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北欧3ヵ国を訪ねて 10: 出会った素敵な人々 2


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今日も次回に続いて旅行中、親切にして下さった方々とのエピソードを紹介します。

北欧の人々の心の温かさに感動です。

また日本に好印象を抱いている人の多さに驚きです。

 

 

* オスロにて

 

 

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< 2. オスロで >

 

朝、オスロのナショナルテアトレット駅に入って行くと、早々にどちらに行くべきかわからなくなりました。

この駅は地下鉄と郊外電車が入っており、ちょうど通勤時間でもあり沢山の人が足早に通りり過ぎて行きます。

私が立ちすくんでいると、一人の中年女性が近寄って来て、どうしたんですかと聞いてくれました。

私が行先を伝えると、乗るべきホームへの行き方を教えてくれました。

 

お陰で、スムーズに予定通りの地下鉄に乗れました。

 

 

この地下鉄に乗っていると、乳母車を押した男性が私の向かいに座り、「あなたは日本人ですか?」聞いて来ました。

私がイエスと答えると、彼は親し気に喋り始めました。

 

彼は数年前、長男を連れて奥さんと日本を1ヵ月旅行し、京都観光や富士山登頂をしたそうです。

写真の子は次男のようです。

彼は日本旅行のことが懐かしく、色々と話をしたいようでした。

私も1984年の前回と今回の北欧旅行について話をしました。

彼は私に多くの質問して来たのですが、私が答えあぐねている間に、彼の降りる駅に来てしまった。

私は英語の未熟さに腹立たしくなり、申し訳ない気持ちで一杯になりました。

 

彼は別れる少し前に、「あなたの今日の日程はどうなっていますか?」と聞いて来たので、私の日程表を見せると驚いていました。

それもそのはずで、この日は30分から1時間刻みで12カ所を巡る予定だったからです。

彼はこれから私が行くSognsvann Lakeは良い所ですよ、また次に訪れるコペンハーゲンは素晴らしと言ってくれた。

 

今思えば、予定を変更して、彼ともっと話しをすれば良かったと後悔しています。

 

なぜ北欧の人は、こうも私を日本人だと分かり、日本に好印象を持っているのだろうか?

この謎は解けないまま帰国することになった。

 

ここでも日本との違いに気づかされることになった。

それは彼が平日の午前中にも関わらず育児をしていること、また家族で1ヵ月間も海外旅行していることです。

北欧では年間5週間の有給休暇を取らなければならず、この内4週間の連続休暇が許されるのです。

これが長期の旅行を可能にしているのです。

 

既に述べましたが、女性だけでなく男性も育児休暇を取らなければならず、男性の取得すべき日数は増える傾向にあります。

これらのことが、北欧諸国の出生率を高め、労働者の意欲向上に繋がっているのです。

 

日本にはこの発想が欠落しています。

 

 

 

* デンマークにて

 

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< 3. オスキレ駅のバス停にて >

 

バイキング博物館行きのバスが分からず、バスターミナルに座っている若い女性に聞きました。

彼女は答えることが出来なくて、横にいた高齢の男性が代わりに教えてくれました。

教えられたターミナル番号に行き、来たバスに乗り、運転手に確認すると大丈夫とのことでした。

 

運転手の近くに座りたかったのですが、空きが無かったので奥の方に座りました。

発車してから私は車窓の景色を追い、どこで降りるか迷っていました。

すると前の方の女性が降りる時、こちらを向いて笑顔で「バイキング博物館、次ですよ」と教えてくれました。

 

皆、実に温かく迎えてくれた人々でした。

 

 

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< 4.野外博物館とヒレロズ駅で >

 

広い野外博物館内を巡っていると、出なければならない予定時間が近づきました。

私は出口への道に確信が持てず、かなり疲れて来たこともあり、ちょうど博物館の高齢の職人が目に入り、出口を尋ねました。

 

二言三言言葉を交わす内に、またもや彼は「あなたは日本人ですか?」と聞いて来ました。

わたしがそうですと答えると、「あなたはバスに乗るのですね?」と聞いて来たので、そうですと答えた。

すると彼はこちらに来なさいと言い、車両用のゲートまで一緒に行き、鍵を外しゲートを開けてくれました。

彼は終始笑顔でした。

 

そこから直ぐに広い道路に出て野外博物館前のバス停に迷わず辿りつくことが出来た。

 

 

ヒレロズ駅を降りて、フレデリクスボー城行きのバス停がわからず、近くを歩いている老齢の女性に尋ねました。

彼女は足腰が弱いにも関わらず、数十メートルを一緒に歩いてくれたが、結局わからないと残念そうに言った。

この時、運よく男性が通りがかり、彼女は彼に私を託して去りました。

彼はバスターミナルが見える所まで私を案内し、くどいほど302の番号を連呼し、私の理解を確認して去りました。

ここからバスに乗り、無事に目的地い着くことが出来ました。

 

旅行も2/3を終える頃には、私は迷う前に手当たり次第に誰かに聞くようになっていました。

私は図々しくなっている自分に驚きました。

 

 

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< 5. コペンハーゲンの王宮付近で >

 

上の写真は朝、クリスチャンスボー城の横の広場に行った時の事でした。

上の写真の広場で、骨董市が行われている予定でしたが、誰も居ません。

 

諦めて別の所に行こうとした時、一人の若い男性がわざわざ近づいて来て私に声をかけました。

私は不安になって無視して去ろうとしたのですが、彼は怪しいものではないと、申しわけなさそうに話しかけて来ました。

彼は私に手助けしたいと言っているようでした。

 

私は彼にここで骨董市があるはずだがと尋ねました。

すると彼はスマホを取り出し、調べて事情が分かったようでした。

彼は私に「あなたは英語が話せますか?」と聞き、私は「少し」と答えました。

彼は無い理由を説明したいようでしたが、私は聞くことを諦めました。

 

私は残念そうにしている彼に別れを告げて去りました。

他の観光を終えて、寄ってみると骨董市はやっていました。

始まる時間が異なっていたようです。

彼には悪いことをしてしまった。

 

 

下の写真は、王立図書館内のロビー付近です。

図書館に来れば、私のアンケートに答えてくれる人が居るかもしれないと思い訪れました。

すると喫茶の前に、二組の日本人の母子が座っていました。

 

話を聞くと、二人のお母さんは日本出身で、デンマークに来て暮らしているとの

ことでした。

二人からは貴重なデンマークの情報や感想を聞くことが出来ました。

後日、紹介します。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 9: 出会った素敵な人々 1


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今日は、旅行中、親切にして下さった方々、またお話をした方々とのエピソードを紹介します。

北欧の人々の温かさに本当に感動しました。

 

 

* はじめに

今回、私は老人で一人旅、しかも未熟な英語で行ってきました。

ツアーに参加せず、すべての手配を自分で行ったのも初めてでした。

海外旅行の経験はあったものの、ほとんどが初めての事でした。

 

当然、不安で一杯でした。

ほとんど毎日のようにハップニングが起こる中で、必死に周辺の人に片言の英語で助言を求め、例外なく、すべての人が親切に教えて下さった。

そして毎日の観光予定地5~8カ所のほとんどを訪問をすることが出来ました。

 

さらに北欧の人から私に声をかけて教えてくれたり、日本についてお話することもありました。

また時間が取れそうな場合、アンケートをお願いしたところ、声をかけた三人の人すべてが快諾してくれました。

 

今回の旅行はこれだけでも素晴らしいものでした。

 

 

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< 2. シグツーナ行きのバスで >

 

私はこのバス停から今回初めてトラベルカードを使うことになりました。

(トラベルカードはストックホルム市の公共交通機関が乗り放題になるパスで、期間限定で購入します。)

事前にトラベルカードの使い方は購入したストックホルム空港で聞いていたのですが、やはり不安でした。

 

待っていると目的のバス(バスのルート番号、行先が合致)が到着しました。

私は勇躍してバスに乗り込もうとすると、運転手が降りて来て私を制止しました。

私は立ちすくみました。

 

すると彼は運転手の交代だと行って笑みを浮かべました。

一緒に待っていたインドイラン系の青年が先にバスに乗り、運転席に座りました。

それに続いて私もバスに乗り込み、カードを読み取り機にタッチさせました。

 

そして私はこのバスがシグツーナに行くかどうかを運転手に尋ねました。

すると運転手は分からないと答えた。

私はバスを降りるべきか迷っていると、下の写真の男性がシグツーナに行くよと教えてくれました。

 

実は、迷っている時間があったのは、この運転手が新米らしく何分間もエンジンが掛からなかったからでした。

結局は、バスは動き、シグツーナに辿り着くことが出来ました。

 

今回の旅行は、このようなハプニングや触れ合い、助け舟で始まり、さらにこれ以上に驚くようなハプニングが毎日続くことになりました。

 

 

 

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< 3.ストックホルムの電車とホテルで >

 

ある電車に乗った時、珍しく座席の空きが少なかったので、男性一人が座っている4人掛けの席に座りました。

今まで、相席になることはないほど電車は空いており、また北欧の乗客は他人との接触を避ける傾向があるようです。

したがって私は馴れ馴れしくしないようにしていました。

 

すると南米からの移民に思えた彼は突如、にこやかに「あなたは日本人ですか?」と聞いて来ました。

彼は日本が好きで、特に「さむらい」が好きだと言っていました。

幾らか話してから、私は彼に「スウェーデンには何年前に来たのですか?」と聞くと、彼はこの国で生まれたと言った。

私の早とちりを謝った。

彼はおそらく二十歳代前半なので、移民二世なのでしょう。

そういえば着こなしが垢抜けしていた。

その後、幾らか会話を続けましたが、私の英語力不足もあって、話は噛み合わないことがあった。

それでも彼は電車を降りる時、満足な顔をして去って行きました。

 

これがこの旅行で最初の日本贔屓の方との出会いでした。

 

 

3連泊したホテルのフロントにイランインド系の男性がいて、やさしいそうなのでインド人なら英語が出来ると思い、彼にアンケートの記入を依頼しました。

(アンケート結果は後日紹介します。)

彼は快諾してくれて、英語のアンケート文を読み、記入を始めた。

彼は最初「スウェーデン語」で書いても良いかと聞いてきたが、英語で書くことを望むと、そうしてくれた。

彼はシリアスな質問に真剣に答えてくれた。

 

出身を記入する段になって彼はインド人ではなく、イラン人だと言うことがわかりました。

彼は20年前にこの国に来た。

若い頃、柔道をやっており、山下泰裕を尊敬しているとのことでした。

 

ここでもまた日本贔屓の方にあった。

 

 

 

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< 4.ストックホルム中央駅周辺で >

 

私がユールゴーデン島行きのバス停を探している時でした。

 

初め、手当たり次第に二組の若い人に聞いたが、知らないのか、答えは得られなかった。

通りかかった高齢の女性に訪ねると、彼女は近くのバス停まで私と一緒に行ってくれてました。

彼女はそこが違うと分かるとまた戻り、少し離れた所にバス停があることを教えてくれて、途中まで一緒について来てくれました。

 

一人で、教えてくれた場所に行ってみると、道路は工事中でバス停は消えていました。

通りすがりの中年女性を見つけて、同じ質問をすると、彼女はバス停は無いので、中央駅の方に戻りなさいと、丁寧に教えてくれた。

 

この時の英語の説明が聞き取れなかったのか、大いに迷い、探し始めてから合計1時間ほど歩き回り、やっと駅前にある目的のバス停を見つけ、無事にバスに乗ることが出来た。

(交通機関の話は複雑なので、後にまとめて書きます。)

 

概ね、年配の人は片言の英語でも丁寧に対応してくれた。

 

 

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< 5. 空港で >

 

帰国時のことです。

 

ストックホルム空港で、北京行の飛行機に乗る為にゲートで待つことになりました。

わたしは最後のアンケート記入者を探しました。

優しそうな40代ぐらいの白人男性の横に座り、意を決してアンケートのお願いをしました。

すると彼は快諾してくれて英語で記入してくれました。

彼はスウェーデン人でした。

彼も非常に日本に好感を持っており、日本の良い所、自然、料理、酒などを連呼していました。

彼は私と話したいようでしたが、私は疲れと航空券のトラブルもあり、それ以上話をしませんでした。

(航空券のトラブルは後日紹介します)

無言が続いた後、彼は席を立って行きました。

 

 

私は英語が出来たらとつくづく後悔しました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 8: 憩い愉しむ人々


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< 1.コペンハーゲンの運河  >

2018/06/07  Thu. 17:16 撮影

 

 

今日は、北欧のライフスタイルの一端を垣間見ます。

そこから日本には無い生き方や働き方が見えて来ます。

 

 

 

* スウェーデン

 

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< 2. ストックホルム >

 

上の写真: ストックホルム大学の中庭。2018/06/01 Fri. 14:02 撮影。

 

大学の構内は非常に広く、このような広場はほんの一部にすぎない。

芝生に居るのは多くが若いグル―プでしたが、幼子を連れた父親もおり、様々な人々がここに来て、寛いでいるようです。

 

下の写真: 市内中央にある円形の広場Karlaplan。

2018/06/01 Fri. 16:55分 撮影。

 

老若男女のカップルや家族、または一人でベンチに腰かけていました。

 

 

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< 3. メーラレン湖 >

 

上の写真: ヨットを楽しむ家族。2018/06/03 Sun. 10:36 撮影。

 

大小様々なボートやカヌーも見ました。

 

 

下の写真: 湖水浴を楽しむ人々。2018/06/03 Sun. 12:09 撮影。

 

泳いでいる人もいたが、日光浴で肌を焼く人が多かったように思う。

 

 

 

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< 4. カールスタート >

 

上の写真: 河畔の広場で寛ぐ人々。2018/06/04 Mon. 16:45 撮影。

 

 

下の写真: 日光浴を楽しむ若い人々。2018/06/04 Mon. 17:13 撮影。

 

私がここに立っていると、若い女性グループが川にせり出した奥のテラスに行き、やおら服を脱ぎだした。

そしてビキニ姿になり日光浴を始めた。

 

 

皆さん! 撮影の時間を見て頂きたい。

この光景は平日の午後4時を過ぎたばかりなのです。

私がカールスタート駅を降りて町に出たのは午後4時半でした。

しかし町の至る所に市民が溢れ、公園や河畔で市民は寛いでいた。

つまり、4時になると市民は仕事を止め、皆が生活をエンジョイしているのです。

実は、私が34年前に北欧の企業視察を行った時も、5時になると社員たちは突然退社を始めたのです。

この光景が、目の前で再現されており、さらに1時間早いのです。

 

今回の旅行で、この光景は北欧三ヵ国に共通していることがわかりました。

現在、北欧では週33時間労働を目指しています。

つまり週休二日として9時出勤16時退社なのでしょう。

したがって朝8時台、ジョギングやサイクリングに汗を流している人が居ることは何ら不思議ではなかった。

 

翻って日本はどうでしょうか?

 

 

 

* ノルウェー、オスロ

 

 

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< 5. 湖Sognsvann >

 

上の写真: 自転車で訪れた人。2018/06/05 Tue. 8:41 撮影。

 

 

下の写真: 湖畔をジョギングする人。2018/06/05 Tue. 8:41 撮影。

 

朝、湖に着いた時は非常に寒かった。

訪れたオスロでは、昼には20℃を越えるのですが、朝は5℃以下だったと思います。

冬、ここは雪に覆われ、クロスカントリースキー絶好の地になるのでしょう。

 

 

 

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< 6. 郊外の島Ulvøyaに掛かる橋 >

 

上の写真: オスロ中心部から5kmほど湾に沿って南下した所にある島Ulvøyaに掛かる橋。

2018/06/05 Tue. 15:05 撮影。

 

下の写真: 橋の上からダイビングを楽しむ若者達。

2018/06/05 Tue. 15:06 撮影。

 

ここでも不思議に思ったのが、「彼らは平日のこの時間になぜここに居られるのか?」と言うことでした。

 

 

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< 7. オペラハウスの前 >

 

ギラギラ照りつける陽射しの中で寛ぐ人々。2018/06/05 Tue. 15:44 撮影。

 

湿気が少ないとはいえ、風が無いこの暑さの中、長く座っていることは私には辛い。

しかし、彼女らは太陽の陽射しを歓迎している。

 

 

 

* デンマーク

 

 

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< 8. ロスキレ >

 

上の写真: 市立公園。2018/06/07 Thu. 13:17 撮影。

 

なぜ学生たちがこの時間に公園で遊んでいるのだろうか?

自然の中で過ごすことが学習課題なのだろうか?

 

 

下の写真: 大聖堂前の広場で寛ぐ市民。

2018/06/07 Thu. 13:44 撮影。

 

団体や観光バスを見かけなかったので、周辺からの訪問者、そしてほとんどが町の人だろう。

北欧三ヵ国で、首都から離れた町を観光していてると、このような光景をよく見た。

様々な町の広場では、市民は平日の午前午後にもかかわらず、このように寛いでいた。

 

 

 

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< 9. コペンハーゲン、運河クルーズにて >

 

上の写真: 日光浴を楽しむ人々。2018/06/07 Thu. 16:39 撮影。

 

 

下の写真: 運河で泳ぐ子供達。2018/06/07 Thu. 16:42 撮影。

 

 

北欧の人々はなぜこうも太陽の陽射しを求めるのだろうか?

