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お知らせ! ブログを少し休みます


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申し訳ありませんが、ブログの投稿を少しの間休みます。

6月中旬より北欧訪問記を始める予定です。

 

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現状に危機感を持って記事を書いて来ましたが、目指す社会像が見えない。

そこでスウェーデン、ノルウェー、デンマークを自分の目で確かめることにしました。

 

私は1984年、視察旅行でスウェーデンとデンマークを訪れ、大きなカルチャーショックを受けました。

 

もう一度、34年後の変化を今度はじっくりと自分の目で確認したい。

この旅行は老人一人で、主に首都を中心に各国4日間の計12間で巡ります。

 

私は皆さんが北欧を身近に感じてもらえるような訪問記を書けることを願っています。

 

英語が出来ないので、これから1ヵ月猛特訓し、迷子にならないように準備します。

 

それでは失礼します。

 

 

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明石公園の桜 2


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今日は桜見の後半です。

この日は、明石公園から港まで行き昼食をとりました。

快晴の明石海峡と対岸の淡路島を見ました。

 

 

 

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< 2. 散策ルート >

 

上の地図: 赤枠が散策した範囲。上が北です。

 

下の地図: ピンク線が今日紹介する部分です。右側が北です。

ピンクの星印、広場から見上げる櫓と桜が風情があります。

Sは明石駅、Aは魚の棚、Rがレストランです。

 

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< 3. 本丸跡からの眺め >

 

南側を望む、下の広場は明石海峡公園内です。

その向こうに明石駅、繫華街、その向こうに明石海峡、さらに対岸の淡路島が見える。

 

 

 

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< 4. 本丸跡 >

 

下の写真: 南西の角にある坤櫓(ひつじさるやぐら)。

 

 

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< 5. 本丸跡を囲む城壁 >

 

 

 

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< 7.広場から本丸跡を望む >

 

 

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< 8. 明石港1 >

 

レストラン内から撮影、明石海峡大橋と淡路島が見える。

中央の写真は、明石港と淡路島の岩屋港を結ぶ高速艇です。

主に淡路島の通勤客が使用しています。

 

橋が掛かる前は、この海峡を古いタイプの船で渡ったものです。

冬、海が荒れるとデッキは波しぶきを被り船倉に入ることになり、まるでジェットコースターのような上下の揺れを味わうことになった。

冬の出張は覚悟がいりました。

 

今は、まったく乗らないのですが、高速艇であれば昔のような大きな揺れではなく、上下動は小さいがガツン、ガツンと来る揺れでしょう。

 

 

 

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< 9. 明石港2 >

 

右対岸に水産物の公設卸売場がり、奥に高速艇の発着場があります。

 

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< 10. 賑わう魚の棚 >

 

相変わらずに賑やかで、店頭の海産物を見ているだけで楽しいものです。

たこ焼きの明石焼き、焼きアナゴ、新鮮な魚介類の店が並びます。

 

 

これで終わります。

 

 

 

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明石公園の桜 1


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2018年3月30日、明石公園の桜を見に行きました。

桜はちょうど見頃を迎え始めたところで美しかった。

その後、町中を幾らか散歩しました。

 

 

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< 2. 散策ルート >

 

上の地図: 赤枠が散策した範囲。上が北です。

 

下の地図: 赤線が今日紹介する部分です。右側が北です。

二つの白の星印の間が、桜が多い所です。

ピンク線は次回紹介する部分です。

 

 

 

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< 3.お堀で >

 

JR明石駅を北側に出ると直ぐ明石城のお堀に出ます。

 

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< 4.城門跡から中に入る >

 

二枚の写真ともに、二つある櫓のうちの東側にある巽櫓が見える。

ここにを訪れるのは数年ぶりです。

 

 

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< 5. 剛ノ池 >

 

最大の池です。

南の端から望むと、東岸と北岸に桜並木が今を盛りと咲いていました。

青空に映えて美しく、心も華やぐようです。

 

 

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< 6. 剛ノ池 2 >

 

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< 7. 剛ノ池 3 >

 

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< 8. 剛ノ池の北端 >

 

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< 9.こどもの村 >

 

これは公園の北端にあり、鬱蒼とした森の中にある遊び場で、桜が咲き誇っていました。

 

 

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次回に続きます。

 

 

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岡山と広島を訪れました 9: 呉線


 

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今日で、この旅行記を終わります。

呉線の後半、ローカル線の景色を紹介します。

 

 

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< 2. 呉線の地図、上が北 >

 

地図の赤丸が今回紹介する呉線の広駅―三原駅区間です。

呉線の中ほどにある広駅で電車を乗り換えました。

 

 

 

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< 3. 広駅を出発 >

 

あまり大きくない駅だと思っていたのですが、これからの路線と比べると大きいと思えるようになりました。

先ず、複線から単線に変わりました。

 

 

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海の傍を通り、民家の軒をかすめ、山間の木立を抜けて二両編成の電車は快適に走ります。

 

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電車の前後を写している写真は、運転席横の中央正面窓から撮影したものです。

この窓が非常に汚れていたので写りが悪いのであしからず。

 

通り過ぎる駅は様々です。

無人駅が多く、駅舎があっても改札が無い駅、改札の有る駅舎もあると言った具合です。

トンネルも様々ですが、多くは短い。

 

 

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稀に真直ぐな線路もあるが、多くはカーブしています。

両側の景色の多くは山と海が迫っていますが、中には山側に畑が広がっている所もあります。

 

 

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駅に入る前に線路は伏線になります。

 

 

 

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このように電車が突如、山の林に突っ込むと思えば、そこにはトンネルがありました。

はじめは少し不安もありました。

 

 

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駅の直ぐ裏は港で、島に渡るフェリーの発着場がありました。

 

 

 

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この写真は、前方の運転席を写したものです。

運転席に運転手の腕が写っています。

私は、運転席の後ろに立ち、前を覗き込むようにして前方の写真を撮りました。

 

ここに立っているとワンマンカーの運転手の苦労が分かるようになった。

写真の手前側に写っているのが運賃支払い機です。

 

運転手は運転中、特に駅に進入する時は頻繁に確認の合図を発しながら、こまめに運転操作をしています。

そして駅に停車すると、今度は運賃支払い機の前に立ち、切符の回収をするのです。

運賃は写真上部に表示されています。

この対応が、駅に改札口があるかどうかで変わります。

忙しいの一言です。

 

少ない乗客だからこそ見えて来るものがありました。

多くの乗客はお年寄りで切符支払い、若い人は通学の為か定期が多い。

 

一人旅の年配男性はカメラを抱え、飲酒しながら電車の旅を満喫していました。

私はこの人から、この路線の情報、牡蠣の話などを仕入れました。

ある年配夫婦は懐かしそうに車窓の眺めを愉しみ、旅行中のようでした。

ある年配の男性二人組は思い出に話に夢中でした。

一人の南アジア系の女性がスーツケースを持って乗っていたが、海外からの労働者の雰囲気でした。

 

これぞローカル線の旅と感じました。

 

 

 

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海に落ちる崖っぷちを電車は縫うように走って行きます。

 

 

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< 16. 綺麗な海 >

 

 

 

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< 17. 大きな港に近づいた >

 

どうやら三原駅に近づいたようです。

もう直ぐ呉線も終わりです。

 

 

今回の旅行記を終わります。

 

 

 

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岡山と広島を訪れました 8: 広島を発つ


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< 1.広島焼き >

 

 

今日は、広島駅と呉線の前半を紹介します。

広島焼きとローカル線の旅の醍醐味を味わいました。

 

 

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< 2. 呉線の地図、上が北 >

 

地図の赤丸が今回紹介する呉線(広島―三原)の広島駅―広駅の区間です。

呉線の中ほどにある広駅で電車を乗り換えます。

東西から、電車がこの広駅まで来て、乗客は乗り換えます。

海岸線を走るローカル線のイメージは次回の広駅から三原駅までの区間が似合っています。

今回の区間は、造船の街、呉がある為か郊外の通勤電車のイメージでした。

 

 

 

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< 3. 栄橋 >

 

上の写真: 縮景園かえら広島駅に向かう途中、京橋川に掛かるこの橋を渡ります。

左側奥の高いビル辺りが広島駅で、下流を見ている。

 

下の写真: 京橋川の上流を望む。

左側の森が縮景園側です。

 

 

 

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< 4. 広島駅周辺 >

 

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< 5. 昼食のレストラン街 >

 

