国境の島、対馬を訪ねて 1: はじめに


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私は2020年10月1~3日、長崎県の対馬と壱岐を旅して来ました。

やっと念願の対馬を訪れることが出来ました。

これから歴史ロマン溢れる二つの島を紹介します。

* 旅行の概要

トラピックスの二泊三日のツアーです。

1日目は、伊丹から飛行機を乗り継いで対馬に到着し、二泊二日、バスで対馬を観光しました。

三日目、朝からフェリーで壱岐に渡り、半日観光し、ジェットフォイルで福岡港に到着後、飛行機で伊丹に戻りました。

通常、関西から対馬への旅行は、不便な為、効率よく旅行出来ませんでした。

しかし今回は、国と長崎県から離島支援やGo To支援により航空便を使って本来の半額以下で無駄なく周遊出来ました。

天気もほとんど快晴に恵まれました。

* 対馬と壱岐の魅力

日本の古代史に興味がある人にとって、対馬は外せない。

先ず、「魏志倭人伝」に対馬国と壱岐国があったと記されている。

当然、奈良の大和朝廷が大陸と通交するには対馬は欠かせなかったはずです。

何せわずか海上50kmの先には朝鮮半島があるのですから。

大陸の神話や仏教が対馬を経由して伝わったことは疑いない。

大陸の文明や文化が列島に浸透する時、対馬はどのような役割を果たしたのか?

また対馬は常に外国との戦いにおいて前線基地であった。

古くは唐と戦った白村江の戦い、次いで大軍に侵略された元寇の役、倭寇の基地、秀吉の朝鮮征伐、そして日露戦争でのバルチック艦隊撃破などが対馬と関わった。

一方、江戸時代、朝鮮通信使はこの対馬を経由して江戸まで行き来した。

隣国との争いと和平の狭間にあって、この島はどう生き抜いたのだろうか?

ここ数年、対馬は韓国人観光客で賑わって、様々な噂が飛び交っていた。

ヨーロッパで幾つかの国境の町を見て来たが、国境の島では何が起きていたのか?

最後に、海峡に浮かぶ島、その山と海、暮らしに惹かれるものがある。

こうして対馬への想いを深め、この旅を経て、多くのことに巡りあった。

壱岐は、古代から遣唐使までの歴史ロマンに溢れているのですが、今回はわずかしか観光していませんので、詳しくはお伝え出来ません。

< 2. 対馬と壱岐、上が北 >

上: 矢印の二つの島が対馬と壱岐です

下: 対馬の主な観光地

対馬はほぼ一日半の観光でしたが、ほぼ地図上の観光地を巡る事が出来ました。

< 3. 対馬に到着 >

上: プロペラ機が今まさに対馬空港に着陸するところ

中央: 小茂田浜神社 (こもだはま)

元寇(文永の役)の際、討ち死にした対馬の武将を祀った神社。

すぐ横の海岸が、元寇の古戦場、小茂田浜です。

下: 椎根の石屋根倉庫

非常に珍しい建築様式。

上記二ヵ所は、対馬の南西部にあります。

< 4. 厳原 1 >

厳原(いづはら)は対馬の南東部の港に面した対馬の中心地です。

鎌倉時代以降、城下町として発展した。

上: 厳原の大通り

中央: 厳原八幡宮神社

下: 武家屋敷跡

< 5. 厳原 2 >

上: お船江跡(おふなえあと)

写真の右手が対馬藩の藩船が使用した船着き場の跡。

中央: 旧金石城庭園

対馬藩の宗家が戦国時代から江戸時代かけて築いた城の庭園や櫓門が復元されている。

下: 宗家墓所

対馬藩宗家の菩提寺、万松院から石段を登り詰めた所にある巨大な墓所。

< 6. 花鳥風月 >

上: 対馬海峡を照らす月光

中央: 国分寺

厳原にあるこの寺には、江戸時代、朝鮮通信使の客館があった。

重厚な山門や鐘楼が当時を偲ばせてくれる。

下: 季節外れの桜が、島のあちこちで咲いていた。

< 7. 島の北部 >

上: 比田勝港

漁港、また釜山港を結ぶ連絡船の商港として北部の中心地。

中央: 日露友好の丘

日露戦争時の心温まる逸話が残るこの地に、大きな碑が建てられている。

下: 韓国展望所

展望所から朝鮮半島を望む。

晴れてはいたが、釜山が見えたかどうかは微妙でした。

< 8. 対馬の中央部 >

対馬がくびれて、上対馬と下対馬がかろうじて繋がっている辺りは、海岸線が入り組んでいる。

上: 和多都美神社

日本神話の最初に登場する綿津見神(わたつみのかみ)がこの神社を造ったとされている。

この社は平安時代には朝廷から認定されていた。

中央の朝廷から遠く離れたこの島に、最古層の神話に纏わるものがある。

中央: 烏帽子岳展望所

360度の眺望が素晴らしい。

下: 万関橋の上から

これは浅茅湾と三浦湾の間に開削された万関瀬戸と呼ばれる運河に架かる橋です。

< 9. 壱岐に向かう >

上: 厳原港に別れを告げて

中央: 猿岩

高さ45mの巨大な猿?

下: はらほげ地蔵

海女の里の海岸に佇む6体の地蔵。

次回に続きます。

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没落を食い止める! 4: はじめに 4: 抜け出せない悪循環


< 1. 教育行政を牽引?する人々 >

これまで悲惨な社会状況を見て来ました

これすべきですが、残念ながら不可能です。

回復を不可能にしている悪循環があるからです。

* 自浄作用を奪う悪循環!

日本の経済と社会は30年以上前から、明かに没落を始め、それは先進国でも際立っています。

本来なら、没落を招いている政府、少なくとも汚職や腐敗を嘘で取り繕う政府を信任出来ないと選挙で拒否しても当然なのだが。

政府は言い逃れに徹し、ほとんどの国民は我関せずで無視を続ける。

政府が自国の社会経済の悪化を示す数値や指標をいくら隠蔽し誤魔化しても、世界が公表する指標を少しでも見れば真実は分かります。

それでは、なぜ国民は気付こうとせず、無視を決め込むのだろうか?

確かにパトロネージュ、言い換えれば三バン(地盤・看板・鞄)に代表される我田引水型の政治文化からいつまで経っても抜け出せないのが大きい。

だが見方を替えれば、国民が政治に関心を持たず、政治に無気力だからです。

これは日本の投票率の低さに如実に表れています。

ちなみにスウェーデンの投票率は高齢者ほど高く、若者でも80%以上です。

北欧では中学時代から学校の授業で政治討論を始め、政治意識を高めることにより高い投票率と政治腐敗の無い社会を創ったと言えます。

それでは日本も教育改革を行い、若者の政治意識を高めれば良いではないかと皆さんは思うはずです。

それが出来ないのです。

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日本国民の政治意識の低さは、政府の望むところなのです。

けっして日本文化のせいではないのです。

発端は、敗戦後、米国の指示もあり日本政府は国民が社会意識を持たないように仕向けて来たのです(エジプトなど世界中の植民地で広く行われた)。

これは米国が日本の共産主義化や労働運動を恐れたからでした。

残念ながら、日本では一党長期支配が続き、この教育政策は改まることがなかった。

日本人は、学生や一般人(特に女性)が政治談議することに違和感を覚えるはずです(昔は違ったが)。

実は、これが世界から遅れている証しなのです。

他の先進国ではデモは当然ですし、日本女性が北欧人と結婚すると、家庭で政治談議が出来ずに困る事にもなります。

さらに、最近はマスコミも政府の報道抑圧に飼いならされてしまっている。

つまり日本では、選挙を通じた自浄作用が働かないのです。

こうして国の中枢は腐敗し続けるのです。

いつかは国民も気付くでしょうが、後の祭りです(太平洋戦争と同じ)。

今の一党長期支配が続く限り、学校教育と低い政治意識の悪循環を断つことが出来ないのです。

次回に続きます。

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徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 17: 旅行記の終わりに


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今回は吉野川の渓谷大歩危と池田うだつの町並みを紹介します。

最後に、今回の旅行の感想を記します。

永らくお付き合いありがとうございました。

< 2. 旅程、共に上が北 >

上: 赤枠が今回の旅行範囲です。

オレンジ枠は前回の旅行範囲、海部郡の海沿いです。

下: 上の赤枠を拡大した。

旅行記は青線のAから始まり、Fで終わります。

< 3. 大歩危 >

ここは吉野川の上流で、奇岩の渓流で知られている。

遊覧船やラフティングを楽しむことが出来ます。

写真は道の駅 大歩危から撮りました。

< 4. 阿波池田うだつの町 >

ここは本町通りで、撮影は三好教育センター辺りで行いました。

今回の旅行で訪れた脇町や貞光に比べ、残っている伝統的な家屋が少なく、昔の面影はほとんど無い。

1ヶ所、目を引いたのは阿波池田たばこ資料館だけでした。

< 5. 阿波池田たばこ資料館 >

かつてこの本町通りは、たばこの取引で栄えていた。

近くに、かつて吉野川の最上流の川湊があり、ここは交通の要衝だった。

この資料館は幕末から明治にかけて繁盛した刻み煙草の製造業者の建物でした。

* 今回の旅行を振返って

< 6. 脇町と沈下橋 >

上: 脇町のうだつの町並み

良く保存されていた。

下: 吉野川の沈下橋

四十年の間、いつ来ても変わることのない穏やかな大河が迎えてくれる。

思いで深いのは、吉野川の水運と街道によって発展した商家の伝統的な町並み三ヵ所を見学出来たことでした。

脇町、貞光、池田のうだつの町並みを堪能しました。

脇町は、古くは戦国時代に端を発し、三好長慶(天下取りを争う)、次いで稲田家(蜂須賀家家老)が有数の城下町から川湊に面した商家街へと発展させた。

貞光は、剣山に源を発する渓流と吉野川の合流地で、山の産物の交易によって発展した。

池田は、吉野川最上流の川湊と、周辺のタバコ栽培によって、商いの町として発展した。

江戸時代に遡る古い商家が町並みとして保存されていることに感動した。

一方で、その町並みに暮らす人々やその周辺の寂れ具合にやり切れないものを感じた。

最近、日本の地方の街並みを見て回ると特に感じるようになった。

今回、これら三つの町が吉野川と旧街道、高い山からの支流、かつての居城の関りで発展した事を知った。

また「うだつ」の形成過程や地域による違いも面白かった。

< 7. 貞光と剣山 >

上: 貞光の元庄屋の家

町の中にある庄屋屋敷というのも興味深かった。

下: 剣山山頂から下山道を望む

私にとっては30年以上ぶりの登山で、二度目の訪問でした。

登り切れた事に感謝しています。

< 8.祖谷渓 >

上: 剣山リフト乗り場近くから祖谷渓を見下ろす。

下: 奥祖谷二重かずら橋

今回、奥祖谷と祖谷のかずら橋の両方を紹介しました。

私は祖谷渓には、五回以上は来ているでしょうか。

私はこの地に惹かれるものがある。

私の中学時代だったかもしれないが、この祖谷の平家落人を扱った映画を見た覚えがある。

それ以来、この陰影のある奥深い山里に、古く神秘的なものを抱くようになった。

< 9. 落合集落 >

今回は、妻と二人だけの旅行だったので、私の気の赴くままに、念願の平家の落人伝説を追うことが出来た。

想い始めて、50年を経て、やっと険しい路に入り込んだ。

この期を逃せば、後が無いと感じたからもしれない。

上: 落合集落

下: 近くの山里

この奥深く急斜面に広がる山村の人々の暮らしが気になった。

住まう人は減ってはいるはずだが、それでも畑作業中の姿を少しは見ることが出来た。

この山里の暮らし、特に作物、水源、交易について今回幾分理解出来た。

< 10. 安徳天皇ゆかりの地 >

平家の落人村は全国にあるが、安徳天皇に纏わる地は多くは無く、まして赤旗がある所はさらに少ない。

やはり少しは信じたくなってしまう。

それにしても、日本と言う国は不思議だ。

敵に追われて人里離れて逃げ込み隠れ住んだ人々が、後に、その血筋を尊び誇る姿に、何か違和感を感じる。

これがヨーロッパではどうだろうか?

英雄や奇跡を起こした人ならいざ知らず、負け組を誇るとは・・。

世界各地の先住民や少数民族も、多くはその過去に僻地への逃避行があった。

一方日本では、負け組の家系を誇りながら中央との交流も続ける。

対馬にも安徳天皇が逃れて来たと言う伝説があり、この天皇が当地を治めた宗家の祖先になったとされている。

日本は、いつの時代も「名」(家名や血筋)が重要なようです。

そんな不思議を感じる旅でもありました。

* 最後に

前回、徳島、海部郡の5ヶ所の漁港を訪れた。

今回の祖谷川沿いの山里や吉野川沿いの町並みと比べると、海部郡の漁港の寂れ具合が残念でならない。

この違いはなぜ起きるのだろうか?

本来、海沿いの方が便利で産業の立地にも適しているはずだが。

祖谷は自然と歴史の観光資源を上手く生かしたからなのだろうか?

それとも、漁業政策の拙さが災いをもたらしているのだろうか?

今回は、答えを得ることが出来なかった。

皆さん、ありがとうございました。

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徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 16: 二つの博物館


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今回は、東祖谷歴史民俗資料館と平家屋敷を紹介します。

< 2. 二つの博物館の位置、共に上が北 >

東祖谷歴史民俗資料館は東祖谷、祖谷街道に面して建っています。

武家屋敷旧喜多家や鉾神社への登り口の近くです。

平家屋敷は祖谷川から吉野川の大歩危に至る45号線沿いにあります。

深い谷に面した山の上にポツンと一軒建っています。

< 3. 東祖谷歴史民俗資料館 1 >

この展示館では、祖谷の暮らしと平家落人伝説の資料が展示されています。

< 4. 東祖谷歴史民俗資料館 2 >

民家の家財道具、農具、木こりの道具などが陳列されています。

大きい展示場ではないが、祖谷の暮らしが少し見えたように思えました。

< 5. 平家の赤旗と安徳天皇の路 >

上: 平家の赤旗(レプリカ)

この博物館で最も重要な展示です。

中央と右の旗、上部に八幡大菩薩とあります。

「平家屋敷阿佐家に伝わる大小二流の赤旗。

平国盛が屋島から奉持して来たと伝えれ、日本最古の軍旗と言われている。

大きい方は本陣用で、鳩文字で八幡大菩薩と書かれている。

小さい方は戦陣用で、二羽の蝶が描かれている。

大小二旗とも生絹を生地とし、800年以上の歳月によって色が褪せてしまったが、茜と紫で染められている。

所々に見える汚点は血痕、穴は矢で射抜かれた跡と伝わっている。

この赤旗は、阿佐家や村人にとっては神聖なもので、門外不出とされている。」

展示説明から引用。

阿佐家は、平国盛が阿佐の地に居を構え、代々阿佐氏を姓として現在に至っている。

平家の落人伝説の村は全国におよそ80ヶ所以上あるでしょうが、この赤旗が残っている村は数ヵ所しかないのではないか。

信憑性の高さを感じる。

下: 安徳天皇の路、赤線で示されている

左端が、前回紹介した御火葬場になっている。

右は祖谷川沿いに剣山へ向かっている。

< 6. 平家と天皇家の関係 >

平清盛と平教経(国盛)と安徳天皇の関係が分かります。

< 7. 平家屋敷外観 1 >

ここは山深い一軒屋です。

本家と蔵があり、後は山、前は立派な庭で、見晴らしも良い。

暮らし難い所だと思ったが、代々医者の家系と知って納得した。

祖先は安徳帝の御典医で、平家滅亡と共に祖谷に逃れ、薬草を採集し、医業を行っていた。

子孫は、祖谷一帯が蜂須賀公と戦った折、祖谷側に属した為に罰せられたが、許されこの地に居を構え、現在に至る。

< 8. 平家屋敷外観 2 >

< 9. 平家屋敷内部 1 >

中は展示品が雑然と並べられ、床は軋み、天井は煤で真っ黒でした。

漢方医の家系らしく、医療の資料も散見された。

< 10. 平家屋敷内部 2 >

あまり得る所は無かったが、二つほど印象に残ったことがある。

一つは、古い家族の写真があり、この山深い地の暮らしに真実味を感じたことです。

今一つは、無造作に置かれた家具と黒い煤が、更に生活感を漂わせていた。

次回に続きます。

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没落を食い止める! 3: はじめに 3: 回避出来た国と出来ない国


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前回、米国の狂気を見ましたが、

何とか最悪の事態を逃れたようです。

もしこれが日本だったらどうでしょうか?

