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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 35: ワルシャワ5


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今日は、ワジェンキ公園の残りを紹介します。

今日で、この旅行の紹介を終わります。

長らくのお付き合い有難うございました。

 

 

 

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< 2.ワジェンキ宮殿の2階 >

 

 

 

 

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< 3.ワジェンキ宮殿内 >

 

 

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< 4.ワジェンキ宮殿 >

 

 

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< 5.公園で見かけた動物たち >

 

上の写真: 孔雀がいる。

下の写真: 左の木の陰をリスが走っている。

この公園内で、他にもリスを見ました。

 

 

 

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< 6.広々とした公園 >

 

 

 

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< 7. ホワイトハウス >

 

18世紀に建てられたかつての王族の住居。

 

 

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< 8.かつての温室 >

 

下の写真: 18世紀に東方の植物として珍重されたオレンジなどの樹木を寒い季節の間、養成するための温室の原型。

太陽光を取り入れる為に窓が大きくなっている。

現在は劇場になっている。

 

 

 

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< 9.ショパン像 >

 

下の写真: 毎年夏に、この像の前でショパンコンサートが行われる。

 

 

 

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< 10.お別れ >

 

上の写真: 柳の木の下に座り、故郷の自然を眺めるショパンを表現している。

 

下の写真: ワジェンキ宮殿横の道路。

ここからバスに乗り、空港まで行って、ポーランドを後にしました。

 

 

あとがき

異郷の世界を楽しく巡って来ました。

 

荒涼とした原野、のどかな田園地帯、鬱蒼とした森林を駆け抜けて来ました。

北の広大なバルト海に接した五つの国が交易と戦争で関わり続け、千年の歴史と文化を築きあげて来ました。

旧市街の街並みから、私はロシアとヨーロッパとの関わりを読み解くことが出来ました。

 

モスクワやサンクトペテルブルグのロシア帝国時代の有名な建物はイタリアの建築家の手になるものが多い。

バルト三国も、訪問前のイメージとは異なり、特に旧市街が非常にヨーロッパ風でした。

ワルシャワの古い建物は当然、ヨーロッパの影響が強い。

一方で、スターリン様式やタマネギ風の屋根の教会に見られるように、ロシアやソ連時代の影響が残っている。

 

私はそこに暮らす人々と話をする貴重な機会を得ました。

そして今まで疑問に思っていた幾つかの歴史的事件や社会問題について理解を深めることが出来ました。

 

色々、各地のスーパーに入り、豊富な生活用品や食品などを見ていると経済は発展しているようでした。

 

ポーランドは東欧の遅れた国とのイメージがあったのですが、戦火からの再建をやり遂げて発展している。

バルト三国も、かつての苦難を乗り越えて順調に発展している。

ロシアの都市部の発展は良いが、車窓から見た地方の暮らしは遅れているようでした。

 

この地域の歴史やロシアの様子を知ると、やはり不安がよぎる。

石油安でロシアの景気後退が深まると、世界がナショナリズムに突き進んでいるように、ロシアは容易に道を踏み誤る可能性がある。

それは私は数人のロシア人との会話から、ロシアの偏向報道を感じたからです。

翻って、日本の報道もここ数年、自由度が低下して来ているので不安です。

 

 

また、旅行の仲間で面白い人がいました。

高齢の女性が一人でツアーに参加しておられたのですが、非常にお喋りで、好奇心旺盛な人でした。

しかし、話をしているうちに、彼女は苦難にあっても、いつも挑戦し続け、道を切り開いて来ました。

その積極性と能力は人並み外れていました。

 

そして最後にわかったことは、彼女の息子さんが芥川賞を受賞された作家だったことです。

やはりこれぐらいの女性だからこそと感心したものでした。

 

やはり旅行は面白く、刺激に満ち溢れたものです。

 

 

これで終わります。

 

 

 

 

 

 

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 29: ビルニュス 4


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今日で、ビルュニスとお別れです。

この日は、霧と紅葉に抱かれた街を堪能することが出来ました。

最後に、ロシアとバルト3国について感じたことを記します。

 

 

 

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< 2. 地図、黄色の矢印が北側 >

 

上の地図: 赤い線が旧市街の徒歩観光ルートです。

Gは夜明けの門で、赤いアドバルーン状の印は展望台です。

Pは聖ぺテロ&パウロ教会です。

 

下の図: 展望台からの眺めを再現しています。

赤いアドバルーン状の印が展望台です。

赤い線が旧市街の徒歩観光ルートで、中央の高い塔は聖ヨハネ教会です。

 

 

 

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< 3. 家並み >

 

民家や中庭などを撮影しました。

 

下の写真: 民芸店のある中庭。

壁に数体の聖人像などがはめ込まれ、木の右枝には木彫りのフクロウが見えます。

 

 

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< 4. 印象に残ったもの >

 

左上の写真: 夜明けの門のイコン。

少し時間が経ってから戻ってみると、窓が開いていて、イコンを見ることが出来ました。

 

右上の写真: 夜明けの門の直ぐ近くにあるテレサ教会の屋根の黄金の王冠。

この手の王冠は聖カジミエル教会にもあった。

私は他の国であまり見かけたことがない。

 

左下の写真: No.3の写真の中庭に面した民芸店。

ここは夜明けの門の外にありました。

 

右下の写真: No.5の写真の展望台の柵。

この無数の鍵は、恋人達が一生別れることが無いようにと鍵を掛けていったものです。

 

 

 

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< 5. 展望台Subačiaus apžvalgos aikštelė >

 

霧の為に、この写真ではうまく伝えられませんが、展望台の紅葉は素晴らしかった。

眼下に、紅葉する木々の向こうに数々の教会群が霧に霞んでいる景観は幻の中世を忍ばせます。

 

下の写真: 中央の一番高い鐘楼はビルニュス大学横の聖ヨハネ教会でしょう。

私達はあの前を右から左に通って行きました。

 

この目の前で、高々25年ほど前にソ連軍、75年ほど前にはドイツ、ポーランド、ソ連の軍隊が蹂躙していったのです。

 

 

 

 

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< 6. 聖ぺテロ&パウロ教会 1 >

 

驚きの教会です。

外見は小さく、それほど古くもなく、一見何の変哲もない教会でした。

しかし、内部に入るとその素晴らしさに目を奪われます。

かつてドイツの小さな村で見たヴィース教会の驚きを思い出します。

 

この教会は1668年から7年間で造られたが、内装には30年を要している。

これは当時の一将軍が、自分の廟として造らせたものでした。

中は2000体以上の漆喰彫刻で飾られている。

極彩色や黄金色による派手さはないが、白地一色の空間と彫刻群は地元の人にとって清楚で親しみのあるものになっているのだろう。

きっと人々はリトアニアの歴史や聖書、神話の世界に引き込まれていくことだろう。

 

 

 

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< 7. 聖ぺテロ&パウロ教会 2 >

 

 

 

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< 8.聖ぺテロ&パウロ教会 3  >

 

 

 

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< 9. 聖ぺテロ&パウロ教会 4 >

 

左の写真: 入退出扉側。

その扉の左側を拡大したものが下の写真です。

 

右の写真: 大鎌を持った骸骨の像。

ロシアとバルト三国の教会を訪れて、何カ所かで教会を出る時に、人間の死を連想させる絵や像を見かけた。

信者に生と死を意識させ、さらに復活を印象付ける場合もあった。

 

またロシアとバルト三国の教会を訪れて気が付いたのは、スペインの教会と違って、こちらにはイエスの痛ましい磔刑直後の生々しい像を見かけなかったことです。注釈1.

当然、十字架の像は別です。

 

 

 

 

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< 10. 様々な旧市街の光景 >

 

上の写真: ある店先。

カラフルな貸し自転車でしょう。

 

中央の写真: バルト三国の名物、琥珀。

 

現在でも世界の琥珀の90%はバルト海沿岸で算出される。

バルト三国は未開の地でヨーロッパの果てのイメージがある。

しかし、この地域で採れる琥珀は紀元前2千年紀から中東の文明に知られていた。

そして地中海からユーロッパを抜け、バルト諸国を通りエストニアの北端に至る。この「琥珀の道」が最古の交易ルートの一つとして活躍していた。

ローマ帝国が誕生する遥か前のことです。

 

 

下の写真: 道路沿いの民家の壁。

若い芸術家に作品の発表の場を提供しているのだそうです。

 

 

 

ロシアとバルト3国の旅行を通じて感じたこと。

まだポ-ランド訪問が残っていますが、バルト3国への思いを記します。

 

私が今回の旅行で知りたかった事の一つはバルト三国の苦しみでした。

また今のロシアは脅威なのかを知りたかった。

この二つは、バルト三国にとっては切実な問題です。

 

切実な問題とは

リトアニアは2015年9月から徴兵制を復活させたが、これは2014年からのロシア介入によるウクライナ内戦の二の舞を恐れているからです。

ちなみに人口325万のこの国の兵員は2万人ほどで、対するロシアは77万人です。

ロシアの脅威に対してバルト三国は、2004年にNATOに加盟し、2016年から更なる派遣軍の増強を受けている。

 

だが旅行中に、この軍事的な緊迫を感じる場面に出会うことはなかった。

しかし、バルト三国がロシア(ソ連)から受けた仕打ちを知れば、人々の恐怖は理解出来る。

さらに、各国に暮らすロシア住民とウクライナ内戦の発端を考えれば現実味を帯びてくる。

 

 

だがそれだけではない。

私がロシア旅行で会った二人のロシア人の話から、その恐怖はさらに現実味を帯びてくる。

彼らの発言について、既に、この旅行記で書いていますが、この件に関してまとめると以下になります。

 

「かつてソ連邦に属していた国は我々のものである。」

この発言はウクライナとチェチェンについて語ったものですが、バルトについても同様と推察します。

 

「ロシア人はバルトのような小国に関心はない。」

この発言の真意を汲み取るのは困難ですが、すぐ国境を接しているところに暮らす教養ある若者の発言にしては違和感がある。

 

また彼らと話していて、ロシアに批判的な話をすると、いとも簡単に「それは欧米のプロバガンダです」と吐き捨てる。

この口調に、私はロシアのマスコミを含めた情報統制とプロパガンダを感じる。

ちなみにロシアの「世界報道自由ランキング」は148位/180ヵ国です。注釈2.