 

北欧の冬、例えばストックホルムの12月で太陽は9時頃に昇り15時頃には沈む。

さらに冬の間、ヨーロッパも含め、空は厚い雲で覆われ続けている。

酷い時は、ストックホルムの最低日照時間は一月十数時間ということもある。

私がかつて11月末に北欧を訪れた時、1週間ぶりに雲間から太陽が覗いた時、ツアー仲間は歓喜の声を上げた。

 

北欧にとって6~8月の陽射しは自然の最高の贈り物なのでしょう。

 

 

 

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< 10. コペンハーゲン、ヘルシンオア >

 

上の写真: コペンハーゲン、ノアポート駅Nørreport St近くにある植物園。

2018/06/09 Sat. 15:13 撮影。

 

この辺りは王宮、美術館、博物館が多く、コペンハーゲン発祥の地ですが、緑溢れる公園も多い。

多くの人が公園の芝生に座り寛いでいた。

 

 

下の写真: ヘルシンオアの街。2018/06/08 Fri. 16:35 撮影。

 

クロンボー城への観光客は通常、この町中を通らず、港沿いに駅舎間を往復するだけのようです。

したがって町は静かで、市民が寛ぐ午後のひと時になっていた。

 

 

* あとがき

 

皆さんに一番知って頂きたい事は、北欧の人々は労働時間がかくも短く、家族や恋人、友達と日々エンジョイしていることです。

かつ、北欧五ヶ国の国民所得、産業の国際競争力、人間開発指数のランキングは世界でほとんどが上位10番以内、それもトップに並ぶのです。

 

先ずは世界にこのような国があり、自らこの道を切り開いて来たことを知って頂きたい。

この経緯や成功の要因を追い追い説明していくつもりです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

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デマ、偏見、盲点 25: 何がバブル崩壊と戦争勃発を引き起こすのか? 4


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今、私達が陥っている劣化に気付くことが重要です。

これは最近のことで、この劣化から逃れる手立てはあるはずです。

 

 

* これまでの論点の整理

 

投資家の貪欲がバブルを生み、そして抜け駆けの心理がバブル崩壊を招いた。

 

恐怖心が軍拡を加速させ、疑心暗鬼が戦争勃発を招いた。

 

これらの感情が一度暴走し始めると制止は困難でした。

 

今、人々はこの災厄をもたらす感情の暴走に何ら疑念を持たなくなった。

この劣化はこの30年ほど、特にここ数年のことです。

なぜ人々はこの劣化に気付かないのだろうか?

 

 

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* 基本的な誤解について

 

一つは、怒りの感情について誤解があります。

 

人類は進化の過程で優れた適応力を得て、脳内ホルモンがそれを可能にして来ました。

人は怒りを感じるとアドレナリンが分泌され、体が興奮状態になり、外敵に即応できるようになっている。

皆さんは強い怒りを感じた後、爽快な気分を味わったことはないでしょうか?

敵意や怒りの感情は、人によっては常習性のある麻薬のようなものなので、爽快感をもたらすことがある(文明社会では後悔するのが普通)。

 

当人は国や正義を思っての怒りだと思い込んでいるが、単に欲求不満の解消か、未発達な精神状態に過ぎないことが多い。

 

 

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もう一つ、愛国心への誤解もあります。

 

多くの人は愛国心を素晴らしい美徳だと思っているようです。

愛国心は共感の現れの一つで、共感は社会や家族の絆を強める重要なもので、霊長類、特に人類で最も進化した(脳内ホルモンが関与)。

 

但し、これも手放しで喜べない。

その理由は、共感を抱く同胞の範囲が感情的な直感(無意識下)で決まるからです。

共感が強くなると、逆に範囲外(異なる宗教、人種、文化、国、階層)の人々に強い敵意を持ち易くなるのです。

 

人類は進歩の過程で他の社会と多面的で複層的な繋がりを発展させ、その範囲を拡大し来たが、時折、逆行してしまうことがある。

今がその時です。

 

注意すべき事は、この敵意と愛国心が政治利用され、社会が容易に暴発に向かうことです(マスコミの関与を注釈1と2で説明)。

 

 

 

* 何が社会に起きているか?

 

バブル崩壊で言えば、今さえ景気が良けれ良いのであって、先の事は考えないことに尽きる。

米国で繰り返されるバブル崩壊と格差拡大が、社会の分裂と絶望を生み、遂には突飛な大統領が選ばれることになった。

格差を是正する対策はあるのだが、国民は即効性を謳った甘い公約に吊られ、同じ過ちを繰り返しては益々深みにはまってしまった。

 

戦争勃発についても同様で、即物的(武器)で即効性(威嚇)を謳う策が人気を博し、益々泥沼に足をとられることになる。

特に酷いのは日米ですが、多くの先進国も同様です。

 

つまり社会は刹那的になり理性を麻痺させており、ここ数年の劣化が著しい。

 

 

* 刹那的になった背景

 

これは平和ボケと20世紀前半に対する反動でしょう(この平和ボケは右翼の指摘とは真逆)。

 

三つのポイントがあります。

 

A: 今の政治指導者世代は大戦を知らない。

まして指導者が戦時中に成功した人物の後継者であれば戦争への反省より美化に懸命になる(世襲化している日本で極端)。

 

B: 世界中が異文化に敵対的になっている。

ハンチントンが指摘したキリスト教とイスラム教の対立は、19世紀後半以降の欧米列強の干渉と軍事行動が主因です。

(「何か変ですよ! 84: 何が問題か? 7」で解説しています)

 

C: かつての格差縮小策への反動が起きている。

20世紀初頭まで貧富の差は拡大していたが、その後、欧米は格差縮小策を実行し是正が進んだ。

しかし1980年代に始まる自由放任主義とマネタリズムによって格差は戻り、さらに拡大している(米英が先行)。

 

今、起きている安易な敵意や貪欲の高まりは主にこれらが原因です。

 

しかし、これではなぜ多くの国民が刹那的になったのか、つまり国政の歪み(癒着や腐敗)に無頓着で、社会改革に無気力になってしまったかを説明出来ない。

 

 

さらに以下のことが考えられます。

 

D: 大戦後、先進国は一度豊かさを満喫し、今は下降期にある。

豊かさを経験した後、1990年以降の経済は少数の富裕層に恩恵を与えているが、格差拡大で大多数の所得は横這いか低下している(英米で顕著、日本も後を追う)。

 

E: この半世紀の間に政財官の癒着が起こり、国民は政治に強い不信感を抱くようになった。

こうして先進国は軒並み投票率を下げ多党化している(北欧を除いて)。

 

F: 多くの国民(中間層)は、豊かさがこのまま続くとして保守的(逃げ腰)になった。

19世紀後半からの英国の没落時に出現した刹那的で快楽的な社会状況と同じです(ローマ帝国衰退、ファシズム勃興にも通じる)。

 

こうして人々は選挙に行かず、政府が従来の政策を継続することに安心した。

毎回、見栄えのする政策に希望を繋ぐが、徐々に悪化するだけでした。

こうして国政は既存の政治屋に握られることになった(日本が酷い)。

結局、政治への信頼喪失が、益々、政治を劣化させている。

 

 

これらの結果、既得権益擁護のマスコミの扇情が、分裂社会と国際間の緊張の中で一部のタカ派を奮い立たせることになった(マスコミの敗北について、注釈1)。

こうして保守派とタカ派が強く結びつき、低い投票率にあって国家の帰趨を決するようになった。

この結びつきは日米トップの支援層に著しい人権無視や強権的な言動によく表れている。

 

しかし日本の問題はこれだけで済まない。

日本ではマスコミが偏向し報道の自由が簡単に無くなる文化と歴史があり、現在、世界が評価する日本の報道自由度は低下する一方です(日本のマスコミについて注釈2)。

戦後、教育の場で政治論議がタブー視され、歴史教育もないがしろにされたのが今、災いしている(北欧は盛ん)。

また米国の占領下にあって経営者側と労働者側の対話形成が阻害され、敵対的になり、さらに1980年代以降、政府により労働組合が弱体化した。

一党による長期政権が続いたことにより政権中枢へのタカリや癒着(パトロネージ)が深刻化した。

 

 

次回、この世紀末状況から抜け出す道を探ります。

 

 

 

注釈1

米国の主要マスコミはベトナム戦争当時、政府に果敢に挑戦した。

ホワイトハウスの圧力に屈せず、ベトナム戦争の真実を暴こうとした。

またウオーターゲート事件(1972年)でもマスコミは共和・民主系に関わらず大統領を糾弾した。

 

しかし、規制緩和が進んだ今の米国はそうではない。

その背景の一端を下記グラフが示している。

 

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< 4. 超保守メディアの台頭 >

https://techcrunch.com/2017/03/19/as-hyper-conservative-media-surged-republicans-trust-in-news-cratered/

 

オレンジの棒グラフがFOXニュースの視聴者数で赤線が共和党員のメディアの信頼度を示す。

FOXが2001年の同時多発テロ事件で一気に視聴者を伸ばしている。

不思議な事に、FOXは保守的な報道(娯楽と扇情)でシェアを拡大しているが、共和党員の信頼を失いつつある。

それでも全米断トツ一位のシェアによって世論への影響は大きい。

 

トランプ大統領のロシアゲート疑惑を追及するマスコミ(CNN)に対して、FOXニュースは徹底的に擁護している。

このFOXは、共和党系でメディア王のマードックが所有しており、アメリカ同時多発テロ事件において愛国心を煽り、視聴者数首位の座を占めることになった。

これは米国で1980年代に始まった規制緩和、特にマスコミの自由化(1987年、放送の公平原則の撤廃など)が大きい。

 

 

注釈2

第二次世界大戦時、ドイツと日本では戦時情報を軍部が完全に握り、捏造と扇情が繰り返された。

日本は島国で領域外の真実を知る術は乏しかったので、最も騙され続けた。

一方、連合国は戦時中も報道の自由を一応守り続けた。

 

グラフからわかる戦争報道。

 

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< 5.満州事変時の各新聞部数の伸び >

 

日本軍が満州事変を起こして以来、最も部数の増加率が大きいのは読売新聞でした。

(読売新聞の立役者は元警察官僚で、当時、御用新聞と綽名されていた)

朝日や毎日は軍部に批判的であった為、初めこそ部数を減らしたが、やがて方向転換し、部数を伸ばすことになった。

単純化すれば読売は戦争推進の姿勢が幸いし、朝日は大きく方向転換し、毎日は方向転換に躊躇したことで、それぞれ部数が決まった。

この状況を加速したのは国営のラジオ放送(NHK)の開始でした。

 

軍部もマスコミも愛国心を煽ることは容易であり、愛国心扇情はマスコミの業績向上に直結するのです。

 

 

 

 

 

 

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デマ、偏見、盲点 22: 何がバブル崩壊と戦争勃発を引き起こすのか? 1


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これから、二つの悲惨な結果に至るメカニズムを考えます。

バブル崩壊と戦争勃発はまったく異なるように見える。

しかし実は同じようなメカニズムが働いているのです。

三回に分けて説明します。

 

 

* バブル崩壊と戦争勃発について

 

なぜバブル崩壊が起きるのでしょうか?

誰かが裏でバブル崩壊を煽っているのでしょうか?

残念ながら経済学は崩壊をうまく説明できない。

 

概ね投資家達(市場参加者)はバブルを好調とみなし歓迎します。

しかし一方で彼らは破産に至るバブル崩壊を恐れます。

一部、間違いなく救済される巨大銀行や崩壊の先頭を切って売り逃げた投資家は別です。(毎回、自分だけは別だと夢想している)

 

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なぜ戦争は起きるのでしょうか?

誰かが裏で戦争を煽っているのでしょうか?

この手の話はいつも巷に溢れています。

しかし多くの真実は戦争が終わってからでしかわからない。

(これを第2次世界大戦とベトナム戦争を例に注釈1で説明します)

 

平和時であっても、概ね国家は戦争を避けようとして軍備を整えます。

まして緊張が高まると増強へと舵を切ります。

概ね指導者は膨大な人命と破壊が起きてしまう戦争を望まないはずです。

少なくとも国民は戦争が二度と起こらないことを強く望むはずです。

一部、戦争をしても被害の少ない大国や支持率が上がる指導者、莫大な利益を得る軍産共同体は別です。

 

バブルを煽る投資家達も軍備増強を推し進める国家も共にその悲惨な結果を恐れることでは共通しています。

それでは、なぜ望まない悲惨な結果が生じるのでしょうか?

 

 

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* バブル崩壊のメカニズム

 

バブルは経済好調と紙一重ですが、ほぼ確実にバブルは崩壊します。

 

これは投機家らが株価(金融商品)の高騰が続かないと不安を抱くことが引き金になります。

このタイミングは微妙です。

バブル崩壊の直前まで、多くの経済指標(生産高や失業率)は良好だったのですから。

 

一つ明確なことは、暴落する時、最初に売り逃げた者は利益を得るが、後になればなるほど投機家達は莫大な負債を背負う運命にあることです。

暴落が始まると、手のひらを返すように貸し手(銀行)が投資資金の回収を急ぎ、逃げ遅れた投機家は莫大な含み資産の所有者から一転して莫大な借金を背負うことになります。

(これを土地投機を例に注釈2で説明します)

 

この被害は投機資金のレバレッジが効いているほど、中央銀行によるマネーサプライが多いほど起き易くなります(巨額の借金を安易に入手出来る為)。

 

この時、投資家や金融業が破産するだけでなく、必ず国民も大不況の被害(不景気、失業、福祉カットなど)を長期に被ることになります。

これは銀行の倒産などに端を発する金融危機、つまり巨大な信用収縮が起きるからです。

この深い傷を放置すれば、過去のバブル崩壊(恐慌)後の景気後退のように、設備投資や消費が回復するのに何十年かかるかわかりません。

深刻だったのはヨーロッパの1857年から、米国の1929年から、日本の1991年からの二十年を越える景気後退でした。

 

このため崩壊後、政府と中央銀行は数十兆円から数百兆円を主に金融市場に投じるのです。

この金額で暴落時の全金融商品(株価など)の評価損を幾分なりとも補うのですが、悲しいことに国民が負担する税金と赤字国債で賄われます。

 

実はリーマンショック時の全金融商品の評価損はよく分からない。(不明な理由はシャドウバンキングの取引額が分からないためです)

しかし当時のクレジット・デフォルト・スワップ(金融商品の保険)の取引額が6800兆円に上っていたので評価損は見当がつきます(想像を越えますが)。

 

つまりバブルで儲け、崩壊を引き起こすのは投資家(市場参加者)なのですが、その結果、その痛いツケを強制されるのは傍で浮かれていた国民なのです。

 

 

次回は戦争勃発のメカニズムについて説明します。

 

 

注釈1

ベトナム戦争は誤解から始まり、深みに嵌った戦争の代表例です。

 

戦争の発端は第二次世界大戦後に始まる冷戦の敵対感情の高まりにあった。

さらに離れた大陸にあり、異質の文化を持った米国とベトナムは互いに相手国をまったく知らなかった。

 

初期の接触、ベトナムでの小さな戦闘でこじれたことにより、その後は疑心暗鬼から大戦を凌ぐ爆撃量になるまでエスカレートしていった。

そして米国では大統領が替わるたびに停戦を志向するが、選挙を意識し敗戦の将の不名誉を避けようとして益々深みに嵌っていった。

終わってみると、この戦争で800万人の死者と行方不明者が出ていた。

 

後に、両国の当時の最高指揮官達が会談して初めて互いの誤解に気づくことになった。

この会談は1997年、ケネディ大統領の下でベトナム侵攻の采配を振るったマクナマラ元国防長官が、ベトナム側に要請して実現したものです。

詳しくは私のブログ「戦争の誤謬 7、8: ベトナム戦争1、2」を参考にしてください。

 

第2次世界大戦を引き起こしたヒトラーは外部に凶悪な敵がいると扇情し国民を魅了した。

その敵とは主に共産主義者、ユダヤ人、フランスやロシアの周辺国でした。

しかし、やがてドイツ国民は真の破壊者が誰であるかを知ることになるのですが、それは戦争の末期になってからでした。

多くの国民は戦後10年間ほど、ヒトラーに騙された被害者であると感じていたようです。

その後、加害者の自覚が生じ反省と償いが本格化した。

 

一方、共に戦端を開いた日本では国民が軍部に騙されたと気づいたのは敗戦後でした。

しかもドイツと違って、未だに誰が真の破壊者であったかを認めない人が多い。

極め付きは、国の指導者でさえ相変わらず過去の美化に懸命です。

 

これでは誰が戦争を始めたかを理解出来ないので、当然、戦争を食い止めることなど出来ない。

おそらくは同じ過ちを繰り返しても気づかないでしょう。

 

 

 

注釈2

身近な企業経営者が1880年代のバブル時にハワイの別荘を買い、バブル崩壊と共に夜逃げしたことがありました。

この過程を説明します。

 

バブルが始まると最初に工場を担保にし、1億の手持ち資金で国内不動産を購入し、これが数年で2億の評価額になりました。

次いで、これを担保に借金し、別に買った物件がまた4億円に高騰しました。

これを繰り返して行くうちに、遂にはハワイの不動産を買うことが出来た。

 

絶頂期に彼は総資産20億、借金10億で純資産10億となったことでしょう。

(ここで売れば良かった!!)

