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北欧3ヵ国を訪ねて 63: 古都ロスキレ 2


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今回はヴァイキング博物館内部を紹介します。

これでノルウェーヴァイキングとの違いが見えてくるはずです。

 

 

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< 2. バス停から博物館へ >

 

上: 右手前方の街路樹向こうに見える白い建物が博物館です。

 

中: 左手の船着場に小型木造船が数多く停泊しています。

後に訪問しますが、魅力ある体験の場になっています。

 

下: 道路の内陸側にはゆったりとした住宅街が広がっています。

 

 

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< 3. 展示物 >

 

上: ロスキレ湾に沈んでいたバイキング船が4隻並んでいます。

これらは11世紀、ヴァイキング時代末期に作られた船です。

これら5隻は湾内の水路に沈められていたのもので、1962年に発掘されたものです。

 

下: 船腹です。

ノルウェーのヴァイキング船と同じような作りですが、オスロの博物館で見た船よりは小さい。

 

この船が小さいのは国の違いではないかもしれません。

オスロの場合は外洋向けの船体であり権力者の副葬品でしたが、ロスキレの場合は、農耕主体の彼らが海上からの敵の侵入を防ぐ為に沈めたものだからです。

 

このロスキレは11世紀にはデンマーク王家の宮殿が建てられ、ロスキレ大聖堂には歴代国王の棺が安置され15世紀までは王都でした。

 

 

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< 4. 模型 >

 

 

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< 5. 他の展示 >

 

上: このロスキレのヴァイキング村の再現ジオラマのようです。

幾つか並んでいました。

 

下: この展示ブースは、ヴァイキング船が夜に航海をしている雰囲気を再現していました。

子供に人気でした。

 

 

 

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< 6. 沈められていた船の位置 >

 

左上: ロスキレの位置。

 

右上: 大きく複雑な湾の最奥部にあるロスキレ。

三角印は灯台、放射状マークは見晴台、一個の円は沈船の場所を示している。

 

下: 沈船箇所の拡大図。

この位置はロスキレのヴァイキング博物館より北方17kmにある。

湾が三つに色分けしてありますが、最も色の濃い部分の水深が1~3m、最も白い部分で5~7mです。

つまり、彼らは最も深い通行可能な水路を沈船で遮断したのです。

もっとも自分たちも航行できないと思うのですが。

 

 

 

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< 7. 北欧ヴァイキングの航海実績 >

 

デンマークのヴァイキングは西側から北海に直接出ることが出来たので、ヨーロッパを荒らした主役だった。

フランスのノルマンディーや英国の南部など。

 

一方、ノルウェーの者は北側のアイスランド、グリーンランドや英国の北部になった。

スウェーデンの者はバルト海から東部に出た。

 

 

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< 8. ヴァイキングの生活の地 >

 

上: ヴァイキング時代の定住地を赤で示している。

当時、デンマークの人口は50~100万人、男性の身長は170cm、男性の寿命は40歳ぐらいだった。

 

下: スカンジナビアの自然。

左側上二つの風景はノルウェー、深いフィヨルドが特徴。

中央二つはフィンランドとスウェーデン、深い森と湖が特徴。

下二つはデンマーク、平坦な地と干潟が特徴。

 

地域によって、かなり水辺や海岸の様子が異なることがわかる。

だから一括りでヴァイキングと言っても、地域で生業や交通手段が異なり、村の様子も異なったことだろう。

 

 

 

 

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< 9. ヴァイキングの生活 >

 

上: 左上の写真は、同じシェラン島にある別のヴァイキングの要塞遺跡を示す。

その右側の三つの円形は、それぞれ三ヵ所のヴァイキング要塞を示す。

その位置は、直ぐ下のデンマークの地図に描かれている。

その右側に要塞内にあった家屋の図です。

どうやら居住用と言うよりは要塞内で共同で過ごすホールの用です。

 

下: 戦闘時の装束、兜、剣などが分かります。

 

 

ここの博物館はオスロのものと違って目玉の遺物は少ない。

しかし、別の野外展示や作業再現の展示が素晴らしい。

 

 

次回紹介します。

 

 

 

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平成の哀しみ18: 深まる亀裂 16: 日本に欠けているもの 1


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批判精神

 

 

日本に欠けているもの

 

 

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ジャーナリズム

 

* 高校生の感想

 

「戦争は経済が潤うから悪くない」

 

「愛国心のあるネットウヨに好感が持てる」

 

私は指摘した

 

「米国はイラク戦争で300兆円を費やした、イラクの被害は別にして」

 

「愛国心は誰にもある。オリンピックの応援を見ればわかる」

 

これでは彼らは簡単に煽情される。

 

 

 

3

 

* ワルシャワで通訳に今次大戦について聞いた

 

「この地はドイツとソ連に酷い扱いを受けたが、皆はどう感じているのか?」

 

彼女はきっぱりと答えた。

「ドイツは許せるがソ連は許せない」

 

「破壊と虐殺はドイツ軍の方が酷かったのでは」

と聞くと彼女は答えた。

 

「ドイツは謝ったが、ソ連はいまだに認めない」

 

 

この心情は重要です。

 

 

 

* ストラスブールで通訳に町の平和について聞いた

 

「千年に渡り仏独はこの地を奪い合ったが、現在トラブルはありませんか?」

 

「両民族が共に暮らしているが問題無い」

と彼女は答え、ベテラン添乗員も同意した。

 

異民族の混住は紛争の引き金になり易いので、さらに疑問をぶつけたが怪訝な顔をされた。

 

これはフランスとEUの積極的な融和策が功を奏しているからです。

 

 

この違いは日本の政治・教育・文化の貧困に起因しているのです。

 

 

次回に続く

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 62: 古都ロスキレ 1


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< 1. ヴァイキングの故地 >

 

 

今回は、コペンハーゲン港から古都ロスキレまでを紹介します。

私はデンマークではコペンハーゲンを中心にシェラン島を旅しました。

シェラン島の訪問地を簡単に紹介します。

 

 

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< 2. デンマークの訪問地、上が北 >

 

上: シェラン島の主な訪問地。

赤枠が主な訪問地で。黒線は電車です。

1日かけてコペンハーゲンを離れて北側の二ヵ所、お城と野外民俗博物館を訪ねた。

数時間かけてコペンハーゲンの西側にある古都ロスキレを訪ねた。

1日半かけてコペンハーゲン中心部の街並み、博物館、美術館、宮殿、教会、図書館などをバス、地下鉄や船など使い観光しました。

 

下: ロスキレではヴァイキング博物館と大聖堂を見て、公園と市街地を散策しました。

ピンク線は行きのバスで、青線は帰りの徒歩です。

黒線はコペンハーゲン間の電車です。

 

今回の写真は2019年6月7日、10:00~12:00に撮影したものです。

 

 

 

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< 3. フェリーを下船 >

 

上: 下船したばかりのフェリーを見上げる。

 

下: 予約していたシャトルバスからの眺め。

 

 

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< 4. シャトルバス >

 

上: 右側の路側帯に数多くの自転車が見える。

首都の中心部に近いのに車が少ない。

 

下: シャトルバスの停車場、普通の道路端で下車。

電車や地下鉄駅から少し離れた所で降りる。

 

 

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< 5.Nørreport駅付近 >

 

上: シャトルバスの停車場側からNørreport駅付近を望む。

 

下: この地下を電車(国鉄)や地下鉄が走っている。

 

 

私は電車を利用する前にCopenhagen Cardの72hを買う必要があった。

7-Elevenで販売していることが分かっていたので、写真のような道路中央にある店に入った。

 

ここで注意があります。

店員がカード使用開始時間を聞いてい来るので、今から使うのか、また使用開始の日時を指定する必要があります。

私は直ぐ使うので、カードのvalid form欄に購入時の時間10:30を記入してもらった。

初め何を言っているか分からず、戸惑った。

オスロのホテルでカードを買った時もそうだったのですが。

 

この地下に降り、電車に乗って2駅先のコペンハーゲン中央駅に向かう。

 

 

 

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< 6. コペンハーゲン中央駅 >

 

上: 地下1階のホームだが、地上は見える。

 

下: エスカレーターに乗って1階のコンコースに出た。

この写真は西側寄りから東側を見ている。

中央の青色の表示板が電車の行先表示で、ここで電車の発車時間とホームを確認した。

この周辺に案内係がいたので聞くことが出来た。

この写真の反対側のエレベーターで階下に降りて、ロッカーに荷物を預けた。

ここでは荷物を人手で預かってもくれる。

 

ホテルは近いのだが、この駅でスーツケースなどの荷物を預けた。

直接ロスキレに電車で向かう方が時間ロスが無いので。

ここには様々な飲食店やコンビニ、スーパーはあるのだが、11時少し前なので、食べずに電車に乗った。

 

Copenhagen Cardを買っておくと、今回の遠出と中心部の観光入場と交通がすべてフリーパスのなので、非常に楽です。

入場券と切符を買う手間暇がまったく不要でした。

 

 

 

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< 7. ホームにて >

 

上: コペンハーゲン中央駅のホームで電車を確認。

 

中: 電車内の表示で、行先と車両を確認。

 

下: ロスキレ駅に到着。

 

 

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< 8. ロスキレ駅 >

 

上: 待合室。

 

下: 待合室の前のバス停。

駅前のバス停からは目的地に行かないようです。

 

 

 

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< 9. バースターミナルに向かう >

 

上: 駅前の道路脇の表示板。

ヴァイキング博物館に行くには左に行く方が良いようです。

 

下: 駅を出て左側に進むと、バスターミナルが見えた。

 

数多くのバス停があったので、どのバス停で乗るべきかを近くの人に尋ねた。

ここでも若い女性に聞くと通じず、年配の男性が教えてくれた。

 

 

 

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< 10. バス停からバスに乗る >

 

上: バスターミナル横の店舗。

 

下: バスに乗った。

 

私が何処で降りるべきか不安がっていると、左前の女性が次で降りなさいと教えてくれた。

私がバスに乗車する時に、運転手に「ヴァイキング博物館に行きますか」と尋ねたのを聞いていたからだろうか。

 

旅ではちょっとした親切が身に沁みるものです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 61: フェリー 3


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今回は、室内の紹介、そしてクロンボ―城の眺めからコペンハーゲン港への入港までを紹介します。

 

 

 

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< 2. 船内の紹介 >

 

中: フロント階の直ぐ下の階。

 

下: その階の窓側にこのモニターがあったと思います。

 

朝4時頃からデッキに出てクロンボ―城の撮影を狙っていたのすが、いつまで経っても見えません。

それで船の位置を示すものは無いかと探していると、モニターを発見した。

モニターを見ると、赤い船の印はまだ海峡に入っていませんでした。

この時刻は6:07で、クロンボ―城に最接近したのは7:57でした。

 

 

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< 3. 船内の様子 >

 

上: フロント、案内所のある階。

 

中: 船内の紹介。

 

 

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< 4. 両側に陸地が見えて来た >

 

上: 前方左舷のスカンジナビア半島。

 

中: 前方右舷のシェラン島。

 

下: 前方に微かに海峡らしきものが。

 

 

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< 5. やっと海峡が見えた >

 

上: 左はスウェーデンのヘルシンボリ、右はデンマークのヘルシンオアです。

この海峡の幅は4kmで、スカンジナビア半島とシェラン島の距離が最も近い。

 

中: ヘルシンボリ側。

 

下: ヘルシンオア側の先に、クロンボ―城が見え始めた。

7:50です。

 

 

