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平成イソップ物語 15: 「津波とモグラ」の補足


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< 1.津波で残った一本松 >

 

 

前回投稿した「津波とモグラ」が何を意味しているのか解らないとの意見がありました。

ご指摘の通りだと思います。

ここに陳謝し、蛇足ながら説明したいと思います。

 

 

私が言いたかったこと

 

人々は今ある恐怖や不安に囚われて、往々にして理性的な判断が出来ず、目先の安心に飛びついてしまうことがある。

 

これは危機を先延ばするだけでなく、より深めることになる。

 

この手の愚を、社会は幾度も繰り返して来ました。

 

そして、この傾向は今の日本や欧米で顕著です。

 

 

 

 

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ミサイル防衛について

ここ数日、北朝鮮のミサイルに関して政府や与党からミサイル防衛や日米同盟の必要性が強調されています。

この意味を考えてみましょう。

 

例えば、迎撃ミサイルシステム(サード、パトリオット)を考えます。

日本が無数のイージス艦を日本海に配備し、陸上配備の迎撃ミサイルを全土に20km毎に配備しようが、北朝鮮のミサイルを完全に防ぐことは出来ません。

それはなぜでしょうか?

 

色々、想定できますが、一つは偽装船による近海からのミサイル発射です。

北朝鮮がこの技術を獲得するのは簡単です。

こうなれば、首都ぐらいは守れても本土全体を守ることは出来ないでしょう。

 

この手の落とし穴や矛盾はかつての米ソの核開発競争を振り返れば歴然としています。

核兵器の進歩はその都度、米ソの核ミサイル防衛構想を無に帰して来ました、例えば潜水艦発射ミサイルの普及のように。

結局は、互いに完全に破壊し尽くす体制をとることで、互いが馬鹿な攻撃を自制するだろうと言うことに落ち着いた。

米国の核戦略担当者から見ればこれも立派な抑止力でしょうが。

そして膨大な数の核兵器を作り、現在、大量の核ゴミに困っている。

 

ミサイル防衛は完璧ではなく、その後の多国間のミサイル開発競争を促進させるだけなのです。

例えば、イスラエルに核兵器を持たせたことによりイランが対抗して核開発を望んだように、またインドとパキスタンの関係も同じで、連鎖し拡大するのです。

一方、完全な迎撃ではなく抑止力を高める為に核兵器を保有する話もあります。

そこには相手が良識ある判断をするものと想定している落とし穴があるのです。

例えば、狂気のヒトラーにそれを期待出来たでしょうか?

特に核ミサイルについては、残念ながら物理的な迎撃手段は絶望的でしょう。

 

つまりミサイル防衛システム「モグラの堤」を作って、一時期のミサイルの脅威「津波」を防いだとしても、次の脅威の発生を招くことになるだけなのです。

むしろ抜本的な手を打つべきなのです。

そして新たな危機の前兆が「地中の水の流れ」であり、新たな危機が「洪水」でした。

一番の問題は、一時の安心の為に根本的な解決策を遠ざけてしまうことなのです。

この手の愚行は、かっての世界も現在の世界でもまかり通っているようです。

 

「モグラの母子が高台に逃れた」のは消極策のように見えるが、扇情に惑わされず、「津波と洪水」のどちらに対しても完璧な策を選んだことを示しています。

 

 

それであればどうすれば良いのでしょうか?

私は中国を動かすしかないと考えています。

中国は得体の知れない国ですが、例えば発展途上国への援助姿勢に良い変化が見られるように、私達は中国のすべてを拒否すべきではないでしょう。注釈1.

 

北朝鮮をいままで支えて来たのは、かつてはロシア、そして今は中国です。

中国にとっての北朝鮮は、かつての大日本帝国の防波堤であった朝鮮半島のような存在なので、中国はそう簡単には手放さないでしょうが。

しかし北朝鮮の暴挙を封じ込めるには中国しかないでしょう。

 

残念ながら、今の日本には中国を動かす力もなければ、相手も応じないでしょう。

なにせ現在、最も敵対しているのですから。

 

 

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少し全体像を俯瞰してみましょう

今、世界はイスラム国のテロに翻弄され、益々敵愾心むき出しの危険な状況に陥ろうとしています。

 

何がこの状況を作ったのでしょうか?

良く知らているように、この発端は9.11事件後の米国のイラク進攻にありました。

 

要点を言えば、米国がイラクの国家機能を完全に破壊したことにより、無法と無秩序の中からイスラム国が増殖して来ました。

私の連載「中東に平和を」でも解説しています。

この愚かな進攻は、大統領の人気、軍需産業と石油産業に恩恵をもたらしただけです。

これにより中東と世界が混迷しただけでなく、米国自身も莫大な国税(300兆円)を使い、この後、マスコミはホワイトハウスに従順になると言う大きな代償を払うことになりました。

 

リーダーの受け狙いの行動が、世界を困惑させた最も分かり易い例と言えるでしょう。

米国は世界の警察として重要な役割を果たしたこともあるが、一方でベトナム戦争のようにとてつもなく愚かな戦争もしている。

 

この点を鑑みれば、いつまでも米国に盲従して行くことは危険です。

きっとこのように言えば、誰が日本を守ってくれるのだとお叱りを受けることになるでしょう。

 

その答えは、米国が守ろうとしたベトナムの末路を見ればわかります。

米国は、南ベトナムの傀儡政権を守る為に、ベトナム全土を焦土にし、800万人が死にました。

 

なぜなら米国にとって最大の関心事は共産化を太平洋の果てで食い止める事にあったのですから。

もっとも北ベトナムと言う敵があってのことですが。

どちらにしてもこの愚かな戦争拡大の経緯は私の連載「戦争の誤謬:ベトナム戦争」で解説しています。

 

いざ有事の時に何が日本列島で起きるかは容易に予想がつくはずです。

もっとも小規模な衝突で紛争が止まるなら、日米同盟は役に立つかもしれませんが。

 

私が心配する大きな危機の一つがこれです。

 

 

最後に

上記に示したような危機への対応を寓話に例えることに無理がありました。

しかし、理詰めで説明するだけでは、今起きている危機を身近に感じることが難しいとも思っています。

 

これからも世界の歴史、社会、経済、文化について懲りることなく書いていきますが、よろしくご理解のほどをお願いします。

ご意見と批判を歓迎しますので、どしどし御寄せください。

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

注釈1.

JICAの研究員が指摘されていました。

この人は、世界各地の開発支援をつぶさに視察されたそうです。

以前は、中国が発展途上国に融資し建設し始めると、多くの中国人労働者が現地で工事をしていた。

その後、現地からの指摘があって中国は方針を変更し、現在は建設現場に中国人がほとんどいないそうです。

中国の融資額は増えているそうです。

私達の知らないところで、中国に変化が起きているのです。

 

 

 

 

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平成イソップ物語 14: 津波とモグラ


 

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昔々、ある所にモグラがたくさん住んでいました。

そこは山と海に囲まれた平和な所でした。

しかしある日から事態は急変しました。

 

 

 

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モグラ達がたくさん集まっています。

 

一匹の白いモグラが大声で皆に訴えています。

「皆、聞いてくれ!

津波が来たら、我々の住んでいる所は海に沈んでしまうぞ!」

 

誰かが聞きました。

「そんなことが起きたら大変だ。 どうすれば良いのですか?」

 

 

白いモグラが答えました。

「それは海岸に堤を作るしかない。

そうすれば海からやって来る大きな波を防ぐことが出来る。

私達は土を掘って集めることが出来る。

今やらなくて何時やるのだ!」

 

 

皆は騒ぎ始めた。

「この話は本当かな?」

「しかし万が一、津波が来たら終わりだぞ。」

 

 

この時、一匹の子供モグラが母さんに言いました。

「以前、僕は地中を深く掘っていた時、底の方で水が流れているのを見たことがある。」

 

お母さんは言いました。

「山にたくさん雨が降れば、洪水になるかもしれないね。」

 

母さんは周りのモグラに危惧を伝えましたが、皆は口を揃えて言いました。

「お前は津波の恐ろしさを無視するのか。話にもならない。」

 

 

やがて皆は力を合わせて堤を造ることにしました。

 

そんなある日、その親子はこの浜を去り、離れた高台に住み始めました。

 

やがて数年が過ぎて、雨が降る日が多くなりました。

 

ついに川が増水を始め、堤で囲まれた浜は水没してしまいました。

 

とうとう津波は来ませんでした。

 

 

 

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何か変ですよ! 55: 何が欠けているのか


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今、籠池氏の発言(森友学園への格安国有地払下げ問題)で野党は色めき立っている。

一方、与党は毅然と構え、国民は蚊帳の外に置かれている。

ここには何かが欠けている。

 

 

はじめに

結論から言えば、これは些細な問題に過ぎず、このようなことに議会が精力と時間を掛けるべきではない。

 

