没落を食い止める! 11: 世界はなぜ悪化しているのか? 3


*1

今回は、物価が上がらない理由を考えます。

* 身の回りで起きている怪奇現象

  1. なぜ株価は乱高下するのか? 済
  2. なぜ賃金は上がらないのか? 前回
  3. なぜ物価は上がらないのか? 今回
  4. なぜ政府の累積債務は増え続けるのか? 次回
  5. なぜ経済は良くならないのか? 

* なぜ物価は上がらないのか?

本来、消費者にとって物価上昇は好ましくないのですが、アベノミクスの売りの一つがリフレ策だったので採り上げます。

リフレ策は、インフレを無理に起こし、国民が物価上昇前に消費を急ぐようになり、景気が良くなる事を狙った。

しかし御立派な学者が熱弁を振るい、日銀のバズーカ砲(ヘリマネ)が炸裂しても、見事に不発で失敗しました。

普通の人々は、景気が良くなって消費が増えこそインフレになると知っているのだが。

この政策の間が抜けているのは、肝心なことを見落としたからです。

日本のGDPに占める個人消費と民間住宅投資が60%もあるのに、80%ほどの国民の所得が下がり続け、さらに増税で財布の口を閉じさせて、消費が増えるはずがない。

これで景気が悪くなったことは、今、誰しも実感している。

つまり、物価が上がらない一番の理由は大多数の国民の所得が上がらないからです。

残念ながら、日本を牽引する東大出の経済学者と日銀総裁、私大出の財務大臣にはこれが分からない、今も反省の弁は聞かれない。

もっとも現代貨幣理論MMTは日本の現状を見抜いていますが。

実はここが問題なのです。

欧米各国も、わかっちゃいるがやめられないのです。

グローバル化で、国内産業が他国との厳しい競争に晒される中で、政府と経済界は労働者の低賃金化が最も手っ取り早いからです。

現実には競争に打ち勝つ手は幾つもあります。

国内への設備・開発投資による生産性向上、付加価値の高い新規産業の創出、労働者の転職を支援し旧態依然とした業界の刷新などです。

残念ながら、これは口で言うほどた易くなく、特に日本では旧態依然とした業界と政府の癒着が進んでいるので不可能に近い。

結局、経済界が望み政府がとる策は、最も安易な金融(投機)・富裕層の優遇と労働者の賃金低下しかないのです。

前者の言い訳として、安倍元首相は口角泡を飛ばして「トリクルダウンが国民を潤す」と賜っていた。

(ただ安倍は効果が無いと知れると早々と2015年から、白を切り始めたが、もともとご都合主義だったのだろう)

素晴らしいのか、残念なのか日本が最も賃金を下げることが出来た。

もし先進国の国民が、賃金の伸び悩みとデフレの関係に疑いを持てば、状況は変わるのでしょうが。

現実に、労働界は弱く、国民は労働条件の悪化に鬱鬱として従うだけです。

残念な事に、なぜかアングロサクソンの国と日本では政府はやりたい放題だが、フランスやドイツ、北欧4ヵ国では政府が気を使ってくれる。

トランプ現象は、国民の鬱積した不満が暴発したと言えるかもしれない。

(うまくガス抜きが出来ないと大爆発するかもしれないが)

つまり政府と御用学者は、労働者の賃金低下に白を切らざるを得ないのです。

もし国民が真実を知り賃金上昇を求めると、現代の経済システムを根底から覆すことになるからです。

ここ40年ほど、企業と富裕者に恩恵を与える経済システムを造り上げて来たのですから。

トリクルダウン等は付け足しの言い訳なのです。

次回に続きます。

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没落を食い止める! 10: 世界はなぜ悪化しているのか? 2


*1

今回は、賃金が上がらない理由を考えます。

* 身の回りで起きている怪奇現象

  1. なぜ株価は乱高下するのか? 前回
  2. なぜ賃金は上がらないのか? 今回
  3. なぜ物価は上がらないのか? 次回
  4. なぜ政府の累積債務は増え続けるのか? 
  5. なぜ経済は良くならないのか? 

< 2.日本と米国の所得推移 >

上: 日本で、10分割した所得階層毎の所得推移(青線)をみると、下位2分位と5分位は下がっているが、9分位は急上昇している。

下: 米国では下がってはいないが、下位59%以下の所得層の所得はほぼ横ばい。

* なぜ賃金は上がらないのか?

先進国では、ここ30年以上、約40~80%の国民の所得は横這いで、日本だけは低下している。

それでもGDPが伸びているのは、一部の富裕層の所得がそれを上回って上昇しているからです。

先進国では上位所得層の所得が数倍以上伸び、所得が多いほどその倍率は著しく高い(英米、次いで日本で顕著)。

つまり格差拡大と共に、大多数の国民の所得が伸びないのは先進国に共通している。

賃金が上昇しなくなった理由は大きく二つある。

労働組合の弱体化と非正規雇用・個人事業家などの雇用形態の悪化です。

労働組合が機能していれば、単純に恣意的な解雇を減せ、賃金も上がる。

しかし、各国政府と経済界は団結して労働組合を弱体化させて来た。

(産業構造の変化もあるが、影響は大きくない)

政府は公共事業体を潰し、民営化と称して職員を切り、替わりに身分不安定な非組合員が同じ仕事をするようになった。

また全国的に様々な組合活動を制限する規制、一方で雇用主には労働条件の緩和(働き改革や労働契約法による首切り、賃金カットと非正規雇用拡大)を行って来た。

例えば、組合が無く、首切りが自由になれば従業員は雇用主の脅しに泣き寝入りする。

日本の労働者にとって転職は不利なので、これも賃金低下の理由になる。

柔軟な転職は産業転換に不可欠ですが、以下の条件が整ってこそです。

つまり職業別最低賃金、労働市場、転職時の失業保障と再教育制度、労働者の生涯学習意欲です。

もちろん政府だけが悪役を演じたのではない。

経済界とこれに繋がる主流の経済学、御用マスコミも、労働組合の非効率と横暴を罵るキャンペーンを続け、国民もやがて洗脳されていった。

労働界は圧倒的に資金力が劣るので、負けるのは必至だった。

上記の動きは、日本だけでなく、多くの先進国で今も勢いを増している(後に説明)。

御用学者は言う。

「企業は世界相手に厳しい競争に晒されており、企業が生き残るには、柔軟な労働市場=素早い首切り、競争力向上=賃金低下による価格低下、が絶対だ!」

概ね、国民はこの手の説明を散々聞かされてきた。

しかしこの説明は一部正しいが、大きな間違いを犯し、没落の最大理由の一つになっている。

その反証は、現在の北欧や、かつてのF・ルーズベルト時代の米国、高度成長期の日本にある。(後に説明)

かつて日本は世界から羨望の的だった。

高度成長期、米国から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と賞賛された。

この三つの社会に共通しているのは、格差が少なく、賃金が上昇し、経済が好調だったことです。

残念な事に、日本には経済効率を下げ、さらに賃金を下げる日本固有の悪弊が蔓延っている(後に説明)。

< 3.各国の賃金と日本の所得格差 >

上: 日本だけが1997年から8.2%下がっている。

別のエコノミストは言う。

日本の賃金が安いのは、生産性が低い中小企業が多いからで、これを刷新しなければならないと。

確かに日本の生産性の伸びは鈍化している。

一部正しいが、根本を見逃している。

なぜなら生産性が上昇している国でも同じだからです。

生産性の低い業界では淘汰が必要ですが、倒産を増やさないように最低賃金を徐々に上げて、体質改善を促すしかない。

しかし輸出産業でない限り、低賃金が生産性の低さで決まるわけではなく、別の要因がある(介護職など)。

最も重要な事は、付加価値の高い産業を国内に生み出し、そこに雇用を吸収させ、低賃金産業の縮小を補うことです。

現在、政府と経済界は労働者に負担を強いるだけで上記の対策を怠っている。

(生産性が高いとは、同じ物を安く造ること。付加価値が高いとは、高く買ってくれる物を提供することです。)

* まとめ

日本が、かつての賃金上昇時代から急速に低下時代に突入した理由は、世界的な経済の動き(悪い経済システムとグローバル化)が労働組合弱体化と雇用形態の悪化を招き、これに加え、日本固有の悪弊が災いしたからです(後に説明)。

次回に続きます。

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国境の島、対馬を訪ねて 6: 厳原の街を歩く 4


*1

朝7時から8時まで城下町を散策しました。

早朝の対馬を感じ取ることが出来ました。

また対馬と神々、朝鮮半島の深い繋がりを知る事が出来ました。

< 2. 散策ルート、上が北 >

赤線が今回紹介するルート、茶色線と黒線が次回紹介するルート。

下の対馬ホテル前から歩き始め、国分寺で撮影は終了。

上側の赤矢印が桟原城跡(陸上自衛隊駐屯地)、青矢印が旧日新館門。

左下側の黒矢印が金石城跡と万松院です。

つまりこの範囲が対馬藩時代の城下町になります。

< 3.ホテルから八幡宮神社まで >

上: 振り返ると右側にホテルが見える。

朝、ほとんど人を見ず、静かな通りというか寂れている気がした。

下: 八幡宮神社の鳥居が見えた。

後ろが清水山で、神社の前を左右に通るのが馬場筋通りです。

< 4.馬場筋通り >

上: 西側を望む

右手側に金石城跡がある。

下: 東側を望む

石塀や武家門が残る通りは、右手側にあります。

< 5. 八幡宮神社 1 >

一つ目の鳥居を抜けると、大きな駐車場があり、その奥に二つの鳥居がある。

山の麓まで森が延び、神社は木々でなかば覆われている。

上: 左側の鳥居を抜けると天神神社(今宮若宮神社)がある

ここには安徳天皇と菅原道真公が祀られていたが、後に小西マリアが合祀されました。

彼女は関ヶ原の戦いの翌年に宋義智に離縁されおり、後に怨霊を恐れてこちらに祀っられたようです。

下: 上の写真の右側の鳥居

この鳥居を真直ぐ抜けると宇努刀神社、右に行くと神門、八幡宮神社に至る。

ここには社が四つあり、由緒は古く日本書紀に始まる。

境内にある八幡宮神社と平神社は延喜式神名帳(平安時代中期)に記載されていた。

ただ当時は八幡宮神社でなく和多都美神社であった。

この経緯は面白いので後で説明します。

< 6. 神門と宇努刀神社 >

上: 階段の上の神門を右手に抜けると八幡宮神社

下: 宇努刀神社が見える

この左に天神神社があります。

< 7.八幡宮神社と宋義智公の像 >

上: 八幡宮神社の拝殿

この左奥に本殿があります。

下: 小さな公園に宋義智公の像が立っています。

これから公園右手の路に入ります。

< 8.中村地区 1 >

城下町の風情が石垣や門から感じられる。

上: 宋義智公の像がある公園

下: 半井桃水館

彼は明治期の新聞記者・小説家で、樋口一葉の師として知られている。

< 9.中村地区 2 >

通りを南北に望む。

  • 八幡宮神社から見えて来る対馬の古代

平安時代の延喜式に記載された神社(官社、式内社)が九州全体で98社あったが、うち約3分の1にあたる29社が対馬に集中し、九州最多で、壱岐の24社を加えると、両島で九州の半数を超えていた。

