早春の淡路島 2: 仁井と浅野公園間をハイキング


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今回は、淡路島北部の山村を歩き、桜の名所や遺跡を紹介します。

訪れたのは2020年3月26日でした。

 

 

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< 2.散策マップ、上が北 >

 

上: 青線が散策ルート、Gがスタートでゴール地点です。

 

中央: スタート地点Gは本四仁井バス停から少し下った小田の滝です。

青線を時計回りに歩きました。

赤矢印のAは小田の滝、Bは浅野公園と不動の滝、Cは早良親王陵です。

黒矢印は今回歩いた中で最標高地点です。

 

今回は10時頃から歩き始め、浅野公園で弁当を食べて、2時過ぎに元の地点に戻って来ました。

登りの合計は300mほどです。

 

 

 

 

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< 3. 小田の滝 >

 

上: この橋は浦川に架かっており、この川は東浦バスターミナルの横を流れ、大阪湾に流れ込む。

橋の向こうを左側に降りて行くと滝に行けるはずです。

 

中: 少し川を遡ってみたが、荒れていて行くのを断念した。

 

下: 小田の滝を離れ、道を登って来た所からの眺め。

 

 

 

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< 4. あわじ花さじきを望む >

 

上: 畑は蓮華草が今や盛りと咲いていました。

 

中: 道から北側を望む。

右奥にあわじ花さじきのある丘陵部が見える。

左に神戸淡路鳴門高速道路が見える。

 

下: 道から南側を望む。

枝垂れ桜、遠方の山に山桜がちらほら見える。

あの山の頂き辺りに常隆寺があるはずなのですが。

 

 

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< 5. 3kmほど登り坂が続く >

 

上: 左側(南)の景色。

 

中: 登りが延々と続く。

見晴らしが良く、舗装された道なのだが、木立の日陰が無く、盆地の為か風がない。

汗が噴き出して来る。

 

下: 来た方向を振り返ると、大阪湾が見えていた。

 

 

 

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< 6. 峠を越えたと思っても >

 

上: 一つ峠を越えても、また手前に山が迫って来る。

中: 山桜が満開でした。

 

下: 一番高い峠を越えたので、瀬戸内海が見えた。

 

 

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< 7. 有難い標識 >

 

中央: 地名と矢印を示す標識が、主要な道の分岐点に立っており、助かった。

この十字路を左に曲がると浅野公園に行ける。

 

下: この池の向こう、左側に浅野公園がある。

 

 

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< 8. 浅野公園 >

 

上: 桜は未だでした。

一本だけが満開になっており、地元の中学生がピクニックに来ていた。

 

左下: 浅野公園の奥の階段を下ると、不動の滝がある。

 

右下: 不動の滝。

 

 

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< 9. これから仁井に戻る >

 

上: 先ほどの池の横の道を右側に下って行く。

 

中: この道沿いには桜の木が植わっているが、開花は未だでした。

眼下に瀬戸内海が見える。

 

下: 舗装された車道から脇に逸れて、下って行くと高速道路が見えて来た。

 

 

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< 10. 高速道路の横を進む >

 

上: 急な下り道を行く。

下りは足に応える。

 

中: 高速道路の下を横切る。

 

下: 今度は高速道路沿いを進む。

写真は振り返った所。

下った後の登りは気落ちする。

 

 

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< 11. 仁井トンネル >

 

上: 左下に高速道路の仁井トンネルが見える。

山を右側に迂回している道を行く。

 

中: 急に前方が開け、道は左右に分かれる。

するとその手前右側に標識が見え、「早良親王墓」とある。

標識の示す小道を進む。

 

下: 右手に池が見える。

 

 

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< 12. 早良親王墓 >

 

上: 早良親王墓。

彼は日本最大の怨霊と言われ、天皇と貴族が祟りを恐れ長岡京から平安京に急いで遷都した話は有名です。

彼は天皇家の後継争いに巻き込まれ、淡路島への流刑の途上で亡くなった。

そしてこの地に埋葬された。

 

まさか、こんな寂れた山の片隅に彼の墓があるとは思わなかった。

この親王の兄にあたる桓武天皇は、彼の為に近くの常隆寺に七堂伽藍を建て、勅願寺としている。

後に奈良に移葬され神社に祀られている。

 

他にも天皇家など高貴な人々が淡路島に流刑になっていた。

それにしてもこの場所がなぜ選ばれたのだろうか。

今は、墓のある小山は鬱蒼とした木々で覆われているが、これが無ければ、中央の写真のように、大阪湾を眼下に一望できる見晴らしの良い高台です。

更にうがった見方をすれば、常隆寺-早良親王墓-京都はほぼ一直線上に並ぶ。

 

中央: 眼下に東浦、大阪湾が見える。

 

下; 北側を望むと本四仁井バス停の駐車場が見える。

 

 

 

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< 13.仁井に戻って来た >

 

桜や菜の花が満開で美しい。

空は曇り初めていた。

 

下: 小田に向かって下る。

車に乗って帰る。

 

 

今回の行程は、舗装された道を歩くので良かったが、上り下りが辛かった。

見晴らしは良いのだが風が無いと、この時期はもう暑い。

前回の諭鶴羽山登山では、スマホのグーグルマップは役に立たなかったが、今回は役に立った。

最後に歴史的な遺産に巡り会えて、良かった。

 

終わります。

 

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 8: 何が重要なのか 1


 

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これまで危機への警鐘と対応について見て来ました。

どうすれば警鐘を生かし危機の防止に取り組めるのだろうか?

 

 

  •  警鐘が無視される主な4つの理由。

 

科学的な理解が困難、未来の事は後回しにする、強力な世論誘導がある、分裂している社会では論理が通じない。

加えて転換の難しが加わる。

 

 

  •  危機回避の正しい選択が困難

 

日本では原発からクリーンエネルギーへの転換が進まないが、最大の理由は既得権益を得ている人々が、今の社会経済の体制維持に巨大な力を使うからです。

 

このように問題(危険性、腐敗)、非効率(高負担、経済損失)が露見しても、一度、定着した事を捨て切れず転換できない社会・経済現象をロックイン現象と言います。

これは個人の消費行動から国策まで及び、特に経済的な規模が大きいほど抵抗が大きく、世論操作まで行われて転換が妨げられる。

 

一度、軍拡競争が始まるとほぼ止めることが出来ず、別の選択肢はなくなる。

双方の疑心暗鬼は深まり続け、膨張した軍需産業と軍隊は縮小を受け入れない。

 

1930年代、ドイツと日本は不満と恐怖を解消する為に、民主主義を捨て軍事独裁国家への道を選んだ。

国民はヒトラーに熱狂し、予想だにしなかった末路に至った。

 

このようなことが繰り返されたら、これからの危機に対応できず、人類の未来はないように思える。

しかし光明はある。

 

1980年代初め、フロンガスが南極上空のオゾン層を破壊し、放置すると紫外線が増大し人体を害すると分かった。

しかし80年代末には世界が協力してフロンガスの使用を禁止した。

 

これは地球システムの破壊を世界が一致して防止した最初の成功例でした(汚染物質の禁止は以前からあったが)。

 

なぜこうも素早く解決出来たのか?

フロンガス製造中止で影響を受ける産業と国が限られていたこと、代替えフロンが開発されたこと(但し地球温暖化の問題は残る)。

 

そうは言っても、世界が科学者の発見を受けて、経済負担が有りながらも、世界が一致協力出来たことは快挙に違いない。

 

一人の訴えが、社会を救った事例は他にもある。

南アフリカのマンデラは人種差別で、インドのガンジーは帝国支配の終りで、英国の経済学者ケインズは不況の克服で貢献した。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 28: 五泉山公园から蘭州空港まで


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今回は、商店街、五泉山公园、大型ス―パー、蘭州空港を紹介します。

また中国でお世話になった現地ツアー会社も紹介します。

これで蘭州の紹介は終わります。

 

 

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< 2.五泉下広場近くの商店街 >

 

ここは前回紹介した五泉下広場を山側に歩いて直ぐの商店街です。

歩いたのは1時半頃でしたが、買い物客はそこそこいました。

売っているものは野菜や果物が多く、衣類、葬式で燃やす紙銭もありました。

中国らしく、店先が道路まで大きくはみ出している。

中国にはスーパーがたくさん出来ているが、このような昔ながらの商店街も市民に利用されている。

 

 

 

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< 3. 五泉山公园 >

 

上: 商店街の続き。

 

下: 五泉山公园の前の広場。

 

蘭州の観光名所の一つで、北側の山裾にある旧跡を中心とした公園です。

総敷地面積27万㎡の中に、5つの泉、数多くの仏教建築や仏像群、動物園まであります。

ここには明代に遡る仏教建築があるそうです。

 

 

 

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< 4. 五泉山公园 >

 

上: 五泉山公园の前の広場。

 

下: 北門を抜け、五泉山公园内に入った。

中央の奥に霍去病の銅像が見える。

紀元前120年、漢の将軍霍去病が匈奴遠征中、ここで泉を見つけ、軍隊の水不足を救った伝説が残っています。

霍去病は若くて勇猛な将軍と史記に記されています。

 

 

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< 5. 五泉の一つ >

 

園内の所々で銀杏が黄金色に輝いていました。

私が歩いたのは、ほんの一部に過ぎません。

 

下: 五泉の一つ。

 

 

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< 6. 浚源寺 >

 

上: 前述の泉の右手(西側)に浚源寺が見える。

 

下: 浚源寺に入る。

 

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< 7. 浚源寺の境内 >

 

上: 入って来た門を振り返った。

 

下: 本殿。

この日は、毎年行われる仏教信者の集まりがありました。

多くは年配の女性信者ですが僧侶姿の男性も見られました。

 

共産主義国家で仏教の行事に多くの信者が集まることに少し驚きました。

けっこう信仰の自由があります。

 

 

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< 8. 北門を出た所 >

 

上: 本殿の仏像。

 

下: 北門側から広場を望む。

この右手の小綺麗な店で、孫への土産、可愛い毛糸の手袋を買いました。

ガイド曰く、この店は日本に輸出する品質と同等の物を置いているそうです。

若い現地の女性も買いに来ていました。

 

 

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< 9. 大型スーパー >

 

上: 五泉山公园の広場。

 

公園内や広場に居る人に少し違和感を感じた。

ここを通ったのは2019年10月23、水曜日の2時半頃でした。

観光シーズンが終わり、平日でもあり、観光客はほとんど見られなかった。

孫や子供を連れた家族、若いカップル、年寄りが少ない。

しかし中年の男性が多い。

服装から言って、市民なのだが、なぜこれだけの人がここにいるのか?

分からない。

定年を迎えた人々なのか?

