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徳島の海岸と漁村を巡って 8: 鞆浦を訪ねて 1


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今回から、2回に分けて鞆浦漁港を紹介します。

小さな漁港ですが、地の利を生かした良い漁港だと思いました。

 

 

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< 2. 宍喰から鞆浦へのルート >

 

上: 宍喰から鞆浦へのルート、上が北。

赤枠が既に紹介した宍喰の散策範囲です。

オレンジ線がドライブルートです。

黄枠が鞆浦です。

 

下: 鞆浦、上が南(上図と向きが逆)。

オレンジ線が宍喰からのドライブルート。

黄枠が鞆浦の今回紹介する散策ルート。

赤枠が次回紹介する手倉湾。

黒矢印は漁協、黄矢印は海部川の撮影地(次回)、赤矢印は宍喰浦(那佐湾)の撮影地。

赤四角は海部城跡。

 

 

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< 3.那佐湾と宍喰浦 >

 

上: 左の宍喰浦に挟まれた那佐湾の向こうに宍喰が見える。

 

下: 宍喰浦。

 

 

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< 4. 鞆浦漁協 1 >

 

ここに到着したの9時45分でした。

競りが行われており、様々な魚種が見られました。

訪問した時間が異なるからかもしれませんが、鞆浦の方が由岐、日和佐、宍喰の漁港よりも大きな魚が沢山獲れているようでした。

 

素人の見立てですが、この港は大きな海部川上流の栄養が海に注ぎ沿岸漁業に恵まれ、また大きな河口は上流の材木の切り出しと海上運搬に有利に働いたことでしょう。

 

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< 5. 鞆浦漁協 2 >

 

魚を入れる大きなコンテナや陸揚げ用のコンベヤなどが目立ちました。

 

下: ブリでしょうか。

 

 

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< 6. 漁協の2階の展示物 >

 

トイレを借りに2階に上がりました。

漁に関する幾つかの展示がありましたので紹介します。

 

上: 鞆浦大式、定置網の一種。

元々は富山湾で生まれた定置網で、後にこちらでも使われるようになったらしい。

徳島県内では最大の定置網のようで、全長1300mもある。

 

下: 定置網漁の写真のようです。

 

漁協の人に聞きました。

遠方に出る漁としては高知沖まで行っているが、徳島ではこの鞆浦だけが行っているとの答えでした。

大きな船を見ることが出来ませんでしたが、大きな屋根付きのドッグがありました。

漁協の魚を見て、多いですねと聞くと、ここでも「少ない」との返事が返って来た。

 

 

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< 7. 漁協の周辺から散策を始める >

 

上: 漁協の階段から南西方向を見下ろす。

川が見え、その先に従来の漁村が広がる。

 

下: 漁協の西側を見る。

この山に海部城跡がある。

山の手前のこの一帯だけは新築の家が多い。

若い漁師に古い町並みの事を聞くと、最近引っ越してきたばかりなので知らなかった。

 

 

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< 8. 川の橋から >

 

上: 網袋を持った一人の漁師が漁協へ急ぐ。

網袋の中は、さざえかウニのようでした。

重そうなのでさざえかな?

下の写真の船から一人の漁師が下船して、歩き出した所です。

この奥の山が、海部城跡のある山です。

 

下: 川の上流を見ている。

川の右も海部城跡のある山です。

 

 

* 海部城と鞆浦について :

 

実は海部城が出来た16世紀(室町時代末期)、この山は河口に浮かぶ島だったようです。

ここは海と川を監視し、守るには最適な場所だったでしょう。

後に埋め立てられが進み、今は大きな海部川とこの小さな川に挟まれるようになった。

これを築城したのは海部氏ですが、元々は宍喰を拠点にしていたが、こちらに転居したようです。

海部氏は三好(阿波国と畿内を領有)に属していたが、高知の長曾我部との最前線となり、後に攻められ落城した。

 

今は、鞆浦を含む海部町と宍喰町が合弁して海陽町となった。

古い時代、海部は海運力と上流の木材業で発展した。

15世紀の兵庫の港(兵庫関)への入港記録「兵庫北関入船納帳」によると、海部船籍は全国10位であった。

阿波(徳島)では海部54隻、宍喰20隻、平島(阿南?)19隻で、海部が圧倒的に優位であった。

また同じ記録によると、当時、海部(鞆浦)と宍喰の木材の扱い量は阿波の約半数であった。

如何に、この地域の海運力が秀でていたかがわかる。

また室町時代から「海部刀」がこの地で生産されていた。

 

 

 

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< 9. 街歩きを始める >

 

橋を渡って真直ぐ通りを進むと巨石が右手に見えた。

 

上: 大岩慶長・宝永地震津波碑

大きな石の表面の二ヵ所に碑文が見える。

左が慶長地震津波碑、右が宝永地震津波碑。

 

慶長地震津波碑: 1605年、高さ約30mの津波が7回来て、男女百人あまりが海に沈んだ。

 

宝永地震津波碑: 1707年、高さ約30mの津波が三度来たが、死者は出なかった。

 

本当に、徳島南部の海岸は幾度も巨大津波の被害に遭っていた。

 

不思議に思うのは、東北大震災の福島原発事故で、巨大津波を国も電力会社も想定外として平然としていたことです。

おそらく地元の漁港には幾つも巨大津波の碑が建っていたことでしょう。

一部の歴史学者は指摘しても、他に問題視した人はいなかったのでしょうか?

 

 

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上: 港に面した広場の中央にあった建物。

民家ではなく、郵便局などの公共の建物のようでした。

 

下: 日蓮宗 吉祥山 法華寺

上記の建物から東方向に延びる道の奥には寺があった。

 

 

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< 12. 古い民家が軒を並べる >

 

しかし、東由岐ほどには古い漁村の民家を見なかった。

 

 

次回に続きます。

 

 

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世界が崩壊しない前に 32: コロナに見る日本政府の危機管理 2


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今回、はからずも行政サービスの稚拙さから腐敗と癒着の体質が露呈した。

さらに経済政策の根本的な欠陥も浮かび上がった。

 

 

 

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< 2.アジアでも遅れをとった日本 >

 

 

* 行政サービスと経済政策の問題 *

 

今回、致命的な体質が露呈した。

  1. 国民向けの経済施策は政府の念頭に無い。
  2. 国民向けサービス体制は手詰まり。

 

 

当初、政府は復興と銘打って牛肉券や旅行クーポンを高らかに謳った。

 

これは弱っている業界を助け、その出費の大半が余裕のある人々の懐から出ることになり、一挙両得だと好感する人もいただろう。

 

実は、これは経済理念と国民目線の無さを示している。

 

これでは本当に苦境に陥った店舗の救援が出来ず、また裕福な人の節約を助長するだけです。

例えば、政府が復興の為と称して、ダイヤモンドや世界一周クルーズの購入費を半額負担すると言っているに等しい。

結局、ふるさと納税と同じ人寄せパンダで、自民党に群がる業界団体を潤し、逆累進課税にもなる。

 

必要なのは他の先進国が実施ているようなコロナにより困窮している事業体や失業者への素早い直接給付です。

日本では、なんとか一律10万円給付が成った。

 

経済対策の遅れを見ていると、政府が国民の経済弱体化を甘く見ていることがわかる。

政府は、放置することにより国民と事業体が、失業・倒産・大学中退などで再起出来なくなることを意に介していない。

 

一方、日銀は金融不安払拭の為に株式の爆買いを加速させ、金融緩和に邁進している(米国でも)。

これは更なる金融危機の芽を大きくし、結果的により巨大なバブル崩壊が襲い、大規模な倒産と失業、そして格差拡大が圧し掛かるだけです。

ここ60年繰り返してきた。

 

 

なぜこんなことになったのか?

 

一にも二にも、政府の経済政策が、産業界をリードする大企業と金融界を優遇することだからです。

国民の事は二の次三の次に過ぎに成り下がった(この問題はいずれ説明します)。

 

 

もう一つの問題は、持続化給付金支給などに見られるサービス体制の欠陥です。

 

今回、パソナや電通がほとんどのサービス業務で幾度も中抜きをしていることが露見した。

両社は以前から政府と癒着し、巨大な利権と実権を握り、非正規問題とマスコミ支配と言う日本の二大悪を担って来た。

両社を経由した業務がお粗末になるのは必然です。

これは国民へのサービス体制の不備と言うより、根絶しなけらばならない自民党・官僚の腐敗・癒着の構造です。

 

しかし問題の根はさらに深い。

 

それは1980年代から自民党と官僚が共同で推進して来た、偽りの構造改革・緊縮政策の一つの結果です。

ポイントは、公務員を減らし民間委託に奔走したことです。

 

既に日本の雇用者に占める公務員比率はOECD諸国の最低になり、平均の1/3に過ぎない。

だが減って当然の巨額の特別会計は減らず、行政の改善も見られない。

つまり、無数の外郭団体と民間(政商のパソナや電通など)と言う隠れ蓑に予算は食い尽くされ続けている。

 

さらに悪い事に、このサービスは以前の体制より遥かに非効率になっている。

そこでは、一部の天下りが高給を貪るが、多くの従事者は非正規に代えられ、薄給と不安定な身分に落とされ、意欲とスキルは低下し続けている。

あらゆる省の外郭団体、第三セクターが劣化の危機に晒されている。

民間ともなれば、従業員はさらに規制の無い過当競争に晒され、全てが劣悪になる。

 

これが現在、日本を覆い尽くす政府による国民サービスの実態です。

 

この問題の本質は、見かけの改革だけで政府・官僚・政商の腐敗と癒着が強固になり、さらにその不透明さと隠蔽により、全貌が掴めなくなったことです。

 

特に日本は米国流の自由放任経済に加えて、自民党長期政権を放置したことが災いしている。

このような状況で、様々な地球規模の危機に対応出来るはずがない。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 31: コロナに見る日本政府の危機管理 1


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今回のコロナ危機は、日本政府が見掛け倒しだったことを露見させた。

これで、今後迫りくる様々な危機に対応出来ないことが明白になった。

3回に分けて解説します。

 

