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徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 1: はじめに


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これから、徳島県の山河を巡る二泊三日の旅を紹介します。

旅したのは2020年6月7日~9日で、概ね快晴でした。

今回は、山と川が生み出した景色、街並み、歴史を探ります。

大きく三つあり、吉野川中流域のかつての街並み、剣山登山、平家落人伝説の祖谷渓です。

 

 

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< 2. 訪問地、上が北 >

 

上: 四国全体と旅行地

赤枠が今回の訪問地で、オレンジ枠が前回紹介した海部郡です。

 

下: 今回の訪問地

青線が今回紹介する主なドライブコースです。

Aから始め、途中二泊し、Fで終わります。

 

A: 脇町うだつの町並み

B: 貞光二層うだつの町並み

F: 阿波池田うだつの町並み

この三つは、かつて豪商が軒を連ねた町並みです。

川と山を繋ぐ街道が、かつて繁栄をもたらしました。

 

C: 西日本で二番目に高い剣山

登山道と山頂を紹介します。

登山道近くに一泊目のホテルをとった。

 

D: 祖谷のかずら橋

ここに二泊目の宿をとった。

 

CからDの間には様々な観光スポットがあります。

奥祖谷二重かずら橋、落合集落、東祖谷歴史民俗資料館が主です。

しかし平家落人や安徳天皇の伝説に纏わる屋敷、神社、杉の大木が山深い急斜面にひっそりと佇んでいます。

 

E: 平家屋敷民俗資料館

 

EからFの間は、大歩危小歩危の渓流で有名です。

 

 

 

 

 

 

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< 3. 脇町うだつの町並み >

 

上: 脇町うだつの町並み

下: 吉野川

 

 

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< 4. 貞光の旧庄屋家 >

 

上: 貞光の旧庄屋家

下: 貞光川の上流

 

 

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< 5. 剣山の山頂近く >

 

上: 宿泊地から見た夕焼け

下: 剣山の登山リフトからの眺め

 

 

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< 6. 剣山山頂からの眺め >

 

上: 剣山山頂からの眺め

下: 登山リフト下駅近くから、祖谷渓谷を見下ろす

 

 

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< 7. 奥祖谷二重かずら橋 >

 

上: 奥祖谷二重かずら橋の一つ

下: 落合集落

 

 

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< 8. 祖谷渓  >

 

中流の橋の上から上流を望む。

 

 

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< 9. 祖谷のかずら橋 >

 

上: 祖谷のかずら橋

下: 祖谷のかずら橋の川原に降りて、上流を望む

 

 

 

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< 10. 喜多家の武家屋敷 >

 

上:  喜多家の武家屋敷

下: 落人伝説が眠る地に向かう急斜な細い道

 

 

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< 11. 栗枝渡八幡神社 >

 

ここにもいつかの安徳天皇伝説がある。

 

 

 

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< 12. 東祖谷歴史民俗資料館 >

 

上: 落合集落を横から眺める

下: 東祖谷歴史民俗資料館

 

 

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< 13. 平家屋敷民俗資料館 >

 

上: 外観

下: 内部

 

 

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< 14. 阿波池田たばこ資料館 >

 

上: 道の駅大歩危からの眺め

下: 阿波池田たばこ資料館

 

 

次回に続きます。

 

 

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世界が崩壊しない前に 27: 貧困と格差 2


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前回、世界と日本の状況を見ました。

今、世界で何が起きているかを見ます。

 

 

前回、世界の絶対的貧困率が減少する一方、国家間と国内の格差が広がっていることを見ました。

 

 

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< 2.富裕層の所得の推移 >

 

米国の所得上位10%が1940~1970年代、全国民所得の35%を占めていたが、その後上昇を始め2007年には50%になった(上記グラフとは別)。

同時期、上位1%の占有率は10%ほどから24%になった。

 

 

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< 3.世界の億万長者 >

 

格差の諸相

 

ほんの一握りの人間に富が集中し加速している。

 

1970年代、所得税の最高税率は英で90%を越え、米で70%あったが、その後英米共に40%まで急速に下げ、日本も追従した。

 

世界の株式と債券の総額は1980年10兆ドルだったが、2009年には126兆ドルになり、12.6倍となったが、この間の世界実質GDPは2.8倍に過ぎない。

 

 

主な要因

 

大国や多国籍企業の身勝手な経済・外交・軍事的な干渉が発展途上国の貧困を助長している(アジア通貨危機など)。

せっかく途上国自身の努力、そして国際機関や先進国による支援などにより豊かさを手にしているのだが。

 

ニュー・ワールド・エコノミー(容易に国境を越える、瞬時に伝わる情報、日々進む知識集約化、熾烈な競争)が進み、教育・情報力や資金力などの差が益々格差を広げている。

 

以下が一番の元凶です。

ここ40年間、米国を筆頭に自由放任経済の国では、金融緩和と規制緩和(合併や競争激化など)によって巨大企業ほど収益が上がり、さらに減税(法人税、逆累進課税など)で富は集中し加速した。

さらに実体経済より金融経済で高収益が得られるようになったことで、実体経済に資本が向かわず停滞するようになった。

 

これにより経済が成長しても90%の国民の所得が伸びず、日本では低下すらしている。

 

様々な要因が絡んではいるが、けっして偶然ではない。

 

最も問題なのは、大資本や企業が野放しにされていると言うより、多くの先進国が競うように、これらを優遇していることにある。

当然、北欧などのように格差を押さえながら成長も手に入れている国は多い。

 

 

次回、貧困と格差の問題を見ます。

 

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平成の哀しみ4: 深まる亀裂 2: 何が起きたのか


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隣国との諍いは何を意味するのか?

 

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韓国と中国は日本に対して二島の領有を主張し、さらに植民地支配への反省を求めている。

また中国は軍事大国へ、北朝鮮は核兵器開発とテロ国家へと突き進んでいる。

一方、日本は過去を賛美するタカ派が政権を担い、軍事大国を目指し始めた。

 

 

少し動きを確認します。

 

中韓のように侵略された国が当時の非道を後になって訴える事は、ドイツや東欧でもあった。

それは戦時中のしがらみ(ナチス加担や独裁政権など)から政治や社会が抜け出せたこと、また社会運動の高まりも影響している。

 

尖閣問題は中国と台湾が資源獲得を狙ったのが発端だが、日中間で保留扱いにしていたものを日本の国有化で火に油を注ぐ結果になった。

 

一方、日本も様変わりしていた。

 

経済は長期に衰退し、政府の景気対策はことごとく失敗していた。

人々は諦めながらも、かつての繁栄を微かに期待もしている。

一方で大戦を知らず歴史を軽視する人々が増えた。

 

このような中、大戦を美化し、対外強硬策こそが日本復活の切り札との訴が人気を博するようになった。

 

これは世界史で繰り返されるパータンだが、日本のいつか来た道かもしれない。

 

 

次回は隣国の軍拡を考察します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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連載中 何か変ですよ 210: 何がより良い選択なのか?


 

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「日本国民は何に不安を感じ、何を頼りにしているのか?」

私には見えてこない。

戦争か平和か、または繁栄か金融危機か、左右から罵り合う。

何が国民にとってより良い選択なのか?

 

 

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皆さんはどう思いますか?

 

  1. どうしたら戦争や侵略を防げるのか?

軍備を増強するべき

賛成: 小国は侵攻され易い。

反対: 大国と軍拡競争をしても無駄、むしろ敵愾心を煽る。

 

注釈 

繰り返される米ロ(ソ連)の軍事侵攻を見ていると、小国の悲哀は今なお現実です。

これら侵攻の多くは、民族や宗教対立で混乱している小国への大国の領土・資源・覇権争いと言えるでしょう。

また軍拡競争と軍事同盟の果ての大戦が二度も続き、これも深刻です。

 

一方で、不戦条約締結(1929年)以降、世界が一緒になって暴虐な国々の世界制覇を多大な犠牲を払って食い止めました(米国の力は大きいが、その後変節している)。

 

日本にとって確実な戦争回避策はあるのか?

 

例えば沖縄の基地をどう評価するのか?

沖縄は米国の中国への前進基地として防波堤の役割を担うのか、それとも最初の激戦地となり、日本も火の海になるのか?(沖縄は、以前より米国のアジア侵攻の発進地として使われているので、最初に攻撃されるだろう)

沖縄よりもグアムやハワイの方が、米国や日本にとっても戦略上優位なのではないか?(あまりにも日本と米国の本土から離れている)

 

北朝鮮の軍事緊張にしても、今回の一連の動きで判明したように米中次第であって、日本の役割は少ない(蚊帳の外で騒ぐだけだった)。

北朝鮮に睨みを利かすのは空母などの機動部隊がいる佐世保が最重要です。

 

結局、回避策は日本と米国、中国、ロシアの状況を的確に評価出来るかにかかっている(日本は過去に大きな見誤りを繰り返しており、いまだに反省していない。今度こそ島国を言い訳にしないでほしい)。

 

要は侵略する国、軍事同盟、抑止力、日本の立場―国際的と地政学上(大陸に近い島国)、をどう評価するかです。

少なくとも日本は小国では無く、今後米中の覇権争いは熾烈を極め、中国経済は益々巨大になり、やがて日本は米国依存一辺倒ではすまなくなるだろう。

 

ここ1世紀半の世界の流れを振り返ると日本の動きが見えてくる。

19世紀後半以降、英国の覇権は衰えて、米国はやがて断トツ一位の経済大国になって行く。

第一次世界大戦はドイツの経済が英国を抜きヨーロッパで一位になる時期と重なった。

また第二次世界大戦は、日本が経済の規模こそ及ばないが急伸し、軍事同盟先を英国からドイツに替えて始まった。

この間、米国は軍事でも世界第一位となり、日本は敗戦占領を期に米国に完全に追従することになった。

 

 

一言

ここ半世紀あまりの世界の戦争をみると、幼児帰りしているように思える(不戦条約締結以前に戻る)。

侵攻される小国に紛争や混乱などの火種があることもあるが、大国は一方的な口実を持って侵攻する。

その口実を、かって世界平和の為だったが、今は戦争の芽を摘むとして自己防衛と称している。(初期には当事者に大量の武器を売る一方で、やがて都合の悪い政府を潰し、それを傀儡政権に替え、挙句に侵攻して破壊する。特に米国。)

これはかっての戦争と何ら変わらない、いつの間にか中世から原始社会に戻ったようです。

 

 

次回に続きます。

 

 

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湖北・湖東の紅葉を訪ねて 1: 鶏足寺 1


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2018年11月22日、紅葉巡りのバスツアーに参加しました。

近江・美濃にある鶏足寺、多良峡、永源寺を訪ねました。

生憎の天気でしたが、紅葉は最盛期だったようです。

これから数回に分けて紹介します。

 

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< 2.鶏足寺散策コース、上が北>

 

鶏足寺は滋賀県長浜市の山里にあります。

創建は8世紀と古く、後に小谷城主浅井家の祈願所となった。

 

コースは左のSから歩き始め、赤線に沿って右の赤いバルーン(鶏足寺)まで行き、折り返します。

素晴らしい紅葉が見られるのはゾーンAとBで、Bは圧巻です。

今回紹介するのはSからゾーンAを抜け、Bの手前までです。

 

写真はほぼ歩いた順に並んでいます。

撮影時間は10時45分から20分間です。

 

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< 3. 村の中を行く >

 

下の写真: そこここに熟した柿が鈴なりに成っている木を見かけた。

 

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< 4. 神社の参道に入る >

 

最初の紅葉が出迎えてくれた。

今回は紅葉の最盛期に来れたようだでした。

去年は別の寺ですが、紅葉の盛りを過ぎて訪れ悔しい思いをしていました。

 

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< 5. 紅葉と黄葉 >

 

上の写真: 参道を振り返る。

曇り空でこの色ですから、快晴で陽光を浴びていればどれだけ光彩を放っていたでしょうか。

 

下の写真: 参道から村を見下ろす。

まるで朱色と金色が綾なす絵巻のようです。

 

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< 6。 神社の参道と境内 >

 

上の写真: 参道を振り返った。

 

下の写真: 境内から参道を振り返った。

釣鐘堂と石灯篭、そして境内に降り積もる色とりどりの落ち葉、それを包み込むように緑の高木と紅葉した木々が取り囲む、まさにこれは日本の心象風景の一つでしょう。

 

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< 7. 神社の境内 >

 

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< 8. 神社を通り抜けて >

 

神社の境内を抜けて坂道を下り、向かいの山に向かって田んぼの小路を行く。

 

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< 9. 田んぼの道を抜ける >

 

上の写真: 紅葉している所に茶屋があり、その奥の森の中を進むことになる。

 

下の写真: 来た道を振り返る。

中央の樹木に覆われた高台が歩いて来た参道です。

 

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< 10. 森の中を進む >

 

小雨がぱらつき始めましたが、長くは続きませんでした。

 

次回は鶏足寺らしい圧巻の紅葉を紹介します。

 

次回に続きます。

 

 

 

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淡路島のテーマパークを訪ねて 3: ONOKORO、淡路ワールドパーク


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今回は、ONOKORO、淡路ワールドパークを紹介します。

このパークは世界旅行関連の展示と遊戯施設がメインになっています。

中でもミニチュアワールドが私には感慨深いものになりました。

 

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< 2. 園内マップ >

 

右下が入場ゲートで、上がほぼ南になります。

 

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< 3. いよいよ入場です >

 

この日は無料開放日で、食のイベントが行われていました。

 

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< 4.遊戯施設 >

 

このパークは島内でもっとも遊戯施設が多いでしょう。

私は初めてこの観覧車に乗りました。

 