確かに、これは本質的で深刻化している政治状況の一発露ではあるが、これ事態を追及しても、違法性を確認することは難しいだろう。

ここは与野党共に無駄な努力をせず、早急に事を治めるべきです。

国民はゴシップ記事のようなつまらない事件に振り回されるべきではない。

 

むしろ、国民はこの事件から見えて来たある政治状況に気づき、またマスコミや野党はもっと将来を見据えて行動すべきです。

 

 

この事件のポイント

真相解明は半ばで、この先も確たる証拠は出てこないでしょう。

だが、あえて私はこの事件のポイントを要約しておきます。

 

A: 保守的な一教育者が政治家をうまく利用しながら事業を拡大して来た。

 

B: 保守的な内閣が誕生し、強力な体制を構築した。

 

C: 身に降りかかる事件が発覚すると首相は強気の抗弁をした。

 

D: 批判的なマスコミと野党がこれを追及し、主役を吊るしあげた。

 

E: 主役は開き直り、今までの経緯を全面的に開示した。

 

F: 関与している政府や議員、官僚から都合の悪い資料は一切出て来ない。

そして泥沼試合となった。

 

 

 

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簡単に考察します

この経緯を見てみると、取り立てていうほどの犯罪的で重大な問題はないように思える。

 

A:

この手の政界絡みの便宜供与は従来から、特に長期政権の与党にはつきもので、贈収賄などの犯罪で摘発されるのは氷山の一角に過ぎない。

 

B:

今回のような事件が起こる状況は当然進んでいる。

 

最近の文科省の天下りの常態化からも察せられるように、官僚や議員の振る舞いはは益々官邸の姿勢で決まります。

つまり官僚が忖度し便宜を図るようなことは今後益々常態化するでしょう。

日本の政治はジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)で成り立っているのであり、それが集中化するだけです。

 

C:

現首相の強弁、常識的には虚言と思われる発言が、歴代首相の中では目立つはずです。

「強行採決はしたことが無い」「憲法改正の発議は私と無縁」とか。

 

D:

嘆かわしいのですが、誰かれなしに叩き、運よく行けば現内閣を倒せると目論んでいる。

これで内閣が倒れて、誰が替わって政権を担当するのか?

今の野党に、より良い経済政策や外交政策があるようには思えない。

 

おそらく多くの国民は、将来、日本が軍事大国化しようが、分裂気味のトランプに追従しようが、直ぐ先で景気が良くなり、米国が日本を守ってくれることの方を望んでいる。

これが正しい判断かは別だが、少なくとも野党はこの望みを叶える方策を提示できない。

 

E:

証人喚問での主役の言動を見ると、保守人としての誇りを失わず、堂々と権力の理不尽さに立ち向かう姿が印象的でした。

私は彼の思想ややり方に賛同出来ませんが、トカゲの尻尾切りにされている状況に同情したくなる。

バレなければ、強力な保守政権だからこそ、ぬくぬくと甘い汁を吸えたはずなのに。

 

F:

これは正に、日本の政治文化で最も重大な欠点の一つです。

 

財務省が許認可を行った経緯の議事録を破棄したと堂々と発言していることです。

このような事例は、最近のスーダンの陸自日誌破棄事件や古くは福島原発事故の記録公開などのように、国民やマスコミには政府や官僚の行動をチェックする方法が断たれていることを示す。

また秘密保護法などで、さらに都合の悪い政府側の資料が出て来なくなっている。

 

 

 

何が最重要な問題なのか?

大きく二つあります。

 

一つは、マスコミと野党の追及姿勢です。

今回の追及は益なしで、むしろ弊害の方が大きい。

国民の多くは現内閣を信頼しており、その信頼を突き崩すことに躍起になるあまり、度を越して追及すればするほど、逆効果になる可能性がある。

 

日本がかつて治安維持法を採択した経緯の中に、当時のマスコミや野党が政府のあら捜しで国民を煽り過ぎて、逆に暴徒化を鎮圧する口実を政府に与えてしまったことがあった。

ここまでは行かないだろうが、行き過ぎは世論を激しく左右に分裂させてしまい、米国のようにポピュリズムで極右のトランプ政権誕生に繋がった。

この傾向は欧米で顕著になっており、さらに危険な状況を生むことになる。

 

 

今一つは、政府や官僚の情報公開です。

日本には、都合の悪い議事録を遺さない、また内部告発を行わない組織文化があります。

法律はこれらを改善しようとしているのですが、進んでいない。

 

さらに悪いことに、ここ数年、日本は米国に追従して、情報を益々秘匿する方向に向かっています。

 

これらはやがて、日本の政治を取返しのつかない方向に追い込むことになるでしょう。

 

どうか、皆さん細かいことに目を奪われずに、大局を見て頂きたい。

 

 

 

 

 

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何か変ですよ! 51: 忠犬の何が悪いのか?


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日本の未来は安倍首相の肩にかかっている。
去年まで、日本の政治は規定路線の延長から右旋回を始めたぐらいに思えた。
しかし、今回の日米首脳会談で、ある恐れが現実のものになった。

 
何が恐ろしいのか?
アベノミクスは変化があっても、せいぜいバブルの後に、より深い経済と財政の悪化を招くだけでしょう。
それは欧米の長年の悪戦苦闘の結果を見ればわかります。
それを遅れて真似ただけなのですから。

私が最も恐れるのは日本の安全保障です。
ここで二つの視点があります。

一つは、アジア大陸からの侵略です。
仮に中国や北朝鮮、ロシアが攻めて来た場合、まして核弾頭が撃ち込まれれば一たまりもありません。注釈1.
米国が後ろ盾になっていれば安心と思うのも無理はありません。

一方で、大戦後を振り返ればあることに気付きます。
戦争は核弾頭によるものではなくて、大国の周辺で果てしなき代理戦争が行われたことです。

ここで問題になるのは、日本の立位置です。
米国と敵対するのは危険ですが、さりとて、かつて侵略した中国と敵対するのも危険です。
やはり、ここはEUのように米国から一歩引いて民主主義と平和を守る自由主義圏の同胞として付き合うのが無難でしょう。

最大の問題は別にあります。
それは米国への従属です。
これは今までも議論されて来ましたが、今回、その懸念は現実のものとなった。

米国への従属がなぜ悪いのでしょうか?
中東やベトナム、アフガンの紛争を見ていると、米国は現地に親米政権(傀儡政権)を作り、望んでいたとまでは言えないが、代理戦争の一方の旗頭に祭り上げ、その結果、国民はどん底に叩き落された。
始めは米兵が世界の正義のために血を流してくれていたのですが、徐々に様変わりし、現在、現地は最新兵器の償却の場となった観がある。
歴史的に見て、欧米は異民族、異教徒を最後には利用するだけになった場合が多い。

 

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日本は米国の属国になったのか?
これが問題です。
簡単に言えば、米国に操られ、言いなりになり、挙句は捨て駒になってしまうことが悲しいのです。

実は、私はこの手の情報を様々な本から知る機会があっても、今まで確証はなかった。
しかし、今は確信に近いものがあり、放置すると危険であり、早急に手を打つべきと考えます。

安倍政権になってからの米国寄りの姿勢、ましてや今回の首相の訪米を見ていると、露骨な米国追従です。
トランプ氏の発言を聞く限り、大方のEU首脳の反応こそが世界の平和と安全には正しいと思います。

しかし、今の日本はやわな指摘では済まされない状況にある。

特定秘密保護法や共謀罪の強引な成立には裏があったのです。
この一連の法整備には違和感があった。
かつての治安維持法の恐ろしさを知っていれば、強行採決など出来なかったはずです。

実は、これは米国から日本への指示だったのです。
小笠原みどり著「スノーデン、監視社会の恐怖を語る」2016年11月刊(p90)でスノーデンが暴露しています。

彼は米国のアメリカ国家安全保障局 (NSA) および中央情報局 (CIA) の優秀な元局員で、横田基地のNSAでも業務していた。
彼は米国の悪辣な諜報行為、米国民だけでなく同盟諸国すら盗聴し監視する体制の底なしの闇に恐怖と怒りを持った。
最初、彼は長官に事実の公表を求めたが、否定されたので暴露せざるを得なくなった。

私はグリーンウォルド著「暴露:スノーデンが私に託したファイル」も読んでいますが、彼の米国を想い、将来を憂う真摯な態度に感銘を受けた。

一方、日本はこのように扱われても米国に対して全く異論を唱えない。
当然、防諜対策も米国への逆の諜報活動もしない。
実に今の日本政府は従順な忠犬というところでしょうか。

 

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忠犬のどこが悪いのか?
きっとこんな指摘をする人がいるはずです。

実は、忠犬が悪いのでは無く、国民が知らない内に米国に操られていることなのです。

例えば、米情報機関は電話やメールをすべて盗聴しているので、政府にとって都合の悪い官僚や政治家の秘密を握り、マスコミに情報を流して、簡単に追い落とすことが出来ました。
現実に、米国ではベトナム戦争反対派の封じ込めなどの常套手段でした。