 

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* 日本政府の三つの欠陥 *

今回は二つを見ます。

 

  • パンデミックなどの危険予知と予防策

 

以前から警鐘が鳴らされていたにも関わらず、感染症関係の予算削減、医療体制(保健所、感染症病棟)の縮小が進んでいた(他の先進国でも)。

現政権で加速すらしている。

 

これは中央政府だけでなく自治体においても同様で、緊縮と改革を売りにした首長に多い。

概ね、彼らは科学的知見が乏しく、声高に経済優先(?)を唱える(トランプ大統領など)。

日本は、原発事故の予防でも同じだったが、まったく教訓を得ていなかった。

 

 

  • コロナの感染対策

 

・クルーズ船寄港拒否のドタバタ

・武漢で発生後も中国観光客の勧誘キャンペーン

・海外からの日本人帰国者の水際対策の抜け

・オリンピック固執による対応の遅れ

・学校閉鎖や満員電車などの三密回避のアンバランス

・補償の無い自粛要請による不公平と洩れ

・捉えらきれないクラスター分析

・設備があるのにPCR検査が不足し、説明と運用のドタバタ

・医療従事者用備品や衛生用品の不備と支給遅れ

 

全国に指揮しなけらばならい政府の言動には一貫性もスピード感もなく、不信感を買った。

一部の手軽な感染防止を訴えはするが、その一方で感染を野放しにしてしまった。

それに比べ自治体の首長の言動は遥かに国民の信頼を得た。

 

この結果は明らかだ。

東アジア沿岸部の台湾、韓国、中国、シンガポールは欧米に比べ人口当たりの感染者・死者数が非常に少ないが、日本は群を抜いて一番多い。

これらの国は衛生意識、BCGワクチン接種、さらに有効なウイルス抗体が備わっている可能性があり、同じ土俵で戦いながら日本だけが成績が悪い(山中伸也教授の説)。

日本は発生源から最も遠いのに、最も近い台湾より遥かに劣っている。

両国のマスク配布の対応でも差は歴然としていた。

 

結果から見れば、大臣が大言壮語した高い民度と言うより、政治(内閣と官僚)がお粗末と言うことになる。

 

 

次回は、経済対策についてみます。

 

 

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世界が崩壊しない前に 30: 深まるパンデミックと健康の危機


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現在、新型コロナウイルスでパンデミックの恐ろしさを実感させられている。

今回は伝染病と健康の危機を見ます。

 

 

人類は病に翻弄された来た。

原始社会では、病への恐れが様々な因習(穢れなど)を生み、信仰を強化した。

中世ヨーロッパでは、人口の3割が死亡したペスト蔓延が宗教改革の引き金になった。

 

 

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< 2. インフルエンザの猛威 >

 

 

ここ数十年、医療技術が発展しているにも関わらず、伝染病は世界を益々脅かしている。

日本と米国では、ここ三十年ほどインフルエンザによる死者は増加傾向にある。

SARS、MERS、インフルエンザ、エボラ出血熱などウイルスによる伝染病が記憶に新しい。

 

 

2006年、経済学者が1918年のスペイン風邪が現在流行すれば死者は世界で1億4200万人に達し、GDPは13%減じると予測した。

これは死亡率3%での計算で、当時日本の死者は45万人だった。

しかし死亡率50%越える伝染病もあるし、通年発生するものもある。

 

他にもある。

エイズ、マラリア、結核、下痢などで毎年1300万人が死んでいる。

40年前に発見されたエイズの感染者は6000万人を越え40%が死亡している。

 

今後、地球温暖化が進行し、主に低開発国で栄養失調、下痢、マラリアによる死者と寿命低下は益々増大する(死者の増加は毎年数百万人)。

 

世界は医療と生活の向上により病を克服しつつあるが、まだまだ大量の疾病者と死者を生んでいる。

爆発的なパンデミックは、さらに問題を引き起こすことになる。

 

 

* 何が問題か *

 

近年、パンデミックが増大している理由は、人の高速広範囲の移動、自然破壊、貧困が大きい。

多くの伝染病はアフリカやアジアの貧しく、衛生と医療水準が低い地域から始まり、移動によって瞬時に拡散するようになった。

 

今回のように伝染病が世界に蔓延すると、グローバル化した経済は甚大な被害を受ける。

先ず、感染地で一部の生産と業務が停止し、さらに輸送と移動が制限され、これが連鎖的に広がり、数週間の内に国内のあらゆる物の供給が絶たれ、遂には世界も困窮状態に陥ることになる。

これは海外生産に頼る様々な装置の部品や医療資材(不織布マスク)の入荷停止、また国内の運送業者の休止を想定すれば容易に理解出来る。

この物流停止と移動できない異常事態は感染率が数%から十数%でも起きる。

 

今回、比較的死者が少なかった日本でもまだ影響は続き、GDPの減少は10%前後になるだろう。

これはリーマンショック(2008年金融危機)のGDP-5%を越える。

さらにセイフティネットが弱くなっている日本では企業の倒産、失業者が大きな後遺症になる(自殺者増加なども)。

 

また感染による恐れや恨みから、差別や敵対行動が増加し、社会や国際関係が不安定になっている。

 

 

次回、日本政府のコロナ対応から見える危機対応の危うさを考えます。

 

 

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徳島の海岸と漁村を巡って 7: 宍喰の漁港を訪ねる


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今回は、宍喰の漁港を朝に訪れました。

朝焼けの海と島影を堪能し、港町を見ました。

 

 

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< 2. ホテルの窓から朝陽を見る >

 

下: 山の手前に宍喰川の河口があり、そこが漁港になっている。

左手の島影が前回と今回も介する所です。

 

 

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< 3. 漁港  >

 

上: 橋の上からホテルの方を見ている。

 

下: 橋の上から海側を望む。

 

 

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< 4. 競りを行っている漁協 >

 

上: 橋の上から上流側を望む。

河口がそのまま漁港になっている。

 

下: 漁協を拡大。

町の中に津波に避難タワーが見える。

朝8時を過ぎた頃ですが、競りを行っているので見に行きます。

 

 

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< 5. 競り中 >

 

車を駐車場に停め、漁協に入っていった。

緊張しながら、「見せてもらっても良いですか?」と聞くと、一人の男性が笑顔を向けて「どうぞ」と言ってくれた。

幾人かに話しかけたが、忙しいにも拘わらず言葉短に答えてくれた。

 

私には豊漁に思えたのですが、ここでも少ないとの答えが返って来た。

確かに小魚が多いようです。

 

 

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< 6. 獲れたもの >

 

上: ウツボ。

以前、高知でウツボ料理を食べたことがありますが、生きているのを直に見るのは始めてでした。

 

下: 「ままかり」のような小魚を処理していた。

 

 

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< 7. 宍喰浦の化石漣痕 >

 

また海岸の方に向かいます。

 

化石漣痕は道路脇にあるので簡単に見れます。

断崖表面の無数の波型が特徴です。

約3000万年~4000万年前、川瀬に立つさざ波が打ち寄せて土をはこび、この波形の地層が出来た。

右手から断面を見ると幾層もの層状になっている。

 

 

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< 8. ペンションがあるビーチ >

 

化石漣痕を過ぎて直ぐにあります。

 

 

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< 9. 早朝の湾 >

 

ペンションの湾から道に戻り、200mも行くと視界が開けます。

少し昇った朝陽を受けて海も島も生気を帯び始めた。

 

 

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< 10. 宍喰の町 >

 

上: 阿佐東線の宍喰駅。

宍喰町の山側にある。

この線は南端が一駅先の高知県の甲浦駅で、後に紹介する鞆の浦のある海部駅が北端です。

この海部駅からはJR牟岐線で徳島まで行ける。

 

下: 宍喰川。

 

この町の中心部は海岸側の道路から山側に500mの奥行、道路に沿って1kmほどの大きさです。

ここは徳島県の最南端で、すぐ南は高知県になります。

ほとんどが山と森林に覆われている。

 

町の中を車でゆっくり通り抜けたが、漁師町の風情や街並み、建物はほとんどなかった。

古い家も見なかった。

漁師と言えども普通の家に暮らしているようです。

 

 

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< 11. ホテル リビエラ宍喰 >

 

上: ホテルの横にある道の駅。

 

下: ここに泊まりました。

温泉で眺めの良い大浴場に満足し、夕食の「伊勢海老たっぷり会席」は美味しく食べきれないほどありました。

 

 

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< 12. 宍喰を離れ、鞆浦に向かいます >

 

上: 北向きに走る。

 

下: 海岸沿いに2.5kmほど行って、振り返った。

水床湾の島影が見える。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 29: 貧困と格差 4


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貧困や格差は経済を本当に悪化させるのだろうか?

 

 

**格差が拡大すると経済発展を阻害する**

 

(今の自由放任主義経済や金融偏重経済の問題は別に見ます)

 

多くの人は、日米の経済は株価が上昇し、好調だと首を傾げるかもしれない。

実態は、90%の国民の所得がほぼ伸びておらず、一部の人が恩恵を受けているに過ぎない(日本だけではないが)。

 

一番悲惨なのは日本です。

 

日銀が市中銀行に幾ら金をばら撒いても、まったくインフレが起きなかった。

(逆に、これをもってMMT(現代貨幣理論)は、日本政府は国債発行や税収に頼らずに、国民の為の財政支出が可能だと提言している。重要な指摘ですので別に解説します。)

実体経済は浮上せず、金融経済だけを潤したリフレ論者は迷惑なだけだった!