広島駅ビルのASSE(アッセ)の東エリア2階に、写真の広島風お好み焼きの店が並んでいます。

本当はネット上で人気のある店に行きたかったのですが、2回とも行列が多かったので、席が空いている店に入りました。

 

写真はこの時の注文したものです。

初めて食べましたが、まあまあ美味しかった。

それよりも、ビジネスマン姿の人でどの店も一杯で驚きました。

日頃、田舎暮らしをしている私としては珍しい、懐かしい光景でした。

 

 

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呉線に乗り、始めて海が見えた(坂駅付近か)。

 

 

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この辺りが広駅までで、最も海沿いを走った。

他は住宅街などが多く、代わり映えしなかったので写真を取らなかった。

 

 

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< 8. 呉に近づいた >

 

奥の山を背した海岸沿いには重機のクレーンや工場の煙突がたくさん見える。

 

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< 9.呉を離れる >

 

呉を過ぎると、電車は山が海に迫る狭い地域を走リ始めた。

また短いトンネルが増えだした。

 

 

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< 10. 広駅に着 >

 

上の写真: ホームに出て、進行方向を見る。

待ち時間が長いので電車を降りて、駅から出ることにした。

 

下の写真: 広島から乗って来た電車、阪神間でよく見る通勤快速と同じです。

 

 

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< 11. 広駅を発 >

 

上の写真: 広駅を出て、駅前広場の端から駅舎を望む。

残念ながら何も無い!

特に珍しいものはなかった。

 

下の写真: これから三原に向かって乗って行く電車です。

先ず、乗って来た電車との外観の差に驚きました。

古い汚れている!

中に入ると、さらに昔し懐かしい風情がそこにはありました。

 

 

次回紹介します。

 

 

 

 

 

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岡山と広島を訪れました 7: 縮景園 2


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今日は、前回に続いて縮景園の後半を紹介します。

 

 

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< 2. 庭園マップ、上が北 >

 

私は地図上の赤矢印の方向に歩いており、写真もほぼその順に並んでいます。

今回は、Mから始めSまでを紹介します。

 

 

 

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< 4. 跨虹橋(ここうきょう) >

 

 

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この庭園の唯一の欠点は、遊歩道が個人の散策に適しているのですが、団体には狭いことぐらいでしょうか。

 

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< 8. 庭園で見かけた鳥や鯉 >

 

 

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< 9. 一周して来ました >

 

桜が満開でした。

 

 

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今回の旅行で、やっと満足出来る桜に出会えました。

青空に桜が輝いていました。

素晴らしく、晴れやかな気持ちになりました。

 

 

 

 

 

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上の写真: 入場門近くから見た広島県立美術館。

 

下の写真: 広島県立美術館内の喫茶店から庭園を眺める。

 

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< 12・ 広島県立美術館の所蔵品 >

 

左上: 伊万里柿右衛門様式色絵馬、磁器、17世紀後半。

 

右上: 六角紫水、暁天獅子吼号の図蒔絵手箱、1930年作。

美術館の説明抜粋

「漢代漆芸技法から長い苦心の末に習得した様々な彫刻線を駆使して自在に描き、新たな表現を追及したこの作品で、帝国美術院賞を受賞。洞窟に差し込む暁光をあびて吼號する、堂々とした獅子の佇まいからは、困難を乗り越えた作者の自身とゆるがぬ信念が感じられます。」

 

中央: 平山郁夫、天山南路(昼)、1960年作。

 

下: サルバドール・ダリ、ヴィーナスの夢、1939年作。

 

 

* 広島県立美術館を見て

 

当初、入館することを予定していなかったのですが、シニアは無料だと言うことで、他の観光を止めて、こちらにしました。

 

有名な作品では、サルバドール・ダリの1、2点と平山郁夫の数多くの絵画が目立ちました。

平山郁夫さんは広島の生まれなので、所蔵品が多いようです。

 

興味を持ったのは写真の色絵馬で、伊万里柿右衛門様式にこのような造形物があることをまったく知りませんでした。

 

また六角紫水の独特の世界観に足が止まりました。

彼は広島出身と言うことで、数多くの所蔵品がありました。

私が興味を惹いたのは、日本が満州事変にのめり込んでいく暗い世にあって、漆工芸の新展開を必死に模索していたことです。

芸術家と戦争について考えさせられた。

 

同様に、ダリの作品も正に大戦へと突入する時期に写真の絵を描いていたのです。

 

有意義な時を過ごしました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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岡山と広島を訪れました 6: 縮景園 1


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今日は広島最後の観光になった、素晴らしい庭園を紹介します。

絶賛です!

日本の景観が凝縮されています。

 

 

 縮景園について

 

この名称は林羅山が「海山をその地に縮め 風景をこの楼に集めた」の意で名付けたとも言われている。

2年後に築庭400年になる。

広島藩主浅野家の別邸として広島城から800m東の京橋川沿いに造られた。

当時の築山は今と違ってほとんど芝生で覆われていた(侵入者発見の為)。

 

江戸時代、広島の大火で多くが焼失した後に、京都の庭師により現在のような様々な橋、建物、小川が設けられ池泉回遊式庭園が完成した。

戦前、この庭は浅野家から広島県に寄贈された。

 

しかし、これがまた原爆によって完全に破壊され、戦後の復旧によって今があります。

この隣地にある広島県立美術館は、浅野家の私立美術館「観古館」の跡に拡幅されて建てられた。

 

 

私達が訪問した日は素晴らしい快晴で、朝一番9時に入園したので空気も冷たく爽やかな散策を楽しめた。

65才以上は入園料と美術館入場料が無料で、両方を楽しみました。

ちょうどこの日から夜桜の鑑賞会が始まるところで、庭の桜が咲き始めていました。

 

 

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< 2. 庭園マップ、上が北 >

 

私は地図上の赤矢印の方向に歩いており、写真もほぼその順に並んでいます。

今回は、Sから始めMまでを紹介します。

 

 

東西300mほどの敷地に日本の美観を代表する小山、林、せせらぎ、池、さらにそれらを愉しむ茶室、望楼、橋が、またそれらが逆に景観となるように織り込まれている。

 

この庭園を歩いていて最も驚嘆したのは、数m進むに従って山、川、池の景観が千変万化することです。

それは庭園中央の池の北側に造られている、うねるように続く小山を歩いている時に最高潮になる。

私は機械設計者でしたが、当時の庭師がここまで三次元の造形を完璧に成し得たことに驚嘆しました。

この驚きを写真で再現出来ないのが残念です。

 

また庭の管理者が数多く働いておられ、実に丁寧な作業をしておられました。

是非とも皆さんも一度行かれることをお薦めします。

 

 

 

 

 

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< 3.入り口 >

 

 

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< 5. 最大の茶室、清風館(せいふうかん) >

 

 

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< 6. 中央の池、濯纓池(たくえいち) 1 >

 

下の写真: 跨虹橋(ここうきょう)。

中心的な橋で、花崗岩で出来ており数少ない戦前からの建造物です。

この日はアスリート風の西欧系の若者達で橋が埋め尽くされ、遂に渡らず仕舞いでした。

 

 

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< 7. 中央の池、濯纓池(たくえいち) 2 >

 

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< 8. 池の西側を行く >

 

上の写真: 右の望楼、超然居は小橋で渡る小島に建っています。

この辺りも楽しめます。

 

下の写真: パノラマ写真。

 

 

 

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< 9. 梅林 >

 

上の写真: 梅林とその後ろに美術館。

 

下の写真: 北側の起伏のある小山に入る。

 

この辺りで、最初に築山の造形美を思い知らされることになった。

 

 

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< 10. せせらぎ 1 >

 

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< 11.せせらぎ 2 >

 

少し小山を登り降りするだけで、何処かから導水されたせせらぎが池に何条も流れるのが見られ、その趣がまたそれぞれ違います。

 

 

 

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< 12. 茶室、明月亭 >

 

上の写真: 明月亭は北側の小山の頂上にある。

 

下の写真: その頂上から東側を望む。

右側は庭園側で、左側は京橋川の堤になる。

 

 

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< 13. 様々な景観 >

 

このように木々に囲まれた入り江のような池や、植栽が異なる起伏に富んだ林が散策道に連なる。

 

 

 

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次回は、縮景園の後半です。

 

 

 

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岡山と広島を訪れました 5: 広島城


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3月23日の朝、広島のホテルから歩き始め、広島城に行きました。

この日は快晴で、清々しい一日になりました。

 

 

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< 2. 観光ルート、上が北 >

 