* 想像すると寒気がする

野党が総選挙で与党を上回る議席を獲得し、政権交代が起きそうになったら?

「不正選挙」がネット上に踊り、さらに数千の暴徒が選挙を正すとして議事堂を襲うかもしれない。

皆さんは起こらないと断言出来るでしょうか?

今回、トランプ再選を願う日本のウヨは、ネット上でかなり興奮していた。

彼らの激情は、自国であればなお更でしょう。

残念ながら日本には暴徒化した過去があります。

武装集団が官邸や議事堂を襲撃した五・一五事件と二・二六事件が1932年と1936年に起きている。

この後、日本は軍事独裁へと突き進んだ。

一方、米国で暴徒が国会議事堂に乱入した事件は今回が始めてでした。

死者は出たが、議事は粛々と進んだ。

ここに米国と日本の違いがある。

トランプ大統領が選ばれたこと自体が異常かもしれないが、米国には再選を阻止する良識があった。

前回の選挙では偏向した巨大ケーブルニュースと極右のネットニュースがタカ派の人気者を大統領候補に押し上げた。

タカ派の富豪らが彼を支援し、共和党首脳部はその人気に抗しきれず、遂には追従した。

しかし、今回の選挙では、多くのマスコミが一丸となって正論の報道を行い、大統領の扇動のツイートに対抗した。

またトランプの実態を暴いた暴露本が次から次と刊行された。

遅かったがツイッター社も虚言を絶つ英断を行った。

米国の言論界、マスコミは健在でした。

その一方・・・

< 2.共鳴、便乗、御用の果てに・・・ >

< 3. 身贔屓は身を滅ぼす >

* 翻って日本に暴走を阻止する良識があるだろうか?

日本では首相に対して、米国のように記者が質問攻めにし、テレビや新聞が虚言を暴き、暴露本を出し、映画やドラマで痛烈に風刺することがあるだろうか?

残念ながら御用新聞や御用・・・が幅を利かせている。

残念ながら無理。

それは政府による表裏からの報道抑圧、露骨な御用??の重用、電通の広告支配による報道抑制、国と馴れ合う記者クラブなどが、日本の報道の自由を奪っているからです。

日本だけを見ていると、この惨状を自覚出来ないが、世界報道自由度ランキングが示している。

2020年、180ヵ国中、最良は北欧4ヵ国で、米国は45位、日本は66位でした。

注目すべきは、米国は20年間で17位から、日本は10年間で11位から急落していることです。

既に日本は、正常化が進むアフリカ諸国と同列になってしまった。

日本の大半のマスコミは政府の汚点を隠し、報道しなくなって久しい。

それに偏向したネットとSNSが追い打ちをかけた。

政治意識が未熟な国民に立ち直るチャンスはあるのだろうか?

次回に続きます。

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没落を食い止める! 2: はじめに 2: 荒れ狂う人々


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前回は、日本特有の悪弊について語りました。

今回は、米国発の狂気を見ます。

実は、これは日米に通じる社会危機を示しているのです。

* 共鳴する狂気!

今、共鳴する狂気が日米を席巻している。

これはトランプ大統領と安倍元首相で強まりました。

この二人は政敵を常軌を逸した手段で徹底的に貶めることで似ています。

大統領は二千ものフェイクで政敵を犯罪者に仕立て、一方で自己礼賛を行う。

彼は1億5千万票の選挙が不正だとし、陰謀論をまくし立て、選挙結果を覆す為に暴動を扇動した。

ところがこの騒動は日本でも盛り上がっている。

ウヨは今だに、トランプ側の流す不正選挙のトンデモ証拠に嬉々として、トランプ再選に希望を繋いでいる。

私には不思議でならない。

日本のウヨは、なぜ恥を晒してまでトランプ勝利に掛けるのか?

九分九厘、トランプのデマで決着する。

そうなれば、彼らは詐欺師の口車に踊らされたとして大恥をかくことになる。

あれほど擦り寄った安倍氏は沈黙する一方、ウヨの神様高須氏は今だにトランプに望みを託している。

良く出来たもので、高須氏の大村知事リコール署名で8割を越える不正が明かになった。

彼らには合理的な判断が見られない。

嫌悪するだけで、いとも簡単に相手を徹底的に叩き、かつ海を越えて一体感を持てる強さと恐ろしさがある。

これが人類を戦争に駆り立てる最大の理由です。

* トランプ現象の危険な兆候

この危険は、国民がいとも簡単に扇動され、国が一瞬にして暴徒化してしまうことです。

要点を挙げます。

トランプの高評価

  1. 経済が良くなった。
  2. 庶民の味方で、エスタブリッシュメントと無縁。
  3. ビジネスの成功者であり、取引が巧み。

一方、悪評価

  • 品性下劣、虚言連発、女性蔑視、ブラックビジネスなど。
  • 政策や閣僚人事で一貫性・整合性が無く、身贔屓・非科学的。
  • 敵意を煽り分断することを常套手段とする扇動家。

米国でトランプを評価する人々が多いので、その判断を尊重すべきだろうが、冷静に上記の高評価を分析すれば大半は怪しい。

一方、悪評価は事実であり、彼は大統領に的確でないことは明白です。

例えば、トランプはこの12月に選挙結果を覆す為に戒厳令を検討していた。

ここで見逃してはならないことは、ポピュリズムの悲惨な結末は、ヒトラーやトランプだけでなく、安倍でも起こせることです。

今の日米、かつての独には、数十年に及ぶ分断(主に中間層の没落)があり、さらに政治家が分断を煽って勢力を得て来た背景があるのです。

人類は、怒りや恐怖に共感し、大集団で残酷な闘争に至る唯一の動物なのです。

次回に続きます。

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中国の外縁を一周して 60: 中国と北欧、そして日本、これで最後になります


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続いて中国と北欧を比較し、最後の感想を記します。

今回で中国の旅行記を終わります。

有難うございました。

< 2.中国と北欧の観光ルート >

黒線が鉄道、赤線が航空路、青線がフェリーです。

番号とアルファベットが宿泊地や観光地です。

中国旅行は2019年10月15日~29日です。

北欧旅行は2018年5月31日~6月12日です。

< 3. 北欧の豊かさと発展 1 >

すべてスウェーデンの住宅です。

上: ストックホルム郊外の住宅

中央: ストックホルム郊外の建設中のマンション

下: 列車から見えた地方の住宅、スウェーデン

私は北欧三ヵ国の首都と郊外をそれぞれ数日掛けて、バス等で見て回りました。

そこで感じたのは、一般の住宅にはスラム街や古い家は無く、比較的新しい事でした。

これは地方を走る鉄道や電車の車窓からも言えました。

これまで世界35ヵ国ほど観光しましたが、これほど住宅に所得の格差が現れていない国は珍しい。

当然、都市部の鉄筋造りや石造りのビル、歴史を感じさせる豪邸は別です。

< 4. 北欧の豊かさと発展 2 >

上: スウェーデンの地方都市の景観

中央: セカンドハウスが並ぶオスロ湾の島

下: オスロのハーバーフロント開発区

北欧三ヵ国は中国ほど建設ラッシュではないが、都市の発展が停滞している感じでもない。

各国の都市部では大規模開発よりは、個々に改修を加え続けているようでした。

だがノルウェーの首都オスロに面した港湾は大がかりな開発中でした。

三ヵ国の開発に違いがあるのは、オスロが大戦による首都破壊がもっとも大きく、かつ石油で潤っているからでしょう。

北欧では、新旧の建築物が相俟って都市景観を構成するように企図されているようです。

彼らは、歴史的建物や景観を残そうとするあまり、新しい建物を拒絶し、都市機能を低下させてしまうことがないようにしているらしい。

一方で、新たに造られる建物は斬新なデザインが採用され、古風さを強調することがない。

むしろ斬新なデザインが市民にも観光客にも受け入れられている。

観光の為に、伝統的な都市景観保存に拘り過ぎると、その都市は発展出来なくなってしまうと私は思う。

この意味で北欧の進め方はベストだと考える。

< 5. 中国の大躍進 >

上: 麗江の別荘地

中央: 雲南省大理近郊の建築ラッシュ

下: 国内を網羅しつつある新幹線網

今回、私にとっては最終回と言えるほど端から端まで訪問して来ました。

そこで再確認出来たのは、中国の大発展が奥地まで浸透していることでした。

今まで、幾度か北京や上海、廈門を訪れて、高層ビルの乱立に目を見張らせ、桂林や西安の町並みが新しくなっていくことにも驚いていた。

しかし、奥地の蘭州や麗江、昆明などの賑やかさや大都会の様相は予想を越えるものがあった。

新幹線は日に日に延長され、瞬く間に全土が新幹線網で結ばれるでしょう。

それだけではない新幹線の車内は、私が乗った限りでは、すべて満員でした。

出来立ての巨大な新幹線駅周辺は、これまた凄い開発ラッシュでした。

多い所では数十から百棟ほどの高層マンションが建築中でした。

極め付きは、蘭州の空港近く、標高2000mの砂漠にビル等1000棟を越える都市が忽然と現れたことでした(グーグルアースで確認)。

まるで砂塵の遠くに蜃気楼を見る想いでした。

この中国の開発マジックには脅かされる一方、学ぶべき開発経済の新手法があるように思えてならない。

以前から、中国は中央も地方も莫大な借金でやがて破産するだろうと言われて来た。

しかしいつまで経ってもその気配は無く、大規模開発は続く。

中国の開発経済は欧米諸国と異なっている。

都市開発時、デベロッパーは政府から土地の使用権を購入する。

政府はその資金を公共投資などに当てる事が出来る。

立ち退く住民は、開発区に住まいと高額な補償金を手に入れる。

(ただ入居者の家賃は高騰しているようだが)

至る所で莫大な資金が必要になり、膨大な通貨が国から供給され続けるが、インフレは抑えられており、順調のようだ。

また海外から元建て中国国債の購入が拡大し、最近中国は外国通貨建て国債の発行を増やし、米国国債を売っている。

(なぜか逆に日本は米国債を買い続けているが、忖度か?)