この理由は、和多都美神社を紹介する時に説明します。

この八幡宮神社は以前、対馬に三つあった海神を祀る和多都美神社の一つでした。

祭神が変わったのは、対馬で国防意識が高まり、三韓征伐を成し遂げた神功皇后を武神として祀るようになったからと考えられる。

日本が朝鮮半島に出兵したのは大きく四回ありました。

最初が神功皇后による三韓征伐、次いで天智天皇の白村江の戦い、豊臣秀吉による朝鮮出兵、日清戦争がありました。

すべてについて対馬は橋頭堡となりました。

一方、本土が朝鮮半島から攻められたのは元寇だけでした。

対馬に限れば、上記外に幾度も攻防がありましたが。

八幡宮神社の社伝によれば、

「神功皇后が三韓征伐からの帰途、対馬の清水山に行啓し、この山は神霊が宿る山であるとして山頂に磐境を設け、神鏡と幣帛を置いて天神地祇を祀った。」

とあります。

< 10. 三韓征伐 >

地図

三韓征伐は、神功皇后が自ら新羅に出兵し、新羅・百済・高句麗を服属させたとされる戦争です。

日本書紀などに記載されたこの戦争は2~3世紀と推定される。

これが伝説だとしても、この前後の6世紀間に亘り、倭国は新羅や百済などの王朝と深く関わり、幾度も半島に出兵していることは事実です。

上: 三韓征伐の絵

下: 神功皇后の航路

青破線が行き、赤破線が帰りの航路。

ここで興味深いのは、朝鮮半島と九州との往来は、対馬を島伝いに北の比田勝港と南の厳原港を拠点にし、行きは東海岸、帰りは西海岸を使っていることです。

なぜ対馬は朝鮮半島により近いのに、倭国の文化圏に入ったのか?

この答えのヒントになりそうです。

これは対馬海流が年中、対馬の両側を南から北へ流れ、流れは8月が最も強く、2月が最も弱く、半分にもなり、冬になると季節風が朝鮮半島から対馬に向かって吹いてくることと関係していると考える。

おそらく夏は九州から海流に乗り壱岐を経て対馬へ行くことは容易だったのだろう。

帰りは、冬の季節風(北西風)を待てば、海流も弱く追い風で帰れたのだろう。

さらに対馬の西側(朝鮮海峡)の海流は東側に比べ弱いことが、朝鮮半島からの往来が不利になったのだろう。

この時代はまだ帆船を使っていなかったから、櫂で漕ぐとなればなおさらだった。

神功皇后は10月に朝鮮半島に渡り、12月には福岡に戻っていた。

これはほぼ理に叶った航海時期と言えるかもしれない。

おそらくこうして対馬は倭国、日本の文化圏に属したのだろう。

< 11. 対馬の神社と神話 >

下図: 現在、対馬の神社130社の位置

江戸初期、対馬には神社が455社もあった。

この地図では、平地が少ない対馬らしく、社は海岸に近い所に多いが、かつては山頂などにも多かった。

上表: 日本神話と対馬の神々の関り

日本神話の神々と広く関りがあるが、豊玉姫などの海神とのかかわりが強いようです。

後に詳しく語ります。

次回に続きます。

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没落を食い止める! 9: 世界はなぜ悪化しているのか? 1


*1

欧米の経済が停滞し、格差が拡大しているのは明白です。

しかし、その元凶はカモフラージュされており見難い。

身近な例から読み解きます。

* 身の回りで起きている摩訶不思議な現象

  1. なぜ株価は乱高下するのか? 
  2. なぜ賃金は上がらないのか?
  3. なぜ物価は上がらないのか?
  4. なぜ政府の累積債務は増え続けるのか?
  5. なぜ経済は良くならないのか?

これらの疑問から経済の問題点が見えて来ます。

* なぜ株価は乱高下するのか? 

現在、株や土地、金、石油、為替など、あらゆる物が投機対象になっている。

売買に投じられる投機資金は、今や需要に必要な額の10倍を越え、さらに世界の投機資金は年々増加している。

現代は製造ではなく、利益率の高い金融で儲ける経済になってしまった。

金融商品には経済活動に必要なものもあり、国民の多くの保険や年金などの運用はこれに頼っている。

経済界や富裕層だけでなく政府も金融依存から抜け出せなくなった。

しかし、やがて購入が過熱し暴騰が続いたある日、突如として暴落を始めることになる。

(世界は暴落の予想と予防が出来ない)

暴落が始まると銀行は融資していた投機資金を競うように引き上げる。

この連鎖反応が全経済の資金の流れを止め、瞬く間に世界は金融危機に陥る。

(日本のGDPは540兆円だが、株の時価総額は600兆円、1/3に暴落すれば半年で400兆円が吹き飛ぶ)

これが大量の倒産と失業を生む。

政府はこれを食い止めるべく、主に銀行などの金融業に毎回GDPの10%を越える救援資金を注ぎ込む(年々増加)。

もし国が金融危機を放置すれば、大恐慌が起こる事は歴史が示している。

こうして富裕層は投機で所得を増やし、かつ暴落後も政府のお陰で所得を急回復させる。

一方で、投機に縁の無い多くの人は前述の救援資金を税金と赤字国債の形で負担することになる。

< 2.GDPと株式時価総額の推移 >

https://media.moneyforward.com/articles/2519?page=3

上のグラフ:

1980~2017年の世界GDPと株式総額の成長は7.2倍と31.6倍です。

さらに株式総額は1985年以降、増加の一途で、遂にはGDPを越え、今後さらに上昇する。

下のグラフ:

1982年から、日本はバブル経済に突入し株式総額は鰻登りの後、急降下し、乱高下を繰り返している。

これを境にGDPは停滞したままで、株式総額に越されてしまった。

実は、格差の酷い国、米英日では既に株価総額はGDPを越えており、格差の少ない国、独仏では越えていない。

< 3. 欧米日の株価推移 >

グラフ:

2000年までは日本の株価は、独歩高だったが、それ以降は、欧米と足並みを揃えた値動きになっている。

これは投機資金が世界を駆け巡り、世界の株式が同じように動き、かつ拡大している証左です。

* なぜこんなことになったのか?

一番は、投機家が商品価格の上下だけで莫大な利益を得るようになったからです。

本来、株式は企業資金の調達手段に過ぎないはずが、今や国の経済規模を越えて拡大しつつある。

資金量が多ければ多いほど、またコンピューター・情報を駆使出来れば出来るほど、莫大な利益が生まれる。

(先物で仕手: ファンドが恣意的に価格を上下させ、それを売買するだけで数千億円を稼ぎ、その資金は手持ち資金の50倍ほどまで借りることが可能)

こうして投機資金と情報が超富裕層に益々集中し、商品価格の乱高下が大きくなって行く。

それだけではない。

政府と中央銀行は連携し、金融危機後に景気回復の為と称して投機を煽る政策をとる。

当然、腐敗した政府・議員はこの富裕層の資金力に操られることになる。

こうして貨幣供給量の増大に拍車をかけ、企業と富裕層に大幅減税を行い、金融の規制緩和を加速させて来た。

こうして株価の乱高下の悪循環を断ち切れなくなった。

このような金融の利殖に群がる状況は異常だと気が付くべきだ。

次回に続きます。

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国境の島、対馬を訪ねて 5: 厳原の街を歩く 3


*1

今回は、宗氏の菩提寺万松院と歴代藩主の墓所を紹介します。

江戸開幕と共に対馬初代藩主となった、宗義智は怒涛の時代を生き抜いた。

< 2. 万松院と境内地図 >

上: 万松院の門

右手の石橋は墓所への階段に通じる。

下: 万松院と御霊屋の地図、上が概ね南

上が万松院、下が墓所御霊屋。

赤線が散策路で、現在地からスタートし戻った。

< 3.山門と御霊屋への石橋 >

上: この山門は残存する対馬最古の建築物で、江戸時代初期のものです。

仁王像も古い。

下: 御霊屋への石橋

< 4. 万松院に入る >

下: 本堂

この寺は、2代藩主義成が先代義智の為に1615年に建立したが、二度の火災で山門以外は消失した。

当時の隆盛を示す様々な建築物は無く、こじんまりしている。

内部の本尊や什器には鎌倉時代の作品もある。

< 5. 堂内に入る >

下: 三具足

朝鮮国より贈られた青銅製の祭礼用三具足(みつぐそく)、鶴亀の燭台と香炉、花瓶の3点。

朝鮮通信使が奉納した三具足は日光東照宮にもあったが、火災で消失し、現在の物は日本で造り直したものです。

すると万松院の三具足は貴重です。

(幕府の要望により、朝鮮通信使は江戸を経て日光東照宮まで参拝することがあった。)

< 6. 徳川家のお位牌 >

上: 徳川歴代将軍のお位牌

ガラス貼りで暗い為、良く見えないのですが、位牌は数多くありました。

ここに徳川家の位牌があるのは、対馬藩の大事件、柳川一件と関りがあります。

家光の裁可により無罪となった2代藩主は、徳川家に忠誠を尽くすとし、また朝鮮との交渉役との関係もあり、ここに位牌の安置を許された。

かつて境内にあった東照宮は火災で消失した。

下: 諫鼓(かんこ)

