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中国の外縁を一周して 16: 琉璃廟大街から西単大街へ


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今回は、書道関連品や骨董品の店が並ぶ通りと大きなショッピング街を紹介します。

ショッピング街で夕食をとりました。

今回で二日間の北京観光が終えます。

 

 

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< 2. 散策マップ、上が北 >

 

概略のルート

上のS、故宮站で下記の観光バス(赤線)に乗り、天壇の西横、Eの天桥站で降りました。

本当は天壇に行くつもりでしたが、元の両替に時間がかかり行けなくなりました。

次いでタクシー(ピンク線)を拾ってCの琉璃廟古文化街に行きました。

ここを西の方に散策(茶色線)し、大通りに出てバス(黒線)に乗り、Dの西単で降りました。

 

 

 

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< 3. 北京观光1线公交线について >

 

このバスは写真のようなレトロな1階バスです。

このバスの走行ルートは、上記地図の青線で下側の永定門内站からスタートし戻って来ます。

バス停名は上記の通りです。

 

 

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< 4. 北京观光1线公交线に乗る >

 

上: 私が乗ったバス停は故宮と景山公園の間にあり、ちょうど景山公園の入り口が見えています。

 

 

下: バスの内部。

ここで一つハプニングが起きました。

このバスには女性の車掌が乗っています。

その車掌が、立っている妻の前で座っている男性を、突然きつい口調で注意しました。

男が立って席を空けてくれたので、妻は座ることが出来ました。

 

年配者のマナーが良くないことは多いが、他のバスでも車掌が注意して正すことがあった。

この辺りが独特です。

 

 

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< 5. 天安門広場を望む >

バスの車窓からの眺め。

 

上: 地図のAから毛主席記念堂を望む。

もの凄い人だかりです、故宮に行く為でしょうか。

 

下: 地図のBから正阳门を望む。

この門が昔の内城(紫禁城をさらに取り囲む)の南側の門でした。

左が正阳门で右が正阳门(箭楼)で、500年の歴史があります。

 

この観光バスを天桥站で降りたのですが、手持ちの元が少なくなったので、両替出来る銀行を探しました。

近くにはあったのですが、二軒目が両替可能でした。

ところが中に入って、係員の説明に従って書面を記入するまでは何とか出来たのですが、窓口で順番を待つ時間が非常に長い。

合計1時間以上かかってしまい、天壇には行けずじまいでした。

これは開封の銀行でも同様でした。

 

中国はスマホでのIT金融は非常に進んでいるのですが、従来の金融、銀行業は旧態依然としているようでした。

もっともこんなところで両替するのが間違いなのですが。

スマホ決済出来ない方々は十分に現金を持っておいてください。

 

 

 

 

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< 6. 琉璃廟古文化街に到着 >

 

上: 古文化街はこの道路を東西に横切る形で延びている。

 

下: 後に中央の通りを西に進むことになります。

 

 

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< 7.東側の琉璃廟古文化街 >

 

上: 道路の東横にあるこの広場の北側に古物店が並ぶ海王村古玩市場があります。

入ってみましたが、安い土産品を買うような所ではないようです。

 

下: 通りを東側に行く。

しかし、次のバス停が西側なので、直ぐ折り返した。

 

 

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< 8. 西側の琉璃廟古文化街に入る >

 

書道関連品の紙や筆などの店が軒を並べている。

何軒か古物店に入ったが、値札を見ると高価であり、関心を惹くものは無かった。

ただ書画用の絵図(印刷された花鳥風月、人物、風景画)は非常に見ていて楽しかったが、荷物になるので買わなかった。

 

 

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< 9. 琉璃廟古文化街を抜ける >

 

中国はどこに行っても建設ラッシュであり工事中です。

 

 

 

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< 10. 西単大街に来た >

 

上: 西単大街には、王府井に比べ団体の観光客が少なく、若い人が多かった。

 

下: 王府井でもそうだったが、バラ売りお菓子の個包装がけばけばしい色をしている。

 

 

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< 11. ショッピングセンターの一つに入る >

 

 

 

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< 12. レストラン街を目指す >

 

ビルに入りエスカレーターで上がると、これまたドギツイほどのカラフルな内装とけたたましい音楽が迎えてくれた。

このワンフロアがレストラン街になっており、火鍋のレストランに入りました。

以前、北京で食べたオーソドックスな火鍋ではなく、肉とそれ以外の食材が豊富でした。

鍋の汁も異なっていた。

しかし美味しく、また楽しめた。

セットメニューを選んだのですが、選択肢が多く、店員とのやり取りではかなり苦労した。

 

私は中華料理が好きですが、本当にバラエティーに富んでおり、今回の旅行では本当に食事を楽しむことが出来た。

 

 

 

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< 13. 西単の地下鉄駅を目指して歩く >

 

地下鉄を乗り継いでホテルに戻ります。

これで北京最後の夜を終えました。

明日は、新幹線に乗り開封に向かいます。

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 10: 日光東照宮


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今回紹介するのは日光東照宮です。

今回の旅行のハイライトの一つがこの陽明門です。

 

 

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< 2.日光山の地図、上が北 >

前回と同じ地図。

 

上: 日光東照宮、日光荒山神社、日光山輪王寺、大猷院霊廟などがある。

右側S(駐車場)から赤線に沿って進み、輪王寺三仏堂1を見て、参道2に出た。

参道を北上し、東照宮の境内3に入り、拝殿4に入館した。

そこを出て青線に沿って進み鳴竜5を見て、元の駐車場に戻った。

 

下: 私が訪れた日光東照宮。

赤線は往路、青線は復路です。

 

写真はほぼ散策順に並んでいます。

 

 

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< 3. 鐘楼 >

 

私が気に入ったのは、陽明門の右手前にある鐘楼のある風景でした。

 

上: 左手に極彩色の花鳥の透かし彫りが施された回廊と石灯篭が連なり、右手に鐘楼、そして奥に、朝陽を浴びて今が盛りと輝く一本の銀杏、青空に映えて実に美しい。

 

陽明門の左手に鼓楼があり、さらに奥に薬師堂(本地堂)があり、そこに鳴き龍があります。

 

 

下: 逆方向から見た。

 

 

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< 4. 鐘楼と回廊 >

 

 

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< 5. 念願の陽明門 >

 

上: 階段下から見上げた陽明門。

無数の龍と獅子が門に群がり、そこに住み着いているようです。

目を見開き、牙をむき恐ろしい顔をしているようにも見えるが、不思議に愛くるしい。

 

日光東照宮は徳川家康の霊廟ですが、神様として祀られている。

家康は、この地に質素な社殿を建てるように遺言したが、後の1636年に、家光が現在の豪華絢爛たる社殿にすべて作り替えた。

そして昭和の大修理を終え、今また平成の大修理が進んでいる。

 

 

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< 6. 陽明門 1 >

 

陽明門を飾る彫刻は500を越える。

 

 

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< 7. 陽明門 2 >

 

 

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< 8. 陽明門の裏側 >

 

 

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< 9. 拝殿と唐門 >

 

上: 手前に唐門とその両側に透塀が見える。

その奥に最重要の御本社の拝殿が見える。

 

下: 唐門は胡粉で白く塗られ、上部の彫刻群は中国の故事を表している。

 

 

 

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< 10. 拝殿に入る >

 

上:  唐門の左側を望む。

左に祈祷殿、右に神楽殿が見える。

この中央を進むと有名な左甚五郎作の「眠り猫」がある。

ここは別料金で、私は行かなかった。

 

祈祷殿の手前を左に入り、靴を脱ぎ、回廊を歩き拝殿に入る。

拝殿の座敷に入ると、一人の巫女が、大勢の観光客に前に詰めて座るように促した。

ここでひとしきり拝殿の説明があった。

 

私はちょうど一番前に座ることが出来た。

目の前には、飾り気のない大きくもない暗い空間が広がるだけでした。

しかし、かつて私が座っている場所に家光などの歴代の将軍家が座り、その後ろには譜代大名が続いていたとは・・・。

不思議な感覚でした。

 

その後、その巫女はお守りの売り込みを始めました。

私もその気になり、妻に買うように促しました。

 

 

下:  神輿舎(しんよしゃ)。

唐門に向かって左手にある、祈祷殿の反対側。

 

 

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< 11. 鳴き龍 >

 

上: 薬師堂(本地堂)の天井に描かれた鳴き龍。

写真は借用です。

 

後に家康は薬師如来の生まれ変わりと信じられ、ここに薬師瑠璃光如来が祀られているのですが、すっかり鳴き龍が有名になった。

 

私達が列を作って堂内に入ると、一人の僧が、鳴き龍の下を囲むように並ばせ、拍子木を打ち始めた。

最初は部屋の端で鳴らしたが普通の音だった。

しかし中央で叩くと、甲高い鈴の音が余韻を残し鳴り響いた。

これが鳴き龍だと納得し、造営者の左甚五郎は凄いと思った。

 

その後、かの僧もまた新たな御守りを薦めた。

それは先ほどのものより更に御利益があると言う。

妻はまたここでも買った。

 

天井の鳴き龍の顔の辺りが凹んでいることで反響し鳴くようです。

この現象は1905年に偶然発見されたものでした。

左甚五郎が計画的に作ったものか、経年変化かどうかは不明です。

 

 

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< 12. 美しい紅葉 >

 

これで日光とはお別れです。

 

次回に続きます。

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 9: 日光山輪王寺


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今回と次回で、日光山を紹介します。

素晴らしい天気と鮮やか紅葉に恵まれました。

訪れたのは2019年11月19日、9:00~11:00です。

 

 

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< 2.日光山の地図、上が北 >

 

上: 日光東照宮、日光荒山神社、日光山輪王寺、大猷院霊廟などがある。

右側S(駐車場)から赤線に沿って進み、輪王寺三仏堂1を見て、参道2に出た。

参道を北上し、東照宮の境内3に入り、拝殿4に入館した。

そこを出て青線に沿って進み鳴竜5を見て、元の駐車場に戻った。

 

下: 私が訪れた日光東照宮。

赤線は往路、青線は復路です。

 

写真はほぼ散策順に並んでいます。

 

 

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< 3. 輪王寺三仏堂 1 >

 

周囲の紅葉が青空に映えて実に美しかった。

 

 

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< 4.輪王寺三仏堂 2 >

 

