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北欧3ヵ国を訪ねて 72: シェラン島北東部を巡る 4: 野外博物館 2


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今回は野外博物館の後半です。

三ヵ国の民俗家屋の野外博物館を見た感想も記します。

 

 

 

 

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< 2.No.544 の建物 1 >

 

上: 建物の説明書き。

この建物は、スカンジナヴィア半島南西部の海峡に面した所(現在スウェーデン)に17世紀建てられた。

この地域は数世紀にわたり、デンマーク領でした。

右上に示されているように住人は8人で多くの家畜がいた。

この農家はforest farmと書かれており、森林を利用して家畜を育て、穀物は家庭用に栽培された。

18世紀、この地域の木材は対岸のデンマークに小型ボートで輸出され、ユトランド半島東部の穀物と交換された。

 

下: 外側から見た。

中央に入り口が見える。

 

 

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< 3.No.54 の建物 2 >

 

外観は古くてみすぼらしいが、中庭を囲むように四方に家屋が建っている。

二枚とも、中庭から見た写真。

 

 

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< 4.No.54 の建物 3 >

 

古いが貧しい暮らしとは言えないようです。

内壁の板が縦方向で、外壁は横方向に並んでいるので、間に断熱の工夫がされているのだろう。

 

 

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< 5.No.55 の建物 >

 

上: 建物の説明書き。

この建物も、スカンジナヴィア半島の最南端の(現在スウェーデン)に17世紀後期に建てられた。

この地域も数世紀にわたり、デンマーク領でした。

右上に示されているように住人は8人と7人の2家族です。

彼らは穀物栽培農家でした。

大きな家で、中庭を囲むように四方に家屋が建っている。

 

 

 

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< 6.No.37-40 の建物 >

 

ここにはユトランド半島東側、デンマークの南端にあった4棟が集めらている。

皆、17から18世紀の農家です。

 

 

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< 7.No.40 の建物 1 >

 

6人家族の農家で、豊かな暮らしをしていたようです。

外壁と竈兼暖炉はレンガ造りです。

 

 

 

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< 8.No.40 の建物 2 >

 

多くの建具や家具は幅の広い板材が使用され、塗装もされている。

 

 

 

 

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< 9. No.34の建物 >

 

上: 建物の説明書き。

ユトランド半島西側、ワッデ海のレモ島に1750年に建てられた建物。

この島は砂地で荒地です。

この島の多くの少年は水夫になり、大人になってオランダ捕鯨船のキャップテンになる者もいる。

この地では農業より漁業と航海が重要で、18~19世紀に繁栄をもたらした。

 

下: 左側の建物。

 

 

 

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< 10. No.31の建物 >

 

 

上: 建物の説明書き。

ユトランド半島西側の南端に17世紀に建てられた建物。

此の農家は、最初オランダ商人が建て、賃貸されていた。

 

下: 特異な形をしている。

大きく高い屋根、小さな扉と窓が目立ちます。

中は暗いが大きな居間、納屋、家畜小屋がありました。

 

 

三ヵ国の野外博物館を見て

 

多くの農家は、木材が多用されていた。

ノルウェーは巨木が生かされていたが、他の建築材料に乏しい。

デンマークは木材に乏しく、豊富な土や草が補っている。

スウェーデンは両者の中間と言ったところでしょうか。

 

三ヵ国共に寒冷地なので、居間や寝室には大きな造り付けの大型の暖炉兼竈があった。

デンマークのように外壁レンガと内部は木張りにし、間に断熱効果を持たせれば、暖房効果は上がるでしょう。

その点、他の二ヵ国ではログハウスのような造りが見られるが、暖房に難点があるように思えた。

 

三ヵ国共に展示家屋の家族構成を見ていると、数世代にわたる大家族はなかった。

使用人や親族とは限らないような住人が共に暮らすことがあるようです。

デンマークでは家畜が多い。

 

これら野外博物館では農家の畑の様子、特に大きさと水源管理が分からない。

農地は穀物栽培の畑を柵で囲うだけのもので、東アジアの水田のような手間暇のかかるものではない。

また家畜も森林で飼育するようなので、人口密度の低いこれらの国では放牧地の維持に気をあまり使わないのではと感じた。

 

 

日本と比べて

 

 

氷河後退地の為、土壌が貧弱でさらに寒冷地なので、農業、特に集約農業が発展しなかった。

農業は麦などの穀物栽培なので、水管理も重要ではなかったようです。

生業としては日本のように農業中心ではなく林業、漁業、水運による交易などに多様化した。

 

これが東アジアとの家族制度の違いを生んだのだろう。

生業を多くの子供達に助けてもらう必要もなく、土地はどこにもあるので土地の相続でもめることもなく、親の権威が強化されることがなかったのだろう。

 

この結果として、貧弱な土地への執着がなく、水運を利用した移動と交易が相俟って、人々は外界への転出に抵抗がなかった。

むしろ発展と捉えたのだろう。

これは中国南部の山地に暮らす客家等の人々が、東南アジアや海外に進出することが飛躍だと考えているのに似ている。

古代ギリシャの植民にも似たところがある。

 

以下は、まったく私の感想です。

おそらく、親の権威が高まらなかった家族観、外界への転出意欲、土地への低い執着が、ヴァイキングを生み出した。

さらに千年の後の北欧の福祉国家の成功、短期間で貧しい国からの飛躍を可能にしたのだろう。

 

一方、日本の現状を見ると、山腹や小さな渓谷沿いの狭い土地を先祖伝来の地として守る姿が痛ましい。

美しい日本の原風景ではあるが、社会の変革を妨げる頑な姿に思えてしまう。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 71: シェラン島北東部を巡る 3: 野外博物館 1


 

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2回に分けて野外博物館を紹介します。

これでスカンジナビア3ヵ国の民俗家屋をすべて見ることが出来ました。

訪問したのは2018年6月8日10:00~11:00で、

ちょうど1年前でした。

 

 

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< 2.野外博物館の地図 >

 

上: ホームページにあった地図。

https://en.natmus.dk/museums-and-palaces/frilandsmuseet/practical-information/

本当は大きな地図で、展示家屋に番号があるが説明はデンマーク語です。

ホームページは英語表記が可能です。

 

下: 全景写真、上が北。

南北の長さは約1.4kmあり、黄色線が博物館の敷地です。

赤矢印の建物から入場し、ピンク線を徒歩で巡りました。

速足で一割ほどの家屋を見るだけで一時間掛かりました。

 

次の訪問地に急ぐ為、職員に頼んで黒矢印のゲートから特別に出してもらった。

 

 

野外博物館、Frilandsmuseet(The Open Air Museum)について

 

開設されたのは1897年と古い。

1650~1950年に建てられた主に農家100軒以上が、広い草原や森林に移築され再現されています。

出来るだけ自然な保存を心がけているようです。

 

平地なので歩き易いが広大です。

またスウェーデンのスカンセン野外博物館のようなレジャー施設はないようです。

参加できる催しはあるようですが、学生が民俗を学ぶ場所に特化しているようです。

また他の2ヵ国と違って、家屋内に説明員はいませんでした。

お陰で気兼ねなしに見学出来ました。

 

スウェーデンやノルウェーの野外博物館と違ってほとんど学生だけで、家族連れや海外の観光ツアー客には出会いませんでした。

コペンハーゲンから離れていることもあるかもしれない。

 

 

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< 4.No1の建物 >

 

上: 建物の説明書き。

ユトランド半島の北西部、北海に面した砂地に18世紀建てられた。

家族6人と家畜が右上に表示されている。

住人は農業と漁業を行っていた。

 

デンマークは大陸から突き出たユトランド半島と数多くの島からなる。

この半島の西側、北海に面したエリアは氷河後退により土壌が貧しく、高木が育たない。

なので、このような屋根は草ぶき、外壁は石やレンガなどになったのでしょう。

他の二ヵ国は圧倒的に巨木をふんだんに使い、屋根を樹皮で拭くこともあった。

 

 

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< 5.No1の室内 >

 

室内の床、天井は木材、壁は木材と漆喰のようです。

良く分からないのですが、木材を燃やす暖炉(鉄製ストーブのような物も)などが室内にはあるのですが、

この建物には煙突が無かったようです。

ひょっとすると白川郷の合掌造りのように、排気を屋根裏を通しているのかもしれません(暖房の為か)。

 

 

 

 

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< 6.No2の建物 >

 

上: 建物の説明書き。

ユトランド半島の中央西部、北海に面した所に18世紀建てられた。

住人は船長で、大半を海で過ごし、この農家を手に入れた。

住人は9人と家畜が右上に表示されている。

収入はアイスランドとの航海で得ていた。

 

 

 

 

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< 7.No2の建物 >

 

内装、調度品、食器などから前の家よりは良い暮らしぶりがうかがえる。

 

下: これは暖炉と竈の兼用らしい。

 

 

 

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全体に長方形の大きい家屋が多いようです。

 

 

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< 9. 風車 >

 

この敷地内には三基の風車があった。

 

 

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< 10. No6の家屋 >

 

上: 建物の説明書き。

二番目に大きい島、フュン島の農業に適した森林に18世紀建てられた。

住人は代々製粉業者として成功し、二基の水車を所有していた。

住人8人と馬などの家畜が右上に表示されている。

 

森林に囲まれた敷地内の三方に長い家屋が配されている。

一方の裏が小川で水車がある。

 

中央: 今から敷地内に入って行く。

 

 

 

 

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< 11. No6の水車 >

 

確か、室内は入れなかった思う。

水車の横軸が家屋内に入っており、これが製粉機を回していたのだろう。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 70: シェラン島北東部を巡る 1: Lyngbyの公園


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今日は、Lyngbyの公園Sorgenfri Slotshaveを紹介します。

