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中国の外縁を一周して 40: チベット仏教の寺


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今回は、麗江古陳から近いチベット仏教の普济寺を紹介します。

この地にはチベット仏教寺院が多い。

これはアジア大陸の悠々の歴史を物語っている。

少し驚いたエピソードも紹介します。

 

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< 2. 地図、上が北 >

 

上: 麗江の位置を示す

黄色枠:麗江古陳、中央の白矢印:普济寺、白枠:束河古陳、黄色矢印:香格里拉。

雪を被った山が玉龍雪山で、その左側を上下に長江が流れている。

 

現在、麗江古陳からチベット圏東南端の都市、香格里拉までは長江沿いに車で200km、4時間の道のりです。

麗江からの観光ツアーがあります。

さらに香格里拉からチベットの古都ラサまではさらに車で1570km、24時間の道のりです。

 

今でさえ麗江からラサまでこれだけ遠いのですが、1300年以上前、道なき道を商隊や僧侶が馬や徒歩で行き交ったのです。

当時、茶葉古道は麗江を通り、左(西)に折れて、長江に沿った道だったようです。

 

下: チベットと雲南省、四川省間の主要な道

左上の雅安から始まる道が四川省成都に通じる。

左下に延びる道が、プーアル茶の産地で有名な普洱に通じる。

 

 

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< 3. 古城忠义市场を出発 >

 

古城忠义市场の前は、すでに都市部の街並みです。

ここから西側の山に向かってタクシーで向かいます。

 

 

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< 4. 普济寺に到着 >

 

普济寺は麗江にあるチベット仏教5大寺院―玉峰寺、福国寺、指云寺、文峰寺の一つです。

私がチベット寺院に連れて行ってくれとガイドに頼んで、来たのがこの寺です。

この寺は麗江古陳から最も近いが、他の寺院の方が有名です。

 

下: 普济寺の門

木々に覆われた小高い丘の上に建っています。

この寺は一辺70mほどの壁に囲まれています。

門の両側に大きなマニ車が見える。

ここの創建は清朝の乾隆帝の時代、1771年で、後に数度修復されている。

 

 

 

 

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< 5. 境内に入る >

 

私達が入った時は、住職以外に人はいなかった。

古い建物が境内を囲み、大きくない境内は樹木で一杯でした。

春になると梅の花が綺麗だそうです。

この地域の寺には紅梅が多いようです。

 

 

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< 7. 本堂に入る >

 

上: 入り口の左にあるマニ車

信者がこれを回すと、回した数だけお経を読んだことになり、功徳があるとされる。

側面にマントラ(密教の真言)が古いインド文字で刻まれている。

この筒の中には経典が納められている。

 

左下: 右が入口

 

右下: 内部に入ると目の前に、天井から吊り下がっている布が目に入る。

どうやらチベットのタルチョーのようだ。

タルチョーは祈祷旗で、五色の青・白・赤・緑・黄の順に並び、それぞれが天・風・火・水・地を表している。

これが筒状に、2段に重ねられている。

 

 

 

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< 8. 正面 >

 

上: 正面の奥を見ている

狭い堂内はカラフルで、壁一杯に掛け軸や写真、絵が飾られている。

仏画の掛け軸はタンカと呼ばれる。

正面は観音像のようです。

逆三角形の顔の輪郭と耳まで覆う大きな冠はチベット仏像の特徴です。

左下に釈迦如来像らしいものが見える。

 

下: 正面の左側を見る

奥に千手観音像が見える。

チベット仏教では釈迦像や如来像よりも観音像が重視されているようです。

 

 

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< 9. 右側面を見る >

 

タンカが沢山見られる。

 

 

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< 10.明王像か >

 

上: 仏像の表情は眉がつり上がり、怒りの様相をし、また鎧を纏っているので明王像らしい。

また獣に乗って従えているように見える。

 

明王像は、インドで仏教が衰退する直前の7世紀頃、最後に花開いた密教と関りがあります。

日本の密教は弘法大師が広めたことで知られています。

密教は、それまでの悟りや戒律重視の仏教から、祈祷や呪文が重用される世俗的なものになりました。

この時に、仏教以外のヒンドゥー神や様々な守護神などが仏像に加わりました。

その一つが明王像で、悪魔を降伏させる怒りの表情を持っている。

 

チベットに仏教が広まったのは、7世紀のチベット統一王朝成立時なので、密教が主になったのです。

 

 

下: 本堂の屋根

 

 

 

 

 

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< 11. 住職家族の住まい >

 

本堂の隣、壁を隔てて住職の住まいがあります。

久しぶりに、古い住宅をまじかで見ました。

 

 

 

* 歴史を想う *

 

今回の中国旅行では、4種類の寺院―道教の道観(開封)、仏教寺院(開封)、モスク(蘭州)、チベット寺院(麗江)を見た。

また麗江ではナシ族の宗教、トンパ教の一端を見た。

様々な宗教が習合し、像や装束、建物などが影響され文化の混淆を見ることが出来た。

 

この地のチベット仏教やトンパ教を見て、大きな時の流れとアジアの交流について感じることがある。

麗江にチベット仏教が伝わったのは、おそらく茶葉古道を通じてだろう。

これは険しいアジアの屋根を2000kmも隔て行き交っての事だった。

 

一方、北のシルクロードから伝わった仏教が中国の大平原で漢文化と混淆し、道教と共にこの地に遡上するようになった。

これは昆明、大理(雲南)を経て入って来たのかもしれない。

しかし長江は香格里拉や麗江から四川省や武漢を経て上海で太平洋に注ぎ、これも経路の一つだったかもしれない。

 

この普济寺を建立したのは清朝の皇帝でした。

13世紀、モンゴル帝国はチベットを征服した折、それまでの原始宗教からチベット仏教を国教にします。

この後、北方や中央アジアにチベット仏教が広まった。

その後、北方の満州民族である清王朝が中国全土を支配した。

このことで、清王室の中にはチベット仏教を篤く信仰する人物が出た。

こうしてこの地には幾重にも宗教や文化が交錯することになった。

 

さらに不思議な事がある。

実は、遺伝子分析によると日本人(大和、アイヌ、琉球の民族)にもっとも近縁なのはチベット人で、分岐は3.5万年以前だそうです(所説あり)。

これは氷河期の事で、日本列島に新人類が住み始める前のことです。

その後も様々な交流が見られる。

 

かつて日本の水耕稲作はインド東端のアッサム地方から長江沿いに伝わったとされたが、現在の起源は長江中下流域のようですが、どちらにしても長江が関わっている。

またイザナギとイザナミが出てくる国生み神話の起源は、長江中流域にあるとの説もある。

 

訪れた成都の金沙遺跡と出雲大社の両遺構から復元された神殿が実によく似ている。

これも長江流域で見つかっている紀元前5千年前の高床式住居と日本の高床式から発展した神社建築様式の繋がりを示しているのだろうか?

 

身近なものにも驚きがあった。

アイヌのムックリ(口にくわえて鳴らす楽器)と同じような物を、この麗江(ナシ族)でも見ました。

調べてみると中国南部から東南アジアに広く分布しているようです。

不思議な事に、韓国、中国北方、アイヌ以外の日本では見られないのです。

 

こうしてみると、日本人や文化が長江流域と深く関わっていることを感じさせる。

この奥まった高原地帯の雲南、麗江は実に興味深い。

 

 

 

* 驚いたエピソード *

 

麗江古陳と他の観光地への移動では、ガイドがライドシェア(滴滴出行など)でタクシーなどを呼ぶのですが、今回は問題が発生した。

この寺から次の束河古陳まで移動するために車を呼ぶんのですが、幾ら待っても応じる車がないのです(辺鄙だからでしょう)。

そうこうするうちに、一人の中年女性が寺に車でやって来ました、

ガイドは帰ろうとする彼女に乗車を頼みました。

少しの交渉時間を経て、載せてくれることになりました。

 

私は、これまで親切な人に出会っていたので、てっきり善意で無料と踏んでいたのですが。

彼女は、お金を要求し、一人数十元で三人分要求している。

私はお金を支払い彼女の乗用車に乗りました。

移動は近いので、直ぐ着きました。

 

私達は助けられたのですが、それにしても彼女の勘定高いのには驚いた。

また辺鄙な観光地でのライドシェアやタクシーを呼ぶのは困難だと知りました。

バス交通の確認と、初めからチャーター車の利用を考えないといけないようです。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 33: 东巴文化博物馆から麗江古陳まで


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今回は、ナシ族の文化・宗教が分かる东巴文化博物馆を紹介します。

その後、黑龙潭の東岸から玉河广场へ戻り、さらに丽江古陳の中心部、四方街へと向かいます。

途中、1回目の夕食場所も紹介します。

 

 

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< 2.东巴文化博物馆 >

 

ここは黑龙潭の北側の門を出た所にあります。

小さな建物ですが、納西族(ナシ)、東巴教(トンパ)、トンパ文字の資料が丁寧に展示されています。

 

上: 入り口。

 

左下: 納西族の民族衣装。

庶民の普段着のようです。

町で見かけましたが、今は観光用に着ている。

 

右下: 火葬罐(缶なら金属容器のはずだが、土器のようだ)

説明文が読めないので定かではないのですが、これは火葬後の骨や灰などを収めた壺でしょう。

実は、この壺にナシ族の特徴が現れています。

 

中国は古来より土葬で、特に儒教によって強まりました。

(現在は衛生上の理由で禁止されています)

火葬の風習は、火葬が盛んであったインドで誕生した仏教が中国にもたらしました。

この地はチベットに隣接し、茶葉街道による交流も盛んだったので、チベット仏教の影響を受けていた。

 

 

ナシ族の人口は30万人で、雲南省の西北部から四川省西南部にかけての山間丘陵部や山間低盆地に住んでいる。

麗江古陳はかつて少数民族のナシ族の王都で、現在でもナシ族の人々が多く居住している。

またナシ族のほかに幾つかの少数民族が居住し、漢族より少数民族人口の多い地域となっている。

現在、麗江市の人口は110万人で、観光地、リゾート地として発展しており、外部からの人口流入が多いようです。

 

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< 3. トンパ教 >

 

トンパ教はナシ族の宗教で、当地のシャーマニズムとアニミズムを起源に、チベット仏教などの影響を受けて出来た。

宗教儀式を司るトンパ(シャーマン)のみが、象形文字のトンパ文字を使い教義や伝承を代々伝えて来た。

したがって一般に使われる文字ではなかった。

 

左上: シャーマンの衣装だろう。

 

右上: ナシ族の兵装だろう。

この装束は、横山光輝の「三国志」、孔明の南征(雲南北東部)のシーンで、描かれたいたような気がする。

 

左中央: 仏教で言う卒塔婆のようなものでしょう。

トンパ文字が記されています。

 

右中央: トンパ文字が書かれた書物、おそらくトンパ教の経典でしょう。

 

下: 降魔杵

おそらくシャーマンが使う魔除けの道具でしょう。

 

 

 

 

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< 4. シャーマンと儀式 >

 

上: トンパ教の祭式場を再現。

これから言うとトンパ教の寺院らしいものは無く、必要に応じて庭先などで行われたのだろう。

 

左下: 代々のシャーマン。

冠の形がチベットの仏像のものとよく似ている。

 

右下: 儀式の一つ。

 

 

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< 5. 湖の東岸を戻って行きます >

 

 

 

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< 6. 古楽器を演奏する人々 >

 

上: アンプを使用しているので、絶えなる音色が湖面を渡って広がっていた。

 

下: 麗江で紅葉を期待していたのですが、あまりなかった。

 

 

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< 8.锁翠桥 >

 

上: この橋の下が、湖から麗江古陳へと流れる川の始まり。

 

 

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< 9. 玉河广场に戻った >

 

上: 広場の人だかりは出発時よりも増えていた。

 

下: 玉河广场のすぐ横にある中国風のフードコート。

日本の大型スーパーのフードコートと形態は似ているが、木造なのが良い。

 

 

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< 10. 軽く夕食 >

 

出来るだけ色々食べ歩きたかったので、この日はここも含めて夕食を3ヶ所で食べた。

夕方5時頃でしたが、客は少なかった。

料理の種類は多いが、多くの食材が不明、味も分からない。

それでも妻が翻訳機を使い、色々注文してくる。

数皿食べたが、美味いと言うより、珍しく面白いに尽きる。

 

 

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< 11. 玉河广场から四方街への通り >

 

この通りがメインで、道幅が広い。

菊が盛大に飾られており、実に綺麗です。

ツアー客が、どんどん増えて来た。

どうやら夜が、四方街観光の愉しみのようです。

 

 

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< 12. 通りの両側は売店で埋め尽くされている >

 

民族衣装、宝飾品、食べ物、民芸品など多彩です。

ショッピング好きにはたまらないでしょうね。

ここでは中国製だから安いと言うことはない。

 

 

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黑龙潭からの川の流れです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 21: コロナは我々日本の弱点を教えてくれた 6


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今回は、大きな視点からコロナ危機を見ます。

歴史的に見れば、この災厄は古い体質を打破する好機です。

 

 

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* ペストと宗教改革 *

 

人類は誕生以来、病の克服に悪戦苦闘して来た。

病は、人の負の心理に深く作用し、宗教やタブーなどの形成に大きく関わって来た。

そして最悪のペストが、逆に宗教に大打撃を与え社会に転機をもたらした。

 

ペスト菌による伝染病は14世紀から16世紀にかけて、幾度も猛威を振るい、ヨーロッパの多くの町を全滅させ、全人口の30%以上の命を奪った。

 

当時、人々はどう対応したのか?

