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湖北・湖東の紅葉を訪ねて 4: 永源寺 1


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これから2回に分けて近江にある永源寺を紹介します。

紅葉で有名な禅寺です。

生憎の小雨まじりでしたが、夕暮れにライトアップされた紅葉が趣を増していました。

 

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< 2. 永源寺の地図 >

 

赤線が散策した往路で、茶色線は復路です。

Sでバスを降りて、橋を渡り、石の階段を昇り、二つの門をくぐると本堂がある境内に出ます。

歩き始めたのが16:00少し前で、本堂の前に16:20に着き、折り返しSに戻ったのは17:00を過ぎていました。

 

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< 3.いよいよ向かいます >

 

上の写真: 駐車場を後にして、橋の上から永源寺の方向を見る。

左手の急峻な山の斜面の木立の中に、永源寺の多くの伽藍が広がっている。

歩き始めた時は、空は完全に厚い雲に覆われ、やがて陽が沈み、戻って来る頃には真っ暗になっていました。

 

下の写真: これから上る石段の前から振り返り、渡って来た橋を見る。

 

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< 4。 二つの門 >

 

上の写真: 雨傘の波の向こうに最初の門(総門)の屋根が見える。

この小さな門で、入場料を払う。

 

下の写真: 総門を抜けると大きな山門が石畳の参道の向こうに見え始めた。

ライトアップされた山門と紅葉の朱が競い合い、薄明りの中で際立っていた。

 

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< 5. 本堂に向かう >

 

上の写真: 山門の前から振り返る。

 

下の写真: 左手に本堂が見える。

 

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< 6. 本堂周辺 >

 

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< 7. 様々な色彩 >

 

左上: 本堂と裏山の紅葉。

右上: 積もった落葉。

左下: お堂内にあった竹灯籠。

右下: 裏山の落葉と石灯篭。

 

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< 8. 禅堂の前庭 >

 

この光景がもっとも印象的でした。

右手の大木の銀杏からの落ち葉が地面を覆い、真っ赤な1本の楓が屹立している。

この悪い天気でこれだけ見事な光景が見られるのなら、天気が良ければもっと・・。

それにしても、この光景は自然の造形によるものか、それとも人の作為によるものか、どちらのおかげなのか?

 

 

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< 9.回廊からの紅葉 >

 

薄暗い中で、紅葉が黒の縁取りで引き締まって見える。

これも一興。

 

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< 10. 老木と紅葉 >

 

梅の老木(?)と燃えるようなモミジの対比が、私を惹きつけた。

これに美を感じている自分に、日本人であることに感謝していた。

 

実に写真を撮るのが楽しい。

出来映えとは別ですが。

 

 

次回は後半になります。

 

 

 

 

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湖北・湖東の紅葉を訪ねて 3: 多良峡


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< 1. 人で溢れる吊り橋 >

 

 

今回は美濃、大垣にある多良峡を紹介します。

この辺りはまったく来たことがありませんでした。

ここは広い森林公園になっています。

 

 

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< 2.今回の日帰り旅行の訪問地、上が北 >

 

観光地としては番号1の鶏足寺、2の多良峡、3の永源寺です。

この順序で観光しました。

途中、昼食のレストランが「花伊吹」です。

 

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< 3. 多良峡の地図、上が北 >

 

上の地図: 多良峡は赤丸で、鶏足寺から多良峡へのルートを赤線で、多良峡から永源寺へのルートは黄色の線で示す。

 

下の地図: 多良峡の拡大写真。川は北に向かって流れている。

渓谷沿いの車一台がやっと通れる林道のS地点でバスを降りて、赤線に沿って吊り橋まで行きました。

この道では車は一方通行で、私たちが戻るのに合わせて順番に観光バスが迎えに来ます。

黄色の線が吊り橋で、これを往復してまた来た道を戻りました。

 

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< 4.いざ多良峡へ >

 

上の写真: 車窓から見た伊吹山付近の景色。

この写真は道路を挟んで伊吹山の反対側を見ています。

この時の伊吹山は上半分が厚い雲に覆われていました。

翌日、伊吹山は今年の初冠雪になりました。

 

下の写真: バスを降りて、渓谷沿いの細い道を歩きます。

 

 

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< 5. 吊り橋の上から >

 

上の写真: 下流を望む。

下の写真: 上流を望む。

 

残念ながら紅葉は期待したほどではありませんでした。

しかし、春の新緑や夏の川遊びには良い所でしょう。

 

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< 6. 紅葉 >

 

少しの晴れ間から日が差すと、紅葉が輝きを始めました。

 

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< 7. 森と渓谷そして山の彩 >

 

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< 8. 多良峡から関ヶ原までの景色 >

 

 

次回は、永源寺を紹介します。

 

 

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湖北・湖東の紅葉を訪ねて 2: 鶏足寺 2


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前回に続いて鶏足寺の後半です。

今回紹介する所が最大の見せ場です。

 

 

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< 2.森を抜けると・・・真っ赤な >

 

竹藪や茶畑を横目に細い山道を抜けると、急に視界が開け、深紅と黄金色の一角が現れた。

ここは山腹の御堂に続く階段の両側に広がる紅葉エリアの最も下にあたる。

 

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< 3. パンフレットで良く見る参道 >

 

落ち葉の風情を楽しむ為に、ここだけ立ち入り禁止になっている。

 

上の写真: 下側から望む。

下の写真: 上側から望む。

 

誰かが、この紅葉を称して「まるで血を撒いたようだ」と話していた。

始め、この言葉に抵抗を感じたが、しばらくするうちに納得するようになっていた。

 

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ちょうど小雨が降り始め、赤や黄色に色づいた葉がしっとりと濡れて少し輝きを増したようです。

 

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雨傘の列が、御堂からの石の階段を下りて行く。

ここの石段はほぼ自然石のまま並べられているので歩き難い。

非常に人が多く、上り下りに危険を感じている人もいた。

幸いにも小雨はすぐ止んだので、石段がそれほど濡れずに済んだ。

 

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今回は紅葉の最盛期に来られたようで幸いでした。

さすがに人が多く、人を避けて写真を撮ることは出来ませんでした。

雨は降ったが、傘を持たずに撮影できる程度だったのが不幸中の幸いでした。

 

誰がいつの頃にこれだけのもみじ植えてくれたのか、至福の時を得させて頂いたことに感謝し、ここを後にした。

 

 

次回は多良狭を紹介します。

 

 

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湖北・湖東の紅葉を訪ねて 1: 鶏足寺 1


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2018年11月22日、紅葉巡りのバスツアーに参加しました。

近江・美濃にある鶏足寺、多良峡、永源寺を訪ねました。

生憎の天気でしたが、紅葉は最盛期だったようです。

これから数回に分けて紹介します。

 

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< 2.鶏足寺散策コース、上が北>

 

鶏足寺は滋賀県長浜市の山里にあります。

創建は8世紀と古く、後に小谷城主浅井家の祈願所となった。

 

コースは左のSから歩き始め、赤線に沿って右の赤いバルーン(鶏足寺)まで行き、折り返します。

素晴らしい紅葉が見られるのはゾーンAとBで、Bは圧巻です。

今回紹介するのはSからゾーンAを抜け、Bの手前までです。

 

写真はほぼ歩いた順に並んでいます。

撮影時間は10時45分から20分間です。

 

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< 3. 村の中を行く >

 

下の写真: そこここに熟した柿が鈴なりに成っている木を見かけた。

 

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< 4. 神社の参道に入る >

 

最初の紅葉が出迎えてくれた。

今回は紅葉の最盛期に来れたようだでした。

去年は別の寺ですが、紅葉の盛りを過ぎて訪れ悔しい思いをしていました。

 

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< 5. 紅葉と黄葉 >

 

上の写真: 参道を振り返る。

曇り空でこの色ですから、快晴で陽光を浴びていればどれだけ光彩を放っていたでしょうか。

 

下の写真: 参道から村を見下ろす。

まるで朱色と金色が綾なす絵巻のようです。

 

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< 6。 神社の参道と境内 >

 

上の写真: 参道を振り返った。

 

下の写真: 境内から参道を振り返った。

釣鐘堂と石灯篭、そして境内に降り積もる色とりどりの落ち葉、それを包み込むように緑の高木と紅葉した木々が取り囲む、まさにこれは日本の心象風景の一つでしょう。

 