上: 日光三所権現本地仏(右から千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)。

撮影禁止なので借用。

制作年代等は不明。

2019年修復されたばかりの金色が眩い、高さ7.5mの三体の仏像は暗い堂内を圧倒していた。

大きな堂内が狭く思えた。

 

下: 輪王寺三仏堂から大護摩堂を見る。

右手の紅葉がまた素晴らしかった。

 

この輪王寺の歴史は古く、奈良時代、勝道上人がここに輪王寺を開山した。

彼は今の栃木県辺りで活躍し、中禅寺も創建した。

平安時代あたりから天台宗寺院として歩み始める。

江戸時代になると、家康の側近として活躍した天海(天台宗の高層)が貫主となり復興が進んだ。

そして徳川家康の霊を神として祀る東照宮が設けられた。

 

後に徳川家光の霊廟になる輪王寺大猷院には、時間が無かったので行きませんでした。

 

 

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< 5. 輪王寺三仏堂と参道 >

 

上: 右が輪王寺三仏堂、左が大護摩堂。

 

下: 参道の下り方向を望む。

 

 

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< 6. 石鳥居 >

 

1618年、筑前(福岡県)藩主黒田長政が奉納した。

 

上: 東照宮側を望む。

 

下: 反対側を望む。

 

 

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< 7.五重塔 >

 

右: 五重塔。

1650年、小浜藩主酒井忠勝によって奉納された。

後に焼失したが再建された。

 

左: 表門。

仁王像が安置されている東照宮最初の門です。

ここで入場券を確認します。

 

 

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< 8. 表門を抜ける >

 

上: 表門の反対側。

 

下: 少し境内に入って進行方向を望む。

 

 

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< 9.神厩舎・三猿 >

 

上: 神厩舎・三猿。

ここは御神馬をつなぐ厩で、猿は馬を守るとされ、人生を風刺した猿の彫刻が上面に飾らている。

中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」が有名。

 

下: 階段の奥に陽明門が見えて来た。

 

 

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< 10. 御水舎 >

 

心身を清める為の建物で、水盤が見える。

 

 

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< 11. 輪蔵 >

 

上: 階段を上がると陽明門の前に至る。

 

下: 階段の手前、左側にある経典の蔵。

経典の棚が回転式の為、この名がついた。

 

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< 12. 階段を昇った所 >

 

次回に続きます。

 

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中国の外縁を一周して 14: 北京、頤和園の後半


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今回は、頤和園の後半を紹介します。

登りがあるので疲れますが、変化があり楽しめました。

撮影は2019年10月19日10:50~12:30です。

 

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< 2.散策ルート、上が北 >

 

赤線が散策ルートで、Sから始め、駐車場Eで終わります。

駐車場からは、北京の観光周遊バスに乗って北京中心部まで戻ります。

 

 

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< 3. 排云殿から登り始める >

 

標高差60mほどの急な階段を昇ります。

 

 

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< 4. 仏香閣の前からの眺め >

 

上: 登って行く時に、右側に見える奇岩と建物。

手前から敷华(奇岩群と思われる)、转轮藏(一群の建物)です。

 

下: 昆明池が広がる。

ガスっていなければ絶景なのですが。

 

 

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< 5. 仏香閣 >

 

上と左下: 仏香閣

 

右下: 1階に安置されている南无大悲观世音菩萨。

高さ5mで、明朝の1574年に銅で鋳造された。

ここは1860年の英仏連合軍によって焼かれたが、後に西太后が改修した。

後の文化大革命にも、この像は残った。

それは管理局がこの仏香閣の正面に毛沢東像を置いたからだそうです。

中国を旅行していて、本物の古い物が博物館以外で見られることは少ない。

ありがたいことです。

 

今回、頤和園を是非とも見たかったのは、ここが西太后との因縁が深かったからでした。

西太后はこの頤和園を愛でる為に、莫大な費用をかけて改装した。

本来、日清戦争の軍備に回すべき資金を使い果たした。

敗戦を招く愚かな行為の代償がここに残っている。

 

 

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< 6. 仏香閣から >

 

上: 仏香閣を出て、敷华と转轮藏を見下ろす。

 

左下: 众香界(門のような建物)を見上げる。

 

右下: 仏香閣を見る。

 

 

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< 7. 四大部洲 >

 

私は仏香閣を抜けるとすぐ万寿山の峰に出て、北側に下山し始めました。

すると異様な光景が目に入って来ました。

私は訪れたことは無いのですが、眼下にチベット仏教様式の建物群が広がっていました。

 

なぜチベット仏教なのか?

そう言えば映画「ラストインペラー」で、西太后が死去した時、宮殿内をチベット僧らしき人が行き来するシーンがあった。

 

帰国後、調べました。

「四大部洲」とは、仏教で須弥山(しゅみせん)の四方の海の中にあるという四つの大陸を指します。

どうやら須弥山を中心にして、4大陸を象徴する建物が配されているとのことです。

 

それにしてもチベット様式でなくても良いはずなのだが。

金や元の時代に、中国の仏像がチベット仏教の影響を受けたことはあったが、一時期だけのものと思っていた。

しかし後に清朝は苦戦を強いられながらもチベットを征服した。

この事で、ここに四大部洲を再現するためにチベット様式を取り入れたのか?

もう一つ釈然としない。

 

それにしても巨大だったこともあり、突如異国に来たような感覚に囚われた。

 

 

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< 8.四大部洲の下側 >

 

 

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< 9.苏州街(蘇州街)に入る >

 

上: 四大部洲を見上げた。

 

下: 四大部洲から真直ぐ北に下ると、石橋の欄干が見えて来た。

ここが蘇州街です。

 

 

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< 10. 橋の上から両側を見下ろす >

 

今回、楽しみにしていた所です。

ここは江南の水鎮を模した売店が並んでいます。

乾隆帝の時代に造られ、様々な品物を扱う店が並び、宮廷の宦官や宮女が店員に扮して皇帝を迎えたそうです。

唯一の宮市の名残りだそうです。

ここも戦火に遭い、1986年に再建された。

 

 

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< 11. 苏州街の西の端 >

 

上: 西の端から中央を望む。

中央の石橋が見える。

 

下: 同じ場所から反対方向を望む。

こちらを進むと昆明湖に出る。

 

 

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< 12. 中央の石橋 >

 

 

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< 13. 東の端付近 >

 

それぞれの店は小さく、ほとんど売店です。

川と売店の間の道幅は非常に狭い。

私は上の写真の奥辺りの店で昼食をとった。

手軽だったので入ったが料理は即席で興覚めでした。

 

 

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< 14. 出口を抜ける >

 

頤和園は後半の方が、変化に富んで面白かった。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 8: 中禅寺湖から鬼怒川温泉へ


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今回は、中禅寺湖と華厳の滝、

一泊してからの鬼怒川温泉の朝と日光への途中の景色を紹介します。

 

 

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< 2.中禅寺湖 >

 

素晴らしい青空でした。

しかし日が陰り始め、湖面を渡る風は冷たく、少し晩秋のわびしさを感じました。

 

写真は中禅寺湖の東側、歌ヶ浜第一駐車場から撮影しました。

この駐車場は無料で広いです。

 

 

 

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< 3. 中禅寺 >

 

上: 中禅寺が見えます。

同じ場所から写す。

 

下: 県営華厳の滝第1駐車場にて。

華厳の滝を見に行く為に停めました。

 

 

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< 4. 華厳の滝 >

 

華厳の滝エレベーターに乗って、滝つぼ近くの展望台に行きました。

写真はすべてこの展望台からです。

 

 

 

 

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華厳の滝を見終えて、いろは坂を下ったのですが、完全に紅葉は終わっていました。

2019年11月18日のことでした。

 

 

 

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< 7. 鬼怒川温泉のホテルから >

 

一夜明けた朝6時半頃、部屋から川の上流、北側を望む。

この方向、直線距離70kmほどで猪苗代湖に至ります。

北関東の端に来た思いがした。

 

 

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奥の山が朝陽に輝き始めました。

 

 

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< 9. 鬼怒川温泉から日光東照宮に行く途中 >

 

おそらく広域農道の原宿辺りです。

 

上: 来た道を振り返っている。

 

 

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< 10. 日光東照宮を目指す >

 

遠方、左の山は恐らく男体山でしょう。

手前の小山を越し右に折れ、川を少し遡上すると日光東照宮に出会える。

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 13: 北京、北京西駅から頤和園


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今回は、北京西駅から頤和園までのバス乗車と、

頤和園の半部ほどを紹介します。

写真は2019年10月19日8時~11時頃の撮影です。

 

 

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< 2. ルート地図、上が北 >

 

上: 公共バス、394路(韩家川南站方向)による北京西站から西苑站までのルートです。

濃い緑がバス、薄い緑が徒歩です。

地下鉄を乗り継いでも行けるのですが、都市の風景を見たかったのでバスにしました。

バスなら乗り継ぎはありません。

 

 

下: 頤和園入場までと頤和園内のルート。

緑線が徒歩のルートで、右側のバス停から入場ゲートを通り、そして西側にある石舫までを示す。

今回の紹介は昆明湖に面した頤和園の南側だけになります。

次回は中央の丘を登り、北側を紹介します。

 

 

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< 3.ホテルの部屋からの眺め >

 

駅の北側を望む。

大きなバスターミナル、北京西站が真下に見える。

 

上: ほぼ真北を望む。

 

下: 少し東寄りを見ている。

並んでいる銀色と青色の屋根がターミナルです。

 

 

 

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< 4.バスに乗って >

 

上: バスターミナルとホテル。

バスターミナルへはホテルから直ぐに行くことが出来ず、迂回して大通りまで出なければならない。

予めバスの路線番号を調べていたので、乗車のバス停は直ぐわかった。

 

ターミナルの後ろが宿泊したホテル瑞爾威飯店(北京西鉄道駅)です。

便利な位置にありながら安かった。

朝食は別料金で、チェックイン時に払った。

特に問題はなかった。

すぐ横の北京西駅から朝9:15の新幹線に乗らなければならなかったのでここを選びました。

 

 

旅のヒント

新幹線で北京から開封と開封から蘭州に行く場合、1日の本数は結構あるのですが、朝の1本(9時前半発)を除いてみな巨大駅(鄭州や西安)で乗り換えになります。

乗り換えには不安があり、時間ロスもあるので避けた。

 

今回、様々な予約に初めてTrip.comを使いました。

中国のホテルのすべてと一部の航空券に使用。

新幹線は、事前に行っても予約を確約出来ないとのことで、友人に依頼しました。

新幹線も、旅程に余裕があるなら日本語で予約できるTrip.comはお薦めです。

 