 

当然、まだ病因が菌だとは知らなかった。

多くは怪しげな行為、毒蛇の肉、香草、便所の悪臭などで避けようとした。

信仰心の篤い人は、これを神の怒りと捉え、身体に鞭打つ行者集団も現れた。

またユダヤ人が毒を撒いたとのデマが流れ、多くが虐殺された。

 

有効な処置は、発症者の隔離、渡航者の約1ヵ月の隔離、村の通行遮断ぐらいでした。

 

こうして人々は悲惨な状況が好転しないのを見て、神と教会への信仰に疑いを持ち始めた。

 

一方、ヨーロッパでは幾つかの要因が引き金となって、聖書を客観的に見る風潮(人文主義)や医学(外科)の萌芽が起きていた。

 

こうした中、神学者ルターが1517年、ローマ教皇を正面切って批判した。

 

これが当時、体制に不満を抱いていた農民や諸侯に火を付けた。

農民は一揆を起こし、暴利を貪っていた修道院などを襲い、また諸侯は守旧派(カソリック)の領地を奪った。

こうして百年に及ぶ戦争がヨーロッパに拡大し宗教改革も拡大した。

 

その結果、キリスト教はプロテスタントとカソリックの二派に分かれた。

 

プロテスタントの聖書の原点に戻る姿勢は、1500年もの間に巨大で強固になっていた教会制度と信仰形態(ミサ)を拒否し、また皇帝の上に立つ教皇の存在も否定した。

これは人々の意識に大変革をもたらした。

 

宗教改革後、欧米の人々は、より自由な生き方を求め、さらに理想の政体を求めるようになった。、

これがフランス革命や共産主義思想の誕生などに繋がった。

 

人々は伝染病に敗れはしたが、何が真実で何が無意味かに気付き、さらなる進歩を手に入れたのです。

 

 

一方、日本はどうでしょうか?

 

実は、日本は大きな変革のチャンスを失ってしまった。

大戦突入と言う大きな失敗に対して真摯に反省しなかった。

 

問題の要点を例えで説明します。

ブラック企業は勤める人にとっては悪夢ですが、まだ辞める手もあるし、告発することも可能です。

しかし、国の軍事独裁を一端許すと、逃げる手も正す手もありません。

 

つまり問題は敗戦より、何が独裁化と戦争突入を招いたかを理解することが重要です。

これなくしてはまた悲劇が再来することになる。

 

 

私達が力を合わせてコロナ危機を乗り越えた暁には、より良い社会を目指して政治を変えて行きましょう。

 

 

次回から、また本来の課題に戻ります。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 29: 古代へ誘う金沙遺址博物館


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< 1. ここで黄金の太陽神鳥が発見された >

 

 

これから、数回に分けて四川省の省都成都を紹介します。

今回は、金沙遺址博物館を紹介します。

ここには最古の蜀人の暮らしがあった。

 

 

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< 2. 成都観光地図、上が北 >

 

上: 成都の位置は赤矢印

成都には蘭州から飛行機で来て、二泊後、同じ空港から飛行機で麗江に移動します。

 

下: 赤矢印が、成都の観光地です。

A: 金沙遺址博物館、三星堆遺跡の文化を受け継ぐ遺跡の上に建っている。

B: 杜甫草堂(唐の詩人の廟)

C: 陈麻婆酒楼(金沙店)、元祖麻婆豆腐の店

D: 武侯祠(諸葛孔明の廟)

E: 天府广场東側のショッピング街、成都最大の繁華街

 

黒矢印は地下鉄で直結している成都双流国际机场の方向を示す。

 

2019年10月23日23:00、私は蘭州から成都双流国际机场に到着し、直ぐ近くのホテルに2泊した。

翌日、朝8:30にホテルのロビーで現地ガイドと待ち合わせし、日本語で1日案内してもらった。

移動はタクシーを利用した。

残念ながら、1日中雨でした。

観光はほぼ予定通り出来たが、写真が思うように撮れなかった。

 

 

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< 3. 金沙遺址博物館 >

 

上: 金沙遺址博物館の地図、上が北。

600mx500mの広さ。

E: 乌木林

F: 発掘遺跡の展示館

G: 遺跡からの発掘品の展示館

 

この遺跡は、2001年偶然発見され、発掘調査後、2007年博物館としてオープンした。

私としては有名な三星堆遺跡を見たかったが、成都を1日で観光するには、近くにあるこの博物館見学で時間的に精一杯でした。

三星堆遺跡は北方45kmの位置にある。

 

この博物館の下には、紀元前1200~500年頃に栄えた蜀人の国が眠っている。

この時期は、黄河中領域の西安から洛陽とその北方で興った商(殷)の後期から、西周、春秋戦国時代の前半に重なる。

ここは蜀人の政治経済商業の中心地であったが城砦はなく、大きな住居址群と祭祀場、墓地からなる。

現在は埋め戻され、祭祀場跡だけが見学できる。

 

 

下: 乌木林

この敷地の川底に埋もれていた60本余りの黒檀が立てられている。

かつてこの地は黒檀の森で、今より温暖であった。

この黒檀は祭祀に使われた可能性が高い。

彼らは治水を重視し、河辺で祭祀を行った。

成都には有名な、水利を目的として紀元前3世紀築造が始まった都江堰がある。

 

 

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< 4. 発掘遺跡の展示館 1 >

 

この展示館は大型の祭祀場跡を覆っている。

 

 

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< 5.建築物跡と発掘品 >

 

上: 左側のパネルに高い櫓の絵が見える。

パネルの周囲の穴が、柱の跡なのだろう。

出雲大社の太古の復元モデルと似ている。

 

下: 黄金のマスクなどの金器が発掘された。

写真には他に玉器や青銅器も見える。

 

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< 6.石虎と象牙 >

 

上: 中央右に数本の象牙が白いビニールで覆われている。

また猪の牙も大量に見つかった。

当時、この地には多くの象が生息していた。

右下のパネルを拡大したものが下の写真です。

 

都江堰が造られた岷江はしばしば氾濫し水害をもたらしていた。

古代の蜀人は、象牙には水の妖怪を殺し、洪水を鎮める神通力があると信じ、川辺のこの祭祀区で、象牙を柱状や円状に並べて供え、祭神を祭ったようだ。

 

下: 写真の右下に石虎が二つ見える。

崇拝の対象だったのだろう。

 

 

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< 7. 発掘品の展示館 >

 

上: 二つの展示館の間の通路。

広々とした森林公園になっている。

 

下: 発掘品の展示館に向かう。

 

 

 

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< 8. 蜀人の暮らし >

 

三枚の写真はジオラマを左から右に撮って、上から下へと並べた。

当時のこの地の様子を再現したものです。

 

森が残る平原に川が流れ、その周辺に多くの住居が建っている。

左には象、犀、鹿が見える。

川には数艘のカヌーのような小舟が見える。

右手前には住居と家畜の囲いが見える。

 

ここは蜀人の王国の一つだった。

これに遡り、城郭のあった三星堆遺跡が500年間続き、衰退した後にこの王国が興り700年ほど続いた。

蜀人の国は長江上流域の盆地にあったので、永らく黄河中流域の争いに巻き込まれることはなかった。

しかし、秦国がこの地に侵入すると蜀人は敗れ、一部は西側のチベット方面へ、または南下し東南アジアへ去った。

 

 

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< 9.再現された住居と土器 >

 

上: 再現された住居。

土壁と草ぶきの屋根。

 

下: 土器

ほとんどの土器の形は他の地域と同じように見える。

 

下: 玉器

写真の下段に玉琮、割れた玉璧、上段に玉戈などがある。

玉器は殷周のものと似ており黄河中流域と交流があったことを伺わせる。

これらは祭祀用のはずです。

上部の物は、かなり大きい。

 

 

 

 

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< 10. 青銅器と埋葬墓 >

 

上: 青銅器

殷で隆盛を極めた祭祀用の青銅器容器の鼎などをまったく見なかった。

なぜか青銅器は薄いか小さいものがほとんどです。

三星堆遺跡では大きな青銅製人形を作っていたが、こちらでは大きい物は造られていないようだ。

不思議だ。

 

下: 埋葬墓

一見した感じでは、貧富の差や格式がないようです。

またほとんど副葬品が見られない。

ここには見えていないが、遺体を二つのカヌー形状の棺で上下に被せるようにして埋葬することもしていた。

 

このような階層の無い社会(王国)で、金器・玉器や象牙を消費する祭祀が盛大に行われていたことに驚いた。

 

 

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< 11. 主要な発掘品 1 >

 

左上: 玉鉞

右上: 玉琮

この二つは他の中国文明でもよく見られるものです。

 

左下: 青銅立人像

この人形は、服装や髪型、冠などから見てこの地に特徴的なものです。

 

右下: 黄金マスク、幅19.5cm、厚0.4mm。

これに遭えて、ここに来た甲斐があった。

 

三星堆遺跡の青銅人形には、他の中国文明には無い特徴があった。

それは目が異常に大きく、また飛び出していたことです。

このマスクには、その様式が受け継がれている。

もっとも三星堆遺跡の青銅製人形にも金箔が貼られているものはあったが、金沙遺址の方が三星堆遺跡よりも金製の造形品が多い。

 

 

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< 12. 至宝 >

 

左: 金製の太陽神鳥、外径12.5cm、厚み0.2mm。

12本の火炎をもつ太陽を四羽の鳥がめぐっている(切り抜かれた部分)。

太陽の図案は、三星堆祭祀坑出土の大型神樹などにも取り入れられている。また火炎をもつ太陽は、前述の青銅立人像が頭上に戴く冠の形とも似ている。

金沙遺跡も三星堆と同様に太陽が重要な意味を持っていたようだ。

 

右: 顔が無い青銅製人形

面白い造形だ。

 

 

あとがき

 

初め、金沙遺址にはあまり期待していなかったが来て良かった。

黄金マスクと金製の太陽神鳥は特に興味深かった

北京の博物館で三星堆遺跡の青銅人形を見ているので、両遺跡を見たことになり、思いを果たした。

 

この遺跡博物館を見たことにより、漢民族の中心文明から離れた蜀人(羌族の一部?)、そして成都の古代を少しイメージ出来たように思う。

三星堆遺跡に代表される蜀人の祭祀は、祖先と太陽の崇拝だった。

殷の祭祀では、多くの奴隷を生贄に捧げたが、こちらではそのような事はなかったとされている。

 

今回、中国の外縁を巡る理由の一つは、古代中国の民族移動が後の少数民族の形成にどのように関わったかを知ることだった。

紀元前後以降、漢民族が覇権を広げるに従って、もともと中国大陸に広く散在していた民族は、南部や西部の山岳部に難を避けた。

このことで、各部族の神話が各地に分散し、全体として統一感を欠き、中国神話は纏まりの無いものになったと私は考えている。

今回の蜀人もそうだった。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 26: 敦煌艺术馆と蘭州博物館


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今回は、二つの博物館を紹介します。

珍しい物を見ることが出来ました。

 

 

当初、蘭州に行く最大の目的は炳霊寺石窟で、それがダメなら甘粛省博物館と思っていたのですが、両方とも訪れることが出来なかった。

しかし中国旅行直前に現地ガイドと観光地の選定をメールでしていると、敦煌艺术馆が急浮上しました。

この博物館は最近出来て、ガイドブックにも載っていない。

ここで敦煌の莫高窟を紹介している。

かつて莫高窟に憧れていたが、見学は諦めていました。

しかし今回、雰囲気を味わうことが出来、ラッキーでした。

 

甘粛省博物館はシルクロード、漢民族と西方・北方民族が織りなす文化と歴史を知るには恰好の巨大な博物館です。

有名な展示物は「馬踏飛燕」でしょうか、これは「汗血馬」が空を駆ける姿を表現したものです。

漢民族の馬は北方騎馬民族の馬に比べ貧弱でした。

漢の時代、シルクロードの西方に優れた馬「汗血馬」がいることがわかった。

その後、蘭州で馬の飼育が盛んに行われた時代があった。

 

 

 

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< 2. 仏教美術―壁画と仏像の宝庫、巨大な石窟群 >

 

左からシルクロード沿いにある敦煌の莫高窟、蘭州の炳霊寺石窟、天水の麦積山石窟です。

洛陽の龍門石窟は、シルクロード沿いにはなく王朝の首都近郊に造営された。

私は龍門石窟だけを以前見学している。

これら石窟の壁面には仏画が描かれ、仏像が掘り出されている。

中に僧侶らが修行や祈りの生活を続けた痕跡が残っている。

 

なぜこの地には数百もの石窟群からなる仏教遺跡が幾つもあるのでしょうか?

