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何か変ですよ! 54: 捨てることが出来るか


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誰しも既存のものに固執していると、発展のチャンスを失うことがある。

しかし、なかなか馴れ親しんでいるものをキッパリと捨て去ることは難しい。

今の社会について、少し考えてみましょう。

 

 

はじめに

手描きで行っていたデザインを、これからパソコンで描きなさいと言われれば、特に年配者には苦痛だろう。

慣れたやり方を捨てるのは辛いものです。

 

一念発起して海外に飛躍を求めるなら、人は友や故郷と別れなければならない。

サラリーマンは定年退職すると、それまでの収入や地位を捨てなければならない。

買った物を捨てることが出来ない人は、やがて家中が不用品で一杯になってしまうだろう。

 

捨てることは、結構辛い意思決定を伴います。

 

しかし今日、皆さんと考えたい問題は、社会や人類の未来についてです。

 

私達は多くの新しい技術や社会システム、思想を得て進歩して来ました。

一方で、私達は同時に多くのものを捨てて来ました。

 

我々が特別に意識せずとも、古いものが自然と廃れていくこともありますが、逆になかなか捨てることが困難な場合もあります。

 

知って頂きたい事は、かつて人類が捨てることを英断し、新しい局面を切り開いて来た事実です。

これなくして今の人類社会はなかったのです。

 

 

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人類は何を捨てて来たのか?

最も古いものとしては、四足歩行ではないでしょうか。

二足歩行で手が使えるようになった化石人類は、早く走れて安定性のある四足歩行を捨てることになりました。

 

歴史時代になって、人類は科学的な思考を取り入れたことにより多くの事を捨てて来ました。

それまで人々は病気や不幸の多くは、遥か昔の因果や実体のない穢れなどによると考えていました。

医学や技術の進歩と共に、これらは迷信と見なされ廃れて行きました。

新しい宗教を生み出したイエスや釈迦、孔子でさえ、一歩進んだ科学的理解を持っていました。

 

これらは長い年月をかけて発展し人類に多大な影響を与えました。

 

身近なもので、陳腐になってしまったものにはどのようなものがあるでしょか?

レコード盤、そろばん、戦艦大和などは明快な例でしょう。

いずれもこれら道具や武器は性能が劣ってしまったので使われなくなりました。

これらの転換を止めることは難しい。

 

逆に転換が困難なものもあります。

フロンガス、洗浄用の有機溶剤、自動車の排ガスなどです。

 

フロンガスはオゾン層を破壊することがわかり、現在、世界が協力して使用制限を行っています。

毒性の強い有機溶剤や排ガスも規制されるようになりました。

これらの規制は、社会の安全性の点からは必要なものでしたが、経済コストとの兼ね合いで、産業界から強い反対がありました。

 

逆の事例もあります。

日本が石炭から石油に転換を図る時、落命の危険がありながらも失業を恐れた労働者側は転換に反対しました。

一方、産業界側は石油の方がコスト的に優位だったこともあり、大きな労働争議となったが、結局、転換が図られました。

これで良かったのですが。

 

 

今の社会の礎となっているもので、大きな発想の転換が必要だったものには何があったでしょうか?

 

土地所有、特許状、株式会社、金本位制などは大きな転機となりました。

 

古くは、部族社会において土地は概ね共有であり私有ではありませんでした。

 

かって特許状の主なものは、王が恣意的に商人などに独占権を与えていたのですが、やがて、画期的な発明に対して国が発明家に独占権を与えるようになりました。

 

以前、事業者は負債を全額返済すべきでしたが、株式会社になると出資金(資本)の範囲だけの返済責務を負うだけになりました。

 

現在の経済と産業の発展は、この三つの要素が機能してこそだと言えます。

 

かつて金本位制は国家経済の安定に不可欠だと考えられていました。

貨幣が金に兌換出来ることで信用が得られ、また国も金保有量に応じた歳出しか出来ず、野放図を抑えることになりました。

現在は、これを放棄することにより経済成長(金融)を比較的自由にコントロール出来るようになりました。

 

我々は個人から国家、世界まで多くの事と決別して来たのです。

 

 

何が問題なのか?

人類と社会はより良くなるために、かつての栄光や習慣的なもの、また危険で害を及ぼす物など使用を止めるようになりました。

 

規模の大きい転換はけっして容易ではなく、あらゆる既得権益層(産業側や労働側など)の抵抗がありました。

また人々の意識転換が必要なものもありました。

 

今、私が問題だと思うのは二つです。

 

一つは原子力産業です。

福島の原発事故被害の甚大さ、東芝の原子力事業の膨大な負債を見れば、これからも国が原子力産業を推し進めてくべきものとは思えません。

これは単純に既得権益層の擁護と惰性から続けているだけに過ぎない。

 

人類が幾度も乗り越えて来た捨てることの英断を、今こそ行うべきです。

 

 

いま一つは、トランプ現象と関わる問題です。

米国が主導して来た野放図なグロ―バル化によって、米国の中間層以下の労働者は仕事を無くして来ました。

 

