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デマ、偏見、盲点 18: 左翼と右翼の戦争


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今回は、右翼と左翼が思い描く戦争を通して、戦争の危うさを考えます。

ここで指す右翼とは、右翼寄りの人、右傾化した人も含み、左翼も同様です。

 

 

はじめに

先日、私がトランプ大統領の指南役スティーブン・バノンのことを話していたら、思わぬ問がありました。

 

今回のトランプ大統領誕生の最大の功労者はバノンで、彼がいなくては大統領は人気を博すスピーチも政策立案もままならなかったでしょう。

このバノンは政治に強い関心を持ち、右翼のオンラインニュースを立ちあげていた。

彼が目指したの、ホワイトハウスとエスタブリッシメント(支配層)を破壊することで一種のクーデターであり、実現の為にトランプを祭り上げた。

その理由は、現状の腐敗し体たらくなホワイトハウスでは第三次世界大戦を凌ぐことが出来ないと考えたからでした。

 

ここまで説明すると、ある人が「右翼は戦争をしたがる筈なのに?」と言って腑に落ちないようでした。

 

この問には、右翼と戦争に対する誤解がある。

 

それでは皆さん、右翼と左翼どちらが戦争をするのでしょうか? 注釈1.

 

左翼は、右翼こそが軍隊と戦争を望むと信じているようです。

逆に右翼は、左翼こそが暴力を容認し、一方で負け犬になると信じているようです。

 

 

 

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この見方は正しいのでしょうか?

右翼の中には、ヒトラーが社会主義者だから、極悪な戦争を始めたと信じている人がいる。

一つには、ナチスが「国家社会主義ドイツ労働者党」の略称だからでしょう。

歴史を知れば、彼は国粋主義者(ファシスト)で右翼だとわかるはずです。

 

それでは日本が満州事変へと突き進んだ1930年代、この大陸進攻を牽引したのは社会主義者か国粋主義者のどちらでしょう。

牽引した多くは軍人でした。

 

これらの解釈に混同があるのは、偏ったマスコミや言論などの影響が大きい。

端的な例として、満州事変が始まる前、売り上の上位は朝日と毎日で、読売はかなり少なかった。

しかし、事変が始まると他社より遥かに売上を急伸させたのは読売新聞でした。

朝日や毎日も売り上げを伸ばしてはいたが。

これは読売が最も戦争に反対していたからでしょうか?

 

この手の勘違いは、熟慮せずに心地良い説に飛びついたからなのですが、実は、ここに右翼の心性があるのです。

当然、左翼の心性もあります。

後に、両者の心性について解説します。

 

 

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米国の戦争を振り返り、右翼と左翼の違いをみます

軍事大国の米国で、民主党と共和党のどちらがより戦争をしていると思いますか?

 

主な戦争を始めた政党と大統領を挙げます。

開戦には複雑な経緯があるのですが簡略化しています。

 

南北戦争はリンカーン(共和党)。

第一次世界大戦(ウイルソン)と第二次世界大戦(ルーズベルト)は民主党。

朝鮮戦争は民主党。

ベトナム戦争はケネディー(民主党)。

コソボ紛争への介入はクリントン(民主党)。

湾岸戦争とイラク戦争はブッシュ親子(共和党)。

 

こうして見ると、ハト派と見做されている民主党の方が、大きな戦争に加担し、多くの死者を出している。

 

皆さんは、民主党と共和党の戦争に違いがあると思いますか?

一般には以下のように言われている。

民主党は、世界の平和や人権を守る為に、他国に介入し戦争も行う。

共和党は、他国への介入を避けるが、自国の主義や権益擁護の為には断固戦う。

 

それではこれら戦争を簡単に検討します。

*南北戦争で決着をつけたからこそ、国の分裂を防いだと信じらている。

*二度の世界大戦と朝鮮戦争への参戦、コソボ紛争介入がなければ、より酷い状況になった可能性がある。

*ベトナム戦争とイラク戦争は誤解に基づいた開戦で、より酷い結果を招いたと言える。

*湾岸戦争は予防的な開戦で、不要だった可能性がある。

(これら戦争には、参戦や開戦、介入の是非を巡りいまだに賛否両論がある。)

 

これらの戦争は、2度の世界大戦以外、自国が攻撃されたから反撃したのではなかった。

つまり、自己防衛ではなく、同盟傘下の保護または予防的な戦争と言える。

これには放置すればいつか自国に悪影響が及ぶかもしれないので、早めに叩かなければならないとの思惑がある。

当然、米国は世界や自国の安全保障の為に戦争を始めたと言うでしょうが。

 

つまり、右翼(共和党)も左翼(民主党)も戦争を行うのです。

どうしても軍事大国になると安易に戦争を始めやすい。

 

 

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予防的な戦争について知っておくことがあります

予防的な戦争が許されないのは当然ですが、実は無視してはならない歴史的教訓があります。

 

ヒトラーがドイツで台頭し始めた時、周辺国では宥和策をとりました。

(日本はドイツと共に戦ったので別です。)

目立つのは米国のケネディ―大使(大統領の父)、英国のチェンバレン首相、そして隣国フランスです。

彼らは戦争を避ける手段として相手を刺激しない、または同じ独裁者ならスターリンを倒してくれるヒトラーを選んだのです。

しかしこれは間違いでした。

 

やがて英国で、軍人出身のチャーチルがヒトラーとの抗戦を表明した。

さらに米国のルーズベルトは米国民の厭戦気分を押して、参戦に持っていった。

こうして多大な犠牲を払ったが、世界が協力してドイツと日本の進攻を挫くことが出来た。

 

このことから、侵略軍を撃退出来る体制作り(軍備など)や心づもりは必要だと言えます。

とは言え、それほど単純ではなく、周辺諸国との軍拡競争を招く危険があります。

 

これと逆のケースがベトナム戦争です。

朝鮮戦争を経験した米国は、共産勢力を恐れ、南ベトナムで過剰防衛(予防的な戦争)に走り、ベトナム戦争に踏み切ったと言える。

 

この二つのケースは、過去の悲惨な戦争の経験や恐怖が尾を引き、リーダーや世論が選択を誤った例です。

 

ハト派的な宥和策もタカ派的な強硬策も共に巨大な戦争を招いたのです。

 

 

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右翼と左翼の心性とは何か?

右翼の心性には、見知らぬに他者への著しい恐怖心があるようです。

私が外国旅行をすると言えば、右翼の人ほど、現地(イスラム圏や韓国など)に不安を感じるようです。

これは彼らが偏見を煽るマスコミに影響されていることもあるが、やはり未知のものや他人に強い恐怖心や不安感を持つことにある。

 

一方、左翼の心性には、他者への不安感が少なく友情すら築けると思うようです。

一見、良いように聞こえるが、うがった見方をすれば甘い理想家とも言えます。

 

この両極端の心性が社会の変化に感応し、真逆のマスコミや言論界に共鳴し、益々偏りを深めることになる。

 

本来、この二つの心性は一人一人の脳内に共存しています。

 

未知のものに楽天的で、チャレンジする心性と、未知のものを恐れ、慎重に対処する心性は、人類が進化する過程で獲得したもっとも重要な相反する二つの能力です。

この二つの心性が、各人の生育過程で脳内ホルモンの分泌や左脳右脳の連携機能の発達具合により、人類の平均値よりそれぞれ一方に偏ってしまうのです。

 

願わくは、両方がうまく相乗効果を発揮すれば良いのですが。

もしかすると、この心性が年齢や男女差で異なり、ばらついていることが人類の発展と安全を生み出しているのかもしれません。

安心はできませんが。

 

ここで注意が必要なのは、左翼や右翼と呼ばれる人々が、本当にこの心性を有しているとは限らないことです。

例えば、一方に属すことにより得失がある場合などです。注釈2.

 

 

ここで簡単なシミュレーションをしてみましょう 注釈3.

敵対しつつある二つの軍事大国を考えます。

 

ここでは両者の心性の動きを中心に考えます。

それぞれの国が極端な右翼や左翼に支配されていればどうなるでしょうか?

 

一番分かり易いのは、両国が極端な左翼(ハト派)に支配されている場合でしょう。

おそらく宥和策が図られ、軍事衝突は遠のくでしょう。

 

次いで、両国が極端な右翼(タカ派)に支配されている場合はどうでしょうか。

これも単純明快でしょう。

互いに猛烈な恐怖心を抱き、宥和策を取れず疑心暗鬼に陥り、ついには軍拡競争、衝突に進むでしょう。

 

最後に、右翼が支配する国と左翼が支配する国が対峙している場合はどうでしょうか。

うぅ・・・・・・、難しい。

 

ヒントは、それぞれの国に左翼寄りと右翼寄りの心性を持った国民が同数いることです。(小さな集団は別にして、人類全体で見ると心性をもたらす能力は正規分布している)

右翼支配の国は不安を感じないが、左翼支配の国にやがて変化が起きるでしょう。

左翼支配の国民と言えども、右翼支配の国に恐怖心を抱き、急速に右傾化していくことになります。

こうなると結局、両国は共鳴するように軍拡競争を始め、衝突の可能性が高まるでしょう。

 

戦史を見ると、適切な政治文化と優れたリーダーに恵まれない多くの国が、この悲惨な状態に陥るのです。

 

元来、相手が本当にハト派だとか、タカ派だとか、軍事力が同等かを見定めるのは困難です。

現在は、地球全体が監視され、また以前に比べて互いの国情をより知ることが出来るようになっている。

しかし、それでも自国の政府やマスコミに報道の制限や偏向があるので、正しい情報が国民に伝わるとは言い難い。

 

 

要点はこうです。

 

一つは、互いが疑心暗鬼になり牽制を始めると、益々、亀裂は深まり、やがて軍拡競争、衝突につながる。

単純に、一国の過大な軍備は危険因子になる。

 

一つは、上記の過程が、外界に対する恐怖心の高まりを受けて、一気に加速する。

この恐怖心を強く抱き、牽制すべしと行動させるのが右翼の心性です。

 

一つは、互いの国情と内情を正確に把握できない為に、疑心暗鬼が増幅される。

これを防ぐにはひとえに国民の知る権利が守られることであり、特に為政者にとって都合の悪い情報を捏造・隠ぺいする政府と偏向したマスコミの存在が危険です。

 

 

 

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まとめ

これまで検討して来たことを整理しましょう。

 

*過大な軍事力は戦争を招きやすい。

 

*侵略に対する備えは必要ですが、軍拡競争や軍事大国化への注意が必要。

説明は省きますが、今後、世界は新たな防衛体制に進むことになるでしょう。

 

*極端な宥和策も強硬策も戦争を招きやすい。

 

*恐怖が高まると右傾化が興り、疑心暗鬼、軍拡競争へと進み、戦争を招きやすい。

だからと言って単純に左翼だから安全、右翼だから危険とは言えいない。

 

*国内外の情報が正確に素早く伝わることで疑心暗鬼を抑え、戦争の誘発を避けることが出来る。

 

 

追記

上記のことを踏まえれば、右翼を自認し挙動不審な現首相に憲法改正や軍事を任せることは、戦争の危機を高めることになるでしょう。

 

 

 

注釈1.

左翼と右翼の明確な区別や定義は複雑ですが、ここでは簡単に、左翼は革新、リベラル、ハト派で、右翼は保守、ナショナリズム、タカ派としておきます。

 

元来、左翼と右翼の意味は時代や社会で変化します。

各人が左翼的か右翼的となるのは、個人の心理的、文化的、政治的、社会的、思想的な背景、それに加えてマスコミ、言論界など多彩な影響によります。

一言で言えば、多くの人は属している社会とムードで両端に振れることになる。

 

注釈2.

共産主義の中国上層部や軍部には右翼の心性を持った人が多いはずです。

特に保守的な傾向を持つからこそ出世出来るはずです。

例えば、右翼的な教育を目指す学校建設を謳えば政府からの支援があるような場合などです。

 

注釈3.