この海峡の狭さが、このクロンボ―城を歴史的に有名にした。

このことがハムレットの舞台になった理由かもしれない。

 

中世の時代、ドイツを除く西欧諸国は北方交易の為、船で北海からバルト海に行くには、この海峡を通過せざるをえなかった。

ドイツだけはリューベックから直接、バルト海に出ることが出来た。

このことがこの都市をハンザ同盟の中心都市にした。

この頃、バルト海からヴァイキングが去って久しく、ハンザ同盟も盛りを過ぎ、交易は各王国が主導権を担っていた。

中世初期の交易は地中海が注目されていた。

 

14世紀、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3王国間連合が結ばれた。

この盟主となったデンマーク王は戦争による疲弊した財政を立て直す為に、この地にクロンボ―城を作り、通行税を徴収し始めた。

これが財政を豊かにさせた。

 

第二次世界大戦時、ドイツがノルウェーに侵攻した大きな理由は、英国海軍のバルト海進出とノルウェーの海運を封じる為でした。

 

この海域は西欧、北欧、東欧、ロシアにとって非常に重要だったのです。

 

 

 

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< 6. クロンボ―城 >

 

下: 最も近くなったところ。

 

 

 

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< 7.  離れて行く >

 

 

 

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< 8. 私のキャビン >

 

二段ベッドの二人部屋を一人で使ったので、狭くはなかった。

シャワーも使った。

安価なので窓はないが、気にはならない。

静かでよく寝れた。

 

 

 

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< 9. コペンハーゲン港が見えた >

 

上: コペンハーゲン港。

 

下: 中央に要塞島が見える。

これはかって英国との海戦でデンマーク側の守りの要になったことだろう。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 60: フェリー 2


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今回は、DFDSフェリーの食事とフェリーからの景色を紹介します。

今回でオスロ湾ともお別れです。

 

 

 

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< 2. 夕食 1 >

 

写真は予約していた18:00からのブッフェの光景です。

非常に沢山の北欧らしい食材と料理が並んでいます。

 

乗船客は時間を分けて予約しているので、多くの人が取り合うことは無かった。

下の写真の左、男性が今まさに取ろうとしているのは骨付きリブ肉で、一つが大きい。

私も取ろうとしたのですが、大き過ぎるので止めました。

 

 

 

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< 3. 夕食 2 >

 

上: シーフードのコーナー。

 

下: 最初に取った料理。

ビールは予約していたものです。

ウエイターはしきりにワンランク上の飲料を薦めたが断った。

 

 

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< 4. 夕食 3 >

 

二度目の料理とデザートです。

 

今回の北欧旅行で、レストランで食べったのはこれを含めて3回だけでした。

当初はスウェーデンの港町でバルト海のシーフードを食べるつもりでしたが、電車が突如不通になり、叶わなかった。

またデンマークの港町でも食べようとしたのですが、祭りの為か町のレストランの多くは閉まり、簡単なものしか食べられなかった。

 

どちらにしても北欧の物価は高く、貧乏旅行では高すぎて手が出なかった。

結局、ホテルの朝食を充分食べて、昼と夜はコンビニでサンドイッチのようなものを買って済ませた。

 

 

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< 5. オスロ湾に別れを 1 >

 

時刻は18:40前後です。

出港から2時間10分が経っていました。

左右の陸地は遠のき、その間を行き交うフェリーが見えます。

 

上中: 前方を見ている。

 

下: 後方を見ている。

 

 

 

 

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< 6. オスロ湾に別れを 2 >

 

時刻は18:45頃ですが、ジャグジーを楽しんでいる人々がいる。

 

 

 

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< 7. 船内 >

 

上: 免税店。

中: エレベーターホールに出る。

下: キャビンの通路。

 

 

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< 8. 夜明け 1 >

 

朝4:25、夜明けの瞬間です。

朝陽はスカンジナビア半島、スウェーデン側から昇ります。

 

この辺りは東側だけで陸地が微かに見える。

他の方向の眺め大洋を行くが如しです。

 

 

 

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< 9. 夜明け 2 >

 

時刻は4:40~4:55です。

 

上: 進行方向右側、西、デンマーク側を見ている。

漁船らしいものが数隻見える。

その奥に、ユトランド半島か島らしいものが微かに見える。

 

中: 進行方向左側、東、スウェーデン側を見ている。

望遠側で撮影すると、陸地に無数の風力発電用の風車が見える。

 

この手の風車を最初に製造したのはデンマークだった思います。

「持続可能な発展」を提唱したのノルウェーだったと思います。

北欧とは不思議な国です。

小国ながら自然に対して世界に先駆けた発想を持ち、やがて実現し、そして世界はそれを見習うようになった。

 

下: 前方に微かに島か陸地が見え始めた。

 

 

 

 

 

 

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< 10. 夜明け 3 >

 

時刻は5:50頃です。

 

やっと前方に、陸地が確認できる。

左はスカンジナビア半島、右はデンマークのシェラン島でしょう。

シェラン島にコペンハーゲンがある。

 

実は、早くから起きて海を見ているのには理由があります。

それはもうすぐ訪れる最も狭い海峡の一方にクロンボ―城が見えるはずだからです。

クロンボ―城はハムレットの舞台になった所です。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 59: フェリー 1 


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これから最後の訪問国デンマークを目指します。

今回は、フェリーからのオスロ湾の眺めを紹介します。

晴天に恵まれ、そよ風に吹かれながら広大なフィヨルドを堪能しました。

 

 

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< 2. フェリーの航路 >

 

左上: 全航路オスロとコペンハーゲン間を黒い線で示す。

赤い矢印はオスカシボルグ要塞で、今回はオスロ出港からここまでを紹介します。

 

右上: オスロとオスカシボルグ要塞の間を拡大したものです。

 

フェリー出港は2018年6月6日、16:30です。

そしてオスカシボルグ要塞を過ぎたのは17:40頃です。

 

下: フェリーのフロア図。

かなり大きいですが、クルーズ船ほどには楽しめるスペースは無いようです。

 

 

 

 

 

 

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< 3. フェリー内 >

 

上: ここが唯一気楽に過ごせる、カフェでしょうか。

パンなども売られているので軽い朝食に良いでしょう。

奥に免税店が見えますが、高価なものが多いようです。

 

下: 屋上後部デッキ。

やはりクルーズと言えば、ここで皆、ビールでしょうか?

ところが、わりとジュースが目につきました。

 

 

 

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< 4. フェリーからオスロ市街を見渡す >

 

上: 白いのがオペラハウスです。

 

下: 左の森はアーケシュフース城、写真中央の遠方に見える二つの茶色の塔がオスロ市庁舎です。

 

 

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< 5. フェリーのデッキから 1 >

いよいよ出港です。

 

中: オスロ市街が遠くに見えます。

 

 

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< 6. フェリーのデッキから 2 >

 

 

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< 7. フェリーのデッキから 3 >

 

出港から30分ほど経った頃、不思議な光景を目にすることになりました。

それは進行方向右側の港から無数の高速ボートが白波を立て、このフェリーに近づいて来たのです。

そしてフェリーを囲み、追い越したりしていました。

 

まさか海賊、ヴァイキングとは思いませんでしたが。

どうやら観光のようでした。

 

 

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< 8. フェリーのデッキから 4 >

 

出港から40分ほど経っと前の海峡が非常に狭くなり、まるで塞がっているように見えました。

 

 

 

 

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< 9. フェリーのデッキから 5 >

 

フェリーは幾度も右左と大きく旋回し、島を避けながら海峡を抜けて行きます。

 

 

 

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< 10. オスカシボルグ要塞 >

 

狭い海峡を抜け、振り返ってみると何やら要塞らしきものが見えました。

後でグーグルマップで調べると、ここがオスカシボルグ要塞だと言うことが分かりました。

 

ひょっとすると、この三枚の写真のいずれかはドイツの戦艦が撃沈されたところかも知れません。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 58: オスロ17: 陸軍博物館からフェリー乗船まで


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今回は、アーケシュフース城の横にある陸軍博物館を紹介します。

またコペンハーゲン行きのフェリーの乗船も紹介します。

これでオスロとお別れです。

 

 

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上: アーケシュフース城(右側の城壁)を出た所。

海側を見ている。

通りを隔てた広い敷地(写真左側)に現代美術館や陸軍博物館などがあります。

 

下: この敷地からアーケシュフース城を望む。

 

 

 

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< 3. 陸軍施設 >

 

上: 建物の表側。

手前のコンテナには「国際派遣の為のノルウェー団体」との記載があります。

 

下: 上記写真の建物の右側を通って、振り返った所。

先ほどの裏側を見ている。

私の立っている背中側に陸軍博物館がある。

 

 

 

 

 

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< 4. 陸軍博物館 >

 

世界各地での平和維持活動や派兵の実績を展示。

 

上: この建物の右正面に入り口がある。

左の木の手前の木陰に砲台をこちらに向けた戦車が置いてある。

 

下: これはおそらく中東、ベイルートなど高原に建てられた見張り台のようです。

 

 

 

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< 5. 平和維持活動の展示 1 >

 

上: アフガンの多国籍軍派兵かもしれない。

 

 

ノルウェーは小さい国ながら、20世紀以来、ずっと世界の平和と紛争調停に積極的に関わって来た。

 

以前紹介した探検家ナンセンは初代難民高等弁務官として活躍し、難民の父と呼ばれている。

国連安保理立案者の一人で初代国連事務総長になったのはノルウェーの外務大臣でした(前回紹介したドイツ占領時の亡命政府)。

ノルウェーがノベール平和賞の選定と授与を行っている。

 

ノルウェーは数多くの紛争調停に関わっているが、オスロ合意が最も有名でしょう。

当時絶望的であったイスラエルとアラブとの紛争にあって、突如、光明が射したことを覚えています。

1993年、犬猿の仲であったイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間で合意がなった。

残念ながらイスラエルの侵攻で無に帰したが。

この時、クリントン大統領が全面に出ていたが、実はそこに至るお膳立てはノルウェー政府と民間人によってなされていたのです。

またクラスター爆弾の禁止条約の立役者でもあります。

 

北欧のスウェーデンとノルウェーは世界平和への貢献が素晴らしい。

大国が身勝手な戦争をする傍らで、両国の政府、軍、民間NGO、研究機関が世界各地に出て、平和と紛争解決に尽力している。

 

なぜ彼らが我が身を惜しまずにここまでやるのか、おそらく日本人の理解を越えているだろう。

ここ数世紀の小国の悲哀、プロテスタント、スカンジナビアの地政学的な背景が関わっているのか?

ひょっとしたらヴァイキング時代からの世界志向が、そうさせているのかもしれない。

 

 

 

 

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< 6. 平和維持活動の展示 2 >

 

上: ノルウェーは実に多くの地域で活躍している。

 

下: これから乗るフェリーが見える。

荷物をホテルに取りに帰る為に、バス停に行く途中。

 

 

 

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< 7. ホテルに戻る >

 

上: バス停。

もし、この付近に荷物を預ける場所があれば、ホテルに戻らず、このままフェリーに乗ることが出来たのですが。

事前にインターネットで探したが見つからなかった。

フェリー会社に、ターミナルにロッカーが有るかとメールで尋ねたのですが、無いとの返事でした。

 

荷物(スーツケース)の扱いが、旅行の自由度をかなり制限します。

 

下: バスでもう一度中央駅付近に戻り、トラムに乗り換え、ホテルに行きます。

 

 

 

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< 8. フェリーDFDSに乗船 >

 

上: 乗るフェリーが見えます。

同じバス停に戻って来た。

手前にターミナルがあります。

 

下: ターミナルの検札を無事通過して、振り返った所です。

実はターミナルに入った所にロッカーがあったのですが、スーツケースが入るかは不明です。

 

私は係員から、ここで注意を受けました。

それはインターネットでの予約書(印刷物)で通過しようとしたら、発券機でチケットを発券しなさいとのことでした。

私が躊躇していると、今回初めてだから良いが、次回から自分でやりなさいと言い、その場で発券してくれました。

感謝!

