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北欧3ヵ国を訪ねて 20: 自然歴史博物館へ


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今回はストックホルム近郊の自然歴史博物館とストックホルム大学を紹介します。

ここを訪れたのは北欧の自然と大学環境を知りたかったからです。

訪問したのは2018年6月1日(金)、12:40~14;10です。

 

 

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< 2.利用した交通機関と徒歩コース、上が北 >

 

上の地図: 地下鉄線T14に乗って、ストックホルム中央駅のT-Centralen駅からUniversitetet駅まで行きました。

 

下の地図: 赤線は地下鉄駅から博物館への徒歩コース、黄線は大学構内への徒歩コースです。

 

 

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< 3. Universitetet駅 >

 

上の写真: 駅の出口は半地下の小さな建物です。

この若者達は自然歴史博物館などを見学した学生だと思われます。

 

この改札内の右側に小さなコンビニがあります。

今回の訪れた三ヵ国の鉄道駅には必ずコンビニがあったように思います。

必ずロッカーがあるとは限らないようですが。

今回の旅行で私は飲料と軽食の多くを駅のコンビニに買いました。

 

実は北欧に来て二番目に驚いたことがありました。

それはMÄRSTの駅舎、内部はコンビニで、ここでアイスクリームとコカ・コーラを買った時でした。

その金額は50SEKで、640円ほどです。

おそらく付加価値税が25%が含まれているのでしょうが、物価は

日本の2倍ほどでしょう。

 

この後、旅行して実感することになるのですが、他の飲食代も同様に高かったが人々の暮らしは苦しそうに見えなかった。

それはこれらの国々の所得が高く、また行き届いた福祉政策のおかげなのかもしれない。

ちなみに2017年の三か国の一人当たりGDPは日本のSで1.4、Dで1.5、Nで2.0倍でした。

 

この現象は私にとっては日本の円安が災いしていると言えるのですが、見方を変えれば、自国が通貨高でも高い経済競争力を維持している国は世界にあるのです。

もっともスウェーデンは、ここ1世紀の間に金融危機などの煽りを受け景気後退と通貨安を招き、これを梃にして輸出産業からの景気回復を成し遂げたことはありますが。

 

 

下の写真: 駅を外から見ています。

 

 

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< 4. 自然歴史博物館に向かう >

 

上の写真: 地下鉄駅を出た左側にバスターミナルがあります。

ここを抜けて地図の赤線に沿って進みます。

 

下の写真: 堂々とした建物の自然歴史博物館。

右手中央が入り口です。

 

 

 

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< 5.Naturhistoriska riksmuseet自然歴史博物館のフロアと展示 >

 

上の写真: 各階の展示。

私が訪れたのは2階(upper level)の左側、A:スウェーデンの自然、

とB:水の生き物、だけです。

この館内には、他に恐竜や人類進化の展示やIMAK(映像)もあります。

 

下の写真: スカンディナヴィア半島の氷河期の終わりを示している。

この絵に従って半島の変化を追います。

 

一番左の絵のように氷床は16000年前まで半島を完全に覆っていたが、やがて気温の上昇により氷床は縮小し、7000年前には消えていた。

この間、地球全体の海面上昇が起こり、また氷床の重みから解放され半島の地盤は上昇し続けた。

このことにより、13000年前には大きな湖が生まれ、やがてバルト海となり、11000から7000年前の間に半島は大陸から完全に分離した。

またスウェーデン中央部には、かっての海が現在、湖になっているところもある。

氷床の後退に連れて、いくつかの植生が大陸から北上し、また人類も大陸側から流入して来た。

 

氷河期のヨーロッパ大陸の氷床はこのスカンディナヴィア半島とアルプス山脈、ピレーネ山脈を中心に前進後退していた。

新人類はこの氷床が後退する境目に、新天地を見出し移動したのだろうか?

彼らは新たに開けた広大な平原で、群れなす大型の動物を仲間と狩り、そこでは食料の長期の冷凍保存が可能だった。

この北方の氷床の境目、ユーラシア大陸を東西に延びる帯状地帯に多くのビーナス像(3~2万年前)が生まれたように思える。

 

 

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< 6. スウェーデンの自然、展示室 >

 

展示室はかなり照明を落としている。

剥製の展示が多く、それらは自然の中で生きている1コマを再現している。

 

左上の写真: ヘラジカでしょうか。

その大きさに驚いた。

 

右上の写真: 狼。

 

下の写真: 全体。

 

入館しているのは小さなお子さんを連れた父親や、小学生から中学生の課外授業の小規模のグループが目立った。

 

 

 

 

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< 7. 水の生物展示室 >

 

上の写真: 湖の巨大魚。

驚きの大きさです。

最大3.6m、重量180kgのものが見つかったそうです。

 

下の写真: スウェーデン南部、ストックホルムよりも南部の範囲。

見にくいですが白いLED群が三か所ありますが、ここに生息しているとの意味のようです。

 

このような寒冷地だからこそ巨大な生物が生き残れるのでしょうか、氷河期のように。

 

 

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< 8. Stockholms universitetストックホルム大学の構内 1 >

 

地下鉄の駅を出たところから黄線に沿って歩く。

 

 

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< 9. ストックホルム大学の構内 2 >

 

下の写真: Allhuset, 有名な建築物らしい。

私にはその価値がわからない。

ここは学生食堂らしい。

 

 

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< 10. ストックホルム大学の構内 3 >

 

構内を歩いて感じたことは、いわゆる大学世代(20歳前後)の姿が少ないことです。

むしろそれよりも年配の人が多く、様々な年齢層の男女が座り、歓談し、また歩いていた。

 

 

これは北欧特有の教育制度、高校時代から大学入学までに数年の社会経験や海外経験を経て、進学の目標が決まってから大学に学ぶことが認められていることの現れでしょうか。

 

北欧では大学の学費が無料だけでなく、さらに生活費が国から支給されます。

大学への入学は一回限りの試験でなく単位制で、高校時代の成績で決まります。

この単位は休学しても失われないので、このようなことが出来るのです。

但し、成績により入学可能な大学は限定され、大学に入学すると猛烈な勉強が必要になります。

 

こうして彼らは目的意識を持ち勉学に励み、広い視野を持った学生となるのでしょう。

日本と大きく異なるこの教育制度が、北欧の科学技術や国際力、産業競争力を生み出し続けているのでしょう。

 

後に紹介しますが、他にも進んだ教育への取り組みが随所に見られ、学生は社会意識や政治意識の高い国民となり、社会は好循環を生み続けているのです。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 19: ストックホルム中央駅へ


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< 1. ストックホルム中央駅、Stockholms Centralstation >

 

 

今回は、Märsta駅からストックホルム中央駅までを紹介します。

特に、ストックホルム中央駅を詳しく紹介します。

皆さんが行っても迷わないように願って。

 

 

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< 2.Märsta 1 >

 

私はバスでシグツーナからこの駅に来て、ここから列車でストックホルム中央駅に向かう。

 

このMärstaは私が今回北欧に着いて初めて見る町です。

ここは通勤圏の住宅街で、豊な緑に囲まれた新しい町のようです。

最初に驚いたのは、白人以外の人種の多さでした。

移民に違和感がまったくない、完全に溶け込んでおり、おそらく移民2世も多いのでしょう。

 

 

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< 3.Märsta 2 >

 

駅周辺は広々としています。

このホーム近くに一つしかない駅舎風の建物はコンビニです。

 

 

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< 4.Märsta 3 >

 

駅ホームと乗車した列車。

 

上の写真: ホーム内から改札口を見た。

基本無人です、入る時のみカードをセンシングさせる。

 

下の写真: この停車している電車(この駅発)に乗りました。

車体前面のSLマークはストックホルム市内交通を示しており、購入したトラベルカードで追加料金なしで乗れます。

Stockholm Cityまでの乗車時間は20~40分です。

この駅にはSJマークの国鉄長距離列車も停車し、これに乗る場合は自由席であれば追加料金なしで乗れると思います(確信なし)。

 

 

 

*ストックホルム中央駅の紹介

 

この駅は多数の機能を持った建物が平面的、さらに地上2階と地下4層ほどにホームが配されています。

構造が非常に複雑で、この日、最初に郊外電車で最下層のホームに着いた時はかなり迷いました。

幾度も駅員に聞きながらやっと目的の場所に行きつきました。

 

この駅には、アーランダ・エクスプレス駅(空港間)、長距離列車(国内・国際間)と郊外電車(ストックホルム市内)の駅、長距離バス(空港間、国内・国際間)のターミナル、各所にある市内用のバスストップ、3路線の地下鉄駅が集合しています。

 

私の経験を基に、駅の構造について説明します。

確実ではありませんが参考にはなると思います。

 

 

 

 

 

 

 

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< 5. ストックホルム中央駅の全体図、上が北 >

 

上下の地図: 北側からアーランダ・エクスプレス駅Arlanda Express、空港シャトルバス Airport Coachesと長距離バスのターミナルcityterminalenが続き、東西に走る道路(地上2階)の北側にあります。

この道路の南側に地上1・2階、地下1階の長距離列車のストックホルム中央駅Stockholms Centralstationがあります。

そしてこれらの地下深くに地下鉄3路線の駅T-Centralen 、さらにその下に郊外電車の駅Stockholm City があります。

 

この図で構造を理解するのは不可能です。

 

 

 

 

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< 6. ストックホルム中央駅の役割と地下構造 >

 

上の路線図: 上が北です。

中央のStockholm CityとT-Centralen の表記部分にStockholms Centralstationが重なります。

 

私は南北に走っているピンク色線の郊外電車をMärsta stationから乗ってStockholm Cityに着きました。

また赤、緑、青線の地下鉄線がT-Centralenで交わっています。

 

この中央駅からすべての方向に行くことが出来るので便利なのですが、初めて訪れる者にとっては悪夢です。

4日間使ってみてやっと一部が理解出来たように思います。

 

 

下の地下構造図: 最下層の赤字①と③が郊外電車のホーム(Commuter Railの表記)でStockholm Cityになります。

その上側に交差している三つの地下鉄のホーム(Metro )がT-Centralen です。

ただ地下鉄と郊外電車のホームに行くには同じ改札口を通るので、Stockholm CityとT-Centralenの区別を意識することはなかった(確信無し)。

 

注意が必要なのは、郊外電車のホームは赤字①と③で電車の行く方向が異なりますので、上から降りてくるとき、行先を確認する必要があります。

尚、郊外電車のホームの左方向がおそらく北(例えばMärsta行き)になるでしょう。

 

構造図の右上にExit Vasagatan/Centralstationが見えます。

ここがストックホルム中央駅に至る道です。

Vasagatanはストックホルム中央駅の東側を東西に走る大通りの名前です。

 

 

 

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< 7. ストックホルム中央駅の構造、上がほぼ北 >

 

地上のホールと地下1階と地上2階を示します。

各階のエスカレーターを赤線で結んでいるので位置関係がわかると思います。

 

左側の緑色部分がセントラルホールとシティ・ターミナルです。

セントラルホールは1階ですが、シティ・ターミナルは2階で、接続部のエスカレーターで上がります。

長距離列車(国鉄SJ)のチケット窓口はこのセントラルホールの南西の端(左下)にあります。

 

右下の青色部分は地下1階の部分です。

このフロアの北側(上側)にロッカールーム(多数の灰色のボックス)があります。

ストックホルム市内交通(SL)のチケット窓口はこのロッカールームの東側(右手)にあります。

 

私は最初、長距離列車のEチケットをこのSLの窓口で確認しようとしたが、拒絶された。

後で理由がわかり、セントラルホールのSJの窓口で確認できました。

 

右上のピンク色部分は2階フロアです。

ここから長距離列車のホームに下りることが出来き、また外に出れば市内交通のバス停(2階の道路脇)が幾つかあります。

 

 

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< 8. 郊外電車のホームからセントラルホールまで 1 >

 

Märsta stationから乗って来た電車を降りたホーム。

おそらく図6下側の赤字①と③のホーム。

 

 

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< 9. 郊外電車のホームからセントラルホールまで 2.>

 

上の写真: ホームから1度目のエスカレーターに乗って、着いた通路。

おそらく図6の赤字⑥の辺り。

 

下の写真: この通路から2度目のエスカレーターに乗る、さらに奥に長大なエスカレーターが待っている。

おそらくこのエスカレーターは図6の赤字⑧の下側。

 

 

 

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< 10. 郊外電車のホームからセントラルホールまで 3.>

 

ここはセントラルホールの真下の地下1階で、図7の青色フロアです。

 

上の写真: 奥にセントラルホールに至る南側のエスカレーター、天井に丸い吹き抜けが見えます。

先ほどの三つのエスカレーターを上り切ると、ここに出て来ます。

図7の青色フロアの東側(右手)から入って来ることになります。

私は三叉路の片隅から撮影。

 

下の写真: 写真の奥の方に進むと長距離列車のプラットフォーム11~19の下側に出て、階段を上るとそれぞれのプラットフォームに行くことが出来ます。

 

 

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< 11. 郊外電車のホームからセントラルホールまで 4.>

 

図7の青色フロアの北側(上部)。

 

上の写真: 奥にセントラルホールに至る北側のエスカレーターが見える。

この奥の左右に下の写真のロッカールームがある。

 

ロッカールームの扱いは別に紹介します。

 

 

 

 

 

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< 12. 郊外電車のホームからセントラルホールまで 5.>

 

セントラルホール(地上1階部分)。

 

上の写真: 南側を見ている。

 

下の写真: 北側を見ている。

奥に2階に上がるエスカレーターが見える。

1階奥をまっすぐ行くとシティ・ターミナルに通じる。

 

 

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< 13. 郊外電車のホームから別の地上出口まで 1. >

 

上の写真: 郊外電車Stockholm Cityのホーム。

 

下の写真: 数多くあるエスカレーターの一つ。

表示は必ず英語でも表記されていますので、行先を確認すればほぼ行きつきます。

駅員は少ないが、要所要所に専用のチョッキを羽織った相談員が居ます。

迷えば彼らに聞いてください。

英語ですが親切に答えてくれます。

 

 

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< 14. 郊外電車のホームから地上まで 2. >

 

改札口は、入る時はカードをセンサーにかざしますが、出る時は不要で、自動で開きます。

Vasagatan通りに面したビルの出口に出ました。

 

 

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< 15.その他の重要な箇所  >

 

上の写真: ここはセントラルホールの北の端で(図7の緑色のフロア)で、シティ・ターミナルに向かうエスカレーターが見える。

 

下の写真: 右手にストックホルム中央駅の駅舎上部が見える。

 

ユールゴーデン島に掛かる橋の手前まで行くバス(69番)のバス停は写真の右手。

この道路は地上2階を東西に走っている。

撮影は図5の下の写真中央の赤矢印の方向。

 

私はこのバス停を見つけるのに1時間以上、尋ね歩きました。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 18: シグツーナ 2


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今日はシグツーナの後半です。

ここにはヴァイキング時代を偲ばせる遺跡があります。

少しヴァイキング時代に思いを馳せます。

 

