Bring peace to the Middle East! 68: Why was it exhausted ? 6: The period background of imperialism 1


中東に平和を! 68: なぜ疲弊したのか 6: 帝国主義の時代背景 1

 

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We have seen who has scattered the disaster to the world until now.
It seemed like ordinary people fascinated by demons.
However, this eventually will push our world into the mire.

これまで誰が世界に災厄を撒き散らしたのかを見て来ました。
それは悪魔に魅入られた普通の人々のように思える。
しかし、このことがやがて世界を泥沼に突き落とすことになる。

 

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< 2. colonial countries that were once controlled by Western Europe >
< 2. かつてヨーロッパの植民地だった国 >

 

Introduction
Later, we see that the imperialism which colonized almost all countries of this earth was deeply involved in the confusion and conflicts of present developing countries.
But before that, there is something we need to confirm.

That is to say, why was the imperialism that was selfish, violent and ruthless done by the people.
Why did the people do the inhumane exploitation?
Why could the people be cruel to indigenous people?
This was at most half a century ago.

Until now, we’ve looked at some cases, but people easily sacrifice other people.
If the imperialism was done by not so much demon but consensus of ordinary people, even now, their minds do not change, it may be a possibility of repeating easily.

 

はじめに
後に、地球上のほぼすべての国を植民地化した帝国主義が、現在の発展途上国の混迷と止まない紛争に深く関わっていることを見ます。
しかし、その前に確認したいことがあります。

それは身勝手で、暴力的で、無慈悲であった帝国主義がなぜ行われたのかと言うことです。
なぜ人々は人道に反する搾取を行ったのか?
またなぜ人々は先住民に対してあれほど残虐になれたのか?
これはたかだか半世紀前のことです。

今まで、事例を見て来ましたが、人々はいとも簡単に他者を犠牲にします。
もし、帝国主義が悪魔ではなく普通の人々の総意で行われていたとしたら。
今でも、その心性は変わらず、容易に繰り返す可能性があるかもしれません。

 

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What is the imperialism?
It is a policy to make other country a colony and dependent country by military power.
Although there was an expansionism and conquestism from a long time ago, especially it refers to the policy done by nations that became a monopoly capitalism stage since the end of the 19th century.
It began with the African division of Western Europe and then spread to the world.

The essential point is like that, but strangely the opinion of historians about it has divided.
The imperialism is an undeniable fact, but they can not identify its motive.
It is largely divided into three opinions. Annotation 1.

A: A capitalist state developed through the industrial revolution was seeking many export destinations for not only goods but also excessive capital to the world.

B: At that time, economic depression repeatedly had occurred, income disparity was bigger than now, the dissatisfaction was accumulating in the countries.
In addition, the reversal of economic power was occurring among countries having many colonies (Britain) and countries no having it (Germany).
Thus, the Western European countries tried to divert the public’s dissatisfaction by making an advance outside the area, and it became a competition.

C: The imperialism progressed sequentially by the interaction between the ruling side and the colonial side, and the factors differed from region to region.
In addition to the two above-mentioned reasons, the major factors were for recovering the losses due to prohibition of a slave trade, and the resistance and looting in the locale against the Westerners’ residents and immigrants.
After all, it was tangled with the past Western intervention, and it headed for further intervention.

In other words, rather than that the imperialism was initiated for a purpose, it can be said that it occurred as a result of various factors overlapping.

 
帝国主義とは何か

軍事力で他国を植民地や従属国にする政策。
古くから膨張主義や征服主義はあったが、特に19世紀末以降、独占資本主義段階に至った国家が行った政策を指す。
これは西欧のアフリカ分割から始まり、その後、世界に蔓延していった。

要点はこうなるが、不思議なことに歴史学者の意見が分かれている。
帝国主義の事実は動かせないのですが、その動機を確定出来ないのです。
大きく三つに分かれています。注釈1.

A: 産業革命を経て発展した資本主義国家は、商品だけでなく過剰な資本の輸出先を世界に求めていた。

B: 当時、恐慌が繰り返し発生し、今より所得格差は大きく、国内に不満が鬱積していた。
また植民地を多く持つ国(英国など)とそうでない国(ドイツ)で経済力の逆転が起こりつつあった。
こうして西欧諸国は、域外に進出することで国民の不満をそらそうとし、競争することにもなった。

C: 帝国主義は支配側と植民地側との相互作用で順次進行し、地域ごとで要因が異なる。
主要な要因としては、上記二つの理由に加えて、奴隷貿易の禁止による損失挽回の動き、西欧人の居留民や移民に対する現地の抵抗や略奪などがある。
これにしても、以前からの西欧の介入で紛糾し、さらなる介入を招いたことになる。

つまり、帝国主義は目的を持って始められたと言うよりは、対立国との競争、国内の不満回避、植民地との紛争を巡って、いつしか泥沼に突き進んだしまったと言える。

 

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Something seen from a misunderstanding
There are persons who say that the former action is not exploitation against East Asia because the Empire of Japan made huge investments (dam and railroad) for it.

Actually, the imperialist countries of the Western Europe came to have large loss due to deployment of troops and investment in the locale, and the people disliked it in the late stage.
Even so, the governments continued to take the policy for securing the colonial security and prestige of the state.

Similarly in Japan, the people amassed a huge debt (foreign bonds) for the war, lost everything in the defeat, and had to keep returning the foreign bonds even after the war.

In other words, in the time of the imperialism, it expanded because there were people got profit even though the government and the people were suffering.

 

This continues to the next time.

 
誤解の先に見えるもの
かつて大日本帝国は東アジアに莫大な投資(ダム、鉄道など)をしたのだから、搾取ではないと言う人がいる。

実は、西欧の帝国主義国家も軍隊派遣や現地への投資で、政府としては損失が大きく、末期には国民に嫌われていた。
それでも植民地の安全確保や国家の威信の為に続行された。

日本も同様で、戦争の為に莫大な借金(外債)を行い、敗戦ですべてを失っただけでなく、戦後も外債を返却し続けなければならなかった。

つまり、帝国主義の時代、政府と国民は苦しんでいても、利を得る存在があるからこそ拡大していったのです。
次回に続きます。

 
注釈1.
この説明は主に「講座/世界史5 強者の論理/帝国主義の時代」p.44を参考にしています。

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 32: ワルシャワ2


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今日は、快晴の旧市街を紹介します。

前回紹介した早朝歩いた場所と幾分重なりますが、ガイドの説明を聞くと印象はがらっと変わりました。

 

 

 

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< 2. 地図 >

 

上の地図: 早朝歩いたルートです。上が東側です。

緑線が行きのルートで、青線が行きと異なる帰りのル-トです。

緑字のSはホテルで、赤字のSはツアーの徒歩観光の起点です。

赤字のDは城壁で囲まれた旧市街の中心に位置するマーケット・プレイスです。

上の川はポーランド最長のヴィスワ川です。

 

中央の地図: ツアーの徒歩観光のルートです。上が東側です。

S:起点。 A:ワルシャワ・ゲットの記念碑。 B: キュリー博物館。 C:城門バルバカン。 D: 旧市街のマーケット・プレイス。 E: 展望台。 F:聖ヨハネ大聖堂。

 

下の地図: ポーランドとワルシャワを示す。上が北側です。

 

 

 

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< 3. クランシスキ宮殿とワルシャワ蜂起記念碑 >

 

上の写真: 左にクランシスキ宮殿、右に最高裁判所。

 

下の写真: 最高裁判所の前のワルシャワ蜂起記念碑。

ワルシャワ蜂起については後で解説します。

地図のS地点から撮影。

 

 

 

 

 

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< 4. ワルシャワ・ゲットの記念碑 >

 

上の写真: 最高裁判所の横。

 

下の写真: ワルシャワ・ゲットの境界跡と記念碑。

地図のA地点で撮影。

ワルシャワ・ゲットの解説は次回行います。

 

 

 

 

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< 5. 新市街 >

 

上の写真: 北側を見ている。

地図のB地点で撮影。

すぐ右手の白い建物はキュリー博物館です。

彼女は放射能の研究で最初のノーベル賞をもらった。

彼女はここで生まれ、青春時代を過ごし、学業と研究の為にポーランドを出てパリに移り住んだ。

当時、ポーランドは帝政ロシアに併合されており、教育者だった両親ら知識層は行動を制約されていた。

 

下の写真: 南側を見ている。

ここを真っすぐ行くと旧市街の城門に至る。

 

 

 

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< 6. 旧市街の城門 >

 

上の写真: 旧市街の城門バルバカン。

最初は16世紀に造られたが、第二次世界大戦で破壊され、1952年に17世紀の様式で再現された。

地図のC地点で撮影。

 

下の写真: 旧市街の広場に向かう通路。

 

 

 

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< 7.マーケット・プレイス  >

 

上下の写真: マーケット・プレイス。

18世紀末までワルシャワの中心でした。

1944年のワルシャワ蜂起に対するドイツ軍の報復で完全に破壊されたが、1950年代に再建された。

地図のD地点で撮影。

 

 

 

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< 8. 旧市街のたたずまい >

 

上の写真: ハトが青空に舞い上がる。

この地は幾度も強国ロシア(ソ連)とドイツに交互に、または同時に蹂躙されて来た。

今度こそは平和が長く続きますように祈ります。

 

下左の写真: これは何の変哲もない古い民家の門に見えるのですが、再建時、瓦礫となった石材や美術記録など頼りに忠実に再現されたものです。

戦火の傷跡が生々しい。

 

下左の写真: 屋根に取り付けられたドラゴン。

 

 

 

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< 9. 展望台 >

 

上の写真: マーケット・プレイスの裏手にある展望台からヴィスワ川を望む。

地図のE地点で撮影。

 

中央の写真: 展望台から聖ヨハネ大聖堂の裏手に行く途中。

バルコニーの支えの部分に銃弾の跡が見える。

これはワルシャワ蜂起の激戦の痕跡です。

 

下の写真: 聖ヨハネ大聖堂の裏手。

地図のF地点付近。

 

 

 

 

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< 10. 聖ヨハネ大聖堂周辺 >

 

上左の写真: 右のレンガ建築が聖ヨハネ大聖堂の側壁です。

塔の下のトンネルを抜けると聖ヨハネ大聖堂の正面の通路に出ます。

地図のF地点付近。

 

上右の写真: 指さしているのはポーランド抵抗の印です。

上述のトンネルの中ほどにありました。

至る所に見られます。

 

下の写真: 上述の聖ヨハネ大聖堂の側壁に埋め込まれた軽戦車のキャタピラ。

ワルシャワ蜂起のものです。

 

 

 

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< 11. 聖ヨハネ大聖堂の正面 >

 

すぐ右が聖ヨハネ大聖堂の正面です。

この通路を行くとマーケット・プレイスに出ます。

地図のF地点付近。

 

 

 

ワルシャワ蜂起

第二次大戦末期に起こったポーランド地下軍とワルシャワ市民によるドイツ占領軍に対する蜂起。

ソ連軍によるワルシャワ解放が目前と思われた1944年7月下旬に一斉蜂起した。

8月1日、ほとんどの市民が蜂起に参加し市の中心部が解放された。

ソ連は進軍するかに見えたが、ヴィスワ川対岸で停止して、いっさいの援助をしなかった。

ようやく9月10日以降、ポーランド人部隊の渡河作戦を許したが、蜂起を救うには遅すぎた。

孤立した蜂起軍と市民はドイツ軍によって徹底的に全市を破壊され20万の死者を出した。

ついにワルシャワ蜂起は10月2日の降伏で無惨に終わった。

 

この時のソ連(スターリンがトップ)の行動は、反ソ感情の強いポーランドが衰弱してから占領する方が得策と考えたからでした。

 

 

 

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< 12. ワルシャワ蜂起 >

 

A: 赤枠はポーランド地下軍が蜂起した場所。

黒の四角は私達のホテル、黒の円枠は旧市街の城壁。

 

B: ドイツ軍が占領しているビルを銃撃するポーランド兵士。

 

C: ワルシャワ蜂起62周年の再現シーン。

 

D: 当時の若いポーランド兵士。

 

E: 旧市街で戦うポーランド兵士。

写真9や10で見た戦闘の傷跡はこの時のものです。

 

F: ドイツ軍によって破壊され炎上する旧市街。

 

G: 完全に破壊されたワルシャワ。

 

 

現在のワルシャワの人はこの蜂起をどのように見ているのだろうか?

直接、一人のポーランド女性と日本語で話すことが出来ましたので、質疑を要約します。

 

質問1:

「皆さんはドイツとロシアについてどう思っているのでしょうか?」

 

答え:

「ポーランド人にとって両国は長年の侵略国であるが、ロシアを嫌っています。

ドイツは戦後、謝罪したが、ロシアはその事実を否定しているからです。」

 

参考:

<カチンの森事件>不誠実な一例として。

1940年、ソ連軍はポーランド侵攻時、ポーランド将兵らの捕虜を2万人以上銃殺した。

ソ連は事件発覚後もドイツの犯行としていたが、ゴルバチョフが再調査し、1990年、事実を認め遺憾の意を示した。

 

 

質問2:

「皆さんはワルシャワ蜂起をどう見ているのですか?」

 

答え:

「毎年、議論されているが評価が分かれています。

 

悪いとする意見

将来ある多くのインテリゲンチャが若死にし、生き残った青年では将来を担うには力不足であった。

また関係のない多くの人が巻き添えになって死んだ。

 

良いとする意見

戦う伝説が作られた。

人々は、これからも他国の理不尽に対し戦う勇気を持つことが出来るだろう。」

 

 

私の感想

リトアニアでも同様でしたが、大国の侵略に対し蜂起したことに自画自賛だけで終わらない姿勢が素晴らしい。

 

ワルシャワ蜂起は、結局、ソ連に支配され続けただけなので、私には無駄死に思える。

しかし、今回巡って来た東欧四ヵ国の異民族支配への強い抵抗に、私は想像以上の篤い想いを見た。

だからと言って、私達日本人は経験したことのないこの想いをたやすく理解出来るとは思えない。

 

私達が、この想いを少しでも理解しょうとするなら、他国を戦争で侵略した後に取るべき態度とは何かが自ずと解るはずです。

それはこの女性が言った「謝罪したドイツを許している」からも明白です。

 

残念ながら日本は島国で平和に暮らして来たことが、他者への理解で災いしているように思える。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 67: Why was it exhausted ? 5: History repeats itself


中東に平和を! 67: なぜ疲弊したのか 5: 歴史は繰り返す 

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< 1. a border fence along the US–Mexico border >
< 1. メキシコの壁  >

 

Last time we looked at that the treacherous social situation is occurring in the United States.
Here we trace back history a bit and examine this has been possible situation any time.