 

経済再生に失敗した理由は、単純だが重大な致命傷による。

国内需要を担う国民の90%の人々の所得が低下し続けているので、銀行に金をばら撒いても消費が伸びるはずがない。

つまりインフレ(2~3%)は起きない(アベノミクス前から自明だった)。

 

一方金持ちや大企業は消費や物づくり(実体経済)より利益率の高いに金融投資に大金を注ぎ込む。

現在、庶民の預金金利は0.1%(日本)だが、金持ちや企業の資金運用(米国のファンド)は8%ほどの利益を上げ続けている。

 

こうして格差拡大で消費は増えず実体経済も伸びず、それがまた格差拡大を広げているのが現在の経済システムなのです。

 

 

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< 2. 表の顔 >

 

なぜこんな愚策がまかり通るのか。

政府は経済刺激と称して金融投資で利益が得られるように規制緩和と金融緩和を行う。

これは現在の経済システムがバブル崩壊を繰り返し、さらに巨大化しているからです。

政府はこの金融危機をリカバリーするために行わざるを得ないのです。

まるで蟻地獄、底無し沼のようです。

 

 

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< 3. 裏の顔: 2012年と2016年の比較 >

 

努力は必要ですが、この表と裏の顔の違いを理解することは重要です。

 

あるジャ―ナリストは指摘する。

20世紀最大の二つの危機―1929年の大恐慌と2008年のリーママンショックに先行して格差が激しくなっていた。

今も?

 

ある経済学者は言う。

少数のエリート階級に資本が集中すると、デフレを誘発し、投機的バブルを招き、経済回復力の弱体化を招き、金融崩壊のリスクを高める。

衝撃が繰り返されると、信頼が損なわれ、経済成長が減速し、これがさらに格差拡大に結びつくと。

 

ある社会学者は、金持ちが地球を破壊すると言う。

経済格差が拡大すると、「虚栄的消費活動」が活発化し、資源の浪費を高め、これがまた資源の枯渇を早める。

この「虚栄的・・」とは、超金持ちの消費スタイルに近づこうと各階層の人々が真似る競争状態を指します。

 

 

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ここで基本に立ち返ります。

 

「自由競争こそが最高、格差など気にしない」

この考えがなぜ国民に浸透したのか?

 

実は、格差が縮小し最も経済が成長した時代は2回の大戦後と1930年代の大恐慌後でした。

この時期は、国家が強力に富裕層や金融家を抑えて、労働者の賃金向上などを図った(ニューディール政策など)。

 

この事実が現在のエリートや富裕層にとって都合が悪い為、大金を費やしシンクタンクや学者、マスコミを動員して否定しているのです。

真実は明白なのですが、多勢に無勢と言うところでしょうか。

 

これ一つとっても、格差が拡大してしまうと、ナチス支配と同様に反転の困難さがわかります。

 

 

次回に続きます。

 

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世界が崩壊しない前に 28: 貧困と格差 3


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前回、貧困と格差は国によって作られていることを見ました。

貧困と格差は人権の問題に留まらず、危機をもたらすとしたら?

 

 

多くの人は、国が貧困と格差を是正し過ぎると、労働意欲を減じ競争心が無くなり、経済に悪影響すると信じさせられている。

だから悪化していても気にも留めない。

 

しかし事はそんな単純ではないし危険でさえある。

また格差が少ない国でも経済が豊かで成長している国があるので、明らかに誤解(洗脳)です。

 

 

**放置すれば騒乱や世界を後退させる引き金になる**

 

概ね二つのポイント、社会的なものと経済的なものがあります。

 

貧困な国ほど教育と医療、経済の水準が低くなり、人口増・伝染病・紛争を引き起こし易く、悪循環を招く。

外部からの衝撃、特に伝染病、大国の貿易や通貨の圧力に弱いために容易に悪化する。

こうして武力衝突、難民や伝染病などを周辺に、そして世界に広めることになる。

今回のコロナ危機で判明したように、先進国であっても格差が大きい米国や英国では弱者が感染爆発の被害者になった。

 

 

歴史を振り返れば、貧困と格差拡大は社会騒乱の引き金になっている。

それは大国や一度興隆した国ほど暴力的になるようだ。

ローマ帝国や中国の名だたる王朝が崩壊する時、格差が拡大し暴動が起きていた。

 

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< 2.英国が帝国主義を終えた時期 >

 

グラフの赤線は英国がアフリカの支配を終えた時期を示す。

経済が後退し帝国主義に走った19世紀後半の大英帝国では、この2百年間で最も格差が大きかった。

また他国よりも酷かった。

 

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< 3. ドイツと日本のファシズム期 >

 

グラフの赤線はヒトラー総統の時代、緑の矢印は日本の大陸進出の時代を示す。

共に格差が酷い。

20世紀前半のドイツと日本は、一時の栄光の後に訪れた大恐慌が大失業をもたらし、貧困と格差による社会不安がファシズムへと突き動かした。

 

 

これは普遍的な社会現象と言え、様々な識者が警告を発している。

 

ある疫学者は、先進工業国23カ国を比較すると、健康指数が悪化するのは、GDPが下がった時ではなく、格差が拡大した時であることを発見した。

また同時に犯罪率、幼児死亡率、精神疾患、アルコール消費量などにも重大な影響を及ぼしている。

 

ある経済学者は、格差は改革の意欲をそぎ、人々の信頼を失わせ、フラストレーションを高め、政治や行政に対する信頼を失わせると指摘する。

また棄権が増え、選挙の票は金で買われ、富裕層が公的機関への支配を強めている。

 

まさに日米、先進国で起こっていることです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 27: 貧困と格差 2


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前回、世界と日本の状況を見ました。

今、世界で何が起きているかを見ます。

 

 

前回、世界の絶対的貧困率が減少する一方、国家間と国内の格差が広がっていることを見ました。

 

 

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< 2.富裕層の所得の推移 >

 

米国の所得上位10%が1940~1970年代、全国民所得の35%を占めていたが、その後上昇を始め2007年には50%になった(上記グラフとは別)。

同時期、上位1%の占有率は10%ほどから24%になった。

 

 

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< 3.世界の億万長者 >

 

格差の諸相

 

ほんの一握りの人間に富が集中し加速している。

 

1970年代、所得税の最高税率は英で90%を越え、米で70%あったが、その後英米共に40%まで急速に下げ、日本も追従した。

 

世界の株式と債券の総額は1980年10兆ドルだったが、2009年には126兆ドルになり、12.6倍となったが、この間の世界実質GDPは2.8倍に過ぎない。

 

 

主な要因

 

大国や多国籍企業の身勝手な経済・外交・軍事的な干渉が発展途上国の貧困を助長している(アジア通貨危機など)。

せっかく途上国自身の努力、そして国際機関や先進国による支援などにより豊かさを手にしているのだが。

 

ニュー・ワールド・エコノミー(容易に国境を越える、瞬時に伝わる情報、日々進む知識集約化、熾烈な競争)が進み、教育・情報力や資金力などの差が益々格差を広げている。

 

以下が一番の元凶です。

ここ40年間、米国を筆頭に自由放任経済の国では、金融緩和と規制緩和(合併や競争激化など)によって巨大企業ほど収益が上がり、さらに減税(法人税、逆累進課税など)で富は集中し加速した。

さらに実体経済より金融経済で高収益が得られるようになったことで、実体経済に資本が向かわず停滞するようになった。

 

これにより経済が成長しても90%の国民の所得が伸びず、日本では低下すらしている。

 

様々な要因が絡んではいるが、けっして偶然ではない。

 

最も問題なのは、大資本や企業が野放しにされていると言うより、多くの先進国が競うように、これらを優遇していることにある。

当然、北欧などのように格差を押さえながら成長も手に入れている国は多い。

 

 

次回、貧困と格差の問題を見ます。

 

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世界が崩壊しない前に 26: 貧困と格差


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貧困と格差が悪化し続けた先にあるもの・・

 

いつの世にも貧困と格差はあった。

動物は弱肉強食なのだから、これも自己責任だ。

自由競争こそが経済成長を約束する。

世界経済は成長しているのだから貧困や格差問題はやがてなくなる。

 

一方、歴史を振り返ると、悪化する貧困や格差が大衆の怒りを爆発させ、ファシズムや革命へと進む事例は事欠かない。

 

現在、世界はどちらに向かっているのだろうか?

 

最も豊かな国20ヶ国と最貧国20ヶ国の所得格差はこの40年間に倍増し、40対1になった(2000年で)。

この格差は開発が遅れているアフリカでさらに加速している。

 

それでは国内の格差はどうか?

アメリカではトップ5分の1と最下層5分の1の所得比は1990年には18対1だったが、2000年には24対1になった。

この間、大卒と高卒の学歴による収入格差も倍増している。

最初はアングロサクソン系(英米)の国々で目立ったが、現在急速に各国に広がっている。

国内の格差拡大は、ラテンアメリカでも1980年代か目立ち始めたが、現在では中国でも都市と農村の差が大きくなっている。

 

貧困はどうだろうか?

貧困には絶対的と相対的がある。

絶対的貧困とは2015年で1日1.25$以下の収入を指し、相対的貧困とは国民の所得中央値の半分以下の収入を意味する。

 

 

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< 2. 2015年の絶対的貧困率 >

 

円の大きさと数値が絶対貧困率を示し、西アフリカなどでは最大58%になった。

世界の絶対的貧困率は1990年36%、2015年10%と減少傾向にあり、全体的に見れば世界は豊かになりつつある。

しかし、これは脆く、いとも簡単に崩れるだろう。

今回のコロナ危機などの衝撃は、貧困地帯により多くのダメージを与えるからです。

 

 

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< 3. 2010年、OECD各国の相対的貧困率 >

 

このグラフから皆さんに読み取って欲しいことがあります。

それは同じ資本主義国でありながら北欧やベネルックスの国々は、すべて貧困率が低いと言うことです。

つまり貧困は自己責任だと納得してしまう前に、政治社会にこそ、その原因があることを知って頂きたい。

 

 

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< 4. 日本の相対的貧困率の趨勢 >

 

相対的貧困率で日本はアメリカに次いで第4位になった。

二つのグラフから、日本はいつの間にか格差大国に墜ち、かつその傾向は強まっている。

2015年に貧困率が少し低下していますが、これは景気の波によるものです。

今後、コロナ危機による大規模な景気後退により、2008年のリーマンショック後のように貧困率は確実に上がります。

 

次回に続きます。

 

 

 