 

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< 2.散策ルート、上が北 >

 

今回紹介するのは黄線のF、G,H,Iです。

この道の北側がヴァイキング時代の王都の中心地だったところです。

 

 

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< 3. 教会跡、Sankt Pers kyrkoruin >

 

上の写真: 南北に延びる広い道を少し上ると左手の木立の中に石積みの廃墟が見えた

 

下の写真: それが教会跡、Sankt Pers kyrkoruinです。

この建物は1100年頃に建設された。

 

 

 

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< 4. 教会跡、Sankt Pers kyrkoruin >

 

倒壊の危険があるため柵で囲まれ、入ることが出来ない。

地図のBの位置。

 

実は、ここで私は自らトラブルを引き起こしてしまった。

 

林に入り、遺跡の写真を撮っていると、奥から子供たちの笑い声が聞こえて来ました。

そこには小学校の校庭があり、多くの子供達が楽しそうに遊んでいました。

私は校庭の様子、遊ぶ子供達を撮り始めました。

すると離れた校舎から二人の女性が猛烈な勢いでこちらに走って来るのが見えました。

 

彼女達は厳しい口調で、写真を消せと攻め立てました。

彼女らは私の横に立ち、子供達が写っている写真が消されていくのを一枚一枚確認し続けました。

私は焦り、幾度もミスをしながらやっと作業を終えました。

 

この時、彼女達の厳しい口調は消えていました。

恥ずかしさと口惜しさが込み上げて来ましたが、私が言えるのは「サンキュー」だけでした。

 

子供の写真を無許可で撮ることは北欧では不可です。

 

 

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< 5. 住宅街 >

地図の黄線のFからHの間。

 

上の写真: 教会跡の近く。

 

下の写真: 前回紹介したタウンストリートStora gatan側(湖側)を見ている。

 

 

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< 6.二つの教会跡 >

 

上の写真: Sankt Lars kyrkoruin、地図のG。

この建物も1100年代に建設された。

 

下の写真: Sankt Olofs kyrkoruin、地図のI。

この建物の建築は12世紀前半に始まりました。

周囲はお墓で、同じ敷地内にSankt Mariakyrkanがあります。

 

 

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< 7. Sankt Mariakyrkan >

 

地図のIの右側(東側)。

この教会は1230年代に建築が始まった。

 

 

 

* シグツーナの歴史

 

シグツーナの歴史はスウェーデン・ヴァイキングの歴史でもあります。

 

 

 

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< 8. ルーン石碑 >

 

地図のH、Sankt Lars kyrkoruinの前に二つありました。

 

シグツーナの石碑は11世紀後半に造られた。

これら石碑には模様と共に、ルーン文字で故人の事績が刻まれている。

元々、文字は赤色に着色されていた。

 

ルーン文字はゲルマン民族の古代文字から派生したもので、北欧ではアルファベットが24から16文字になり、刻印し易い直線的な文字になった。

北欧では口頭伝承が重視されていたので、ヴァイキング時代の文字はこれら石碑に残るだけとなった。

やがてキリスト教が浸透するとラテン語が普及しルーン文字は廃れた。

 

したがってヴァイキング時代の歴史は、ヴァイキング時代(800-1050年)が終わってから書かれた叙事詩サガ(12-13世紀)などから知ることになる。

 

左上の石碑: U390の碑文はSven と Ulv の二人男の鎮魂の為に建てられたようです。

 

興味深いのは、この碑を建てたUlvの妻Frödisは、赤毛のエリックErik the Redの娘だと言うことです。

この赤毛のエリック(ヴァイキング時代の950年頃-1003年頃)はノルウェー人でアイスランドに入植し、さらにグリーンランドを発見している。

さらに彼の息子Leif Eriksonが1000年頃に北米大陸を発見しVinlandと名付け、上陸している(入植は失敗)。

なんと彼女もこの北米の地の探検隊に参加したとサガに書かれており、親子揃って旺盛な冒険心を持っていることに驚かされます。

また彼女がスウェーデンのこの地に碑を建てていることに、ヴァイキングの行動範囲の広大さがわかります。

 

下の地図: Erik the RedとLeif Eriksonの航路がわかります。

渡海した船は当然、ヴァイキングの船(約40~80人乗りのオールと帆柱付き)でした。

ノルウェーから北米大陸のVinlandまで直線距離で40万kmはあり、彼女は北海を往復して、さらにシグツーナまで来ているのです。

 

 

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< 9. ルーン石碑の分布 >

 

スカンディナヴィアでは、およそ6千のルーン石碑が見つかっているが、そのうち3千はスウェーデンで発見されている。

 

上の地図: スカンディナヴィア全体のルーン石碑分布。

赤の部分が石碑の多い所で、ここがヴァイキング時代に栄えていた地域となる。

 

下の地図: シグツーナのルーン石碑分布。

私が見たのは二つに過ぎない。

このルーン石碑の密集しているところが、ヴァイキング時代の中心地だった。

 

 

 

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< 10. ヴァイキング時代に栄えていた町 >

 

上の地図: スカンディナヴィア全体図。

スウェーデン・ヴァイキングの初期の中心地はバルト海に浮かぶ島ゴットランド(右下)のVisbyとメーラレン湖のBirkaでした。

やがてメーラレン湖で王権が誕生し、11世紀初めに三代目の王オーロフ・シュートコーヌングOlof Skötkonungがシグツーナに拠点を移した。

 

彼はキリスト教の洗礼を受けたスウェーデン最初の王でした。

それまでは異教が崇拝され、異教の寺院が各地に建っていた。

こうしてこの小さな町に7つのキリスト教会が建つことになったのです。

しかし1世紀もすると拠点は北部のウプサラ Uppsala(かつて異教の聖地)に移り、さらに13世紀半ば以降はストックホルムが中心地となった。

 

 

下の地図: メーラレン湖。

この湖は海上交易に有利だった。

ストックホルムが栄えるのはヴァイキング時代が終わり、ハンザ同盟の活躍でバルト海の交易が盛んになり、ここが同盟都市となってからです。

 

 

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< 11. シグツーナの再現 >

 

上の図: 王都シグツーナの様子。上が北。

ドットの範囲が当時の中心地。

今の湖岸のラインはヴァイキング時代より後退しており、水深は浅くなっている。

これは当時が温暖期にあたり、また氷河期終了後から続いている大地の上昇によるものです。

この面積から察すると、王都の人口は多くて1~2千人に過ぎなかったでしょう。

シグツーナはこの王都になった1世紀以内に、東方のヴァイキングにより破壊され焼失の憂き目に合っています。

 

 

下の図: ヴァイキングの町ビルカの再現模型。

ビルカも島の湖畔の一角に出来た町で、おそらくシグツーナもこのようだったのでしょう。

 

 

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< 12. シグツーナ >

 

左上の絵: 王都の再現図。

図11の上の図のドット範囲を東側から見ている。

 

右上の写真: 発掘された人形頭部。

ヴァイキングの兜を被っている。

 

下の写真: スウェーデンで最初に発行された硬貨。

王オーロフによって995年、シグツーナで造られた。

硬貨にはラテン文字でオーロフ王と書かれている。

貨幣経済は遅れていたが、以前、硬貨はイスラム圏や西欧から入手していた。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 17: シグツーナ 1


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2回に分けて小さな町シグツーナSigtunaを紹介します。

ここには湖畔の美しい街並みがあり、スウェーデンで最も古い街と言われています。

かつてはヴァイキングの王都の一つでした。

 

 

 

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< 2.散策ルート >

 

赤丸のシグツーナ・バスターミナルから赤線、そして黄線を通り、元に戻りました。

今回紹介するのはE辺りまでです。

 

散策したのは2018年6月1日(金)8時30分から10時30です。

快晴で、歩き始め時は清々しかったが、後半は日差しが暑く、汗が滲んだ。

 

Bの観光案内所で荷物預かりが可能なのですが、オープンが10時からなので、私はリュックを背負いスーツケースを引き摺って散策しました。

 

フリーの旅行では荷物を預ける場所が重要です。

ここは事前にメールで確認していました。

今回の旅行の荷物預けは、これ以降すべてホテルか鉄道駅のロッカーで行った。

駅やフェリー・ターミナルなどのロッカーの有無を事前に確認するのに、非常に手間取りました。

 

 

 

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< 3.タウンストリートStora gatan >

 

 

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< 4. 非常に小さい市庁舎Sigtuna Rådhus >

 

朝早いので店や博物館などはどこも開いていない。

人はまばらで、オープン前の作業や工事をする人を少し見かけた。

この市役所の前で3人の学生が写真を撮っていた。

 

 

 

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< 5. 観光案内所と通り >

 

上の写真: 地図のBにある観光案内所が左に見える。

緑色の「 i 」の看板があるところ。

観光案内所 https://www.yelp.com/biz/drakeg%C3%A5rden-sigtuna

 

 

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< 6.公園と博物館・美術館 >

 

下の写真: この建物の後ろと左側に博物館と美術館がある。

但し、オープンは12時から。

地図のCの辺り。

 

 

 

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< 7. 湖が見える邸宅 >

 

上の写真: 柵にペンキを塗り直している人が見える。

この右側にホテルがあります。

地図のDの辺り。

 

 

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< 8. 湖畔 >

 

地図のDの辺り。

この湖には藻や水草が多く、小魚が多くいるようです。

 

 

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< 9. 港 1 >

 

上の写真: ヨットハーバーのオフィスのようです。

百年以上前は、ここからストックホルムまでの蒸気船が交通手段だったようです。

 

中央の写真: 黒い建物がおそらくボートの発着桟橋。

今も観光シーズンには毎日、クルーズ船がストックホルムから出てこの港に来ています。

片道2時間30分の船旅です。

https://www.stromma.se/en/stockholm/excursions/day-trips/sigtuna/

 

下の写真: 11世紀初頭のシグツーナの再現図。

再現図にヴァイキングの湖畔に広がる村の様子が描かれている。

当時はヴァイキング時代の末期で、ここに初期王朝の館があった。

古い教会跡やルーン文字の碑が残っており、往時を偲ばせる。

 

 

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< 10. 港 2 >

 

下の写真: このようなベンガラ色の家が並ぶきれいな港町がスウェーデンのバルト海側(Torsaなど)にあるのですが、ここで見ることが出来ました。

 

 

次回は古都シグツーナと遺跡を紹介します。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 16: 2日目、ホテルからシグツーナへ


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今日は、ホテルからシグツーナ到着までを紹介します。

ホテル、Travelcardの使い方、バスの乗り方、車窓の景色を紹介します。

 

 

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< 2. 空港、ホテル、シグツーナの地図 >

 

左上の地図: ストックホルム中央駅、ストックホルム・アーランダ空港、ホテル、シグツーナの位置関係を示します。

右上の白丸が空港、上の赤丸がホテル、赤矢印がシグツーナ、右下の白丸が中央駅です。

空港と中央駅の直線距離は36kmあります。

 

 

右上の路線図: ストックホルム公共交通機関SLの路線図の一部。

http://sl.se/ficktid/karta/vinter/SL_Sp%C3%A5rtrafik.pdf

 

乗り放題のStockholm Travelcardで空港からストックホルム中央駅方面(Stockholm City)に行く場合に追加料金が必要になります。

その理由は地図上の空港Arlanda Cのすぐ下に横線がありますが, この下側からTravelcardが乗り放題で、空港駅は範囲を越えているからです。

一方、左側に分岐した線路上のMÄRSTAは範囲内になっています。

 

 

下の地図: 私がホテルからシグツーナに行った方法。

青線がバスルート、黄色丸がホテルです。

ホテルから1.2km離れたバス停Märsta Fältvägen(道路Måbyleden)

まで歩き、そこからバスに乗りました。

 

 

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< 3.Best Western Arlanda Hotellby >

 

このホテルに一泊し、朝7時半頃に出て、バス停に向かいました。

右奥がフロントや食堂がある棟です。

 

前日のチェックインでは若いフロントマンが私のつたない英語に丁寧に対応してくれました。

私は気を良くして旅を始めた。

今回の北欧旅行のホテルはすべて、朝食付きかオプションで朝食を付けました。

 

 

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< 4.宿泊棟 >

 

上の写真: 私の部屋は左手前の棟、1階左側の1室です。

 

下の写真: 1戸建ての客室もあります。

この建屋の前がテラスになっており、ここで二人の男性が飲食(ビール?)を始めていました。

別に幼い子供二人を連れたお母さんも見ました。

 

 

 

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< 5.フロントとレストラン >

 

上の写真: 右側がフロント。

 

下の写真: 朝食時の様子。

フロントの前のロビーにビュッフェの料理が並んでいる。

この奥の食堂で食べます。

この日の朝食時間は5:00-9:30でした。

今回のホテルの中ではここの料理とパンの種類は多い方でした。

 

私は6時から食べたのですが、食堂には作業着を来た屈強な男性三人連れと老夫婦がいました。

私の見た限りでは、ホテルの宿泊者は車で来たビジネス客や国内客のようでした。

 

ホテルをチェックアウトする時、フロントに人は居らず、部屋の鍵を置いてカウンターに置いて去りました。

 

 

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< 6. 部屋の中 >

 

部屋は広く、静かで、過ごしやすかった。

バスルームはシャワーのみです。

今回のすべてのホテルもシャワーのみでした。

 

なぜこのホテルを選んだのか?

