何か変ですよ 39: 今を忘れないでください


  1  

*1

 

今の政権運営は実に巧みで、実行力もあります。

安定感があり頼りがいがありそうです。

安部首相の手腕には、さすが政治家の家系だと感心させられます。

一方で長いスパンで見ると気になることがあります

 

 

安保法案を巡る議論

議論が枝葉末節過ぎるように思えます。

 

野党の指摘は間違っていないが現実の防衛に不安を感じる。

事実かは別にして、予想される脅威への対策が聞こえて来ない。

これを無視していると、些細な武力衝突で少しの人的被害が起きても、世論はパニックになり一気に好戦的になる可能性がある。

これが一つの懸念材料です。

 

国を軍事的な脅威から守り、また紛争拡大を防ぐには軍隊が必要であり、軍人の犠牲も伴います。

国として中立の選択肢もありますが同盟が必要な場合もあります。

確かに軍隊と同盟は運用次第でより大きな危険を招きますが、避けて済む問題ではない。

 

2

  • * 2

 

与党の主張は現実の不安に答えているが、将来に大きな禍根を残すかもしれない。

一つは、米国との同盟強化により中国との対立が鮮明になることです。

かつて歴史的遺恨や敵意を煽るに任せて戦争を回避した国がどれだけあったでしょうか。

残念ながら日本列島はユーラシアの二大国と米国の緩衝帯に位置しおり、ベトナムや朝鮮半島の二の舞になる可能性が非常に高い。

 

今一つは、憲法を軽視していることです。

憲法解釈の変更が絶対不可とは言わないが、憲法裁判が機能していない日本では拡大解釈がまかり通る危険性が大です。

拡大適用は明治から太平洋戦争にかけて起きたことであり、法を重視しない体質は今でも変わらない。

 

与野党は惰性(権益)とドグマに囚われて賛否の大合唱に終始している。

おそらく10年後には結果が出て、国民は後悔するかもしれない。

 

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  • * 3

 

経済運営について

久々に景気が良くなる期待はあるが、どうだろうか?

 

日銀による大量の国債引き受けによるリフレ策は進んでいる。

このところ「何々減税」と色目の変わった経済振興策が数多く打ち出されている。

 

景気が良くなっている情報が増えて来た。

株高や大企業の好決算、就職率の上昇など。

一方で逆の情報もある。

消費財の値上がりや、不安定な雇用形態と賃金格差の拡大など。

 

ここ30年ほど、与党は同じ経済政策の繰り返しで景気は良くなるどころか、日増しに経済と財政は悪化した。

欧米が既に止めた公共投資と国債への依存を続ける与党にあって、今回、大胆にリフレ策を実施したことに驚かされる。

欧米にはリフレ策を実施している国は多いが、長期に行った結果が今の経済状況です。

 

良ければ株高と好景気が来るかもしれないが、必ずバブルが弾けてより深い経済低迷に陥るでしょう。

ここ半世紀の欧米の経済動向を知る人なら、また株投資に関心ある人なら実感出来るでしょう。

それでも莫大な累積債務がインフレで目減りしてくれれば少しはメリットがある。

しかし国債金利が高騰すれば財政破綻は現実のものになるでしょう。

 

根本にある懸念は一つです。

それは日本が米国流の貨幣供給重視に大きく方向転換したことです。

この結末がどうなるかについて断言出来ないが、おそらく今欧米で起きている経済の悪弊がより深まる結果になるでしょう。

それは景気不景気のより深い乱高下、貧富の差、失業の増大です。

 

早ければ、1年以内に潮目の変化が現れ、5年後に国民は後悔するかもしれない。

 

4

*4

 

どうか皆さん、今の分岐点を忘れないでください

国が衰退を深め、激動に巻き込まれる切っ掛けは些細な一歩の積み重ねでした。

過去を振り返れば、法や条約の発効・破棄、憲法の恣意的な解釈が戦争への分岐点になりました。

同様に金兌換や日銀券発行、国債発行の扱いは国の経済を大きく左右しました。

これは世界の歴史に共通しています。

 

皆さんにお願いしたいこと

この分岐点を覚えておいて頂き、数年から10年後の変化を比べていただきたい。

今の舵取りの成否を判断出来なくても、その時に、誤りに気がつけば方向転換出来るかもしれません。

ただ過去の日本では方向転換の努力は水泡に帰しました。

 

 

 

 

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Go around the world of Buddha statues 29: The beginning of God statue in China 7


仏像を巡って 29: 中国の神像の始まり 7

    1

< 1. a statue of Taoism in Taiwan >

< 1. 道教像、台湾 >

 

This time, we look at the wonder of religion that was behind the background of the birth of god statue.

“The beginning of God statue in China “ is the last at this article.

 

今回は、神像誕生の背景にある宗教の不思議を見ます。

これで、「中国の神像の始まり」は終わります。

 

 

2

< 2. the change of the Chinese human statue for approximately 4,000 years >

< 2. 約4000年間にわたる中国の人物像の変遷 >

 

What had happened to Taoism and Buddhism?

In the despair of troublous times in those days, people didn’t come to refuse Buddhism only because it was a religion of different ethnic groups.

Then, the people became fascinated by the cultivation of mind or the help of the Buddha that Buddhism advocated.

The people received the theory “a never-ending cycle of life and death” to endure temporal unreasonableness.

In addition, many dynasties came to use the influence.

 

On the other hand, Taoism became popular until it was favorably compared with Buddhism, but it was necessary to change to other direction from Chinese alchemy (medicine-making techniques) because of developing poisoning death by the medicine for immortality.

Therefore, Taoism incorporated the cultivation of mind from Buddhism as means of the perpetual youth and longevity.

In addition, Taoism had been necessary to theorization due to argument with Buddhism, and put the philosophy of Doka on a basis.

 

On the other hand, Buddhism adopted a prayer and execration of Taoism, too.

Buddha and Laozi that had been the founder of the each sect were advertised as the same person by both religions.

 

 

道教と仏教に何が起きていたのか

乱世にあって、人々は絶望の中で仏教が異民族の宗教だからと言うだけで拒否しなくりました。

仏教が唱える精神修養や仏の御加護は人々の心を捉えました。

民衆は現世の理不尽に耐える為に輪廻転生説を受け入れていきました。

また多くの王朝はその影響力を利用するようになりました。

 

一方、仏教を凌ぐまで普及した道教でしたが、錬丹術の失敗(不老長寿の薬で中毒死)から方向転換する必要がありました。(「病と医術の歴史30」参照)

そこで道教は不老長寿の手立てとして仏教の精神修養を取り込みました。

また道教は仏教との論争で理論化が必要になり、道家の老子、荘子(紀元前4世紀頃)の思想を基本に据えました。

荘子の思想「無」は般若心経(仏教経典)の「空」に似ていたことも有利に働いた。

 

一方、仏教も道教の祈祷(折伏、呪詛)を取り入れました。

両宗教は、宗祖である老子と釈迦は、同一だと互いに喧伝するようになりました。

 

3

< 3. Laozi of China and “a never-ending cycle of life and death” of India >

< 3. 中国の老子とインドの輪廻転生 >

 

A mystery of the statue birth of Taoism

The supreme god of Taoism should have become clear from those days because sacred books of Taoism were accomplished from about the first century.

However, the statues birth of Taoism was the sixth century, and was 2 centuries later than Buddha statues had spread.

Even if people can make human statue, it seems to have had a hesitation to express supreme god by human image.

 

In many religions of the world, why was there such delay of god statues?

 

There is the hint a little.

In addition, the purposes of the worship were restrictive and intermittent, such as ancestor worship, burial, disease recovery, huge harvest, and exorcism.

 

However, when a unified dynasty was born, the guardian deities of each tribe were systematized, and a personal god like the king came out on the top.

This personal god became the supreme god who can accept all wishes from national prosperity to disease recovery.

 

In this situation, when a religion having the statue of personal god came in, a tendency of the molding of the god statue becomes lively.

In this way, the god statue was independently enshrined and came to be always worshiped.

As for this, not only China but also India and Japan were similar.

 

 

尊像(神像)誕生の不思議

道教の経典は後漢時代(後1~3世紀)に成立し、道教の最高神はこの頃から明確になったはずです。

しかし尊像の誕生は仏像が普及してから2世紀ほど遅れた6世紀でした。

初期の道教では道観(道教の神殿)と仏教の寺を併設することがあり、5世紀頃の記録に、仏像は置いてもまだ尊像を置かなかった記録があります。

人々は人物像を造ることが出来ても、尊像を人間の容姿で表現することに躊躇があるようです。

 

なぜ世界各地の宗教で、このように神像誕生の遅れがあるのでしょうか?

 

そのヒントは幾らかあります。

古くは、人々は超自然の力を期待して、人間の姿よりはむしろ架空の動物を崇拝対象にした。

また崇拝は限定的で断続的なものだった(祖先、埋葬、病気平癒、豊穣祈願、厄払いなど)。

しかし、統一王朝が誕生すると、部族毎の守護神は体系化され、王のような人格神がその頂点に立つようになった。

この人格神は、国家安泰から病気平癒まで、すべての願いを受け入れる最高神となった。

 

この状況で人格神の像を有する宗教が外来すると、その神像を造形する気運が盛り上がります。

こうして人格神の像が単独で祀られ、常時礼拝されるようになった。

これは中国だけでなくインドと日本(三徳山三仏寺の金剛蔵王大権現)も同様でした。

 

 

4

< 4. a crematory of Ganges and the mausoleum of first Qin Emperor >

< 4. ガンジス川の火葬場と秦の始皇帝の陵墓 >

 

It shows that a collision of different cultures further developed the view of society, religious piety and carving skill of people.

For example, by accepting of the concept ”a never-ending cycle of life and death”, Chinese burial culture united with Indian cremation culture that differed in ” view of life and death”, and it affected not only China but also Japan.

 

そこには人々の信仰心、社会観、造形表現力が異文化流入によって大きく発展する姿がありました。

例えば、輪廻転生の受け入れによって、死生観を異にする中国の土葬文化とインドの火葬文化が合体し、中国だけでなく日本にも影響を与えたのです。

 

Afterword

Religion has sublime idea, and particularly there is a power to grow splendid neighborly love.

On the other hand, the more believers’ piety is strong, the more they hate pagans intensely.

However, the syncretism was possible precisely even between the religions caused serious confrontation because there was a truth common to all humankind in those, and spread in the world.

 

From next time, I will treat another theme about god statue of the world.

 

 

あとがき

宗教には崇高な理念があり、特に素晴らしい隣人愛を育む力があります。

一方で、信仰心が強ければ強いほど異教徒を激しく憎悪することにもなります。

しかし対立を生む宗教間にも、人類共通の真理があるからこそ習合を可能にし、世界に広がって行ったのです。

 

次回からは、また別のテーマで世界の神像を巡る予定です。

 

 

 

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Go around the world of Buddha statues 28: The beginning of God statue in China 6


仏像を巡って 28: 中国の神像の始まり 6

 1 茅山  

< 1. A statue of Taoism in one of Taoism’s sacred spots >

< 1. 道教の聖地茅山、大きな尊像が見える >

 

This time, we look at the situation that statue of Taoism was born.

It resulted after Buddhism had become popular.

今回は、道教の尊像が誕生する瞬間を追います。

それは仏教が盛んになった後に起こりました。

 

How was god statue of Taoism born?

Here, I explain it by applying the word “statue of Taoism (Tianzun)” to god statue

 

道教の尊像の誕生

ここで、私は神像に道教像(天尊)を用いて説明します。

 

 2-J-L

< 2. Triad statues >

< 2. 三尊像 >

In fact, one of these is a Buddha statue, and the others are statues of Taoism.