航空券の多くは、中国の航空会社で買う方が安かったので直接購入した。

しかし航空会社のサイトは英語や中国語表記であり、トラブルがあると苦労します。

いずれ紹介しますが、結局、中国の友人にトラブルを解消してもらいました。

Trip.comは、日本語で質問を受けるコールセンターがあり、メールや電話でホテルの事などで幾度も確認することが出来た。

但し、オペレーターは日本語を喋る中国人です。

 

Trip.comでのホテル予約で、実害はないのですが少し違和感がありました。

それは予約完了と同時にクレジットカードで料金を支払っておいたのですが、ホテルチェックイン時にまた支払を請求された。

フロントマンはそれはデポジットだったと言ったが、英語や中国語でのやり取りなので納得できず、異議を唱えたが、結局支払った。

 

帰国後、調べると私達がホテルチェックインする前にはTrip.comから返金があった。

またすべてのホテルで、このような形で支払ったわけではなく、様々でした。

北京の1泊を除いて数日前までのキャンセルが無料なのは良かった。

鉄道や航空機、観光拠点などの都合で日程を幾度も組み替え、キャンセルをかなりしたので。

 

結論、Trip.comは中国旅行にはお薦めです。

なお来年、米国を周遊する予定ですが、数は多くは無いが米国でもTrip.comの方が安い場合があります。

 

 

下: 乗車したバス。

このバスは2階建てでした。

中国のバスは降車を知らせる押しボタンが無いので、2階に登ってしまうと、降車に間に合わないと思い上がりませんでした。

後に慣れて来て、降車の停留所が事前に分かるようになると、2階に上がりました。

 

このバスで驚いたのは、警備員が一人、初めから乗車していたことです。

彼はずーと立ったままで、適宜、乗客にマナーを注意しているようでした。

彼はちょうど私の横にいたので、びくびくしたのですが、何も注意されませんでした。

警備員の添乗は北京のこのバスだけでした。

 

 

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< 5. 頤和園までの車窓の眺め >

 

三日間の滞在中、北京の空はこのような感じでした。

中心部から離れているのか、渋滞は酷くはなかった。

 

やはりレンタルバイクをよく見かけました。

 

 

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< 6.バス停から頤和園の入場口まで >

 

上: バス停を降りて西(進行方向)に少し進むと、道路の左側に洒落た飲食街があります。

さらに進み分岐を左に行くと、写真のような広く静かな並木道に出ます。

次いでまた分岐を左に進みます。

この辺りは表示がないし、あまり人が歩いていないので危うく迷うところでした。

途中、人に聞いたのでわかりました。

 

中央: やがてたくさん人がいる所に着きました。

ほとんどの人は観光バスの団体のようです。

進んで右側が東門で、さらに右側に切符売り場があります。

 

下: 入場ゲートは人で一杯です。

ゲートの数が多いので、それほど待ちません。

 

バス停から東門まで1km強でした。

 

 

 

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< 7. 仁寿殿 >

 

上: 仁寿殿の庭にて

中央に麒麟の銅像が見える。

 

下: 玉澜堂の前から浮島の知春亭を望む。

左は文昌阁。

遊覧船が沢山繋がれている。

 

 

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< 8. 乐寿堂 >

 

上: 先ほどの写真撮影の位置から万寿山を望む。

山の手前の右側に逆さのU字型が見えますが、その向こうに乐寿堂があります。

 

下: 乐寿堂。

清朝の乾隆帝が母の皇后に建てた住まいです。

ここには頤和園最大の太湖石があり、写真の左側に一部が見える。

重量は20トンを越える。

 

 

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< 9. 長廊 >

 

上: 長廊と昆明湖の間。

人が多くて、とてもじゃないが散策を楽しむどころではない。

 

下: 長廊。

全長700mを越える木造の外廊。

梁に桁に14000もの絵が描かれている。

座ることは出来たが、鑑賞出来る雰囲気ではない。

 

 

 

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< 10. 昆明湖 >

 

上: 先ほど通って来た文昌阁や玉澜堂が見える。

 

下: 遠くの島は南湖岛。

この湖は南北と東西にそれぞれ1.7kmほどある。

 

この湖の名前がなぜ昆明湖なのか?

後に、私は雲南の巨大な湖、滇池を訪れるのですが、なぜこの名前がついたのか。

北京から昆明まで直線で2100kmも離れているのに。

 

起源前、漢の武帝は雲南征服を果たしたが、この時、長安に滇池に模して昆明池を掘らせ水軍を訓練した。

これにちなんで乾隆帝はそれまでの西湖の名を昆明湖に代えた。

この湖は昔は水運、この時は貯水池として使われた。

 

 

 

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< 11.>

 

上: 長廊。

 

下: 云辉玉宇牌楼。

この門のような建物は、千寿山の中央建築群の中心軸の出発点で昆明湖側にある。

 

 

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< 12. 石舫 >

 

上: 石舫。

船体部分は石で上部建物は木造。

乾隆帝の建築物が焼失後、光緒帝が外国の遊覧船に真似て再建した。

伯母の西太后は夏になるとここでよく休憩したそうです。

 

 

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< 13.排云殿 >

 

写真中央の排云殿を抜け、一気に千寿山を上って、頂上の佛香阁を目指す。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 7: 戦場ヶ原まで


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今回は、吹割の滝から戦場ヶ原までを紹介します。

高度が上がるに連れ、紅葉は散り、枯れ山になって行きました。

雪がわずかに残る道を走り、峠を越えた時はホットしました。

 

 

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< 2. ドライブルート >

 

上: 今回のドライブルート、上が北。

赤線がドライブルート、SからスタートしEで終わりです。

矢印のAは「道の駅 尾瀬かたしな」です。

矢印のCは金精トンネルを抜けた標高1840mほどの峠です。

黒の矢印は、山の日陰で道路脇に雪が残っていたところです。

 

下: 道の駅 尾瀬かたしな。

 

 

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< 3. 道の駅 尾瀬かたしな >

 

下: 見晴らしの良いテラスがあります。

左側の谷間を真直ぐ進むと、尾瀬に行きます。

私は右側の谷間を進みます。

 

写真は撮影順に並んでいます。

 

 

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この辺りまでは紅葉が散っていないい限界で、進むに連れ、無数の白い幹だけが山を覆うようになっていきました。

 

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< 5.うら寂しい山 >

 

高度が上がるにつれ、葉の落ちた白樺だけの森が続き、寂しさが増して行きました。

走っているの私の車だけでした。

 

そしてついに恐れていた雪が道路脇に見え始め、路面も濡れているようでした。

スタッドレスタイヤに替えて来たとは言え、私には初めての経験でした。スピードを落とし、びくびくしながら通過しました。

 

 

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< 6. トンネルを抜けると >

 

トンネルを抜けると道路は下り始め、それこそ危険は峠を越えたようで、安堵しました。

遠くに見える山は男体山で、中禅寺湖にその裾野を落としている。

その手前の湖は湯ノ湖で、その少し向こうに戦場ヶ原の平地が微かに見える。

 

 

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< 7. 戦場ヶ原のパーキング >

 

上: 男体山が見える。

 

下: 遊歩道。

 

 

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< 8. 戦場ヶ原の眺め >

 

ここで歴史的な戦いがあったわけではなく、周りの二つの山が戦ったと言う神話に基づくネーミングだそうです。

 

 

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< 9. 遊歩道を行く >

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 12: 北京、中国国家博物館と北京西駅


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今回は、北京の中国国家博物館と新幹線駅の北京西駅を紹介します。

ここでもハップニングに見舞われ、あたふたしました。

中国を旅行される方の参考に顛末を紹介します。

 

 

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< 2.中国国家博物館 >

 

 

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< 3. 博物館の展示 >

 

非常に大きな博物館です。

色々な展示があったのですが、一番のお薦めは、中国の歴史を全体通して見れる展示です。

それこそ中国大陸の1万年の歴史、石器、土器、青銅器に始まり、玉器、兵馬俑、唐三彩、仏像、白磁に至るまでが揃っています。

それも各文明、王朝を代表するような国宝級の文物が時代を追って並べられています。

 

上記の写真は、特に私が気に入ったものです。

 

左上: 北宋時代の菩薩像。10世紀頃。

この時代の観音像や菩薩像は女性を思わせ、衣のひだがリアルで、身体と表情が実に艶めかしい。

 

他の三つ: 三星堆遺跡の青銅器。起源前二千年以上前。

今回の旅行で、成都の三星堆に通じる遺跡を訪れるつもりでしたが、ここで現物を見れたことは幸いでした。

大きな目と耳が特徴です。

 

 

 

 

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< 4. 天安門広場 >

 

中国国家博物館を16:30頃出た時の、天安広場の様子です。

広い広場はまだ人々で一杯でした。

 

上: 天安門広場を挟んで中国国家博物館の向かいにある人民大会堂です。

右側では、中国建国70周年にちなんだ展示が行われていました。

 

下: 中央に毛沢東記念館、その奥に正阳门、前门も見える。

正阳门はかつての宮城、内城の南側の門でした。

 

 

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< 5. 天安門 >

 

上: 天安門に向かう観光客がまだ列をなしている。

道路の手前にあるパイプ柵は警備用のもので、人々が天安門広場や博物館に入ろうとすると、ここで長い行列を待ち手荷物とパスポート(身分証)の検査を受けることになる。

威圧されるようなことは無いが、なにせ時間がかかる。

 

 

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< 6. ホテル天安大厦、八角形の屋根が見える建物 >

 

天安門広場から歩いてホテルに戻って来た。

この後、北京西駅横のホテルに移動する予定でした。

しかし、ここで思わぬトラブルに見舞われることになつた。

 

結論から言うと車に乗ったは良いが、行先を間違い、現金の支払いを拒否されてしまったことです。

 

切っ掛けは、ホテルのフロントでタクシーを依頼したことから始まりました。

若いフロントウーマンは、数ヵ所電話したうえで、タクシーは来ませんと答えた。

私は食い下がり、再度お願いした。

地下鉄を乗り継いで行くことは出来たのですが、疲れていたので。

 

すると彼女は、私のスマホでウィチャットや滴滴出行を使いタクシーを呼べますかと聞いた(そのような感じでした)。

私が使えないと言うと、彼女は自分のスマホを操作し、タクシーを呼んでくれた。

 

私は心配になり、「現金払いが出来るのですか?」と確認した。

通常、ウィチャット(スマホ)で支払うと聞いていたので。

彼女は「OK」と言った。

やがて車が来たので、手間を掛けた親切な彼女に礼を言って、出発した。

 

ところが走っていると、車は私がスマホで確認しているホテルへの道から段々外れて来た。

運転手にホテルが違うようだと言ったら、車を止めてくれ、行先を修正して再出発した。

 

やっとホテルの前に着いたので、皆ホットした。

そこで現金を支払おうとすると、彼はスマホ決済でないとだめだと断る。

私は出来ないと言うと、彼は嘆いて、怒ってまくしたてた。

 

仕方なく、中国の友人に電話をした。

友人は運転手と話してくれて、支払いは後で何とかすると言うことで話はおさまり、私は支払いをせずに車から降りた。

 

何が問題だったのか?