当然、日本でも行われており、確証とまでは言えませんが、野党や中国寄りの政治家などの追い落としは孫崎享著「戦後史の正体」で指摘されています。
日本での米情報機関による大々的な盗聴は揺るがない事実ですが、日本政府が何処まで積極的に追従しているかは闇の中です。

これを陰謀説と一笑に付することも出来ますが、ロシアのKGB出身のプーチン大統領、かつての東欧共産圏の監視社会などを思い起こせば、空恐ろしくなるはずです。
これは世界各国の政治史、宮廷ドラマではありふれた謀略に過ぎない。

米国の監視社会は世界にとっても危険の極みにあり、他山の石ではない。

 

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結論
日本は米国への盲従を止め、少なくとも米国の監視下から脱して、EUの首脳並みの態度が取れるように方向を修正すべきです。
放置すれば、やがて大陸の境界に位置する日本列島は代理戦争の大きな災厄に見舞われるでしょう。

どうか、歴史を自力で確認し、何が真実かを見極めて頂きたい。

唯々、祈るばかりです。
「南無阿弥陀仏、アーメン、アッラー・・・」

 

 

注釈1.
迎撃ミサイルによる防御には限界があり、非現実的です。
このことは他の記事で幾度も解説しています。
実際問題、米ソの核開発競争を振り返れば、答えが無くて、その結果、核弾頭の廃棄物が山のように溜まっただけでした。

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東京裁判とパール判事 1: 例え話


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連載を始めるにあたり、このテーマの全体像を例え話にしてみました。

 

 

題名 「大泥棒とコソ泥と神様」

 

 

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或る所に大泥棒とコソ泥が競って人々に乱暴を働いていました。

とうとう、大泥棒はコソ泥を捕まえ、珍しく裁判にかけることにしました。

 

大泥棒

「お前達コソ泥は多くの人を殺し、物を奪い、人々を不幸のどん底に陥れた。

これは死罪に値する。」

 

コソ泥

「私達は大泥棒から身を守る為にコソ泥になった。

私達の残忍な殺し方が罪になるのなら、大泥棒の落とした爆弾の罪はもっと大きいはずです。

あなたがた大泥棒が数百年間行って来た事と比べれば、私達コソ泥のしたことなど屁でもない。」

 

大泥棒

「しかし、今回の大惨事はお前らコソ泥が始めたことで起きたことは明白である。

この裁判では、お前らに今回の大惨事の責任を問うものであり、過去のことは問題外である。」

 

コソ泥

「そりゃ片手落ちと言うものですよ。

ましてや泥棒同士の殺しや盗みを罰する法律はありやしません。

法律も無いのに、罰するなど泥棒の風上にも置きやしません。」

 

大泥棒

「却下する。証言を聞きなさい。」

 

被害者

「私達はこのコソ泥達に口では言えないほどの残虐な仕打ちを受けました。」

 

コソ泥の仲間A

「私は彼らにやり過ぎだと言ったのですが、逆に殺すぞと脅されました。」

 

大泥棒

「コソ泥の罪は明白であり、頭目は即刻、死刑とする。」

 

 

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ここで、一人の神様が現れ、大泥棒を諭しました。

「この裁判は間違っている。

コソ泥は大泥棒を真似たに過ぎない。

また、あなたがた泥棒は全員で泥棒間の争いを裁く法を作っていないではないか。」

 

一方、コソ泥にも諭しました。

「あなたがたはほんとうに酷いことをした。

法が無い以上、頭目の死刑は問題だが、あなた方は大いに反省しなければならない。

当然、残虐なことをした人は裁きを逃れない。」

 

 

コソ泥の仲間B

「さすが神様だ! 我々、コソ泥の汚名はそそがれた。

私達の仲間は悪くはなかったのだから、被害者に謝罪する必要はない。」

 

神様はコソ泥の家族たちにこう言い残しました。

「私がなぜ無罪と言ったのか、その真意を汲み取って欲しい。

このまま大泥棒の身勝手を許すと、益々増長し、人々はより大きな悲惨な目にあうだろう。

あなた方こそが、この試練を教訓とし泥棒稼業から足を洗うのです。

決して大泥棒と組せず、率先して世界から泥棒を無くすようにしなさい。

その為に、私は「日本は無罪」と言ったのです。」

 

今、この神様は雲間から悲しそうな目で下界を見ていることでしょう。

 

終わり。

 

この連載をいずれ始めます。

 

注釈

大泥棒は連合国、コソ泥は日本です。

大泥棒の数百年の行為とは帝国主義や植民地政策のことです。

大泥棒の爆弾とは原子爆弾のことです。

今回の大惨事とは第二次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争です。

 

泥棒同士の争いとは国家間の戦争で、これを裁く国際法はまだない。

神様とはパール判事です。

大泥棒の身勝手とは、自衛と称して軍事介入し、冷戦下で代理戦争をやらせ、ベトナム戦争を行い、中東に介入し戦火を拡大させていることなどです。

 

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ドラマ「東京裁判」を見て


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今日は、素晴らしい再現ドラマ「東京裁判」を紹介します。

これはNHKのテレビ番組で、この12月12~15日に放送されたものです。

YouTubeで「東京裁判 NHKドラマ」が見れます。

 

 

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< 2. 実在の主役達 >

 

上の写真: 東京裁判の被告席。

中央の写真: 東条内閣。

下の写真: 東京裁判の11人の判事達。

 

 

 

はじめに

東京裁判は、勝者の意趣返し、または戦争否定に繋がったと評価が分かれている。

また私にとって東京裁判はいつか全貌を知らなければならない課題でした。

 

それは、「日本を戦争へと突き進ませた状況をどう見るか?」でした。

言い換えれば、「戦争の責任は国の指導者、国際状況、国民のいずれがより重いのか?」になる。

 

今一つは、「国際法(国家間で作った条約など)に期待を託せるのか?」でした。

言い換えれば、「国際法で国家や戦争を裁くことが可能か?」になる。

 

その答えは先送りになったが、私はドラマに救われた思いがした。

ドラマでは各国から派遣された11人の判事が「日本の戦争」に真剣に取り組み、篤く議論する姿が描かれていた。

彼らは「悲惨な戦争の再発防止」「残虐行為への懲罰」「厳密な法適用」「戦争への根源的な問い」など、それぞれの信条に従い議論し、ぶつかりまた協力して行く。

そして半年で終わるはずの裁判は2年半に及んだ。

 

超難題を抱える裁判の裏側を、各国の名優が演じ切った。

素晴らしい人間ドラマです。

 

 

東京裁判について、マイペディアよりコピー

 

「極東国際軍事裁判が正称。

1946年1月19日連合国最高司令官マッカーサーの命令で設立された極東国際軍事裁判所が日本の戦争指導者に対して行った裁判。

原告は米・英・中・ソのほか7ヵ国。

同年5月3日より東京市谷で開廷。

裁判長はオーストラリアのウェッブ。

首席検察官は米国のキーナン。

戦争犯罪を〈平和に対する罪〉〈殺人の罪〉〈通常の戦争犯罪と人道に対する罪〉に分けて満州事変以来の日本軍閥の侵略を追及。

1948年11月12日判決。

東条英機ら7名が絞首刑,荒木貞夫ら16名が終身禁錮。

ニュルンベルク裁判とともに二大国際裁判といわれる。」

 

 

日本の戦争

満州事変に始まり日中戦争へ、さらに真珠湾攻撃から太平洋戦争へと突き進んだ。

そして、最後は日本全土の空襲と原爆投下で終戦となった。

この第二次世界大戦で世界の人口の2.5%(民間人5500万人、軍人2500万人)が死んだ。

 

 

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< 3.日本の戦争 >

 

 

 

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< 4. ドラマのシーン 1>

 

上の映像: 判事達が裁判に臨むシーン。

先頭にいるのはオーストラリアのウエッブ裁判長。

 

下の映像: 判事全員が被告人の罪の有無、量刑について議論するシーン。

 

初めは、まとまっているように見えたが、やがて亀裂が走り始める。

その一つの論点は「平和に対する罪」で被告を裁けるかどうかでした。

 

実は、世界はながらく戦争を国家の権利(自衛権)と見なしていたのです。

どう法律家があがいても、戦争する国を止めることが出来なかったからです。

一方、戦闘手段の制限は12世紀頃から国際法として徐々に発展し、戦争犯罪が確定していった。

しかし、世界は第一次世界大戦後の壮絶な殺し合いを経験し、戦争を違法とするパリ不戦条約を発行した。

しかし、これは不完全であり、また戦争を再発させてしまった。

その反省から、第二次世界大戦中の1995年に連合国が中心となり「平和に対する罪」を規定した国際軍事裁判所憲章を急遽作った。

 

それに加え、様々な論点が波乱を呼んだ。

 

 

