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フランスを巡って 46: シャルトルへ


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今日は最後の宿泊地パリを目指し、途中、シャルトルの大聖堂を訪問します。

ロワール渓谷からイル・ド・フランスの大穀倉地帯に入って行きます。

この日も快晴でした。

 

 

 

 

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< 2. バス走行ルート >

 

旅行日10日目、2017年5月26日(金)、朝8時にホテルを出発し、シャルトルの町に到着したのは午前10時過ぎでした。

 

今回紹介する写真にはロワール渓谷のものはなく、出発後1時間を経たボース平野を抜け、シャルトルの町に入った写真です。

 

 

 

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< 3.静寂に包まれたトゥールの町 >

 

朝8時、ホテルをツアーバスで出発した。

 

 

 

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< 4. ボース平野 >

 

出発後1時間を経る頃には起伏の残る平野から、只々広大な平野が広がっていました。

 

 

 

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< 7. シャルトルの町 >

 

シャルトルの町に入って来ました。

かわいい家並みが続きます。

 

 

 

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< 9. シャルトルの中央広場に到着 >

 

次回に続きます。

 

 

 

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フランスを巡って 45: トゥールへ


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今日は、シャンボール城を出て、ホテルがあるトゥールまでの眺めを紹介します。

この日はキリスト昇天祭の休日で、ロワール川で憩う市民の姿が印象的でした。

撮影したのは2017年5月25日の17時から20時までと、翌朝の朝6時台です。

 

 

 

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< 2.バスのルートとトゥールの地図、上が北です >

上の地図: シャンボール城からトゥールまでのバスのルート。

ほとんどロワール川沿いを走りました。

 

下の衛星写真: HはホテルH、Sは市庁舎、Rは夕食のレストランを示しています。

レストランはメインストリートにあり、またホテルの直ぐ隣が鉄道駅です。

さらに北側にロワール川が流れています。

 

 

 

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< 3. シャンボール城付近の村 >

 

 

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< 5. ロワール川1 >

 

上と下の写真: 自然豊かな堤や河川敷に多くの車が見えます。

 

 

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< 6. ロワール川2 >

 

中央の写真: 川遊びをしているようだが、何をしているかは分からない。

 

下の写真: 河原でくつろぐ人々とキャンピングカーが見える。

フランスの至る所で、走っているキャンピングカーや何十台も駐車しているキャンピングカーを見た。

羨ましい限りです。

 

 

 

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< 7. ロワール川3 >

 

家族で楽しんでいるサイクリングを見ました。

 

 

 

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< 8. ロワール川4 >

 

上と中央の写真: 河原の砂地や林で、たくさんの家族で休日を楽しんでいた。

 

 

 

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< 9. トゥールに到着 >

 

上の写真: 右手中央が鉄道駅、左側にホテルが見える。

 

下の写真: 左手中央が市庁舎です。

 

 

 

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< 10. 市庁舎前のメインストリート >

 

上の写真: メインストリートの街路樹の下に設けられたレストランのテラス席。

地図のRです。

私達はこの一角で夕食をとりました。

 

 

 

 

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< 11. 鉄道駅1 >

 

翌朝、朝6時台に訪れました。

 

 

 

 

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< 12. 鉄道駅2 >

 

下の写真: 1台のピアノが置いてありました。

旅の思い出に弾けたらどんなに良いだろう・・・

まったく弾けないのが残念です。

 

 

 

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< 13. 鉄道駅3 >

 

 

次回に続きます。

 

 

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フランスを巡って 44: シャンボール城


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今日はシャンボール城を紹介します。

外観だけの紹介になります。

 

 

ロワールの古城

百年戦争に勝利したシャルル7世がシノン城(今は廃墟)に宮廷を移してから約160年間、ロワール川流域はフランスの政治・文化の中心でした。

貴族たちはこぞって城を建て、華やかな宮廷絵巻を繰り広げますが、やがて歴史の舞台はパリ郊外に移って行きました。

 

この流域には、中世期の要塞、王家の城、ルネッサンス期の邸宅、古い田園屋敷、壮大な聖堂など、現在も無数の歴史的建造物が残っています。

フランソワ1世やシャルル7世といった王家の人々や、レオナルド・ダ・ヴィンチなどの芸術家がロワールの景観に魅了され、この地で暮らしました。

ロワール河流域の800㎞に渡る一地帯にある21の城館が2000年よりユネスコ世界遺産に登録された。

美しいシャンボール城、シュノンソー城、アンボワーズ城、シュヴェルニー城などが代表的です。

 

 

 

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< 2. Map、上が北です >

 

上の地図: ロワール川流域の主要な城館。

訪問したはAのシュノンソー城、Bのシャンボール城です。

 

下の地図: シャンボール城の衛星写真。

見学は駐車場Pから川の向かいVまで徒歩で行きました。

見学は自由時間で行ったが、時間もなく入館しませんでした。

 

 

 

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< 3. 駐車場から城まで >

 

 

 

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< 4. 橋を渡り、ビューポイントへ >

 

 

 

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< 5. 広大な森が広がっています >

 

 

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< 6. 不思議な外観 >

 

この城は美しいとの評判ですが、私には屋根の上を埋め尽くす無数の煙突か尖塔が不気味に思えた。

 

 

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シャンボール城はロワール川流域の城館では最大です。

この敷地面積はパリ市の大きさに匹敵し、ヨーロッパ最大の森林公園で、多くの野生動物が生息しているそうです。

 

このロワール川流域の城館は、ジャンヌ・ダルクとレオナルド・ダ・ヴィンチと深く関わっている。

 

この地域の発展はシャルル7世がこの地に城を構えたのが始まりでしたが、これを可能にしたのがジャンヌ・ダルクでした。

それは、彼女が少し上流のオルレアンを開放したの機に敗戦色濃い百年戦争が形勢が逆転し、シャルル7世はフランス王の戴冠を行うことが出来たからです。

 

このシャンボール城を建てのはフランソワ1世ですが、彼はミラノ遠征でイタリア・ルネッサンス文化に魅入られ、フランス・ルネサンスを開花させることになりました。

そこで彼はレオナルド・ダ・ヴィンチを呼び寄せ厚遇し、ダ・ヴィンチはこの地で死んだ。

シャンボール城の螺旋階段のアイデアはレオナルド・ダ・ヴィンチのものだそうです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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フランスを巡って 43: シャンポール城に向かう


 

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今日は、同じロワール地方にあるシャンポール城までの車窓の景色を紹介します。

走ったのは、2017年5月25日(木)の午後でした。

 

 

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< 2.地図、上が北 >

 

バスがシュノンソー城を出発したのは13:20頃で、シャンポール城に到着したのは16:30でした。

この時も快晴で、雲一つなかった。

地図の青線は走行ルートを示しますが、この道を通過したかは確信がありません。

ただロワール川沿いを走ったことは確かです。

 

以下の写真のほとんど撮影順に並んでいますが、数枚は異なります。

 

 

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< 4. ロワール川 >

 

フランスの幾つかの大河沿いを走ったが、セメントでの護岸工事がなされていないことに感心した。

それは都市周辺でも変わらない。

そして河原の自然の緑が至る所、憩いの場となっていた。

 

なだらか地形がこの川の風景を許すのか、おそらく生活を楽しむ人々の思いが、この景観を守り育ているのだろう。

フランスの経済は良くはないが、国民はそれを凌ぐ生活の場を得ており羨ましい気がする。

 

 

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< 5. ロワール川沿いの城 >

 

 

 

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< 6. ロワール川沿いでサイクリングを楽しむ人々 >

 

 

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< 7. 乗馬を楽しむ人々 >

 

 

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次回に続きます。

 

 

 

 

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フランスを巡って 42: シュノンソー城 2


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今日は、シュノンソー城の内部を紹介します。

こじんまりした女の館で、それぞれの部屋やホールに特徴がありました。

非常にたくさんの観光客で混んでいました。

 

 

 

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< 2. 城内マップ >

 

上の写真: 上流から見ている。

下の地図: 城は4階建てで、1階の様子を示す。上が上流。

1番は護衛兵の間、2番は礼拝堂、3番はディアーヌ・ド・ポワティエの部屋。

6番はギャラリー、9番はルイ14世の居室。

7番は階段を下りた所にある厨房。

 

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< 3. 代々の女城主 >

 

この城は外観が美しく、ロワールの古城のなかでも1,2を争うと言われています。

この立役者が上記の7人の女性で、実に様々な女性らしい物語が秘められていました。

 

この城は16世紀の創建ですが、2番目の城主は国王の寵姫ディアーヌです。

この国王の正妻であったカトリーヌは国王の死後、ディアーヌを追い出し、主となり、橋の上にギャラリーを作り、この城は盛時を迎えた。

庭園にはこの二人の名が付けられている。

 

5番目のルイーズ・ド・ロレーヌは夫の国王が暗殺された後、白い喪服をまとい、この城の一室で祈りに人生を捧げました。

6番目のルイーズ・デュパンは啓蒙思想の知識人として有名で、モンテスキュー、ヴォルテール、ルソーといった哲学者をサロンに招き、シュノンソー城はかつて

の栄光を取り戻した。

またフランス革命の暴動から、この城を守った。

 

7番目のマルグリットは資産家の娘で、破産するまで城の修復に資産を投じた。

8番目の実業家の娘シモーヌは、第一次世界大戦中、このギャラリーを病院に改築し、2000人以上の負傷兵を自ら看護した。

 

 

 

 

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< 4. ルイ14世の居室 >

 

 

 

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< 5. ディアーヌ・ド・ポワティエの居室 >

 

 

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< 6. ルイーズ・ド・ロレーヌの居室 >

 

上の写真: 三階のルイーズ・ド・ロレーヌの居室。

彼女はこの薄暗い一室に籠って、弔い続けた。

 

左下の写真: 三階のホール。

右下の写真: 一階の護衛兵の間のタペストリー。

 

 

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< 7. ギャラリー >

 

上の写真: 1階のギャラリー。

下の写真: 2階のホール。

 

 

 

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< 8.フランソワ一世の居室 >

 

 

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< 9. 厨房 >

 

 

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< 10. 通路など >

 

 

次回に続きます。

 

 

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フランスを巡って 41: シュノンソー城 1


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今日は、シュノンソー城の外観と庭園を紹介します。

訪れたのは2017年5月25日、12:30~15:30でした。

雲一つない快晴でした。

 

 

 

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< 2. シュノンソー城の地図、上が西です >

 

上の地図: Sが駐車場で、私達は受付をして左側に延びる並木道を通り、庭園に出た。

ここで右に折れてRのレストランに行き、昼食をとった。

Mは帰りに寄った迷路です。

 

下の写真: お城と庭園を拡大した。

 

川はロワール川の支流シェール川で、東(地図下)から西(地図上)に流れている。

 

 

 

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< 3. 並木道を行くと >

 

庭園と白い城が視界に飛び込んだ。

 

 

 

 

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< 4. 昼食を終え >

 

レストランからディアーヌの庭園を抜け、城に向かう。

 

 

 

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< 5. 城の正面に出る >

 

この城は6人の女性が暮らしただけあって威圧的なところがなく、あくまで優美です。

 

 

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< 6. シェール川 >

 

上の写真: 下流側(西)を望む。

下の写真: 上流側(東)を望む。

 

 

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< 7. 城内から庭園を望む >

 