野外博物館近くにある大きな森林公園です。

多くの子供達が遊んでいました。

 

 

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< 2. 散策ルート、上が北 >

 

上: Lyngby駅から野外博物館までを示します。

青線がバスルートで、最上部が博物館前のバス停です。

Lyngby駅から博物館までの距離は2km強です。

黄色枠がSorgenfri Slotshave公園で長さが約1km、その上部の赤枠が野外博物館です。

 

下: 野外博物館入場前の私の散策ルート。

バスを降りて、黄色線に沿って公園を通り、帰りはオレンジ線のルートで野外博物館まで戻って来ました。

 

 

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< 3.野外博物館近くの車窓風景 >

 

新しい住宅と古風な邸宅が混在しています。

皆、進行方向左、西側の景色です。

 

 

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< 4. 乗ったバス >

 

上: 車内。

下: 降車したバス停から、すぐ右手奥に野外博物館の入場口がある。

 

 

 

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< 5. 野外博物館 >

 

上: 野外博物館入口。

到着したのが9:10で、開場が10:00なので誰もいなかった。

周辺を散策してみようと思った。

 

 

下: ちょうど博物館の向かいにあった古風な建物。

これも博物館の一部かもしれない。

 

 

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< 6. 遠足? >

 

どこに行こうかと考えあぐねていると子供達の遠足に出会った。

彼らの向かう先に公園があったので、そちらに向かう。

 

 

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< 7.公園までの邸宅 >

 

歩いていると人や車が少ないことに驚かされます。

その一方、けっこう自転車に乗って移動している人がいます。

 

皆、大きな建物です。

ここで気付いたことがあります。

よほど大きな屋敷でない限り、これらの家は周囲を芝生の庭より深い木立で囲むことを好んでいるようでした。

 

 

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< 8. 公園の入り口 >

 

公園Sorgenfri Slotshaveの入り口の一つです。

この公園は18世紀後半に作られたバロック風庭園だそうです。

私が散策した範囲は全体の1/10にも満たないが、中心部に王宮の庭園があります。

近くの大きな湖から水が引き込まれて小川や池が配されています。

 

 

 

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< 9. 子供達が遊んでいます >

 

本当は近くまで行って写真を撮りたかったのですが、スウェーデンのシグツーナの小学校で児童を撮ってえらい目にあったので、避けました。

 

デンマークを平日歩いていると、自然豊かな公園で学童達がのびやかに遊んでいる光景をよく目にしました。

 

 

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< 10. 池 >

 

 

 

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< 11. 池と電車 >

 

上: 実にのんびりした光景です。

この光景が住宅街のすぐ横で楽しめるのです。

 

下: 単線の電車でした。

この奥にもすぐ住宅街が広がっています。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 69: シェラン島北東部を巡る 1


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これから数回に分けて、シェラン島の北東部を紹介します。
主な訪問地は野外博物館、フレデリクスボー城、クロンボ―城です。
途中の街々も紹介します。
今回は、ホテルからLyngbyの街までを紹介します。

 

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< 2. 訪問地、上が北 >

訪れたのは2018年6月8日(金)です。

右下にコペンハーゲン、左下の矢印が既に紹介したロスキレです。
この日の最初の訪問地はAの野外博物館で、次いでBのフレデリクスボー城、最後にクロンボ―城を見て、コペンハーゲンに戻ります。

主な交通機関はデンマーク国鉄の列車で、鉄道駅からはバス利用になります。
すべてコペンハーゲンカードを利用し追加料金なしです。

 

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< 3. コペンハーゲン中央駅、上が北 >

右下の矢印が私が泊まったホテルCABINN Cityです。
ホテルから中央駅まで徒歩6分、中央駅内には売店があるので便利です。ホテルは便利でありながら料金が安く、学生や若い旅行者、出張者などが多く利用している。
部屋は特に問題ありませんでした。

 

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< 4. ホテルから中央駅へ >

上: ホテルはロ字型の建物の一部で、写真の右側です。

下: 左側が中央駅で、右に見える木立がチボリ公園です。

 

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< 5. 中央駅で >

下: ホームにあった表示
左には路線番号(Linje)、行先(Til)、ホーム番号(Spor)、何分後の出発が表示されている。
私の乗るべき列車はHillerød St. 行きで、降車駅はLyngbyです。

右には路線番号(Linje)と停車駅が表示されています。

矢印がそれらを示しています。

 

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< 6.Lyngby駅 >

コペンハーゲン中央駅で列車に乗ったのは7:55頃で、乗車時間は20分程でした。
車内は通勤客で満席になっていました。
北欧の場合、郊外を行き来する列車は朝夕であっても、たいがい席は空いていたのですが。
このLyngby駅で降りる人も多かった。

 

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< 7. Lyngby駅周辺 >

上: 徒歩ルートの地図、上が北。
中央左右に高架の国鉄と道路が走っている。
私は北側と南側をそれぞれ黄色線に沿って歩いた。
矢印が野外博物館に行くことが出来るバスの停留所です。
オレンジ線がそのバスの走行ルートです。

下: 駅を北側に出た所から駅を見た。

 

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< 8. Lyngby駅 >

上: 駅の北側。
写真の高いビルの1階の中央を抜けて北側の街に出た。

下: 駅北側高架下の花屋兼果物屋。

 

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< 9. 北側の街並み >

少し古い趣のある通りがあった。
ここは街の中心部なのでしょう。

 

 

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< 10. 北側から南側の街へ >

上: 北側の大通りの交差点。

下: 駅の下を抜けて南側に出たところ。
歩く人々の服装を見ると、こちらは通勤客ではなく住民が多いようです。

右手の階段上のベンチに4人ほど腰かけているが、男性はアルコールらしいものを飲んでいるようです。
もう少し行くと公園があったのですが、そこでも老女が一人でアルコールらしいものを飲んでいた。

デンマークで一番驚いたのは、朝から外で飲酒(?)する姿を見たことです。
実は、ノルウェーとスウェーデンの街歩きではこのような光景を見ることはなかった。
スウェーデンは百年以上も続く飲酒に厳しい歴史があります。

飲酒がいけないとは思わないが、何か不自然な感じがした。

 

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< 11. 南側の街並み >

上: 公園の様子。

下: 北側は新興住宅街のようです。

 

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< 12. バス停 >

上: 駅前のバス停の一つ。
ここから野外博物館を通るバスに乗ります。

中: この駅北側にはバス停が無数にあります。
私が利用したバス停は駅からの赤線で示しています。
日本で事前にグーグルマップで確認していたのですが、不安でした。
可能なバス路線は幾つかあるのですが、私は184路線に乗りました。
降車駅はFrilandsmuseet (Kongevejen) です。

下: バス停の表示。
次回に続きます。

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北欧3ヵ国を訪ねて 68: ストロイエからニューハウンへ 


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今回は、運河クルーズ後に訪れたストロイエからニューハウン、そして救世主教会を紹介します。

観光したのは2018年6月7日木曜日、17:30~18:30です。

 

 

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< 2.散策ルート、上が北 >

 

黄色線が徒歩、赤線が地下鉄で、星印が観光地です。

No.1が目抜き通りストロイエの端にあるボート発着桟橋、No.2がニューハウン、No.1が救世主教会です。

 

 

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< 3. ストロイエ 1 >

 

上: 通りの端、桟橋の近くに建つ司教アブロサンの像。

軍人としても活躍したが、キリスト教や教育の普及に貢献した。

 

下: 像の横を通り、北に進むとコウノトリの噴水に突き当たる。

 

 

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< 4. ストロイエ 2 >

 

下: コウノトリの噴水が見えた。

この十字路の左右と真直ぐの通りが、歩行者天国で賑やかな通りストロイエです。

 

 

 

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<  5. ストロイエ 3 >

 

上: 桟橋の方を振り返った。

クリスチャンスボ―城が奥に見える。

 

下: 右に曲がり、コンゲンス・ニュートー広場(王様の新広場)に向かう。

広場は大工事中で囲いで覆われていた。

 

 

 

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< 6. ニューハウン 1 >

 

上: 広場を迂回してニューハウンに到着。

 

下: ここから運河クルーズのボートが発着する。

 

 

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< 7. ニューハウン 2 >

 

実にデンマークらしい眺め!

かつては長い航海を終えた船乗りたちが羽を伸ばす居酒屋街で、カラフルな木造家屋が並んでいる。

今は、有名観光地で観光客が一杯だ!

