晩秋の北関東をドライブしました 6: 吹割の滝


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今回は、吹割の滝を紹介します。

渓谷、滝、紅葉が別世界を造り出していました。

訪れたのは2019年11月18日12時でした。

 

 

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< 2. 散策ルート >

 

茶色線は渓谷に行き来した道で、Sからスタートしました。

赤線が渓谷に沿った遊歩道で、下流(南側)から上流に向かいました。

遊歩道を歩いた時間は30分ほどでした。

 

上: 上が北。

下: 右が北。

 

 

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< 3. 鱒飛びの滝 >

 

上: 下流を望む。

 

下: 鱒飛びの滝。

 

 

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< 4.鱒飛びの滝から上流へ >

 

 

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< 5. 吹割の滝 1 >

 

両側から岩盤が迫って川幅が狭くなった所を進むと、急に視界が開けた。

そして広い川の中央で、まるで川底が抜けたように水が勢いよく吸い込まれていくのが見えた。

 

 

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< 6. 吹割の滝 2 >

 

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< 7. 吹割の滝 3 >

 

渓谷を覆うすべての山肌が赤や黄色に紅葉し、青空を映す川面が緩やかに流れていく、それが急に無数の白い筋となって流れ落ち、水飛沫をあげる。

素晴らしい景観です。

紅葉のピークは過ぎているかもしれないが、素晴らしい景観に出会えたことに感謝します。

 

 

 

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< 8. 吹割の滝 4 >

 

上 : 浮島に架かる吊り橋が見える。

 

下2枚 : 上流から吹割の滝を望む。

滝の直ぐ傍まで行けるので、迫力を感じることも出来るが、危険です。

安全の為にロープが張ってあります。

 

 

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< 9. 浮島と吊り橋 >

 

 

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< 10. 吊り橋からの眺め >

 

上: 上流側。

 

下: 下流側。

川の左側に、今やって来た遊歩道が見える。

 

 

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< 11. 渓谷とお別れ >

 

上の国道に行く坂道から見えた紅葉。

 

 

次回に続きます。

 

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中国の外縁を一周して 11: 北京、景山から什刹海まで


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今回は、紫禁城の北側にある二つの公園を紹介します。

景山の頂上から紫禁城が見下ろせます。

什刹海は古い街並みとお店が並ぶ今流行りの場所です。

 

 

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< 2.散策マップ、上が北 >

 

上: 今回の散策ルート。

赤線が徒歩、茶色の線がバスです。

この図は下図の青線の範囲になります。

 

最初、紫禁城を出ると(下のSから)、直ぐに景山を登りました。

次いで、頂上から西側に降り、ここで公共のバスに乗り、什刹海(E)辺りで降車しました。

ここから西側に向かい、湖に沿って歩き、右に折れて烟袋斜街に行きました。

戻って橋のたもとで昼食をとり、橋を渡った後、Rで折り返し、Eに戻り、バスで次の観光に向かいました。

 

写真は概ね、歩いた順に並んでいます。

 

 

下: 昔の宮城の範囲。

南北の長さは9kmほどありました。

 

紫禁城の始まりは、13世紀、モンゴル帝国が冬の都として大都を建設したことに始まります。

それは図の内城とさらに北側まで延びていました。

14世紀、北京が明の首都になり図のような大きさになり、清朝滅亡まで続きました。

 

景山は、明の時代、堀の残土で風水に基づいて造られた山です。

昔、什刹海周辺は皇族の住まい、その南にある北海公園は皇族の庭園でした。

 

 

 

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< 3. 景山公園へ向かう >

 

上: 明時代の宮城のイメージ(中国サイトから借用)。

 

下: 紫禁城北口を出て、景山公園に向かう。

頂上の真ん中と左の建物を目指します。

 

 

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< 4. 頂上まで >

 

上: 急な階段を昇って行きます。

 

左下: 最初に見える山の裾にある建物。

 

右下: 頂上の建物:

この日は建物で写真撮影が行われており、入ることが出来ませんでした。

 

 

 

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< 5. 頂上から >

 

上: 南側に紫禁城を見下ろす。

残念ながらガスていました。

これは黄砂なのか、スモッグなのか、霧なのか・・・。

黄砂の時期ではないはずなのですが。

この後、南の開封から西安までの間、同じような空模様が続きました。

空気が悪いと感じなかったし、マスクをしている人をほとんど見かけなかった。

 

下: 中央のオレンジ色の屋根の建物の遥か向こうに鼓楼が見えます。

正に紫禁城、景山と鼓楼は南北の中心線上に並んでいます。

 

 

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< 6. 頂上から下る >

 

左上: 辑芳亭。

頂上から西に向かって最初に見える建物。

 

右上: 富览亭。

峰上にある最も西側の建物。

 

下: 山を下った所、直ぐ西門があります。

鬱蒼とした森林です。

南に少し行くとトイレがあります。

 

 

 

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< 7. 什刹海に着きました >

 

上: バス停の鼓楼で降りた。

通りの奥に鼓楼が見えます。

 

下: 西に向かって進むと湖が見えました。

市民の憩いの場と聞いていたのですが、観光客で一杯でした。

時間帯が違うのでしょう。

 

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< 9. 烟袋斜街 >

 

私には風情ある街並みと言うより、単に土産物屋街に思えた。

買い物を楽しむ人には良いと思うが。

 

 

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< 10. 胡同(フートン) >

 

烟袋斜街の隣には、狭い路地に面して元統治時代の名残りの伝統的家屋が続く。

本当は壁の向こうの四合院を覗いて見たかったが、チャンスは無かった。

 

 

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< 11. 昼食のレストラン >

 

橋のすぐ前にある李记串吧(烟袋斜街店)に入りました。

ここはどうやら羊肉をメインにあらゆる料理(火鍋、麺、串焼きなど)を出している。

私達は麺と肉料理の一皿を頼みました。

味は良く、価格も手頃でした。

 

右下の写真は常連さんのようで、骨付き肉の火鍋を豪快に食べていました。

普通火鍋はスライスした薄肉を食べるようですが。

それにしても中国何処でも火鍋は人気なようです。

 

この度の旅行で、中華料理のイメージが変わりました。

昔からの八角などの香辛料だけでなく、味付けは非常に多岐にわたります。そして人々はあらゆる地方の料理を楽しみ、多くの飲食店は新しいアレンジを取り入れていました。

上記の店も、西域のムスリム料理をアレンジしたものでしょう。

 

 

 

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< 12. 橋の上から >

 

中国の湖畔や川端には柳が良く似合います。

 

 

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< 13. 風情のある湖 >

 

ビルが見えなければ、数百年前の風景を連想させます。

 

水面を覗くと、意外に透明度が高い。

水質向上に取り組んでいるようです。

 

 

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< 14. 人力車の大群 >

 

当初、人力車に乗って見たいと思ったのですが。

調べてみると、料金でトラブルことがあるみたいなので躊躇していました。

 

湖畔を歩いていると、二十台ほどの人力車が一団の観光客を乗せて列をなしていました。

風情があると言うより、壮観というか、ご苦労さんと言う感じでした。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 5: 草津温泉から吹割まで


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今回は、草津温泉から吹割の滝までの景色を紹介します。

紅葉と谷間の風景を堪能しました。

 

 

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< 2. ドライブコース、上が北 >

 

左の草津温泉から右の吹割の滝までのルートです。

赤いダイヤマークが停車し撮影した場所です。

約80km、2時間半のドライブです。

 

実は途中、沼田を通過している時に、あるミスに気が付きました。

それは、ここに真田家の拠点となった沼田城があったことで、それも近くに。

ここが北関東の要衝の地、上杉・北条・武田氏が争奪戦の地だったとは・・・。

 

この日は予定が詰まっていましたので寄ることが出来ませんでした。

 

 

 

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< 3. 道の駅 六合 >

 

ここは草津温泉から10km以内の292号線上です。

産地直売所などがありました。

 

上: 来た道を振返る。

 

下: 進行方向。

 

 

 

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< 4.上沢渡川沿い >

 

ここは草津温泉から25kmほど来た55号線上です。

旧大岩学校(牧水学校)を過ぎた辺りのはずです。

かつて若山牧水が立ち寄り、詩を読んだことにちなんで、学校に牧水と名付けた。

 

上: 進行方向(東)、中央に有笠山(標高888m)らしいものが見える。

クライミングやボルダリングで人気があるそうです。

北関東ではこのような岩肌が露出した急峻な山を多く見かけた。

 

下: 真右横の眼下に上沢渡川が流れる。

 

 

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< 5. 来た道を振り返る >

 

上記と同じ場所から。

 

 

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< 6. 中之条町大字横尾辺り >

 

草津温泉から35kmほど来た145号線上です。

 

上: 進行方向

 

下: 進行方向左に、切り立った嵩山(たけやま、標高798m)らしきものが見える。

 

 

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< 7. 遠景に榛名山 >

 

来た道を振り返ると榛名山が見えた。

榛名山は円錐形と思っていたのですが、違うようです。

今回のドライブでは、赤城山と榛名山の麓を遠回りで一周することになりました。

 

 

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< 8. 吹割の滝に到着 >

 

走っていると120号線沿いに多くの食堂や駐車場が見えて来た。

呼び込みが賑やかです。

私は沼田方面から来て最初の無料駐車場(進行方向右手)に車を止めました。

ここは道の駅 吹割です。

滝の降り口までは、さらに道路を150mほど進むと左手にあります。

 

上: この左手の店は、滝を見て道路120号線に戻ってから、昼食を食べた所です。

ここから300m下ると道の駅です。

 

下: 降りて行くと紅葉が迫って来た。

 

 

 

 

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< 9. 眼下に鱒飛の滝 >

 

 

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< 10.鱒飛の滝 >

 

紅葉に期待が膨らむ。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 10: 北京、紫禁城


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今回は、北京観光初日に訪れた故宮、紫禁城を紹介します。

私の紫禁城への入場は2019年10月18日(金)9:00~11:00でした。

今回は2度目の見学で、前回見逃した所も見ました。

 

 

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< 2. ホテル天安大厦から >

 

上: ホテルの部屋から南河沿大街を見下ろす。

 

朝6:30、外が騒がしいので窓から外を見た。

すると多くの中国人の観光ツアー客が、次から次へと観光バスに乗って出発して行きました。

凄いバイタリティ!!