 

下: 大型スーパーの华润万家(天水路店)。

蘭州大学の前にある大きなスーパーです。

土産を買いたいと頼んだら、現地ガイドがここに連れて来てくれた。

蘭州名物としてワインと干した果実や氷砂糖が入ったお茶を買いました。

 

妻は安いバッグを買いました。

バッグは安いのですが、妻の好みのデザインでは無かった。

おそらく日本で日本人向けの中国製バックを買う方が、無難で価格も同じぐらいだと思う。

妻は中国で二つバッグを買ったが、結局、日本で安い中国製を買い直しました。

 

 

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< 10. エアポートバスで空港へ向かう車窓から 1 >

 

中心街の眺め。

 

先ほどの大型スーパーから700m離れた所に民航售票处(城关区东岗西路588号)があり、ここからエアポートバス(兰州机场大巴 1号线)に乗って、空港に行きます。

30分毎に出発し、乗車時間は1時間15分ほどです。

料金は30元で安い。

 

 

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< 11. エアポートバスで空港へ向かう車窓から 2 >

 

上: 高速道路に入る。

 

中央: 黄河を渡り、北に向かう。

 

下: 黄河を渡ると、間もなく荒涼とした低い山並みが続きます。

 

 

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< 12.エアポートバスで空港へ向かう車窓から 3 >

 

上: 山肌はすべて、今にも土が崩れそうで、それを防ぐ為に植林が行われているが、カバー仕切れないようです。

このような景色が延々と続く。

山は手を抜くと今にも砂漠の山になってしまいそうです。

 

中央: バスの車内。

左の窓ガラスは砂塵を受けて曇っている。

空港近くになると、かなりの間、砂嵐が吹き荒れ、視界がかなり不良になった。

バスはそれでも走り続けたが。

 

この砂塵舞う山岳地帯を、かつて遊牧民や騎馬民族が隆盛を極め、往来していた。

万里の長城はここよりも北側にあって、さらに1000kmも西側まで延びていた。

 

 

下: 写真のように、今は高速道路がこの地帯を縦貫している。

他にも工事中の道路があった。

 

 

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< 13. 蘭州中川空港に到着 >

 

上: 私は進行方向左の席、つまり西側しか写真を撮っていない。

 

しかし空港に近づくと東側に驚くべき光景を見た。

砂塵が舞う高原(ここの高度は2000mぐらいか)に、突如として巨大な都市が出現したのです。

建築中らしい高層ビルが幾層にも連なる光景が砂塵の向こうに十数分も続いた。

後で調べると、その範囲は長さ15km、幅5kmもあり、高層ビルだけで1000棟は優に超えるでしょう。

中国のエネルギー、開発力を見せつけられた。

これが今回のコロナ対策で、巨大な隔離病棟を10日ほどで幾つも建築してしまうことに現れている。

 

衛星写真を調べるにあたって気付いたことがあった。

この地域は百度地図の衛星写真が不鮮明になっている。

おそらく、この地域に中国軍の基地があるためだろう。

グーグルマップの衛星写真は鮮明だが、残念ながら中国では不正確で経路案内には使えない。

 

 

下: 向かいに見えるのが、蘭州中心部と往来する列車の駅でしょう。

 

 

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< 14. 現地ツー会社 >

 

左上: エアポートバスを最初に降りて直ぐのターミナル入口。

この空港には二つのターミナルがあるのですが、私が乗る中国東方航空は第二ターミナルにあり、その前に降りた。

 

右上: カウンターに向かう。

無事、Eチケットから搭乗券の手続きが出来た。

このフロアで夕食をとりました。

 

 

下: 蘭州、成都、麗江で使った現地ガイドの「CHINA8」ホームページ。

https://china8.jp/

 

これまでの私の中国旅行はほとんどがツアー観光でした。

今回初めて、現地ガイドを利用することにし、インターネットで調べた。

するとこの会社が、最も安くて、各地のツアーが希望通りに出来ることが分かった。

この「CHINA8」は各地ツアー会社の連盟です。

 

長所

  • 日本語表示のホームページ。
  • 旅程の希望や変更を日本語のメールで事前に交渉できる。但しすぐに返事が来ないこともある。対応の丁寧さは各会社で異なる。
  • 価格設定が分かり易く、また安くできる。
  • 現地ツアーの選択幅が広い。例えば、車と日本語ガイド、ガイドだけ、車だけ、時間や行く先も自由に選べる。
  • ツアー後の支払いが明朗会計。予想通りで超過はなかった。但し、多くは中国元の現金払い(事前に通知有)。
  • 概ね親切で、土産物屋に強引に連れて行かれることはなかった。

 

気になるところ

  • 年寄りに気を使った案内が出来ないようだ。歩行距離が少ないように駐車場を選ぶとか。
  • ガイドにより、日本語の習熟度が異なり、また現地の歴史の知識にも差がある。

 

全体の感想

  • 普通に現地を観光するには、この会社を使うのが良いでしょう。
  • 観光地、地元の生活、買い物を知りたいなら充分でしょう。
  • 親切に対応してくれるのがうれしい。

 

最後に

彼らガイドの話によると、現在の日中関係を反映して、日本の観光客が激減しているそうです。

どうか皆さんも中国に旅行し、彼らガイドを利用してください。

彼らが失業してしまうと、今後不便になりますよ。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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早春の淡路島 :  国営明石海峡公園と諭鶴羽山


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今回は、早春の淡路島の花と自然を紹介します。

2020年3月17日と20日に訪れました。

両日とも素晴らしい快晴に恵まれました。

 

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< 2. 訪問地、上が北 >

 

上: Aが国営明石海峡公園、Bが諭鶴羽山。

 

下: 赤矢印が諭鶴羽山、B1が諭鶴羽山ダム、B2が上田池ダム。

ここに来た目的は、約二十年前に登った諭鶴羽山にもう一度登りたったからです。

しかし、失敗しました。

私の勘違いで、諭鶴羽ダムから登れると思っていたのですが、途中で道が無くなり、引き返しました。

次いで、車で上田池ダムへ移動し、そこから登り始めましたが体力が持たず、諦めて途中から下山しました。

約4時間半かけて、15km歩きました。

 

 

 

 

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< 3. 国営明石海峡公園のMAP >

 

地図を二分割し、右側(東)を上に左側(西)を下にしています。

 

私は上の右側のゲートから入り、黒線に沿って一周して戻って来ました。

途中、連絡口ゲートから夢舞台を少し散策し(茶色線)、また公園内に戻りました。

 

 

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< 4. 「大地の虹」辺り >

 

早咲きのチューリップが咲いていました。

3月17日は平日であり、コロナウイルスの関係もあるのか園内の人影はまばらでした。

 

 

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< 5. 「花の丘道」 >

 

上: 「大地の虹」辺り。

下: 「花の丘道」。

色々な種類の桜が咲いていました。

 

 

 

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< 6. クリスマスローズ >

 

下: クリスマスローズ。

 

 

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< 7. 「月のテラス」 >

 

上: 「月のテラス」から大阪湾、紀伊水道を望む。

チューリップの季節には、ここ一帯が色とりどりの花で満たされます。

 

下: 「空のテラス」から「せせらぎ広場」と大阪湾、神戸を望む。

 

 

 

 

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< 8. 「せせらぎ橋」からの眺め >

 

上: 「せせらぎ橋」からの眺め。

下: 「案内所」の前辺りの水仙。

 

 

 

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< 9.諭鶴羽ダムから登り始める >

 

アドバイスがあります。

諭鶴羽ダムは桜の名所で、湖岸を囲むように桜が咲きます。

しかし周囲を巡る道路は非常に狭く、対向車線が有りません。

ニ三十台の駐車場は、ダム湖の奥にあります。

従って、車は湖岸を時計周りで走行すべしと現地の人に教わりました。

この日は、桜は未だでした。

 

 

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< 10. 鬱蒼とした林間を抜けると >

 

鬱蒼とした林間を抜けると、視界が開け、沢づたいにゆっくり登って行きます。

残念ながら、途中で道が無くなり、引き返しました。

 

 

 

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< 11. 上田池ダムから登り始める >

 

上: 遠くにダムが見える。

ダム近く、道路沿いの空きスペースに車置き、湖岸沿いに歩き始めた。

この辺りに駐車場が無いので、ハイキングするには問題があります。

いっそのこと、車で頂上まで行く方が良いようです。

私達が歩いて行く間に、6台ほどの車が上に向かって行きました。

 

 

 

 

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< 12. 椿が多かった >

 

途中、一か所、農家らしい廃屋がありました。

 

 

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< 13. 役行者の碑 >

 

上: 途中、役行者の碑を見ました。

この辺りから、沢を越えて諭鶴羽山頂に向かう道があるようです。

おそらくかなり険しい山道になるでしょう。

頂上近くに諭鶴羽神社があり、諭鶴羽ダムからも行ける裏参道があるらしいのですが、分からなかった。

修験者の道が、山頂に向かって幾本もあったようです。

 

 

 

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< 14.沢づたいにのぼるが、果てしない >

 

いくら歩いても、谷間を行くだけで、見晴らしは良くならない。

もっと上まで行けば見晴らしの良い道に出れるのですが、とうとう諦めました。

諦めた場所近くに標識「奥滝」がありました。

 

 

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< 15. 来た道を戻ります >

 

 

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< 16. ダムからの眺め >

 

上: つつじが咲いていました。

中央: 上流側を望む。

下: 下流を望む。

三原平野の向こうに、瀬戸内海が見える。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 7: 罠に嵌った人々


 

 

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20世紀最大の罠と言えば、ファシズムへの暴走でしょうか。

人々は危機を脱しようとして、より悲惨な危機に陥った。

日本も同じですが、ドイツを見ます。

 

 

特報!!

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< 2.いつか来た道 >

http://shukan.bunshun.jp/articles/-/13175

 

 

当時の状況

・ 巨額の戦後賠償と世界恐慌による大量の失業

・ 革命後の社会民主主義政権は安定せず、軍部の復権が進んでいた

・ 共産革命とソ連への恐怖が高まっていた

 

一人の天才アジテーター、ヒトラーが出現した。

彼は、かつてのドイツ帝国領土を取り戻し、共産主義者とユダヤ人を排除すべきと訴えた。

彼は清廉な人物と見なされ、若者に絶大な人気があった。

彼が行う政策、国民運動や大規模公共事業は功を奏し経済が好転した。

これでナチ党は国民の支持を得て国会の議席を伸ばしていった。

 

当時、政治を掌握していたのは元軍人の大統領でした。

彼は自ら任命した首相に政治を任せ、まだヒトラーを信用していなかった。

だがこの非力な首相は、人気のあるヒトラーの抱き込みを図った。

 

大統領が高齢で弱気になったと見るや、ヒトラーは一気に政権掌握に動いた。

彼は部下に国会議事堂を放火させ、それを共産主義者のせいにし、彼らの議員職を剥奪します(緊急事態条項と同じ)。

そしてナチスは過半数を占める第一党となり、ヒトラー総裁を決議させた。

 

この後、第二次世界大戦へと一気に突き進むことになる。

やがてユダヤ人追放が始まり、彼らの莫大な資産は国民に分配され、虐待や虐殺への批判は起きなかった。

同様の手口は中世スペインでもあった。

 

この間、ヒトラーを支えた巨悪があった。

ドイツのメディア王は彼を応援した(フォックスニュースや読売と類似)。

ドイツの鉄鋼王(兵器王)も彼を支えた。

英米系の大企業は、戦後までこの鉄鋼王に巨額資金を提供し利益を得ていた。注1.