 

 

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< 8. 地下鉄駅へ向かう >

 

王様の新広場沿いに地下鉄駅がある。

 

下: 広場の南はずれのこの建物の手前に地下鉄駅がある。

このKongens Nytorv駅から、一駅先のChristianshavn St. 駅に行った。

 

200mほど歩くと教会に着いた。

 

 

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< 9. 救世主教会 >

 

この教会は1696年の建設で、螺旋状の尖塔は50年後に付け加えられた。

中に入り螺旋階段を上り尖塔のてっぺんまで行くつもりいたが、疲れて登る気は失せていた。

 

 

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< 10. 付近の光景 >

 

上: 救世主教会の庭で。

ここには観光客の姿はなく、近所の人が小さな庭にある数台のベンチに腰掛けて寛いでいた。

お母さんに連れられ来た可愛い娘さんが印象的でした。

 

下: Christianshavn St. 駅の前の通り。

この辺りはもう下町の雰囲気が漂っていました。

 

こうしてコペンハーゲンの1日目が終わりました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 67: コペンハーゲンで運河クルーズ 2


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今回は、コペンハーゲン運河クルーズの後半です。

 

 

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< 2. 運河クルーズの航路、上が北 >

 

黄線が航路で、Nが前回からの続き、Sが終点(発着桟橋)。

右手(東側)が海側です。

写真は撮影順に並んでいます。

 

 

 

 

 

 

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< 3.運河で泳ぐ子供達、午後4:40頃 >

 

水は綺麗だと思うのですが、ここは首都コペンハーゲンです。

本当に信じられない光景です。

 

もっともストックホルムでも中心部からメ-ラレン湖を上流に船で5分も行けば市民は泳いでいた。

カールスタッドでも中心部、メインストリートの端を流れる川で泳いでいました。

オスロでは市役所のあるオスロ湾のウオーターフロントで市民は泳いでいた。

 

人口密度が低いのも一因だろうが、北欧は持続可能な自然環境を本当に大切していることを痛感した。

 

 

 

 

 

 

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< 4. 軍港 >

 

下: 正面は軍港のようです。

数隻の軍艦、潜水艦が見えました。

 

 

 

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< 5. 一番海に近づいた >

 

上: クルーズ船か大型フェリーが見える。

 

下: 河口の中央に要塞島Trekroner Fortが見える。

 

 

 

 

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< 6. カステレット要塞 >

 

上: カステレット要塞。

右手に人だかりが見えるのは、人魚の像です。

 

下: 中央に、石の上に腰掛ける人魚の像が見える。

これがアンデルセンの有名な像です。

 

私は30年以上前に、陸側からこの像を見たことがあります。

その時は、有名なわりに小さく、寂しげな像だと落胆したものです。

当時、訪れた季節は11月で、空が厚い雲で覆われていたので見栄えが悪かったのかもしれない。

 

やはり今でも一大観光スポットのようです。

 

 

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< 7. フレデリクス教会 >

 

上: アメリエンボー宮殿の奥に見えるドーム屋根がフレデリクス教会です。

 

下: また脇の運河に入って行きます。

 

 

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< 8.昔ながらの街並み >

 

多くのレジャー用のボートがあります。

 

 

 

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< 9.救世主教会 >

 

上: 螺旋状の尖塔が美しい救世主教会。

後に訪れます。

 

下: 多くの市民が運河で寛いでいる。

北欧の短い夏は始まったばかりです。

恋を語らうカップル、上半身裸で船腹を塗装する青年たち、水着になって船上で日光浴する乙女たち、水着でボートを操る若者たち。

ここには暮らしを楽しむ北欧人の姿が集約されている。

 

 

 

 

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< 10. 憩い楽しむ市民 >

 

 

 

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< 11. 王立図書館 >

 

下: ガラス張りの建物が王立図書館。

後に訪れます。

 

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< 12. いよいよ終わりです >

 

上: 左がクリスチャンスボー城(宮殿)の城壁です。

カヌーを楽しむ人がいる。

 

下: この運河の奥を右に曲がると発着桟橋です。

中央に見えるのがニコライ教会の尖塔です。

 

 

北欧では、どこにいっても日々暮らしを楽しむ人々に出会う。

自然を大切にし、家族や友人と自然に親しむ人々がそこにいる。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 66: コペンハーゲンで運河クルーズ 1


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これから2回にわけて、コペンハーゲンの運河クルーズを紹介します。

快晴の下、心地よい川風を受けて首都中心部を一巡しました。

 

 

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< 2. ボートの航路 >

 

上: 私が乗ったボート運行会社の航路図。

黄、青、赤、緑の四航路があり、私が乗ったのは黄線です。

乗船位置は赤星印S表記で、乗船時間は1時間です。

 

運河クルーズは何種類もあり複雑で、私は予定と違ってこのボートに乗ってしまったが失敗ではありませんでした。

他に青星印のボート発着場所が二ヵ所あるので注意してください。

それぞれ運行会社が異なったり、航路やコペンハーゲンカード利用の有無が異なります。

 

下: 今回紹介する航路を黄線で示し、緑線は次回の紹介になります。

赤い矢印がボート発着場所Ved Strandenです。

ピンク線は地下鉄駅Kongens Nytorvからの徒歩コースです。

ここはロスキレから電車でNørreport駅まで来て、地下鉄に乗り換えて一駅目です。

 

 

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< 3. いよいよ乗船 >

 

上: 発着場所にあるチケット販売所。

ここでコペンハーゲンカードを見せると無料で乗車出来る。

 

下: 私は撮影の為に、ボート最後尾に座った。

一つ注意があります。

このボート上でのガイド説明は英語やデンマーク語だけのようで、私は理解できませんでした。

発着場所が異なる別会社Netto Boatsのガイド説明も同じようです。

 

しかしこのVed Strandenから出るHop On – Hop Off Boatは日本語(イヤホーンだろう)もあるようです。

こちらの方が途中7ヶ所自由に乗り降り出来るので良いのですが、コペンハーゲンカードが使えません。

 

 

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< 4. 出航直前 >

 

上: すぐ近くにあるクリスチャンスボー城。

後日訪問します。

 

下: 午後の一時、運河沿いで日光浴を楽しむ人々。

乗船したのは2018年6月7日(木)、16:30~

17:30です。

 

 

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< 5. いよいよ出航 >

 

上: 右に旧証券取引所、左にホルメン教会が見えます。

 

下: 本流に出た所で、振り返った。

左から旧証券取引所、クリスチャンスボー城、ホルメン教会が見える。

 

 

 

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上: 本流から、進行方向の海側を望む。

 

 

 

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< 7. Nyhavn 、ニューハウン >

 

下: コペンハーゲンで最も有名な運河沿いの街並みニューハウン。

ボートはここに入りませんでしたが、後に訪問します。

 

 

 

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< 8. デンマーク王立劇場 >

 

私が北欧を訪れて一番驚いたのは、「市民はいつ働いているのか?」でした。

ストックホルム、カールスタッド、オスロ、コペンハーゲン、皆同じでした。

平日午後、早々に市民は湖畔、河畔、海岸に出て日向ぼっこ、泳いだり、家族や友達と飲食を楽しんでいた。

それも凄い人出でした。

 

羨ましいことに、こんな仕事ぶりで一人当たりの国内総生産高は日本の2倍近いのです。

何が違うのか、深刻に悩んでしまいます。

 

 

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< 9. オペラハウス >

上: 遠方にオペラハウスが見える。

 

下: 運河、家族でボートを楽しんでいる風景。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 65: 古都ロスキレ 4


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今回は、ロスキレの公園を抜け、大聖堂を見て、広場を通り、駅に向かいました。

次いで電車に乗ってコペンハーゲンに戻りました。

 

 

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< 2. 公園内 >

 

多くの学童達が引率者と共に木々に囲まれた自然を楽しんでいました。

小学生から中学生ぐらいまでがいたようです。

公園内からは水が湧き出ているようで、澄んだ小川が公園を横切っていました。

 

 

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< 3. 大聖堂に向かう小路 >

 

上: 鬱蒼とした街路樹に囲まれた小路が丘の上に真直ぐ伸びていました。

 

下: 小路の横から見た畑と住宅です。

 

 

 

 

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< 4. ギムナジウム >

 

上: ギムナジウム、日本の高校のようなのものでしょう。

13:30頃撮影。

 

下: 小路を行くと大聖堂が見えた。

 

 

 

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< 5. 大聖堂 1 >

 

 

 

 

 

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< 6. 大聖堂 2 >

 

上: 大聖堂の入り口から入ろうとしたのですが、丁寧に断られました。

大聖堂横の小さな入り口に二人の黒づくめの男性が見えますが、どうやら結婚式があるようでした。

残念でした。

 

下: 大聖堂前の住宅。

昔ながらの家並みでした。

 

 

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< 7.広場 1 >

 

 

 

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< 8.広場 2 >

 

木曜日、平日の午後2時前でしたが、多くの年配の方々が広場で寛いでいました。

 

 

 

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< 9. 駅に向かう >

 

下: ロスキレの駅前に出た。

 

 

 

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< 10. コペンハーゲンに向かう >

 

 

上: ロスキレ駅からコペンハーゲン中央駅を通過し Nørreport駅に向かう電車の中。

これは2階部分です。

北欧の郊外電車はどれもゆったりしている。

 

下: 地下鉄で Kongens Nytorv駅に向かう。

 

 

次回に続く。

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 64: 古都ロスキレ 3


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今回は、ヴァイキング博物館の野外展示場を紹介します。

ヴァイキングの船造りが良くわかる楽しい所です。

 

 

 

 

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< 2. 博物館を後にして >

 

上: 博物館の外観。

前の敷地で子供達が木材を投げる素朴な遊びをしていた。

これと似た遊びをストックホルムのヴァーサ号博物館の裏手で大人がやっているのを見ました。

 

中: 野外展示場に向かう。

多くの小型木造船が見える。

 

下: 内陸側を見ている。

 

 

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< 3. 橋を渡る >

 

上: 内陸側を望む。

森に包まれたなだらかな丘の上に大聖堂が見える。

 

下: どうやら最近作ったばかりの船が並んでいる。

 

 

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< 4. 木造船の建造 >

 

 

屋外と室内の両方で、小型の木造船、ヴァイキング船を作っていた。

古来の建造方法を保存し、再現しているようです。

 

 

上: 屋外では古いタイプの道具で造っていた。

斧を持っているのが見える。

 

 

 

 

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< 5. 鉄製の道具作り >

 

 

上: この炉とふいごで釘や斧、ナイフなどを造っているようです。

 

中: 作っている様子などを紹介している。

 

下: 丸太から船材を作る実演と紹介の展示。

 

 

 

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< 6. ロープ作り >

 

上: 休憩所。

家族や学生のグループが多かった。

 

下: 船で使うロープを昔ながらの製法で作っている。

 

 

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< 7.帆船の模型を楽しむ >

 

上: 家族で簡単な帆船模型を作っている。

下: それを小さなプ―ルで浮かべていた。

 