 

北京初日のホテル天安大厦は、紫禁城と王府井のちょうど真中にあり、価格もリーズナブルです。

設備が古く、エアコンの調子は悪かったが、朝食ビュッフェが良く、若いフロント係が非常に親切で良かった。

しかし、夕刻、ここから別のホテルに移動する時に、思わぬトラブルに遭うことになった。

 

下: 大通り、東長安街の東側を望む。

ホテルを8時過ぎに出て、歩いて紫禁城へ向かう。

道路は既に車で一杯でした。

空はガスっている。

 

 

 

 

 

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< 3. 紫禁城の地図、上がほぼ北 >

 

赤線が私の見学ルートで、写真もこの順に並んでいます。

 

 

 

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< 4.いざ紫禁城へ >

 

上: 右に天安門、左に天安門広場の人民大会堂が見える。

 

東長安街を西に向かっているのですが、天安門に近づくと凄い人で道は埋まって行きました。

歩いて20分以内の距離なのですが、開場の8:30に間に合わない。

人の少ない朝一番を狙ったのですが、出鼻をくじかれた。

 

下: 午門。

この右手で入場券を販売している。

それは目立たない小さな窓口でした。

私達以外にこの窓口で購入する人はいなかった。

皆、事前にインターネットで買っているようでした。

圧倒的に団体客なので、添乗員などが手配しているようです。

 

天安門から午門の間は広いのですが、至る所に団体のツアー客が集合しており、ほぼ人で一杯でした。

 

 

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< 5.午門をかえり見る >

 

上: 午門をくぐり、いよいよ入場。

 

下: 太和門側から午門を見る。

門と門の間で、この広さ!

 

 

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< 6.太和殿 >

 

上: 太和門から太和殿を望む。

太和殿は宮廷で最重要な建物で、重大な式典ではこの広場に官吏がずらっと並びました。

今は観光客で一杯です。

 

ここで気が付き始め、中国を周っている間に確信したことがありました。

それは中国のおばちゃんの多くが深紅の服を着ていることです。

日本では恥ずかしくて着れないと思うのですが。

 

始め共産党礼賛だと思ったのですが、男性は少ないので、おそらく日本で言う還暦を迎えたら赤いちゃんちゃんこを着るようなものなのでしょう。

 

 

下: 太和殿から太和門。

 

 

 

 

 

 

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< 7. 中和殿と保和殿 >

 

上: 中央奥に后右門。

中和殿と保和殿の西側にあり、ほとんど観光客は行かない。

 

下: 手前から中和殿、保和殿。

太和殿に続く建物です。

この二つの建物は、太和殿での式典の折、皇帝が休憩したり、更衣したりした場所です。

 

前回の20年ほど前と比べ、人が多く、建物の中を覗くのは困難でした。

この辺りでは人に押されて流されて行きました。

 

 

 

 

 

 

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< 8. 乾清門 >

 

上: 左(西側)に隆宗门。

この広場から北側、西側、東側が内廷と呼ばれる。

この領域で皇帝が政務を行い、皇帝、皇太子や皇后などが暮らした。

 

下: 広場中央の乾清門。

この奥に乾清宮が見える。

 

 

 

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< 9.乾清門と保和殿の間の広場 >

 

上: 奥(東側)に景运门。

 

下: 景运门側から広場を見ている。

左が保和殿、右が乾清門。

 

私は隆宗门と景运门の両方に入りました。

特に興味を惹くものがありませんでしたが、景运门を入って右手に休憩所があり、入りました。

小綺麗なレストランでした。

 

 

 

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< 10.後三宮 >

 

上: 乾清宮。

歴代皇帝の寝所、または日常の政務を執り行う場所だった。

 

下: 交秦殿と坤寧宮。

手前が交秦殿で、皇帝や皇后の冊立の儀式が行われた場所であった。

奥の坤寧宮は皇后の寝所であった。

 

 

 

 

 

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<  11. 御花園 >

 

上: 御花園。

ここは紫禁城にあって唯一無機質ではなく、木々の緑がある庭園です。

しかし狭い所に集約されており、奇岩の太湖石がデンと据えられており、不思議に想う。

なぜこんなに広大な宮殿なのに・・・。

 

太湖石とは、中国の蘇州付近にある太湖周辺の丘陵から切り出されたものです。

私には美しいとは思えないのですが、中国の歴史的名園には必ずと言っていいほどあります。

文化と歴史が美感に与える影響を、毎回気付かせてくれる。

 

下: 西六宮の通り。

妃たちは西六宮に居住していた。

 

 

 

 

 

 

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< 12. 儲秀宮 >

 

ここは西六宮の一つ、儲秀宮です。

偶然、入ってみると、ここで西太后が居住していたと書かれていた。

部屋は清朝時代の様子を再現しており、ドラマ「蒼穹の昴」や中国の宮廷劇のワンシーンが浮かびました。

しかし、思ったより小さな建物でした。

 

今回の旅行では、北京が初めての妻に名所を見せたかったのと、私としては西太后ゆかりの所に行きたかった。

このような后の住まいを見たかったが、今回は願いが叶った。

 

 

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< 13. 御花園を出る >

 

左: ここ順貞門を左側に抜けると御花園から出て神武門に向かうことになる。

 

右: 北門、神武門です。

ここを出る前にオーディオガイドの返却所が、左側にあります。

私は、知らずにこの門をくぐると、警備員の手持ちのセンサーが異常音を発し、止められてやっと気付きました。

借りたのは、午門の前だったように思う。

 

 

 

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< 14. 見学終了 >

 

上: 順貞門を北側から見る。

 

下: 神武門を出た所から景山公園を見る。

 

 

 

 

 

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< 15. 神武門 >

 

上: 北側から神武門を見る。

 

下: お堀。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 4: 草津温泉の夜と朝


 

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< 1. 湯が二人の心を・・ >

 

今回は、草津温泉のロマンチックな景観を紹介します。

ライトアップされた湯畑と朝陽に輝く森が素晴らしかった。

 

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< 2.草津温泉の地図、上が北 >

 

上: 赤い四角の右が足利、左が富岡です。

赤い三角が草津温泉です。

 

下: 矢印が草津温泉での宿泊ホテルです。

深い山の谷間にある巨大な温泉街です。

 

 

 

これらは湯畑を一周して撮影した写真です。

ライトアップが幻想的でした。

冷気の中、硫黄の微かな匂いと湯煙が温かく体を包んでくれました。

寒いにも関わらず、多くの人が湯畑を訪れていました。

 

 

 

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これらは翌日の早朝、ホテル周辺で撮影した写真です。

 

裏山を歩くと落ち葉が地面を埋め尽くし、木々には紅葉の名残りがありました。

 

 

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上: ホテルの部屋からの眺め。

おそらく高い山は草津白根山でしょう。

 

 

 

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草津の湯に浸かり、そしてロマンチックな湯畑と晩秋の森を堪能しました。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 9: 廈門から北京へ


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今回は、最後の廈門と北京の初日です。

廈門の暮らしと北京の夜、

そして廈門と北京の両空港でのトラブルを紹介します。

 

 

 

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< 2. 宿泊した部屋 >

上: ホテルの部屋から見た朝焼け。

 

下: 杏林湾大酒店の一室。

 

 

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< 3. ある億ションの一室から >

 

高速エレベータ―に乗って、最上階近くの一戸を訪れました。

窓からの眺めは絶景です。

この一戸は、一億近い評価額らしい。

ここには数多くの部屋があり、立派な家具調度品で埋まっていました。

退職した夫婦一組が住んでいます。

毎日、ここで孫一人を預かり微笑ましい時を過ごされており、部屋はおもちゃで一杯でした。

 

このような暮らしをしている人は私の周辺にはいない。

 

このご主人は大企業を10年以上前に退職し、このマンションを買ったようです。

大企業であれば年金は多いし、購入時、銀行から多額の借金が可能だろう。さらに退職前に企業から住居を安く支給され、多額の売買益を得ることも出来ただろう(かつて公務員の特権だった)。

それに加え、購入後に不動産が急騰しているのだからラッキーです。

 

このことが、代々都会暮らしで大企業にいた人と、地方から来てその日暮らしをする人の間に、ここ20年ほどで大きな格差を生んでいる。

 

実は、この眼下の干潟はやがて消えるそうです。

政府が近い将来、全部砂浜に変えるからです。

中国ならやるでしょうね・・・

 

 

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< 4. 厦门高崎国际机场 >

 

ここで最初の洗礼を受けました。

それは国内線に乗るために税関で手荷物検査を受けている時でした。

 

突然、女性係官が私にいぶかしげにまくしたて、ストップをかけました。

まったく中国語が分からないのですが、状況からして北京へ何しに行くのかを尋ねているようでした。

 

そこで、私の中国旅行の15日間の日程表を彼女に見せました。

すると彼女は、それを取り上げて何処かに消えてしまいました。

しばらくすると現れ、無表情でもう行けと私達夫婦に促した。

 

事の経緯は分かりませんが、移民などを警戒していると感じました。

 

フリーの旅では、言葉が通じなくても、必ず自分でトラブルを処理しなけらばならない。

運か、経験か、機転か、他人の助けか、冷静さ、かが救いになり、北欧でも無事に旅行を終えた。

 

これも旅の醍醐味と言えるかもしれません。

 

 

 

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< 5. 北京首都国際空港にて >

 

私達は廈門航空を使ったので、北京首都国際空港の第2ターミナルに着きました。

上記写真は参考に借用したもので、他のターミナルのものでしょう。

 

ここで簡単に、第2ターミナルから北京中心部に行く方法について触れておきます。

 

リムジンバス(机场大巴・・・线)、エアポートエクスプレス(机场线)とタクシーがあります。

リムジンバスは何種類もあり、タクシー乗り場のレーンの奥にあるようです。

リムジンバスで行っても、その後、ホテルまでタクシーや地下鉄に乗らなければならない(タクシーを拾えるかどうか不安)。

エアポートエクスプレスは階下にあり頻繁に出ているのですが、これまた他の交通機関の利用が必要です。

 

中国のタクシーは安いので使いたいが、長い待ち時間とトラブルに遭わないかが心配でした。

 

先ずはタクシー乗り場を見に行きました。

確かに写真のように長い行列はあるのですが、もの凄い数のタクシーが次々とやって来るので待ち時間は少なく、使うことにしました。

 

中国の幾つかの空港でタクシー乗り場を利用しましたが、すべてに差配する係員が一人はいるので安心です。

 

 

 

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< 6. ホテルに向かうタクシーにて >

これらはすべて参考に借用した写真です。

 

ところが、ここでまた問題が発生しました。

 

私がタクシーの助手席に乗って、行先のホテル名と住所を書いたメモを見せました。

ところが、これが分からないのです。

この年配の運転手は近くにいた知り合いの運転手に聞いて、相手は大体の場所が分かるようなのですが、彼は分からない。

 

結局、この運転手は上の写真のようにスマホを操作して、やっと行き先を見つけて発進することが出来ました。

私も、自分のスマホでタクシーがホテルに向かっているのを横で、ずーっとチェックしていました。

 

結局は、無事着いたのですが、かなり時間がかかりました。

一つは、聞きしに勝る大渋滞がありました。

料金は妥当だったようです。

 