 

 

ポイント

 

・ 国民は騙されたと言うよりヒトラーに狂信し続けた。

・ 安直な危機打開策が、最悪の被害を招いた。

・ 一部の国民は命を賭して抵抗したが制圧され、暴走を止めることは出来なかった。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

注1. 「オリバー・ストーンの『アメリカ史』講義」p391より。

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 27: 兰州西关清真大寺と蘭州牛肉麺


 

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今回は、イスラム寺院と蘭州ラーメンを紹介します。

 

 

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< 2. イスラム寺院に向かう >

 

イスラム寺院が見える通りで車を降り、ここから歩いて行きます。

上下の写真は、この通りの東西方向を撮ったものです。

今まさに、地下鉄工事がこの通りで進んでいます。

 

下の写真に、兰州西关清真大寺が見えます。

 

 

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< 3. 大病院が見えた >

 

歩いて行くと、人混みが増えて来ました。

大病院でした。

病院の入り口は、人で一杯でした。

まだコロナウイルスが始まっていませんでしたが。

 

 

 

 

 

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< 4.兰州西关清真大寺 >

 

おそらく蘭州市で最大のモスクでしょう。

夜はライトアップされ綺麗だそうです。

言い伝えでは明時代まで遡るらしいが、清の時代、1687年に創建され、1729年に再建された。

甘粛省には回族が5%おり、東の端になる蘭州にも同率ぐらい暮らしているでしょう。

回族は言語・形質的には漢民族でイスラム教を信仰する民族です。

回族は中国ムスリム2000万人の半分を占める。

 

私が町を観光している間、思ったよりムスリムの服装(つばなしの帽子、へジャブなど)の人を見かけなかった。

 

 

 

 

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< 5. 兰州西关清真大寺に入る >

 

門をくぐり、前庭に入る。

前庭に数人の信者らしき老人が椅子に座り、のんびりと過ごしていた。

 

今まで、トルコやモロッコ、エジプト、ボスニアヘルツェゴビナなどでモスクを見て来たが、建築様式や配置が異なる。

尖塔と半球ドームのモスクの組み合わせはおなじであっても、モスクへの階段が如何にも中国王宮風でした。

面白いのは、階段に盆栽が並んでいることです。

今回、中国の寺院を巡っているとホントに多くの盆栽を見ました。

 

モスクの中には入れませんでした。

特に女性はダメなようです。

 

 

 

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< 6. 兰州西关清真大寺のモスク >

 

下の写真は、モスクの階段前から入り口の方を見下ろした。

 

 

今回の中国旅行の目的の一つに、地方の少数民族の状況を知りたかったことがありました。

中でも回族には、強制収容所(中国側発表で職業訓練所)の問題や、過去にテロと弾圧のニュースがありました。

蘭州のある甘粛省は、暴動のニュースがよく知られた新疆ウイグル自治区の東隣にあります。

 

私が日中一日、観光した分には異常さや緊張感はまったくありませんでした。

警察官が警備の為に街中に立っている姿をまったく見かけませんでした。

現地の人の感想では、取り締まりをしたおかげで、安心出来るようになったとのことです。

もともとこの地は平穏だったのかもしれませんが。

日本で治安を危惧していたが、まったくの杞憂に過ぎなかったようです。

 

日本人とって、蘭州は砂漠に隣接する山間の都市、かつてのシルクーロードの古い街ぐらいのイメージしかない。

しかし、ここも中国の大躍進を受けて、間違いなく発展していた。

将来、この地が世界のレアメタルや石油生産を担うようになるかもしれない。

けして無縁ではいられない。

 

 

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< 7. 五泉山公園の前 >

 

イスラム寺院を離れ、五泉山公園の前に来ました。

車を降りて、昼食のレストランまで歩きます。

この辺りも高層のビルはあるが、少し古い感じがします。

 

下: 五泉山公園の前の広場が見える。

私が立っている所は陸橋の上です。

下は幹線道路と列車の線路です。

 

 

 

 

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< 8. 五泉山公園の前の陸橋 >

 

陸橋を渡り、五泉下広場に向かいます。

 

 

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< 9. 五泉下広場 >

 

大きい広場ですが、少し殺風景な気がしました。

広場を様々な店舗が囲んでいます。

この広場の北端の角にあるラーメン店に行きます。

 

 

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< 10. 金强牛肉面 >

 

現地ガイドが昼食にこの店を選んでくれた。

13:00過ぎに入ったのですが、広い店内のテーブルは勤め人などでほぼ満席でした。

メニューは何種類かあり、妻と私の分で二種類注文した。

スープの味はさっぱりしていて、ほど良く、辛い分も私にはぎりぎりセイフでした。

麺も違和感はなく、美味しかった。

驚いたのは、スープの量が多く、肉が少ないことでした。

ガイドの話では、元々蘭州牛肉麺の肉の量は多く無いそうです。

一番驚いたのは、一杯100円以下だったことです。

他のメニューを加えても、一人150~200円ぐらいで済みます。

今回の中国旅行で、最も安く、美味しく、腹一杯になった料理でした。

 

この店は、現在5~10万元(75~150万円)で加盟店を募集しており、急拡大中です。

繁盛間違いなしです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 6: 罠を知る


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前回、私達が原発に呪縛されていることを見ました。

これと似た国を越える罠もある。

 

 

米ソ軍拡競争を見ます。

 

突然、現れたソ連のゴルバチョフが、米国に核戦力削減を提案し、核軍縮条約締結が成った。

しかし、この後が続きませんでした。

それはなぜか?

 

当時、米国は自画自賛していた。

「ソ連は我々の軍拡競争に負けて経済的に弱ったのだ。

だから宇宙にまで軍拡すれば、遂にソ連はねをあげる。

平和になるぞ!」

人々は、軍拡競争こそが軍拡を終わらせ、危機は回避されると信じた。

 

しかし、30年後の今、間違いだと分かるはずです。

 

 

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< 2.http://fkaleidoscope.blog11.fc2.com/blog-entry-566.html >

 

何が起きていたのか?

 

当時の米国大統領はレーガン、次いで父ブッシュでした。

ホワイトハウスはまったくソ連を信用せず、相変わらず軍備増強と軍事支配拡大で押し切ろうとした。

 

一方、ゴルバチョフは政治刷新の手腕を認められて、トップに立つことは出来たが、立場は危ういものでした。

彼が前例のない大幅な軍事的妥協(アフガニスタン撤退も)を提案すると、当然、軍部や保守派からの猛反発に晒された。

 

米国は、これ幸いと不平等な兵削減をソ連に迫り、また南米への軍事介入を進め、ソ連の制止も聞かず湾岸戦争に突入します。

 

湾岸戦争は、子ブッシュもやった人気取りの可能性が高い。

米国の駐イラク大使は、クウェートとイラクで緊張が高まっていた時、フセインに告げていた。

「ブッシュ大統領は、イラクの友好が優先であり、友人でないクウェートとの国境紛争には何の意見も持っていない」と。注1.

この戦争で大統領の人気は鰻登りとなった。

 

米国の中東やアジアへの軍事介入の経緯と、世界断トツトップの米国の軍需産業の伸張を知れば、頷けるはすです。

 

 

もし1980年代末、ホワイトハウスがゴルバチョフを信じ協力していれば、彼はクーデターで辞任することもなく、戦争は減っていたかもしれない。

 

結局、国民は真実から遠ざけられ、政府に振り回されている。

 

 

次回に続きます。

 

 

注1.「オリバー・ストーンの『アメリカ史』講義」p397より。

 

 

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中国の外縁を一周して 26: 敦煌艺术馆と蘭州博物館


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今回は、二つの博物館を紹介します。

珍しい物を見ることが出来ました。

 

 

当初、蘭州に行く最大の目的は炳霊寺石窟で、それがダメなら甘粛省博物館と思っていたのですが、両方とも訪れることが出来なかった。

しかし中国旅行直前に現地ガイドと観光地の選定をメールでしていると、敦煌艺术馆が急浮上しました。

この博物館は最近出来て、ガイドブックにも載っていない。

ここで敦煌の莫高窟を紹介している。

かつて莫高窟に憧れていたが、見学は諦めていました。

しかし今回、雰囲気を味わうことが出来、ラッキーでした。

 

甘粛省博物館はシルクロード、漢民族と西方・北方民族が織りなす文化と歴史を知るには恰好の巨大な博物館です。

有名な展示物は「馬踏飛燕」でしょうか、これは「汗血馬」が空を駆ける姿を表現したものです。

漢民族の馬は北方騎馬民族の馬に比べ貧弱でした。

漢の時代、シルクロードの西方に優れた馬「汗血馬」がいることがわかった。

その後、蘭州で馬の飼育が盛んに行われた時代があった。

 

 

 

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< 2. 仏教美術―壁画と仏像の宝庫、巨大な石窟群 >

 

左からシルクロード沿いにある敦煌の莫高窟、蘭州の炳霊寺石窟、天水の麦積山石窟です。

洛陽の龍門石窟は、シルクロード沿いにはなく王朝の首都近郊に造営された。

私は龍門石窟だけを以前見学している。

これら石窟の壁面には仏画が描かれ、仏像が掘り出されている。

中に僧侶らが修行や祈りの生活を続けた痕跡が残っている。

 

なぜこの地には数百もの石窟群からなる仏教遺跡が幾つもあるのでしょうか?