北欧の観光を調べていると、ヴァイキングのテーマーパークや体験村が各地にある。

若い人や家族連れで賑わっているようです。

今回、博物館と合わせて数ヵ所訪れたが、訪問者は海外からの観光客だけではなかった。

国民は自国のヴァイキングを学ぼうとしており、誇りに思っているようです。

 

 

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< 8.湾を見渡す >

 

湖面を覗くと水は澄んでおり、揺れる海藻がはっきり見えて、遠浅が何処までも続いていた。

これでヴァイキング船の喫水が浅くなくてはならないことが納得できた。

 

 

 

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< 9. 大聖堂に向かう >

 

道路を横切り、住宅街の横を通り、緩い丘を進む。

 

 

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< 10.公園に入った >

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 63: 古都ロスキレ 2


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今回はヴァイキング博物館内部を紹介します。

これでノルウェーヴァイキングとの違いが見えてくるはずです。

 

 

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< 2. バス停から博物館へ >

 

上: 右手前方の街路樹向こうに見える白い建物が博物館です。

 

中: 左手の船着場に小型木造船が数多く停泊しています。

後に訪問しますが、魅力ある体験の場になっています。

 

下: 道路の内陸側にはゆったりとした住宅街が広がっています。

 

 

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< 3. 展示物 >

 

上: ロスキレ湾に沈んでいたバイキング船が4隻並んでいます。

これらは11世紀、ヴァイキング時代末期に作られた船です。

これら5隻は湾内の水路に沈められていたのもので、1962年に発掘されたものです。

 

下: 船腹です。

ノルウェーのヴァイキング船と同じような作りですが、オスロの博物館で見た船よりは小さい。

 

この船が小さいのは国の違いではないかもしれません。

オスロの場合は外洋向けの船体であり権力者の副葬品でしたが、ロスキレの場合は、農耕主体の彼らが海上からの敵の侵入を防ぐ為に沈めたものだからです。

 

このロスキレは11世紀にはデンマーク王家の宮殿が建てられ、ロスキレ大聖堂には歴代国王の棺が安置され15世紀までは王都でした。

 

 

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< 4. 模型 >

 

 

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< 5. 他の展示 >

 

上: このロスキレのヴァイキング村の再現ジオラマのようです。

幾つか並んでいました。

 

下: この展示ブースは、ヴァイキング船が夜に航海をしている雰囲気を再現していました。

子供に人気でした。

 

 

 

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< 6. 沈められていた船の位置 >

 

左上: ロスキレの位置。

 

右上: 大きく複雑な湾の最奥部にあるロスキレ。

三角印は灯台、放射状マークは見晴台、一個の円は沈船の場所を示している。

 

下: 沈船箇所の拡大図。

この位置はロスキレのヴァイキング博物館より北方17kmにある。

湾が三つに色分けしてありますが、最も色の濃い部分の水深が1~3m、最も白い部分で5~7mです。

つまり、彼らは最も深い通行可能な水路を沈船で遮断したのです。

もっとも自分たちも航行できないと思うのですが。

 

 

 

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< 7. 北欧ヴァイキングの航海実績 >

 

デンマークのヴァイキングは西側から北海に直接出ることが出来たので、ヨーロッパを荒らした主役だった。

フランスのノルマンディーや英国の南部など。

 

一方、ノルウェーの者は北側のアイスランド、グリーンランドや英国の北部になった。

スウェーデンの者はバルト海から東部に出た。

 

 

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< 8. ヴァイキングの生活の地 >

 

上: ヴァイキング時代の定住地を赤で示している。

当時、デンマークの人口は50~100万人、男性の身長は170cm、男性の寿命は40歳ぐらいだった。

 

下: スカンジナビアの自然。

左側上二つの風景はノルウェー、深いフィヨルドが特徴。

中央二つはフィンランドとスウェーデン、深い森と湖が特徴。

下二つはデンマーク、平坦な地と干潟が特徴。

 

地域によって、かなり水辺や海岸の様子が異なることがわかる。

だから一括りでヴァイキングと言っても、地域で生業や交通手段が異なり、村の様子も異なったことだろう。

 

 

 

 

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< 9. ヴァイキングの生活 >

 

上: 左上の写真は、同じシェラン島にある別のヴァイキングの要塞遺跡を示す。

その右側の三つの円形は、それぞれ三ヵ所のヴァイキング要塞を示す。

その位置は、直ぐ下のデンマークの地図に描かれている。

その右側に要塞内にあった家屋の図です。

どうやら居住用と言うよりは要塞内で共同で過ごすホールの用です。

 

下: 戦闘時の装束、兜、剣などが分かります。

 

 

ここの博物館はオスロのものと違って目玉の遺物は少ない。

しかし、別の野外展示や作業再現の展示が素晴らしい。

 

 

次回紹介します。

 

 

 

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平成の哀しみ18: 深まる亀裂 16: 日本に欠けているもの 1


1

批判精神

 

 

日本に欠けているもの

 

 

2

ジャーナリズム

 

* 高校生の感想

 

「戦争は経済が潤うから悪くない」

 

「愛国心のあるネットウヨに好感が持てる」

 

私は指摘した

 

「米国はイラク戦争で300兆円を費やした、イラクの被害は別にして」

 

「愛国心は誰にもある。オリンピックの応援を見ればわかる」

 

これでは彼らは簡単に煽情される。

 

 

 

3

 

* ワルシャワで通訳に今次大戦について聞いた

 

「この地はドイツとソ連に酷い扱いを受けたが、皆はどう感じているのか?」

 

彼女はきっぱりと答えた。

「ドイツは許せるがソ連は許せない」

 

「破壊と虐殺はドイツ軍の方が酷かったのでは」

と聞くと彼女は答えた。

 

「ドイツは謝ったが、ソ連はいまだに認めない」

 

 

この心情は重要です。

 

 

 

* ストラスブールで通訳に町の平和について聞いた

 

「千年に渡り仏独はこの地を奪い合ったが、現在トラブルはありませんか?」

 

「両民族が共に暮らしているが問題無い」

と彼女は答え、ベテラン添乗員も同意した。

 

異民族の混住は紛争の引き金になり易いので、さらに疑問をぶつけたが怪訝な顔をされた。

 

これはフランスとEUの積極的な融和策が功を奏しているからです。

 

 

この違いは日本の政治・教育・文化の貧困に起因しているのです。

 

 

次回に続く

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 62: 古都ロスキレ 1


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< 1. ヴァイキングの故地 >

 

 

今回は、コペンハーゲン港から古都ロスキレまでを紹介します。

私はデンマークではコペンハーゲンを中心にシェラン島を旅しました。

シェラン島の訪問地を簡単に紹介します。

 

 

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< 2. デンマークの訪問地、上が北 >

 

上: シェラン島の主な訪問地。

赤枠が主な訪問地で。黒線は電車です。

1日かけてコペンハーゲンを離れて北側の二ヵ所、お城と野外民俗博物館を訪ねた。

数時間かけてコペンハーゲンの西側にある古都ロスキレを訪ねた。

1日半かけてコペンハーゲン中心部の街並み、博物館、美術館、宮殿、教会、図書館などをバス、地下鉄や船など使い観光しました。

 

下: ロスキレではヴァイキング博物館と大聖堂を見て、公園と市街地を散策しました。

ピンク線は行きのバスで、青線は帰りの徒歩です。

黒線はコペンハーゲン間の電車です。

 

今回の写真は2019年6月7日、10:00~12:00に撮影したものです。

 

 

 

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< 3. フェリーを下船 >

 

上: 下船したばかりのフェリーを見上げる。

 

下: 予約していたシャトルバスからの眺め。

 

 

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< 4. シャトルバス >

 

上: 右側の路側帯に数多くの自転車が見える。

首都の中心部に近いのに車が少ない。

 

下: シャトルバスの停車場、普通の道路端で下車。

電車や地下鉄駅から少し離れた所で降りる。

 

 

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< 5.Nørreport駅付近 >

 

上: シャトルバスの停車場側からNørreport駅付近を望む。

 

下: この地下を電車(国鉄)や地下鉄が走っている。

 

 

私は電車を利用する前にCopenhagen Cardの72hを買う必要があった。

7-Elevenで販売していることが分かっていたので、写真のような道路中央にある店に入った。

 

ここで注意があります。

店員がカード使用開始時間を聞いてい来るので、今から使うのか、また使用開始の日時を指定する必要があります。

私は直ぐ使うので、カードのvalid form欄に購入時の時間10:30を記入してもらった。

初め何を言っているか分からず、戸惑った。

オスロのホテルでカードを買った時もそうだったのですが。

 

この地下に降り、電車に乗って2駅先のコペンハーゲン中央駅に向かう。

 

 

 

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< 6. コペンハーゲン中央駅 >

 

上: 地下1階のホームだが、地上は見える。

 

下: エスカレーターに乗って1階のコンコースに出た。

この写真は西側寄りから東側を見ている。

中央の青色の表示板が電車の行先表示で、ここで電車の発車時間とホームを確認した。

この周辺に案内係がいたので聞くことが出来た。

この写真の反対側のエレベーターで階下に降りて、ロッカーに荷物を預けた。

ここでは荷物を人手で預かってもくれる。

 

ホテルは近いのだが、この駅でスーツケースなどの荷物を預けた。

直接ロスキレに電車で向かう方が時間ロスが無いので。

ここには様々な飲食店やコンビニ、スーパーはあるのだが、11時少し前なので、食べずに電車に乗った。

 

Copenhagen Cardを買っておくと、今回の遠出と中心部の観光入場と交通がすべてフリーパスのなので、非常に楽です。

入場券と切符を買う手間暇がまったく不要でした。

 