この説明は、「互いを牽制することが如何に状況を悪化させるか」の社会学的実験の結果、脳科学の知見を参考に書いています。

 

 

 

 

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何か変ですよ! 59:  惜しい人


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私は今の首相の豪胆さに感服しています。

端的にはアベノミクスと憲法改正です。

ここまでやれる人物は他にいないでしょう。

事の良し悪しは別ですが。

 

 

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まえがき

私はアベノミクスの意気込みを評価します。

 

成功すれば首相は日本史に燦然と輝いたことでしょう。

それまでの日本の金融トップ―官僚、エコノミスト、日銀とは真逆の施策をぶち上げた。

彼は著名なクルーグマンが唱えた政策を即刻2013年から実施した。

狙い通りに行くと、苦労無く莫大な累積債務は消え失せ、経済は復活するのですから、私も成功を願ったものでした。

 

円安は確かに輸出大手企業を潤してはいるが、いまだに目標インフレ値は達成できず、好況の実感はない。

後5年じっと我慢すれば景気は好転すると信じたいが、当のクルーグマンが2015年秋に異次元緩和は失敗だったと言っている。

 

もともと、私はすんなりとは行かず、行ってもより大きなバブル崩壊を招くだけだと推測していた。

実際、アベノミクス(リフレ策など)の多くは欧米先進国が既に実施している施策で、その結果、欧米の状況は良くなったと言えるでしょうか。

アベノミクス前の日本の経済状況(失業率など)でも経済成長率を除いて欧米より良かったと言える。

今の状況を見ると、クルーグマンの後の指摘が正しいのでしょう。

 

それでも私は首相の豪胆さに感心する。

ひょっとすると自信過剰か無鉄砲なだけかもしれないが。

もに一つ気になるのは、せっかく恵まれた家系や政治基盤を持ちながら、従わない人に対して下品なところです。

惜しいような気がする

 

 

 

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彼の行動パターンに不安がある

国民が望んでもいない憲法改正に、自分の歴史観を前面に押し出し、突き進む姿勢には驚かされます。

 

これに関連し、憲法改正について御贔屓の読売新聞を読んでくれと国会で答弁する神経は凄い。

正に、お友達(加計学園)や右翼の同志(森友学園)への身びいきは強烈だ。

かつて品格ある首相はたとえ思っていても、ここまで贔屓を露骨に言い募ることは避けるでしょう。

明らかに、これは国のトップが自ら公明正大で無いことを吹聴しているのですから。

 

もっとも、彼にとっては自分に付き従うものこそが正義であり、反対するものは偏向している悪なのでしょう。

だが、世界の報道マンは読売新聞を、日本の新聞の中でどう評価しているのでしょうか?

決して上位には見られていません。

 

しかし、ここで一考が必要です。

なぜ現首相は、このようなことが出来るのでしょうか?

よく一強だと言われます。

それはそれで間違いはないのですが。

それは小選挙区制や与党が取り組んできた官邸支配の結果とも言えますが、やはり一番はポピュリズムでしょう。

 

先の民主党の失敗、長い経済低迷、ころころ変わるトップ、さらに加えて先進国の同様の状況があります。

端的な例は、現首相がポピュリズムの権化トランプ大統領と気が合い、さらに大統領はタカ派ルペン党首と気が合うことで、正に右翼ポピュリズムの大合唱です。

 

一番のポイントは、現首相が圧倒的な人気を保持していることに尽きる。

人気があれば、与党議員は当然付き従う。

また官僚も民主党のように敵と見なさいのであれば組みやすい。

 

 

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しかし、ここに問題があります

結論から言うと、国民は真実を知ることが出来ずに、国家が暴走することを防げなくなることです。

既にこのことを危惧している方もいるでしょうが、安心している方に何が問題かを示します。

 

視点は三つあります。

A: 国会審議での政府や官僚の答弁に難点あり。

 

つまらない森友学園や加計学園の問題です。

日本の国家予算は100兆円ほどあり、この両者による無駄な出費は自治体分を入れても200億円以下でしょう。

首相にすれば、たかだか1/5000のロスに過ぎない。

 

そんな小さなことでも政府はまともに答弁せず、また官僚も記録が無いとか、全面黒塗りの資料を出す始末です。

つまり、政府や官僚にとって都合の悪い情報は一切出さなくて良いと開き直っている。

特定秘密保護法がこれに加わるのですから鬼に金棒です。

要は、国民が真実を知る権利より、首相の面子が重要なのでしょう。

 

これがまかり通れば今後、為政者は国民を偽って思いがままに振る舞うことが出来る。

 

 

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B: さらに日本の組織文化が災いを生む。

 

日本人は村意識が強く、トップや集団の意向に盲従し易い。

俗に言う、忖度や気配りで人は動き、悪く言えば「赤信号、皆で渡れば怖くない」に陥る。

企業で働いた経験のある方は、このことに納得できるでしょう。

 

もっとも、これにも良い所があり、組織が一丸となって秩序を維持し、また事に当たることです。

しかし、これがまた問題を生む。

それは、社会正義に基づいた内部告発であっても、組織やトップへの裏切りと見なされることです。

この意識は日本では根深く、加計学園の前前川事務次官でも激しい。

 

つまり、この組織文化は良いこともあるが、トップや組織が悪い方向に向かっているのに是正する力が働かず、大きな災いを生むことになる。

原発や食品偽装の内部告発などにもその例があった。

 

 

C: この問題は幾度も不幸な歴史を生み続けて来た。

 

日本の組織は都合の悪い情報や記録を残さない、出さない傾向が強い。

大戦時、米英は日本より遥かに戦場の情報を国民に流すように努めた。

日本はドイツほどではないが、偽情報を意図的に流した。

また軍部は徹底して記録隠滅を図った。

 

米国政府は政策決定過程を記録し保存し、後に為政者の判断が正しいかを検証する歴史があるが、日本には乏しい。

日本には、お上のやることに口出ししない雰囲気が残っている。

隠蔽状況は、現政権により強化され、昔に逆戻りしている。

 

 

 

 

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今後、何が起きるのだろうか?

このような場合、歴史上、一番起きやすいのは戦争でしょう。

 

世界の戦史を見ると、本当に敵国が一方的に攻めてくることもある。

だが往々にして自ら口火を切った戦争や、小競合いから始まり、互いに戦火を拡大させた戦争もある。

 

後者の場合、国民が些細な戦闘などの事実でもスピーデイに入手出来れば、早期に為政者や軍隊の暴走を防ぐことができる。

当然、マスコミが御用新聞でないことも重要ですが。

しかし、これが政府により捻じ曲げられたり、伝わらなけらばどうなるのでしょうか?

今回の二つの問題や南スーダンの自衛隊日報のような政府答弁では・・・。

 

その先に来るものは80年前に歩んだ道であり、今まだ御存命の戦争経験者の悲願を無にすることになるかもしれない。

歴史は、大惨事に至る道が準備されていることを教えてくれています。

 

 

今、私達に求められているのは先の大惨事を予見することです。

 

 

 

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平成イソップ物語 15: 「津波とモグラ」の補足


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< 1.津波で残った一本松 >

 

 

前回投稿した「津波とモグラ」が何を意味しているのか解らないとの意見がありました。

ご指摘の通りだと思います。

ここに陳謝し、蛇足ながら説明したいと思います。

 

 

私が言いたかったこと

 

人々は今ある恐怖や不安に囚われて、往々にして理性的な判断が出来ず、目先の安心に飛びついてしまうことがある。

 

これは危機を先延ばするだけでなく、より深めることになる。

 

この手の愚を、社会は幾度も繰り返して来ました。

 

そして、この傾向は今の日本や欧米で顕著です。

 

 

 

 

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ミサイル防衛について

ここ数日、北朝鮮のミサイルに関して政府や与党からミサイル防衛や日米同盟の必要性が強調されています。

この意味を考えてみましょう。

 

例えば、迎撃ミサイルシステム(サード、パトリオット)を考えます。

日本が無数のイージス艦を日本海に配備し、陸上配備の迎撃ミサイルを全土に20km毎に配備しようが、北朝鮮のミサイルを完全に防ぐことは出来ません。

それはなぜでしょうか?

 

色々、想定できますが、一つは偽装船による近海からのミサイル発射です。

北朝鮮がこの技術を獲得するのは簡単です。

こうなれば、首都ぐらいは守れても本土全体を守ることは出来ないでしょう。

 

この手の落とし穴や矛盾はかつての米ソの核開発競争を振り返れば歴然としています。

核兵器の進歩はその都度、米ソの核ミサイル防衛構想を無に帰して来ました、例えば潜水艦発射ミサイルの普及のように。

結局は、互いに完全に破壊し尽くす体制をとることで、互いが馬鹿な攻撃を自制するだろうと言うことに落ち着いた。

米国の核戦略担当者から見ればこれも立派な抑止力でしょうが。

そして膨大な数の核兵器を作り、現在、大量の核ゴミに困っている。

 

ミサイル防衛は完璧ではなく、その後の多国間のミサイル開発競争を促進させるだけなのです。

例えば、イスラエルに核兵器を持たせたことによりイランが対抗して核開発を望んだように、またインドとパキスタンの関係も同じで、連鎖し拡大するのです。

一方、完全な迎撃ではなく抑止力を高める為に核兵器を保有する話もあります。

そこには相手が良識ある判断をするものと想定している落とし穴があるのです。

例えば、狂気のヒトラーにそれを期待出来たでしょうか?

特に核ミサイルについては、残念ながら物理的な迎撃手段は絶望的でしょう。

 

つまりミサイル防衛システム「モグラの堤」を作って、一時期のミサイルの脅威「津波」を防いだとしても、次の脅威の発生を招くことになるだけなのです。

むしろ抜本的な手を打つべきなのです。

そして新たな危機の前兆が「地中の水の流れ」であり、新たな危機が「洪水」でした。

一番の問題は、一時の安心の為に根本的な解決策を遠ざけてしまうことなのです。

この手の愚行は、かっての世界も現在の世界でもまかり通っているようです。

 

「モグラの母子が高台に逃れた」のは消極策のように見えるが、扇情に惑わされず、「津波と洪水」のどちらに対しても完璧な策を選んだことを示しています。

 

 

それであればどうすれば良いのでしょうか?

私は中国を動かすしかないと考えています。

中国は得体の知れない国ですが、例えば発展途上国への援助姿勢に良い変化が見られるように、私達は中国のすべてを拒否すべきではないでしょう。注釈1.

 

北朝鮮をいままで支えて来たのは、かつてはロシア、そして今は中国です。

中国にとっての北朝鮮は、かつての大日本帝国の防波堤であった朝鮮半島のような存在なので、中国はそう簡単には手放さないでしょうが。

しかし北朝鮮の暴挙を封じ込めるには中国しかないでしょう。

 

残念ながら、今の日本には中国を動かす力もなければ、相手も応じないでしょう。

なにせ現在、最も敵対しているのですから。

 

 

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少し全体像を俯瞰してみましょう

今、世界はイスラム国のテロに翻弄され、益々敵愾心むき出しの危険な状況に陥ろうとしています。

 

何がこの状況を作ったのでしょうか?

良く知らているように、この発端は9.11事件後の米国のイラク進攻にありました。

 

要点を言えば、米国がイラクの国家機能を完全に破壊したことにより、無法と無秩序の中からイスラム国が増殖して来ました。

私の連載「中東に平和を」でも解説しています。

この愚かな進攻は、大統領の人気、軍需産業と石油産業に恩恵をもたらしただけです。

これにより中東と世界が混迷しただけでなく、米国自身も莫大な国税(300兆円)を使い、この後、マスコミはホワイトハウスに従順になると言う大きな代償を払うことになりました。

 

リーダーの受け狙いの行動が、世界を困惑させた最も分かり易い例と言えるでしょう。

米国は世界の警察として重要な役割を果たしたこともあるが、一方でベトナム戦争のようにとてつもなく愚かな戦争もしている。

 

この点を鑑みれば、いつまでも米国に盲従して行くことは危険です。

きっとこのように言えば、誰が日本を守ってくれるのだとお叱りを受けることになるでしょう。

 

その答えは、米国が守ろうとしたベトナムの末路を見ればわかります。

米国は、南ベトナムの傀儡政権を守る為に、ベトナム全土を焦土にし、800万人が死にました。

 

なぜなら米国にとって最大の関心事は共産化を太平洋の果てで食い止める事にあったのですから。

もっとも北ベトナムと言う敵があってのことですが。

どちらにしてもこの愚かな戦争拡大の経緯は私の連載「戦争の誤謬:ベトナム戦争」で解説しています。

 

いざ有事の時に何が日本列島で起きるかは容易に予想がつくはずです。

もっとも小規模な衝突で紛争が止まるなら、日米同盟は役に立つかもしれませんが。

 

私が心配する大きな危機の一つがこれです。

 

 

最後に

上記に示したような危機への対応を寓話に例えることに無理がありました。

しかし、理詰めで説明するだけでは、今起きている危機を身近に感じることが難しいとも思っています。

 

これからも世界の歴史、社会、経済、文化について懲りることなく書いていきますが、よろしくご理解のほどをお願いします。

ご意見と批判を歓迎しますので、どしどし御寄せください。

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

注釈1.

JICAの研究員が指摘されていました。

この人は、世界各地の開発支援をつぶさに視察されたそうです。

以前は、中国が発展途上国に融資し建設し始めると、多くの中国人労働者が現地で工事をしていた。

その後、現地からの指摘があって中国は方針を変更し、現在は建設現場に中国人がほとんどいないそうです。

中国の融資額は増えているそうです。

私達の知らないところで、中国に変化が起きているのです。

 

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 61: Religion and Politics 1


中東に平和を! 61: 宗教と政治 1

 

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In the past articles, we are reviewing the relationship between the birth of religious and the politics.
We think contemporary relationship between religion and politics in twice from now.