下の写真の左下の円筒形の建物は、「兼高かおる旅の資料館」です。

30年ほど前に訪れた時、この資料館を見て興奮し、果てない夢を見たものでした。

当時、私は「兼高かおるの旅番組」を必ず見ていました。

海外旅行の旅番組が少なかった時代、彼女は秘境から観光地まで世界至る所を巡っていました。

私もいつか海外旅行をしたいと強く憧れたものでした。

 

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< 5. 観覧車からの眺め 1 >

 

上の写真: 西側を見下ろす。

左下側にミニチュアワールド、右下側に童話の森、奥に遊戯施設、さらに運河の向こうに淡路の山系が見えます。

 

下の写真: 北西を見下ろす。

中央にゲート、その奥に駐車場、また園内右手に多くの遊戯施設が見えます。

 

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< 6. 観覧車からの眺め 2 >

 

観覧車に乗るのは20数年来で、嬉々として乗り込んだのですが上昇するに連れ、自分が高所恐怖症だということを思い出し、気分が悪くなって来ました。

取り敢えず、一生懸命写真を撮って気を紛らわしました。

 

上の写真: 北側を見下ろす。

志筑の町が見えます。

 

下の写真: 南側を見下ろす。

遠くに洲本から由良に至る島の端が見えます。

 

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<7.観覧車からの眺め 3>

 

ミニチュアワールドのエリアを見ています。

 

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< 8. ミニチュアワールド >

 

上からパリのノートルダム寺院、ゼゴビアの城(白雪姫城のモデル)、モスクワの聖バシリー寺院です。

このような1/25サイズの建築物が合計18体あります。

 

久しぶりに訪れて、私はこれまでの海外旅行でこの内10体を直に見ていたことに驚きました。

当時、どれ一つ見たことのないものでした。

親しみと懐かしさが込み上げて来ました。

 

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< 9. これでお別れです >

 

 

これでテーマパークの紹介は終わります。

 

 

 

 

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沼島を訪ねて 4


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今回で、沼島の紹介は終わります。

峰伝いの小道、沼島八十八ヵ所霊場巡りから海水浴場までを行きました。

 

 

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< 2. 散策マップ、上が北 >

 

今回紹介するのは黄線と茶色線です。

黄線は沼島八十八ヵ所霊場巡りの約半分にあたります。

左側の赤丸はおのころ神社です。

茶色線は漁港沿いの道で、左の黒丸は海水浴場、右の黒丸は昼食をとった食事処「水軍」です。

 

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< 3. お地蔵様 >

 

この八十八ヵ所霊場巡りの小路の両側には、なんと88の地蔵様が祀らています。

里から離れたわざわざ峰伝い、かくも不便なところに多くの地蔵様があります。

 

これは明治時代、戦争や伝染病で多くの人が亡くなり、その慰霊の為に

祀られたのだそうです。

鎮魂の為の霊場巡りなら、こここそ最適だったのでしょう。

 

 

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< 4. 上立神岩 >

 

小路を行くと、見晴らしの良い所からこのような絶景を眺め、また爽やかな潮風を受けることが出来ます。

 

 

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< 5. 小路 >

 

見晴らしの良い所もあれば、生い茂る木々が日陰になってくれるところもあります。

ほとんど人が通った形跡はありませんが、道はあります。

 

 

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< 6. 森林浴 >

 

 

 

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< 7. 分岐点を右へ >

 

途中、右は「おのころ神社まで0.5km」と書かれた看板がありました(上の写真)。

それで右に折れ、さらに鬱蒼とした森の中へ入って行きました。

少し不安はありましたが、小路が微かに見え、方向的にも正しそうなので、行きました。

 

 

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< 8. 小路を下る >

 

小路には枯葉が積もっているのですが、雑草が少なく、歩きやすい道でした。

 

 

 

< 99. おのころ神社(自凝神社) >

 

ここには神殿と二神の像があります。

二神の像は伊弉諾尊と伊弉冊尊で、国生み神話の中で伊弉諾尊が天沼矛を使うシーンを表しています。

神殿は出来て百年も経っていないのですが、この山は御神体山であり18世紀末に小祠を建て、村人が祭礼を行って来た。

 

この階段は急で長いのですが、下る方だったので助かりました。

眼下に港が見えます。

 

 

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< 10. 沼島海水浴場 1 >

 

神社の階段をさらに下り、海岸沿いの道に出て、左に曲がると、海水浴場の賑わう声が聞こえてきた。

 

 

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< 11. 沼島海水浴場 2 >

 

この海水浴場には、脱衣所、トイレ、シャワーがあり、監視員も居ました。

 

 

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< 12. 店と手押し車 >

 

上の写真: 昼食をとった海鮮漁師料理「水軍」の店内。

海岸沿いの道から見える飲食店はこれを含めて2軒だったと思います。

少し中に入れば他の店や、鱧料理を出す民宿もあります。

 

この店は味はともかく、手ごろな値段で多彩な海鮮料理を出してくれるようです。

手軽に立ち寄れるので良いと思います。

 

下の写真: 沼島特有の手押し車。

 

 

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高速艇に乗って、帰路につきます。

高速艇で沼島に到着してから4時間が経ちました。

 

 

* 感想

 

8月18日、天気が良かったので急にドライブしたくなり、妻が沼島に行きたいと言い出しました。

私たちは淡路島に40年以上も居ながら、一度も行ったことがありませんでした。

 

私ははじめ、沼島は小さく魚釣りと鱧料理と上立神岩だけの島と思っていたのですが、なかなか歴史ロマンを秘めた島でした。

私にとっては特に海人族の痕跡とルーツが魅力でした。

 

また適度に散策が楽しめ、海水浴や、そして海鮮料理も楽しめます。

そして観光化されていないところが良い。

 

 

これで終わります。

 

 

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デマ、偏見、盲点 18: 左翼と右翼の戦争


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今回は、右翼と左翼が思い描く戦争を通して、戦争の危うさを考えます。

ここで指す右翼とは、右翼寄りの人、右傾化した人も含み、左翼も同様です。

 

 

はじめに

先日、私がトランプ大統領の指南役スティーブン・バノンのことを話していたら、思わぬ問がありました。

 

今回のトランプ大統領誕生の最大の功労者はバノンで、彼がいなくては大統領は人気を博すスピーチも政策立案もままならなかったでしょう。

このバノンは政治に強い関心を持ち、右翼のオンラインニュースを立ちあげていた。

彼が目指したの、ホワイトハウスとエスタブリッシメント(支配層)を破壊することで一種のクーデターであり、実現の為にトランプを祭り上げた。

その理由は、現状の腐敗し体たらくなホワイトハウスでは第三次世界大戦を凌ぐことが出来ないと考えたからでした。

 

ここまで説明すると、ある人が「右翼は戦争をしたがる筈なのに?」と言って腑に落ちないようでした。

 

この問には、右翼と戦争に対する誤解がある。

 

それでは皆さん、右翼と左翼どちらが戦争をするのでしょうか? 注釈1.

 

左翼は、右翼こそが軍隊と戦争を望むと信じているようです。

逆に右翼は、左翼こそが暴力を容認し、一方で負け犬になると信じているようです。

 

 

 

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この見方は正しいのでしょうか?

右翼の中には、ヒトラーが社会主義者だから、極悪な戦争を始めたと信じている人がいる。

一つには、ナチスが「国家社会主義ドイツ労働者党」の略称だからでしょう。

歴史を知れば、彼は国粋主義者(ファシスト)で右翼だとわかるはずです。

 

それでは日本が満州事変へと突き進んだ1930年代、この大陸進攻を牽引したのは社会主義者か国粋主義者のどちらでしょう。

牽引した多くは軍人でした。

 

これらの解釈に混同があるのは、偏ったマスコミや言論などの影響が大きい。

端的な例として、満州事変が始まる前、売り上の上位は朝日と毎日で、読売はかなり少なかった。

しかし、事変が始まると他社より遥かに売上を急伸させたのは読売新聞でした。

朝日や毎日も売り上げを伸ばしてはいたが。

これは読売が最も戦争に反対していたからでしょうか?

 

この手の勘違いは、熟慮せずに心地良い説に飛びついたからなのですが、実は、ここに右翼の心性があるのです。

当然、左翼の心性もあります。

後に、両者の心性について解説します。

 

 

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米国の戦争を振り返り、右翼と左翼の違いをみます

軍事大国の米国で、民主党と共和党のどちらがより戦争をしていると思いますか?

 

主な戦争を始めた政党と大統領を挙げます。

開戦には複雑な経緯があるのですが簡略化しています。

 

南北戦争はリンカーン(共和党)。

第一次世界大戦(ウイルソン)と第二次世界大戦(ルーズベルト)は民主党。

朝鮮戦争は民主党。

ベトナム戦争はケネディー(民主党)。

コソボ紛争への介入はクリントン(民主党)。

湾岸戦争とイラク戦争はブッシュ親子(共和党)。

 

こうして見ると、ハト派と見做されている民主党の方が、大きな戦争に加担し、多くの死者を出している。

 

皆さんは、民主党と共和党の戦争に違いがあると思いますか?

一般には以下のように言われている。

民主党は、世界の平和や人権を守る為に、他国に介入し戦争も行う。

共和党は、他国への介入を避けるが、自国の主義や権益擁護の為には断固戦う。

 

それではこれら戦争を簡単に検討します。

*南北戦争で決着をつけたからこそ、国の分裂を防いだと信じらている。

*二度の世界大戦と朝鮮戦争への参戦、コソボ紛争介入がなければ、より酷い状況になった可能性がある。

*ベトナム戦争とイラク戦争は誤解に基づいた開戦で、より酷い結果を招いたと言える。

*湾岸戦争は予防的な開戦で、不要だった可能性がある。

(これら戦争には、参戦や開戦、介入の是非を巡りいまだに賛否両論がある。)

 

これらの戦争は、2度の世界大戦以外、自国が攻撃されたから反撃したのではなかった。

つまり、自己防衛ではなく、同盟傘下の保護または予防的な戦争と言える。

これには放置すればいつか自国に悪影響が及ぶかもしれないので、早めに叩かなければならないとの思惑がある。

当然、米国は世界や自国の安全保障の為に戦争を始めたと言うでしょうが。

 

つまり、右翼(共和党)も左翼(民主党)も戦争を行うのです。

どうしても軍事大国になると安易に戦争を始めやすい。

 

 

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予防的な戦争について知っておくことがあります

予防的な戦争が許されないのは当然ですが、実は無視してはならない歴史的教訓があります。

 

ヒトラーがドイツで台頭し始めた時、周辺国では宥和策をとりました。

(日本はドイツと共に戦ったので別です。)

目立つのは米国のケネディ―大使(大統領の父)、英国のチェンバレン首相、そして隣国フランスです。

彼らは戦争を避ける手段として相手を刺激しない、または同じ独裁者ならスターリンを倒してくれるヒトラーを選んだのです。

しかしこれは間違いでした。

 

やがて英国で、軍人出身のチャーチルがヒトラーとの抗戦を表明した。

さらに米国のルーズベルトは米国民の厭戦気分を押して、参戦に持っていった。

こうして多大な犠牲を払ったが、世界が協力してドイツと日本の進攻を挫くことが出来た。

 

このことから、侵略軍を撃退出来る体制作り(軍備など)や心づもりは必要だと言えます。

とは言え、それほど単純ではなく、周辺諸国との軍拡競争を招く危険があります。

 

これと逆のケースがベトナム戦争です。

朝鮮戦争を経験した米国は、共産勢力を恐れ、南ベトナムで過剰防衛(予防的な戦争)に走り、ベトナム戦争に踏み切ったと言える。

 

この二つのケースは、過去の悲惨な戦争の経験や恐怖が尾を引き、リーダーや世論が選択を誤った例です。

 

ハト派的な宥和策もタカ派的な強硬策も共に巨大な戦争を招いたのです。

 

 

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右翼と左翼の心性とは何か?

右翼の心性には、見知らぬに他者への著しい恐怖心があるようです。

私が外国旅行をすると言えば、右翼の人ほど、現地(イスラム圏や韓国など)に不安を感じるようです。

これは彼らが偏見を煽るマスコミに影響されていることもあるが、やはり未知のものや他人に強い恐怖心や不安感を持つことにある。

 

一方、左翼の心性には、他者への不安感が少なく友情すら築けると思うようです。

一見、良いように聞こえるが、うがった見方をすれば甘い理想家とも言えます。

 

この両極端の心性が社会の変化に感応し、真逆のマスコミや言論界に共鳴し、益々偏りを深めることになる。

 

本来、この二つの心性は一人一人の脳内に共存しています。

 

未知のものに楽天的で、チャレンジする心性と、未知のものを恐れ、慎重に対処する心性は、人類が進化する過程で獲得したもっとも重要な相反する二つの能力です。

この二つの心性が、各人の生育過程で脳内ホルモンの分泌や左脳右脳の連携機能の発達具合により、人類の平均値よりそれぞれ一方に偏ってしまうのです。

 

願わくは、両方がうまく相乗効果を発揮すれば良いのですが。

もしかすると、この心性が年齢や男女差で異なり、ばらついていることが人類の発展と安全を生み出しているのかもしれません。

安心はできませんが。

 

ここで注意が必要なのは、左翼や右翼と呼ばれる人々が、本当にこの心性を有しているとは限らないことです。

例えば、一方に属すことにより得失がある場合などです。注釈2.

 

 

ここで簡単なシミュレーションをしてみましょう 注釈3.

敵対しつつある二つの軍事大国を考えます。

 

ここでは両者の心性の動きを中心に考えます。

それぞれの国が極端な右翼や左翼に支配されていればどうなるでしょうか?