 

 

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< 7. ホームにて >

 

上: コペンハーゲン中央駅のホームで電車を確認。

 

中: 電車内の表示で、行先と車両を確認。

 

下: ロスキレ駅に到着。

 

 

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< 8. ロスキレ駅 >

 

上: 待合室。

 

下: 待合室の前のバス停。

駅前のバス停からは目的地に行かないようです。

 

 

 

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< 9. バースターミナルに向かう >

 

上: 駅前の道路脇の表示板。

ヴァイキング博物館に行くには左に行く方が良いようです。

 

下: 駅を出て左側に進むと、バスターミナルが見えた。

 

数多くのバス停があったので、どのバス停で乗るべきかを近くの人に尋ねた。

ここでも若い女性に聞くと通じず、年配の男性が教えてくれた。

 

 

 

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< 10. バス停からバスに乗る >

 

上: バスターミナル横の店舗。

 

下: バスに乗った。

 

私が何処で降りるべきか不安がっていると、左前の女性が次で降りなさいと教えてくれた。

私がバスに乗車する時に、運転手に「ヴァイキング博物館に行きますか」と尋ねたのを聞いていたからだろうか。

 

旅ではちょっとした親切が身に沁みるものです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 61: フェリー 3


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今回は、室内の紹介、そしてクロンボ―城の眺めからコペンハーゲン港への入港までを紹介します。

 

 

 

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< 2. 船内の紹介 >

 

中: フロント階の直ぐ下の階。

 

下: その階の窓側にこのモニターがあったと思います。

 

朝4時頃からデッキに出てクロンボ―城の撮影を狙っていたのすが、いつまで経っても見えません。

それで船の位置を示すものは無いかと探していると、モニターを発見した。

モニターを見ると、赤い船の印はまだ海峡に入っていませんでした。

この時刻は6:07で、クロンボ―城に最接近したのは7:57でした。

 

 

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< 3. 船内の様子 >

 

上: フロント、案内所のある階。

 

中: 船内の紹介。

 

 

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< 4. 両側に陸地が見えて来た >

 

上: 前方左舷のスカンジナビア半島。

 

中: 前方右舷のシェラン島。

 

下: 前方に微かに海峡らしきものが。

 

 

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< 5. やっと海峡が見えた >

 

上: 左はスウェーデンのヘルシンボリ、右はデンマークのヘルシンオアです。

この海峡の幅は4kmで、スカンジナビア半島とシェラン島の距離が最も近い。

 

中: ヘルシンボリ側。

 

下: ヘルシンオア側の先に、クロンボ―城が見え始めた。

7:50です。

 

 

この海峡の狭さが、このクロンボ―城を歴史的に有名にした。

このことがハムレットの舞台になった理由かもしれない。

 

中世の時代、ドイツを除く西欧諸国は北方交易の為、船で北海からバルト海に行くには、この海峡を通過せざるをえなかった。

ドイツだけはリューベックから直接、バルト海に出ることが出来た。

このことがこの都市をハンザ同盟の中心都市にした。

この頃、バルト海からヴァイキングが去って久しく、ハンザ同盟も盛りを過ぎ、交易は各王国が主導権を担っていた。

中世初期の交易は地中海が注目されていた。

 

14世紀、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3王国間連合が結ばれた。

この盟主となったデンマーク王は戦争による疲弊した財政を立て直す為に、この地にクロンボ―城を作り、通行税を徴収し始めた。

これが財政を豊かにさせた。

 

第二次世界大戦時、ドイツがノルウェーに侵攻した大きな理由は、英国海軍のバルト海進出とノルウェーの海運を封じる為でした。

 

この海域は西欧、北欧、東欧、ロシアにとって非常に重要だったのです。

 

 

 

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< 6. クロンボ―城 >

 

下: 最も近くなったところ。

 

 

 

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< 7.  離れて行く >

 

 

 

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< 8. 私のキャビン >

 

二段ベッドの二人部屋を一人で使ったので、狭くはなかった。

シャワーも使った。

安価なので窓はないが、気にはならない。

静かでよく寝れた。

 

 

 

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< 9. コペンハーゲン港が見えた >

 

上: コペンハーゲン港。

 

下: 中央に要塞島が見える。

これはかって英国との海戦でデンマーク側の守りの要になったことだろう。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 60: フェリー 2


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今回は、DFDSフェリーの食事とフェリーからの景色を紹介します。

今回でオスロ湾ともお別れです。

 

 

 

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< 2. 夕食 1 >

 

写真は予約していた18:00からのブッフェの光景です。

非常に沢山の北欧らしい食材と料理が並んでいます。

 

乗船客は時間を分けて予約しているので、多くの人が取り合うことは無かった。

下の写真の左、男性が今まさに取ろうとしているのは骨付きリブ肉で、一つが大きい。

私も取ろうとしたのですが、大き過ぎるので止めました。

 

 

 

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< 3. 夕食 2 >

 

上: シーフードのコーナー。

 

下: 最初に取った料理。

ビールは予約していたものです。

ウエイターはしきりにワンランク上の飲料を薦めたが断った。

 

 

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< 4. 夕食 3 >

 

二度目の料理とデザートです。

 

今回の北欧旅行で、レストランで食べったのはこれを含めて3回だけでした。

当初はスウェーデンの港町でバルト海のシーフードを食べるつもりでしたが、電車が突如不通になり、叶わなかった。

またデンマークの港町でも食べようとしたのですが、祭りの為か町のレストランの多くは閉まり、簡単なものしか食べられなかった。

 

どちらにしても北欧の物価は高く、貧乏旅行では高すぎて手が出なかった。

結局、ホテルの朝食を充分食べて、昼と夜はコンビニでサンドイッチのようなものを買って済ませた。

 

 

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< 5. オスロ湾に別れを 1 >

 

時刻は18:40前後です。

出港から2時間10分が経っていました。

左右の陸地は遠のき、その間を行き交うフェリーが見えます。

 

上中: 前方を見ている。

 

下: 後方を見ている。

 

 

 

 

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< 6. オスロ湾に別れを 2 >

 

時刻は18:45頃ですが、ジャグジーを楽しんでいる人々がいる。

 

 

 

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< 7. 船内 >

 

上: 免税店。

中: エレベーターホールに出る。

下: キャビンの通路。

 

 

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< 8. 夜明け 1 >

 

朝4:25、夜明けの瞬間です。

朝陽はスカンジナビア半島、スウェーデン側から昇ります。

 

この辺りは東側だけで陸地が微かに見える。

他の方向の眺め大洋を行くが如しです。

 

 

 

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< 9. 夜明け 2 >

 

時刻は4:40~4:55です。

 

上: 進行方向右側、西、デンマーク側を見ている。

漁船らしいものが数隻見える。

その奥に、ユトランド半島か島らしいものが微かに見える。

 

中: 進行方向左側、東、スウェーデン側を見ている。

望遠側で撮影すると、陸地に無数の風力発電用の風車が見える。

 

この手の風車を最初に製造したのはデンマークだった思います。

「持続可能な発展」を提唱したのノルウェーだったと思います。

北欧とは不思議な国です。

小国ながら自然に対して世界に先駆けた発想を持ち、やがて実現し、そして世界はそれを見習うようになった。

 

下: 前方に微かに島か陸地が見え始めた。

 

 

 

 

 

 

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< 10. 夜明け 3 >

 

時刻は5:50頃です。

 

やっと前方に、陸地が確認できる。

左はスカンジナビア半島、右はデンマークのシェラン島でしょう。

シェラン島にコペンハーゲンがある。

 

実は、早くから起きて海を見ているのには理由があります。

それはもうすぐ訪れる最も狭い海峡の一方にクロンボ―城が見えるはずだからです。

クロンボ―城はハムレットの舞台になった所です。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 59: フェリー 1 


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これから最後の訪問国デンマークを目指します。

今回は、フェリーからのオスロ湾の眺めを紹介します。

晴天に恵まれ、そよ風に吹かれながら広大なフィヨルドを堪能しました。

 

 

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< 2. フェリーの航路 >

 

左上: 全航路オスロとコペンハーゲン間を黒い線で示す。

赤い矢印はオスカシボルグ要塞で、今回はオスロ出港からここまでを紹介します。

 

右上: オスロとオスカシボルグ要塞の間を拡大したものです。

 

フェリー出港は2018年6月6日、16:30です。

そしてオスカシボルグ要塞を過ぎたのは17:40頃です。

 

下: フェリーのフロア図。

かなり大きいですが、クルーズ船ほどには楽しめるスペースは無いようです。

 

 

 

 

 

 

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< 3. フェリー内 >

 

上: ここが唯一気楽に過ごせる、カフェでしょうか。

パンなども売られているので軽い朝食に良いでしょう。

奥に免税店が見えますが、高価なものが多いようです。

 

下: 屋上後部デッキ。

やはりクルーズと言えば、ここで皆、ビールでしょうか?