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< 5.ドラマのシーン2 >

 

一番上の写真: オランダのレ-リンク判事と竹山道雄(「ビルマの竪琴」の著者)との交友。

レ-リンク判事はパール判事に感化され、後に判決に対する反対意見書を提出した。

彼は事後法の問題は逃れえるが、日本の指導者への極刑は過ぎると反対した。

ドラマでは、彼が中心になっているように思える。

 

二番目の写真: 英国のパトリック判事(中央)が中心となって日本の戦争指導者に断固、極刑を課する多数派を結成する。

アメリカ、中国、フィリピン、ロシア、カナダ、ニュージーランドがこれに同調し、弱腰の裁判長の追い出しや判決文作成を担った。

彼らは国際軍事裁判所憲章の順守とニュルンベルク裁判の成果を損ねないことを盾にした。

そこには各国の事情や個人の偏見や復讐心が垣間見えた。

 

三番目の写真: インドのパール判事。

彼は当初から、法の恣意的な適用に断固反対し、1235ページに及ぶ別個の判決文を提出した。

日本の行った戦争犯罪を裁くことは可能だが、法のプロが事後法の「平和に対する罪」を適用することがあってはならないとした。

また焦土と化した日本を見て、欧米先進国の身勝手さと思い上がりを痛烈に批判した。

それは原爆投下、また世界に害悪をもたらした帝国主義、日本を軍事大国に追い込んだかもしれない行為を顧みない姿勢です。

 

四番目の写真: フランスのベルナール判事。

彼も法律家として、東京裁判が正当化出来ないとして、反対の立場から意見書を提出した。

 

 

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<6.資料 >

 

上の地図: 第二次世界大戦での日本の最大占領地。

中央の写真: マッカーサーと天皇。

二人は東京裁判での日米の主役でした。

 

下の写真: 実写フイルム。

東京裁判で日本側弁護人となった米国のブレイクニーの口からから発せらた驚くべき言葉。

「キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。」

 

 

あとがき

私はこの手のNHKの活躍を誇り思い感謝します。

これまでもNHKは、ベトナム戦争や日本の戦争について徹底した調査を行い、分かりやすい形で放送して来た。

このドラマはオランダ、カナダとの共同制作で、8年もの歳月をかけたらしい。

 

ドラマで描かれた赤裸々な葛藤や苦悶、断固意思を貫く人々が絡み合う血の通った論争シーン、どれもが私を魅了した。

 

一方で残念なこともある。

無理だとは思うが、国際法の今後、「世界が国家の不正義を裁くこと」の意味を語って欲しかった。

 

残念ながら、現在の状況を見るとパール判事の言った、「世界はまだ未成熟である」が70年後も変わらないようです。

相変わらず、大国は恣意的な戦闘や軍事援助を行い続け、止める算段がないどころか、深みにはまるばかりです。

 

お読みいただき感謝します。

 

 

 

 

 

 

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蟹と紅葉を楽しみました 6: 秋の山野と海峡


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今日は、ドライブ途中で見た秋の山野と海峡を紹介します。

これで、今回の旅行記は終わります。

 

 

 

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< 2.9号線 >

 

ここは村岡辺り。

 

 

 

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< 3. 9号線 >

 

ここはハチ北口の辺り、若い頃、ハチ北にスキーに来ました。

 

 

 

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< 4.9号線  >

 

ここは関宮辺り。

 

 

 

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< 5.道の駅あさご 1 >

 

ここには播但連絡有料道路に乗る前に、昼食の為に立ち寄りました。

道の駅のすぐ横で綺麗な紅葉が見られました。

昔、家族で神鍋に行った後の帰り道、ここによく立ち寄りました。

 

 

 

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< 6.道の駅あさご 2 >

 

 

 

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< 7.道の駅あさご 3 >

 

 

 

明石海峡と裏六甲の眺め

次の22日、淡路島から神戸にバスで出ました。

この日は但馬旅行の2日間とは打って変わって素晴らしい天気でした。

バスの車窓から見た快晴の海と山の写真を紹介します。

 

 

 

 

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< 8.明石海峡大橋からの眺め >

 

淡路島から舞子に向かっているバスからの眺めです。

西側、瀬戸内海側を見ています。

淡路島はあまり紅葉しません。

 

 

 

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< 9.高速道路からの眺め 1 >

 

上の写真: 神戸淡路鳴門自動車道を見下ろしている。

 

下の写真: 阪神高速7号北神戸線からの眺め。

 

こちらは山は紅葉していました。

但馬の山々はもっと紅葉していたのですが、天気が悪かったので残念でした。

 

 

 

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< 10.高速道路からの眺め 2 >

 

阪神高速7号北神戸線からの眺め。

 

 

この連載は終了します。

ありがとうございました。

 

 

 

 

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蟹と紅葉を楽しみました 5: 竹田城跡


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今日は、写真撮影で最も楽しみにしていた立雲峡と竹田城跡を紹介します。

立雲峡は雲海に浮かぶ竹田城跡の撮影で有名になった所です。

 

 

 

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< 2.立雲峡の登山道 >

 

中腹の駐車場まで車で行き、そこから第三、第二、第一展望台へと登ります。

一番高い第一展望台までは徒歩25分だそうです。

私は疲れたので一番近い第三展望台から撮影しました。

第三展望台は標高354mの竹田城跡と同じ高さにある。

駐車場からも撮影出来ます。

 

 

 

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< 3.第三展望台から竹田城跡 1 >

 

中央の古城山の山頂に石垣が微かに見えます。

北西方向を見ている。

 

今日は、今にも雨が降りそうな空模様で、霞んで見えます。

雲海は秋の明け方から午前8時頃までで、色々な気象条件が重なった時に見られるそうです。

そう簡単に雲海にお目にかかれないのでしょうか。

 

 

 

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<4. 第三展望台から竹田城跡 2 >

 

古城山の麓右下にJR竹田駅と寺町通りが見えます。

 

 

 

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< 5.第三展望台から寺町通り  >

 

麓のJR竹田駅と寺町通りです。

 

 

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< 6. 第三展望台から竹田城跡 3 >

 

 

 

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< 7. 第三展望台から竹田城跡 4 >

 

 

竹田城について

15世紀、応仁の乱で西軍の総大将であった山名宗全が、この山頂に城を築かせた。

戦国時代は太田氏が城主となり、播磨(瀬戸内海側)と但馬(日本海側)の国境を守る拠点となった。

織田軍の播磨攻めの折、1577年、羽柴秀吉により落城した。

最後の城主赤松氏が石積みの城郭を整備し、今に至っている。

 

 

 

 

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< 8.表米神社の下 >

 

ここは寺町通りの端になります。

山頂に石垣が見えます。

右下に表米神社への階段があり、そこから山頂まで登ることが出来ます。

 

 

 

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< 9.JR竹田駅 >

 

ちょうど電車が入って来ました。

南側を見ています。

 

 

 

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< 10. プラットホームから寺町通り >

 

寺町通りにはお寺が幾つも並んでおり、紅葉が美しかった。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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蟹と紅葉を楽しみました 3: 高源寺


 

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今日は、紅葉で知られた高源寺を紹介します。

 

 

高源寺について

場所は丹波市青垣町にある臨済宗のお寺です。

山裾から山の斜面にかけて多くの仏閣が建てられている。

創建は14世紀ですが、戦国時代に焼失し、江戸時代に復興された。

 

 

 

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< 2. 高源寺の参道 >

 

 

 

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< 3. 惣門 >

 

上の写真: 惣門、最初の門。

 

下の写真: 惣門を入って右側の庭。

 

 

 

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< 4. 山門に向かう階段 >

 

 

 

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< 5. 山門 >

 

上の写真: 山門。

 

下の写真: 山門前から振り返る。

 

 

 

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< 6. 石碑 >

 

 

 

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< 7. 心字の池 >

 

奥の石垣の上から一筋の滝が流れ落ち、手前の「心字の池」に注いでいます。

 

 

 

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< 8. 方丈と鐘楼 >

 

下の写真: 方丈と鐘楼。

 

 

 

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< 9. 多宝塔 >

 

 

 

 

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< 10. 黄葉と紅葉 >

 

 

残念ながら、紅葉のピークは過ぎていました。

おそらく1週間前頃がピークだったのでしょう。

いつかまた来たいものです。

 

 

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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蟹と紅葉を楽しみました 2: 銀山湖から黒川渓谷へ


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今日は、銀山湖から黒川渓谷を紹介します。

 

 

 

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< 2.播但連絡有料道路 >

 

上の写真: 市川サービスエリアからの眺め。

下の写真: 播但連絡有料道路を走行中、フロントガラス越しの眺め。

 

 

 

 

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< 3. 銀山湖 1 >

 

霧雨が時折降る天気でしたが、雲がたなびく山々と紅葉が湖面に映えていました。

 

 

 

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< 4. 銀山湖 2 >

 

 

 