These resemble closely so that we cannot notice the difference.

 

Fig. J: Triad statues of Taoism in the early 6th century.

This was the first thing as single independent statue.

 

Fig. K: Triad statues of Taoism in the middle of 6th century.

 

Fig. L: Triad statues of Buddhism in the 4th – 6th century.

 

The characteristic of the statue of Taoism is a crown on the head, a short staff of bamboo with bundled hair, and a bent desk of three legs.

Fig. K and O show it clearly.

 

実は、この内、一つは仏像で他は道教像なのです。

見分けがつかないぐらいよく似ています。

 

図J: 道教三尊像、北魏、6世紀初め。

単独の像としては初期のもの。

 

図K: 道教三尊像、北周、6世紀中頃。

 

図L: 仏教三尊像、北魏、4~6世紀。

 

道教像の特徴は、頭上の冠、団扇状の払子、脚三本の曲がった机にあります(図KとOで明瞭)。

 

 

3-M-O

< 3. Triad statues of Taoism (The Three Pure Ones) >

< 3. 道教の三尊像 >

 

In Buddhism, Buddha doesn’t stand in line with three persons, but in Taoism, statues of Taoism that are nearly same class (the supreme god) stand in line with three persons.

But after all, the middle statue is the highest class.

There are many kinds of statue of Taoism by the religious sect of Taoism.

In Buddhism, the middle of triad statues is a rule to be the Buddha, but there are many different types in Taoism.

 

Fig. M: Yun Gang cave shrine, the 8th century

There are many huge cave temples in Buddhism, but only there are a few of small cave shrines in Taoism.

This cave shrine consists of 9 caves, but there are 1400 caves in Longmen Grottoes of Buddhism.

 

Fig. N: No. 5 cave in Yun Gang cave shrine, the 8th century

This is the same as Buddha statue except a crown.

 

Fig. O: Triad statues of Taoism in a Taoist temple of Shanghai

 

仏教では如来が三つ並ぶことはありませんが、道教ではほぼ同格の「天」(最高神)が並びます。

但し、やはり真ん中は一番格が高い。

尊像の種類は道教の宗派や道観(寺院)によって数多くあります。

仏教なら、中心にあるのは釈迦像が決まりですが、道教では様々なようです。

 

図M: 龍山石窟、山西省、唐、8世紀。

仏教には巨大な石窟は多いが、道教のものは小さく少ない。

この石窟は9窟のみだが、仏教の龍門石窟(前回の図I)には1400窟もある。

 

図N: 龍山石窟第5窟、8世紀。

冠を除けば如来像と同じ。

 

図O: 道教三尊像、太清宮、上海。

左から太清道徳天尊(老子の神格化)、玉清元始天尊(最高神)、上清霊宝天尊(「道」を神格化)です(三清の場合)。

 

A huge change of Chinese religion occurred

The Buddhism was introduced into China in the first century, but was not accepted very much first.

It was because Buddhism was a religion of different ethnic groups, and had “a never-ending cycle of life and death” as a doctrine that opposed a view of life and death of Han people.

However, after about the 3rd century, the Chinese religion changed during war-torn era.

Confucianism that only preached the morality to government clerk declined, and Taoism became popular because of having preached perpetual youth and longevity, and disease recovery by prayer.

At the same time, some northern people that founded the many nations in the northern part of China adopted logical Buddhism.

 

Afterward, Buddhism and Taoism gained many believers along with competing each, and many dynasties made each a state religion or prohibited the religion.

Thus, Buddha statues had spread in first, and statues of Taoism were made by copying it.

 

On the next time, we look at the wonder of the religion behind the birth of statue of Taoism.

 

 

大きな信仰の変化が起きていた

紀元1世紀に仏教は伝わっていたが、当初、あまり受け入れられませんでした。

それは仏教が漢民族の死生観と対立する輪廻転生説と異民族の宗教だからでした。

ところが、後3世紀頃以降、三国時代(魏蜀呉)の戦乱とその後の異民族(北方騎馬民族)による戦乱が続くと、信仰に変化が起こりました。

官吏の道徳を説くだけの儒教は衰退し、祈祷による不老長寿や病気平癒を説く道教に人気が出て来ました(太平道、五斗米道)。

同時に、中国北部に幾多の国を興した北方民族(北魏など)は理路整然とした仏教を取り入れました。

 

その後、仏教と道教は競い合いながら信者を増やしていき、幾多の王朝がそれぞれを国教や禁教にしてきました。

このようにして、渡来した仏像が先行し普及し、それを真似て道教像も造られていきました。

 

次回は、神像誕生の背景にある信仰と宗教の不思議を見ます。

 

 

 

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Go around the world of Buddha statues 27: The beginning of God statue in China 5


仏像を巡って 27: 中国の神像の始まり 5

 

1

< 1.  Mogao Caves in Dunhuang is a Buddhist heritage in China. >

< 1.敦煌莫高窟、中国の仏教石窟 >

 

This time, we survey the situation that Buddha statue had been spreading in China.

今回は、中国で仏像が普及する様子を概観します。

 

 

The introduction of Buddhism

The introduction of Buddhism was unexpectedly early, and the 1st century A.D.

Before long, the troubled times of the Three Kingdoms period finished, toward about the 4th century, the predawn of Buddhism came.

From about this time, small Buddha statue for being portable began to be made.

 

 

仏教の伝来

中国に仏教が伝わったのは意外に早く、後漢時代(後1世紀)でした。

やがて騒乱の三国時代が終わり、後4世紀頃になると仏教が黎明期を迎えます。

この頃から携帯可能な小さな仏像が造られ始めました。

 

3 A-C 

< 2. these early Buddha statues were made before the Tang dynasty >

< 2. 初期の仏像、唐時代以前 >

 

A: this gilt bronze statue of Buddha was made in around central Asia in the first half of the 4th century.

This is the earliest Buddha statue of China.

 

B: a Bodhisattva statue of the early 5th century in Mogao Caves of Dunhuang.

The appearance is influenced by India or Iran.

Mogao Caves were dug for a training place of Buddhist during the 4th and 14th century.

 

C: a seated Buddha statue of the early 5th century in the Yungang Grottoes.

The nation of northern people that ruled the north China including Dunhuang engraved the largest statue on a rock like mountain by staking the national’s prestige.

The appearance is Mongolia-style.

 

A: 金銅菩薩立像、4世紀前半頃、中央アジアで製作か。

中国でもっとも古い金銅仏。

 

B: 弥勒菩薩交脚像、敦煌莫高窟第275窟、5世紀前半。

その容姿にはインドとイランの影響がある。

莫高窟(4~14世紀)は修行の場として掘られた。

 

C: 仏座像、雲崗石窟第20窟、5世紀中頃。

敦煌も含む中国北部を支配した北魏が国家の威信をかけてこの巨大な像を作った。その風貌はモンゴル系の容貌です。

 

 

5-G-I

< 3. Buddha statue of mature Chinese-style after the Tang dynasty >

< 3.成熟した中国風の仏像、唐時代以降 >

 

G: Buddha Statues of the 7th century.

 

H: this seating Buddha statue was made of wood in the 12th century.

The figure like a sexy woman is wonderful.

 

I: this large Buddha statue is only one of statues engraved on Longmen Caves in the 8th century.

Big Buddha of Nara in Japan was modeled after this statue.

 

Around this time, these statues became the figure with clothes, hairstyle, and posture of Chinese-style.

 

G: 十一面観音菩薩像、唐、7世紀。

 

H: 木造菩薩座像、金(中国北部の王朝)、12世紀末。

なまめかしい女性らしい姿が凄い。

 

I: 毘盧遮那仏、龍門石窟奉先寺洞、唐、8世紀。

日本の東大寺の大仏はこれを手本に72年後に作られた。

この頃になると、仏像は服装、髪型、姿勢が中国様式を取り入れた仏像になりました。

 

Summary

Until now, we looked at the change of Chinese Buddha statue, god statue, and human statue during 7000 years.

 

Much of human figures in the early stage were half beast and half man, shaman, mountain hermit or ancestor gods.

Around the beginning of the first century, it was considerably drawn like human being.

 

These were for individual purpose or religious faith such as an amulet of grave, a prayer of something, a prayer of eternal youth and immortality.

Until that time, people had not prayed to one statue that was placed in a shrine on the ground each day.

 

Outside Buddha statue, there weren’t all-around God having supernatural power and personal God that was expressed by a statue.

 

On the next time, we look at the situation that statue of noble character of Taoism was born suddenly in the Tang dynasty.

 

 

まとめ

これまで数回にわたり、中国の人物表現や神像、仏像の変遷の7000年間を見ました。

 

初期の人物図像の多くは半人半獣か、シャーマン、仙人、祖先神でした。

紀元前後になるとかなり人間らしく描かれた西王母などが現れました。

それらは墓の魔除けや祈祷、不老不死の祈願など、個別の目的や信仰の為のものでした。

まだ丸彫りの単独像を地上の祠に安置して日常的に礼拝するものではなかった。

 

仏像以外では、超自然の力を持つ万能の神、人格神を像で表現するにはまだ至っていなかった。

 

 

次回は、唐の時代に突如として道教の尊像が誕生する様子を追います。

 

 

 

 

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淡路島 国営海峡公園 10: 夏の日 1


1

< 1. 公園から大阪湾を望む >

その遙か向こうに生駒山と金剛山の山並みが見える。

 

今日は、7月14日、快晴に恵まれた公園の景色と花を紹介します。

青空と緑、海が素晴らしい輝きを放っていました。

 

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< 2. 「陽だまりの丘」 >

今を盛りに、赤やピンク、白のインパチェンスが咲いていました。

 

3空と海と庭園

< 3. 「移ろいの庭」 >

青空と照りつける太陽、紺碧の海と白い雲が緑の大地を包み込んでいる。

今は訪れる人も少なく、花々に華やかさはないが、清々しい夏のひととき、たぎる命を感じさせる。

 

 

4

< 4.園内で見つけた花々 >

真紅のノウゼンカズラが空に向かって咲いていました。

 

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< 5. 「せせらぎ橋」から山側を望む >

木々を覆っている橙色のノウゼンカズラが満開でした。

その青さに、私は一瞬、まるでせせらぎの底が抜けて青空が覗いているように思えた。

 

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< 6. 「大地の虹」から「ポプラの丘」を望む >

ポプラの丘に花は見えない。

しかし、池の右側では、たくさんのひまわりが開花を待って大きな葉を広げている。

手前には、花火鳥の尾の鮮やかな花々が見える。

 

だが、やはり寂しい。

今は人も花も少ない。

やがて春休みになると、子供連れの家族で賑わうことだろう。

 

 

 

 

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Go around the world of Buddha statues 26: The beginning of God statue in China 4


仏像を巡って 26: 中国の神像の始まり 4

 

 

1

< 1. a bronze mirror in a burial mound of the late of the 3rd century A.D. Kyoto >

< 1.三角縁神獣鏡、京都、3世紀末の古墳から出土 >

It is embossed with deities and sacred animals of Chinese image.

中国の神像と霊獣が浮き出されている。

 

This time, we look at the forerunner of god statue.

It happened during the beginning of the first century (the Han Dynasty) and the Tang Dynasty.

 

今回は、神像の前触れについて見ます。

それは紀元前後(漢の時代)から唐の時代に起こりました。

 

The forerunner of god statue

In ancient times, exquisite bronze wares were buried as burial goods in the grave of a person of power.

Before long, it was replaced with dead person’s belongings like bronze mirrors and the walls of picture-etched stones or terra-cotta figures.

And, various human images called gods by documents came to be expressed on these burial goods.