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< 7. 神社の境内 >

 

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< 8. 神社を通り抜けて >

 

神社の境内を抜けて坂道を下り、向かいの山に向かって田んぼの小路を行く。

 

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< 9. 田んぼの道を抜ける >

 

上の写真: 紅葉している所に茶屋があり、その奥の森の中を進むことになる。

 

下の写真: 来た道を振り返る。

中央の樹木に覆われた高台が歩いて来た参道です。

 

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< 10. 森の中を進む >

 

小雨がぱらつき始めましたが、長くは続きませんでした。

 

次回は鶏足寺らしい圧巻の紅葉を紹介します。

 

次回に続きます。

 

 

 

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淡路島のテーマパークを訪ねて 3: ONOKORO、淡路ワールドパーク


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今回は、ONOKORO、淡路ワールドパークを紹介します。

このパークは世界旅行関連の展示と遊戯施設がメインになっています。

中でもミニチュアワールドが私には感慨深いものになりました。

 

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< 2. 園内マップ >

 

右下が入場ゲートで、上がほぼ南になります。

 

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< 3. いよいよ入場です >

 

この日は無料開放日で、食のイベントが行われていました。

 

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< 4.遊戯施設 >

 

このパークは島内でもっとも遊戯施設が多いでしょう。

私は初めてこの観覧車に乗りました。

 

下の写真の左下の円筒形の建物は、「兼高かおる旅の資料館」です。

30年ほど前に訪れた時、この資料館を見て興奮し、果てない夢を見たものでした。

当時、私は「兼高かおるの旅番組」を必ず見ていました。

海外旅行の旅番組が少なかった時代、彼女は秘境から観光地まで世界至る所を巡っていました。

私もいつか海外旅行をしたいと強く憧れたものでした。

 

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< 5. 観覧車からの眺め 1 >

 

上の写真: 西側を見下ろす。

左下側にミニチュアワールド、右下側に童話の森、奥に遊戯施設、さらに運河の向こうに淡路の山系が見えます。

 

下の写真: 北西を見下ろす。

中央にゲート、その奥に駐車場、また園内右手に多くの遊戯施設が見えます。

 

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< 6. 観覧車からの眺め 2 >

 

観覧車に乗るのは20数年来で、嬉々として乗り込んだのですが上昇するに連れ、自分が高所恐怖症だということを思い出し、気分が悪くなって来ました。

取り敢えず、一生懸命写真を撮って気を紛らわしました。

 

上の写真: 北側を見下ろす。

志筑の町が見えます。

 

下の写真: 南側を見下ろす。

遠くに洲本から由良に至る島の端が見えます。

 

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<7.観覧車からの眺め 3>

 

ミニチュアワールドのエリアを見ています。

 

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< 8. ミニチュアワールド >

 

上からパリのノートルダム寺院、ゼゴビアの城(白雪姫城のモデル)、モスクワの聖バシリー寺院です。

このような1/25サイズの建築物が合計18体あります。

 

久しぶりに訪れて、私はこれまでの海外旅行でこの内10体を直に見ていたことに驚きました。

当時、どれ一つ見たことのないものでした。

親しみと懐かしさが込み上げて来ました。

 

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< 9. これでお別れです >

 

 

これでテーマパークの紹介は終わります。

 

 

 

 

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淡路島のテーマパークを訪ねて 1: イングランドの丘 前編


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今回から、淡路島の二つのテーマパークを紹介します。

イングランドの丘(旧ファームパーク)とONOKORO淡路ワールドパークです。

二つは小さなお子さんと家族で楽しむには絶好の場所です。

今回はイングランドの丘の半分、以前ファームパークだったエリアを紹介します。

 

 

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< 2. テーマパークの概要 >

 

上の地図: 淡路島の全景、上が北。

黒い星印がイングランドの丘、赤い星印が淡路ワールドパークです。

 

下の地図: イングランドの丘の観光マップ。

今回紹介するのは右半分のグリーンヒルエリア(旧ファームパーク)です。

 

 

  • イングランドの丘について

このパークへは車で行くことになり、地図右下の駐車場に近い入園ゲートから入ります。

このパークは、小動物(コアラ、ウサギなど)に接し花々を見ることが出来る動物園と植物園があるグリーンヒルエリアと、遊具施設、お花畑、レストラン、フード&ショップがあるイングランドエリアからなります。

パークの右側(地図の赤い屋根)にはレストランと産直市場があり、南淡路の新鮮な野菜が並んでいます。

 

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< 3. 入園ゲート >

 

上の写真: 駐車場から入園ゲートに向かいます。

右手がゲートで、奥の遠方にイングランドエリアがあります。

 

下の写真: 入園ゲートからグリーンヒルエリアに向かって進みます。

 

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< 4. 小動物の施設群 >

 

真直ぐ進むと、右手にウサギやモルモット、オウムやエミューなどが居る施設が並んでいます。

一部のウサギと触れ合うことが出来ます。

 

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< 5. コアラ館 >

 

最も奥にある白い大きな建物に数匹のコアラが居ます。

 

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< 6. 鳥と猿のバードケージ >

 

少し戻った所にある大きなケージに、カンムリヅルやリスザルがいます。

 

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< 7. ロックガーデン1 >

 

バードゲージの横、丘の斜面に広がっているのがロックガーデンです。

 

上の写真: コアラ館の前からゲート側を望む。

 

下の写真: ロックガーデンには世界中の山野草850種が集められているようです。

残念ながら季節外れなのか、綺麗に花が咲いていたのは南米区に多かった。

それでも気候の違う草花がこれだけ野外に集められているのは凄い。

 

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< 8. ロックガーデン2>

 

上の写真: ロックガーデンの上部から南の方を見下ろす。

この方向に淡路の山系、諭鶴羽山があります。

この日は、霞が立ち込めており、遠景は望めませんでした。

 

下の写真: 木々が紅葉し始めていた。

 

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< 9. 植物館 >

 

上の写真: ロックガーデンの南米区の木々や草花は色とりどりの花を咲かせていた。

 

下の写真: 植物館の全景。

 

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<10.植物館1 >

 

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<11.植物館2 >

 

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<12.シャトルバス >

 

上の写真: 植物館の内部。

 

下の写真: 二つのエリアの間を無料で乗せて行ってくれる列車型のバス。

たくさん来園者がいたのですが頻繁に往復していたので助かりました。

 

 

今回、無料開放期間中で、快晴だったの久ぶりに訪れました。

子供が小さいときは幾度か来たことはありましたが、ここ二十年以上来たことはなかった。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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晩秋の京都を訪ねて 4: 新京極商店街から木屋町通りへ


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今日で、京都散策の紹介を終えます。

帰路の途中、河原町周辺で夕食をとりました。

食事処を探しながらの散策でした。

 

 

 

 

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< 2. 散策ルート、上が北 >

 

赤線が散策ルートで、S地点から右上の「美よし」で食事し、

河原町駅で帰路につきました。

写真は撮影順に並んでいます。

 

 

 

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< 3. 新京極商店街の入口 >

 

 

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< 4.新京極商店街 >

 

 

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< 5.錦天満宮入口 >

 

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< 6.錦天満宮境内 >

 

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< 7. 河原町通り >

 

 

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< 8. 高瀬川 >

 

上の写真: 道端にあった小さな神社。

 

下の写真: 高瀬川。

この浅い川に沿って並ぶ古い町並みの風情が好きで、よく立ち寄ります。

もっとも帰りの阪急電車の始発駅が近くにあることもあるのですが。

 

 

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< 9. 麺処、美よし >

 

私達が夕食の為に立ち寄った所で、まったくの偶然でした。

入ると決めた理由は、高瀬川沿いにあることと、なぜか伝統を感じたからです。

どちらかと言えば古さを感じたからでした。

 

 

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< 10. 店の中 >

 

私は巻頭写真に似た蕎麦とかやく御飯、それにおばんざいを頼みました。

蕎麦の出汁が、少しからめでしたが美味しく、また独特の味でしたので、これはきっと京都の味だと納得しました。

またおばんざいや蕎麦の具の煮物は素朴な味だが良かった。

 

厨房で料理している人達の歳が80歳を越えているようなので、店は建て替えて新しいのですが、きっと老舗だと思った。

 

給仕している人に聞くと、ここの創業は昭和元年で、写真の団扇は芸子さんが持って来たものだそうです。

 