 

ソ連邦の時代、バルトを含め東欧諸国の人々はモスクワによる徹底した情報統制を経験している。注釈3.

従って、バルトの人々は、例えロシア人が大らかであっても、国のプロパガンダによって侵略に肯定的になることを知っている。

おそらくは、ゴルバチョフやエリツインが潰えた後は、この情報統制が復活したのだろう。

 

またロシアはプーチンが大統領になった頃(2000-2008)に急成長を遂げたが。

その後、成長は止まり、毎年10%ほどのインフレを起こしている。

観光していて、私は地方の経済は取り残されていると感じた。

このような時、強面が売りのトップは、他の大国も同様だが、不満から国民の目を逸らす為に、外部に対して暴挙に出やすい。

 

私は少ない情報での感想だが、このような恐れを感じているバルト三国に同情している。

 

 

今思うこと

命を賭けて独立を望む小国があり、これを無視し軍事力で抑圧する大国がある。

往々にして当事国の国民や、外国の人は無関心である。

 

いつか、これら小国の自由と権利が踏みにじられる時がやって来るかもしれない。

このことを私達はアジアや中東でつぶさに見て来た。

私は彼らの自由と権利を世界が守るべきだと思う、これが世界の正義となるべきです。

 

幸い今、NATOが抑止力となってくれている。

もし、西欧がこの保護を放棄するれば、いずれこの地域が紛争地となり、やがて災厄は蔓延していくことになるだろう。

その過程は、中東紛争で見た通りです。

 

 

最も重要な事

大国の振る舞い(外交、経済政策)は影響が大きいだけに非常に重要です。

したがって大国は自ら正義を実践すべきであって、身勝手は抑制しなけらばならない。

身勝手な大国に対して、多数の国が団結して、方向転換を促すべきです。

ましてや、その大国への盲従する愚は避けるべきです。

 

また、世界が協力して報道の自由度を確保する体制作りが必要です。

米国やロシアなど大国の報道の自由度低下は不安です。

日本も最近は低下傾向にあり、ついに72位に転落し、世界で中位になってしまった。

 

 

次回に続きます。

 

注釈1.

スペイン・カスティーリャ=ラ・マンチャ州シウダー・レアル県、Puerto Lápice 村にあるカソリック教会Nuestra Señora Del Buen Consejoで、私はロー人形のようなイエスの生々しい痛ましい像を見ました。

 

注釈2.

国境なき記者団が発表する2016年度のもの。

米国は41位でした。

 

注釈3.

参考図書は「操られる情報」1984年刊、パウル・レンドヴァイ著。

 

 

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Bring peace to the Middle East! 64: Why was it exhausted ? 2: selfishness of major nations and multinationals


中東に平和を! 64: なぜ疲弊したのか 2: 大国と多国籍企業の身勝手

 

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The selfishness is inconspicuous, but the damage of weaker nations is enormous.
This is deepening the division of the world.

大国の身勝手は目立たないのですが弱小国の被害は甚大です。
これにより世界の分断が深まっています。

 

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< 2. a particular of a subsidy policy >
< 2. 補助金政策の顛末 >

· cotton growers in the USA and Africa.
· the Graph shows a change of cotton price, and the red frame is in the time of Bush administration.

・米国とアフリカの綿花農家。
・グラフは綿花価格の推移、赤枠はブッシュ政権時。

 

Case A
In the time of the Bush administration, he doubled the cotton subsidies.
The USA issued the subsidies of $ 3 to 4 billion to 25,000 cotton growers.
This amounted to about 40% of the cotton production value of the USA, and the export price fell by this.
The cotton production value of the USA is the third largest in the world and accounts for 10%.

As a result, about 10 million farm families suffered a sever damage in Sub-Saharan Africa alone.
If this situation continues for several years, the small-scale farmers will not be able to recover.

Brazil, the production is the fifth highest in the world, sued the subsidy to the WTO, and the adjudication of a ban against the subsidy was issued.
While major nations say free trade, they sacrifice weaker nations by using all means such as export subsidies.
事例A
ブッシュ政権の時に、綿花の補助金を2倍に引き上げた。
米国は25000戸の綿花栽培農家に30~40億ドルの補助金を出した。
これは米国の綿花生産高の約40%になり、輸出価格はこの分下がった。
米国の綿花生産高は世界第3位で10%を占めている。

これによってサハラ以南のアフリカだけで約1000万戸の農家が打撃を受けた。
このようなことが数年も続くと、零細農家は再起不能になる。

生産高5位のブラジルはこの補助金をWTOに提訴し、補助金禁止の裁定が下された。
大国は自由貿易を謳っていながら輸出補助金などあらゆる手段を使い、弱小国を犠牲にする。

 

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< 3. Asian currency crisis >
< 3.アジア通貨危機 >

· Thailand of a victim country and the USA of a financial heaven.
· The damaged countries (orange), and the changes of the GDP in the time.

・被害国タイと金融天国の米国。
・被害国(橙色)とGDPの推移。

Case B
In 1997, the hedge fund led by George Soros suddenly made a short-sale against Thai currency, and the currency fell sharply (Asian currency crisis).
Thus, the economy of the five countries in which 500 million people live, mainly Southeast Asia suffered a sever damage, and the number of poverty rate and suicide doubled by the increase in unemployment.
Furthermore, the deaths from a disease also increased due to the reduction of welfare budget.
For this, the IMF and Japan etc. proffered a total of 5 trillion yen for the affirmative relief.

In exchange for the lives of about 100,000 blameless Asian, the speculators of major nation gained over several hundred billion yen in profit.
However, their conduct is not illegal and is also protected by major nations. Annotation 1
事例B
1997年、ジョージ・ソロスが率いるヘッジファンドがタイの通貨を空売りし、通貨が大幅に下落した(アジア通貨危機)。
そして、東南アジアなど5億人が暮らす5カ国の経済は大打撃を受け、失業の増大により貧困率と自殺者は概ね倍増した。
さらに福祉予算の削減により疾病による死者も増加した。
このためにIMFと日本などは合計5兆円の救済を行った。

罪のないアジアの約10万人の命と引き換えに、大国の投機家は数千億円以上の利益を得た。
ところが彼らの行為は違法ではないし、さらに大国によって守られてもいる。注釈1。

 

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< 4. Explosion accident at a chemical plant >
< 4.化学工場の爆発事故 >

· The exploded chemical plant, the injured persons, and the demonstrations.

・爆発した工場と被害者、デモ。
Case C
In 1984, a toxic gas outflow accident occurred in the chemical plant of “Union Carbide Corporation” of the USA in Bhopal, India, and thousands of people died.
After the accident, more than 20,000 people died and about 100,000 people suffer from health problems such as respiratory diseases and eye diseases.
About 600,000 people including the families are damaged.

The Indian government accused the management team of the factory to the court, but the USA refused to hand over a responsible person and he is still running away.
The amount of the compensation was 500 dollars per person and it was only one sixth of the bill, furthermore the damage is expanding by the outflowing material.
事例C
1984年、インド、ボパールの米国の化学工場「ユニオンカーバイト」で有毒ガス流出事故が発生し、数千人がなくなった。
事故後、2万人以上が死亡し、約10万人が呼吸器疾患や眼病などの健康被害を受けた。
家族を含めて総勢60万人近くが被害を受けた。

インド政府はこの工場の経営陣を裁判所に告発したが、米国は責任者の身柄引き渡しを拒み、彼は現在も逃亡中です。
賠償額は一人500ドルで訴訟請求額の6分の一に過ぎず、さらに流出物質により被害は拡大している。

 

 

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< 5. pollutants dumping from a mine >
< 5. 鉱山の汚染物質投棄 >

· the location of the mine and the polluted river.

・鉱山の位置と汚染された川。
Case D
The mine “Ok Tedi” of the world’s largest Australian resource development company had mined gold and copper in Papua New Guinea for more than 20 years.
This mine had earned 30% of the total export value of this country.

Eighty thousand tons of ore (pollutant) was kept flowing in the river every day.
Malformation occurred due to mineral poison, a large amount of earth and sand was accumulated in the entire downstream area, and enormous forest disappeared.
It is said that this recovery will take 200 years.

When this company was accused of the environmental destruction in 2002, it decided to close it in 2010, by considering depletion of the mine and huge damages compensation.
As a result, the local government had to clean up it.

This continues the next time.

 

事例D
世界最大のオーストラリア系資源開発会社の鉱山「オク・テディ」が20年以上、パプアニューギニアで金・銅を採掘していた。
この鉱山は、この国の輸出総額の3割を稼いでいた。

毎日8万トンの鉱石(汚染物質)を川に流し続けていた。
鉱毒で奇形が発生し、大量の土砂が下流全域に堆積し、膨大な森林が消滅した。
この回復には200年を要すると言われている。

この会社は2002年に環境破壊で訴えられると、鉱山の枯渇と膨大な損害賠償を考慮し、2010年に閉鎖することにした。
その結果、地元政府はこの後始末をしなければならなくなった。
次回に続きます。

 
注釈1.
ジョージ・ソロスは、タイの通貨管理がお粗末なので、どうせ誰かが仕掛けて破綻しただろうと言い、微塵も責任を感じていない。
これを例えるなら、衛生状態が悪い地域で病原菌を増殖させ、疫病が蔓延した後に薬剤を高値で売りつけるのと変わらない。
これで10万人の死者が出ても、世界は見過ごすだろうか。
大国のした事なら文句は言えないかもしれないが。

参考文献
「スティグリッツ教授の経済教室」スティグリッツ著。
「世界経済を不幸にしたグローバリズムの正体」スティグリッツ著。
「世界に格差をばら撒いたグローバリズムを正す」スティグリッツ著。

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 27: ビルニュス 2


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今日からビルュニスの旧市街を紹介します。

2016年10月3日、月曜日の朝、町全体が霧に包まれていました。

新市街1カ所と旧市街の半分ほどを紹介します。

 

 

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< 2. 地図 >

 

