デマ、偏見、盲点 31: 嘘は本当か?


*1

ここ10年ほど、日米で絶望的な社会現象が進行している。

それは議論をしようとすると、「それは嘘だ!」と全否定されてしまうことです。

この問題を解き明かします。

*2

* 「それは嘘だ!」と言った海外の人

A: 私がサンクトペテルブルクを旅行している時でした。

若い女性のロシア人通訳に、私はこっそり聞いた。

「プーチン大統領は欧米で評判が悪いが、どう思いますか?」

既に彼女とは、ロシアの世情や外交について話していたが、肯定的な答えしか返ってこなかった。

知的で温和だった彼女は一言、「欧米のマスコミは嘘ばかり」と吐き捨てた。

モスクワで会った通訳は、徹底したプーチン信奉者でしたので、まったく噛み合わなかった。

B: ワルシャワを旅行している時でした。

若いポーランド女性の通訳に聞いた。

「私は映画『シンドラーのリスト』を見たが、大戦時、ポーランド側のユダヤ人の扱いも悪かったのではないですか?」

既に、私はワルシャワのゲットー跡を観光し、彼女から説明を聞き、更に突っ込んで大戦時の状況を聞いていた。

彼女は、「そんなことは無い。その映画の監督はユダヤ人だから酷く描いている!(嘘だ!)」ときっぱりと言った。

私にしてみれば、当時のポーランドが非道に加担していたからと言っても問題にはならないと思うのだが。

*3

C: 来日している米国の若い女性と話をした。

今年初め、私は彼女に聞いた。

「トランプさんは米国のマスコミの評判が良くないが、どう思われますか?」

彼女はトランプ大統領の支持者で、私はトランプ氏の政策や行状について幾つか指摘したが、当然、彼女はトランプ氏を擁護し続けていた。

彼女は、「マスコミは嘘ばかりです!」と言い切り、それ以上、話は出来なかった。

彼女はFox Newsを見ているとのことでした。

* 日本の状況はどうでしょうか?

政府の議会運営や歴史認識などを論じようとすると、決まって「マスコミ、朝日は嘘ばかりだ!」と言われて幕切れとなります。

話がまったく噛み合わない。

* 何処に問題があるのか? 

都合の悪い情報を、みな嘘にして無視してしまうと生産的な話が出来ない。

今まさに日米でこの状況が進んでいる。

真偽を確かめる姿勢が完全に失われてしまった。

嘘が悪い事は自明ですが、どちらが嘘をついているかが問題です。

「大統領、首相が嘘を言っているとマスコミは報じているが、マスコミが嘘を言っているに過ぎない」

この難題を解明する手立てはあるのでしょうか?

幾つか真贋を見分けるヒントがあります。

順位、  国、   報道の自由度の状況

45位、 米国、   満足できる状況

62位、 ポーランド、顕著な問題

66位、 日本、   顕著な問題

149位、ロシア、  困難な状況

177位、中国、   深刻な問題

これは2020年度の世界報道自由度ランキングで、良い方から並べました(各国の弁護士やジャーナリストの意見集約結果)。

下になるほど、その国の報道の自由が侵害されている。

言い換えれば、暴力や権力によって正しい報道が出来ない状況にあります

このことから米国の報道は、ロシアや日本よりは、政府に対して堂々と批判出来ていると言えます(完璧ではないが)。

(但し日本と米国はここ10年ほど悪化しています)

それでもFox Newsのように、視聴率が2位でも信頼度では、Wall Street Journal、ABC News、New York Times等より落ちて13位に過ぎないマスコミもあります。

このように信頼出来ないが、影響力のあるマスコミも混在します。

(このランキングはReuters Institute Digital News Report 2019のもので、各国のオンラインニュース視聴者の世界的な調査結果です)

逆に言えば、日本のマスコミは真実を報道し難いのです。

つまり大半のマスコミは政府に都合の悪い事実を隠蔽し、政府に忖度した虚偽報道している可能性が高い(かつての東欧の放送がそうでした)。

逆に、真実を伝えようとする報道機関は政府から非難され圧力を受けます。

これは単純明快な事実です。

太平洋戦争時、日本の民間も政府も虚偽報道を続け、これはナチス時代のドイツも同じで、破局へと突き進みました。

ベトナム戦争時、当初米国の報道機関は真実を伝えることが困難でしたが、やがてテレビによって真実を伝えるようになり、反戦機運が盛り上がりました。

当然、ロシアや中国の体制では、真実の報道は期待出来ない。

つまり、「嘘」と簡単に言い切る人は、既に体制側の虚偽報道や発言に洗脳されていると自分を疑ってください。

*4

* どちらの嘘が深刻か?

嘘でも可愛い嘘もあり、悪意が無くても深刻なダメージを与える嘘もある。

政府側や権力側の嘘と、報道機関側の嘘とどちらが深刻かを考えます。

歴史を振り返ると、両者の嘘の重みが見えて来ます。

報道機関が政府を批判する為に虚偽報道を行って騒乱が起きることはあります。

一方で、政府が虚偽報道によって戦争を正当化し開戦したり、反対勢力を弾圧することは数知れずあります。

大統領の嘘は、独裁の始まりであり、進めば独裁政権誕生です。

これは先日掲載した「連載中 何か変ですよ 219: 恐れろ!怒れ!止めろ!」で事例を挙げています。

国民にとって、深刻なのは権力側による虚偽報道・発言です。

なにせ権力によって報道機関や言論を抑圧することが容易で、実力行使出来るのですから。

特に、報道の自由度が低い国(日本、ロシア)では、御用新聞が幅を利かし、真実を暴くことはかなり困難が伴うのです。

つまり報道の自由度が低い国ほど、多くのマスコミは政府に都合の良い嘘をつくのです。

* 嘘を見抜く

人間には、嘘をつく人間を注視し遠ざける本能のようなものがあります。

心理学の実験で確かめられています。

そうは言っても、いつの世にも詐欺師は横行しており、多くの人には判別は難しい。

大戦前、ヒトラーの嘘(本性)を見抜けたドイツ人はほんの一握りでした。残念ながら、独ソ戦で優秀な日本政府や軍部首脳も裏切られましたが。

ヒトラーは嘘が上手く、それ以上に大衆を煽動する悪知恵に長けていた(彼は表で清廉潔白を装い、裏で策動を繰り返していた)。

少なくと、嘘を平気で繰り返す人物に国を託すことは絶対やってはいけない。

つまり、政府首脳が嘘をついているかどうかを確認することは必須なのです。

* 結論

「嘘」の問題点と見分け方を整理します。

  • 証拠を嘘だとして拒否することは簡単だが、賢明ではない。
  • あなたは国の報道統制下に染まっており、何が嘘か見えていない可能性があると疑うべきです。
  • 嘘を疑うなら、権力者や政府の発言・報道こそ注視すべきです。彼らの嘘は通り易く、実害が大なのですから。
  • 幾ら心地良いことを言っても、嘘をつく人物を信用してはならない。まして国を任すのはもってのほかです。

単純な話だが、欲や感情に支配され惑わされる人々は、いつの世にも一定数存在します。

このような人々がナチス時代を先導し、悲劇が繰り返されるのです。

これで終わります。

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中国の外縁を一周して 57: 中国と北欧、そして日本 2: 各国の旅行事情


*1

前回は、各国の余生と余暇の過ごし方を紹介しました。

今回は、各国の旅行事情を紹介します。

それぞれに違いがあり、お国ぶりが見えて来ます。

< 2. スウェーデン、ストックホルムにて >

上: 中央駅地下一階にて、コンコースの真下

2018年6月1日、金曜日。

ここには鉄道と郊外電車、地下鉄の駅が集まっているので、行き交う人は多い。

下: ドロットニングホルム宮殿行きのクルーズ船乗り場にて

2018年6月3日、日曜日。

人気観光地の市庁舎が直ぐ隣りあります。

私が乗った船は満員で立ち続ける人もいた。

乗船客は白人ばかりで、他の人種、特にアジア系の人を見ることはなかった。

夫婦や少数グループが多く、添乗員が引率している団体ツアーは見なかった。

< 3. カールスタッドとオスロにて >

上: カールスタッドの鉄道駅のホームにて

2018年6月4日、月曜日。

オスロ行きの国際列車が4時間以上遅れて到着するのですが、乗客がホーム中心に集まって不安げに待っている。

彼らの一人が私に一緒にと声を掛けてくれたが、私は英語が出来ないので一人離れてしまった。

北欧を旅していると、列車の中や至る所で人の温もりを感じた。

ただストックホルムでは、駅や空港で業務として関わる人は、英語が喋れないと冷たくあしらうことがあった。

他の二ヵ国ではなかった。

下: ヴィーゲラン公園のゲート近くにて

2018年6月6日、水曜日、8:30~9:00に公園を散策。

写真はインドからの観光客一団です。

この公園を観光している人は少なく、市民をちらほら見ただけでした。

アベックや犬の散歩、自転車で行き交う人々でした。

ゲートを出ようとしていると、韓国人らしい一団とインドからの一団がゲートから入ってくるのを見た。

私の公園訪問が朝早すぎたのでしょう。

< 4. フェリーと地下鉄にて >

上: オスロ湾を行くフェリーにて

2018年6月6日、水曜日。

このフェリーはコペンハーゲンとを結ぶ国際航路です。

フェリーの後部デッキでは乗船客がクルーズ気分を楽しんでいた。

デッキは白人ばかりで、明かに旅行客風でした。

乗船時にはアジア人の小グループ、食事中には日本人ツアー客も見かけま

した。

私も含めてアジア人はまだクルーズ船のデッキで寛ぐことに慣れていないようです。

下: オスロの地下鉄にて

2018年6月5日、火曜日。

早朝の移動中に、彼は私に関心を示し、寄って来て声を掛けてくれた。

彼は、彼の日本旅行について話してくれた。

彼は数年前、奥さんと長男(写真の子ではない)で2ヶ月間、日本を旅行したそうです。

特に富士山登山が気に入ったそうです。

彼の日本の印象は非常に良かったようで、私ともっと話したかったようだ。

* 北欧三ヵ国で見た旅行者

北欧を巡っていると、白人は夫婦や少数のグループで旅行していることが多い。

観光地で見かけた白人が外国人かは判然としないが、多分に近隣諸国からの人もいるようだった。

一方、気になったの日本人の少なさです。

ストックホルムで、数人の日本人ツアー客らが自由時間を楽しんでいるのを見たことはあったが、他ではまったく日本人を見なかった。

コペンハーゲンの図書館で、現地に暮らしている日本人親子とあっただけでした。

たまたま、空港で宇都宮弁護士の北欧訪問に随行した人々を見かけてホットした(会話が聞こえたので分かった)。

あまりポピュラーでない観光地(野外博物館)などで、韓国人の団体ツアーを見かけたことはあった。

一番感心したのは、私がデンマークのシェラン島の端まで観光しようとしていると、中国人の母娘がそれを上回る意欲的な観光を計画していることでした(行先が聞こえたので分かった)。

今まで西欧や東欧などを旅行した時、何処に行っても中国の団体ツアーと出くわし、彼らのマナーの悪さに辟易したものでした。

しかし、北欧の旅で見た中国人は、少数のグループで都市部の宮殿や地方の観光地を自由に旅していた。

ひょっとすると、現地に移民した人が、友人や家族を案内している可能性もある。

少数の東南アジア人グループを観光地で見かけたが、これもそうかもしれない。

その内の誰かが英語を話せるのだろう。

それにしてもまったく日本人を見ない。

日本人の海外進出意欲の減退に危機感を持った。

単に、国が貧しくなったからかもしれないが。

日本人の出国人数は年々増加し2千万人を越えたのだが、実は、一人当たりの旅行費用は約20年前より35%ほど低下し、ここ数年の円安も加わり旅行先は手頃な所になっているのでしょう。