上の写真: 城の北西を望む。カトリーヌの庭園。

下の写真: 城の北東を望む。ディアーヌの庭園。

 

 

 

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< 8. ディアーヌの庭園に向かう >

 

 

 

 

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< 9. ディアーヌの庭園から見た城 >

 

 

 

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< 10. ディアーヌの庭園 >

 

 

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< 11. 生垣を刈り込んで迷路 >

 

駐車場への帰りは並木道と並行した道を行った。

 

 

 

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< 12. お花畑 >

 

帰り道沿いに、野菜やお花を栽培している広い畑があった。

 

 

次回は城の内部を紹介します。

 

 

 

 

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フランスを巡って 40: モンサンミッシェルからロワールへ


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今日は、モンサンミッシェルからロワールまでの車窓からの景色を紹介します。

 

 

 

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< 2. 走行ルート、上が北です >

 

移動したのは旅行9日目、5月25日(木)でした。

ノルマンデイーとロワールの地をおよそ300km走り抜けました。

この日も快晴で、太陽がまぶしかった。

地図の青線ルートの中ほどの赤丸で休憩を取りました。

朝8:00にモンサンミッシェルのホテルを出発し、12:00過ぎに目的地シュノンソー城に到着しました。

 

写真は撮影順に並んでいます。

 

 

 

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< 3.ノルマンデイーの朝 >

 

 

 

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< 4. モンサンミッシェルが遥か遠くに見えた >

 

そろそろノルマンデイーの地とお別れです。

酪農が盛んで、至るところに防風林が見えるなだらかな平野が続きます。

私達がノルマンデイーに来た前日はこのフランス旅行中では珍しく雨模様だった。

それが為か、なぜか物悲しい風景に見えてしまう。

 

モンサンミッシェルの東側の大きなコタンタン半島とその東側の海外線が、大戦時のノルマンディー上陸作戦の地でした。

ノルマンデイーの地はヴァイキングの移民に始まり、幾度も英国とフランスとの間で血みどろの戦いが繰り返された所でした。

 

 

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中央の写真: 蜜蜂の巣らしいものが見える。

 

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< 9. 休憩したガスステーション >

 

上の写真: Aire de service de la Vallée de l’Erveとの看板がありました。

 

 

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中央の写真: ここで幹線道路から外れて、郊外や林を抜ける道路を進みます。

 

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< 11. ロワール川を渡る >

 

ロワール川はフランス最長の川で、この中流域は「フランスの庭」と呼ばれ、多くの古城や宮殿が散在しています。

通りから見える家々も、広い庭を持つ洒落た作りでした。

 

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< 12. もうすぐ着きます >

 

久しぶりにブドウ畑を見ました。

 

次回に続きます。

 

 

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フランスを巡って 39: モンサンミッシェル 5


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今日で、モンサンミッシェルの紹介は最後になります。

修道院を出て外周を廻り、村の暮らしを感じさせる裏道を下りました。

 

 

 

 

 

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< 2. 地図 >

 

今回、紹介する徒歩ルートです。

写真は2017年5月24日、14:00~17:00に撮影しました。

観光している間に、みるみるうちに雲がなくなっていきました。

 

上の写真: 上が南です。

Sは修道院内部を見学して出て来た所で、黄色線は外周を歩き、正面に出るまでです。

 

下の写真: 上が北です。

赤線は街を見下ろす道で、真っすぐ進むと下ることが出来ます。

私達は途中で引き返し、青線を降りて出口Eに向かいました。

 

 

 

 

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< 3.出口周辺、地図のS >

 

上の写真: 出口辺りから西側の海岸線を見ている。

 

 

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< 4. 島の西端から >

 

左上の写真: 出口から人が出て来ている。

右上に鐘楼が見える。

 

右上の写真: 下を見下ろすと、海岸に突き出した小屋が見える。

 

下の写真: 大砲が睨みを利かしている展望台。

 

 

 

 

 

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< 5.絶壁 >

 

上の写真: 出口のある建物を見上げた。

 

下の写真: 最上階は食事室だろう。

地震が起きたらどうなるのだろうか?

不安がよぎる。

 

 

 

 

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< 6. 正面に出た >

 

黄色線ルートが終わり、赤線ルートの始まり。

 

右上の写真: 右側の階段を上ると、修道院内部の見学ルートとなり、既に紹介しました。

左の道を進むと、街を見下ろす赤線ルートになります。

 

 

 

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< 7.  街を見下ろす道から 1 >

 

赤線ルートを進む。

 

 

 

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< 8. 街を見下ろす道から 2 >

 

赤線ルートを進む。

 

 

 

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< 9. 街の裏側を下る 1 >

 

青線ルートを降りる。

 

左上の写真: 墓地が見える。

右上の写真: 墓地から見上げる。

下の写真: ウミネコが煙突に巣を作っていた。

 

 

 

 

 

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< 10. メイン通りを抜けて、城外に出る >

 

 

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< 11. 桟橋から >

 

これで半日に及ぶモンサンミッシェルの観光が終わりました。

 

 

今思うこと

充分に観光時間を割いてくれたツアーでしたが、それでもまだまだ感じたい知りたい事を多く残して来たように思う。

 

私がモンサンミッシェルに興味を持ち始めたのは1961年の映画「エル・シド」を見てからでした。

チャールストン・ヘストン演じる馬上の騎士エル・シドが海岸に聳える城を遠望している姿が、印象的でした。

これ以降、是非ともいつかはモンサンミッシェルに訪れたいと思うようになりました。

やっと、その望みが叶えられました。

 

実は旅行間際に調べてみると、この映画の舞台はスペイン、バレンシアの海岸の城だったことを知りました。

それでも遠浅の浜に聳えたつ中世の建築物は見応え充分でした。

 

ここには1000年にも及ぶ篤き信仰心に支えられ、途方もない労力を注ぎ込み造られた教会があった。

また100年に及ぶ海峡を挟んだ巨大な戦争によって大要塞と化した。

この時は、ジャンヌ・ダルクも救援に駆け付けようとした。

フランス革命後は打ち捨てられていたが、今は貴重な文化財として保存されている。

 

この島の魅力は、巨大で荘厳な教会と要塞が一体でありながら、その内部に庶民が暮らす街が共存していることかもしれない。

初めは聖地として選ばれた海岸から離れたこの岩山が、それ故に要塞となった。

心の平和を希求するがゆえに選んだ地が血生臭い要塞となってしまった。

実に人間らしい産物と言えるかもしれない。

 

 

次回から、ロワール地方を紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

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何か変ですよ 73: 日本の問題、世界の問題 9: 今、何を始めるべきか?


 

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今、選挙が始まろうとしています。

これは、まさに世界が加速度的に劣化していくことを象徴しています。

なんとか劣化を食い止めたいものです。

 

 

  •  はじめに

日本の首相は野党の体たらくにつけ込み、勢力拡大を狙い解散を行いました。

彼は実に政治の駆け引きが巧で、まさに独走態勢です。

一方、野党は未熟の一言に尽きます。

先進国では珍しいと言うか、世界はこの潮流に呑み込まれつつあります。

 

おそらく、選挙後、首相は憲法改変や軍事力増強を行い、短期的には周辺諸国との紛争突入の可能性が高まり、中期的には世界で火種が増し、長期的には国内で所得格差が拡大し、経済破綻が起こるかもしれません。

 

もしかすると、彼が采配を振るうことにより、逆に世界はより平和となり、やがて起こる経済成長が格差を縮め、経済破綻も防げるかも知れません。

 

ここが思案のしどころとお悩みの方も多いことでしょう。

 

検討すべきポイントは二つです。

一つは現政権の政策を押し進めて良いのか、または避けるべき政策があるのかと言うことです。

そうだとしても頼りない野党を選んで良いのかと言うジレンマもあります。

 

 

 

  •  現在の問題

この連載で、これまで様々な問題を指摘して来ましたが、最大のものは何でしょうか?

 

世界に関しては、際立つものとしては自由放任主義のグローバル化と米国の身勝手な軍事行動でしょう。

これを仕向けて来たのは一部の超富裕な金融資本家達の強欲と言えるでしょう。

このことを指摘するのは良識ある学者に留まらず右派・左派の論客にもいます。

 

日本に関して、放置すれば致命傷となるのは労働人口減と米国追従でしょう。

これらがなぜ放置されて来たかと言えば、戦後レジームの惰性、つまり長期与党の安逸な日々が続いたからと言えるでしょう。

 

あまりにも単純な指摘ですが、現在のように放置し続けると、痛いしっぺ返しを受けるでしょう。

つまり、今の政策以前に現与党の姿勢と、その背景にある世界の潮流に杭を打ち始めることが肝要です。

 

残念ながら、これらは即効性のない提案ばかりです。

とりあえず現政権の経済と軍事の暴走防ぎ、後は世界と共に手を打ち始めることから始めなければならない。

 

要点を以下に述べます。

 

 

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  •  世界を危険に陥れている問題
    1. 自由放任主義のグローバル化

既にこれまで説明して来ましたが、要点を述べます。

 

これが各国の所得格差を拡大させたことにより、多くの低所得層だけでなく中間層までが不満を持つようになった。

また金融セクターのエゴによって起こる金融危機は、各国の財政を悪化させ、緊縮財政による福祉の低下と大量失業が貧困層を増大させた。

 

 

  1. 米国の身勝手な軍事行動

米国だけが身勝手な軍事行動を行っているわけではないが、世界を戦火に巻き込み、内戦や難民を最も多く出しているのは米国です。

また米国は経済や諜報活動でも、世界に悪影響を与え続けている。

例えば、地球温暖化条約破棄やクーデター支援(政府転覆)などがこれにあたる。

 

この二つのことが半世紀以上続いたことにより生じた難民や移民が流れ込む先進国では高失業と重なり不平不満が高まり、エゴ剥き出しの排外主義が横行するようになった。

このことが、米国ではトランプ現象となり、EUや日本では右傾化が進んでいる。

これを象徴するスローガンが「米国一番」「都民ファースト」であり、人々を魅了することになった。

 

不思議な事に、日本では失業や難民問題が深刻でないにも関わらず、米国と中国・北朝鮮との対立に煽られて、キナ臭さから焦げ臭くなりつつある。

 

このまま進めば、先進国を含む世界はどうなるのだろうか?

はい、悪化するだけです。

このまま勝手に世界が正常に戻る理屈はない。

 

そうは言っても、各国の努力は無駄なのか?

米英日以外にうまくやっている先進国(北欧やドイツなど)もあるが、世界は一連托生にならざるを得ない。

景気刺激策が功を奏したら、必ず良くなると信じたいのは皆同じですが、同じ事が繰り返されるだけです。

 

上記、二つのこと放置したままでは、他の施策を行っても焼け石に水か、破綻を先延ばしするだけで、むしろ傷を深めることでしょう。

待ち受けるのは世界を巻き込む巨大な金融危機か資源獲得紛争、ついには核戦争でしょう。

 

 

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  •   日本を窮地に追い込む問題
    1. 労働者人口減

これは単純明解で、経済にマイナスです。

日本も遅れて、いくらか対策を嵩じてはいるが、あまりにも遅い。

また移民に対して嫌悪感があり、このまま行くと、長期減退は免れない。

 

  1. 米国追従

「米国追従の何が悪いのか?」と責められそうです。

また「お前は、反日か!」と罵られそうです。

 

これまでのように日本が米国追従を続けるなら、前述した「世界を危険に陥れている問題」を方向転換するどころか、英国と共に米国の身勝手をさらに加速させることになる。

 

一番の問題はこれらを無視して来た与党の姿勢であり、これを見過ごして来た国民にも責任の一端はある。

米国の意向に沿った原発促進や莫大な公共投資が何を招いたでしょうか?