上の地図: リトアニアを示しています。上は北です。

首都ビルニュスは国の右下の方にあり、他の二カ国の首都が海に近いのとは異なります。

これは広大なリトアニア帝国の名残であり、また都市が交易で発展していなかったことに関係しています。

 

中央の地図: ビルニュスの拡大です。上は北です。

赤い線は前回紹介した夜の街歩きのルートで、ホテルからカテドゥロス広場の大聖堂までを示しています。

 

Aは杉原桜公園です。

 

黒枠は今回紹介する旧市街の半分です。

 

下の写真: 上記の黒枠部分です。上は東方向です。

赤線は前夜歩いたゲディミノ大通りです。

 

Sは朝、観光バスを降りて徒歩観光を始めたカテドゥロス広場です。

黄線は徒歩観光のルートです。

Eは今回紹介する最後の地点です。

 

以下の写真は撮影順に並んでいます。

 

 

 

 

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< 3. 朝の光景 >

 

 

 

 

 

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< 4. 杉原桜公園 >

 

上の写真: ネリス川の西側(下流)を見ている。

写真の右手に杉原桜公園が広がっている。

 

中央の写真: 杉原桜公園。

毎年春になると、この公園の200本の桜が咲きます。

桜は杉原千畝生誕100年を記念して2001年に植樹されたものです。

茶色の石碑が杉原千畝領事の記念碑です。

 

この右手を入ると私達のホテルがあります。

 

下の写真: 杉原千畝領事の記念碑。

 

 

杉原千畝について

彼は東洋のシンドラーと呼ばれる。

第二次世界大戦中、リトアニアの臨時首都であったカウナスに領事として赴任していた。

1940年、ナチス・ドイツの迫害によりポーランドなどから逃れて来たユダヤ人に、外務省の訓令に反してビザを発行した。

彼らはロシア経由で避難し、命を救われた。

 

 

 

 

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< 5. 町の光景 >

 

上の写真: ネリス川。

 

 

 

 

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< 6. 徒歩観光の始まり >

 

上左の写真: カテドゥロス広場の大聖堂と鐘楼。

この大聖堂は18世紀の改築によってクラシック様式になった。

この塔の基礎は13世紀の城壁の塔が使われている。

 

上右の写真: この鐘楼の下部にある記念プレート。

これは以前紹介したバルトの道(人間の鎖)のリトアニア側の端を示す。

 

下の写真: カテドゥロス広場からゲディミノ大通りを望む。

 

 

 

 

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< 7. 大聖堂の内部 >

 

上左の写真: バロック様式の聖カジミエルの礼拝所。

聖堂を入って右奥にある。

 

 

 

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< 8. カテドゥロス広場から始める >

 

上の写真: 左に大聖堂、右に再建中の王宮がある。

 

中央の写真: カテドゥロス広場の木々。

 

下の写真: 旧市街のメイン通りのピリエス通り。

振り返ると、丘の上にゲディミナス城の塔が見える。

 

 

 

 

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< 9. ピリエス通り >

 

上の写真: 聖ヨハネ教会が奥に見える。

14世紀にリトアニアがキリスト教を受け入れて建設が始められ、18世紀の火災の後、バロック様式で改築された。

現在は離接するビルニュス大学の教会になっている。

 

下の写真: 聖ヨハネ教会の鐘楼、旧市街で最も高い。

 

 

 

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< 10. 二つの教会 >

 

上の写真: ピリエス通りの突き当りに小さな正教会が見える。

 

下の写真: 聖ミカエル教会。

 

 

 

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< 11. 聖アンナ教会 >

 

上の写真: レンガで作られた聖アンナ教会。

今回紹介する徒歩観光の終点にある。

16世紀後半に建てられたゴシック様式の教会。

1812年、ナポレオンがロシアへ攻め上がる途上、この教会を見て「フランスに持ち帰りたい」と語ったほど美しい。

 

下の写真: 奥に見えるのはベルナルディン教会。

 

 

 

あとがき

このリトアニアは数奇な運命と言うか、過酷な歴史を負った国です。

そしてビルニュスの旧市街にもその痕跡がある。

 

他のバルト二ヵ国はドイツ人(騎士団)によって経済と文化が発展し、宗教はプロテスタントになったと言える。

その一方、独立まで長らくドイツ人が支配層に君臨した。

そのことが、タリンやリガのドイツらしい町並みを造った。

 

しかし、ビルニュスの旧市街の趣は異なる。

かつてリトアニアは13~18世紀、黒海に接する大帝国で、ロシアを圧することもあった。

やがてロシアへの対抗上、接していたヨーロッパの大国ポーランドと連合した。

しかし、ポーランドが政治と文化で支配的になっていった。

また、この国は農業国で都市の経済発展が進まなかったので、リトアニア人は農民として地方に住んでいた。

1931年当時、ビルニュスの住民はポーランド人66%、ユダヤ人28%、ロシア人4%で、リトアニア人は1%未満であった。

ソ連支配後のポーランド人追放により、現在はリトアニア人が58%です。

リトアニア全体ではリトアニア人83%、ポーランド人6%、ロシア人5%です。

 

こうしてビルニュスの街並みは他のバルトと異なるものとなり、宗教はポーランドの影響でカトリックが主流となった。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 25: ビリュニスまでの車窓の景色


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今日は、バスの車窓から見たリガからビリュニスまでの景色を紹介します。

この日のドライブは雨はなかったもののほぼ雲に覆われていました。

 

 

 

 

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< 2. リガ旧市街 >

 

上の写真: 旧市街の北の端にあるリーガ城。

この城は14世紀初め、ドイツから来たリヴォニア騎士団との闘いに負けた市民が建てらされたもの。

その後、ポーランド、スウェーデン、帝政ロシアと支配者が替わり、18世紀以降、現在の宮殿のような姿になった。

 

下左の写真: リーガ城すぐ横の英国教会。

 

下右の写真: スターリン・クラシック様式の科学アカデミーが奥に見える。

ダウガヴァ川沿いから見た。

 

 

 

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< 3. リガとの別れ >

 

上の写真: 中央市場。

中央の写真: ダウガヴァ川の対岸。

下の写真: ダウガヴァ川を渡り、南下してリトアニアの首都ビリュニスに向かう。

 

すべての写真は撮影順に並んでいます。

 

 

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< 5. 途中の町 >

 

 

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< 7. 国境を越えて >

 

上と中央の写真の間で、ラトヴィアからリトアニアの国境を越えています。

 

いつも思うのですが国境を越えても、自然の景色は変わらない。

ここでもそれは同じですし、家屋や人工的な風景も変化していない。

 

7年前にオーストリアからハンガリーへと国境を越えた時、自然は変わらないが、家屋が急にみすぼらしくなっていることに驚いた。

国家形態の違いによる経済の差が、このような形で明瞭に出ていることに驚いた。

 

 

 

 

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< 8. 人間の鎖 >

 

途中、休憩に寄ったレストランの駐車場に「the Baltic Way」(人間の鎖)の表示が立っていました。

 

上の写真: その駐車場から見た道路で、「the Baltic Way」の舞台になった。

 

中央右の地図: 「the Baltic Way」のルートを青い線で示しています。

赤丸はこのレストランの場所を示しています。

 

下の写真: 当時の様子。

 

 

人間の鎖について

1989年8月23日、バルト三国の国民200万人が参加し、三つの首都を結ぶ600km以上の鎖を造った。

これは人口の約半分が参加したことになり、世界で最初かつ最大の人間の鎖でした。

この行動は、タリンの「歌の原」で紹介した1988年の「歌の革命」に続いて起きた、バルト三国団結の象徴的な事件でした。

この後、リガで紹介した1991年の「バリケード」事件で、バルト三国は独立を達成することになりました。

 

 

 

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*9

 

 

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*10

 

 

 

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< 11. 少しの変化 >

 

この三枚の写真に、バルト三国の南下に伴う変化が見て取れます。

 

上の写真: 南下するに従って、いつしか原生林が道路から遠のいて行った。

耕作地が増え、作物栽培や放牧を多く見るようになった。

 

中央の写真: 道路沿いに写真のような十字架や小さな教会をいくつか見た。

道路周辺に民家が増えてきたからもしれない。

 

下の写真: 一番顕著な変化は、緩やかな起伏が増えて来たことです。

 

 

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*12

 

 

 

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< 13. もうすぐビリュニス >

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 19: タリン 2


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*1

 

今日は、首都タリンの港と旧市街の一部を紹介します。

 

 

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< 2. 地図、すべて上が北です。 >

 

上の地図: 首都タリン。

番号1のホテルと番号2の「歌の原」は前回紹介しました。

番号3の港と番号4の青枠の旧市街を今回紹介します。

青枠は支配者達が居を構えた丘の上にある「山の手」です。

 

番号5の赤枠の旧市街は次回紹介します。

赤枠は商人や職人が築いた平地の「下町」です

旧市街の大きさは両方で一辺800mぐらいです。

 

下の地図: 旧市街の「山の手」の拡大です。

赤線が今回紹介する徒歩のルートで、Sから歩き始めて、eの展望台まで行きました。

 

ライブカメラ: 世界遺産「タリンの旧市街」のラエコヤ広場。

現在、ちょうどクリスマスマーケットが行われています。

次回、「下町」で紹介します。

TALLINN TOWN HALL SQUARE – VIEW FROM RESTAURANT DOM

https://balticlivecam.com/cameras/estonia/tallinn/tallinn-town-hall-square/

 

 

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< 3. 港 >

 

上の写真: フェリー乗り場のターミナルです。

中央の写真: 中央奥に旧市街の教会の尖塔が見えます。

下の写真: ターミナルから埠頭を望む。

 

この港から対岸のヘルシンキ、フィンランド湾の奥にあるサンクトペテルブルグ、またバルト海を抜けてヨーロッパに渡ることが出来ます。

 

この地は、ロシアとスカンディナヴィア半島を結ぶ軍事戦略地点として、またノヴゴロド(ロシアの前身)と西欧を結ぶ中継貿易で繁栄を築いた。

この港は13世紀にハンザ同盟(最北端)に加わり、14世紀、デンマークからドイツ騎士団がこの地を買い取り、エストニアとラトビア(バルト三国の北側2ヵ国)にドイツ人の影響が残ることになった。