空港に隣接するホテルの宿泊費はこのホテルの倍近いからです。

12月初旬に価格を調べている時はまだ安かったのですが、12月末に予約した時は価格が上がっており、キャンセルも出来なくなっていた。

ホテルを安く予約するには半年前では遅いようです。

今回のホテルはこのホテルを除いて、すべてキャンセル可を選びました。

 

もう一つの理由は、一応バス停に近く、早朝、直接シグツーナに行けるからです。

ただ実際にスーツケースを引き摺って荒れた道を歩いてみると、良い選択とは言えなかった。

私の乗ったシグツーナ行きのバスは空港発なので、朝一度、ホテルの送迎バス(40分間隔)で空港まで戻り、隣接するバスターミナルからバスに乗れば楽だった。

しかし時間のロスがある。

 

 

 

 

 

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< 7. ホテルからバス停まで >

 

写真は時間順に並んでいます。

丘陵地の上にあるホテルを出て車道を下って行くと、眼下(北側)に平野と森林が見え始めた。

歩道が無く、路肩が荒れているのでスーツケースの運搬はやりづらかった。

 

 

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< 8. バス停Märsta Fältvägen、道路Måbyleden >

 

ここまで10分ちょっとでした。

朝8時前ですが、日差しが強く、思ったより暑い。

 

 

 

 

バス停に看板があり、上部のSLマークはストックホルム公共交通機関を示し、Stockholm Travelcardが使えそうです。

シグツーナ行きのバス路線ナンバーは579で、これもOKです。

 

 

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< 9.Stockholm TravelcardとSL検索ページ >

 

上の写真: Stockholm Travelcard、写真は借用。

バスに乗るときは必ず前から乗り、このカードを検出器にタッチしてください。

カードの有効期間は、この使用から始まります。

降車するときはタッチの必要はなく扉はどこでも良い。

尚、このカード購入時に確認したのですが、写真の署名欄に記入する必要はないようです。

 

この手のカードの扱いは北欧三ヵ国ですべて異なりますので注意してください。

 

 

下の写真: ストックホルム公共交通機関SLのルート検索ページ。

https://sl.se/en/

私は事前にgoogle mapで交通手段を調べたのですが、上記ページでも調べることが出来ます(英語)。

こちらの方が詳細に調べられるが、慣れないので使い辛い。

 

 

 

 

 

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< 10. シグツーナまでの車窓風景 1 >

 

写真は20分弱の車窓風景が時間順に並んでいます。

 

民家、工場、団地、農家が森林の合間に点在しています。

すべてが手入れの行き届いた比較的新しい建物のように感じました。

そこにはのどかで自然に溶け込んだ暮らしがある。

 

 

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< 11. シグツーナまでの車窓風景 2 >

 

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< 12. シグツーナのバスターミナルに到着 >

 

到着したのは2018年6月1日(金)、8時30分頃です。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 15: 1日目、ストックホルムに着く


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< 1. 1泊目のホテル >

 

 

これから北欧旅行記を始めます。

今日はストックホルム近郊のホテル到着までを紹介します。

航空券、エアチャイナ、乗り継ぎの情報も紹介します。

 

 

* はじめに

 

北欧旅行の情報、特に一人で、フリーで安く行きたい人に役立つと思います。

 

私が北欧旅行を計画し始めたのは2017年12月初めでした。

旅行の目的は、北欧の今、暮らし、文化、経済、歴史を知ることでした。

見たいものは首都、郊外の町、観光地、博物館などです。

さらに様々な事を自分で体験することによって、現地の事情や人々に触れ合うことも目的でした。

 

この旅行の計画で重視したことは、①安くする ②三ヵ国の首都を効率よく巡る ③仕事の都合で水曜日を2回以上使わないことです。

 

* 安くする為に

 

旅行会社を一切通さず、インターネットですべて自分で手配し、問い合わせはメールで現地と直接行いました。

 

一番は最安値の航空運賃を探すことでした。

航空券検索サイトskyscannerで徹底的に調査しました。

三つの首都を巡るのに空路、鉄道、フェリーの組み合わせ、またどの順序(時計逆周り)で周るかを比較しました。

 

その結果、関空発→乗り継いでストックホルム空港→鉄道→オスロ→フェリー→コペンハーゲン空港発→乗り継いで関空。

圧倒的に安かったのがエアチャイナでした。

 

北欧の旅行シーズンは6月から8月なのですが、航空運賃の最安値は5月中旬から下旬の出発でした。

現地のクルーズ船など観光用の乗り物の多くは6月になってから増発されるので、あらかじめ調べておく必要があります。

また出国・帰国便は共に金・土曜日発が高いので外しました。

そうすると出国便は2018年5月31日(木)で帰国便は6月10日(日)の12日間になりました。

 

12月末に購入した航空券はすべて込みで68880円と非常に安い。

購入はエクスペディアで座席指定も行い、ホテルの予約と同時に行った。

なぜかコペンハーゲンからのスカンジナビア航空(エアチャイナとの共同運航)の座席が指定出来ず、不安を抱えたまま出発した(後にトラブル)。

 

 

* このチケットの注意点

 

キャンセルと変更が出来ません(ほとんど金額が戻って来ないはず)。

帰りの乗り継ぎがストックホルム空港と北京首都空港の2回あり、北京の乗り継ぎ時間が6時間40分もある。

 

* エアチャイナの感想

トラブルはあったが、機内サービスや北京首都空港の対応に満足しており、安いのでまた使用したい。

気になることと言えば、中国人客が圧倒的に多く、日本語の出来るスチュワーデスが居なかったことです。

提供された料理に遜色はないが、座席で見る映画は少し貧弱だと思う。

 

荷造りで気をつけることがあります。

バッテリーはすべて機内持ち込み手荷物に入れるべきです。

エアチャイナのホームページには容量によって受託手荷物に入れることも可能と書いてあります。

しかし、チェックカウンターで受託手荷物の差し止めに遭う可能性があると言われ、バッテリーとカメラをすべて受託手荷物(スーツケース)から出して機内持ち込み(リュック)に入れ直しました。

 

エアチャイナは中国からヨーロッパ各地に飛ばしているので、うまく使えば、安く旅行出来そうです。

ただし関空発で中国の空港で乗り継ぐことになり、乗り継ぎ時間がかなり長くなる(1~11時間ほど)。

 

 

今回、初めて自分で航空券を手配し、Eチケットをプリントアウトし、関空で使用したが、まったく問題なかった。

関空のエアチャイナのチケットカウンターで多く質問したが、丁寧に答えてくれました。

 

 

 

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< 2. 今回の空路 >

 

 

行き帰り共、北京首都空港で乗り継ぎました。

帰りの空港でトラブルが発生した。

結局はまったく損害無しに帰国出来ました。

後日、紹介します。

 

今回は、行きの空路でのエピソードを紹介します。

それは飛行機の遅れと北京首都空港の乗り継ぎです。

 

 

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< 3. 北京首都空港、写真は借用につき参考 >

 

関空発は午前9:00の予定だったのですが、離陸が大幅に遅れ、北京空港着は予定より1時間以上遅れた。

機内では私だけでなく他の乗り継ぎ客もやきもきしていた。

 

私は乗り継ぎ便に間に合うかとパーサーに聞いたが、大丈夫との返事が帰って来た。

後でスチュワーデスが、乗り継ぎ便のターミナル番号を教えてくれたのでありがたかった。

 

しかし、不安が増すことになった。

航空機がターミナルから遠く離れて停機し、何台ものバスでターミナルに向かうことになった。

かつてドバイでバスを乗り間違えた記憶が蘇った。

バスに同乗していたパリに帰国する人の乗り継ぎ便の搭乗時間は既に過ぎていた。

私の北京での乗り継ぎ時間は2時間30分あったのですが、なにせこの空港は初めてなので焦りました。

 

 

 

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< 4. 国際線の乗り継ぎ >

http://en.bcia.com.cn/guide/transfer_i_i.shtml より借用。

https://www.airchina.jp/JP/JP/info/airport-guide-beijing/ も参考になります。

 

実は、バスがターミナルに着いてからターミナル内を足早に進みましたが、結局、十分余裕を持って次の航空機に搭乗することが出来ました。

 

事前に乗り継ぎについてよく調べることが出来き、ほぼ迷うことが無かったのが幸いした。

非常に大きな空港なので、迷うと時間を浪費してしまいます。

 

上記のサイトは、空港の入国出国や様々な乗り継ぎを手続きの段階ごとに詳しく説明しています(英語)。

上記図は”International to International” 「国際線から国際線への乗り継ぎ」を説明している図の一部です。

もう一つのサイトは簡易版です。

 

一番役に立ったのは、関空のチケットカウンターで貰った「中国国際航空 乗り継ぎガイド」です。

これは中国の空港毎の乗り継ぎを、手続き場所の写真を使って日本語で説明しています。

 

今回の乗り継ぎで重要なことは、バスを降りたら先ず3階に行くこと、そして上の図の黒線の矢印に従って進み、たくさんのゲート(出国検査)に人が並んでいる所には並ばず、左端に向かうことです。

上の図の太い湾曲した青線は1階からの吹き抜けを示します。

 

左端に”International Transfer”の看板を掲げた小さな部屋があります。

ここでパスポートと次の航空券などを見せます。

 

ここを過ぎたら狭い通路を抜け、直ぐに2階に下ります。

ここでもし係官が立っていれば、「トランジット」と言うのが良いでしょう。

すると人があまり並んでいない乗り継ぎ用の「保安検査」への通路を開けてくれます。

このルートを使って、出国する人も居るので。

 

ここを出ると、後は国際線の搭乗ゲートに向かうだけです。

ここまでの空港内の案内表示、パーサー、スチュワーデス、係官の対応が良かった。

 

一番の教訓は、乗り継ぎ時間を十分に取ることです。

 

 

 

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< 5.ストックホルム・アーランダ空港 1 >

 

空港は比較的小さく、スーツケースを引き取り、迷わず出口まで行くことが出来ました。

しかし私はこの空港で渡航最初にやるべきことが二つありました。

 

一つは”Stockholm Pass for 2days”と“Travelcard for 7 days” を購入することでした。

事前にインターネットでの購入について調べ、空港のビジターセンターに問い合わせのメールを送ったのですが返事もなく、よくわからないままでした。

ホテルや現地ビジターセンターなどへのメールはすべて返事が来ましたが。

 

図6の赤線の端にある赤丸のビジターセンターに行き、二つを購入しようとしたが、販売しているのは“Travelcard”だけとのことでした。

”Stockholm Pass”はストックホルムを観光する前に、中心部のどこかで買う必要があります。

 

今一つは、ホテル行きのバス停を探すことでした。

このホテルにメールで事前に問い合わせして、バス停番号と出口から歩いて数分と言うことは知っていたのですが、空港のホームページでは位置関係がよくわからなかった。

 

 

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< 6.ストックホルム・アーランダ空港 2 >

https://www.swedavia.com/globalassets/terminalkartor/arn_terminal-5_a4.pdf から借用(現在見れない)。

 

下の空港全体図の赤枠が、拡大図の範囲です。

赤線が私の通ったルートです。

図中のLevel2は1階のことです。

私の便は2階Level3のゲートに停機し、パスポートチェックを経て、1階のターンテーブルでスーツケースを取り、チェックもなく直ぐ出ることが出来ました。

 

 

 

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< 7.空港のビジターセンター >

 

ここで“Travelcard”を購入した。

 

このカードで結構広いストックホルム市内全域の公共交通機関(バス、地下鉄、トラム、近郊電車、船)が自由に乗れます。

 

近郊電車の線路に長距離列車が走っていますが、これには無料で乗れないはずです(間違うことはなかった)。

船・フェリーは対岸を結ぶもので私は使用しなかった。

遊覧船は別会社で有料ですが、後に購入するStockholm Passに含まれている。

 

Travelcardは非常に役立ちました。

特に、毎回切符購入の手間がいらず、広範囲の移動が出来たのが良かった。

 

 

 

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< 8.空港の出口を出たところ >

 

出口を出るとすぐ左(下の写真)に大きなバスターミナルがありました。

指定された番号のバス停で待ちました。

 

 

 

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< 9.バスに乗ってホテルへ >

 

送迎バスは数か所のホテルを巡って、最後に私のホテルに着きました。

十人ほどが乗り合わせましたが、最後は私一人になりました。

このバスは朝の4時頃から24時頃まで40分間隔で運航しており、無料です。

10分以上乗ったでしょうか。

ホテルは木立に囲まれた住宅街にありました。

 

 

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< 10. ホテル Best Western Arlanda Hotellby >

 

一度はこのような郊外にある木造のホテルに泊まりたかった。

このホテルを選んだのは、次の朝、シグツーナに行くのに便利で、空港のホテルより安かったからです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 14: スカンディナヴィアが育んだもの


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< 1. ヴァイキング船 >

 

 

今日は、北欧三ヵ国がなぜ先進的で民主的な国家になりえたかを考えます。

その礎はスカンディナヴィアの自然と地理にあった。

 

 

* はじめに

スカンディナヴィアは半島も意味するが、同じ民族が起源のデンマーク、ノルウェー、スウェーデンの国土も意味する。

 

この地域はヨーロッパの北端にあるが、ノルウェー湾を流れる暖流によって寒さは緩和されている。

さらにノルウェー沿岸は豊かな漁場です。

しかし古くは、陸では一部畜産が可能だが総じて農業は不調で、林業が重要な資源でした。

 

南側のバルト海は大きな内海のようなもので、デンマーク、スウェーデン、フィランド、ロシア、バルト三国、ポーランド、ドイツを結ぶ役割を担った。

バルト海はヨーロッパと東方の交易を発展させ、東方に向かったヴァイキング(8-12世紀)がロシア誕生の切っ掛けを作り、次いでハンザ同盟(13-17世紀)の繁栄を生んだ。

 

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< 2. スカンディナヴィア >

 

上の地図: 三つの枠は写真の撮影地を示す。

 

下の地図: スカンディナヴィアから出たヴァイキングの航路を示す。

ヴァイキング拠点の内三か所は黄色枠内のストックホルム周辺ビルカ、赤枠内のオスロ湾、白枠内のコペンハーゲン近郊のロスキレです。

 

他に重要な箇所はユラン半島の二か所とノルウェー湾側です。

 

 

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< 3. スウェーデン >

 

三枚ともストックホルム近郊の湖です。

スウェーデンは深い森で覆われ、南部はこれに広大な湖が加わる。

古くは農耕に適していなかった。

しかしこの入り組んだ湖と島嶼のおかげで小舟が発達し、ヴァイキングに繋がった。

 

デンマークの自然景観はスウェーデンに似ているが、森は深くなく農業や酪農が可能だった。

また海岸には浅瀬や入り江も多く、これまた小舟が発達した。

 

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< 4. オスロ湾 >

 

私達にはノルウェー湾側のU字型の深い渓谷のフィヨルドに馴染みがあるが、オスロ湾もフィヨルドです。

ノルウェーはノルウェー湾と北海に囲まれ、豊かな漁業資源とフィヨルドによって、これまた船が発達することになった。

 

これら北欧の景観は、すべてを完全に覆っていた氷河が1万前頃から後退したことによって出来た。

 

 

 

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< 5. デンマーク >

 

上の写真: エーレスンド海峡

左にかすかにクロンボ―城が見える。

 

下の写真: クロンボ―城の大砲がエーレスンド海峡に向けられている。

 

デンマークは特別な地政学的役割を持っていた。

ユラン半島は大陸と繋がり、さらにバルト海と北海を繋ぐ役割を担っていた。

大陸と繋がっていることで一早く西洋文明が流入して来たが、その一方で大国の侵攻に悩まされた。

 

古くはヨーロッパの北方の東西交易はユラン半島の根元で、バルト海の海上から陸上へと荷の積み替えで行われていた(ハンブルグを通過)。

やがて航海術が発達すると、船はエーレスンド海峡を抜けて北海とバルト海を直接結ぶようになった。

このことでデンマークは海峡を通る船に関税を掛けて国庫は豊かになった。

しかし、この海峡が周辺国にとって軍事と交易上の拠点になったことで、首都のコペンハーゲンが幾度も攻撃されることになった。

 

 

 

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< 6. 木造 >

 

上の写真: ノルウエー民族博物館にあるノルウェー南西部の農家。

これは18から19世紀の特徴を持った小屋でノルウェー湾沿いのフィヨルドの村に建っていたものを移築したものです。

 

下の写真: ロスキレのヴァイキング船博物館のヴァイキング船。

上記小屋の右側壁とこの船の板の重ね具合(鎧張り)が似ている。

写真No. 1のヴァイキング船はオスロのヴァイキング船博物館のものです。

板の重ね具合は同じ。

 

