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中国の外縁を一周して 16: 琉璃廟大街から西単大街へ


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今回は、書道関連品や骨董品の店が並ぶ通りと大きなショッピング街を紹介します。

ショッピング街で夕食をとりました。

今回で二日間の北京観光が終えます。

 

 

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< 2. 散策マップ、上が北 >

 

概略のルート

上のS、故宮站で下記の観光バス(赤線)に乗り、天壇の西横、Eの天桥站で降りました。

本当は天壇に行くつもりでしたが、元の両替に時間がかかり行けなくなりました。

次いでタクシー(ピンク線)を拾ってCの琉璃廟古文化街に行きました。

ここを西の方に散策(茶色線)し、大通りに出てバス(黒線)に乗り、Dの西単で降りました。

 

 

 

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< 3. 北京观光1线公交线について >

 

このバスは写真のようなレトロな1階バスです。

このバスの走行ルートは、上記地図の青線で下側の永定門内站からスタートし戻って来ます。

バス停名は上記の通りです。

 

 

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< 4. 北京观光1线公交线に乗る >

 

上: 私が乗ったバス停は故宮と景山公園の間にあり、ちょうど景山公園の入り口が見えています。

 

 

下: バスの内部。

ここで一つハプニングが起きました。

このバスには女性の車掌が乗っています。

その車掌が、立っている妻の前で座っている男性を、突然きつい口調で注意しました。

男が立って席を空けてくれたので、妻は座ることが出来ました。

 

年配者のマナーが良くないことは多いが、他のバスでも車掌が注意して正すことがあった。

この辺りが独特です。

 

 

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< 5. 天安門広場を望む >

バスの車窓からの眺め。

 

上: 地図のAから毛主席記念堂を望む。

もの凄い人だかりです、故宮に行く為でしょうか。

 

下: 地図のBから正阳门を望む。

この門が昔の内城(紫禁城をさらに取り囲む)の南側の門でした。

左が正阳门で右が正阳门(箭楼)で、500年の歴史があります。

 

この観光バスを天桥站で降りたのですが、手持ちの元が少なくなったので、両替出来る銀行を探しました。

近くにはあったのですが、二軒目が両替可能でした。

ところが中に入って、係員の説明に従って書面を記入するまでは何とか出来たのですが、窓口で順番を待つ時間が非常に長い。

合計1時間以上かかってしまい、天壇には行けずじまいでした。

これは開封の銀行でも同様でした。

 

中国はスマホでのIT金融は非常に進んでいるのですが、従来の金融、銀行業は旧態依然としているようでした。

もっともこんなところで両替するのが間違いなのですが。

スマホ決済出来ない方々は十分に現金を持っておいてください。

 

 

 

 

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< 6. 琉璃廟古文化街に到着 >

 

上: 古文化街はこの道路を東西に横切る形で延びている。

 

下: 後に中央の通りを西に進むことになります。

 

 

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< 7.東側の琉璃廟古文化街 >

 

上: 道路の東横にあるこの広場の北側に古物店が並ぶ海王村古玩市場があります。

入ってみましたが、安い土産品を買うような所ではないようです。

 

下: 通りを東側に行く。

しかし、次のバス停が西側なので、直ぐ折り返した。

 

 

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< 8. 西側の琉璃廟古文化街に入る >

 

書道関連品の紙や筆などの店が軒を並べている。

何軒か古物店に入ったが、値札を見ると高価であり、関心を惹くものは無かった。

ただ書画用の絵図(印刷された花鳥風月、人物、風景画)は非常に見ていて楽しかったが、荷物になるので買わなかった。

 

 

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< 9. 琉璃廟古文化街を抜ける >

 

中国はどこに行っても建設ラッシュであり工事中です。

 

 

 

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< 10. 西単大街に来た >

 

上: 西単大街には、王府井に比べ団体の観光客が少なく、若い人が多かった。

 

下: 王府井でもそうだったが、バラ売りお菓子の個包装がけばけばしい色をしている。

 

 

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< 11. ショッピングセンターの一つに入る >

 

 

 

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< 12. レストラン街を目指す >

 

ビルに入りエスカレーターで上がると、これまたドギツイほどのカラフルな内装とけたたましい音楽が迎えてくれた。

このワンフロアがレストラン街になっており、火鍋のレストランに入りました。

以前、北京で食べたオーソドックスな火鍋ではなく、肉とそれ以外の食材が豊富でした。

鍋の汁も異なっていた。

しかし美味しく、また楽しめた。

セットメニューを選んだのですが、選択肢が多く、店員とのやり取りではかなり苦労した。

 

私は中華料理が好きですが、本当にバラエティーに富んでおり、今回の旅行では本当に食事を楽しむことが出来た。

 

 

 

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< 13. 西単の地下鉄駅を目指して歩く >

 

地下鉄を乗り継いでホテルに戻ります。

これで北京最後の夜を終えました。

明日は、新幹線に乗り開封に向かいます。

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 15: 観光バスで巡る北京


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今日は、北京の観光バス3号線からの眺めを紹介します。

約1時間、北京中心部の北西部にある幾つかの観光地を車窓から見ました。

 

 

 

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< 2. 観光バス3号線について >

 

上: 「北京城市观光3线公交车」の情報とバスの外観。

私が乗ったのは「下行」で、頤和園の北門から紫禁城の神武门(北門)まで行きます。

下の地図の青線が、そのルートです。

バス停は合計12箇所です。

サービスは何もないが、ゆったりしたシートに座りバスの2階から景色を楽しめます。

料金は大人20元、一卡通提示で15元です。

 

下: 走行ルート、上が北。

乗車のバス停は頤和園の北門の東側直ぐにある大きなバス駐車場の道路沿いにあります。

降車のバス停は紫禁城の北側、景山公園南門の前の道路沿いにあります。

ここは、この戻りのバスや他の観光バスの発車場所になっていますので、多くのバス停があり非常に込んでいました。

 

このルートで私が楽しみにしていたのは、中関村(北京のシリコンバレー)、鳥の巣(オリンピックのメインスタジアム)、鼓楼と城門(德胜门箭楼)でした。

 

私は途中一度も降車しませんでした。

 

 

 

 

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< 3. 観光バス3号線の内部 >

 

上: 観光バス3号線の2階。

 

下: 圆明园、最初の観光地です。

 

 

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< 4. 精華大学 >

 

上: 精華大学の門が見える。

 

下: 通りを示す看板に「中関村」とある。

バスからは確認できなかったが、近くに中関村サイエンス・パークと呼ばれるところがある。

 

この周辺には世界有数の精華大学、北京大学、国家の研究機関などが集まっており、また日本を含む海外のIT代表企業が研究所を建ている。

IMB、Microsoft、Apple、Intel、Nokiaや富士通など。

中国と海外企業がここに毎年数兆円をつぎ込み、200を越える研究所、参加企業数は4万社を越える。

ここは中国の科学技術と産業発展をリードしている重要な地域の一つです。

北京には他にもこのような場所があり、当然、深圳や天津、蘇州など各地にも多数ある。

 

これらが、中国が幾つかの先端分野で米国を抜く特許件数を出す理由の一つだろう。

国を挙げての取り組みと、それに乗る海外企業の多さに驚くばかりです。

 

ここでも旧態依然とし、乗り遅れることに無頓着な日本を思ってしまう。

 

 

 

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< 5. 北京大学 >

 

上: 北京大学。

 

 

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< 6. 鳥の巣 >

 

上: 鳥の巣が左側に見える。

中国らしく、全てが巨大で広大、歩く気になれない。

 

下: バスはこの一帯を一周した。

斬新な建物が目を惹く。

 

 

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スモッグらしいが、視界が悪い。

 

 

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< 8. 德胜门(徳勝門 ) >

 

これはかつての内城(北京)の北側の門の一つで元朝、15世紀に建てられた。

 

 

 

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< 9. 鼓楼と钟楼(鐘楼) >

 

上: 右が鼓楼、左が钟楼(鐘楼)。

鼓楼は13世紀に始まり、大太鼓と角笛で時を知らせていた。

鼓楼は他の古都でもよく見かける。

钟楼は15世に始まり、63トンの銅製の鐘があった。

この二つは紫禁城を南北に貫く中心線上にある。

 

下: 鼓楼。

西安で見たことがあり、今回、開封でも見ることになる。

 

 

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< 10.終点に近づいた >

 

上: 鼓楼を過ぎた什刹海の辺り。

前日訪問した場所です。

 

下: 遠くの山頂に景山公園の建物が見える。

ここも前日訪問した場所です。

あの反対側に着くと、バス観光は終わります。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 14: 北京、頤和園の後半


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今回は、頤和園の後半を紹介します。

登りがあるので疲れますが、変化があり楽しめました。

撮影は2019年10月19日10:50~12:30です。

 

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< 2.散策ルート、上が北 >

 

赤線が散策ルートで、Sから始め、駐車場Eで終わります。

駐車場からは、北京の観光周遊バスに乗って北京中心部まで戻ります。

 

 

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< 3. 排云殿から登り始める >

 

標高差60mほどの急な階段を昇ります。

 

 

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< 4. 仏香閣の前からの眺め >

 

上: 登って行く時に、右側に見える奇岩と建物。

手前から敷华(奇岩群と思われる)、转轮藏(一群の建物)です。

 

下: 昆明池が広がる。

ガスっていなければ絶景なのですが。

 

 

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< 5. 仏香閣 >

 

上と左下: 仏香閣

 

右下: 1階に安置されている南无大悲观世音菩萨。

高さ5mで、明朝の1574年に銅で鋳造された。

ここは1860年の英仏連合軍によって焼かれたが、後に西太后が改修した。

後の文化大革命にも、この像は残った。

それは管理局がこの仏香閣の正面に毛沢東像を置いたからだそうです。

中国を旅行していて、本物の古い物が博物館以外で見られることは少ない。

ありがたいことです。

 

今回、頤和園を是非とも見たかったのは、ここが西太后との因縁が深かったからでした。

西太后はこの頤和園を愛でる為に、莫大な費用をかけて改装した。

本来、日清戦争の軍備に回すべき資金を使い果たした。

敗戦を招く愚かな行為の代償がここに残っている。

 

 

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< 6. 仏香閣から >

 

上: 仏香閣を出て、敷华と转轮藏を見下ろす。

 

左下: 众香界(門のような建物)を見上げる。

 

右下: 仏香閣を見る。

 

 

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< 7. 四大部洲 >

 

私は仏香閣を抜けるとすぐ万寿山の峰に出て、北側に下山し始めました。

すると異様な光景が目に入って来ました。

私は訪れたことは無いのですが、眼下にチベット仏教様式の建物群が広がっていました。

 

なぜチベット仏教なのか?

そう言えば映画「ラストインペラー」で、西太后が死去した時、宮殿内をチベット僧らしき人が行き来するシーンがあった。

 

帰国後、調べました。

「四大部洲」とは、仏教で須弥山(しゅみせん)の四方の海の中にあるという四つの大陸を指します。

どうやら須弥山を中心にして、4大陸を象徴する建物が配されているとのことです。

 

それにしてもチベット様式でなくても良いはずなのだが。

金や元の時代に、中国の仏像がチベット仏教の影響を受けたことはあったが、一時期だけのものと思っていた。

しかし後に清朝は苦戦を強いられながらもチベットを征服した。

この事で、ここに四大部洲を再現するためにチベット様式を取り入れたのか?