 

 

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< 4. 市街 1 >

 

番号4と5の写真は、港から「山の手」のトームペア城までの3kmほどの車窓からの眺めです。

 

 

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< 5. 市街 2 >

 

緑溢れる落ち着いた街並みです。

 

 

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< 6.トームペア城 1 >

 

この塔は「のっぽのヘルマン」と呼ばれ、15世紀の姿を留めている。

 

エストニア人の砦があったこの丘「トームペア」に、13世紀初頭、ドイツの騎士団とデンマークによる北方十字軍が城を造った。

その後、支配者が幾たびも替わり、18世紀初頭からロシアがこの地を支配し、この城は宮殿へと改造されていった。

 

 

 

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< 7.トームペア城 2 >

 

下の写真: 右手は宮殿側で、国の議会が入っているので見学が出来ない。

 

 

 

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< 8.アレクサンドル・ネフスキー聖堂 >

 

上の写真: トームペア城側から見たアレクサンドル・ネフスキー聖堂。

1901年、当時支配していた帝政ロシアによって建てられたロシア正教会。

ここだけ違和感のある建築でした。

この中に日露戦争で沈没したバルチック艦隊の記念プレ-トがかけられている。

このバルチック艦隊は、エストニアとラトビアの港から出航した。

中を見学したが、写真を撮ることが出来ませんでした。

 

下の写真: アレクサンドル・ネフスキー聖堂の側面。

この道を奥に進み、坂を下ると「下町」に行くことが出来る。

 

 

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< 9.山の手の街並み >

 

上の写真: 右手にアレクサンドル・ネフスキー聖堂、左手にトームペア城。

中央の写真: 上の写真の中央にある通りに入っていく。

下の写真: 大聖堂(トームキリク)周辺の建物。

この辺り教会関係者の住居だったのだろう。

 

 

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< 10. 大聖堂(トームキリク)周辺 >

 

上2枚の写真: この大聖堂はタリンの中心的なプロテスタント教会。

13世紀にデンマーク人がここにカトリック教会を建設し、その後、火事で焼失したが18世紀に再建された。

 

見学しましたが撮影は出来ませんでした。

中は古く簡素でしたが、16世紀からの品々が集められており、まるで中世の田舎の教会に迷い込んだようでした。

 

下2枚の写真: 風情のある通り。

 

 

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< 11. 展望台からの眺め  >

 

地図のe地点にある展望台から旧市街の北東方向を望む。

奥はタリン湾です。

 

次回に続きます。

 

 

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 16: ナルヴァ城


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*1

 

今日は、エストニアとロシアの国境にあるナルヴァ城を紹介します。

この小さな城は素晴らしい景観に恵まれるだけでなく、バルト三国を象徴する歴史を秘めていました。

訪れた時は夕暮れが迫っていたが、秋晴れでした。

 

 

ナルヴァ(Narva)について

エストニアの都市ナルヴァは、かつて「バルト海の真珠」と称される美しい街並みを誇った。

しかし第二次世界大戦時、ソ連の爆撃で歴史的な街並みの多くは失われた。

人口は約66000人で、人口規模ではタリン、タルトゥに次ぐエストニア第3の都市です。

 

 

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< 2. ナルヴァ城の外壁 >

 

この城はナルヴァ川を挟む検問所の直ぐ横にあり、ナルヴァの町をナルヴァ川の対岸のロシアから守るように立っている。

この城も第二次世界大戦で半壊状態になったが、修復されて博物館になっている。

 

 

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< 3. ナルヴァ城(ヘルマン城) 1 >

 

上の写真: 城壁をくぐると左手にレストランがある。

この建物の直ぐ右手の木の向こうにレーニン像が立っている。

後に、このレーニン像がこの町の複雑な事情を教えてくれることになる。

 

中央の写真: この中心的な城は博物館になっているがツアーでは入場しなかった。

 

下の写真: この城の向こうに、対岸のロシア側の城(イヴァンゴロド要塞)が見える。

 

 

ナルヴァ城について

ここに最初に城を築いたのはデーン人(デンマークに居たノルマン人)で、1256年でした。

そして14世紀の初めに最初の石の城が完成した。

その後、ドイツのリヴォニア騎士団がこの城を1346年に購入し、その後長く所有することになった。

 

 

この地の観光情報

*ナルヴァ市の広報HP: ナルヴァやナルヴァ城の紹介もあり、英語表記選択可。

http://www.narva.ee/en/for_tourists/page:7672

 

*ナルヴァ博物館HP: ナルヴァ城、博物館の紹介、英語表記選択可。

http://narvamuuseum.ee/eng/narva-castle/about/

 

*ナルヴァ土塁の解説: 絵図などの資料が豊富、但しエストニア語表記?

http://bastion.narva.ee/userfiles/file/Narva%20Bastions%20Route%20booklet%20(et).pdf

 

*Wikipediaのナルヴァ城(Hermann Castle):英語表記のみ。

https://en.wikipedia.org/wiki/Hermann_Castle

 

 

 

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< 4. ナルヴァ城 2 >

 

中央の写真: ナルヴァ川の対岸にロシアの城塞が対峙している。

左の橋は、私達が通過して来た国境の橋で、その右手の建物はロシア側の検問所です。

 

私達がバスに乗って橋を通過する時、多くの一般人が徒歩で行き来するのを見た。

彼らはロシア人で、エストニア側のスーパーなどでショッピングする為だそうです。

 

下の写真: ナルヴァ川の上流側の岸から二つ城塞を写しているライブカメラの映像。

この写真は2016年12月13日、8時10分のもので、現地気温マイナス12℃と表示されていた。

日本との時差はマイナス7時間です。

 

ライブカメラ: NARVA CASTLE AND IVANGOROD FORTRESS

https://balticlivecam.com/cameras/estonia/narva/narva-castle-ivangorod-fortress/

 

 

 

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< 5. ナルヴァ川 >

 

上の写真: 対岸はロシアです。

下の写真: 川の右手はエストニア側です。

 

低くなった陽の光を浴びて黄葉が輝き、空と川面はあくまでも青く映え、冷たい川風が吹き抜けていきます。

心洗われる一時でした。

 

 

エストニアの歴史について

 

 

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< 6.ナルヴァとエストニアの歴史 >

 

上の写真: ナルヴァ城を矢印で示しています。

写真上側はおおよそ東方向で、中央を流れるナルヴァ川の左が下流で、下側がエストニアになります。

 

中央の写真: ナルヴァ城(ヘルマン城)を矢印で示しています。

かつてエストニアの都市ナルヴァは大きな城壁で囲まれていた。

私達が見たのは、破壊後のほんの一部なのです。

 

対岸の城塞はロシア側のイヴァンゴロド要塞で、1492年にロシアによって造られた。

 

 

下の写真: これはエストニアの支配者の移り変わりを示す年表です。

年表を見ると、支配者の移り変わりに驚かされる。

 

13世紀から西欧各地のキリスト教団(司教と騎士団)とデンマークが支配し、

16世紀からスウェーデンとポーランドが、18世紀からロシアが支配した。

さらに20世紀に入ると、一度独立を果たすが、ドイツ軍とソ連による支配を受けた後、再度独立を果たし、今に至っている。

 

バルト三国の数奇な運命は、バルト海に面し、ロシアに繋がっていることによる。

端的に言えば、これらの国は西欧のキリスト教団の侵略を受けた後、西欧(ドイツ)の商人によって栄えた。

これがヨーロッパ化とキリスト教化を生んだ。

これらの国が小さく南北三つに分かれたのは、北欧(スウェーデン、フィンランド)と東欧(ポーランド)の文化が両側から影響したからです。

 

バルト三国は各々の異なる言語を持つが、幸いなことにキリスト教徒の国で共通し、周辺国もキリスト教国(正教会)です。

但し、北部はプロテスント、南部はカトリックと異なる。

 

 

 

 

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< 7. ナルヴァの戦い >

 

上の絵: 1700年のナルヴァの戦いの絵と思われる。

これは大北方戦争中(1700年~1721年)、ロシア軍がナルヴァに進攻しスウェーデン軍との戦いです。

右手遠方に城塞が見える。

 

ロシア帝国が、サンクトペテルブルグ発展の端緒になる城塞建築はこの大北方戦争の為でした。

 

下の写真: ナルヴァ城での戦闘シーンの再現のようです。

 

 

 

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< 8. ナルヴァの俯瞰図 >

 

上の絵: これも1700年のナルヴァの戦いの絵です。

ロシア軍がナルヴァ城を取り囲んでいる。

 

下の絵: 繁栄している19世紀半ばのナルヴァの様子らしい。

 

 

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< 9. エストニアの歴史地図 >

 

上の地図: 1260年の支配地図。

13世紀になると西方から騎士団や十字軍が侵攻して来て、エストニア軍は戦うが破れ、エストニアはローマ教皇の下、6つのキリスト教団の司教領、リボォニア帯剣騎士団などに分割された。

 

下の地図: 1260年~1410年の支配地図。

これはバルト三国の支配を争った一方の勢力であるドイツ騎士団(チュートン騎士団)の支配地域を示す。

 

 

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< 10. バルト三国の歴史地図 >

 

上の地図: 1560年~1711年のエストニア。

スウェーデンに分割支配された。

 

下の地図: 現在のバルト三国。

 

 

あとがき

私はなぜレーニン像がナルヴァ城の中庭に立っているのか不思議に思った。

その像の下半分が写真3の一番上の写真に微かに見える。

バルト三国は第二次世界大戦後の独立に至るまで、ソ連に辛酸を舐めさされた。

その彼らがレーニン像を撤去しないことに疑問を感じた。

 

実は、ナルヴァのエストニア人は大戦時、ドイツ軍によって強制避難させられ、ソ連占領後も帰還を許されなかった。

その後、ナルヴァは工業で栄え始めると、ロシア語系住民が大挙移住して来た。

そして現在、ナルヴァの人口の95%はロシア語系住民が占めている。

ソ連の爆撃で廃墟となった町をロシアの人が再建して来たのです。

 

説明してくれた現地ガイドもロシアからの移民を親に持つていたのです。

彼は複雑な気持ちだと言っていた。

 