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徳島の海岸と漁村を巡って 6: 宍喰に泊まる


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今回は、日和佐から宍喰までのドライブと、

宍喰の散策を紹介します。

2020年4月23日、宍喰で一泊しました。

 

 

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< 2. 宍喰へのルートと宍喰マップ、上が北 >

 

上: 日和佐から宍喰までのドライブルート

青線で示されるルートは距離34km、所要時間約40分です。

前半は内陸部、後半は海岸沿いを走ります。

 

下: 宍喰の町

黄色線: 日和佐からのドライブルート

白四角点: 宿泊した「ホテルリビエラししくい」

ホテルは宍喰の町中にあり、海岸沿いの道の駅の隣にある。

 

赤線: 展望台Aへのドライブルート

赤矢印: 展望台A

橙色線: 徒歩による展望台Bへの路

白矢印: 展望台B

黄色矢印: 竹之島

この島が宍喰で一番の観光地ですが、私は間違って手前の岬しか行っていません。

この島には車で渡れます。

 

 

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< 3. 途中の道 >

 

 

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< 4. 途中の海岸線 >

 

大砂海水浴場の辺りでしょうか。

 

 

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< 5. もうすぐ宍喰 >

 

下: 左が那佐湾

岬が道路に沿うように延びて、湾を成している。

岬の途切れた遠方に宍喰がある。

 

 

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< 6. ホテルが見えた >

 

上: 「ホテルリビエラししくい」

ホテルにチェックインし、さっそく岬巡りに向かいました。

 

下: 岬の路(赤線)を行く

途中まで車で行き、次いで徒歩で展望台B(白矢印)に向かいました。

山つつじや桜が綺麗でした。

 

 

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< 7. 四国のみち >

 

今回の旅行では、岬を巡る細い路を幾度か歩きましたが、どこもよく整備されていました。

多くは「巡礼のみち」とか「四国のみち」だったと思います。

 

 

 

 

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< 8. 展望台Bから >

 

下: 左手が竹之島の港です。

この港から、通常なら海中観光船が出ています。

サンゴや熱帯魚が見れるそうです。

今回はコロナでやっていませんでした。

 

 

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< 9. 展望台より >

 

上: 展望台Aから北の方を望む

宍喰の前に広がる水床湾を望む。

 

下: ホテルの部屋からの眺め

水床湾の右手の岬が、先程訪れた岬です。

 

 

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< 10. 部屋から望む水床湾 >

 

上: 水床湾の左手を望む

 

 

次回に続きます。

 

 

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徳島の海岸と漁村を巡って 5: がんばれ日和佐


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今回は、美波町日和佐地区を紹介します。

ここには薬王寺と海亀産卵の大浜海岸があります。

幾度も来た所ですが、懐かしさよりも驚きが勝ちました。

 

 

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< 2.散策ルート、上が北 >

 

上: 日和佐地区の全景

S: 散策の開始点と終着点、A: 日和佐城、 B: 薬王寺

下: 散策ルート

黄色線が恵比寿浜からのドライブルート、赤線が散策ルート、ピンク線が宍喰へのドライブルートです。

S: 散策の開始点と終着点

A: ㈱あわえ、地方創世で活躍する企業、散策中偶然知りました。

B: 観音寺

C: 美波町役場、御陣屋(郡代)跡

D: 弘法寺

E: 八幡神社

F: 日和佐漁協

G: 日和佐城

H: 大浜海岸

 

 

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< 3. 大浜海岸 >

 

防波堤のS辺りからの眺め。

右手から左手への眺めを、上から順に並べた。

 

上: 日和佐川の河口で、漁港への入り口でもあります。

中: 遠方左手に恵比寿浜と恵比寿洞

下: 大浜海岸、海亀が5~8月にかけて夜、産卵に上陸します。

 

 

 

 

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< 4. 日和佐漁港 >

 

昼1時を過ぎていたこともあり、ほとんど人影はありませんでした。

 

 

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< 5.町に入ります >

 

上: 海側から内陸側を望む。

中央に白い津波の避難タワーが見えます。

 

下: 特段、漁師町を感じさせるものはありません。

 

 

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< 6. 古風な家屋がありました >

 

下: 大きな家がありました。

全景は次の写真です。

 

 

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< 7. 廻船業で財を成した屋敷 >

 

上: ここは江戸末期より廻船業で成功を収めた「谷屋(たんにゃ)」です。

その繁栄ぶりは子供たちの遊び唄になったほどで、門構えは立派です。

現在改装中で入れませんでした。

 

下: 多くの家は改装が進んでいますが、写真のように昔の雰囲気を残す工夫が見られます。

 

 

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< 8.古い銭湯  >

 

上: 銭湯の建物

私が、この趣のある建物で足を止め、石柱の「世間遺産・・・」に首をかしげていると、中から一人の男性が声を掛けてくれました。

呼ばれるままに中に入ると、そこは大正時代からの銭湯でした。

 

下: 事務所の内から表通りを見ている

中央に番台が見える。

 

 

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< 9. (株)あわえ >

 

実は、ここは銭湯の建物を保存しながら、ITソフトウェア開発と地方創生を行っている事務所でした。

上の写真の人物が案内してくれた社長です。

非常に気さくで、情熱を感じました。

 

彼を主人公に映画化されたのが、下の写真のポスターです。

味のある役者と日和佐の風景や暮らしが沢山出て来ます。

公開は2019年4月でした。

 

私は、これまで様々な国と日本の地方を訪れて、答えの見つからない問いを抱えていた。

北欧や中国では地方に行っても豊かさや発展を感じます。

北欧では、田舎は自然を生かした暮らしがあり、寂れている感じはなかった。

その一方、日本のほとんどの地方の町や村は活力を失い寂れています。

再生の術はないのかと・・・

 

この社長と言葉を交わす内に、日本にも可能性があると勇気づけられました。

詳しくは、後述します。

 

 

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< 10. 美波町役場 >

 

明治が始まる60年前から明治に至るまで、ここに”御陣屋”(郡代所)

が設けられていました。

今は美波町役場です。

 

上: 役場前の史跡の説明板

 

下: 津波避難場所の看板

この町も、津波が襲って来ればひとたまりもありません。

この町の中で、避難出来る避難タワーは、先程の物とこれから紹介する物の二つで、後は数カ所の数階建てのビルだけです。

他は、裏の山に登るしかありません。

 

ここでも厳しい現実を見せられました。

 

 

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< 11. 観音寺 >

 

上: 観音寺

ここは三十三観音霊場の第八番です。

徳島海部郡をドライブしたり散策していると、海岸沿いの険しい道程、お遍路さんの路になっていました。

 

下: 広い道から狭い路に入ると石垣(塀)が所々に見られました。

道幅が狭く、漁師町の風情を残しています。

 

通る所が悪いのか、東由岐で見た「ミセ造り」などの漁師の民家を見ることはなかった。

どこかに残っているはずなのですが。

 

 

 

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< 12.弘法寺 >

 

上: 弘法寺

江戸末期、日和佐の行者「栄寿法印」が評判を呼びました。

彼は荒行の末に数々の奇跡を行い、小松島では化け物を退治したそうです。

 

この寺は明治に入って信者によって建てられた。

石像は栄寿法印かもしれません。

この前の路は、かつて水路で船が入って来たそうです。

 

下: 山側(北側)の広い通り

東側を見ている。

通りの左奥に見える木々は八幡神社の境内のものです。

 

 

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< 13. 日和佐八幡神社 >

 

上: 町民グランドの端に避難タワーが見えます。

 

下: 日和佐八幡神社

広い境内の周囲にだんじりの格納庫がたくさんありました。

10月中旬、布団だんじりが出て秋祭りが盛大に行われる。

この海岸側にウミガメ博物館があり、トイレもあります。

 

 

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< 14. 大浜海岸に沿う通りより >

 

上: 遠方中央に、薬王寺が見える。

 

下: 防波堤の先端より、日和佐の町を望む。

一周し終わりました。

 

次の訪問地、宍喰を目指しドライブします。

 

 

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< 15. 厄除け橋より >

 

地図のピンク線の橋の上から日和佐川の河口を眺める。

右手の小高い丘の上に日和佐城が見える。

翌日、またここを訪れます。

 

 

* (株)あわえと地方創世 *

 

この美波町(由岐、恵比寿、日和佐も含む)は5年間で10%ほどの人口減が続き、65歳以上が占める高齢化率は日本の平均37%を上回り51%です。

また一人当たりの市町村民所得は182万円で、徳島県の最下位で、トップ阿南市の半分に過ぎません。

 

町を歩いても、見かけるのは高齢者が多く、家屋の新築も少ない。

漁師に声を掛けても、減り続ける漁獲量への嘆きが聞こえ、実際、漁獲量は減る一方です。

 

なぜ日本は、こうも地方の衰退が当たり前のように進むのか?

高齢化? 成長しない経済? それと生活スタイル?

前者二つは国の無策に起因しているが、後者はそれだけとは言えない。

 

例えば、クロアチアや北欧の海岸を行くと、豊かな自然が残る海岸に別荘が並び、港は漁船でなくレジャーボートで埋め尽くされていた。

スウェーデンでは、職住の地を郊外に求めるブームが起きているらしい。

それは物価が高く自然に乏しい都会を避け、仕事が終われば自然を愉しむことできる地を人々が求めているからです。

 

世界的には大都市への人口集中は穏やかになる傾向にあるが、日本だけはまだ続いている。

 

ところが、「あわえ」の社長の話を聞き、調べてみると、美波町に明かるい兆しが見える。

 

彼は、この地で生まれ、東京でセキュリティソフトの開発販売を手がけるようになった。

そして新たなワークスタイルの実現と人材採用の強化を目的に2012年この地にサテライトオフィスを開設し、現在はここを本社としている。

現在、地方と都市、自治体と企業を結び付けることにより、地域の活性化を目指している。

 

その一方、彼は漁船を所有し海釣りを楽しんでいる。

まさに職住一体で、自然との暮らしを楽しみながらリモートワークを行っている。

 

実績としては、ここ数年で19社のサテライト・オフィスをこの町に誘致し、全国1位を誇る。

日本全国の自治体100とも提携しアドバイスを行っている。

 

実は、美波町は2013年に転入者が上昇に転じ、翌年には転出者を上回った。

この町は大都市から2時間以上離れているにも拘らず、全国中でも好成績なのです。

当然、美波町も地域活性化に取り組んでいるお陰なのですが。

 

微かな動きかもしれないが、地域創生が一人の青年の想いから始まろうとしている。

 

つくづく、彼らの想いに答えられる政治が日本に興ることを願う。

そんな発見が得られた日和佐でした。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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連載中 何か変ですよ 218: 国民に自己責任を問う!