 

一番分かり易いのは、両国が極端な左翼(ハト派)に支配されている場合でしょう。

おそらく宥和策が図られ、軍事衝突は遠のくでしょう。

 

次いで、両国が極端な右翼(タカ派)に支配されている場合はどうでしょうか。

これも単純明快でしょう。

互いに猛烈な恐怖心を抱き、宥和策を取れず疑心暗鬼に陥り、ついには軍拡競争、衝突に進むでしょう。

 

最後に、右翼が支配する国と左翼が支配する国が対峙している場合はどうでしょうか。

うぅ・・・・・・、難しい。

 

ヒントは、それぞれの国に左翼寄りと右翼寄りの心性を持った国民が同数いることです。(小さな集団は別にして、人類全体で見ると心性をもたらす能力は正規分布している)

右翼支配の国は不安を感じないが、左翼支配の国にやがて変化が起きるでしょう。

左翼支配の国民と言えども、右翼支配の国に恐怖心を抱き、急速に右傾化していくことになります。

こうなると結局、両国は共鳴するように軍拡競争を始め、衝突の可能性が高まるでしょう。

 

戦史を見ると、適切な政治文化と優れたリーダーに恵まれない多くの国が、この悲惨な状態に陥るのです。

 

元来、相手が本当にハト派だとか、タカ派だとか、軍事力が同等かを見定めるのは困難です。

現在は、地球全体が監視され、また以前に比べて互いの国情をより知ることが出来るようになっている。

しかし、それでも自国の政府やマスコミに報道の制限や偏向があるので、正しい情報が国民に伝わるとは言い難い。

 

 

要点はこうです。

 

一つは、互いが疑心暗鬼になり牽制を始めると、益々、亀裂は深まり、やがて軍拡競争、衝突につながる。

単純に、一国の過大な軍備は危険因子になる。

 

一つは、上記の過程が、外界に対する恐怖心の高まりを受けて、一気に加速する。

この恐怖心を強く抱き、牽制すべしと行動させるのが右翼の心性です。

 

一つは、互いの国情と内情を正確に把握できない為に、疑心暗鬼が増幅される。

これを防ぐにはひとえに国民の知る権利が守られることであり、特に為政者にとって都合の悪い情報を捏造・隠ぺいする政府と偏向したマスコミの存在が危険です。

 

 

 

6

*6

 

まとめ

これまで検討して来たことを整理しましょう。

 

*過大な軍事力は戦争を招きやすい。

 

*侵略に対する備えは必要ですが、軍拡競争や軍事大国化への注意が必要。

説明は省きますが、今後、世界は新たな防衛体制に進むことになるでしょう。

 

*極端な宥和策も強硬策も戦争を招きやすい。

 

*恐怖が高まると右傾化が興り、疑心暗鬼、軍拡競争へと進み、戦争を招きやすい。

だからと言って単純に左翼だから安全、右翼だから危険とは言えいない。

 

*国内外の情報が正確に素早く伝わることで疑心暗鬼を抑え、戦争の誘発を避けることが出来る。

 

 

追記

上記のことを踏まえれば、右翼を自認し挙動不審な現首相に憲法改正や軍事を任せることは、戦争の危機を高めることになるでしょう。

 

 

 

注釈1.

左翼と右翼の明確な区別や定義は複雑ですが、ここでは簡単に、左翼は革新、リベラル、ハト派で、右翼は保守、ナショナリズム、タカ派としておきます。

 

元来、左翼と右翼の意味は時代や社会で変化します。

各人が左翼的か右翼的となるのは、個人の心理的、文化的、政治的、社会的、思想的な背景、それに加えてマスコミ、言論界など多彩な影響によります。

一言で言えば、多くの人は属している社会とムードで両端に振れることになる。

 

注釈2.

共産主義の中国上層部や軍部には右翼の心性を持った人が多いはずです。

特に保守的な傾向を持つからこそ出世出来るはずです。

例えば、右翼的な教育を目指す学校建設を謳えば政府からの支援があるような場合などです。

 

注釈3.

この説明は、「互いを牽制することが如何に状況を悪化させるか」の社会学的実験の結果、脳科学の知見を参考に書いています。

 

 

 

 

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何か変ですよ! 59:  惜しい人


 1

*1

 

 

私は今の首相の豪胆さに感服しています。

端的にはアベノミクスと憲法改正です。

ここまでやれる人物は他にいないでしょう。

事の良し悪しは別ですが。

 

 

 2

*2

 

 

まえがき

私はアベノミクスの意気込みを評価します。

 

成功すれば首相は日本史に燦然と輝いたことでしょう。

それまでの日本の金融トップ―官僚、エコノミスト、日銀とは真逆の施策をぶち上げた。

彼は著名なクルーグマンが唱えた政策を即刻2013年から実施した。

狙い通りに行くと、苦労無く莫大な累積債務は消え失せ、経済は復活するのですから、私も成功を願ったものでした。

 

円安は確かに輸出大手企業を潤してはいるが、いまだに目標インフレ値は達成できず、好況の実感はない。

後5年じっと我慢すれば景気は好転すると信じたいが、当のクルーグマンが2015年秋に異次元緩和は失敗だったと言っている。

 

もともと、私はすんなりとは行かず、行ってもより大きなバブル崩壊を招くだけだと推測していた。

実際、アベノミクス(リフレ策など)の多くは欧米先進国が既に実施している施策で、その結果、欧米の状況は良くなったと言えるでしょうか。

アベノミクス前の日本の経済状況(失業率など)でも経済成長率を除いて欧米より良かったと言える。

今の状況を見ると、クルーグマンの後の指摘が正しいのでしょう。

 

それでも私は首相の豪胆さに感心する。

ひょっとすると自信過剰か無鉄砲なだけかもしれないが。

もに一つ気になるのは、せっかく恵まれた家系や政治基盤を持ちながら、従わない人に対して下品なところです。

惜しいような気がする

 

 

 

3

*3

 

彼の行動パターンに不安がある

国民が望んでもいない憲法改正に、自分の歴史観を前面に押し出し、突き進む姿勢には驚かされます。

 

これに関連し、憲法改正について御贔屓の読売新聞を読んでくれと国会で答弁する神経は凄い。

正に、お友達(加計学園)や右翼の同志(森友学園)への身びいきは強烈だ。

かつて品格ある首相はたとえ思っていても、ここまで贔屓を露骨に言い募ることは避けるでしょう。

明らかに、これは国のトップが自ら公明正大で無いことを吹聴しているのですから。

 

もっとも、彼にとっては自分に付き従うものこそが正義であり、反対するものは偏向している悪なのでしょう。

だが、世界の報道マンは読売新聞を、日本の新聞の中でどう評価しているのでしょうか?

決して上位には見られていません。

 

しかし、ここで一考が必要です。

なぜ現首相は、このようなことが出来るのでしょうか?

よく一強だと言われます。

それはそれで間違いはないのですが。

それは小選挙区制や与党が取り組んできた官邸支配の結果とも言えますが、やはり一番はポピュリズムでしょう。

 

先の民主党の失敗、長い経済低迷、ころころ変わるトップ、さらに加えて先進国の同様の状況があります。

端的な例は、現首相がポピュリズムの権化トランプ大統領と気が合い、さらに大統領はタカ派ルペン党首と気が合うことで、正に右翼ポピュリズムの大合唱です。

 

一番のポイントは、現首相が圧倒的な人気を保持していることに尽きる。

人気があれば、与党議員は当然付き従う。

また官僚も民主党のように敵と見なさいのであれば組みやすい。

 

 

4a

*4

 

しかし、ここに問題があります

結論から言うと、国民は真実を知ることが出来ずに、国家が暴走することを防げなくなることです。

既にこのことを危惧している方もいるでしょうが、安心している方に何が問題かを示します。

 

視点は三つあります。

A: 国会審議での政府や官僚の答弁に難点あり。

 

つまらない森友学園や加計学園の問題です。

日本の国家予算は100兆円ほどあり、この両者による無駄な出費は自治体分を入れても200億円以下でしょう。

首相にすれば、たかだか1/5000のロスに過ぎない。

 

そんな小さなことでも政府はまともに答弁せず、また官僚も記録が無いとか、全面黒塗りの資料を出す始末です。

つまり、政府や官僚にとって都合の悪い情報は一切出さなくて良いと開き直っている。

特定秘密保護法がこれに加わるのですから鬼に金棒です。

要は、国民が真実を知る権利より、首相の面子が重要なのでしょう。

 

これがまかり通れば今後、為政者は国民を偽って思いがままに振る舞うことが出来る。

 

 

5a

*5

 

B: さらに日本の組織文化が災いを生む。

 

日本人は村意識が強く、トップや集団の意向に盲従し易い。

俗に言う、忖度や気配りで人は動き、悪く言えば「赤信号、皆で渡れば怖くない」に陥る。

企業で働いた経験のある方は、このことに納得できるでしょう。

 

もっとも、これにも良い所があり、組織が一丸となって秩序を維持し、また事に当たることです。

しかし、これがまた問題を生む。

それは、社会正義に基づいた内部告発であっても、組織やトップへの裏切りと見なされることです。

この意識は日本では根深く、加計学園の前前川事務次官でも激しい。

 

つまり、この組織文化は良いこともあるが、トップや組織が悪い方向に向かっているのに是正する力が働かず、大きな災いを生むことになる。

原発や食品偽装の内部告発などにもその例があった。

 

 

C: この問題は幾度も不幸な歴史を生み続けて来た。

 

日本の組織は都合の悪い情報や記録を残さない、出さない傾向が強い。

大戦時、米英は日本より遥かに戦場の情報を国民に流すように努めた。

日本はドイツほどではないが、偽情報を意図的に流した。

また軍部は徹底して記録隠滅を図った。

 

米国政府は政策決定過程を記録し保存し、後に為政者の判断が正しいかを検証する歴史があるが、日本には乏しい。

日本には、お上のやることに口出ししない雰囲気が残っている。

隠蔽状況は、現政権により強化され、昔に逆戻りしている。

 

 

 

 

6a

*6

 

 

今後、何が起きるのだろうか?

このような場合、歴史上、一番起きやすいのは戦争でしょう。

 

世界の戦史を見ると、本当に敵国が一方的に攻めてくることもある。

だが往々にして自ら口火を切った戦争や、小競合いから始まり、互いに戦火を拡大させた戦争もある。

 

後者の場合、国民が些細な戦闘などの事実でもスピーデイに入手出来れば、早期に為政者や軍隊の暴走を防ぐことができる。

当然、マスコミが御用新聞でないことも重要ですが。

しかし、これが政府により捻じ曲げられたり、伝わらなけらばどうなるのでしょうか?

今回の二つの問題や南スーダンの自衛隊日報のような政府答弁では・・・。

 

その先に来るものは80年前に歩んだ道であり、今まだ御存命の戦争経験者の悲願を無にすることになるかもしれない。

歴史は、大惨事に至る道が準備されていることを教えてくれています。

 

 

今、私達に求められているのは先の大惨事を予見することです。

 

 

 

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平成イソップ物語 15: 「津波とモグラ」の補足


 1

< 1.津波で残った一本松 >

 

 

前回投稿した「津波とモグラ」が何を意味しているのか解らないとの意見がありました。

ご指摘の通りだと思います。

ここに陳謝し、蛇足ながら説明したいと思います。

 

 

私が言いたかったこと

 

人々は今ある恐怖や不安に囚われて、往々にして理性的な判断が出来ず、目先の安心に飛びついてしまうことがある。

 

これは危機を先延ばするだけでなく、より深めることになる。

 

この手の愚を、社会は幾度も繰り返して来ました。

 

そして、この傾向は今の日本や欧米で顕著です。

 

 

 

 

2

*2

 

ミサイル防衛について

ここ数日、北朝鮮のミサイルに関して政府や与党からミサイル防衛や日米同盟の必要性が強調されています。

この意味を考えてみましょう。

 

例えば、迎撃ミサイルシステム(サード、パトリオット)を考えます。

日本が無数のイージス艦を日本海に配備し、陸上配備の迎撃ミサイルを全土に20km毎に配備しようが、北朝鮮のミサイルを完全に防ぐことは出来ません。

それはなぜでしょうか?

 

色々、想定できますが、一つは偽装船による近海からのミサイル発射です。

北朝鮮がこの技術を獲得するのは簡単です。

こうなれば、首都ぐらいは守れても本土全体を守ることは出来ないでしょう。

 

この手の落とし穴や矛盾はかつての米ソの核開発競争を振り返れば歴然としています。

核兵器の進歩はその都度、米ソの核ミサイル防衛構想を無に帰して来ました、例えば潜水艦発射ミサイルの普及のように。

結局は、互いに完全に破壊し尽くす体制をとることで、互いが馬鹿な攻撃を自制するだろうと言うことに落ち着いた。

米国の核戦略担当者から見ればこれも立派な抑止力でしょうが。

そして膨大な数の核兵器を作り、現在、大量の核ゴミに困っている。

 

ミサイル防衛は完璧ではなく、その後の多国間のミサイル開発競争を促進させるだけなのです。

例えば、イスラエルに核兵器を持たせたことによりイランが対抗して核開発を望んだように、またインドとパキスタンの関係も同じで、連鎖し拡大するのです。

一方、完全な迎撃ではなく抑止力を高める為に核兵器を保有する話もあります。

そこには相手が良識ある判断をするものと想定している落とし穴があるのです。

例えば、狂気のヒトラーにそれを期待出来たでしょうか?

