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北欧3ヵ国を訪ねて 32: ドロットニングホルム宮殿ツアー 2


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今回は、ドロットニングホルム宮殿に向かう観光ボートからの眺めを紹介します。

楽しみにしていたメラーレン湖のクルージングです。

ここはかってヴァイキングが行き交ったところです。

 

 

 

 

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< 2.クルージングのコース、すべて上が北 >

 

上の地図: これまでの訪問地を示します。

Aは古都シグツーナ。

Bはストックホルム中心部で、私は最北部では自然歴史博物館、最東部ではスカンセン野外博物館、最南部では旧市街ガムラ・スタンを訪れました。

CはホテルのあるエルブシェÄlvsjöと墓地Sandsborgskyrkogårdです。

 

茶色の線は、今回に乗ったボートの航路です。

参考までに、三角印はヴァイキングの古都ビルカです。

 

 

下の地図: 青線がクルージングの航路です。

航路の長さは約12kmほどで、航行時間は50分間です。

左側の赤い四角枠がドロットニングホルム宮殿です。

 

写真は2018年6月3日(日)10:10~10:45に撮影したものです。

写真は撮影時間順に並んでいます。

 

 

 

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6月初旬ですが、温かく湖水浴日和です(現地の人にとっては)。

湖岸至の所、砂浜や岩盤では日光浴や泳ぐ人々で賑わっていました。

住宅と森がすぐ後ろに広がっています。

ここは都市部への通勤に便利で、自然があり、暮らすには良い所でしょう。

 

中央の写真: 地図に示めす南北に架かる最初の橋です。

 

 

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人々はカヌー、ボート、ヨットなどで湖を楽しんでいます。

 

 

 

 

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湖岸の家には自家用の小さな桟橋が多く見られます。

 

下の写真: 二番目の橋です。

 

 

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下の写真: 最初の桟橋に着岸するところ。

写真は着岸した桟橋ではなく、左側に見えた個人所有と思われる桟橋です。

ここは北岸で、島ではなく、すぐ後ろにバスや地下鉄がある。

それでも船を利用する人が居ます。

ハイシーズンであれば30分から1時間間隔でこのボートは寄港します。

 

 

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ここで大きく右に旋回しました。

地図で大きく北に向きを変えている場所です。

 

上の写真: 2階デッキの様子。

私は最後部の真ん中に座りました。

ここはほぼ180度の視界が開け、撮影に良い位置です。

 

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上の写真: ここは2番目に着岸した桟橋で、地元の人が乗船しました。

それを見送る人々が見えます。

この島は地図を見る限り何処とも橋が架かっておらず、移動手段は船しかないようです。

 

下の写真: 左手に、先ほどの桟橋が見えます。

 

 

 

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上の写真: 小さな島に桟橋と木立の中に家が見えます。

モーターボートならストックホルム中心部まで30分以内で行けるしょう。

自分の島! 優雅ですね!

 

下の写真: 左舷遠方にドロットニングホルム宮殿が見えて来ました。

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 31: ドロットニングホルム宮殿ツアー 1


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これから、ドロットニングホルム宮殿観光とボートツアーを数回に分けて紹介します。

快晴の下、碧い空と湖面を、そよ風に吹かれながらボートで宮殿に向かいます。

今回は、ボートに乗るまでを紹介します。

 

 

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< 2.ボート乗り場までのルート、上が北 >

 

先ず、前回紹介した墓地北側の地下鉄駅Sandsborg(No. 18 T-bana)からセントラルステーションに行きます(青い線)。

次いで地下鉄のホームからセントラルステーション地上の東側に出ます。

そこから徒歩で南西側にある 船着き場Stadshusbronまだ500mほど歩きます(赤い線)。

ここのブースでチケットを入手し、ボートに乗船します。

そこはちょうど市庁舎の前になります。

 

 

 

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< 3. 地下鉄に乗る >

 

上の写真: 地下鉄駅Sandsborg。

 

中央の写真: ホーム。

 

下の写真: ホームからの眺め。

 

写真は2018年6月3日(日)8:00~10:10の撮影したものです。

 

 

 

 

 

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< 4.地下鉄からの眺め >

 

 

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< 5. セントラルステーションに向かう >

 

地下鉄とは言え、ほとんど地上を走り、セントラルステーション間際になって地下に潜りました。

 

下の写真: 地下鉄ホームに降りてからセントラルステーションに向かう地下1階の通路。

 

 

 

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< 6. セントラルステーション >

 

下の写真: セントラルステーションの東側玄関。

 

 

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< 7. 船着き場に向かう >

 

中央の写真: メラーレン湖に出た。

 

下の写真: ここで右に折れ、西に進む。

高架の向こうに市庁舎が見えた。

この高架の下を進む。

 

 

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< 8. 船着き場Stadshusbron >

 

上の写真: 右手の赤い日除けがあるブースがチケット発売所です。

 

下の写真: 多くの乗船客が既に待っています(違うボート)。

ここからはドロットニングホルム宮殿行き以外の観光ボートも出航しています。

ここには9時少し前に到着していましたが、ドロットニングホルム宮殿行きの始発は10時です。

 

 

* 宮殿観光とボートツアーについての情報

 

ドロットニングホルム宮殿の入場券は130SEKで、往復ボート料金は220SEKです。

この宮殿へは陸上ルート、バスなどを乗り継いで行くことも出来ますが、私は気楽な片道1時間の船旅を選びました。

私はストックホルムパスを買っていたので、上記二つを追加料金不要で、利用できます。

ただストックホルムパスでの利用は予約が出来ず、必ず当日、乗船前にチケットの入手が必要です。

満員であれば乗れない。

この日は日曜日だったので、早めに行って、催行会社STROMMAの指定ブース(写真)でチケットを入手する必要がありました(パスの提示必要)。

上記宮殿の入場券には中国や宮廷劇場の入場は含まれていないはずです。

 

 

 

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< 9. いよいよ乗船 >

 

確か、出発の30分前には乗船口に並ぶことが出来たので、数人目に並びました。

その後、どんどん乗客は増えました。

 

上の写真: 煙突から煙を吐いているのが乗船するボートです。

 

下の写真: 私は二階デッキの一番後ろ側に座りました。

どうやらボートの客室は一杯になり、デッキには立ち見の乗客が多数出ました。

撮影するには最適でした。

少し日差しが強かったが風があり、快適な船旅になりました。

 

 

 

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< 10. いよいよ出航 >

 

上の写真: 対岸を往復する船(フェリー)だと思います。

フェリーにはパスが使えますが、今回、利用するチャンスがなかった。

 

 

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< 11. 離れて行きます >

 

上の写真: 中央がセントラルステーションの方向です。

 

下の写真: ガムラ・スタンの方向ですが、手前のリッダーホルム島の教会の鐘楼が見えています。

 

 

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< 12. 遠ざかる市庁舎 >

 

 

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< 13. 船旅の始まり >

 

これからヴァイキング時代に栄えガムラ・スタンを生むことになるメーラレン湖を堪能します。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 30: ストックホルムの墓地を訪ねて


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今回は、北欧の墓地を紹介します。

当初、私は世界遺産のSkogskyrkogårdenを訪れるつもりでしたが、間違ってSandsborgskyrkogårdに入りました。

おかげで北欧の死生観がわかりました。

 

 

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< 2.二つの墓地の地図 >

 

上の写真: 二つの墓地を示す。左が北。

赤枠がSkogskyrkogårdenで、その左がSkogskyrkogårdenです。

私が歩いたルートは黄線、そしてスタート地点をSで示します。

世界遺産の墓地Skogskyrkogårdenと隣りの墓地Sandsborgskyrkogårdの大きさの違いがよくわかります。

黄色の矢印から撮影した写真が中央の写真(拝借)です。

 

下の写真: 墓地Skogskyrkogårdenの入り口にあった地図です。上が北。

歩行ルートを赤線で示し、SからEまでを歩きました。

バスを降りたのがS地点で、通り抜けて墓地を出た所がEです。

 

 

この日のハプニングの一つは、この墓地を間違えたことです。

間違ったのは、ここには世界遺産の墓地だけだと私が思い込んでおり、たまたま左手に入り口が見えたからでした。

看板の文字が異なることや、予め調べておいた方角とも異なっていたのですが。

間違っていると確信したのは、ほぼ真ん中まで行ってからでした。

 

 

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< 3. 墓地内 1 >

 

この墓地を歩いたのは7:30から8:00です。

写真はほぼ撮影順に並んでいます。

 

 

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< 4. 墓地内 2 >

 

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< 5. 墓地内 3 >

 

多彩なデザインの墓石の中から幾つか紹介します。

右下の写真は大きな樹木と墓石の組み合わせが印象的でしたので、取り上げました。

 

全体を見て感じた第一印象は、他を圧倒するような大きな墓石や目立つ墓がほとんど無い事です。

どちらかと言えば、シンプルな一枚の墓石、シグツーナで見たルーン石碑の小型判が整然と並んでいます。

そうは言っても画一的ではなく、それぞれの墓石には個性や主張が感じられる。

 

私がこの墓地内を歩いている内に、北欧の心を感じ取ることが出来ました。

 

他のキリスト教圏との違いの一つは、十字架の扱いです。

先ず、石造の十字架が無く、希にあっても墓石に十字架が小さく彫られている程度です。

これは北欧がプロテスタントだからかもしれませんが。

 

墓石は墓地全体でみると同じ方向を向いていませんが、区画ごとに同じ向きに並び整然としています。

どうやら墓石はすべて通り道に沿って正面を向き、奥であってもそれに合わしているようです。

 

世界中の墓地では、隣り同士であっても墓の大きさや向きがバラバラな所があります。

また大きな集団墓地にせず、畑や山の中に家族だけの墓地を設けるところがあります。

この二つの形態は東アジアと東南アジアで見ました。

ヨーロッパや日本の墓地では墓は概ね整然と並び、特に日本では墓石のデザインがは画一化されることが多い。

 

私が一番感銘を受けたのは、墓が多くの大きな樹木に囲まれていることです。

スペースは広いが、日陰になるほど樹木が配されている。

これは死後、人々は自然、つまり北欧の森に帰ることをイメージさせます。

堅牢な石でもなく、美しい草花でもなく、正に深い森に包まれることこそが、安らぎなのです。

 

この墓地は、北欧人の社会性(規範遵守)と個人尊重(尊厳)のバランス感覚を良く示しており、さらに自然感を反映しているように思う。

これと比べると日本の墓地は社会性が目立つ。

 

 

 

 

 

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< 6. 墓地内 4 >

 

 

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< 7. 墓地内 5 >

 

墓地の中央に教会があります。

 

 

 

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< 8. 墓地内 6 >

 

ここでもうすぐ墓地の端になります。

墓地の外側直ぐに地下鉄駅があり、ここから地下鉄に乗り次の観光に向かいました。

この墓地を見たことで旅行前の疑問が解けたので、世界遺産の墓地を訪問することを止めました。

 

 

* 世界遺産の「森の墓地、スコーグスシュルコゴーデン」について

 

 

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< 9. Skogskyrkogården、左が北 >

SkogskyrkogårdenのHPより借用。

赤丸がバスを降りた所です。

 

同国ではじめて火葬を前提とした葬祭場と墓地が計画され、設計コンペティションが行われた。

当時まだ無名であった若い二人の建築家が選ばれ、25年の歳月をかけ松の木が生い茂った古い砂利の採石場に火葬場が完成したのは1940年でした。

二人の建築家の死後も墓地の工事は現在まで断続的に続けられている。

1994年に、ユネスコの世界遺産に登録された。

20世紀以降の建築作品としては、世界で最も早い登録でした。

(この説明はWikipediaから引用要約)

 

 

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< 10. Skogskyrkogårdenの写真 >

 

写真はすべて借用しました。

 

旅行前、私はこのような新しく造られた墓地が世界遺産になっていることが不思議でした。

その理由は、概ね建築家はデザインに新規性を追求するものなので、文化的価値が乏しいと予想していたからです。

 

しかし、墓地Sandsborgskyrkogårdを見ていると、世界遺産の墓地のコンセプトに共通するものがあるとわかりました(写真で判断)。

この墓地Sandsborgskyrkogårdは1895年に出来ていたので、このコンセプトはスウェーデン本来のものだったと言うことです。

 

このことは後にオスロの墓地も見て、北欧に共通するものだと確信するようになりました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 29: 世界遺産の墓地へ


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今回は、ホテルのあるÄlvsjö駅から世界遺産の墓地までの郊外を紹介します。

この日は2018年6月3日(日)で北欧訪問の4日目でした。

実は、この日も二つのハプニングに見舞われました。

 

 

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< 2.バスのルート、上が北 >

 

青線がバスのルートで、左のÄlvsjöから出発し右のSkogskyrkogårdenで降りました。

今回、紹介するのは主にバスの車窓から見た郊外の住宅地です。

 

実は、私は間違って隣りの墓地に入ってしまい、世界遺産を見ずじまいでした。

これがまた貴重な経験になりました。

 

地図の緑枠が、今回間違って入った墓地で、上の黒点は後にストックホルムに向かう為に乗った地下鉄(黒線)の駅です。

私が入った墓地は南北600mで、その南側にある世界遺産のSkogskyrkogårdenは南北に1800mもあります。

 