一方、中国人の海外旅行者数は15年間で3千万人から1億3千万人に増えており、うなぎ上りです。

こうして世界中の観光地は中国人が溢れるようになった。

< 5. 麗江と北京にて >

上: 麗江の新幹線駅にて、ここは始発駅です

2019年10月27日、日曜日。

ホームは、改札を終えてこれから乗車する人で一杯になった。

乗車する人は年配者もいるが、多くは若いか中年の軽装の旅行者でした。

30年ほど前、広州から香港へと列車で移動した時は、若い人は少なく、大きな荷物(安ぽっい袋)を持った中年以上の人で列車は一杯でした。

中国では、その後、経済成長に伴って国内旅行が爆発的に増えた。

ここ10年の中国で驚かされるのは、至る所に出来た新幹線駅が巨大すぎることです。

本当に歩くのが疲れる。

しかも、私が乗った連結数の多い列車はいつも満杯に近かった。

中国の新幹線網は日々延びているので、旅行する時は、新幹線が通じているかもしれないと疑ってみることです。

駅は空港より便利な位置にあり、本数も多い、但し運賃は安くは無いが。

下: 北京の天安門広場にて

2019年10月19日、土曜日。

この時は、中国建国70周年年の記念事業があったので、広大な広場は人で埋め尽くされていました。

< 6.北京と麗江にて >

上: 北京の飲食店にて

2019年10月17日、木曜日、夜9時を過ぎた頃。

王府井を歩いて驚いたのは、夜が更けると若い人々は通りから去り、年寄りを含む団体ツアーが闊歩しているのが目立ったことです。

これは多くの店が閉まるからなのですが、まだ若干の飲食店が開いているので、そこにツアー客が押し寄せるのです。

ツアーの中には年齢から見て勤め人もいるはずですが、このように平日も旅行出来るようです。

その元気さに、かつての日本人の海外旅行熱を思い出しました。

私達日本人も夜遅くまで観光地を出歩き、また多くの人はブランド店で数十万円を費やし、バックなどを買い漁っていた。

そんな時代は遠い昔となったが。

下: 麗江の飲食街にて

2019年10月25日、金曜日、夜の7時頃。

麗江は、私にとって中国で唯一の残された歴史的な町並みのはずでした。

客家土楼なども歴史的な建物が残っているが、街並みと言う点では異なります。

楽しみにしていた開封の街並みも、真に歴史的なものはなかった。

麗江の町並みは土産物・飲食店街と化し、さらに夜になると音楽と歌声が鳴り響く古镇のテーマパークと化す(それでも充分に中世の雰囲気は味わえます)。

夜遅くまで彼らは歴史地区で歓談し飲食している。

少し失望したが、中国の商魂たくましい姿に苦笑いし、非日常を精一杯愉しむ人々の姿に圧倒された。

< 7. 頤和園と什刹海公園にて >

上: 頤和園の昆明湖に面して

2019年10月19日、土曜日。

もの凄い人出で、建物で囲まれた中庭では押し競まんじゅう状態でした。

圧倒的に中国人の団体ツアーが多い。

添乗員の旗を見ていると、中国各地から来ているのがわかる。

ラフな服装で、旅を満喫している姿が印象的でした。

下: 什刹海公園にて

2019年10月18日、金曜日。

20台にも達しそうな人力車の行列が湖沿いの道を通って行きます。

もの凄い観光客が周囲を埋め尽くし、人力車は団体客で満杯でした。

* 中国で見た旅行者

ここ30年間、中国を旅するようになって驚くことの一つは、国内旅行が年々盛んになっていることです。

15年以上前、当時日本ではほとんど知られていなかった客家土楼を友人の案内で見学した時、一人の中国人旅行者が一眼レフで撮影しているのに驚いた。

それまでの中国観光でこのような事を見ることはなかった。

当然、そこにいるよそ者は私と友人、そしてそのカメラマン一人だけでした。

また廈門の海岸に案内してもらった時にも驚きの光景を目にした。

夕陽が沈む砂浜で、百人を越える人々が海岸線に並び、立ち尽くしていた。

友人の話によると、彼らは海の無い貴州省(雲南の東北で隣接)から来た人々だった。

しかし今は異なる。

帰国時、私は昆明から関空に向かう機内で若い中国人女性に声を掛けた。

彼女はツアーで日本に初めて旅行するとのことでした。

彼女は日本のことをほとんど知らないようでした。

今は、中国各地と日本の間に多くの直行便があります。

私にとっては中国の航空運賃は安いが、彼女にとってはそうではないはずです。

昆明では日本人観光客をまったく見ることがなかったし、昆明では日本があまり知られていないように思う。

実に、彼らは気楽に旅をするようになった。

また成都をタクシーで観光していた時、通訳を介して知ったのですが、運転手の娘さんがちょうど大阪を観光していた。

そして、大阪の貧弱な宿泊ホテルに娘さんが驚いて、その写真をメールで送って来たそうです。

おそらく民泊のことだろう、恥ずかしくなった。

中国では一泊1万円も出せば、非常に立派なホテルに泊まれるのだが。

こうして中国の人々は余暇を楽しみ、海外や日本を知ることになるだろう。

これは誤解を遠ざけ、相互理解を育むだろう。

世界の進んだマナーや文化を知り、異なる国の実態を知る事になる。

2019年の中国国内旅行者数は60億人を越えており、伸び率は9%もありました(一人当たり年4.3回=60億/13億)。

同年、日本では一人当たり年4.6回で伸び率4%でした。

それにしても、今回、中国を旅していて、白人や日本人の観光客を見かけたことはなかった(外縁部を周ったせいもあるが)。

明かに以前に比べ日本人観光客は減っている。

現地の日本語ガイド達が嘆いていた。

これは年々日本政府が右傾化し、中国への恐怖を煽ったのが一因でしょう。

残念です。

白人観光客も少ないが、麗江の木府でチェコから来たツアー客にあった。

私が訪れたプラハやチェスキークルムロフについて語ると彼らは喜んでくれた。

旅先の出会いには心温まるものがある。

中国には年間1億5千万人ほどの外国人観光客が来るのですが、国土が広いので目立たないのでしょうか?

* 日本の残念なところ

北欧の人は海外に強い関心を持っており、高校生ぐらいから海外へ長期に出かけることになる。

これは文化もあるが、語学教育や休学制度、企業の採用慣習も後押ししている。

ヴァイキングの開拓精神がここにも息づいているように思える。

スウェーデンでは国民の約60%が年に一度は海外に出かけるそうです。

これが北欧の企業や人材の国際化を生み続けている理由でしょう。

中国では、既に日本人口を越える人が海外に行き、その人口割合も日本(15%)をもうすぐ超えるでしょう。

中国人の一番の海外旅行先は日本で、次いで東南アジア各国が続きます。

しかし、日本人の行先は一番が台湾で、ハワイ、韓国、イタリアが続き、中国は20番にも入りません。

日本人は上海には行くようですが。

こうして中国人の日本評価は高まって来ているが、一方で日本人の中国理解は、政府と右翼の煽動もあり悪化し続けている。

日本人の長期海外留学は減り、年追うごとの経済衰退に連れて、日本人は世界や近隣諸国への興味と理解が乏しくなっている。

一方中国は、外国人にとって日増しに旅行がし易くなっている。

多数ある航空会社、新幹線、ホテルを日本からインターネットで予約出来、また旅行サイトTrip.comを使えば日本語で予約出来る。

安全やサービスも問題ない。

中国の地図アプリなどをスマホにインストールすれば便利です。

中国語に馴れる必要はあるが。

VPNサービス(有料)を利用すればグーグル翻訳も使えます。

トイレはヨーロッパより便利で急速に綺麗になって来ている。

さらにすべてにおいて安いのが良い。

ヨーロッパ旅行の半額で行けます。

偏見を持たずに中国を旅行してください。

驚きの連続ですよ!

次回に続きます。

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連載中 何か変ですよ 219: 恐れろ!怒れ!止めろ!


*1

人はじわじわと迫って来るものには恐怖を感じない。

自然災害や金融危機が繰り返すたびに巨大化しても!

さらには民主主義が日々破壊されて行っても!

まるで対岸の火事を見る野次馬のように

* 何を恐れるべきか?

今回、米国国民はかろうじて危険な大統領を退ける意思表示を行った。

だが、大統領による異常な民主主義の破壊が止まらない。

実は、この愚行は日本にも既に蔓延している。

現大統領が敗北を逃れるためなら手段を選ばず、さらに国を二分する共和党の指導者と支持者らも片棒を担いで恥じない。

これこそ泥沼の戦闘状態だ。

かつて過激な共和党議員が「政治は戦争」「文化戦争だ」と、ここ40年の間に言って来たことだ。

トランプ大統領の稚拙で悪意ある言動が米国だけでなく世界を掻き回している(フェイクは2000件を越える)。

< 2.ある保守の妄言 >

トランプは、11月4日のワシントンの抗議集会について「参加者、数十万人に感謝」とツイートし、ホワイトハウスの報道官はこれを百万人と公言した。

しかし日米の代表的なマスコミは、これを数千人から1万人強だとした。

やがて、数十万人が通りを埋める写真や動画が出回り、日本のウヨと保守も便乗して気勢を上げた。

「トランプの人気は絶大だ!」「真実を隠すマスコミを信じるな!」と。

ところが11月17日、オンラインメディアのBuzzFeed が、ファクトチェックの結果を公表した。

出回った写真や動画は、カナダの優勝行進や、2017年のワシントンで行われた反トランプ集会のものだった。

< 3.武漢ウイルス >

今年7月、香港のウイルス女性専門家、閻麗夢が米FOXニュースで暴露発言を行い衝撃が走った。

「新型コロナウイルスは武漢ウイルス研究所で作られた」と。

正にトランプの指摘通りだった。

トランプ支持者と日本の保守は沸き立った。

彼女の発言が怪しいと踏んだ米ツイッター社はこれを制限し、これがまた言論の自由を破壊すると非難する輩も現れた。

しかし11月20日、米ニューヨーク・タイムズが暴露記事を出した。

かつての主席戦略官のバノンと、米国に逃走した中国大富豪が仕組んだ扇動だったと。

彼女の不確かな発言が、トランプ支援派と反中国派に利用され、中国敵視の火に油を注いだ。

米国の至るところで、中国人と東アジア人が罵られ暴行を受けるようになった。

< 4.ナイラ証言 >

これと似た事が、1990年の共和党政権でも起きていた。

ある委員会で、少女ナイラは涙ながらに侵攻したイラク軍による残虐行為を訴えた。

この証言によって米国世論は一気に湾岸戦争へと沸き立った。

しかし、これがまったくの嘘だと判明した。

湾岸戦争突入後ではあったが、この時もニューヨーク・タイムズが暴露した。

「新生児を虐待死させた事実はなく、実は、ナイラはクウェート駐米大使の娘で、芝居だった」と。

この手の嘘や煽りは、ベトナム戦争のトンキン湾事件などでも起きた(民主党政権)。

1948年に始まる言論弾圧と職場追放の赤狩りも一共和党議員が始めた。

既に、米国民の半数弱と政党が党利党略の為なら民主主義を捨てつつある。

日本も同様で、前首相や周辺によるただならぬ虚言・隠蔽や議会運営がまかり通っている(森友・加計、桜を見る会など)。

皆さん、民主主義の破壊が進んでいることを恐れて欲しい!

< 5. 季節と政治は巡る >

* 何に怒るべきなのか?

今、米国だけでなく日本と西欧にまで、虚言を弄し対立を煽り、都合の悪い事実を隠蔽し、反対派を封じ込め、絶大な人気を得て、国を操ろうとする政治家が力を得ている。

このまま進めば、民主主義が破壊され、やがて独裁者が生まれ、遂にはいとも簡単に戦争を始める。

これは、かつての日独伊のファシズムへの歩みに酷似している。

歴史上繰り返された悲惨な状況は、独裁国家の末路と断言できる。

多くは独裁による自由と人権を奪われた社会、そして戦争でした。

当然、これは社会背景があってのことだ。

今、日米欧の経済状況は大戦前ほど酷くは無いが、ここ40年ほどで大多数の国民が不満(貧富の差拡大とマイノリティ優遇)と焦燥感を持っようになったことが大きい(中間層の没落)。

しかし、先ずは政治家による民主主義の破壊行為に怒るべきだ!

馴れてしまってはいけない。

民主主義は社会が正常に機能する最低条件なのだ!

* 何を止めるべきか?

現実に起きている民主主義の破壊を止めることが急務です。

政府やトップが繰り返す虚言・隠蔽・捏造・ミスリード、また議会運営と行政で頻発する規範逸脱は民主主義破壊の始まりです。

今は、小さくても放置すれば、確実に取り返しのつかない末路が待っている。

私達日本人は、米国のように対立する政党に対して、勝つためなら規範破りや社会正義の無視を正当化させてはならない。

放置すれば、やがて互いに泥沼に嵌り、最悪の事態になるだろう。

今、皆さんが出来ることは、政府や議員が民主主義のルールを破れば「ノー」の態度を示す事です。

少なくとも選挙で!