ひょんなことで京都を味わうことが出来ました。

 

 

昼には、北王路駅の北文化会館で大学オケの定期演奏会を聴いたのですが、ここでも京都らしさを味わったように思います。

 

今回は急に京都に紅葉を見に行くことを思い立ち、ついでに交響楽も聞きたいと思った。

それでこの定期演奏会に初めて来たのですが、舞台のオケのヴァイオリン奏者(第一と第二)が非常に少なく、さらに始まると素人(おそらく1年生)が混じているのがわかりました。

管楽器は頑張っており楽しむことも出来たのですが、演奏は残念な結果におわった。

コンマスなど数人のヴァイオリン奏者の孤軍奮闘が痛ましく、オケ演奏会でこのように痛々しい思いをしながら聞くのは初めてでした。

 

私が驚いたのは、聴衆に不平や不満などでざわめきが起こらなかったことです。

皆さん紳士的でした。

ひょっとしてこれは京都の良さなのかと思いました。

 

この若い演奏家達が、将来喜々として演奏出来ることを願って、会場を後にしました。

 

これで終わります。

 

 

 

 

 

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晩秋の京都を訪ねて 3: 下鴨神社 2


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今日は、河合神社を紹介します。

 

 

 

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< 2. 地図、 上が北 >

 

写真は表参道のSから撮影したものから順番に並んでいます。

 

 

 

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< 4.馬場に露店 >

 

表参道と西側に平行に伸びる馬場に多くの露天が並んでいた。

 

 

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< 5.河合神社の境内 >

 

境内に入った右側に鴨長明の住まいが再現されていた。

彼はこの神社の神官の子として生まれ、歌人として活躍した後に出家し、京都で写真のような小さな庵で暮らした。

 

 

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< 6. 深紅と金色が映える風景 >

 

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< 10. 鴨川の上流を望む >

 

市民や鳥たちが憩う川べり。

この日は雲も風もなく、歩き続けると汗が噴き出て来ました。

 

晩秋ではあるが、黄葉と紅葉を思う存分味わい、久しぶりの京都を満喫出来た。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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晩秋の京都を訪ねて 2: 下鴨神社 1


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今日は、京都植物園を出てから下鴨神社までを紹介します。

神社はたくさんの人出でした。

 

 

 

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< 2. 地図、上が北 >

 

 

上の地図: 赤線が今回紹介する散策ルートで、京都植物園の正門Sからスタートし住宅街を抜け、下鴨神社に入りました。

 

下の地図: 下鴨神社境内の散策ルートです。

 

写真は概ね、撮影時間順に並んでいます。

 

 

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< 3.植物園とお別れ >

 

上の写真: 植物園の正門から内部(北側)を望む。

下の写真: 鴨川の上流(北側)を望む。

 

 

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< 4. 鴨川 >

 

上の写真: 鴨川の下流を望む。

下の写真: 北大路の東側を望む。

 

 

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< 5. 下鴨本通り >

 

下の写真: 下鴨神社参道の案内が見える。

 

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< 6. いよいよ下鴨神社 >

 

上の写真: 西参道の先に鳥居が見えた。

 

下の写真: 手前が舞台、右奥が本殿に至る中門です。

 

子供が七五三の着物を着て、緊張した面持ちで両親に連れられている姿を至るところで見た。

度々、子供に「かわいいね」「おめでとう」と声を掛けると、お母さんが微笑んで感謝の言葉を返してくれた。

気持ちの良い一時でした。

 

 

 

 

 

 

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< 7.立派な楼門 >

 

これは表参道から塀に囲まれた社殿に入る為の楼門。

上の写真: 社殿境内から見た。

結婚の新郎新婦が記念写真を撮っていた。

 

下の写真: 表参道側から楼門を見た。

 

 

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< 8. 表参道を行く1 >

 

まるで原野のような糺の森(ただすのもり)を抜ける。

 

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< 9. 様々な紅葉 >

 

薄暗く濃い緑の森の中で、赤や黄、茶色に色づいた木の葉が陽を受け輝いている。

 

下の写真: 表参道の東側を流れる泉川の風情。

 

 

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< 10. 表参道を行く2 >

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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晩秋の京都を訪ねて 1: 京都植物園


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2017年12月3日、京都の洛北を散策しました。

快晴の中、大学オケを聴き、紅葉を愛で、食事を楽しみました。

今日は、京都植物園の紅葉を紹介します。

 

 

 

 

 

 

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< 2. 京都の散策ルート、上が北 >

 

赤線が徒歩のル―トで、矢印は地下鉄やバス、電車の昇降駅です。

 

この日の日程

朝の9時過ぎに烏丸線北山駅を出て、京都植物園と下賀茂神社の紅葉を楽しんだ。

その後、市バスで烏丸線北大路駅に行き、昼食後、京都北文化会館で大学オケを聴いた。

次に、烏丸線で烏丸駅に行き、そこから新京極通りまで行った。

新京極通りに入り、蛸薬師堂の手前を右に折れ、高瀬川に出た。

そこで夕食を食べ、木屋町通りを抜け、阪急河原町駅から帰路に着いた。

 

 

 

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< 3. 植物園のマップ、上が北 >

 

赤線が散策ルートで、上の北山門から入り、正門から出た。

アルファベットは主な写真撮影地点。

概ね写真は撮影順に並んでいる。

 

 

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下の写真: 池、地図のAの近く。

 

 

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< 5. 池の周辺 >

 

地図のA~B。

落ち葉の絨毯が晩秋を漂わせる。

 

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< 6. 蓮池 >

 

地図のB。

 

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< 7. 様々な紅葉 >

 

地図のA~D。

 

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地図のD.

 

 

 

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< 9. 圧巻の紅葉 >

 

地図のE。あじさい園にて。

 

一本の巨木(ホウ)がまさに紅葉真っ盛りでした。

黄色から深紅のグラデーションに染まった葉が幾重にも重なり、青空を背景に輝いていました。

この瞬間、来た甲斐があったと思えた。

 

実は、植物園に入って最初に池の周辺の紅葉を見た時は見頃を過ぎ、かなり落葉していたのでガッカリした。

何とか、写真は見栄えのするものを選んで撮れましたが、1週間早ければ良かったのにと後悔していました。

また実際に見た色と写真の色は異なり、下の写真の紅葉の色はも少し黄色味がかっていた。

 

 

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ポプラの紅葉が青空に映えていました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 35: ワルシャワ5


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今日は、ワジェンキ公園の残りを紹介します。

今日で、この旅行の紹介を終わります。

長らくのお付き合い有難うございました。

 

 

 

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< 2.ワジェンキ宮殿の2階 >

 

 

 

 

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< 3.ワジェンキ宮殿内 >

 

 

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< 4.ワジェンキ宮殿 >

 

 

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< 5.公園で見かけた動物たち >

 

上の写真: 孔雀がいる。

下の写真: 左の木の陰をリスが走っている。

この公園内で、他にもリスを見ました。

 

 

 

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< 6.広々とした公園 >

 

 

 

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< 7. ホワイトハウス >

 

18世紀に建てられたかつての王族の住居。

 

 

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< 8.かつての温室 >

 

下の写真: 18世紀に東方の植物として珍重されたオレンジなどの樹木を寒い季節の間、養成するための温室の原型。

太陽光を取り入れる為に窓が大きくなっている。

現在は劇場になっている。

 

 

 

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< 9.ショパン像 >

 

下の写真: 毎年夏に、この像の前でショパンコンサートが行われる。

 

 

 

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< 10.お別れ >

 

上の写真: 柳の木の下に座り、故郷の自然を眺めるショパンを表現している。

 

下の写真: ワジェンキ宮殿横の道路。

ここからバスに乗り、空港まで行って、ポーランドを後にしました。

 

 

あとがき

異郷の世界を楽しく巡って来ました。

 

荒涼とした原野、のどかな田園地帯、鬱蒼とした森林を駆け抜けて来ました。

北の広大なバルト海に接した五つの国が交易と戦争で関わり続け、千年の歴史と文化を築きあげて来ました。

旧市街の街並みから、私はロシアとヨーロッパとの関わりを読み解くことが出来ました。

 