グローバル化は世界にとって必然であり、国全体として経済的メリットを享受することは明らかです。

しかし、各国の競争力のない産業はやがて衰退する運命にあることも明白です。

この部分が、あたかも自己責任として放置されて来た結果、不満が爆発した。

 

ここに二つの問題があります。

一つは、グローバル化の恩恵が偏在しており、逆にそのしわ寄せが労働者にのしかかり続けていたのです。

つまり所得格差で拡大であり、米国は特に大きくなっています

これは政府サイドの問題です。

 

もう一つは、労働者側の問題です。

誰しも仕事していれば理解出来るはずです。

皆さんは作業方法の変化や、製品と業種の栄枯盛衰を身に染みて感じているはずです。

すべて国任せで、仕事や企業の衰退を補うことは出来ません。

 

やはり、自ら変化や衰退に備えて、自己の革新を日頃から行わなければなりません。

今や米国は、かっての英国病のように、国力の衰退だけでなく、精神的にも衰退しているようです。

 

 

何が大事なのか?

国政でも、個人でも、既成や惰性と決別し、前に向かっていく心意気をもたなくてはいけない。

 

それが出来ない社会は衰退するしかいないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Went around Croatia and Slovenia 3: Port town Senj


クロアチア・スロベニアを巡って 3: 港町セニ

1セニ

< 1. Senj >

< 1. セニ >

 

Today, I introduce small port town Senj facing onto the Adriatic Sea.

This beauty and simplicity fascinated me.

But, there is a ruins showing Croatian history of suffering in here.

 

今日は、アドリア海に面した小さな港町セニを紹介します。

その美しさと素朴さに私は魅了されました。

クロアチアの苦難の歴史がここに遺っていた。

 

 2海

< 2. Kvarner Gulf >

< 2. クヴァルネル地方の海 >

 

The Adriatic Sea that I saw for the first time

When we passed through the Slovenian forest area and went down south, Kvarner Gulf was seen below our eyes suddenly. 

This was scene that I saw first in this trip and the Adriatic Sea that I had looked forward to.

The sky, sea and distant islands that were bright in deep blue color with summer sunlight were just as I would expect from very beautiful.

All the shores to Senj were full of swimmers.

This area was a resort of Austria-Hungary aristocrat from the old days.

 

はじめて見たアドリア海

スロベニアの森林地帯を抜けて南下すると、眼下にクヴァルネル地方の海岸が開けました。

今回の旅行で始めて見た海であり、楽しみにしていたアドリア海でした。

陽光を浴びて紺碧に輝く空と海、遠い島影は期待に違わぬ美しさでした。

セニに至る海岸は何処も海水浴客で一杯でした。

この地方は古くからオーストリア・ハンガリー帝国貴族のリゾート地でした。

 

3 到着

< 3. We arrived at the port of Senj >

< 3.セニの港に到着 >

 

We arrived at Senj 

This place was only a restroom break that we dropped in on the way to Plitvice Lakes National Park in Croatia from Slovenia.

We visited here approximately 30 minutes from 17:20 on Monday, August 31.

This port gave a sense of openness, but there were few fishing boats, and I hardly looked at a harbor facility for fishery.

Most were small recreation boats.

 

セニに到着

ここはスロベニアからクロアチアのプリトヴィッツエに行く途中、トイレ休憩で立ち寄っただけの所でした。

私達は8月31日(月)の17:20から30分ほどここを訪れました。

大きく開放感のある港なのですが、漁船は少なく、漁労用の港湾設備も見なかった。

多くは小型レジャーボートでした。

 

4全景2

< 4. Whole view of the port Senj seen from a breakwater side >

< 4. 防波堤側から見たセニ港の全景 >

 

The photos that I took from the left side (the north side) line up in turn from the top.

Upper photo: Such rocks stand out on all surfaces of mountains from this Kvarner area to Dalmatian area of the southern.

Central photo: People soak in the sea, bathe in the sun, and have a pleasant chat.

“An idyllic time is passing.”

Lower photo: We entered the inland by bus from the valleys on right side of the photo.

Once, this place prospered as key junctions of traffic between the inland and the coast, but now it is Rijeka in the north.

Nehaj fortress looks little on hilltop in the right side of this photo.

This symbolized Croatian history.

 

左(北側)から撮った写真が上から順番に並んでいます。

上の写真: このクヴァルネル地方から南のダルマチア地方まで、山肌はすべてこのような岩肌が目立つ。

中央の写真: 海に浸かっては日光浴をし、談笑する人達。「のどかな時間が流れてゆく・・」

下の写真: 私たちは、写真右側の谷間をバスで内陸部へと入った。

かつて、この地は沿岸と陸を結ぶ交通の要衝だったが、今は北のリエカに譲った。

この写真の右端、丘の上にネハイ要塞がわずかに見える。

これがクロアチアの歴史を象徴していました。

 

 

 

 

5海水浴3

< 5. People enjoy sea bathing >

< 5. 海水浴を楽しむ人々 >

 

Upper photo: The sea was transparent, and small fishes swam innumerably.