皆さんの良識に期待して、終わります。

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徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 12: 深い谷に張り付く落合集落


*1

今回は、祖谷を代表する山村を紹介します。

この落合集落は重要伝統的建造物群保存地区に指定され、

江戸末期以降の山村の風情を今に残しています。

< 2. 祖谷の全景 >

上: 上が北で右が上流、写っている東西の距離は約35kmです。

緑のバルーンが二重かずら橋、赤のバルーンが宿泊地の西祖谷のかずら橋です。

私は紺色線の祖谷川沿いの祖谷街道を車で走りました。

赤矢印が落合集落で、矢印の方向に眺めています。

黄色の矢印は、吉野川上流の大歩危辺りです。

上の茶色の矢印は東西に流れの向きを変えた吉野川に面する貞光の町です。

黒矢印は剣山頂上で、ピンク矢印は三嶺山の頂上です。

中央: 上が北で、右が上流です。

白い枠が落合集落、ピンク枠が平家伝説が伝わる栗枝渡です。

赤矢印は概ね祖谷川対岸の展望所からの撮影方向です。

東西(左右)に曲がりくねっている線が、祖谷川と祖谷街道です。

私は右側から下って来た。

下: 上が東で、上流です

赤矢印は概ね祖谷川対岸の展望所からの撮影方向です。

ピンクの矢印は、三嶺山の頂上で、もっと奥に剣山があります。

私は上部から下って来た。

二枚の写真から分かるように、祖谷川の両斜面、それも高い所に山村が散在している。

谷底を行く祖谷街道を走っているだけでは、これら村の全容は分からない。

< 3. 落合集落展望所 >

上: 展望所に行く途中、道路工事で30分ほど足止めされた。

この時、上流側を見ると、幾重にも造られた砂防ダムが見えた。

この後、至る所で作業中の道路工事に出くわした。

後に理解出来たのですが、この祖谷は道路やダムなどの公共工事(建設業)が重要な産業なのです。

なんと就業者の人口比率は建設業が40%近くあり、農業は3%以下に低下しているのです。

観光で暮らしいる人も多く、中国の観光客も訪れるそうです。

2017年の大歩危・祖谷地区の外国人宿泊者数は2万人近くになり、10年で34倍になったそうです。

ただ今年はコロナで閑散としていました。

この地は、日本三大秘境の一つと言われ観光に恵まれている。

一方、同じ徳島県でも素晴らしい海岸を持つ海部郡が、観光客に恵まれないのは残念です。

下: 落合集落展望所

ここは集落を眺望する対岸の高台に設けられている。

この展望所には三方から車で行け、駐車場とトイレが備わっています。

非常にありがたい。

但し、上流側から行く道は道幅が狭いので避けた方が良いでしょう。

< 4. 落合集落と周辺 >

上: 左の山の斜面に落合集落が見える。

下: 右の山の斜面に落合集落が見える。

< 5. 落合集落の全景 >

一度、歩いてみようと思い、下まで行ったが、とても気後れして止めた。

私には集落の平均斜度が45度に思えた(実際は無いだろいうが)。

* 落合集落

落合集落は一つの峰が祖谷川に落ちる南斜面にあり、東西750m、南北850m、高低差390mある。

この集落の起源は南北朝時代まで遡り、祖先は南朝方で戦ったらしい。

茅葺の家、畑・道・家屋を擁壁した石積み、猫の額ほどの畑が急斜面に積み重なるように連なっている風景は独特です。

現存する家屋や石垣、石の階段の道(里道)などは江戸末期に遡るものがあるそうです。

ただ多くの畑は放置され、草が蔓延っている。

高齢化で担い手が減る一方です。

ここは特に平家落人伝説との関りがないようです。

ただ、この左手、少し下った祖谷川を挟んで9ヶ所ほど、また直ぐ上流二ヵ所に安徳天皇や平家に纏わる遺跡がある。

これら遺跡の幾分かは次回紹介します。

ここで二つの落人集団(平家とな南朝方)を想定すると面白い。

平家の落人が祖谷に来たのが12世紀末(壇ノ浦の戦い後)で、落合の祖先が南北朝時代なら14世紀だったはず。

つまり平家の子孫が先に陣取っていたので、後から来た落合の祖先は更に上流に行かなければならなかった。

こうして平家の史跡は落合より下流に多いのだろう。

それにしても不思議なのは、こんな奥地に逃げて来て、生計をどのように立てのだろうか?

宿の主に聞いたり、資料を見ると、幾らか分かって来た。

貞光川の中流の一宇もそうだったが、祖谷もタバコ栽培で共通していた。

この落合では、他に馬鈴薯と麦の栽培、養蚕が行われていた。

しかし日本の高度経済成長に伴って、過疎化が進展し、農地は放棄され、杉の植林や雑草地が増えて行った。

かつて、この祖谷では年二回の焼畑によって、ヒエ、アワ、ミツマタ(和紙の原料)、蕎麦、大豆、麦が栽培されていた。

明治以降、ミツマタと煙草は貴重な現金収入となったが、1990年までには終止符を打った。

このような山腹の畑で給水はどうしたのか?

山がちな淡路島なら、山腹の上部にまで造られた溜池が役割を果たしている。

スペインの丘にある城塞都市なら、川底に達する深い井戸か水道橋が不可欠だった。

じっくり観察していないが、この地の集落で井戸は目に付かなかった。

この疑問は、西祖谷の旅館に泊まって氷解した。

旅館の水はすべて湧水で、散歩していても至るところで湧水が勢いよく流れ落ちていた。

どうやら地質の関係で、豊富な湧水が昔から得られたのが幸いしたのだろう(祖谷川の南斜面に多いらしい)。

下: 落合集落の上部を望遠で

< 6. 落合集落の下部を望遠で >

上: 中央の茅葺屋根の家は長岡家住宅と思われる

ここは標高610mにあり、落合の支配階級の家であったらしい。

明治34年の築とされている。

下: 一番下に家屋が二列に横に並んでいるのは、祖谷川沿いの祖谷街道を挟んでいる町並みです。

この祖谷街道が出来たのは1920年(大正9年)です。

それ以前、この地域の物資輸送や移動はどうしていたのだろうか?

冬は雪が積もるだろうに。

< 7. 展望所を離れる >

上: 展望所が道路脇左に見える

下: 少し離れた所から落合集落を見た

< 8. 栗枝渡の集落 >

上: 右手山の斜面上方の村が栗枝渡(くりしど)

ここからは見えないが集落の更に上部奥に、安徳天皇に纏わる史跡がある。

次回、紹介します。

落合集落から一つ谷を挟んだ下流1kmの峰の端に、この栗枝渡がある。

下: 上流側を見る

< 9. 橋を渡る >

祖谷川にはこのような橋が幾つもあるが、ここは特に見晴らしが良かった。

< 10. 橋の上から上流を望む >

深い谷と深い森が秘境を実感させる。

< 11. 橋の上から下流を望む >

次回に続きます。

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中国の外縁を一周して 56: 中国と北欧、そして日本 1


*1

これから数回に分けて、テーマ毎に中国と北欧を見比べます。

今回は、余生と余暇の過ごし方を紹介します。

そこには日本では考えられない光景がありました。

< 2. 北欧と中国と日本 >

上: 黄色枠が北欧三ヵ国(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)。

赤枠が中国、ピンクの矢印が日本です。

フィンランドも北欧ですが、旅をしていないので省きます。

上記三ヵ国はスカンジナビア三国と呼ばれ、同じ民族、ヴァイキング、国の成り立ちで共通することが多い。

フィンランドは民族が異なる。

下: 今回紹介する北欧三ヵ国の撮影地

A、Bはスウェーデン、Cはノルウェー、D、E、Fはデンマークです。

今回紹介しているのは2018年5月31日~6月10日の旅行時のものです。

また1984年11月中旬にも、デンマークとスウェーデンの首都観光と近郊の会社視察に行ったことがありました。

この時は厚い雲と雪の季節だったので、まったく印象が異なります。

< 3. 中国の撮影地 >

Gは廈門、Hは開封、Iは麗江、Jは昆明です。

今回紹介しているのは2019年10月16日~29日の旅行分です。

これ以前、30年間ほどの間に幾度も中国を訪れています。

< 4. 北欧と中国の楽しみ方 >

上: A スウェーデンの首都ストックホルム近くのメーラレン湖にて

2018年6月3日、日曜日、午前10時頃撮影。

クルーズボートでストックホルムから20分ほど行くと、市民が岸で日光浴していた。

この辺りは住宅地で、個人宅やマンションが丘の上に並んでいた。

メーラレン湖を行くと、多くの家族や恋人、友人達が岸辺や湖で日光浴やボート、ヨットを楽しんでいた。

下: J 昆明の翠湖公园にて

2019年10月17日、木曜日、午後4時台、公園を散策。

大きな公園は市民で溢れ、老若男女問わず家族や一人で、また様々なグループらがのんびり行き来していた。

目立ったのは、広場で大きな集団の輪を幾重にも作り、民謡に合わせて踊っていたことです。

幾つもの少数民族に別れて集団を作り、民族衣装を着ていない人も参加していた。

そこ一帯には、温かみと一体感による高揚感が満ちていた。

ただ踊りに参加している人はほとんど高齢者(50歳以上?)でした。

若い女性も稀に見たが。

この二枚の写真には北欧と中国の特徴がよく現れている。

季節のせいで水辺のシーンが目立つのですが、写っている人々の年齢層が違います。

共通するのは、平日の日中でも多く人が公園や水辺で過ごしていることです。

これは日本と大きく異なる点です。

おそらくほとんどの日本人は平日、日中は仕事、その後は残業、さらに休日も出勤していることでしょう。

< 5. カールスタッドとオスロにて >

これから北欧を見て行きます。

上2枚: B スウェーデンのカールスタッドにて

ここはノルウェーのオスロに向かう国際列車の中間点で、地方都市も見たいので途中下車しました。

2018年6月4日、月曜日、午後4時半から5時半頃まで町を散策した。

上: 駅前から伸びる大通りにて

まだ4時過ぎなのに、テラス席で様々な年齢層の市民が寛いでいるのが目に入り、奇異に思った。

会社勤めはどうしたのか?

しかし、歩を進めるうちに、若い人から高齢者まで、続々と通りに溢れ、見る見るうちに広場の芝生やレストランのテラス席は人で一杯になっていた。

中央: 5時を過ぎていましたが、若い女性のグループが川辺のテラスで水着姿で日光浴を初めた。

ここに来る途中の列車の車窓から、郊外の森林に囲まれた湖岸で日光浴をしている人々を見た。

この6月初めは、厚い雲に覆われた長い冬からやっと解き放たれ、太陽の光を存分に浴びることが出来る夏の始まりだった。

観光季節の始まりでもある。

下: C ノルウェーの首都オスロにて

2018年6月5日、火曜日、午後1時、遊覧ボート上からハーバタウンを撮影。

左にクルーズ船が見え、右1kmにオスロ市庁舎がある。

平日の昼、首都中心部で水着姿で日光浴を楽しんでいる。

オスロ市庁舎の辺りは観光地なので観光客は多いだろうが、この人々は市民だろう。

私はここでも驚いたが、コペンハーゲンに行って更に驚くことになった。

< 6. デンマークにて >

上: D 首都コーペンハーゲンに近い古都ロスキルにて

2018年6月7日、木曜日、午後1時半頃、大聖堂近くの広場で撮影。

高齢者がほとんどで、夫婦や数人のグループが多く、レストランのテラス席で陽を浴びながら、談笑して寛いでいた。

おそらく周辺の市民だろう。

下: E 首都コーペンハーゲンの運河にて

2018年6月7日、木曜日、午後4時半頃、運河を行くクルーズボートから撮影。

首都の運河の至る所で、日光浴、ボート、カーヌーに興じ、海に近い方では中高生達が泳いでいた。

若い恋人や友人同士、そして家族で楽しむ姿が印象的でした。

それも平日の午後4時を過ぎたばかりなのですから。

< 7. コペンハーゲンとヘルシンゲルにて >

上: E 首都コーペンハーゲンの運河にて

上記と同じ。

下: F クロンボー城のある港湾都市ヘルシンゲルにて

2018年6月8日、金曜日、午後4時半頃、街中にて。

この町はクロンボー城と、対岸スウェーデンを結ぶフェリーで人は行き来するのですが、通りは賑やかとは言えない。

それでも通りのテラス席は、談笑する市民でほぼ埋まっていた。

< 8. G 廈門の公園にて >

これから中国を見て行きます。

2019年10月16日、水曜日、午前9時台、市内の公園にて撮影。

この公園は昔ながらの街中にあり、古くからの市民が来るところのようです。

上二枚: 広い緑豊かな公園の木陰では、高齢者グルーブが至る所に陣取り、仲間と楽しい時間を過ごしている。

一人の人はほとんど見かけなかった。

男性グループは将棋などの盤ゲームをやり、女性グループはそれぞれに異なった踊りや体操を行っている。

以前に比べれば、太極拳などの伝統的なものは減って来た。

下: 中国式の譜面を見て集団で詠じている。

西洋音楽ではない。

中国では男女別々に集まり興じる事が多い。

体操や太極拳、詠いは一緒にやることはあるが。

また若い人はほとんど居らず、概ね50歳代以上のようです。

後に、公園に付属の小さな動物園を訪れたのですが、そこはお爺さんとお婆さんと孫一人の三人連れで一杯でした。

中国では、若い夫婦は、一人っ子を親に預けて共稼ぎをしている。

孫の保育園への通いも親がやるのでしょう。

親は概ね50~55歳から定年となり、年金生活に入る。

都会では、働かなくてもやって行けるようだ。

< 9. 開封と麗江にて >

上: H 開封のメインストリートの夜市にて

2019年10月20日、日曜日、午後7時頃撮影。

非常に賑やかだが、子供の姿はほとんど見かけなかった。

若いグループと夫婦、年配のグループが多かった。

下2枚: I 麗江の黑龙潭公园にて

2019年10月25日、金曜日、午後4時頃撮影。

公園で盤ゲームや楽器演奏に興じる人々を数組だけ見かけた。

多くは無かった。

この公園内はほとんど観光客が行き交っていました。

中国では有料の公園や神社仏閣でも、60歳以上になると、ほとんどで半額から無料になっているので、市民は利用しやすい。

昔に比べると、趣味の範囲が広がり、伝統的なものから新しいものまで多様になっているようだ。

* 余生と余暇の過ごし方

  • 中国と北欧で異なること

北欧では、午後4時を過ぎると、多くの人は職場を退出する。

北欧の労働時間は日本より約3割は短く、育児休暇もかなり長い。

北欧の住居は職住接近で、人は平日でも家族や友人と共に家庭や自然の中で過ごすことが多いようです。

中国では、定年を迎えれば50歳代の若さで日々、のんびり暮らし、孫と遊び世話をするのが日課となる(定年は男性が女性よりも遅い)。

だが若い夫婦や独身、学童は忙しいようだ。

また都会で暮らす地方出身者には苦しいかもしれない。

  • 中国と北欧に共通していること

共に定年後はのんびり暮らし、共に広場や自然の中で仲間や家族と過ごしている。

北欧の定年は中国より遅いが、日本や中国よりも豊かに過ごしている。

共に福祉制度、年金制度が整っているからで、日本人が連想する重税感や社会主義国の重苦しさとは無縁です。

北欧二ヵ国については34年前にも訪れて、現地の人に話を聞いており、今回の訪問で、高福祉社会の豊かさが更に良くなっていることを実感できた。

中国の福祉制度は年々改善されているようで、経済成長に連れて更に良くなるでしょう。

 次回に続きます。

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徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 11: 二重かずら橋