No.3のホテルから青線の道路を徒歩で北上し、ピンク線の路面電車に乗りました。

次いでNo.4の広島城まで官庁街の黄線を歩きました。

 

 

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上の写真: 左右に走るのが平和大通り、前後が中央通りです。

朝8:00にホテルを出た所で撮影した。

 

下の写真: 中央通りを徒歩で北上中。

街路樹の純白のこぶしが爽やかでした。

この広い通りは静かですが、この通りの左右には夜になると賑やかなところがたくさんあります。

 

 

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< 4.八丁堀の交差点 >

 

ここは東西に走る路面電車とこれから乗る白島線の開始駅がある交差点です。

上の写真: 東西に走る路面電車が見えます。

奥の方が、西側、原爆ドームの有る方です。

 

下の写真: 白島線の路面電車が見えます。

これは縮景園前駅で降りた所です。

 

 

 

 

 

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< 5.広島城に向かって歩く >

 

下の写真: お濠の前に立つ池田勇人銅像が見ました。

 

 

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< 6. 広島城のお濠 >

 

裏御門跡から左右のお濠を見た。

上の写真が北側で、下の写真が南側を望む。

ここから原爆ドームまでは1kmほどなので、この城は原爆投下の折は完全に焼失したことでしょう。

 

 

 

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< 7. 裏御門跡から入る >

 

敷地は広いが、天守閣と広島護国神社以外に建物はなかった。

後は木々が林立する公園と言ったところでしょうか。

人はほとんどいなかった。

 

 

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< 8. 天守閣 >

 

お濠の石垣の上から天守閣の東側を見る。

 

桜はまだ早い。

 

 

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上の写真: 西側のお濠を望む。

下の写真: ここで天守閣を見納めて、次の縮景園に向かう。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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岡山と広島を訪れました 4: 原爆ドームと夕食


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今日は原爆ドームと広島での名物料理を紹介します。

 

 

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< 2. 観光ルート、上が北 >

 

No.1は原爆ドームで、赤線は広島駅からの路面電車です。

原爆ドームを見学後、黄線を歩いてホテルNo.3に行きました。

No.2の料理屋「かなわ」で夕食をとりました。

 

翌日、23日の朝、ホテルを出て、No.4の広島城、No.5の縮景園と広島県立美術館を訪れました。

この縮景園は本当に素晴らしい、後日紹介します。

 

 

 

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< 3. 原爆ドーム >

 

私達は初めて訪れました。

幾度もテレビで見ていることもあり、実はあまり感動しなかった。

しかし日暮れ近く、原爆ドームの背景が薄くピンク色に染まるのを見て、何かが私にチャンスを与えてくれたようでした。

この出会いを無駄にしたくないと思った。

 

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< 4. 太田川 >

 

上の写真: 上流側(北)を望む。

下の写真: 下流側(南)。

 

 

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来訪者は少なかったが、西欧系の外人の姿が目立った。

 

 

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< 6. ホテルに向かって歩く >

 

下の写真: 夕食で訪れる「かなわ」。

 

 

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< 7.夕食のイメージ、HPから借用 >

 

これらは私達がこの旅行で最も張り込んだ食事、牡蠣料理です。

私が現役だった20年以上前、広島に出張したらご馳走になるのが牡蠣料理でした。

 

有名店なので期待していたのですが、私はガッカリした。

牡蠣が小さく、想像した半分以下の大きさだった。

ここ数年、赤穂やフランスで食べた牡蠣の大きさが脳裏に焼き付き、かつて広島で食べた牡蠣が私のイメージの中で巨大化していたのです。

店員にそれとなく聞くと、生食用に瀬戸内海沖近くの島の清浄海域で採取しているとのことでした。

 

しかし私はまだ納得できませんでが、翌日、ひょんなことからこの疑問は氷解することになります。

 

帰路、呉線に乗っていると、海岸線に牡蠣の筏を多く見ました。

近くに座っている旅慣れた中年男性に筏のことを聞くと、彼はこう言いました。

 

「ここの牡蠣は大きいが加熱用で、赤穂などと同じく栄養分が多い河口近くで育っ為に短期間で大きくなるが、生食には向かない。従って広島の生食用は小さい。」

 

私はこれを聞いて始めて納得した。

 

ここでもう一つ牡蠣の話。

1960年代の終わりから76年代にかけて、フランスの牡蠣が病気になり、全滅しかけたことがあった。

この危機を救ったのが日本のマガキの稚貝の輸入だったのです。

 

私が食べた牡蠣は・・・・

 

 

 

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< 8. 原爆の被害 >

 

上の写真: 原爆投下前の広島。

星印が原爆ドームの位置。

 

中央の写真: 原爆投下1時間後の原爆のキノコ雲。

下側に瀬戸内海が見える。

 

下の写真: 被爆後の原爆ドーム。

 

* 広島市への原子爆弾投下について

 

第二次世界大戦末期の1945年8月6日、アメリカ軍が日本の広島市に世界で初めて核兵器を実戦使用した。

 

爆心地周辺の地表面の温度は摂氏4000度にもなり、人口35万のうち14万人ほどが4ヵ月以内に死亡した。

 

原爆投下後の入所被爆者も含め56万人が被爆したとされ、原爆死没者名簿には31万の名がある。

心より冥福を祈ります。

 

私の友人に長崎市の原子爆弾投下による被爆者がいます。

この悲惨で唯一の経験を世界平和の礎にしたいものです。

 

次回に続きます。

 

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岡山と広島を訪れました 3: 車窓からの眺め、広島まで


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今日は、倉敷から広島まで、車窓からの眺めを紹介します。

JR在来線でのんびりと旅をしました。

 

 

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< 2. 乗車ルート、上が北 >

 

上の地図: 赤線が乗ったJR線のルート。

 

下の地図: 赤線が広島駅から原爆ドームまで乗った路面電車のルート。

 

 

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< 3.尾道から三原の間 >

 

上の写真: 左奥に見える橋はしまなみ海道のいずれかの橋(因島大橋?)でしょう。

あの橋を渡り右手に行くと幾つもの島を越え、四国まで車で行くことが出来ます。

 

 

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< 4.乗った電車 >

 

 

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< 5. 電車進行方向の眺め >

 

平行して走る山陽新幹線はトンネルが多くて景色を楽しめないが、在来線は狭い曲がりくねった谷合を走るので、存分に山陽地方を味わうことが出来た。

それにしても大都市を離れると、一気に民家も疎らな町や寒村になるのには驚いた。

 

もっとも私も寒村に住んでいるのですが。

 

 

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< 6. 駅構内に入っていく >

 

 

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< 9.広島駅に到着 >

 

 

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< 10. 路面電車に乗る >

 

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広島駅から原爆ドーム前まで乗り継ぎ無しで行けました。

着いた時は、6時を少し過ぎてかなり陽が西に傾いていました。

 

 

この3月22日、木曜日の朝、明石から姫路間の電車では通勤時間と多少重なった為、初め座れなかった。

しかし、その後の姫路→岡山→倉敷→糸崎→広島→原爆ドームの電車はすべて座れました。

青春18きっぷでの在来線の普通や快速で乗り継いで行く旅は、座れるかどうか不安でした。

しかし通勤時間であっても出社や退社の流れ(都市と地方)と反対方向に電車を乗る場合は座れます。

 

良かったことは、車内には旅行客で無く、地元の人が通勤や通学で使っている人が多いので、地元の雰囲気や暮らしが見えてくることです。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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岡山と広島を訪ました 2: 倉敷美観地区


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今日は、白壁屋敷が並ぶ倉敷美観地区を紹介します。

伝統家屋でも他の宿場町や門前町、商人町とは異なる趣があります。

晴れ間がのぞき始め、散策日和となりました。

 

 

 

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< 2.散策ルート、上が北 >

 

上の地図: 岡山と倉敷、瀬戸内海の位置関係が分かります。

下の地図: 倉敷美観地区の散策ルート。

JR倉敷駅から徒歩で美観地区入口まで歩きました。

S点から始めて赤線を歩き、途中、倉敷アイビースクエアと大原美術館(黒丸)に立ち寄り、黒線を通って駅まで戻った。

 

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< 3. 倉敷駅前 >

 

 

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< 4. 美観地区入口 >

 

 

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< 5. 倉敷川の橋を渡る >

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右手の赤レンガの壁は、倉敷アイビースクエアの一角です。

ここにはかつて代官所、続いて倉敷紡績所があった。

 

 