北欧三ヵ国のヴァイキング船の造りは皆似ているが、ノルウェーのものは他の二ヵ国より大きい。

これは荒海を航海する為、また豊富な高木(オーク)に恵まれたからでしょう。

 

 

 

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< 7. 北欧の産物 >

 

左上の写真: 琥珀が埋め込まれたサンホルダー。

コペンハーゲンの国立博物館で。

青銅器時代(BC1700~BC500年)のもので、柄の形から船などに取り付けられたらしい。

赤い琥珀が非常に魅惑的でした。

琥珀はバルト海周辺が有名ですがデンマークでも採れ、琥珀街道を経て地中海まで送られたことでしょう。

 

 

右上の写真: コペンハーゲンの市場の魚介類。

北の海は豊かで、中世より西ヨーロッパの胃袋を満たして来た。

 

下の写真: ノルウェーのフラム号博物館横の捕鯨砲。

捕鯨が盛んだったノルウェーが最初に捕鯨砲を装備した捕鯨船を実用化した。

 

 

初期にはスカンディナヴィアの三ヵ国はヴァイキングとして北海やバルト海を経て主にヨーロッパ方面の略奪、黒海方面との交易、次いで西ヨーロッパに移住するようになった。

一方、ドイツ勢の北方十字軍(12世紀~)などがバルト海の大陸側に植民地を拡大し、各地にハンザ同盟都市が組織され始めた。

 

一方、キリスト教が定着したのはデンマークで10世紀半ば、スウェーデンで12世紀半ばでした。

これら交易と宗教の大転換が、ヴァイキングの終焉を確実にしたのだろう。

 

やがてスウェーデンのストックホルム(13世紀半ば~)とノルウェーのベルゲンがハンザ同盟都市として発展した。

コペンハーゲンと上記二つの都市には多くのドイツの商人や雇われ高官が住むようになり、進んだ知識がドイツからもたらせることになった。

 

 

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< 8. フラム号博物館 >

 

上の写真: ノルウェーのビィグドイ地区。

左がフラム号博物館で、右がコンティキ号博物館。

 

コンティキ号はノルウェーの人類学者が、インカ文明の筏を再現したものです。

1947年、彼はこの筏でペルーから海流に乗って南太平洋の島に辿り着いた。

このことでポリネシア人がアメリカ・インディアンの子孫であることを証明しようとした(本当はアジア人が祖先)。

 

 

下の写真: 実物のフラム号の甲板上にて。フラム号博物館で。

船を囲む映像や効果音、瞬く光で、あたかも船が北極海を進んでいるような気分になった。

 

この船はノルウェーの探検家ナンセンが1893年から3年をかけて北極海を漂流した時に使用したものです。

さらにはノルウェーの有名な探検家アムゼン、世界で初めて両極点に到達した彼が、この船を2回使用している。

 

実はヨーロッパ大陸の人間が最初に北米大陸を発見したのはノルウェーのヴァイキングで、1000年の初めにグリーランドから北米の北端に達していた。

彼らは移住出来ずに引き返すことになった。

 

このようにノルウェーを含めてスカンディナヴィアの人々は冒険心が旺盛です。

これは現在にも受け継がれている。

人口(需要)や資源の少なさを埋める為に科学技術や多言語習得を重視し、販路やチャンスを海外に求めることに積極的です。

今も若者は一度は海外に出ることを家族から奨励される。

 

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< 9. エコと森に囲まれた公園? >

 

上の写真: コペンハーゲン。

大都会だが車は少なく自転車が多い。

 

デンマークには有名な風力発電機メーカーがあり、国全体の電力の2割が風力発電機によって賄われている。

北欧はエコ(省エネ、環境保護)の意識が非常に高い。

これも美しい森や湖と共に暮らしているからもしれない。

 

しかし私が1984年に北欧を訪れた時、ここまで自転車は多くはなかった。

ここでも関心することは、おそらく石油価格の高騰に合わせて国民全体が車社会からの転換を図ったのだろう。

北欧の凄い所は、政府と国民が一緒になって社会経済を変え続けることです。

 

下の写真: 皆さん! これは公園でしょうか?

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< 10. 墓地 >

 

上の写真: ストックホルム近郊の墓地で、No.9の下の写真はその入口です。

朝訪れると、ジョギングする人に出会った。

 

下の写真: オスロの墓地。

共に非常に広大な墓地で、造り方のコンセプトは一緒でした。

 

スウェーデンには世界遺産の「森の墓地」スクーグシェルコゴーデンがあります。

しかし、この二つの墓地を見れば「森の墓地」が画期的な構想で造られたものではなく、北欧文化に根差した死生観を表象したものであることがわかります。

彼らは森と共に生き、森に帰るのです。

 

 

* あとがき

 

北欧の心性を考えるとき、際立つものがある。

それは国民の政治意識の高さと、労働界と経済界の協力関係です。

 

ノルウェーからのヴァイキングが移住したアイスランドでの決め事はかつて全島集会で行われていた。

つまりヴァイキングの成員は平等だった。

ヴァイキングは略奪品として奴隷貿易を行ったが、自身の社会では奴隷制が発達しなかった。

また強力な貴族が生まれず国家誕生も遅れ(11~12世紀)、封建制も未発達でした。

 

この要因の一つに少ない農作物の余剰があったと推測します。

また北欧へのキリスト教の布教は進まず、国家誕生と同時期になった。

これらにより人々は貴族や司教による強力な支配を免れ、また王と貴族の力が均衡することになったのだろう。

 

このことが国家誕生後の王家の有り様に影響した。

王家が危機に瀕すると人々は貴族らを牽制するために他国から王を招聘することを度々行った。

 

こうして北欧ではヴァイキング時代から、脈々と民主的な政治運営が続いていると言える。

つまり、自分達が動かす政治だからこそ政府を信頼しており、これが絶え間ない革新を生むことに繋がっているようです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 13: 戦争と平和


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< 1. デンマーク軍のコペンハーゲン凱旋 >

 

 

今日は、北欧三ヵ国の戦争と平和を取り上げます。

北欧は長い戦いの末に先駆的な外交政策を行い、自国だけでなく世界の平和に貢献している。

 

 

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< 2. 北欧の戦争 >

 

この地図は北欧三ヵ国(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)が如何に周辺諸国と戦争をして来たかを示す。

この地図はヴァイキング時代後の国家間の戦争を示している。

 

一方向の矢印は、一方的な戦争または侵攻を示し、黒は植民地化を示している。

周辺国以外の北欧の植民地は除いています。

両方向の矢印は通常の国家間の戦争です。

 

北欧の中ではスウェーデンとデンマークが、かって周辺諸国を併合し帝国と呼ばれた時代があった。

デンマークはユラン半島で大陸と陸続きなので、特に国境を接しているドイツと領土争いを長らく繰り返した。

写真1はその戦いの一つシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争(19世紀)の一幕です。

 

 

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< 3. ストックホルムにて >

 

上の写真: ユールゴーデン島のヴァーサ博物館のヴァーサ号。

これは17世紀のスウェーデンの戦艦で、初航海で沈没したのを引き上げ復元したものです。

64門の大砲を有する堂々とした全長69mの戦艦が蘇っています。

 

この戦艦はスウェーデンによるバルト帝国の最盛期を象徴している。

スウェーデンは16世紀初頭よりバルト海周辺諸国を併合し、1618年に始まった30年戦争(最大の宗教戦争)にプロテスタント国として参戦した。

この戦艦はバルト海に面したドイツの港の攻城戦に投入される為に、1628年に重装備を重ねて出港したが沈没した。

30年戦争が終わった時、スウェーデンは北ドイツにも領土を得ていた。

 

下の写真: ガムラスタン(旧市街)の大広場。

バルト帝国を築いたヴァーサ王朝はこの大広場で起きた事件を契機に誕生したと言える。

 

1520年、この広場で「ストックホルムの血浴」と呼ばれる虐殺が起きた。

当時、北欧三ヵ国はデンマーク王家が支配するカルマル同盟を結んでいたが、スウェーデン国内では独立を目指す内戦が続いていた。

反乱軍を制圧したデンマーク王は晩餐会を開くと偽り、スウェーデンの有力者を招き、この広場で多数処刑した。

 

この裏切りに怒ったスウェーデンの人々は、この事件で父を虐殺されたヴァーサを指導者にして独立戦争を戦い抜き、3年後に独立を得た。

こうしてヴァーサ王朝が誕生した。

 

 

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< 4. オスロにて >

 

上の写真: ノルウェー抵抗運動博物館の外観。

小さな建物だが、地下にも展示場が広がっている。

 

建物に掲げられている肖像画はホーコン7世で、彼は第二次世界大戦でドイツの支配に抵抗したノルウェー王です。

これを描いた映画「ヒトラーに屈しなかった国王」が最近日本で上映された。

この博物館は当時の国民の抵抗運動を展示している。

 

 

下の写真: 博物館の展示。

 

 

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< 5. オスロ湾にて >

 

上の写真: 写真の左側の島がオスロ湾で最も狭いドレーバク水道にあるオスカシボルグ要塞Oscarsborg Fortressです。

フェリーからオスロ側(北側)を見ている。

 

実はこの要塞からの砲撃が「ヒトラーに屈しなかった国王」のストーリーを作ったと言える。

この要塞を守る指揮官がオスロ湾に侵入するドイツ艦隊に独断で砲撃し、その旗艦を撃沈した。

私は映画を見て、これが及び腰の政府や象徴的な存在であった国王親子に抵抗する機会を与えたように思った。

ノルウェー各地から攻め込んだドイツ軍は圧倒的に優勢だったが、王家と政府の逃避行、ホーコン7世の降伏拒否、そして英国への亡命によって、国民はナチスの支配を拒否した。

こうしてノルウェーのレジスタンスは終戦まで続いた。

 

下の写真: 映画「ヒトラーに屈しなかった国王」。

タイトルはノルウェー語で、「王のノー」です。

 

この映画はスぺタクルではなく、主に国王の葛藤を描き、銀幕から王家の役割と大国に抗う小国の悲哀がひしひしと伝わって来ました。

 

 

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< 6. クロンボ―城の地下 >

 

上の写真: デンマークのシェラン島北東部、幅7kmのエーレスンド海峡に睨みを利かすように建っているクロンボ―城。

 

下の写真: このクロンボ―城の地下に眠るホルガー・ダンスク像。

彼はフランク王国のカール大帝(8世紀)に歯向かった中世ヨーロッパの伝説上の英雄です。

やがてデンマークで、洞穴の眠れる英雄が国の有事に復活するというホルガー・ダンスク伝説が出現した。

 

第二次世界大戦中、デンマークもナチス・ドイツに占領されたが、この時のデンマークのレジスタンスは「ホルガー・ダンスク」と名乗った。

 

 

 

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< 7. ロスキレ湾とヴァイキング >

 

上の写真: この地はヴァイキング時代の拠点の一つでした。

ここにヴァイキング船博物館があります。

 

下の写真: これらは沈没していた5隻のヴァイキング船の内の2隻で、修復され復元されたものです。

 

オスロ湾は奥深く入り込んでいて水深が浅いのですが、幾筋かの細くて深くなっている水道があります。

11世紀、5隻の船は敵の襲撃を防ぐために、この水道の一つを塞ぐように沈められていた。

このロスキレは11世紀から15世紀半ばまでデンマーク王国の首都でした。

 

ヴァイキング時代は11世紀半ばで終焉するのですが、この頃には侵略する側から攻められる側にもなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

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< 8. コペンハーゲン港の要塞 >

 

上の写真: カステレット要塞。

この写真は運河クルーズ船から撮影したもので、右側に人形の像が見える。

 

この要塞は上空から見ると典型的な星型要塞で、17世紀半ばに造られた。

しかしその雄姿を忍ばせる面影はない。

コペンハーゲン港は幾度も大艦隊による大規模な破壊に遭い、古い姿を留めることができなかった。

 

 

下の写真: Trekroner Fort。

左側に見えるのがコペンハーゲン港の入り口にある島の要塞で、18世紀初頭に造られた。

 

ナポレオンが覇権を拡大する中で、中立を望んでいたデンマークではあったが、その圧力に負けてフランス側に付くと、フランスに敵対した英国は大艦隊をもってコペンハーゲンに来襲した。

1801年、デンマークとノルウエーの艦隊、そしてTrekroner Fortなどが英国艦隊を迎え撃ったが、あえなく敗北を喫した。

 

 

 

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< 9. フレデリクスボー城と絵 >

 

上の写真: フレデリクスボー城の中庭。

この城は16世紀中頃より19世紀中頃までデンマーク王の居城だった。

またこの期間はスウェーデンがカルマル同盟から独立していたが、ノルウェーはデンマークに統治され続けた時代にちょうど重なる。

この地はコペンハーゲンよりはオスロに近い場所と言える。

 

下の写真: フレデリクスボー城に掲げられていた絵。

額に「・・コペンハーゲン・・1659年2月10-11日」と銘記されていた。

この前年からスウェーデン軍は凍結した海峡を渡りコペンハーゲン港を攻略しており(氷上侵攻)、デンマークはこの敗北によってスウェーデン南部などの領土を失った。

 

スウェーデンが勢力を拡大し続ける中で、17世紀中頃からデンマークは小国へと没落していくことになった。

しかし、スウェーデン(バルト帝国と同盟軍)もヨーロッパを二分した大北方戦争(1700-1721年)でロシア帝国と同盟軍に破れ、没落することになった。

 

 

 

 

 

 

 

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< 10. ノルウエーの平和貢献 >

 

上の写真: オスロ湾に面して建つノーベル平和センター。

ノーベル平和賞と平和について展示。

 

ノーベル賞の創設者ノーベルはスウェーデンとノルウェー両国の和解と平和を祈念して「平和賞」の授与だけはノルウェーで行うことにした。

これはなぜなのか?