ところが、わりとジュースが目につきました。

 

 

 

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< 4. フェリーからオスロ市街を見渡す >

 

上: 白いのがオペラハウスです。

 

下: 左の森はアーケシュフース城、写真中央の遠方に見える二つの茶色の塔がオスロ市庁舎です。

 

 

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< 5. フェリーのデッキから 1 >

いよいよ出港です。

 

中: オスロ市街が遠くに見えます。

 

 

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< 6. フェリーのデッキから 2 >

 

 

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< 7. フェリーのデッキから 3 >

 

出港から30分ほど経った頃、不思議な光景を目にすることになりました。

それは進行方向右側の港から無数の高速ボートが白波を立て、このフェリーに近づいて来たのです。

そしてフェリーを囲み、追い越したりしていました。

 

まさか海賊、ヴァイキングとは思いませんでしたが。

どうやら観光のようでした。

 

 

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< 8. フェリーのデッキから 4 >

 

出港から40分ほど経っと前の海峡が非常に狭くなり、まるで塞がっているように見えました。

 

 

 

 

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< 9. フェリーのデッキから 5 >

 

フェリーは幾度も右左と大きく旋回し、島を避けながら海峡を抜けて行きます。

 

 

 

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< 10. オスカシボルグ要塞 >

 

狭い海峡を抜け、振り返ってみると何やら要塞らしきものが見えました。

後でグーグルマップで調べると、ここがオスカシボルグ要塞だと言うことが分かりました。

 

ひょっとすると、この三枚の写真のいずれかはドイツの戦艦が撃沈されたところかも知れません。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 58: オスロ17: 陸軍博物館からフェリー乗船まで


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今回は、アーケシュフース城の横にある陸軍博物館を紹介します。

またコペンハーゲン行きのフェリーの乗船も紹介します。

これでオスロとお別れです。

 

 

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上: アーケシュフース城(右側の城壁)を出た所。

海側を見ている。

通りを隔てた広い敷地(写真左側)に現代美術館や陸軍博物館などがあります。

 

下: この敷地からアーケシュフース城を望む。

 

 

 

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< 3. 陸軍施設 >

 

上: 建物の表側。

手前のコンテナには「国際派遣の為のノルウェー団体」との記載があります。

 

下: 上記写真の建物の右側を通って、振り返った所。

先ほどの裏側を見ている。

私の立っている背中側に陸軍博物館がある。

 

 

 

 

 

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< 4. 陸軍博物館 >

 

世界各地での平和維持活動や派兵の実績を展示。

 

上: この建物の右正面に入り口がある。

左の木の手前の木陰に砲台をこちらに向けた戦車が置いてある。

 

下: これはおそらく中東、ベイルートなど高原に建てられた見張り台のようです。

 

 

 

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< 5. 平和維持活動の展示 1 >

 

上: アフガンの多国籍軍派兵かもしれない。

 

 

ノルウェーは小さい国ながら、20世紀以来、ずっと世界の平和と紛争調停に積極的に関わって来た。

 

以前紹介した探検家ナンセンは初代難民高等弁務官として活躍し、難民の父と呼ばれている。

国連安保理立案者の一人で初代国連事務総長になったのはノルウェーの外務大臣でした(前回紹介したドイツ占領時の亡命政府)。

ノルウェーがノベール平和賞の選定と授与を行っている。

 

ノルウェーは数多くの紛争調停に関わっているが、オスロ合意が最も有名でしょう。

当時絶望的であったイスラエルとアラブとの紛争にあって、突如、光明が射したことを覚えています。

1993年、犬猿の仲であったイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間で合意がなった。

残念ながらイスラエルの侵攻で無に帰したが。

この時、クリントン大統領が全面に出ていたが、実はそこに至るお膳立てはノルウェー政府と民間人によってなされていたのです。

またクラスター爆弾の禁止条約の立役者でもあります。

 

北欧のスウェーデンとノルウェーは世界平和への貢献が素晴らしい。

大国が身勝手な戦争をする傍らで、両国の政府、軍、民間NGO、研究機関が世界各地に出て、平和と紛争解決に尽力している。

 

なぜ彼らが我が身を惜しまずにここまでやるのか、おそらく日本人の理解を越えているだろう。

ここ数世紀の小国の悲哀、プロテスタント、スカンジナビアの地政学的な背景が関わっているのか?

ひょっとしたらヴァイキング時代からの世界志向が、そうさせているのかもしれない。

 

 

 

 

6

< 6. 平和維持活動の展示 2 >

 

上: ノルウェーは実に多くの地域で活躍している。

 

下: これから乗るフェリーが見える。

荷物をホテルに取りに帰る為に、バス停に行く途中。

 

 

 

7

< 7. ホテルに戻る >

 

上: バス停。

もし、この付近に荷物を預ける場所があれば、ホテルに戻らず、このままフェリーに乗ることが出来たのですが。

事前にインターネットで探したが見つからなかった。

フェリー会社に、ターミナルにロッカーが有るかとメールで尋ねたのですが、無いとの返事でした。

 

荷物(スーツケース)の扱いが、旅行の自由度をかなり制限します。

 

下: バスでもう一度中央駅付近に戻り、トラムに乗り換え、ホテルに行きます。

 

 

 

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< 8. フェリーDFDSに乗船 >

 

上: 乗るフェリーが見えます。

同じバス停に戻って来た。

手前にターミナルがあります。

 

下: ターミナルの検札を無事通過して、振り返った所です。

実はターミナルに入った所にロッカーがあったのですが、スーツケースが入るかは不明です。

 

私は係員から、ここで注意を受けました。

それはインターネットでの予約書(印刷物)で通過しようとしたら、発券機でチケットを発券しなさいとのことでした。

私が躊躇していると、今回初めてだから良いが、次回から自分でやりなさいと言い、その場で発券してくれました。

感謝!

 

 

簡単にフェリーを紹介します。

 

当然、初めて乗ったのですが、大変お薦めです。

便利で快適、コストパフォーマンスが良く、景色が良く、さらに夕食も素晴らしい。

オスロ発16:30でコペンハーゲン着翌日の9:45で、一日一便です。

料金は全部で146ユーロ(19600円)です。

 

明細を記します

Transportation Oslo – Copenhagen  0.00 EUR

2-bed inside cabin with bunk beds  88.00 EUR

(部屋の種類が多いが安い方の一部屋の料金。一人で使う)

7 Seas Restaurant 18:00 CET 7 Seas Dinner Buffet incl 1 drink 7 Seas Dinner Buffet incl 1 Drink      43.60 EUR

(ビール一杯付きの夕食料金。オプションから時間などを指定する)

 

Transfer bus: DFDS terminal – Nørreport St. 

Transfer bus: DFDS Terminal – Nørreport station 3.00 EUR

(コペンハーゲンのターミナルから地下鉄駅近くまでの送迎バス料金)

 

Booking Fee   10.00 EUR

Credit card fee 1.51 EUR

 

事前に日本からインターネットで申し込んだのですが、非常に細かくオプションを指定しなけらばならない。

後日予約内容を変更したが無事問題無く、予約は出来ました。

 

オスロとコペンハーゲン間の移動は、他に鉄道と航空機が有りますが、ターミナルがオスロ市街地に近いこと、夜の移動で時間短縮になり、ホテル代込み運賃としては安いのが魅力です。

予想以上に良かったのは食事とオスロ湾とヘルシングボリの海峡の景色でした。

 

フェリー内には、このバイキングのビュフェ以外にレストランが有りますが安くはない。

もっとも、北欧のまともなレストランは私には高いのですが。

 

パンとコーヒーを販売している小さなストアはあります。

もしかしたら、外から弁当を持ち込んでも良いのではないでしょうか。

荷物のチェックはありませんでしたから。

 

 

 

9

< 9.ターミナルから船内へ >

 

上: ターミナル側の渡り廊下。

地中海クルーズで利用したMSCのクルーズ船と違って、乗船はあっけないものでした。

検札などの大渋滞はなく、荷物チェックもなく、ターミナル内部も簡素で迷うことは無い。

 

下: 通路から最初に乗船したフロア。

この上の階にインフォメーションがあります。

 

 

 

 

10

< 10. 船内 >

 

上: 船室。

何の手続きも必要なく、自分の船室に入ることが出来ます。

ただ清掃の関係か、船内で定められた入室時間まで待つことになりました。

この様子だと早く行く必要はないかもしれない。

もっともチェックイン15:15~16:15で、私が検札を通ったのが14:15でした。

 

私が乗船した時の乗船客は、アジア系やヒスパニックが多く、数人のグループが多かった。

気楽に利用している感じがした。

 

下: インフォメーション。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 57: オスロ16: ノルウェー抵抗運動博物館


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*1

 

 

今回は、アーケシュフース城内にあるノルウェー抵抗運動博物館を紹介します。

ここには第二次世界大戦の抵抗運動の様子が展示されています。

小国の悲哀と独立への強い思いが錯綜する中で、希望へと導いた国王の行動が光ります。

 

 

 

 

 

 

2

< 2. 博物館と関連映画 >

 

上: ノルウェー抵抗運動博物館の外観。

地下に展示室が広がり、狭いながらも十分に当時の状況を感じることが出来ます。

観光客は少ないが、学生や夫婦の見学者が少なからずいた。

 

左下: 抵抗運動の象徴になったノルウェー王ホーコン7世の肖像画。

 

右下: この抵抗運動が始まった三日間を描いた映画「ヒトラーに屈しなかった国王」のポスターです。

 

映画の主人公はホーコン7世です。

私は偶然、旅行に行く前にこの映画を見ることが出来ました。

これはノルウェー製でハリウッド製のような派手さはないが、当時の緊迫感と揺れる首脳陣の思いが伝わってくる良作でした。

 

 

 

 

3

< 3. 展示物 1 >

 

左上: この地図はドイツ軍がノルウェーに侵攻した状況を示しているようです。

 

右下のオスロ湾に一群のドイツ艦隊が侵入しているのが分かります。

当時の政府首脳と国王はオスロにいました。

抵抗のドラマはオスロから始まりました。

 

ドイツ軍は雪が残る1940年4月にノルウェー各地に同時に侵攻した。

ドイツは前年、ポーランドに侵攻を開始し大戦が始まっていた。

破竹の勢いで進軍したドイツ軍は1940年6月にパリを陥落させた。

この5月にはチャーチルが英国首相となり、英国は和平から臨戦体制に転換した。

 

左下: おそらく左がホーコン7世のようです。

 