前回、危惧すべき社会状況が米国で起こっていることを見ました。
ここで少し歴史を遡り、このような状況がいつでも起こりうることを見ます。

 

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< 2. Drought >
< 2. 旱魃  >

What is the president trying to sacrifice now?
The US president is trumpeting that other countries steal interests of the United States with unfair trade and that immigrants are depriving the public of their jobs.

Although there may be such an aspect, the many causes are due to the diplomacy and trade agreements in the past, and naturally the major nation (company) must have gained more profit.
For example, as a background of increasing Mexican immigrants, cheap imported corn from the US by the North American Free Trade Agreement (NAFTA) in 1994 robbed Mexico’s fifteen million farmers’ life. Annotation 1.

Furthermore, he is going to carry out terrible policies aiming only for prosperity of their own country on the sacrifice of other countries.

For example, he is trying to destroy the Framework Convention on Climate Change, but this will have a huge impact on the world.
Currently, the global warming is progressing, the drought in the world has already caused the rise in wheat prices repeatedly and it has caused sea level rise too.
With this discard, the US industry (16% of the world’s CO2 emission) will undoubtedly increase the emission.
And the unity of the world will be disturbed, then global warming will accelerate further.
As a result, huge hurricanes frequently must have come to the United States, and the world that passively observed it will pay the penalty.

The selfish policy of major nations will drive the world into a corner all the more because its national strength is large, with everything such as environment, war, or economy.

Actually, the current American society is similar to the era when Europe moved to imperialism from the 1870s, and also the time of Hitler’s dictatorship.

 
今、大統領は何を犠牲にしようとしているのか
米国大統領はしきりに他国が不公平な貿易で米国の利益を奪い、移民が国民の職を奪っていると喧伝している。

その一面はあるかもしれないが、多くは今までの外交や貿易協定によるもので、当然、大国(企業)がより利益を得ているはずです。
例えば、メキシコ移民が増大する背景に、1994年の北米自由貿易協定(NAFTA)による米国からの安価な輸入トウモロコシがメキシコの1500万人農民の仕事を奪った。注釈1.

さらに、他国の犠牲の上に自国の繁栄を目指す恐ろしい政策が行われようとしている。

例えば、気候変動枠組条約を破棄しようとしているが、これは世界に大打撃を与える。
現在、地球温暖化が進み、すでに世界で大旱魃による小麦価格の暴騰が繰り返され、また海面上昇を招いている。
この破棄により米国の産業(世界のCO2排出量の16%)は気兼ねなく排出を増やすだろう。
そして世界の結束は乱れ、さらに地球温暖化が加速することになるだろう。
その結果、米国には大型ハリケーンが頻繁に来襲し、それを傍観した世界にも報いは訪れる。

大国の身勝手な政策は、その国力が大きいだけに、環境・戦争・経済などあらゆることで益々世界を窮地に落とし入れることになる。

実は、今の米国社会はヨーロッパが1870年代から帝国主義に突き進んだ時代、またヒトラー独裁の時代と似ているのです。

 

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The time of Hitler
Here we can compare the current American society with the German society of the Nazis easily.

“Communists and Jews are putting our nation into turmoil! Let’s recover our former territory!”
Hitler’s statement was gaining tremendous popularity, and he was able to become a dictator.

What is it about Hitler took hold in the mind of people?
Its reason is due to that he attributed all cause of the deterioration to others, then proposed a method without pain for the public by sacrificing others (exclusion, expansion of territory).

Hitler is fascism, and Trump is called populism.
Although there are different things in these, there are similarities too.
The both deny existing elite layers (politicians, intellectuals, mass media) and declare that they can solve easily with exclusionary policies. Annotation 2.
And people who supported the two men are middle class in Germany and White in the United States.
People can easily accept the reckless proposal to sacrifice others if they become safe.

Furthermore, there are more interesting similar features.
At first, Hitler showed being on worker side and exclaiming against owners of capital.
However, from halfway, he sponged on some capitalists and accomplished the dictatorship with the cooperation of the military.

From the beginning, he didn’t have logical and constructive assertion, so the policy was only patchwork response.
When the people noticed that they were deceived by his snow job, it’s too late.

This continues to the next.

 
ヒトラーの時代
ここで今の米国社会とナチスのドイツ社会を簡単に比較します。

「共産主義者とユダヤ人が国家を混乱に陥れている! かつての領土を取り戻せ!」
このヒトラーの発言が絶大な人気を呼び、彼は独裁者になることができた。

ヒトラーの何が多くの心を捉えたのでしょうか。
それは悪化の原因を他者に帰し、自身は痛みを伴わない方法、つまり他者を犠牲にする方法(排除、領土拡大)を提案したからです。

ヒトラーはファシズムで、トランプはポピュリズムと呼ばれています。
これは異なるところもありますが、共通点があります。
二人は共に既存のエリート層(政治家、知識人、マスコミ)を否定し、排他的な手法でいとも簡単に解決すると明言する。注釈2.
そして二人を支持した人々はドイツでは中間層、米国では白人です。
人はいとも簡単に、自身が安泰なら他者を犠牲にする無謀な提案を受け入れてしまうのです。

さらに面白い類似の特徴があります。
ヒトラーは最初、労働者の味方で資本家を非難する素振りを見せていた。
しかし途中から裏で、一部の資本家にすがり、軍部の協力を得て独裁を成し遂げた。

元々、彼には論理的で建設的な主張がなかったので、政策はその場しのぎに過ぎなかった。
後に国民はその巧みさに騙されたと悔しがったが、後の祭りでした。
次回に続きます。

 

注釈1.
2017年1月、大統領はNAFTA再交渉を明言。

注釈2.
排他的な手法とは、ヒトラーの場合はアーリア人以外を強制排除(抹殺)、そして軍事力による自国の領土拡張でした。
トランプの場合は、白人とキリスト教徒以外の排除、保護貿易と2か国間交渉による自国優位です。

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 31: ワルシャワ1


 

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今日から、最後の訪問地、ポーランドの首都ワルシャワを紹介します。

訪れたのは2016年10月4日で、快晴に恵まれました。

今日、紹介するのは早朝の街歩きです。

 

はじめに

夜の明けやらぬ朝、一人で旧市街に向けて歩き始めました。

道に迷いながら約1時間半ほど歩き回り、やっとの思いでホテルに戻りました。

既に出発時刻は迫り、朝食抜きで最後のホテルを去りました。

朝は雲が覆っていたのですが、徐々に快晴となり、昼には素晴らしい観光日和となりました。

写真は撮影順に並んでいます。

 

 

 

 

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< 2. ホテルを出発 >

 

ホテル「ソフィテル・ビクトリア」を出発し、前の「ピウスツキ元帥広場」を通り抜け、北側を目指しました。

 

上の写真: 左手(西側)の森は「サスキ公園」で、その前に光っているのは「無名戦士の墓」です。

 

中央の写真: 広場の東側。

 

下の写真: 「無名戦士の墓」。

この建物に近づくと、中央にある灯火を二人の衛兵が不動の姿勢で守っていました。

朝は寒く、風が吹き抜けていました。

ご苦労様です!

 

 

 

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< 3. 広場を後にして >

 

上の写真: 「サスキ公園」を少し覗いて、ビルの谷間に向かった。

この公園を抜ける時、数人のテレビクルーが立っており、「旧市街はどちらですか?」と聞くと一人が指差してくれた。

 

中央の写真: 国立オぺラ劇場の前を通る。

 

下の写真: 「Miodowa」通りを進む。

ここは高架になっており、右手はかつての宮殿「Branicki Palace Pałac Branickich」で、この下は線路と車道になっている。

 

 

 

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< 4.教会 >

 

私はワルシャワ蜂起記念碑の前に来て、右手(東側)に曲がった。

どうやら旧市街に近づいたような気がする。

 

上の写真: 「 Dluga」通りに面している教会「Field Cathedral of the Polish Army」。

 

下の写真: 「Dluga」通りを突き当たった所にある教会「Kościół Dominikanów pw. św. Jacka」。

 

 

 

 

 

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< 5. 旧市街がわからない >

 

ここらまで来て、旧市街がどこか分からなくなった。

私には旧市街の雰囲気に思えるのだが。

出勤途上の数人に声をかけても通じないのか、それぞれ指の差す方向が腑に落ちない。

 

上の写真: 「Kościół Sakramentek pw. św. Kazimierza」カトリック教会。

ここは新市街広場でした。

 

中央の写真: 「Church of the Visitation of the Blessed Virgin Mary」教会。

15世紀初頭に建てられた、ゴシック建築では最も古い建物の一つです。

 

ここで行き過ぎたと判断し来た道を戻り、真っすぐ南下した。

 

下の写真: やっと城壁らしいものが見えた。

中央に見える茶色のレンガ積みの門が「Barbakan Warszawski」です。

あれをくぐると、旧市街に入ります。

 

 

 

 

 

 

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< 6. 旧市街の市場広場 >

 

上の写真: 先ほどの門を抜けて、城壁内側の右手を見た。

 

下の写真: 旧市街の市場広場。

ライトアップはなく、薄明かりの中で静かに朝を迎える町の風情がありました。

これまで歩いて来て見かけた人は少なく、ほとんどが足早に歩く人でした。

 

 

 

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< 7. 聖ヤン大聖堂 >

上の写真: 旧市街の市場広場。

 

下の写真: 聖ヤン大聖堂「Bazylika Archikatedralna」。

14世紀末に建てられもので、ここで多くの皇帝が戴冠式を行っている。

 

 

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< 8. 旧王宮 >

 

上の写真: 旧市街の南端にある旧王宮。

 

 

中央の写真: 城壁の外側に沿って歩く。

 

そろそろ帰路に着かなければならないが、何処にいるかわからない。

結局、来た道を戻ることにした。

 

下の写真: 先ほどくぐった「Barbakan Warszawski」が見えて来た。

 

 

 

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< 9. 来た道を戻る >

 

下の写真: 「クランシスキ宮殿」が見える。

ここはワルシャワ蜂起記念碑の向かいになる。

 

 

 

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< 10. ホテルが見えた >

 

下の写真: 「ピウスツキ元帥広場」に着いた。

右手の森の上に尖塔が小さく見えるのは、スターリン様式の文化科学宮殿です。

巻頭写真はこの建物ので、この写真は前日の夜、雨の中をスーパーまでツアー仲間と行った時に撮影したものです。

 

左手奥に、ホテルがやっと見えた。

張った足を引きずりながら、ホテルに急ぎ、出発には間に合った。

 

写真の説明は帰国後、調べて書いていますが、歩いている時はまったく分からなかった。

旧市街は近くにあり、方向さえ分かっていれば行けると簡単に思っていた。

冷や汗をかいたが、懐かしい思い出になりました。

 

次回に続きます。

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 66: Why was it exhausted ? 4: When do major nations become selfishness?


中東に平和を! 66: なぜ疲弊したのか4: 大国が身勝手になる時

 

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< 1. Actress Meryl Streep >
< 1. 女優メリル・ストリープ >

Last time, we looked at a situation that the selfishness of major nations and multinationals is permissible.
So why are the people indifferent to sacrificing other countries?

前回、大国と多国籍企業の身勝手が許される状況を見ました。
それでは、なぜ国民は他国を犠牲にすることに無関心なのでしょうか。

 

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< 2. Celebrities >
< 2. 著名人 >

*Trump: he became from a businessman to the U.S. president.
*Paul O’Neill: he is a former Treasury Secretary who was a businessman and criticized unscrupulous tax cuts and monetary easing.
*Krugman: he is a worldwide economist who continues to point out the main factor of income disparity in the US.
*Oliver Stone: he is a film director who continues to criticize the US politics.

・トランプ: 実業家から米国大統領に。
・ポール・オニール: 無節操な減税や金融緩和を批判した実業家で元財務長官。
・クルーグマン: 所得格差の元凶を指摘し続ける米国経済学者。
・オリバー・ストーン: 米国政治を批判し続ける映画監督。

 
Why are the people indifferent to sacrificing others?
Why do the people forgive that their governments and companies are scattering disasters to other countries?

Knowing that fact, the people may stop their selfishness.
However, many people would never dare to know what is happening on the other side of the earth.

Since many people started to suffer damage to themselves, maybe make it a problem.
Taking the Vietnam War as an example, the fact of the war was hardly conveyed to American citizens by press restraints.
Finally, when the citizens realized the volume of the death of the US soldier on television news, the opposition campaign became the whole country.
For many citizens, the enormity of the dead and damage in the Vietnam were secondary.

But only the lack of information or the indifference is not a problem.
Rather, there is a case that people actively sacrifice others.
This has been repeated in the world.

 
なぜ国民は他者を犠牲にすることに無関心なのか
自国の政府や企業が、他国災厄を撒き散らしていることをなぜ国民は許すのだろうか?

その実態を知れば、国民はその身勝手を阻止するかもしれない。
しかし、多くの国民は地球の反対側で起こっている事を敢えて知ろうとはしない。

多くは自国民に被害が及び始めて、問題にする。
ベトナム戦争を例に挙げれば、戦争の実情は報道規制により米国民になかなか伝わらなかった。
やっとテレビで米兵の死者の多さが実感出来るようになると、反対運動は国民的なものとなった。
多くの人にとって、ベトナム人の死者や被害の甚大さは二の次でした。

しかしこの情報不足や無関心だけが問題ではない。
むしろ、積極的に他者を犠牲にする場合がある。
これは世界で繰り返されて来た。
What has happened in the United States now
In this presidential election, the Americans demanded a major change.
While there are people who welcome this result (White, wealthy people, financier), there are people who have a sense of crisis. (immigration, and Meryl Streep)
And there are people who believe that military intervention to other countries will decrease because they believe the president’s statement. (Oliver Stone) Annotation 1.
But I can not rest assured of it.

Thing I feel insecure is the American society
The US society has been kept away from the true, and the decoupling already occurs , so has an emotional confrontation with each other. Annotation 2.
This time, people inflamed by dissatisfaction became more exclusive and violent.

In such situation, what will happen?
Now, people who is inflamed by emotion and place their hope on the president belong to the middle class and try to protect themselves, so it is easy to sacrifice others. Annotation 3.
This is consistent with the President’s statements.

I am concerned about policy recommendation that the president almost denies the status quo and lacks coherence.
For example, an economic history shows that to run toward protectionism invited a contraction of the world economy . Annotation 4.
In addition, it is dangerous to make other people into a scapegoat to divert people’s eyes from a source of discontent.
Until now, there is a fact that policies for the purpose of economic recovery, money-easing, tax cuts, and destruction of universal health insurance coverage, have repeated the collapse of the bubble, and have expanded the income disparity. (Krugman, Paul O’Neill)

As long as people ignore it, poverty will not change even if it is temporarily well, and the decoupling will only deepen.
In a word, a society that is becoming emotional rather than logical has a high possibility of heading a bad direction.

Thus, a major nation that began to take selfish behavior will spread every disaster to the world.

This continues the next time.