 

 

簡単にフェリーを紹介します。

 

当然、初めて乗ったのですが、大変お薦めです。

便利で快適、コストパフォーマンスが良く、景色が良く、さらに夕食も素晴らしい。

オスロ発16:30でコペンハーゲン着翌日の9:45で、一日一便です。

料金は全部で146ユーロ(19600円)です。

 

明細を記します

Transportation Oslo – Copenhagen  0.00 EUR

2-bed inside cabin with bunk beds  88.00 EUR

(部屋の種類が多いが安い方の一部屋の料金。一人で使う)

7 Seas Restaurant 18:00 CET 7 Seas Dinner Buffet incl 1 drink 7 Seas Dinner Buffet incl 1 Drink      43.60 EUR

(ビール一杯付きの夕食料金。オプションから時間などを指定する)

 

Transfer bus: DFDS terminal – Nørreport St. 

Transfer bus: DFDS Terminal – Nørreport station 3.00 EUR

(コペンハーゲンのターミナルから地下鉄駅近くまでの送迎バス料金)

 

Booking Fee   10.00 EUR

Credit card fee 1.51 EUR

 

事前に日本からインターネットで申し込んだのですが、非常に細かくオプションを指定しなけらばならない。

後日予約内容を変更したが無事問題無く、予約は出来ました。

 

オスロとコペンハーゲン間の移動は、他に鉄道と航空機が有りますが、ターミナルがオスロ市街地に近いこと、夜の移動で時間短縮になり、ホテル代込み運賃としては安いのが魅力です。

予想以上に良かったのは食事とオスロ湾とヘルシングボリの海峡の景色でした。

 

フェリー内には、このバイキングのビュフェ以外にレストランが有りますが安くはない。

もっとも、北欧のまともなレストランは私には高いのですが。

 

パンとコーヒーを販売している小さなストアはあります。

もしかしたら、外から弁当を持ち込んでも良いのではないでしょうか。

荷物のチェックはありませんでしたから。

 

 

 

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< 9.ターミナルから船内へ >

 

上: ターミナル側の渡り廊下。

地中海クルーズで利用したMSCのクルーズ船と違って、乗船はあっけないものでした。

検札などの大渋滞はなく、荷物チェックもなく、ターミナル内部も簡素で迷うことは無い。

 

下: 通路から最初に乗船したフロア。

この上の階にインフォメーションがあります。

 

 

 

 

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< 10. 船内 >

 

上: 船室。

何の手続きも必要なく、自分の船室に入ることが出来ます。

ただ清掃の関係か、船内で定められた入室時間まで待つことになりました。

この様子だと早く行く必要はないかもしれない。

もっともチェックイン15:15~16:15で、私が検札を通ったのが14:15でした。

 

私が乗船した時の乗船客は、アジア系やヒスパニックが多く、数人のグループが多かった。

気楽に利用している感じがした。

 

下: インフォメーション。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 57: オスロ16: ノルウェー抵抗運動博物館


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今回は、アーケシュフース城内にあるノルウェー抵抗運動博物館を紹介します。

ここには第二次世界大戦の抵抗運動の様子が展示されています。

小国の悲哀と独立への強い思いが錯綜する中で、希望へと導いた国王の行動が光ります。

 

 

 

 

 

 

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< 2. 博物館と関連映画 >

 

上: ノルウェー抵抗運動博物館の外観。

地下に展示室が広がり、狭いながらも十分に当時の状況を感じることが出来ます。

観光客は少ないが、学生や夫婦の見学者が少なからずいた。

 

左下: 抵抗運動の象徴になったノルウェー王ホーコン7世の肖像画。

 

右下: この抵抗運動が始まった三日間を描いた映画「ヒトラーに屈しなかった国王」のポスターです。

 

映画の主人公はホーコン7世です。

私は偶然、旅行に行く前にこの映画を見ることが出来ました。

これはノルウェー製でハリウッド製のような派手さはないが、当時の緊迫感と揺れる首脳陣の思いが伝わってくる良作でした。

 

 

 

 

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< 3. 展示物 1 >

 

左上: この地図はドイツ軍がノルウェーに侵攻した状況を示しているようです。

 

右下のオスロ湾に一群のドイツ艦隊が侵入しているのが分かります。

当時の政府首脳と国王はオスロにいました。

抵抗のドラマはオスロから始まりました。

 

ドイツ軍は雪が残る1940年4月にノルウェー各地に同時に侵攻した。

ドイツは前年、ポーランドに侵攻を開始し大戦が始まっていた。

破竹の勢いで進軍したドイツ軍は1940年6月にパリを陥落させた。

この5月にはチャーチルが英国首相となり、英国は和平から臨戦体制に転換した。

 

左下: おそらく左がホーコン7世のようです。

 

右で威張っているのが悪名高いクヴィスリング首相でしょう。

ノルウェー軍人の彼はナチスを信奉しており、前年にヒトラーにノルウェー侵攻を要請していた。

実は、彼はナチス主体の「北海帝国」を妄想していた。

いつの世にもこのような人物は出るようです。

彼はドイツ軍侵攻の混乱に乗じ、全権掌握を宣言し、自ら傀儡政権を任じます。

しかし彼はノルウェー首脳と国民からは疎んじられ、ヒトラーを除いてドイツ側も信用していなかった。

彼は戦後、裁判によって銃殺刑に処せられた。

彼の名は今でも「売国奴」と同義語として使用されている。

 

右下: おそらくドイツ軍に占拠されたオスロ港でしょう。

 

 

 

 

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< 4. 映画のシーン 1 >

 

上: 映画は冒頭、闇夜から始まった。

 

それはオスロ湾で最も狭いドレーバク水道にあるオスカシボルグ要塞の守備隊が舞台になります。

この要塞の島をフェリーか眺めることができました。

 

闇夜に乗じてドイツの戦艦が迫って来たので、守備隊長は王宮に判断を仰ごうとするのですが連絡が取れません。

ここで彼は砲撃の命令を独断で下し、戦艦を撃沈します。

(私には出来なかったでしょうが)

 

この彼の行動が国王に逃亡の時間を与え、後の抵抗運動に繋がった。

後に彼は勲章を授与されます。

 

 

下: 右はドイツ公使で左はドイツ将校です。

 

この映画で国王に次いで、心打たれた人物がノルウェー駐在ドイツ公使Curt Bräuerです。

 

映画の舞台は翌日のオスロに移ります。

彼はドイツ軍による支配を極力穏便に済まそうと調整に努めます。

ヒトラーとも直談判し、また侵攻して来たドイツ将校相手に孤軍奮闘します。

しかしホーコン7世はヒトラーから条件(傀儡政権を認める)を呑むことが出来ず、家族と政府首脳と共にオスロを去り列車で北部へ逃亡します。

 

大使の仲介の労は無に帰し、彼は任を解かれソ連への前線に送られ、9年間のソ連での捕虜生活に耐えることになる。

このような身の危険を顧みない他国を思う外交官がいたことに感動した。

 

 

 

 

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< 5. 映画のシーン 2 >

 

上: ホーコン7世と王子、そして政府首脳がドイツ軍の追撃から逃れているシーンです。

 

下: 国王一行を守る兵士は少なく、少年兵も参加している。

 

ホーコン7世は逃亡しながらドイツの降伏要求を拒否し続け、2か月後に国外脱出を果たすることになる。

この時「独立を取り戻すための戦い」の声明を残し、王家、政府と軍の要人500名と共に船で英国に亡命します。

ロンドンで亡命政府を樹立し、連合軍と共に戦うことを宣言し、ノルウェー国内の抵抗運動への指示と支援を続けます。

 

そして国民は一丸となって統率の取れた抵抗をおこなった。

初めは非協力・非暴力で抵抗し、地下に潜伏し、ドイツ軍の劣勢が伝わると武力闘争に切り替えっていった。

 

戦後、国王は帰国を国民の大歓迎で迎えられ、再び独立を取り戻した。

そして現在、世界で一番豊かで幸福な国と言われる。

 

 

 

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< 6. 展示物 2 >

 

ドイツ軍の侵略を模型で示したものです。

 

 

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< 7. 展示物 3 >

 

抵抗運動の主役たちと様々な抵抗の様子が展示されていました。

 

 

 

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< 8.展示物 4 >

 

これはどうやら抵抗運動側によるオスロでの破壊指令のようです。

 

指令書の地名は地図の黄色の破裂マークで、前回紹介したアーケシュフース城に至る道で、右側にオスロ中央駅があります。

指令書の目標名は、ドイツが創設したノルウェー内のナチス党組織です。

日時は終戦の前年の1944年です。

 

 

* 感想

 

この抵抗運動と映画も含めて感想を記します。

 

一番印象深いのは、劇中でのホーコン7世が語る言葉です。

 

彼は「私は国民から選ばれた王だから、もっとも尊重すべきは国民の声である」として、安易にドイツの言いなりなることは出来ないと悩みます。

ドイツに屈服して王家と国民の命を守るべきか、それとも半世紀前にやっと手に入れた独立を守るべきか。

 

実は、彼は1905年のノルウェー独立に伴い、国民投票でデンマークの王子からノルウェー王になっていたのです。

 

一方ドイツ侵攻で政府首脳はうろたえ、王は「君たちは国民から選ばれたのだから、国を率いる責務があるのだ」と諭します。

しかし彼らは答えを出しません。

 

王は象徴的な存在であって、政治に口出すべきでないとホーコン7世

は考えていた。

彼への国民の信頼は絶大で、ノルウェー政府も王の言葉を待ちで、ドイツも彼を条約調印の相手と見做していた。

 

彼は一人悩み「降伏拒否」を宣言することになる。

映画はここに至る3日間を描いている。

 

 

私が北欧に惹かれ、政治社会経済の良さを知りたいと願い、今回の旅にでました。

 

北欧三ヵ国に共通するのは立憲君主制ですが、大いに英国や日本と異なるものがある。

ここ数百年の歴史を見ると、北欧三ヵ国は王家の力が弱く、貴族と対抗させ、国民がまとまるため、国民が王家に国の統率を依頼するようなところがある。

これはヴァイキングが隆盛した社会背景と共通しているように思える。

 

ともかく議会制民主主義が国民と王家の信頼によってより強固になっている。

不思議な国です。

 

抵抗運動が分裂せず、スムーズに行われたのもこの国王への人気の賜物かもしれない。

 

 

実は、この館を退出する時、事務所の男性職員が目を合わせ「ありがとう」と言ってくれた。

 

 

次回に続く。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 56: オスロ 15: アーケシュフース城


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今回は、海岸に面した丘に建つ古城、アーケシュフース城を紹介します。

北欧で訪れた城の中では最も郷愁を誘う佇まいでした。

 

 

 

 

 

 

 

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< 2.散策ルート、上が北 >

 

上: 赤枠が今回紹介する範囲です。

 

下: 赤線が散策ルートで、Sから初めて半時計周りに進みEに戻りました。

 

時間が無く、あまり興味もなかったので城の建物内には入りませんでした。

城の敷地内にあるノルウェー抵抗運動博物館には入りました。

ノルウェーの現代史、第二次世界大戦に関心がある方は参考になると思います。

後に紹介します。

 

