< 1. 少数民族雑伎ショー >
今日で、この旅行記を終えます。
書き残したことや雑感を記します。
< 2. これまでの記事の巻頭写真 1 >
この桂林旅行は2015年9月初旬に3泊4日で訪れたものです。
予想通りに天候に恵まれ、漓江下りと龍背棚田の景色を堪能しました。
また大墟古鎮やヤオ族の村の見学は短い時間ではあったが楽しめました。
< 3. これまでの記事の巻頭写真 2 >
少し残念なことは、ヤオ族の風習や宗教などに触れる時間がなかったことです。
それでも得るものはありました。
しかし、思わぬ拾いものが別でありました。
それは下の写真です。
< 4. 花山岩画 >
これは中国が2015年に世界遺産登録を申請したものです。
私達が穿山岩の鍾乳洞を見学していると偶然、この展示ポスターを見つけました。
これはこの広西省にあって、約2千年前にチワン族の祖先によって岩に描かれた絵でした。
この人物像のデザインは他の大陸では1万年前に遡ることがあります。
中国にはこの手の古い岩絵が少ないので、何だか嬉しくなりました。
< 5. 桂林 1 >
中国の奥地にあって、開発が遅れていると思っていたのですが、そうではなかった。
田園地帯に行っても建設中の家屋や、郊外にも高層マンションが林立していました。
郊外に産業団地があるのですが、研究所や公害を出さない事業体が誘致されていた。
町中を走っている車やバイクはほとんど電動車だそうです、公害防止の為に。
都市部を少し離れるとそこら中、砂埃をあげて道路工事やビルの建設中でした。
< 6. 桂林 2 >
私達夫婦は毎朝晩、町中を歩き回りましたが、危険や不安を感じることはなかった。
二軒の本屋の店員も、夜、道に迷って宝石店の店員に道を尋ねても、皆丁寧に対応してくれた。
残念ながら言葉は通じなかったが。
少数民族の雑伎ショーには私の期待していた少数民族の風習や暮らしを紹介するものはなかった。
それでも巻頭写真にあるような男女の掛け合いの歌は、山岳民族に最近まで続いていた「歌垣」を思わせるものがあった。
この歌による求婚方式は、日本では奈良時代で消えてしまった。
ここでは観光業に力を入れることにより、少数民族は肩身の狭い思いをすることなく暮らしているように思えた。
ただ観光化が進みすぎて、保存すべきものが失われているのが残念です。
最後に
私は中国の訪問が7回目ですが、20年ほど前に比べて中国は力強く発展を続け、人々の振る舞いも変わってきているように思う。
経済格差、古いものと現代的なもの、汚いものと洗練されたもの、ごった煮の状況は変わらないが。
やっと念願の奥地の桂林を訪問し、満足して去ることが出来ました。
皆さん、お読み頂きありがとうございました。
こんにちは(^^♪
悠久の街・桂林だけは大国際観光都市のようですね。私は漓江下りのみで少数民族の集落へは行けなかったので楽しく拝見させて戴きました。将来、少数民族の生活様式などが残っていくのか心配です。
少数民族の村は既に、テーマパーク状態かもしれません。私が10年前に福建省の客家土楼に行った時は、観光化されずに暮らしが残っていました。
福建省の客家土楼!思い出しました。確かにそうでしたね(^_-)-☆