これら四つの石窟群は4~5世紀に造営が始まり、石窟によっては元から清の時代まで造営や改修が続き数百から千近くまで増えた。

 

当時、南下していた北方遊牧民族(匈奴、鮮卑ら)は中国の北半分からシルクロード一帯を占拠し分立していた。

彼らは漢民族の文化、特に仏教を積極的に受容し石窟の造営を始めた。

 

仏像は主にこのシルクロードを通じて中国に伝わり、既に中国でも製作は始まっていた。

インドでは仏像誕生後、一度廃れていたが、5世紀になるとヒンドゥー教と競うように、巨大な石窟群を開窟するようになった。

こうしてシルクロードの石窟にも、インドの様式が取り入れられるようになった。

 

 

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< 3.蘭州の街 >

 

白塔山から敦煌艺术馆まで。

 

 

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< 4. 敦煌艺术馆に到着 >

 

下: 中央に見える1階の建物が博物館です。

入口が中央に見える。

 

 

 

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< 5.石窟内の壁画 1 >

 

それぞれ石窟の一部の壁画を再現している。

様々な年代の様式が見られる。

 

上: 天井の壁画。

中央: 側壁。

この二つは初期の物でしょう。

 

下: これはどうやら西夏(11~13世紀)のものでしょう。

この作風は遼時代(10~13世紀)のものに似ている。

前者はチベット系で後者は北方系(契丹)だが、南北で境界を接していた。

 

 

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< 6. 石窟内の壁画 2 >

 

中央: チベット仏教の影響がみられる。

 

 

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< 7. 仏像 >

 

上: 初唐時代の彩色塑像。

下: 北魏時代の塑像。

造営初期の4~6世紀の仏像で、顔の形が細長い。

衣の表現はマトゥラー仏に似て薄く襞が少ない。

 

 

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< 8. インド風の石窟 >

 

北魏時代のもので、石窟全体を再現している。

この原型はインドの石窟群に見られるもので、礼拝者が仏像の安置された祠を周回出来るようになっている。

祠は掘り出されているので天井は繋がっている。

私はレプリカであっても初めて見ることが出来たので嬉しかった。

 

 

全体の感想

展示のコンセプトは石窟の部分的な再現にあるようで、全体の雰囲気を容易に掴むことが出来る。

この便利な地、蘭州で手軽に敦煌莫高窟を楽しめるのは有難い。

 

少し残念なのは、少しレプリカが雑なように思う。

表記は中国語だけです。

今後増えるかもしれないが、現時点で展示が少なめです。

 

 

 

 

 

 

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< 9. 蘭州博物館 >

 

上: 入り口。

省都の博物館でありながら、小さい。

それでも見る価値はあると思います。

 

中央: 半山類型(馬家窯文化)の彩陶鼓。

左に写っている土器が太鼓です。

土器の下部に皮などを被せ、紐で無数の突起に縛ったらしい。

5000~4000年前のものらしい。

西安から遠く離れたこの乾燥した地に、人々が文化を育んでいたとは思いもよらなかった。

 

下: これは浮橋で、前回紹介した中山橋(黄河第一橋)の前進にあたるものです。

黄河の両岸にそれぞれ二本の鉄の杭を打ち、縄を張り、小舟を繋いだ。

 

 

 

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< 10. 金城 >

 

蘭州が初めて行政区になったのは前漢の時代(紀元前1世紀)で、金城県と呼ばれた。

この城の模型は、初期の金城県の城を示しているのでしょう。

今の蘭州中心部より西側にあった。

 

 

 

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< 11. 発展した蘭州 >

 

 

何時から今の蘭州中心地に移ったかはわかりませんが、黄河に面して巨大な城砦となった。

下の写真の左下に水車が見える。

 

玄奘三蔵などはこの城を通って、西域を目指したのでしょう。

 

 

全体の感想

 

写真を載せていませんが、遊牧民の文化が中国初期の土器に影響を与えた袋状の三本足の土器もありました。

展示品は少ないが、西域と接する文化を少しは感じることが出来た。

 

見学途中、突如、蘭州のテレビ局のインタビューを受けた。

蘭州の感想を尋ねられたが、適当に褒めるだけで終わった。

なにせ来たばかりなので。

最近は日本人の観光客が少ないようで、驚いていた。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 5: 原発に見る無視の構造


 

 

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すいません、投稿がダブりましたので投稿し直しました。

 

危機の後、正しかったと判明した警鐘は多い。

しかし幾度も無視した。

これを事例で確認します。

 

 

警鐘が国民に届かない理由を前回見ました。

  •  無理解(科学など)
  •  未来の事(近視眼的思考)

3. 世論誘導(政治・経済絡み)

4. 分裂する社会(ナショナリズムなど)

 

 

原発を例に考えます。

 

1 原発の危険性を理解できない

 

安全とは規定の設計基準を満足するだけであって、日本の基準では外部要因(テロ)、より大きい地震や人為的ミスなど、さらに福島の事故原因(電源喪失、水素爆発)は無視されていた。

実際、原発事故の多くは操作ミスや製造ミスなど人為的なものが多い。

人々は、住民が無視されていることを理解しない。

 

原発事故が致命的なのは、放射線が遺伝子破壊を永遠に進行させ、しかも見えず消去出来ないことです。

他の技術では、失敗を繰り返しながら安全基準を高めることが出来る。

 

 

2 エネルギー政策の転換が見えない

 

クリーンエネルギー(太陽光、風力)発電のコストが原発より高いと誘導され原発破棄が進まない。

 

国と産業界はこれまでの建設・維持費を安く見積もり、廃炉・灰・汚水処理の費用と事故の賠償額を無視している。

彼らは原発村と研究開発、更に安全神話を創り上げるための広報宣伝と裏金にどれだけ投じて来たか。

現在、クリーンエネルギーのコストは低下しているが、原発は急上昇している。

 

危険性を理解出来ても、対策や代替え案の選択が困難になっている。

 

 

3 誘導され安直に流される

 

原発推進を担って来た人々が、事業継続の為に総がかりで国民を誘導している。

与党議員、官僚、経済界、そして学会、労働界、マスコミの大半が存続に加担している。

例えば、原発差し止め裁判は上級審に行くと必ず敗訴するが、これも司法官僚上層部が政権に従属し、政策否定や憲法判断を封じ込めるからです。

 

さらに、この誘導に強く影響される人々がいる。

例えば野党嫌い、科学に弱い人、今ならウヨがこれに加わります。

それは彼らが、好みの情報(御用マスコミやネットウヨ)しか信じないからです。

 

これらの障壁を乗り越えて、警鐘をまともに受け止められる人がどれだけいるだろうか。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 4: 人々はなぜ警鐘を無視するのか?


 

 

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時には命を削ってまでも、警鐘を鳴らす人がいた。

しかし、ほとんど聞き入れられなかった。

 

 

なぜ人々は無視するのか?

 

前述の例、原発事故、資源枯渇、人口増、環境破壊、核戦争勃発、米国の監視体制、地球温暖化の危機から見えるもの。

 

  •  科学的な理解無しで危機を理解出来ない

 

原子炉の構造や安全設計の概念を理解していないと、推進側の権威者が唱える原発の無謬性を容易に信じてしまう。

多くの人は、その安全性の根拠が如何に抜けだらけかを見破ることが出来ない。

 

地球温暖化の危機を知るには、気候現象や地球史を知らないと、これまた煙に巻かれる。

 

中途半端な知識や感情論では無理。

 

 

2. 人は数十年先に訪れる危機に対して及び腰になる

 

おそらく数か月後に起こるとするなら対処するでしょう。

しかし10年、50年先となると、ましてやコストと手間がかかるものなら無視するでしょう。

さらに対策の費用対効果を見積り、優先順位を付けるとなると絶望的です。

 

 

  •  危機とその因果関係を否定し、世論を誘導する集団がいる

 

この力は非常に大きく、かつ国民が気付かないよう行われる。

 

現在、大きな危機の元凶はすべて人間だが、限られた人間によるものが多い。

彼らは防止策や規制により、利益の減少や賠償による損失を避けようとする。

 

例えば、現在、自由放任経済の恩恵を享受している人々は、かつてのルーズベルト大統領のニューディール政策(需要喚起、賃金上昇政策)を貶めて続けている。

 

 

  • 人は論理よりも帰属集団の意向に沿って判断し易い

 

これは分裂を極める社会ほど顕著です。

例えば、人は組する集団が原発推進、敵対する集団が原発反対なら、迷うことなく原発に賛成する。

現在、都合の良い情報(フェイク)は幾らでも集まるので、事実は二の次となる。

 

今や未開地の部族間抗争に逆戻りした感がある。

残念ながら日本人は稀に見る高い帰属意識を持っているので陥りやすい。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 25: 蘭州到着と白塔山公園


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今回から、蘭州を紹介します。

今回は蘭州西駅到着時のエピソードと、

翌日、最初の観光地、白塔山公園を紹介します。

 

 

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< 2. 観光スポット、上が北 >

 

上: 赤線は新幹線、紺色線は成都への飛行ルートです。

 

中央: 私が訪れた所を赤枠で、行けなかった所を黒枠で示します。

ここが蘭州の中心地です。

1: 中山桥

2: 白塔山公园

3: 敦煌艺术馆

4: 兰州西关清真大寺

5: 兰州市博物馆

6: 华润万家(天水路店)、大型スーパー

7: 五泉山公园と近くにある人気の蘭州牛肉麺店

8: 蘭州西駅(新幹線到着駅)

9: ホテル、兰州金地名庭酒店

順次紹介して行きます。

 

行けなかった所

10: 甘粛省博物館

長期の改修工事に入っていたので入館できなかった。

 

11: 正宁路小吃夜市(と张掖路步行街)

到着日の夕方から行くつもりだったが、妻の体調が悪くなり断念した。

 

炳霊寺石窟

時間的に無理だった。

理由を前回紹介しています。

 

下: シルクロードの全体像を示します。

右端が西安で少し進んで蘭州になります。

 

 

 

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< 3. 蘭州西駅 >

 

蘭州西駅は非常に大きいので迷って無駄に歩くことになりました。

タクシー乗り場が分からなかったからです。

 

上: 赤矢印がおおよそのタクシー乗り場です。

左の白い矢印は西安、蘭州中心部の方向、東側を示します。

 

下: この写真(借用)は上図の青矢印の方向から撮影されたものです。

タクシー乗り場を赤矢印で示しています。

この乗り場は蘭州中心部行きかもしれません、反対方向(西側)にもそれらしい乗り場が見えます。

 

私は新幹線を降りて、ホームから階下に降りて、出口(北側)に向かって進み、出た所で左側に曲がりエスカレータで上に出ました。

そこがこの写真で示されている広大な階上の広場でした。

 

間違いに気づき構内に戻って、警官にタクシー乗り場を聞きました。

乗り場は、先ほどの出口を出ずに右に曲がって行くとありました。

そこは天井は覆われ分かり難い所にありました。

タクシー乗り場では少し並びましたが、次から次へとタクシーが来ますので、直ぐ乗れました。

 