特に核ミサイルについては、残念ながら物理的な迎撃手段は絶望的でしょう。

 

つまりミサイル防衛システム「モグラの堤」を作って、一時期のミサイルの脅威「津波」を防いだとしても、次の脅威の発生を招くことになるだけなのです。

むしろ抜本的な手を打つべきなのです。

そして新たな危機の前兆が「地中の水の流れ」であり、新たな危機が「洪水」でした。

一番の問題は、一時の安心の為に根本的な解決策を遠ざけてしまうことなのです。

この手の愚行は、かっての世界も現在の世界でもまかり通っているようです。

 

「モグラの母子が高台に逃れた」のは消極策のように見えるが、扇情に惑わされず、「津波と洪水」のどちらに対しても完璧な策を選んだことを示しています。

 

 

それであればどうすれば良いのでしょうか?

私は中国を動かすしかないと考えています。

中国は得体の知れない国ですが、例えば発展途上国への援助姿勢に良い変化が見られるように、私達は中国のすべてを拒否すべきではないでしょう。注釈1.

 

北朝鮮をいままで支えて来たのは、かつてはロシア、そして今は中国です。

中国にとっての北朝鮮は、かつての大日本帝国の防波堤であった朝鮮半島のような存在なので、中国はそう簡単には手放さないでしょうが。

しかし北朝鮮の暴挙を封じ込めるには中国しかないでしょう。

 

残念ながら、今の日本には中国を動かす力もなければ、相手も応じないでしょう。

なにせ現在、最も敵対しているのですから。

 

 

3

*3

 

 

少し全体像を俯瞰してみましょう

今、世界はイスラム国のテロに翻弄され、益々敵愾心むき出しの危険な状況に陥ろうとしています。

 

何がこの状況を作ったのでしょうか?

良く知らているように、この発端は9.11事件後の米国のイラク進攻にありました。

 

要点を言えば、米国がイラクの国家機能を完全に破壊したことにより、無法と無秩序の中からイスラム国が増殖して来ました。

私の連載「中東に平和を」でも解説しています。

この愚かな進攻は、大統領の人気、軍需産業と石油産業に恩恵をもたらしただけです。

これにより中東と世界が混迷しただけでなく、米国自身も莫大な国税(300兆円)を使い、この後、マスコミはホワイトハウスに従順になると言う大きな代償を払うことになりました。

 

リーダーの受け狙いの行動が、世界を困惑させた最も分かり易い例と言えるでしょう。

米国は世界の警察として重要な役割を果たしたこともあるが、一方でベトナム戦争のようにとてつもなく愚かな戦争もしている。

 

この点を鑑みれば、いつまでも米国に盲従して行くことは危険です。

きっとこのように言えば、誰が日本を守ってくれるのだとお叱りを受けることになるでしょう。

 

その答えは、米国が守ろうとしたベトナムの末路を見ればわかります。

米国は、南ベトナムの傀儡政権を守る為に、ベトナム全土を焦土にし、800万人が死にました。

 

なぜなら米国にとって最大の関心事は共産化を太平洋の果てで食い止める事にあったのですから。

もっとも北ベトナムと言う敵があってのことですが。

どちらにしてもこの愚かな戦争拡大の経緯は私の連載「戦争の誤謬:ベトナム戦争」で解説しています。

 

いざ有事の時に何が日本列島で起きるかは容易に予想がつくはずです。

もっとも小規模な衝突で紛争が止まるなら、日米同盟は役に立つかもしれませんが。

 

私が心配する大きな危機の一つがこれです。

 

 

最後に

上記に示したような危機への対応を寓話に例えることに無理がありました。

しかし、理詰めで説明するだけでは、今起きている危機を身近に感じることが難しいとも思っています。

 

これからも世界の歴史、社会、経済、文化について懲りることなく書いていきますが、よろしくご理解のほどをお願いします。

ご意見と批判を歓迎しますので、どしどし御寄せください。

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

注釈1.

JICAの研究員が指摘されていました。

この人は、世界各地の開発支援をつぶさに視察されたそうです。

以前は、中国が発展途上国に融資し建設し始めると、多くの中国人労働者が現地で工事をしていた。

その後、現地からの指摘があって中国は方針を変更し、現在は建設現場に中国人がほとんどいないそうです。

中国の融資額は増えているそうです。

私達の知らないところで、中国に変化が起きているのです。

 

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 61: Religion and Politics 1


中東に平和を! 61: 宗教と政治 1

 

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*1

 
In the past articles, we are reviewing the relationship between the birth of religious and the politics.
We think contemporary relationship between religion and politics in twice from now.

前回まで、宗教誕生と政治の関係を見て来ました。
これから2回に分けて、現代の宗教と政治の関係を考えます。

 

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*2

Introduction
Most Japanese people who are familiar with Western civilization may worry that religion is closely related to politics.

In short, the worry is that a religious group will hold political power.
Our history shows that the group could not make democratic governance.
In other words, It’s preferable that religious group doesn’t participate in national administration.

Here, let’s think about the cause of conflicts in the Middle East.

A Colonization by Europe
It are an arbitrary border between countries, the founding of Israel, and after effects (an obscurantist policy, a dividing into state, and the non-independent economy and society, military dictatorship), etc.

B Interference by larger countries after World War II
It are an interference due to securing interests of larger countries, a puppet government, and many proxy wars during the Cold War, etc.

C Causes that derives from the Middle East
Antagonisms occur among ethnic groups, oil country and non oil country, three monotheistic religions, Islamic sects, and the secular power and the Muslim organizations.
Core that causes expansion of conflicts by a violence or a military force are kingdom, military dictatorships, oil countries, and extremists who advocate jihad.

In this series I have already introduced many causes of the conflicts, and also discussed the background about some of them.
Among these causes, what does the Middle East have to solve by themselves and what is in the hands of these people?
Several of them are related to Islam.

 
はじめに
私達日本人、西欧文明に馴染んだ仏教国の人間にとって、宗教が政治と密着していることに不安があります。

一言でいえば、その不安は宗教教団が政治権力を握ってしまうことです。
それは教団が民主的な意思決定を出来なくなるからで、歴史が示すところです。
つまり宗教教団が国政に関わらないことが望ましいと言える。

ここで中東の紛争の火種について考えてみましょう。

A 欧州による植民地化
恣意的な国境、イスラエル建国、後遺症(愚民化、分断政策、自立出来ない経済・社会、軍事独裁、・・・)。

B 大戦後の大国の干渉
大国の権益確保による干渉、傀儡政権、冷戦時の米ソよる代理戦争。

C 中東に起因するもの
対立の原因としては、民族、石油、三つの一神教、イスラム教の宗派、世俗権力とイスラム教団などがある。
紛争を暴力や軍事力で拡大させているのは、王国、軍事独裁国家、産油国、さらに聖戦(ジハード)を唱える過激派などです。

私はこの連載で、これら火種について既に多くは紹介し、いくつかはその背景についても考察しました。
これら火種の中で、中東が自ら解決しなければならず、かつ人々の手に委ねられているものとは何でしょうか。
その幾つかはイスラム教に関わることでした。

 

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*3

 
What is issue?
Islam made a great success in the Muhammad era.
It seems that the conflict calmed in the whole peninsula, and the doctrine and the extensive norms brought stability to the community.
At first, the basis of equality and the tolerance to heathens also contributed to stability of the society.
I think it is a great achievement that other religions could not achieve in the peninsula of those days.

However, if you are looking at the current Middle East, it appears that there are problems because of dragging its original forms.
Nonetheless, because conflict between heathen and religious sect happens in any religion, I exclude this issue.

 
何が問題か
イスラム教はムハンマドの時代に大きな成果を挙げました。
それは半島全体の紛争を鎮め、教義と広範囲な規範が共同体に安定をもたらしたことでしょう。
また当初の平等精神と異教徒への包容力も社会の安定に寄与した。
このことは当時の半島において、他の宗教では実現出来なかった快挙だと思います。

しかし、現在の中東を見ると、それは原初の形態を引きずっているからこそ問題があるように思える。
とは言っても、異教徒や宗派間の対立はどんな宗教でも起こるものなので、これは除外します。

 

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*4

About conflicts between Muslim organizations and secular powers
This is largely due to military dictatorships (Syria etc.) of A described above, and puppet governments (Iran etc) of B.
However, in the two cases of the conflict between Nasser and the Muslim Brotherhood and “Arab Spring”, it seems that there is a problem in Egypt.
For example, the “Arab Spring” was a reform calling for democratization, but the subsequent election results have returned to support for the Muslim organizations.
At this time, from the center of local Islamic community, they should proceed towards nationwide democracy.
For this purpose, people must improve the literacy rate and education, and by enhancing people’s consciousness, people need to move toward emphasis on national political scene.

If there is the progress, it will be possible to head towards discussions in a national assembly from individual antagonisms.
There are still other problems, but it is necessary to take this path by themselves.
This path is a long journey, but there will be no short cuts.
This is a secularization.

This continues the next time.

 
イスラム教団と世俗権力との対立について
これは前述のA項の軍事独裁(シリアなど)、B項の傀儡政権(イランなど)などが大きい。
しかし、ナセルとムスリム同胞団の対立や「アラブの春」の場合、エジプト自身に問題があるようにも思える。
例えば「アラブの春」は民主化を求めた改革であったが、その後の選挙結果はイスラム教団への支持に戻ってしまっている。
この時、地方のイスラム共同体中心から、全国的な民主主義に向かって進むべきでした。
この為には識字率と教育の向上を図り、人々の意識の高まりにより、国政重視に向かうようにならなければならない。

これが起これば、個々の対立から中央議会での話し合いへと向かうことが可能になる。
他の問題もあるが、これは自ら進むべき道でしょう。
気の遠い話だが、近道は無いでしょう。
これは世俗化と言えるでしょう。

 
次回に続きます。

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 58: when religions were born 6: Islam 1


中東に平和を! 58: 宗教が誕生する時 6: イスラム教 1

 

1
< 1. the Kaaba in Mecca >
< 1. メッカのカーバ神殿 >

I investigate the birth of Islam in twice.

二回に分けて、イスラム教の誕生を追います。

 

2b

< 2. Three trade routes >
< 2. 三つの交易ルート >

 
The age when Muhammad (around 570 – 632) was born
Two ancient civilizations were born in the Middle East, but the desert Arabian Peninsula was out of the area.
Country began to be born in the southwest and northern parts of the peninsula since about A.D., and several countries had contested there in about the 3 rd century.
Cities were born in plateaus and oases, camel caravans in the desert were responsible for trade, and caravan cities were made in the routes.
Nomads who were living in tents made tribal societies, sometimes joined hands and at other times separated from others, and repeatedly had fought.
There were three routes of east-west trade on the Peninsula, two sea routes going through the Persian Gulf (blue line) and the Red Sea (red line), and a land route (brown line) parallel to the Red Sea.
Mecca where Muhammad was born was one of the caravan cities in this land route.

 

ムハンマド(570頃―632年)が生まれた時代
二つの古代文明が中東で誕生していたが、砂漠のアラビア半島は園外だった。
紀元前後から半島の西南端と北部に国が誕生し始め、3世紀頃になると数ヵ国が分立するようになった。
高原やオアシスには都市が生まれ、砂漠ではラクダの隊商が交易を担い、隊商都市も出来た。
天幕で暮らす遊牧民は部族社会を造り、離散集合を繰り返し抗争していた。
半島には三本の東西交易のルートとしてペルシャ湾(青線)と紅海(赤線)を行く海上ルート、それに紅海に並行した陸上ルート(茶線)があった。
ムハンマドが生まれたメッカはこの陸上ルートの隊商都市の一つだった。

 

The Persia and the Byzantine Empire of the two great empires were fighting each other, it began to influence the whole peninsula since about the 4th century.
With this, civilization and the sophistication of weapons advanced throughout the peninsula.
On the other hand, when the Persia and the Byzantine Empire entered a peace treaty in the second half of the sixth century, the main trade route became the Persian Gulf, the caravan cities of the land route declined, the nomadic population increased in reverse, and the conflict intensified.
This is “Jahiliyyah” in Islam.
However, in the beginning of the 7th century, when both empires began war, trade route returned to the land route.

 
4世紀頃から、二大帝国のペルシャとビザンチンは互いに争いながら半島全域まで影響を及ぼし始めた。
これにより半島全体に文明化と武器の高度化が進んだ。
一方、ペルシャとビザンチンが6世紀後半に平和条約を結ぶと、交易ルートはペルシャ湾が主になり、陸上ルートの隊商都市が衰退し、遊牧民が増大し、抗争が激化することになった。
これがイスラムで言う「無明時代」です。
しかし、7世紀始め、両帝国が戦争を始めるとまた陸上ルートに交易が戻った。

At that time, the north-south ethnic groups of the peninsula deepened exchanges and had Arabic of common language.
In the peninsula, there was a polytheism of idolatry, but Christianity propagation progressed by the influence of the two great empires.
Judaism also had spread by Diaspora Jewry, and many Jews had lived in Medina.
In Mecca, there was the Kaaba that many statues were enshrined since a long time ago.

当時、半島の南北の民族は交流を深め、共通語のアラビア語を持つようになっていた。
半島には偶像崇拝の多神教があったが、二大帝国の影響によりキリスト教の布教が進んでいた。
また離散民によってユダヤ教も広まり、メディナには多くのユダヤ教徒が住んでいた。
メッカには古くから多くの像を祭った多神教のカーバ神殿があった。

 

 

3a

< 3. Muhammad in Medina >
< 3. メディナのムハンマド >

The act of the Muhammad
He was born as a member of a large tribe of Mecca, was married and had succeeded in commerce trading, but suddenly, heard the revelation of Allah of the one God at about the age of 40.
Because he preached this, made a group of believers, and accused the idolatry of the Kaaba, they were persecuted by ruler class in Mecca.
However, people of the Medina impressed with his doctrine asked him to save mess of the town.
Then, he moved to the Medina with his believers and family (Hijra).
Before long, he conflicted with Jewish in the Medina about ritual, defeated them in battle, and completed a strong Islamic community “Ummah”.
Then he won the fight against Mecca’s army corps.
He died shortly after dominating Mecca, but already the Islam had spread throughout the Arabian Peninsula.

