴らしい天気になり爽やかなひとときを過ごしました。

 

 

 

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< 2. テイデ山からサンタ・クルス・デ・テネリフェへに向かう >

上の写真: かつては州都で世界遺産にもなっているラ・ラグーナ。

手前は飛行場の滑走路。

 

中央の写真: サンタ・クルス・デ・テネリフェの内陸側の街並み。

下の写真: 港に面した中心部のスペイン広場。

 

この街歩きは、2016年3月8日の14:30から約2時間、距離で約3km歩きました。

スペイン広場から始め、近くのスーパーに立ち寄り、公園を目指して上がり、後は下って、クルーズ船に乗船しました。

 

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< 3.街歩き開始 >

街並みは、自然あふれる小さな島とは思えない立派で落ち着いた雰囲気があります。

 

 

 

 

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< 4.ガルシア・サナブリア公園 に到着 >

下の写真: 公園に入ります。

垣根などはなく、入場はフリーです。

 

 

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< 5.ガルシア・サナブリア公園 1 >

下の写真: 公園の中心部にあるモニュメント。

 

 

 

 

 

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< 6.ガルシア・サナブリア公園 2 >

下の写真: 公園の見学を終えて休息をとったカフェ。

サービスや周囲の景観は良かった。

 

 

 

 

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< 7.港に向かって下る  >

幹線道路に沿って下る。

花や木々が至る所に配された落ち着いた観光都市の趣があります。

 

 

 

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< 8.港に到着  >

上の写真: Monumento a la victoria. 勝利の像。

この像は先ほどの道を下って、港に出た角にありました。

 

中央の写真: 私達のクルーズ船。

下の写真: 港に面した道路沿いの歩道。

 

 

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< 9.いよいよお別れです  >

上の写真: この下に降りて、クルーズ船の送迎バスに乗ります。

奥にスペイン広場が見えています。

 

下の写真: 船上から見たテイデ山。

写真中央に少し雪を被った頂きが、私たちが通過して来た外輪山の東側です。

夕刻になると、また雲が出てきました。

これでこの島ともお別れです。

 

感想

私が当初期待した大航海時代を忍ばせるものに触れる機会はなかったが、予想もしていなかった大自然の美しさを見ることが出来た。

 

この島は、15世紀までベルベル系の先住民が暮らす島に過ぎなかった。

しかし、スペインが大航海時代初期にここを占領し、やがてアメリカ大陸への中継地として発展した。

後に、イギリスがこの地の支配を狙ったが、この攻撃を跳ね返した。

その後、自由貿易港として栄え、リゾート地として栄えている。

 

大西洋の火山島の歴史と自然と今を垣間見ることが出来た1日でした。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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甘利問題、「政治的向かい風」の中で強制捜査着手を決断した検察


都市再生機構(UR)と建設会社との間の補償交渉に介入した甘利元経済財政再生TPP担当大臣の元秘書らが、同社総務…

Source: 甘利問題、「政治的向かい風」の中で強制捜査着手を決断した検察

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Bring peace to the Middle East! 5:   Outline of conflicts in the Middle East 2


 

中東に平和を! 5: 中東の紛争のあらまし 2        

 

 

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Today, we look at the factors of the Middle Eastern side causing the expansion of the conflict.

今日は、紛争拡大を招いている中東の要因を見ます。

 

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Flash point of internal opposition

In this area, there are countries of republican institutions, but most are monarchy or military government.

If the people demand reform, they must conflict with the despotic government, so the large-scale demonstration such as “the Arab Spring” is at the beginning.

 

There were invariably the severely oppressing and White Terror by Israel or the Arabic governments before the attack and suicide bombing by the radicals increased in each place.

Which started the fight first is always ambiguous, but the powerless people receive overwhelming violence by them.

There is full of hatred and distrust against each other, and it makes a situation that they cannot talk.

This situation began around the middle of the 20th century and it continues turning worse.

 

 

対立の火種

この地域には共和制の国もあるが、ほとんどが王制か軍事政権です。

国民は改革を求めるなら、この強権的な政府と抗争することになり、「アラブの春」のような大規模デモによる訴えは始めてだった。

 

各地で過激派の攻撃や自爆テロが増大する前に、必ずイスラエルやアラブ政府による大弾圧や白色テロがあった。

どちらが先に手を出したかは微妙だが、非力な民衆側は圧倒的な暴力を受けることになる。

両者には不信と憎しみが渦巻き、対話不能な状況がある。

この状況はおおよそ20世紀中頃から始まり、悪化し続けている。

 

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There is other flash point of internal opposition, too

As for ethnic antagonism, there is not only an antagonism between Palestine and Israel, but also it among Arab and Turkey and Iran, and furthermore there is a struggle for independence of Kurd.