モスクワやサンクトペテルブルグのロシア帝国時代の有名な建物はイタリアの建築家の手になるものが多い。

バルト三国も、訪問前のイメージとは異なり、特に旧市街が非常にヨーロッパ風でした。

ワルシャワの古い建物は当然、ヨーロッパの影響が強い。

一方で、スターリン様式やタマネギ風の屋根の教会に見られるように、ロシアやソ連時代の影響が残っている。

 

私はそこに暮らす人々と話をする貴重な機会を得ました。

そして今まで疑問に思っていた幾つかの歴史的事件や社会問題について理解を深めることが出来ました。

 

色々、各地のスーパーに入り、豊富な生活用品や食品などを見ていると経済は発展しているようでした。

 

ポーランドは東欧の遅れた国とのイメージがあったのですが、戦火からの再建をやり遂げて発展している。

バルト三国も、かつての苦難を乗り越えて順調に発展している。

ロシアの都市部の発展は良いが、車窓から見た地方の暮らしは遅れているようでした。

 

この地域の歴史やロシアの様子を知ると、やはり不安がよぎる。

石油安でロシアの景気後退が深まると、世界がナショナリズムに突き進んでいるように、ロシアは容易に道を踏み誤る可能性がある。

それは私は数人のロシア人との会話から、ロシアの偏向報道を感じたからです。

翻って、日本の報道もここ数年、自由度が低下して来ているので不安です。

 

 

また、旅行の仲間で面白い人がいました。

高齢の女性が一人でツアーに参加しておられたのですが、非常にお喋りで、好奇心旺盛な人でした。

しかし、話をしているうちに、彼女は苦難にあっても、いつも挑戦し続け、道を切り開いて来ました。

その積極性と能力は人並み外れていました。

 

そして最後にわかったことは、彼女の息子さんが芥川賞を受賞された作家だったことです。

やはりこれぐらいの女性だからこそと感心したものでした。

 

やはり旅行は面白く、刺激に満ち溢れたものです。

 

 

これで終わります。

 

 

 

 

 

 

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 34: ワルシャワ4


 

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今日から、ワジェンキ公園を紹介します。

陽光に輝く黄葉、湖面、宮殿を見ながら広葉樹林の中を散策しました。

孔雀やリスが晩秋を惜しんでいました。

2017年10月4日に訪れました。

 

 

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< 2. ワルシャワの中心街 >

 

上の写真: スターリン様式の文化科学宮殿。

 

 

 

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< 3. いよいよワジェンキ公園 >

 

下の写真: ワジェンキ公園の北側から入園、無料。

これはクラクフ郊外通りを2kmほど南下した所にある大きな庭園で、ポーランドの最後の王スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキによって18世紀に30年をかけて造営された。

 

 

 

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< 4. ワジェンキ宮殿が見える >

 

上の写真: ポーランド王ヤン3世ソビェスキの像。

1683年、オスマン帝国15万の軍による第二次ウィーン包囲に対して、彼はわずか3000の騎兵で中央突破し、勝利に導き、ヨーロッパを救った英雄と讃えられた。

この像は、これを記念している。

 

下の写真: 池の奥にワジェンキ宮殿(水上宮殿)が見える。

ヤン3世ソビェスキの像の前から見ている。

 

 

 

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< 5. ワジェンキ公園  >

 

上の写真: ヤン3世ソビェスキの像がある橋。

 

 

 

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< 6. ワジェンキ宮殿に向かう  >

 

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< 7. ワジェンキ宮殿に迫る >

 

この宮殿は造園を命じた王スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキが、夏の宮殿として使用した。

彼は前の所有者が浴場として使用していた建物を改造した。

この建物はポーランド・リトアニア共和国が滅亡した後、ロシアに売却され、第二次世界大戦ではドイツに美術品は盗まれ破壊されたが、修復された。

 

 

 

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< 8. ワジェンキ宮殿の南側 >

 

 

 

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< 9.ワジェンキ宮殿の南側の池  >

 

 

 

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< 10. いよいよワジェンキ宮殿に入る >

 

 

 

 

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< 11. ワジェンキ宮殿内 >

 

上の写真: 宮殿のホールで学習する子供達。

 

下の写真: 宮殿のホールから池の北側を見る。

 

 

あとがき

実は、この時期、例年なら黄葉が美しいのだそうですが、この年の夏が小雨だった為、残念ながら多くの黄葉が茶褐色を帯びていました。

従って、あまり黄葉の写真を撮っていません。

それでも遠目には美しかった。

 

次回に続きます。

 

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 33: ワルシャワ3


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今日は、王宮広場からクラクフ郊外通りを紹介します。

紺碧の空に映える建物や通りを歩き、ショパンの関わりある場所を巡りました。

 

 

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< 2. 王宮広場 >

 

上の写真: 奥が、既に紹介した旧市街で、右手が旧王宮です。

中央に立っているのはジグムント3世の像です。

この王がポーランド・リトアニア共和国(1569-1795年間、現在のポーランド、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナを含む大国)を継承し、1596年に首都をクラクフからワルシャワに移した。

 

下の写真: 旧市街を見ています。

建物の間の通りを行くと旧市街広場に戻ります。

 

 

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< 3.旧王宮 >

 

上の写真: 現在博物館になっている旧王宮。

ジグムント3世の居城だっただけでなく国会などしても使用された。

第二次世界大戦で完全に破壊されたが再建された。

 

中央の写真: 旧王宮の中庭。

 

下の写真: 中庭のポスター。

これらは1956年のポーランドのポズナン暴動とハンガリー動乱を扱っているようです。

この事件はソ連でフルシチョフがスターリン批判をしたことに端を発して、両国の民衆がソ連と自国の共産政権への不満から暴動となった。

ポーランドは自国で鎮圧し死傷者は百名ほどであった。

しかしハンガリーはソ連軍によって鎮圧され2万人近くが死に、20万人が難民となった。

 

 

 

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< 4.王の道を行く >

 

上の写真: 今回紹介するコース。

Sは王宮広場で、Eは徒歩観光の終点で、この間はクラクフ郊外通りです。

この通りを右側(南)に真っすぐ行くと、中心市街地の新世界通りを抜け、後に紹介するワジェンキ水上宮殿公園に至り、この道は「王の道」の一部です。

Aは大統領官邸、Bは道を挟んでチャプスキ宮殿とワルシャワ大学、Cは聖十字架教会、Hは私達のホテル。

 

中央の写真: 王宮広場からクラクフ郊外通りを見ている。

 

下の写真: クラクフ郊外通りから王宮広場の方を見ている。

 

 

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< 5.クラクフ郊外通り  >

 

上の写真: 王宮広場の方を見ている。

 

中央の写真: ポーランドの国民的詩人の像。

彼はショパンと同時期に活躍した。

 

下の写真: ”Kościół seminaryjny w Warszawie”

17世紀に造られ始め18世紀のファサードを持つカトリック教会。

詩人の像と大統領官邸の間にある。

 

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< 6.大統領官邸 >

 

上の写真: クラクフ郊外通りの中頃から南側を見ている。

 

中央の写真: 大統領官邸の前に立つポーランドの英雄像。

彼は19世紀始め、ナポレオンに従って祖国ポーランドの為に戦い、戦死した。

彼は池田理代子の漫画『天の涯まで ポーランド秘史』の主人公となっている。

 

奥の大統領官邸はかつて貴族の館で、18世紀に一部劇場として開放され、ここでショパンが初めてのピアノ演奏会を行った。

 

下の写真: 18世紀に建てられた後期バロック様式のヴィジトキ教会。

学生のショパンがこの教会の日曜ミサでオルガニストをしていた。

 

 

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< 7. ワルシャワ大学 >

 

上二つの写真: ワルシャワ大学。

かつてショパンはこの大学内の中・高等学校で学んだことがあった。

 

下の写真: クラクフ郊外通りの中頃から北側を見ている

 

 

 

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< 8.ショパンのゆかりの地 >

 

上の写真: ユニークな像が入り口を飾る建物。

 

下左の写真: かつてのチャプスキ宮殿、現在は美術アカデミー。

写真は正面左側の建物で、ショパン一家は1827~1830年までこの3階で暮らした。

1830年、彼がウィーン滞在中にワルシャワでロシアからの独立を求めて「十一月蜂起」が勃発し、帰国を断念し、パリに赴いた。

ショパンにとっては、ポーランドで最後の家となった。

 

下右の写真: これはショパンのベンチで、ショパンゆかりの地に幾つも置かれている。

ベンチには説明が書かれており、ボタンを押すとショパンの曲が流れてくる。

 