前者の功罪は世界の判断から明確になった。

後者は日本の経済成長を呼び起こすはずのものだったが、その結果、零成長と世界でも群を抜く累積赤字となった。

これらは「NOとは言えない」与党政府が招いた結果の一部にしか過ぎない。

 

 

 

米国追従を望む人々は、米国の核の傘に入れば安心だと思っているようです。

 

しかし、私は技術的見て日本列島を核攻撃から守れるとは思えない。

むしろ、火種が増し、紛争の最前線となるのは極東の端にある日本列島でしょう(米国にとって防波堤)。

また米国との同盟強化による抑止力を期待する人もいるが、この効果は良くもあり、悪くもありと言うところです。

簡単に言うと、敵国が冷静で正確な情報を持っていれば抑止力は増すが、そうでない場合は、敵国は戦意を煽られ暴挙に出る可能性が高まる。

米国のおかげで防衛費が少なくて良かったと言う意見もあるが、現状の軍事費(GDP比率も)の国はいくらでもある。

 

重要なのは、大戦以降、米国の軍事行動の大半が世界中に戦火を広げ混迷の種を撒いて来たと言う事実です。

ましてトランプの下では危険性は高まるだけでしょう。

 

なぜ日本政府が米国追従なのか様々な憶測が飛び交っているが、戦後、政府の政策を見ていると、経済(構造協議)、金融(市場開放)、産業(民営化)、為替(プラザ合意)、軍事(海外派兵)すべてに米国の言いなりと言える。

おそらく密約やCIA等により日本政府が牛耳られていると言うよりは、単に自発的な交渉で米国(政府や議会)の機嫌を損なうよりは、言いなりが楽と言うことに尽きるのだろう。

この手の押し付け、自由放任主義の拡散は世界中に行われたが、日本は最も従順に受け入れて来た。

 

例えば、沖縄返還では、その結果によりノーベル賞を受賞した首相もいれば、その秘密交渉に尽力した外交官は、その結果に後悔して服毒自殺していた。

それでも対外交渉の矢面に立つ外務官僚は徐々に変わって来ているようだが、旗振り役の政治家はやはり国民受けのアピールを狙い、旧態依然とした手法に頼ることになるだろう。

 

 

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  •  現政権の長短
    1. 首相の長所

首相は政治駆け引きとリーダーシップに優れ、与党内からの反発が少なく、長期政権を担える。

また彼は外交にやりがいを感じており、日本はとりあえず目立つ存在になった。

 

  1. 首相の短所

今回の解散や消費税撤回、憲法改正の進め方、身内問題(加計など)などを見ていると、信頼出来る人物ではない。

つまり、国民の願う方向に向かうとは限らない。

麻生の言うように、いつの間にかナチスに牛耳られたと言うことになるかもしれない。

 

最も不安なのは、彼の認識の偏りとある拘りです。

かつての日本の戦争の評価や戦争回避の手法、また経済や政治運営において、今までの与党にもあった制約がなし崩しになって来た。

単に、右翼と言ってしまえばそれまでだが、それだけではない。

その目立つ強引さに比べ、将来招くことになる様々な弊害についての目配りが不足している。

ふるさと納税や年金の株式運用など、問題を訴えた官僚達は外され、顧みられることはない。

 

もう一つは、岸おじいさんへの極度の愛着で、これが彼を振る舞いの淵源だろう。

 

 

  1. 政策の問題

他の事で目立っても、自由放任主義のグローバル化や米国追従に積極的なのでは何ら解決にならない。

 

本来、円安誘導は米国を怒らすはずだったが、今回それが無かったのが不思議です。

考えられるのは、軍事的な追従で帳消しにされているのか、大量の米国債を買うことで許されているのかもしれない(将来、ドル安になれば大損害となる)。

 

アベノミクスによる経済効果はあっても一時的でしょう。

現内閣は誕生時から、世界の金融危機後の立ち上がりと言う幸運に恵まれていた。

もし効果があったとしても、その後、どこかで金融危機が起これば、膨大な貨幣供給により大きなしっぺ返しを被ることになるでしょう。

結局は、米国や英国の二の舞になるだけです。

 

結論としては、現政権の延長は、戦争と経済に関して危険が増すと言うことになる。

 

 

 

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  •  国のトップの資質について
    1. トランプに期待する人の意見

期待する理由は彼が財を成し得たのは優れた交渉術のおかげだと言うものです。

これが米国の再生を救うと信じている。

 

しかし、彼の事業手腕のポイントは法(破産、公共体からの融資、脱税など)を犯罪すれすれで悪用し、一方で悪徳で名高い弁護士によって事業を拡大して来たと言える。

つまり、極論すれば自分で法を犯しながら、国法に守らて来たと言える。

このような手法が、法を率先垂範すべき国のトップ、ましてや信頼が欠かせない各国間で通用するとは思えない。

各国間の懸案は脅しと軍事力でしか解決しないと考えれば、トランプは良い選択かもしれない(その結果は恐ろしいが)。

 

 

  1. 保守が期待するトップ像

ある日本の保守論客(元外交官)は、敵を作り紛争を繰り返す米国を悪の権化と言い募る。

さらに彼は欧米は国際金融勢力による傀儡であり、そのマスコミも牛耳られ、逆らうロシアなどを食い物にしようとしていると指摘する。

 

彼の指摘は事実も混じっているので面白いが、最大の難点は論理の飛躍があることです。

不思議なことに、日本政府はその害毒に毒されず、ましてや現首相は毅然とそれに立ち向かえると言うのです。

つまり、世界を救うのは今の首相しかいないと言うのです。

 

百歩譲って、それを認めたとして、現実の動きはどうでしょうか。

首相はトランプを諫め、暴挙を抑えようとしているでしょうか。

 

例え、互いに同意見だから協力しているとしても、最初の前提とは甚だしく異なっているように思えるのだが。

私にとってこの手の論説は、唯の好き嫌いを長々と述べているに過ぎないと思うのだが。

 

 

 

  •  世界と国内の関係について

自由放任主義のグローバル化が悪いと解っても、それを正す方法に問題がある。

 

ある識者は言う、自由を求めて広がるグローバル化を規制や税で制御すること自体に無理がある。

大半の経済学者も、これに賛同するだろう。

一理はあるが、明らかに災厄の原因が判明しているのに放置して良いことにはならない。

 

確かに、現状では多国間の貿易交渉さえまとまり難いのに、まして世界を統一された規制や税制で網羅しようとすることは不可能に近いかもしれない。

そうは言っても、世界は徐々に主要20カ国リーダー会議とか、フロン規制などで成果を積み上げて来ている。

 

ここで見方を変えて、災いの根源となっている超大国の横暴を抑えることが出来れば、世界は一歩前進するのではないでしょうか。

つまり、超大国に追従するばかりでなく、独仏が行っているように、友好国ではあるが、その都度是々非々で対応を判断するぐらいの自主性を持つことが、これからの日本に求められるのではないでしょうか。

 

もっとも大事なことは、少なくとも超大国の身勝手を、他の先進国と一緒になって抑えるようにならなくてはならない。

つまり、グローバル化の災いを招いている金融セクターの独走を米国から正すことです。

 

我々が、現状の世界経済の行く末を正すには、世界規模の改変か、米国(一部EU含む)を諫めて行くことから始めるしかない。

 

 

 

  •  今回の選挙にあたって

とりあえず、何を選んではならないかは見えて来ました。

しかし、それではどの政党を選べば良いのでしょうか?

 

残念ながら、私にも見えて来ない。

既存の野党はバラバラで、新しい政党に実力があるようには思えない。

 

また現実的に考えて、アベノミクス(リフレ策と財政出動)や自由放任主義のグローバル化を、日本から変えて行くことは困難でしょう。

改善策の経済政策が一部の経済学者により提唱されているが、残念ながらそれが広まる雰囲気はまだないように思う。

ましてや、追従か拒否かの両極端にある日本の政治家に、それを実行出来る豪胆さはないだろう。

 

そうなれば、ここは消極策で行くしかない。

つまり、現首相に「暴走するな!」と伝えるぐらいだろう。

それ以上の事を望めるとは思えないし、後は悪化が急速に進まないことを祈るぐらいしかないでしょう。

 

戦後の日本の政治を見ていると、反対する野党の存在が長期与党の独走を防ぎ、欧米流とは異なる大きな政府を生み出して福祉や医療制度で世界に誇れる国になったと私には思える。

 

 

皆さんの健闘と幸運を祈ります。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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フランスを巡って 38: モンサンミッシェル 4


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今日は修道院の中を巡ります。

天空の城と言えるかもしれません。

 

 

 

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< 2. 地図 >

 

今日紹介するルートはSからスタートし1~4を巡りEで終わりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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< 3. 西のテラスからの眺め 1 >

 

ここは地図のNo.1です。

 

上の写真: 最初に入った建物から直ぐ出たところがこの西のテラスです。

中央の写真: パノラマ写真。

下の写真: パノラマ写真。西のテラスから南と西を見ている。

 

 

 

 

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< 4. 西のテラスからの眺め 2 >

 

上の写真: 真北を見ている。干潟を歩く一団が見える。

左下の写真: テラスから北側の眼下を望む。

 

 

 

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< 5. 修道院付属教会 >

 

ここは地図のNo.4です。

 

左下の写真: 内陣は15世紀にゴシック様式で再建された。

 

 

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< 6. 中庭 >

 

ここは地図のNo.1と2の間です。

展示がされていました。

見上げるとミカエルの像が真上にありました。

 

 

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< 7. 回廊 >

 

 

ここは地図のNo.2です。

 

期待していた所なのですが、残念ながら工事中でした。

ここは修道士の祈りと瞑想の場でした。

この外側は断崖絶壁になります。

 

 

 

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< 8. 食事室 >

 

ここは地図のNo.3です。

ここは修道士の食堂でした。

 

 

 

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< 9. 大天使ミカエル >

 

モンサンミッシェルの建設は、8世紀、聖オベールが大天使ミカエルのお告げを聞いたことに始まります。

上の写真: このエピソードを表しているのでしょう。

 

 

 

 

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< 10. 聳え立つ壁面や柱 >

 

 

 

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< 11. 大車輪 >

 

上の写真: この大車輪は食物を上階に運ぶために使われた。

左下の写真: 岩盤の上に築造されているのがわかる。

 

 

 

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< 12. 騎士の間 >

 

上の写真: ここは地図のNo.2で、回廊の下の階にあります。

修道士の執務室でした。

 

モンサンミッシェルの修道院の建物は、概ね3階建てになっており、正に天空の迷宮でした。

ガイドについて行くのが精一杯で、迷路遊びを堪能出来なかったのが残念でした。

 

 

 

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< 13・ モンサンミッシェルの変遷 >

 

1: 10世紀の様子。

2: 11~12世紀。

14~15世紀に英仏の百年戦争があり、城壁部分が島を囲むようになった。

3: 17~18世紀。

4: 20世紀。

 

この難攻不落の大要塞は幾度も英国軍を退けたが、一度だけ侵入を許したことがあった。

それは18世紀末のフランス革命時で、フランス市民による侵入でした。

この後、半世紀ほどは監獄として使われた。

 