Central photo: Children enjoy sea bathing.

Lower photo: People enjoy sea bathing at the outside beach of the breakwater.

 

上の写真: 海は透明で、小魚が無数に泳いでいた。

中央の写真: 海水浴を楽しむ子供達。

下の写真: 防波堤の外側の浜で海水浴を楽しむ人々。

 

6その他2

< 6. Scenes in the port >

< 6.港の一コマ >

 

Upper photo: Houses lined the wide street along the harbor.

Central photo: The dog that stood on the bow of the boat looked at me.

” At that moment, I got a feeling that I was absorbed into this scene. “

 

上の写真: 港に沿った広い通りに並ぶ家々。

下の写真: ボートの舳先に乗った犬が私を見た。

「一瞬、私はこの地に溶け込んでいるように思った」

 

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< 7. Nehaj fortress >

< 7. ネハイ要塞 >

Upper photo: Nehaj fortress is built on a hill overlooking the sea. By ToCroatia.

Lower photo: Nehaj fortress. By Wikipedia.

 

上の写真: 海を見下ろす高台にネハイ要塞が見える。「ToCroatia」から。

下の写真: ネハイ要塞。Wikipediaから。

 

About Nehaj fortress

In 1558, this fortress was built by Uskoks that was famous as pirates of the Adriatic Sea.

They were based in it and fought the ships of the Ottoman Empire and Venice that had taken sides against the Austrian Empire.

This tribe was the Christian that escaped the disaster due to Ottoman’s invading to Balkan Peninsula after the 14th century, went up north and then arrived at Senj.

On the other hand, the Austrian Empire (the Habsburg Monarchy, Hungarian Empire) instituted Military Frontier around the base of Balkan Peninsula from 1553 to 1881, as sanitary cordon against incursions from the Ottoman Empire.

Many refugees lived in there, they usually engaged in agriculture, but in an emergency they became the human walls for fighting against Ottoman.

 

ネハイ要塞について

アドリア海の海賊で名を轟かせたウスコク族が1558年にこの要塞を造り、敵対するオスマン帝国とベネチアの船舶を攻撃した。

この部族は、14世紀以降、オスマンのバルカン半島侵略により、難を逃れて北上して来たキリスト教徒だった。

一方、オーストリア(ハプスブルク家やハンガリーも含む)はオスマンの侵攻を食い止める為に、軍政国境(1553~1881年)をバルカン半島の根本に設定した。

そこには多くの難民が住み、日頃、彼らは農業に従事し、事あらば武器を持ってオスマンと戦う壁となった。

 

 

8地図4

< 8. The map of Senj and Military Frontier >

< 8. セニと軍政国境 >

 

Upper map: Red sphere is Senj, blue sphere is Belgrade and yellow sphere is Venice.

Red line indicates a border between Austria (red arrow) and Ottoman (black arrow) in 1812.

Yellow line indicates a border of Venice from the 16th century to the 18th century, and Kvarner area and Dubrovnik (Republic of Ragusa) escaped from the domination.

It was a factor to have developed Kvarner area as a resort of Europe.

 

Lower photo: Red frame indicates a part of Military Frontier of 1800. 

Senj being inside the Military Frontier had played an important role as defense of the sea.

 

上図: 赤丸がセニ、青丸がベオグラード、黄丸がベネチア。

赤線が1812年の赤矢印オーストリアと黒矢印オスマンの国境。

黄線は16~18世紀のベネチアの領土を示し、クヴァルネル地方とドブロブニク(ラグーサ共和国)だけが支配を逃れている。

このことがクヴァルネル地方をヨーロッパのリゾート地として発展させる一因になった。

 

下図: 赤枠が1800年の軍政国境の範囲を示す。

軍政国境にあるセニが海の守りとして重要な役割を果たしていた。

 

9海賊

< 9. Four rowboats of Uskoks are chasing a large ship >

< 9. ウスコクの手漕ぎボート4隻が大型帆船を追いかけている >

By Wikipedia and Museum of Fortress Nehaj in Senj

ネハイ要塞の博物館所蔵、Wikipediaから。

 

What does it mean?

The present south side border of Croatia was caused by the collision that 2 great Empires started in the 16th century.

The Uskoks of about 2000 people kept fighting against the large Empire to defend their religion principle.

Unfortunately, refugees (Serbians etc.) who lived in the Military Frontier became a genesis of an ethnic cleansing in a civil war after 1991.

 

In any age, a people that were invaded may have to continue to carry a miserable history.

 

This continues next time.

 

これらが語るもの

現在のクロアチアの南側国境が16世紀に始まる2大帝国の衝突に起因していた。

高々2千人程のウスコク族が宗教信条を守る為に大国と戦い続けた。

残念なのは、この軍政国境に住んだ難民(セルビア人等)が、1991年以降の内戦で民族浄化の火種になってしまった。

 

いつの世も、侵略された民族は悲惨な歴史を背負い続けることになる。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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History of sickness and medical art 30 : China 5


病と医術の歴史 30: 中国 5

 

1三国志

 < 1.   Soldiers of Sanguo Shidai of China >

< 1. 中国、三国時代の軍人 >

 

This time, I introduce medicament, cure, and Chinese alchemy.