 

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< 9.聖十字架教会 >

 

上の写真: 鐘楼はクラクフ郊外通りのほぼ北の端に建つ聖十字架教会。

下二枚の写真: 聖十字架教会の内部。

ショパンの心臓が右の柱に埋められている。

彼は39歳の若さで肺結核でパリに死すが、彼は埋葬を嫌い、遺言に従いこの教会に眠ることになった。

 

 

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< 10.広場や通りの人々 1 >

 

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< 11. 広場や通りの人々 2 >

 

下の写真: 先ほど紹介した美術アカデミー(チャプスキ宮殿)の奥の建物。

 

 

ワルシャワ・ゲットについて

前回紹介した最高裁判所の脇にワルシャワ・ゲットーの境界跡と記念碑がありました。

その位置は下の地図の黒の矢印で、黒の楕円枠は城壁で囲まれた旧市街、黒の四角枠は私達のホテルです。

赤枠が第二次世界大戦中に設置したワルシャワ・ゲットーで、如何に巨大かがわかります。

 

私達はポーランドがホロコーストの主な舞台だったことを知っています。

一つには悪名高きアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所がポーランドにあったからでしょう。

ナチス・ドイツが殺戮したユダヤ人約600万の内、300万人はポーランドに暮らすユダヤ人でした。

 

 

 

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< 12.ワルシャワ・ゲットー >

 

これらの地図と写真は1939年から1945年までのワルシャワ・ゲットーに関するものです。

*当時のワルシャワ・ゲットーが赤枠で示されています。

*1942年、ゲットーのユダヤ人の絶滅収容所への移送。

*1940年、ゲットーの壁建設

*1943年、ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人が武装蜂起した報復にドイツ軍は街を焼き払い掃討した。

*1943年、ワルシャワ・ゲットー蜂起の鎮圧戦の最中に連行される人々。

 

 

私はユダヤ人で気になっていたことを、前回のポーランド女性に聞いてみた。

 

質問1:

「映画『シンドラーのリスト』では、ポーランド人がユダヤ人迫害に同調したように描かれているが、どう思いますか?」

 

答え:

「監督はユダヤ系アメリカ人なので迫害を際立ったさせるために、ポーランド人を悪く描いているのでしょう。

ポーランド人は、多くのユダヤ人を受け入れた国であり、他の場面ではユダヤ人を助けている」

 

質問2:

「リトアニアではユダヤ人がソ連の手先になって裏切り、ユダヤ人が嫌われたが、ポーランドではどうだったのか?」

 

答え:

答えは明瞭ではなかったが、ポーランド人はユダヤ人を嫌っていないと言いたいようでした。

 

 

ポーランドのユダヤ人 注釈1

ユダヤ人は中世より西欧での迫害を逃れて東欧への移住を進めていた。

西欧では、例え住むことが許されても、限られた町で職業と人数に制限があり、多くのユダヤ人の暮らしは劣悪で人数も少なかった。

 

ユダヤ人は15世紀にはすでにワルシャワで暮らしていた。

民族的に寛容なポーランドでは、ユダヤ人はごく一部の大都市の旧市街を除いて、基本的にどこでも自由に住むことができた。

18世紀末以降、緩和が進み、旧市街にユダヤ人が住むようになった。

19世紀半ばより、キリスト教徒もユダヤ教徒も比較的裕福な人々は近代市街地やその郊外へと居を移していき、旧市街などには貧困層が集中して住むようになった。

この状態は20世紀のはじめまで続いた。

この時代、ワルシャワのユダヤ人人口は急増し、ユダヤ人の自治共同体が急成長した。

第二次世界大戦直前のワルシャワ市には全人口の30%にあたる38万人のユダヤ人が暮らしていた。

ワルシャワは、ニューヨークに次いでユダヤ人人口の多い都市だった。

 

ワルシャワ・ゲットーの歴史

1939年、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、ワルシャワは占領された。

ユダヤ人居住区でチフスが流行していた為、1940年、隔離の為にゲットーが建設され、その中に45万人が詰め込まれ封鎖された。

このユダヤ人は強制労働に駆り出され、食料配給は必要摂取カロリーの10分の1に過ぎなかった。

 

1942年7月、ユダヤ人の絶滅収容所への移送が始まるが、この時までに8万人が飢えと病で死亡していた。

これに抵抗してユダヤ人は暗殺を手始めに武装蜂起し、ワルシャワ・ゲットー蜂起を起こした。

しかしドイツ軍による1か月の鎮圧で、全住民は移動させられゲットーは破壊された。

住民は瓦礫で圧死し、捕虜は銃殺され、残りは強制収容所で死んだ。

 

1945年、ソ連軍が到着するまでにワルシャワで生き残ったユダヤ人は約200人だった。

 

次回に続く。

 

 

 

注釈1

説明は主にウィキペディアによる。

 

 

 

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 32: ワルシャワ2


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今日は、快晴の旧市街を紹介します。

前回紹介した早朝歩いた場所と幾分重なりますが、ガイドの説明を聞くと印象はがらっと変わりました。

 

 

 

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< 2. 地図 >

 

上の地図: 早朝歩いたルートです。上が東側です。

緑線が行きのルートで、青線が行きと異なる帰りのル-トです。

緑字のSはホテルで、赤字のSはツアーの徒歩観光の起点です。

赤字のDは城壁で囲まれた旧市街の中心に位置するマーケット・プレイスです。

上の川はポーランド最長のヴィスワ川です。

 

中央の地図: ツアーの徒歩観光のルートです。上が東側です。

S:起点。 A:ワルシャワ・ゲットの記念碑。 B: キュリー博物館。 C:城門バルバカン。 D: 旧市街のマーケット・プレイス。 E: 展望台。 F:聖ヨハネ大聖堂。

 

下の地図: ポーランドとワルシャワを示す。上が北側です。

 

 

 

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< 3. クランシスキ宮殿とワルシャワ蜂起記念碑 >

 

上の写真: 左にクランシスキ宮殿、右に最高裁判所。

 

下の写真: 最高裁判所の前のワルシャワ蜂起記念碑。

ワルシャワ蜂起については後で解説します。

地図のS地点から撮影。

 

 

 

 

 

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< 4. ワルシャワ・ゲットの記念碑 >

 

上の写真: 最高裁判所の横。

 

下の写真: ワルシャワ・ゲットの境界跡と記念碑。

地図のA地点で撮影。

ワルシャワ・ゲットの解説は次回行います。

 

 

 

 

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< 5. 新市街 >

 

上の写真: 北側を見ている。

地図のB地点で撮影。

すぐ右手の白い建物はキュリー博物館です。

彼女は放射能の研究で最初のノーベル賞をもらった。

彼女はここで生まれ、青春時代を過ごし、学業と研究の為にポーランドを出てパリに移り住んだ。

当時、ポーランドは帝政ロシアに併合されており、教育者だった両親ら知識層は行動を制約されていた。

 

下の写真: 南側を見ている。

ここを真っすぐ行くと旧市街の城門に至る。

 

 

 

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< 6. 旧市街の城門 >

 

上の写真: 旧市街の城門バルバカン。

最初は16世紀に造られたが、第二次世界大戦で破壊され、1952年に17世紀の様式で再現された。

地図のC地点で撮影。

 

下の写真: 旧市街の広場に向かう通路。

 

 

 

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< 7.マーケット・プレイス  >

 

上下の写真: マーケット・プレイス。

18世紀末までワルシャワの中心でした。

1944年のワルシャワ蜂起に対するドイツ軍の報復で完全に破壊されたが、1950年代に再建された。

地図のD地点で撮影。

 

 

 

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< 8. 旧市街のたたずまい >

 

上の写真: ハトが青空に舞い上がる。

この地は幾度も強国ロシア(ソ連)とドイツに交互に、または同時に蹂躙されて来た。

今度こそは平和が長く続きますように祈ります。

 

下左の写真: これは何の変哲もない古い民家の門に見えるのですが、再建時、瓦礫となった石材や美術記録など頼りに忠実に再現されたものです。

戦火の傷跡が生々しい。

 

下左の写真: 屋根に取り付けられたドラゴン。

 

 

 

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< 9. 展望台 >

 

上の写真: マーケット・プレイスの裏手にある展望台からヴィスワ川を望む。

地図のE地点で撮影。

 