 

神像の前触れ

古くは、権力者の墓に精緻な青銅器(煮炊きや酒の器など)が副葬されていたが、やがて死者の身の回り品(銅鏡など)や画像石(壁画)、俑(土人形など)に替わっていきました。

やがてそれら副葬品に、文献で神と呼ばれる人物像(西王母など)が表現されるようになりました。

 

2n-q

< 2. a bronze mirror and picture-etched stones of grave’s walls >

< 2. 銅鏡と画像石 >

 

The bronze mirror for makeup had begun in around the 5th century B.C., before long it became an important tool of religious services and was buried in large amounts.

This picture-etched stone was line drawing carved on the wall of stone in underground grave, and it was made in large amounts in the era of the Later Han Dynasty.

We can see many figures of glamorous life in life, parade by horses and pedestrians, festival, auspicious image in the grave, and sacred animal, and immortal and supernatural being at the entrance and gate.

 

Fig. N, O: a bronze mirror of 19.6 cm in diameter in the middle of the Later Han Dynasty, the 2nd century A.D.

Simple patterns were described on the backside of the mirror at first, and such deities and sacred animals were described from the middle of the Later Han Dynasty.

These figures reflected the concepts of immortal and supernatural being, and symbolized the ideal of perpetual youth and longevity.

The backside of Fig. N is a mirror, and Fig. O shows the figure of Fig. N.

Two gods are located in the up and down in the center of the mirror, and other three gods are beside each god.

Blue dragon and white tiger of guardian deity are contraposed on central right and left.

 

After that, such mirror describing deities and sacred animals became filled with more many gods.

 

Fig. P: “Seiobo” of picture-etched stones in the 2nd century A.D.

“Seiobo”(The Queen Mother of the West)is a goddess who has a hair ornament on the head, and a god presiding over eternal youth and immortality.

 

Fig. Q: a picture-etched stone in the Han Dynasty

A Seiobo sitting on the dragon and tiger, 9 foxes, a crow with three feet and other animals are described in it.

 

 

銅鏡は戦国時代(前5世紀頃)から始まった化粧用の鏡だが、やがて祭祀の重要な道具となり、たくさん副葬された。

画像石とは、地下の墓室の壁面に線刻された画像のことで、後漢時代に多く造られた。

そこには生前の華やかな場面、車馬行列、饗宴などや、吉兆の図、儒教思想に基づく図、入口や門には神獣、神仙の図が描かれた。

 

図N、O: 神人龍虎画像鏡、青銅製、直径 19.6cm、後漢中期(後2世紀)。

多くの銅鏡の裏面には単純な模様が施されていたが、後漢中期からこのような神獣鏡が多く作られた。

これは神仙思想を反映し、不老長寿の理想を文様化したものです。

実物Nの裏が鏡面で、その浮き彫りを図示したものが図Oです。

中央上下に西王母、東王父が配され、それぞれ3人ずつの侍神が膝座している。

中央左右に青龍、白虎が対置されている。

 

後に、これらの神獣鏡(図N、O)はさらに多数の神々で埋め尽くされるようになった。

 

図P:西王母の画像石、後2世紀。

西王母は頭に髪飾りをいただいた女神で、崑崙山に住む半人半獣であり、不老不死をつかさどる神とされている。

 

図Q: 漢代の画像石。

龍と虎の上に座す西王母と九尾の狐、三足鳥と動物達が描かれている。

 

 

Development of the doll of burial goods

副葬品の人形の変化

 

3-D-F

< 3. Tang sancais made of clay for burial goods in the 7th-8th century A.D. >

< 3.唐三彩、粘土の素焼人形、副葬品、7―8世紀 >

Fig. D: The people of the Western Regions (west of Central Asia) are molded.

Fig. E: The beautiful woman at the time was plump.

Fig. F: A guardian beast was made with scary look for protecting the grave.

 

Using doll for burial goods was actively pursued from the soldier figures in the mausoleum of the first Qin Emperor.

In the Tang dynasty, colorful Tang sancais became popular.

Even if there is part deformed, it became considerably realistic.

People prayed for the happiness of the dead person, and the terrible beast was a protector against evil.

The statues buried with dead person were based on faith to the future life.

 

図D: 西域(中央アジア以西)の人々が造形されている。

図E: 女性像。当時の美人はふくよかであった。

図F: 鎮墓獣。墓を守る為に怖い形相をした人獣が造られた。

 

人形が副葬されるのは、秦の兵馬俑から盛んになったが、唐代になるとカラフルな唐三彩が普及した。

デフォルメされている箇所はあっても、かなり写実的になっています。

これらは死者の冥福を願い、また恐ろしい人獣の像により魔除けを願った。

死者と共に埋葬される像は、来世への信仰にもとづいていた。

 

Summary

Before long, the people came to express the burial goods with the human statue from the symbol of beast to respect a dead person.

However, it was intended to pray for tranquility of dead person, and for perpetual youth and immortality of earthly life.

Tang sancais, this statue was ordinary person, and never an all-around god.

 

It lacked a little something of the development for all-around God’s appearing.

This continues next time.

 

 

まとめ

やがて、人々は死者を敬う為に、供え物を獣の象徴から人間らしい図像で表現するようになった。

しかし、それは死者の安寧や現世の不老長寿を祈願する為のものであった。

唐三彩にしても、像は写実的な市井の人々であり、万能の神ではなかった。

 

万能の神が出現するには、今一歩の発展が必要だった。

次に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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New fables of Aesop 12: a rabbit and a mole


平成イソップ物語 12: ウサギとモグラ

 

1谷

  • * 1

 

Once upon a time, a rabbit and a mole lived in a valley.

Beautiful transparent crystals came out of the valley.

The rabbit and the mole gathered it and sold to villagers.

 

昔々、ある谷にウサギとモグラが住んでいました。

その谷からは美しい透明な水晶が採れました。

ウサギとモグラはこれを採って村人に売っていました。

 

 2ウサギ

  • * 2

 

Before long, the transparent crystals began to decrease and the crystals that impurities mingled with came to remain in plenty.

In this situation, the crystals to sell would have disappeared soon.

 

やがて透明な水晶は減っていき、不純物が混じった水晶が多く残りました。

このままでは売れる水晶が無くなってしまいます。

 

3水晶

  • * 3

 

One day the rabbit said to a villager.

“You will be able to see brilliant things in this crystal, and this is popular just now.”

Thus, the rabbit sold crystals more than ever.

 

On the other hand, the mole had sold only transparent crystals like always.

Because the numbers of sold crystals decreased, the mole’s living became hard.

 

 

ある日、ウサギが村人に言いました。

「この水晶の中にキラキラしたものが見えるでしょう。今、これが人気ですよ。」

こうしてウサギはこれまで以上にたくさん水晶を売りました。

 

一方、モグラは今まで通り透明な水晶だけを売っていました。

モグラは売れる数が減ってきたので暮らしは苦しくなるばかりでした。

 

4水晶悪い

  • * 4

 

Time passed, one day, a villager visited the rabbit.

” Rabbit! This crystal that you sold is imitations.”

The crystal that the rabbit sold came to include more impurities, so the transparency disappeared at last.

 

The mole said proudly to the villager.

“Only my crystal is genuine.”

The villager

” I do not need it, because I cannot trust the stone that came out of this valley.”

 

Then, all villagers never bought stones of this valley.

 

 

年月が経ったある日、村人がウサギのところにやって来ました。

「うさぎさん、あなたの売る水晶は偽物ですね。」

ウサギの売る水晶は混じり物が増え、ついに透明さが無くなっていたのです。

 

モグラがその村人に自慢げに声をかけました。

「私の水晶だけが本物ですよ。」

村人

「いらないよ。この谷で採れる石は信用出来ないからね。」

 

すべての村人はこの谷の石を買わなくなりました。

 

 

The rabbit

” I think Crystal that included impurities is not bad. This villagers have a hard head.”

 

The mole

“If I was right, I thought it would be enough. I was stupid”

They muttered in this way, and left this valley at last.

 

 

ウサギ

「水晶に不純物があっても良いではないか。村人は頭が固い。」

モグラ

「私は自分が正しければ良いと考えていた。私は馬鹿だった。」

こうつぶやいて、ついにウサギもモグラも谷を去りました。

 

 

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Go around the world of Buddha statues 25: The beginning of God statue in China 3


仏像を巡って 25: 中国の神像の始まり 3

 

1 兵馬俑

< 1. the soldier figures in the mausoleum of the first Qin Emperor in the 3rd century B.C.  >

< 1. 兵馬俑、秦の始皇帝陵墓、前3世紀   >

 

This time, we keep track of a change of human statues from prehistoric age to about the first century A.D.

Various feelings were included in these human statues.

 

今回は、先史時代から漢の時代(紀元前後)までの人物表現の変遷を追います。

これら人物表現には様々な想いが込められていました。

 

About the soldier figures in the mausoleum of the first Qin Emperor

The statue A of Fig. 1 that is one of 8000 statues became an epoch-making expression of the human statue in Chinese history.

The appearance of these statues is different each, it is very realistic and these heights are 1.8-2 m.

The burial goods (statue M of fig. 6) in the Imperial mausoleum of subsequent Han dynasty had many numbers, but looked inferior in small size.

But after that, many very expressive human statues started to be made.

 

Before that, human statues had been buried to grave of a lord, but it was rare and was very simple.

In the earlier years, humans and cattle were killed and buried.

 

 

秦の兵馬俑について

図1のA像は中国史上、人物像の画期となった兵馬俑8000体(武士像)の一つです。

この塑像群は、一体一体が風貌を異にし、身長は1.8~2mもあり、非常に写実的です。

これに続く漢王朝の陵墓の副葬品(図6のM像)は、数こそ多いが小型で見劣りするものでした。

しかし、後に表情豊かな人物像が作られるようになった。

 

これ以前も人物像が主君の墳墓に埋葬されたことがあったが、稀であり、簡素なものでした。

さらに古くは人間や家畜が殺されて殉葬されていました。

 

 

Let us keep track of a change of human statues

 人物表現の変遷をたどります

 

2地図2

< 2. the map indicating the excavation site of these fig. >

< 2.図像の出土位置を示す地図  >

 

 

3b-d

< 3. the earliest type of human images >

< 3. 最初期の人物表現 >

Fig. B: a bowl made of painted pottery of about 4500 B.C.

A fish image with a human head drawn inside it means a hope of descendant prosperity that is based on fish laying a lot of eggs.

 

Fig. C: a human statue made of stone with a height of 8.6 cm in about 4500 B.C.

This is a burial good, and seems to be Sherman by the clothes and the style, and had been sewed on a clothing of a religious leader.

 

Fig. D: a nude statue in 4000-3000 B.C.

This clay figure is suggestive of Venus.

This type made of stone was excavated here from about 6000 B.C., and was the earliest nude statue in China.

 

図B:人面魚文彩陶盆、仰韶文化半坡遺跡、紀元前4500年頃。

人面魚文は魚がたくさん卵を生むことにあやかって子孫繁栄を願って描かれた。

 

図C:玉人、玉製、高さ8.6cm、安徽省含山県凌家灘遺跡、紀元前3500年頃。

これは副葬品で、シャーマンを想わせる服装と姿勢をしており、宗教指導者の衣類に縫い付けられていたらしい。

 

図D:裸婦像、紅山文化、紀元前4000~3000年頃。

これは氷河期のビーナス像を連想させる妊婦の土偶です。

この地域で、紀元前6000年頃から石製の裸婦像が出土しており、中国では最初期のものです。

 

 

4e-g

< 4. three figures of stone or bronze >

< 4. 玉と青銅器の図像 >

Fig. E: a ritual implement made of stone in about 3100 B.C.

