中国の外縁を一周して 43: 新幹線で昆明へ 1


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これから数回に分けて、新幹線から見た麗江―昆明間の景色を紹介します。

思ったより緑豊かな渓谷と盆地が広がっていました。

 

 

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< 2. 鉄道ルート、上が北 >

 

上: 今回の15日間の中国旅行の経路です。

ピンクが日本との国際線、赤が国内フライト、黒が新幹線です。

新幹線は三回乗りました。

北京-開封は大平原の穀倉地帯、開封―蘭州は黄河沿いの険しい山間を抜けて来ました。

今回の麗江―昆明は高原地帯の山間を走ります。

 

下: 今回の鉄道ルート。

麗江を2019年10月27日、11:04発、乗車は2時間20分です。

途中、観光地の大理が湖の対岸に見えるかもしれません。

 

 

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< 3. 麗江駅 >

 

上: 新幹線の麗江駅の正面。

ホテルからここまではタクシーで来ました。

 

下: 麗江駅の広場。

中国の新幹線駅は広場がやたらに大きくて歩くのが辛い。

 

 

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< 4. 最初の関門 >

 

中国では、駅舎に入るには先ず切符とパスポートが必要です。

そして、ここでも上記のチェックと荷物検査が最初に行われます。

 

上: 荷物検査を無事通過した後、振返った。

 

下: 1階正面。

 

昆明行きは2階に行かなければならない。

 

 

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< 5. 二階へ上がる >

 

上: 二階へのエスカレータ。

 

下: 二階の待合室。

 

 

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< 6. 改札 >

 

上: 改札口。

 

下: 乗客が並び始めた。

 

 

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< 7. ホームに入る >

 

上: 改札を抜けて右を見た。

新幹線はホームの右側に停車していた。

 

下: 改札を抜けて左を見た。

実に、巨大なホームだ!

 

 

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< 8. いよいよ乗車 >

 

 

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< 9.車窓の風景 >

 

これから車窓の風景を撮影順に紹介します。

撮影は進行方向右側の景色になり、写真の左側が進行方向です。

 

始め鬱蒼とした木々で覆われた山並みが続きました。

しかし、出発から数分を過ぎると渓谷を走るようになりました。

 

 

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畑作地帯と点在する集落が続きます。

西安から蘭州間の黄土高原に比べると、こちらの方が水にも恵まれ土壌も肥えているようです。

 

 

 

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< 12. 養殖池か >

 

麗江の古城忠义市场で見た新鮮な魚類は、このような池で養殖されていたのかと一人納得した。

 

 

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< 13. 鹤庆站でしょうか >

 

発車後の21分後に通過した駅です。

約30kmほど来たでしょうか。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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徳島の海岸と漁村を巡って 8: 鞆浦を訪ねて 1


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今回から、2回に分けて鞆浦漁港を紹介します。

小さな漁港ですが、地の利を生かした良い漁港だと思いました。

 

 

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< 2. 宍喰から鞆浦へのルート >

 

上: 宍喰から鞆浦へのルート、上が北。

赤枠が既に紹介した宍喰の散策範囲です。

オレンジ線がドライブルートです。

黄枠が鞆浦です。

 

下: 鞆浦、上が南(上図と向きが逆)。

オレンジ線が宍喰からのドライブルート。

黄枠が鞆浦の今回紹介する散策ルート。

赤枠が次回紹介する手倉湾。

黒矢印は漁協、黄矢印は海部川の撮影地(次回)、赤矢印は宍喰浦(那佐湾)の撮影地。

赤四角は海部城跡。

 

 

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< 3.那佐湾と宍喰浦 >

 

上: 左の宍喰浦に挟まれた那佐湾の向こうに宍喰が見える。

 

下: 宍喰浦。

 

 

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< 4. 鞆浦漁協 1 >

 

ここに到着したの9時45分でした。

競りが行われており、様々な魚種が見られました。

訪問した時間が異なるからかもしれませんが、鞆浦の方が由岐、日和佐、宍喰の漁港よりも大きな魚が沢山獲れているようでした。

 

素人の見立てですが、この港は大きな海部川上流の栄養が海に注ぎ沿岸漁業に恵まれ、また大きな河口は上流の材木の切り出しと海上運搬に有利に働いたことでしょう。

 

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< 5. 鞆浦漁協 2 >

 

魚を入れる大きなコンテナや陸揚げ用のコンベヤなどが目立ちました。

 

下: ブリでしょうか。

 

 

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< 6. 漁協の2階の展示物 >

 

トイレを借りに2階に上がりました。

漁に関する幾つかの展示がありましたので紹介します。

 

上: 鞆浦大式、定置網の一種。

元々は富山湾で生まれた定置網で、後にこちらでも使われるようになったらしい。

徳島県内では最大の定置網のようで、全長1300mもある。

 

下: 定置網漁の写真のようです。

 

漁協の人に聞きました。

遠方に出る漁としては高知沖まで行っているが、徳島ではこの鞆浦だけが行っているとの答えでした。

大きな船を見ることが出来ませんでしたが、大きな屋根付きのドッグがありました。

漁協の魚を見て、多いですねと聞くと、ここでも「少ない」との返事が返って来た。

 

 

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< 7. 漁協の周辺から散策を始める >

 

上: 漁協の階段から南西方向を見下ろす。

川が見え、その先に従来の漁村が広がる。

 

下: 漁協の西側を見る。

この山に海部城跡がある。

山の手前のこの一帯だけは新築の家が多い。

若い漁師に古い町並みの事を聞くと、最近引っ越してきたばかりなので知らなかった。

 

 

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< 8. 川の橋から >

 

上: 網袋を持った一人の漁師が漁協へ急ぐ。

網袋の中は、さざえかウニのようでした。

重そうなのでさざえかな?

下の写真の船から一人の漁師が下船して、歩き出した所です。

この奥の山が、海部城跡のある山です。

 

下: 川の上流を見ている。

川の右も海部城跡のある山です。

 

 

* 海部城と鞆浦について :

 

実は海部城が出来た16世紀(室町時代末期)、この山は河口に浮かぶ島だったようです。

ここは海と川を監視し、守るには最適な場所だったでしょう。

後に埋め立てられが進み、今は大きな海部川とこの小さな川に挟まれるようになった。

これを築城したのは海部氏ですが、元々は宍喰を拠点にしていたが、こちらに転居したようです。

海部氏は三好(阿波国と畿内を領有)に属していたが、高知の長曾我部との最前線となり、後に攻められ落城した。

 

今は、鞆浦を含む海部町と宍喰町が合弁して海陽町となった。

古い時代、海部は海運力と上流の木材業で発展した。

15世紀の兵庫の港(兵庫関)への入港記録「兵庫北関入船納帳」によると、海部船籍は全国10位であった。

阿波(徳島)では海部54隻、宍喰20隻、平島(阿南?)19隻で、海部が圧倒的に優位であった。

また同じ記録によると、当時、海部(鞆浦)と宍喰の木材の扱い量は阿波の約半数であった。

如何に、この地域の海運力が秀でていたかがわかる。

また室町時代から「海部刀」がこの地で生産されていた。

 

 

 

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< 9. 街歩きを始める >

 

橋を渡って真直ぐ通りを進むと巨石が右手に見えた。

 

上: 大岩慶長・宝永地震津波碑

大きな石の表面の二ヵ所に碑文が見える。

左が慶長地震津波碑、右が宝永地震津波碑。

 

慶長地震津波碑: 1605年、高さ約30mの津波が7回来て、男女百人あまりが海に沈んだ。

 

宝永地震津波碑: 1707年、高さ約30mの津波が三度来たが、死者は出なかった。

 

本当に、徳島南部の海岸は幾度も巨大津波の被害に遭っていた。

 

不思議に思うのは、東北大震災の福島原発事故で、巨大津波を国も電力会社も想定外として平然としていたことです。

おそらく地元の漁港には幾つも巨大津波の碑が建っていたことでしょう。

一部の歴史学者は指摘しても、他に問題視した人はいなかったのでしょうか?

 

 

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上: 港に面した広場の中央にあった建物。

民家ではなく、郵便局などの公共の建物のようでした。

 

下: 日蓮宗 吉祥山 法華寺

上記の建物から東方向に延びる道の奥には寺があった。

 

 

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< 12. 古い民家が軒を並べる >

 

しかし、東由岐ほどには古い漁村の民家を見なかった。

 

 

次回に続きます。

 

 

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中国の外縁を一周して 42: 麗江とお別れ


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今回で、麗江の紹介を終わります。

麗江の地下街、麗江の朝、新幹線駅までの街並みを紹介します。

ここには古い家並みと発展する街が混在しています。

撮影したのは2019年10月26日と27日です。

 

 

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< 2. 束河古鎮から民主路の地下街へ >

 

上: 束河古鎮から麗江への途中。

 

下: 夜の民主路。

この道を左に折れると麗江古陳の玉河広場になります。

 

 

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< 3. 地下街 >

 

地下街は思ったより長く、幾つか分岐して延びています。

夕食の為に来たのですが、ショッピングの店が多い。

店は多彩で、地上よりも地下の方が人出は多い。

 

 

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< 4. ホテルの朝 >

 

これで2日目の朝を迎えました。

この日は、新幹線で最後の訪問地昆明に向かいます。

 

 

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< 5. 朝8時頃の麗江古陳 >

 

清々しい朝で、人影は少なく、ふっと歴史舞台の一コマに紛れ込んだようです。

 

 

 

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< 6. 玉河広場へ >

 

下: 玉河広場。

丘の上にホテルが見える。

 