散策したのは2018年6月6日の11:00~12:00で、途中、ノルウェー抵抗運動博物館を見ています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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上: 北側のウオータフロントを見ています。

前日、ボートで右側の港に着岸しました。

 

下: この城壁の上の道から港を見下ろしています。

 

 

 

 

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下: 湾奥右手に見える茶色の建物がオスロ市庁舎の一部です。

 

 

 

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左上: 衛兵の少年が観光客に人気で、また可愛い。

右上: 城の西側にある砲台に向かって下ります。

 

下: ほぼオスロ湾の西側を見ています。

 

 

 

 

 

 

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下: この建物が最も重要な城の建物なのでしょう。

撮影している私の後ろ、海側に砲列があります。

 

この城は、1299年に創建され、1527年、火災に遭い大部分が焼失した。

1600年代前半に宮殿として改築され、城壁も造られた。

敵軍に9回も包囲されたが、一度も陥落することはなかった。

現在は公式行事が行われ、王室関連の亡骸が城内に埋葬されている。

 

 

 

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上: 砲列は西側、オスロ湾に向かっています。

 

下: 小さな門をくぐり抜け、砲台を振り返った。

 

 

 

 

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上: 先ほどの門から多くの観光客が出て来た。

 

下: その門の右側、城の建屋を眺める。

 

 

 

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上: ほぼ上記と同じ位置から、これから戻る方向を望む。

 

下: 真直ぐ進み、右に折れると、最初に入って来た場所に戻ります。

 

一部、軍事関連の施設が有り、通れないところがあります。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 55: オスロ 14: 歴史博物館


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< 1. 歴史博物館 >

 

 

今回は、歴史博物館と王宮周辺を紹介します。

それとヴィーゲラン公園を出て上記2ヵ所を巡り、次にアーケシュフース城までの行き方について紹介します。

写真は2018年6月6日、9:00~11:00の撮影です。

 

 

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< 2. 観光ルート、上が北 >

 

上: 左上のヴィーゲラン公園を出て、右下のアーケシュフース城までのルートを示す。

赤線が徒歩、青線が2種類のトラム、黒矢印が歴史博物館、黒枠がアーケシュフース城です。

途中の赤線は王宮前の公園を抜けていく徒歩ルートです。

 

下: アーケシュフース城に行く為に、青線のトラムを下車し、黄色線のルートを歩き、城内に入った。

 

 

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< 3. トラムのFrogner plass駅 >

 

上: 左に折れて行くと王宮の方に行きます。

 

下: 乗るトラムがヴィーゲラン公園の方からやって来ました。

 

オスロのトラムの乗降は一切、切符のチェックがありません。

一度、無賃乗車のチェックで捕まっていた人を見たことがありました。

 

路線12番のトラムを利用し、王宮近くまで行きます。

実はここまで歩かなくとも、ヴィーゲラン公園の正面ゲート前にVigelandsparken駅があり、同じ12番線が利用できました。

下車駅はRuseløkkaです。

 

このような目的地に行く為のバスや地下鉄、トラムのルート選択は、事前に日本でグーグルマップで調べておきました。

非常に役立ちました。

バス停の位置が、少し正確でない時もありましたが、ストリートビューで詳細に調べることで多くは解決しました。

時間はかかりますが。

 

 

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< 4. トラムの様子 >

 

上: トラムのFrogner plass駅の表示。

路線図と路線の駅、時刻表が分かります。

 

下: これは乗ったトラムの車内です。

これは新しい車両ですが、他では古い車両にも乗りました。

 

一つ北欧らしいエピソードを紹介します。

私が中心街のトラムを乗っていた時のことです。

 

停留所でおばあさんが一人乗って来ました。

トラム内には若干空席がありました。

すると二人掛けの椅子で喋っていた二人の女性が、すくっと立ち上がりました。

そのおばあさんは、その二人掛けの椅子に座り、二人の女性は別の補助椅子を起こして座りました。

 

はたで見ていると、大げさな誘いや感謝などは無く、実に自然な行動でした。

 

彼女らは少しでも高齢者には楽に座って欲しいと思ったのでしょう。

日本でこのようなことは起きないでしょう。

 

 

 

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< 5. 王宮周辺 >

 

上: 王宮側から今来た道を見ている。

トラムのRuseløkka駅を降りて、緩い坂道を王宮に向かって歩きます。

 

下: 同じ位置から王宮を見上げる。

 

 

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< 6. 王宮 >

 

上: 王宮。

入りませんでした(夏季のみ、ガイドツアーで見学可)。

この建物は1848年の完成で、銅像は当時のカール・ヨハン王です。

この時期、ノルウェーはスウェーデンの支配下にあり、彼はスウェーデン王でした。

 

観光客と集団の学生の見学者が多かった

 

下: ちょうど反対方向を望む、カール・ヨハン通りがオスロ駅まで一直線に伸びている。

 

 

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< 7. 王宮の公園 >

 

上: 王宮前に広がる公園を抜ける。

振り返った所。

 

下: 鳥がさえずり、落ち着ける所でした。

 

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< 8. 歴史博物館 1 >

 

上: 1階、中世展示室。

木造教会模型の右奥に学生が円陣を敷いています。

この円陣の中央の床にヴァイキングの丸い木造の盾が置かれていました。

彼らはヴァイキングの歴史を学芸員から聞いていたようです。

 

下: ヴァイキング時代の船の風向計らしい。

 

この博物館は4階まであるのですが、工事中(展示の模様替え)の為か展示は少ない。

メインであるはずの中世も含めてヴァイキングの展示も少ない。

これに比べデンマークとスウェーデンの博物館の展示は豊富でした。

 

 

 

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< 9. 他の展示 >

 

左: 1階の同じ中世展示室。

石碑がありましたが、スウェーデンで見たルーン石碑とは異なるものでした。

外形は三角形で赤色、前面には馬などの絵が刻まれ物語を描いているようでした。

これはDynnastoneと呼ばれるもので、聖書のキリスト降誕の場面を描いているらしい。

ヴァイキング時代の終わり、ノルウェーにキリスト教がもたらされた11世紀頃のものです。

 

右: 中国製の工芸品でしょうか。

 

この博物館の展示に、ノルウェーの中世以外に、古代エジプト、世界各地の民族衣装、そして北米とユーラシアの北極圏の民俗展示があります。

北極とその周辺の民俗展示は、日本のアイヌも含めて文化の共通点が見られて面白かった。

 

残念なことは、全体に規模が小さいことです。

 

 

 

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< 10. アーケシュフース城に向かう >

 

上: 国立劇場前からトラムに乗ります。

奥の方に向います。

ここで路線13か19のトラムに乗り、Øvre Slottsgate駅で降ります。

途中停車駅はなし。

 

下: Øvre Slottsgate駅を降りた所。

これから右に折れて進みます。

 

 

 

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< 11. アーケシュフース城の城壁が見えて来た >

 

下: 左の方に入り口の一つがある。

入口は何か所もあり、分かり難い。

城内に入るのに入場料は必要がなかったようです。

建物の中に入るには入場料がいるはずですが、オスロ・パスがあれば無料です。

私は建物中には入らず、城内敷地を巡った。

けっこう古城の雰囲気を楽しむことが出来ます。

 

 

 

 

 

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< 12. いよいよ入場 >

 

上: 城内の地図。

非常に敷地は大きく、私が入念に見て回ったのは地図の上半分で、ノルウェー抵抗運動博物館もあります。

 

下側には美術館やArmed Forces Museum (Norway)があります。

 

ノルウェー抵抗運動博物館とArmed Forces Museum (Norway)に入りました。

この2つではノルウェーの半世紀前の苦しみと、その後の世界平和への貢献がわかります。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 54: オスロ 13: ヴィーゲラン公園へ行く


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今回は、ヴィーゲラン公園に林立する彫刻群を堪能します。

途中、オスロ市内の大きな墓地を通りました。

 

 

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< 2.散策ルート、上が北 >

上: 黒四角のホテルから青丸の国立劇場駅まで歩き、地下鉄でBorgen駅まで行きます。

そこから茶色線のように、大きな墓地を抜けヴィーゲラン公園を通り抜けました。

 

ヴィーゲラン公園に行くにはトラムで行く方法もあったのですが、同じ歩くのなら墓地を見てみたいと思ったからです。

 

 

下: 赤丸Sから墓地を抜け、彫刻公園の中央を進み、正面ゲートEに出ました。

 

この公園は無料で24時間開いています。

 

 

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< 3. 地下鉄駅Borgen >

 

2018年6月6日(水曜日)朝7:50に着いた。

 

上: 向かいのホームの中央に墓地への入り口が見える。

下: 私がやって来た中心部、東側を陸橋の上から見ている。

右手が墓地。

 

 

 

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< 4. 墓地 1 >

 

上: 日本では考えられないのですが、スウェーデンも同じで墓地内をジョギングする姿を見かけました。

 

墓地の形態はスウェーデンとまったく同じで、森林墓地とでも言うのでしょうか。

あまり飾り気が無く、大小の差があまりない石板の墓石が区画毎に整然と並んでいます。

だからと言って、広い区画を埋めつくすようなことは無く、小さな区画ごとに高木で囲まれています。

 

これら北欧の墓地のありようには、北欧人に根付いている心理が現れているように思える。

そのキーワードは「森と共に生きる」と「集団の絆」かもしれません。

これは個々に統率を乱すような主張をしない、共にあることを大事にしているように思える。

これはヴァイキングの精神でしょうか。

 

旅行中に出来るだけ世界中の墓地を見るようにしているが、そこにはその地域の文化が現れている。

墓地には文化の保守的な面が残っており、文化の深層を見ることが出来る。

 

 

 

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< 5. 墓地 2 >

 

上: 墓地に隣接する教会。

 

 

 

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< 6. 墓地 3 >

 

下: 墓地中央にある斎場。

 

 

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< 7. 墓地 4 >

 

上: 珍しく、大きな墓石があり花も飾られていた。

 

下: 左側にトイレがある。

この場所は墓地と公園の境目にあり、この道を進み左に折れると公園に入る。

この右手にはドッグラン用の芝生公園がある。

 

北欧もトイレが非常に少ないので事前に調べたのですが、行きたい所の野外にあるかどうかほとんどわからなかった。

 

私は墓地に入ると便意をもよおし、墓地を清掃している人に聞いたら、教会横にあると教えてくれた。

しかし行ってみると、時間的にまだ開いていなかった。

墓地を抜けた辺りで別の人に聞くと、この写真のトイレを教えてくれた。

このトイレはカード式で、クレジットカード決済で扉を開けます。

中は広く、清潔でした。

 

 

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< 8. ヴィーゲラン公園 1 >

 

上: 中央の石柱がモノリッテン

高さ14の花崗岩に121の人物像が浮き彫りにされている。

 

中央: モノリッテンのあるモノリスの丘の頂上から北西端にある生命の輪を望む。

 

下: 同じ場所から南東方向、正面ゲートがを望む。

今からこの方向へ進む、遠くに大聖堂の尖塔が見える。

 

 

この公園にはヴィーゲランの後半生に創作した212点の彫刻、人物像としては650体が配されている。

もっとも彼は粘土で原型を作り、弟子たちが鋳造や石像彫刻を行い、これだけの作品が20年間の間に生まれた。

彼の彫刻以外は置かれていない。

 

 

 

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< 9. ヴィーゲラン公園 2 >

 