中央の写真: 展望台から聖ヨハネ大聖堂の裏手に行く途中。

バルコニーの支えの部分に銃弾の跡が見える。

これはワルシャワ蜂起の激戦の痕跡です。

 

下の写真: 聖ヨハネ大聖堂の裏手。

地図のF地点付近。

 

 

 

 

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< 10. 聖ヨハネ大聖堂周辺 >

 

上左の写真: 右のレンガ建築が聖ヨハネ大聖堂の側壁です。

塔の下のトンネルを抜けると聖ヨハネ大聖堂の正面の通路に出ます。

地図のF地点付近。

 

上右の写真: 指さしているのはポーランド抵抗の印です。

上述のトンネルの中ほどにありました。

至る所に見られます。

 

下の写真: 上述の聖ヨハネ大聖堂の側壁に埋め込まれた軽戦車のキャタピラ。

ワルシャワ蜂起のものです。

 

 

 

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< 11. 聖ヨハネ大聖堂の正面 >

 

すぐ右が聖ヨハネ大聖堂の正面です。

この通路を行くとマーケット・プレイスに出ます。

地図のF地点付近。

 

 

 

ワルシャワ蜂起

第二次大戦末期に起こったポーランド地下軍とワルシャワ市民によるドイツ占領軍に対する蜂起。

ソ連軍によるワルシャワ解放が目前と思われた1944年7月下旬に一斉蜂起した。

8月1日、ほとんどの市民が蜂起に参加し市の中心部が解放された。

ソ連は進軍するかに見えたが、ヴィスワ川対岸で停止して、いっさいの援助をしなかった。

ようやく9月10日以降、ポーランド人部隊の渡河作戦を許したが、蜂起を救うには遅すぎた。

孤立した蜂起軍と市民はドイツ軍によって徹底的に全市を破壊され20万の死者を出した。

ついにワルシャワ蜂起は10月2日の降伏で無惨に終わった。

 

この時のソ連(スターリンがトップ)の行動は、反ソ感情の強いポーランドが衰弱してから占領する方が得策と考えたからでした。

 

 

 

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< 12. ワルシャワ蜂起 >

 

A: 赤枠はポーランド地下軍が蜂起した場所。

黒の四角は私達のホテル、黒の円枠は旧市街の城壁。

 

B: ドイツ軍が占領しているビルを銃撃するポーランド兵士。

 

C: ワルシャワ蜂起62周年の再現シーン。

 

D: 当時の若いポーランド兵士。

 

E: 旧市街で戦うポーランド兵士。

写真9や10で見た戦闘の傷跡はこの時のものです。

 

F: ドイツ軍によって破壊され炎上する旧市街。

 

G: 完全に破壊されたワルシャワ。

 

 

現在のワルシャワの人はこの蜂起をどのように見ているのだろうか?

直接、一人のポーランド女性と日本語で話すことが出来ましたので、質疑を要約します。

 

質問1:

「皆さんはドイツとロシアについてどう思っているのでしょうか?」

 

答え:

「ポーランド人にとって両国は長年の侵略国であるが、ロシアを嫌っています。

ドイツは戦後、謝罪したが、ロシアはその事実を否定しているからです。」

 

参考:

<カチンの森事件>不誠実な一例として。

1940年、ソ連軍はポーランド侵攻時、ポーランド将兵らの捕虜を2万人以上銃殺した。

ソ連は事件発覚後もドイツの犯行としていたが、ゴルバチョフが再調査し、1990年、事実を認め遺憾の意を示した。

 

 

質問2:

「皆さんはワルシャワ蜂起をどう見ているのですか?」

 

答え:

「毎年、議論されているが評価が分かれています。

 

悪いとする意見

将来ある多くのインテリゲンチャが若死にし、生き残った青年では将来を担うには力不足であった。

また関係のない多くの人が巻き添えになって死んだ。

 

良いとする意見

戦う伝説が作られた。

人々は、これからも他国の理不尽に対し戦う勇気を持つことが出来るだろう。」

 

 

私の感想

リトアニアでも同様でしたが、大国の侵略に対し蜂起したことに自画自賛だけで終わらない姿勢が素晴らしい。

 

ワルシャワ蜂起は、結局、ソ連に支配され続けただけなので、私には無駄死に思える。

しかし、今回巡って来た東欧四ヵ国の異民族支配への強い抵抗に、私は想像以上の篤い想いを見た。

だからと言って、私達日本人は経験したことのないこの想いをたやすく理解出来るとは思えない。

 

私達が、この想いを少しでも理解しょうとするなら、他国を戦争で侵略した後に取るべき態度とは何かが自ずと解るはずです。

それはこの女性が言った「謝罪したドイツを許している」からも明白です。

 

残念ながら日本は島国で平和に暮らして来たことが、他者への理解で災いしているように思える。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 30: ビルニュスからワルシャワへ


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< 1. ポーランドにて >

 

 

今日は車窓から見たビルニュスからワルシャワまでの景色を紹介します。

撮影日は2016年10月3日の午後です。

 

 

バスの走行距離は約460kmで、6時間以上走りました。

走行中、雨が降ることはなかったが、ほとんど厚い雲に覆われていました。

写真は撮影順に並んでいます。

 

 

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< 2.ビルニュスとの別れ >

 

上2枚の写真: ビルニュス。

下の写真: 郊外。

 

 

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< 6. コンビニ >

 

中央の写真: 集団墓地。

今回走ったビルニュスからワルシャワの間で大きな墓地を幾つも見ました。

やはり南下するに連れて人口密度が高くなって来たのか、道路沿いに見かけるようになった。

皆、キリスト教徒の墓地だった。

 

下の写真: トイレ休憩に寄ったコンビニ。

 

 

 

 

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< 7.国境 >

 

上の写真: 先ほどのコンビニすぐ横の交差点から見た村。

 

中央の写真: これから下の写真はポーランドになります。

 

 

 

 

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これ以降は、暗くなり写真を撮りませんでした。

 

 

あとがき

バルト三国から南下するにつれ、大地に緩やかな起伏が多くなり、原生林を見ることはかなり減りました。

バルト三国もポーランドも、農家のたたずまいは経済的な差があまりなかったように思う。

しかし写真No.11のような綺麗な一戸建ての団地を、バルト三国やサンクトペテルブルグの郊外で見ることはなかった。

私が車窓から見た農村の民家は、ロシアが一番貧しく、古いままのような感じた。

 

参考に、各国の一人当たりのGDP(2013年)を高い方から見ると、エストニア26000ドル、リトアニア25000ドル、ロシア24000ドル、ポーランドとラトビア23000ドルでした。

ちなみに2016年の日本は39000ドルでした。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 26: ビルニュス 1


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< 1.リトアニア国立ドラマ劇場 >

 

 

今日から、バルト三国で最後の国、リトアニアの首都ルニュを紹介します。

今日は、夕暮れのビリュニスと、夜の街歩きを紹介します。

訪れたのは2016年10月2日、日曜日です。

 

 

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リガから南下し田園地帯を抜けて、やがて販売店やアパート群が見えて来ました。

ビルニュスの人口は56万人で、リガの70万人とタリン42万人の中間です。

 

 

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思ったより大きく近代的な都市だと感じました。

 

 

 

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< 6.夕食のレストランへ >

 

バスを降りて、レストランに向かっている。

下の写真: このレストランでリトアニア料理を食べました。

 

 

夜の街歩き

私達は夕食後、新市街にあるホテル「Best Western Hotel」に到着した。

次いで、添乗員に案内してもらってショッピングモール「Vilniaus Centrinė Universalinė Parduotuvė」(open10:00-22:00)に行きました。

 

その後、皆と分かれて、私達夫婦は旧市街に向いました。

ネリス川を渡り、メインストリートのゲディミノ大通りを抜けて、片道2.5kmを歩きました。

 

 

 

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< 7.カテドゥロス広場 1 >

 

上の写真: カテドゥロス広場から今歩いて来たゲディミノ大通りを振り返る。

 

中央と下の写真: カテドゥロス広場の大聖堂と鐘楼。

 

 

 

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< 8.カテドゥロス広場 2 >

 

私達はまたこの広場を次の日に観光ツアーで歩くことになります。

 

 

 

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< 9.カテドゥロス広場 3 >

 