 

As for the religion, there is an antagonism between Shiite and Sunni Muslims, and it between Muslim and Christian in Lebanon.

 

Thus, each country performs a diversion and a trick to the adverse country for a territory or petroleum in addition to the mentioned antagonism, and it develops into an armed power conflict at last

The most skillful with it is maybe Israel and the Mossad (Israel’s intelligence agency).

 

対立の火種は他にもある。

民族対立はパレスチナとイスラエルの間だけでなく、アラブとトルコ、イランにもあり、さらにクルド人の独立闘争がある。

 

宗教ではイスラム教のシーア派とスンニ派の対立、レバノンでのイスラム教徒とキリスト教徒の対立もある。

 

こうして各国は上記対立に加え、領土や石油が絡み、相手国に牽制や謀略を行い、遂には武力紛争に発展する。

最も巧みなのがイスラエルであり、モサド(イスラエル諜報特務庁)でしょう。

 

 

 

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The reason why radicals increased

As the First Middle East War and the Afghan Civil War, in the Islamic world, there is a tradition that volunteer soldiers participate in a war across a border and Islamic tribes support it.

 

In addition, a thought of back to the source also has been in a part of Islam, and this has applied for the strict interpretation of the doctrine.

When fighting against an invader (enemy), a person of power of the Islamic world often used a word ” Jihad ” historically.

The radicals borrow these by preference.

 

There are two reasons why this trend increases currently.

One is that oil-producing countries of the monarchy support the radicals operating in other countries.

In particular, Saudi Arabia has a deep connection with a radical since the birth of the nation.

Another one is that the whole Arab have expected for the Islamic Renaissance since about 1980, as reaction in despair about the policy (modernization, westernization) of the previous nationalism.

 

過激派が増加した理由

第一次中東戦争やアフガニスタン紛争のように、イスラム圏では同朋が侵略されると、義勇兵が国境を越えて参戦し、部族が支援する伝統がある。

 

また、イスラム教にも原点回帰の思想が一部にあり、これが教理の厳格な解釈を求めている。

「聖戦」は、歴史的にイスラム圏の権力者などにより侵略者(敵)と戦う時に発せられることがあった。

これらを過激派が都合よく借用している。

 

現在、この風潮が勢力を増している理由が二つある。

一つは、王制の石油産出国が他国で活動する過激派を支援していることです。

特にサウジアラビアは国家誕生時から過激派と深い繋がりがある。

 

もう一つは、1980年頃より、アラブ全体で、それまでの民族主義の政策(近代化、欧米化)に失望し、反動としてイスラム復興に期待するようになったことです。

 

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Further geopolitical reason

The Middle East was a strategic point linking the east and west from ancient times, and became a ground of a struggle for ruling power due to being the point of contact of each continent.

Furthermore, petroleum and Palestinian issue affected it, so Europe, the Soviet Union, and the United States increased the interference and support.

Thus, The most countries of the Middle East nears the top of country importing weapons in the world, excepting large countries such as China, and became the major consuming areas of weapons.

 

Over the past century, oil-producing countries like Saudi Arabia and Gulf countries is enabling the maintenance of monarchy and reinforcement of armaments, by keeping close friendship with European nations and the United States.

This becomes a reason why the radicals increased and Arab countries split.

 

さらに地政学的な理由がある

古来より、中東は東西を結ぶ要衝の地で、各大陸の接点であったことにより覇権争いの地となった。

さらに石油とパレスチナ問題が絡み欧州・ソ連・米国の干渉と支援が増大した。

こうして中東各国は、中国などの大国を除けば武器輸入の上位になり、一大消費地となった。

 

この1世紀の間、サウジアラビアや湾岸諸国等の石油産出国は欧米と親密さを保ちながら、王制の維持と軍備強化を可能にしている。

このことが、過激派の増殖とアラブが分裂する理由にもなっている。

 

Finally

It becomes a remote cause of the conflict of the Middle East in the early 20th century that a Jew began settling in Jerusalem.

Originally, Arab was nomad in desert, and had not border and nation awareness.

However, suddenly the borders of straight lines were drawn, their ground was divided in pieces, and they were imposed king and the territory upon.

This was an ending of the colonial policy of Britain and France that began at the middle of the 19th century.

 

This continues next time.