もう一つ釈然としない。

 

それにしても巨大だったこともあり、突如異国に来たような感覚に囚われた。

 

 

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< 8.四大部洲の下側 >

 

 

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< 9.苏州街(蘇州街)に入る >

 

上: 四大部洲を見上げた。

 

下: 四大部洲から真直ぐ北に下ると、石橋の欄干が見えて来た。

ここが蘇州街です。

 

 

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< 10. 橋の上から両側を見下ろす >

 

今回、楽しみにしていた所です。

ここは江南の水鎮を模した売店が並んでいます。

乾隆帝の時代に造られ、様々な品物を扱う店が並び、宮廷の宦官や宮女が店員に扮して皇帝を迎えたそうです。

唯一の宮市の名残りだそうです。

ここも戦火に遭い、1986年に再建された。

 

 

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< 11. 苏州街の西の端 >

 

上: 西の端から中央を望む。

中央の石橋が見える。

 

下: 同じ場所から反対方向を望む。

こちらを進むと昆明湖に出る。

 

 

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< 12. 中央の石橋 >

 

 

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< 13. 東の端付近 >

 

それぞれの店は小さく、ほとんど売店です。

川と売店の間の道幅は非常に狭い。

私は上の写真の奥辺りの店で昼食をとった。

手軽だったので入ったが料理は即席で興覚めでした。

 

 

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< 14. 出口を抜ける >

 

頤和園は後半の方が、変化に富んで面白かった。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 13: 北京、北京西駅から頤和園


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今回は、北京西駅から頤和園までのバス乗車と、

頤和園の半部ほどを紹介します。

写真は2019年10月19日8時~11時頃の撮影です。

 

 

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< 2. ルート地図、上が北 >

 

上: 公共バス、394路(韩家川南站方向)による北京西站から西苑站までのルートです。

濃い緑がバス、薄い緑が徒歩です。

地下鉄を乗り継いでも行けるのですが、都市の風景を見たかったのでバスにしました。

バスなら乗り継ぎはありません。

 

 

下: 頤和園入場までと頤和園内のルート。

緑線が徒歩のルートで、右側のバス停から入場ゲートを通り、そして西側にある石舫までを示す。

今回の紹介は昆明湖に面した頤和園の南側だけになります。

次回は中央の丘を登り、北側を紹介します。

 

 

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< 3.ホテルの部屋からの眺め >

 

駅の北側を望む。

大きなバスターミナル、北京西站が真下に見える。

 

上: ほぼ真北を望む。

 

下: 少し東寄りを見ている。

並んでいる銀色と青色の屋根がターミナルです。

 

 

 

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< 4.バスに乗って >

 

上: バスターミナルとホテル。

バスターミナルへはホテルから直ぐに行くことが出来ず、迂回して大通りまで出なければならない。

予めバスの路線番号を調べていたので、乗車のバス停は直ぐわかった。

 

ターミナルの後ろが宿泊したホテル瑞爾威飯店(北京西鉄道駅)です。

便利な位置にありながら安かった。

朝食は別料金で、チェックイン時に払った。

特に問題はなかった。

すぐ横の北京西駅から朝9:15の新幹線に乗らなければならなかったのでここを選びました。

 

 

旅のヒント

新幹線で北京から開封と開封から蘭州に行く場合、1日の本数は結構あるのですが、朝の1本(9時前半発)を除いてみな巨大駅(鄭州や西安)で乗り換えになります。

乗り換えには不安があり、時間ロスもあるので避けた。

 

今回、様々な予約に初めてTrip.comを使いました。

中国のホテルのすべてと一部の航空券に使用。

新幹線は、事前に行っても予約を確約出来ないとのことで、友人に依頼しました。

新幹線も、旅程に余裕があるなら日本語で予約できるTrip.comはお薦めです。

 

航空券の多くは、中国の航空会社で買う方が安かったので直接購入した。

しかし航空会社のサイトは英語や中国語表記であり、トラブルがあると苦労します。

いずれ紹介しますが、結局、中国の友人にトラブルを解消してもらいました。

Trip.comは、日本語で質問を受けるコールセンターがあり、メールや電話でホテルの事などで幾度も確認することが出来た。

但し、オペレーターは日本語を喋る中国人です。

 

Trip.comでのホテル予約で、実害はないのですが少し違和感がありました。

それは予約完了と同時にクレジットカードで料金を支払っておいたのですが、ホテルチェックイン時にまた支払を請求された。

フロントマンはそれはデポジットだったと言ったが、英語や中国語でのやり取りなので納得できず、異議を唱えたが、結局支払った。

 

帰国後、調べると私達がホテルチェックインする前にはTrip.comから返金があった。

またすべてのホテルで、このような形で支払ったわけではなく、様々でした。

北京の1泊を除いて数日前までのキャンセルが無料なのは良かった。

鉄道や航空機、観光拠点などの都合で日程を幾度も組み替え、キャンセルをかなりしたので。

 

結論、Trip.comは中国旅行にはお薦めです。

なお来年、米国を周遊する予定ですが、数は多くは無いが米国でもTrip.comの方が安い場合があります。

 

 

下: 乗車したバス。

このバスは2階建てでした。

中国のバスは降車を知らせる押しボタンが無いので、2階に登ってしまうと、降車に間に合わないと思い上がりませんでした。

後に慣れて来て、降車の停留所が事前に分かるようになると、2階に上がりました。

 

このバスで驚いたのは、警備員が一人、初めから乗車していたことです。

彼はずーと立ったままで、適宜、乗客にマナーを注意しているようでした。

彼はちょうど私の横にいたので、びくびくしたのですが、何も注意されませんでした。

警備員の添乗は北京のこのバスだけでした。

 

 

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< 5. 頤和園までの車窓の眺め >

 

三日間の滞在中、北京の空はこのような感じでした。

中心部から離れているのか、渋滞は酷くはなかった。

 

やはりレンタルバイクをよく見かけました。

 

 

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< 6.バス停から頤和園の入場口まで >

 

上: バス停を降りて西(進行方向)に少し進むと、道路の左側に洒落た飲食街があります。

さらに進み分岐を左に行くと、写真のような広く静かな並木道に出ます。

次いでまた分岐を左に進みます。

この辺りは表示がないし、あまり人が歩いていないので危うく迷うところでした。

途中、人に聞いたのでわかりました。

 

中央: やがてたくさん人がいる所に着きました。

ほとんどの人は観光バスの団体のようです。

進んで右側が東門で、さらに右側に切符売り場があります。

 

下: 入場ゲートは人で一杯です。

ゲートの数が多いので、それほど待ちません。

 

バス停から東門まで1km強でした。

 

 

 

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< 7. 仁寿殿 >

 

上: 仁寿殿の庭にて

中央に麒麟の銅像が見える。

 

下: 玉澜堂の前から浮島の知春亭を望む。

左は文昌阁。

遊覧船が沢山繋がれている。

 

 

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< 8. 乐寿堂 >

 

上: 先ほどの写真撮影の位置から万寿山を望む。

山の手前の右側に逆さのU字型が見えますが、その向こうに乐寿堂があります。

 

下: 乐寿堂。

清朝の乾隆帝が母の皇后に建てた住まいです。

ここには頤和園最大の太湖石があり、写真の左側に一部が見える。

重量は20トンを越える。

 

 

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< 9. 長廊 >

 

上: 長廊と昆明湖の間。

人が多くて、とてもじゃないが散策を楽しむどころではない。

 

下: 長廊。

全長700mを越える木造の外廊。

梁に桁に14000もの絵が描かれている。

座ることは出来たが、鑑賞出来る雰囲気ではない。

 

 

 

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< 10. 昆明湖 >

 

上: 先ほど通って来た文昌阁や玉澜堂が見える。

 

下: 遠くの島は南湖岛。

この湖は南北と東西にそれぞれ1.7kmほどある。

 

この湖の名前がなぜ昆明湖なのか?

後に、私は雲南の巨大な湖、滇池を訪れるのですが、なぜこの名前がついたのか。

北京から昆明まで直線で2100kmも離れているのに。

 

起源前、漢の武帝は雲南征服を果たしたが、この時、長安に滇池に模して昆明池を掘らせ水軍を訓練した。

これにちなんで乾隆帝はそれまでの西湖の名を昆明湖に代えた。

この湖は昔は水運、この時は貯水池として使われた。

 

 

 

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< 11.>

 

上: 長廊。

 

下: 云辉玉宇牌楼。

この門のような建物は、千寿山の中央建築群の中心軸の出発点で昆明湖側にある。

 

 

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< 12. 石舫 >

 

上: 石舫。

船体部分は石で上部建物は木造。

乾隆帝の建築物が焼失後、光緒帝が外国の遊覧船に真似て再建した。

伯母の西太后は夏になるとここでよく休憩したそうです。

 

 

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< 13.排云殿 >

 

写真中央の排云殿を抜け、一気に千寿山を上って、頂上の佛香阁を目指す。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 12: 北京、中国国家博物館と北京西駅


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今回は、北京の中国国家博物館と新幹線駅の北京西駅を紹介します。

ここでもハップニングに見舞われ、あたふたしました。

中国を旅行される方の参考に顛末を紹介します。

 

 

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< 2.中国国家博物館 >

 

 

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< 3. 博物館の展示 >

 

非常に大きな博物館です。

色々な展示があったのですが、一番のお薦めは、中国の歴史を全体通して見れる展示です。

それこそ中国大陸の1万年の歴史、石器、土器、青銅器に始まり、玉器、兵馬俑、唐三彩、仏像、白磁に至るまでが揃っています。

それも各文明、王朝を代表するような国宝級の文物が時代を追って並べられています。

 

上記の写真は、特に私が気に入ったものです。

 

左上: 北宋時代の菩薩像。10世紀頃。

この時代の観音像や菩薩像は女性を思わせ、衣のひだがリアルで、身体と表情が実に艶めかしい。

 

他の三つ: 三星堆遺跡の青銅器。起源前二千年以上前。

今回の旅行で、成都の三星堆に通じる遺跡を訪れるつもりでしたが、ここで現物を見れたことは幸いでした。

大きな目と耳が特徴です。

 

 

 

 

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< 4. 天安門広場 >

 

中国国家博物館を16:30頃出た時の、天安広場の様子です。

広い広場はまだ人々で一杯でした。

 

上: 天安門広場を挟んで中国国家博物館の向かいにある人民大会堂です。

右側では、中国建国70周年にちなんだ展示が行われていました。

 

下: 中央に毛沢東記念館、その奥に正阳门、前门も見える。

正阳门はかつての宮城、内城の南側の門でした。

 

 

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< 5. 天安門 >

 

上: 天安門に向かう観光客がまだ列をなしている。

道路の手前にあるパイプ柵は警備用のもので、人々が天安門広場や博物館に入ろうとすると、ここで長い行列を待ち手荷物とパスポート(身分証)の検査を受けることになる。

威圧されるようなことは無いが、なにせ時間がかかる。

 

 

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< 6. ホテル天安大厦、八角形の屋根が見える建物 >

 

天安門広場から歩いてホテルに戻って来た。

この後、北京西駅横のホテルに移動する予定でした。

しかし、ここで思わぬトラブルに見舞われることになつた。

 

結論から言うと車に乗ったは良いが、行先を間違い、現金の支払いを拒否されてしまったことです。

 

切っ掛けは、ホテルのフロントでタクシーを依頼したことから始まりました。

若いフロントウーマンは、数ヵ所電話したうえで、タクシーは来ませんと答えた。

私は食い下がり、再度お願いした。

地下鉄を乗り継いで行くことは出来たのですが、疲れていたので。

 

すると彼女は、私のスマホでウィチャットや滴滴出行を使いタクシーを呼べますかと聞いた(そのような感じでした)。

私が使えないと言うと、彼女は自分のスマホを操作し、タクシーを呼んでくれた。

 

私は心配になり、「現金払いが出来るのですか?」と確認した。

通常、ウィチャット(スマホ)で支払うと聞いていたので。

彼女は「OK」と言った。

やがて車が来たので、手間を掛けた親切な彼女に礼を言って、出発した。

 

ところが走っていると、車は私がスマホで確認しているホテルへの道から段々外れて来た。

運転手にホテルが違うようだと言ったら、車を止めてくれ、行先を修正して再出発した。

 

やっとホテルの前に着いたので、皆ホットした。

そこで現金を支払おうとすると、彼はスマホ決済でないとだめだと断る。

私は出来ないと言うと、彼は嘆いて、怒ってまくしたてた。

 

仕方なく、中国の友人に電話をした。

友人は運転手と話してくれて、支払いは後で何とかすると言うことで話はおさまり、私は支払いをせずに車から降りた。

 

何が問題だったのか?