途中、ほとんど観光客らしいグループを見かけることはなかった。

見たのは、おそらくは地元の人々で、多くは足早に帰宅する人のようでした。

広場のベンチには幾つもの恋人のシルエットがあった。

 

照明のある大通りや広場を歩いた感じでは、治安に不安を感じるような所はなかった。

実に、感じの良い都市だと思いました。

 

 

 

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< 10.ホテルに戻る >

 

上の写真: 行政府広場から見たゲディミノ大通り。

中央の写真: 帰る途中。

私達のホテルの近くにある大天使ラファエル教会が見えます。

 

下の写真: ネリス川の向こうに大天使ラファエル教会が夜空に浮かび上がっている。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 25: ビリュニスまでの車窓の景色


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今日は、バスの車窓から見たリガからビリュニスまでの景色を紹介します。

この日のドライブは雨はなかったもののほぼ雲に覆われていました。

 

 

 

 

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< 2. リガ旧市街 >

 

上の写真: 旧市街の北の端にあるリーガ城。

この城は14世紀初め、ドイツから来たリヴォニア騎士団との闘いに負けた市民が建てらされたもの。

その後、ポーランド、スウェーデン、帝政ロシアと支配者が替わり、18世紀以降、現在の宮殿のような姿になった。

 

下左の写真: リーガ城すぐ横の英国教会。

 

下右の写真: スターリン・クラシック様式の科学アカデミーが奥に見える。

ダウガヴァ川沿いから見た。

 

 

 

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< 3. リガとの別れ >

 

上の写真: 中央市場。

中央の写真: ダウガヴァ川の対岸。

下の写真: ダウガヴァ川を渡り、南下してリトアニアの首都ビリュニスに向かう。

 

すべての写真は撮影順に並んでいます。

 

 

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*4

 

 

 

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< 5. 途中の町 >

 

 

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*6

 

 

 

 

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< 7. 国境を越えて >

 

上と中央の写真の間で、ラトヴィアからリトアニアの国境を越えています。

 

いつも思うのですが国境を越えても、自然の景色は変わらない。

ここでもそれは同じですし、家屋や人工的な風景も変化していない。

 

7年前にオーストリアからハンガリーへと国境を越えた時、自然は変わらないが、家屋が急にみすぼらしくなっていることに驚いた。

国家形態の違いによる経済の差が、このような形で明瞭に出ていることに驚いた。

 

 

 

 

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< 8. 人間の鎖 >

 

途中、休憩に寄ったレストランの駐車場に「the Baltic Way」(人間の鎖)の表示が立っていました。

 

上の写真: その駐車場から見た道路で、「the Baltic Way」の舞台になった。

 

中央右の地図: 「the Baltic Way」のルートを青い線で示しています。

赤丸はこのレストランの場所を示しています。

 

下の写真: 当時の様子。

 

 

人間の鎖について

1989年8月23日、バルト三国の国民200万人が参加し、三つの首都を結ぶ600km以上の鎖を造った。

これは人口の約半分が参加したことになり、世界で最初かつ最大の人間の鎖でした。

この行動は、タリンの「歌の原」で紹介した1988年の「歌の革命」に続いて起きた、バルト三国団結の象徴的な事件でした。

この後、リガで紹介した1991年の「バリケード」事件で、バルト三国は独立を達成することになりました。

 

 

 

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*9

 

 

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*10

 

 

 

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< 11. 少しの変化 >

 

この三枚の写真に、バルト三国の南下に伴う変化が見て取れます。

 

上の写真: 南下するに従って、いつしか原生林が道路から遠のいて行った。

耕作地が増え、作物栽培や放牧を多く見るようになった。

 

中央の写真: 道路沿いに写真のような十字架や小さな教会をいくつか見た。

道路周辺に民家が増えてきたからもしれない。

 

下の写真: 一番顕著な変化は、緩やかな起伏が増えて来たことです。

 

 

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*12

 

 

 

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< 13. もうすぐビリュニス >

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 21: 車窓から見たリガまでの景色


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*1

 

 

今日は、バスの車窓から見たタリンからリガまでの景色を紹介します。

 

 

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< 2. ドライブルート >

 

上の地図: 青線が今回走った道路と思われます。

走ったのはエストニアの首都タリンからラトビアの首都リガまでです。

途中、A点とB点を通過したのは確認できました。

 

下の写真: 昼食後、タリンの旧市街を出た所からバスに乗って、次のリガに向けて出発します。

これ以降の写真はすべて撮影順に並んでいます。

 

 

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< 3. タリンの街並み >

 

これらの写真はタリンの中心部を出発してから私達のバスで15分以内の様子です。

走るとすぐ木々に囲まれた閑静な住宅街を抜けることになります。

小さな首都だと言うことがわかっていただけると思います。

 

 

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< 4. 郊外 1 >

 

これらの写真は出発してから20分ほどの景色です。

 

 

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< 5. 郊外 2 >

 

郊外に出ると、道路の両側はほとんど上の写真か、下の写真のような樹林に囲まれています。

写真は変化のあるもの、特徴のあるもの、景色の良いものを選んでいますので、実感としては退屈なバス旅行かもしれません。

私に取っては、自然や暮らしがわかるので、楽しいのですが。

 

 

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< 6. 途中の景色 1 >

 

上の写真: この手の光景を時折見かけるのですが、不思議な感じがします。

一人でサイクリングやランニングしたりする姿や、道路脇を一人か二人で歩いていたりする人を見たのですが、周囲に民家やバス停、建物を見なかった。

私なら不安です、また冬はどうするのか不思議に思いました。

 

中央の写真: 今回のドライブでは、大きな川を数回渡りました。

ロシアの中央部に比べて、やはり海沿いは水や川に恵まれている。

 

下の写真: この道路と上の川との写真は、地図のA地点のものです。

 

 

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< 7.  途中の景色 2 >

 

上の写真: この街並みもA地点のものです。

 

中央の写真: 看板に地図のA地点の表示が見えます。

この看板と上のA地点の街との間にはバスで30分ぐらいの距離があります。

 

 

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< 8. 国境検問所のなごり 1 >

 

上の写真: 広い耕作地の中にポツンと小島のような森があり、その中に一軒の民家が見える。

日本のような民家が密集している農村地帯の景観は道路から見ることが少ない。

 

中央の写真: 地図のB地点です。

今は検問所は無くなっているのですが、その建物がレストランとコンビニになっています。

 

下の写真: 検問所跡の駐車場から今走って来た道を振り返っています。

 

 

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< 9. 国境検問所のなごり 2 >

 

上の写真: 国境検問所跡の駐車場からラトビア側を見ている。

 

下二枚の写真: これからの写真はすべてラトビアの景色です。

景観はエストニアと変わらないと思いますが。

 

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< 10. ラトビアの景観 1 >

 

上の写真: 私の記憶では、この日のドライブで道路沿いで見た教会はこれを含めた二カ所のみだったと思います。

すべて歴史的なものではなく、現在の村人の為だと思います。

 

中央の写真: 広大な森と耕作地が見えます。

 

下の写真: 植林を思わせます。

 

 

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< 11. 特徴ある景観 >

 

上の写真: タリン以降、この一瞬がバルト海を見た最後でした。

地図では海沿いを走っているのですが、海からは離れているか、樹林に遮らて見るチャンスはなかった。

これから訪れる三つの首都リガ、ビリニュス、ワルシャワは川沿いにはあるが海からは離れています。

 

中央の写真: 実は中央の構造物は珍しく微かに高い起伏の上に建っているのです。

エストニアの最高標高は318m、ラトビアの98%は標高200m以下です。

この地域はほんとうに平な平原なのです。

 

下の写真: 大きな湖です。

 

 

 

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< 12. 街 >

 

車窓から見た郊外の民家は、ロシアに比べ、エストニアやラトビアの方が勝っているように見えた。

ロシアのものは痛みが多く、古いようです。

 

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< 13. リガに入った >

 

夕暮れも近づく頃、大きな川や湖を渡るとリガの街並み見え始めました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 20: タリン 3


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*1

 

 

今日は、タリンの旧市街「下町」を紹介します。

ここで昼食をとって、この街とお別れになります。

 

 

 

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< 2. 展望台の眺めと地図 >

 

上の写真: 同じ「山の手」にある前回とは異なる展望台からの眺めです。

狭い展望台ですが、より東側の旧市街を望むことが出来ます。

地図の番号Sがこの展望台です。

 