 

 

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< 3.朝のÄlvsjö駅 >

 

今回紹介する写真は6:50~7:30の撮影です。

 

上の写真: 駅舎の直ぐ横にバス停が並んでいる。

 

下の写真: バス停での出勤風景。

如何に移民が多いかがわかります。

 

 

 

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< 4. バスの情報、掲示物 >

 

乗るバスは事前にグーグルマップで調べていて、161番のバスで目的地、世界遺産のSkogskyrkogården ( Woodland Cemetery)を目指します。

 

上の掲示物: 茶色の丸が乗るバスの表示です。

 

下の提示物: 赤丸が乗車停留所と降車停留所です。

赤の矢印は曜日を示します。

 

 

 

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写真は時間順に並んでいます。

 

 

 

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* 住宅街を通って感じたこと

 

この地域は非常に緑が多く、少し起伏はあるが概ね平坦な土地です。

バスが急に減速したと思ったら、鹿が道路を横切っていました。

 

住宅は広い庭を確保し、木々で囲っている一戸建てが多い。

米国の郊外住宅のようにオープンではなく、少し閉鎖的なようだ。

豪邸や由緒ある建物は見えなかった。

割合は少ないが中層マンションのような建物もある。

 

全体的に新しい住宅が多く、比較的新しい街並みのようです。

ストックホルム全体を通して感じたのだが、建設ラッシュとは言えないまでも、発展中との印象を受けた。

Älvsjö駅周辺もそうなのですが、住宅回りや公共地の植栽が丁寧に行われている。

 

意外だったのは、一戸建て住宅の外観が多種多様で、あまり伝統に興味がないことです。

おそらくはこの地は新興の通勤圏であり、海外からの移住者が多い為に、このような形態になったと想像できる。

 

 

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< 11. バス停Skogskyrkogårdenで降車した >

 

上の写真: Sockenvägen通りの西側を望む。

 

下の写真: 右手の高架はメトロ18番線です。

ここでは地上を走り、ストックホルム手前で地下に潜ります。

私が撮影している側に地下鉄の駅があります。

 

 

 

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< 12. Sockenvägen通り >

 

共に通りの東側を見ている。

私が入ったのは左側(北側)の墓地Sandsborgs kyrkogårdで、右側(南側)がSkogskyrkogårdenでした。

 

 

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< 13. Skogskyrkogårdenに入る >

 

 

私は海外旅行をした折、出来るだけ墓地を見るようにしています。

そこには必ず、その国に根深く生き続ける精神、文化の保守的な面が表れるからです。

 

 

次回は墓地を紹介します。

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 28: ガムラ・スタンを歩く


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今回は、ストックホルムで最も楽しみにしていた旧市街ガムラ・スタンを紹介します。

この街は戦争による破壊を逃れた為、中世の街並みが残っています。

 

 

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< 2. ガムラ・スタンの散策ルート、上が北 >

 

今回紹介するのは王宮入り口のSから地下鉄駅SlussenのEまでです。

赤線が歩いた路で、黄色線は入館したことを示します。

Cは大聖堂、Mは大広場、Pは小さな広場です。

 

写真は2016年6月2日(土)14:30~16:20のものです。

 

この島は直径600~700mほどの大きさで、私が歩いたところはその中心部に過ぎません。

それにしても、かつてのスウェーデン帝国(17世紀)の首都の中心部にしては小さ過ぎる。

ここにスウェーデンの歴史が凝縮されているはずです。

 

 

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< 3. 王宮に入る >

 

私は王宮の南側の坂道に面した入り口から、王宮に入りました。

中に入ると左右に2階に上る階段があり、右(東側)に上るとチャペル(下の写真)、左(西側)に上ると大きな会議室に行きます。

 

上の写真: チャペルの入口側から会議室の入口を見ています。

その下の階には宝物庫がありますが、入りませんでした。

会議室に入り、右に進むと王族の居室に入って行きます。

 

 

 

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< 4.王族の居室 >

 

下の写真: 2階から1階に下りる階段。

ここから正面玄関(西側)に出ました。

 

 

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< 5. 王宮の玄関前より >

 

下の写真: 大聖堂の鐘楼が見える。

 

 

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< 6. 大聖堂 1 >

 

上の写真: 大聖堂の前から西側を望む。

 

下の写真: 大聖堂の内部。

奥に祭壇と説教壇が見える。

 

 

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< 7. 大聖堂 2 >

 

上の写真: 正面入口側。

 

中央の写真: 木彫りの像「セント・ジョージと龍」。

 

これは素晴らしい像ですがそれだけではなく、ストックホルムと北ヨーロッパとの関わりを教えてくれます。

 

この像の作者はハンザ同盟が最盛期を迎えた14~15世紀に活躍したバーント・ノトケ(1435?-1509)で、この時代の北ヨーロッパで最も活躍したドイツの画家・彫刻家でした。

彼の作品で有名なものは、この像と髑髏が描かれた絵「死の舞踏」で

リューベックとタリンの教会にあった。

これら作品がある三つの都市は、すべてハンザ同盟に属す港湾都市で、リューベックはそのリーダーで北ドイツにあります。

 

つまり、ガムラ・スタン(スウェーデン)はハンザ同盟(ドイツが中心)と深く関わることによってバルト海・ボスニア湾・フィンランド湾の交易を通じて経済発展を成し得たのです。

その前のヴァイキング時代の東方交易が役立ってはいたのですが。

 

 

下の写真: タリンにあるノトケの「死の舞踏」。

この絵は黒死病に見舞われたヨーロッパの絶望をよく現わしており、この心情がやがて宗教改革に向かう原動力の一つになった。

北欧も黒死病に見舞われている。

 

 

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< 8. 大広場 1 >

 

西欧の大都市の広場、さらに他の小国の首都と比べてもやはりこの広場は小さい。

この旧市街は海と湖に挟まれた小さな島に、13世紀、城壁を持った都市として始まった。

 

「北欧3ヵ国を訪ねて 13: 戦争と平和」で書いたように、この大広場で起きた16世紀初めの「ストックホルムの血浴」を契機にして、スウェーデンはデンマークからの独立と帝国への道を歩み始めることになる。

 

小さいながらも、この地はやはり政治の中枢だった。

 

 

 

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< 9. ストックホルムの変遷 >

 

上の写真: 1570-1580年頃。

中央に王宮と大聖堂が見える。

この絵は北側からガムラ・スタンを見ているのだろう。

つまり左側がバルト海に通じる。

この時期、島以外はまだ未発展だった。

 

中央の写真: 1690年頃。

現在のストックホルム中心部が右側で、左側はセーデルマルム島でしょう。

つまり手前がバルト海に通じる。

 

この時期、スウェーデン帝国は繁栄の頂点にあったが、1700年から大北方戦争に突入し、ロシアに敗れ、1721年から没落が始まった。

 

二つの絵から百年の間にガムラ・スタンの両側は大きく発展していることがわかる。

 

 

下の写真: 時期は不明。

上の絵とちょうど逆の方向、西から見ているようです。

手前側がメーラレン湖側です。

 

 

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< 10. 大広場 2 >

 

下の写真: 奥に大聖堂の鐘楼が見えます。

右手の建物はノーベル博物館で、ノーベル賞の歴史などの展示があります。

 

 

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< 11. 小路 >

 

大広場からドイツ教会周辺の小道。

右下の鐘楼はドイツ教会のもので、ハンザ同盟の商人(多くはドイツ人)が1634から1648年にかけて建てたものです。

ハンザ同盟の各港湾都市では、ドイツ商人がその都市内に自らの社会を築き、教会を作った。

 

 

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< 12. 憩いの場>

 

これは地図のPで示され、二つの小路が交わって出来た三角形の広場です。

この賑わう旧市街にあって、ここは住民が憩う場所になっている。

 

石畳の広場に植えられた大きな木が木陰を作り、風が今にも吹き抜けていきそうです。

ヨーロッパの旧市街、例えばスペインのトレド、南仏のエクサンプロバンス、エストニアのタリンにもあるような片隅の広場なのですが、実に良いですね。

 

実は、ここは火災で建物が壊れた折、馬車の旋回スペースとして空き地にされたようです(1728年)。

 

 

 

 

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< 13. さらに南下する >

 

 

 

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< 14. 鉄の広場 >

 

ここは南の端にある広場で、昔、港に運ばれた鉄をこの広場に保管しておいたことからこの名前が付いた。

 

実は、この鉄こそがスウェーデンの産業発展を促し、またガムラ・スタンを首都にすることになった。

 

今もスウェーデン鋼は有名ですが、この国の鉄採掘の歴史は古く、鉱山はストックホルムの北西100から300kmの範囲に広がっていました。

そして鉄は広大なメーラレン湖を通じて国内外と交易されました。

ヴァイキング時代が終わりバルト海が安全になった13世紀頃、ハンザ商人が鉄を求めてストックホルムに多く寄港するようになりました。

 

これに呼応してスウェーデン王は、それまでの内陸部の首都から、バルト海への輸送に適したガムラ・スタンに拠点を移したのです。

 

旅行前、なぜ防衛上脆弱なガムラ・スタンが首都になったのか、私には不思議でした。

これが外国勢力から急襲されればひとたまりもないこんな小さな島に、わざわざ内陸部から拠点を移した理由だったのです。

 

そして一時はハンザ同盟と繁栄を共有したのでした。

 

 

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< 15. ガムラ・スタンの眺め >

 

上の写真: ガムラ・スタンを南側から見ている。

 

下の写真: 中央に地下鉄駅Slussenが見える。

 

私はこの駅から真直ぐホテルに戻りました。

疲れた1日でした。

 

 

* 6月1日と2日、ストックホルムとガムラ・スタンを歩いて

 

当初はガムラ・スタンをもう少し丁寧に見る予定でしたが、疲れもあり、真直ぐ南北を歩き抜けただけでした。

それでもおおよそ半分以上は見ました。

 

街並みは思っていたより古さ、郷愁のようなものを感じませんでした。

修復が良く行われているようです。

また街並みの建築には特別なデザインや目立つもの(バロック、アールヌーボー、北欧独特の様式など)を見かけることもなく、少し拍子抜けでした(あれば良いわけでもないが)。

 

それでも1日のシグツーナとストックホルム郊外、2日のストックホルム中心部、ユールゴーデン島、ガムラ・スタンと歩き、また自然歴史博物館、歴史博物館、北方民族博物館、ヴァーサ―号博物館、スカンセンを見学して、少しはスウェーデンの歴史や自然、社会や人々が見えて来たようです。

 

この2日間は驚きと発見の連続で、また様々なハプニングの洗練を受けた。

これがまた楽しいのですが、観光予定はズレるばかりです。

 

まだまだこの旅で最強のトラブルと発見の喜びを味わうことになります。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 27: ハプニング


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今回は、最初に経験した大きなハプニングを紹介します。

実は大きなイベントがあることを知らずに、予想外に歩く羽目になってしまったのです。

疲れたが楽しい経験でした。

 

 

 

 

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< 2. 徒歩ルート、上が北 >

 

上の衛星写真: 右のS点から歩き始めて、E点までを今回紹介します。

 

下の地図: 上の写真とほぼ同じ範囲です。

右(スカンセン前のトラム駅)から左(ガムラスタンの王宮)まで点線に沿って歩きました。

距離は3.2kmです。

紹介する写真は2018年6月2日(土)12:40~14:30の撮影です。

 

 

 

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< 3. ハプニングの兆し >

 

上の写真: スカンセンを出て、通りにある駅(写真)のベンチでトラムを待ちました。

そしてガムラスタンの近くまでトラムで行き、ストックホルム・パノラマ(1時間ほどの市内巡りの観光バス)に乗るつもりでした。

駅のブースでは私以外に2組の海外旅行客が待っていました。

15分ほど待ったのですが、まったくトラムが来ません。

本来は10分以内の間隔で来るはずでした。

 

確かに、写真のように赤白のテープが車道に張り巡らされおり、何かが起きていました。

しかしブース内の展示物を見たのですが、英語表記で時刻表の変更やトラブルの有無を確認できませんでした。

もっとも、スウェーデン語の掲示ならわかりませんが。

 

諦めてガムラスタン近くまで歩く決意をし、去りかけてブースの外側上部を見ると、次のトラム到着は18時台を示す液晶表示が見えました(涙目)。

途中、通行中の市民に聞いてみると「今日はマラソンがある」とのことでした。

 

結局、この日はアシクッス主催のストックホルム・マラソンがあり、12時から18時まで、私が行きたい所はすべての交通がストップになったのです。

不幸なことに、地図の青の点線はマラソンコースとほとんど一致していた。

 

 

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< 4. マラソン 1>

 

諦めて、のんびり歩くことにしました。

 

下の写真: この半時間ほどで道路沿いにたくさんの市民が集まって来ました。

この走者達は、スカンセンの前で折り返して来た先頭集団です。

 

 

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< 5.マラソン 2 >

 

上の写真: ガムラスタン側を望む。

 

下の写真: 手前は折り返して来た走者、向こう側はこれから折り返し点に向かう走者らです。

 

