北欧3ヵ国を訪ねて 51: オスロ 10: オスロ湾の島を尋ねる


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今回は、オスロ湾に面した島をバスで巡ります。

海沿いに素晴らしいリゾートエリアが広がっていました。

そこには豊かで嬉々とした暮らしぶりがありました。

 

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< 2. 紹介するルート >

 

 

上: 上が北。

黄線はAの市庁舎前からBのバス停までの徒歩ルート。

この周辺に同じ名称のバス停が幾つかあり、バスNo.の確認が必要。

BはJernbanetorget。

 

ピンク線はBから乗ったNo.85バスのルート。

普通の公共交通機関の路線バスを利用した。

このバスは先ずDまで行って折り返し、次いでEに行き、ここで少し時間待ちしてから、まったく逆のコースをBまで戻ります。

 

当初は途中で降りて散策し、30毎に来る次のバスに乗る予定だったのですが、そのまま乗って往復した。

往復の乗車は14:30頃からの約1時間でした。

ⅮはMalmøya、EはUlvøyaです。

 

Cはエーケベルグの丘で、画家ムンクが度々散策していたところだそうです。

ここで有名な「叫び」を構想し、連作を描いています。

ここへはトラムで行ける。

 

この日はこのバス乗車以外に11ヵ所を見学する予定だったので、気が急いていました。

また前日は、列車の遅れでホテル着が深夜2時を過ぎていたので疲れが出ていました。

 

下: 海側の市庁舎前にある彫刻が見える。

ここから歩き始める。

 

 

 

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< 3.バスに乗る >

 

写真はすべてバスの車窓からの撮影で、ほぼ撮影順に並んでいます。

 

上: 前方に見える観覧車はオスロ中央駅の前にある。

 

中: 大規模な再開発が行われているウオータフロント。

右手の白い建物が後に訪れるオスロ・オペラハウスです。

 

下: これはウオータフロントのちょうど裏手。

 

 

 

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< 4. ムンクが見た景色? >

 

上: 裏手からウオータフロントを見る。

 

中: 道路は崖にへばり付く様に走り、高くなって来た。

 

下: 眼下にオスロ湾が見える。

 

きっとムンクもこのようなオスロ湾を見下ろしたことでしょう。

 

 

 

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< 5. 最初の島に渡る >

 

中: 最初の島に渡る橋が前方に見える。

下: 橋からウオータフロント側を望む。

 

 

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< 6. 奥に続く島に向かう >

 

下: ちょうど橋を渡っているところで、右側車窓の景色。

 

橋を渡り切ると直ぐMalmøyaのバス停(地図D)があり、バスはここで折り返す。

 

 

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< 7. 最初の橋に戻る途中 >

 

 

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< 8. 次の島に向かう >

 

上: 次の橋が見えて来た。

 

中: ちょうど橋を渡っているところで、右側車窓からの景色。

電車が見える、この上は広い台地で住宅街が広がっている。

 

下: 同様に右側の景色。

 

 

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< 9. 島の中央部へ >

 

中: ここが島の中央部でバス停Ulvøya(地図E)があります。

写真右側に小さなスーパーがありました。

バスはここで時間待ちして、来た道を戻って行きます。

 

下: この坂道を下ると海水浴場があるようです。

 

 

 

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< 10. 来た橋に戻る >

 

上: 高台にずらっと家が並んでいる。

左端に橋が見えた。

 

中: 橋の中央で学生らが、海へのダイビングを楽しんでいた。

高校生らしい男女が一緒になって騒いでいた。

左側では数人の男性が釣りをしていた。

 

下: 橋の上から右側を望む。

 

この後、ウオータフロントまで戻るのですが、一つ手前のバス停で降りて散策を始めました。

 

 

*あとがき

 

オスロ市街からこのバスに乗る人はほとんどいなかった。

乗って来た人は少なく、それも中高生だけで、皆島内で乗り降りした。

平日の昼過ぎなのに、春休み中なのか、島内に学生の姿を多く見た。

それにしても、のんびり自然を満喫する姿が羨ましい。

 

島で見たハウス全てが大きいわけではないが、ボートと桟橋、ボート小屋が海と海岸を埋め尽くしている。

この辺りのハウスはサマーハウスかもしれないが、充分に都心に通える距離なので、レジャーハウスと住居の兼用が出来る。

 

実に豊かな暮らし、それも自然と一体になった暮らしがそこにはあった。

 

どうか皆さんも一度は訪れてください。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 50: オスロ 9: オスロ市庁舎


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今回は、オスロ市庁舎を紹介します。

この建物は、港に面した広場に建っています。

 

 

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上: 港側からの眺め。

下: 建物左側面(西側)の彫刻。

私は建物手前、左側から周り、正面玄関に向かった。

 

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上: 市庁舎横の公園。

下: 市庁舎の正面玄関から外側(北側)を望む。

 

 

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< 4. 正面入口 >

 

 

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< 5. 正面入口の脇 >

 

両側に16枚の木彫りがあり、北欧神話を示している。

 

 

 

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< 6. 入って直ぐの1階大広間 1 >

 

ほぼ全面に描かれた絵は色彩が鮮やかで、デフォルメされている。

絵の内容は、ドイツ軍占領下の国民の苦しみを描いたものです。

この建物の建設は、ちょうど第二次世界大戦にまたがっており、この間にドイツ軍の占領を受けていた。

 

ここでは毎年12月、ノーベル平和賞の授与式が行われている。

 

 

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< 7. 入って直ぐの1階大広間 2 >

 

上: この階段を昇って2階に進みます。

 

 

 

 

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下: ムンクの部屋。

ムンクの絵「人生」が掛けられている。

これは元々、ドレスデンにあったのだが、ヒトラーが毛嫌いし返還したものです。

往々にして独裁者はこのような絵を嫌うようです。

 

 

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< 9. 港側の正面にある彫刻群 >

 

この労働者の彫刻群はノルウェーを代表する彫刻家ヴィーゲランによるものです。

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 49: オスロ 8: オスロ湾の渡船


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今回は、オスロ湾の連絡ボートとノーベル平和センターを紹介します。

 

 

 

 

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< 2. オスロ湾の地図、上が北 >

 

赤線は博物館のあるビィグドイ地区から市庁舎前広場まで行くボートのルートです。

二本の黒線は番号4の三枚写真の視界範囲を示します。

茶色の矩形枠は市庁舎前広場を含むウオーターフロントを示します。

赤丸はノーベル平和センターです。

 

 

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< 3. フロム号博物館の横からボートに乗る >

 

フロム号博物館のすぐ横からボートが20~30分おきに出ている。

乗船はオスロパスで無料です。

私が訪問した博物館も同様にすべて無料です。

 

中: フロム号博物館のすぐ裏手にあるアムンゼン隊の像。

 

下: フロム号博物館を後にしてボートは出て行く。

 

 

 

 

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< 4. オスロ湾の眺め >

 

上から北西から南東へと俯瞰している。

 

中: この写真の右側がこれから向かうウオーターフロントです。

 

下: 後に、この写真の右側の島を訪ねてバスで巡ります。

 

 

 

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< 5. ボートからの眺め >

 

上: ボートの舳先から前方を望む。

 

中: 新しい観光スポット、ショッピング、レストラン、美術館などがあるウオーターフロントが迫って来た。

右手に茶色い二つの塔、オスロ市庁舎が見えて来た。

 

下: 後に訪れるアーケシュフース城が見える。

 

 

 

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< 6. ウオーターフロント(テュヴホルメン) >

 

上: 右手に着岸港と市庁舎が見えた。

 

中: 右手の建物はアートギャラリー。

驚くべきは、岸壁で多くの人が水着で日光浴を楽しんでいることです。

 

下: 最近創設された現代アートの美術館。

この写真の右下の海では泳いでいる人が見られる。

 

写真撮影は6月5日の火曜日、13時過ぎです。

つまり、日本では平日の勤務時間です。

陽射しはきついが、私にはけっして泳ぎたくなる気温ではありませんでした。

 

 

 

 

 

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< 7. いよいよ着岸 >

 

下: 市庁舎広場に降りて、東側を望む。

 

 

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< 8. ノーベル平和センターに向かう >

 

上: 市庁舎広場から先ほどのウオーターフロントを望む。

 

中: 後に訪れるオスロ市庁舎。

 

下: これから入るノーベル平和センターの白い建物が見える。

オスロパスで無料入場します。

 

 

 

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< 9. ノーベル平和センター内 >

 

上中: 二枚の写真はHPから借用。

上: 歴代ノーベル平和賞受賞者の顔写真の展示です。

斬新な展示方法です。

 

中: 平和に関するパネル展示で、常設だけでなく企画展も行っている。

建物は2階建てだったがあまり大きくはない。

 

下: 展示最後で、訪問者に問いかけているメッセージです。

実はこの問いかけこそが、このセンターの展示姿勢を示している。

 

「あなたの考えを教えてください」

 

「あなたは人生で何を成し遂げたいですか?」

「あなたは誰を称賛しますか? またその理由は?」

「あなたが持っているもので最も価値のあるものは何ですか?」

 

ここの展示は、単純に戦争は悲惨ですよ、戦争を止めようと訴えてだけではありません。

展示の一つは、現在、身の回りで起きている人間らしさを奪う社会の潮流に気付くべきだと、問題を投げ掛けていました。

その一つに巷に溢れている贅沢志向、名誉欲、金銭欲などがあるとしている。

写真パネルで納得できる展示でした。

 

また子供でも分るように訴えているようでした(詳細は分からないですが)。

 

このような所にも、福祉国家で先頭を行く北欧の意識を見ることが出来る。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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雪の北海道 10: 車窓から見た自然と暮らし


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今回は、車窓から見た北海道の自然と暮らしを紹介します。

今回で、旅行記の連載を終わります。

 

 

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< 2. 今回のバス走行ルート >

 

1日目、1月28日: S新千歳空港から1十勝川温泉

2日目、1月29日: 1十勝川温泉から2阿寒湖温泉

3日目、1月30日: 2阿寒湖温泉から3温根湯温泉

4日目、1月31日: 3温根湯温泉からS新千歳空港

 

写真はほぼすべて撮影順に並んでいます。

ほとんどがバスの車窓からの撮影です。

 

 

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< 3. 1日目 >

 

上: 新千歳空港へ着陸する直前。

中: ノーザンホースパークに向かう。

下: ノーザンホースパーク内の林。

 

 

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< 4.1日目と2日目 >

 

上: 日高山脈を越える。

 

中: 2日目の朝、十勝川温泉近く。

下: 十勝川。

右下の川中に白鳥がいる。

 

 