 今回は、薬剤と養生、錬丹について見ます。

 

Medicament

“Shennong Ben Cao Jing” is fatherless, the oldest book about materia medica, and was compiled during Later Han and Sanguo Shidai( the 2nd –3rd century).

This book sums up the knowledge and the treatment of the medicament from Zhanguo ( the 4th century B.C.).

 

薬 剤

「神農本草経」は作者不詳で、後漢から三国時代(2~3世紀)に成立した最古の薬物学書です。

この書は戦国時代(紀元前4世紀)からの用薬の経験と薬物学の知識を系統的にまとめている。

 

2神農本草経

 

< 2. “Shennong Ben Cao Jing” >

< 2. 神農本草経 >

 

3麻黄

 

< 3. Ephedra >

< 3. 麻黄 >

 

In the book, there are 365 kinds of medicament, it is categorized as 252 plants, 67 animals, and 46 minerals, and majority of the efficacy is obvious.

For example, ephedra is antidiarrheal, seaweed is used to treatment of lump, glycyrrhiza is alexipharmic, and rheum is a laxative.  

The medicament is categorized into 3 groups.

It consist of 120 kinds of medicament having harmless but weak effect for recuperation, 120 kinds of medicament having harmless and effect for recuperation and treatment, and the rest is such as medicament for destroying tumors in the stomach but being harmful.

And it mentions the production area of medicament, the collection season, the processing process, the most suitable type (pill, powder, and it saturated in alcohol), the taking time, and the taking method.

 

Books about materia medica after the 3rd century were based on this “Shennong Ben Cao Jing”.

In plant medicament, it is well known as a certain kinds of hydrangea is suitable for malaria, ginseng is suitable for recovery of energy, and tetradium ruticarpum is suitable for ascariciding.

Some of the medicaments were from Egypt and India, and Southeast Asia.

 

 

薬物は365種あり、植物252、動物67、鉱物46に分類され、大多数は効能が確かである。

例えば麻黄は下痢止め、海藻は瘤の治療、甘草は解毒、大黄は通便など。

薬物を三種類に分け、無毒だが効果が弱く保養用120種、有益・無毒の保養と医療作用のある120種、残りが有毒で寒熱を除き、胃腸内の腫瘤を破るなどの医療作用があるとした。

また薬物の産地、採集時期、加工製法、適した剤型(丸、散、酒漬など)、服用時期、服用方法にも触れられている。

 

魏・晋代以降(紀元3世紀から)の薬物学の書は、この「神農本草経」を基礎にしている。

植物性薬剤では、ペストにダイフウノキ(高木の種)の油、マラリアにジョウサンアジサイ、精力回復に朝鮮人参、回虫にゴシュユ(低木)が良く知られている。

薬物にはエジプトやインド、東南アジア産のものも見られる。

 

Regimen

The regimen was important means of tonicity, the prevention of disease, and prevent aging.

Many thinkers and medical scientists preached the regimen, and there were two points of view: “Let’s cultivate life with motion” or “Let’s cultivate life with stillness”

” Hundred Schools of Thought” insisted that we have to be according to nature, and do the care of health about eating and drinking, and have the harmony of mind.

Tua Tuo created the exercises borrowing from five animal postures in Qigong。

“ Curing before becoming sickness” had been written in certain medical book.

 

養 生

養生は強壮・疾病予防・老化防止の大切な手段であった。

多くの思想家や医学者が養生法を説き、「静を以って生を養う」「動を以って生を養う」の二つの観点があった。

多くの「諸子百家」は自然に従い、飲食の摂生や精神の調和を主張した。

華陀は気功・導引から五つの動物姿態の模倣体操を編み出した。

「内経」は「未だ病まざるを治す」、すなわち疾病予防が養生上重要であるとした。

 

4練丹

 

 

< 4. Chinese alchemy? >

< 4. 錬丹術? >

 

5硫化水銀

 

 

< 5. Cinnabar > 

< 5.丹砂 >

 

Chinese alchemy and immortality

On the other hand, “Shennong Ben Cao Jing” included the knowledge of Taoism (thought of immortal), and showed the early state of Chinese alchemy.

In this book, it was written that mercury already had effect on the treatment of scabies and the insecticide of louse.

Chinese alchemy is to made the medicament for immortality by means of mixing and producing chemically change to metals such as mercury sulfide (cinnabar), gold or leaden.

A certain book of Taoism in the 4th century was the first important book about Chinese alchemy, and the chemical knowledge became abundance.

Chinese associated the elixir of immortality with remarkable changing of mercury from red ore of mercury sulfide (fig. 5) and the non-corrosive attribute of gold.

In ancient China, the people attached importance to living in this mortal world than afterworld.

Therefore, the First Qin Emperor had searched the medicament for immortality, in best days, kings of Tang (the 7-9th century) drank the medicament for immortality made by Chinese alchemy, and the many kings died by poisoning.