前回まで、宗教誕生と政治の関係を見て来ました。
これから2回に分けて、現代の宗教と政治の関係を考えます。

 

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Introduction
Most Japanese people who are familiar with Western civilization may worry that religion is closely related to politics.

In short, the worry is that a religious group will hold political power.
Our history shows that the group could not make democratic governance.
In other words, It’s preferable that religious group doesn’t participate in national administration.

Here, let’s think about the cause of conflicts in the Middle East.

A Colonization by Europe
It are an arbitrary border between countries, the founding of Israel, and after effects (an obscurantist policy, a dividing into state, and the non-independent economy and society, military dictatorship), etc.

B Interference by larger countries after World War II
It are an interference due to securing interests of larger countries, a puppet government, and many proxy wars during the Cold War, etc.

C Causes that derives from the Middle East
Antagonisms occur among ethnic groups, oil country and non oil country, three monotheistic religions, Islamic sects, and the secular power and the Muslim organizations.
Core that causes expansion of conflicts by a violence or a military force are kingdom, military dictatorships, oil countries, and extremists who advocate jihad.

In this series I have already introduced many causes of the conflicts, and also discussed the background about some of them.
Among these causes, what does the Middle East have to solve by themselves and what is in the hands of these people?
Several of them are related to Islam.

 
はじめに
私達日本人、西欧文明に馴染んだ仏教国の人間にとって、宗教が政治と密着していることに不安があります。

一言でいえば、その不安は宗教教団が政治権力を握ってしまうことです。
それは教団が民主的な意思決定を出来なくなるからで、歴史が示すところです。
つまり宗教教団が国政に関わらないことが望ましいと言える。

ここで中東の紛争の火種について考えてみましょう。

A 欧州による植民地化
恣意的な国境、イスラエル建国、後遺症(愚民化、分断政策、自立出来ない経済・社会、軍事独裁、・・・)。

B 大戦後の大国の干渉
大国の権益確保による干渉、傀儡政権、冷戦時の米ソよる代理戦争。

C 中東に起因するもの
対立の原因としては、民族、石油、三つの一神教、イスラム教の宗派、世俗権力とイスラム教団などがある。
紛争を暴力や軍事力で拡大させているのは、王国、軍事独裁国家、産油国、さらに聖戦(ジハード)を唱える過激派などです。

私はこの連載で、これら火種について既に多くは紹介し、いくつかはその背景についても考察しました。
これら火種の中で、中東が自ら解決しなければならず、かつ人々の手に委ねられているものとは何でしょうか。
その幾つかはイスラム教に関わることでした。

 

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What is issue?
Islam made a great success in the Muhammad era.
It seems that the conflict calmed in the whole peninsula, and the doctrine and the extensive norms brought stability to the community.
At first, the basis of equality and the tolerance to heathens also contributed to stability of the society.
I think it is a great achievement that other religions could not achieve in the peninsula of those days.

However, if you are looking at the current Middle East, it appears that there are problems because of dragging its original forms.
Nonetheless, because conflict between heathen and religious sect happens in any religion, I exclude this issue.

 
何が問題か
イスラム教はムハンマドの時代に大きな成果を挙げました。
それは半島全体の紛争を鎮め、教義と広範囲な規範が共同体に安定をもたらしたことでしょう。
また当初の平等精神と異教徒への包容力も社会の安定に寄与した。
このことは当時の半島において、他の宗教では実現出来なかった快挙だと思います。

しかし、現在の中東を見ると、それは原初の形態を引きずっているからこそ問題があるように思える。
とは言っても、異教徒や宗派間の対立はどんな宗教でも起こるものなので、これは除外します。

 

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*4

About conflicts between Muslim organizations and secular powers
This is largely due to military dictatorships (Syria etc.) of A described above, and puppet governments (Iran etc) of B.
However, in the two cases of the conflict between Nasser and the Muslim Brotherhood and “Arab Spring”, it seems that there is a problem in Egypt.
For example, the “Arab Spring” was a reform calling for democratization, but the subsequent election results have returned to support for the Muslim organizations.
At this time, from the center of local Islamic community, they should proceed towards nationwide democracy.
For this purpose, people must improve the literacy rate and education, and by enhancing people’s consciousness, people need to move toward emphasis on national political scene.

If there is the progress, it will be possible to head towards discussions in a national assembly from individual antagonisms.
There are still other problems, but it is necessary to take this path by themselves.
This path is a long journey, but there will be no short cuts.
This is a secularization.

This continues the next time.

 
イスラム教団と世俗権力との対立について
これは前述のA項の軍事独裁(シリアなど)、B項の傀儡政権(イランなど)などが大きい。
しかし、ナセルとムスリム同胞団の対立や「アラブの春」の場合、エジプト自身に問題があるようにも思える。
例えば「アラブの春」は民主化を求めた改革であったが、その後の選挙結果はイスラム教団への支持に戻ってしまっている。
この時、地方のイスラム共同体中心から、全国的な民主主義に向かって進むべきでした。
この為には識字率と教育の向上を図り、人々の意識の高まりにより、国政重視に向かうようにならなければならない。

これが起これば、個々の対立から中央議会での話し合いへと向かうことが可能になる。
他の問題もあるが、これは自ら進むべき道でしょう。
気の遠い話だが、近道は無いでしょう。
これは世俗化と言えるでしょう。

 
次回に続きます。

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 58: when religions were born 6: Islam 1


中東に平和を! 58: 宗教が誕生する時 6: イスラム教 1

 

1
< 1. the Kaaba in Mecca >
< 1. メッカのカーバ神殿 >

I investigate the birth of Islam in twice.

二回に分けて、イスラム教の誕生を追います。

 

2b

< 2. Three trade routes >
< 2. 三つの交易ルート >

 
The age when Muhammad (around 570 – 632) was born
Two ancient civilizations were born in the Middle East, but the desert Arabian Peninsula was out of the area.
Country began to be born in the southwest and northern parts of the peninsula since about A.D., and several countries had contested there in about the 3 rd century.
Cities were born in plateaus and oases, camel caravans in the desert were responsible for trade, and caravan cities were made in the routes.
Nomads who were living in tents made tribal societies, sometimes joined hands and at other times separated from others, and repeatedly had fought.
There were three routes of east-west trade on the Peninsula, two sea routes going through the Persian Gulf (blue line) and the Red Sea (red line), and a land route (brown line) parallel to the Red Sea.
Mecca where Muhammad was born was one of the caravan cities in this land route.

 

ムハンマド(570頃―632年)が生まれた時代
二つの古代文明が中東で誕生していたが、砂漠のアラビア半島は園外だった。
紀元前後から半島の西南端と北部に国が誕生し始め、3世紀頃になると数ヵ国が分立するようになった。
高原やオアシスには都市が生まれ、砂漠ではラクダの隊商が交易を担い、隊商都市も出来た。
天幕で暮らす遊牧民は部族社会を造り、離散集合を繰り返し抗争していた。
半島には三本の東西交易のルートとしてペルシャ湾(青線)と紅海(赤線)を行く海上ルート、それに紅海に並行した陸上ルート(茶線)があった。
ムハンマドが生まれたメッカはこの陸上ルートの隊商都市の一つだった。

 

The Persia and the Byzantine Empire of the two great empires were fighting each other, it began to influence the whole peninsula since about the 4th century.
With this, civilization and the sophistication of weapons advanced throughout the peninsula.
On the other hand, when the Persia and the Byzantine Empire entered a peace treaty in the second half of the sixth century, the main trade route became the Persian Gulf, the caravan cities of the land route declined, the nomadic population increased in reverse, and the conflict intensified.
This is “Jahiliyyah” in Islam.
However, in the beginning of the 7th century, when both empires began war, trade route returned to the land route.

 
4世紀頃から、二大帝国のペルシャとビザンチンは互いに争いながら半島全域まで影響を及ぼし始めた。
これにより半島全体に文明化と武器の高度化が進んだ。
一方、ペルシャとビザンチンが6世紀後半に平和条約を結ぶと、交易ルートはペルシャ湾が主になり、陸上ルートの隊商都市が衰退し、遊牧民が増大し、抗争が激化することになった。
これがイスラムで言う「無明時代」です。
しかし、7世紀始め、両帝国が戦争を始めるとまた陸上ルートに交易が戻った。

At that time, the north-south ethnic groups of the peninsula deepened exchanges and had Arabic of common language.
In the peninsula, there was a polytheism of idolatry, but Christianity propagation progressed by the influence of the two great empires.
Judaism also had spread by Diaspora Jewry, and many Jews had lived in Medina.
In Mecca, there was the Kaaba that many statues were enshrined since a long time ago.

当時、半島の南北の民族は交流を深め、共通語のアラビア語を持つようになっていた。
半島には偶像崇拝の多神教があったが、二大帝国の影響によりキリスト教の布教が進んでいた。
また離散民によってユダヤ教も広まり、メディナには多くのユダヤ教徒が住んでいた。
メッカには古くから多くの像を祭った多神教のカーバ神殿があった。

 

 

3a

< 3. Muhammad in Medina >
< 3. メディナのムハンマド >

The act of the Muhammad
He was born as a member of a large tribe of Mecca, was married and had succeeded in commerce trading, but suddenly, heard the revelation of Allah of the one God at about the age of 40.
Because he preached this, made a group of believers, and accused the idolatry of the Kaaba, they were persecuted by ruler class in Mecca.
However, people of the Medina impressed with his doctrine asked him to save mess of the town.
Then, he moved to the Medina with his believers and family (Hijra).
Before long, he conflicted with Jewish in the Medina about ritual, defeated them in battle, and completed a strong Islamic community “Ummah”.
Then he won the fight against Mecca’s army corps.
He died shortly after dominating Mecca, but already the Islam had spread throughout the Arabian Peninsula.

This continues the next time.

 
ムハンマドの行い
彼はメッカの大部族の一員として生まれ、結婚し隊商交易で成功していたが、40歳頃、突如、唯一神アッラーの啓示を聞いた。
彼はこれを説いて信徒集団を作り、カーバ神殿の偶像崇拝を非難した為、彼らはメッカの支配層から迫害を受けた。
彼の教説に感銘を受けたメディナの人々が、彼に町の混乱を救って欲しいと要請した。
彼は信徒達や家族と共にメディナに移り住んだ(ヒジュラ)。
やがて、彼はメディナのユダヤ教徒と儀礼で対立し、これを戦闘で破り、強固なイスラム共同体「ウンマ」を完成させた。
次いでメッカの軍団との戦いに勝利した。
彼はメッカを支配後、まもなく死去したが、すでにイスラムはアラビア半島の全土に及んでいた。

次回に続きます。

 

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Bring peace to the Middle East! 57: when religions were born 5: Confucianism


中東に平和を! 57: 宗教が誕生する時 5: 儒教

 

1

<1. Confucius>
< 1. 孔子 >

This time, I investigate the birth of Confucianism.

今回は儒教の誕生を追います。

 

The times when Confucius was born
A first Chinese dynasty was born in the 17th century B.C., but it was divided in approximately 200 countries since the 8th century B.C., and the unification of a country was completed after wars for 500 years.
Since the middle period, the farming had advanced by ironware and the trade had developed, and many city states grew up.
At that time, the wars among nations and the internal trouble of royal families continued, and it occurred frequently that a person of lower rank overthrew a superior either politically or militarily, and then supplanted the superior’s position in society.
On the other hand, the royalty and the aristocracy employed a talented and wise person than a blood relative and tried to get predominance .
Under such circumstances, various thinker groups “The Various Masters of the 100 Schools” having an independent opinion were born.
Most of them serve the royalty and the aristocracy, and proposed a policy and an stratagem.
The Confucius was born in such situation in China in the sixth century B.C.

 
孔子が生まれた時代
中国の最初の王朝は黄河中流域に紀元前17世紀に生まれていたが、紀元前8世紀には二百カ国ほどに分裂し、五百年間の戦争を経て統一に至る。
この中期頃から、鉄器による農耕と交易が進み、都市国家は成長していった。
国家間の戦争と王家の内紛は絶えることなく、下位の者が上位の者を脅かす下剋上がはびこっていた。
一方で、王侯貴族は血縁よりも才能や知恵ある者を採用し強勢を計るようになった。
こうした中、独自の主張を持つ多様な思想家集団「諸子百家」が生まれた。
彼らの多くは王侯貴族に仕官し政策や術策を提言した。
このような紀元前6世紀に孔子は生まれた。

 

2

< 2. The Confucius traveling on foot >
< 2. 孔子の遊説行脚 >

The act of the Confucius
He worked his way through school, served a historic state ”Lu”and became a prime minister.
However, he was balked of his hope and opened a private school to common people.
After that, he visited states in each places with disciples, preached his ideal politics, and requested to get into the government service.
After all, he couldn’t realize his dream, came back to his hometown, and devoted myself to organize old documents that had been handed down to the state, and to educate people.