しかしバブルが崩壊し、すべての不動産価格が購入時の半値になりました。

彼の総資産は1/4以下に減価し、不動産をすべて売却し返済に充てても借金5億が残りました。

こうして彼は破産しました。

 

金融商品投資でレバレッジを30倍効かせれば、暴落時の借金はこんな少額では済まない。

ここ半世紀、規制緩和でレバレッジが上がり、金融緩和でマネーサプライが巨大になって投機資金が膨大になり、その尻ぬぐいで累積赤字が天井知らずになっている(減税と公共投資も追い打ち)。

 

毎回のバブル崩壊で、このように土地、株、商品取引などの高騰と暴落が繰り返されている。

資本主義国だけでなく中国も不動産(マンション)と株で同様の高騰な続いています。

 

 

 

 

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デマ、偏見、盲点 20: 衆愚政治の恐ろしさ


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今日は、今、世界を席巻しつつある衆愚政治についてみます。

これは大衆迎合、ポピュリズム、右傾化、全体主義とも重なります。

世間ではこれを肯定する人々がまだ多数おり、危険な状態が続いている。

 

 

 

はじめに

皆さんはヒトラー総統やトランプ大統領は衆愚政治やポピュリズムを象徴する人物と思いますか?

 

言葉の厳密な定義は、学者でも意見が分かれていますので、気にしないでください。

イメージで結構です。

例えばヒトラーとトランプの似ている所はどのようなところでしょうか。

 

先ず、演説時の壇上のパフォーマンス、特に表情、手の扱いなどが似ています。

共に一貫性のある思想や政策がない(ヒトラーは適宜変節していった、トランプは支離滅裂か自由奔放)。

既存のエリート層、政治家、大企業、マスコミ、知識人を徹底的に否定する。

一方、我こそが大衆、労働者の味方で、雇用と労働条件向上を実現すると宣言する。

その達成手段は、自民族(ゲルマンかホワイト)だけの繁栄、他者(ユダヤかムスリム)を排除、そして力の行使(軍事力か経済力)で共通する。

 

二人は大変似ており、ヒトラーが衆愚政治によって生まれたのだから、トランプもも衆愚政治の産物と言えます。

それではなぜ、悲惨な歴史を知っているはずの人々が、未だにトランプを評価するのでしょうか?

 

トランプを肯定的に見る識者達の見解を要約すると以下のようになるでしょう。

一つは、彼らの多くは米国の共和党寄りのようで、単に民主党嫌いが理由のようです。

もう一つは、トランプが優れたトップの可能性を秘めいていると言うものです。

 

実は、ここに問題があるのです。

歴史的に見て、衆愚政治でトップになった人物は、その大言壮語なスローガンと破壊的な行動力が大衆から絶大な期待を集めていたのです。

 

衆愚政治のトップに共通する特徴があります。

彼らのほとんどは徳が無く下劣な品性の持ち主ですが、敵をやり込める口汚さなどの攻撃能力や大衆受けする芝居がかった振る舞いが前者の欠点を帳消しにして余りあるのです。

ヒトラーの場合は、クーデター未遂事件での収監時の態度が潔しとされ、トランプは身銭を切って選挙を戦ったことで好感されたように。

また共に、敵を徹底的に打ちのめします。

ヒトラーがスパイ紛いの汚い仕事をしていようが、トランプが税金を払わず、幾度も倒産して事業を拡大していようが人々は問題にしないのです。

 

衆愚政治の真の恐ろしさは、このようなトップを待ち望む人々がたくさん存在することなのです。

人々の期待を実現すると大風呂敷を広げ、行動力があると思わせれる人物が、衆愚政治のトップになるのです。

その結果、多くは破局に向かうのです。

 

破局に至る理由は簡単で、その手の行動力があると思われる人物は道理を顧みず、未来を深慮せず、他者を害することを厭わないからです。

社会が閉塞状態になったり、外からの脅威に晒されたと大衆が強く感じると、このような人物こそが、現状を打開できる人物と見なされ易くなるのです。

このことは米国で行われた心理学の泥棒洞窟実験が良く説明しています。

 

国が軍事的脅威に晒されると、粗野であっても、こわもてのトップが選ばれるのが常です。

衆愚政治から生まれたトップがいつも不幸をもたらすとは限らないが、社会が危険になる確率は高まる。

 

 

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衆愚政治の代表例

実は、世界史に名だたる衆愚政治の極め付きが2400年前にあった。

これは有名な古代ギリシャの都市国家アテナイで起きた。

この実に馬鹿げた悲惨な事件は、衆愚政治の愚かさをよく物語っています。

 

時は、紀元前415年、アテナイは200隻の軍船と数万の漕ぎ手と兵士をシチリアに向け出撃させた。

そして全滅するか、捕虜になってすべてが死んでいった。

 

戦史家トゥキュディデスはこの戦いを「ギリシャ史において、これ以上なく悲惨な敗北を喫し、完膚無きまでに打ち負かされた」と語っている。

 

 

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この戦いはなぜ始まったのか。

古代ギリシャとアテナイの絶頂期はペルシア軍を撃退した紀元前5世紀前半でした。

盟主アテナイは軍事力と軍事遠征で巨大な富を手に入れることに味を占め、やがてギリシャ全土が戦いに明け暮れるようになった。

その大きな戦争の一つがスパルタとアテネが勢力を二分して戦ったペロポネソス戦争(B.C.431-B.C.404)で、これが衰退の始まりでした。

 

アテナイは絶え間ない戦争で疲弊していたが、降ってわいたシチリアからの救援要請に、世論は慎重派と積極派に分かれた。

慎重派はアテナイの国力が前回の戦いから充分回復していない状況で、兵力が充分な手強いシチリアへの遠征は無謀だとした(これは的確な情報分析だった)。

 

すると、若い煽動家アルキビアデスは、シチリアは大きいとは言え、烏合の衆であり、気概のある相手ではなく、この際、支配権を拡大する絶好の機会だと訴えた。

そして大勢は決し、しかも大編成で行うことになり、彼は遠征軍の三人の司令官の一人に任命された。

 

ところが出撃すると、彼は神像破壊の容疑者としてアテナイから召喚を命じられます。

彼は日頃から傲慢で放埓であった為、敵が多く疑いがかけられたのです。

すると彼は敵国スパルタに亡命し、アテナイの情報を漏らし、スパルタにシチリア遠征を薦め、遂にアテナイ軍は殲滅されることになった。

 

なぜこんな裏切り者の軽薄なアルキビアデスの言をアテナイ市民は信じたのだろうか?

彼は名門貴族の出で、ソクラテスの弟子であり、演説家、政治家で、その美貌と才能によって市民に絶大な人気があった。

また彼は野心家で、それまでも遠征を焚き付けており、今回、成功すれば自分の名声と富が一層高まることをもくろんでいた。

彼の演説を聞いたアテナイの若者達は、昔の栄光の再来を夢見て、遠征に熱狂していったのです。

その後、アルキビアデスは各地で問題を起こし、ついには暗殺された。

 

この話には更に落ちがあります。

始め、アテナイはシチリアでの敗北を信じず、やがてパニックになった。

慎重派があれほど無謀だと指摘していたにも関わらず、現実逃避していたのです。

 

その後、アテナイの同盟国が次々と反旗を翻した。

その混乱の中、アテナイは民主政を捨て暴政にのめり込み、あらゆる面で衰退が加速していった。

ちょうどこの頃(B.C.399)、皮肉屋のソクラテスは濡れ衣を着せられ毒殺されることになった。

その後、アテナイはスパルタに占領され、さらに半世紀後(B.C.338)にはマケドニア王国に屈服し、ついに命脈は尽きた。

 

 

4ソクラテスにシケリア遠征の中止を説かれるアルキビアデス

< 4. ソクラテスがアルキビアデスにシチリア遠征の中止を説く >

 

 

何が問題なのか

まさに、アテナイのこの一連の事件には「はじめに」で紹介した衆愚政治のパターンが凝縮されている。

 

閉塞状態に陥っていたアテナイ市民は、アルキビアデスの欠点には目もくれず、途方もない夢だからこそ飛びついたと言える。

彼は野心家で、大言壮語し、責任を取るどころか裏切りすら平気な人物でした。

そんな人物に振り回され、あれだけ栄華を誇り、民主政を生み出した国家が無惨な結末を迎えたのです。

 

もしアテナイの市民が煽動家アルキビアデスを信じなければ、または彼が生まれていなければアテナイは繁栄を続けることが出来たのだろうか?

この文章でアルキビアデスをヒトラーに替えたら・・・・。

 

大なり小なり、代わりの人物がこのトップの役を担うことになるでしょう。

もっとも、アルキビアデスやヒトラーほど優秀(極悪)ではなく、損失はまだ少なくて済んだかもしれませんが。

つまり、最も恐ろしいのはこのような人物をトップに崇める人々、偏向したマスコミ、権益擁護者の存在なのです。

 

 

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現在、あなた国のトップは、このアルキビアデスのような人物ではありませんか?

その人物は家柄が良く人気があり、大言壮語し、力に頼り、敵を激しく罵り、簡単に辞めたり、方針転換したり、都合が悪くなれば逃げ回る人物ではありませんか?

 

もし居るとすれば、衆愚政治を支える人々が多く居ることの証であり、それが減らない限り、同じようなことが続くことになる。

とりあえず、そんなトップは居ない方が良いのですが。

 

 

皆さん、くれぐれも注意願います。

 

 

 

 

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何か変ですよ! 62: 偏狭なものの見方


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今回は、巷に溢れる偏った歴史観を取り上げます。

日本の憲法や敗戦に関わる問題をみます。

 

 

 

結論は・・

一見、ここでも右派と左派、またはタカ派とハト派の違いがあるように見える。

しかし、より重要なのは単純に視野が狭いか広いか、より広い範囲の他者の気持ちに寄り添えるかです。

 

こうは言っても、視野が広いとは何を指すのか、また他者とは誰なのかは人によって異なります。

ここでは二三の例を挙げ、簡単に視野の狭さや他者との境界を指摘しながら、偏狭なものの見方の悲しさをみます。

 

 

ある人々が言い募る説とは

第二次世界大戦(太平洋戦争)の敗戦にまつわる恨み節が、今またぶり返している。

当時の米国による酷い仕打ちを盛んに言い募っている。

さらに言えば、相も変わらず侮辱感に囚われたままで、そこから脱皮出来ないようです。

 

「日本国憲法はマッカーサーの押し付けで、不当だ!」

「東京裁判は勝者による報復の茶番劇だ!」

「日本人の能天気な平和感は、米国の洗脳だ!」

 

目立つのは、こんなものでしょうか?

これからの話は、あまりまじめに考えて頂かなくて結構です。

どこに可笑しさがあるか判って頂ければ充分です。

 

 

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何が変なのか?

敗戦時、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が日本の占領政策を推進し、様々な改革を行った。

GHQを取り仕切ったのは米国のマッカーサーでした。

彼は公の場で「日本人は12歳だ」と発言していた。

 

そして、彼が日本国憲法案を日本に押し付けたとされている。

ある人々は、これを日本人が考えた憲法では無いから、けしからんと言い、作り変えるべきだと言う。

 

しかし、私はこれを聞いて不思議に思う。

当時、大日本帝国憲法(1889年公付)を後生大事に守り大失敗をしておきながら、明治に始まる神権的な前近代的制度から抜け出せずにいた為政者達が、果たして現代に通じる民主的な憲法を発案出来ただろうか?

 

確かに市井には進歩的な草案もあったが、政府は受け入れるはずもない。

軍事大国化し大陸進攻を図る過程で、反対する声は一部にはあったが、もみ消されたように。

 

情けないことなのだが、当時、日本の体制が自ら民主的な憲法を作り出すことは困難だったでしょう。

地主制、女性の選挙権などをみれば如何に遅れていたかが一目瞭然です。

 

それでは同じ占領されたドイツ(西ドイツ)はどうだったのでしょうか?

ドイツは第一次世界大戦の敗北を経験して、当時世界で最も民主的なヴァイマル憲法を1919年に制定していた。

これがあって、第二次世界大戦後の分断された占領下にあっても、各州代表による憲法制定会議が開催され、連合国によって批准されたのが今の憲法です。

つまり、下地が既に出来ていたのです。

 

 

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可笑しさはこれだけに留まらない

それほど屈辱感にさいなまれるなら、そんな横暴な米国の庇護の下から離脱すれば良いと思うのは私だけでしょうか?

安保法制、為替などの経済・金融政策、特定秘密保護法など、どこまで米国追従に深入りしていくのか?

 

ある人々は、現在の「寄らば大樹の陰」は必要だが、かつての横暴な仕打ちだけは許せないと言う。

この手の人が言う大人の態度とは、どちらも結果が良ければ良しだと思うのですが。

 

さらにこんな反論が出るかもしれない。

今の米国とかつての米国は違うはずだと!

少し、話が怪しい。

 

世界を見れば、侵略国や戦勝国の態度はどこも似たり寄ったりでした。

植民地支配された国は、当時、欧米から尊敬されたでしょうか?

もちろん侮蔑され差別された。

 

戦勝国は、占領国に対して侮蔑感をまったく持たずに接したでしょうか?

一部にはいたでしょうが、大勢は憎しみとの裏返しで侮蔑感を持つものです。

それが戦争です。

日本人も大陸に進攻し、現地を支配するようになると同じ轍を踏んでいった。

 

つまり、この屈辱感は何時でも何処でも敗者が勝者から受けるものなのです。

よくもまあ自国のことは棚に上げる身勝手な神経が私には理解できない。

 

もっとも、自分達の懐古趣味(天皇制や明治時代への回帰)を満足させるために難癖をつけているだけとしたら、これも悲しい。

 

 

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この御説はどうでしょうか?

東京裁判への批判も同様に狭量で身勝手な感情の基づいたものがある。

「戦犯はでっち上げで、無実だ!」と。

 

もし、連合国側が強硬に裁判を開き、戦時下での事実を公開しなければ、日本の国民は未だに真実を知ることはなかったでしょう。

当然、この裁判にはパール判事らが指摘したような問題―事後法の適用と植民支配の反省を棚上げする大国、がなかったとは言えない。

しかし、戦争事態が超法規的な行為であり、場合によっては事後法も止む得ない。

どちらにしても、当時、問題を含みながらも、世界が戦争の再発防止に協同し、従来よりは一歩前進した。

 

ここで指摘したいことは、同じ戦犯裁判(ニュルンベルク裁判)を受けたドイツの変化です。

これが行われていた当時、ドイツ国民は概ねヒトラーに騙された被害者としか考えていなかった。

しかし、それから十年ほどど経つと、国民の中から自らも戦犯を裁くべきとの世論が沸き起こった。

そして、真にヒトラーやナチスとの決別を図ることが出来たのです。

 

一方、日本はどうでしょうか?

いまだに、外国(主に米国)の謀略に嵌ったと言う被害者意識から抜け出せない人々がおり、さらに悪いことに、これら人々に支えられた人物が政治のトップになることが出来たのです。

 

実に、不思議な国があるものです。

 

 

 

さらに、これはどうでしょうか?

もっと単純な例として「日本人の能天気な平和感は、米国の洗脳だ!」があります。

 

結論から言うと、日本人の平和感は先天的です。

これは日本列島の地政学的な理由、歴史的に日本海の軍事的な障壁と唯一の大国中国からの距離に依存していた。

 

GHQが軍国主義復活を恐れて、平和の礎を強制的に植え付けようとしたのは確実です。

しかし、それが戦後70年を経た今まも、悪霊に取り付かれたかのように言うのは、国民を馬鹿にしている。

 

逆に言えば、米国の軍事戦略に乗って、日本を極東の防波堤にしようとする手段に利用されているように思える。

 

もし、70年前の出来事が、一国の心を支配し続けるとしたら、日本がかつて支配した東アジアの国々も同様に恨みを持つ続けることになりますが?

おそらく「米国の洗脳だ!」と指摘する人々は、これとは違うと言い逃れるでしょう。

 

 

まとめ

ざっと諸説の可笑しさを見て来ました。

何が可笑しさを生み出しているのでしょうか?