かつて諫鼓と呼ばれる鼓が置かれていて、君主に訴え(諫言)をおこす時に叩かれた。

鼓が鳴らないことは諫言の必要が無く善政の証しだとされたが、疑問が残る。

叩くことになれば目立つので、諫言(かんげん)を控えるはずだからです。

< 7. 御霊屋(おたまや)に向かう >

深い木々に囲まれて荘厳な雰囲気のある墓所でした。

ここは、金沢市の前田藩、萩市の毛利藩とともに日本三大墓地の一つらしい。

左上: 132段の百雁木(ひゃくがんぎ)と呼ばれる石段。

丁寧な石組みの段の横に石灯篭が並び、趣がある。

右上: もうすぐ最上部に着く

下: 階段を登り切ると、左右に歴代藩主の墓がある。

< 8. 天然記念物の大杉 >

上: 樹齢1200年と言われる大スギ

下: 階段を登る時、向かって左にある墓所

< 9. 初代藩主の墓 >

上: 初代藩主義智の墓

< 10. 下御霊屋 >

下: 石段の途中にある宗氏の墓地

* 宗義智と柳川一件にみる対馬の苦難と繁栄の礎

宗義智(そう よしとし)は宗氏19代目当主であり、対馬藩初代藩主でした。

彼は豊臣秀吉の九州征伐、続いて二度の朝鮮出兵、関ヶ原の戦いに駆り出された。

また徳川の世になると、李氏朝鮮との和平条約に奔走し成立させ、この功績により家康から独自に朝鮮との貿易を許され繁栄の礎を築いた。

宗氏は明治まで続くことになった。

< 11. 2回の朝鮮出兵 >

朝鮮出兵前、彼は秀吉から朝鮮を服属させよとの命を受けていた。

そして彼は、秀吉の全国統一の祝賀使節を朝鮮に要請し、来日した朝鮮使節を秀吉には服属使と偽った。

結局、朝鮮出兵は決まり、前回記したように清水城を築き、5千の兵を出し、対馬は7年に及ぶ戦役で大打撃を受けた。

秀吉が死に関ヶ原の戦いが起きた。

彼の妻は西軍の大名、共に戦った小西行長の娘、小西マリアでした。

家康が天下を取ると、彼は朝鮮の交渉役を期待され、罪は問われなかったが、恭順の意を示す為、戦いの翌年、妻を離縁した。

以前から、対馬の宗氏が朝鮮との交易を一手に引き受けて来たが、江戸時代も続くことになり、農耕に適さない地で繁栄することが出来た。

だが、朝鮮との外交交渉は、昔から綱渡りで、息子の代に大事件、柳川一件が起きた。

対馬藩2代目藩主の世になって、徳川は対馬に朝鮮出兵の後始末の交渉を任した。

ここでも対馬は幕府と明・李氏朝鮮とのかけ離れた要求の間に立ち、嘘と国書の改竄で逃れようとした。

朝鮮出兵の際に王陵を荒らした戦犯を差し出すように朝鮮から要求された。

すると、出兵とは全く無関係の藩内の罪人の喉を潰して声を発せられなくした上で「朝鮮出兵の戦犯」として差し出した。

お陰で他の要因もあり、朝鮮側は融和的になった。

朝鮮が徳川家から先に国書を送るように要求すると、対馬藩は国書を偽造し朝鮮へ提出した。

朝鮮が派遣した「回答使」を、対馬藩は幕府に「通信使」と偽り、江戸城で家康らと謁見させた。

対馬藩は回答使の返書も改竄し、三次に渡る交渉でもそれぞれ国書の偽造、改竄を行い、貿易協定(和平も)を何とか締結させることが出来た。

ここまでは良かったのだが、20年を経て、対馬藩の家老が己の出世の為に幕府に改竄を訴えた。

だが家光の裁可により、藩主は無罪、家老と他に関わった要人は流罪となり、決着した。

対馬は、このように日本の中央政府と大陸の狭間で、戦役と外交で苦労を重ねて来た。

対馬の外交を見ていると、如何に日本の中央は海外に無知だと言うのが分かる。

次回に続きます。

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没落を食い止める! 8: 現状を見る 2


*1

前回に続いて、世界と日本の現状を見ます。

はじめに、起こるであろう経済危機について、

次いで日本一国だけが衰退している状況を見ます。

* 世界的な経済危機!!

今後数年以内に想定される金融危機について考えます。

多くの方、特に若い方は金融危機の恐ろしさを知らない。

一言でいうと、株価が暴落し、多くの金融業に始まり、全産業で企業の倒産が相次ぎ、巷に失業者が溢れることです。

これはここ半世紀、ほぼ10年毎に起こり、その経済ダメージは益々酷くなっている。

これは19世紀後半の英国、20世紀始めの米国でも起こり、世界が戦争へと駆り立てられていった要因の一つでした。

この危機がなぜ迫っていると言えるのか?

< 2.世界全体のGDPと主要国中央銀行の貨幣供給量の推移 >

https://www.rieti.go.jp/jp/columns/s15_0010.html

グラフから、赤の破線が示す赤線の急上昇が金融危機発生直前に起きているのがわかる。

つまり中央銀行による急激な貨幣供給量の増加があった。

しかもリ―マンショック後の金融緩和による貨幣供給量は、歴史上始めてGDPを越え、急上昇している。

これが次に起きる金融危機の巨大さを暗示している。

これまでは、貨幣供給量はGDPに見合うものだったのだが。

なぜこのようなことになったのか。

日米英などが金融を野放し、かつ依存するようになり、金融危機と緩和の泥沼に陥ったからです。

< 3.世界主要国の実質経済成長率の比較 >

http://aruconsultant.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/gdp-b314.html

グラフを見ると、赤線の日本が一人負けしているのがわかる。

2008年の金融危機後の巨大な緩和策で、2012年以降世界経済は持ち直した。

しかし、騒がれたアベノミクスに成果はなく最下位を続けている。

< 4.日本の実質GDP、実質経済成長率の推移 >

https://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h24/hakusho/h25/html/n1112000.html

1970年中頃から日本経済は低下し始め、80年代後半には一段と下げた。

グラフにはないが、1990~2019年は平均1%を維持出来たが、2020年以降はパンデミックでさらに悲惨な状況になっている。

黒田日銀が世界に類を見ない金融緩和を行っても、せいぜい株価が上昇したに過ぎない(むしろこれが今後災厄になるかも)。

70年代の落ち込みは、米国の圧力による円高と、米国が介入した中東戦争が引き起こしたオイルショックが切っ掛けになった。

次いで米国の要求による内需拡大策が仇となり1990年にバブル崩壊、米国発の2008年リーマンショックを経て日本経済は成長しなくなった。

(ただ戦後の日本発展は米国のお陰であることを忘れてはならない)

しかし、これだけでは日本だけの落ち込みを説明できない。

ここ30年間、多くの国際的指標で日本は先進国から脱落し、さらに悪化し続けている。

かつて日本の世界ランキングは、ベスト20以内もあったが、現在は30から100位半ばまで落ち、特に社会政治については安倍政権になってからの悪化が著しい。

(OECD加盟国37か国、ランキングされる国は約200)。

悪化の例としては、相対貧困率、勤労所得、財政赤字、所得格差、生産性、産業と企業の競争力、デジタル技術、エネルギーと食料の自給率、人口減と高齢化、報道の自由度、ジェンダー指数、幸福度、政治腐敗認知度などがある。

良いのは治安と長寿命、失業率ぐらいだが、日本では金融危機の年に失業した世代の再起が難しいなど固有の問題もある(就職氷河期世代)。

これに加え、日本では地方の過疎化と経済衰退が著しい、また自治体の自律的な動きも封じられている。

次回に続きます。

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国境の島、対馬を訪ねて 4: 対馬のフェイクニュース


*1

今回は、対馬を貶めたフェイクニュースについて。

以前、対馬は韓国人に荒らされていると報道されていた。

私は多くの島民にお話を聞き、予想もしなかった事実に出会いました。

*2

私は対馬に強い歴史的な関心を持っていました。

しかし、一部マスコミは対馬が韓国人観光客に荒らされていると報道しており、私も不安になっていました。

この手の煽られた恐怖心を韓国旅行の前にも感じたことがあったのですが、行ってみて、まったくの嘘だと知った経験がありました。

そこで今回、コロナ騒動で韓国人が減っていると知って、事実を確認すべしと考えた。

*3

* 街角でのインタビューを紹介します。

A 厳原のショッピングモール内で

二人の女性店員の感想です。

韓国人観光客は、日本茶やコーヒーをよく買ってくれた。

彼らにまったく嫌な感じを持ったことがない。

やはり彼らが来なくなったのは辛い、また来て欲しい。

店員さん達は、私が感じていて不安を吹き飛ばしてくれた。

B 厳原の観光情報館にて

対馬の観光事情に詳しい担当者と話した。

私は韓国人の来日客が無くなったことについて聞いた。

彼は問題がないと断言した。

なぜなら対馬を訪れる人の多くは日本国内からで、韓国人はその内の数割に過ぎないとのことでした。

私がネットで調べた訪問者数や、他の情報を勘案すると、やはり経済的影響は少なくないはずです。

私は、彼が韓国人観光客をことさら問題にすることに苛立っているように思えた。

C 厳原の街を散策中に

通りすがりの女性に道を聞いたついでに、韓国の旅行者で気になる事はありますかと質問した。

彼女は、すぐに答えることが出来ず、私が幾らか誘導するように聞くと。

彼らが道路脇に座って、食べている姿が気になると答えた。

日頃は韓国人旅行者を気にしていないようでした。

D 厳原のホテルのフロント係に聞いた

このホテルに、以前はかなりの韓国人観光客が宿泊したそうです。

特にマナーの点で気になることはなかったとのことです。

韓国人観光客に戻って来て欲しいようでした。

E 男性の観光ガイドから多くの事を学びました。

初老の彼は対馬の歴史と観光のガイドについては第一人者でしょう。

ここでは韓国人の観光について紹介します。

韓国人観光客は1泊か日帰りで、対馬での楽しみは海釣りと登山が多いそうです。

彼らの中には、たくさんの釣果を持ち帰り、釜山で販売する人もいるそうです。

彼の口から韓国人の悪口はまったく聞けなかった。

後で、分かるのですが彼は韓国人にまったく偏見を持っていない。

結局、5人に聞いた話を総合すると、韓国人観光客は対馬にとって迷惑どころか、賑わいをもたらす客でした。

*4

* 厳原や比田勝の街や港を見て

比田勝は釜山との間に幾つもの高速船が往来してる玄関口、厳原は観光の拠点です。

両方の街を見ましたが、韓国語の看板や、韓国人相手の店は少なかった。

報道のような、占拠され荒らされている雰囲気はない。

壱岐行きのフェリー乗り場に、釣り客に撒き餌を注意する掲示物がありました。

ことによるとこれに韓国人が関わっているかもしれませんが不明です。

* 私の目を開いてくれた情報

もう一台の観光バスの女性ガイドは韓国人名で、少したどたどしい日本語を喋っていた。

最後に、例の初老の観光ガイドが教えてくれたこと。

元々対馬には戦前から朝鮮半島の人々が多く住んでおり、まったく普通に近所付き合いをしていたそうです。

私は大戦時、朝鮮人への差別が起きた事を予想して質問したら、共に戦った仲間同志だから疑いの余地はなかったと、私をたしなめるように答えた。

(大戦時、沖縄戦で本土の軍人が沖縄人をスパイと疑った過去があった)

* まとめ

マスコミは不安を煽り、関心を呼んで視聴率を上げたいのか、右翼的な意図で韓国を悪しざまに罵りたいのか。

対馬にまったく問題が無い上に、さらに国内からの旅客を減らす事にもなり、踏んだり蹴ったりです。

偏向したマスコミ報道に腹が立ちます。

国境の島は、このような事でも災いを受けてしまう。

次回に続きます。

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没落を食い止める! 7: 現状を見る 1


*1

最初に先進国の現状を見ます。

まさに衰退しつつある文明と言えるかも。

今の日本は、例えれば先進国を押し流す濁流に、舵も櫂も無く沈むに任せている状況です。

* 世界の現状  

ある時期から、先進国のほとんどで経済成長が鈍化し、貧富の差が拡大し、巨大な金融危機がほぼ10年毎に繰り返すようになった。

それに連れて米英日を筆頭に、社会の分裂が進み、右翼化し、煽情が得意なトップが歓迎され、国家間の協調体制に亀裂が入り、やがて抗争へと進む恐れが高まった。

先進国が低迷する一方で、北欧4ヵ国、ベネルクス3ヵ国、スイス、カナダなどは幸福度や所得など、多くのランキングで常に最上位を占めている。

また多くの発展途上国では生活や衛生状態、治安等が向上し、人口増加も落ち着きつつある。

中国の経済力と技術力が高まり、覇権国家間の均衡が崩れつつある。

要約すると、かつて繁栄した欧米先進国は、今や停滞し病んでいる。

その一方で、幾つかの先進国と多くの発展途上国は順調に発展を続けている。

* データーで確認します

< 2。主要国の格差の推移 >

1980年代から上位10%の富裕層の所得が米英日で急激に増えている。

ここで知って頂きたいことがある。

格差はけっして自然では無く、特に人類はここ1世紀の間、政治的に解決を図り、また敗れもしているのです。

例えば、フランスとスウェーデンは格差拡大を抑え込んでいる。

19世紀までは格差の大きい時代が続いたが20世前半、米独等は格差を縮小させた。

しかし二つの大戦で世界的に格差は拡大した。

だが大戦後、先進国政府は以前よりもまして格差を抑え、成長をも手に入れる偉業を成し遂げた。

しかしやがて逆襲が始まった。

< 3. 米国の年収推移 >

年収層別に年収の推移を見たグラフ。

年収が多い層ほど年収は急伸しているが、最低年収層では40年間上昇していない。

別の資料で、上位年収層を見ると、上位5%よりは1%、さらに0.1%になるほど増加は著しい。

2008年のリ―マンショックで、すべての層の年収が低下したが、1991年の落ち込み後も上位年収層ほど急回復しているように、現在も同じことが起きている。

< 4. 世界の経済成長率 >

このグラフはインフレ分を除いた一人当たりGDPを示しているので、もっとも実態を反映している。

主要先進国OECD37ヵ国の経済成長率が1970年頃から低下し続けている。

一方、中所得国や低所得国は経済を伸ばしている。

(CRB指数、商品先物の価格は世界の景気やインフレを反映する)