今回の旅でアルザスやアヴィニヨンを訪れて驚いたのは、フランス革命時に各地の教会や宮殿が略奪にあっていたことでした。

まるで中国の文化大革命と同じ状況が起こったようです。

 

 

次回に続きます。

 

 

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何か変ですよ 72: 日本の問題、世界の問題 8: おかしな認識の数々


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前回、世界経済は危険な兆候を示しているが、人々が無視し出来る理由があります。

今回は、その根底にあるおかしな認識について見ます。

第一章 はじめに

前回示した危険な兆候には、日本だけでなく先進国で深まる所得格差、経済成長の低下、繰り返し巨大化する金融危機、急伸する累積赤字がありました。

日本に限っては人口減があります。

人々がこの兆候を無視する理由には、自由放任主義とグローバル化への信奉が背景にあることがわかりました。

これが金融セクター(金融資本家)が政府をリードし、一方で自虐労働観が蔓延ってしまった原因にもなった。

前回、この危険な兆候はほんの40年前の人為的な政治・経済の転換から始まったことを示しました。

そして、現在、益々危険度は高まり、改善の兆しはありません。

人々が危険な兆候を前にして傍観出来るのは、これらを危険と認識しない理由があるからです。

 

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第二章 これら兆候を危険と認識出来ない理由とは

私が危険と見なす幾つかの兆候を、人々が危険と認識しない理由を探ります。

そこには繰り返される偏見や、ちょっとした思い違い、煽動があります。

  1. a) 所得格差

「所得格差の何が悪いのか?」と思っている人もいることでしょう。

稼ぐ人が稼げば良い、働かない人は収入が無くて当然ではないか。

「収入が無いからと言って、儲けている人の足を引っ張るな」と言う日本の経済学者もいます。

しかし所得格差が放置されると幾つかの問題が発生します。

多くの低所得層の消費が伸びず経済発展が阻害されます。

貧困家庭では充分な教育が行えず、適切な労働者の再生産が出来ない。

いずれ所得格差が拡大し、社会に不満が充満し治安の悪化が起こる。

しかし一番の問題は、多くの国民が勤労意欲を無くしてしまうことです。

これは歴史的に繰り返された文明崩壊の最たる要因であり、また現在の後進国の発展を阻害する原因でもあります。

つまり放置することは社会の悪化を招くのです。

  1. b) 経済成長の低下

「これだけ経済は豊かになったのだから、これ以上、浪費を招く経済成長は必要ない」と思っている人もいるでしょう。

だが経済成長は必要です。

現在の福祉政策や莫大な財政赤字を考えると、経済が縮小したり停滞すると福祉と経済はいずれ破綻することになる。

たとえ国民が生活や医療の水準を低下させることを受け入れても、わずかなりとも成長は必要でしょう。

問題はむしろ、経済が成長出来ない真の理由を先進国の首脳達が把握していないか、認めたくないことにある。

数こそ少ないが著名な経済学者が原因の指摘と献策を行っているのだが。

それゆえ、並み居る先進国は巨額の財政出動とマネサプライを続けて、景気を強引に刺激し続けています。

この挙句、膨大な累積赤字と金融危機が繰り返しているのです。

つまり、現在の国家運営においては経済成長は必要です。

但し、現在のカンフル剤の大量投与のような景気刺激策は問題を先送りし、破局を極大化させるだけでしょう。

 

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  1. c) 繰り返し巨大化する金融危機

「バブル崩壊は資本主義経済の安全弁のようなものだ」と考える経済学者も居るぐらいなので、バブルを当然と思う人もいるでしょう。

確かに、バブル崩壊は歴史的に繰り替えされ、おそらく無くすことは出来ないでしょう。

しかし、これから起こるバブル崩壊(金融危機)はこれまでより危険度が増す。

二つの理由があります。

繰り返す内に、経済崩壊の規模が増大していることです。

このような状況は19世紀のヨーロッパでもあり、第一次世界大戦の引き金に繋がったと指摘する学者もいます。

2008年以降、先進国は軒並み、史上初と言える莫大な緩和マネーを放出しているので、景気過熱とその崩壊は世界中を巻き込む桁外れのものになるでしょう。

膨張した巨大な風船は少しの衝撃で破裂することになる。

今一つは、金融危機の度に、金融セクターと超資産家は富を増やし、一方で政府は累積赤字を増大させ、国民は失業と福祉削減のあおりを受けている。

たとえ一時バブル崩壊を逃れても、いずれ所得格差と累積債務の増大が社会と経済を破局に突き落とすでしょう。

  1. d) 急伸する累積赤字

「GDPの2倍に迫る累積赤字でも日本は盤石だ!」と言う経済学者がおり、人々は免罪符を貰ったようなもので、深刻さに目を向けないでしょう。

しかし、いずれ累積赤字が限界を越え、破綻する可能性があります。

この限界は明瞭ではなく、国民が不安に思い始める時が限界と言えます。

残念ながら、今の経済学は儲ける手法を研究しても、社会を困窮させる現象の研究には力を入れていません。

可能性が高いのは金利上昇や、累積債務が国民の金融資産より上回った時かもしれない。

国が破綻すると言うことはどのようことなのでしょうか?

世界を見回して、国家が破綻して地図から消えたのは二つぐらいしかなく、多くは存続を続けています。

それでも傷は深かったのです。

大きく分けて二つの問題があります。

一つは、デフォルトを起こし、政府が国民や海外の投資家に借金を返さないことです。

デフォルトになれば日本人一人当たり1000万円が紙屑になるだけで、平均すればまだ預金や現金が800万円残っている。

皆が一斉に失うので、あきらめがつくはずだと軽口をたたく人もいる。

しかし、この時、国民の落胆だけでなく、金融危機と同様に経済は停滞し、厳しい緊縮財政が続くことになる。

誰も、政府に資金を提供してくれませんので。

今一つは、歴史を振り返ると、累積債務を抱え経済悪化の状況にある時、国民の不満が煽られて戦争や侵略に向かった国がありました。

例えば、政府が状況悪化を大増税や通貨増発で逃れようとした結果どうなったでしょうか?

かつて日本やドイツが他国の侵略に向かい始めたのは、そのような状況で身動きが取れなかった時でした。

これは経済学で論じる範疇を越えていますが。

つまり、歴史的事実として多くの国は累積債務の悪循環から逃れられず、ついには破局に至るのです。

たとえ今は良くても。

 

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  1. e) 日本の人口減

「人口が減るのは豊かな社会の現れで仕方ない」と諦める人も多いでしょう。

実は、日本の景気低迷の最大の要因は人口減と言えるでしょう。

現在の人口減は、若年層が減り、労働人口が減り、そして高齢者の人口割合が増えることです。

つまり、単純に、働く人が減り、稼がない人が増えることで、確実にGDPは低下していきます。

一時期、退職者を埋め合わせる為に求人が増えても、じわじわと陰りが広がります。

これは致命傷です。

特に、日本はこれを長年放置し、労働移民も増やさないのであれば、それこそ沈没するしかない。

   

第三章 おかしなドグマ 

人々は自由放任主義や、グローバル化、自虐労働観、超繁栄する金融セクターに疑いを持たないかもしれない。

これらドグマの何が奇妙なのかを見ます。

  1. a) 自由放任主義(果てしない規制崩し)

この論理が正しいと信じる人がよく引き合いに出すのが、「自然界は弱肉強食」だと言うのがあります。

この論理の前提に、「競争が強くする=生存競争を生き抜いた者こそが優れている」との思い込みがあります。

結論から言うと、高度な動物、まして人間に当てはめることは間違いです。

簡単に言うと、生死を分けた自然淘汰は進化の源でしたが、高度な動物ほど生存には競争と同様に協力も不可欠でした。

まして社会的な動物(霊長類、人間)には高度な利他行動が不可欠なのです。

実は、この手の進化論まがいのドグマは帝国主義の時代にも、先住民を差別する為に大いに普及したのです。

この手のドグマは保守派経済学のものと言うより、何やら不気味な時に顔を出す亡霊のようなものです。

現実の社会で考えてみましょう。

通常、国が定める経済や産業の規制の多くは、消費者や労働者の為のものでしょうか、それとも企業の為のものでしょうか?

前者もあるが、当然、政府を動かして規制を作り安いのは企業や産業側です。

企業や産業が望む規制の例としては、競争を避ける為に他者を規制するものです(関税、輸入量制限、業界均一料金など)。

一方、消費者の安全を守る為に、企業側を規制する場合もあります(公害防止、消費者金融の金利制限など)。

実際、問題がある多くの規制緩和は、企業繁栄の為に自由を与え、国民や社会への被害は二の次と言うものです。

すべてがそうではないが、米国の金融セクターが巨大化していった背景にこれがありました。

もう少し単純に考えましょう。

歴史的に見て、権力や武器、資本を野放しにするとどうなるでしょうか?

もしある人が「やがて競争の末に秩序が保たれ、必ず平和で平等な社会が訪れるはずだ」と言えば、人々は信じるでしょうか?

おそらく、嘲笑ものでしょう。

しかし、現在の経済学の主流はこのような事を平気で言い募っているのです。

  1. b) グローバル化

「グローバル化は必然だ!」、「グローバル化は災厄を撒き散らす!」と二つの意見に分かれ、これまた何が問題かが分かり難い。

これを例えるなら「自動車は便利だ!」「自動車は危険だ!」と同じです。

つまり危険だけど便利で捨てることが出来ない。

グローバル化を排除するのではなく、グローバル化を適切にコントロールする  ことが必要なのです。

自動車に例えれば、死亡事故を減らすために道路交通法、取り締まり、罰則などの強化が必要だと言うことです。

現在は、大型トラックの巨大コンボイが至る所を自由に疾走しているようなものです。

世界が統一的な法規制や税制を制定し、管理する必要があるのです。

もっとも、これを不可能だと一笑に付す経済学者や、猛烈に反対する業界や大国が存在するので事は簡単ではない。

大事なことは皆さんが、タックスヘイブンや、金融危機や通貨暴落に繋がる過剰で身勝手な資金移動が、これまでどれだけの実害をもたらしたかを先ず知って頂くことです。

 

  1. c)  自虐労働観

「労働者を甘やかすとだめだ」、「労働者が団体活動するとろくなことがない」 と思っている人がいるはずです。

しかし、そうでしょうか?

企業や経営者を甘やかすことは良いのでしょうか?

企業や産業が金に物を言わせ、社会や政治に影響力を持つことは良いのでしょ   うか?