右で威張っているのが悪名高いクヴィスリング首相でしょう。

ノルウェー軍人の彼はナチスを信奉しており、前年にヒトラーにノルウェー侵攻を要請していた。

実は、彼はナチス主体の「北海帝国」を妄想していた。

いつの世にもこのような人物は出るようです。

彼はドイツ軍侵攻の混乱に乗じ、全権掌握を宣言し、自ら傀儡政権を任じます。

しかし彼はノルウェー首脳と国民からは疎んじられ、ヒトラーを除いてドイツ側も信用していなかった。

彼は戦後、裁判によって銃殺刑に処せられた。

彼の名は今でも「売国奴」と同義語として使用されている。

 

右下: おそらくドイツ軍に占拠されたオスロ港でしょう。

 

 

 

 

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< 4. 映画のシーン 1 >

 

上: 映画は冒頭、闇夜から始まった。

 

それはオスロ湾で最も狭いドレーバク水道にあるオスカシボルグ要塞の守備隊が舞台になります。

この要塞の島をフェリーか眺めることができました。

 

闇夜に乗じてドイツの戦艦が迫って来たので、守備隊長は王宮に判断を仰ごうとするのですが連絡が取れません。

ここで彼は砲撃の命令を独断で下し、戦艦を撃沈します。

(私には出来なかったでしょうが)

 

この彼の行動が国王に逃亡の時間を与え、後の抵抗運動に繋がった。

後に彼は勲章を授与されます。

 

 

下: 右はドイツ公使で左はドイツ将校です。

 

この映画で国王に次いで、心打たれた人物がノルウェー駐在ドイツ公使Curt Bräuerです。

 

映画の舞台は翌日のオスロに移ります。

彼はドイツ軍による支配を極力穏便に済まそうと調整に努めます。

ヒトラーとも直談判し、また侵攻して来たドイツ将校相手に孤軍奮闘します。

しかしホーコン7世はヒトラーから条件(傀儡政権を認める)を呑むことが出来ず、家族と政府首脳と共にオスロを去り列車で北部へ逃亡します。

 

大使の仲介の労は無に帰し、彼は任を解かれソ連への前線に送られ、9年間のソ連での捕虜生活に耐えることになる。

このような身の危険を顧みない他国を思う外交官がいたことに感動した。

 

 

 

 

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< 5. 映画のシーン 2 >

 

上: ホーコン7世と王子、そして政府首脳がドイツ軍の追撃から逃れているシーンです。

 

下: 国王一行を守る兵士は少なく、少年兵も参加している。

 

ホーコン7世は逃亡しながらドイツの降伏要求を拒否し続け、2か月後に国外脱出を果たすることになる。

この時「独立を取り戻すための戦い」の声明を残し、王家、政府と軍の要人500名と共に船で英国に亡命します。

ロンドンで亡命政府を樹立し、連合軍と共に戦うことを宣言し、ノルウェー国内の抵抗運動への指示と支援を続けます。

 

そして国民は一丸となって統率の取れた抵抗をおこなった。

初めは非協力・非暴力で抵抗し、地下に潜伏し、ドイツ軍の劣勢が伝わると武力闘争に切り替えっていった。

 

戦後、国王は帰国を国民の大歓迎で迎えられ、再び独立を取り戻した。

そして現在、世界で一番豊かで幸福な国と言われる。

 

 

 

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< 6. 展示物 2 >

 

ドイツ軍の侵略を模型で示したものです。

 

 

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< 7. 展示物 3 >

 

抵抗運動の主役たちと様々な抵抗の様子が展示されていました。

 

 

 

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< 8.展示物 4 >

 

これはどうやら抵抗運動側によるオスロでの破壊指令のようです。

 

指令書の地名は地図の黄色の破裂マークで、前回紹介したアーケシュフース城に至る道で、右側にオスロ中央駅があります。

指令書の目標名は、ドイツが創設したノルウェー内のナチス党組織です。

日時は終戦の前年の1944年です。

 

 

* 感想

 

この抵抗運動と映画も含めて感想を記します。

 

一番印象深いのは、劇中でのホーコン7世が語る言葉です。

 

彼は「私は国民から選ばれた王だから、もっとも尊重すべきは国民の声である」として、安易にドイツの言いなりなることは出来ないと悩みます。

ドイツに屈服して王家と国民の命を守るべきか、それとも半世紀前にやっと手に入れた独立を守るべきか。

 

実は、彼は1905年のノルウェー独立に伴い、国民投票でデンマークの王子からノルウェー王になっていたのです。

 

一方ドイツ侵攻で政府首脳はうろたえ、王は「君たちは国民から選ばれたのだから、国を率いる責務があるのだ」と諭します。

しかし彼らは答えを出しません。

 

王は象徴的な存在であって、政治に口出すべきでないとホーコン7世

は考えていた。

彼への国民の信頼は絶大で、ノルウェー政府も王の言葉を待ちで、ドイツも彼を条約調印の相手と見做していた。

 

彼は一人悩み「降伏拒否」を宣言することになる。

映画はここに至る3日間を描いている。

 

 

私が北欧に惹かれ、政治社会経済の良さを知りたいと願い、今回の旅にでました。

 

北欧三ヵ国に共通するのは立憲君主制ですが、大いに英国や日本と異なるものがある。

ここ数百年の歴史を見ると、北欧三ヵ国は王家の力が弱く、貴族と対抗させ、国民がまとまるため、国民が王家に国の統率を依頼するようなところがある。

これはヴァイキングが隆盛した社会背景と共通しているように思える。

 

ともかく議会制民主主義が国民と王家の信頼によってより強固になっている。

不思議な国です。

 

抵抗運動が分裂せず、スムーズに行われたのもこの国王への人気の賜物かもしれない。

 

 

実は、この館を退出する時、事務所の男性職員が目を合わせ「ありがとう」と言ってくれた。

 

 

次回に続く。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 56: オスロ 15: アーケシュフース城


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*1

 

 

今回は、海岸に面した丘に建つ古城、アーケシュフース城を紹介します。

北欧で訪れた城の中では最も郷愁を誘う佇まいでした。

 

 

 

 

 

 

 

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< 2.散策ルート、上が北 >

 

上: 赤枠が今回紹介する範囲です。

 

下: 赤線が散策ルートで、Sから初めて半時計周りに進みEに戻りました。

 

時間が無く、あまり興味もなかったので城の建物内には入りませんでした。

城の敷地内にあるノルウェー抵抗運動博物館には入りました。

ノルウェーの現代史、第二次世界大戦に関心がある方は参考になると思います。

後に紹介します。

 

散策したのは2018年6月6日の11:00~12:00で、途中、ノルウェー抵抗運動博物館を見ています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3

*3

 

 

4

*4

 

上: 北側のウオータフロントを見ています。

前日、ボートで右側の港に着岸しました。

 

下: この城壁の上の道から港を見下ろしています。

 

 

 

 

5

*5

 

下: 湾奥右手に見える茶色の建物がオスロ市庁舎の一部です。

 

 

 

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*6

 

左上: 衛兵の少年が観光客に人気で、また可愛い。

右上: 城の西側にある砲台に向かって下ります。

 

下: ほぼオスロ湾の西側を見ています。

 

 

 

 

 

 

7

*7

 

下: この建物が最も重要な城の建物なのでしょう。

撮影している私の後ろ、海側に砲列があります。

 

この城は、1299年に創建され、1527年、火災に遭い大部分が焼失した。

1600年代前半に宮殿として改築され、城壁も造られた。

敵軍に9回も包囲されたが、一度も陥落することはなかった。

現在は公式行事が行われ、王室関連の亡骸が城内に埋葬されている。

 

 

 

8

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上: 砲列は西側、オスロ湾に向かっています。

 

下: 小さな門をくぐり抜け、砲台を振り返った。

 

 

 

 

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上: 先ほどの門から多くの観光客が出て来た。

 

下: その門の右側、城の建屋を眺める。

 

 

 

10

*10

 

上: ほぼ上記と同じ位置から、これから戻る方向を望む。

 

下: 真直ぐ進み、右に折れると、最初に入って来た場所に戻ります。

 

一部、軍事関連の施設が有り、通れないところがあります。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 55: オスロ 14: 歴史博物館


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< 1. 歴史博物館 >

 

 

今回は、歴史博物館と王宮周辺を紹介します。

それとヴィーゲラン公園を出て上記2ヵ所を巡り、次にアーケシュフース城までの行き方について紹介します。

写真は2018年6月6日、9:00~11:00の撮影です。

 

 

2map

< 2. 観光ルート、上が北 >

 

上: 左上のヴィーゲラン公園を出て、右下のアーケシュフース城までのルートを示す。

赤線が徒歩、青線が2種類のトラム、黒矢印が歴史博物館、黒枠がアーケシュフース城です。

途中の赤線は王宮前の公園を抜けていく徒歩ルートです。

 

下: アーケシュフース城に行く為に、青線のトラムを下車し、黄色線のルートを歩き、城内に入った。

 

 

3

< 3. トラムのFrogner plass駅 >

 

上: 左に折れて行くと王宮の方に行きます。

 

下: 乗るトラムがヴィーゲラン公園の方からやって来ました。

 

オスロのトラムの乗降は一切、切符のチェックがありません。

一度、無賃乗車のチェックで捕まっていた人を見たことがありました。

 

路線12番のトラムを利用し、王宮近くまで行きます。

実はここまで歩かなくとも、ヴィーゲラン公園の正面ゲート前にVigelandsparken駅があり、同じ12番線が利用できました。

下車駅はRuseløkkaです。

 

このような目的地に行く為のバスや地下鉄、トラムのルート選択は、事前に日本でグーグルマップで調べておきました。

非常に役立ちました。

バス停の位置が、少し正確でない時もありましたが、ストリートビューで詳細に調べることで多くは解決しました。

時間はかかりますが。

 