ポイントは、先進国は格差が拡大するにつれて経済が低迷していることです。

先進国は、1950と60年代、格差も少なく素晴らしい成長を遂げていたにも関わらず。

これは単なる偶然ではありません。

* わかったこと

私達日本人は、いつの間にか30年以上のデフレや景気低迷に慣れてしまって、幾ら日本政府が頑張っても良くならないと諦めている。

しかし、見てきたように1970~80年代に何かが先進国で起きた。

これが今の状況を招いていることは明白だ。

きっと脱出の糸口があるはずです。

次回に続きます。

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国境の島、対馬を訪ねて 3: 厳原の街を歩く 2


*1

今回は、厳原の二つの城跡と御船江を紹介します。

安土桃山時代から江戸時代の対馬の姿が蘇ります。

< 2. 厳原の地図、上が北 >

上: 厳原の中心部

赤枠が御船江跡で、黄色枠が金石城跡と清水山城跡のエリアです。

下: 赤矢印が御船江跡

四つの突堤が見える。

赤線が徒歩ルートです。

< 3. 御船江跡 1 >

上と中央: 湾岸を通る道路上から海側と御船江側を望む。

上の写真の左奥に厳原の金石城跡がある。

中央写真の右が御船江、左は川。

下: 御船江の奥の方を見ている

右に少し突堤が見えるが、思ったより浅い。

< 4. 御船江跡 2 >

上: 突堤が見える

ここは対馬藩の御用船を係留した船溜まりです。

現在の遺構は寛文3年(1663)に造られました。

築堤の石積みは当時の原形を保ち、正門、倉庫、休息の建物跡が残っている。

満潮時には木造の大船が出入でき、干潮時には干上がるように出来ている。

現在これほど原形を遺している所は全国でも珍しい。

中央: 御船江から湾に出る水路

水路の幅は最小約7mで、上の写真の小舟がある突堤間の広さは奥行きが約30m、幅が約8mです。

これから言うと船は最大で長さ27m、幅5mぐらいだったかもしれない。

この大きさの船で江戸や朝鮮半島まで行ったのだろう。

下: 御船江から出た湾側

< 5. 当時を偲ばせるもの >

上: 他の藩で使われた御座船の模型

これと似た船が対馬藩で使われたことだろう。

下: 1800年頃の厳原の古地図

左下に御船江が見える。

中央の一文字の堤が見える所が中矢来で、漂民屋も見える。

朝鮮通信使は、ここに着岸して広い通り(馬場筋通り)を北上し、直ぐ左に折れて金石城に入った。

< 6. 金石城と清水山城 >

上: 黄線が山頂に沿って築かれた清水山城、赤枠が金山城(かねいし)です。

清水山城は三つの曲輪からなり、左から一の丸で始まる。

上部の黄矢印の方向、金山城から北に馬場筋通りを1.7km行った高台にかつて浅原城(さじきばら)があり、現在は自衛隊駐屯地になっている。

青矢印が宗氏菩提寺の万松院(ばんしょういん)、ピンク矢印が歴代藩主の墓所です。

これら造営はすべて歴代宋氏による。

私達はピンク線に沿って右から左に進みました。

下: 金石城の古絵図、1804~1817年

赤矢印が櫓門、青矢印が「からめ手門」、茶色矢印が心字池のある金石城庭園です。

私達は黄色線に沿って右から左へと進みました。

< 7. 金石城の楼門 >

この門は1990年に再現されたものです。

上: 右の山頂に、わずかに石積みが見えているのが清水山城の一部です。

下: 左の道を真直ぐ進むと万松院に着く。

< 8. 万松院が見えた >

上: 奥に万松院の正門が見えた

川沿いに真っ赤な彼岸花が今を盛りとたくさん咲いていた。

下: からめ手門の石垣が見える

万松院の前の広場の右側にある。

< 9.からめ手門 >

上: 小川を渡る橋の上から万松院を望む。

この橋が金石城の南西の端になる。

下: 基礎になる石垣しか残っていない。

櫓門から「からめ手門」まで凡そ250mです。

10万石の対馬藩としては堅牢さを感じさせない平城です。

1665年、朝鮮通信使を迎える為に、戦国時代16世紀はじめに造営された金石屋形を城郭に改造した。

対馬藩は石高の割に、農地が少なく実際の石高が遥かに少なかったので、豪勢な城を造る事は出来なかっただろう。

宗氏は前述の浅原城を造り居館としていた。

< 10. 資料、すべて拝借した写真 >

上: 心字池のある金石城庭園

上から二つ目: 清水山城の「一の丸」

標高208mの峰に三つある曲輪の最も西のもの。

明や朝鮮の軍が、ここまで侵入することを想定していたのだろう。

上から三つ目: 18世紀の釜山浦草梁倭館図

対馬藩は朝鮮との交易を一手に引き受けており、朝鮮半島で三つの倭館を運営していた。

釜山の倭館は長崎出島の25倍以上の広さを有し、常時400~500人が滞在していた。

幕府は鎖国をしてはいたが、この交易は別だった。

下: 朝鮮通信使の船

全長三十数mはあったらしい。

* 宋氏、対馬藩と城について

宋氏は、代々朝鮮半島との交易と日本の中央政府との外交交渉を一手に引き受けて来た。

多くの朝鮮半島との紛争に巻き込まれ、また紛争の調停に重要な役割を果たしてきた。

この重要な役割があればこそ、関ヶ原で西軍に付きながらも宗氏は改易を逃れた。

対馬の宗氏の歴史は古く、渡来系の秦家の末裔で12世紀に遡る。

実は、宗氏は途中から平家の末裔と称し、厳原の西部に安徳天皇御霊墓地がある。

南北朝時代、一度、守護から外されたが、直ぐに再任され明治維新まで存続した。

前述の清水山城は、秀吉が朝鮮出兵に際し、中継拠点として宗氏に造営を命じたものだが、撤退後はすぐに廃城となった。

この時、第一軍出兵では小西軍の7000人に次いで対馬軍は5000人が駆り出された。

人口の少ない対馬では健康な男は、ほとんどいなくなっただろう。

(現在の人口は日本12000万、対馬3万で、1600年頃で日本2000万人とするなら、当時対馬は5000人となる)

戦争により主要な収入源である貿易が絶たれる一方、朝鮮語を話せる対馬の人が通訳として駆り出された。

対馬はこのような苦渋を幾度もなめることになった。

次回に続きます。

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没落を食い止める! 6: はじめに 6: 何を語りたいのか


*1

これまで悲惨かつ八方塞がりの日本を、

さらに日米を覆っている危うさを見ました。

今回は、この連載で語りたい事を記します

* 私の想い

19世紀の英国がそうだったように、日本もかつての繫栄を取り戻すことはないように思える。

私達の国は、今自滅の道を進んでいる。

取返しがつかなくなる前に転換を図るべきです。

しかし多くの人は意に介さない。

もし皆さんが日本の悲しい実態、さらにそれが一部の人々の望むように作られたものだと知ったら、どうでしょうか?

なぜ日本だけが欧米から脱落してしまったのか?

また欧米も衰退しつつあるのはなぜか?

このまま放置すればどうなるのか?

その元凶は何か、いつから始まったのか?

誰が得をし損をしているのか?

なぜこの状況から脱することが出来ないのか?

私はこれらを語りたい。

* 主なテーマ 

  • 欧米先進国の何が悪くなっているのか?
    • 何が悪くなったのか?
    • それはいつから始まったのか?
    • それはなぜ起こったのか?
    • なぜ起死回生策が失敗するのか?
    • 行き着く先は? 
  • なぜ日本だけが先進国の中で没落を極めるのか?
    • 日本はどれほど悪くなったのか?
    • 日本の何処に問題があるのか?
    • 誰がもっとも被害を受け、また恩恵を受けたのか?
  • 地球規模の危機への対処について。
  • 今、世界は迫る巨大な危機に対処出来ないでいる。
  • このままでは人類の崩壊を免れないかもしれない。
  • 何処に問題があるのか?

(「連載 世界が崩壊しない前に」では、多くの危機について触れています)

  • 私達は何を目指すべきなのか?
    • 改革すべき基本的な要点。
    • 改革を進めるための幾つか知見、歴史などを紹介します。

* 私が重視すること

私がもっとも力を入れたいのは現状分析です。

改革を成功させる最大のポイントは、問題点とその原因の把握だと思っています。

困難な事案ほど重要です。

日本の問題は世界と深く関わっている。

日本固有の問題もありますが、世界を通して見ることで、よりその欠点が明確になります。

文明や国の盛衰は歴史上繰り返され来ました。

世界と日本の歴史から、様々な教訓が導き出せるはずです。

次回に続きます。

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国境の島、対馬を訪ねて 2: 厳原の街を歩く 1


*1

これから対馬の中心地、厳原の街を紹介します。

数回に分けて紹介しますが、今回は街の南側、中心から港までです。

この街には一千年を越える歴史があります。

< 2. 対馬 >

左上: 対馬全体図、上が北

赤線が航空路、黒線がバス、赤矢印が厳原を示す。

対馬の地形は南北82km、東西18kmと細長く、ほとんどリアス式海岸で囲まれ、山がちです。

かつて中央部は地峡で繋がっていたが、運河が開削され分離した。

また対馬は朝鮮半島まで50km、博多湾まで120kmだが、壱岐までなら50kmに過ぎない。

こうして対馬は特に古代において海上交通で重要な役割を果たすことになった。

右上: 厳原全体図、上が北

赤枠が今回紹介する範囲で、厳原の一部に過ぎない。

下: 伊丹から福岡空港に着陸

< 3. 対馬に至る >

上: 福岡空港でプロペラ機に乗るところ

離島への旅に、期待感が盛り上がる。

中央: 対馬空港に到着

下: 空港から厳原に向かう車窓風景

内陸部を走っている為か、あまり本土の風景と代り映えしない。

* 対馬の歴史は古い

対馬北部(上対馬)の西海岸に、対馬最古の遺跡があり、縄文早期末(約1万年前)の遺物(土器た石器)が見つかっている。

これら遺物には北九州と対馬、朝鮮半島との交流の跡が見られる。

一方、厳原の歴史は飛鳥時代に遡る。

朝廷が対馬の厳原に国府(行政庁)を置いたとされている。

厳原は鎌倉時代から江戸時代まで、宋氏の居館、対馬藩の城下町として発展した。

< 4. 厳原に到着 >

上: 厳原の中心地、観光情報館、ふれあい処つしま、の前から望む

中央(西側)に旧金石城庭園の楼門、左に市役所が見える。

下: 茶色枠が今回紹介する範囲、上が西

散策は、観光情報館の前から下り、川に沿って船溜まり跡まで行き、また戻りました。

< 5. 観光情報館の辺り >

上: 向かいにあるショッピングセンター(1階)