This continues the next time.

 
ムハンマドの行い
彼はメッカの大部族の一員として生まれ、結婚し隊商交易で成功していたが、40歳頃、突如、唯一神アッラーの啓示を聞いた。
彼はこれを説いて信徒集団を作り、カーバ神殿の偶像崇拝を非難した為、彼らはメッカの支配層から迫害を受けた。
彼の教説に感銘を受けたメディナの人々が、彼に町の混乱を救って欲しいと要請した。
彼は信徒達や家族と共にメディナに移り住んだ(ヒジュラ)。
やがて、彼はメディナのユダヤ教徒と儀礼で対立し、これを戦闘で破り、強固なイスラム共同体「ウンマ」を完成させた。
次いでメッカの軍団との戦いに勝利した。
彼はメッカを支配後、まもなく死去したが、すでにイスラムはアラビア半島の全土に及んでいた。

次回に続きます。

 

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Bring peace to the Middle East! 57: when religions were born 5: Confucianism


中東に平和を! 57: 宗教が誕生する時 5: 儒教

 

1

<1. Confucius>
< 1. 孔子 >

This time, I investigate the birth of Confucianism.

今回は儒教の誕生を追います。

 

The times when Confucius was born
A first Chinese dynasty was born in the 17th century B.C., but it was divided in approximately 200 countries since the 8th century B.C., and the unification of a country was completed after wars for 500 years.
Since the middle period, the farming had advanced by ironware and the trade had developed, and many city states grew up.
At that time, the wars among nations and the internal trouble of royal families continued, and it occurred frequently that a person of lower rank overthrew a superior either politically or militarily, and then supplanted the superior’s position in society.
On the other hand, the royalty and the aristocracy employed a talented and wise person than a blood relative and tried to get predominance .
Under such circumstances, various thinker groups “The Various Masters of the 100 Schools” having an independent opinion were born.
Most of them serve the royalty and the aristocracy, and proposed a policy and an stratagem.
The Confucius was born in such situation in China in the sixth century B.C.

 
孔子が生まれた時代
中国の最初の王朝は黄河中流域に紀元前17世紀に生まれていたが、紀元前8世紀には二百カ国ほどに分裂し、五百年間の戦争を経て統一に至る。
この中期頃から、鉄器による農耕と交易が進み、都市国家は成長していった。
国家間の戦争と王家の内紛は絶えることなく、下位の者が上位の者を脅かす下剋上がはびこっていた。
一方で、王侯貴族は血縁よりも才能や知恵ある者を採用し強勢を計るようになった。
こうした中、独自の主張を持つ多様な思想家集団「諸子百家」が生まれた。
彼らの多くは王侯貴族に仕官し政策や術策を提言した。
このような紀元前6世紀に孔子は生まれた。

 

2

< 2. The Confucius traveling on foot >
< 2. 孔子の遊説行脚 >

The act of the Confucius
He worked his way through school, served a historic state ”Lu”and became a prime minister.
However, he was balked of his hope and opened a private school to common people.
After that, he visited states in each places with disciples, preached his ideal politics, and requested to get into the government service.
After all, he couldn’t realize his dream, came back to his hometown, and devoted myself to organize old documents that had been handed down to the state, and to educate people.

 
孔子の行い
孔子は苦学して由緒ある王家(魯)に仕え、宰相まで登りつめた。
しかし、彼は夢破れ職を辞し、民衆相手に私塾を開いた。
その後、弟子達と共に各地の王家を訪ね、理想の政治を説いて回り、仕官を願った。
結局、夢叶わず故郷に戻り、王家に伝わる古文献の整理と教育に専念した。

 
Afterwards
After the death of Confucius, his teaching was spread out by disciples, it was as popular to common people as Bokka at that time.
Bokka advocated a love of humanity, pacifism, faith, and a simplification of rites
, and conflicted with a scholar of Confucianism, after that it was ruined.
The Confucianism became the state religion of the Han empire in the second century B.C., and existed as an indispensable for the most of governments afterwards.
It was introduced into Korean Peninsula and Japan before long, and the Confucianism took root in the East Asia as morality to keeping social order.
Sacred books of Confucianism(the Four Books and Five Classics of Confucianism) consisted about old documents on the history and formality of the states that Confucius imitated.
“The Analects of Confucius” is one of the sacred books, and is a book that his disciples wrote down the words and acts of Confucius in.
Mental attitude and how to get along in life are written in the book.

 
その後
孔子の死後、その教えは弟子達によって広まり、民衆の人気を墨家と二分した。
墨家は人類愛、戦争反対、信心、祭儀の簡素化を訴え儒家と対立し、後に滅んだ。

紀元前2世紀、儒教は漢帝国の国教となり、その後も国政に不可欠なものとして存続した。
やがて朝鮮半島や日本に伝わり、儒教は東アジアに社会秩序をもたらす道徳として定着した。

儒教の経典(四書五経)は孔子が模範とした王家の歴史や儀礼や易(占い)の古文献が集められたものです。
論語ものその一つで、弟子達が孔子の問答や言行を記したものです。
そこには心構えや処世術が書かれている。

 

3

< 3. a Confucian temple >
< 3. 孔子廟 >

Thought of the Confucius
He thought policymakers must become better to end the turbulent age.
Therefore, he said it was important that the policymaker doesn’t depend on strict penalty and machinations, treats people with a good heart, and must be worshiped by people.
He thought that the model for this is a dynasty ” Zhou ” approximately 500 years ago.

The basics are “Ren” and “Li”.
“Ren” means benevolence or humaneness, and then it was necessary that policymakers seek after virtue and common people have morals.
“Li” means formality or rites, and then it aimed at the succession of the social order (patriarchy, ancestor worship).

He reproved that disciples depended on God, on the other hand, he thought succeeding to the rites make sense.
He didn’t deny royal politics, avoided religious things, advocated the revival of traditional mind and norm daringly in the turbulent age.

 
孔子の思想
彼は、この戦乱の世を終わらせるには為政者が良くならなければならないと考えた。
その為には、為政者は厳格な罰則や謀略に頼るのではなく、善良な心で民に接し、民から敬われることが重要とした。
その手本は、五百年ほど前の周王朝にあるとした。

基本は「仁」と「礼」です。
「仁」とは、自己抑制と思いやりを指し、為政者には「徳」、民には「道徳」を求めた。
「礼」とは、礼儀や祭儀を指し、社会秩序(家父長制、祖先崇拝)の継承を目指した。

彼は、弟子に神を頼ることをたしなめたが、一方で、祭儀を守ることは天の意志に叶うとした。
彼は王家を否定せず、宗教的なものを避け、戦乱の世に敢えて伝統的な精神と規範の復活を訴えた。

 

Point of the Confucianism
Confucius disfavored the politics that puts emphasis on law of punishment and reward, and put emphasis on conscience.
On the other hand, he thought that policymaker (king) with virtue was indispensable for good politics.
This thought was not accepted in the times of the war, but the situation changed when a unified country appeared.
In other words, the doctrine that taught people to have to obey morality, succession of social order, and politics (King), administered to national stability rightly.

This continues the next time.

 
儒教のポイント
孔子は、人々を功利的にさせる法重視(信賞必罰)の政治を嫌い、良心を重視した。
一方で、良い政治には徳を持った王こそが不可欠と考えた。
この考えは、戦乱の時代には受け入れられなかったが、統一国家が出現すると状況は変わった。
つまり、人々に道徳や社会秩序の継承、政治(王)に従うべきと説く教義は、国家の安定にまさに合致するものでした。

 
次回に続く。

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Bring peace to the Middle East! 56: when religions were born 4: Buddhism


中東に平和を! 56: 宗教が誕生する時 4: 仏教 

 

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< 1. A Buddha statue >
< 1.仏像 >

This time, I investigate the birth of Buddhism.

今回は仏教の誕生を追います。

 

The times when Buddha was born
The Indian ancient civilization was born in the Indus basin, but already ruined.
Afterwards, Aryan invaded from the Central Asia, settled down in the upper and middle basin of the Ganges River as they were ruling over the indigenous people.
Then they developed abundant festival, myth, and paean in the last 1000 years and created Brahmanism.
The Brahmanism took root from royal families to every villages
Royal families repeated luxurious festivals, Brahman (priest) made the doctrine and the proceeding of the religious service an absolute secrecy (oral transmission of tales), and their authority exceeded lords occasionally.

A lot of critical freethinkers appeared since about the seventh century B.C., and Buddha played an active part in about the fifth century B.C.
The farming evolved in this area by ironware these days, and trade also developed.
And tribal societies evolved into city states, and a large number of the nations competed for hegemony and repeated war.
A kingdom of Buddha’s father became a prey of a great power, and died out.

 
釈迦が生まれた時代
インドの古代文明はインダス河流域に生まれたが既に廃れていた。
その後、アーリア人が中央アジアから侵入し先住民を支配しながらガンジス河の上中流域へと定住した。
彼らはそれから千年の間に豊富な祭儀と神話、賛歌を発展させ、バラモン教を生み出した。
バラモン教は村々から王家まで根を下ろしていた。
王家は贅沢な祭儀を繰り返し、バラモン(僧)は教義や祭祀手順を極秘(口頭伝承)にし、彼らの権威は王侯を凌ぐこともあった。

紀元前7世紀頃から、批判的な自由思想家が多数出現し、釈迦は紀元前5世紀頃に活躍した。
この頃、この地域は鉄器により農耕が進み、また交易も発展していた。
そして部族社会から都市国家へと進み、多数の国家が覇権を競って戦争を繰り返していた。
釈迦の父の王国も強国の餌食になり滅んだ。

 

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< 2. Festival >
< 2. 祭儀 >

 
The act of Buddha
Buddha was a prince of the small country of the north India, but he threw all things away, and took off on a journey of contemplation.
After getting the enlightenment, he organized a group of live-in followers (samgha), went around villages together and missionized.
In the end, he died surrounded by the followers at 80 years old.

Buddha tried to preach it easily without using difficult concepts that had spread in those days, and was unrelated to the miracle. Annotation 1
He refused the festival-centered Brahmanism, and preached to people about “Realize a truth”.
For example, it is to realize “Life is pain” and “obsession and greed bring suffering”.
He said that the people could acquire it by experiencing simple life and doing righteous deed, without doing ascetic practices.
Therefore he established religious precepts necessary for the life of live-in followers.

釈迦の行い
釈迦は北インドの小国の皇子であったが、すべてを捨て思索の旅に出た。
彼は悟りを得た後は出家集団(サンガ)を作り村々を巡って伝道し、弟子たちに囲まれて80歳で死去した。

釈迦は、当時流布していた難解な観念を用いず平易に説くことを心掛け、奇跡とも無縁でした。注釈1
彼は祭儀中心のバラモン教を拒否し、人々に「真理を悟る」ことを説いた。
例えば、それは「人生は苦である」「執着や我欲が苦しみをもたらす」を知ることです。
これを苦行ではなく、人々は質素な生活と正しい行いを通して体得出来るとした。
その為に、出家集団の生活に必要な戒律を定めた。

Afterwards
After Buddha died, the teaching was handed down by the disciples, and the sacred books were codified the several hundred years later.
Many kingdoms protected the Buddhism, and in addition, performed the enlightenment.
Thanks to it, the religious community developed, but it became specialized, split up and came to stay away from the people.
On the other hand, many graves (stupa) which enshrined ashes of Buddha were constructed in many places, and a lot of believers began to visit.
Buddha statues were born there since about the first century A.D., and the believers began to make the sacred books of Mahayana Buddhism in plenty.
Thing they wished was to get the saving grace by worshiping the Buddha as a god and praying even if they remained in lay believers.

After that, the Buddhism was at the height of the prosperity, spread to the Southeast Asia, and spread from the Central Asia to the East Asia.
On the other hand, the Brahmanism began to change to Hinduism being close to the people.

 
その後
釈迦入滅後、教えは弟子たちにより語り継がれ、数百年後に経典が成文化された。
多くの王国は仏教を保護し教化も行った。
おかげで教団は発展していったが、専門化し分裂し民衆から離れていった。

一方、釈迦の遺骨を祀る墳墓(ストゥーパ)が各地にたくさん作られ、信者らが多数訪れるようになっていた。
紀元1世紀頃、そこから仏像が誕生すると共に大乗仏教の経典が信者によって多数作られ始めた。
それらが目指したものは、釈迦を仏(神)と崇め、祈ることで在家のままでも救いが得られると言うものでした。

この後、仏教はインドで全盛期を迎え、東南アジアや中央アジアから東アジアへと広まっていった。
一方、バラモン教は民衆に密着したヒンドゥー教へと変容していった。

 

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< 3. A big grave (stupa) >
< 3. 墳墓(ストゥーパ) >

Point of the Buddhism
Buddha was negative about autocratic kingdoms, and also about economic activities being likely to become greed.
In addition, he was unrelated to Savior and God.
Therefore, at first, the Buddhism was far from the politics, but kingdoms protected the Buddhism for helping of social stability, and the religious community received favors, too.
It would not conflict with the national law, because the law established by Buddha was a religious precept of the group of live-in followers, only encouraged simple life and did not establish penal regulations.

Probably, the Buddhism was received by many nations by the condition and the popularity of it, and would have developed into a world religion.

This continues the next time.