推測だが、一つはホテルウーマンが間違ったホテル名を入力した。

次いで途中で行先を変更したことで、支払方法設定でミスが出たのではないか。

現金払いもあるようです。

乗った車はタクシーではなく、普通乗用車でした。

 

今でも、不思議なのは、運転手が現金の受取を拒否したことです。

運賃は30元ぐらいでした。

これは恐らく、運転手は滴滴出行などによる評価やインセンティブ獲得の為に、スマホ決済を完了させたかったのだろう。

 

私は、ここに中国のIT利用の神髄を見た気がした(推測)。

 

つまり、普通のタクシーは大渋滞をしている北京中心部のホテルへの呼び出しを嫌うが、滴滴出行などは、乗客の信頼を得るために運転手にインセンティブを与えて、配車を可能にしている。

滴滴出行などのシェアビジネスはこのようなサービスを積み重ね人気を得ているのだろう。

 

これもこのトラブルで実感できたことでした。

 

 

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< 7.スマホの配車アプリ >

 

参考に借用しました。

 

 

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< 8. 北京西駅北側の地下街 >

 

スペースは広いが、店は多くはない。

上の写真の店で夕食をとりました。

安かった。

鉄道員の女性グループが来ていました。

 

 

 

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< 9. 北京西駅北側 >

 

私達のホテルはこの建物の直ぐ左隣、東側にあります。

二日後の朝、ここから初めて新幹線に乗るので下見に来ました。

夜8時を過ぎていました。

 

この駅前の広場や地下街には荷物を持った多くの人がいました。

30前の中国(広州駅)と60年前の大阪駅の状況を思い出します。

昔抱いた旅の高揚感が思い出されます。

 

 

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< 10. ゲートの確認 >

 

中国の新幹線は10年以上前に2回ほど乗っているのですが、自分で乗るのは今回が始めてでした。

友人が切符を買ってくれていたので助かりました。

後は、駅舎に入るゲート、待合室、改札、ホームの事が不安でした。

この日は、ゲートだけを確認しに来ました。

 

ゲートには数が多い「人工」と二ヵ所の「愛心□道」がありました。

「人工」の方では、人々は機械にカード(中国の身分証?)をかざして入場していきました。

「愛心□道」の方では、係官が身分証をチェックをしていました。

 

手空きの係員にパスポートを見せて、英語で「どのゲートから入れば良いか」と聞くと、「愛心□道」と指差して教えてくれた。

英語を使える人にはほとんど合わなかったが助かった。

 

このゲートを通過するためには、左側の切符売り場などで切符を買ってからでなければならないようです。

ゲートを通過すると、荷物検査があります。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 11: 北京、景山から什刹海まで


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今回は、紫禁城の北側にある二つの公園を紹介します。

景山の頂上から紫禁城が見下ろせます。

什刹海は古い街並みとお店が並ぶ今流行りの場所です。

 

 

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< 2.散策マップ、上が北 >

 

上: 今回の散策ルート。

赤線が徒歩、茶色の線がバスです。

この図は下図の青線の範囲になります。

 

最初、紫禁城を出ると(下のSから)、直ぐに景山を登りました。

次いで、頂上から西側に降り、ここで公共のバスに乗り、什刹海(E)辺りで降車しました。

ここから西側に向かい、湖に沿って歩き、右に折れて烟袋斜街に行きました。

戻って橋のたもとで昼食をとり、橋を渡った後、Rで折り返し、Eに戻り、バスで次の観光に向かいました。

 

写真は概ね、歩いた順に並んでいます。

 

 

下: 昔の宮城の範囲。

南北の長さは9kmほどありました。

 

紫禁城の始まりは、13世紀、モンゴル帝国が冬の都として大都を建設したことに始まります。

それは図の内城とさらに北側まで延びていました。

14世紀、北京が明の首都になり図のような大きさになり、清朝滅亡まで続きました。

 

景山は、明の時代、堀の残土で風水に基づいて造られた山です。

昔、什刹海周辺は皇族の住まい、その南にある北海公園は皇族の庭園でした。

 

 

 

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< 3. 景山公園へ向かう >

 

上: 明時代の宮城のイメージ(中国サイトから借用)。

 

下: 紫禁城北口を出て、景山公園に向かう。

頂上の真ん中と左の建物を目指します。

 

 

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< 4. 頂上まで >

 

上: 急な階段を昇って行きます。

 

左下: 最初に見える山の裾にある建物。

 

右下: 頂上の建物:

この日は建物で写真撮影が行われており、入ることが出来ませんでした。

 

 

 

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< 5. 頂上から >

 

上: 南側に紫禁城を見下ろす。

残念ながらガスていました。

これは黄砂なのか、スモッグなのか、霧なのか・・・。

黄砂の時期ではないはずなのですが。

この後、南の開封から西安までの間、同じような空模様が続きました。

空気が悪いと感じなかったし、マスクをしている人をほとんど見かけなかった。

 

下: 中央のオレンジ色の屋根の建物の遥か向こうに鼓楼が見えます。

正に紫禁城、景山と鼓楼は南北の中心線上に並んでいます。

 

 

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< 6. 頂上から下る >

 

左上: 辑芳亭。

頂上から西に向かって最初に見える建物。

 

右上: 富览亭。

峰上にある最も西側の建物。

 

下: 山を下った所、直ぐ西門があります。

鬱蒼とした森林です。

南に少し行くとトイレがあります。

 

 

 

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< 7. 什刹海に着きました >

 

上: バス停の鼓楼で降りた。

通りの奥に鼓楼が見えます。

 

下: 西に向かって進むと湖が見えました。

市民の憩いの場と聞いていたのですが、観光客で一杯でした。

時間帯が違うのでしょう。

 

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< 9. 烟袋斜街 >

 

私には風情ある街並みと言うより、単に土産物屋街に思えた。

買い物を楽しむ人には良いと思うが。

 

 

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< 10. 胡同(フートン) >

 

烟袋斜街の隣には、狭い路地に面して元統治時代の名残りの伝統的家屋が続く。

本当は壁の向こうの四合院を覗いて見たかったが、チャンスは無かった。

 

 

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< 11. 昼食のレストラン >

 

橋のすぐ前にある李记串吧(烟袋斜街店)に入りました。

ここはどうやら羊肉をメインにあらゆる料理(火鍋、麺、串焼きなど)を出している。

私達は麺と肉料理の一皿を頼みました。

味は良く、価格も手頃でした。

 

右下の写真は常連さんのようで、骨付き肉の火鍋を豪快に食べていました。

普通火鍋はスライスした薄肉を食べるようですが。

それにしても中国何処でも火鍋は人気なようです。

 

この度の旅行で、中華料理のイメージが変わりました。

昔からの八角などの香辛料だけでなく、味付けは非常に多岐にわたります。そして人々はあらゆる地方の料理を楽しみ、多くの飲食店は新しいアレンジを取り入れていました。

上記の店も、西域のムスリム料理をアレンジしたものでしょう。

 

 

 

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< 12. 橋の上から >

 

中国の湖畔や川端には柳が良く似合います。

 

 

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< 13. 風情のある湖 >

 

ビルが見えなければ、数百年前の風景を連想させます。

 

水面を覗くと、意外に透明度が高い。

水質向上に取り組んでいるようです。

 

 

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< 14. 人力車の大群 >

 

当初、人力車に乗って見たいと思ったのですが。

調べてみると、料金でトラブルことがあるみたいなので躊躇していました。

 

湖畔を歩いていると、二十台ほどの人力車が一団の観光客を乗せて列をなしていました。

風情があると言うより、壮観というか、ご苦労さんと言う感じでした。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 10: 北京、紫禁城


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今回は、北京観光初日に訪れた故宮、紫禁城を紹介します。

私の紫禁城への入場は2019年10月18日(金)9:00~11:00でした。

今回は2度目の見学で、前回見逃した所も見ました。

 

 

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< 2. ホテル天安大厦から >

 

上: ホテルの部屋から南河沿大街を見下ろす。

 

朝6:30、外が騒がしいので窓から外を見た。

すると多くの中国人の観光ツアー客が、次から次へと観光バスに乗って出発して行きました。

凄いバイタリティ!!

 

北京初日のホテル天安大厦は、紫禁城と王府井のちょうど真中にあり、価格もリーズナブルです。

設備が古く、エアコンの調子は悪かったが、朝食ビュッフェが良く、若いフロント係が非常に親切で良かった。

しかし、夕刻、ここから別のホテルに移動する時に、思わぬトラブルに遭うことになった。

 

下: 大通り、東長安街の東側を望む。

ホテルを8時過ぎに出て、歩いて紫禁城へ向かう。

道路は既に車で一杯でした。

空はガスっている。

 

 

 

 

 

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< 3. 紫禁城の地図、上がほぼ北 >

 

赤線が私の見学ルートで、写真もこの順に並んでいます。

 

 

 

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< 4.いざ紫禁城へ >

 

上: 右に天安門、左に天安門広場の人民大会堂が見える。

 

東長安街を西に向かっているのですが、天安門に近づくと凄い人で道は埋まって行きました。

歩いて20分以内の距離なのですが、開場の8:30に間に合わない。

人の少ない朝一番を狙ったのですが、出鼻をくじかれた。

 

下: 午門。

この右手で入場券を販売している。

それは目立たない小さな窓口でした。

私達以外にこの窓口で購入する人はいなかった。

皆、事前にインターネットで買っているようでした。

圧倒的に団体客なので、添乗員などが手配しているようです。

 

天安門から午門の間は広いのですが、至る所に団体のツアー客が集合しており、ほぼ人で一杯でした。

 

 

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< 5.午門をかえり見る >

 

上: 午門をくぐり、いよいよ入場。

 

下: 太和門側から午門を見る。

門と門の間で、この広さ!

 

 

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< 6.太和殿 >

 

上: 太和門から太和殿を望む。

太和殿は宮廷で最重要な建物で、重大な式典ではこの広場に官吏がずらっと並びました。

今は観光客で一杯です。

 

ここで気が付き始め、中国を周っている間に確信したことがありました。

それは中国のおばちゃんの多くが深紅の服を着ていることです。

日本では恥ずかしくて着れないと思うのですが。

 

始め共産党礼賛だと思ったのですが、男性は少ないので、おそらく日本で言う還暦を迎えたら赤いちゃんちゃんこを着るようなものなのでしょう。

 

 

下: 太和殿から太和門。

 

 

 

 

 

 

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< 7. 中和殿と保和殿 >

 

上: 中央奥に后右門。

中和殿と保和殿の西側にあり、ほとんど観光客は行かない。

 

下: 手前から中和殿、保和殿。

太和殿に続く建物です。

この二つの建物は、太和殿での式典の折、皇帝が休憩したり、更衣したりした場所です。

 

前回の20年ほど前と比べ、人が多く、建物の中を覗くのは困難でした。

この辺りでは人に押されて流されて行きました。

 

 

 

 

 

 

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< 8. 乾清門 >

 

上: 左(西側)に隆宗门。

この広場から北側、西側、東側が内廷と呼ばれる。

この領域で皇帝が政務を行い、皇帝、皇太子や皇后などが暮らした。

 

下: 広場中央の乾清門。

この奥に乾清宮が見える。

 

 

 

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< 9.乾清門と保和殿の間の広場 >

 

上: 奥(東側)に景运门。

 

下: 景运门側から広場を見ている。

左が保和殿、右が乾清門。

 

私は隆宗门と景运门の両方に入りました。

特に興味を惹くものがありませんでしたが、景运门を入って右手に休憩所があり、入りました。

小綺麗なレストランでした。

 

 

 

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< 10.後三宮 >

 

上: 乾清宮。

歴代皇帝の寝所、または日常の政務を執り行う場所だった。

 

下: 交秦殿と坤寧宮。

手前が交秦殿で、皇帝や皇后の冊立の儀式が行われた場所であった。

奥の坤寧宮は皇后の寝所であった。

 

 

 

 

 

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<  11. 御花園 >

 

上: 御花園。

ここは紫禁城にあって唯一無機質ではなく、木々の緑がある庭園です。

しかし狭い所に集約されており、奇岩の太湖石がデンと据えられており、不思議に想う。

なぜこんなに広大な宮殿なのに・・・。

 

太湖石とは、中国の蘇州付近にある太湖周辺の丘陵から切り出されたものです。

私には美しいとは思えないのですが、中国の歴史的名園には必ずと言っていいほどあります。

文化と歴史が美感に与える影響を、毎回気付かせてくれる。

 

下: 西六宮の通り。

妃たちは西六宮に居住していた。

 

 

 

 

 

 

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< 12. 儲秀宮 >

 

ここは西六宮の一つ、儲秀宮です。

偶然、入ってみると、ここで西太后が居住していたと書かれていた。

部屋は清朝時代の様子を再現しており、ドラマ「蒼穹の昴」や中国の宮廷劇のワンシーンが浮かびました。

しかし、思ったより小さな建物でした。

 

今回の旅行では、北京が初めての妻に名所を見せたかったのと、私としては西太后ゆかりの所に行きたかった。

このような后の住まいを見たかったが、今回は願いが叶った。

 

 

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< 13. 御花園を出る >

 

左: ここ順貞門を左側に抜けると御花園から出て神武門に向かうことになる。

 

右: 北門、神武門です。

ここを出る前にオーディオガイドの返却所が、左側にあります。

私は、知らずにこの門をくぐると、警備員の手持ちのセンサーが異常音を発し、止められてやっと気付きました。

借りたのは、午門の前だったように思う。

 

 

 

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< 14. 見学終了 >

 

上: 順貞門を北側から見る。

 

下: 神武門を出た所から景山公園を見る。

 

 

 

 

 

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< 15. 神武門 >

 

上: 北側から神武門を見る。

 

下: お堀。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 9: 廈門から北京へ


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今回は、最後の廈門と北京の初日です。

廈門の暮らしと北京の夜、

そして廈門と北京の両空港でのトラブルを紹介します。

 