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< 5. 2日目-2 >

 

上: 十勝平野、幸福駅近くの林。

中: 十勝平野。

酪農家でしょうか、干し草発酵用のサイロ(塔)が見える。

既にこれはほとんど使われておらず、今は干し草をビニールで円筒状にカバーして置いておく方式になっている。

 

下: 十勝平野。

 

 

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< 6. 2日目-3 >

 

十勝平野を行く。

 

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< 7. 2日目-4 >

 

利別川沿いの盆地から、白糠丘陵を抜ける。

 

 

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< 8.2日目-5 >

 

上: 新釧路川。

中: 釧路川。

この二つの川は太平洋に注ぐ。

 

下: 釧路湿原から阿寒湖に向かう。

 

 

 

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< 9. 3日目-1 >

 

上: 阿寒湖近く。

中: 走行中のバスから見かけた鹿とキタキツネ。

下: 立ち寄った硫黄山。

 

 

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< 10. 3日目-2 >

 

硫黄山からトウフツ湖まで。

 

上: この辺りも牧場が多かった。

中: 野上峠を越える。

眼下右には屈斜路湖がに見えるはずですが、雪で判然としません。

眼下左の噴煙は硫黄山でしょう。

 

下: ここはオホーツク海に面した平野部で斜里岳?が見える。

 

 

 

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< 11. 3日目-3 >

 

上: 小清水町を抜ける。

中: 網走港。

遠くに知床山系が見える。

 

下: 網走から北見を通り温根湯に向かう。

 

 

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< 12. 3日目と4日目 >

 

上中: 北見を抜け温根湯に向かう。

 

下: 4日目、温根湯を朝出発。

 

 

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< 13. 4日目-2 >

 

北見国道を進み石北峠を越えて層雲峡に向かう。

 

上: 除雪車が対向車線に見える。

 

 

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< 14. 4日目-3 >

 

層雲峡から上川町に向かう。

 

上: ここは層雲峡で、すぐ下をまだ小さな石狩川が流れている。

晴れていればこの向こうには数々の奇岩が見られるのだが、残念です。

 

下: 上川町辺りに来ると、降雪が凄い。

 

 

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< 15. 4日目-4 >

 

上川町を抜け旭川に向かう。

 

下: これは石狩川だと思うが、これは小樽近くで日本海に注ぐ。

北海道が三つの海に囲まれている。

 

 

 

 

 

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< 16. 4日目-5 >

 

これまで高速道路を走っていたのですが、吹雪の為に一部閉鎖になり、これから一般道路を走ることになる。

 

上: 広い畑の中に点在する家屋(農家らしい)を見ると、道路から家までの道が除雪されておらず、車や人が出入りしている様子が見られない。

それとも朝出勤した後の3時間ほどでここまで積雪があったのだろうか?

これら農家の働き手は出稼ぎをし、残りの人は家屋内で冬季を過ごしているのだろうか?

 

中: 猛吹雪で、すべてが真っ白です。

少し、新千歳空港からのフライト欠航と間に合うかが不安になる。

 

下: 街の家屋を見ていると、箱型で大きくは無く、ベランダが無く、窓が小さく、煙突が見える場合が多い。

これが雪国への対応なのでしょうか。

 

実際に高速道路を離れ、田園地帯や街中を走ってみると、豪雪地帯の人々の暮らしが身近に感じられた。

 

 

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< 17. 4日目-6 >

 

旭川から砂川に向かう。

ここでは高速道路に戻って走っている。

 

これ以降天候は良くなり、ここまでで予定より1時間以上掛かったのですが、飛行場には十分間に合い、欠航も無く無事帰れました。

 

 

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< 18. 4日目-7 >

 

砂川を抜けて札幌に向かう。

 

下: 札幌に入った。

 

*あとがき

今回は、北海道の震災後に設けられた復興割引に便乗して、急遽、極寒の北海道に旅行することにしました。

 

私は寒さに弱いので万全の準備をし、スーツケースにあらゆるものを詰めて旅立ちました。

オーバーズボンやホッカイロまで使わずともマイナス10~0℃の中を楽しむことが出来ました。

これは外出時、風がそれほど酷くなかったかもしれません。

また不思議に体が寒さに適応していることに驚きました。

気を付けるべきは、ホテルなどが暖かすぎることです。

重ね着で防寒対策をしないと、汗をかいて困ることになります。

 

このツアーには費用のかかるアクティビティや入場が付いていなかったのですが、主要な観光ポイントと車窓からの景色を見ることが出来た。

天候では、ホワイトアウトに近い吹雪を体験し、また素晴らしい快晴に恵まれた。

1月末は流氷が着岸しないことがあり観光時期としては良くなかったのですが、幸運に恵まれた。

快晴の下で摩周湖ブルーや白鳥にも会えた。

十勝川温泉や阿寒湖では、朝や夜の時間を使ってアクティビティ、イベント、散策を楽しむことが出来た。

 

猛吹雪の旭川を抜ける時、北欧の冬とヴァイキングの暮らしを連想することも出来た。

 

ほんとに旅して良かったと思います。

 

 

これで北海道旅行の連載を終わります。

お読み頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

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雪の北海道 9: 他の観光と楽しみ


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今回は、これまでの紹介で洩れた観光や楽しみを紹介します。

北海道ならではのショッピング、昼食、また雪国ならではのアクティビティ、夜のイベントなどです。

 

 

 

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< 2. 新千歳空港での食事 >

 

行きと帰りの待ち時間、ターミナルビル3階の「郷土料理ユック」で昼食と夕食を2回とりました。

今回の旅行では、この店の食事が最も北海道らしく、かつ手頃な値段で味わえました。

お薦めです。

 

 

 

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上: 新千歳空港近くのノーザンホースパーク。

写真はスノーラフティングを待つ人々です。

これは雪の林の中をスノーモービルで牽引するゴームボートに乗るアクティビティです。

一番人気で、多くは東アジアからの人のようでした。

 

ここは馬と遊べる牧場で、少ないが冬でも楽しめるアクティビティはあります。

ちょうど新雪が積もり、さらに降り続けていました。

私は初めて馬ぞりに乗りました。

スローですが、少しロマンチックな気分に浸りました。

 

 

下: 十勝川温泉のイベント、彩凛華(さいりんか)。

雪が積もった公園で、夜になると数多くの照明が様々に光ります。

寒いが、雪が降る中で幻想的な体験が出来ました。

ホテルから無料のシャトルバスが往復1回出ました。

 

 

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< 4. 彩凛華 >

 

下: この無数の三角錐の照明が音楽に合わせて様々に色を変えて光ます。

 

 

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上: 帯広にある幸福駅。

既に廃線になっているが、駅舎と電車が保存されいた。

この時、かなり吹雪いており、まさに雪国の趣がありました。

45年ほど前、ここで当時大人気の「愛国から幸福行き」の切符を買いました。

 

下: 釧路フィッシャーマンズワーフMOO。

町の中心部、釧路川沿いにある大きな商業施設で、1階は主に売店、2・3階はレストランです。

 

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< 6. 釧路フィッシャーマンズワーフMOO >

 

上: 1階。

下: 2階の「陸の屋台」です。

私はここで昼食を食べました。

雰囲気があり、数多くの屋台風の店とメニューが豊富で、北海道らしいものがあり、値段も手頃で楽しめます。

サラーリマンが昼食で常連にしている店もありました。

 

 

 

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< 7.網走刑務所 >

 

高倉健さんの映画を思い出します。

正に雪の厳しい刑務所暮らし、映画のワンシーンを思わせる。

 

 

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上: 上川町にある「北の森ガーデン」の熊牧場。

ここには休憩と土産のショッピングで寄りました。

幾つかの娯楽施設があり、その一つの熊牧場に行きました。

熊が餌を催促するので、皆さん買ってはあげていました。

 

下: 砂川ハイウェイオアシス。

昼食とショッピングに寄りました。

ショッピングフロアは大きい。

 

 

 

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< 9. 恵庭にある「えこりん村」 >

 

最後に寄った牧場です。

花壇やレストランがあり、家畜もおり、牧場らしい体験が出来るようです。

しかし、雪の季節は楽しめるものが限られるようです。

 

 

*温泉とホテルについて

この旅行では取り立てて紹介すべきものはないのですが、少し情報を提供します。

 

一泊目: 十勝川国際ホテル筒井

街からは離れた一軒のホテルで、造りは古い。

温泉は十勝川温泉特有の珍しいモール湯で茶褐色です。

景色は良くないが露天風呂も楽しめます。

 

二泊目: ホテル阿寒湖荘

温泉街の端にあるが、ボッケなどの遊歩道に近いのが良い。

大きいが、ここも造りは古い。

造りの良い露天風呂はあるが、眺めはいまいち。

 

三泊目: 温根湯ホテル、四季平安の館

一軒のホテルで大きいが造りは古い。

温泉は数種類の浴槽があり楽しめるが、露天風呂の眺めは良くない。

朝食バイキングが良かった。

 

これらホテルは特に欠点があるわけではないが、良いと言える所も少ない。

三ヵ所の泉質が異なるので温泉を楽しみ、十勝川温泉と阿寒湖温泉ではかつての北海道旅行を懐かしむことが出来た。

残念なのは、食事は安いせいか北海道の食材が豊富と言うわけではなかった。

 

それでも三泊四日で雪の北海道を効率よく堪能出来た。

 

 

次回は車窓からの北海道の自然を紹介し、この連載を終える予定です。

 

 

 

 

 

 

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雪の北海道 8: 濤沸湖(トウフツコ)の白鳥


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今回は、白鳥を紹介します。

天気が良かったので、絵のような光景に出会えた。

 

 

 

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< 2.濤沸湖の地図と白鳥公園 >

 

上: 上が北、赤丸が撮影地点の白鳥公園。

濤沸湖は自然が残っており、湖全体で白鳥だけでなく幾多の動物を見ることが出来る。

この白鳥公園は国道沿いにあり、駐車場やトイレ、展示館があり、便利な所です。

今は餌付けされていたないためか、訪門時、白鳥は視界の範囲で数十羽ぐらいだった。

バスの車窓から見た限り、むしろ隣りの西隣の藻琴湖に多くの白鳥がいた。

 

結氷が進むと白鳥は別の場所に行ってしまうそうです。

2019年2月7日のスタッフブログによると、白鳥公園にオオハクチョウが120羽いたそうです。

氷などの状況で、日によって数は変動します。

 

 

 

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< 4.鳥と狐 >

 

上: 右に白鳥、中央奥にキタキツネ、左にカモ?が見えます。

狐は氷上を歩いています。

 

下: そのキタキツネを拡大した。

 