実は、どちらも限度を越えることが問題なのです。

20世紀の前半は、労働運動の行き過ぎがありましたが、現在は企業側の行き 過ぎなのです。

実は、その前の19世紀は労働者のストが犯罪で、労働者は死を賭してスト権  を社会に認めさせた経緯があったのです。

もう一度立ち止まって、労働者自身が労働権に気づかないといけない。

  1. d) 超繁栄する金融セクター

高々、一産業(金融セクター)の発展を妬むのは良くないと言われそうです。

この事を前回まで扱って来ましたが、やはりこの中心問題は金融セクターが巨 大な力を持ち、災厄をもたらしているにも関わらず国民の立場になって制御出 来なくなってしまったことです。

端的な例は、毎回金融危機を繰り替しておきながら、血税で救済しなけ ればならず、また財政赤字を増やし続けなければならないことです。

繁栄すること自体が問題ではなく、歴史上よくある、武力や権力の集中が恣意 的な振る舞いを増長させてしまうことなのです。

現在の問題は、金融セクターが経済と政治の中枢を握ることで起こっているの です。

第四章 何が国民を惑わしているのか

私は経済学にかなりの非があると考えます。

極論すると経済学は似非自然科学でありながら、経済を制御出来ると吹聴し、かつ国民が疑いを差し挟むことが出来ないことが問題なのです。

  1. a) 経済学者の断言と予測は占いよりましか

巷では、「累積債務を問題にする輩は経済音痴である」「リフレ策は金利高騰を招かない」などと強気の発言をする経済学者を見かけます。

しかし、経済史、特にバブル崩壊史を振り返ると、ある種の経済学者の挙動が珍妙です。

ここ2百年あまりの数々のバブル絶長期において、なぜか新進気鋭か人気絶大な経済学者(実業家も居るが)がバブルを煽り、さらには崩壊の危険が無いと言って喝采を浴びていたのです。

当然、バブルで一儲けしようとする人々は彼に熱烈な声援を送ります。

その結果、彼はバブル崩壊と共に凋落の憂き目にあうのですが、潔く責任を取ったと言うことを聞きません。

単なる目立ちたがり屋が、たいした根拠もなく科学的な物言いによって、国民を惑わせただけなのです。

詳しくは「バブルの物語」ガルブレイス著を見てください。

あの「金融の神様」と呼ばれた元FRB議長グリーンスパンですら、2008年のバブル崩壊をまったく予見で出来なかったのです。

憤りを感じるのは、昔の天気予報、いやほとんど占いと変わらない実態なのに断言や予測を軽々とする経済学者、しかしその実害は比べものにならないほど絶大なことです。

私の経験では、彼らは経済的な予測―円高や株高など、を行って外れても、まったく平気な人々ばかりです。

つまり、高らかに歌う経済政策の将来の成果は、現在の天気予報のように自然科学上のデーターを使いシュミレーションすることが出来ていないのです。

経済政策や経済予測は、想定外の攪乱要因で多く外れることがあると、皆さんは肝に銘じて頂きたいのです。

 

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第五章 想定外の危険と向き合う

既に見たように経済的な現象とその理解、さらには問題の解決方法と将来予測には、不確定要素が多々あります。

一方、経済悪化は私達の最大の関心事で、また政治を大きく悪化させる最大の要因でもあります。

これが半世紀前のドイツと日本のファシズムの引き金になりました。

私が一番強調したいのは、想定外の危険や悪化と向き合うことの重要性です。

東日本大地震の原発事故は、福島県の10万人を越える避難者や数十兆円の損害を生みました

想定外で済まされていますが、そこに原発が無ければ、被害はなかったのです。

科学技術に基づいた設備にでも、これだけの被害が発生するのです。

まして一部の経済学者が太鼓判を押す程度の経済政策では想定外のアクシデントによって、逆の事態が起きるとも限らないのです。

増大する累積赤字による破綻、インフレ後の金利上昇、巨大なバブル崩壊など重大な懸念は幾らでも起こりうるはずです。

むしろ問題の本質は、原子力政策と一緒なのですが、経済学は社会科学と言うより、あまりにも政治化しています。

分かり易く言えば、時の政権と癒着していることです。

政権に都合の良い経済学者が重用され、互いに利便を得ていることが問題です。

 

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第六章 まとめ

経済の問題を、その思想から論じて来ました。

これらは思想と言うよりも、思い込みや好みと言えるものでした。

歴史は繰り返すと言うが、現在は20世紀前半の労働者優先から、企業優先に変わり、その歪が極大化しつつある状況です。

ここで労働者優先に転換出来るかが鍵になるのですが、残念ながら、大きな問題があります。

それは多数ではあるが非力な人々が社会を変革することは歴史的に見て困難を伴っていることです。

フランスの経済学者ジャック・アタリが言っているように、放置された累積債務の果てに来るものは内乱かもしれない。

そうならない為にも、人々が問題と向き合い、社会を変えて行くことを始めなければならない。

次回に続きます。

 

 

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フランスを巡って 37: モンサンミッシェル 3


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今日は、メインストリートと修道院の入場までを紹介します。

 

 

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< 2. 今回紹介する徒歩ルート >

 

Sの王の門からスタートし、メインストリートのグランド・リュを進み、Eの修道院の内部に入るまでを赤線で示します。

 

 

 

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< 3. 王の門 >

 

上と左下のの写真: 王の門

右下の写真: 王の門をくぐって、通りを進む。

 

 

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< 4. 賑やかなグランド・リュ >

 

狭い坂道と階段は観光客で一杯でした。

左右には土産物屋や飲食店がひしめいていた。

 

 

 

 

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< 5.サン・ピエール教会 >

 

左上の写真: サン・ピエール教会。

階段の途中、商店が途切れた時、左手に小さな教会が見えた。

教会の入口にジャンヌ・ダルクの像が見える。

 

ジャンヌ・ダルクは英仏の百年戦争の時、モンサンミッシェルを目指したことがあったが、結局来ていなかったはずです。

この像は、彼女が聖ミカエルのお告げを聞いて、初めてフランス王の為に立ち上がることを決意したことに由来するらしい。

 

 

右上の写真: この階段の突き当りで通りは終わり、左に曲がると修道院が見える。撮影場所の左手がサン・ピエール教会です。

 

下の写真: 教会の前は小休止するには良い場所で、私達が行くと、写真の少年たちが声をかけて来ました。

 

彼らは「ジャパン! ジャパン!」と尋ねました。

「イエス、イエス」と答えると、彼らは嬉しそうに「ナルト! ナルト!」と連呼しました。

 

日本のアニメの威力は凄いです。

彼らはオランダから来たらしい。

 

 

 

 

 

 

 

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< 6. 修道院が聳える >

 

階段を上り切ると、直立する修道院が聳えていた。

下の写真: 来た道を振り替えった所。

 

 

 

 

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< 7. いよいよ修道院へ >

 

 

 

 

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< 8. 修道院に沿ってさらに階段を上る >

 

 

 

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< 9. さらに階段を上る >

 

 

 

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< 10. 階段を上り切った所で >

 

見上げると、金色の聖ミカエルの像が青空に輝いていた。

 

 

 

 

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< 11. テラスから見下ろす >

 

ここは高度80mぐらいになります。

 

中世、この険しい岩山の上に、かくも壮大でそそり立つ教会を建てたものだと驚嘆した。

当時、ここには人々の篤い信仰と高度な建築技術があった。

 

 

 

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< 12. いよいよ入場します >

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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フランスを巡って 36: モンサンミッシェル 2


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今日は、モンサンミッシェルの城壁を紹介します。

 

 

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< 2.徒歩ルート >

 

赤線のSからEまでを35分かけて歩きました。

歩いたのは2017年5月24日午後2時頃からです。

写真はほぼ撮影順に並んでいます。

 

 

 

 

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< 3. 修道院の入口の手前からスタート >

 

左上の写真: 修道院が聳え立っている。

右上の写真: 右側の階段の奥に修道院の入口がある。

下の写真: 眼下にシャトルバスで来た橋が見える。

 

 

 

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< 4. いよいよ下り始める >

 

 

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< 5. 最初の塔が見える >

 

上の二枚の写真: 一番高いところにある北塔。

 

 

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< 6.北塔から >

 

上の写真: 北塔から下って来た階段を見上げる。

下の写真: 北塔からブクル塔を見下ろす。

 

 

 

 

 

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< 7. 北塔とブクル塔の間で >

 

上二枚の写真: 北塔を振り返る。

下左の写真: ブクル塔が見える。

 

 

 

 

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< 8. ブクル塔の手前にて >

下の写真: 修道院を見上げる。

 

 

 

 

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< 9. ブクル塔にて >

 

 

 

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< 10. ブクル塔から見上げる >

 

 

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< 11. ブクル塔から低塔まで >

 

上左の写真: 奥に北塔が見える。

上右の写真: ブクル塔を望む。

下の写真: 低塔を望む。

 

 

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< 12. 王の門の上に到着 >

 

左下の写真: 王の門の上から城壁内のメインストリートを望む。

この通りを奥に進み階段を上るとS地点に至る。

 

感じたこと

この30分ほどの間に、雲間が切れ青空が広がって来た。

見上げると陽光に輝く教会の雄姿が聳えていた。

とうとう憧れのモンサンミッシェルの中を自由に散策出来た。

 

当初、抱いていた孤高の教会のイメージよりは巨大な中世の大要塞であった。

岩盤の島に築き上げられた礼拝堂から1200年をかけて城塞へと発展し、そして幾多の戦いにも難攻不落を誇ったモンサンミッシェルとなった。

城壁を歩いて、その高さと堅固さから、さもありなんと納得した。

 

11世紀、このノルマンディー地方に入植していたバイキング(ノルマン人)はイギリスをも支配するようになり、やがて英仏の百年戦争(1337-1453年)の火種となった。

このことが、モンサンミッシェルを要塞化させることになった。

 

この美しい信仰の聖地で幾度となく戦いが繰り返され、この不思議で稀有な容姿となった。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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フランスを巡って 35: モンサンミッシェル 1


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これから、モンサンミッシェルを数回に分けて紹介します。

今回は、対岸のホテル街から城内入口近くまでの景観です。

 

この日の観光

観光したのは、旅行8日目、5月24日(水)、13時から17時です。

到着時は雲が空を覆っていたが、徐々に雲が無くなり晴れ間が見えて来ました。

13時前にホテルに着き、荷物だけを置き、シャトルバスの停留所まで歩いた。

シャトルバスは無料で、朝8時から深夜1時まで5~10分間隔でモンサンミッシェルとホテル街を結んでいる。

シャトルバスは2.5kmを走り、終点の橋の上で降りると、直ぐ前にモンサンミッシェルが全貌を現す。

モンサンミッシェルの観光は、最初に城内で自由散策と昼食時間があり。

私の自由時間は、修道院の入口前まで上り、そこから見晴らしの良い海に面した城壁に沿って下まで降りた。

昼食はツアーには無く、各自がレストランを探して入るか、途中休憩したドライブインで買っておいた食品を食べた。

私は後者で、サンドイッチを買って食べた。

その後、全員が城内入口付近に集合し、ガイドに従って登り、修道院を巡った。

修道院の見学を終えると、そこで散会し、シャトルバス停留所の集合時間までは自由散策となった。

この自由時間は島内の生活感が残る個所を降りた。

後は、シャトルバスに乗ってホテルまで戻った。

 

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< 2. 衛星写真 >

上の写真: 対岸のホテル街から入場口までルートを赤線で示す。上が東。

下の写真: 赤線はシャトルバスを下車してからおおよその撮影場所。上が北。

赤線: 1回目の自由散策とガイドに従って2回上ったルート。

茶色線: 1回目の自由散策で下った城壁ルート。

青線: ガイドに従って入った修道院。

オレンジ線: 2回目の自由散策で歩き下ったルート。

 

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< 3. ホテル街 >

上二枚の写真: ホテル街。

ホテルに荷物を置いて、シャトルバスの停留所に向かう。

下の写真: 走行中のシャトルバスから東側を撮影。

羊達が草を食む広大な草原が広がり、さらに遠くに対岸が見える。

 