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< 8.倉敷川に戻った >

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< 11. 観光川船 >

 

上の写真: 海外から観光客がたくさん来ており、アジア系が多かった。

川船には中国系の団体さんが乗っていました。

 

下の写真: 塀の造りが目を惹きました。

土壁の下半分を板で覆い、さらに下には大きな石組がある。

板の下部は石組に合わせて凹凸を付けている。

 

 

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< 12. 大原美術館 >

 

展示物を知らずに入ったのですが、素晴らしい美術品が収集されていました。

 

 

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< 13. 主要収蔵物 >

 

エル・グレコ、モロー、ロートレック、ルノワール、ゴーギャン、中国最初期の三尊像(仏像)が目を楽しませてくれました。

美樹館内で歓喜の声を挙げて、職員に叱られました。

 

建物正面の両脇にはロダンの作品が立っています。

これも嬉しかった。

右側はカレーの市民ジャン・ダールです。

拡大写真を左下に載せました。

 

 

* 倉敷の町並みに想う

 

予備知識を持たずに散策していると、ある疑問が湧きました。

なぜこれほどまでに白壁土蔵や大きな屋敷が多いのだろう。

ここは街道でもないし、まして海からは十数kmも離れている。

 

かってこの地は海に接しており、藩の玄関港として物資の集積地・中継地と発展し、後に江戸幕府の直轄領として栄えた。

こうして多くの豪商が集まり、やがて埋め立てが進み、海は遠のいた。

そして明治21年に、旧倉敷紡績所が完成した。

 

 

 

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< 14. 倉敷の歴史、黄矢印が倉敷美観地区 >

 

上の古地図の左: 中世は、まだ阿智神社の丘は広い干潟の島に過ぎなかった。

共に上が北を示す。

上の古地図の右: 江戸時代、干潟は田んぼに代わっていった。

 

下の古地図: 1850年、江戸時代の大洪水の様子を示す。

赤い矢印は北を示す。

青矢印は4kmほど離れた一級河川の高梁川で、この一部が決壊し、倉敷美観地区は水没した。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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岡山と広島を訪ました 1: 岡山、後楽園


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2018年3月22と23日に岡山、倉敷、広島を訪れました。

今回は初めて青春18切符でローカル電車の旅をしました。

今日は岡山を紹介します。

 

 

 

旅の概要

一泊二日で、1日目は岡山の後楽園、倉敷美観地区と大原美術館、夕刻に広島の原爆ドームを訪れました。

二日目は広島城と縮景園と県立美術館を訪れました。

帰路は呉線に乗り、瀬戸内海沿いの町を見ながら帰りました。

 

今回の目玉は鉄道旅行で、すべてJRの各停か快速電車にて主要駅を乗り継いで目的地まで行きました。

時間はかかるが、電車内外でその土地々々の風情を味わうことが出来ました。

都市部の乗り物移動はすべて、懐かしい路面電車でした。

 

また食事は贅沢とまで言わないが、その土地の名物を食べるようにしました。

 

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< 2.観光ルート、すべて上が北 >

 

上の地図: 三つの赤丸が訪問地で、赤い線が呉線です。

 

下の地図: 岡山駅から路面電車(黒線)に乗り、後は赤線を歩いて後楽園と岡山城を訪れた。

その後、緑線の路面電車で赤四角の郷土料理店で昼食をとり、岡山駅まで戻り、次の目的地倉敷に向かいました。

 

 

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< 3. 路面電車 >

 

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< 4. 路面電車を降り、旭川に向かう >

 

上の写真: 交差点の向かい側から路面電車を降りた城下電停を望む。

 

下の写真: 旭川の堤から岡山城を望む。

 

 

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< 5. 旭川と後楽園 >

 

上の写真: 旭川の上流を望む。

対岸は後楽園。

 

下の写真: 真っ赤な椿が散っていた。

 

 

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< 6. 後楽園1 >

 

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< 7. 後楽園1 >

 

上の写真: 一番大きな沢の池。

遠くに唯心山が見え、その右手奥に岡山城が見える。

 

下の写真: 沢の池にある中の島。

 

 

 

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< 8. 後楽園2 >

 

上の写真: 唯心山の上から中の島を逆方向に見た。

 

 

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< 9. 後楽園3 >

 

下の写真: 桜はまだ早かったが梅林は綺麗でした。

 

 

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< 10. 後楽園4 >

 

 

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< 11. 岡山城 >

 

下の写真: 昼食の為に路面電車に乗り、西大寺町電停で降りたところ。

 

 

 

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< 12. 郷土料理店 >

 

郷土料理店「さかぐち」でバラ寿司を食べる。

見た目、味、値段、三拍子揃って良かった。

寿司には鰆やままかりが入っていた。

 

ひと回り年上の料理人と昔の大阪の話に花が咲いた。

わざわざ足を運んだ甲斐があった。

 

 

この日の午前中は、時折、小雨がぱらつく空模様でしたが、岡山を出る頃には晴れて来ました。

後楽園を初めて訪れましたが、天気が悪く桜も見れなかった為か、庭園は広いだけで美しいと思わなかった。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

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冬の東浦を歩く 3


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今日は二つの漁港を紹介します。

途中、また雪がちらつき急に寒くなりました。

これで山から海までの散策コースの紹介は終わりです。

 

 

 

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< 2. 散策ルート >

 

右が北。青の点線が今回一周したルートです。

黄色の曲線が今回紹介する部分です。

 

 

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上の写真: 漁港直ぐ近くで、海苔の種付け用の機械が並んでいた。

大きな車輪に網を掛けて、水槽内で回すと網に海苔の種が着きます。

この時期は終わっています。

 

下の写真: 遠くの山の中腹に、神戸淡路鳴門自動車道が見えます。

 

 

 

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< 4. 森漁港1 >

 

上の写真: 奥に並ぶ建屋では、ちょうど海から収穫した海苔を洗浄中でした。

 

 

 

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< 5. 森漁港2 >

 

急に、また雪雲が空を覆い、冷たい風が吹き始めました。

 

 

 

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< 6. 仮屋漁港1 >

 

下の写真: 東浦水産物荷さばき場。

漁師や仲買人、主婦らが忙しそうに寒い中、働いておられました。

 

 

 

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< 7. 仮屋漁港2 >

 

ちょうど競り中でした。

今日取れた魚が置かれていました。

 

 

 

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< 8. 仮屋漁港3 >

 

競りが行われる時は、多くの鳥が漁船やさばき場からのおこぼれを貰う為に集まって来ます。

下の写真の右側で、飛び立つ鵜の嘴には魚が見えます。

 

 

 

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< 9. 仮屋漁港4 >

 

 

 

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< 10. 仮屋漁港5 >

 

漁港を離れ始めると、急に雲間が開け、青空が見えて来ました。

 

 

これで終わります。

 

 

 

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冬の東浦を歩く 2


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今日は、前回に続いて山から海に出るまでを紹介します。

2018年2月13日、時折、雪がちらつく中を歩きました。

 

 

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< 2.散策ルート >

 

右が北。青の点線が今回一周したルートです。

黄色の曲線が今回紹介する部分です。

途中峠を越えて、標高差70mぐらいを川沿いに下り、海に出ました。

 

 

 

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上の写真: 雪が降り、池の氷の上に雪が薄っすらと積もっていました。

この時期は非常に寒かったが、ここ数日は様変わりの温かさです。

 

下の写真: 鬱蒼とした竹藪に雪が舞っていました。

残念ながら、その様子をこの写真で伝えることが出来ません。

 

 

 

 

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峠を越えて、盆地に入って行く所です。

 

 

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稲刈り後の田んぼに円錐形に組んで積み上げられた藁積みが見えます。

懐かしい風景です。

 

 

 

 

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下る川に沿って歩いて行きます。

刈穂の白さが、晴れ間の陽射しを受けて輝いていました。

 

 

 

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この川に沿って歩きました。

 

 

 

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細い川も幾つか合流し川幅が広くなり、渡り鳥などをそこかしこで見かけました。

 

 

 

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大阪湾に出ました。

雪雲はいったん流れ、晴れ間が広がって来ました。

 

流砂を止める石積みが海に突き出しています。

この時期の海中の透明度は非常に高くなります。

 

一羽の鳥が、石積みに見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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上の写真: 北側を望む。

中央、遥か遠くに見えるのは対岸の須磨です。

 

下の写真: 南側を望む。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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Walking around Higashiura, Awaji-Island in winter 1


 

冬の東浦を歩く 1

 

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Today, I introduce mountains, fields, and sea of Higashiura.
February 13th 2018, I walked for 12 km during snowing occasionally.
I wil introduce it in installments from now.