 

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< 7. 玉河広場に面した食堂街 >

ここには何回も来ては、食を手短に楽しんだ。

 

 

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< 8. 黑龙潭の方を望む >

 

上: この川の上流(奥)が黑龙潭で、奥に雲を被った玉龍雪山が微かに見える。

 

下: いよいよタクシ-に乗り、新幹線の駅に向かう。

以下の写真は、すべてタクシー内から写したものです。

麗江の都市の姿が垣間見えます。

 

 

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中心部は観光で成り立っているのが分かる。

 

 

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いったん家並みが少なくなった。

 

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< 11. 郊外に忽然と巨大な住宅街 >

 

ガイドの話によると、ここらには別荘群が続々と建っているそうです。

驚きです。

次回、新幹線からの眺めを紹介しますが、この地は中国の奥地で、昆明からでも新幹線で3時間半も隔てた所にあるのです。

ここらは新幹線の駅に近い。

 

 

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下: 小学校のようです。

 

直ぐ新幹線の駅です。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 32: コロナに見る日本政府の危機管理 2


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今回、はからずも行政サービスの稚拙さから腐敗と癒着の体質が露呈した。

さらに経済政策の根本的な欠陥も浮かび上がった。

 

 

 

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< 2.アジアでも遅れをとった日本 >

 

 

* 行政サービスと経済政策の問題 *

 

今回、致命的な体質が露呈した。

  1. 国民向けの経済施策は政府の念頭に無い。
  2. 国民向けサービス体制は手詰まり。

 

 

当初、政府は復興と銘打って牛肉券や旅行クーポンを高らかに謳った。

 

これは弱っている業界を助け、その出費の大半が余裕のある人々の懐から出ることになり、一挙両得だと好感する人もいただろう。

 

実は、これは経済理念と国民目線の無さを示している。

 

これでは本当に苦境に陥った店舗の救援が出来ず、また裕福な人の節約を助長するだけです。

例えば、政府が復興の為と称して、ダイヤモンドや世界一周クルーズの購入費を半額負担すると言っているに等しい。

結局、ふるさと納税と同じ人寄せパンダで、自民党に群がる業界団体を潤し、逆累進課税にもなる。

 

必要なのは他の先進国が実施ているようなコロナにより困窮している事業体や失業者への素早い直接給付です。

日本では、なんとか一律10万円給付が成った。

 

経済対策の遅れを見ていると、政府が国民の経済弱体化を甘く見ていることがわかる。

政府は、放置することにより国民と事業体が、失業・倒産・大学中退などで再起出来なくなることを意に介していない。

 

一方、日銀は金融不安払拭の為に株式の爆買いを加速させ、金融緩和に邁進している(米国でも)。

これは更なる金融危機の芽を大きくし、結果的により巨大なバブル崩壊が襲い、大規模な倒産と失業、そして格差拡大が圧し掛かるだけです。

ここ60年繰り返してきた。

 

 

なぜこんなことになったのか?

 

一にも二にも、政府の経済政策が、産業界をリードする大企業と金融界を優遇することだからです。

国民の事は二の次三の次に過ぎに成り下がった(この問題はいずれ説明します)。

 

 

もう一つの問題は、持続化給付金支給などに見られるサービス体制の欠陥です。

 

今回、パソナや電通がほとんどのサービス業務で幾度も中抜きをしていることが露見した。

両社は以前から政府と癒着し、巨大な利権と実権を握り、非正規問題とマスコミ支配と言う日本の二大悪を担って来た。

両社を経由した業務がお粗末になるのは必然です。

これは国民へのサービス体制の不備と言うより、根絶しなけらばならない自民党・官僚の腐敗・癒着の構造です。

 

しかし問題の根はさらに深い。

 

それは1980年代から自民党と官僚が共同で推進して来た、偽りの構造改革・緊縮政策の一つの結果です。

ポイントは、公務員を減らし民間委託に奔走したことです。

 

既に日本の雇用者に占める公務員比率はOECD諸国の最低になり、平均の1/3に過ぎない。

だが減って当然の巨額の特別会計は減らず、行政の改善も見られない。

つまり、無数の外郭団体と民間(政商のパソナや電通など)と言う隠れ蓑に予算は食い尽くされ続けている。

 

さらに悪い事に、このサービスは以前の体制より遥かに非効率になっている。

そこでは、一部の天下りが高給を貪るが、多くの従事者は非正規に代えられ、薄給と不安定な身分に落とされ、意欲とスキルは低下し続けている。

あらゆる省の外郭団体、第三セクターが劣化の危機に晒されている。

民間ともなれば、従業員はさらに規制の無い過当競争に晒され、全てが劣悪になる。

 

これが現在、日本を覆い尽くす政府による国民サービスの実態です。

 

この問題の本質は、見かけの改革だけで政府・官僚・政商の腐敗と癒着が強固になり、さらにその不透明さと隠蔽により、全貌が掴めなくなったことです。

 

特に日本は米国流の自由放任経済に加えて、自民党長期政権を放置したことが災いしている。

このような状況で、様々な地球規模の危機に対応出来るはずがない。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 31: コロナに見る日本政府の危機管理 1


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今回のコロナ危機は、日本政府が見掛け倒しだったことを露見させた。

これで、今後迫りくる様々な危機に対応出来ないことが明白になった。

3回に分けて解説します。

 

 

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* 日本政府の三つの欠陥 *

今回は二つを見ます。

 

  • パンデミックなどの危険予知と予防策

 

以前から警鐘が鳴らされていたにも関わらず、感染症関係の予算削減、医療体制(保健所、感染症病棟)の縮小が進んでいた(他の先進国でも)。

現政権で加速すらしている。

 

これは中央政府だけでなく自治体においても同様で、緊縮と改革を売りにした首長に多い。

概ね、彼らは科学的知見が乏しく、声高に経済優先(?)を唱える(トランプ大統領など)。

日本は、原発事故の予防でも同じだったが、まったく教訓を得ていなかった。

 

 

  • コロナの感染対策

 

・クルーズ船寄港拒否のドタバタ

・武漢で発生後も中国観光客の勧誘キャンペーン

・海外からの日本人帰国者の水際対策の抜け

・オリンピック固執による対応の遅れ

・学校閉鎖や満員電車などの三密回避のアンバランス

・補償の無い自粛要請による不公平と洩れ

・捉えらきれないクラスター分析

・設備があるのにPCR検査が不足し、説明と運用のドタバタ

・医療従事者用備品や衛生用品の不備と支給遅れ

 

全国に指揮しなけらばならい政府の言動には一貫性もスピード感もなく、不信感を買った。

一部の手軽な感染防止を訴えはするが、その一方で感染を野放しにしてしまった。

それに比べ自治体の首長の言動は遥かに国民の信頼を得た。

 

この結果は明らかだ。

東アジア沿岸部の台湾、韓国、中国、シンガポールは欧米に比べ人口当たりの感染者・死者数が非常に少ないが、日本は群を抜いて一番多い。

これらの国は衛生意識、BCGワクチン接種、さらに有効なウイルス抗体が備わっている可能性があり、同じ土俵で戦いながら日本だけが成績が悪い(山中伸也教授の説)。

日本は発生源から最も遠いのに、最も近い台湾より遥かに劣っている。

両国のマスク配布の対応でも差は歴然としていた。

 

結果から見れば、大臣が大言壮語した高い民度と言うより、政治(内閣と官僚)がお粗末と言うことになる。

 

 

次回は、経済対策についてみます。

 

 

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世界が崩壊しない前に 30: 深まるパンデミックと健康の危機


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現在、新型コロナウイルスでパンデミックの恐ろしさを実感させられている。

今回は伝染病と健康の危機を見ます。

 

 

人類は病に翻弄された来た。

原始社会では、病への恐れが様々な因習(穢れなど)を生み、信仰を強化した。

中世ヨーロッパでは、人口の3割が死亡したペスト蔓延が宗教改革の引き金になった。

 

 

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< 2. インフルエンザの猛威 >

 

 

ここ数十年、医療技術が発展しているにも関わらず、伝染病は世界を益々脅かしている。

日本と米国では、ここ三十年ほどインフルエンザによる死者は増加傾向にある。

SARS、MERS、インフルエンザ、エボラ出血熱などウイルスによる伝染病が記憶に新しい。

 

 

2006年、経済学者が1918年のスペイン風邪が現在流行すれば死者は世界で1億4200万人に達し、GDPは13%減じると予測した。

これは死亡率3%での計算で、当時日本の死者は45万人だった。

しかし死亡率50%越える伝染病もあるし、通年発生するものもある。

 

他にもある。

エイズ、マラリア、結核、下痢などで毎年1300万人が死んでいる。

40年前に発見されたエイズの感染者は6000万人を越え40%が死亡している。

 

今後、地球温暖化が進行し、主に低開発国で栄養失調、下痢、マラリアによる死者と寿命低下は益々増大する(死者の増加は毎年数百万人)。

 

世界は医療と生活の向上により病を克服しつつあるが、まだまだ大量の疾病者と死者を生んでいる。

爆発的なパンデミックは、さらに問題を引き起こすことになる。

 

 

* 何が問題か *

 

近年、パンデミックが増大している理由は、人の高速広範囲の移動、自然破壊、貧困が大きい。

多くの伝染病はアフリカやアジアの貧しく、衛生と医療水準が低い地域から始まり、移動によって瞬時に拡散するようになった。

 