Before long, Taoism came to cultivate the immortality not by medicament of immortality but by Qi (spirit) of his body.

On the other hand, the abundant knowledge by Chinese alchemy developed the chemistry and the metallurgy, and then the world’s first gunpowder was made in China in the ninth century.

 

 

錬丹と不老不死

一方、「神農本草経」には道教(神仙思想)が根強く、錬丹術の初期の様子が見える。

この書には、すでに水銀が疥癬の治療、虱の殺虫剤に効能ありと書かれていた。

錬丹とは、硫化水銀(丹砂)、金、鉛などの金属を化学変化させ調合し不老不死の薬を作ることです。

4世紀の道教の書「抱朴子」は錬丹術の初期の重要な書で、化学的知識も豊富になっていた。

中国では、硫化水銀の赤い鉱石(図5)から水銀への著しい変化、また金の非腐食性に生命の真髄を仮託した。

古代中国では、人々は死後よりも現世に生きることに重きを置いていた。

それが秦の始皇帝の徐福派遣(仙人探し)に始まり、最盛期、唐の王(7~9世紀)は錬丹家が作る不老不死の薬を飲用し、多くは中毒死した。

やがて道教は不老不死を薬でなく、人体内部の気で養う方向に向かっていった。

一方、錬丹術による豊富な知見は、化学と冶金学を発展させ、9世紀には世界最初の火薬が中国で作られた。

 

 

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The society and the information 34: Information crosses the border 8


社会と情報 34: 国境を越える情報 8

 1原発2   

< 1. Chernobyl nuclear power plant disaster >

< 1チェルノブイリ原発事故 >

 

Following on from the last time, I consider about the report of ”Chernobyl nuclear power plant disaster” in 1986.

This time, we look how the government and media of Europe and America utilized this nuclear power plant disaster.

If you formerly read “The society and the information 32,33”, you may more understand.

 

前回に続いて、1986年のチェルノブイリ原発事故の報道について考察します。

今回は、欧米の政府やマスコミがこの原発事故を如何に利用したかを見ます。

「社会と情報 32、33」を先に読んで頂くと判り易いです。

 

Insistence and report of Europe and America

“ If Gorbachev has already lost the trust of neighboring countries in the peaceful uses of nuclear energy, nobody believes the statement that he reduces the nuclear weapon toward the world” by New York Times in America

 “ The level of the safety management was very low in nuclear energy of the Soviet Union, and, as a result, the risk of the nuclear power disaster has increased extraordinarily” by The Times of the Union

 “ Our nuclear power generation technology is fundamentally different from the thing of the Soviet Union, and many safety measures severalfold are provided” by spokesperson of the White House

 “ The atomic energy will be “good thing” in future for many countries. The nuclear power plant of this Soviet Union is “evil”. But it is not good that you assume all atomic energy to be bad” by a presidential assistant of the White House

 “ Everywhere is graves. The dead 15,000 seemed to have been buried in the job site of the nuclear power plant accident? ” by The New York Post of America

 “ Chernobyl nuclear power plant isn’t the structure that shuts away the fissionable material leaking from the furnace. But all American nuclear power plants are covered with the safety shield of concrete and steel” by Atomic Industrial Forum

 

 

欧米の主張と報道

「ゴルバチョフが核エネルギーの平和利用の分野で、すでに近隣諸国の信頼を失っているとすれば、核兵器を減らしますと世間に向かって喧伝したところで、そんなものは誰も信じない」米国のニューヨーク・タイムズ

 

「ソ連の原子力は安全管理の水準が並外れて低い。その結果、原子力災害を起こす危険性は並外れて高まってしまった」英国のタイムズ

 

「我々の原子力発電技術は、ソ連のものとは根本的に違っており、数多くの安全対策が幾重にも備え付けてあります」ホワイトハウスの報道官

 

「原子力は今後も多くの国にとって“善き事”であり。・・今回のソ連の原発が“悪”だからと言って、それを理由に原子力を十把一からげにダメだと決めつけては、ならないのであります。」ホワイトハウスの主席補佐官

 

「どこもかしこも墓だらけ、原発事故現場に死者1万5000体を埋葬か・・」米国のニューヨク・ポスト

「チェルノブイリ原子力発電所は、炉から漏れ出た核分裂物質を封じ込めておく構造にはなっていない。しかし米国のすべての原子力発電所は、ソ連ではほとんど装備されていない鋼鉄とコンクリートの防護壁で覆い包まれている」原子力産業フォーラム

 

2新聞

< 2. a newspaper report >

< 2. 新聞報道 >

 

The main point and the aim of the report

“ The Soviet Union is a barbarian slave nation to hardly mind the preciousness of the human life”

 

“ The industrial technology of the Soviet Union is retreating year by year”

 

“The Soviet Union does not tell the truth and is untrustworthy in liars”

 

In the announcement of the Soviet Union, the dead by the accident were 2 at first, after that it became 32.

However, Europe and America reported that the dead were from thousands to the tens of thousands.

If the rumor that the Soviet Union is liar and cannot manage itself spread, the U.S. government is advantaged in the nuclear disarmament.