 
仏教のポイント
釈迦は横暴な王国や私欲に走る経済活動に否定的であった。
また救世主や天上の神とも無縁であった。
したがって政治から離れていた仏教だが、王国は社会の安定に繋がるとして仏教を擁護し、教団も恩恵を受けた。
釈迦が定めた法は出家集団の戒律であり、質素な生活を奨励し、罰則を定めなかったので、国家の法とは抵触することがなかっただろう。

おそらくこの事と大乗仏教の人気が、多くの国家に受容され世界宗教へと発展することになったのだろう。

 
次回に続きます。

 
注釈1.
当時のインド哲学(ヴェーダ)は、宇宙原理(ブラフマンとアートマン)で世界の根本を説明出来るとし、これから梵我一如(ブラフマンとアートマンは同一)の思想が生まれていた。

また、輪廻転生(人は前世の因果を受けて生まれてくる)の観念が定着していた。
この観念はインドの自然風土に背景を持つが、バラモンによって階級差別を合理化するために一層強化された。
これは人々に恐怖であって、この無限のサイクルから脱する為に解脱を望んだ。

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Bring peace to the Middle East! 49: religion and persecution 3: Persecution of Jewish people 1


中東に平和を! 49: 宗教と迫害 3: ユダヤ人の迫害 1

 

1

< 1. Merchant of Venice >
< 1. ベニスの商人 >

Previous time, we knew how Islam had been seen from Europe.
From now on, I will investigate why Jewish people were oppressed.
There is a sad nature of human repeated.

 

前回、イスラムが西欧からどのように見られていたかを知りました。
これから、なぜユダヤ人は虐げられたかを探ります。
そこには繰り返して来た人類の悲しい性があります。

 

8
*2

Preface
At the start of taking up the problems of the Middle East, I had dissatisfaction toward the present conditions that Muslim in the Middle East was treated like a bad person unfairly, so I was going to investigate the truth.
However, the more I investigate, the more I feel a feeling of futility.

 

I can say that the most of failing to advancing the peace is due to the Middle East including the existence of radical extremists.
On the other hand, there are a lot of outside factors that embroiled the Middle East in armed conflicts.
The Middle East war began with the founding of Israel.
It seems a result of the counter action of Jewish people that had been persecuted in the Eurasian Continent.

 

I have handled various wars through my blog so far.
These also had many flash points in common with the Middle East.
One of them is a feeling of discrimination to produce antagonism or persecution.
はじめに
私は中東問題を取り上げるに当たり、中東のムスリムが不当に悪者扱いされる現状に不満を持ち、真実を探ろうとした。
しかし、調べれば調べるほど、空しくなってしまった。

 

確かに、和平が進まないのは暴虐な過激派の存在など中東の側に問題が多いと言える。
一方で、中東に紛争を呼び込んだ外部要因が数多く存在している。
中東戦争勃発はイスラエルの建国が切っ掛けでした。
それはユダヤ人がユーラシア大陸で受けた迫害の反動でした。

 

私は、今までブログで様々な戦争を扱って来ました。
それらにも、中東とほぼ共通する火種が存在しました。
その一つが、対立や迫害を生む差別感情です。

 

7
< 3. anti-Semitic purges in Russia (pogrom)>
< 3.ロシアでのユダヤ人迫害(ポグロム) >

 

Jewish misfortunes
Looking around the world, I don’t know a race such as Jew that had been so despised and achieved success.
After the extinction of Israel, the Jew was scattered all over the world and continued being persecuted for 2,000 years, and accomplished the founding of Israel in the same area.
Now, it could say that the Jew is one of the world’s top race in knowledge, information, and capital power.
The Israel is an advanced industrial country, and an eminent military nation having nuclear weapon.

 

Why was this excellent race despised and persecuted for 2,000 years?
It originated in Jerusalem and arose from a grudge bred in Europe.
The grudge seems to have been amplified by a fervent devotion.

 
ユダヤ人の悲運
世界中見渡して、ユダヤ人ほど侮蔑され、かつ成功した民族を知りません。
ユダヤ人はイスラエル滅亡後、世界に離散し、2000年間迫害され続けた後、同じ地に建国を成し遂げた。
今やユダヤ人は知識や情報、資本力で世界有数の民族と言えるでしょう。
イスラエルは先進工業国であり、核兵器を持つ有数の軍事国家と言える。

 

なぜこれだけの事を成した優秀な民族が、2000年もの間、侮蔑され迫害されたのだろう。
それはエルサレムに始まり、西欧で醸成された怨念が災いしている。
その怨念は篤い信仰心によって増幅されたように思える。

 

6

*4
A Jewish tragedy
The most known tragedy will be the Holocaust by Nazis Germany.
While World War II, the German military killed 6 million Jews in concentration camps and forced labor.

 

Why did Hitler do such a reckless act?
Hitler described the reason in “Mein Kampf”.
“ It is our only purpose to achieve the existence and prosperity of our German race as Aryan that can create excellent culture.
….
The pacifism, democracy, and internationalism to antagonize Germany nationalism are means for world conquest by “Jewish race” as a destroyer of all culture. “

 

Why did Hitler hate Jew so much?
This happened in the process that Germany became a fascism from the bottom after World War I.
He professed the defeat and economic ruin of German were mainly due to Jew.
Jew was always despised as miser, betrayer and vulgar person than before.
Then, Hitler thought that necessary condition for the revival of Germany was to get Eastern Europe again by the fight with the Soviet Union.
On the other hand, anti-Semitic purges in Russia became harsh, and many Jews flowed into Eastern Europe from Russia.
Because Germans were afraid of the Soviet Union and communism, they worried about Jewish betrayal.
Thus, Germans obeyed racial discrimination of Hitler blindly.

 

This continues the next time.
ユダヤ人の悲劇
最も知られているのはナチス・ドイツによるホロコーストでしょう。
第二次世界大戦中、ドイツ軍は強制収容所と強制労働などで、600万人のユダヤ人を殺害した。

 

なぜヒトラーはこのような暴挙に出たのだろうか?
ヒトラーは「わが闘争」でその理由を述べている。
「文化を創造し得る『アーリア人種』たるドイツ民族の生存と繫栄こそが、唯一の目的であり、・・・
さらに、ドイツ民族主義に敵対する平和主義・民主主義・国際主義は、文化破壊者たる『ユダヤ人種』による世界制覇の手段である。」

 

なぜヒトラーはここまでユダヤ人を目の敵にしたのか。
これは第一次世界大戦後、どん底のドイツがファシズム化する過程で起こった。
彼はドイツの敗因と経済破綻の主因の一つをユダヤ人のせいにした。
かねてから、ユダヤ人は守銭奴で、裏切りが者で、低俗な民族と蔑視されていた。
またヒトラーはソ連と戦い、東欧を獲得することがドイツ再興の条件としていた。
一方、ユダヤ人迫害(ポグロム)が苛烈化し、ユダヤ人がロシアから東欧に流入していた。
ドイツ国民はソ連と共産主義を恐れていたので、ここでもユダヤ人の裏切りを懸念した。
こうして、ドイツ国民はヒトラーの人種差別に盲従することになった。

 
次に続きます。

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Bring peace to the Middle East! 48: religion and persecution 2: Prejudice against Islam


中東に平和を! 48: 宗教と迫害 2: イスラム教への偏見

 

1

*1

 

Previous time, we look at the antagonism and persecution that arise from Buddhism or Hinduism.
From now on, I look at the antagonism and persecution between religions (Judaism, Christianity, and Islam) that were born in the Middle East.

 

前回、仏教とヒンドゥー教がもたらした迫害や対立を見ました。
これから、中東で生まれた宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の迫害や対立を見ます。
What is understood from previous examples of the Buddhism and Hinduism
Religion retained laws and social system of that time, and also kept the discrimination.
In addition, it regards the heresy with hostility to secure the legitimacy, and the antagonism arises.
The religious community will promote these strongly.

 

前回の仏教とヒンドゥー教の例からわかること
宗教は当時の規範や制度を遺存し、差別を温存することになる。
また正当性を確保する為に異端を敵視し、対立を生むことになる。
教団がこれらを強力に推し進めることになる。

 

2
< 2. the Ottoman Empire was capturing Vienna >
< 2.オスマントルコのウイーン攻略 >
How did Europe cognize Islam?
“ It is fundamentally impossible that Muslim tolerably governs Christian countries.”
In the late 19th century, British prime minister Gladstone swore in this way.
He was a pious Christian and dominated during the colony expansion.

 

“The sword and Koran of Muhammad are the biggest enemy for civilization, freedom and truth since recorded history.”
In the late 19th century, Scottish Islamic scholar William Muir said in this way.
He was a colonial administrator in India, too.

 

There are still persons believing “the Koran or a sword” as words indicating the aggressiveness of the Islam, but this is only a forgery.

 

“This notorious swindler Muhammad was the founder of the heresy doctrine.”
It was written in a famous encyclopedia of the end of 17th century.
西欧はイスラム教をどう見ていたのか?

 

「ムスリムが文明化されたキリスト教徒諸民族の上に善政を、またはなんとか我慢できる統治を敷くなどは根本的に不可能だ。」
19世紀後半、英国の首相グラッドストンはこう言い放った。
彼は敬虔なキリスト教徒であり、植民地拡大期に君臨した人物です。

 

「ムハンマドの剣とコーランとは文明・自由・真理に対する有史以来最大の敵である。」
19世紀後半、スコットランドのイスラム学者ウィリアム・ミューアはこう言った。
彼はインド植民地の管理者でもあった。

 

今でも「コーランか剣か」をイスラム教の攻撃性を示す言葉として信じる向きがあるが、これは捏造に過ぎない。

 

「これぞ名うてのペテン師ムハンマド。宗教の名を語るに至った異端教説の始祖にして創立者」
非常に影響力のあった17世紀末の百科事典「東洋全書」に書かれている。

 

3
< 3. Luther >
< 3. ルター >

 

In the beginning of 16th century, Luther criticized that the Roman Catholic Church had been made by devil in the Christendom as same as the heresy of Muhammad.
He was a theologian who became a pioneer of the Reformation, but he regarded heresy with hostility and also criticized Judaism severely.

 

The prejudice against the Islam does not seem to change from old days.
The prejudice of the westerner against the Muslim can be summarized into three words: sexual license, murder, and compulsory conversion.
This matches the image of “Thousand and One Nights (Arabian Nights)” introduced in Europe of 1704.
16世紀初め、ルターは、ローマ・カトリック教会のことを、ムハンマドの異端と同類であってキリスト教世界内部に悪魔がこしらえたものだと批判した。
彼は宗教改革の先駆けとなった神学者ですが、異端を敵視しユダヤ教も痛烈に批判している。

 

どうやら昔からイスラム教に対する偏見は変わらないようです。
ムスリムに対する西欧人の偏見は性的放縦や殺人、強制改宗に集約されます。
これは1704年、西欧に紹介された説話集「アラビアン・ナイト」のイメージに結び付きます。

 

4

< 4. Egyptian conquest by Napoleon >
< 4. ナポレオンのエジプト遠征 >

 

Why did such prejudice be born, and why did it remain strongly?
The Islam worships the one God as same as Christianity, and two doctrines are similar.
However, it is different to deal with Jesus and the Trinity, etc.
Christian will regard it as heresy.

 

The Islam was an invader and menace for Europe since the birth period.
Actually, Spain in the west side and Austria in the east side were exposed to their aggression.
Most of Europe lacked the opportunity to know this area and only knew through Byzantine Empire at most.

 

However, Europe came to have confidence in own civilization when it experienced the Industrial Revolution (since the mid-18th century).
On the contrary, in the end of 18th century, Napoleon conquered Egypt, and Europe ruled the Middle East since the mid-19th century.
Europe had already colonized most parts of the world, but people resisting most stubbornly was only Muslim.

 

Thus, both religions deepened opposition feelings while having a sacred place in same Jerusalem.
This continues the next time.

 

なぜこのような偏見が生まれ、強固に生き続けたのでしょうか?
イスラム教はキリスト教と同じ唯一神を崇め、教義が似ています。
しかしながらイエスや三位一体の扱いなどで違いがあります。
これはキリスト教徒にとって異端に映るのでしょう。

 

西欧にとってイスラムは誕生期から侵略者であり、脅威であった。
実際、西側のスペインと東側のオーストリアは彼らの侵略に晒された。
西欧の多くはこの地域を知る機会に乏しく、せいぜいビザンチン帝国を通じてであった。

 

しかし西欧は産業革命(18世紀半ば~)を経る頃には、自らの文明に自信を持つようになった。
逆に、18世紀末、ナポレオンはエジプトに遠征し、西欧は19世紀半ば以降から中東を支配した。
既に西欧は世界の大半を植民地にしていたが、最も頑強に抵抗したのはムスリムだった。

 

こうして両宗教は聖地を同じエルサレムに持ちながら対立感情を深めていた。
次回に続きます。

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Bring peace to the Middle East! 44: What is the cause ? 3


中東に平和を! 44: 何が原因か? 3

1

< 1. the Baltic Way joined three Baltic countries in 1989 >
< 1.1989年のバルト三国の人間の鎖 >

 

Last time, I considered the sparks of the Middle East that have caused wars and terrorism frequently.
This time, I investigate causes of the sparks furthermore.

前回、戦争とテロが頻発する中東社会の火種を考察しました。
今回は、さらにその原因を探ります。
Preface
In the Middle East, why can’t people join together ?
And why do they shut out the world by themselves?
There are scholars who obstinately insisted that it is a backwardness rooted in Islam.
They have a intention to justify their religion with despising Islam now, as with having despised Judaism once.

 

These causes, sparks, are deeply rooted in former colonial rule and poverty, but I think that these causes can be solved by the Middle East’s own.