 

最後に

この地の紛争は、20世紀始めに、ユダヤ人がエルサレムに入植を始めたことが遠因になっている。

元来、アラブは砂漠の遊牧民であり、国境や国民意識は無かった。

それが突如、直線の国境を引かれ分割され、王や領土をあてがわれた。

これは19世紀中頃に始まる英仏の植民地政策の結末だった。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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クロアチア・スロベニアを巡って 26: 傷痕の町モスタル 5


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< 1. 「ネレトヴァの戦い」で破壊された橋 >

 

今日は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の背景に迫ります。

そこには民族と宗教の皮肉な歴史がありました。

 

はじめに

写真1は、 1943年の「ネレトヴァの戦い」で破壊され保存されている橋です。

この戦いはネレトヴァ川で行われた。

第二次世界大戦中、劣勢のパルチザンはドイツ軍との戦いで大きな犠牲を出しながら後退していた。

この戦いでチトー率いるパルチザンが全滅を免れたことで、同年の旧ユーゴに誕生につながった。

 

 

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< 2. ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の傷跡 >

 

上の写真: スレブレニツァ虐殺記念碑の墓地。

1995年、セルビア勢力がスレブレニツァの町に侵入し制圧を終えると、ムスリマの男性を1週間ほどで即決処刑し、その数は約8000人に及んだ。

この時、国連平和維持軍はいたが無力な為、制止できなかった。

 

中央の写真: 当時の避難する人々。

下の写真: 当時のモスタル郊外の惨状。

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< 3. 戦いの果てに >

 

上の写真: ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時のサラエボの惨状、セルビア勢力、国連平和維持軍。

 

中央の写真: 紛争前後におけるボスニア・ヘルツェゴビナ内の民族分布。

緑色はムスリマ(Bosniaks)、赤色はセルビア人、青色はクロアチア人(HRVATI)を示す。

黄色い点はモスタルを示す。

ムスリマへの壮絶な民族浄化は、その後の棲み分けを決めた。

 

下の写真: 現在のボスニア・ヘルツェゴビナは桃色のセルビア人と青色のムスリマとクロアチア人との連邦になっている。

 

悲劇の遠因、歴史の皮肉

この内戦では同じ南スラブ民族の三つの民族が戦ったが、敵味方の識別は宗教の違い、カソリックと正教会、イスラムでした。

最も残虐だったのは正教会勢力(セルビア人)で、その大統領は国際裁判所で戦争犯罪の公判中です。

村を焼かれ多くの青年が殺され追い出されたのはムスリマでした。

彼らは数百年前「ボスニア教会」と呼ばれる異端のキリスト教徒で迫害を逃れ、この地に移り住み、オスマン帝国の時代にイスラムに転じた。

やがて彼らは地主や富裕層になり、キリスト教徒であるクロアチア人やセルビア人を使役するようになった。

 

時は下り、南スラブ人の大連合を成し遂げた旧ユーゴ時代、初代大統領チトーは異なる宗派や民族の融和を図るために、人々の混住化を推進した。

そして平和な半世紀が過ぎた。

しかし、瑣末な意見の食い違いが生じ、やがて指導者の野望と民衆の疑心暗鬼が一体となって戦端が開かれると、一気に憎悪と不安が燎原の火のように広がっていった。

 

彼らは歴史的な怨念を互いに多少持ってはいたが、先日までは仲良く暮らしていたのです。

 

 

次回から、次の観光地を紹介します。

 

 

 

 

 

 

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PALEO DIET: Big Brains Needed Carbs


Ancientfoods

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Wild Emmer Wild Emmer

The importance of dietary carbohydrate in human evolution

Original Article:

PUBLIC RELEASE: 06-AUG-2015
UNIVERSITY OF CHICAGO PRESS JOURNALS

press.uchicago.edu

Understanding how and why we evolved such large brains is one of the most puzzling issues in the study of human evolution. It is widely accepted that brain size increase is partly linked to changes in diet over the last 3 million years, and increases in meat consumption and the development of cooking have received particular attention from the scientific community. In a new study published in The Quarterly Review of Biology, Dr. Karen Hardy and her team bring together archaeological, anthropological, genetic, physiological and anatomical data to argue that carbohydrate consumption, particularly in the form of starch, was critical for the accelerated expansion of the human brain over the last million years, and coevolved both with copy number variation of the salivary amylase genes and controlled fire use…

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One soul worth more than 15 million views


Mustard Seed Budget

IMG_7379My friend, Dr. Bob, is now officially famous, with 15 million views of his video “The Hold” and appearances on Good Morning America and Dr. Oz. But I don’t think his heart will change. He’s a vibrant Christian.

As an SEO, I helped promote his video so that it caught the attention of some influencer, who reposted it and it caught the attention of massive online media. He’s being called the “Baby Whisperer” for his intuitive way to calm fussy tykes.