 

北欧三ヵ国の中でもっとも人口の少ないノルウェーは1450年からの長きに渡りデンマーク、次いでスウェーデンに支配され続けて来た。

やっと1905年、ノルウェーはデンマーク王家から王子を迎え、立憲君主制を樹立し、平和裏に独立を行った。

この王子が「ヒトラーに屈しなかった国王」のホーコン7世になった。

 

映画によると、彼がヒトラーに降伏しないと返答したのは、自分が国民に選ばれた象徴(王)に過ぎず、勝手に重大な決断をすべきでないと考えたからのようでした。

この王の自覚と身命を賭した行動は、国民との間に絶大な相互信頼があったからでしょう。

この王家の姿は、北欧各国に通じるものです。

 

 

下の写真:  陸軍博物館の横にあるノルウエー退役軍人協会の建物。

その前に止めてあるカーゴの絵は、ノルウエー軍のアフガンでの活動を示しているようです。

 

 

* あとがき

 

現在、北欧各国は中立政策を維持し、一方で紛争国の仲介外交と国連の平和維持軍派遣などで世界平和に貢献している。

 

北欧の中立政策は小国ゆえとヨーロッパの北辺にあることだけで成し得たのではない。

多くの大国に囲まれ、時には圧力に屈し、軍備を保有しながらも周辺国からの信頼を重視する外交は特筆に値する。

 

また北欧、特にノルウエーとスウェーデンは世界平和に貢献してきた。

 

両国は多くの内戦激しい地域、コソボやソマリア、アフガンなどに平和維持軍を派遣して来た。

スウェーデンの元外交官ハマーショルドは2代目国連事務総長を務め、コンゴ動乱の調停に活躍したが、その途上、原因不明の墜落事故で死去した。

またスウェーデンのストックホルム国際平和研究所はこの分野では有名です。

 

ノルウエーは中東和平で大きな足跡を残している。

敵対するイスラエルとPLOの仲立ちを行い1993年、オスロ合意を取り付けた。

しかし調印したイスラエル首相が同国の和平反対派によって暗殺され、画期的であったが結局、進展することはなかった。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 12: 北欧の住まい 2


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< 1. オスロ、赤枠A >

 

今日はノルウェーとデンマークの住まいを紹介します。

そこから北欧の豊かな暮らしぶりが窺えます。

 

 

 * オスロ

 

 

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< 2. 撮影位置を示す地図、上が北 >

 

写真は赤枠内か青線の車窓から撮ったものです。

上の地図: 撮影はオスロ中央駅からそれぞれ8km以内で行っています。

 

下の地図: 撮影は遠いところでコペンハーゲンから北と西に約各40km離れています。

 

 

 

 

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< 3.Sognsvann湖からの地下鉄から、青線B >

 

Sognsvann湖からオスロ中央駅までの地下鉄から見た住まい。

路線の半分ぐらいまではこのような緑豊かな住宅地が続きます。

 

 

 

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< 4.オスロ中央駅の近く >

 

上の写真: Sognsvann湖からの地下鉄から、オスロ中央駅の近く地下鉄が地下に潜る前に見えた高層アパート。青線B

 

下の写真: ビィグドイ地区に向かうバスに乗って、オスロ中心部の住宅街を通過中。赤枠C。

 

 

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< 5.ビィグドイ地区の高級住宅街、赤枠D >

 

斬新なデザインが目を惹いた。

さすが北欧デザインと思える建築が、伝統的な建築に調和して建てられているのを少なからず見た。

 

 

 

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< 6. 郊外の島Ormøyaの住宅、赤枠A >

 

オスロ中心部からUlvøya行きのバスに乗って、車窓から撮った。

これらは別荘のようにも見えるが、ここはオスロ中心部からのバスで8分ほどで来れるので、普通の住宅だと思われる。

 

 

 

 

* デンマーク

 

 

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< 7. ロスキレの住宅、赤枠E >

 

上の写真: ロスキレ湾沿いの対岸に見える住宅。

下の写真: ロスキレ湾の海岸からロスキレ駅に向かって少し進んだ所。

 

 

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< 8. 郊外の町の住宅 >

 

上の写真: ロスキレ大聖堂すぐ横の住宅。赤枠E.

右の高い建物がロスキレ大聖堂。

 

下の写真:  電車のLyngby駅の西側は直ぐ住宅街で、アパートが並ぶ。赤枠F.

駅の東側、反対側は表通りです。

 

 

 

 

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< 9. 野外博物館Frilandsmuseet周辺の住宅、赤枠F >

 

Lyngby駅から3km離れた野外博物館Frilandsmuseetに来ると、そこは緑豊かな住宅街でした。

この辺りは高級住宅街なのか、古い建物や広い敷地で木々に囲まれた住宅が多かった。

 

 

 

 

 

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< 10. 郊外と中心部の住宅 >

 

上の写真: Hillerød駅からヘルシンオア駅までの電車から。青線G。

この住宅エリアはヘルシンオア駅すぐ手前です。

 

下の写真: コペンハーゲン中央駅近くのアパート。赤枠H.

この建物の右半分が、今回私が泊まったホテルです。

このロ字型の建物の内側は広い庭になっており、この辺りのアパート(集合住宅)は同じような構造です。

この建物から500m以内に中央駅、チボリ公園、市役所、美術館があり、地価は高いはずですが高層の建物はない。

景観を守っているようです。

 

 

* 感想

 

まず驚いたことは、すべての住宅が新しいか、改修が行き届いているようで、スラム化したり、放置されているような住宅を一切見かけなかった。

 

私は、一応観光地ではあるが都市部から郊外まで北欧三ヵ国の様々な地域を見てまわった。

上記のことは北欧三ヵ国に共通しているようです。

いままで東欧、南欧、西欧を旅行し、バスや電車の車窓から郊外を見て来たが、北欧の郊外に低質か劣化した住宅や農家が無い国は初めてです。

北欧の首都もローマやリスボン、パリなどと比較して、建築群が古すぎて発展の足枷になっているようなことはなかった。

北欧は古い建築の完全復元にこだわっていないようで、再開発や増改築が進んでいるようです。

 

 

予想していなかったことなのですが、住宅に結構、多様性があった。

 

敷地の広い邸宅や斬新なデザインの高級住宅がある一方で郊外の駅近くには低層アパートがあることです。

これは住民の所得や所有資産に大きな開きがある表れなのでしょう。

けっして高福祉国家イコール画一的な暮らしではない。

 

 

また多くの住宅デザインに多様性があり、横並びではなく個性が主張されている。

また郊外では高い木立で住宅の敷地の境界を囲む傾向が強い。

 

これらの現象は北欧共通の国民性にあるのだろう。

多様性が目立つ、いま一つの理由は、これらの国の発展が主に戦後しばらくしてから起きた為に、新築が多いためだろう。

 

 

やはり日本との違いを大きく意識してしまう。

確かに北欧三ヵ国、そして首都の人口も日本の10分の1以下なのだが、それにしても都市部の住宅さえ自然に抱かれている。

 

一つには自転車で車の代替えを行っているように環境保全重視の姿勢がある。

今一つ見逃してはならないことは、日本のように会社勤めの疲れを癒すためのねぐらでしかない家ではなく、家族や友人と毎日を楽しく暮らすために北欧の家はあることです。

 

どちらが幸せな生き方かは一目瞭然です。

さらに北欧の方が所得は勝り、福祉も行き届いているのですから。

 

日本と北欧のこの違いは何に起因するのだろうか?

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 11: 北欧の住まい 1


 

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< 1.カールスタートの洒落た住まい >

 

 

これから2回に分けて北欧の住まいを紹介します。

そこから北欧のライフスタイルの一端が見えて来ます。

今回はスウェーデンを紹介します。

 

 

 

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< 2. 撮影位置の地図、 上が北 >

 

上の地図: 主にスウェーデンを示しています。

黒枠は下の地図の範囲で、ストックホルム市と周辺を示します。

青線がストックホルムからカールスタートまでの列車ルートです(おそらく)。

番号9の三枚の写真はこの列車の車窓から撮ったものです。

 

下の写真: 赤枠A、B、Cが撮影場所です。

 

 

 

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< 3. シグツーナと近郊、 赤枠A >

 

上の写真: シグツーナに向かうバスの車窓から。

森に囲まれた広い農地に数戸から十数戸が集合した住宅エリアが点在しています。

人々は、ここからバスでMärsta駅に出て、電車でストックホルム近郊に通勤が可能かもしれません。

 

下の写真: シグツーナの高台側の住宅。

ここらは別荘地なのか、広い敷地を持った邸宅が並んでいた。

 

 

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< 4. シグツーナの湖に面した住まい、赤枠A >

 

この家の右側の道路の隣には伝統的で洒落た感じのホテルがあります。

最高の立地の邸宅です。

 

 

 

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< 5. Älvsjö 駅の直ぐ北側の住宅地、赤枠B >

 

上の写真: ここはストックホルム中心部への通勤圏らしく低層のアパートが多く見られました。

 

このアパートのベランダが少し変わっていました。

ベランダはパイプで補強された簡易構造なのですが、大きく掃き出し窓からせり出しています。

そして、そこにはテーブルやチェアーが必ずと言っていいほど置かれていました。

ここで人々は緑が多い敷地で外の自然を楽しむのでしょう。

三人の人が来ている道を奥に進むと、直ぐに森が広がっていました。

 

 

下の写真: 直ぐ近くでは大規模な開発が進んでいました。

これはおそらく住宅だと思うのですが、左隣りは大きな学校がありました。

 

 

 

 

 

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< 6. Älvsjö 駅から東へ、赤枠B >

 

二枚の写真はÄlvsjö 駅からバスで墓地Sandsborg Cemeteryに行く途中の車窓からの写真です。

 

閑静な住宅街が広がっていました。

高木に囲まれた庭を持つ一戸建ての住宅が続いていました。

アパートがあっても、せいぜい数階建てが多い。

この住宅街を進んでいると、一度、一匹の鹿が横断して行くのが見られました。

 

これらの家は30数年前に訪れた時の住宅のイメージとは違うようです。

その時、11月はストックホルム北部(ウップサラ)の郊外は雪が積もっていました。

その郊外の家は木の温もりを感じさせ、伝統的で同じ色調のものが多く、また雪下ろしの為か急こう配の屋根が印象的でした。

 

シグツーナ郊外の家にはそんな雰囲気もありましたが、Älvsjö や都市近郊の家はデザイン、外壁、色調も様々です。

町並みを見ていると、朽ち果てた家は無く、改造されているのか一見する限りでは新しい建物のように見える。

 

 

 

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< 7.メーラレン湖の岸、赤枠C >

 

一見、これらは密集した別荘地帯かと思ったが、ここらからストックホルム中央駅まではトラムと地下鉄などで30分以内で行けるのです。

 

彼らの住まいは自然と一体、さらに最重要なことは家族との団らんのスペースであることなのです。

住まいには狭い庭であっても子供の遊具が置かれていたり、直ぐに水辺や林に行けることが重要なのでしょう。

そして通勤の便が良いことがこれに加わるのでしょう。

なにせ仕事が4時に終わって、直ぐに自然の中で家族と共に遊ぶのですから。

 

 

 

 

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< 8.ストックホルム中心部 >

 

当然、中心部に住む人もいます。

 

 

 

 

 

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< 9. 列車の窓から、一番上の地図の青線 >

 

車窓から眺めていると、多くは村ではなく数軒が集まった住宅エリアが森の中に点在しています。

農家は広大な敷地に一塊になって建っている。

おそらくは1家族のもでしょう。

時々、農家ではなく別荘風の家が森の中にポツンと点在している。

 

当然、駅に近づくと大きな街並みが見られます。

スウェーデンはやはり広大な原野や原生林が続く大地と言えます。

きっと土地の値段は安いはずです。

 

 

次回はオスロとデンマークの住まいを紹介します。 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 10: 出会った素敵な人々 2


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今日も次回に続いて旅行中、親切にして下さった方々とのエピソードを紹介します。

北欧の人々の心の温かさに感動です。

また日本に好印象を抱いている人の多さに驚きです。

 

 

* オスロにて

 

 

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< 2. オスロで >

 

朝、オスロのナショナルテアトレット駅に入って行くと、早々にどちらに行くべきかわからなくなりました。

この駅は地下鉄と郊外電車が入っており、ちょうど通勤時間でもあり沢山の人が足早に通りり過ぎて行きます。

私が立ちすくんでいると、一人の中年女性が近寄って来て、どうしたんですかと聞いてくれました。

私が行先を伝えると、乗るべきホームへの行き方を教えてくれました。

 

お陰で、スムーズに予定通りの地下鉄に乗れました。

 

 

この地下鉄に乗っていると、乳母車を押した男性が私の向かいに座り、「あなたは日本人ですか?」聞いて来ました。

私がイエスと答えると、彼は親し気に喋り始めました。

 

彼は数年前、長男を連れて奥さんと日本を1ヵ月旅行し、京都観光や富士山登頂をしたそうです。

写真の子は次男のようです。

彼は日本旅行のことが懐かしく、色々と話をしたいようでした。

私も1984年の前回と今回の北欧旅行について話をしました。

彼は私に多くの質問して来たのですが、私が答えあぐねている間に、彼の降りる駅に来てしまった。

私は英語の未熟さに腹立たしくなり、申し訳ない気持ちで一杯になりました。

 

彼は別れる少し前に、「あなたの今日の日程はどうなっていますか?」と聞いて来たので、私の日程表を見せると驚いていました。

それもそのはずで、この日は30分から1時間刻みで12カ所を巡る予定だったからです。

彼はこれから私が行くSognsvann Lakeは良い所ですよ、また次に訪れるコペンハーゲンは素晴らしと言ってくれた。

 

今思えば、予定を変更して、彼ともっと話しをすれば良かったと後悔しています。

 

なぜ北欧の人は、こうも私を日本人だと分かり、日本に好印象を持っているのだろうか?