 

一つは「自分が、自分が、・・・・」にあります。

別の言い方をすれば、狭い身内、広くて日本列島本島(大和民族)しか念頭にないからです。

このような考え持つ人は、身びいきで、同調する人や付き従う人々には寛大で有難い存在です。

つまり、他者との境界が非常に狭いのです。

 

もう一つもこれと関連すのですが、都合の良い事実しか見ないのです。

つまり、世界の歴史は当然、都合の悪い自国の歴史も否定します。

 

おそらく最も本質的な事は、他者への共感が苦手なのでしょう。

この手の人々は身内には共感出来るのですが、地球の裏側の人々への共感が無理なのでしょう。

これは本質的な心性のひとつです。

 

分かり易い例があります。

実は動物は、本来、同種であっても縄張り外の者(他者)に対して敵意をもつように進化しました。

一番、鮮明なのはチンパンジーです。

チンパンジーは同じ群れであれば、最高度に協同して狩りなどを行います。

しかし、部外者が縄張りの近く現れると、大声で恐怖の声を挙げ、下痢をしながら飛び回るのです。

 

しかし、進化した人類はこれと異なり、縄張り外(国外)の人、言語や人種の違いを乗り越えて協力することができるからこそ、今の発展があるのです。

時たま、チンパンジーより残酷になるのがたまに傷ですが。

 

 

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最後にお願い

どうか皆さん、くれぐれもおかしな風潮に流されないでください。

 

 

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デマ、偏見、盲点 18: 左翼と右翼の戦争


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今回は、右翼と左翼が思い描く戦争を通して、戦争の危うさを考えます。

ここで指す右翼とは、右翼寄りの人、右傾化した人も含み、左翼も同様です。

 

 

はじめに

先日、私がトランプ大統領の指南役スティーブン・バノンのことを話していたら、思わぬ問がありました。

 

今回のトランプ大統領誕生の最大の功労者はバノンで、彼がいなくては大統領は人気を博すスピーチも政策立案もままならなかったでしょう。

このバノンは政治に強い関心を持ち、右翼のオンラインニュースを立ちあげていた。

彼が目指したの、ホワイトハウスとエスタブリッシメント(支配層)を破壊することで一種のクーデターであり、実現の為にトランプを祭り上げた。

その理由は、現状の腐敗し体たらくなホワイトハウスでは第三次世界大戦を凌ぐことが出来ないと考えたからでした。

 

ここまで説明すると、ある人が「右翼は戦争をしたがる筈なのに?」と言って腑に落ちないようでした。

 

この問には、右翼と戦争に対する誤解がある。

 

それでは皆さん、右翼と左翼どちらが戦争をするのでしょうか? 注釈1.

 

左翼は、右翼こそが軍隊と戦争を望むと信じているようです。

逆に右翼は、左翼こそが暴力を容認し、一方で負け犬になると信じているようです。

 

 

 

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この見方は正しいのでしょうか?

右翼の中には、ヒトラーが社会主義者だから、極悪な戦争を始めたと信じている人がいる。

一つには、ナチスが「国家社会主義ドイツ労働者党」の略称だからでしょう。

歴史を知れば、彼は国粋主義者(ファシスト)で右翼だとわかるはずです。

 

それでは日本が満州事変へと突き進んだ1930年代、この大陸進攻を牽引したのは社会主義者か国粋主義者のどちらでしょう。

牽引した多くは軍人でした。

 

これらの解釈に混同があるのは、偏ったマスコミや言論などの影響が大きい。

端的な例として、満州事変が始まる前、売り上の上位は朝日と毎日で、読売はかなり少なかった。

しかし、事変が始まると他社より遥かに売上を急伸させたのは読売新聞でした。

朝日や毎日も売り上げを伸ばしてはいたが。

これは読売が最も戦争に反対していたからでしょうか?

 

この手の勘違いは、熟慮せずに心地良い説に飛びついたからなのですが、実は、ここに右翼の心性があるのです。

当然、左翼の心性もあります。

後に、両者の心性について解説します。

 

 

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米国の戦争を振り返り、右翼と左翼の違いをみます

軍事大国の米国で、民主党と共和党のどちらがより戦争をしていると思いますか?

 

主な戦争を始めた政党と大統領を挙げます。

開戦には複雑な経緯があるのですが簡略化しています。

 

南北戦争はリンカーン(共和党)。

第一次世界大戦(ウイルソン)と第二次世界大戦(ルーズベルト)は民主党。

朝鮮戦争は民主党。

ベトナム戦争はケネディー(民主党)。

コソボ紛争への介入はクリントン(民主党)。

湾岸戦争とイラク戦争はブッシュ親子(共和党)。

 

こうして見ると、ハト派と見做されている民主党の方が、大きな戦争に加担し、多くの死者を出している。

 

皆さんは、民主党と共和党の戦争に違いがあると思いますか?

一般には以下のように言われている。

民主党は、世界の平和や人権を守る為に、他国に介入し戦争も行う。

共和党は、他国への介入を避けるが、自国の主義や権益擁護の為には断固戦う。

 

それではこれら戦争を簡単に検討します。

*南北戦争で決着をつけたからこそ、国の分裂を防いだと信じらている。

*二度の世界大戦と朝鮮戦争への参戦、コソボ紛争介入がなければ、より酷い状況になった可能性がある。

*ベトナム戦争とイラク戦争は誤解に基づいた開戦で、より酷い結果を招いたと言える。

*湾岸戦争は予防的な開戦で、不要だった可能性がある。

(これら戦争には、参戦や開戦、介入の是非を巡りいまだに賛否両論がある。)

 

これらの戦争は、2度の世界大戦以外、自国が攻撃されたから反撃したのではなかった。

つまり、自己防衛ではなく、同盟傘下の保護または予防的な戦争と言える。

これには放置すればいつか自国に悪影響が及ぶかもしれないので、早めに叩かなければならないとの思惑がある。

当然、米国は世界や自国の安全保障の為に戦争を始めたと言うでしょうが。

 

つまり、右翼(共和党)も左翼(民主党)も戦争を行うのです。

どうしても軍事大国になると安易に戦争を始めやすい。

 

 

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予防的な戦争について知っておくことがあります

予防的な戦争が許されないのは当然ですが、実は無視してはならない歴史的教訓があります。

 

ヒトラーがドイツで台頭し始めた時、周辺国では宥和策をとりました。

(日本はドイツと共に戦ったので別です。)

目立つのは米国のケネディ―大使(大統領の父)、英国のチェンバレン首相、そして隣国フランスです。

彼らは戦争を避ける手段として相手を刺激しない、または同じ独裁者ならスターリンを倒してくれるヒトラーを選んだのです。

しかしこれは間違いでした。

 

やがて英国で、軍人出身のチャーチルがヒトラーとの抗戦を表明した。

さらに米国のルーズベルトは米国民の厭戦気分を押して、参戦に持っていった。

こうして多大な犠牲を払ったが、世界が協力してドイツと日本の進攻を挫くことが出来た。

 

このことから、侵略軍を撃退出来る体制作り(軍備など)や心づもりは必要だと言えます。

とは言え、それほど単純ではなく、周辺諸国との軍拡競争を招く危険があります。

 

これと逆のケースがベトナム戦争です。

朝鮮戦争を経験した米国は、共産勢力を恐れ、南ベトナムで過剰防衛(予防的な戦争)に走り、ベトナム戦争に踏み切ったと言える。

 

この二つのケースは、過去の悲惨な戦争の経験や恐怖が尾を引き、リーダーや世論が選択を誤った例です。

 

ハト派的な宥和策もタカ派的な強硬策も共に巨大な戦争を招いたのです。

 

 

5

*5

 

 

右翼と左翼の心性とは何か?

右翼の心性には、見知らぬに他者への著しい恐怖心があるようです。

私が外国旅行をすると言えば、右翼の人ほど、現地(イスラム圏や韓国など)に不安を感じるようです。

これは彼らが偏見を煽るマスコミに影響されていることもあるが、やはり未知のものや他人に強い恐怖心や不安感を持つことにある。

 

一方、左翼の心性には、他者への不安感が少なく友情すら築けると思うようです。

一見、良いように聞こえるが、うがった見方をすれば甘い理想家とも言えます。

 

この両極端の心性が社会の変化に感応し、真逆のマスコミや言論界に共鳴し、益々偏りを深めることになる。

 

本来、この二つの心性は一人一人の脳内に共存しています。

 

未知のものに楽天的で、チャレンジする心性と、未知のものを恐れ、慎重に対処する心性は、人類が進化する過程で獲得したもっとも重要な相反する二つの能力です。

この二つの心性が、各人の生育過程で脳内ホルモンの分泌や左脳右脳の連携機能の発達具合により、人類の平均値よりそれぞれ一方に偏ってしまうのです。

 

願わくは、両方がうまく相乗効果を発揮すれば良いのですが。

もしかすると、この心性が年齢や男女差で異なり、ばらついていることが人類の発展と安全を生み出しているのかもしれません。

安心はできませんが。

 

ここで注意が必要なのは、左翼や右翼と呼ばれる人々が、本当にこの心性を有しているとは限らないことです。

例えば、一方に属すことにより得失がある場合などです。注釈2.

 

 

ここで簡単なシミュレーションをしてみましょう 注釈3.

敵対しつつある二つの軍事大国を考えます。

 

ここでは両者の心性の動きを中心に考えます。

それぞれの国が極端な右翼や左翼に支配されていればどうなるでしょうか?

 

一番分かり易いのは、両国が極端な左翼(ハト派)に支配されている場合でしょう。

おそらく宥和策が図られ、軍事衝突は遠のくでしょう。

 

次いで、両国が極端な右翼(タカ派)に支配されている場合はどうでしょうか。

これも単純明快でしょう。

互いに猛烈な恐怖心を抱き、宥和策を取れず疑心暗鬼に陥り、ついには軍拡競争、衝突に進むでしょう。

 

最後に、右翼が支配する国と左翼が支配する国が対峙している場合はどうでしょうか。

うぅ・・・・・・、難しい。

 

ヒントは、それぞれの国に左翼寄りと右翼寄りの心性を持った国民が同数いることです。(小さな集団は別にして、人類全体で見ると心性をもたらす能力は正規分布している)

右翼支配の国は不安を感じないが、左翼支配の国にやがて変化が起きるでしょう。

左翼支配の国民と言えども、右翼支配の国に恐怖心を抱き、急速に右傾化していくことになります。

こうなると結局、両国は共鳴するように軍拡競争を始め、衝突の可能性が高まるでしょう。

 

戦史を見ると、適切な政治文化と優れたリーダーに恵まれない多くの国が、この悲惨な状態に陥るのです。

 

元来、相手が本当にハト派だとか、タカ派だとか、軍事力が同等かを見定めるのは困難です。

現在は、地球全体が監視され、また以前に比べて互いの国情をより知ることが出来るようになっている。

しかし、それでも自国の政府やマスコミに報道の制限や偏向があるので、正しい情報が国民に伝わるとは言い難い。

 

 

要点はこうです。

 

一つは、互いが疑心暗鬼になり牽制を始めると、益々、亀裂は深まり、やがて軍拡競争、衝突につながる。

単純に、一国の過大な軍備は危険因子になる。

 

一つは、上記の過程が、外界に対する恐怖心の高まりを受けて、一気に加速する。

この恐怖心を強く抱き、牽制すべしと行動させるのが右翼の心性です。

 

一つは、互いの国情と内情を正確に把握できない為に、疑心暗鬼が増幅される。

これを防ぐにはひとえに国民の知る権利が守られることであり、特に為政者にとって都合の悪い情報を捏造・隠ぺいする政府と偏向したマスコミの存在が危険です。

 

 

 

6

*6

 

まとめ

これまで検討して来たことを整理しましょう。

 

*過大な軍事力は戦争を招きやすい。

 

*侵略に対する備えは必要ですが、軍拡競争や軍事大国化への注意が必要。

説明は省きますが、今後、世界は新たな防衛体制に進むことになるでしょう。

 

*極端な宥和策も強硬策も戦争を招きやすい。

 

*恐怖が高まると右傾化が興り、疑心暗鬼、軍拡競争へと進み、戦争を招きやすい。

だからと言って単純に左翼だから安全、右翼だから危険とは言えいない。

 

*国内外の情報が正確に素早く伝わることで疑心暗鬼を抑え、戦争の誘発を避けることが出来る。

 

 

追記

上記のことを踏まえれば、右翼を自認し挙動不審な現首相に憲法改正や軍事を任せることは、戦争の危機を高めることになるでしょう。

 

 

 

注釈1.

左翼と右翼の明確な区別や定義は複雑ですが、ここでは簡単に、左翼は革新、リベラル、ハト派で、右翼は保守、ナショナリズム、タカ派としておきます。

 

元来、左翼と右翼の意味は時代や社会で変化します。

各人が左翼的か右翼的となるのは、個人の心理的、文化的、政治的、社会的、思想的な背景、それに加えてマスコミ、言論界など多彩な影響によります。

一言で言えば、多くの人は属している社会とムードで両端に振れることになる。

 

注釈2.

共産主義の中国上層部や軍部には右翼の心性を持った人が多いはずです。

特に保守的な傾向を持つからこそ出世出来るはずです。

例えば、右翼的な教育を目指す学校建設を謳えば政府からの支援があるような場合などです。

 

注釈3.

この説明は、「互いを牽制することが如何に状況を悪化させるか」の社会学的実験の結果、脳科学の知見を参考に書いています。

 

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 71: Why was it exhausted ? 9: The mentality of the imperialism 2


中東に平和を! 71: なぜ疲弊したのか 9: 帝国主義の心性 2

 

1

*1

 

We again look at last part of their real intention, and I sort out the points of it.

 

前回に続いて事例を数点記し、まとめます。
帝国主義に走った人々の心に迫ります。
Case E
Victor Yugo, a 19th-century French writer of “Les Miserables”, said as follows at a celebratory feast of slavery abolition commemoration in 1879.

“Please advance southward!
Africa has no history.
But Africa is important for our world.
If people live in Africa, they are savages.
Invest your excessive desire in Africa!
At the same time, solve all social problems! ”

While suing social justice in his own country, he was discriminatory against the non Western world. Annotation 1.

 
事例E
19世紀フランスの「レ・ミゼラブル」の著者ヴィクトル・ユーゴは1879年、奴隷制廃止記念の祝宴でこう述べた。

「 南下したまえ!
アフリカには歴史がない。
しかしアフリカは世界にとって重要だ。
アフリカに人が住んでいれば、それは未開的野蛮だ。
諸君の抱く過剰なものをアフリカにつぎこみ給え!
同時に諸君のもろもろの社会問題を解決し給え! 」

国内で社会的正義を訴える一方で、非西欧世界に対しては差別的でした。注釈1.

 

2-1-1
< 2. New Caledonia >
< 2. ニュー・カレドニア >

 

Case F
I quote the description of New Caledonia from a book written about the French colonies issued in 1888. Annotation 2.

“On this vast land, the population of 70 thousand were reduced to 23 thousand people for less than half a century.
The causes of the population decline were various.
…..
British, Spanish, American, Australian hunted indigenous people at the beginning of colonial occupation, but we did not hunt indigenous people.
France treats all barbarian as human, and we will not be criticized as the colonization upon a grave. ”

 
事例F
1888年に発行されたフランスの植民地について書かれた本から、ニュー・カレドニアの記述を引用します。注釈2.

「この広大な土地で半世紀も経ないうちに人口7万が2万3千人になった。
人口減少の原因はさまざまである。
・・・・
イギリス人、スペイン人、アメリカ人、オーストラリア人たちは植民地占領の当初に原住民狩りをしたが、我々は原住民狩りをしていない。
フランスは・・・すべての野蛮な民族に対して人間的であり、『墓場の上に植民化』しようとするといった非難を浴びることはないだろう。」

 
Case G
In 1905, one Catholic pastor said at a meeting for protection of indigenous people. Annotation 3.

” In France, people are punished for stealing and thieving, but why are not the same people punished for it in distant area that black people live near the equator in Africa, and Chinese wearing different clothes live in?
One reason of it is egoism.
This is forbidden by good sense and Christian spirit.
There are two types of morality here.
…..
Action that hurts us are forbidden to other person, and the same action is forgiven when we gain the benefit of it.
…..
We are expanding our influential sphere, making a marketing channel for products, doing colonization, and civilizing, etc. ”

 
事例G
1905年、ある原住民保護の集会で一人のカトリック牧師が言った。注釈3.

「フランス本国で泥棒や盗みは罰せられるのに、遠いアフリカの赤道下の黒人や衣服の違う中国人のところでは罰にならないのか。
エゴイズムによるものがある。
それは理性やキリスト教精神によっては禁じられているものだ。
二種類の道徳がある。
・・・
我々を害するものは他の人々には禁じられ、その同じことがわれわれの得になる時は許されている。
・・・我々の影響圏を拡大し、商品の販路をつくり、植民化し、劣った人種を文明化するなどいっているのだ。」

 

3

*3
Case H
I quote from an article on imperialism of “Histoirie de l’Europe” published in 1994. Annotation 4.

“The rise in this nationalism did not compromise the sense of solidarity of the entire Europe that had been handed down from generation to generation.
This is because, in large part, this emotion has been fostered by collective superiority consciousness towards other countries in the world.
Adversely, It was also strengthened from the fear of being threatened someday by foreign forces, especially Asian powers. ”

 
事例H
1994年刊行の歴史教科書の帝国主義から引用。注釈4.

「このナショナリズムの高まりは、長らく引き継がれてきたヨーロッパ全体の連帯感を損ないはしなかった。
というのは、この感情は世界の他の国々に対する、集団的な優越意識によって醸成されてきた、という部分が大きかったからである。
またそれは、裏返しに、いつの日か、外国の勢力、特にアジアの勢力によって脅かされるのではないかという恐怖心からも強められていた。」

 
Why did the West Europeans begin the imperialism?
Why did the people forgive their deprivation, even though people pulling the imperialism had economic and political incentives ?
I think that the people were able to avoid the guilty conscience by the following psychology.

* Superiority of Western European civilization: They considered different culture, social system, or custom as rudeness.