The most important was that they get the national to believe that this nuclear plant accident never occurs in Europe and America

In those days, OECD (Europe and America) was increasingly depending on the nuclear energy.

And the U.S. did not get an order entry of the nuclear power plant since a nuclear power plant accident of Three Mile Island in 1979.

 

 

報道の要点と狙い

「ソ連は人命の尊さなどはほとんど気にかけない野蛮な奴隷国家である」

 

「ソ連の工業技術力は年々歳々後退している」

 

「ソ連は真実を告げず、嘘つきで信用できない」

 

ソ連は事故による死者が当初2名で、後に32名と公表しており、欧米は数千から数万の死者が出たと報道していた。

米国政府は、ソ連が嘘つき国家、管理が出来ない国家として流布されれば、核軍縮の場で有利になる。

一番重要なことは、この原発事故が欧米の原発では絶対起きないことを国民に印象づけることでした。

当時、OECD(欧米)は原子力エネルギーに頼りつつあり、かつ米国は79年のスリーマイル島の原発事故以来、原発の受注が1台もなかった。

 

During about three weeks after the accident, the government and media of Europe and America spread to the national the false rumor and the blame of the sort.

 

However, the truth became known before long, and the report was revised inconspicuously.

But the government and the atomic energy group were able to achieve the purpose enough.

 

こうして事故後の3週間ほどの間に、欧米の政府とマスコミは異口同音に、批難とデマを流した。

しかしやがて真実が知れ、その論調は目立たないよう修正されたが、政府や原子力団体は十分に目的を果たすことが出来た。

 

3レーガン

< 3. Reagan and Gorbachev >

< 3. レーガンとゴルバチョフ大統領 >

 

Inspection of the false rumor

“ As for the number of the casualties, the number of nuclear reactors that encountered a fire, and fire extinguishing, after all, the contents which the Soviet Union announced first were almost right. Journalists that truly received the information of Reagan government reported directly, but after all, it wasn’t right” by Scientist publication of atomic era

 

“ Even the government of our country was tricking the national concerning the purpose and the safety of development business of American nuclear energy in the various levels in recording from time to time, and was doing the information hiding” by Bernstein of American reporter

 

The Chernobyl disaster happened in April 1986, but two furnaces being the same type of the Soviet Union had operated in the United States in those days.

Furthermore the more dangerous nuclear reactor for the nuclear weapon production without the bulkhead had operated, and amazingly it was four.

The Soviet Union had learnt lessons from Three Mile Island accident, and executed the remodeling of the safety shield.

 

In other words, the United States was telling a falsehood

 

 

デマの検証

「死傷者の数とか、火災に遭った原子炉の数とか、火災鎮火などの重大な問題に関して、結局、ソ連が当初発表した内容のほうが、概ね正しかった。一方、レーガン政権が流した情報は、ジャーナリストたちが真に受けて報道したものの、結局、正しくなかった」原子力時代の科学者広報

 

「我が国の政府だって、米国の原子力開発事業の目的や安全性をめぐって、時に応じて様々なレベルで自国民を騙したり、情報隠しを行ってきたのだ」米国記者のバーンスタイン

 

チェルノブイリ原発事故は86年4月に起きたが、当時、米国ではソ連と同型炉が2基稼働していた。

防護壁の無い核兵器製造用の危険な原子炉がさらに4基稼働していた。

ソ連はスリーマイル島事故の教訓を生かし、防護壁を備える改造を行っていた。

 

つまり、米国が嘘を言っていた。

 

4原発事故

< 4. nuclear power plant accident of Fukushima >

< 4. 福島の原発事故 >

 

Afterward

The Japanese public opinion had increased in an opposition to nuclear power generation, because of a spate of nuclear power plant accidents, too.

The electricity industry that had trouble by it came to pay away annual advertisement to costs 100 billion after this, and the public opinion increased in the agreement since after four years.

 

Since when the ash of Chernobyl disaster fluttered to the ground, the handling of the nuclear power generation came to divide between Germany and France.

Germany regarded this situation as dangerous and the scientist published it, and the public opinion changed to an opposition to the nuclear power plant.

France hid this situation, and the opposition movement did not become lively.

 

Such groundless rumor and agitation are performed repeatedly, and before long the truth isn’t seen in darkness.

 

 

その後

日本の世論も相次ぐ原発事故で原発反対に傾いていった。

さしも困った電力業界は、これ以降、年間広告費を1000億にし、4年後から世論は賛成へと向かっていった。

 

チェルノブイリ原発事故の灰が舞い降りた、ドイツとフランスでは対応が別れることになった。

ドイツは、この事態を危険とし科学者は公にし、原発反対へと路線を切り替えた。

フランスでは、この事態を隠し、反対運動は盛り上がらなかった。

 

面白いことに、日本科学未来館がフランスの原発優位について、以下のように語っています。

フランスは、政府によるリスクコミュニケーションが成功した好例にも挙げられます。フランスの国民は、・・原発にともなうリスクを理解した上で、経済効果などの利点や安全対策をふまえ、原発に賛成しています。」2011年5月18日(東北大震災の2ヶ月後)

この団体には日本原子力学会がいます。

 

こうしたデマや煽動が繰り返し行われ、やがて真実は闇の中に見えなくなってしまうのです。

 

 

 

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Card throwing and Higgs boson


 Card throwing

This year, the Nobel Prize for Physics was awarded to the prophet of the “Higgs boson”.