推測だが、一つはホテルウーマンが間違ったホテル名を入力した。

次いで途中で行先を変更したことで、支払方法設定でミスが出たのではないか。

現金払いもあるようです。

乗った車はタクシーではなく、普通乗用車でした。

 

今でも、不思議なのは、運転手が現金の受取を拒否したことです。

運賃は30元ぐらいでした。

これは恐らく、運転手は滴滴出行などによる評価やインセンティブ獲得の為に、スマホ決済を完了させたかったのだろう。

 

私は、ここに中国のIT利用の神髄を見た気がした(推測)。

 

つまり、普通のタクシーは大渋滞をしている北京中心部のホテルへの呼び出しを嫌うが、滴滴出行などは、乗客の信頼を得るために運転手にインセンティブを与えて、配車を可能にしている。

滴滴出行などのシェアビジネスはこのようなサービスを積み重ね人気を得ているのだろう。

 

これもこのトラブルで実感できたことでした。

 

 

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< 7.スマホの配車アプリ >

 

参考に借用しました。

 

 

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< 8. 北京西駅北側の地下街 >

 

スペースは広いが、店は多くはない。

上の写真の店で夕食をとりました。

安かった。

鉄道員の女性グループが来ていました。

 

 

 

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< 9. 北京西駅北側 >

 

私達のホテルはこの建物の直ぐ左隣、東側にあります。

二日後の朝、ここから初めて新幹線に乗るので下見に来ました。

夜8時を過ぎていました。

 

この駅前の広場や地下街には荷物を持った多くの人がいました。

30前の中国(広州駅)と60年前の大阪駅の状況を思い出します。

昔抱いた旅の高揚感が思い出されます。

 

 

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< 10. ゲートの確認 >

 

中国の新幹線は10年以上前に2回ほど乗っているのですが、自分で乗るのは今回が始めてでした。

友人が切符を買ってくれていたので助かりました。

後は、駅舎に入るゲート、待合室、改札、ホームの事が不安でした。

この日は、ゲートだけを確認しに来ました。

 

ゲートには数が多い「人工」と二ヵ所の「愛心□道」がありました。

「人工」の方では、人々は機械にカード(中国の身分証?)をかざして入場していきました。

「愛心□道」の方では、係官が身分証をチェックをしていました。

 

手空きの係員にパスポートを見せて、英語で「どのゲートから入れば良いか」と聞くと、「愛心□道」と指差して教えてくれた。

英語を使える人にはほとんど合わなかったが助かった。

 

このゲートを通過するためには、左側の切符売り場などで切符を買ってからでなければならないようです。

ゲートを通過すると、荷物検査があります。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 6: 吹割の滝


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今回は、吹割の滝を紹介します。

渓谷、滝、紅葉が別世界を造り出していました。

訪れたのは2019年11月18日12時でした。

 

 

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< 2. 散策ルート >

 

茶色線は渓谷に行き来した道で、Sからスタートしました。

赤線が渓谷に沿った遊歩道で、下流(南側)から上流に向かいました。

遊歩道を歩いた時間は30分ほどでした。

 

上: 上が北。

下: 右が北。

 

 

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< 3. 鱒飛びの滝 >

 

上: 下流を望む。

 

下: 鱒飛びの滝。

 

 

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< 4.鱒飛びの滝から上流へ >

 

 

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< 5. 吹割の滝 1 >

 

両側から岩盤が迫って川幅が狭くなった所を進むと、急に視界が開けた。

そして広い川の中央で、まるで川底が抜けたように水が勢いよく吸い込まれていくのが見えた。

 

 

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< 6. 吹割の滝 2 >

 

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< 7. 吹割の滝 3 >

 

渓谷を覆うすべての山肌が赤や黄色に紅葉し、青空を映す川面が緩やかに流れていく、それが急に無数の白い筋となって流れ落ち、水飛沫をあげる。

素晴らしい景観です。

紅葉のピークは過ぎているかもしれないが、素晴らしい景観に出会えたことに感謝します。

 

 

 

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< 8. 吹割の滝 4 >

 

上 : 浮島に架かる吊り橋が見える。

 

下2枚 : 上流から吹割の滝を望む。

滝の直ぐ傍まで行けるので、迫力を感じることも出来るが、危険です。

安全の為にロープが張ってあります。

 

 

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< 9. 浮島と吊り橋 >

 

 

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< 10. 吊り橋からの眺め >

 

上: 上流側。

 

下: 下流側。

川の左側に、今やって来た遊歩道が見える。

 

 

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< 11. 渓谷とお別れ >

 

上の国道に行く坂道から見えた紅葉。

 

 

次回に続きます。

 

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中国の外縁を一周して 11: 北京、景山から什刹海まで


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今回は、紫禁城の北側にある二つの公園を紹介します。

景山の頂上から紫禁城が見下ろせます。

什刹海は古い街並みとお店が並ぶ今流行りの場所です。

 

 

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< 2.散策マップ、上が北 >

 

上: 今回の散策ルート。

赤線が徒歩、茶色の線がバスです。

この図は下図の青線の範囲になります。

 

最初、紫禁城を出ると(下のSから)、直ぐに景山を登りました。

次いで、頂上から西側に降り、ここで公共のバスに乗り、什刹海(E)辺りで降車しました。

ここから西側に向かい、湖に沿って歩き、右に折れて烟袋斜街に行きました。

戻って橋のたもとで昼食をとり、橋を渡った後、Rで折り返し、Eに戻り、バスで次の観光に向かいました。

 

写真は概ね、歩いた順に並んでいます。

 

 

下: 昔の宮城の範囲。

南北の長さは9kmほどありました。

 

紫禁城の始まりは、13世紀、モンゴル帝国が冬の都として大都を建設したことに始まります。

それは図の内城とさらに北側まで延びていました。

14世紀、北京が明の首都になり図のような大きさになり、清朝滅亡まで続きました。

 

景山は、明の時代、堀の残土で風水に基づいて造られた山です。

昔、什刹海周辺は皇族の住まい、その南にある北海公園は皇族の庭園でした。

 

 

 

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< 3. 景山公園へ向かう >

 

上: 明時代の宮城のイメージ(中国サイトから借用)。

 

下: 紫禁城北口を出て、景山公園に向かう。

頂上の真ん中と左の建物を目指します。

 

 

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< 4. 頂上まで >

 

上: 急な階段を昇って行きます。

 

左下: 最初に見える山の裾にある建物。

 

右下: 頂上の建物:

この日は建物で写真撮影が行われており、入ることが出来ませんでした。

 

 

 

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< 5. 頂上から >

 

上: 南側に紫禁城を見下ろす。

残念ながらガスていました。

これは黄砂なのか、スモッグなのか、霧なのか・・・。

黄砂の時期ではないはずなのですが。

この後、南の開封から西安までの間、同じような空模様が続きました。

空気が悪いと感じなかったし、マスクをしている人をほとんど見かけなかった。

 

下: 中央のオレンジ色の屋根の建物の遥か向こうに鼓楼が見えます。

正に紫禁城、景山と鼓楼は南北の中心線上に並んでいます。

 

 

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< 6. 頂上から下る >

 

左上: 辑芳亭。

頂上から西に向かって最初に見える建物。

 

右上: 富览亭。

峰上にある最も西側の建物。

 

下: 山を下った所、直ぐ西門があります。

鬱蒼とした森林です。

南に少し行くとトイレがあります。

 

 

 

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< 7. 什刹海に着きました >

 

上: バス停の鼓楼で降りた。

通りの奥に鼓楼が見えます。

 

下: 西に向かって進むと湖が見えました。

市民の憩いの場と聞いていたのですが、観光客で一杯でした。

時間帯が違うのでしょう。

 

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< 9. 烟袋斜街 >

 

私には風情ある街並みと言うより、単に土産物屋街に思えた。

買い物を楽しむ人には良いと思うが。

 

 

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< 10. 胡同(フートン) >

 

烟袋斜街の隣には、狭い路地に面して元統治時代の名残りの伝統的家屋が続く。

本当は壁の向こうの四合院を覗いて見たかったが、チャンスは無かった。

 

 

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< 11. 昼食のレストラン >

 

橋のすぐ前にある李记串吧(烟袋斜街店)に入りました。

ここはどうやら羊肉をメインにあらゆる料理(火鍋、麺、串焼きなど)を出している。

私達は麺と肉料理の一皿を頼みました。

味は良く、価格も手頃でした。

 

右下の写真は常連さんのようで、骨付き肉の火鍋を豪快に食べていました。

普通火鍋はスライスした薄肉を食べるようですが。

それにしても中国何処でも火鍋は人気なようです。

 

この度の旅行で、中華料理のイメージが変わりました。

昔からの八角などの香辛料だけでなく、味付けは非常に多岐にわたります。そして人々はあらゆる地方の料理を楽しみ、多くの飲食店は新しいアレンジを取り入れていました。

上記の店も、西域のムスリム料理をアレンジしたものでしょう。

 

 

 

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< 12. 橋の上から >

 

中国の湖畔や川端には柳が良く似合います。

 

 

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< 13. 風情のある湖 >

 

ビルが見えなければ、数百年前の風景を連想させます。

 

水面を覗くと、意外に透明度が高い。

水質向上に取り組んでいるようです。

 

 

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< 14. 人力車の大群 >

 

当初、人力車に乗って見たいと思ったのですが。

調べてみると、料金でトラブルことがあるみたいなので躊躇していました。

 