このような民族の混住がロシア周辺で起こり、紛争の火種になっているのかと思うと怖くなった。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

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蟹と紅葉を楽しみました 6: 秋の山野と海峡


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今日は、ドライブ途中で見た秋の山野と海峡を紹介します。

これで、今回の旅行記は終わります。

 

 

 

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< 2.9号線 >

 

ここは村岡辺り。

 

 

 

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< 3. 9号線 >

 

ここはハチ北口の辺り、若い頃、ハチ北にスキーに来ました。

 

 

 

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< 4.9号線  >

 

ここは関宮辺り。

 

 

 

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< 5.道の駅あさご 1 >

 

ここには播但連絡有料道路に乗る前に、昼食の為に立ち寄りました。

道の駅のすぐ横で綺麗な紅葉が見られました。

昔、家族で神鍋に行った後の帰り道、ここによく立ち寄りました。

 

 

 

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< 6.道の駅あさご 2 >

 

 

 

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< 7.道の駅あさご 3 >

 

 

 

明石海峡と裏六甲の眺め

次の22日、淡路島から神戸にバスで出ました。

この日は但馬旅行の2日間とは打って変わって素晴らしい天気でした。

バスの車窓から見た快晴の海と山の写真を紹介します。

 

 

 

 

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< 8.明石海峡大橋からの眺め >

 

淡路島から舞子に向かっているバスからの眺めです。

西側、瀬戸内海側を見ています。

淡路島はあまり紅葉しません。

 

 

 

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< 9.高速道路からの眺め 1 >

 

上の写真: 神戸淡路鳴門自動車道を見下ろしている。

 

下の写真: 阪神高速7号北神戸線からの眺め。

 

こちらは山は紅葉していました。

但馬の山々はもっと紅葉していたのですが、天気が悪かったので残念でした。

 

 

 

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< 10.高速道路からの眺め 2 >

 

阪神高速7号北神戸線からの眺め。

 

 

この連載は終了します。

ありがとうございました。

 

 

 

 

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蟹と紅葉を楽しみました 5: 竹田城跡


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今日は、写真撮影で最も楽しみにしていた立雲峡と竹田城跡を紹介します。

立雲峡は雲海に浮かぶ竹田城跡の撮影で有名になった所です。

 

 

 

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< 2.立雲峡の登山道 >

 

中腹の駐車場まで車で行き、そこから第三、第二、第一展望台へと登ります。

一番高い第一展望台までは徒歩25分だそうです。

私は疲れたので一番近い第三展望台から撮影しました。

第三展望台は標高354mの竹田城跡と同じ高さにある。

駐車場からも撮影出来ます。

 

 

 

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< 3.第三展望台から竹田城跡 1 >

 

中央の古城山の山頂に石垣が微かに見えます。

北西方向を見ている。

 

今日は、今にも雨が降りそうな空模様で、霞んで見えます。

雲海は秋の明け方から午前8時頃までで、色々な気象条件が重なった時に見られるそうです。

そう簡単に雲海にお目にかかれないのでしょうか。

 

 

 

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<4. 第三展望台から竹田城跡 2 >

 

古城山の麓右下にJR竹田駅と寺町通りが見えます。

 

 

 

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< 5.第三展望台から寺町通り  >

 

麓のJR竹田駅と寺町通りです。

 

 

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< 6. 第三展望台から竹田城跡 3 >

 

 

 

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< 7. 第三展望台から竹田城跡 4 >

 

 

竹田城について

15世紀、応仁の乱で西軍の総大将であった山名宗全が、この山頂に城を築かせた。

戦国時代は太田氏が城主となり、播磨(瀬戸内海側)と但馬(日本海側)の国境を守る拠点となった。

織田軍の播磨攻めの折、1577年、羽柴秀吉により落城した。

最後の城主赤松氏が石積みの城郭を整備し、今に至っている。

 

 

 

 

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< 8.表米神社の下 >

 

ここは寺町通りの端になります。

山頂に石垣が見えます。

右下に表米神社への階段があり、そこから山頂まで登ることが出来ます。

 

 

 

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< 9.JR竹田駅 >

 

ちょうど電車が入って来ました。

南側を見ています。

 

 

 

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< 10. プラットホームから寺町通り >

 

寺町通りにはお寺が幾つも並んでおり、紅葉が美しかった。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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蟹と紅葉を楽しみました 4: 浜坂と湯村温泉


 

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< 1. 蟹のいけす >

 

 

今日は、蟹で賑わう浜坂漁港と湯村温泉の蟹料理を紹介します。

 

 

 

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< 2. 浜坂漁港 1 >

 

 

 

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< 3. 浜坂漁港 2 >

 

私は今年5月に、写真左手に見える鬼門崎を遊覧船で巡りました。

その時と打って変わって冬の気配が広がっていました、海はまだ荒れていませんでしたが。

この11月から蟹漁が解禁になったので、またやって来ました。

 

 

 

 

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< 4. 蟹の販売店 >

 

浜坂漁港にあるこの鮮魚店は観光バスなどで来た人で一杯でした。

おそらく観光バスは蟹の買い出しツアーでしょう。

ここの2階にレストランもあります。

皆さん、高い蟹をどんどん買っていくのには驚かされます。

 

 

 

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< 5. 高嶺の花 >

 

 

 

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< 6. 旅館「とみや」1 >

 

「とみや」の庭、右手奥にお気に入りの露天風呂があります。

私はここに泊まるのが2度目、それも半年後にまた来ました。

ここの料理と温泉が非常に気に入りました。

最も、割引の広告が新聞に出たので、飛びついた次第です。

 

 

 

 

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< 7. 旅館「とみや」2 >

 

今回、宿泊した部屋から素晴らしい紅葉を楽しむことができました。

ここはすぐ裏山が迫っており、自然な感じで秋を彩る木々が植えられていた。

 

 

 

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< 8. 旅館「とみや」3 >

 

上と同じ場所です。

不動明王が真っ赤な紅葉の中で立っているのが、如何にも日本的です。

 

 

夕食の蟹三昧

 

 

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< 9. 蟹料理 1>

 

A: 茹でたズワイガニと前菜。

B: カニ刺しと地魚お造り。

C: のどぐろの煮つけ

D: カニスキ。

E: 焼きカニ。

私が一番美味しいと思ったのは焼きカニでした。

 

 

 

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< 10. 蟹料理 2 >

 

F: カニ茶碗蒸しとカニ天ぷら。

G: カニ雑炊と漬物。

H: デザート。

 

やはり低料金なので蟹の大きさや量で見劣りしましたが、満腹になりました。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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蟹と紅葉を楽しみました 3: 高源寺


 

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今日は、紅葉で知られた高源寺を紹介します。

 

 

高源寺について

場所は丹波市青垣町にある臨済宗のお寺です。

山裾から山の斜面にかけて多くの仏閣が建てられている。

創建は14世紀ですが、戦国時代に焼失し、江戸時代に復興された。

 

 

 

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< 2. 高源寺の参道 >

 

 

 

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< 3. 惣門 >

 

上の写真: 惣門、最初の門。

 

下の写真: 惣門を入って右側の庭。

 

 

 

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< 4. 山門に向かう階段 >

 

 

 

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< 5. 山門 >

 

上の写真: 山門。

 

下の写真: 山門前から振り返る。

 

 

 

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< 6. 石碑 >

 

 

 

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< 7. 心字の池 >

 

奥の石垣の上から一筋の滝が流れ落ち、手前の「心字の池」に注いでいます。

 

 

 

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< 8. 方丈と鐘楼 >

 

下の写真: 方丈と鐘楼。

 

 

 

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< 9. 多宝塔 >

 

 

 

 

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< 10. 黄葉と紅葉 >

 

 

残念ながら、紅葉のピークは過ぎていました。

おそらく1週間前頃がピークだったのでしょう。

いつかまた来たいものです。

 

 

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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蟹と紅葉を楽しみました 2: 銀山湖から黒川渓谷へ


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今日は、銀山湖から黒川渓谷を紹介します。

 

 

 

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< 2.播但連絡有料道路 >

 

上の写真: 市川サービスエリアからの眺め。

下の写真: 播但連絡有料道路を走行中、フロントガラス越しの眺め。

 

 

 

 

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< 3. 銀山湖 1 >

 

霧雨が時折降る天気でしたが、雲がたなびく山々と紅葉が湖面に映えていました。

 

 

 

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< 4. 銀山湖 2 >

 

 

 

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< 5. 銀山湖 3 >

 

 

 

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< 6. 黒川渓谷、下流側を望む >

 

この場所がこの渓谷で紅葉が最も美しい所かどうかはわかりませんが、紅葉の盛りは過ぎていました。

川に沿って429号線が走っていたここで撮影しました。

銀山湖と黒川渓谷は標高400mを越えています。

 

 

 

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< 7. 黒川渓谷、上流側を望む  >

 

 

 

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< 8. 429号線を下って青垣を目指す  >

 

この道は急な下りが続き、かつ道幅が狭く、対抗車が来たらお手上げです。

それでも杉の森と笹の緑と紅葉が雨に濡れて鮮やかで、深山幽谷を堪能しました。

 

 

 

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< 9. 鹿野馬神社 >

 

目的の高源寺手前で偶然見つけた紅葉の美しい神社を見つけました。

 

 

 

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< 10. 鹿野馬神社の前から  >

 

上の写真: 今下って来た山側を振り返る。

下の写真: 神社の前に架かる橋の上から河岸のもみじを写す。

 

 

次回に続きます。

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 11: サンクトペテルブルグ 5


 

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今日は、黄葉真っ盛りの公園を紹介します。

前回に続いて、ピュートル大帝の夏の宮殿の下の公園を散策します。

 

 

 

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< 2. 散策マップ >

 

赤線が散策ルートで、Sがスタート、Eが終わりを示します。

散策は2016年9月29日17:00~18:00で、雲が厚く覆っていました。

 

 

 

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風が少なかったこともあり、寒さはあまり感じませんでした。

こちらの秋の色は真っ赤ではなく黄金色というところでしょうか。

 

 

 

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< 4. アダムの噴水 >

 