This was a bracelet of priest at first, and after that, came to play a central role in rituals as implement.

Some animal heads have been engraved on the surface.

In animal heads of the lower side, the eyes and mouth are very clear.

 

図E:玉琮、玉製、良渚文化、紀元前3100年頃。

玉琮は初め司祭の腕輪だったが、祭祀の置物として中心的役割を果たすようになった。

その表面に神人獣面文が施されている。

下段の獣面は目と口が明瞭です。

 

Fig. F: a bronze ware in 1300-1050 B.C.

This bronze ware had been for boiling, but was for rituals and a burial good of the upper class.

Such animal heads often were engraved on this type of wares.

Its figure consists of a central nose, symmetrical big eyes, ears like nail expanding outward, great horns bending overhead, and a greatly below opened mouth.

It seems to have been a charm against evil.

 

Fig. G: a bronze ware originally used for serving wine of 1300-1050 B.C.

Dragons and animals are engraved on the surface of the tiger figure, and it is holding a human being.

In those days, the people thought that the power of animals was necessary for the contact between people and sky, ground, and divine spirit.

 

図F:劉鼎、青銅器。殷後期(紀元前1300~1050年頃)。

この器は煮炊き用だが、これら青銅器は祭祀用であり上層階級の副葬品でした。

この手の器には獣面文がよく描かれている。

それは真ん中に鼻、左右対象に大きな眼、外側に広がり爪状になった耳、頭上に大きく曲がった角、下には大きく開いた口からなる。

これは魔除けの意味があったと考えられる。

 

図G:食人虎卣、青銅器。殷後期。

これは祭器用の酒器で、虎の表面には龍や獣面文が描かれ、人間を抱えている。

当時、人々は天と地、神霊や死霊との交流には動物の力が必要だと考えたようだ。

 

5 三星堆

< 5. statues made of bonze in 2000-1000 B.C. >

< 5. 三星堆遺跡の青銅像、四川省、紀元前2000~1000年 >

There were not such human statures, mask and head in other cultures of the same era.

The face was strongly emphasized such as these eyes, ears and mouth.

The people buried these figures in the underground for worshipping ancestor God.

 

Fig. H: a shaman statue with a height 1.8 m.

 

この遺跡の人頭像や仮面、立人像は、同時期の夏と殷の文化には無いものです。

その人面は目や耳、口などが非常にデフォルメされており、仮面では目が棒状で飛び出したものもある。

人々は祖先神を祀る為にこのような像や仮面を造り地中に埋めた。

 

図H: シャーマン像、人像高1.8m、祭祀と関係した特徴的な手をしている。

 

6k-m

< 6. two statues with wing and a clay dolls  >

< 6. 羽人と俑  >

Fig. K: the statue with wing made of wood has been buried in a grave of 4th century B.C.

The statue stands on a bird on a beast.

The upper body is a naked human, the mouth is a bill, and the lower body is a bird.

These statues with wing showed mountain hermit in old books.

 

Fig. L: a statue with wing made of bronze of from 202 B.C. to 8 century A.D.

 

Fig. M: a woman statue made of painted pottery in the 2nd century B.C.

This is one of the things that were buried in large quantities in the mausoleum of a Han emperor.

 

図K: 羽人、木製漆仕上げ、湖北省荊州市、戦国時代の楚の墓、紀元前4世紀。

羽人は獣形の台座の鳥の上に立っている。

上半身は裸の人間だが、口は嘴で、下半身は鳥の姿をしている。

羽人は戦国時代の神話と地誌の書「山海経」に書かれており、仙人を示した。

 

図L: 羽人、青銅製、陕西省西安出土、前漢時代(前202~後8年)。

 

図M: 彩色女俑、高さ63cm、漢陽陵考古陳列館蔵、前漢時代(前2世紀)。

これは漢の皇帝の陵墓に大量に陪葬されていたものの一つ。

 

Development of human statue

In ancient times, people emphasized the superior characteristic that people were in awe of animal at, and made the statues.

The statues like human had been buried almost always.

This was for using after the death of their load, and for respecting an ancestral spirits.

 

The most important thing is the people did not express the object of their belief as realistic human image, even as people probably had the arts of realistic expression in those days.

 

On the next times, we look at the forerunner of god statue.

 

 

 

人物像の発展

古くは、動物の優れた特徴や畏敬の対象を強調して像を作った。

人間らしい像の多くは埋葬されていたもので、主君の死後に役立つ為か、祖先の霊を敬う為に造ったようです。

 

重要なことは、当時、人々はおそらく写実的な表現力を持ちながら、信仰の対象を写実的な人間として表現していないことです。

 

次回は、神像の前触れについて見ます。

 

 

 

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Go around the world of Buddha statues 24: The beginning of God statue in China 2


仏像を巡って 24: 中国の神像の始まり 2

 

1

< 1. a Chinese dragon in Forbidden City  >

< 1. 中国紫禁城の龍   >

 

This time, we easily see how Chinese myth was born.

God statue is born from the myth, but the converse is not true.

 

今回は、中国の神話が誕生する様子を簡単に見ます。

神像は神話から生まれのであって、その逆はありません。

 

 

2神々

< 2. main gods >

< 2. 主要な神々 >

 

Preface

Chinese gods existed innumerably, and after that, these are systematized by Taoism.

I introduce representative gods.

 

Fig. A: Two gods together created the heaven and the earth.

The female god “ Nüwa“ and the male god “ Fu Hsi “ are expressed as a couple having the shape of a snake and a human head.

Fig. B: “ Fu Hsi “ is expressed alone and is assumed to be the founder of Chinese people.

Fig. C: “ Yellow Emperor” was mentioned in the history of medical art, and is assumed to be the first emperor and the founder of Taoism.

 

 

はじめに

中国の神々は無数に存在し、後に道教によって体系化されていきます。

ここでは代表的な神々を紹介します。

 

図A: 天地開闢の神で、人類創造の女神「女媧」と帝王の男神「伏羲」が同じ蛇身人首の夫婦で表されている。

図B: 単独で描かれた「伏羲」で、中華民族人民の始祖とされています。

図C: 医術の歴史にも出てきた「黄帝」で、最初の帝(架空)にあたり、道家の始祖とされる。

 

A broad stream of the birth of Chinese myth

Many Chinese prehistory cultures were born in a square plain with a side length of 2000 km.

The peoples that created these had peculiar culture and myth, but moved to remote places or deep mountains as Han people became dominant before long.

These peoples didn’t have writing system, and the myth had been handed down orally.

Thus the myths disperse and remained.

Today, 55 kinds of peoples exist.

 

神話生成のおおまかな流れ

中国の先史文化は一辺2000kmの中国の平原に数多く誕生しました。

前回、概説しました。

それを担った様々な民族は、それぞれ独自の文化と神話を持っていましたが、やがて漢民族が優勢になるにつれて、彼らは僻地や奥深い山へと移り住むようになりました。

これらの民族の多くは文字を持たず、神話を口頭伝承しました。

こうして神話は分散して残ることになりました。

現在、55の少数民族が存在し、最大のチワン族の人口は1600万人です。

 

3

< 3. various peoples in China >

< 3. 中国の多様な民族 >

 

4

< 4. mythical animals and gods in “Shan Hai Jing”  >

< 4. 山海経に出てくる伝説上の動物や神々 >

 

Shan Hai Jing is the oldest geographical document, and was written from the 4th century B.C.

In this book, geography and products, animals and plants of the whole land of China were described, but there were many fantastic things.

 

Han people that had initially had writing system began mythical systematization in the middle of first millennium B.C.

For example, Confucius wrote the sacred books (the Nine Chinese Classics) for preaching his teaching with quoting mythical kings and emperors of more than 2000 years ago.

 

And Sima Qian wrote a Chinese history book “Shiki” in the first century B.C.

He described in it that older dynasties began by Yellow Emperor.

They used the myth to give authority to their own opinion and the dynasty.

 

However, Chinese myth is not systematized in comparison with other civilization.

Basically, many dynasties didn’t regard a pedigree of god as important as much as other civilization, because people gave priority to this world life and politics.

And they never have ignored.

In the words of Confucius, a view of Chinese religion shows well.

There was this sentence in the Analects.

” Person concentrates on own task and must respect god, but doesn’t depend on god. This was proper attitude as an intellect.”

This was a posture of the thinker on behalf of China.

 

In addition, in the large country, innumerable myths have been already handed down.

Therefore, the mythical systematization did not advance even if the national unification was finished.

After all, Chinese people took in a large number of gods and myths as necessary, and it kept increasing.

 

On the next time, we keep track of a change of human statues from prehistoric age to about the first century A.D.

 

 

山海経は中国最古の地誌で、紀元前4世紀頃から書かれ始めた。

中国全土の地理や産物、動植物が記述されているが、空想的なものが多い。

 

いち早く文字を持った漢民族は、紀元前1千年紀中頃には神話の体系化を始めました。

例えば孔子は、さらに約2千年も遡る伝説の王や帝である、禹・黄帝・堯・舜などを引用して教えを説き、経典(四書五経)を遺しています。

 

また漢の司馬遷は歴史書「史記」(紀元前1世紀)に、黄帝より五帝を経て夏、殷、周の各王朝が始まったと記した(夏以降が実在)。

彼らは自説や王朝に権威を付与する為に神話を利用した。

 

しかし、他の文明に比べ、中国の神話は体系化されていません。

元来、中国の人々は現世・政治優先であり、多くの王朝は他の文明ほどには神の家系であることを重視しませんでした。

もっとも無視もしませんでしたが。

孔子の言葉に中国人の宗教観がよく現れています。

「民の義に努め、鬼神を敬いて之に遠ざかる、知というべし」

論語にこう書かれており、その意味は下記のようになります。

「人としてなすべきことに専念し、神を尊敬しながらも、これから遠ざかるのが、知者にふさわしい態度である」

これが中国を代表する思想家の姿勢だったのです。

 

また広い国土には、すでに無数の神話が語り継がれていました。

したがって、国家統一が成されても神話の体系化は進まなかった。

結局、中国では数多くの神々と神話を必要に応じて取り込み、増えるばかりだった。

 

 

次回は、先史時代から紀元前後までの人物表現の変遷を追います。

 

 

 

 

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Go around the world of Buddha statues 23: The beginning of God statue in China 1


仏像を巡って 23: 中国の神像の始まり 1

 

1茅山、道観

< 1. a sacred place of Taoism in Nanjing   >

< 1.道教の聖地茅山、江蘇省(南京)   >

 

From now on, in seven times, we see how Chinese god statue was born.

There had been rich myth in China, Taoism was connected to foreign Buddhism and the statue took shape before long.

There is certain universal and mysterious relation between human being and religions in it.

We look through about 10,000 years from prehistoric times to the 7th century.

This time, I introduce the birth of Chinese civilization simply.

 

今回から7回に分けて、中国の神像がどのように誕生したかを見ます。

中国の豊かな神話と、さらに外来の仏教が道教と交わり、像はやがて形となっていった。

そこには人間と宗教の普遍的で不思議な関わりがあります。

先史時代から7世紀の唐の時代まで約1万年を駆け抜けます。

今回は、中国文明の誕生を簡単に見ます。

 

 2発展

< 2. Things that Chinese ancient civilization created >

< 2.中国古代文明が生み出したもの >b.

A left fig.: a bronze ware of Yin dynasty in the later half of the 2nd millennium B.C.

A central fig.: founder Confucius of Confucianism in the 6th century B.C.

A right fig.: a soldier figures in the mausoleum of the first Qin Emperor in the 3rd century B.C.