下: ショッピングセンター側から観光情報館、ふれあい処つしまを望む。

ここには観光案内所、土産物屋、レストラン、展示・催事場があります。

今回、GO TOトラベルのクーポン券を貰ったが、使える場所はここだけだったので、昼食と土産品購入をここで済ませた。

観光案内所の人は親切で、滞在中、合計3人の方と対馬について詳しく伺うことが出来た。

観光パンフレットも揃っていた。

< 6. 大町通り >

上: 大町通りの北側を望む

左に、武家屋敷風外観のふれあい処つしまの建物が見える。

これから右側、東側に進む。

下: 今屋敷公園横の通り(横町通り)、防火壁美観地区

この辺りには、至る所にこのような石積みの壁が通りに沿って見える。

これは江戸時代、しばしば大火に見舞われた為、延焼を防ぐ為に作られたものが遺っている。

どうやら海峡を吹き抜ける風が強いのでしょう。

< 7. 川端通り >

横町通りを真直ぐ進むと川にぶつかり、この川沿いの道が川端通りです。

上: 来た道を振り返った。

下: 進行方向(東)を見ている。

この東西の盆地の距離は400mに過ぎない。

< 8. 二つの川 >

上: 川端通りの北側を望む

川の左側の高い建物がホテル対馬で、今回二泊しました。

下: 上の川と別の川です

古い町並みが残っている。

この川の左側の通りの対馬醤油の向こうに村瀬家土蔵がある。

< 9.村瀬家土蔵 >

通りから撮った写真ではよく見えないが、2階の窓の左右に絵があります。

これは漆喰で練り上げて立体的に描かれた龍と虎だそうです。

明治時代に描かれたものです。

背伸びをして写真を撮っていると、通りすがりの高齢の女性が、すまなそうに、これは大したものではありませんがと労をねぎらってくれた。

< 10. 地蔵さん >

私が歩いた範囲は、厳原の中でも地蔵さんが多い。

狭い範囲に20ヶ所はありそうです。

私が見た数ヵ所の地蔵さんには、お茶や衣が捧げられていた。

< 11. 中矢来と漂民屋跡 >

上: 中矢来(なかやらい)

中世からの船溜まり。

かつてはここに朝鮮通信使が上陸したのだろう。

下: 漂民屋跡

石積みのある所が漂民屋跡です。

その右にある建物が自衛隊の支所で、この横を通って行けるはずなのですが、案内の標識が破損していて分からなかった。

駐在の自衛官に聞いてやっと分かりました。

この場所は、海に注ぐ二つの川に挟まれた先端部にある。

* 漂民屋について

この漂民屋に、国境の島、大陸と関わる苦難の一端が見える。

この漂民屋に江戸時代、海難事故で遭難した日本と朝鮮の漂着民が一時的に収容された。

対馬藩は脱走や住民とのトラブルなどを恐れてこの地を選んだのだろう。

漂民屋の建物は戦後まで残り近隣の住民から「朝鮮長屋」と呼ばれていたらしい。

朝鮮の船が遭難し日本に漂着した場合、各藩は幕府の長崎奉行所に移送した。

取り調べの後、対馬藩の長崎藩邸から対馬に送られ、「漂民屋」に収容された。

ここから船便を待って釜山の対馬藩の倭館に送られ、朝鮮側の役人に引き渡し落着した。

日本の船が朝鮮で遭難した場合は、逆ルートで行われた。

この優れた難民送還策は一朝一夕に出来たものではない。

この遥か以前から対馬は、大陸・朝鮮半島との間で捕虜や略奪された民の奪還や返還に悪戦苦闘して来た歴史がある。

対馬は、大陸の騒乱に幾度も巻き込まれ、逆に日本の覇者が朝鮮半島侵攻の足掛かりとした地だったから。

対馬は、日本において戦争と平和を紡いだ稀有な地だった。

次回に続きます。

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没落を食い止める! 5: はじめに 5: 災厄から逃れられない国


< 1. 災厄勃発時の首相、順番に並ぶ >

これまで日本の異様な社会状況を一瞥して来ました。

それは腐敗政治、狂信化するウヨ、真実を伝えないマスコミ、

歪められた教育でした。

今回は、列島を立て続けに襲う災厄を振り返ります。

< 2.災厄の写真、順番に並ぶ >

* 世界に類を見ない不幸な国

日本は1991年、1995年、2008年、2011年、2020~21年に巨大な災厄に見舞われている。

30年間に5度も、そして今も喘いでいる。

1番目、バブル崩壊後の8年間で1000兆円を越える土地・株の資産が失われた。

平均1家族2千万円にのぼる暴落は、国民に長期の経済停滞を強いたが、バブル時、投機家はこれを凌ぐキャピタルゲインを得ていた。

2番目、阪神・淡路大震災では死者が6千人を越え、兵庫県の被害総額は10兆円だった。

3番目、リーマン・ショック後、経済はマイナス成長になり、元に戻るまでに5年を要し、160兆円もの国民所得が失われた。

これが経済を更に突き落とした。

4番目、東日本大震災では死者が2万人を越え、原発事故は世界を震撼させた。

その被害額は原発関連で11兆円、総額36兆円とされる。

5番目、新型コロナの感染は現在進行中で、凡そ今後数年間で凡そ200兆円を越える国民所得が失われるだろう。

上記の経済損失はほんの一例に過ぎす、さらに頻発する台風・地震の被害も加わり、発展の巨大な足枷となった。

これらは、突然の天災と海外が元凶と思われがちですが、実はかなり人災の面が強い。

< 3.災厄と経済停滞 >

赤は金融危機、ピンクは天災、紫はパンデミック。

* 何故なのか?

バブル崩壊では、バブルを放置した非もあるが、その以前に日銀と政府が米国から要求された内需拡大(財政投資と通貨増発)に前のめりになったことが大きい。

今日銀は同じ轍を踏もうとしている。

阪神・淡路大震災は正に寝耳に水でした。

リーマン・ショックでは、日銀が上記の反省から緊縮していた事で、欧米ほどの甚大な被害を逃れたが、それでも金融偏重の経済が災いした。

東日本大震災では、大津波に加えて原発事故が被害を甚大にした。

原発の危険性は以前から指摘されていた。

国会において電源停止の危険性が指摘され、また各地で原発停止の訴訟が行われていた。

これだけ地震が頻発していても、政府や裁判所はすべてを無視し、また退けた。

実は、ここにも政府とマスコミ・裁判所の癒着が壁となって立ちはだかっている。

極めつけは、新型コロナの猛威です。

日本人は東アジア人と同じ体質(ファクターX)と考えられるが、グラフで一目瞭然のように感染状況は日増しに群を抜いて悪化している。

これは政府が台湾・中国・韓国と異なる対応に固執した結果です(PCR検査軽視など)。

*4

* 日本が没落せざるを得ない理由が見えて来る

  1. 政府は、金融危機や天災、パンデミックへの事前対策を無視して来た。その主因は強固な議員・産官学・マスコミの腐敗に尽きる。
  • 例え失敗しても、産官学・マスコミ・司法が一体となって、政府の不備を隠蔽し、擁護し続ける(大本営発表と酷似)。
  • これに加え、米国盲従と米国流の経済システムが経済・社会を没落させている。

こうして経済は衰え、政治は危機に対応出来なくなっていった。

次回に続きます。

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国境の島、対馬を訪ねて 1: はじめに


*1

私は2020年10月1~3日、長崎県の対馬と壱岐を旅して来ました。

やっと念願の対馬を訪れることが出来ました。

これから歴史ロマン溢れる二つの島を紹介します。

* 旅行の概要

トラピックスの二泊三日のツアーです。

1日目は、伊丹から飛行機を乗り継いで対馬に到着し、二泊二日、バスで対馬を観光しました。

三日目、朝からフェリーで壱岐に渡り、半日観光し、ジェットフォイルで福岡港に到着後、飛行機で伊丹に戻りました。

通常、関西から対馬への旅行は、不便な為、効率よく旅行出来ませんでした。

しかし今回は、国と長崎県から離島支援やGo To支援により航空便を使って本来の半額以下で無駄なく周遊出来ました。

天気もほとんど快晴に恵まれました。

* 対馬と壱岐の魅力

日本の古代史に興味がある人にとって、対馬は外せない。

先ず、「魏志倭人伝」に対馬国と壱岐国があったと記されている。

当然、奈良の大和朝廷が大陸と通交するには対馬は欠かせなかったはずです。

何せわずか海上50kmの先には朝鮮半島があるのですから。

大陸の神話や仏教が対馬を経由して伝わったことは疑いない。

大陸の文明や文化が列島に浸透する時、対馬はどのような役割を果たしたのか?

また対馬は常に外国との戦いにおいて前線基地であった。

古くは唐と戦った白村江の戦い、次いで大軍に侵略された元寇の役、倭寇の基地、秀吉の朝鮮征伐、そして日露戦争でのバルチック艦隊撃破などが対馬と関わった。

一方、江戸時代、朝鮮通信使はこの対馬を経由して江戸まで行き来した。

隣国との争いと和平の狭間にあって、この島はどう生き抜いたのだろうか?

ここ数年、対馬は韓国人観光客で賑わって、様々な噂が飛び交っていた。

ヨーロッパで幾つかの国境の町を見て来たが、国境の島では何が起きていたのか?