 

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< 5. 濤沸湖と海別岳? >

 

 

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< 6. 南側を遠望 >

 

写真1~5、7、8はすべて東側を撮影したものですが、この二枚だけ南側を撮影。

下の写真は拡大したもので、氷が溶けている所に多くの白鳥が集まっていた。

 

 

 

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< 8. 氷 >

 

このデコボコのある氷は、実はオホーツク海からやって来たのです。

私達が訪れた前日の29日が流氷接岸初日で、これら氷はすぐ近くの河口から流れ込んだものです。

 

目の前にある氷はオホーツク海を北から1000km以上旅してやって来たのです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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雪の北海道 7: 阿寒湖を楽しむ


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今回は、阿寒湖の温泉街、アイヌ文化、氷上のイベントを紹介します。

これらは1月29日の夕刻から翌朝までのことでした。

 

 

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< 2. 阿寒湖の地図 >

 

左下の茶色の楕円枠がホテル、赤線が既に紹介した朝の散策ルートです。

今回紹介するのは、散策した温泉街の黒線と、氷上のイベント会場(紺色楕円枠)への徒歩ルートのピンク線です。

黒線の右端の赤い矢印に阿寒湖アイヌシアター「イコロ」があり、ここでアイヌ民族舞踊を見ました。

その手前がアイヌコタン(集落、土産物街)です。

オレンジ線は私達が乗った氷上のスノーモービルのコースです。

 

 

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< 3. 夕刻の阿寒湖氷上 >

 

氷上に出たのは16時過ぎから17時まででした。

日没は16時30分でした。

厚い雲が空を覆い、細かい雪が冷たい風に乗って湖上に吹き付けられていました。

 

上: 撮影場所は既に氷上で、湖の中央部を望む。

奥にイベント会場が見えている。

 

中央: 氷上を進んでいくとホテルの前辺りの氷上にフクロウの雪像が見えた。

 

下: このテントはすべてワカサギ釣り用のテントです。

既に釣り人はいないようです。

 

 

 

 

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< 4. イベント会場 >

 

上: イワナ釣りのテント内。

敷かれたコンパネの両側に数個の穴が並んでいます。

この場所はすべて有料で貸し出されています。

 

中央: 右側の小屋がイワナ釣りのレンタルを行っている。

良く釣る人は1日に3桁釣るそうです。

 

左側の小屋で、私はスノーモービルを申し込みました。

生まれて初めて乗りました。

妻と二人乗りで往復2kmを行きました。

湖上中央に向かって1kmも進むと、夕暮れと雪混じりで端が見えず少し不安になりました。

またスピードを出していると顔に雪が当たり視界が悪くなり必死でした。

久しぶりにスリルと爽快感を味わいました。

 

時間が遅いからでしょうが、スノーモービル客は数組で、私以外は中国系の人だったようです。

 

 

下: 帰路に着いて、湖に面したホテル街を撮影。

 

 

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< 5. 温泉街を散策 >

 

19:30頃からホテルを出て、温泉街を歩き、アイヌコタンの通りまで行きました。

さすがに雪が横殴り吹き付ける状況でしたので、人出は数えるほどでした。

ここでも家族やグループで歩いていたのは中国系の観光客でした。

 

 

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< 6. アイヌコタン >

 

上: この坂道がアイヌコタンで、両側にアイヌ民族の民芸品や物産の店が20数軒並んでいます(下側から撮影)。

この坂を上って右側にアイヌシアター「イコロ」があり、20:30から古式舞踊を見る予定です。

 

彫刻などの民芸品の店はまだ数軒開いていました。

45年前の学生時代にこの通りに来て、当時ブームだった熊の彫り物を一生懸命、品定めして買った記憶があります。

私は懐かしくて一軒の彫刻店に入りました。

店内に陳列されている彫り物の作風は依然とガラリと変わっていた。

厳しい自然をイメージさせる鮭をくわえた熊は消え、親しみのあるソフトな感じの彫り物、特に小さなものが多かった。

ここの店主と、土産品の彫り物の変遷などについて話しました。

日本中に熊の彫り物は行きわたり、売れなくなって久しいが、今は海外の観光客が買ってくれるそうです。

観光客は冬、1月こそ少ないが、5~10月には多く来てくれて、彫り物師の仕事はあるようです。

 

結局は何も買わずに出てきました。

 

この坂の上の左側に小さなアイヌ生活記念館があり、入りました。

無人で寄付をして入場します。

一応簡単なアイヌ民族の風俗がわかるようになっています。

 

 

下: アイヌシアター「イコロ」の古式舞踊。HPから借用。

 

1月の上演は日に1回、30分ですが、歌と踊り、簡単な祭祀を見ることが出来ます。

無料バスが温泉街のホテルとアイヌシアター「イコロ」間を行き来しています。

繁忙期は日に4~5回、さらに「イオマンての火まつり」の公演も夜1回あります。

 

貴重な先住民族の文化を知ることが出来ました。

 

 

 

 

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< 7. 朝、氷上を歩く 1 >

 

一夜明けると快晴でした。

新雪が綺麗に辺り一面を覆っていました。

散策したの7:30から30分ほどでした。

日の出は6:43でした。

 

既にイベント会場の開店準備が進んでいました。

中央の写真の奥にスノーモービルが並んでいます。

 

 

 

 

 

 

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< 8. イベント会場 >

 

上: ワカサギ釣りのテント。

小さい方が一日貸し出し用のようです。

 

下: 右手が湖の中央側で、赤いネットの右側でスノーモービルを走らせます。

この快晴の下で、走れたら良かったのですが。

 

 

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< 9. ホテル街側を望む >

 

上: 雪上車が雪煙を上げて除雪している。

このような重機が氷上を行き来きするのですから驚きです。

 

下: 中央に雄阿寒岳、右手に阿寒湖荘が見えます。

 

 

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< 10. 氷上からホテルへ戻る >

 

上: 阿寒湖荘から氷上に出るには、氷が融解している所を避け、赤いネットで挟まれた左側の通路を通ります。

ちょうど私達がこの通路を帰りかけていると、後から除雪車が追って来ました。

ふっと足元を見ると、雪が少なく氷が露出している部分が目に入りました。

それを撮影したのが下の写真です。

どうやらこれがフロストフラワーのようです。

氷上に小さな花のような結晶群が見えます。

ここは通路なので、潰れているところもありますが。

 

じっくり写真を撮ることが出来ませんでしたが、こんなに簡単に出会えるたのは幸運でした。

このフロストフラワーを見るためには、雪の積もっていない凍った湖面が最低の条件なのです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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雪の北海道 6: 澄み渡る摩周湖


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今回は、予想以上の美しさを見せてくれた摩周湖を紹介します。

最高の舞台が待っていました。

 

 

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< 2.摩周湖周辺の地図、上が北 >

 

上: 赤四角は摩周湖の展望台、赤い線は阿寒湖から摩周湖までのバスのルート。

摩周湖の上(北側)には、知床に連なる斜里岳があり、さらに北にはオホーツク海がある。

 

下: 摩周湖はカルデラ湖で、周囲を標高約600mの壁で囲まれ、その右(東側)に摩周岳(標高857m)がある。

摩周湖の左(西側)に白い円環状のものが見えるが、これが硫黄山(アトサヌプリ)です。

 

 

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< 3. 摩周岳が見え始めた、車窓より >

 

中央に摩周湖のカルデラ壁の外周が見える。

 

 

 

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< 4. 摩周湖の第一展望台 >

 

下: この展望台には展望デッキが2ヵ所あり奥に1ヵ所が見え、手前側の下には売店がある。

路面は凍っているのでスリップに注意してください。

 

 

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この日は霧、雲、風一つない、素晴らしい天気でした。

今回、初めてこの「摩周ブルー」を堪能することが出来た。

私が訪れたのはこれで三回目だが、夏と秋の2回とも霧の摩周湖だった。

このブルーは世界で2番目の透明度と、急激に深くなっていることから生じるらしい。

 

 

 

 

 

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*6

 

上: 湖中央に小さな島が見えるが、これは溶岩ドームの頂上部分が見えている。

 

下: カルデラ壁が如何に急峻かがわかる。

 

 

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< 7. 摩周岳 >

 

摩周岳はアイヌ語で神の山(カムイヌプリ)です。

 

 

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*8

 

 

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< 9.展望台から外側を望む >

 

上: ほぼ南側、見えないがこの先は釧路になる。

 

中: ほぼ西側、雄阿寒岳がそそり立つ、あの向こうに阿寒湖がある。

 

下: 西北、中央にお椀を伏せたような白く小さな山が見える、これが硫黄山でしょう。

後に観光します。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

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雪の北海道 5: 釧路湿原と鶴


 

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今回は、楽しみにしていた雪の中の丹頂鶴を紹介します。

少し吹雪いていましたが、数十羽の丹頂鶴を見ることが出来ました。

 

 

 

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< 2. 釧路湿原と鶴居村の地図、上が北 >

 

緑の枠がおおよその釧路湿原の範囲で非常に大きく、また釧路市の街に近い。

赤丸が、湿原を見る為に訪れた北斗展望台です。

黒丸が、丹頂鶴を見る為に訪れた鶴居村です。

 

 

 

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< 3. 釧路湿原と展望台 >

 

ここからの眺めでは湿原の様子はわかりませんでした。

また雪を被っていることもあり、何処が川かもわかりません。

しかし広いということを実感しました。

 

 

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< 4. 鶴居村 >

 

北海道にはいくつか丹頂鶴を見れるところがありますが、ここは釧路湿原の一角で、阿寒湖への途中にあります。

丹頂鶴は渡り鳥で、ここでは11月頃から3月頃まで約200羽が飛来して来るそうです。

鶴がここにやって来るのは、個人で長らく給餌活動をしていた方がおられたからです。

 

ここを訪れたのは2019年1月29日、14時から半時間ほどでした。

ここに来ると生憎、横殴りの細かい雪になっていた、少し小降りになる時もあったが。

 

鶴の撮影は近くに寄れないので、望遠が使えると良いです。

 

 

 

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川に居る丹頂鶴なども見たかったのですが、見学場所も時間も限られていました。

 

 

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鶴見台の前の道からこれから行く阿寒湖の方を望む。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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雪の北海道 4: 網走の流氷


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今回は、網走や知床の海を覆い尽くす流氷を紹介します。

今年は流氷の着岸が早く、天気も良好で、最高の眺めを楽しめました。

 

 

 

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< 2. 網走の地図、上が北 >

 

上: 赤丸が天都山、右に突き出した半島が知床、白い矢印がオホーツク海の流氷。

 

下: 赤丸が天都山、天都山の右上方に網走、右側下にトウフツ湖、天都山の左側に網走湖、熊取湖が広がる。

オホーツク海の海外線とトウフツ湖に挟まれるように釧網本線と国道244号線が走っている。

 

 

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< 3. 国道244号線から 1 >

 

上: 無人駅「北浜駅」越しに流氷。

 

下: 藻琴湖の河口に見えるのは閉じ込められた流氷か?