上の写真: この噴水は放射状に延びる8本の道の交差部にある。

下の写真: これは海岸に近い方です。

 

 

 

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< 5.モン・プレジール宮殿 >

 

上の写真: モン・プレジール宮殿の庭先から、フィンランド湾を望む。

右端の突き出した部分は、噴水群から延びる運河の先になります。

 

下の写真: モン・プレジール宮殿の海側。

ピュートル大帝が最も初期に建てたもので、お気に入りだったそうです。

非常に小さな建物でした。

 

 

 

 

 

 

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< 6.モン・プレジール宮殿の庭  >

 

上の写真: モン・プレジール宮殿の庭。

下の写真: この道を真っすぐ行くとチェスの山の滝に行く。

 

 

 

 

 

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< 7. 太陽の噴水 >

 

上の写真: 太陽の噴水。

下の写真: いたずらの噴水。

中央に数個の小さな噴水があるのですが、その脇を通ろうとすると両側の木立の中から突然、何本もの噴水が噴出します。

それも無事な人もいれば、かなり濡れる人もいて、笑いの渦でした。

何処かで操作しているのでしょうが、わかりませんでした。

 

 

 

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*8

 

 

 

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< 9. ローマの噴水 >

 

上の写真: 鴨が泳いでいる池もありました。

下の写真: ローマの噴水。

右手の階段上のものが、チェスの山の滝です。

 

 

 

 

 

 

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< 10.チェスの山の滝 >

 

上の写真: チェスの山の滝を横から見ている。

下の写真: 坂道を上る途中に見えたレストラン。

昔は宮殿でした。

 

 

次回は、これまた壮麗なエカテリーナ宮殿を紹介します。

 

 

 

 

 

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 10: サンクトペテルブルグ 4


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< 1.サムソン像 >

 

 

サンクトぺテルブルグ観光で私が最も感動した風景を紹介します。

それはピュートル大帝の夏の宮殿の噴水群と黄葉です。

今回は、噴水群を紹介します。

 

 

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< 2.散策地図 >

 

上の写真: ピュートル大帝の夏の宮殿のほぼ全体が写っています。

上が北で、海岸沿いの庭園「下の庭園」の幅は東西に約4kmあります。

私達が観光したのは「下の庭園」の一部で、噴水群と赤枠の黄葉真っ盛りの庭園です。

私達はバスを降りて、Sから歩き始め、黄線に沿って徒歩でEまで行きました。

今回の写真はEまでの撮影分です。

 

下の写真: 大宮殿の前から海側に落ちる大滝と噴水群のある庭園。

上が南です。

 

 

 

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< 3.宮殿横を行く >

 

上の写真: 歩き始めると、素晴らしく紅葉した木々が私達を迎えてくれていました。

 

下の写真: この建物の右側から入場します。

 

 

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< 4. 眼下についに見えました >

 

待望の噴水群の全貌が見えて来ました。

今回のロシア旅行で、もっとも期待していた撮影スポットはここでした。

しかし、この時期は天候がすぐれず、雲に蔽われる可能性があった。

一方で、紅葉の時期でもあったので、私はこの時期の旅行に決めた。

おかげで想像を超える黄葉と噴水の両方を楽しむことが出来ました。

しかし残念なことに、ここを訪問したのは9月29日の16:30~18:00で、夕暮れが迫っていました。

肉眼では充分、美しさを堪能出来たのですが、写真では無理なようです。

 

 

 

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< 5.大宮殿中央の前から >

 

森の向こうはフィンランド湾です。

かつてピュートル大帝は船で、この運河に入り宮殿に横づけした。

 

 

ピュートル大帝の夏の宮殿について

北方戦争に勝利したピュートル大帝が建てた宮殿で、1724年に完成した。

建設には、フランス、イタリアなどから建築家や技術者が集められた。

噴水は、22km離れた水源から上の庭園まで水を引き、そこからパイプで落差を利用している。

まったくの自然の力による噴水です。

 

 

 

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< 6.金色に輝く彫像1 >

 

聖書を題材にした彫像が多いようです。

 

 

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< 7.金色に輝く彫像2 >

 

 

 

 

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< 8.金色に輝く彫像3  >

 

この大滝全体で、37体の銅像、64の噴水、142の水の噴出し口がある。

 

 

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< 9.大宮殿を望む1 >

 

上の写真: 池中央の像がサムソン像です。

サムソンがスウェーデンを象徴するライオンの口を引き裂いてる。

そしてその口から20mの高さまで水が噴出している。

 

 

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< 10. 大宮殿を望む2 >

 

 

次回は黄葉の庭園を散策します。

 

 

 

 

 

 

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花で満ち溢れる丘、あわじ花さじき


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2016年11月5日、コスモスが満開の丘を散策しました。

この日は風もなく、陽射しの温もりが心地良かった。

 

 

あわじ花さじき

ここは淡路島北端の丘陵地のひときわ高い山頂にあります。

標高290~250mの展望台からは大阪湾と瀬戸内海を望むことが出来ます。

以前は牛の放牧場だった所ですが、今は広大な斜面一杯に年中、季節に応じた花が植えられています。

ここの素晴らしい所は、広大な斜面のお花畑と眼下の海、緑の山々を同時に楽しめることです。

しかも無料で、駐車場は広く、小さな売店・トイレなどの設備も整っています。

 

 

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< 2. 地図 >

 

上の地図: 赤丸があわじ花さじきです。

車なら東浦インターから行くのが便利だと思います。

この日も、近畿だけでなく関東や四国などの車も見かけました。

 

下の地図: 矢印があわじ花さじきです。

この衛星写真は大阪湾側から見ており、向こうに瀬戸内海が見えています。

手前が東浦で、横一直線に山肌を横切っているのは神戸淡路鳴門自動車道です。

 

 

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< 3. 駐車場の近くで >

 

上の写真: 牛の放牧場の向こうに、明石海峡大橋の白い主塔が微かに見えています。

この日は、島全体に霞みがかかっていました。

 

 

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< 4. 満開のコスモス >

 

斜面の中腹で撮影しました。

 

 

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< 5. 斜面の下の方で撮影 >

 

上の写真: 中央の山頂に展望台が見えます。

下の写真: 左手奥に2頭の馬に乗った人が見えます。

 

 

 

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< 6. 斜面の上の方から撮影 >

 

上の写真: 赤いサルビアが鮮やかです。

眼下に微かに大阪湾の海面が見える。

霞みがなければ対岸の大阪から和歌山の山並みも見える。

 

下の写真: 展望台から見下ろしている。

 

 

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< 7. 幸福な一時 >

 

 

あとがき

駐車場には大型観光バスが数台駐車しており、次々と乗用車も入って来て、訪問者で一杯でした。

しかし花園は広いので、写真のように人はまばらになり、思い思いに花を楽しんでいました。

子犬を連れて来て見知らぬ人とペット談義に花を咲かせる人々。

近くの牧場から馬に乗り散策を楽しむ人達。

写真撮影に余念のない人。

花に囲まれてご満悦なカップルや友人同士。

老いのひと時を憩う私達。

 

晴れやかで自然と一体になれた秋の一日でした。

 

 

 

 

 

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 6: 新幹線の車窓から


 

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< 1.車窓から >

 

今日は、モスクワからサンクトぺテルブルグまでの新幹線車窓から眺めを紹介します。

 

 

 

 

 

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< 2. 新幹線の停車駅 >

 

私達の乗った新幹線サプサンは756号で、モスクワを6:40発、サンクトぺテルブルグ着は10:40です。

(前回紹介した754号は間違いでした。)

途中、地図のAとB駅で停車します。

 

撮影について

この日、走行中は曇りで、時折、小雨が降りました。

しかし、ロシア大陸を650km横断し、北に行くにしたがって変化する景色を写すことが出来ました。

私は列車の進行方向に向かって左側に座り、西南方向を見ている。

写真は撮影順に並んでいます。

 

 

 

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< 3. モスクワから30分以内の景色 >

 

ここまで来ると、周囲は鬱蒼とした森林になり、その間に民家が散在するようになります。

 

 

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< 4. 最初の停車駅、地図A >

 

駅は、モスクワから約1時間後に着きました。

下の写真が停車駅のホームです。

新幹線の駅と言っても、在来線の駅と共用しており古いようです。

 

 

 

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< 5. モスクワから1時間半以内の景色 >

 

上の写真も、A駅のホームです。

中央の写真の民家はみすぼらしく、廃屋かどうか不明です。

木々の黄葉が目立つようになって来ました。

 

新幹線について

サンプサン(新幹線)の線路は在来線と一緒で、ホームも同じものを使用している。

サンプサンは2009年に、ドイツのシーメンス製車両を購入し運転が始まった。

 

 

 

 

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< 6. 2番目の停車駅、地図B >

 

ここは距離的に中間点の少し手前になります。

新幹線が止まる駅なのですが、周辺の建物からは大都会のイメージはありません。

大自然に囲まれた小都市の趣です。

 

この駅は人口56000人の都市、Vyshny Volochyokの中央西端にあります。

この地はバルト海に注ぐ川とカスピ海に注ぐヴォルガ川の結節点になります。

古くはヴァイキングがスカンジナビアとビザンチン帝国を結ぶ毛皮の交易路でした。

 

 

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< 7. モスクワから2時間以内の景色 >

 

上の写真は、B駅ホームすぐ横の踏切の様子です。

普段着の雰囲気はよくわかります。

中央の写真はB駅ホームすぐ横の景色で、新幹線の駅と言っても、すぐ森になります。

下の写真は川です。

 

 

 

 

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< 8. モスクワから2時間前後の景色 >

 

 

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< 9. モスクワから2時間半以内の景色 >

 

この辺りは、なぜか木々が少なく、草原が増えて来ました。

一番下の写真も左側には、ヤギの飼育が見られます。

 

 

 

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< 10. モスクワから2時間半前後の景色 >

 

今まで車窓から、いくつもの大きな湖を見ました。

ここで始めて、大きな牧草地や丘陵地帯を見たように思います。

こちらでは黄葉が進んでいました。

 

 

 

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< 11. モスクワから3時間前後の景色 >

 