今回のように伝染病が世界に蔓延すると、グローバル化した経済は甚大な被害を受ける。

先ず、感染地で一部の生産と業務が停止し、さらに輸送と移動が制限され、これが連鎖的に広がり、数週間の内に国内のあらゆる物の供給が絶たれ、遂には世界も困窮状態に陥ることになる。

これは海外生産に頼る様々な装置の部品や医療資材(不織布マスク)の入荷停止、また国内の運送業者の休止を想定すれば容易に理解出来る。

この物流停止と移動できない異常事態は感染率が数%から十数%でも起きる。

 

今回、比較的死者が少なかった日本でもまだ影響は続き、GDPの減少は10%前後になるだろう。

これはリーマンショック(2008年金融危機)のGDP-5%を越える。

さらにセイフティネットが弱くなっている日本では企業の倒産、失業者が大きな後遺症になる(自殺者増加なども)。

 

また感染による恐れや恨みから、差別や敵対行動が増加し、社会や国際関係が不安定になっている。

 

 

次回、日本政府のコロナ対応から見える危機対応の危うさを考えます。

 

 

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徳島の海岸と漁村を巡って 7: 宍喰の漁港を訪ねる


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今回は、宍喰の漁港を朝に訪れました。

朝焼けの海と島影を堪能し、港町を見ました。

 

 

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< 2. ホテルの窓から朝陽を見る >

 

下: 山の手前に宍喰川の河口があり、そこが漁港になっている。

左手の島影が前回と今回も介する所です。

 

 

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< 3. 漁港  >

 

上: 橋の上からホテルの方を見ている。

 

下: 橋の上から海側を望む。

 

 

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< 4. 競りを行っている漁協 >

 

上: 橋の上から上流側を望む。

河口がそのまま漁港になっている。

 

下: 漁協を拡大。

町の中に津波に避難タワーが見える。

朝8時を過ぎた頃ですが、競りを行っているので見に行きます。

 

 

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< 5. 競り中 >

 

車を駐車場に停め、漁協に入っていった。

緊張しながら、「見せてもらっても良いですか?」と聞くと、一人の男性が笑顔を向けて「どうぞ」と言ってくれた。

幾人かに話しかけたが、忙しいにも拘わらず言葉短に答えてくれた。

 

私には豊漁に思えたのですが、ここでも少ないとの答えが返って来た。

確かに小魚が多いようです。

 

 

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< 6. 獲れたもの >

 

上: ウツボ。

以前、高知でウツボ料理を食べたことがありますが、生きているのを直に見るのは始めてでした。

 

下: 「ままかり」のような小魚を処理していた。

 

 

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< 7. 宍喰浦の化石漣痕 >

 

また海岸の方に向かいます。

 

化石漣痕は道路脇にあるので簡単に見れます。

断崖表面の無数の波型が特徴です。

約3000万年~4000万年前、川瀬に立つさざ波が打ち寄せて土をはこび、この波形の地層が出来た。

右手から断面を見ると幾層もの層状になっている。

 

 

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< 8. ペンションがあるビーチ >

 

化石漣痕を過ぎて直ぐにあります。

 

 

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< 9. 早朝の湾 >

 

ペンションの湾から道に戻り、200mも行くと視界が開けます。

少し昇った朝陽を受けて海も島も生気を帯び始めた。

 

 

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< 10. 宍喰の町 >

 

上: 阿佐東線の宍喰駅。

宍喰町の山側にある。

この線は南端が一駅先の高知県の甲浦駅で、後に紹介する鞆の浦のある海部駅が北端です。

この海部駅からはJR牟岐線で徳島まで行ける。

 

下: 宍喰川。

 

この町の中心部は海岸側の道路から山側に500mの奥行、道路に沿って1kmほどの大きさです。

ここは徳島県の最南端で、すぐ南は高知県になります。

ほとんどが山と森林に覆われている。

 

町の中を車でゆっくり通り抜けたが、漁師町の風情や街並み、建物はほとんどなかった。

古い家も見なかった。

漁師と言えども普通の家に暮らしているようです。

 

 

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< 11. ホテル リビエラ宍喰 >

 

上: ホテルの横にある道の駅。

 

下: ここに泊まりました。

温泉で眺めの良い大浴場に満足し、夕食の「伊勢海老たっぷり会席」は美味しく食べきれないほどありました。

 

 

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< 12. 宍喰を離れ、鞆浦に向かいます >

 

上: 北向きに走る。

 

下: 海岸沿いに2.5kmほど行って、振り返った。

水床湾の島影が見える。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 41: 束河古鎮と茶马古道博物馆


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今回は、麗江の別の古陳と博物館を紹介します。

 

 

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< 2.束河古鎮の地図、上が北 >

 

上: 麗江全体図

赤矢印: 束河古鎮。

ここは麗江古陳から4km離れた所にあり、大きさは約1km四方です。

ここはナシ族発祥の地で、麗江古陳ほど観光化されていない。

束河古鎮の北4kmの所に、木氏の本拠地であった白砂がある。

 

茶色矢印: 既に紹介した黑龙潭公园。

赤矢印: 既に紹介した麗江古陳。

 

下: 束河古鎮の主要観光地

この範囲は束河古鎮の北西部で山裾にあり、泉が湧き出している。

 

A: 茶马古道博物馆

B: 四方街

C: 青龙桥

D: 九鼎龙潭

 

 

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< 3. 駐車場から古陳へ >

 

麗江古陳の通りに比べ建物が古びている感じがした。

古さを残しているとも言える。

 

 

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< 4. 茶馬古道博物館に入る >

 

正直に言うと、小躍りするような展示はなかった。

それでも写真パネルや幾つかの説明資料(中国語)は役に立った。

 

下: 茶葉を運ぶ姿が印象深い。

この姿で、普洱(プーアル)から大理、麗江、香格里拉を経由して拉薩(ラサ)までの3000kmの山道を行き来した。

小型の馬も使用したのだろうが。

このようにして茶葉を運ぶために、茶葉を円盤状に固く圧縮したのだろうか?

やっと理解出来た。

 

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< 5. 茶馬街道の様子 >

 

上: 険しい山岳路が目に浮かぶ。

 

下: 左下に麗江古陳の賑わいが見える。

上には、拉薩のポタラ宮と大昭寺が見える。

 

 

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< 6. 茶馬街道と人々 >

 

下: 博物館にあった街道の地図。

北部と南部に二種類の黄色線が見える。

北部の路は、良く知られた西安から蘭州を通り、中央アジアに抜けるシルクロード。

南部の路は、成都から昆明を通り、ミャンマー、インドに抜ける南方シルクロード。

 

黒線も主に二種類ある。

一つは成都からチベットを抜けインドに至る茶馬古道(北路)。

もう一つは、景洪から普洱、麗江を通り、後は北路と同じ路を通る茶馬古道(南路)。

 

 

* 茶馬古道 *

 

この道は人馬を主要な交通手段にした民間の国際商業貿易ルートで、漢族とチベット族が交流した古道でした。

主に茶と馬の交易を行うための路で、通商は唐宋時代(618~1279年)に盛んとなり、明清時代(1368~1911年)に入って最盛期を迎え、第二次世界大戦の中後期に頂点に達した。

 

チベットに茶や砂糖、塩などの生活必需品を運び、チベットからは馬や牛、羊、毛皮を持ち帰ったことから、「茶馬古道」と呼ばれた。

麗江からチベットへのルートは5000m級の山々を超える厳しい道で、馬と共に人力による運搬が主流だった。

 

なぜ馬と茶が、こんな危険を冒し苦労してまで交換する必要があったのか?

チベット人は元々遊牧民で野菜、ビタミンBが不足していたので、これを補うのに茶は最適でした。

また馬は中国の軍隊にとって必要でした。

しかし18世紀になると中国での馬の需要は減り、羊毛や毛皮、薬用素材が主になった。

 

納西族の古都麗江はシーサンパンナ(雲南省最南端の西双版納)を起点する南からのルートと、四川(成都)からの東ルートの合流点で、木族王朝繁栄の源になった。

清時代以降の拉薩在住の中国商人はナシ族がほとんどで、ペイ族(白)と漢族も少数いた。

 

 

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< 7. 四方街 >

 

この四方街に面した茶店で、プーアル茶を買いました。

こちらの四方街は麗江古陳に比べ、人は少ない。

 

 

 

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< 8. 青龙桥 >

 

四方街のすぐ近くにあるこの橋を渡る。

 

 

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< 9.九鼎龙潭へ向かう >

 

 

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*10

 

 

 

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< 11. 九鼎龙潭 >

 

実に水が透き通っている。

まさに麗江や束河、黑龙潭は湧水、清流によって生かされており、玉龍雪山からの水脈の賜物と言える。

 

次回に続きます。

 

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世界が崩壊しない前に 29: 貧困と格差 4


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*1

 

 

貧困や格差は経済を本当に悪化させるのだろうか?

 

 

**格差が拡大すると経済発展を阻害する**

 

(今の自由放任主義経済や金融偏重経済の問題は別に見ます)

 

多くの人は、日米の経済は株価が上昇し、好調だと首を傾げるかもしれない。

実態は、90%の国民の所得がほぼ伸びておらず、一部の人が恩恵を受けているに過ぎない(日本だけではないが)。

 

一番悲惨なのは日本です。

 

日銀が市中銀行に幾ら金をばら撒いても、まったくインフレが起きなかった。

(逆に、これをもってMMT(現代貨幣理論)は、日本政府は国債発行や税収に頼らずに、国民の為の財政支出が可能だと提言している。重要な指摘ですので別に解説します。)

実体経済は浮上せず、金融経済だけを潤したリフレ論者は迷惑なだけだった!