とにかく中国経済は不思議で目が離せない。

< 6. 北欧の自転車 >

上: スウェーデン郊外の鉄道駅

線路の両側から緩いスロープを使って、自転車で行き来出来るようになっている。

下2枚: コペンハーゲンに溢れる自転車

街で一番驚いたのは自転車の多いことです。

西欧でも見たことはあるが、特にデンマークのコペンハーゲンが凄かった。

通勤や通学は車では無く、自転車で、それが当たり前だった。

私が30数年前にコペンハーゲンを訪れた時、自転車を見た覚えがない。

つまり、健康と持続可能な社会を目指して大転換を遂げていた。

単に自治体の整備ではダメで、国民の意識が高くないと出来ない。

< 7. 中国の移動手段 >

上: 昆明の交差点

交差点で、さすがに自転車を見ないが、バイクは多い。

北京ではバイクも自転車も見なかった。

中央: 廈門の新交通、バス専用の高架道路。

下: 北京のバス停のレンタル自転車の駐輪場。

北京や昆明をバスから見ていると、レンタル自転車が大量に放棄されているらしいのを幾度か見た。

実に中国らしい大発展と大転換がちぐはぐに進んでいる。

多くの都市は地下鉄の建設ラッシュでした。

新しい駅が出来て市民は便利さを享受している。

一方で、爆発的に拡大したレンタサイクルは曲がり角のようだ。

< 8. 文化 >

上: オスロの野外博物館

主に2世紀前からの実物民家の展示で、三ヵ国共にある。

中央: ロスキレのヴァイキング博物館

家族で船の工作を楽しんでいた。

この博物館や別の歴史博物館でも学生のヴァイキング学習風景を見た。

下: 開封のテーマ―パーク開封府にて

包拯による裁判シーン。

北欧と中国の観光で感じたのは、歴史と観光への捉えた方の違いでした。

北欧では観光で売り出している民俗芸能や史跡は多くない。

王宮と大聖堂だけは、西欧と同様だが、他は目立たない。

歴史が無いわけでは無いはずだが。

三ヵ国が共に民家の野外展示場を設けているが、歴史の捉え方に関心した。

歴史遺産を派手に演出するのでは無く、あるがままの姿を後世に残す姿勢が好きだ。

ただヴァイキングの博物館とテーマパークは多く、人気が高い。

北欧の人々は、非常にヴァイキングを誇りに思っている。

日本で言えば、倭寇や侍を誇りに思うようなものです。

日本人にとってヴァイキングは残虐な略奪者なのだが、彼れらには偉大な開拓者、冒険家、海洋航海者となっている。

略奪と言う負の行為を強調するのではなく、その冒険心を讃え、伝えたいとの想いがあるようです。

展示では残虐行為を隠さず淡々と表現していた。

確かに、ヴァイキングの略奪は、日本の武士団の抗争で起こった略奪と同列かもしれない。

当時、北欧にはキリスト教が伝来しておらず、異教徒の侵略に対抗する意図がヴァイキングにはあった。

一方、中国は豊富な歴史遺産を抱えていている。

しかし多くの建物は文化革命や戦乱で破壊尽くされ、コンクリートでの再建が目立つ、残念です。

中国では歴史的な物を華美に演出する傾向があり、鍾乳洞などのライトアップには辟易した。

だが、続々と出来る歴史テーマパークの多さと賑わいを見ていると、別の感想もある。

写真にあるような宋時代の政治家包拯(ほうじょう)の人気を見ると、歴史が身近なものとして生きているようです。

これはテレビの歴史ドラマの影響もあるようですが。

中国はヨーロッパと異なり、歴史遺産は観光で儲ける所であり、国民も楽しむ所と割り切っているところがある。

その意味で麗江古陳の夜の賑わいがその最たるものでした。

それぞれ地域によって大きく異なる反応があるのもです。

< 9. 変わる中国 >

上: 昆明の市中トイレ

中央: 桂林で見た電動バイク、2015年

下: 蘭州に向かう車窓から見た風力発電機の製造

ここでは中国の知られざる進展を紹介しておきます。

一つはトイレの整備です。

古くから中国を旅行している人にとって、中国で困るのはトイレでした。

使用に、かなりの決断が必要なことがありました。

ところが今回、都市部に関しては快適なトイレが多く出来ている。

ヨーロッパの少なさが際立つことになった。

奥地にある桂林に行った時でした。

公害を出さない産業団地が造られ、朝の散歩で見たバイクは電動でした。

中国は、結構先進的な取り組みを一気に行うことが多い。

電動車以外にも、滴々出行などのカーシェアリング、銀行を介さないスマホ決済、自動運転などがどんどん進めらている。

実はこの事は、他の共産主義国から見れば不可能に近いのです。

それは既存産業を競争に晒し、衰退を受け入れることになるからです。

これは日本の発展が進まない理由と同じで、既存産業を守るために政府が規制しているからで、優秀なIT技術者の有無が最大の理由ではない。

風力発電の世界的なメーカーがスウェーデンにありますが、これを中国の山地で見た時は驚きました。

本当に中国は既存の大企業や公的企業を過保護する事がなく、どんどん新しい事に国の指令で進める凄さがある。

普通は官僚制で癒着が進み、弊害が大きくなるのですが。

むしろ日本の方が、守りに徹し過ぎている。

< 10. チグハグナ中国と各国の比較 >

上の写真は、中国らしい光景で、新幹線の写真です。

新幹線の乗客には、経済的に豊かそうな人から、行商帰りのような風采の人も居ました。

数時間も乗っていると、清掃係員が幾度も車両の床を掃きに来た。

ちょうど、一人高齢の男性がピーナッツの殻を食べながら床に捨てていた。

彼は、掃除が目の前で行われていても、捨てることを止めない。

掃除婦も誰もとがめない。

中国では、若い人ほどマナーが良く親切でしたが、歳を取るにつれて悪くなる傾向があった。

北欧は概ね逆でした。

急速な発展をしている国と、発展が落ち着いている国では、このような逆転が生じるのかもしれないと思った。

下の表は、日本と各国を比較したものです。

幸福度、男女平等で日本が如何に低いかがわかります。

一方、貧困は米国に次いで日本が多いのがわかります。

日本はGDPと成長率が低い。

概ね、すべての指標で中国も低いのですが、男女平等では日本を上回っている。

特に知って欲しいのは、このままの日本であれば、一人当たりのGDPすら中国に抜かれることです。

* 最後に

私は、二つの旅行を通じて、北欧に国の理想像、また中国に発展のダイナミズムと世情を確認して来ました。

結論から言えば、それぞれ予想を越える素晴らしいものを感じて得るものがあった。

どうか皆さん、マスコミや言論界に毒されず、自ら北欧と中国に足を運んで下さい。

きっと狭く偏見に満ちた感覚から解放されるはずです。

広く世界の社会・経済・歴史を見れば、今の日本の本当の現在地が見えて来るはずです。

長い間、お付き合いありがとうございました。

今年は、カナダと米国を訪問し、また報告したいと思います。

これで旅行記を終わります。

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徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 15: 平家落人伝説を追って 2


*1

今回は、安徳帝ともっとも深い縁がある神社を紹介します。

< 2. 神社のある場所、共に上が北 >

上: 祖谷の全体図

赤いバルーンが今回紹介する栗枝渡八幡神社(くりしどはちまん)、黄矢印が落合集落、白矢印が鉾神社と喜多家、ピンク矢印が祖谷のかずら橋。

八幡神社以外は既に紹介しました。

下: 八幡神社と落合集落を示す。

八幡神社は東祖谷栗枝渡村の上部に残された森にひっそり佇んでいます。

村の一部はさらに上まで広がっています。

この村の東側、上流側には落合集落が見えます。

< 3. 登りの路 >

上: 祖谷街道から登りの路に入って中ほど。

下: だいぶ登って来ました。

前回の喜多家に行く路に比べれば距離は短く、道幅も広く舗装もされており、行きやすい所です。

< 4. 途中の眺め >

上: 東側、祖谷渓谷上流部を望む。

下: 真南を見下ろす。

茅葺を覆うトタン屋根が下に見える。

< 5. 八幡神社の前に到着 >

神社は見えないが看板があるので分かります。

ただ充分な駐車場はありません。

上: 車から降りて、来た道を振り返った。

下: その看板の手前の雑草が生えているところが駐車場です。

小型車2台程度が駐車出来そうです。

< 6. 森の中に神社が見えた >

上: 駐車場から坂道が延びており、進むと神社が見えた。

下: 右手の杉の間に、小さな祠があった。

< 7. 栗枝渡八幡神社と安徳帝の火葬場 >

以下から説明を引用しました。https://nishi-awa.jp/heike/pdf/heikenaka.pdf

上: 栗枝渡八幡神社

安徳帝が「蛙の鳴く場所で過ごしたい」との希望されたこともあって、平国盛は温かい南向きの栗枝渡に、新しい御所を造った。

御所と伝わる八幡神社には鳥居が無く、敷地の奥には安徳天皇語火葬場の跡がある(写真中央本殿の右側)。

栗枝渡の地名は、安徳天皇が渡られる時、橋が流されていたので栗の倒木を川(祖谷川?)に掛けて、帝に渡って頂いたことに由来している。

下: 安徳帝の火葬場

安徳天皇が突然の病気で崩御された時、平国盛は、安徳天皇が生前好んで遊んでいた場所を掃き清め、帝を荼毘に付したと伝えられている。

この場所は未だに、どんなに雪が降っても積もらないという不思議な場所。

< 8. 神社境内の建物 >

上: 本殿の右側にある建物

下: 本殿の右側から裏側を望む

< 9. 神社の境内から >

< 10. 境内を去る >

< 11. 下りの眺め >

上: 東に落合集落が見えた。

下: 山里の生活を感じる時

左側に上下に配置された幾本もの横棒が見えるが、これは稲や野菜の乾燥用の棚でしょう。

その右下に小さな畑が、さらに右には立派な墓石が並ぶ墓地が路て沿ってあった。

今回、急斜面の山里を幾度も通っていると、高齢の御婦人が畑作業をしているのを幾度も見た。

高齢の私には考えられないのだが、この傾斜地の生活は足腰に非常に厳しいはずです。

例え車があっても無理だな! そんなことを考えながら別れました。

次回に続きます。

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没落を食い止める! 1: はじめに 1: 悲惨な・・・


*1

私は不思議でならない!

没落させても平然としている人々。

片や、衰退の真実に目を背ける人々。

今や、この両者が日本を覆い尽くすようになってしまった。

この現状から脱したい!

この思いで、連載を始めました。

* 目に余る悲惨な現状!

今、奇怪な現象が中国地方西部で頻発、集中している。

これはチャイナで無く、日本の話しです。

国会で118回も虚偽発言した元首相、元農林水産大臣に贈賄した企業、買収を行った元法務大臣夫婦の事件などです。

これらは不思議な事に、山口県と広島県の国会議員か企業に偏っている。

この地は明治の元勲や戦後の首相、岸、池田、佐藤などを生み出した所です。

私には、その偉大な歴史ではなく、今まさに日本が陥っている状況を象徴しているように思える。

大半の日本人は、これらの事件を単なる政治家や企業の腐れ縁に過ぎないと思っている。

確かに、幾度も繰り返されている光景だが、益々政治は腐敗し、その悪弊が社会に浸透し、民主主義が崩壊しつつあることを物語っている。

象徴と感じるのは、正に著名な政治家を生んだ地ほど病んでいるからです。

例えば強姦の逮捕状が出され揉み消された山口元記者、長年認められなかった獣医学部新設で便宜供与が疑われる加計理事長(岡山県)らはいずれも、元首相に近い人物です。

これは社会がパトロネージュ(政治家と後援者の癒着)によって腐敗し衰退するという世界史に通じる現象です。

栄華を極めた王朝もやがて権力者の恣意的な政治によって経済社会は非効率になり悪化し、回復不能に陥りました。

やがて各地で反乱が起き、これ幸いと外敵が一気に崩壊させることもありました。

中国の宋、朝鮮半島の高麗、フランスのルイ王朝などが好例でしょう。

ここで視点を海外に移します。

私が旅行中、コペンハーゲンで10年ほど暮らしていた日本女性に会った時の事です。

彼女が北欧に来て最も鮮烈な印象を受けたのは、政治腐敗(汚職)がまったく存在しないことでした。

彼女は、依然として頻発する日本政治の汚職に呆れていた。

例えば、国の腐敗を示す腐敗認識指数で、デンマークは世界180か国中最良の一番、しかも継続している。

一方、日本は2011年に最高の11位をつけたが、なぜかその後凋落を始め、現在18位です。

2012年末の第二次安倍政権誕生と関連が有るかは不明ですが・・・。

少なくとも日本がいつまでも先進国とか、「Japan as Number One」(1984年刊行の日本礼賛本)とか思わないで下さい。

次回に続きます。

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中国の外縁を一周して 59: 中国と北欧、そして日本 3: 家族、教育、移民・多民族、親切について


*1

今回は、家族、教育、多民族、親切を切り口に北欧と中国を見ます。

そこから社会の適応力と多様性が見えて来ます。

これらは社会発展の原動力になっている。

< 2. 教育現場、北欧の公園にて >

上: ノルウェー、首都オスロ郊外の湖にて

平日の朝早く、湖を見に行った。

8時を過ぎると、中学生か高校生らしい十数名のグループがやって来て、スポーツを始めた。

下: デンマーク、ロスキルの公園にて

平日の1時半頃、公園内を通り抜けた時、至る所で小学生や中学生のグループが見えた。

どうやら先生が引率して、何か課外授業を行っているようでした。

12日間の旅行中、緑豊かな公園で生徒が先生と一緒に居る光景を数多く見た。

この時期、北欧は長い冬をやっと終え、正に待望の初夏到来だったからもあるだろうが、それにしても自然と共に過ごすことを重視している事に感銘を受けた。

< 3.垣間見たチャレンジ精神 >

オスロ湾の島に掛かる橋Ulvøya bridgeにて。

海面より10mの高さから中学生らしい男女のグループが飛び降りようとしていた。

平日の午後3時頃でした。

おそらく授業は終わったのだろうが、それにしても危険だとして禁止されている雰囲気は無かった。

< 4. 教育現場、中国の大学にて >

共に廈門大学の構内にて

この中国旅行で、私が教育に関わるものを見たのはこの大学だけでした。

この大学の見学は、友人の特別な計らいにより実現出来た。

中国の観光ツアー客もいたが、門でチェックを受けていた。

上: 最も目立った校舎

緑が多く広いキャンバスに校舎、図書館、博物館、寮、食堂などが点在している。

下: この区域には寮や食堂が多い

歩いている学生に東南アジア系の人が思ったより多くいた。

この大学は、中国の中では国際交流と留学生の受け入れに積極的だそうです。

構内を案内してくれた中国人は、大学の国際交流担当の係員で、日本に行ったこともあり日本語を流暢に話していた。

廈門大学には日本語・日本文学科がある。

中国国内を旅行していると分かるが、外国人を見かけることは少ない。

雲南に行くと、隣接すらからだろうが東南アジアの人をたまに見かけることがあるぐらいだ。

廈門空港で経験したが、外国人の移動には神経を尖らせているようだった(ツアー旅行ではないからかも)。

まだ中国は、広く一般の外国人を受け入れるつもりは無いようだ。

そうは言っても、中国人の海外への関心は高い。

中国からの海外旅行者の多さもそうだが、海外留学も年間70万人(2018年、約5年で倍増)に近く、50%以上が米国に行っている。

彼らが帰国して、中国の技術や経済の発展を支えることになる。

これは華僑の精神が、今も生き続けいてるからだろう。

同年の日本のからの海外留学生は9万人、その25%が米国だった。

人口比率で見ると日本の方が多いが、日本の場合は年々低調になっている。

また多くは1ヶ月ほどの語学留学になってしまった。

これでは日本が遅れ取っても不思議ではない。

* 北欧と中国の教育について

北欧では、スウェーデンのストックホルム大学の構内を散策したが、実に開放的でした。

校庭には学生グループに混じって親子連れなど一般市民が広い芝生で楽しく過ごしていました。

一方、中国は監視が厳しいので、これは出来ないようだ。

北欧では教育の場において、自然と共にのびやかに生きることを教えているようでした。

北欧の学費は無料だが、進学については先ずは休学して社会を経験し、自分の目指すことを見っけてから、再度、学びを始めることが可能になっている。

これを可能にする制度と社会の受け入れ態勢が出来ている。

これは日本に無い個人を尊重した文化の現れでしょう。

一方、中国では、聞くところによると、学歴(学力かも)が重視され詰め込み教育が為されているようです。

これは日本とそっくりと言えるが、海外への関心の高さは北欧に近い。

ただ、海外留学組は中国の裕福な家庭に限られるので、貧富の差が開き、固定化する可能性があるだろう。

< 5. 移民・多民族、北欧で >

上: スウェーデン郊外、Älvsjö にて

土曜日朝7時頃、鉄道駅の横のバス停にて。

これから出勤する所でしょうか、アフリカ系、白人、ヒスパニックかインド系、ムスリムも居るようです。

私の見るところ、談笑しているようでした。

この地域は、移民が多く住んでいる。

もっともスウェーデンでは外国に背景を持つ人は25%にもなります。

従ってこの地域の移民が30%を越えても特別では無い。

下: スウェーデン郊外、Märsta station の前にて

平日の午前11時前、駅に向かっていた。

この日は、私が北欧観光の1日目で、通勤の光景を見るのが始めてでした。

驚いたことに、白人に混じって、かなりの非西欧人が駅に向かって歩いていた。

34年前の北欧とはかなり雰囲気が異なりました。

当時もホテルのウェイターに非西欧人はいたが、町で見かけることはほとんど無かったように思う。

変化が凄い。

北欧三ヵ国は、大戦中、概ね中立を守り、特にスウェーデンの戦争被害が少なかった。

それ以前は貧しいかったので移民を出す国だったのだが、戦後復興を一早くやり遂げるために移民受け入れを精力的に行った。

当然、受け入れ態勢も、安く使い捨てすれば良いといものではなかった。

これが人口増加と経済成長を後押した。

北欧は、単に経済的な手段としてではなく、世界平和の観点から難民受け入れにも積極的だった。

こうして外国を背景にする人が溢れることになった。

なぜ日本のように移民や難民に閉鎖的では無いのだろうか?