*1

これから数回に分けて祖谷を紹介します。

祖谷には深い渓谷美と日本の原風景が残っています。

この旅では、平家の落人伝説と山村の風景を中心に見て回ります。

今回は、二重かずら橋を紹介します。

< 2. 祖谷の全景 >

上: 見越から祖谷を見下ろす

剣山の登山リフトを降りた見越から、西側を見ている。

これから、この祖谷川沿いに下って走る。

下: 剣山と奥祖谷(一部)の全景、上が東側です

赤矢印が剣山山頂、白矢印が見越から上の写真の撮影方向、白四角が二重かずら橋の位置です。

ピンク枠は、平家落人伝説が点在する地域です。

剣山山頂付近の草原は平家の馬場として使われたと伝えられている。

他は渓谷の急斜面に張り付くように遺跡が点在する。

徳島県三好市の奥祖谷は、写真の下側、祖谷川の下流へと更に続きます。

< 3. 祖谷の位置と平家の落人伝説 >

上: 四国の旧街道と奥祖谷

黒矢印が二重かずら橋、赤枠が奥祖谷、上部の赤矢印が屋島です。

奥祖谷は、北は香川県の瀬戸内海岸、東は徳島県の紀伊水道や太平洋岸(海陽町)、南は高知県の太平洋岸の中間点に当たる。

この地は奥深く険しいが故に、行者や山林を生業とする人だけが行き交った。

このことが、源平合戦の後、平家の落人が祖谷川を遡り、この地に住み着いた理由だろう。

下: 平家物語で語られている安徳天皇入水のシーン

平家は屋島(香川)、次いで壇之浦(下関)で源平合戦に敗れ、没落する。

安徳天皇は8歳で、壇之浦で清盛の妻に抱かれて入水したとされる。

しかし安徳天皇は入水せず、落ち延びたとする伝説が各地に残っている。

東は青森県から、西は九州まで十数カ所知られている。

長崎県対馬にもあり、逃れた安徳帝が対馬の大名、宗氏の祖になったとされている。

四国には二つあり、一つがこの祖谷です。

さらに平家の落人伝説は全国に80件ほど知られている。

当然、平家一門の子孫が各地に逃れて住み着いたはずです。

ただ当時は存在が知れると、源氏の追捕が来るので極秘にしたはずです。

これら伝説には、集団や家系などの正統性を高める狙いでつくられたものもあるだろう。

それにしても、この祖谷には安徳天皇ら一行が暮らしていたとしても不思議ではない、そんな趣がある。

< 4. かずら橋に到着 >

渓谷沿いの細い道に、並行して駐車場がある。

上: 上流側を望む

右に料金徴収の小屋、その左にかずら橋に降りる階段が見える。

下: かずら橋に降りる階段

< 5. 一番目のかずら橋 >

ここにはかずら橋が二つあり、また野猿(やえん)もある。

今から渡ります。

< 6. 一番目のかずら橋を渡る >

下: 橋の中央から望む

ここの看板の説明によると

祖谷にはかつてかずら橋が13あり、生活道として使われたが、現在はここの二つ以外、西祖谷の一つしか残っていない。

このかずら橋は約800年前、平家一族がこの地に逃れ、剣山の草原(頂上付近?)を馬場とし、軍馬の調練に、また木こりや漁師などが利用した。

< 7. 一番目のかずら橋から下を見る >

古くは「シラクチカズラ」と呼ばれるつる植物で造られていたが、今は目立たないようにスチールワイヤーで補強されている。

それでも下を見ると、木材の隙間から十数メートル下の川が迫って来る。

やはり緊張する。

< 8.渡り終えて >

川に沿って上流に向かう。

< 9. 野猿(やえん) >

左上: 川幅の中央に野猿が見えた

右上: 野猿のロープを手繰り寄せ、野猿に乗り、川の中央から二つ目のかずら橋を写した。

下: 野猿の内部から反対側の乗り口を見ている。

現在は二本のワイヤーロープで野猿を吊っているが、昔はどうしたのだろうか?

恐らくはこの川を渡る装置は近代に始まったのだろう。

< 10. 二つ目のかずら橋 >

< 11. 二つ目のかずら橋と桟道 >

後に、西祖谷のかずら橋も紹介しますが、こちらの方が周囲に人工的な建造物が少なく、趣があります。

見たことはありませんが秋の紅葉は素晴らしいでしょう。

ただここに来るのが不便な事と小さい駐車場(30台ほど)が欠点です。

次回に続きます。

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世界が崩壊しない前に 33: 今、世界は試されている


*1

今まで、人類が如何に地球規模の危機に晒されているかを指摘して来ました。

しかし危機そのものよりも、我々が対処出来ない状況に陥っている事こそが致命的なのです。

今まさに、米国と日本で、その致命的な状況から脱せられるかが試されている。

** 米国で何が起き、何が試されているのか?

今、大統領選の開票が進んでおり、トランプかバイデンかはまだ決していません。

私はトランプが再選されれば、世界は危機に対処できず、破滅に限りなく近づくと考えます。

先ずトランプ以外が大統領になり、米国が分断から立ち直る事が必要なのです。

米国民の良識が試されているのです。

* トランプ大統領の何が問題なのか?

トランプ再選を熱望しているのは、共和党、経済重視派、宗教的保守層、白人などに多い。

彼らはトランプに託す夢が本当に叶うかどうかを考慮せず、刹那的にすがっているように思える。

例えば、トランプになってから株価も失業率も好調でした。

しかし、これは単に景気の波、さらには大きな副作用を伴う減税と金融緩和策が大きい。

副作用とは、リーマンショックを上回る金融危機やデフォルトなどです。

他の経済・貿易政策や規制緩和、いずれをとっても一時的には良いかもしれないが、禍根を残す。

外交政策も然り、例えば保守的な福音派にイスラエル重視の政策は人気が高いが、これは半世紀以上も米国が中東を混乱に陥れた要因です。

いつの間にか、米国は後先を考えず、なりふり構わず、エゴ剥き出しの社会になってしまった。

これは40年ほど前、共和党の変質から始まった。

一部の議員が「政治は戦争」と豪語し、対立する議員や党を過激な言説で非難し、またこれが絶大な人気を得た。

従来、自粛して来た異例の議会闘争や大統領弾劾などを行使し始め、やがて両党が泥仕合するようになった。

そして共和党は、ティーパーティーなどのポピュリズムのタカ派に主導されるようになった。

こうして米国は、政治家の撒き散らした害悪によって分断が進んだ。

* この社会の分断はどんな問題をもたらすのか?

最近のトランプ大統領の言動がその危険を如実に示している。

彼自身のあらゆる疑惑捜査を人事権を使いあからさまに妨害し、この大統領選では、暴力や訴訟などにより開票を妨害することも辞さない。

彼は目的の為には多くの嘘を自ら発信し、暴力すら容認し、明らかに規範と社会正義を破り続けている(法律違反ではない)。

それでもトランプ支持者は彼を信奉し、共和党首脳部も沈黙し容認し続けている。

このまま進めば、米国は独裁国家になり果てるだろう。

彼の場当たり的で人気取りだけの政策では、やがて米国を破局に追い込むだろう。

ファシズムに走ったドイツや日本、南米やアフリカの独裁国家のように。

これは他人事では済まない。

超大国の米国が軍事で暴走したり、現在のように世界の協調体制を崩しにかかると、地球規模の危機への対処は断たれることになる。

私は、このことを最も恐れる。

今、一縷の望みを託すのは、対立を煽るトランプを米国民が退場させる選択をすることです。

*2

* これは米国だけの問題ではない

既に見たように、日本の政治状況と瓜二つです。

国会での証拠書類の隠蔽・捏造、証人喚問拒否など、内閣に都合の悪い事はすべて隠された。

また首相は恣意的に日銀総裁、NHK会長、法制局長官を替え、検事総長まで手をつけようとした。

今また、政府に批判的な日本学術会議メンバー6人の任命を拒否した。

これはトランプほど極悪ではないが、国会の民主的な運営を破壊し、亀裂を更に深める。

このような規範破りの繰り返しを許していると、日本もまた独裁国家に返り咲くだろう。

*3

* これは日本の中央政府だけではない

先日の大阪都構想のドタバタにも、不安な兆候があった。

これは維新により、良いイメージだけが刷り込まれ、大阪市廃止に伴う負の側面が住民には知らされていなかった。

しかし大阪市を廃止する案は住民投票でギリギリ否決され、救われた。

この類は、端的に言えばポピュリスト的な人気を背景に、改革と言う名に便乗し、一気呵成に体制転換を図る企てでした(それほど罪深くは無いが)。

この状況はトランプ大統領や安倍首相を生み出している社会背景に通じる。

この手の社会が熱烈歓迎する人物がトランプであり、安倍と橋下なのです。

少なくとも、彼ら三人は正に類は友を呼ぶ関係にある。

* 日本と欧米が陥っている社会状況こそが元凶です

今、米国の分断、日本の右傾化、欧州のポピュリスト政党急伸が同時的に起こっている。

個々に見れば、白人と共和党、日本会議と自民党、移民拒否とタカ派政党が結びついたことによる。

そして社会は分断され、民主主義が危機に晒されている。

これは、長期の経済低迷と格差拡大、人種差別が激しい国で際立って起きている。

約80%の国民の所得が伸びない、中間層が没落している国々で起きている。

言い換えれば、自由放任で金融重視の経済(新自由主義)が浸透している日米欧の国ほど酷い。

つまり、多くの国民(中間層)は徐々に疲弊し、何ら解決が期待できず、マンネリ化した政府に嫌気を差していた。

さらに、欧米では移民と難民が社会問題化し、これに「文明の衝突」の宗教的な対立が加わり、人種差別は激しくなった。

日本では、大戦を引き摺る隣国のいがみ合いが、民族差別を強めた。

ここで根源的な問題は経済低迷と格差であり、人種や民族間の差別は付随的なものなのです。

差別はスケープゴートであり、ヒトラーがユダヤ人を悪玉に仕立て上げのと同じ手合いです。

結局、ナチスが台頭した時のように、中間層(米国の白人)が没落を食い止めんが為に、荒療治にすがっているのです。

** 最後に

未だ米国の結果は出ていないが、米国民は恐らく良識ある判断をするだろう。

日本国民も民主主義の破壊に「No」と言わなければならない。

トランプや安倍が去っても、都構想が潰えても、問題は解決しないが、再起の可能性が見えた。

根本的な解決には、

一つには、政治に良識と規範が復活し、議員が民主主義を守る為に自粛する時代へと戻ることです(かつて米国にはあった)。

今一つは、社会経済を悪化させている新自由主義の政策から脱却しなければならない(自民党や維新はまだすがっている)。

その為には、国民が政治を監視し、選挙を通じて参加して行くことです。

これを成し得てこそ、世界はやっと協力して、地球温暖化やパンデミック、資源枯渇、核拡散などの巨大な危機に立ち向かうことが出来るだろう。

次回に続きます。

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中国の外縁を一周して 55: 驚き、感動、そして真実が


*1

今回は、かつて私が中国広州を訪れて驚き、悪い噂がデマだったと知った経緯を紹介します。

よく似た例として、長崎県対馬の体験も紹介します。

< 2.当時の広州 >

上: 広州と北京、香港との距離を示す

下の写真: 1980年代の広州のものらしく、借用しました。

広州駅も、通りを往く人々の姿も、このようでした。

* 1980年代後半に広東省広州を訪れて

私は以前から中国の歴史に惹かれ、また共産主義国家の行く末に関心がありました。

当時、中国経済と社会について幾らか本を読んでいました。

多くは中国を不安・危険視するものでした。

恐ろしい監視社会・独裁国家、悪い治安、低い文化水準など・・・

私は会社の慰安旅行で、当時珍しかった広州を1日観光することが出来ました。

そこで私は観光では物足り無くなり探索に出かけました。

広州の中心街を、夜の9時頃から一人で歩き始め、ホテルに戻ったのは朝の2時になりました。

夜が更けると、驚いたことに市民が家族総出で家やアパートから続々と出て来るのです。

この日はたまたま週末だった。

見る見るうちに広い通りは人波で溢れ、公園はアベックで一杯になり、行き交うバスからは人がはみ出しそうでした。

通りに面した料理店や、小さな飲食店の前にはみ出したテーブルは、飲み食いし談笑する市民で一杯になりました。

賑わいは深夜まで続きました。

公園の近くでは、一組の若い男女が街灯に照らされた陸橋の上でキスをしていました。

近くに警察官が居ましたが、彼らは気にしていない様でした。

信号のない大きな交差点を渡ろうとしたら車と自転車が接触事故を起こしました(当時、道路は自転車で埋め尽くされていました)。

多数の市民が、野次馬も含めて、その車を囲み何人かが口論を始めた。

その集団に紛れ込み、様子を見ていると、皆が裁定を下そうとしているようでした(暴力沙汰にはならなかった)。

数時間の町歩きで、私は市民が活力を漲らせ、自由を享受していることに感動し、これなら中国は必ず経済発展すると確信した。

< 3. 開放政策と大躍進 >

上: 鄧小平の視察(南巡)