最後に、海峡に浮かぶ島、その山と海、暮らしに惹かれるものがある。

こうして対馬への想いを深め、この旅を経て、多くのことに巡りあった。

壱岐は、古代から遣唐使までの歴史ロマンに溢れているのですが、今回はわずかしか観光していませんので、詳しくはお伝え出来ません。

< 2. 対馬と壱岐、上が北 >

上: 矢印の二つの島が対馬と壱岐です

下: 対馬の主な観光地

対馬はほぼ一日半の観光でしたが、ほぼ地図上の観光地を巡る事が出来ました。

< 3. 対馬に到着 >

上: プロペラ機が今まさに対馬空港に着陸するところ

中央: 小茂田浜神社 (こもだはま)

元寇(文永の役)の際、討ち死にした対馬の武将を祀った神社。

すぐ横の海岸が、元寇の古戦場、小茂田浜です。

下: 椎根の石屋根倉庫

非常に珍しい建築様式。

上記二ヵ所は、対馬の南西部にあります。

< 4. 厳原 1 >

厳原(いづはら)は対馬の南東部の港に面した対馬の中心地です。

鎌倉時代以降、城下町として発展した。

上: 厳原の大通り

中央: 厳原八幡宮神社

下: 武家屋敷跡

< 5. 厳原 2 >

上: お船江跡(おふなえあと)

写真の右手が対馬藩の藩船が使用した船着き場の跡。

中央: 旧金石城庭園

対馬藩の宗家が戦国時代から江戸時代かけて築いた城の庭園や櫓門が復元されている。

下: 宗家墓所

対馬藩宗家の菩提寺、万松院から石段を登り詰めた所にある巨大な墓所。

< 6. 花鳥風月 >

上: 対馬海峡を照らす月光

中央: 国分寺

厳原にあるこの寺には、江戸時代、朝鮮通信使の客館があった。

重厚な山門や鐘楼が当時を偲ばせてくれる。

下: 季節外れの桜が、島のあちこちで咲いていた。

< 7. 島の北部 >

上: 比田勝港

漁港、また釜山港を結ぶ連絡船の商港として北部の中心地。

中央: 日露友好の丘

日露戦争時の心温まる逸話が残るこの地に、大きな碑が建てられている。

下: 韓国展望所

展望所から朝鮮半島を望む。

晴れてはいたが、釜山が見えたかどうかは微妙でした。

< 8. 対馬の中央部 >

対馬がくびれて、上対馬と下対馬がかろうじて繋がっている辺りは、海岸線が入り組んでいる。

上: 和多都美神社

日本神話の最初に登場する綿津見神(わたつみのかみ)がこの神社を造ったとされている。

この社は平安時代には朝廷から認定されていた。

中央の朝廷から遠く離れたこの島に、最古層の神話に纏わるものがある。

中央: 烏帽子岳展望所

360度の眺望が素晴らしい。

下: 万関橋の上から

これは浅茅湾と三浦湾の間に開削された万関瀬戸と呼ばれる運河に架かる橋です。

< 9. 壱岐に向かう >

上: 厳原港に別れを告げて

中央: 猿岩

高さ45mの巨大な猿?

下: はらほげ地蔵

海女の里の海岸に佇む6体の地蔵。

次回に続きます。

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没落を食い止める! 4: はじめに 4: 抜け出せない悪循環


< 1. 教育行政を牽引?する人々 >

これまで悲惨な社会状況を見て来ました

これすべきですが、残念ながら不可能です。

回復を不可能にしている悪循環があるからです。

* 自浄作用を奪う悪循環!

日本の経済と社会は30年以上前から、明かに没落を始め、それは先進国でも際立っています。

本来なら、没落を招いている政府、少なくとも汚職や腐敗を嘘で取り繕う政府を信任出来ないと選挙で拒否しても当然なのだが。

政府は言い逃れに徹し、ほとんどの国民は我関せずで無視を続ける。

政府が自国の社会経済の悪化を示す数値や指標をいくら隠蔽し誤魔化しても、世界が公表する指標を少しでも見れば真実は分かります。

それでは、なぜ国民は気付こうとせず、無視を決め込むのだろうか?

確かにパトロネージュ、言い換えれば三バン(地盤・看板・鞄)に代表される我田引水型の政治文化からいつまで経っても抜け出せないのが大きい。

だが見方を替えれば、国民が政治に関心を持たず、政治に無気力だからです。

これは日本の投票率の低さに如実に表れています。

ちなみにスウェーデンの投票率は高齢者ほど高く、若者でも80%以上です。

北欧では中学時代から学校の授業で政治討論を始め、政治意識を高めることにより高い投票率と政治腐敗の無い社会を創ったと言えます。

それでは日本も教育改革を行い、若者の政治意識を高めれば良いではないかと皆さんは思うはずです。

それが出来ないのです。

*2

*3

日本国民の政治意識の低さは、政府の望むところなのです。

けっして日本文化のせいではないのです。

発端は、敗戦後、米国の指示もあり日本政府は国民が社会意識を持たないように仕向けて来たのです(エジプトなど世界中の植民地で広く行われた)。

これは米国が日本の共産主義化や労働運動を恐れたからでした。

残念ながら、日本では一党長期支配が続き、この教育政策は改まることがなかった。

日本人は、学生や一般人(特に女性)が政治談議することに違和感を覚えるはずです(昔は違ったが)。

実は、これが世界から遅れている証しなのです。

他の先進国ではデモは当然ですし、日本女性が北欧人と結婚すると、家庭で政治談議が出来ずに困る事にもなります。

さらに、最近はマスコミも政府の報道抑圧に飼いならされてしまっている。

つまり日本では、選挙を通じた自浄作用が働かないのです。

こうして国の中枢は腐敗し続けるのです。

いつかは国民も気付くでしょうが、後の祭りです(太平洋戦争と同じ)。

今の一党長期支配が続く限り、学校教育と低い政治意識の悪循環を断つことが出来ないのです。

次回に続きます。

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徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 17: 旅行記の終わりに


*1

今回は吉野川の渓谷大歩危と池田うだつの町並みを紹介します。

最後に、今回の旅行の感想を記します。

永らくお付き合いありがとうございました。

< 2. 旅程、共に上が北 >

上: 赤枠が今回の旅行範囲です。

オレンジ枠は前回の旅行範囲、海部郡の海沿いです。

下: 上の赤枠を拡大した。

旅行記は青線のAから始まり、Fで終わります。

< 3. 大歩危 >

ここは吉野川の上流で、奇岩の渓流で知られている。

遊覧船やラフティングを楽しむことが出来ます。

写真は道の駅 大歩危から撮りました。

< 4. 阿波池田うだつの町 >

ここは本町通りで、撮影は三好教育センター辺りで行いました。

今回の旅行で訪れた脇町や貞光に比べ、残っている伝統的な家屋が少なく、昔の面影はほとんど無い。

1ヶ所、目を引いたのは阿波池田たばこ資料館だけでした。

< 5. 阿波池田たばこ資料館 >

かつてこの本町通りは、たばこの取引で栄えていた。

近くに、かつて吉野川の最上流の川湊があり、ここは交通の要衝だった。

この資料館は幕末から明治にかけて繁盛した刻み煙草の製造業者の建物でした。

* 今回の旅行を振返って

< 6. 脇町と沈下橋 >

上: 脇町のうだつの町並み

良く保存されていた。

下: 吉野川の沈下橋

四十年の間、いつ来ても変わることのない穏やかな大河が迎えてくれる。

思いで深いのは、吉野川の水運と街道によって発展した商家の伝統的な町並み三ヵ所を見学出来たことでした。

脇町、貞光、池田のうだつの町並みを堪能しました。

脇町は、古くは戦国時代に端を発し、三好長慶(天下取りを争う)、次いで稲田家(蜂須賀家家老)が有数の城下町から川湊に面した商家街へと発展させた。

貞光は、剣山に源を発する渓流と吉野川の合流地で、山の産物の交易によって発展した。

池田は、吉野川最上流の川湊と、周辺のタバコ栽培によって、商いの町として発展した。

江戸時代に遡る古い商家が町並みとして保存されていることに感動した。

一方で、その町並みに暮らす人々やその周辺の寂れ具合にやり切れないものを感じた。

最近、日本の地方の街並みを見て回ると特に感じるようになった。

今回、これら三つの町が吉野川と旧街道、高い山からの支流、かつての居城の関りで発展した事を知った。

また「うだつ」の形成過程や地域による違いも面白かった。

< 7. 貞光と剣山 >

上: 貞光の元庄屋の家

町の中にある庄屋屋敷というのも興味深かった。

下: 剣山山頂から下山道を望む

私にとっては30年以上ぶりの登山で、二度目の訪問でした。

登り切れた事に感謝しています。

< 8.祖谷渓 >

上: 剣山リフト乗り場近くから祖谷渓を見下ろす。

下: 奥祖谷二重かずら橋

今回、奥祖谷と祖谷のかずら橋の両方を紹介しました。

私は祖谷渓には、五回以上は来ているでしょうか。

私はこの地に惹かれるものがある。

私の中学時代だったかもしれないが、この祖谷の平家落人を扱った映画を見た覚えがある。

それ以来、この陰影のある奥深い山里に、古く神秘的なものを抱くようになった。

< 9. 落合集落 >

今回は、妻と二人だけの旅行だったので、私の気の赴くままに、念願の平家の落人伝説を追うことが出来た。

想い始めて、50年を経て、やっと険しい路に入り込んだ。

この期を逃せば、後が無いと感じたからもしれない。

上: 落合集落

下: 近くの山里

この奥深く急斜面に広がる山村の人々の暮らしが気になった。

住まう人は減ってはいるはずだが、それでも畑作業中の姿を少しは見ることが出来た。

この山里の暮らし、特に作物、水源、交易について今回幾分理解出来た。

< 10. 安徳天皇ゆかりの地 >

平家の落人村は全国にあるが、安徳天皇に纏わる地は多くは無く、まして赤旗がある所はさらに少ない。

やはり少しは信じたくなってしまう。

それにしても、日本と言う国は不思議だ。

敵に追われて人里離れて逃げ込み隠れ住んだ人々が、後に、その血筋を尊び誇る姿に、何か違和感を感じる。

これがヨーロッパではどうだろうか?

英雄や奇跡を起こした人ならいざ知らず、負け組を誇るとは・・。

世界各地の先住民や少数民族も、多くはその過去に僻地への逃避行があった。

一方日本では、負け組の家系を誇りながら中央との交流も続ける。

対馬にも安徳天皇が逃れて来たと言う伝説があり、この天皇が当地を治めた宗家の祖先になったとされている。

日本は、いつの時代も「名」(家名や血筋)が重要なようです。

そんな不思議を感じる旅でもありました。

* 最後に

前回、徳島、海部郡の5ヶ所の漁港を訪れた。

今回の祖谷川沿いの山里や吉野川沿いの町並みと比べると、海部郡の漁港の寂れ具合が残念でならない。

この違いはなぜ起きるのだろうか?

本来、海沿いの方が便利で産業の立地にも適しているはずだが。

祖谷は自然と歴史の観光資源を上手く生かしたからなのだろうか?

それとも、漁業政策の拙さが災いをもたらしているのだろうか?