この謎は解けないまま帰国することになった。

 

ここでも日本との違いに気づかされることになった。

それは彼が平日の午前中にも関わらず育児をしていること、また家族で1ヵ月間も海外旅行していることです。

北欧では年間5週間の有給休暇を取らなければならず、この内4週間の連続休暇が許されるのです。

これが長期の旅行を可能にしているのです。

 

既に述べましたが、女性だけでなく男性も育児休暇を取らなければならず、男性の取得すべき日数は増える傾向にあります。

これらのことが、北欧諸国の出生率を高め、労働者の意欲向上に繋がっているのです。

 

日本にはこの発想が欠落しています。

 

 

 

* デンマークにて

 

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< 3. オスキレ駅のバス停にて >

 

バイキング博物館行きのバスが分からず、バスターミナルに座っている若い女性に聞きました。

彼女は答えることが出来なくて、横にいた高齢の男性が代わりに教えてくれました。

教えられたターミナル番号に行き、来たバスに乗り、運転手に確認すると大丈夫とのことでした。

 

運転手の近くに座りたかったのですが、空きが無かったので奥の方に座りました。

発車してから私は車窓の景色を追い、どこで降りるか迷っていました。

すると前の方の女性が降りる時、こちらを向いて笑顔で「バイキング博物館、次ですよ」と教えてくれました。

 

皆、実に温かく迎えてくれた人々でした。

 

 

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< 4.野外博物館とヒレロズ駅で >

 

広い野外博物館内を巡っていると、出なければならない予定時間が近づきました。

私は出口への道に確信が持てず、かなり疲れて来たこともあり、ちょうど博物館の高齢の職人が目に入り、出口を尋ねました。

 

二言三言言葉を交わす内に、またもや彼は「あなたは日本人ですか?」と聞いて来ました。

わたしがそうですと答えると、「あなたはバスに乗るのですね?」と聞いて来たので、そうですと答えた。

すると彼はこちらに来なさいと言い、車両用のゲートまで一緒に行き、鍵を外しゲートを開けてくれました。

彼は終始笑顔でした。

 

そこから直ぐに広い道路に出て野外博物館前のバス停に迷わず辿りつくことが出来た。

 

 

ヒレロズ駅を降りて、フレデリクスボー城行きのバス停がわからず、近くを歩いている老齢の女性に尋ねました。

彼女は足腰が弱いにも関わらず、数十メートルを一緒に歩いてくれたが、結局わからないと残念そうに言った。

この時、運よく男性が通りがかり、彼女は彼に私を託して去りました。

彼はバスターミナルが見える所まで私を案内し、くどいほど302の番号を連呼し、私の理解を確認して去りました。

ここからバスに乗り、無事に目的地い着くことが出来ました。

 

旅行も2/3を終える頃には、私は迷う前に手当たり次第に誰かに聞くようになっていました。

私は図々しくなっている自分に驚きました。

 

 

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< 5. コペンハーゲンの王宮付近で >

 

上の写真は朝、クリスチャンスボー城の横の広場に行った時の事でした。

上の写真の広場で、骨董市が行われている予定でしたが、誰も居ません。

 

諦めて別の所に行こうとした時、一人の若い男性がわざわざ近づいて来て私に声をかけました。

私は不安になって無視して去ろうとしたのですが、彼は怪しいものではないと、申しわけなさそうに話しかけて来ました。

彼は私に手助けしたいと言っているようでした。

 

私は彼にここで骨董市があるはずだがと尋ねました。

すると彼はスマホを取り出し、調べて事情が分かったようでした。

彼は私に「あなたは英語が話せますか?」と聞き、私は「少し」と答えました。

彼は無い理由を説明したいようでしたが、私は聞くことを諦めました。

 

私は残念そうにしている彼に別れを告げて去りました。

他の観光を終えて、寄ってみると骨董市はやっていました。

始まる時間が異なっていたようです。

彼には悪いことをしてしまった。

 

 

下の写真は、王立図書館内のロビー付近です。

図書館に来れば、私のアンケートに答えてくれる人が居るかもしれないと思い訪れました。

すると喫茶の前に、二組の日本人の母子が座っていました。

 

話を聞くと、二人のお母さんは日本出身で、デンマークに来て暮らしているとの

ことでした。

二人からは貴重なデンマークの情報や感想を聞くことが出来ました。

後日、紹介します。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 9: 出会った素敵な人々 1


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今日は、旅行中、親切にして下さった方々、またお話をした方々とのエピソードを紹介します。

北欧の人々の温かさに本当に感動しました。

 

 

* はじめに

今回、私は老人で一人旅、しかも未熟な英語で行ってきました。

ツアーに参加せず、すべての手配を自分で行ったのも初めてでした。

海外旅行の経験はあったものの、ほとんどが初めての事でした。

 

当然、不安で一杯でした。

ほとんど毎日のようにハップニングが起こる中で、必死に周辺の人に片言の英語で助言を求め、例外なく、すべての人が親切に教えて下さった。

そして毎日の観光予定地5~8カ所のほとんどを訪問をすることが出来ました。

 

さらに北欧の人から私に声をかけて教えてくれたり、日本についてお話することもありました。

また時間が取れそうな場合、アンケートをお願いしたところ、声をかけた三人の人すべてが快諾してくれました。

 

今回の旅行はこれだけでも素晴らしいものでした。

 

 

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< 2. シグツーナ行きのバスで >

 

私はこのバス停から今回初めてトラベルカードを使うことになりました。

(トラベルカードはストックホルム市の公共交通機関が乗り放題になるパスで、期間限定で購入します。)

事前にトラベルカードの使い方は購入したストックホルム空港で聞いていたのですが、やはり不安でした。

 

待っていると目的のバス(バスのルート番号、行先が合致)が到着しました。

私は勇躍してバスに乗り込もうとすると、運転手が降りて来て私を制止しました。

私は立ちすくみました。

 

すると彼は運転手の交代だと行って笑みを浮かべました。

一緒に待っていたインドイラン系の青年が先にバスに乗り、運転席に座りました。

それに続いて私もバスに乗り込み、カードを読み取り機にタッチさせました。

 

そして私はこのバスがシグツーナに行くかどうかを運転手に尋ねました。

すると運転手は分からないと答えた。

私はバスを降りるべきか迷っていると、下の写真の男性がシグツーナに行くよと教えてくれました。

 

実は、迷っている時間があったのは、この運転手が新米らしく何分間もエンジンが掛からなかったからでした。

結局は、バスは動き、シグツーナに辿り着くことが出来ました。

 

今回の旅行は、このようなハプニングや触れ合い、助け舟で始まり、さらにこれ以上に驚くようなハプニングが毎日続くことになりました。

 

 

 

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< 3.ストックホルムの電車とホテルで >

 

ある電車に乗った時、珍しく座席の空きが少なかったので、男性一人が座っている4人掛けの席に座りました。

今まで、相席になることはないほど電車は空いており、また北欧の乗客は他人との接触を避ける傾向があるようです。

したがって私は馴れ馴れしくしないようにしていました。

 

すると南米からの移民に思えた彼は突如、にこやかに「あなたは日本人ですか?」と聞いて来ました。

彼は日本が好きで、特に「さむらい」が好きだと言っていました。

幾らか話してから、私は彼に「スウェーデンには何年前に来たのですか?」と聞くと、彼はこの国で生まれたと言った。

私の早とちりを謝った。

彼はおそらく二十歳代前半なので、移民二世なのでしょう。

そういえば着こなしが垢抜けしていた。

その後、幾らか会話を続けましたが、私の英語力不足もあって、話は噛み合わないことがあった。

それでも彼は電車を降りる時、満足な顔をして去って行きました。

 

これがこの旅行で最初の日本贔屓の方との出会いでした。

 

 

3連泊したホテルのフロントにイランインド系の男性がいて、やさしいそうなのでインド人なら英語が出来ると思い、彼にアンケートの記入を依頼しました。

(アンケート結果は後日紹介します。)

彼は快諾してくれて、英語のアンケート文を読み、記入を始めた。

彼は最初「スウェーデン語」で書いても良いかと聞いてきたが、英語で書くことを望むと、そうしてくれた。

彼はシリアスな質問に真剣に答えてくれた。

 

出身を記入する段になって彼はインド人ではなく、イラン人だと言うことがわかりました。

彼は20年前にこの国に来た。

若い頃、柔道をやっており、山下泰裕を尊敬しているとのことでした。

 

ここでもまた日本贔屓の方にあった。

 

 

 

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< 4.ストックホルム中央駅周辺で >

 

私がユールゴーデン島行きのバス停を探している時でした。

 

初め、手当たり次第に二組の若い人に聞いたが、知らないのか、答えは得られなかった。

通りかかった高齢の女性に訪ねると、彼女は近くのバス停まで私と一緒に行ってくれてました。

彼女はそこが違うと分かるとまた戻り、少し離れた所にバス停があることを教えてくれて、途中まで一緒について来てくれました。

 

一人で、教えてくれた場所に行ってみると、道路は工事中でバス停は消えていました。

通りすがりの中年女性を見つけて、同じ質問をすると、彼女はバス停は無いので、中央駅の方に戻りなさいと、丁寧に教えてくれた。

 

この時の英語の説明が聞き取れなかったのか、大いに迷い、探し始めてから合計1時間ほど歩き回り、やっと駅前にある目的のバス停を見つけ、無事にバスに乗ることが出来た。

(交通機関の話は複雑なので、後にまとめて書きます。)

 

概ね、年配の人は片言の英語でも丁寧に対応してくれた。

 

 

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< 5. 空港で >

 

帰国時のことです。

 

ストックホルム空港で、北京行の飛行機に乗る為にゲートで待つことになりました。

わたしは最後のアンケート記入者を探しました。

優しそうな40代ぐらいの白人男性の横に座り、意を決してアンケートのお願いをしました。

すると彼は快諾してくれて英語で記入してくれました。

彼はスウェーデン人でした。

彼も非常に日本に好感を持っており、日本の良い所、自然、料理、酒などを連呼していました。

彼は私と話したいようでしたが、私は疲れと航空券のトラブルもあり、それ以上話をしませんでした。

(航空券のトラブルは後日紹介します)

無言が続いた後、彼は席を立って行きました。

 

 

私は英語が出来たらとつくづく後悔しました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 8: 憩い愉しむ人々


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< 1.コペンハーゲンの運河  >

2018/06/07  Thu. 17:16 撮影

 

 

今日は、北欧のライフスタイルの一端を垣間見ます。

そこから日本には無い生き方や働き方が見えて来ます。

 

 

 

* スウェーデン

 

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< 2. ストックホルム >

 

上の写真: ストックホルム大学の中庭。2018/06/01 Fri. 14:02 撮影。

 

大学の構内は非常に広く、このような広場はほんの一部にすぎない。

芝生に居るのは多くが若いグル―プでしたが、幼子を連れた父親もおり、様々な人々がここに来て、寛いでいるようです。

 

下の写真: 市内中央にある円形の広場Karlaplan。

2018/06/01 Fri. 16:55分 撮影。

 

老若男女のカップルや家族、または一人でベンチに腰かけていました。

 

 

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< 3. メーラレン湖 >

 

上の写真: ヨットを楽しむ家族。2018/06/03 Sun. 10:36 撮影。

 

大小様々なボートやカヌーも見ました。

 

 

下の写真: 湖水浴を楽しむ人々。2018/06/03 Sun. 12:09 撮影。

 

泳いでいる人もいたが、日光浴で肌を焼く人が多かったように思う。

 

 

 

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< 4. カールスタート >

 

上の写真: 河畔の広場で寛ぐ人々。2018/06/04 Mon. 16:45 撮影。

 

 

下の写真: 日光浴を楽しむ若い人々。2018/06/04 Mon. 17:13 撮影。

 

私がここに立っていると、若い女性グループが川にせり出した奥のテラスに行き、やおら服を脱ぎだした。

そしてビキニ姿になり日光浴を始めた。

 

 

皆さん! 撮影の時間を見て頂きたい。

この光景は平日の午後4時を過ぎたばかりなのです。

私がカールスタート駅を降りて町に出たのは午後4時半でした。

しかし町の至る所に市民が溢れ、公園や河畔で市民は寛いでいた。

つまり、4時になると市民は仕事を止め、皆が生活をエンジョイしているのです。

実は、私が34年前に北欧の企業視察を行った時も、5時になると社員たちは突然退社を始めたのです。

この光景が、目の前で再現されており、さらに1時間早いのです。

 

今回の旅行で、この光景は北欧三ヵ国に共通していることがわかりました。

現在、北欧では週33時間労働を目指しています。

つまり週休二日として9時出勤16時退社なのでしょう。

したがって朝8時台、ジョギングやサイクリングに汗を流している人が居ることは何ら不思議ではなかった。

 

翻って日本はどうでしょうか?

 

 

 

* ノルウェー、オスロ

 

 

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< 5. 湖Sognsvann >

 

上の写真: 自転車で訪れた人。2018/06/05 Tue. 8:41 撮影。

 

 

下の写真: 湖畔をジョギングする人。2018/06/05 Tue. 8:41 撮影。

 

朝、湖に着いた時は非常に寒かった。

訪れたオスロでは、昼には20℃を越えるのですが、朝は5℃以下だったと思います。

冬、ここは雪に覆われ、クロスカントリースキー絶好の地になるのでしょう。

 

 

 

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< 6. 郊外の島Ulvøyaに掛かる橋 >

 

上の写真: オスロ中心部から5kmほど湾に沿って南下した所にある島Ulvøyaに掛かる橋。

2018/06/05 Tue. 15:05 撮影。

 

下の写真: 橋の上からダイビングを楽しむ若者達。

2018/06/05 Tue. 15:06 撮影。

 

ここでも不思議に思ったのが、「彼らは平日のこの時間になぜここに居られるのか?」と言うことでした。

 

 

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< 7. オペラハウスの前 >

 

ギラギラ照りつける陽射しの中で寛ぐ人々。2018/06/05 Tue. 15:44 撮影。

 

湿気が少ないとはいえ、風が無いこの暑さの中、長く座っていることは私には辛い。

しかし、彼女らは太陽の陽射しを歓迎している。

 

 

 

* デンマーク

 

 

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< 8. ロスキレ >

 

上の写真: 市立公園。2018/06/07 Thu. 13:17 撮影。

 

なぜ学生たちがこの時間に公園で遊んでいるのだろうか?

自然の中で過ごすことが学習課題なのだろうか?

 

 

下の写真: 大聖堂前の広場で寛ぐ市民。

2018/06/07 Thu. 13:44 撮影。

 

団体や観光バスを見かけなかったので、周辺からの訪問者、そしてほとんどが町の人だろう。

北欧三ヵ国で、首都から離れた町を観光していてると、このような光景をよく見た。

様々な町の広場では、市民は平日の午前午後にもかかわらず、このように寛いでいた。

 

 

 

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< 9. コペンハーゲン、運河クルーズにて >

 

上の写真: 日光浴を楽しむ人々。2018/06/07 Thu. 16:39 撮影。

 

 

下の写真: 運河で泳ぐ子供達。2018/06/07 Thu. 16:42 撮影。

 

 

北欧の人々はなぜこうも太陽の陽射しを求めるのだろうか?