 
孔子の行い
孔子は苦学して由緒ある王家(魯)に仕え、宰相まで登りつめた。
しかし、彼は夢破れ職を辞し、民衆相手に私塾を開いた。
その後、弟子達と共に各地の王家を訪ね、理想の政治を説いて回り、仕官を願った。
結局、夢叶わず故郷に戻り、王家に伝わる古文献の整理と教育に専念した。

 
Afterwards
After the death of Confucius, his teaching was spread out by disciples, it was as popular to common people as Bokka at that time.
Bokka advocated a love of humanity, pacifism, faith, and a simplification of rites
, and conflicted with a scholar of Confucianism, after that it was ruined.
The Confucianism became the state religion of the Han empire in the second century B.C., and existed as an indispensable for the most of governments afterwards.
It was introduced into Korean Peninsula and Japan before long, and the Confucianism took root in the East Asia as morality to keeping social order.
Sacred books of Confucianism(the Four Books and Five Classics of Confucianism) consisted about old documents on the history and formality of the states that Confucius imitated.
“The Analects of Confucius” is one of the sacred books, and is a book that his disciples wrote down the words and acts of Confucius in.
Mental attitude and how to get along in life are written in the book.

 
その後
孔子の死後、その教えは弟子達によって広まり、民衆の人気を墨家と二分した。
墨家は人類愛、戦争反対、信心、祭儀の簡素化を訴え儒家と対立し、後に滅んだ。

紀元前2世紀、儒教は漢帝国の国教となり、その後も国政に不可欠なものとして存続した。
やがて朝鮮半島や日本に伝わり、儒教は東アジアに社会秩序をもたらす道徳として定着した。

儒教の経典(四書五経)は孔子が模範とした王家の歴史や儀礼や易(占い)の古文献が集められたものです。
論語ものその一つで、弟子達が孔子の問答や言行を記したものです。
そこには心構えや処世術が書かれている。

 

3

< 3. a Confucian temple >
< 3. 孔子廟 >

Thought of the Confucius
He thought policymakers must become better to end the turbulent age.
Therefore, he said it was important that the policymaker doesn’t depend on strict penalty and machinations, treats people with a good heart, and must be worshiped by people.
He thought that the model for this is a dynasty ” Zhou ” approximately 500 years ago.

The basics are “Ren” and “Li”.
“Ren” means benevolence or humaneness, and then it was necessary that policymakers seek after virtue and common people have morals.
“Li” means formality or rites, and then it aimed at the succession of the social order (patriarchy, ancestor worship).

He reproved that disciples depended on God, on the other hand, he thought succeeding to the rites make sense.
He didn’t deny royal politics, avoided religious things, advocated the revival of traditional mind and norm daringly in the turbulent age.

 
孔子の思想
彼は、この戦乱の世を終わらせるには為政者が良くならなければならないと考えた。
その為には、為政者は厳格な罰則や謀略に頼るのではなく、善良な心で民に接し、民から敬われることが重要とした。
その手本は、五百年ほど前の周王朝にあるとした。

基本は「仁」と「礼」です。
「仁」とは、自己抑制と思いやりを指し、為政者には「徳」、民には「道徳」を求めた。
「礼」とは、礼儀や祭儀を指し、社会秩序(家父長制、祖先崇拝)の継承を目指した。

彼は、弟子に神を頼ることをたしなめたが、一方で、祭儀を守ることは天の意志に叶うとした。
彼は王家を否定せず、宗教的なものを避け、戦乱の世に敢えて伝統的な精神と規範の復活を訴えた。

 

Point of the Confucianism
Confucius disfavored the politics that puts emphasis on law of punishment and reward, and put emphasis on conscience.
On the other hand, he thought that policymaker (king) with virtue was indispensable for good politics.
This thought was not accepted in the times of the war, but the situation changed when a unified country appeared.
In other words, the doctrine that taught people to have to obey morality, succession of social order, and politics (King), administered to national stability rightly.

This continues the next time.

 
儒教のポイント
孔子は、人々を功利的にさせる法重視(信賞必罰)の政治を嫌い、良心を重視した。
一方で、良い政治には徳を持った王こそが不可欠と考えた。
この考えは、戦乱の時代には受け入れられなかったが、統一国家が出現すると状況は変わった。
つまり、人々に道徳や社会秩序の継承、政治(王)に従うべきと説く教義は、国家の安定にまさに合致するものでした。

 
次回に続く。

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Bring peace to the Middle East! 56: when religions were born 4: Buddhism


中東に平和を! 56: 宗教が誕生する時 4: 仏教 

 

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< 1. A Buddha statue >
< 1.仏像 >

This time, I investigate the birth of Buddhism.

今回は仏教の誕生を追います。

 

The times when Buddha was born
The Indian ancient civilization was born in the Indus basin, but already ruined.
Afterwards, Aryan invaded from the Central Asia, settled down in the upper and middle basin of the Ganges River as they were ruling over the indigenous people.
Then they developed abundant festival, myth, and paean in the last 1000 years and created Brahmanism.
The Brahmanism took root from royal families to every villages
Royal families repeated luxurious festivals, Brahman (priest) made the doctrine and the proceeding of the religious service an absolute secrecy (oral transmission of tales), and their authority exceeded lords occasionally.

A lot of critical freethinkers appeared since about the seventh century B.C., and Buddha played an active part in about the fifth century B.C.
The farming evolved in this area by ironware these days, and trade also developed.
And tribal societies evolved into city states, and a large number of the nations competed for hegemony and repeated war.
A kingdom of Buddha’s father became a prey of a great power, and died out.

 
釈迦が生まれた時代
インドの古代文明はインダス河流域に生まれたが既に廃れていた。
その後、アーリア人が中央アジアから侵入し先住民を支配しながらガンジス河の上中流域へと定住した。
彼らはそれから千年の間に豊富な祭儀と神話、賛歌を発展させ、バラモン教を生み出した。
バラモン教は村々から王家まで根を下ろしていた。
王家は贅沢な祭儀を繰り返し、バラモン(僧)は教義や祭祀手順を極秘(口頭伝承)にし、彼らの権威は王侯を凌ぐこともあった。

紀元前7世紀頃から、批判的な自由思想家が多数出現し、釈迦は紀元前5世紀頃に活躍した。
この頃、この地域は鉄器により農耕が進み、また交易も発展していた。
そして部族社会から都市国家へと進み、多数の国家が覇権を競って戦争を繰り返していた。
釈迦の父の王国も強国の餌食になり滅んだ。

 

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< 2. Festival >
< 2. 祭儀 >

 
The act of Buddha
Buddha was a prince of the small country of the north India, but he threw all things away, and took off on a journey of contemplation.
After getting the enlightenment, he organized a group of live-in followers (samgha), went around villages together and missionized.
In the end, he died surrounded by the followers at 80 years old.

Buddha tried to preach it easily without using difficult concepts that had spread in those days, and was unrelated to the miracle. Annotation 1
He refused the festival-centered Brahmanism, and preached to people about “Realize a truth”.
For example, it is to realize “Life is pain” and “obsession and greed bring suffering”.
He said that the people could acquire it by experiencing simple life and doing righteous deed, without doing ascetic practices.
Therefore he established religious precepts necessary for the life of live-in followers.

釈迦の行い
釈迦は北インドの小国の皇子であったが、すべてを捨て思索の旅に出た。
彼は悟りを得た後は出家集団(サンガ)を作り村々を巡って伝道し、弟子たちに囲まれて80歳で死去した。

釈迦は、当時流布していた難解な観念を用いず平易に説くことを心掛け、奇跡とも無縁でした。注釈1
彼は祭儀中心のバラモン教を拒否し、人々に「真理を悟る」ことを説いた。
例えば、それは「人生は苦である」「執着や我欲が苦しみをもたらす」を知ることです。
これを苦行ではなく、人々は質素な生活と正しい行いを通して体得出来るとした。
その為に、出家集団の生活に必要な戒律を定めた。

Afterwards
After Buddha died, the teaching was handed down by the disciples, and the sacred books were codified the several hundred years later.
Many kingdoms protected the Buddhism, and in addition, performed the enlightenment.
Thanks to it, the religious community developed, but it became specialized, split up and came to stay away from the people.
On the other hand, many graves (stupa) which enshrined ashes of Buddha were constructed in many places, and a lot of believers began to visit.
Buddha statues were born there since about the first century A.D., and the believers began to make the sacred books of Mahayana Buddhism in plenty.
Thing they wished was to get the saving grace by worshiping the Buddha as a god and praying even if they remained in lay believers.

After that, the Buddhism was at the height of the prosperity, spread to the Southeast Asia, and spread from the Central Asia to the East Asia.
On the other hand, the Brahmanism began to change to Hinduism being close to the people.

 
その後
釈迦入滅後、教えは弟子たちにより語り継がれ、数百年後に経典が成文化された。
多くの王国は仏教を保護し教化も行った。
おかげで教団は発展していったが、専門化し分裂し民衆から離れていった。

一方、釈迦の遺骨を祀る墳墓(ストゥーパ)が各地にたくさん作られ、信者らが多数訪れるようになっていた。
紀元1世紀頃、そこから仏像が誕生すると共に大乗仏教の経典が信者によって多数作られ始めた。
それらが目指したものは、釈迦を仏(神)と崇め、祈ることで在家のままでも救いが得られると言うものでした。

この後、仏教はインドで全盛期を迎え、東南アジアや中央アジアから東アジアへと広まっていった。
一方、バラモン教は民衆に密着したヒンドゥー教へと変容していった。

 

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< 3. A big grave (stupa) >
< 3. 墳墓(ストゥーパ) >

Point of the Buddhism
Buddha was negative about autocratic kingdoms, and also about economic activities being likely to become greed.
In addition, he was unrelated to Savior and God.
Therefore, at first, the Buddhism was far from the politics, but kingdoms protected the Buddhism for helping of social stability, and the religious community received favors, too.
It would not conflict with the national law, because the law established by Buddha was a religious precept of the group of live-in followers, only encouraged simple life and did not establish penal regulations.

Probably, the Buddhism was received by many nations by the condition and the popularity of it, and would have developed into a world religion.

This continues the next time.

 
仏教のポイント
釈迦は横暴な王国や私欲に走る経済活動に否定的であった。
また救世主や天上の神とも無縁であった。
したがって政治から離れていた仏教だが、王国は社会の安定に繋がるとして仏教を擁護し、教団も恩恵を受けた。
釈迦が定めた法は出家集団の戒律であり、質素な生活を奨励し、罰則を定めなかったので、国家の法とは抵触することがなかっただろう。

おそらくこの事と大乗仏教の人気が、多くの国家に受容され世界宗教へと発展することになったのだろう。

 
次回に続きます。

 
注釈1.
当時のインド哲学(ヴェーダ)は、宇宙原理(ブラフマンとアートマン)で世界の根本を説明出来るとし、これから梵我一如(ブラフマンとアートマンは同一)の思想が生まれていた。

また、輪廻転生(人は前世の因果を受けて生まれてくる)の観念が定着していた。
この観念はインドの自然風土に背景を持つが、バラモンによって階級差別を合理化するために一層強化された。
これは人々に恐怖であって、この無限のサイクルから脱する為に解脱を望んだ。

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 15: バスの車窓から見たロシア


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今日は、サンクトペテルブルグから国境の町ナルヴァまでの景色を紹介します。

2016年9月30日の午後、バスは140kmの道のりを3時間半かけて走りました。

ロシアを去るにあたり、ロシアの感想も記します。

 

 

はじめに

紹介する地域はロシアの北西端にあり、フィンランド湾に接しています。

私達の観光バスはロシアの原野に点在する町や村を抜けて行きました。

ナルヴァはバルト三国の最初の訪問国エストニアの国境の町です。

この日はあいにくの曇りで、時折、小雨が降り、また雲間から青空が覗く天気でした。

しかし、時折のぞかせる太陽光に黄葉が光り、不思議に高揚感のあるバスの旅になりました。

 

写真は撮影順に並んでいます。

 

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上の写真: サンクトペテルブルグの郊外の一角に、一戸建ての住居が整然と並んでいる場所が幾つも見られましたが、これはその一部です。

これらはどうやら社会主義時代からの別荘地のようです。

これらは今も使われているようですが、私は林の中で放置されている物件が多いように思えた。

 

 

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これは途中の都市に隣接する公園です。

道路沿いのバス停は何処も質素で、寒くなると困るんじゃないかと思いました。

 

 

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上の写真: 送電線が走っている所では森が切り拓かれていて、森の奥行が良くわかります。

 

下の写真: これは原野の中に点在する村の一角です。

道路沿いの村の多くはあまり大きくなく、住居は疎らに並んでいることが多い。

ここらでは住居当たりの敷地は広く、自然と共存している。

 

 

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ロシアもバルト三国もキリスト教の国ですが、道路沿いに教会を見ることは少なかった。

それは広大な原野に人が疎らに住んでいており、昔からある村は今回走った幹線道路から遠いせいかもしれない。

 

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上の写真: ロシアとエストニアの国境を流れるナルヴァ川。

ここからフィンランド湾の河口まで16kmです。

今、ちょうど厳重なロシア側の検問を終え、橋を渡ってエストニア側の検問所に行く所です。

 

中央の写真: エストニアの検問所を出た広場。

この建物は市役所と旅行案内所のようです。

 

下の写真: 今出て来たエストニアの検問所です。

この検問所の右横を進むとナルヴァ城に行くことが出来ます。

 

 

ロシアを去るにあたって

私にとってロシアは是非とも訪れて、自分の眼と耳で確認しておくべき国でした。

 

ロシア、ソ連は歴史的にも、超大国の隣国であることも私に関心を抱かせた。

この国は社会主義の実験場であり、ゴルバチョフの低迷後、プーチンでどのようになっていくのだろうか?