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経済も社会も悪化し孤立を深める日本!

こんな日本にしたのは誰か?

一人安倍首相か?

いや違う、選んだ国民だ!

 

 

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* 自己責任 *

 

「自己責任」は小泉政権から言われ始めた。

小泉首相は安全を、竹中大臣は貧困を自己責任とした。

 

つまり取材であっても危険な地に踏み込めば、殺されても仕方ないと。

また貧乏になる道を選んだのだから自業自得だと。

 

この論に従えば、唯一先進国で凋落に突き進む政権を選んだ人々にも自己責任があるはずだ。

 

それもかなり大きな、ここ三十年ほどで起きた凋落に対する責任がある。

 

  • 悪化し続ける経済 ― 成長しない経済、低下する賃金、庶民の増え続ける税、生産性低下、増加一途の累積財政赤字・・

 

  • 先進国から取り残される社会 ― ジェンダー、貧困率、格差、報道の自由度、人間開発指数などの国際指標が急速に悪化・・

 

  • 先進国ではありえない政治腐敗 ― 首相・大臣・自民党議員・官僚の不正・怠慢とその隠蔽工作・・

 

  • 散在する割には国民に百害あって一利なしの外交 ― トランプとプーチンに掻き回され、隣国と隔絶を深め、コロナウイルスを呼び込みマスクも入手出来ず・・

 

  • 危険を指摘されながらも無視・無策・・・原発事故や感染症の予防対策を怠り、さらに施設と予算を削減・・

 

挙げればきりがない。

これらは自民党政権と特に安倍政権が招いた。

 

私は、この末路を予想出来たので自民党に票を入れなかったので、私には責任がない。

 

 

* なぜこんなことになったのか? *

 

ひとえに長期政権による官民政財界の癒着と腐敗に尽きる。

さらに安倍首相の米国追従と右傾化がダメ押しになった。

 

今の政府を歓迎した人には強国・最強政府に見えたことだろう。

しかし、これが如何に底の浅いものだったことはコロナ危機で露呈した。

 

このまま安倍首相と自民党に任せていては凋落するだけだ。

腐敗政治も問題だが、それ以上に間違った経済路線が致命傷になっている。

日本を取り戻すには、大きな経済政策の転換が必要だ!

 

こんな政府を選んだ人々には責任をとってもらおう。

たとえ騙されたと言い逃れしようが。

この手の人々は、歴史を見ない、発展途上国以下の社会意識しか持ち合わていない。

つまり視野狭窄が、また錯誤を繰り返すことになる。

 

当然、選挙に行かなかった人も間接的に協力したことになり同様だ。

 

 

しかし、私は「自己責任論」はまやかしと考えている。

(自己責任論は、80年代から主流になり社会経済を疲弊させている自由主義や放任経済に由来している)

 

つまり、今の政府に騙されたと自覚できるのなら反省し行動すれば良い。

 

 

終わります。

 

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徳島の海岸と漁村を巡って 4: 恵比寿浜と恵比寿洞


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今回は、綺麗な湾と自然に出来た洞穴を紹介します。

少し行くと日和佐の大浜海岸に出ます。

 

 

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< 2.ドライブルート >

 

上: 由岐から恵比寿浜までのドライブルート、上が北。

青い線がドライブルート、茶色矢印が由岐、赤矢印が恵比寿浜。

オレンジ色枠が下の写真の範囲です。

 

下: 恵比寿浜と日和佐を示す、上が南。

A:恵比寿浜、B:恵比寿洞、C:日和佐の大浜海岸

 

 

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< 3. 由岐から恵比寿浜までのドライブルート >

 

上: 由岐から恵比寿浜までのドライブルート

私は海岸線を見ながら走りたくてこの道を選んだが、失敗でした。

海はほとんど見えず、さらに対向車線が無い。

対向車が来れば、どちらかが数百mほどバックしなければならない。

皆さんは避けた方が良いでしょう。

 

下: 恵比寿浜

ここにはキャンプ場があり、張ったテントから直ぐ前がこの海岸です。

今から三十年ほど前、台風が接近している時に子供達を連れて来ました。

打ち寄せる大きな波に嬉々としていた子供達を思い出しました。

 

 

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< 4. 左右を望む >

 

写真3の下とほぼ同じ位置から撮影。

上: 右手、西側

下: 左手、東側

 

 

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< 5. 恵比寿浜西側より >

 

上: 中央反対側の海に突き出した小山が恵比寿洞です。

 

下: 浜の最深部で、写真の右端にキャンプ場があります。

 

 

 

< 6. 恵比寿浜橋6の上から >

 

恵比寿浜の奥に亀井港があり、その間を水路が繋いでいます。

この橋はこの水路に架かっています。

ちょうど漁船が戻って来たところです。

 

上: 恵比寿浜の沖合を見る

右手に古い石積みの堤が見えます。

コンクリートでないのが歴史を感じさせます。

 

下: 亀井港を望む

 

恵比寿浜は波浪に弱いが、奥まった亀井港なら大丈夫でしょう。

実は、紀貫之が日和佐に4泊5日しているのですが、悪天候を避けるとしたら日和佐の大浜や恵比寿浜より、この亀井港かもしれません。

 

 

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< 7. 恵比寿洞 >

 

海岸伝いに日和佐に出る途中に、この洞があります。

上の写真の看板が道の端にあり、その前に数台の駐車スぺースがあります。

この岬の小山へと進みます。

 

 

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< 8. 岬を巡る小路 >

 

駐車場から一度下って、小山を一周する小道があります。

先ずは登ります。

 

上: 眼下に後に下ることになる小路が見えます。

小路の左に洞があります。

 

下: 小山の頂に至る小路。

 

 

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< 9. 頂の展望台 >

 

上: 南側を見ている

下: 東側を望む

恵比寿浜の東側にある岬の先端

 

 

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< 10. 頂から >

 

上: 西側を望む

中央に日和佐の大浜海岸が見える。

 

下: 洞に向かって急な階段を下る

右手に洞がある。

 

 

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< 11. 恵比寿洞 >

 

上: 恵比寿洞

以前、台風接近時、ここに立ったことがある。

大きな波がこの穴を抜けて押し寄せて来る様は圧巻でした。

後で、子供連れは危険だと後悔したのですが。

 

下: 左手に洞の口が見える。

 

 

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< 12. 大浜海岸 >

 

上: 恵比寿洞を大浜海岸寄りからクローズアップで撮影。

中央が恵比寿洞の小山。

 

下: 海亀の産卵で有名な大浜海岸

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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連載中 何か変ですよ 217: 悲しい社会


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我々の未来は明るいはずだ!

日本に暮らす今、コロナ危機下にあっても、そう信じたい!

しかし一抹の不安が、いなむしろ絶望すら感じる!

 

 

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< 2.懐かしのメモリー >

 

 

* 周りを見渡すと *

 

人々はおおらかで誠実で屈託なく暮らし続ける。

コロナの死者は少なく、やっとトンネルから抜け出て、自治体と政府の支援策も見えて来た。

これからも皆が共に手を携えて進めば、きっと明るい未来が待っている。

そう信じたい。

 

だがふっと気がかりが脳裏をかすめる。

 

この2年間で北欧と中国を旅して、日本が取り残されていることを実感した。

北欧は、ここ半世紀ほどの間に幸福で公正な社会、加えて豊かな経済を手に入れた。

1世紀前の北欧はかなり貧しく、国を捨て米国に移住した人も多かった。

 

中国もここ30年ほどで、経済的に大変貌を遂げ、地方まで浸透し、さらに加速すらしている。

それに連れて、人々の意識やマナーに変化が起きている。

 

一方、日本はどうだろうか?

 

1990年代より、明らかに経済は停滞し、それに連れて国際的な指標、幸福、貧困、ジェンダー、報道、政治腐敗など全てが低下し続け、さらに悪化の度合いを強めいている。

それだけに止まらず、国の財政悪化も勢いを増している。

ここ数年、良かったのは株価と失業率ぐらいでした(これには喜べない理由がある)。

 

さらにコロナ危機で日本の実態が露見した。

縮小されていた感染医療体制、乏しい危機と遅い対応、躊躇する国民支援、政府の心根がいみじくも露呈してしまった。

一方、自粛に見られる国民の高い共同体意識と自治体首長の活躍が目立った。

(重傷者、死亡者が少ないのは東アジアの韓国・台湾とBCG接種国に共通し、少ない感染者は少ないPCR検査による)

 

 

* 何が悲しいのか *

 

人々の好悪感で国の進路が歪められ、暴走が続いていることです。

 

「韓国・中国が嫌いだ! 弱い日本は嫌いだ! 強いリーダーが好きだ!」

この世論が、ここ10年ほど日本を牽引して来た。

そして防衛が優先され、隣国に妥協しない頑強な政府が出来上がった。

 

そして何が起きたのか。

期待したアベノミクスは?