しかし、ここでもまた問題が発生しました。

運転手に漢字表記のホテル名を示したのですが、分からないと言う。

取り敢えず、ホテルのある中心部に向かいました。

街中をぐるぐる巡ったのですが、分からない。

ついに運転手は、歩道を行く青年に声を掛け聞きました。

彼はホテルを知っていたので、タクシーに乗り込み道案内をしてくれました。

こうして無事に着きました。

 

私は、彼に謝礼を渡そうとしたのですが、彼は受け取りませんでした。

彼は終始笑顔で親切な青年でした。

今回の中国では、多くの人に親切にしてもらった。

 

この運転手は、憤慨し当たり散らすことなく、真摯に対応してくれた。

中国では、スマホの百度地図の画面などで行先を見せないと駄目なようです。

 

 

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< 4. ホテルを朝出発 >

 

下: 宿泊したホテル。

 

一晩宿泊した翌日は、初めて日本語ガイドに案内してもらいます。

車1台をチャーターし、スーツケースも載せて、1日観光の後は直接空港行きのバスに乗ります。

次回、現地ガイド会社を紹介します。

 

 

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< 5. 中山桥 >

 

朝8時半でしたが、団体の中国人ツアー客が橋の前にけっこういました。

中国で人気があるようで、橋と黄河の夜景写真がインターネット上に沢山ありました。

本来は、夜市に行く時にこちらも見たかったのですが。

 

上: 橋が見えます。

これから橋を渡り、白塔山に向かいます。

 

下: 橋の反対側に延びる通りです。

 

 

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< 6.橋を渡る >

 

この橋は黄河第一橋とも呼ばれます。

この地は黄河が縦断しており、内陸と北西を繋ぐ交通の要衝でした。

目の前の黄河を渡河することは一大事でした。

 

14世紀、明の時代、多数の小舟を繋いだ浮橋が造られました。

1907年、清朝は30万両の大金をつぎ込みドイツ企業に依頼し鉄橋を建設しました。

これが全長6000kmの黄河に架かった最初の固定式の橋でした。

 

さらに日本軍が中国に侵攻した時、中国側の北部(ソ連?)からの物資輸送を断つために、この橋を爆破しようとした。

しかし間違った橋を爆撃したので、この橋が残ったのです。

 

後で知ったのですが、今回私が旅をした蘭州、成都、麗江、昆明は毛沢東の長征のルートの逆回りでした。

私は外縁を巡ろうとし、毛沢東は劣勢の中、山岳戦で外縁部を転戦したのです。

 

下: 黄河上流、西側を望む。

人口300万の蘭州市なので、高いビルが連なる。

こちらは中心部でないのですが。

この地が、かつてシルクーロードのオアシス都市で、漢民族と西方民族との境界になった辺境の地だったとは思えない。

 

 

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< 7. 白塔山公园が見える >

 

上: 黄河の下流、東側を望む。

右手が中心部になります。

 

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< 8. 白塔山公园に入る >

 

何処に行っても、太極拳やダンスに興じている姿を見ることが出来る。

人々は新しいものを取り入れているようです。

 

 

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< 9. 階段はきつい >

 

 

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< 10.法雨寺 >

 

 

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< 11. 法雨寺に入る >

 

上: 仏教寺院だが、左手にチベット仏教特有のマニ車が見える。

 

下: 三尊仏は日本でもよく見かける様式だと思います。

この手の仏像の顔を見るとほっとする。

 

 

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< 12. 蘭州中心部の眺め >

 

上: 蘭州中心部の眺め

下: 山頂の塔が見える。

 

 

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< 13. 山頂 >

 

左下: 白塔と呼ばれる七重の塔。

 

右下: 塔の前で線香をあげる所。

ここでは、お賽銭や線香をスマホで買う為のQRコードが表示されていました。

 

この塔の起源は、元の時代に遡ります。

チンギスハンは西域、チベット地域を平和的に統一することを望んだ。

それに応えてチベット仏教のラマ僧がモンゴルに向かわされたが、彼は蘭州で死んだ。

後に、元は西夏王国を統一し蘭州を領土とした。

そしてこのラマ僧を祭るために白亜の仏舎利をここに建立した。

現在の塔は、崩壊後、明時代に再建されたものです。

 

 

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< 14. 裏山 >

 

上: 黄土高原ではつい最近まで、穴居生活をする人々がいた。

現在は禁止されているようですが。

、山肌に見える住居は、はっきりは分からないがその痕跡を残しているように思える。

 

下二枚: 元来た道を下る途中。

 

 

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< 15. 筏のアクティビティ >

 

歩いて橋を戻ると、羊の皮に空気を入れた筏に乗る人々が見えた。

河岸から川の中央まで、手漕ぎで進んで来た。

多くの人が楽しんでいた。

 

中央: 南側の河岸から出発している。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 4: 人々はなぜ警鐘を無視するのか?


 

 

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時には命を削ってまでも、警鐘を鳴らす人がいた。

しかし、ほとんど聞き入れられなかった。

 

 

なぜ人々は無視するのか?

 

前述の例、原発事故、資源枯渇、人口増、環境破壊、核戦争勃発、米国の監視体制、地球温暖化の危機から見えるもの。

 

  •  科学的な理解無しで危機を理解出来ない

 

原子炉の構造や安全設計の概念を理解していないと、推進側の権威者が唱える原発の無謬性を容易に信じてしまう。

多くの人は、その安全性の根拠が如何に抜けだらけかを見破ることが出来ない。

 

地球温暖化の危機を知るには、気候現象や地球史を知らないと、これまた煙に巻かれる。

 

中途半端な知識や感情論では無理。

 

 

2. 人は数十年先に訪れる危機に対して及び腰になる

 

おそらく数か月後に起こるとするなら対処するでしょう。

しかし10年、50年先となると、ましてやコストと手間がかかるものなら無視するでしょう。

さらに対策の費用対効果を見積り、優先順位を付けるとなると絶望的です。

 

 

  •  危機とその因果関係を否定し、世論を誘導する集団がいる

 

この力は非常に大きく、かつ国民が気付かないよう行われる。

 

現在、大きな危機の元凶はすべて人間だが、限られた人間によるものが多い。

彼らは防止策や規制により、利益の減少や賠償による損失を避けようとする。

 

例えば、現在、自由放任経済の恩恵を享受している人々は、かつてのルーズベルト大統領のニューディール政策(需要喚起、賃金上昇政策)を貶めて続けている。

 

 

  • 人は論理よりも帰属集団の意向に沿って判断し易い

 

これは分裂を極める社会ほど顕著です。

例えば、人は組する集団が原発推進、敵対する集団が原発反対なら、迷うことなく原発に賛成する。

現在、都合の良い情報(フェイク)は幾らでも集まるので、事実は二の次となる。

 

今や未開地の部族間抗争に逆戻りした感がある。

残念ながら日本人は稀に見る高い帰属意識を持っているので陥りやすい。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 24: 新幹線で西安から蘭州まで


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今回は、前回に続いて新幹線からの車窓風景を紹介します。

この西安から蘭州までは、かつてのシルクロードで、

おおよそ漢民族の支配の限界地でした。

少し西域の雰囲気を味わうことができます。

 

 

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< 2. 新幹線のルート >

 

下: 赤線が今回の車窓風景の範囲です。

写真はすべて撮影順に並んでおり、線路の北側を撮っています。

写真の左側が進行方向になります。

 

西安は広い盆地ですが、やがて剥き出しの山々の間を列車は進みます。

幾つもの黄河の支流、渭河(渭水)などが曲がりくねり、深い谷間が行方を遮ります。

列車は幾度もトンネルを抜け、河を渡り、時折、谷間の盆地を通過します。

そして山を越える度に空は澄んでいきます。

 

 

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< 3. 西安駅を出て >

 

写真は西安の都市部から外れまでです。

高層マンションが林立しています。

 

下から2番目の写真: 今から20年ほど前まで見られた煉瓦積みの農家は沿線でほぼ見られなくなった。

今は、新しい造りの2か3階建ての家か、高層マンションに替わった。

 

一番下: 前回も合わせて6時間、車窓から墓を探していたのですが、撮影できたのはこれだけでした。

肉眼では他にも一つか二つ見たのですが。

畑の中央に、白い墓石らしきものがポツリ、ポツリと左右に見えます。

ここでも墓が集約されておらず、一つづつ独立しています。

もしかしたら井戸の設備かもしれませんが。

 

 

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< 4.杨陵南站付近 >

 

ここもまだ西安を中心とした広大な盆地の一角です。

 

一番下: 珍しいキリスト教会。

現在、中国ではキリスト教が普及しており、政府が警戒しているとの話を耳にしました。

共産主義国家で宗教が認められていることが不思議ですが。

 

もう一つ、不思議な光景があります。

それはここから西に進むとブドウ畑が増えてくることでした。

 

 

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< 5. 岐山の辺り >

 

下から1番と2番: 岐山站前後の風景です。

ここもまだ広大な盆地の中です。

 

この岐山辺りには歴史的な魅力があります。

一つは、周王朝の発祥の地であり、紀元前7百年前頃まで、周王朝(西周)の中心地でした。

秦の始皇帝の時代は、これより東側、今の西安西の咸阳に首都が造られた。

秦の時代も、盆地北側にある岐山を神聖視していた。

 

いま一つは、三国志で最後の舞台となる五丈が原もこの辺りです。

諸葛孔明と司馬仲達が戦った所です。

その台地は、おそらく線路の南側にあるので確認できませんでした。

 

 

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< 6. 宝鸡南站 >

 

この駅に停車したのは13:10です。

ここで盆地と別れ、列車は山岳部の谷間に入って行きます。

 

ここでも高層建築群の建設中が目立ちます。

今回、特に印象深かったのは、高層マンションの建築は数棟ではなく百棟を越える規模で同時進行していることです。

しかも、いたるところで、奥地でも。

 

これまで30年ほどの間に、7回ほど中国を旅行したが、益々中国全土の津々浦々まで、開発が及んでいることに驚かされた。

 

下の写真: 建築工事の様子。

今から10年以上前までは、建物は煉瓦積み、高層建築でも工事現場の足組に竹を使用していたのを見た。

様変わりしている。

 

 

 

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< 7. 宝鸡南站と天水南站の間 1 >

 

宝鸡南站を出ると、直ぐ山間に入り、長いトンネルを抜けると、少し視野が広がって来た。

明らかに空の様子が異なる。

今までのどんよりとしたぶ厚い雲ではなく、湧き上がる雲の間に微かに青空が見えるようになった。

 

それでもこの辺りの平野部は、曲がりくねった渭水の両側に幅1~2kmの幅しかない。

山肌は荒れて、草木で完全に覆われている所はない。

河はどこでも泥流だった。

 

 

 

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< 8. 宝鸡南站と天水南站の間 2 >

 

天水南站に近づくと、平野部が少し大きくなり、高層のビル群が増えた。

またブドウ畑も多い。

 

 

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< 9. 天水南站を過ぎて >

 

天水南站に着いたのは13:57です。

この辺りが、西安と蘭州のほぼ中間地点になります。

益々、周辺の山々は深くなっていきます。

この天水から東南約50kmの所に麦積山石窟(世界遺産)があります。

 

上から二番目の写真: 山の頂上に寺院らしい建物が見える。

その右側の急斜面には、この地方特有の民家群が段々状に連なっている。

 

 

10

< 10. 秦安站辺り >

 

一番上の写真: はじめて山頂に狼煙台らしいものを見た。

ここは秦安站の手前になります。

この駅には停まりません。

 

他の三枚の写真: 秦安站を過ぎてから。

 

 

11

< 11. 通渭站に至る >

 

この駅に停車したのは14:28です。

蘭州までは後1時間弱で、これが最後の停車駅です。

 

上: また狼煙台を見つけた。

唐代まで遡るのだろうか?