 

経済再生に失敗した理由は、単純だが重大な致命傷による。

国内需要を担う国民の90%の人々の所得が低下し続けているので、銀行に金をばら撒いても消費が伸びるはずがない。

つまりインフレ(2~3%)は起きない(アベノミクス前から自明だった)。

 

一方金持ちや大企業は消費や物づくり(実体経済)より利益率の高いに金融投資に大金を注ぎ込む。

現在、庶民の預金金利は0.1%(日本)だが、金持ちや企業の資金運用(米国のファンド)は8%ほどの利益を上げ続けている。

 

こうして格差拡大で消費は増えず実体経済も伸びず、それがまた格差拡大を広げているのが現在の経済システムなのです。

 

 

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< 2. 表の顔 >

 

なぜこんな愚策がまかり通るのか。

政府は経済刺激と称して金融投資で利益が得られるように規制緩和と金融緩和を行う。

これは現在の経済システムがバブル崩壊を繰り返し、さらに巨大化しているからです。

政府はこの金融危機をリカバリーするために行わざるを得ないのです。

まるで蟻地獄、底無し沼のようです。

 

 

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< 3. 裏の顔: 2012年と2016年の比較 >

 

努力は必要ですが、この表と裏の顔の違いを理解することは重要です。

 

あるジャ―ナリストは指摘する。

20世紀最大の二つの危機―1929年の大恐慌と2008年のリーママンショックに先行して格差が激しくなっていた。

今も?

 

ある経済学者は言う。

少数のエリート階級に資本が集中すると、デフレを誘発し、投機的バブルを招き、経済回復力の弱体化を招き、金融崩壊のリスクを高める。

衝撃が繰り返されると、信頼が損なわれ、経済成長が減速し、これがさらに格差拡大に結びつくと。

 

ある社会学者は、金持ちが地球を破壊すると言う。

経済格差が拡大すると、「虚栄的消費活動」が活発化し、資源の浪費を高め、これがまた資源の枯渇を早める。

この「虚栄的・・」とは、超金持ちの消費スタイルに近づこうと各階層の人々が真似る競争状態を指します。

 

 

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*4

 

ここで基本に立ち返ります。

 

「自由競争こそが最高、格差など気にしない」

この考えがなぜ国民に浸透したのか?

 

実は、格差が縮小し最も経済が成長した時代は2回の大戦後と1930年代の大恐慌後でした。

この時期は、国家が強力に富裕層や金融家を抑えて、労働者の賃金向上などを図った(ニューディール政策など)。

 

この事実が現在のエリートや富裕層にとって都合が悪い為、大金を費やしシンクタンクや学者、マスコミを動員して否定しているのです。

真実は明白なのですが、多勢に無勢と言うところでしょうか。

 

これ一つとっても、格差が拡大してしまうと、ナチス支配と同様に反転の困難さがわかります。

 

 

次回に続きます。

 

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世界が崩壊しない前に 28: 貧困と格差 3


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前回、貧困と格差は国によって作られていることを見ました。

貧困と格差は人権の問題に留まらず、危機をもたらすとしたら?

 

 

多くの人は、国が貧困と格差を是正し過ぎると、労働意欲を減じ競争心が無くなり、経済に悪影響すると信じさせられている。

だから悪化していても気にも留めない。

 

しかし事はそんな単純ではないし危険でさえある。

また格差が少ない国でも経済が豊かで成長している国があるので、明らかに誤解(洗脳)です。

 

 

**放置すれば騒乱や世界を後退させる引き金になる**

 

概ね二つのポイント、社会的なものと経済的なものがあります。

 

貧困な国ほど教育と医療、経済の水準が低くなり、人口増・伝染病・紛争を引き起こし易く、悪循環を招く。

外部からの衝撃、特に伝染病、大国の貿易や通貨の圧力に弱いために容易に悪化する。

こうして武力衝突、難民や伝染病などを周辺に、そして世界に広めることになる。

今回のコロナ危機で判明したように、先進国であっても格差が大きい米国や英国では弱者が感染爆発の被害者になった。

 

 

歴史を振り返れば、貧困と格差拡大は社会騒乱の引き金になっている。

それは大国や一度興隆した国ほど暴力的になるようだ。

ローマ帝国や中国の名だたる王朝が崩壊する時、格差が拡大し暴動が起きていた。

 

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< 2.英国が帝国主義を終えた時期 >

 

グラフの赤線は英国がアフリカの支配を終えた時期を示す。

経済が後退し帝国主義に走った19世紀後半の大英帝国では、この2百年間で最も格差が大きかった。

また他国よりも酷かった。

 

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< 3. ドイツと日本のファシズム期 >

 

グラフの赤線はヒトラー総統の時代、緑の矢印は日本の大陸進出の時代を示す。

共に格差が酷い。

20世紀前半のドイツと日本は、一時の栄光の後に訪れた大恐慌が大失業をもたらし、貧困と格差による社会不安がファシズムへと突き動かした。

 

 

これは普遍的な社会現象と言え、様々な識者が警告を発している。

 

ある疫学者は、先進工業国23カ国を比較すると、健康指数が悪化するのは、GDPが下がった時ではなく、格差が拡大した時であることを発見した。

また同時に犯罪率、幼児死亡率、精神疾患、アルコール消費量などにも重大な影響を及ぼしている。

 

ある経済学者は、格差は改革の意欲をそぎ、人々の信頼を失わせ、フラストレーションを高め、政治や行政に対する信頼を失わせると指摘する。

また棄権が増え、選挙の票は金で買われ、富裕層が公的機関への支配を強めている。

 

まさに日米、先進国で起こっていることです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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世界が崩壊しない前に 27: 貧困と格差 2


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前回、世界と日本の状況を見ました。

今、世界で何が起きているかを見ます。

 

 

前回、世界の絶対的貧困率が減少する一方、国家間と国内の格差が広がっていることを見ました。

 

 

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< 2.富裕層の所得の推移 >

 

米国の所得上位10%が1940~1970年代、全国民所得の35%を占めていたが、その後上昇を始め2007年には50%になった(上記グラフとは別)。

同時期、上位1%の占有率は10%ほどから24%になった。

 

 

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< 3.世界の億万長者 >

 

格差の諸相

 

ほんの一握りの人間に富が集中し加速している。

 

1970年代、所得税の最高税率は英で90%を越え、米で70%あったが、その後英米共に40%まで急速に下げ、日本も追従した。

 

世界の株式と債券の総額は1980年10兆ドルだったが、2009年には126兆ドルになり、12.6倍となったが、この間の世界実質GDPは2.8倍に過ぎない。

 

 

主な要因

 

大国や多国籍企業の身勝手な経済・外交・軍事的な干渉が発展途上国の貧困を助長している(アジア通貨危機など)。

せっかく途上国自身の努力、そして国際機関や先進国による支援などにより豊かさを手にしているのだが。

 

ニュー・ワールド・エコノミー(容易に国境を越える、瞬時に伝わる情報、日々進む知識集約化、熾烈な競争)が進み、教育・情報力や資金力などの差が益々格差を広げている。

 

以下が一番の元凶です。

ここ40年間、米国を筆頭に自由放任経済の国では、金融緩和と規制緩和(合併や競争激化など)によって巨大企業ほど収益が上がり、さらに減税(法人税、逆累進課税など)で富は集中し加速した。

さらに実体経済より金融経済で高収益が得られるようになったことで、実体経済に資本が向かわず停滞するようになった。

 

これにより経済が成長しても90%の国民の所得が伸びず、日本では低下すらしている。

 

様々な要因が絡んではいるが、けっして偶然ではない。

 

最も問題なのは、大資本や企業が野放しにされていると言うより、多くの先進国が競うように、これらを優遇していることにある。

当然、北欧などのように格差を押さえながら成長も手に入れている国は多い。

 

 

次回、貧困と格差の問題を見ます。

 

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世界が崩壊しない前に 26: 貧困と格差


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貧困と格差が悪化し続けた先にあるもの・・

 

いつの世にも貧困と格差はあった。

動物は弱肉強食なのだから、これも自己責任だ。

自由競争こそが経済成長を約束する。

世界経済は成長しているのだから貧困や格差問題はやがてなくなる。

 

一方、歴史を振り返ると、悪化する貧困や格差が大衆の怒りを爆発させ、ファシズムや革命へと進む事例は事欠かない。

 

現在、世界はどちらに向かっているのだろうか?

 

最も豊かな国20ヶ国と最貧国20ヶ国の所得格差はこの40年間に倍増し、40対1になった(2000年で)。

この格差は開発が遅れているアフリカでさらに加速している。

 

それでは国内の格差はどうか?

アメリカではトップ5分の1と最下層5分の1の所得比は1990年には18対1だったが、2000年には24対1になった。

この間、大卒と高卒の学歴による収入格差も倍増している。

最初はアングロサクソン系(英米)の国々で目立ったが、現在急速に各国に広がっている。

国内の格差拡大は、ラテンアメリカでも1980年代か目立ち始めたが、現在では中国でも都市と農村の差が大きくなっている。

 

貧困はどうだろうか?