 

今日は、東浦の山野と海を紹介します。
2018年2月13日、時折、小雪がちらつく中を12kmほど歩きました。
これを数回に分けて紹介します。

 

First
This area I walked is at about the center of old Higashiura-town.
This became a part of Awaji-city due to merging of cities towns and villages.
Higashiura is a warm land faceing Osaka gulf, and the most of it is hills with mautains behind.
You can came from Kobe to here for 45 minutes by only an expressway bus.
はじめに
私が今回歩いた所は、かつての東浦町の中央部分になります。
ここは現在、町村合併で淡路市になっています。
東浦は大阪湾に面し、山を背にした丘陵地帯が続く温暖な地です。
神戸からは高速バスで45分で来ることが出来ます。

 

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< 2. walked trail >
< 2. 散策ルート >

Upper map: North is upper. The blue line shows walked trail.

Lower map: North is right. The blue dot line shows walked trail in a circle.
The distance is about 12 km, and the difference of elevation is about 70 meters.
I walked paths of hills along mountainside, paths along a river in basin, along sea shore, and through ports.
The yellow line shows the part introducing this time.

 

上の地図: 上が北。青線が散策ルートです。

下の地図: 右が北。青の点線が今回一周したルートです。
距離は約12km、標高差70mぐらいです。
丘陵地帯の山側と川沿いの道、そして海岸沿いと漁港を歩きました。
黄色の直線は今回紹介する部分です。

 

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< 3. Views from the walked trail >
< 3. 歩いた道 >

These are walked paths and ponds of nearby it.

これらは歩いた道と道の直ぐ横にある溜池です。

 

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< 4. bamboo woods >
< 4. 竹藪 >

The bamboo is always blue even among a lot of dead trees in winter mountain, so it reminds me breathes life.
But the bamboo woods are expanding because bamboo has strong life and the woods are left uncontrolled due to village people are aging.

冬でも竹は青々としており、枯れ木の多い山野にあって息吹を思い起こさせてくれます。
ただ、竹藪は旺盛な生命力で他の木々を追いやり、さらに高齢化で竹藪が放置されているので、竹藪は拡大の一途です。

 

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< 5. these flowers and fruits could be seen from path >
< 5. 道端で見かけた実りと花 >

Among a lot of dead trees in winter, fruits in fruit farm, daffodils and field mustards blossom.

周囲の多くは冬枯れの景色ですが、果樹園には柑橘類、庭先には水仙や菜種の花が咲いていました。

 

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< 6. lookdown on Osaka gulf in a southerly direction. >
< 6. 南側に大阪湾を見下ろす >

Higashiura is famous for flower-growing of carnation etc. and the hills are full of glasshouses.
Many holding ponds are scattered there.
These holding ponds were needed to irrigation of rice paddy fields that located in a steep slop, and the village people have made and controlled it together.
This seems to have made the unity of people strong.

東浦はカーネーションなどの花卉栽培が盛んで、その温室が丘陵部を覆っています。
また多くの溜池が点在しています。
溜池はこの急斜面の田んぼの灌漑には無くてはならいもので、古くから村人達が造り管理して来たものです。
これが村人の団結を育てることにもなったのでしょう。

 

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< 7. lookdown on Osaka gulf in an easterly direction.  >
< 7. 東側に大阪湾を見下ろす >

Upper photo: Kariya-port is inside a breakwater.
Osaka is on the opposite shore.

Lower photo: Terraced fields are scattered alomg paths.

 

上の写真: 防波堤が見える所が刈谷漁港です。
対岸は大阪です。

下の写真: 道沿いに点在する段々畑。

 

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< 8. lookdown on Osaka gulf in an northerly direction.  >
< 8. 北側に大阪湾を見下ろす >

The opposite shore is Kobe, and Suma on the left side.

対岸は神戸、左側は須磨です。

 

This continues to next time.

次回に続きます。

 

 

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フランスを巡って 58: 目次と感想


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旅行記の最後に目次と感想を記します。

この旅行で念願の南仏、アルザス地方、モンサンミッシェル、幾つかのゴシック大聖堂を訪れることが出来ました。

またフランスのお国柄を肌で感じ、また歴史が身近なものになりました。

 

 

旅行の概要

トラピックスのツアー「13日間のフランス夢の大周遊」

期間:2017年5月17日(水)~29日(月)

 

関空深夜発、ドバイ経由でニースに着き、旅行が始まりました。

フランスを9日間宿泊し、移動はすべて観光バスでした。

帰国は午後パリ発、ドバイ経由で関空に着きました。

 

ニースの朝だけ小雨になった以外はすべて快晴に恵まれ、最高の観光日和になりました。

一方で、最高気温が予想外の30℃近くにもなりました。

 

 

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< 2. 旅行ルート >

 

数字は観光地を示し、観光はその順に進みました。

黒い数字は観光のみ、赤い数字は観光した宿泊地を示す。

赤字のTは宿泊だけのトゥールです。

茶色の線は観光バスでの移動を、赤線は航空路を示す。

 

 

* 目 次

 

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写真は記事の巻頭写真で、写真番号は記事の番号です。

 

 

1 はじめに

旅行の概要と各地の代表的な写真を紹介しました。

 

2 モンサンミッシェルの朝昼晩

モンサンミッシェル全景をほぼ一昼夜撮影しました。

陽に輝く雄姿、夕陽に浮かぶシルエット、朝霧に霞む遠景など。

 

3 セーヌ川クルーズ

休日のセーヌ川クルーズは夕陽と歓喜に包まれました。

両岸で憩う市民が手を振り、クルーズ船を温かく迎えてくれた。

 

4 古都ボーヌ

ワインと修道会創立で有名なブルゴーニュにある中世の古都ボーヌを尋ねました。

街と周辺の風景を紹介しました。

 

最も感動した上記2~4を最初に紹介しました。

次からは、訪問順に紹介しています。

 

5 鷲の巣村エズ

地中海を望む険しい山頂に鷲の巣村と呼ばれるエズがあります。

この要塞化した村は長い戦乱を生き延びる為でした。

 

6 小国モナコ

モナコは争いを経て、また小国として活路を見出さなければならなかった。

それが断崖絶壁の王宮であり、高級リゾート地への道でした。

 

7 旅行2日目のまとめ

ニース空港からエズとモナコ、そして宿泊地のニースまでの景色とフランス最初の食事を紹介しました。

 

8 大リゾート地のニース

ニースの海岸と旧市街で露店が並ぶサレヤ広場を紹介しました。

 

 

 

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9 ニースからエクス・アン・プロヴァンスまでの眺め

バスの車窓から見たブドウ畑とセザンヌが愛したサント・ヴィクトワール山を紹介しました。

 

10 古都エクス・アン・プロヴァンス

ここは陽光溢れる粋なプロヴァンスの古都、セザンヌの生誕の地であり晩年を過ごした地でもありました。

 

11 古都アルル

古代ローマの遺跡が残り、ゴッホが愛し傷つき去った古都アルルを紹介しました。

ローヌ川の突風を遮るための糸杉がゴッホの思いを彷彿とさせます。

 

12 要塞都市アヴィニョン 1

巨大な宮殿が聳える中世の宗教都市は巨大でした。

衰え始めていたはずなのに、教皇の権力がまだ絶大だったことに驚いた。

 

13 要塞都市アヴィニョン 2

アヴィニョン旧市街と市場の自由散策を紹介しました。

 

 

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14 ポン・デュ・ガールの水道橋

山間の川に架かる巨大なロ―マ時代の水道橋を訪れました。

この近くの山に氷河期の人類最古の洞窟壁画(ショーヴェ)がありましたが、行くことは出来ませんでした。

 

15 ポン・デュ・ガールからリヨンへ

ローヌ川沿いの平野を眺めながらリヨンに向かいました。

 

16 大都市リヨン 2

フランス第2の都市リヨンの大聖堂とその展望台、そして旧市街を紹介しました。

 

17 大都市リヨン 3

新市街のベルクール広場と、その後の自由散策、夕食を食べたレストランの光景を紹介しました。

 

18 リヨンからボーヌまでの景色

リヨンからボーヌまでの車窓からの景色を紹介しました。

 

19 中世の施療院オテル・デュ

ボーヌ旧市街にある中世の施療院オテル・デュを紹介しました。

医術史に関心がある方には特に興味深いものがあるでしょう。

 