これら四つの石窟群は4~5世紀に造営が始まり、石窟によっては元から清の時代まで造営や改修が続き数百から千近くまで増えた。

 

当時、南下していた北方遊牧民族(匈奴、鮮卑ら)は中国の北半分からシルクロード一帯を占拠し分立していた。

彼らは漢民族の文化、特に仏教を積極的に受容し石窟の造営を始めた。

 

仏像は主にこのシルクロードを通じて中国に伝わり、既に中国でも製作は始まっていた。

インドでは仏像誕生後、一度廃れていたが、5世紀になるとヒンドゥー教と競うように、巨大な石窟群を開窟するようになった。

こうしてシルクロードの石窟にも、インドの様式が取り入れられるようになった。

 

 

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< 3.蘭州の街 >

 

白塔山から敦煌艺术馆まで。

 

 

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< 4. 敦煌艺术馆に到着 >

 

下: 中央に見える1階の建物が博物館です。

入口が中央に見える。

 

 

 

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< 5.石窟内の壁画 1 >

 

それぞれ石窟の一部の壁画を再現している。

様々な年代の様式が見られる。

 

上: 天井の壁画。

中央: 側壁。

この二つは初期の物でしょう。

 

下: これはどうやら西夏(11~13世紀)のものでしょう。

この作風は遼時代(10~13世紀)のものに似ている。

前者はチベット系で後者は北方系(契丹)だが、南北で境界を接していた。

 

 

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< 6. 石窟内の壁画 2 >

 

中央: チベット仏教の影響がみられる。

 

 

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< 7. 仏像 >

 

上: 初唐時代の彩色塑像。

下: 北魏時代の塑像。

造営初期の4~6世紀の仏像で、顔の形が細長い。

衣の表現はマトゥラー仏に似て薄く襞が少ない。

 

 

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< 8. インド風の石窟 >

 

北魏時代のもので、石窟全体を再現している。

この原型はインドの石窟群に見られるもので、礼拝者が仏像の安置された祠を周回出来るようになっている。

祠は掘り出されているので天井は繋がっている。

私はレプリカであっても初めて見ることが出来たので嬉しかった。

 

 

全体の感想

展示のコンセプトは石窟の部分的な再現にあるようで、全体の雰囲気を容易に掴むことが出来る。

この便利な地、蘭州で手軽に敦煌莫高窟を楽しめるのは有難い。

 

少し残念なのは、少しレプリカが雑なように思う。

表記は中国語だけです。

今後増えるかもしれないが、現時点で展示が少なめです。

 

 

 

 

 

 

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< 9. 蘭州博物館 >

 

上: 入り口。

省都の博物館でありながら、小さい。

それでも見る価値はあると思います。

 

中央: 半山類型(馬家窯文化)の彩陶鼓。

左に写っている土器が太鼓です。

土器の下部に皮などを被せ、紐で無数の突起に縛ったらしい。

5000~4000年前のものらしい。

西安から遠く離れたこの乾燥した地に、人々が文化を育んでいたとは思いもよらなかった。

 

下: これは浮橋で、前回紹介した中山橋(黄河第一橋)の前進にあたるものです。

黄河の両岸にそれぞれ二本の鉄の杭を打ち、縄を張り、小舟を繋いだ。

 

 

 

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< 10. 金城 >

 

蘭州が初めて行政区になったのは前漢の時代(紀元前1世紀)で、金城県と呼ばれた。

この城の模型は、初期の金城県の城を示しているのでしょう。

今の蘭州中心部より西側にあった。

 

 

 

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< 11. 発展した蘭州 >

 

 

何時から今の蘭州中心地に移ったかはわかりませんが、黄河に面して巨大な城砦となった。

下の写真の左下に水車が見える。

 

玄奘三蔵などはこの城を通って、西域を目指したのでしょう。

 

 

全体の感想

 

写真を載せていませんが、遊牧民の文化が中国初期の土器に影響を与えた袋状の三本足の土器もありました。

展示品は少ないが、西域と接する文化を少しは感じることが出来た。

 

見学途中、突如、蘭州のテレビ局のインタビューを受けた。

蘭州の感想を尋ねられたが、適当に褒めるだけで終わった。

なにせ来たばかりなので。

最近は日本人の観光客が少ないようで、驚いていた。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 9: 日光山輪王寺


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今回と次回で、日光山を紹介します。

素晴らしい天気と鮮やか紅葉に恵まれました。

訪れたのは2019年11月19日、9:00~11:00です。

 

 

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< 2.日光山の地図、上が北 >

 

上: 日光東照宮、日光荒山神社、日光山輪王寺、大猷院霊廟などがある。

右側S(駐車場)から赤線に沿って進み、輪王寺三仏堂1を見て、参道2に出た。

参道を北上し、東照宮の境内3に入り、拝殿4に入館した。

そこを出て青線に沿って進み鳴竜5を見て、元の駐車場に戻った。

 

下: 私が訪れた日光東照宮。

赤線は往路、青線は復路です。

 

写真はほぼ散策順に並んでいます。

 

 

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< 3. 輪王寺三仏堂 1 >

 

周囲の紅葉が青空に映えて実に美しかった。

 

 

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< 4.輪王寺三仏堂 2 >

 

上: 日光三所権現本地仏(右から千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)。

撮影禁止なので借用。

制作年代等は不明。

2019年修復されたばかりの金色が眩い、高さ7.5mの三体の仏像は暗い堂内を圧倒していた。

大きな堂内が狭く思えた。

 

下: 輪王寺三仏堂から大護摩堂を見る。

右手の紅葉がまた素晴らしかった。

 

この輪王寺の歴史は古く、奈良時代、勝道上人がここに輪王寺を開山した。

彼は今の栃木県辺りで活躍し、中禅寺も創建した。

平安時代あたりから天台宗寺院として歩み始める。

江戸時代になると、家康の側近として活躍した天海(天台宗の高層)が貫主となり復興が進んだ。

そして徳川家康の霊を神として祀る東照宮が設けられた。

 

後に徳川家光の霊廟になる輪王寺大猷院には、時間が無かったので行きませんでした。

 

 

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< 5. 輪王寺三仏堂と参道 >

 

上: 右が輪王寺三仏堂、左が大護摩堂。

 

下: 参道の下り方向を望む。

 

 

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< 6. 石鳥居 >

 

1618年、筑前(福岡県)藩主黒田長政が奉納した。

 

上: 東照宮側を望む。

 

下: 反対側を望む。

 

 

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< 7.五重塔 >

 

右: 五重塔。

1650年、小浜藩主酒井忠勝によって奉納された。

後に焼失したが再建された。

 

左: 表門。

仁王像が安置されている東照宮最初の門です。

ここで入場券を確認します。

 

 

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< 8. 表門を抜ける >

 

上: 表門の反対側。

 

下: 少し境内に入って進行方向を望む。

 

 

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< 9.神厩舎・三猿 >

 

上: 神厩舎・三猿。

ここは御神馬をつなぐ厩で、猿は馬を守るとされ、人生を風刺した猿の彫刻が上面に飾らている。

中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」が有名。

 

下: 階段の奥に陽明門が見えて来た。

 

 

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< 10. 御水舎 >

 

心身を清める為の建物で、水盤が見える。

 

 

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< 11. 輪蔵 >

 

上: 階段を上がると陽明門の前に至る。

 

下: 階段の手前、左側にある経典の蔵。

経典の棚が回転式の為、この名がついた。

 

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< 12. 階段を昇った所 >

 

次回に続きます。

 

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平成の哀しみ29: 深まる亀裂 27: 敵対と融和 1


 

1

 

昔から人は敵対か融和かの選択をして来た

 

2

 

 

 

動物は元来敵対するものなのか?

 

弱肉強食は自然の理ですが、同種間では擬闘が行われます。

肉食獣などが縄張りを争う場合、徹底した殺し合いをせず、共に生存率を下げないように進化しました。

 

しかし人に近いチンパンジーでは、隣接するオス集団を壊滅させことがあります。

彼らは他集団のオスを非常に恐怖し、メス以外とは接触しません。

 

人類は大戦争をしますが、一方で世界を駆け巡り、商売や旅行をします。

人類は徹底的に敵を憎悪する一方で、仲良くすることも出来る非常に柔軟な動物です。

 

 

歴史を振り返ると二つの進歩に気付く。

 

社会が争いで荒廃していた時代、各地で画期的な解決策を説き始めた人がいた。

インドの釈迦、中国の孔子、ユダヤのイエス、アラブのマホメッドなどです。

彼らは憎悪でなく愛と自制により平和と幸福を促した。

この教えは今も広く人々の心を捉えている。

 

今一つは、敵と味方の境界線が拡大し続けていることです。

人種や言語集団は概ね1万年前後に定まったが、その垣根を越えて通じ合うことが可能になった。

 

人類は異なる社会を統合する知恵を持ち、広く協力する心を持ったことで、今の繁栄と平和がある。

 

次回へ

 

 

 

 

 

 

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平成の哀しみ11: 深まる亀裂 9: 美化される歴史


 

1

なぜ美化されるのか

 

2

 

 

 

日本の歴史は自虐史観によって歪められていると説く人がいる。

 

彼らは、日本民族は他と異なり特段に優れ、長い歴史を持つ神代の国で、文化は物真似ではなく独創的であるとする。

これを聞いて思い当たるものがある。

 

これは紀元前後の聖書、史記や日本書紀などの国史に通じる。

これらは民族や国がまとまりつつある時期に、為政者側で作られた。

そこには悲願や正統性が高らかにうたわれている。

面白いことに、他の宗教や民族から見ると眉唾物だとされる。

 

一方、古代ギリシャのヘロドトスの歴史やトゥキディデスの戦記は、これらと異なる。

この二つは個人が書き上げ、市民に当時の二大戦争を語るものでした。

 

何が異なるのだろうか?

 

歴史を見る目、意図が真逆です。

前者は国民に国体を、後者は市民に真実を伝えるものでした。

 

ある時は自国の歴史を見直すことにより独立機運を高めた、また戦争の歴史を確認し自戒を求めたこともあった(聖書の預言書も)。

 

一方で、幾たびも現れるホローコースト否定論、これは反ユダヤ主義者を勢いづけて来た。

ヒトラーもゲルマン民族の歴史を美化し、他民族への敵意を煽った。

 

歴史の美化は曲解をうみ易く危険です。

 

 

次回に続く

 

 

 

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湖北・湖東の紅葉を訪ねて 5: 永源寺 2


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今回で、湖北・湖東の紅葉の紹介を終わります。

小雨と薄暮にあっても幻想的な紅葉を楽しむことが出来ました。

これも山里やお寺のお世話があっての事だと感謝しています。

 

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日が暮れると共にライトアップの光が目立つようになって来ました。

 

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薄暮の中の紅葉はけっして鮮やかではないが、深みを感じさせる。

 

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上: 本堂。

 

下: 鐘楼。

この写真は11月22日、16:40のものですが、周囲はかなり暗くなっていました。

ISO1600で、手持ちで撮影し編集で明度を上げてこの状態です。

 

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この2枚の写真は、前回紹介した禅堂前を撮ったものです。

同じ所でも20分ぐらい時間が経つと、ライトアップの効果が際立つようになりました。

まるで豪華な日本らしい舞台のセットを見ているようです。

 

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薄暮から夕闇にかけて、ライトアップやフラッシュで撮影した光景。

 

右下: 最初の石段沿いにある16羅漢(岩壁に石像が彫られている)。

 

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1時間後に戻って来た時は、真っ暗になっていた。

橋の近くの広場には数軒の屋台が並んでいた。

 

 

  • 今回の紅葉巡りで感じたこと

これら紅葉は総合芸術、日本で洗練された文化だとつくづく実感した。

 

北欧やロシア、北米には雄大な一大紅葉地帯がある(一部しか見ていないが)。

それと比べると日本の場合、数百本程度の広葉樹が密集ではなく最適な位置に配されている。

また日本の紅葉の樹は高く伸びた大木と言うより、背が低く枝が横に広がる木が好まれているようだ。

境内の赤や黄色の広葉樹は苔むした岩や石灯篭、小さな池や建物の間に配される。

石畳や地面に積み上がり、池や小川、手水鉢に浮かぶ落ち葉すら重要な背景になる。

人々は境内の参道や回廊を巡る内に、様々に形を変え黄色や朱色の木々と様々な背景色の組み合わせの妙を楽しむことになる。

 

 

人類は原初来、赤色に神秘性を感じ、多くの宗教は聖なるものとして取り入れた。

そして特に東アジアは、今でも赤(朱色)を宮殿、神社仏閣に使用している。

中でも紅葉が広く見られる日本(韓国も)では、なぜか寺院の境内に紅葉が重視されるようになった

元来インド起源の仏教には朱色を愛でる習慣は無かったと思うのだが。

 

推測に過ぎないが、朱色に対する無意識の神聖感と、大乗仏教特有の死生観―末世に至る滅びと冬の到来を告げる紅葉が結びつけられ、広く受け入れられるようになったのだろう。

 

一方、キリスト教では、死後の世界は仏教と異なり希望溢れるものなので、落ち葉や冬を連想する紅葉は聖なる場所には不向きと見られたのだろう。

キリスト教圏では、宮殿に大規模な紅葉を取り入れるところはあっても、教会には無いように思う。

どちらかと言うと、春や誕生をイメージさせる花が多いように思う。

 