 
今、米国で起きていること
今回の大統領選で米国民は大きな変革を求めた。
この結果を歓迎する人々(白人、富裕層、金融屋など)がいる一方、危機感を抱く人々がいる(移民、メリル・ストリープなど)。
大統領の発言を信じれば他国への軍事干渉が減ると期待する人がいる(オリバー・ストーン)。注釈1.
しかし、私は安心出来ない。

私が不安に思うのは米国社会です。
米国社会は真実から遠ざけられ、既に分断され、各集団が激しく対立している。注釈2.
そして今回、不満を煽られた各集団は、より排他的で暴力的になった。

このような場合、何が起きるだろうか?
今、扇情され大統領に望みを託している人々は中間層に属し、自らの保身を前提にしているので、他者を犠牲にしやすい。注釈3.
これは大統領の発言と一致する。

大統領の現状否定や一貫性のない政策提言にも不安がある。
例えば、保護主義に走ることがいずれ世界経済の収縮を招くことは経済史が示すところです。注釈4.
さらに、他者をスケープゴートすることにより、不満の元凶から人々の目を逸らさせているのも危険です。
今まで、経済回復を謳いバブル崩壊を繰り返して来た政策(金融緩和、減税、皆保険制破棄)こそが所得格差を拡大させている事実がある(クルーグマン、ポール・オニールなどが指摘)。

これらを無視している限り、一時は浮かれても貧困は変わらず、分断はより深まるだけです。
一言で言えば、論理的でなく感情的になっている社会では、悪い方向に向かう可能性が高い。

こうして身勝手な行動を取り始めた大国は世界に災厄を撒き散らすことになります。
次回に続きます。

 
注釈1.
オリバーの指摘のように、強権的なイメージのあったニクソンとレーガンは、突如として米中や米ソ間の緊張を劇的に改善させた。
これらは想像を越えたものでしたが、必ずしも両大統領の功績とは言えない。
前者はベトナム戦争泥沼化に対する国民の絶大な怒り、後者はゴルバチョフのペレストロイカがあってのことでした。

米国の軍事行動は軍産複合体によるもので、せいぜい大統領はそれを少し抑えられる程度だろう。
よほど国民の側に立って判断する大統領でないと期待できない。
トランプの言っていることが信じられないのは、彼の違法まがいのビジネスで、弱者を虐げることに平気な事を知れば当然です。
NHK、1月31日放送のBS世界のドキュメンタリー「“強欲時代”のスーパースター~ドナルド・トランプ」が実態をよく示しています。

 
注釈2.
米国の対立の構図は、白人とマイノリティー、低学歴と高学歴、キリスト教と無宗教、男性と女性などが主なものです。
この指摘は、本「トランプがはじめた21世紀の南北戦争」から引用。

なぜこの対立が米国で生まれたのでしょうか?
それは度重なる金融危機(最近では2008年)による著しい所得格差の拡大が根にある。
中間層の没落と貧困層拡大をしり目に一部の超富裕層がより巨大化している。
前者は不満を募らせるが、一方で超富裕層は保身の為に、莫大な資金を投じて日常的に宣伝工作や選挙誘導を行う。

例えば、米国のコーク兄弟(二人の資産を合わせると世界一の800億ドルになる)の裏の政治活動が有名です。
代表的なものは保守強硬派のティー・パーティーへの資金援助、地球温暖化否定のキャンペーン、疑心暗鬼に陥らせることになるエリート批判などです。

さらに多大な影響を与えているのが、レーガンに始まりブッシュで進められたメディア所有規制の緩和です。
この結果、メディア、主に放送は一握りの大企業に独占され、娯楽化が顕著になった。
批判的でシリアスなニュースは無くなり、欲情を煽る娯楽番組ばかりとなりました。
さらに輪をかけて地方紙の廃刊が続いています。
こうして、選挙戦前半でトランプは面白可笑しく扱われ人気が出て、必要な情報が国民に伝わらなかった。
結局、これもホワイトハウスが大企業に操られたからでした。

また2001年の同時多発テロ以降、メディアはホワイトハウスに逆らわないようになり、都合の悪い情報を流さなくなりました。

こうして、国民は真実や必要な情報から遠ざかってしまった。
また、国民は超富裕層にとって都合の悪い真因から目を逸らされ、互いに反駁するだけになってしまった。

その結果、莫大な資金が必要な大統領選挙もあり、米国社会は悪化し続けていても、誰も止めることが出来なかった。

その意味では、今回の大統領選挙は画期的でしたが、危さの本質は変わらないので、むしろ危険が増したと思う。

 
注釈3.
一方、不満を煽られた人々が底辺層であれば、保身ではなく、抜本的な社会改革(革命)を目指すことになる。
これは、これで危険なのですが、先ずは内部の破壊と創成に向かうことになる。
その後、外部に向かうこともある。

それでは上層部、富裕層が不満を持てばどうなるのでしょうか?
それは既に見たように、豊富な資金にものを言わせ、現状の政治・マスコミ・学者を操るだけなので、多くの人には変化がわからないことになる。

 
注釈4.
保護主義だけを取り上げて絶対悪いとは言えないが、一気に進めれば世界の貿易額は確実に収縮し、消費財などが高くなり、低所得者を圧迫することになりかねない。
何か他の政策で補うのであれば、現状のグローバル化の欠点である国内の低賃金競争や為替でメリットが出るかもしれない。

しかし、確立した経済理論による裏打ちの無い経済政策の乱発では、破綻する可能性が高いように思う。
また、おそらくは、グローバル化で富を蓄積して来た超富裕層は、保護主義をすり抜ける不公正な政策をとらせるだろう。
私にはこちらの方が怖い。

本来は、問題にされているグローバル化による弊害は世界的な法の網(罰則、税制、規制)でコントロールすべきです。
これでは遠回りしているだけです。

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 30: ビルニュスからワルシャワへ


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< 1. ポーランドにて >

 

 

今日は車窓から見たビルニュスからワルシャワまでの景色を紹介します。

撮影日は2016年10月3日の午後です。

 

 

バスの走行距離は約460kmで、6時間以上走りました。

走行中、雨が降ることはなかったが、ほとんど厚い雲に覆われていました。

写真は撮影順に並んでいます。

 

 

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< 2.ビルニュスとの別れ >

 

上2枚の写真: ビルニュス。

下の写真: 郊外。

 

 

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< 6. コンビニ >

 

中央の写真: 集団墓地。

今回走ったビルニュスからワルシャワの間で大きな墓地を幾つも見ました。

やはり南下するに連れて人口密度が高くなって来たのか、道路沿いに見かけるようになった。

皆、キリスト教徒の墓地だった。

 

下の写真: トイレ休憩に寄ったコンビニ。

 

 

 

 

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< 7.国境 >

 

上の写真: 先ほどのコンビニすぐ横の交差点から見た村。

 

中央の写真: これから下の写真はポーランドになります。

 

 

 

 

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これ以降は、暗くなり写真を撮りませんでした。

 

 

あとがき

バルト三国から南下するにつれ、大地に緩やかな起伏が多くなり、原生林を見ることはかなり減りました。

バルト三国もポーランドも、農家のたたずまいは経済的な差があまりなかったように思う。

しかし写真No.11のような綺麗な一戸建ての団地を、バルト三国やサンクトペテルブルグの郊外で見ることはなかった。

私が車窓から見た農村の民家は、ロシアが一番貧しく、古いままのような感じた。

 

参考に、各国の一人当たりのGDP(2013年)を高い方から見ると、エストニア26000ドル、リトアニア25000ドル、ロシア24000ドル、ポーランドとラトビア23000ドルでした。

ちなみに2016年の日本は39000ドルでした。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 65: Why was it exhausted ? 3: Why is the selfishness permissible?


中東に平和を! 65: なぜ疲弊したのか3: なぜ身勝手がまかり通るのか 

 

1a

< 1. TPP support enterprises >
< 1.TPP支援企業 >

 

Last time, we saw the selfishness of major nations and multinationals.
Why is the selfishness permissible, and why does it continue to happen?
We look at the motive of the major nations from now on.

前回、大国と多国籍企業の身勝手を見ました。
何ぜ身勝手がまかり通り、起こり続けるのか?
これから大国の動機を探っていきます。

 

2
< 2. an apparel factory in Bangladesh collapsed in 2013 >
< 2.2013年、バングラデシュのアパレル工場のビルが倒壊 >

 
The selfishness of major nations that has been permissible
In this chapter, we are going to look at why many countries on the Earth can’t choose but be exhausted, but there is a thing we have to know before that.
That is to say, “Why have the major nations and multinationals repeated the selfishness, and why have the people been indifferent to it?”

For one thing, because major nations and multinationals were hardly punished even if it were sacrificing weaker nations and the citizens, as in the previous four cases.
These cases are relatively recent, the world yet can’t do something about these.

Why can’t we stop the situation that the many lives and property of weaker nations are being lost and human rights are being ignored?
The reason is that major nation has overwhelming power in economics, diplomacy and military power, so many countries follow it.
This is a reality that does not require explanation.
For example, it is evident when looking at the neglect of the UN Framework Convention on Climate Change(COP), the starting the Iraq war, and the veto in the U.N.

 
まかり通る大国の身勝手
この章では、地球上の多くの国が疲弊せざるを得なくなった理由を見て行くのですが、その前に知っておくべきことがあります。
それは、「なぜ大国と多国籍企業が身勝手を繰り返し、また多くの国民はそれに無関心なのか?」と言うことです。

一つには、前回の4つの事例のように大国と多国籍企業が弱小国やその国民を犠牲にしてもほとんど罰せられないことがあります。
これらの事例は比較的最近のもので、世界はこれらにまだ対処出来ていない。

なぜ、弱小国の膨大な人命や財産が失われ、人権が無視されているのに止めることが出来ないのでしょうか。
その理由は、大国は経済、外交、軍事力で圧倒的な力を持ち、多くの国が追従していることにある。
これは説明を要しない現実です。
例えば気候変動枠組条約の無視、イラク戦争開始、国連での拒否権などを見れば明らかです。

 

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< 3. Celebrities >
< 3. 著名人 >

Takenaka: a Japanese economist who espouses globalization.
Piketty: a French economist who raises an alarm over the disparity of the world.
Pal: an Indian lawyer who protested Western imperialism.

・竹中平蔵: グローバル化を信奉する日本のエコノミスト。
・ピケティ: 世界の格差に警鐘を鳴らすフランスの経済学者。
・パール: 欧米の帝国主義に異議を唱えたインドの法律家。

 
Furthermore, selfishness of multinationals
The multinational is the most leading player in globalization and sometimes causes major problems.
The remarkable points are a perpetrator of a bubble economy, and the pollution and poor labor conditions in developing countries.
Even if we abandon a tyranny of major nation, we want just preventing a tyranny of multinationals, but this also is difficult.

Today, the total sales of multinationals (60 thousand companies) account for more than half of the world’s total production, and two-thirds of the world trade is the trade among multinationals. Annotation 1.
The sales of No. 1 multinational (Walmart) in 2015 is next to Sweden, the 24th largest in the world in terms of nominal GDP.
Actually, the problem is not only the scale but also the control.
Multinational is not stateless, but are protected by the major nation that it belongs in.
According to James B. Glattfelder. Annotation 2.
737 major shareholders have the power to control 80% of the value of multinationals.
The number of this major shareholders is about 0.1% of the total, and the US and UK financial institutions account for most of it.
Furthermore, 146 shareholders being a key part of it can control 40% of the value of multinationals in the world.
In addition, 1,400 worldwide billionaires have 1.5% of the world’s total assets. Annotation 3.

Person accepting the current situation says that selfishness is just one aspect of globalization, and we only leave it. ( Takenaka etc.).
Meanwhile, there are persons who say that the world has to control the selfishness and establish world-wide justice (law) . (Piketty, Pal)

The times that this capital and companies of major nations began to embark on the world is during the Age of Discovery, next it was extremely fierce in the imperialist era, and continue to the present time.

This continues the next time.

 
さらに多国籍企業の身勝手
グローバル化の立役者であり、大きな問題を引き起こすのは多国籍企業です。
目立つものでは、バブルの張本人や低開発国での公害や劣悪な労働があります。
大国の横暴は諦めたとしても、企業の横暴ぐらいは防ぎたいと思うのは人情ですが、これが難しい。

現在、多国籍企業(6万社)の総売り上げは世界の総生産の半分以上を占め、世界貿易の3分の2は多国籍企業間の貿易です。注釈1.
2015年の多国籍企業No1(ウォルマート)の売り上げは、名目GDPで世界24位のスウェーデンの次に来ます。
実は、問題は規模だけでなく、その支配にあります。
多国籍企業は無国籍ではなく、その国籍がある先進国によって守られています。

James B. Glattfelderによれば。 注釈2.
737の大株主が多国籍企業の価値の80%をコントロールする力を持つ。
この737という大株主の数は全体の0.1%程度で、アメリカとイギリスの金融機関がほとんどを占めます。
さらにその中核部の146の株主が世界の多国籍企業の価値の40%をコントロールできるのです。
なお世界の億万長者1400人が世界総資産の1.5%を持っている。注釈3.