I don’t think I want to be famous myself. I’ve found a greater joy, the happiness of saving souls. I work at a Christian high school in Santa Monica. The smiling faces you in the photo are some of the people who have exited the misery of bullying at school and entered the joy of Jesus.

One soul is worth more than 15 million views.

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The total number of visitors exceeded 250,000 people. Thank you very much.


25万人突破に感謝します。ありがとうございます。

 

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< 1. “aquacompass” of eo >

< 1. 「アクアコンパス」eo >

 

Today is a very glad day for me.

It is because the total number of visitors of my blogs exceeded 250,000 people, and the number of the accesses is approximately 470,000.

今日は私にとって大変嬉しい日になりました。

私のブログへの訪問者累計が25万人(アクセス数約47万)を突破したからです。

 

 

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< 2.「アクアコンパス3」goo、「アクアコンパス2」seesaa、「学のブログ」Ameba >

 

From the first to the present time

First, I began to contribute to my blog “aquacompass” on April 2012.

Thereafter, I contributed the articles from 2 to 4 times in a week without almost taking a rest.

The total number of the articles became approximately 610.

At present, I establish 7 blogs for Japan and 2 blogs for foreign countries.

I attach the English translation for foreign countries as much as possible.

 

初めから現在まで

最初に、ブログ「アクアコンパス」に投稿を始めたのは2012年4月でした。

それ以降、ほぼ休まず1週間に2から4回の記事を投稿して来ました。

投稿数の総計は610件ほどになりました。

現在、国内向けに7ブログ、海外向けに2ブログを開設しています。

海外向けには、出来る限り英語訳も添付しています。

 

 

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< 3.「アクアコンパス5」YAHOO、「アクアコンパス4」livedoor、「アクアコンパス8」FC2 >

 

About my blog

The half of my articles was about history and history of humanity, and I introduced my travel sketches of foreign countries and Japan with my photo.

In addition, I wrote fable and criticism, and introduced Kobe, Awaji-island, book, and movie.

My main theme was war, politics, economy, religion, psychology, history of art, and history of medicine.

I’m intentionally providing plain and short article for the blog.

 

I’m hoping to contribute to ” peace of the world” and ” prevention of social deterioration “.

Therefore, I send the information, and hope to talk it with people of the world.

 

 

私のブログについて

記事の多くは歴史や人類史について、または写真を使って国内や海外の旅行を紹介しています。

また寓話や辛口の批判、神戸や淡路島、本や映画を紹介します。

私が取り上げて来た主なテーマは戦争、政治・経済、宗教、心理、美術史、医術史でした。

私は手短にわかり易いことを心がけています。

 

私は「世界の平和」と「社会の悪化防止」に貢献することを願っています。

その為に、私は情報を発信し、世界中の人々と対話をしていくことを願っています。

 

 

4

 

< 4.” aquacompass 7 ” of WordPress、” aquacompass 8 ” of Blogger >

 

Doing blog was good thing

There were a few persons who wrote dissenting views for my article, I was very stimulated much by it, and render thanks for it.

In particular, there were much of unexpected indications from foreign countries.

 

In “Go around the world of Buddha statues 7”, when I introduced Asyra’s statue, I received an objection indications from a Hindu man in India.

 

In “Go around the world of Buddha statues 6”, when I introduced the fearful face of Buddha statue, a teacher in Africa threw doubt on it.

 

In “the society and the information: News media has fought“, when I introduced the process of the outbreak of war between Japan and the United States, and the Meiji Restoration, I received unexpected indications from Americans.

 

In “History of sickness and medical art 14”, when I introduced Set expressed with a pig, I received an objection indications from a man in Egypt.

 

Because these opinions from foreign countries are English language, I tired, but learned much.

 

I’ll be counting on you.

 

 

やっていて良かったこと

私の記事に反対意見を頂戴することがあり、大変刺激になり感謝しています。

特に海外からは予想外の指摘を受けることがあります。

 

「仏像を巡って 7」で阿修羅像を取り上げた時、インドのヒンドゥー教徒から異論が出ました。

 

「仏像を巡って 6」で憤怒相を紹介した時、アフリカの教師からなぜ神聖な宗教に怒りの顔を表現するのかと疑問視されました。

 

「社会と情報 *: 戦った報道 *」で日米開戦の経緯と明治維新を紹介した時、思わぬ指摘を米国の数人の方から受けました。

 

「病と医術の歴史 14」でセト神が豚の頭で表現されることを紹介した時、エジプトの人から異論が出されました。

 

海外から頂戴する意見は英語なので疲れるのですが、非常に勉強になります。

 

 

今後もがんばりますので、よろしくお願いします。

 

 

 

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Travel to Tottori prefecture 6: Uradome Coast


鳥取旅行 6: 浦富海岸

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  • * 1

I introduce a part of coast along the Japan Sea, and it is the last of this travel.