中国で乗ったタクシーはすべてスマホで音声ナビゲーションを使っていました。

おそらく百度マップなどでしょう。

 

どうやらスマホのアプリにホテル名を上手く入力出来ないようでした。

この問題は、北京だけでなく成都や蘭州などでも起きました。

最後には色々やり取りがあって何とか解決しました。

 

結局、私自身がスマホの百度を使えて、百度マップにホテル名を入力しておいて見せることが出来れば良かったかもしれない。

 

 

 

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< 7. 王府井にて >

 

ホテルに着いてから、王府井へ夕食に行きました。

もう9時近かった。

小雨も少しあり、人はあまり多くは無いようでした。

 

ここで感心したのは高齢者の団体ツアー客です。

地方から来た観光客のようですが、夜にも関わらず、老人達が元気に買い物と食事へと走り回っていた。

 

私が入った食堂でも、彼らは賑やかでした。

本当に沢山の人が、旅行を楽しんでいました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

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晩秋のアルプスに囲まれた平出遺跡を訪れました


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今回は、塩尻に一泊した際、

朝の散歩で訪れた縄文の集落遺跡を紹介します。

晴れた高原に朝陽が降り注ぎ、冷たい風が紅葉を揺らしていました。

そこには5000年前の人々の暮らしの跡がありました。

 

 

 

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< 2. 平出遺跡の地図 >

 

上: 松本や塩尻がある高原の全体地図、上が北。

赤い矢印が、塩尻駅と平出遺跡です。

 

左(西)に上高地や奥穂高岳、右(東)に美ヶ原があり、南に行くと諏訪湖、北に行くと長野に至ります。

塩尻駅の標高は700mほどあり、北に向かって緩やかに低くなっている。

 

下: 平出遺跡の地図、上が南(上の地図とは向きが逆です)。

赤い枠が、今回訪れた所で、ここが縄文時代の集落跡です。

赤い枠の下部にガイダンス棟(9:00~)があります。

左側に平安時代の集落跡、右上に平出の泉と博物館があります。

 

黒い線が、塩尻駅から徒歩20分(1.4km)で来たルートです。

 

 

 

 

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< 3. 縄文集落全景 >

 

北側から見ている。

住居の向こうに。雪を被った奥穂高の連山が見える。

 

駅からここまでは住宅地を通り、次いでブドウ畑を抜けて来ます。

 

 

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< 4. 東南側と南側を望む >

 

 

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< 5. 再現された住居 >

 

 

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< 6. 住居の内部 >

 

当時の縄文土器が置かれ、囲炉裏跡もある。

 

 

 

 

 

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< 7. ガイダンス棟 >

 

上: ガイダンス棟が見える。

 

下: あの山の麓に平出の泉がある。

 

縄文時代、この集落の人々は周囲の森のドングリを食料にし、泉の水を飲料にしていた。

5000年前の秋、きっと同じような紅葉を見て、冬の到来を感じていただろう。

 

 

これで終わります。

 

 

 

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 3: 富岡から草津温泉まで


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今回は、富岡製糸場のある富岡と草津までの道のりを紹介します。

写真は2019年10月17日14:30~16:30に撮ったものです。

偶然、富岡で秋祭りに出会いました。

 

 

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< 2.富岡の散策ルートと周遊観光バス >

 

 

上: 富岡製糸場へのルート、上が北。

私は上州富岡駅近くの富岡市市営無料駐車場から徒歩で富岡製糸場(赤枠)まで歩きました。

 

どちらかと言うと製糸場よりは、その町の雰囲気を見たいと思っていましたが、偶然にも祭りの最中に来ました。

この日が2年に一度の秋祭りの当日(12:00~16:00)で、駅前と市役所前は祭り一色でした。

それで祭りの様子を見たり、話を聞いていると、製糸場を見る時間が無くなりました。

 

本当は2年に一度、来年の今頃、富岡どんとまつりが行われます。

こちらは山車が本格的に飾られ、2日かけて練り歩くそうです。

 

 

下: 富岡市市営無料駐車場と富岡製糸場の間を周遊しているバス。

https://tomiokaseisi.com/entry69.html

 

製糸場の門まで行って、写真のバスがすぐやって来たので、これに乗って駐車場まで帰りました。

私は門を覗くだけで終わりました。

このバス(片道100円)は非常にお薦めです。

 

予想していなかったのですが、バスはくねくね曲がりながら、そして女性の車掌さんが通り過ぎるかつてのは繫華街をガイドしてくれたのです。

話を聞いていると、何の変哲も無い寂れた建物や狭い通りが、明治初期、富岡製糸場華やかりし頃にタイムスリップするようでした。

歩いて来た路地が、かっては何軒もの映画館がある歓楽街に、数十人の芸者がいた置屋通りだったりするのです。

 

 

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< 3. 秋祭り 1 >

 

 

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< 4.秋祭り 2 >

 

山車の屋根の上に人形などが見えますが、無いものもあります。

これらが富岡どんとまつりの時には、完璧に飾られるそうです。

間の年(今年)は、飾りつけが手抜きになるそうです。

 

 

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< 5. 富岡製糸場に向かう >

 

メインの通りのようです。

 

 

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< 6. 富岡製糸場 >

 

赤い星印が入場門で、周遊観光バスの停留所もあります。

富岡製糸場の大きさは280mx200mほどあり、一面は川に面しています。

非常に大きい印象を受けました。

 

 

 

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< 7. 周遊バスからの眺め >

 

上: 富岡製糸場の北側の塀が左側に見える。

 

下: この通りは当時、置屋街だったと説明されていたように思う。

 

 

* なぜ富岡製糸場がここに出来たのか?

 

気になり、バスの車掌さんに聞きました。

 

彼女の答え:

1 大量の水を使うが、良い川が横にあった。

2 周辺に養蚕農家が多かった(遥か昔から)。

3 近くに石炭の産地があった。

4 空き地が江戸時代から代官所用地として残っていた。

5 日本初の外国技術導入の工場建設だったが、住民は同意した。

 

当時、政府に建設を委嘱された人物は、長野県、群馬県、埼玉県を視察し、上記の理由でこの地に決定したようです。

近くに桐生があり、既に奈良時代からここら一帯は養蚕や絹織物で有名だった。

 

 

 

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< 8. 草津温泉までのルート >

 

上: 上が北。

茶色線: 足利学校から富岡まで75km。

 

黒線: 富岡から草津温泉まで94km。

この道は、軽井沢を抜け、見晴らしの良い有料道路から浅間山を見ながら走り、その後は林間を抜けて草津に向かう道です。

 

 

 

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< 9. 六里ヶ原休憩所より >

上: 東側から見た浅間山。

南側からは山頂付近で噴煙が昇っているのが見えた。

 

下: 進行方向の北側を見ている。

向こうは新潟で、白根山、苗場山や谷川岳のある方向です。

薄暗くなって来たので、これからあの山裾に向かうと思うと心細くなってきた。

 

軽井沢での渋滞もあり、草津に着いた時は真っ暗でした。

別のルートの方が良かったと思う。

 

 

北関東を走っていると、近畿とはかなり異なる山々が多い。

これまで見えていた赤城山、榛名山、浅間山、白根山など、ほとんどが火山で、碓氷峠のように鋭く立ち上がった崖を持つ山もある。

 

二つの大陸プレートがぶつかり、日本列島が折れ曲がり、険しい山並みが行く筋も隆起した所が北関東の群馬と言えるかもしれない。

 

走りながら百万年に及ぶ日本の成り立ちに思いを馳せた。

 

 

 

 

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< 10. 富岡に来て気が付いたこと >

 

なぜ、富岡や足利に歴史的なトピックがあるのか?

 

私には、北関東のこの二つの地はやはり東京から遠く、辺鄙な所に思える。

しかし、一方でこの地は奈良時代から既に発展していた土地とも言える。

 

上記、地図を見ると足利や新田の荘園があった所は、奈良時代(律令制時代)より東山道(奈良や京都から北の奥羽地方まで連なる道)上にあったことがわかる。

実は富岡も中山道や東山道の宿場町から10kmも離れていなかった。

 

更に、関東平野が最後に陸地になったのは縄文海進後の6千年前に過ぎない。

 

これらが重なって、この富岡と足利を結ぶラインが、関東では歴史的に重要な所になったのかもしれない。

そのようなことに気付かせてくれるドライブでした。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 8: 廈門を訪ねて 4


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今回は廈門の住宅事情と中国経済の実情を紹介します。

 

 

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< 2. 廈門一等地の高層マンションにて >

 

上: これは廈門島の中心部にあるマンションの外観です。

このマンションが建つ一帯では、中の一戸が日本円で1億円を超えるものがある。

それもここ十年数年で値上がりしたようです。

 

下: この一室から、大きな湖に囲まれた美しい白鹭洲公园が眺望できる。

湖の向こうに廈門の高層ビル群が見える。

この一室で、ある経営者にインタビューすることが出来ました。

 

 

* 面白い経済の話が聞けました

 

彼の事業は、父親の代から続くブランド帽子の製造販売です。

父も彼も台湾出身ですが、30年ほど前から製造を中国で、主な輸出先は日本だそうです。

彼は営業事務所をここに定め、日本に行ったことはないが、日本語はペラペラでした。

気安く何にでも答えてくれた彼に感謝します。

 

 

幾つかポイントだけを紹介します。

 

A 偽ブランド問題

彼の発言:

中国国内のネット通販で、この会社の偽物が出回ることがある。

大手ネット通販に訴えても、「個々の参加会社についてタッチしないし、個人情報なので・・・」との返答で、埒が明かない。

諦めているが、最近の傾向として、中国もブランド志向になって来たので助かっている。

 

B 製造拠点は中国で良いのか?