実は、濤沸湖(トウフツ)よりも藻琴湖の方に多くの白鳥がいました。

 

 

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< 4. 国道244号線から 2 >

 

上: 網走の漁港の一つに流氷が閉じ込められていた。

 

下: 天都山展望台。

立派な建物で、オホーツク流氷館(有料)や売店、休憩所があり、屋上が展望台です。

 

 

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< 5. 展望台からの眺め 1 >

 

上: 屋上から東側を望む。

手前から網走、トウフツ湖、知床連山が見えます。

左側にオホーツク海から流れて来た流氷が見えます。

今年の流氷は例年より2週間も早く海岸に着岸したのですが、風の影響で数日前に流氷は少し沖に戻ってしまった。

 

下: 屋上から西側を望む。

右手に蛇行する網走川と網走の町、左手に網走湖、その奥に熊取湖が見える。

この二つの湖は完全に結氷し、その上に雪が積もっている。

 

 

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< 6. 展望台からの眺め 2 >

 

上: 中央に見える山は知床半島の根元にある海別岳(標高1419)でしょうか。

 

下: 知床半島が見えます。

右から二つのピークは遠音別岳(標高1330)や羅臼岳(標高1661)でしょうか。

 

 

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< 7. 展望台からの眺め 3 >

 

上: 知床半島を拡大。

 

下: 斜里岳(標高1547)が見える。

この山も摩周湖辺りまで延びる知床連山の一つです。

 

 

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< 8. 展望台からの眺め 4 >

 

上: 中央に網走川河口の漁港にある帽子岩が見える。

 

 

 

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< 9. 展望台からの眺め 5 >

 

流氷を拡大。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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雪の北海道 3: 阿寒湖の新雪を踏みしめて


 

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今回は、阿寒湖岸の雪に埋もれた散策道を紹介します。

日の出後、前日の吹雪が嘘のような快晴の中を歩きました。

辺り一面を包み込んだ新雪が、朝陽に白く輝いていました。

 

 

 

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< 2. 阿寒湖、上が北 >

 

上: 阿寒湖下側の赤線が散策ルート。

 

下: 阿寒湖温泉街を拡大。

赤線が散策ルートで、黄色丸がホテル。

このルートは「湖のこみち」の一部で、ホテル阿寒湖荘の裏側から弁慶の足湯を経て、ボッケに行くことが出来、さらにこの半島を一周することが出来ます。

散策したのは2019年1月30日、8:00から往復40分ぐらいでした。

 

 

 

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上: 湖岸から阿寒湖荘と「湖のこみち」の半島を望む。

左側は全面結氷した湖面。

阿寒湖荘の前は温泉が湧きだしている為、一部氷が溶けています。

 

下: いよいよ「湖のこみち」に入ります。

この数日の間に、雪道は幾らか踏みしめられており、歩くと雪面から20~30cm沈む込むが、ブーツを履いていればブーツに雪が入ることもなく歩けた。

但し、歩くのに時間はかかる。

私はかつて秋の頃ボッケまでこの道を歩いたことがあるので、もう一度行こうとした。

ボッケとは、高温の泥土がガス共に噴き出し、煮え立つ池のように見える所です。

 

 

 

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上: 半島側から温泉が阿寒湖に注ぎ、氷が解けている。

この右側に弁慶の足湯がある。

 

左下: 温泉が湖に流れて込む小川。

 

右下: この小川の両サイドをよく見ると、白い小さな花が群生しているように見えます。

雪か氷の結晶が成長したもののようです。

これが「フロストフラワー」と呼ばれるものかはわかりませんが。

 

 

 

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上: 阿寒湖の氷上に一面に積もった雪を望む。

朝陽が昇って来ると、湖上に急に霧が立ち込め、見る間に層を成して覆い尽くした。

さらに陽が昇るにつれ霧は消えてゆき、この散策の間に完全に無くなった。

 

 

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下: やっと雄阿寒岳が見えるところまで来れた。

 

さらにボッケまで行こうとしたのですが、これより先は雪が踏み固められておらず、行くのを断念し戻ることにした。

 

 

 

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爽快な朝の散策でした。

 

北海道旅行3日目の朝、体も連日のマイナス気温に慣れて、この日のマイナス18℃も苦にはならなかった。

風が無かったことと、防寒対策をしたからなのですが。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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雪の北海道 2: 千変万化する冬の空


 

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今回は、北海道の冬の空を紹介します。

4日間で、しんしんと降る雪に始まり、吹雪と快晴が目まぐるしく変わった。

時間を追って、急変する厳しい自然を感じて頂きます。

 

 

 

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上: 1月29日、9時45分、車窓より。

十勝平野、利別川?の橋を通過中。

遠くの山並みは大雪山のある石狩山系だろう。

28日中と29日の朝までは雪が降り続けていたが、この頃には雪が止んだ。

 

下: 1月29日、9時59分、車窓より。

北上するうちに空が少し晴れて来た。

 

 

 

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上: 1月29日、11時57分、車窓より。

釧路の中心部に来る頃には、また分厚い雪雲が空を覆った。

 

下: 1月29日、13時47分、降車して。

釧路湿原に入る頃には、また青空がのぞき始めた。

 

 

 

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上: 1月29日、15時02分、車窓より。

釧路湿原を北に抜け、阿寒湖に近づいた。

 

下: 1月29日、20時頃。

夕食後、阿寒湖の温泉街にあるアイヌコタン通りを散策。

夜になると雪が激しく降って来た。

 

 

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200メートルほど異なる阿寒湖の氷上から同じ方向を撮影。

 

上: 1月29日、16時23分。

細かい雪が吹き付けていた。

 

下: 1月30日、7時46分。

朝は完全な快晴になり、ほぼ風も治まっていた。

しかし日の出前の6時にはマイナス18℃になっていた。

これが今回の旅行での最低気温でした。

 

 

 

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1月30日、10時51分。

摩周湖展望台より、摩周湖の反対側に見える雄阿寒岳を望む。

 

 

 

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上: 1月30日、12時27分、車窓より。

摩周湖からトウフツ湖への北上途中の右側に見えた斜里岳?と知床山系。

この日は1日中快晴に恵まれ、素晴らしい景観を楽しめた。

 

下: 1月30日、13時14分、車窓より。

網走港に近い国道244号線を北上する。

オホーツク海がまじかに見えた。

 

 

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上: 1月30日、16時12分、降車して。

ここは網走から温根湯に向かう途中の北見辺り。

北海道の日暮れは早い。

 

下: 1月31日、6時23分、温根湯のホテルの部屋から。

日の出前の町の様子、ここには温泉街が無い。

日の出は6時45分。

 

 

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上: 1月31日、9時17分、車窓から。

吹雪の石北峠付近を走行中。

 

下: 1月31日、12時31分、車窓から。

層雲峡を抜け、旭川も過ぎて札幌に向かって南下中。

 

旭川が最も吹雪いた為、高速道路は一部区間が閉鎖となり、一般道を走った。

この区間を過ぎると吹雪がましになり、また開通している高速道路を走行した。

積雪や吹雪きの道を車で移動するのは、簡単に1時間や2時間遅れになる。

スリップによる渋滞、視界不良や凍結による低速走行などが起こる。

 

 

 

 

 

 

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砂川を通り、南下を続け、もうすぐ札幌に近くなる。

 

上: 1月31日、14時28分、車窓から。

また吹雪になる。

 

下: 1月31日、14時35分、車窓から。

数分の違いで吹雪から晴れ間へと変わった。

 

旭川から札幌間は日本海に近く、大陸の寒気団の影響を受け易いようです。

今回の旅行では、釧路で太平洋、網走でオホーツク海を見て、この区間では日本海の影響を感じることが出来た。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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雪の北海道 1: 雪の中にこそ輝くものがある


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< 1. 暮れなずむ雪原 >

 

 

これから北海道旅行を数回に分けて紹介します。

訪れたのは2019年1月28日から4日間でした。

様々な冬の景色や体験を堪能して来ました。

 

 

 

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< 2.北海道の旅行ルート、上が北 >

 

ツアー会社の観光バスで地図の青線を巡って来ました。

新千歳空港を起点にして半時計周りで巡りました。

 

この旅行の目玉の一つは十勝川温泉、阿寒湖温泉、温根湯温泉での宿泊です。

また雪や氷に包まれた大地や湖や海、特に丹頂鶴や白鳥などの動物、阿寒湖や摩周湖などの湖、硫黄山や雄阿寒岳などの山、オホーツク海の流氷を見ることです。

他に、夜の雪上のイベントや氷上のイベント、アイヌの民俗舞踊なども楽しみました。

 

予想外に素晴らしかったのは新雪の山野、紺碧の空を映す湖面、猛吹雪の峠越えなど、冬の千変万化を直に体験出来たことです。

マイナス15℃の朝、阿寒湖の氷上を歩き、また林間の新雪を歩きました。

 

 

 

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< 3. 十勝平野からの日高山脈 >

 

車窓から撮影。

 

 

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< 4. 丹頂鶴 >

 

釧路の鶴居村で撮影。

 

 

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< 5. 阿寒湖 >

 

日の出直後の林間から凍った阿寒湖を撮影。

 

 

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< 6.摩周湖 >

 

展望台から撮影。

 

 

 

 

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< 7. 白鳥 >

 

濤沸湖(トウフツ)で撮影。

 

 

 

 

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< 8.知床と流氷 >

 

天都山の展望台から撮影。

眼下に網走、そして迫る流氷、その向こうに知床山系が見える。

 

 

 

 

 

 

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< 9.早朝の温泉地 >

 

温根湯温泉のホテルの窓から撮影。

月が印象的でした。

 

 

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< 10. 吹雪 >

 

温根湯から層雲峡に抜ける途中にある石北峠付近で吹雪になった。

かすむ太陽、水墨画の趣がある。

車窓から撮影。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 48: オスロ 7: 冒険家達の足跡


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< 1.フラム号博物館 >

 

 

今回はビィグドイ地区の住宅街と三つの博物館を紹介します。

これら博物館はノルウェーが如何に海と深く関わり、偉大な海洋冒険家を頻出したかを教えてくれます。

 

 

 

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< 2. ビィグドイ地区の散策ルート、上が北 >

 