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< 5. 銀山湖 3 >

 

 

 

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< 6. 黒川渓谷、下流側を望む >

 

この場所がこの渓谷で紅葉が最も美しい所かどうかはわかりませんが、紅葉の盛りは過ぎていました。

川に沿って429号線が走っていたここで撮影しました。

銀山湖と黒川渓谷は標高400mを越えています。

 

 

 

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< 7. 黒川渓谷、上流側を望む  >

 

 

 

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< 8. 429号線を下って青垣を目指す  >

 

この道は急な下りが続き、かつ道幅が狭く、対抗車が来たらお手上げです。

それでも杉の森と笹の緑と紅葉が雨に濡れて鮮やかで、深山幽谷を堪能しました。

 

 

 

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< 9. 鹿野馬神社 >

 

目的の高源寺手前で偶然見つけた紅葉の美しい神社を見つけました。

 

 

 

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< 10. 鹿野馬神社の前から  >

 

上の写真: 今下って来た山側を振り返る。

下の写真: 神社の前に架かる橋の上から河岸のもみじを写す。

 

 

次回に続きます。

 

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蟹と紅葉を楽しみました 1: はじめに


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私は、2016年11月20と21日に丹波と但馬地方を訪れました。

あいにくの曇りでしたが、蟹と紅葉を楽しんで来ました。

今日は、概要を紹介します。

 

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< 2. ドライヴルート、上が北 >

 

青線が20日、赤線が21日の走行ルートです。

  • B、C、D、Eは主な訪問地です。

 

 

 

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< 3. A、銀山湖 >

 

 

 

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< 4. B、鹿野馬神社 >

 

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< 5. B、高源寺 >

 

 

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< 6. C、浜坂海岸 >

 

 

 

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< 7.ズワイガニ >

 

上の写真: C、浜坂漁港の水産物販売店の蟹。

下の写真: D、湯村温泉「とみや」の蟹料理。

 

 

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< 8. D、旅館の部屋から >

 

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< 9. E、立雲峡からの竹田城跡遠景 >

 

中央の山頂に城の石垣が見える。

 

 

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< 10. JR竹田駅 >

 

上の写真: E、JR竹田駅。

下の写真: 道の駅あさごの周辺。

 

 

次回に続きます。

 

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花で満ち溢れる丘、あわじ花さじき


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2016年11月5日、コスモスが満開の丘を散策しました。

この日は風もなく、陽射しの温もりが心地良かった。

 

 

あわじ花さじき

ここは淡路島北端の丘陵地のひときわ高い山頂にあります。

標高290~250mの展望台からは大阪湾と瀬戸内海を望むことが出来ます。

以前は牛の放牧場だった所ですが、今は広大な斜面一杯に年中、季節に応じた花が植えられています。

ここの素晴らしい所は、広大な斜面のお花畑と眼下の海、緑の山々を同時に楽しめることです。

しかも無料で、駐車場は広く、小さな売店・トイレなどの設備も整っています。

 

 

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< 2. 地図 >

 

上の地図: 赤丸があわじ花さじきです。

車なら東浦インターから行くのが便利だと思います。

この日も、近畿だけでなく関東や四国などの車も見かけました。

 

下の地図: 矢印があわじ花さじきです。

この衛星写真は大阪湾側から見ており、向こうに瀬戸内海が見えています。

手前が東浦で、横一直線に山肌を横切っているのは神戸淡路鳴門自動車道です。

 

 

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< 3. 駐車場の近くで >

 

上の写真: 牛の放牧場の向こうに、明石海峡大橋の白い主塔が微かに見えています。

この日は、島全体に霞みがかかっていました。

 

 

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< 4. 満開のコスモス >

 

斜面の中腹で撮影しました。

 

 

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< 5. 斜面の下の方で撮影 >

 

上の写真: 中央の山頂に展望台が見えます。

下の写真: 左手奥に2頭の馬に乗った人が見えます。

 

 

 

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< 6. 斜面の上の方から撮影 >

 

上の写真: 赤いサルビアが鮮やかです。

眼下に微かに大阪湾の海面が見える。

霞みがなければ対岸の大阪から和歌山の山並みも見える。

 

下の写真: 展望台から見下ろしている。

 

 

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< 7. 幸福な一時 >

 

 

あとがき

駐車場には大型観光バスが数台駐車しており、次々と乗用車も入って来て、訪問者で一杯でした。

しかし花園は広いので、写真のように人はまばらになり、思い思いに花を楽しんでいました。

子犬を連れて来て見知らぬ人とペット談義に花を咲かせる人々。

近くの牧場から馬に乗り散策を楽しむ人達。

写真撮影に余念のない人。

花に囲まれてご満悦なカップルや友人同士。

老いのひと時を憩う私達。

 

晴れやかで自然と一体になれた秋の一日でした。

 

 

 

 

 

 

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南信州を訪ねて 7:  馬の背からの眺望


 

 

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< 1. 駒ヶ岳を望む >

 

 

今日は、阿智村の馬の背からの眺めを紹介します。

今日で、この連載を終えます。

 

馬の背について

ここは阿智村の南端にある治部坂高原近くにあります。

昼神温泉から車で153号線を行き、治部坂高原から曲がりくねった山道を登ります。

途中の尾根に標高1457mの馬の背があります。

 

ここを知ったのは、宿泊したホテルのロビーで、ここから撮影した綺麗な写真を見たからです。

 

 

 

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< 2. 馬の背に到着 >

 

蛇峠山を目指して登って行くと、途中で道路がゲートで塞がっています。

それ以上は測候所で侵入禁止です。

その手前が空き地になっていて、駐車出来ました。

そこに馬の背があります。

 

上の写真: ここを少し下ると駐車場です。南側です。

中央の写真: ここは真ん中で、西側、名古屋方面を見ています。

下の写真: ここを進むと駒ヶ岳を望めます。北側です。

 

 

 

 

 

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< 3.馬の背からの眺め 1 >

 

上の写真: 西側を望む。

下の写真: 北西を望む。山頂は横岳でしょうか。

 

まだ暑かったが少し秋の気配を感じた。

 

 

 

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< 4. 馬の背からの眺め 2 >

 

ほぼ北側を望む。

一番高い山は南駒ケ岳です。

 

 

 

 

 

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< 5. 馬の背からの眺め 3 >

 

下の写真: 薄い紫色に霞む山並みが幾重にも重なっている。

 

 

 

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< 6. 山を下る途中で >

 

遠方の山は南駒ケ岳です。

眼下の谷間を通る153号線をまた戻る。

 

この日は曇ってはいたが、時折、晴れ間が見えて、青空と白い雲、緑の山と木々の対比が美しかった。

 

 

あとがき

いつも中央自動車道を走りながら、この南信州を一度訪れてみたいと思っていました。

今回、ほんの一部を訪問しただけですが、その自然と歴史を垣間見て、人々の息づかいを感じることが出来ました。

旅は本当にいいものです。

 

 

次回から、モスクワ、サンクトぺテルブルグ、エストニア、ラトビア、リトアニア、ワルシャワの旅を紹介します。

 

 

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南信州を訪ねて 6:  昼神温泉と周辺


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< 1. 昼神温泉 >

 

 

今日は、昼神温泉と朝市、阿智神社の奥宮を紹介します。

のどかな温泉郷と、静寂な神域に浸って来ました。

 

 

 

 

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< 2. 昼神温泉周辺の地図 >

地図の上側は西方向です。

 

二つの白い矢印は、「ヘブンスそのはら」のロープウェイの上下の駅を指している。

上駅で星空を堪能しました。

赤い矢印は、阿智神社の奥宮を示しています。

青い矢印は、私達が宿泊した「湯本ホテル阿智川」です。

黄色の線は朝市の場所です。

昼神温泉は青い矢印から始まり、黄色の線の辺りが中心部になります。

中央を流れているのが阿智川です。

 

 

 

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< 3. 昼神温泉と宿泊したホテル >

 

上の写真: 橋の上から阿智川上流を望む。

両側に温泉宿がある。

 

中央の写真: 宿泊した「湯本ホテル阿智川」。

 

下の写真: このホテルの露天風呂と洞窟風呂。

ホテルの写真を借用。

 

 

昼神温泉について

ここは昭和48年、偶然に発見された比較的新しい温泉郷です。

ここは規模が小さいのですが、古い温泉街にあるようなけばけばしさがなく、自然に囲まれた落ち着いた温泉郷です。

温泉宿は20軒ほどですが、全体にゆったりとした感じがします。

 

 

 

 

 

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< 4. 昼神温泉の朝市 >

 

写真撮影時はまだ早く、準備中で人出が無かったが、やがてたくさんの宿泊客が来ました。

結構、品揃えが豊富で、私達は野菜と果物をたくさん買いました。

 

 

 

 

 

 

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< 5. 阿智神社の奥宮に向かう >

 

上の写真: 阿智川の上流に向かう。

下の写真: こんもりとした小さな丘の麓に奥宮の鳥居がありました。

 