また明治維新後、日本が最も恐れたのはロシアでした。

ロシアは本当に拡張主義を取り続ける国なのだろうか?

 

それらを知るには、首都モスクワやクレムリンを知る必要がある。

また、サンクトペテルブルグや宮殿も見たい。

 

直観的に感じた最大のことは、都市部の生活が非常に豊かなことでした。

観光地とショッピングセンターしか行っていないが、商品が溢れ、値段も高くない。

都市部の経済状況は良いようです。

 

一方、郊外や地方は取り残されている感じがした。

郊外のアパート群や原野の中の農家は古いままのように見える。

外から見て生活の質はわからないが、自然と共存しゆったりと暮らしている可能性はある。

 

次に感じたことは、その国土の広さと未開発地域の多さです。

もしかすれば、かつての開墾地が放置されただけかもしれないが。

モスクワからサンクトペテルブルグ、エストニアへのルート沿いを見る限り、耕作地や牧場、植林地になりそうな原野が広がっていた。

これは大きな資産だと思う。

 

しかし心配なこともある。

それは現地の数人の人と話して感じたことです。

 

一人は熱烈なプーチンびいきの男性でした。

ゴルバチョフは経済を崩壊させ連邦を崩壊させ国土を失わせたとこき下ろし、一方、プーチンは経済を復活させ領土を取り戻したと絶賛した。

これは欧米での評判は前者が良く、後者が悪いと伝えた後の説明でした。

チェチェン紛争を取り上げると、彼は一蹴した。

「あれはロシアのものだから当然であり、問題にならない。」

他の話も、この調子で取り入るひまが無い。

 

人は好さそうで、怒って私に反論しているわけではない。

ただプーチンを信頼しているに過ぎない。

おそらくはゴルバチョフの大転換が無ければ、今の元気なロシアや明るさを取り戻した東欧は無かっただろう。

一方で、プーチンの剛腕は混乱からの脱出を可能にし、必要悪なのかもしれない。

 

 

また一人の若い女性との話も印象的でした。

彼女は失礼な質問にも親切に答えてくれた。

 

欧米や日本から見ればロシアは以前から侵略国に映り、今の動きに不安を持っていると伝えた。

彼女は、それは米国のプロバガンダに過ぎないと言った。

またロシア国民は侵略を望んでいないと断言した。

 

日本は明治維新後、軍事大国に進んだ理由の一つは、ロシアが最大の仮想敵国だったからですと説明した。

彼女は、最大の敵は米国だったはずですと私に言った。

それは日本が満州に乗り込んでからの事ですと私は答えた。

彼女は日本史を大学で学んだいたはずだが。

 

私はバルト三国の人々がロシアを恐れているように聞いているが、ロシア国民はどのように思っているのでしょうかと聞いた。

彼女は、質問に驚きを示した後、そのような小さな国のことは知らないと答えた。

 

 

二人との話は長いのですが、要点は以上です。

 

 

私の感想

ロシアでは情報が一方的になっている可能性が高く、特に米国に対しての偏見、悪い国とのイメージが強いようです。

おそらくはそれを正す情報が入手し難いのでしょう。

 

また、私達から見ればウクライナやチェチェン、クリミヤ問題は武力干渉や侵略に思えるのですが、ロシアから見れば歴史的な経緯がある領土問題です。

確かに1500年も遡れば、その境界は混沌として来ます。

ロシアの歴史を見れば、ロシアもかつては多くの異民族から侵略され、その対抗手段として強国になったとも言える。

また進出の矛先はバルト海(サンクトペテルブルグ)と黒海(クリミヤ)などで、交易と文明開化の為と言える。

 

少なくとも、ロシアでは一方的な物の見方が定着しているように思った。

必要なことは、交流を深め、つまらない誤解を解き、互いに真実を知るべきです。

これは、欧米や日本にも言えることですが。

 

今回の旅行中、各国で歴史や社会について話している時、立場が悪くなると必ず口をついて出てくる言葉が「それはプロパガンダですよ!」と言って、話は終わってしまう。

この逃げの言葉は使いたくないものです。

 

それでも、今回の旅行では日本語で多くの方と忌憚のない意見交換が出来た。

話し合った方々に感謝します。

 

 

次回、ナルヴァ城を紹介します。

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 49: religion and persecution 3: Persecution of Jewish people 1


中東に平和を! 49: 宗教と迫害 3: ユダヤ人の迫害 1

 

1

< 1. Merchant of Venice >
< 1. ベニスの商人 >

Previous time, we knew how Islam had been seen from Europe.
From now on, I will investigate why Jewish people were oppressed.
There is a sad nature of human repeated.

 

前回、イスラムが西欧からどのように見られていたかを知りました。
これから、なぜユダヤ人は虐げられたかを探ります。
そこには繰り返して来た人類の悲しい性があります。

 

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*2

Preface
At the start of taking up the problems of the Middle East, I had dissatisfaction toward the present conditions that Muslim in the Middle East was treated like a bad person unfairly, so I was going to investigate the truth.
However, the more I investigate, the more I feel a feeling of futility.

 

I can say that the most of failing to advancing the peace is due to the Middle East including the existence of radical extremists.
On the other hand, there are a lot of outside factors that embroiled the Middle East in armed conflicts.
The Middle East war began with the founding of Israel.
It seems a result of the counter action of Jewish people that had been persecuted in the Eurasian Continent.

 

I have handled various wars through my blog so far.
These also had many flash points in common with the Middle East.
One of them is a feeling of discrimination to produce antagonism or persecution.
はじめに
私は中東問題を取り上げるに当たり、中東のムスリムが不当に悪者扱いされる現状に不満を持ち、真実を探ろうとした。
しかし、調べれば調べるほど、空しくなってしまった。

 

確かに、和平が進まないのは暴虐な過激派の存在など中東の側に問題が多いと言える。
一方で、中東に紛争を呼び込んだ外部要因が数多く存在している。
中東戦争勃発はイスラエルの建国が切っ掛けでした。
それはユダヤ人がユーラシア大陸で受けた迫害の反動でした。

 

私は、今までブログで様々な戦争を扱って来ました。
それらにも、中東とほぼ共通する火種が存在しました。
その一つが、対立や迫害を生む差別感情です。

 

7
< 3. anti-Semitic purges in Russia (pogrom)>
< 3.ロシアでのユダヤ人迫害(ポグロム) >

 

Jewish misfortunes
Looking around the world, I don’t know a race such as Jew that had been so despised and achieved success.
After the extinction of Israel, the Jew was scattered all over the world and continued being persecuted for 2,000 years, and accomplished the founding of Israel in the same area.
Now, it could say that the Jew is one of the world’s top race in knowledge, information, and capital power.
The Israel is an advanced industrial country, and an eminent military nation having nuclear weapon.

 

Why was this excellent race despised and persecuted for 2,000 years?
It originated in Jerusalem and arose from a grudge bred in Europe.
The grudge seems to have been amplified by a fervent devotion.

 
ユダヤ人の悲運
世界中見渡して、ユダヤ人ほど侮蔑され、かつ成功した民族を知りません。
ユダヤ人はイスラエル滅亡後、世界に離散し、2000年間迫害され続けた後、同じ地に建国を成し遂げた。
今やユダヤ人は知識や情報、資本力で世界有数の民族と言えるでしょう。
イスラエルは先進工業国であり、核兵器を持つ有数の軍事国家と言える。

 

なぜこれだけの事を成した優秀な民族が、2000年もの間、侮蔑され迫害されたのだろう。
それはエルサレムに始まり、西欧で醸成された怨念が災いしている。
その怨念は篤い信仰心によって増幅されたように思える。

 

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*4
A Jewish tragedy
The most known tragedy will be the Holocaust by Nazis Germany.
While World War II, the German military killed 6 million Jews in concentration camps and forced labor.

 

Why did Hitler do such a reckless act?
Hitler described the reason in “Mein Kampf”.
“ It is our only purpose to achieve the existence and prosperity of our German race as Aryan that can create excellent culture.
….
The pacifism, democracy, and internationalism to antagonize Germany nationalism are means for world conquest by “Jewish race” as a destroyer of all culture. “

 

Why did Hitler hate Jew so much?
This happened in the process that Germany became a fascism from the bottom after World War I.
He professed the defeat and economic ruin of German were mainly due to Jew.
Jew was always despised as miser, betrayer and vulgar person than before.
Then, Hitler thought that necessary condition for the revival of Germany was to get Eastern Europe again by the fight with the Soviet Union.
On the other hand, anti-Semitic purges in Russia became harsh, and many Jews flowed into Eastern Europe from Russia.
Because Germans were afraid of the Soviet Union and communism, they worried about Jewish betrayal.
Thus, Germans obeyed racial discrimination of Hitler blindly.

 

This continues the next time.
ユダヤ人の悲劇
最も知られているのはナチス・ドイツによるホロコーストでしょう。
第二次世界大戦中、ドイツ軍は強制収容所と強制労働などで、600万人のユダヤ人を殺害した。

 

なぜヒトラーはこのような暴挙に出たのだろうか?
ヒトラーは「わが闘争」でその理由を述べている。
「文化を創造し得る『アーリア人種』たるドイツ民族の生存と繫栄こそが、唯一の目的であり、・・・
さらに、ドイツ民族主義に敵対する平和主義・民主主義・国際主義は、文化破壊者たる『ユダヤ人種』による世界制覇の手段である。」

 

なぜヒトラーはここまでユダヤ人を目の敵にしたのか。
これは第一次世界大戦後、どん底のドイツがファシズム化する過程で起こった。
彼はドイツの敗因と経済破綻の主因の一つをユダヤ人のせいにした。
かねてから、ユダヤ人は守銭奴で、裏切りが者で、低俗な民族と蔑視されていた。
またヒトラーはソ連と戦い、東欧を獲得することがドイツ再興の条件としていた。
一方、ユダヤ人迫害(ポグロム)が苛烈化し、ユダヤ人がロシアから東欧に流入していた。
ドイツ国民はソ連と共産主義を恐れていたので、ここでもユダヤ人の裏切りを懸念した。
こうして、ドイツ国民はヒトラーの人種差別に盲従することになった。

 
次に続きます。

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Bring peace to the Middle East! 48: religion and persecution 2: Prejudice against Islam


中東に平和を! 48: 宗教と迫害 2: イスラム教への偏見

 

1

*1

 

Previous time, we look at the antagonism and persecution that arise from Buddhism or Hinduism.
From now on, I look at the antagonism and persecution between religions (Judaism, Christianity, and Islam) that were born in the Middle East.

 

前回、仏教とヒンドゥー教がもたらした迫害や対立を見ました。
これから、中東で生まれた宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の迫害や対立を見ます。
What is understood from previous examples of the Buddhism and Hinduism
Religion retained laws and social system of that time, and also kept the discrimination.
In addition, it regards the heresy with hostility to secure the legitimacy, and the antagonism arises.
The religious community will promote these strongly.

 

前回の仏教とヒンドゥー教の例からわかること
宗教は当時の規範や制度を遺存し、差別を温存することになる。
また正当性を確保する為に異端を敵視し、対立を生むことになる。
教団がこれらを強力に推し進めることになる。

 

2
< 2. the Ottoman Empire was capturing Vienna >
< 2.オスマントルコのウイーン攻略 >
How did Europe cognize Islam?
“ It is fundamentally impossible that Muslim tolerably governs Christian countries.”
In the late 19th century, British prime minister Gladstone swore in this way.
He was a pious Christian and dominated during the colony expansion.

 

“The sword and Koran of Muhammad are the biggest enemy for civilization, freedom and truth since recorded history.”
In the late 19th century, Scottish Islamic scholar William Muir said in this way.
He was a colonial administrator in India, too.

 

There are still persons believing “the Koran or a sword” as words indicating the aggressiveness of the Islam, but this is only a forgery.