二つの要因が大きいと考える。

やはり、ヴァイキング精神が息づいており、世界との繋がりをいつも意識している。

日本でも海外に勢力を広げた倭寇は存在したが、なぜか日本文化に影響を与えなかった。

今一つは、北欧が小国で、西欧や東欧の大国の意向に翻弄され、かつ適当に離れていたことが大きい。

従って、北欧は生き残るために、世界の国々による認知と支援が必要だった。

これはバルト三国にも通じる。

このことが、北欧が世界平和に積極的になった一因だろう。

こうして移民を受け入れた事と大戦を避けた事が幸いして、北欧の恵まれた社会が誕生したと言えそうです。

そうは言っても、北欧も移民問題では苦労し始めている。

< 6. 多民族、中国で >

上: 昆明の公園にて

下: 麗江の市場にて

昆明、麗江の紹介で詳しく記しましたので、詳細は省きます。

一言で言うと、多くの少数民族が保護され優遇され漢民族と共存している。

欧米ではマイノリティへの優遇策は最近縮小傾向にあるが(右翼化も一因)、中国では現在も有効なようです。

しかも日常的に民族衣装を来ている姿から、誇りすら感じているように思える。

共産主義だから息苦しと思っている人も多いだろうが、そう単純ではない。

* 北欧と中国の移民・多民族の共生について

北欧に民族問題は無いのか?

実はスカンジナビア半島北部に暮らすサーミ人は代表的な少数民族です。

北欧三ヵ国(ゲルマン系)とは人種・言語・生業(元は遊牧民)が異なります。

かつて苦労したようだが、現在、大きなトラブルはないようです。

中国は人口減の時代に突入したので、移民政策を採る必要があるだろう。

多民族国家を無難に乗り越えたが、香港やウイグル族の扱いのように、体制の転換を恐れるが為に、移民政策を進めることが出来ないかもしれない。

そうすれば経済成長にブレーキがかかるだろう。

翻って、日本はアイヌ以外に民族問題は無く、移民・難民を大きく制限しており、一見、安泰のように思える。

しかし、人口減の影響は大きく、移民を受け入れない影り、経済成長は期待出来ない。

ところが技能実習制度と呼ばれる隠れ蓑で、低賃金で汚い過酷な労働を担わせている。

これを放置すると、日本はやがて欧米と同じ移民問題で苦しむことになる。つまり、外国人労働者の低所得と低水準の教育が、悪循環を生み、やがて底辺層の治安悪化と日本人との仕事の奪い合い(賃金低下)に発展するだろう。

< 7.家族、北欧で >

上: オスロ、ベイエリア開発区の裏側にて

平日、午後4時前頃。

中近東系の男性がベビーカーを押している。

父親が子供を連れている姿を他でも見ることがあり、子連れの女性より男性の方が目だった。

下: スウェーデン郊外、Älvsjö にて

平日、朝7時半頃。

父親が娘二人を学校にでも連れていくようです。

北欧では、男女平等、夫婦共稼ぎが普通であり、祖父母と同居していないので、家事や子育ては夫婦で分担することになる。

< 8. 家族、中国で >

上: 麗江の古陳にて

土曜日、午後1時過ぎ頃。

中国ではどこに行っても、祖父母が孫をあやしている、または連れている光景を見る。

これは一人子政策の名残りと、若夫婦共稼ぎ、そして50歳代で祖父母が定年退職で年金暮らしになるからです。

少なくとも、祖父母には愉しみがあり、また家族の繋がりが強いとは言えそうです。

下: 廈門の公園にて

平日、午前9時半頃。

時折、お父さんが子供を連れている姿を見ることがありました。

特に子連れの女性が多いと言う印象は有りませんでした。

* 北欧と中国の家族について

意外に思えるのだが、北欧も中国も共稼ぎで、夫婦で家事や育児を分担している。

対極にある国のようだが、似ている。

一方、日本と言えば、両地域に比べ、共稼ぎの割合が低いにも関わらず、家事分担どころではなく男女平等とは程遠い。

だが中国と日本で似ている所もある。

それは祖父母と若夫婦の繋がりで、日本では祖父母と同居する率は高い。

中国の同居率を知らないが、毎日、孫の面倒を見れる距離に住んでいる人が多いのだろう。

これは儒教の影響だろうか。

北欧にも不思議なことがある。

あれだけ若い夫婦が家庭を大事にしているのに、子供は高校生ぐらいから独立を始める。

そして親は老齢になっても、子供と暮らすことを望まず、最後は一人暮らしを続ける。

東アジアの人間にすれば、寂しい人生に思えるのだが。

これもヴァイキング時代からの文化が根付いているのだろうか。

冷涼な北欧では、ヴァイキングは狩猟・漁労・農業とさらに交易で生計を立てなければならなかった。

つまり、子供に資産や土地などを残す術は限られていた。

そこで独立心と冒険心を植えることが子供への遺産だったのだろう。

この精神文化が今も健在とするなら驚くべきことです。

中国南部の山岳地帯に暮らした人々、客家もこれに似ている。

彼らは、漢民族の圧力に押されて南下したが、やがて海外に活路を求めた。これが華僑の始まりでした。

< 9. 親切、北欧で >

ツアー旅行で無いフリーの旅では、人の親切は身に沁みます。

またその国の国民性を直接感じることが出来ます。

北欧では多くの人の温かい一言や親切に触れました。

上: オスロの地下鉄駅にて

朝、地下鉄に乗ろうとして構内に入ったが、どのホームに向かうべきか迷っていた。

すると一人の夫人が、私に寄って来て、どちらに行くのかと聞いてくれた。

すると彼女は行くべきホームをジェスチャーを交えて英語で教えてくれた。

お陰で目的を達することが出来た。

彼女は通勤途中にも関わらず、時間を割いてくれた、有難い。

下: ストックホルムの中央駅近くにて

バス停を探しても見つからず、途方にくれている時、通りがかりの高齢の夫人に声をかけた。

バス停の位置を聞くと、写真の高架の上の道路上にあると言って、逆戻りして、階段の下まで私を案内してくれた。

案内を終えた時の彼女の笑顔が素敵でした。

北欧では、こちらから道などを訪ねた時の応対が実に親切で有難かった。

一方で、私が困っているを見て、声をかけてくれる人も度々いた。

特に日本に好印象を持っている人が多かったように思う。

< 10.親切、中国で >

上: 新幹線の開封北駅にて

開封駅では、2回も助けられた。

一回目は、外から駅構内に入る時、税関で手荷物検査をしている時でした。

係員が厳しい口調の中国語で、制止した。

困っていると、後の青年が「刃物が有るか」と英語で教えてくれた。

スーツケースを空けると、係員は小さな十徳ナイフを見つけ出し、確認後、通過を許してくれた。

二回目は、待合所で新幹線の到着を待っている時でした。

新幹線の車両は大変長く、改札は新幹線到着直前にしか開かないので、私は予めホームの何処を目指して行くべきか不安でした。

近くにいた若い女性を探し、英語で教えてくれと頼むと、快く引き受けてくれた。

改札が開くと、彼女は私ら夫婦を導いてくれて、ここで待つように言った。

そこには何の印も無かった。

やがて列車が停車すると、乗るべき車両の扉は私の前に来ていた。

下: 蘭州の街中にて

新幹線の駅からタクシーに乗り、都市の中心部まで来たが、運転手はホテルが分からず、迷ってしまった。

ぐるぐる都心部を回っていると、運転手は通りすがりの一人の青年に声をかけた。

青年は助手席に乗り、ホテルまで案内してくれた。

私は青年に感謝を伝え、そこで別れた。

爽やかな青年でした。

* 北欧と中国の親切について

二つの地域を比べて、どちらがより親切かを断言できない。

しかし両方共に、親切だったことは間違いない。

それでも少し違いはある。

理由は定かではないが、北欧では年配者ほど親切なようです。

一方、若い女性に尋ねた時は、良い返事が得られなかったことが多い。

ひょっとすると若い女性(駅で2回ほど)には、なぜか英語が通じなかったのかもしれない(移民の子女か)。

ただスウェーデンの鉄道駅や空港の係員には、英語が出来ないと冷たくあしらう人がいた。

一方、中国では、年寄りよりも若い人の方が親切でした。

若い人は日本に関心を持っており、英語の出来る人が多かった。

中年以上ではマナーが悪かったり、私が列に割り込んだ時「リーベンレン」と小さく吐き捨てるように言われたことがあった(私が悪いのだが)。

成都空港でタクシーに乗って運転手に近距離を頼むと、うるさく文句を言われ続けた(2回も)。

逆に、北京で中国版ウーバー(滴々出行)に乗った時、変な体験をした。

初めて乗ったは良いが、手違いで行先が間違っており、キャンセルや変更が出来ず、更に現金払いも出来ず、私達は途方にくれた。

結局、運転手は嘆き、私に文句は言うが怒ることはなく、私の現金も受け取らず、去っていった。

運転手はどうやら滴々出行の評価システムを気にしているようでした。

ここでも中国の新しい側面を見ることが出来た。

次回に続きます。

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平成イソップ物語 19: 狐と狸と鼠


*1

昔々、ある野に気高き一匹のボス狐がいました。

その狐は多くの狸を引き連れ、さらに多くの鼠を養っていました。

そこは一見、活気に満ちていました。

一匹の鼠がボス狐に訴えました。

「最近、我々の仲間が一匹、一匹と姿を消していきます」

ボス狐

「私が責任を持って調べよう」

それから1年の歳月が過ぎました。

別の鼠がボス狐に問いました。

「益々、仲間が姿を消しているが、あなたの周りで血の付いた鼠の毛が見つかることがあります」

ボス狐

「それは隣の群れの鼠のものだろう。私はまったく関りが無い。」

*2

周囲の狸も声を揃えて罵りました。

「立派な狐様に無礼だぞ! 疑いだけで非難するな!」

鼠たち

「我々は気高きボスを信じ、従うしかないのだろうな。」

それからまた1年が経ちました。

ボス狐

「犯人が分かったぞ。私の部下の狸がすべて一存でやった事だから、私が処分しておいた。これで安心だ!」

それから数年もすると、その野には鼠と狸の白骨が無数に散らばっていました。

*3

このようなことは人類史に幾度も起こりましたとさ!

これは決して今の日本を揶揄したものではありませんので、

非難のほどはご容赦を・・・

終わります

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徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 14: 平家落人伝説を追って 1


*1

これから数回に分けて、祖谷の平家落人伝説が残る史跡を紹介します。

今回は、武家屋敷 旧喜多家と鉾杉を紹介します。

訪れたのは2020年6月9日午前9時頃でした。

< 2. ドライブルート、共に上が北 >

朝、かずら橋の旅館を出て、祖谷川沿いを10kmほど上流に沿って走りました。

そこから左手の山の急斜面を車で登って行きます。

上: 今回の旅で訪れた平家の史跡はこの範囲に限られます。

詳しくは巻末の観光地図を参考にして下さい。

右(東)から左に蛇行しているのが祖谷川と祖谷街道です。

左の方の白い点が武家屋敷への登り口で、赤のバルーンが武家屋敷です。

標高は登り口で510m、武家屋敷が850mで、その間4km以上を蛇行した林間の細い道を走ります。

右端に落合集落が見えます。

その手前、左手の山側に安徳天皇の史跡があり、次回紹介します。

下: 武家屋敷 旧喜多家までのルートを拡大

赤矢印が旧喜多家、白矢印が登り口です。

< 3. 旅館を出て祖谷街道を行く >

この辺りの道は広いが、突如狭くなる所がある。

下の写真では、土木工事の多くの作業者が準備を始めていた。

走っていると幾度も道路工事を見かけた。

道路は整備され、便利になり観光開発の目的もあるだろうが、高額な土木工事費が気になる。

過疎地の開発手法に違和感を覚える。

< 4. 武家屋敷に向かって登り始める >

上: 登り口が分からず、行き過ぎてから戻っているところ。

左は祖谷川への断崖、右は切り立つ斜面に挟まれた細い道。

中央: 右手に登り口が見えた。

下: 登り始めた。

< 5. やがて現れた >

急斜面を曲がりくねって進む細い路を行く。

対向車が来ないことを祈るばかりでした。

幸いな事に、まったく出くわすことはなかった。

下: もうすぐ峰に届くかもしれないと思ったが、どうやら路は行き止まりで、少し開けた土地に出た。

農家の左側に茅葺の大きな屋敷が見えた。

< 6. 屋敷の敷地へ >

上: 石垣の擁壁の右側に階段があり、登った。

下: 雨戸はすべて閉まっていたが、大きな屋敷が出現した。

< 7. 屋敷の周囲 >

上: 裏手

左下: 凝った雨戸の戸袋。

右下: 雨戸。

< 8.やがて開場 >

私が周辺をうろうろしていると、一人の女性が声をかけてくれた。

彼女は他から、車でここに着いたばかりのようでした。

彼女はこの屋敷の管理人で、今から開場するが、中に入りますかと聞いた。

私は時間が無いのでと断り、外から矢継ぎ早に写真だけを撮らせてもらった。

彼女の親切な応対に恐縮した。

上外: 玄関の様子。

立派な玄関でした。

< 9. 囲炉裏と鎧 >

< 10. 屋根裏 >

茅葺の裏側がよくわかる。

* 旧喜多家について

この屋敷は1763年の建築で、祖谷地方では最も大きい上層階級の屋敷です。

安土桃山時代、蜂須賀家の命によりこの地を鎮圧した人物の息子が、この地を任され、後に喜多家と名乗り、明治維新まで続いた。

従って、喜多家は平家の史跡ではありません。

屋敷の玄関には式台(階段状)や書院風の座敷があります。

部屋の中央には囲炉裏があり、自害するための部屋「入らずの間」もあります。

< 11. 旧喜多家の前 >

絶景が広がる。

しかし納得出来ない。

祖谷に暮らす人の中には、平家を祖先とする家系図を持っている人がおり、位の高かった家格ほど、高い場所にあると聞いていた。

しかし、この高さは尋常ではない。

非常に暮らしにくい、祖谷川に下りるのに途方もない労力がいる。

そこで管理人に聞いた。

「いくらなんでもこの高所の屋敷は考えられない」と。

彼女は答えた。

「実は、この屋敷は以前、この下にあったのですが、鉾杉がここにあるので移築しました」と。

移築は1990年のことでした。

下: 鉾杉に向かって進み、振り返ったところ。

確かに、鉾杉は直ぐ近くでした。

< 12. 鉾杉と鉾神社 >

上: 鉾神社

安徳帝の所持していた鉾を納めたと伝えらている神社。

直ぐ左裏側に鉾杉がある。

下: 鉾杉

直径2.5mほど、高さ35mの巨木が立っている。

壇之浦の合戦で死去したとされる猛将、平経教(たいらののりつね)が、この木の下に、平家再興を願い、平家守護神の鉾を埋めたと言い伝えられている。

彼はこの地で名を国盛と替え、この大枝の地から南の対岸にある阿佐の地に移り住み、阿佐氏として現在に至る。

その地に平家屋敷、阿佐家がある。

< 13. 下り始める >

上: 南側、対岸の峰が低く見える。

下: 東側、祖谷川の上流側を望む。

山腹に数件の集落が見える。

< 14. 下りの路より >

< 15.祖谷平家伝説 史跡図 左半分 >

「祖谷平家伝説」 https://nishi-awa.jp/heike/html/

「パンフレット」 https://nishi-awa.jp/heike/pdf/heikenaka.pdf

 から借用。

今回紹介したのは、この図の六と七と喜多家です。

次回は、九と十を紹介します。

< 16.祖谷平家伝説 史跡図 右半分 >

この左右の地図の範囲を、概ね今回旅しています。

次回に続きます。

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中国の外縁を一周して 58: 中国と北欧、そして日本 3: 食文化について