湖畔を歩いていると、二十台ほどの人力車が一団の観光客を乗せて列をなしていました。

風情があると言うより、壮観というか、ご苦労さんと言う感じでした。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 5: 草津温泉から吹割まで


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今回は、草津温泉から吹割の滝までの景色を紹介します。

紅葉と谷間の風景を堪能しました。

 

 

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< 2. ドライブコース、上が北 >

 

左の草津温泉から右の吹割の滝までのルートです。

赤いダイヤマークが停車し撮影した場所です。

約80km、2時間半のドライブです。

 

実は途中、沼田を通過している時に、あるミスに気が付きました。

それは、ここに真田家の拠点となった沼田城があったことで、それも近くに。

ここが北関東の要衝の地、上杉・北条・武田氏が争奪戦の地だったとは・・・。

 

この日は予定が詰まっていましたので寄ることが出来ませんでした。

 

 

 

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< 3. 道の駅 六合 >

 

ここは草津温泉から10km以内の292号線上です。

産地直売所などがありました。

 

上: 来た道を振返る。

 

下: 進行方向。

 

 

 

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< 4.上沢渡川沿い >

 

ここは草津温泉から25kmほど来た55号線上です。

旧大岩学校(牧水学校)を過ぎた辺りのはずです。

かつて若山牧水が立ち寄り、詩を読んだことにちなんで、学校に牧水と名付けた。

 

上: 進行方向(東)、中央に有笠山(標高888m)らしいものが見える。

クライミングやボルダリングで人気があるそうです。

北関東ではこのような岩肌が露出した急峻な山を多く見かけた。

 

下: 真右横の眼下に上沢渡川が流れる。

 

 

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< 5. 来た道を振り返る >

 

上記と同じ場所から。

 

 

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< 6. 中之条町大字横尾辺り >

 

草津温泉から35kmほど来た145号線上です。

 

上: 進行方向

 

下: 進行方向左に、切り立った嵩山(たけやま、標高798m)らしきものが見える。

 

 

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< 7. 遠景に榛名山 >

 

来た道を振り返ると榛名山が見えた。

榛名山は円錐形と思っていたのですが、違うようです。

今回のドライブでは、赤城山と榛名山の麓を遠回りで一周することになりました。

 

 

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< 8. 吹割の滝に到着 >

 

走っていると120号線沿いに多くの食堂や駐車場が見えて来た。

呼び込みが賑やかです。

私は沼田方面から来て最初の無料駐車場(進行方向右手)に車を止めました。

ここは道の駅 吹割です。

滝の降り口までは、さらに道路を150mほど進むと左手にあります。

 

上: この左手の店は、滝を見て道路120号線に戻ってから、昼食を食べた所です。

ここから300m下ると道の駅です。

 

下: 降りて行くと紅葉が迫って来た。

 

 

 

 

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< 9. 眼下に鱒飛の滝 >

 

 

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< 10.鱒飛の滝 >

 

紅葉に期待が膨らむ。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 10: 北京、紫禁城


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今回は、北京観光初日に訪れた故宮、紫禁城を紹介します。

私の紫禁城への入場は2019年10月18日(金)9:00~11:00でした。

今回は2度目の見学で、前回見逃した所も見ました。

 

 

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< 2. ホテル天安大厦から >

 

上: ホテルの部屋から南河沿大街を見下ろす。

 

朝6:30、外が騒がしいので窓から外を見た。

すると多くの中国人の観光ツアー客が、次から次へと観光バスに乗って出発して行きました。

凄いバイタリティ!!

 

北京初日のホテル天安大厦は、紫禁城と王府井のちょうど真中にあり、価格もリーズナブルです。

設備が古く、エアコンの調子は悪かったが、朝食ビュッフェが良く、若いフロント係が非常に親切で良かった。

しかし、夕刻、ここから別のホテルに移動する時に、思わぬトラブルに遭うことになった。

 

下: 大通り、東長安街の東側を望む。

ホテルを8時過ぎに出て、歩いて紫禁城へ向かう。

道路は既に車で一杯でした。

空はガスっている。

 

 

 

 

 

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< 3. 紫禁城の地図、上がほぼ北 >

 

赤線が私の見学ルートで、写真もこの順に並んでいます。

 

 

 

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< 4.いざ紫禁城へ >

 

上: 右に天安門、左に天安門広場の人民大会堂が見える。

 

東長安街を西に向かっているのですが、天安門に近づくと凄い人で道は埋まって行きました。

歩いて20分以内の距離なのですが、開場の8:30に間に合わない。

人の少ない朝一番を狙ったのですが、出鼻をくじかれた。

 

下: 午門。

この右手で入場券を販売している。

それは目立たない小さな窓口でした。

私達以外にこの窓口で購入する人はいなかった。

皆、事前にインターネットで買っているようでした。

圧倒的に団体客なので、添乗員などが手配しているようです。

 

天安門から午門の間は広いのですが、至る所に団体のツアー客が集合しており、ほぼ人で一杯でした。

 

 

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< 5.午門をかえり見る >

 

上: 午門をくぐり、いよいよ入場。

 

下: 太和門側から午門を見る。

門と門の間で、この広さ!

 

 

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< 6.太和殿 >

 

上: 太和門から太和殿を望む。

太和殿は宮廷で最重要な建物で、重大な式典ではこの広場に官吏がずらっと並びました。

今は観光客で一杯です。

 

ここで気が付き始め、中国を周っている間に確信したことがありました。

それは中国のおばちゃんの多くが深紅の服を着ていることです。

日本では恥ずかしくて着れないと思うのですが。

 

始め共産党礼賛だと思ったのですが、男性は少ないので、おそらく日本で言う還暦を迎えたら赤いちゃんちゃんこを着るようなものなのでしょう。

 

 

下: 太和殿から太和門。

 

 

 

 

 

 

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< 7. 中和殿と保和殿 >

 

上: 中央奥に后右門。

中和殿と保和殿の西側にあり、ほとんど観光客は行かない。

 

下: 手前から中和殿、保和殿。

太和殿に続く建物です。

この二つの建物は、太和殿での式典の折、皇帝が休憩したり、更衣したりした場所です。

 

前回の20年ほど前と比べ、人が多く、建物の中を覗くのは困難でした。

この辺りでは人に押されて流されて行きました。

 

 

 

 

 

 

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< 8. 乾清門 >

 

上: 左(西側)に隆宗门。

この広場から北側、西側、東側が内廷と呼ばれる。

この領域で皇帝が政務を行い、皇帝、皇太子や皇后などが暮らした。

 

下: 広場中央の乾清門。

この奥に乾清宮が見える。

 

 

 

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< 9.乾清門と保和殿の間の広場 >

 

上: 奥(東側)に景运门。

 

下: 景运门側から広場を見ている。

左が保和殿、右が乾清門。

 

私は隆宗门と景运门の両方に入りました。

特に興味を惹くものがありませんでしたが、景运门を入って右手に休憩所があり、入りました。

小綺麗なレストランでした。

 

 

 

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< 10.後三宮 >

 

上: 乾清宮。

歴代皇帝の寝所、または日常の政務を執り行う場所だった。

 

下: 交秦殿と坤寧宮。

手前が交秦殿で、皇帝や皇后の冊立の儀式が行われた場所であった。

奥の坤寧宮は皇后の寝所であった。

 

 

 

 

 

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<  11. 御花園 >

 

上: 御花園。

ここは紫禁城にあって唯一無機質ではなく、木々の緑がある庭園です。

しかし狭い所に集約されており、奇岩の太湖石がデンと据えられており、不思議に想う。

なぜこんなに広大な宮殿なのに・・・。

 

太湖石とは、中国の蘇州付近にある太湖周辺の丘陵から切り出されたものです。

私には美しいとは思えないのですが、中国の歴史的名園には必ずと言っていいほどあります。

文化と歴史が美感に与える影響を、毎回気付かせてくれる。

 

下: 西六宮の通り。

妃たちは西六宮に居住していた。

 

 

 

 

 

 

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< 12. 儲秀宮 >

 

ここは西六宮の一つ、儲秀宮です。

偶然、入ってみると、ここで西太后が居住していたと書かれていた。

部屋は清朝時代の様子を再現しており、ドラマ「蒼穹の昴」や中国の宮廷劇のワンシーンが浮かびました。

しかし、思ったより小さな建物でした。

 

今回の旅行では、北京が初めての妻に名所を見せたかったのと、私としては西太后ゆかりの所に行きたかった。

このような后の住まいを見たかったが、今回は願いが叶った。

 

 

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< 13. 御花園を出る >

 

左: ここ順貞門を左側に抜けると御花園から出て神武門に向かうことになる。

 

右: 北門、神武門です。

ここを出る前にオーディオガイドの返却所が、左側にあります。

私は、知らずにこの門をくぐると、警備員の手持ちのセンサーが異常音を発し、止められてやっと気付きました。

借りたのは、午門の前だったように思う。

 

 

 

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< 14. 見学終了 >

 

上: 順貞門を北側から見る。

 

下: 神武門を出た所から景山公園を見る。

 

 

 

 

 

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< 15. 神武門 >

 

上: 北側から神武門を見る。

 

下: お堀。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 4: 草津温泉の夜と朝


 

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< 1. 湯が二人の心を・・ >

 

今回は、草津温泉のロマンチックな景観を紹介します。

ライトアップされた湯畑と朝陽に輝く森が素晴らしかった。

 

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< 2.草津温泉の地図、上が北 >

 

上: 赤い四角の右が足利、左が富岡です。

赤い三角が草津温泉です。

 

下: 矢印が草津温泉での宿泊ホテルです。

深い山の谷間にある巨大な温泉街です。

 

 

 

これらは湯畑を一周して撮影した写真です。

ライトアップが幻想的でした。

冷気の中、硫黄の微かな匂いと湯煙が温かく体を包んでくれました。

寒いにも関わらず、多くの人が湯畑を訪れていました。

 

 

 

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これらは翌日の早朝、ホテル周辺で撮影した写真です。

 

裏山を歩くと落ち葉が地面を埋め尽くし、木々には紅葉の名残りがありました。

 

 

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上: ホテルの部屋からの眺め。

おそらく高い山は草津白根山でしょう。

 

 

 

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草津の湯に浸かり、そしてロマンチックな湯畑と晩秋の森を堪能しました。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 9: 廈門から北京へ


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今回は、最後の廈門と北京の初日です。

廈門の暮らしと北京の夜、

そして廈門と北京の両空港でのトラブルを紹介します。

 

 