 

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20 ボーヌからストラスブールまで

共にワインで有名なブルゴーニュからアルザスの風景を車窓から眺めました。

 

21 ストラスブール 夕刻と朝に

夕刻のストラスブール旧市街と朝のホテル周辺を紹介しました。

この地を訪れるのは長年の夢で、その上二泊も出来て大満足でした。

 

22 ストラスブール旧市街1

朝、いよいよ待ちに待った旧市街、プチットフランスと大聖堂を観光しました。

この都市は交易で栄え、活版印刷誕生の地になった。

この豊かな都市民の熱意が数百年をかけて大聖堂を作り続けた。

一方で周辺の貧しい農民の不満が宗教改革の起爆剤となった。

 

23 ストラスブール旧市街2

主に大聖堂の雄姿と内部を紹介します。

 

24 可愛い町、コルマール

川縁に並ぶ木骨組み家屋が、まるで中世の御伽の国に迷い込んだような感じにさせる町でした。

 

25 「ブドウ畑の真珠」と呼ばれるリクヴィル

ここはワイン畑の丘陵地にある小さな村、アルザスワインのワイナリーでも有名な所です。

実は、かつてこの村は城壁で囲まれた要塞でした。

 

 

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26 ストラスブール最後の夜

ストラスブールの最後の日、夕方から自由散策を始めました。

ホテル近くの大型スパー、川沿いの旧市街、夕食のレストランでのハプニングを紹介しました。

 

27 アルザスに想う

アルザスの風景を紹介しながら、この地が大国の狭間で如何に戦火に見舞われ続けたかを紹介しました。

そして今、人々は何も無かったように平和に暮らしています。

 

28 ストラスブールからランスへ

フランスの東北部、ロレーヌ地方からシャンパーニュ―地方の景色を紹介しました。

この地はフランスの源流、フランク王国誕生期の中心に位置し、このことが後にジャンヌ・ダルクを生み、ランス大聖堂の名声へと繋がった。

 

29 ランスの大聖堂 1

大聖堂を取り囲む町の景観を紹介しました。

 

30 ランスの大聖堂 2

大聖堂の外周を一周し雄姿を紹介しました。

 

31 ランスの大聖堂 3

大聖堂の内部を紹介しました。

 

 

 

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32 サン・レミ聖堂

同じランスにあるロマネスク様式で建てられたサン・レミ聖堂を紹介しました。

 

33 ランスからパリへ

ランスからイルドフランスの景色、パリとホテルから見た夕陽を紹介しました。

パリには3泊するのですが、この日はモンサンミッシェルに行くために途中一泊した。

 

34 パリからモンサンミッシェルへ

モンサンミッシェルがあるノルマンディー地方の景観を紹介しました。

バスで走行した午前中は曇りだったこともあり、物悲しい雰囲気が漂っていた。

 

35 モンサンミッシェル 1

対岸のホテルからモンサンミッシェル入口近くまでの景色を紹介しました。

 

36 モンサンミッシェル 2

歩いたモンサンミッシェルの城壁を紹介しました。

巨大さに圧倒されました。

 

37 モンサンミッシェル 3

城内のメインストリートとその先にある修道院までを紹介しました。

 

 

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38 モンサンミッシェル 4

巨大で打ち捨てられた修道院の中を紹介しました。

 

39 モンサンミッシェル 5

修道院を出て外周を廻り、村の暮らしを感じさせる裏道を下りました。

 

40 モンサンミッシェルからロワールへ

王侯貴族が愛したロワール地方までの景色を紹介しました。

 

41 シュノンソー城 1

女性城主達が住み続けた優美な城の外観と庭園を紹介しました。

 

42 シュノンソー城 2

城内を紹介しました。

 

43 シャンポール城に向かう

ロワール地方のもう一つのシャンポール城に向かい、ロワール川沿いを走りました。

 

 

 

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44 シャンボール城

こちらは巨大で複雑な形をした城で、庭園と言うか森が巨大でした。

外観を見るだけでした。

 

45 トゥールへ

宿泊と夕食の為にトゥールに向かいました。

 

46 シャルトルへ

ロワール渓谷からイル・ド・フランスの大穀倉地帯の景観を紹介しました。

 

47 シャルトル 1

シャルトルの町と初期ゴシック建築のシャルトル大聖堂の外観を紹介しました。

 

48 シャルトル大聖堂の内部

シャルトル大聖堂の内部、特にステンドグラスが美しかった。

 

49 ベルサイユ宮殿へ

シャルトルからベルサイユ宮殿の入口までの景色を紹介しました。

 

 

 

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50 ベルサイユ宮殿

ベルサイユ宮殿の内部を紹介しました。

 

51 前衛都市ラ・デファンスに泊まって

パリの宿泊地ラ・デファンスの2日間を紹介しました。

近代的なビル、広場での交流、大型スパーを紹介しました。

 

52 ルーブル美術館

車窓からのパリとルーブル美術館の代表的な美術品を紹介しました。

ルーブル美術館は三度目の訪問になり、ミロのヴィーナスは京都も含めて思い出深い対面となりました。

 

53 パリ散策 1

5回に分けて地下鉄で巡ったパリの下町を紹介しました。

この回は、アンファン・ルージュの市場が主になります。

 

54 パリ散策2

パリ誕生期を偲ばせるサン・ジェルマン・デ・プレ教会の紹介でした。

 

55 パリ散策3

大学の街カルチエ・ラタンからシテ島までの散策を紹介しました。

アラブ世界研究所からの眺めが良かった。

 

 

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56 パリ散策4

パリ最古の通りで、様々な飲食店が並ぶ庶民のムフタール通りを紹介しました。

 

57 パリ散策5

ムフタール通りの人々との触れ合い、地下鉄の風景を紹介しました。

 

これで目次は終了です。

 

 

*フランスを旅して思うこと

海外旅行は高揚の連続です。

旅では好奇心が旺盛になり、建築や景観を見て、文化や人に触れ、多くのことを学ぶことが出来ます。

そして旅行前に抱いていた疑問の多くに、それなりの答えが得られます。

中には、より深い疑問が生まれることもありますが、これも励みになります。

また以前から抱いてたイメージの多くは覆され、多くは好印象を得ることになる。

今回もそんな連続でした。

 

 

南仏に始まり、アルザス、ノルマンディー、パリは長年の戦火に見舞われた来た。

印象派の画家達が好んだ太陽と緑豊かな地中海沿いの南欧、ライン川沿いに開けたワイン畑が広がる丘陵地のアルザスは幾度も戦火をくぐり抜けた。

アルザスは第二次世界大戦まで争いが続いていた。

この間、南仏とアルザスでは国や領主が頻繁に変わった。

そして今は言葉や文化が混じり合い、かつての憎しみは消えており、観光客が訪れる平和な地域となった。

 

私はこのアルザスの歴史に「戦争と平和」の答えがあるように思えた。

残念ながら、今回の旅行では納得のいく答えを得ることが出来なかった。

しかし、一つの確信を持つことが出来た。

それは隣国同士が融和策を主導すればアルザス、ストラスブールのように安寧と平和が訪れるのだと!

 

 

ノルマンディー(フランス北西部)の屋根瓦や家の作りに他のフランス地域との違いがあり、かつてヴァイキングがここに住み着いたことを連想させる。

また、パリは幾度もヴァイキングの侵略を受けていた。

フランスを建国したフランク人も、植民し攻撃したヴァイキングも元をただせば同じゲルマン人だ。

また英仏戦争を戦い続けた英国もゲルマン人(アングロサクソン)とヴァイキングの作った国だ。

そして、今は英仏で異なった国造りを行い、フランスでは両者は溶け込んでいるように見える。

 

ヨーロッパの歴史は、日本から見れば民族の衝突が繰り替えされた悲愴なものに思える。

その一方、この民族や宗教の違いを乗り越え、仲良く暮らす工夫が成功している唯一の地域だろう。

 

今回、ゴシック建築の歴史を身近に感じることが出来た。

シャルトルでゴシック建築が生まれたのは、フランスの初代王朝がパリを首都にしたことに起因しているいたことを実感できた。

 

 

一番の収穫は、多くの楽しくて温かいフランス人に接したことでした。

セーヌ川クルーズでの歓迎、様々場面でカメラを向けた時に返してくれる笑顔が忘れられない。

中には機嫌を悪くする人もいたが。

 