彼の発言:

コスト的にはベトナムなどが良いが・・・。

移転するなら20年前に決断すべきだった、今さら遅い。

しかし、中国は製造ネットワークが整って来たので、中国残留でもメリットが出せる。

 

C 店舗販売とネット販売

彼の発言:

我々は日本や店頭販売に重きを置いている。

ネット通販拡大を脅威とは思っていない。

 

私の感想

Aについては、予想通りで、あまり当局による規制が進んでいないように思う。

ただ他の場所で得た情報では、食品の安全性については規制が功を奏しているようです。

 

Bについては、製造ネットワークの向上が良い状況を生むだろうとは感じていたので理解できた。

しかし産業構造を二次産業から三次産業へ、高付加価値製品へと代えなけらばならい。

 

Cにつては、負け惜しみともとれた。

彼のグループの全製造員が減少傾向にあるので影響があるようだ。

但し、人数減については生産性向上が寄与しているのかもしれない。

 

やはり台湾企業は、直ぐ隣りにあり、気候と言語が同じ廈門を進出先に選び易いのだろう。

 

 

 

 

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< 3. 廈門の裏町の安アパートにて >

 

今度は場所を代え、安アパートに訪れました。

ここは大きな道路に面した建物群(上の写真)から一歩裏に入った所にあるアパートです。

三階建てですが、一戸はそれぞれの階のそれぞれ一部屋に過ぎず、部屋にはトイレとシャワーがあるだけです(廈門では湯船を使わないのかも)。

部屋の広さは独身であれば狭くないが、台所はない。

給与の相場から考えると、家賃は重荷になるだろう。

 

やはり地方から来た人には、都市部の高騰する住居費は厳しい。

 

 

 

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< 4. 厦门市图书总馆 >

 

上: 図書館の前から反対方向を見た。

ここは大きな文化広場で、文化館、博物館、科学館、ショッピングセンターなどが集約されている。

 

下: ここは廈門島の中心部にある図書館で、正面に入り口があります。

中に入りましたが写真は撮っていません。

 

一番の特徴は、広々としており、書架が低いこと、そして中央に大きなジャングルのような中庭があることです。

また読書・自習用の机が書架の横に数多く広がっていることで、オープンな感じがしました。

 

本の貸し出し手続きは、皆、読み取り器を使いセルフでやっているようで、合理化が進んでいた。

 

 

 

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< 5. 夕食は海鮮料理 >

 

ここは島の北部、内海に面した厦门夏商国际水产交易中心に隣接する巨大な海鮮レストラン街の一つ兴旺海鲜城です。

ここで待望の海鮮料理を味わいました。

 

中に入って驚きました。

十数年前に入った2軒の海鮮料理レストランとはまったく趣と規模が違いました。

前回は、川に浮かぶ小さな船上の食堂と、外人向けの高級海鮮料理レストランでした。

前者の味は素朴で、後者は洗練された味でした。

 

どちらにしても、これほどの大量の生け簀を前にして、食材を選ぶとは凄いの一言です。

値札に16円/元を掛けたら日本の金額になり、これら食材を何種類か選んで、料理方法を伝え、2階のレストランで食べます。

2階レストランは広いにも関わらず、また水曜日の夜だと言うのにお客で一杯でした。

これらは中国の日常の食費からすれば高いのですが、よほど生活が豊かになったのでしょうか。

 

以前、韓国の市場で海鮮料理を食べたことがありました。

市場で食材を選んで、食堂で料理を頼むことをしましたが、規模が違います。

 

 

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< 6. 店内とレストラン街 >

 

どのレストランも繁盛しているようでした。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 2: 史跡足利学校


 

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今回は、旅行の最初に訪れた史跡足利学校を紹介します。
当初、期待していなかったのですが、見応えのあるものでした。
さらに素晴らしい秋晴れと紅葉が迎えてくれました。
また北関東の歴史を少し知ることが出来ました。

 

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< 2.地図、概ね上が北 >

上:  足利市大観、鳥瞰図
南側の西から東に渡良瀬川が流れており、その北側中央に足利学校があります。
中央の山の奥、北側に宇都宮、日光があり、昔は日光街道、さらには奥州街道に至り、逆に向かえば江戸に至る。

下: 足利学校の地図。
現在の姿は平成2年に復元されたものです。
堀に囲まれた、凡そ一辺120mの敷地に様々な建物があります。
ここは日本遺産、近世日本の教育遺産群として全国で4カ所、内関東で二ヵ所の水戸の弘道館と共に足利学校が認定されています。

 

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< 3.足利学校の全景 >

下: 学校を陸橋から見下ろした。

 

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< 4. 同じ陸橋から南北を望む >

上: 北側を見ている。
左に足利学校、さらに奥に足利氏館跡・鑁阿寺(ばんなじ)がある。

下: 南側を見ている。
直ぐ手前、大きな銀杏の木がある所が無料駐車場です。
さらに向こうには渡良瀬川が流れている。

 

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< 5. 足利学校に入る >

上: 最初の門、入徳門です。
ここを入ると右手に料金所があります。

下: 次いで学校門です。

 

 

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< 6. 中に入った >

上: 学校門を内側から見た。
この反対側には孔子廟があり、その前に杏壇門(きょうだんもん)があるのですが、工事中でした。
実はこの孔子廟が重要な役割を果たしていたのです。

下: 上と同じ撮影場所から方丈(ほうじょう)と庫裡(くり)を望む。
方丈とは禅寺の本堂です。

 

 

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< 7. 方丈と築山のある庭 >

庭の銀杏が黄色に輝いて美しかった。

 

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< 8. 庫裡から中に入る >

庫裡は竈のある土間と板敷きの台所がある所ですが、館内見学はここから入ります。
入って左側に方丈の大広間が見える。

 

 

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< 9. 真直ぐ進むと書院に至る >

上: ちょうど市民による論語の書写体験が行われていました。

下: 書院の外観。
庫裡から書院にかけて、足利学校の歴史が展示されています。

 

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< 10. 書院の景観 >

 

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< 11. 方丈の大広間と庭先 >

上: 大広間ではちょうどかるた会が行われていました。

市民が文芸に関心を持ち、ここを利用していることに感銘を受けました。
歴史の重みを感じます。
*足利学校に想う
16世紀、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と称したのが足利学校です。

なぜここに日本最古と言われる学校があるのか?

このような北関東のさらに北部の山裾にあり、中山道や日光街道からも少し外れているこの地に、なぜ。

ここのボランティアの説明員に問うと、幾つか理由を挙げてくれた。
その中で気になったのが、この地は足利氏発祥の地であり、交通の要衝だった、また昔から文芸を大事にする土地柄との答えでした。

ここは源氏姓足利家発祥の地であり、後に将軍家足利尊氏が出ることになる(生誕の地は異なるが)。
足利学校誕生の経緯は定かではないが、大まかに言うと以下のようでしょう。

古くは平安時代、足利家がここに学校を建てたらしい。
後に将軍家に連なることが存続に幸いしたことでしょう。

室町時代に転機が訪れます。
関東管領の上杉氏が、この学校の再興に尽力し、孔子の儒学を中心とした教育を行います。
彼は金沢文庫も再興している。
この後、学徒三千といわれる事実上日本の総合大学、最高学府となって行きます。
しかし江戸時代には既に足利家が滅んでいたこと、また学問が時代遅れになっていたことで衰微していった。

ポイントは、当時から足利氏の荘園が関東で優勢であったこと、またこの地が文芸に造詣が深い関東管領上杉氏の領地になったことが大きいようです。
さらに中山道と日光街道から離れているとは言え、江戸時代、その両街道を結ぶ日光例幣使街道が足利を通っていた。
つまり、ここは渡良瀬川もあり古くから交通の要衝だったのでしょう。

 

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< 12. 昼食 >

足利学校の門前にある「麦とろ銀丸本店」で昼食をとりました。
ここを選んだのは、足利学校内でボランティアの説明員の方に、足利の名物と聞くと、蕎麦だと言われ、この店を薦めてくれました。

 

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< 13. 二人が頼んだ蕎麦のセット >

かなり待たされたが、手の込んだ美味しい料理でした。
店の作りと雰囲気も良かった。

 

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< 14. 渡良瀬川の上流を望む >

川の上流に赤城山が見える。
その遥か遠くに、今日の宿泊地、草津温泉がある。

茨木空港から足利に来るまでの高速道路沿いの紅葉は綺麗だったのですが、自分が運転しているものですから写真が撮れなくて残念でした。

次回に続きます。

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中国の外縁を一周して 7: 廈門を訪ねて 3


 

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今回も引き続き、廈門島を紹介します。

写真は2019年10月16日(水曜日)の

10:30~14:00に撮影したものです。

 

 

 

 

 

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< 2. 开禾路 1 >

 

こちらは前回紹介した新民菜市场より規模が大きく、水産物の品揃えが豊富でした。

それも生きている魚や海老、貝が狭い店内に大量に並べてあった。

この通りから300mほどで河口なので可能なのでしょう。

地元の人が行き交い、多くの人が気楽に買って行く。

生活が豊かになっている印象を受けた。

 

 

 

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< 3. 开禾路 2 >

 

 

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< 4. 高架の正体 >

 

上の写真: 私は右の高架は高速道路と思っていたが、違った。

以前は無かった。

 

下の写真: この高架には駅があって、見に行くことにした。

ここは先ほどの开禾路(市場)のすぐ近くです。

 

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< 5. 新交通システム >

 

上の写真: 階段とエスカレーターを使い、途中の階にある駅で切符を買い、最上階まで上がった。

そこはバス専用のレーンでした。

試しに一駅だけ乗りました。

 

現在、廈門ではこのような新交通システムや地下鉄が続々建設中です。

廈門島内の移動は、友人の車と駐車場が少ないのでタクシーを利用したり、またこのバスや出来立ての地下鉄を使いました。

 

 

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< 6. バス駅付近の景観 >

 

この辺りは古い町並みと高層マンションが混在しています。

 

 

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< 7. 廈門大学  >

 

上の写真: 門をくぐって振り返ったところ。

 

実は、この門をすんなりとは入れなかった。

門の前で、この大学の職員と待ち合わせし、一緒に中に入ろうしたら、警備員が制止した。

一緒の職員が交渉して、やっと入れた。

中に入ると、意外にも多くの中国人観光客が団体で見学していました。

 

廈門大学は国立大学で中国の国家重点大学42校の一つです。

ここは有名大学でもあるのですが、緑に覆われ、キャンパスが広く、武漢大学と並んで『中国で最も美しい大学』と言われています。

かつてニクソン大統領が廈門を「東洋のハワイ」と称えたことがあるのですが、正に大学はそれに値します。

 

 

 

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< 8. 構内を行く >

 

先ず歩いて気付くのは、東南アジアの留学生が多いことです。

全学生4万人の内、海外からの短期研修生や留学生は4千人ほどいるそうです。

これは廈門大学が他の大学より国際交流に力を入れているからです。

これもかつて廈門が諸外国の共同租界地(コロンス島)だったこと、そしてこの大学が華僑のリーダーによって創立されたことに起因しているのでしょう。

 

写真に写っているのは学生寮や食堂、講義室などです。

かなりの学生が寮で生活し、キャンパス内に食堂が10棟以上あるそうです。

寮費や学費は安い。

建物は新旧あるが、古いものには趣が感じられた。

 

 

 

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< 9.図書館 >

 

下の写真: 中に入りたかったのですが、写真撮影を断られたので諦めました。

 

 

 

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< 10. 南普陀寺 1>

 

この寺は唐の末から五代にかけて禅寺として始まり、今は在外華僑の信仰を集めているそうです。

現在は僧侶の教育機関として残っている。

 