おそらく8割の人は好況を実感したことはなかっただろう。

非正規が増え、賃金低下、貯蓄の取り崩しが定着した。

このことが増税とコロナ危機でより経済を悪化させる。

政府は赤字国債大量発行と超金融緩和で乗り切るだろうが、これも将来禍根を残すことになる。

 

加えて弱者と少数意見が無視され、富裕者・大企業優先で格差が拡大した。

それだけではない、首相の虚言と隠蔽、内閣による官僚とマスコミ操作により、不正が蔓延していても尻尾が掴めない。

 

 

一方、この政府に嫌悪感を抱く人々がいる。

「不正・政治腐敗が許せない! 弱者を軽視し大企業優先ばかりが許せない!」と

 

今の政府に惹かれ、すがる人々は、これらを無視してはばからない。

私は、このような社会に不安を感じる。

 

大戦前、ドイツ国民も前者と同様の理由でナチスを熱烈に支援した。

ヒトラーが独裁者となり、弱者(ユダヤ人、身障者など)を虐待し始めても、圧倒的多数の人は無視した。

しかし一部の人は地下に潜り、救済を行った。

だが官憲に捕まり、国家反逆罪で死刑になった人も多い。

 

結局、この悪行を重ねたヒトラーとナチスは自国を破壊し滅んだ。

ヒトラーは大嘘を隠し通したが、現首相の虚言はトランプのように日常的になっている。

 

翻って、今の米国を見てみれば、黒人嫌い、軍縮反対、中絶が許せない人々が、それだけの理由でトランプを支援する。

トランプがどんなに不正やトンチンカンをやってもお構いなし。

 

こんな幼稚な社会に、私は絶望しか見出せない。

 

終わります。

 

 

 

 

 

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徳島の海岸と漁村を巡って 3: 由岐漁港 2


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今回は由岐港の後半、西由岐を紹介します。

この漁港を歩き、

切実な現実と興味深い歴史を知ることになりました。

 

 

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< 2. 散策マップ、上が北 >

 

上の白枠が下の地図の範囲を示す。

赤線が前回紹介した東由岐、ピンク線が今回紹介する散策ルートです。

西由岐はピンク線の下側、港の左(西側)の町です。

 

S:スタート地点

A: 東由岐漁協

B: ミセ造りなどが見られる古い町並み

C: 天神社

E: かつて由岐城があった城山公園

F: 八幡神社

 

 

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< 3. 不思議なもの >

 

上: 写真中央、小山の斜面を覆うコンクリート壁に金属製の階段と回廊が見られます。

はじめ分からなかったのですが、後に驚きの事実を知ることになりました。

 

下: 小魚(イワシ?)の出荷作業が行われていた。

 

 

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< 4. 広い通り >

 

上: ほぼ中央、南北に延びるもっとも広い通り。

北方向を見ており、真直ぐ行くとJR牟岐線の由岐駅に出会う。

 

下: 東西に延びる通り

中央に見えるのが城山公園がある丘です。

丘の上が平らになっており、かつて由岐城があった。

城の名残りは無いそうです。

 

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< 5. 八幡神社 1 >

 

上: この道を進むと右手、丘の中腹に八幡神社があります。

この左手が城山公園の丘で、かつては両側の丘は繋がっていた。

 

下: 八幡神社の下に来ました。

 

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< 6. 八幡神社 2 >

 

上: 八幡神社の境内

実は、私はこの境内が由岐城跡だと勘違いしていて、それらしいものを探したが見つからなかった。

そこでさらに裏山まで踏み込みました。

帰宅後、城山公園が城跡だと知ったのですが。

 

下: 境内の右側に細い登り道があったので、進みました。

すると、この道の右側に看板(写真中央)があり、赤字で「想定 津波高さ」と書いてありました。

その看板の位置から眼下(東側)を見下ろすと、町のすべてが水面下に没することが分かった。

一瞬、寒気がした。

 

 

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< 7. 八幡神社の岡からの眺め >

 

上: 前述の看板の位置からの眺め

 

下: 岡から西側を眺めた。

 

 

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< 8. 丘を西側に降りる >

 

上: 墓地が斜面一杯に広がっていた。

 

下: ちょうど、丘を下りきり、振り返ったところ。

 

 

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< 9. 西由岐を行く >

 

上: 八幡神社が見える

 

下: 漁港に出てから、来た道を振り返った。

 

 

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< 10. 漁港に戻った >

 

上: 西由岐側を望む

右側、自転車が置いてある向こう側で、ワカメの天日干しが行われていた。

黒いビニールのようなもので上部を覆っていた。

10分ほどの間に、二人がワカメの干し具合を調べに来ていた。

 

下: 東由岐の方を見た

 

私は、ここで持参の弁当を食べた後、次の港に向かった。

 

 

 

* 由岐を歩いて *

 

様々なことを知り、実感することが出来た。

 

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< 11. 東南海地震による津波の恐ろしさ >

 

上: 散策している時に見つけた表示板

これによると青色で示されるているように、すべての街並みが水面下に沈む。

 

赤色部分が高台で、写真で見た金属製の階段のあった場所です。

八幡神社、天神社、城山公園も標高は高くて10mほどしかありません。

しかし最大津波高さは、下の図(赤矢印)にあるように徳島県沿岸は20mを越えると予想されています。

 

最大津波高さは防波堤などで抑制され、浸水深さは最大10mと想定されているようです。

徳島県のH24年の想定では、美波町の津波による死亡者は2300人だそうです。

 

しかし素人の私ですが、この港にそのような防御効果があるとは思えない。

さらに、津波の第一波(+20cm)は地震発生の12分後、最大波は29分後だそうです。

高齢者が多い中で、どれだけの人が高台に逃げれるのか?

 

如何に日本が脆弱かを知ることになった。

 

 

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< 12. いにしえの海路 >

 

今回訪れた海部郡の港は、古くから海路としても使用されていた。

 

平安時代、紀貫之が土佐(高知)での国司の任務を終え京都に帰ります。この時、2ヵ月の船旅となり、この様子を「土佐日記」に残しました。

船の航行は海岸に沿い、座礁と海賊を避けながら、多くの港に停泊し、風待ちも行わなければならなかった。

左下地図の赤線が凡その航路で、実際は黒点の港にそれぞれ1から10泊しています。

右下地図の赤丸は予想された寄港地で、下は高知県野根(徳島県宍喰の隣)、上は日和佐(由岐と同じ美波町)です。

 

 

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< 13. 鎌倉時代から戦国時代 >

 

上: 屋島の戦い

由岐の港は、鎌倉時代には雪の浦や雪湊と呼ばれていた。

源平合戦、屋島の戦いから逃げた平維盛は「平家物語」によると、南下し、

雪の浦(東由岐の大池の辺り)から船で鳴門、和歌山の方に向かったとされている。

 

下: 戦国時代末期の四国の勢力図

当時、由岐の辺りは三好勢が支配していたが、長曾我部が勢力を伸ばし、海部郡一帯の城を南側から攻め落としていった。

この時、由岐城も降伏し、その後、城主の由岐有興は別の戦いで討ち死にしている。

海部郡にはかつて20を越える城があった(多くが城跡)。

今回は日和佐城を眺めることが出来た。

 

 

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< 14. 由岐漁港 >

 

由岐港の歴史から漁師の活躍、漁業の発展が見えて来る。

 

A: 明治時代の漁師の船、カンコ船(手漕ぎで帆の無い全長7~8m)?

B: 石垣弥太郎

C: 楠本勇吉

D: 延縄漁

E: 毎年10月に由岐で行われる伊勢海老祭り

 

 

由岐・志和岐の二人の漁師がフロンティアとなった。

 

石垣弥太郎は明治21年、カンコ船十隻を従え博多へ出向きました。

鯛の一本釣りではうまくいかず空しく由岐へ舞い戻りましたが、「レンコ」(鯛)のほか「アカモノ」(体表が赤色)が釣れるのを知った弥太郎は、挫けることなく毎年レンコ延縄(図D)に挑戦した。

明治35年には一本釣りの全盛期を迎え、後に以西底引網(九州西岸以西で行われる)へと発展する。

彼が正に北九州の漁場開拓を行ったと言える。

 

カツオ、マグロ漁船員であった楠本勇吉は、明治35年、カツオ漁を目指して岩手県大船渡村へ渡りました。

現地は沿岸漁業の不振で悩んでいましたが、勇吉は意外に豊富な「アカモノ」に目をつけ、故郷でやっていた「てんてん釣り」の漁法を指導した。以後漁獲量は飛躍的に伸び、彼の滞在は28年にも及んだ。

 

この事例を見ていると、明治期に既に地元の沿岸漁業に見切りをつける漁師がいたこと、また遠方へ進出する気概があったこと、さらには漁法の改革が進んでいったことがわかる。

当時、漁業権や縄張りの争いは無かったのだろうか?

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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連載中 何か変ですよ 216: 「検察庁法改正案に抗議します」を巡って!


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ここ数日盛り上がっている検察庁法改正案について感じたことを記します。

私は当然、検察庁法改正案に反対で、火事場泥棒を許せない。

 

 

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* 最初に *

 

先ず、600万人が瞬時に反対を表明したことが素晴らしい(ツイッターで)。

これは野党、弁護士会、知識人、芸能人が声を上げただけでなく、一般の人も大いに危機感を持っている事の現れです。

 

しかし一方で相変わらず政府や与党のとぼけた国会対応、加えて保守やウヨの猛反撃がある。

態度表明した芸能人が苦渋の果てに表明を取り下げた。

 

また吉村知事、堀江貴文、高橋洋一氏などは、改正案を当然とし、反対する人は勉強してから文句を言えと吐き捨てる。

三氏の理屈を要約すると、検察を民主的にするためには内閣が関わるべき、分からない人間がマスコミと検察に踊らされている、単に定年延長だけの話と言うことになる。

 

反対するには、確かに法案に目を通した方が良いだろう。

しかし、家が放火され燃えている時に、放火犯の逮捕を優先し、家が燃え尽きるに任せる人はいない。

 

 

* 国民はなぜ検察庁法改正案に反対するのか *

 

私の見るところ、安倍首相が検事総長を自分の言いなりにし、周辺で起きている不祥事の摘発を妨害しようとしている、と国民は見ているからです。

 

この推測を裏付ける状況証拠は腐るほどある。

 

  • 候補とされる黒川検事長は、多くの自民党議員の摘発を握り潰し、野党議員の摘発に暗躍して来たと言われている。小渕議員、甘利議員、森友事件(佐川理財局長)、大阪地検特捜部証拠改ざん事件後の刑事訴訟法改悪、陸山会事件(小沢議員)など。つまり彼は自民党にも安倍首相にも守護神となる。