 

“This notorious swindler Muhammad was the founder of the heresy doctrine.”
It was written in a famous encyclopedia of the end of 17th century.
西欧はイスラム教をどう見ていたのか?

 

「ムスリムが文明化されたキリスト教徒諸民族の上に善政を、またはなんとか我慢できる統治を敷くなどは根本的に不可能だ。」
19世紀後半、英国の首相グラッドストンはこう言い放った。
彼は敬虔なキリスト教徒であり、植民地拡大期に君臨した人物です。

 

「ムハンマドの剣とコーランとは文明・自由・真理に対する有史以来最大の敵である。」
19世紀後半、スコットランドのイスラム学者ウィリアム・ミューアはこう言った。
彼はインド植民地の管理者でもあった。

 

今でも「コーランか剣か」をイスラム教の攻撃性を示す言葉として信じる向きがあるが、これは捏造に過ぎない。

 

「これぞ名うてのペテン師ムハンマド。宗教の名を語るに至った異端教説の始祖にして創立者」
非常に影響力のあった17世紀末の百科事典「東洋全書」に書かれている。

 

3
< 3. Luther >
< 3. ルター >

 

In the beginning of 16th century, Luther criticized that the Roman Catholic Church had been made by devil in the Christendom as same as the heresy of Muhammad.
He was a theologian who became a pioneer of the Reformation, but he regarded heresy with hostility and also criticized Judaism severely.

 

The prejudice against the Islam does not seem to change from old days.
The prejudice of the westerner against the Muslim can be summarized into three words: sexual license, murder, and compulsory conversion.
This matches the image of “Thousand and One Nights (Arabian Nights)” introduced in Europe of 1704.
16世紀初め、ルターは、ローマ・カトリック教会のことを、ムハンマドの異端と同類であってキリスト教世界内部に悪魔がこしらえたものだと批判した。
彼は宗教改革の先駆けとなった神学者ですが、異端を敵視しユダヤ教も痛烈に批判している。

 

どうやら昔からイスラム教に対する偏見は変わらないようです。
ムスリムに対する西欧人の偏見は性的放縦や殺人、強制改宗に集約されます。
これは1704年、西欧に紹介された説話集「アラビアン・ナイト」のイメージに結び付きます。

 

4

< 4. Egyptian conquest by Napoleon >
< 4. ナポレオンのエジプト遠征 >

 

Why did such prejudice be born, and why did it remain strongly?
The Islam worships the one God as same as Christianity, and two doctrines are similar.
However, it is different to deal with Jesus and the Trinity, etc.
Christian will regard it as heresy.

 

The Islam was an invader and menace for Europe since the birth period.
Actually, Spain in the west side and Austria in the east side were exposed to their aggression.
Most of Europe lacked the opportunity to know this area and only knew through Byzantine Empire at most.

 

However, Europe came to have confidence in own civilization when it experienced the Industrial Revolution (since the mid-18th century).
On the contrary, in the end of 18th century, Napoleon conquered Egypt, and Europe ruled the Middle East since the mid-19th century.
Europe had already colonized most parts of the world, but people resisting most stubbornly was only Muslim.

 

Thus, both religions deepened opposition feelings while having a sacred place in same Jerusalem.
This continues the next time.

 

なぜこのような偏見が生まれ、強固に生き続けたのでしょうか?
イスラム教はキリスト教と同じ唯一神を崇め、教義が似ています。
しかしながらイエスや三位一体の扱いなどで違いがあります。
これはキリスト教徒にとって異端に映るのでしょう。

 

西欧にとってイスラムは誕生期から侵略者であり、脅威であった。
実際、西側のスペインと東側のオーストリアは彼らの侵略に晒された。
西欧の多くはこの地域を知る機会に乏しく、せいぜいビザンチン帝国を通じてであった。

 

しかし西欧は産業革命(18世紀半ば~)を経る頃には、自らの文明に自信を持つようになった。
逆に、18世紀末、ナポレオンはエジプトに遠征し、西欧は19世紀半ば以降から中東を支配した。
既に西欧は世界の大半を植民地にしていたが、最も頑強に抵抗したのはムスリムだった。

 

こうして両宗教は聖地を同じエルサレムに持ちながら対立感情を深めていた。
次回に続きます。

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蟹と紅葉を楽しみました 6: 秋の山野と海峡


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*1

 

今日は、ドライブ途中で見た秋の山野と海峡を紹介します。

これで、今回の旅行記は終わります。

 

 

 

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< 2.9号線 >

 

ここは村岡辺り。

 

 

 

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< 3. 9号線 >

 

ここはハチ北口の辺り、若い頃、ハチ北にスキーに来ました。

 

 

 

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< 4.9号線  >

 

ここは関宮辺り。

 

 

 

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< 5.道の駅あさご 1 >

 

ここには播但連絡有料道路に乗る前に、昼食の為に立ち寄りました。

道の駅のすぐ横で綺麗な紅葉が見られました。

昔、家族で神鍋に行った後の帰り道、ここによく立ち寄りました。

 

 

 

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< 6.道の駅あさご 2 >

 

 

 

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< 7.道の駅あさご 3 >

 

 

 

明石海峡と裏六甲の眺め

次の22日、淡路島から神戸にバスで出ました。

この日は但馬旅行の2日間とは打って変わって素晴らしい天気でした。

バスの車窓から見た快晴の海と山の写真を紹介します。

 

 

 

 

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< 8.明石海峡大橋からの眺め >

 

淡路島から舞子に向かっているバスからの眺めです。

西側、瀬戸内海側を見ています。

淡路島はあまり紅葉しません。

 

 

 

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< 9.高速道路からの眺め 1 >

 

上の写真: 神戸淡路鳴門自動車道を見下ろしている。

 

下の写真: 阪神高速7号北神戸線からの眺め。

 

こちらは山は紅葉していました。

但馬の山々はもっと紅葉していたのですが、天気が悪かったので残念でした。

 

 

 

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< 10.高速道路からの眺め 2 >

 

阪神高速7号北神戸線からの眺め。

 

 

この連載は終了します。

ありがとうございました。

 

 

 

 

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蟹と紅葉を楽しみました 4: 浜坂と湯村温泉


 

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< 1. 蟹のいけす >

 

 

今日は、蟹で賑わう浜坂漁港と湯村温泉の蟹料理を紹介します。

 

 

 

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< 2. 浜坂漁港 1 >

 

 

 

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< 3. 浜坂漁港 2 >

 

私は今年5月に、写真左手に見える鬼門崎を遊覧船で巡りました。

その時と打って変わって冬の気配が広がっていました、海はまだ荒れていませんでしたが。

この11月から蟹漁が解禁になったので、またやって来ました。

 

 

 

 

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< 4. 蟹の販売店 >

 

浜坂漁港にあるこの鮮魚店は観光バスなどで来た人で一杯でした。

おそらく観光バスは蟹の買い出しツアーでしょう。

ここの2階にレストランもあります。

皆さん、高い蟹をどんどん買っていくのには驚かされます。

 

 

 

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< 5. 高嶺の花 >

 

 

 

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< 6. 旅館「とみや」1 >

 

「とみや」の庭、右手奥にお気に入りの露天風呂があります。

私はここに泊まるのが2度目、それも半年後にまた来ました。

ここの料理と温泉が非常に気に入りました。

最も、割引の広告が新聞に出たので、飛びついた次第です。

 

 

 

 

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< 7. 旅館「とみや」2 >

 

今回、宿泊した部屋から素晴らしい紅葉を楽しむことができました。

ここはすぐ裏山が迫っており、自然な感じで秋を彩る木々が植えられていた。

 

 

 

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< 8. 旅館「とみや」3 >

 

上と同じ場所です。

不動明王が真っ赤な紅葉の中で立っているのが、如何にも日本的です。

 

 

夕食の蟹三昧

 

 

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< 9. 蟹料理 1>

 

A: 茹でたズワイガニと前菜。

B: カニ刺しと地魚お造り。

C: のどぐろの煮つけ

D: カニスキ。

E: 焼きカニ。

私が一番美味しいと思ったのは焼きカニでした。

 

 

 

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< 10. 蟹料理 2 >

 

F: カニ茶碗蒸しとカニ天ぷら。

G: カニ雑炊と漬物。

H: デザート。

 

やはり低料金なので蟹の大きさや量で見劣りしましたが、満腹になりました。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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蟹と紅葉を楽しみました 3: 高源寺


 

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今日は、紅葉で知られた高源寺を紹介します。

 

 

高源寺について

場所は丹波市青垣町にある臨済宗のお寺です。

山裾から山の斜面にかけて多くの仏閣が建てられている。

創建は14世紀ですが、戦国時代に焼失し、江戸時代に復興された。

 

 

 

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< 2. 高源寺の参道 >

 

 

 

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< 3. 惣門 >

 

上の写真: 惣門、最初の門。

 

下の写真: 惣門を入って右側の庭。

 

 

 

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< 4. 山門に向かう階段 >

 

 

 

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< 5. 山門 >

 

上の写真: 山門。

 

下の写真: 山門前から振り返る。

 

 

 

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< 6. 石碑 >

 

 

 

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< 7. 心字の池 >

 

奥の石垣の上から一筋の滝が流れ落ち、手前の「心字の池」に注いでいます。

 

 

 

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< 8. 方丈と鐘楼 >

 

下の写真: 方丈と鐘楼。

 

 

 

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< 9. 多宝塔 >

 

 

 

 

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< 10. 黄葉と紅葉 >

 

 

残念ながら、紅葉のピークは過ぎていました。

おそらく1週間前頃がピークだったのでしょう。

いつかまた来たいものです。

 

 

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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蟹と紅葉を楽しみました 2: 銀山湖から黒川渓谷へ


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今日は、銀山湖から黒川渓谷を紹介します。

 

 

 

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< 2.播但連絡有料道路 >

 

上の写真: 市川サービスエリアからの眺め。

下の写真: 播但連絡有料道路を走行中、フロントガラス越しの眺め。

 

 

 

 

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< 3. 銀山湖 1 >

 

霧雨が時折降る天気でしたが、雲がたなびく山々と紅葉が湖面に映えていました。

 

 

 

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< 4. 銀山湖 2 >

 

 

 

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< 5. 銀山湖 3 >

 

 

 

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< 6. 黒川渓谷、下流側を望む >

 

この場所がこの渓谷で紅葉が最も美しい所かどうかはわかりませんが、紅葉の盛りは過ぎていました。

川に沿って429号線が走っていたここで撮影しました。

銀山湖と黒川渓谷は標高400mを越えています。

 

 

 

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< 7. 黒川渓谷、上流側を望む  >

 

 

 

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< 8. 429号線を下って青垣を目指す  >

 

この道は急な下りが続き、かつ道幅が狭く、対抗車が来たらお手上げです。

それでも杉の森と笹の緑と紅葉が雨に濡れて鮮やかで、深山幽谷を堪能しました。

 

 

 

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< 9. 鹿野馬神社 >

 

目的の高源寺手前で偶然見つけた紅葉の美しい神社を見つけました。

 

 

 

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< 10. 鹿野馬神社の前から  >

 

上の写真: 今下って来た山側を振り返る。

下の写真: 神社の前に架かる橋の上から河岸のもみじを写す。

 

 

次回に続きます。

 

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蟹と紅葉を楽しみました 1: はじめに


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私は、2016年11月20と21日に丹波と但馬地方を訪れました。

あいにくの曇りでしたが、蟹と紅葉を楽しんで来ました。

今日は、概要を紹介します。

 

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< 2. ドライヴルート、上が北 >

 

青線が20日、赤線が21日の走行ルートです。

  • B、C、D、Eは主な訪問地です。

 

 

 

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< 3. A、銀山湖 >

 

 

 

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< 4. B、鹿野馬神社 >

 

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< 5. B、高源寺 >

 

 

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< 6. C、浜坂海岸 >

 

 

 

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< 7.ズワイガニ >

 

上の写真: C、浜坂漁港の水産物販売店の蟹。

下の写真: D、湯村温泉「とみや」の蟹料理。

 

 

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< 8. D、旅館の部屋から >

 

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< 9. E、立雲峡からの竹田城跡遠景 >

 

中央の山頂に城の石垣が見える。

 

 

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< 10. JR竹田駅 >

 

上の写真: E、JR竹田駅。

下の写真: 道の駅あさごの周辺。

 

 

次回に続きます。

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 10: サンクトペテルブルグ 4


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< 1.サムソン像 >

 

 

サンクトぺテルブルグ観光で私が最も感動した風景を紹介します。

それはピュートル大帝の夏の宮殿の噴水群と黄葉です。

今回は、噴水群を紹介します。

 

 

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< 2.散策地図 >

 

上の写真: ピュートル大帝の夏の宮殿のほぼ全体が写っています。

上が北で、海岸沿いの庭園「下の庭園」の幅は東西に約4kmあります。

私達が観光したのは「下の庭園」の一部で、噴水群と赤枠の黄葉真っ盛りの庭園です。

私達はバスを降りて、Sから歩き始め、黄線に沿って徒歩でEまで行きました。

今回の写真はEまでの撮影分です。

 