エクス・アン・プロヴァンスで飛び入りした昼食レストランでの親近感溢れるウエイター、リヨンの地下鉄で道を教えてくれた移民家族の親切な青年、日本から予約していたストラスブールのレストランでのハプニング、ムフタール通りの魚屋のユーモア溢れる青年、プラス・モンジュの公園で会った喜びを隠さない女性、ラ・デファンス広場の親子の親しみ易さなど、良い思い出が多い。

 

様々な地で、キャンピングカーや自然が残る河畔で余暇を楽しむ家族の多いのに驚いた。

人生の楽しみ方が日本と異なり、羨ましく思った。

 

大都市では肌の色が異なる多くの人々が仲良く暮らし、結婚もしていることに感銘を受けた。

移民を受け入れることは分裂や社会の停滞を生み出す恐れがあると不安もあったが、むしろこれを乗り越えているフランスを力強く思えた。

 

こうして多くのことを体験し学び、フランスと旅行に感謝し旅行記を終えます。

長きにわたりお読み頂きありがとうございました。

 

 

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フランスを巡って 57: パリ散策5


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今日でパリ散策とフランス各地の紹介を終わります。
今回は、道行く人々や公園で出会った人を紹介します。
次回は紀行のまとめになります。

 

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< 2. 散策マップ >

今回紹介するのは、前回につづいてムフタール通りです。
場所は地図の番号4の青枠部分です。
この通りを出て、地図の赤矢印5から地下鉄を乗り継いで、ホテルのある左上のラ・デファンスに戻りました。

 

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< 7.公園でダンスする一団 >

地下鉄駅のすぐ近くの公園でダンスをするグループが目についた。
奇抜な衣装に身を包んだ女性ばかりが踊り、二人の男性はリズムを取っているようでした。
実に楽しそうでした。

何かカーニバルでもあるのかと思い尋ねると、違うとの答えが返って来た。
すると一人の女性が躍り出て「結婚!!」と言って、満面の笑みを浮かべた。
どうぞお幸せに!!

それが下の写真です。

この公園には様々な肌の色の人々が見える。
これがフランスの素晴らしさであり、強さなのかもしれない。

 

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< 8. 地下鉄駅 1 >

上の写真: 7号線の「Place Mongue」から乗車した。
下の写真: 「Place d’italie」で6号線に乗り換えた。

 

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< 9. 地下鉄の眺め >

上の写真: 車内の光景。
様々な人々が隣合い、そこには談笑と緊張が隣り合っている。

私が30年以上前、パリの地下鉄に乗ろうとした時、人種か何かの区別で安心できる後端の車両に乗るように勧められたことがあった。
時は過ぎ、至る所で様々な人種が自由に暮らすようになっているようだ。

下の写真: 地下鉄6号線を選んだのは、セーヌ川を越えながらエッフェル塔を眺めたかったからでした。

 

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< 10. 地下鉄駅 Charles de Gaulle >

ここで地下鉄6号線から1号線に乗り換えた。
ここはちょうど凱旋門の下になります。

 

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< 11. ラ・デファンスに戻った >

ラ・デファンスに戻ったのは午後8時半を過ぎていた。
まだ明るく、「グランド・アルシュ」の下の階段には多くの市民が寛いでいた。

 

こうして私達は半日のパリ散策と13日間のフランス旅行に幕を閉じました。

次の日、2017年5月28日の午後、パリ発の航空機で帰国の途に着きました。
半年以上にわたる私のフランス紀行にお付き合いくださり、ありがとうございました。

次回は、旅行記の目次とまとめを記します。

 

 

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フランスを巡って 56: パリ散策4


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今日はパリ最古の通り、市民に人気のムフタール通りを紹介します。

この通りには多くの小さなマルシェや多国籍のレストランが並んでいます。

私達も1時間の間につい2回も食事してしまいました。

 

 

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< 2. 散策マップ >

 

上の地図: 上が北。

赤矢印4のシテ駅から地下鉄に乗り、途中オデオン駅とジュシュー駅で乗り換え、黒矢印5のプラス・モンジュ駅で降車しました。

 

下の地図: 左が北。

プラス・モンジュ駅を出て、Sから歩き始め赤線を右端まで行き、折り返して黄線のEで、往復1.2kmの散策を終えた。

散策したのは2017年5月27日(土)の18:00から19:30です。

Fは生牡蠣を食べた魚屋、Rはタルトを食べたレストラン、Pは楽しい人々と出会った公園です。

 

 

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< 3. 地下鉄駅 >

 

上の写真: 乗車したシテ駅。

 

下の写真: 乗り換えたオデオン駅。

 

 

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< 4. ムフタール通りに出た >

 

上の写真: 乗り換えたジュシュー駅。

 

下の写真: プラス・モンジュ駅を出た時は人出が少なかったが、ムフタール通りに出て、時間が経つうちに人が増えて来た。

 

 

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< 5. 楽しい! >

 

下の写真: このおじさんが手回しで管楽器を鳴らし、名調子の高い声で歌っていました。

笑顔と笑い声が素敵な人でした。

 

 

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< 6.教会 >

 

下の写真: 地図の右端付近にある教会。

 

 

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< 7. 折り返し付近 >

 

この辺りで散策を折り返しました。

通りや広場のテラスでは多くの人が食事と会話を楽しんでいました。

 

 

 

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< 8. 様々な店先 >

 

 

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< 9. 牡蠣を食べた魚屋 1 >

 

 

 

 

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< 10. 牡蠣を食べた魚屋 2 >

 

最初この前を通った時、この店でカップルが牡蠣を食べていたのを見ていました。

戻る途中、無性に食べたくなり意を決して店に飛び込みました。

 

声をかけると若い店員がメニューを持って来ました。

私達はわけも分からず、中間の値段のものを注文しました。

 

そして出て来たのが、この写真の生牡蠣とワインでした。

牡蠣は冷えていて実に美味しかった。

さらにワインがびっくりするほど美味しかった。

 

この日より、私達はシャルドネの虜になりました。

帰国後はフランス産やチリ産などの安いシャルドネを何本か買っては飲みましたが、二度と同じ味に出会うことはなかった。

 

このように美味しいものに出会うのも旅の楽しみです。

 

 

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< 11. メニュー >

 

これは注文時のメニューです。

帰国後、内容を調べました。

 

一番上のオレンジの下線は生牡蠣のフランス内の名産地を示し、「Hunters」は牡蠣を意味する。

オイスターの表示はどこにもなかった。

次の下線は牡蠣の等級を示すようです。

三番目の下線はワインのグラス売りで、4番目の下線はワインの種類「シャルドネ」を示す。

シャルドネは「白ワインの女王」と呼ばれ、シャルドネはブドウ品種の名前です。

 

この時、面白いエピソードがありました。

注文を受けた青年が、ワインのボトルを持って来てテーブルに置き、私達が驚いたのを見ると彼は笑みを浮かべ、さっと引き下がり、二つのグラスワインをもって来ました。

これは彼の冗談(ユーモア)で、私達を精一杯歓待してくれたのです。

 

実は、この青年はどうやら写真9の夫婦の息子のようで、このお父さんは私達観光客なんか相手にするなと言う態度を取っていました。

今回のフランス旅行では、幾度も若い人達の好意を感じることがありました。

 

海外で個人的にレストランなどに入るのは不安で失敗もしてきましたが、そこには束の間の出会いがあり、実に楽しいものとなります。

 

 

 

 

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< 12. タルトを食べた店 >

 

写真のように道路に面したショーケースにたくさんのタルトが並んでいます。

東南アジア系の女性が一人で店を切り盛りしていました。

非常に小さな店ですが、結構、お客さんが途切れず買いに来ていました。

私達は中に入って食べました。

焼き立てではない為か、特に美味しいとは思いませんでした。

 

 

次回はムフタール通りの残りとラ・デファンス到着までを紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

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フランスを巡って 55: パリ散策3


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今日はカルチエ・ラタンからシテ島までの散策を紹介します。

ルートは大学街を抜けアラブ世界研究所からノートルダム大聖堂までです。

 

 

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< 2. 散策ルート、上が北 >

 

赤線が散策ルートで、地下鉄駅M1「クリュニー・ラ・ソルボンヌ」から歩き始め、地下鉄駅M2「シテ」まで行きました。

Sはソルボンヌ大学、Cは立ち寄ったカフェ、Aはアラブ世界研究所、Caはノートルダム大聖堂です。

私が歩いたパリ大学横の通りはエコール通りです。

 