 

下から二番目の写真: 風力発電機の製造。

こんな奥地に、金属加工の製造メーカーがあることに驚いた。

他にもいくつか見た。

 

実は、天水から蘭州、敦煌を含む甘粛省は中国最大の石油埋蔵量があり、、また鉱産物が豊富で、多くの希少金属の埋蔵量でも中国第一位です。

この細長い盆地に中国10大工業都市があるのです。

 

12

< 12.定西北站まで >

 

 

13

< 13. 定西北站 >

 

ここは通過するだけです。

 

 

14

< 14. 蘭州に到着 >

 

蘭州西駅に到着したのは15:20です。

さすが甘粛省の省都だけあって、高層ビル群がさらに増した。

 

追記

やはり新幹線は車窓の景色が楽しめるので良かった。

 

西安(長安)から蘭州もシルクロードの一部なのですが、蘭州から以西の敦煌までが、黄河を渡って進むので河西回廊と呼ばれた。

地図で見ると、大きく北に迂回していた黄河が、一気に南に遡上しこの蘭州を横切る。

黄河を渡河しなければならないことが、境界となり、旅人の逗留地となり、蘭州の役割を高めたのだろう。

 

今回、西安から蘭州までの道のりで既に緑が少なく険しいことを知った。

かつての交易商人や西域に仏典を求めた僧らが、この険しく長い道のりを行き来したのだと感慨深かった。

 

シルクロードを少しでも味わってみたいと思い、今回の旅行に蘭州を組み込んだ。

中国旅行でビザを必要としない限度の15日間で、中国の外縁部一周、廈門、北京、(開封)、西安以西のシルクロードの一都市、成都、麗江、昆明、

広州)、香港を一周しようとしたら、蘭州までが精一杯でした。

香港と広州は、香港の騒乱で直前に取止めました。

蘭州には新幹線で入り、一泊して次の夜には航空機で成都に飛ぶ強行軍でした。

列車で成都に向かうのは時間が掛かり過ぎるので止めました。

 

残念だったのは、世界遺産の炳霊寺(へいれいじ)石窟に行けなかったことです。

本来、丸1日(約7時間)で観光出来るのですが、観光シーズンが終わっており、ボートでの渡河時間が読めず、夜の飛行機に乗るのが無理だったからです(高額でも良ければ可能なのですが)。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 3: 警鐘を鳴らし危機を乗り越えようとした人々


 

 

 

 

無題-1

ここ半世紀の間にも様々な危機を訴え、乗り越えようとした人々がいた。

人々は彼らをどう見ているのだろうか?

残念なことに彼らは無視され貶められることが多い。

 

 

幾つかの事例を見ます

 

A 京都大学原子炉実験所の研究者らは、福島事故の前から原発の危険性を訴えていた。

 

B 百名を越える世界の学識経験者(ローマクラブ)が、資源・人口・環境などで地球は成長の限界を迎えると訴えた。

 

C ソ連の元書記長ゴルバチョフは、核戦争勃発の危険を訴えた。

 

D スノーデンは、自ら関わっていた米国政府による電話やインターネットでの世界の要人と米国民への監視体制が進行していることを暴露した。

 

E グレタは、先進国首脳に対し、地球温暖化に対する無策を痛烈に非難し続けている。

 

 

それでは世界はどのように反応したのか?

 

A: 福島原発事故後も訴えは無視され続けている。

 

B: 皮肉だが、少しは前進している稀なケースです。

 

ローマクラブ発表の後、アラブ石油輸出国機構が米国のイスラエル寄りを封じるために、始めて石油価格の大幅引き上げで対抗した。

これが後に、石油価格高騰から世界的な節約へと繋がった。

 

C: 彼の提案により核兵器削減は一歩進んだが、交渉相手の米国から梯子を外され、彼は国内で孤立し努力は徒労に終わった。

 

D: 彼と他に二人も同様に訴え続けているが、事態は変わらず、彼らは米国の司直の手から逃げ続けなければならない。

 

E: 一人で立ち上がった少女の行動は、世界の人々、特に若い人に地球温暖化の危機を自覚させた。

しかし自覚が必要な首脳ほど彼女を茶化すか、迷惑扱いしている。

 

概ね、多くは警鐘を無視し、危機を無視するようです。

 

 

現在も、日本の経済・金融政策、米国主導の自由放任経済に警鐘を鳴らし続ける学者はいるのだが・・・

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 23: 新幹線で開封から西安まで


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今回は、2回目の新幹線からの車窓風景を紹介します。

開封から蘭州まで行ったのですが、西安までを紹介します。

開封のホテルと開封北駅も簡単に紹介します。

 

 

2ルート

< 2. 新幹線のルート、上が北 >

 

赤線が今回の新幹線乗車ルートで、黒線が前回の北京―開封間ルートです。

今回の走行距離は約1200kmで乗車時間は6時間3分、乗り継ぎはありません。

この高速の直行便G2023は1日1回で、朝9:17発、15:20蘭州西着です。

この間を在来の直行列車で行くと、14~18時間かかり、夜行が多い。

蘭州まで新幹線が行けるようになったのは2017年からです。

現在、中国は凄い勢いで新幹線ネットワークを整備しています。

 

飛行機は早くて良いのですが、空港が不便な位置にあるので、移動が数百km以内なら新幹線の利用がお薦めです。

概ね、新幹線料金の方が航空運賃よりも安いことが多い。

今回、新幹線を選んだのは、車窓の景色を楽しみたいのと、両都市から空港が遠いためでした。

 

 

3

< 3.开封银祥酒店(开封鼓楼广场清明上河园店) >

 

私達が2泊したホテルを紹介します。

今回の中国旅行で、最もフロントスタッフが素晴らしかった。

建物が少し古く、正面玄関が少し路地に入った所にあるのが残念だが、後はまったく問題なかった。

鼓楼通りに面しているので夜市も直ぐに行け、バスの利用も交差点から何処へでも行けます。

 

私は最後の日、朝早く出発して新幹線に乗るのが不安だったので、フロントに色々相談した。

彼女らは、数人がかりでタブレットの自動翻訳を使い、笑顔で親切に対応してくれた。

タクシーを呼ぶ時間も決めてくれ、当日の朝、予定通りにタクシーは来た。

他のホテルではここまで親切ではなく、大きなホテルほど愛想がなかった。

 

開封に行かれる方には、このホテルはお薦めです。

 

 

4

< 4. 開封北駅にて >

 

この駅は新幹線の駅で、私が北京から到着した駅です。

幾つかのエピソードと利用について紹介します。

 

乗車について

ここは北京西駅と異なり、入場口は一つしかなく、パスポートを見せなければならない外国人は、数ヵ所のゲートの内、係員が立っている所に行けばよい。

ここで切符とパスポートを見せ、荷物検査を受けて入場する。

切符売り場はこの入場口から外側を右に行った所にある。

次いで、直ぐエスカレーターで2階に上がる。

これは蘭州行き、西側行きの列車に乗る場合の事です。

反対行きの場合は、おそらく1階の待合室で待ち、改札を経て反対側の2階ホームに上がるのでしょう。

 

写真3枚: すべて2階待合室の様子。

広いので立って待つことは無いようです。

売店、トイレもあります。

 

中央: この電子掲示板はホーム側に面した中央上部にあります。

この下が改札口になります。

列車到着の前になると、数ヵ所の改札口に人が並び始め、私はここでも係員のいる所に並び、ホームに入りました。

 

 

助けられたエピソードを紹介します。

 

入場時の荷物検査で、妻は係員に止められ、中国語の厳しい口調で注意された。

私達は訳が分からず立ち往生していると、並んでいた40代前半の男性が英語で「ナイフがあるので、出してください」と教えてくれた。

妻がスーツケースを開け、小型の万能ナイフを取り出し、係員に見せた。

これで無事、取り上げられることもなく通過出来た。

 

今一つは、私は「停車中の列車にスムーズに乗れるか?」が不安でした。

そこで待合室で、近くいる若い女性に切符を見せながら「私の乗る車両はホームの何処に着くでしょうか?」と尋ねた。

すると彼女は快く、「教えましょう」と言ってくれた。

 

私が改札を抜けると、彼女は私達をホームのある場所に案内し、ここで待ちなさいと教えてくれた。

周辺には何の表示もなく、他の乗客は皆、何故か私と違うところに並んでいた。

不安な時が流れたが、停車した列車の乗車口はぴったりと合っていた。

彼女は違う車両に乗った。

 

不思議な女性でした。

彼女は旅行客ではなく、新幹線を日常的に利用しているようでした。

しかし親切な人がいるものです。

 

実は、開封でタクシーを計4回利用したのですが、良いものも悪いものもあった。

開封北駅のタクシー乗り場からとホテルで予約したタクシーは、親切で問題はなかった。

しかし街中で流しのタクシーを拾った2回については、少し問題があった。

一つは、目的地の手前数百メートルで降ろして、後は歩いて行けと言い、きちっと料金は取られた。

どこかに急いで行く途中だったのだろう。

もう一つは、料金を高めに取られたことです。

もっとも高いと言っても額は小さいが。

 

 

5

< 5. 開封から洛陽龍門へ >

 

車窓風景の写真は時間の順に並んでいます。

この4枚は開封から洛陽龍門までの約1時間ほどの景色です。

私は進行方向右、つまりいつも北側を見ています。

途中、鄭州東と他に一つの駅で停車しています。

 

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< 6. 洛陽龍門周辺 >

 

この4枚の写真は、洛陽龍門駅に入る所から、15分間ほど走った景色です。

ここは歴史的に有名な古代王朝の宮殿が幾たびも造営されたところです。

今はその面影はないが。

 