 

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< 6. マラソン 3 >

 

下の写真: 中央の建物が王立劇場です。

 

 

 

 

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< 7. マラソン 4 >

 

上の写真: 曲がり角にある、木々が配されたベルツェリー公園に沿って歩く。

ここから多くの観光ボートが入出航していました。

遠くに、北方民族博物館とヴァーサ号博物館の建物が見えます。

 

下の写真: これは海軍の船のようです。

 

 

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< 8. マラソン 5 >

 

やっとガムラスタンの王宮が真正面に見えて来た。

これから右に曲がり、ストックホルム・パノラマの受付ブースに向かいます。

 

 

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< 9. マラソン 6 >

 

上の写真: この桟橋からも観光ボートが出ており、その向こうにチケットブースが見える。

 

ストックホルム・パノラマ(バス)の乗り場は、少し離れた Gustav Adolfs Torg(広場)からなのですが、このチケットブースでストックホルムパスを見せて、無料チケットを貰う予定でした。

はぼ諦めていたのですが、一縷の望みを託して、窓口で運航状況を聞きました。

すると「マラソンがあるので今日はバス運行はありません」と、あっさり言われた。

しかたなく予定を変更して、ガムラスタンまで歩くことにした。

 

今日はストックホルム・シティを8:30に出てから歩き詰めで、まだ歩かなければならない。

 

 

下の写真: ガムラスタンに掛かる橋を行く走者達。

 

近くで見ていると、疲れて素顔を見せる走者らに親しみを感じた。

 

 

 

 

 

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< 10. マラソン 7 >

 

ガムラスタン島に入りました。

右手が王宮です。

 

 

 

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< 11. 王宮横の坂 >

 

 

次回に続きます。

 

 

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沼島を訪ねて 4


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今回で、沼島の紹介は終わります。

峰伝いの小道、沼島八十八ヵ所霊場巡りから海水浴場までを行きました。

 

 

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< 2. 散策マップ、上が北 >

 

今回紹介するのは黄線と茶色線です。

黄線は沼島八十八ヵ所霊場巡りの約半分にあたります。

左側の赤丸はおのころ神社です。

茶色線は漁港沿いの道で、左の黒丸は海水浴場、右の黒丸は昼食をとった食事処「水軍」です。

 

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< 3. お地蔵様 >

 

この八十八ヵ所霊場巡りの小路の両側には、なんと88の地蔵様が祀らています。

里から離れたわざわざ峰伝い、かくも不便なところに多くの地蔵様があります。

 

これは明治時代、戦争や伝染病で多くの人が亡くなり、その慰霊の為に

祀られたのだそうです。

鎮魂の為の霊場巡りなら、こここそ最適だったのでしょう。

 

 

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< 4. 上立神岩 >

 

小路を行くと、見晴らしの良い所からこのような絶景を眺め、また爽やかな潮風を受けることが出来ます。

 

 

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< 5. 小路 >

 

見晴らしの良い所もあれば、生い茂る木々が日陰になってくれるところもあります。

ほとんど人が通った形跡はありませんが、道はあります。

 

 

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< 6. 森林浴 >

 

 

 

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< 7. 分岐点を右へ >

 

途中、右は「おのころ神社まで0.5km」と書かれた看板がありました(上の写真)。

それで右に折れ、さらに鬱蒼とした森の中へ入って行きました。

少し不安はありましたが、小路が微かに見え、方向的にも正しそうなので、行きました。

 

 

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< 8. 小路を下る >

 

小路には枯葉が積もっているのですが、雑草が少なく、歩きやすい道でした。

 

 

 

< 99. おのころ神社(自凝神社) >

 

ここには神殿と二神の像があります。

二神の像は伊弉諾尊と伊弉冊尊で、国生み神話の中で伊弉諾尊が天沼矛を使うシーンを表しています。

神殿は出来て百年も経っていないのですが、この山は御神体山であり18世紀末に小祠を建て、村人が祭礼を行って来た。

 

この階段は急で長いのですが、下る方だったので助かりました。

眼下に港が見えます。

 

 

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< 10. 沼島海水浴場 1 >

 

神社の階段をさらに下り、海岸沿いの道に出て、左に曲がると、海水浴場の賑わう声が聞こえてきた。

 

 

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< 11. 沼島海水浴場 2 >

 

この海水浴場には、脱衣所、トイレ、シャワーがあり、監視員も居ました。

 

 

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< 12. 店と手押し車 >

 

上の写真: 昼食をとった海鮮漁師料理「水軍」の店内。

海岸沿いの道から見える飲食店はこれを含めて2軒だったと思います。

少し中に入れば他の店や、鱧料理を出す民宿もあります。

 

この店は味はともかく、手ごろな値段で多彩な海鮮料理を出してくれるようです。

手軽に立ち寄れるので良いと思います。

 

下の写真: 沼島特有の手押し車。

 

 

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高速艇に乗って、帰路につきます。

高速艇で沼島に到着してから4時間が経ちました。

 

 

* 感想

 

8月18日、天気が良かったので急にドライブしたくなり、妻が沼島に行きたいと言い出しました。

私たちは淡路島に40年以上も居ながら、一度も行ったことがありませんでした。

 

私ははじめ、沼島は小さく魚釣りと鱧料理と上立神岩だけの島と思っていたのですが、なかなか歴史ロマンを秘めた島でした。

私にとっては特に海人族の痕跡とルーツが魅力でした。

 

また適度に散策が楽しめ、海水浴や、そして海鮮料理も楽しめます。

そして観光化されていないところが良い。

 

 

これで終わります。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 26: スカンセン(野外博物館) 2


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今回で、スカンセンの紹介を終わります。

写真は2018年6月2日(土)、12時から12時半までの撮影です。

 

 

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< 2. スカンセンの地図、上が北 >

 

青線が今回紹介する徒歩ルートで、Sがスタート、Eが終わりを示します。

 

私は1時間かけて見て歩いたのですが、観光時間は、じっくり伝統文化を知ろうとするなら2~3時間、また動物園や遊戯施設もありますので子供らと家族で楽しもうとするなら半日以上が必要でしょう。

 

 

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下の写真: 鱗状の木の板を重ねた外壁。

フランスのストラスブールで民家の屋根に鱗状瓦を見たのですが、このようなものは初めてです。

 

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上の写真: 孔雀がのんびり散歩しており、怖がる様子はありませんでした。

 

 

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上の写真: 子供向けの催し。

多くの家族が参加していました。

 

下の写真: 18世紀の木造の教会。

これはスウェーデン南部のVästergötland地方、大きな湖のある地域に建てられていたものです。

No4の下の写真は、この教会を裏側から撮ったものです。

 

 

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< 8. 風車小屋 >

 

 

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上の写真: 18世紀の農家兼邸宅です。

左右に納屋のようなものがあり、工具、蹄鉄、鍬などが制作されていた。

建てられていたのはストックホルムから西に200kmほど行ったNärke地方です。

この地域は先ほどのVästergötland地方の北東で接しています。

 

このスカンセンは主に古い農家や街の家、教会などを移築し、庶民の暮らしがわかるようにしているのですが、この邸宅だけは別格で大きい。

 

 

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< 10.展望広場から  >

 

南側の対岸、セーデルマルム島を見ています。

現在、この地域が住宅地、観光地として発展しているようです。

 

下の写真: 手前にスカンセンの直ぐ下にあるチボリ公園が見えています。

この日は土曜日なので、このユールゴーデン島は人出が多かった。

 

 

* 感想

古民家を見て、スウェーデンの18世紀はあまり豊かではない印象を受けた。

そうは言っても、日本の江戸時代末期と同時代なのですから、遜色はないのかもしれません。

 

豊かな木材資源を使って太い木材が大量に使用されている一方で、構造材としての石材や壁材としての粘土の使用が見られなかった。

これは北欧の厳しい自然、貧しい土壌、乏しい資源を象徴しているようでした。

もっとも人口密度が低いので暖房用の薪は充分に入手出来た。

 

北欧を旅行して感じたのは、他の地域に比べ、民族舞踊や歌唱などの伝統文化を売りにした観光が見当たらないことです。

四季折々の祭典やヴァイキング村の再現はあるのですが、ポルトガルのファドやスペインのフラメンコのようなものが無い。

 

多くの外国人は美しい自然と整った街並みを楽しみに、この北欧を訪れる。

そこで観光資源として伝統の歌舞演劇などをもっと押し出しても良いと思うのだが。

結構、古い歴史と文化があるはずなのに不思議です。

 

そのような中で、19世紀の終わりにこのような伝統文化として民家を残し得たのは非常に良かったと思います。

これは国民の為なのでしょうが。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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沼島を訪ねて 3


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今回は、沼島一番の観光名所、上立神岩への道を紹介します。

この岩は国生み神話と深く結びついています。

 

 

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< 2. 散策マップ、上が北 >

 

赤線が前回紹介した沼島庭園から上立神岩までの道です。

右側二つの赤丸が上立神岩を見るポイントです。

黄色矢印の上側は上立神岩で、下側は平バエ(岩礁)です。

ピンク線と黄線は沼島八十八霊場巡りの一部で、今回歩いた道です。

 

今回紹介するのは赤線とピンク線です。

左側の赤丸はおのころ神社です。

茶色線は漁港沿いの道で、左の黒丸は海水浴場、右の黒丸は昼食をとった食事処「水軍」です。

 

 

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< 3. 谷間の一本道を行く >

 

正面と左側に見えるのは沼島中学校と小学校です。

道に沿って小川があり、その流れは奥の池から始まっていました。

 

 

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< 4. 沼島緑地おのころ公園 >

 

ここに池があります。

この辺りはちょうど二つの山が寄り添い、その間の一本道が反対側の海岸にある上立神岩まで導いてくれます。

 

 

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< 5. 上立神岩の見晴台 >

 

上の写真: 今、登って来た1本道を振り返った。

 

下の写真: 見晴台。

左に延びる小道をさらに上ると上立神岩を見下ろす別の見晴台に行けます。

それが次の上の写真です。

 

 

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< 6. 上立神岩と下り坂 >

 

下の写真: 見晴台を最高地点にして、後は急な坂を海岸まで下って行きます。

遠くの海上に平たい岩礁が小さく見えます。

これが平バエです。

 

 

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< 7. 険しい海岸 >

 

 

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< 8. 降りた海岸線から >

 

上立神岩は高さ30mあり、国生み神話の大地を掻き混ぜた天沼矛(あめのぬぼこ)や天の御柱とも見立てられている。

 

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< 9. 沼島八十八霊場巡り 1 >

 

先ほどの見晴台までの一本道を少し戻り、枝分かれした道を左に入ると、山の稜線を進むことになります。

これが沼島八十八霊場巡りの道です。

 

上の写真: あまり人が通らない道のようです。

始めは鬱蒼とした森の中の坂道を上ることになりました。

 

下の写真: 道沿いにあずまやが造られています。

休憩は出来ますが、木立が延びて見晴らしはあまり良くなかった。

 

 

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< 10. 沼島八十八霊場巡り 2 >

 

このような見晴らしの良い道もありますが、繁茂した木々が両側から覆いかぶさるようなところもあります。

この道で人に出くわすことはなかった。

 

下の写真: 遠くの山影は紀伊半島でしょうか。

 

 

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< 11. 眼下に平バエが見える >

 

この平らな岩礁の平バエで毎年、旧暦の3月3日に沼島の漁船が大漁旗を立てて終結する平バエ祭りがあります。

海上安全と大漁を祈願する祭りです。

 

下の写真: 平バエ祭りの様子。

写真左隅に上立神岩が見えます。

http://nushima-yoshijin.jp/festivalから借用しました。

 

 

* 上立神岩と平バエについて

 

古事記に

「イザナギとイザナミは天の浮橋から矛を降ろして地を求めた。 」

・・・

「イザナギとイザナミはそのオノコロ島に降り立って、大きな神殿(八尋殿ヤヒロドノ)を作り、柱(天の御柱)を立てました。」

とあります。

 

沼島では古くから、上立神岩はこの矛か御柱で、平バエは神殿と見做されており、このことが沼島こそが「おのころ島」だとする根拠になっているようです。

 

実にロマン溢れる素晴らしい自然の造形です。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 25: スカンセン(野外博物館) 1


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これから数回に分けて、スカンセン(スウェーデンの伝統的な建物を移築した巨大なテーマパーク)を紹介します。

多くの家族連れや観光客で賑わっていました。

写真は2018年6月2日(土)、11時半から12時までの撮影で、快晴に恵まれました。

 

 

 

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< 2.スカンセンの地図、上が北 >

 

黒線はトラム、赤線は今回紹介する徒歩ルート、緑線はエスカレーター、オレンジ枠は今回紹介する農家です。

 

 

* スカンセンについて

 

1981年に開園した世界初のこの野外博物館には、スウェーデン全土から移築された160以上もの代表的な家屋や農園が点在しています。

広大な園内(直径600mの木々に覆われた丘)には動物園や水族館、様々な工房街やミュージアムショップもあり、大人も子供も楽しめるテーマパークです。

 