下の写真: 大宮殿の前から海側に落ちる大滝と噴水群のある庭園。

上が南です。

 

 

 

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< 3.宮殿横を行く >

 

上の写真: 歩き始めると、素晴らしく紅葉した木々が私達を迎えてくれていました。

 

下の写真: この建物の右側から入場します。

 

 

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< 4. 眼下についに見えました >

 

待望の噴水群の全貌が見えて来ました。

今回のロシア旅行で、もっとも期待していた撮影スポットはここでした。

しかし、この時期は天候がすぐれず、雲に蔽われる可能性があった。

一方で、紅葉の時期でもあったので、私はこの時期の旅行に決めた。

おかげで想像を超える黄葉と噴水の両方を楽しむことが出来ました。

しかし残念なことに、ここを訪問したのは9月29日の16:30~18:00で、夕暮れが迫っていました。

肉眼では充分、美しさを堪能出来たのですが、写真では無理なようです。

 

 

 

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< 5.大宮殿中央の前から >

 

森の向こうはフィンランド湾です。

かつてピュートル大帝は船で、この運河に入り宮殿に横づけした。

 

 

ピュートル大帝の夏の宮殿について

北方戦争に勝利したピュートル大帝が建てた宮殿で、1724年に完成した。

建設には、フランス、イタリアなどから建築家や技術者が集められた。

噴水は、22km離れた水源から上の庭園まで水を引き、そこからパイプで落差を利用している。

まったくの自然の力による噴水です。

 

 

 

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< 6.金色に輝く彫像1 >

 

聖書を題材にした彫像が多いようです。

 

 

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< 7.金色に輝く彫像2 >

 

 

 

 

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< 8.金色に輝く彫像3  >

 

この大滝全体で、37体の銅像、64の噴水、142の水の噴出し口がある。

 

 

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< 9.大宮殿を望む1 >

 

上の写真: 池中央の像がサムソン像です。

サムソンがスウェーデンを象徴するライオンの口を引き裂いてる。

そしてその口から20mの高さまで水が噴出している。

 

 

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< 10. 大宮殿を望む2 >

 

 

次回は黄葉の庭園を散策します。

 

 

 

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 44: What is the cause ? 3


中東に平和を! 44: 何が原因か? 3

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< 1. the Baltic Way joined three Baltic countries in 1989 >
< 1.1989年のバルト三国の人間の鎖 >

 

Last time, I considered the sparks of the Middle East that have caused wars and terrorism frequently.
This time, I investigate causes of the sparks furthermore.

前回、戦争とテロが頻発する中東社会の火種を考察しました。
今回は、さらにその原因を探ります。
Preface
In the Middle East, why can’t people join together ?
And why do they shut out the world by themselves?
There are scholars who obstinately insisted that it is a backwardness rooted in Islam.
They have a intention to justify their religion with despising Islam now, as with having despised Judaism once.

 

These causes, sparks, are deeply rooted in former colonial rule and poverty, but I think that these causes can be solved by the Middle East’s own.

 

はじめに
なぜ中東では大同団結が出来ず、自ら世界を閉ざしてしまうのでしょうか?
それをイスラム教に根差す後進性だと強弁する学者もいました。
彼らは、かつてユダヤ教、今はイスラム教を侮蔑することで自分の宗教を正当化すする意図を持っています。

 

これら火種は、かつての植民地支配や困窮が大きく影響しており、根は深いのですが、中東が自ら対処することで解決可能な原因と思われます。

 

2-2
< 2. a village and mosque of Upper Egypt >
< 2.上エジプトの村とモスク >
What is the cause to produce the sparks?
I think that three causes are big.

 

A : close nature
The range where people can sympathize is limited to small range such as a village or a tribe.
This tendency is strong in countryside in particular.

 

For example, when the Arab Spring happened in Egypt, the people were positive toward democratization at first, but became conservative after all.

 

In January, 2011, a large-scale demonstration occurred in Egypt by the aftermath of the Arab Spring, and the President Mubarak being a dictator left.
This revolution was mainly triggered by the young of the urban areas.
They demanded democratization and thought that it was the most important to stop military organization return and moneyed election by the local influential person.
However, when the parliamentary elections finished in November, 2011, the Islamic movement scored an emphatic victory as distinct from the pro-democracy movement.
This reason was such political party had not grown up, not only that but also people of countryside returned back to conservative. Annotation 1.

 

It is supposed that this was because people join together only within each village, tribe, and mosque (denomination).
火種を作る原因とは何か?
三つの原因が大きいと思います。

 

A: 閉鎖性
人々の共感出来る範囲が村や部族などの小さな範囲に限られている。
特に地方ではこの傾向が強い。

 

例えば、エジプトでアラブの春が起きた時、人々は一度は民主化に前向きになっていたが、結局は保守的になってしまった。

 

2011年1月、アラブの春の余波でエジプトに大規模なデモが発生し、独裁者のムバーラク大統領が辞めた。
これを主に担ったのは都市部の若者で、彼らは民主化を求め、そのためには軍制復帰と地方の有力者による金権選挙の阻止が最重要だと考えていた。
しかし、2011月11月、人民議会選挙が蓋を開けると、民主化勢力ではなくイスラム勢力が圧勝した。
これは政党が育っていない事もあるが、地方が保守に回帰してしまったことが大きい。注釈1.

 

この背景に、人々が村や部族、モスク(宗派)毎にまとまってしまうことが大きいと推測される。
B: low literacy rate

 

When the literacy rate being closely related to the above problem rises, the people can share same sense of values in more larger area. Annotation 2.
In addition, more people can adopt many success examples and get universal judgments of all of the world.
Thus, the people can perform a shift to democracy smoothly.

 

The literacy rate of some nations being stable comparatively, such as Turkey, Iran, Tunisia, and Egypt, early had increased relatively among the Middle East. Annotation 3.

 

B: 低い識字率
上記と密接に関わっている識字率が上昇してこそ、人々はより広い地域で価値観を共有出来るようになる。注釈2.
またより多くの人が世界の成功例や普遍的な見識を取り入れることが出来る。
こうして、人々は民主主義への移行をスムーズに行うことが可能になる。

 

安定しているトルコ、イラン、チュニジア、エジプトなどは比較的識字化が早かった。注釈3.

 

3

< 3. Koran >
< 3. コーラン >

 

C: an application of the Islamic law
I think that certain application have a problem.

 

Ulama (Islamic scholars) pronounces a fatwa (proclamation) for each occasion.

 

I understand the importance of having been pronounced the fatwa of jihad by paramount Ulama against invader once. Annotation 4.
However, I feel confused about Osama bin Laden pronounced “kill people of the United States and the ally” as a fatwa.
This problem is that various Muslims have pronounced a fatwa of starting a battle that will embroil the country and a large number of the citizens.
Naturally there are Ulama criticizing the behavior of the Islamic State.
C: イスラム法の適用
私は、一部の適用に問題があると考えます。

 

ウラマー(イスラム法学者)はファトワー(布告、裁断)を時に応じて発します。
過去に、最高位のウラマーが侵略者に対してジハードを発したことの重要性は理解します。注釈4.
しかし、ウサーマ・ビン・ラーディンがファトワー「アメリカと同盟国の国民を殺害せよ」を発したことに困惑します。
問題は、国や大勢の市民を巻き添えにする戦闘開始のファトワーを様々なムスリマが発していることにある。
当然、イスラム国の所業を非難するウラマーもいる。

 

In addition, an American Islamic law researcher indicated that the rigorism of Islam grows in strength in certain cases than the moderatism, in his book.
And he explains that most of Islamic extremists were poisoned by it. Annotation 5.

 

What is the problem?
In the Islamic world, the law of the country and religion law that based on the Koran are one in the same.
It should be usually one system of law in one country.
We think that personal rule, creed, and belief are free.
However, if things implicated in violence and armaments become free because of religion creed, the society clearly become conflict situation.
I think Muslims must limit the application of jihad for using violence, establish it as Islamic Sharia law, and it is necessary to disseminate it to Muslims widely.

 

The resolution of these causes can’t possibly be achieved overnight, but there would be not true solution unless doing so.
I ask your forgiveness as a outsider points out the problem.

 

This continues the next time.

 

また米国のイスラム法研究者が、その著書でイスラム教には穏健主義に対して厳格主義が勢力を持つことがあり、過激派はそれに毒されていると言う。注釈5.

 

何が問題なのでしょうか。
イスラム世界は国法とコーランを中心とした宗教法が混然一体となっています。
通常、一つの国には一つの法体系であるべきです。
私達からすれば、個人の規範や信条、信仰は自由であって良いのです。
しかし、暴力や軍事力に関わることまで宗教信条だとして放任すれば、社会は紛争状態になるのは明らかです。
ジハードの暴力的な適用について限定を設け、シャーリア(イジュマーなど)として定め、広くムスリマに周知させる必要があると思います。

 

これら原因は一朝一夕に解決出来ないが、これを放置して真の解決はないと思います。
部外者の私が問題を指摘することをお許しください。
次回に続きます。

 

注釈1.
この間の事情は加藤博・岩崎えり奈共著「現代アラブ社会」に詳しい。
注釈2.
エジプトの15~24歳の識字率は、1976年で51%であったものが、2006年で85%に上昇している。
これがアラブの春を呼び込んだと言える。
しかし、エジプトの地方(上エジプトなど)の文盲率(非識字率)は40%(2006年)を越える所があり、特に高齢者や女性に多い。
エジプト全体で若者の27%が義務教育を修了していない。
上記「現代アラブ社会」より。

これが民主化への阻害要因の一つになっていると考えられる。
注釈3.
この間の事情はエマニュエル・トッド著「アラブ革命はなぜ起きたか」に詳しい。
注釈4.
1830年、フランスがアルジェリアに侵略し始めると、イスラム教の指導者であったアブド・アルカーディールはジハードを宣言し、自ら軍を率いて戦った。
注釈5.
カリード・アブ・エル・ファドル著「イスラムへの誤解を超えて」に詳しい。

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 43: What is the cause ? 2


中東に平和を! 43: 何が原因か? 2

 

1

*1

 

We looked at two causes of wars and terrorism that have been frequent in the Middle East last time.
I consider another important cause, sparks, this time.

 

前回、中東で戦争とテロが頻発する二つの原因を見ました。
今回は、もう一つの重要な原因、火種を考察します。

 

2a

*2

Preface
Last time, we looked that the problems of the Middle East became worse like sparks were blasted by strong wind in dry grassy grassland.
These two causes were aftereffects of once colony and the Cold War, and the biggest external cause.
Improvement to and coping with these are necessary, and besides, there is another important thing.
I think the Middle East should improve a cause that is inherent in the Middle East by oneself.
I assumed it “sparks”.
はじめに
前回、乾燥した草原の火種が強風に煽られようにして中東問題は深刻化したことを見ました。
二つの原因とは最大の外因である植民地の後遺症と冷戦でした。
これらへの改善と対処も必要ですが、もう一つ大事なことがあります。
それは中東に内在する原因で、中東自ら対処すべき問題だと思います。
私はそれを火種としました。

 

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< 3. Scenery of Islamic towns >
< 3.イスラム世界の風景 >
What is the sparks?
In the Middle East, why do conflicts begin everywhere?

 

As for the problem in Palestine, Islam and Judaism strengthen exclusiveness each other and produced hatred and gap, so it is not said that the cause is only unilateral religion.
However, we must notice particular problems in the Middle East when we compare both handling of it.
The main problems are that they can’t merge together, and are to shut out the world by themselves.

 

Internal troubles, coups, and wars in the Middle East that I considered until now
came to worsen through a similar process.
The examples of the conflicts are President Nasser and Moslem Brotherhood (Sunni) in Egypt, President Assad (Alaouite) and Moslem Brotherhood in Syria, and Sunni (the mainstream of President Hussein’s era) and Shiite in Iraq.
Opposition between denominations or for modernization (secularization) is taking place among the same Muslims.

 

Why cannot they solve each other dissatisfaction by talking?
So they must oppose and fight each other.

 

In addition, the Islamic extremists such as the Islamic State are born almost every day, they cooperate each other in some cases, but they smash and absorb each other in most cases.
The numbers may exceed 50 in the Middle East.
They act apart even in this situation.

 
火種とは何か?
なぜ中東では、こうも至るところで抗争が始まってしまうのだろうか?