burst

< 1. 成都の麻婆豆腐 >

今回は、食文化にスポットを当てます。

日々の生活が反映される食文化から、北欧、中国、日本の違いが見えて来ます。

私の北欧旅行は貧乏旅行だったので、残念ながら安い食品の比較に過ぎませんが。

< 2. 定番料理 スモーブロー >

上: ストックホルムの中央駅コンコースのレストランにて

フロアでは、弁当のような手軽な食事も販売していたのですが、ストックホルムを離れるにあたって、最後にまともなランチを食べることにしました。

一度はバルト海に面した漁師町で海鮮料理を食べる予定でしたが、交通トラブル(線路不通)の為に行けなかった。

選んだ料理は、下の写真のようなオープンサンドでした。

このスモーブローは、スウェーデンやデンマークで多く見かけました。

彩が綺麗で、肉や魚介をパンに乗せたものです。

料金はペッボトル飲料込みで約1900円でした。

下: クロンボー城のある町ヘルシンゲルのレストランで

クロンボー城近くのレストランは開いていたが、街で地元の食事を探そうとした。

ところがこの日、街で祭りのイベントがあり、多くのレストランが休んでいた。

たまたま営業していたレストランでは、数種類の料理しかなかった。

それでまたスモーブローを選んだ。

おそらくこれは作り置きが出来るからです。

これは美味しいのですが冷たいので、涼しい6月初旬のテラスには合わないかもしれません。

料金はビール込みで約2300円でした

< 3.コペンハーゲンにて >

共に屋内マーケット、トーベヘルネKBHの写真です。

ここは地下鉄駅Nørreportの近くのイスラエル広場にあります。

この手のマーケットに、ストックホルムでも訪れたのですが、食品が高いので一度も食べずじまいでした。

北欧の料理価格は日本の1.5倍以上高いと思った。

このようなマーケットやオスロのレストラン(ウインドウディスプレー)も同様でした。

私の昼食と夕食のほとんどは、結局、コンビニでホットドッグやサンドイッチで済ました。

それでもペッボトル1本と食材で600円から1200円が必要でした。

ここで物価を比較します。

*4

指数の値は異なりますが、食料品が高いことは明かなようです。

< 5. ストックホルムで知った変化 >

Hop On Hop Off のバスで、中心部を周遊していた時です。

日本語の説明をイヤホーンで聞いていると、驚きの情報が入って来ました。

それは下の写真、フムレ公園の横を通過した時でした。

最近、近くに夜の飲食街が出来て、賑わっていると言うのです。

私が1984年11月にストックホルムを訪れた時、最も大きくカルチャーショックを受けた一つに、男の夜の繁華街が無いことでした。

当時、現地の人から話を聞いたところによると、仕事を5時に終え、家族の待つ家に真直ぐ帰るのだそうです。

彼はスウェーデンでは共稼ぎの妻と子供達と、週末などに一緒に出かけると言っていた。

当然、この地では日本の男性がくだまく赤提灯は必要無いことになります。

それが最近出来たようなのです。

2018年、北欧を旅した時、スウェーデンの40歳男性に質問しました。

日本人は北欧に暗いイメージを抱いているが、一言で母国を説明するとしたらと聞くと、以下の答えをくれました。

「税金が高い、娯楽が少ない」

彼が言ったのは、おそらく男だけの娯楽で、家族や友人が自然に触れて楽しむ所は多々あります。

スウェーデンも徐々に軟化しているようです、まだアルコール販売は厳しいようですが。

* 北欧の暮らしの一端が見えた

私は、北欧旅行中、午後6時以降、疲れて町にほとんど出ていないが、日中の様子から察するに、今も変わらず人々は定時で直ぐ退社し、友人や家族と過ごすようです。

当然、夫婦で家事と育児を分担します。

そこには男女共に働く社会が今も根付いていおり、平等意識も定着している。

ちなみに専業主婦率はスウェーデン2%、日本38%です。

それでは高い食事をどう理解すればよいのだろうか?

日本とスウェーデンの指数を比較してみよう。

以下、すべて2015年のデーター。

*6

この表からわかるように日本の国民負担率は消費税が低くても、最も高いスウェーデンと比べて遜色がない。

結局、国民所得(GDP)の高い分だけ、重税でもスウェーデン国民は自由に使える金額が多い。

尚、デンマークとノルウェーの一人当たりGDPは日本の1.8~2倍ぐらいです。

さらにスウェーデンでは教育費は大学まで含めてすべて無料。

医療は18歳以下は無料、成人も自己負担が年間で約1万3000円、薬代2万5900円までと安く抑えられている。

老人になれば誰でも少ない自己負担、上限が月約2万5600円で、介護サービスを受けられる。

結局、町歩きで閉口した高い食事は、一つには消費税の高さがあったのだろう。

スウェーデンなど北欧は経済的に豊かで、労働時間が少なく、格差も少ない。

ゆったりと暮らしている人々を見ると幸福度の高いことがうなづける。

私には、北欧が理想の国家に思える。

大戦後に生まれた北欧の高福祉社会の実験は、今も上手く機能しているようです。

だが娯楽が少ないとか、格差是正のしわ寄せを負担に感じる高所得の人はいるだろうが。

< 7.中国らしい食事 >

上: 麗江のフードコート

このような店は古城エリア内には幾つもある。

多くは一皿300円から500円です(観光地値段?)。

料理は変化に富んでおり、温かい料理が直ぐ出来るのが嬉しい。

下: 蘭州の牛肉麺の店

この店はチェーン店で蘭州に数ヵ所ある。

凄いのはラーメン一杯が100円から140円で、美味しくてボリュームがあることです。

残念ながら牛肉はほとんど入っていなかったが。

日本語ガイドの話では、牛肉麺と言っても、牛肉は入っていないそうです。

副菜を足しても一人300円もあれば充分です。

< 8. 食文化の今昔 >

上: 昆明の老街

古風な趣を残した小さな飲食店が並んでいる。

皆、小綺麗な店舗になっている。

しかし提供している料理は様々で、昔ながらの中華料理ではない。

下: 廈門の开禾路

ここは昔ながらの商店街で海鮮市場でした。

廈門では、他にもう一つ商店街を訪れたが、开禾路の方が規模が大きく、店舗も大きく衛生的に優れているようでした。

中国には、生鮮食品を扱う大型スーパーが至るところにあり、衛生管理は日本と遜色が無いように思える。

しかし、一方でこのような市場が今もまだ利用されている。

< 9. 向上した食文化 >

上: 廈門で

宿舎の朝食ブッフェ会場の様子。

料理の種類も多く、味も良い。

それにもまして皆さんのマナーが良い。

海外旅行先で見るマナーの悪さはなかった。

日本で言う、旅の恥はかき捨てなのだろうか。

下2枚: ここは廈門島北部にある海鮮レストラン(海鮮城)

私が驚いたのは、水産センターの隣に海鮮城が二十店舗ほど並んでいたことです。

さらに各店舗がまた巨大で、1階に水槽が並び、2階で食事をします。

また水曜日にも拘らず、お客さんは次から次と来て、席は見る間に一杯になった。

1階の水槽を見て、魚介類を選び注文します。

私は支払っていないのでよくわからないが、タラバガニに似たカニなどは500gで3000円ぐらいでしょうか。

日本より安いが、私には日頃縁のない食材です。

さらに一料理当たり400円から2000円を支払います。

15年前ほど、初めて廈門に来た時、川船で地元料理の海鮮料理を食べたことがありました。

この時は、食べると口に砂が残ったことを思い出します。

隔世の感があります。

人々の暮らしが格段に向上していることを思い知らされた。

ちなみに、一人当たりのGDPで、中国は日本の約1/4にまで急伸した(2019年)。

中国では農村部と都市部の所得格差が大きいので、廈門のような大都市の裕福な人々は、あまり日本と差がないのかもしれない。

< 10. 驚きの光景 >

上: 麗江の忠义市场にて、生肉を手に取るお客

ここは古城の隣にある大きな市場で、あらゆる食材が売られています。

中でも驚いた光景がこれでした。

15年ほど前、中国福建省の田舎を走っていると、道端でこのような肉の販売風景を見て驚いたことがあった。

今回さすがに、どこに行っても道端の屋台で生肉を扱っているのを見なかったが。

やはり衛生意識はまだ低いようです。

もっとも中国では、魚と肉を生で食べることは無いので、問題はあまりないのかもしれないが。

下: 廈門の内海の浜で

朝早く、宿舎を出て浜を散歩していると、ハゼ似た魚を獲っている漁師を見た。

この内海には大きな干潟が広がり、そこには一辺20mほどの四角に仕切られた浅い池が無数にあり、そこで漁をしているようでした。

写真に写っている川は、巨大な団地から内海に排出されている水流です。

魚は新鮮だろうが、不衛生極まりない(浄化槽を経ているかは不明)。

個人で食べるのなら良いが、状況から判断して彼はおそらく市場に持って行くのだろう。

こんなこともありました。

麗江の忠义市场で乾燥椎茸を、蘭州の大型スーパーで乾燥松茸を買った。

その後、半年ぐらい料理で使っていると、忠义市场で買った椎茸からは蛾が湧いたので捨てた。

スーパーで買った松茸は最後まで美味しく食べた。

残念ながら中国の食品は、まだ安心出来ないようです。

しかし中国の生活水準が急速に良くなっているので、いつまでも悪い状況が続くとは思えないが。

それにしても現地で食材を買うのが楽しみなだけに残念です。

< 11. 夜の賑わい >

上: 北京にて

下: 昆明にて

共に大都会の夜は、イルミネーションが輝き、若い人で溢れている。

ビルの中の飲食街の店舗は、料理や運営システムを日々革新させていると感じた。

けっして昔のままの姿ではない。

* 中国と北欧と日本

北欧人が求める暮らしとは、自然の近くで家族や友人と共に過ごすことであり、遅くまで仕事をして会社に滅私奉公をすることではない。

また多くの人は夜遅くまで町中で騒ぐことを楽しみにはしていないようです。

もっとも観光情報によれば、ストックホルムではナイトライフを愉しむレストラン街が増えているようでしたが。

中国では、精一杯働いて稼ぎ、夜、町中に出て愉しむことで英気を養っているように見える。

彼らには国が発展すると言う確信がみなぎっているように見えた。

これが活力を生んでいるのだろう、かつての日本もそうでしたが。

中国と北欧には似た所がある、それは共稼ぎであり男女平等と言えるかもしれない。

だが中国労働者の生活スタイル、労働と娯楽のパターンが日本と同じように思う。

自由経済と急成長がそうさているのかもしれないが。

では日本はどうだろうか?

30年ほど前に経済のピークを終え、豊かにはなったが、さりとて北欧のように、会社人間から家庭第一に切り替わる気配は無い。

また家事分担も含めて職場でも男女平等は大して進まなかった。

むしろ経済が停滞する中で、かつての栄光の余韻に浸り、昔ながらの愉しみを引き摺っているように思える。

ただ中国の一部の衛生観念の低さを見るにつけ、東アジアと北欧の違いが目に付く。

推測に過ぎないが、中国の報道機関が適正に働いていないことが、最大要因では無いだろうか。

報道機関が、日々の生活上の問題、例えば公害や衛生問題などを厳しく指摘するようになれば、社会は日常的に是正されて行くはずです。

この点に中国の弱さがあるように思う(将来の日本も)。

ちなみに報道の自由度では、北欧4ヵ国が世界トップ1~4位を20年間ほぼ維持し続け、中国は悪化傾向にあり現在177位で、180ヵ国中最悪に近い。

日本も悪化しているがかろうじて66位で、民主党政権時代は11位になったこともあった(政府次第です)。

次回に続きます。

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徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 13: 祖谷のかずら橋


*1

今回は、祖谷渓を代表する祖谷のかずら橋を紹介します。

これは国指定重要有形民俗文化財です。

以前紹介した奥祖谷二重かずら橋と似ていますが、こちらの方が下流にあり観光に便利です。

< 2. 散策地図、上が北 >

上: 祖谷川と祖谷のかずら橋、落合集落

赤矢印が落合集落、黄矢印が祖谷のかずら橋です。

平家落人と安徳帝の伝説の地は、この祖谷のかずら橋から上流の山間に点在し、多くは落合集落までにあります。

下: 散策ルート

2020年6月9日、朝5時から6時まで散策しました。

散策ルートはオレンジ線のSで始め、Bまで行き、黄線で河原に降りて、その後、元へ戻りました。

途中の白線は、祖谷川に掛かる鉄骨構造の橋です。

青線は、旅館をチェックアウト後、車で走ったルートで、Cが最後の写真の位置です。

< 3. 旅館を出て、橋の中央まで >

上: 祖谷街道から下流側を望む

下: 鉄骨構造の橋の上に着いた。

ここから、かずら橋がよく見えます。

朝早いこともあるが、季節外れと新コロナもあり、閑散としていた。

朝は曇っていたが、後に晴れた。

< 4. かずら橋と琵琶の滝 >

上: かずら橋

渡るのは有料で、営業時間以外は閉めてある。

平家落人が源氏追討軍が攻めて来た時、直ちに橋を切り落とす為に、このかずら橋を掛けたと伝えられている。

下: 琵琶の滝

かずら橋を左に見ながら道を少し行くと、右の崖に滝が見える。

平家落人が京都を偲び、この滝で琵琶を奏でいたことから名づけられたらしい。

< 5. 河原に降りて >

上: 下流側を望むと、谷間を繋ぐかずら橋が見える

下: 上流側を望む

< 6. かずら橋 >

上: 祖谷川の左岸から

下: 鉄骨構造の橋から

*7

< 8. 祖谷街道と宿泊旅館 >

上: かずら橋から祖谷街道へ戻る途中

中央に、一泊した祖谷観光旅館が見える。

この旅館は民宿の趣があります。

私がここを選んだのは、かずら橋に近く、安さもあるが、さらい良いことがあったからです。

一つは、高齢の女将さんと、祖谷のことについて色々話が聞けたことです。

話好きな人でした。

今一つは、祖谷の素朴な家庭料理を夕飯に出してくれたことです。

アマゴや山菜料理、蕎麦、コンニャク、タケノコが出ました。

残念ながら建物が古く、日本客は普通選ばないかもしれません。

コロナ騒動がなければ、この旅館に海外の観光客、中国人などがよく来たそうです。

海外の人には、日本の旅籠と感じられるでしょう。

下: 祖谷観光旅館の前の祖谷街道から下り側を望む。

< 9. かずら橋夢舞台 >

今回で、祖谷のかずら橋を訪れたのは4度目です。

以前は、このような巨大な駐車場やバイパスが無く、狭い祖谷街道は車の渋滞が延々と続いたものでした。

この「かずら橋夢舞台」は大型駐車場・イベント広場・物産館・食堂「かずら橋亭」からなる大型観光施設です。

上: 祖谷街道側から対岸のかずら橋夢舞台を見た

下: 左岸を車で通過した際、かずら橋夢舞台を振り返った

< 10. 左岸のバイパスから下流を望む >

これから下流の橋を渡り、また上流側に向かって祖谷街道を走り、平家の落人伝説の地を巡ります。

次回に続きます。

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デマ、偏見、盲点 31: 嘘は本当か?