上: 噴水の後方にモノリスの丘が見える。

左側の6人の男性が円盤を掲げているのが中心部の噴水ですが、今日は水が出ていませんでした。

周囲の彫像群は、樹木と人間が一体になっています。

 

 

 

 

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< 10. ヴィーゲラン公園 3 >

 

上: 市民がそれぞれ公園を楽しんでいました。

 

下: 彼の作品で最も有名な「怒りんぼう」

これは橋の欄干にある58点の内の一つです。

 

 

 

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< 11. ヴィーゲラン公園 3 >

 

上: 橋の彫刻。

 

中央: 橋の全景。

朝早いせいか、公園内の観光客は中国系の一組だけで、後は市民がそれぞれに楽しんでいました。

この公園を出る9時頃になると、珍しくインドからの観光の一団が正門から入って来ました。

 

下: 正面ゲート。

 

彼の作品は、圧倒的に普通の人物像、それも老若男女問わず、幼児までいる。

それらは頭髪や筋肉の表現が割愛され、衣服をまとわず、多くは豊満か肥満気味です。

 

一番多いのは家族や恋人との生活の中での一瞬の喜怒哀楽を表現しているようです。

それも単体では無く、人との関わりを体を接触させた群像として表現しています。

 

この手の彫刻は始めて見たような気がします。

人と人が関りながら生きている、こんな率直な生命賛歌の表現が今までにあっただろうか。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 53: オスロ 12: 国立美術館からカール・ヨハン通り


 

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今回は、ムンクの絵がある国立美術館から最も賑やかなオスロの中心街を歩きます。

 

 

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< 2. 散策ルート、上が北 >

 

赤丸がメトロの国立劇場駅、黄色矢印が国立美術館、ピンク矢印がオスロ大聖堂、白矢印がオスロ中央駅です。

 

最初、白線に沿って美術館に行き、次いでピンク線に沿って大聖堂の前まで歩き、それからカール・ヨハン通りに出て、中央駅まで歩いた。

中央駅の前を左に折れ、ショッピング街を目指した。

写真は撮影順に並んでいます。

 

 

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< 3. 通り >

 

上: 交差点から東側に伸びるカール・ヨハン通りを望む。

下: 同じ交差点からメトロ駅を振り返る。

 

 

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< 4. 美術館 >

 

この二つの建物は向かい合って建っている。

 

上: 歴史博物館。

翌日、訪れます。

 

下: 国立美術館。

大きくはないが、ウオータフロント再開発でこの美術館は移転します。

閉館時間の関係で、この日はこの美術館だけの入館になりました。

 

 

 

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< 5. ムンクの部屋 1 >

 

ノルウェーの画家で最もよく知られたムンクの絵が、ここにはあります。

別の場所にもムンク美術館はあるのですが、この国立美術館にはムンクの部屋があり、彼の主要な作品が展示されている。

 

当然、この国立美術館にはノルウェーの美術や西欧美術(モネ、グレコ、ゴッホなど)も展示されている。

デンマークの美術館と比べると小さく、規模や展示数は見劣りする。

 

上: 『ハンス・イェーゲルの肖像』1889年。

下: 「叫び」1893年。

もっとも有名な彼の絵で、連作の内の一つです。

 

 

 

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< 6. ムンクの部屋 2 >

 

上: 「マドンナ」1894-1895.

写真に撮れていないのですが、「生命の踊り」1899-1900がありました。

この絵は彼の悩める女性関係を夕陽が沈む海をバックにダンスする男女の群像で象徴しています。

「マドンナ」と時期が重なるこの絵の人物の表情からは悩ましい悲愴な恋慕の思いが伝わってきます。

 

下: 「橋の上の少女たち」1901.

 

ムンクの絵がこの部屋に30枚近くあったと思います。

おそらく彼の生涯を語るにふさわしい絵が揃っていたように思います。

 

 

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< 7. ノルウェー画家 1 >

 

上: ムンクの風景画。

下: ”View from Åsgårdstrand”, by Hans Heyerdahl, 1887.

オスロフィヨルドの中部の海岸が描かれている。

 

 

 

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< 8. ノルウェー画家 2 >

 

上: 『Leiv Eriksson oppdager Amerika』by Christian Krohg, 1893.

この絵はヴァイキングの偉業を説明する時によく使われます。

この絵はノルウェー人のエリクソンが1000年頃、初めてアメリカ大陸に到達した航海を描いています。

 

下:  “Winter Night in the Mountains”, by Harald Sohlberg,1914.

この絵が私には目立ちました。

 

オスロを巡り、美術館を見て感じた事の一つは、世紀末を象徴するアールヌーボー作品に出くわさなかったことです。

ムンクは、ちょうどアールヌーボーの時代、世紀末に活躍したのですが、精神性を重視する方向に向かった。

オスロではアールヌーボーの花や植物などを使った新しい装飾様式が建築物を彩ることがなかったようです。

このことはおそらく、この地が当時、経済的に繁栄しておらず、また西欧と深く結びついていなかったことの証のように思える。

当時、スウェーデンの支配下にあり、特に西欧商人の居留地でもなかったからでしょうか。

私はほんの一部しか見ていないので自信は無いが。

 

もう一つは、美術館のノルウェー絵画を見て、北欧の特色や個性のようなものを感じられなかった。

私のような素人目には西欧絵画と変わらないように思える。

北欧美術が西欧文化圏と一体だとしら、少し寂しい気がする。

最も後に紹介する彫刻家ヴィーゲランは別格だと思うが。

 

 

 

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< 9. 大聖堂 >

 

上: オスロの中心部を歩いていて、中世を感じさせる建物はこれぐらいではないでしょうか。

1697年に創建され、幾度も修復されて来た。

中には入っていません。

 

下: 大聖堂の向かいにある広場の花屋。

 

 

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< 10. カール・ヨハン通り >

 

下: 左のレンガ造りの建物はCafé Cathedralです。

 

やはりかなりの賑わいです。

私が写真を撮りながらふらふらと歩いていると、後ろから追い抜いていく男性と肩がぶつかりました。

この二人の男性は振り返るやいなや、「すいません」と日本語で謝りました。

私は驚き、笑顔で答えるだけでした。

 

 

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< 11. 中央駅前 >

 

上: カール・ヨハン通りを進むとちょうど中央駅前に出ます。

 

下: 中央駅の前で左に折れると、多くの高層ビルが見える。

そこは多くのショッピングモール、レストラン、ホテルが入っている。

 

 

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< 12. Jernbanetorgeの交差点 >

 

この交差点の周りが最も賑やかで、巨大なショッピングセンターが幾つもあります。

私はその内のオスロ・シティに入りましたが、様々な最新の店舗が多くの人で賑わっていました。

 

またこの交差点には多方面に向かうバスやトラムの通過点、停留所が数多くあります。

ここからトラムに乗ってホテルに戻り、初日のオスロ観光を終えました。

 

この6月5日は、地下鉄に乗り湖Songnsvannのに行き、バスでビィグドイ地区に入りノルウェー民族博物館、ヴァイキング博物館、フラム号博物館、ノルウェー海洋博物館を歩いて巡り、渡船でオスロ湾ミニクルーズを楽しみ、ノーベル平和センター、オスロ市庁舎を見学後、路線バスでMalmøyaとUlvøyaの島を巡り、戻って来てオペラ・ハウスから中央駅まで歩き、次いで地下鉄で移動し、国立美術館、大聖堂、カール・ヨハン通り、ショッピングセンターのオスロ・シティを歩いて巡りました。

 

朝、8時前にホテルを出て、ホテルに着いたのは午後7時半頃でした。

この日は昼食も夕食もとる暇がなく、14ヵ所以上見て、計画を何とかこなし、疲れでベッドに入りました。

次の日は半日オスロ観光すれば、フェリーでコペンハーゲンに向かいます。

 

事前にオスロの素晴らしを知っていればもっと宿泊数を増やしていたのですが、悔やまれる。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 52: オスロ 11: オペラハウスから中央駅へ


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島巡りのバスを降りて、オペラハウスからオスロ中央駅へ歩きました。

斬新で活気溢れるウオータフロントの再開発が進んでいました。

ノルウェーの勢いを感じました。

 

 

 

 

 

 

 

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< 2.散策ルート、HPから借用 >

 

上: 南側を望む、数年前の写真らしい。

 

下: 再開発中のウオータフロント全体の完成図らしい、西側を望む。

再開発はこの写真の範囲内の海岸沿い全てが対象で、集合住宅、商業施設、美術館などの文化施設が集積される。

 

赤線は島を巡ったバスのルート、ピンク線は今回紹介するバスを降りて散策したルート。

アルファベットのOはオペラハウス、Sは中央駅、Aはアーケシュフース城、Fはコペンハーゲン行きのフェリー乗り場、Rはオスロ市庁舎。

 

 

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< 3.バスを降りて >

 

 

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< 4. オペラハウスの横 1 >

 

下: オペラハウスの海側横を歩く。

デカい!

 

 

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< 5. オペラハウスの横 2 >

 

下: 海側を見るとガラスのオブジェ、その向こうにフェリーが見える。

左側に見えるのがDFDSフェリーで、翌日コペンハーゲンに向かって乗ることになります。

 

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< 6. オペラハウスの横 3 >

 

上: 不思議な建築だ!

 

下: 実は、このオペラハウスの屋根にあたる巨大な斜面は市民の憩いの場、日光浴する場所になるようです。

 

私は奇をてらった建築が嫌いなのですが、この斜面の効用には驚きました。

実に眺めの良い、周囲から視線を感じない、オープンな二次元空間なのです。

 

 

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< 7. オペラハウスの横 4 >

 

上: 海に浮かぶ派手な鳥型のゴムボート。

近づいてみると、何にかのTVインタビューをしていました。

 

下: 私もここで少し寝てくつろぎましたが、6月5日、15:45だと言うのに暑かった。

 

 

 

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< 8. オペラハウスの横 5 >

 

 

 

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< 9. オスロ中央駅1 >

 

上: 白い建物が駅舎で右側にホームが並びます。

こちらから見た駅舎の外観は古そうですが、反対側に増築されており、少し複雑で、現代的な面も持ち合わせています。

 

下: 古い方の駅舎内のフードコート。

 

 

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< 10. オスロ中央駅2 >

 

下: FLYTOGETの表記は空港に行く高速列車のことで、自動券売機があります。

 

 

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< 11. オスロ中央駅3 >

 

上: ホームを見ている。

ここには19本の列車ホームがあり、ここから国内、隣国スウェーデン、オスロ空港に行くことが出来る。

前日の真夜中、私はここを通りました。

 

この中央駅の周辺には、上記の列車以外に地下鉄、トラム、バスの駅が集まっている。

地下鉄駅は少し離れている。

トラムとバスは、Jernbanetorgetのように同じ名前の停留場が異なる通りなどに幾つもあるので、行先とバス番号の確認が必要です。

 

そうは言っても、ストックホルム中央駅と他の交通機関の乗り換えほど分かり難いことはない。

 

下: 次の観光地に向かう為に地下鉄駅に向かう。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 51: オスロ 10: オスロ湾の島を尋ねる


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今回は、オスロ湾に面した島をバスで巡ります。

海沿いに素晴らしいリゾートエリアが広がっていました。

そこには豊かで嬉々とした暮らしぶりがありました。

 

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< 2. 紹介するルート >

 

 

上: 上が北。

黄線はAの市庁舎前からBのバス停までの徒歩ルート。

この周辺に同じ名称のバス停が幾つかあり、バスNo.の確認が必要。

BはJernbanetorget。

 