* Superiority of Christian : Anything was permitted for the purpose of missionary work towards heathen.

* Superiority of white folks: All folks except white folks were regarded as undeveloped.

* Fear of foreign civilization: They were anxious about invasion from Asia. Annotation 5.

* Competitive spirit within Western Europe: each country feared becoming a loser if lagging the competition.

These were created from the situation of the time, but if we think about it well, we can notice it may happen outside the Western Europe.

The important is that it happens at any time unless we hard control ourself.

This continues to the next time.

 

西欧人はなぜ帝国主義に走ったのか?
帝国主義を牽引した人々には経済的・政治的な動機があったとしても、なぜ国民はその収奪行為を許したのだろうか?
私は国民が以下の心理によって罪の意識を回避出来たと考える。

* 西欧文明の優越: 異なる文化・社会制度・風習を低俗と見なす。
* キリスト教の優越: 異教徒への宣教の為には何でも許される。
* 白人の優越: 白人以外の人種をすべて未発達と見なす。

* 異文明に対する恐怖: アジア等の侵略を懸念。注釈5.
* 西欧内の競争心: 競争に遅れると敗者になる恐怖。

これらは当時の状況から生まれたものですが、よくよく考えてみると西欧以外でも起こりうるものです。

要は、よほど自制しない限り何時でも起きることなのです。

 
次回に続きます。

 
注釈1.
参考文献「ヨーロッパがみた日本・アジア・アフリカ」のp45より.

注釈2.
同上のp174より.

注釈3.
同上のp182より.
注釈4.
同上のp151より.
詳しくは「ヨーロッパの歴史・欧州共通教科書」のp322より。

注釈5.
特に1905年の日露戦争後の日本に対して。

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Bring peace to the Middle East! 70: Why was it exhausted ? 8: The mentality of the imperialism 1


中東に平和を! 70: なぜ疲弊したのか 8: 帝国主義の心性 1

1

*1

Last time I explained about the mentality of Western Europe that advanced the imperialism.
This time, we look at a part of their real intention.

前回、帝国主義を進めた西欧の心性について語りました。
今回は、その本音を垣間みることにします。

 

2

*2
Case A
We focus on Xavier that is famous for having brought Christianity for the first time to Japan.
He was from Spanish aristocrat and founded the Society of Jesus as an elite unit of the Pope and was responsible for the Counter-Reformation. Annotation 1.

He aimed at Goa of India for missionary work to the world and missioned for several years.
In 1546, he asked to open a European-style religious trial in India.
At that time, the witch-hunting and the bonfires of the Inquisition were raging in Spain.

After he departed to Japan, Several dozen Hindus were burnt as heretic for a reason of having used a magic. Annotation 2.

 
事例A
日本に初めてキリスト教を伝えたことで有名なザビエルを見ます。
彼はスペインの貴族出身で、教皇の精鋭部隊として「イエズス会」を創立し、対抗宗教改革を担った。注釈1.

世界宣教の為にインドのゴアを目指し、数年宣教している。
この時の1546年、彼はインドで欧州式の宗教裁判を開くように求めている。
当時、スペインでは魔女狩りや異端審判が吹き荒れていた。

彼が日本に発った後、ヒンドゥ教徒が魔法を使うとして数十名が異端者として火刑になっている。注釈2.

 

3
*3
Case B
The following sentence is a quoted from the French philosopher Montesquieu’s book “The Spirit of Laws” in the 18th century. Annotation 3.

“I can’t think that our God who is very wise bestowed a good soul on the black body.
……
……
If we think that they are human being, people would assume that we are not Christians”

He had made humanitarian remarks, but the blacks were different things for him.

For example, Columbus arrived in Haiti of the Caribbean Sea in 1492.
There, the indigenous Indians were massacred, black slaves were carried from Africa instead of them, and had to work.
In the 18th century, France occupied Haiti and was producing great wealth by sugarcane and coffee cultivation.
And Montesquieu was indirectly profiting from the blacks slave trading.

The following sentence is a quoted from the pamphlet that defended the slave trade at that time.

“A slave merchant who is a pioneer of civilization is a temporal monk.
They save miserable pagans from barbarity, fanaticism, and superstitions.

Bringing black slaves to the United States is to open the gate of heaven for them. ”

 
事例B
18世紀フランスの哲学者モンテスキューの著書「法の精神」から引用します。注釈3.

「きわめて賢明な存在である神が、魂を、特に善良な魂を、真っ黒な肉体に宿らしめたことなど考えられない。
・・・・
・・・・
もし我々が彼らを人間と考えるならば、人々は我々のことをキリスト教徒ではないと考えるだろう。」

彼は人道主義的な発言をしてはいたが、黒人は別扱いでした。

例えば、カリブ海に浮かぶハイチに1492年、コロンブスが到着した。
先住民のインディアンが大量虐殺され、代わりに黒人奴隷が運ばれて来た。
18世紀になると、フランスがハイチを占領し、サトウキビとコヒー栽培で巨万の富を生み出していた。
そしてモンテスキューは間接的に黒人奴隷売買で利益を得ていた。

また当時の黒人奴隷貿易を擁護したパンフレットより。

「文明の先駆者である奴隷商人は俗世の修道士である。
彼らは哀れな異教徒を野蛮、狂信、迷信より救ってやるのだ。
黒人奴隷をアメリカに上陸させることで天国の門を開いてやっているのだ。」

 
事例C
1834年、フランスの政治家、詩人のラマルティーヌは議会で発言した。注釈4.
彼は財政的な理由でアルジェを放棄することに反対した。

「我々はアルジェを手放すことは絶対にない。
・・アルジェがフランスにすべての必要な利益をもたらさない場合、軍事的植民地として、また未開の野蛮に対する文明の前衛として、さらに我々に属する海である地中海に浮かぶ船として、・・・」

彼はアルジェを放棄しアラブに渡すことは文明の野蛮化に他ならないと言う。
Case D
In 1853, certain French aristocrat wrote “An Essay on the Inequality of the Human Races”, it was enthusiastically accepted, and became a racist Bible for Nazis later. Annotation 5.

“ For 30 years, we frequently hear that we have civilized other people in the world and tried to bring civilization to delayed kingdoms.
Well observe, but it was useless.
From olden days, I do not believe that any results have been obtained by it.
…….
…….
The civilization depends on whether the people in the kingdom are extinguished or are mixed with our white race. ”

“The black race stands under the stairs.
……
The yellow race has poor physical energy and is apathy.
White people are blessed with brainpower, and has strong reflective consciousness.
They have a sense for usefulness, it is wider and higher than the yellow race, and is more brave and ideal. ”

This continues to the next time.

 
事例D
1853-55年、フランス貴族が「人種不平等論」を著し、熱狂的に受け入れられ、後にナチスから人種主義の聖書とされた。注釈5.

「我々のところでは、この30年来、世界の他の人々を文明化し、しかじかの国に文明をもたらすということを頻繁に耳にする。
よく観察したが無駄である。
今も昔もそれによって何らかの結果が得られたとは思わない。
・・・
・・・(文明化)はその国の人々を消滅させるか人種的に混ぜ合わせるかによってである。」

「黒色人種は階段の下に立っている。
・・・
黄色人種は肉体的エネルギーが乏しく、また無感動なむきがある。
・・・
白人は反省する力というか、力強い知力に恵まれている。
彼らは有用性に対する感覚を持っているが、それは黄色人種よりも広く高く、より勇敢で理想的である。」

 
次回に続きます。

 
注釈1.
参考文献「ヨーロッパがみた日本・アジア・アフリカ」p30より.

注釈2.
この火刑はザビエルの意向ではないかもしれないが、彼らは異教徒に厳しい

ゴアで宗教裁判が行われたのは、当時、この地がポルトガル領インドの首府であり、ローマ教会布教の中心地になっていたからです。
もしかしたら、日本が西欧の植民地になっていれば同じことが起きたかもしれない。
注釈3.
参考文献、同上のp61,62より.
注釈4.
参考文献、同上のp90より.
注釈5.
同上のp99,100より.

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Bring peace to the Middle East! 69: Why was it exhausted ? 7: The period background of imperialism 2


中東に平和を! 69: なぜ疲弊したのか 7: 帝国主義の時代背景 2

1a

*1

Last time we saw why the imperialism began.
However, the explanation lacks a certain something.

前回、なぜ帝国主義が始まったのかを見ました。
しかし、何か大事なことが抜けている。

 

2

*2

 

What did it lack?
In the previous explanation, it is difficult to understand why competition for getting parts of colony began in the 1880’s.
There must be a common motive for Western countries, and I think it eventually led to two great wars.

In the latter half of the 19th century, there are some important changes that occurred in the Western Europe.

A: Capital exports and emigrants from the Western Europe had doubled every 10 years.
For example, the development of steamboats expanded a maritime traffic, and the export value was growing every year.
After the Industrial Revolution, the economy and the science technology developed, so the difference in national power between the UK and the US or the Germany was decreasing in size.

B: Although the economic recession had already occurred repeatedly, finally a major depression lasted for about 20 years since 1873.
As a result, each country took a protective trade policy, and at a same time nationalist sentiment intensified.

C: A thought “The Western Europe is superior to the other world and develops” had been timely widespread .
The people adopted Darwin’s theory of evolution, and they were convinced that the excellent Western civilization was evolving through the principle of the survival of the fittest.

D: In 1884, 14 Western countries held a conference in Berlin, and decided the rules of partition of Africa, then after that the competition for getting parts of colony began.

At that time, the Africa was an unexplored area where fever disease spread in, and the colony of the Western Europe was only 10% in it.
A conflict occurred when countries (Belgium etc.) that had lagged behind in getting of colony tried to enter it.
In order to prevent this conflict, certain rule ” the country that first occupied and dominated colony is granted the control of it” was stipulated.
Thus, the competition began.

Although there is a part overlapping with the previous explanation, you may notice a strange something.

 
何が抜けているのか
前回の説明では、1880年代から植民地獲得競争がなぜ始まったが分かり難い。
やはり西欧諸国に共通する動機があるはずで、やがてそれが二度の大戦へと繋がったように思える。

19世紀後半、西欧に起きていた重要な変化を挙げます。

A: 西欧からの資本輸出と移民が10年毎に倍増した。
例えば蒸気船の進歩が海上交通を発展させ、輸出額は毎年伸びていった。
また産業革命後、経済と科学技術が発展し、これによって英国と米国やドイツなどの国力差が縮小した。

B: 既に景気後退が繰り返し生じていたが、ついに1873年から大不況が約20年間続いた。
これによって各国は保護貿易に転じ、また愛国主義の風潮が高まっていった。

C: まさにこの時期、「西欧は世界に優越し発展する」との思想が広まっていた。
彼らはダーウインの進化論を取り入れて、優れた西欧文明は適者生存により発展していると確信した。

D: 1884年、西欧14カ国がベルリン会議を開き、アフリカ分割のルールを決め、この後、植民地獲得競争が始まった。

当時、アフリカは熱病が蔓延する未開の地で、1割が西欧の植民地となっていただけであった。
そこで、植民地獲得に遅れをとっていた国(ベルギー)が参入しようとして衝突が起きた。
この争いを防ぐ為に、ルール「先に占領し支配した国が領有する」が定められた。
こうして競争が始まった。

これは前回の説明と重複するところもあるが、こうして見ると不思議な事に気づく。

 

3

*3

What is it?
That is certain mentality of the Western Europe that appears in the above paragraph C and D, and it is probably more intense than East Asia.

If I were to use one word, it will be a feeling of superiority passing over a self-confidence of Westerners.
They who were Christian and White despised pagans and different races.
They understood a social system that was different from their society as deteriorating or undeveloped society.
What an inconsistent stance. Annotation 1.

 
それは何か
それは前述のC,D項に現れている西欧の心性で、おそらく東アジアより強烈と思われます。

敢えて言うならば、それは西欧人の自信を通り越した優越感でしょうか。
キリスト教徒であり白人である彼らは異教徒や異なる人種を蔑んだ。
彼らは自分達の社会制度と異なるものは劣化か未発達だと捉えるところがある。

例えば、欧米は東京裁判において日本を「平和に対する罪」などで裁いた。
この罪は侵略戦争に対して言っているのですが、この60年前のベルリン会議で、欧米は侵略を合法化していたのです。
如何にも矛盾しています。注釈1.

 

4

*4

 

What is the mentality of the imperialism?
In the age of European Imperialism, the brutality of the Western Europe that was shown in colonies was based on a strong discriminatory sentiments and contempt.

This would have lowered resistance sentiments toward exploiting and controlling the colonies.
Although this mentality was also common to the empire of Japan and the fascism of Nazi Germany.

Then, what has happened?
In 1914, the First World War began from one assassination incident in the Balkans.

In the competition for colony, the Western countries did not big fight against each other.
However, during the competition, eventually the greed of larger countries and the backlash of the colony must have exploded.

Knowing this process, the judgment of whether the imperialism was holding down internal conflicts or was preparing the world war depends upon the person.
I have the latter view.

This continues to the next time.

 

帝国主義の心性とは何か
帝国主義の時代、西欧が植民地で行った蛮行に通底しているのは、強烈な差別感情、蔑視でした。
これが植民地への搾取や支配への抵抗感を低くしたことでしょう。
もっとも、この心性は大日本帝国やナチスドイツのファシズムにも共通していたのですが。

 
その後、何が起きたのか
1914年、バルカン半島での一つの暗殺事件から第一次世界大戦が始まります。

植民地争奪では西欧各国は互いに大きな戦闘をすることはなかった。
しかし、植民地の獲得競争の中で、やがて大国の強欲と植民地の反発は爆発することになった。

この経緯を見て、帝国主義が内紛を抑えていたのか、はたまた世界大戦を準備していたのかは判断が別れます。
私は、後者の見方に立ちます。

 
次回に続きます。

 

 
注釈1.
この60年間の隔たりをどう見るのか。
それまでの西欧の激しい対立と戦争の歴史、特に二つの大戦の経験から、彼らは大いに反省し、自らも含めて侵略行為に制裁を科そうとしたのだろうか。
残念ながらそうは思えない。
米国による広島への原爆投下や、ベトナム戦争などから察すると、やはり欧米の異人種・異教徒への蔑視と復讐心は強烈で、自戒をあまり期待できないようです。

私は東京裁判の意義を認めるが、この心性に人類共通ではない特有の恐ろしさを見る。
しかし、この章では深く立ち入らない。

 
参考文献
帝国主義については下記図書を主に参考にしました。
「概説 世界経済史Ⅱ」p176-191.
「早わかり 世界史」p254-259.
「世界の歴史 帝国の時代8」第二章。
「世界歴史地図」ムーア著、第9章。
「丸善エンサイクロペディア 大百科」p1778.
「帝国主義」アンドリュー・ポーター著。

 

 

 

 

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Bring peace to the Middle East! 60: when religions were born 8: concluding section


中東に平和を! 60: 宗教が誕生する時 8: 最後に

 

1hinndu

*1

Until now, I reviewed the birth of five religions.
We saw how each religion was advancing the division of roles among the politics and law.
This time, it is a summary.

 
今まで、五つの宗教の誕生を概観しました。
各宗教はどのようにして政治や法との住み分けが進んだかを見ました。
今回は、まとめになります。

 

2%e7%84%a1%e9%a1%8c

*2

Summary
What was common in the birth of Judaism, Christianity, Buddhism, Confucianism, Islam?

It can be said that all these religions brought about stability to the society by renewing old religions.
However, the circumstances of the doctrine and religious group were different depending on the religion, society, and politics at the time of the birth.
In a confused society, when existing religion and national system were strong, the religion had a tendency to break away from the precepts and laws like Christianity, Buddhism, and Confucianism.
Development of science (medicine) and thought was indispensable for breaking away from them, but I don’t mention here.
Even though they tended to avoid law and politics at the birth, these religions were adopted by state religion because of their doctrines, and developed greatly.
Eventually they became incorporated into politics.

 
まとめ
ユダヤ教やキリスト教、仏教、儒教、イスラム教の誕生時に共通していたものは何か?

これら宗教はすべて、古い宗教を刷新して社会に安定をもたらしたと言える。
但し、誕生時の宗教や社会、政治の状況により、その教義や教団の有り様は異なった。

混乱している社会にあって、既存の宗教や国家体制が強固な場合、キリスト教や仏教、儒教のように戒律や法から脱皮する傾向にあった。
この脱皮には科学(医学)や思想の発展が不可欠だったが、ここでは触れません。
たとえ誕生時に法と政治を避ける傾向にあっても、これら宗教はその教義ゆえに国教に採用されて大きく発展し、結局は政治に組み込まれていった。

 
I see the difference of these religions about engagement with the politics and law.
Christianity that had the laws and religious precepts basing on the Old Testament had to coexist with Roman Law due to it was nearing completion already from the beginning.
Even powerful religious group had been withdrawing from politics due to a power struggle between pope and emperor in the 12th century at the beginning, next undergoing religious reform, and the separation of religion from politics in the French Revolution of the 18th century at last.

Since Buddhism and Confucianism originally denied the law ruling society and the rule of God, after having become state religion, they treated only religious precepts and rituals, and did not interfere with politics and law.