 

 

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< 6. 社殿 >

 

鳥居をくぐり、参道を少し登ると丘の頂上に来ました。

高い杉の木が神域を包み込み、早朝でもあり周囲は薄暗い。

その奥の平地に、社殿と舞台が見えました。

 

 

 

 

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< 7. 磐座 >

 

この丘の高みに磐座があり、社殿から道が続いています。

磐座(いわくら)とは、神が降臨する岩で、社殿が常設される以前の古代信仰の場所です。

岩の長軸は東を向いている。

 

 

 

 

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< 8. 阿智神社の奥宮の位置 >

 

地図の上側が西方向です。

赤の矢印が社殿、黄色の矢印が磐座の位置を示す。

この丘は二つの支流が合流して阿智川になる場所にある。

如何にも、周囲から隔絶した神域を思わせる雰囲気がある。

 

 

 

 

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< 9. 一方の支流 >

 

 

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< 10. 合流地点の川 >

 

朝の冷気の中、神域の森といい、清流といい、すべてがすがすがしい気持ちにさせます。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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南信州を訪ねて 5:  満天の星空


 

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< 1. 暗くなるのを待つ >

 

 

今日は、「ヘブンスそのはら」での星空観察を紹介します。

 

 

 

「ヘブンスそのはら」について

ここは阿智村にある標高1400mの富士見台高原です。

冬はゲレンデになります。

ここの星空は環境省認定の日本一だそうで、現在人気急上昇中です。

夜になってからロープウェイに乗って頂上に行きます。

 

 

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< 2. 駐車場 >

 

ここからロープウェイに乗って、頂上に向かいます。

2016年8月21日、18:30頃です。

 

 

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< 3.ゴンドラから >

 

乗る前の行列待ちもあって、ゴンドラは夕闇に包まれました。

ロープウェイは長さ2500mもあるので、かなり長い間乗っていました。

 

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< 4.ロープウェイの上駅 >

 

上に着いた時は、かなり暗くなっていた。

 

 

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< 5.ショーが始まる前 >

 

今日は、星空を見ながら星座の説明「星のお兄さんショー」があります。

このショーは19:45~20:25で、この間すべてのライトが消されます。

私達は草原に座って見上げます。

まだ星はほとんど見えません。

 

下界では雲が多かったのですが、頂上はいつの間に晴れていました。

実は、ここで満天が見える確率は10%ぐらいだそうで、超ラッキーでした。

 

 

 

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< 6. バアーン! 満天の星 >

 

すべてのライトが消えると頭上に満天の星が現れました。

写真の左側に天の川がはっきりと見えています。

感動! 感動!

 

光跡は航空機のものです。

 

天の川を普通に見ていた幼い頃に、タイムトラベルしたような気分です。

 

 

 

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< 7.北斗七星 >

 

北斗七星(ひしゃく)が写真の右側に見えます。

 

 

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< 8.最も良い写真  >

 

写真6と同じ、南西方向を撮影しました。

 

素晴らしい光景に満足したのですが、帰りはロープウェイ待ちの長蛇の列に閉口しました。

この日曜日の遅い時間に、数千人の観客が頂上にいたのです。

きっと多くの人は周辺に宿泊されたのでしょう。

素晴らしい町興しだと感心しながら帰路につきました。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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南信州を訪ねて 4: 満蒙開拓平和記念館


 

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< 1.満蒙開拓平和記念館  >

 

今日は、満蒙開拓平和記念館を紹介します。

念願かなって、満州移民の実情を知ることが出来たことは幸いでした。

   

満蒙開拓平和記念館について

http://www.manmoukinenkan.com

 

満州移民の実態がわかりやすく展示されています。

また全国で、この種の展示はここだけですので、非常に貴重です。

私達が訪問した時は、多くの人が来ておられました。

 

しかしこの場所はわかりにくいので注意してください。

 

 

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< 2.阿智村と満州 >

上の地図: 赤丸が阿智村、赤枠がかっての満州、満蒙開拓団の地です。

 

下の図: 県別の開拓移民数。

全国の開拓移民数27万人に対し、長野県は断トツに多かった。

長野県は満蒙開拓青少年義勇軍10万人でも、最大の送り手だった。

 

 

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< 3.満蒙開拓民の現実 >

この3枚の写真は満州の記録写真です。

館内は撮影が出来ませんので、HPから転載しました。

 

上の写真: 記念館の入場券。

中央の写真: 16~19歳の青少年からなる満蒙開拓青少年義勇軍。

下の写真: 記念館内の展示。

 

  

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< 4. 満蒙開拓平和祈念館  >

 

館内は大きくないが、要点を絞ってわかりやすく展示している。

また、学芸員が質問に丁寧に答えてくれ、多くの疑問が解消した。

 

展示内容

*満州移民の歴史

*満州での開拓団の映像

*入植地図や満州の生活。

*敗戦と逃避行。

*引揚げと再出発。

*引揚げ者のコメントと証言ビデオ。

*中国残留孤児と帰国支援事業。

など

 

 

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< 5. 満蒙開拓のポスター >

 

参考に、当時の満蒙開拓民募集のポスター。

 

 

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< 6. 満蒙開拓民の所在地 >

 

参考に、当時の開拓民の所在地。

 

 

満蒙開拓平和記念館に思う

満蒙開拓は満州事変と共に始まり、農民は国の移民奨励を疑わず希望を抱き海を渡った。

しかし、現実の暮らしは劣悪で、その本当の狙いは軍主導による人間の盾でした。

農民はそれを奥地への配置と敗戦時の置き去りで身をもって知ることになった。

そして長野県の未帰還者は49%に上りました。

その後の引揚げも遅々として進まず、さらに引揚げ者の多くは故郷に帰れず、全国各地の未耕作地に割り当てられた。

 

さらに二つの事実も忘れてはならないでしょう。

それは当時の長野県の自治体と教育者が積極的に移民に関与したこと、満州の中国人がさらに過酷な目にあったことです。

ここで不思議に思うのは、長野県は社会運動が盛んな土地柄でしたが、治安維持法などで反戦派が潰されると、対立する好戦派が攻勢に出た感があることです。

 

ここが開館したのは最近の2013年で、民間施設では日本ではここだけです。

なぜなのか?

それはこの地が長野県でも最大の移民者を出し、悲哀を味わったこともあります。

しかしそれだけではありません。

現在、「戦争する国」の悲劇を伝える語り部、引揚げ者の高齢化が進んでいます。

この地の人々は危機感を持って平和と中国友好に向けて行動したのです。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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南信州を訪ねて 3: 阿智村


 

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< 1. 馬の背から北側を見た >

中央の高い峰は標高2841mの南駒ヶ岳で、手前一帯が阿智村の範囲です。

馬の背は下の地図の番号5です。

 

 

今日は、長野県南部にある阿智村を紹介します。

私達は、ここで様々な感動に巡り合えました。

 

 

 

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< 2. 阿智村 >

両地図共、上が北側です。

 

上の地図: 阿智村と訪問地を示します。

阿智村の境界は茶色の折れ線です。

赤い点や丸が訪問地です。

黄色い線は中央自動車道で、左端は恵那山トンネルになります。

 

番号1: 満蒙開拓平和記念館。

番号2: 宿泊地の昼神温泉。朝市も楽しみました。

番号3: 阿智神社奥宮。古代のロマンを感じました。

番号4: 高原「ヘブンスそのはら」で星空を堪能した。

番号5: 治部坂高原近くの「馬の背」から眺望を楽しんだ。

 

下の地図: 黄色の枠が阿智村。

中央遠方の雪を頂いた峰々は、最高峰の奥穂高岳3190mを含む北アルプスです。

その手前右側は、最高峰の駒ヶ岳を含む中央アルプスです。

その右側に伊那盆地が広がっています。

 

 

阿智村について

阿智村は長野県の南、伊那盆地の南の端に位置し、山深い谷間にあります。

ここはちょうど中央自動車道の高架下のような所で目立ちません。

 

ここを訪問した主な目的は、園原高原から「日本一の星空」を見ることでした。

そして昼神温泉を中心に観光し、この山深い所ならではの自然、作物、歴史を感じることが出来ました。

 

 

 

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< 3. 阿智村の中心部 >

国道153号線から阿智村役場の方を見下ろす。

 

上の写真: 東側を望む。ここを行くと塩尻です。

中央の写真: 眼下の盆地に阿智村役場と満蒙開拓平和記念館がある。

下の写真: 西側を望む。この山間を行くと昼神温泉、左に折れると山越えで名古屋に至ります。

 

 

 

 

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< 4. ある農家 >

 

治部坂高原に行く途中、私達は観光農園を探して、この農家を訪問しました。

残念ながら観光農園はもう止めていました。

 

このような山深い畑で多くの野菜を育てておられました。

中央の写真には、トウモロコシ畑があり、この地方の名産です。

この高地の寒暖の差が甘味のあるトウモロコシを造るのだそうです。

帰りに、たくさんのキュウリを貰いました。

 

この山深い村だからこそ、担う歴史の重みがあり、また必死に村起こしに挑んでいる。

そんな人々の心意気を感じる旅でもありました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 31: chain of retaliation 1 : in the end


中東に平和を! 31: 報復の連鎖 1: その果てに

 

1a

*1

We looked at some assassinations, terrorism and the background till now.
From now on, we examine a chain of retaliation taking place in the Middle East, such as massacre repeated.
This time, I explain the final stage that a society arrives at when assassinations and terrorism rage, through the history.