 

4

< 4. トラムの様子 >

 

上: トラムのFrogner plass駅の表示。

路線図と路線の駅、時刻表が分かります。

 

下: これは乗ったトラムの車内です。

これは新しい車両ですが、他では古い車両にも乗りました。

 

一つ北欧らしいエピソードを紹介します。

私が中心街のトラムを乗っていた時のことです。

 

停留所でおばあさんが一人乗って来ました。

トラム内には若干空席がありました。

すると二人掛けの椅子で喋っていた二人の女性が、すくっと立ち上がりました。

そのおばあさんは、その二人掛けの椅子に座り、二人の女性は別の補助椅子を起こして座りました。

 

はたで見ていると、大げさな誘いや感謝などは無く、実に自然な行動でした。

 

彼女らは少しでも高齢者には楽に座って欲しいと思ったのでしょう。

日本でこのようなことは起きないでしょう。

 

 

 

5

< 5. 王宮周辺 >

 

上: 王宮側から今来た道を見ている。

トラムのRuseløkka駅を降りて、緩い坂道を王宮に向かって歩きます。

 

下: 同じ位置から王宮を見上げる。

 

 

6

< 6. 王宮 >

 

上: 王宮。

入りませんでした(夏季のみ、ガイドツアーで見学可)。

この建物は1848年の完成で、銅像は当時のカール・ヨハン王です。

この時期、ノルウェーはスウェーデンの支配下にあり、彼はスウェーデン王でした。

 

観光客と集団の学生の見学者が多かった

 

下: ちょうど反対方向を望む、カール・ヨハン通りがオスロ駅まで一直線に伸びている。

 

 

7

< 7. 王宮の公園 >

 

上: 王宮前に広がる公園を抜ける。

振り返った所。

 

下: 鳥がさえずり、落ち着ける所でした。

 

8

< 8. 歴史博物館 1 >

 

上: 1階、中世展示室。

木造教会模型の右奥に学生が円陣を敷いています。

この円陣の中央の床にヴァイキングの丸い木造の盾が置かれていました。

彼らはヴァイキングの歴史を学芸員から聞いていたようです。

 

下: ヴァイキング時代の船の風向計らしい。

 

この博物館は4階まであるのですが、工事中(展示の模様替え)の為か展示は少ない。

メインであるはずの中世も含めてヴァイキングの展示も少ない。

これに比べデンマークとスウェーデンの博物館の展示は豊富でした。

 

 

 

9

< 9. 他の展示 >

 

左: 1階の同じ中世展示室。

石碑がありましたが、スウェーデンで見たルーン石碑とは異なるものでした。

外形は三角形で赤色、前面には馬などの絵が刻まれ物語を描いているようでした。

これはDynnastoneと呼ばれるもので、聖書のキリスト降誕の場面を描いているらしい。

ヴァイキング時代の終わり、ノルウェーにキリスト教がもたらされた11世紀頃のものです。

 

右: 中国製の工芸品でしょうか。

 

この博物館の展示に、ノルウェーの中世以外に、古代エジプト、世界各地の民族衣装、そして北米とユーラシアの北極圏の民俗展示があります。

北極とその周辺の民俗展示は、日本のアイヌも含めて文化の共通点が見られて面白かった。

 

残念なことは、全体に規模が小さいことです。

 

 

 

10

< 10. アーケシュフース城に向かう >

 

上: 国立劇場前からトラムに乗ります。

奥の方に向います。

ここで路線13か19のトラムに乗り、Øvre Slottsgate駅で降ります。

途中停車駅はなし。

 

下: Øvre Slottsgate駅を降りた所。

これから右に折れて進みます。

 

 

 

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< 11. アーケシュフース城の城壁が見えて来た >

 

下: 左の方に入り口の一つがある。

入口は何か所もあり、分かり難い。

城内に入るのに入場料は必要がなかったようです。

建物の中に入るには入場料がいるはずですが、オスロ・パスがあれば無料です。

私は建物中には入らず、城内敷地を巡った。

けっこう古城の雰囲気を楽しむことが出来ます。

 

 

 

 

 

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< 12. いよいよ入場 >

 

上: 城内の地図。

非常に敷地は大きく、私が入念に見て回ったのは地図の上半分で、ノルウェー抵抗運動博物館もあります。

 

下側には美術館やArmed Forces Museum (Norway)があります。

 

ノルウェー抵抗運動博物館とArmed Forces Museum (Norway)に入りました。

この2つではノルウェーの半世紀前の苦しみと、その後の世界平和への貢献がわかります。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 54: オスロ 13: ヴィーゲラン公園へ行く


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今回は、ヴィーゲラン公園に林立する彫刻群を堪能します。

途中、オスロ市内の大きな墓地を通りました。

 

 

2

< 2.散策ルート、上が北 >

上: 黒四角のホテルから青丸の国立劇場駅まで歩き、地下鉄でBorgen駅まで行きます。

そこから茶色線のように、大きな墓地を抜けヴィーゲラン公園を通り抜けました。

 

ヴィーゲラン公園に行くにはトラムで行く方法もあったのですが、同じ歩くのなら墓地を見てみたいと思ったからです。

 

 

下: 赤丸Sから墓地を抜け、彫刻公園の中央を進み、正面ゲートEに出ました。

 

この公園は無料で24時間開いています。

 

 

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< 3. 地下鉄駅Borgen >

 

2018年6月6日(水曜日)朝7:50に着いた。

 

上: 向かいのホームの中央に墓地への入り口が見える。

下: 私がやって来た中心部、東側を陸橋の上から見ている。

右手が墓地。

 

 

 

4

< 4. 墓地 1 >

 

上: 日本では考えられないのですが、スウェーデンも同じで墓地内をジョギングする姿を見かけました。

 

墓地の形態はスウェーデンとまったく同じで、森林墓地とでも言うのでしょうか。

あまり飾り気が無く、大小の差があまりない石板の墓石が区画毎に整然と並んでいます。

だからと言って、広い区画を埋めつくすようなことは無く、小さな区画ごとに高木で囲まれています。

 

これら北欧の墓地のありようには、北欧人に根付いている心理が現れているように思える。

そのキーワードは「森と共に生きる」と「集団の絆」かもしれません。

これは個々に統率を乱すような主張をしない、共にあることを大事にしているように思える。

これはヴァイキングの精神でしょうか。

 

旅行中に出来るだけ世界中の墓地を見るようにしているが、そこにはその地域の文化が現れている。

墓地には文化の保守的な面が残っており、文化の深層を見ることが出来る。

 

 

 

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< 5. 墓地 2 >

 

上: 墓地に隣接する教会。

 

 

 

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< 6. 墓地 3 >

 

下: 墓地中央にある斎場。

 

 

7

< 7. 墓地 4 >

 

上: 珍しく、大きな墓石があり花も飾られていた。

 

下: 左側にトイレがある。

この場所は墓地と公園の境目にあり、この道を進み左に折れると公園に入る。

この右手にはドッグラン用の芝生公園がある。

 

北欧もトイレが非常に少ないので事前に調べたのですが、行きたい所の野外にあるかどうかほとんどわからなかった。

 

私は墓地に入ると便意をもよおし、墓地を清掃している人に聞いたら、教会横にあると教えてくれた。

しかし行ってみると、時間的にまだ開いていなかった。

墓地を抜けた辺りで別の人に聞くと、この写真のトイレを教えてくれた。

このトイレはカード式で、クレジットカード決済で扉を開けます。

中は広く、清潔でした。

 

 

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< 8. ヴィーゲラン公園 1 >

 

上: 中央の石柱がモノリッテン

高さ14の花崗岩に121の人物像が浮き彫りにされている。

 

中央: モノリッテンのあるモノリスの丘の頂上から北西端にある生命の輪を望む。

 

下: 同じ場所から南東方向、正面ゲートがを望む。

今からこの方向へ進む、遠くに大聖堂の尖塔が見える。

 

 

この公園にはヴィーゲランの後半生に創作した212点の彫刻、人物像としては650体が配されている。

もっとも彼は粘土で原型を作り、弟子たちが鋳造や石像彫刻を行い、これだけの作品が20年間の間に生まれた。

彼の彫刻以外は置かれていない。

 

 

 

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< 9. ヴィーゲラン公園 2 >

 

上: 噴水の後方にモノリスの丘が見える。

左側の6人の男性が円盤を掲げているのが中心部の噴水ですが、今日は水が出ていませんでした。

周囲の彫像群は、樹木と人間が一体になっています。

 

 

 

 

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< 10. ヴィーゲラン公園 3 >

 

上: 市民がそれぞれ公園を楽しんでいました。

 

下: 彼の作品で最も有名な「怒りんぼう」

これは橋の欄干にある58点の内の一つです。

 

 

 

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< 11. ヴィーゲラン公園 3 >

 

上: 橋の彫刻。

 

中央: 橋の全景。

朝早いせいか、公園内の観光客は中国系の一組だけで、後は市民がそれぞれに楽しんでいました。

この公園を出る9時頃になると、珍しくインドからの観光の一団が正門から入って来ました。

 

下: 正面ゲート。

 

彼の作品は、圧倒的に普通の人物像、それも老若男女問わず、幼児までいる。

それらは頭髪や筋肉の表現が割愛され、衣服をまとわず、多くは豊満か肥満気味です。

 

一番多いのは家族や恋人との生活の中での一瞬の喜怒哀楽を表現しているようです。

それも単体では無く、人との関わりを体を接触させた群像として表現しています。

 

この手の彫刻は始めて見たような気がします。

人と人が関りながら生きている、こんな率直な生命賛歌の表現が今までにあっただろうか。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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