これらは米国や英国など一部の人々(超富裕層)が世界経済を、さらには国をもコントロール出来ることを示唆しています。

現状肯定派は、これらはグローバル化の一側面に過ぎなく、手の打ちようが無く、放任するしかないと言う(竹中平蔵など)。
一方、この身勝手を食い止め、世界共通の正義(法)を確立せよと言う人もいる(ピケティ、パール判事など)。

この大国の資本と企業が世界に乗り出すのは大航海時代に始まり、帝国主義時代で熾烈を極め、そして現代へと続いている。

 
次回に続きます。

 
注釈1.
下記から抜粋引用。
http://www.geocities.jp/isciscisc52/middle/isc52______link/table2_doi.htm

注釈2.
下記から抜粋引用。

発言者は下記書物の著者です。
Decoding Complexity: Uncovering Patterns in Economic Networks

注釈3.
ピケティの「21世紀の資本論」の図12-1、2より。

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 29: ビルニュス 4


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今日で、ビルュニスとお別れです。

この日は、霧と紅葉に抱かれた街を堪能することが出来ました。

最後に、ロシアとバルト3国について感じたことを記します。

 

 

 

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< 2. 地図、黄色の矢印が北側 >

 

上の地図: 赤い線が旧市街の徒歩観光ルートです。

Gは夜明けの門で、赤いアドバルーン状の印は展望台です。

Pは聖ぺテロ&パウロ教会です。

 

下の図: 展望台からの眺めを再現しています。

赤いアドバルーン状の印が展望台です。

赤い線が旧市街の徒歩観光ルートで、中央の高い塔は聖ヨハネ教会です。

 

 

 

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< 3. 家並み >

 

民家や中庭などを撮影しました。

 

下の写真: 民芸店のある中庭。

壁に数体の聖人像などがはめ込まれ、木の右枝には木彫りのフクロウが見えます。

 

 

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< 4. 印象に残ったもの >

 

左上の写真: 夜明けの門のイコン。

少し時間が経ってから戻ってみると、窓が開いていて、イコンを見ることが出来ました。

 

右上の写真: 夜明けの門の直ぐ近くにあるテレサ教会の屋根の黄金の王冠。

この手の王冠は聖カジミエル教会にもあった。

私は他の国であまり見かけたことがない。

 

左下の写真: No.3の写真の中庭に面した民芸店。

ここは夜明けの門の外にありました。

 

右下の写真: No.5の写真の展望台の柵。

この無数の鍵は、恋人達が一生別れることが無いようにと鍵を掛けていったものです。

 

 

 

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< 5. 展望台Subačiaus apžvalgos aikštelė >

 

霧の為に、この写真ではうまく伝えられませんが、展望台の紅葉は素晴らしかった。

眼下に、紅葉する木々の向こうに数々の教会群が霧に霞んでいる景観は幻の中世を忍ばせます。

 

下の写真: 中央の一番高い鐘楼はビルニュス大学横の聖ヨハネ教会でしょう。

私達はあの前を右から左に通って行きました。

 

この目の前で、高々25年ほど前にソ連軍、75年ほど前にはドイツ、ポーランド、ソ連の軍隊が蹂躙していったのです。

 

 

 

 

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< 6. 聖ぺテロ&パウロ教会 1 >

 

驚きの教会です。

外見は小さく、それほど古くもなく、一見何の変哲もない教会でした。

しかし、内部に入るとその素晴らしさに目を奪われます。

かつてドイツの小さな村で見たヴィース教会の驚きを思い出します。

 

この教会は1668年から7年間で造られたが、内装には30年を要している。

これは当時の一将軍が、自分の廟として造らせたものでした。

中は2000体以上の漆喰彫刻で飾られている。

極彩色や黄金色による派手さはないが、白地一色の空間と彫刻群は地元の人にとって清楚で親しみのあるものになっているのだろう。

きっと人々はリトアニアの歴史や聖書、神話の世界に引き込まれていくことだろう。

 

 

 

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< 7. 聖ぺテロ&パウロ教会 2 >

 

 

 

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< 8.聖ぺテロ&パウロ教会 3  >

 

 

 

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< 9. 聖ぺテロ&パウロ教会 4 >

 

左の写真: 入退出扉側。

その扉の左側を拡大したものが下の写真です。

 

右の写真: 大鎌を持った骸骨の像。

ロシアとバルト三国の教会を訪れて、何カ所かで教会を出る時に、人間の死を連想させる絵や像を見かけた。

信者に生と死を意識させ、さらに復活を印象付ける場合もあった。

 

またロシアとバルト三国の教会を訪れて気が付いたのは、スペインの教会と違って、こちらにはイエスの痛ましい磔刑直後の生々しい像を見かけなかったことです。注釈1.

当然、十字架の像は別です。

 

 

 

 

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< 10. 様々な旧市街の光景 >

 

上の写真: ある店先。

カラフルな貸し自転車でしょう。

 

中央の写真: バルト三国の名物、琥珀。

 

現在でも世界の琥珀の90%はバルト海沿岸で算出される。

バルト三国は未開の地でヨーロッパの果てのイメージがある。

しかし、この地域で採れる琥珀は紀元前2千年紀から中東の文明に知られていた。

そして地中海からユーロッパを抜け、バルト諸国を通りエストニアの北端に至る。この「琥珀の道」が最古の交易ルートの一つとして活躍していた。

ローマ帝国が誕生する遥か前のことです。

 

 

下の写真: 道路沿いの民家の壁。

若い芸術家に作品の発表の場を提供しているのだそうです。

 

 

 

ロシアとバルト3国の旅行を通じて感じたこと。

まだポ-ランド訪問が残っていますが、バルト3国への思いを記します。

 

私が今回の旅行で知りたかった事の一つはバルト三国の苦しみでした。

また今のロシアは脅威なのかを知りたかった。

この二つは、バルト三国にとっては切実な問題です。

 

切実な問題とは

リトアニアは2015年9月から徴兵制を復活させたが、これは2014年からのロシア介入によるウクライナ内戦の二の舞を恐れているからです。

ちなみに人口325万のこの国の兵員は2万人ほどで、対するロシアは77万人です。

ロシアの脅威に対してバルト三国は、2004年にNATOに加盟し、2016年から更なる派遣軍の増強を受けている。

 

だが旅行中に、この軍事的な緊迫を感じる場面に出会うことはなかった。

しかし、バルト三国がロシア(ソ連)から受けた仕打ちを知れば、人々の恐怖は理解出来る。

さらに、各国に暮らすロシア住民とウクライナ内戦の発端を考えれば現実味を帯びてくる。

 

 

だがそれだけではない。

私がロシア旅行で会った二人のロシア人の話から、その恐怖はさらに現実味を帯びてくる。

彼らの発言について、既に、この旅行記で書いていますが、この件に関してまとめると以下になります。

 

「かつてソ連邦に属していた国は我々のものである。」

この発言はウクライナとチェチェンについて語ったものですが、バルトについても同様と推察します。

 

「ロシア人はバルトのような小国に関心はない。」

この発言の真意を汲み取るのは困難ですが、すぐ国境を接しているところに暮らす教養ある若者の発言にしては違和感がある。

 

また彼らと話していて、ロシアに批判的な話をすると、いとも簡単に「それは欧米のプロバガンダです」と吐き捨てる。

この口調に、私はロシアのマスコミを含めた情報統制とプロパガンダを感じる。

ちなみにロシアの「世界報道自由ランキング」は148位/180ヵ国です。注釈2.

 

ソ連邦の時代、バルトを含め東欧諸国の人々はモスクワによる徹底した情報統制を経験している。注釈3.

従って、バルトの人々は、例えロシア人が大らかであっても、国のプロパガンダによって侵略に肯定的になることを知っている。

おそらくは、ゴルバチョフやエリツインが潰えた後は、この情報統制が復活したのだろう。

 

またロシアはプーチンが大統領になった頃(2000-2008)に急成長を遂げたが。

その後、成長は止まり、毎年10%ほどのインフレを起こしている。

観光していて、私は地方の経済は取り残されていると感じた。

このような時、強面が売りのトップは、他の大国も同様だが、不満から国民の目を逸らす為に、外部に対して暴挙に出やすい。

 

私は少ない情報での感想だが、このような恐れを感じているバルト三国に同情している。

 

 

今思うこと

命を賭けて独立を望む小国があり、これを無視し軍事力で抑圧する大国がある。

往々にして当事国の国民や、外国の人は無関心である。

 

いつか、これら小国の自由と権利が踏みにじられる時がやって来るかもしれない。

このことを私達はアジアや中東でつぶさに見て来た。

私は彼らの自由と権利を世界が守るべきだと思う、これが世界の正義となるべきです。

 

幸い今、NATOが抑止力となってくれている。

もし、西欧がこの保護を放棄するれば、いずれこの地域が紛争地となり、やがて災厄は蔓延していくことになるだろう。

その過程は、中東紛争で見た通りです。

 

 

最も重要な事

大国の振る舞い(外交、経済政策)は影響が大きいだけに非常に重要です。

したがって大国は自ら正義を実践すべきであって、身勝手は抑制しなけらばならない。

身勝手な大国に対して、多数の国が団結して、方向転換を促すべきです。

ましてや、その大国への盲従する愚は避けるべきです。

 

また、世界が協力して報道の自由度を確保する体制作りが必要です。

米国やロシアなど大国の報道の自由度低下は不安です。

日本も最近は低下傾向にあり、ついに72位に転落し、世界で中位になってしまった。

 

 

次回に続きます。

 

注釈1.

スペイン・カスティーリャ=ラ・マンチャ州シウダー・レアル県、Puerto Lápice 村にあるカソリック教会Nuestra Señora Del Buen Consejoで、私はロー人形のようなイエスの生々しい痛ましい像を見ました。

 

注釈2.

国境なき記者団が発表する2016年度のもの。

米国は41位でした。

 

注釈3.

参考図書は「操られる情報」1984年刊、パウル・レンドヴァイ著。

 

 

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Bring peace to the Middle East! 64: Why was it exhausted ? 2: selfishness of major nations and multinationals


中東に平和を! 64: なぜ疲弊したのか 2: 大国と多国籍企業の身勝手

 

1

*1

 

The selfishness is inconspicuous, but the damage of weaker nations is enormous.
This is deepening the division of the world.

大国の身勝手は目立たないのですが弱小国の被害は甚大です。
これにより世界の分断が深まっています。

 

2mennka

< 2. a particular of a subsidy policy >
< 2. 補助金政策の顛末 >

· cotton growers in the USA and Africa.
· the Graph shows a change of cotton price, and the red frame is in the time of Bush administration.

・米国とアフリカの綿花農家。
・グラフは綿花価格の推移、赤枠はブッシュ政権時。

 

Case A
In the time of the Bush administration, he doubled the cotton subsidies.
The USA issued the subsidies of $ 3 to 4 billion to 25,000 cotton growers.
This amounted to about 40% of the cotton production value of the USA, and the export price fell by this.
The cotton production value of the USA is the third largest in the world and accounts for 10%.

As a result, about 10 million farm families suffered a sever damage in Sub-Saharan Africa alone.
If this situation continues for several years, the small-scale farmers will not be able to recover.

Brazil, the production is the fifth highest in the world, sued the subsidy to the WTO, and the adjudication of a ban against the subsidy was issued.
While major nations say free trade, they sacrifice weaker nations by using all means such as export subsidies.
事例A
ブッシュ政権の時に、綿花の補助金を2倍に引き上げた。
米国は25000戸の綿花栽培農家に30~40億ドルの補助金を出した。
これは米国の綿花生産高の約40%になり、輸出価格はこの分下がった。
米国の綿花生産高は世界第3位で10%を占めている。

これによってサハラ以南のアフリカだけで約1000万戸の農家が打撃を受けた。
このようなことが数年も続くと、零細農家は再起不能になる。

生産高5位のブラジルはこの補助金をWTOに提訴し、補助金禁止の裁定が下された。
大国は自由貿易を謳っていながら輸出補助金などあらゆる手段を使い、弱小国を犠牲にする。

 

3ajia
< 3. Asian currency crisis >
< 3.アジア通貨危機 >

· Thailand of a victim country and the USA of a financial heaven.
· The damaged countries (orange), and the changes of the GDP in the time.

・被害国タイと金融天国の米国。
・被害国(橙色)とGDPの推移。

Case B
In 1997, the hedge fund led by George Soros suddenly made a short-sale against Thai currency, and the currency fell sharply (Asian currency crisis).
Thus, the economy of the five countries in which 500 million people live, mainly Southeast Asia suffered a sever damage, and the number of poverty rate and suicide doubled by the increase in unemployment.
Furthermore, the deaths from a disease also increased due to the reduction of welfare budget.
For this, the IMF and Japan etc. proffered a total of 5 trillion yen for the affirmative relief.

In exchange for the lives of about 100,000 blameless Asian, the speculators of major nation gained over several hundred billion yen in profit.
However, their conduct is not illegal and is also protected by major nations. Annotation 1
事例B
1997年、ジョージ・ソロスが率いるヘッジファンドがタイの通貨を空売りし、通貨が大幅に下落した(アジア通貨危機)。
そして、東南アジアなど5億人が暮らす5カ国の経済は大打撃を受け、失業の増大により貧困率と自殺者は概ね倍増した。
さらに福祉予算の削減により疾病による死者も増加した。
このためにIMFと日本などは合計5兆円の救済を行った。

罪のないアジアの約10万人の命と引き換えに、大国の投機家は数千億円以上の利益を得た。
ところが彼らの行為は違法ではないし、さらに大国によって守られてもいる。注釈1。

 

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< 4. Explosion accident at a chemical plant >
< 4.化学工場の爆発事故 >

· The exploded chemical plant, the injured persons, and the demonstrations.

・爆発した工場と被害者、デモ。
Case C
In 1984, a toxic gas outflow accident occurred in the chemical plant of “Union Carbide Corporation” of the USA in Bhopal, India, and thousands of people died.
After the accident, more than 20,000 people died and about 100,000 people suffer from health problems such as respiratory diseases and eye diseases.
About 600,000 people including the families are damaged.

The Indian government accused the management team of the factory to the court, but the USA refused to hand over a responsible person and he is still running away.
The amount of the compensation was 500 dollars per person and it was only one sixth of the bill, furthermore the damage is expanding by the outflowing material.
事例C
1984年、インド、ボパールの米国の化学工場「ユニオンカーバイト」で有毒ガス流出事故が発生し、数千人がなくなった。
事故後、2万人以上が死亡し、約10万人が呼吸器疾患や眼病などの健康被害を受けた。
家族を含めて総勢60万人近くが被害を受けた。

インド政府はこの工場の経営陣を裁判所に告発したが、米国は責任者の身柄引き渡しを拒み、彼は現在も逃亡中です。
賠償額は一人500ドルで訴訟請求額の6分の一に過ぎず、さらに流出物質により被害は拡大している。

 

 

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< 5. pollutants dumping from a mine >
< 5. 鉱山の汚染物質投棄 >

· the location of the mine and the polluted river.

・鉱山の位置と汚染された川。
Case D
The mine “Ok Tedi” of the world’s largest Australian resource development company had mined gold and copper in Papua New Guinea for more than 20 years.
This mine had earned 30% of the total export value of this country.

Eighty thousand tons of ore (pollutant) was kept flowing in the river every day.
Malformation occurred due to mineral poison, a large amount of earth and sand was accumulated in the entire downstream area, and enormous forest disappeared.
It is said that this recovery will take 200 years.

When this company was accused of the environmental destruction in 2002, it decided to close it in 2010, by considering depletion of the mine and huge damages compensation.
As a result, the local government had to clean up it.

This continues the next time.