この日の昼食は、ここで精進料理を食べました。

ここでもスマホの洗礼を受けることになった。

大きくないレストランなのですが、お客さんは店内のテーブルに居ながらスマホで料理を注文しているのです、皆が。

当然支払もスマホでした。

 

十数年前にも一度訪れているが、相変わらず寺への訪問者は多かった。

この寺の裏山は少し登ると景色が良く、前回は多くの中国人観光客が列をなして登っていた。

ちょうど中国国民が、国内旅行に行き始めた頃でした。

 

当時、このことで感動したことがありました。

私が友人に連れられて厦門の海岸に着くと、砂浜に沿って無数の中国人が海に向かって立っていました。

そして夕陽が沈み始めると、一斉に歓喜の声を上げたのです。

 

友人の話では、彼らは海の無い奥地の貴州省からの観光客だそうで、海が珍しいかったのです。

しかし今や、中国人の国内旅行者数は50億を超え、また海外旅行者数は年間1億5千万人になった。

恐るべき急激な変化です。

 

私達は、中国人の日本での爆買いに目を奪われがちですが、その底流にあるものにも気付くべきです。

 

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< 11. 南普陀寺 2 >

 

 

次回に続きます。

 

 

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晩秋の北関東をドライブしました 1: はじめに


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念願の草津温泉と日光東照宮を訪れ、

二十数年ぶりの北関東をドライブしました。

時は晩秋で、爽やかな快晴の中、絶景と美しい紅葉に出会えました。

これから数回に分けて紹介します。

 

 

*旅行の概要

 

トラピックスのホテル+航空券+レンタカーのセットを申し込みました。

宿泊は草津温泉と鬼怒川温泉です。

飛行機で神戸と茨木空港の往復です。

レンタカーは丸三日間利用で、総走行距離は730kmぐらいでしょうか。

 

訪れたのは2019年11月17日(日曜日)から19日です。

少し曇った時もあったが、全般に快晴で風が心地よかった。

 

今回の狙いは、観光としては温泉と紅葉、日光東照宮です。

また北関東の街並みや山野の風景、そして歴史遺産を訪問し、北関東をよく知りたかったからです。

 

 

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< 2. 旅行のルート、上が北 >

 

上: 赤線が飛行機、茶線がドライブルート、赤線の四角が宿泊地です。

 

下: 拡大図。

地図の番号に従って訪問地を紹介します。

 

  •  史跡足利学校: 最も古い学校として知られ、平安時代の足利家に由来する。

 

  •  富岡製糸場: 日本初の官営製糸場で世界遺産。

 

  •  草津温泉: 「にっぽんの温泉100選」で第一位。

 

  •  吹割の滝: 知名度は高くないが、川床が割れた滝で、渓谷が紅葉で覆われ美しかった。

 

この間、標高1840mほどの峠を越える時、道路脇の日陰に雪が残っていたのでヒヤリとしました。

 

  •  戦場ヶ原: 中禅寺湖の上にある湿原、この時期は枯れ野に過ぎないが。

 

  •  中禅寺湖と華厳滝: いろは坂も紅葉は過ぎていた、残念!

 

  •  鬼怒川温泉: 「にっぽんの温泉100選」で第二十一位。

 

  •  弘道館: 水戸藩の藩校で、藩校の中では最大規模。

水戸学発祥の地であり、徳川斉彬・慶喜との因縁が深い。

 

  •  予科練平和祈念館と雄翔館: 海軍航空隊での活躍を目指した若者が、時代に翻弄され特攻隊員として散っていた。これを記録展示している。

 

  • 日光東照宮と輪王寺: 徳川家康と家光の霊廟があり、世界遺産です。

 

1~7までは番号順に訪問しましたが、日光は鬼怒川温泉宿泊の翌日、朝一番に訪れ、その後、8,9と訪れました。

 

 

 

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< 3. 足利学校と富岡製糸場 >

 

足利学校は地元の人によって今も文化と教育の場としての伝統が守られていました。

 

富岡製糸場には入らなかった。

元々時間が足らなかったが、駐車場のある駅前で秋祭りをやっていて、祭りのだんじりを見たからです。

 

 

 

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< 4. 草津温泉の湯畑 >

 

非常に多くの観光客が、夜にも関わらず訪れていました。

ライトアップされた湯畑は、冷気もあってか、身震いするほど素晴らしかった。

 

 

 

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< 5. 吹割の滝と戦場ヶ原 >

 

吹割の滝は想像以上にスケールが大きく、紅葉も最高潮でした。

 

高度が高い戦場ヶ原の周辺は既に紅葉が完全に終わり、広大な枯れ野は冬の到来を待つだけのようです。

 

 

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< 6. 中禅寺湖 >

 

正に晩秋の湖、失恋の詩が似合う景色でした。

 

 

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< 7. 華厳滝 >

 

到着した時は陽が沈みかけており、色合いが残念でした。

 

 

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< 8. 鬼怒川温泉 >

 

朝、温泉の湯船に浸かっていると至福の時が流れます。

 

 

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< 9. 東照宮の陽明門 >

 

さすがに豪華絢爛の陽明門!

大修理が終わった後なので、ラッキーでした。

境内は紅葉の盛りで、これまた幸いでした。

 

 

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< 10. 水戸の弘道館と霞ヶ浦の予科練平和祈念館 >

 

弘道館は江戸時代の建物がそのまま残っており、尊王攘夷の志士や慶喜などの息遣いが伝わってくるようでした。

 

予科練平和祈念館と雄翔館は、かつてあった霞ヶ浦に面しています。

若者の壮絶な死に涙し、出た頃には霞ヶ浦は真っ赤な夕陽に包まれていました。

 

 

次回に続きます。

 

 

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中国の外縁を一周して 6: 廈門を訪ねて 2


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今回から廈門の訪問地を紹介します。

訪れたのは2019年10月16日(水曜日)で、

写真は朝7時から10時半に撮ったものです。

 

 

 

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< 2.全总休养中心・杏林湾大酒店 >

 

私達はここに2泊しました。

ここは友人が手配してくれました。

この宿舎は普通のホテルと異なり、政府所管の休養センターです。

詳しくは分からないのですが、政府に関わっている人や下の写真の看板にあるように労働模範者の為のようです。

 

 

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< 3. 全总休养中心の前の内海 >

 

上から順番に北から東、そして南を見ています。

 

上の写真: 全長8.5kmの杏林大桥が見える。

この橋は大陸と右側の廈門島を結ぶ5本の内の一つです。

 

中央の写真: 干潟の向こうに廈門島が見える。

島の南部には低い山が有り、廈門大学や南普陀寺がある。

 

下の写真: 大きな河口を挟んで大陸側が見える。

 

 

 

 

 

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< 4. 干潟の様子 >

 

広大な干潟を少し歩くと、そこには自然が残っていた。

白鷺やハゼなどの小魚を見ることが出来た。

水は泥を含み濁ってはいるが、悪臭は無く汚水とまでは言えない。

また見渡してもゴミは少なかった。

清掃されているのか、下水処理が進んでいるのか、おそらく後者が大きな理由なのだろう。

 

干潟には人口の水路や畔のような堤で囲まれた池が無数に広がっていた。

その中で数人が漁をしているようだった。

その一人が大量の小魚を持って帰って行くのが見えた。

 

 

 

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< 5. 全总休养中心の朝食 >

 

宿泊所での朝食は敷地内の大きなビュッフェレストランでした。

ビュッフェの料理は、今まで宿泊した中国のホテルでも良い方だと思います。

私の一番のお気に入りは、上の写真のコーナーでの初めて食べた泉州麺ででした。

 

外国人で食事しているのは私達二人だけで、すべて中国人のようでした。

ここで少し気付いたことがありました。

 

私はツアーで海外旅行をしていると、中国人観光客の傍若無人さに閉口していたのですが、ここではすべてが落ち着いており、紳士的なふるまいをしていた。

ここの利用者は、どうやら大きな団体客ではなく、家族などの少数のグループらしい。

どちらにしても、違いを感じた。

 

この後、中国国内を一周するのですが、至る所で「模範工」などの掲示板を見ることになる。

この事と、中国人のマナー向上や親切さは関係しているのだろうか?

 

 

 

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< 6. 高層ビルが並ぶ中心部 >

 

十数年前に廈門を訪れた時は、このような高層ビルはほとんどなかったと思う。

当時はせいぜい5階ぐらいまでの建物が並ぶだけで、落ち着いた街並みの印象があった。

それでも眺望の良い所には高層のマンションが出来始め、すでに不動産価格の上昇は始まっていた。

 

 

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< 7. 中山公園にて 1 >

 

友人に、市民の暮らしぶりがよくわかる所に案内して欲しいと頼んで来たのがこの公園です。

入場したのは平日の9:30頃でした。

公園は無料です。

 

上の写真: この1枚の写真は私にあることを連想させたが、後に大きく覆されることになった。

それは北欧を旅して知った、男性の育休の多さでした。

男性が平日にベビーカーを押して街中を行く姿を多く見た、女性よりも多いかも。

 

しかし、この公園を抜け、併設の小さな動物園(無料)に入ると、異様な光景を見ることになった。

そこは数歳の子供一人と、それをあやす老人夫婦で一杯でした。

若い夫婦と子供の姿はほとんどなかった。

 

 

下の写真: 予想していたとは言え、音楽に合わせ踊る女性達の如何に多いことか。

至る所で異なるグループに分かれ合わせて踊っていた。

中国に来る度に、踊ると言うか、体操と言うか、その演目に変化が見られる。

昔は太極拳などの古典的な体操が主流だが、今は軽快なダンスと言ったものが多い。

 

 

 

 

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< 8. 中山公園にて 2 >

 

上の写真: 木立の陰では、そこらじゅうで男性が卓上で中国将棋などのゲームを楽しんでいた。

 

 

 

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< 9. 中山公園にて 3 >

 

上の写真: 池の端の建物から、多くの人による朗々とした歌声が聞こえて来た。

 

下の写真: 近づいてみると、人々の見ている譜面は西洋式の五線譜ではなかった。

 

友人がその一人に聞いてみると、彼女は参加して日が浅く、譜面は読めないが聞いて歌っていると出来るようになるとのことでした。

彼女は譜面を買って自由に参加しているそうです。

 

 

これは友人に聞いた話ですが、この公園で土日になると集団見合いが始まるそうです。

一人娘や息子の為に、それぞれの親が公園に集まり、互いに情報を交換し、見合いにこぎ着けるそうです。

娘や息子が、このことに同意しているかはお構いなしに進められるようです。

 

 

 

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< 10. 新民菜市场 >

 

ここは中山公園の近くにある昔ながらの庶民の市場です。

三十年来、この手の市場を見て来ましたが、その様子は変わっていないように思う。

私には相変わらず不衛生に思えるのだが、多くの生鮮食品が並び、買い物客でごった返していた。

海の近くのせいもあり、魚が多かった。

 