 

パレスチナ問題では、イスラム教とユダヤ教が互いに排他性を強固にし、憎悪や格差を生んでいたのであって、一方の宗教だけが元凶とは言えない。
しかし、両者の対応を見ていると中東特有の問題が浮かび上がって来ます。
その主なものは彼らが大同団結が出来ないことと、自ら世界を閉ざしていることです。

 

いままで考察した中東の内紛やクーデター、戦争、どれも同じような経緯を辿って、拡大し深刻化しました。
代表的な対立の例は、エジプトでのナセル大統領とムスリム同胞団(スンナ派)、シリアでのアサド大統領(アラウィ派)とムスリム同胞団、イラクでのスンナ派(フセイン大統領時代の主流)とシーア派です。
同じイスラム教徒の中で近代化(世俗派)や宗派間で対立が起きている。

 

なぜ彼らは不満を話し合いで解決出来ず、敵対し暴力に結び付けてしまうのか?

 

またイスラム国などのイスラム過激派は日々生まれ、協力することもあるが、潰し合い吸収されもしている。
その数はゆうに50を越えるのではないだろうか。
ここでもバラバラの動きをしている。

 

4

< 4. November 2015 Paris attacks >
< 4. 2015年のパリ同時多発テロ >

 

Furthermore, terrorism all over the world that the Islamic State performs and was initiated by al-Qaeda only drives Muslims all over the world into a corner surely and is the worst for everyone.
Once, anti-establishment terrorism plunges the leaders of own country into fear to aim to a policy changeover, but is different from it.
What will be different?
For example, three Baltic countries, Korea, and South Africa, in spite of being small countries, achieved the purpose with gaining cooperation of the world, particularly the Europe and America, to get out of the rule of large countries.
The nation-building of Israel is similar to it.
They have asked for understanding to the world and have avoided useless fight by transcending a difference in ideology or religion, and a historic grudge.
Though, it must have been worst condition for the Arab, because Europe and America was once ruler of the colonies and heathen countries.

 

Terrorism of Islamic extremist rightly goes against the times.

 

I think if the Middle East does not try to decrease such sparks, there is not the future of the Middle East.

 

The next time, I consider the cause that they shut out the world and can’t merge together.

 
さらに、アルカイダに始まり、イスラム国が行っている世界各地のテロは、世界のムスリマを確実に窮地に追い込むだけで、誰にとっても最悪です。
かつて反体制側のテロは自国の首脳を恐怖に落とし入れ、政策転換を図る狙いがあったが、これとは異なる。
何が違うのだろうか。

 

ここ1世紀、反体制側や弱小国の中には、世界の良心に訴え、世界を味方に付けて、体制挽回や独立を実現して来たところがある。
例えば、バルト三国や韓国、南アフリカなどは大国の支配から脱却するために、世界、特に欧米先進国の協力を得て小国ながら目的を達した。
イスラエルの建国も、これに似ている。
彼らはイデオロギーや宗教の違い、歴史的な遺恨を横に置いて、世界に理解を求め無駄な戦い避けて来た。
もっとも、アラブにとって欧米は異教徒であり植民地の支配者であったので厳しい条件ではあるのだが。

 

まさにイスラム過激派のテロは時代に逆行している。

 

この火種を減らす努力をする以外に中東に未来はないように思える。

 

次回は、大同団結が出来ず自ら世界を閉ざす原因について考察します。

 

 

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花で満ち溢れる丘、あわじ花さじき


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*1

 

 

2016年11月5日、コスモスが満開の丘を散策しました。

この日は風もなく、陽射しの温もりが心地良かった。

 

 

あわじ花さじき

ここは淡路島北端の丘陵地のひときわ高い山頂にあります。

標高290~250mの展望台からは大阪湾と瀬戸内海を望むことが出来ます。

以前は牛の放牧場だった所ですが、今は広大な斜面一杯に年中、季節に応じた花が植えられています。

ここの素晴らしい所は、広大な斜面のお花畑と眼下の海、緑の山々を同時に楽しめることです。

しかも無料で、駐車場は広く、小さな売店・トイレなどの設備も整っています。

 

 

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< 2. 地図 >

 

上の地図: 赤丸があわじ花さじきです。

車なら東浦インターから行くのが便利だと思います。

この日も、近畿だけでなく関東や四国などの車も見かけました。

 

下の地図: 矢印があわじ花さじきです。

この衛星写真は大阪湾側から見ており、向こうに瀬戸内海が見えています。

手前が東浦で、横一直線に山肌を横切っているのは神戸淡路鳴門自動車道です。

 

 

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< 3. 駐車場の近くで >

 

上の写真: 牛の放牧場の向こうに、明石海峡大橋の白い主塔が微かに見えています。

この日は、島全体に霞みがかかっていました。

 

 

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< 4. 満開のコスモス >

 

斜面の中腹で撮影しました。

 

 

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< 5. 斜面の下の方で撮影 >

 

上の写真: 中央の山頂に展望台が見えます。

下の写真: 左手奥に2頭の馬に乗った人が見えます。

 

 

 

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< 6. 斜面の上の方から撮影 >

 

上の写真: 赤いサルビアが鮮やかです。

眼下に微かに大阪湾の海面が見える。

霞みがなければ対岸の大阪から和歌山の山並みも見える。

 

下の写真: 展望台から見下ろしている。

 

 

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< 7. 幸福な一時 >

 

 

あとがき

駐車場には大型観光バスが数台駐車しており、次々と乗用車も入って来て、訪問者で一杯でした。

しかし花園は広いので、写真のように人はまばらになり、思い思いに花を楽しんでいました。

子犬を連れて来て見知らぬ人とペット談義に花を咲かせる人々。

近くの牧場から馬に乗り散策を楽しむ人達。

写真撮影に余念のない人。

花に囲まれてご満悦なカップルや友人同士。

老いのひと時を憩う私達。

 

晴れやかで自然と一体になれた秋の一日でした。

 

 

 

 

 

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 7: サンクトペテルブルグ 1


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< 1. アニチコフ橋の馬の像 >

 

今日から数回に分けてサンクトぺテルブルグを紹介します。

訪問したのは2016年9月29日と30日で、初日は曇りでしたが、次の日は晴れました。

 

 

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< 2.サンクトペテルブルグの地図、すべて上が北 >

 

上の地図: バルト海とロシアを示します。

地図の横幅は約2000km。

赤丸は後でサンクトペテルブルグの歴史を紹介する時に出てくる地名で、Aはナルヴァ、Bはリガ、Cはシュリッセリブルクです。

 

中央の写真: ほぼサンクトペテルブルグ市域。

写真の横幅は約50km。

黄色の四角が今日紹介する観光の範囲です。

 

下の写真:今回紹介する観光地を黄色の数字で示します。

写真の横幅は約4km。

No.1: 新幹線が着いたモスクワ駅。

No.2: 宮殿広場。

No.3: エルミタージュ美術館。

No.4: 血の上の救世主教会。

No.5: ペトロパヴロフスク聖堂(遠くから眺めただけ)。

No.6: イサク聖堂(後日紹介)。

 

 

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< 3. モスクワ駅 >

 

上の写真: 新幹線が着いたモスクワ駅。

 

中央の写真: 1917年の革命を記念して名づけられた蜂起広場です。

広場に立っているのが英雄都市(第3話で紹介)に贈られるオベリスク。

このサンクトペテルブルグの名前は、第一次世界大戦ではペトログラード、ソ連になるとレニングラードと改名され、ソ連崩壊後は元の名前に戻った。

 

下の写真: モスクワ駅横のリゴフスキー大通り。

 

到着した時は厚い雲に覆われたいたが、歴史を感じさせる建物が並んでいるのを見ると期待が膨らんだ。

 

 

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< 4. 街並み 1 >

 

下の写真: アニチコフ橋から見たフォンタンカ川。

 

バスで走っていると、運河や川の多いのがわかる。

サンクトペテルブルグは沼地に造られた要塞から始まった。

 

 

 5

< 5. 通りの様子 >

 

多くのロシア人の顔をじっくり見る機会はなかったが、気付いたことがある。

ここにはポルトガルのリスボンようにあらゆる大陸の人々が混住していない。

観光客は別にして、アラブやアフリカ、東南アジア、南アジア系の人々を見かけることはほとんどなかった。

だからと言って、ロシアの二大都市の人々は単一のスラブ人ではなく、北欧や中央アジアなどの血が混じっており、まさに歴史の流れを感じる。

 

 

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< 6. 街並み 2 >

 

上の写真: この様な彫刻の飾りが大通りの建物に多く見られた。

下の写真: グリボエードフ運河の奥に見える血の上の救世主教会。

 

 

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< 7. 血の上の救世主教会 >

 

下の写真: 隣接するミハイロフスキー公園の木々が色づき始めていた。

 

 

 

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< 8. 血の上の救世主教会 >

 

この教会は、1881年に皇帝アレクサンドル2世が暗殺された場所の上に建てられ、1907年に完成している。

サンクトペテルブルグの歴史的な建物のほとんどは西欧風(バロック、ネオクラシック)で、有名なものはイタリアの建築家の手によるものが多い。

それに対して、これは純ロシア風の再現とも言えるが、モスクワの赤の広場の1560年に建てられた聖ワシリイ大聖堂に比べ、自由で外壁の装飾が派手です。

 

ロシア教会の特徴である屋根の葱坊主は火焔を意味し、教会内での聖霊の活躍を象徴すると言われています。

 

 

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< 9.血の上の救世主教会の内部 >

 

http://fishand.tips/column/c_russia/5-best-cathedrals/より借用。

 

内部を拝観していませんが、素晴らしいので紹介します。

 

 

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< 10. 宮殿広場 >

 

上の写真: 1827年に建てられた旧参謀本部。

中央の写真: 1834年、ナポレオン戦争の勝利を記念して建てられたアレクサンドルの円柱が左に見える。

左の奥にイサク聖堂のドーム、右奥に旧海軍省の建物が見える。

 

下の写真: エルミタージュ美術館。

後にエルミタージュ美術館になる冬宮が1762年に建てられ、サンクトぺテルブルグの中心となった。

内部は次回紹介します。

 

 

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< 11.エルミタージュ美術館の周囲  >

 

上の写真: 美術館に沿って宮殿広場からネヴァ川側に回る。

下の写真: ネヴァ川と美術館入り口。

 

 

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< 12.ネヴァ川  >

 

上の写真: エルミタージュ美術館側から対岸を見ている。

 

中央の写真: 対岸のペトロパヴロフスク要塞を拡大。

高い塔はペトロパヴロフスク聖堂。

サンクトペテルブルグはここに作られた要塞から始まった。

 

下の写真: ヴァシリエフスキー島と宮殿橋。

右手の赤い二つの塔は昔の灯台。

 

 

サンクトぺテルブルグの歴史

この都市の人口は現在500万人で、ロシア第二の都市です。

 

 

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< 13. サンクトぺテルブルグの歴史 >

 

一番上の絵: ノヴゴロド公国の賑わい。

 

二番目の写真: デカブリスト広場のピュートル大帝像。

 

三番目の絵: 1753年当時のサンクトぺテルブルグ。

おそらく左岸がペトロパヴロフスク要塞、右岸が冬宮(エルミタージュ美術館)が建つ場所だろう。

 

四番目の写真: ロシア革命時、冬宮前に押し寄せる民衆。

 

 

この地は、古くはヴァイキングがネヴァ川を遡上してバルト海と黒海を結ぶ交易ルートに位置した。

ここはキエフ公国の分裂後、ロシアの北方で栄えたノヴゴロド公国に属した。

やがて公国はスウェーデンと国境を巡って争うことになる。

一時は、公国のアレクサンドル・ネフスキーが勝利し、それにちなんだ彼の名を冠した地名や建物がサンクトぺテルブルグに残っている。

 

やがてロシアのピュートル大帝は、東欧、バルト三国、北欧を巻き込む大北方戦争(1700~1721年)で、スウェーデンと雌雄を決することになる。

その過程で、1703年、この地にペトロパヴロフスク要塞の建設を開始し、これがサンクトぺテルブルグの始まりとなった。

 

ピュートル大帝は、バルト海交易を確保し、西欧化を図ることがロシアにとって不可欠だと考えていた。

彼は皇帝でありながら、1年半ほど大使節団の一員として偽名を使いヨーロッパを視察している。

この姿勢が、サンクトぺテルブルグの街づくりにも反映されている。

 

1712年、ここに首都が移され発展を遂げることなる。

しかし、ここは1917年に始まるロシア革命の中心地となった。

そして、1922年、ソ連は首都を海外からの干渉を避ける為に内陸部のモスクワに移した。

 

 

 

 14

< 14. 大北方戦争の激戦地 >

http://www.coroflot.com/art_bat/Great-Northern-war とWikipediaより借用。

 

上の図: 地図A、1700年のナルヴァの攻防。

この城塞を後日紹介します。

 

中央の図: 地図B、1710年のリガの攻防。

この旧市街を後日紹介します。

 

下の図: 地図C、1702年、シュリッセリブルクの攻防。

ピョートル大帝は大きな犠牲を払って長年の抗争の地をスウェーデン軍から取り戻した。

サンクトぺテルブルグより東に35kmの所。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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