中央の写真は湿地帯のようです。

下の写真は大きな川です。

ほとんどの川は護岸工事がされておらず、いかにも自然のままです。

 

 

 

 

 

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< 12. モスクワから3時間半以内の景色 >

 

中央の写真の奥にも民家が見えます。

下の写真は、比較的新しい家屋が並ぶ住宅地のようです。

 

 

 

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< 13. サンクトペテルブルグまで30分以内の景色 >

 

アパート群が目立ち始めました。

 

ロシアの国土の大半は平地で日本の45倍あり、人口は日本より少し多い。

一人当たりのGDPは日本の60%ほどですが、車窓から見た暮らしぶりはもっと低いように感じます。

大都市部のアパートや家屋は文化的な暮らしが可能だろうが、少し離れれば不便で生活水準が低いようです。

 

 

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< 14. サンクトペテルブルグまで15分以内の景色 >

 

上の写真で、遮断機の右側の車止めの装置が凄い。

工場は古いのが多いようです。

 

 

 

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< 15. サンクトペテルブルグに到着 >

 

私達が乗って来たサプサンが下の写真の左側に見えます。

下車した乗客には、集団の観光客がほとんどいないようです。

 

 

感じたこと

モスクワと新幹線からの景色を見て、ロシアの広大さと人口密度の低さを実感した。

 

平野は果てしない森林でおおわれ、北部には湿地帯が多い。

広大ではあるけれど、未耕作地が多く、不毛とまでは言えないが、豊かな恵があるとは言えそうにない。

私が見た地域は、ロシアの起源となるキエフ大公国(9~13世紀)の北半分の領域で、当時の主要都市ノヴゴロド近くも通過した。

この地から生まれた王国は農業や牧畜で経済基盤を築けず、勇猛な遊牧民族が去った後、豊かな実りを求めて中央アジアやヨーロッパへと向かったのだろうか。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 2: モスクワ 1


 

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< 1.ブラゴヴェシチェンスキー聖堂、地図2のD >

今日は、最初の訪問地モスクワを紹介します。
空港からモスクワのクレムリンまでの車窓の眺めとクレムリンの聖堂広場を紹介します。
はじめに
私達の飛行機はドバイ空港の混雑で出発がかなり遅れて、クレムリン到着は5時になり、また曇天だった為、薄暗い中での観光になった。
教会の閉館時間が迫り、拝観出来たのは一つだけだった。

しかし、良いこともあった。
それは次回紹介する赤の広場のイルミネーションを見ることが出来たことです。

 

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< 2. 地図1: 空港からクレムリンまで >
衛星写真はすべて上が北です。

上の写真: 到着したドモジェドヴォ空港からモスクワ中心部のクレムリンまで約45km。

下の写真: S印は赤の広場を示す。
その下側の三角形の茶色の城壁で囲まれた部分がクレムリンです。
さらに下側を流れるのがモスクワ川です。

 

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< 3. 地図2:クレムリン内の聖堂広場 >

私達は左上のクタフィヤ塔から入場し、トロイツカヤ塔をくぐり、クレムリン内に入った。
そして白い近代的な建物のクレムリン大会宮殿(下側)と兵器庫の間を通り、聖堂広場に向かった。

 

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< 4.空港からモスクワ中心部まで 1 >

上の写真: ドモジェドヴォ空港。
空港周辺は鬱蒼とした森林とのどかな田園地帯です。

 

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< 5.空港からモスクワ中心部まで 2 >

やがて高層のアパートが増えて来ますが、建物は無味乾燥で古いものが多い。

 

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< 6.空港からモスクワ中心部まで 3 >
すべてモスクワ川です。

下の写真: モスクワ川に立つピュートル大帝像。

ここまで来ると人口1200万人の大都会を彷彿とさせます。

 

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< 7. クレムリンに到着 >

上の写真: モスクワ川に沿って続くクレムリンの城壁。
下の写真: トロイツカヤ塔がクレムリンの入り口。

 

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< 8. トロイツカヤ塔の直前 >

上の写真: アレクサンドロスキー庭園を見下ろす。
下の写真: クタフィヤ塔の向こうに市街が広がる。

 

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< 9. 聖堂広場に向かう >

上の写真: パトリアーシエ宮殿の下をくぐると、聖堂広場に出る。地図2のA。
下の写真: イワン大帝の鐘楼。地図2のB。

 

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< 10. 聖堂広場の真ん中から >

上の写真: 奥にパトリアーシエ宮殿、右手にイワン大帝の鐘楼、左手にウスペンスキー大聖堂(地図2のC)が見える。
時間が間に合っていれば、ウスペンスキー大聖堂の内部に入った。

下の写真: 内部を見ることが出来たアルハンゲルスキー聖堂。地図2のE。

 

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< 11. アルハンゲルスキー聖堂内部 >
内部は撮影禁止なので、画像をhttp://archangel-cathedral.kreml.ru/から借用した。

アルハンゲルスキー聖堂について
これは天使ミカエルを祭ったロシア正教会の聖堂です。
現在の建物は14世紀の大聖堂のあった場所に16世紀初め建設された。
壁面を埋め尽くすフレスコ画は16から17世紀に制作された。
奥の部屋との仕切りになっているイコノスタシスには17~19世紀のイコンがはめ込まれている。
ここには17世紀までの54名の皇帝や王が埋葬されている。

上の写真: 華麗なイコノスタシス。
中央の扉を開けると最も神聖な場所に至る。
この扉の上にキリストと聖母マリアの絵が連なっている。
さらに最後の晩餐の小さな絵が扉のすぐ上にあり、これは正教会の決まりだそうです。

下の写真: 出口に向かって壁面右側上部に最後の審判の絵がある。
思うこと
私が正教会の内部を見るのはモンテネグロのコトル以来ですが、これほど絵画で埋め尽くされた建物を見るのは初めてだった。

特に印象深かったことは、「最後の晩餐」と「最後の審判」が重要な場所に描かれていることでした。
「最後の晩餐」はイエスが信じる人々に恩寵(パンと葡萄酒:血と肉)を与える重要なシーンです。
「最後の審判」はイエスが再臨し、良き人々を永遠に救うことを意味する。

信者は扉に向かって礼拝するとき、神の恩寵の思い、また退出する時には、最後の審判による永遠の安らぎを確信することになる。

次回に続きます。

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ロシアとバルト3国、ポーランドを巡る旅 1: はじめに


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< 1. 霧に包まれたビルニュス歴史地区 >

 

私達はバルト海に面する国々を訪れました。

大国ロシアとヨーロッパの端にある小国バルト3国、ポーランドを巡りました。

サンクトペテルブルグの黄葉と黄金に輝く宮殿、世界遺産の中世の街並み、ユーラシア大陸の自然を愉しみました。

今日は、この旅行の概要を紹介します。

 

旅行の概要

旅行の日程は2016年9月28日から10月5日です。

(株)ジャンボツアーズのツアーに参加しました。

モスクワに飛び、地図の赤丸の各都市に6泊し、黒丸を含めて7箇所を観光し、ワルシャワを発ちました。

添乗員が同行し、各地では現地ガイドの説明を受けました。

 

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< 2. 訪問地の地図 >

モスクワとサンクトペテルブルグの間は新幹線で移動しました。

サンクトぺテルブルグからワルシャワまでは観光バスで移動しました。

総距離は2200kmを越えます。

 

この旅行の目玉

丸印の観光地について

No1: クレムリンを中心にモスクワ観光。

No2: 2つの宮殿とエルミタージュ美術館を含むサンクトペテルブルグ観光。

No3: 国境の河岸に立つナルヴァ城観光。

No4: エストニアの首都タリン、バルト海の交易で栄えた旧市街地を徒歩観光。

No5: ラトビアの首都リガ、ロシアとヨーロッパの中継貿易で栄えた旧市街地を徒歩観光。

No6: リトアニアの首都ビリニュス、苦難の歴史を生き抜いた旧市街地を徒歩観光。

No7: ポーランドの首都ワルシャワ、破壊から蘇った旧市街地を徒歩観光。

 

秀逸だったこと

至る所で黄葉が見頃を迎えていた。

新幹線と観光バスの車窓から眺めは、ユーラシア大陸の大平原を堪能させてくれた。

5つの都市で、一つの巨大デパート、3つの大型スパー、一つの中央市場を訪問し、買い物をした。

現地ガイドとの説明や対話を通じて、この国の歴史を身近に感じることが出来た。

 

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< 3. モスクワ >

上の写真: クレムリン。

下の写真: 赤の広場近くの通り。

 

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< 4. サンクトペテルブルグ >

上の写真: エルミタージュ美術館。

下の写真: エカテリーナ宮殿。

 

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< 5. ペテルゴーフとナルヴァ >

上の写真: ペテルゴーフにあるピュートル大帝の夏の宮殿。

下の写真: エストニア側のナルヴァ城から見た対岸のロシア側の要塞。

 

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< 6. 丘から見下ろしたタリンの旧市街 >

街の向こうにバルト海が広がり、その先にフィンランドの首都ヘルシンキがある。

 

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< 7. リガ >

上の写真: アールヌーヴォーの街並み(ユーゲントシュティール建築群)。

下の写真: ブラックヘッドの会館。

 

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< 8. ショッピング >

上の写真: サンクトペテルブルグのホテル近くの大型スーパー。

下の写真: リガの中央市場。

 

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< 9. ビリニュスの夜景 >

上の写真: 大聖堂。

下の写真: 旧市街地への散策の帰り道。

 

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< 10. ビリニュス >

上の写真: 聖アンナ教会。

下の写真: 聖ペテロ・パウロ教会。

 

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< 11. ワルシャワ 1 >

上の写真: 旧市街地の王宮広場。

下の写真: ワジェンキ宮殿。

 

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< 12. ワルシャワ 2 >

上の写真: ランドマークの文化科学宮殿。

下の写真: 旧市街で出会った笑顔が素敵なグループ。

 

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< 13. 車窓からの眺め 1 >

上の写真 : 新幹線から。

中央の写真: 観光バスからペテルゴーフ近郊。

下の写真 : ペテルゴーフとナルヴァの間。

 

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< 14. 車窓からの眺め 2 >

上の写真 : ナルヴァからタリンの間。

中央の写真: タリンからリガの間。

下の写真 : ビリニュスからワルシャワの間。

 

思ったこと

バルト3国とポーランドの旧市街の街並みに、かつての繁栄と苦難の歴史が刻まれていた。

それはこの地域がロシアとドイツに挟まれたバルト海沿岸であったことによる。

さらにこの地域の自然とスカンジナビア半島の影響が民族形成を複雑にした。

 

旧市街を歩き、バスの車窓の景色を眺めながらこれらの国々の成り立ちに思いを巡らした。

 

次回より、この旅行記の連載を始めます。

 

 

 

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Visited a southern part of the Shinshu region 2: Komagane highland


南信州を訪ねて 2: 駒ヶ根高原

 

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< 1. A dry riverbed >
< 1. 河原 >

 

Today, I introduce Komagane highland.
We played with our grandchildren in this dry riverbed.