 

* 知り得たこと

 

実は、公園や動物園に居た人々のほとんどは50~60歳以上の男女でした、数歳の子供を除いて。

これは中国の定年が、女性では50~55歳、男性で60歳以上だからです。

定年後は年金を毎月3万円は貰っているそうで、大企業や公務員勤めでは、定年が遅れたり、年金などの上乗せがあるそうです。

 

この公園に来る人は、昔から廈門の中心部に住む人々です。

住居は既にあり、食費・交通費は非常に安く、衣類も安いのがあります。

従って、月3万円で暮らすことに問題はないようです。

(昔は、公社が従業員に住居を安い家賃で与え、最後には買取も許した。土地は手に入らないが)

そして60~70歳以上の入場料などが無料と優遇もされている。

 

だから子供夫婦が働きに出た後、その両親が孫を引き取り、公園などで遊ぶことになる。

これで待機児童の問題も解消し、退職した親も余生を孫育てと公園での愉しみに費やすことが出来ると言うわけです。

端で見ていると、両親と子供夫婦と孫は皆、親密なようです。

孫は甘やかされているとも言えるが。

 

北欧とは異なるシステムだが、人生を優雅に過ごすシステムが中国にあったことに驚いた。

 

ただ気になる事もある。

 

一つは、地方からの転入者にとって住居費は今、非常に高いので、この年金で都会暮らしは出来ないだろう。

 

今一つは、既に中国の生産年齢人口が減りつつある中で、定年が50~60歳なのは不合理だろう。

おそらく定年延長が必要になるだろう。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 5: 廈門を訪ねて 1


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< 1.全总休养中心/杏林湾大酒店から南側を望む >

 

今回は、廈門とその訪問地の概要を紹介します。

訪問はほとんどアモイ島内です。

 

 

 

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< 2. 廈門の地図、上が北 >

 

上: 廈門の位置と歴史

 

廈門の北、直ぐには泉州、海峡を挟んで台湾、南に下れば香港に至る。

西側は直ぐに山岳地帯になり、奥に入ると円形の集団家屋で有名な客家土楼に至る。

 

この地帯は紀元前後以降、漢民族が勢力を広げるにつれ、様々な民族が南下し山岳部に住むようになった。

その後、中国の対外交易の主流が海上に移ると、泉州や香港の奥の広州が中心的な役割を果たすようになった。

 

客家人は華僑で有名だが、この地が華僑を多く生み出したのは山岳地帯で、海上交易で活路を開いた為と言える。

 

17世紀、鄭成功は明から清を守る為に戦い、またオランダの植民地であった台湾やアモイを解放した。

国姓爺と呼ばれた鄭成功の巨大な像がコロンス島(鼓浪屿)に建っている。

この英雄は長崎県平戸で中国人と日本人女性の間に生まれた。

 

実は、このことは第二次倭寇の勢力範囲の南端がこの辺りであった事、そして中心地が長崎であった事と関係する。

鄭成功の父は泉州の人でした。

 

大戦後、台湾が経済成長を遂げると、多くの台湾企業がこの廈門を足掛かり中国大陸に進出していった。

これが廈門を発展させたが、簡単に進んだわけではない。

 

1958から1979年まで、廈門島から10kmほど離れた台湾領有の金門島に砲撃が繰り返され、緊張が続いたからだ。

その一方、国民党支配以前の台湾人(先住民を除く)は、もともと廈門辺りの人々と繋がりが深い(同じ閩南語/ビン南語を話す)。

 

結局、鄧小平が行った改革開放の下、廈門が経済特区に指定されたことが契機となった。

 

こうして今の廈門があり、人々は今でも海外へのチャレンジ精神を失っていないようだ。

 

 

下: 私が訪問した所、ほぼ訪問の順番です。

厦門島は半径13kmほどの平坦な島です。

 

1: 宿泊地、全总休养中心・杏林湾大酒店(労働者の為の巨大保養所)。

2: 中山公園(市民憩いの場)。

3: 新民菜市场(昔ながらの市場)。

4: 廈門大学。

5: 南普陀寺。

6: 开禾路(昔ながらの市場)。

7: 厦门市图书总馆(最大の図書館)。

8: 厦门夏商国际水产交易中心、巨大な海鮮レストラン街にある兴旺海鲜城で夕食。

9: 厦门高崎国际机场、関空からここに着き、ここから2日後に北京へ発った。

 

今回の訪問は二度目なので、十数年前との違い、特に市民の暮らしや新しく出来たものを見るようにした。

それで前回観光した有名なコロンス島は行かなかった。

 

 

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上: 全总休养中心・杏林湾大酒店の前の海と干潟。

遠景はアモイ島。

 

下: 中山公園。

昼間から、ほんとに多くの市民で一杯でした。

そこから中国の大きな変化が見えて来た。

 

 

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< 4. 二つの市場 >

 

上: 中山公園の隣りにある新民菜市场。

 

下: 开禾路は新民菜市场より規模が大きく、水産物が豊富でした。

 

昔ながらの生活も残っていた。

 

 

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< 5. 都市部の景観 >

 

都市部の景観は10年ほどで様変わりし、新交通システムが次々に生まれていた。

 

 

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上: 広大で緑豊かな廈門大学。

中国では、あまり外国人を見ることはなかったが、この大学キャンバスには東南アジアの学生が多かった。

 

下: 山の麓にある南普陀寺。

ここは昔と変わらなかった。

 

 

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上: 高層マンションが建つ一角。

このマンションの一室で、ある会社の社長と話すことが出来た。

中国での製造や販売の状況の一端を知ることが出来た。

 

下: 水槽が並ぶ兴旺海鲜城の1階、2階が海鮮レストラン。

前回、海鮮料理を食べたが、海鮮レストランのスケールが遥かに大きくなっていて驚いた。

 

 

 

 

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< 8. 厦门高崎国际机场 >

 

ここから北京へ発つ時、最初の洗礼を受けた、保安検査で。

事なきを得たが。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 4: 中国を旅する方法


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今回は中国旅行の良さや、フリーで旅行する場合の注意点を簡単に紹介します。

後に詳しく紹介します。

 

 

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< 2.昆明のホテル、左側に昆明駅が見える >

 

* 良かったこと

 

一番は、安く旅行出来ることです。

 

都市中心部や観光エリア内の立派なホテルが二人一泊6000~7000円で泊まれ、朝食付きです。

 

また交通機関が安い。

バスの多くが1回1~2元(17~38円)、タクシーが20分乗って20元前後(330円)ぐらいでしょうか。

 

航空機や新幹線はそこそこしますが、航空機は探せば安いのが見つかります(購入時期が重要)。

 

現地ガイドも安いと思う。

都市によって異なるが、専属の8時間日本語通訳で500~700元(8000~12000円)です。

 

予想外に助かったことは、70歳以上と60歳以上で、ほとんどの入場料が無料か半額になったことです。

 

食事とショッピングは安いと言えるが、微妙で幅があります。

 

 

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* 行った時期が良かった

 

中国は今年、中国共産党が抗日戦と国共内戦を経て、晴れて建国を成し遂げてから70年になった。

この為か、各地は盛大に花で飾られていた。

ちょうど開封では例年の菊花展と重なった。

また北部や西部の高原地帯では紅葉が始まっていた。

 

残念なことに本来、黄砂の時期ではないはずだが、北部の都市では青空が見えなかった。

 

 

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< 4. Trip.comのサイト >

 

* 旅行の手配について

 

今までホテル探しはExpediaでやっていたが、中国国内ではホテルの掲載数が少なく、コストパフォーマンスの良い所は見つからなかった。

そこで今回初めてTrip.comを恐る恐る使いました。

中国企業運営の日本語版Trip.comは日本人向けで使いやすい。

結果は、予想通りのホテルで満足しています。

だが習慣の違いもあり利用には少し注意が必要です。

 

航空手配は従来通りskyscannerで行い、中国の幾つかの航空会社のチケットを購入した。

大きな問題はなかったが、中国の航空会社は時間変更や便の取止めが購入後、頻繁に起きるので注意が必要です。

私はある失敗をしてリカバリーを中国の友人に頼んで事なきを得た。

 

Trip.comで新幹線も手配できるのですが、1ヵ月以上前に予約出来るにも関わらず、席の予約も出来ず、確約できない欠点がある。

中国の新幹線はほとんど1週間ぐらい前には満席になっていた。

それで私は中国の友人に切符手配を依頼し、前もって確実に席の予約を行いました。

 

三都市の現地ガイドはCHINA8(チャイナエイト)を使いました。

まったく初めてなのですが、事前打ち合わせは日本語のメールで比較的丁寧に対応してくれ、かつほぼ満足出来る内容でした。

 

 

* 旅行で気をつけるべきこと

 

一番は何でも大きいこと、二番は保安検査が厳重なことです。

 

先ず、新幹線の駅が馬鹿でかく、飛行場が中心部から遠いことが問題です。

前者は迷うとかなり歩きます。

後者は旅程を立てる時に注意が必要です。

 

すべての鉄道駅、地下鉄駅、そして飛行場への入場は、はじめかなり戸惑います。

慣れて来ると多少時間が掛かる程度ですが、気を使います。

 

 

* 心配していたほど問題がなかったこと。

 

一つは中国語、もう一つはトイレです。

 

私達の中国語は10個ほどの単語を除いて、ほとんど通じませんでした。

我々は半年以上、NHKのラジオ講座で勉強しましたが、我々の発音は通じず、相手の数字も聞き取るのが難しかった。

 

だけど何とか旅行が出来ました。

色々な工夫が功を奏したとも言えますが、多くは中国人が親切に粘り強く対応してくれたからです。

例えば、ホテルのフロントでは、互いにタブレットやスマホを使い自動翻訳で意思の疎通を図った。

すべて期待通りではないが。

 

公共のトイレがかなり設置されていた。

それも昔のようなむき出しのものはなく、和式や洋式の個室タイプです。

但し、紙は便器に流せないが。

 

 

* 予想外に困った事

 

それはタクシーとスマホの扱いです。

 

タクシーの運転手にホテル名を書いた紙を見せても、北京と蘭州、成都では通じなかった。

私のスマホにホテルを表示させて、やっとわかることがあった。

最後には何とかホテルに着けたが。

 

もう一つは、中国ではタクシーを呼んだり、色々な支払いをスマホでするのが主流なので、逆に私達にはトラブルになることがあった。

 

 

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< 5.上は百度のルート検索、下は自動翻訳機 >

 

* 中国旅行に必携なもの

 

それはスマホと自動翻訳機です。

 