 

今まで、暗殺とテロ、そしてその背景を見て来ました。
これからは、殺戮が繰り返される中東、その社会で起きている報復の連鎖について考察します。
今回は、暗殺やテロが吹き荒れる社会の行き着く先を歴史から読み解きます。

 
What there is in the end of assassinations and terrorism?
Looking around the world, the assassinations and terrorism were a desperate resistance of weak group, or an initial state of revolution.
Even the American constitution predicates a citizen fights with a weapon.
( annotation 1)

 

The situation starts with assassinating a influential person or a leader of an opposition group, but will invite a chain of genocide and the retaliation adversely.
Thus, massacre and violence spread, and more terrible tragedy will attack the society.

 

I explain the examples.

 
暗殺とテロの果てに
世界を見渡すと、暗殺やテロは弱者集団の必死の抵抗であったり、革命の初期状態だったことがある。
米国の憲法ですら、武器を持って市民が戦うことを含意している。(注釈1)

 

事態は、暴虐な権力者や反対派の指導者を暗殺することなどで始まるが、逆に大量虐殺や報復の連鎖を招くことになる。
こうして殺戮や暴力が蔓延し、さらに恐ろしい悲劇が襲うことになる。

 

その例を読み解きます。

 

2a

*2

In the case of Japan
Rightly, the situation were same as 1920s and 1930s in Japan. (annotation 2)

 

In those days, the extensive people’s movement had happened, so the government ruled by local military groups by central figures of the Meiji Restoration was finished, and party politics began to move for the first time.

 

However, the unripe government was attacked by the growing disparity caused by a military-first policy, several depressions, and an aftermath of the Communist Party revolution.
The domestic situation became turbulent, the protest movement became harsh, and the government began to oppress it by the military and police.
At last, the assassination of a leading figure continued by young officers or right wing and the society was unified.
Thus, Japan became a complete military affairs autocracy again.

 

In the background, there was an important change that the Japanese society became affirmative for war and violence, while the Japanese military had steadily advanced an invasion in the continent for preparing for a potential threat from imperialism Great Powers, Europe and America, or Russia.

 
日本の場合
1920と1930年代がまさにその状況でした。(注釈2)

 

当時、広範な国民運動が起こり、明治維新の立役者らによる地方軍閥主導の政治を脱し、初めて政党政治が動き出した。
しかし、それまでの軍事優先による格差拡大と数度の恐慌、共産革命の余波が未熟な政府を襲った。
国内は騒然とし抗議行動が苛烈化し、政府は軍と警察による弾圧を始めた。
ついに、右翼や軍の青年将校による要人暗殺が続き、社会は一本化された。
こうして、日本は再度、完全な軍事独裁国家となった。

 

この背景に、帝国主義列強の欧米とロシアの脅威に備えた軍の大陸侵攻が着々と進み、国内は戦争と暴力に肯定的になっていたことがある。

 

3

*3

In the case of Germany
The situation were same as 1920s and 1930s at the birth of Nazi government. (annotation 3)

 

The society and the economy got into the worst situation by suffering the aftereffects of the World War I.
The people lost sight of the future of own country, and various policy opinions (including socialism and communism) were in conflict.
At first, they were aimed at a socialist state, but the military authorities having taken a place in the World War I came to rule the politics before long.

 

The unemployment rate became 30%, so the young men who lost a job formed radicals group and repeated fighting in city and each place.
Nearly 100 people died only for one month in Prussia, and the injured person surpassed 1,000 people.
Under such circumstances, an violence revolution attempt that Hitler participated in in Munich occurred.
They attacked the capital of Prussia by weapon of the military authorities and aimed at to usurp political power.
The people felt hopeful about the proposal of Hitler, the revival of empire, the nationalism (anti-emigrant and anti-Semitism), and the totalitarianism (fascism).

 

After this, the Nazi that Hitler led was received enthusiastically by people, and a dictatorial regime was born.

 
ドイツの場合
ナチス政権誕生期の1920と1930年代も同様でした。

 

第一次世界大戦の尾を引き、社会と経済は最悪へと突き進んだ。
国民は国の行く末を見失い、様々な路線(社会主義、共産主義など)が対立していた。
始めこそ社会主義国家を目指していたが、やがて大戦時の軍部が政治を支配するようになっていた。

 

失業率は30%になり、失業した青年らは過激派集団を形成し都市や各地で抗争を繰り返した。
プロイセン州だけで1ヶ月100名近くが死に、負傷者は1000人を越えた。
こうした中、ミュンヘンでヒトラーが関わる暴力革命未遂事件が発生した。
彼らは軍部の武器によりプロイセンの首都を襲い政権奪取を狙っていた。
国民はヒトラーが唱える帝国復活や民族主義(移民・ユダヤ人排斥)、全体主義(ファシズム)に希望を見た。

 

この後、ヒトラー率いるナチス党が熱狂的に受け入れられ、独裁政権が誕生した。

 

4

*4

What was taking place there?
These two examples have a certain thing in common.
Firstly these societies deepened confusion and stagnation, and the demonstration for reform and dissatisfaction escalated into violence cases.
As a result, the people wanted to quiet the confusion and clung to a stronger power to step forward powerfully.
And two fascism shook the world.
But it doesn’t always occur on the end of the confusion of the assassination and terrorism.
(annotation 3)

 

An important thing is to create more powerful military power finally, even if the violence was a small blow at first.
One of these may be Islamic nation (ISIL).

 

Unfortunately the power having the powerful armaments often becomes tyrannous, and it becomes the thing unlike the hope of the people.
I can say the reason is “It takes a thief to catch a thief.”

 
何が起きていたのか
この二つの例に共通していることがある。
始めに、社会は混乱と低迷を深め、改革を求めるデモや不満による暴力沙汰が起きた。
その結果、国民はその混乱を鎮め、力強く踏み出すためにより強力な権力にすがった。
そして二つのファシズムが世界を震撼させることになった。
但し暗殺とテロの先に、いつもこれが起きるわけではありません。(注釈4)

 

大事なことは、これら暴力は始め小さな一撃であっても、やがて拡大し混乱すると、最後にはより強大な力を生むことになるのです。
その一つがイスラム国(ISIL)かもしれません。

 

残念な事に、その力は往々にして強大な軍事力を有し暴虐となり、国民の希望とは異なるものになるのです。
その理由は、「毒をもって毒を制する」と言えます。

 

 

5

*5

 

Thing we must not overlook
In either case, a violence produces many violence, and people will be trained to accept abnormal circumstance before long.

 

In the Middle East, the family is subjected to violence and killed, the town is destroyed, people suffer a difficult life even to live, and such a state continues for half a century.
Will the children grow up in a normal way?
The dilapidation of people’s mind is imperative.
Where does the future of this society go toward?

 

This continues the next time.

 

見逃してはならないこと
いずれの場合も暴力が暴力を生み、やがて人々は正常では居られなくなることです。
暴力を受け虐殺される家族、破壊された町、生きることすら困難な生活、このような状態が半世紀も続く中で、子供がまともに育つでしょうか。
精神の荒廃は必然です。
この社会の行く末は・・・・・。

 
次回に続きます。

 

注釈1
18世紀後半に制定された合衆国憲法修正第2条。
「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるので、
人民が武器を保有し、携帯する権利は、これを侵してはならない」

注釈2
私のブログ「社会と情報:戦った報道 1~26」に詳しい。

注釈3
私のブログ「戦争の誤謬 : ヒトラー総統の誕生 1、2」「図解 ヒトラー総統の誕生」「ナチスの亡霊」に詳しい。

注釈4
日本とドイツは、社会の混乱時に独裁者を求める傾向が世界で最も強い。
これはエマニエル・トッドが指摘するように、両国が直系家族の文化だからです。
この文化は、遺産分配や兄弟関係の有り様から、「権威と不平等」を受け入れます。
したがって、中国、ロシア、中東またはフランス、米国では異なった反応が起こるでしょう。

 

 

 

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Visited a southern part of the Shinshu region 2: Komagane highland


南信州を訪ねて 2: 駒ヶ根高原

 

1 DSC04966-1
< 1. A dry riverbed >
< 1. 河原 >

 

Today, I introduce Komagane highland.
We played with our grandchildren in this dry riverbed.