 

今日は、駒ヶ根高原を紹介します。
ここには孫達と河原で遊ぶ為に来ました。

 
Komagane highland
There is this highland in front of where a river flowing from Mt. Komagatake in Kiso Mountains ( the central Alps) joins Tenryu River.
This highland is 800m above sea level at the maximum in Ina Basin.
Here is a ropeway for climbing on the mountain, ski areas and hotels, and it becomes a huge resort area.

 

駒ヶ根高原
この高原は、中央アルプスの駒ヶ岳から流れる川が天竜川に合流する手前にあります。
この高原は伊那盆地で最大で、標高800mあります。
ここには登山用のロープウェイやスキー場、ホテルがあり、一大リゾート地です。

 

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< 2. Arrived at the destination >
< 2.到着 >

It was fine weather, and the sunlight was strong.

快晴で、日差しは強かった。

 

 

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< 3. Walking the suspension bridge >

< 3. 吊り橋を歩く >

 

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< 4. Views from the suspension bridge >
< 4. 吊り橋からの眺め >

Upper photo: upstream direction.
Lower photo: downstream direction.
We can see Ina Basin in the back, and beyond it, see Southern Alps.

上の写真: 上流側。
下の写真: 下流側。
遠くに伊那盆地、その向こうに南アルプス、白根三山が連なる。

 

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< 5. going down to the dry riverbed >
< 5. 河原に降りる >

Many families enjoyed playing in the water.

 

多くの家族連れが水遊びを楽しんでいた。

 

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< 6. On the dry riverbed >
< 6. 河原 >

The water of the river was not so cold because probably it was shallow.
Our grandchildren touched with nature and were joyful.
We were having happiest moment.

 

This continues the next time.

 
川の水は、浅いせいかそれほど冷たくなかった。
孫たちは、自然と戯れ喜々としていた。
至福の時が流れて行きました。

 
次回に続きます。

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Visited a southern part of the Shinshu region 1: Narai-juke, a post town


南信州を訪ねて 1: 奈良井宿

 

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< 1. Narai-juke >
< 1.奈良井宿 >

 

From now on, I introduce a Southern part of Nagano prefecture that we traveled in summer.
Today, I introduce the Narai-juke that is a one of old post towns.

 

これから、夏に旅行した長野県南部を紹介します。
今日は古い宿場町の奈良井宿を紹介します。

 

Abut this trip
We went round each place by our car.
The period is from August 19 to 22, 2016.
I can’t introduce the sightseeing of the 20th due to a drizzle.
But it was fine weather every day except for the day.

 
今回の旅行
車で各地を巡りました。
期間は2016年8月19日から22日までです。
20日の観光は霧雨で紹介出来ませんが、他は快晴に恵まれました。

 

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< 2. visited places >
< 2.今回の訪問地 >
Upper side of the photo is the north side.

 

No. 1: Narai-juke.
We walked around the old post town.

 

No. 2: Komagane highland.
We played with our grandchildren in the riverbank.

 

No. 3: Achi village
We visited the Peace Memorial Hall for Volunteer Pioneer of Manchuria and Mongolia, and the inner shrine of Achi-jinja Shrine.
We stayed at Hirugami Onsen, a hot spring resort and went to the morning market.

 

No. 4: “Heavens Sonohara” , a plateau.
We had gazed at the star-sprinkled sky while sitting on the plateau at the night.

 

No. 5: Jibusaka Kougen, a plateau.
We enjoyed a view from the peak called a horseback.

 

上側が北です。

 

番号1: 奈良井宿。
宿場町を散策した。

 

番号2: 駒ヶ根高原。
河原で孫と遊びました。

 

番号3: 阿智村。
満蒙開拓平和祈念館、阿智神社奥宮を訪問した。
昼神温泉に宿泊し、朝市に行きました。

 

番号4: ヘブンスそのはら。
夜の高原で満点の星空を観察しました。

 

番号5: 治部坂高原。
峰(馬の背)から眺望を楽しみました。

 

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< 3. Maps of Narai-juke >
< 3.奈良井宿の地図 >

 

Upper photo: the five land traffic routes in the Edo period.
Nakasen-do Road is indicated in a brown line connecting between two red points, and connected Edo and Kyoto.

 

Central photo: upper side of the photo is the north side.
A elongated town is Narai-juke, and if you go to the right-hand road, you can arrive at Edo.

 

Lower photo: the expansion of Narai-juke.
We parked our car in a parking area B and crossed a big bridge.
we started to take a walk from the east end S, and turned back at the west end E.

 
上の写真: 江戸時代の五街道。
中山道は茶色線で、赤丸の京都と江戸を結んだ。

 

 

中央の写真: 写真上が北。
中央の街並みが奈良井宿で、右に行けば江戸に至る。

 

 

下の写真: 奈良井宿の拡大。
駐車場Bに車を止めて、大きな橋を渡った。
東端のSから散策を始め、西端のEで折り返した。

 

 

Narai-juke
Narai-juke was one of the post towns on the Nakasen-do Road, and was flourished by travelers who prepared crossing the “Torii Pass” which was hardest pass on the Kiso.
In addition, Narai-juke is at the highest altitudes in the Nakasen-do Road, and the town having approximately 1km long is the longest post town in Japan.
Narai-juke was established as a relay station in 1601, and there were 8 various accommodations for samurai and average people.
Narai-juke was famous for the wood industry such as lacquerware and hair comb, and these were popular as a souvenir of travelers.

 

Nakasen-do Road connected between Edo and Kyoto, and passed through mountain area unlike Tokai-do Road passing along sea shore.
In despite of flat road, Tokai-do Road had defects such as getting stuck at swollen rivers, and strict controls.
Thus, 67 post towns and Narai-juke on Nakasen-do Road prospered in the Edo period.

 
奈良井宿
ここは中山道の宿場町で、木曾の難所、鳥居峠を南に控え、多くの旅人が泊まった。
また中山道の中で最も標高が高く、約1kmの街並みは日本最長の宿場町です。
1601年に宿駅に指定され,江戸時代後期には本陣1軒・脇本陣2軒・旅籠5軒があった。
江戸時代から曲げ物、櫛、漆器などの木工業が盛んで、旅の土産物として人気があった。

 

中山道は京都と江戸を結び、海岸沿いの東海道に比べ山間部を通った。
平坦な東海道であったが、増水した川での足止め、厳しい取り締まりなどの欠点があった。
こうして中山道の67箇所の宿場、そして奈良井宿は江戸時代に栄えた。

 

4

< 4. parking area B >
< 4.駐車場Bにて >

 

Upper photo: Kiso-Ohashi bridge.
this is a largest class in wooden bridges which don’t have a supporting beam.

 

Central photo: I saw the east side from the top of the bridge.
Going this direction, the road goes through Shiojiri and reaches Edo.

 

Lower photo: I saw the west side from the top of the bridge.
There is Torii Pass in this side and the road reaches Kyoto.

 
上の写真: 木曽の大橋。
橋脚を持たない木製の橋としては大きい。

 

中央の写真: 橋の上から東側を望む。
塩尻を抜け江戸に至る。

 

下の写真: 橋の上から西側を望む。
こちら側に鳥居峠があり、京都に至る。

 

5
< 5. finally enters the post town >
< 5.いよいよ宿場に入る >

 

Upper photo: the east end S.
Lower photo: the street.
There is a water fountain at the near left side.
These were 6 water fountains for travelers passing through Narai-juke.

 
上の写真: 東端の地点S.
下の写真: 街並み。
左側の手前に水場がある。
ここには6か所の水場があり、当時の旅人の喉を潤した。

 

6

< 6. appearance of the street, 1 >
< 6. 街並み 1 >

 

7
< 7. appearance of the street, 2 >
< 7. 街並み 2 >

 

8

< 8. inside view of 3 houses >
< 8. 建物の中を覗く >

 

Upper photo: a shop of folk art object.
Central photo: a shop of lacquerware.
Lower photo: a Japanese inn.
There are some inns, ryokan and minshuku opening now.

 

上の写真: 民芸品の店。
中央の写真: 漆器の店。
下の写真: 旅館。
現在も営業している旅館や民宿があります。

 

9

< 9. I reach the west end soon >
< 9. そろそろ端に来ました >
Upper photo: a temple.
Central photo: a Shinto shrine was seen at the back of the street.
Here is the west end E.

 

Lower photo: Kosatsu site(street bulletin board).
This is the site that Shogunate and feudal lords wrote a law and rules to the board and put up it here.

 
上の写真: 浄龍寺。
中央の写真: 通りの向こうに神社が見えて来た。
ここが西の端、地点Eです。

 

下の写真: 高札場。
ここは幕府や領主が法律や掟を板に書いて掲げた場所です。

 

10

< 10. at the west end of the post town >
< 10. 宿場の西端 >

 

Upper photo: I see the Shinto shrine from the street.
Lower photo: I see the street from the Shinto shrine.
There is a water fountain and Kosatsu site at the near left side.

 

This continues the next time.

 
上の写真: 通りから鎮神社(しずめ)を見る。

 

下の写真: 鎮神社から通りを見る。
左側の手前に高札場と水場が見える。

 
次回に続きます。

Categories: culture+society, history+evolution, <english language, <japanese language, Series: visited a southern part of the Shinshu region, travel+photo | Tags: , , , , , , , | Leave a comment

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