貧困には絶対的と相対的がある。

絶対的貧困とは2015年で1日1.25$以下の収入を指し、相対的貧困とは国民の所得中央値の半分以下の収入を意味する。

 

 

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< 2. 2015年の絶対的貧困率 >

 

円の大きさと数値が絶対貧困率を示し、西アフリカなどでは最大58%になった。

世界の絶対的貧困率は1990年36%、2015年10%と減少傾向にあり、全体的に見れば世界は豊かになりつつある。

しかし、これは脆く、いとも簡単に崩れるだろう。

今回のコロナ危機などの衝撃は、貧困地帯により多くのダメージを与えるからです。

 

 

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< 3. 2010年、OECD各国の相対的貧困率 >

 

このグラフから皆さんに読み取って欲しいことがあります。

それは同じ資本主義国でありながら北欧やベネルックスの国々は、すべて貧困率が低いと言うことです。

つまり貧困は自己責任だと納得してしまう前に、政治社会にこそ、その原因があることを知って頂きたい。

 

 

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< 4. 日本の相対的貧困率の趨勢 >

 

相対的貧困率で日本はアメリカに次いで第4位になった。

二つのグラフから、日本はいつの間にか格差大国に墜ち、かつその傾向は強まっている。

2015年に貧困率が少し低下していますが、これは景気の波によるものです。

今後、コロナ危機による大規模な景気後退により、2008年のリーマンショック後のように貧困率は確実に上がります。

 

次回に続きます。

 

 

 

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徳島の海岸と漁村を巡って 6: 宍喰に泊まる


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今回は、日和佐から宍喰までのドライブと、

宍喰の散策を紹介します。

2020年4月23日、宍喰で一泊しました。

 

 

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< 2. 宍喰へのルートと宍喰マップ、上が北 >

 

上: 日和佐から宍喰までのドライブルート

青線で示されるルートは距離34km、所要時間約40分です。

前半は内陸部、後半は海岸沿いを走ります。

 

下: 宍喰の町

黄色線: 日和佐からのドライブルート

白四角点: 宿泊した「ホテルリビエラししくい」

ホテルは宍喰の町中にあり、海岸沿いの道の駅の隣にある。

 

赤線: 展望台Aへのドライブルート

赤矢印: 展望台A

橙色線: 徒歩による展望台Bへの路

白矢印: 展望台B

黄色矢印: 竹之島

この島が宍喰で一番の観光地ですが、私は間違って手前の岬しか行っていません。

この島には車で渡れます。

 

 

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< 3. 途中の道 >

 

 

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< 4. 途中の海岸線 >

 

大砂海水浴場の辺りでしょうか。

 

 

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< 5. もうすぐ宍喰 >

 

下: 左が那佐湾

岬が道路に沿うように延びて、湾を成している。

岬の途切れた遠方に宍喰がある。

 

 

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< 6. ホテルが見えた >

 

上: 「ホテルリビエラししくい」

ホテルにチェックインし、さっそく岬巡りに向かいました。

 

下: 岬の路(赤線)を行く

途中まで車で行き、次いで徒歩で展望台B(白矢印)に向かいました。

山つつじや桜が綺麗でした。

 

 

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< 7. 四国のみち >

 

今回の旅行では、岬を巡る細い路を幾度か歩きましたが、どこもよく整備されていました。

多くは「巡礼のみち」とか「四国のみち」だったと思います。

 

 

 

 

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< 8. 展望台Bから >

 

下: 左手が竹之島の港です。

この港から、通常なら海中観光船が出ています。

サンゴや熱帯魚が見れるそうです。

今回はコロナでやっていませんでした。

 

 

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< 9. 展望台より >

 

上: 展望台Aから北の方を望む

宍喰の前に広がる水床湾を望む。

 

下: ホテルの部屋からの眺め

水床湾の右手の岬が、先程訪れた岬です。

 

 

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< 10. 部屋から望む水床湾 >

 

上: 水床湾の左手を望む

 

 

次回に続きます。

 

 

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中国の外縁を一周して 40: チベット仏教の寺


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今回は、麗江古陳から近いチベット仏教の普济寺を紹介します。

この地にはチベット仏教寺院が多い。

これはアジア大陸の悠々の歴史を物語っている。

少し驚いたエピソードも紹介します。

 

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< 2. 地図、上が北 >

 

上: 麗江の位置を示す

黄色枠:麗江古陳、中央の白矢印:普济寺、白枠:束河古陳、黄色矢印:香格里拉。

雪を被った山が玉龍雪山で、その左側を上下に長江が流れている。

 

現在、麗江古陳からチベット圏東南端の都市、香格里拉までは長江沿いに車で200km、4時間の道のりです。

麗江からの観光ツアーがあります。

さらに香格里拉からチベットの古都ラサまではさらに車で1570km、24時間の道のりです。

 

今でさえ麗江からラサまでこれだけ遠いのですが、1300年以上前、道なき道を商隊や僧侶が馬や徒歩で行き交ったのです。

当時、茶葉古道は麗江を通り、左(西)に折れて、長江に沿った道だったようです。

 

下: チベットと雲南省、四川省間の主要な道

左上の雅安から始まる道が四川省成都に通じる。

左下に延びる道が、プーアル茶の産地で有名な普洱に通じる。

 

 

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< 3. 古城忠义市场を出発 >

 

古城忠义市场の前は、すでに都市部の街並みです。

ここから西側の山に向かってタクシーで向かいます。

 

 

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< 4. 普济寺に到着 >

 

普济寺は麗江にあるチベット仏教5大寺院―玉峰寺、福国寺、指云寺、文峰寺の一つです。

私がチベット寺院に連れて行ってくれとガイドに頼んで、来たのがこの寺です。

この寺は麗江古陳から最も近いが、他の寺院の方が有名です。

 

下: 普济寺の門

木々に覆われた小高い丘の上に建っています。

この寺は一辺70mほどの壁に囲まれています。

門の両側に大きなマニ車が見える。

ここの創建は清朝の乾隆帝の時代、1771年で、後に数度修復されている。

 

 

 

 

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< 5. 境内に入る >

 

私達が入った時は、住職以外に人はいなかった。

古い建物が境内を囲み、大きくない境内は樹木で一杯でした。

春になると梅の花が綺麗だそうです。

この地域の寺には紅梅が多いようです。

 

 

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< 7. 本堂に入る >

 

上: 入り口の左にあるマニ車

信者がこれを回すと、回した数だけお経を読んだことになり、功徳があるとされる。

側面にマントラ(密教の真言)が古いインド文字で刻まれている。

この筒の中には経典が納められている。

 

左下: 右が入口

 

右下: 内部に入ると目の前に、天井から吊り下がっている布が目に入る。

どうやらチベットのタルチョーのようだ。

タルチョーは祈祷旗で、五色の青・白・赤・緑・黄の順に並び、それぞれが天・風・火・水・地を表している。

これが筒状に、2段に重ねられている。

 

 

 

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< 8. 正面 >

 

上: 正面の奥を見ている

狭い堂内はカラフルで、壁一杯に掛け軸や写真、絵が飾られている。

仏画の掛け軸はタンカと呼ばれる。

正面は観音像のようです。

逆三角形の顔の輪郭と耳まで覆う大きな冠はチベット仏像の特徴です。

左下に釈迦如来像らしいものが見える。

 

下: 正面の左側を見る

奥に千手観音像が見える。

チベット仏教では釈迦像や如来像よりも観音像が重視されているようです。

 

 

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< 9. 右側面を見る >

 

タンカが沢山見られる。

 

 

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< 10.明王像か >

 

上: 仏像の表情は眉がつり上がり、怒りの様相をし、また鎧を纏っているので明王像らしい。

また獣に乗って従えているように見える。

 

明王像は、インドで仏教が衰退する直前の7世紀頃、最後に花開いた密教と関りがあります。

日本の密教は弘法大師が広めたことで知られています。

密教は、それまでの悟りや戒律重視の仏教から、祈祷や呪文が重用される世俗的なものになりました。

この時に、仏教以外のヒンドゥー神や様々な守護神などが仏像に加わりました。

その一つが明王像で、悪魔を降伏させる怒りの表情を持っている。

 

チベットに仏教が広まったのは、7世紀のチベット統一王朝成立時なので、密教が主になったのです。

 

 

下: 本堂の屋根

 

 

 

 

 

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< 11. 住職家族の住まい >

 

本堂の隣、壁を隔てて住職の住まいがあります。

久しぶりに、古い住宅をまじかで見ました。

 

 

 

* 歴史を想う *

 

今回の中国旅行では、4種類の寺院―道教の道観(開封)、仏教寺院(開封)、モスク(蘭州)、チベット寺院(麗江)を見た。

また麗江ではナシ族の宗教、トンパ教の一端を見た。

様々な宗教が習合し、像や装束、建物などが影響され文化の混淆を見ることが出来た。

 

この地のチベット仏教やトンパ教を見て、大きな時の流れとアジアの交流について感じることがある。

麗江にチベット仏教が伝わったのは、おそらく茶葉古道を通じてだろう。

これは険しいアジアの屋根を2000kmも隔て行き交っての事だった。

 

一方、北のシルクロードから伝わった仏教が中国の大平原で漢文化と混淆し、道教と共にこの地に遡上するようになった。

これは昆明、大理(雲南)を経て入って来たのかもしれない。

しかし長江は香格里拉や麗江から四川省や武漢を経て上海で太平洋に注ぎ、これも経路の一つだったかもしれない。

 

この普济寺を建立したのは清朝の皇帝でした。

13世紀、モンゴル帝国はチベットを征服した折、それまでの原始宗教からチベット仏教を国教にします。

この後、北方や中央アジアにチベット仏教が広まった。

その後、北方の満州民族である清王朝が中国全土を支配した。

このことで、清王室の中にはチベット仏教を篤く信仰する人物が出た。

こうしてこの地には幾重にも宗教や文化が交錯することになった。

 

さらに不思議な事がある。

実は、遺伝子分析によると日本人(大和、アイヌ、琉球の民族)にもっとも近縁なのはチベット人で、分岐は3.5万年以前だそうです(所説あり)。

これは氷河期の事で、日本列島に新人類が住み始める前のことです。

その後も様々な交流が見られる。

 

かつて日本の水耕稲作はインド東端のアッサム地方から長江沿いに伝わったとされたが、現在の起源は長江中下流域のようですが、どちらにしても長江が関わっている。

またイザナギとイザナミが出てくる国生み神話の起源は、長江中流域にあるとの説もある。

 

訪れた成都の金沙遺跡と出雲大社の両遺構から復元された神殿が実によく似ている。

これも長江流域で見つかっている紀元前5千年前の高床式住居と日本の高床式から発展した神社建築様式の繋がりを示しているのだろうか?