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< 4. 橋の上から 1 >

上2枚の写真: 長い橋の上を走るシャトルバスから東側を撮影。

干潟が広がっている。

下の写真: シャトルバスを降りて、橋の上から南側、ホテル街を望む。

バスはこの川沿いの左側を走って来た。

 

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< 5. 橋の上から 2 >

上の写真: 橋の上から西側を望む。

河口の向こうに広大な田園地帯が広がる。

中央の写真: 17時に撮影。

観光を終了してホテルに戻る前に撮影。

下の写真: 13時半頃に撮影。

シャトルバスを降りて、観光前に撮影。

 

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< 6. 左側を望む >

 

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< 7. 中央と右側を望む >

上の写真: 中央の白いバンの向こうに城内への入口がある。

 

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< 8. 右側を望む >

干潟を多くの人が散策を楽しんでいた。

この島はノルマン人との戦いや英仏戦争を耐え抜いた、如何にも難攻不落の要塞に思える。

次回に続きます。

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何か変ですよ 70: 日本の問題、世界の問題 6: バブル崩壊の果てに待ち受けるもの


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< 1. 1980年代、世界を変えた首脳達 >

 

 

前回、バブル崩壊と救済が繰り返されて深刻な事態になっていることをみました。

今回は、なぜこのようになったかを探ります。

これでバブル崩壊の考察を終えます。

 

 

 

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< 2. 世界の緩和マネー >

 

上のグラフ: 茶色の線がOECD+BRICsの合計マネーサプライで、青線が世界のGDP。

 

マネーサプライが上昇している時に3回のバブルが起きている。

そして2008年以降、歴史上はじめて先進国全体がGDPを超えるマネーサプライを供給し続けている。

現在は中央銀行バブルの最中だと警鐘を鳴らすエコノミストが増えている。

 

下左のグラフ: 大国はベースマネー(マネタリーベース)を競うように拡大している。

 

下右のグラフ: 赤線は世界のマネーサプライ。

 

 第一章 はじめに

先進国(日米など)に格差拡大と累積財政赤字の増大が深刻化していることがわかりました。

これが緩和マネーの増大と金融セクターの膨張と関係していることもみました。

さらに、この始まりは高々1980年代に始まったことも知りました。

 

この異常な事態は最近の人為的なこと、つまり国と中央銀行の政策の変化が起因してることも知りました。

事の起こりは米国にあり、さらに経済理論が様変わりしたことにある為、理解することは難しい。

 

ここでは、先進国の政治経済の大きな変化を取り上げ、何が元凶なのか、何が経済と金融政策を変えてしまったのかを探ります。

 

 

 

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< 3. 世界のヘッジファンド >

 

第二章 なぜこのようなことになったのか?

皆さん、不思議に思いませんか?

世界を巻き込む巨大なバブル崩壊を繰り返し、また国内の所得格差を著しく拡大させている国は何処でしょうか?

それは民主主義と資本主義の先進国である米国です。

その結果、トランプ大統領が誕生したも言えるのです。

 

これは他人事ではなく、放置すればいずれ我が身に起きることなのです。

この事態は米国がリードでして来た二つの金融政策に端的に現れています。

 

バブルが起きる原因はどこにあったのか?

 

大きな要因の一つは、緩和マネーの巨大化でした。

中央銀行はバブル崩壊後の景気刺激策として大量の緩和マネーを市場に供給して来た(マネーサプライ)。

 

バブルが過熱する時は、必ず投機家が巨額資金(自己資金の20~30倍の借金)を金融商品に投じて高騰を煽っていました。

単純に考えて、彼らが自己資金内で運用する分には、高騰はそれほど起こらず、例え暴落が起きても破産の可能性は著しく低くなります。

つまり、バブルの過熱も崩壊もなくなります。

 

それではなぜ投機家はそのような莫大な借金が可能になったのでしょうか?

 

大きな要因の一つは、政府が高レバレッジ率を許して来たからです。

政府は金融セクターの要望に従ってあらゆる規制緩和をこれまで行って来た。

 

それではなぜ政府と中央銀行はこのような危険を冒すようになったのでしょうか。

 

 

 

 

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< 4. 2007年度、米国の資産格差 >

 

上位1%の金融資産は、米国の42%になった。

 

 

第三章 危険を冒す政府、肥え太る人々

なぜ政府と中央銀行は危険を冒してまで、巨大な緩和マネーを投じ、金融の規制緩和を行うようになったかを見てみましょう。

 

この様変わりした政策については経済学派のケイジアンとマネタリスト、米国の民主党と共和党、ドイツと米国、日銀総裁の白川(元)と黒田(現)で意見が対立し、賛否が別れています。

これら論争を理解することは困難でも、現実に悪化する状況を直視すれば、また背景を理解出来れば、自ずと答えは見えて来るはずです。

出来れば良質な経済書をお読みください。

私が読んだ参考図書を末尾に紹介します。

 

 

政策が変わっていった背景を簡単にみます。

 

第一段階 1970年代より、先進国が金本位制を止めたことにより、緩和マネーの巨大化が可能になった。

 

最初に1971年のニクソン・ショックで米国が金本位制を止め、1978年から先進国が続いた。

これにより各国の中央銀行が金の備蓄量を気にせず貨幣を発行出来るようになった。

中央銀行は貨幣供給量の調整で物価対策と通貨対策、景気刺激策を自由に出来るようになった(マネタリズム)。

 

これ以前、各国は金本位制を幾度も止めては、また復帰を繰り返して来た。

 

 

 

第二段階 1979年から米国のFRBが貨幣供給量を制御するマネタリズム(フリードマンが唱えた経済政策)により、スタグフレーション(失業率上昇と物価上昇が併進)を収め、景気を回復させた。

 

これ以前の経済政策は、米国のニューディール政策に代表される、政府が市場に介入し公共投資や賃金アップ(労働組合奨励)などで需要を喚起するケイジアンが主流であった。

第二次世界大戦まではこれが功を奏したと言えるのですが、戦後の世界経済は好調後に、インフレからスタグフレーションへと突入した。

 

先進国の産業・経済界と保守派は、これをケイジアンからマネタリズムへの転換の絶好の機会と捉えた。

 

 

第三段階 1980年代より、先進国は「自由放任主義」を掲げる保守的な政策に転換した。

 

 

スタグフレーションの原因の一つに、強い労働組合による旺盛な賃金上昇があったとされ、先進国の産業・経済界はこぞってこの抑制を政府に訴えた。

彼らにとって、経済疲弊の病根は強い労働組合と公営企業の赤字であった。

また第二次世界大戦後の英国や米国は、日増しに高まる日独の輸出攻勢で経済は勢いを失っていた。

 

これを挽回するために、英国のサッチャー(1979~)、米国のレーガン(1981~)がマネタリズムと自由放任主義を推し進め、やがて他の先進国も追従した。

自由放任主義とは、市場は規制を受けない自由競争状態であればあるほど経済の効率が高まり、発展するとの考えです。

すべてを自由競争に委ねれば、企業家は意欲を増し、商品価格は低下し、経済効率は上昇し、経済は発展すると信じた人々は、また政府の裁量と財政規模を縮小すべしとした。

 

彼ら指導者は国営企業の廃止や労働組合の制限、産業・金融の規制緩和を推し進め、景気刺激策として公共投資から貨幣供給へと軸足を移した。

日本だけは後者のマネタリズムへの転換を日銀が拒んでいたので、公共投資を継続した。

 

確かに、経済を安定的に発展させるには成長に見合ったマネーサプライは不可欠ですが、行き過ぎた緩和マネーが問題であり、その限度、効能と弊害について意見が分かれています。

 

 

 

第四段階 米国では金融家達が徐々に政治を支配するようになっていた。

 

米国の金融家(銀行家)と大資産家らは、ロービー活動と選挙応援を通じて20世紀初頭より政治力を高めており、レーガン以降、その力は強力になっていた。

 

彼らは米国の経済復活には世界的な競争に勝つ必要があり、この為に世界大恐慌後(1929年~)の数々の経済・産業・金融の規制を撤廃すべしと政府に規制緩和を求め続けた。

保守的である共和党の方がより規制緩和を行い自由放任主義的な政策を採ったが、多くの民主党政権でも後退には至らなかった。

 

この規制緩和は多岐にわたりますが、そのポイントは国民の犠牲を防止する規制の廃止、一方で金融家の自由な投機を阻害する規制や監督を廃止したことです。

一例としてはシャドーバンキング(ヘッジファンド)の暗躍、高レバレッジが最近の金融危機の大きな要因になっている。

他に自由放任主義の施策としては企業経営者の報酬アップ(ストックオプション)、労働運動の制約、富裕層減税による累進課税のなし崩しがある。

 

 

現段階 こうしてバブル崩壊がほぼ10年毎に起こり、中央銀行は膨大な緩和マネー、政府は財政出動で金融救済と景気刺激策を繰り返すようになった。

 

こうして金融セクターが潤い巨大化し、富める者は益々富むようになり、さらなる政治支配が可能になった。

例えば、バブル崩壊後の2009年から2012年までの収入増加のじつに91%が、米国の最富裕層上位1%の懐に収まった。

このような状況では、米国の多くの政治家も経済学者も現状の自由放任主義とマネタリズムに追従することで主流に成り得る。

これになびく日本も同様です。

 

これが米国と、米国に追従する日本や他の先進国の状況です。

 

 

 

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< 5. 2013年度、子供の貧困率 >

 

米国は世界で2番目に高く、日本は9番目に高い。

 

第四章 まとめ

結局、ここ40年ほどの金融家らによる政治と経済の転換は、著しい所得格差と莫大な累積赤字を生んでしまった。

そして多くの先進国では高い失業率と低経済成長がほぼ定着した。

さらに政治には国民の意向が反映されなくなり、失望の果てに日本、米国、ヨーロッパで右翼や国粋主義が台頭するようになった。

 

我々が今行わなければならないことは、先進国の金融セクターの横暴を止める政策を政府に採らせることです。

その対策の為には世界が一致団結して新たな金融政策、秩序ある競争を生み出す適切な世界的な規制と累進課税を採ることです。

 

経済学者スティグリッツは「これから始まる『新しい世界経済』の教科書」で、抜本的な改革案を提示しています。

 

 

次回に続きます。

 

 

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参考図書

 

*「国家は破綻する 金融危機の800年」カーメン・M・ラインハート著、2011年刊。

内容: 世界中の国家の破綻、デフォルト、金融危機、通貨暴落、高インフレの全体像をデーターで俯瞰させている。

感想: 破綻が頻発している事実に驚かされたが、破綻のメカニズムの定性的な解説がなく、経済の素人には面白くないかもしれない。

 

*「ささっと不況を終わらせろ」ポール・クル-グマン著、2015年刊。

内容: バブル崩壊後の不況対策について、幾多の事例を参考にしながら主に米国について批判的に解説している。

感想: 様々な破綻が読みやすく語られ理解し易い。またクル-グマンの立ち位置が見えてくる。

 

*「2020年 世界経済の勝者と敗者」ポール・クル-グマンと浜田宏一著、2016年刊。

内容: 二人が米国、EU、中国の経済、アベノミクスについて対談している。

感想: 対談集なので底が浅く、二人の議論が噛み合っていないように思う。

クル-グマンは概ねアベノミクスが最善の方策であり期待もしている。

気になるのは彼が日本の達成を困難と見ていることと、次のバブル到来を危険視していないことです。

 

*「これから始まる『新しい世界経済』の教科書」スティグリッツ著、2016年刊。

内容: 米国の経済政策(自由放任主義とマネタリズム)を批判し、米国と世界経済の復活を目指す改革案を提示している。

感想: 現状の経済の問題点を多角的に分析し、それぞれに対策を提言している。

しかし要点を絞って書いている関係で、専門の経済用語の知識がなければ理解が困難です。

 

 

 

 

 

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フランスを巡って 34: パリからモンサンミッシェルへ


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今回は、パリからモンサンミッシェルまでの車窓の風景を紹介します。

これから待望のモンサンミッシェルに向かいます。

また2日後にはパリに戻って来ます。

 

 

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< 2. 走行ルート、上が北です >

このルート通りに走ったかは定かではありません。

 

移動したのは旅行8日目、5月24日(水)でした。

(前回紹介した「ランスからパリへ」の日時の記入が間違っていました。正しくは5月23日でした。)

今回、走行する7割ほどの地域はノルマンディーです。

今回の旅行中、二つの観光地間の移動としては最も長い距離を走りました。

 

朝8:00にパリのホテルを出発し、途中トイレ休憩し、モンサンミッシェルのホテルに着いたのは13:00でした。

その後、荷物をホテルに入れると、すぐ観光に出発しました。

 

出発時はあいにくの空模様で終始雲が空を覆い、走行中、小雨がぱらつくことがありました。

しかし、モンサンミッシェルを観光している途中から素晴らしい青空が出現しました。

今回の旅行は、好天に恵まれていました。

 

写真は撮影順に並んでいます。

 

 

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< 3. パリを抜けて行く >

 

 

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*5.