ピンク線はBから乗ったNo.85バスのルート。

普通の公共交通機関の路線バスを利用した。

このバスは先ずDまで行って折り返し、次いでEに行き、ここで少し時間待ちしてから、まったく逆のコースをBまで戻ります。

 

当初は途中で降りて散策し、30毎に来る次のバスに乗る予定だったのですが、そのまま乗って往復した。

往復の乗車は14:30頃からの約1時間でした。

ⅮはMalmøya、EはUlvøyaです。

 

Cはエーケベルグの丘で、画家ムンクが度々散策していたところだそうです。

ここで有名な「叫び」を構想し、連作を描いています。

ここへはトラムで行ける。

 

この日はこのバス乗車以外に11ヵ所を見学する予定だったので、気が急いていました。

また前日は、列車の遅れでホテル着が深夜2時を過ぎていたので疲れが出ていました。

 

下: 海側の市庁舎前にある彫刻が見える。

ここから歩き始める。

 

 

 

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< 3.バスに乗る >

 

写真はすべてバスの車窓からの撮影で、ほぼ撮影順に並んでいます。

 

上: 前方に見える観覧車はオスロ中央駅の前にある。

 

中: 大規模な再開発が行われているウオータフロント。

右手の白い建物が後に訪れるオスロ・オペラハウスです。

 

下: これはウオータフロントのちょうど裏手。

 

 

 

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< 4. ムンクが見た景色? >

 

上: 裏手からウオータフロントを見る。

 

中: 道路は崖にへばり付く様に走り、高くなって来た。

 

下: 眼下にオスロ湾が見える。

 

きっとムンクもこのようなオスロ湾を見下ろしたことでしょう。

 

 

 

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< 5. 最初の島に渡る >

 

中: 最初の島に渡る橋が前方に見える。

下: 橋からウオータフロント側を望む。

 

 

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< 6. 奥に続く島に向かう >

 

下: ちょうど橋を渡っているところで、右側車窓の景色。

 

橋を渡り切ると直ぐMalmøyaのバス停(地図D)があり、バスはここで折り返す。

 

 

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< 7. 最初の橋に戻る途中 >

 

 

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< 8. 次の島に向かう >

 

上: 次の橋が見えて来た。

 

中: ちょうど橋を渡っているところで、右側車窓からの景色。

電車が見える、この上は広い台地で住宅街が広がっている。

 

下: 同様に右側の景色。

 

 

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< 9. 島の中央部へ >

 

中: ここが島の中央部でバス停Ulvøya(地図E)があります。

写真右側に小さなスーパーがありました。

バスはここで時間待ちして、来た道を戻って行きます。

 

下: この坂道を下ると海水浴場があるようです。

 

 

 

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< 10. 来た橋に戻る >

 

上: 高台にずらっと家が並んでいる。

左端に橋が見えた。

 

中: 橋の中央で学生らが、海へのダイビングを楽しんでいた。

高校生らしい男女が一緒になって騒いでいた。

左側では数人の男性が釣りをしていた。

 

下: 橋の上から右側を望む。

 

この後、ウオータフロントまで戻るのですが、一つ手前のバス停で降りて散策を始めました。

 

 

*あとがき

 

オスロ市街からこのバスに乗る人はほとんどいなかった。

乗って来た人は少なく、それも中高生だけで、皆島内で乗り降りした。

平日の昼過ぎなのに、春休み中なのか、島内に学生の姿を多く見た。

それにしても、のんびり自然を満喫する姿が羨ましい。

 

島で見たハウス全てが大きいわけではないが、ボートと桟橋、ボート小屋が海と海岸を埋め尽くしている。

この辺りのハウスはサマーハウスかもしれないが、充分に都心に通える距離なので、レジャーハウスと住居の兼用が出来る。

 

実に豊かな暮らし、それも自然と一体になった暮らしがそこにはあった。

 

どうか皆さんも一度は訪れてください。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 50: オスロ 9: オスロ市庁舎


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今回は、オスロ市庁舎を紹介します。

この建物は、港に面した広場に建っています。

 

 

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上: 港側からの眺め。

下: 建物左側面(西側)の彫刻。

私は建物手前、左側から周り、正面玄関に向かった。

 

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上: 市庁舎横の公園。

下: 市庁舎の正面玄関から外側(北側)を望む。

 

 

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< 4. 正面入口 >

 

 

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< 5. 正面入口の脇 >

 

両側に16枚の木彫りがあり、北欧神話を示している。

 

 

 

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< 6. 入って直ぐの1階大広間 1 >

 

ほぼ全面に描かれた絵は色彩が鮮やかで、デフォルメされている。

絵の内容は、ドイツ軍占領下の国民の苦しみを描いたものです。

この建物の建設は、ちょうど第二次世界大戦にまたがっており、この間にドイツ軍の占領を受けていた。

 

ここでは毎年12月、ノーベル平和賞の授与式が行われている。

 

 

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< 7. 入って直ぐの1階大広間 2 >

 

上: この階段を昇って2階に進みます。

 

 

 

 

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下: ムンクの部屋。

ムンクの絵「人生」が掛けられている。

これは元々、ドレスデンにあったのだが、ヒトラーが毛嫌いし返還したものです。

往々にして独裁者はこのような絵を嫌うようです。

 

 

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< 9. 港側の正面にある彫刻群 >

 

この労働者の彫刻群はノルウェーを代表する彫刻家ヴィーゲランによるものです。

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 49: オスロ 8: オスロ湾の渡船


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今回は、オスロ湾の連絡ボートとノーベル平和センターを紹介します。

 

 

 

 

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< 2. オスロ湾の地図、上が北 >

 

赤線は博物館のあるビィグドイ地区から市庁舎前広場まで行くボートのルートです。

二本の黒線は番号4の三枚写真の視界範囲を示します。

茶色の矩形枠は市庁舎前広場を含むウオーターフロントを示します。

赤丸はノーベル平和センターです。

 

 

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< 3. フロム号博物館の横からボートに乗る >

 

フロム号博物館のすぐ横からボートが20~30分おきに出ている。

乗船はオスロパスで無料です。

私が訪問した博物館も同様にすべて無料です。

 

中: フロム号博物館のすぐ裏手にあるアムンゼン隊の像。

 

下: フロム号博物館を後にしてボートは出て行く。

 

 

 

 

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< 4. オスロ湾の眺め >

 

上から北西から南東へと俯瞰している。

 

中: この写真の右側がこれから向かうウオーターフロントです。

 

下: 後に、この写真の右側の島を訪ねてバスで巡ります。

 

 

 

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< 5. ボートからの眺め >

 

上: ボートの舳先から前方を望む。

 

中: 新しい観光スポット、ショッピング、レストラン、美術館などがあるウオーターフロントが迫って来た。

右手に茶色い二つの塔、オスロ市庁舎が見えて来た。

 

下: 後に訪れるアーケシュフース城が見える。

 

 

 

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< 6. ウオーターフロント(テュヴホルメン) >

 

上: 右手に着岸港と市庁舎が見えた。

 

中: 右手の建物はアートギャラリー。

驚くべきは、岸壁で多くの人が水着で日光浴を楽しんでいることです。

 

下: 最近創設された現代アートの美術館。

この写真の右下の海では泳いでいる人が見られる。

 

写真撮影は6月5日の火曜日、13時過ぎです。

つまり、日本では平日の勤務時間です。

陽射しはきついが、私にはけっして泳ぎたくなる気温ではありませんでした。

 

 

 

 

 

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< 7. いよいよ着岸 >

 

下: 市庁舎広場に降りて、東側を望む。

 

 

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< 8. ノーベル平和センターに向かう >

 

上: 市庁舎広場から先ほどのウオーターフロントを望む。

 

中: 後に訪れるオスロ市庁舎。

 

下: これから入るノーベル平和センターの白い建物が見える。

オスロパスで無料入場します。

 

 

 

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< 9. ノーベル平和センター内 >

 

上中: 二枚の写真はHPから借用。

上: 歴代ノーベル平和賞受賞者の顔写真の展示です。

斬新な展示方法です。

 

中: 平和に関するパネル展示で、常設だけでなく企画展も行っている。

建物は2階建てだったがあまり大きくはない。

 

下: 展示最後で、訪問者に問いかけているメッセージです。

実はこの問いかけこそが、このセンターの展示姿勢を示している。

 

「あなたの考えを教えてください」

 

「あなたは人生で何を成し遂げたいですか?」

「あなたは誰を称賛しますか? またその理由は?」

「あなたが持っているもので最も価値のあるものは何ですか?」

 

ここの展示は、単純に戦争は悲惨ですよ、戦争を止めようと訴えてだけではありません。

展示の一つは、現在、身の回りで起きている人間らしさを奪う社会の潮流に気付くべきだと、問題を投げ掛けていました。

その一つに巷に溢れている贅沢志向、名誉欲、金銭欲などがあるとしている。

写真パネルで納得できる展示でした。

 

また子供でも分るように訴えているようでした(詳細は分からないですが)。

 

このような所にも、福祉国家で先頭を行く北欧の意識を見ることが出来る。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 48: オスロ 7: 冒険家達の足跡


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< 1.フラム号博物館 >

 

 

今回はビィグドイ地区の住宅街と三つの博物館を紹介します。

これら博物館はノルウェーが如何に海と深く関わり、偉大な海洋冒険家を頻出したかを教えてくれます。

 

 

 

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< 2. ビィグドイ地区の散策ルート、上が北 >

 

1: ノルウェー民族博物館、既に紹介。

2: ヴァイキング博物館、既に紹介。

3: フラム号博物館、今回紹介。

4: ノルウェー海洋博物館、今回紹介。

5: コンチキ号博物館、訪問していませんが紹介。

 

黄線、ピンク線が博物館への徒歩ルートです。

ヴァイキング博物館からフラム号博物館までは約1.5kmで徒歩20分以内です。

 

 

 

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< 3. ヴァイキング博物館のロッカー >

 

蛇足ながら博物館のロッカー事情を簡単に紹介します。

これまでスウェーデンとノルウェーの博物館を数多く訪れ、多くはバックなどを預ける必要がありました。

預けるべき場合は、すべて上記写真のような小さなロッカーがあり、無料でした。

小さなリュックは入るが、それ以上大きいものはどこのロッカーにも入れることが出来ません。

扱い方法は様々で、貸与してくれるコインやロッカー付属の鍵などを使う場合が多い。

分からなければ係員が近くに居て教えてくれます。

 

しかし、ここは少し違っていました。

ここだけはロッカールームが館外にありました。

この写真のように任意の番号を入力し、レバーを倒す方法もここだけでした。

少し戸惑ったが、扉の裏に英語で取り扱いが書かれています。

 

 

 

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< 4. ヴァイキング博物館とお別れ >

 

上: ヴァイキング博物館。

下: 住宅街を歩き始める。

 

 

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< 5. 高級住宅街 >

 

大きな住宅が並び、新築や改装中の建物も見ました。

平等の国のイメージがあるのですが、ここに富裕層が集まっているのか、それとも皆が裕福なのか、疑問に思いながら歩いた。

 

 

 

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< 6. フラム号博物館が見えた >

 

下: 右手奥の三角屋根がフラム号博物館。

歩いている間に公共交通機関のバスの行き来を1回ぐらいしか見なかったように思う。

離れた三か所の博物館を繋ぐ便利な公共交通機関は無いようです。

 

 

 

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< 7. フラム号博物館に入る >

 

上: 三角屋根がフラム号博物館。

右手にノルウェー海洋博物館。

 

下: 中に入ると、巨大な船体がすぐそこにあった。

 

 

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< 8.甲板上  >

 