 

身近なものにも驚きがあった。

アイヌのムックリ(口にくわえて鳴らす楽器)と同じような物を、この麗江(ナシ族)でも見ました。

調べてみると中国南部から東南アジアに広く分布しているようです。

不思議な事に、韓国、中国北方、アイヌ以外の日本では見られないのです。

 

こうしてみると、日本人や文化が長江流域と深く関わっていることを感じさせる。

この奥まった高原地帯の雲南、麗江は実に興味深い。

 

 

 

* 驚いたエピソード *

 

麗江古陳と他の観光地への移動では、ガイドがライドシェア(滴滴出行など)でタクシーなどを呼ぶのですが、今回は問題が発生した。

この寺から次の束河古陳まで移動するために車を呼ぶんのですが、幾ら待っても応じる車がないのです(辺鄙だからでしょう)。

そうこうするうちに、一人の中年女性が寺に車でやって来ました、

ガイドは帰ろうとする彼女に乗車を頼みました。

少しの交渉時間を経て、載せてくれることになりました。

 

私は、これまで親切な人に出会っていたので、てっきり善意で無料と踏んでいたのですが。

彼女は、お金を要求し、一人数十元で三人分要求している。

私はお金を支払い彼女の乗用車に乗りました。

移動は近いので、直ぐ着きました。

 

私達は助けられたのですが、それにしても彼女の勘定高いのには驚いた。

また辺鄙な観光地でのライドシェアやタクシーを呼ぶのは困難だと知りました。

バス交通の確認と、初めからチャーター車の利用を考えないといけないようです。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

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徳島の海岸と漁村を巡って 5: がんばれ日和佐


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今回は、美波町日和佐地区を紹介します。

ここには薬王寺と海亀産卵の大浜海岸があります。

幾度も来た所ですが、懐かしさよりも驚きが勝ちました。

 

 

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< 2.散策ルート、上が北 >

 

上: 日和佐地区の全景

S: 散策の開始点と終着点、A: 日和佐城、 B: 薬王寺

下: 散策ルート

黄色線が恵比寿浜からのドライブルート、赤線が散策ルート、ピンク線が宍喰へのドライブルートです。

S: 散策の開始点と終着点

A: ㈱あわえ、地方創世で活躍する企業、散策中偶然知りました。

B: 観音寺

C: 美波町役場、御陣屋(郡代)跡

D: 弘法寺

E: 八幡神社

F: 日和佐漁協

G: 日和佐城

H: 大浜海岸

 

 

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< 3. 大浜海岸 >

 

防波堤のS辺りからの眺め。

右手から左手への眺めを、上から順に並べた。

 

上: 日和佐川の河口で、漁港への入り口でもあります。

中: 遠方左手に恵比寿浜と恵比寿洞

下: 大浜海岸、海亀が5~8月にかけて夜、産卵に上陸します。

 

 

 

 

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< 4. 日和佐漁港 >

 

昼1時を過ぎていたこともあり、ほとんど人影はありませんでした。

 

 

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< 5.町に入ります >

 

上: 海側から内陸側を望む。

中央に白い津波の避難タワーが見えます。

 

下: 特段、漁師町を感じさせるものはありません。

 

 

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< 6. 古風な家屋がありました >

 

下: 大きな家がありました。

全景は次の写真です。

 

 

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< 7. 廻船業で財を成した屋敷 >

 

上: ここは江戸末期より廻船業で成功を収めた「谷屋(たんにゃ)」です。

その繁栄ぶりは子供たちの遊び唄になったほどで、門構えは立派です。

現在改装中で入れませんでした。

 

下: 多くの家は改装が進んでいますが、写真のように昔の雰囲気を残す工夫が見られます。

 

 

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< 8.古い銭湯  >

 

上: 銭湯の建物

私が、この趣のある建物で足を止め、石柱の「世間遺産・・・」に首をかしげていると、中から一人の男性が声を掛けてくれました。

呼ばれるままに中に入ると、そこは大正時代からの銭湯でした。

 

下: 事務所の内から表通りを見ている

中央に番台が見える。

 

 

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< 9. (株)あわえ >

 

実は、ここは銭湯の建物を保存しながら、ITソフトウェア開発と地方創生を行っている事務所でした。

上の写真の人物が案内してくれた社長です。

非常に気さくで、情熱を感じました。

 

彼を主人公に映画化されたのが、下の写真のポスターです。

味のある役者と日和佐の風景や暮らしが沢山出て来ます。

公開は2019年4月でした。

 

私は、これまで様々な国と日本の地方を訪れて、答えの見つからない問いを抱えていた。

北欧や中国では地方に行っても豊かさや発展を感じます。

北欧では、田舎は自然を生かした暮らしがあり、寂れている感じはなかった。

その一方、日本のほとんどの地方の町や村は活力を失い寂れています。

再生の術はないのかと・・・

 

この社長と言葉を交わす内に、日本にも可能性があると勇気づけられました。

詳しくは、後述します。

 

 

10

< 10. 美波町役場 >

 

明治が始まる60年前から明治に至るまで、ここに”御陣屋”(郡代所)

が設けられていました。

今は美波町役場です。

 

上: 役場前の史跡の説明板

 

下: 津波避難場所の看板

この町も、津波が襲って来ればひとたまりもありません。

この町の中で、避難出来る避難タワーは、先程の物とこれから紹介する物の二つで、後は数カ所の数階建てのビルだけです。

他は、裏の山に登るしかありません。

 

ここでも厳しい現実を見せられました。

 

 

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< 11. 観音寺 >

 

上: 観音寺

ここは三十三観音霊場の第八番です。

徳島海部郡をドライブしたり散策していると、海岸沿いの険しい道程、お遍路さんの路になっていました。

 

下: 広い道から狭い路に入ると石垣(塀)が所々に見られました。

道幅が狭く、漁師町の風情を残しています。

 

通る所が悪いのか、東由岐で見た「ミセ造り」などの漁師の民家を見ることはなかった。

どこかに残っているはずなのですが。

 

 

 

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< 12.弘法寺 >

 

上: 弘法寺

江戸末期、日和佐の行者「栄寿法印」が評判を呼びました。

彼は荒行の末に数々の奇跡を行い、小松島では化け物を退治したそうです。

 

この寺は明治に入って信者によって建てられた。

石像は栄寿法印かもしれません。

この前の路は、かつて水路で船が入って来たそうです。

 

下: 山側(北側)の広い通り

東側を見ている。

通りの左奥に見える木々は八幡神社の境内のものです。

 

 

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< 13. 日和佐八幡神社 >

 

上: 町民グランドの端に避難タワーが見えます。

 

下: 日和佐八幡神社

広い境内の周囲にだんじりの格納庫がたくさんありました。

10月中旬、布団だんじりが出て秋祭りが盛大に行われる。

この海岸側にウミガメ博物館があり、トイレもあります。

 

 

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< 14. 大浜海岸に沿う通りより >

 

上: 遠方中央に、薬王寺が見える。

 

下: 防波堤の先端より、日和佐の町を望む。

一周し終わりました。

 

次の訪問地、宍喰を目指しドライブします。

 

 

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< 15. 厄除け橋より >

 

地図のピンク線の橋の上から日和佐川の河口を眺める。

右手の小高い丘の上に日和佐城が見える。

翌日、またここを訪れます。

 

 

* (株)あわえと地方創世 *

 

この美波町(由岐、恵比寿、日和佐も含む)は5年間で10%ほどの人口減が続き、65歳以上が占める高齢化率は日本の平均37%を上回り51%です。

また一人当たりの市町村民所得は182万円で、徳島県の最下位で、トップ阿南市の半分に過ぎません。

 

町を歩いても、見かけるのは高齢者が多く、家屋の新築も少ない。

漁師に声を掛けても、減り続ける漁獲量への嘆きが聞こえ、実際、漁獲量は減る一方です。

 

なぜ日本は、こうも地方の衰退が当たり前のように進むのか?

高齢化? 成長しない経済? それと生活スタイル?