こんなことを感じながら、楽しい1日を過ごして来ました。

 

 

それでは終わります。

 

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何か変ですよ! 77: 戦いの始まり 4


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< 1. 大統領(実業家)、金融資本家、右翼の合体 >

 

 

なぜ今、北朝鮮問題に火が付いたかをこれまで見て来ました。

そして国民は踊らされてヒステリックになっていることもみました。

実は、この状況は世界の潮流が招いたと言えるのです。

このことを確認し、連載を終えます。

 

 

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はじめに

私は世界が右傾化していると指摘しました。

また世界経済は自由放任主義によって金融偏重と格差拡大を招きました。

おそらく多くの方は、このことを実感しておられることでしょう。

 

しかし私はなぜ先進国が軒並み右傾化したのかを上手く説明できずにいました。

この理由として、欧米で所得格差が拡大したこと、中東の戦乱が移民や難民の大量流入を招いたことを挙げました。

しかし、これでは日本や米国の右傾化やポピュリズムをうまく説明出来ていない。

 

実は、1980年代頃から世界で経済とは異なる次元の変化が起きていた。

それはハンチントンが「文明の衝突」で指摘した現象と言えるかもしれません。

 

 

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世界の右傾化の背景にあるもの

はじめに、多くの方が知っている世界の幾つかの変化や遠因を挙げます。

 

私が連載「中東に平和を」で取り上げたように、イスラム復興運動が1980年代から中東で勃興し始めました。

この遠因として、パレスチナ問題や米国主導の中東での戦争がありました。

さらには20世紀前半に世界中で起こった植民地からの独立と国家再建運動がありました。

 

20世紀末には日欧米の経済はバブルを繰り返しながら停滞していました。

1991年にはソ連が崩壊しました。

一方で、かつての非欧米諸国、植民地だった国が高い経済成長を始めた。

これを象徴するのがブリックスの経済発展で、特に中国の躍進でした。

 

 

これらの事実を関連づける世界の潮流とは何か?

ポイントは三つあります。

 

一つは、欧米や日本などの経済が軒並み失速し、自信を無くしてしまった。

(米国経済は成長しているが、一握りの富裕層の富を増やしているだけです。)

この理由は定かではないが、日欧米では人口ボーナス期が終息していることが大きい。

これに欧米主導のグローバリズムによる産業構造の変化で起きた失業と格差拡大が加わった。

 

今一つは、多くの独立を遂げた国では、グローバリズムの荒波の中でアイデンティティを意識することになった。

これがイスラム教だけでなく他の世界宗教(キリスト教など)にも宗教復興(原理主義)へと向かわせた。

例えば、再建中の国では少なからず欧米化(近代化)を目指していたが、その軋轢(都市化による疎外感、混乱や貧困)に苦しむ二世代目を癒したのは連綿と続く文化(宗教団体の献身など)でした。

また経済発展を遂げた国、特に欧米化せずに成し遂げた国では自らの文明に誇りを持っようになった(中国や中東産油国)。

 

最後の一つは、冷戦終結に代表されるイデオロギー対立の終焉でした。

大きな対立が消えると、他者との新たな識別(文明、宗教、民族)による自己確認が生まれた。

 

こうして世界は文明毎(主に宗教単位)に団結を強めるようになっていった。

さらにこれに火に油を注ぐことが起きた。

 

 

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何が火に油を注いだのか?

分かり易いのはネオコン(新保守主義)が主導したイラク戦争でした。

ネオコンは、民主主義や自由主義を遅れた国に広める為には、武力も辞さないとした。

これは先進国の右派にも左派にもある意識で、それまでの繁栄による驕りが招いたと言える。

 

しかし、武力介入を受けた国では民主主義が定着するどころか欧米への反発を招く結果となった。

実際、アフリカや中東では数々の武力介入が、混乱と疲弊を招き、膨大な難民を発生させてしまった。

 

こうして、世界は文明毎(主に宗教や民族単位)に対立を深め、先進国は被害者意識を強め右傾化(ナショナリズム)し、さらには金融資本家が支配する信頼無き政治に絶望した国民はポピュリズムに走ってしまった。

こうしてトランプ、ルペン、安倍が人気を博すようになってしまった。

 

 

 

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まとめ

結局、100年前の帝国主義(植民地)の残滓に喘ぐ国々と、100年間ほど繁栄を謳歌し早くも衰退する日米欧が、ぶつかり合う中で今の右傾化とポピュリズムが起きている。

 

これは実に危険な兆候です。

恐らくはヨーロッパで帝国主義が沸き起こった背景にも、同様の国内外の葛藤が起きていたのでしょう。

 

出来れば、皆さんが冷静になり、歴史を踏まえて正しい判断をして欲しいと願います。

 

 

最後に

タイトルに「戦いの始まり」としたのは、朝鮮半島で戦争が始まろうとしていることを言いたかった。

さらには、国民にとって抗しがたいことですが、「右傾化とポピュリズム」と戦って、勝利して欲しいと願ってのことでした。

これは幾度も歴史上繰り返されて来た・・・・・

 

 

 

どうか皆さん、この選挙の一票を大事にしてください。

日本の将来が安泰であることを祈って、この連載を終えます。

 

 

 

 

 

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Something is strange! 63: Why don’t they teach evolution theory


何か変ですよ 63: 進化論を教えないこと

 

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Turkey don’t teach evolution theory in high school, so our world begins retreating more.
With this, evolution theory is kept away not only in Christianity but also in Islam.
We briefly look at harmful results of not teaching evolution theory.

 

世界がまた一つ後退し始めた、トルコが高校で進化論を教えなくなるからだ。
これでキリスト教圏だけでなくイスラム教圏でも進化論が遠ざけられる。
進化論を教えない事の弊害について考えます。

 

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Introduction
The evolution theory Darwin advocated is widely recognized as science in the world.
On the other hand, many religions have individual creation myths about human birth, so they conflict with the evolution theory.
And people who believe that the scriptures are correct one by one is stubbornly opposed to introducing the evolution theory into their school education.

Is it a problem if the public can’t learn about evolution theory ?
It surely expose the advancement and peace of the world to risk, If the public can’t understand the key point of the evolution theory.
I will briefly explain this.

 

はじめに
ダーウィンらが唱えた進化論は世界で科学として広く認められている。
しかし、多くの宗教は独自の人間誕生の創造神話を持っており、これが進化論と衝突することになる。
そして聖典を一字一句正しいとする人々は、頑なに進化論を学校教育に導入することに反対する。

国民が進化論を教わらないことは問題でしょうか?
国民が進化論の要点を理解しないことは世界の発展と平和にマイナスになるはずです。
このことを簡単にみます。

 

Education Controversy about the evolution theory in the United States
In states that many Christian conservatives live in, from the 1920 ‘s, state laws prohibiting teaching the evolution theory at schools were established one after another.
On the other hand, liberal people disputed it and these ban laws were brought to the US Supreme Court and contested.

Finally, in 1987, these ban laws were considered unconstitutional and the contest of the evolution theory got determined.
During that time, conservative wing and liberal wing intensely controverted and had a PR war about ” Is the evolution theory a science? Is the Creation in the Bible a historical fact?”

Even now, about half of the Americans believe that ” God created humans about 10,000 years ago.”

 

 

米国での進化論教育論争
米国において、キリスト教保守派が多い州では1920年代から、進化論を学校で教えることを禁止する州法を次々と成立させた。
一方で、リベラルな人々がこれに異論を唱え、幾つものこれら禁止法が連邦最高裁判所まで持ち込まれ争われた。
そして遂に、1987年、禁止法は違憲であるとされ進化論裁判は決着した。
この間、保守派とリベラル派で「進化論は科学か? 聖書の天地創造は歴史的事実か?」を巡って激しい論争と広報合戦があった。

米国民は今でも、約半数の人が、「神が1万年ほど前に、人間を想像した」と考えている。

 

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Reason why the evolution theory is denied
“God made the heavens and earth. ….. God made a man in the image of God.”
This is at the beginning of the Bible, Genesis.
That’s why this God’s word contradicts the evolution theory.

On the other hand, the evolution theory explains as follows.
“Very simple primitive organisms had repeated various mutations, only things adapted to the environment remained, and various creatures were born by the natural selection. One kind of them became humanity.”

The evolution theory doesn’t require existence of God.
And, the natural selection theory gives people an image of the jungle law.
Furthermore, mankind that is only product of chance hasn’t greatness being due to be chosen by God.

Therefore, Christian conservatives (annotation 1) that think the Bible absolute are sure not to admit this.

 

 

進化論が否定される理由
「神が天と地をつくった。・・・。神は神に似せた人をつくった」
これが聖書、創世記の冒頭にあり、この神の言葉が進化論と矛盾するからです。

一方、進化論は以下のように説く。
「極めて単純な原始生物が様々な変異を繰り返し、環境に適応したものだけが残る自然淘汰によって様々な生物が生まれた。その一つが人類です。」

進化論は神の存在を必要としません。
また自然淘汰説は弱肉強食をイメージさせます。
さらに偶然の産物に過ぎない人類には神に選ばれた偉大さがありません。

これでは聖書を絶対と考えるキリスト教保守派(注釈1)は認めたくないはずです。

 

 

Other religions and the evolution theory
Since ancient times, there were creation myths in each place, the origins of heavens and earth, people, royal family etc. were explained in them.
And many religions, Judaism, Islam and Hinduism were incorporating them (annotation 2).

Naturally, the evolution theory was also unacceptable for Muslims.
Turkey, which was most advanced in secularization, finally removes the evolution theory from the curriculum following Saudi Arabia. (keep teaching at university)

 

 

他の宗教と進化論
古来より、各地に創造神話があり、天地や人、王家などの起源が説明されています。
そして多くの宗教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教はそれを取り込んでいました(注釈2)。

当然、イスラム教にも進化論は受け入れがたいものでした。
世俗化が最も進んでいたトルコが、ついに厳格主義のサウジアラビアに次いで進化論を教育課程から外します(大学では教える)。

 

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What is the problem?
The greatest harm to deny the evolution theory to protect myths in the scripture is that people lose scientific mind.

Importance of the scientific mind is obvious from human progress, development of medicine and living environment.
The importance of the scientific mind is to know the limits that human can understand (annotation 3), and the theory is constantly being improved through actual proof.
People can keep superstitions and delusions away by knowing this.

Also, admitting only their creation myths will deepen the conflict between the religious believers and the other religious believers

There are other reasons why the evolution theory is important.

Human evolution theory – human beings born in Africa spread to the world and we are the descendants, and if we knew this fact, we easily can realize that mankind is one.

The other is to know the background that various human mentalities, deep affection, mutual respect, hatred, anxiety, etc. were born.
Because of this, many prejudices will be lost and understanding to others will deepen.

Much of the human mentalities grew for Animals’s survival through the process of evolution.
For example, our brain has an organ that secretes hormones enhancing romantic feeling, and this operation is determined by genes and individual growth processes.
But, because it has varied, some person may feel love the same sex.

 

 

何が問題なのか?
聖典の創造神話を守る為に進化論を否定する一番の弊害は、人々が科学的な視点を失うことです。

科学的な視点がなぜ重要かは、人類の進歩、医学や生活環境の発展を見れば一目瞭然です。
科学的な視点で重要な事は、人間の理解出来る限界を知り(注釈3)、その理論が絶えず実証を経て改良されていることです。
これを知ることで人々は迷信や妄信を遠ざけることが出来る。

また自分たちの創造神話だけしか認めないことは、どうしてもそれを信じる教徒と他の宗教徒の対立を深めることになる

進化論が重要な理由が他にもあります。

人類の進化論-アフリカで誕生した人類が世界に拡散し、我々はその子孫であることを知れば、我々は人類が一つであることを実感出来るはずです。

今一つは、人類の心性―深い愛情、助け合う心、憎しみ、不安感、などが生まれた経緯を知れば、多くの偏見が無くなり、他者への理解が深まることでしょう。

心性の多くは、進化の過程で動物がより生き残る為に育まれた。
例えば、男女の恋愛感情を高めるホルモンを分泌する器官が脳にあり、この働きは遺伝子と生育過程によって制約されている。
これにバラツキがあるので、同性にも愛を感じることがあるのです。

 

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At the end
I am really sad.
Although it can be said that many religions left a great footprint to mankind.

But, now also, for coming back to the source of the religion, the world invites conflict and seems to proceed in a nonscientific direction.

 

 

最後に
実に悲しいことです。
宗教は人類に偉大な足跡を残したと言えるが、今また、宗教の原点回帰と称して、世界は対立を招き、非科学的な方向に進むように思える。

 

 

注釈1.
キリスト教保守派とはプロテスタントの中でもキリスト教原理主義者などを言います。

注釈2.
仏教と儒教の宗祖、釈迦や孔子は宗教的・神話的なものを避けようとして、天地や人間の起源の説明に深入りしませんでした。

注釈3.
人間は宇宙や社会を完全には理解出来ないが、絶え間ない努力により、その限界を広げることが出来る。
人間は知を求めるものですが、知について謙虚であるべきです。

 

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Bring peace to the Middle East! 62: Religion and Politics 2


中東に平和を! 62: 宗教と政治 2

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Last time, we thought about religion and politics.
We think about contemporary relationship between religion and law this time.