 

  • この改正案は突如として浮上し、経緯が不明瞭。国会で法務大臣が追求されても答えられなかった。

 

  • 安倍首相が国民の為、つまり民主的で透明性のある官僚制度の改革を行ったと信じる人は少ない。彼が関わったことにより官僚は捏造、隠蔽、証言拒否を繰り返し、官僚の忖度が横行するようになった。つまり、真逆の改悪を行っているのだから。

 

 

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さらに、安倍首相と自民党が国民の為に官僚改革を行うはずがない理由がある。

 

堀江氏が指摘する通り、日本の検察は傲慢横暴で判事ともつるんでいる。

既に、検察と裁判所は上級官僚を通じて内閣(長期政権)の意向に沿うようになっている(高等裁判所で必ず原発裁判は覆される)。

この意味では、検察を民主化する必要はあるが、現内閣が関与を深めることは悪化しか起こらない。

民主化なら最高裁判事の国民投票のような方法が必要でしょう。

おそらく三氏はこのことを知った上で言っているのだから質が悪い。

 

もう一つ、見落としてはならないことがある。

安倍政権は官僚を抱き込むことに力を入れて来たが、決して官僚の聖域には手を付けていない。

特別会計や天下りなど、野党がかつて指摘して来た膨大な無駄にはまったく触れていない。

結局は官僚の特権を護る代わりに、官僚を従わせて来た。

 

このような性格の政権が、コロナ危機の中で急いで改正案を潜り込ませて、強行しようとするなら、火事場泥棒と思われても仕方がない。

改正案が廃案になっても問題あるとは聞かない。

 

むしろ国民は危険が迫っているのだがら、改正案に反対することは当然です。

単純に、危険な首相と政府がやるから反対でも正解だ!

 

日本国民が政治に無関心過ぎることが、こんな災いを招いたのだから、この機会に改めることは良い事だ!

 

 

終わります。

 

 

 

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徳島の海岸と漁村を巡って 2: 由岐漁港 1


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これから2回に分けて由岐漁港を紹介します。

今回訪れた漁港の中では最も北にあります。

 

 

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< 2. 散策図、上が北 >

 

上: 由岐漁港を俯瞰

二つの岬が漁港を挟み、島が港の入口を護っている。

しかも開口部が南を向き、紀伊水道を通る台風の風から守るには最適です。

この形は、京都丹後地方の伊根港に似ている。

 

下: 由岐漁港拡大

おおよそ港の中央が港町、右が東由岐で、左が西由岐です。

写真右上の隅に、大きな池「大池」があり、後に紹介します。

 

 

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< 3. 港を眺める >

 

上: 西由岐を望む。

 

下: 左手に東由岐、遠方中央に箆野島(へらの)が見える。

 

 

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< 4.東由岐の漁協 >

 

覗いたのが11時だったので、がらんとしていた。

一人の漁師が、今が旬の鰆(さわら)をさばいていた。

 

下: 蛸が逃げる!

ふと床を見ると、大きな蛸が逃げるように這っていた。

私が「蛸が!」と声を掛けると、漁師が素早く捕まえたところ。

 

 

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< 5. 東由岐の街並みに向かう >

 

上: 西側を見ている。

 

下: 防波堤を乗り越えて、東由岐側に入ったところ。

道奥に住吉神社に向かう階段が見える(南側を見ている)。

 

 

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< 6.東由岐の街並み >

 

昔ながらの漁師町の家が残っていると思って訪れたが、かなり改装が進んでいた。

中でも保存が良いのを撮影しました。

おそらくこの後、20年もすれば消失してしまうでしょう。

 

下: 赤矢印がミセ造り(蔀帳)、黒矢印が出格子です。

 

外観の説明を引用します。

「由岐のミセ造り(蔀帳)は、半間幅の腰高、窓につくタイプで、腰をかけるというよりは物を置いたり、作業をするためのものです。

全国的にみても珍しく、貴重な建築様式です。

出格子は取り外しできるものもあり、蔀帳のかわりに「縁台」になります。」

 

これらは海部郡の他の漁師町でも見られたが、ここが一番保存が良いようです。

 

 

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< 7. 天神社の鳥居 >

 

この神社は先ほどの街並みの北側にある。

 

下: 鳥居の右側にハットするものがあった。

 

 

 

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< 8. 「南海地震津波最高潮位」の碑 >

 

これは1946年の地震に伴う津波の高さを石碑の横線で示しているのでしょう。

 

記録によると

「大地震が発生し、約10分後に津波が来襲して大きな被害を受けた。

旧三岐田町分(旧由岐町より狭い)の被害は死者8人、重軽傷者24人、家屋の流失48戸、全壊66戸、半壊220戸、床上浸水618戸、床下浸水70戸、船舶の流出39隻などであった。」

 

 

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< 9. 天神社の階段から望む >

 

上: 東由岐の街並み越しに日和佐を望む

 

下: 西由岐の方を望む

中央奥に城山公園の小さな岡が見える。

かつて城があった。

 

 

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< 10.天神社の境内から望む >

 

上: ほぼ北側を望む。

 

下: 北東を望む

この右手、この神社のある山沿いに250m行った所に「康暦の碑」が立っている。

写真では建物で見えないが、この碑の前に「大池」がある。

 

この碑は「古典太平記」に記された康安元年 (1361年)の大地震大津波で亡くなっ た人々のための“供養碑”とされ、現存する日本最古のものです。

この津波で壊滅した「雪湊」の集落が沈んで出来たのが、この「大池」だといわれていて、池の底からは 「土器片」や「古銭」27枚が発見されています。

この時、1700軒も建ち並ぶ「雪湊の町」が海底に沈んだとあり、当時としては大きな港町であったことが窺われる。

次回、この「雪湊の町」について紹介します。

 

実は、この地方を襲った津波はこれだけではない。

1854年、安政元年の南海地震が襲った。

1944年、熊野灘で起こった東南海地震では2mの津波が日和佐を襲ったが、被害はなかった。

1960年、チリ地震による津波で由岐は30cmほど浸水した。

 

この地は、津波と共に生きていかなければならない。

 

 

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< 11. 天神社 >

 

上: 境内

 

下: 境内から北側に降りた階段

後で気が付いたのですが、これは今後起こる東南海地震津波の非難用の階段でした。

 

 

* 感想と説明 *

 

当初、日本の漁村と歴史などを知りたくて訪れたが、予想外の展開になった。

それは漁村と漁業の衰退、そして津波の恐ろしさを肌で感じたことです。

一方で、日和佐の町を歩いていて少し希望を見出した。

 

この地域と日本の漁村と漁業について概説します。

 

美波町について

2006年に旧由岐町と旧日和佐町は合併し美波町になっている。

日和佐町は、海亀の産卵と薬王寺で有名です。

美波町の現在の人口は6400人だが、年々1割ほど減少している。

その内、農業就業者は4.4%、漁業就業者は美波町で5.3%だが県内の15%を占める。

漁獲量の多いものから太刀魚(22%)、カツオ類、海藻類(14%)、鯛類、貝類(37%)、ブリ類、海老類(13%)です。

( )内は徳島県内のシェアで、特産品が鮑、さざえ、伊勢海老なのがうなづける。

 

由岐漁港

ここは西由岐と東由岐で漁協が分かれている。

古い町並みは東由岐に残っている。

両者を比べると、漁業従事者は東93名、西58名、漁獲高(金額)は東:西で2.2:1です。

東由岐は沖合底びき網漁業が盛んで、インドネシアからの実習生3名を受け入れている。

由岐は、アワビ稚貝やヒラメ等の種苗放流事業を実施している

しかし由岐全体の漁獲高は年々1割ほど低下している。

 

同様に日本の漁獲量(トン)は1984年から同様に年々減少し、66%減になっているが、実は漁獲高はここ数年増加傾向にあり、54%減に留まっている。

これは遠洋漁業の落ち込みを養殖業でカバーしているからです。

ちなみに日本の水産物自給率は魚介類59%、海藻類68%です。

 

日本の人口減と高齢化が、この地域ではより急激に進みつつある中で、新しい動きがある。

美波町は、伊座利地区の集落再生、様々な町おこし、サテライトオフィスの誘致などに力を入れて、町の活性化に成果を出しつつある。

このことは後に紹介します。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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徳島の海岸と漁村を巡って 1: はじめに


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これから数回に分けて、徳島、東南部の海岸と漁村を紹介します。

素晴らしい海岸の景色、漁港と漁村の風景、その暮らしを紹介します。

 

* この度の旅行について *

 

旅行したのは2020年4月23日と24日です。

 

旅の目的

  1. 昔ながらの漁師町の町並を撮る
  2. 漁港の景観、歴史、そして今の暮らしを知る
  3. 変化に富んだ海岸線と自然を撮る

 

良かったこと

天気が非常に良かったので、良いが写真が撮れた。

暑くなかったので、町や岬の散策を楽しめた。

 

各漁港で、魚の荷捌きや競りを見学することが出来た。

散策中、会話を交わし、人々の温かさや漁業の実情を知った。

漁村で大津波の恐ろしさ、また町の地域おこし活動を知った。

 

 

 

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< 2. 訪問地、上が北 >

 

私が紹介するのは徳島県海部郡の、地図のAからEまでの漁港と周辺の自然です。

A: 美波町由岐の漁港

B: 美和町の恵比寿浜と日和佐(薬王寺と日和佐城と漁港、岬)

C: 牟岐町の漁港(出羽島に渡りかったが行けなかった)

D: 海部町鞆浦の漁港

E: 海陽町宍喰(漁港と岬、宿泊地)

 

 

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< 3. 恵比寿浜 >

 

 

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< 4. ドライブ >

 

海岸線と山間を走り、ある時は岬の狭い一本道を走ったこともありました。

 

 

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< 5. 由岐と鞆浦の漁港 >

 

 

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< 6. 由岐と日和佐の古い家並み >

 

 

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< 7. 村の鎮守様とお城 >

 

下: 右の丘の上に日和佐城の天守閣が見える。

 