下: 現在の広州

今の大躍進の画期となった鄧小平の開放政策は、彼が広東省広州などを視察したことで自信を得たと後で知った(1992年の南巡講話)。

この広州の活力は、ひとえに自由貿易の香港に隣接し、北京の監視から遠い事にあると、現地の通訳から聞いて納得した。

これはベルリンの壁崩壊以前から、東ドイツ市民がラジオで西ドイツの状況を熟知していたことに似ている。

そういえば清朝を倒す立役者となった孫文は、この広東の出身です。

結局、日本に閉じ籠って、偏向したメディアや論客の話を鵜呑みにしていると、間違いを犯すことになる。

< 4. 対馬の位置 >

上: 対馬は南北に細長い島で、韓国に非常に近い

赤印は中心都市の厳原、黒印は韓国との行き来が便利な比田勝港です。

下: 島の全体図

* 2020年秋、対馬を訪れて

対馬は、大陸文化の中継地として古代日本、朝鮮半島との交流、元寇、倭寇と密接に関わっています。

やっと念願の長崎県対馬の旅行に、この10月に行ってきました。

後に詳しく紹介しますが、一つだけ上記に関連したことを紹介します。

数年前、対馬は韓国の観光客に荒らされていると報じられていた。

それで現地の商店や案内所、さまざな人に様子を聞きました。

その答えは意外なものでした。

概ね、商店やホテルの人は、韓国人に対して悪いイメージはなく、むしろコロナなどによる訪問客の減少を嘆いていた。

観光案内所に聞くと、対馬を訪れる韓国人の割合は、ピーク時でも国内の訪問者より少なく、影響は大きくないとのことでした。

一般の人に「何か問題はありますか?」と聞くと、韓国人が道端で立ち食いするのが目に付くぐらいだと漏らした。

< 5. 対馬のメインストリート >

上2枚: 厳原

下  : 比田勝

ハングル語を見たのは厳原では稀だったが、比田勝では若干見ることが出来た。

対馬を2日かけてバスで移動してわかったのですが、商店街がハングルの看板で溢れていることはなかった(中心都市の厳原でさえ)。

現地ガイドの一人は韓国人(名前と訛りから)のようでした。

さらに70歳ぐらいのベテランガイドに聞くと、さらに予想外の答えが返って来た。

元々、対馬には戦前から朝鮮半島の人々が多く住んでおり、社会に溶け込み、仲良くしていたそうです。

つまり韓国人の突然の大挙訪問が、対馬を混乱させることはなかったのです。

ただ、釣りを目当てに来る韓国人が、大量の撒き餌で海で荒らしたようです。

「韓国で迷惑している」は、明らかにメディアの煽りだった。

この手の話は、北欧でも沖縄でも経験しました。

このように流布しているデマは、現地を訪れて自ら確認しないと、虚実が分からない。

日本ではメディアが意図的に他国を貶める煽情を行い、また国民も洗脳され易い(日本の体制に反する社会を否定する)。

実に残念です。

次回に続きます。

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徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 10: 剣山登山 3


*1

今回で、剣山登山の紹介を終わります。

下りは変化に富んだ遊歩道コースを選びました。

*2

上: 次郎岌(ジロウギュウ)に向かう稜線から左(東側)を望む。

この位置から、右に折れて遊歩道コースを下ります。

下: 遊歩道コースを進み始めた

< 3. ザレ場 >

上 : 振り返ると次郎岌が見える

この遊歩道コースは緩やかで、視界も開け、変化に富んでいるので良いのですが、一つだけ難点があります。

それはガレ場やザレ場が数ヵ所あることです。

下右: ザレ場の一つ

ザレ場は、岩屑がこまかく小石や砂を敷いたような場所で、非常に滑りやすい。

そして下左の写真のように、落ちたらかなり下まで滑り落ちることになりそうです。

< 4. 雄大な眺め >

上: 中央、山の斜面に突き出している岩が、登りの時にも見た御塔石です。

下: 次郎岌

< 5. 変化に富んだ道 >

上: ガレ場

数多くの石が右の山側から崩れ落ち、道に重なっていました。

写真は、右側を写したものです。

< 6. 御塔石 >

下: 御塔石

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< 8. 変化に富んだ道 >

実に様々な表情を見せてくれる登山道です。

遠くの山並みを眺望し、スリルがあるガレ場と森の小道を抜け、涼風を味わいながら、また木陰の道を進むとやがて終わりが来る。

< 9. 登山リフトの駅 >

上 : 登りで通過した鳥居に戻って来た。

左下: 振り返ると頂上ヒュッテの青い屋根が見える。

またチャレンジしたい!

今度は、登りの道を替えて、ヒュッテに泊まり、朝陽を拝んで、次郎岌を越えて行きたい!

右下: 登山リフトを降りる

次回からは、平家の落人伝説を追って、山村を巡ります。

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中国の外縁を一周して 54: 私にとっての中国旅行


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*1

これから中国旅行を通して感じたことを記します。

これまでの海外旅行と中国旅行の関わりから始めます。

< 2. 私の海外旅行 >

私は、60歳定年を機に、夫婦で海外旅行を始め、10数年が経ちました。

私は、会社勤めの時も会社からの視察や慰安旅行などで海外に行ったことはありましたが、多くは定年後です。

訪問した国は、約30年間で35ヵ国ぐらいです。

地図に訪問地を表しました。

多くは緑枠の西ヨーロッパ(ドイツ、フランス、スペインなど)と茶色枠の東アジア(中国、台湾、韓国)です。

他にピンク枠の東欧(チェコ、ハンガリーなど)、バルト三国、バルカン半島、ロシア、中東・アフリカ(トルコ、エジプト、モロッコ)、東南アジア(ベトナム、タイ)に行きました。

私にとって旅行は無くてはならないものになりました。

海外旅行は年1~2回、国内の宿泊旅行は2回ほどと、けっして数は多くありません。

しかし、2週間ほど宙に舞うほどの高揚感を味わわせてくれ、さらには好奇心と探求心を十二分に満足させてくれるものとしては、旅行に勝るものはありません。

特にヨーロッパを巡る旅、中世の街並みや景観、美術品、食事を味わい、そしてちょっとした人々のふれあいは何物にも代えがたいものでした。

東欧や東南アジア、東アジア、中東・アフリカの旅も、それぞれ刺激的でしたし、満足出来るものでした。

しかし数年前から、旅行会社のツアーでは満足できなくなりました。

旅慣れして、世界各地の観光地だけでなく、市民の暮らしぶりにも目が行くようになればなるほど、日本の沈滞と心にゆとりのない暮らしぶりを痛感するようになりました。

そして3年前、ある決心をしました。

それは世界で最も物心共に豊かな国、隣国であり最も成長著しい大国、そして日本に最も影響力がありながら病める大国を直に見ることでした。

最初に紺色枠の北欧(スカンジナビア三国のスウェーデン、ノルウェー、デンマーク)を選び、一人で旅行し、既に紀行文を載せました。

私は30年ほど前に一度視察で訪れ、豊かな自然と落ち着いた町並みだけでなく、企業の経営姿勢と人々の暮らしぶりに大きなカルチャーショックを受けていました。

< 3. 北欧の旅で >

次いで、茶色枠内の中国を夫婦で旅し、現在連載中です。

< 4. 中国の旅で >

実は、今年、赤枠のカナダと米国(ハワイも)を3週間かけて夫婦で回る予定でしたが、コロナで行けなくなりました。

来年は一人で旅行する予定です。

< 5. 米国のイメージ >

つまり、この三つの地域を旅することで、日本の将来が如何にあるべきかが見えてくるように思えるのです。

結論から言えば、北欧の経済と社会、暮らしぶりは予想通りすばらしいものでした。

さらに豊かで多様で持続可能な社会へと変化を遂げているのに脅かされた。

日本が北欧を真似るべきかは別にして、北欧が大戦後の社会変革で、世界トップレベルの国民の幸福を実現したことを知れば、日本国民は改革に向かう必要性と方向性を理解出来るはずです。

一言で言えば中国は脱皮し続け、豊かさを享受し始めているように見える。

中国の経済躍進が、けっして統制経済のような押し付けではなく、活力みなぎる全員参加によるものだと知れば、腰砕けになる可能性が少ないことがわかるはずです。

また国民の暮らしの向上や、大多数の少数民族に不満や問題が無いことを知れば、中国への不安も減るでしょう(北欧に似たものを感じた)。

一方、まだ見ぬ米国を調べれば調べるほど荒れていることに驚く。

巷に溢れるホームレスや頻発する凶悪犯罪を知れば、怖くて旅を躊躇してしまう。

さらにトランプ大統領によって社会の分断と民主主義の破壊も進んでいる。

これらが著しい格差拡大と人種や移民への差別の結果だとしたら、根は深く、米国に未来は無いかもしれない。

やはり、この目で確認しなければ、今後の日米関係を語れない。

ところが隣り合い同じ経済圏・英語圏でもあるカナダは、不思議な事に米国とは違い、国民の幸福度など社会指標はすこぶる良い。

この理由が分かれば、さらに米国の真実に近づけるかもしれない。

私が今望んでいることは海外を旅し、世界を知り、日本を振り返ることです。

< 6. 中華圏の旅 >

私は、会社と個人の旅行を含めて10回ほど中華圏を訪れています。

最初に訪れたのは1980年代だったでしょう。

従って、社会と経済の変化を身をもって知ることが出来ました。

今回の旅行を赤色と水色で示し、赤線は新幹線、赤丸は訪問都市、水色線は空路を示します。

ピンク色は過去の訪問地で、直線は列車と車で、丸は訪問地です。

訪問した都市は、中国で2回行ったのが北京、上海、廈門(客家土楼も)、1回行ったのが桂林、洛陽、西安、蘭州、成都、麗江、昆明、香港、広州です。

台湾は、台北と台湾一周の2回行っています。

訪れた間隔は10年から30年ほど空いているので、生活水準や町の景観の変化がよくわかりました。

最も古い訪問は、香港、広州、廈門、台北です。

20年以上経ってから再訪した台北と廈門の著しい発展に目を見張った。

私にとって中国は、日本に多大な宗教的・文化的影響を与えた国であり、その歴史を知ることは、日本の精神文化を知る手掛かりとなる。

また中国の歴史は多様で始原的で、興味深いものがある。

またここ30年ほどの中国の大躍進は目を見張るものがあり、冷戦後、地に落ちた感がある共産主義にも、何か経済改革のヒントがあるように思えて来た(漠然としているが)。

おそらく20年以内に、GDPで米国を抜き、その後米国を引き離すだろう(韓国も日本を抜くことになる)。

こうなると中国は、日本にとって再重要な経済パートナーになるはずだ。

そうは言っても中国の軍事膨張には不安が残る。

この問題を冷静に判断するには、独裁化し軍事行動を頻発している大国との比較が重要です。

また中国の軍事行動の歴史を知る必要もある。

私達日本人は、どうしても島に閉じ籠りがちで、小さく自己満足に陥り、納得し、洗脳されしてしまい易い。

これを打破しない限り、世界から取り残され、偏向していることすら気付けず、当然、本当に必要な改革論議は掻き消されてしまう。

これこそ日本衰退の遠因だろう。

私が薦める「海外旅行」とは、日本の閉塞状態に気付く旅なのです。

次回に続きます。

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徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 9: 剣山登山 2