前者二つは国の無策に起因しているが、後者はそれだけとは言えない。

 

例えば、クロアチアや北欧の海岸を行くと、豊かな自然が残る海岸に別荘が並び、港は漁船でなくレジャーボートで埋め尽くされていた。

スウェーデンでは、職住の地を郊外に求めるブームが起きているらしい。

それは物価が高く自然に乏しい都会を避け、仕事が終われば自然を愉しむことできる地を人々が求めているからです。

 

世界的には大都市への人口集中は穏やかになる傾向にあるが、日本だけはまだ続いている。

 

ところが、「あわえ」の社長の話を聞き、調べてみると、美波町に明かるい兆しが見える。

 

彼は、この地で生まれ、東京でセキュリティソフトの開発販売を手がけるようになった。

そして新たなワークスタイルの実現と人材採用の強化を目的に2012年この地にサテライトオフィスを開設し、現在はここを本社としている。

現在、地方と都市、自治体と企業を結び付けることにより、地域の活性化を目指している。

 

その一方、彼は漁船を所有し海釣りを楽しんでいる。

まさに職住一体で、自然との暮らしを楽しみながらリモートワークを行っている。

 

実績としては、ここ数年で19社のサテライト・オフィスをこの町に誘致し、全国1位を誇る。

日本全国の自治体100とも提携しアドバイスを行っている。

 

実は、美波町は2013年に転入者が上昇に転じ、翌年には転出者を上回った。

この町は大都市から2時間以上離れているにも拘らず、全国中でも好成績なのです。

当然、美波町も地域活性化に取り組んでいるお陰なのですが。

 

微かな動きかもしれないが、地域創生が一人の青年の想いから始まろうとしている。

 

つくづく、彼らの想いに答えられる政治が日本に興ることを願う。

そんな発見が得られた日和佐でした。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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連載中 何か変ですよ 218: 国民に自己責任を問う!


1

*1

 

経済も社会も悪化し孤立を深める日本!

こんな日本にしたのは誰か?

一人安倍首相か?

いや違う、選んだ国民だ!

 

 

2

*2

 

 

* 自己責任 *

 

「自己責任」は小泉政権から言われ始めた。

小泉首相は安全を、竹中大臣は貧困を自己責任とした。

 

つまり取材であっても危険な地に踏み込めば、殺されても仕方ないと。

また貧乏になる道を選んだのだから自業自得だと。

 

この論に従えば、唯一先進国で凋落に突き進む政権を選んだ人々にも自己責任があるはずだ。

 

それもかなり大きな、ここ三十年ほどで起きた凋落に対する責任がある。

 

  • 悪化し続ける経済 ― 成長しない経済、低下する賃金、庶民の増え続ける税、生産性低下、増加一途の累積財政赤字・・

 

  • 先進国から取り残される社会 ― ジェンダー、貧困率、格差、報道の自由度、人間開発指数などの国際指標が急速に悪化・・

 

  • 先進国ではありえない政治腐敗 ― 首相・大臣・自民党議員・官僚の不正・怠慢とその隠蔽工作・・

 

  • 散在する割には国民に百害あって一利なしの外交 ― トランプとプーチンに掻き回され、隣国と隔絶を深め、コロナウイルスを呼び込みマスクも入手出来ず・・

 

  • 危険を指摘されながらも無視・無策・・・原発事故や感染症の予防対策を怠り、さらに施設と予算を削減・・

 

挙げればきりがない。

これらは自民党政権と特に安倍政権が招いた。

 

私は、この末路を予想出来たので自民党に票を入れなかったので、私には責任がない。

 

 

* なぜこんなことになったのか? *

 

ひとえに長期政権による官民政財界の癒着と腐敗に尽きる。

さらに安倍首相の米国追従と右傾化がダメ押しになった。

 

今の政府を歓迎した人には強国・最強政府に見えたことだろう。

しかし、これが如何に底の浅いものだったことはコロナ危機で露呈した。

 

このまま安倍首相と自民党に任せていては凋落するだけだ。

腐敗政治も問題だが、それ以上に間違った経済路線が致命傷になっている。

日本を取り戻すには、大きな経済政策の転換が必要だ!

 

こんな政府を選んだ人々には責任をとってもらおう。

たとえ騙されたと言い逃れしようが。

この手の人々は、歴史を見ない、発展途上国以下の社会意識しか持ち合わていない。

つまり視野狭窄が、また錯誤を繰り返すことになる。

 

当然、選挙に行かなかった人も間接的に協力したことになり同様だ。

 

 

しかし、私は「自己責任論」はまやかしと考えている。

(自己責任論は、80年代から主流になり社会経済を疲弊させている自由主義や放任経済に由来している)

 

つまり、今の政府に騙されたと自覚できるのなら反省し行動すれば良い。

 

 

終わります。

 

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中国の外縁を一周して 39: 小さな橋と古城忠义市场


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*1

 

今回は、麗江古陳内の美しく小さな橋と、

古い佇まいを残す庶民の古城忠义市场を紹介します。

 

 

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< 2. 大石橋から始める >

 

上: 前回紹介した大石橋です。

これからこの川沿いを南下し様々な小さな橋を訪ねます。

最後に市場へと向かいます。

 

下: 百岁桥(百歳橋)

橋の上の左に、赤い漢服を着た女性が見えます。

観光客に写真の被写体を頼まれたようです。

若い女性が、漢民族風の着物を着て観光地を歩く姿をたまに見かけた。

厳密な漢民族の服と言うより、ファンタジクな中国歴史ドラマで見かける自由なデザインのようです。

多くは一人から数人です。

 

以前、私はフランス、アルザス地方のコールマールを訪れたことがあります。

この地も、花に彩られた古い町並みと小川や橋で有名でした。

麗江と比べて町や川、橋は大きい。

しかし、菊で飾られた麗江の街並みと小川はさらに見応えがありました。

菊で飾られた時期に行くべきだとは思いますが。

 

 

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< 3. 様々な橋 >

 

右下: 橋を渡ると、概ねこのような家に挟まれた小路を行くことになります。

 

 

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< 4. 少し広い通りに出た >

 

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< 5. 万古楼が見える >

 

下: 獅子山公園の丘の上に立つ万古楼が見える

 

 

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< 6. 古城忠义市场の一角に入った >

 

この一角は、植物、果実、根などの乾物が売られている。

この地は松茸の産地です。

サイズはかなり小さいが、大きな袋に沢山入って安かった。

妻は、大量の干し松茸を買った。

しかし香はほとんどせず、日本に帰ってからもあまり使用していない。

日本の松茸とは異なる。

 

 

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< 7. 地元の人が買っているようです >

 

 

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< 8. 食材が豊富です >

 

ここを訪れたのは13:30頃でした。

時間帯のせいか、あまり客はいない。

当然、この大きさなので、時間ともなれば多くの市民がくるのだろう。

 

 

 

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< 9. 様々な店舗形態があります >

 

 

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< 10. 肉売り場 >

 

先ず、この広さにびっくりした。

そして、ここでは相変わらずの衛生感覚のようです。

下の写真のように、客が肉を手づかみで選んでいる。

もっとも、麗江には近代的なスーパーや商店街もあり、衛生管理が行き届いた店も沢山あります。

違和感なく新旧が混在している、不思議な感じがする。

 

 

 

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< 11. 鳥や魚類の販売 >

 

先ず驚いたのは、淡水魚の扱いが多い事でした。

それも活けで売られている。

こんな高地で、これだけあるとは思はなかった。

おそらく池などの養殖が進んでいるのでしょう。

 

左上: この一角では、鳥と日本人が口にしない様々な小獣をケージに入れて販売しています。

30年以上前、中国の広州や台湾の台北の市場で見た光景を思い出します。

 

 

 

 

 

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< 12. そろそろ市場の端に来ました >

 

下: 民族衣装を着た老婆が足早に去って行きます。

 

私達が、例えばアイヌのように日本で民族衣装を着た人を見ると、観光用を連想します。

しかし、中国では少し趣が異なるようです。

特に雲南省で目立ちます。

それは観光用だけではなく普段着、さらに言えば誇りを持って着ているように見えることです。

これは中国の少数民族政策の反映だと思う。

 

 

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< 13. 市場の本来の入り口 >

 

 

次回に続きます。

 

 

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徳島の海岸と漁村を巡って 4: 恵比寿浜と恵比寿洞


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今回は、綺麗な湾と自然に出来た洞穴を紹介します。

少し行くと日和佐の大浜海岸に出ます。

 

 

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< 2.ドライブルート >

 

上: 由岐から恵比寿浜までのドライブルート、上が北。

青い線がドライブルート、茶色矢印が由岐、赤矢印が恵比寿浜。

オレンジ色枠が下の写真の範囲です。

 

下: 恵比寿浜と日和佐を示す、上が南。

A:恵比寿浜、B:恵比寿洞、C:日和佐の大浜海岸

 

 

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< 3. 由岐から恵比寿浜までのドライブルート >

 

上: 由岐から恵比寿浜までのドライブルート

私は海岸線を見ながら走りたくてこの道を選んだが、失敗でした。

海はほとんど見えず、さらに対向車線が無い。

対向車が来れば、どちらかが数百mほどバックしなければならない。

皆さんは避けた方が良いでしょう。

 

下: 恵比寿浜

ここにはキャンプ場があり、張ったテントから直ぐ前がこの海岸です。

今から三十年ほど前、台風が接近している時に子供達を連れて来ました。

打ち寄せる大きな波に嬉々としていた子供達を思い出しました。

 

 

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< 4. 左右を望む >

 

写真3の下とほぼ同じ位置から撮影。

上: 右手、西側

下: 左手、東側

 

 

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< 5. 恵比寿浜西側より >

 

上: 中央反対側の海に突き出した小山が恵比寿洞です。

 

下: 浜の最深部で、写真の右端にキャンプ場があります。

 

 

 

< 6. 恵比寿浜橋6の上から >

 

恵比寿浜の奥に亀井港があり、その間を水路が繋いでいます。

この橋はこの水路に架かっています。

ちょうど漁船が戻って来たところです。

 

上: 恵比寿浜の沖合を見る

右手に古い石積みの堤が見えます。

コンクリートでないのが歴史を感じさせます。

 

下: 亀井港を望む

 