 

 

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< 2. 宿泊した部屋 >

上: ホテルの部屋から見た朝焼け。

 

下: 杏林湾大酒店の一室。

 

 

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< 3. ある億ションの一室から >

 

高速エレベータ―に乗って、最上階近くの一戸を訪れました。

窓からの眺めは絶景です。

この一戸は、一億近い評価額らしい。

ここには数多くの部屋があり、立派な家具調度品で埋まっていました。

退職した夫婦一組が住んでいます。

毎日、ここで孫一人を預かり微笑ましい時を過ごされており、部屋はおもちゃで一杯でした。

 

このような暮らしをしている人は私の周辺にはいない。

 

このご主人は大企業を10年以上前に退職し、このマンションを買ったようです。

大企業であれば年金は多いし、購入時、銀行から多額の借金が可能だろう。さらに退職前に企業から住居を安く支給され、多額の売買益を得ることも出来ただろう(かつて公務員の特権だった)。

それに加え、購入後に不動産が急騰しているのだからラッキーです。

 

このことが、代々都会暮らしで大企業にいた人と、地方から来てその日暮らしをする人の間に、ここ20年ほどで大きな格差を生んでいる。

 

実は、この眼下の干潟はやがて消えるそうです。

政府が近い将来、全部砂浜に変えるからです。

中国ならやるでしょうね・・・

 

 

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< 4. 厦门高崎国际机场 >

 

ここで最初の洗礼を受けました。

それは国内線に乗るために税関で手荷物検査を受けている時でした。

 

突然、女性係官が私にいぶかしげにまくしたて、ストップをかけました。

まったく中国語が分からないのですが、状況からして北京へ何しに行くのかを尋ねているようでした。

 

そこで、私の中国旅行の15日間の日程表を彼女に見せました。

すると彼女は、それを取り上げて何処かに消えてしまいました。

しばらくすると現れ、無表情でもう行けと私達夫婦に促した。

 

事の経緯は分かりませんが、移民などを警戒していると感じました。

 

フリーの旅では、言葉が通じなくても、必ず自分でトラブルを処理しなけらばならない。

運か、経験か、機転か、他人の助けか、冷静さ、かが救いになり、北欧でも無事に旅行を終えた。

 

これも旅の醍醐味と言えるかもしれません。

 

 

 

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< 5. 北京首都国際空港にて >

 

私達は廈門航空を使ったので、北京首都国際空港の第2ターミナルに着きました。

上記写真は参考に借用したもので、他のターミナルのものでしょう。

 

ここで簡単に、第2ターミナルから北京中心部に行く方法について触れておきます。

 

リムジンバス(机场大巴・・・线)、エアポートエクスプレス(机场线)とタクシーがあります。

リムジンバスは何種類もあり、タクシー乗り場のレーンの奥にあるようです。

リムジンバスで行っても、その後、ホテルまでタクシーや地下鉄に乗らなければならない(タクシーを拾えるかどうか不安)。

エアポートエクスプレスは階下にあり頻繁に出ているのですが、これまた他の交通機関の利用が必要です。

 

中国のタクシーは安いので使いたいが、長い待ち時間とトラブルに遭わないかが心配でした。

 

先ずはタクシー乗り場を見に行きました。

確かに写真のように長い行列はあるのですが、もの凄い数のタクシーが次々とやって来るので待ち時間は少なく、使うことにしました。

 

中国の幾つかの空港でタクシー乗り場を利用しましたが、すべてに差配する係員が一人はいるので安心です。

 

 

 

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< 6. ホテルに向かうタクシーにて >

これらはすべて参考に借用した写真です。

 

ところが、ここでまた問題が発生しました。

 

私がタクシーの助手席に乗って、行先のホテル名と住所を書いたメモを見せました。

ところが、これが分からないのです。

この年配の運転手は近くにいた知り合いの運転手に聞いて、相手は大体の場所が分かるようなのですが、彼は分からない。

 

結局、この運転手は上の写真のようにスマホを操作して、やっと行き先を見つけて発進することが出来ました。

私も、自分のスマホでタクシーがホテルに向かっているのを横で、ずーっとチェックしていました。

 

結局は、無事着いたのですが、かなり時間がかかりました。

一つは、聞きしに勝る大渋滞がありました。

料金は妥当だったようです。

 

中国で乗ったタクシーはすべてスマホで音声ナビゲーションを使っていました。

おそらく百度マップなどでしょう。

 

どうやらスマホのアプリにホテル名を上手く入力出来ないようでした。

この問題は、北京だけでなく成都や蘭州などでも起きました。

最後には色々やり取りがあって何とか解決しました。

 

結局、私自身がスマホの百度を使えて、百度マップにホテル名を入力しておいて見せることが出来れば良かったかもしれない。

 

 

 

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< 7. 王府井にて >

 

ホテルに着いてから、王府井へ夕食に行きました。

もう9時近かった。

小雨も少しあり、人はあまり多くは無いようでした。

 

ここで感心したのは高齢者の団体ツアー客です。

地方から来た観光客のようですが、夜にも関わらず、老人達が元気に買い物と食事へと走り回っていた。

 

私が入った食堂でも、彼らは賑やかでした。

本当に沢山の人が、旅行を楽しんでいました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 8: 廈門を訪ねて 4


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今回は廈門の住宅事情と中国経済の実情を紹介します。

 

 

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< 2. 廈門一等地の高層マンションにて >

 

上: これは廈門島の中心部にあるマンションの外観です。

このマンションが建つ一帯では、中の一戸が日本円で1億円を超えるものがある。

それもここ十年数年で値上がりしたようです。

 

下: この一室から、大きな湖に囲まれた美しい白鹭洲公园が眺望できる。

湖の向こうに廈門の高層ビル群が見える。

この一室で、ある経営者にインタビューすることが出来ました。

 

 

* 面白い経済の話が聞けました

 

彼の事業は、父親の代から続くブランド帽子の製造販売です。

父も彼も台湾出身ですが、30年ほど前から製造を中国で、主な輸出先は日本だそうです。

彼は営業事務所をここに定め、日本に行ったことはないが、日本語はペラペラでした。

気安く何にでも答えてくれた彼に感謝します。

 

 

幾つかポイントだけを紹介します。

 

A 偽ブランド問題

彼の発言:

中国国内のネット通販で、この会社の偽物が出回ることがある。

大手ネット通販に訴えても、「個々の参加会社についてタッチしないし、個人情報なので・・・」との返答で、埒が明かない。

諦めているが、最近の傾向として、中国もブランド志向になって来たので助かっている。

 

B 製造拠点は中国で良いのか?

彼の発言:

コスト的にはベトナムなどが良いが・・・。

移転するなら20年前に決断すべきだった、今さら遅い。

しかし、中国は製造ネットワークが整って来たので、中国残留でもメリットが出せる。

 

C 店舗販売とネット販売

彼の発言:

我々は日本や店頭販売に重きを置いている。

ネット通販拡大を脅威とは思っていない。

 

私の感想

Aについては、予想通りで、あまり当局による規制が進んでいないように思う。

ただ他の場所で得た情報では、食品の安全性については規制が功を奏しているようです。

 

Bについては、製造ネットワークの向上が良い状況を生むだろうとは感じていたので理解できた。

しかし産業構造を二次産業から三次産業へ、高付加価値製品へと代えなけらばならい。

 

Cにつては、負け惜しみともとれた。

彼のグループの全製造員が減少傾向にあるので影響があるようだ。

但し、人数減については生産性向上が寄与しているのかもしれない。

 

やはり台湾企業は、直ぐ隣りにあり、気候と言語が同じ廈門を進出先に選び易いのだろう。

 

 

 

 

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< 3. 廈門の裏町の安アパートにて >

 

今度は場所を代え、安アパートに訪れました。

ここは大きな道路に面した建物群(上の写真)から一歩裏に入った所にあるアパートです。

三階建てですが、一戸はそれぞれの階のそれぞれ一部屋に過ぎず、部屋にはトイレとシャワーがあるだけです(廈門では湯船を使わないのかも)。

部屋の広さは独身であれば狭くないが、台所はない。

給与の相場から考えると、家賃は重荷になるだろう。

 

やはり地方から来た人には、都市部の高騰する住居費は厳しい。

 

 

 

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< 4. 厦门市图书总馆 >

 

上: 図書館の前から反対方向を見た。

ここは大きな文化広場で、文化館、博物館、科学館、ショッピングセンターなどが集約されている。

 

下: ここは廈門島の中心部にある図書館で、正面に入り口があります。

中に入りましたが写真は撮っていません。

 

一番の特徴は、広々としており、書架が低いこと、そして中央に大きなジャングルのような中庭があることです。

また読書・自習用の机が書架の横に数多く広がっていることで、オープンな感じがしました。

 

本の貸し出し手続きは、皆、読み取り器を使いセルフでやっているようで、合理化が進んでいた。

 

 

 

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< 5. 夕食は海鮮料理 >

 

ここは島の北部、内海に面した厦门夏商国际水产交易中心に隣接する巨大な海鮮レストラン街の一つ兴旺海鲜城です。

ここで待望の海鮮料理を味わいました。

 

中に入って驚きました。

十数年前に入った2軒の海鮮料理レストランとはまったく趣と規模が違いました。

前回は、川に浮かぶ小さな船上の食堂と、外人向けの高級海鮮料理レストランでした。

前者の味は素朴で、後者は洗練された味でした。

 

どちらにしても、これほどの大量の生け簀を前にして、食材を選ぶとは凄いの一言です。

値札に16円/元を掛けたら日本の金額になり、これら食材を何種類か選んで、料理方法を伝え、2階のレストランで食べます。

2階レストランは広いにも関わらず、また水曜日の夜だと言うのにお客で一杯でした。

これらは中国の日常の食費からすれば高いのですが、よほど生活が豊かになったのでしょうか。

 

以前、韓国の市場で海鮮料理を食べたことがありました。

市場で食材を選んで、食堂で料理を頼むことをしましたが、規模が違います。

 

 

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< 6. 店内とレストラン街 >

 

どのレストランも繁盛しているようでした。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 7: 廈門を訪ねて 3


 

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今回も引き続き、廈門島を紹介します。

写真は2019年10月16日(水曜日)の

10:30~14:00に撮影したものです。

 

 

 

 

 

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< 2. 开禾路 1 >

 

こちらは前回紹介した新民菜市场より規模が大きく、水産物の品揃えが豊富でした。

それも生きている魚や海老、貝が狭い店内に大量に並べてあった。

この通りから300mほどで河口なので可能なのでしょう。

地元の人が行き交い、多くの人が気楽に買って行く。

生活が豊かになっている印象を受けた。

 

 

 

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< 3. 开禾路 2 >

 

 

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< 4. 高架の正体 >

 

上の写真: 私は右の高架は高速道路と思っていたが、違った。

以前は無かった。

 

下の写真: この高架には駅があって、見に行くことにした。

ここは先ほどの开禾路(市場)のすぐ近くです。

 

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< 5. 新交通システム >

 

上の写真: 階段とエスカレーターを使い、途中の階にある駅で切符を買い、最上階まで上がった。

そこはバス専用のレーンでした。

試しに一駅だけ乗りました。

 

現在、廈門ではこのような新交通システムや地下鉄が続々建設中です。

廈門島内の移動は、友人の車と駐車場が少ないのでタクシーを利用したり、またこのバスや出来立ての地下鉄を使いました。

 

 

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< 6. バス駅付近の景観 >

 

この辺りは古い町並みと高層マンションが混在しています。

 

 

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< 7. 廈門大学  >

 

上の写真: 門をくぐって振り返ったところ。

 

実は、この門をすんなりとは入れなかった。

門の前で、この大学の職員と待ち合わせし、一緒に中に入ろうしたら、警備員が制止した。

一緒の職員が交渉して、やっと入れた。

中に入ると、意外にも多くの中国人観光客が団体で見学していました。

 

廈門大学は国立大学で中国の国家重点大学42校の一つです。

ここは有名大学でもあるのですが、緑に覆われ、キャンパスが広く、武漢大学と並んで『中国で最も美しい大学』と言われています。

かつてニクソン大統領が廈門を「東洋のハワイ」と称えたことがあるのですが、正に大学はそれに値します。

 

 

 

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< 8. 構内を行く >

 

先ず歩いて気付くのは、東南アジアの留学生が多いことです。

全学生4万人の内、海外からの短期研修生や留学生は4千人ほどいるそうです。

これは廈門大学が他の大学より国際交流に力を入れているからです。

これもかつて廈門が諸外国の共同租界地(コロンス島)だったこと、そしてこの大学が華僑のリーダーによって創立されたことに起因しているのでしょう。

 