スマホは中国の地図「百度」を使用し、街歩きで交通機関のルート選択や現在位置を知るために絶対必要です。

スマホを自動翻訳にも使います。

 

Wi-Fiもレンタルしました。

さらにインターネットが使えないの時の為に、オフラインでも使える自動翻訳機を持って行きました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 3: 訪問した所


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< 1. 民俗村の大理、崇聖寺三塔のレプリカ >

 

今回は私が訪問したすべての所を簡単に紹介しておきます。

 

 

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< 2. 訪問都市、赤枠7ヶ所 >

黄線はシルクロード、青線は茶葉街道、オレンジ線は海洋交易ルート。

この三つが訪問都市の中で起源前より交易・文明伝播の重要な役割を果たした。

 

 

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< 3.廈門観光 >

上: 赤枠がおおよその観光範囲で、ほとんどが厦門島内。

下: 宿泊した保養所近くの高層マンション。

 

 

*廈門市

福建省の海沿いの人口373万人の大都市で、古くから貿易で発展し、華僑を多く生み出した地でもある。

 

訪問した所。

中山公園(市民憩いの場)、新民菜市场(庶民の市場)、廈門大学、南普陀寺、开禾路(庶民の市場)、厦门市图书总馆(最大の図書館)、厦门夏商国际水产交易中心(巨大な海鮮レストラン街もある、兴旺海鲜城)、全总休养中心・杏林湾大酒店(労働者の為の巨大保養所)など。

 

 

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< 4. 北京観光 >

上: 二日間で路線バスで回れる範囲を観光。

下: 景山公園から紫禁城を見下ろす。

 

 

*北京市

人口2000万の首都で、古いものも多く残っているがITなど第三次産業が成長している。

 

訪問した所。

故宮(紫禁城)、景山公園、什刹海(今、人気の湖岸の古い町並み)、颐和园(西太后お気に入り)、王府井(ショッピング街)、西单(ショッピング街)、琉璃厂古文化街(書画骨董街)、中国国家博物馆(巨大な歴史博物館)、天安门广场、北京西站など。

 

 

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< 5. 開封観光 >

上: 開封博物館以外の観光地は城壁内を観光。

下: 開封市博物館。

 

*開封市

黄河のほとりにある人口530万人の河南省の都市。

宋時代の首都として有名で当時世界最大の都市であった。

 

訪問した所。

開封市博物館(開封の歴史博物館)、开封府(宋時代を再現したテーマパーク)、大相国寺、延庆观(道観)、开封市鼓楼广场(夜市)、铁塔公园(数少ない宋時代の遺跡)、万博时代广场(ショッピングセンター)など。

 

 

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< 6.蘭州市観光 >

上: 細長い盆地にある蘭州市中心部を観光。

下: 新幹線の車窓から、西安と蘭州の間。

 

 

*蘭州市

甘粛省の省都で谷間を流れる黄河に沿って発達した人口310万人の都市で、古くはシルクロードの要衝として発達した。

 

訪問した所。

白塔山公园(眺めが良い)、中山桥(黄河に掛けた最初の鉄橋)、兰州西关清真大寺(モスク)、五泉山公园、兰州市博物馆(蘭州の歴史博物館、有名なのは甘粛省博物館)、敦煌艺术馆(出来立ての莫高窟の展示館)など。

 

 

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< 7.成都観光 >

上: 1日で回れる都市部を観光。

下: 金沙遺址博物館。

 

*成都市

四川省の省都で、人口1600万人の大都市だが、多くの歴史的遺産や自然遺産もある。

 

訪問した所。

金沙遺址博物館(三星堆文化を継承)、武侯祠(諸葛孔明の廟)、杜甫草堂(唐の詩人の廟)、天府广场東側のショッピング街など。

 

 

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< 8. 麗江観光 >

上: 盆地にある二つの古陳と周辺を観光。

下: 麗江古陳の甍。

 

*麗江市

雲南省の谷間にある標高2400mの人口110万人の都市で、古くはチベットとの交流で栄え、少数民族ナシ族の王都でした。

 

訪問した所。

麗江古城(数百年の伝統ある古い町並み、世界遺産)、黑龙潭公园(池に映る玉龍雪山が有名)、束河古镇、普济寺(チベット仏教)、古城忠义市场(庶民の大きな市場)、民主路の地下街(ショッピング街)など。

 

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< 9.昆明観光 >

上: 二日間で路線バスなど行ける範囲を観光。

下: 中心部のホテル最上階からの眺め。

 

*昆明市

雲南省の省都で人口600万人の大都市です。

中国南端にあるが多くの東南アジアと国境を接し、多くの少数民族が住む。

 

訪問した所。

雲南省民俗村(中国全土の少数民族の巨大なテーマパーク)、雲南省博物館(雲南の歴史博物館)、西山風景区(断崖に掘られた龍門石窟が有名)、滇池海埂公园(琵琶湖の半分ほどの湖)、翠湖公園(市民の憩いの場)、昆明老街~南屏街(飲食・ショッピング街)など。

 

以上、様々な所を見聞しました。

 

しかし中国を知ると言う意味では、他にも重要なことがありました。

それはしばしばハプニングが起こり、中国の人々と直に触れ合い、ハット気付かされるのは様々な交通機関、飲食店、ホテルなどを利用した時でした。

これがフリーの醍醐味かもしれません。

また移動中の車窓の景色も、目を凝らして見ていると様々なことに気付かせてくれました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 2: 目を見張る変化


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< 1. 麗江の巨大な別荘街 >

 

 

今日は、中国旅行での驚きを語ります。

私は三十数年前から計8回中国を訪れているので,

幾つかの変化を感じ取ることが出来ました。

 

 

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< 2. どこもかしこも建築ラッシュ >

 

上の写真は新幹線から見た西安付近で、多くが建築中で、その数がべらぼうに多い。

通常、中国の新幹線駅や空港は都市部から離れているので、これらの建物は交通の便が悪いはずです。

おそらく巨大な町ごと、または新たな交通機関を造ってしまうことで解決しているのでしょう。

 

下の写真は麗江から昆明までの新幹線で見た大理辺りで、こんな奥地にも規模は小さいが建築中が目立った。

 

 

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< 3.廈門の億ション? >

 

これは高層マンションの一室から見下ろしたところです。

この持ち主によると一戸は1億円近いそうです。

廈門ではここ十数年ほどで不動産価格が十倍以上になった。

 

 

* 私の中国遍歴

 

1980年代後半に香港と広州を社内旅行で訪れました。

これが初めての中国訪問でした。

この時、広州の街を深夜まで歩き、人々の活気を肌で感じ、身震いしたものでした。

当時、台北よりかなり生活水準が遅れていましたが、遥かにエネルギッシュでした。

成長を確信したのが懐かしい。

 

その後、上海と北京に視察や社内旅行で訪れています。

次いで、廈門の友人を夫婦で尋ねて、廈門と客家土楼などを見学しました。

 

後に観光ツアーで西安・洛陽、桂林を訪れた。

 

そして今回のフリーの一周旅行です。

 

 

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< 4. どこも観光客で一杯 >

 

上は、夜遅い北京の王府井。

多くの高齢者の団体観光客が通りを闊歩し、飲食店、土産物屋で楽しんでいた。

おそらく地方から来た人々でしょう。

 

下は、麗江の四方街。

ほんとに多くの観光客で賑わっていた。

団体客もいるが、フリーらしい少数のグループやカップルも多い。

欧米人は数えるほどで、ほとんどが中国人か、稀に隣国の東南アジアからの人でした。

 

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< 5. 都市部の道路状況 >

 

上は北京で、下は蘭州です。

何処も車、車で一杯でした。

 

 

* 中国の印象

 

一言で言えば、大きく変化し続けていることに尽きます。

 

廈門を十数年ぶりに訪れましたが、町の様子は様変わりし、高層ビルが乱立していました。

中国各地のどんなに奥地に行っても高層住宅の建設ラッシュでした。

 

どの都市に行っても、普通乗用車がひしめき合い、渋滞が常態化している。昔のように自転車で交差点が埋め尽くされることはなく、せいぜい昆明でバイクが目立つぐらいです。

 

観光ツアーでは気付かない発見もありました。

路線バスなど様々な交通機関を利用していると、人々の親切やマナーの良さを知ることが出来ました。

当然、日本や先進国と違うところもあるが、どんどん向上しているように思える。

 

概ね、若い人ほど親切でマナーが良く、高齢になるほど傍若無人なようです。

これは北欧とは逆のようです。

経済発展がそうさせているのか、はたまた教育がそうさせているのか?

生活の余裕が生み出すものなのか?

 

お願いしたアンケートの回答や数人との会話、街行く人々の様子から、自信のようなものを感じた。

彼らは経済成長や生活の改善は政府だけの力ではなく、中華文明の秘める力によるものが大きく、だからこそ持続出来ると思っているようです。

 

暮らしの向上を様々な場面で感じることが出来た。

先ず、十数年前に比べると国内旅行者が大幅に増え、それに連れて海外旅行に行く人も増えている。

都市中心部の百貨店、専門店、大型スーパーの商品価格は日本に比べ安いとは言えないが、いつも大賑わいでした。

幾つかの都市で、飲食店の店員募集の給与を見ると月8~12万円ぐらいでした。

三十数年前は都市部で月5千円ほどでした。

 

 

私は概ね中国の経済成長が今後も続くと感じました。

 

日本で出版されている中国経済の本によると、バブルが弾ける要因が幾つも挙げられているが、それよりも開放政策(自由競争)による生産性向上(IT関連など)や旺盛な労働意欲が勝って良好な結果を生み出しているようです。

おそらく中央政府や地方自治体の都市開発(公共投資)が、現在の好循環を生んでいるのでしょう。

欧米の自由主義経済からみると不可解なのですが、税金に頼らない公共投資に鍵があるようです。

 

 

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< 6.蘭州だけは中心部を外れるとバイクが多かった >

 

 

これから各地の状況を紹介しながら、中国の発展と変化、歴史、人々の生活などを見て行きます。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 1: はじめに


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これから中国旅行記を連載します。

中国外縁部の7都市をフリーで巡りました。

訪れたのは2019年10月15日から15日間です。

 

 

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< 2. 旅行のルート >

赤線は飛行機、黒線は新幹線です。

訪問都市は1廈門、2北京、3開封、4蘭州、5成都、6麗江、7昆明で、この番号順に訪れました。

 

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< 3.上が廈門、下が北京 >

 

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< 4.成都の博物館と麗江古陳 >

 

 

*旅行の概要

 

新幹線、ホテル、現地ガイドの手配はすべて旅行会社を通さずインターネットで行いました。

各都市内の移動はタクシー、公共のバス、地下鉄を利用しました。

妻と二人で毎日、2万歩ほど歩いて観光しました。

費用は土産や保険も含めて一人23万円ほどでした。

 