ここで宗教毎の政治と法との関わりの違いを見ておきます。
キリスト教は旧約聖書に基づく戒律や法を発展させていたが、既に完成域にあったローマ法と初期から共存していくことになった。
さすがの強力な教団も社会の発展に伴って、12世紀の教皇と皇帝の権力争い(叙任権闘争)に始まり、宗教改革を経て、18世紀のフランス革命での政教分離により、政治から撤退せざるを得なかった。

仏教と儒教は、元々、社会を治める法や神による支配を否定していたので、国教になった後、祭儀や戒律だけを扱い、政治と法整備に干渉しなかった。

On the other hand, even in the same confused society, when a solidarity and unity of the society became top priority due to existing religions or social systems were immature, the religious precepts and norms were emphasized like Judaism and Islam.
Therefore, both religions developed together with these newborn states from the birth.
That is to say, religion, politics and laws were united.
Hinduism was also close to it.

However, there was a difference in the subsequent development.
The Palestine that was rebuild at the same time as the birth of Judaism was ruined at the 1st century A.D.
The Jews that scattered around the world had lived in a small closed group, so they never participated in the politics and laws of the country themselves.
But, currently it has changed in the United States and Israel.

一方、同じ混乱している社会にあっても、既存宗教や社会体制が未成熟な場合、団結や社会の統一が最優先になった場合、ユダヤ教やイスラム教のように戒律や規範を重視することになった。
したがって両宗教は、その誕生時から新生国家と一体となって発展した。
つまり宗教と政治、法が一体でした。
ヒンドゥー教もこれに近い。

しかし、その後の展開には差があった。
ユダヤ教の誕生と共に再建されたパレスチナの国は紀元後滅亡した。
世界に散らばったユダヤ人は小さな閉鎖的な集団で暮らしたので、自ら国の政治や法と関わることはなかった。
現在、それは米国やイスラエルで様変わりした。

 
Meanwhile, the Islamic empire that continued to expand the area broke up in the 9th century, and several caliphs came to have comparable power to each other.
Furthermore, the real power of politics changed from caliph to monarch (sultan, emir), and Muslim lost original supreme leader (caliph).
However, the role of the religious law (Sharia) continues to live by the Koran and the Islamic community.

 
At the end
Something I wanted to indicate in this chapter “when religions were born” is that each religion is reviving the social circumstances of about 2000 years ago, as the religion had played a role in the birth.

Next time, I consider about the relationship between contemporary religion and politics.
一方、領域を拡大し続けたイスラム帝国も9世紀には分裂し、複数のカリフが鼎立するようになった。
さらにカリフから政治の実権は君主(スルタン、アミール)に移り、イスラム教は本来の最高指導者(カリフ)を失った。
しかし、コーランとイスラム共同体によって宗教法(シャーリア)の役割は生き続けている。

 
最後に
私がこの章「宗教が誕生する時」で示したかったことは、宗教は誕生時の役割を担ったことにより、逆に約2000年前の社会を蘇らせることです。

 
次回は、現代の宗教と政治の関係について考えます。

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Bring peace to the Middle East! 57: when religions were born 5: Confucianism


中東に平和を! 57: 宗教が誕生する時 5: 儒教

 

1

<1. Confucius>
< 1. 孔子 >

This time, I investigate the birth of Confucianism.

今回は儒教の誕生を追います。

 

The times when Confucius was born
A first Chinese dynasty was born in the 17th century B.C., but it was divided in approximately 200 countries since the 8th century B.C., and the unification of a country was completed after wars for 500 years.
Since the middle period, the farming had advanced by ironware and the trade had developed, and many city states grew up.
At that time, the wars among nations and the internal trouble of royal families continued, and it occurred frequently that a person of lower rank overthrew a superior either politically or militarily, and then supplanted the superior’s position in society.
On the other hand, the royalty and the aristocracy employed a talented and wise person than a blood relative and tried to get predominance .
Under such circumstances, various thinker groups “The Various Masters of the 100 Schools” having an independent opinion were born.
Most of them serve the royalty and the aristocracy, and proposed a policy and an stratagem.
The Confucius was born in such situation in China in the sixth century B.C.

 
孔子が生まれた時代
中国の最初の王朝は黄河中流域に紀元前17世紀に生まれていたが、紀元前8世紀には二百カ国ほどに分裂し、五百年間の戦争を経て統一に至る。
この中期頃から、鉄器による農耕と交易が進み、都市国家は成長していった。
国家間の戦争と王家の内紛は絶えることなく、下位の者が上位の者を脅かす下剋上がはびこっていた。
一方で、王侯貴族は血縁よりも才能や知恵ある者を採用し強勢を計るようになった。
こうした中、独自の主張を持つ多様な思想家集団「諸子百家」が生まれた。
彼らの多くは王侯貴族に仕官し政策や術策を提言した。
このような紀元前6世紀に孔子は生まれた。

 

2

< 2. The Confucius traveling on foot >
< 2. 孔子の遊説行脚 >

The act of the Confucius
He worked his way through school, served a historic state ”Lu”and became a prime minister.
However, he was balked of his hope and opened a private school to common people.
After that, he visited states in each places with disciples, preached his ideal politics, and requested to get into the government service.
After all, he couldn’t realize his dream, came back to his hometown, and devoted myself to organize old documents that had been handed down to the state, and to educate people.

 
孔子の行い
孔子は苦学して由緒ある王家(魯)に仕え、宰相まで登りつめた。
しかし、彼は夢破れ職を辞し、民衆相手に私塾を開いた。
その後、弟子達と共に各地の王家を訪ね、理想の政治を説いて回り、仕官を願った。
結局、夢叶わず故郷に戻り、王家に伝わる古文献の整理と教育に専念した。

 
Afterwards
After the death of Confucius, his teaching was spread out by disciples, it was as popular to common people as Bokka at that time.
Bokka advocated a love of humanity, pacifism, faith, and a simplification of rites
, and conflicted with a scholar of Confucianism, after that it was ruined.
The Confucianism became the state religion of the Han empire in the second century B.C., and existed as an indispensable for the most of governments afterwards.
It was introduced into Korean Peninsula and Japan before long, and the Confucianism took root in the East Asia as morality to keeping social order.
Sacred books of Confucianism(the Four Books and Five Classics of Confucianism) consisted about old documents on the history and formality of the states that Confucius imitated.
“The Analects of Confucius” is one of the sacred books, and is a book that his disciples wrote down the words and acts of Confucius in.
Mental attitude and how to get along in life are written in the book.

 
その後
孔子の死後、その教えは弟子達によって広まり、民衆の人気を墨家と二分した。
墨家は人類愛、戦争反対、信心、祭儀の簡素化を訴え儒家と対立し、後に滅んだ。

紀元前2世紀、儒教は漢帝国の国教となり、その後も国政に不可欠なものとして存続した。
やがて朝鮮半島や日本に伝わり、儒教は東アジアに社会秩序をもたらす道徳として定着した。

儒教の経典(四書五経)は孔子が模範とした王家の歴史や儀礼や易(占い)の古文献が集められたものです。
論語ものその一つで、弟子達が孔子の問答や言行を記したものです。
そこには心構えや処世術が書かれている。

 

3

< 3. a Confucian temple >
< 3. 孔子廟 >

Thought of the Confucius
He thought policymakers must become better to end the turbulent age.
Therefore, he said it was important that the policymaker doesn’t depend on strict penalty and machinations, treats people with a good heart, and must be worshiped by people.
He thought that the model for this is a dynasty ” Zhou ” approximately 500 years ago.

The basics are “Ren” and “Li”.
“Ren” means benevolence or humaneness, and then it was necessary that policymakers seek after virtue and common people have morals.
“Li” means formality or rites, and then it aimed at the succession of the social order (patriarchy, ancestor worship).

He reproved that disciples depended on God, on the other hand, he thought succeeding to the rites make sense.
He didn’t deny royal politics, avoided religious things, advocated the revival of traditional mind and norm daringly in the turbulent age.

 
孔子の思想
彼は、この戦乱の世を終わらせるには為政者が良くならなければならないと考えた。
その為には、為政者は厳格な罰則や謀略に頼るのではなく、善良な心で民に接し、民から敬われることが重要とした。
その手本は、五百年ほど前の周王朝にあるとした。

基本は「仁」と「礼」です。
「仁」とは、自己抑制と思いやりを指し、為政者には「徳」、民には「道徳」を求めた。
「礼」とは、礼儀や祭儀を指し、社会秩序(家父長制、祖先崇拝)の継承を目指した。

彼は、弟子に神を頼ることをたしなめたが、一方で、祭儀を守ることは天の意志に叶うとした。
彼は王家を否定せず、宗教的なものを避け、戦乱の世に敢えて伝統的な精神と規範の復活を訴えた。

 

Point of the Confucianism
Confucius disfavored the politics that puts emphasis on law of punishment and reward, and put emphasis on conscience.
On the other hand, he thought that policymaker (king) with virtue was indispensable for good politics.
This thought was not accepted in the times of the war, but the situation changed when a unified country appeared.
In other words, the doctrine that taught people to have to obey morality, succession of social order, and politics (King), administered to national stability rightly.

This continues the next time.

 
儒教のポイント
孔子は、人々を功利的にさせる法重視(信賞必罰)の政治を嫌い、良心を重視した。
一方で、良い政治には徳を持った王こそが不可欠と考えた。
この考えは、戦乱の時代には受け入れられなかったが、統一国家が出現すると状況は変わった。
つまり、人々に道徳や社会秩序の継承、政治(王)に従うべきと説く教義は、国家の安定にまさに合致するものでした。

 
次回に続く。

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Bring peace to the Middle East! 55: when religions were born 3: Christianity


中東に平和を! 55: 宗教が誕生する時 3: キリスト教

 

1

< 1. Jesus carrying a cross on his back >
< 1.十字架を背負うイエス >

This time, I investigate the birth of Christianity.

今回はキリスト教の誕生を追います。

 

The times when Jesus was born
Foreign rulers, Alexander the Great and the Roman Empire respected Judaism, and it was able to remain.
In fact, it was in name only.
The priests in the temple were connected to royalty and titled nobility, cooperated with the Rome Empire, and pushed forward Hellenization.
On the other hand, a religious community aimed to back to the source and advocated an emphasis on the Low, and they strongly opposed the former.

In addition to this opposition, a dissatisfaction toward a rule of the Rome and an expanding disparity in wealth blew up, and Palestine in the first century entered the period of war.
Radical religious communities and independent factions rose in arms, and robber bands came to frequently appear in each place.
In addition, a lot of persons who represented themselves as a savior in each place appeared.

 
イエスが生まれた時代
異国の支配者、アレクサンダー大王もローマ帝国もユダヤ教に敬意を表し、ユダヤ教は存続出来た。
だが、その内実は形骸化していた。
神殿の祭司達は王侯貴族と繋がり、ローマに協力しギリシャ化を進めた。
それに対して原点回帰を目指し、律法重視を訴える教団などが勃興し強く対立した。

この対立に加えて、ローマの支配、貧富の差拡大への不満が爆発し、紀元1世紀のパレスチナは争乱へと突き進んだ。
過激な教団や独立派が武装蜂起し、各地で盗賊団も跋扈するようになった。
また各地で救世主を自称する者が多数出現した。

 

2

< 2. People in the fort of Masada died a heroic death >
< 2. 壮絶な最期を遂げたマサダの砦 >

 

In 66 A.D., the Jewish radicals caused a riot, and the revolt spread through the whole land.
The Roman forces devoted so many troops to it and exterminated the rebel army and destroyed the Jerusalem thoroughly.
At last, the Jewish people was ousted from the Palestine, and completely lost their own country.
The Judaism could escape from the ban of their religion, but came to be not able to operate in the Jerusalem.

 

紀元66年、ユダヤの過激派が暴動を起こし、反乱は全土に広がった。
ローマ軍は大軍を投じて反乱軍を殲滅しエルサレムを徹底的に破壊した。
ついにユダヤ民族はパレスチナから追放され、完全に国を失った。
ユダヤ教は禁教を逃れたが、エルサレムで活動が出来なくなった。

 
The act of Jesus
Jesus strictly criticized the priests and corruption of the temple and objected to the emphasis on the Low of the reformist.
He went around to teach and preach for two years and got ardent believers and the Apostles.
I think he did not deny the Judaism but appealed the reform.

However, the priests and authorities regarded the Jesus as dangerous, and executed him.

 

イエスの行い
イエスはユダヤ教の祭司や神殿の腐敗を厳しく非難し、また改革派の律法重視にも反対した。
彼は2年間ほど民衆に宣教して回り、熱烈な信者や使徒を得た。
彼はユダヤ教を否定したのではなく、改革を訴えたのだと思う。
しかし、ユダヤ教の祭司と権力者層はイエスを危険視し処刑した。

 

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< 3. apostle Paul >
< 3. 使徒パウロ >

 
Afterwards
After the death of Jesus, the teaching expanded to the west by the activity of the Apostles.
Apostle Paul claimed that a revival of the Jesus would soon happen while he had promoted the propagation to pagans.
He said that the subordination to an emperor did not contradict your faith in the one God.
His activity and guidance became a cornerstone which developed Christianity into a world religion.

After intense oppression, in A.D. 313, the Roman Empire assumed the Christianity the state religion.

 
その後
イエスの死後、使徒などの活躍によって教えは西方に広まった。
使徒パウロは、異教徒への布教を推し進める中で、イエスの復活が近いうちに起こると訴えた。
彼はまた唯一神への信仰と皇帝への従属は矛盾しないとした。
彼の活躍と先導がキリスト教を世界宗教へと発展させる礎となった。

激しい弾圧の後、ローマ帝国は紀元313年にキリスト教を国教とした。

 
Birth of the Bible
After the half of a century when Jesus died, the New Testament was made by the letters of Apostles that were edited to convey the words and acts and the teaching of the Jesus.
The Old Testament took a role of a prophecy that Jesus is a savior.

 
聖書の誕生
新約聖書は、イエスの死後半世紀を経て、イエスの言行と教えを伝える為に使途達の手紙などが編纂され誕生した。
旧約聖書はイエスが救世主だとする預言書の役割を担うことになった。

 
Point of the Christianity
The most epoch-making doctrine seems to be “Repent” and “Love neighbors”.
This means that the important point moved to “mind” of each person from “law” imposed on the person.
This viewpoint was common among religions and thoughts that was born in the world around 500 B.C., such as Confucianism, Buddhism, and Greek philosophy.
The Christianity had been affected by the Greek thought from the early days to the Middle Ages.
During the process of Christianity’s developing in Rome, Christianity compromised with the emperor (politics), but the Pope had almost separated from the emperor.
The Christianity had law, but the Rome already had developed the state law, and the both laws were applied at the same time, too.

This continues the next time.

 
キリスト教のポイント
この教義で画期的なのは「悔い改め」や「隣人を愛せよ」でしょう。
これは、課せられた「律法」から、各自の「心」に重点が移ったことを意味します。
この視点は、儒教、仏教、ギリシャ哲学などのように紀元前500年頃に世界で誕生した宗教や思想に共通するものでした。
キリスト教は初期から中世までギリシャ思想の影響を受けた。

キリスト教はローマで発展する過程で皇帝(政治)と妥協していくことになったが、概ね教皇と皇帝とは分立した。
キリスト教も法を有したが、既にローマは独自に法を発展させており、これも並立することになる。

 

次回に続く。

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Bring peace to the Middle East! 52: religion and persecution 6: Persecution of Jewish people 4


中東に平和を! 52: 宗教と迫害 6: ユダヤ人の迫害 4

 

1

*1

We were looking at the situation of persecution of Jews until now.
This time, I chase why establishment of Christianity provoked the persecution of Jews.
This is the last time.

今まで、ユダヤ人迫害の経緯を見て来ました。
今回は、キリスト教の誕生がユダヤ人迫害に如何に結びついたかを追います。
これで最後となります。

 

2a

*2

 
Process of the establishment of Christianity
When Jesus was born, the history of the Judaism was already over one thousand years.
He criticized decayed Jewish rabbis and the law overemphasis of the Judaism, and the Jewish believers who sympathized with him increased.
The Jewish ruling class incriminated Jesus as a leader of revolts to the governor-general of the Roman Empire, and he became the crucifixion (about A.D. 30).

 
キリスト教成立の経緯
イエスが生まれた時は既にユダヤ教の歴史は千年を越えていました。
彼はユダヤ教の腐敗した祭司達や律法偏重を批判し、それに共感するユダヤ人信徒も増えて行きました。
ユダヤ人の支配層はイエスを反乱の指導者としてローマ帝国の総督に訴え、彼は磔刑(紀元30年頃)になった。

 

 

3a

*3

Jesus’ resurrection caused an enthusiastic faith in resurrection in Palestine, and Christianity even extended to the gentile of the Roman Empire by activity of St. Paul etc. before long.
In 66 A.D., the Jewish-Roman wars of aiming for independence arose, but the Jews were defeated.
Therefore the Temple in Jerusalem was destroyed, and Jewish people again had to break up.
The region of the Roman Empire had been an emperor worship in those days, but the Judaism had been allowed, and early Christianity was considered one part of it.
The Christians were often persecuted because they were a heretic for Judaism and doubtful pagans for the people of Rome.
In addition, the Roman Empire also persecuted Christians because having been determined as seditious groups to not obey the emperor worship.
However, in the Rome society in a declining mode, the people who looked at large number of Christianity martyrs were attracted by Christianity.