写真に写っているのは学生寮や食堂、講義室などです。

かなりの学生が寮で生活し、キャンパス内に食堂が10棟以上あるそうです。

寮費や学費は安い。

建物は新旧あるが、古いものには趣が感じられた。

 

 

 

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< 9.図書館 >

 

下の写真: 中に入りたかったのですが、写真撮影を断られたので諦めました。

 

 

 

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< 10. 南普陀寺 1>

 

この寺は唐の末から五代にかけて禅寺として始まり、今は在外華僑の信仰を集めているそうです。

現在は僧侶の教育機関として残っている。

 

この日の昼食は、ここで精進料理を食べました。

ここでもスマホの洗礼を受けることになった。

大きくないレストランなのですが、お客さんは店内のテーブルに居ながらスマホで料理を注文しているのです、皆が。

当然支払もスマホでした。

 

十数年前にも一度訪れているが、相変わらず寺への訪問者は多かった。

この寺の裏山は少し登ると景色が良く、前回は多くの中国人観光客が列をなして登っていた。

ちょうど中国国民が、国内旅行に行き始めた頃でした。

 

当時、このことで感動したことがありました。

私が友人に連れられて厦門の海岸に着くと、砂浜に沿って無数の中国人が海に向かって立っていました。

そして夕陽が沈み始めると、一斉に歓喜の声を上げたのです。

 

友人の話では、彼らは海の無い奥地の貴州省からの観光客だそうで、海が珍しいかったのです。

しかし今や、中国人の国内旅行者数は50億を超え、また海外旅行者数は年間1億5千万人になった。

恐るべき急激な変化です。

 

私達は、中国人の日本での爆買いに目を奪われがちですが、その底流にあるものにも気付くべきです。

 

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< 11. 南普陀寺 2 >

 

 

次回に続きます。

 

 

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中国の外縁を一周して 6: 廈門を訪ねて 2


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今回から廈門の訪問地を紹介します。

訪れたのは2019年10月16日(水曜日)で、

写真は朝7時から10時半に撮ったものです。

 

 

 

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< 2.全总休养中心・杏林湾大酒店 >

 

私達はここに2泊しました。

ここは友人が手配してくれました。

この宿舎は普通のホテルと異なり、政府所管の休養センターです。

詳しくは分からないのですが、政府に関わっている人や下の写真の看板にあるように労働模範者の為のようです。

 

 

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< 3. 全总休养中心の前の内海 >

 

上から順番に北から東、そして南を見ています。

 

上の写真: 全長8.5kmの杏林大桥が見える。

この橋は大陸と右側の廈門島を結ぶ5本の内の一つです。

 

中央の写真: 干潟の向こうに廈門島が見える。

島の南部には低い山が有り、廈門大学や南普陀寺がある。

 

下の写真: 大きな河口を挟んで大陸側が見える。

 

 

 

 

 

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< 4. 干潟の様子 >

 

広大な干潟を少し歩くと、そこには自然が残っていた。

白鷺やハゼなどの小魚を見ることが出来た。

水は泥を含み濁ってはいるが、悪臭は無く汚水とまでは言えない。

また見渡してもゴミは少なかった。

清掃されているのか、下水処理が進んでいるのか、おそらく後者が大きな理由なのだろう。

 

干潟には人口の水路や畔のような堤で囲まれた池が無数に広がっていた。

その中で数人が漁をしているようだった。

その一人が大量の小魚を持って帰って行くのが見えた。

 

 

 

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< 5. 全总休养中心の朝食 >

 

宿泊所での朝食は敷地内の大きなビュッフェレストランでした。

ビュッフェの料理は、今まで宿泊した中国のホテルでも良い方だと思います。

私の一番のお気に入りは、上の写真のコーナーでの初めて食べた泉州麺ででした。

 

外国人で食事しているのは私達二人だけで、すべて中国人のようでした。

ここで少し気付いたことがありました。

 

私はツアーで海外旅行をしていると、中国人観光客の傍若無人さに閉口していたのですが、ここではすべてが落ち着いており、紳士的なふるまいをしていた。

ここの利用者は、どうやら大きな団体客ではなく、家族などの少数のグループらしい。

どちらにしても、違いを感じた。

 

この後、中国国内を一周するのですが、至る所で「模範工」などの掲示板を見ることになる。

この事と、中国人のマナー向上や親切さは関係しているのだろうか?

 

 

 

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< 6. 高層ビルが並ぶ中心部 >

 

十数年前に廈門を訪れた時は、このような高層ビルはほとんどなかったと思う。

当時はせいぜい5階ぐらいまでの建物が並ぶだけで、落ち着いた街並みの印象があった。

それでも眺望の良い所には高層のマンションが出来始め、すでに不動産価格の上昇は始まっていた。

 

 

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< 7. 中山公園にて 1 >

 

友人に、市民の暮らしぶりがよくわかる所に案内して欲しいと頼んで来たのがこの公園です。

入場したのは平日の9:30頃でした。

公園は無料です。

 

上の写真: この1枚の写真は私にあることを連想させたが、後に大きく覆されることになった。

それは北欧を旅して知った、男性の育休の多さでした。

男性が平日にベビーカーを押して街中を行く姿を多く見た、女性よりも多いかも。

 

しかし、この公園を抜け、併設の小さな動物園(無料)に入ると、異様な光景を見ることになった。

そこは数歳の子供一人と、それをあやす老人夫婦で一杯でした。

若い夫婦と子供の姿はほとんどなかった。

 

 

下の写真: 予想していたとは言え、音楽に合わせ踊る女性達の如何に多いことか。

至る所で異なるグループに分かれ合わせて踊っていた。

中国に来る度に、踊ると言うか、体操と言うか、その演目に変化が見られる。

昔は太極拳などの古典的な体操が主流だが、今は軽快なダンスと言ったものが多い。

 

 

 

 

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< 8. 中山公園にて 2 >

 

上の写真: 木立の陰では、そこらじゅうで男性が卓上で中国将棋などのゲームを楽しんでいた。

 

 

 

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< 9. 中山公園にて 3 >

 

上の写真: 池の端の建物から、多くの人による朗々とした歌声が聞こえて来た。

 

下の写真: 近づいてみると、人々の見ている譜面は西洋式の五線譜ではなかった。

 

友人がその一人に聞いてみると、彼女は参加して日が浅く、譜面は読めないが聞いて歌っていると出来るようになるとのことでした。

彼女は譜面を買って自由に参加しているそうです。

 

 

これは友人に聞いた話ですが、この公園で土日になると集団見合いが始まるそうです。

一人娘や息子の為に、それぞれの親が公園に集まり、互いに情報を交換し、見合いにこぎ着けるそうです。

娘や息子が、このことに同意しているかはお構いなしに進められるようです。

 

 

 

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< 10. 新民菜市场 >

 

ここは中山公園の近くにある昔ながらの庶民の市場です。

三十年来、この手の市場を見て来ましたが、その様子は変わっていないように思う。

私には相変わらず不衛生に思えるのだが、多くの生鮮食品が並び、買い物客でごった返していた。

海の近くのせいもあり、魚が多かった。

 

 

* 知り得たこと

 

実は、公園や動物園に居た人々のほとんどは50~60歳以上の男女でした、数歳の子供を除いて。

これは中国の定年が、女性では50~55歳、男性で60歳以上だからです。

定年後は年金を毎月3万円は貰っているそうで、大企業や公務員勤めでは、定年が遅れたり、年金などの上乗せがあるそうです。

 

この公園に来る人は、昔から廈門の中心部に住む人々です。

住居は既にあり、食費・交通費は非常に安く、衣類も安いのがあります。

従って、月3万円で暮らすことに問題はないようです。

(昔は、公社が従業員に住居を安い家賃で与え、最後には買取も許した。土地は手に入らないが)

そして60~70歳以上の入場料などが無料と優遇もされている。

 

だから子供夫婦が働きに出た後、その両親が孫を引き取り、公園などで遊ぶことになる。

これで待機児童の問題も解消し、退職した親も余生を孫育てと公園での愉しみに費やすことが出来ると言うわけです。

端で見ていると、両親と子供夫婦と孫は皆、親密なようです。

孫は甘やかされているとも言えるが。

 

北欧とは異なるシステムだが、人生を優雅に過ごすシステムが中国にあったことに驚いた。

 

ただ気になる事もある。

 

一つは、地方からの転入者にとって住居費は今、非常に高いので、この年金で都会暮らしは出来ないだろう。

 

今一つは、既に中国の生産年齢人口が減りつつある中で、定年が50~60歳なのは不合理だろう。

おそらく定年延長が必要になるだろう。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 5: 廈門を訪ねて 1


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< 1.全总休养中心/杏林湾大酒店から南側を望む >

 

今回は、廈門とその訪問地の概要を紹介します。

訪問はほとんどアモイ島内です。

 

 

 

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< 2. 廈門の地図、上が北 >

 

上: 廈門の位置と歴史

 

廈門の北、直ぐには泉州、海峡を挟んで台湾、南に下れば香港に至る。

西側は直ぐに山岳地帯になり、奥に入ると円形の集団家屋で有名な客家土楼に至る。

 

この地帯は紀元前後以降、漢民族が勢力を広げるにつれ、様々な民族が南下し山岳部に住むようになった。

その後、中国の対外交易の主流が海上に移ると、泉州や香港の奥の広州が中心的な役割を果たすようになった。

 

客家人は華僑で有名だが、この地が華僑を多く生み出したのは山岳地帯で、海上交易で活路を開いた為と言える。

 

17世紀、鄭成功は明から清を守る為に戦い、またオランダの植民地であった台湾やアモイを解放した。

国姓爺と呼ばれた鄭成功の巨大な像がコロンス島(鼓浪屿)に建っている。

この英雄は長崎県平戸で中国人と日本人女性の間に生まれた。

 

実は、このことは第二次倭寇の勢力範囲の南端がこの辺りであった事、そして中心地が長崎であった事と関係する。

鄭成功の父は泉州の人でした。

 

大戦後、台湾が経済成長を遂げると、多くの台湾企業がこの廈門を足掛かり中国大陸に進出していった。

これが廈門を発展させたが、簡単に進んだわけではない。

 

1958から1979年まで、廈門島から10kmほど離れた台湾領有の金門島に砲撃が繰り返され、緊張が続いたからだ。

その一方、国民党支配以前の台湾人(先住民を除く)は、もともと廈門辺りの人々と繋がりが深い(同じ閩南語/ビン南語を話す)。

 

結局、鄧小平が行った改革開放の下、廈門が経済特区に指定されたことが契機となった。

 

こうして今の廈門があり、人々は今でも海外へのチャレンジ精神を失っていないようだ。

 

 

下: 私が訪問した所、ほぼ訪問の順番です。

厦門島は半径13kmほどの平坦な島です。

 

1: 宿泊地、全总休养中心・杏林湾大酒店(労働者の為の巨大保養所)。

2: 中山公園(市民憩いの場)。

3: 新民菜市场(昔ながらの市場)。

4: 廈門大学。

5: 南普陀寺。

6: 开禾路(昔ながらの市場)。

7: 厦门市图书总馆(最大の図書館)。

8: 厦门夏商国际水产交易中心、巨大な海鮮レストラン街にある兴旺海鲜城で夕食。

9: 厦门高崎国际机场、関空からここに着き、ここから2日後に北京へ発った。

 

今回の訪問は二度目なので、十数年前との違い、特に市民の暮らしや新しく出来たものを見るようにした。

それで前回観光した有名なコロンス島は行かなかった。

 

 

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上: 全总休养中心・杏林湾大酒店の前の海と干潟。

遠景はアモイ島。

 

下: 中山公園。

昼間から、ほんとに多くの市民で一杯でした。

そこから中国の大きな変化が見えて来た。

 

 

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< 4. 二つの市場 >

 

上: 中山公園の隣りにある新民菜市场。

 

下: 开禾路は新民菜市场より規模が大きく、水産物が豊富でした。

 

昔ながらの生活も残っていた。

 

 

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< 5. 都市部の景観 >

 

都市部の景観は10年ほどで様変わりし、新交通システムが次々に生まれていた。

 

 

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上: 広大で緑豊かな廈門大学。

中国では、あまり外国人を見ることはなかったが、この大学キャンバスには東南アジアの学生が多かった。

 

下: 山の麓にある南普陀寺。

ここは昔と変わらなかった。

 

 

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上: 高層マンションが建つ一角。

このマンションの一室で、ある会社の社長と話すことが出来た。

中国での製造や販売の状況の一端を知ることが出来た。

 

下: 水槽が並ぶ兴旺海鲜城の1階、2階が海鮮レストラン。

前回、海鮮料理を食べたが、海鮮レストランのスケールが遥かに大きくなっていて驚いた。

 