 

左図:殷の時代の青銅器。紀元前2千年紀後半。

中央:儒教の創始者孔子。紀元前6世紀。

右図:秦の始皇帝の兵馬俑。紀元前3世紀。

 

Preface

Chinese person statue also began from Venus or clay dolls on an equality with the other world.

Chinese god statues were born before long, but the way is so long.

 

In Chinese religion, Confucianism, Taoism, and Buddhism played an important part.

Buddhism is a foreign religion from India, and Confucianism began in a sacred book of the morality that Confucius advocated in the sixth century B.C.

But Taoism is a religion that was born with gathering together the shamanism and thoughts of an immortality and supernatural being in various Chinese regions.

Therefore, very many myths were mixed in Taoism, and a large number of gods are included in it.

 

 

はじめに

中国の人物像も、他の世界と同様にビーナス像(裸婦像)や土偶から始まりました。

やがて中国独自の神像が道教から生まれますが、その道程は長い。

 

中国の宗教では儒教や仏教、道教が大きな役割を果たしました。

仏教は外来の宗教で、儒教は紀元前6世紀に孔子が唱えた道徳の経典に始まります。

しかし道教は、各地の中国古来の巫術と神仙思想が徐々にまとまり出来た宗教です。

従って道教には非常に数多くの神話が混じり、多数の神々が含まれています。

 

3地図

< Map 3. this map shows the areas from Neolithic cultures to early dynasties during 5000 – 1000 B.C. >

< 3. 新石器文化から初期王朝の地図、BC5000~BC1000頃 >

 

The development of early Chinese civilization

A rice harvest culture began in the midstream of the Yangtze River in about 10000 B.C., and the agriculture and the earthenware making went north along with spreading all over.

On the other hand, foreign cultures came in from north side at first, and after that, from northwest side.

The former means mainly the northward of Beijing, and stone dolls like Venus of the glacial epoch appeared first in about 7000 B.C., and it was expanding southward.

After that, China suffered the invasion of the northern peoples many times.

The latter means the westward of Xian, and western civilization came via central Asia.

The vestige became clear about first millennium B.C.

After that, the area played an important part as the trade route Silk Road.

 

中国文明が誕生する大まかな経緯

稲作文化は長江中流域で紀元前1万年頃から始まり、農耕や土器作りは各地に広まりながら北上した。

一方、外来文化は最初に北方、次いで北西から、二つのルートで流入した。

前者は主に北京の北方を指し、氷河期のビーナス像に似た石の像が紀元前7000年頃に最初に出現し、広がりながら南下した。

この後、中国は幾たびも北方民族の侵攻を受けました。

後者は西安の西方を指し、中央アジア経由で西方文明が流入し、その痕跡は紀元前1千年紀には明瞭になります。

この後、ここは交易路シルクロードとして重要な役割を果たします。

 

4夏王朝

< Map 4. Xia was first dynasty in Chain and is shown with a bitter orange color  >

< 4. 中国最初の王朝「夏」の誕生、橙色が「夏」の領域 >

 

Chinese early dynasties were born in the midstream of the Yellow River due to the movement of the three cultures and peoples mentioned above.

At first, Xia dynasty was born in second millennium B.C., and following this, all dynasties till Han dynasty put a stronghold in this area.

The people who had lived in this area (a bitter orange color part of Map 4) professed to be Han Chinese later.

 

 

中国最古の王朝は、上記の三つの文化と民族の動きを受けて黄河中下流域に誕生しました。

最初の「夏」が紀元前2000年頃に誕生し、それ以降、「殷」「周」「秦」「漢」まですべてこの地域に本拠地を置き、興亡を繰り返した。

この地域を中原と呼び(地図4の橙色部分)、この地に住んでいた人々が後に漢民族と自称するようになった。

 

 

5漢

< Map 5. the area of Han dynasty >

< 5. 漢の領域、ブログ「地球人の歴史」より借用 >

A red line shows the first ambit, and a yellow line shows the max ambit, during 202 B.C. and 220 A.D.

 

Thus Chinese civilization was born and expanded.

On the next time, we look at the myth in China.

 

赤線は漢の初期、黄線は最大領域を示す。紀元前202年~紀元後220年。

 

こうして中国文明が誕生し拡大していきました。

次回は、この文明と並行して誕生した神話を見ます。

 

 

 

 

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Taking a picture of nature 7: bird 4


自然を撮る 7: 鳥 4

 

1

< 1.November, 11月撮影 >

I tighten my skin when I hold my chest out. Let go strong today, too.

胸をはると身が引き締まるぞ、今日も元気で行こう。

 

Following the last time, I introduce photos of birds offered by acquaintance.

前回に続いて、提供された鳥の写真を紹介します。

 

2

< 2.June, 6月撮影 >

These mushrooms don’t look good on me. I only eat insects.

俺にキノコは似合わないぜ、虫一筋だ。

 

3

< 3. May, 5月撮影 >

In the height of spring, but I am lonely.

春真っ盛りなのに、わびしいな・・・。

 

4

< 4. April, 4月撮影 >

The season for loving has come. I am singing very loudly.

恋の季節だ! 思い切りさえずるぞ。

 

5

< 5.November, 11月撮影 >

Ooh! There is not my place to stay here.

鵜ヒャー! 俺の居場所が無いぞ!

 

 

 

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New fables of Aesop 11: White snakes and black snakes


平成イソップ物語 11: 白蛇と黒蛇

 

1

  • * 1

 

Once upon a time, white snakes and black snakes had lived in grassland.

White snakes hadn’t poison, but black snakes had it.

 

昔々、ある草原に白蛇と黒蛇が住んでいました。

白蛇には毒がありませんが黒蛇は毒を持っていました。

 

2

  • * 2

 

White snakes once gathered and talked.

“ If we have poisonous fang, we also become stronger”

“ We need to get poisonous fang”

 

They went in front of God.

“ God! We want to get poisonous fang”

 

God answered.

“ I can fulfill your wish, but you surely will regret. Therefore you should wait”

Some white snakes that didn’t assent to it transformed oneself into black color by sinking their body’s into tar pond.

 

ある時、白蛇達は集まって相談しました。

「毒牙があれば我々も強くなれるぞ!」

「我々も毒牙が必要だ!」

 

皆は神様の所に行きました。

「神様、我々にも毒牙を下さい」

 

神様は答えました。

「皆の望みを叶えても良いが、きっと後悔することになるから、待っていなさい」

 

納得できない白蛇達は、タールの池に体を浸け、真っ黒に変身しました。

「これで我々も身を守れるぞ!」

 

3

  • * 3

 

A few years later, human beings came to this grassland.

 

The snakes that transformed oneself into black color became panic.

“Human beings randomly kill black snakes having poisonous fang”

“If this goes on, we also are killed”

“We hastily must take off our black hide”

 

それから月日が流れ、人間達が草原にやって来ました。

 

黒く変身した白蛇達は慌てました。

「人間達は、毒牙を持った黒蛇を手当たり次第に殺しているぞ!」

「このままじゃ我々も殺されるぞ!」

「皆、黒くなった皮を早く脱ごう!」

 

4

< 4. Molting, 脱皮 >

 

All black snakes were dead, and white snakes that couldn’t take off the black hide in time also were dead.

 

A surviving white snake murmured.

“What does protect us?   We can’t know the answer unless we look at the future as long as possible”

 

 

黒蛇は皆、殺されてしまい、黒い皮を脱ぐのが間に合わなかった白蛇も殺されてしまいました。

 

生き残った白蛇がつぶやきました。

「何が身を守るかは、先の先まで読まないとわからないね」

 

 

 

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Taking a picture of nature 6: a summer of a plateau area


 

自然を撮る 6: 高原の夏

1

< 1. Yashimagahara swamp of Nagano prefecture in September >

< 1. 長野県八島湿原9月 >

 

I introduce some photos that an acquaintance offered.

Today’s photos are plateau areas in summer.

 

知人が提供してくれた写真を紹介します。

今日は、夏が訪れた日本の高原を紹介します。

2

< 2. Kurumayama plateau in June >

< 2. 車山高原6月 >

 

We can see the Japan Alps that wears remaining snow beyond the highland that is covered with a carpet of azalea blooms.

 

ツツジが一面に咲く高原の向こうに残雪を頂いたアルプスが見えます。

 

3

< 3. Kurumayama plateau in July >

< 3. 車山高原7月 >

 

The morning sun begins to bring the heat of summer before long on the highland.

 

やがて朝陽が高原に夏の熱気をもたらし始めます。

 

 

 

4

< 4. Kurumayama plateau in July >

< 4. 車山高原7月 >

 

Will the overflowing sunlight reach this green slope sometime?

 

溢れんばかりの陽光が、この緑の斜面に届くのだろうか。

 

 

5

< 5. Chino city in August >

< 5. 茅野市8月>

 

If there is a white horse in this grove, this is just like a certain picture of Kaii Higashiyama.

Indeed, it is scenery of Japan and an ink painting of sickly green color.

 

この木立の間に白馬が写っていたら、まるで東山魁夷の絵「緑響く」の世界です。

いかにも日本の風景、淡い水墨画の趣があります。

 

6

< 6. Yamanashi prefecture in August >

< 6. 山梨県北社市8月 >

 

A flow of deep mountains and dark valleys flows down at a breath in midsummer.

 

夏の盛りを一気に駆け下る深山幽谷の流れ。

 

 

 

 

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ピケティの資本論 30: あとがき


  1 ピケティ

*1

 

今回は、この連載を終えるにあたり、気になることを記します。

どうも長い間、お付き合い頂きありがとうございました。

 

 

 

2

< グラフ2.ピケティの「21世紀の資本」より >

 

このグラフに日本が選択を誤った背景が見えます。

グラフ中の赤枠(1900~1930年)と黄枠(1930年~)を見てください。

地域間で経済力の逆転が生じています。

 

かつて、日本が大陸進出を始め、米国との戦争を意識し出したのは1900年から1920年代にかけてでした。

当時、欧州が世界をリードしており、米国が強大になりつつあることを認識する人は少なかった。

しかし、両者の経済力は着実に逆転しつつありました。

 

1930年代、独裁者ヒトラー率いるドイツは隣国を侵略し始め、勢いは増すばかりでした。

こうして日本は米国を牽制する為に、快進撃を続けるドイツと軍事同盟(集団自衛)を結びました。

この結果は、皆さんご存じの通りです。

 

 

同じグラフ2の別の赤枠(1980~2010年)を見て下さい。

アジアとアメリカで同様の逆転が起きています。

同じ轍を踏む心配はないでしょうか。

 

 

日本で起きていること

最近、北朝鮮が潜水艦からのミサイル発射に成功させた報道がありました。

以前「私達の戦争 44」で指摘しましたが、日本海や太平洋からミサイル攻撃があると、日本のミサイル防衛はたちまち役に立たなくなります。

これは米ソの核開発競争でも実際に起きたことです。

これを受けて米ソは敵視しながらも話し合い、膨大な核開発競争へと移行しなければならなかったのです。

歴史は繰り返しているのです。

今回は北朝鮮の偽装かも知れませんが、いずれ現実になるでしょう。

 

人は見たくないものは見えないが、恐怖に駆られると見えないものが見えるようです。

 

 

現在、日本の国政選挙で一票の格差が問題になっています。

1996年に、全国の選挙区の最大格差は6.6倍がありました。

ある選挙区の人の意向は、他の7分の一の価値しかないのです。

これがどのぐらいまで是正されれば、私たちは平等と言えるのでしょうか?

最大3倍以下、2倍以下、それとも1.1倍以下でしょうか?

 

それでは経済格差はどのくらいが許容範囲でしょうか?

10000000倍、10000倍以下、それとも100倍以下でしょうか?