Existence of this particle was confirmed in the huge underground experiment place in the Geneva suburbs this year.

About this importance, I write down my impression.

 

今年、ノーベル物理学賞は「ヒッグス粒子」の提唱者に与えられました。

この粒子の存在は、今年、ジュネーブ郊外の巨大な地下実験所で確認された。

この重要性について、私の感想を記します。

 

 the detector of European Laboratory for Particle Physics(CERN)

 the detector of European Laboratory for Particle Physics(CERN), two persons at the lower left >

 

When young, I had a certain question.

When throwing a card, if we let the snap of a wrist and rotated it, it will often fly to a distance.

If it is not rotated, it will fall immediately.

This is because the inertia energy increases by the rotation and it becomes difficult to slow down to air resistance.

This is the same reason as a spinning top that was rotated becomes difficult to fall over.

However, I didn’t quite get it.

 

The substance of our universe

Now, human beings can explain a motion of Galaxy or planets within our universe of radius of 13,700 million light-years by gravity.

However, the gravity isn’t transmitted in a trice but only transmitted at the velocity of light.

This is mysterious again.

It seems that it is filled with something even if the universe is a vacuum.

 

 

若い頃、私にはある疑問がありました。

トランプカードを投げる時、手首のスナップを効かせて回転させると遠くまでよく飛びます。

回転させないと、ふらふらとすぐ落ちてしまいます。

これは回転により慣性エネルギーが増え、空気抵抗に対して減速し難くなるからです。

回転させたコマが倒れ難くなるのと同じ理由です。

しかし、釈然としませんでした。

 

宇宙の中身

現在、人類は半径137億光年(実は400億光年)の宇宙内の銀河や星の動きを重力で説明することが出来ます。

しかし重力は、瞬時ではなく光速でしか伝わりません。

これまた厄介です。

宇宙空間は真空であっても、何かで満ちているようで、中世からこの考えはありました。

 

 Higgs boson produces inertial mass

< Higgs boson produces inertial mass. >

 

The appearance of Higgs boson

In 1964, “Higgs boson” was propounded as what is able to give inertia mass to the material of our universe.

In order to prove it, many scholars have experimented with the particle accelerator of a round of 27 km for a few decades.

And at last it was confirmed.

 

What this discovery means.

When a card was rotated, Higgs boson that had stuck to it operated on it and the inertia mass was increasing.

An understanding to the universe and inertial mass took a step forward.

However, the gravity is not explained yet.

 

ヒッグス粒子の登場

1964年、宇宙の物質に質量を与えるものとして「ヒッグス粒子」が提唱されました。

それを証明する為に、多くの学者が一周27kmの粒子加速器で数十年も実験を行って来たのです。

そしてやっと確認されたのです。

 

この発見が意味するもの

回転させると、カードにヒッグス粒子が纏わり付き、慣性が増大していたのです。

宇宙、慣性質量への理解が一歩前進しました。

しかし重力をまだ説明することが出来ないそうです。   

 

 History of the Universe 

< History of the Universe >

 

When was this Higgs boson born?

The universe was born by Big Bang 13,700 million years ago from a void spot, and the particles were also born.

By the subsequent rapid expansion, Higgs boson were filled in the universe within a much shorter than 0.0000001 seconds.

And the particles came to have inertial mass except light.

In this way, the substance of the universes came to have the form and the movement, and then became stable.

 

What is great?

We, human beings are able to reason till a maximum space of 40 billion light years or a minimum world of much smaller than 1/100,000,000 mm, and at 13,700 million years ago.

Then we are able to prove it in the experiment.

Human beings evolved from the life that had arisen 4 billion years ago at a planet of this universe.

And we accomplished it by accumulation of the knowledge for approximately 3,000 years at most.

However it seems to be difficult to get peace and tranquility.

 

 

このヒッグス粒子は何時生まれたのか?

137億年前、何も無いところから宇宙がビッグバンで誕生し、粒子も誕生した。

その後の急速膨張で、0.00・・01秒以内に、ヒッグス粒子が宇宙に満ち、光以外は質量を持つようになった。

こうして私達宇宙の物質は、形と運動を持つ安定したものとなったのです。

 

何が凄いのか

我々人類は、最大半径400億光年の空間、最小1億の10万分の1mm以下の世界、さらに137億年前の過去まで推論し、それを実験で証明することが出来たのです。

人類は、この宇宙の一点で、40億年前に生じた生命から進化し、高々3千年ほどの知識の蓄積によって、これを成し遂げたのです。

その割には、平和や安寧を得ることは難しいようですが。

 

 

 

 