前回、宗教と政治について考えました。
今回は現代の宗教と法の関係について考えます。

 

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*2

 

About Holy War (Jihad)
The problem that we are most concerned about the Islam of the Middle East seems to be jihad.

Extremism advocating jihad is abnormal beliefs from a standpoint of moderate beliefs being the overwhelming majority of Muslim.
However, the extremism (rigorism) continues to live historically, and then is in Saudi Arabia now.
Although, biased beliefs such as fundamentalism are also in other religions.

What is the problem?
First of all, currently, it is to admonish the jihad ( fatwa for starting an armed struggle) very easily.
Furthermore, there is no end to the number of men who participate in it with indignation and support it.
In the past, there were many cases that voluntary armies contributed in the world, but the current state of the Middle East is a lawlessness without controlling, and the some groups may be a group of thieves.

 

聖戦(ジハード)について
私達が中東のイスラム教で一番気になる問題はジハードでしょう。

ジハードを唱える過激思想は、穏健なムスリム全体から見れば異常なものです。
しかし、過激思想(厳格派)は歴史上も、現在のサウジアラビアにも生き続けています。
もっとも、他の宗教でも原理主義など偏向した思想は存在します。

何が問題なのでしょうか。
先ず、現在、ジハード(武力闘争開始のファトワー)がいとも簡単に発せられていることです。
さらに、それに義憤を感じて参加する人、また支援する組織が後を絶たないことです。
かつて世界には義勇軍が貢献した例は多々ありますが、中東の現状は統率なしの無法状態で、盗賊団になり下がている場合もある。

 

3abu

<3. Father of liberation of Algeria >
< 3. アルジェリア解放の父 >

Jihad is one of the obligations for Muslim, and means “effort” and “struggle”.
Once, it was declared at a defense of their community and an attack on enemy, and it is something they can’t do without.
However, the current jihads only expand many conflicts and deepen cracks between people.

The problem is not interpretation of the jihad (holy war) or the extremism beliefs.
The essence is “Islamic law can not punish jihad involving violence as a crime”.
Looking back on legal history of the world, most society has been advancing the concept of justice in time with the change, and unifying it in time with the unity of countries.
Then, people has been creating a social system for achieving the justice.
In conclusion, it is necessary to move away from the Islamic law to go to the national law.
In other words, the society has to be controlled by a legal system built by a democratic regime (separation of the three branches of government),
ジハードはムスリムにとって「努力」「奮闘」の意味で義務の一つです。
かつて、共同体の防衛や進攻に際し宣言され、共同体に無くてはならないものでした。
しかし、現状のジハードは紛争を拡大させ、亀裂を深めるだけです。

問題はジハード(聖戦)の解釈や過激思想にあるのではない。
本質は「イスラム法では暴力を伴うジハードを犯罪として処罰出来ない」ことにあると考えます。
世界の法制史を振り返ると、社会は発展と統合に合わせて正義の概念を変え、かつ統一し、それを実現する社会体制を造り挙げて来たのです。

結論を言うと、イスラム法から国法への脱皮、つまり民主的な政体(三権分立)で築かれた法制度に社会を委ねることです。

 

4pa-ru

< 4. Radhabinod Pal >
< 4. パール判事 >

Indian Pearl Judge who advocated Japan’s innocence in the Tokyo Tribunal of War Criminals said as below.

“The law is a dynamic human force that allows to survive our human society”

He said that the law must express “truth” (Hindu law), but to keep the social order, and it is essential that humans continue to improve the law.

There is a possibility that current Islamic legal system(the relationship between Sharia and national law)can not adapt successfully to real society.
Especially as for violence involving people in conflict, it is necessary to apply strict law, and it can’t be said that it is merely the difference of interpretation.
For this purpose, people have got to consolidate the democratic administrative body that has a consistent legislation, judicature, and section getting tough on crime.

This is a secular politics.

However, it may not be necessary to accomplish this at a stroke.
Even in Iran of a Islamic Republic, the status of women is improving.
I think lots of Ulema widely cooperate and should begin from improving application of jihad.

I start another theme from next time.

 

東京裁判で日本無罪論を唱えたインドのパール判事はこう述べています。

「法は人間社会の存続を可能とする動的な人間力である」注釈1.

彼は、法は「真理」(ヒンドゥー法)を表現しなければならないが、社会秩序を保持する為に、人間が法を改善し続けることこそが必要不可欠と言っている。

現在のイスラム圏の法制度、シャリーアと国法の関係は、現実社会に対応出来なくなっている可能性があります。
特に社会を紛争に巻き込む暴力に対しては、厳格な法の適用が必要で、解釈の違いで済まされないのです。
この為には民主的で一貫性のある立法、裁く司法、犯罪を取り締まる行政が整備されなければならない。

これは政教分離と言えるでしょう。

但し、これを一気呵成に成し遂げるこ必要はないかもしれません。
イスラム共和制のイランでさえ、女性の地位は向上しつつある。
広くウラマーが協力し、ジハードの適用から改善していくべきだと思います。
次回からは別のテーマで始めます。

 
注釈1.
この文は1984年の東京裁判研究会からの引用です。
彼はヒンドゥー法を専攻し、インドの法学部教授や裁判所判事、国連国際法委員長を歴任した。
彼の日本無罪論は、日本に戦争や虐殺に対する責任はあるが、法的に侵略罪を問うことが出来ないと言うものです。

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Bring peace to the Middle East! 60: when religions were born 8: concluding section


中東に平和を! 60: 宗教が誕生する時 8: 最後に

 

1hinndu

*1

Until now, I reviewed the birth of five religions.
We saw how each religion was advancing the division of roles among the politics and law.
This time, it is a summary.

 
今まで、五つの宗教の誕生を概観しました。
各宗教はどのようにして政治や法との住み分けが進んだかを見ました。
今回は、まとめになります。

 

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*2

Summary
What was common in the birth of Judaism, Christianity, Buddhism, Confucianism, Islam?

It can be said that all these religions brought about stability to the society by renewing old religions.
However, the circumstances of the doctrine and religious group were different depending on the religion, society, and politics at the time of the birth.
In a confused society, when existing religion and national system were strong, the religion had a tendency to break away from the precepts and laws like Christianity, Buddhism, and Confucianism.
Development of science (medicine) and thought was indispensable for breaking away from them, but I don’t mention here.
Even though they tended to avoid law and politics at the birth, these religions were adopted by state religion because of their doctrines, and developed greatly.
Eventually they became incorporated into politics.

 
まとめ
ユダヤ教やキリスト教、仏教、儒教、イスラム教の誕生時に共通していたものは何か?

これら宗教はすべて、古い宗教を刷新して社会に安定をもたらしたと言える。
但し、誕生時の宗教や社会、政治の状況により、その教義や教団の有り様は異なった。

混乱している社会にあって、既存の宗教や国家体制が強固な場合、キリスト教や仏教、儒教のように戒律や法から脱皮する傾向にあった。
この脱皮には科学(医学)や思想の発展が不可欠だったが、ここでは触れません。
たとえ誕生時に法と政治を避ける傾向にあっても、これら宗教はその教義ゆえに国教に採用されて大きく発展し、結局は政治に組み込まれていった。

 
I see the difference of these religions about engagement with the politics and law.
Christianity that had the laws and religious precepts basing on the Old Testament had to coexist with Roman Law due to it was nearing completion already from the beginning.
Even powerful religious group had been withdrawing from politics due to a power struggle between pope and emperor in the 12th century at the beginning, next undergoing religious reform, and the separation of religion from politics in the French Revolution of the 18th century at last.

Since Buddhism and Confucianism originally denied the law ruling society and the rule of God, after having become state religion, they treated only religious precepts and rituals, and did not interfere with politics and law.

ここで宗教毎の政治と法との関わりの違いを見ておきます。
キリスト教は旧約聖書に基づく戒律や法を発展させていたが、既に完成域にあったローマ法と初期から共存していくことになった。
さすがの強力な教団も社会の発展に伴って、12世紀の教皇と皇帝の権力争い(叙任権闘争)に始まり、宗教改革を経て、18世紀のフランス革命での政教分離により、政治から撤退せざるを得なかった。

仏教と儒教は、元々、社会を治める法や神による支配を否定していたので、国教になった後、祭儀や戒律だけを扱い、政治と法整備に干渉しなかった。

On the other hand, even in the same confused society, when a solidarity and unity of the society became top priority due to existing religions or social systems were immature, the religious precepts and norms were emphasized like Judaism and Islam.
Therefore, both religions developed together with these newborn states from the birth.
That is to say, religion, politics and laws were united.
Hinduism was also close to it.

However, there was a difference in the subsequent development.
The Palestine that was rebuild at the same time as the birth of Judaism was ruined at the 1st century A.D.
The Jews that scattered around the world had lived in a small closed group, so they never participated in the politics and laws of the country themselves.
But, currently it has changed in the United States and Israel.

一方、同じ混乱している社会にあっても、既存宗教や社会体制が未成熟な場合、団結や社会の統一が最優先になった場合、ユダヤ教やイスラム教のように戒律や規範を重視することになった。
したがって両宗教は、その誕生時から新生国家と一体となって発展した。
つまり宗教と政治、法が一体でした。
ヒンドゥー教もこれに近い。

しかし、その後の展開には差があった。
ユダヤ教の誕生と共に再建されたパレスチナの国は紀元後滅亡した。
世界に散らばったユダヤ人は小さな閉鎖的な集団で暮らしたので、自ら国の政治や法と関わることはなかった。
現在、それは米国やイスラエルで様変わりした。

 
Meanwhile, the Islamic empire that continued to expand the area broke up in the 9th century, and several caliphs came to have comparable power to each other.
Furthermore, the real power of politics changed from caliph to monarch (sultan, emir), and Muslim lost original supreme leader (caliph).
However, the role of the religious law (Sharia) continues to live by the Koran and the Islamic community.

 
At the end
Something I wanted to indicate in this chapter “when religions were born” is that each religion is reviving the social circumstances of about 2000 years ago, as the religion had played a role in the birth.

Next time, I consider about the relationship between contemporary religion and politics.
一方、領域を拡大し続けたイスラム帝国も9世紀には分裂し、複数のカリフが鼎立するようになった。
さらにカリフから政治の実権は君主(スルタン、アミール)に移り、イスラム教は本来の最高指導者(カリフ)を失った。
しかし、コーランとイスラム共同体によって宗教法(シャーリア)の役割は生き続けている。

 
最後に
私がこの章「宗教が誕生する時」で示したかったことは、宗教は誕生時の役割を担ったことにより、逆に約2000年前の社会を蘇らせることです。

 
次回は、現代の宗教と政治の関係について考えます。

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Bring peace to the Middle East! 59: when religions were born 7: Islam 2


中東に平和を! 59: 宗教が誕生する時 7: イスラム教 2

 

1
*1

I again investigate the birth of Islam.

前回に続いて、イスラム教の誕生を追います。

 

2

< 2. oasis town >
< 2. オアシス都市 >

What Muhammad indicated
Since immigrating to the Medina, he reigned as a religious leader, a commander of the military, and a policymaker of the town.
He was acknowledged by many people and tribes as a superior commander through a distribution of loot and a release of slaves, and also as a prophet who appeared in Arabia.
He thoroughly fought against antagonistic tribes, behaved generously to obedient tribes, and eventually created a solid empire tied by faith.
As a result of this, a peace came to the peninsula where was constantly at war.

ムハンマドが示したもの
彼はメディナへの移住以降、宗教指導者、軍の司令官、また町の為政者として君臨した。
彼は戦利品の分配や奴隷の解放などによって、優れた統率者として、またアラビアに出現した預言者として多くの人々と部族から認められた。
彼は、対立する部族には徹底抗戦し、従う部族には寛大に接し、やがて信仰で結ばれた強固な帝国を作り上げた。
これによって抗争が絶えなかった半島に平安が訪れた。

God’s revelation lasted until his later years, and because he was illiterate, the revelation was handed down orally by his disciples.
The Koran was compiled at 20 years after his death.
Hadith is an important book next to the Koran.
This was a book that Muhammad’s words and actions handed down and was compiled from around the 9th century.

神の啓示は彼の晩年まで続き、彼は文盲であった為、啓示は弟子たちの口頭により伝承された。
コーランは彼の死後20年経ってから編纂された。
コーランに次ぐ重要な書物としてハディースがある。
これはムハンマドの言葉や行動が伝承されたもので、9世紀頃から編纂された。

 

3-2

< 3. Film “Lawrence of Arabia” >
< 3.映画「アラビアのロレンス」 >

Point of the doctrine
Muhammad himself said I am not God but the last prophet.
Islam had received the same God Allah as Christianity and Judaism.
But he said the revelation was given to Muhammad because the above religions had made a mistake.
In these three monotheism doctrines, there are many similarities such as “resurrection”, “prohibition of idolatry”, “angel” and so on, and Islam is similar to Judaism in “pork evasion” and “emphasis on precepts”.
The duty of Muslims is Aqidah and Five Pillars, and well-known faith, prayer, Charity, fasting, pilgrimage to Mecca are the Five Pillars.