 

経済格差は伝染病のようなものです。

伝染病の蔓延を放置していると取り返しのつかないことになります。

富が権力と癒着し社会が疲弊し、やがて崩壊に至る例は歴史に繰り返されています。

私たちは未来の為に、拡大を防止し、その根(病原菌)を押さえ込む必要があります。

 

 

皆さんも、ピケティの「21世紀の資本」をお読みになることをお奨めします。

 

歴史を学び、現実を直視すれば、大きく未来を踏み外すことはないでしょう。

 

どうも御拝読ありがとうございました。

 

 

 

 

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Capital of Piketty 29: things learned from the book“Capital in Twenty-First Century” 


ピケティの資本論 29: 著書「21世紀の資本」から学んだこと

 

 名称未設定-1 

< graph 1. by “Capital in Twenty-First Century” >

< グラフ1.ピケティの「21世紀の資本」より >

 

This time, I sum up the book “Capital in Twenty-First Century”

著書「21世紀の資本」から学んだことをまとめます。

 

Preface

First I intended to write same introductions before I comment on a Piketty’s book “Capital in Twenty-First Century”

But I touched main disputes of Piketty much, so I will finish this serialization next time.

 

はじめに

私は最初、ピケティの著書「21世紀の資本」を解説する前に、少し入門編を書くつもりでした。

しかしピケティの論点に多く触れることになりましたので、この連載は終わります。

 

Things that I learned from this book

 

A: the mechanism of current expanding disparity.

The profit-earning ratio (4-5%) of a capital exceeds the growth rate (= economic growth rate 1-2%) of labor income, and the proportion of a capital (estate) in national capital keeps increasing.

 

Population continuing to decrease will ensure low growth in future.

The profit-earning ratio of a capital rises by mass money supply (monetary easing), but the decrease does not occur almost.

These two phenomenons have happened practically, but may not have been proved.

Furthermore, the concentrating assets gain additional acceleration more and more without being spent.

 

 

私が著書から学んだこと

 

A: 現在の格差拡大のメカニズム。

資本の収益率(4~5%)が労働所得の成長率(=経済成長率1~2%)を凌ぎ、国富に占める資本(遺産も)の割合は増え続ける。

 

今後も続く人口減が低成長を確実にする。

また資本の収益率は、大量の貨幣供給(金融緩和)により上がりこそすれ低下することはない。

この2点は現実に起こっているが、立証されていないかもしれない。

さらに集中する資産は、消費されずに益々増大に加速度がつく。

 

B: Much in national capital tends to concentrate on certain wealthy class and be increased.

 

By the factor mentioned in above and the increase of arbitrary high income, like the graph 1, the share of top 10% owns 63-72% of the total wealth in Europe and America and continue rising.

 

And also world wealth tends to concentrate on only very few wealthy class.

This is reality of the disparity, and the mechanism permeates among the world.

 

 

B: 国富の多くは一部の富裕層に集中し増加傾向にある。

A項で説明した要因と、恣意的な高額所得の増大により、グラフ1のごとく欧米において上位10%が国富の63~72%を所有しており、上昇し続けている。

 

そして世界の富もごく少数の富裕層に集中する傾向にある。

これが格差の現実であり、そのメカニズムは世界に浸透している。

 

C: There is certain time when the disparity reduced.

Like graph 1, it was during 1910 and 1970.

This was affected by the War and the high economic growth, but the enforcement of certain progressive income tax was effective most.

In other words, Britain and the United States carried out the innovative policy, played a leading role in the world, and a lot of country of the world followed it.

Right, it was a reverse pattern in the present.

 

 

C: 格差が縮小した時期がある。

グラフ1のごとく、1910から1970年の間。

これは戦争、高度経済成長の影響もあるが、累進所得税の施行が効いた。

つまり、英米が率先して革新的な政策を実施し、かつ世界各国がそれに準じたのです。

まさに、今の逆パターンでした。

 

名称未設定-2

< graph 2. by “Capital in Twenty-First Century” >

< グラフ2.ピケティの「21世紀の資本」より >

 

D: The national capital of the developed country became 4 – 6 times of GDP, and tends to expand more.

In during this half a century, the home equity of the Britain, the United States and France came to occupy 40-60% of the nation capital, and the people became rich more.

But the higher income class is, the lower a ratio of their home equity will become.

 

If there is such a large wealth, it isn’t necessary to postpone canceling our financial deficit.

In other words, the government collects a property tax from wealthy class, stops to an indirect tax that directly hits lower-income class, and the deficit and disparity are canceled.

 

 

D: 先進国の国民資産がGDPの4~6倍になり、拡大傾向にある。

ここ半世紀、英米仏の住宅資産が国民資本の40~60%を占めるようになり、国民は豊かになった。

ただ、最上位所得層ほど住宅資産の割合は少ないだろう。

 

これだけの富があるなら、財政赤字解消を先送りにする必要はない。

つまり、低所得層を直撃する間接税ではなく、富裕層から資産税を徴収すれば、赤字も格差拡大も防げる。

 

 

E: I could have self-confidence for talking on this disparity.

In past days, I had a little doubt that the person that represented the disparity might have prejudice.

However, I enriched my understanding about the disparity by knowing the political background and the historical change of the wage, a capital and the disparity.

 

On the next time, I write miscellaneous thoughts and this serialization is the last.

 

 

E: 私は格差について論ずる自信が持てた。

以前は、格差を指摘する側にも偏向があるのではないかと半信半疑であった。

しかし格差、資本、賃金の歴史的な推移と政治的な背景を知って理解が深まった。

 

 

次回、雑感を書き、最後とします。

 

 

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Capital of Piketty 28: we go beyond globalization 3


1

ピケティの資本論 28: グローバル化を越えて 3

 

  • * 1

 

Last time, we saw that the globalization was in a natural way, and then the reaction of the globalization was easy to occur and was a dangerous incident.

What should we do?

 

 

前回、グローバル化は自然の流れであり、かつグローバル化の反動は起こり易く危険であることも見ました。

私達はどうすれば良いのでしょうか?

 

Preface

According to a Greek myth, Prometheus God stole a fire from the sky, and gave human beings.

Is this fire bringing human beings benefit or evil?

In the same way, a question “Is the globalization an enemy or a friend?” is meaningless.

 

はじめに

ギリシャ神話によると、プロメテウス神は天上の火を盗み人間に与えた。

この火は人間に恩恵と弊害、どちらをもたらしたのでしょうか?

これと同様に質問「グローバル化は敵か味方か?」も無意味です。

 

2

< 2. this result of tax increase and a reduction of taxes >

< 2. ?減税と?増税の結果 >

 

The root of the evil of an ongoing globalization now

As we already saw in this series, the disparity progressing on Japan and the world is more like the action behind the scenes of multinational enterprise and Hedge funds.

 

We will simply look at a movement of the current world economy.

The Japanese industrialist and worker raised the export power desperately.

The economic force improved before long and it caused the strong yen, and the export industry began to suffer from steep rise in sales price.

Explanatory note 1

As for this, the competition country also is the same.

 

Then some countries began to use prohibited strategy.

But it isn’t an illegal act yet.

It is a merger of big banks or huge company, a large reduction of taxes, a wage restrain, a deregulation of pollution control, and a currency manipulation, for the purpose of carrying out for industrial competitiveness reinforcement.

These countries began to do a cheap economic boost in parallel with it.

It was a public work project once, but right now, it became an enormous currency circulation being spread in the world.

The economical corruptness is spreading by combining with these.

Most of these techniques are advantageous to larger country.

 

This corruptness spread so that bad money drives out good money while each country has been exposed to competition before anyone knows.

 

 

現在起こっているグローバル化の弊害の根にあるもの

この連載で既に見た世界や日本で起きている格差の拡大と第26話のヘッジ・ファンドや多国籍企業の暗躍との間には通じるものがあります。

 

今の世界経済の動きを簡単に見てみましょう。

日本の企業家と労働者は必死になって輸出力を高めました。

やがて経済力が向上し円高になり輸出産業は販売価格の急騰に苦しみ始めます。

注釈1

これは競争相手国も同じです。

 

すると何処かの国が、禁じ手を使い始めます(まだ違法行為ではありません)。

それは産業の競争力強化の為に行われた大銀行や巨大企業への合併、大減税、賃金抑制、公害防止の規制緩和、為替操作などです。

これと並行して国は安直な景気浮揚策にも手を染めて行きます。

一昔前までは公共事業(土建工事)でしたが、現在は世界を駆けめぐる膨大な通貨発行(信用創造)です。

これらが相俟って、経済的な悪弊が広がっている。

これらの手法の多くは大国にとって有利です。

 

いつの間にか各国が競争に曝される中で、悪貨が良貨を駆逐するように、悪弊が広がっていったのです。

 

 

Then what should we do?

There is only one answer.

The world must obey minimum positive criterion along with doing free competition.

Europe and America could do it till the 1970s once, but it became impossible now in one country.

Piketty assumes that it is necessary the world enforce a progressive tax to property in cooperation without the omission to prevent disparity.

 

 

それではどうすれば良いのでしょうか?

上記への対策は一つしかありません。

 

世界が自由競争を行いながら最小限度の規範を守ることです。

これを1970年代までは欧米先進国で出来ていたのですが、現在は一国内では不可能になりました。

ピケティは格差を防止するために資産への累進課税を、抜けがないように世界が協力して行うことが必要だとしています。

 

3

  • * 3

 

Can the world cooperate?

We will look back to history a little.

 

There is a strange text in Code of Hammurabi of the 2nd millennium B.C.

“A merchant had purchased a slave in foreign country and returned to his home. After that, an original owner of the slave appeared. Then if it is true, he must release the slave in the case of a fellow countryman.”

The detail is unclear, but it may be a first law of recognizing the right of person being out of the domain at least.

 

There also is the text of the law of recognizing the right of person being out of the domain in “Roman law” and “Lex rhodia de jactu ” of about the first century A.D.

“You should help person of wrecked ship and return the owner the cargo”

It was really a problem discussed from ancient Greece era even if there was plunder.

There was a purpose of promoting the trade with other countries by keeping the security of the voyage and fairness of the business.

 

In other words, even ancient society disciplined oneself, and planned developing together with other countries.

There is not a reason that we cannot so today, but wisdom for it is necessary.

 

Next time, I plan the last article.

 

 

世界は協力することが可能だろうか?

少し歴史を振り返ってみましょう。

 

紀元前2千年紀のハムラビ法典に、奇妙な法文がありました。

「商人が外国で奴隷を購入し帰国した際、その奴隷の元の所有者が現れ、それが事実であれば、同国人の場合は開放しなければならない。」

詳細は不明ですが、少なくとも領域外の人の権利を認めている初出の法律かもしれません。

 

紀元1世紀頃の「ロード海法」、後の「ローマ法」にも、領域外の権利を認めた法文があります。

「難破船の人を救助し、積み荷を持ち主に返却すべき」

実際には略奪があったでしょうが、古代ギリシャ時代から議論されていた問題です。

そこには取引の公正や航海の安全を図ることによって、他国との商業や交易を促進する目的があった。

 

 

つまり、古代社会ですら、自国を律することにより他国間との発展を企図していたのです。

現代の私達に、出来ない理由はないはずです、智恵は必要でしょうが。

 

次回は、最終稿の予定です。

 

 

注釈1.基本的には国内産業を守るために輸入規制をすることが問題で、他にも円高を防ぐ手はあるが、費用発生とインフレの問題、また外国からの非難がつきまとう。

 

 

 

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Capital of Piketty 27: we go beyond globalization 2


ピケティの資本論 27: グローバル化を越えて 2

 

   1

< 1. Two images were made more than 24000 years apart >

< 1. 24000年の時を越えて >

 

Last time, we saw the evil of globalization.