私はここで北欧文化の基層、昔の生活の一端を見ることを楽しみにしていました。

私はスウェーデンだけでなく、ノルウェーとデンマークにある同様の博物館も訪れたました。

それらから3ヵ国の相違、建物の構造や生活、展示方法などの違いに気づくことも出来ました。

 

 

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< 3.停留所Nordiska Museet/VasamuseetからSkansenまで >

 

ヴァーサ―号博物館を出てもう一度、北方民族博物館の前に出てトラムに乗り、スカンセンで降りた。

この間、バスもあります。

実は記憶が定かでは無いのですが、降りたのは大通りにある下の写真のトラム停留所だったと思う。

スカンセンのゲート前にも停留所(バスやトラム)はあったと思うのだが。

 

 

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< 4. スカンセンの入場ゲート >

 

上の写真: 入場ゲート。

 

下の写真: ゲートから入場して、少し上った平坦部から振り返ったところ。

 

 

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< 5. いよいよ野外展示場へ >

 

上の写真: 平坦部を奥に進むと大きな岩をくり貫いた入り口が見えます。

中にあるエスカレーターに乗り、さらに丘の上に行きます。

 

下の写真: 丘の上に出て、今来たゲート側(南側)を見下ろしている。

 

 

 

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< 6. 伝統家屋 1 >

 

最初に見た伝統家屋群。

この辺りは下り坂の周囲に当時の民家やショップが集まっている。

家庭菜園も再現されている。

 

 

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< 7. 伝統家屋 2 >

 

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< 8. 伝統家屋 3 >

 

ちょうどショップから出てきた女性。

この方は係員なのでしょう。

この野外博物館には、所々に説明や作業の模擬の為、また店員としてこのような衣装を着ている女性がいました。

 

 

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< 9. 伝統家屋 4 >

 

この二つは屋敷や公的な建物などで、民家ではないようです。

 

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< 10. 伝統家屋 5 >

 

これら建物には入れるものとそうでないものがあります。

また入れても、デモや説明をしている建物は限られています。

建物には、建築年代や建築地、使用目的などが書かれた看板がある場合もあります。

 

下の写真: 1810年代に建てられた商人の邸宅です。

北欧の赤壁の家を見るのを楽しみにしていましたが、ここにはたくさんありました。

 

 

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< 11. 農家 1 >

 

上の写真: 邸宅の庭園だろう。

 

下の写真: 中で説明が行われていた農家。

地図でオレンジ枠のあるところです。

 

この境界を囲む柵の形は北欧3ヵ国に共通していました。

 

 

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< 12. 農家 2 >

 

この一群の建物は、ノルウェーとの国境に近いスウェーデン中央部Härjedalen、ストックホルムから北西に約400km行った標高500mの高原地帯にある農場を再現しています。

この地の主な生業は牛の繁殖で、土壌は貧弱だったので大麦を栽培し、林業も重要でした。

周囲の森には熊、狼、ヘラジカが生息しており、冬は雪に覆われます。

 

建築材は全てが木材と言えます。

壁は構造体であり、いわゆる木組みのログハウスです。

屋根材も分厚い木材を縦に並べ、その下に白樺の樹皮らしいものが敷いてありました。

断熱の為のレンガや土壁の使用は無かったが、室内にある竈は大きく、暖炉も兼ねているようです。

 

 

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< 13. 農家 3 >

 

これらは牛などの厩舎なのでしょう。

今考えれば不思議なのですが、周辺に狼がいるのに、上の写真の厩舎の入り口は簡単な柵だけでした。

 

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< 14. 農家 4 >

 

建材から家具、生活用品なども多くは木製です。

北欧の人々が、木工製品に優れている理由がわかります。

 

下の写真: この左端にほぼ天井に迫る大きな暖炉があります。

ここは食堂兼居間なのでしょう。

 

 

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< 15. 農家 5 >

 

上の写真: 部屋に入ると、観光客の前で写真の女性が何かの家事作業のデモをちょうどしているところでした。

この部屋は煮炊きが出来る竈があるので作業場兼台所なのでしょうか?

しかし調理場らしいものが見当たらなかった。

この竈の右横に薪が積み上げられていた。

このメインの一軒の数部屋の内、二つの部屋に暖炉(竈)があった。

 

私は知らずにフラッシュを使い、彼女から禁止だと注意を受けて、一瞬笑いが起きました。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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沼島を訪ねて 2


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今回は沼島の中心部、漁村にある神社を紹介します。

なぜか小さい島に神社が多い、そこには沼島ならではの歴史があります。

 

 

 

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< 2. 散策ルート、上が北 >

 

下の地図: 赤線が今回紹介する散策ルートで、Sは高速艇乗り場です。

赤丸は上から厳島神社、沼島八幡神社、梶原五輪塔、沼島庭園を示します。

 

 

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< 3. 厳島神社 >

 

別名弁天さんと呼ばれ、また戎神社も祀られている。

立派な石組みや石段、巨大な松がありました。

漁師たちが安全を祈願する神社として、当時は岬の先端に建てられていたのでしょう。

 

 

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< 4. 港に沿って歩く >

 

上の写真: 遠くに厳島神社が見える。

 

下の写真: 進行方向を見ている。

 

 

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< 5.沼島八幡神社 1 >

 

上の写真: 村のほぼ中央、山の裾野の小高い丘の上に神社が見える。

これが沼島八幡神社です。

 

下の写真: 石段を上り切った境内から。

 

 

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< 6. 沼島八幡神社 2 >

 

上の写真: 境内から見下ろす。

港と漁村が一望できます。

遠くの山影は淡路島、右下に神宮寺が見えます。

 

下の写真: 境内にある本殿です。

 

 

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< 7. 沼島八幡神社の本殿 >

 

上の写真: 沼島八幡神社の本殿内側正面に掛けられている大きな絵。

この絵は「賤ケ岳合戦」(1583年)を描いており、これが淡路島、沼島の歴史と深く関わっているのです。

 

この合戦で秀吉は柴田勝家との雌雄を決した。

この合戦で活躍した賤ヶ岳の七本槍の一人、猛将脇坂甚内安治は秀吉から淡路島を与えられます。

 

淡路島と沼島は古くから、大阪湾の守りの要であり、瀬戸内海に往来する海路の要衝でした。

またこの海峡沿いには由良水軍、鳴門水軍、そして沼島には沼島水軍が存在しました。

後に朝鮮出兵で、脇坂は水軍を束ねる三人の将の一人となります。

 

淡路島は奈良王朝の時代から天皇家の直轄地で、海水産物を献上する御食国でした。

実は、淡路島、沼島には海人族(海運や漁労を生業とする外来の集団)がいたのです。

このことが漁労や水軍の発展に結びついたのです。

沼島には縄文人の土器が見つかっており、古くから人々は暮らしていた。

 

古事記の国生み神話に出てくる「おのころ島」の候補地の一つとして、沼島が挙げらています(候補は淡路島島内と周辺の島を含めて11ヵ所)。

この国生み神話の原型は中国の長江流域の稲作文化にあります。

おそらくは大陸から、(対馬)、九州、瀬戸内を経て淡路島に到達した海人族が神話を伝承し、それを天皇家が自らの創世神話に拝借したのでしょう。

 

沼島と淡路島は、大陸と日本の古代を結ぶ架け橋の一つだったのです。

 

 

下の写真: 梶原五輪塔を示す看板。

漁村特有の密集する民家の路地を奥まで進むと、右手にこの看板がありました。

この右手に空き地があり、村人に聞くと、昨日ここで地蔵盆を行っていたとのことでした。

 

 

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< 8. 梶原五輪塔 >

 

下の写真: 右手に二基ある五輪塔の右側が梶原景時の墓と言われています。

 

梶原景時は源頼朝に仕え、今の明石から広島までの山陽道の守護に任じられ、幕府宿老まで上り詰めていた。

しかし後に義経と対立し、幕府から追放され一族は滅ぼされた(1200年)。

彼は後世、義経の判官びいきとは逆に大悪人と見なされて来た。

 

梶原景時の墓と呼ばれるものは鎌倉にもあるが、真贋は如何に。

 

「梶原一族と沼島水軍」によると、以下のように説明されています。

http://www.minamiawaji.ed.jp/jimuken/11sougou/2002/13saihakken/13kagetoki/kajiwara.htm

 

滅ぼされた年に梶原景時の一族が、沼島城主になった。

これは水軍つながりだそうです。

後に梶原家が沼島八幡宮を創建した。

1521年、足利十代将軍義植が流浪の末、沼島に来て梶原の庇護を受ける。

この将軍が梶原家に後に紹介する沼島庭園を贈呈した。

神宮寺は梶原家の菩提寺でした。

しかし16世紀末、滅ぼされて梶原の治世は終わる。

 

こうしてみるとこの小さな漁村に、多くの神社仏閣、沼島八幡宮、神宮寺、蓮光寺(居城)、西光寺があることが理解できる。

これらはすべて梶原家の創建によるものだそうです。

墓がここに建立された可能性はあるが、景時が討たれたのは静岡でした・・・。

 

 

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< 9. 沼島庭園 1 >

 

上の写真: 路地を奥まで進むと看板が見えた。

この看板には「伊藤庭(沼島庭園)」と記されていた。

右手に入って行くと、雑草が生い茂る空き家があった。

 

 

下の写真: この空き家を迂回して裏に回る。

ここは個人宅の庭です。

 

 

 

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< 10. 沼島庭園 2 >

 

すると打ち捨てられた石組みの小さな庭が見えた。

鬱蒼と茂る木々の陰になって、庭はいっそう暗く侘しい佇まいでした。

 

これが室町時代、戦乱と内紛を逃れた10代将軍が過ごした場所であり、庭だと思うと虚しさを感じる。

 

一方で、淡路島と沼島に不思議な存在感を感じた今回の散策となった。

 

 

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< 11. 沼島庭園 3 >

 

久しぶりに見たサワガニです。

昔は、淡路島の小川では至る所で見られたのですが、ついぞ見なくなりました。

私があまり外出しなくなったからもしれないが。

 

沼島を散策して不思議に思ったのが、こんな小さな島なのに沢をよく見かけたことです。

水が豊富なようです。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 24: ヴァーサ―号博物館へ


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< 1. ヴァーサ―号の模型 >

 

 

今回は、ヴァーサ―号博物館と、この巨大な戦艦建造時のスウェーデンを紹介します。

写真の撮影は2018年6月2日(土)10:36~11:00です。

 

 

 

 

 

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< 2. ユールゴーデン島内の観光ルート、上が北 >

 

訪れた所: オレンジ□印はビジターセンター、黒〇印は北方民族博物館、赤〇印はヴァーサ―号博物館、赤枠はスカンセン(野外博物館)です。

 

黒線は歩行ルートで、一つは最上端のバス停Djurgårdsbronから、北方民族博物館とヴァーサ―号博物館見学を経て、トラムとバスの停留所Nordiska Museet/Vasamuseetまでを示します。

 

青線はSkansenまでの7番トラム乗車を示します。

この間は67番のバス で行く事も可能です。

停留所Skansenを降りると、スカンセン(野外博物館)の大きなゲートが見えます。

 

ヴァーサ―号博物館退出以降は次回紹介します。

 

 

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< 3. 北方民族博物館を出て >

 

北方民族博物館を出て、南側に進み、西側に曲がるとヨットハーバーが見えました。

今日は土曜日なので市民が芝生広場でくつろいでいました。

 

 

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< 4. ヴァーサ―号博物館が見えた >

 

上の写真: ヴァーサ―号博物館。

 

下の写真: 北方民族博物館の裏側。

 

 

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< 5. ヴァーサ―号博物館に入館 >

 

上の写真: ヴァーサ―号博物館の入り口付近。

 

下の写真: 博物館に入ると、最初に目に飛び込む光景。

 

ここも非常に暗い。

逆に、この暗さの中だからこそ輪郭が定かでなく、スポットライトで浮かび上がる戦艦に圧倒されることになる。

 

 

 

* ヴァーサ―号について

 

これは17世紀に建造された当時スウェーデン最大の戦艦でした。

マストの頂上から竜骨(底)までは52メートル、船首から船尾までは69メートル、そして重量は1200トンもありました。

また64門の大砲が装備されていました。

 

この戦艦が初航海で沈んだのは、王の命令でより多くの大砲を装備するために甲板を2層式に嵩上げし、バランスが悪くなったためでした。

 

この船は海中から引き揚げた本物ですが、そのまま展示すると自壊してしまうので全てに樹脂を浸透させています。

 

 

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< 6. 左舷 >

 

まるでパイレーツ・オブ・カリビアンの世界! 不謹慎だが。

船体表面にこびりついたものがうねりながら光沢を放つ光景は実に生々しい。

この船が沈没したのは、初航海の1628年で、そして引き上げられたのは1961年でした。

まさに400年間の眠りから蘇った。

 

 

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< 7. 船尾と飾り >

 

上の写真: 船尾部分。

 

下の写真: このカラフルな彫刻像は、上の船尾に付いている木製像を復元したものです。

この船には700体の彫刻品で飾られていました。

 

 

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< 8. 最上階から眺める >

 

甲板や帆柱を見ることが出来る。

 

 

* ヴァーサ―号建造時のスウェーデン

 

私は初航海、それも内海を1kmほど帆走して横転沈没したと知って失笑しかけた。

しかしスウェーデン国民はこの戦艦を誇りにしており、確かに来館者も多い。

 

私にはこんなつまらない結果を招い王、グスタフ2世アドルフが滑稽に思えるのだが?