教義のポイント
ムハンマド自身が、私は神では無く最後の預言者と言っている。
またイスラム教はキリスト教とユダヤ教と同じ唯一神アッラーを戴くが、前述の宗教は間違いを犯しているのでムハンマドに啓示が下ったのだとする。
これら三つの一神教の教義には「復活」「偶像崇拝禁止」「天使」などの共通点も多く、イスラム教は「豚肉忌避」「戒律重視」でユダヤ教と似ている。
イスラム教徒の義務は六信五行で、よく知られている信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼が五行にあたる。

 

4
< 4. Islamic prayer >
< 4. イスラムの礼拝 >

Point of the Islam
Muslims have very large numbers of laws and norms, not just their obligations to God, and then their scope of application extends to every detail of life situations, marriage, heritage, trade, punishment, trial and so on.
Many of them, such as “Jihad”, “polygamy system”, “ban of interest” and so on, were effective for rule the chaos in the 6th century.

イスラム教のポイント
イスラム教には法と規範が非常に多く、神への義務だけでなく、その適用範囲はあらゆる生活場面、結婚、遺産、交易、刑罰、裁判などの細部に至る。
そこにある「聖戦」「一夫多妻制」「利息禁止」などは、多くが6世紀の乱世を治めるには効果を発揮したものでした。

The law of early Islamic community was only the Islamic law (Sharia).
Besides the Koran and Hadith, laws were added daily by the agreement of the community and Islamic scholars (Ulama).
There is also an admonition (Fatwa) by Ulama.
Currently it is used in conjunction with the law of the country.

In the early Muslimic country, the calipf (leader) who took over Muhammad had the highest authority of the religion.
Before long, the monarch (Sultan) became to grasp the real power of politics and religion.
The characteristic of the Islamic society is basically that there is no full-time religious worker and does not have a hierarchical governance structure.
This is based on the principle that Muslims are all equal, and it is still being.
There are educational institutions (universities) such as Islamic law scholars.

This continues to the next.

 
初期のイスラム共同体の法はイスラム法(シャリーア)のみでした。
それはコーランやハディーズ以外に、共同体やイスラム法学者(ウラマー)の合意によって日々、法は追加されていった。
またウラマーによる勧告(ファトワー)も行われている。
現在は国家の法と併用されている。

初期のイスラム国家ではムハンマドを引き継いだカリフ(指導者)が宗教の最高権威者であった。
やがて君主(スルタン)が政治と宗教の実権を握るようになっていった。

イスラム社会の特徴は、基本的に専従の宗教従事者がなく、階層的な支配構造を有していないことです。
これはムスリマはすべて平等であるという原則によるもので現在も貫かれている。
尚、イスラム法学者などの教育機関(大学)は存在します。
次回に続きます。

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Bring peace to the Middle East! 58: when religions were born 6: Islam 1


中東に平和を! 58: 宗教が誕生する時 6: イスラム教 1

 

1
< 1. the Kaaba in Mecca >
< 1. メッカのカーバ神殿 >

I investigate the birth of Islam in twice.

二回に分けて、イスラム教の誕生を追います。

 

2b

< 2. Three trade routes >
< 2. 三つの交易ルート >

 
The age when Muhammad (around 570 – 632) was born
Two ancient civilizations were born in the Middle East, but the desert Arabian Peninsula was out of the area.
Country began to be born in the southwest and northern parts of the peninsula since about A.D., and several countries had contested there in about the 3 rd century.
Cities were born in plateaus and oases, camel caravans in the desert were responsible for trade, and caravan cities were made in the routes.
Nomads who were living in tents made tribal societies, sometimes joined hands and at other times separated from others, and repeatedly had fought.
There were three routes of east-west trade on the Peninsula, two sea routes going through the Persian Gulf (blue line) and the Red Sea (red line), and a land route (brown line) parallel to the Red Sea.
Mecca where Muhammad was born was one of the caravan cities in this land route.

 

ムハンマド(570頃―632年)が生まれた時代
二つの古代文明が中東で誕生していたが、砂漠のアラビア半島は園外だった。
紀元前後から半島の西南端と北部に国が誕生し始め、3世紀頃になると数ヵ国が分立するようになった。
高原やオアシスには都市が生まれ、砂漠ではラクダの隊商が交易を担い、隊商都市も出来た。
天幕で暮らす遊牧民は部族社会を造り、離散集合を繰り返し抗争していた。
半島には三本の東西交易のルートとしてペルシャ湾(青線)と紅海(赤線)を行く海上ルート、それに紅海に並行した陸上ルート(茶線)があった。
ムハンマドが生まれたメッカはこの陸上ルートの隊商都市の一つだった。

 

The Persia and the Byzantine Empire of the two great empires were fighting each other, it began to influence the whole peninsula since about the 4th century.
With this, civilization and the sophistication of weapons advanced throughout the peninsula.
On the other hand, when the Persia and the Byzantine Empire entered a peace treaty in the second half of the sixth century, the main trade route became the Persian Gulf, the caravan cities of the land route declined, the nomadic population increased in reverse, and the conflict intensified.
This is “Jahiliyyah” in Islam.
However, in the beginning of the 7th century, when both empires began war, trade route returned to the land route.

 
4世紀頃から、二大帝国のペルシャとビザンチンは互いに争いながら半島全域まで影響を及ぼし始めた。
これにより半島全体に文明化と武器の高度化が進んだ。
一方、ペルシャとビザンチンが6世紀後半に平和条約を結ぶと、交易ルートはペルシャ湾が主になり、陸上ルートの隊商都市が衰退し、遊牧民が増大し、抗争が激化することになった。
これがイスラムで言う「無明時代」です。
しかし、7世紀始め、両帝国が戦争を始めるとまた陸上ルートに交易が戻った。

At that time, the north-south ethnic groups of the peninsula deepened exchanges and had Arabic of common language.
In the peninsula, there was a polytheism of idolatry, but Christianity propagation progressed by the influence of the two great empires.
Judaism also had spread by Diaspora Jewry, and many Jews had lived in Medina.
In Mecca, there was the Kaaba that many statues were enshrined since a long time ago.

当時、半島の南北の民族は交流を深め、共通語のアラビア語を持つようになっていた。
半島には偶像崇拝の多神教があったが、二大帝国の影響によりキリスト教の布教が進んでいた。
また離散民によってユダヤ教も広まり、メディナには多くのユダヤ教徒が住んでいた。
メッカには古くから多くの像を祭った多神教のカーバ神殿があった。

 

 

3a

< 3. Muhammad in Medina >
< 3. メディナのムハンマド >

The act of the Muhammad
He was born as a member of a large tribe of Mecca, was married and had succeeded in commerce trading, but suddenly, heard the revelation of Allah of the one God at about the age of 40.
Because he preached this, made a group of believers, and accused the idolatry of the Kaaba, they were persecuted by ruler class in Mecca.
However, people of the Medina impressed with his doctrine asked him to save mess of the town.
Then, he moved to the Medina with his believers and family (Hijra).
Before long, he conflicted with Jewish in the Medina about ritual, defeated them in battle, and completed a strong Islamic community “Ummah”.
Then he won the fight against Mecca’s army corps.
He died shortly after dominating Mecca, but already the Islam had spread throughout the Arabian Peninsula.

This continues the next time.

 
ムハンマドの行い
彼はメッカの大部族の一員として生まれ、結婚し隊商交易で成功していたが、40歳頃、突如、唯一神アッラーの啓示を聞いた。
彼はこれを説いて信徒集団を作り、カーバ神殿の偶像崇拝を非難した為、彼らはメッカの支配層から迫害を受けた。
彼の教説に感銘を受けたメディナの人々が、彼に町の混乱を救って欲しいと要請した。
彼は信徒達や家族と共にメディナに移り住んだ(ヒジュラ)。
やがて、彼はメディナのユダヤ教徒と儀礼で対立し、これを戦闘で破り、強固なイスラム共同体「ウンマ」を完成させた。
次いでメッカの軍団との戦いに勝利した。
彼はメッカを支配後、まもなく死去したが、すでにイスラムはアラビア半島の全土に及んでいた。

次回に続きます。

 

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Bring peace to the Middle East! 57: when religions were born 5: Confucianism


中東に平和を! 57: 宗教が誕生する時 5: 儒教

 

1

<1. Confucius>
< 1. 孔子 >

This time, I investigate the birth of Confucianism.

今回は儒教の誕生を追います。

 

The times when Confucius was born
A first Chinese dynasty was born in the 17th century B.C., but it was divided in approximately 200 countries since the 8th century B.C., and the unification of a country was completed after wars for 500 years.
Since the middle period, the farming had advanced by ironware and the trade had developed, and many city states grew up.
At that time, the wars among nations and the internal trouble of royal families continued, and it occurred frequently that a person of lower rank overthrew a superior either politically or militarily, and then supplanted the superior’s position in society.
On the other hand, the royalty and the aristocracy employed a talented and wise person than a blood relative and tried to get predominance .
Under such circumstances, various thinker groups “The Various Masters of the 100 Schools” having an independent opinion were born.
Most of them serve the royalty and the aristocracy, and proposed a policy and an stratagem.
The Confucius was born in such situation in China in the sixth century B.C.

 
孔子が生まれた時代
中国の最初の王朝は黄河中流域に紀元前17世紀に生まれていたが、紀元前8世紀には二百カ国ほどに分裂し、五百年間の戦争を経て統一に至る。
この中期頃から、鉄器による農耕と交易が進み、都市国家は成長していった。
国家間の戦争と王家の内紛は絶えることなく、下位の者が上位の者を脅かす下剋上がはびこっていた。
一方で、王侯貴族は血縁よりも才能や知恵ある者を採用し強勢を計るようになった。
こうした中、独自の主張を持つ多様な思想家集団「諸子百家」が生まれた。
彼らの多くは王侯貴族に仕官し政策や術策を提言した。
このような紀元前6世紀に孔子は生まれた。

 

2

< 2. The Confucius traveling on foot >
< 2. 孔子の遊説行脚 >

The act of the Confucius
He worked his way through school, served a historic state ”Lu”and became a prime minister.
However, he was balked of his hope and opened a private school to common people.
After that, he visited states in each places with disciples, preached his ideal politics, and requested to get into the government service.
After all, he couldn’t realize his dream, came back to his hometown, and devoted myself to organize old documents that had been handed down to the state, and to educate people.

 
孔子の行い
孔子は苦学して由緒ある王家(魯)に仕え、宰相まで登りつめた。
しかし、彼は夢破れ職を辞し、民衆相手に私塾を開いた。
その後、弟子達と共に各地の王家を訪ね、理想の政治を説いて回り、仕官を願った。
結局、夢叶わず故郷に戻り、王家に伝わる古文献の整理と教育に専念した。

 
Afterwards
After the death of Confucius, his teaching was spread out by disciples, it was as popular to common people as Bokka at that time.
Bokka advocated a love of humanity, pacifism, faith, and a simplification of rites
, and conflicted with a scholar of Confucianism, after that it was ruined.
The Confucianism became the state religion of the Han empire in the second century B.C., and existed as an indispensable for the most of governments afterwards.
It was introduced into Korean Peninsula and Japan before long, and the Confucianism took root in the East Asia as morality to keeping social order.
Sacred books of Confucianism(the Four Books and Five Classics of Confucianism) consisted about old documents on the history and formality of the states that Confucius imitated.
“The Analects of Confucius” is one of the sacred books, and is a book that his disciples wrote down the words and acts of Confucius in.
Mental attitude and how to get along in life are written in the book.

 
その後
孔子の死後、その教えは弟子達によって広まり、民衆の人気を墨家と二分した。
墨家は人類愛、戦争反対、信心、祭儀の簡素化を訴え儒家と対立し、後に滅んだ。

紀元前2世紀、儒教は漢帝国の国教となり、その後も国政に不可欠なものとして存続した。
やがて朝鮮半島や日本に伝わり、儒教は東アジアに社会秩序をもたらす道徳として定着した。

儒教の経典(四書五経)は孔子が模範とした王家の歴史や儀礼や易(占い)の古文献が集められたものです。
論語ものその一つで、弟子達が孔子の問答や言行を記したものです。
そこには心構えや処世術が書かれている。

 

3

< 3. a Confucian temple >
< 3. 孔子廟 >

Thought of the Confucius
He thought policymakers must become better to end the turbulent age.
Therefore, he said it was important that the policymaker doesn’t depend on strict penalty and machinations, treats people with a good heart, and must be worshiped by people.
He thought that the model for this is a dynasty ” Zhou ” approximately 500 years ago.

The basics are “Ren” and “Li”.
“Ren” means benevolence or humaneness, and then it was necessary that policymakers seek after virtue and common people have morals.
“Li” means formality or rites, and then it aimed at the succession of the social order (patriarchy, ancestor worship).

He reproved that disciples depended on God, on the other hand, he thought succeeding to the rites make sense.
He didn’t deny royal politics, avoided religious things, advocated the revival of traditional mind and norm daringly in the turbulent age.