 

事例D
世界最大のオーストラリア系資源開発会社の鉱山「オク・テディ」が20年以上、パプアニューギニアで金・銅を採掘していた。
この鉱山は、この国の輸出総額の3割を稼いでいた。

毎日8万トンの鉱石(汚染物質)を川に流し続けていた。
鉱毒で奇形が発生し、大量の土砂が下流全域に堆積し、膨大な森林が消滅した。
この回復には200年を要すると言われている。

この会社は2002年に環境破壊で訴えられると、鉱山の枯渇と膨大な損害賠償を考慮し、2010年に閉鎖することにした。
その結果、地元政府はこの後始末をしなければならなくなった。
次回に続きます。

 
注釈1.
ジョージ・ソロスは、タイの通貨管理がお粗末なので、どうせ誰かが仕掛けて破綻しただろうと言い、微塵も責任を感じていない。
これを例えるなら、衛生状態が悪い地域で病原菌を増殖させ、疫病が蔓延した後に薬剤を高値で売りつけるのと変わらない。
これで10万人の死者が出ても、世界は見過ごすだろうか。
大国のした事なら文句は言えないかもしれないが。

参考文献
「スティグリッツ教授の経済教室」スティグリッツ著。
「世界経済を不幸にしたグローバリズムの正体」スティグリッツ著。
「世界に格差をばら撒いたグローバリズムを正す」スティグリッツ著。

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 28: ビルニュス 3


 

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*1

 

 

今日はビルュニス旧市街観光の残りを紹介します。

2016年10月3日、月曜日の朝、霧に包まれた町を歩きました。

 

 

 

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< 2. 地図 >

 

上の地図: 徒歩観光したルート。上が北方向。

紫線は夜の街歩き、赤線は前回紹介した旧市街、紺線は今回紹介する旧市街です。

 

 

中央の地図: この旅行で歩いた旧市街。上が東方向。

上の地図と同じ色でルートを示している。

二つのオレンジ枠は後に紹介するヴィリニュス・ゲットーだった所です。

 

下の地図: 今回の徒歩ルート。上が東方向。

今回の紹介はSから始まり、Eで終わります。

途中のGは市庁舎広場の噴水に近く、ゲットーの表示があるところです。

 

 

 

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< 3. 市庁舎広場の噴水近くから >

 

上の写真: 南側の中央に旧市庁舎が見える。

中央の写真: 中央に東側の聖母マリア教会。

下の写真: 北側のニコラス正教教会の鐘楼が見える。

 

 

 

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< 4. 市庁舎広場から夜明けの門通りに入る >

 

上の写真: 左に聖カジミエル教会の屋根が見える。

No.1の写真が拡大したものです。

 

中央の写真: 聖カジミエル教会の正面。

1604年にイエズス会よって建てられ、帝政ロシアの時代には頭の王冠がタマネギに付け替えられ、正教教会になった。

ソ連時代は「無神論」博物館にさえなった。

 

 

 

 

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< 5.様々な教会  >

 

上の写真: 中央に聖三位一体教会が見える。

この教会はカトリックとロシア正教会の習合によって生まれた宗派の教会。

 

中央の写真: 中央奥に夜明けの門が見える。

その左にテレサ教会の正面が見える。

 

下の写真: ピンク色で外観が変わっている聖霊教会。

上の写真の人だかりがその場所です。

リトアニアにおけるロシア正教の中心的な存在。

ここは観光客や参拝客が多かった。

 

 

 

 

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< 6. 夜明けの門 >

 

上左の写真: 夜明けの門をくぐると城外になる。

左側の建物に小さな扉があり、そこから階段を上ると中央のイコンを拝める。

無料です。

 

上右の写真: この門は昔の城壁でした。

この旧市街には城壁は一部しか残っていない。

 

下の写真: 黄金に輝くイコン。

このイコンは今も奇跡を起こす力があると信じらていると聞きました。

私は階段を上って、すぐ横まで行ったのですが、諦めて戻りました。

東アジアの物見遊山の観光客が、敬虔な信者達をしり目に我勝ちに占拠する姿を見て、悲しくなったからでした。

 

 

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< 7.夜明けの門を出て >

 

上の写真: 門から来た道を振り返っています。

中央の写真: 門を外側から見ている。

下の写真: 少し離れた所から門を見ている。

 

これだけキリスト教会が多いのにユダヤ教のシナゴーグが見当たりませんでした。

 

 

二つの悲しい歴史

 

 

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< 8. 近代リトアニアの生い立ち  >

 

A: 署名者の家。

ピリエス通りに面した「Signatarų namai」の表記がある建物で、場所は地図のSの辺りです。

 

B: ポーランド・リトアニア共和国(1569-1795)の最大版図、1619年頃。

現在の国境を重ねて表示。

 

C: 三度に亘るポーランド分割(1772-1795)の推移。

リトアニアはプロシア(ドイツ)、ロシア、オーストリアで分割され、最後にはロシア領に組み込まれた。

赤丸がビルニュス。

 

D: 第二次世界大戦以降(1939~)、バルト三国はソ連によって占領された。

 

E: 1920年、ポーランドのビルニュス進攻。

ゲディミノ大通りをカテドゥロス広場の大聖堂に向かって進軍。

 

 

リトアニアの独立を巡って

1918年、上記「署名者の家」で始めてリトアニアの独立宣言が行われ、他のバルト三国も同じ年に行った。

1990年、リトアニアは2回目の独立宣言を行い、1年後、バリケード事件の年に他のバルト三国も行った(「リガ3」で紹介済み)。

 

この2回の独立は、バルト三国の悲しみを象徴し、特にリトアニアは悲惨でした。

それは、リトアニアがヨーロッパのポーランドやドイツとロシアに挟まれていたからでした。

バルト三国の南部は東西の大国が領土を拡張する時は、いつも修羅場になった。

 

18世紀末以降、国土の大部分はポーランド・リトアニア領からロシア帝国に組み込まれていった(No.8の地図BとC)。

ところが第一次世界大戦にかけてロシア革命(1905、1917)が勃発すると、

民衆はかつての支配国のドイツ、ソ連の革命軍(赤軍)と反革命軍、ポーランド寄りに分かれて戦った。

その間隙を突いて、1918年に前述の独立宣言を行い、諸外国から承認された。

 

しかし、その後もソ連とポーランドによって領土は分割され、1939年、ついにナチスドイツが進攻し、密約によりソ連領とされた(No.8の写真D)。

第二次世界大戦の1940年、ソ連が侵攻して来たが、41年には独ソ戦が始まった。

民衆は独立を目指し、広大な原生林に隠れながら抵抗運動(パルチザン)を行った(No.9の写真A)。

 

この間、多くのリトアニア人は国外脱出を図り(米国など)、ソ連は見せしめの大量虐殺とシベリア抑留でこれを弾圧した。

特にスターリンによる粛清は過酷を極め、また偽パルチザンやスパイの暗躍,また

裏切りによって人々は疑心暗鬼になっていった。

 

やがて、1985年、ゴルバチョフのペレストロイカが始まると、バルト三国に雪解けが起きた。

けっして平坦な道ではなかったが、タリンの「歌の革命」(No.9の写真B、現在のもの)、3ヵ国による「人間の鎖」(No.9の写真C)、リガの「バリケード事件」(No.9の写真D)を経て、バルト三国は真の自由を得た。

 

 

なぜ人は独立の為に戦うのだろうか?

バルト三国を巡っている時、上記の問いが脳裏から離れなかった。

私には独立の為に命を捨てる覚悟はないだろう。

 

ビルニュスの青年に、1991年の独立について添乗員に聞いてもらった。

彼の感想を要約します。

 

「今でも、この戦いの評価が分かれている。

若い自分としては、独立によって自由を得られたことが大きい。

今は、大学を出ても就職先に困る欠点はあるが、昔は、何もなく貧しかった。

年寄の中には、昔の方が良かったと言う人もいる。」

 

参考: 現在、リトアニアの失業率は10%ほどです。

 

私は少し安堵した。

独立闘争が美化されておらず、国民が冷静に歴史を見ていると感じたからです。

これは想像を絶する分断との闘いだったからかもしれない。

実は、ポーランドでも同じような質問していますが、後日、紹介します。

 

一方、問題もある。

それは反乱を防止する目的などで占領地の住民を強制移住させ、そこにロシア人を移民させていることです。

地域によればロシア人の比率が高く(エストニアのナルバなど)、不満が鬱積するとロシアへの統合を求め分裂するかもしれない。

そうすればウクライナと同様の事が起きる。

 

小国バルト三国は、今もロシアの一挙手一投足に怯えているのではないだろうか?

その一方、ロシアの人々は無関心であった。

 

 

 

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< 9.バルトの闘い >

 

 

 

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< 10. ビルニュス・ゲットー 1 >

 

上の写真: 市庁舎広場の噴水近くの西側に延びる通路。

この撮影場所はNo.2地図のGです。

 

下左の写真: この通路の右手入口に「ビルニュス・ゲットー」の説明板がある。

下右の写真: 「ビルニュス・ゲットー」の説明板。

 

 

 

 

 

 

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< 11.ビルニュス・ゲットー 2  >

 

A: 1902年当時の市庁舎広場。

No.3の下の写真とほぼ同じ方向を撮影している。

 

B: 1939年、ドイツ軍の制服を来たリトアニア軍がビルニュスに進軍。

奥にカテドゥロス広場の大聖堂が見える。

 

C: ビルニュス・ゲットーの入り口(1941年以降だろう)。

 

D: ビルニュス・ゲットー内の様子(1941年以降だろう)。

 

E: ビルニュス・ゲットーで1942年に結成されたパルチザン。

 

 

ユダヤ人の悲劇、ビルニュス・ゲットーについて

ヨーロッパ各地を旅行していると、ユダヤ人と関わる不思議な発見をすることがある。

 

ハンガリーのブタペストでシナゴーグを訪れ、ドイツ軍による大規模なユダヤ人虐殺を知った。

シナゴーグ内で座っていると「あなたはスペイン人ですか?」と数回聞かれ、不思議に思った。

 

後に、スペインのトレドを訪れた時、レコンキスタ終了後の1492年にゲットーが造られたことを知った。

 

実はこのことが、ブタペストでの質問に繋がったようです。

キリスト教徒の国、ヨーロッパではユダヤ教徒を忌避していたのですが、このスペインの事件以降、排斥されたユダヤ人は、ヨーロッパを東へ東へと移動したのです。

そして東欧やロシアに入ったのでした。

 

このリトアニアのビルニュスには16世紀からユダヤ人が住むようになり、18世紀末以降は「リトアニアのエルサレム」と称されるようになった。

さらに第二次世界大戦が始まると、ドイツ軍占領下のポーランドを逃れてユダヤ難民が押し寄せ、ビルニュスのユダヤ人人口は15万人に膨れ上がった。

 

そして、ドイツ軍の進攻と共に惨劇が始まった。

この初期に杉原千畝領事がカウナスでユダヤ人を大量に救ったのでした。

 

1941年、ドイツの保安警察と反ユダヤ主義のリトアニア人補助兵がユダヤ人虐殺を始めた。

次いで、ヴィリニュス・ゲットーが造られ、ユダヤ人はそこに隔離された。

 

1943年、ヒムラーの「労働できるユダヤ人は強制労働収容所へ移送し、それ以外の者は全て殺害せよ」との命令により、移送と殺害が始まった。

この間に、抵抗運動は起きたが、最後は森に逃げた。

 

1944年、ソ連軍がヴィリニュスを再占領した時、2500人ほどのユダヤ人が隠れて生存していただけであった。

ニュルンベルグ裁判(1945-46)で、ホロコーストの3人の証人の一人は、このビルニュス・ゲットーのユダヤ人でした。

 

イスラエル建国時や中東戦争で活躍した人、イスラエルの強硬派の指導者にはロシアや東欧での苦難や戦いを経験した人が目立つ。

悲しい巡り合わせです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 63: Why was it exhausted ? 1: Introduction


中東に平和を! 63: なぜ疲弊したのか 1 :はじめに

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*1
From now on, we are going to pursue the troublesome problems related not only to the Middle East but also to the world.
It is about many societies that had to be exhausted.

これから中東だけでなく世界に関わる厄介な問題を追います。
それは疲弊せざるを得なかった多くの社会のことです。

 

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*2

 

Introduction
We have seen the conflict of the Middle East until now and if keeping track of its origin and background, you must notice the tremendous darkness.
Many people seem to know it, but actually don’t know it.

About ten years ago, I have asked three men about some conflicts.

Question 1, “Why are there many civil wars in Africa?”

The answer, “I am sure the reason is because each tribe is blocked by jungle.”

Question 2, “Why are there less conflicts in Southeast Asia (Continent)?”

The answer, “I think it is because each country is blocked by several mountain ranges.”

Question 3, “Do you think it was good that the Cold War ended?”

The answer, ” The world got worse. The world was peaceful because the United States and the Soviet Union were facing each other, but the civil wars began to occur in various places since then.”

Those who answered were ordinary men, but I think their social consciousness was somewhat high.
What do you think of their answers?
It seems to be like certainly true.
At that time, in the process of looking for the answer, I felt a little query about the answers, but I could not deny it.

After all, it is necessary to know the truth to understand the problems of the Middle East.

 
はじめに
今まで中東の紛争を見て来ましたが、その起源や背景を追って行くと、途方もない闇に気付くことになります。
多くの方は、このことを知っているようで知らない。

十年ほど前、私は身近な三人に紛争について質問したことがあります。

質問1 「なぜアフリカに内戦が多いのでしょうか?」

答え 「それは各部族がジャングルで遮らているからに決まっている。」

質問2 「東南アジア(大陸部)はなぜ紛争が少ないのでしょうか?」

答え 「それは各国が幾つもの山脈によって遮られているからだと思う。」

質問3 「冷戦が終わって良かったと思いますか?」

答え 「悪くなった。米ソが睨み合っているからこそ世界は平和だったのに、タガが外れたから各地で内戦が起きたではないか。」

答えた方は一般の人ですが、社会意識は若干高いと思います。
皆さんはこの答えをどう思いますか。
一理あるようにも思えますね。
当時、私は答えを模索中で、この答えに疑問を持ったのですが否定出来なかった。

やはり中東問題を理解するには真実を知る必要があります。

 

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*3

 
What does it mean to know this truth?
There are three stages.

A: There are structural factors that certain society (nation) continues to be exhausted.

B: Many of its origins occurred by external pressure.

C: Everyone else is indifferent to the external pressure.

You can consider two examples.

Case 1
A large earthquake hit an island and half of the houses collapsed.
On the other hand, the fields and the fishing ground were safe.
All residents were able to help each other, receive assistance from nearby islands, and the island returned to normal living.

Case 2
A gold mine was discovered on an island, and eventually struggle began.
A continental merchant who knew it sold the islanders weapons and the battle became decisive.
This winner and the merchant gained wealth.
Later, when a massive earthquake struck the island, nobody helped each other, and it turned into a battlefield again.

This simple cases illustrates the mentioned three stages.
I think you roughly understand about the stage A and B.
I think it is difficult to understand the stage C.
The problem is to say that people of the continent do not know the acts of the merchant and are indifferent about it.
But actually, the people of the continent indirectly got the economic benefit, and the islanders were holding a grudge against it.