黄土高原が迫って来た。

 

 

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< 7. 渑池南站まで >

 

洛陽龍門駅から25分のところにある駅で、停車しません。

 

一番下の駅が渑池南站です。

 

 

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< 8. 幾度も黄河に出会う >

 

一番下の写真は黄河だと思います。

この辺の走行では、曲がりくねった黄河を幾度も渡って行くことになります。

ここを過ぎれば黄河は大きく曲がり、北上していきます。

巨大な山脈の谷間を流れる黄河沿いのこの地域、洛陽からこの辺りまでは、古来より西安にとって要衝の地でした。

詩に謳われた函谷関を既に過ぎたようです。

これから中原ではなく、関中に入って行きます。

 

残念ながらガス(黄砂?)がかかり、小雨が降りそうな天気、さらに窓ガラスも汚れていて遠くが見えず、良い写真が撮れなかった。

 

 

 

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< 9. 渭南北駅 >

 

この辺りは西安のある広大な盆地で、高層ビルが乱立するようになった。

上から二枚目の写真は、停車した渭南北駅だと思います。

 

 

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< 10. 西安北駅に到着 >

 

今回の移動の約半分を来た。

3時間弱の乗車でした。

 

この駅が今回のルートでは鄭州東と並んで最も大きい駅です。

西安には数々の遺跡がありますが、以前観光しているので、今回は省きました。

 

下2枚: 車内の写真。

これは2等席です。

シートの幅、前後が狭いとは思いません。

ただ横方向に2席と3席が並ぶので、夫婦で旅行する時は、2席の所に座りたい。

今回、そのようにしました。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 2: 兆候はあるのだが


 

 

 

無題-1

 

これまで多くの危機を乗り越えて来たのだから、

これからも大丈夫と人は信じたい。

しかし、単に偶然だったかもしれない。

これからは制御不能で、逃げる場所がなくなるかもしれない。

 

 

乗り越えられない危機などあるだろうか?

 

今回のコロナウイルスで分かったはずです。

世界は益々に繋がりを強めており、病原体が瞬く間に世界に広がっていくことを。

 

例えば中国経済が崩壊すればどうなるか?

中国との輸出入第一位の日本経済は大打撃を受け、また世界も金融危機から逃れられない。

さらに難民が大挙して押し寄せてくるかもしれない。

 

もし核戦争が起きれば、地球上の生命は根絶やしになり、何十万年も蘇ることは無い。

原発事故は恐ろしいが、その比ではない。

 

しかしまだまだ危機はある。

資源枯渇と地球温暖化が迫っている。

この深刻さを人々はまだ理解しようとしない。

 

さらに複雑で分かり難く、深刻化している危機もあります。

それは経済・社会・政治の危機で、これがもっとも根源的と言えます。

例えば金融崩壊、格差拡大、社会分断、金権腐敗でしょうか。

 

 

この危機の一端を見ます。

 

なぜ日本の賃金が下がり続けているのでしょうか?

 

アベノミクスも加担しているが、真因は単純だが根は深い。

バブル崩壊が繰り返される度に、景気の谷がより深くなっている。

益々、経済界は賃金を抑え内部留保を高め、政府に人員削減の容易化を要望する。

政府は景気刺激策と称して超金融緩和と労働規制の緩和を繰り返す。

この悪循環は世界を否応なく巻き込む。

 

こうして経済悪化と所得格差拡大が蔓延して行く。

これは高々40年前から始まったが、国民の主権が無視されている国ほど酷い。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 22: 鉄塔公園とショッピングセンター


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今回は、北宋時代の物が残っている鉄塔公園と

ショッピングモールを紹介します。

 

 

2a

< 2. 観光ルート、上が北 >

 

S(大相国寺の前)からバス(赤線)に乗り、途中1回乗り継ぎ、鉄塔公園の前まで行きました。

1の鉄塔公園内を散策した後、またバス(オレンジ線)に乗り、2のショッピングモールの前まで行きました。

歩いたところは茶色線で示します。

このモールで夕食を済まし、またバスに乗り、黒四角のホテルに戻りました。

茶色枠は今回紹介する所、緑枠は既に紹介した所です。

 

 

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< 3.大相国寺近くのバス停から >

 

 

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< 4. 乗り継いだバス停から >

 

この通りは鼓楼街の近くの解放路で、メイン通りの一つのようです。

 

 

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< 5. 鉄塔公園の前 >

 

上: バスを降りて、鉄塔公園までの途中にあった果物屋。

小さい店ですが、果物は豊富でした。

大きなザクロがあったので買いました。

 

 

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< 6.鉄塔公園に入った >

 

私は公園内を鉄塔に向かって中央の道を行き、見学後また引き返した。

従って公園の半分も見ていないと思います。

 

 

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< 7. 接引殿 >

 

公園のほぼ中央にある最も大きな建物です。

中には仏像があり、壁には極彩色の絵がありました。

この銅像は宋金代(約11~12世紀)のもので、絵は「西方極楽世界図」のようです。

 

 

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< 8. 鉄塔の全景  >

 

スリムながら堂々とした塔です。

名前の由来の通り、表面は光沢のある褐色のタイルで覆われている。

建造されたのは北宋時代(1049年)で、宋が最も栄光に包まれ開封が栄えていた頃でしょう。

 

やっと当時の開封を偲ばせるものに出会えた。

 

 

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< 9. 拡大 >

 

下の写真の入り口から鉄塔の中に入ることが出来き、螺旋階段を登ることが出来る。

そして上の写真の窓から外が見える。

私は疲れるのを避けて入らなかった。

 

 

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< 10. 塔の外壁 >

 

見える限りの壁面は、仏像の浮彫で覆われていました。

 

下: 入口。

 

 

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< 11. 宋都御街 >

 

上: 南側から宋都御街を望む。

中央の門の向こう側が宋都御街で、この道を行くと龍亭公園に至る。

この公園の地に、かつて王宮があった。

現在の建築群は70年ほど前に再建されたもので、テーマ―パークに成っている。

 

下: ショッピングモールの万博时代广场。

中には大型のスーパーやショッピング街、飲食街がある。

 

 

 

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< 12. 夕食を食べた所 >

 

私がここに来た時、飲食店はどこも準備中でした。

それで看板に惹かれて、この店に入り、何時から始まるのかと聞くと、店員は今からでもOKと言ってくれた。

私は適当にセット料理を注文したのですが、今回の旅行で唯一おいしくなかった料理でした。

 

加熱されたタレの入った鍋に、串に刺した食材を入れて食べる料理でした。

期待していた肉類は少なく、ほとんどが乾瓢(かんぴょう)のような食材でした。

慌てて、失敗した。

 

中国では、様々な地域の料理が組み合わされ、新しいものが生まれているようです。

西安料理や韓国料理、寿司などが見られた。

 

私がこの店の席に座ったのは、定刻の30分前でしたが、柔軟な対応に驚いた。

また食べながらフロアの通りを見ていると、他店の前では店員が10名ほど並び、朝礼のような事をしている所もあった。

この朝礼のような事は、他の地域でもちらほら見たし、中には全員で復唱させられている場面もあった。

日本を思い出した。

 

右上: この店の前に従業員募集の看板があった。

店長の月給は64000~128000円のようです。

皿洗いで37000~42000円らしい。

他の地域でもこの手の看板を見たが、賃金の相場は同じだった。

 

私の感じでは、職能により差はあるが給与は意外に高く、地域による差が少ないようだった(訪問した都市では)。

 

 

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< 13. 夜の宋都御街 >

 

ショッピングモールを出ると、外は暗かった。

 

下: 宋都御街の南に延びる通り。

 

この通りの両側には様々な店舗が開いていた。

 

 

 

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< 14. バス停 >

 

ここからホテル近くまで行くバスに乗り、ホテルに帰った。

明日早朝には新幹線に乗ってこの地を去ります。

 

 

これで三つの都市、廈門、北京、開封を見終えた。

廈門は風光明媚な地にある発展した都市、北京は歴史もある巨大都市で、二ヵ所共、二度目の訪問でした。

15年ぶりの訪問だが、二つの都市は再開発が進み、古く汚い町並みは消えているようでした。

 

初めて訪れた古都開封には、予想通りと言うか、本当の歴史を感じさせるものが少ない。

それでも中原と呼ばれる地、黄河中流域の古代から発展した地に立ってことはうれしい。

以前、観光した洛陽とは異なり、こちらはどこまでも平坦でした。

 

驚いたのは、陸の孤島のような古都開封の郊外がどんどん開発されている事でした。

北京から開封までずーと窓の景色を見ていると、開発可能な途方もなく大きな大地が有り余っている、そんな気がした。

これ以上、人口が増えると中国だけでなく世界も困るが。

 

 

次回に続きます。

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世界が崩壊しない前に 1: はじめに


無題

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今、世界は急激に悪化しています。

突如として破局が訪れる可能性もあります。

私達の家族とその未来を守るにはどうすれば良いのでしょうか?

事実を集めながら検討します。

 

 

2

< 2. 緊急情報です! 拡散願います >

https://www.youtube.com/watch?v=W3X3RSmf7ds

 

 

はじめに

 

皆さんは世界が崩壊すると思いますか?

何か予兆を感じることはありますか?

 

地球の生命38億年、人類300万年、新人類10万年、文明5千年間で似た事はあったでしょうか?

 

いや待てよ、これまで無数の予言はあったが、どれも事なきを得たではないか?