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今回は、剣山の頂上と峰歩きを紹介します。

< 2. 剣山の衛星写真>

上: 剣山を南側から見ている

アドバルーンAが剣山頂上(標高1955m)です。

赤矢印が次郎岌(ジロウギュウ)、標高1929mです。

白矢印は私が下山で歩いた遊歩道コースの分岐点です。

写真上部で左右の帯状に見えるのが吉野川で、右方向(東)に徳島市内があります。

剣山山頂から、はぼ真直ぐ北に延びる渓谷が貞光川で、吉野川に注ぐ所が、二層うだつの町並みで紹介した貞光です。

中央: 逆に剣山を北側から見ている

黄色の矢印は、登山リフトの西島駅(上の駅)で、私が登山を始めた場所です。

青矢印は、登山中に見た大きな御塔石と大劔神社の位置です。

茶色の矢印は、「TAOKA剣山エコレスト&レスキュー」です。

ここには設備の整ったトイレがあり、Wi-Fiが使え、避難場所にもなるようです。

使用には一人100円の協力金が必要です。

他の印は上と同じ。

下: 剣山を南側から見て、拡大している

以下に紹介する写真は、茶色の矢印周辺から、剣山山頂を経て、次郎岌への稜線を下り、白矢印の遊歩道コース分岐点までを示します。

< 3. 最後の一息 >

もうすぐで山頂に着きます。

上: 東北方向を望むと深い渓谷が見え、これが穴吹川のようです。

下: 今登って来た道を振り返った

写真には鳥居とヒュッテなどの屋根が写っている。

< 4. 頂上東テラスへの木道 >

山頂エリアはなだらかで植物に覆われている。

そして二つのテラスと山頂の間を木道が繋いでいる。

上: 東テラスに向かう木道

下: 東テラスの端から東を望む

< 5. 頂上に向かう木道から 1 >

上: かまぼこのような建物が「TAOKA剣山エコレスト&レスキュー」

下: 右下に、通って来た「剣山頂上ヒュッテ」が見える

< 6. 頂上に向かう木道から 2 >

上: 来た道を振り返る。

右端に頂上東テラス、その左に「TAOKA剣山エコレスト&レスキュー」の建物、左端に頂上西テラスが見える。

下: 進行方向、左(南)に目をやれば、次郎岌(ジロウギュウ)が見える

< 7. 頂上 >

これが頂上です。

この日は快晴で、風が心地良く、汗ばんだ体を冷やしてくれた。

< 8. いよいよ下山 >

前日に泊まった宿「ラ・フォーレつるぎ山」の主人に、お薦めコースを訪ねると、次郎岌(ジロウギュウ)を見るコースを勧められた。

上: 確かに次郎岌の容姿は絵になる。

これから峰伝いに下ります。

足腰に一抹の不安がよぎる。

下: 下りで、左を見る

右は草木に覆われ、視界は閉ざされている。

< 9. 次郎岌への峰伝いの道 >

なかなか足に堪えるが、ほぼ40年ぶりの登山の醍醐味を味わった。

若い頃に、大山の稜線や、上高地から槍ヶ岳に登った記憶が蘇った。

70数歳にして、登山出来たことに感謝した。

< 10. 途中の道から >

上: 剣山を振り返り、仰ぎ見た

下: 上から稜線を拡大して撮影

< 11. 遊歩道コースの分岐に来た >

上: 前方に次郎岌

直ぐ手前に見える看板で、右に折れて遊歩道コースを進む

下: 遊歩道コースに少し入って、剣山を振り返った

これで剣山の頂上を見ることは出来なくなる。

次回に続きます。

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中国の外縁を一周して 53: 雲南省博物館、そして中国を去る


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今回は、雲南省博物館の展示を紹介し、簡単に雲南の歴史も見ます。

今回で、中国の訪問地の紹介を終えます。

ちょうど旅行から1年が経ちました。

< 2. 雲南省博物館 >

上: 外観

中国の革新的な姿勢を感じます。

下: 中に入り、2階から入り口側を望む。

1階フロアの右端に見える青銅器は「战国牛虎铜案」の巨大なレプリカです。

戦国時代(紀元前5~3世紀)の副葬品。

親子の牛と虎が巧みに組み合わされた高い技術を擁する青銅器です。

< 3.展示品、銅鼓など >

左上: 銅鼓

多くは直径1mほどあり、鼓型の青銅器で、儀礼の際具として使用された。

当時は表面が金色燦然(青銅器は皆)と輝き、人々はそれを叩いた時に発する音に神秘性を感じたことだろう。

日本の銅鐸に似た役割を持っていたのかもしれない。

これは紀元前5世紀頃、この昆明地方から始まり、北部ベトナムから東南アジア全域に広がった。

古くから高い青銅器製作技術があった。

私は日本を発った時は、この博物館で銅鼓を見るのが楽しみだった。

しかし麗江の木府内でさり気無く展示されている多くの銅鼓を見ていたので、興味は半減していた。

一方、雲南省博物館は銅鼓の展示を重要視していないようだ。

右上: 前漢時代の地図のようだ

赤矢印に滇池が見え、そこには益州郡と記されている。

当時、中心都市(昆明)は滇池と呼ばれていたようだ。

左下: 時代は不明だが、この地の王が中央政権の特使から何か御下命を受けているシーンのようだ。

例えば8世紀、唐の官吏と南詔の王かもしれない。

右下: 茶葉古道の再現

雲南は辺境ではあったが、東南アジアやインド・チベットへと通じる西南シルクロードの要衝でした。

このことが古くはインド文明を中国に伝え、太平洋戦争では連合軍から中国への補給路となった。

< 4. 石窟と鄭和 >

上:  八大明王窟の実寸大レプリカ

この石窟は大理にあり、南詔王朝末期に始まり、唐後期から南宋の時代にかけて造られた仏教遺跡。

16の洞窟に140体ほどの彫像がある。

下: 鄭和が使った船のレプリカ

鄭和は明の時代、総員3万人、60艘の大船団をもって東南アジアを経てアフリカまでの大航海を7度も果たしている。

彼は昆明にムスリムの子として生まれた。

彼の祖先は、この地にモンゴル帝国が侵攻した折、チンギス・ハーンに従って来た。

この祖先達は重要な官職を得て、ここに定住していた。

彼が活躍した14~15世紀、彼が航海したインド洋と接するアフリカ、アラビア半島、インドと東南アジアの島嶼(マラッカ海峡)はほとんどがイスラム圏になっていた。

これも彼が抜擢された一因になったのだろう。

< 5. 古地図と銅像 >

上: 昆明の城郭地図

地図の城郭内に「昆明県」の文字が見えることから、この地図は元朝以降、おそらくは明朝のものと思われる。

下: 宋代の大理で造られた像

小さな像だが精巧に造られている。

左下の明王像にはチベットの明王像を連想させるものがある。

雲南は、永らくチベット(吐蕃など)と交戦し、また交易や同盟を結ぶ関係にあった。

< 6. 少数民族の楽器と仮面 >

右上: 楽器

下: 仮面

目や口、色彩はバリ島の仮面と似ているが、冠はチベットの仏像に似ている。

この地は、インドや東南アジアの文化が強く影響している。

< 7. 小さな像 >

上: ナシ族の祭祀用で泥偶

下: 清末の石細工

< 8. 民族衣装と新石器時代の村 >

上: 民族衣装

下: 新石器時代の村の様子

雲南の地に、新石器時代の中国の古代文化に類するものがあったとは知らなかった。

しかし、この展示の説明には、この地に仰韶文化(紀元前5000年前~)に一致する文化圏があったと記されている。

その当時の村を再現しているようです。

中国で稲作が始まったのは1万年前の長江中流域だとされている。

そして、その長江上流には雲南がある。

一時、稲作は北東インド(アッサム地方)から長江沿いに伝わっと考えられていた。

そうとすれば、雲南に最古層の定住村があっても当然かもしれない。

今でも、この地には野生種の稲があるそうです。

< 9. 第二次世界大戦の痕跡 >

上: 大戦末期、中国軍がビルマを北上してくる日本軍と国境近くで戦ったと言う展示らしい。

日中戦争で、日本軍は援蒋ルートを断つために、桂林を越えて南下していた。

しかし、戦線が延び切って苦戦を強いられ雲南には至らなかった。

このことを以前、桂林を旅行して始めて知った。

しかし、太平洋戦争で、日本軍が援蒋ルートを断つために、南方から雲南に侵攻していたとも知らなかった。

こんな隔絶された高原の地が、激しい戦いの要因になっていたとは。

旅行で世界各地を訪れると、このようなハットするような歴史を知ることがある。

下: 連合軍が中国を支援する為の軍需物資の運輸ルート(援蒋ルート)四つの内二つを示す。

赤い矢印が昆明、緑の矢印が大理です。

実線の援蒋ルートが最も重要で、ミャンマー(ビルマ)のヤンゴン(ラング―ン)から昆明、雲南に至る道でした。

ビルマを中心にしたこの一帯で、史上最悪の作戦と言われたインパール作戦(インド)や、映画「戦場にかける橋」になった泰緬鉄道建設(タイ)が行われた。

この博物館には他にも色々見所はあるのでしょうが、私は胃腸の調子が急に悪くなり、存分に楽しむ事が出来なかった。

例えば、青銅製の貯貝器があります。

貨幣として使われたインド洋産の貝殻が貯えられていた。

特に、その容器の蓋に付けられた青銅製の造形物(人や馬・牛など)が面白い。

当時の生活が見えてくるようです。

< 10. 博物館近くの町並み >

博物館を出て、バスでホテルに戻る予定だった。

しかし、路線番号を間違えて乗ってしまった。

途中で気付き、行き過ぎたバス停で下車し、本来のルートまで徒歩で戻り、乗り継いでホテルに着いた。

この時、スマホで百度地図による位置の確認が出来て良かった。

お陰で時間に間に合った。

次いでホテルに預けておいたスーツケースを引取り、ホテルのすぐ前から発車するリムジンバスに乗り、昆明空港に向かった。

昆明空港からは直行便で関空に無事着いた。

こうして15日間の中国旅行は、大したトラブルも無しに終えました。

次回からは、中国旅行で感じた事などを記します。

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徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 8: 剣山登山 1


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これから数回に分けて、四国の剣山を紹介します。

今回は、登頂までの道のりです。

登頂したのは、2020年6月8日、快晴でした。

< 2. 剣山登山ルート >

上: 剣山を北側から見た図

北側、見ノ越の剣山登山口から頂上に至るルートは概ね4本あります。

私が登ったルートは太い二本の赤線の右側で、大剣神社経由です。

登山口から歩いて頂上を目指すことも出来ますが、多くは登山リフトに乗り、登山道を途中から歩くことになるようです。

私もそのようにしました。

下: 北を上にした登山ルート

私が登ったルートは赤線で、登り約60分、中程度の道です。

下山ルートは異なる道を選びました。

*剣山について

この山は西日本では、同じ四国の石鎚山に次いで二番目に高く、1955mあります。

この山は徳島県にあり、吉野川沿いに行くことが出来るので、近畿から近くて便利です。

また見ノ越の登山口、標高1420mから15分間リフトに乗り、降りた西島駅の標高は1750mで、頂上までは標高差200m足らずなので、登り易い。

登山道はそれぞれ異なる景色を楽しめる、登り易いルートがあるので、簡単に高山を楽しめます。

私は約30年ぶりに登りましたが、充分に楽しめました。

< 3. 登山リフト 1 >

このリフトの距離は830mあり、そよ風に吹かれながら進行方向右側の景色を存分に楽しめます。

< 4. 登山リフト 2 >

上: 剣山頂上が見えます

< 5. 登山リフト 3 >

上: 谷間は祖谷渓でしょう。

下: 西島駅です

< 6. 西島江を降りた所 >

上: 登山道を示す、鳥居と看板が見える

下: 同じ場所から右側を振り返った

< 7. いよいよスタート >

私はこの鳥居の道を進みました。

下山時は右側の道を戻って来ました。

< 8. 最初は林間を進む >

比較的、緩い坂道が続きます。

時折、右手の視界が開けます。

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< 10. 大剣神社を目指す >

左上方に大きな岩が見えます。

途中で道が分かれており、左手を進みます。

ここからは道が急峻になり、低い笹で覆われた開けた景色に変わります。

やがて大剣神社が見えます。

< 11. さらに進みます >

< 12.やがて頂上ヒュッテが見える >

この時、登山道の階段として置かれていた石を叩きながら整備している老人を見ました。

有難いことをする人が居るものだと感心した。

後に、テレビでこの老人がヒュッテの主人だと知ることになった。

< 13. 眼下の眺め >

上: 霞んではいるが、吉野川と両岸の街並みが見える。

下: 登山道を振り返った

< 14. 剣山本宮剣神社の鳥居が見えた >

これでほぼ登頂したことになる。

この歳で登れたことに感謝した。

次回に続きます。

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中国の外縁を一周して 52: 昆明、二度目の繁華街


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今回は、二度目の繫華街、南屏街を紹介します。

次いで、翌日の雲南省博物館までのバスからの眺めを紹介します。

この日が、中国旅行最後の日になります。

< 2. ルート図、上が北 >

上: 赤線が西山龍門石窟観光後、地下鉄に乗り南屏街まで行ったルートです。

青線は、南屏街で夕食とショッピング後、ホテルまで帰ったバスのルートです。

星印がバス乗り場であり、ショッピングしたところです。

下: 上記の星印の位置を拡大した

< 3. 南屏街 1 >

< 4. 南屏街 2 >

ここはデパート、世纪广场の前で、2階と3階にスーパーマーケットのCarrefour(家乐福)が有ります。

私はこのデパートで土産物を買い、夕食をとりました。

< 5. 夕食のレストラン >

ここは牛肉ステーキを注文すると、食べ放題のバイキングが可能になります。

当初、私はバイキング形式の食事をしたかったのですが、小さめのステーキを頼むことになった。

もうこれで腹八分目になってしまい、バイキングはをあまり楽しめなかった。

それでもセットの価格が安いのには驚いた。

客は若い人や家族連れで一杯でした。

今回のフリーの旅行で強く印象を受けた一つは、食の多様化でした。

ツアーで行くと、どうしても定番の中華料理なってしまっていた。

それはそれで良かったのですが、現実は、様々な地域や国の料理が取り入れられ、かつ安く提供されていることに気付かされた。

中国の進取の気質がここでも遺憾なく発揮されている。

< 6. 翌朝、雲南省博物館を目指して >

上: バスのルート、上が北

バスは40分ぐらい乗っていたでしょうか。

下: バスターミナル、昆明汽车客运站

ここはホテルと雲南駅(鉄道)の中間にあました。

少し奥まった所にあるので、分かり難いかもしれません。

到着してどのバスに乗って良いが分からないでいた時、年配の人が寄って来て、行先を聞き、乗るバスを教えてくれた。

旅先での親切は有難いものです。

< 7. 乗ったバス >

上: 私が乗ったバスと同型の二階建てです。

下: 私は二階の先頭に座りました。

< 8. 昆明の朝の様子 >

バスの車窓からの景色は、2019年10月19日(火)、8時半前後に撮影したものです。

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雲南省昆明は中国の端にあるが、けっして地方都市ではなく、大都会でした。

次回に続きます。

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徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 7: 剣山へ


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今回は、貞光川沿いに剣山へ向かいます。

ドライブしたのは2020年6月7日14時頃からでした。

< 2. 地図、上が北 >

上: 今回3日間で巡ったルート全体

黒矢印が走行ルートと向きを示す。

赤矢印が今回紹介するルート。

Mが剣山。

下: 今回紹介するルート

赤矢印が今回紹介するルート。

Hが一泊するラ・フォーレつるぎ山。

Mが剣山の山頂。

< 3. 貞光川沿いの道と民家 >

下: 下流側を望む

左側の急斜面に畑が見える。

かつてこのような所でタバコの葉が栽培されていたのだろうか?