 

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< 2. 宿泊した部屋 >

上: ホテルの部屋から見た朝焼け。

 

下: 杏林湾大酒店の一室。

 

 

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< 3. ある億ションの一室から >

 

高速エレベータ―に乗って、最上階近くの一戸を訪れました。

窓からの眺めは絶景です。

この一戸は、一億近い評価額らしい。

ここには数多くの部屋があり、立派な家具調度品で埋まっていました。

退職した夫婦一組が住んでいます。

毎日、ここで孫一人を預かり微笑ましい時を過ごされており、部屋はおもちゃで一杯でした。

 

このような暮らしをしている人は私の周辺にはいない。

 

このご主人は大企業を10年以上前に退職し、このマンションを買ったようです。

大企業であれば年金は多いし、購入時、銀行から多額の借金が可能だろう。さらに退職前に企業から住居を安く支給され、多額の売買益を得ることも出来ただろう(かつて公務員の特権だった)。

それに加え、購入後に不動産が急騰しているのだからラッキーです。

 

このことが、代々都会暮らしで大企業にいた人と、地方から来てその日暮らしをする人の間に、ここ20年ほどで大きな格差を生んでいる。

 

実は、この眼下の干潟はやがて消えるそうです。

政府が近い将来、全部砂浜に変えるからです。

中国ならやるでしょうね・・・

 

 

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< 4. 厦门高崎国际机场 >

 

ここで最初の洗礼を受けました。

それは国内線に乗るために税関で手荷物検査を受けている時でした。

 

突然、女性係官が私にいぶかしげにまくしたて、ストップをかけました。

まったく中国語が分からないのですが、状況からして北京へ何しに行くのかを尋ねているようでした。

 

そこで、私の中国旅行の15日間の日程表を彼女に見せました。

すると彼女は、それを取り上げて何処かに消えてしまいました。

しばらくすると現れ、無表情でもう行けと私達夫婦に促した。

 

事の経緯は分かりませんが、移民などを警戒していると感じました。

 

フリーの旅では、言葉が通じなくても、必ず自分でトラブルを処理しなけらばならない。

運か、経験か、機転か、他人の助けか、冷静さ、かが救いになり、北欧でも無事に旅行を終えた。

 

これも旅の醍醐味と言えるかもしれません。

 

 

 

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< 5. 北京首都国際空港にて >

 

私達は廈門航空を使ったので、北京首都国際空港の第2ターミナルに着きました。

上記写真は参考に借用したもので、他のターミナルのものでしょう。

 

ここで簡単に、第2ターミナルから北京中心部に行く方法について触れておきます。

 

リムジンバス(机场大巴・・・线)、エアポートエクスプレス(机场线)とタクシーがあります。

リムジンバスは何種類もあり、タクシー乗り場のレーンの奥にあるようです。

リムジンバスで行っても、その後、ホテルまでタクシーや地下鉄に乗らなければならない(タクシーを拾えるかどうか不安)。

エアポートエクスプレスは階下にあり頻繁に出ているのですが、これまた他の交通機関の利用が必要です。

 

中国のタクシーは安いので使いたいが、長い待ち時間とトラブルに遭わないかが心配でした。

 

先ずはタクシー乗り場を見に行きました。

確かに写真のように長い行列はあるのですが、もの凄い数のタクシーが次々とやって来るので待ち時間は少なく、使うことにしました。

 

中国の幾つかの空港でタクシー乗り場を利用しましたが、すべてに差配する係員が一人はいるので安心です。

 

 

 

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< 6. ホテルに向かうタクシーにて >

これらはすべて参考に借用した写真です。

 

ところが、ここでまた問題が発生しました。

 

私がタクシーの助手席に乗って、行先のホテル名と住所を書いたメモを見せました。

ところが、これが分からないのです。

この年配の運転手は近くにいた知り合いの運転手に聞いて、相手は大体の場所が分かるようなのですが、彼は分からない。

 

結局、この運転手は上の写真のようにスマホを操作して、やっと行き先を見つけて発進することが出来ました。

私も、自分のスマホでタクシーがホテルに向かっているのを横で、ずーっとチェックしていました。

 

結局は、無事着いたのですが、かなり時間がかかりました。

一つは、聞きしに勝る大渋滞がありました。

料金は妥当だったようです。

 

中国で乗ったタクシーはすべてスマホで音声ナビゲーションを使っていました。

おそらく百度マップなどでしょう。

 

どうやらスマホのアプリにホテル名を上手く入力出来ないようでした。

この問題は、北京だけでなく成都や蘭州などでも起きました。

最後には色々やり取りがあって何とか解決しました。

 

結局、私自身がスマホの百度を使えて、百度マップにホテル名を入力しておいて見せることが出来れば良かったかもしれない。

 

 

 

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< 7. 王府井にて >

 

ホテルに着いてから、王府井へ夕食に行きました。

もう9時近かった。

小雨も少しあり、人はあまり多くは無いようでした。

 

ここで感心したのは高齢者の団体ツアー客です。

地方から来た観光客のようですが、夜にも関わらず、老人達が元気に買い物と食事へと走り回っていた。

 

私が入った食堂でも、彼らは賑やかでした。

本当に沢山の人が、旅行を楽しんでいました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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晩秋のアルプスに囲まれた平出遺跡を訪れました


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今回は、塩尻に一泊した際、

朝の散歩で訪れた縄文の集落遺跡を紹介します。

晴れた高原に朝陽が降り注ぎ、冷たい風が紅葉を揺らしていました。

そこには5000年前の人々の暮らしの跡がありました。

 

 

 

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< 2. 平出遺跡の地図 >

 

上: 松本や塩尻がある高原の全体地図、上が北。

赤い矢印が、塩尻駅と平出遺跡です。

 

左(西)に上高地や奥穂高岳、右(東)に美ヶ原があり、南に行くと諏訪湖、北に行くと長野に至ります。

塩尻駅の標高は700mほどあり、北に向かって緩やかに低くなっている。

 

下: 平出遺跡の地図、上が南(上の地図とは向きが逆です)。

赤い枠が、今回訪れた所で、ここが縄文時代の集落跡です。

赤い枠の下部にガイダンス棟(9:00~)があります。

左側に平安時代の集落跡、右上に平出の泉と博物館があります。

 

黒い線が、塩尻駅から徒歩20分(1.4km)で来たルートです。

 

 

 

 

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< 3. 縄文集落全景 >

 

北側から見ている。

住居の向こうに。雪を被った奥穂高の連山が見える。

 

駅からここまでは住宅地を通り、次いでブドウ畑を抜けて来ます。

 

 

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< 4. 東南側と南側を望む >

 

 

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< 5. 再現された住居 >

 

 

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< 6. 住居の内部 >

 

当時の縄文土器が置かれ、囲炉裏跡もある。

 

 

 

 

 

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< 7. ガイダンス棟 >

 

上: ガイダンス棟が見える。

 

下: あの山の麓に平出の泉がある。

 

縄文時代、この集落の人々は周囲の森のドングリを食料にし、泉の水を飲料にしていた。

5000年前の秋、きっと同じような紅葉を見て、冬の到来を感じていただろう。

 

 

これで終わります。

 

 

 

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 3: 富岡から草津温泉まで


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今回は、富岡製糸場のある富岡と草津までの道のりを紹介します。

写真は2019年10月17日14:30~16:30に撮ったものです。

偶然、富岡で秋祭りに出会いました。

 

 

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< 2.富岡の散策ルートと周遊観光バス >

 

 

上: 富岡製糸場へのルート、上が北。

私は上州富岡駅近くの富岡市市営無料駐車場から徒歩で富岡製糸場(赤枠)まで歩きました。

 

どちらかと言うと製糸場よりは、その町の雰囲気を見たいと思っていましたが、偶然にも祭りの最中に来ました。

この日が2年に一度の秋祭りの当日(12:00~16:00)で、駅前と市役所前は祭り一色でした。

それで祭りの様子を見たり、話を聞いていると、製糸場を見る時間が無くなりました。

 

本当は2年に一度、来年の今頃、富岡どんとまつりが行われます。

こちらは山車が本格的に飾られ、2日かけて練り歩くそうです。

 

 

下: 富岡市市営無料駐車場と富岡製糸場の間を周遊しているバス。

https://tomiokaseisi.com/entry69.html

 

製糸場の門まで行って、写真のバスがすぐやって来たので、これに乗って駐車場まで帰りました。

私は門を覗くだけで終わりました。

このバス(片道100円)は非常にお薦めです。

 

予想していなかったのですが、バスはくねくね曲がりながら、そして女性の車掌さんが通り過ぎるかつてのは繫華街をガイドしてくれたのです。

話を聞いていると、何の変哲も無い寂れた建物や狭い通りが、明治初期、富岡製糸場華やかりし頃にタイムスリップするようでした。

歩いて来た路地が、かっては何軒もの映画館がある歓楽街に、数十人の芸者がいた置屋通りだったりするのです。

 

 

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< 3. 秋祭り 1 >

 

 

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< 4.秋祭り 2 >

 

山車の屋根の上に人形などが見えますが、無いものもあります。

これらが富岡どんとまつりの時には、完璧に飾られるそうです。

間の年(今年)は、飾りつけが手抜きになるそうです。

 

 

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< 5. 富岡製糸場に向かう >

 

メインの通りのようです。

 

 

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< 6. 富岡製糸場 >

 

赤い星印が入場門で、周遊観光バスの停留所もあります。

富岡製糸場の大きさは280mx200mほどあり、一面は川に面しています。

非常に大きい印象を受けました。

 

 

 

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< 7. 周遊バスからの眺め >

 

上: 富岡製糸場の北側の塀が左側に見える。

 

下: この通りは当時、置屋街だったと説明されていたように思う。

 

 

* なぜ富岡製糸場がここに出来たのか?