This time, we loot at a flow of globalization.

 

前回、グローバル化の弊害を見ました。

今回、グローバル化の流れを見ます。

 

A flow of globalization

“Globalization” is that the activity and the viewpoint are spreading over.

 

The globalization has started together with our human history.

We looked at how the culture and civilization had developed with repeating the fusion and incitement beyond various districts and countries, in my series “Go around the world of Buddha statues” “birth of primitive art” and ” history of sickness and medical art”.

It is difficult to find developments that have been never influenced from others, about everything from Venus, motif of wall painting, religion, god statue, and medical art to medicines.

This is similar up to every development, science, language, law, thought, art, and political system.

The motive power comes from trade, conquer, emigration, propagation or information collection.

It is still spreading throughout our earth for more than 100,000 years.

 

 

グローバル化の流れ

「グローバル化」とは活動や視点がより地球規模に広がって行くことです。

 

グローバル化は人類史と共に始まりました。

連載「原初美術の誕生」「仏像を巡って」「病と医術の歴史」で、文化や文明が地域や国を越え、触発と融合を繰り返しながら発展して来たことを見ました。

ビナース像や壁画のモチーフに始まり、宗教と神像の造形、医術や薬物に至るまで、まったく他の影響を受けず独自に発展したものを挙げることは困難です。

これはあらゆる発展、科学、言語、法、思想、芸術、政治制度に至るまで同様です。

その原動力は、交易、征服、移住、布教、より良く暮らす為の情報収集でした。

それは10万年の時を越えて、今も地球全域に広がりつつあります。

 

2

< 2. an expansion tendency of the world trade >

< 2.世界の貿易拡大傾向 >

 

How about now?

Particularly, in the last half century, the degree of dependence on foreign trade in the world has increased from 10% to 30%.

This makes world economy activated and must have made people’s lives wealthier.

In association with it, the world has come to cooperate in a protection and a relief in every field, politics, military affair, economy, finance, and environment.

The representative example is the United Nations, EU, ASEAN, African Union and COP.

This background was the economic exchange, a desiring to peace, and an information and communication revolution.

It’s all are not the result of globalization, but it could not be accomplished without this.

 

 

現在はどうでしょうか

特に、ここ半世紀、世界の貿易依存度は10%から30%まで増大している。

これは世界の経済を活性化させ、人々の生活を豊かにさせているはずです。

これに連れて、世界はあらゆる分野、政治、軍事、経済・金融、環境で、保護や救済を協同するようになりました。

その代表例が、国連やEU、ASEAN、アフリカ連合、COPなどです。

その背景には、経済交流と平和への希求、さらに情報通信革命がありました。

これら総べてグローバル化の結果とは言えないが、これ無くしては成し得なかっただろう。

 

 cop

< 3.  the United Nations Framework Convention on Climate Change >

< 3.COPの気候変動枠組条約 >

 

Although having said that

Would people and nation have accepted globalization unconditionally?

 

If people chose to cut off all from outside, what would happen?

The result can be seen at a part of indigenous people.

It was the best method to avoid aggression for them to live at an isolated outpost.

However, they must have been exposed to the remarkable difference between the civilizations at last.

Looking back at the time, they had shared in a same civilization 1000 – 3000 years ago.

 

Some country disliked the cultural ideas or the products poured from foreign countries, and cut off diplomatic relations for defending the economy and culture.

For example, there was the national isolation policy of Ming Dynasty in China, it of the Edo era in Japan, and the protective trade of each country started from the Great Crash of 1929.

In the case of 1929, it caused the great shrinkage for the world economy in spite of a partial embargo and worsened the panic more.

When the degree of dependence upon foreign trade is rising in particular, the globalization backlash is very dangerous in today.

 

The collapses of the Soviet Union and the Yugoslavian federation of the 1990s were the same movement, and there are same rumors about EU now.

The reaction is easy to happen very much, and the evil becomes very large.

 

 

そうは言っても

人々や国家はグローバル化を無条件に受け入れて来たのでしょうか。

 

人々が外部と遮断する道を選べばどうなるでしょうか。

その顚末を、一部の先住民に見ることが出来ます。

隔絶された地に住むことは、彼らにとって侵略を免れる最善の方法でした。

しかし、最後に、彼らは著しい文明の差を突きつけられることになりました。

その彼らも元を正せば、約1~3千年前には同じ文明を共有していたのです。

 

国が異国からの文物流入を嫌い、経済的・文化的防御の為に国交を断絶したりすることはありました。

例えば、中国の明時代の海禁政策、日本の江戸時代の鎖国、1929年の株価大暴落に端を発した各国の保護貿易がありました。

明の政策は、密貿易と倭寇の隆盛を招いた。

日本の政策は、社会の混乱を防いだかもしれないが、文明の後退を招き、明治維新へと向かわせた。

1929年の場合、部分的な禁輸にも関わらず世界経済に大収縮を起こさせ、恐慌をより悪化させた。

特に貿易依存度が高まっている現代ではグローバル化の反動は非常に危険です。

 

1990年代のソ連邦やユーゴスラビア連邦の崩壊も同様な動きで、現在EUが取り沙汰されています。

反動は非常に起きやすく、弊害は大となります。

 

There is an important thing that we must not overlook here

Human beings have created various laws (norm and regulation) to prevent many troubles and defend mutual right, and there is a fact that human beings are expanding the coverage of the laws more.

The coverage of first law was only inside the tribe.

Before long, the law was applied to a nation, a federation of nations from the last fifth century, and global now.

But it is weak still.

 

The globalization of law is absolutely indispensable because of making equal each person and keeping each person’s security (economy, military affairs, human rights).

 

This continues next time.

 

 

ここで見逃してはならない重要な事があります

人類は、紛争を防止し互いの権利を守る為に法(規範、規制)を作って来たのですが、その適用範囲を拡大させて来たという事実です。

初め、法の適用範囲は部族単位でした

やがて法は国家単位となり、やがて5世紀ほど前から国家の連合、今は地球規模で適用するようになりました、これはまだまだ脆弱ですが。

 

人類が等しく一人ひとりの安全(経済、軍事、人権)を守る為には、法のグローバル化は絶対に欠かせないなのです。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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Capital of Piketty 26: we go beyond globalization 1


ピケティの資本論 26: グローバル化を越えて 1

 

  1

< 1. a Spanish general strike at 2013 >

< 1. 2013年、スペインのゼネスト >

 

Until now, we saw two positions of the middle class that has held the key of a reformation of society.

From now, we look at the consciousness of “globalization” that became the biggest wall.

 

今まで、社会変革の鍵を握る中間層の立場を見てきました。

これからは、最大の障壁「グローバル化」に対する意識を見て行きます。

 

Preface

A problem is not that the world becomes one by globalization.

True problem is to be divided into the person who uses it positively and profits, and other person who keeps in one’s country and is indifferent to the harmful effects.

In this situation, would the problem be solved naturally?

 

Piketty says that global taxation is indispensable for correction of the disparity.

However, when hearing “globalization“, many people may think as affairs of other people and shrink away.

Furthermore, businessmen and economists who have clear sailing under present conditions must have refused promptly the suggestion of Piketty.

The more the suggestion is important, the more they will do so.

 

An important thing is to know the harmful effects and benefits of the globalization, and to ask how we should handle.

 

 

はじめに

問題はグローバル化によって世界が一つになることではありません。

問題は、それを積極的に利用し利益を得る人と、国内に閉じ籠もりその弊害に無関心な人に分かれることにあります。

これで事が済めば良いのですが。

 

ピケティは格差の是正に世界的な課税が不可欠としています。

しかし、多くの人は「世界的な・・・」と言われると、尻込みをするか、よそごとと考えてしまうのではないでしょうか。

まして、現状で順風満帆な実業家やエコノミストは、ピケティの提案を一蹴することでしょう。

その提案が重要であればあるほど・・・。

 

大事なことは、グローバル化による弊害と恩恵を知り、我々が如何に対処すべきかを問うことです。

 

Is globalization evil?

We see some typical evils.

 

Hedge funds being active behind the scenes: A large quantity of speculative funds is scattering around evils all over the world.

Asian Financial Crisis that speculator George Soros brought on is a typical example, as I mentioned to it between the 18th and 20th chapter of this serialization.

By a speculation, it drives the people into a predicament that many prices of necessaries are increased, and a mass unemployment, bankruptcy and reduced welfare occurred by a dropping of the stock prices and currency exchange.

 

Banks that get a huge profit by repeating bubble economy: monetary easing policy produces uneven distribution of immeasurable wealth and the next bankruptcy.

In 2009, the total profit of 20 banks in high rank of Europa and America was approximately 100 billion euros (13,500 billion yen).

Explanatory note 1

That year was at the height of the Global financial crisis, the real economic growth rate of EU became worst (- 4.5%), and the European financial crisis began in the next year.

 

Source of this profit began when the central banks (ECB and FRB) in Europe and America had financed commercial banks 2 trillion euros at ultra-low interest in this financial crisis.

The commercial banks were able to obtain 80% of the mentioned profit depending on they only sublet this fund with an average profit margin 4% at one year.

 

The problem is that overabundant fund is loaned out without an end, and an economic bubble and the collapse begin before long, and what was left over is people suffering from bankruptcy and debt.

Badness of loan sharks becomes a problem, but the tragedy of Southern Europe (Spain and Greece) being borrower defies comparison with it.

This is repeated at bubble burst of every approximately ten years.

 

 

グローバル化は悪か?

いくつかの弊害の代表例を見ておきます。

 

ヘッジファンドなどの暗躍: 大量の投機資金が世界中で弊害を撒き散らしている。

この連載の18~20話で取り上げた、投機家ジョージ・ソロスが起こしたアジア通貨危機が代表例です。

投機による必需品や投機商品の値上がり、逆に株価や為替の暴落による大量失業や倒産、福祉予算の削減などが国民を苦境に追い込みます。

 

バブルで巨大な利益を上げる銀行: 金融緩和策が莫大を富の偏在と次の破産を生む。

2009年、欧米の銀行上位20行の利益は約1000億ユーロ(13.5兆円)だった。注釈1

この年は世界金融危機の真っ最中で、EUの実質経済成長率は最悪の-4.5%になり、翌年には欧州金融危機が始まりました。

 

この利益の源は、金融危機の際に、欧米の中央銀行(ECBとFRB)が超低金利で民間銀行に2兆ユーロ融資したことに始まる。

この資金を平均4%の利ざやで1年間又貸しするだけで民間銀行は上記利益の80%を手に入れることが出来た。

 

問題は、有り余る資金が際限なく貸し出され、やがてバブルと崩壊が始まり、残ったのは破産と借金で苦しむ人々だということです。

町の闇金融の悪質さは問題になるが、借り手の南欧(スペインやギリシャ)の悲劇は、それと比べものにならない。

これがほぼ十年毎のバブル崩壊の度に繰り返されている。

 

 

2

< 2. Multinational enterprise >

< 2. 多国籍企業 >

Upper photo: many multinational enterprises of Europe manufacture products in Bangladesh. 

Lower photo: Multinational enterprise is concerned with the banana cultivation in Philippine.

 

上の写真: 多数の欧州企業がバングラデシュで生産している。

下の写真: 多国籍企業がフィリピンのバナナ栽培に関わっている。

 

Multinational enterprise being active behind the scenes: the enterprise that was supported by major economic power controls many underdeveloped countries, and eats greedily the world.

In 1984, there was a poisonous gas outflow accident in Indian chemical factory of an American company, and several thousand people were dead.