At last, at the end of fourth century, the Roman Empire certified Christianity as the national religion in order to take in Christians who increased, and prohibited other religion.
After this, the Christianity grew mature in Europe, and extended to the world

 
イエスの復活によりパレスチナに熱烈な復活信仰が起こり、やがてパウロなどの活躍によりローマ帝国内の非ユダヤ人にもキリスト教は広まっていった。
しかし、紀元66年、独立を目指したユダヤ戦争の敗北によってエルサレム神殿は破壊され、ユダヤ人はまたも離散することになった。

当時、ローマ帝国は皇帝崇拝であったが、ユダヤ教は認めれらており、初期のキリスト教はその一部と見なされていた。
キリスト教徒はユダヤ教にとって異端者であり、ローマの民衆にとって怪しげな異教徒であったので、度々迫害された。
またローマ帝国はキリスト教徒が皇帝崇拝に従わない不穏分子であったので、これまた迫害した。
しかし、衰退し続けるローマ社会にあって多数のキリスト教殉教者を見た民衆はキリスト教に惹かれていくことになった。

ついに4世紀末、ローマ帝国は増大するキリスト教徒を取り込む為に、これを国教とし他の宗教を禁止した。
この後、キリスト教は西欧で成熟し世界へと広まっていった。

 

4a

*4

During this time, what had happened to Christianity?
After the destruction of the Temple in Jerusalem, in the stream of making the comeback, the Judaism assumed Christianity heresy and Palestinian Christianity fell into a decline.
Along with a progress of missionary work to the Jews (Greek speaker) that broke up and gentile at each place, the doctrine and customs of various paganism came to mix with Christianity.
In addition, an increasing number of Jewish conversion to Christianity caused regression toward Judaism.

Church fathers of Christianity at each place had to deal with troubles from within and without, made a definite distinction between heresy and orthodoxy, and did explanation for the persecution to the emperor.
They did theorization and unification of the doctrine, then established the confession of faith and the Bible. Annotation 1.
In this way, an unified church system was completed in the about third century. Annotation 2.

Syncretism and opposition almost happened among much religion, as if the birth of the Islam, the Buddhism, and the Taoism.
However, the intensity of the heresy was different among each religion.

この間に何が起きたのか
エルサレム神殿の破壊後、ユダヤ教は再起を図る中でキリスト教を異端とし、パレスチナのキリスト教は衰退していった。
各地に離散したユダヤ人(ギリシャ語話者)や非ユダヤ人への布教が進む中で、異教の教義や習俗がキリスト教に混じることになった。
またキリスト教へのユダヤ人の入信は、ユダヤ教への後戻りを招き始めた。
各地のキリスト教の教父達は、異端と正統の区別や、皇帝への迫害の弁明などの内憂外患に対処した。
彼らは教義の理論化と統一を行い、信仰告白と聖書を確立した。注釈1.
こうして3世紀頃には一体化された教会制度が成立した。注釈2.

多くの宗教、仏教、道教、イスラム教の誕生時にも、既存宗教との間で習合や対立が起こった。
しかし、異端への激しさは宗教によって程度の差があった。

 

5

*5
Peculiar things in Christianity
I think that it is related to “Jesus’ resurrection” and “the Catholic Church” that Christianity is strict with the heresy in particular.

The miracle called “Jesus’ resurrection” is hard to believe to our pagan, but Christian is most attracted.
If it becomes the Jew to have murdered Son of God Jesus, the hatred reaches a peak.

Furthermore, the existence of the unified church of the Roman Empire conduced to an succession of the firm doctrine, furthermore, the posture to eliminate heresy was also maintained strongly.
Thus, the persecution continued for 2000.
I begin a different theme from the next time.

 
キリスト教に特有なこと
私は、キリスト教が特に異端に厳しいのは「イエスの復活」と「カトリック教会」に関係すると考える。

異教徒には信じがたいイエスの復活という奇跡は、最もキリスト教徒を魅了する。
その神の子イエスを殺したのがユダヤ人となれば、憎しみは頂点に達する。

さらにローマ帝国の一体化された教会の存在は、ゆるぎない教義の継承と共に、異端を排する姿勢も貫かれた。
こうして、迫害が二千年も続くことになった。
これで「宗教と迫害」は終わり、次回より別のテーマを始めます。

 
注釈1.
信仰告白は、教会などで自身の信仰を神と人とに告白することです。

カトリック教会の信仰告白の例: 使徒信条

「天地の創造主、全能の父である神を信じます。

父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、
ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて死に、葬られ、陰府(よみ)に下り、
三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、
生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。

聖霊を信じ、
聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。
アーメン。」

 

注釈2.
ここで言う教会制度とは、キリスト教圏のすべての教会とそれを監督する司教らが一人の教皇を頂点に一体化されていることを指します。
時には全域から司教以上が集まり公会議を開き、教義・典礼・教会法について話し合うことも行われた。

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Bring peace to the Middle East! 51: religion and persecution 5: Persecution of Jewish people 3


中東に平和を! 51: 宗教と迫害 5: ユダヤ人の迫害 3

 

1
< 1. children of a Polish ghetto >
< 1.ポーランドのゲットーの子供達 >

 
We saw the deep-rooted persecution of Jews in Europe last time.
We get closer to the origin from now on.

前回、西欧でのユダヤ人迫害の根の深さを見ました。
これから、その起源に迫って行きます。

 

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< 2. Milan Cathedral >
< 2. ミラノ大聖堂 >

 
Swear words of great Church Fathers

In the fourth century, a bishop of Milan said.
“The synagogue is a gathering place of infidel whom God forever convicted, a house of profane persons or a hideout of madman.”

In the fourth century, a sermon by a bishop of Antioch.
“If the Jew is a demon or devil, shouldn’t you escape from the Jew?
Getting friendly with the Jew who killed the son of your God and is a killer who crucified Jesus is to despise your God, doesn’t it?”

In the 16th century, German religion reformer, Martin Luther wrote.
” The Jew is a beast that bears malice, viper, poison, devil incarnate,…. and dung of pig.”
” Christian! You must not doubt that there is not person being more harmful and cruel than true Jew living next to you.”
“We burn a synagogue, and we must throw sand and mud to whoever running away from the fire. ”

 
偉大な教父の罵り
4世紀、ミラノ司教。
「ユダヤ教会堂は神ご自身の永遠の断罪の下にある不信心者のたまり場、不敬な者の家、血迷った男たちの隠れ家である。」

4世紀、アンティオキア司教の説教。
「ユダヤ人が悪霊、悪魔自身であるとしたらユダヤ人から逃れようとしないだろうか。
ヤダヤ人はあなたの主の子を殺した・・・・イエスを十字架につけた殺し屋を重んじたり、つき合いを深めることは主を侮蔑することになるではないか」

16世紀、ドイツの宗教改革者ルーター。
「ユダヤ人は悪意に満ちた獣、腹黒い輩、胸くそ悪いくず、害悪、悪魔の化身・・・豚の糞」
「キリスト教徒よ、あなた方の隣にいる本当のユダヤ人以上に残酷で有害で悪辣な者はいないことを疑ってはならない。」
「ユダヤ教会堂を燃やし、その火から逃げ出す者が誰であれ、砂と泥をかぶせねばならない」

 

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< 3. Crucifixion of Jesus >
< 3. イエスの磔刑 >

Why did the great Church Fathers repeat such swear words?

There is the grounds in “The Gospel According to Saint John”

7-1
“And after these things Jesus walked in Galilee: for he would not walk in Judaea, because the Jews sought to kill him.”

8-44
“Ye are of your father the devil, and the lusts of your father it is your will to do. He was a murderer from the beginning, and standeth not in the truth, because there is no truth in him. When he speaketh a lie, he speaketh of his own: for he is a liar, and the father thereof.”

In the Bible, this author made Jesus say that the Jew was a murderer of Jesus and a child of devil.
The hostility against the Jew already rose and overflowed.
It is thought that this book was completed in the end of first century.
Annotation 1.

 
なぜ偉大な教父はこのような罵りをく返したのだろうか?

「ヨハネによる福音書」にその根拠が見える。

7章1節
「その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。
ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、ユダヤを巡ろうとは思われなかった。」

8章44節
「あなたたち(ユダヤ人)は、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。
悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。
彼の内には真理がないからだ。
悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。
自分が偽り者であり、その父だからである。」

ここで、作者はユダヤ人がイエス殺しであり、悪魔の子だとイエスに言わせている。既にユダヤ人への敵意が満ち溢れている。
この書は1世紀末に成立したと考えられている。
注釈1.

 

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< 4. Saint Paul image in front of San Pietro Cathedral >
< 4.サンピエトロ寺院の前に立つ聖パウロ像 >

From “The Epistle of Paul the Apostle to the Romans”

11-18
“ Glory not over the branches: but if thou gloriest, it is not thou that bearest the root, but the root thee.”

Saint Paul criticizes the Jew in another place, but says here that you must not look down on the Jew.

He developed Christianity into for foreigner from only for the Jew, and was an apostle who built a route to the world religion.
It is said that St. Paul wrote this letter in early 58.

When comparing these two sentences, the apostle seems to have not looked down on the Jew during the missionary work in the middle of first century, but the situation seems to have changed around the end in the first century.

This continues the next time.

 
パウロの「ローマの信徒への手紙」11章18節を見ます。

「折り取られた枝に対して誇ってはなりません。
誇ったところで、あなたが根(ユダヤ人)を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。」
パウロはユダヤ人を別の個所で非難はしているが、ユダヤ人を見くだしてはならないとしている。

パウロはユダヤ人だけのキリスト教から異邦人のキリスト教に発展させ、世界宗教への道筋をつけた使徒です。
この手紙はパウロが西暦58年初頭に書いたとされる。

二つの書を比べると、1世紀中頃、まさに使徒が布教に専念している折は、ユダヤ人をそれほど敵視していなかったが、1世紀も末になると状況は変わったように思える。
次回に続きます。

 
注釈1.
「ヨハネによる福音書」の作者は12使徒のヨハネとは異なる人物で、後に伝聞によってこの福音書を書いたとされる。
また4つの福音書の中で、これは他の3つの共観福音書と内容が異なり、独自の考えで書かれており、福音書の中では最後のものと考えられている。

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Bring peace to the Middle East! 50: religion and persecution 4: Persecution of Jewish people 2


中東に平和を! 50: 宗教と迫害 4: ユダヤ人の迫害 2

 

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< 1. アンネ >

 

We looked at the Persecution of Jews by the Nazis last time.
We pursue the history of the Persecution of Jews in Europe this time.

 

前回、ナチスによるユダヤ人の迫害を見ました。
今回、西欧でのユダヤ人迫害の歴史を追います。

 

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< 2. An invasion of Palestine by the Crusade >
< 2. 十字軍のパレスチナ侵攻 >
The history of the Persecution of Jews in Europe
Persecuting Jews was not limited to just Germany during the Second World War.
From a long time ago, the storm of the persecution of Jews had raged from Europe to Russia.

 

When motion of the Crusade became lively in the eleventh century, people who considered Jews the enemy of Christian turned into a mob and killed one-third of Jews in Germany and north France.

 

In the thirteenth century, anti-Judea riot happened, and Jews who had served British royal families became deportation.
But, in the 18th century, the U.K. established a Jewish district in London to win intense world trade competition.

 

Jews of France had lived as merchants or craftsmen in some cities, but in the 14th century, the motion of anti-Judea happened, and the Jews were ousted.
But, after the French Revolution, the Jews were endowed with equal right once.

 

When the pest was epidemic in the 14th century, the false rumor that Jews threw poisons into wells spread, and the persecution and slaughter against them happened in each place.
From this time, the Jew was forcibly segregated into ghettos.

 

When Reconquista was completed in the Iberian Peninsula in the 15th century, not only Muslim but also Jew was ousted.
And, the Inquisition was carried out against Christian converts who still stayed, and most of the execution by burning were Jews.

 

The Jew that was ousted from Europe flowed into Poland and Russia of the east side.
Whenever countries the Jew immigrated to were confused, here again the Jew was persecuted as an outlet for complaint and betrayer.

 

西欧でのユダヤ人迫害の歴史
大戦中のドイツだけがユダヤ人迫害を行ったのではありません。
西欧からロシアにかけて、遥か以前からユダヤ人迫害の嵐が吹き荒れていた。

 

11世紀、十字軍運動が盛り上がると、ユダヤ人をキリスト教徒の敵とみなした民衆が暴徒化し、ドイツや北フランスのユダヤ人を三分の一を殺した。

 

13世紀、反ユダヤ暴動が起こり、英国王家に仕えていたユダヤ人が国外追放となった。
但し、18世紀、英国は激しい貿易競争に勝つためにロンドンにユダヤ人地区を設けた。

 

フランスのユダヤ人は幾つかの都市で商人・職人として暮らしていたが、14世紀になるとユダヤ人の迫害が進み、追放された。
但し、フランス革命後、ユダヤ人に平等の権利が認められたことがあった。

 

14世紀、ぺストが大流行すると、ユダヤ人が井戸に毒を投げ込んだデマが広がり、各地で迫害や虐殺が起きた。
この頃から、ユダヤ人をゲットー(居住区)に強制隔離するようになった。

 

15世紀、イベリア半島でレコンキスタが完了すると、イスラム教徒だけでなくユダヤ教徒も追放された。
そして残ったキリスト教改宗者に対して異端審問が行われ、火刑の多くはユダヤ人であった。

 

これら西欧から追放されたユダヤ人は東方のポーランドやロシア側に流入した。
ここでもユダヤ人は、移住先の国が混乱する度に、不満のはけ口や裏切り者として迫害されることになった。

 

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< 3. Jews were sacrificed when the pest was epidemic >
< 3. ペスト流行時、犠牲になったユダヤ人 >

 

Why was the Jew persecuted?
There are some common points about the background of above-mentioned persecutions.

 

When certain society fell into an difficult economic situation, the dissatisfaction of the people was turned to rich Jews, and their assets were often plundered.

 

The reason why moneylender is outstanding to Jew is Christian could not enter the moneylending business because the Old Testament (Deuteronomy) had prohibited the interest rate.
On the other hand, all restrictions were imposed on the Jew of Europe, they could not go into agriculture or guild (trade association), and had no choice but to go into a moneylending business or entertainment. Annotation 1.

 

The Jew was despised and was considered as a betrayer, then was often considered as a cause of epidemic or natural disaster.
Because the Jew had repeated Diaspora and emigration, when they were persecuted, they sometimes asked for help from other countries, and went over to the other side.
The same as many victims of discrimination , it came to develop the group’s own identity to strengthen solidarity, and they became more remote from the neighboring society.

 

However, the largest cause is elsewhere.
It was closely related to the fact that the Jew had been able to coexist with Islam until one century ago.
In other words, it is the antagonism between Christianity and Judaism.
In an extreme instance, the Christianity was established by adding the New Testament to the Old Testament of the Judaism and was the religion like the brothers of it.
However, the establishment of Christianity made the Jew unfortunate.

 

This continues the next time.
なぜユダヤ人は迫害を受けたのか?
前述の迫害が起きた背景に幾つかの共通点がある。

 

社会が経済的苦境に陥ると民衆の不満が裕福なユダヤ人に向けられ、資産が略奪されることもあった。

 

ユダヤ人に金融家が目立つのは、旧約聖書(申命記)が金利を禁止していたのでキリスト教徒は金融業に参入出来なかったことによる。
一方、西欧のユダヤ人は、あらゆる制限を課せられ、農業やギルド(同業者組合)に参入出来ず、金融業や芸能などを生業にせざるを得なかった。注釈1.

 

ユダヤ人は蔑視され裏切り者と見なされており、疫病や天変地異の原因にされた。
ユダヤ人は離散と移住を繰り返していたので迫害されると、救いの手を他国に求めたり、また寝返ることもあった。
多くの被差別民と同様に、団結を強めることが集団の独自性を高めることになり、より周辺社会から疎遠になってしまった。

 

しかし最大の要因は別にある。
それは、一世紀前まで、ユダヤ教徒はイスラム世界で共存出来ていたことと関係があります。
つまり、キリスト教とユダヤ教の対立なのです。
キリスト教はユダヤ教の旧約聖書に新約聖書を加えて成立した兄弟のような宗教です。
しかし、キリスト教の誕生がユダヤ教徒に悲運を背負わせることになったのです。
次回に続きます。

 
注釈1.
申命記(旧約聖書)による金利の禁止はキリスト教徒よりもユダヤ人にとって重大なのですが、二つの逃げ道があった。

「同胞に利子を付けて貸してはならない。・・・外国人(異教徒)には利子を付けて貸してもよい・・」24章20-21より
ハムラビ法典でも、国内と国外で法律の適用を変えている。

「主はあなたを祝福されるから、多くの国民に貸すようになるが、借りることはないであろう。」15章06節より

またユダヤ人は中東において古代より高い文化を持ち王宮に仕え、離散によるネットワークを生かし貿易で活躍していた。
西欧において、キリスト教徒は金融業から締め出されたので、逆にユダヤ人は金融業で成功することになった。

 
ここで宗教に共通する現象がみられる。
それは金利や利益の扱いです。
ほぼ世界の経典宗教は、金利や商業を蔑視し禁止していた(実際には行われていた)。
これは当時の小さな同族社会では、利子や利益を貪る行為が融和を乱し、紛争を招くと考えられていたからです。
しかし、時は流れ、産業と貿易が発展すると偽装金利が横行するようになり、ついには金利を容認せざるを得なくなった。

それぞれの教団は聖典の解釈を変更せざるを得なくなった。
キリスト教では、13~14世紀にかけて、一部の利子を認めていくことになった。
16世紀の宗教改革以降、利子取得は容認されるようになった。

イスラムでもコーランは利子を禁止していた。
資金の貸与は利子以外の方法で利益が得られ行われていたが、商事会社の発達を阻害しいた。
19世紀後半、ファトワーが発せられ、ムスリムも利子や配当を受け取れる場合が認められた。
最近では利子取得を回避する手として、銀行と融資を受けた事業体が共同経営を行い、利益を配分する例がある。

ここで興味深いのは、聖典に遺存した古い規律が社会の変化に適合しなくなると、教団は何とか解釈の変更で問題解決を図っていることです。

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Bring peace to the Middle East! 37: Thank for your answers.