 

今日は、駒ヶ根高原を紹介します。
ここには孫達と河原で遊ぶ為に来ました。

 
Komagane highland
There is this highland in front of where a river flowing from Mt. Komagatake in Kiso Mountains ( the central Alps) joins Tenryu River.
This highland is 800m above sea level at the maximum in Ina Basin.
Here is a ropeway for climbing on the mountain, ski areas and hotels, and it becomes a huge resort area.

 

駒ヶ根高原
この高原は、中央アルプスの駒ヶ岳から流れる川が天竜川に合流する手前にあります。
この高原は伊那盆地で最大で、標高800mあります。
ここには登山用のロープウェイやスキー場、ホテルがあり、一大リゾート地です。

 

2
< 2. Arrived at the destination >
< 2.到着 >

It was fine weather, and the sunlight was strong.

快晴で、日差しは強かった。

 

 

3

< 3. Walking the suspension bridge >

< 3. 吊り橋を歩く >

 

4
< 4. Views from the suspension bridge >
< 4. 吊り橋からの眺め >

Upper photo: upstream direction.
Lower photo: downstream direction.
We can see Ina Basin in the back, and beyond it, see Southern Alps.

上の写真: 上流側。
下の写真: 下流側。
遠くに伊那盆地、その向こうに南アルプス、白根三山が連なる。

 

5
< 5. going down to the dry riverbed >
< 5. 河原に降りる >

Many families enjoyed playing in the water.

 

多くの家族連れが水遊びを楽しんでいた。

 

6

< 6. On the dry riverbed >
< 6. 河原 >

The water of the river was not so cold because probably it was shallow.
Our grandchildren touched with nature and were joyful.
We were having happiest moment.

 

This continues the next time.

 
川の水は、浅いせいかそれほど冷たくなかった。
孫たちは、自然と戯れ喜々としていた。
至福の時が流れて行きました。

 
次回に続きます。

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Bring peace to the Middle East! 30: about terrorism 10 : fight of believer


中東に平和を! 30: テロについて 10: 信者の戦い

 

1

< 1. Japanese-Russo War >
< 1.日露戦争 >

We can understand “God and heaven” that a suicide bomber of the Middle East wrote, by knowing how believers confronted own massacre.

信者が殺戮とどう向きあったかを知ると、中東の自爆テロ犯が語る「神と天国」が見えて来ます。

 

2 ドロヘダ攻城戦
< 2. Siege of Drogheda >
< 2.ドロヘダ攻城戦 >

Certain Christian
“I believe firmly that this is a righteous judgement of God on these barbarous wretches, who had imbrued their hands with so much innocent blood.”

This is a sentence of the report at when British Cromwell (1599-1658) suppressed rebel armies in Ireland. (Siege of Drogheda in 1649)
At this time, the citizens and monks in the city were almost slaughtered as well as combatants.
He justifies own act as Protestant provided justice to Catholic.

The example of such a justification is also seen in the Crusades.
This increased participants in the Crusade, and on the other hand, it caused plunder and massacre to increase.

 
あるキリスト教徒

「これは、無実な人々の血でその手を染めた野蛮な恥知らずどもへの、神の正しき裁きであると私は確信する。」

これは英国のクロムウェル(1599-1658)がアイルランドで反乱軍を鎮圧した時の報告書の一文です。(ドロヘダ攻城戦、1649年)
この時、戦闘員だけでなく、ある都市の市民や修道士などがほぼ全員虐殺された。
彼はプロテスタントがカトリックに裁き(復讐)を与えたとして、自らの行為を正当化している。

このような正当化の事例は十字軍遠征にも見られる。
参加した者には免責が与えられ、戦闘で死んだ者は殉教者になるとされた。
これは十字軍への参加者を増大させた一方、略奪や殺戮を横行させる結果となった。

 

3

< 3. armed priest >
< 3. 僧兵 >

Certain Buddhists
At previous night of all-out attack of the Russo-Japanese War (1904), a Japanese army Buddhist priest told to believers.
“This war doesn’t contradict Sessho-kai (a Buddhist precept of the prohibition of killing living things.), and rather this is a battle for peace.”
And soldiers of the believer charged ahead with saying “Namuamidabutsu (Buddha in paradise)” all together.

In the Russo-Japanese War, this denomination (Jodo Shinshu sect of Buddhism) thought a national feeling of unity is necessary, and encouraged the believers to accepts military service.
Since a long time ago, the believers of the denomination performed against samurai groups fierce fights with weapon of farming implements on several occasions, and they kept self-government.

 

ある仏教徒

日露戦争の旅順総攻撃の前夜(1904年)、日本の従軍僧が信者らに「この戦争は仏教の殺生戒に矛盾せず、平和の為の戦いである」と語った。
そして、信者の兵士らは一斉に「南無阿弥陀仏」と唱えて突撃していった。

日露戦争において、この宗派(浄土真宗)は挙国一致であるべきとして、兵役に積極的に応じている。
古くからこの教団信徒は農具を武器に武士団と壮絶な戦いを行い、自治を守り通したこともある。(福井県の吉崎御坊など)

 

4

< 4. the yellow turban rebellion >
< 4.黄巾の乱 >

Originally, the Buddhism had a prohibition of indiscriminately killing living things and a non-war.
But Japanese large temples had employed armed priests since a long time ago.
The Buddhist fought in Korean Peninsula, China, and Southeast Asia.
In Goguryeo (kingdom of Korea), armed priests in the Korean Peninsula had fought against a great number of invaders of China and nomads with a weapon for defending own country.
In China, a certain school of Taoism caused the yellow turban rebellion, and the Three Kingdoms period began(184 – ).
Next a certain school of Buddhism caused a rebellion, and it led the birth of the Ming (1368 – ).
In China, a large group of farmers that were led by religious organizations caused many revolutions many times.

 
本来、仏教は殺生を禁じ非戦のはずですが、古くから日本の大寺院は武装した僧兵を養っていた。
朝鮮半島や中国、東南アジアでも仏教徒は戦った。
高句麗時代、朝鮮半島の僧兵は中国や騎馬民族の侵略に対し武器を持って戦い、国を守った。
中国では、道教の一派(太平道)が反乱(黄巾の乱)を起こし三国時代(184年~)が始まり、また仏教の一派(白蓮教)が反乱(紅巾の乱)を起こし明(1368年~)の誕生に至る。
この白蓮教は清の時代にも反乱を起こしている。

 

5
< 5. Crusade >
< 5. 十字軍 >

Fight of believer
Looking around the world, it may be said that there was not the religion that did not ever fight.
The enemy was a pagan (sect), devil, unbeliever, in addition an invader and plunderer.
Many widely accepted religion universally has Love and mercy in the doctrine, and infrequently includes the abstinence from taking life.

Why do these believers perform fierce fights in violation of the fundamental creed?
At many fact pattern, religious organizations greatly had influenced it.
It may be said there was a result that the sense of unity and infallibility of the religion was raised by the organizations.

It isn’t a problem usually, but when our society begins to become confused and corrupt, it will bring a bad habit.
信者の戦い
世界を見まわして、かつて戦わなかった宗教はなかったと言えます。
その敵は異教徒(分派)、悪魔、不信仰者に始まり、侵略者、略奪者であった。
広く受け入れられている宗教の教義には愛と慈悲が普遍であり、稀に不殺生も含まれます。

なぜ信者は根本教義に反して壮絶な戦いを行うのでしょうか?
その多くは教団の力が大きく影響しており、宗教がもたらす一体感と無謬性が高度に高められた結果と言えます。

通常、問題にならないが、社会が混乱し疲弊しだすと悪弊が生じることになる。

 

Is there a thing you can understand?
The Palestinian suicide bomber wrote about “God and heaven” in his farewell note.
Because he can go to heaven, did he practice the terror?

As those facts of the world show, first there were necessity for the fight, and the people alleviated a conflict of own death and murder with resorting to God and Buddha.

In world history, many religious organizations have permitted fighting, but Jesus and Buddha will grieve at this.
Probably, I think that Mohammed points out the mistake if he see the present confusion of the Middle East, too.

It isn’t limited to Islam that suicide bombers talk about “God and heaven”.
It is only one of the light and shade that religion brings.

 

This continues the next time.

 
通じるものはあるのか
パレスチナの自爆テロ犯は遺書で「神と天国」を語っていました。
彼らは天国に行けるから自爆を行ったのでしょうか?

世界の例からわかるように、先ず戦う必要に迫られ、次いで死や殺人への葛藤を神や仏が和らげることになるのです。

歴史上、多くの宗教教団は戦いに免罪符を与えることがありますが、イエスや釈迦はこれを嘆いたことでしょう。
おそらくマホメッドも、今の中東の混乱を見れば間違いを指摘したことでしょう。

自爆テロ犯が「神と天国」を語るのは、イスラムに限ったことではないのです。
宗教がもたらす明暗の一つに過ぎないのです。
次回に続きます。

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