 

 

 

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< 8. 厦门高崎国际机场 >

 

ここから北京へ発つ時、最初の洗礼を受けた、保安検査で。

事なきを得たが。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 4: 中国を旅する方法


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今回は中国旅行の良さや、フリーで旅行する場合の注意点を簡単に紹介します。

後に詳しく紹介します。

 

 

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< 2.昆明のホテル、左側に昆明駅が見える >

 

* 良かったこと

 

一番は、安く旅行出来ることです。

 

都市中心部や観光エリア内の立派なホテルが二人一泊6000~7000円で泊まれ、朝食付きです。

 

また交通機関が安い。

バスの多くが1回1~2元(17~38円)、タクシーが20分乗って20元前後(330円)ぐらいでしょうか。

 

航空機や新幹線はそこそこしますが、航空機は探せば安いのが見つかります(購入時期が重要)。

 

現地ガイドも安いと思う。

都市によって異なるが、専属の8時間日本語通訳で500~700元(8000~12000円)です。

 

予想外に助かったことは、70歳以上と60歳以上で、ほとんどの入場料が無料か半額になったことです。

 

食事とショッピングは安いと言えるが、微妙で幅があります。

 

 

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* 行った時期が良かった

 

中国は今年、中国共産党が抗日戦と国共内戦を経て、晴れて建国を成し遂げてから70年になった。

この為か、各地は盛大に花で飾られていた。

ちょうど開封では例年の菊花展と重なった。

また北部や西部の高原地帯では紅葉が始まっていた。

 

残念なことに本来、黄砂の時期ではないはずだが、北部の都市では青空が見えなかった。

 

 

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< 4. Trip.comのサイト >

 

* 旅行の手配について

 

今までホテル探しはExpediaでやっていたが、中国国内ではホテルの掲載数が少なく、コストパフォーマンスの良い所は見つからなかった。

そこで今回初めてTrip.comを恐る恐る使いました。

中国企業運営の日本語版Trip.comは日本人向けで使いやすい。

結果は、予想通りのホテルで満足しています。

だが習慣の違いもあり利用には少し注意が必要です。

 

航空手配は従来通りskyscannerで行い、中国の幾つかの航空会社のチケットを購入した。

大きな問題はなかったが、中国の航空会社は時間変更や便の取止めが購入後、頻繁に起きるので注意が必要です。

私はある失敗をしてリカバリーを中国の友人に頼んで事なきを得た。

 

Trip.comで新幹線も手配できるのですが、1ヵ月以上前に予約出来るにも関わらず、席の予約も出来ず、確約できない欠点がある。

中国の新幹線はほとんど1週間ぐらい前には満席になっていた。

それで私は中国の友人に切符手配を依頼し、前もって確実に席の予約を行いました。

 

三都市の現地ガイドはCHINA8(チャイナエイト)を使いました。

まったく初めてなのですが、事前打ち合わせは日本語のメールで比較的丁寧に対応してくれ、かつほぼ満足出来る内容でした。

 

 

* 旅行で気をつけるべきこと

 

一番は何でも大きいこと、二番は保安検査が厳重なことです。

 

先ず、新幹線の駅が馬鹿でかく、飛行場が中心部から遠いことが問題です。

前者は迷うとかなり歩きます。

後者は旅程を立てる時に注意が必要です。

 

すべての鉄道駅、地下鉄駅、そして飛行場への入場は、はじめかなり戸惑います。

慣れて来ると多少時間が掛かる程度ですが、気を使います。

 

 

* 心配していたほど問題がなかったこと。

 

一つは中国語、もう一つはトイレです。

 

私達の中国語は10個ほどの単語を除いて、ほとんど通じませんでした。

我々は半年以上、NHKのラジオ講座で勉強しましたが、我々の発音は通じず、相手の数字も聞き取るのが難しかった。

 

だけど何とか旅行が出来ました。

色々な工夫が功を奏したとも言えますが、多くは中国人が親切に粘り強く対応してくれたからです。

例えば、ホテルのフロントでは、互いにタブレットやスマホを使い自動翻訳で意思の疎通を図った。

すべて期待通りではないが。

 

公共のトイレがかなり設置されていた。

それも昔のようなむき出しのものはなく、和式や洋式の個室タイプです。

但し、紙は便器に流せないが。

 

 

* 予想外に困った事

 

それはタクシーとスマホの扱いです。

 

タクシーの運転手にホテル名を書いた紙を見せても、北京と蘭州、成都では通じなかった。

私のスマホにホテルを表示させて、やっとわかることがあった。

最後には何とかホテルに着けたが。

 

もう一つは、中国ではタクシーを呼んだり、色々な支払いをスマホでするのが主流なので、逆に私達にはトラブルになることがあった。

 

 

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< 5.上は百度のルート検索、下は自動翻訳機 >

 

* 中国旅行に必携なもの

 

それはスマホと自動翻訳機です。

 

スマホは中国の地図「百度」を使用し、街歩きで交通機関のルート選択や現在位置を知るために絶対必要です。

スマホを自動翻訳にも使います。

 

Wi-Fiもレンタルしました。

さらにインターネットが使えないの時の為に、オフラインでも使える自動翻訳機を持って行きました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 3: 訪問した所


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< 1. 民俗村の大理、崇聖寺三塔のレプリカ >

 

今回は私が訪問したすべての所を簡単に紹介しておきます。

 

 

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< 2. 訪問都市、赤枠7ヶ所 >

黄線はシルクロード、青線は茶葉街道、オレンジ線は海洋交易ルート。

この三つが訪問都市の中で起源前より交易・文明伝播の重要な役割を果たした。

 

 

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< 3.廈門観光 >

上: 赤枠がおおよその観光範囲で、ほとんどが厦門島内。

下: 宿泊した保養所近くの高層マンション。

 

 

*廈門市

福建省の海沿いの人口373万人の大都市で、古くから貿易で発展し、華僑を多く生み出した地でもある。

 

訪問した所。

中山公園(市民憩いの場)、新民菜市场(庶民の市場)、廈門大学、南普陀寺、开禾路(庶民の市場)、厦门市图书总馆(最大の図書館)、厦门夏商国际水产交易中心(巨大な海鮮レストラン街もある、兴旺海鲜城)、全总休养中心・杏林湾大酒店(労働者の為の巨大保養所)など。

 

 

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< 4. 北京観光 >

上: 二日間で路線バスで回れる範囲を観光。

下: 景山公園から紫禁城を見下ろす。

 

 

*北京市

人口2000万の首都で、古いものも多く残っているがITなど第三次産業が成長している。

 

訪問した所。

故宮(紫禁城)、景山公園、什刹海(今、人気の湖岸の古い町並み)、颐和园(西太后お気に入り)、王府井(ショッピング街)、西单(ショッピング街)、琉璃厂古文化街(書画骨董街)、中国国家博物馆(巨大な歴史博物館)、天安门广场、北京西站など。

 

 

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< 5. 開封観光 >

上: 開封博物館以外の観光地は城壁内を観光。

下: 開封市博物館。

 

*開封市

黄河のほとりにある人口530万人の河南省の都市。

宋時代の首都として有名で当時世界最大の都市であった。

 

訪問した所。

開封市博物館(開封の歴史博物館)、开封府(宋時代を再現したテーマパーク)、大相国寺、延庆观(道観)、开封市鼓楼广场(夜市)、铁塔公园(数少ない宋時代の遺跡)、万博时代广场(ショッピングセンター)など。

 

 

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< 6.蘭州市観光 >

上: 細長い盆地にある蘭州市中心部を観光。

下: 新幹線の車窓から、西安と蘭州の間。

 

 

*蘭州市

甘粛省の省都で谷間を流れる黄河に沿って発達した人口310万人の都市で、古くはシルクロードの要衝として発達した。

 

訪問した所。

白塔山公园(眺めが良い)、中山桥(黄河に掛けた最初の鉄橋)、兰州西关清真大寺(モスク)、五泉山公园、兰州市博物馆(蘭州の歴史博物館、有名なのは甘粛省博物館)、敦煌艺术馆(出来立ての莫高窟の展示館)など。

 

 

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< 7.成都観光 >

上: 1日で回れる都市部を観光。

下: 金沙遺址博物館。

 

*成都市

四川省の省都で、人口1600万人の大都市だが、多くの歴史的遺産や自然遺産もある。

 

訪問した所。

金沙遺址博物館(三星堆文化を継承)、武侯祠(諸葛孔明の廟)、杜甫草堂(唐の詩人の廟)、天府广场東側のショッピング街など。

 

 

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< 8. 麗江観光 >

上: 盆地にある二つの古陳と周辺を観光。

下: 麗江古陳の甍。

 

*麗江市

雲南省の谷間にある標高2400mの人口110万人の都市で、古くはチベットとの交流で栄え、少数民族ナシ族の王都でした。

 

訪問した所。

麗江古城(数百年の伝統ある古い町並み、世界遺産)、黑龙潭公园(池に映る玉龍雪山が有名)、束河古镇、普济寺(チベット仏教)、古城忠义市场(庶民の大きな市場)、民主路の地下街(ショッピング街)など。

 

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< 9.昆明観光 >

上: 二日間で路線バスなど行ける範囲を観光。

下: 中心部のホテル最上階からの眺め。

 

*昆明市

雲南省の省都で人口600万人の大都市です。

中国南端にあるが多くの東南アジアと国境を接し、多くの少数民族が住む。

 

訪問した所。

雲南省民俗村(中国全土の少数民族の巨大なテーマパーク)、雲南省博物館(雲南の歴史博物館)、西山風景区(断崖に掘られた龍門石窟が有名)、滇池海埂公园(琵琶湖の半分ほどの湖)、翠湖公園(市民の憩いの場)、昆明老街~南屏街(飲食・ショッピング街)など。

 

以上、様々な所を見聞しました。

 

しかし中国を知ると言う意味では、他にも重要なことがありました。

それはしばしばハプニングが起こり、中国の人々と直に触れ合い、ハット気付かされるのは様々な交通機関、飲食店、ホテルなどを利用した時でした。

これがフリーの醍醐味かもしれません。

また移動中の車窓の景色も、目を凝らして見ていると様々なことに気付かせてくれました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 2: 目を見張る変化


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< 1. 麗江の巨大な別荘街 >

 

 

今日は、中国旅行での驚きを語ります。

私は三十数年前から計8回中国を訪れているので,

幾つかの変化を感じ取ることが出来ました。

 

 

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< 2. どこもかしこも建築ラッシュ >

 

上の写真は新幹線から見た西安付近で、多くが建築中で、その数がべらぼうに多い。

通常、中国の新幹線駅や空港は都市部から離れているので、これらの建物は交通の便が悪いはずです。

おそらく巨大な町ごと、または新たな交通機関を造ってしまうことで解決しているのでしょう。

 

下の写真は麗江から昆明までの新幹線で見た大理辺りで、こんな奥地にも規模は小さいが建築中が目立った。

 

 

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< 3.廈門の億ション? >

 

これは高層マンションの一室から見下ろしたところです。

この持ち主によると一戸は1億円近いそうです。

廈門ではここ十数年ほどで不動産価格が十倍以上になった。

 

 

* 私の中国遍歴

 

1980年代後半に香港と広州を社内旅行で訪れました。

これが初めての中国訪問でした。

この時、広州の街を深夜まで歩き、人々の活気を肌で感じ、身震いしたものでした。

当時、台北よりかなり生活水準が遅れていましたが、遥かにエネルギッシュでした。

成長を確信したのが懐かしい。

 

その後、上海と北京に視察や社内旅行で訪れています。

次いで、廈門の友人を夫婦で尋ねて、廈門と客家土楼などを見学しました。

 

後に観光ツアーで西安・洛陽、桂林を訪れた。

 

そして今回のフリーの一周旅行です。

 

 

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< 4. どこも観光客で一杯 >

 

上は、夜遅い北京の王府井。

多くの高齢者の団体観光客が通りを闊歩し、飲食店、土産物屋で楽しんでいた。

おそらく地方から来た人々でしょう。

 

下は、麗江の四方街。

ほんとに多くの観光客で賑わっていた。

団体客もいるが、フリーらしい少数のグループやカップルも多い。

欧米人は数えるほどで、ほとんどが中国人か、稀に隣国の東南アジアからの人でした。

 

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< 5. 都市部の道路状況 >

 

上は北京で、下は蘭州です。

何処も車、車で一杯でした。

 

 

* 中国の印象

 

一言で言えば、大きく変化し続けていることに尽きます。

 

廈門を十数年ぶりに訪れましたが、町の様子は様変わりし、高層ビルが乱立していました。

中国各地のどんなに奥地に行っても高層住宅の建設ラッシュでした。

 

どの都市に行っても、普通乗用車がひしめき合い、渋滞が常態化している。昔のように自転車で交差点が埋め尽くされることはなく、せいぜい昆明でバイクが目立つぐらいです。

 

観光ツアーでは気付かない発見もありました。

路線バスなど様々な交通機関を利用していると、人々の親切やマナーの良さを知ることが出来ました。

当然、日本や先進国と違うところもあるが、どんどん向上しているように思える。

 

概ね、若い人ほど親切でマナーが良く、高齢になるほど傍若無人なようです。

これは北欧とは逆のようです。

経済発展がそうさせているのか、はたまた教育がそうさせているのか?