 
孔子の思想
彼は、この戦乱の世を終わらせるには為政者が良くならなければならないと考えた。
その為には、為政者は厳格な罰則や謀略に頼るのではなく、善良な心で民に接し、民から敬われることが重要とした。
その手本は、五百年ほど前の周王朝にあるとした。

基本は「仁」と「礼」です。
「仁」とは、自己抑制と思いやりを指し、為政者には「徳」、民には「道徳」を求めた。
「礼」とは、礼儀や祭儀を指し、社会秩序(家父長制、祖先崇拝)の継承を目指した。

彼は、弟子に神を頼ることをたしなめたが、一方で、祭儀を守ることは天の意志に叶うとした。
彼は王家を否定せず、宗教的なものを避け、戦乱の世に敢えて伝統的な精神と規範の復活を訴えた。

 

Point of the Confucianism
Confucius disfavored the politics that puts emphasis on law of punishment and reward, and put emphasis on conscience.
On the other hand, he thought that policymaker (king) with virtue was indispensable for good politics.
This thought was not accepted in the times of the war, but the situation changed when a unified country appeared.
In other words, the doctrine that taught people to have to obey morality, succession of social order, and politics (King), administered to national stability rightly.

This continues the next time.

 
儒教のポイント
孔子は、人々を功利的にさせる法重視(信賞必罰)の政治を嫌い、良心を重視した。
一方で、良い政治には徳を持った王こそが不可欠と考えた。
この考えは、戦乱の時代には受け入れられなかったが、統一国家が出現すると状況は変わった。
つまり、人々に道徳や社会秩序の継承、政治(王)に従うべきと説く教義は、国家の安定にまさに合致するものでした。

 
次回に続く。

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Bring peace to the Middle East! 56: when religions were born 4: Buddhism


中東に平和を! 56: 宗教が誕生する時 4: 仏教 

 

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< 1. A Buddha statue >
< 1.仏像 >

This time, I investigate the birth of Buddhism.

今回は仏教の誕生を追います。

 

The times when Buddha was born
The Indian ancient civilization was born in the Indus basin, but already ruined.
Afterwards, Aryan invaded from the Central Asia, settled down in the upper and middle basin of the Ganges River as they were ruling over the indigenous people.
Then they developed abundant festival, myth, and paean in the last 1000 years and created Brahmanism.
The Brahmanism took root from royal families to every villages
Royal families repeated luxurious festivals, Brahman (priest) made the doctrine and the proceeding of the religious service an absolute secrecy (oral transmission of tales), and their authority exceeded lords occasionally.

A lot of critical freethinkers appeared since about the seventh century B.C., and Buddha played an active part in about the fifth century B.C.
The farming evolved in this area by ironware these days, and trade also developed.
And tribal societies evolved into city states, and a large number of the nations competed for hegemony and repeated war.
A kingdom of Buddha’s father became a prey of a great power, and died out.

 
釈迦が生まれた時代
インドの古代文明はインダス河流域に生まれたが既に廃れていた。
その後、アーリア人が中央アジアから侵入し先住民を支配しながらガンジス河の上中流域へと定住した。
彼らはそれから千年の間に豊富な祭儀と神話、賛歌を発展させ、バラモン教を生み出した。
バラモン教は村々から王家まで根を下ろしていた。
王家は贅沢な祭儀を繰り返し、バラモン(僧)は教義や祭祀手順を極秘(口頭伝承)にし、彼らの権威は王侯を凌ぐこともあった。

紀元前7世紀頃から、批判的な自由思想家が多数出現し、釈迦は紀元前5世紀頃に活躍した。
この頃、この地域は鉄器により農耕が進み、また交易も発展していた。
そして部族社会から都市国家へと進み、多数の国家が覇権を競って戦争を繰り返していた。
釈迦の父の王国も強国の餌食になり滅んだ。

 

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< 2. Festival >
< 2. 祭儀 >

 
The act of Buddha
Buddha was a prince of the small country of the north India, but he threw all things away, and took off on a journey of contemplation.
After getting the enlightenment, he organized a group of live-in followers (samgha), went around villages together and missionized.
In the end, he died surrounded by the followers at 80 years old.

Buddha tried to preach it easily without using difficult concepts that had spread in those days, and was unrelated to the miracle. Annotation 1
He refused the festival-centered Brahmanism, and preached to people about “Realize a truth”.
For example, it is to realize “Life is pain” and “obsession and greed bring suffering”.
He said that the people could acquire it by experiencing simple life and doing righteous deed, without doing ascetic practices.
Therefore he established religious precepts necessary for the life of live-in followers.

釈迦の行い
釈迦は北インドの小国の皇子であったが、すべてを捨て思索の旅に出た。
彼は悟りを得た後は出家集団(サンガ)を作り村々を巡って伝道し、弟子たちに囲まれて80歳で死去した。

釈迦は、当時流布していた難解な観念を用いず平易に説くことを心掛け、奇跡とも無縁でした。注釈1
彼は祭儀中心のバラモン教を拒否し、人々に「真理を悟る」ことを説いた。
例えば、それは「人生は苦である」「執着や我欲が苦しみをもたらす」を知ることです。
これを苦行ではなく、人々は質素な生活と正しい行いを通して体得出来るとした。
その為に、出家集団の生活に必要な戒律を定めた。

Afterwards
After Buddha died, the teaching was handed down by the disciples, and the sacred books were codified the several hundred years later.
Many kingdoms protected the Buddhism, and in addition, performed the enlightenment.
Thanks to it, the religious community developed, but it became specialized, split up and came to stay away from the people.
On the other hand, many graves (stupa) which enshrined ashes of Buddha were constructed in many places, and a lot of believers began to visit.
Buddha statues were born there since about the first century A.D., and the believers began to make the sacred books of Mahayana Buddhism in plenty.
Thing they wished was to get the saving grace by worshiping the Buddha as a god and praying even if they remained in lay believers.

After that, the Buddhism was at the height of the prosperity, spread to the Southeast Asia, and spread from the Central Asia to the East Asia.
On the other hand, the Brahmanism began to change to Hinduism being close to the people.

 
その後
釈迦入滅後、教えは弟子たちにより語り継がれ、数百年後に経典が成文化された。
多くの王国は仏教を保護し教化も行った。
おかげで教団は発展していったが、専門化し分裂し民衆から離れていった。

一方、釈迦の遺骨を祀る墳墓(ストゥーパ)が各地にたくさん作られ、信者らが多数訪れるようになっていた。
紀元1世紀頃、そこから仏像が誕生すると共に大乗仏教の経典が信者によって多数作られ始めた。
それらが目指したものは、釈迦を仏(神)と崇め、祈ることで在家のままでも救いが得られると言うものでした。

この後、仏教はインドで全盛期を迎え、東南アジアや中央アジアから東アジアへと広まっていった。
一方、バラモン教は民衆に密着したヒンドゥー教へと変容していった。

 

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< 3. A big grave (stupa) >
< 3. 墳墓(ストゥーパ) >

Point of the Buddhism
Buddha was negative about autocratic kingdoms, and also about economic activities being likely to become greed.
In addition, he was unrelated to Savior and God.
Therefore, at first, the Buddhism was far from the politics, but kingdoms protected the Buddhism for helping of social stability, and the religious community received favors, too.
It would not conflict with the national law, because the law established by Buddha was a religious precept of the group of live-in followers, only encouraged simple life and did not establish penal regulations.

Probably, the Buddhism was received by many nations by the condition and the popularity of it, and would have developed into a world religion.

This continues the next time.

 
仏教のポイント
釈迦は横暴な王国や私欲に走る経済活動に否定的であった。
また救世主や天上の神とも無縁であった。
したがって政治から離れていた仏教だが、王国は社会の安定に繋がるとして仏教を擁護し、教団も恩恵を受けた。
釈迦が定めた法は出家集団の戒律であり、質素な生活を奨励し、罰則を定めなかったので、国家の法とは抵触することがなかっただろう。

おそらくこの事と大乗仏教の人気が、多くの国家に受容され世界宗教へと発展することになったのだろう。

 
次回に続きます。

 
注釈1.
当時のインド哲学(ヴェーダ)は、宇宙原理(ブラフマンとアートマン)で世界の根本を説明出来るとし、これから梵我一如(ブラフマンとアートマンは同一)の思想が生まれていた。

また、輪廻転生(人は前世の因果を受けて生まれてくる)の観念が定着していた。
この観念はインドの自然風土に背景を持つが、バラモンによって階級差別を合理化するために一層強化された。
これは人々に恐怖であって、この無限のサイクルから脱する為に解脱を望んだ。

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Bring peace to the Middle East! 55: when religions were born 3: Christianity


中東に平和を! 55: 宗教が誕生する時 3: キリスト教

 

1

< 1. Jesus carrying a cross on his back >
< 1.十字架を背負うイエス >

This time, I investigate the birth of Christianity.

今回はキリスト教の誕生を追います。

 

The times when Jesus was born
Foreign rulers, Alexander the Great and the Roman Empire respected Judaism, and it was able to remain.
In fact, it was in name only.
The priests in the temple were connected to royalty and titled nobility, cooperated with the Rome Empire, and pushed forward Hellenization.
On the other hand, a religious community aimed to back to the source and advocated an emphasis on the Low, and they strongly opposed the former.

In addition to this opposition, a dissatisfaction toward a rule of the Rome and an expanding disparity in wealth blew up, and Palestine in the first century entered the period of war.
Radical religious communities and independent factions rose in arms, and robber bands came to frequently appear in each place.
In addition, a lot of persons who represented themselves as a savior in each place appeared.

 
イエスが生まれた時代
異国の支配者、アレクサンダー大王もローマ帝国もユダヤ教に敬意を表し、ユダヤ教は存続出来た。
だが、その内実は形骸化していた。
神殿の祭司達は王侯貴族と繋がり、ローマに協力しギリシャ化を進めた。
それに対して原点回帰を目指し、律法重視を訴える教団などが勃興し強く対立した。

この対立に加えて、ローマの支配、貧富の差拡大への不満が爆発し、紀元1世紀のパレスチナは争乱へと突き進んだ。
過激な教団や独立派が武装蜂起し、各地で盗賊団も跋扈するようになった。
また各地で救世主を自称する者が多数出現した。

 

2

< 2. People in the fort of Masada died a heroic death >
< 2. 壮絶な最期を遂げたマサダの砦 >

 

In 66 A.D., the Jewish radicals caused a riot, and the revolt spread through the whole land.
The Roman forces devoted so many troops to it and exterminated the rebel army and destroyed the Jerusalem thoroughly.
At last, the Jewish people was ousted from the Palestine, and completely lost their own country.
The Judaism could escape from the ban of their religion, but came to be not able to operate in the Jerusalem.

 

紀元66年、ユダヤの過激派が暴動を起こし、反乱は全土に広がった。
ローマ軍は大軍を投じて反乱軍を殲滅しエルサレムを徹底的に破壊した。
ついにユダヤ民族はパレスチナから追放され、完全に国を失った。
ユダヤ教は禁教を逃れたが、エルサレムで活動が出来なくなった。

 
The act of Jesus
Jesus strictly criticized the priests and corruption of the temple and objected to the emphasis on the Low of the reformist.
He went around to teach and preach for two years and got ardent believers and the Apostles.
I think he did not deny the Judaism but appealed the reform.

However, the priests and authorities regarded the Jesus as dangerous, and executed him.

 

イエスの行い
イエスはユダヤ教の祭司や神殿の腐敗を厳しく非難し、また改革派の律法重視にも反対した。
彼は2年間ほど民衆に宣教して回り、熱烈な信者や使徒を得た。
彼はユダヤ教を否定したのではなく、改革を訴えたのだと思う。
しかし、ユダヤ教の祭司と権力者層はイエスを危険視し処刑した。

 

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< 3. apostle Paul >
< 3. 使徒パウロ >

 
Afterwards
After the death of Jesus, the teaching expanded to the west by the activity of the Apostles.
Apostle Paul claimed that a revival of the Jesus would soon happen while he had promoted the propagation to pagans.
He said that the subordination to an emperor did not contradict your faith in the one God.
His activity and guidance became a cornerstone which developed Christianity into a world religion.

After intense oppression, in A.D. 313, the Roman Empire assumed the Christianity the state religion.

 
その後
イエスの死後、使徒などの活躍によって教えは西方に広まった。
使徒パウロは、異教徒への布教を推し進める中で、イエスの復活が近いうちに起こると訴えた。
彼はまた唯一神への信仰と皇帝への従属は矛盾しないとした。
彼の活躍と先導がキリスト教を世界宗教へと発展させる礎となった。

激しい弾圧の後、ローマ帝国は紀元313年にキリスト教を国教とした。

 
Birth of the Bible
After the half of a century when Jesus died, the New Testament was made by the letters of Apostles that were edited to convey the words and acts and the teaching of the Jesus.
The Old Testament took a role of a prophecy that Jesus is a savior.