 

 

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ノルマンディーは酪農が盛んなので牛を見かけることが多かった。

 

下の写真: 住宅らしいのですが、この地方は一階建てが多いようです。

庭先にキャンピングカーが見えますが、フランスでは観光地や自然豊かな所ではたくさんのキャンピングカーを見かけました。

フランス人はキャンピングカーライフを楽しむようです。

 

 

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天気が悪い為か、今まで通って来た地域と異なり、すこし裏寂しいように思えた。

南仏のようなカラフルな家屋をほとんど見かけることはなく、ノルマンディーも中ほどを過ぎると、屋根瓦はくすんだ灰色が多く、スレートのようでした。

道路沿いの疎らな農家には痛んだ家屋が目立った。

 

やはり、このノルマンディーはヴァイキング(ノルマン人)の移住の地らしく、他のフランス地方とは異なる風土があるようです。

 

今回のようにフランスのほぼ3/4の走り抜けると、地方の特色がバスの車窓からでもよく見えて来て面白い。

 

 

 

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下の写真: 中央の遠方に三角形のモンサンミッシェルが霞んで見えた。

この地域は海風が強いのか、防風林らしきものが耕作地の境界や家屋の周囲に多く見られる。

 

 

 

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上の写真: ホテル到着まで10分ほどの道路沿いから見えた家屋。

時刻が12:50だったので、家族で昼食中かもしれません。

 

下の写真: 中央遠方に小さくモンサンミッシェルが見えます。

 

 

次回に続きます。

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何か変ですよ 68: 日本の問題、世界の問題 4: バブル崩壊 2


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前回、バブル崩壊のばかばかしい一面をみました。

今回は、バブル崩壊が起きる理由と被害が甚大になる理由をみます。

また被害の現実をグラフで確認します。

 

 

  •  バブル崩壊の簡単なメカニズム

これまで繰り返されて来たバブルには、ITバブル、サブプライムローンバブル等、様々な名前が付いていますが、必ずすべてにつきまとうものがあります。

それはバブルの崩壊、急激な信用収縮による金融危機です。

さらに金融危機はデフォルトと通貨暴落などを伴うことがあります。

 

崩壊はなぜ避けられないのでしょうか?

 

簡単に、株式投資(不動産投資、商品投機も同じ)で例えます。

 

ある投資家が自己資金500万円で購入した株が800万円に値上がりして、気を良くし、今度は500万円を借金して追加投資した。

しかし、まもなく値崩れを起こしたので、彼は借金返済の為に即座に売却した。

売れた株価は平均400万円だったので、彼は自己資金をすべて無くした上に借金返済にも100万円不足となった。

この100万円を都合出来なければ、彼は破産することになる。

 

ここで注目して欲しいことは、誰も株を売らなければ損失が出ないと言うことです。

 

一度、信用不安が発生したり値下がりの憶測が流れるとバブル状態の金融商品(不動産や株、国債など)に売りが集中し、この価格が下がり始め、すると更に売りが増えて暴落することになります。

部外者から見れば、これは自業自得で、まったく馬鹿げた話ですが、経済全体で見ると事は重大です。

 

日本では暴落の度に概ね日経平均株価はピーク時の半値以下になり、株価総額で200~300兆円が一瞬にして失われます。

この金額はGDPの半分に相当するので重大です。

 

バブル崩壊の切っ掛けは様々あり、自国の景気後退や金利上昇などが大きいが、海外の景気後退や金利上昇、またバブル崩壊が伝染しても起こる。

何が切っ掛けであろうと、一度値下がりが始まると市場はパニック状態になり、制御不能になってしまうのです。

 

 

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  •  バブル崩壊の甚大な被害

バブルは経済を潤していたのに、崩壊してしまうとなぜ悲惨なことになるのか?

 

それまで、株価・不動産高騰で懐が潤っていた人々は消費を増やし、好況に貢献し、また国により多くの税金を払ってくれていた。

崩壊では、この逆が起こっただけで、結局、プラスマイナスでゼロになっただけと思わないでください。

 

このバブル期間中、投資機関、特に大口の個人資産を運用するヘッジファンドなどはレバレッジを利かした借金(元本の数十倍)で投資を行います。

すると莫大な資金が流入したことでその金融商品の値上がりが続き、やがて素晴らしい収穫の時がやって来ます。

 

例えば、元本1億で29億を借金し、合計30億で運用し、購入価格の2倍で売却すれば、この投資家は59億円の利益を得ます(笑いが止まりません)。

ところがこの投資家は、値上がりを期待し、まだ金融商品を持っていた。

ついに下落が始まると、彼は29億の借金を返却しなければならず、先を急いで売却を始めます。

すると、これが大暴落の切っ掛けになります。

 

不動産投資では、値上がりした購入物件を担保に借金し、さらに別の物件に投資することが多い。

この場合、一度少しでも不動産の値下がりが始まると担保評価額の低下により、資金回収の為の不動産物件の売りが必要になり、これを切っ掛けに暴落と破産が続出することになる。

 

こうなると個人やヘッジファンドなどの機関投資家や投機に手を出していた企業の破産が続き、ついには銀行までもが倒産を始めます。

現代は、先進国の膨大な金融資産が世界中を飛び交っています。

こうして、一国のバブル崩壊、信用収縮による金融危機が起き、瞬く間に世界に伝染していきます。

 

こうなるとほとんどの市場参加者、特に情報が少ない一般投資家は後手に回り、失うのは自己資本だけでなく借金も返せなくなります。

こうして、一転、浪費に浮かれた社会から破産企業と破産者が続出する停滞した社会に突き落とされることになる。

 

なぜバブル崩壊が悲惨な状況を生むのかを簡単にイメージしてみましょう。

 

百社の企業と従業員からなる経済を想定します。

各企業がバブルに便乗し、銀行から平均10億円の融資を受けて金融商品に投資していました。

3年間、各社例年に比べ大幅増の毎年1億円の利益を上げていました。

経営者や従業員にボーナスが出て、求人も増え順風満帆でした。

 

しかし、やがてバブル崩壊が始まった。

企業は金融商品をすべて売却したが、融資額の半分の平均5億円の借金が各社に残った。

内部留保(利益の蓄積)を取り崩し、資産を売却しも借金を返却出来ない企業10社は倒産し、失業者は5%増加し、消費は冷え込んだ。

残った90社も借金を抱え、全体で20%の売り上げ減になり、景気は冷え込んだ。

 

これがバブルの崩壊による暗転のイメージです。

 

 

一度、大きな信用収縮が起きると、個人破産だけでなく産業・経済を支える企業・金融機関の多数の倒産が起こります。

景気後退と失業者の増大が起こります。

 

生き残った企業や銀行(金融機関)も莫大な借金を背負うことになります。

銀行はバブル防止への規制強化のせいもあるが、負債の減額に必死で、融資に慎重になります。

また製造企業も同様に、傷を受け、設備投資や賃上げを控えることになります。

さらに国は急激な税収減に見舞われ、赤字国債を急増させ累積赤字は一気に増加します。

当然、福祉やセフティネットの予算が減額され、低所得層はさらに苦しむことになります。

こうして深刻な景気後退が長く続くことになります。

 

しかし、ここ数十年、先進国はバブル崩壊時に莫大な公的資金をつぎ込むことにより新たな問題が起きるようになりました。

 

 

  •  グラフから事実を掴む

バブル崩壊が社会に与えた影響をグラフから見ます。

 

 

 

 

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< 3. 日米英の株価推移とバブル崩壊 >

 

橙色枠は三つのバブル崩壊を示します。

 

A: 日本のバブル崩壊(平成不況)。

1991年3月~1993年10月。

 

このバブルは1985年のプラザ合意で円高が進行した為、政府が内需拡大を目指し、日銀が低金利政策による大幅な金融緩和を行ったことに始まる。

これにより不動産投資と証券投資が活況を呈し、1989年12月に日経平均は最高値を付け、暴落が始まった。

翌年、政府と日銀が強引な金融引き締めに転じた為、急激な信用収縮が起こり、これにより失われた20年と呼ばれる低成長期に突入した。

 

この時に発生した不良債権は約200兆円、全銀行の純損失の総額は100兆円であった。

1991年の実質GDPは420兆円であった。

 

 

B: ITバブル。

日本では2000年12月~2002年1月に影響を受けた。

 

このバブルは1990年代末期から2000年代初期にかけて、アメリカ合衆国市場を中心に起った。

インターネット関連企業の実需投資や株式投資が異常な人気となり、2000年3月にナスダックが最高値を付けた。

その後、連邦準備制度理事会の利上げを契機に株価は急速に崩壊した。

 

日本は前述のバブル崩壊による不況が続き、またIT関連投資が部分的であった為、影響は限定的であった。

 

 

C: サブプライム住宅ローン危機から世界金融危機。

米国で2007年に始まり2010年以降も世界に影響を与えた。

 

このバブル崩壊は米国での長年の住宅ブームに便乗し乱発されていたサブプライムローン(返済能力が低い人への住宅ローン)が2006年の住宅価格の下落で、返済不能者が続出したことによる。

サブプライムローンは途中から金利が高くなる設定であったので、債務者は住宅価格が上昇している時なら借り換えで返済額を減らすことが出来ていた。

しかし、下落を始めると借り換えが出来なくなり、金利上昇分を返済出来ない人は破産した。

こうして信用収縮が始まった。

 

これが世界金融危機へと拡大したのは、ここ数十年で定着し始めた金融システム、高レバレッジをかけた取引や住宅ローンと他のローンを細分化し組み合わせた証券化、リスク回避の為のCDS(信用デリバティブの一種、前回説明)、不誠実な信用格付けが重なり、リスクが見えなくなっていたことによる。

そして世界のあらゆる投資家は活況を呈するこの市場にこぞって参加した。

 

これに輪を掛けたのが規制緩和によるシャドウバンキングの暗躍でした。

米国と世界はシャドウバンキングの放埓な取引を規制もせず、実態も掴まなかった。

シャドーバンキングとは「影の銀行」という意味で、銀行ではなく、証券会社やヘッジファンド、その他の金融会社が行う金融仲介業務を指します。

 

 

これによる損失はどれぐらいだったのか?