*1

ここ10年ほど、日米で絶望的な社会現象が進行している。

それは議論をしようとすると、「それは嘘だ!」と全否定されてしまうことです。

この問題を解き明かします。

*2

* 「それは嘘だ!」と言った海外の人

A: 私がサンクトペテルブルクを旅行している時でした。

若い女性のロシア人通訳に、私はこっそり聞いた。

「プーチン大統領は欧米で評判が悪いが、どう思いますか?」

既に彼女とは、ロシアの世情や外交について話していたが、肯定的な答えしか返ってこなかった。

知的で温和だった彼女は一言、「欧米のマスコミは嘘ばかり」と吐き捨てた。

モスクワで会った通訳は、徹底したプーチン信奉者でしたので、まったく噛み合わなかった。

B: ワルシャワを旅行している時でした。

若いポーランド女性の通訳に聞いた。

「私は映画『シンドラーのリスト』を見たが、大戦時、ポーランド側のユダヤ人の扱いも悪かったのではないですか?」

既に、私はワルシャワのゲットー跡を観光し、彼女から説明を聞き、更に突っ込んで大戦時の状況を聞いていた。

彼女は、「そんなことは無い。その映画の監督はユダヤ人だから酷く描いている!(嘘だ!)」ときっぱりと言った。

私にしてみれば、当時のポーランドが非道に加担していたからと言っても問題にはならないと思うのだが。

*3

C: 来日している米国の若い女性と話をした。

今年初め、私は彼女に聞いた。

「トランプさんは米国のマスコミの評判が良くないが、どう思われますか?」

彼女はトランプ大統領の支持者で、私はトランプ氏の政策や行状について幾つか指摘したが、当然、彼女はトランプ氏を擁護し続けていた。

彼女は、「マスコミは嘘ばかりです!」と言い切り、それ以上、話は出来なかった。

彼女はFox Newsを見ているとのことでした。

* 日本の状況はどうでしょうか?

政府の議会運営や歴史認識などを論じようとすると、決まって「マスコミ、朝日は嘘ばかりだ!」と言われて幕切れとなります。

話がまったく噛み合わない。

* 何処に問題があるのか? 

都合の悪い情報を、みな嘘にして無視してしまうと生産的な話が出来ない。

今まさに日米でこの状況が進んでいる。

真偽を確かめる姿勢が完全に失われてしまった。

嘘が悪い事は自明ですが、どちらが嘘をついているかが問題です。

「大統領、首相が嘘を言っているとマスコミは報じているが、マスコミが嘘を言っているに過ぎない」

この難題を解明する手立てはあるのでしょうか?

幾つか真贋を見分けるヒントがあります。

順位、  国、   報道の自由度の状況

45位、 米国、   満足できる状況

62位、 ポーランド、顕著な問題

66位、 日本、   顕著な問題

149位、ロシア、  困難な状況

177位、中国、   深刻な問題

これは2020年度の世界報道自由度ランキングで、良い方から並べました(各国の弁護士やジャーナリストの意見集約結果)。

下になるほど、その国の報道の自由が侵害されている。

言い換えれば、暴力や権力によって正しい報道が出来ない状況にあります

このことから米国の報道は、ロシアや日本よりは、政府に対して堂々と批判出来ていると言えます(完璧ではないが)。

(但し日本と米国はここ10年ほど悪化しています)

それでもFox Newsのように、視聴率が2位でも信頼度では、Wall Street Journal、ABC News、New York Times等より落ちて13位に過ぎないマスコミもあります。

このように信頼出来ないが、影響力のあるマスコミも混在します。

(このランキングはReuters Institute Digital News Report 2019のもので、各国のオンラインニュース視聴者の世界的な調査結果です)

逆に言えば、日本のマスコミは真実を報道し難いのです。

つまり大半のマスコミは政府に都合の悪い事実を隠蔽し、政府に忖度した虚偽報道している可能性が高い(かつての東欧の放送がそうでした)。

逆に、真実を伝えようとする報道機関は政府から非難され圧力を受けます。

これは単純明快な事実です。

太平洋戦争時、日本の民間も政府も虚偽報道を続け、これはナチス時代のドイツも同じで、破局へと突き進みました。

ベトナム戦争時、当初米国の報道機関は真実を伝えることが困難でしたが、やがてテレビによって真実を伝えるようになり、反戦機運が盛り上がりました。

当然、ロシアや中国の体制では、真実の報道は期待出来ない。

つまり、「嘘」と簡単に言い切る人は、既に体制側の虚偽報道や発言に洗脳されていると自分を疑ってください。

*4

* どちらの嘘が深刻か?

嘘でも可愛い嘘もあり、悪意が無くても深刻なダメージを与える嘘もある。

政府側や権力側の嘘と、報道機関側の嘘とどちらが深刻かを考えます。

歴史を振り返ると、両者の嘘の重みが見えて来ます。

報道機関が政府を批判する為に虚偽報道を行って騒乱が起きることはあります。

一方で、政府が虚偽報道によって戦争を正当化し開戦したり、反対勢力を弾圧することは数知れずあります。

大統領の嘘は、独裁の始まりであり、進めば独裁政権誕生です。

これは先日掲載した「連載中 何か変ですよ 219: 恐れろ!怒れ!止めろ!」で事例を挙げています。

国民にとって、深刻なのは権力側による虚偽報道・発言です。

なにせ権力によって報道機関や言論を抑圧することが容易で、実力行使出来るのですから。

特に、報道の自由度が低い国(日本、ロシア)では、御用新聞が幅を利かし、真実を暴くことはかなり困難が伴うのです。

つまり報道の自由度が低い国ほど、多くのマスコミは政府に都合の良い嘘をつくのです。

* 嘘を見抜く

人間には、嘘をつく人間を注視し遠ざける本能のようなものがあります。

心理学の実験で確かめられています。

そうは言っても、いつの世にも詐欺師は横行しており、多くの人には判別は難しい。

大戦前、ヒトラーの嘘(本性)を見抜けたドイツ人はほんの一握りでした。残念ながら、独ソ戦で優秀な日本政府や軍部首脳も裏切られましたが。

ヒトラーは嘘が上手く、それ以上に大衆を煽動する悪知恵に長けていた(彼は表で清廉潔白を装い、裏で策動を繰り返していた)。

少なくと、嘘を平気で繰り返す人物に国を託すことは絶対やってはいけない。

つまり、政府首脳が嘘をついているかどうかを確認することは必須なのです。

* 結論

「嘘」の問題点と見分け方を整理します。

  • 証拠を嘘だとして拒否することは簡単だが、賢明ではない。
  • あなたは国の報道統制下に染まっており、何が嘘か見えていない可能性があると疑うべきです。
  • 嘘を疑うなら、権力者や政府の発言・報道こそ注視すべきです。彼らの嘘は通り易く、実害が大なのですから。
  • 幾ら心地良いことを言っても、嘘をつく人物を信用してはならない。まして国を任すのはもってのほかです。

単純な話だが、欲や感情に支配され惑わされる人々は、いつの世にも一定数存在します。

このような人々がナチス時代を先導し、悲劇が繰り返されるのです。

これで終わります。

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中国の外縁を一周して 57: 中国と北欧、そして日本 2: 各国の旅行事情


*1

前回は、各国の余生と余暇の過ごし方を紹介しました。

今回は、各国の旅行事情を紹介します。

それぞれに違いがあり、お国ぶりが見えて来ます。

< 2. スウェーデン、ストックホルムにて >

上: 中央駅地下一階にて、コンコースの真下

2018年6月1日、金曜日。

ここには鉄道と郊外電車、地下鉄の駅が集まっているので、行き交う人は多い。

下: ドロットニングホルム宮殿行きのクルーズ船乗り場にて

2018年6月3日、日曜日。

人気観光地の市庁舎が直ぐ隣りあります。

私が乗った船は満員で立ち続ける人もいた。

乗船客は白人ばかりで、他の人種、特にアジア系の人を見ることはなかった。

夫婦や少数グループが多く、添乗員が引率している団体ツアーは見なかった。

< 3. カールスタッドとオスロにて >

上: カールスタッドの鉄道駅のホームにて

2018年6月4日、月曜日。

オスロ行きの国際列車が4時間以上遅れて到着するのですが、乗客がホーム中心に集まって不安げに待っている。

彼らの一人が私に一緒にと声を掛けてくれたが、私は英語が出来ないので一人離れてしまった。

北欧を旅していると、列車の中や至る所で人の温もりを感じた。

ただストックホルムでは、駅や空港で業務として関わる人は、英語が喋れないと冷たくあしらうことがあった。

他の二ヵ国ではなかった。

下: ヴィーゲラン公園のゲート近くにて

2018年6月6日、水曜日、8:30~9:00に公園を散策。

写真はインドからの観光客一団です。

この公園を観光している人は少なく、市民をちらほら見ただけでした。

アベックや犬の散歩、自転車で行き交う人々でした。

ゲートを出ようとしていると、韓国人らしい一団とインドからの一団がゲートから入ってくるのを見た。

私の公園訪問が朝早すぎたのでしょう。

< 4. フェリーと地下鉄にて >

上: オスロ湾を行くフェリーにて

2018年6月6日、水曜日。

このフェリーはコペンハーゲンとを結ぶ国際航路です。

フェリーの後部デッキでは乗船客がクルーズ気分を楽しんでいた。

デッキは白人ばかりで、明かに旅行客風でした。

乗船時にはアジア人の小グループ、食事中には日本人ツアー客も見かけま

した。

私も含めてアジア人はまだクルーズ船のデッキで寛ぐことに慣れていないようです。

下: オスロの地下鉄にて

2018年6月5日、火曜日。

早朝の移動中に、彼は私に関心を示し、寄って来て声を掛けてくれた。

彼は、彼の日本旅行について話してくれた。

彼は数年前、奥さんと長男(写真の子ではない)で2ヶ月間、日本を旅行したそうです。

特に富士山登山が気に入ったそうです。

彼の日本の印象は非常に良かったようで、私ともっと話したかったようだ。

* 北欧三ヵ国で見た旅行者

北欧を巡っていると、白人は夫婦や少数のグループで旅行していることが多い。

観光地で見かけた白人が外国人かは判然としないが、多分に近隣諸国からの人もいるようだった。

一方、気になったの日本人の少なさです。

ストックホルムで、数人の日本人ツアー客らが自由時間を楽しんでいるのを見たことはあったが、他ではまったく日本人を見なかった。

コペンハーゲンの図書館で、現地に暮らしている日本人親子とあっただけでした。

たまたま、空港で宇都宮弁護士の北欧訪問に随行した人々を見かけてホットした(会話が聞こえたので分かった)。

あまりポピュラーでない観光地(野外博物館)などで、韓国人の団体ツアーを見かけたことはあった。

一番感心したのは、私がデンマークのシェラン島の端まで観光しようとしていると、中国人の母娘がそれを上回る意欲的な観光を計画していることでした(行先が聞こえたので分かった)。

今まで西欧や東欧などを旅行した時、何処に行っても中国の団体ツアーと出くわし、彼らのマナーの悪さに辟易したものでした。

しかし、北欧の旅で見た中国人は、少数のグループで都市部の宮殿や地方の観光地を自由に旅していた。

ひょっとすると、現地に移民した人が、友人や家族を案内している可能性もある。

少数の東南アジア人グループを観光地で見かけたが、これもそうかもしれない。

その内の誰かが英語を話せるのだろう。

それにしてもまったく日本人を見ない。

日本人の海外進出意欲の減退に危機感を持った。

単に、国が貧しくなったからかもしれないが。

日本人の出国人数は年々増加し2千万人を越えたのだが、実は、一人当たりの旅行費用は約20年前より35%ほど低下し、ここ数年の円安も加わり旅行先は手頃な所になっているのでしょう。