 

この真実を知るとは、どのような事なのか?
三つの段階があります。

A 社会(国家)が疲弊し続ける構造的要因がある。

B その起源の多くは外圧によって起こった。

C 他者はその外圧に無頓着である。

二つの例で考えてみます。

事例1
ある島を大地震が襲い、家屋の半分は倒壊した。
一方、田畑や漁場は無事だった。
住民は助け合い、近隣の島からも援助を受けて、やがて島は平常の暮らしに戻った。

事例2
ある島で金鉱が発見され、やがていがみ合いが始まった。
それを知った大陸の商人が武器を売り、勝敗は決した。
この勝者と商人は富を得た。
その後、大地震が島を襲った時、誰も助ける者はなく、また戦場と化した。

この単純な事例は前述の三つの段階を説明しています。
段階AとBについては雰囲気が分かっていただけると思います。
段階Cは分かり難いと思います。
問題は、その商人の行為を大陸の人は知ることもなく、無頓着だと言うことです。
実は、大陸の人は間接的に経済的に潤い、かつ島の人からは恨まれているのです。

 

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*4

 

What I want to clear
From now on, we pursue the disasters brought by colonization (imperialism) for centuries and the Cold War for half a century.
Countries that didn’t suffer this disaster doesn’t seem to exceed 10 among 200 countries.
The important point is not the hugeness of the casualties and deprivation but what reason a lot of societies had to continue to be exhausted.

Unless we can understand this, human beings deepens the breakup, and there is a possibility of entering the century of war again.

My way of doing deals with some representative facts and will summarize its structure.

This continues the next time.

 
これから明らかにすること
これから私達は、数百年間の植民地化(帝国主義)と半世紀の冷戦がもたらした災いを追います。
この災いを受けなかったのは世界200国中、10カ国を越えないでしょう。
重視すべきは、死傷者や収奪の甚大さではなく、どのようして多くの社会が疲弊し続けることになったかと言うことです。

これを理解できない限り、人類は分裂を深める、再び戦争の世紀に突入する可能性があるからです。

進め方は、幾つかの代表的な事実を扱い、その構造を概括することになります。
次回に続きます。

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 27: ビルニュス 2


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*1

 

今日からビルュニスの旧市街を紹介します。

2016年10月3日、月曜日の朝、町全体が霧に包まれていました。

新市街1カ所と旧市街の半分ほどを紹介します。

 

 

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< 2. 地図 >

 

上の地図: リトアニアを示しています。上は北です。

首都ビルニュスは国の右下の方にあり、他の二カ国の首都が海に近いのとは異なります。

これは広大なリトアニア帝国の名残であり、また都市が交易で発展していなかったことに関係しています。

 

中央の地図: ビルニュスの拡大です。上は北です。

赤い線は前回紹介した夜の街歩きのルートで、ホテルからカテドゥロス広場の大聖堂までを示しています。

 

Aは杉原桜公園です。

 

黒枠は今回紹介する旧市街の半分です。

 

下の写真: 上記の黒枠部分です。上は東方向です。

赤線は前夜歩いたゲディミノ大通りです。

 

Sは朝、観光バスを降りて徒歩観光を始めたカテドゥロス広場です。

黄線は徒歩観光のルートです。

Eは今回紹介する最後の地点です。

 

以下の写真は撮影順に並んでいます。

 

 

 

 

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< 3. 朝の光景 >

 

 

 

 

 

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< 4. 杉原桜公園 >

 

上の写真: ネリス川の西側(下流)を見ている。

写真の右手に杉原桜公園が広がっている。

 

中央の写真: 杉原桜公園。

毎年春になると、この公園の200本の桜が咲きます。

桜は杉原千畝生誕100年を記念して2001年に植樹されたものです。

茶色の石碑が杉原千畝領事の記念碑です。

 

この右手を入ると私達のホテルがあります。

 

下の写真: 杉原千畝領事の記念碑。

 

 

杉原千畝について

彼は東洋のシンドラーと呼ばれる。

第二次世界大戦中、リトアニアの臨時首都であったカウナスに領事として赴任していた。

1940年、ナチス・ドイツの迫害によりポーランドなどから逃れて来たユダヤ人に、外務省の訓令に反してビザを発行した。

彼らはロシア経由で避難し、命を救われた。

 

 

 

 

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< 5. 町の光景 >

 

上の写真: ネリス川。

 

 

 

 

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< 6. 徒歩観光の始まり >

 

上左の写真: カテドゥロス広場の大聖堂と鐘楼。

この大聖堂は18世紀の改築によってクラシック様式になった。

この塔の基礎は13世紀の城壁の塔が使われている。

 

上右の写真: この鐘楼の下部にある記念プレート。

これは以前紹介したバルトの道(人間の鎖)のリトアニア側の端を示す。

 

下の写真: カテドゥロス広場からゲディミノ大通りを望む。

 

 

 

 

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< 7. 大聖堂の内部 >

 

上左の写真: バロック様式の聖カジミエルの礼拝所。

聖堂を入って右奥にある。

 

 

 

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< 8. カテドゥロス広場から始める >

 

上の写真: 左に大聖堂、右に再建中の王宮がある。

 

中央の写真: カテドゥロス広場の木々。

 

下の写真: 旧市街のメイン通りのピリエス通り。

振り返ると、丘の上にゲディミナス城の塔が見える。

 

 

 

 

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< 9. ピリエス通り >

 

上の写真: 聖ヨハネ教会が奥に見える。

14世紀にリトアニアがキリスト教を受け入れて建設が始められ、18世紀の火災の後、バロック様式で改築された。

現在は離接するビルニュス大学の教会になっている。

 

下の写真: 聖ヨハネ教会の鐘楼、旧市街で最も高い。

 

 

 

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< 10. 二つの教会 >

 

上の写真: ピリエス通りの突き当りに小さな正教会が見える。

 

下の写真: 聖ミカエル教会。

 

 

 

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< 11. 聖アンナ教会 >

 

上の写真: レンガで作られた聖アンナ教会。

今回紹介する徒歩観光の終点にある。

16世紀後半に建てられたゴシック様式の教会。

1812年、ナポレオンがロシアへ攻め上がる途上、この教会を見て「フランスに持ち帰りたい」と語ったほど美しい。

 

下の写真: 奥に見えるのはベルナルディン教会。

 

 

 

あとがき

このリトアニアは数奇な運命と言うか、過酷な歴史を負った国です。

そしてビルニュスの旧市街にもその痕跡がある。

 

他のバルト二ヵ国はドイツ人(騎士団)によって経済と文化が発展し、宗教はプロテスタントになったと言える。

その一方、独立まで長らくドイツ人が支配層に君臨した。

そのことが、タリンやリガのドイツらしい町並みを造った。

 

しかし、ビルニュスの旧市街の趣は異なる。

かつてリトアニアは13~18世紀、黒海に接する大帝国で、ロシアを圧することもあった。

やがてロシアへの対抗上、接していたヨーロッパの大国ポーランドと連合した。

しかし、ポーランドが政治と文化で支配的になっていった。

また、この国は農業国で都市の経済発展が進まなかったので、リトアニア人は農民として地方に住んでいた。

1931年当時、ビルニュスの住民はポーランド人66%、ユダヤ人28%、ロシア人4%で、リトアニア人は1%未満であった。

ソ連支配後のポーランド人追放により、現在はリトアニア人が58%です。

リトアニア全体ではリトアニア人83%、ポーランド人6%、ロシア人5%です。

 

こうしてビルニュスの街並みは他のバルトと異なるものとなり、宗教はポーランドの影響でカトリックが主流となった。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 62: Religion and Politics 2


中東に平和を! 62: 宗教と政治 2

1ko

*1

 
Last time, we thought about religion and politics.
We think about contemporary relationship between religion and law this time.

前回、宗教と政治について考えました。
今回は現代の宗教と法の関係について考えます。

 

2binrada

*2

 

About Holy War (Jihad)
The problem that we are most concerned about the Islam of the Middle East seems to be jihad.

Extremism advocating jihad is abnormal beliefs from a standpoint of moderate beliefs being the overwhelming majority of Muslim.
However, the extremism (rigorism) continues to live historically, and then is in Saudi Arabia now.
Although, biased beliefs such as fundamentalism are also in other religions.

What is the problem?
First of all, currently, it is to admonish the jihad ( fatwa for starting an armed struggle) very easily.
Furthermore, there is no end to the number of men who participate in it with indignation and support it.
In the past, there were many cases that voluntary armies contributed in the world, but the current state of the Middle East is a lawlessness without controlling, and the some groups may be a group of thieves.

 

聖戦(ジハード)について
私達が中東のイスラム教で一番気になる問題はジハードでしょう。

ジハードを唱える過激思想は、穏健なムスリム全体から見れば異常なものです。
しかし、過激思想(厳格派)は歴史上も、現在のサウジアラビアにも生き続けています。
もっとも、他の宗教でも原理主義など偏向した思想は存在します。

何が問題なのでしょうか。
先ず、現在、ジハード(武力闘争開始のファトワー)がいとも簡単に発せられていることです。
さらに、それに義憤を感じて参加する人、また支援する組織が後を絶たないことです。
かつて世界には義勇軍が貢献した例は多々ありますが、中東の現状は統率なしの無法状態で、盗賊団になり下がている場合もある。

 

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<3. Father of liberation of Algeria >
< 3. アルジェリア解放の父 >

Jihad is one of the obligations for Muslim, and means “effort” and “struggle”.
Once, it was declared at a defense of their community and an attack on enemy, and it is something they can’t do without.
However, the current jihads only expand many conflicts and deepen cracks between people.

The problem is not interpretation of the jihad (holy war) or the extremism beliefs.
The essence is “Islamic law can not punish jihad involving violence as a crime”.
Looking back on legal history of the world, most society has been advancing the concept of justice in time with the change, and unifying it in time with the unity of countries.
Then, people has been creating a social system for achieving the justice.
In conclusion, it is necessary to move away from the Islamic law to go to the national law.
In other words, the society has to be controlled by a legal system built by a democratic regime (separation of the three branches of government),
ジハードはムスリムにとって「努力」「奮闘」の意味で義務の一つです。
かつて、共同体の防衛や進攻に際し宣言され、共同体に無くてはならないものでした。
しかし、現状のジハードは紛争を拡大させ、亀裂を深めるだけです。

問題はジハード(聖戦)の解釈や過激思想にあるのではない。
本質は「イスラム法では暴力を伴うジハードを犯罪として処罰出来ない」ことにあると考えます。
世界の法制史を振り返ると、社会は発展と統合に合わせて正義の概念を変え、かつ統一し、それを実現する社会体制を造り挙げて来たのです。

結論を言うと、イスラム法から国法への脱皮、つまり民主的な政体(三権分立)で築かれた法制度に社会を委ねることです。

 

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< 4. Radhabinod Pal >
< 4. パール判事 >

Indian Pearl Judge who advocated Japan’s innocence in the Tokyo Tribunal of War Criminals said as below.

“The law is a dynamic human force that allows to survive our human society”

He said that the law must express “truth” (Hindu law), but to keep the social order, and it is essential that humans continue to improve the law.

There is a possibility that current Islamic legal system(the relationship between Sharia and national law)can not adapt successfully to real society.
Especially as for violence involving people in conflict, it is necessary to apply strict law, and it can’t be said that it is merely the difference of interpretation.
For this purpose, people have got to consolidate the democratic administrative body that has a consistent legislation, judicature, and section getting tough on crime.

This is a secular politics.

However, it may not be necessary to accomplish this at a stroke.
Even in Iran of a Islamic Republic, the status of women is improving.
I think lots of Ulema widely cooperate and should begin from improving application of jihad.

I start another theme from next time.

 

東京裁判で日本無罪論を唱えたインドのパール判事はこう述べています。

「法は人間社会の存続を可能とする動的な人間力である」注釈1.

彼は、法は「真理」(ヒンドゥー法)を表現しなければならないが、社会秩序を保持する為に、人間が法を改善し続けることこそが必要不可欠と言っている。

現在のイスラム圏の法制度、シャリーアと国法の関係は、現実社会に対応出来なくなっている可能性があります。
特に社会を紛争に巻き込む暴力に対しては、厳格な法の適用が必要で、解釈の違いで済まされないのです。
この為には民主的で一貫性のある立法、裁く司法、犯罪を取り締まる行政が整備されなければならない。

これは政教分離と言えるでしょう。

但し、これを一気呵成に成し遂げるこ必要はないかもしれません。
イスラム共和制のイランでさえ、女性の地位は向上しつつある。
広くウラマーが協力し、ジハードの適用から改善していくべきだと思います。
次回からは別のテーマで始めます。

 
注釈1.
この文は1984年の東京裁判研究会からの引用です。
彼はヒンドゥー法を専攻し、インドの法学部教授や裁判所判事、国連国際法委員長を歴任した。
彼の日本無罪論は、日本に戦争や虐殺に対する責任はあるが、法的に侵略罪を問うことが出来ないと言うものです。

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 26: ビルニュス 1


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< 1.リトアニア国立ドラマ劇場 >

 

 

今日から、バルト三国で最後の国、リトアニアの首都ルニュを紹介します。

今日は、夕暮れのビリュニスと、夜の街歩きを紹介します。

訪れたのは2016年10月2日、日曜日です。

 

 

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リガから南下し田園地帯を抜けて、やがて販売店やアパート群が見えて来ました。

ビルニュスの人口は56万人で、リガの70万人とタリン42万人の中間です。

 

 

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思ったより大きく近代的な都市だと感じました。

 

 

 

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< 6.夕食のレストランへ >

 

バスを降りて、レストランに向かっている。

下の写真: このレストランでリトアニア料理を食べました。

 

 

夜の街歩き

私達は夕食後、新市街にあるホテル「Best Western Hotel」に到着した。

次いで、添乗員に案内してもらってショッピングモール「Vilniaus Centrinė Universalinė Parduotuvė」(open10:00-22:00)に行きました。

 

その後、皆と分かれて、私達夫婦は旧市街に向いました。

ネリス川を渡り、メインストリートのゲディミノ大通りを抜けて、片道2.5kmを歩きました。

 

 

 

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< 7.カテドゥロス広場 1 >

 

上の写真: カテドゥロス広場から今歩いて来たゲディミノ大通りを振り返る。

 

中央と下の写真: カテドゥロス広場の大聖堂と鐘楼。

 

 

 

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< 8.カテドゥロス広場 2 >

 

私達はまたこの広場を次の日に観光ツアーで歩くことになります。

 

 

 

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< 9.カテドゥロス広場 3 >

 

途中、ほとんど観光客らしいグループを見かけることはなかった。

見たのは、おそらくは地元の人々で、多くは足早に帰宅する人のようでした。

広場のベンチには幾つもの恋人のシルエットがあった。

 

照明のある大通りや広場を歩いた感じでは、治安に不安を感じるような所はなかった。

実に、感じの良い都市だと思いました。

 

 

 

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< 10.ホテルに戻る >

 

上の写真: 行政府広場から見たゲディミノ大通り。

中央の写真: 帰る途中。

私達のホテルの近くにある大天使ラファエル教会が見えます。

 

下の写真: ネリス川の向こうに大天使ラファエル教会が夜空に浮かび上がっている。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 61: Religion and Politics 1


中東に平和を! 61: 宗教と政治 1

 

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In the past articles, we are reviewing the relationship between the birth of religious and the politics.
We think contemporary relationship between religion and politics in twice from now.