The Indian government was going to indict the managers, but the United States Department of State refused the request for the extradition.

 

It happens a lot that huge multinational enterprise forces various convenient contracts on underdeveloped countries, and tames government functionaries by bribery.

Then, the resources are taken away from the country, the people are worked in inferior environment, and the environmental pollution spreads around the country.

 

多国籍企業の暗躍: 大国を後ろ盾に後進国を牛耳り世界を貪る。

1984年、インドの米国企業の化学工場で有毒ガス流出事故があり、数千人が亡くなった。

インド政府は経営陣を起訴しようとしたが、米国国務省は引き渡し要請を拒んだ。

 

巨大な多国籍企業が後進国に、都合の良い契約を押し付け、政府要人を賄賂で手なずけることはよくある。

そして、その国から資源は奪われ、国民は劣悪な環境で働かされ、国土は環境汚染が蔓延することになる。

 

Summary

Evils of the globalization are countless.

This problem is started from the economy and finance activity of major economic power mainly and indirectly produces even conflict of each place.

Prosperity of weapon industry of major economic power becomes also the result that adds oil to the fire about the conflict.

 

This continues next time.

 

 

まとめ

グローバル化の弊害を挙げるときりがない。

この問題は主に大国の経済と金融活動に端を発しており、それが遠因になって各地の紛争すら生んでいる。

大国の武器産業の隆盛も、紛争に油を注ぐ結果になっている。

 

次回も、この手に負えそうにないグローバル化について見ます。

 

 

注釈1: 2009年の為替レート1ユーロ135/円で計算。

 

 

 

 

 

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Capital of Piketty 25: a difficile mentality hiding in our mind 3


1

ピケティの資本論 25: 私達の心に潜む厄介な心理 3 

 

< graph1. a income change of each income class of Japan, by “Capital in Twenty-First Century”>

< グラフ1.日本の所得階層別の所得推移、by「The World Top Incomeがs Database」>

 

Last time, we look at the situation of income disparity of the U.S.

This time, we confirm how the income disparity progress for the middle class of Japan.

 

前回、米国の所得格差の状況を見ました。

今回は、日本の中間層にとって所得格差はどれほど進行しているかを確認します。

 

Explanation about graph 1

Each income classes were sorted in each range 0.01, 0.1, 0.5, 1, 5, 10% from the highest rank, and in 90% from the lowest rank.

The average income of these classes in 1980 becomes 100 respectively.

The income of the low class (red line) to account for 90% of the population decreases 19% over the entire period.

In contrast, the income of the upper class from 0.01% to 10% increases in all, and the income of the top class 0.01% increases to 72%.

This tendency is similar to the U.S. that I examined last time.

 

 

グラフ1の解説

所得階層を上位から0.01、0.1、0.5、1、5、10%、また下位から90%に分けている。

1980年の平均所得をそれぞれ100としている。

人口の90%を占める下位90%(赤線)の所得が全期間で19%低下している。

逆に、上位0.01%から10%の所得は総べて増加し、最上位層0.01%に至っては72%増加している。

この傾向は前回検討した米国と同様です。

 

Then what is happening to the Japanese middle class?

それでは日本の中間層はどうなっているのだろうか

 

2

< graph 2. these are used from some HP >

< グラフ2. 様々なHPより借用したグラフ >

Explanation: these three graphs show the income decline or disparity of Japan.

But, I cannot get a whole image of the disparity by these graphs.

 

In the lowest graph, I can understand a whole image a little because the population’s change of each class is clear.

Explanatory note of the lowest graph

Income class ————- A line of graph —— Annual income range

the most poor class——black line————- less than 1 million yen

poor class ——————red dash line——– 1 – 2 million yen

lower class —————–green line————-2 – 4 million yen

middle class —————blue dash line——–4 – 8 million yen

upper class —————-purple line ————8 – 15 million yen

wealthy class ————-pink dash line ——-more than 15 million yen

 

According to this graph, we can know that the lower class and the middle class have a lot of the population.

Furthermore, a decrease in the population being more than the middle class is balanced by an increase in the population being less than the lower class.

This shows a possibility that each higher income class is falling to lower class in sequence.

 

 

解説: この三つのグラフは日本の所得低下や格差を示すものです。

しかし今一つ、格差の全体像が見えて来ません。

 

一番下のグラフは階層毎の人口がわかるので少し全体像が見えます。

一番下のグラフの凡例

所得階層       グラフの線       所得範囲

最貧困層    黒実線          年収100万円未満

貧困層      赤破線   年収100万円以上200万円未満

下流階層    緑実線    年収200万円以上400万円未満

中流階層    青破線    年収400万円以上800万円未満

上流階層    紫実線   年収800万円以上1500万円未満

富裕階層       ピンク破線         年収1500万円以上

 

これによると下流階層と中流階層の人口が最も多いことがわかります。

さらに、中流階層以上の人口減少分が下流階層以下の人口増と釣り合っている。

このことは上位所得層が次々に下位へと没落している可能性を示す。

 

How is the actual situation of the disparity?

I made the following chart using two data of National Tax Agency.

Annotation 1.

 

格差の実態は如何に

私が国税庁のデーター「1年勤続者の給与階級別給与所得者数」「1年勤続者の給与階級別平均給与」を使って下記のグラフを作成しました。注意1

 

 3b

< graph 3. average income change of each income class that is one fifth of population >

< グラフ3. 給与階層20%毎の平均給与推移 >

Explanation: These incomes of 1980 become 100 respectively.

Top class is the 5th quintile (blue line), and bottom class is 1st quintile (red line).

The average income of each class in 1995 and 2013, and the drop rate are written in the explanatory note of this graph.

 

An obvious trend of the graph is the income drop of the 2nd quintile (pink line) is more than the 1st quintile (red line).

One of the reasons is because the data limited by longtime employees more than one year.

Annotation 1.

 

But, just like the U.S., the top class is remarkable about the recovery among all drop trends.

As for other class, the income drop trend becomes rapid along with class’s falling.

Japanese middle class (the 3rd and 4th quintile) is not yet as bad as the United States, but the drop of the 2nd quintile suggests the future.

 

解説: 1995年を100としています。

最上位層は第5分位(紺線)、最下位層は第1分位(赤線)です。

グラフ横の凡例に、各階層の1995年と2013年の平均所得と、その騰落率を記しています。

 

このグラフで目につくことは、第2分位(ピンク線)の所得低下が第1分位より大きいことです。

これはデーターが1年以上の勤続者に限定していることが大きく、すべてを対象にすれば妥当なグラフになるでしょう。注意2.

しかし、ここでも米国と同様に、全体に低下傾向の中、最上位層は回復が顕著で、階層が下るにつれ、低下は歴然としています。

日本の中間層(第3、4分位)はまだ米国ほどには酷くないが、第2分位の低下が行く末を暗示している。

 

Summary

Currently, the Japanese middle class has not a crisis mentality so much as the American middle class.

But Japan is approaching the American style of finance, economy and tax rapidly now.

Therefore, our middle class will be forced to fall during disparity that is spreading.

If the disparity becomes any serious, does wise middle class feel a crisis mentality?

 

This continues as another theme next time.

 

まとめ

現状では、日本の中間層は米国の中間層ほどには危機感を持たないだろう。

しかし、日本は今、米国流の金融、経済、税制に急速に近づきつつある。

したがって、やがて格差が開いて行く中で、中間層も没落を余儀なくされるだろう。

賢明な中間層は、どのぐらい格差が深刻になれば危機感を持つことになるのだろうか?

 

次回、別のテーマで続きます。

 

 

注意1: 全給与所得者を毎年、5分割する為に一部の数値を補間計算しています。

またインフレ分を控除し実質所得に修正しています。

 

ここで不思議なことに気づきました。

私はインターネットで最適なグラフを探したのですが見つかりませんでした。

不思議なことに、海外の格差を示すグラフにはわかり易いものがあるのですが、日本の格差用には皆無なのです。

日本政府がそれを隠しているとは思いませんが、残念です。

ピケティは、格差の問題意識が低い国はデーターに不備があると指摘しています。

 

注意2: 不定期のアルバイトなどを算定すれば第1分位の年間所得はもっと低くなる。しかし下落率は、米国に比べ大きくない可能性があります。

それは米国の最低賃金が実質低下しているが、日本は上昇しているからです。

 

 

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Travel to Tottori prefecture 6: Uradome Coast


鳥取旅行 6: 浦富海岸

     1

  • * 1

I introduce a part of coast along the Japan Sea, and it is the last of this travel.

Here is the west side of Sanin Kaigan Global Geopark.

 

今日は、鳥取旅行の最後で、日本海の海岸を一部紹介します。

ここは東西100kmにわたる山陰海岸ジオパークの西の端です。

2map

< 2. We drove on this road. The north side is upper of this map. >

< 2. 今回の走行ルート、地図の上が北方向 >

Upper map: a yellow line shows the road, and it is about 70 km in the east and west.

Lower map: this is the map expanding a red frame of the upper map.

I took these pictures on the yellow line from Uradome Coast of the east to Ajiro harbor of the west with about 3 km.

Photos 3,4,5 are arranged in the order of the photographing.

上の地図: 黄色線がドライブルートで、東西約70kmになります。

下の地図: これは上図の赤枠を拡大した地図です。

写真は黄色線、東の浦富海岸から西の網代漁港の間、約3kmの範囲内で撮影しました。

写真3,4,5は、撮影順に並んでいます。

3
< 3. Uradome Coast >

< 3. 浦富海岸 >

These photos were photographed on the west of Uradome Coast. 

写真は浦富海岸の西側で撮影したものです。

4

  • * 4

Upper photos: this road that a white car is seen on at the photo’s left is along the coast.

Auto parks were laid on this road at pivotal points, and the views from these were wonderful.

I photograph these from here.

上の写真: 左側に白い車が見える所が道路で、海岸沿いを走っています。

この道路には、要所要所に駐車場が設けられており、そこからの眺望が素晴らしいです。

写真はここから撮りました。

5

  • * 5

Upper photo: a ship can be seen beyond a large rock island.

This seems a sightseeing ship for islands tour setting off from Ajiro harbor.

Lower photo: a view of Ajiro harbor from a pass.

Tottori Sand Dunes can be seen on the opposite shore indistinctly.  

上の写真: 岩の島の向こうに遊覧船が一隻見える。

これは網代港から発着している浦富海岸の島巡りの遊覧船だろう。

下の写真: 網代港に入る峠から港を見下ろした。

対岸遠くに、鳥取砂丘がおぼろげながら見える。

Afterword

As for this travel, we focused on the sightseeing of a grand mountain, a temple of a mountain, and a seacoast, excluding sightseeing of flowers.

Also, we enjoyed seafood of Sanin and a hot spring.

It was more refreshing travel because it was fine weather.

 

During this series, two foreign nationals asked for the information of two sightseeing spots.

I was delighted that foreign nationals acknowledged Japanese virtues.

I have following travel plans in this year.

It is the 5 countries of the Balkan States including Croatia of August, Guilin in China of September, and Nagano prefecture of October.

Thank you for reading my travel report.

あとがき

今回の旅行は、花巡りを省き、雄大な山と山岳寺院、海岸の観光に絞りました。

それと、山陰ならではの海の幸と温泉を楽しみました。

天気が良かったので、爽快な旅になりました。

今回の連載中に、米国とロシアの方から大山と三徳山三仏寺の問い合わせがありました。

海外の人々に、日本の良さを知ってもらえてブログ冥利に尽きます。

今後、以下の旅行を予定しています。

8月のクロアチア含むバルカン5ヵ国、9月の中国の桂林、10月の長野県。

楽しい旅行記を掲載したいと思っています。

ありがとうございました。

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