 

はじめに
なぜ中東では大同団結が出来ず、自ら世界を閉ざしてしまうのでしょうか?
それをイスラム教に根差す後進性だと強弁する学者もいました。
彼らは、かつてユダヤ教、今はイスラム教を侮蔑することで自分の宗教を正当化すする意図を持っています。

 

これら火種は、かつての植民地支配や困窮が大きく影響しており、根は深いのですが、中東が自ら対処することで解決可能な原因と思われます。

 

2-2
< 2. a village and mosque of Upper Egypt >
< 2.上エジプトの村とモスク >
What is the cause to produce the sparks?
I think that three causes are big.

 

A : close nature
The range where people can sympathize is limited to small range such as a village or a tribe.
This tendency is strong in countryside in particular.

 

For example, when the Arab Spring happened in Egypt, the people were positive toward democratization at first, but became conservative after all.

 

In January, 2011, a large-scale demonstration occurred in Egypt by the aftermath of the Arab Spring, and the President Mubarak being a dictator left.
This revolution was mainly triggered by the young of the urban areas.
They demanded democratization and thought that it was the most important to stop military organization return and moneyed election by the local influential person.
However, when the parliamentary elections finished in November, 2011, the Islamic movement scored an emphatic victory as distinct from the pro-democracy movement.
This reason was such political party had not grown up, not only that but also people of countryside returned back to conservative. Annotation 1.

 

It is supposed that this was because people join together only within each village, tribe, and mosque (denomination).
火種を作る原因とは何か?
三つの原因が大きいと思います。

 

A: 閉鎖性
人々の共感出来る範囲が村や部族などの小さな範囲に限られている。
特に地方ではこの傾向が強い。

 

例えば、エジプトでアラブの春が起きた時、人々は一度は民主化に前向きになっていたが、結局は保守的になってしまった。

 

2011年1月、アラブの春の余波でエジプトに大規模なデモが発生し、独裁者のムバーラク大統領が辞めた。
これを主に担ったのは都市部の若者で、彼らは民主化を求め、そのためには軍制復帰と地方の有力者による金権選挙の阻止が最重要だと考えていた。
しかし、2011月11月、人民議会選挙が蓋を開けると、民主化勢力ではなくイスラム勢力が圧勝した。
これは政党が育っていない事もあるが、地方が保守に回帰してしまったことが大きい。注釈1.

 

この背景に、人々が村や部族、モスク(宗派)毎にまとまってしまうことが大きいと推測される。
B: low literacy rate

 

When the literacy rate being closely related to the above problem rises, the people can share same sense of values in more larger area. Annotation 2.
In addition, more people can adopt many success examples and get universal judgments of all of the world.
Thus, the people can perform a shift to democracy smoothly.

 

The literacy rate of some nations being stable comparatively, such as Turkey, Iran, Tunisia, and Egypt, early had increased relatively among the Middle East. Annotation 3.

 

B: 低い識字率
上記と密接に関わっている識字率が上昇してこそ、人々はより広い地域で価値観を共有出来るようになる。注釈2.
またより多くの人が世界の成功例や普遍的な見識を取り入れることが出来る。
こうして、人々は民主主義への移行をスムーズに行うことが可能になる。

 

安定しているトルコ、イラン、チュニジア、エジプトなどは比較的識字化が早かった。注釈3.

 

3

< 3. Koran >
< 3. コーラン >

 

C: an application of the Islamic law
I think that certain application have a problem.

 

Ulama (Islamic scholars) pronounces a fatwa (proclamation) for each occasion.

 

I understand the importance of having been pronounced the fatwa of jihad by paramount Ulama against invader once. Annotation 4.
However, I feel confused about Osama bin Laden pronounced “kill people of the United States and the ally” as a fatwa.
This problem is that various Muslims have pronounced a fatwa of starting a battle that will embroil the country and a large number of the citizens.
Naturally there are Ulama criticizing the behavior of the Islamic State.
C: イスラム法の適用
私は、一部の適用に問題があると考えます。

 

ウラマー(イスラム法学者)はファトワー(布告、裁断)を時に応じて発します。
過去に、最高位のウラマーが侵略者に対してジハードを発したことの重要性は理解します。注釈4.
しかし、ウサーマ・ビン・ラーディンがファトワー「アメリカと同盟国の国民を殺害せよ」を発したことに困惑します。
問題は、国や大勢の市民を巻き添えにする戦闘開始のファトワーを様々なムスリマが発していることにある。
当然、イスラム国の所業を非難するウラマーもいる。

 

In addition, an American Islamic law researcher indicated that the rigorism of Islam grows in strength in certain cases than the moderatism, in his book.
And he explains that most of Islamic extremists were poisoned by it. Annotation 5.

 

What is the problem?
In the Islamic world, the law of the country and religion law that based on the Koran are one in the same.
It should be usually one system of law in one country.
We think that personal rule, creed, and belief are free.
However, if things implicated in violence and armaments become free because of religion creed, the society clearly become conflict situation.
I think Muslims must limit the application of jihad for using violence, establish it as Islamic Sharia law, and it is necessary to disseminate it to Muslims widely.

 

The resolution of these causes can’t possibly be achieved overnight, but there would be not true solution unless doing so.
I ask your forgiveness as a outsider points out the problem.

 

This continues the next time.

 

また米国のイスラム法研究者が、その著書でイスラム教には穏健主義に対して厳格主義が勢力を持つことがあり、過激派はそれに毒されていると言う。注釈5.

 

何が問題なのでしょうか。
イスラム世界は国法とコーランを中心とした宗教法が混然一体となっています。
通常、一つの国には一つの法体系であるべきです。
私達からすれば、個人の規範や信条、信仰は自由であって良いのです。
しかし、暴力や軍事力に関わることまで宗教信条だとして放任すれば、社会は紛争状態になるのは明らかです。
ジハードの暴力的な適用について限定を設け、シャーリア(イジュマーなど)として定め、広くムスリマに周知させる必要があると思います。

 

これら原因は一朝一夕に解決出来ないが、これを放置して真の解決はないと思います。
部外者の私が問題を指摘することをお許しください。
次回に続きます。

 

注釈1.
この間の事情は加藤博・岩崎えり奈共著「現代アラブ社会」に詳しい。
注釈2.
エジプトの15~24歳の識字率は、1976年で51%であったものが、2006年で85%に上昇している。
これがアラブの春を呼び込んだと言える。
しかし、エジプトの地方(上エジプトなど)の文盲率(非識字率)は40%(2006年)を越える所があり、特に高齢者や女性に多い。
エジプト全体で若者の27%が義務教育を修了していない。
上記「現代アラブ社会」より。

これが民主化への阻害要因の一つになっていると考えられる。
注釈3.
この間の事情はエマニュエル・トッド著「アラブ革命はなぜ起きたか」に詳しい。
注釈4.
1830年、フランスがアルジェリアに侵略し始めると、イスラム教の指導者であったアブド・アルカーディールはジハードを宣言し、自ら軍を率いて戦った。
注釈5.
カリード・アブ・エル・ファドル著「イスラムへの誤解を超えて」に詳しい。

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 43: What is the cause ? 2


中東に平和を! 43: 何が原因か? 2

 

1

*1

 

We looked at two causes of wars and terrorism that have been frequent in the Middle East last time.
I consider another important cause, sparks, this time.

 

前回、中東で戦争とテロが頻発する二つの原因を見ました。
今回は、もう一つの重要な原因、火種を考察します。

 

2a

*2

Preface
Last time, we looked that the problems of the Middle East became worse like sparks were blasted by strong wind in dry grassy grassland.
These two causes were aftereffects of once colony and the Cold War, and the biggest external cause.
Improvement to and coping with these are necessary, and besides, there is another important thing.
I think the Middle East should improve a cause that is inherent in the Middle East by oneself.
I assumed it “sparks”.
はじめに
前回、乾燥した草原の火種が強風に煽られようにして中東問題は深刻化したことを見ました。
二つの原因とは最大の外因である植民地の後遺症と冷戦でした。
これらへの改善と対処も必要ですが、もう一つ大事なことがあります。
それは中東に内在する原因で、中東自ら対処すべき問題だと思います。
私はそれを火種としました。

 

3

< 3. Scenery of Islamic towns >
< 3.イスラム世界の風景 >
What is the sparks?
In the Middle East, why do conflicts begin everywhere?

 

As for the problem in Palestine, Islam and Judaism strengthen exclusiveness each other and produced hatred and gap, so it is not said that the cause is only unilateral religion.
However, we must notice particular problems in the Middle East when we compare both handling of it.
The main problems are that they can’t merge together, and are to shut out the world by themselves.

 

Internal troubles, coups, and wars in the Middle East that I considered until now
came to worsen through a similar process.
The examples of the conflicts are President Nasser and Moslem Brotherhood (Sunni) in Egypt, President Assad (Alaouite) and Moslem Brotherhood in Syria, and Sunni (the mainstream of President Hussein’s era) and Shiite in Iraq.
Opposition between denominations or for modernization (secularization) is taking place among the same Muslims.

 

Why cannot they solve each other dissatisfaction by talking?
So they must oppose and fight each other.

 

In addition, the Islamic extremists such as the Islamic State are born almost every day, they cooperate each other in some cases, but they smash and absorb each other in most cases.
The numbers may exceed 50 in the Middle East.
They act apart even in this situation.

 
火種とは何か?
なぜ中東では、こうも至るところで抗争が始まってしまうのだろうか?

 

パレスチナ問題では、イスラム教とユダヤ教が互いに排他性を強固にし、憎悪や格差を生んでいたのであって、一方の宗教だけが元凶とは言えない。
しかし、両者の対応を見ていると中東特有の問題が浮かび上がって来ます。
その主なものは彼らが大同団結が出来ないことと、自ら世界を閉ざしていることです。

 

いままで考察した中東の内紛やクーデター、戦争、どれも同じような経緯を辿って、拡大し深刻化しました。
代表的な対立の例は、エジプトでのナセル大統領とムスリム同胞団(スンナ派)、シリアでのアサド大統領(アラウィ派)とムスリム同胞団、イラクでのスンナ派(フセイン大統領時代の主流)とシーア派です。
同じイスラム教徒の中で近代化(世俗派)や宗派間で対立が起きている。

 

なぜ彼らは不満を話し合いで解決出来ず、敵対し暴力に結び付けてしまうのか?

 

またイスラム国などのイスラム過激派は日々生まれ、協力することもあるが、潰し合い吸収されもしている。
その数はゆうに50を越えるのではないだろうか。
ここでもバラバラの動きをしている。

 

4

< 4. November 2015 Paris attacks >
< 4. 2015年のパリ同時多発テロ >

 

Furthermore, terrorism all over the world that the Islamic State performs and was initiated by al-Qaeda only drives Muslims all over the world into a corner surely and is the worst for everyone.
Once, anti-establishment terrorism plunges the leaders of own country into fear to aim to a policy changeover, but is different from it.
What will be different?
For example, three Baltic countries, Korea, and South Africa, in spite of being small countries, achieved the purpose with gaining cooperation of the world, particularly the Europe and America, to get out of the rule of large countries.
The nation-building of Israel is similar to it.
They have asked for understanding to the world and have avoided useless fight by transcending a difference in ideology or religion, and a historic grudge.
Though, it must have been worst condition for the Arab, because Europe and America was once ruler of the colonies and heathen countries.

 

Terrorism of Islamic extremist rightly goes against the times.

 

I think if the Middle East does not try to decrease such sparks, there is not the future of the Middle East.

 

The next time, I consider the cause that they shut out the world and can’t merge together.

 
さらに、アルカイダに始まり、イスラム国が行っている世界各地のテロは、世界のムスリマを確実に窮地に追い込むだけで、誰にとっても最悪です。
かつて反体制側のテロは自国の首脳を恐怖に落とし入れ、政策転換を図る狙いがあったが、これとは異なる。
何が違うのだろうか。

 

ここ1世紀、反体制側や弱小国の中には、世界の良心に訴え、世界を味方に付けて、体制挽回や独立を実現して来たところがある。
例えば、バルト三国や韓国、南アフリカなどは大国の支配から脱却するために、世界、特に欧米先進国の協力を得て小国ながら目的を達した。
イスラエルの建国も、これに似ている。
彼らはイデオロギーや宗教の違い、歴史的な遺恨を横に置いて、世界に理解を求め無駄な戦い避けて来た。
もっとも、アラブにとって欧米は異教徒であり植民地の支配者であったので厳しい条件ではあるのだが。

 

まさにイスラム過激派のテロは時代に逆行している。

 

この火種を減らす努力をする以外に中東に未来はないように思える。

 

次回は、大同団結が出来ず自ら世界を閉ざす原因について考察します。

 

 

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Bring peace to the Middle East! 41: chain of retaliation 9 : Why the Middle East war began? 2


中東に平和を! 41: 報復の連鎖 9 : なぜ中東戦争は始まったのか? 2

 

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< 1. Jewish immigrant >
< 1.ユダヤ人の入植 >

 

Today, we approach the background of that Arabic countries deprecated the nation-building of Israel and started the Middle East war.
Non-generosity and egoism had raged through there.

 

今日は、アラブ人がイスラエル建国に反対し中東戦争を始めた背景に迫ります。
そこには不寛容とエゴイズムが吹き荒れていました。

 

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< 2. Tiberias by the Sea of Galilee in 1936 >
< 2. ガリラヤ湖の都市ティベリア、1936年 >
Preface
The situation that a superior colonization group overwhelms inferior indigenous people has been repeated.

 

For example, it is relations between British settler and North American Indian, Netherlands settler and South African indigenous people, and began in the 17th century.
In addition, examples which ethnic group gained economic predominance without using military power are Southeast Asian overseas Chinese and European Jew.