上: 船外の階段を登って甲板上に渡る。

 

下: 甲板中央から船首の方を見ている。

甲板の左右と前方を囲むように巨大なスクリーンがあり、フラム号が氷山の流れる荒海を航海している状況を再現している。

さらに音響とライトによる稲妻が臨場感を盛り上げていた。

 

 

 

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< 9.フラム号の探検航路 >

 

上: 甲板中央から船尾を望む。

下: フラム号の3度の探検ルート。

左が二回行われた北極海の探検。

このフラム号による最初の探検は右側のルートで、ナンセンによるものです。

左側は二回目の別人による探検ルートです。

 

右が南極探検。

これは1910~1912年に行われたアムンセンによるもので、彼は人類史上初めての南極点への到達に成功した。

 

 

* ナンセンによる北極探検とノーベル平和賞受賞

ナンセンは科学者であり探検家でしたが、後に自国の独立と世界平和に貢献することになる。

 

彼は北極海を横断する海流を調査するために、このフラム号で漂流し確認しようとした。

この為に、彼は8年分の燃料と6年分の食料を積み込み、1983年に出港し、シベリア沖まで行き、そこで氷に閉じ込められ、3年間の漂流(地図中の下降)の後に寄港し、この調査探検は成功した。

 

一躍有名になった彼は、当時熱を帯びていた「ノルウェーのスウェーデンからの独立」に外交官として駆り出されることになる。

そして彼はロンドンで国際世論に訴え、独立の理解を求めた。

ついに1905年、ノルウェーは国民投票により無血で独立を勝ち得た。

 

第一次世界大戦後、彼は国際連盟の難民高等弁務官に就任した。

彼はソ連と交渉し、ロシア革命で共産政府と対立し海外移住を望んだロシア人に初めて国際的な身分証を発行した。

これにより140万人が難民移住出来ることになり、彼はノーベル平和賞を受賞した。

 

彼に続いてノルウェーから多数の海洋冒険家が出た。

また国として紛争仲介やノーベル平和賞授与などを通じて世界の平和に貢献し続けている。

 

 

 

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< 10. ノルウェー海洋博物館 >

 

私にとって興味深かったのは数々の古い漁港のジオラマや木造船の模型でした。

 

 

 

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< 11. コンチキ号博物館 >

 

ここは訪問していません。

上: 洋上のコンチキ号。

下: 航海ルート。

 

1947年、ノルウェーの文化人類学者ヘイエルダ―ルは自作の筏「コンチキ号」で南米からタヒチ島近くまで漂流航海を行った。

彼はイースター島のモアイ像がぺルーの像に似てるとして、ポリネシア人(南太平洋)は南米からの移住者と想定し、南米から航海が可能だったことを証明したかったのです。

 

彼の漂流航海は一応可能性を示せたのですが、残念ながら遺伝子分析でポリネシア人はモンゴロイドが主に台湾から航海移住によって拡散したことが現在わかっています。

 

それにしてもノルウェー人の冒険心を併せ持つ探求心には関心させられました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 47: オスロ 6: ヴァイキング船博物館


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< 1.ヴァイキング船博物館の入口 >

 

 

今日はヴァイキング船の実物を紹介します。

その巨大さに圧倒されます。

後半で、北欧ヴァイキングについて語ります。

 

 

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< 2. 博物館まで歩く >

 

ノルウエー民俗博物館からヴァイキング船博物館まで歩きました。

この間、およそ450m、歩いて10分以内です。

 

上: 途中の住宅街。

下: ヴァイキング船博物前の駐車場。

観光バスと観光客で一杯でした。

 

 

* オスロのヴァイキング船博物館について

ここにはオスロ・フィヨルドに面したオーセベリ「Oseberg」、ゴクスタ「Gokstad」、トゥーネ「Tune」で発掘された三隻のヴァイキング船と埋葬品が展示されている。

この発掘地の三ヵ所を写真6の地図に頭文字で示している。

発掘品を修復し展示している。

展示のヴァイキング船越しの壁に、フィヨルドから旅立つ遠征航海の迫力ある映像を上映していた。

 

オーセベリの発掘

834年に、この船と共に女王が古墳に埋葬された。

船はオーク材で出来ており、全長22m、幅5mで、9mほどのマストを持ち、帆を張って航行できた。

左右にオール穴が30あり、漕ぐことも出来た。

舵取りオール、鉄の錨を備えている。

船首と船尾は同じ形をしており、船は前後同じように進むことが出来た。

船首と船尾の模様は馴染みのある細長い獣が絡まっているものです。

この船は沿岸航行用らしい。

 

ゴクスタの発掘

これも埋葬船で、王かもしれない男性の遺体があった。

船はオーク材で出来ており、全長24m、幅5mで、マストを持ち、オーセベリよりも大きく遠洋航海もできた。

船の建造は890年頃。

 

トゥーネの発掘

これも埋葬船で、もっとも不完全な形で発見された。

全長は22m程度で、900年頃の建造。

 

 

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< 3. オーセベリのヴァイキング船 1 >

 

上: 入口を入って直ぐに巨大なヴァイキング船が見えた。

 

下: 中央の階段上から同じ船を見た。

 

大きさに圧倒される。

これらの船でノルウエー・ヴァイキングは1000年頃には北米まで到達していた。

これはコロンブスよりも500年も早かった。

彼らの航海能力と旺盛な冒険心が、様々な探検家を生み出し、そしてノルウェーは20世紀中頃には世界の商船隊の10%を保有するまでになった。

 

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< 4. オーセベリのヴァイキング船 2 >

 

船腹のオール穴、舵取りオール、埋葬品の別のヴァイキング船の船首。

 

 

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< 5. オーセベリの副葬品のソリと車 >

 

上: 馬二頭で引かれたこのソリは実際に使用されていた。

本体はブナ材、滑る底板はオーク材です。

 

下: この車も馬で引くことが出来たが、実用的ではなく宗教儀式だけに使われたらしい(キリスト教以前の北欧神への祭儀)。

 

 

 

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< 6. 展示物の補足説明 >

 

上: オスロ・フィヨルドを示す。

赤の文字は遺跡オーセベリ「Oseberg」、ゴクスタ「Gokstad」、トゥーネ「Tune」の頭文字を示す。

この辺りはノルウエー・ヴァイキング発祥の地です。

 

茶色の線は、後に私がフェリーでコーペンハーゲンに向かう航路です。

後にオスロ・フィヨルドの景色を紹介します。

 

中: オーセベリ古墳の発掘。

 

下: ゴクスタ船の再現模型。

 

 

 

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< 7. ヴァイキングの姿 >

 

ヴァイキングは金属製の兜、鉄製の鎖帷子、木製の盾、大型の斧などで武装した。

 

 

 

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< 8. ヴァイキングの暮らし >

 

上: ヴァイキングの暮らし(フェロー諸島)。

農耕を行い、家畜を飼い、石を積み上げ土と草で屋根を覆った家屋に住み、小舟を使う様子が描かれている。

(スカンジナビアの大陸側では木製の家屋)

 

下: ヴァイキングの航海の様子。

 

 

 

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< 9.ヴァイキングの遠征 >

 

如何に広範囲に遠征し、交易していたかがわかる。

 

 

* ヴァイキングとは何か

 

私が35年前、スウェーデンとデンマークを訪れた時、豊かでゆったりと暮らす彼らがかつて荒れ狂ったヴァイキングの末裔とはとても思えなかった。

そして今回、私は三ヵ国のヴァイキング博物館と故地を訪れ、ヴァイキングとは何か、またその末裔とは何かを知ろうとした。

 

ヴァイキングは破壊と略奪を常習とする海賊だったのか?

それとも交易者であり冒険家、はたまた移住者だったのか?

 

スカンジナビアのヴァイキングは農民、漁民であり、この地に多い湖や川、入り江の近くに住んだ。

そして喫水の浅いボートで各地と行き交った。

この地は寒冷で氷河地形の為、作物栽培に適さず、人口の集中が起こらず村が散在するだけでした。

 

やがて彼らは9世記頃から、武装集団化しヴァイキング船に乗り、交易と略奪を始めるようになる。

最初、彼らは海が荒れる冬までに帰って来た。

西に向かったヴァイキングは幾たびもイングランド、パリ、ノルマンディーなどに侵攻し、ヨーロッパを恐怖に陥れた。

やがて遠くはグリーンランド、東に行ってロシアからイスタンブールまで遠征した。

 

彼らは季節的な移動から越年、そして定住した。

11世紀中頃にはヨーロッパへの植民が完了し、後にヨーロッパ王朝の一翼を担うことになった。

この間、スカンジナビア内では国家が誕生し初め、そしてヴァイキングの侵略は鳴りを潜めた。

 

 

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< 10. 倭寇 >

上: 17世紀、倭寇と明官兵(左)の戦い

下: 倭寇の航路。

 

 

 

* なぜヴァイキングが始まったのか

 

実は日本にも東アジアに悪名を轟かした海賊がいた。

北九州西部はかつて倭寇の拠点だった。

倭寇は14世紀から16世紀にかけて朝鮮半島と中国、沖縄などで交易と略奪を行った。

 

倭寇の活動は前半と後半で異なるが、元々彼らは海での交易を生業とした。

やがて朝鮮半島の争乱や中国(宋)の海上交易の禁止で、彼らは密貿易、争い、略奪するようにもなった。

倭寇は日本人だけでなく中国人を含む多民族の集団になっていた。

彼らの子孫から大商人や台湾を奪還する中国側の将軍(鄭成功)が誕生した。

 

なぜ長崎の諸島が、倭寇の拠点になったのか?

それはこの地は朝鮮半島に近く、対馬海流に接するからです。

 

 

それではなぜヴァイキングの遠征が始まったのだろうか?

幾つかの説があり定かではありませんが、倭寇と似ているところがある。

 

紀元前から、スカンジナビアの人々は細長い船を作り、移動と交易を行っていた。

豊富な木材を利用し堅牢な船を作る技術を培っていた。

やがてマスト装備した帆船での遠洋航海が可能になった。

 

一方、8世紀末、ヨーロッパではカール大帝がキリスト教布教を口実に異教の地(バルト海沿岸)への征服を拡大していた。

スカンジナビアの人々は、これに対抗し、また混乱に乗じて略奪するようになったのだろう。

 

 

* なぜヴァイキングは終息したのか

 

一番大きく影響したのは、彼らによるアイスランドや西欧各地への大量の定住化が進んだことだろう(デンマークとノルウェー・ヴァイキング)。

彼らはキリスト教に改宗し、現地で王朝を作り、溶け込んでいった。

 

同時に、スカンジナビアに誕生した王朝もキリスト教に改宗し、西欧と同胞となっていった。

バルト海から東方で活躍したスウェーデン・ヴァイキングは、ドイツの港湾都市を中心としたハンザ同盟の力に押され、その後協調するようになった(この12世紀頃、北ヨーロッパは中世の経済停滞を脱し始めていた)。

 

 

ヴァイキングの末裔を語る時、彼らに残虐性が受け継がれていると言えるのだろうか?

では倭寇の末裔はどうだろうか?

 

結局は、交易を生業とする人々が混乱の中で密貿易や、異教徒や異民族間の対立で抗争に走ったのだろう。

やがて両者は略奪では無く、対等で自由な交易こそが最善策と知ることになった。

 

 

* ヴァイキングが遺したもの

 

現在の北欧、ここ半世紀余りの経済発展と福祉国家への大変身は、ヴァイキングと関りがあるのだろうか?

 

同様に、日本が明治維新後、西洋化を急速に成し遂げ、大発展を遂げたこと侍(サムライ)と関りがあるのだろうか?