生活の余裕が生み出すものなのか?

 

お願いしたアンケートの回答や数人との会話、街行く人々の様子から、自信のようなものを感じた。

彼らは経済成長や生活の改善は政府だけの力ではなく、中華文明の秘める力によるものが大きく、だからこそ持続出来ると思っているようです。

 

暮らしの向上を様々な場面で感じることが出来た。

先ず、十数年前に比べると国内旅行者が大幅に増え、それに連れて海外旅行に行く人も増えている。

都市中心部の百貨店、専門店、大型スーパーの商品価格は日本に比べ安いとは言えないが、いつも大賑わいでした。

幾つかの都市で、飲食店の店員募集の給与を見ると月8~12万円ぐらいでした。

三十数年前は都市部で月5千円ほどでした。

 

 

私は概ね中国の経済成長が今後も続くと感じました。

 

日本で出版されている中国経済の本によると、バブルが弾ける要因が幾つも挙げられているが、それよりも開放政策(自由競争)による生産性向上(IT関連など)や旺盛な労働意欲が勝って良好な結果を生み出しているようです。

おそらく中央政府や地方自治体の都市開発(公共投資)が、現在の好循環を生んでいるのでしょう。

欧米の自由主義経済からみると不可解なのですが、税金に頼らない公共投資に鍵があるようです。

 

 

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< 6.蘭州だけは中心部を外れるとバイクが多かった >

 

 

これから各地の状況を紹介しながら、中国の発展と変化、歴史、人々の生活などを見て行きます。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 1: はじめに


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これから中国旅行記を連載します。

中国外縁部の7都市をフリーで巡りました。

訪れたのは2019年10月15日から15日間です。

 

 

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< 2. 旅行のルート >

赤線は飛行機、黒線は新幹線です。

訪問都市は1廈門、2北京、3開封、4蘭州、5成都、6麗江、7昆明で、この番号順に訪れました。

 

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< 3.上が廈門、下が北京 >

 

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< 4.成都の博物館と麗江古陳 >

 

 

*旅行の概要

 

新幹線、ホテル、現地ガイドの手配はすべて旅行会社を通さずインターネットで行いました。

各都市内の移動はタクシー、公共のバス、地下鉄を利用しました。

妻と二人で毎日、2万歩ほど歩いて観光しました。

費用は土産や保険も含めて一人23万円ほどでした。

 

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< 5.開封の夜市と蘭州 >

 

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< 6. 昆明の観光地と繫華街 >

 

 

*訪問地と旅行時期にについて

 

訪問地を簡単に説明します。

 

廈門: 台湾企業の進出が進み、華僑を頻出した経済発展が著しい大都市です。

 

北京: 発展する首都であり、多くの観光地や博物館がある。

 

開封: 商業と大衆文化が開花した宋時代の首都で、宋時代を再現したテーマパークがある。

 

蘭州: シルクロードの要衝で、黄河を挟んで漢民族と異民族が境界を争った。

そして回族(イスラム)が多く住んでおり、蘭州ラーメンが有名です。

 

成都: 紀元前に特色ある青銅器文化が興り、三国志時代には蜀の首都であり、現在は大都市です。

 

麗江: 5000mを越える峰々を這うように長江が流れ、紀元前よりチベットと中国との交流(茶葉街道)の要衝でした。

現在は、その街並みが世界遺産となっている。

 

昆明: 漢民族の勃興に伴って幾多の先住民族が南下し、麗江を含む雲南省などに住み着いた。

古くは未開の地と言われたが、現在は多くの少数民族が漢民族と共に暮らし、東南アジアに接する交易の拠点でもある。

 

 

私は今回の旅行で、中国の経済発展が本物か、経済発展が外縁部(蘭州、麗江、昆明)まで浸透しているのかを確認したかった。

また歴史的な興味から、中国文化に多大な影響を与えたシルクロードと茶葉街道、蜀と宋時代の首都にも訪れたかった。

さらに中国国内の波乱要因である少数民族の状況も知りたかった。

 

実際にルートを決めるには、15日間で効率よく回れるように新幹線網と航空便の組み合わせで決めました。

 

 

 

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< 7. 麗江の玉龍雪山と昆明の公園にて >

 

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< 8. 新幹線と駅構内 >

 

 

この時期を選んだのは私の仕事の都合もあるが、一番は中国のゴールデンウイーク(建国記念の10月1~7日)を避けるためでした。

 

私から見れば、北京や麗江などの観光地はどこも国内旅行客で満員でした。

そうは言っても閑散期に入るために、蘭州の炳霊寺(へいれいじ)石窟の交通手段がやり繰り出来ず行けなかった。

また甘粛省博物館が急遽数年ぶりの改修閉館となり、入館出来なかった。

 

一方で、蘭州や麗江などは紅葉の初期に当たり、また開封や麗江などの観光地は至る所、菊花で埋め尽くされていて綺麗でした。

 

成都だけは1日中雨に降られたが、他の都市の天候は概ね良好で、温かい廈門を除いて1日の気温は約10℃~20℃でした。

 

 

9

< 9.新幹線の車窓からの眺めと郷土料理 >

 

10

< 10. チベット仏教の寺 >

 

 

*この旅行記で示したいこと

 

・様々な中国の風景、観光地、都市部の喧騒、車窓からの風景を写真と共に紹介します。

訪問したのはガイドブックにある主要な観光地、市民が憩う公園、博物館、仏教と道教の寺院です。

 

・各都市の社会経済、歴史や人々の暮らしについて語ります。

 

・中国旅行のアドバイス、交通機関、ホテル、スマホの利用、現地ガイド、食事、土産について紹介します。

 

・旅行で出会った中国人やエピソード、感動と困惑も紹介します。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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平成の哀しみ4: 深まる亀裂 2: 何が起きたのか


1

*1

 

 

隣国との諍いは何を意味するのか?

 

2

 

 

 

 

韓国と中国は日本に対して二島の領有を主張し、さらに植民地支配への反省を求めている。

また中国は軍事大国へ、北朝鮮は核兵器開発とテロ国家へと突き進んでいる。

一方、日本は過去を賛美するタカ派が政権を担い、軍事大国を目指し始めた。

 

 

少し動きを確認します。

 

中韓のように侵略された国が当時の非道を後になって訴える事は、ドイツや東欧でもあった。

それは戦時中のしがらみ(ナチス加担や独裁政権など)から政治や社会が抜け出せたこと、また社会運動の高まりも影響している。

 

尖閣問題は中国と台湾が資源獲得を狙ったのが発端だが、日中間で保留扱いにしていたものを日本の国有化で火に油を注ぐ結果になった。

 

一方、日本も様変わりしていた。

 

経済は長期に衰退し、政府の景気対策はことごとく失敗していた。

人々は諦めながらも、かつての繁栄を微かに期待もしている。

一方で大戦を知らず歴史を軽視する人々が増えた。

 

このような中、大戦を美化し、対外強硬策こそが日本復活の切り札との訴が人気を博するようになった。

 

これは世界史で繰り返されるパータンだが、日本のいつか来た道かもしれない。

 

 

次回は隣国の軍拡を考察します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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平成の哀しみ1: はじめに


1a

*1

 

 

今年で平成の年号は終わります。

これから日本はどうなるのだろうか?

その兆しは平成にあるはずです。

これから平成を振返り、探って行きます。

 

 

2

*2

 

 

平成は1989年から始まったが、何が起きていたのか?

特徴的な事件、経済、政治は・・

 

国内では

  •  大震災が二度起き、大きな原発事故が起きた。
  •  バブル崩壊が三回あった。
  •  汚職事件で自民党、不祥事で官僚への信頼が低下した。
  •  万年野党が二回政権を担った。
  •  経済は長期停滞し日本の地位は低下し続けている。
  •  国も地方も累積赤字が増大している。
  •  右翼的な言動が熱を帯びて来た。
  •  しかし平成の終わりは経済好調で終わるようだ。

 

 

海外、特に欧米について

  •  ソ連が崩壊した。
  •  テロとの戦いが始まった。
  •  米国の覇権、EUの団結に陰りが見え始めた。
  •  中国の経済力と影響力が増している。
  •  右翼政党が勢力を増している。
  •  移民問題と格差拡大で不満が高まっている。
  •  世界は地球温暖化防止で団結するようになった。
  •  一方で世界は国から逃げ出す巨額の金への課税に対処できない。
  •  核兵器と原発への恐れが増した。
  • セクハラ被害の告発運動が起こる。

 

この中の幾つかが未来を決める兆しになるでしょう。

 

 

次回は、身近な変化を拾ってみます。

 

 

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何か変ですよ! 61: よくあるタカ派礼賛


1

*1

 

 

今回は、経済学者の惜しい勘違いを御紹介します。

共著「世界経済の勝者と敗者」での浜田先生のお言葉です。

なんとゲーム理論を使ってタカ派こそが中国を制すると説いています。

 

 

浜田先生のお言葉

この本の最後に、『コラム 中国編: 「ゲーム理論」から考える中国との向き合い方』があります。(216~219頁)

 

僭越ながら抜粋要約します。

 

危なっかしい中国と付き合うには、囚人のジレンマ(ゲーム理論の一つ、注釈1)によるコンピューターシュミレーションの結果(注釈2)を援用することです。

つまり「しっぺ返し戦略」が最良なのです。

これは最初は相手を信頼して協力しあうのだが、相手が裏切って敵対してきたら、確実にやり返す戦略です。

この点、タカ派の安部首相が最適です。

 

またニクソン大統領は電撃的に中国と和解した。

さらにレーガン大統領も冷戦を終結させた。

この二人もタカ派(共和党)でした。

 

私はこれを読んで、やはり安部首相の側近になる人は凄いなと感心した。

しかし、著名な先生の発言だけに悪影響が大きいので、少し誤解を解きたいと思います。

 

 

2

*2

 

 

「しっぺ返し戦略」引用のおもしろさ

これは動物行動がどうして進化したかを知るには面白いテーマで、かつ有名です。

しかし知ったかぶりの都合の良い御説はいただけません。

 

この手の実験は、コンピューター上の行動が実際の個人や社会と異なり、相手の行動を予測したり学習出来るのか、また協力した時の利益と裏切られた時の不利益の配分が問題になります。

例えば、不利益は単に利益が減るだけなのか、極論すれば1回でも裏切られれば死を意味するかなどです。

とりあえず、一国の外交戦略に即使えるものではありません。

 

しかし、この手の多くの実験や理論から動物や人間行動(利他行動、同胞愛)の進化などがある程度説明出来ることも事実です。

 

ここでは長谷川寿一著「進化と人間行動」(2000年刊)から、この「しっぺ返し戦略」の解説を一部引用します。

 

「しっぺ返し戦略」は、「上品さ」(何はともあれ初回は協力する)、「短気さ」(やられたらすかさずやりかえす)、「寛容さ」(古い過去にとらわれず、相手が協力に出たら、すぐに協力する)、「わかりやすさ」(単純である)という特徴を備えています。

人間社会でも、これらのキャラクターを兼ね備えていれば、つきあう相手として皆に好かれるでしょう。

「しっぺ返し戦略」に限らず、上位を占めたコンピュータープログラムの特徴は、基本的に「協力」的な(少なくとも初回は「協力」から入る)ものでした。

 

・・・

これらの研究から得られたメッセージは、互いに何度もつき合いを続けていくような関係においては、協力行動は遺伝的に進化し得るということです。

つまり、社会生活を送るのが常であるような動物には、「他個体によくする」という行動が進化し、それを引き起こすような心理メカニズムが存在するだろうということです。

 

素人の浜田先生と専門の長谷川先生の違いはどうでしょうか?