しかし歴史は面白い、この王こそが強国、最もスウェーデンがヨーロッパで輝いた時代を作り上げたのでした。

 

私が1年前、フランスのアルザス地方を訪れた時、宗教戦争(三十年戦争)でプロテスタント側のストラスブールはスウェーデンの軍事援助を受けていたと知った。

この時、スウェーデンはヨーロッパの雄、プロテスタントの旗手だったのです。

 

グスタフ2世アドルフ(在位1611-1632)はデンマークからの独立を果たしたヴァーサ―朝の第6代スウェーデン王でした。

彼が即位した当時、スウェーデンはバルト海の制海権をめぐってロシア・ポーランド・デンマークと交戦中であった。

 

当時ポーランドはリトアニアと共和国を成し広大な国で、かつスウェーデンと王位継承を巡り仇敵であった。

一方、宗教改革後、カトリック勢と神聖ローマ帝国はプロテスタント勢と熾烈な戦いを続けており、やがて北欧プロテスタントの国々を脅かす最大の敵となっていた。

 

そこで彼はポーランドとの泥沼の戦いを休戦し、カトリック勢と戦う為に三十年戦争に参戦した。

その嚆矢となったのがデンマークと同盟を組んで戦った1628年のシュトラールズント攻囲戦で、この勝利がスウェーデンの版図拡大をもたらした(この年にヴァーサ―号が沈没)。

 

残念ながら彼は1632年、38歳で戦死した。

このことがまた彼を宗教改革での殉教者にした。

 

彼は若くして王になり、生涯、戦場を駆け巡ったが、それだけではなかった。

 

彼の統治によりその後のスウェーデン国制が出来たと言える。

4つの身分からなる議会制度や司法制度、また地方行政を整えることにより徴兵制度を築いた。

大学やギムナジウムなどの教育機関を創設した。

 

また軍事教練、戦法、兵器を発展させ、ヨーロッパの軍事大国になった。

このことが巨大砲艦ヴァーサ―号への建造に繋がった。

 

経済力の貧弱なスウェーデン軍が、強大になれたのはその国家誕生に起因するかもしれない。

1523年、独立を戦ったのはヴァーサ率いる農民達でした。

このことが4つの身分(聖職者、貴族、市民、農民)からなる議会制度を可能にし、徴兵制度を容易にし、大陸のような費用の掛かる傭兵制度を不要にした。

 

こうしてスウェーデン帝国への道のりと、ヴァーサ号が結びついているのです。

 

 

 

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< 9. グスタフ2世アドルフ治世の版図 >

 

白丸がシュトラールズント、黒丸がストックホルムです。

彼が帝国の礎を作った。

 

 

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< 10. グスタフ2世アドルフとシュトラールズント攻囲戦 >

 

シュトラールズントはハンザ同盟に属する港湾都市で自治都市でした。

ここを神聖ローマ帝国軍(カトリック連盟軍)が攻めると、この都市はデンマークとスウェーデンに救援を求め、形勢は逆転した。

 

 

 

 

 

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< 11. 三十年戦争の変遷 >

 

番号③がグスタフ2世アドルフが参戦した経路です。

プロテスタント勢は英国と北欧、バルト三国、北ドイツです。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 23: 北方民族博物館へ


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今回は、ストックホルムのユールゴーデン島入口にある北方民族博物館を紹介します。

またストックホルム中央駅でのバス停探しの失敗も紹介します。

 

 

* バス停探しの失敗

 

ユールゴーデン島に行くためにバス停を探す必要がありました。

事前にグーグルマップで調べていたのですが、どうしてもこのバス停の位置が不明瞭でした。

今回、旅行で使う他のバス停はほぼグーグルマップで確認できましたが、ここだけは別でした。

乗るバスの路線は69番で、バス停はCentralen から Djurgårdsbronまでです。

 

非常に分かり難いので、以下の地図と写真を使って説明します。

 

 

 

 

 

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< 2. 地図、上が北 >

 

上の衛星写真: ストックホルム中央駅でバス停を探して歩き回った経路。

 

朝、エルブシェ駅から電車でセントラルシティまで行き、地上に出ました。

黄色の直線の破線が電車、オレンジの破線が地上に出る経路です。

 

そして駅前の大通りVasagatanが高架道路と交差している所に向かいました(写真3)。

高架下にバス停はあったのですが、No.69の表示はありませんでした。

 

通りがかりの老婦人に尋ねたところ、高架道路上にあるだろと教えてくれ、さらに途中まで一緒に行きました。

オレンジ色の実線を進んだ。

しかし、道路は工事中でバス停は無くなっていました(写真4と5)。

 

そこでまた別の夫人に聞くと、中央駅まで戻りなさいと言われた。

そして中央駅に入って、北側のシティターミナル(長距離バス用)の方に向かった。

オレンジ色の破線を進んだ。

しかし、そこにも無かったので、諦めて高架道路の上に出た(写真6)。

 

この道路沿いにバス停があり、東行きが目的のバス停(中央駅寄り)でした(写真7)。

 

写真3の地上に出てから、バス停に辿り着くまで35分かかりました。

 

 

下の地図: 赤線が69番のバスで、白丸で乗り、黒丸で降りた。

黒の矢印が北方民族博物館です。

路面電車に乗り換えて、さらに近くまで行くことは出来ます。

 

 

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< 3.バス停探し 1 >

 

上の写真: セントラルシティから地上に出た所。

Vasagatan通り沿いのビルから出た。

 

下の写真: 高架の右手奥が中央駅。

 

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< 4.バス停探し 2 >

 

上の写真: 高架下のバス停。

 

下の写真: 右手の階段を昇って高架道路に出た(西向き)。

西側を見ている。

 

 

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< 5.バス停探し 3 >

 

上の写真: 高架道路上の工事でバス停が無くなっていた(東向き)。

 

下の写真: 中央駅に戻る。

 

 

 

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< 6.バス停探し 4 >

 

高架道路の上から撮影。

 

 

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< 7. 目的のバス停 >

 

左下の写真: バス停内の上部に3路線の運行状況が表示されている。

バス路線69、バスの行き先Blockhusuddeen、到着時刻の表示が見える。

これに乗ります。

 

右下の写真: バス停内にバスの時刻表が貼られている。

 

あまり待つことなく目的のバスに乗れた。

 

 

私はバス停の探し方を間違っていた。

私はグーグルマップでバスが東に向かって走るのがわかっていたので、この高架道路上を中央駅の近くから探すべきだった。

 

ストックホルム中央駅周辺の市内向けバスの停留所は分散しており、非常に探し辛いので、皆さん気を付けてください。

私はバス停のマップを見つけることが出来なかった。

 

 

 

* 北方民族博物館へ

 

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< 8. 降車したバス停Djurgårdsbron >

 

ここまでのバスの乗車時間は9分です。

 

上の写真: ユールゴーデン島に掛かる橋と北方民族博物館が見える。

 

下の写真: 今、バスが走って来た道(西側)。

 

 

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< 9. 橋の上から 1 >

上の写真: 西側を見ている。

 

下の写真: 東側を見ている。

 

 

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< 10. 橋の上から 1 >

 

下の写真: 橋の東南側、ユールゴーデン島の入り口にあるビジターセンターが見える。

 

 

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< 11. ユールゴーデン島に入った >

 

上の写真: 今渡って来た橋を振り返る。

 

下の写真: この道を進むとユールゴーデン島に入っていく。

 

 

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< 12. ビジターセンターと北方民族博物館 >

 

上の写真: ビジターセンターは最近出来たらしい。

 

ここでストックホルムパスがやっと購入できる。

前日、訪れた二つの博物館は無料だったので、このパスは不要だった。

しかし今日から訪れる博物館は有料なので、このパスを使います。

このパスで、多くの博物館、クルーズ、Hop on Hop offバスを追加料金なしで利用します。

 

私の購入したパスは、2日間で845クローナ(10745円)でした。

結構高いのですが、利用したドロットニングホルム宮殿への往復クルーズと入館料だけで340クローナしますので、十分元がとれます。

ただ貪欲に観光せざるを得なくなることが問題と言えました。

 

またトラベルカードは72時間で240クローナ(3058円)でした。

これも全ての交通機関(地下鉄、路面電車、バス、電車)が使えるので非常に便利です。

渡し舟やフェリーも使えるのですが、使う機会はなかった。

 

この二つのカードの開始時間は私の使用開始からスタートするので、これも使い勝手が良かった。

ここではスムーズに購入出来たが、他の二ヵ国のカードは開始時間の設定が異なり、少し手こずることになった。

 

購入する時、担当者が「このパスは交通手段に使えない」との注意があったので、私は「72時間用のトラベルカードを持っている」と答え、納得してくれた。

このようなパスを買う時でも、いくらかの英語が必要になりました。

 

 

下の写真: 北方民族博物館Nordiska museet。

外観は宮殿のような建物ですが、中は大きな吹き抜けのフロアが占めており、その周囲を囲むように細長い展示室が続いている。

したがって展示規模はそれほど大きくはない。

確か3階建てだったと思う。

 

 

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< 13. いよいよ博物館に入館 >

 

ここでは荷物をロッカーに入れなければならなかったと思います。

今回の旅行で、入館時のロッカーは全て無料で、コインが必要な場合は館員が貸してくれました。

 

 

上の写真: 入館すると巨大な座像が目に入る。

これはスウェーデンがデンマークから独立を果たした時のグスタブ・ヴァーサ王です。

 

ここでは16世紀以降の北欧の生活様式―室内、衣服、農工具、陶器

などと現代の照明器具、ラップ地方(サーミ人)の暮らしが紹介されている。

 

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< 14. 衣服と家具 >

 

上の写真: 1860年代の衣服。

 

 

 

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< 15. 農家と照明具 >

 

 

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< 16. サーミ人 >

 

上の地図: サーミ人の居住地。

 

 

* 感想

この博物館の展示も照明が暗く、さらにセンサーで観客を感知して展示用照明が点くようになっており観客が少なかった為、本当にひっそりとしていた。

おかげでじっくり見れましたが。

 

何かもう一つ得るものが無かったように思う。

海外から来た人間には、数百年前からの風俗を見ても、北欧を理解することが難しいのかもしれない。

 

全体の印象は、北欧の文化は西欧とキリスト教の影響を強く受けているらしいことでした。

現代北欧の政治経済社会は素晴らしいので、何か西欧との違いを発見したかったのだが見つけることが出来なかった。

 

照明器具や椅子などの家具のデザインには北欧らしさ―シンプル、機能性、そして木質を生かした特徴、があるように感じた。

 

今回、北欧を歩き回って不思議な感覚に囚われたのは、異なる人種(顔)が予想以上に多い事でした。

東欧や中東からの移民が多いこともあるのだろうが、他に理由がありそうです。

北欧三ヵ国の多くは紀元後に移って来たゲルマン人だが、スラブ圏と接しており、また先住民族のサーミ人、隣国のフィンランド人はモンゴロイドなので、元々、人種の交配が進んでいたのだろう。

 

この博物館の100年前の風俗を見て感じた貧しさは、スウェーデンの自然景観や多くの移民を出した歴史に繋がっている。

 

 

次回に続きます。

 

 

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沼島を訪ねて 1


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これから数回に分けて、淡路島の南端に浮かぶ小さな島、沼島を紹介します。

この島は海の幸と神話で知られています。

訪れたのは素晴らしい快晴の2018年8月18日(土)でした。

 

 

 

 

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< 2.沼島の地図、上が北 >

 

上の地図: 矢印が沼島です。

紀伊水道の北端にあり、西に行くと鳴門海峡を抜け瀬戸内海、東に行くと大阪湾の入り口、南下すると太平洋に出ます。

 

中央の地図: 沼島に渡る方法。

淡路島の南端の土生港から沼島港まで1日10便の高速艇が往復しています。

船の所要時間10分、運賃は往復900円です。

紺色の線が船のルートです。

茶色の線が自動車で土生港に至る道の一つです。

 

 

下の地図: 沼島全体図。

島は周囲9.5km、最高地点は117mで、北西部の湾にある集落を除いて深い森に覆われ、険しい崖によって囲まれています。

 

茶色、橙色、赤線が今回散策したルートです。

矢印は沼島の景観を代表する上立神岩(かみたてがみいわ)です。

 

 

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< 3. 沼島が眼下に >

 

淡路島の南端は淡路島の最高峰、諭鶴羽山が急峻なまま海に落ちており、海岸沿いを一本の道路がへばり付く様に走っている。

 

上の写真: 沼島と土生港が見えて来た。

 

下の写真: 西側を向くと四国徳島が見える。

 

 

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< 4. 土生港の高速艇乗り場 >

 

ここの有料駐車場に車を預ける。

 

 

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< 5. いよいよ乗船 >

 

 

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< 6. いよいよ出港 >

 

 