このセーヌ川左岸のエコール通り一帯はカルチェ・ラタンと呼ばれ、ここはパリ誕生期からキリスト教の中心地で、やがて神学教育の場から現在の大学の街となりました。

シテ島はパリの起源となった所で、古くは様々な侵入者、バイキングなどを迎え撃つために要塞化した島でした。

 

 

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< 3. 地下鉄駅から地上に出る >

 

「クリュニー・ラ・ソルボンヌ」駅を出て、サン・ミシェル大通りを少し行き、左に曲がりエコール通りに入った。

 

 

 

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< 4.パリ3・4大学(ソルボンヌ) >

 

2枚の写真は共にパリ大学(地図S)ですが、この一帯にはパリ大学の13校が集中しており、ソルボンヌの名が冠せられている大学は上記含め3校だけです。

 

 

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< 5. エコール通りの光景 >

 

下の写真: 通り沿いにある公園。

 

途中、本屋や人通りが少ないので気が付いたのですが、私は散策ルートを間違っていました。

私が行きたかった所は学生街のあるラ・ソルボンヌ広場で、サン・ミシェル大通りを一筋早く左に曲がってしまっていた。

結局は、このまま歩いて行きました。

 

 

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< 6. カフェ >

 

上の写真: エコール通りの突き当りにパリ6・7大学が見える。

下の写真: パリ6・7大学の手前を左に曲がるとカフェ(地図C)があった。

カフェにカメラを向けると、テラス席の青年がピースサイン(V字の指)で応えてくれた。

トイレ休憩をするために中に入り、ドリンクを注文した。

 

 

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< 7. アラブ世界研究所 >

 

上の写真: カフェの中。

下の写真: アラブ世界研究所(地図A)。

 

当初、私がここに来たのはアラブの情報、アラブ料理、屋上からの眺望が目的でした。

中に入るとたくさんの人がおり、特別展が開催されていて、アラブ関係の書店もありました。

しかし、結局は屋上からの眺望を楽しむだけにしました。

 

 

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< 8. アラブ世界研究所からの眺め >

 

上の写真: 眼下にセーヌ川、左手にノートルダム大聖堂が見えます。

 

下の写真: 北方向を中心にパノラマ撮影した。

中央はサン・ルイ島です。

 

この屋上からの眺望は北方向には開けているのですが、南方向には障害の建物があります。

入場は無料です。

 

 

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< 9. セーヌ川の左岸 1 >

 

アラブ世界研究所を出て、セーヌ川沿いを行きました。

 

 

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< 10. セーヌ川の左岸 2 >

 

 

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< 11. シテ島に入る 1 >

 

多くの市民がそれぞれの楽しみ方でセーヌ川で憩っていました。

 

 

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< 12. シテ島に入る 2 >

 

上の写真: 橋の上からサン・ルイ島、東側を望む。

 

下の写真: ノートルダム大聖堂の正面。

中に入ろうと思ったのですが、大勢の人が行列をなしていたので止めました。

 

皆さんに注意を一つ!

大聖堂横を歩いていると南西アジア系の数人の若い女性が「アンケートをお願いします」としつこく寄って来ました。

恐らくはアンケート用紙に記入している間に財布をスルのが目的だと思います。

新手のスリでしょう。

 

 

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< 13. シテ島中央 >

 

下の写真: 最高裁判所。

 

 

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< 14. 花市 >

 

中央に緑が一杯の場所があり、ここが常設の花市でした。

 

 

次回に続く。

 

 

 

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フランスを巡って 54: パリ散策2


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今日はサン・ジェルマン・デ・プレ教会を紹介します。

この教会はパリに現存する最古の教会でロマネスク建築です。

このセーヌ川左岸の教会でパリの始まりを偲ぶことが出来るはずです。

 

 

 

 

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< 2. 散策の地図 >

 

上の地図: 乗り継いだ地下鉄と散策の場所を示します。上が北。

今日紹介するのは黒字No.2の青枠です。

 

中央の地図: おそらく6世紀頃のパリ。上が北。

フランク王国の最初の王朝(メロヴィング朝)が506年にパリを始めて首都にした。

セーヌ河の中州のシテ島に王宮が見え、ノートルダム大聖堂が後に出来ることになる。

赤い矢印がおそらくサン・ジェルマン・デ・プレ教会だと思います(地図の表記は異なりますが)。

 

下の地図: おそらく10世紀頃のパリ。左側が北。

シテ島を中心に左岸(地図右側)と右岸が城壁に囲まれ、町が拡大発展している。

この城壁は幾度も拡張され、19世紀に造られた城壁が現在のパリを囲むようになった。

赤い矢印がおそらくサン・ジェルマン・デ・プレ教会だと思います(表記は不明)。

 

 

 

 

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< 3. 地下鉄駅 >

 

上の写真: サン・ポール駅から地下鉄を乗り継ぎ、サン・ジェルマン・デ・プレ駅を目指す。

 

下の写真: 途中、地下鉄を乗り換えたシャトレ駅。

 

 

 

 

 

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< 4. 車内にて >

 

上の写真: 地下鉄の車内でカメラを向けると笑顔を返してくれた人。

今回のフランス旅行では、街角の人々のさりげない表情を撮りたいと思い、至る所でカメラを向けました。

中には嫌悪感を示す若い男性の視線に躊躇することはあったが、圧倒的に多くは笑顔で対応してくれ、ポーズを取る男性も居た。

フランス人の気さくさに惹かれました。

 

下の写真: サン・ジェルマン・デ・プレ教会の全景。

 

 

 

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< 5. サン・ジェルマン・デ・プレ教会外観 >

 

この教会は王都パリの最初期の歴史を物語る。

 

古くは、パリにはケルト人が住んいたが、紀元前後にローマ人に支配された。

当時は、シテ島と左岸に小さな集落があっただけだった。

その後、東方の異民族の侵略などにより荒廃した。

やがて勢力を拡大して来たフランク王国の初代王朝(メロヴィング朝)のクローヴィス王が506年にパリを首都にした。

 

542年、この王の子(キルデべルト王)がスペイン遠征の際、サラゴサで殉教した聖人の遺物を持ち帰った。

パリ司教サン・ジェルマンはこれを納めるためにこの教会を建築した。

この王はここに埋葬され、この教会は初代王朝の霊廟となった。

 

その後、フランク王国の分裂、バイキングの度重なる襲撃を経て、パリは王都から一地方都市になっていた。

987年、ユーグ・カペーはフランスの初代国王(カペー朝)に選ばれ、パリを首都にした。

 

この頃から12世紀にかけてパリは帝国の首都、学術と教会の拠点として発展していった。

政治と宗教生活の拠点であったシテ島では1163年、ノートルダム大聖堂の建設が始まった。

左岸(セーヌ川の南側)は教会が運営する様々な学校が置かれた学術の中心であり、後に大学の町へと発展した。

逆に、対岸の右岸(セーヌ川の北側)は商業と経済の中心として発展していった。

 

こうして、1136年頃にパリ北端のサン=ドニ大聖堂がゴシック建築で改造され、ゴシック建築がフランスで開花し、ヨーロッパに広がった。

 

 

 

 

 

 

 

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< 6. サン・ジェルマン・デ・プレ教会 1>

 

教会は修復工事中で観光客も少なかった。

教会内は暗く、ロマネスクらしい重厚で質素な趣がある。

この教会はロマネスク建築だが、後にゴシック様式で改造されている。

 

 

 

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< 7. サン・ジェルマン・デ・プレ教会 2 >

 

右下の写真: パリ司教サン・ジェルマンの像と礼拝堂。

彼がこの教会を建て、鐘楼の下に眠っている。

 

 

 

 

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< 8. サン・ジェルマン・デ・プレ教会 3 >

 

今は小さな教会だが、かつて8世紀と17世紀は大規模な修道院で隆盛を極めたが、フランス革命で多くを焼失した。

 

 

 

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< 9. サン・ジェルマン・デ・プレ教会前の交差点 >

 

上の写真: 右奥がレンヌ通りで南側を望む。

下の写真: サン・ジェルマン大通りの西側を望む。

 

 

 

 

 

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< 10. 地下鉄駅 2 >

 

上の写真: 路線が異なるのでオデオン駅まで歩き乗車。

マピヨン駅が近かったが、迷ってしまって次の駅まで行った。

 

下の写真: クリュニー・ラ・ソルボンヌ駅で降車。

ここから大学街を歩き、アラブ世界研究所に向かう。

 

 

次回紹介します。

 

 

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