まったく正反対の解釈に思えます。

おそらく、浜田先生は右翼の心性をお持ちか、その手の解釈を教条的に受け入れているだけなのでしょう。

この手の人は、どうしても強い者や力で抑えること、未知の者を敵視する傾向が強い。

この人に悪意は無く、軽い気持ちで都合の良い引用しただけなのだろう。

 

 

多くの研究(注釈3)では、動物の進化と共にタカ派的な行動(裏切りや攻撃が主な行動)を緩和するハト派的な行動(思いやりや協力が主な行動)が発展して来たことが知られています。

単純に言えば、タカ派的な行動が社会を覆ってしまえば、その成員は生命の危機を招き、社会は利益を減らし、発展出来なくなります。

 

私が驚いたのは、本の最後に安部さんを讃えるために、このテーマを取り上げていることでした。

経済学は財の数量を扱うものであり、財を扱う人々の心理を扱うのは苦手だと思うが、これはお粗末な人間理解です。

実は、経済を動かし、バブルを生み出しているのは合理的でないアニマルスピリットなのです。

これを扱えてこそ、浜田先生は本当の経済の指南役になれるでしょう。

是非とも精進して欲しいものです。

 

 

3

*3

 

 

事実は奇なり

浜田先生の御説は危なっかしいが、本来、この手の研究(注釈3)は私達に社会や人間への正しい理解を与えてくれています。

 

数多くの中から二つ重要な知見を紹介します。

 

動物は弱肉強食の世界だと一般に強く信じられていますが、儀式的な闘争(儀闘)が進化し、無駄な争いを防いでいます。

よく知られているように、鮎やライオンなどは同種の相手が縄張りに侵入した時、徹底的に殺し合うことをしません。

基本的に威嚇で始まり、優劣が決まればそこで止めます。

それ以上に進むこともありますが。

詳しくは「心の起源 連載8」に説明があります。

残念ながら、チンパンジーや人類の方が弱肉強食(残酷)になる場合があります。

 

社会心理学にトラッキング・ゲームがあります。

これは競争(脅迫)と協力(譲歩)のどちらが社会全体に利益をもたらすかを教えてくれています。

 

 

4

< 4. トラッキング・ゲームの図 >

 

この社会実験は二人がA社とB社に別れ、自社のトラックで自社の出発点から目的地へ、多くの荷物を運ぶのが目的です。

曲線の道は時間がかかり過ぎるので、真ん中の直線道路を使うと早く運べるのですが、相手のトラックの通行をコントロールゲートで止めることが出来ます。

但し、相談は出来ません。

 

多くの実験をした結果、二つのゲートが無い場合は、直線道路の前で譲り合う人がいると、共に多くの荷物を運べました。

しかし、ゲートを設けた途端に二人の運べる荷物の総量は極端に減りました。

 

つまり、互いに相手の足を引っ張り合いを始め、激化し自滅したのです。

これは、如何に「競争関係」より「信頼関係」を築くことの方が得策かを示し、人は「脅迫(軍備)」の力を持つと簡単に自滅してしまうことを教えてくれています。

 

 

5

*5

 

 

浜田先生の歴史観のおもしろさ

彼はニクソン大統領とレーガン大統領の功績を讃えていました。

確かに、否定は出来ないが、単純で一方的過ぎます。

つまり、相手の存在と歴史の流れをあまりにも無視し、ここでも我田引水なのです。

 

冷戦終結は、レーガン大統領の功績だと喧伝されているのは事実です。

しかし、少し考えれば疑問が湧くはずです。

 

レーガンが大統領になったのは1981年でした。

一方、ゴルバチョフの書記長は就任こそ1985年でしたが、1978年頃から中央で改革を主導し頭角を現していた。

また彼は書記長就任の年、外相にシェワルナゼを抜擢していた。

 

そして1987年、大統領と書記長が「中距離核戦力全廃条約」に調印し、冷戦が終息に向かった。

大統領の圧力(スターウォーズ)と言うより、既にソ連内部に変革の兆しがあり、書記長と外相の融和的な方針が功を奏したように思える。注釈4.

また冷戦の軍拡競争によるソ連の経済疲弊や米ソの軍縮は以前から進んでいた。

 

 

1972年2月のニクソン大統領の電撃的な中国訪問は驚きでした。

 

これにはキッシンジャーの活躍もあるが、やはりここでも中国の周恩来の存在が重要です。

この年の9月には、彼は早くも田中角栄と日中共同声明を調印しているのです。

周恩来の融和的な姿勢が無ければ不可能だった。

また1971年、対米強硬派(タカ派)の林彪が死亡したことも幸いしている。

 

こうしてみると、ソ連と中国のハト派の貢献が浮かび上がり、浜田先生のタカ派絶賛は怪しくなりました。

要は、身びいきが過ぎると言うことでしょうか。

 

成功のポイントは、タカ派二人の大統領の交渉意思と、相手国のハト派二人のトップの存在があってこそなのです。

もしも、両国がタカ派同士、ハト派同士であればどうなっていたでしょうか?

一方だけを強調するのは、よくある右派と左派の言説で、注意が必要です。

 

 

最後に

せっかく愉しみに買ったクルーグマン共著の「世界経済の勝者と敗者」でしたが、先に結論辺りから読んだのが悪かった。

興覚めです。

諦めないで、また初めから読むつもりですが。

 

 

 

 

注釈1.

二人の間で、共に協力する方が多くの利益を得ることが分かっていても、相手の行動が予測できない時、協力しない方が確実に少しの利益を得る状況では互いに協力しなくなる、というジレンマを指す。

 

注釈2.

1980年、米国の政治学者ロバート・アクセルロッドが、様々な研究者からゲーム戦略を募集し、コンピュータープログラムで総当たり対戦を行った。

そして様々な戦略の中から「しっぺ返し戦略」が最高得点を取って優勝した。

 

注釈3.

動物行動学、ゲーム理論、進化心理学、進化生物学、社会心理学など。

このジャンルの本を推奨します。

「生物の社会進化」ロバート・トリヴァース著、産業図書:難しいが驚くべき慧眼です。

「共感の時代へ」フランスア・ドゥ・ヴァール著、紀伊国屋書店: 動物の愛に涙します。目からうろこです。

「進化の人間行動」長谷川寿一著、東京大学出版会: 大学のテキスト。全体像がわかる。

「社会心理学キーワード」山岸俊男著、有斐閣: 要領よくまとまっている。

 

注釈4.

創元社刊「世界の歴史10」J.M.ロバーツ著。

p186~188に、似たような記載があります。

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 57: when religions were born 5: Confucianism


中東に平和を! 57: 宗教が誕生する時 5: 儒教

 

1

<1. Confucius>
< 1. 孔子 >

This time, I investigate the birth of Confucianism.

今回は儒教の誕生を追います。

 

The times when Confucius was born
A first Chinese dynasty was born in the 17th century B.C., but it was divided in approximately 200 countries since the 8th century B.C., and the unification of a country was completed after wars for 500 years.
Since the middle period, the farming had advanced by ironware and the trade had developed, and many city states grew up.
At that time, the wars among nations and the internal trouble of royal families continued, and it occurred frequently that a person of lower rank overthrew a superior either politically or militarily, and then supplanted the superior’s position in society.
On the other hand, the royalty and the aristocracy employed a talented and wise person than a blood relative and tried to get predominance .
Under such circumstances, various thinker groups “The Various Masters of the 100 Schools” having an independent opinion were born.
Most of them serve the royalty and the aristocracy, and proposed a policy and an stratagem.
The Confucius was born in such situation in China in the sixth century B.C.

 
孔子が生まれた時代
中国の最初の王朝は黄河中流域に紀元前17世紀に生まれていたが、紀元前8世紀には二百カ国ほどに分裂し、五百年間の戦争を経て統一に至る。
この中期頃から、鉄器による農耕と交易が進み、都市国家は成長していった。
国家間の戦争と王家の内紛は絶えることなく、下位の者が上位の者を脅かす下剋上がはびこっていた。
一方で、王侯貴族は血縁よりも才能や知恵ある者を採用し強勢を計るようになった。
こうした中、独自の主張を持つ多様な思想家集団「諸子百家」が生まれた。
彼らの多くは王侯貴族に仕官し政策や術策を提言した。
このような紀元前6世紀に孔子は生まれた。

 

2

< 2. The Confucius traveling on foot >
< 2. 孔子の遊説行脚 >

The act of the Confucius
He worked his way through school, served a historic state ”Lu”and became a prime minister.
However, he was balked of his hope and opened a private school to common people.
After that, he visited states in each places with disciples, preached his ideal politics, and requested to get into the government service.
After all, he couldn’t realize his dream, came back to his hometown, and devoted myself to organize old documents that had been handed down to the state, and to educate people.

 
孔子の行い
孔子は苦学して由緒ある王家(魯)に仕え、宰相まで登りつめた。
しかし、彼は夢破れ職を辞し、民衆相手に私塾を開いた。
その後、弟子達と共に各地の王家を訪ね、理想の政治を説いて回り、仕官を願った。
結局、夢叶わず故郷に戻り、王家に伝わる古文献の整理と教育に専念した。

 
Afterwards
After the death of Confucius, his teaching was spread out by disciples, it was as popular to common people as Bokka at that time.
Bokka advocated a love of humanity, pacifism, faith, and a simplification of rites
, and conflicted with a scholar of Confucianism, after that it was ruined.
The Confucianism became the state religion of the Han empire in the second century B.C., and existed as an indispensable for the most of governments afterwards.
It was introduced into Korean Peninsula and Japan before long, and the Confucianism took root in the East Asia as morality to keeping social order.
Sacred books of Confucianism(the Four Books and Five Classics of Confucianism) consisted about old documents on the history and formality of the states that Confucius imitated.
“The Analects of Confucius” is one of the sacred books, and is a book that his disciples wrote down the words and acts of Confucius in.
Mental attitude and how to get along in life are written in the book.

 
その後
孔子の死後、その教えは弟子達によって広まり、民衆の人気を墨家と二分した。
墨家は人類愛、戦争反対、信心、祭儀の簡素化を訴え儒家と対立し、後に滅んだ。

紀元前2世紀、儒教は漢帝国の国教となり、その後も国政に不可欠なものとして存続した。
やがて朝鮮半島や日本に伝わり、儒教は東アジアに社会秩序をもたらす道徳として定着した。

儒教の経典(四書五経)は孔子が模範とした王家の歴史や儀礼や易(占い)の古文献が集められたものです。
論語ものその一つで、弟子達が孔子の問答や言行を記したものです。
そこには心構えや処世術が書かれている。

 

3

< 3. a Confucian temple >
< 3. 孔子廟 >

Thought of the Confucius
He thought policymakers must become better to end the turbulent age.
Therefore, he said it was important that the policymaker doesn’t depend on strict penalty and machinations, treats people with a good heart, and must be worshiped by people.
He thought that the model for this is a dynasty ” Zhou ” approximately 500 years ago.

The basics are “Ren” and “Li”.
“Ren” means benevolence or humaneness, and then it was necessary that policymakers seek after virtue and common people have morals.
“Li” means formality or rites, and then it aimed at the succession of the social order (patriarchy, ancestor worship).

He reproved that disciples depended on God, on the other hand, he thought succeeding to the rites make sense.
He didn’t deny royal politics, avoided religious things, advocated the revival of traditional mind and norm daringly in the turbulent age.

 
孔子の思想
彼は、この戦乱の世を終わらせるには為政者が良くならなければならないと考えた。
その為には、為政者は厳格な罰則や謀略に頼るのではなく、善良な心で民に接し、民から敬われることが重要とした。
その手本は、五百年ほど前の周王朝にあるとした。

基本は「仁」と「礼」です。
「仁」とは、自己抑制と思いやりを指し、為政者には「徳」、民には「道徳」を求めた。
「礼」とは、礼儀や祭儀を指し、社会秩序(家父長制、祖先崇拝)の継承を目指した。

彼は、弟子に神を頼ることをたしなめたが、一方で、祭儀を守ることは天の意志に叶うとした。
彼は王家を否定せず、宗教的なものを避け、戦乱の世に敢えて伝統的な精神と規範の復活を訴えた。

 

Point of the Confucianism
Confucius disfavored the politics that puts emphasis on law of punishment and reward, and put emphasis on conscience.
On the other hand, he thought that policymaker (king) with virtue was indispensable for good politics.
This thought was not accepted in the times of the war, but the situation changed when a unified country appeared.
In other words, the doctrine that taught people to have to obey morality, succession of social order, and politics (King), administered to national stability rightly.

This continues the next time.

 
儒教のポイント
孔子は、人々を功利的にさせる法重視(信賞必罰)の政治を嫌い、良心を重視した。
一方で、良い政治には徳を持った王こそが不可欠と考えた。
この考えは、戦乱の時代には受け入れられなかったが、統一国家が出現すると状況は変わった。
つまり、人々に道徳や社会秩序の継承、政治(王)に従うべきと説く教義は、国家の安定にまさに合致するものでした。

 
次回に続く。

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