前回まで、宗教誕生と政治の関係を見て来ました。
これから2回に分けて、現代の宗教と政治の関係を考えます。

 

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Introduction
Most Japanese people who are familiar with Western civilization may worry that religion is closely related to politics.

In short, the worry is that a religious group will hold political power.
Our history shows that the group could not make democratic governance.
In other words, It’s preferable that religious group doesn’t participate in national administration.

Here, let’s think about the cause of conflicts in the Middle East.

A Colonization by Europe
It are an arbitrary border between countries, the founding of Israel, and after effects (an obscurantist policy, a dividing into state, and the non-independent economy and society, military dictatorship), etc.

B Interference by larger countries after World War II
It are an interference due to securing interests of larger countries, a puppet government, and many proxy wars during the Cold War, etc.

C Causes that derives from the Middle East
Antagonisms occur among ethnic groups, oil country and non oil country, three monotheistic religions, Islamic sects, and the secular power and the Muslim organizations.
Core that causes expansion of conflicts by a violence or a military force are kingdom, military dictatorships, oil countries, and extremists who advocate jihad.

In this series I have already introduced many causes of the conflicts, and also discussed the background about some of them.
Among these causes, what does the Middle East have to solve by themselves and what is in the hands of these people?
Several of them are related to Islam.

 
はじめに
私達日本人、西欧文明に馴染んだ仏教国の人間にとって、宗教が政治と密着していることに不安があります。

一言でいえば、その不安は宗教教団が政治権力を握ってしまうことです。
それは教団が民主的な意思決定を出来なくなるからで、歴史が示すところです。
つまり宗教教団が国政に関わらないことが望ましいと言える。

ここで中東の紛争の火種について考えてみましょう。

A 欧州による植民地化
恣意的な国境、イスラエル建国、後遺症(愚民化、分断政策、自立出来ない経済・社会、軍事独裁、・・・)。

B 大戦後の大国の干渉
大国の権益確保による干渉、傀儡政権、冷戦時の米ソよる代理戦争。

C 中東に起因するもの
対立の原因としては、民族、石油、三つの一神教、イスラム教の宗派、世俗権力とイスラム教団などがある。
紛争を暴力や軍事力で拡大させているのは、王国、軍事独裁国家、産油国、さらに聖戦(ジハード)を唱える過激派などです。

私はこの連載で、これら火種について既に多くは紹介し、いくつかはその背景についても考察しました。
これら火種の中で、中東が自ら解決しなければならず、かつ人々の手に委ねられているものとは何でしょうか。
その幾つかはイスラム教に関わることでした。

 

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What is issue?
Islam made a great success in the Muhammad era.
It seems that the conflict calmed in the whole peninsula, and the doctrine and the extensive norms brought stability to the community.
At first, the basis of equality and the tolerance to heathens also contributed to stability of the society.
I think it is a great achievement that other religions could not achieve in the peninsula of those days.

However, if you are looking at the current Middle East, it appears that there are problems because of dragging its original forms.
Nonetheless, because conflict between heathen and religious sect happens in any religion, I exclude this issue.

 
何が問題か
イスラム教はムハンマドの時代に大きな成果を挙げました。
それは半島全体の紛争を鎮め、教義と広範囲な規範が共同体に安定をもたらしたことでしょう。
また当初の平等精神と異教徒への包容力も社会の安定に寄与した。
このことは当時の半島において、他の宗教では実現出来なかった快挙だと思います。

しかし、現在の中東を見ると、それは原初の形態を引きずっているからこそ問題があるように思える。
とは言っても、異教徒や宗派間の対立はどんな宗教でも起こるものなので、これは除外します。

 

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About conflicts between Muslim organizations and secular powers
This is largely due to military dictatorships (Syria etc.) of A described above, and puppet governments (Iran etc) of B.
However, in the two cases of the conflict between Nasser and the Muslim Brotherhood and “Arab Spring”, it seems that there is a problem in Egypt.
For example, the “Arab Spring” was a reform calling for democratization, but the subsequent election results have returned to support for the Muslim organizations.
At this time, from the center of local Islamic community, they should proceed towards nationwide democracy.
For this purpose, people must improve the literacy rate and education, and by enhancing people’s consciousness, people need to move toward emphasis on national political scene.

If there is the progress, it will be possible to head towards discussions in a national assembly from individual antagonisms.
There are still other problems, but it is necessary to take this path by themselves.
This path is a long journey, but there will be no short cuts.
This is a secularization.

This continues the next time.

 
イスラム教団と世俗権力との対立について
これは前述のA項の軍事独裁(シリアなど)、B項の傀儡政権(イランなど)などが大きい。
しかし、ナセルとムスリム同胞団の対立や「アラブの春」の場合、エジプト自身に問題があるようにも思える。
例えば「アラブの春」は民主化を求めた改革であったが、その後の選挙結果はイスラム教団への支持に戻ってしまっている。
この時、地方のイスラム共同体中心から、全国的な民主主義に向かって進むべきでした。
この為には識字率と教育の向上を図り、人々の意識の高まりにより、国政重視に向かうようにならなければならない。

これが起これば、個々の対立から中央議会での話し合いへと向かうことが可能になる。
他の問題もあるが、これは自ら進むべき道でしょう。
気の遠い話だが、近道は無いでしょう。
これは世俗化と言えるでしょう。

 
次回に続きます。

 

 

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 25: ビリュニスまでの車窓の景色


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今日は、バスの車窓から見たリガからビリュニスまでの景色を紹介します。

この日のドライブは雨はなかったもののほぼ雲に覆われていました。

 

 

 

 

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< 2. リガ旧市街 >

 

上の写真: 旧市街の北の端にあるリーガ城。

この城は14世紀初め、ドイツから来たリヴォニア騎士団との闘いに負けた市民が建てらされたもの。

その後、ポーランド、スウェーデン、帝政ロシアと支配者が替わり、18世紀以降、現在の宮殿のような姿になった。

 

下左の写真: リーガ城すぐ横の英国教会。

 

下右の写真: スターリン・クラシック様式の科学アカデミーが奥に見える。

ダウガヴァ川沿いから見た。

 

 

 

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< 3. リガとの別れ >

 

上の写真: 中央市場。

中央の写真: ダウガヴァ川の対岸。

下の写真: ダウガヴァ川を渡り、南下してリトアニアの首都ビリュニスに向かう。

 

すべての写真は撮影順に並んでいます。

 

 

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< 5. 途中の町 >

 

 

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< 7. 国境を越えて >

 

上と中央の写真の間で、ラトヴィアからリトアニアの国境を越えています。

 

いつも思うのですが国境を越えても、自然の景色は変わらない。

ここでもそれは同じですし、家屋や人工的な風景も変化していない。

 

7年前にオーストリアからハンガリーへと国境を越えた時、自然は変わらないが、家屋が急にみすぼらしくなっていることに驚いた。

国家形態の違いによる経済の差が、このような形で明瞭に出ていることに驚いた。

 

 

 

 

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< 8. 人間の鎖 >

 

途中、休憩に寄ったレストランの駐車場に「the Baltic Way」(人間の鎖)の表示が立っていました。

 

上の写真: その駐車場から見た道路で、「the Baltic Way」の舞台になった。

 

中央右の地図: 「the Baltic Way」のルートを青い線で示しています。

赤丸はこのレストランの場所を示しています。

 

下の写真: 当時の様子。

 

 

人間の鎖について

1989年8月23日、バルト三国の国民200万人が参加し、三つの首都を結ぶ600km以上の鎖を造った。

これは人口の約半分が参加したことになり、世界で最初かつ最大の人間の鎖でした。

この行動は、タリンの「歌の原」で紹介した1988年の「歌の革命」に続いて起きた、バルト三国団結の象徴的な事件でした。

この後、リガで紹介した1991年の「バリケード」事件で、バルト三国は独立を達成することになりました。

 

 

 

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< 11. 少しの変化 >

 

この三枚の写真に、バルト三国の南下に伴う変化が見て取れます。

 

上の写真: 南下するに従って、いつしか原生林が道路から遠のいて行った。

耕作地が増え、作物栽培や放牧を多く見るようになった。

 

中央の写真: 道路沿いに写真のような十字架や小さな教会をいくつか見た。

道路周辺に民家が増えてきたからもしれない。

 

下の写真: 一番顕著な変化は、緩やかな起伏が増えて来たことです。

 

 

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< 13. もうすぐビリュニス >

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 60: when religions were born 8: concluding section


中東に平和を! 60: 宗教が誕生する時 8: 最後に

 

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Until now, I reviewed the birth of five religions.
We saw how each religion was advancing the division of roles among the politics and law.
This time, it is a summary.

 
今まで、五つの宗教の誕生を概観しました。
各宗教はどのようにして政治や法との住み分けが進んだかを見ました。
今回は、まとめになります。

 

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Summary
What was common in the birth of Judaism, Christianity, Buddhism, Confucianism, Islam?

It can be said that all these religions brought about stability to the society by renewing old religions.
However, the circumstances of the doctrine and religious group were different depending on the religion, society, and politics at the time of the birth.
In a confused society, when existing religion and national system were strong, the religion had a tendency to break away from the precepts and laws like Christianity, Buddhism, and Confucianism.
Development of science (medicine) and thought was indispensable for breaking away from them, but I don’t mention here.
Even though they tended to avoid law and politics at the birth, these religions were adopted by state religion because of their doctrines, and developed greatly.
Eventually they became incorporated into politics.

 
まとめ
ユダヤ教やキリスト教、仏教、儒教、イスラム教の誕生時に共通していたものは何か?

これら宗教はすべて、古い宗教を刷新して社会に安定をもたらしたと言える。
但し、誕生時の宗教や社会、政治の状況により、その教義や教団の有り様は異なった。

混乱している社会にあって、既存の宗教や国家体制が強固な場合、キリスト教や仏教、儒教のように戒律や法から脱皮する傾向にあった。
この脱皮には科学(医学)や思想の発展が不可欠だったが、ここでは触れません。
たとえ誕生時に法と政治を避ける傾向にあっても、これら宗教はその教義ゆえに国教に採用されて大きく発展し、結局は政治に組み込まれていった。

 
I see the difference of these religions about engagement with the politics and law.
Christianity that had the laws and religious precepts basing on the Old Testament had to coexist with Roman Law due to it was nearing completion already from the beginning.
Even powerful religious group had been withdrawing from politics due to a power struggle between pope and emperor in the 12th century at the beginning, next undergoing religious reform, and the separation of religion from politics in the French Revolution of the 18th century at last.

Since Buddhism and Confucianism originally denied the law ruling society and the rule of God, after having become state religion, they treated only religious precepts and rituals, and did not interfere with politics and law.

ここで宗教毎の政治と法との関わりの違いを見ておきます。
キリスト教は旧約聖書に基づく戒律や法を発展させていたが、既に完成域にあったローマ法と初期から共存していくことになった。
さすがの強力な教団も社会の発展に伴って、12世紀の教皇と皇帝の権力争い(叙任権闘争)に始まり、宗教改革を経て、18世紀のフランス革命での政教分離により、政治から撤退せざるを得なかった。

仏教と儒教は、元々、社会を治める法や神による支配を否定していたので、国教になった後、祭儀や戒律だけを扱い、政治と法整備に干渉しなかった。

On the other hand, even in the same confused society, when a solidarity and unity of the society became top priority due to existing religions or social systems were immature, the religious precepts and norms were emphasized like Judaism and Islam.
Therefore, both religions developed together with these newborn states from the birth.
That is to say, religion, politics and laws were united.
Hinduism was also close to it.

However, there was a difference in the subsequent development.
The Palestine that was rebuild at the same time as the birth of Judaism was ruined at the 1st century A.D.
The Jews that scattered around the world had lived in a small closed group, so they never participated in the politics and laws of the country themselves.
But, currently it has changed in the United States and Israel.

一方、同じ混乱している社会にあっても、既存宗教や社会体制が未成熟な場合、団結や社会の統一が最優先になった場合、ユダヤ教やイスラム教のように戒律や規範を重視することになった。
したがって両宗教は、その誕生時から新生国家と一体となって発展した。
つまり宗教と政治、法が一体でした。
ヒンドゥー教もこれに近い。

しかし、その後の展開には差があった。
ユダヤ教の誕生と共に再建されたパレスチナの国は紀元後滅亡した。
世界に散らばったユダヤ人は小さな閉鎖的な集団で暮らしたので、自ら国の政治や法と関わることはなかった。
現在、それは米国やイスラエルで様変わりした。

 
Meanwhile, the Islamic empire that continued to expand the area broke up in the 9th century, and several caliphs came to have comparable power to each other.
Furthermore, the real power of politics changed from caliph to monarch (sultan, emir), and Muslim lost original supreme leader (caliph).
However, the role of the religious law (Sharia) continues to live by the Koran and the Islamic community.

 
At the end
Something I wanted to indicate in this chapter “when religions were born” is that each religion is reviving the social circumstances of about 2000 years ago, as the religion had played a role in the birth.