恵比寿浜は波浪に弱いが、奥まった亀井港なら大丈夫でしょう。

実は、紀貫之が日和佐に4泊5日しているのですが、悪天候を避けるとしたら日和佐の大浜や恵比寿浜より、この亀井港かもしれません。

 

 

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< 7. 恵比寿洞 >

 

海岸伝いに日和佐に出る途中に、この洞があります。

上の写真の看板が道の端にあり、その前に数台の駐車スぺースがあります。

この岬の小山へと進みます。

 

 

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< 8. 岬を巡る小路 >

 

駐車場から一度下って、小山を一周する小道があります。

先ずは登ります。

 

上: 眼下に後に下ることになる小路が見えます。

小路の左に洞があります。

 

下: 小山の頂に至る小路。

 

 

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< 9. 頂の展望台 >

 

上: 南側を見ている

下: 東側を望む

恵比寿浜の東側にある岬の先端

 

 

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< 10. 頂から >

 

上: 西側を望む

中央に日和佐の大浜海岸が見える。

 

下: 洞に向かって急な階段を下る

右手に洞がある。

 

 

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< 11. 恵比寿洞 >

 

上: 恵比寿洞

以前、台風接近時、ここに立ったことがある。

大きな波がこの穴を抜けて押し寄せて来る様は圧巻でした。

後で、子供連れは危険だと後悔したのですが。

 

下: 左手に洞の口が見える。

 

 

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< 12. 大浜海岸 >

 

上: 恵比寿洞を大浜海岸寄りからクローズアップで撮影。

中央が恵比寿洞の小山。

 

下: 海亀の産卵で有名な大浜海岸

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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連載中 何か変ですよ 217: 悲しい社会


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*1

 

我々の未来は明るいはずだ!

日本に暮らす今、コロナ危機下にあっても、そう信じたい!

しかし一抹の不安が、いなむしろ絶望すら感じる!

 

 

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< 2.懐かしのメモリー >

 

 

* 周りを見渡すと *

 

人々はおおらかで誠実で屈託なく暮らし続ける。

コロナの死者は少なく、やっとトンネルから抜け出て、自治体と政府の支援策も見えて来た。

これからも皆が共に手を携えて進めば、きっと明るい未来が待っている。

そう信じたい。

 

だがふっと気がかりが脳裏をかすめる。

 

この2年間で北欧と中国を旅して、日本が取り残されていることを実感した。

北欧は、ここ半世紀ほどの間に幸福で公正な社会、加えて豊かな経済を手に入れた。

1世紀前の北欧はかなり貧しく、国を捨て米国に移住した人も多かった。

 

中国もここ30年ほどで、経済的に大変貌を遂げ、地方まで浸透し、さらに加速すらしている。

それに連れて、人々の意識やマナーに変化が起きている。

 

一方、日本はどうだろうか?

 

1990年代より、明らかに経済は停滞し、それに連れて国際的な指標、幸福、貧困、ジェンダー、報道、政治腐敗など全てが低下し続け、さらに悪化の度合いを強めいている。

それだけに止まらず、国の財政悪化も勢いを増している。

ここ数年、良かったのは株価と失業率ぐらいでした(これには喜べない理由がある)。

 

さらにコロナ危機で日本の実態が露見した。

縮小されていた感染医療体制、乏しい危機と遅い対応、躊躇する国民支援、政府の心根がいみじくも露呈してしまった。

一方、自粛に見られる国民の高い共同体意識と自治体首長の活躍が目立った。

(重傷者、死亡者が少ないのは東アジアの韓国・台湾とBCG接種国に共通し、少ない感染者は少ないPCR検査による)

 

 

* 何が悲しいのか *

 

人々の好悪感で国の進路が歪められ、暴走が続いていることです。

 

「韓国・中国が嫌いだ! 弱い日本は嫌いだ! 強いリーダーが好きだ!」

この世論が、ここ10年ほど日本を牽引して来た。

そして防衛が優先され、隣国に妥協しない頑強な政府が出来上がった。

 

そして何が起きたのか。

期待したアベノミクスは?

おそらく8割の人は好況を実感したことはなかっただろう。

非正規が増え、賃金低下、貯蓄の取り崩しが定着した。

このことが増税とコロナ危機でより経済を悪化させる。

政府は赤字国債大量発行と超金融緩和で乗り切るだろうが、これも将来禍根を残すことになる。

 

加えて弱者と少数意見が無視され、富裕者・大企業優先で格差が拡大した。

それだけではない、首相の虚言と隠蔽、内閣による官僚とマスコミ操作により、不正が蔓延していても尻尾が掴めない。

 

 

一方、この政府に嫌悪感を抱く人々がいる。

「不正・政治腐敗が許せない! 弱者を軽視し大企業優先ばかりが許せない!」と

 

今の政府に惹かれ、すがる人々は、これらを無視してはばからない。

私は、このような社会に不安を感じる。

 

大戦前、ドイツ国民も前者と同様の理由でナチスを熱烈に支援した。

ヒトラーが独裁者となり、弱者(ユダヤ人、身障者など)を虐待し始めても、圧倒的多数の人は無視した。

しかし一部の人は地下に潜り、救済を行った。

だが官憲に捕まり、国家反逆罪で死刑になった人も多い。

 

結局、この悪行を重ねたヒトラーとナチスは自国を破壊し滅んだ。

ヒトラーは大嘘を隠し通したが、現首相の虚言はトランプのように日常的になっている。

 

翻って、今の米国を見てみれば、黒人嫌い、軍縮反対、中絶が許せない人々が、それだけの理由でトランプを支援する。

トランプがどんなに不正やトンチンカンをやってもお構いなし。

 

こんな幼稚な社会に、私は絶望しか見出せない。

 

終わります。

 

 

 

 

 

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中国の外縁を一周して 38: 万古楼と大石橋付近のレストラン


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*1

 

今回は、万古楼と大石橋付近を紹介します。

麗江で、私が最も目を奪われたのは、

大石橋付近の菊に囲まれた清流の美しい街並みでした。

この近くで昼食をとりました。

 

 

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< 2. 万古楼の入口 >

 

上: 万古楼の入口

下: 中に入ったところ

 

 

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< 3. 万古楼 >

 

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< 4. 万古楼を中心にした地図、上が北 >

 

次に万古楼の最上階から見た360度の眺望を紹介しますので、この地図を参考にして下さい。

この麗江の盆地の広さは、赤矢印の東西で幅11kmあります。

麗江市の人口は114万人です(市の範囲は写真より広い)。

ナシ族の人口は31万人だが、麗江以外にも住んでいる。

 

赤矢印: 麗江古陳内、万古楼が丘の上に建つ獅子山公園

茶色矢印: 玉龍雪山

黒矢印: 長江、下から上に(北)流れている

黒枠: 麗江三義空港

 

 

 

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< 5. 北から東までの眺め >

 

上: 真北を望む

遠方中央の小山の左麓に黑龙潭がある。

さらに遠方に雲を被った玉龍雪山が見える。

下側の木々は獅子山公園で、右手側に麗江古陳が広がる。

 

中央: 真東を望む

麗江古陳の中央でしょうか。

 

下: 東南を望む

右手前に木府の屋根(少し青みがある)が見える。

 

 

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< 6. 南から西までの眺め >

 

上: 真南を望む

遠方の丘陵地麓の左側に新幹線の麗江駅があり、その丘陵地を右に迂回したら空港に至る。

写真中央、麗江古陳の南端(瓦屋根が途切れる辺り)に、後に紹介する古城忠义市场があります。

 

中央: 南西を望む

 

下: 真西を望む

中央の山の向こうに拉市海(湖と湿地)があり、さらにひと山越えると、長江が急激に流れを変える長江第一湾がある。

 

 

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< 7.西北から北までの眺め >

 

上: 西北を望む

遠方中央、山脈が途切れる谷間を抜ける道を行くと、拉市海や長江に辿り着く。

この道の右手の山の南斜面中腹に普济寺がある。

後にこのチベット仏教寺院を紹介します。

 

かつて茶葉古道は、南の昆明、大理を経て麗江古陳を通り、ここで西に向かい、長江沿いに香格里拉、チベットに至った。

 

 

下: ほぼ北北西を望む

中央遠方、山の麓に束河古镇があります。

後に紹介します。

 

これで360度、一周しました。

 

 

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< 8. 万古楼から >

 

上: 万古楼の最上階からほぼ西を見下ろす。

 

左下: 万古楼内部。

木造造りで高さ33mあります。

 

右下: 万古楼から東側に降りたところにある展望台

 

 

万古楼からの眺めは良いが、それだけです。

万古楼から四方街への下りの道は、登りと違った道をとりました。

 

 

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< 9. 素晴らしい眺め >

 

上: 四方街

 

下: 大石橋

前夜、ライトアップされた橋と清流の眺めも魅惑的でしたが、昼も良い。

 

 

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< 10. 大石橋の上から >

 

上: 下流を望む

 

下: 上流(北)を望む

 

 

 

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< 12. 昼食のレストラン >

 

ガイドさんに紹介してもらいました。

 

上: レストランのテラス席から川の方を見る。

 

下: 店の方を見る。

ここは大石橋の川を少し北上した所にあります。

昨晩、この店の前を通った時は、非常に賑わっていました。

 

 

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< 13. 食事 >

 

メニューもガイドさんと相談しながら決めました。

この麗江は食材が豊かで松茸も採れる。

料理は彩が綺麗でしたが、深みが無く、美味しいとは言えませんでした。

どちらかと言うとさっぱりした味でした。

強いて言えば高いだけの料理でしょうか。

 

 

次回に続きます。

 

 

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