< 4.貞光川 >

上下の写真はほぼ同じ位置から撮影。

上: 下流側

下: 上流側

< 5. さらに登ると >

やがて貞光川から離れ、深い樹林を抜けるようになった。

< 6. 時折、眺望が開ける >

< 7. ホテルに到着 >

下: ホテルの前から剣山の頂上が見えた。

このホテルは元々、剣山が眺望できるように建てられた。

しかしその前の木々が伸びてしまって、見づらくなった。

ホテルの三階まで上がると良く見えるようになる。

< 8. ホテル周辺を散策 >

< 9. 剣山山頂 >

上: 剣山山頂のロッジの青い屋根が見える

下: ホテルの庭から北側を望む

夕焼けだ!

明日は快晴だぞ!

30年ぶりの剣山登山だ!

< 10. 早朝の散歩 >

上: 山頂には雲一つない

下: お地蔵さんが微笑んでいるようでした。

清々しい冷気の中、温かい陽射しが周りを包んでいた。

< 11.剣山登山口を目指して出発 >

上: 昨晩、この道を散策していると、親子鹿が横断しているのを見かけた。

薄ぐら闇の中、鹿が声を発し、こちらを見た親鹿の目が光っていた。

どっきとした一瞬でした。

下: 下山後、この祖谷渓に沿って下って行く

< 12。 剣山のリフト乗り場へ >

登山口のすぐ近くにリフトがあり、私はリフトで中腹に向かいます。

上: 目の前の山の中央にリフトが通っている

下: 登山口周辺の建物が見えて来た

次回から、剣山登山を紹介します。

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中国の外縁を一周して 51: 西山龍門石窟 2


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前回に続いて、西山森林公園にある龍門石窟を紹介します。

絶景を堪能しました。

龍門石窟の後半を見た後、昆明中心街に向かいました。

この日が中国旅行最後の宿泊日になりました。

< 2. 恐ろしい程の絶壁 >

中国人は、よほど絶壁が好きなようです。

道教のイメージが根付いているのでしょうか。

古来より、中国では高山や岩山、絶壁が仙人や道教の修行者の舞台になっていました。

後に日本でも、役行者や山伏、修験者が道教や仏教を取り入れて、険しいく奥深い山を修行の場として来ました。

私は、高所恐怖症気味なのですが、他の多くの観光客と一緒に歩いていると怖さを忘れることが出来ました。

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< 4. よく紹介されている「龍門」の門 >

< 5. ご苦労様! >

かつての命がけで行われた掘削工事に感謝しました。

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< 7. これから向かう先 >

下: 石窟から北側を望む

滇池が細長く北に延びている。

ここを下ってから、湖畔の左側を地下鉄で昆明中心街へと向かうことになる。

< 8. 道教の寺 >

< 9. これが最後の階段 >

龍門石窟の下りは楽でした。

逆はかなりきついでしょう。

ほとんどの観光客は下っていました。

< 10. バッテリーカーで >

上: 龍門石窟を終えると、バッテリーカーでバス停まで行きます。

この乗車券は事前に購入していました。

バスは地下鉄駅「西山公園」の近くまで行きます。

そこで3号線の地下鉄に乗りました。

次回に続きます。

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徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 6: 貞光、二層うだつの街並み


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今回も、前回に続いて旧庄屋家、また別に国の文化財の商家を紹介します。

< 2. 旧永井家庄屋屋敷の見取り図 >

下 : 雪隠の望む

上 : 全体の見取り図

中央: 母屋の平面図

< 3. 隠し部屋と古地図 >

左上: 仏間

右上: 仏間から台所側を望む

この裏に隠し部屋があり、武器庫になっている。

この部屋に武器を持った人が待機することもあったそうです。

左下: 上記の隠し部屋

右下: 仏間に置いてあった地図、貞光を示しているようだ。

上が北で、東西に流れる吉野川が見える。

また南北に流れる貞光川と左に並行している貞光の街並みが見える。

下(南)に行くと剣山に至る。

< 4. 台所 >

< 5.次の建物へ >

上: 母屋を出て、向かいにある藍の作業場へ

下: 振り返って母屋を見る

< 6. 藍の作業場の中へ >

上: 作業場の左手に、私が入ったのとは別の門が見える。

下: 作業場の二階

実は作業場に入っても、土間があるだけで何の変哲もなかったので写真を撮りませんでした。

後で知ったのですが、この土間で刈り取った藍の葉を約100日間発行させていた。

つまり藍の生産工場だったのです。

二階は作業員の宿舎だったようです。

*藍染めについて

既に室町時代、阿波藍は製造され流通していたと考えられます。

製造量は、江戸時代から明治にかけて増加し、全国市場を支配するようになった。

現在、徳島県の藍の生産量は全国シェアの大半を占めている。

なぜ、徳島で盛んになったのか?

堤防が築かれていなかった吉野川は、毎年、台風の時期に川は氾濫し、大洪水が起きていました。

台風は稲刈りの時期の前に来ることが多かったで、大きな損害を被る危険性があり稲作には適さなかった。

その点、台風の前に刈り取りが終わってしまう藍作は、徳島県に適した産業でした。

また、藍の収穫後の藍畑に肥沃な土を流入させ、同じ土地に続けて植えることの難しい藍の連作を可能にしたことも幸いした。

この貞光の町は、剣山に至る一宇街道の交易で発展したのですが、その交易品は山岳部の産であったたばこの葉と、貞光の藍(染料)が重要だった。

< 7. 二階からの眺め >

上: 二階にあった展示品を望む

< 8. 街道に戻る >

左上: 二層うだつ

右上: 鏝(コテ)で描かれた鯉の滝登り

共に貞光の特色ある造り。

下: 街並みの南側を望む

剣山は見えないが剣山の方向になる。

< 9. 織本家 >

明治時代、酒造業を営む商家として再建された。

国の登録文化財。

ここも無料で入場可能でした。

事前に庄屋屋敷の管理人が、織本家の管理人は留守だが、入れることを電話で確認してくれていた、

親切な対応は本当にありがたい。

< 10.部屋を見て回る >

広い土間はあったが、酒造業の名残りを感じさせるものはほとんどなかった。

しかし、立派な家屋でした。

< 11. 二階に上がる階段 >

下: 二階に上がる階段があった。

冒険心をくすぐるような造りでした。

ここから二階に行きました。

< 12. 二階の様子 1 >

< 13. 二階の様子 2 >

大きいが板敷で居住用と言うよりは、物置のようです。

造りも複雑で、段差がありました。

1階への降り口は、別にもう一つありました。

次回は、剣山手前にあるホテルまで山道を走ります。

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中国の外縁を一周して 50: 西山龍門石窟 1


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これから、西山森林公園にある龍門石窟を二回にわけて紹介します。

この龍門石窟は昆明観光の人気ナンバーワンです。

中国らしい絶景が楽しめるスポットです。

< 2. 観光地図 >

上: 西山森林公園内の龍門石窟部分を切り出した地図

赤矢印: 雲南民俗村近くと西山森林公園を結ぶロープウェイ

黒矢印: 龍門石窟の上部入口まで結ぶリフト

黄矢印: 徒歩で下る龍門石窟のルート

ピンク矢印: 龍門石窟出口からバス乗り場間の電動カー

茶矢印: 地下鉄駅の西山公園に向かうバス

ロープウェイとリフト駅の周辺に電動カーとバス停、車の駐車場が集まっています。

私は矢印の順に進みました。

海埂公园側からロープウェイに乗ったのが13:30頃で、歩いて龍門石窟を下り、電動カーでバス停に着いたのが15:30頃でした。

そこからはバスに乗って西山森林公園を縦断し、地下鉄で昆明中心部に向かいました。

下: 龍門石窟に点在する寺院が幾つか断崖の緑の中に見えます。

この範囲は上の地図の左側に相当します。

< 3. ロープウェイから 1 >

上: ほぼ西山森林公園の全容が見えます。

下: 進行方向右側、北側を望む。

滇池の入り江部分が奥に延びている。

< 4.ロープウェイから 2 >

左上: ロープウェイ乗場の方を振り返る

右上: 龍門石窟がある絶壁

下: 滇池を越えると、ロープウェイは一気に高度を上げる。

< 5. リフト乗場へ >

上: 対岸手前側の緑が多い範囲が雲南民俗村辺りです。

その左手奥が昆明の中心部です。

下: リフトに乗り、振り返ったところ

*料金と利用順序について

先ず下のロープウェイ乗り場でロープウェイだけの料金を払います。

ロープウェイを降りると、直ぐに切符売り場があります。

そこでまとめて切符を購入します。

龍門石窟門票(入場料30元)、龍門索道票(リフト片道運賃25元)、电瓶车票(電動カー片道運賃10元)、环保大巴票(バス片道運賃12.5元)がすべて必要です。

料金は一人分で、龍門石窟門票だけは60~70歳半額、70歳以上無料です。

お薦めの順序は、先ずリフトに乗り、上から下に龍門石窟を巡ることです。

逆はかなりきついです。

< 6. リフト 1 >

上: 進行方向左

滇池が眼下に広がる。

下: 山頂の寺院が微かに見える。

< 7. リフト 2 >

上: 実はこの眼下の山肌に小石林が広がっているはずでしたが、木々が鬱蒼としていてほとんど隠れていました。

世界遺産で有名な雲南の石林は昆明から120kmも離れています。

下: 振り返ったところ

昆明の中心部が見えます。

< 8. いよいよ龍門石窟へ >

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先ずは、急な石段を降ります。

手摺りの直ぐ外は、真っ逆さまの墜落を連想させます。

興味津々、やがて聞きしに勝る絶景が広がります。

*  西山龍門石窟について

龍門石窟と言えば、唐代に遡る洛陽の仏教遺跡が有名ですが、昆明ではここです。

これは断崖絶壁に開削された雲南省最大規模の道教石窟群です。

古くは、明の時代、16世紀初めに道士が掘削した石室に始まります。

それ以降、螺旋道や洞(石室)が断崖絶壁に彫り込まれて行きました。

今は5ヶ所の道教寺院(石室)を全長67mの階段が結んでいます。

次回に続きます。

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徳島の吉野川、剣山、祖谷渓を巡る 5: 吉野川から貞光へ 


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これから剣山に向かってドライブします。

途中、吉野川の潜水橋と二層うだつの町並みで知られる貞光を訪れます。

今回は、脇町潜水橋と貞光にある旧庄屋屋敷を紹介します。

 

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< 2. 訪問地マップ、上が北 >

 

上: 全体図

青の四角印:うだつの町並みの脇町

黒矢印: 脇町潜水橋

赤の四角印: 二層うだつの町並み貞光

地図中央下部の赤字: 剣山

 

下: 拡大図

青の四角印:うだつの町並みの脇町

黒矢印: 脇町潜水橋

赤の四角印: 二層うだつの町並み貞光

赤い矢印: 剣山に向かう道路

 

 

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< 3.脇町潜水橋 >

 

上: 南側から潜水橋を望む

私が立っているのは大きな中洲の舞中島です。

この橋の幅は車1台分しかありません。

昭和の初めまで、ここは渡しで行き来したそうです。

 

下: 対岸の右手がうだつの町並みがある脇町

 

 

 

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< 4. 下流側を望む >

 

川幅は広く、底は浅い。

30年ほど前、子供を連れて、この上流の貞光辺りから下流の穴吹辺りまでの吉野川で泳ぎました。

当時、水は透き通り、美しい自然の中で遊ぶことが出来ました。

 

 

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< 5. 上流側 >

 

 

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< 6. 貞光に到着 >

 

私は昼食を、直ぐ近くの「道の駅 貞光ゆうゆう館」でとりました。

コロナ騒動の時でしたが、レストランは開いていました。

眺めも良く、居心地の良いレストランでした。

 

街並みを見るのに駐車場が見当たらなかったので、つるぎ町役場に停めました。

 

上: 松尾神社が見える。

役場の駐車場から出て、松尾神社の前で交差点を左に折れると、二層うだつの町並みが見えるはずです。

 

下: 古い商店街は続くが、うだつは見えない。

 

 

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< 7. やがてうだつが見えて来た >

 

確かに、こちらはうだつが二層になっている。

しかし脇町に比べると、何か雰囲気が違うと言うか、伝統家屋の町並みと言うより寂れた街並みにしか見えない。

 

何が違うのか?