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< 5.開封の夜市と蘭州 >

 

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< 6. 昆明の観光地と繫華街 >

 

 

*訪問地と旅行時期にについて

 

訪問地を簡単に説明します。

 

廈門: 台湾企業の進出が進み、華僑を頻出した経済発展が著しい大都市です。

 

北京: 発展する首都であり、多くの観光地や博物館がある。

 

開封: 商業と大衆文化が開花した宋時代の首都で、宋時代を再現したテーマパークがある。

 

蘭州: シルクロードの要衝で、黄河を挟んで漢民族と異民族が境界を争った。

そして回族(イスラム)が多く住んでおり、蘭州ラーメンが有名です。

 

成都: 紀元前に特色ある青銅器文化が興り、三国志時代には蜀の首都であり、現在は大都市です。

 

麗江: 5000mを越える峰々を這うように長江が流れ、紀元前よりチベットと中国との交流(茶葉街道)の要衝でした。

現在は、その街並みが世界遺産となっている。

 

昆明: 漢民族の勃興に伴って幾多の先住民族が南下し、麗江を含む雲南省などに住み着いた。

古くは未開の地と言われたが、現在は多くの少数民族が漢民族と共に暮らし、東南アジアに接する交易の拠点でもある。

 

 

私は今回の旅行で、中国の経済発展が本物か、経済発展が外縁部(蘭州、麗江、昆明)まで浸透しているのかを確認したかった。

また歴史的な興味から、中国文化に多大な影響を与えたシルクロードと茶葉街道、蜀と宋時代の首都にも訪れたかった。

さらに中国国内の波乱要因である少数民族の状況も知りたかった。

 

実際にルートを決めるには、15日間で効率よく回れるように新幹線網と航空便の組み合わせで決めました。

 

 

 

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< 7. 麗江の玉龍雪山と昆明の公園にて >

 

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< 8. 新幹線と駅構内 >

 

 

この時期を選んだのは私の仕事の都合もあるが、一番は中国のゴールデンウイーク(建国記念の10月1~7日)を避けるためでした。

 

私から見れば、北京や麗江などの観光地はどこも国内旅行客で満員でした。

そうは言っても閑散期に入るために、蘭州の炳霊寺(へいれいじ)石窟の交通手段がやり繰り出来ず行けなかった。

また甘粛省博物館が急遽数年ぶりの改修閉館となり、入館出来なかった。

 

一方で、蘭州や麗江などは紅葉の初期に当たり、また開封や麗江などの観光地は至る所、菊花で埋め尽くされていて綺麗でした。

 

成都だけは1日中雨に降られたが、他の都市の天候は概ね良好で、温かい廈門を除いて1日の気温は約10℃~20℃でした。

 

 

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< 9.新幹線の車窓からの眺めと郷土料理 >

 

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< 10. チベット仏教の寺 >

 

 

*この旅行記で示したいこと

 

・様々な中国の風景、観光地、都市部の喧騒、車窓からの風景を写真と共に紹介します。

訪問したのはガイドブックにある主要な観光地、市民が憩う公園、博物館、仏教と道教の寺院です。

 

・各都市の社会経済、歴史や人々の暮らしについて語ります。

 

・中国旅行のアドバイス、交通機関、ホテル、スマホの利用、現地ガイド、食事、土産について紹介します。

 

・旅行で出会った中国人やエピソード、感動と困惑も紹介します。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 90: 最後に


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今日で北欧の旅行記を終えます。

最後の思いを記します。

 

 

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12日間の北欧旅行は発見、冒険、感動の素晴らしい日々でした。

春が訪れたばかりの北欧では、自然と人々が正に輝いていました。

 

北欧は閉塞感漂う日本とは別世界だが、だからと言って高層ビルが乱立し大発展を遂げているわけではない。

しかし心の豊かさが彼らの表情や態度から伝わって来る。

 

30年ぶりの訪問で北欧の新しい側面も見た。

自然に優しい自転車社会と、国境で人を峻別しない移民受け入れが進んでいた。

 

この旅行は私にとって、初めての海外一人旅でした。

英会話、旅行手配、現地の移動とトラブル対処もすべて自己責任でした。

緊張と歩き疲れはありましたが、かけがえのない旅となりました。

 

 

旅行のアドバイス

 

私の全旅費は28万円です。

私は中華航空を利用し、朝食以外の大半はコンビニで購入し、ホテル・航空券・鉄道・フェリーの手配は日本からインターネットで半年前から直接した(不安ではあったが、まったく問題は起きなかった)。

 

少し後悔しているのは、各首都のシテイパス購入です。

これは便利なのですが、多くの観光を詰め過ぎて、現地の人との交流のチャンスを逃してしまった。

交通パスは便利でお薦めです(シテイパスと一緒の首都もある)。

 

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皆さんにお願い

 

早いうちに北欧を訪れ、自分自身と幸福について見つめ直して欲しい。

 

日本人の多くは井の中の蛙で満足している。

当然、彼らは諸外国が如何に苦労して平和、幸福、豊かさを手に入れたかを知らない。

我々よりも遥かに心豊かに暮らしている国々が世界には多くある。

 

世界は多くの事を教えてくれる。

例えば、中国の秦帝国はそれまでの大量の奴隷の殉葬を俑(人形)に替えた。

続く漢帝国の初期、奴隷制は後退し、繁栄を始めた。

しかし漢帝国が亡国を迎える頃には、奴隷制は拡大していた。

 

また世界中に前世紀まで原始的な生活を続けていた先住民族を考えてみよう。

彼らの多くは1万年間も原初生活を続けていたのではない。

彼らは数百年前、他の部族との抗争から、僻地に活路を求めて移り住んだ人々です。

そして文明との接触を断って安全を得たが、失ったものも多かった。

 

これらの事例は、今の日本を暗示している。

 

日本はがむしゃらに働き一度は欧米に追いついたが、30年前から衰退を始めた。

目標とした米国は、今や金融とIT以外、国民にとって魅力的とは言えない(安全、福祉、格差で)。

 

今の日本は凋落の中で彷徨い、見果てぬ夢を負い続けている。

 

 

今後について

 

理想とすべき北欧を訪れた。

しかし、まだ二つの重要な国が残っている。

 

一つは、今後覇権を握るだろう隣国、中国です。

中国は既に最大のビジネスパートナーであり、異なる体制を持つ軍事大国で因縁もある。

今年、私は中国を一周旅行し、この目で発展、暮らし、歴史を確認して来ます。

 

その次は、最大の同盟国で覇権国でもある米国です。

現在、米国は内部で所得階層と人種で分裂し、もっとも格差が拡大し、軍事的な危険性も増している。

出来れば、3年以内に米国と幸福度の高いカナダを共に訪れたい。

 

これにより模範の国、急成長の隣国、反面教師の大国の三つを見終えることになる。

そして何かしらの日本の進むべき道が見えることを願っています。

 

 

永らく私の旅行記をお読み頂きありがとうございました。

 

これで終わります。

 

しばらくブログを休みます。

 

 

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北欧3ヵ国を訪ねて 89: 北欧の旅を終えて 10 : 北欧の人々の声 3


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< 1.平均的なスウェーデン人の顔 >

 

 

今回はスウェーデンの白人男性を紹介します。

 

 

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帰国時、彼はストックホルム空港で乗り継ぎの待合室で会った人です(私の帰国ルートとは別)。

これが最後のインタビューになった。

彼とも英語でやり取りし、英語のアンケートを見せて

英語で記入してもらった。

 

 

彼の回答を紹介します。

 

  •  あなたの国で最も素晴らしいものは何だと思いますか?

 

答え: People, Sweden is very clean.(訳: 人々と綺麗な国 )

 

  •  現在、あなたの国や生活で不安や不満はありますか?

 

答え: Politicians, creating problems.

( 訳: 政治家達、問題が多い)

 

  •  何があなたの国を良くしていると思いますか?

 

答え: Improvement of Swedish system: it was much better before.

( 訳: スウェーデン社会の改革力、昔の方が良かった)

 

  •  日本について知っていること、または感じていることはありますか?

 

答え: Orderly, beautiful, friendly people, great food, Sake, and Japanese Beer.

( 訳: 秩序正しい、美しい、親切な人々、素晴らしい食べ物、酒とビール)

 

5. 大半の日本人は北欧について無知で、暗いイメージを持っています。

何にか一声お願いします。

 

答え: very high tax, less entertainment

( 訳: 重税、娯楽がない)

 

 

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*3

 

 

解説と感想

 

彼は白人の40歳代のスウェーデン人です。

彼はおそらくビジネスマンで、空港で待ち時間を過ごしていた。

 

彼が指摘するように、北欧は国民(経済界と労働界、政治家と国民)が一体になって改革を続けることが出来る。

 

世界で初めて高度な福祉政策を取り入れたが、高齢福祉で老人の孤独や財政負担が問題になると、大胆な修正を行った。

初期は自宅から離れた新設の老人ホームが目玉であったが、現在は子供達が住んでいる街で老人が自立出来るようにコミュニティ全体で支援するシステムに変更した。

(これが日本の介護システムの原型になった)

今でも男子の育児休暇取得の奨励と期間延長で北欧三ヵ国は試行錯誤を続けている。

 

また世界の金融資本主義の荒海にもまれながら、自国の格差拡大を抑制し、且つ競争力向上を図り、経済成長を続けている。

これは経済界と労働界が共に、成長産業への移行と経済システムの刷新を行っているから出来ることです。

 

教育は、学校教育方針の素晴らしさだけでなく転職時の教育も充実している。

また個人でも生涯教育やスキルアップに熱心です(日本は先進国最下位か)。

 

まさに北欧の発展は高い政治意識とチャレンジ精神のある国民の賜物と言える。

 

彼の指摘から、スウェーデンの苦悩が伺える。

1991年以降、経済(金融)重視か福祉優先かで幾たびか政権が交代しており、経済成長の鈍化と格差の拡大が進んでいる。

スウェーデンは他の北欧ほど経済は良くない。

 

彼は5番の回答で、私が例として書いたおいた「重税と娯楽がない」をそのまま書いている。

私は彼が自国の状況を批判的に見ているのか確認していなかった。

 

彼の言動から察するに、日本に来たことがあるか、日本に非常に好感を持ってる。

 

ストックホルムでも最近、ナイトスポットが出来ているようだが、依然として日本の歓楽街とは比べようもないはずです。

日本の赤ちょうちんや夜の街などは男性天国です。

これを知れば、北欧の男性と言えども・・・・

 

やはり重税を避け、お金を自由に使い、男性優位に暮らせることを望むのかと思ったりもする。

 

 

北欧を旅行して、北欧人の日本へのイメージの良さは格別で、気分が良かった。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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