下の地図: 今回、紹介する観光ルートです。

上が北です。

Sから始めて、Eまで行って終わりました。

Bがメインになるラエコヤ広場です。

 

 

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< 3.下町に向かう >

 

上の写真: 展望台から東側を見ている。

下の写真: この坂を下ると「下町」に行きます。

 

 

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< 4. 下町に通じる坂と聖ニコラス教会 >

 

上2枚と下左の写真: 「短い足の通り」と門塔。

かつて「山の手」と「下町」を行き来するのは二か所の通りしかなかった。

その内の一つで狭くて急な坂道の「短い足の通り」です。

夜は、この門塔で扉が閉められた。

写真は「山の手」から「下町」に下る順番に並んでいます。

 

下右の写真: 聖ニコラス教会。

13世紀前半にドイツ商人の居住区の中心に建てられた教会です。

ここには15世紀後半に描かれた「死のダンス」があります。

中には入っていません。

 

 

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< 5.ラエコヤ広場に到着 >

 

上の写真: 通りから広場が見え始め、その向こうに聖霊教会の尖塔が見える。

下の写真: 奥右手の建物の地下のレストランで昼食をとりました。

 

 

 

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< 6. ラエコヤ広場 1 >

 

上の写真: 今来た方向(西側)を振り返っています。

左の尖塔は聖ニコラス教会のものです。

 

下の写真: 同じ位置から、南側にある旧市庁舎を望む。

この建物は14世紀後半に建てられ、15世紀に現在の形になった。

タリンは1248年に自治都市になり、またハンザ同盟に加わり発展した。

 

 

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< 7.広場から通りへ >

 

上の写真: 旧市庁舎の横から広場の北側を望む。

下の写真: 旧市庁舎の東南側にある通り。

中世には市が立った。

 

 

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< 8.ドミニコ修道院 >

 

上左の写真: 旧市庁舎を真横から見た。

 

上右の写真: ドミニコ修道院(右側)の横の通り。

 

下の写真: ドミニコ修道院。

1229年にドミニコ修道会はトームペア(山の手)に修道院を建てたが、帯剣騎士団に敗れ、この場所に立て直した。

宗教改革の折に破壊され、現在は改修され博物館になっている。

 

 

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< 9. 城壁 >

 

上の写真: 旧市街東側の城壁。

この上の回廊は有料で歩くことが出来ます。

 

 

下の写真: ヴィル門。

かつては陸路で街に入る場合の正面玄関でした。

14世紀から建てられた城壁の一部です。

向こうに新市街地が見えます。

 

ここを出て、次の都市リガに向かいました。

 

 

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< 10. 素晴らしい!! >

 

 

 

 

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< 11.様々な光景 >

 

上左の写真: ラエコヤ広場で見かけた風変わりな看板。

後でわかったのですが、ここはヨーロッパでも最古の薬局の一つでした。

ここは「市議会薬局」で、壁には1442年と表記されており、現在も営業しています。

看板の蛇と器は、日本で言えば漢方薬のマムシとお椀でしょうか。

ここは旧市庁舎の反対側にあります。

 

上右の写真: 旧市庁舎のドラゴンの雨樋。

 

下2枚の写真: 広場で見かけた人々。

 

あとがき

ここではショッピングが出来る自由時間があり、妻は楽しめたようです。

これでも残念ながら旧市街の一部しか見ていない。

多くの観光客が中世の街並みを楽しいでいました。

 

ロシアでもそうでしたが、ここでも中国の団体客が眼につきました。

特にホテルや展望台での傍若無人さには閉口しました。

なかなか周囲への配慮が行き届くまでには年月がかかるのかもしれません。

私も気をつけなけらばならないと自戒しました。

 

半日、首都の旧市街を巡っただけで、一国の歴史と社会を知るのはほとんど不可能ですが、やはり直に歩いて目に焼き付けることで、理解が深まって来ます。

旅は、私を最高に興奮させ、世界を身近にさせてくれます。

 

 

次回に続きます。

 

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 19: タリン 2


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今日は、首都タリンの港と旧市街の一部を紹介します。

 

 

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< 2. 地図、すべて上が北です。 >

 

上の地図: 首都タリン。

番号1のホテルと番号2の「歌の原」は前回紹介しました。

番号3の港と番号4の青枠の旧市街を今回紹介します。

青枠は支配者達が居を構えた丘の上にある「山の手」です。

 

番号5の赤枠の旧市街は次回紹介します。

赤枠は商人や職人が築いた平地の「下町」です

旧市街の大きさは両方で一辺800mぐらいです。

 

下の地図: 旧市街の「山の手」の拡大です。

赤線が今回紹介する徒歩のルートで、Sから歩き始めて、eの展望台まで行きました。

 

ライブカメラ: 世界遺産「タリンの旧市街」のラエコヤ広場。

現在、ちょうどクリスマスマーケットが行われています。

次回、「下町」で紹介します。

TALLINN TOWN HALL SQUARE – VIEW FROM RESTAURANT DOM

https://balticlivecam.com/cameras/estonia/tallinn/tallinn-town-hall-square/

 

 

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< 3. 港 >

 

上の写真: フェリー乗り場のターミナルです。

中央の写真: 中央奥に旧市街の教会の尖塔が見えます。

下の写真: ターミナルから埠頭を望む。

 

この港から対岸のヘルシンキ、フィンランド湾の奥にあるサンクトペテルブルグ、またバルト海を抜けてヨーロッパに渡ることが出来ます。

 

この地は、ロシアとスカンディナヴィア半島を結ぶ軍事戦略地点として、またノヴゴロド(ロシアの前身)と西欧を結ぶ中継貿易で繁栄を築いた。

この港は13世紀にハンザ同盟(最北端)に加わり、14世紀、デンマークからドイツ騎士団がこの地を買い取り、エストニアとラトビア(バルト三国の北側2ヵ国)にドイツ人の影響が残ることになった。

 

 

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< 4. 市街 1 >

 

番号4と5の写真は、港から「山の手」のトームペア城までの3kmほどの車窓からの眺めです。

 

 

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< 5. 市街 2 >

 

緑溢れる落ち着いた街並みです。

 

 

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< 6.トームペア城 1 >

 

この塔は「のっぽのヘルマン」と呼ばれ、15世紀の姿を留めている。

 

エストニア人の砦があったこの丘「トームペア」に、13世紀初頭、ドイツの騎士団とデンマークによる北方十字軍が城を造った。

その後、支配者が幾たびも替わり、18世紀初頭からロシアがこの地を支配し、この城は宮殿へと改造されていった。

 

 

 

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< 7.トームペア城 2 >

 

下の写真: 右手は宮殿側で、国の議会が入っているので見学が出来ない。

 

 

 

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< 8.アレクサンドル・ネフスキー聖堂 >

 

上の写真: トームペア城側から見たアレクサンドル・ネフスキー聖堂。

1901年、当時支配していた帝政ロシアによって建てられたロシア正教会。

ここだけ違和感のある建築でした。

この中に日露戦争で沈没したバルチック艦隊の記念プレ-トがかけられている。

このバルチック艦隊は、エストニアとラトビアの港から出航した。

中を見学したが、写真を撮ることが出来ませんでした。

 

下の写真: アレクサンドル・ネフスキー聖堂の側面。

この道を奥に進み、坂を下ると「下町」に行くことが出来る。

 

 

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< 9.山の手の街並み >

 

上の写真: 右手にアレクサンドル・ネフスキー聖堂、左手にトームペア城。

中央の写真: 上の写真の中央にある通りに入っていく。

下の写真: 大聖堂(トームキリク)周辺の建物。

この辺り教会関係者の住居だったのだろう。

 

 

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< 10. 大聖堂(トームキリク)周辺 >

 

上2枚の写真: この大聖堂はタリンの中心的なプロテスタント教会。

13世紀にデンマーク人がここにカトリック教会を建設し、その後、火事で焼失したが18世紀に再建された。

 

見学しましたが撮影は出来ませんでした。

中は古く簡素でしたが、16世紀からの品々が集められており、まるで中世の田舎の教会に迷い込んだようでした。

 

下2枚の写真: 風情のある通り。

 

 

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< 11. 展望台からの眺め  >

 

地図のe地点にある展望台から旧市街の北東方向を望む。

奥はタリン湾です。

 

次回に続きます。

 

 

 

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