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< 7. しばしの船旅 >

 

この船は快適なのですが、オープンデッキがなく、窓ガラス越しの撮影になるのが残念です。

 

上の写真: 淡路島の稜線が落ちた先、右手遠方に加太、和歌山方面が見えます。

 

中央の写真: 沼島の端が見えて来ました。

この先端の海岸には、世界的に珍しい同心円構造の鞘型褶曲(さやがたしゅうきょく)の岩石が見られます。

 

下の写真: 沼島の港が見えて来ました。

 

 

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< 8. 着岸しました >

 

上の写真: 港に入るところ。

遠景は淡路島、土生港の方です。

 

下の写真: 多くは海水浴客と鱧料理目当ての旅館客のようです。

結構、船は乗船客で一杯でした。

 

 

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< 9. 高速艇乗り場 >

 

 

 

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< 10. 漁港へ >

 

高速艇乗り場から奥に広がる漁港と漁村に向かう。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 22: エルブシェÄlvsjöに泊まって


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今回は、ストックホルム郊外、エルブシェの駅とホテルを紹介します。

私はここに3泊し、観光の拠点にしました。

思ったより便利で良かったです。

 

 

 

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< 2. Älvsjöの駅とホテル、上が北 >

 

上の地図: Älvsjöとストックホルムシティ間の電車のルート。

この間の距離は約9kmほどあるのですが、停車駅は3ヵ所で9分で着きます。

またこの間の本数は多く、概ね4~6分間隔で発車しています。

この路線は交通の拠点ストックホルムシティに出る場合や南北を縦断移動するのに便利です。

またÄlvsjö駅から各方面へのバスが出ています。

 

さらにHotel Älvsjöは駅から200mの距離なので、ストックホルム中央駅周辺の高額なホテルよりもよほど便利で、しかも半値近くで泊まれます。

 

 

下の衛星写真: Älvsjöの駅とホテルを示す。

赤印はホテル、緑印は駅、オレンジ印は大型スーパーです。

スーパーは駅から600mです。

 

 

 

 

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< 3. Hotel Älvsjö >

 

駅を北側に出るとすぐ広場があり、その向こうにホテルと表示された建物が見えました。

しかしここからが問題でした。

 

ホテルの看板の下、1階の扉の前に来たのですが、これが開かないのです。

するとちょうど中から一人の男が出てきて、私に入るように促して、彼は出て行きました。

そこからエレベーターでフロント階に行きました。

後はスムーズにチェックイン出来ました。

 

結局、このホテルでは、建物に入るのに暗唱番号を事前に知っているか、インターホンで扉のオープンを依頼することが必要だったのです。

私はまったくこのことを知りませんでした。

偶然に助けられました。

 

 

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< 4. ホテルの室内 >

 

このホテルは低価格のビジネス用らしく、海外からの旅行客は少ないようです。

とは言っても、私には朝食、清潔さ、バス(シャワー)、部屋の広さ、フロントの対応、どれをとっても満足出来ました。

私は利用しなかったが手荷物預かりをしていました。

スマートさはないが、気さくな感じが良かった。

 

 

このホテルで中国系の母と娘の旅行客を見かけた。

今回の観光地で、アジア系の観光客では圧倒的に中国系を多く見た。

それも団体から数人までと楽しみ方に幅があり、意欲を感じた。

一方、日本人は少なく、また団体だけでした。

 

 

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< 5. ホテル周辺 >

 

上の写真: 駅前から広場越しにホテル側を望む。

 

下の写真: ホテルの部屋の窓から外を見た。

撮影は2018年6月2日、20:46です。

まだ陽は沈んでいません。

 

 

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< 6. 駅前広場 >

 

上の写真: ホテル側から駅前広場を望む。

毎朝、広場に一張りのテントで野菜と果物の露店売りが行われていた。

 

下の写真: 広場に面した駅の入り口。

 

 

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< 7. 駅構内に入る >

 

 

上の写真: 広場に面した入り口を入り、エスカレーターを上がったところ。

この下にコンビニがあり、私は毎日のようにここで飲料や軽食を買った。

 

下の写真: エスカレーターの方を振り返っている。

ここはホームを横断する陸橋になっている。

右側は歩行者用の通路です。

左側は自転車用の通路で、この先が緩やかな自転車用のスロープになっており、自転車に乗ったまま駅を越えて反対側に行くことが出来ます。

 

 

 

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< 8. 改札口 >

 

上の写真: 陸橋の南側を見る。

この陸橋を真直ぐ抜けると、駅の反対側に出て、大きな公共の建物やスーパーなどに行くことが出来る。

中央左に改札口があり、ここにもコンビニとコーヒーショップがある。

 

 

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< 9. ホーム 1 >

 

Hissはエレベーターを示す。

 

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< 10. ホーム 2 >

 

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< 11. 電車からの眺め >

 

周囲の多くは乾燥した起伏のある大地と林なのですが、住宅街や工場が広がっています。

 

 

 

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< 12. 大型スーパー >

 

上の写真: この道の先に駅があり、逆に行くとスーパーがある。

 

下の写真: 大型スーパーWillysはチェーン店で、かなり大きい。

中にサンドイッチのようなものを売る店舗はあるがレストランは無かったように思う。

 

 

 

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< 13. 駅前広場のトイレ >

 

この写真のトイレは使用していないのですが。コインとカードの両方が使えるようです。

 

今回の北欧旅行に先立ち、私の大きな不安にロッカーとトイレがありました。

かなり事前に調べました。

結局、外出中、ほとんどのトイレは博物館などの見学する公共施設内(無料、きれい)を使用し、駅では使用しなかった。

一度だけ、オスロの公園墓地でこの写真のようなトイレを使いました。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 21: 歴史博物館へ


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今回は、ストックホルム中心部にある歴史博物館を紹介します。

その前後に歩いた街の様子も紹介します。

写真撮影は、2018年6月1日(金)14:15~17:30です。

 

 

 

 

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< 2. 散策ルート、上が北 >

 

上の衛星写真: ストックホルム中心部を示す。

下側中央に川に浮かぶ小さな島ガムラ・スタンが見える。

赤い矢印がストックホルム中央駅です。

黄色い矢印が前回紹介した地下鉄のUniversitetet駅です。

 

SがT14地下鉄のÖstermalmstorg駅で、Universitetet駅から直通でここまで来ました。

ここからSwedish History Museumへ歩いて行き、見学後、二つの公園を見ながらEまで行き、この日の観光を終えました。

 

下の衛星写真: 散策ルートの拡大。

 

 

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< 3. 地下鉄Universitetet駅 >

 

ストックホルム全体が大きな岩盤で覆われている為、地下鉄は深い。

郊外に行っても大きな岩盤が至る所に見られる。

どこの地下鉄駅もけばけばしなく清潔で、それぞれが洗練されたアート空間になっている。

 

 

 

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< 4.地下鉄Östermalmstorg駅へ >

 

上の写真: Universitetet駅。

 

ここでもやはり移民の多さが目についた。

しかし車内での非ヨーロッパ系人のマナーや服装から受ける印象では、多くは来たばかりの移民では無いようです。

 

北欧では母だけに育児を押し付けない社会(男女共の長期育児休暇など)になっており、スウェーデンの出生率は日本の1・43より高い1.94になっている。

これでも高齢化と人口減少はわずかに進むことになる。

これを入国移民でカバーし、人口増加率約1%を確保し、若年層が細らない人口ピラミッドの形を維持している。

 

移民の状況について。

現在、スウェーデンの入国移民の割合は全人口の20%で、2006年頃から毎年の入国者数は10~15万人(1~1.5%増)で、以前の5万人に比べ拡大傾向が続いている。

逆に毎年5万人の出国移民が続いている。

入国移民の理由は労働移民21%、次いで家族の再開20%、EU圏内から18%、学生14%、難民12%です(2010年)。

スウェーデンの入国移民は、ほとんどがストックホルムを含むスウェーデン南部の都市部に集中している。

入国移民の上位はフィンランド、イラク、ポーランド、イラン、旧ユーゴスラビア、シリアです。

(移民のカウントは本人と両親が外国生まれの場合です)

 

下の写真: Östermalmstorg駅を出たところ。

 

 

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< 5. 歴史博物館に向かう >

 

上の写真: 最初、川の方に向かって南下した。

通りの向こうに川面が見え、突き当りまで行くと左手に立派な王立劇場が見える。

途中、立派な教会Hedvig Eleonora Churchと武器博物館の横を通って行きました。

 

 

下の写真: 歴史博物館に隣接するSwedish National Heritage Board。

これは国家遺産を管理する事務所のようです。

 

 

 

 

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< 6. 歴史博物館 >

 

上の写真: Swedish National Heritage Boardの正面玄関から南側の通りを望む。

突き当りまで行くと川向こうにユールゴーデン島が見えるはずです。

 

下の写真:  右側に歴史博物館の小さな玄関が見える。

あまりにも飾り気のない建物で、少しびっくりした。

 

Swedish History Museum http://historiska.se/home/

開館は6~8月で毎日10:00~17:00です。

無料です。

 

北欧の美術館や博物館は開館時間が遅く、終わるのが早い。

またシーズンオフではさらに時間が短く、休みも多くなる。

旅行計画には注意が必要です。

 

この後、多くの博物館に行きましたが、入館前、多くは手荷物をロッカーに預けなければなりません。

その方法は電子式が多く、使い方に慣れていないので慌てることになりました。

結局はトラブル無しに無事済ませましたが。

 

 

この博物館の展示をすべて見て回りましたが、ここでは特に興味を惹かれたものだけを紹介します。

 

 

 

 

 

 

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< 7.歴史博物館の展示 >

全て歴史博物館HPの写真を借用。

 

上のフロア図は1階(ground floor)を示し、紫色部分がヴァイキングの展示スペースです。

赤い矢印が玄関です。

 

その下の写真がヴァイキング展示の入り口付近です。

ヴァイキング達が暖かそうな服を着、鎖帷子を身に着けていたことを知りました。

 

その下のフロア図は2階(1st floor)を示し、オレンジ色部分が「中世の虐殺」の展示です。

その下の写真がこの展示の一つです。

 

「中世の虐殺」は新たな歴史的興味を起こさせてくれた。

ここではバルト海に浮かぶゴットランド島(gotland)で起きた14世紀の戦争を紹介していました。

 

この島は古くからヴァイキングで栄え、後もバルト海交易の要衝となっていた。

デンマーク国王が帝国拡大を目指し、侵攻したのがこの島だった。

この戦いで中心地の城塞ヴィスビーは陥落し殺戮と略奪が行われた。

ここを重要な貿易拠点としていたハンザ同盟は各都市から艦隊を集めてデンマーク攻撃を敢行し勝利した。

 

この島には北ドイツ(リューベックが中心になって港湾都市の連合体ハンザ同盟を作った)と北欧がバルト海の交易を巡って覇権を争った歴史があった。

 

 

フロアの緑色部分が「11世紀からのスウェーデンの歴史」の展示です。

 

「11世紀からのスウェーデンの歴史」は少ない展示ではあるが、初期王朝から年代順に展示されており変化がわかりやすい。

 

 

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< 8. 金の展示 >

上二つは歴史博物館HPの写真を借用。

 

上のフロア図は地下1階の「金の部屋」を示す。

その下は5世紀の金装飾品を示す。

 

三ヵ国の博物館を巡って驚いたのは、ヴァイキング時代には西アジアや西欧から金(硬貨など)を大量に集め、豪華な金製宝飾品を所有していたことです。

これらの入手は略奪、身代金、または交易によるものだろう。

また金の所有目的は通貨か、奢侈品か、はたまた贈与の為なのだろうか。

 

このような金製宝飾品がまばゆく輝く状況を想像できなかった。

 

下の写真: メラーレン湖の島にあったヴァイキング拠点ビルカのジオラマ。

ビルカは8~10世紀に栄え、スウェーデンではゴールデン島と並ぶ、最古層の拠点としで、人口は最大1000人ぐらいだった。

 

 

 

 

 

 

 

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< 9. 歴史博物館の中庭 >

 

上の写真: ヴァイキング船の模型。

ヴァイキングが遠征活動を活発化させるのは写真のような帆柱を立てることが出来てからです。

 

 

全体の感想。

多くの展示室の照明が非常に暗く、写真撮影に困った。

あまり展示品が豊富ではないように思う。

展示の仕方に工夫があり、歴史を知るには良い博物館です。

 

 

 

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< 10.Karlaplan公園 >

 

歴史博物館近くの円形の公園です。

17:00頃です。

ベンチはほぼ埋まっており、多くは中年以上のカップルが多かったように思う。

 

 

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< 11. フムレ公園、Humlegården >

 

中心部の公園としては最大のようです。

ここは元々王家のフルーツガーデンで、名前の由来はビ―ルに使うホップから来ています。

ここには王立図書館と植物学者リンネの像があります。

 

たくさんの市民が木陰の芝生に座り、談笑し寛いでいる姿を見ました。

長辺400mmと敷地が巨大なので、ゆったりとしています。

 

 

 

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< 12. 市場、 Östermalms Saluhall >

https://www.yelp.com/biz/%C3%B6stermalms-saluhall-stockholm-3

 