 

北欧の冬、例えばストックホルムの12月で太陽は9時頃に昇り15時頃には沈む。

さらに冬の間、ヨーロッパも含め、空は厚い雲で覆われ続けている。

酷い時は、ストックホルムの最低日照時間は一月十数時間ということもある。

私がかつて11月末に北欧を訪れた時、1週間ぶりに雲間から太陽が覗いた時、ツアー仲間は歓喜の声を上げた。

 

北欧にとって6~8月の陽射しは自然の最高の贈り物なのでしょう。

 

 

 

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< 10. コペンハーゲン、ヘルシンオア >

 

上の写真: コペンハーゲン、ノアポート駅Nørreport St近くにある植物園。

2018/06/09 Sat. 15:13 撮影。

 

この辺りは王宮、美術館、博物館が多く、コペンハーゲン発祥の地ですが、緑溢れる公園も多い。

多くの人が公園の芝生に座り寛いでいた。

 

 

下の写真: ヘルシンオアの街。2018/06/08 Fri. 16:35 撮影。

 

クロンボー城への観光客は通常、この町中を通らず、港沿いに駅舎間を往復するだけのようです。

したがって町は静かで、市民が寛ぐ午後のひと時になっていた。

 

 

* あとがき

 

皆さんに一番知って頂きたい事は、北欧の人々は労働時間がかくも短く、家族や恋人、友達と日々エンジョイしていることです。

かつ、北欧五ヶ国の国民所得、産業の国際競争力、人間開発指数のランキングは世界でほとんどが上位10番以内、それもトップに並ぶのです。

 

先ずは世界にこのような国があり、自らこの道を切り開いて来たことを知って頂きたい。

この経緯や成功の要因を追い追い説明していくつもりです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 7: 行き交う人々


 

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< 1.ストックホルム中央駅 >

コンコースの地下1階から地上1階を見上げた。

 

 

今日は、北欧の街を行き交う人々の姿を通して北欧の今を紹介します。

そこには新鮮な驚きが幾つもありました。

 

 

*スウェーデン

 

 

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< 2. ストックホルム >

 

上の写真: ストックホルム大学前の地下鉄駅Universitetet。

2018/06/01, Fri. 12:40 撮影。

彼らは隣の自然史博物館museum of natural historyを見学した学生かもしれません。

 

下の写真: Styrmansgatan通りをユールゴーデン島に渡る橋の方に向かって歩く人々。

2018/06/02, Sat. 13:11 撮影。

 

両日のストックホルムの最高気温は26と29℃で暑かったが、湿度が低いのかあまり苦にならなかった。

私は長袖を着ていましたが、半袖が主流でした。

 

 

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< 3.Älvsjö駅、ストックホルム >

 

上の写真: 朝、駅横のバスターミナルでバスを待つ人々。

2018/06/03, Sun. 7:03 撮影。

実に多種多様な人種の女性が共にバスを待っています。

 

この光景が今の北欧を最もよく象徴していると思います。

私は34年前に北欧を訪れているのですが、最初に郊外のMärsta駅に着いた時、ある変化に驚きました。

それは都市部への出勤の為に駅に向かう人々の多種多様な人種構成でした。

かって白人以外はホテルのウェイターやボーイだけだったと記憶しています。

今や移民は郊外の町ÄlvsjöやMärstaでは普通に見かけます。

 

下の写真: ストックホルム中心街をHOP-ON, HOP-OFFバスで巡っている。

2018/06/03, Sun. 14:43 撮影。

 

 

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< 4. Älvsjö、カールスタート >

 

上の写真:  朝、Älvsjöの町を散策。

2018/06/04, Mon. 7:13 撮影。

 

下の写真: カールスタートの街を散策。

2018/06/04, Mon. 17:03 撮影。

 

もう一つ、前回の訪問と比べて大きく異なっていたことがありました。

それは疾走する自転車です。

至る所、歩道より自転車道の方が広く、かつよく整備されており、逆に歩行者より自転車の方が優先されているように感じた。

自転車利用はエコと健康を重視した表れだと思います。

 

しかし旅行客はくれぐれも自転車道の自転車に気をつけて下さい。

自転車より自動車の方が歩行者には優しいように思います。

この光景はデンマークでより多くなります。

かってはなかった光景です。

 

 

 

*ノルウェー、オスロ

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< 5.オスロ >

 

上の写真: 朝の地下鉄駅Nationaltheatret stasjonの前。

2018/06/05, Tue. 7:58 撮影。

 

下の写真: オスロ中央駅前のバスタ―ミナル。

2018/06/05, Tue. 9:38 撮影。

 

都市部や郊外の観光地を観光している時、行き交う人々や旅行客は白人が多かった。

しかしほとんどの有名な観光地では中国系(大陸、台湾、香港)の団体を必ず見た。

アジア系の団体観光客では稀に韓国、タイ?、インド、日本を見かけた。

残念に思ったのは、アジア系で個人や数人のグループで旅行している人々は圧倒的に日本人以外だったことです。

ここでも中国系か東南アジア系が多い。

 

コペンハーゲンのホテルで旅行中の二人の日本女性を見て、少しほっとした。

 

 

 

 

 

 

 

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< 6.オスロ湾周辺 >

 

上の写真: 市庁舎広場。

2018/06/05, Tue. 9:38 撮影。

 

下の写真: 都市開発中のオペラハウス東側のウオーターフロント。

工事現場の外を、男性が赤ちゃんを乗せた乳母車を押していた。

2018/06/05, Tue. 14:42 撮影。

 

実はこの1枚の写真は、北欧の暮らしのある状況をよく象徴しています。

それはイクメン(子育てする男性)です。

北欧を旅していると、1才ぐらいまでの赤ちゃんを乗せた乳母車を押している男性が非常に多く、見かけたのは女性と同数ぐらいだったと思う。

これは北欧の育児休業制度が整っており、おそらくは男性と女性がほぼ同じように1年ほどの育児休暇を取っている現れでしょう。

さらにそれは移民にも波及しているのでしょう。

 

 

 

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< 7. オペラハウス、国立劇場 >

 

上の写真: オペラハウスの横。

2018/06/05, Tue. 15:37 撮影。

この写真の前面の男女二人はスマホを操作中です。

 

これも驚いたことの一つなのですが、北欧の人々にとってスマホは不可欠な物になっていたことです。

電車内では、少しでも時間があれば隣同士で話をしている以外は各自スマホでネットサーフィン、メールチェックやミュージックに没頭している。

本を読んだり、ボーと孤独に浸っている人はほとんどいない。

 

下の写真: 国立劇場前の広場。

2018/06/05, Tue. 16:15 撮影。

 

写真の左奥に右手に紙コップ、白い帽子を被った老人が立っているが、彼は物乞いです。

私は北欧は高福祉国家だから物乞いがいないと思っていましたので、また驚きました。

数は少ないのですが、見かけたのは白人以外だったように思う。

特に、オスロが多かったように思います。

 

 

 

*デンマーク、コペンハーゲン

 

 

 

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< 8.コペンハーゲン >

 

上の写真: 観光客で賑わうストロイエ通り。

2018/06/07, Thu. 17:40 撮影。

 

下の写真: 地下鉄駅Christianshavnの前の通り。

2018/06/07, Thu. 18:28 撮影。

 

ヘッドホンをした人が自転車に乗っていますが、最初ストックホルムの街中を歩いている時、驚きました。

歩いていると、大きな声で喋りながら、後ろから自転車で疾走して行く人がいました。

彼の耳にはマイクが一体になったイヤホンがありました。

結構、自転車に乗りながらボリュームを上げて音楽を聴く人や喋り続けている人が多かった。

 

当然、このような電車や自転車のスマホの使用はかつては無かった。

このスマホ漬けの状態は一種のブームか、または北欧の他人と距離を置く心性と合致しているのかもしれません。

 

 

 

 

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< 9. 朝のコペンハーゲン中央駅、Lyngby駅 >

 

上の写真: 朝のコペンハーゲン中央駅のホーム。

2018/06/08, Fri. 7:48 撮影。

 

下の写真: 朝の郊外のLyngby駅。

2018/06/08, Fri. 8:49 撮影。

 

 

 

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< 10. 地下鉄内、トーベヘルネ >

 

上の写真: 地下鉄内。

2018/06/09, Sat. 12:55 撮影。

北欧では、自転車やペットを電車に持ち込むのは当たり前のようです。

 

下の写真: イスラエル広場にある屋内型の食品マーケットやレストラン街。

2018/06/09, Sat. 13:05 撮影。

 

 

*感じたこと

北欧が変化し、多様化し、成長していることを知った。

移民の多さ、スマホや自転車の普及が著しい。

スマホは購入時のキャッシュレス化や列車のeチケットとして使用され、IT化が進み、サービス産業の合理化に貢献している。

またイクメンの多さを見て、育児休業制度の普及を実感した。

 

34年前に北欧に来た時、北欧美人にうっとりし、今回楽しみにしていたのですが、当てが外れました。

スタイルの良い美人を見かけることはあるのですが、実に様々な容姿があり、どれが各国の典型的な美人なのかがわからなくなりました。

あまりにも人種が多様で、白人に限っても異なる容姿が北欧人、スラブ、ゲルマン、サーミ(北方遊牧民族)によるものかわからない。

 

ここまで人種の混合が進むと、例えば容姿でデンマーク人を規定出来なくなる。

それがこれからの国家の有り様なのかもしれない。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 5: ヴァイキングの故地


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* 1

 

 

今日は、ヴァイキングの三つの故郷を簡単に紹介します。

ヴァイキングは今回して北欧三国から誕生しました。

それらが趣が異なれば、海岸や湖岸から生まれたことで共通しています。

 

 

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<2。ヴァイキングの航路>

 

赤丸が今回にされた場所で、ここにヴァイキングの有名な遺跡があります。

 

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<3。スウェーデン>

 

私が訪れたのは赤丸印のシグツーナSigtunaです。

ここはヴァイキング時代末期に栄えました。

実は、赤三角印のビルカBirkaの方がヴァイキングの遺跡としては有名なのですが、旅程の都合で省けました。

 

赤の線は、ヴァイキングの航路を想定しています。

スウェーデンの主なヴァイキングはこのメレンレン湖からバルルト海を中心に東方のロシアに向かい果ては黒海を抜け、イスラム圏と交易を行っていました。

 

 

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<4。シグツーナのルーン石碑>

 

上の写真:ルーン石碑。

ヴァイキング時代の8〜11世紀に良く作られた石碑の一つで、墓碑や旅に出た個人を讃える文などが刻まれていることが多い。

スカンディナヴィアの人々は、このような碑文以外に文字を残していたので中世以前の歴史は口述の神話に頼って得ることなく。

 

 

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<5、シグツーナの湖岸の港>

 

かつてはここからヴォイキングが船出していったのです。

 

 

 

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<6。ノルウェー>

 

私が訪れたのはオスロのビ​​グドイ地区にあるヴァイキング船博物館です。

この博物館には発掘された2艘のヴァイキング船があります。

このヴァイキング船が発掘された場所を赤丸で示しています。

 

赤の線は、ヴァイキングの航路を想定しています。

彼らは北海を抜け主に西方に進んだ、英国に侵入して北米大陸にしていました。

 

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<7。ヴァイキング船博物館>

 

上の写真:発掘された9世紀初頭のバイキング船。

この非常に大きな船を見ると、ノルウェーのヴァイキングが荒波を乗り越え、遠洋航海を成せたことがよく理解出来ます。

 

下の写真:地図の黒三角印鳥のフェリーから後部(北側)を見ている。

おそらくの南の島嶼部がヴァイキングの故地(発掘地)なのはしょ。

 

 

 

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<8。デンマーク>

 

私が訪れたのはロスキレのヴァイキング船博物館です。

この博物館には発掘された数艘のヴァイキング船があります。

このヴァイキング船はロスキレの湾から発見されました。

 

赤の線は、ヴァイキングの航路を想定しています。

デンマークのヴァイキングの有名な遺跡は他にユラン半島に2ヵ所ありますが、今回は遠かったの行っていません。

デンマークのヴァイキングは北海から英国、またはフランスの海岸や河川から大陸に侵入しました。

 

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<9。ロスキレのヴァイキング船博物館周>

 

上の写真:ヴァイキング船の造船技術が使えた船が数多く停留されていた。

 

下の写真:ロスキレ湾。

かってこの地にはヴァイキングの村があり、彼らは春になるとここから出撃していった。

 

 

いずれ博物館をもっと紹介します。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 4: 北欧の三つの首都


 

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< 1. ノルウェーの首都オスロ >

 

 

今日は、北欧三国の首都を対比させながら簡単に紹介します。

首都はストックホルム、オスロ、コペンハーゲンです。

 

 

*スウェーデンの首都ストックホルム

この首都の人口は94万で、国の人口1000万人の約1割弱が住んでいる。

首都の位置は国土の中央南寄りにあり、バルト海に近い湖沼地帯にある。

 

 

 

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< 2. ストックホルム 

 

上の衛星写真: 首都の中心部を示す。

上が北です。

物差しの長さは8kmで、1目盛りは1kmです。

赤矢印は中央駅を示す。

旧市街ガムラ・スタンは矢印の右下の小さな島で、ここがこの首都の発祥の地です。

この港から東に進み島々を抜けるとバルト海、フィンランド湾、ボスニア湾に出ることが出来る。

矢印の周辺から上部左右が首都の中心地です。

 

下の写真: Strandvägen通りの古都をイメージさせる瀟洒な建物群。

この海岸通りからの川や島々の景色が素晴らしい。

喜々として歩く観光客達、待ちわびた陽射しを浴びる市民達、川面を行きかう多数の白い遊覧船が青空と紺碧の川面に映えている。

 

 

 

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< 3. ストックホルム中央駅 >

 

上の写真: 左手の白い建物が中央駅。

この駅には泣かされました。

地上部分は大きくない建物で単純に見えるのですが、地下6階まで蟻の巣のように複雑に各種交通機関の駅が張り巡らされている。

この駅が都市交通網の中心となっている。

 

下の写真: 同じ駅前の通り。

右手奥が中央駅になる。

 

 

 

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< 4. メラーレン川 >

 

上の写真: 左手に市庁舎、中央にガムラ・スタン、右手はセーデルマルム島です。

上流側の船から見ており、川は中央の島によって左右に分かれる。

 

下の写真: ユールゴーデン島に掛かる橋より下流を望む。

右がユールゴーデン島、左がノーベル公園です。

 

 

*ノルウェーの首都オスロ

この首都の人口は67万で、国の人口530万人の約1割強が住んでいる。

首都の位置は国土のほぼ南端、オスロフィヨルドの奥まった所にあり、北海に面している。

 

 

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< 5. オスロ >

 

上の衛星写真: 首都の中心部を示す。

上が北です。

物差しの長さは4.5kmで、1目盛りは1kmです。

赤矢印は中央駅を示す。

特に旧市街はなく、王宮や大聖堂が中央駅の西側にあり、このエリアが中心です。

この湾のウオーターフロントがどんどん開発されており、勢いを感じた。

 

下の写真: 中央駅の海側にあるオペラハウスの前から撮った。

斬新な設計の白い建物と紺碧の海が目に眩しい。

 

 

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< 6. 中央駅前 >

 

上の写真: 白い建物が中央駅の駅舎。

都市の中心部や観光地は小さくまとまっており、地下鉄はこの地下の駅を中心に延びており分かり易い。

 

下の写真: 駅前の北側にあるショッピングビル群を望む。

 

 

 

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< 7. カール・ヨハン通り >

 

上の写真: 王宮から中央駅まで真っすぐ延びるカール・ヨハン通り。

王宮側から撮影。

 

下の写真: オスロ湾の船上から、オスロの中心部を望む。

左が最近完成したショッピングセンターやレストラン街、中央の二つの塔が市庁舎、右にアーケシュフース城が見える。

 

 

 

*デンマークの首都コペンハーゲン

この首都の人口は60万で、国の人口580万人の約1割が住んでいる。

首都は大陸に繋がるユラン半島ではなく、東側の最大の島のさらに東端にある。

この地はバルト海と北海を結ぶ海峡に面し、スカンジナビア半島に近い。

この首都の位置は小国デンマークが隣接する大国ドイツとの距離を取り、かつバルト海交易を重視した為なのだろう。

この首都にも王宮はあっても俗に言う旧市街はない。

 

 

 

 

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< 8. コペンハーゲン >

 

上の衛星写真: 首都の中心部を示す。

上が北です。

物差しの長さは7kmで、1目盛りは1kmです。

赤矢印は中央駅を示す。

王宮や大聖堂は中央駅の北東にあり、このエリアが中心です。

運河が発達しており、かつての交易都市を彷彿とさせる。

 

下の写真: 王宮の一つクリスチャンスボー城が右手に見える。

 

 

 

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< 9. 中央駅 >

 