Here is the west side of Sanin Kaigan Global Geopark.

 

今日は、鳥取旅行の最後で、日本海の海岸を一部紹介します。

ここは東西100kmにわたる山陰海岸ジオパークの西の端です。

2map

< 2. We drove on this road. The north side is upper of this map. >

< 2. 今回の走行ルート、地図の上が北方向 >

Upper map: a yellow line shows the road, and it is about 70 km in the east and west.

Lower map: this is the map expanding a red frame of the upper map.

I took these pictures on the yellow line from Uradome Coast of the east to Ajiro harbor of the west with about 3 km.

Photos 3,4,5 are arranged in the order of the photographing.

上の地図: 黄色線がドライブルートで、東西約70kmになります。

下の地図: これは上図の赤枠を拡大した地図です。

写真は黄色線、東の浦富海岸から西の網代漁港の間、約3kmの範囲内で撮影しました。

写真3,4,5は、撮影順に並んでいます。

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< 3. Uradome Coast >

< 3. 浦富海岸 >

These photos were photographed on the west of Uradome Coast. 

写真は浦富海岸の西側で撮影したものです。

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  • * 4

Upper photos: this road that a white car is seen on at the photo’s left is along the coast.

Auto parks were laid on this road at pivotal points, and the views from these were wonderful.

I photograph these from here.

上の写真: 左側に白い車が見える所が道路で、海岸沿いを走っています。

この道路には、要所要所に駐車場が設けられており、そこからの眺望が素晴らしいです。

写真はここから撮りました。

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Upper photo: a ship can be seen beyond a large rock island.

This seems a sightseeing ship for islands tour setting off from Ajiro harbor.

Lower photo: a view of Ajiro harbor from a pass.

Tottori Sand Dunes can be seen on the opposite shore indistinctly.  

上の写真: 岩の島の向こうに遊覧船が一隻見える。

これは網代港から発着している浦富海岸の島巡りの遊覧船だろう。

下の写真: 網代港に入る峠から港を見下ろした。

対岸遠くに、鳥取砂丘がおぼろげながら見える。

Afterword

As for this travel, we focused on the sightseeing of a grand mountain, a temple of a mountain, and a seacoast, excluding sightseeing of flowers.

Also, we enjoyed seafood of Sanin and a hot spring.

It was more refreshing travel because it was fine weather.

 

During this series, two foreign nationals asked for the information of two sightseeing spots.

I was delighted that foreign nationals acknowledged Japanese virtues.

I have following travel plans in this year.

It is the 5 countries of the Balkan States including Croatia of August, Guilin in China of September, and Nagano prefecture of October.

Thank you for reading my travel report.

あとがき

今回の旅行は、花巡りを省き、雄大な山と山岳寺院、海岸の観光に絞りました。

それと、山陰ならではの海の幸と温泉を楽しみました。

天気が良かったので、爽快な旅になりました。

今回の連載中に、米国とロシアの方から大山と三徳山三仏寺の問い合わせがありました。

海外の人々に、日本の良さを知ってもらえてブログ冥利に尽きます。

今後、以下の旅行を予定しています。

8月のクロアチア含むバルカン5ヵ国、9月の中国の桂林、10月の長野県。

楽しい旅行記を掲載したいと思っています。

ありがとうございました。

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淡路島 国営明石海峡公園 7: 光り輝くリビングストンデージー


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今日は、今を盛りと咲き誇るリビングストンデージーの群生を紹介します。

春の日射しを受けて、小さな谷を埋めつくすように咲いています。

写真は4月26日12時頃に撮影しました。

リビングストンデージー

花は日が当たるとぱっと大きく開きますが、曇りの日など陽が射さないと閉じてしまいます。

光沢のある細い花びらの大きさは径3cm~4cmで、地面に這うようようにカーペット状に広がって行きます。

花色は紅紫、ピンク、オレンジ、クリーム、白、黄色などです。

原産は南アフリカで、探検家リビングストンがこの花を発見しました。

海峡公園内の中央、陽だまりの丘の谷に咲いています。

5月上旬まで見ることが出来ます。

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  • * 2

上の写真: 公園内の十字路で、海側(海のテラス)から山側を見ました。

人だかりのあるピンクに染まっているところがリビングストンデージーです。

下の写真: 谷の入口から見ました。

大勢の人が感嘆の声を上げておられました。

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至る所で、カメラのシャッターが押されていました。

真ん中の写真は夕方5時頃の撮影です。

開花時期が限られますので、お早めに来園された方が良いと思います。

他の花も咲いていますので、お見逃しのないように。

 