上の写真: 楽しみにしていた市場です。

中には魚介、肉などの食品店やレストランがたくさん並んでいます。

 

下の写真: 市場の前の通りは人で溢れつつありました。

 

この日は疲れたので、他の観光を断念し、同じ地下鉄駅から中央駅に出て、駅のロッカーで荷物を出し、次のホテルに向かいました。

 

 

 

* 街を歩いて感じたこと

 

首都の中心部なのに車が少なく、その分自転車が多いように思った。

 

お年寄り、特に高齢(70~80歳ほど)の女性がおしゃれをしてかくしゃくとして歩いている姿が目についた(数は少ないが)。

車椅子や杖を使う老人や、娘などの付き添いを伴う姿をほとんど見なかった。

何か日本と違う気がした。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 20: 自然歴史博物館へ


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今回はストックホルム近郊の自然歴史博物館とストックホルム大学を紹介します。

ここを訪れたのは北欧の自然と大学環境を知りたかったからです。

訪問したのは2018年6月1日(金)、12:40~14;10です。

 

 

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< 2.利用した交通機関と徒歩コース、上が北 >

 

上の地図: 地下鉄線T14に乗って、ストックホルム中央駅のT-Centralen駅からUniversitetet駅まで行きました。

 

下の地図: 赤線は地下鉄駅から博物館への徒歩コース、黄線は大学構内への徒歩コースです。

 

 

3

< 3. Universitetet駅 >

 

上の写真: 駅の出口は半地下の小さな建物です。

この若者達は自然歴史博物館などを見学した学生だと思われます。

 

この改札内の右側に小さなコンビニがあります。

今回の訪れた三ヵ国の鉄道駅には必ずコンビニがあったように思います。

必ずロッカーがあるとは限らないようですが。

今回の旅行で私は飲料と軽食の多くを駅のコンビニに買いました。

 

実は北欧に来て二番目に驚いたことがありました。

それはMÄRSTの駅舎、内部はコンビニで、ここでアイスクリームとコカ・コーラを買った時でした。

その金額は50SEKで、640円ほどです。

おそらく付加価値税が25%が含まれているのでしょうが、物価は

日本の2倍ほどでしょう。

 

この後、旅行して実感することになるのですが、他の飲食代も同様に高かったが人々の暮らしは苦しそうに見えなかった。

それはこれらの国々の所得が高く、また行き届いた福祉政策のおかげなのかもしれない。

ちなみに2017年の三か国の一人当たりGDPは日本のSで1.4、Dで1.5、Nで2.0倍でした。

 

この現象は私にとっては日本の円安が災いしていると言えるのですが、見方を変えれば、自国が通貨高でも高い経済競争力を維持している国は世界にあるのです。

もっともスウェーデンは、ここ1世紀の間に金融危機などの煽りを受け景気後退と通貨安を招き、これを梃にして輸出産業からの景気回復を成し遂げたことはありますが。

 

 

下の写真: 駅を外から見ています。

 

 

4

< 4. 自然歴史博物館に向かう >

 

上の写真: 地下鉄駅を出た左側にバスターミナルがあります。

ここを抜けて地図の赤線に沿って進みます。

 

下の写真: 堂々とした建物の自然歴史博物館。

右手中央が入り口です。

 

 

 

5

< 5.Naturhistoriska riksmuseet自然歴史博物館のフロアと展示 >

 

上の写真: 各階の展示。

私が訪れたのは2階(upper level)の左側、A:スウェーデンの自然、

とB:水の生き物、だけです。

この館内には、他に恐竜や人類進化の展示やIMAK(映像)もあります。

 

下の写真: スカンディナヴィア半島の氷河期の終わりを示している。

この絵に従って半島の変化を追います。

 

一番左の絵のように氷床は16000年前まで半島を完全に覆っていたが、やがて気温の上昇により氷床は縮小し、7000年前には消えていた。

この間、地球全体の海面上昇が起こり、また氷床の重みから解放され半島の地盤は上昇し続けた。

このことにより、13000年前には大きな湖が生まれ、やがてバルト海となり、11000から7000年前の間に半島は大陸から完全に分離した。

またスウェーデン中央部には、かっての海が現在、湖になっているところもある。

氷床の後退に連れて、いくつかの植生が大陸から北上し、また人類も大陸側から流入して来た。

 

氷河期のヨーロッパ大陸の氷床はこのスカンディナヴィア半島とアルプス山脈、ピレーネ山脈を中心に前進後退していた。

新人類はこの氷床が後退する境目に、新天地を見出し移動したのだろうか?

彼らは新たに開けた広大な平原で、群れなす大型の動物を仲間と狩り、そこでは食料の長期の冷凍保存が可能だった。

この北方の氷床の境目、ユーラシア大陸を東西に延びる帯状地帯に多くのビーナス像(3~2万年前)が生まれたように思える。

 

 

6

< 6. スウェーデンの自然、展示室 >

 

展示室はかなり照明を落としている。

剥製の展示が多く、それらは自然の中で生きている1コマを再現している。

 

左上の写真: ヘラジカでしょうか。

その大きさに驚いた。

 

右上の写真: 狼。

 

下の写真: 全体。

 

入館しているのは小さなお子さんを連れた父親や、小学生から中学生の課外授業の小規模のグループが目立った。

 

 

 

 

7

< 7. 水の生物展示室 >

 

上の写真: 湖の巨大魚。

驚きの大きさです。

最大3.6m、重量180kgのものが見つかったそうです。

 

下の写真: スウェーデン南部、ストックホルムよりも南部の範囲。

見にくいですが白いLED群が三か所ありますが、ここに生息しているとの意味のようです。

 

このような寒冷地だからこそ巨大な生物が生き残れるのでしょうか、氷河期のように。

 

 

8

< 8. Stockholms universitetストックホルム大学の構内 1 >

 

地下鉄の駅を出たところから黄線に沿って歩く。

 

 

9

< 9. ストックホルム大学の構内 2 >

 

下の写真: Allhuset, 有名な建築物らしい。

私にはその価値がわからない。

ここは学生食堂らしい。

 

 

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< 10. ストックホルム大学の構内 3 >

 

構内を歩いて感じたことは、いわゆる大学世代(20歳前後)の姿が少ないことです。

むしろそれよりも年配の人が多く、様々な年齢層の男女が座り、歓談し、また歩いていた。

 

 

これは北欧特有の教育制度、高校時代から大学入学までに数年の社会経験や海外経験を経て、進学の目標が決まってから大学に学ぶことが認められていることの現れでしょうか。

 

北欧では大学の学費が無料だけでなく、さらに生活費が国から支給されます。

大学への入学は一回限りの試験でなく単位制で、高校時代の成績で決まります。

この単位は休学しても失われないので、このようなことが出来るのです。

但し、成績により入学可能な大学は限定され、大学に入学すると猛烈な勉強が必要になります。

 

こうして彼らは目的意識を持ち勉学に励み、広い視野を持った学生となるのでしょう。

日本と大きく異なるこの教育制度が、北欧の科学技術や国際力、産業競争力を生み出し続けているのでしょう。

 

後に紹介しますが、他にも進んだ教育への取り組みが随所に見られ、学生は社会意識や政治意識の高い国民となり、社会は好循環を生み続けているのです。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 19: ストックホルム中央駅へ


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< 1. ストックホルム中央駅、Stockholms Centralstation >

 

 

今回は、Märsta駅からストックホルム中央駅までを紹介します。

特に、ストックホルム中央駅を詳しく紹介します。

皆さんが行っても迷わないように願って。

 

 

2

< 2.Märsta 1 >

 

私はバスでシグツーナからこの駅に来て、ここから列車でストックホルム中央駅に向かう。

 

このMärstaは私が今回北欧に着いて初めて見る町です。

ここは通勤圏の住宅街で、豊な緑に囲まれた新しい町のようです。

最初に驚いたのは、白人以外の人種の多さでした。

移民に違和感がまったくない、完全に溶け込んでおり、おそらく移民2世も多いのでしょう。

 

 

3

< 3.Märsta 2 >

 

駅周辺は広々としています。

このホーム近くに一つしかない駅舎風の建物はコンビニです。

 

 

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< 4.Märsta 3 >

 

駅ホームと乗車した列車。

 

上の写真: ホーム内から改札口を見た。

基本無人です、入る時のみカードをセンシングさせる。

 

下の写真: この停車している電車(この駅発)に乗りました。

車体前面のSLマークはストックホルム市内交通を示しており、購入したトラベルカードで追加料金なしで乗れます。

Stockholm Cityまでの乗車時間は20~40分です。

この駅にはSJマークの国鉄長距離列車も停車し、これに乗る場合は自由席であれば追加料金なしで乗れると思います(確信なし)。

 

 

 

*ストックホルム中央駅の紹介

 

この駅は多数の機能を持った建物が平面的、さらに地上2階と地下4層ほどにホームが配されています。

構造が非常に複雑で、この日、最初に郊外電車で最下層のホームに着いた時はかなり迷いました。

幾度も駅員に聞きながらやっと目的の場所に行きつきました。

 

この駅には、アーランダ・エクスプレス駅(空港間)、長距離列車(国内・国際間)と郊外電車(ストックホルム市内)の駅、長距離バス(空港間、国内・国際間)のターミナル、各所にある市内用のバスストップ、3路線の地下鉄駅が集合しています。

 

私の経験を基に、駅の構造について説明します。

確実ではありませんが参考にはなると思います。

 

 

 

 

 

 

 

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< 5. ストックホルム中央駅の全体図、上が北 >

 

上下の地図: 北側からアーランダ・エクスプレス駅Arlanda Express、空港シャトルバス Airport Coachesと長距離バスのターミナルcityterminalenが続き、東西に走る道路(地上2階)の北側にあります。

この道路の南側に地上1・2階、地下1階の長距離列車のストックホルム中央駅Stockholms Centralstationがあります。

そしてこれらの地下深くに地下鉄3路線の駅T-Centralen 、さらにその下に郊外電車の駅Stockholm City があります。

 

この図で構造を理解するのは不可能です。

 

 

 

 

6

< 6. ストックホルム中央駅の役割と地下構造 >

 

上の路線図: 上が北です。

中央のStockholm CityとT-Centralen の表記部分にStockholms Centralstationが重なります。

 

私は南北に走っているピンク色線の郊外電車をMärsta stationから乗ってStockholm Cityに着きました。

また赤、緑、青線の地下鉄線がT-Centralenで交わっています。

 

この中央駅からすべての方向に行くことが出来るので便利なのですが、初めて訪れる者にとっては悪夢です。

4日間使ってみてやっと一部が理解出来たように思います。

 

 

下の地下構造図: 最下層の赤字①と③が郊外電車のホーム(Commuter Railの表記)でStockholm Cityになります。

その上側に交差している三つの地下鉄のホーム(Metro )がT-Centralen です。

ただ地下鉄と郊外電車のホームに行くには同じ改札口を通るので、Stockholm CityとT-Centralenの区別を意識することはなかった(確信無し)。

 

注意が必要なのは、郊外電車のホームは赤字①と③で電車の行く方向が異なりますので、上から降りてくるとき、行先を確認する必要があります。

尚、郊外電車のホームの左方向がおそらく北(例えばMärsta行き)になるでしょう。

 

構造図の右上にExit Vasagatan/Centralstationが見えます。

ここがストックホルム中央駅に至る道です。

Vasagatanはストックホルム中央駅の東側を東西に走る大通りの名前です。

 

 

 

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< 7. ストックホルム中央駅の構造、上がほぼ北 >

 

地上のホールと地下1階と地上2階を示します。

各階のエスカレーターを赤線で結んでいるので位置関係がわかると思います。

 

左側の緑色部分がセントラルホールとシティ・ターミナルです。

セントラルホールは1階ですが、シティ・ターミナルは2階で、接続部のエスカレーターで上がります。

長距離列車(国鉄SJ)のチケット窓口はこのセントラルホールの南西の端(左下)にあります。

 

右下の青色部分は地下1階の部分です。

このフロアの北側(上側)にロッカールーム(多数の灰色のボックス)があります。

ストックホルム市内交通(SL)のチケット窓口はこのロッカールームの東側(右手)にあります。

 

私は最初、長距離列車のEチケットをこのSLの窓口で確認しようとしたが、拒絶された。

後で理由がわかり、セントラルホールのSJの窓口で確認できました。

 

右上のピンク色部分は2階フロアです。

ここから長距離列車のホームに下りることが出来き、また外に出れば市内交通のバス停(2階の道路脇)が幾つかあります。

 

 

8

< 8. 郊外電車のホームからセントラルホールまで 1 >

 

Märsta stationから乗って来た電車を降りたホーム。

おそらく図6下側の赤字①と③のホーム。

 

 

9

< 9. 郊外電車のホームからセントラルホールまで 2.>

 

上の写真: ホームから1度目のエスカレーターに乗って、着いた通路。

おそらく図6の赤字⑥の辺り。

 

下の写真: この通路から2度目のエスカレーターに乗る、さらに奥に長大なエスカレーターが待っている。

おそらくこのエスカレーターは図6の赤字⑧の下側。

 

 

 