上の写真: 左手の赤い建物が中央駅で、右手にチボリ公園が見える。

下の写真: Nørreport 駅。

コペンハーゲンの二本の地下鉄は中央駅から電車で二駅行ったNørreport 駅を通っている。

この周辺に観光ポイントが多数あり、ウオーターフロントに出るのも便利です。

 

 

 

 

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< 10. ウオーターフロント >

 

上の写真: 右手の近代的な建物は今年出来た多目的スペースBLOXで、運河の対岸は南側になる。

王立図書館側から撮影。

 

下の写真: 隘路のような運河。

両脇には瀟洒な住宅が並び、市民は日光浴を楽しんでいた。

 

 

*三都に想うこと

同じ北欧、ヴァイキングの国とは言え、かなり地理的条件が異なり、三都の景観や雰囲気は異なる。

 

ストックホルムは湖沼地帯から発展したが大きい。

島には緑が多いが、陸地には大きな岩がある為か、起伏が多い。

この地は戦火を免れて来た為か旧市街が残っている。

 

オスロの中心部は狭い地にある為、こじんまりしており、少し行くと海か深い森林に出会う。

住宅街は湾を囲むように馬蹄形に伸びており、首都とは言え、自然と一体になった職住環境が魅力に思えた。

 

コペンハーゲンは湖沼地帯に出来たので最も平らな普通の都市景観と言える。

驚いたのは首都の人工的な運河が市民の憩いの場になっている事でした。

ストックホルムでは中心から外れた自然の河岸が憩いの場の中心になっていた。

この地には多くの要塞の護岸が目に付くが、幾度も戦火に遭い、旧市街は破壊されてしまった。

 

しかし違いはありながらも、三都は豊かな緑と清らかな水と共にある都市で共通している。

また自動車や人の密度が低く、その一方で自転車が使い易い都市となっており、エコが定着している。

三都市は古都のイメージを生かしながらも、斬新なデザインの建築を取り入れ、再生と増殖を繰り返しており、力強いエネルギーを感じた。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 3: 北欧の歴史的建築物


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<1.ガムラ・スタンス>

ストックホルムの旧市街に向かって坂を上がる。

王宮が右手に見える。

 

 

今日は北欧3カ国の歴史的な建築を紹介します。

各地の王宮、旧市街、教会、城塞または役所などです。

 

 

*スウェーデン

 

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<2。ガムラ・スタンス>

 

上の写真:王宮、13世紀に建築されたが火災に会い、18世紀中頃完成。

下の写真:大広場、左に大聖堂の鐘楼が見える。

 

 

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<3。ガムラ・スタントンのドイツ教会>

 

17世紀半ばに建築された。

旧市街にドイツ教会があることが、北欧の歴史のドイツとの深い繋がりを物語っている。

 

 

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<4。郊外の建築>

 

共にメレンレン湖に面して建てです。

上の写真:スカンジナビアで最も小さいシグツーナの市庁舎。

 

下の写真:ドローニングホルム宮殿。

16世紀初め、すみに城はあったが、現在の姿になったのは18世紀半ばです。

 

 

*ノルウェー

 

 

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<5。スタヴ教会(釜板教会)>

 

この種の木造教会は、かごで北欧にたくさん存在していました石造りに建て替えられています、今は30棟ほどがノルウェーに残っているだけになった。

これは13世紀に建てられたが、ノルウェー民族博物館に移築されたものです。

以前はフィヨルドの奥の丘の上に立てていた。

 

 

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<6。オスロ市内>

 

上の写真:現在も国王が暮らしている王宮。

19世紀半ばに完成。

 

下の写真:アーケシュフス城。

オスロ湾を見下ろす岬の岩の上に立っている。

建築は13世紀に始まり、幾度も戦火をくぐり抜けて来た。

 

 

*デンマーク

 

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<7。コペンハーゲン中心部>

 

上の写真:ローゼンボ – 離宮。

17世紀初頭に完成した。

 

下の写真:クリスチャンボー城。

この地が12世紀半ばに始まるコペンハーゲン発祥の地。

現在の建物は20世紀初頭のものです。

 

 

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<8。救世主教会>

 

鐘楼の螺旋階段がユニーク。

17世紀末の完成。

 

 

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<9.古都ロスキレの教会>

 

12世紀にデンマーク初の大聖堂として建立された。

 

 

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<10。コペンハーゲン郊外の城>

 

上の写真:フレデリスクボー城。

湖に浮かぶ島に建つこの城はかつて王城でした。

16世紀には建築されていたが、17世紀初頭に現在の形になった。

 

下の写真:クロンボー城。

この城はスウェーデンとその間の海峡に睨みを利かすように海岸に建てる。

この城はバルート海交易で幾何も係争の種になり、シェイクスピアの「ハムレット」の舞台にもなっている。

 

 

次回に続きます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 2: 北欧の自然


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Sigtuna(シグツーナ)の湖。6/01、9:00頃

 

 

今日は、北欧の雄大な自然と暮らしと共にある自然景観をハイライトで紹介します。

北欧の街、特に郊外の街では緑濃い木々は家々や憩いの場と一体です。

 

 

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< 2. 写真撮影の位置 >

 

写真下の番号は地図内の番号を示す。

 

 

 

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No.2 ストックホルムアーランダー空港近くで。6/01、7:30。

ホテルからバス停までを歩いているところ。

周囲は深い森林に覆われている。

 

No.3 シグツーナに向かうバスの車窓から。6/01、8:30。

シグツーナ直前の湖の眺め。

 

 

 

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No.4 ストックホルムからドロットニングホルム宮殿に向かう遊覧船からの眺め。6/03、10:40.

片道1時間ほどの遊覧で眺めるメーラレン湖は最高でした(往復します)。

色とりどりの住宅、ボート、水辺で遊ぶ人々の姿が印象的でした。

 

No.5 郊外の街Älvsjöの住宅街。6/04, 8:00.

この駅前のホテルに3連泊し、朝、周辺を散策しました。

住宅街は緑で囲まれていました。

 

 

 

 

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No.6 カールスタードに向かう列車から。6/04、13:45.

車窓から見る森の様子はサンクトペテルブルクやバルト三国と変わらないが、幾分緑が濃いようでした。

10月初旬と今回の6月初旬との季節の違いかもしれないが。

ストックホルム近郊だけは大きな岩盤が多く露出していました。

 

No.7 カールスタードの街。6/04、16:45.

この町は普通、観光で訪れる所ではないようです。

天気が良かったので、美しい川の流れと、それを囲む公園の緑が光輝き素晴らしかった。

 

 

 

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No.8 オスロに向かう列車から。6/04、21:50.

この日の列車はオスロ到着が予定より4時間半も遅れたので、車窓から白夜の原野を眺めることになりました。

遠くの原生林と水平線近くの夜空は赤味を帯び、他は薄黒くなって行きます。

この状況は24時頃近くまで続いた後、真っ暗になりました。

やがて朝3時頃には陽が昇り始めます。

 

No.9 オスロ郊外の湖Sognsvann。6/05、8:40.

オスロ中心部からの地下鉄の終点駅で、この景観を味わえます。

昼は最高気温24℃にもなるのですが、早朝は8℃で身が引き締まる実に清々しい朝でした。

ここも観光地ではなく、地元の人が湖畔で朝からジョギングしていました。

 

 

 

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No.10 フェリーから眺めたオスロ湾中央の西側を望む。6/06、17:00.

船が出航してから30分ほど経過しています。

 

No.11 フェリーからスカンジナビア半島に昇る朝陽を望む。6/07、4:30.

遠くに見えているのがスカンジナビア半島(スウェーデン)の大地です。

 

 

 

 

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No.12 古都ロスキレの湾を眺める。6/07、13:00.

湾の最深部から湾の開口部を眺めている。

かつてヴァイキングがここから旅立った。

 

No.13 湾を臨むロスキレの公園にて。6/07、13:10.

なぜか平日なのに市民や学生が公園内でくつろいでいた。

 

 

9DSC04157-11

No.14 郊外の都市LyngbyのThe Open Air Museum(Frilandsmuseet)横の公園にて。

6/08、9:30.

大きな公園の一角にある池を撮影。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 1: はじめに


 1DSC09818-1

< 1. ストックホルム空港に到着 >

 

 

私はスカンジナビア3ヵ国を12日間旅行して来ました。

今回はまったく旅行会社に頼らず、初めて一人で海外旅行をしました。

旅行の概要を紹介します。

 

 

旅行の概要

期間: 2018年5月31日(木)~6月11日(月)

訪問先: スウェーデン、ノルウェー、デンマークの首都を中心に。

移動手段: 空路は北京経由のエアチャイナで往復、首都間の移動は列車とフェリー、観光はパス(公共交通機関乗り放題)と徒歩。

ホテル: 交通が便利でほぼ最安値のホテルに連泊した。

観光地: 主だったものは一通り見ました。

 

 

旅行を終えた感想

詳しい見聞や感想は今後紹介していきます。

 

・ 以前に比べ移民が非常に多くなり、また食文化や服装などに大きな変化があった。

 

・ スマホなどのIT技術による省力化が進み、また都市の再開発が進行中。

 

・ やはり経済と幸福度で優れていると感じた。但し、物価は高い。

 

・ 毎日のようにアクシデントがあり、毎日10時間の徒歩観光で疲れた。

 

・ 事前の予約と調査が役に立ち、拙い旅行用の英会話でも役に立った。

 

・ 毎日快晴で日が長いので良い旅行季節だった。

 

・ フリーならではのハプニングや人々の出会いを経験し、郊外や住宅街を散策し、人々の暮らしを直に知ることが出来た。

 

 

 

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< 2.旅行ルート、上が北、地図の縦の距離600km >

 

図の表示: 赤枠が観光範囲。黒線は鉄道。茶色線はフェリー。

 

空路でスウェーデンに入り、4泊した。

次いで、鉄道でオスロに向かう途中、カールスタートで下車し、1時間半ほど散策。

オスロで2連泊後、オスロ港から一泊するフェリーでコペンハーゲン港に着いた。

コペンハーゲンでは3連泊し、空路で帰国。

 

 

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< 3. ストックホルムと郊外 >

 

 

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< 4. ストックホルムの郊外 >

 

 

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< 5. カールスタート >

 

 

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< 6. ストックホルムの観光、上が北、地図の縦の距離50km >

 

図の表示: 赤枠が観光範囲。黒線は鉄道。緑線はバス。茶色線は船。黒四角はホテル、Aで1泊、Bで3連泊。ピンク四角は空港。

 

主な訪問地

1 シグツーナ : バイキング時代からの古い町、湖に面した景勝地。

2 ストックホルム大学と自然史博物館

3 ドロットニングホルム宮殿: 大きな庭園と湖に囲まれた宮殿。

4 スクーグシェルコゴーデン: 世界遺産「森の墓地」。間違って隣の墓地を見学した。

5 ストックホルム中心: ガムラ・スタン(旧市街)、ユールゴーデン島(スカンセン、博物館2か所)、歴史博物館など。

6 Nynäshamn: サイクリングとシーフードを楽しみにしていた南端の漁港に向かったが、鉄道が不通の為行けなかった。

 

 

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< 7. オスロの郊外 >

 

 

 

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< 8. オスロ湾 >

 

 

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< 9. オスロの観光、上が北、地図の縦の距離15km >

 

図の表示: 赤枠が観光範囲。黒線は鉄道。緑線はバス。茶色線は船。黒四角のホテルで2連泊。茶色四角はフェリー港。

 

主な訪問地

1 Sognsvann: 美しい湖。

2 ヴィーゲラン公園: 広い公園にユーモラスな人体彫刻群が並んでいる。

3 ビィグドイ地区: ノルウェー民族博物館、ヴァイキング船博物館、他の博物館2か所。

4 Ulvøya: 郊外にある二つの島を路線バスに乗ったまま訪ねた。

5 オスロ中心: ノーベル平和センター、オスロ市庁舎、アーケシュフース城、ノルウェー抵抗運動博物館、陸軍博物館、歴史博物館、国立美術館、王宮庭園など。

 

 

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< 10.コペンハーゲンの郊外 >

 

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< 11. コペンハーゲン >

 

 

 

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< 12. コペンハーゲンの観光、上が北、地図の縦の距離65km >

 

図の表示: 赤枠が観光範囲。黒線は鉄道。茶色線はフェリー。黒四角のホテルで3連泊。茶色四角はフェリー港。ピンク四角は空港。

 

主な訪問地

1 クロンボー城: ハムレットの舞台。

2 フレデリクスボー城: 湖に面した美しい城。

3 野外博物館: 広大な敷地にデンマークの古民家を移築。ノルウェー民族博物館、スカンセンと同種。

4 ロスキレ: 古都。大聖堂とヴァイキング博物館

5 コペンハーゲン中心: 国立博物館、クリスチャンボー城、骨董市、王立図書館、救世主教会、ローゼンボー離宮、国立美術館、植物園、運河クルーズ、労働者博物館、トーベヘルネ(マーケット)など。

 

 

 

この旅行で目指したもの

1984年に一度、スウェーデンとデンマークを訪問し、この時、この国の企業の経営姿勢、福祉政策、人々のライフスタイルに感銘を受けていた。

現在も、北欧5ヵ国(アイスランド、フィンランドも)は経済や国民の幸福度などで世界をリードし続けている。

自分の目で確認し、日本の現状の打開策を探りたかった。

 

 

 

この旅行記でお伝えしたいこと

・ フリーの旅行者に役立つ、実際に経験した役立ち情報、トラブル、観光情報を紹介します。

 

・ 北欧の人々の暮らしを写真で紹介します。

 

・ 北欧の社会・経済と歴史、ヴァイキングなどを解説予定。

 

・ 現地で出会った人々やアンケ―ト結果を紹介します。

 

どうか皆さん、特に若い人は北欧を旅して欲しい。

幸福で豊かな暮らしを手に入れている国があることを知って頂きたい。

そこでは日本と何が違うかを肌で感じることが出来るはずです。

 

国民全員が政治を担い、常に教育改革を行い、労働環境を整え、国際競争力を高めることにより良い生活を手に入れている姿がそこにはある。

 

 

次回に続きます。

 

 

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お知らせ! ブログを少し休みます


 1

 

申し訳ありませんが、ブログの投稿を少しの間休みます。

6月中旬より北欧訪問記を始める予定です。

 

6

*2

 

現状に危機感を持って記事を書いて来ましたが、目指す社会像が見えない。

そこでスウェーデン、ノルウェー、デンマークを自分の目で確かめることにしました。

 

私は1984年、視察旅行でスウェーデンとデンマークを訪れ、大きなカルチャーショックを受けました。

 

もう一度、34年後の変化を今度はじっくりと自分の目で確認したい。

この旅行は老人一人で、主に首都を中心に各国4日間の計12間で巡ります。

 

私は皆さんが北欧を身近に感じてもらえるような訪問記を書けることを願っています。

 

英語が出来ないので、これから1ヵ月猛特訓し、迷子にならないように準備します。

 

それでは失礼します。

 

 

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