 

 

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淡路島 国営明石海峡公園 5: 見頃のチューリップ 1


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今日は、チューリップを紹介します。

写真は4月18日に撮影したものです。

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3 花紹介

< 3. 花の種類 >

公園の花々について

公園内では、チューリップなどの球根50万球、300種が次から次へと花を咲かせています。

4月18日現在、チューリップの早咲き分は終わり、遅咲きが見頃です。

チューリップが最も多く咲く時期は1週間前にピークを迎えました。

それでもチューリップの約70%は咲いていました。

今、写真3のアネモネA、ネモフィラBが花壇を彩り始め、これからピークを迎えます。

丘陵部にはリンビングストンデージーCが咲き始めています。

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チューリップは世界に6000種類あり、花の形と色の種類は無数にあります。

無い色は青ぐらいでしょうか。

チューリップの素晴らしさは、花びらの色の濃さと艶にあり、さらに群生していると圧巻です。

次回に続きます。

 

 

 

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淡路島 国営明石海峡公園 4: 公園の見所


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< 1. 見頃のチューリップ >

今日は、公園の見所を紹介します。

写真は4月2日撮影のものです。

 

 2map

< 2.明石海峡公園の衛星写真 >

この写真の実際の大きさは、上下900m、左右500mほどある。

黄色の矢印が北を示す。

赤字の番号はゲート、青色は施設を示す。

1=東浦ゲート。ウェスティンホテルや国際会議場に近く、バス来訪者には便利。

2=海岸口ゲート。「バーベキュー広場」(7)や「海のテラス」に近い。

3=淡路口ゲート。「芝生広場」、大型複合遊具「夢っこランド」「ビジター棟」などの子供の遊び場と大きな駐車場に隣接している。

上記の子供の遊び場は、写真外上方に400mほど広がっている。

4=連絡口ゲート。夢舞台側の植物園(5)や百段苑、レストラン&ショップ(6)に近い。

青色の楕円枠は、前回3話で紹介した丘陵部です。

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< 3. 淡路口ゲート周辺、写真上部 >

A: 移ろいの庭。今回は宝塚をイメージする飾り付けが行われているが、通常は広い芝生で潮風を受けて過ごせる所。

右に見える白い建物がビジター棟で、催しがよく行われている。

B、C: 風の丘。なだらかな丘の両側に趣の異なる花壇がある。

C:階段花壇。ここはチューリップが美しいのですが、4月9日現在、見頃を過ぎました。

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< 4. 「海のテラス」 >

E: 大阪湾の向こうに須磨や神戸、六甲山が見える。

 

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< 5. 東浦口ゲートと「花の中海」(大きな池)の周辺 >

F: 「大地の虹・北花壇」から「花の中海」と「ポプラの丘」を望む。

G: 「大地の虹・南花壇」から東浦口ゲートとウェスティンホテルを望む。

写真F、Gの範囲に、この公園のチューリップの8割以上が植えられています。

H: 東浦口ゲート近くから「花の中海」と「花の島」を望む。

右に「大地の虹・南花壇」が見える。

早咲き、中咲き、遅咲きのチューリップを組合せて植えてあり、もっとも揃って咲くのが4月6日~11日頃で見頃になります。

しかし近くで見ると、早咲きの分は花が開いていたり、カットされていたりします。

またチューリップと共に植えられている花々―黄色の水仙、紫色のムスカリ、青色のネモフィラ、が日々花壇の色合いを変えて行き、5月まで楽しませてくれます。

 

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< 6. 「花の中海」山側 >

I: 「花の丘道」。

J: 「ポプラの丘」が前方に見えて来た。

K: 「ポプラの丘」から「花の中海」を望む。

実は、この「ポプラの丘」に2列で林立するポプラ並木が圧巻だったのですが、去年の台風で百本が倒れてしまい、残りは十本ほどになりました。

これが見応えのある姿になるには十年以上かかるようです。

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Eye For An Eye ! / Saudi Arabia.


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For the last 50 years Saudi Arabia sowed horror and terrorism ,now the Saudis are reaping the rewards of their deeds.

The founder of Islam expanded his religion by the sword and by imposing heavy tribute on the none believers when he invaded their territories . Since the 7th.century the Muslim leaders followed the same severe tactics to deal with the none believers,become a Muslim ,pay tribute or be obliterated .At the present time Saudi Arabia the #1 Sunni extremism supporter wants to expand Islam with Oil Money.,by encouraging Muslims to immigrate to the West and by spending billions of dollars on building Mosques,schools and Islamic center all over the world specially in Europe and America.