2008年10月、アメリカ政府は70兆円の公的資金を投入したが、さらに大規模な財政出動を繰り返し、11月にはそれは総額700兆円に達した。(これ以降、為替100円/ドルで計算)

これらの出動は直接的な支出というよりも投資、融資、融資保証などの形を取っていた。

2009年2月、アメリカ政府は80兆円の景気刺激策を決め、この内7兆円は900万に上る住宅所有者を差し押さえから救うための費用でした。

アメリカの退職金基金は22%減の170兆円減、年金基金130兆円減、貯蓄と投資資産は120兆減であった(日本も年金基金と日銀の株式運用に気をつけよう!!)。

 

2009年の国際通貨基金 (IMF) の推計によれば、米国と欧州の大手銀行が2007年~2010年の間に不良資産と不良融資から受けた損失額は最悪280兆円に達すると予想した。

 

最後に最新の数値を示します。

ステイグリッツはダラス連邦準備銀行の推計として「2008年の金融危機のコストは、年間GDPの40~90パーセントに達し、今日の水準では16兆ドル(1760兆円)に相当する」と述べている(驚愕の数値!!)。

この記述はステイグリッツ著、2016年刊「これから始まる『新しい世界経済』の教科書」P.73にある。

 

 

 

 

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< 4. 日米の実質GDP成長率 >

 

上のグラフ: 日本の実質GDP成長率。

バブル崩壊時のGDP低下はわずか数%で、かつ2~3年で終わっているように見える。

しかしバブル崩壊の度に、経済成長率は1段づつ低下し、遂には0%に近づいたように見える。

 

下のグラフ: 米国の実質GDP成長率。

バブル崩壊時のGDP低下はわずか数%で、かつ2~3年で終わっているように見える。

しかし日本と違って平均2%の成長を遂げている。

実はこれには裏があり、次回種明かしをする予定です。

 

 

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< 5. 日米の失業率 >

 

上のグラフ: 日本の完全失業率。

Aのバルブ崩壊から10年かけて失業率は2.5倍に上昇した。

如何に、このバブル崩壊が日本経済を傷つけたかがわかります。

円高は1985年の260円から1987年の120円になり、後は概ね横這いになったていたので、この景気低迷は円高だけでは説明できない。

 

下のグラフ: 米国の完全失業率。

Cのサブプライム住宅ローン危機では、それまでの20年近くの低い失業率が一気に悪化した。

 

 

 

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< 6.日本の政府債務残高 >

 

上のグラフ: 日本政府の債務残高の推移。

純債務は、総債務に対し、一般政府が保有する金融資産(年金積立や外貨準備など)を差し引いたもの。

 

1980年代には、財政再建が強く意識され、概算要求におけるゼロシーリングやマイナスシーリングの導入、民営化、消費税の導入等が行われた結果、財政収支は改善基調となり、1988年から1991年にかけて黒字となった。

1992年以降はバブル崩壊に伴う歳入減と景気対策としての減税・公共事業の拡大による歳出増に伴い、恒常的な財政赤字のはじまりとなった。

如何にバブル崩壊が財政赤字の増大を招くかをよく示している。

 

「国家は破綻する」の図14.5(p.338)によると、過去数十年間の世界の金融危機の実質公的債務は危機後の3年間で平均86%(40~180%)も増加している。

いずこも同じことが起きているのです。

 

下のグラフ: 日本の部門別の貸出(+)/ 純借入(-)の推移(対名目GDP比)。

三回のバルブ崩壊に応じて、政府の財政赤字が増加し、家計の貯蓄が減少している。

 

一方、非金融法人企業は1990年に最大の赤字であったが、不思議なことにバルブ崩壊の度に赤字を減らし、遂には黒字となり家計の資産を越えた。

この理由は不明だが、違和感がある。

 

 

 

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< 7. 米国の政府債務残高 >

 

上のグラフ: 政府債務/GDP。

 

サブプライム住宅ローン危機後の2007年から2013年の6年間で政府総債務残高は1.9倍になり8兆ドル(900兆円)の増加になった。

 

現在は、過酷なバブル崩壊に見舞われると、政府は金融安定化と景気刺激策と称して莫大な公的資金を投じる。

 

このお陰で、経済成長率や失業率は早く回復するようになった。

しかし、その一方、政府は莫大な累積赤字を抱え込むことになった。

 

さらに、この莫大な公的資金投入は別の深刻な事態を生み続けている。

次回、説明する予定です。

 

 

下のグラフ: 金融を除く企業、家計、政府の債務額/GDPの推移。

2008年から緑線の政府の債務額が急激に増加し、遅れて2010年より赤線の家計と青線の企業の負債が減少し始めた。

 

 

詳しい経緯はわからないが、バブル崩壊に伴う家計と企業の負債は政府の累積債務に付け替えられ、結局、また国民の借金に先送りされただけに見える。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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フランスを巡って 33: ランスからパリへ


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今回は、ランスからパリまでの車窓風景と夕焼けのパリを紹介します。

私にとっては3度目のパリで30年ぶりになります。

パリで一泊して、次の日の朝、モンサンミッシェルに向かいます。

 

 

 

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< 2. 走行ルート、上が北です >

 

バスで移動したのは旅行日8日目、5月24日(水)の午後です。

パリまで145kmの道のりで、天気も良く、素晴らしい眺めを楽しめました。

写真は撮影順に並んでいます。

 

 

 

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< 7. パリに到着 >

 

中央の写真: セーヌ川を渡っている。

下の写真: セーヌ川の左岸を西に向かって走っている。

 

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< 8. シテ島を望む >

 

上の写真: ノートルダム大聖堂。

 

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下の写真: 黄金に輝くドーム教会の屋根が見える。

 

 

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< 10. ホテルからパリの夕陽を眺める >

 

撮影は9:40です。

 

下の写真: エッフェル塔が見える。

 

 

この日宿泊したホテルは「イビス ポルト ド モントイユ」です。

このホテルの直ぐ近くに大型スーパーがあるのですが、付近は通りにより治安が悪いらしい。

しかし、ホテルに着くと有難いことに、1階のフロント近くのドアから、外に出ることなく大型スーパーに行き来出来ることがわかりました。

さっそく買い出しに行きました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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フランスを巡って 32: サン・レミ聖堂


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今日は、ランスのサン・レミ聖堂を紹介します。

これでランスともお別れです。

 

 

 

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< 2. サン・レミ聖堂の衛星写真、上が北 >

 

赤い矢印が正面で、黄色い矢印(翼廊の南側)から内部に入りました。

 

この聖堂は、1007年に着工されたロマネスク様式とゴシック様式が共存する建物です。

ローマ教皇がクロヴィス1世を洗礼したレミギウス司教(聖レミ、フランスの守護聖人とされている)にこの聖堂を捧げた。

 

 

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< 7. 聖レミの棺 >

 

上の写真: 聖レミの棺の前から天井を望む。

下の写真: 聖レミの棺。

 

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次回に続きます。

 

 

 

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フランスを巡って 31: ランスの大聖堂 3


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今日は、大聖堂の内部を紹介します。

様々なステンドグラスが私達を魅了します。

なぜランスが聖なる街になったかも見ます。

 

 

 

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< 2.ファサードの内側 1 >

 

これらは正面中央の門を内側から見上げた写真。

 

上の写真: バラ窓。

 

下の写真: 扉の直ぐ上の円形のステンドグラス。

 

 

 

 

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< 3.ファサードの内側 2 >

 

上左の写真: 身廊の正面側(拝廊)から主祭壇(内陣)を望む。

 

上右の写真: 身廊の中央からバラ窓を振り返る。

 

下左の写真: 身廊の正面側(拝廊)からバラ窓を見上げる。

 

下右の写真: 正面の北側の門の上のステンドグラス。

 

 

 

 

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< 4.内部 >

 

 

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< 5.側廊 >

 

上左の写真: 側廊。

 

上右の写真: 聖人ジャンヌ・ダルクの像。

 

下の写真: 側廊のステンドグラス。

 

 

 

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< 6. 翼廊 >

 

北側翼廊の内外の写真。

 

上左の写真: 翼廊の三つの門の内、最も西側にある門を中央から見ている。

 

上右の写真: 上記の門を外から見たもの。

 

下の写真: 翼廊の三つの門の中央にあるバラ窓。

 

 

 

 

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< 7.ステンドグラス 1 >

 

様々なステンドグラスを紹介します。

多くはフランス革命の動乱、第一次世界大戦で失われました。

中世からの残っていますが、私にはわかりませんでした。

 

上左の写真: 翼廊南側のバラ窓を見上げる。

 

上右の写真: 身廊中央から見た内陣の奥上部にあるステンドグラス。

 

下左と右の写真: 内陣を囲むようにして並ぶ礼拝堂のステンドグラス。

右はドイツ人芸術家による2011年制作のステンドグラス。

 

 

 

 

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< 8.ステンドグラス 2 >

 

シャガールの1974年作の青色を基調としたステンドグラス。

 

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< 9.ステンドグラス 3 >

 

 

 

フランスの起源とランスについて

 

 

 

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< 10.フランク王国の誕生 >

 

5世紀、ゲルマン系諸集団がフン族に追われるようにして東方から西ローマ帝国に進入して来た。

451年、オランダ南部からベルギー辺りに住んでいたフランク族はローマ軍に徴用されフン族とカタラウヌムで戦った。

西ローマ帝国はフランク族や他の諸部族を傭兵とし戦わせ、彼らにロ―マ軍の装備や戦略を与えた。

これにより彼らは力を持ち王国を形成するようになった。

 

476年、西ローマ帝国はロ―マが蛮族に略奪されてことにより滅亡する。

482年、フランク族の王になったクロヴィス1世は領土拡大に向けて侵略を開始し、諸部族を併合していった。

511年、彼が死去した時には、現在のフランスとドイツの一部までを掌中にした。

 

 

 

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< 11.クロヴィス1世のフランク王国 >

 

クロヴィス1世が掌中に収めたフランク王国の全領土は濃い緑色部と「Conquests of Clovis」の範囲です。

 

 

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< 12.クロヴィス1世 >

 

左の絵: ランスでのクロヴィス1世の聖別戴冠式。

右の絵: クロヴィス1世。

 

 

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< 13.ランスとクロヴィス1世 >

 

一方、ランス(Reims)はローマ時代に遡る古い町で、レミ族(Remis)の中心的城市で、この名が訛ったものです。

ランスは3世紀には司教区となっており、8世紀に大司教区となった。

481年当時のフランク王国の支配地は地図の青色部であった。

しかし、486年、クロヴィス1世は紫色部のローマ滅亡後も残っていたローマ帝国の軍司令官区に侵攻し、奪い取った。

 

こうして498年、クロヴィス1世は新たに手に入れたランスで、司教による聖別戴冠式を行った。

次いで508年、フランク王国(メロヴィング朝)はパリに遷都した。

 

ここにフランスのおおまかな形が出来た。

フランク族の語義は「自由な人」「勇敢な人」を意味し、英語で率直な性格を表す「フランク」の語源となった。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

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