一方、中国人の海外旅行者数は15年間で3千万人から1億3千万人に増えており、うなぎ上りです。

こうして世界中の観光地は中国人が溢れるようになった。

< 5. 麗江と北京にて >

上: 麗江の新幹線駅にて、ここは始発駅です

2019年10月27日、日曜日。

ホームは、改札を終えてこれから乗車する人で一杯になった。

乗車する人は年配者もいるが、多くは若いか中年の軽装の旅行者でした。

30年ほど前、広州から香港へと列車で移動した時は、若い人は少なく、大きな荷物(安ぽっい袋)を持った中年以上の人で列車は一杯でした。

中国では、その後、経済成長に伴って国内旅行が爆発的に増えた。

ここ10年の中国で驚かされるのは、至る所に出来た新幹線駅が巨大すぎることです。

本当に歩くのが疲れる。

しかも、私が乗った連結数の多い列車はいつも満杯に近かった。

中国の新幹線網は日々延びているので、旅行する時は、新幹線が通じているかもしれないと疑ってみることです。

駅は空港より便利な位置にあり、本数も多い、但し運賃は安くは無いが。

下: 北京の天安門広場にて

2019年10月19日、土曜日。

この時は、中国建国70周年年の記念事業があったので、広大な広場は人で埋め尽くされていました。

< 6.北京と麗江にて >

上: 北京の飲食店にて

2019年10月17日、木曜日、夜9時を過ぎた頃。

王府井を歩いて驚いたのは、夜が更けると若い人々は通りから去り、年寄りを含む団体ツアーが闊歩しているのが目立ったことです。

これは多くの店が閉まるからなのですが、まだ若干の飲食店が開いているので、そこにツアー客が押し寄せるのです。

ツアーの中には年齢から見て勤め人もいるはずですが、このように平日も旅行出来るようです。

その元気さに、かつての日本人の海外旅行熱を思い出しました。

私達日本人も夜遅くまで観光地を出歩き、また多くの人はブランド店で数十万円を費やし、バックなどを買い漁っていた。

そんな時代は遠い昔となったが。

下: 麗江の飲食街にて

2019年10月25日、金曜日、夜の7時頃。

麗江は、私にとって中国で唯一の残された歴史的な町並みのはずでした。

客家土楼なども歴史的な建物が残っているが、街並みと言う点では異なります。

楽しみにしていた開封の街並みも、真に歴史的なものはなかった。

麗江の町並みは土産物・飲食店街と化し、さらに夜になると音楽と歌声が鳴り響く古镇のテーマパークと化す(それでも充分に中世の雰囲気は味わえます)。

夜遅くまで彼らは歴史地区で歓談し飲食している。

少し失望したが、中国の商魂たくましい姿に苦笑いし、非日常を精一杯愉しむ人々の姿に圧倒された。

< 7. 頤和園と什刹海公園にて >

上: 頤和園の昆明湖に面して

2019年10月19日、土曜日。

もの凄い人出で、建物で囲まれた中庭では押し競まんじゅう状態でした。

圧倒的に中国人の団体ツアーが多い。

添乗員の旗を見ていると、中国各地から来ているのがわかる。

ラフな服装で、旅を満喫している姿が印象的でした。

下: 什刹海公園にて

2019年10月18日、金曜日。

20台にも達しそうな人力車の行列が湖沿いの道を通って行きます。

もの凄い観光客が周囲を埋め尽くし、人力車は団体客で満杯でした。

* 中国で見た旅行者

ここ30年間、中国を旅するようになって驚くことの一つは、国内旅行が年々盛んになっていることです。

15年以上前、当時日本ではほとんど知られていなかった客家土楼を友人の案内で見学した時、一人の中国人旅行者が一眼レフで撮影しているのに驚いた。

それまでの中国観光でこのような事を見ることはなかった。

当然、そこにいるよそ者は私と友人、そしてそのカメラマン一人だけでした。

また廈門の海岸に案内してもらった時にも驚きの光景を目にした。

夕陽が沈む砂浜で、百人を越える人々が海岸線に並び、立ち尽くしていた。

友人の話によると、彼らは海の無い貴州省(雲南の東北で隣接)から来た人々だった。

しかし今は異なる。

帰国時、私は昆明から関空に向かう機内で若い中国人女性に声を掛けた。

彼女はツアーで日本に初めて旅行するとのことでした。

彼女は日本のことをほとんど知らないようでした。

今は、中国各地と日本の間に多くの直行便があります。

私にとっては中国の航空運賃は安いが、彼女にとってはそうではないはずです。

昆明では日本人観光客をまったく見ることがなかったし、昆明では日本があまり知られていないように思う。

実に、彼らは気楽に旅をするようになった。

また成都をタクシーで観光していた時、通訳を介して知ったのですが、運転手の娘さんがちょうど大阪を観光していた。

そして、大阪の貧弱な宿泊ホテルに娘さんが驚いて、その写真をメールで送って来たそうです。

おそらく民泊のことだろう、恥ずかしくなった。

中国では一泊1万円も出せば、非常に立派なホテルに泊まれるのだが。

こうして中国の人々は余暇を楽しみ、海外や日本を知ることになるだろう。

これは誤解を遠ざけ、相互理解を育むだろう。

世界の進んだマナーや文化を知り、異なる国の実態を知る事になる。

2019年の中国国内旅行者数は60億人を越えており、伸び率は9%もありました(一人当たり年4.3回=60億/13億)。

同年、日本では一人当たり年4.6回で伸び率4%でした。

それにしても、今回、中国を旅していて、白人や日本人の観光客を見かけたことはなかった(外縁部を周ったせいもあるが)。

明かに以前に比べ日本人観光客は減っている。

現地の日本語ガイド達が嘆いていた。

これは年々日本政府が右傾化し、中国への恐怖を煽ったのが一因でしょう。

残念です。

白人観光客も少ないが、麗江の木府でチェコから来たツアー客にあった。

私が訪れたプラハやチェスキークルムロフについて語ると彼らは喜んでくれた。

旅先の出会いには心温まるものがある。

中国には年間1億5千万人ほどの外国人観光客が来るのですが、国土が広いので目立たないのでしょうか?

* 日本の残念なところ

北欧の人は海外に強い関心を持っており、高校生ぐらいから海外へ長期に出かけることになる。

これは文化もあるが、語学教育や休学制度、企業の採用慣習も後押ししている。

ヴァイキングの開拓精神がここにも息づいているように思える。

スウェーデンでは国民の約60%が年に一度は海外に出かけるそうです。

これが北欧の企業や人材の国際化を生み続けている理由でしょう。

中国では、既に日本人口を越える人が海外に行き、その人口割合も日本(15%)をもうすぐ超えるでしょう。

中国人の一番の海外旅行先は日本で、次いで東南アジア各国が続きます。

しかし、日本人の行先は一番が台湾で、ハワイ、韓国、イタリアが続き、中国は20番にも入りません。

日本人は上海には行くようですが。

こうして中国人の日本評価は高まって来ているが、一方で日本人の中国理解は、政府と右翼の煽動もあり悪化し続けている。

日本人の長期海外留学は減り、年追うごとの経済衰退に連れて、日本人は世界や近隣諸国への興味と理解が乏しくなっている。

一方中国は、外国人にとって日増しに旅行がし易くなっている。

多数ある航空会社、新幹線、ホテルを日本からインターネットで予約出来、また旅行サイトTrip.comを使えば日本語で予約出来る。

安全やサービスも問題ない。

中国の地図アプリなどをスマホにインストールすれば便利です。

中国語に馴れる必要はあるが。

VPNサービス(有料)を利用すればグーグル翻訳も使えます。

トイレはヨーロッパより便利で急速に綺麗になって来ている。

さらにすべてにおいて安いのが良い。

ヨーロッパ旅行の半額で行けます。

偏見を持たずに中国を旅行してください。

驚きの連続ですよ!

次回に続きます。

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連載中 何か変ですよ 219: 恐れろ!怒れ!止めろ!


*1

人はじわじわと迫って来るものには恐怖を感じない。

自然災害や金融危機が繰り返すたびに巨大化しても!

さらには民主主義が日々破壊されて行っても!

まるで対岸の火事を見る野次馬のように

* 何を恐れるべきか?

今回、米国国民はかろうじて危険な大統領を退ける意思表示を行った。

だが、大統領による異常な民主主義の破壊が止まらない。

実は、この愚行は日本にも既に蔓延している。

現大統領が敗北を逃れるためなら手段を選ばず、さらに国を二分する共和党の指導者と支持者らも片棒を担いで恥じない。

これこそ泥沼の戦闘状態だ。

かつて過激な共和党議員が「政治は戦争」「文化戦争だ」と、ここ40年の間に言って来たことだ。

トランプ大統領の稚拙で悪意ある言動が米国だけでなく世界を掻き回している(フェイクは2000件を越える)。

< 2.ある保守の妄言 >

トランプは、11月4日のワシントンの抗議集会について「参加者、数十万人に感謝」とツイートし、ホワイトハウスの報道官はこれを百万人と公言した。

しかし日米の代表的なマスコミは、これを数千人から1万人強だとした。

やがて、数十万人が通りを埋める写真や動画が出回り、日本のウヨと保守も便乗して気勢を上げた。

「トランプの人気は絶大だ!」「真実を隠すマスコミを信じるな!」と。

ところが11月17日、オンラインメディアのBuzzFeed が、ファクトチェックの結果を公表した。

出回った写真や動画は、カナダの優勝行進や、2017年のワシントンで行われた反トランプ集会のものだった。

< 3.武漢ウイルス >

今年7月、香港のウイルス女性専門家、閻麗夢が米FOXニュースで暴露発言を行い衝撃が走った。

「新型コロナウイルスは武漢ウイルス研究所で作られた」と。

正にトランプの指摘通りだった。

トランプ支持者と日本の保守は沸き立った。

彼女の発言が怪しいと踏んだ米ツイッター社はこれを制限し、これがまた言論の自由を破壊すると非難する輩も現れた。

しかし11月20日、米ニューヨーク・タイムズが暴露記事を出した。

かつての主席戦略官のバノンと、米国に逃走した中国大富豪が仕組んだ扇動だったと。

彼女の不確かな発言が、トランプ支援派と反中国派に利用され、中国敵視の火に油を注いだ。

米国の至るところで、中国人と東アジア人が罵られ暴行を受けるようになった。

< 4.ナイラ証言 >

これと似た事が、1990年の共和党政権でも起きていた。

ある委員会で、少女ナイラは涙ながらに侵攻したイラク軍による残虐行為を訴えた。

この証言によって米国世論は一気に湾岸戦争へと沸き立った。

しかし、これがまったくの嘘だと判明した。

湾岸戦争突入後ではあったが、この時もニューヨーク・タイムズが暴露した。

「新生児を虐待死させた事実はなく、実は、ナイラはクウェート駐米大使の娘で、芝居だった」と。

この手の嘘や煽りは、ベトナム戦争のトンキン湾事件などでも起きた(民主党政権)。

1948年に始まる言論弾圧と職場追放の赤狩りも一共和党議員が始めた。

既に、米国民の半数弱と政党が党利党略の為なら民主主義を捨てつつある。

日本も同様で、前首相や周辺によるただならぬ虚言・隠蔽や議会運営がまかり通っている(森友・加計、桜を見る会など)。

皆さん、民主主義の破壊が進んでいることを恐れて欲しい!

< 5. 季節と政治は巡る >

* 何に怒るべきなのか?

今、米国だけでなく日本と西欧にまで、虚言を弄し対立を煽り、都合の悪い事実を隠蔽し、反対派を封じ込め、絶大な人気を得て、国を操ろうとする政治家が力を得ている。

このまま進めば、民主主義が破壊され、やがて独裁者が生まれ、遂にはいとも簡単に戦争を始める。

これは、かつての日独伊のファシズムへの歩みに酷似している。

歴史上繰り返された悲惨な状況は、独裁国家の末路と断言できる。

多くは独裁による自由と人権を奪われた社会、そして戦争でした。

当然、これは社会背景があってのことだ。

今、日米欧の経済状況は大戦前ほど酷くは無いが、ここ40年ほどで大多数の国民が不満(貧富の差拡大とマイノリティ優遇)と焦燥感を持っようになったことが大きい(中間層の没落)。

しかし、先ずは政治家による民主主義の破壊行為に怒るべきだ!

馴れてしまってはいけない。

民主主義は社会が正常に機能する最低条件なのだ!

* 何を止めるべきか?

現実に起きている民主主義の破壊を止めることが急務です。

政府やトップが繰り返す虚言・隠蔽・捏造・ミスリード、また議会運営と行政で頻発する規範逸脱は民主主義破壊の始まりです。

今は、小さくても放置すれば、確実に取り返しのつかない末路が待っている。

私達日本人は、米国のように対立する政党に対して、勝つためなら規範破りや社会正義の無視を正当化させてはならない。

放置すれば、やがて互いに泥沼に嵌り、最悪の事態になるだろう。

今、皆さんが出来ることは、政府や議員が民主主義のルールを破れば「ノー」の態度を示す事です。

少なくとも選挙で!

皆さんの良識に期待して、終わります。

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徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 12: 深い谷に張り付く落合集落


*1

今回は、祖谷を代表する山村を紹介します。

この落合集落は重要伝統的建造物群保存地区に指定され、

江戸末期以降の山村の風情を今に残しています。

< 2. 祖谷の全景 >

上: 上が北で右が上流、写っている東西の距離は約35kmです。

緑のバルーンが二重かずら橋、赤のバルーンが宿泊地の西祖谷のかずら橋です。

私は紺色線の祖谷川沿いの祖谷街道を車で走りました。

赤矢印が落合集落で、矢印の方向に眺めています。

黄色の矢印は、吉野川上流の大歩危辺りです。

上の茶色の矢印は東西に流れの向きを変えた吉野川に面する貞光の町です。

黒矢印は剣山頂上で、ピンク矢印は三嶺山の頂上です。

中央: 上が北で、右が上流です。

白い枠が落合集落、ピンク枠が平家伝説が伝わる栗枝渡です。

赤矢印は概ね祖谷川対岸の展望所からの撮影方向です。

東西(左右)に曲がりくねっている線が、祖谷川と祖谷街道です。

私は右側から下って来た。

下: 上が東で、上流です

赤矢印は概ね祖谷川対岸の展望所からの撮影方向です。

ピンクの矢印は、三嶺山の頂上で、もっと奥に剣山があります。

私は上部から下って来た。

二枚の写真から分かるように、祖谷川の両斜面、それも高い所に山村が散在している。

谷底を行く祖谷街道を走っているだけでは、これら村の全容は分からない。

< 3. 落合集落展望所 >

上: 展望所に行く途中、道路工事で30分ほど足止めされた。

この時、上流側を見ると、幾重にも造られた砂防ダムが見えた。

この後、至る所で作業中の道路工事に出くわした。

後に理解出来たのですが、この祖谷は道路やダムなどの公共工事(建設業)が重要な産業なのです。

なんと就業者の人口比率は建設業が40%近くあり、農業は3%以下に低下しているのです。

観光で暮らしいる人も多く、中国の観光客も訪れるそうです。

2017年の大歩危・祖谷地区の外国人宿泊者数は2万人近くになり、10年で34倍になったそうです。

ただ今年はコロナで閑散としていました。

この地は、日本三大秘境の一つと言われ観光に恵まれている。

一方、同じ徳島県でも素晴らしい海岸を持つ海部郡が、観光客に恵まれないのは残念です。

下: 落合集落展望所

ここは集落を眺望する対岸の高台に設けられている。

この展望所には三方から車で行け、駐車場とトイレが備わっています。

非常にありがたい。

但し、上流側から行く道は道幅が狭いので避けた方が良いでしょう。

< 4. 落合集落と周辺 >

上: 左の山の斜面に落合集落が見える。

下: 右の山の斜面に落合集落が見える。

< 5. 落合集落の全景 >

一度、歩いてみようと思い、下まで行ったが、とても気後れして止めた。

私には集落の平均斜度が45度に思えた(実際は無いだろいうが)。

* 落合集落

落合集落は一つの峰が祖谷川に落ちる南斜面にあり、東西750m、南北850m、高低差390mある。

この集落の起源は南北朝時代まで遡り、祖先は南朝方で戦ったらしい。

茅葺の家、畑・道・家屋を擁壁した石積み、猫の額ほどの畑が急斜面に積み重なるように連なっている風景は独特です。

現存する家屋や石垣、石の階段の道(里道)などは江戸末期に遡るものがあるそうです。

ただ多くの畑は放置され、草が蔓延っている。

高齢化で担い手が減る一方です。

ここは特に平家落人伝説との関りがないようです。

ただ、この左手、少し下った祖谷川を挟んで9ヶ所ほど、また直ぐ上流二ヵ所に安徳天皇や平家に纏わる遺跡がある。

これら遺跡の幾分かは次回紹介します。

ここで二つの落人集団(平家とな南朝方)を想定すると面白い。

平家の落人が祖谷に来たのが12世紀末(壇ノ浦の戦い後)で、落合の祖先が南北朝時代なら14世紀だったはず。

つまり平家の子孫が先に陣取っていたので、後から来た落合の祖先は更に上流に行かなければならなかった。

こうして平家の史跡は落合より下流に多いのだろう。

それにしても不思議なのは、こんな奥地に逃げて来て、生計をどのように立てのだろうか?

宿の主に聞いたり、資料を見ると、幾らか分かって来た。

貞光川の中流の一宇もそうだったが、祖谷もタバコ栽培で共通していた。

この落合では、他に馬鈴薯と麦の栽培、養蚕が行われていた。

しかし日本の高度経済成長に伴って、過疎化が進展し、農地は放棄され、杉の植林や雑草地が増えて行った。

かつて、この祖谷では年二回の焼畑によって、ヒエ、アワ、ミツマタ(和紙の原料)、蕎麦、大豆、麦が栽培されていた。

明治以降、ミツマタと煙草は貴重な現金収入となったが、1990年までには終止符を打った。

このような山腹の畑で給水はどうしたのか?