Saudi Arabia and Qatar were financing ISIS since 2011 to topple the Syrian Shia’t regime.Now ISIS is threatening the Saudi to continue the flow of the oil money or face destruction.Today ISIS blow up…

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The society and the information 34: Information crosses the border 8


社会と情報 34: 国境を越える情報 8

 1原発2   

< 1. Chernobyl nuclear power plant disaster >

< 1チェルノブイリ原発事故 >

 

Following on from the last time, I consider about the report of ”Chernobyl nuclear power plant disaster” in 1986.

This time, we look how the government and media of Europe and America utilized this nuclear power plant disaster.

If you formerly read “The society and the information 32,33”, you may more understand.

 

前回に続いて、1986年のチェルノブイリ原発事故の報道について考察します。

今回は、欧米の政府やマスコミがこの原発事故を如何に利用したかを見ます。

「社会と情報 32、33」を先に読んで頂くと判り易いです。

 

Insistence and report of Europe and America

“ If Gorbachev has already lost the trust of neighboring countries in the peaceful uses of nuclear energy, nobody believes the statement that he reduces the nuclear weapon toward the world” by New York Times in America

 “ The level of the safety management was very low in nuclear energy of the Soviet Union, and, as a result, the risk of the nuclear power disaster has increased extraordinarily” by The Times of the Union

 “ Our nuclear power generation technology is fundamentally different from the thing of the Soviet Union, and many safety measures severalfold are provided” by spokesperson of the White House

 “ The atomic energy will be “good thing” in future for many countries. The nuclear power plant of this Soviet Union is “evil”. But it is not good that you assume all atomic energy to be bad” by a presidential assistant of the White House

 “ Everywhere is graves. The dead 15,000 seemed to have been buried in the job site of the nuclear power plant accident? ” by The New York Post of America

 “ Chernobyl nuclear power plant isn’t the structure that shuts away the fissionable material leaking from the furnace. But all American nuclear power plants are covered with the safety shield of concrete and steel” by Atomic Industrial Forum

 

 

欧米の主張と報道

「ゴルバチョフが核エネルギーの平和利用の分野で、すでに近隣諸国の信頼を失っているとすれば、核兵器を減らしますと世間に向かって喧伝したところで、そんなものは誰も信じない」米国のニューヨーク・タイムズ

 

「ソ連の原子力は安全管理の水準が並外れて低い。その結果、原子力災害を起こす危険性は並外れて高まってしまった」英国のタイムズ

 

「我々の原子力発電技術は、ソ連のものとは根本的に違っており、数多くの安全対策が幾重にも備え付けてあります」ホワイトハウスの報道官

 

「原子力は今後も多くの国にとって“善き事”であり。・・今回のソ連の原発が“悪”だからと言って、それを理由に原子力を十把一からげにダメだと決めつけては、ならないのであります。」ホワイトハウスの主席補佐官

 

「どこもかしこも墓だらけ、原発事故現場に死者1万5000体を埋葬か・・」米国のニューヨク・ポスト

「チェルノブイリ原子力発電所は、炉から漏れ出た核分裂物質を封じ込めておく構造にはなっていない。しかし米国のすべての原子力発電所は、ソ連ではほとんど装備されていない鋼鉄とコンクリートの防護壁で覆い包まれている」原子力産業フォーラム

 

2新聞

< 2. a newspaper report >

< 2. 新聞報道 >

 

The main point and the aim of the report

“ The Soviet Union is a barbarian slave nation to hardly mind the preciousness of the human life”

 

“ The industrial technology of the Soviet Union is retreating year by year”

 

“The Soviet Union does not tell the truth and is untrustworthy in liars”

 

In the announcement of the Soviet Union, the dead by the accident were 2 at first, after that it became 32.

However, Europe and America reported that the dead were from thousands to the tens of thousands.

If the rumor that the Soviet Union is liar and cannot manage itself spread, the U.S. government is advantaged in the nuclear disarmament.

The most important was that they get the national to believe that this nuclear plant accident never occurs in Europe and America

In those days, OECD (Europe and America) was increasingly depending on the nuclear energy.

And the U.S. did not get an order entry of the nuclear power plant since a nuclear power plant accident of Three Mile Island in 1979.