今回は、答えを得ることが出来なかった。

皆さん、ありがとうございました。

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徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 16: 二つの博物館


*1

今回は、東祖谷歴史民俗資料館と平家屋敷を紹介します。

< 2. 二つの博物館の位置、共に上が北 >

東祖谷歴史民俗資料館は東祖谷、祖谷街道に面して建っています。

武家屋敷旧喜多家や鉾神社への登り口の近くです。

平家屋敷は祖谷川から吉野川の大歩危に至る45号線沿いにあります。

深い谷に面した山の上にポツンと一軒建っています。

< 3. 東祖谷歴史民俗資料館 1 >

この展示館では、祖谷の暮らしと平家落人伝説の資料が展示されています。

< 4. 東祖谷歴史民俗資料館 2 >

民家の家財道具、農具、木こりの道具などが陳列されています。

大きい展示場ではないが、祖谷の暮らしが少し見えたように思えました。

< 5. 平家の赤旗と安徳天皇の路 >

上: 平家の赤旗(レプリカ)

この博物館で最も重要な展示です。

中央と右の旗、上部に八幡大菩薩とあります。

「平家屋敷阿佐家に伝わる大小二流の赤旗。

平国盛が屋島から奉持して来たと伝えれ、日本最古の軍旗と言われている。

大きい方は本陣用で、鳩文字で八幡大菩薩と書かれている。

小さい方は戦陣用で、二羽の蝶が描かれている。

大小二旗とも生絹を生地とし、800年以上の歳月によって色が褪せてしまったが、茜と紫で染められている。

所々に見える汚点は血痕、穴は矢で射抜かれた跡と伝わっている。

この赤旗は、阿佐家や村人にとっては神聖なもので、門外不出とされている。」

展示説明から引用。

阿佐家は、平国盛が阿佐の地に居を構え、代々阿佐氏を姓として現在に至っている。

平家の落人伝説の村は全国におよそ80ヶ所以上あるでしょうが、この赤旗が残っている村は数ヵ所しかないのではないか。

信憑性の高さを感じる。

下: 安徳天皇の路、赤線で示されている

左端が、前回紹介した御火葬場になっている。

右は祖谷川沿いに剣山へ向かっている。

< 6. 平家と天皇家の関係 >

平清盛と平教経(国盛)と安徳天皇の関係が分かります。

< 7. 平家屋敷外観 1 >

ここは山深い一軒屋です。

本家と蔵があり、後は山、前は立派な庭で、見晴らしも良い。

暮らし難い所だと思ったが、代々医者の家系と知って納得した。

祖先は安徳帝の御典医で、平家滅亡と共に祖谷に逃れ、薬草を採集し、医業を行っていた。

子孫は、祖谷一帯が蜂須賀公と戦った折、祖谷側に属した為に罰せられたが、許されこの地に居を構え、現在に至る。

< 8. 平家屋敷外観 2 >

< 9. 平家屋敷内部 1 >

中は展示品が雑然と並べられ、床は軋み、天井は煤で真っ黒でした。

漢方医の家系らしく、医療の資料も散見された。

< 10. 平家屋敷内部 2 >

あまり得る所は無かったが、二つほど印象に残ったことがある。

一つは、古い家族の写真があり、この山深い地の暮らしに真実味を感じたことです。

今一つは、無造作に置かれた家具と黒い煤が、更に生活感を漂わせていた。

次回に続きます。

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没落を食い止める! 3: はじめに 3: 回避出来た国と出来ない国


*1

前回、米国の狂気を見ましたが、

何とか最悪の事態を逃れたようです。

もしこれが日本だったらどうでしょうか?

* 想像すると寒気がする

野党が総選挙で与党を上回る議席を獲得し、政権交代が起きそうになったら?

「不正選挙」がネット上に踊り、さらに数千の暴徒が選挙を正すとして議事堂を襲うかもしれない。

皆さんは起こらないと断言出来るでしょうか?

今回、トランプ再選を願う日本のウヨは、ネット上でかなり興奮していた。

彼らの激情は、自国であればなお更でしょう。

残念ながら日本には暴徒化した過去があります。

武装集団が官邸や議事堂を襲撃した五・一五事件と二・二六事件が1932年と1936年に起きている。

この後、日本は軍事独裁へと突き進んだ。

一方、米国で暴徒が国会議事堂に乱入した事件は今回が始めてでした。

死者は出たが、議事は粛々と進んだ。

ここに米国と日本の違いがある。

トランプ大統領が選ばれたこと自体が異常かもしれないが、米国には再選を阻止する良識があった。

前回の選挙では偏向した巨大ケーブルニュースと極右のネットニュースがタカ派の人気者を大統領候補に押し上げた。

タカ派の富豪らが彼を支援し、共和党首脳部はその人気に抗しきれず、遂には追従した。

しかし、今回の選挙では、多くのマスコミが一丸となって正論の報道を行い、大統領の扇動のツイートに対抗した。

またトランプの実態を暴いた暴露本が次から次と刊行された。

遅かったがツイッター社も虚言を絶つ英断を行った。

米国の言論界、マスコミは健在でした。

その一方・・・

< 2.共鳴、便乗、御用の果てに・・・ >

< 3. 身贔屓は身を滅ぼす >

* 翻って日本に暴走を阻止する良識があるだろうか?

日本では首相に対して、米国のように記者が質問攻めにし、テレビや新聞が虚言を暴き、暴露本を出し、映画やドラマで痛烈に風刺することがあるだろうか?

残念ながら御用新聞や御用・・・が幅を利かせている。

残念ながら無理。

それは政府による表裏からの報道抑圧、露骨な御用??の重用、電通の広告支配による報道抑制、国と馴れ合う記者クラブなどが、日本の報道の自由を奪っているからです。

日本だけを見ていると、この惨状を自覚出来ないが、世界報道自由度ランキングが示している。

2020年、180ヵ国中、最良は北欧4ヵ国で、米国は45位、日本は66位でした。

注目すべきは、米国は20年間で17位から、日本は10年間で11位から急落していることです。

既に日本は、正常化が進むアフリカ諸国と同列になってしまった。

日本の大半のマスコミは政府の汚点を隠し、報道しなくなって久しい。

それに偏向したネットとSNSが追い打ちをかけた。

政治意識が未熟な国民に立ち直るチャンスはあるのだろうか?

次回に続きます。

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没落を食い止める! 2: はじめに 2: 荒れ狂う人々


*1

前回は、日本特有の悪弊について語りました。

今回は、米国発の狂気を見ます。

実は、これは日米に通じる社会危機を示しているのです。

* 共鳴する狂気!

今、共鳴する狂気が日米を席巻している。

これはトランプ大統領と安倍元首相で強まりました。

この二人は政敵を常軌を逸した手段で徹底的に貶めることで似ています。

大統領は二千ものフェイクで政敵を犯罪者に仕立て、一方で自己礼賛を行う。

彼は1億5千万票の選挙が不正だとし、陰謀論をまくし立て、選挙結果を覆す為に暴動を扇動した。

ところがこの騒動は日本でも盛り上がっている。

ウヨは今だに、トランプ側の流す不正選挙のトンデモ証拠に嬉々として、トランプ再選に希望を繋いでいる。

私には不思議でならない。

日本のウヨは、なぜ恥を晒してまでトランプ勝利に掛けるのか?

九分九厘、トランプのデマで決着する。

そうなれば、彼らは詐欺師の口車に踊らされたとして大恥をかくことになる。

あれほど擦り寄った安倍氏は沈黙する一方、ウヨの神様高須氏は今だにトランプに望みを託している。

良く出来たもので、高須氏の大村知事リコール署名で8割を越える不正が明かになった。

彼らには合理的な判断が見られない。

嫌悪するだけで、いとも簡単に相手を徹底的に叩き、かつ海を越えて一体感を持てる強さと恐ろしさがある。

これが人類を戦争に駆り立てる最大の理由です。

* トランプ現象の危険な兆候

この危険は、国民がいとも簡単に扇動され、国が一瞬にして暴徒化してしまうことです。

要点を挙げます。

トランプの高評価

  1. 経済が良くなった。
  2. 庶民の味方で、エスタブリッシュメントと無縁。
  3. ビジネスの成功者であり、取引が巧み。

一方、悪評価

  • 品性下劣、虚言連発、女性蔑視、ブラックビジネスなど。
  • 政策や閣僚人事で一貫性・整合性が無く、身贔屓・非科学的。
  • 敵意を煽り分断することを常套手段とする扇動家。

米国でトランプを評価する人々が多いので、その判断を尊重すべきだろうが、冷静に上記の高評価を分析すれば大半は怪しい。

一方、悪評価は事実であり、彼は大統領に的確でないことは明白です。

例えば、トランプはこの12月に選挙結果を覆す為に戒厳令を検討していた。

ここで見逃してはならないことは、ポピュリズムの悲惨な結末は、ヒトラーやトランプだけでなく、安倍でも起こせることです。

今の日米、かつての独には、数十年に及ぶ分断(主に中間層の没落)があり、さらに政治家が分断を煽って勢力を得て来た背景があるのです。

人類は、怒りや恐怖に共感し、大集団で残酷な闘争に至る唯一の動物なのです。

次回に続きます。

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中国の外縁を一周して 60: 中国と北欧、そして日本、これで最後になります


*1

続いて中国と北欧を比較し、最後の感想を記します。

今回で中国の旅行記を終わります。

有難うございました。

< 2.中国と北欧の観光ルート >

黒線が鉄道、赤線が航空路、青線がフェリーです。

番号とアルファベットが宿泊地や観光地です。

中国旅行は2019年10月15日~29日です。

北欧旅行は2018年5月31日~6月12日です。

< 3. 北欧の豊かさと発展 1 >

すべてスウェーデンの住宅です。

上: ストックホルム郊外の住宅

中央: ストックホルム郊外の建設中のマンション

下: 列車から見えた地方の住宅、スウェーデン

私は北欧三ヵ国の首都と郊外をそれぞれ数日掛けて、バス等で見て回りました。

そこで感じたのは、一般の住宅にはスラム街や古い家は無く、比較的新しい事でした。

これは地方を走る鉄道や電車の車窓からも言えました。

これまで世界35ヵ国ほど観光しましたが、これほど住宅に所得の格差が現れていない国は珍しい。

当然、都市部の鉄筋造りや石造りのビル、歴史を感じさせる豪邸は別です。

< 4. 北欧の豊かさと発展 2 >

上: スウェーデンの地方都市の景観

中央: セカンドハウスが並ぶオスロ湾の島

下: オスロのハーバーフロント開発区

北欧三ヵ国は中国ほど建設ラッシュではないが、都市の発展が停滞している感じでもない。

各国の都市部では大規模開発よりは、個々に改修を加え続けているようでした。

だがノルウェーの首都オスロに面した港湾は大がかりな開発中でした。

三ヵ国の開発に違いがあるのは、オスロが大戦による首都破壊がもっとも大きく、かつ石油で潤っているからでしょう。

北欧では、新旧の建築物が相俟って都市景観を構成するように企図されているようです。

彼らは、歴史的建物や景観を残そうとするあまり、新しい建物を拒絶し、都市機能を低下させてしまうことがないようにしているらしい。

一方で、新たに造られる建物は斬新なデザインが採用され、古風さを強調することがない。

むしろ斬新なデザインが市民にも観光客にも受け入れられている。

観光の為に、伝統的な都市景観保存に拘り過ぎると、その都市は発展出来なくなってしまうと私は思う。

この意味で北欧の進め方はベストだと考える。

< 5. 中国の大躍進 >

上: 麗江の別荘地

中央: 雲南省大理近郊の建築ラッシュ

下: 国内を網羅しつつある新幹線網

今回、私にとっては最終回と言えるほど端から端まで訪問して来ました。

そこで再確認出来たのは、中国の大発展が奥地まで浸透していることでした。

今まで、幾度か北京や上海、廈門を訪れて、高層ビルの乱立に目を見張らせ、桂林や西安の町並みが新しくなっていくことにも驚いていた。

しかし、奥地の蘭州や麗江、昆明などの賑やかさや大都会の様相は予想を越えるものがあった。

新幹線は日に日に延長され、瞬く間に全土が新幹線網で結ばれるでしょう。

それだけではない新幹線の車内は、私が乗った限りでは、すべて満員でした。

出来立ての巨大な新幹線駅周辺は、これまた凄い開発ラッシュでした。

多い所では数十から百棟ほどの高層マンションが建築中でした。

極め付きは、蘭州の空港近く、標高2000mの砂漠にビル等1000棟を越える都市が忽然と現れたことでした(グーグルアースで確認)。

まるで砂塵の遠くに蜃気楼を見る想いでした。

この中国の開発マジックには脅かされる一方、学ぶべき開発経済の新手法があるように思えてならない。

以前から、中国は中央も地方も莫大な借金でやがて破産するだろうと言われて来た。

しかしいつまで経ってもその気配は無く、大規模開発は続く。

中国の開発経済は欧米諸国と異なっている。

都市開発時、デベロッパーは政府から土地の使用権を購入する。

政府はその資金を公共投資などに当てる事が出来る。

立ち退く住民は、開発区に住まいと高額な補償金を手に入れる。

(ただ入居者の家賃は高騰しているようだが)

至る所で莫大な資金が必要になり、膨大な通貨が国から供給され続けるが、インフレは抑えられており、順調のようだ。

また海外から元建て中国国債の購入が拡大し、最近中国は外国通貨建て国債の発行を増やし、米国国債を売っている。

(なぜか逆に日本は米国債を買い続けているが、忖度か?)