For example, farmer parted with his field for the repayment of his debt, and might ruin to helot or peasantry.
And the wealthy favorably performed the trade against a background of financial power and political ability, and furthermore became superior.
When this is left, economic disparity increases, and the dissatisfaction of the people blows up eventually.
As an example, German Peasants’ War happened in the early 16th century, and involved whole Europe in storm of Religious war (the Reformation).

 
はじめに
優勢な植民集団が劣勢な先住民を圧倒する状況は繰り返されて来ました。

 

その例は、17世紀に始まる英国の植民者と北米インデアン、オランダの植民者と南アフリカの先住民です。
また武力に頼らず経済的優位を獲得した例としては、東南アジアの華僑とヨーロッパのユダヤ人があります。

 

優勢な階層が劣勢な階層を支配していく状況も、世界中で繰り返されて来ました。
例えば、農民が債務の弁済の為に田畑を手放し、農奴や小作人に没落することがありました。
そして富者は資金力と政治力を背景に、その取引を優位に行い、さらに優勢になった。
これが放置されると、経済格差が亢進し、民衆の不満はいずれ爆発します。
一例として、16世紀初めに起こったドイツ農民戦争があり、これがヨーロッパ全土を宗教戦争(宗教改革)の嵐に巻き込んだ。

 

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< 3. Jewish National Found was founded in 1901, annotation 1 >
< 3.1901年創立のユダヤ国家基金 注釈1 >
In the early 20th century, what was taking place in Palestine?
The situation in Palestine was the same as above-mentioned cases, but there was worse situation.

 

The Arab was the state of extremely low literacy rate, landowner system, and the capital deficiency due to enormous debts, because the Arab received the longtime colonial rule by other ethnic group (Ottoman Empire and Europe).
Particularly, the Palestinian still had a sense of belonging to the Ottoman Empire, and had not the consciousness of founding of own country.
In addition, the Arab had distrust in Europe that was the ruler of the colony.

 

On the other hand, the world that were led by the Europe and America promptly approved the Jewish immigrant to Palestine and the founding of a nation (the division of Palestine) during the Great war 1 and 2.
The Jew who came from all over the world aimed at the founding of a nation desperately.
Many countries built close ties with Israel economically and supported it.

 

Thus, the position of Palestinian and Jew had reversed every day.

 
20世紀前半、パレスチナで何が起きていたのか
パレスチナで起きていたことも上記と同様なのですが、さらに悪い状況があった。

 

アラブは異民族(オスマントルコとヨーロッパ)による長年の植民地支配を受けており、極端に低い識字率、地主制、膨大な債務による資本不足の状態にあった。
特に、パレスチナ人はまだオスマンへの帰属意識があり、建国の意識はなかった。
またアラブは植民地の支配者であったヨーロッパに不信感を持っていた。

 

一方、欧米を中心とする世界は二つの大戦の間に、早々とパレスチナへのユダヤ人の入植と建国(パレスチナ分割)を認めた。
世界中から来たユダヤ人は必死で建国を目指した。
その後も、多くの国々がイスラエルと経済的につながり支援した。

 

こうして、パレスチナのユダヤ人とアラブ人の立場は日を追って逆転していった。

 

%ef%bc%94

< 4. Arabic farmer in the end of 19th century >
< 4. 19世紀末のアラブ農民 >

 

Palestinian was thrust into bad situation day by day until the Middle East war.
The population of Palestine was 5,000 Jews and 260,000 Arab in the early 19th century.
When Zionism (campaign for Jewish national construction) broke out before long, the settlers rapidly increased, and the population became 80,000 Jews and 670,000 Arab in 1922.
Furthermore, since that British Mandate for Palestine had begun and the persecution by Nazis had broke out, it increased to 450,000 Jews and 1,060,000 Arab in 1939.

 

Land of Palestine was necessary for Jew to settle in.
The most of Palestinian farmland had been owned by absentee landowners of non-Palestine that lived in big cities like Beirut.
The most of the purchase fund consisted of many contributions of Jewish rich persons all over the world, and the Jewish National Found treated it.
The Jew cultivated it by oneself like kibbutz (agriculture community), and drove the previous peasantry out. annotation 1.

 

In addition, in 1945, the U.K. confiscated the land of districts where many Palestinians had lived in for maintenance of security, and gave Jew them.
And, as for the income per one farmer, Jewish income became 2.3 times of Arab.
This drove the remaining Arabic farming family into a corner again, and they parted with their farmland for repaying debt.

 

On the other hand, the proportion of industrial production by Jewish factory reached 88% in the general industrial production of 1944.
As for employment structure in 1931, Jew was 53% of industry and commerce, and 19% of agriculture, on the other hand, Arab was 20% of industry and commerce, and 57% of agriculture.

 

The differences of the illiterate rate and capital intensity between both sides widened the wealth gap between both sides, and it strengthened the rule system. annotation 2.
The Jewish non-generosity also effected it.

 

The Palestinian was driven into a corner by the Jew who kept increasing every day, and the Europe and America were indifferent to the Arab.
Becoming more and more dissatisfied, while they both had repeated a small collisions, and a big military collision happened.
It was the first Middle East War.

 

This continues the next time.

 

パレスチナ人が追い込まれる日々、中東戦争前夜まで
19世紀初めパレスチナの人口はユダヤ人5千人、アラブ人26万人だった。
やがてシオニズム(ユダヤ人の国家建設の運動)が盛り上がると、入植者が増え1922年にはユダヤ人が8万人、アラブ人67万人となった。
さらに英国によるパレスチナの委任統治が始まり、ナチスの迫害が開始されると、1939年には、ユダヤ人45万人、アラブ人106万人になった。

 

ユダヤ人が入植する為にはパレスチナの土地が必要でした。
パレスチナの農地の多くはベイルートなどの大都市に住む非パレスチナの不在地主が所有していた。
その購入資金は世界に散らばるユダヤ人富裕層らの寄付(ユダヤ国家基金)が元手になった。
ユダヤ人はキブツ(農業共同体)のように自ら耕作し、かつての小作人を追い出した。注釈1.

 

さらに1945年、英国は治安維持の為にパレスチナ人の多い地区の土地を没収し、ユダヤ人に与えた。
また農民一人当たりの収入は、ユダヤ人がアラブ人の2.3倍になっていた。
これがまたアラブ農家を窮地に追い込み、彼らは借金のかたに農地を手放すことになった。

 

一方、ユダヤ人の所有する工場は全工業生産に占める比率が1944年に88%に達した。
1931年の就業構造は、ユダヤ人が工業と商業で53%、農業で19%に対し、アラブ人は工業と商業で20%、農業で57%になっていた。

 

両者の文盲率と資本装備率の差が、格差を拡大させ支配体制を強化した。注釈2.
そこにはユダヤ人の不寛容さも働いている。

 

パレスチナ人は増加するユダヤ人に日々追い込まれ、また欧米はアラブに冷淡であった。
不満が嵩じて小さな衝突を繰り返す内に大きな武力衝突が起きた。
それが第一次中東戦争でした。

 
次回に続きます。

 
注釈1.
世界から寄付を募り、土地購入を進めたのはユダヤ国家基金です。
その契約には、ユダヤ人の所有地になった土地は、ユダヤ人だけによって耕作されねばならないと規定されていた。
また、土地は住民のいない状態で引き渡されなければならないとあった。
注釈2.
1970~80年、イスラエルのユダヤ人の文盲率は、出自集団によって0.7~24%の開きがあった。
文盲率が高いのはアジア・アフリカから流入した第一世代で、欧米から流入した第一世代は8%、両者の第二世代は1%ほどになっていた。
イスラエルの公用語はヘブライ語で、帰還者は世界各地で使っていた言語を捨ている。
現在の識字率(文盲率の逆)は97%です。

一方、パレスチナのアラブ人の文盲率は不明だが、1970年代のエジプト・カイロの文盲率が参考になる。
この文盲率は地域により15~43%で、郊外で60%前後であった。
おそらく地方の農村地帯ではさらに文盲率は高いだろう。
19世紀、エジプトの識字率は1%だったが、現在は66%です。

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Bring peace to the Middle East! 40: chain of retaliation 8 : Why the Middle East war began? 1


中東に平和を! 40: 報復の連鎖 8 : なぜ中東戦争は始まったのか? 1

 

1

< 1. Jerusalem mayor which surrendered to the British Army in 1917 >
< 1.1917年、英国軍に降伏するエルサレム市長 >

 

I looked back on the Middle East war last time.
Why did the Arabic countries deprecate nation-building of Israel and open war with Jew?
Before investigating this reason, I take up a rumor about the Middle East war.

 

前回、中東戦争を振り返りましたが、なぜアラブ諸国はユダヤ人の建国に反対し戦端を開いたのでしょうか?
この理由を探る前に、中東戦争に関するある風説を取り上げます。

 
About the rumor
“Arab opened war with Jew, and was defeated, so the present tragic situation of Palestinian is a natural consequence.”
This is an excuse that Israelis often use.

 

Is it really true?
I regard this rumor as malicious false rumor due to the following reasons.

 

ある風説について
「アラブがユダヤに戦争を仕掛け、負けたことが悲惨な現状を生んだのであり、パレスチナは自業自得である。」
これはイスラエル側でよく語られる風説です。

 

本当にそうだろうか?
私は以下の理由で、この風説は悪意あるデマと考えます。

 

2map

< 2. The Middle East of 1920s >
<2.1920年代の中東 >

 
1. The Arab was not able to defeat Jew.
Around that time, the West and the Soviet Union banished Jew from own country, and gave anything including supply weapons in order to let Jew settle down in other area.
In a twist of irony, it did not need to be Palestine.
The world, particularly Christianity countries gave approval of it with atonement and antipathy in their eyes.

 

In order to win the war, the Arabic countries might have to have opened the war during 1920s.
But it was impossible in those days because the Arab was under the rule of Britain and France.

 
2. The conflict continued even if the Arab won.
The Jew must have counterattacked by thorough resistance and terrorism, and I think Israel defeated the Arab in some time or other.
We know the Jew ever practiced radical terrorism in the Middle East.

 
3.Even if the Arab did not open the war, Palestine could not change the situation.
It is difficult for us to understand this.
This reason is because the Jew had financial power, intellect, and network which had overwhelmed Palestinian Arab.
They connected to the world through the Mediterranean Sea by basing on Israel even if it was small.
This is almost same as the Solomon empire in 3,000 years ago.
Thus, Israel overwhelmed Palestine by economic power, military capability, and political might.

 

This is a typical pattern of the offensive and defensive battle that have been repeated between advanced colonist and indigenous people.
If left untreated, the result is clear.

 

In other words, the Middle East war did not cause the present tragic situation of Palestine, and was only one derived phenomenon.

 
1. アラブはユダヤに勝つことが出来なかった。

 

当時、欧米やソ連はユダヤ人を自国から追い出し、別の地域に定住させるために、兵器供与など何でも行った。
それはパレスチナでなくても良かったのだが。
世界、特にキリスト教国は罪滅ぼしと同情、そして嫌悪が混じる眼差しで、これに賛同した。

アラブ諸国が勝つには、ユダヤ移民が始まった1920代に開戦すべきだったかもしれないが、当時、アラブは英仏の統治下にあったので不可能だった。

 
2. もしアラブが勝っていても、紛争は続いた。

 

今度は、ユダヤ人が徹底抗戦とテロで反撃し、早晩イスラエルはアラブを打ち負かしただろう。
中東におけるユダヤ人の徹底抗戦と過激なテロは実績がある。

 

3-1947map2

< 3. Jewish settlement in 1947 >
< 3. 1947年のユダヤ人入植地 >
3. アラブが開戦しなくても、パレスチナのアラブ人の状況を変えることは出来なかった。

 

ここが分かり難いところですが、ユダヤ人にはパレスチナのアラブ人を圧倒する資金力と知力、ネットワークがあった。
彼らは小さくてもイスラエルの地を拠点することにより、地中海を通じて世界と繋がった。
これは3000年前のソロモン帝国に通じるものがある。
こうして、イスラエルは経済力、軍事力、政治力によって、パレスチナを圧倒した。

 

これは繰り返されて来た、先住民と先進の入植者との攻防のパターンです。
これを放置すれば、その結果は明白です。

 

つまり、中東戦争の有無が今のパレスチナ問題を決定づけたのではなく、中東戦争は派生した一つの現象にすぎないのです。

 
What! Is there a problem?
My point is, a fact unfortunately has been repeated, that a superior group tried to take in and rule an inferior group, and banished and eliminated if the latter did not the follow.

On the other hand, the Jew has been oppressed even though the Jew was an excellent race.
And, now, they seem to get their revenge for 2500 years.
Ironically, the people that were discriminated have oppressed other people adversely.

Even if there is Jew who recognizes the pain of others from the experience, the group’s reaction is different unfortunately.
It is a historical fact that most come to overwhelm an enemy from a sense of fear and a chain of the retaliation happens at last.

On the next time, I will consider the situation the Middle East war began.

 
何が問題なのか
アラブの人々は、私の指摘に怒るかもしれない。
アラブ人を先住民と一緒にするのは言語道断だと!

 

私が言いたいのは、優勢な集団が劣勢の集団を取り込み支配し、従わなければ追い出し抹殺することは、残念ながら繰り返されて来た事実だということです。

 

一方、ユダヤ人は優秀な民族であるにも関わらず、虐げられて来た。
そして、今、2500年間の怨念を晴らしているかのようです。
皮肉なことに、差別され虐げられた人々が、逆にそれを繰り返しているのです。

 

その経験によって他者の痛みを理解するユダヤ人もいるでしょうが、残念ながら集団となると違うのです。
多くは恐怖心から、身構え敵を圧倒するようになり、ついには報復の連鎖が起きてしまうのが歴史です。

 

次回、具体的に中東戦争が始まる状況を考察します。

 

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