10

< 10. 郊外電車のホームからセントラルホールまで 3.>

 

ここはセントラルホールの真下の地下1階で、図7の青色フロアです。

 

上の写真: 奥にセントラルホールに至る南側のエスカレーター、天井に丸い吹き抜けが見えます。

先ほどの三つのエスカレーターを上り切ると、ここに出て来ます。

図7の青色フロアの東側(右手)から入って来ることになります。

私は三叉路の片隅から撮影。

 

下の写真: 写真の奥の方に進むと長距離列車のプラットフォーム11~19の下側に出て、階段を上るとそれぞれのプラットフォームに行くことが出来ます。

 

 

11

< 11. 郊外電車のホームからセントラルホールまで 4.>

 

図7の青色フロアの北側(上部)。

 

上の写真: 奥にセントラルホールに至る北側のエスカレーターが見える。

この奥の左右に下の写真のロッカールームがある。

 

ロッカールームの扱いは別に紹介します。

 

 

 

 

 

12

< 12. 郊外電車のホームからセントラルホールまで 5.>

 

セントラルホール(地上1階部分)。

 

上の写真: 南側を見ている。

 

下の写真: 北側を見ている。

奥に2階に上がるエスカレーターが見える。

1階奥をまっすぐ行くとシティ・ターミナルに通じる。

 

 

13

< 13. 郊外電車のホームから別の地上出口まで 1. >

 

上の写真: 郊外電車Stockholm Cityのホーム。

 

下の写真: 数多くあるエスカレーターの一つ。

表示は必ず英語でも表記されていますので、行先を確認すればほぼ行きつきます。

駅員は少ないが、要所要所に専用のチョッキを羽織った相談員が居ます。

迷えば彼らに聞いてください。

英語ですが親切に答えてくれます。

 

 

14

< 14. 郊外電車のホームから地上まで 2. >

 

改札口は、入る時はカードをセンサーにかざしますが、出る時は不要で、自動で開きます。

Vasagatan通りに面したビルの出口に出ました。

 

 

15

< 15.その他の重要な箇所  >

 

上の写真: ここはセントラルホールの北の端で(図7の緑色のフロア)で、シティ・ターミナルに向かうエスカレーターが見える。

 

下の写真: 右手にストックホルム中央駅の駅舎上部が見える。

 

ユールゴーデン島に掛かる橋の手前まで行くバス(69番)のバス停は写真の右手。

この道路は地上2階を東西に走っている。

撮影は図5の下の写真中央の赤矢印の方向。

 

私はこのバス停を見つけるのに1時間以上、尋ね歩きました。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 18: シグツーナ 2


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*1

 

 

今日はシグツーナの後半です。

ここにはヴァイキング時代を偲ばせる遺跡があります。

少しヴァイキング時代に思いを馳せます。

 

 

2

< 2.散策ルート、上が北 >

 

今回紹介するのは黄線のF、G,H,Iです。

この道の北側がヴァイキング時代の王都の中心地だったところです。

 

 

3

< 3. 教会跡、Sankt Pers kyrkoruin >

 

上の写真: 南北に延びる広い道を少し上ると左手の木立の中に石積みの廃墟が見えた

 

下の写真: それが教会跡、Sankt Pers kyrkoruinです。

この建物は1100年頃に建設された。

 

 

 

4 8DSC09990-1

< 4. 教会跡、Sankt Pers kyrkoruin >

 

倒壊の危険があるため柵で囲まれ、入ることが出来ない。

地図のBの位置。

 

実は、ここで私は自らトラブルを引き起こしてしまった。

 

林に入り、遺跡の写真を撮っていると、奥から子供たちの笑い声が聞こえて来ました。

そこには小学校の校庭があり、多くの子供達が楽しそうに遊んでいました。

私は校庭の様子、遊ぶ子供達を撮り始めました。

すると離れた校舎から二人の女性が猛烈な勢いでこちらに走って来るのが見えました。

 

彼女達は厳しい口調で、写真を消せと攻め立てました。

彼女らは私の横に立ち、子供達が写っている写真が消されていくのを一枚一枚確認し続けました。

私は焦り、幾度もミスをしながらやっと作業を終えました。

 

この時、彼女達の厳しい口調は消えていました。

恥ずかしさと口惜しさが込み上げて来ましたが、私が言えるのは「サンキュー」だけでした。

 

子供の写真を無許可で撮ることは北欧では不可です。

 

 

5

< 5. 住宅街 >

地図の黄線のFからHの間。

 

上の写真: 教会跡の近く。

 

下の写真: 前回紹介したタウンストリートStora gatan側(湖側)を見ている。

 

 

6

< 6.二つの教会跡 >

 

上の写真: Sankt Lars kyrkoruin、地図のG。

この建物も1100年代に建設された。

 

下の写真: Sankt Olofs kyrkoruin、地図のI。

この建物の建築は12世紀前半に始まりました。

周囲はお墓で、同じ敷地内にSankt Mariakyrkanがあります。

 

 

7.

< 7. Sankt Mariakyrkan >

 

地図のIの右側(東側)。

この教会は1230年代に建築が始まった。

 

 

 

* シグツーナの歴史

 

シグツーナの歴史はスウェーデン・ヴァイキングの歴史でもあります。

 

 

 

8

< 8. ルーン石碑 >

 

地図のH、Sankt Lars kyrkoruinの前に二つありました。

 

シグツーナの石碑は11世紀後半に造られた。

これら石碑には模様と共に、ルーン文字で故人の事績が刻まれている。

元々、文字は赤色に着色されていた。

 

ルーン文字はゲルマン民族の古代文字から派生したもので、北欧ではアルファベットが24から16文字になり、刻印し易い直線的な文字になった。

北欧では口頭伝承が重視されていたので、ヴァイキング時代の文字はこれら石碑に残るだけとなった。

やがてキリスト教が浸透するとラテン語が普及しルーン文字は廃れた。

 

したがってヴァイキング時代の歴史は、ヴァイキング時代(800-1050年)が終わってから書かれた叙事詩サガ(12-13世紀)などから知ることになる。

 

左上の石碑: U390の碑文はSven と Ulv の二人男の鎮魂の為に建てられたようです。

 

興味深いのは、この碑を建てたUlvの妻Frödisは、赤毛のエリックErik the Redの娘だと言うことです。

この赤毛のエリック(ヴァイキング時代の950年頃-1003年頃)はノルウェー人でアイスランドに入植し、さらにグリーンランドを発見している。

さらに彼の息子Leif Eriksonが1000年頃に北米大陸を発見しVinlandと名付け、上陸している(入植は失敗)。

なんと彼女もこの北米の地の探検隊に参加したとサガに書かれており、親子揃って旺盛な冒険心を持っていることに驚かされます。

また彼女がスウェーデンのこの地に碑を建てていることに、ヴァイキングの行動範囲の広大さがわかります。

 

下の地図: Erik the RedとLeif Eriksonの航路がわかります。

渡海した船は当然、ヴァイキングの船(約40~80人乗りのオールと帆柱付き)でした。

ノルウェーから北米大陸のVinlandまで直線距離で40万kmはあり、彼女は北海を往復して、さらにシグツーナまで来ているのです。

 

 

9

< 9. ルーン石碑の分布 >

 

スカンディナヴィアでは、およそ6千のルーン石碑が見つかっているが、そのうち3千はスウェーデンで発見されている。

 

上の地図: スカンディナヴィア全体のルーン石碑分布。

赤の部分が石碑の多い所で、ここがヴァイキング時代に栄えていた地域となる。

 

下の地図: シグツーナのルーン石碑分布。

私が見たのは二つに過ぎない。

このルーン石碑の密集しているところが、ヴァイキング時代の中心地だった。

 

 

 

10

< 10. ヴァイキング時代に栄えていた町 >

 

上の地図: スカンディナヴィア全体図。

スウェーデン・ヴァイキングの初期の中心地はバルト海に浮かぶ島ゴットランド(右下)のVisbyとメーラレン湖のBirkaでした。

やがてメーラレン湖で王権が誕生し、11世紀初めに三代目の王オーロフ・シュートコーヌングOlof Skötkonungがシグツーナに拠点を移した。

 

彼はキリスト教の洗礼を受けたスウェーデン最初の王でした。

それまでは異教が崇拝され、異教の寺院が各地に建っていた。

こうしてこの小さな町に7つのキリスト教会が建つことになったのです。

しかし1世紀もすると拠点は北部のウプサラ Uppsala(かつて異教の聖地)に移り、さらに13世紀半ば以降はストックホルムが中心地となった。

 

 

下の地図: メーラレン湖。

この湖は海上交易に有利だった。

ストックホルムが栄えるのはヴァイキング時代が終わり、ハンザ同盟の活躍でバルト海の交易が盛んになり、ここが同盟都市となってからです。

 

 

11

< 11. シグツーナの再現 >

 

上の図: 王都シグツーナの様子。上が北。

ドットの範囲が当時の中心地。

今の湖岸のラインはヴァイキング時代より後退しており、水深は浅くなっている。

これは当時が温暖期にあたり、また氷河期終了後から続いている大地の上昇によるものです。

この面積から察すると、王都の人口は多くて1~2千人に過ぎなかったでしょう。

シグツーナはこの王都になった1世紀以内に、東方のヴァイキングにより破壊され焼失の憂き目に合っています。

 

 

下の図: ヴァイキングの町ビルカの再現模型。

ビルカも島の湖畔の一角に出来た町で、おそらくシグツーナもこのようだったのでしょう。

 

 

12

< 12. シグツーナ >

 

左上の絵: 王都の再現図。

図11の上の図のドット範囲を東側から見ている。

 

右上の写真: 発掘された人形頭部。

ヴァイキングの兜を被っている。

 

下の写真: スウェーデンで最初に発行された硬貨。

王オーロフによって995年、シグツーナで造られた。

硬貨にはラテン文字でオーロフ王と書かれている。

貨幣経済は遅れていたが、以前、硬貨はイスラム圏や西欧から入手していた。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 17: シグツーナ 1


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*1

 

 

2回に分けて小さな町シグツーナSigtunaを紹介します。

ここには湖畔の美しい街並みがあり、スウェーデンで最も古い街と言われています。

かつてはヴァイキングの王都の一つでした。

 

 

 

2map2

< 2.散策ルート >

 

赤丸のシグツーナ・バスターミナルから赤線、そして黄線を通り、元に戻りました。

今回紹介するのはE辺りまでです。

 

散策したのは2018年6月1日(金)8時30分から10時30です。

快晴で、歩き始め時は清々しかったが、後半は日差しが暑く、汗が滲んだ。

 

Bの観光案内所で荷物預かりが可能なのですが、オープンが10時からなので、私はリュックを背負いスーツケースを引き摺って散策しました。

 

フリーの旅行では荷物を預ける場所が重要です。

ここは事前にメールで確認していました。

今回の旅行の荷物預けは、これ以降すべてホテルか鉄道駅のロッカーで行った。

駅やフェリー・ターミナルなどのロッカーの有無を事前に確認するのに、非常に手間取りました。

 

 

 

3

< 3.タウンストリートStora gatan >

 

 

4

< 4. 非常に小さい市庁舎Sigtuna Rådhus >

 

朝早いので店や博物館などはどこも開いていない。

人はまばらで、オープン前の作業や工事をする人を少し見かけた。

この市役所の前で3人の学生が写真を撮っていた。

 

 

 

5

< 5. 観光案内所と通り >

 

上の写真: 地図のBにある観光案内所が左に見える。

緑色の「 i 」の看板があるところ。

観光案内所 https://www.yelp.com/biz/drakeg%C3%A5rden-sigtuna

 

 

6

< 6.公園と博物館・美術館 >

 

下の写真: この建物の後ろと左側に博物館と美術館がある。

但し、オープンは12時から。

地図のCの辺り。

 

 

 

7

< 7. 湖が見える邸宅 >

 

上の写真: 柵にペンキを塗り直している人が見える。

この右側にホテルがあります。

地図のDの辺り。

 

 

8

< 8. 湖畔 >

 

地図のDの辺り。

この湖には藻や水草が多く、小魚が多くいるようです。

 

 

9

< 9. 港 1 >

 

上の写真: ヨットハーバーのオフィスのようです。

百年以上前は、ここからストックホルムまでの蒸気船が交通手段だったようです。

 

中央の写真: 黒い建物がおそらくボートの発着桟橋。

今も観光シーズンには毎日、クルーズ船がストックホルムから出てこの港に来ています。

片道2時間30分の船旅です。

https://www.stromma.se/en/stockholm/excursions/day-trips/sigtuna/

 

下の写真: 11世紀初頭のシグツーナの再現図。

再現図にヴァイキングの湖畔に広がる村の様子が描かれている。

当時はヴァイキング時代の末期で、ここに初期王朝の館があった。

古い教会跡やルーン文字の碑が残っており、往時を偲ばせる。

 

 

10

< 10. 港 2 >

 

下の写真: このようなベンガラ色の家が並ぶきれいな港町がスウェーデンのバルト海側(Torsaなど)にあるのですが、ここで見ることが出来ました。

 

 

次回は古都シグツーナと遺跡を紹介します。

 

 

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