 

気になり、バスの車掌さんに聞きました。

 

彼女の答え:

1 大量の水を使うが、良い川が横にあった。

2 周辺に養蚕農家が多かった(遥か昔から)。

3 近くに石炭の産地があった。

4 空き地が江戸時代から代官所用地として残っていた。

5 日本初の外国技術導入の工場建設だったが、住民は同意した。

 

当時、政府に建設を委嘱された人物は、長野県、群馬県、埼玉県を視察し、上記の理由でこの地に決定したようです。

近くに桐生があり、既に奈良時代からここら一帯は養蚕や絹織物で有名だった。

 

 

 

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< 8. 草津温泉までのルート >

 

上: 上が北。

茶色線: 足利学校から富岡まで75km。

 

黒線: 富岡から草津温泉まで94km。

この道は、軽井沢を抜け、見晴らしの良い有料道路から浅間山を見ながら走り、その後は林間を抜けて草津に向かう道です。

 

 

 

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< 9. 六里ヶ原休憩所より >

上: 東側から見た浅間山。

南側からは山頂付近で噴煙が昇っているのが見えた。

 

下: 進行方向の北側を見ている。

向こうは新潟で、白根山、苗場山や谷川岳のある方向です。

薄暗くなって来たので、これからあの山裾に向かうと思うと心細くなってきた。

 

軽井沢での渋滞もあり、草津に着いた時は真っ暗でした。

別のルートの方が良かったと思う。

 

 

北関東を走っていると、近畿とはかなり異なる山々が多い。

これまで見えていた赤城山、榛名山、浅間山、白根山など、ほとんどが火山で、碓氷峠のように鋭く立ち上がった崖を持つ山もある。

 

二つの大陸プレートがぶつかり、日本列島が折れ曲がり、険しい山並みが行く筋も隆起した所が北関東の群馬と言えるかもしれない。

 

走りながら百万年に及ぶ日本の成り立ちに思いを馳せた。

 

 

 

 

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< 10. 富岡に来て気が付いたこと >

 

なぜ、富岡や足利に歴史的なトピックがあるのか?

 

私には、北関東のこの二つの地はやはり東京から遠く、辺鄙な所に思える。

しかし、一方でこの地は奈良時代から既に発展していた土地とも言える。

 

上記、地図を見ると足利や新田の荘園があった所は、奈良時代(律令制時代)より東山道(奈良や京都から北の奥羽地方まで連なる道)上にあったことがわかる。

実は富岡も中山道や東山道の宿場町から10kmも離れていなかった。

 

更に、関東平野が最後に陸地になったのは縄文海進後の6千年前に過ぎない。

 

これらが重なって、この富岡と足利を結ぶラインが、関東では歴史的に重要な所になったのかもしれない。

そのようなことに気付かせてくれるドライブでした。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 8: 廈門を訪ねて 4


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今回は廈門の住宅事情と中国経済の実情を紹介します。

 

 

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< 2. 廈門一等地の高層マンションにて >

 

上: これは廈門島の中心部にあるマンションの外観です。

このマンションが建つ一帯では、中の一戸が日本円で1億円を超えるものがある。

それもここ十年数年で値上がりしたようです。

 

下: この一室から、大きな湖に囲まれた美しい白鹭洲公园が眺望できる。

湖の向こうに廈門の高層ビル群が見える。

この一室で、ある経営者にインタビューすることが出来ました。

 

 

* 面白い経済の話が聞けました

 

彼の事業は、父親の代から続くブランド帽子の製造販売です。

父も彼も台湾出身ですが、30年ほど前から製造を中国で、主な輸出先は日本だそうです。

彼は営業事務所をここに定め、日本に行ったことはないが、日本語はペラペラでした。

気安く何にでも答えてくれた彼に感謝します。

 

 

幾つかポイントだけを紹介します。

 

A 偽ブランド問題

彼の発言:

中国国内のネット通販で、この会社の偽物が出回ることがある。

大手ネット通販に訴えても、「個々の参加会社についてタッチしないし、個人情報なので・・・」との返答で、埒が明かない。

諦めているが、最近の傾向として、中国もブランド志向になって来たので助かっている。

 

B 製造拠点は中国で良いのか?

彼の発言:

コスト的にはベトナムなどが良いが・・・。

移転するなら20年前に決断すべきだった、今さら遅い。

しかし、中国は製造ネットワークが整って来たので、中国残留でもメリットが出せる。

 

C 店舗販売とネット販売

彼の発言:

我々は日本や店頭販売に重きを置いている。

ネット通販拡大を脅威とは思っていない。

 

私の感想

Aについては、予想通りで、あまり当局による規制が進んでいないように思う。

ただ他の場所で得た情報では、食品の安全性については規制が功を奏しているようです。

 

Bについては、製造ネットワークの向上が良い状況を生むだろうとは感じていたので理解できた。

しかし産業構造を二次産業から三次産業へ、高付加価値製品へと代えなけらばならい。

 

Cにつては、負け惜しみともとれた。

彼のグループの全製造員が減少傾向にあるので影響があるようだ。

但し、人数減については生産性向上が寄与しているのかもしれない。

 

やはり台湾企業は、直ぐ隣りにあり、気候と言語が同じ廈門を進出先に選び易いのだろう。

 

 

 

 

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< 3. 廈門の裏町の安アパートにて >

 

今度は場所を代え、安アパートに訪れました。

ここは大きな道路に面した建物群(上の写真)から一歩裏に入った所にあるアパートです。

三階建てですが、一戸はそれぞれの階のそれぞれ一部屋に過ぎず、部屋にはトイレとシャワーがあるだけです(廈門では湯船を使わないのかも)。

部屋の広さは独身であれば狭くないが、台所はない。

給与の相場から考えると、家賃は重荷になるだろう。

 

やはり地方から来た人には、都市部の高騰する住居費は厳しい。

 

 

 

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< 4. 厦门市图书总馆 >

 

上: 図書館の前から反対方向を見た。

ここは大きな文化広場で、文化館、博物館、科学館、ショッピングセンターなどが集約されている。

 

下: ここは廈門島の中心部にある図書館で、正面に入り口があります。

中に入りましたが写真は撮っていません。

 

一番の特徴は、広々としており、書架が低いこと、そして中央に大きなジャングルのような中庭があることです。

また読書・自習用の机が書架の横に数多く広がっていることで、オープンな感じがしました。

 

本の貸し出し手続きは、皆、読み取り器を使いセルフでやっているようで、合理化が進んでいた。

 

 

 

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< 5. 夕食は海鮮料理 >

 

ここは島の北部、内海に面した厦门夏商国际水产交易中心に隣接する巨大な海鮮レストラン街の一つ兴旺海鲜城です。

ここで待望の海鮮料理を味わいました。

 

中に入って驚きました。

十数年前に入った2軒の海鮮料理レストランとはまったく趣と規模が違いました。

前回は、川に浮かぶ小さな船上の食堂と、外人向けの高級海鮮料理レストランでした。

前者の味は素朴で、後者は洗練された味でした。

 

どちらにしても、これほどの大量の生け簀を前にして、食材を選ぶとは凄いの一言です。

値札に16円/元を掛けたら日本の金額になり、これら食材を何種類か選んで、料理方法を伝え、2階のレストランで食べます。

2階レストランは広いにも関わらず、また水曜日の夜だと言うのにお客で一杯でした。

これらは中国の日常の食費からすれば高いのですが、よほど生活が豊かになったのでしょうか。

 

以前、韓国の市場で海鮮料理を食べたことがありました。

市場で食材を選んで、食堂で料理を頼むことをしましたが、規模が違います。

 

 

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< 6. 店内とレストラン街 >

 

どのレストランも繁盛しているようでした。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 2: 史跡足利学校


 

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今回は、旅行の最初に訪れた史跡足利学校を紹介します。
当初、期待していなかったのですが、見応えのあるものでした。
さらに素晴らしい秋晴れと紅葉が迎えてくれました。
また北関東の歴史を少し知ることが出来ました。

 

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< 2.地図、概ね上が北 >

上:  足利市大観、鳥瞰図
南側の西から東に渡良瀬川が流れており、その北側中央に足利学校があります。
中央の山の奥、北側に宇都宮、日光があり、昔は日光街道、さらには奥州街道に至り、逆に向かえば江戸に至る。

下: 足利学校の地図。
現在の姿は平成2年に復元されたものです。
堀に囲まれた、凡そ一辺120mの敷地に様々な建物があります。
ここは日本遺産、近世日本の教育遺産群として全国で4カ所、内関東で二ヵ所の水戸の弘道館と共に足利学校が認定されています。

 

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< 3.足利学校の全景 >

下: 学校を陸橋から見下ろした。

 

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< 4. 同じ陸橋から南北を望む >

上: 北側を見ている。
左に足利学校、さらに奥に足利氏館跡・鑁阿寺(ばんなじ)がある。

下: 南側を見ている。
直ぐ手前、大きな銀杏の木がある所が無料駐車場です。
さらに向こうには渡良瀬川が流れている。

 

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< 5. 足利学校に入る >

上: 最初の門、入徳門です。
ここを入ると右手に料金所があります。

下: 次いで学校門です。

 

 

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< 6. 中に入った >

上: 学校門を内側から見た。
この反対側には孔子廟があり、その前に杏壇門(きょうだんもん)があるのですが、工事中でした。
実はこの孔子廟が重要な役割を果たしていたのです。

下: 上と同じ撮影場所から方丈(ほうじょう)と庫裡(くり)を望む。
方丈とは禅寺の本堂です。

 

 

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< 7. 方丈と築山のある庭 >

庭の銀杏が黄色に輝いて美しかった。

 

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< 8. 庫裡から中に入る >

庫裡は竈のある土間と板敷きの台所がある所ですが、館内見学はここから入ります。
入って左側に方丈の大広間が見える。

 

 

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< 9. 真直ぐ進むと書院に至る >

上: ちょうど市民による論語の書写体験が行われていました。

下: 書院の外観。
庫裡から書院にかけて、足利学校の歴史が展示されています。

 

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< 10. 書院の景観 >

 

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< 11. 方丈の大広間と庭先 >

上: 大広間ではちょうどかるた会が行われていました。

市民が文芸に関心を持ち、ここを利用していることに感銘を受けました。
歴史の重みを感じます。
*足利学校に想う
16世紀、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と称したのが足利学校です。

なぜここに日本最古と言われる学校があるのか?