山がちな淡路島なら、山腹の上部にまで造られた溜池が役割を果たしている。

スペインの丘にある城塞都市なら、川底に達する深い井戸か水道橋が不可欠だった。

じっくり観察していないが、この地の集落で井戸は目に付かなかった。

この疑問は、西祖谷の旅館に泊まって氷解した。

旅館の水はすべて湧水で、散歩していても至るところで湧水が勢いよく流れ落ちていた。

どうやら地質の関係で、豊富な湧水が昔から得られたのが幸いしたのだろう(祖谷川の南斜面に多いらしい)。

下: 落合集落の上部を望遠で

< 6. 落合集落の下部を望遠で >

上: 中央の茅葺屋根の家は長岡家住宅と思われる

ここは標高610mにあり、落合の支配階級の家であったらしい。

明治34年の築とされている。

下: 一番下に家屋が二列に横に並んでいるのは、祖谷川沿いの祖谷街道を挟んでいる町並みです。

この祖谷街道が出来たのは1920年(大正9年)です。

それ以前、この地域の物資輸送や移動はどうしていたのだろうか?

冬は雪が積もるだろうに。

< 7. 展望所を離れる >

上: 展望所が道路脇左に見える

下: 少し離れた所から落合集落を見た

< 8. 栗枝渡の集落 >

上: 右手山の斜面上方の村が栗枝渡(くりしど)

ここからは見えないが集落の更に上部奥に、安徳天皇に纏わる史跡がある。

次回、紹介します。

落合集落から一つ谷を挟んだ下流1kmの峰の端に、この栗枝渡がある。

下: 上流側を見る

< 9. 橋を渡る >

祖谷川にはこのような橋が幾つもあるが、ここは特に見晴らしが良かった。

< 10. 橋の上から上流を望む >

深い谷と深い森が秘境を実感させる。

< 11. 橋の上から下流を望む >

次回に続きます。

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中国の外縁を一周して 56: 中国と北欧、そして日本 1


*1

これから数回に分けて、テーマ毎に中国と北欧を見比べます。

今回は、余生と余暇の過ごし方を紹介します。

そこには日本では考えられない光景がありました。

< 2. 北欧と中国と日本 >

上: 黄色枠が北欧三ヵ国(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)。

赤枠が中国、ピンクの矢印が日本です。

フィンランドも北欧ですが、旅をしていないので省きます。

上記三ヵ国はスカンジナビア三国と呼ばれ、同じ民族、ヴァイキング、国の成り立ちで共通することが多い。

フィンランドは民族が異なる。

下: 今回紹介する北欧三ヵ国の撮影地

A、Bはスウェーデン、Cはノルウェー、D、E、Fはデンマークです。

今回紹介しているのは2018年5月31日~6月10日の旅行時のものです。

また1984年11月中旬にも、デンマークとスウェーデンの首都観光と近郊の会社視察に行ったことがありました。

この時は厚い雲と雪の季節だったので、まったく印象が異なります。

< 3. 中国の撮影地 >

Gは廈門、Hは開封、Iは麗江、Jは昆明です。

今回紹介しているのは2019年10月16日~29日の旅行分です。

これ以前、30年間ほどの間に幾度も中国を訪れています。

< 4. 北欧と中国の楽しみ方 >

上: A スウェーデンの首都ストックホルム近くのメーラレン湖にて

2018年6月3日、日曜日、午前10時頃撮影。

クルーズボートでストックホルムから20分ほど行くと、市民が岸で日光浴していた。

この辺りは住宅地で、個人宅やマンションが丘の上に並んでいた。

メーラレン湖を行くと、多くの家族や恋人、友人達が岸辺や湖で日光浴やボート、ヨットを楽しんでいた。

下: J 昆明の翠湖公园にて

2019年10月17日、木曜日、午後4時台、公園を散策。

大きな公園は市民で溢れ、老若男女問わず家族や一人で、また様々なグループらがのんびり行き来していた。

目立ったのは、広場で大きな集団の輪を幾重にも作り、民謡に合わせて踊っていたことです。

幾つもの少数民族に別れて集団を作り、民族衣装を着ていない人も参加していた。

そこ一帯には、温かみと一体感による高揚感が満ちていた。

ただ踊りに参加している人はほとんど高齢者(50歳以上?)でした。

若い女性も稀に見たが。

この二枚の写真には北欧と中国の特徴がよく現れている。

季節のせいで水辺のシーンが目立つのですが、写っている人々の年齢層が違います。

共通するのは、平日の日中でも多く人が公園や水辺で過ごしていることです。

これは日本と大きく異なる点です。

おそらくほとんどの日本人は平日、日中は仕事、その後は残業、さらに休日も出勤していることでしょう。

< 5. カールスタッドとオスロにて >

これから北欧を見て行きます。

上2枚: B スウェーデンのカールスタッドにて

ここはノルウェーのオスロに向かう国際列車の中間点で、地方都市も見たいので途中下車しました。

2018年6月4日、月曜日、午後4時半から5時半頃まで町を散策した。

上: 駅前から伸びる大通りにて

まだ4時過ぎなのに、テラス席で様々な年齢層の市民が寛いでいるのが目に入り、奇異に思った。

会社勤めはどうしたのか?

しかし、歩を進めるうちに、若い人から高齢者まで、続々と通りに溢れ、見る見るうちに広場の芝生やレストランのテラス席は人で一杯になっていた。

中央: 5時を過ぎていましたが、若い女性のグループが川辺のテラスで水着姿で日光浴を初めた。

ここに来る途中の列車の車窓から、郊外の森林に囲まれた湖岸で日光浴をしている人々を見た。

この6月初めは、厚い雲に覆われた長い冬からやっと解き放たれ、太陽の光を存分に浴びることが出来る夏の始まりだった。

観光季節の始まりでもある。

下: C ノルウェーの首都オスロにて

2018年6月5日、火曜日、午後1時、遊覧ボート上からハーバタウンを撮影。

左にクルーズ船が見え、右1kmにオスロ市庁舎がある。

平日の昼、首都中心部で水着姿で日光浴を楽しんでいる。

オスロ市庁舎の辺りは観光地なので観光客は多いだろうが、この人々は市民だろう。

私はここでも驚いたが、コペンハーゲンに行って更に驚くことになった。

< 6. デンマークにて >

上: D 首都コーペンハーゲンに近い古都ロスキルにて

2018年6月7日、木曜日、午後1時半頃、大聖堂近くの広場で撮影。

高齢者がほとんどで、夫婦や数人のグループが多く、レストランのテラス席で陽を浴びながら、談笑して寛いでいた。

おそらく周辺の市民だろう。

下: E 首都コーペンハーゲンの運河にて

2018年6月7日、木曜日、午後4時半頃、運河を行くクルーズボートから撮影。

首都の運河の至る所で、日光浴、ボート、カーヌーに興じ、海に近い方では中高生達が泳いでいた。

若い恋人や友人同士、そして家族で楽しむ姿が印象的でした。

それも平日の午後4時を過ぎたばかりなのですから。

< 7. コペンハーゲンとヘルシンゲルにて >

上: E 首都コーペンハーゲンの運河にて

上記と同じ。

下: F クロンボー城のある港湾都市ヘルシンゲルにて

2018年6月8日、金曜日、午後4時半頃、街中にて。

この町はクロンボー城と、対岸スウェーデンを結ぶフェリーで人は行き来するのですが、通りは賑やかとは言えない。

それでも通りのテラス席は、談笑する市民でほぼ埋まっていた。

< 8. G 廈門の公園にて >

これから中国を見て行きます。

2019年10月16日、水曜日、午前9時台、市内の公園にて撮影。

この公園は昔ながらの街中にあり、古くからの市民が来るところのようです。

上二枚: 広い緑豊かな公園の木陰では、高齢者グルーブが至る所に陣取り、仲間と楽しい時間を過ごしている。

一人の人はほとんど見かけなかった。

男性グループは将棋などの盤ゲームをやり、女性グループはそれぞれに異なった踊りや体操を行っている。

以前に比べれば、太極拳などの伝統的なものは減って来た。

下: 中国式の譜面を見て集団で詠じている。

西洋音楽ではない。

中国では男女別々に集まり興じる事が多い。

体操や太極拳、詠いは一緒にやることはあるが。

また若い人はほとんど居らず、概ね50歳代以上のようです。

後に、公園に付属の小さな動物園を訪れたのですが、そこはお爺さんとお婆さんと孫一人の三人連れで一杯でした。

中国では、若い夫婦は、一人っ子を親に預けて共稼ぎをしている。

孫の保育園への通いも親がやるのでしょう。

親は概ね50~55歳から定年となり、年金生活に入る。

都会では、働かなくてもやって行けるようだ。

< 9. 開封と麗江にて >

上: H 開封のメインストリートの夜市にて

2019年10月20日、日曜日、午後7時頃撮影。

非常に賑やかだが、子供の姿はほとんど見かけなかった。

若いグループと夫婦、年配のグループが多かった。

下2枚: I 麗江の黑龙潭公园にて

2019年10月25日、金曜日、午後4時頃撮影。

公園で盤ゲームや楽器演奏に興じる人々を数組だけ見かけた。

多くは無かった。

この公園内はほとんど観光客が行き交っていました。

中国では有料の公園や神社仏閣でも、60歳以上になると、ほとんどで半額から無料になっているので、市民は利用しやすい。

昔に比べると、趣味の範囲が広がり、伝統的なものから新しいものまで多様になっているようだ。

* 余生と余暇の過ごし方

  • 中国と北欧で異なること

北欧では、午後4時を過ぎると、多くの人は職場を退出する。

北欧の労働時間は日本より約3割は短く、育児休暇もかなり長い。

北欧の住居は職住接近で、人は平日でも家族や友人と共に家庭や自然の中で過ごすことが多いようです。

中国では、定年を迎えれば50歳代の若さで日々、のんびり暮らし、孫と遊び世話をするのが日課となる(定年は男性が女性よりも遅い)。

だが若い夫婦や独身、学童は忙しいようだ。

また都会で暮らす地方出身者には苦しいかもしれない。

  • 中国と北欧に共通していること

共に定年後はのんびり暮らし、共に広場や自然の中で仲間や家族と過ごしている。

北欧の定年は中国より遅いが、日本や中国よりも豊かに過ごしている。

共に福祉制度、年金制度が整っているからで、日本人が連想する重税感や社会主義国の重苦しさとは無縁です。

北欧二ヵ国については34年前にも訪れて、現地の人に話を聞いており、今回の訪問で、高福祉社会の豊かさが更に良くなっていることを実感できた。

中国の福祉制度は年々改善されているようで、経済成長に連れて更に良くなるでしょう。

 次回に続きます。

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徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 11: 二重かずら橋


*1

これから数回に分けて祖谷を紹介します。

祖谷には深い渓谷美と日本の原風景が残っています。

この旅では、平家の落人伝説と山村の風景を中心に見て回ります。

今回は、二重かずら橋を紹介します。

< 2. 祖谷の全景 >

上: 見越から祖谷を見下ろす

剣山の登山リフトを降りた見越から、西側を見ている。

これから、この祖谷川沿いに下って走る。

下: 剣山と奥祖谷(一部)の全景、上が東側です

赤矢印が剣山山頂、白矢印が見越から上の写真の撮影方向、白四角が二重かずら橋の位置です。

ピンク枠は、平家落人伝説が点在する地域です。

剣山山頂付近の草原は平家の馬場として使われたと伝えられている。

他は渓谷の急斜面に張り付くように遺跡が点在する。

徳島県三好市の奥祖谷は、写真の下側、祖谷川の下流へと更に続きます。

< 3. 祖谷の位置と平家の落人伝説 >

上: 四国の旧街道と奥祖谷

黒矢印が二重かずら橋、赤枠が奥祖谷、上部の赤矢印が屋島です。

奥祖谷は、北は香川県の瀬戸内海岸、東は徳島県の紀伊水道や太平洋岸(海陽町)、南は高知県の太平洋岸の中間点に当たる。

この地は奥深く険しいが故に、行者や山林を生業とする人だけが行き交った。

このことが、源平合戦の後、平家の落人が祖谷川を遡り、この地に住み着いた理由だろう。

下: 平家物語で語られている安徳天皇入水のシーン

平家は屋島(香川)、次いで壇之浦(下関)で源平合戦に敗れ、没落する。

安徳天皇は8歳で、壇之浦で清盛の妻に抱かれて入水したとされる。

しかし安徳天皇は入水せず、落ち延びたとする伝説が各地に残っている。

東は青森県から、西は九州まで十数カ所知られている。

長崎県対馬にもあり、逃れた安徳帝が対馬の大名、宗氏の祖になったとされている。

四国には二つあり、一つがこの祖谷です。

さらに平家の落人伝説は全国に80件ほど知られている。

当然、平家一門の子孫が各地に逃れて住み着いたはずです。

ただ当時は存在が知れると、源氏の追捕が来るので極秘にしたはずです。

これら伝説には、集団や家系などの正統性を高める狙いでつくられたものもあるだろう。

それにしても、この祖谷には安徳天皇ら一行が暮らしていたとしても不思議ではない、そんな趣がある。

< 4. かずら橋に到着 >

渓谷沿いの細い道に、並行して駐車場がある。

上: 上流側を望む

右に料金徴収の小屋、その左にかずら橋に降りる階段が見える。

下: かずら橋に降りる階段

< 5. 一番目のかずら橋 >

ここにはかずら橋が二つあり、また野猿(やえん)もある。

今から渡ります。

< 6. 一番目のかずら橋を渡る >

下: 橋の中央から望む

ここの看板の説明によると

祖谷にはかつてかずら橋が13あり、生活道として使われたが、現在はここの二つ以外、西祖谷の一つしか残っていない。

このかずら橋は約800年前、平家一族がこの地に逃れ、剣山の草原(頂上付近?)を馬場とし、軍馬の調練に、また木こりや漁師などが利用した。

< 7. 一番目のかずら橋から下を見る >

古くは「シラクチカズラ」と呼ばれるつる植物で造られていたが、今は目立たないようにスチールワイヤーで補強されている。

それでも下を見ると、木材の隙間から十数メートル下の川が迫って来る。

やはり緊張する。

< 8.渡り終えて >

川に沿って上流に向かう。

< 9. 野猿(やえん) >

左上: 川幅の中央に野猿が見えた

右上: 野猿のロープを手繰り寄せ、野猿に乗り、川の中央から二つ目のかずら橋を写した。

下: 野猿の内部から反対側の乗り口を見ている。

現在は二本のワイヤーロープで野猿を吊っているが、昔はどうしたのだろうか?

恐らくはこの川を渡る装置は近代に始まったのだろう。

< 10. 二つ目のかずら橋 >

< 11. 二つ目のかずら橋と桟道 >

後に、西祖谷のかずら橋も紹介しますが、こちらの方が周囲に人工的な建造物が少なく、趣があります。

見たことはありませんが秋の紅葉は素晴らしいでしょう。

ただここに来るのが不便な事と小さい駐車場(30台ほど)が欠点です。

次回に続きます。

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