1: ノルウェー民族博物館、既に紹介。

2: ヴァイキング博物館、既に紹介。

3: フラム号博物館、今回紹介。

4: ノルウェー海洋博物館、今回紹介。

5: コンチキ号博物館、訪問していませんが紹介。

 

黄線、ピンク線が博物館への徒歩ルートです。

ヴァイキング博物館からフラム号博物館までは約1.5kmで徒歩20分以内です。

 

 

 

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< 3. ヴァイキング博物館のロッカー >

 

蛇足ながら博物館のロッカー事情を簡単に紹介します。

これまでスウェーデンとノルウェーの博物館を数多く訪れ、多くはバックなどを預ける必要がありました。

預けるべき場合は、すべて上記写真のような小さなロッカーがあり、無料でした。

小さなリュックは入るが、それ以上大きいものはどこのロッカーにも入れることが出来ません。

扱い方法は様々で、貸与してくれるコインやロッカー付属の鍵などを使う場合が多い。

分からなければ係員が近くに居て教えてくれます。

 

しかし、ここは少し違っていました。

ここだけはロッカールームが館外にありました。

この写真のように任意の番号を入力し、レバーを倒す方法もここだけでした。

少し戸惑ったが、扉の裏に英語で取り扱いが書かれています。

 

 

 

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< 4. ヴァイキング博物館とお別れ >

 

上: ヴァイキング博物館。

下: 住宅街を歩き始める。

 

 

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< 5. 高級住宅街 >

 

大きな住宅が並び、新築や改装中の建物も見ました。

平等の国のイメージがあるのですが、ここに富裕層が集まっているのか、それとも皆が裕福なのか、疑問に思いながら歩いた。

 

 

 

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< 6. フラム号博物館が見えた >

 

下: 右手奥の三角屋根がフラム号博物館。

歩いている間に公共交通機関のバスの行き来を1回ぐらいしか見なかったように思う。

離れた三か所の博物館を繋ぐ便利な公共交通機関は無いようです。

 

 

 

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< 7. フラム号博物館に入る >

 

上: 三角屋根がフラム号博物館。

右手にノルウェー海洋博物館。

 

下: 中に入ると、巨大な船体がすぐそこにあった。

 

 

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< 8.甲板上  >

 

上: 船外の階段を登って甲板上に渡る。

 

下: 甲板中央から船首の方を見ている。

甲板の左右と前方を囲むように巨大なスクリーンがあり、フラム号が氷山の流れる荒海を航海している状況を再現している。

さらに音響とライトによる稲妻が臨場感を盛り上げていた。

 

 

 

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< 9.フラム号の探検航路 >

 

上: 甲板中央から船尾を望む。

下: フラム号の3度の探検ルート。

左が二回行われた北極海の探検。

このフラム号による最初の探検は右側のルートで、ナンセンによるものです。

左側は二回目の別人による探検ルートです。

 

右が南極探検。

これは1910~1912年に行われたアムンセンによるもので、彼は人類史上初めての南極点への到達に成功した。

 

 

* ナンセンによる北極探検とノーベル平和賞受賞

ナンセンは科学者であり探検家でしたが、後に自国の独立と世界平和に貢献することになる。

 

彼は北極海を横断する海流を調査するために、このフラム号で漂流し確認しようとした。

この為に、彼は8年分の燃料と6年分の食料を積み込み、1983年に出港し、シベリア沖まで行き、そこで氷に閉じ込められ、3年間の漂流(地図中の下降)の後に寄港し、この調査探検は成功した。

 

一躍有名になった彼は、当時熱を帯びていた「ノルウェーのスウェーデンからの独立」に外交官として駆り出されることになる。

そして彼はロンドンで国際世論に訴え、独立の理解を求めた。

ついに1905年、ノルウェーは国民投票により無血で独立を勝ち得た。

 

第一次世界大戦後、彼は国際連盟の難民高等弁務官に就任した。

彼はソ連と交渉し、ロシア革命で共産政府と対立し海外移住を望んだロシア人に初めて国際的な身分証を発行した。

これにより140万人が難民移住出来ることになり、彼はノーベル平和賞を受賞した。

 

彼に続いてノルウェーから多数の海洋冒険家が出た。

また国として紛争仲介やノーベル平和賞授与などを通じて世界の平和に貢献し続けている。

 

 

 

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< 10. ノルウェー海洋博物館 >

 

私にとって興味深かったのは数々の古い漁港のジオラマや木造船の模型でした。

 

 

 

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< 11. コンチキ号博物館 >

 

ここは訪問していません。

上: 洋上のコンチキ号。

下: 航海ルート。

 

1947年、ノルウェーの文化人類学者ヘイエルダ―ルは自作の筏「コンチキ号」で南米からタヒチ島近くまで漂流航海を行った。

彼はイースター島のモアイ像がぺルーの像に似てるとして、ポリネシア人(南太平洋)は南米からの移住者と想定し、南米から航海が可能だったことを証明したかったのです。

 

彼の漂流航海は一応可能性を示せたのですが、残念ながら遺伝子分析でポリネシア人はモンゴロイドが主に台湾から航海移住によって拡散したことが現在わかっています。

 

それにしてもノルウェー人の冒険心を併せ持つ探求心には関心させられました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 47: オスロ 6: ヴァイキング船博物館


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< 1.ヴァイキング船博物館の入口 >

 

 

今日はヴァイキング船の実物を紹介します。

その巨大さに圧倒されます。

後半で、北欧ヴァイキングについて語ります。

 

 

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< 2. 博物館まで歩く >

 

ノルウエー民俗博物館からヴァイキング船博物館まで歩きました。

この間、およそ450m、歩いて10分以内です。

 

上: 途中の住宅街。

下: ヴァイキング船博物前の駐車場。

観光バスと観光客で一杯でした。

 

 

* オスロのヴァイキング船博物館について

ここにはオスロ・フィヨルドに面したオーセベリ「Oseberg」、ゴクスタ「Gokstad」、トゥーネ「Tune」で発掘された三隻のヴァイキング船と埋葬品が展示されている。

この発掘地の三ヵ所を写真6の地図に頭文字で示している。

発掘品を修復し展示している。

展示のヴァイキング船越しの壁に、フィヨルドから旅立つ遠征航海の迫力ある映像を上映していた。

 

オーセベリの発掘

834年に、この船と共に女王が古墳に埋葬された。

船はオーク材で出来ており、全長22m、幅5mで、9mほどのマストを持ち、帆を張って航行できた。

左右にオール穴が30あり、漕ぐことも出来た。

舵取りオール、鉄の錨を備えている。

船首と船尾は同じ形をしており、船は前後同じように進むことが出来た。

船首と船尾の模様は馴染みのある細長い獣が絡まっているものです。

この船は沿岸航行用らしい。

 

ゴクスタの発掘

これも埋葬船で、王かもしれない男性の遺体があった。

船はオーク材で出来ており、全長24m、幅5mで、マストを持ち、オーセベリよりも大きく遠洋航海もできた。

船の建造は890年頃。

 

トゥーネの発掘

これも埋葬船で、もっとも不完全な形で発見された。

全長は22m程度で、900年頃の建造。

 

 

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< 3. オーセベリのヴァイキング船 1 >

 

上: 入口を入って直ぐに巨大なヴァイキング船が見えた。

 

下: 中央の階段上から同じ船を見た。

 

大きさに圧倒される。

これらの船でノルウエー・ヴァイキングは1000年頃には北米まで到達していた。

これはコロンブスよりも500年も早かった。

彼らの航海能力と旺盛な冒険心が、様々な探検家を生み出し、そしてノルウェーは20世紀中頃には世界の商船隊の10%を保有するまでになった。

 

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< 4. オーセベリのヴァイキング船 2 >

 

船腹のオール穴、舵取りオール、埋葬品の別のヴァイキング船の船首。

 

 

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< 5. オーセベリの副葬品のソリと車 >

 

上: 馬二頭で引かれたこのソリは実際に使用されていた。

本体はブナ材、滑る底板はオーク材です。

 

下: この車も馬で引くことが出来たが、実用的ではなく宗教儀式だけに使われたらしい(キリスト教以前の北欧神への祭儀)。

 

 

 

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< 6. 展示物の補足説明 >

 

上: オスロ・フィヨルドを示す。

赤の文字は遺跡オーセベリ「Oseberg」、ゴクスタ「Gokstad」、トゥーネ「Tune」の頭文字を示す。

この辺りはノルウエー・ヴァイキング発祥の地です。

 

茶色の線は、後に私がフェリーでコーペンハーゲンに向かう航路です。

後にオスロ・フィヨルドの景色を紹介します。

 

中: オーセベリ古墳の発掘。

 

下: ゴクスタ船の再現模型。

 

 

 

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< 7. ヴァイキングの姿 >

 

ヴァイキングは金属製の兜、鉄製の鎖帷子、木製の盾、大型の斧などで武装した。

 

 

 

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< 8. ヴァイキングの暮らし >

 

上: ヴァイキングの暮らし(フェロー諸島)。

農耕を行い、家畜を飼い、石を積み上げ土と草で屋根を覆った家屋に住み、小舟を使う様子が描かれている。

(スカンジナビアの大陸側では木製の家屋)

 

下: ヴァイキングの航海の様子。

 

 

 

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< 9.ヴァイキングの遠征 >

 

如何に広範囲に遠征し、交易していたかがわかる。

 

 

* ヴァイキングとは何か

 

私が35年前、スウェーデンとデンマークを訪れた時、豊かでゆったりと暮らす彼らがかつて荒れ狂ったヴァイキングの末裔とはとても思えなかった。

そして今回、私は三ヵ国のヴァイキング博物館と故地を訪れ、ヴァイキングとは何か、またその末裔とは何かを知ろうとした。

 

ヴァイキングは破壊と略奪を常習とする海賊だったのか?

それとも交易者であり冒険家、はたまた移住者だったのか?