 

 

報道の要点と狙い

「ソ連は人命の尊さなどはほとんど気にかけない野蛮な奴隷国家である」

 

「ソ連の工業技術力は年々歳々後退している」

 

「ソ連は真実を告げず、嘘つきで信用できない」

 

ソ連は事故による死者が当初2名で、後に32名と公表しており、欧米は数千から数万の死者が出たと報道していた。

米国政府は、ソ連が嘘つき国家、管理が出来ない国家として流布されれば、核軍縮の場で有利になる。

一番重要なことは、この原発事故が欧米の原発では絶対起きないことを国民に印象づけることでした。

当時、OECD(欧米)は原子力エネルギーに頼りつつあり、かつ米国は79年のスリーマイル島の原発事故以来、原発の受注が1台もなかった。

 

During about three weeks after the accident, the government and media of Europe and America spread to the national the false rumor and the blame of the sort.

 

However, the truth became known before long, and the report was revised inconspicuously.

But the government and the atomic energy group were able to achieve the purpose enough.

 

こうして事故後の3週間ほどの間に、欧米の政府とマスコミは異口同音に、批難とデマを流した。

しかしやがて真実が知れ、その論調は目立たないよう修正されたが、政府や原子力団体は十分に目的を果たすことが出来た。

 

3レーガン

< 3. Reagan and Gorbachev >

< 3. レーガンとゴルバチョフ大統領 >

 

Inspection of the false rumor

“ As for the number of the casualties, the number of nuclear reactors that encountered a fire, and fire extinguishing, after all, the contents which the Soviet Union announced first were almost right. Journalists that truly received the information of Reagan government reported directly, but after all, it wasn’t right” by Scientist publication of atomic era

 

“ Even the government of our country was tricking the national concerning the purpose and the safety of development business of American nuclear energy in the various levels in recording from time to time, and was doing the information hiding” by Bernstein of American reporter

 

The Chernobyl disaster happened in April 1986, but two furnaces being the same type of the Soviet Union had operated in the United States in those days.

Furthermore the more dangerous nuclear reactor for the nuclear weapon production without the bulkhead had operated, and amazingly it was four.

The Soviet Union had learnt lessons from Three Mile Island accident, and executed the remodeling of the safety shield.

 

In other words, the United States was telling a falsehood

 

 

デマの検証

「死傷者の数とか、火災に遭った原子炉の数とか、火災鎮火などの重大な問題に関して、結局、ソ連が当初発表した内容のほうが、概ね正しかった。一方、レーガン政権が流した情報は、ジャーナリストたちが真に受けて報道したものの、結局、正しくなかった」原子力時代の科学者広報

 

「我が国の政府だって、米国の原子力開発事業の目的や安全性をめぐって、時に応じて様々なレベルで自国民を騙したり、情報隠しを行ってきたのだ」米国記者のバーンスタイン

 

チェルノブイリ原発事故は86年4月に起きたが、当時、米国ではソ連と同型炉が2基稼働していた。

防護壁の無い核兵器製造用の危険な原子炉がさらに4基稼働していた。

ソ連はスリーマイル島事故の教訓を生かし、防護壁を備える改造を行っていた。

 

つまり、米国が嘘を言っていた。

 

4原発事故

< 4. nuclear power plant accident of Fukushima >

< 4. 福島の原発事故 >

 

Afterward

The Japanese public opinion had increased in an opposition to nuclear power generation, because of a spate of nuclear power plant accidents, too.

The electricity industry that had trouble by it came to pay away annual advertisement to costs 100 billion after this, and the public opinion increased in the agreement since after four years.

 

Since when the ash of Chernobyl disaster fluttered to the ground, the handling of the nuclear power generation came to divide between Germany and France.

Germany regarded this situation as dangerous and the scientist published it, and the public opinion changed to an opposition to the nuclear power plant.

France hid this situation, and the opposition movement did not become lively.

 

Such groundless rumor and agitation are performed repeatedly, and before long the truth isn’t seen in darkness.

 

 

その後

日本の世論も相次ぐ原発事故で原発反対に傾いていった。

さしも困った電力業界は、これ以降、年間広告費を1000億にし、4年後から世論は賛成へと向かっていった。

 

チェルノブイリ原発事故の灰が舞い降りた、ドイツとフランスでは対応が別れることになった。

ドイツは、この事態を危険とし科学者は公にし、原発反対へと路線を切り替えた。

フランスでは、この事態を隠し、反対運動は盛り上がらなかった。

 

面白いことに、日本科学未来館がフランスの原発優位について、以下のように語っています。

フランスは、政府によるリスクコミュニケーションが成功した好例にも挙げられます。フランスの国民は、・・原発にともなうリスクを理解した上で、経済効果などの利点や安全対策をふまえ、原発に賛成しています。」2011年5月18日(東北大震災の2ヶ月後)

この団体には日本原子力学会がいます。

 

こうしたデマや煽動が繰り返し行われ、やがて真実は闇の中に見えなくなってしまうのです。

 

 

 

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