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宇宙の果て ver.2


 宇宙の果ては、どのようになっているのだろうか? その大きさは? その向こうには何があるのか? 最新の科学知識を基に、簡単な図を書きました。

前回の説明では不十分なので、すべて書き直しました。

宇宙の果て1  Inflationary universe

 

< この図は宇宙が誕生し膨張している様子を描いています >

左図の横軸が時間経過で、縦軸は宇宙の大きさです。

宇宙はビックバンで誕生し、急速に膨張を行い、40万年後に素粒子と共に光りが生じた。これを宇宙の晴れ上がりと呼びます。

やがて星や銀河が作られ、我々の太陽系は約46億年前に出来はじめた。

右図の灰色の小円が我々の宇宙、つまり見ることの出来る範囲です。

我々の宇宙の進化は、左図では灰色のチューブで示されます。

ここで重要なことは、宇宙の晴れ上がり時にいくらかの大きさを持った宇宙が、137億年後に膨張した。しかしそれは全体宇宙のほんの一部であることです。

宇宙の果て2  Inflationary universe

 

< この図は我々の宇宙を拡大したものです >

図の縦軸と横軸は最初の図と同じです。時間の経過に従って見ていきます。

晴れ上がりから遅れて星が誕生し、それを赤い点で示します。その後青い点の地球が誕生しました。

我々宇宙の外側にも未知の宇宙が広がっています。

ここで地球に到達する光りを考えます。

白の矢印は近くにあった恒星から出た光が、既に地球に到達してしまったことを示しています。

星から出た黄の矢印はちょうど今、地球に光りが届いたことを示します。もう一つの矢印は、晴れ上がり時に宇宙空間から発せられた光で、これも届きます。両者共に距離と時間がうまく合ったのです。

赤の矢印は距離が遠い為に地球に届きません。

この外側の宇宙(全体宇宙)はまったく私達と絶縁した世界なのです。光りが届かないということは重力波も来ないということです。

つまり外側の宇宙の一部が、今、何らかの理由で消滅したしても、その影響は光りや重力で伝わりますので、今の私達には無関係です。

当然観測も出来ません。但し数百億年先は保障出来ません。

ここで厄介な現象に頭を悩まさなければなりません。それは我々の宇宙の大きさです。

我々が見ることの出来る最も古い光景は、137億年前の晴れ上がり直後の世界です。

それは夜空の遙か遠くからやって来る映像にしか過ぎません。

その光景を生みだした空間は、それよりさらに遠く離れてしまっているのです。

その距離は地球から470億光年です。

この奇妙な現象は、遠ざかる星や光りの速度は光速なのですが、宇宙空間自身が約3倍で膨張している為に起こっているのです。

 やっと全体像が見えて来ました。

それでは全体宇宙の大きさはどれぐらいなのでしょうか?

理論によって異なるのですが、一つの回答は、「全体宇宙の大きさを太陽系(海王星の軌道)に例えれば、我々の宇宙は直径0.1mmの泡に過ぎない。」と言うものです。そうなると全体宇宙の果ての速度はそれを遙かに超えている可能性もあります。

 私達の宇宙はまことに塵のようなもので、人類も含めて偶然の産物に過ぎないように思えて来ます。

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不思議なこと:宇宙の果て


 私達の世界で一番大きくて、一番古い歴史を持つものは宇宙ではないでしょうか? 「宇宙の果ては137億光年先にあり、望遠鏡で見たら137億年前の宇宙誕生の姿をそこに見ることになります。」 よくこのように報道されていますが、疑問があります、それはなぜ地球が宇宙の真ん中のでしょうか? なぜ果ての何処にもゆがみがなく、すべて一様なのでしょうか?

この謎に対して概略の説明をします。図には宇宙が誕生し膨張する様子を描いています。左図の横軸が時間で縦軸は大きさです。右図は現在の宇宙の大きさです。宇宙はビッグバンで誕生し、さらに急速に膨張を行い、40万年後に原子と共に光りが誕生し、やがて星も出来て現在の宇宙の姿に成りました。右図の小さな白円は私達が見ることの出来る宇宙で、半径は137億光年です。この円の断面は左図の黒い部分から伸びている2本線で示されます。この2本線は光り輝き始めた空間面の航跡のようなものです。その空間面から放たれた光がやっと今、地球に届くわけです。つまり私達はたかだか137億光年の先しか見ることが出来ないのです。もっとも重力も光速で伝わるので、地球から見れば私達と因果関係を持つ宇宙とはこの範囲に限られるわけです。

それではビッグバンで生まれた右図の紫円で示される宇宙の大きさはどれぐらいなのでしょうか? 測定出来ない為、理論によって異となるのですが、一つの回答は、「紫円の大きさを太陽系(海王星の軌道)に例えれば、我々の宇宙は直径0.1mmに過ぎないのかもしれない。」と言うものです。さらに理解を超えるのは我々の宇宙の果て(境界面)は光速の数倍で膨張し、そうなると紫円の果ての速度はそれを遙かに超えている可能性もあります。

私達の宇宙はまことに塵のようなもので、人類も含めて偶然の産物に過ぎないように思えて来ます。

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