 

スカンジナビアのヴァイキングは農民、漁民であり、この地に多い湖や川、入り江の近くに住んだ。

そして喫水の浅いボートで各地と行き交った。

この地は寒冷で氷河地形の為、作物栽培に適さず、人口の集中が起こらず村が散在するだけでした。

 

やがて彼らは9世記頃から、武装集団化しヴァイキング船に乗り、交易と略奪を始めるようになる。

最初、彼らは海が荒れる冬までに帰って来た。

西に向かったヴァイキングは幾たびもイングランド、パリ、ノルマンディーなどに侵攻し、ヨーロッパを恐怖に陥れた。

やがて遠くはグリーンランド、東に行ってロシアからイスタンブールまで遠征した。

 

彼らは季節的な移動から越年、そして定住した。

11世紀中頃にはヨーロッパへの植民が完了し、後にヨーロッパ王朝の一翼を担うことになった。

この間、スカンジナビア内では国家が誕生し初め、そしてヴァイキングの侵略は鳴りを潜めた。

 

 

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< 10. 倭寇 >

上: 17世紀、倭寇と明官兵(左)の戦い

下: 倭寇の航路。

 

 

 

* なぜヴァイキングが始まったのか

 

実は日本にも東アジアに悪名を轟かした海賊がいた。

北九州西部はかつて倭寇の拠点だった。

倭寇は14世紀から16世紀にかけて朝鮮半島と中国、沖縄などで交易と略奪を行った。

 

倭寇の活動は前半と後半で異なるが、元々彼らは海での交易を生業とした。

やがて朝鮮半島の争乱や中国(宋)の海上交易の禁止で、彼らは密貿易、争い、略奪するようにもなった。

倭寇は日本人だけでなく中国人を含む多民族の集団になっていた。

彼らの子孫から大商人や台湾を奪還する中国側の将軍(鄭成功)が誕生した。

 

なぜ長崎の諸島が、倭寇の拠点になったのか?

それはこの地は朝鮮半島に近く、対馬海流に接するからです。

 

 

それではなぜヴァイキングの遠征が始まったのだろうか?

幾つかの説があり定かではありませんが、倭寇と似ているところがある。

 

紀元前から、スカンジナビアの人々は細長い船を作り、移動と交易を行っていた。

豊富な木材を利用し堅牢な船を作る技術を培っていた。

やがてマスト装備した帆船での遠洋航海が可能になった。

 

一方、8世紀末、ヨーロッパではカール大帝がキリスト教布教を口実に異教の地(バルト海沿岸)への征服を拡大していた。

スカンジナビアの人々は、これに対抗し、また混乱に乗じて略奪するようになったのだろう。

 

 

* なぜヴァイキングは終息したのか

 

一番大きく影響したのは、彼らによるアイスランドや西欧各地への大量の定住化が進んだことだろう(デンマークとノルウェー・ヴァイキング)。

彼らはキリスト教に改宗し、現地で王朝を作り、溶け込んでいった。

 

同時に、スカンジナビアに誕生した王朝もキリスト教に改宗し、西欧と同胞となっていった。

バルト海から東方で活躍したスウェーデン・ヴァイキングは、ドイツの港湾都市を中心としたハンザ同盟の力に押され、その後協調するようになった(この12世紀頃、北ヨーロッパは中世の経済停滞を脱し始めていた)。

 

 

ヴァイキングの末裔を語る時、彼らに残虐性が受け継がれていると言えるのだろうか?

では倭寇の末裔はどうだろうか?

 

結局は、交易を生業とする人々が混乱の中で密貿易や、異教徒や異民族間の対立で抗争に走ったのだろう。

やがて両者は略奪では無く、対等で自由な交易こそが最善策と知ることになった。

 

 

* ヴァイキングが遺したもの

 

現在の北欧、ここ半世紀余りの経済発展と福祉国家への大変身は、ヴァイキングと関りがあるのだろうか?

 

同様に、日本が明治維新後、西洋化を急速に成し遂げ、大発展を遂げたこと侍(サムライ)と関りがあるのだろうか?

結論から言うと、名誉と順応のサムライ文化と言うより、江戸時代に培われた組織労働を大切にする農民文化が、工場労働への以降をスムーズにさせたと言えるのではないか(注釈1)。

 

 

今の北欧を語る時、衰退一方の日本と大きく異なる社会文化があることに気づく。

それは個人を尊重する一方で、法遵守によって社会の維持を図ることです。

逆に日本では、個を犠牲にし、広範な社会に通用する規範を無視してまで首領ドンに従うことです(ヤクザ社会と同じ)。

 

北欧には特徴的な直接選挙の文化があります。

これはノルウェー・ヴァイキングが植民したアイスランドにかつて見られた。

元々、この文化はスカンジナビアに通じるものでした。

既にみたように、大規模な農業社会が出現しなかったことで中央集権化が遅れ、人々は権力者に依存しない社会文化を育てた。

 

その一例が、アイスランドに伝わるサガ(口承文学)に遺されている。

村で犯罪を犯した者が、共同体の集会で「平和喪失」を宣言されることがあった(ゲルマン社会に共通)。

これによりこの犯罪者は共同体を追われるだけでなく、さらに誰が彼に危害を加え、殺しても良いことになる。

 

こうして警察などの権力機構に頼らず、共同体で社会を統制した。

日本では村八分や恥の文化で対応したと言える。

 

これらが今の国民全員によるボランティア参加、高い政治意識、汚職の少ない政治、そして産業界と労働界の協調にも繋がっているのです。

 

また北欧のチャレンジ精神も優れたものの一つです。

 

ヴァイキングが交易を重視した理由の一つに、奢侈品の入手があった。

有力者は航海後、村人に奢侈品などを配った。

これは南太平洋や北米などにもみられる文化です。

異郷の地に大遠征することは彼の名誉を高めることだった。

この精神は今も息づいており、北欧の人々は海外に出ることを厭わず、家族も喝采を送るのです。

 

このことが世界を市場にするオンリーワン企業の多さ、科学技術と教育の重視、IT化(キャシュレス化)の先取りなどに繋がっている。

また半世紀前、西欧では社会主義離れが進んでいる中で、逆に福祉国家へ大きく舵を切ったことにも現れているように思える(他の要因が大きいだろうが)。

 

* あとがき

 

北欧を巡って来て、暮らしやさと生きやすさを肌身で感じた。

だからと言って、精神文化の違いを無視して北欧の体制をそのまま導入することは無理だろう。

 

例えばIT化の為のマイナンバー制度は社会や政府への不信感があり、日本では成功しない。

またスウェーデンでは自殺が多いが、これは尊厳死が多く、日本のように追い込まれての自殺ではない。

これに関連して、北欧の高齢者は福祉制度が整っていても、出来るかぎり自立して暮らそうとする。

 

このような違いを乗り越える方法が、私には見えて来ない。

だからと言って、このまま日本の没落を座視して待つわけにも行かないのだが・・・

 

次回に続きます。

 

 

 

注釈1

「名誉と順応のサムライ文化」は「名誉と順応」著者池上英子より拝借。

 

「組織労働を大切にする農民文化・・」のくだりは「日本社会史における伝統と創造」著者トマス・C・スミスより拝借。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 46: オスロ 5: ノルウェー民族博物館 3


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今回は、ノルウェー民族博物館の最後の紹介です。

後半で、19世紀のオスロの街並みを紹介します。

 

 

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< 2. 19世紀の農家 >

 

上の写真の一群の農家の説明書きは次の写真にあります。

これらは19世紀に建てられていた家屋で、その場所はオスロの南方の峡谷でした。

 

下の写真の小屋は同じ場所にあった14~15世紀の倉庫です。

上の写真の左側に見えます。

 

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< 3. 上記、一群の農家の説明書き >

 

 

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< 4. 上記の農家の内部 >

 

中央の大きな農家に入ることが出来ました。

中に入ると、写真のスタッフが訪問者に横の桶の用途を説明していました。

豆を貯蔵し、その後何かをする為の容器らしい。

少し質問をしたのですが、残念ながら理解出来ませんでした。

でも彼女は丁寧に対応してくれて、写真撮影にも快く応じてくれました。

 

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< 5.倉庫類 >

 

上: ノルウェー南部にあった1754年の倉庫です。

扉両側の模様が良い。

 

下: 同じノルウェー南部にあった1800~1850年の乾燥小屋。

乾燥するものが、木材なのか穀物なのかがわかりません。

ノルウェーでは木材は重要な産業ですが、これは窓が小さ過ぎるので穀物用なのでしょうか。

 

 

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< 6. オスロの古い街並み 1 >

 

この6と7の写真は19世紀後半のオスロの古い建物と通りを再現したものです。

オスロは10世紀頃から重要な都市ではあったが、その木造の古い街並みは幾度も大火災に遭っており、残っていない。

1814年以降、この地が首都になり、今のオスロの都市景観を形作るようになった。

 

 

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< 7. オスロの古い街並み 2 >

 

 

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< 8. オスロ郊外の家屋 1 >

 

1840年に建てられたオスロ北部の郊外の住居。

家屋は大きく無いが、幾つもの部屋が有り、郊外で自然を楽しみながら暮らしていた様子が窺える。

此処にきて初めて、農業や林業を生業としない暮らしの住まいを見ることが出来た。

 

 

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< 9. オスロ郊外の家屋 2 >

 

 

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< 10. オスロ郊外の家屋 3 >

 

写真の女性はスタッフです。

シンプルなデザインで、無垢の木材を生かした家具が印象的でした。

 

この住居が使われた時期は明治維新の30年前にあたり、今まで見て感じていた素朴で簡素な暮らしのノルウェーは一転、進んだヨーロッパ文化の香りがするようになった。

この時期の市民の暮らしが見えると、今の北欧の躍進を理解するヒントが得られるように思う。

つまり北欧の今の躍進は、半世紀あまりの急激な改革で勝ち取ったのか、それとも徐々に築き上げて来たものなのか?