とにかく中国経済は不思議で目が離せない。

< 6. 北欧の自転車 >

上: スウェーデン郊外の鉄道駅

線路の両側から緩いスロープを使って、自転車で行き来出来るようになっている。

下2枚: コペンハーゲンに溢れる自転車

街で一番驚いたのは自転車の多いことです。

西欧でも見たことはあるが、特にデンマークのコペンハーゲンが凄かった。

通勤や通学は車では無く、自転車で、それが当たり前だった。

私が30数年前にコペンハーゲンを訪れた時、自転車を見た覚えがない。

つまり、健康と持続可能な社会を目指して大転換を遂げていた。

単に自治体の整備ではダメで、国民の意識が高くないと出来ない。

< 7. 中国の移動手段 >

上: 昆明の交差点

交差点で、さすがに自転車を見ないが、バイクは多い。

北京ではバイクも自転車も見なかった。

中央: 廈門の新交通、バス専用の高架道路。

下: 北京のバス停のレンタル自転車の駐輪場。

北京や昆明をバスから見ていると、レンタル自転車が大量に放棄されているらしいのを幾度か見た。

実に中国らしい大発展と大転換がちぐはぐに進んでいる。

多くの都市は地下鉄の建設ラッシュでした。

新しい駅が出来て市民は便利さを享受している。

一方で、爆発的に拡大したレンタサイクルは曲がり角のようだ。

< 8. 文化 >

上: オスロの野外博物館

主に2世紀前からの実物民家の展示で、三ヵ国共にある。

中央: ロスキレのヴァイキング博物館

家族で船の工作を楽しんでいた。

この博物館や別の歴史博物館でも学生のヴァイキング学習風景を見た。

下: 開封のテーマ―パーク開封府にて

包拯による裁判シーン。

北欧と中国の観光で感じたのは、歴史と観光への捉えた方の違いでした。

北欧では観光で売り出している民俗芸能や史跡は多くない。

王宮と大聖堂だけは、西欧と同様だが、他は目立たない。

歴史が無いわけでは無いはずだが。

三ヵ国が共に民家の野外展示場を設けているが、歴史の捉え方に関心した。

歴史遺産を派手に演出するのでは無く、あるがままの姿を後世に残す姿勢が好きだ。

ただヴァイキングの博物館とテーマパークは多く、人気が高い。

北欧の人々は、非常にヴァイキングを誇りに思っている。

日本で言えば、倭寇や侍を誇りに思うようなものです。

日本人にとってヴァイキングは残虐な略奪者なのだが、彼れらには偉大な開拓者、冒険家、海洋航海者となっている。

略奪と言う負の行為を強調するのではなく、その冒険心を讃え、伝えたいとの想いがあるようです。

展示では残虐行為を隠さず淡々と表現していた。

確かに、ヴァイキングの略奪は、日本の武士団の抗争で起こった略奪と同列かもしれない。

当時、北欧にはキリスト教が伝来しておらず、異教徒の侵略に対抗する意図がヴァイキングにはあった。

一方、中国は豊富な歴史遺産を抱えていている。

しかし多くの建物は文化革命や戦乱で破壊尽くされ、コンクリートでの再建が目立つ、残念です。

中国では歴史的な物を華美に演出する傾向があり、鍾乳洞などのライトアップには辟易した。

だが、続々と出来る歴史テーマパークの多さと賑わいを見ていると、別の感想もある。

写真にあるような宋時代の政治家包拯(ほうじょう)の人気を見ると、歴史が身近なものとして生きているようです。

これはテレビの歴史ドラマの影響もあるようですが。

中国はヨーロッパと異なり、歴史遺産は観光で儲ける所であり、国民も楽しむ所と割り切っているところがある。

その意味で麗江古陳の夜の賑わいがその最たるものでした。

それぞれ地域によって大きく異なる反応があるのもです。

< 9. 変わる中国 >

上: 昆明の市中トイレ

中央: 桂林で見た電動バイク、2015年

下: 蘭州に向かう車窓から見た風力発電機の製造

ここでは中国の知られざる進展を紹介しておきます。

一つはトイレの整備です。

古くから中国を旅行している人にとって、中国で困るのはトイレでした。

使用に、かなりの決断が必要なことがありました。

ところが今回、都市部に関しては快適なトイレが多く出来ている。

ヨーロッパの少なさが際立つことになった。

奥地にある桂林に行った時でした。

公害を出さない産業団地が造られ、朝の散歩で見たバイクは電動でした。

中国は、結構先進的な取り組みを一気に行うことが多い。

電動車以外にも、滴々出行などのカーシェアリング、銀行を介さないスマホ決済、自動運転などがどんどん進めらている。

実はこの事は、他の共産主義国から見れば不可能に近いのです。

それは既存産業を競争に晒し、衰退を受け入れることになるからです。

これは日本の発展が進まない理由と同じで、既存産業を守るために政府が規制しているからで、優秀なIT技術者の有無が最大の理由ではない。

風力発電の世界的なメーカーがスウェーデンにありますが、これを中国の山地で見た時は驚きました。

本当に中国は既存の大企業や公的企業を過保護する事がなく、どんどん新しい事に国の指令で進める凄さがある。

普通は官僚制で癒着が進み、弊害が大きくなるのですが。

むしろ日本の方が、守りに徹し過ぎている。

< 10. チグハグナ中国と各国の比較 >

上の写真は、中国らしい光景で、新幹線の写真です。

新幹線の乗客には、経済的に豊かそうな人から、行商帰りのような風采の人も居ました。

数時間も乗っていると、清掃係員が幾度も車両の床を掃きに来た。

ちょうど、一人高齢の男性がピーナッツの殻を食べながら床に捨てていた。

彼は、掃除が目の前で行われていても、捨てることを止めない。

掃除婦も誰もとがめない。

中国では、若い人ほどマナーが良く親切でしたが、歳を取るにつれて悪くなる傾向があった。

北欧は概ね逆でした。

急速な発展をしている国と、発展が落ち着いている国では、このような逆転が生じるのかもしれないと思った。

下の表は、日本と各国を比較したものです。

幸福度、男女平等で日本が如何に低いかがわかります。

一方、貧困は米国に次いで日本が多いのがわかります。

日本はGDPと成長率が低い。

概ね、すべての指標で中国も低いのですが、男女平等では日本を上回っている。

特に知って欲しいのは、このままの日本であれば、一人当たりのGDPすら中国に抜かれることです。

* 最後に

私は、二つの旅行を通じて、北欧に国の理想像、また中国に発展のダイナミズムと世情を確認して来ました。

結論から言えば、それぞれ予想を越える素晴らしいものを感じて得るものがあった。

どうか皆さん、マスコミや言論界に毒されず、自ら北欧と中国に足を運んで下さい。

きっと狭く偏見に満ちた感覚から解放されるはずです。

広く世界の社会・経済・歴史を見れば、今の日本の本当の現在地が見えて来るはずです。

長い間、お付き合いありがとうございました。

今年は、カナダと米国を訪問し、また報告したいと思います。

これで旅行記を終わります。

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徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 15: 平家落人伝説を追って 2


*1

今回は、安徳帝ともっとも深い縁がある神社を紹介します。

< 2. 神社のある場所、共に上が北 >

上: 祖谷の全体図

赤いバルーンが今回紹介する栗枝渡八幡神社(くりしどはちまん)、黄矢印が落合集落、白矢印が鉾神社と喜多家、ピンク矢印が祖谷のかずら橋。

八幡神社以外は既に紹介しました。

下: 八幡神社と落合集落を示す。

八幡神社は東祖谷栗枝渡村の上部に残された森にひっそり佇んでいます。

村の一部はさらに上まで広がっています。

この村の東側、上流側には落合集落が見えます。

< 3. 登りの路 >

上: 祖谷街道から登りの路に入って中ほど。

下: だいぶ登って来ました。

前回の喜多家に行く路に比べれば距離は短く、道幅も広く舗装もされており、行きやすい所です。

< 4. 途中の眺め >

上: 東側、祖谷渓谷上流部を望む。

下: 真南を見下ろす。

茅葺を覆うトタン屋根が下に見える。

< 5. 八幡神社の前に到着 >

神社は見えないが看板があるので分かります。

ただ充分な駐車場はありません。

上: 車から降りて、来た道を振り返った。

下: その看板の手前の雑草が生えているところが駐車場です。

小型車2台程度が駐車出来そうです。

< 6. 森の中に神社が見えた >

上: 駐車場から坂道が延びており、進むと神社が見えた。

下: 右手の杉の間に、小さな祠があった。

< 7. 栗枝渡八幡神社と安徳帝の火葬場 >

以下から説明を引用しました。https://nishi-awa.jp/heike/pdf/heikenaka.pdf

上: 栗枝渡八幡神社

安徳帝が「蛙の鳴く場所で過ごしたい」との希望されたこともあって、平国盛は温かい南向きの栗枝渡に、新しい御所を造った。

御所と伝わる八幡神社には鳥居が無く、敷地の奥には安徳天皇語火葬場の跡がある(写真中央本殿の右側)。

栗枝渡の地名は、安徳天皇が渡られる時、橋が流されていたので栗の倒木を川(祖谷川?)に掛けて、帝に渡って頂いたことに由来している。

下: 安徳帝の火葬場

安徳天皇が突然の病気で崩御された時、平国盛は、安徳天皇が生前好んで遊んでいた場所を掃き清め、帝を荼毘に付したと伝えられている。

この場所は未だに、どんなに雪が降っても積もらないという不思議な場所。

< 8. 神社境内の建物 >

上: 本殿の右側にある建物

下: 本殿の右側から裏側を望む

< 9. 神社の境内から >

< 10. 境内を去る >

< 11. 下りの眺め >

上: 東に落合集落が見えた。

下: 山里の生活を感じる時

左側に上下に配置された幾本もの横棒が見えるが、これは稲や野菜の乾燥用の棚でしょう。

その右下に小さな畑が、さらに右には立派な墓石が並ぶ墓地が路て沿ってあった。

今回、急斜面の山里を幾度も通っていると、高齢の御婦人が畑作業をしているのを幾度も見た。

高齢の私には考えられないのだが、この傾斜地の生活は足腰に非常に厳しいはずです。

例え車があっても無理だな! そんなことを考えながら別れました。

次回に続きます。

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