多くの古い家屋がここ半世紀の間に現代の商店に改修されているようだが、既に古くなっている。

この通りは統一された伝統的家屋の保存が出来ていないのか?

 

さらに見て行くとある違いに気が付いた。

通りが広く、通りの向きが吉野川に直行している。

つまり貞光川に並行し、山に向かっている通りと言える。

また家屋の二階の高さが高く、二階は住居として供され普通の窓が見られる。

一方、脇町では二階の天井が低く、漆喰壁に虫籠窓があるのがほとんどでした。

 

この違いは、この通りの出来た由来と時期が、脇町と異なる事が大きい。

 

一宇から剣山に通じる一宇街道(旧街道)がここ貞光から始まった。

ここは山の産物と平野の産物の交易で発展し、その街道沿いに商家が並んだ。

一方脇町は、城下町と撫養街道が交わった近くの川湊に沿って商家が並んだ。

貞光と脇町は、ほぼ同時期(江戸時代、蜂須賀家)から発展したが、貞光の町並みづくりが少し遅れたことにより、貞光の商家は防火目的よりは豪華さを競って二層のうだつにしたようです。

 

 

 

 

 

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< 8. 通りを右に折れて入る >

 

下:  旧永井家庄屋屋敷が見えた。

江戸中期に建築された庄屋屋敷です。

左手に無料の駐車場(7台ぐらい)があった。

 

 

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< 9. 門の前に来た >

 

上: 駐車場から写真を撮っている。

 

 

 

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< 10. 門を入る >

 

上: 入ると、右手に立派な庭園がある。

 

下: 少し進むと正面に玄関らしいものが見えたが、入口は左らしい。

平屋の屋根は茅葺だ。

 

 

 

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< 11. 倉庫らしき物が見える >

 

上: 左に曲がると、中庭を隔て二階建ての倉庫らしきものが見えた。

 

下: 右手直ぐに平屋建物への入口があった。

そこを入ると、大きな土間のある台所だった。

私が、この土間に入ると、直ぐに女性が出て来て、どうぞ見てく下さいと促された。

ここの入場料は無料でした。

観光客をまったく見なかったが、管理人が居ながら無料とは、少し悪い気がした。

 

写真はこれから座敷に上がる入口を示している。

 

 

 

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< 12. 座敷に上がる >

 

上: 先ほど紹介した玄関らしき所に、花が生けられていた。

 

下: 立派な庭が見える。

 

 

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< 13. 立派な構え >

 

槍が掛けられている。

名字帯刀が許されていた。

建物の説明は音声案内で流された。

 

 

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< 15.一番奥から振り返った >

 

下: 天井の写真

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 49: 雲南民俗村を楽しむ 3


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今回で、雲南民俗村の紹介は最後になります。

最後に、巨大な湖、滇池に面した海埂公园を紹介します。

 

 

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< 2.散策ルート、上が北 >

 

上: 雲南民俗村と海埂公园

3回にわたって紹介した散策ルートを赤、茶、黒、橙色の線で示します。

右上から始め、中央の下で終わります。

 

下: 今回の雲南民俗村の散策ルート

前回に続いてSから始め、Rで昼食をとり、出口Eで場外に出ます。

 

 

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< 3. 今回紹介する少数民族の衣装 >

 

Hui= 回族(カイ族)、man=满族(マン族)、bai=白族(ペイ族)

Naxi=纳西族(ナシ族)、meng=蒙古族

 

これらの衣装は、何処までが正式な伝統衣装かは不明です。

今、中国の若い人は民族衣装をコスプレとして楽しみ、ネットで様々にアレンジされたものが多く販売されている。

 

man=满族(マン族)の冠は、清朝の皇女の大きなカツラを連想させる。

 

bai=白族(ペイ族)の冠には白い羽飾りが付いている。

これは未婚女性のもので、民族名の由来だそうです。

 

Naxi=纳西族(ナシ族)の装束では、タスキがどうやら特徴のようです。

 

meng=蒙古族は人口が多く、部族が異なると衣装もかなり異なる。

 

 

 

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< 4.回族のモスク(清真寺) >

 

蘭州で、立派なモスクを見ました。

 

 

* 回族について

 

中国最大のムスリム(イスラム教徒)民族集団で、言語・形質等は漢民族と同じです。

中国全土に広く散らばって住んでおり、人口は約1000万人で、中国に住むムスリム人口のおよそ半数を占める。

 

回族の起源は、対外交易が盛んであった唐から元の時代に、中央アジアやインド洋を経由して渡ってきたアラブ系・ペルシア系の外来ムスリムと、彼らと通婚し改宗した在来の中国人(主に漢族)にあると言われている。

 

同じイスラム教徒でも、問題になっているウイグル族との違いは何か?

 

彼らは、遊牧民のテュルク系遊牧民族(トルコ系)でウイグル語を話す。

彼らは新疆ウイグル自治区やカザフスタン・ウズベキスタン・キルギスなど中央アジアに暮らし、人口約1千万人です。

彼らの宗派はイスラム教スンナ派です。

 

一方、回族の宗派もスンナ派だが古いタイプのHanafi派です。

恐らくは、イスラム教では宗派が異なると交流が進まないので、言語・形質も異なる回族ではウイグル族の影響を受けないのだろう。

 

成都や蘭州で回族を多く見ました。

 

 

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< 5. 満族の家 1 >

 

* 満族(満洲族)について

 

ツングース系民族で、古くは女真族と呼ばれ、狩猟と簡単な遊牧・農耕も行っていた。

17世紀に清朝を興した。

現在、中国全土に1000万人、雲南に1万人程いるが、これは清の時代に来た人々です。

漢人との交流が長いので、漢民族に同化してしまっているようだ。

どこまで生活や住まいに、満州民族の伝統を残しているかは分からない。

 

面白い現象がある。

ここ十年ほどで満族の人口が3.5倍に増加している。

これは中国が少数民族を優遇しているので、優遇措置を受ける為だそうです。

 

* 中国の少数民族の優遇政策について

 

漢民族に適用されていた「一人っ子政策」は少数民族には適用されていなかった(現在、中国全体で廃止)。

少数民族の学生は進学で優遇され、例えば学費減免や奨学金、入学試験の加点などがある。

少数民族の家庭に支給される一人っ子手当てが漢民族家庭の2倍であったり、職場内で昇進しやすいこともあるようです。

 

実は、このような少数者の立場向上を図る優遇政策は他でも見られる。

例えば、共産党以外の政党が認められているが、共産党以外の党に属している者には官吏採用の優先枠がある。

米国やインドのアファーマティブ・アクションに似た事が行われている。

 

私達、日本人は、マスコミから中国の悪い面だけを印象付けれているが、実は内部では、様々な融和策や弱者対策が広く行われている。

 

日本はこれに比べてどうでしょうか?

国連からも非難されていたアイヌの旧土人保護法が廃止されたのは、やっと1997年でした。

 

 

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< 6. 満族の家 2 >

 

 

 

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< 7. 満族の家 3 >

 

 

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< 8. 昼食のレストラン 1 >

 

ここは民族餐厅(民族村北路店)で、最も大きくて、ほぼ中央にあります。

ビュフェ形式の食事があり、写真奥の方でやっています。

私は単品料理を注文しました。

品数は多く無く、料理は手軽なものが多いようでした。

 

上: 店内

 

下: 写真に見えるレジで注文します。

 

 

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< 9. レストラン 2 >

 

上: 厨房です。

 

下: 注文した料理。

特段に美味しいわけではないが、日頃食べない味を楽しめた。

 

 

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< 10. 白族の村 >

 

上: 大理のシンボルと言われる崇聖寺の三塔のレプリカ。

そこそこの大きさがあります。

これで大理に行かずとも見ることが出来た。

 

下: 白族の村

立派な造りの家が並ぶ。

さすが一時、今の雲南の領域に大理国を建国しただけはある。

残念ながら13世紀に元(モンゴル帝国)に滅ぼされた。

 

* 白族について

 

雲南省大理を中心に住むチベット系民族。

約人口190万人の内、約120万人はシナ・チベット語族チベット・ビルマ語派のペー語を話し、残りは主に中国語を使用している。

かつては大理国を作っていたが、漢族との交流の歴史も長く、漢語をペー語に取り入れている。

牧畜の歴史が長く、乳製品を作っており、中国語で乳扇と呼ばれているチーズが知られている。

漢族の雲南料理同様に、トウガラシで辛く味付けした料理が多い。

米を主食にしたり、ワサビを食用にするなど、日本人と共通する文化も見られる。

 

以前、福建省で客家料理を食べた時、日本の醤油味に似ており、美味しく食べたことがある。

 

 

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< 11. 纳西族の家  >

 

麗江で宿泊したホテルがこのような造りだったので驚きはなかった。

しかし他の少数民族の家屋に比べると立派な事に気が付いた。

これも茶葉古道の要衝として栄えたからだろう。

 

 

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< 12.麻栏式民居 >

 

この建物は中国南部(雲南など)に多い様式で、木や竹で造られた2階建です。

2階に人が住み、1階は動物小屋になる。

桂林の山岳民族にも似た家屋があった。

恐らくは湿気を避けるための工夫でしょう。

 

纳西族については「中国の外縁を一周して 33: 东巴文化博物馆から麗江古陳まで」などで紹介しています。

 

 

* 蒙古族について

 

四川省・雲南省のモンゴル族は、元朝以降に移住した人々です。

遊牧民から稲作を中心にした農業に転換した一方で、習俗などはモンゴル族のものを残している。

蒙古族の人口は約600万あり、モンゴル国の人口が約300万人なので、中国国内の方が多い。

 

 

* 中国旅行の少数民族について感じたこと

 

今回の「中国の外縁を一周して」の旅で、知りたかったことの一つが、中国の少数民族の今の暮らしと歴史でした。

 

中国政府は、チベットとウイグル族の扱いで、世界から人権蹂躙を非難されている。

また今回、私が旅行しようとしたら、突如として香港が騒乱状態となり、迂回しなけらばならなくなった。

中国は、香港や台湾に対しても高圧的な態度をとり続けている。

 

これらは、いつか暴発する可能性があり、内乱から経済混乱へと至り、日本などに多大な影響を与えるかもしれない。

この事が気になり、少数民族問題が起きそうな「中国の外縁近辺」を旅先に選んだ。

そして新疆ウイグル自治区に近く回族が多い蘭州、多くの少数民族が暮らす麗江と昆明を旅した(歴史的・文化的な興味もあり)。

 

今、私が感じている事は、中国は想像以上に弱者(少数民族など)に配慮し優遇政策を行い、融和を図っていることです。

そして、困難な少数民族の生活向上と意識向上を上手くやり遂げているようでした。

世界の多くの国では、少数民族の扱いに苦労している。

 

翠湖公園で見た、様々な少数民族衣装を身にまとい楽しく踊っている人々の表情を見て、私の懸念は雲散霧消した。

むしろ満足な暮らしぶりと言えるでしょう。

 

中国では少数民族だけでなく共産党以外の党人、高齢者への優遇政策が進んでいる。

 

あらゆる都市で出会った高齢者(50から60歳で退職)は男女の区別なくたくさん旅行しており、公園では日長、孫や友人と寛ぎ、趣味を楽しんでいた。

彼らは年金や退職金でのんびりと暮らしている(その額は企業規模や都市戸籍と農民戸籍で差はあるだろうが)。

 

この様子は北欧三ヵ国を歩いて感じた、勤労世代からリタイア後の余裕ある暮らしを彷彿とさせた。

60歳過ぎてもあくせくと働かなければならない日本と比べれば優雅でした。

また多くの中国の観光施設や公共施設の入場料が60歳から70歳で、半額から無料となっている。

 

米国の黒人や移民への扱いは、今の大統領になってから一層酷くはなっているが、長年の人種差別や融和政策の欠如が亀裂と混迷を深めている。

日本も、益々弱者に対して苛烈になっている。

 

中国は懸命に問題解決に取り組んでおり、北欧が成し遂げた移民や少数民族との融和を成し遂げる時が来るかもしれない。

中国は後進的な経済から急激な経済発展を成し遂げつつあるので、舵取りは難しいだろう。

北欧も、今の素晴らしい経済力と社会・政治力は、ほぼ大戦後に成し遂げた。

中国は強権をもって改革を断行出来るが、良い場合もあり、悪い場合もある。

 

日本人は、隣国の言語を理解出来ず、隣国に友人や知人もいないので、甚だ情報が偏りがちで、ステレオタイプの見方に陥りやすい。

 

 

今回、外縁を見て回ったことにより、中国の民族移動の歴史を理解する切っ掛けになった。

雲南省と四川省は、民族的にもチベットと深い関係があることがわかった。

やはり現地を訪れて初めて実感できるものがあり、成果に満足している。

 

 

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< 13. 蒙古族の村 >

 

上: モンゴルの家、ゲル。

かなり痛んでおり、中に入ることは出来なかった。

 

下: 雲南民俗村を出て、湖岸に出た。

そこは海埂公园で、右手にこれから行く巨大な崖が見える。

あの崖に岩窟の寺がある。

 

 

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< 14.海埂公园 >

 

 

次回に続きます。

 

 

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