残念ながら、この野外博物館だけでは分からない。

 

 

次回には巨大なヴァイキング船を紹介します。

 

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 45: オスロ 4: ノルウェー民族博物館 2


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< 1. スターヴ(木造)教会の内部 >

 

今回は、ノルウェー民族博物館の2回目です。

最初に、スターヴ教会の内部を紹介します。

この野外博物館の家屋はノルウェーの自然の厳しさを教えてくれました。

 

 

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< 2. スターヴ教会 1 >

内部の写真はすべてフラッシュ撮影です。

 

左上: 正面玄関。

右上: 正面玄関の次にある入口。

この両側の柱の模様は北欧ヴァイキング時代からあったものでしょう。

これはツタと長身の獣が絡まった図柄で、スウェーデンのルーン石碑にも見られた。

 

左下: 内部、壁から天井を望む。

 

右下: 正面玄関を望む全景。

屋根が黒いのは防腐の為に塗布したタールの為です。

 

 

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< 3. スターヴ教会 2 >

 

入って最初に感じたのは、非常に暗く、小さく、そして天井が高いことでした。

西欧の古い教会、ロマネスク建築の教会は、暗い堂中にガラス窓からの光が差し込み、荘厳さがある。

この木造教会にも幾つもの小さな明り取りの穴があるのだが、暗闇に圧迫されそうな感じがする。

逆に言えば、燭台の明かりが一層引き立つのかもしれない。

この空間には、西欧の教会には無い、古代信仰に根差した神域のイメージが引き継がれているのだろうか。

この感覚はスペイン、アルハンブラ宮殿の石材で覆われた薄暗い部屋に入った時にもあった。

 

 

上の写真: 祭壇を正面から見ている。

最後の晩餐らしい絵が正面に飾られている。

非常に質素です。

 

下の写真: 壁と屋根が接する柱の上にそれぞれ人面の彫刻がある。

私には王冠を被った王のように見えるが、不明。

 

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< 4. スターヴ教会 3、Wikipediaより >

 

左: 別の木造教会の平面図。

今訪れている教会と同じで室内は十字架の形をしていない。

 

右: 今訪れている教会の構造図です。

柱上部に人面が見えます。

 

 

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< 5.小屋 >

 

上: 屋根瓦を見てください。

北欧三ヵ国で見た屋根瓦が非常に日本の瓦と形が似ています。

親しみを感じます。

 

下: 野外展示場の丘から見下ろしている。

 

 

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< 6. 農家 >

 

下の写真は大きな農家、大きな牛舎を持っています。

一方、上の写真は素朴な感じの農家です。

 

 

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< 7.農家と水力小屋 >

 

上の写真の左側に水力小屋が見えます。

それを撮ったのが下の写真です。

この小屋はノルウェーの南部西海岸、ノルウェー海に面するフィヨルドにあったものを再現中のようです。

本来、水車が内蔵されており、動力となる水はこの小屋の左側から右側に流れ落ちるようです。

小屋の作りが面白いので取り上げました。

 

 

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< 8. オスロ郊外北部の農家 >

 

建築が1845年の農家で、内部を見ることが出来ました。

この野外展示場では、内部に入れる家屋は多い。

下の写真はその内部で、左にベッドがあります。

 

 

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< 9. 少し広い所に出た >

 

上: ここで驚いたのは、中国からの観光ツアーの一団です。

この展示場はストックホルムのスカンセンと違って遊戯施設が無く、民俗家屋の歴史を学ぶ所に特化している。

従って、すれ違う人々の多くは北欧のティンエイジャーを連れた家族や学校の小学生以上の団体でした。

このような場所に、中国の団体観光客が来ているのに驚かされました。

もっとも都市部での観光地で、アジア人の観光ツアーで断トツに多いのが中国で、次いで韓国、そしてわずかに日本かインドでしょう(見た感じ)。

 

下: 畑を囲んでいる柵が見えますが、この斜めに木を並べる形は、ストックホルムのスカンセンと同じでした。

 

 

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< 10. パン焼き小屋 >

 

上: 表示にはパン焼き小屋とありました。

しかし中に入ることが出来なかったので、よくわかりません。

小屋の大きさの割に煙突が大きい。

 

下: これは別の小屋の内部です。

民族衣装を着たスタッフが、暮らしぶりを再現しています。

北欧で共通するようですが、暖炉と竈、暖房と料理は同じ場所で、非常に巨大なものが多い。

場合によっては一戸の家に複数ある。

その割には、この時代の壁の作りは断熱効果が乏しいように思える。

内壁となる丸太の木組みと外壁の板組の間に、断熱材が入れられているかどうかが分からない。

 

 

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< 11. 作業中のスタッフ >

 

私がこの野外展示場で感心したのは、スタッフの親しみ易さです。

作業中の所を背後から撮影すると、二人は振り返り、笑顔で答えてくれました。

この対応は、他の小屋のスタッフにも共通していました。

 

一方、ストックホルムのスカンセンでは、どちらかと言うと冷たい感じがしました。

オスロでは小屋内部のフラッシュ撮影はOKなのですが、ストックホルムでは禁止でした。

 

ストックホルムとオスロを旅していて、国民性の違いを感じた。

オスロの人はノンビリしており優しい感じがしました。

一方、ストックホルムではお年寄りは親切なのですが、概ね就業中の人はピリピリしているようです。

これはアジア人に対してだけの対応なのか、それえともシビアに作業をしているからなのかわかりませんでした。

さらに言えば北欧の中で、スウェーデンは移民問題と格差問題を多く抱えているからもしれません。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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連載中 何か変ですよ 215: 辺野古埋め立て中止の請願に協力願います!


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今、請願は勢いをまして、署名がもうすぐ21万に達しようとしています。

もうすぐ、ホワイトハウスでの順位が4位になるでしょう。

世界中の人々が沖縄に温かい眼差しを向け、署名を呼び掛けてくれています。

 

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< 2. 辺野古の位置 >

 

 

前回、私が署名をお願いした時は14万でした。

今、世界の人々は沖縄の人々の思いに共感し、順調に署名数が伸びています。

 

現在、ハワイ在住の請願発起人は、ホワイトハウス前でデモをしています。

日本の数少ない芸能人の呼びかけに始まり、今は米英の著名ミュージシャンがこの署名を呼び掛けてくれています。

 

皆さん、このブログに立ち寄られた方はどうか、今一度家族や友人に署名をお願いして頂きたい。

 

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  • なぜこの署名が重要なのか?

私の考えを述べます。

 

この請願の主目的は「沖縄の綺麗な海を守ろう」だと思う。

しかし、これ以上に大事なことがある。

それは日本の民主主義を守ることです。

 

日本の政治は長期に腐敗劣化していたが、遂に右翼化の波に乗って危うい方向に大きく舵を切り始めた。

その現われに、沖縄の民意を踏みにじる辺野古埋め立て強行と軍事大国化がある。

これらはいずれも個人の権利よりも、国の威信や国益が重視されている。

ここでは、この民権か国権の議論をしません。

 

問題は政府が腐敗の極致(森友・加計での隠蔽・改ざんなど)にあるのに、これ以上、独裁化を許すことはあまりにも危険です。

歴史的に権力者が独裁を進める為に敵意を煽る(右翼化)ことは繰り返されて来た。

 

この状況下で、この署名はほぼ唯一、良心の声を誇張も削減されることもなく表明することが出来る。

さらに、沖縄の意思だけでなく、日本全県さらに世界の声援も集まる。

 

結果はどうであれ、世界の民意が沖縄の心に届くのです。

ここから次のステップが始まれば良いのです。

 

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*        署名方法について

「Stop the landfill of Henoko / Oura Bay until a referendum can be held in Okinawa」

「国民投票が沖縄で開催されるまで、辺野古/大浦湾の埋め立てをやめる」(グーグル翻訳)

 

1.        この署名は、沖縄県の国民投票2019年2月24日までの埋め立て中止を求めています。

2.        これを発起したのは米国人(沖縄県4世)で、ホワイトハウスに届きます。

3.        請願が始まったのは2018年12月8日で、21日現在14万人以上が参加しています。

4.        手続きは非常に簡単で、三ヵ所の記入と返信メールをクリックするだけです。

(ア)        請願書 https://petitions.whitehouse.gov/petition/stop-landfill-henoko-oura-bay-until-referendum-can-be-held-okinawa

 

 

 

 

よろしくお願いします。

 

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連載中 何か変ですよ 214: 何がより良い選択なのか? 5


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今回が連載の最後です。

長期衰退の元凶を解き明かします。

 

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*先ず元凶を示し、それがどのように日本を蝕んで来たかを説明します。

 

元凶は「戦後の米国による傀儡化と、その後の自民党と官僚の寄生関係」です。

 

この自民党と官僚の関係は時と共に深まり、やがて日本の教育・司法・メディア・経済界・学会・軍事を包括する巨大な既得権益体制が生まれ、国民は蚊帳の外に置かれてしまった。

残念なことに、日本の国民性がこの政治劣化をさらに強め、社会と経済は再生を困難なほどに歪められ、長期衰退に陥った。注釈1.

 

さらに安倍一党が煽るウヨ化で一層分断が進み、日本は衰退から暴走へと大きく舵を切る。

保守重鎮の西尾や西部は最近になって安倍批判を強め、彼を保守の裏切り者と見做している。

 

劣化していく過程を説明します。

 

  • 敗戦後、戦犯だった岸は米国に拾われ、左派勢力弱体化を条件に米国の資金援助と庇護を受け、自民党をまとめて国政を牽引して行きます。

この日本政府の傀儡化は少なくとも1970年代まで続いたことは米国のCIA公開文書で明らかです。

 

  • 岸と佐藤首相は数度にわたる密約で、国民の目を欺きながら米軍基地と核配備を米国に無条件で提供した(ノーベル賞をもらった佐藤は岸と兄弟で、岸は安倍の祖父で皆同じ血筋)。

この提供は日本の防衛負担を減らすように見えるが、逆に米国と共産圏との最前線、しかも国内にありながら日本が介入出来ない軍事拠点になったことを意味する。

 

  • この後、自民党内閣と官僚は国民と野党の追求を逃れる為に、虚偽発言と公文書隠蔽・改ざんに深入りしていく。

 

ここまでが自民党のボスを通じて日本が傀儡化した前段です(現在も日米合同員会は月2回継続)。

この後、この傀儡化を隠蔽する過程で自民党と官僚の寄生関係は深まり、巨大な権力を握っていきます。

 

先ず米国の指示と援助を受けて自民党の長期支配は盤石になった。

次いで、密約を隠蔽するために自民党と官僚は結束を深めることになる。

この後も米国CIAはリベラル野党潰しの為に資金援助を継続した。

まるで松本清張「日本の黒い霧」で描かれているGHQ時代の闇です。

 

やがて官僚は、ぬるま湯で育った2世3世の自民党議員相手に優位に立ち、政策や予算などを支配し、自省の権益拡大に奔走していく(自民党議員も口利きで噛む)。

こうなると大臣は答弁書を読むだけの飾りになり、行政への責任は無きに等しくなる。

まるで戦中の陸軍と海軍の権益争いが無責任な軍事拡大を招いたのと同じです。

 

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< 3.沖縄基地、原子爆弾、GDP成長率、政治腐敗度 >

 

*ここまでが安倍政権までの長い劣化の歴史です。

 

現在、安倍の人気は景気堅調もあるが、リベラル嫌悪と排他的愛国(ウヨ)の煽動が功を奏している。

日本のウヨ化は長期衰退への不満が、かつての自民党と官僚への批判から、植民地だった中国と朝鮮半島への反発にすり替えられたことで政府批判は掻き消され、安倍支持は強化された。注釈2.