聖書の予言(ハルマゲドン)、ノストラダムスの大予言、核戦争勃発、資源枯渇(ローマクラブが警鐘)、中国崩壊など・・・。

 

しかし様々な民族が故郷を捨て大移動し、時には戦い、遂には姿を消してしまったことは限りなくあった。

その切っ掛けの多くは乾燥や寒冷化などの気候変動によるものでした。

例えば紀元前2千年紀の気候変動が、ナイル川の水位低下と西アジアの難民を生み、エジプト王国の衰退とユダヤ王国の誕生に繋がった。

 

また自ら環境を破壊し、衰退した文明もあった。

例えば古代ギリシャ人の入植地(港湾)やイースター島の放棄は、河川上流や島全体の森林破壊が原因でした。

 

現在はこれが巨大化している。

例えばチェルノブイリや福島などの原発事故です。

危機を脱することは出来たが、フロンガスによるオゾン層破壊もありました。

 

こうして振り返ると、あることが見えて来る。

 

生物や人類の進化は、地球の大規模な気候変動(多くは寒冷化)が切っ掛けでした。

やがて人類が地球を覆うようになると、気候変動は多くの民族や文明の盛衰の切っ掛けになりました。

しかし遂には、人類が自ら地球の自然(システム)を破壊し、行き場を失う可能性が高まって来ました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 21: 大相国寺


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今回は、開封にある大相国寺を紹介します。

今も昔も開封で一番大きい寺です。

 

 

 

大相国寺について

この寺の始まりは北斉時代の555年ですが、その後廃れ、唐の時代に復活しました。

宋時代(960年-1127年)になると大相国寺(禅寺)として首都最大の寺となります。

その後、黄河の氾濫や兵火に遭い廃れました。

清朝時代の1766年になって大修復が行われ、現在まで続いています。

 

弘法大師(空海)は唐の時代にこの寺に立ち寄ったそうで、立像があります。

また水滸伝の舞台の一つです。

梁山泊第十三位の好漢、魯智深(花和尚)はこの寺の菜園の番人だった。

境内に彼の怪力を示す像があります。

 

 

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< 2. 大相国寺の地図 >

 

右上: 百度地図から。

左側で上下(南北)に細長いのが大相国寺の境内です。

右上の少し離れた所に鼓楼広場があります。

散策は南側の山門Sから入り、ほぼ赤線の通りに真ん中を進み、左に折れて、出口Eから出ました。

他に出入り口は無いように思います。

 

右下: 寺にあった配置図。

SとEは同じで、途中、右側の鼓楼に寄っています。

 

 

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< 3.山門と広場 >

 

上: 山門。

 

下: 山門側から南側を望む。

 

延慶観からここまではタクシーを使いました。

こちらは観光客が多かった。

 

 

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< 4. 菊が綺麗でした >

 

開封では例年この時期に菊花展が行われます。

多くの観光地では菊が盛大に飾られていました。

 

 

 

 

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< 5. 鼓楼 >

 

上: 外観。

 

下: 1階の入った正面にある像。

地蔵王菩薩と記されているが、冠にはチベット仏教の様式が伺える。

この寺を復興した清の皇帝はチベット仏教を推進していた。

 

 

 

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< 6. 天王殿 >

 

上: 外観。

 

下: 内部の像。

中央に1体、それを囲む4体の像は四天王像のようだが、所持品が異なるので、日本でおなじみの組み合わせ(持国天、増長天、広目天、多聞天)と異なるようです。

通常、四天王像は山門と本殿の間にあります。

 

北宋の時代、北方の遼の像や四川省の石窟では日本人好みの尊さや思慮深さを感じさせる仏像が造られていたが、ここで見るものはかなり作風が異なり、粗雑な感じさえする。

これらは寺が復興された後、ここ三百年以内に造られたものでしょう。

韓国の比較的新しい四天王像の顔もこれらに似ていたように思う。

 

なぜこのように凡庸な姿になってしまったのか。

中国の仏像彫刻が日本に影響を与え、また素晴らしく感じられるのは概ね唐代まででしょう。

中国の宗教としては仏教熱は唐代までで、やはり儒教が中心で、そして道教が勢い付き、仏教は衰退していった。

 

権力者の庇護がなくなり、仏師の技術が衰え、制作費も乏しかったのだろう。

さらに仏教は道教などと混淆し世俗化して行く中で、仏像の顔は崇高なものから親しみ易いものになったのだろう。

不思議なことに、韓国でも中国でも日本に馴染みのある端麗な顔の仏画が残されているのだが。

 

この謎はまだ解けない。

 

 

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< 7.  大雄宝殿 >

 

上: 外観。

 

下: 中国式の太くて長い線香。

ほとんどは観光客だが、数本の線香を捧げて黙々と祈願している女性がいた。

黄色い服を着ているのは僧侶か、寺の使用人のようです。

 

 

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< 8. 大雄宝殿の三世仏 >

 

上: 三世仏。

仏像三体の組み合わせで、仏様の過去・現在・未来を表す。

中央は釈迦如来で左右に薬師如来、阿弥陀如来だそうです。

 

下: 三世仏の裏側。

日本やタイなどの仏像(光背)の裏側に多くの小さな仏像が集められていることがあるが、ここでは派手に飾らている。

ここでも祈りを捧げている人がいた。

 

 

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< 9. 羅漢堂 >

 

上: 外観。

有名な千手観音が見られる堂です。

中央に千手観音がある八角堂があり、それを囲むように別棟の八角形の回廊があり、中に五百羅漢像が並べられている。

 

 

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< 10. 千手観音と羅漢像 >

 

上: 千手観音。

同じ形をした4面の千手観音からなる。

銀杏の一木彫りで、高さ7m、金箔貼りの像です。

18世紀、復興後の作品です。

 

下: 回廊の羅漢像。

 

 

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< 11. 蔵経楼と資聖閣 >

 

上: 手前が蔵経楼で、奥の高い塔が資聖閣です。

 

下: 蔵経楼内部の像。

中国で玉の像を見かけることはあるが、緑色をした像はタイで見かける様式でした。

 

 

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< 12. 出口に戻る >

 

上: 蔵経楼の前を振り返る。

 

下: 出口に向かう途中で、振り返ると資聖閣が見えた。

 

 

 

想像していたものより大きな境内でした。

宋時代の面影がほとんど無いのは残念ですが、中国では古い物が完全に残っていることは稀なので仕方ない。

それでも多くの仏像や、三百年前の姿を見れたことは有難い。

開封府のテーマパークよりは、少しは本当の歴史に触れられた気がする。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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中国の外縁を一周して 20: 開封府と道観


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「武汉加油!武汉加油!」

 

今回は、テーマパークの開封府と道教の延慶観を紹介します。

開封府は思っていたより楽しむことが出来ました。

道教の寺を見る念願が叶いました。

 

 

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< 2. 散策マップ、上が北 >

 

上: この地図は借用しました。

二つの赤矢印が今回紹介する所です。

中央の赤四角がホテルです。

ホテルから開封府まで2kmぐらいです。

行きは路線バスで行き、少し歩きました。

スマホの百度地図で簡単にルートがわかります。

 

下: 開封府内の地図。

おおよその散策ルートを赤線で示しています。

Sから入り、数字の順番に歩き、最後はEから外に出ました。

 

 

 

3

< 3. 朝、ホテルから >

 

上: 昨日、夜市を見下ろした同じ位置から撮影した。

中央に鼓楼が見え、その左に大相国寺の四重の塔が見ます。

 

下: 開封府の門です。

この門の左側に入場券売り場と入場口があります。

さっそく入場し城壁の上まで登り、写真の大きな櫓の左側に行きました。

すると広場でちょうど朝9時からの催しがありました。

後で紹介します。

 

このテーマパークへの入場料は通常大人75元ですが、60歳以上半額、70歳以上免除です。

パスポートを見せればOKで、今回の旅行では多くの入場料が半額か免除だったので助かりました。

 

このテーマパークの開場時間は7:30-19:00(春、夏、秋)です。

9時から30分毎に、演舞などの催しが各場所で行われています。

演目と場所は入場券の裏に書かれています。

 

 

4

< 4. 城壁の上から内側を眺める >

 

写っている古風な建物はすべてテーマパークのものです。

 

 

5

< 5. 銅鑼を叩きながら行進が始まりました >

 

どうやら裁判のワンシーンが始まるようです。

 

 

6

< 6. 包拯 >

 

上: 広場の主役の額には三日月がありました。

包拯のトレードマークは色黒と額の三日月です。

 

下: これはどうやら生家を示しているようです。

包拯は長江の北側の合肥で生まれました。

 

 

 

7

< 7. 様々な復元物 >

 

このテーマパークは北宋時代の首都開封の宮城を再現したものだそうです。

下の写真には如何にも中国歴史ドラマに出て来そうな奇岩が見えます。

 

 

8

< 8. 先ほどの奇岩の上部に登りました、番号2 >

 

奇岩はまったくの張りぼてでした。

それでも池と柳、折れ曲がった橋、それらを囲む建物、どれも中国らしい風情です。

 

 

9

< 9. 裁判所、番号3 >

 

ここは敷地のほぼ中心にあります。

中に入ると、ドラマで良く見た裁判シーンに出て来る部屋でした。

 

 

10

< 10. 番号4と5の建物で >

 

下: 庭先で、簡単な剣舞の後、この踊りが催された。

 

 

11

< 11. 番号6に向かう >

 

上: 古楽器の演奏。

中央の楽器はハンガリー(ブタペスト)で見たジプシーの楽器に似ていた。

 

下: 多くの時代装束を着た一行が集まって来ました。

何か楽しいことが始まる予感!

 

 

 

12

< 12. 抱腹絶倒の劇、番号6 >

 

上: 観客がどんどん中に入って行くので、私も中に入り最前列に並び、見学しました。

 

下: どうやら飛び入りさせられた男性が、結婚式の新郎役を務めるようです。

 

左でマイクを持った人が、新郎役をいじりながら、観衆に語りかけ、笑いの渦に巻き込みます。

言葉は分から無いのですが、実に面白い。

彼は名司会者でした。

 

あっと言う間に開封府の2時間が過ぎました。

催しが一番良かった。

展示物や建物に興味を惹くものはほとんど無かったが、宮城全体の雰囲気を感じられて良かった。

ただどこまで忠実に再現したものかは疑わしい。

不思議に思ったのは、宮城にも関わらず皇帝に関連するものが非常に少ないことでした。

 

あまりにも包拯一色でした。

 

この開封中心部には様々な歴史テーマパークがあり、近くに包公祠、清明上河园、龙亭公园があります。

私は時間の都合で、中規模のこの開封府だけにしました。

 

 

13

< 13. 開封府から延庆观へ >

 

出口から北に200mほど行った所にこの道教の寺はあります。

 

14

< 14. 延庆观 >

 

私は今回、中国の仏教寺院、道観(道教の寺)、チベット仏教寺院、イスラム寺院を見比べたいと思っていました。

この延庆观が今回唯一見た道観です。

 

上: 中央にある玉皇閣。

珍しい様式です。

 

この延慶観は中国三大名観の一つです(他に北京の白雲観(白云观)、四川の常道観常道观)。

この道観は、道教の二大宗派の一方を創始した金時代の人物を記念して建造された。

 

下: 玉皇閣を取り囲む建物の一つ。

中には道教の様々な神々が祀られている。

 

ここには観光客は居らず、所々で熱心な信者が座って祈りを捧げていました。

 

 

15

< 15. 道教の神々 >

 

概ね3体が並び、中央が最も高位の神です。

しかし道教の神は非常に数多く(百を超えるか)、見るたびに名前が異なります。

また仏像と違って仙人か皇帝、または武人の姿をし、椅子らしきものに座っていることが多い。

 

次回に続きます。

 

 

 

Categories: 連載 中国の外縁を一周して, <japanese language, travel+photo, uncategorized | Tags: | Leave a comment

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