 

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< 8. 競りと浜 >

 

多くの漁協で魚の荷捌きや競りを見学したが、どこも快く受け入れてくれた。

様々な旬の魚を見ることが出来た。

 

 

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< 9. 四季の彩と朝陽 >

 

 

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< 10. 島、岬、浜が連なる海岸線 >

 

 

次回に続きます。

 

 

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福知山の神代から戦国時代の息吹を感じる 4: 福知山の城下町


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今回は、福知山の城下町を紹介します。

これで福知山の紹介を終わります。

 

 

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< 2.町歩きマップ、上が北 >

 

この地図は「ふくちやま まちあるきマップ 城下町歴史探訪編」を利用しています。

私は右下の福知山城から赤線に沿って北上し、No11で折り返し、No12からは黒線で城の横の駐車場に戻りました。

城を出たのが13:40、駐車場に戻ったのが15:10でした。

 

地図の番号について

1 福知山城、前回紹介

2 旧松村家住宅、前回紹介

3 京口門

4 明覚寺

5 明智藪、前回紹介

6 由良川堤防

7 広小路商店街

8 久昌寺

9 金毘羅神社、丹後口

10 高良厄除け神社

11 梅干し半十郎観音

12 御霊神社

 

 

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< 3. 城下町図、上が北 >

 

江戸時代のものでしょう。

上の白矢印は丹後口を示す、

濃紺の線は、川と堀です。

右下の薄緑で囲まれた範囲が当時の城でした。

現在は右端のほんの一角が天守閣として再現されている。

 

 

 

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< 4. 由良川堤防を行く >

 

上: 右に明智藪の一部、その奥に音無瀬橋が見えます。

 

中央: 堤の右側に明覚寺の屋根、その右奥に天守閣が見えます。

 

下: 由良川の下流を望む。

堤の左側に城下町が広がる。

 

光秀が由良川の流れ変え堤を造成し、城下町を整備してから、由良川の川湊を使って水運が発達した。

光秀築城以前の由良川は城下町を突き抜けて大きく右に曲がっていた。

 

 

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< 5. 広小路商店街 >

 

堤を左側に降りて、広い商店街、広小路商店街に出た。

コロナ危機の関係でか、閉まっている店が多かった。

 

上: 西側、突当りに御霊神社がある。

下: 逆方向を望む、音無瀬橋が見える。

 

 

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< 6. 広小路から右に折れる >

 

特に城下町の雰囲気はない。

やがて道が合流すると、寺町通りに入る。

 

 

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< 7.寺町通りに入る >

 

主に通り長さ300mほどの堤側に、大小の神社仏閣が並んでいる。

南側から祇園社、常照寺、法鷲寺、祇園牛頭天王社、久昌寺、金刀比羅神と並んでいる。

寺はすべて立派で、宗派が異なる。

今なら各社コンビニが競い合ってサービスを提供しているようなものか。

 

上: 常照寺、日蓮宗

江戸時代、福知山城主松平家の時に現在地に移転して来た。

 

下: 法鷲寺、浄土宗

江戸時代、福知山藩主朽木家の位牌所として重んじられた。

 

光秀の後、福知山藩主の家系は7回替わり、朽木家が13代と重ね、明治維新まで続いた。

 

 

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< 8. 久昌寺 >

 

上下: 久昌寺の山門と本堂、曹洞宗

もっとも立派で、福知山城主朽木家の菩提寺でした。

山門の右側にある小さな社が祇園牛頭天王社で久昌寺の鎮守社です。

 

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< 9. 久昌寺の棟鬼瓦 >

 

上: 久昌寺の棟鬼瓦

これが寺の屋根に載っていたそうです。

今まで気にしていなかったが、寺の本堂や山門、釣鐘堂の屋根をよく見ると鬼瓦だけでなく鯱まで乗っている。

 

下: 地図で見ると金毘羅神社が堤の横にあるので、今一度、堤に出た

 

 

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<  10. 金毘羅神社 >

 

上: 金毘羅神社、ここはかつて丹後口でした。

ここには水運の神が祀らており、水運が盛んだったことを物語っている。

写真の鳥居右横の井戸の辺りに番所があった。

 

旧山陰街道は、地図2のNo3京口門から城下に入り、川に沿って進んで、No9金毘羅神社(丹後口)から城下を出た。

 

この場所は、寺町道りから右に折れて、狭い道に入らなければならない。

当初、不思議に思ったのですが、旧山陰道から城下町が見通せな無いように意図されていたことが後で分かった。

 

下: 「なわむしろ」と書かれた看板

この辺り、寺町道りを過ぎて厄除け神社までのこの道の堤側は鋳物師町です。

特段、歴史を偲ばせる家屋は見当たらない。

 

 

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< 11. 高良厄除け神社 >

 

境内が広い立派な神社で、今も毎年2月、市民が厄除けの輪をくぐる厄除け大祭が行われています。

江戸幕府成立の年、福知山藩主になった有馬家が、この地に鋳物師町を新設した。

この鋳物師町は低地の為に、由良川の氾濫の度に被害を受け、江戸末期に安心立命を願い厄除け神社が創建され、明治末期にこの地に移設された。

残念ながら光秀の治水工事だけでは、由良川の自然の猛威を防ぎきることが出来なかった。

 

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< 12. 梅干し半十郎観音 >

 

新興住宅街の一角にポツリと、昔ながらの祠があり、義賊が祀られていた。

話が面白いので要約します。

 

江戸時代末、全国的な凶作があり、福知山藩は財政が大変苦しくなって、町民・百姓に厳しい倹約令を敷いた。

 

福知山の町に親分の用人棒、松岡半十郎がいました。

彼は藩にひとあわふかせてやろうと、統制売買し巨利を得ていた藩制定の問屋に押し入り、男二人を殺害して金を奪い、そのお金を生活に困っている人に施して逃げました。

 

しかしあえなく捕えられた半十郎は打首となった。

その際、辞世の歌として「三味線の糸より細きわが命 引き廻されて撥(バチ罰)は目の前」と残したそうです。

 

処刑に際し、半十郎は肌身離さず持っていた、約5cmの観音様を飲み込んで「私の好物の梅干しを墓に供えて願掛けに参ってくれるなら、首から上の病気は必ず治してあげよう」と言い残してこの世を去った。

 

その後、祠が建てられ、梅干しが絶えないそうです。

 

 

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< 13. 御霊神社 >

 

光秀が祀られている。

元々、光秀は先に紹介した常照寺に祀られていた。

一方、この地には稲荷社があった。

江戸中期、町民たちが藩主に合祀を願い、この地に創建された。

光秀は没後120年を経ても人気だったようです。

10月の御霊大祭は三丹一の大祭と呼ばれている。

 

 

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< 14. 御霊神社を出る >

 

上: 神社境内から前の広場を望む、奥に音無瀬橋が見える。

 

下: 広場の横にある公園。

コロナによる休校のせいか、多くの小中高生が遊んでいた。

 

 

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< 15. 新町商店街から福知山城へ >

 

上: コロナ危機の為か、ほとんど店が閉まっていた。

とは言っても、おそらくシャッター通りになりつつあるようです。

 

下: お城通りから福知山城を見上げる。

この道を進み、駐車場に向かう。

 

 

* 感想 *

 

今回、一番の好印象を得たのが、人の温もりでした。

まさにコロナ危機の最中なので、観光地をぶらつくことを非難されるかもしれないと思っていた。

当然、三密を避け、館内や店舗内に入るのを避けてはいたが。

 

寺町通りを歩いていると、わざわざ自転車を止め、私に話かける地元の年配者がいた。

彼は「どこに行かれるのですか?」と聞いてくれた。

彼は親切に教えてくれて、激励までしてくれた。

 

またさらに進むと、訪問販売中らしい男性がまた声を掛けてくれた。

彼は「ここは寺町と言うのですよ!」と教えてくれた。

 

実にありがたい。

文句では無く、歓迎してくれている。

 

もっとも私達夫婦は目立っていた、この城下町散策ではまったく観光客を見なかったので(城を除いて)。

 

 

各地を旅行していると、古い街並みを持つ町に地元愛を持っている人に出会うことがある。

 

しかし、一方で、どこも寂れて行く町の姿が目に焼き付く。

山陽地域、明石から広島までの山間や海岸沿いを電車で旅した時、北関東を車で旅した時もそうでした。

 

日本経済が地盤沈下し、世界経済から取り残されつつある中で、ふと足元を見ると、地方都市はどこも衰退し、再生の兆しはない。

 

一方、北欧や中国を巡っていると、とてつもなく広い国土で再生が進んでいる。

北欧も中国も、半世紀から30年ほどの間に活性化し、ほぼすべての町並みが急速に新たになっている。

 

日本と世界のギャップに唖然とする日々です。

 

 

次回から、徳島の漁村を巡りを紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 23: 映画「太陽の蓋」を紹介


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福島原発事故を今一度教訓として欲しい!

無料動画「太陽の蓋」を紹介します。

また私の想いを詩にしました。

 

 

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* 「太陽の蓋」を見た感想 *

 

なぜ日本は、いまだに危機に上手く対応出来ないかが良くわかる。

それは体制が麻痺しているからに尽きる。

 

数人の首脳が全身全霊であがいても・・・

そんな虚しさの中にも光明を感じることがあった。

身を挺して原発の残った人々と陣頭指揮を執られた人が居たことを。

そして突然の巨大な災厄にもめげず、立ち向かった多くの人々がいたことを。

 

 

*「憂いの詩」 私の想いを託しました *

 

 

何を恐れるのか

 

座して逡巡する君よ

 

持して朽ち果てる故国こそ恐れよ

 

いま船出する時

 

渇きや荒波を恐れるな

 

出でて求めよフロンティアを

 

闇の中、頼れるのは己一人と覚悟して

 

家族を愛し、友と手を携え

 

いざ立ち上がれ

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

Categories: book+ film+drama, culture+society, 連載 世界が崩壊しない前に, history+evolution, <japanese language, uncategorized | Tags: , , , | Leave a comment

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