これにより隣国との協調を唱えるリベラル野党と右傾化を強めた自民党の間の亀裂は強まり、多数を占めた自民党はなりふり構わず無視と強行を続けることになった。

 

安倍内閣は、ついに開き直って堂々と白を切るようになった。

既に大半のメデイアが御用化し、既得権益体制が総がかりで政権を擁護するなら、国民の目を眩ますことは容易です(トランプのようにフェイクを数多く流せば真実は見え難い)。

 

このような権益維持に奔走する自民党と官僚の政治が続く限り、真に国民の為の政治が行われるはずもなく、国民は米国友好と見せかけのパフォーマンスでごまかされることになる。

 

 

*ここで政治の劣化による具体的な弊害を見ておきます。

 

  • 学校教育は自主性のない、政治に関心を持たない生徒を育てた。

これが現状の不毛な政治を助長している。

かつて西欧の植民地でもこの手の教育が行われたが、現在、北欧の学校では生徒は政治や社会に積極的に関わり、当然、政治腐敗はなく、労使協力が得られ経済の好循環が生まれている。

 

  • 地方自治は中央頼みで自ら活性化出来ない。

これはシャウプ勧告が発端だが、中央官庁が地方の税の分配権を握っていることによる。

一度手に入れた権益を中央官僚も国会議員も手放さない。

 

  • 日本の裁判所は憲法判断を避け、政府寄りの判決を行う。

この発端は戦後直ぐの砂川事件(米軍基地訴訟)だが、その後原発などでも繰り返されている。

 

  • 政府・官僚に忖度するマスコミ。

これは記者クラブなどの取材慣行もあるが、最近の自民党からの露骨な圧力が一層酷くしている。

 

  • 極め付きは官僚が支配する巨額の特別会計451兆円(2018年度)で一般予算98兆円を遥かに上回る。

この実態は掴めないが、3000社もある天下り先、かつて年金福祉事業団のリゾート施設が二束三文で売られたこと、GDPが550兆円であることを考えれば如何に巨大で危ういものかかがわかる。

 

 

*結び

見てきたように日本は先進国の体を成していない。

民意がフィードバックされることもない(選挙制度と三ばんが歪めている)。

経済政策はせいぜい議席確保につながる既得権益擁護と米国の圧力か模倣に過ぎない。

軍事は米国の意向に逆らうことが出来ない。

 

これでも皆さんは、現政権にすがるしかないと考えるのでしょうか。

少なくとも政権の嘘・隠蔽と腐敗を見過ごすことだけは止めるべきです。

 

来訪に深く感謝します。

これで、この連載を終わります。

 

 

注釈1.

ここで災いとなった国民性は主に村社会-古い農耕民族に残る、組織への盲目的な忠誠心、によるものです。

この国民性は権力者の腐敗・専横の阻止、個人の権利と法の理念(正義)の順守よりも、組織の利益と権力者の意向を重視します、例え後ろめたさを感じていても。

 

注釈2.

本来保守は母国への愛(現体制への執着)が強いことにより、過去や歴史を礼賛(盲愛)することになる。

しかし、そのことが周辺諸国を敵視することに直結しない(西欧の極右は移民を敵視するが、隣国を敵視していない)。

 

今の日本のウヨは、歴史上繰り返された浅薄なポピュリズム(ファシズム、ナチス、現在西欧の極右、トランプ)と同じです。

社会に不満が鬱積し、かつ解決策が断たれたと感じた人々は、安易に単純明快な解決策に飛びつく。

そして強権的なカリスマ指導者の登場、そして彼は憎むべき敵を明示し、支持者の団結と闘争心を煽る。

まさに、今これが再来している。

 

少し考えれば、可笑しいことはわかるはずです。

日本の保守は、かつての日本の戦争は正義だとし、自尊心を満足させます。

その根拠に、よく「米国が仕掛けた罠に日本がはまり開戦せざるを得なかった」が挙げられます。

憲法も押し付けだから、自主憲法が当然だと言います。

これほど米国をコケにしておきながら、一方でまったく米国追従なので自尊心のかけらもない。

過去の南ベトナム政府よりも酷くは無いが、初期の自民党政権の傀儡化を知っていながら皆口をつぐみ、治外法権を許す地位協定(国家主権放棄)をいまだに後生大事に守っているのですから。

 

またウヨの言う中国と朝鮮半島憎しにどんなメリットがあるのでしょうか?

確実に攻めて来るのなら冷静に防衛策か懐柔策を講じれば良いだけです。

過去を批判されるから腹いせに罵る、これでは互いに敵愾心を煽るだけで、これこそ何かを切っ掛けに戦争が始まらないとも限らない(数々の戦史が示しています)。

結局、米国の思う壺であり、憎しみが権力集中に利用されているとしか思えない。

 

 

参考文献

 

日本関係

  1. 「日本が自滅する日」石井 紘基著。
  2. 「知ってはいけない1と2」2冊、矢部 宏治著。
  3. 「日米同盟のリアリズム」小川 和久著。
  4. 「どこへ行くのか、この国は」村田 良平著。
  5. 「戦後史の正体」孫崎 享著。
  6. 「没落するキャリア官僚――エリート性の研究」中野 雅至著
  7. 「国家の命運」藪中 三十二著。

 

米国関係

  1. 「暴露 スノーデンが私に託したファイル」グレン・グリーンウォルド著。
  2. 「CIA秘録上と下」2冊、ティム・ワイナー著。
  3. 「日本は略奪国家アメリカを棄てよ―グローバリゼーションも共同幻想も必要ない」ビル・トッテン著。

 

隣国関係

  1. 「中国 新たな経済大革命」肖 敏捷著。
  2. 「韓国人に生まれなくてよかった」武藤 正敏著。

 

戦争関係

  1. 「逆転の大戦争史」オーナ・ハサウェイ共著。
  2. 「文明の衝突」サミュエル・ハンチントン著。

 

北欧関係

  1. 「世界政治叢書3 北欧・南欧・ベネルクス」津田 由美子共著。
  2. 「エリア・スタディーズ デンマーク、スウェーデン、ノルウェーを知るための・・章」3冊、明石書店刊。
  3. 「北欧モデル」翁百合共著。

 

経済関係

  1. 「国家債務危機」ジャック・アタリ著。
  2. 「ドイツ帝国の正体」イエンス・ベルガー著。
  3. 「国家はなぜ衰退するのか上と下」2冊、ダロン・アセモグル共著。
  4. 「世界を破綻させた経済学者たち」ジェフ・マドリック著。
  5. 「世界経済を破綻させる23の嘘」ハジュン・チャン著。
  6. 「金融政策の誤解」早川英男著。
  7. 「1970年体制の終焉」原田 泰著。
  8. 「日本国債入門」永野 学著。
  9. 「国家は破綻する 金融危機の800年」カーメン・M・ラインハート共著。

 

 

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連載中 何か変ですよ 213: 何がより良い選択なのか? 4


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「何が長期衰退を起こしているのか?」

「それはなぜ見えないのか?」

この謎に迫ります。

 

2

*2

 

 

4. 何が日本の長期衰退を招いているのか?

 

ヒントになる幾つかの社会現象を拾ってみます。

 

  1. ネットウヨは中国、韓国、朝日新聞が嫌いで、安倍政権を熱烈支持。
  2. 10代20代の若者は安倍政権に期待。
  3. 野党は毎回、無様に敗退する。
  4. 官僚は情報隠蔽・改ざんを日常的に行い、安倍政権を支える。
  5. メディアは改憲のCMの量的規制を行わず、安倍政権を支える。

 

少し説明します。

 

  1. ネットウヨは・・・。

戦前の右翼は下心があったとは言え「東アジアの五族協和」を唱道しており、今のウヨとは真逆です。

一方、当時も朝日・毎日は戦争反対の急先鋒であった為に右翼と軍部から嫌われた。

 

中身が乏しいとしても、ネットウヨの破壊力は侮れない(かつてのナチスの突撃隊のように)。

 

  1. 10代20代の若者は・・・。

この世代は10年前のリーマンショックの悲哀を知らず、その後の巨大金融緩和による世界的な経済好調下で暮らし、現状に満足し期待さえしている。

しかし、今月までの日本の景気回復6年を米国の9年8ヵ月と比べると経済好調の実態を推測できるはずです。

また戦争を知らない彼らは欧米のポピュリズム(極右)と同調する日本のウヨ(排他的愛国心)に共感し易い。

 

この世代は当然かもしれないが経験が乏しく視野が狭い、その上、自ら疑念を持ち思考する力に欠けている。

実は、彼らは被害者であり、今後加害者に加担することにもなるでしょう。

 

  1. 野党は・・・。

前回、民主党が政権についたのは、国民がそれまでの長期低迷が官僚と自民党の腐敗にあると理解し、民主党に託したからでした。

しかし、東北大震災と官僚のサボタージュで敢え無く下野した。

 

一方、これまで米国に逆らう中国友好策や沖縄基地撤去を唱えた政治家達、田中、小沢、鳩山は足をすくわれ失脚している(スキャンダル暴露、情報漏洩など)。

また戦後、暗殺された政治家は二人とも野党で、浅沼、そして官僚支配の実態を暴こうとした矢先に刺殺された石井(民主党)がいる(共に犯人は右翼)。

 

何か恐ろしい陰謀の匂いが・・・・。

 

  1. 官僚は・・・・

官僚による情報隠蔽・改ざんは安倍政権になってから急増したように見える。

またそれに対する官邸の説明は実に不誠実で、かつ虚言が多い。

この為、追及が困難で確かな証拠は得られないが、官邸・官僚・自民党議員の不正(捏造、口利き、収賄)が横行していることが伺える。

 

真実を知る鍵は、この専横と腐敗が安倍政権で始まったのか、それともかなり以前から腐敗が進行しており、遂に露骨になったのかを見極めることです(数々の疑獄事件、金丸の佐川急便事件などを思い出してください)。

 

  1. メディアは・・・。

当然、先進国は報道の公正を担保するためにCMを規制する。

 

原発反対に優勢であった世論が、電気事業連合会の毎年250億円以上(1990年より)のCM攻勢で賛成に替わったことでわかるように、CMの力は絶大です(テレビ各局だけでなく朝日新聞すら加担)。

米国の報道は規制緩和により娯楽と一体化した右傾化が進み、トランプ誕生に繋がった。

また安倍政権で、NHK会長に不公正な人物を選任、大臣が電波法を盾に放送局への脅し、自民党に雇われたウヨによる電凸攻勢(メディアへ大量の非難電話)などのメディアへの圧力が強まった。

 

報道の御用化は安倍政権になってから一気に進んだが、その下地は既にあった(戦前と瓜二つ)。

 

 

皆さんは、これらの現象に何か共通する素因があると思いますか?

おそらくわからないと思います。

それほど深く隠れており、かつ日本のあらゆる面に浸透しているからこそ上記の現象が起きているのです。

 

次回に続きます。

 

 

 

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