このような北関東のさらに北部の山裾にあり、中山道や日光街道からも少し外れているこの地に、なぜ。

ここのボランティアの説明員に問うと、幾つか理由を挙げてくれた。
その中で気になったのが、この地は足利氏発祥の地であり、交通の要衝だった、また昔から文芸を大事にする土地柄との答えでした。

ここは源氏姓足利家発祥の地であり、後に将軍家足利尊氏が出ることになる(生誕の地は異なるが)。
足利学校誕生の経緯は定かではないが、大まかに言うと以下のようでしょう。

古くは平安時代、足利家がここに学校を建てたらしい。
後に将軍家に連なることが存続に幸いしたことでしょう。

室町時代に転機が訪れます。
関東管領の上杉氏が、この学校の再興に尽力し、孔子の儒学を中心とした教育を行います。
彼は金沢文庫も再興している。
この後、学徒三千といわれる事実上日本の総合大学、最高学府となって行きます。
しかし江戸時代には既に足利家が滅んでいたこと、また学問が時代遅れになっていたことで衰微していった。

ポイントは、当時から足利氏の荘園が関東で優勢であったこと、またこの地が文芸に造詣が深い関東管領上杉氏の領地になったことが大きいようです。
さらに中山道と日光街道から離れているとは言え、江戸時代、その両街道を結ぶ日光例幣使街道が足利を通っていた。
つまり、ここは渡良瀬川もあり古くから交通の要衝だったのでしょう。

 

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< 12. 昼食 >

足利学校の門前にある「麦とろ銀丸本店」で昼食をとりました。
ここを選んだのは、足利学校内でボランティアの説明員の方に、足利の名物と聞くと、蕎麦だと言われ、この店を薦めてくれました。

 

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< 13. 二人が頼んだ蕎麦のセット >

かなり待たされたが、手の込んだ美味しい料理でした。
店の作りと雰囲気も良かった。

 

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< 14. 渡良瀬川の上流を望む >

川の上流に赤城山が見える。
その遥か遠くに、今日の宿泊地、草津温泉がある。

茨木空港から足利に来るまでの高速道路沿いの紅葉は綺麗だったのですが、自分が運転しているものですから写真が撮れなくて残念でした。

次回に続きます。

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中国の外縁を一周して 7: 廈門を訪ねて 3


 

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今回も引き続き、廈門島を紹介します。

写真は2019年10月16日(水曜日)の

10:30~14:00に撮影したものです。

 

 

 

 

 

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< 2. 开禾路 1 >

 

こちらは前回紹介した新民菜市场より規模が大きく、水産物の品揃えが豊富でした。

それも生きている魚や海老、貝が狭い店内に大量に並べてあった。

この通りから300mほどで河口なので可能なのでしょう。

地元の人が行き交い、多くの人が気楽に買って行く。

生活が豊かになっている印象を受けた。

 

 

 

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< 3. 开禾路 2 >

 

 

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< 4. 高架の正体 >

 

上の写真: 私は右の高架は高速道路と思っていたが、違った。

以前は無かった。

 

下の写真: この高架には駅があって、見に行くことにした。

ここは先ほどの开禾路(市場)のすぐ近くです。

 

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< 5. 新交通システム >

 

上の写真: 階段とエスカレーターを使い、途中の階にある駅で切符を買い、最上階まで上がった。

そこはバス専用のレーンでした。

試しに一駅だけ乗りました。

 

現在、廈門ではこのような新交通システムや地下鉄が続々建設中です。

廈門島内の移動は、友人の車と駐車場が少ないのでタクシーを利用したり、またこのバスや出来立ての地下鉄を使いました。

 

 

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< 6. バス駅付近の景観 >

 

この辺りは古い町並みと高層マンションが混在しています。

 

 

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< 7. 廈門大学  >

 

上の写真: 門をくぐって振り返ったところ。

 

実は、この門をすんなりとは入れなかった。

門の前で、この大学の職員と待ち合わせし、一緒に中に入ろうしたら、警備員が制止した。

一緒の職員が交渉して、やっと入れた。

中に入ると、意外にも多くの中国人観光客が団体で見学していました。

 

廈門大学は国立大学で中国の国家重点大学42校の一つです。

ここは有名大学でもあるのですが、緑に覆われ、キャンパスが広く、武漢大学と並んで『中国で最も美しい大学』と言われています。

かつてニクソン大統領が廈門を「東洋のハワイ」と称えたことがあるのですが、正に大学はそれに値します。

 

 

 

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< 8. 構内を行く >

 

先ず歩いて気付くのは、東南アジアの留学生が多いことです。

全学生4万人の内、海外からの短期研修生や留学生は4千人ほどいるそうです。

これは廈門大学が他の大学より国際交流に力を入れているからです。

これもかつて廈門が諸外国の共同租界地(コロンス島)だったこと、そしてこの大学が華僑のリーダーによって創立されたことに起因しているのでしょう。

 

写真に写っているのは学生寮や食堂、講義室などです。

かなりの学生が寮で生活し、キャンパス内に食堂が10棟以上あるそうです。

寮費や学費は安い。

建物は新旧あるが、古いものには趣が感じられた。

 

 

 

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< 9.図書館 >

 

下の写真: 中に入りたかったのですが、写真撮影を断られたので諦めました。

 

 

 

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< 10. 南普陀寺 1>

 

この寺は唐の末から五代にかけて禅寺として始まり、今は在外華僑の信仰を集めているそうです。

現在は僧侶の教育機関として残っている。

 

この日の昼食は、ここで精進料理を食べました。

ここでもスマホの洗礼を受けることになった。

大きくないレストランなのですが、お客さんは店内のテーブルに居ながらスマホで料理を注文しているのです、皆が。

当然支払もスマホでした。

 

十数年前にも一度訪れているが、相変わらず寺への訪問者は多かった。

この寺の裏山は少し登ると景色が良く、前回は多くの中国人観光客が列をなして登っていた。

ちょうど中国国民が、国内旅行に行き始めた頃でした。

 

当時、このことで感動したことがありました。

私が友人に連れられて厦門の海岸に着くと、砂浜に沿って無数の中国人が海に向かって立っていました。

そして夕陽が沈み始めると、一斉に歓喜の声を上げたのです。

 

友人の話では、彼らは海の無い奥地の貴州省からの観光客だそうで、海が珍しいかったのです。

しかし今や、中国人の国内旅行者数は50億を超え、また海外旅行者数は年間1億5千万人になった。

恐るべき急激な変化です。

 

私達は、中国人の日本での爆買いに目を奪われがちですが、その底流にあるものにも気付くべきです。

 

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< 11. 南普陀寺 2 >

 

 

次回に続きます。

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 1: はじめに


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*1

 

念願の草津温泉と日光東照宮を訪れ、

二十数年ぶりの北関東をドライブしました。

時は晩秋で、爽やかな快晴の中、絶景と美しい紅葉に出会えました。

これから数回に分けて紹介します。

 

 

*旅行の概要

 

トラピックスのホテル+航空券+レンタカーのセットを申し込みました。

宿泊は草津温泉と鬼怒川温泉です。

飛行機で神戸と茨木空港の往復です。

レンタカーは丸三日間利用で、総走行距離は730kmぐらいでしょうか。

 

訪れたのは2019年11月17日(日曜日)から19日です。

少し曇った時もあったが、全般に快晴で風が心地よかった。

 

今回の狙いは、観光としては温泉と紅葉、日光東照宮です。

また北関東の街並みや山野の風景、そして歴史遺産を訪問し、北関東をよく知りたかったからです。

 

 

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< 2. 旅行のルート、上が北 >

 

上: 赤線が飛行機、茶線がドライブルート、赤線の四角が宿泊地です。

 

下: 拡大図。

地図の番号に従って訪問地を紹介します。

 

  •  史跡足利学校: 最も古い学校として知られ、平安時代の足利家に由来する。

 

  •  富岡製糸場: 日本初の官営製糸場で世界遺産。

 

  •  草津温泉: 「にっぽんの温泉100選」で第一位。

 

  •  吹割の滝: 知名度は高くないが、川床が割れた滝で、渓谷が紅葉で覆われ美しかった。

 

この間、標高1840mほどの峠を越える時、道路脇の日陰に雪が残っていたのでヒヤリとしました。

 

  •  戦場ヶ原: 中禅寺湖の上にある湿原、この時期は枯れ野に過ぎないが。

 

  •  中禅寺湖と華厳滝: いろは坂も紅葉は過ぎていた、残念!

 

  •  鬼怒川温泉: 「にっぽんの温泉100選」で第二十一位。

 

  •  弘道館: 水戸藩の藩校で、藩校の中では最大規模。

水戸学発祥の地であり、徳川斉彬・慶喜との因縁が深い。

 

  •  予科練平和祈念館と雄翔館: 海軍航空隊での活躍を目指した若者が、時代に翻弄され特攻隊員として散っていた。これを記録展示している。

 

  • 日光東照宮と輪王寺: 徳川家康と家光の霊廟があり、世界遺産です。

 

1~7までは番号順に訪問しましたが、日光は鬼怒川温泉宿泊の翌日、朝一番に訪れ、その後、8,9と訪れました。

 

 

 

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< 3. 足利学校と富岡製糸場 >

 

足利学校は地元の人によって今も文化と教育の場としての伝統が守られていました。

 

富岡製糸場には入らなかった。

元々時間が足らなかったが、駐車場のある駅前で秋祭りをやっていて、祭りのだんじりを見たからです。

 

 

 

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< 4. 草津温泉の湯畑 >

 

非常に多くの観光客が、夜にも関わらず訪れていました。

ライトアップされた湯畑は、冷気もあってか、身震いするほど素晴らしかった。

 

 

 

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< 5. 吹割の滝と戦場ヶ原 >

 

吹割の滝は想像以上にスケールが大きく、紅葉も最高潮でした。

 

高度が高い戦場ヶ原の周辺は既に紅葉が完全に終わり、広大な枯れ野は冬の到来を待つだけのようです。

 

 

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< 6. 中禅寺湖 >

 

正に晩秋の湖、失恋の詩が似合う景色でした。

 

 

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< 7. 華厳滝 >

 

到着した時は陽が沈みかけており、色合いが残念でした。

 

 

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< 8. 鬼怒川温泉 >

 

朝、温泉の湯船に浸かっていると至福の時が流れます。

 

 

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< 9. 東照宮の陽明門 >

 

さすがに豪華絢爛の陽明門!

大修理が終わった後なので、ラッキーでした。

境内は紅葉の盛りで、これまた幸いでした。

 

 

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< 10. 水戸の弘道館と霞ヶ浦の予科練平和祈念館 >

 

弘道館は江戸時代の建物がそのまま残っており、尊王攘夷の志士や慶喜などの息遣いが伝わってくるようでした。

 

予科練平和祈念館と雄翔館は、かつてあった霞ヶ浦に面しています。

若者の壮絶な死に涙し、出た頃には霞ヶ浦は真っ赤な夕陽に包まれていました。

 

 

次回に続きます。

 

 

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