Next time, I consider about the relationship between contemporary religion and politics.
一方、領域を拡大し続けたイスラム帝国も9世紀には分裂し、複数のカリフが鼎立するようになった。
さらにカリフから政治の実権は君主(スルタン、アミール)に移り、イスラム教は本来の最高指導者(カリフ)を失った。
しかし、コーランとイスラム共同体によって宗教法(シャーリア)の役割は生き続けている。

 
最後に
私がこの章「宗教が誕生する時」で示したかったことは、宗教は誕生時の役割を担ったことにより、逆に約2000年前の社会を蘇らせることです。

 
次回は、現代の宗教と政治の関係について考えます。

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 24: リガ 3


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今日は、首都リガ紹介の3回目です。

 

 

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< 2. リガの地図 >

 

地図: 今回紹介する範囲で、上が南です。

黄色線が徒歩観光ルート。

Sは前回に続いて聖ペテロ教会、Aは猫の家、Bは火薬塔、Cはスウェーデン門、Dは聖ヤコブ教会、Eはドゥァマ広場。

 

下左の写真: 前回紹介した聖ペテロ教会。

 

下右の写真: 猫の家に向かっていく途中の通り。

 

 

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< 3. 猫の家 >

 

上の写真: 猫の家はリーヴ広場に面している。

 

下の写真: 猫の家。

屋根の上の猫は、かつて反対方向を向いていた。

この家の裕福なラトビア商人が、ビッグ・ギルドに加わりたいと願った。

しかしギルドはドイツ人が支配的であった為、拒否された。

そこで怒った商人は、猫の尻をギルドに向けた。

 

 

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< 4. 火薬塔 >

 

上左の写真: 薬草酒の販売店。

添乗員に連れられて皆は店内に入りました。

試飲するとアルコールが効いて、雨に濡れて冷えた体が一気に火照りました。

結局、小瓶を買いました。

このリガの町には、いくつか同様の店があるようです。

 

上右の写真: これで2度目の火薬塔です。

 

下の写真: 奥に赤いレンガ積みの城壁があり、さらに奥に火薬塔の緑の屋根が見えます。

写真のすぐ右側にスウェーデン門がある。

前日の夜、この通りの左側のレストランで食事をしました。

 

 

 

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< 5. スウェーデン門の今昔 >

 

上の写真: 現在のスウェーデン門。

左が外側から、右が内側から写した写真です。

 

下の写真: 1991年のバリケード事件の写真。

スウェーデン門の外側にはトラックを置き、内側で市民が暖を取っています。

 

 

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< 6.聖ヤコブ教会 >

 

上の写真: 聖ヤコブ教会の横から見たイェーカバ通り。

突き当りにドゥァマ広場が見える。

右側に碑が見え、「1991年、バリケード」と書かれている。

 

下の写真: 聖ヤコブ教会。

この教会の最初の記録は13世紀と古く、15世紀に建て直された。

 

 

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< 7. ラトビア国会議事堂の今昔 >

 

上の写真: ラトビア国会議事堂。

この建物はイェーカバ通りに面し、聖ヤコブ教会と向き合っている。

 

下の写真: 1991年のバリケード事件の写真。

右にラトビア国会議事堂、左に聖ヤコブ教会が見える。

多くの市民が集まっており、数台のトラックが見える。

 

 

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< 8. 三人兄弟 >

 

上の写真: 「三人兄弟」の建物を左右から見ている。

 

下の写真: この三つの建物は中世の住宅で、外観は当時の姿をほぼ保っている。

右の17番が15世紀のもので、リガの一般住宅としては最も古い。

中央の19番が17世紀中頃のもの。

左の21番が17世紀後半のもので、土地が少なくなった為か窮屈になっている。

しかし窓税の廃止により、17番に比べて窓を大きくとっている。

 

 

 

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< 9. 昼食のレストラン >

 

ここは聖ヤコブ教会のすぐ近くにあるニンニク料理の店です。

私は始めてニンニク入りのビールを飲みました。

美味しく、温まりました。

 

 

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< 10. ドゥァマ広場に戻って来ました >

 

下の写真: イェーカバ通りからドゥァマ広場のリガ大聖堂の雄姿を再び見ることになりました。

右に少し見る赤い建物は証券取引所で、風格があります。

 

 

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< 11. ドゥァマ広場の今昔 >

 

下の写真: 1991年1月のバリケード事件の写真。

上下の写真はほぼ同じ位置から撮影しています。

ここでも多くの市民と車が集まっています。

 

 

 

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< 12. バリケード事件 >

 

1991年1月のバリケード事件について

1991年の8月までに、すべてのバルト三国がソ連の軛を脱し独立した。

そして同年12月にソ連は崩壊した。

ラトビアで起きたこの事件は、これらと深く関わっていました。

 

既に紹介したように、1988年、エストニアのタリンで「歌う革命」が起きていた。

これを境に、バルト三国はソ連支配からの独立を共同で目指し始めました。

 

一方、ソ連国内ではゴルバチョフ主導のペレストロイカにより、連邦内の各共和国の意見が反映されるようになっていた。

しかしモスクワでは旧体制への揺り戻しが起き、混乱していた。

こうした中、リトアニアが1990年3月、一番に独立を宣言しました。

 

すると1991年1月、リトアニアの首都ビルニュスで親モスクワ派がデモを敢行し、これに呼応してソ連軍の戦車が侵攻し、14人の死者と数百人の負傷者が出た。

この様子はメディアを通じて世界に伝えられ、世界の同情を集めた。

 

この翌日、ソ連軍はリガの占拠を開始した。

これに対して数万の市民は車や廃材を持ち込み、旧市街の要所にバリケードを造り、非暴力で防衛した。

この日(13日)、エリツインがタリンを訪問し、エストニアの支持を表明した。

1月20日、モスクワで10万人のデモが起こり、バルト三国への支持を訴えた。

 

こうして同年の8月、残り二か国は独立宣言に至る。

この間のリガの死傷者は6人でした。

 

 

あとがき

この美しく静かな中世の街並みと石畳は、バルト三国の人々の自由への熱望と英知を秘めていたのです。

バルト三国は数百年に及ぶ異民族や最後のソ連による支配に喘ぎ続けていた。

しかし彼らは、非暴力と三国の協力をもって、さらに世界の支持を得て、ほぼ無欠の革命と独立を成し遂げたのです。

 

私はこの事件の写真を見ながら、その石畳の上に立っていた自分に熱いものを感じています。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 59: when religions were born 7: Islam 2


中東に平和を! 59: 宗教が誕生する時 7: イスラム教 2

 

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I again investigate the birth of Islam.

前回に続いて、イスラム教の誕生を追います。

 

2

< 2. oasis town >
< 2. オアシス都市 >

What Muhammad indicated
Since immigrating to the Medina, he reigned as a religious leader, a commander of the military, and a policymaker of the town.
He was acknowledged by many people and tribes as a superior commander through a distribution of loot and a release of slaves, and also as a prophet who appeared in Arabia.
He thoroughly fought against antagonistic tribes, behaved generously to obedient tribes, and eventually created a solid empire tied by faith.
As a result of this, a peace came to the peninsula where was constantly at war.

ムハンマドが示したもの
彼はメディナへの移住以降、宗教指導者、軍の司令官、また町の為政者として君臨した。
彼は戦利品の分配や奴隷の解放などによって、優れた統率者として、またアラビアに出現した預言者として多くの人々と部族から認められた。
彼は、対立する部族には徹底抗戦し、従う部族には寛大に接し、やがて信仰で結ばれた強固な帝国を作り上げた。
これによって抗争が絶えなかった半島に平安が訪れた。

God’s revelation lasted until his later years, and because he was illiterate, the revelation was handed down orally by his disciples.
The Koran was compiled at 20 years after his death.
Hadith is an important book next to the Koran.
This was a book that Muhammad’s words and actions handed down and was compiled from around the 9th century.

神の啓示は彼の晩年まで続き、彼は文盲であった為、啓示は弟子たちの口頭により伝承された。
コーランは彼の死後20年経ってから編纂された。
コーランに次ぐ重要な書物としてハディースがある。
これはムハンマドの言葉や行動が伝承されたもので、9世紀頃から編纂された。

 

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< 3. Film “Lawrence of Arabia” >
< 3.映画「アラビアのロレンス」 >

Point of the doctrine
Muhammad himself said I am not God but the last prophet.
Islam had received the same God Allah as Christianity and Judaism.
But he said the revelation was given to Muhammad because the above religions had made a mistake.
In these three monotheism doctrines, there are many similarities such as “resurrection”, “prohibition of idolatry”, “angel” and so on, and Islam is similar to Judaism in “pork evasion” and “emphasis on precepts”.
The duty of Muslims is Aqidah and Five Pillars, and well-known faith, prayer, Charity, fasting, pilgrimage to Mecca are the Five Pillars.

教義のポイント
ムハンマド自身が、私は神では無く最後の預言者と言っている。
またイスラム教はキリスト教とユダヤ教と同じ唯一神アッラーを戴くが、前述の宗教は間違いを犯しているのでムハンマドに啓示が下ったのだとする。
これら三つの一神教の教義には「復活」「偶像崇拝禁止」「天使」などの共通点も多く、イスラム教は「豚肉忌避」「戒律重視」でユダヤ教と似ている。
イスラム教徒の義務は六信五行で、よく知られている信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼が五行にあたる。

 

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< 4. Islamic prayer >
< 4. イスラムの礼拝 >

Point of the Islam
Muslims have very large numbers of laws and norms, not just their obligations to God, and then their scope of application extends to every detail of life situations, marriage, heritage, trade, punishment, trial and so on.
Many of them, such as “Jihad”, “polygamy system”, “ban of interest” and so on, were effective for rule the chaos in the 6th century.

イスラム教のポイント
イスラム教には法と規範が非常に多く、神への義務だけでなく、その適用範囲はあらゆる生活場面、結婚、遺産、交易、刑罰、裁判などの細部に至る。
そこにある「聖戦」「一夫多妻制」「利息禁止」などは、多くが6世紀の乱世を治めるには効果を発揮したものでした。

The law of early Islamic community was only the Islamic law (Sharia).
Besides the Koran and Hadith, laws were added daily by the agreement of the community and Islamic scholars (Ulama).
There is also an admonition (Fatwa) by Ulama.
Currently it is used in conjunction with the law of the country.

In the early Muslimic country, the calipf (leader) who took over Muhammad had the highest authority of the religion.
Before long, the monarch (Sultan) became to grasp the real power of politics and religion.
The characteristic of the Islamic society is basically that there is no full-time religious worker and does not have a hierarchical governance structure.
This is based on the principle that Muslims are all equal, and it is still being.
There are educational institutions (universities) such as Islamic law scholars.

This continues to the next.

 
初期のイスラム共同体の法はイスラム法(シャリーア)のみでした。
それはコーランやハディーズ以外に、共同体やイスラム法学者(ウラマー)の合意によって日々、法は追加されていった。
またウラマーによる勧告(ファトワー)も行われている。
現在は国家の法と併用されている。

初期のイスラム国家ではムハンマドを引き継いだカリフ(指導者)が宗教の最高権威者であった。
やがて君主(スルタン)が政治と宗教の実権を握るようになっていった。

イスラム社会の特徴は、基本的に専従の宗教従事者がなく、階層的な支配構造を有していないことです。
これはムスリマはすべて平等であるという原則によるもので現在も貫かれている。
尚、イスラム法学者などの教育機関(大学)は存在します。
次回に続きます。

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 23: リガ 2


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< 1.中央市場 >

 

 

今日は、首都リガ紹介の2回目です。

訪れたのは2016年10月2日(日)です。

 

 

 

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< 2.リガの地図、すべて上が南です >

 

上の地図: 今回紹介する範囲。

黄色枠が今回紹介する旧市街の観光ルート。

Aは最初に訪れた中央市場、Bは科学アカデミー。

 

下の地図: 黄色枠の拡大。

黄色線が徒歩観光ルート。

Sはスタート地点、Cはドゥァマ広場、Dは市庁舎広場、Eは聖ペテロ教会。

 

 

 

 

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< 3.雨のリガ >

 

外は土砂ぶりの雨でした。

 

上の写真: リガ市街。

下の写真: ダウガヴァ川。

 

 

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< 4.中央市場 1 >

 

午前中で土砂ぶりの雨にも拘わらず地元の人で賑わっていました。

 

上の写真: 中央市場は大きな4つの建物からなるのですが、隣接の露天市場もある。

左遠方に見えるのは科学アカデミーで、スターリン・クラシック様式の21階の建物です。

モスクワでも見ましたが、ソ連時代のシンボル的な建物が当時の共産圏の首都に見られます。

 

下の写真: チーズなどの乳製品のコーナーです。

チーズやバーターなどを買いました。

 

この建物は、20世紀初頭に建てられた時は、ヨーロッパにも例がない大きさと設備だった。

大戦中はドイツ軍が使用していた。

 

バルト三国からポーランドを観光中、現地ガイドの口から、ソ連や大戦中のドイツの支配にまつわる話がよく出て来た。

こんなところにも、大国の狭間で喘いだ国の悲哀を感じる。

 

 

 

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< 5.中央市場 2 >

 

上の写真: 蜂蜜の売店。

ここではハーブ入りの蜂蜜を買いました。

 

旅先で買い物をする時と帰宅して初めて味わう時は実に楽しいものです。

たまに、予想が外れてがっかりすることもありますが。

ちょうど今、毎朝、パンに塗って味わっています。

 

下の写真: 海産物や魚介類の売店。

今回の旅行中で食べたニシン料理が美味しかったので缶詰を買いました。

25年以上前、ドイツや北欧で食べたニシン料理が塩辛くて単調な味だったのですが、今回のどの訪問国でも良かった。

 

 

 

 

 

 

 

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< 6.中央市場 3 >

 

 

 

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< 7.ドゥァマ広場 1 >

 

上と中央の写真: リガ大聖堂。

13世紀初め、教皇が派遣した北方十字軍が上陸し占領し、ここを宗教的中心地として教会の建設を開始した。

現在の形になったのは18世紀後半でした。

この大聖堂もタリンの大聖堂と同様に地盤沈下を起こしていた。

中には入っていません。

 

 

 

 

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< 8.ドゥァマ広場 2 >

 

 

 

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< 9.ブラックヘッドのギルド >

 

上の写真: ブラックヘッドのギルドに向う途中。

 

下の写真: 市庁舎広場に建つブラックヘッドのギルド。

左手の教会は聖ペテロ教会。

 

この建物はドイツ軍の空襲で破壊されていたが、2000年に完全に再建されたものです。

この元の建物はギルドによって15世紀に建てられた。

正面には美しい時計、ハンザ同盟の4つの都市の紋章、ギリシャ神話の像があり、入り口の右側には、建物名の由来になった黒人の浮彫が見える。

 

当時は、この市庁舎広場がリガの中心で、祭りや条例の布告、刑の執行も行われていた。

ブラックヘッドのギルドの向かいに再建された市庁舎がある。

 

 

 

 

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< 10.聖ペテロ教会 >

 

上の写真: 市庁舎広場の中央に建つ、リガの守護神ローランド像。

ドゥブロブニクのルジャ広場にもこの像が立っていました。

ヨーロッパの自由都市の象徴で交易とも関係しているようです。

 

下左の写真: 聖ペテロ教会。

13世紀の初めに建てられ、18世紀にほぼ現在の姿に改築された。

 

下右の写真: 来た道を振り返った。

遠くに見える尖塔の屋根は聖ヤコブ教会です。

この辺りは次回紹介します。

 

 

 

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< 11.聖ヨハネ教会 >

 

上の写真: 聖ヨハネ教会。

この建物は13世紀に創立され、16世紀に再建されたゴシック様式の教会。

古い様式の教会を再建した為か、低い為か通常見られる側壁が見られない。

 

写真の聖ペテロ教会との間にある石畳とこの教会は雨に濡れて何やら中世の陰鬱さを感じさせる。

 

この教会の壁には二人の修道士が志願して埋められているが、これと似た話はクロアチアの首都ザグレブでも聞いた。

信仰の篤さに驚く。

 

下の写真: ブレーメンの音楽隊の像。

これは聖ペテロ教会の横に立っている。

これはハンザ同盟都市のブレーメンと関係があるようです。

 

 

あとがき

中世ヨーロッパの時代、ドイツの貴族や商人が東方に植民し、チェコやポーランドの支配層になったことは知っていたが、バルト三国にまで及んでいたことには驚いた。

また12世紀の十字軍はエルサレム進攻が目的だと思っていたが、布教と領土、商圏獲得の為に、この地まで剣を携えて乗り込んで来たことにも驚いた。

 

このような遥か昔の事件を、現地に立ち、実感出来ることが旅の魅力でもあります。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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