中東に平和を! 37: ご意見に感謝します

 

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*1
I had precious answers to my questions from the world.
I’m grateful for your kindness.
This time, I introduce these answers and write my impression.

 

前回お願いした質問に対して世界から貴重なご意見を頂きました。
ご厚意に感謝します。
今回は、寄せられたご意見を紹介し、私の感想も記します。

 
Preface
Last time, I asked you the questions what causes a quagmire of the conflict, and what is an obstacle to the peace.
Because I summarize these answers with poor English, I apologize in advance.

 
はじめに
前回、何が中東の紛争を泥沼化させ、平和の障害になっているのかを質問しました。
ご意見を、拙い英語力で要約しますので、失礼になることを謝罪します。

 

Summary of these answers

 

From a Muslim woman in the Middle East
About the reason that the war continues.
A: Most of the people do not accept the different point of views of each other.
B: Politics is corrupt, and the top is only enthusiastic about maintaining his power.
C: There is not freedom.

Furthermore, she added this.
D: Islam is perfect but we are not.
E: Not all people follow the rules of Islam.

 

My impression
I think as if I heard a true voice.
It is analogous to the answer of this serialization,” Bring peace to the Middle East! 19,20: Israeli-Palestinian conflict 1,2: voices of the young 1,2”.
Opposition and corruption flourishes in her society, and despair and distrust cover the society.
Her answer explains well my impression that I felt faltering society when I visited Cairo once.
She has an implicit trust in the Islamic religion, but I feel slight uneasiness about it.

I thank her heartily.

 
寄せれらたご意見のポイント

 

中東に住むムスリマ女性より

戦争が起きている理由について
A: 多くの人は互いの異なる意見を受け入れない。
B: 政治が腐敗し、トップは権力維持に奔走している。
C: 社会に自由がない。

さらにこうも付け加えていました。
D: イスラム教は完璧だが、私達はそうではない。
E: すべての人がイスラムの掟に従うとは限らない。

 
私の受けた印象
まさに真実の声を聞いた思いがします。
この連載、「中東の平和を! 19、20: イスラエルとパレスチナの紛争 1、2: 若者の声 1、2」で紹介した若者の意見に通じます。

彼女の住む社会には対立と腐敗が蔓延し、絶望と不信感が社会を覆いつくしている。
私が以前、カイロを訪れた時に感じた停滞している印象を、彼女の意見はよく説明している。
彼女はイスラム教に篤い信頼を寄せているが、私は一抹の不安を感じる。

彼女に心より感謝します。

 
From a Hindu man in India
He wrote many opinions by the long sentence.
I couldn’t completely understand the sentence, but I extract opinions that I focus on from it.

A: The peace does not come unless the consciousness of the fighting person changes.
As an example, he mentioned that conqueror King Asoka in ancient India became a believer in religion and stopped the war.

B: The main reason of the Middle East conflict is Islamic fundamentalism.

 
My interpretation
He is pessimistic about the solution to Middle East conflict.
He seems to give out advice to me, “ Do not underestimate war, and do not be biased toward one side.”
In the background, there seems to be difference between India that was invaded by Islamic forces once and peace-addicted Japan.

His opinion is always philosophical and I feel the difference in religious viewpoint.
Because our discussions often did not mesh in despite of praying for world peace together, I realize the difficulty of conflict resolution.

I thank my friend heartily.

 

At the end
I hope to think and talk with people of the world, and have continued this blog.
This wish seemed to have come true this time.

This continues next time.

 
インドに住むヒンドゥー教徒男性より
彼は長文で多くの意見を書いてくれました。
私はその文を完全に理解出来ていませんが、気になる事だけを抜粋します。

A: 戦う者の意識が変わらない限り平和は来ない。
例として、インドの征服者アショカ王が宗教に帰依した事例を挙げています。

B: 中東紛争の主因にイスラム原理主義を挙げています。

 
私の解釈
彼は中東紛争の解決には悲観的です。

彼は、私に戦争を甘く見るな、一方に偏って見るなと訴えているようです。
その背景に、平和ボケの日本とイスラムに侵略されたインドの違いがあるようです。

彼の意見は、いつも哲学的で、宗教的立場の違いを感じます。
共に、世界の平和を願いながら、いつも議論が嚙み合わないことに、紛争解決の困難さを実感します。

友人に心より感謝します。

 
最後に
私は世界の人々と共に考え、語り会うことを願って、ブログを続けて来ました。
今回、その願いが叶ったようです。

今後も、精力的に続けるつもりですので、よろしくお願いします。

 
次回に続きます。

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Bring peace to the Middle East! 36: I beg a favor of you.


中東に平和を! 36: お願いがあります

 

1

*1

I ask a favor of many people around the world.
Please tell me your opinion about peace of the Middle East.

 

世界の皆さんにお願いがあります。
中東の平和について、ご意見を聞かせて下さい。

 
One thing I ask you to
I began this serialization ”Bring peace to the Middle East!” on this March, and a half year passed since it.
I knew how the present conditions and the history of the Middle East are miserable, but haven’t hopes for peace yet.

Under the circumstances, I think that the Middle East escapes from the quagmire is impossible.

An important matter I think now is “ problems of your side, or points that your side should make a compromise”.
Because the problems of your enemy is already known.
Furthermore, in history of conflict around the world, mutual understanding is indispensable to get peace without unilateral complete defeat.

Therefore I want to know how a Muslim and a Jew living in the Middle East have understood this problems.

 
お願いしたいこと
私はこの連載「中東に平和を!」を3月から始めて半年が過ぎました。
中東の現状と歴史が如何に悲惨であるかを知りましたが、未だに展望が開けません。

今のままでは、中東は泥沼化からの脱出が不可能だと思えます。
現在、私が重要だと感じているのは「自分の側にある問題点、歩み寄るべき点」です。
なぜなら、既に敵対側の問題点はよく知られいる。
さらに世界の紛争史において、一方の完敗以外で平和を得るには相互理解が不可欠です。

そこで、中東に暮らす人々、ムスリマやユダヤ人が問題点をどう見ているかを知りたい。

 

Please write your thought about the following questions about “conflict and peace of the Middle East”.
you answer any one of the questions.
It is also good to be written by person except the Middle East or to write about the topic except these questions.

Question A: What of your side (country, denomination, race, principles) is an obstacle to the peace?

Question B: What should your side improve to approach peace?

Question C: What of your side causes a quagmire of the conflict ?

Question D:  What do you want to the rest of the world except the Middle East?

 
「中東の紛争と平和」に関して以下の質問についてお考えを書いてください。
どれか一つで結構です。
中東以外の人の書き込み、質問以外の話題でも結構です。

質問A: あなたの側(国、宗派、民族、主義)の何が平和の障害になっているか?

質問B: あなたの側の何が改善されれば、平和に近づくのでしょうか?

質問C: あなたの側の何が紛争を泥沼化させているのか?

質問D: 中東以外の世界に望むことは何でしょうか?

 
About description
Less than 500 characters, please.
Please write your country, sex, and age if possible.

 
記入について
500文字以内にしてください。
出来れば、お住まいの国、男女の別、年齢を記入して下さい。

 

My blog
Japanese blog

私のブログ
日本語のブログ

「アクアコンパス 3」 http://blog.goo.ne.jp/aqacompass
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The blog written in Japanese and English.

英語を併記したブログ

“aquacompass 7” https://aquacompass7.wordpress.com/
“aquacompass 8” http://aquacompass8.blogspot.jp/
“ aquacompass-eng” http://aquacompass-eng.blogspot.jp/
“aquacompass9” http://yamadamanabu.livejournal.com/

Thanks in advance.

This serialization still continues.

 
よろしくお願いします。
この連載はまだ続けます。

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Bring peace to the Middle East! 29: about terrorism 9 : Two combatants


中東、戦争と平和 29: テロについて 9: 二人の戦闘員

 

1

< 1. Kamikaze Special Attack Units >
< 1. 神風特別攻撃隊 >

 

Today, we approach the difference from the terrorism of the Middle East, through confessions of two combatants.

今日は、二人の戦闘員の告白を通じて、中東のテロとの差異に迫ります。

 

 

2

< 2. Kaiten Special Attack Units >
< 2. 回天特別攻撃隊 >

 

Farewell note of a suicide attacker
“Mother, please forgive me .
I think about the sadness of my family.
However, it must be an importance for me, but I can’t think seriously so.
Now, I am thinking of me as a child of this country more than as a child of mother, because I know that my small life even become a big key of the enemy destruction.
But surely I think to be able to die with having pride that I am a child of father and mother.
(annotation 1)

This is a farewell note of a dead youth at Kaiten Special Attack Units in the end stage of the Pacific War.
They had to enter the navy while he was still in college.
One day, they were said from a senior officer suddenly.
“The person who wants to enter the special attack units should apply by tomorrow morning”
In the result, 40 out of 400 people applied for it, and he was one of then.
Though, after all, the remaining youths also were assigned to the special attack units.
(annotation 2)

This note indicates this young man’s thought, “ As much as possible, I want to stop the crisis of our country destroyed by own life.”
I see a dignity (self-sacrifice) common to all humankind to the youth who applied for it.
This suicide attack was a brave act from Japanese side, but the U.S.A. (enemy country) viewed it as an insane action and seemed to be afraid of it.

This was a desperate measure that the Navy brass created on the occasion of an approaching defeat.
But there were many youths who responded it by own life.
This background had a factor of Japanese culture including Bushido, but the most important was the war situation being continuous for half a century such as creating many war heroes.

This is a thing to be connected with a Palestinian suicide bomber mentioned above, except at “killing private citizens” and ” blessing”.

 

 

ある自爆攻撃者の遺書

「母さんお許しください。
私は家の人々の嘆きを考える。
けれどもこれほど私に重大に思えるくせに、何でもないことはないのだ。
お母さんの子がひとたび戦争に出て、そしてそこに敵撃滅の大きな鍵を私の小さな命であがなえることを知った時、やっぱり、私だってお母さんの子としてよりも、祖国の子としての自分を顧みるようになるのです。
でも私は、きっと私がお父さんの子であり、お母さんの子供だったことを叫んで死んでゆけることと思います。」注釈1.

これは太平洋戦争末期、人間魚雷「回天」で死んだ若者の遺書です。
彼は大学在学中に学徒出陣で海軍に入ることになった。
彼らはある日、突然、上官から「特別攻撃隊に入隊したい者は明日朝までに志願すること」と言われた。
その結果、400人中40名が志願し、彼はその一人でした。
もっとも残りの若者も後日、強制的に特攻に配属された。
注釈2.

この遺書から若者の「亡国の危機を自らの命で少しでも食い止めたい」との思いが伝わってくる。
私は、志願した若者に人類共通の尊厳、自己犠牲を見る。

この自爆攻撃は日本から見れば勇敢な行為だが、米国(敵国)から見れば狂気の沙汰と恐れられただろう。
これは軍上層部が迫る敗戦で生み出した苦肉の策でしたが、自らの命でそれに応える若者が多くいたのです。
これには日本文化(武士道など)の素因もあるが、数々の軍神を生んだようにやはり半世紀にわたる戦争の常態化が引き起こしたと言える。

これは前述したパレスチナの自爆テロ犯の遺書と「民間人殺害」、「神への祈り」で異なるものの、通じるものがある。

 

3 首都グロスヌイ、2000年
<3. Terrible sight of the capital of Chechnya in 2000>
< 3. チェチェンの首都の惨状、2000年 >

 

Explanation of a bomb terrorist
Chechen Islamic militant caused a bomb terror in Russia, and the criminal was arrested.
He spoke like this to the authorities.
“I murdered tens of people, but, the Russia killed tens of thousands people of our citizens.”

He thinks his act is nothing more than insufficient retaliation.

 
ある爆破テロ犯の弁明
チェチェンのイスラム武装勢力がロシアで爆破テロを起こし、犯人が逮捕された。
彼は当局に対してこう述べた。

「私は数十人を殺したが、ロシアは我々市民を数万人殺したではないか。」

彼は、自分の行為を不十分な報復でしかないと捉えている。

 
Difference from the terrorism of Palestine
Thing being common to two examples mentioned above and the terrorism of Palestine is a response a small armaments does against huge armaments.

I pick up this example from the world.
Guerrilla is subtly different from the terrorism, but these are used in the similar situation.

パレスチナのテロとの相違
上記二つの例とパレスチナのテロで共通していることは、巨大な軍事力に対する弱小側の対応だと言うことです。

この例を世界から拾ってみます。
テロとゲリラは微妙に違うのですが、共によく似た状況で用いられています。

 

 

4
< 4. Spanish independence war by Goya >
< 4. ゴヤが描いたスペイン独立戦争 >

 

Guerrilla in wartime.
The Spanish guerrilla against Napoleon forces in Spanish independence war.
The Chinese guerrilla against Japanese military in the Japan-China War.
The Yugoslav Partisan against German military in the World War II.
The guerrilla of Viet Cong against the U. S. Armed Forces in the Vietnam War.
These were mainly fights local citizen performed against the invading army.

Terrorism during a conflict
The terrorism having aimed at abolition of Apartheid in South Africa.
The terrorism by the IRA having aimed at independence of Ireland in the U.K.
The terrorism aiming at independence of Palestine in Israel.
The terrorism by Islamic extremist advocating anti-western idea all over the world.
It is said that these aim at giving the authority fear mainly.

A difference of killing combatants is outstanding between these terrorism and these guerrillas, but it is only difference in situation.

In fact, there are many private citizens massacred by regular army in the war, such as Dresden bombing, Chongqing bombing, atom bomb on Hiroshima and Nagasaki, retaliation to guerrilla (Nanjing Incident and My Lai Massacre).

 
戦時下のゲリラ。
スペイン独立戦争でのナポレオン軍に対するスペインのゲリラ。
日中戦争での、日本軍に対する中国のゲリラ。
第二次世界大戦での独軍に対するユーゴスラビアのパルチザン。
ベトナム戦争での米軍に対するベトコンのゲリラ。
これらは主に現地の市民が侵略軍に対して行ったものです。

 

5

<5. Former IRA>
< 5. かつてのIRA >

 

紛争中のテロ。
南アフリカでのアパルトヘイト撤廃を目指したテロ。
英国でのアイルランド独立を目指したIRAのテロ。
イスラエルでのパレスチナ独立を目指すテロ。
世界中で反欧米を唱えるイスラム過激派によるテロ。
これらは主に権力側に恐怖を与えることを狙っていると言えます。

これらゲリラとテロでは戦闘員殺害の差が目立つが、状況の違いでしかない。
実は、戦争において正規軍が民間人を殺戮することは、ドレスデン爆撃、重慶爆撃、広島長崎の原爆投下、ゲリラへの報復(南京事件、ソンミ村事件)など数多くの大量殺戮があった。

 

Important thing
Terrorism is a crime that we should hate.

However, there were lots of villainy before then, such as discrimination, destruction and slaughter.
Originally, it should be brought to justice as war crimes together.
Unfortunately it is difficult to punish rulers, and it is usual that the information is deflected by these rulers.

The important thing is we don’t look away from the background that the terrorism occurs on.

Mutual understanding was indispensable for the end of bloody conflict that happened in the world.
When there was not it, there only was submission or erasure.

On the next time, I approach a relation of religion and terrorism.

 

 
重要なこと
テロは憎むべき犯罪です。
しかし、多くはそれまでに数多くの非道(差別、破壊、虐殺)があったのです。
本来は共に戦争犯罪として裁かれるべきものです。
残念なことに支配者を罰することは困難で、さらにその情報は支配者によって偏向させられるのが常です。

重要な事は、私達がテロが生まれる背景から目をそらさないことです。

世界で起きた血みどろの紛争の終結には、必ず相互理解が不可欠でした。
それが無い時は、忍従か抹殺しかありませんでした。

 
次回は、テロと宗教の関係を追います。

 

 
注釈1
本「特攻隊だった僕がいま若者に伝えたいこと」p40より。

注釈2
日本の特別攻撃の航空(神風)・海中(回天)・海上を合わせて約6000名が死んだ。
冥福をお祈りします。

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