結論から言うと、名誉と順応のサムライ文化と言うより、江戸時代に培われた組織労働を大切にする農民文化が、工場労働への以降をスムーズにさせたと言えるのではないか(注釈1)。

 

 

今の北欧を語る時、衰退一方の日本と大きく異なる社会文化があることに気づく。

それは個人を尊重する一方で、法遵守によって社会の維持を図ることです。

逆に日本では、個を犠牲にし、広範な社会に通用する規範を無視してまで首領ドンに従うことです(ヤクザ社会と同じ)。

 

北欧には特徴的な直接選挙の文化があります。

これはノルウェー・ヴァイキングが植民したアイスランドにかつて見られた。

元々、この文化はスカンジナビアに通じるものでした。

既にみたように、大規模な農業社会が出現しなかったことで中央集権化が遅れ、人々は権力者に依存しない社会文化を育てた。

 

その一例が、アイスランドに伝わるサガ(口承文学)に遺されている。

村で犯罪を犯した者が、共同体の集会で「平和喪失」を宣言されることがあった(ゲルマン社会に共通)。

これによりこの犯罪者は共同体を追われるだけでなく、さらに誰が彼に危害を加え、殺しても良いことになる。

 

こうして警察などの権力機構に頼らず、共同体で社会を統制した。

日本では村八分や恥の文化で対応したと言える。

 

これらが今の国民全員によるボランティア参加、高い政治意識、汚職の少ない政治、そして産業界と労働界の協調にも繋がっているのです。

 

また北欧のチャレンジ精神も優れたものの一つです。

 

ヴァイキングが交易を重視した理由の一つに、奢侈品の入手があった。

有力者は航海後、村人に奢侈品などを配った。

これは南太平洋や北米などにもみられる文化です。

異郷の地に大遠征することは彼の名誉を高めることだった。

この精神は今も息づいており、北欧の人々は海外に出ることを厭わず、家族も喝采を送るのです。

 

このことが世界を市場にするオンリーワン企業の多さ、科学技術と教育の重視、IT化(キャシュレス化)の先取りなどに繋がっている。

また半世紀前、西欧では社会主義離れが進んでいる中で、逆に福祉国家へ大きく舵を切ったことにも現れているように思える(他の要因が大きいだろうが)。

 

* あとがき

 

北欧を巡って来て、暮らしやさと生きやすさを肌身で感じた。

だからと言って、精神文化の違いを無視して北欧の体制をそのまま導入することは無理だろう。

 

例えばIT化の為のマイナンバー制度は社会や政府への不信感があり、日本では成功しない。

またスウェーデンでは自殺が多いが、これは尊厳死が多く、日本のように追い込まれての自殺ではない。

これに関連して、北欧の高齢者は福祉制度が整っていても、出来るかぎり自立して暮らそうとする。

 

このような違いを乗り越える方法が、私には見えて来ない。

だからと言って、このまま日本の没落を座視して待つわけにも行かないのだが・・・

 

次回に続きます。

 

 

 

注釈1

「名誉と順応のサムライ文化」は「名誉と順応」著者池上英子より拝借。

 

「組織労働を大切にする農民文化・・」のくだりは「日本社会史における伝統と創造」著者トマス・C・スミスより拝借。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 46: オスロ 5: ノルウェー民族博物館 3


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*1

 

今回は、ノルウェー民族博物館の最後の紹介です。

後半で、19世紀のオスロの街並みを紹介します。

 

 

2

< 2. 19世紀の農家 >

 

上の写真の一群の農家の説明書きは次の写真にあります。

これらは19世紀に建てられていた家屋で、その場所はオスロの南方の峡谷でした。

 

下の写真の小屋は同じ場所にあった14~15世紀の倉庫です。

上の写真の左側に見えます。

 

3dsc02439-3

< 3. 上記、一群の農家の説明書き >

 

 

4

< 4. 上記の農家の内部 >

 

中央の大きな農家に入ることが出来ました。

中に入ると、写真のスタッフが訪問者に横の桶の用途を説明していました。

豆を貯蔵し、その後何かをする為の容器らしい。

少し質問をしたのですが、残念ながら理解出来ませんでした。

でも彼女は丁寧に対応してくれて、写真撮影にも快く応じてくれました。

 

5

< 5.倉庫類 >

 

上: ノルウェー南部にあった1754年の倉庫です。

扉両側の模様が良い。

 

下: 同じノルウェー南部にあった1800~1850年の乾燥小屋。

乾燥するものが、木材なのか穀物なのかがわかりません。

ノルウェーでは木材は重要な産業ですが、これは窓が小さ過ぎるので穀物用なのでしょうか。

 

 

6

< 6. オスロの古い街並み 1 >

 

この6と7の写真は19世紀後半のオスロの古い建物と通りを再現したものです。

オスロは10世紀頃から重要な都市ではあったが、その木造の古い街並みは幾度も大火災に遭っており、残っていない。

1814年以降、この地が首都になり、今のオスロの都市景観を形作るようになった。

 

 

7

< 7. オスロの古い街並み 2 >

 

 

8

< 8. オスロ郊外の家屋 1 >

 

1840年に建てられたオスロ北部の郊外の住居。

家屋は大きく無いが、幾つもの部屋が有り、郊外で自然を楽しみながら暮らしていた様子が窺える。

此処にきて初めて、農業や林業を生業としない暮らしの住まいを見ることが出来た。

 

 

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< 9. オスロ郊外の家屋 2 >

 

 

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< 10. オスロ郊外の家屋 3 >

 

写真の女性はスタッフです。

シンプルなデザインで、無垢の木材を生かした家具が印象的でした。

 

この住居が使われた時期は明治維新の30年前にあたり、今まで見て感じていた素朴で簡素な暮らしのノルウェーは一転、進んだヨーロッパ文化の香りがするようになった。

この時期の市民の暮らしが見えると、今の北欧の躍進を理解するヒントが得られるように思う。

つまり北欧の今の躍進は、半世紀あまりの急激な改革で勝ち取ったのか、それとも徐々に築き上げて来たものなのか?

残念ながら、この野外博物館だけでは分からない。

 

 

次回には巨大なヴァイキング船を紹介します。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 45: オスロ 4: ノルウェー民族博物館 2


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< 1. スターヴ(木造)教会の内部 >

 

今回は、ノルウェー民族博物館の2回目です。

最初に、スターヴ教会の内部を紹介します。

この野外博物館の家屋はノルウェーの自然の厳しさを教えてくれました。

 

 

2

< 2. スターヴ教会 1 >

内部の写真はすべてフラッシュ撮影です。

 

左上: 正面玄関。

右上: 正面玄関の次にある入口。

この両側の柱の模様は北欧ヴァイキング時代からあったものでしょう。

これはツタと長身の獣が絡まった図柄で、スウェーデンのルーン石碑にも見られた。

 

左下: 内部、壁から天井を望む。

 

右下: 正面玄関を望む全景。

屋根が黒いのは防腐の為に塗布したタールの為です。

 

 

3

< 3. スターヴ教会 2 >

 

入って最初に感じたのは、非常に暗く、小さく、そして天井が高いことでした。

西欧の古い教会、ロマネスク建築の教会は、暗い堂中にガラス窓からの光が差し込み、荘厳さがある。

この木造教会にも幾つもの小さな明り取りの穴があるのだが、暗闇に圧迫されそうな感じがする。

逆に言えば、燭台の明かりが一層引き立つのかもしれない。

この空間には、西欧の教会には無い、古代信仰に根差した神域のイメージが引き継がれているのだろうか。

この感覚はスペイン、アルハンブラ宮殿の石材で覆われた薄暗い部屋に入った時にもあった。

 

 

上の写真: 祭壇を正面から見ている。

最後の晩餐らしい絵が正面に飾られている。

非常に質素です。

 

下の写真: 壁と屋根が接する柱の上にそれぞれ人面の彫刻がある。

私には王冠を被った王のように見えるが、不明。

 

4

< 4. スターヴ教会 3、Wikipediaより >

 

左: 別の木造教会の平面図。

今訪れている教会と同じで室内は十字架の形をしていない。

 

右: 今訪れている教会の構造図です。

柱上部に人面が見えます。

 

 

5

< 5.小屋 >

 

上: 屋根瓦を見てください。

北欧三ヵ国で見た屋根瓦が非常に日本の瓦と形が似ています。

親しみを感じます。

 

下: 野外展示場の丘から見下ろしている。

 

 

6

< 6. 農家 >

 

下の写真は大きな農家、大きな牛舎を持っています。

一方、上の写真は素朴な感じの農家です。

 

 

7

< 7.農家と水力小屋 >

 

上の写真の左側に水力小屋が見えます。

それを撮ったのが下の写真です。

この小屋はノルウェーの南部西海岸、ノルウェー海に面するフィヨルドにあったものを再現中のようです。

本来、水車が内蔵されており、動力となる水はこの小屋の左側から右側に流れ落ちるようです。

小屋の作りが面白いので取り上げました。

 

 

8

< 8. オスロ郊外北部の農家 >

 

建築が1845年の農家で、内部を見ることが出来ました。

この野外展示場では、内部に入れる家屋は多い。

下の写真はその内部で、左にベッドがあります。

 

 

9

< 9. 少し広い所に出た >

 

上: ここで驚いたのは、中国からの観光ツアーの一団です。

この展示場はストックホルムのスカンセンと違って遊戯施設が無く、民俗家屋の歴史を学ぶ所に特化している。

従って、すれ違う人々の多くは北欧のティンエイジャーを連れた家族や学校の小学生以上の団体でした。

このような場所に、中国の団体観光客が来ているのに驚かされました。

もっとも都市部での観光地で、アジア人の観光ツアーで断トツに多いのが中国で、次いで韓国、そしてわずかに日本かインドでしょう(見た感じ)。

 

下: 畑を囲んでいる柵が見えますが、この斜めに木を並べる形は、ストックホルムのスカンセンと同じでした。

 

 

10

< 10. パン焼き小屋 >

 

上: 表示にはパン焼き小屋とありました。

しかし中に入ることが出来なかったので、よくわかりません。

小屋の大きさの割に煙突が大きい。

 

下: これは別の小屋の内部です。

民族衣装を着たスタッフが、暮らしぶりを再現しています。

北欧で共通するようですが、暖炉と竈、暖房と料理は同じ場所で、非常に巨大なものが多い。

場合によっては一戸の家に複数ある。

その割には、この時代の壁の作りは断熱効果が乏しいように思える。

内壁となる丸太の木組みと外壁の板組の間に、断熱材が入れられているかどうかが分からない。

 

 

11

< 11. 作業中のスタッフ >

 

私がこの野外展示場で感心したのは、スタッフの親しみ易さです。

作業中の所を背後から撮影すると、二人は振り返り、笑顔で答えてくれました。

この対応は、他の小屋のスタッフにも共通していました。

 

一方、ストックホルムのスカンセンでは、どちらかと言うと冷たい感じがしました。

オスロでは小屋内部のフラッシュ撮影はOKなのですが、ストックホルムでは禁止でした。

 

ストックホルムとオスロを旅していて、国民性の違いを感じた。

オスロの人はノンビリしており優しい感じがしました。

一方、ストックホルムではお年寄りは親切なのですが、概ね就業中の人はピリピリしているようです。

これはアジア人に対してだけの対応なのか、それえともシビアに作業をしているからなのかわかりませんでした。

さらに言えば北欧の中で、スウェーデンは移民問題と格差問題を多く抱えているからもしれません。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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