 
聖書の誕生
新約聖書は、イエスの死後半世紀を経て、イエスの言行と教えを伝える為に使途達の手紙などが編纂され誕生した。
旧約聖書はイエスが救世主だとする預言書の役割を担うことになった。

 
Point of the Christianity
The most epoch-making doctrine seems to be “Repent” and “Love neighbors”.
This means that the important point moved to “mind” of each person from “law” imposed on the person.
This viewpoint was common among religions and thoughts that was born in the world around 500 B.C., such as Confucianism, Buddhism, and Greek philosophy.
The Christianity had been affected by the Greek thought from the early days to the Middle Ages.
During the process of Christianity’s developing in Rome, Christianity compromised with the emperor (politics), but the Pope had almost separated from the emperor.
The Christianity had law, but the Rome already had developed the state law, and the both laws were applied at the same time, too.

This continues the next time.

 
キリスト教のポイント
この教義で画期的なのは「悔い改め」や「隣人を愛せよ」でしょう。
これは、課せられた「律法」から、各自の「心」に重点が移ったことを意味します。
この視点は、儒教、仏教、ギリシャ哲学などのように紀元前500年頃に世界で誕生した宗教や思想に共通するものでした。
キリスト教は初期から中世までギリシャ思想の影響を受けた。

キリスト教はローマで発展する過程で皇帝(政治)と妥協していくことになったが、概ね教皇と皇帝とは分立した。
キリスト教も法を有したが、既にローマは独自に法を発展させており、これも並立することになる。

 

次回に続く。

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Bring peace to the Middle East! 54: when religions were born 2: Judaism


中東に平和を!54: 宗教が誕生する時 2: ユダヤ教

 

1
< 1. A miracle of Moses >
< 1. モーセの海割り >

This time, I investigate the birth of Judaism and after that time.
This is the oldest one among those five religions.

 

今回はユダヤ教誕生とその後を追います。
これは5つの宗教の中では最も古いものです。

 
Preface
The origin of the Jewish people lies in that various tribes had drifted to the ground of Palestine from each place of the Middle East and they gained their permanent residency after fights.
It was about the thirteenth century B.C.
This area was one of the oldest birthplaces of agriculture, had received the benefit of both civilization of Egypt and Mesopotamia, and a sophisticated culture grew up here.
However, the Jewish kingdom was on an only pathway between the both large kingdoms, therefore a alliance with one kingdom meant an attack from the other one, and the Jewish kingdom was subject to destruction and aggression many times.
In this occasion, many prophets appeared and sounded a note of warning to the Jewish people.
They severely criticized politics of King and an irreligion of people, and prognosticated the kingdom would perish before long

 
はじまり
ユダヤ民族の起源は、様々な部族が中東各地からパレスチナの地に流れ着き、戦いの末に定住を勝ち取ったことに始まる。
それは紀元前13世紀頃のことでした。
この地は、最古の農耕発祥地の一つであり、エジプトとメソポタミアの両文明の恩恵を受けて高い文化が育っていた。
しかし、ユダヤの国は両大国に挟まれた通り道にあたり、一方との同盟は他方からの攻撃を意味し、幾度も破壊と侵略を被った。
こんな折、幾多の預言者達が出現し、ユダヤ民族に警鐘を鳴らした。
彼らは王の政策と民の無信仰を痛烈に批判し、やがて国は滅亡するであろうと予言した。

 

2
< 2. the Babylonian Captivity >
< 2. バビロンの捕囚 >

 
Turning point
A decisive misfortune befell them before long.
Powerful Assyria invaded and destroyed Jerusalem, and took the upper crust away to Baghdad.
However, in the sixth century B.C., an emperor of Persia of the new ruler absolved them, returned them to the Jerusalem, and permitted the rebuilding of a former Solomon shrine.
Their country Jerusalem became a small and waste vassal state that can’t compare with the large empire of ex-Solomon.

The people thought that the national ruin was because of the anger of God, and should obey God.
The persons that took the central role in the rebuilding were compiling sacred texts that involved religious precepts and teachings since before 1,000 years B.C. as the oldest thing, and almost finished editing of the Old Testament in the third century B.C.
As a result of this, they may have wished to get the saving grace of God and the strong solidarity.

At the time of the rebuilding, there were the Jews who came back to Jerusalem, but on the other hand, there were the Jews that organized communities in each place of the Middle East, played an active part with using the accumulation of the high culture.

 
転機
やがて決定的な災厄が降りかかった。
強大なアッシリアが侵略し、エルサレムを破壊の後、ユダヤの上流階層をバクダットへと捕囚した。
しかし紀元前6世紀、新たな支配者のペルシア王が彼らを解放のうえ、エルサレムに戻し、かつてのソロモン神殿の再建を許した。
彼らの国土はかつてのソロモンの大帝国とは比べものにならないほど小さな荒れ果てた属州エルサレムだけになった。

人々は、亡国は神の怒りのせいであり、神に服従すべきと考えた。
再建を担った人々は、最古のものでは紀元前1千年前の戒律や教えを加え、紀元前3世紀には旧約聖書の編纂をほぼ終えた。
これによって彼らは神の御加護と強固な団結を得られることを望んだのだろう。

再建時、エルサレムに戻ったユダヤ人もいたが、中東各地に共同体を造り、高い文化の蓄積を生かして活躍する人々もいた。

 

3
< 3. The rebuilding of Solomon shrine >
< 3. 神殿の再建 >

 

Point of the Judaism
This religion give greater importance to religious precepts in comparison with other religion.
It included law of early city-state period of Mesopotamia from their tribal rules.

What was entrusted by the people at the birth of this religion was to found a strong country by Jewish people, and it was natural that the religion identified with the law of their country.
To prevent the national ruin, they felt need for an unquestioning obedience to God, and it was to obey the religious precepts God gave.

 
ユダヤ教のポイント
他の宗教と比べ、最も戒律が重視されている。
それは部族の掟からメソポタミアの都市国家期の法までを含んでいた。

この宗教の誕生期に託されたのは、ユダヤ民族による強固な国造りであって、国の統治(法)と宗教は一体が当然だった。
彼らは、亡国を招かない為には神への絶対服従、つまり神の与えた戒律に絶対服従することだった。

 

Afterwards
It lasted approximately 200 years when they were devoting themselves to the rebuilding although being a small country, and it was in the peaceful times.
However, Alexander the Great invaded in the 4th century B.C., and maelstrom of war lasted by the later internal trouble.
The Jew again built their kingdom in the second century B.C., but it became a vassal state since an invasion of the Roman Empire in 63 B.C.
During this time, the continuation of Judaism was forgiven, and the high priest continued to have the religious authority.

However, the misgovernment of the foreign rulers and a lack of understanding about Jewish culture continued.
Thus, the Jewish antipathy increased, resistance movements rose up in each place and it was sitting on a time bomb.

The next time is about Christianity.

 
その後
小さいながらも再建に専念した平和な時代は200年ほど続いた。
しかし紀元前4世紀のアレクサンダー大王の進攻、その後の内紛で戦火は続いた。
紀元前2世紀には、ユダヤ人は王国を築いたが、紀元前63年のローマ帝国の侵攻後、一属国となり果てた。
この間も、ユダヤ教は存続を許され、大祭司が宗教的権威を持ち続けた。

しかし、異国の統治者の失政やユダヤ文化への無理解が続き、ユダヤ人の反感は募り、各地で抵抗運動が起きて、一触即発の状態になっていた。

 
次回はキリスト教です。

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Bring peace to the Middle East! 53: when religions were born 1: preface


中東に平和を! 53: 宗教が誕生する時 1: はじめに

 

1a

< 1. Salt March by Gandhi >
< 1. ガンジーの塩の行進 >

 
When I thought about Middle East problems, as for religion, I got worried about a deep religious antagonism and a secularization (secular politics) of Islam.
I examine the secularization (relations among religion, law and politics) by surveying the birth period of each religion from now on.

中東問題を考えた時、宗教に関して、根深い宗教対立とイスラム教の世俗化(政教分離)が気になりました。
これから宗教の誕生期を概観することにより世俗化(宗教と法と政治の関係)を考察します。

 

2a
< 2. Jewish Diaspora >
< 2. ユダヤのディアスポラ >

Preface
I look back on the birth of Judaism, Christianity, Buddhism, Confucianism and Islam, so the problem become clear through comparison of these.
We already saw religious antagonism and persecution in this serialization.
I examine how each religion was predetermined to be concerned with law and politics.

Firstly I look at the benefits of religion.
The religion brings people a hope, encourages good acts and produced the society which people are helping each other.
In addition, it reduces dissatisfaction of people, increases citizen compliance, and has a effect of reducing conflict from the society.

On the other hand, the believer came to have strongly feelings of slight and hostility against different religions.
In addition, occasionally the law (religious precepts) of the sacred book couldn’t respond flexibly to changes in the society, and the strong religious organization brought harm.

The religion inherits the doctrine (law) and role (social system) since the birth.
When there is only sacred book that a founder of the religion talked, it is so especially.
This is one of the reasons that cause a mismatch between modern society and religion.
However, the degree of the mismatch is not decided only with a long duration of the religion.
It changes depending on how each religion was associating with politics and law of the society.

I investigate this difference through looking back on the process of the birth period of each religion.

 
はじめに
ユダヤ教、キリスト教、仏教、儒教、イスラム教の誕生期を振り返り、比較することにより問題点が明瞭になります。
既に、この連載で宗教対立や迫害を見てきました。
ここでは個々の宗教が法と政治にどのように関わるように運命づけられたかを考察します。

はじめに宗教がもたらす恩恵を見ておきます。
宗教は人々に希望をもたらし、善い行いを奨励し、共に助け合う社会を生みだしました。
また人々の不満を減らし、順法精神を高め、社会から紛争を減らす効用もあった。

一方、信者は異教徒に対して蔑視や敵対の感情を強く持つようになった。
また聖典の法(戒律)が社会の変化に合わなくなったり、強力な教団が災いを生むこともあった。

宗教は誕生期の教義(法)や役割(システム)をそのまま継承し続けます。
宗祖が語ったとされる聖典がある場合はそうです。
このことが現代社会と宗教との間に齟齬をきたす理由の一つです。
しかし、その齟齬の度合いは宗教誕生の古さだけで決まるわけではありません。
それは、個々の宗教が政治や法とどのように関わって来たかで影響を受けます。

この差異を宗教誕生の過程を見ながら探って行きます。

 

3

< 3. Confucius lived during the Spring and Autumn and Warring States periods >
< 3.孔子が生きた春秋戦国時代 >

Historical backdrop that is common among the birth period of religions
I look at some common points before talking about the difference of these religions.
All societies where the religion was born were in the reform period, and advanced information had been brought to the society.
The reform period means that the society came to ruin due to a series of war or a natural disaster, and the birth of new rank or the thought had occurred due to the developing of city and economy.
The advanced information means new religion having the advanced doctrine, or civilization to bring new thought and technique.

For example.
The Judaism was born on the way of the national rebuilding from the country destroyed in the period of war.
The time of Jesus was in the period of war, and Hellenism culture had become widespread.
The time of Buddha was in the period of war, and many freethinkers had been born.
The time of Confucius was in the period of war, and many various thinker groups had been born.
The time of Muhammad was in the period of war, and two monotheistic religions had become widespread.

 
宗教の誕生期に共通する時代背景
宗教の差異を語る前に共通点を見ておきます。

宗教が誕生した社会はすべて変革期にあり、さらに先進の情報がその社会にもたらされていた。
この変革期とは、戦争や天災続きで荒廃している場合と、都市や経済が発展し新しい階層や思想の誕生があった場合などです。
また先進の情報とは、進んだ教義を持つ新興宗教や、新しい思想や技術をもたらす文明などです。

例えば以下のようなことです。
ユダヤ教は争乱の世にあって、亡国から国家再建への途上で生まれた。
イエスの時代は争乱の世にあって、ヘレニズム文化が浸透していた。
釈迦の時代は争乱の世にあって、批判的な自由思想家が誕生していた。
孔子の時代は争乱の世にあって、多様な思想家集団が誕生していた。
ムハンマドの争乱の世にあって、一神教が浸透していた。

 

4

< 4. The Bible >
< 4. 聖書 >

The difference of the religion is affected by each society of the time
At the period of the birth, there were religions being close to politics and religions being away from it.
It depended on what the religion intended to change.

The Judaism abandoned old religion, and intended to rebuild formerly nation together.
The Christianity criticized the Judaism associated with authority, but found a way out by associating with the Roman Empire.
The Buddhism criticized the Brahmanism associated with royal families and went away from politics.
The Confucianism hoped to revival of formerly ancient religion, and entrusted royal families with it.
The Islam abandoned old religion, and intended to found an unified country together.

 
宗教の差異は当時の社会の影響を受けている
その誕生期に、政治に近い宗教と、政治から遠ざかっている宗教がありました。
それはその宗教が何を変革することを目的にしていたかに関わりました。

ユダヤ教は、古い宗教を捨て、一丸となって国家を再建することでした。
キリスト教は権力と結びついたユダヤ教を批判したが、ローマ帝国と結びつくことで活路を開いた。
仏教は王家と結びついたバラモン教を批判し、政治から遠ざかった。
儒教は、いにしえの宗教の再興を願い、それを王家に託した。
イスラム教は、古い宗教を捨て、一丸となって統一国家をつくることでした。

 

5

< 5. Baptism of an emperor of Rome >
< 5. ローマ皇帝の洗礼 >

This continues the next time.

次回に続きます。

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